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正史『三国志』 十七巻

1 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 22:44:17 0
前スレ
正史『三国志』 十六巻
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1265887671/

593 :世界@名無史さん:2010/07/04(日) 19:56:40 P
>>592
いや、参事官はただの補佐官で、
事務や軍の指揮はやらないっしょ?参謀とは仕事かぶるけど。
参事官はスタッフで参謀もそれに含まれるけど、
事務や軍の指揮はラインの仕事だ。

594 :世界@名無史さん:2010/07/04(日) 20:40:05 0
「軍事顧問官」と考えれば良い。
府長を助けて参謀(助言や事務)もやる、
別軍を総括する府長代行もやる、という。

595 :世界@名無史さん:2010/07/04(日) 21:16:00 0
王平は処刑された馬謖に代わって、
軍事顧問に昇格したんだな。

596 :世界@名無史さん:2010/07/05(月) 18:57:46 0
>>589
みんながみんな北伐に参加したら、太守だの県令だの、
地方行政を支える人材がいなくなるでしょ?
呂乂や張嶷のような人材が地方で太守やってないと、
国の根本が成り立たない。
必要だから長い事太守やってたわけで、
その間将軍号加えられたり、関内侯の爵位を与えられたり、
出世できない代わりに厚遇を受けている。

でもまあ、国にとって必要かどうかと本人が望むかどうかとは別で、
本人は北伐に従って思いきり戦いたかったんだろうね。

597 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 17:56:12 0
州牧や四方将軍や四鎮四征将軍が与えれる官位の限界→太守・中郎将・別駕・刺史
太守が与えれる官位の限界→校尉・功曹・県令

こんな感じだろうか?


598 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 18:16:36 0
三国志VSナポレオン軍

 ttp://www.meiwasuisan.com/frame/

599 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 18:59:46 0
普通に字義通り「軍」経営に「参」与する役職と捉えちゃっていいんと違うかえ?>参軍
あと別に参事官という言葉も別に昔の官名が残ってるとかではなくて、普通に職責をそのまま漢文で表しただけかと。

600 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 19:12:57 0
>>599
そう考えればいいんか。てっきり参謀の事かと思ってたよ。

601 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 19:28:04 0
>>597
別駕や功曹は属官だからそのとおり
太守なら県長は任命できるし、将軍の部隊長としての校尉も将軍が任命することになるだろう

しかしそれ以外はそもそも「与えられる官位」なんか元々存在しない
なぜなら太守や将軍や刺史は勅任官だから、与える事ができるのは皇帝だけだ
「推薦した」ことにして実質的に勝手に任命するケースの方が多いけど、これは勝手にやることだから制限なんて存在しない
ただ、任命する側より地位や権限が上の者を任命してしまうと統率や権威の上で問題だから普通やれないだけ

602 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 19:39:03 0
>>601
それって、実質上は地位や権限が下の官位は好きなだけ与えられるってことでない?

603 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 19:41:04 0
中央の権力が衰えた状態ならそうだろ

604 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 19:44:47 O
後漢が存在していた時期まで、と捉えればいいのかな?

605 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 19:50:18 0
>>600
參安東軍事とか參丞相軍事といったように表記されることを考えると分かりやすい。

606 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 21:00:09 0
>>456
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%BE%E9%9B%A2%E6%98%A7
高祖にこれだけ憎まれているのに、よく子孫復活出来たな。

607 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 21:13:52 0
>>606
高祖が憎んでるからって、高祖の子孫がその子孫を憎み続けるとは限らない。

608 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 21:15:09 0
>>606
後漢、三国呉の鍾離氏は会稽の人。
その鍾離昧の子孫は九江の人で別だけどな。

漢の高祖は憎んでいた季布を生かして助けてくれた丁公を処刑するような人間。
鍾離昧も保護した人間が違っていれば助かったのかもしれない。

それに罪も本人だけにとどまって子孫には及ばなかったんだろう。

609 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 21:48:34 0
http://kanso.cside.com/ki-ichizoku.htm
劉邦の汚さは異常。

610 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:08:17 0
>>609
汚くても天下を取れば勝ち組。

611 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:34:04 0
袁氏は徹底的に追い詰めて殺したが、袁氏の部下はどしどし召抱えた曹操と変わらん。

612 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:42:04 0
>>607-608
子孫と祖先の性質が綺麗に合致する例は少ないしな。
岑昏とご先祖様の違いを考えると遺伝子って儚いものだなと思う。

それに、首取られたの当人だけのようだし、項伯らを普通に生かしているからねぇ。
劉邦の行動原理はわかりにくいけど、過程すっとばして結論から有用か否かで斬るか斬らないかを決めている気がする。
旧楚地域の鎮撫に有益だから項伯は許して、項伯の例があるので必ずしも必要ないから斬ったのが鍾離昧なのだろう。

613 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:42:47 0
>>611
曹操政権下で生き残った袁氏一門って、高柔ぐらいだな。

614 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 22:50:13 0
>>613
袁渙とか楊彪とかがっつり居たような。

615 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:00:18 0
>>614
袁渙は陳国袁氏。袁紹の汝南袁氏とは系統が違う。
楊彪は失脚してるし息子殺されてるし、ただ命が助かっただけに過ぎない。

616 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:00:39 0
袁渙は陳の出身だし、汝南の袁紹とは別じゃないの?
あと袁紹の妻は厚遇されたようだし、三兄弟以外は生き延びた可能性はある。

617 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:05:13 0
>>615
楊修が殺されたのは別件だ

618 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:13:07 0
楊彪は袁術の縁戚だが、「袁術の一門」でおさまるような器でも一族でもないね。

619 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:19:24 0
弘農楊氏は汝南袁氏以上の名門だからね。

620 :世界@名無史さん:2010/07/06(火) 23:30:36 0
侍中と散騎常侍の違いを教えてくれ

621 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 01:52:43 0
侍中は皇帝の顧問官。皇帝が閲覧する文書処理に直接関わり、諮問に応える。
皇帝の性質にも拠るが、政策決定に強い影響を与えることができ、
実質枢機を掌ることもあった要職。

散騎常侍は魏が当初「散騎」として設置。皇帝の巡幸に騎馬で散従するので散騎。
中常侍を廃して散騎常侍となるが、漢の中常侍と異なり規定の職務は無く、
ただ規諫(正し諌めること)のみを務めとした。
しかしながら皇帝に従って禁中に入ることができる官であり、常に顕職であったという。

622 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 04:43:17 0
董允はかなり権限があったんだな。
劉禅が後宮を美人で満たしたいと望んでも、
董允の反対で出来なかったくらいだし。

623 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 05:01:05 0
張飛の娘を入れるとかさぞかしブスぞろいだったんだろうな。

624 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 05:44:40 0
>>622
それは、名君劉禅が忠臣董允の諌めを容れた美談なんだよ!

625 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 06:50:28 0
正史には張飛の容姿については記述はない。
意外と美男子だったかもしれないし、その娘も美人だったかもしれない。
あんまり『三国志演義』のイメージで語るのは・・・・・・・・

626 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 11:15:13 0
それにブ男の子がブスとも限らんし、美男子の子が美女とも限らん。

更に言うなら美男子だけどこれ女性の顔にしたらブスだよなって人とか、
美女だけどこれ男性の顔にしたらブ男だよなとかあるし。
ほとんど同じ顔の兄弟が、性別違うだけで美人になったり不細工になったりするしな。

張飛のパブリックイメージだけで類推するのは危険。

627 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 11:52:19 0
張飛の娘は二人後宮に入っているでしょ。
一人ならともかく、二人というのはそれなりに美人だったのかも。
張飛は功臣ではあるけど、親戚ではないし、豪族だったわけでも
ない。そんなに張家を重んずる必要性は無い。劉禅に妹も皇后にされ
たのは、それなりに気に入られていた可能性が高い。

628 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 12:46:51 0
単に後宮に入れられたのではなく
皇后になっていることからも「張家が」重んぜられてるんだと思うが。

629 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 14:32:02 0
どうかな?
外戚として羽振りをきかせたという程では
なかったし。呉懿・呉班が出世した呉氏の方が
実質的には重んじられているように思う。

630 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 14:38:46 0
蜀漢がケ艾に滅ぼされたあとも、張飛の娘や息子たちはボンクラ五主についていくんだったか?
関羽の子孫は?徳の子に三族滅させられたんだったか。 かわいそう。

631 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 15:15:50 0
姉妹丼ハァハァ

632 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 15:20:53 0
>>629
張紹は侍中・尚書僕射。張遵は尚書。権力の中枢。
呉懿・呉班は位は高いが、権力からは遠い将軍に過ぎない。
権力からの距離では張氏の方がよっぽど優遇されてる。

633 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 17:53:57 0
光禄大夫と太中大夫と諫議大夫の違いを教えてくれ。
なんだかどれも偉いけど実権の無い名誉職って感じで、
違いが良く分からない。

634 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 17:58:11 0
>>630

信憑性のイマイチ低い『蜀記』の話だろ?

635 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 18:06:30 0
>>634
張紹が劉禅に従って洛陽に行ったというのは、蜀記出典では無いぞ。

636 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 19:14:42 0
関氏の血統が滅ぼされた話では?

637 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 19:17:58 0
>>636
ああ、それは蜀記にしか載ってないね。
しかし、その後関氏が洛陽に行ったという記述も無かったから、
鐘会の乱で全滅したんだろうね。

638 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 19:45:16 0
父親の恨みを晴らすだけならば(当の本人が死んでる以上)嫡子だけにしとけばいいのに…
すげえDQNだなオイ。

639 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 21:51:27 O
安易にDQNなんて言う奴も困りもの


640 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 21:57:35 0
しつこいようだが、光禄大夫と太中大夫と諫議大夫の違いを教えてくれ。
なんだかどれも偉いけど実権の無い名誉職って感じで、
違いが良く分からない。

641 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 21:58:23 0
>>638
だから、それは創作なんだってば。

642 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 22:20:00 0
>>640
じゃあ俺がテキトーな解説。
どれも職掌はご意見番で、実権はない。三公の劣化バージョン。
ただ光禄大夫は三公に次ぐ高官。
太中大夫と諫議大夫はそれよりはもっと下位。

だけどこれは魏晋の話で
後漢末だと董昭が諫議大夫、賈詡が太中大夫だったりして、けっこう高位と思われる。
賈詡なんか太中大夫から太尉になってるような。

643 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 22:25:15 0
しかしホウ徳が曹操に忠節を尽くして死んだのって腑に落ちないんだけどな。
それならなんで馬超についていかなかったんだろうと。
ついこないだ曹操に降伏したばかりで、しかも簒奪間近。
その曹操に忠義を尽くすことの大義ってなんなんだろう。
どうせ老い先短いと考えて、華々しく散りたかったってことなのか?
よっぽど劉備や関羽が嫌いだったのか?

644 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 22:27:06 0
>>643
曹操に会って、ようやく骨を埋める場所を見付けたと思ったんじゃね?

645 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 23:15:05 0
>>643
「國家の鬼」と自ら言っているっしょ?
つまりホウ徳は、自分自身と子孫の地位を保証してくれる存在として、魏王国を選んだということ。
この言葉をまるごと信じてしまうなら、ホウ徳はこのとき既に魏王の臣であり、
漢に代わる魏の天下を信じていたことになるだろう。
自分が死んでも、逆に殉死だからこそ、「家」と子孫の地位は魏によって保証され、
代々繁栄を約束されることになる。日本的に言うと御恩と奉孝の契約関係。
それが個々の家と国家を結ぶ基本的な封建関係であったので、
家系の継続を尊ぶ士大夫はホウ徳のような死に場所の選び方をする。

646 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 23:22:21 0
>>645
しかし死ぬことは親不孝じゃないのかね?
それに家系の存続であれば、劉備に降伏しても問題ないでしょ。
馬超だって劉備に降伏してから新たに家族をもうけてる。
それと御恩と奉公の関係は「代々の繁栄の約束」とは違うような。

647 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 23:29:51 0
>>643
( ゚∀゚)つ豫譲

648 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 23:30:06 0
>>646
主君のための死は「忠」なので美徳とされる。
家系の存続は家族が魏にいるのだから、
劉備に降伏しては魏にいる子孫の繁栄が約束されない。

649 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 23:37:34 0
>>648
わずか数年前まで曹操と戦っていておいて「忠」などというのが茶番でしょ。

>家系の存続は家族が魏にいるのだから、
これは家系の存続の問題じゃないよね。
具体的な家族数名の問題。

あと
>家系の継続を尊ぶ士大夫はホウ徳のような死に場所の選び方をする。
これって「士大夫=家系の継続を尊ぶ=ホウ徳のような死に場所の選び方をする」という意味?
俺からすると黄権のような生き方も士大夫のスタンダードなんだが。

650 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 23:44:08 0
>>649
( ゚∀゚)つ豫譲

651 :世界@名無史さん:2010/07/07(水) 23:58:13 0
>>649
後嗣のホウ会が魏にいる以上、家系の存続は魏臣として死なないと果たせない。
あと、降伏して間もない降将が忠義を尽くして死んでもおかしいと言う決まりは無い。

652 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:02:33 0
というより、降伏間もない降将だからこそ、忠義を尽くして見せなきゃ。

653 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:08:05 0
まぁ、立場の改善はあるんじゃないでしょうか。

654 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:10:14 0
>>646
>>649
>しかし死ぬことは親不孝じゃないのかね?
いや別に。親のために子が死ぬのは美徳だし、
死後の名声や家の繁栄を願って死ぬのも美徳だ。

>それに家系の存続であれば、劉備に降伏しても問題ないでしょ。
>俺からすると黄権のような生き方も士大夫のスタンダードなんだが。
>わずか数年前まで曹操と戦っていておいて「忠」などというのが茶番でしょ。
忠を尽くす相手は曹操個人である必要はない。ホウ徳の言う通り国家であり、ひいては天下だ。
黄権に限らず自分が生き延びて家を存続するという選択肢は当然ある。
そのために妻子を捨てることも多々行われた。
ただ、当時のホウ徳にとっては、劉備陣営はそれを託すに値しなかったのだ。

…という主張が、ホウ徳の最後の逸話に見られる性質ってこと。

655 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:22:50 0
>死後の名声や家の繁栄を願って死ぬのも美徳だ。

(ノД`)于禁

656 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:23:15 0
>>651
>後嗣のホウ会が魏にいる以上、家系の存続は魏臣として死なないと果たせない。
馬超は劉備に降伏したことで息子を殺されたが、新たに息子をもうけたでしょ。

>あと、降伏して間もない降将が忠義を尽くして死んでもおかしいと言う決まりは無い。
忠義の正当性の問題だよ。

657 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:24:07 0
忍従に耐えるのも一つの道だけどな。
虞翻と曹丕の屑どもには理解できなくとも。

658 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 00:42:29 0
>>656
正当な父君に尽くしたならば、それが正当性のある忠義だろう。
社会や国家や歴史はそう認める。

659 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 01:33:36 0
ぶっちゃけ曹操にとっての于禁は、劉備にとっての関羽みたいなもんなのに、
関羽は許されて于禁は許されないなんて


660 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 05:43:08 0
本場儒教では親孝行>忠義だろ
親が死んだら職務放棄してでも喪をやらないと社会的に大ダメージ。
主君と親、どっちをとるかといわれたら親を取るのが当然。
陳寿は親不孝が原因で出世できなかった。


661 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 06:09:23 0
本来は双方重視で、後漢末の孝廉制の流れと結びついて孝の重要性が高まり、
魏晋が王莽に似た形で先代王朝の権威を利用し寄生しながら乗っ取るという外面の良くない形を取ったものだから、
何だかんだで孝の方が重要としていた方が王朝としても都合が良いという流れからだったような。

662 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 07:26:38 0
>>660
なんで孝の話が?

663 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 10:40:53 0
>>659
許さなかったのは曹丕だろ初代は于禁開放時には死んでたろ?

664 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 10:42:39 0
>>657
虞翻ってwiki見る限り、自分自身が降伏を糜芳に進めておきながら、後年2人が船ですれちがったりすると
非難の雨嵐やりやがったクズだよね。

665 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 12:21:00 0
ホウ徳の兄は蜀で生きてなかった?

666 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 12:25:51 0
>>665
蜀にいたホウ柔は従兄。

667 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 12:26:59 0
>>660
で、いつホウ徳が親不孝したの?
儒教では戦死する事は親不孝じゃないよ。

668 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 12:57:04 0
ホウ徳は戦死してないよw
関羽に降伏せず処刑されたんだよ。 処刑は戦士とは言わないよw

669 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 12:58:55 0
>>666
臥竜鳳雛の?統は?徳といとこなんだよな。 で、?スウと?統は兄弟になるのだろうか。それとも族弟みたいな間柄?

670 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 13:06:46 0
>>668
戦で現場で捕縛を受けて処刑される場合、名誉という視点から見た時に、戦死であることとの明確な区別はないように思うが。
降伏していない軍人が現場で殉職しているわけで。

>>669
ホウ徳公とホウ徳は別人だよ。

671 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 17:57:52 0
良く「降将を使うなんてよほど人材がいないんだな」とか「降将は寝返る危険があるのに良く最前線に置けるな」とか
「降将が国に忠誠を誓うわけが無い」と言う人がいるけど、
降将でも有能なら活用するのがまっとうな人事で、降将は元いた国には普通戻れないから、
寝返る心配はしなくていいわけで、しかも降将ということで色眼鏡で見られるから、
生え抜きの将よりことさら忠勤に励んで信用を獲得しなければならなかったりするから、
実は有能な降将は忠実で使いやすい存在。

672 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 18:15:28 0
たとえば有能で忠実な降将としては、蜀の姜維、王平、呉の潘濬、呉・魏の唐咨がいるね。

673 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 18:23:18 0
孟達みたいな奴もいるから、ハイリスク人事ではある。 

674 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 18:28:08 0
実際ホウ徳も裏切るんじゃあないかと曹操孟徳あまり信用してなかった。だから、あの于禁が捕縛された戦いも
于禁がメインでホウ徳はあくまでサブ。
今はgameなどで于禁が能力低いからザコ扱いされているが、実際はオカシイ。
たしかに関羽に降った件で大きく評価をさげているが、それまでずっとずっと活躍してきた魏の名将。
降伏の件なかったら魏の元勲扱いで大邸宅もらって夏侯惇みたいに若い妾たくさんかかえてずっと小づくり放題の
晩年おくってたお?

675 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 18:29:53 0
孟達のように何度も寝返りかますのは珍しい存在だよ。
普通はどこかで信用失って用いられなくなる。
孟達は文帝死後、もともと信用が無いのと親しい友人がみんな死んでしまったので孤立して、
蜀に再寝返りをしようとしたが、こういうのは三国時代になってからはレアケース。

676 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 18:32:47 0
>>674
于禁がメインでホウ徳がサブなのは当たり前だろ。
于禁は魏の宿将で左将軍。ホウ徳は雑号将軍。
普通に序列の問題で于禁がメインでホウ徳がサブになる。
ホウ徳への信用とはまた別の問題。

677 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 19:18:36 0
降将は腹心や宿将に付けられ、行動が監視される
当然と言えば当然の処置
張遼が李典・楽進という曹操エン州時代からの宿将と組んでいたのはそういう理由からだろう
于禁にホウ徳が付いたのも同じ

こういう形でなくても、軍にはお目付け役がいるものだ

678 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 19:21:59 0
衛カンとか?

679 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 19:25:45 0
>>677
合肥当時の張遼は既に曹操の譜代扱いだと思うんだが。

680 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 19:34:09 0
>>679
譜代扱いだったかどうかなんて簡単に区別しようがないと思うんだが、
どこ読んだら「譜代扱い」だったと判断できたんだ?

681 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 19:43:04 0
>>680
河北征伐では独立して別軍を率いている。
烏丸との戦いでは指揮権を臨時に与えられてる。
陳蘭・梅成討伐の総司令官。張コウ・朱蓋を率いている。
宿将と同時に同格の将軍の位を授かっている。

682 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 19:54:47 0
じゃあ合肥で李典楽進と組まされたのは何故?

683 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 20:03:40 0
>>682
以前、このスレで話題になったが、七千の兵を一人で指揮するだけの格が張遼になかったからでしょ?
たまたま組んだ将軍が生え抜きだったというだけで。
そもそも、降伏してから15年以上たってるのに、未だに降将扱いとかおかしくない?
それってよほど信用してない事になる。急激に膨張した曹操軍は降将だらけなんだから、
いちいち信用できないとして生え抜きと組ませてたらキリないよ。
長く仕えてたら、生え抜きと同等に扱わなきゃ。

684 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 20:11:53 0
孟達とかと組んでれば「張遼が監視役」ってことで文句も出なかったろうな。

685 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 23:13:20 0
しかし、孟達は蜀との国境の太守。そして、その上司は夏侯尚。皇族にして監視役として最も適任の人物だ。
しかも、孟達の親友。そんな夏侯尚が死んでから、蜀への再寝返りを考えるようになった。

686 :世界@名無史さん:2010/07/09(金) 00:10:55 0
孟達は父親が張譲に媚びいった人間だからなぁ

687 :世界@名無史さん:2010/07/09(金) 00:14:43 0
曹操や袁紹が、孟達の親父と十常侍と一緒にいたら間違いなく殺害しているだろうな。

688 :世界@名無史さん:2010/07/09(金) 00:39:18 0
濁流直系ってわけか

689 :世界@名無史さん:2010/07/09(金) 00:56:50 0
十常侍というが、後漢書には12人挙げられている。これ豆な。

690 :世界@名無史さん:2010/07/09(金) 00:59:33 0
五胡みたいなもんか

691 :世界@名無史さん:2010/07/09(金) 01:11:33 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E5%B8%83

その他 [編集]
『三国志』の「夏侯惇伝」には、建安24年(219年)に曹操によって呂布軍が?県の摩陂で撃破されたことが記述されている。
また「満寵伝」では樊城を包囲した関羽が?に別将を派遣したという記述がある。

これらの記述から、関羽配下には同姓同名の呂布が存在していたと見ることができるが、「夏侯惇伝」の記述が衍字である
との説もあり、ちくま学芸文庫の正史『三国志』の日本語訳でも、その説に従ってこれを訳していない。



同姓同名ではなく、呂布が実は捕殺されていなかった可能性ってないかな?

692 :世界@名無史さん:2010/07/09(金) 01:27:50 0
ない。

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