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正史『三国志』 十七巻

1 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 22:44:17 0
前スレ
正史『三国志』 十六巻
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1265887671/

491 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 17:29:35 0
歴史上の淫乱女を挙げていこう
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1276771564/

108 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 22:41:52 0
中国歴史上五大荒淫公主のうちあと三人はだれだ。


館陶公主
山陽公主

あと3人か、論壇の簡体字訳せる猛者求む。


109 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/06/27(日) 17:05:19 0
>>108
訂正も込みで時代順にまとめて見た。

文姜(春秋時代 斉の襄公の妹、魯の桓公夫人)
館陶公主(前漢 漢の武帝の伯母、武帝の最初の皇后陳氏の母)
孫魯班(三国呉 大帝孫権の長女)
山陰公主(南朝宋 前廃帝劉子業の姉)
太平公主(唐 唐の高宗の娘、母は則天武后)



孫魯班って人はそんなにbitchだったの?




492 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 18:06:03 P
>>490
秩石なら、将軍より九卿の方が高いけど、
序列では将軍二人の方が上だから、
秩石よりは実権で考えた方がいいんじゃないか?

493 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 18:25:35 0
そりゃ皇帝の九卿の話だ。
それに序列の話をしてるのに実権の話になってるよ

494 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 19:08:42 0
>>491
孫魯班は悪女タイプではあるが、ビッチとは言えない。
賈南風の方がまだビッチだろう。

495 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 20:49:32 P
>>493
後漢書の職官志読んでみたが、諸王の九卿の秩石が低い事は分かったが、
四方将軍や尚書令や侍中の秩石は分からんかった。
あと、将軍から漢中王の九卿や四方将軍に移ったら、
序列の上では下がるのだろうか?
頼恭や王謀や関羽や張飛や馬超や黄忠は将軍や太守から、
漢中王の九卿や四方将軍に移ったけど、これって左遷人事じゃなくて昇進人事っぽい。
秩石だけで見ると明らかな左遷人事だけどね。
あと、将軍は誰が漢朝の将軍で誰が漢中王の将軍か分かりにくいな。
魏王曹操の時代には漢朝の将軍と魏王の将軍が混在してたみたいだけど。

496 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 21:06:24 0
漢中王の任官制度って前漢初期の旧例に従って云々ってなってなかった?
後漢書の職官志で参考になるのかな。

497 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 21:18:34 0
>>494
自己レス。
公主限定なら賈南風はエントリー不可だな。

498 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 21:34:34 P
>>496
漢書読んでみたが、やはり太傅と九卿以外の官の秩石が分からなかった。
四方将軍や尚書令や侍中の記述なんてまったくない。

499 :世界@名無史さん:2010/06/27(日) 22:08:29 0
だいたい、秩石制がかなり崩れてたらしい当時、どこまで上奏の順位に意識されてたのかも分からないな

500 :496:2010/06/27(日) 22:18:18 0
>号して藩国と為す。その傅を太傅と曰い、相を丞相と曰う。
>又御史大夫・群卿有り。皆秩二千石なり。百官皆漢朝の如し。

支那通史にもこれだけしか書いてないね。


501 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 00:18:52 0
>>494
中国の論壇では5つの指にかぞえられるほど淫乱とそういう風に評価されているという話だよ。

502 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 11:20:21 0
>>498
そりゃないよ。尚書令や侍中は皇帝の官だもの。
将軍も戦時任命の官であり、王国で任じられた例はごく少ない。

503 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 15:50:37 P
>>502
でもね、劉備も曹操も王国で尚書令や侍中や前後左右将軍を任命してるんだ。

504 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 15:54:53 0
尚書令や侍中や前後左右将軍は、400年の間に前漢初にはなかった重要性を帯びて発展して来た官だから。
劉備や曹操が後漢末の政治形態に即した独立したシステムを構築しようとしたときに、
これらの官が必要としたのはもっともなこと。

505 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 16:25:17 P
朱治は親族以外の人間で、209年以前の時点で郡太守と将軍を唯一兼任していた重鎮。
それなのに官位はほとんど昇進せず、厚遇されているものの実質郡太守どまり。
揚州牧になったのも本来格下の呂範。しかも呂範は朱治よりはるかに格上の前将軍。
いったい、この二人の地位はいつ逆転したのだろう?
なぜ朱治は宿老で最古参なのに昇進が止まったのだろう?
本来、呂範だけでなく、周瑜や程普よりも格上で、親族の呉景や孫賁と同格。
呂範や周瑜や程普が中郎将だった頃に雑号将軍。
赤壁の後、彼らが裨将軍や偏将軍の称号をようやく得た頃でさえ、まだ格上だったのに。

506 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 18:01:34 0
>>505
官位は昇進してないけど、朝廷から任命された扶義将軍。
孫権が呉王になった時は安国将軍となったが、これを前将軍より格下といって良いかどうか。
安漢将軍の縻竺のように、別格扱いと見ていいんじゃない?

あと、呉郡太守ではあるけど、北方の前線には孫韶がいるし
孫策・孫権時代に手足となって働いた呂範に比べると
あくまでも留守役・重石としての仕事が主となって長い。
にらみを利かせていたのはむしろ東南方面。
呂範が揚州牧として実務を担うのは自然に思える。

507 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 18:08:40 0
朱治は黄武元年に安国将軍・金印紫綬、三年卒。
丞相が銀印青綬だっただろうことを考えれば、
むしろぶっちぎりのトップ待遇。

朱治は既に孫権初期(或いは孫策の時代末?)から孫呉中央の政治から離れている。
これは君臣の世代交代に対して孫堅時代からの旧臣として遠慮したのか、
積極的な阻害を受けたのかは不明だが、ともあれ朱治は呉一郡に権威を定着させる道を選び、
孫権もそれを尊重して引き剥がすような真似をしなかったということだろう。

508 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 18:44:09 P
朱治伝を読めば、朱治の呉郡における権勢と、
孫権の格別な厚遇ぶりが分かるから、
それならなんでほとんど官位が昇進しないのか不思議だったけど、
官位以外のところで厚遇される半ば臣下と言うより賓客のような
存在と考えれば無理ないか。張昭のような扱いかな?

509 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 18:50:52 0
朱治って光栄のゲームでの能力値すげえ悪いよね。

510 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 19:08:32 P
三国志11では統率71武力56知力72政治73魅力75。
そこそこ使える能力だよ。後方の太守としては適任。
史実通りの使い方ができる。呂範とそんなに変わらない能力。
まあ、能力より信頼と功績で重用された人物としてはふさわしい能力じゃない?

511 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 19:25:54 0
孫堅が長生きしたらもっと別の活躍と評価があっただろうけどね。

512 :世界@名無史さん:2010/06/28(月) 20:11:35 P
孫堅死去時には督軍校尉で別動隊を率いて、陶謙の援軍。
孫堅が生きてたら、主力軍の一翼を担ったり、別動隊を率いたりする、
信頼できる軍指揮官として使われてた可能性が高いね。
孫堅生存中の朱治は完全に武官として働いてるからね。
孫策時代の程普や呂範みたいな役割になったかも。

513 :世界@名無史さん:2010/06/29(火) 14:31:12 0
>>510
初期のシリーズでは朱治かなりひくいぞ。
2の頃なんか凡将もいいところ。

514 :世界@名無史さん:2010/06/29(火) 15:02:34 0
その頃は別に朱治に限った話でもなかろう

515 :世界@名無史さん:2010/06/29(火) 15:30:14 P
魏で三公に成りえる地位は、驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍、諸大将軍、
四征将軍、領軍将軍、九卿、尚書令。あと、なんかあったっけ?

516 :世界@名無史さん:2010/06/29(火) 15:32:22 P
ああ、あと光禄大夫もあったか。

517 :世界@名無史さん:2010/06/29(火) 20:30:48 0
孫礼 司隷校尉

518 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 06:23:54 0
どうでもいいが、三国それぞれ将軍職を任命したってことは、後漢に比べてポスト3倍ってことだよな。
つまり人件費も3倍なわけで、そりゃ税金を取られる民も苦労するわ。

519 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 07:34:03 0
そもそも黄巾の乱以前の後漢ってそんなに将軍職ってあったのかな?

520 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 11:28:08 0
無官の管寧も三公の候補だったし、
三公に成りえる地位なんて厳密に決まってたわけじゃないと思う。

521 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 13:37:27 P
>>518
後漢にはそんなに将軍いないよ。

>>519
後漢で常設の将軍は度遼将軍のみ。前後左右将軍も一応常設だが、空きが多い。
たまに大将軍や驃騎将軍や車騎将軍や征西将軍やその他の雑号将軍が任命される。
後漢の主力は中郎将。将軍になれるのはよほど功績が大きかった人か、
政治的な力があった人だけ。

522 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 16:26:12 P
蜀の三方の都督の鎮北大将軍・督漢中王平、車騎将軍・督漢中ケ芝、
鎮南大将軍・庲降都督馬忠は、皮肉なことに皆諸葛亮が起用した人物が
失敗した後、そのしりぬぐいをして出世した人物なんだよね。
王平は馬謖の、ケ芝は丁厷と陰化の、馬忠は張翼の。

ところで魏との最前線を守り、曹爽を退けた王平と、
南中の反乱鎮圧や統治の実績がある馬忠がこの地位にあるのは分かるのだが、
前線でも危険地域でもなく、任期中に反乱が一度起きたきりの江州って、
車騎将軍をわざわざ置くほどの場所か?
また、江州統治が車騎将軍に昇進するほどの功績か?
どう見ても漢中や南中の方が重要に思えるんだが。

523 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 16:50:50 0
督漢中ケ芝

524 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 17:13:55 0
蜀漢ってよほど人材いないのかな。魏延の時もそうだけど王平って魏の降将なのによく関中みたいな落とされたら終の重要な場所におくね。
魏に万が一内通されたらオシマイと誰も思わなかったのか。

525 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 17:58:22 P
>>523
督江州ケ芝の書き間違いでした。ごめんね。

>>524
降将だからと言って、元いた国に寝返りやすいとは限らない。
むしろ、降伏してから元いた国に戻っても信用されない。居心地悪い。
だから、降将は降った国で一生懸命働いて骨を埋める以外居場所が無い。
三国時代でも一度他国に降伏した人物が、元いた国に寝返った例はほとんどない。

526 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 18:55:16 0
居場所がないって于禁のこと?

527 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 19:02:49 0
于禁は別に寝返ってないよね
唐咨なんかは曹丕→孫権→司馬昭って感じだけど
やっぱ居心地悪かっただろうなぁ

528 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 19:09:21 0
>>524
魏ですら孟達を国境付近に置いてましたぜ。

529 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 19:15:58 0
案の定裏切りそうになって司馬懿に先手うたれてアボーンしたけどな。

530 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 19:17:33 0
前漢ってよほど人材いないのかな。陳平の時もそうだけど韓信って楚の降将なのによく関中みたいな落とされたら終の重要な場所におくね。
楚に万が一内通されたらオシマイと誰も思わなかったのか。

と、誰も思わないぐらいだから王平ぐらい平気平気。

531 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 19:20:48 0
でも劉備は呂布の助命嘆願依頼&就活を妨害して曹孟徳に殺すよう勧めているね。

532 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 19:55:07 0
降将を故国との戦争で使うってのは無制限の温情じゃないよ
自ら降ったわけでもない虜将の呂布を赦すというのは後者と当事者達には映った。だから斬られた。

533 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 20:24:48 P
>>524
国境じゃないが、呉は蜀の降将潘濬に大軍を与えて荊州の軍政を委ねてたぞ。

534 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 20:26:46 0
>>524

王平は元々益州出身で、
詳しくは書いていないが、その土地の酋長が魏に降ったから、
そのまま随行したという感じでは?

本人自身はそれほど故郷を離れて魏に従う意志はなかった。
だからこそ、劉備が漢中を攻撃すると、良い機会とばかりに降伏する。
呂布みたな裏切りの常習犯とは違う。住民の強制移住の中にいたという
だけ。

>>522

たぶんケ芝は諸葛亮よりも年齢が上。
世代的にも王平・馬忠よりも上だと思われる。
年功考慮すれば、70歳過ぎて車騎将軍なのだから、
まあまあ妥当な線かと。呉と何かあれば外交交渉も
あり得るし、益州第二の都市を治める行政能力も必要。

535 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 20:44:16 P
>>534
劉備在世中から尚書だった人物だから、
世代だけでもなく格でも王平や馬忠よりも上なのは分かる。
しかし、車騎将軍クラスなら首都の守りか督漢中じゃないと釣り合わないんじゃないかと。
それに江州が益州第二の都市とは言え、軍事的重要度は漢中や南中より低い。
そこにケ芝ほどの重鎮を置く意味が分からない。
政治能力が重要だとしても、王平や馬忠と同世代の四鎮将軍や四方将軍で十分じゃね?

536 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 20:50:16 0
呉への備えじゃない

537 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:01:27 0
>>535

ケ芝は北伐には参加はしていたが、呉壱や王平ほどの戦功はなかったし、
魏軍への対処はこの二人の方が適任。かといって南方での経験はなかった
ようだし。年功で高い官位ではあるが、役割的には王平や馬忠の方が重要な
位置だろう。かといって成都には蒋琬や費褘がいる。永安まで含めた東方の
備えとして適任かつ順当な配置ではないだろうか?

538 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:05:53 P
>>537
要するに劉備死後の李厳と同じか。
能力と他の人材との兼ね合いとの関係から、
格は高くても前線に置くことはできず、
成都で政治に関わらせることもできない。
結局、官位だけ高くして、後方の抑えを任せるしかないみたいな。

539 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:23:10 0
そんな卑下するようなもんじゃないよ。
当時は勤続日数が功労として計算されて位が上がるシステムだったんだから。
特に柔軟性の高い将軍位の場合、ポストさえ空いていれば現任のままで
階級が上がっていくのは高齢の宿臣としては当然のこと。

540 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:25:47 0
李厳のようなトゲはないから、そんなに後ろ向きな意味ではないと思う。
孫権に気に入られているケ芝を対呉方面に配置するのは、外向的にも大き
いだろう。宗預を永安に配置するのも似たいような考え方。適材適所という
ところだろう。

対呉方面に置く重鎮となると他にいないのも事実。
姜維では全く呉方面での実績ないし。

541 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:33:56 0
>江州が益州第二の都市とは言え、軍事的重要度は漢中や南中より低い。
>王平や馬忠と同世代の四鎮将軍や四方将軍で十分じゃね?

とまで言えるのは何故?

542 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:40:36 P
>>540
つまり、ケ芝が督江州なのは軍事能力よりは、
呉との関係や政治能力を買われての人事で、
なおかつ他に人がいないからだと。
江州に置くにはちょうどいい人物だったわけか。

>>541
江州は友好国との国境近くででなおかつ、
漢中のような前線では無いし、南中のような難治の地では無いし、
ぶっちゃけ対魏戦だけ考えてればいい蜀にとっては後方のようなもんだから。

543 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:48:41 0
友好国?
ちょっと人が良過ぎないかな。
関羽も劉備も呉が殺したんだぞ。

544 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:56:02 P
しかし、諸葛亮時代に関係は改善されたし、同盟結んでるし、
天下を取った後の魏領の分配取り決めなんかもやってる。
その後も滅亡まで蜀と呉はひんぱんに使者をやり取りして、
友好関係を保ち、滅亡まで一度も交戦することなし。
ケ芝が督江州の頃の呉は友好国と言っていいんでない?

545 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 21:57:48 0
>>543

諸葛亮がケ芝を使者として呉に派遣して、
同盟を結んだ以降は小競り合い程度の戦闘すらない。
油断はできないが、一応は友好国と言ってよいだろう。

546 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:03:11 0
向寵ってのが田中芳樹の夏侯覇に関する小編で趙雲並の活躍をしたそうなのに
禄に蜀志に書かれていないから功績がわからないとかいてあったが、実際に
優れた武将だったの?

547 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:04:31 0
天下に三つしか国がない状況で同盟だの天下の取り分だの
口約束に毛の生えた程度の物でしょ。

頻繁に使者をやり取りするのは相手の様子を窺うことでもある。
実際使者と孫権の会見のやり取りを見てると内部事情に関して
際どいことも言ってる。
ケ芝の督江州も呉を『友好国』にしておくための手段の一つと考
えたほうが適切じゃないかな。

548 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:15:09 0
>>546

劉備も有能だと褒めた人物。
諸葛亮が留守である成都において、軍事に関しては向寵に諮問する
ようにと『出師の表』で述べている。ただ、具体的な活躍はイマイチ
わからない。

趙雲も本伝では具体的な活躍は意外と記述がない。
後に『三国志演義』などの元ネタになるのは『趙雲別伝』の方。
魏延も具体的にどういう活躍をして漢中を任せられるまでになった
か不明。呉壱みたいに、外戚で戦功のある高官の伝記が無かったり
する。

549 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:17:50 P
>>546
分かっている軍事的業績は
夷陵の戦いで全軍壊滅する中、自分の部隊を損害なしで保つ。
出師の表で諸葛亮にべた褒めされ、北伐中の成都の守りを任される。
異民族を討伐に向かって戦死。

このぐらいだな。

>>547
それを友好国と言うんだよ。

550 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:19:39 0
よく国力の差があったと三国の比較でいわれるが、それぞれの政府の給料も格差あったの?
たとえば巨人と広島みたいに。 

つか、皇帝や高官らは具体的にどんな給料もらってどれぐらいの大きさの邸宅に住んでいたの?

551 :547:2010/06/30(水) 22:21:50 0
>>549
君は「友好国」だからケ芝を置く必要はないんじゃない?と言って
俺は「友好国」にするためにケ芝を置く必要がある。と言ってるんだよ。

強引にまとめないで欲しい。

552 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:30:45 P
>>551
ああ、ごめんね。そこ無視してた。
ケ芝の督江州が呉を友好国にしておくためのものとは思わないよ。
督江州としては、国境防衛の責任者レベルでの折衝をする必要が生じた時に交渉するだけでしょ?
友好関係を保つのは成都の仕事。

553 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:34:10 0
成都があればなんでもできる。

554 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:34:13 0
使者の遣り取りだけが外交じゃないだろ。
国境地帯を気心の知れた人物が治めてるってことが
呉の警戒と異心を防ぐのに重要なんだ。

555 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:38:58 0
http://jan.2chan.net/may/b/src/1277904252711.jpg


556 :世界@名無史さん:2010/06/30(水) 22:50:36 0
国境を接する部隊や郡県同士では、揉め事の解決などで交流が頻繁にあっただろうね。
その元締めが督江州か督永安と考えれば良い。
江州まで引っ込んでいるケ芝が直接頻繁に雑事に手を出したとまでは思えないが、
問題が大きくなりそうな時に呉の西陵督と調整するようなことはやったのだろう。

557 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 05:39:15 0
李厳が漢中に出張し、兵糧輸送失敗をごまかして失脚した後の
対呉方面の責任者は誰だったのだろう?



558 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 14:49:35 0
ケ芝伝を読み返してみると、
諸葛亮死後に前将軍になり、ほどなく督江州となるとある。
時期的には、諸葛亮が死去し、呉が不穏な動きを見せた時期だと
思われる。

諸葛亮に代わり宰相となった蒋琬が、宗預を呉に使者として送り、
対呉方面にケ芝を配置することにより、呉の不穏な動きを牽制する
目的で配置したと思われる。ケ芝伝には、孫権がたびたび安否を尋ね、
丁重に贈り物をしたとある。どうやら蒋琬の目論見はあたり、対呉方面
での友好関係は保たれたようである。友好関係が保たれたこそ、尊重
するケ芝に贈り物をしたと考えるべきだろう。

559 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 15:57:16 P
呂範って、何してたか分かる期間より、何してたかわからない期間の方が長い。

孫策時代 
孫策の軍に従軍したり、別動隊を率いて多くの軍功を立てる。征虜中郎将。
孫権時代
(201〜208) 
203年の黄祖討伐に従軍。翻陽の賊を討伐。208年の黄祖討伐では呉の守備。
赤壁の戦いに従軍。裨将軍・彭沢太守。孫策時代の活発な活躍から一転して、軍事的な業績はこの4つのみ。
(209〜219)
何の功績があってかわからないが、平南将軍に昇進。関羽討伐では建業の守備。
(220〜228)
建威将軍・丹陽太守に昇進。魏の侵攻に際して前将軍に昇進。
五軍を指揮して曹休の侵攻を食い止める。揚州牧に昇進。
孫権が皇帝に即位すると大司馬に昇進。

孫策時代の八面六臂ぶりと、孫権時代の静けさの違いは一体何なんだろう?
それもあまり戦功多くないのに官位だけは昇進を重ねる。
呉の武官トップの一人のわりには、なぜこの地位にあるのかがイマイチわからない。
旗揚げ当時からの創業の功臣補正だろうか?

560 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 16:08:14 0
毎日ごくろうさん

561 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 16:50:53 0
三戦のニートほかにすることないんだろうな。

562 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 21:05:26 0
前はこのスレの住人をすこしすごいなと尊敬もしていたが、最近は引き気味。
なぜにそこまで三国志なんだ?五胡十六国や南北朝スレはあるのかどうかもわからないくらい寂れてるのに。

563 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 21:10:39 0
>>562

別によいのでは?
厭なら参加しなければよいだけ。
見向きもされなければ過疎化するだけ。
わざわざ言う方が無粋だと思うぞ。

564 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 21:58:10 0
寂れてるから相手がいない
三国時代だと質問君が多いからそれに乗って話が出来る。

565 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 22:15:40 0
……五代史の話ならできるぞ

566 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 22:37:07 0
俺は漢代方面の話じゃないと駄目だw


567 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 22:44:11 P
俺は新末後漢初。ぶっちゃけ三国志より何倍も面白いと思うのだが、
スレが死んでる。

568 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 22:52:19 0
>なぜにそこまで三国志なんだ?五胡十六国や南北朝スレはあるのかどうかもわからないくらい寂れてるのに。

書店に行って見りゃ一発で分かるでしょ。三国志はちょっと大きい本屋に行けば正史の日本語訳が買えてしまう。
五胡十六国や南北朝なんて、東洋史学部出身者か、よっぽどの歴史マニアくらいしか語る人がいない。

569 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 23:18:59 0
実は最近三国志より新末後漢初より後漢中期の方が好きなんだが、超ニッチ属性だって自覚してるぜ。

それはともかく、やっぱどうやったって裾野の広さの違いが大きいでしょ。
ただのミーハーファンやゲーム、漫画、小説でしか知らないみたいな「石」の多さも段違いだけど、
その中で三国時代の史実や深いところを探りたいっていう「玉」の多さも当然段違いだもん。
さらに言うならアプローチのしやすさも段違いだし。

三国>>秦楚漢>>(講談やテレビ解説、解説本等の多さの壁)>>春秋戦国>>
(知名度的に越えられない壁)>>前漢後期>>(訳書の値段の壁)>>新末後漢初>>
>>(個別完訳が発売しているか否かの壁)&(史料輸入orべらぼうに高い古書購入のハードル)>>それ以外

でしょ、結局。

関係ないけど俺は南北朝好きだぜ。
独孤氏周りの血縁バリバリな所は日本人にとって親しみやすい箇所だと思う。

570 :世界@名無史さん:2010/07/01(木) 23:22:47 0
>>562
このスレをおすすめしてみる
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1184824608/

571 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 02:46:13 0
>>562
ここをおすすめしてみる。三国志に比べるとドマイナーな晋や五胡十六国のことを扱ってる。

http://www.3guozhi.com/


572 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 18:24:17 P
李厳や魏延や楊儀の陰に隠れてるけどさ、来敏あたりもとんでもないDQNだと思うんだ。
言動がひど過ぎて行動も常軌を逸していて、たびたび免職されてるのにそのたびに復活して、前より高い位に昇進。
大した能力もないのに大学者補正と劉禅の皇太子時代からの旧臣補正と名門補正だけで高い位にいたようだけど、
こんな奴は魏や呉なら粛清されてるだろうな。蜀はこんな役に立たないキチガイでも使わないといけないぐらい人材足りてなかったんだろうな。

573 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 18:42:10 0
孔融が九卿だった後漢も人材が足りなくて
孔融みたいなのも使わざるをえなかった?

574 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 19:30:09 P
孔融は実務能力は無かったが、朝議をリードする能力はあったし、
来敏ほどキチガイでは無いし、全国区の名士だった。
結局は曹操に粛清されたが、それでも来敏よりははるかに利用価値のある人材。

575 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 19:42:51 0
来敏の官歴ってどれも実権のなさそうな名誉職ばっかりだろ
大長秋だの太中大夫だの。

「使わないといけないぐらい」と言うほど「使ってない」だろ。

あと「来敏ほどではない」けどキチガイで「実務能力は無かった」孔融
を「朝議をリードする能力」と「全国区の名士」であることを理由に
「利用価値のある人材」と見なしたと言うことはやっぱり人材不足だろ。

576 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 20:35:06 0
孔融のような能力が無ければ朝廷を運営することはできないからだよ。
孔融は祭祀・故事・典礼に通じ、それを体現する高い能力の持主だった。
重なる遷都での多くの朝臣が落伍していき、ようやく許昌に都を定めた
曹操にとっては青州から馳せ参じた孔融のような人間は必須の人材だった。

577 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 20:52:06 0
>>576
>孔融は祭祀・故事・典礼に通じ、それを体現する高い能力
つうか、それも一種の実務能力だよな

578 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 22:48:26 0
ああいえば孔融だもんな

579 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 22:58:02 0
漢朝廷を独裁しようとする曹操派にとっては頭が痛い存在だっただろうね

580 :世界@名無史さん:2010/07/02(金) 23:45:58 0
>>579
曹丕は孔融LOVEだけどな。

581 :世界@名無史さん:2010/07/03(土) 00:10:25 0
曹丕の趣味ってなんかひねくれてるよな

582 :世界@名無史さん:2010/07/03(土) 00:30:57 0
>>580
曹操もできれば孔融を曹魏派に取り込みたかっただろうよ。
しかし孔融はその妥協を拒否した。

583 :世界@名無史さん:2010/07/03(土) 00:54:26 0
>>580
孔融の書いたものを、だろ。

584 :世界@名無史さん:2010/07/03(土) 01:11:43 0
孔融は孔子にも喧嘩売ってるからのう。
学者としてはある意味最後の春秋・戦国的な、孔子をそこまで神聖化してない学者だったのかも知れん。

曹操を桀紂扱いしたのは、ある意味学者として曹操を天下人として認めた行為かも知れんがね。
桀紂は普通天子に対する批判的比喩だし、光武帝も韓キンに同様のことを言われてるから。
光武帝の先例を踏まえた上で殺されたがったのかもなぁ……

585 :世界@名無史さん:2010/07/03(土) 05:50:41 0
孔融と仲良しだった奴らはみんな曹操に嫌われていたイメージがある。

586 :世界@名無史さん:2010/07/03(土) 19:08:05 P
張嶷は撫戎将軍・越巂太守から、盪寇将軍になったけど、
太守兼雑号将軍から雑号将軍専任なら、
権限が小さくなって左遷のような気がする。
盪寇将軍の格と権限が太守兼将軍より高ければ話は別だが。
実際のところ、張嶷は偉くなったのかなってないのか良く分からない。

587 :世界@名無史さん:2010/07/03(土) 19:36:02 0
>>586

偉くはなったのでは?
皇帝の劉禅も尊んでいたようだし。
南方支配が安定してきたので、希望通りに
中央に召還したと素直に解釈してよいと思う。

おそらく享年は60数歳だったと推測されるので、
もう少し長生きしていれば、四方将軍か四鎮将軍程度には
出世していたと思われる。

588 :世界@名無史さん:2010/07/04(日) 00:06:43 0
撫戎という地域の鎮守を主任としたと考えられる号から
盪寇という伝統的な征伐将軍へ異動したことに意味があるのだろうね

589 :世界@名無史さん:2010/07/04(日) 09:44:01 0
張嶷は才能・見識の割に出世できなかったような気がするな。
諸葛亮の北伐に参加できなかったからかな?

逆に、王平なんて北伐で認められてメキメキ出世していったし。
学識では張嶷の方が断然上なのにね。姜維の北伐に無理して参加した
のも、そういった才能・見識を存分に発揮したいという思いからなの
だろう。

590 :世界@名無史さん:2010/07/04(日) 16:53:06 0
ヨハネの黙示録

「また、小さき者にも、大いなる者にも、
富める者にも、貧しき者にも、
自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、
その右手あるいは額(ひたい)に刻印を押させ、
この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることも
できないようにした。

この刻印は、その獣の名、またはその名の数字のことである。
ここに知恵が必要である。
思慮(しりょ)のある者は、獣の数字を解くがよい。
その数字とは、人間をさすものである。
そして、その数字は、666である。」
                 (第13章第16〜第18節)



591 :世界@名無史さん:2010/07/04(日) 18:14:01 P
蜀の丞相参軍と言うのがどんな仕事をする官職なのかよく分からない。
軍を指揮する人もいれば、事務をする人もいれば、参謀もいる。
しかも権限は軍事でも事務でも大きい。何でも屋なのか?

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