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正史『三国志』 十七巻

1 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 22:44:17 0
前スレ
正史『三国志』 十六巻
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398 :世界@名無史さん:2010/06/23(水) 19:30:26 0
まず呂乂は、連年の北伐に対する重い徴発に応えて五千の兵を掻き集めた功績のある人物。
その後、漢中太守,兼領督農となった。
漢中の太守と農事(屯田地だろう)を監督する任に付いたということは、
北伐を推進する晩年の諸葛亮の信任を受けた人材だということは伺える。
丞相府に所属などはしていないが、諸葛亮に遠い人材ではない。

第二に、世代交代がある。
太子舍人時代から劉禅に仕え、諸葛亮期を通じて宮中を支えた董允が死去し、侍中守尚書令の座が空くと、
それを埋めたのが陳祗と呂乂だった。
諸葛亮閥の主要構成員とされるのは主に荊州出身者(呂乂も南陽の出身)だが、
陳祗は汝南人で許靖の甥。これまでと外れる人事となる。これは当時大将軍の費イの肝煎の大抜擢とされる。
陳祗は諸葛亮との直接の関係は見当たらず、「費イ閥」の人間と言えるだろう。
しかも、陳祗は前任の董允を讒言して劉禅の独立心を煽り、それを以って、国政における皇帝≒宮中の権限を
飛躍的に増大させた(おそらく費イの死後のことだろうが)。
丞相(大将軍)と皇帝との間を取り持ち、外にいる宰相による執政を円滑に進めるよう努めてきた
「諸葛亮派」的中朝官とは、完全に別の道を選んでいる。
「諸葛亮派」「荊州派」の人物は確かに蜀が滅びるまで政府高官に在り続けるわけだが、
この頃には既に変質と分裂を余儀なくされている。その分裂の中に台頭したのが宦官黄皓であり、
姜維と諸葛瞻らとの政争(未遂か)があり、最終的に蜀漢滅亡の一因となる。

399 :世界@名無史さん:2010/06/23(水) 19:34:27 0
肝心の呂乂の結論忘れてたw

董允の死は、諸葛亮閥の結束が弛緩し始める時期であって、
呂乂が生粋・強固な「諸葛亮派」の人材ではなくとも怪しむことではないだろう。

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