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古代・中世史は科学と呼べるのか?

1 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 12:03:19 0
近現代史は、活版印刷や筆記用具の普及による大量の文献、写真、レコード、ビデオ、生き証人など、
じゅうぶん科学的に考証できるほどの史料・材料が揃っている。

ヒトラーやスターリン、チャーチルの実在を疑う人間はいないだろう。

また、近現代史は現在の政治・経済・外交に与える影響も大きく、実用性も高いだろう。

しかし、古代・中世史はカメラも蓄音機も生き証人も存在しない時代。
現存する史料も圧倒的に少なく、常に偽造可能性が存在する。
また、古代・中世史にいったいどのような実用性が存在するのか?

はたして、古代・中世史は科学と呼べるだろうか?
われわれは古代・中世史にどのような態度で臨むべきなのだろうか?

2 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 12:17:47 0
いずれにせよ、歴史学は科学じゃないだろ。

科学の本質は再現性を利用した検証から、仮説の精度をいくらでも上げるコトができるってこと。
歴史学は無限の検証は基本的に不可能なので、その意味では科学ではない。

科学の成果である、各種の調査技術なり検査機器なりのモノを利用する「科学的」な手法をとること
はできるけどね。

3 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 12:34:44 0
再現性というのはあくまで科学の一要素だろ。

再現性がないといえば、天文学も気象学も再現性はないし。
いや、この世のすべてに再現性はない。

裁判なんかでもさまざまな証言や証拠で事実認定するんだから、ある程度の有利不利は判定できるはず。
それを反証可能性と呼んでもかまわないだろう。

ただ、古代・中世史はそのまま当時の支配者の言い分や記録しか証拠として残っていなくて、
対立する側、少数者の側の記録が少なすぎることが問題なんでしょ。
裁判で言えば、検察と弁護士の相互批判が機能しない。

4 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 12:44:54 0
再現性は科学の根源だよ。

天文学や気象学の場合は同じような状況になるまで待つことができる。ただ、ビッグバンみたいなモンは
一度しかないから、再現性がないため科学的考えということになる罠。

確かに、この世すべてに再現性がないのは当然だが、だからこそ複数回の検証によって、特定の仮説が
成り立つか成り立たないのかを何度も何度も確かめることができるんだろうに。

5 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 12:48:39 0
要するに、

再現性を利用した仮説検証・理論構築→科学
科学の成果を利用した推理や論理 → 科学的○○

ね。だいたい>>1でも「科学的に(歴史を)検証」なんて言っているじゃないか。

6 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:09:40 0
>>5
>再現性を利用した仮説検証・理論構築→科学
>科学の成果を利用した推理や論理 → 科学的○○

いや、こういう分類はあんまり意味はないよ。むしろマクロとミクロの問題でしょ。

マクロ的な世界のほうが確定性が高くて、ミクロ的な世界では確定性が低い。

たとえば、天体の運行なんかは、かなりの精度で予測できる。惑星や衛星の周回なんかを見て
再現性があるように見えるけど、天文学が確定性が高いのはマクロだからだろ。
ちょっとした不確定要素や影響を無視しても差し支えないから。

重い砲丸を投げたらどこに落ちるのかたいてい予測できる。完全に正確にはムリだけどね。
しかし、羽毛を投げたら、どこに落ちるか予測できない。ちょっとした風で影響を受けてしまうから。

もっと突き詰めたら、量子力学なんか、同じ実験をしても結果が変わることがある。
確率論的に変動するから。

つまり再現性とは、計算上、ニュートン物理学の世界で生まれた概念であって、カオスの世界や
量子力学の世界でも通用しないんだよ。

科学の本質とは、パポーの言うとおり「反証可能性」でしょ。
再現性を保証できるのは、もともと世界のごく一部なんだよ。

7 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:12:11 0
>>6
量子力学の場合は、確率的に再現性が担保されるじゃないか。
それだけだよ。

要するに、現象が理論で「確率的に」予言され、現象がその確率に沿って起るってことで
再現性が確認できる。

反証可能性ももちろん科学の要素だな。

8 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:14:20 0
自然科学のやり方を社会科学や人文科学に持ち込まれても困る。
みんな違ってみんないい。

9 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:17:36 0
文系が言葉を大切にしなくてどーするw

「科学的○○」でいいじゃないか。

10 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:20:07 0
史学(事実認定)の場合の科学性とは、単純に、史料の豊富さ、確実さ、そして無矛盾さでいいと思うよ。

裁判だって、証拠の数はかなり強い重要度をしめる。もちろん伝聞排除の原則があるけど。
証人の数も一人よりは、複数人の直近の目撃者の一致した証言ほうが証拠として採用されやすいし。

でも、明らかに証言が不合理、矛盾があれば、直近の目撃者の複数証言があっても却下される。

直近の目撃者の証言やメモ・映像・録音の数と、無矛盾性、それが史学の科学性の両輪でしょう。

11 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:22:45 0
科学そのものじゃなくて、あくまで「科学的」ね。再現性が確保できていない。

言葉にこだわれよw

12 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:27:04 0
それから、天文学のビックバンみたいな宇宙論は再現性が確保できないから
「科学ではない」と批判する科学者は実際にいるよ。

宇宙論は観測されたコトをもとに理論を構築して、その数式からあれこれやっているから
「科学的」とはまあ言えるだろうな。

13 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 13:58:53 0
>>11
>科学そのもの

科学そのものって言う言い方がおかしいだろ。
科学はあくまで方法論なんだから。
科学的事実や科学的法則というものがあって、科学そのものなんてものは存在しないんだよ。

方法論以外、すべては「科学的」なんだ。

だから化学も物理も歴史学も経済学も政治学もみんな「科学的」なんだよ。

再現性は確定性を担保するものであって、科学の本質ではないんだよ。
再現性が高いものは確定性が高い。現象として起きる頻度が高い。ただそれだけだ。

14 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 14:28:20 0
中世は史料がかなり残ってるよ
古代はほんと少ないけど


15 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 14:46:14 0
>>13
その方法論が「科学そのもの」なんだよ。そういう方法論が「存在する」訳だなw

再現性が高いものは現象として起きる頻度が「高い」だけでなく、仮に無限の試行を行った場合には
論理的に予言されるその現象が起きる確率に、無限に近づいていくんだよ。

単なる頻度が高いというモノとは訳が違う。

16 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 15:52:39 0
>>15
それはおかしいよ。

物理法則だって永遠とは限らないんだ。
現状で当てはまるから未来もそうだと考えるのは、一番非科学的な態度だろ。

今まで太陽が東から昇ったからといって、明日もそうとは限らない。
ただ今までの頻度上、明日も東から太陽が昇る可能性が高いと言うだけ。

物理学もしょせん論理上、計算上のものなんだよ。
実際には永遠とか完全とか無限なんて抽象的概念でしか存在しないし。

完全に計算通りに未来なんか予測できない。
起こった結果を見て、いろいろ後付解釈しているだけ。

17 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 16:40:12 0
政治学や経済学は科学といえるのか?

18 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 18:55:42 0
>>16
その通り科学なんてそんなモンだよ。科学には限界がありありだしな。

それから、科学で特殊な現象が現れたら、その現象を含めて理論を構築したり、その特殊な出来事を
除外した場合の理論を構築して、発表時にきちんと例外を明示したらよいだけ。

ただ、そうやって論理で考えた科学法則を今までに無かったようなコトに無理に当てはめてみると、以外
にもきちんと当てはまってしまうことが非常に多かったことから、科学が利用されているわけで…。でも
これも経験則なんだよな。

ちなみに、無限という言葉がいやなら、それを使わないで>>15は記述できるよ。εδ論法って言ってちょい
ややこしくなっちゃうんだけどね。

19 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 18:56:33 0
>>17
科学ではないだろ。科学的なモノの成果を利用しているけどね。

20 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 19:33:30 0
>>16
>実際には永遠とか完全とか無限なんて抽象的概念でしか存在しないし。

じゃあ人間が頭の中で創った「神」という概念とどう違うのかと・・・

>>18
>ただ、そうやって論理で考えた科学法則を今までに無かったようなコトに無理に当てはめてみると、以外
>にもきちんと当てはまってしまうことが非常に多かったことから、科学が利用されているわけで…。でも
>これも経験則なんだよな。

「科学こそが絶対の真理だ」という現代人の思い込みは、古代ギリシャ人のいう
「ドクサ」(臆見)と同じ?



21 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 19:39:11 0
政治学も経済学も科学だよ。

社会科学。
反証可能性だってあるし、実験性もある。

ただ自然科学ではないだけ。

科学って言うと自然科学を一般的に指す場合が多いからそういう誤解を受けてるけど、
結局、科学って反証可能性を持って議論できるかどうかだから。

ちゃんと「定義」し、「検証」できるかどうかが問題であって、自然科学か社会科学かの違いは本質的な違いではないよ。

パポーだって、反証可能性がないから、フロイトの無意識の心理学や、マルクス主義は科学ではないといったけど、
べつに心理学や政治学すべてを非科学的といったわけじゃない。

22 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 19:48:13 0
たとえば、法治国家の日本で、目撃者の多い中で、はっきりした証拠を残して殺人を犯せば逮捕される。

これも立派な社会科学的法則。

「殺人」や「逮捕」も法的に定義されているし、実験できるでしょ。
嘘だと思うんなら、試しに人を殺してみればいい。

23 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 20:02:38 0
>>20

>じゃあ人間が頭の中で創った「神」という概念とどう違うのかと・・・

たとえばさ。数学で言う「1」という概念は世界中にあるし、どの民族でもどの言語でも同じ概念だよな。
しかも、抽象概念だ。「1」そのものは持ってくることはできない。科学の母である数学の概念は
皆このような抽象概念の積み重ねで構築されている。

>「科学こそが絶対の真理だ」という現代人の思い込み…

そうだよ。しかし、「科学的手法」以上の真理(あったとして)に近づけるよりよい手法を我々は
持ち得ていないってだけの話で。

24 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 20:04:35 0
政治学や経済学は純粋に実験できないからなー。
ちょい違和感あるんだよね。

パラメータを色々いじって実験繰り返すって純粋にできないじゃないか。
あれこれ横やり入ったり、微妙に条件違ったり。

でもまあ、他よりは実験ができるから科学に近いとは言えるかもね。

25 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 20:37:39 0
科学について、物事を客観的・普遍的・合理的にとらまえる学問体系と説明されているけど、
社会科学の場合、“普遍性”という点でひっかかっちゃうんだよなー

社会科学の理論って、ある特定の時代・地域でしか有効ではないのでは?
と思えるようなものばっか。



26 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 20:39:34 0
現代史はとりあえず、科学と呼べるでしょ。

だって、動画撮影できるのは大きい。
録画してしまえば、動画はそのシーンを何度も再生できるから、まさに再現性が存在する。

まあ、CGで偽造できるじゃないかとか言う奴も出てくるだろうけど、物はともかく人間のCG描写って
見抜けるからね。
そればっかりは未来永劫変わらないと思うよ。

人間は人間の不自然さには敏感だ。
あと、影の角度とか、色彩とか、濃淡とか、細かく調べたら、どうしても偽装の後が出てくる。

27 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 20:46:29 0
>>26
現代では、テレビの生中継といっても、スタジオでレポーターの背景にストックショットを
を重ねたり、送風マシンや降雨マシンを使って、いかにも現場からの中継のように
見せかけることもできるんだが。

28 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 22:17:05 0
>>23
>数学でいう「1」の概念
これを世界中で普遍的な概念と呼べるのだろうか? 
現代科学を奉じるグループ内では1は1,0は0だけど。
インド人が0を発明するまでは0っていう概念は存在しなかったんだろう?
だったら、全く違う抽象概念をもつ文化的集団はいるかもしれない、と考えることはできる。

29 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 23:08:17 0
>>28
具体例を「1」について提示してから言ってほしい。

30 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 01:14:18 0
たかが記録媒体、信頼性に大差はない。
都合の良い所だけを切り張りした記録映像が科学的とかどんな原始人だ。
1が古代以来最低の馬鹿なのは間違いない。

31 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 09:09:57 0
「東洋史2 修論・博論から学界裏事情まで」スレに、
「東洋史(中国、朝鮮、東南アジア、内陸アジア)の最終目的っていうのは、
あいつらは、俺たち(日本や西洋)とは異質な社会の生物だっていうことを立証することなの」
って書き込みがあったんだけど、西洋人は、
「日本も中国と同じでわれわれとは異質」
と思ってるんじゃないの?

社会科学とは一体何なんだろうな。

32 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 17:37:01 0
科学がなぜ「科」学なのか考えて見れば簡単。
あらゆる科学の最終目標は「差別化し、分類し、整理すること」。
だから歴史の場合、あらゆる文化や時代や地域の独自性を「立証」することが一つの目標になる。

そのレスの「あいつら」とか「俺たち」てのが一体何者なのかは計り知れないけど。

33 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 19:46:33 0
このスレ的にはリチャード・ドーキンスってどうよ?

34 :世界@名無史さん:2010/03/29(月) 20:21:31 0
ポパー大明神は、今日も霊験あらたかだなあ

歴史学は科学と呼べるか、というならともかく古代中世史は、といわれてもなあ

35 :世界@名無史さん:2010/03/30(火) 01:22:24 0
>>32
ついでに、数値化したついでに数式化できたら、未知の状況にも対応できるかも…ってのが科学の良いとこ。

36 :世界@名無史さん:2010/04/05(月) 10:32:42 0
http://www.chikawatanabe.com/blog/2010/04/april_fools2.html#more
http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20090820
http://blog.ohtan.net/archives/51953229.html

最近、特定の民族の行動に遺伝子や脳の構造が関係しているという説が
どんどん発表されているけど、歴史学を学んだ人たちから見ると、こういう
説ってどうなのかな?


37 :世界@名無史さん:2010/04/05(月) 21:23:59 0
>>36
遺伝子はともかく、脳の構造はイギリス人とアメリカ人とでさえかなり違うんだぜ? つまり成長環境に大きく左右されるもの。
一定の集団(文化・思想・社会・階層・時代風潮etc)に一定の特質を見ようとする歴史学にとっては興味深い傾向だろう。
その研究成果を直接引用するのは(今のところ)歴史学の仕事ではないけれど。

38 :世界@名無史さん:2010/04/09(金) 21:41:36 0
世界には名称以外に普遍的なものは一つもない。一つの名称を与えられている
多くの事物にしても、その一つ一つは個別的な独特なものである。
これは自然科学にも当てはまることで、地質学上の二つの地層にしろ、同じ種の
二匹の動物にしろ、それらが同じだということはありえない。
それと同様に、二つの歴史的事件が同じということもありえない。
科学者も同じことだが、歴史家は既に言葉を使うことによって一般化を運命
づけられている。ピューリタン革命、フランス革命、ロシア革命、中国革命は
それぞれ違っていて独自のものだが、歴史家はいずれも革命と呼んでいる。

こういう意見もございます。


39 :世界@名無史さん:2010/05/25(火) 11:54:52 0
>>36
民族の特性なんかを遺伝子に帰着する研究に関しては、
そもそも「遺伝的変化というのはある集団と別の集団の間のそれより、
1つの集団内でのものの方が大きい」という、統計に基づく主張がある。

これはカヴァッリ・スフォルツァという研究者によってなされたものだが、
それに従うならば、遺伝子の差異というのは異民族間ではなく、
寧ろ同一民族内の個人差に帰着されるべきものだとも思ったりする。
まあこれも、俺が勝手に考えた強引な推論でしかないけど。

その「新奇性追求」の遺伝子に関する研究自体の意義はあると思うが、
でも歴史を語る上ではやはり、個々人のそういった性向を社会的な動きに昇華できるような、
ある種の社会構造の分析は必要不可欠なんじゃないかな?
個人の足し合わせを見ていくだけで集団社会が類推できるほど、事は単純ではないと思う。

少なくとも、その「新奇性追求」の遺伝子が集団内でどのように遺伝するかの追跡調査は必要になるかと。
安易な結論を求めるのは、第二の優生学を生み出すことになるかもしれない。

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