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アルフレッド大王と7王国時代

1 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 15:25:47 0
イングランドでは伝説の大王として
知られていますが
日本ではあまり知名度がないこの人
この人の業績や事績、7王国時代そのもの、
さらには敵であるデーン人などについても
いろいろ語っちゃおうというスレです

2 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 15:29:38 0
即死回避

3 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 15:33:41 0
軍事的才能があるのかないのか疑問な人だな

4 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 15:46:41 0
この人について何かお勧めの研究所とかある?

5 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 15:57:21 0
研究書だった

6 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 16:45:57 0
この人が創設したバーガル・ハイディッジという拠点防衛システム
について詳しく教えて

7 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 19:50:50 0
七王国時代の詳しい情報ってなかなか見つけられないよな、本当に文献や記述がないのかそれとも日本だから情報が得られないのか、
イギリス行けば分かる?

8 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 20:36:57 0
ローマ文明が忘れ去られた時代

9 :世界@名無史さん:2009/08/03(月) 20:55:30 O
アングロサクセンとか言っても、先住民がゲルマン話者になったものが大半らしい

10 :世界@名無史さん:2009/08/04(火) 00:08:56 0
この時代を知るのにオススメの本とかあるかな?


11 :世界@名無史さん:2009/08/04(火) 00:12:36 0
とりあえず、お手軽なとこでは、高橋博 『アルフレッド大王 英国知識人の原像』(朝日選書)とか。

12 :世界@名無史さん:2009/08/04(火) 19:18:04 0
>>11
ありがとう!
早速探してくるよ

13 :世界@名無史さん:2009/08/04(火) 22:14:58 0
地味に良スレ化しそうなスレだな

14 :世界@名無史さん:2009/08/05(水) 07:40:26 0
この人の最大領域って日本でいうとどれくらいの広さかな

15 :世界@名無史さん:2009/08/05(水) 07:51:31 0
日本でいうところの関東地方くらいじゃないかな

16 :世界@名無史さん:2009/08/05(水) 08:00:18 0
英国人にとっての大王 the Great っていうと
この人とアレクサンダーとチャールズ(シャルルマーニュ)とクヌートかな

17 :世界@名無史さん:2009/08/05(水) 08:31:43 0
>>15
もっと大きいんじゃ?
関東地方+中部地方くらいはあるんじゃ

18 :世界@名無史さん:2009/08/05(水) 10:04:59 0
ウェールズも支配下においてたよね、この人

19 :世界@名無史さん:2009/08/05(水) 23:22:00 0
この人一時期負けて山奥に隠棲したりしてるよね
そこから逆転したんだからすごいサクセスストーリーだね
でも>>16にあがってる他の大王と比べると感じが違うねw

20 :世界@名無史さん:2009/08/05(水) 23:47:22 0
事績からしても本来は
治世の名君というタイプだったのかも

21 :世界@名無史さん:2009/08/06(木) 02:19:39 0
>>17
信長の版図くらいかね

22 :世界@名無史さん:2009/08/06(木) 21:46:50 0
どうだろうな
ウェールズも支配下においてるし
晩年はデーン人との戦いも優位に進めてるしな
ひょっとしたらそれより大きいかも

23 :世界@名無史さん:2009/08/06(木) 23:16:34 0
この時代のイギリスってマニアックだよなぁ
昔から興味はあるが未だに7王国の半分も言えないよ
文庫で安く概略説明してくれる本とか出ないもんかねぇ

24 :世界@名無史さん:2009/08/06(木) 23:31:55 0
>>14
日本列島でいうとどれほどになるか分からないけど、
とりあえずイングランドの半分くらい。

以下が878年のウェドモア協定 Treaty of Wedmore で取り決められた
サクソン(赤)とデーン(青)の住み分け。ロンドンはこのときデーン領に
帰属することになったが、のちに奪回されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:DanelawEngland.jpg

25 :世界@名無史さん:2009/08/06(木) 23:37:58 0
イングランドの半分っていうのがわかりにくいよなあ
日本でいう本州の半分くらいとみていいのかな?

26 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 00:02:58 0
アルフレッド大王の
英語版wikiと日本語版wikiの情報量の差にわろたw

27 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 00:10:47 0
まあ当地の人間が書いてるんだからそうなるだろ
日本語版wikiで日本史の人物が詳しく書いてあるのと一緒

28 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 00:16:36 0
wiki にあるけど、Alfred は "elf-advice" で妖精の助言(を得る人)という意味なんだな。
現代に残るサクソン名って、あとは Edward や Oswald くらいか。
女子名にいたってはほとんどないような。

29 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 00:18:31 0
そんなにロマンチックな意味の名前だったのか
すごいな

30 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 00:20:09 0
英wikiによると
アルフレッドは大王と呼ばれる英国唯一の王なんだそうだな
ウィリアム征服王より上の扱いなのかしらん

31 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:39:38 0
大王というのは、強大なデーン人を果敢に撃退した武勇と、ラテン語を解し、
自らも著述、法典の制定などをおこなった文雅の両面を評価されてのことだろう。

32 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:55:50 0
コナンザグレート=コナン大王。

33 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:14:31 0
でも言ってみればイングランドの半分程しか支配してないこの人が
イングランドを支配したウィリアムを差し置いて
大王と呼ばれてるのはなんか面白いな

34 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:15:53 0
>イングランドの半分っていうのがわかりにくい

現在の英国土は日本の三分の二
イングランドの国土が現在の何分の一かってとこで想像汁

35 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:20:38 O
ウィリアムは所詮侵略者だからでしょ

ウィリアム治世後は支配階層の言語がフランス語になって
下賎な者たちの言語が中世英語になったし

36 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:29:07 0
ウィリアムはノルマンディー公で
イングランド征服して王になった後でも
フランス王の臣下でもあるからな
さすがに形式上とはいえ
誰かの家臣である者を大王と呼ぶのはためらわれるかな

37 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:34:48 0
ウィリアムには文化面の功績ってあったっけ?
文化面での功績が大きいアルフレッドとは
そこら辺が違う気がする

38 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:42:52 0
タペストリー

39 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:43:45 0
あれを文化面の功績といってしまうと
アルフレッドと比べるとあまりにも貧相な気が

40 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:58:20 0
クヌート大王忘れていない?

41 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 02:35:20 0
英語は30%がフランス語、もう30%がドイツ語、さらに30%がラテン語、
最後の10%がケルト語で出来ているというチャンポン言語だというのですが本当ですが?

42 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 02:51:42 0
アルフの時代だと語彙にラテン語やノルド語が入ってくる頃かな

43 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 02:55:16 0
>>41
まぁ国が近いから相互に影響し合ってはいるんじゃないの

44 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 08:42:05 0
>>40
英wikiによると
クヌート大王はデンマークの人という扱いらしい
だから英国で大王とよばれるのはアルフレッドだけなそうな

45 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 08:51:07 0
デンマークって今は小さいけど
昔は結構強かったんだよね

46 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 08:56:16 0
>>34
イングランドの半分に加えてウェールズも支配下においてたよね、この人。
晩年になるとデーン人との戦いに勝って領域を増やしてるし。
大体日本の5分の一くらいの領土は手に入れてたのかな?

47 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 10:54:44 0
死んだのは899年の10月26日か。
生まれたのはわかってなくても死亡の日はわかってるんだな

48 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 11:40:46 0
英wikiだとアルフレッドを a learned manと書いてるけど
これ直訳すると「学者」だけど、それだとなんかしっくりこない。
学んだ男、学ぶ者、でも言い回しが微妙。
全体的に意味はわかるんだけど訳す時になんかいい言い回しないかな。

49 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 15:13:02 O
>>37
まず建築だな
ノルマン式築城法によって築城された城は
後のストロング・ボウのアイルランド征服以降のアイルランドでは暫く難攻不落の要塞と化した

文化ではないが
本当の意味での騎兵がイングランドに初めて導入された
それまではイングランドで乗馬兵は戦場では下馬して戦っていた
つまり常時乗馬して戦闘できる武具が導入されたことになる

50 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 20:19:29 0
それまで鐙がなかったってこと?

51 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 20:27:39 0
>それまではイングランドで乗馬兵は戦場では下馬して戦っていた

その騎兵ならぬ乗馬歩兵のスタイルは、アルフレッドの時代に
サクソンがデーンから学び取ったものらしいね。

52 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 20:28:24 0
フランスとかにも100年戦争時代にも下馬騎兵はいたし
日本の戦国時代とかにも下馬騎兵はよくあったみたいだから
必ずしも武具の導入が理由ではないのでは?

53 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 20:32:47 0
>>51
とするとデーン人相手には歩兵戦闘のほうが有効だったのかな。
デーン人から学び取ったという事は
デーン人も歩兵戦闘が主体なのか。
騎兵戦闘に何か問題でもあったんだろうか。
騎兵戦闘はローマの時代から当たり前に行われてるから
カエサルが侵攻して以来ローマの属州だったイングランドに
その戦法がなかったとは考えにくい気がする

54 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 21:56:20 0
デーン人が大陸で暴れず
わざわざ海を超えてイングランドに攻め込んだのは
なんでなんだろう
競合する他のゲルマン人がいないという理由だろうか

55 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 21:56:25 O
簡単に言えば騎士の登場だよ
騎士の発祥はノルマンディー公国だからね


あとデーン人いわゆる北方人とウィリアムことギョームの率いたノルマン人は根本的に違うよ

ノルマン人はかつてノルマンディーに封土を受領した北方人の子孫ではあるが
ギョームの時代には民族的、文化的にフランス化している
ギョームの体に流れる北方人の血は32分の1に過ぎない
ただアイデンティティを示すためにはるか昔の祖先の北方人の逸話を伝説化しているだけ

ギョームの率いたノルマン軍にはノルマン人以外にフランス人やフランドル人もいた

対するサクソン人のハロルド王も不運といえば不運
ギョームと戦う直前に
スタンフォードブリッジでノルウェー王ハラルド3世率いるヴァイキング部隊を苦戦の中やっと破り王も部隊も疲労困憊していたからだ

ハラルド3世はかなりの冒険家で
かつてはキエフ公国の客将、ビザンツ帝国のヴァリャーグ親衛隊長として
南イタリアや小アジアを転戦していた強者

56 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 22:05:37 0
ウィリアムはアルフレッド大王の子孫であるマティルダと結婚する事で
イングランドにつながりをもち
そのつながりをもとにイングランドの王位継承権を主張するんだよね
意外にも両者はつながってる

57 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 22:18:31 0
アルフレッド大王の子孫であるマティルダとの間にウィリアムがもうけた
子供が次のイングランド王になって
その系譜はいろいろ王朝が変わっても血統ではつながってるから
アルフレッド大王は一応現在の英国王室の祖先でもあるわけか
なんか壮大な話だ


58 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 22:36:57 0
>>56
ウィリアムはか彼自身か先祖が母系でウェセックス王家に繋がっているんじゃ無かったか?
エドワード証聖王から後継者に指名されたと称してた気がする

59 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 22:43:37 O
ノルマン朝の時代にもスコットランド王を通じてアルフレッド大王の血を受け継いだはず。

60 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 22:47:25 0
ウィリアムの母親は革なめし職人の娘のアーレッテって
wikiに書いてあるね
さすがに革なめし職人の娘がウェセックス王家に連なるとはとても…

61 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 22:59:10 0
これは良いスレだ

62 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 23:15:38 O
ノルマン・コンクェストの概観を知りたいならwikiより下のサイトの方が小説風で読みやすい


http://www.asahi-net.or.jp/cn2k-oosg/miyoizan.html

63 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 23:24:55 O
すまん、間違えた
>>62の訂正

http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/miyoizan.html

64 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 00:15:38 0
なかなか面白いサイトだね

65 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 00:36:24 0
上にあった歩兵戦闘と騎兵戦闘だけど
へースティングスではウィリアムの騎兵隊は
イングランドの歩兵部隊に何度も跳ね返されてるよね
アルフレッド大王がデーン人から学んで
歩兵戦闘を主体にしたというのはここら辺の事をいうのかな

66 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 03:51:34 0
>>63
d
登場人物の血縁関係はその通りだな
ただ事実関係はほとんど小説のレベル

67 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 05:08:43 0
>>54
デーン人は大陸も襲っている。
むしろデンマークからは断然そちらのほうが近い。
デンマーク西岸を発して、まずフリースラント、ライン河口、
北フランスが標的になる。イングランドはその次。

一方のノース人(ノルウェーヴァイキング)は、ノルウェー西岸から
北海を横断、シェットランド、オークニー等の諸島を南下、
スコットランド西北岸の島々、マン島、アイルランドを経て、
ブリタニア西岸・南岸に至るというルートを主にとっていたらしい。
9世紀には以上の島々で入植や王国建設も開始されている。

アルフレッドの同時代人である、初代ノルマンディー公ロロも
セーヌ川流域を荒らしまわっていたわけだし(厳密にいうと、
彼はノース人だけど)。


68 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 06:23:20 O
ここまでデーン人に荒らされるとなると安定した農業収入を得られないとともに
デーン人を恐れて逃亡する農民も後を絶たなかっただろうね

アルフな一種の支城構築策を施したとしても

69 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 06:24:36 O
訂正
アルフな→アルフの

70 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 09:17:49 0
>>68
途中から反撃して領域を拡大し
条約を結んで棲み分けを行ったから
それからは安定してたんじゃないかな。
晩年にデーン人が条約破って攻めてきた時は
防ぐどころか領土を奪って勝利してるし。
国力民力が充実してたんじゃないかな。

71 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 11:34:43 O
イングランドの庶民はケルト人がゲルマン化したものらしいが、アルフレッドたちはケルト人の血なんか引いてないだろうな

72 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 11:45:11 0
すると支配階級だったローマ人系の血だろうか

73 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 11:58:48 0
なんでそうなる。アルフたち支配層はゲルマン人そのもの、でいいだろ。

74 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 12:17:55 0
つまりこの戦いはゲルマン人同士の戦いと

75 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 12:50:54 0
昔この人の事を知って
アーサー王伝説の原型だと思ってた時期がありました
恥ずかしい思い出です

76 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 14:00:16 0
サトクリフなんか読んでいると、ローマと通婚したのは、平民層で、支配者層はしてないみたいな気がする

77 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 15:38:22 0
平民はラテンの血が濃く(髪が黒い)、上層階級は北欧とドイツ人(金髪碧眼)に近いというわけか。」

78 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 17:13:20 0
それにしても現代英語でも基本語彙の中に多数のノルド語由来の単語が有るのに
(例:she,they,get,take,call,leg,law,lowなど)
ブリトン語の形跡が全然無いのはどういうわけか?

79 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 17:27:38 O
スペイン語の中に先住民(バスク語の仲間?)の言葉が残ってないのと同じだろう

80 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 21:49:24 0
牛はカウで英語だけど牛肉はビーフでフランス語!
育てるのは現地人だけど食べるのは征服者!てのはどこでみたんだっけか

81 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 21:56:00 0
>>80
「アイヴァンホー」じゃね?

82 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 22:49:57 0
>>75
ありがちだよね。
アルフの伝記を書いたのがアッサーというウェールズ僧(ちなみにアッサーという名は
アーサーとは関係がなくヘブライ名であるとの事)でなんか紛らわしいし、侵略してくる
「野蛮人」と戦ったという共通点もある。

83 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 23:01:14 O
日本語の本ないからよく知らないんだが
アルフの2代後のエセルスタンもそこそこ頑張った王なんだよね?

84 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 00:10:56 0
>>78
ブリトン語ないしケルト語起源の語は地名を除くとほとんど借りなかったといわれるね。
Thames 薄黒い
Kent    国境
London  荒々しい
Avon   川

あと、馴染みのあるものでは、car くらいかな。
wiktionaryによると、ケルト語の carr がラテン語、ノルマンフレンチに入って
中世英語の carre になったらしい。

85 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 01:15:20 O
地名くらいしか現地語から取り入れてないのか

確かに欧州人が南北アメリカの先住民から取り入れた語彙は地名ばっかりな気がする

異民族による支配ってのはこうゆうものなんだろな

86 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 03:23:43 O
>>81
ヘンギストが娘〜
俺はレベッカを不思議の海のナディアで脳内再生してた。

87 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 11:15:46 0
>>78
ノルド語はかなり英語に浸透してるよね。国土の大半を占領されたとはいえ、
基礎語彙までが入れ替わってしまったというのは凄まじい。
niman(取る)は消滅し、steorfan(死ぬ)は餓死の意に変わってしまった。
そこまで影響を受けなかったドイツ語ではそれぞれ nehmen, sterben として
元の意味で残ってるけど。

88 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 15:03:06 0
イギリス語って結局ドイツ語の亜種ということでいいの?

89 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 16:09:22 0
古英語はね。
ノルマンコンクエスト以前の英語の研究者はイングランドにはあまりいなくて
ドイツが中心らしいし。

90 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 19:32:56 0
>>87
いわゆるデーンロウ地域では両民族が混在して居住し
双方の単語をチャンポンにした言い方が生まれたと思われる
系統的にはちょっとばかり離れているが同系等言語だし同語源の単語が大多数
融合は急速に進んだろう
しかし屈折の仕方はかなり違うので英語から屈折語としての性格がほとんど消失した原因になったのでは?

>>88
それをいうならお互いに亜種

91 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 19:36:25 0
×同系等
○同系統

92 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 19:45:59 O
独=ゲルマン、仏=ラテン、英=ケルトなら面白かったのに

93 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 21:02:31 0
>>90
そうだろうね。
OEDの編者の一人であるヘンリ・ブラッドリも『英語発達小史』で「屈折組織の単純化は、
大量の外国人の同化吸収と異なる方言の混淆とによって助長される」と書いてる。

「二つの言語集団が一つの地域に住み、融合同化する。そしてその言語は著しく
異なるタイプのものではなく、同一言語のあまり違わない二方言<中略>であった
とする。さらに、語彙はこの二方言に大体共通で、屈折変化だけが著しく異なった
としよう。<中略>異なる二方言の場合には、いずれの言語集団も相手の言葉遣い
を標準語とは認めたがらないから、暫くは同一方言内に二組の異なる屈折形が
行われることになる。その結果、文法機能を示す屈折語尾についていずれを選ぶか、
躊躇と不安が生まれ、そのため、やがて発音をあいまいにするようになり、ついには
語尾を保存することが無意味になってしまう。」(42-43頁)

一見、他言語が流入して英語から屈折が失われたと聞くと、屈折語じゃない言語が
入ったのかと考えがちだけど、古ノルド語は古英語同様、複雑な屈折語。
これは屈折の喪失について模式的で分かりやすい説明だと思う。

94 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 21:24:03 O
問題は永住植民したデーン人の原住アングロサクソン人に対する人口比率じゃないのかな

イタリア、ヒスパニア、ガリアに植民したゲルマン人は瞬く間に現地人に吸収された
後代のアングロ・ノルマンやオールド・イングリッシュによるアイルランド植民も結局はゲール化したし

95 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 21:56:30 0
人口比率となるとかなり難しいと思うけど、ノルド語由来の地名が多数ある
ところからすると、相当な数が入植して町を建設したんじゃないのかしら。
中尾俊夫さんの『英語の歴史』によると、今日の英国の地名の一部にノルド語
を含むものは1400以上あり、大部分はランカシャー州、ヨークシャー州など
北部イングランドに集中しているとの事。

リンク先の寺澤盾氏によると、-by(町)が付く地名が600、-thorp(村)が
付く地名は300だそうで。-thwaite(放牧場)が付く地名もたくさんあるようだ。
http://www.asahi.com/english/weekly/0723/05.html

96 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 22:01:27 0
もちろん、英語がノルド語に置き換わったわけじゃないから、
原住サクソンに対してデーン人の数は少なかったと思うけど。

97 :世界@名無史さん:2009/08/10(月) 23:56:20 O
>>95
デーン人も城塞都市を建設していたんだね
ノッティンガム
スタンフォード
ダービー
リンカーン
レスター
のいわゆる五城塞都市

デーン人支配下のこの五城塞都市地方とイーストアングリア、ノーサンブリアは調べたらアルフレッド大王時代に服したわけでなく
五城塞都市地方とイーストアングリアはアルフレッドの次代のエドワード治世時に
ノーサンブリアはそのまた次世代のエセルスタン治世時にそれぞれ服しているね

98 :世界@名無史さん:2009/08/11(火) 00:56:18 0
しかしアルフレッドは文化史からみても偉大だな
古英語で書かれた歴史書、法令、ラテン語文献からの翻訳(ローマからは非難されたという)を残してくれた
もしベーオウルフやアーサー王伝説ぐらいしか残っていなかったらこの時代の認識はどうだったんだろう?
百年戦争からテューダー朝の成立の時代はうっかりするとシェースクピアの影響でかなり歪められたものが国民の常識になっているというのに
ちょっと主観に過ぎたかなw

99 :世界@名無史さん:2009/08/11(火) 08:14:07 0
ひょっとしたら暗黒時代になってたかもな
それかアルフレッドがいなければ
そのままデーン人に征服されてその後の歴史がかなり違ってたかもしれん

100 :世界@名無史さん:2009/08/11(火) 18:22:46 0
>>94
イタリア・ヒスパニアはともかく
ガリア北部はゲルマンとケルトの混血がラテン系の言葉が話してるって感じで
封建制や騎士道の発祥の地のせいかゲルマン的特色は濃いよ
実際大量のゲルマン農民がロワール川以北に移住したからね
ちなみにローマ系住民なんてのはほとんどケルトがローマ化したもの



101 :世界@名無史さん:2009/08/11(火) 18:45:25 0
>>97
The Five Boroughs(五市地方)か。こちらは北部ではなく、分割されたマーシア
(イングランド中部)の東半分で、デーンにすればサクソンと向かい合う最前線だから
ブルフ(burh 城塞)が次々構築されたんだろうね。
ダービーを除くと、ローマないしサクソン由来の地名(ただ、wikiをみると、ダービーに
ついてもノルド語由来説とローマ駐屯地由来説がある)だから町そのものはデーン到来
以前からあったようだ。

デーン人によってブルフが築かれたところは、他にもヨーク、ノーサンプトン、
ハンティンドン、ケンブリッジ、テンプスフォードなども。

102 :世界@名無史さん:2009/08/12(水) 00:41:45 O
アルフの英国史に残した偉業はアングロサクソン人を単一政体にまとめたことと文化面の貢献だけでなく
司法機構と教育制度を整備したということもあると思う

103 :世界@名無史さん:2009/08/12(水) 09:58:23 0
何気に随分広い範囲に業績がある人だよな
大王といわれるのも納得

104 :世界@名無史さん:2009/08/14(金) 18:15:03 0
>>60
ウィリアム1世の奥さんがフランドル伯ボールドウィン5世って人の娘で
そっちがアルフレッド大王の子孫。
ウィリアムの方も本人の母親じゃなくて何代か前のノルマンディー公家の后にアルフレッド大王の子孫がいたはず。

105 :世界@名無史さん:2009/08/16(日) 19:46:41 0
大王と言われる所以は
・果敢な戦闘指揮者だが根底には政治的に問題解決を目指した
・法を整備し民生にも目配りをした
・民度を上げるための文化事業に力を注いだ

主観的評価だが・・・

106 :世界@名無史さん:2009/08/16(日) 20:17:53 0
なんだかんだいって
一時期はデーン人に追い詰められて
山奥に隠棲してたりするんだよね、この人
そこから盛り返して領土を奪い返しただけでなく拡大し
デーン人と棲み分けをする条約を結ぶまでこぎつけ
(しかもその条約はアルフレッド上位だったはず)
晩年には約束破って攻めてきたデーン人を破って領土拡大してるしね
他の7王国がことごとくデーン人に滅ぼされてるのをみたら驚異的な成果
しかも文化に対する貢献も非常に大きいしね
大王といわれるのも納得
とんでもなく凄い人だと思う

107 :世界@名無史さん:2009/08/16(日) 20:41:00 P
アルフレッド大王の事は、教科書レベルしか知らないけど(つか、ブリテン島の歴史自体、疎い)
このスレを眺めていると、古代マケドニア王国のフィリッポス二世を思い浮かべた


108 :世界@名無史さん:2009/08/16(日) 20:55:47 0
アルフレッド率いるウェセックス王国のみがデーン人を撃退したどころか
拡大した理由はどこら辺にあるのかな
アルフレッドが一時期山奥で隠棲したりしてるところから
デーン人が手を抜いてたわけじゃなさそうだし
やはりアルフレッドの力量によるところが大きいんだろうか

109 :世界@名無史さん:2009/08/16(日) 21:41:01 0
>>106
でも全然有名じゃないよね
日本では
この時代を詳しく研究してる人とかいないのかな?
この時代のイングランドはおもしろそうなのに日本語資料がないから困る
もっと注目されてもいい人物・地域だと思うんだけどねぇ

110 :世界@名無史さん:2009/08/17(月) 05:30:50 0
まあよくも悪くもローカルヒーローだからな
活動範囲が結局イングランドに止まってるし
イングランドでは有名でも
世界的にはそれほど有名じゃないのはおかしくない
北条時宗とか源頼朝とか大した人物だと思うけど
日本以外じゃ知られてないでしょ

111 :世界@名無史さん:2009/08/17(月) 20:33:26 0
アルフレッド自身の能力や性格はどんな感じなんだろ?
学者王とかいわれてるから
やっぱり本来は内治向きの人間だったんだろうか

112 :世界@名無史さん:2009/08/18(火) 20:01:48 0
>>110
あと時代もあるのかも
クロムウェルなんかやたら有名だし

113 :世界@名無史さん:2009/08/18(火) 20:18:25 0
クロムウェルが有名なのはオランダとかと戦って勝ってるし
革命を行って王を殺したという点で
ヨーロッパ史に与えた衝撃は大きいからじゃないかな
ヨーロッパでは王を殺して革命本部を作ったのってあれが初めてじゃなかったっけ

114 :世界@名無史さん:2009/08/18(火) 20:19:15 0
革命本部じゃなくて革命政権だったw

115 :世界@名無史さん:2009/08/19(水) 00:49:21 O
>>110
もしアルフレッドがオファの防塁を越えてウェールズを征服したならかなりの名声を得られたと思うね
ちょうどウェールズを統一していたウェールズ王ロードリ・マウルが877年に没し分裂したからチャンスはチャンスだったんだが

116 :世界@名無史さん:2009/08/19(水) 06:08:10 0
>>115
アルフレッドはウェールズを支配下においてなかったっけ
wikiをはじめとしてアルフレッドの事を書いてあるサイトでは
大抵ウェールズはアルフレッドに服したとあるけど。
wikiだとロードリの息子であるカデルはヴァイキングの侵略に耐えかねて
アルフレッドに庇護を求め、ここからウェールズ君主のイングランドへの
服従がはじまったとあるね

117 :世界@名無史さん:2009/08/19(水) 21:52:45 O
イギリス中世史という本見てみた
確かにアルフレッドは地方の州制整備や文芸の奨励、法典編纂などに尽力したことはわかった
イースト・アングリアのデーン人王グスルムとの戦いは
当初は防戦一方でチップナムでアルフレッドは敗北するが
エディントンで雪辱し侵攻を一時的に停止させた
883年にロンドンを奪回しロチェスターの戦いに勝利しグスルム王と休戦協定を締結

問題なのはこの休戦協定の社会的地位の取り決め
サクソン人貴族はデーン人自由民と同列とする
サクソン人自由民はデーン人解放民、半自由民と同列とする

これって一種の不平等条約だよね
勝ったのになぜ?

118 :世界@名無史さん:2009/08/19(水) 22:01:43 0
>>117
ウェドモーアの和議ではデーン王はアルフレッド大王の養子になり
洗礼を受けてるからアルフレッド優位なんじゃ?

もともとウェセックス王国にとっては異国同然だったデーンロウに隔離したし
特にかかわりあう事がなくなったからでは?

119 :世界@名無史さん:2009/08/19(水) 23:14:39 O
>>118
そうですか
なかなかこの時代の本がないので詳細がわからず困りますね

とこでグスルムはイースト・アングリアの王で
もう一人のデーン人の王ハーフダンはノーサンブリアの王

これってデーン人がアングル人の居住地域(北東〜中東部イングランド)を完全制圧しているということ?
サクソン人のみがデーン人支配を逃れていた?
ジュード人を含むアングル人とサクソン人のある程度の混交はあったと思うけど

120 :世界@名無史さん:2009/08/20(木) 12:17:59 P
この時代、デーン人とかアングロ人とかいうのは、民族的な差異ではなくて、
単にどの王様の臣民かということくらいのものではないのか?
言語も習俗もさほど差異はなかったろうよ。

121 :世界@名無史さん:2009/08/22(土) 02:58:38 0
日本語のウィキだとアルフレッド大王より親父のエゼルウルフの方が詳しく書かれてるなw

122 :世界@名無史さん:2009/08/22(土) 03:07:41 0
>>120
上で言われているように言語に差異があるからこそ
英語が変化したわけだし、キリスト教に教化されているか否かの違いもある。
アングロサクソンにとってデーン人はやはり蛮族、化外そのものであったことは確かだろう。

123 :世界@名無史さん:2009/08/22(土) 23:14:40 O
アルフレッドの2代後のエセルスタン(アセルスタン)はなぜ大王の称号を得られなかったのだろう?

927年 デーン人のノーサンブリア王オーラフ・シフトリックサンを破りノーサンブリア制圧
戦後、ウェールズの首長の臣従を得る
929年 公文書でイングランド王を称する
937年 スコットランド王コンスタンティンとデーン人のダブリン首長グースフリットサンの連合軍をブルナンブルフで迎撃大勝

内政面でも賢人会議を拡充、地方行政も十人組を設置するなど

事実上の統一イングランド王としてアルフレッドの業績と比しても大王称号に相応しいと思うのだが

124 :世界@名無史さん:2009/08/23(日) 04:32:10 0
称号といっても、ザ・グレートてのはあくまで後の英国人の評価だからねえ。
本拠のウェセックスまで攻め込まれた絶望的状況から盛り返して、
戦争と同時に統治や文芸の復興まで行ったというのがポイントなのでは。

125 :世界@名無史さん:2009/08/23(日) 08:07:20 0
>>123
>>124の人も言ってるけどアルフレッドの時代はデーン人が強大で
他の7王国が次々と滅ぼされ、アルフレッド自身も追い詰められて一時は隠棲してる状態。
この状況から盛り返してデーン人を打ち破り優位な和議を結び
晩年にもデーン人に勝利をおさめてるし、マーシアもウェールズも支配下においてる。
さらに内政や文化の充実にも務め国力を増大させ、
アルフレッドが整備した防衛網によってアルフレッドの晩年以降デーン人の襲来は楽に撃破できるようになっていたようだね。
言ってみればアルフレッドの時代でウェセックスの優位と飛躍の下地は確立したわけだから
その遺産を用いて拡大していった後継者たちよりアルフレッドの評価が高いのは自然だと思う。

126 :世界@名無史さん:2009/08/25(火) 20:46:59 0
称号といえば、覇王 bretwalda という語も、実際に存在していたか定かでなく、
後代の年代記作者が作った可能性があるとwikiにあったな。

127 :世界@名無史さん:2009/08/25(火) 23:34:39 0
史学徒的にありがたいのは「アングロサクソン年代記」の編纂。

イデオロギーとかプロパガンダの長期的な重要性をよく理解していた君主だな。

128 :世界@名無史さん:2009/09/20(日) 13:14:59 0
11さんが紹介してる『アルフレッド大王 英国知識人の原像』って本読んでるけど、
アルフレッド大王が頑張ったのに結局サクソン王朝が潰れたのは残念だな。

今のエリザベス2世も女系の方でアルフレッドの血は繋がってるみたいだけど、
アルフレッドが頑張ってなかったらサクソン王朝の血は完全断絶だったのかな?

129 :世界@名無史さん:2009/09/20(日) 22:12:45 0
最後のサクソン王もウェセックス王統とは直接関わりのない
ハロルド伯ですからねえ。父親のゴドウィン伯はもと一介のセインに
過ぎなかったといいますし。

130 :世界@名無史さん:2009/09/23(水) 09:45:27 0
>>129
有力貴族ならどこかでウェセックス王統と血が繋がってるんじゃないか?
まあ、そのレベルの血縁ならウィリアムの方も繋がってるだろうが。

渡部昇一『講談・英語の歴史』(PHP新書)によると
ノルマン・コンクェストは国王の交代以上にサクソン人の貴族・司教といった
上流階級のほとんどがノルマン人に総取っ替えになった事が劇的らしい。

131 :世界@名無史さん:2009/09/24(木) 02:16:14 0
ハロルドの妹すなわちゴドウィンの娘がアルフレッド王統最後の王
エドワード証聖王に嫁いではいましたが、ハロルドやゴドウィン自身は
王家の血脈には属していなかったようです。とくに何もいわれていませんしね。
タダの騎士からウェセックス伯に登りつめたのは、クヌート大王の従者となった
のがきっかけだそうです。

132 :世界@名無史さん:2009/09/24(木) 12:24:04 0
>>128
王家の血はなかなか滅ばないからね
何らかの形で残ったと思う

133 :世界@名無史さん:2009/09/24(木) 13:41:46 P
七王国時代は蛮族そのものだから、王は王とは言えども夜盗の頭目くらいのものだし。

134 :世界@名無史さん:2009/09/24(木) 22:58:40 0
>>132
さすがにヴァイキングとは血統は繋がってなかったんじゃないかな?

>>133
ブリテン島への侵入直後ならともかく、
王国が出来てある程度安定すれば蛮族では無いと思うけど。

135 :世界@名無史さん:2009/09/26(土) 01:56:26 0
おい、大変だぞ!
なんか出てきたぞ!

農夫のおじさんGJ!

http://labaq.com/archives/51272206.html

イギリス中部のバーントウッドというとノーザンブリアかしら。




136 :世界@名無史さん:2009/09/26(土) 16:42:29 0
バーントウッドはスタッフォードシャにあるから、ノーザンブリア
というよりはマーシアのほうだね。
聖書の文言が刻まれた金細工も出てきたとか。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2645873/4663017

七王国関係の財宝だと、アセルニ付近で発見された「アルフレッドの宝石」とか、
イーストアングリアの王墓とされるサットン・フーの副葬品群もあるけど、
今回のもなかなかすごい。

137 :世界@名無史さん:2009/09/26(土) 17:29:38 0
>>134
ブリテンの諸王が野蛮を脱したのは、ウイリアム一世以降だろう

138 :世界@名無史さん:2009/09/26(土) 17:43:22 0
野蛮か文明かの指標をどこに置いてるのか言わないと
ただの言いっ放しになっちゃいますよ。

139 :世界@名無史さん:2009/09/26(土) 21:48:57 0
>>135
えらく無造作に出てきたようなw
状況を知りたいな

140 :世界@名無史さん:2009/09/26(土) 22:05:38 0
>>137
何を持って野蛮というかもあるけど
アルフレッド大王の時代にはカロリング朝の文化や装束も
かなりブリテンに入ってきてたみたいよ
ウィリアムが入ってきて
当時のフランスの文化が入ってきたとはいえ
当時のフランスは王侯貴族に至るまで手掴みで物を食ってる野蛮人だったしね
フランスが華やかな文化を持つのは
ルネサンス以降にイタリアの文化が入ってきてからじゃないかな

141 :世界@名無史さん:2009/09/26(土) 22:57:53 0
>>137
>何を持って野蛮というかもあるけど
個人的には部族単位での社会生活だと野蛮
国として機能してれば文明的ってイメージになる。
あくまでイメージなんだが。



142 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 01:51:48 0
ノルマン朝以前が野蛮とは言わないが
大陸に比べて田舎って感はある。

143 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 04:16:47 0
希>伊>仏>英>独>西
なイメージ

144 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 09:55:27 0
何故に西班牙が末尾なのぢや?

145 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 13:53:02 O
イタリア、フランス、スペインと比べて、イングランドはほとんどローマの文化や制度の恩恵にあずかれないから無理もない

146 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 18:56:36 0
ローマ時代の開明度は、日本で言うと、奈良時代か平安時代くらい。

七王国時代は、退行して、弥生時代レベル。だいたい、アングロ人とかサキソニア人とか
ユット人とか海賊じゃん。ブリトン人やらピクト人は石斧ふりまわす山賊だし。
そんなのが割拠しているようだから、蛮族。

147 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 22:03:01 0
>>140にもあるがフランスって、イタリアの文化が入るまで手掴みで物を食ってたんだよな
焼いた肉とか煮込み肉とか、手づかみじゃ熱くてとても食べられなさそうだがどうなんだ?
火傷とかしないのか?

148 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 22:09:12 0
串やナイフや匙はあったろ、少しは考えろ

149 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 22:27:58 0
>>148
指を使って食べてたそうだぞ。
ナイフもないから短剣で切り取って手掴みで食べたそうだ。
厚焼きの平べったいパンが皿替わりだったそうだ。
食卓にスプーンが入ってきたのももっと後だ。


150 :世界@名無史さん:2009/09/27(日) 22:34:58 0
ちなみにこの時代に手掴みで肉とかを食ってた関係で
汚れた手指を洗うための香り水が常備されてたそうだ
これがフィンガー・ボウルの起源か
つまり当時のフランス人はやっぱり手で焼いた肉や煮込み肉を食ってた事になる
昔の人間の方が野蛮に近い生活をしてたから
手の皮が厚かったりするんだろうか

151 :世界@名無史さん:2009/09/28(月) 21:30:13 0
ttp://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2645873/4663010
羨ましいです

152 :世界@名無史さん:2009/09/29(火) 21:57:22 O
落ちぶれたとはいえ、ローマ人がそのまま住み続け、官僚をそのまま受け継いだたフランス(フランク)、イタリア(ランゴバルト)、スペイン(西ゴート)とは比べものにならんな。また、その三族はもとからローマとの関係あったし

153 :世界@名無史さん:2009/10/02(金) 00:37:53 0
>>146
>七王国時代は、退行して、弥生時代レベル
各種法律とかアングロ・サクソン年代記を作ってるんだから、
さすがにそこまで原始的って事はないだろう(スコットランドやウェールズのケルト地域はわからんが)。
飛鳥時代とかその位じゃないか?


154 :世界@名無史さん:2009/10/02(金) 03:24:16 0
>>14
言っちゃ悪いけど所詮島国だし。せいぜいが日本

155 :世界@名無史さん:2009/10/02(金) 03:28:54 0
>>48
分詞が形容詞化して
「学問のある,、博学な」

博識者とか教養人とかでいいんじゃないかなあ。
言葉の響きがわるければ同義語組み合わせてでっちあげれば。

156 :世界@名無史さん:2009/10/02(金) 03:33:16 0
>>85
たしかに
食いもの関連では新世界から画期的な恩恵を得たわけだが
その現地名はそれほど使ってないな
嗜好品(チョコやタバコ)くらいか?

157 :世界@名無史さん:2009/10/03(土) 00:25:47 0
トマト、ポテト

158 :世界@名無史さん:2009/10/19(月) 23:09:39 O
アルフレッド大王の死後、イングランドやイギリスの国王で何でアルフレッドって名前の人出なかったんだろう?
ジョンと同じで永久欠番なの?

159 :世界@名無史さん:2009/10/20(火) 00:23:30 0
人種や文化が違うとか

ああでもアーサー王子とかいるのか

160 :世界@名無史さん:2009/10/20(火) 00:55:05 0
ノルマンフレンチの王が続いたわけだから、自然ヘンリやウィリアムやリチャードの
ような大陸系の名前が好まれたということでは。
おそらくアルフレッドという名はアングロサクソンの平民たちに人気があって、
フランス人の王族たちにとっては農民の名前としか感じられなかったんだろう。

アングロサクソン風なエドワードがヘンリの次に多いのが気になるけど、
英主エドワード1世に因んでのことだと思う。エドワード1世の命名については
事情がよく分からないけど、祖父のジョンあたりから大陸情勢よりもイングランド
国政やスコットランド、ウェールズ侵攻などに関心を向け始めたことに関わりが
あるように感じる。

161 :世界@名無史さん:2009/10/20(火) 19:52:05 0
>>158
アルフレッド大王やヴィクトリア女王みたいに偉人は、
同じ名前にして万が一どうしようも無い奴だったら名前が傷付くから、
逆にジョンとか評価の低い王様は縁起が悪いから同じ名前を付けないのだと思う。


162 :世界@名無史さん:2009/10/21(水) 03:04:27 0
とはいってもジョンは昔は名前つけるのを避けられるような忌み嫌われ方はしてないはず。
実際王族にジョンは何人かいるわけだし。
有名どころでジョン・オブ・ゴーントとか

ヴィクトリアは娘や子孫にもヴィクトリアがいるんじゃなかったっけ

163 :世界@名無史さん:2009/10/21(水) 21:40:00 O
スティーブンも1人しかいない。

164 :世界@名無史さん:2009/10/21(水) 21:45:23 0
>>162
失地王、なんて不名誉な呼び方を贈られてるのに
嫌われてなかったんか?

165 :世界@名無史さん:2009/10/22(木) 00:10:06 0
そりゃ王権を大幅にゆずりわたしたりと
情けない見られ方をされがちではあるし
全く嫌われてないってことはないだろうけど
ジョンの名がタブーになるほどじゃあないということ

失地王ってのは違うけどね。
ラックランドは本来欠地王の意味。
土地失ったのもかけてはいるだろうけど

166 :世界@名無史さん:2009/10/22(木) 01:23:55 0
もともとは父ちゃんがお前まだちびっ子だから領地あげないと言ったのが最初だっけ

167 :世界@名無史さん:2009/10/24(土) 02:49:05 0
ジョンって良い国王ではないだろうけど、最悪でもないだろ。
イギリス史上最悪の国王って誰だ?
エドワード2世とかエドワード懺悔王か?
スコットランドとかのマイナーな国王とかにもっと駄目なのいるかな?

168 :世界@名無史さん:2009/10/24(土) 03:32:45 0
ジョン・ベイリャルちゃん!

169 :世界@名無史さん:2009/10/24(土) 09:20:13 0
最悪とかダメとかって
評価の基準があいまいすぎるだろ。
虐殺や弾圧にだって政治的に見てポジティブな評価がなされることだってあるし
人気でいえば
人気⇔不人気 というベクトルとは別に
(人気・不人気=関心大)⇔無関心 というベクトルもあるわけで。

170 :世界@名無史さん:2009/10/24(土) 19:48:58 O
>>169
エドワード2世をポジティブに評価してみてくれ

171 :世界@名無史さん:2009/10/24(土) 23:05:09 0
ちょうどアルフレッドを卒論で書こうっていう俺がきましたよ

にしてもwikipediaのエゼルウルフの項目なんであんなに詳しいんだろう?

イギリス史上最悪の国王と言えばジョージ1世かな?なんもしてないっしょ?最悪ってほどでもないけど。

172 :世界@名無史さん:2009/10/25(日) 20:13:34 0
>>171
エゼルウルフなんて高校世界史程度じゃまず出てこないのにな。
逆にアルフレッド大王やエグバートが一般的な事しか書かれてないw

173 :世界@名無史さん:2009/10/25(日) 23:03:40 0
むしろイギリス史はノルマンコンクエストからだな日本では

174 :171:2009/10/26(月) 15:25:23 0
>>172
うちの先生がイギリス中世なら邦語文献も沢山あるって言ってたもんで出来るかなと思ったんだけど、中世初期はほとんどないんだぜ。>>173の言うとおりノルマンコンクエスト以降ならあるんだけど。

175 :世界@名無史さん:2009/10/27(火) 10:36:16 0
ヘプターキーの初期はともかく
アルフレッドやカヌートあたりは無いのかな

176 :世界@名無史さん:2009/11/06(金) 16:17:33 P
>>153
蛮族が割拠している状態だから、日本で言うと神武東征以前。
倭国の勢力範囲が関東地方・東北地方・南九州まで伸びた時期でようやく
国家統一というなら、景行天皇・日本武尊の時代の前。
どちらにしても弥生時代。

177 :世界@名無史さん:2009/11/06(金) 16:22:40 P
>>165
本邦でも領土喪失率ダントツ一位(ざっくり三分の一)の昭和天皇は、領土拡大率
歴代三位の明治天皇と同じくらい敬愛されていたよ。

178 :世界@名無史さん:2009/11/07(土) 21:43:56 O
>>176
領土の統一を先進性の基準にすると、イギリスは今もスコットランドやウェールズは完全に合併されてないから
日本で言うと北海道や沖縄が正式に領有されてない江戸時代レベルって事になるぞ。

179 :世界@名無史さん:2009/11/07(土) 23:35:37 O
>>177
ジョン王がいなくて大陸を領有し続けてたら、
いずれは気候が良くて農業や商売にも便利な大陸側が本拠地になってたかもね。

180 :世界@名無史さん:2009/11/08(日) 00:05:27 0
それはそれで島のほうが独立してただろう
どうしても文化が違ってくるし

本拠じゃなかったら他の海洋系が強い勢力に奪われてたかもしれない
のちのオランダとか

181 :世界@名無史さん:2009/11/08(日) 09:15:20 O
>>180
仮にイングランドが大陸側を本拠地にしてたらスコットランドはもっと南下してブリテン島統一に動いたのかな?
史実だとスコットランド側からは国境線の争いくらいで、島の統一を目指した大規模な動きは無いけど、
例えイングランドが 大陸重視でブリテン島を留守にしがちでも、スコットランドは国力が違いすぎて ブリテン島統一はやっぱ不可能かな?

182 :世界@名無史さん:2009/11/08(日) 16:04:52 0
なんだろうな
民族の性質みたいなのもあるのかな
大移動したゲルマン系や、それと接して影響うけてた系は支配したがるとか
あるいは大陸をまきこんだ封建関係の影響が大きいかどうかの違いかな


183 :世界@名無史さん:2009/11/09(月) 00:16:29 0
>>179
島と大陸を支配するってそれじゃまんまノルマンディー公じゃないか。ありゃどっちが本拠地なんだろう。

>>176
蛮族かどうかはさておき、文明度だとノルマン・コンクエストの時点じゃ
イングランドよりノルマンディー(フランク)の方が上だったって言うよね。
そのフランスもカトリーヌ・ド・メディシスが嫁ぐまで食事ほとんど手づかみで食べてたってレベルだって言うし。

184 :世界@名無史さん:2009/11/09(月) 01:34:57 O
>>183
ウィリアム1世の段階ではノルマンディーが本拠地。
息子の代で兄弟でノルマンディーとイングランドに分割相続になったけど、
兄弟間の争いでイングランド王になったヘンリー1世が最終的に勝ったから逆転した。
ヘンリー1世はスコットランドにいたアルフレッド大王の子孫を嫁さんにしたりして、
サクソン人やスコットランドとの関係を改善させたりと、ブリテン島の安定に尽力した。

185 :世界@名無史さん:2009/11/09(月) 06:11:25 P
>>178
ウェールズは完全に合併されてんだろ。
Niation(国)ではなく、Principality(大公領)に格下にされて、
名目上の領主はイングランド国王継承予定者で、法域としても
イングランドの域内だし。

186 :世界@名無史さん:2009/11/09(月) 07:36:30 O
>>185
併合期間が長いから独立性は低いけど、扱いは国(country)でスコットランドや北アイルランドと同じだよ。
他の2国と同様に連合王国とは別の議会もあって首相もいたはず。

187 :世界@名無史さん:2009/11/09(月) 11:10:31 P
スコットランドと北アイルランドとイングランドはそもそも法域が別だが、ウェールズは
イングランドの法域に含まれている。

何を以って「国」とするかは非常に面倒なもんだいだけれど、外交権もなければ法域も形成
しない地方は「国」ではないよ。ウェールズは、日本で言う、讃岐国とか肥後国とか信濃国
みたいな、「国」とはついても精々一地方といようなものだろう。

188 :世界@名無史さん:2009/11/09(月) 11:37:01 P
>>183
ハノーファー朝時代のジョージ一世からウィリアム四世までの間とか、
デーン王朝カヌート王時代とか、どっちが本土か判らない状態はあったし、
或いは、いまでも猿のジブラルタル岬は英領だし。

189 :世界@名無史さん:2009/11/13(金) 20:01:40 O
>>187
外交権はスコットランドや北アイルランドにも無い。
当人たちは国という名称にこだわるかもしれないが、ウェールズも含めて
実際はロシア内のいくつかある共和国と同じでアメリカの州に近い感じの様に見える。

190 :世界@名無史さん:2009/11/14(土) 02:19:51 0
アメリカの州はステートだから国と訳されていてもおかしくは無い。
ユナイテッドステーツが諸国連合と訳されていてもおかしくは無い。
なんかソ連の正式名称みたいな名前だけど。
国という言葉がすなわち外交権を持つものを指すとは限らない。
countryもそんな感じの言葉に見える。

191 :世界@名無史さん:2009/11/14(土) 12:48:10 P
>>178
それぞれある程度開明的な国が境を接していたなら、併合なんかしていなくても、相応に先進的。
逆に分裂しようとも、な。
ローマが去ってアングロ人サキソニア人ユトランド人がやってきた時代なんて、手の付けられない
蛮族の時代だし、そういう外来の蛮族と、土着のこれまた手の付けられない蛮族とが割拠していた
時代が七王国時代からノルマンコンケスタまで続く。

>>189
スコットランドや北アイルランドは法域を形成するからな、定義によっちゃあ「国」だ。

アメリカの方は、州が国の本質で、「小さい国が幾つもあるより、大きな一つの国の方が対外交渉で強い」
という便宜のもとに、「大きな一つの国」となるよう軍事や外交権を連邦政府に集約したもの。
歩調をあわせるからには、或る程度、軌を一にする必要から、相互の縛りはあるけれども、あくまでも、
連邦は州の上位機関ではないし、州が集まってアメリカ合衆国を形成するが州はアメリカ合衆国の「部分」
ではない。
日本の政府と自治体との関係とは全く違う。日本の、自治体は政府の下位機関であり、「部分」だ。

192 :世界@名無史さん:2009/11/15(日) 21:19:46 O
>>191
アングル人・サクソン人・ジュート人らがブリテン島に渡った直後の七王国時代初期はともかく、
アルフレッド大王の時代だと法律やアングロサクソン年代記みたいなものまであるんだから、
いくら何でも弥生時代レベルって事はないだろ

193 :世界@名無史さん:2009/11/15(日) 23:10:39 0
弥生時代って王国もまともに形成されてない時代だろ

194 :世界@名無史さん:2009/11/16(月) 04:48:08 0
>>193
そうでもない
文献学的にも邪馬台国と表記されたちゃんとした王国は弥生時代からあるしな

195 :世界@名無史さん:2009/11/16(月) 04:49:54 P
>>192
アングロサクソン年代記ってノルマンコンケスタよりも後に書かれたものではないか。
かなり文明化した時期だろ。
七王国時代について言及してあったりカエサルの上陸が記載されていたりしても、それは
千年前の伝え聞きを記したものだ。
古事記にだって雄略天皇がナンパしたときの歌とか、民の窮状をみた仁徳天皇の免租の
詔勅だとか載ってるでよ、アルフレッド大王の法律もにたりよったりのレベルの話だし。

>>193
そういってんじゃん、七王国時代は、蛮族割拠の時代だって。
ハンコが福岡から出てきた「漢委奴国」とか、魏志倭人伝に出てくる邪馬台国とか狗奴国とかが
割拠してた野蛮国家時代は、弥生時代だろうて。

196 :世界@名無史さん:2009/11/16(月) 11:55:38 0
七王国と狗奴国じゃ大きさが違いすぎるだろ
七王国時代は比較するなら古墳時代だろ
それにアルフレッドは古英語で聖書訳させたり公文書作ったりしてる
比較するなら飛鳥・奈良あたりだな


197 :世界@名無史さん:2009/11/16(月) 13:23:26 0
>>195
待て待て、ASCはベーダの英国民教会史やウェセックスに残ってた文書を中心にして
アルフレッド大王時代に編纂が開始されてるんだが。

アルフレッド法典はすでに存在していたイネ法典なんかを参考にしてるんだし、
免租の勅令とかではなくきちんとした律令レベル

せめて奈良時代だろ。
余談だが当時の古英語は現在の英国人にとっては日本人の奈良時代の古文並に難しいって聞いたぞ

198 :世界@名無史さん:2009/11/16(月) 14:14:09 0
ラテン語を理解する人は島にもたくさん残ってたし
ゲルマン人自体島に渡る前から文字(ルーン)を使ってたしな
もともとローマに傭兵として雇われて島に来て
あっというまに王国作ったところからして
蛮族といってもそこまで未開じゃない
王権が確立してるかどうかもわからない
文字資料が全然ない弥生時代と同じってことはない


199 :世界@名無史さん:2009/11/16(月) 14:29:04 0
そもそも日本だったら何時代だとかそういう比較に意味があるとは思えんのだが

200 :世界@名無史さん:2009/11/16(月) 15:00:24 0
>>199
おっしゃるとおりです

201 :世界@名無史さん:2009/11/16(月) 23:49:34 P
古英語は英語じゃないな。
実際に研究しているのは、ドイツや北欧で、古ゲルマン学とかゴート学とかの一分野としてだし。
異質すぎて英語としては解釈するのが難しい、ドイツ語やノルド語の素養があるほうが理解しやすい。

開明化するのはノルマンコンケスタ以降だし、百年戦争が終わってから実質的なイギリス史は始まるし、
言語だって百年戦争のあたりようやく英語らしくなるし。

202 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 02:19:24 0
英語の研究がドイツが進んでたのは昔の話
今は英語圏のが進んでるし
英国人も古英語が外国語なんて思ってねーよ
それに当時のノルマン人はアングロサクソンより格別開明的だったわけでもない
ノルマン人はヴァイキング由来のゲルマン的な社会や風習が色濃くて
軍事的には強かったが大陸じゃ同族のフランク人からも野蛮人扱いだからな
むしろカンタベリー大聖堂やら古英語、ラテン語の書物がたくさんあった
英国の方が文化的だよな、当時のノルマンディーに何か文化的なものあったっけ
フランス語話してるから知的だとでも?


203 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 03:32:08 P
ロロが侵攻してむりやりノルマン公爵領をもぎとった時期やその次のギョーム一世くらいまでなら
そりゃ、蛮族然としていたろうけれども、イングランド侵攻はそこから150年も後だぜ?
血縁で5世代、ノルマン公爵として7代の間の婚姻関係みてみろ、錚々たる王侯貴族と姻戚関係に
あるよ。
すっかりフランス化してたんではないの?

204 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 10:02:05 0
それがそうではないんだ
当時のフランスからしたらノルマンディーは外国
徐々に他のフランス諸侯と同化していく傾向はあったが
それでも社会機構はイギリスのデーン・ロー地域に似ていて
自由民が多く、王権が強かった
当時フランスの普通の封建体制は自由民が少ない農奴制で王の権力も弱かった
バイキングの社会機構を多く持ち込んでる、リーダーが強く、部下は自由人


205 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 10:12:30 0
ちなみにイングランドは700年頃のノーサンブリアは
ヨーロッパで最大の学問の中心だった
大陸から多くの聖職者が混乱をさけてイギリスやアイルランドに逃げてきた
聖ベーダはアングロ・サクソンの歴史だけでなく哲学者で
ノーサンブリア学派のアルクインはシャルルマーニュに招聘されて
古典ラテン語の復興、カロリング・ルネサンスに貢献するし
ヨーク出身のボニファティウスはドイツの宣教活動で有名
バイキングの侵入した後、ノーサンブリアは衰退するが
アルフレッドはベーダやたくさんの古典を英語に翻訳し
その後は英語は法律にも学問にも使われる公用語になったが
ウィリアムがやってきて全部ぶっつぶして、その後200年英国は文化不毛の地になった

206 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 10:32:18 0
連投スマン
そういうわけでノルマンディーは文化面では英国にはるかに劣る
フランス自体、当時英国より文化が進んでたわけでもないし
ただノルマンディーはバイキング的な集団指導体制にフランスの封建制を混ぜて
中央集権的なまとまりのある組織を作った点は優れていた
ただ文化面じゃなんの功績もない
ちなみに出典は、ブロックの「封建社会」とラッセルの「西洋哲学史」

207 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 13:28:08 P
えー。なんだかなあ。
応仁の乱で都が荒れて僧や貴族が大名の庇護下に避難してきたとかいう全国各地の小京都の所以とか、
明朝が韃靼人の襲来で滅んで唯一の儒教・中華文明の正統後継は朝鮮だとか、朝鮮半島にめぼしい
建造物や美術品が残っていないのは秀吉の時期の侵攻で日本方に壊されたり持ち去られたりしたからだ
とかいうみたいな理屈だなあ。
シャルルマーニュの時代のイングランドなんて、ド田舎じゃん。


208 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 14:09:34 0
ソースは?


209 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 14:33:20 P
Worcestershire

210 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 14:45:38 0
なんだそれ
だいたい当時は一部の都市以外フランスもイングランドもド田舎だったよ



211 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 16:23:55 0
>>205
ノーサンブリアルネサンスからアルフレッドまでの間の文化衰退はかなりのものだよ。
リンディスファーンはもちろん、ほとんどの修道院やら教会が財産目当てでデーン人に破壊されてるし。

それにイングランドの文化が進んでたならアルフレッドがわざわざ他国から学者を招聘したりしないだろう。

>>207
シャルルマーニュ時代はノーサンブリアルネサンスがあったんでフランクより進んでた。
でも当時の西欧じゃローマにはかなわんだろう。

212 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 18:21:39 0
どちらにしても当時の英仏は地域差もあるし単純に比較するのは難しいけど
文化的にどちらかが優れていて、どちらかが劣っているとはっきり言えるほど大きな差はないと思う
ノルマンディーはデーン・ロー地域と同様戦争大好きで騎士文化はあれど学問やるようなやつらじゃない
つまりノルマンディー・コンクエストの影響で
イングランドが野蛮人から大陸の影響を受けて文化的になったってのはない


213 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 20:51:21 0
いずれにしてもノルマンコンクェスト以前のイングランドが
日本で言う弥生時代のレベルって事だけは有り得ないだろうな


214 :世界@名無史さん:2009/11/17(火) 23:27:30 0
なんとなく古墳時代のイメージがある。
まあ政治形態が先進性を示すものでもないしな。

215 :世界@名無史さん:2009/11/18(水) 11:31:08 P
>>212
文化の優劣なんか簡単に較べられる。
真似するお手本になっている方が優れていて、真似されないものは劣っている。
ノルマンディーは長剣公を初め、せっせと大陸化ローマ化フランク化しようと
150年間真似こいてたわけよ。
イングランドを攻め取った時期、そりゃ、ノルマン公領の文化はフランク王国の
劣化コピーかもしれないが、ノルマン公領の連中が真似した成果をこんでは、
イングランドの連中が真似しまくってた。
ノルマン公がイングランド王として振舞っている間、そこから続く百年戦争の間、
イングランドを手本にしてノルマン公領やフランク王国にもたらされた文化も技術
も一つもないし。


216 :世界@名無史さん:2009/11/18(水) 17:42:57 0
>>200
もちろんそのとーり。
でも、興味はあるけどまったく知らない自分にとっちゃ、
ある程度は物差しになるし、いろんな意見も引き出してきて、おもしろいけど。
まあ、うまく例えようとして、それだけが目的になってしまうのはよくないけど。

217 :世界@名無史さん:2009/11/18(水) 18:26:27 0
>>215
ノルマンディー・コンクエスト当時のノルマンディーと
イングランドの文化レベルの差になんで百年戦争まで下る必要があるんだよ

その論理だとこうなるな
インダス文明はアーリア人に滅ぼされた
アーリア人は後に高い文明を誇った
アーリア人がインダス文明を滅ぼした当時の文化レベルは
アーリア>インダスになる
それっておかしいよな

ブロックの「封建社会」によると
中世初期のノルマンディーは文字資料がすごい少なくて大変だってさ
いや〜ノルマンディーはとっても文化的だったんたね
さぞやカンタベリーより巨大で権威のある司教座があって
歴史に名を残していない当時一級の学者がたくさんいたんだろう
そんな史料があるなら教えて欲しいけどなw

218 :世界@名無史さん:2009/11/19(木) 08:33:43 P
あのさー。ノルマン人もアングロ人もフランク人もゲルマン人の一派だけどさー、
ナチスのいうアーリア人と、インドに侵攻したアーリア人とは別モノなんですけど?

そりゃ、ウルとかウルクとかとインダス諸都市との交流もあったし、インドが
アーリア人の支配に入ってからも交流はあって、ローマ帝国がエジプトを支配下に
おいた時代には、いまのイングランドら辺も領有したし、インドとの海路交流も
あったけれど、でも、まだその頃はアングロ人の支配下ではないしなー。

イングランドとインドとが直接交渉を持つのは、ノルマンコンケスタからさらに500年
くらい後の話だ。

219 :世界@名無史さん:2009/11/19(木) 20:17:07 0
>>218

>>217へのレスなのか?
だとしたら217をもう一度よく読んだ方がいいんじゃないか?
217はアーリア人を単なる例えで出しただけだと思うんだが。

220 :世界@名無史さん:2009/11/20(金) 21:13:49 P
だったら、どういう例えになってるの?
インドのインダス文明の担い手の文化が高ければ、どうして、イングランドの文化が
高いということになるのさ?
かんけーねーじゃん。

侵略は戦上手な方が勝つし、文化は良いものが真似される。それだけだよ。

221 :世界@名無史さん:2009/11/21(土) 18:16:13 0
>>220

あのー、日本語大丈夫?
>>217はアーリア人とインドをイングランドと関係ない例えとして出しただけ
それを何故自分で結びつけて曲解して自分で否定してるんだ?

よく読んだら>>217も少し変だけど。

ついでに最後の一文に関して
一方的に真似されるんじゃなく、双方の文化が融合する可能性というのもありえはしないか。

222 :世界@名無史さん:2009/11/22(日) 03:03:02 P
で。
ノルマン公領とイングランド王国とが一つの主君を頂いている間、
イングランドからノルマン公領なりフランス王国がにもたらされた
文化的影響って何かめぼしいものがあるかい?

223 :世界@名無史さん:2009/11/22(日) 03:11:21 P
融合ねぇ。
もともとの素材は同じだからなー。
原住民ブリトン人とケルト人、ローマ支配、部族はちがうけれど西ゲルマン系の
サキソニア人とフランク人、北ゲルマン系のユットランド人・デーン人、ノルマン人。
キリスト教。

文化が融合したんなら、単語なりとも入ってきていようものだが、12世紀までの
フランス語に入ってきたゲルマン系の単語って、人名以外はフランク人が持って
きたものばかり。ドーバーを渡ってきた単語なんて皆無だ。
逆はいっぱいあるよ。
古英語から変化してこうはなりかないだろうという単語のかなり部分が、フランス語経由や
ノルマン訛りのフランス語から入ってきた単語だし。

224 :世界@名無史さん:2009/11/22(日) 20:01:30 0
>>222
すまんが俺、アルフレッドまでしか研究してないので答えられん。

>>223
ちょっとだけ英語史は囓ったんで。

デーン・ロー経由で古ノルド語からの借用も多いし、
ちょうどノルマンコンクエストがOEとMEの境で
>>223の言ってる通りノルマン朝が公用語として使ってた(強制してたんだっけ?)
フランス語からの借用も多いわけだが

侵入されたんだから文化の優劣如何の前にある程度影響受けるのは当たり前だと思うんだけども。

225 :世界@名無史さん:2009/11/23(月) 01:41:39 P
デーンロウ経由でフランス語に入った単語の具体例は?
ねえじゃん。
ノルマン公領からフランス語にはある、デーンロウやらクヌート王朝時代に
ノルド語から英語に入ったものは、どっちもあるよ。それは、「素材が同じ」。

ノルマン朝とそれにつづくアンジュー朝は、引き続き、大陸に大きな領土を持つ
フランス王国内の大爵なわけよ。
百年戦争からして、フランス王位の継承問題が最大の争点で、ドーバーを挟んだ
一つの国で王様が二つあるような状態なわけよ。
もともとイングランドが相応に文化的ならば、ウィリアム公侵略から百年戦争に
かけてそれなりに影響を受けているはずだが、そういうものが少しくらいあるんかよ?

226 :世界@名無史さん:2009/11/28(土) 21:54:20 0
>>225
>もともとイングランドが相応に文化的ならば、ウィリアム公侵略から百年戦争に
 かけてそれなりに影響を受けているはずだが、そういうものが少しくらいあるんかよ?
ほぼ総取り替えになった貴族や聖職者はノルマンディーの方からイングランドに来てて
逆はほぼ皆無なんだから自ずとイングランドからノルマンディーへの流入は少ないだろ。

227 :世界@名無史さん:2009/12/01(火) 14:03:11 P
野蛮すぎて国家運営に差し支えるから、イングランド在来の貴族連中は
追っ払われたんだろ。

228 :世界@名無史さん:2009/12/01(火) 21:53:27 0
>>227
普通、侵略者は被侵略側の支配者層を放逐する。
被侵略側が文明的如何は関係ないかと。

229 :世界@名無史さん:2009/12/01(火) 22:51:01 P
しねーよ。
支配構造やら土地に根付いた精神的な権威とかインフラとして使えるからな、統治の手先に使う。
ノルマン公の後継政権の近代イギリスの植民地みてみろよ。インドでもアラビアでもマライでも在来の土侯を使って
間接支配して、21世紀になってもまだその土候が残ってたりするだろ。
インドもアラビアもマレー周辺も、イギリスが侵略した時点では中世レベルの開明度はあった。
やはり、いくらなんでも部族国家レベルでは統治の手先にならないから、北米なんかでは
放逐されたがな。
同じように、11世紀くらいのイングランドも、部族国家レベルだから、在来の支配層は手先に使える者が無く、
全面的に追い出された。


230 :世界@名無史さん:2009/12/02(水) 00:11:34 0
旧来の支配体制は
利用するケースの方が多い気がするな。
中国の侵略王朝とかもそうだね
これは中国の文明が高すぎるせいもあるが

逆に、そこに住んでる人や文化を重視しない場合は
ネイティブアメリカンみたいな扱いになるんだろう

231 :世界@名無史さん:2009/12/08(火) 23:06:21 0
当時の「文明」の担い手であった教会の話で言うと、
ローマの教皇改革と連動したクリュニーの改革運動があり、
そのクリュニー直系のランフランクスが征服王治下の
政教政策(ということは統治の大半)を一手に握ることになるわけだから、
まさに水が低きに流れるように、大陸側の文化的「優位」は決定づけられてしまうわけやろね。

232 :世界@名無史さん:2009/12/10(木) 05:56:06 0
>>229
>支配構造やら土地に根付いた精神的な権威とかインフラとして使えるからな、統治の手先に使う。
>11世紀くらいのイングランドも、部族国家レベルだから、在来の支配層は手先に使える者が無く、 全面的に追い出された。
イングランドがノルマンディーに比べて劇的に劣ってたわけではないが、
かといって劇的に優れてるわけでもないんだから、
サクソン系貴族がヘイスティングスの戦い以降も抵抗してたら
潰してノルマン式にした方が手っ取り早いから、そうしただけだろ。
実際、ヘンリー1世の代にはサクソン系との妥協もかねてノルマンコンクェスト前の
法律や慣習をいくらか復活させてる。


233 :世界@名無史さん:2009/12/15(火) 02:57:09 0
ウェールズって結構長い間ローマ文化を保持していたんじゃないか
と思うんだけどトーガをいつまで身に着けてたのか知ってる人
いたら教えて?

234 :世界@名無史さん:2009/12/15(火) 11:26:44 0
お前らまだノルマンの文化が高いとか思ってんのか
ノルマンディーはイングランドに比べても文字資料が圧倒的に少なくて
歴史学者も大変だというのに
ノルマンディーはフランク王国を模範にしただけで
当時のノルマン貴族がサクソンより文化的とはいえないだろ



235 :世界@名無史さん:2009/12/15(火) 11:42:45 0
なんかパリ=ノルマンディー>>>イングランドと勘違いしてるバカがいるんだよな
実際の文化レベルはパリ>>>イングランド>>>ノルマンディーだろ
ノルマンコンクスト以前からドイツへの宣教活動はイングランドが拠点になってたし
カンタベリー大司教座がある時点で文化レベルはイングランドの勝ち
ノルマンディーなんてフランスでも文化レベル最低の土田舎だ

236 :世界@名無史さん:2009/12/15(火) 12:12:02 0
ノルマンディーはヴァイキングの侵入で一時期ほとんど人がいなくなったような土地だし
記録もパリから派遣された外交官による部外者によるものがほとんど
今現在のフランスの一部といってもフランク王国からしたら実質外国
ノルマンコンクエスト以後もそんな状態がノルマンディーは12世紀まで続く
一方イングランド征服後のイングランド在住ノルマン人は文化的に急に洗練されていく
まぁもともとイングランドはノーサンブリア文化、アルフレッドの教育政策でラテン語教育の伝統があるからな


237 :世界@名無史さん:2009/12/15(火) 14:17:07 0
ちなみにランフランクスはパヴィア出身で
教会改革のためたまたま土田舎のノルマンディーに派遣されただけ
ノルマンディーがランフランクスのレベルと勘違いすんなよ
フランス語話してるからノルマンディー偉い=スラムの黒人は英語話してるから偉いってのと変わらんな
カンタベリーで教育受けてるアングロサクソン人の方がよっぽどノルマン貴族より教養あるわ


238 :世界@名無史さん:2009/12/16(水) 20:08:10 P
>>232
蛮族だから、戦争に負けることの意味も解らなかったんだよ。
それでも、100年戦争を経て、開明化するけれどな。

239 :世界@名無史さん:2009/12/17(木) 12:39:53 P
>>234
そりゃ、同じ人が治めていたとはいえ、イングランドは王、ノルマンディーは公爵が支配者だから。
王様のやるべきことについての分、資料はそりゃ、イングランドが多くなるさ。
大体さ、最古の文献たって、年代記はアルフレッド王の命令で編纂なのに、なぜか、11世紀後半の
ノルマン征服が載っていたり、これまた12世紀の写本しか残っていないベオウルフに至っては
デンマーク諸島とスカンジナビア半島のゴットランド〜スコーネのあたりの内紛の話で本当に
英語なのか?イングランドで見つかっただけで英文資料ちゃうんちゃうけというくらいのものだし。

240 :世界@名無史さん:2009/12/17(木) 23:34:53 0
>>239
ごめん、最古の文献ってどの文脈で出てきた?

ASCは一代で編纂された訳じゃない。元にある底本はアルフレッドの時代に書かれたとほぼ推定されてるけども。
今ある九つの写本はその後各修道院で写されて、その後そこの修道士が新たに書き加えて分岐していったものだ。

ベーオウルフが英文であることは間違いないだろ?英文って言っても古英語だけど。
内紛の話ってベーオウルフのごく一部だと思うんだが・・・?ちゃんと読んで言ってるのか?
吟遊詩人が語るための物語だから見事に韻を踏んでるし、あれが翻訳ってことはないんじゃないかと思う。

というかこの時代、文字史料が残るってことそれ自体がそれなりに文化的であったことの証左だと思うんだが。
文字が書けるのは聖職者くらいのものだろう?

241 :世界@名無史さん:2009/12/21(月) 10:59:56 P
韻をふんでたら英語なのか?
唐詩だってコーランだって見事に韻を踏んでるわな。
ヨーロッパの文章も、大抵、韻を踏んでるで。韻を踏んでるから英語なんて、見当違いも甚だしい。
吟遊詩人? 日本ではそういう名称が出てくるのは明治以降だけれど、実質的それ的なものは、
太平記とか平家物語とかを語った僧形の芸人とか、飛鳥時代以前に故事を暗誦した語部とかは
やっぱり韻を踏んだ文章になっている。
押韻も吟遊詩人も英語の証拠にはならんわな。普遍的過ぎるし。

大体、ベオウルフの舞台になっているデーン諸島・エーレスンド海峡、ゴットランド地方っちゃあ、
ノルマン人の故郷・根拠地じゃん。ノルマン人が持ってきた話だろ。
そもそも、この時期、英語と北欧語って通じないほど違っていたのか?
ノルマンコンケスタのちょい前だってクヌート王からの北欧系の王様が治めてたし。

242 :世界@名無史さん:2009/12/21(月) 12:29:20 0
>>240が言ってることは
韻を踏んでるのは「英語である」ではなく
韻を踏んでるのは「非翻訳である可能性が高い」ってことだろ。

>押韻も吟遊詩人も英語の証拠にはならんわな。
ここを含む上半分の段落は文脈読めてないトンチンカンな反論だと思う。

243 :世界@名無史さん:2009/12/21(月) 14:25:45 0
>>241
韻文に関しては普遍的であるってのはまぁそうだな。
日本のは欧米圏の韻とは少し違うと思うが・・・・・・まぁいいやスレ違いだし。

じゃノルマン人(ベーオウルフの生まれたこの名称無いんじゃなかったか?)が異教徒であるにもかかわらず
カインの末裔の怪物退治っていうキリスト教的英雄譚を作れるのか?

確かに古英語と古ノルド語は通じる程度の違いらしいな。でも分別できる程度の違いはあるだろ。

244 :240:2009/12/21(月) 14:32:14 0
>>242
243を書いてから気づいた・・・ありがとう。そういうことが言いたかったんだ。

ああ、なんでベーオウルフは写本1つしか残ってないんだろなぁ・・・・・・

245 :世界@名無史さん:2009/12/24(木) 04:24:16 P
ノルマン公が改宗したのは、ロロンの時代。
ノルマンコンケスタはそこから150年も後だし、ベオウルフはさらに100年後。
日本の仏教伝来は538年で、そこから150年後というと聖武天皇の時代、250年後というと平安遷都が794年だから、
そのあたりだ。
宗教のようなものが定着するには十分な時間が経過しているだろう。
ベオウルフの舞台になってデンマークはハラル王の時代、10世紀半ばにキリスト教を受容している。
10世紀の改宗はローマカトリックで、それ以前、5世紀ころからアリウス派が相当ゲルマン人諸派の中に流布して
いた。

大体よ、フランク人はトロイア起源、ザクセン人はスキティア起源というふうに、太古の大勢力と自己の祖先とを
結び付けたりしている、キリスト教はキリスト教でヨーロッパに布教する段でラテン人やケルト人の伝承や故事と
キリスト教の偉人を結び付けたりしている。
12世紀にノルマン人がキリスト教の偉人を土台にした物語を作るなんてことは、別に、不自然さはない。

韻文にしても、普段から韻文に慣れ親しんでいない者にとっては難しいだろうが、韻文だらけの中にあればなんぼでも
韻文は出てくる。
本邦の現代でも、俳人や歌人が何か言うと、俳句にする必要はないのに、五七調になっていたりするだろ。そういうものだ。



246 :世界@名無史さん:2009/12/24(木) 15:54:19 0
>>245
ベーオウルフの作成年代は8世紀ぐらいというのが定説なんだが。

247 :世界@名無史さん:2009/12/26(土) 04:29:21 P
>>246
定説か。
成田のホテルでミイラでも作ってろよw

248 :世界@名無史さん:2009/12/26(土) 05:53:11 0
>>238
>蛮族だから、戦争に負けることの意味も解らなかったんだよ。
おいおい、ヘイスティングスの戦いでイングランドが戦争デビューしたわけじゃないだろ。
蛮族か否かと、戦争が強いか否かは必ずしも一緒じゃない。
中国の王朝やローマが北方民族やゲルマン人とかに負けたりする事も多かったんだし。

249 :世界@名無史さん:2009/12/26(土) 15:18:51 P
>>248
ランゴバルトの族長をイタリア王に任じて統治権を渡したり、
西ローマ皇帝の継承国の地位をフランクの族長に与えたり、
10分の3分与をしたり、してるじゃん。
ローマはちゃんと戦争に負けることの意味を弁えてる。

中国に至っては、農耕漢人よりも、遊牧系の鮮卑や
契丹や蒙古の法がよっぽど先進てきで、愚昧な漢人を
統治してやるにはかれらしかいなかった。

250 :世界@名無史さん:2009/12/27(日) 19:25:52 0
>>247
まぁ定説を覆したいならある程度の納得できる証拠提供してくれないとなぁ。
根拠も何もない想像だけの妄説じゃしょうがない。

つーか成田のミイラっておまえ何年前の話だよwww
いやー頓珍漢な答えが返ってくるとは思ってたがそんなのを引き合いに出されるとは想定外だったwww

251 :世界@名無史さん:2009/12/28(月) 14:52:17 P
11世紀は1000年近く前のことだけれど?

252 :世界@名無史さん:2009/12/31(木) 03:28:09 0
ベーオウルフの写本は12世紀に出てたものが一番古い。
ベーオウルフはイギリス最古の現存する書物。
なのに、なんで8世紀ころの成立が「定説」なの?


253 :世界@名無史さん:2010/01/10(日) 13:32:12 0
いつの間にか規制解除されてたよ・・・

>>252
「最古の現存する書物」ではないぞ。最古の英雄譚くらいの表現なら間違ってないが。

口語による伝承が後世に書き留められた例は北欧に行けばいっぱいある。
韻文豊富で吟遊詩人がハープ片手に弾き語ったと言われるベーオウルフも同じ道を辿ったと言われてる。

この年代に作られたって史料があるとかじゃないから絶対確定しているわけじゃないけど

・語彙とか文法から読み解く。(この辺は言語学の範疇だから俺は分からない。)
・他にベーオウルフの影響を受けた作品があったらもちろんそれより前ってことになる。

ってことでいろいろあってだいたい8世紀ごろに作られたと推測されてる。まぁ突飛な異論を言う人はいるみたいだけど。
アルフレッドなんかに興味があるなら手始めに岩波文庫版ベーオウルフを手に取ったらいいと思う。
そこにちゃんとした研究史書いてあるから。

254 :世界@名無史さん:2010/01/25(月) 21:01:47 0
擬古文はいつに作っても古いという論法か。


255 :世界@名無史さん:2010/01/30(土) 12:14:55 P
・他にベーオウルフの影響を受けた作品があったらもちろんそれより前ってことになる。

これって、どっちが影響を受けたか、判らないじゃん。


256 :世界@名無史さん:2010/03/13(土) 12:38:26 0
ほほう

257 :世界@名無史さん:2010/05/09(日) 09:53:42 0
アルフレッドの血統が現在のイギリス王室に受け継がれてるって何気に凄いことだな
島国の利点が働いているな

258 :世界@名無史さん:2010/05/20(木) 03:24:56 0
>>257
まぁ女系なら、だけどね。
アルフレッドの継母の息子がアルフレッドの娘を娶って、その子孫がウィリアム1世の嫁になったんだったけか。

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