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正史『三国志』 十四巻

1 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 00:59:33 0
正史に沿った話しならOK

2 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 01:03:35 0
2げっとおおおおおおおおおおおおおおおおお

3 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 01:05:13 0
2げっと

4 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 19:24:00 0
陳到と句扶について教えてください。

5 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 19:37:10 0
目は二つでした。

6 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 20:58:51 0
蜀は鎮→征になる場合は四征大将軍しかない。
魏延は鎮北将軍→征西大将軍。

張翼なんかは征西大将軍→鎮南大将軍となっている。

7 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 21:19:08 0
>>1
なぜ「十四巻」にしたんだ

8 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 21:43:07 0
少なくとも漢書・後漢書・三国志辺りでは、単に「遷」と言う時は昇進(晉升)の意であることが大多数と思う。
品秩があがるとは限らず、太僕から太常へのような序列の上昇にすぎないかもしれないけど。

で、陳到は趙雲と同列とは書かれてないよ。「名位常に趙雲に亜ぐ」だ。

9 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 23:24:36 O
>>7
細かいことは気にするな。

10 :世界@名無史さん:2009/02/27(金) 05:40:52 0
王平は鎮北大将軍、句扶は左将軍が最終官位だっけ?
四鎮大将軍>四征大将軍>四方将軍だから、確かに王平に次ぐ官位では
あるけど、二階級くらいは王平の方が上ということか。

11 :世界@名無史さん:2009/02/27(金) 11:01:12 0
諸葛孔明の子孫で美女モデル諸葛梓岐さん【画像あり】
http://blog.livedoor.jp/booq/archives/726253.html

12 :世界@名無史さん:2009/02/27(金) 11:08:33 0
確かに目元が似てる気がするなw
織田信成には負けるけど。

13 :世界@名無史さん:2009/02/27(金) 20:17:28 0
諸葛亮の奥さんの子孫だぞ。
美人であるわけが無い!

14 :世界@名無史さん:2009/02/28(土) 09:24:08 0
>>1
なんでスレタイを全体的に変えたんだよ
テンプレも貼ってねえし

15 :世界@名無史さん:2009/02/28(土) 12:29:11 0
>>8

趙雲は姜維や張翼といった蜀末期に高位に昇った将軍に評価されたのかも。
彼らは実際に趙雲に会ったことある可能性高いしね。

二度後主を救い出し、曹真の大軍を相手に軍需物資を失わず撤退、自分の
責任ではない、北伐失敗の責任を諸葛亮と共にとっている。こうした態度は
模範だったのだろう。関羽・張飛などはちと模範とは言えない面があるから。

16 :世界@名無史さん:2009/02/28(土) 12:35:01 O
>>14
お前、しつこいよ。

17 :世界@名無史さん:2009/02/28(土) 20:03:29 0
確かに亭候になるのは陳到は趙雲等よろ遅いのだよなあ。

18 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 06:09:33 0
劉備が左将軍時代に、
将軍やその他の役職に部下を任命しているが、
左将軍はそんな権限があるのですか?

献帝が曹操の傀儡だった時代に、
劉備がそんなに官位を部下に与えることができたのですか?

19 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 08:17:06 0
将軍職の任免権を持つのは皇帝だけです。
他の有力者が推薦した人物が候補者になって、その中から選出します。
戦乱の時代ということもあり、推薦してから実際の辞令が届くまで時間がかかるので、
正式の辞令が届く以前に、先取りして将軍号を冠することがありました。
実際には、劉備が推薦しても曹操に握り潰されるだけで正式の辞令は永久に下りませんが。

20 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 08:49:20 0
つまり自称将軍ということか。
漢中王は将軍を初めとした王国の役職の任命権はあるのですか?

21 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 11:11:30 0
漢中王の事例ではありませんが、曹操が魏王になった時、
夏侯惇が漢の将軍として尊敬されなくてもいいから、魏国の官職が欲しいと要望し、
前将軍に任命されたことがあります。漢ではなく、魏国の前将軍です。
それ以前に任命されていた右将軍楽進、左将軍于禁もおそらく魏国の将軍号でしょう。

劉備も関羽、馬超、張飛、黄忠を前、左、右、後将軍に任じていますが、
これらが魏国の楽進や夏侯惇に対応する漢中国の将軍号だと思います。

22 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 11:51:35 0
関羽と黄忠は劉備が皇帝になる前に死去しているので、
蜀漢の将軍号はもっていないことになるのか。

それと、諸葛亮は漢中王時代は軍師将軍でしかないが、
蜀漢になったら丞相に就任。破格な大出世という感じがするな、
逆に漢中王時代がなんて名位が低かったのだろうか?

確か漢中王時代は法正は尚書令で、諸葛亮よりも優遇されていた。
法正への功績への配慮はあるんだろうが、もし代替わりの頃まで法正
が存命だったら、どっちに国政を任せるつもりだったのだろうか?

23 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 12:36:32 O
むしろ形式上とはいえ漢帝国の将軍の方が漢中王の尚書令より地位が上だったということかもよ

24 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 15:27:50 0
建て前では諸葛亮は漢の軍師将軍だったの?

25 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 17:36:56 0
王の四方将軍は、品秩は漢の雑号将軍と互角、序列では漢の将軍の方が上と思われる
成都掌握・漢中王・劉備即位に掛けて、張飛や諸葛亮ら高官の序列は大きくは変動していない
諸葛亮の方が関張より上。その上に許靖

26 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 17:53:08 0
黄忠は漢の征西将軍で、漢中国の後将軍という一人二役という解釈になるなあ?

27 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 18:14:57 0
兼任ではないはずだよ

28 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 18:32:55 0
諸葛亮が軍師将軍に任命されたのは益州平定直後。
なので漢中国の官職じゃないですよ。

劉備の目から見て、諸葛亮は、自分と同じく皇帝直属の同僚将軍。
法正は、自分の国に仕える部下。

29 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 18:44:14 0
諸葛亮軍師将軍の時点で高い序列にいるうえに、
漢中攻めでは兵站担当とかなりの実権を任されていた
しかも諸葛亮より上は実権が伴わなかっただろう人間が多い
この時四十前。大抜擢だよなあ

30 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 19:16:10 0
劉備も法正が存命でも宰相にはしなかっただろうな。
何せ旧主君を裏切って劉備を招き入れた人だから。代替わりしたら何するか
わからない。諸葛亮に対するような信頼はしてなかったと思うよ。
法正が性格に問題があることは劉備も認識はしていただろう。

31 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 20:38:58 0
そんな理屈こねなくとも、普通に
皇帝 劉備
丞相録尚書事 諸葛亮
尚書令 李厳
じゃね?

32 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 20:40:35 0
違うこれは史実の布陣だw
尚書令 法正
だな

33 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 20:54:02 0
李厳の尚書令就任は法正、劉巴が相次いで死去したからだろう。
222年の段階では丞相諸葛亮、尚書令劉巴だったしね。

李厳という人間はそんなに劉備に寵愛されたという感じは受けないなんだよな。
諸葛亮との関係もうわべは尊重しあっている感じだけど、李厳が簒奪を嗾すような
手紙を送ったりと、トゲトゲしいものがある。他に人がいないからbQになったと
いう感じだろう。一躍bQになったもんだから傲慢になって身を滅ぼした李厳。

34 :世界@名無史さん:2009/03/04(水) 06:34:49 0
後方兵站担当は出世するよな。
漢中戦での諸葛亮、北伐での蒋エン。
李厳は転けてそのまま左遷。

35 :世界@名無史さん:2009/03/04(水) 09:55:02 0
漢中国の尚書令と軍師将軍とはどっちが権限あったのかなあ?

36 :世界@名無史さん:2009/03/04(水) 20:13:12 0
>>29

諸葛亮より前に劉備に使えていた人物は関羽・張飛・趙雲
や孫乾や簡擁とかしかいない。特に実務に優れた人達はみんな諸葛亮の
後輩。実力的にも諸葛亮より劣るからな。

37 :世界@名無史さん:2009/03/06(金) 19:14:58 0
閻宇の右大将軍とは
右将軍に大が付いたものなのか、大将軍に右がついたものなのか?


38 :世界@名無史さん:2009/03/06(金) 19:59:55 0
その二つって違うの?

大将軍を左右に分けたものか、諸大将軍のうちの一号なのか、なら多分位階が異なると思うけど。
ざっと見ると、左大将軍や右大将軍の例は漢代にいくつかあるようだけど
東観漢紀などからの引用で「大」の字が疑問視されていることが多い。

39 :世界@名無史さん:2009/03/06(金) 20:54:08 0
大将軍を左右に分割したものなら、
姜維は正式には左大将軍ということになるのかな?

右将軍に大が付いたものなら、
位階では姜維より下ということになる。
大将軍に昇進までした人の伝記が残らんわけないか。
やっぱ、右将軍に大が付いたと解釈するほうが自然か?

40 :世界@名無史さん:2009/03/06(金) 22:35:40 0
右将軍に大付けたら大右将軍じゃねーかな。

41 :世界@名無史さん:2009/03/06(金) 22:41:22 0
それ言ったら、鎮北将軍に大つけると大鎮北将軍じゃねーかw

42 :世界@名無史さん:2009/03/07(土) 05:40:59 0
閻宇は活躍したという記述があんまりないね。
やっぱ黄皓に諂っただけの人物なの?

43 :世界@名無史さん:2009/03/07(土) 06:37:14 0
蜀末期は右車騎将軍とか将軍位を分割が目立つようになるよな。

あれって将軍位の安売り?
それとも武将が長寿化して将軍位が足りなくなったから?

諸葛亮時代なんてbQの李厳が北伐直前でやっと前将軍とかだろ。
古参の趙雲・魏延あたりなんてそれよりもまだ下。丞相とその次の位
がそうとう差があるのは何でだ?

44 :世界@名無史さん:2009/03/07(土) 07:26:46 0
1:丞相、大司馬、大将軍
2:ヒョウ騎将軍、車騎将軍、衛将軍
3:四方将軍
4:四征将軍四鎮将軍
5:雑号将軍

魏だと四征四鎮の方が四方より上だっけ

三国時代は将軍位がインフレしてたから
本来将軍位が備えていたはずの権威が落ちてたはずだ。
だから伝統的な将軍号を左右で分割しなけりゃならんかったとか

45 :世界@名無史さん:2009/03/07(土) 11:41:33 0
三国志について質問
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1236361888/

46 :世界@名無史さん:2009/03/07(土) 12:50:23 0
>>41
いや、>>40の疑問って冗談抜きで結構重要だと思ってて、
例えば蜀制だと車騎将軍を左右に分けて右車騎将軍とかがある訳なんだけど、
それじゃ右大将軍の「大」が右将軍の修飾辞だとすると、
命名規則が混乱してないか、とか思っちゃうんだよな。

鎮北大将軍だとかは、鎮北+(大+将軍)ってことだと思うけど、
右車騎将軍はどう考えても、右+(車騎将軍)ってことだろう。
じゃ右大将軍はどっちのパターンかってなるけど、
右+(大+将軍)ってのが俺にはどうしても不自然な繋がりに見えてしまう。
なんでそれで不自然に見えるのかってのが俺自身にも分からんけど。

47 :世界@名無史さん:2009/03/08(日) 16:10:45 0
胡済も右票騎将軍だな。
だけど、この時代左票騎馬将軍は誰だったんだろう?
左右の車騎将軍は張翼・寥化。

趙雲や魏延、王平だってそんあ高位には昇進しなかった。
やっぱ官位を乱発している感じはするな。

48 :世界@名無史さん:2009/03/08(日) 19:37:17 0
ちくま学芸文庫の最終八巻の付録だと、
閻宇の右大将軍は大将軍を分置したものという解釈みたいだ。

朝廷内では姜維に代わって閻宇に軍権を任せようという画策があった。
右将軍の高級バージョンでは、既に左右の車騎将軍である張翼・寥化などの
序列的にベテラン将軍を指揮できない。姜維と同等の地位と見るべきだろう。


49 :世界@名無史さん:2009/03/08(日) 19:49:18 0
>>48
追い落としが完了してからでないと他の者を大将軍に任命するのは危険じゃないか?
たとえ分置であれ、姜維にしてみれば既得権を半分に削られるようなものなんだから、その時点でどんな暴発があるかわかったものじゃない

両車騎将軍については、姜維を追い落とした上で閻宇を大将軍に任命すればいいんだから、あまり問題にはならないと思う

まあ、分置したとも何とも書かれてないので、どっちとも断定はしがたいんだけどな

50 :世界@名無史さん:2009/03/08(日) 20:04:07 0
諸葛亮は馬謖の失敗後に右将軍として丞相としての職務をしているし、
姜維も段谷の敗戦後に後将軍に自ら降格し、大将軍の職務をしている。

諸葛亮も降格後も以前と変わらず諸将を指揮しているし、姜維も位階的に
は上位になった鎮南大将軍張翼を指揮していることになる。特例があったの
は事実であろう。

51 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 17:30:10 0
閻宇は『華陽国志』にもほとんど記述が無い将軍だね。
馬忠伝の最後の方に馬忠の後任として南方に赴任、職務熱心だった
との記述がある。蜀滅亡時の行動もあまりわかっていない。

『漢晋春秋』に蜀滅亡時に巴東の都督に就任していたとの記述が
ある。陳寿も特に蜀崩壊の責任につては言及していない。戦果無く、
損害が多くなった姜維に批判が起こるのは当然だったということか。
どうも黄皓と結託してイメージが強いが、政権崩壊の責任者という
わけでもないようだ。

52 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 20:23:09 0
漢中総督は
魏延→呉壱→王平→胡済
の順序で引き継がれているけど、蜀滅亡時の
漢中総督は誰なの?

胡済が存命だったのか?
それとも逝去して他の人物だったのか?
防衛システムが変更していただけに、
誰が司令官だったのだろう?

53 :世界@名無史さん:2009/03/11(水) 02:59:48 0
エン州刺使が261年に胡済から董ケツに交代しているので、胡済が死んだのは260年と推測できる。

後任人事でもめてる間に魏が攻めてきたんじゃないかな。

54 :世界@名無史さん:2009/03/11(水) 19:42:14 0
姜維には人事権は無いし、
かといって朝廷も適任の人間を任命する能力を失っていたわけか。
それに司令官不在と防衛ラインの後退が重なってあぅけなく滅亡か。

55 :世界@名無史さん:2009/03/11(水) 22:00:58 0
魏延の築いた防衛崩した生姜のせいで寒中突破されたんだろ

56 :世界@名無史さん:2009/03/12(木) 06:22:24 0
やっぱ前方展開戦略だよな。

57 :世界@名無史さん:2009/03/13(金) 19:40:12 0
敵を引きつけて痛打を浴びせるという戦法は、
関所や城が絶対陥落しないという前提での話しだな。
実際は破れたところもあり、漢中に兵が侵入してしまった。

現実的には秦嶺山脈で敵の進撃を阻み、時間を稼いで
敵を疲弊させると共に、援軍を待つ方が安全に防衛できる。
本隊が秦嶺山脈で行軍が止まっているのに、間道から長駆して
四川盆地に侵入なんて芸当は不可能だろう。結果的には姜維
の構想は全て裏目に出てしまった。

58 :世界@名無史さん:2009/03/17(火) 20:15:10 0
蜀を空に浮かべてしまえば鉄壁だった。

59 :世界@名無史さん:2009/03/18(水) 01:53:48 0
人は土から離れては生きられないのよ!

60 :董卓:2009/03/21(土) 09:41:35 0
仲穎。

61 :世界@名無史さん:2009/04/03(金) 06:17:44 0
曹仁ー程普ー関羽
張遼ー甘寧ー馬超
張既ー賀斉ー李恢
曹彰ー孫翊ー劉封
司馬懿ー陸遜ー諸葛亮
荀ケー張昭ー馬良  
荀攸ー張紘ー法正  

62 :世界@名無史さん:2009/04/03(金) 14:14:55 O
10年後ぐらいに暇ができたら「正史」と「演義」の両方をまとめた三国志小説を書きたい。
・人物の字(あざな)や行動・死因などが「演義」と「正史」で異なる場合は常に「正史」を採用。
・その他、「正史」と矛盾する「演義」の記述は全て削除。
・「正史」の裴注に異説がある場合も本文を採用するが、巻末にこのような異説があるとの注釈を付ける。
・「演義」の創作エピソードも「正史」と矛盾しない限り極力残す(巻末にこれは創作であるとの注釈付き)。
・ただし、「正史」と矛盾しなくても絶対に有り得ないようなエピソードは削除する。
・「正史」のエピソードで「演義」に出てこないものを極力追加。
・「後漢書」「晋書」も参考にする。
・俺自身のオリジナルキャラクターやオリジナルエピソードは一切創作しない。
要するに、「正史」を「演義」のような感覚で読めるようにするのが目的。
物語的には「演義」ほど面白くないけど「正史」よりは遥かに楽に読めて、史実を学べるという感じで。
注釈は巻末にまとめて付けて、本文の途中には一切入れない。
すんなり読めるということを重視するため。

63 :世界@名無史さん:2009/04/03(金) 23:02:04 0
演義って正史見ながら書いたの?
ていうか、演義の話ってこのスレちがくね?
だれか宮城谷のやつ読んだ人いる?

64 :世界@名無史さん:2009/04/04(土) 01:51:49 0
宮城谷氏の小説もスレちがい

65 :世界@名無史さん:2009/04/04(土) 04:06:09 0
>>63
演義は資治通鑑のコピー版を見ながら書いてるみたいよ。
なので正史ではない。

66 :世界@名無史さん:2009/04/04(土) 11:01:25 0
映画みて赤壁云々喋るやつが多くてうんざりしてるよ。

67 :世界@名無史さん:2009/04/04(土) 20:22:42 0
>>66
正史初心者さんですね。いらっしゃい。

68 :世界@名無史さん:2009/04/04(土) 23:55:21 O
正史は素晴らしい。


69 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 12:43:25 0
俺の知ってる正史は最低の男だが?

70 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 15:09:52 0
曹操の一族で名将と呼べるのは曹仁だけだな

71 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 20:08:14 0
曹仁は一武将として確かに勇猛なんだが、
方面軍司令としてどれだけ優秀かが記録からは窺えないんだよな。
そこがちょっと残念なところ。

72 :世界@名無史さん:2009/04/06(月) 06:30:05 0
そうだね

73 :世界@名無史さん:2009/04/06(月) 22:00:58 0
武将としても最初にミスって後で驚異的に粘るって事が多くて困る
最初から成功しとけと

74 :とうたく:2009/04/07(火) 01:21:43 O
禰衡についてどう思う?

75 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 11:32:49 0
戦争では相手の失策や油断が無いと作戦や勇猛さでは大勝できない。
三国鼎立後は勝つのはほとんど守備側。


76 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 13:49:24 0
>>74
すごく・・・煩わしいです

77 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 14:20:58 0
とうたくか。
無事進学できたか?

78 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 15:07:21 0
五将軍>曹仁・夏侯淵

79 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 15:17:35 0
>>78
三国無双エンパイアーズ?

80 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 15:56:26 0
五将軍>曹仁・夏侯淵>曹洪>夏侯惇

81 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 16:17:09 0
夏侯惇は名将ではないが名臣

82 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 17:18:21 0
『太平御覧』や『水経注』に三国志関連の話しが出てると聞きました。
一体何が書かれているのですか?

日本語訳本を書店で見たことがないのでわかりません。
ご存じの方は教えてください。

83 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 17:47:38 0
>>82
なら、どっかから文を引用してきておくれ。
日本語でなくとも、それならわかる人は多いと思う。
なんというか、ずいぶん前にも同じレス見たが、その間、知りたいそちらは進展なしですか?

84 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 17:58:28 0
文を引用しようにも、
引用する文が見つからないのでは?
俺も見たことがない。

確か『太平御覧』に蜀の費イが呉への使者として向かう時に、
橋の前で、万里の道もこの一歩からと語ったとかいう話しを聞いたことがあるが・・・
記憶違いかもしれない。


85 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 18:31:00 0
ttp://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4582312217/
水経注の和訳なんてあるわけないだろ…
と思ったらあったよ。抄訳だけど。

でも三国志にしか興味無い人間にはお勧めできない。関係部分が訳されているとは限らないから。
太平御覧+三国志 とかでぐぐって三国志系サイトや掲示板で部分的に話されてるのを読んだほうがいいよ。
それがいやなら漢籍コース。

86 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 19:38:11 0
確か『諸葛亮集』の一部とかが掲載されているんだっけ?

87 :世界@名無史さん:2009/04/07(火) 20:48:04 0
中国語ならあるが
ttp://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%BB%8F%E6%B3%A8

88 :世界@名無史さん:2009/04/08(水) 03:29:22 0
漢籍古典はオンラインが充実してていいなあ

89 :世界@名無史さん:2009/04/08(水) 06:16:05 0
『水経注』には趙雲とケ芝が撤退時のことに関する記述があったんだっけ?
確か諸葛亮から諸葛謹への書簡が引用されていたんだけっな。

90 :陳到:2009/04/08(水) 07:35:51 O
頼む、わしの伝記を書いてくれ!


91 :世界@名無史さん:2009/04/08(水) 10:35:25 0
孔明曰く、わしが育てた。

92 :とうたく:2009/04/09(木) 23:40:17 O
77に言う。俺一応社会人。働いてる。大学等は行ってない。「進学」ってのは正史を読み進めたって事?三国志に関する知識を増やしたって意味かい?

93 :世界@名無史さん:2009/04/09(木) 23:53:42 0
>>92
単になんの根拠もなく学生だと思ってた。
失礼。

94 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 06:54:25 0
>>90

陳到は長阪の時はどうしてたんだろ?
関羽は水軍を率いて劉備主従を虎口から逃れさせ、
張飛は殿をつとめ、趙雲は後主の命を救った。
陳到の活躍したんだろうか?

劉備に従って入蜀したのか、後日諸葛亮等と入蜀したのかも
不明だ。

95 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 14:32:11 0
そろそろ陳到をNGワードにしようかと思う

96 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 15:51:39 0
陳到ネタいいんじゃない?
演義には出てこない人物だし。
正史に沿った素晴らしい話題だよ。

97 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 18:12:44 0
姜維が改編するまで続いていた漢中防衛システムは誰が考案したの?

98 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:10:23 0
原案は知らないが、その布陣を構築したのは諸葛亮
229年、武都と陰平を奪取した年

99 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:17:26 0
陳到は議論や推測をするための材料もそろってないから
発展性の無いただの想像でしか話が出来ない
それを何度もやんわりと指摘されているにも関わらず、
ただ一人があちこちの板で頻繁に陳到の名前を出しているだけ
正史に沿った会話ではなく陳到の名を使った妄想がしたいとしか思えない
妄想なら脳内でやるか、小説でも書いて自分のサイトで発表すれば良い

100 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:51:17 O
陳到なんかより、典韋と楽進と黄忠の伝を長くしてほしいな。

101 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 19:56:03 0
陳寿に会ったらそう伝えとくよ。

102 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 20:35:52 0
>>98

長雨があったとはいえ曹真の侵攻は阻止したし、
曹爽の侵攻時にも上手く機能していた。しっかりとした防御陣を
構築し、野戦でも結構強かった諸葛亮は、やっぱ軍略もかなりの
ものだったんだな。ただ馬謖の人選はいただけなかったけどね。

103 :とうたく:2009/04/10(金) 21:10:44 O
エンショウとか有名な武将の議論ほとんど無くね?見てる限り。

104 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 21:14:24 0
じゃあお題プリーズ
ところで三国志どのくらい読んだ?

105 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 21:21:37 0
陳到の話題は全板で禁止

106 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 21:23:30 0
禁止も禁止

107 :とうたく:2009/04/10(金) 22:49:13 O
牛輔。

108 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 23:18:44 O
牛輔も禁止

109 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 06:28:27 0
陳到は李厳の配下で白帝城にいたんだっけ?
何時死んだかは不明だね・・・・・・・・・・・

諸葛亮死去前後は白帝城は誰が守ってたんだろ?
呉とは友好関係が維持されていたので、あんまり緊張状態
じゃなかったのかな?

110 :とうたく:2009/04/11(土) 06:44:39 O
いや、陳到はもういいよ。君陳到好き?俺がとうたく好きみたいに?

111 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 08:28:38 0
>>105は冗談

112 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 12:30:21 0
             ,. -‐ 、
              /‐= -─'- ._
           ,..'     i    ` ー-'
          / / ,, /!/!j、 ! 、 、 ヽ
       -=,ニ´_ -ノ_/、ヽヾ、ヽ>、ゝ '、      _
          / ´_」´\┃フ {´┃´ノ'、j`      / )
       / (. l    ,..-‐- 、 ´  |)\  _/ ノ、    陳到の話題は全板で禁止!
  、__..-‐' ノ   ゚ l  /      ヽ j  (⌒´ ,/  i、
   __ニ '´_,ノ.   ゝ'   ____  Y-r ' `、__ ゝノノノ
  ー=-─´/_. -─= ̄ ̄ー---‐ ' ̄ l´      _ゝ‐'
    ///ニ/ヽ // ` ○´ | |ヽヽ_,-‐,' ´
     ´´(ヽ     V-‐´/~\ー-' 、!_ヽ /

貼れといわれた気がした。

113 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 12:47:04 O
勝手に仕切るなよ!
嫌なら無視だろ。

114 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 12:58:36 0
ただのネタ

115 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 22:24:53 0
先ほどまで「ふしぎ発見」を見ていたのですが、質問させてください。
孔明が子孫に、「政治家になれなかったら医者になれ」と言ったのは本当ですか?
漫画の知識しかないのですが、医療はあの時代で地位が低かったように思うのですが。
医療の普及に関して孔明が何かしたというのもあまり聞いたことないので教えてください。

116 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 22:33:53 0
>>115
嘘です。

117 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 22:49:27 0
嘘かよ!
家族の前で、「医者だけはない!」と力説していた私に対する白い眼を
どうしてくれるんですか。

118 :世界@名無史さん:2009/04/11(土) 23:21:43 0
全体的に見てバランスを取るという考え方は賛成だが、
対戦成績から見て、魏五将と蜀の張魏黄辺りは互角くらいが尤もらしいな
関馬趙や大出世した張コウは単純に武人の役割だけを担ったわけではないので
また別にバランスを取る必要があるだろうけど。
魏にはその上に都督や刺史クラスの優秀な人材がわんさといるので
国土拡張・維持能力の差はそこでバランスが取れる。

119 :118:2009/04/11(土) 23:23:19 0
ごめん、誤爆してた

120 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 17:17:41 0
呉懿は劉備の外戚なのに伝記が残らないなんて不思議だよな。
呉懿自身も戦功はあるし、骨があり博愛の人物として知られていたと
あるくらいだから事跡が残っていてもよさそうなもんだが。
魏延の死後は漢中総督の地位に就任しているところを見ると、席次は
魏延の次に位置していた模様。一族の呉班も高官になっている。

出世はしたけど、余程政治的野心が無い外戚だったのだろうか?

121 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 18:11:42 0
事績が伝わらないからって書いてあるでしょ。

122 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 18:14:11 0
陳寿らが持ち出せた記録には限度があるだろうから
偏りがあったのはしかたがないと思う
蜀漢滅亡直後に巴蜀で実地に史料収集した人間がいれば、
官府や官人の家から多くの情報を引き出せたかもしれないけど、
次の有力史書の華陽国志が編纂されたのは三国志の50年後だし、
通史なので蜀漢の一臣下について詳細は記されないので
呉懿の記録を保存していた所があっても時が立つ間に散逸してしまったのだろう。

123 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 19:09:16 0
『華陽国志』の呉懿の記述も、
『三国志』の中に引用された『季漢輔臣賛』の記事とさほど変わらないな。
どうも『華陽国志』も『蜀志』がベースみたいだね。

124 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 19:52:12 0
ところで、
『蜀志』では呉壱、『華陽国志』では呉懿と書いてあるけど、
どっちが本当なの?

125 :世界@名無史さん:2009/04/13(月) 06:45:50 0
呉懿は魏将の費ヨウを撃破したんだよな。
街亭の守備も魏延と呉懿を推挙した人が多かったみたいだし。
蜀軍の中では屈指の勇将だった可能性が高い。

126 :世界@名無史さん:2009/04/13(月) 18:58:04 O
岩波版完訳三国志全8巻を読んでるけど、ようやく5巻にきた。
ここまで約一年、全然先に進まない。

127 :世界@名無史さん:2009/04/13(月) 19:48:19 0
蜀将の袁綝・高翔はどんな人物だったんですか?

高翔と高詳は同一人物ですか?
魏側の記録に負けたという記述があるみたいですが・・・


128 :世界@名無史さん:2009/04/13(月) 20:15:52 0
wikipediaで検索したほうが早いよ
そのくらいの知名度の人物ならそこに載っていることでほぼ全てだろう

129 :世界@名無史さん:2009/04/13(月) 22:30:40 0
高詳(高翔?)は219年の漢中戦、街亭戦の時に別の場所で魏軍
に敗れているな。それと司馬懿が蜀軍に攻撃した時に、魏延や呉班と
共に迎撃して魏軍を撃退している。それ以上の記録は無かったと思う。

130 :世界@名無史さん:2009/04/13(月) 22:44:44 0
袁綝は『蜀志』には李厳伝に、諸葛亮が李厳を罷免する文書のなかに名前が
官位と共に出てくるだけだったと思う。『華陽国志』も出身地と官位くらいしか
記述が無かったとおもった。

131 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 02:54:12 0
正史で一番吹いたのは、張飛が自分の刀に○○大将って名前つけていたところだな。

132 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 07:06:03 0
どこの正史だよ

133 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 07:19:25 0
張飛の妻は夏侯淵の親戚という話しがあったな。

134 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 10:19:33 0
一応は伝記は残っているけど、
孫乾伝なんて『季漢輔臣賛』に付録している記事とかわらない感じがするよ。
孫乾・簡擁は伝記は載録されているけど、『季漢輔臣賛』には名前が登場しない。
蜀漢が存在していた時にはあまり功績がある人物とは思われていなかったのかな。

まだ陳到や呉懿は蜀漢存在時には功績がある人物と認められていたのだろう。


135 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 11:25:40 0
>>133
拉致監禁調教という凶悪犯罪だな。

136 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 13:16:03 0
あれって略奪だよな。
よく戦いにならなかったなぁ。
それとも、そういう略奪婚は珍しくなかったんだろうか?

137 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 17:04:00 0
計算合わなくねえか?
張飛の娘は劉禅の妃だろ?
年齢的には劉禅と同じ位か年下だとすると、
生まれたのは赤壁の戦い前後くらいだぞ。
そうすると荊州時代か入蜀後にできた子どもだぞ。
夏候家と接触があるとは思えん。

138 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 17:17:22 0
女は嫁入りした直後しか子供産めないんかよ

139 :世界@名無史さん:2009/04/14(火) 17:44:11 0
実は姉妹を一人の人物だと誤記したとか?

140 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 06:06:48 0
廖化は名士ですか?
それとも兵隊野郎ですか?

141 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 07:39:59 0
どちらでもないだろう
おそらく30前後で関羽の主簿だから一般的な士人だろうね


142 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 08:43:28 0
周愈は「六郡八十一州の大都督」という言い方があるが、
後漢は州⇒郡じゃないの。だから「六州八十一郡」だろう。
孫権の勢力圏は揚州くらいだったから、せいぜい「六郡八十一県」

143 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 10:24:52 0
関羽の居た刑州城はいまのどこにあったの?
刑州刺史劉表の居た城はいまのどこにあったの?

144 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 10:33:55 0
>>142
その何々州ってのは後の時代の行政区分で言ってるから後漢に当てはめても意味ないよ。

>>143
関羽が荊州市、劉表が襄樊市。

145 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 14:16:48 0
後漢の州刺史は監察官だから、「州」の城ってのは無かった?

146 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 18:02:27 0
儒教的名声のいやらしさに辟易するね。
マニュアルを臆面もなくこなせば、誰でも忠臣、孝子になれるお手軽さはいいけど
みんな一斉にやってんだろうから、やっぱりアピール力に長けて、人的ネットワークを持った人間が有利になるんだろうなー

@)上役が刑死、死体の傍で号泣、為政者感動ついでに就職
A)スカウト来る、断る。もう一個上のスカウト来る、断る・・・仕官してもしなくても結局、名声は上がる

その他にも代表的なパターンってある?

147 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 18:41:55 0
気の利いたお茶の出し方しただけで、大名クラスの側近になれる日本もあっちからみたらアレだろうけどなw

148 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 18:59:46 0
>>146
その「幸運」を掴んだ名士の下には上官に殉じてそのまま日の目を見なかったり
腹いせに別の罪を着せられた人間が腐るほど埋もれている計算になるわけだけどな
お手軽にできる行為に価値が生まれる社会なんて文化人類学的にありえない。

149 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 19:28:00 0
>>145
州治、つまり「州庁所在地」はある。
因みに荊州城というのは州郡制がなくなったあとの地名であって、
当時の荊州の城という意味ではない。
演義で登場する荊州城は三国時代の当時は南郡江陵県に当たる。

150 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 03:59:24 0
荊州の領主だった関羽の立場は劉備と対等だった?

151 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 04:14:16 0
三国志の士官文官クラスはみな豪族貴族クラスの出自?

152 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 04:22:44 0
魏延のように部曲(私兵)出身の将軍もいる。

153 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 04:36:26 0
庶民も結構いるけど、全くの徒手空拳ってのは少ないな。
馬騰の経歴なんかは自分で労働して周囲に顔繋ぎをして、乱事に一旗ってパターンで劉備に良く似てる。
現地採用の警察署長みたいな職は結構庶民にも門戸が開かれてる。

154 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 07:35:09 0
また同一人物らしき一行レスが増えてきたので
世界史板
中・高生用質問スレ Part12
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1200816363/
もの凄い勢いで誰かが世界史の質問に答えるスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1200218343/
もの凄い勢いで誰かが世界史の質問に答えるスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1200218343/

三戦板
雑談・質問スレッド其の39
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1218937605/

好きなのを選んでください

155 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 14:12:08 0
劉備も父の代までは官僚であった名門貴族だった。

156 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 14:13:21 0
馬騰は漢の伏波将軍・馬援の末孫なるぞ!

157 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 14:36:28 0
劉備の父の官職の記録はないはずだが
祖父は県令だから地元ではそれなりの人物だったろうけど
名門だなんてお世辞にもいえない

>>156
馬融の同族になるんだよね ものすごい遠回りっぷりだけど
意外な関係のある劉備と馬超

158 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 15:48:22 0
好きな三国志武将ランキング30
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1239847353/
このスレの議論どう思う?
ちなみに名前欄空欄にするとフシアナさん状態になるから気をつけて。

159 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 16:03:07 0
挑発しにきたんか
歴史とホビーとでは判断基準がまったく異なるので
世界史板に持ってこないでください

160 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 16:07:37 0
いやそのスレの340前後から正史とフィクションについての議論になってる

161 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 16:13:57 0
それに文句あるならそのスレにいくなり三戦板に持ち込んで荒らすなりすればいい
ここはフィクションを前提に歴史を語る板じゃない

162 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 16:18:07 0
正史はネット上でも有志の人の厚意で訳付で見れるからありがたいね。

163 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 16:22:57 0
そのスレの議論
歴史学的な深い内容も含んでいると思うんだが・・・
まあいいや

164 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 19:11:50 0
>>158
一応、読んだ。感想としては、まあ一般的な三国志ファンはこういう認識なんだろうな…と
いう程度。漏れも高校時代はこんなだったなあ。懐かしい。

ただ、歴史学的な所になると甘いね。陳寿の三国志と『三国志演義』と後世の創作物を
比較してる時点で、こやつめハハハ状態だね。
片や歴史資料と片や後世の人が妄想したお話、こりゃ全然比較してもしょうがないよ。
陳寿の三国志のおかしな所は確かに相当あって、学者の議論はどこがおかしいのか
清代からずーっと続いている。新書でもそーゆーのを紹介した本が出てるよ。
岡田英弘『誰が中国史を作ったか』とか、あと山口弘和『三国志の迷宮』とか、題名があやふやだけど
色々あるんだよなあ、そーゆーの読むともっと面白いと思うねえ。
で、正史三国志と比較するなら当時の考古資料とか、後は他の正史、例で言えば後漢書とか、
いろんな本に断片的に出てくる野史の類(これも清代に散々まとめられた)でしかないんだけどねえ。

165 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 19:29:57 0
初めて、筑摩読んだ高校の時は『高かったのにスゲーつまらん』と失望した。
まず書簡や上奏文の前提となる古典が分からん、脚注見ても断片的にしか掴めん。
魏書Uだったので後半の隠者の話なんかは中国的人格者の典型を紹介する章だから、
無双脳の俺には拷問だった。

今はたまに読むローテに入ってる。楽しむには時間が必要。ただ無双脳の頃には戻れない。

166 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 20:11:30 0
漢から六朝の時代は貴族中心社会だからただの匹夫が成り上がっても大将に担がれることなどありえない。

167 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 20:17:07 0
魏延なんかは匹夫、どころか奴隷同然の私兵から大将軍になったわけですが。

168 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 20:31:12 0
魏延なんかあぼーんされるまで傭兵隊長ていどのあつかい。

169 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 20:48:11 0
周瑜が「美周郎」と呼ばれたのは史実なのですか?
「美周郎」と呼ばれなくても美男子だったのは事実でしょうか


170 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 20:50:24 0
貴族社会が形成されるのは晋代以降
漢魏はまだ家柄は固定されない
魏延は当初から部曲持ちの有力者
学がなかったから楊儀に馬鹿にされただけ

171 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 21:09:44 0
>>168
将軍、太守が傭兵とは初耳。ソースは?

172 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 21:47:18 0
魏延は最後征西大将軍だからなあ。高官だよね。
奴隷とか言う人は楊儀が魏延の首を踏みつけて
「庸奴め、もう一度悪さをやれるならやってみろ」と言ったことを勘違いしてるんじゃないの。
庸奴は奴隷の意味もあるけど、ここではバカ野郎と同じ意味だよね。

173 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 22:01:29 0
>>172
劉備の部曲だったからと思われる。
つまり自由人ではなく、個人に従属する立場。

174 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 22:11:08 0
部曲は豪族らが私的に集めた兵士、だっけか。
賤民層だろうね。少なくとも士大夫に比べればかなり下。
そこから大出世したわけだからなぁ。
回りは面白くないだろ。

175 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 22:38:57 0
全然違う。部曲が賎民層を示すのは隋唐以後。
後漢の部曲は単に将軍帳下の部隊を示し、
後漢末に軍閥が私有した兵・民を指すようになる。
一族の子弟、門生故吏などの私的関係によって結ばれた人員で構成される。
よくわかるのが許チョだろう。
魏延はその部曲をもって劉備に属したわけだから
中小豪族か小軍閥の長の出身と考えられる。

176 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 22:41:59 0
つうか劉備軍古参の張飛さえ、士大夫の劉巴に馬鹿にされたりしているだろ。
私兵上がりって当時はそういう扱いだったんじゃないの?
でも魏延は、楊儀以外には武勇の士として敬されたともあるが。

177 :世界@名無史さん:2009/04/16(木) 22:50:55 0
>>164
参考になります。

178 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 00:04:46 0
部曲の兵は、法的な意味ではまだ賎民ではなくても、士大夫的な者からは馬鹿にされ蔑まれる存在ではあった
(魏の兵戸に至っては、兵戸からの解放が恩典になる程度には賎民扱いだった)

ただし、魏延が部曲の兵士出身なのか、部曲を率いる豪族なのかは俺には断言できない

179 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 00:31:26 0
遼東公孫氏があぼーんされずに残っていたら倭人史料も残っていたと思う。

180 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 00:51:09 0
魏王朝の制度が固まると、文高武低の本来の価値観に伴って卑賤化していくようだが、
後漢末では曹操没時の青州兵の振る舞いのように一種の契約関係の面が強い。
魏延の時代は後漢末に属する。

また、この時期、士大夫階級・貴族階級というものはまだ形成途上であり、
出自そのものが問題視されるケースは殆ど見られない。
士人層の貴族化はむしろ戦乱のために後退していた感がある。
士人から蔑まれるかどうかは本人の言行教養に拠るものがかなり強い。

181 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 02:27:50 0
>>178
うーん。
いくら大活躍したからって、兵卒クラスだったらいきなり正規の牙門将にはなれないだろう。
部曲の隊長ぐらいにはなってたんじゃないかな。

182 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 02:34:09 0
部曲の意味ってさ、武装集団の一員と、武装集団の統率者(部曲将)と両方あるよ。
魏延は後者。

183 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 02:34:48 0
関羽にしろ張飛にしろ、魏延にしろ劉備子飼いから幹部になった。
あちこちの豪族軍閥の寄せ集めの感がある蜀では、劉備直系の武将を引き立てることは君主権確立の意味合いもあったんだろうな。
曹操のように有力な一門がいるわけでもないし。

184 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 02:43:43 0
皇叔という称号は実在したの?ネタ?それとも、宗室はみな皇叔といえるじゃん?

185 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 02:45:58 0
張飛は、士大夫にはへいこらして兵卒には厳しい
関羽は逆
どっちも士大夫にコンプレックス持ってたことに違いはない感じがする。発散方法が真逆だけども
魏延はわりかしうまくやってたのかな
でも三人とも終わり全うしない点だけは一緒w

186 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 03:23:41 0
コンプレックスだらけの連中が毛並みだけよくて馬鹿殿様の劉備を担いでいたんだから蜀が最も弱っちいかったw

187 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 08:27:04 0
正史原理主義者ktkr

188 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 09:00:03 0
馬鹿殿でも皇帝になれるんだな〜

189 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 12:48:54 0
昏君!

190 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 15:31:05 0
馬鹿だから傀儡にするために皇帝になったケースもあるけどな。
魏王朝末期とかまさにそれ。

191 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 17:19:55 0
でも呉じゃあ賎民どころか賊上がりの将軍すらいたぜ。
でも馬鹿にされた、とかいう逸話はない。
蜀特有じゃないの>兵士馬鹿にする士大夫

192 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 17:39:04 0
無学な戦場上がりの呂蒙を魯粛は長らく馬鹿にしていた。

蜀や呉はまだいいほうだよ。辺境の気風のせいか武人上がりの高官がちらほらいる。
特に呉は多くて呂蒙・周泰・蒋欽。陳武の子は太子の賓友にまで選ばれた。
蜀にも王平がいる。
曹操の将ではなく、魏成立後にそんな地位に昇った人間などいないからね。
いわば官僚社会である漢魏帝国では武人が下働きに留まるのはまあ当然のことだろう。

193 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 18:11:23 0
甘寧は元々は蜀で官についていた人間でもあり、
食客八百名も抱える侠として名声を博すというのは登用に当たってプラス作用もあったのだろう。
周代の侠客の趣きがあってただの武人とは毛色が違う人物だね。
ただ性格的なマイナスもかなり大きい人物であったようだけど。

194 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 18:13:54 0
>>184
前にどこかの掲示板で論議されているが別の時代の正史に「皇叔」というのが出てくるらしいね

>>191
南北朝の貴族社会だと、将軍がいかに功績を挙げても、貴族に相手にされないでシカトされ続けるので、
屋敷から泣きながら出て行ったというケースが宮崎市定の「大唐帝国」だかに出てくるよ。

195 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 18:22:31 O
王平なんかは文字をろくに知らない将軍だったが、
諸葛亮に認められ出世している。


196 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 18:23:22 0
その貴族層も、元をただせば成り上がりであった、というオチがつきそうだけどなw

197 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 18:28:18 0
>>196
中正官人法を知らないなら無理してツッコミ入れなくていいよ

198 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 18:35:08 0
漢王朝の皇帝自体が成り上がりだからな。劉邦。
名門・夏候家も元は馬の御者。

199 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 18:38:27 0
唐代の李密が詩を書いてなかったっけ。
漢の元勲といわれた連中だって、元をただせば刀筆の吏とか匹夫にすぎねぇ、時がくればオレだってなぁ、みたいな。

200 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 19:30:11 0
成り上がる→特権層化→後発組を見下す

まぁどこでもありそうだがな。

201 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 20:03:54 0
蜀で軍人を蔑視してたのは劉巴くらいだろ?
士大夫と仲が悪かったという関羽も、諸葛亮への馬超に関する手紙で
持ち上げられた返信があったら、客に見せびらかすほど素直に大喜び
していた。諸葛亮の評価は関羽にとってもポイントが高かった。諸葛亮
に対しては一目置いていたようだ。

魏延の不満も作戦構想の相違であって、名位は正当に評価されている。
王平も街亭の戦い以降は破格の大出世だ。

202 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 20:11:27 0
史書に目立つ話が残っているやつは酷かったんだろうけども。
一般的にはそりゃ当時のことだから、身分差別当たり前だっただろうなぁ。

203 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 20:15:06 0
曹操が悪党扱いされるのは宦官差別によるもの?

204 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 20:16:47 0
劉巴の態度は
「教養のある人間と教養のない武人とが共通の話題を持てるはずがない
のだから話をするものではない」
という一般通念を示したもの。
ただ、劉巴の場合はそれを剛直に、劉備の股肱である張飛に対しても適用したから逸話が残った。
張飛ほどの寵臣に対しては、劉備への対面もあり、ある程度蜀漢の士人達も気を使ったし、
加減して相手をしてやったのだろうけれど、劉巴はそれをしなかった。
劉巴はそういう風に一種の士人の美徳を貫いた人物なんだよ、偉いね。
…と、劉巴の郷里である零陵の偉人を纏めたと思われる「零陵先賢伝」は称揚しているわけだ。

劉巴の行動は特別なものだったけれど、価値観自体は特別なものではない。

205 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 20:46:09 0
>>203
後世の創作のせいじゃないかね。
曹操自体は、当時のエリートだし。士大夫層も多数味方につけているしさ。

206 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 21:23:51 0
西晋が前趙に滅ぼされたから。
これまでの中華の正統王朝の必要条件の一つとされてきた「中原の保持」を、東晋は失ってしまった。
また江南に遷都したことで孫呉へのシンパシーが生まれ、
さらに西晋から東晋へ王朝を受け継ぐ正統性を保障する理論として、
後漢-蜀漢-晋の連続を正統とする蜀漢正統論さえ生まれる。
同時に、晋という国体を守るために危難にあってもあくまで一国を受け継ぎ、支えるという倫理が進展する
(ここで諸葛亮の株が急上昇する)

これにより前王朝を乗っ取って成立した魏(更に言えば西晋も)を歴史の見本とする見方が廃れ、
その手法が蔑視されるに至る。中国で歴史的に曹操や司馬懿の人気が低いのはここから始まる。
このようにして生まれた風潮は民衆レベルにも深く根付いたようで、
はるか千年の醸成期間を経て、明代の三国志演義に結実する。

207 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 21:47:16 0
曹操は漢の元勲曹参の一族だしね。

208 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 22:01:35 0
宦官が漢の元勲曹参の末裔を騙った?
名家から宦官を出すわけない。

209 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 22:19:59 0
元勲の裔が名家だなんてことの方が少ない。そもそも直系でさえないだろうに。
曹参の直系は平陽侯だが、断絶と復興を繰り返して最後に復興したのは後漢中期とされる。
沛国曹氏は当然分家になるがいつの時点で分家したのかなんてわからないし、
ましてや一族の中でも曹騰の家は裕福でなかったというから、
元勲の子孫としての有利などというのは限りなく系図上のものに近いだろう。
当時の風潮からすれば成り上がるために宦官になるというのは不思議な選択肢ではない。
曹騰・曹嵩の影響力を無視して血統だけ比較するなら劉備の方がまだ「良い家」だと言える。

210 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 22:22:25 0
>>208
武帝紀に載ってる。
名家でも傍系なら没落することもあるだろ。
もっとも曹操の父自体は、養子だからな。夏侯家からの。

211 :世界@名無史さん:2009/04/17(金) 23:27:33 0
>>206
元が襄陽記だからアレだけど、張悌の言葉なんかを信じるなら三国時代末期には既に魏=悪の枢軸、司馬氏=善玉とみなす風潮はすでに存在したみたいにも思える
南朝では世説新語での取り上げられ方を見ると、曹操や曹一族は既に狡知に長けた非道な悪党という印象になってるんじゃないだろうか

212 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 00:08:26 0
張悌の言葉で司馬氏が善政を敷いていたというのは、
司馬晋が豪族名士を重んじる政策を多く出したことによるのだろう。
この辺り、同じように宮廷で実権を奪い自分の権威で賞罰を出すことから支持を得、王朝交代に至った王莽に通じると思う。
曹氏は軍事力によって出てきて征伐が多かったこともあり、「広く恩徳を施す」に至らなかった。
とはいえ、その司馬晋の非中央集権的な政策の結果西晋の滅亡に繋がるわけだから、
「(西晋)司馬氏善玉」の風潮は後代に繋がったとは言えないのではないだろうかな。

213 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 00:19:33 0
張魯はその後どうなったの?漢中は蜀に奪われたが。

214 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 00:29:59 0
中国で名家があまり長く続かないのは均分相続だから。
日本で名家が1000年も続くのは一子相伝の「家」制度だから。

215 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 00:48:30 0
>>208
当時はそうでもなかったんだよ。
袁家からも宦官出してるし。
権力闘争の激しい時代だから権力の担保として宦官を出す風潮があった。
無論そういうのを嫌う人もいたけどね。

216 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 00:53:50 0
名家であろうがなかろうが、犯罪行為やっちゃった人が宮刑になってるだけなんじゃね?

217 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 01:00:35 0
当時は科挙もなく、権勢なしで出世するには宦官とかになって直接皇帝に近づくしかなかった。
後漢末動乱も、そういう豪族と宦官の政争が一因じゃん。

218 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 01:18:57 0
外戚、宦官、豪族の三つ巴ですな。

219 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 01:46:29 0
当時自宮宦官全盛だったっていうのは後漢書のどこ見ればわかるの?

220 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 02:06:00 0
>>219
やっぱり蹇碩とか張譲あたりじゃないか?
蹇碩は八校尉筆頭。つまり曹操らより偉かった。

221 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 02:14:15 0
>>218
外戚の支持基盤は地方の豪族なんじゃないの?
宦官排斥を外戚に期待した清流派も元は地方豪族出身だし。

けど、前漢の塩鉄論の時のように外朝VS内朝の組み合わせにならずに、
権力の行方があくまで皇帝の家庭内の問題に終始したのが後漢の特徴だな


222 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 03:12:01 0
>>209

劉備の場合は自称漢皇族の末裔だからね。


223 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 03:36:16 0
劉備は自称ではなく、一族だよ。
ただし、同じぐらいの血統なのははいて捨てるほどいるけどw
でもその中でもっとものし上がったのが劉備だからな。

224 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 03:49:46 0
血統云々の話はファンタジーだから、聞き流してればいいじゃん。

>>221
前漢に権勢を振るった宦官はいないけど、後漢に出現したのは外戚に乗っ取られた前漢の教訓なのかもね。
外戚と宦官で力を拮抗させる狙いがあったのかも。
いずれにしても外朝の高官(三公、九卿以下)は蚊帳の外だな

225 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 06:18:52 0
趙雲って老将なの?

226 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 07:03:21 0
趙雲は劉備が放浪生活していた頃から家臣だからねえ、
第一次北伐時にはそれなりの年齢だったでしょう。

ただ、『三国志演義』の年齢とかは根拠の無い話し。
黄忠だって、関羽が老兵といっただけで年齢は不明。
関羽の発言は年齢よりも成り上がり者というニュアンス。

劉備と知り合った頃が20代だったすると、
亡くなった時は60歳は過ぎていた感じだろう。

推測だが、第一次北伐の作戦には趙雲も深く関与していると思われる。
その為に自ら危険な囮部隊の指揮官になり、馬謖の敗戦の歳には諸葛亮
と共に降格処分になったのは、作戦の首謀者の一人だったからだろう。

227 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 07:40:24 0
趙雲が北伐の立案に関与していたかどうかはあんまり関係ないんじゃないかな
趙雲は重要な別軍の指揮官で、北伐全体の副将級だったこと、
戦術的に敗北を被ったことを合わせれば、諸葛亮の必罰主義的に
十分降格範囲に入る「責任者の一人」だったのだろう。

228 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 08:43:09 0
作戦に関する諮問はあったかもね。
まあ、それは魏延に対してもあったんだろうけど。

それと、北伐には関係がないが諸葛亮と魏延の微妙な関係
がうかがえる。趙雲は劉備死後に征南将軍に、間もなくして
鎮東将軍に昇進。劉備時代には明らかに魏延よりも冷遇されいた
趙雲を短期間に魏延と同等の名位に昇進させている。

王平の台頭も魏延への対抗馬として成長させようという意図を感じられる。
街亭戦の見事な撤退が評価されて以降は、第四次北伐では常に諸葛亮とは別の
陣営を守らせている。常に直卒下に置かされた魏延とは対照的だ。魏延が大将
だった郭ワイとの合戦も、重鎮の呉懿も参戦しており、魏延にある程度の制約
が加わるように配慮してあるように思う。

229 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 11:06:57 0
姜維の北伐の例を見ればわかるように、
政治・経済的配慮が無い遠征は国力をいたずらに消耗させる。

魏延にもそのきらいがあったのだろう。
諸葛亮もそれを危惧していた。

230 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 12:18:37 0
白帝城には実際、何があったの?要塞?

231 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 12:19:15 0
>>225

関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲の五将は
何歳で死んだかがわかっているのは馬超だけだね。
魏の名将張コウなんかも死んだとき年齢は60歳は越えてた
かも。趙雲もまあそんな感じじゃないでしょうか。
演義の70歳を越えていたというのはオーバーな感じがします。

232 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 12:41:03 0
袁世凱は袁術の子孫?

233 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 12:49:15 0
>>232
シラン

234 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 13:45:33 0
張翼は名士ですか?

235 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 15:22:51 O
しらん

236 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 16:22:58 0
>>228

魏延を信頼はしてないけど、しっかり昇進させているところは
諸葛亮らしい公平さだな。ただ、常に諸葛亮が漢中に駐屯してるから、
劉備時代よりも実権は魏延にはなかったかもね。遠征の時は常に諸葛亮
の直接の指揮下だし。

諸葛亮が、自分の死後に魏延が命令を聞かなければ放置しろと言ったあたり
は、まったく魏延を信頼してない証拠。魏延も期待通り(予想通り)の行動を
したわけだ。同じく能力はあるけど厄介者だった楊儀も軍の帰還後に左遷状態
にさせている。自分の死後に国を乱しそうな人物は始末したんだね。

237 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 16:31:30 0
諸葛亮死後、蜀の実権を握るのはヒイら文官系の士大夫だしね。
でも実戦部隊では王平、あるいは投降組の姜維らが相変わらず重んじられており、特に後者は軍部トップにまでなる。
やはり魏延自身にも何か問題があったとしか。

238 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 16:58:36 0
蜀だと、大将軍とか車騎将軍とかの一つの軍位を左右二つに分けたりしているけど。
これはなんで?
権力の一極化を防ぐため?

239 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 18:38:13 0
軍人の頭数が多いから、とか。

240 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 19:41:27 0
功臣が年を取って前線を退いても与える顕職が無かったからだろう。
蜀漢では驃騎・車騎将軍が分割されている。その上は実権の大きな大将軍になってしまうので行き場が無い。
漢魏晋では三公四輔が老臣の最後の花道として機能した面があるが、
蜀漢はそれを置かなかったので車騎驃騎が当てられたのだろう。
左右車騎の廖化・張翼や鎮軍大将軍の宗預はその類で、魏の侵攻までは成都の中軍を統括するような仕事を
していたようにみえる。勿論、時代は大分遡るが実働した呉懿のような車騎もいるだろうけど。

241 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 19:50:06 0
>>237

軍人が暴走して遠征を繰り返すと国家転覆を招くことがあるからね。
こいつは姜維の北伐で実証された。魏延が諸葛亮死去後も自分が代わりに
指揮を執り、遠征を続行しようとして意志を述べて事からも危険性が感じ
られる。魏延は勇猛であっても、民から怨声を出させなかった諸葛亮の
ような政治的手腕はない。魏延が軍権を握ったりしたら、自分の功名心で
遠征を繰り返す危険性がある。劉備や諸葛亮なら制御できても、その後継者
では無理かもしれない。だから始末されたのだろう。

諸葛亮は、劉備の死後は趙雲や呉懿・王平といった忠実な将軍の名位を上げて魏延との
バランスを取ろうしている。また、侍中だった費イを遠征に参加させ、軍の統制のノウ
ハウを学ばせている。費イは期待に応えて魏延・楊儀の不和を仲裁してそれぞれの能力
を発揮させた。士大夫層が如何に軍部を掌握するかを常に考えていたのだろう。

242 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 19:55:07 0
>>220
だから、そいつらが自分から宦官になったって記録はあるの?

243 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 20:11:32 0
むしろ、宮刑になるほどの罪を犯した経歴があるならその宦官の伝には記されてしかるべきなはずなんだが。
罪の記録がないのなら、自宮の可能性の方に傾くと思う。断定は出来ないが。



244 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 21:58:07 0
呉でも、大司馬を左右に分けてなかったか?
一種の名誉職だったのかもしれんね。

245 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 22:28:15 0
諸葛亮は法家的な人物で、その公平さは左遷された者さえ惜しむぐらいだった、というほどだからね。

246 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 22:57:46 0
詳しい方がおられるようなので質問です。

『蜀書』の呂乂伝に塩府校尉の王連が呂乂、杜祺、劉幹の三人を典曹都尉にした
という記事がありますが、この「典曹都尉」というポストは塩府校尉の職務
(塩鉄の利を較ぶ)を補佐する属官のようなものと考えればよいのでしょうか。

247 :世界@名無史さん:2009/04/18(土) 23:40:28 0
うーん。姜維って宦官とかとの政争のために成都に入らなくなったんだよね。
将軍位分割がその時期なら、実質軍閥化したヤツを刺激せず、兵権を整えるためにやったとか考えられるけども。

248 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 00:17:04 0
>>246
蜀漢という短い地方国家の特殊な官職を、一度出ただけの記述から判断するのはほとんど不可能だと思う
ただ王連伝にそっくり同じ「呂乂、杜祺、劉幹ら良才を簡取し官属とした」、とあり、二つの記事は陳寿のものなのだから、
典曹都尉は塩鉄校尉の掾属ではないがその管轄下である区域の塩鉄に関わる諸曹を取り仕切る職(魏の典農都尉のような)
だったのではないかと想像できる。というかこんな想像をするくらいしか判断材料が無い

>>247
それって閻宇のことを言ってるのだろうけど、右大将軍が大将軍の左右分割だという確証は無いと思う。
閻宇は永安に派遣されたときに右将軍と表記されていることから、右大将軍は右将軍に大を加えたもの(諸大将軍号の一つ)、
と見るほうが無理がないんじゃないかな。類例が非常に少ない将軍号だけど。
姜維を蚊帳の外において成都の政軍権を統括する役割を担ったのは、史書にも記される通り
行都護衛将軍平尚書事の諸葛瞻、輔国大将軍平尚書事の董厥、尚書令の樊建だろう。

249 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 00:39:25 0
常設武官の最高位であるはずの車騎将軍さえ分割したのが蜀だからな。実質的最高権力者の大将軍が、ただの武官トップぐらいに格下げされてたのかな?

250 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 02:04:39 0
閻宇の右大将軍は右将軍DXだろう。
魏には名誉職敵な上軍大将軍、中軍大将軍、南中大将軍とかがあった。
蜀は単純に車騎将軍とかを左右に分割しただけだろう。

それと、魏では四征将軍は四鎮将軍や四方将軍より上位だけど、
蜀では四鎮将軍は四征将軍より上位で、その上に四方将軍が位置する。
四大鎮・四征大将軍は四方将軍よりも上位。同じ将軍位でも魏と蜀では
上下関係が違う。

251 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 07:01:30 0
>>240

驃騎将軍は劉備時代は馬超、諸葛亮時代は李厳が任命されたくらいだな。
車騎将軍は劉備時代は張飛、諸葛亮時代は劉エンが就任している。劉エンは
完全な役立たずの為の名誉称号だった。李厳は諸葛亮の次官という意味合い。
まるっきし名誉職というわけでもない。呉懿やケ芝も実働していた車騎将軍
だった。費イが宰相だった頃までは、概ね功績がある重鎮が任命されていた。
実働の将軍だった。

252 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 07:45:51 0
四方将軍の方が名誉職でないかい?
尚朗とか軍人とは言えないような人も任命されてたし。

劉備が帝位に昇ってからは四方将軍が誰だったのか不明だし、
やっと北伐開始の頃に李厳が前将軍、降格で諸葛亮が右将軍になった
のがわかっているくらい。呉懿も左将軍にはなったが・・・・

全般的に活躍して軍事部門で活躍した趙雲、魏延、王平、馬忠、張ギと
いった伝記がある将軍は四方将軍には就任していない。

253 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 12:30:03 0
劉備が帝位に即位した直後の四方将軍はだれだったんだろ?
趙雲、魏延はちがうし、李厳や呉懿もちがう。馬超と張飛はもっと
高位の将軍に就任している。空席のままだったのかな?

東征で戦死した将軍には、そんなに高位の将軍はいなかったみたいだ。
四方将軍は常設じゃないのかな?

254 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 13:49:53 0
元々将軍自体が非常設の号だから、劉備が即位したときの官職の再編成の時点では
四方将軍は置かれなかったのかもしれない。

255 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 14:18:32 0
>>248
早速丁寧な回答をいただき恐縮です。

実は熊本県の江田船山古墳出土の大刀銘にみえる「典曹人」の解釈
のヒントになるかもと思って、検索したら「典曹都尉」というのが
あったので質問した次第です。
有難うございました。

256 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 16:25:23 0
蜀は自分こそ漢王朝の正統、としていたから漢の官位を極力真似しようとしたんだけども。
実際には益州ぐらいしかまとまった支配地がなかったからね。
なんかの本で、人口に比して官吏の数が多い構造だとか見たことがある。

257 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 16:34:13 0
蜀滅亡時の話しでは?
諸葛亮時代の話しではないでしょう。

258 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 17:03:48 0
ケイ州とかの失陥地から逃げてきた官吏を免職するわけにもいかなかっただろうしねぇ

259 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 17:38:04 0
そりゃ、益州の地方統治機構と宮廷の中央官府に加え十分な軍備を
一州で賄わなければならないのだから人口比では官吏の数が多いのは自然なことだろう
荊州から逃げてきた官吏は比率が変動するほどではなかったと思う。
官吏の大半は郡県に属する現地雇用の下吏なので、よほどの理由が無ければ呉から理由がない。
軍の残余は解体して戸籍に編入すればよい。

260 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 17:40:17 0
王朝の体面保つための、仕事せず俸禄もらうだけの冗員が相当いただろうな。

261 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 18:03:40 0
蜀降伏時で民90余万、甲兵102千、官吏40千ってなってなかったっけ?
兵の何割が屯田してたか分からんけど、人口の1割くらいは公務員だろうね。

262 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 18:52:37 0
人口の一割が兵士……そらぶっつぶれる罠。

263 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 19:08:44 0
姜維の北伐が国家滅亡を招いたのは、
諸葛亮のように屯田しなかったからという論者もいるね。


264 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 21:48:51 0
屯田しようにも、土地をそもそも奪えなかったんだからな。諸葛亮でさえ一時期占領が限界だし。
かといって兵力を削減するわけにもいかず。
ケイ州陥落の時点で戦略的には詰みだったかな。

265 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 22:03:50 0
征服した南蛮に入植させたのでは?

266 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 22:05:56 0
魏は北方民族を捕虜にして軍隊に投入。
蜀も南蛮人を軍隊に投入したの?

267 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 22:08:11 0
孫権姻戚・配下の太守として荊州を維持しておけばよかった。

268 :世界@名無史さん:2009/04/19(日) 22:59:38 0
それなら劉ヨウや太史慈と並んで伝を立ててもらえただろうね

269 :世界@名無史さん:2009/04/20(月) 00:37:16 0
屯田の多い魏のほうが兵の割合が多かった?

270 :世界@名無史さん:2009/04/20(月) 01:34:33 0
魏の人口は桁違いだからなぁ。詳細不明だが、比率にしたら蜀より小さい悪寒。

271 :世界@名無史さん:2009/04/20(月) 10:13:53 0
>>266
思い当たる部分を調べた

蜀では劉焉の時代から既に青羌兵の存在が確認できる様に、軍に編入して戦力の
一端を担わせている事が窺える

諸葛亮が北伐を行う時代では、無前、賨、叟、青羌といった異民族によって
構成された騎兵の存在が確認でき、少数ではあるもののそれなりの戦力として
機能する精鋭だったとされている
これらの養成には長い年月を要したとあるので、この中でも劉焉の時代から
存在した青羌兵などは劉備政権に移行後も継承されていたものなのだろうと
推測される
上記の賨兵に関していえば、もともと性質は剛猛といわれ、楚漢の抗争時代に
も高祖・劉邦の戦力として貢献していた様で、叟からは兵のみならず、耕牛や
軍馬や皮革、資金などの供給源であった事が窺える

また、諸葛亮によって無当監を加えられた王平の麾下にも無当と呼ばれる南中
から選抜された精鋭が存在したといわれている
姜維の時代でも、汶山太守の王嗣が羌族などの諸民族を帰服させ、牛馬や食料と
いった軍需物資の供給源としている

一州のみで魏と戦わなければならず、夷陵の敗戦で戦力の中核を大きく減じ、
異民族に手を焼いていた蜀にしてみれば、異民族を上手く取り込んで戦力の
強化・増強を図る事は必至というか当然の成り行きといっていいんだろう
尤もこれは魏や呉にも共通するものであろうけど

ざっと調べた程度なんでツッコミやら補足が必要なあたりは容赦してほしひ

272 :世界@名無史さん:2009/04/20(月) 10:24:31 0
呉は倭人を拉致したよう。江東はそれほど人口が少なかったのか?

273 :世界@名無史さん:2009/04/20(月) 10:25:43 0
馬超が羌族部隊を率いていたのかな?

274 :世界@名無史さん:2009/04/20(月) 15:27:26 0
>>271
乙です。

275 :世界@名無史さん:2009/04/21(火) 01:24:16 0
ミャオ人、ベトナム人は呉の戦争に動員されたのかな?

276 :世界@名無史さん:2009/04/21(火) 05:29:40 O
長沙大守・韓玄の墓が現存していると聞きました、
何か資料的価値があるものは出土したのですか?

277 :世界@名無史さん:2009/04/21(火) 21:53:41 0
おそらくかなり後代になってから建てられた墓碑。
韓玄は字も本貫もわからない人物だから、その墓からも何か出たわけではないのだろう。
韓玄墓記というのは墓に収められていた墓誌の写しだろうけど、
しかしなぜわざわざ韓玄の墓を立てる気になったのか、という事情は興味深いね。

278 :世界@名無史さん:2009/04/21(火) 23:32:54 0
演義で、黄忠が韓玄を葬っているから、演義由来の史跡の一つと思う。
韓玄の死について言及があるのは演義だけだから、
数多くある演義由来の史跡と見るのが自然と思う。

279 :世界@名無史さん:2009/04/22(水) 01:40:04 0
民国「長沙市指南」
韓玄墓在城南三府坪長郡中学校内、墓寛約丈余、長可三丈、墓前有碑鐫曰:漢太守韓玄之墓、墓之東南有韓玄祠
按此墓或為明清時人据「三国演義」故事造作

280 :世界@名無史さん:2009/04/22(水) 02:05:00 0
しかし墓碑では韓玄を名太守として褒め称えてんだよ。
演義由来だったら貶めるはずだろ?そこが不思議なんだよな。

281 :世界@名無史さん:2009/04/22(水) 02:09:37 0
韓玄の子孫が作ったんでしょ

282 :世界@名無史さん:2009/04/22(水) 02:30:19 0
名太守じゃないの?
黄忠を処罰したのだって、個人的な借りのために侵略者に手心加えて、領土救うチャンス無駄にしたって話だし。演義でも。

283 :世界@名無史さん:2009/04/22(水) 03:27:19 0
あくまでも「黄忠が韓玄を葬った」
という美事の史跡であって、韓玄のための物じゃないってことじゃね?
黄忠が、韓玄を葬り墓碑銘に美辞を記したっていう。

284 :世界@名無史さん:2009/04/22(水) 03:44:07 0
韓玄祠でググったら名城長沙なるサイトに
『学院衛門後側有漢末韓玄及韓玄祠,韓玄墓、祠因《三國演義》中関羽戦長沙,〜』
って、あった。

285 :世界@名無史さん:2009/04/22(水) 16:29:13 0
韓玄の墓について一番詳しいのは多分「韓玄墓記」ってやつで
清の時代に書かれた韓玄墓碑の写しらしい。
それ以前の時代に出てこないので、墓碑自体は結構新しいと思うが、
演義の影響にしては褒めすぎなんだよなー。

286 :世界@名無史さん:2009/04/22(水) 21:23:21 0
韓玄墓記でぐぐってみると、これは清の汪應銓の作らしいね。
汪應銓は康煕57年の状元(科挙主席合格者)で、韓玄を評価している理由は、ぐぐって出てくる文章の内容
「「威信智略,足以服人」,「ェ厚愛人,玄與三郡倶降,兵不血刃,百姓安堵,可謂知順逆之理,有安全之コ。」
(威信智略は以って人を服するに足る。ェ厚にして人を愛す、(韓)玄は三郡と倶に降り、
兵は刃に血せず、百姓安堵す、知順逆の理を知り,安全のコありというべし。)からみると、
「戦争を未然に避けて他の太守とともに降伏した」からみたいだね。
「他の太守と一緒に降伏→人を説得できるだけの知力がある→韓玄すごい」という論理だと
思う。科挙主席合格なら正史は読んでるだろうし、正史での記述を膨らませればこうも書けるかも知れないね。

褒めすぎだと思うが、まあこの手の文章は郷土の英雄を顕彰する意図があるもんだからなあ。

287 :286:2009/04/22(水) 21:29:38 0
すまそ、書き下しに誤りが。

知順逆の理を知り→順逆の理を知り

288 :世界@名無史さん:2009/04/23(木) 00:06:55 0
汪應銓の作ではなく、韓玄の墓から出土した墓記を汪應銓が取材して記録したものじゃない?

演義で韓玄が黄忠に葬られているから、というのはなるほどと思った。
でも韓玄は演義でも史書でも長沙の出身とは書いていないはずだし…
長沙ご当地では演義から派生した民間伝承が語り継がれていたのかもね。

289 :世界@名無史さん:2009/04/23(木) 02:05:05 0
金石文のほうが、紙の史料よりも絶対に信用できる。

290 :世界@名無史さん:2009/04/23(木) 02:17:23 0
金石文や墓碑の信憑性が高いのは、それが当時に刻まれた一次史料である場合だよ。
必ず二次史料になってしまう史書より必然的に実録に近い。
でも今回の韓玄墓のように、遙か後代になって廟が建てられたりした場合は全然当てにならない。

291 :世界@名無史さん:2009/04/23(木) 09:26:52 O
劉度や金旋の墓はないのですか?

292 :世界@名無史さん:2009/04/24(金) 06:46:03 0
張遼や徐晃が、盪寇将軍に任命されてるけどこの将軍号は
格式としてはどのくらいのものなの?


293 :世界@名無史さん:2009/04/24(金) 14:31:59 0
>>292
雑号将軍。品官でいえば五品。

294 :世界@名無史さん:2009/04/24(金) 15:42:22 0
漢書、史記、後漢書、三国志を検索してみたが、
盪寇将軍の初出は後漢の末期も末期だな。
周慎、趙稚長、劉祥あたりが最初のメンバー。
あまり高いクラスではないと見た方がよさそう。

295 :世界@名無史さん:2009/04/24(金) 16:08:54 0
五品であんまり高い位ではないのか。
これは、元敵将だからそういう扱いにしたのか、それとも
位をおさえてあちこち転戦させまくるため?

張遼が任命されたのが207年ころで40歳手前、曹操配下になって約9年、
破格の昇進とはいえないのかな?


296 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 04:42:39 0
孔明軍師は魏延を最初から信用していなかったというのは本当?

297 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 11:02:10 0
>>269
それは明の羅貫中の小説『三国志演義』の創作ですね。歴史書には出てこないので、
少なくとも事実ではないです。三国時代直後に書かれた陳寿の『三国志』には出てこないでしょう。
それ以外の歴史書にも書いてないと思うけどなあ。

298 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 11:03:41 0
アンカーミス、すまん。>>296ね。

299 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 11:07:26 0
孔明が軍師になるのは魏延加入の大分あとだから「孔明軍師」が魏延を「最初から」信用というのは時期的に難しい

ちなみに魏延は孔明の軍師になってるから信用してなかったというのは演義の創作でしかないと思うよ

300 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 12:14:28 0
>>295
後漢と魏では官制が違うから一概に言えないんだよね。
そもそも後漢では、黄巾の乱あたりまでは雑号将軍ってかなりの地位だったんだ。
将軍位としては下の方だけど、だいいち将軍位そのものが相当に高貴。
李カクや曹操のころから急速に価値が下がってきて、
定員がないから、張遼のような一般の武人にも与えられるようになってくる。
それでも高位といえば高位には違いないけどね。
呂布が滅んで中郎将、年功で裨将軍、柳城で大功立てて盪寇将軍だから、
まあ順当なところじゃないかな。
破格の昇進というほどでもないけど、停滞でもない。

301 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 12:54:07 0
>>295
張遼(206年〜盪寇将軍)と同時期の盪寇は、凌統(214〜盪寇中郎将)、関羽(209〜盪寇将軍)
ついでに楽進の折衝将軍は同時期に甘寧(214〜)

盪寇は敵を滅ぼすという意味(折衝は敵の衝いてくる矛先を折るって意味)らしいから、
前線に配置された人物に付けられやすい雑号なのかもしれない

302 :董卓:2009/04/25(土) 13:15:00 0
徐エキ。

303 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 13:40:32 O
ちょっと前の議論だが、何故軍人が徐々に蔑まれるようになったかについて。

後漢では軍制改革が光武帝・明帝の前二代において行われたんだが、
確か私奴婢が軍に志願して自分を買い戻すことを認めてるんだよね。
だからそこから来た蔑視発言じゃないかな>庸奴
後漢末頃、奴婢が階級脱出のために志願するのが常識化しはじめ、
奴婢への差別意識と武への蔑視が結び付き出したんじゃないかと。

304 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 14:13:58 0
伏波将軍も雑号将軍だった

305 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 19:02:40 0
>>300
張遼・于禁・臧覇辺りが、曹操の配下武官で初めて中郎将・偏将軍・雑号将軍と昇進していったトップグループだからね。
その意味で将軍号が常置の官になっていく時代の先端を切る立場だったと言える。

そういう意味で、
>>295
若さと陣営に加わった遅さを考えれば張遼の昇進は「破格」と言っていいと思うよ

306 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 19:13:05 0
>>303
遅くとも武帝の時代に儒学統治が固まるまでには、
そうでなくとも春秋戦国に諸子百家が持論を構築していた頃には
既に中華は文高武低。もっと前には武士社会だったというけどね。
劉邦の古参部下達もほとんど下級官吏か在野の商人。
劉秀の二十八将のうちの「叩き上げ」達も殆どそんな感じで、
統一後は爵位を与えられて厚遇はされたが朝廷の政治には預かれなかった。

307 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 20:47:21 0
士大夫=何でも出来る
兵子=殺し屋

みたいな感じ
完全に分業化されてた訳じゃないだろう

308 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 21:20:30 0
>>306
そういう要素もあるだろうし、>>303の言ったような要素もきっとある

前漢ではいわば国民皆兵で、丞相の子でも兵役を逃れられないとの言葉があるほどだった
そういう情勢では軍役は避けたいものだとしても兵士だからといってむやみに差別的になる部分は薄いだろう
それが後漢末のあからさまな「兵子」差別に繋がるには、>>303の言うような兵士、兵役の質そのものが変わったことが理由になりうると思う

309 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 21:38:05 0
武人が差別されたのは、兵士だからではなくて、
(官に就いているにも拘らず)教養が無かったから。

310 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 23:24:51 0
武官学校のようなものはなかったのか?

311 :世界@名無史さん:2009/04/25(土) 23:49:41 0
教育は自己負担。
関羽が成人してから春秋を嗜んだというのはそれだろう。
地位に相応しい教養を身につける必要があった。
まあ、関羽が若い頃にどのくらいの教養を身に着けていたかなんてもうわからないけど。

312 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 00:13:36 0
関羽も名門出身?

313 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 00:19:11 0
良くて下層士人だろう

314 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 00:19:43 0
塩賊だろうな

315 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 00:21:34 0
そりゃ相当後に作られた伝説だろ

316 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 02:25:48 0
学問なんてよほど裕福じゃないとできない時代だろうな。
印刷術がないから、まず書物自体が貴重なんじゃ?

317 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 09:25:24 O
>>310
少なくとも中央の兵士については、光武帝が専門の官をおいて教育を行っていたかと。
確か『舊唐書』かなにかの記述だが。

318 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 11:57:25 0
>>312
髭出身

319 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 13:41:42 0
実は劉備は倭人だったの?

320 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 16:36:04 0
その通りです。
『覇-LORD-』という作品が日本語では初めて真実を伝えました

321 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 16:47:49 0
劉備は北京っ子だぜい!

322 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 17:05:59 0
三国志武将で非漢民族らしいのは馬超だけ?

323 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 17:11:37 0
異民族の血が混じっていると明記されてるのは確かに馬騰の血統くらいかな
ただ辺境で蜂起した豪族達にはそんな感じの人間が結構いたかもしれない

324 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 17:11:50 0
いや、馬家は漢人の系譜だよ。
漢人の定義がわからんが、異民族の血がはいっていると思しき者なら何人もいるし。
あと劉豹とかの匈奴系も出ているじゃん。

325 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 17:11:51 0
王平が板〜蛮とかいうやつらしい

326 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 20:17:48 0
>>322
胡車児だな
胡姓はあやしい

327 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 21:33:42 0
杜コ、朴胡が巴夷だな。高定が南蛮人。沙摩柯も蛮夷だったはず。
攴胡赤児もいるし、軻比能とか蘇僕延とか…きりがないな。
322が聞きたいのはそういう意味じゃないと思うんだが。

328 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 22:07:05 O
有名な金一族は皆完全に匈奴の血筋じゃなかったか?
そもそも氏の由来自体。

>>327
じゃ>>322はどういうこと聞きたいと思うん?

329 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 22:48:20 0
>>328
漢人の社会、価値観、文明、官僚機構に組み込まれ、
漢人と変わらぬ人生を生きた人物のことじゃないの、たぶん?
だとしたら少数民族の首魁をいくら挙げても意味無いなと思ってな。

330 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 22:49:29 0
>>326
ああ、胡昭とか胡烈とかね

331 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 23:07:21 0
曹操の幼名は阿瞞であるこは、欺瞞が得意の悪党であったから。

332 :世界@名無史さん:2009/04/26(日) 23:15:05 0
幼名は悪い名を付ける
厄払いの意味がある


333 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 01:00:31 0
姜維もそうでないの?

334 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 01:09:52 0
諸葛亮の孫娘が諸葛果。
きっとみずみずしい女の子であったに違いない。

335 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 01:11:15 0
孫権なんかも異民族だろ?

336 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 03:20:01 0
司馬懿には、非常にユニークな身体的特徴があったと言われています。すなわち、首を180度後方に曲げられるというのです。お前、人間かい!



337 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 03:31:28 0
まさに、我が知略に死角なし!ってとこか。

曹爽の使者に対して痴呆のふりをして油断させたとかいうし…

338 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 17:02:02 0
まあ首の関節可動域が広いってのはあるかもしれんが
180℃回るってのは多分>>337的な意味の隠喩じゃないかな

339 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 17:49:36 0
腹芸がすごいってことだろう
曹操はニガテっぽい

340 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 17:57:47 0
>>338
劉邦や項羽、さらには孔子なんかもそうだけど、天下を取るような奴はありえないような身体的特徴を持ってるものなんだよ、中国の伝統的に

341 :世界@名無史さん:2009/04/27(月) 23:34:44 O
>>340
手長耳長でタク郡の生まれだったりな。

342 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 02:24:15 0
曹操ほどのやつが、司馬懿の腹黒さを見抜けず、仕官を嫌がっていたかれをわざわざ登用したというのもへんだ?

343 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 02:26:03 0
孫文や毛沢東には(人格的にはあったろうが)身体的特徴あったか?

344 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 04:32:04 0
鍛えたら、首の関節180℃回るの?

345 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 05:13:15 0
ぶっちゃけ、いうならば史書に名を残すようなメンツは悪党と大悪党ばかり。

346 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 06:29:16 0
>>340
そんなもんここにいる人間なら誰だって知ってるよ
ただそう言われると言うきっかけが何かという話をしてるんだよ

347 :趙匡胤:2009/04/28(火) 07:18:39 O
>>341
呼んだ?

348 :董卓:2009/04/28(火) 07:26:33 0
董卓は異民族の血混じってなかったっけ?

349 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 12:33:42 O
>>346
じゃあなんで曹操はそういう特徴がないの?

350 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 13:03:25 0
「石兵八陣」というのは、実際にはどのような軍事構築物だったのでしょうか?

351 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 15:02:01 0
軍事専門家としての「軍師」なんてプロイセン参謀本部までは世界史上に存在しなかったんだよ〜んw

352 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 17:40:36 0
三国演義の諸葛亮も含めて中国の「軍師」は軍事参謀という意味じゃない。

353 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 17:43:05 O
その前に唐突に何を言い出すんだって話だが。
直前の話題とも、スレの内容ともそぐわないことを言い出して。

354 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 17:47:56 0
>>342
当時はどこも人材不足で名士として評判があるなら
曹操はほっとかないんじゃないの。
他所に取られたらかないわないから。

355 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 18:58:10 0
司馬懿の故郷は曹操の領土だから余所に持ってかれる心配はないよ。

356 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 19:15:18 0
一族から誰も仕官しなかったら、所領没収、追放されたからでは?

357 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 19:23:37 0
つ 司馬朗

ま、曹操が司馬懿の危険を初めから予知していたというのは後付けだろうね。
優秀で名士と看做され、しかも大族の一員だから、曹操は辟召して自分の勢力下に組み込むことを強く望んだ。
長く使っているうちに或いは本当に司馬懿の危険性に気づいたかもしれないが、
そのときには曹丕とマブになっていたので司馬懿は危険を逃れることが出来た(これは史書にもある下り)
というところだろう。

358 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 19:55:40 0
親父の司馬防が曹操を北部尉に任命した話、
権威付けの後付け設定だよな?・・・たぶん

359 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 23:32:16 O
>>349
曹操は帝位についてないしねぇ。

360 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 23:40:18 0
>>359
曹丕にも無かったような

361 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 23:52:28 0
漢書を見ると、劉邦以外冒頭に外見の特徴がある皇帝はいないみたい
裴松之が引用しなかったのは、「魏書」や「魏略」も魏皇帝の特徴を書かなかったんだろう
「三国志」の時点では、陳寿が暗に劉邦に準える意図を込めた劉備の例が特殊なんだろうな

362 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 23:53:01 0
>>351
>>352
制度史史料として有名な唐の杜祐『通典』卷二十九 職官十一・武官下・監軍軍師祭酒、理曹掾屬附の条には以下のようにあるから、
軍師は軍事専門家や軍事参謀というのも間違いとはいえないのでは。「軍国選挙及び刑獄法制」の全てに決定権を持つ官職を
軍事専門家や参謀でないというのも無理があると思う。

「魏は荀攸をして軍師と為し、軍国選挙及び刑獄法制、皆な決せしむ。又た梁義を左軍師と為す。(呉は?)朱然を右軍
師と為す。蜀は諸葛亮を以って軍師將軍と為す.」

363 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 23:58:09 0
>>361
光武帝や晋武帝にはあるから、創業者特有のものなんだろう
だから漢書のほかの皇帝を見てもしょうがないと思うよ

364 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 00:01:45 0
>>362
うん、その辺りのことを鑑みて言った。
官職としての「軍師」は、丞相や高位将軍の下で軍行政を統括する職であって、
作戦計画立案に専従する「スタッフ」ではない。

で、一般通念としての「軍師」は、おなじみの諸葛亮のように、
君主への助言を行う「師」であると同時に君主に代わって軍を統括する「軍の師」でもあるのでやはり参謀ではない。

だから唐突に何いってんの? という>>351への皮肉のつもりだった。なんか便乗みたいになってしまったけど。

365 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 00:03:26 0
>>363
そうなんだけど、三国志が書かれた時点で後漢書も晋書も成立していないから、その伝統もまだ成立していないんだ。
…はず。散逸したほかの史書でどうだったのかわからないけど。

366 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 00:18:42 0
>>365
班固の「白虎通」の時点で「聖人皆異表有り」と言われてる
厳密には特殊な身体を持つのは創業の君主ではなく「聖人」(五帝、殷湯、周文武、周公、孔子など)で、劉邦や光武帝や晋武帝もそれになぞらえたんだと思われる
劉備ももちろんその一環だろう
「異表」から曹氏の創業者親子が排除されてるのは、ちょっと奇異な印象だね
聖人度において劉備に劣るものということになるからね


367 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 00:27:42 0
「異表有り」はわかるんだけど、
この場合は、歴代始祖の紀の冒頭にその異表を記すのを慣習にしたのは、もしかしたら陳寿以降なんじゃないか?
と言いたい。確証なんて無いけどね。「魏略」や「魏書」は先に成立していて、その慣習を持たなかったので記されず、
裴松之も引用できなかった、と。

とするなら、曹操の異表を記さず劉備のを記すなんて横車が罷り通ったのも頷ける。
この時点ではその慣習は無かったのだから非難しようがない。

368 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 00:31:41 0
>>367
史書の創業者の表記法としての成立はそうだとしても、陳寿の段階で
劉備=異表→聖人
曹操=異表なし→ただの人
ってほとんど明言したも同然だってことになるよね
これを非難したり反論したりした形跡がないってのはすごく面白いことだと思う

369 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 00:41:23 0
>>368
まあ、非難されなかったかはわからないけどね
荀勗のように気に食わなかった人間もいたようだし(でもこれは荀ケ絡みか?)
でも「統一王朝の天命は魏晋に譲るよ。でもうちの皇帝も天命は他所へ移ったけど漢を受け継いだんだよ」という
暗の陳寿の姿勢を、故国を思うものとして認めた人もいたかもしれないなあ

370 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 03:23:01 0
荀ケ伝は絶賛に近いと思うのだが。
気に入らなかったのは曹操との確執が伏されてて漢の忠臣臭が薄められてたからとか?
俺の子房発言も曹操が勝手に評しただけだし

371 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 10:11:16 O
陳寿の忠義に配慮ってのと、魏成立当時中原に現れた聖人は
司馬懿だけとなってたから憚ったというのはどうかな。

372 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 10:13:19 O
と思ったけど、よく考えたら王莽も異相あったような?

373 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 17:19:32 0
三国時代には青銅の武器であって、鋼鉄の武器は将校クラスしかもっていなかった。

374 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 17:24:35 0
>>372
おっと髪型についての話題はよしてもらおうか。

375 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 18:26:23 0
すみません三戦板の「魏オタ的に見てレッドクリフ〜」スレからここを紹介されたのですが
蒼天航路と正史の比較をしていました
次の部分は正史ではどのような記述になっているのでしょうか

呂伯奢の家族殺害の部分
自分の意見に反発する軍師を殺したのかどうか?
荀ケとの亀裂の真相
華佗の殺害の部分
徐州虐殺
孔明は曹操に心酔してたか

376 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 18:45:57 0
呂伯奢の家族殺害の部分 :正史では正当防衛


377 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 20:45:32 O
>呂伯奢の家族殺害の部分
正史には存在しない。
注に引いて『魏書』では正当防衛、『世語』では家の人を勝手に疑って、『雑記』では食器の音で勘違いして
それぞれ家の人を殺している。
ただ『魏書』は自国史なので客観性に若干疑問あり。
陳寿が載せなかったのは、人によって意見がわかれたからか、重要でないからか、あるいはその両方かと。

>荀イクとの亀裂の真相よく議論にはなる。
真相とよべる程の決め手となる記述はない。
ぶっちゃけ大昔の歴史家達の間でも漢の忠臣か魏の謀臣かで意見が分かれてる。

>徐州虐殺
復征陶謙、拔五城、遂略地東海。還過[炎β]、謙將曹豹與劉備屯[炎β]東、要太祖。
太祖撃破之、遂攻拔襄賁、所過多所殘戮。

まあ要するに曹操は五城を攻略して東海に達し、[炎β]という土地を過ぎたところで、
陶謙が曹豹と劉備を率いて迎え撃ったんだけどこれも撃破して、襄賁を攻略、通り過ぎた所では殺戮が多かったという話かと。

>孔明は曹操に心酔してたか
法家系政治家として見習った部分はあるかも知れんけど、多分ないと思われ。
注の亮集より諸葛亮の魏評要約
「項羽は徳によらず挙兵して横死したが魏はそれを追おうとしている。
…(中略)…世祖(光武帝)は数千で四十万を破ったように悪を討つのに数は関係無い。
現に曹操は数十万揃えても我々に勝てなかった。
(以下数は関係無いということを例えを尽くすだけなんで後略)」
ってな調子なんで。

378 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 21:12:31 0
>>徐州虐殺
後漢書陶謙伝の方にある。一度目の攻撃のとき。
・陶謙は退いて[炎β](タン)を保った。曹操はこれを攻めたが落とせず帰還した。通過するところで、取慮、雎陵、夏丘を抜き、皆これを屠った。
およそ男女数十万人を殺し、鶏犬も余すところ無く,泗水はこれにより流れによりながれなくなった。
これより五縣城にまた行跡なくなった。はじめ三輔(長安周辺は)は李カクの乱に遭い、民衆は流れ移って陶謙に依ったが、みな殲(ほろぼ)された。

379 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 21:27:31 0
心酔してたかどうかまでは分からないけど、
孔明が鶏舌香という口臭を消す香草を曹操に贈ったという話がある。
クローブの実らしい。

380 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 21:33:12 0
>>379
つまり「曹操お前口臭い」っていう罵倒の意味か

381 :世界@名無史さん:2009/04/29(水) 21:42:37 0
曹操は洒落者だったらしいからね
馬にも乗らず羽扇で指揮を執って司馬懿に「名士なり」と言われた話がある諸葛亮と似合いの逸話だな
まあ、両方とも信憑性では怪しいけど

382 :世界@名無史さん:2009/04/30(木) 04:47:04 0
>>380
だったら面白いけどねw
鶏舌香っていうのは尚書郎が皇帝の御前に出て報告する際に含む決まりのもので、
後漢桓帝は年老いて口臭のある侍中にも、直々に賜ったという記録があるね。
つまり孔明は「皇帝陛下に忠実でいてください」という気持ちを伝えるとともに、
曹操の老いをいたわってるわけ。

曹操が「鶏舌香を5斤も贈ってくれてありがとう」と孔明に感謝する手紙を書いてて
『三曹集』59ページ目の「与諸葛亮書」に収録されてる。
http://fliiby.com/file/43800/3bcaydvwki.html

383 :世界@名無史さん:2009/04/30(木) 10:32:09 0
漢帝国の臣下どうしという建前が生きていたんだね。

384 :世界@名無史さん:2009/04/30(木) 11:48:03 0
献帝は劉備に期待していたの?

385 :382:2009/04/30(木) 20:02:25 0
> 曹操が「鶏舌香を5斤も贈ってくれてありがとう」と孔明に感謝する手紙を書いてて

さっき読み返してみたけど、これ話が逆になってるね。
曹操が孔明に手紙を送ったのは事実だけど、
「いま鶏舌香を5斤お贈りして感謝の気持ちに代えさせていただきます」
って言ってるみたい。
最初に孔明の方から曹操に何かの品物を贈って、
曹操はその返礼として孔明に鶏舌香を贈ったんだ。
382で書いてることは嘘っぱちだね。

386 :世界@名無史さん:2009/04/30(木) 20:05:22 0
曹操の代は、漢帝国がまだ存続していたので、地方政権が形だけでも臣従していたのは当然のこと。

387 :375:2009/04/30(木) 20:40:33 0
ご教授ありがとうございます
三国志初心者にはとても興味深い話ばかりで、今後もこちらのスレを参考にさせていただきます

388 :世界@名無史さん:2009/04/30(木) 21:16:44 0
>>385
それだと桓帝の故事に倣って俺こそが皇帝という意思表示になるな

389 :世界@名無史さん:2009/04/30(木) 22:07:09 0
美談だと思って紹介したらとんだ横柄さだったでござるの巻

390 :世界@名無史さん:2009/04/30(木) 22:11:42 0
孔明は何を送ったのだろうか。でも意外だな、二人に接点があったんだ。

391 :世界@名無史さん:2009/04/30(木) 22:33:35 0
オレこそが皇帝、と言う味方もあるかもだけど、独立なんぞせずに臣従して
こっちに来て皇帝に見えよ、と言う風にも取れないかね。

392 :382:2009/05/01(金) 00:32:50 0
>>391が正解に近いんじゃないかなぁ。
昔、太史慈に当帰を贈って謎かけしたみたいに、
「鶏舌香をあげるから、一度こっちの皇帝陛下にご挨拶においで」っていう感じ。
孔明は孟達からも玉ケツ、蘇合香、織成を贈られてるね。これも謎かけだった。

393 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 01:50:47 0
孟達といえば、諸葛亮の義兄のカイ祺を殺してるね。
そのへんのわだかまりとかは無かったんだろうか

394 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 08:58:07 0
劉備の漢中王即位には献帝の承認は得たの?

395 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 09:19:42 0
勿論得てない。
上表はしただろうけど、曹操派が尚書を掌握しているのだから握り潰されたか、
折り返しで賊認定の詔勅が出されただろう。


396 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 09:29:13 0
劉備の益州牧就任には献帝の承認は得たの?


397 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 09:34:10 0
>>154

398 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 11:35:27 0
皇帝に拝謁するとき口臭が分かるほど近くまで近づけたというわけね。
当時はまだ皇帝独裁でなかったから。

399 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 12:09:10 0
蜀では魏の簒奪時に皇帝が殺されたと伝わったらしい

400 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 14:18:46 0
字に孟がつく場合は庶子、ってどこかで聞いたんだけど本当?
曹操とか馬超とかそうなの?

401 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 20:06:17 0
>>400
礼緯に「伯は嫡流の長子、孟は妾腹の長子にすべき」と書いてあるそうだ
後漢くらいまでは緯書が大人気だから、この時期の「孟」は字面通り妾腹じゃないかな

402 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 20:59:12 0
じゃあ誰が嫡子だったのだろうか?

403 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 21:21:37 0
於夫羅・劉豹の南匈奴が実は第2勢力だったのではなかろうか?

404 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 21:27:12 0
>>402
曹嵩といっしょに殺された者の中に実兄がいたのでは?
実は曹嵩殺害の件も、曹操による暗殺(実兄の)だったのでは?

405 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 21:30:31 0
父が家督を実兄に譲るので、刺客を放ち陶謙の部下のせいにして暗殺。徐州侵略の口実に。

406 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 21:35:29 0
>>402
嫡子ってのは正室の子と言う事だから曹操の丁氏のように、子の居ない正妻がいても不思議ではない
曹操に従兄弟は多いが、兄弟が全く史書に出ない事を考えると曹嵩の子で男児は曹操だけだったという可能性もなきにしもあらず

407 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 22:07:38 0
>>404
いや、伯・孟の関係でいうなら曹操は庶兄ということになる
つまり曹嵩と一緒だった曹徳の方が嫡男(曹操の弟)だったということだな

>>406
曹徳がいるよ

408 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 22:40:27 0
>>407
兄弟で徳操セットなのな
曹操は字にも徳使ってるし、案外曹徳は伯操とかだったりして

409 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 22:43:07 0
嫡弟の場合も伯なのかな?

410 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 22:44:35 0
>>408
仲いいなオイ
って弟が兄の諱を字に使うのは駄目だろw

411 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 22:46:57 0
>>410
仲がいいというか「徳操」という儒学の重要単語があって
両者ともにそこから名付けられてるっぽいのでそういう可能性もある
曹徳も別に嫡男で無い可能性だってあるしな

412 :世界@名無史さん:2009/05/01(金) 22:52:19 0
仲いいなは無論冗談だよ
で、避諱の点から操はないだろう

413 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 00:06:05 0
>>412
曹徳が弟でも嫡子だった場合、曹操のが立場が下だから
曹徳が弟の場合は嫡子の場合に限り、ありえるかな
曹徳が兄の場合、嫡庶関係なくありえる

414 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 00:15:08 0
曹操の立場が下だったら、孟「徳」がまず有り得ないって

415 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 07:30:11 0
趙「匡」胤
趙「匡」義

の兄弟の場合、何で諱被ってんの?

416 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 09:02:47 0
朱全c・朱全忠
李存勗・李存審

一族の同世代に共通の一字を付ける習慣は何時はじまったのかは知らん

417 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 10:06:32 0
華佗が外科手術を行ったなる記録は正史には記述されていない。
明代の演義のなかでの話。
明に渡来したポルトガル人の外科手術をみて恐怖に思った話を混ぜたのかも。

418 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 11:14:41 0
>>415
そもそも、親がつける分には避ける必要はないだろう。

あと、最近の話題全般についてのことだが、避けなければならないのは直系親族だけじゃないかな。
漢皇族だけで同名がかなりいる。
光武帝の息子劉焉と劉璋の父の劉焉、劉備の祖先の劉勝と、和帝の息子劉勝、
後漢の宗室で二十八将の一人劉隆と後漢の殤帝劉隆、恵帝の長子劉彊と光武帝の長子劉彊…
数えるのがうんざりしてきたからこの辺で。
ちなみに劉勝の例は明確に祖先の兄の諱を犯している。

>>417
若病結積在內、針藥所不能及、當須刳割者、便飲其麻沸散、須臾便如醉死無所知、因破取。
病若在腸中、便斷腸湔洗、縫腹膏摩、四五日差、不痛、人亦不自寤、一月之間、即平復矣。

開腹手術、恐らく盲腸の記録。
正史の方技伝から。

419 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 13:30:50 0
>>414
兄弟間で避諱するなんて聞いた事ないけどな

420 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 13:36:26 0
>>419
趙匡義は兄貴が皇帝になったら光義に変えてるじゃん
姓と氏が適当になったみたいに避諱も適当になったんじゃないの
今でも続いてるなら「沢」とか「東」が避諱されてもおかしくない

421 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 13:38:37 0
>>420
趙光義の場合は皇帝に対する避諱なので兄弟間ではないです
むしろ最初は匡義だったので兄弟間で避諱してない

422 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 13:47:13 0
儒教、特に朱子学原理主義の社会になってから、親からもらった身体髪膚にメスを入れること自体が、大罪とされるようになって、
外科手術は中医から廃れたのでしょう。
完全に廃れなくても、獄卒処刑人という被差別層の家伝のようになったのでは?

423 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 15:41:51 0
>>420
なあ、皇帝と兄弟への礼を混同してないか?

424 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 17:21:37 0
そういえば、明太祖も朱重八って名前だったんだよね。
この時代の学の無い一般大衆もこういう名前つけてたのかな?
字は士大夫だけだったっけ?


425 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 18:00:50 0
呂布軍は匈奴から成っていたの?

426 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 19:39:51 0
匈奴愛

427 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 23:42:09 O
>>417
>>422
は壁と話してるようだww

428 :世界@名無史さん:2009/05/02(土) 23:55:27 0
>>424
パンピーはそゆ名だけ。
本当は高祖も「季」(末吉)だけが名。

429 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 00:35:10 0
炎興元年癸未、西暦でいうところの263年、季漢はその役割を終え、永遠の眠りについた。
劉備、関羽、張飛、趙雲、諸葛亮らの出会いと青春は季漢と共に確かに存在したのだ。
そしてこれからも存在し続ける…
ひとりひとりの胸の中に。



430 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 01:07:36 O
>>428
勝手に決めつけるなよ
今時そのヨタ話信じてんのかよ

431 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 01:09:28 0
>>428
季は字だろ…

劉邦の名前が本当に邦だった事は発掘された史料等によってほぼ確定されてる

432 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 11:24:32 0
んじゃ、劉邦のオヤジ大公さんの名が伝わっていないのは、「あまりにも恐れ多い」から(知っていても)書くことさえ憚ったから?
あるいは、劉邦はとんでもねー親不孝者であったからか?

433 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 13:17:01 0
>>432
史記とか前漢時代の史書では基本的に書くことを憚りそれがそのまま失伝だろうね
劉邦だって史記では完全に憚られてる
劉邦が劉邦だって事を証明できるようになるには20世紀後半の発見からだしな

434 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 13:21:18 0
黄巾には貧民だけで、士夫人、豪族は参加していなかったのですか?

435 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 13:30:00 O
系図作るの断ったからじゃないかね。
官僚でなくて、系図もないなら、いくら
「書く時は諱を避けなくていい」原則があっても諱が知られる機会はないだろう。
散文的な記録にすらほぼ残らないだろうから、単純に知られていなかったんじゃないか。

劉邦ですら出土資料を待たねばならなかった状況だからねぇ。

436 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 14:37:07 0
>>434
参加してると考える方が妥当
というか黄巾が農民反乱と見るのは演義だけで
実際はもっと別のもの

437 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 19:54:53 O
首謀者が将軍号を初めから名乗っていたり、反乱の理論が王朝交替説の知識に基づいていたり、
少なくとも知識人だわな。

438 :とうたく:2009/05/03(日) 21:23:01 O
今やっと何キ伝読み終わった(笑)

439 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 10:28:18 0
曹操と黄巾の間に政治思想上の一致点があったと考えるべきでは?
青州兵だけでなく、張魯を厚遇したという点で。
屯田、均田という点で。
王モウのような復古主義ではなかったが。

440 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 11:31:34 0
張角は科挙に落ち続けた知識人ではなかった?

441 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 11:38:35 0
曹仁は曹徳とどういう関係?

442 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:16:37 0
司馬徽 徳操 欲張りな字だな。

443 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:26:33 0
>>440
この時代に科挙はない。科挙に落ちまくったというより、
儒教で出世かできなかったから五斗米道を開いたのが張魯の祖父の張陵

444 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:30:47 0
五斗米道の神様ってだれ?

445 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:37:20 0
単発のミニ質問やめれ。
質問自体は別にいいが敬意が感じられん。

446 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:40:03 0
そんなことございません!
ここの皆様を尊敬しております!

447 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:40:29 0
>>444
老子

448 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:42:13 0
>>447
ありがとうございます!老子ですか!
てっきり ゴッドなんとかかな、と。

449 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 14:06:42 0
道教的宗教+塩密売商人団(運送、口入も兼ね流マンを吸収)

これが中国の民衆起義の基盤だ。

本物の「農民」=極貧小作人、農奴であっても土地に留まっている人間=は、今も昔も古今東西驚くべきほど保守的な階層。
「年貢、小作料負けてください」「召しあげた土地の代金安すぎます」という要求ぐらい。


450 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 16:49:53 0
五斗米道の神様=God Beido

451 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 19:56:23 0
>>450
じわじわきたw

452 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 22:31:01 O
この三戦の方がレベル高そうな酷い流れは何で?

453 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 22:44:32 0
中日ともに昔から三国志というのは、厨房の唯一の読み物とされてきたので、本格史家が猫またぎしてきたから。

454 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 22:52:04 0
ここすげぇレベル高い。


455 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 22:54:46 0
中日ともに昔から三国志というのは、国際政治上危機対処の最も偉大な古典とされていたので、一流の学者が熟読してきたから。


456 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 22:57:34 0
みんなの三国志。

457 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 23:00:21 0
おいらの三国志、あんたの三国志。

458 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 23:45:22 0
>>452
アホな連レスするバカがいるからじゃね

459 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 00:57:15 0
呉の話があまり出てないような。

名家の誉れ高く、武力もそれなりに持っていたはずの周氏が
出自のはっきりしない孫氏の風下に甘んじたというのは
呉独特の気風のゆえか、興味深い。

460 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 01:19:03 0
親分肌じゃなかったとか>周氏

461 :支那:2009/05/05(火) 02:18:41 0
中日 じゃなくて
日支 と言ってほしい。

462 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 02:35:14 0
ナンバー1より重いナンバー2というのはおいしいのかもな
つっても周ユくらいだが

463 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 03:14:03 0
魏の程イク、司馬懿。蜀の関羽、諸葛亮。呉の陸遜とかもそうだな。
主君よりも、ということはないが、ほぼ同等の権限を持たされていた。
程イク、関羽、周瑜、陸遜は国土の半数を分け与えられる形で、
司馬懿、諸葛亮は君主権の大部分を代理する形で。
袁家の沮授は後者の仲間だな。

464 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 03:36:04 0
三戦でやった方がいい流れだな

465 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 04:01:45 0
陸遜にそこまでの権限はないだろう

466 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 05:35:11 0
のちの西府・北府の勢力を考えるとそうとも言い切れんのよな。

467 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 11:45:00 0
曹操が呉に殺された関羽に、閨秀王の称号を追贈したのは史実?演義だけの話?



468 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 12:25:07 0
閨秀王って何?演義にそんな話はないよ。
ていうか、閨秀って才女って意味だし。

469 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 12:30:55 0
呉が殺害した関羽の首を魏に送ってきたとき、
これは劉備の恨みを魏に向けさせようとする陰謀であると見抜いた曹操は、
関羽の首を懇ろに葬って荊州王、南郡太守、鎮南将軍の称号を追贈したのではなかった?

470 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 12:39:16 0
>>458
このバカ、コテ付けろっていっても聞かないからな
あぼーんもできない

471 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 13:42:37 0
閨秀って誤字かよ。詫びろとは言わんが、ちっとは自己説明しろって。
演義は版本によって内容に異同があるので断言はしないが、
関羽が荊州王に封ぜられたなんて話は俺の知る限りはないな。

つか、君は書き込む前に、それを皆に読ませる価値があるか考えなよ。
それができんのだったら、もう書き込むのはやめなさい。
これで最後な。俺はもうレスしない。

472 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 17:20:39 0
曹操は「諸侯の礼を以て関羽をとむらった」(正史)>>467

473 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 17:31:44 0
なにが間違ってるのか分かるけど
こんなヤツにのレスにはあえて指摘しないのが正解だとは思う

474 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 18:29:41 0
>>459
気風じゃなくて時の力関係だろう
孫堅はなんだかんだで豪族だし、婚姻を使った他族との提携も手広く行ってた
孫策は袁術をバックにして周瑜が合流する時期は各地を制圧して日の出の勢いだった
周氏は名門だし地に根は下ろしてるようだが、当時は孫策の方が一時的に力関係が上に見える

475 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 19:23:36 0
>>469
毛宗崗本の『三国演義』だと、第七十七回に
「操自拜祭、贈爲荊王」とあるね。

荊州王、南郡太守、鎮南将軍って誤解してないか、それ。
荊王は春秋戦国時代の楚王の異名で韓非子・呂子春秋に頻出する言葉。
で、戦国の楚国は強国で、領土は南中国全部。
南郡太守・鎮南将軍なんかより元々ずっと格上の王位なんだけどねー。
荊州牧とは全然格が違うんだよな。そこを間違えちゃいけない。

ま、でも>>471もどうかと思うけどね。「演義は版本によって内容に異同があるので断言はしない」
とか大見得を切っておいて一番ポピュラーな毛宗崗本も見てないってのがなあ。
ネットで幾らでも原文が見られるっしょ。見れば荊州王は荊王の誤りだくらいなことは分かりそうなもんだ。
単発質問もレベルが低いが、回答者もレベルが低いよ。

476 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 19:41:21 0
劉備が益州を簒奪し益州牧を自称したのちは、誰が荊州牧になっていたのですか?
そのまんまですか?

477 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 19:47:18 0
こうやって構うヤツがいるから無意味な単発質問を連発してスレを盛り上げてる気になってるアホが湧くんだろうな。

478 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 19:53:19 0
>>476
関羽だろ

479 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:08:26 0
>>478
違うよ。
でも知ってても答えなくていいよ

480 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:11:25 0
三国志何ザ飽きるだろ、良く飽きんな

481 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:13:37 0
>>480

つ 春夏冬

482 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:17:21 0
>>476
和議で孫権に2郡とともに譲っただろ

483 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:29:23 0
荊州失陥の最大の戦犯は、他ならぬ劉備だと思います。劉備は、孫権というファクターが天下三分の計の最重要の前提であることを忘れてしまい、孫呉を怒らせる行動ばかり取り、
しかもそれに対して何のフォローもしませんでした。劉備は、もう少し孫権に気を遣うべきだったと思うのですが。


484 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:40:03 0
劉備というのは孫権の一武将でしたから。

485 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:47:30 0
>>483
「孫呉を怒らせる行動ばかり取り」というのは具体的にはなんのこと?

486 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:56:10 0
入蜀を共同でやろうとしたら同族は討てないよと建前をほざく
単独で孫ユを送り込んだら実力行使で中止させた
何食わぬ顔で自分は劉ショウに詐欺行為して侵略
益州手に入れたんだから約束通り荊州返せや、と言ったら涼州取るまで勘弁と返す

涼州取ってからだと多分取りに言っても返り討ちだろうな

487 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:00:04 0
1)益州を孫権に抜け駆けして奪取
2)荊州を返還しなかった
3)それを全く居直った

488 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:02:24 0
三戦よりもレベル低いみたいだから理解できるかわからないけど
劉備がどうしようと呉は荊州欲しいんだからいつまでも同盟は維持できない
関羽と婚姻進めたこと自体 関羽が断るのを見越した外交戦略だろ

489 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:04:15 0
素直にかえしたほうがよかった。が、劉備軍団精鋭は荊州出身者だから出来なかったんだろうね。

490 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:05:47 0
>>486
それ以前に孫権によって不誠実な態度もあるんだけどもな
当初連合軍として組んでた筈なのに江夏は何故か孫権自身が乗り込んで火事場泥棒

赤壁終了後から実は結構お互いの足を引っ張り合ってる


491 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:06:52 0
周瑜を実力阻止というのは無いと思うが、
ともあれ>>483は劉備の天下三分の計の遂行を認める視点に立っている。
であれば、>>486のような術策を使わず、孫権の頚木を脱し、
かつ曹操に負けない速度で益州を取り、しかも荊州を保持する戦略が存在しなければ、
劉備には他に道がないのだからどうしようもない。
口先や贈物などで誤魔化すことは幾らでも出来るだろうが、
孫権がそれに騙されるタマでもなかろうしね。

492 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:07:49 0
劉備など自分の領地の無い只の傭兵隊長なんだから、対等の「連合」など有り得ない。

493 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:13:52 0
>>491
江夏は劉キの土地だよ
さらに貴重な1万の兵力を有している
同時に劉備も劉キによって立つ瀬無いというわけではない
まあ仮に対等の連合ではなかったとしたって、「江夏を取られた」という心境は劉備達から消えるもんじゃない

494 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:15:46 0
>>489
素直に返すってのは盟約によって返還するということだろうが、
そうするとのちの蜀漢の官僚集団をごっそり手放すことになるから
結果論で見ても夷陵で負けた方が傷が浅いだろうな

495 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:18:46 0
赤壁で助けてやった=江夏は当然の代償
江陵で戦ったのは俺たち=三郡くらい俺らのでもいいだろ妥協汁
関羽が兵糧を盗った=荊州は全部俺らのw諦めろw

こんな感じに拡大

496 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:21:10 0
>>494
劉備の威信には傷がつかないのでは?

497 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:21:47 0
>>495
そういう感じで悪循環に陥ってったんだろうね
どっちが悪いのか、じゃなくてどっちも自分勝手だったというのが正しい
そしてチキンレースに負けたのが劉備だった、と

498 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:23:31 0
弱いくせに3代にわたって実力をつけてきた孫権さまに張り合うことが間違ねんど。

499 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:26:10 0
劉備が攻めてきたので恐慌して土地を割譲して講和しようとしたら
陸遜様がやっつけてくれたので調子こいて皇帝に即位
その大恩ある陸遜様を二宮の変で憤死させるアホが孫権ですが

500 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:26:53 0
>>496
実効支配している州をただで返還し、多くの離反を招けば劉備の権威は失墜なんてもんじゃないよ
漢中王なんていってる場合じゃなく軍閥は解体する
夷陵で負けても、「戦に負けた」という程度にしか劉備の権威には傷が付いていない、
或いはその後の一年弱で盛り返した。だから蜀漢は存続した。

501 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:27:58 0
その劉備に攻められて降伏寸前までになったとき
賭けで用いた陸遜が大当たりで大勝し、護国の英雄となった彼を
嫌がらせしてぶっ殺したり宦官重用して呉の滅亡の原因作った孫権さま
は有能ですね

502 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:33:40 0
孫権が重用した宦官って誰だっけ?呂壱のこと言ってる?

503 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:34:11 0
>>500
仮に空手形に近いものであったとしても涼州取ったら荊州返すってのは
相当に苦渋の決断かつ大幅な譲歩だよね
まあ長安取れれば確かに荊州を手放しても何とかなるんだけど

504 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:34:38 0
>>476
>>482

誤りが訂正されてないみたいだから敢えて書いとく
荊州牧はずっと劉備が持っていた

505 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:43:53 0
>>503
限りなく空手形だし、口先だけなんだから決断も何もして無いだろう。

孫権は劉備に対する軍事的優勢を盾に荊州の「領有権」を認めさせたうえで、
貸し与える形で荊州を代行支配させた。
劉備は荊州での人的影響力と実効支配とを元手に返還要請を突っぱねた。
土地は徳に帰す、という方便が実際に使われたかは解らないが、
要するにこれは「ここは俺らが支配してるんだから欲しけりゃ実力で取ってみろ」
ということ。関係者の挙動を見るに、実際関羽軍の陸上での優勢は強固なものだったのだろう。
そこで孫権は荊州奪還を関羽との正面決戦無しで達成し、劉備本人による再奪還の軍をも撃退した。
全ては軍事的力関係の上で起きていることだね。

506 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:48:57 0
孫権は揚州牧

507 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:53:24 0
荊州の士太夫がどうして覇王孫権じゃなくいかがわしい劉備についたのだろう?

508 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:54:23 0
>>505
いや「領有権の正当性」を相手に認めてる時点でこの時代としてはすっごい稀有なことだよ
空手形とは言え本当に涼州取れちゃったらある程度は動かにゃならん

まあ逆言うと、涼州取ったらお前と同盟破棄、かもしれんが

509 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:56:03 0
・孫氏と荊州とは孫堅以来長年構想してきた宿敵同士だから
・劉備は中原で長く戦い名声を挙げてきた著名人で、位階でも他を圧倒していたから
・劉備派には劉gがいたから

510 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 21:57:08 0
>>507
劉備のほうが血筋的にまともだから
一応先に言っとくけど劉備の血筋は当時から否定されてないからな

511 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:00:16 0
>>507
劉備は荊州に逃げ込んだ6、7年程の間に名士や豪族と交友を深めてたから
史書の記述をそのまま信用するならあまりにも皆劉備と仲良くしたもんで
劉表が劉備を危険視してたとさえ言われてる
さらに劉備の配下には諸葛亮や伊籍なんかの荊州の著名人もいた

512 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:03:05 0
でも劉表には、非業の死を遂げた2人の息子以外には、本当に一族が居なかったのかな?

513 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:03:05 0
>>507
将軍位が劉表より高いような人物がいかがわしいなら、孫権なんていかがわしさの極み

514 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:04:21 0
また同一人物の一行質問が

515 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:07:26 0
>>507
劉備はネ申だからにきまってんじゃんwwww

516 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:10:08 0
結論としては>>475自身も含めて
>>475の最後の一行が正解ってことだな

517 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:11:08 0
左将軍位など曹操を裏切ったので剥奪だああああ

518 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:14:18 0
>>517
ところが曹操が劉備から将軍位を剥奪したって記録はないんだよな
後に于禁が左将軍になってるから剥奪はしてるんだろうけど

519 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:18:14 0
厚遇してやったのに曹操様を裏切りくさった劉備は犬にも劣る外道!

520 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:20:56 0
自分もそうだったけど演義読んだあと
ちょっと正史知ったり蒼天読むと 劉備孔明屑wwww 曹操最高!!!
ってなるけど
ちゃんと読んでみたら劉備 孔明も英傑だと思えるようになった
蒼天劉備は劉邦に似てるよね 

521 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:21:25 0
>>518
于禁は魏王の左将軍。漢の左将軍とは別物

剥奪はしてるだろ。わざわざ書かれないだけで、劉備らは逆賊指定されてるんだから剥奪されなければおかしい。
再び帰順したときに前より低い官位らしき群雄もいる。韓遂とか。
しかし、劉備の左将軍・豫州牧・荊州牧・益州牧の印綬は全て朝廷から与えられた本物。
後から名位は剥奪されても、「あれは朝廷を意のままに操る曹操の偽の詔勅なんよ」と言えば、
曹操の影響力が及ばない者達へは効果がある。勿論、劉備自身の軍事力と影響力が前提での効果だけど。

522 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:22:33 0
皇帝の末孫など何万といたわ!ヴォケ!

523 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:23:44 0
あ、ごめん。荊州牧の印綬は劉jが朝廷に返還したはずだから
劉備が持っていたのはでっち上げだな

524 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:25:45 0
益州牧の印綬自体=物体はホンモノでも劉ショウから強奪したもの。

525 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:27:01 0
というか劉ショウが本物の益州牧ではない

526 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:28:13 0
>>524
「劉璋の帰順を受け入れた上で正式に譲られたもの」だよ。
政府機能が崩壊している時点での名分としては、これより上等なものはそうはない。
徐州牧もそうだったな

527 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:28:41 0
曹操支配地以外の地方官は全て僭称。

528 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:34:15 0
>>525
劉璋は「本物の」益州牧。
曹操が献帝を掌握した後に曹操派についてるからね。

529 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 22:42:45 0
>>528
「偽者」劉備に助けを求める時点でそれも成り立たないよね
だからそういう観点で「本物」「偽者」を云々しても仕方ない

530 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 23:06:13 0
>>521
ああ、そういや魏と漢のダブルスタンダードでややこしくなってんだったな

531 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 23:08:55 0
まったく三国志ってのは常夏だよなぁ〜

532 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 10:27:20 0
>>529
そうだね >>524-525の指摘はあまり意味が無いってことだ。
勿論、朝廷に正式に認められたかどうかというのは求心力にある程度差があっただろうけどね

533 :董卓:2009/05/06(水) 12:00:29 0
519に言う。あれはただの曹賊。劉備が犬に劣る畜生なら、曹賊は徐州大虐殺
を行った人の姿をした悪魔。(董卓も似た部分がある。)

534 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 12:58:42 0
曹操さまの父上を殺害した黄巾残党の徐州住民は成敗されても合法的。
徐州大虐殺というが、黄巾討伐の過程で官軍が行ったことと、それほど大差なかっただろう。

535 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 13:26:12 0
ちょっと待て
徐州住民は黄巾残党なのかよw

536 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 14:12:57 0
劉備も益州住民を大虐殺。


537 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 14:25:43 0
呉に唆されて反逆した益州南部住民を大虐殺。


538 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 14:27:49 0
族滅が当然の時代だから。

曹操さまこそ、投降者をもっとも寛大に受け入れて給していたから人望大だった。

539 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 14:36:33 0
劉ショウの軍団も、益州土着民ではなく中原から流入した「東州兵」とよばれる人びとだったので、先住民との摩擦を起こしていた。


540 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 14:39:22 0
曹操さまのえらいところは、特定勢力のみから厚遇しなかったところにある。

541 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 14:47:22 0
君ちょっと連レスしすぎ

542 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 14:48:21 0
“曹操さま”ってキショイよ、こいつ。
“さま”付けなのに諱で呼んでるし、デタラメだな。

543 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 14:58:16 0
>>536
堂々と成都入城した劉備は、劉璋と対面してその潔い決断を賞揚すると、その身柄を公安に移すよう手配した。
彼が、かつて朝廷から拝領した振威将軍の印綬を、そのまま持たせてあげたのが、せめてもの情けである。
劉備は、劉璋に代わって益州牧を名乗った。これで彼の肩書きは、漢の左将軍・領豫州荊州益州牧・宜城亭侯という、舌を噛みそうなくらいの物々しさとなったわけである。



544 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 15:00:49 0
譜代の家臣の論功行賞は、以下のとおりである。

諸葛亮は軍師将軍兼益州郡太守、関羽は官職は従前のまま荊州軍事総督、張飛は以前の官職に加えて巴西太守、趙雲は翊軍将軍、馬超は平西将軍都亭侯、
法正は揚武将軍兼蜀郡太守、黄忠は討虜将軍、陳到と魏延は共に牙門将軍、麋竺は安漢将軍、麋芳は南郡太守、簡雍は昭徳将軍、孫乾は秉忠将軍、馬良は左将軍掾、
劉封は副軍中郎将、劉琰は固陵太守に、伊籍は左将軍従事中郎、孟達は宜都太守、霍峻は裨将軍兼梓潼太守に昇進した。

また、新付の家臣の論功行賞は、次のとおり。

呉壱を討逆将軍、李厳を犍為郡太守、費観を巴郡太守、黄権を偏将軍、董和を掌軍中郎将、費詩を督軍従事にそれぞれ任命した。


545 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 16:03:50 0
>>519

劉備元徳が曹操から離反した経緯が全くワカリマセン。なぜでしょうか?
董承を中心とする反曹操クーデター勢力の一味とばれたから逃げ出したというのは作り話でしょうか?

546 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 16:12:20 0
当時袁紹の方が圧倒的有利だったからだろう

曹操は対袁術・袁紹戦を見据えて劉備を厚遇したが、
檄によって雪崩をうって袁紹側に付いたという有象無象のうちの最右翼が劉備だった。
その他の多くの中にも高官名士がいただろうが、曹操勝利後に再帰順しても
日の目を見ずに終わったから「魏」志には名前が残っていない

547 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 16:28:21 0
公孫王+賛と、高句麗にも関わる遼東公孫氏(司馬仲達に皆殺しにされる)は親族なのか?他人なのか?


548 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 16:42:09 0
>>547
西暦200年ころに遼東半島を支配した公孫度、公孫康親子は他人の仮の名と思われます。
前漢の武帝の時代に丞相を務めた公孫弘と度の親子からその名前は借用したものでしょう。



549 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 16:47:39 0
このスレはいつから妄言を吐くスレになったんだ?

550 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 16:48:23 0
『三国志魏書』公孫度伝


公孫度字升濟、本遼東襄平人也。
度父延、避吏居玄菟、任度爲郡吏。
時玄菟太守公孫域、子豹、年十八歳、早死。
度少時名豹、又與域子同年、域見而親愛之、遣就師學、爲取妻。


東夷の小役人が玄菟太守公孫域との関係から、同族と僭称したのでしょう。



551 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 16:52:17 0
>>548
公孫なんてポピュラーな姓で、どうして仮名説が出てくるんだ
公孫度は父親の官歴が明白で、自身も朝廷に官を受けて太守まで出世したあとに
後漢末の混乱を受けて自立した人物。
余程の反証がない限り出自は史書の通り明白だよ。

552 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 16:56:06 0
延という漢名をもつ高句麗人の下級役人の息子が成り上がり、
時玄菟太守公孫域の早死にした息子と同じ歳であることを利用して、同族であると僭称した。

553 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 17:00:33 0
証拠らしきかけらさえない妄言。

公孫度が公孫域に尊重されたのは、同姓の公孫氏でかつ息子の同名の豹だったから、とするのが普通の読み方。
公孫が偽名なら域に可愛がられる理由がなくなる。

554 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 17:02:28 0
当時の玄菟郡は東夷の圧力で半ば放棄され遼東郡とあまり変わらない位置にあったはず。


555 :世界@名無史さん:2009/05/06(水) 21:17:31 0
とりあえず連レスしてるヤツはコテ付けろ
ウザすぎる

556 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 01:28:59 0
荊州の領有問題だけれど、少なくとも劉キが生きて荊州刺史であった間は
劉備と周瑜は本当の意味で連合してるような感じ。江陵攻略戦には周瑜に
張飛が付き従ったりしてるしね。

そもそも領有権云々の話をしだすと、周瑜が曹仁と荊州で戦っていること
自体がおかしくなる。そういう意味でこの場合は劉備、孫権が共同で荊州
を曹操から取り戻した、と考える方が自然。つまり権利云々を言うなら、
当然共同で戦った呉にも領有の権利は出てくる。

しかも周瑜が死んだ辺りで江陵も劉備達に貸し与えた格好になっている。
これも魯粛流の戦略とも考えられる。呉が色々と援助して譲歩したから、
あんたらは荊州を領有することができたんだよ、と。

本当なら呉単独で荊州を領有するのは大変だったろうに、魯粛は第三者の
力を借りて比較的容易に、しかも第三者には貸しを与えるようなやり方で
最終的には荊州全域の領有を行なおうと画策した、とも考えられる。

まあその前に寿命が来ちゃったけどね。

557 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 03:10:47 0
第三者

who?


558 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 08:49:53 0
魯粛による荊州貸与は、周瑜の存在を前提にする。
つまり、周瑜の益州攻略によって魯粛念願の天下二分の計を成就することで、
劉備に荊州経営をさせつつここに封じ込める策。
ところが、周瑜の死によって益州攻略計画が頓挫する間に、劉備が先に入蜀してしまった。
これより夷陵まで(その後もずっとだけど)の蜀呉の断続的な争いは、
「曹魏に漁夫の利を得させない限りにおいて」という一種予定調和の下で成り立っている。
劉備が夷陵でキレすぎてしまって危ういところだったけれど、
その敗戦後に劉備の意思によって講和が結ばれ、諸葛亮によって維持されることになった。

559 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 12:28:18 0
関羽、周瑜
2人とも鬼畜であることにおいて対等:
関羽;呂布の妻を褒美として曹操からもらう 
周瑜;戦利品として小喬を孫権からもらう。

560 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 14:46:09 0
>>559
そのような史実はないから消えてくれ。

561 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 14:57:12 0
二喬自体は史実だろう。


562 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 14:59:25 0
正史では橋公の娘で孫策の「妻」としか記述がない。この橋公は、橋玄(喬玄)とは別人といわれている。199年12月、妹の小喬と共に皖城を占領した孫策軍の捕虜となり、
孫策の妻妾の一人に加えられた。このとき孫策が小喬を娶った周瑜に「『江東の二喬』は確かに美女だが、我等を夫にできる二人も幸せであろう」と言ったという逸話もあるが、
結婚後四ヶ月足らずで夫は死亡。また所生の子の有無ならびに結婚直後に袁術・劉勲の妻子らと共に呉(江蘇省蘇州市)へ送致された後の消息は一切不明。



563 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 15:03:44 0
というか、んなの当時は当たり前のことジャン


564 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 15:06:07 0
いくら美人でもいったんは「兄嫁」だから、孫権も公然とはものにできなかったのだろう。だから記録に残されていないのだろう。

565 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 16:38:04 0
儒教の再婚禁止は明代に仮定したのでは。

566 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 16:40:21 0
仮定×⇒固定

567 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 19:31:24 0
>>561
橋公の娘二人の記述はあるが、その嫁取りに孫権が関わるわけがない

568 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 19:51:02 O
曹軍に捕まった劉備の娘のその後はどうなったの?

569 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 21:26:48 0
秦宜禄、かわいそう。

570 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 21:30:18 0
>>569
曹操には妻を奪われ、関羽にも妻を狙われ、最後には張飛に殺された

571 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 21:32:17 0
>>558
劉備に荊州経営をさせつつここに封じ込める策は魯粛と言うよりも周瑜の構想だね。
元々魯粛は孫呉を一方の雄と位置づけし、力を蓄え鼎立状態を維持しながら、スキを
ついて長江流域を支配下において、曹操と雌雄を決すると言うもの。

つまり、状況次第で鼎立を維持しながら情勢を伺う、と言うのも計算に入っている。
そして鼎立のもう一方の相手は、力があって呉に協力してくれる相手なら誰でも良い
と言う非常に柔軟な策と言える。赤壁後の情勢で言えば劉備がこれに当たる。

益州は周瑜が生きていれば周瑜に狙ってもらう、と言う路線があったのであろうが、
周瑜が亡くなったため魯粛は鼎立状態の維持を優先させることになった。当時の呉に
取って一番まずいのは長江の上流にある益州を曹操に取られること。

そこで周瑜亡き後は次善策として、鼎のもう一本になり得る劉備に益州を取らせるため、
荊州 の一部領有を放棄し、劉備達に力をつけさせた、と見るのが自然だと思います。

従って劉備の益州侵攻は呉もある程度黙認する形で行なっていると見るべきかと思います。
幾らなんでも数年もかかってる益州侵攻を呉が知らない、なんてこと はあり得ませんから。


572 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 21:48:35 O
腐女子
「史実なんてどーでも。要はおもしろくてBLならいいんだよ。
ああっ!縻方×木鹿大王…さまァ。あそこジュンジュンォ」

573 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 21:55:12 0
鼎というのは、足が三本ある器のことだよ
魯粛は劉備が蜀に入ることなんて認めてないし、劉璋攻撃派だから鼎立は成立しないし、維持も何もない。
周瑜は魯粛より積極的に「劉備は信用できないから呉に閉じ込めてしまえ」だ。
結局のところ孫権は魯粛の策をとった。

南郡までも劉備に貸し与えたのは周瑜の死後のようなので(程普伝)、
周瑜の死が荊州支配に与えた影響はあるのだろう。
恐らくその後、孫権は劉備に対して共同して蜀を取ろうと持ちかけたが、
劉備に通路を実力で封鎖するという挙に出られて頓挫した(先主伝注)。
魯粛の策はあくまで二分の計にあった。劉備の駆け引きの上手さがそれを上回ったということ。
黙認というより追認だね。劉璋と劉備が共倒れしても拙いという「予定調和」が孫呉の戦略の足を引っ張った。
もっとも、魯粛も黙ってはいず、益州平定を確認してから実力で荊州南部を取り返す挙に出ているけど。

574 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 23:39:06 0
魯粛の基本戦略は周瑜の死を機に方針転換してそうだがな
少なくとも赤壁直後までは呉単独での長江流域支配を構想していたが
益州攻めの途中で死んだ周瑜の部下だった?統を劉備に重用するように推薦して入蜀に大きく貢献させている
蜀に反曹操勢力をつくって二極対立を避けようとしていた節があったのだろう

575 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 00:26:12 0
ホウ統は南郡の官吏だから、南郡の管轄が劉備に移ったときに郡に残った大勢のうちの一人というだけ
推薦したのは旧知だったからだろうけどね

576 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 00:53:08 0
魯粛が劉備の入蜀を認めていないかどうかは何ともいえんよ。

鼎は3本脚だからこそ、自分ともうひとつ曹操に対抗できる勢力の存在を認めていた
と解釈できるし、それならば劉備達を3本目の脚と仮定してても何らおかしくない。

最終的に益州制覇まで考えたとしても、それまでの過程は魯粛の場合、その時その時
の情勢によってフレキシブルに変化させている。

だから周瑜の死亡後に荊州貸与、と言う形で劉備達に力をつけさせると言う選択
を敢えて行なった、と見ることもできる。本当に益州侵攻を阻むなら劉備たちが
益州で戦闘に突入した段階で荊州に攻め込んじゃうことだって可能なのですから。

味方と劉備達の力関係、そして曹操のことも考え、益州を取るまでは黙認した、と言う
ことだと思います。

方針転換と言うよりは調整、と言った方が良いかもですね。ある程度の変化には充分
対応できるような戦略ですから。

577 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 01:00:15 0
>>576
んなこといっても、現に周瑜の死・南郡貸与後に益州攻略の軍を動かそうとしているんだから
「孫権は二分の計を念頭に行動した」と言わざるを得ない。
そしてこの時点での魯粛の見解が示されない以上は、孫権の考え≒魯粛の考え と判断するほかない。

578 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 01:03:05 0
南郡から離れた場所で死んだ周瑜の遺体をわざわざ出向いて回収し呉の京まで運んでいったのは
周瑜と関わりの薄いただの南郡の一官吏の行動として不自然だろう
ホウ統伝注では「周瑜の功曹だった」と書かれており、周瑜の劉備に対する謀略を把握できる立場にいたことが伺える

579 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 01:22:46 0
ホウ統は郡功曹で、周瑜の故吏に当たる
当時の倫理から見ると太守の死に礼儀を尽くすのはもっともらしいことだよ。

功曹は郡の人事を掌握する地位だが、現地人から採用される掾属に過ぎず、
太守や将軍から見ればかなり低い職。
将軍幕府の人間でもないホウ統がどれだけ周瑜の戦略に参与できたのか疑わしいが、
参与していたとしてもあまり本題には影響ないだろう。

580 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 01:54:24 0
>>559
>関羽;呂布の妻を褒美として曹操からもらう 


(呂布配下であった)秦宜禄>>569-570の妻と勘違いしている。
関羽が曹操に降伏していたとき、懐柔手段の一つで「秦宜禄の妻を下げ渡された」なるつくり話があるようだ。
関羽が劉備の妻を守りつつ曹操に降伏したということは正史にはない。


581 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 02:07:13 0
劉備に貸し与えた≒配下のものとみなした

いちおう今川配下であった北条早雲が、伊豆を奪ったときのような状態に似ている。

582 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 03:30:46 0
>>578
太守が在職中に亡くなった場合、部下が遺体を故郷に送り届けるのは普通の事だよ。
三国志でも例えば桓階伝等に見られる。他にもちょくちょく。
それよりも周瑜の故郷の廬江じゃなく、呉に届けたって事の方が不思議な気がする。

583 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 04:20:30 0
家族は孫権のもとにいただろうし、舒は孫権の勢力範囲外だからでは
侵攻すれば一時的に支配下に置けただろうけど、永続は無理だろう

584 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 04:25:22 0
周瑜が南郡から離れて巴丘で戦準備してたなら、現地にも部下はいるだろ
郡太守の遺体を送り届けるのは郡功曹でなければならないという礼があるならまだしも
ただの南郡の事務方として現地採用された功曹が遠隔地まで赴いて遺体を回収したとするより
周瑜が行っていた益州攻めの準備にホウ統が帯同していたと考えたほうが自然に思える

585 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 04:32:11 0
なんでホウ統一人で送り届けなければならないのか。
太守府のほかの人間も将軍の属官も随行するだろう?
その中で歴史に名を残したのがホウ統一人だっただけ。

それなりに名を知られていたとはいえ、
当時たかが功曹、劉備に仕えても県令にしか
遇されなかった程度の30歳未満の若造に(年齢からすれば高官だけど)
なんでそんな特別な境遇を認める必要がある。
ホウ統が大抜擢を受けるのは劉備に才能を認知されてからことだよ。

586 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 04:33:30 0
それから、
>礼があるならまだしも
規定はないかもしれないが、それが礼だったと考えて差し支えないだろう

587 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 04:34:27 0
それにしても、降伏論を押し切って江南人民の途端の苦しみ(人口激減が示す)を長引かせた周瑜、劉備の罪は大きい。

588 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 05:22:46 0
それにしても、袁紹の南下を拒んで支那人民の途端の苦しみ(人口激減が示す)を長引かせた曹操の罪は大きい。

589 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 05:25:28 0
それにしても、董卓の天下を拒んで支那人民を途端の苦しみ(人口激減が示す)に陥れた袁紹、袁術の罪は大きい。

590 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 05:26:42 0
それにしても、中常侍の天下を拒んで支那人民を途端の苦しみ(人口激減が示す)に陥れた何進の罪は大きい。

591 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 05:27:37 0
それにしても、中常侍の専横を許し支那人民を途端の苦しみ(人口激減が示す)に陥れた劉志、劉宏の罪は大きい。

592 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 05:47:33 0
江南人民全てが迷惑していないのでは?
せっかく比較的平和で豊かだった(だから名士、学者の人材が多く残っていた)のに争奪の場、戦場にされた荊州の住民が、いちばん気の毒だったろう。

593 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 08:34:59 O
連投のところ悪いが、塗炭、な

594 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 10:41:10 0
>連投

はずれw複数の人間だよん。

595 :董卓:2009/05/08(金) 11:34:08 0
董卓ってどう見ても天下を統一する気ねーよな。長安遷都で長安に立ち退いた
後、郿城を築いて食糧・財宝・美女らを入れて、自分の慰み物にしたからな。
長安に移った時点で天下取り争いから降りたと見るべきかな。やっぱり。

596 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 11:42:39 0
董卓は新の王モウと同じく復古主義「全ての人間を兵か農民に」

597 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 11:53:25 O
>594
雁首揃えてゆとりかよw

598 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 13:13:10 0
献帝を擁立した段階で天下取ってる
函谷関はかてーの涼州はちけーの位人臣きわめーのでもう言うことなし

と思ったが涼州にどれだけ董卓は影響力持ってたんだろう
宋建みたいな小物をほったらかしてる時点で疑問だ

599 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 15:04:50 O
>>596
王莽は復古主義は建前で、晋代に通じる政策をやっているんだが…

600 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 19:36:56 0
董卓の悪事が誇張されすぎ。どうみてもケッチュウの筆法。

601 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 19:38:49 0
董卓のへそロウソクが笑える。

602 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 19:41:53 0
>>518
袁術も左将軍。

603 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 19:46:20 0
董卓が「こちらの皇子のほうが賢いから」といわれて擁立された献帝の方が実は馬鹿。
本当に賢かったら傀儡になんねーじゃんw

604 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 19:49:20 0
賢いから傀儡になれたんだろ。

605 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 19:52:54 0
>>585
功曹も県令も普通にエリートの出世街道だよ。たかが功曹とか言われると、
うぇww年収たったの1000万かよww負け組すぐるだろww生活費足りてんのかw
って言われてるみたい気分になるな。

606 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 19:55:02 0
年収1000万は一番税金とられてあわれなクラス。

607 :とうたく:2009/05/08(金) 20:09:30 O
何太后の血をひいている廃帝弁より、献帝の方が御しやすいからだろ。実際とうたくにとって献帝が聡明であろうが暗愚であろうが関係ないんじゃないかな。

608 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 20:36:35 0
>>605
郡功曹と県令じゃ秩石が全然違うぞ
郡功曹は名声あって出世の望みがある人間にとってはスタートライン付近
パンピーにとっては生涯働いてそこまでいければ素晴らしい結果だろうけどね

609 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 21:36:41 0
>>577
孫瑜の件は元々周瑜が益州攻略の際、周瑜と共に孫瑜も攻略に参加してもらい、
益州を占有した暁には孫瑜に益州を取りまとめてもらう、と言う戦略構想がある
ことから、この時の呉の動きはまだ周瑜の戦略の延長上とも言える。

それに江陵を放棄した前後かどうかは何とも言えんよ。この記述が載っているの
は献帝春秋で資料的価値もちょっと怪しいところあるし、それにもし孫権が記述
の通り動いてたとしてもそれは魯粛への権限委譲の途上でのことかもしれない。

何より本気で益州を攻略する気があるなら、江陵等の長江流域の重要拠点を放棄
すること自体つじつまが合わなくなる。

普通に読み取っていくと

周瑜死亡後、魯粛への権限委譲が行なわれる途上で、孫権はまだ益州攻略の件が
諦められず、劉備に話を持ちかけるが断られ、魯粛が完全に引き継いだ後は彼の
天下三分から天下二分、最後は天下を狙うと言う方針により江陵を放棄、劉備に
貸し与えると共に、正式に共同で曹操と当たるようにした。

こんな感じじゃないでしょうか。劉備達が単独で益州攻略を行なうかどうかまで
はどこまで把握していたかは分かりませんが、もしそうなったとしても、曹操に
取られるよりはマシでしょうから、呉は黙認した、と言うところでしょうか。

610 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 21:38:33 0
>>609
孫権は江陵放棄の後に益州攻略軍を動かそうとしているのだから
順序がおかしい

611 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 21:53:33 0
献帝春秋の記述を丸無視するなら、その穴を十分に埋めて筋道を立てるだけの反証が必要になるのだが、
>>607では持論に有利に進めるために無視した形にしかなっていないな

612 :世界@名無史さん:2009/05/08(金) 21:55:03 0
607じゃなかった609

613 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 09:46:29 0
だから江陵放棄しちゃってたら長江を登って蜀を攻略すること自体が無理じゃ
ないですか。蜀に行こうと思えば当然その辺りの拠点は押さえておく必要が
ある。

だから信用ならん、と書いているのですよ。そもそも史書そのものならともかく
異説異聞をのせてる注の方(それも裴松之自身がかなり厳しく批判している)
献帝春秋を全面的に信用する方もどうかと思いますよ。

614 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 12:02:35 0
魯粛の真意って結局…

615 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 13:00:03 0
孫権と劉備が敵対勢力であったと考えるからおかしくなる
完全に一体ではないしいさかいもあるが、この時点では同盟関係にあるわけで、江陵を劉備側が支配しても孫権側の通行や益州への進軍は可能であると彼らは考えていたんだろう

616 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 14:10:36 0
それは一見あってそうだけど、そうなるとわざわざ江陵を放棄する意図が見えなく
なってくる。

先主本伝でも殷観が「呉がわが領土を越えて蜀をかってにとることはしないはず」
と言っており、しかも益州侵攻には賛同しつつ領土を治めてから日が浅いので今は
できないと言えば良い、と言っており、異説とは明らかに話が違う。

もしこの段階で呉が江陵を放棄しているならば、呉が動くこと自体先主本伝と辻褄
があわなくなってくるし、異説の方が信憑性があるなら、当然裴松之がそのような
話をしてもおかしくない。

何より魯粛の計が周瑜の天下二分にのみ拠っていると言う根拠が無い限り、孫権の
意図=魯粛の意図とは言えないと思うけどね。

617 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 20:38:42 0
>>616
孫堅は、
・周瑜の死後、荊州において曹操に軍事的に対抗する手段として劉備を用いた
・劉備と共同で益州を獲ろうとした

で十分説明が付く。

むしろ、
>何より魯粛の計が周瑜の天下二分にのみ拠っていると言う根拠が無い限り、孫権の
>意図=魯粛の意図とは言えないと思うけどね。
何より魯粛が一時でも積極的に鼎立を図ったという根拠がない限り、
魯粛の意図を鼎立の側へ傾けて言うことは出来ないと思うけどね。
先に明確な根拠を示す必要があるのはそちらだと思う。

618 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 20:39:38 0
恥ずかしい誤字してるが勘弁

619 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 22:17:11 0
つか。

 劉備は孫権配下の一武将としてのあつかいだろうね。

620 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 22:19:47 0
魯粛の戦略が天下二分のままだとするには、不信な点が多すぎるよな
正直、甘寧・周瑜と同じ戦略意図を持ち続けていたかというと疑問だ

621 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 22:22:18 0
一武将が荊州牧を名乗るのを容認するとか有り得ない
周瑜など対抗相手にもならない巨大派閥になってしまうぞ

622 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 22:28:47 0
劉備が益州を獲るのを黙認するつもりで江陵を貸した、とするなら、
魯粛は211年の段階で、劉備が荊益二州を確保した後に荊州を武力奪還するつもりだったことになる。
まあ、そんな利敵行為有り得んわな。

劉備が孫権の下手に出ていたのは、軍事力で劣るからと、孫権の協力無しで荊州を維持するのは不可能だったから。
益州に立て篭もってしまえば、その心配はなくなる。
つまり理屈を捏ねて荊州を維持しようとするのは火を見るより明らか。
魯粛をそんなおばかさんだと思いたくはないな。

623 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 23:03:08 0
馬超が関中から追い出されて反曹操勢力が消沈していく中、
単独での長江流域制覇という目立つ行動を取って曹操の目を引くより
反曹操の旗手として名声と実績はある劉備をカモフラージュに使ったほうが賢い
魯粛は目先の利益ばかり追求せず長期的な視野で戦略を変更してるっぽい
荊州領有問題も結局イーブンに持ち込む手腕を持ってるし、その辺のバランス感覚は鋭そうだ

624 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 23:39:36 0
>>617
魯粛自身が「江東の地を足場に鼎立状態を維持しつつ」、隙をうかがって天下
のどこかに破綻が生じるのを待ちなさい、と言っているのにそれを無視してまで
周瑜の天下二分に乗っかってる、と言う方が無理があると思うし、絶対天下二分
に乗っかってる、と言うならその証明をそちらが説明すべき。

こっちに説明を求めるのはお門違いもイイとこだし、殷観の発言と辻褄があって
いないことの理由にもなってない。話にならんよ。

625 :世界@名無史さん:2009/05/09(土) 23:58:14 0
>>624
>魯粛自身が「江東の地を足場に鼎立状態を維持しつつ」、
それはすまん。見落としていた。どこの記述だっけ?

626 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 00:13:57 0
魯粛伝に載っています。ちなみに劉表が死んだ時、魯粛が弔問に訪れていますが
この時も「劉備達が一つにまとまるようなら同盟友好関係を結び、ガタガタの間
であれば奪い取れ」と言ってます。

周瑜は最終的には劉備軍を吸収した状態での天下二分策を想定していたと思うの
ですが、魯粛の場合は場合によっては同盟を結んだ状態を想定しています。

そういった意味でも戦略的思考は少し違うのだと思います。最終的に行き着く所
は一緒なんですけどね。

627 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 00:51:59 0
なんだ、それ赤壁さえまだ起きてない頃の話じゃないか。
鼎の字を使っているが、これは「まず鼎の一足のように地方に拠って足場を固め、情勢を窺え」といっている。
鼎の残り一つの相手もおらず、具体的な相手のいる三分や二分戦略を示したものでなかろう。
三分だとしたらその直後の、長江の全てを領有せよ、という言葉と矛盾するしね。
或いは、後代の編者がのちの歴史の展開を念頭に置いて「鼎」の字を選んだかもしれないけれど

628 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 01:17:40 0
魯粛の天下三分だか二分は
曹操、孫権、その他の鼎立だろう
曹操を喰うのは最初から後回し
南北朝状態にしてから曹操の自滅を待つというのが基本戦略

隆中対は孫権、曹操、劉氏(劉璋、劉表、劉備)
という感じで孫権は最後まで同盟相手としてキープし
同族を討って荊州、益州を領有し、曹操の自滅を(ry
という感じ

629 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 01:26:56 0
>>627
あくまでも「隙をうかがいつつ、天下の変事を待て」だから元々魯粛の
計略は非常に長期的展望の下に立っていると見るべきでしょう、

鼎と使っている以上は3本の足を想定しているがその相手がどこになる
かは決めないといけないものでもない。当時の勢力で言えば荊州の劉表
を想定していたのだろうけどね。時代が変わればその相手も移り行く。

魯粛にしてみればその相手が劉表が死んだことにより、劉備になっただけ
でしょう。それこそ矛盾でもなんでもない。

それと呂蒙伝の方に周瑜や魯粛、呂蒙の人物を陸遜と論じているが、その
中で魯粛はは劉備に荊州を貸し与えるように勧めた、と孫権が述懐してる。
このことからも荊州貸与、と言う考えが魯粛にはあると言えるでしょう。

630 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 03:21:07 0
安楽亭侯呉班って焼き肉が食いたくなるな。

631 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 07:08:32 0
長安が荒廃していれば割とたやすく手にいれることができて、
馬超を利用して隴西の勢力を糾合すればどうにかなったかなあ?

632 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 10:02:01 0
>>629
魯粛の案では劉表は「鼎足の後に潰す相手」だよ。
荊州と劉備の扱いについて、魯粛が周瑜より柔軟な態度を示している。それは周知の通り。
>>629だけならいくらでも賛成する

「魯粛は周瑜の死の直後、劉備を鼎の一足とした三分を容認した」というから反論しているだけ。
俺は「劉備が孫呉を欺いて入蜀した時点で追認せざるを得なくなった(でも代わりに荊州返せ)」と言っている。

633 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 10:35:22 0
もし呉が関羽の背後を狙わずにむしろ、共同して徐州攻略にとりかかっていればどうなっていただろう。

634 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 10:53:14 0
話にならんね。じゃあ劉表の弔問の際に、劉備たちと同盟友好関係を
築いて、とか劉備が孫権の元を訪れた際に魯粛だけが荊州を劉備に貸し
与えるように進言してる記述とかは丸無視かい。

史書を100編読んで出直して来い、としか言い様が無い。

635 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 11:15:43 0
確かに話にならないようだ。荒れる前にやめにしよう

636 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 18:23:45 0
魯粛を味方に付けた劉備えらい!

637 :世界@名無史さん:2009/05/11(月) 22:29:43 0
魯粛のほうが対魏戦略で劉備を利用してたんじゃね
ヤクザとか強面が先に出てきて、後からニコニコしたのが出てくるだろ
強面が劉備陣営に武力干渉する強硬派で、
うまいこと操って骨までしゃぶろうとするインテリヤクザが魯粛

638 :世界@名無史さん:2009/05/11(月) 22:37:59 0
しかしインテリヤクザっぷりでは劉備に一日の長があったのであった

639 :世界@名無史さん:2009/05/11(月) 22:48:21 0
>>637
どっちかというと貸す時はニコニコした顔で、返済の時にはコワモテが出てくるという感じじゃないか?

640 :世界@名無史さん:2009/05/11(月) 23:04:36 0
強面が出てきて散々な目にあった後に出てくるのが、もっと怖いニコニコしたのだろ

641 :世界@名無史さん:2009/05/11(月) 23:08:56 0
>>640
魯粛→呂蒙→陸遜か

642 :世界@名無史さん:2009/05/12(火) 21:18:21 0
呂蒙は「蒙」=馬鹿だったの

643 :世界@名無史さん:2009/05/12(火) 23:01:10 0
士別れて三日なれば刮目して相待すべし。

644 :世界@名無史さん:2009/05/13(水) 06:38:11 0
蒙は諱やん
親族しかつかわないのでは?

子明=聡明という字からすれば、
仕事先では機転のきくやつと思われていたのかしら

645 :世界@名無史さん:2009/05/13(水) 08:36:56 0
陸議とか李平とかいわれてもわかんない

646 :世界@名無史さん:2009/05/13(水) 12:12:55 0
神亭山って実在するんでしょうか?
もしあるなら座標が知りたいんですが

647 :世界@名無史さん:2009/05/13(水) 16:29:50 0
>>646
ほれ
ttp://maps.google.co.jp/maps?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4HPND_jaJP308JP308&q=%E7%A5%9E%E4%BA%AD%E5%B1%B1&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
便利だなGoogle。

648 :世界@名無史さん:2009/05/14(木) 09:43:17 0
あくまで比定なんじゃねえの
支那の資料は疑ってかからないと

649 :世界@名無史さん:2009/05/14(木) 13:55:49 0
史料を留保付きで読むのは中国だろうが日本だろうが同じこと。
つか一個人の推測じゃんかよ。疑う疑わない以前の問題だろ。

650 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 02:30:06 0
>>647
ありがとうと言いたいけど
その人のマップの他の地点が
他の人の地図と整合性がとれてないので
ちょっと信用度低いね・・・

神亭山の位置って秣陵の横であってる?


651 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 09:42:38 0
>>649
支那の捏造は異常だから

オリンピックのペンキ草、偽少数民族、口パク少女、チベット虐殺を暴動鎮圧と報道したりしたこと、忘れたか?
さして資料もなく現代版魯迅の民家をつくったりして集客してるやつらだぞ
日本人は往時の栄華を再現するより古ぼけた現物を見ながら当時の面影を
省察するのが好きで、資料もなく跡地に時代無視した斬新な構造物など建てないが
あいつらにとっては面子がすべてだからな
もち、つっこみ入れればあいつらひっこめるが
こっちが証拠ももたない反証不可能な部分になるとなんのためらいもなく偽証するよ

漢人は政治的な民ということをしっといて損はない

652 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 09:57:01 0
>>651
帰れ。
ここは現代の中国について云々するスレッドではないし、
君の中国観を訴えかける場所でもない。
私は他板では大いに現代中国を批判する立場ではあるが、
君の「ところ構わず政治的発言を披瀝する」態度は目に余る。

私は常々中国の反日教育などを不快に思っている人間だが、
君の反中が中国の反日とどう違うのかを教えてくれ。

653 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 10:24:16 0
帰れと言いつつ煽ってレスを求めんなよw
無言でお引取り願えばいい

654 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 10:33:06 0
蜀滅亡のさい、関羽の一族は、彼が殺した殺したホウトクの息子によって復讐で皆殺しにされたのですね。

655 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 13:40:38 0
仕返しは男の浪漫!

656 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 14:10:32 0
>>652
現代中国にかぎった話じゃないからとりあげてるんだが・・・

漢人は政治的な民なんだって
漢詩からして詩経の序文で六義をあげその一番目に風をあげて風刺の解説をしてるんだぞ
彼らにとって政治と生活は密接不離な関係なんだよ
だから人間のつきあいもかけひきの一つにすぎない
日本人みたいに資料に対する信頼の上に学問を構築する民族じゃない
政治的なとりひきのうえに学問を構築する民族だからそのように見ないと真の理解ができないと言ってるんだよ
反日教育をきらうのは俺もそうだが
それは日本人が自分のコミュニケーションの概念にのっとって相手を理解しようとするから起こる不和で
そもそもおれは日本人問題だと思ってるよ
君みたいな、自分もみんなも話し合えば仲良くできる、だってみんな同じ人間だから
同じ理解の下に共生できるよねって日本人的なムラ型の思想が統一される共同体の思想では
むしろ押しつけだよ

657 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 16:14:34 0
>>653
すまん。

>>656
>漢人は政治的な民なんだって
>漢詩からして詩経の序文で六義をあげその一番目に風をあげて風刺の解説をしてるんだぞ
>彼らにとって政治と生活は密接不離な関係なんだよ
政治と生活が密接不離なのはどこの国も同じだろう。
君があげているその政治性は、世界で言えば中世や日本近世の民には存在しないと言うだけのものにすぎない。
そして本来現代社会が理想としているものはそういった「あらゆる人間の積極的政治参加」だ。
それと、君こそ史料を精査せずに受け止めているように思う。
周代の風刺の詩が、本当に知識階級以外のものによって作られたとでも思っているのか?
思っていなければ、取り立てて「中国の民は政治的」とする理由はないはずだが。

>日本人みたいに資料に対する信頼の上に学問を構築する民族じゃない
>政治的なとりひきのうえに学問を構築する民族だからそのように見ないと真の理解ができないと言ってるんだよ
政治的な取引の上にしか歴史を構築できていないのは、近代までのあらゆる国がそうだ。
日本の皇国史観など最たるものだろう。あるいは後期の豊臣秀吉の蛮行とされるものを丸呑みして信用する愚か者はおるまい。
というかあなたは中国の例しか知らないのか?ガリレオは、あるいはアメリカで未だ宗教的歴史観もまかり通ることはどうだ?
後漢では高祖への侮辱と取られた『史記』が、現代まで残っている中国はまだマシな方だ。

>君みたいな、自分もみんなも話し合えば仲良くできる、だってみんな同じ人間だから
>同じ理解の下に共生できるよねって日本人的なムラ型の思想が統一される共同体の思想では
まさか、憲法九条改正派で明日某自営業の入隊試験を受けてくる俺がこの台詞を言われるとは思わなんだわ。
俺が言ってるのは単純にフェアネスの問題だ。
懐疑主義的になるなら、その懐疑はあらゆる国のあらゆる立場の人間に向けられねばならない。
相手を信用しようと言っているんじゃない、相手を信用しないのと同様に自分や自分を含む共同体も信用しないべきという話だ。

658 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 16:28:02 0
>日本人みたいに資料に対する信頼の上に学問を構築する


んな、あほなw

659 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 16:32:57 0
天命を偽造するために市井に俗謡を流行らせたというエピソードがあったとおもう(俗謡を天命のお告げと勝手に解釈する)のですが、
実際そのような工作があるのですね。

660 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 17:02:09 0
現代中国の国民みたいにピュアなやつだなあ

661 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 18:02:57 0
>政治と生活が密接不離なのはどこの国も同じだろう。
いっとくが、詩経てのは庶民からも集めてるからな
日本の万葉集などでは、生活の一場面、叙情的な雰囲気にみんないっしょなんだなあと安心感を得るが
支那は詩とは、上が下を風化し、下が上を風刺するためにある、政治の道具なんだよ
庶民の関心事がちがうんだって
なぜこんなことになったのかと言えば、理由としては、共同体の形成のされ方がちがうからと言えるな。
ヨーロッパや日本は共同体が血縁集団の延長として発展してきたから共同体としての一体感があるんだよ
でも、支那はずーと帝国がつづいてきてから強大な権力のもとに統合するやり方しかない
だから、底辺がバラバラで、離合集散のくりかえしなため、社会信用を下にした道徳が育たなかった
むしろ、バラバラだからこそ、一人一人が共同体に依存せず政治的なかけひきをするホッブス的な自然状態を下にした
道徳が生まれたのだろう

>政治的な取引の上にしか歴史を構築できていないのは、近代までのあらゆる国がそうだ。
なに言ってるんだwww
国際的な歴史の分野は現在にいたってさえ政治的な取引によって創作されるものだろ?
力関係と妥協によってできた硝子細工だね。
歴史は勝者がつくる、何度も言われてきた言葉のとおりだ

俺が話しているのはそんな次元の話じゃない
個人レベルでさえ、つまり共同体内のレベルでさえ、共同体の信用ではなく自分のかけひきによる面子を重視するために
国家間の利害から推し量れる域を越えて嘘が蔓延する
チベット人虐殺も、ばれなきゃなんとかなるというメンタリティとかけひきでなるべく自分の利益を得ようとするメンタリティの
結果だね

フェアネス(笑)結構。そんなものは契約宗教たるキリスト教文化圏であった欧州国家間で
取り交わされる紳士協定だね
日本は欧州秩序に入って植民地回避することに躍起になっていたために
国際法(あくまで欧州諸国家交際のための法にすぎんのだが)遵守精神が半端じゃなかったし
キャッチアップが得意な日本はやってのけてしまったが
フェアネスなんて前提は信用を裏切る人間には与えられないものだ

662 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 19:05:26 0
>>661
>いっとくが、詩経てのは庶民からも集めてるからな
庶民による政治批判なんてのは高度な教育の上にしかないものだ。
そして現在学説の上で最も有力なものは、士大夫によるお上批判の仮託だ。
君が詩経の「庶民から集めた」という史官の主張を盲信するのは、自説の補強に都合が良いからにしか見えんな。

>ヨーロッパや日本は共同体が血縁集団の延長として発展してきたから共同体としての一体感があるんだよ
>でも、支那はずーと帝国がつづいてきてから強大な権力のもとに統合するやり方しかない
おや?君が全く知らなかったのは中国史の方だったか、これは失敬。
強固な血縁集団ほど中国文化を特徴づけるものは存在していないだろうに。
強大な権力なるものが存在していたら、「完全な中央集権の完成は明代」なんてことは言われたりしない。

>個人レベルでさえ、つまり共同体内のレベルでさえ、共同体の信用ではなく自分のかけひきによる面子を重視するために
>国家間の利害から推し量れる域を越えて嘘が蔓延する
>チベット人虐殺も、ばれなきゃなんとかなるというメンタリティとかけひきでなるべく自分の利益を得ようとするメンタリティの
>結果だね
それは一体どういう方法で論証された考えに基づいて居るんだ。
論拠とした本などがあるなら教えていただきたいものだが。
ちなみに、「相手は本質からして嘘つきだ」とするのは極めて無知蒙昧な手合いがはまりやすい偏見の一つだということは、
まあ比較文化などを普通に大学でやった人間ならよく知っているだろう。
中国でも日本人について同様の教育を行う例があるようだ。
一種の洗脳だな。
君は本当にかの国の憤青どもによく似ているよ。
本当に困ったものだ。

663 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 19:31:17 0
みんな仲良く!

664 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 19:39:48 0
ただでさえ厨が集まりやすい三国志で
age厨が常駐してるような状況なのになにやってんだか

665 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 19:41:01 0
世界史板追い出されるかもな

666 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 20:43:40 0
>>662
もうアホとしかいいようがないな
それとも、ひっこみつかなくなって後先考えてもないか?

>庶民による政治批判なんてのは高度な教育の上にしかないものだ。
おまえの政治批判ていうのは、教育機関の教える政治学大系にのっとった批判だろ
そりゃ、不満を儒教的な大義に組み替えて上奏するのはエリートだろうが
詩ってのは上に対するもっと単純な不満や喜びの表現だ
国風ってのはその土地土地の風俗・風紀をいったものなんだよ、貴族のよんだ歌はまた別にある
詩よんでないだろおまえ

>おや?君が全く知らなかったのは中国史の方だったか、これは失敬。
>強固な血縁集団ほど中国文化を特徴づけるものは存在していないだろうに。
はぁ?こじつけはやめてくれないか
漢人は家族主義をとって、家族の結びつきは異常に強いが地域社会や公の概念はまったくないぞ
国家が家族の延長にない共同体であることは春秋以来まったく変わっていない
異民族はいざしらず、むかしッから漢人は今のアメリカよろしく他民族国家で、みなセルフィッシュ
困ったときに泣きつくのはママなんだよ

>まあ比較文化などを普通に大学でやった人間ならよく知っているだろう。
そうだよ、だから別にどっちが優秀かなんて議論してないって。
嘘をつくことのどこが悪いのかなんて神でないかぎり裁断できんのだからな
支那人は嘘つき
現実的に彼我のちがいを分析することの何が悪い?
おまえみたいに変に平等マンセーイデオロギーに毒されてドーパミン出しまくってるより
合理的な相手を分析し相手を認めて付き合う方がよっぽど相手を尊重してると思うけどな

667 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 20:59:29 0
なんかだんだんと、666系の人の言っていることが、意味不明になてきたぞ。
何を言いたいのか、簡潔にかつ横文字使わずにお願いしたい。

668 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 21:08:49 0
まず分からないところから言ってみようね

669 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 21:11:52 0
>>667
つまり、666は「支那人は嘘つきである」ということを前提にしたいらしい。

670 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 21:17:07 0
↑あの人は嘘ついてないよ、かわいそうなだけだよって貢ぎつづけるタイプか
つきあい方知らないと、いいヤツでも悪い人間になるんだよな
同じやつばっか集まるところで暮らして同じやつばっか集まる社会だから
日本企業はあるところまで頭打ちになるんだよな

671 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 21:33:50 0
>>668
まず…

>>詩ってのは上に対するもっと単純な不満や喜びの表現だ

日本にはそういうの、皆無なのか?

>>国家が家族の延長にない共同体であることは

日本は国家は、家族の延長上にあるの? よくわからん。

>>困ったときに泣きつくのはママなんだよ

具体的にはどういう故事がそれに該当するのだろうか?

>>支那人は嘘つき

これは、嘘つきだけど、嘘をつくのは悪くない、と言っているでいいのかい?

>>合理的な相手を分析し相手を認めて付き合う方がよっぽど相手を尊重してる

これは、誰が?

672 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 21:38:25 0
そういえば
>>666
>国家が家族の延長にない共同体であることは春秋以来まったく変わっていない
国家ってまさしく国を家とみなす中国の習慣から来た漢語じゃなかったっけ。

673 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 21:45:13 0
自分で調べろとしか言いようがないなスレチだし

正義面したやつのイチャモンからはじまった糞の投げ合いだし
いいかげん、粘着やめて適当にスルーしてほしいんだが一言言わせてもらうなら
紀貫之が詩経パクって和歌集の序文を書いてるんだが六義に風が含まれていない
日本で儒教はあくぬきされたと指摘されまくってるが
社会の成り立ちからしてちがうから理解できなかっただけだろうな
風流とか風情とかの意味に変えられてる

674 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 21:56:42 0
>>673
それはあなた流の民族性の類推をすれば、
日本は圧政の歴史で、民衆を省みるという発想がないから
理解できなかった、という論法も出来そうだね。
それを受け入れる気はないけれども、あくまでも客観的に見ると。

675 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 21:58:22 0
>>673
別に、自分で調べなければならないほど、666の人の言説に共感していない。
「中国人は嘘つきだ」には合点がいかないだけ。
「も」かあるいは「一部は」とかなら、問題はないのだがな。

676 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 22:03:07 0
その可能性はありうる
でも、そこまで日本は国家権力は強くなかったはずだよ
律令がそっこうで崩壊する始末だからな
まあありえんだろう

677 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 22:14:37 0
歴史的に見ると、国家の律令の崩壊は即ち、
所謂地方の豪強が野放しになって地方で酷い搾取が行われる前兆だな。
天皇が封建制社会において被差別民や弱者の擁護者となったのは、偶然ではない。
国家権力←→豪強←→弱民という対立関係はほぼ世界のあらゆる地域に等しく起こったことで、
後漢末の混乱もこれだ。
やっと戻ってきたな。

678 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 22:29:15 0
>日本人は往時の栄華を再現するより古ぼけた現物を見ながら当時の面影を
>省察するのが好きで、資料もなく跡地に時代無視した斬新な構造物など建てないが

ここでワロタw

679 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 22:29:17 0
>>652の態度は中国では三流の人物として見られそう
日本だから二流で通じる

680 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 22:30:17 0
>>677
乙w

後漢中期以降の混乱は、
官僚制の腐敗・弱化から来る豪強の伸張と小農民の破産によって
囲い込みが進んだことを一因とするというね。
それにつれて朝廷の治安・災害対策機能が低下していき、
相次ぐ災害や叛乱の被害を豪強も受けるようになった。
自衛のためにますます囲い込みを促進していくという
悪循環がついに黄巾の乱の爆発に到ったと。



681 :世界@名無史さん:2009/05/16(土) 09:49:26 0
地方豪族の実態とは?

682 :世界@名無史さん:2009/05/16(土) 13:13:14 0
日本なら狂歌、川柳だね。

683 :世界@名無史さん:2009/05/16(土) 18:19:46 0
こういうときに1行疑問レスで流れ変えろよ、役に立たないね

684 :世界@名無史さん:2009/05/16(土) 22:15:06 0
劉備が呂布を頃せと曹操にいったつー話は演義だけのネタ。

685 :世界@名無史さん:2009/05/16(土) 22:28:28 0
呂布伝本文にあるよ
大耳野郎はないけど

686 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 08:58:58 0
呂布の裏切りも、劉備の裏切りも同じ。

687 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 09:14:15 0
呂布の裏切りは汚い裏切り
劉備の裏切りは綺麗な裏切り

688 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 09:23:10 0
呂布は白人だったの?

689 :奉先:2009/05/17(日) 09:28:23 0
温侯とよべ!

690 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 09:32:21 0
温侯よとべ!

691 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 10:35:31 0
ようつべ!

692 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 11:56:35 0
盗卓の配下になる前の呂布に官職なんかあったの?

693 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 12:02:38 0
并州主簿

694 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 12:14:39 0
州主簿=刺史の会計係?

695 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 12:23:49 0
>>685
>大耳野郎はないけど
後漢書呂布伝では「大耳兒最叵信」
資治通鑑もこっちを採ってる

696 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 12:30:58 0
劉備が温厚な優男だなんて大嘘。
実際はガサツで恐ろしい乱暴者だった。
関羽も張飛もビビッて逆らえない。絶対服従。
特に張飛なんて毎日のように劉備に殴られてた。
可哀想にそれがトラウマになって目上の人の顔色ばかり伺う性格になってしまった。
大人の女性は怖くて付き合えないのでもっぱらロリ系に走る…。不憫過ぎ。
実は劉備は戦いは滅法強く、恐ろしい程の武勇の持ち主だった。
最初はそれを誇っていたが、後に孔明に諭されて、それが格好悪いと思うようになり路線変更。その功績(悪行?)を全部二人に押し付ける。
関羽、張飛の武勇伝の殆どは本当は劉備に寄るものである。
一方でその武勇を頼み過ぎる所があり、兵法始め用兵には無頓着。そのため結果的には大敗北を被る事が多かった。
中国の礼教思想は恐ろしく真実を歪めている。
世に伝わる劉備像はその影響を最も蒙ったもののひとつである。

697 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 13:07:55 0
>>696
優男って言葉の意味間違ってない?

698 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 13:46:56 0
広辞苑的には「優男」は
(1)風流を解する男、みやび男 (2)柔弱な男 (3)風姿の優美な男、やせがたの男
だそうな。

699 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 13:56:32 0
>>696

それ、漫画の『覇 ロード』じゃんw

700 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 13:57:37 0
曹操=オデュッセウスの狡猾さ+アキレウスの獰猛さ+小アイアスの女癖

701 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 16:28:25 0
http://www.youtube.com/watch?v=QzmUF1SNM24

白帝城は「城」(中国では城郭都市)ではなく、三江のほとりの山のこと?

702 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 00:29:02 0
トラウマになりそうです

703 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 00:31:20 0
温県っていうと司馬懿のいたトコだね。
呂布が一度でも領地にいったかどうかは疑わしいが。

704 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 02:11:05 0
温侯=王允○
温侯=呂布×演義


705 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 02:13:20 0
董卓軍の連中も、馬超軍も同じ連中=涼州兵?

706 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 03:05:42 0
>>704
呂布は温侯になってるよ。三国志、後漢書本伝を見て。

>>705
馬超は扶風の人で、活動地域もほぼ扶風・長安間。
涼州人は盟友の韓遂の方。
董卓政権は涼州兵と并州兵の連合政権だった。

707 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 17:30:36 0
>>681
没落農民を集めて、荘園と農奴をもっていた。

708 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 17:39:49 0
前漢が西域の覇権を喪失⇒西方からの銀貨幣流入が減る⇒貨幣経済(流通)が停滞⇒地域自給の傾向が強まる⇒荘園経済が発達⇒土豪の力が強まる⇒王モウの均田復古も奏効せず前漢が崩壊

709 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 19:42:04 0
>>708
全然逆だ
王莽政権が崩壊するまで漢は西域を支配していた
王莽政権が反乱によって弱体化して西域覇権を失ったんだ

710 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 19:49:53 0
王莽が民族差別丸出しなことをしたからね。

711 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 20:10:43 0
王莽の陰毛はボウボウ

712 :とうたく:2009/05/18(月) 20:57:26 O
三国志スレなのになにゆえ王モウの話?

713 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 21:11:31 0
王モウこそ偉大な漢帝国を永遠に滅亡させた極安芸人。
王モウなくして漢崩壊なし。王モウなくして三国分裂なし。王モウなくして異民族侵入なし。

714 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 21:40:55 0
OH!モーレツ!

…。
ハイハイ涼んだところで本題に戻るぞよ。

715 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 22:40:04 0
本当の三国は魏と呉と南匈奴

716 :世界@名無史さん:2009/05/19(火) 13:33:05 0
献帝を救出し、護衛に付いているのは董卓ではなく南匈奴 。
少数民族無視の正史でさえ書かざるを得なかった。
曹操の勝利には南匈奴の支援および好意的中立無くしては不可能であったに違いないと思われる。


717 :世界@名無史さん:2009/05/19(火) 23:39:38 0
蔡文姫をさらったのも匈奴だろ?

718 :世界@名無史さん:2009/05/19(火) 23:41:21 0
曹操は南匈奴を分割統治して圧制敷いてたんだけど

719 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 00:49:44 0
於夫羅⇒劉豹⇒劉淵は強大な勢力だったが正史では記録から消していると思われる


720 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 01:21:04 0
曹操が魏王になったときに南匈奴の単于が上洛している。
漢魏の群臣が曹丕に受禅を勧めた上表文にも単于が署名している。
南匈奴の兵力を漢朝への脅しに使ったということだろう。
魏にとって南匈奴はいわば建国の恩人。

721 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 08:42:58 0
ということは、南匈奴は漢の内臣扱いだったの?

722 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 10:48:40 O
内臣(笑)

723 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 12:28:34 0

<漢の内臣>
郡県制の中に住むもの。
史記や漢書の王侯表に掲載。
皇帝の礼と徳と、法が及ぶ地域。
Ex. ○名目は王。漢室の発布する厳重なる相続制度の適用をうけ、これに違反したときは国除の罰に処せられた。
○国内における上級の職官は漢室の職官の令式に倣っていた。行政や司法の権限も皇帝から委任されていたものを行使しているに過ぎない。
列侯は皇帝に直属し、内臣には属していない。

<漢の外臣>
郡県制の外に住むもの。
史記・漢書や後漢書の外國伝に掲載。
礼と徳は及ぶが法が及ばない地域。
Ex. ○外臣は文化風習から、法律、職官まで独自性を持っていた。
○法が及ばないとはいっても、それは国内のみのことであり、一旦漢の外臣となったからには外臣相互に兵を出してはならない。つまり、外臣の国内には漢の統制は及ばずとも、国際秩序としての外臣間の秩序には漢の干渉が及ぶ。これも職役の一つ。
○外臣の列侯は、外臣のみ、あるいは外臣と漢双方に属するということがあった。
○外臣の王が列侯を封ずるにあたっては漢に断る必要は無かった。

724 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 12:39:15 0
南匈奴自体でなく於夫羅が猿紹の下級部将相応の官職があったと思われ

725 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 13:29:02 0
>南匈奴を分割統治

では并州管轄の郡県制に繰み込まれていた?

726 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 13:50:38 0
曹操って并州放棄してないか?
刺史は任命してるけど太守が以前よりスカスカ

727 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 20:49:02 0
放棄した部分が分割統治した匈奴の移住地?これ以上暴れないように居住を認め兵力の供給源に利用。

728 :世界@名無史さん:2009/05/21(木) 09:52:52 0
後漢末には天下大いに乱れ異民族の侵入などもあり、并州9郡のうち上、朔方、五原、雲中、定襄の五郡までが放棄された。
また南匈奴を中心とする異民族が大量流入したため、曹操は并州とその周辺に茲氏、居祁、蒲子、新興、大陵の五部の匈奴居留地を設置し各部に都帥を置いて治めた。
その後八王の乱以後の混乱に乗じて劉淵が并州周辺の匈奴を糾合し、(304年)永安元年)に離石において自立し大単于と号した。

729 :世界@名無史さん:2009/05/22(金) 11:54:58 0
馬援の「伏波将軍」というのはただの称号なのですか?
ベトナム鎮圧のための臨時の官職なのですか?

730 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 00:56:48 0
>>729
ここは質問スレじゃないっすよ

731 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 11:18:58 0
山西省は古くから漢人の居住地域だし文化的先進地帯(漢代)の一つだよな。
そこへ南匈奴を受け入れたのは、現状を追認する意味もあったと思うけど
戦乱で人がスカスカになって、早期の治安回復が見込めなかったからじゃないだろうか?

献帝の東帰にも功績があったから、恩義もあるだろうしな。

732 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 11:49:29 0
いつのまにか蛮地化してる并州、という感じだもんな
涼州放棄論とか并州放棄論とか散々反対されてたのにやってしまった感

733 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 11:55:43 0
ニーと差別は地球人類が史上初めて手に入れた完全合法差別

734 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 13:04:58 0
ちなみに山西省の漢語方言は、いまでも特別な扱い。

735 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 13:07:46 0
訂正
ちなみに山西省の漢語方言(晋語)は、官話方言と分類されていたけれども、モンゴル語の影響があるらしく、いまでも特殊らしい。


736 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 13:10:08 0
山西省つうても南部は古くからの漢地だけど北部は趙が膨張して以来の
辺境ってとこかな

737 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 13:10:11 0
五胡十六国は漢文化を受容したいわゆる「熟蕃」であって、漢人より悪者というわけではなかった。

738 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 13:14:26 0
>>729
「伏波将軍」=内乱を鎮圧するために設けられた臨時職。つまり、ベトナムは「内国」の扱いだったということらしい。
漢の時代、「伏波将軍」は他に何人も任命されている。
曹操も「伏波将軍」であった。

739 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 15:48:48 O
そういや確か、ベトナムは三国以前から北から逃げてきた人の王朝が何度か建ってるよな。

740 :世界@名無史さん:2009/05/23(土) 20:37:08 0
馬援もベトナムも時代違いの、場所違いの、スレ違い。

741 :世界@名無史さん:2009/05/24(日) 19:28:43 0
孫権は反対派をベトナムに流したという。当時は交州といっていた内国あつかい。

742 :世界@名無史さん:2009/05/24(日) 19:46:40 0
>>738
曹操?夏侯惇じゃなくて?

そう言えば、夏侯楙って夏侯フ馬と呼ばれてたけど、
フ馬都尉になってたっけ?

743 :世界@名無史さん:2009/05/24(日) 23:27:48 0
主君(曹操)の娘の夫という意味のフ馬なんだけど・・・

744 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 02:03:53 0
「主君」は魏王なのかよ!

745 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 02:21:11 0
フ馬ってフ馬都尉から来たんじゃないの?
公主の夫はフ馬都尉に任じられることが多かったと思うが・・・

ところで嘉平五年卒とされている韋誕が翌正元元年の
曹芳廃位の上奏に名を列ねているのは何でだろう?

746 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 03:59:42 0
員外みたいなもんですな

747 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 04:00:36 0
署名を集めた時期と、上奏した時期が違うんじゃないの?

748 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 07:30:08 0
どうでもいいが駙馬って普通に表示出来るぞw
変換は困難だけど

749 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 07:34:06 0
駙馬の意味は、馬の轡をとって引くこと
婿は主人の乗った馬の轡をとって引かされる


750 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 07:40:23 0
日常的に馬の轡を引いてたら下僕扱いだけど、儀典の際に轡を取るっていう
意味じゃないの?
単に儀礼時の序列を意味してるとかさ。

751 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 09:41:52 0
>>748
JIS第4水準だから表示できない環境がある。ケータイとかまず無理。

752 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 13:58:44 0
将軍の幕舎を柳営というように駙馬というのも本来の意味を離れてるんでしょ?

753 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 14:17:47 0
そもそも殿様の嬢様を押し付けられてもあまりいいことはない。

754 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 15:44:56 0
杜畿!杜畿!どいつもこいつも杜畿!


755 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 16:06:45 0
アミバさん落ち着いてください

756 :世界@名無史さん:2009/05/25(月) 17:00:42 0
魏書には循吏や名太守の治績があるけど、蜀書の文官は屁理屈野郎ばっかだ

757 :世界@名無史さん:2009/05/26(火) 09:23:06 0
循吏って結局、治世にしか用がないからな。
蜀みたいな日常がすでに緊急事態ってところだと任用する局面がない。

758 :世界@名無史さん:2009/05/26(火) 12:15:57 O
>754
そういう逸話があるの?

759 :世界@名無史さん:2009/05/26(火) 12:17:39 0
テーレッテー

760 :世界@名無史さん:2009/05/26(火) 14:24:44 0
>>757
蛮族には循吏じゃないと駄目じゃね?
酷吏だと凄い険悪になる

761 :世界@名無史さん:2009/05/26(火) 14:43:49 0
循吏は儒家、酷吏は法家思想を体現する実践者なんだけど、
少数民族がどちらの統治を歓迎するかはケースバイケースとしか。
たとえば儒家の価値観の押し付けで民族の生活様式や信仰を否定されれば反感を持つし、
ルールに従ってさえいれば民族問わず公平に扱ってくれるなら安心できることもある。
もちろん逆もあって、
法家が現地の風俗を無視して漢人向けに作った法刑を杓子定規に適用すれば恨みを買うし、
儒家が多少の法の逸脱を大目に見て恩恵愛護を与えればなつかれたりもする。
なので中々一概に言うことは難しいよね。

762 :世界@名無史さん:2009/05/26(火) 15:34:34 0
王朗が会稽にいた頃、秦の始皇帝と夏の禹王いっしょに祭るなんてとんでもないって言って始皇帝の像を捨てたってのがあったね

763 :世界@名無史さん:2009/05/26(火) 23:20:13 0
始皇帝の像が祭られるなんてこと、漢代以後あったの?

764 :世界@名無史さん:2009/05/27(水) 03:45:42 0
始皇帝は名山オタだったから会稽の辺りで大盤振る舞いでもしたんじゃね?

765 :世界@名無史さん:2009/05/28(木) 04:30:11 0
魏3代目皇帝から実質司馬一族の実権
http://www.youtube.com/watch?v=MMqeaKJCBcI&feature=channel

766 :世界@名無史さん:2009/05/28(木) 05:17:37 0
『三国志』魏書斉王紀では、曹芳の実父は記されず、由来を知る者はない、とされている。ただし、裴松之注が引用する孫盛の『魏氏春秋』には、済南王・曹楷(武帝曹操の孫で、曹彰の嫡子)の子という説が記されている。

767 :世界@名無史さん:2009/05/28(木) 14:46:40 0
このあたり、正史からは消された史実があるのだと思う。
ただし、史官も「無かったことを記す」ことは記さなかったであろうから、行間から推測するほかない。

768 :世界@名無史さん:2009/05/28(木) 14:53:17 0
このあたり、正史からは消された史実があるのだと思う。
ただし、史官も「全然無かったことを記す」ことはしなかったであろうから、行間から推測するほかない。

769 :世界@名無史さん:2009/05/28(木) 15:25:18 O
大事なことなので2回言いました

770 :世界@名無史さん:2009/05/28(木) 16:44:52 O
フ馬のフについてだが、携帯で見ると口へんに刀の変換しがたい字が出た。

771 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 03:26:20 0
皆様初めまして!以前、劉備が三顧の礼で孔明を直々に訪れた際、彼らは筆談でやりとりをしたという話を聞いたことがあります。これは元来劉備と孔明が異郷者同士だったからなのでしょうが、
三国志よりだいぶ前に『方言』という書が編纂されているほど、中国は昔から地域によって言葉が(漢字も)異なっていたそうです。そうなると英雄たちのあの名シーンの数々は筆談や翻訳を交えて行なわれていた可能性が高いですよね?
ロマンが一気に崩れそうです(T3T)そして孔明と方言で思いついたのが孔明の南蛮鎮定行!一体どうやってあそこまで辺鄙な異民族とコミュニケーションをとったのでしょうかね?!


772 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 09:21:01 0
空気読めてなさ杉ワロタ
万年ROMってろ

773 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 12:49:53 0
うるせえぞ。
てめいこそでてけよカス↑

774 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 13:43:10 0
まあ読ませるほど空気流れてないよねー。

あれだけ広大な大陸なんだから地方ごとに言葉の揺れがあるのは当然なんだけど、
中央官僚を輩出する家では中央政府で話されている言葉に馴染みやすいわけだし、
地方官吏でも中央官僚と接点があれば中央の言葉を自然に取り入れるだろう。
いわば共通語のようなものがあったと考えていい。
孔明が筆談で…ってのは英語のできない数学者を前提にするみたいなトンデモの類だろうな。

775 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 14:42:59 0
>>771
方言については前スレか前々スレで散々議論したからもうお腹一杯
自分で過去スレ探してくれ

776 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 16:39:04 0
筆談より通訳いたほうが楽
孔明はそこらの一般民衆ではないのだから
下僕のひとりやふたりいつもついてるはず
そもそも、歴史上の人物がしょっちゅう対談しているわけねえだろ
たいてい書面で意思疎通するもんだ
今でこそ中国では、筆談することがあるが
昔の人もいっしょと考えるのは貴族の窮屈な生活をいかにも馬鹿にしすぎている

777 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 16:41:15 0
誘導

ttp://mimizun.com/search/perl/dattohtml.pl?http://mimizun.com:81/log/2ch/whis/academy6.2ch.net/whis/kako/1182/11827/1182753143.dat

778 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 16:52:42 0
>>771
おれはその話題が初めてで面白そうなので続けてくれ
止めるなら過去ログをよこせ

779 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 22:25:20 0
華南に、北方中国の支配層が南下したので、支配層ではそれほど大きな違いは無かったはず。

780 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 22:28:30 0
諸葛亮のお兄ちゃんのキンが居た呉も支配層は北方中国語を話し、方言しか話せない土着民を軽蔑していた。

781 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 02:39:23 0
http://www.youtube.com/watch?v=0YZrXStn9wg&feature=channel

三国志最終回に泣けてきます。

782 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 06:25:46 0
あー極悪呂蒙が出てくるアレね。

783 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 09:07:00 0
>>781
初めて見たけど、なかなかクオリティ高いじゃん

784 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 10:19:13 0
>781
303の出師の表の回が久しぶりに見れたよありがとう。
森本節は何度聞いても良い。

785 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 10:43:10 0
>>781-784
スレ違い

786 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 10:51:44 0
>>785
ttp://www.youtube.com/watch?v=7hYZ5VcWgNc#t=2m10s

787 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 11:52:53 0
孔明「出師の表」も正史ですか?
国事の最重要ごとだから、丞相だけの名義で上奏できたのでしょうか?

788 :世界@名無史さん:2009/05/30(土) 16:24:33 O
>>771
異民族との会話は通訳が何人もいて重訳が基本だろ

789 :世界@名無史さん:2009/05/31(日) 08:29:05 0
それじゃ、異民族のほうがよほど漢語をマスターしていない限り(していても)トラブルが絶えないだろう。

790 :世界@名無史さん:2009/05/31(日) 08:33:46 0
劉備が、諸葛亮がやったことってのは、歴史学でみても、ほんとちっぽけな、矮小なことだった。
わびしい。
後世には、厨房向けの読み物文学のネタを残しただけで。

蜀の山の隘路で兵站物資を運ぶために猫車のようなものを諸葛亮が発明したというのはウソだろうし。

791 :世界@名無史さん:2009/05/31(日) 13:45:33 O
お前がやったこと(やること)ってのは、生まれて飯食って糞して死ぬだけ。
歴史学でみても、完全に無意味な存在。

792 :世界@名無史さん:2009/05/31(日) 15:46:05 0
>>791
いや、出鱈目で理不尽な偏向解釈に基づく糞のような意見を
肛門のような口から垂れ流して恥じることがない。
無意味ではなく有害な方向に有意味。

793 :世界@名無史さん:2009/06/01(月) 19:52:16 0
「越騎校尉」というのは本当に越(少数民族の?)人部隊司令なのですか?

794 :世界@名無史さん:2009/06/01(月) 22:56:49 0
「帰参した越人による騎兵」としてるのは如淳だけど、
晋灼は「才能の超越した者を選抜したもの」と言っている。
劉昭が言うように、越人は乗馬が得意というわけではないので、
晋灼の解釈を採用すべきだろうな。

795 :世界@名無史さん:2009/06/01(月) 22:59:49 0
顔師古は如説支持だけどな

796 :世界@名無史さん:2009/06/03(水) 03:57:06 0
歴史に名を残す大詩人・曹操は、中国の文学の在り方を決定的に変えたとされる。
魯迅の研究によれば、曹操以前の詩は、重たく儀礼的で固い内容だった。
曹操が、これを有りのままの感情の発露の場に広げたのだという。
そういう意味では、李白や杜甫も、曹操の後継者に過ぎないのだ。



797 :世界@名無史さん:2009/06/04(木) 01:00:11 0
確かに曹操の詩は新しい。

798 :世界@名無史さん:2009/06/04(木) 10:49:58 0
詩経の色が濃かった詩に、楚辞のような感情的の部分を取り入れたって事なのかな?

799 :世界@名無史さん:2009/06/04(木) 11:12:54 O
じゃあ楚辞の方が先?

800 :世界@名無史さん:2009/06/04(木) 13:29:24 0
曹操、曹丕→中国、日本の貴族文化の始祖

801 :世界@名無史さん:2009/06/04(木) 21:33:53 0
曹植って本当は詩人としての評価なんぞよりも武名が欲しかったらしいそうな。

802 :世界@名無史さん:2009/06/04(木) 21:55:32 0
曹植が就いたことが明らかな官は武官だけだという

803 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 01:18:22 0
三国時代最高の思想家は誰ですか?

804 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 01:49:57 0
鄭玄

805 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 13:04:40 0
蔡ヨウ

806 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 14:18:43 0
三国時代は実務家以外は相手にされない。
「思想家」なんかいない。

807 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 14:41:53 0
鄭玄も蔡ヨウも学者であって思想家ではない。

808 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 15:09:50 0
みーんな「官僚就職のための予備校講師」であって「学者」なんか居ない。

809 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 15:11:42 0
思想家なんてのは、世間から狂人扱いされる存在と昔からきまってる。
中国の場合、官僚志望者なんだから思想家なんていねえよ。

810 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 15:43:58 0
4連投でageてまで言うことか

811 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 18:24:01 O
陳到の情報はないですか?

812 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 18:24:22 O
おk
老子が官僚志望と申したか

813 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 20:30:19 0
官僚志望というか官僚そのものじゃなかったっけか。
官僚というより吏僚というべきかもしれんが。

814 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 21:21:10 0
かたつむりの家にすむ

815 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 22:33:17 0
ageてるヤツって同じヤツなんだろ
なにこの糖質、正直引くわ

816 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 23:46:12 0
>>812
老子も周の役人だったよ。
道家もべつにアナーキズムや反体制思想ではない。
政務は法家が行う強い君主の下で(君主には反逆しないことが前提)、太平を楽しんで田舎で官僚への不平をいう手合い。竹林の七「賢」のようなもん。

817 :世界@名無史さん:2009/06/05(金) 23:49:52 0
官僚志望ではないっていってるんでしょ
周の図書館の人だっけ

818 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 00:03:34 0
王允が董卓残党にあぼーんされたあと、曹操が帝を奪取するまでの間、都の朝廷では誰がヘッドを張ってたの?

819 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 02:44:54 0
いまだにageだのsageだのこだわってるヤツって・・・

820 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 09:10:51 0
普通に李カクでしょ?

821 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 12:33:36 0
この時刻に教室にいなかった奴が1人しかいなかったため書き込み者が特定出来た一例。

http://changi.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1232903924/761n

攻撃ターゲットを特定出来なくても、この日から書き込み者が誰にも口をきいて貰えなくなった事実はテラワロス。

822 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 14:17:59 0
董承でごわす。

823 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 14:30:32 0
ずっと司徒録尚書事だった趙温

824 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 14:41:03 0
>>816
道家は法家体制に対して積極的に反抗はしないが
さりとて容認もしてないだろ。
小さな政府、地方分権、事なかれ主義が道家の理想。

825 :蔡& ◆OX4CtTcZmE :2009/06/06(土) 20:38:31 0
并賊、位を奪う!慟哭。
禅譲を請け一度は皇帝に即位された仲穎さまの事績を史書に書くことを恐れた王允によって殺された。

826 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 20:40:09 0
>>825は我が輩、蔡伯喈である。

827 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 21:36:19 0
きもい

828 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 22:22:57 0
王允が「関東の諸侯よ。天下を頼むぞ」と遺言したらしいが、
誰を具体的に当てにしてたの?


829 :世界@名無史さん:2009/06/06(土) 23:52:23 0
孔チュウ

830 :世界@名無史さん:2009/06/07(日) 00:27:12 0
意外に太平道・五斗米道の教主が思想家と呼べるんじゃないの?

831 :世界@名無史さん:2009/06/07(日) 02:51:07 0
列侯でもないのに、官僚である刺史を「諸侯」と、俗書が和訳?でいうのはおかしい。

832 :世界@名無史さん:2009/06/07(日) 08:28:35 0
現世主義の中国に「思想」があったか?
先祖を祭るのでも官職みたいないいかたしてヤダ。

833 :世界@名無史さん:2009/06/07(日) 13:07:22 0
>>831
知事を大名、首相を老中と呼ぶようなものだがどうなんだろうね
手にしてる機能は似たようなもんだと思うけど

834 :世界@名無史さん:2009/06/07(日) 17:32:10 0
世界史の定番訳語の逆輸入なんでねえの?

835 :世界@名無史さん:2009/06/08(月) 00:02:44 0
事実上、地方の半独立大名になりつつあったからいいのでは?


836 :世界@名無史さん:2009/06/08(月) 01:29:54 0
袁紹・袁術・劉表・公孫サン、全員侯位持ってたでしょ?
諸侯でいいじゃん。

837 :世界@名無史さん:2009/06/08(月) 17:08:13 O
諸葛と司馬は親戚だったとわw

838 :世界@名無史さん:2009/06/10(水) 01:20:02 0
魏にも諸葛が仕えていた!!!

839 :世界@名無史さん:2009/06/10(水) 01:21:04 0
諸葛センは只のアホで、わざわざ不利な戦闘をしてあぼーん。

840 :世界@名無史さん:2009/06/10(水) 02:11:20 0
>>837
お前のせいで変なのわいてきたぞ

841 :世界@名無史さん:2009/06/10(水) 02:37:40 0
もともと変なのが湧いてた
次スレはもういらないんじゃないか

842 :世界@名無史さん:2009/06/10(水) 02:40:22 0
三戦化がひどい

843 :世界@名無史さん:2009/06/10(水) 17:08:06 0
>>836
呂布は?

844 :世界@名無史さん:2009/06/10(水) 18:25:41 0
呂布は温侯。もともと王允が温侯に封ぜられていたが、譲られた。

845 :世界@名無史さん:2009/06/10(水) 23:20:06 0
ただの称号でしょ?日本で言うところの「なんとかの守(かみ)」といっしょで。


846 :世界@名無史さん:2009/06/11(木) 05:42:12 0
王允も呂布も董卓誅殺の功績を認められて献帝にもらった爵位で、
きちんと実質を伴ってるよ。ただ漢朝は温の実効支配を失ってたので、
呂布が都落ちしてからは収入上がってないだろうと思うが。

その手の単発質問は以後、三戦板とかでやってね。

847 :世界@名無史さん:2009/06/11(木) 06:27:45 0
注 実質=租税徴収権だけ。人民支配権、官吏任免権は無し。

848 :世界@名無史さん:2009/06/11(木) 06:32:10 0
董相国さまが献帝陛下をそのみ位に奉ったのは、董大后さまに養育せられたゆえ、同姓の同族との縁がため。

849 :董卓:2009/06/11(木) 10:15:26 0
董卓と永楽太皇太后(董太后)と同姓ではあるが同族ではないはず。
献帝の側室である、董貴人の父・董承と董太后が同族である。(董承は董太
后の甥でるがその親族関係は疑問視されているらしい。)
というか最近書き込みしてる人と昔書き込みしていた人との違いが凄すぎる。
このスレの世代交代か(笑)久しぶりにこのスレ見たけどビックリした。
もう昔書き込んでいた人はほとんどいないんではないだろうか?(笑)

850 :世界@名無史さん:2009/06/11(木) 23:02:17 0
初代スレを立てた俺が見ておるぞ。

851 :とうたく:2009/06/11(木) 23:22:26 O
おお、このスレの守護神がおったかww

852 :世界@名無史さん:2009/06/11(木) 23:58:20 0
記念牡蠣子

853 :世界@名無史さん:2009/06/12(金) 00:19:07 0
キエロ

854 :世界@名無史さん:2009/06/12(金) 04:54:20 0
>>849
同族だから助力する、同族だからいずれ禅譲させやすいと建前に使う目論みはあっただろう。

855 :世界@名無史さん:2009/06/12(金) 19:03:57 0
当時の中国には同性だと同族だろうというしきたりみたいなのがあったんじゃないの?ねえ

856 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 01:13:34 0
董卓の一族皆殺しすごいな。一人くらい生き残らなかったのか?
ゲームだと董旻か牛輔が後を継ぐよね。

857 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 03:27:09 0
ゲームとか出てくると世界史板のスレとしては末期だな
そろそろ終了のお知らせでいいんじゃね

858 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 09:48:35 0
そんなに終わらせたいか?

859 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 11:13:43 O
ゲームだと
ゲームだと
ゲームだと
ゲームだと
ゲームだと
ゲームだと
ゲームだと
ゲームだと
ゲームだと


860 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 11:18:38 0
わざとだと思うよ

861 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 12:38:23 0
宦官が何進に「皇帝の怒りを受けた貴様の妹を誰がかばってやった。誰がお前ら何一族を富貴にしてやった。おまえらはわられを濁っているというが、清らかな官などどこにいるというのか!」
といっている。

862 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 12:45:00 0
宦官=諸悪の根源というのは客観的に間違いではないのか?
正規ルートの君臣関係の間に、介入する存在と、それを統制できない凡庸な皇帝が悪いのである。
―もっとも正規ルートの君臣関係として純化するのであれば、立憲君主制になってしまい、前近代社会では無理。
司馬遷のようなのもいたし、曹謄が特別悪い人間であれば曹操とて最初から世間に相手にされなかったはずである。

863 :世界@名無史さん:2009/06/17(水) 14:13:30 0
>>858
終わりでいいんじゃね
釣りの連レスばっかりだし
続きは三戦板でおk

864 :世界@名無史さん:2009/06/18(木) 05:50:17 0
「燕人」張飛と「黒山賊」褚(張)燕[張飛燕]が同一人物である可能性を考えている。
これは自分の想像だが、それほど変な妄想だろうか?
陳寿は張皇后を慮って、あえて別人物である如く記したのかもしれない。
2人の出身地とされる場所はそれほど遠く離れていない。
褚とは猪に通じ、張飛がブタ肉を商っていたことにかけているような気がする。
子の張方も魏に仕えているのに、本人の死について記録がないのは、陳寿があえて書かなかったからか。





865 :世界@名無史さん:2009/06/18(木) 12:59:37 0
>>863
売るセ蝦夷>クズ
やる気ねえんなら繰るな

866 :世界@名無史さん:2009/06/18(木) 15:02:15 0
>>864
どこがおかしいかイチイチ書くのも面倒なほど、変な妄想だと自分は思う

867 :世界@名無史さん:2009/06/18(木) 15:27:42 0
>>864
>2人の出身地とされる場所はそれほど遠く離れていない。
>褚とは猪に通じ、張飛がブタ肉を商っていたことにかけているような気がする

まさかこれだけが根拠じゃねーだろうな?

868 :世界@名無史さん:2009/06/18(木) 19:13:21 0
KEN                   DEATH
 KEN                   XXX
  KEN                 XXX
   KEN               XXX
    KEN             XXX
     KEN           XXX
      KEN         XXX
       KEN       XXX
        KEN     XXX
         KEN   XXX
          KEN XXX
           KENXX
            KEN
           XXKEN
          XXX KEN
         XXX   KEN
        XXX     KEN
       XXX       KEN
      XXX         KEN
     XXX           KEN
    XXX             KEN
   XXX               KEN
  XXX                 KEN
 XXX                   KEN
DEATH                   KEN46

869 :世界@名無史さん:2009/06/19(金) 10:25:52 0
>>864
豚肉の商いなんて演義設定持ち出されてもな

870 :世界@名無史さん:2009/06/19(金) 13:24:10 0
3兄弟では張飛がいちばん資産家。桃園は張飛の土地。

871 :世界@名無史さん:2009/06/19(金) 23:05:06 0
はい、終了終了

872 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 07:37:25 0
鬼畜三兄弟

劉備 人妻の肉を食う
関羽 人妻を戦利品に所望。元の夫を後に殺害
張飛 幼女を誘拐して妻に

873 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 07:47:51 0
えろげーのようだw

874 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 10:22:57 0
元の夫殺害したのは張飛じゃねーか!

875 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 16:52:53 0
人肉の話って演義だけだろ?

876 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 17:40:50 0
人肉の代金は曹操が払った

877 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 20:48:48 0
督郵とは人名ではなく地方監察官を意味する官職名を指し、劉備にしばかれた人物の本名は不明。

878 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 21:31:33 0
しかも劉備の知り合い

879 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 23:01:42 0


呂布に破れ逃亡中の劉備は孫乾と共にこの男の元へ匿ってもらう。
劉安の妻は劉備を持て成すが彼女の姿がいつの間にか消えている。
そして劉安が狼の肉だと言う料理で劉備を歓迎。劉備は肉料理を満喫したが、
翌朝劉安の妻が居なくなった事に気が付いてそれを訊ねる。すると劉安は、飢饉によって何も与えるものがなく獲物もとれなかったが名声のある劉備をどうしても持て成したかったので、
自分の妻を殺してその臀部の肉を狼の肉と偽って出した事を話す。それを知った劉備は驚愕し、感涙。
劉安の息子の劉封を養子とするのである。
劉備は謝礼として劉安に官位を授けようとしたが年老いた母がいる事を理由に劉安は辞退。
後に彼は曹操から百両を賞され、その金で新しい女を3人買う。



880 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 23:08:09 0
> 劉安の息子の劉封を養子とするのである。
> その金で新しい女を3人買う。

こことここは演義にないけど出典は何ですか?

881 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 23:32:43 O
>>879
感涙は吉川英治だったか、訳者の誤読で実際は怒りで涙を流していたんじゃなかったっけ。
中国蔑視の酷い連中が自己正当化によく持ち出すから、しっかり原典から否定されていたような。

てかそれ演義だからスレ違い。
>>871の例なら下二つの話はありだな。

882 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 01:02:50 0
なんで曹操が金払うの?

883 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 01:12:53 0
>>879
これwikipediaだね。あっちも品質落ちたもんだ。

884 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 01:53:19 0
しかし、水滸伝とかには平気で人肉食が出てくるよな。
いかに扱う層が士大夫と庶民という違いがあっても
1000年後の方が人のモラルが低下してるような気がしてならない。

885 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 03:15:55 0
つか、今でも人肉くってるよ

886 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 05:36:01 0
三国時代は大飢饉、人口激減の時代だから、軍隊も反乱軍も食うためだけの餓狼の群れだったよ。

887 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 11:09:11 0
宋代の銭湯で、肉の見定めしてたっていう話があるし

888 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 11:50:04 0
はいはい、お手軽ネット知識のご披露乙。

889 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 14:18:19 0
>>884
小説ネタでモラルがどうこう言っても仕方がない。

志怪小説の概説書にはよく書いてあることだけど、
スプラッタが流行する時期があって人肉食というのもその時期にまとまって出てくる。
80年代のスプラッタ映画ブームみたいなもんだな。

890 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 19:37:59 0
蜀の住民800万人、南蛮の住民200万人、漢中の人間100万人を虐殺した劉備と諸葛亮は鬼畜!

891 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 21:14:22 0
蜀は分からんが南蛮と漢中にそんだけ人がいたかどうか

892 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 21:20:07 0
国の皇后をぶっ殺してる曹操のが鬼畜だろ。

893 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 22:08:09 0
当時妻へのDV程度で劉琰のように処刑されたのか?

894 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 22:47:29 0
本草綱目でも人を薬につかったりしとるがな

895 :世界@名無史さん:2009/06/22(月) 00:01:22 0
蜀って全体で100万も居なかったけどな

896 :世界@名無史さん:2009/06/22(月) 04:55:26 0
>>1
お前らはどのテキストを読んでいるの?

897 :世界@名無史さん:2009/06/22(月) 06:41:47 0
2ch

898 :世界@名無史さん:2009/06/22(月) 13:22:06 0
中華書局の三国志集解

899 :董卓:2009/06/22(月) 13:55:20 0
ちくま学芸文庫。

900 :世界@名無史さん:2009/06/22(月) 20:08:24 O
>>893
罪状は後主に対する不敬だろ

901 :世界@名無史さん:2009/06/23(火) 13:17:13 O
陳到について語ろう

902 :世界@名無史さん:2009/06/23(火) 13:18:44 0
また湧いたか

903 :世界@名無史さん:2009/06/23(火) 20:00:43 0
>>895
そうらしいね。
それって江戸の人口とおなじくらいなんだね〜

904 :世界@名無史さん:2009/06/23(火) 20:58:45 0
ちゃんと戸籍が整理されてる数と総人口とはまた話が違うけどな
まあ蜀に関して言えばそんなモンだったかも知れないけどね
当時の中国は全体でもまだまだ人口少なかったはずだし

905 :とうたく:2009/06/24(水) 00:28:33 O
確か後漢の時代には5〜6千万人くらいの人口だったはず。三国時代に入ってから人口は1〜2千万人くらいにまで激減。

906 :世界@名無史さん:2009/06/24(水) 12:08:02 0
把握人口≠人口だよね

907 :世界@名無史さん:2009/06/24(水) 14:07:45 0
正史をきちんと踏まえた小説は日本では『昭烈三国志』だけ。

908 :世界@名無史さん:2009/06/24(水) 17:32:44 0
宮城谷は駄目なの?

909 :世界@名無史さん:2009/06/24(水) 22:57:00 0
仮に蜀の戸籍人口が100万とすれば。

 ホクバツで兵士10万を動員したとしてもたいへんなことですなぁ。

 国民の10人に1人だね。
 女性が半分とすれば男性は50万人。

 老人や未成年(戸籍の対象外かもしえんが。。)を省けば壮年男性は30-40万人ではないの?
 
 これらの労働力の主戦力から10万人だよ?
 向こう三軒両隣、にはお父さんが戦争につれていかれた家庭が2,3件あるんだ。。

 
 5万の精鋭をうしなった段ケイの敗戦が蜀の国運を傾けたって話。
 まさにそのとおりだとおもうねぇ

910 :世界@名無史さん:2009/06/25(木) 00:32:18 0
益州全体の人口は300万くらいはあっただろう。
蜀郡だけで後漢中期に130万越えてたし。
荊州や北方からの流民もいたし、人口はそこまで激減
してなかったと思う。

911 :世界@名無史さん:2009/06/25(木) 00:39:17 0
後漢末の益州はかなり平和だったからな

912 :世界@名無史さん:2009/06/25(木) 04:23:24 0
北×の際、屯田させられた兵士は、その後魏軍に皆殺しにされたの?

913 :世界@名無史さん:2009/06/25(木) 16:40:49 0
次スレいらないだろ
三戦いけ

914 :世界@名無史さん:2009/06/25(木) 19:50:57 0
先ず、お前が失せろ。

915 :とうたく:2009/06/25(木) 20:05:45 O
正史スレ形骸化。三戦に乗っ取られる。司馬氏の専横によるギの末期状態。

916 :世界@名無史さん:2009/06/25(木) 22:42:21 0
正直、変なのが常駐するようになったし
この板で三国志スレはもう限界だろ
三戦板と中英板の誘導スレでも貼っっとこうか

917 :世界@名無史さん:2009/06/25(木) 23:57:13 0
そんなにこのスレを止めさせたいのか?
三戦板が好きならそっちにいればいいのに。

918 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 00:00:22 0
sageもせん輩が何を言っても白々しいな

919 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 05:53:56 0
何だよそのイチャモンに近い物言いは…
てか荒らしまがいが横行してるスレでは無意味

920 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 06:17:51 0
・変なのは相手しない
・レスが無いときはスレが落ちないよう保守
・元々の住人が普段どおり質問や意見や議論をやる

これを辛抱強く続ければそのうち元に戻るさ

921 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 11:09:06 0
最近、三戦板行ってないけどそりゃあもうひどい有様なんだろうなあ・・・


922 :とうたく:2009/06/26(金) 19:47:08 O
では話題を一つ。卓の弟とうびんについて語ろうwww

923 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 19:51:18 0
星の子 とうびん ?

924 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 19:55:41 0
やはり次スレいらないだろ
三戦いけ

925 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 19:59:34 0
卓の兄の名前なら知ってるけど。

926 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 20:08:19 0
たしか「中」だよな。秀才だったらしい

927 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 20:24:33 0
董卓に兄がいましたっけ?


928 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 20:29:01 0
卓に兄はおりますよ。

929 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 21:25:16 0
董卓の父君雅って字だよな?名は何だろ・・・
兄の名って何だっけ?

930 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 21:28:27 0
卓の兄の名前は中。

931 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 22:15:54 0
自演とかもする変なのはここんとこずっと居るからな
諦めて一度廃棄するのもいいんじゃね

932 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 22:18:26 0
お前が変なのだろうが。

933 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 22:21:10 0
董卓の兄董擢は若くで亡くなったのでその子が跡を継ぎ、
董卓の時代に中軍校尉に任ぜられている。
董擢は字を孟高、董卓は仲穎、董旻は叔穎という。
というのを検索で見つけたが。

934 :世界@名無史さん:2009/06/27(土) 17:30:29 0
孟頴じゃなくて、孟高なのか

935 :世界@名無史さん:2009/06/28(日) 06:40:05 0
董卓兄弟が潁という字を持ってるのは、
父親が潁川の輪氏という県の役人をしてたとき生まれたから。
だから孟高だけ字が違う。

936 :世界@名無史さん:2009/06/28(日) 17:12:36 0
呂布の素性(実父)とは?匈奴から奴隷に買われた部曲だろうか?イスラム圏でいうところのマムルーク。

937 :世界@名無史さん:2009/06/28(日) 22:25:42 0
卓の兄が中なのはたしかだ。
漫画で読んだことがあるんだから。

938 :世界@名無史さん:2009/06/28(日) 23:12:47 0
あっそう、死ねやカス

939 :世界@名無史さん:2009/06/28(日) 23:53:47 0
匈奴に呂姓なんてない。

940 :世界@名無史さん:2009/06/29(月) 00:20:12 0
>>936
正史スレなんだから呂布が丁原の元で何やってたか考えればいいのに
ある程度は推測できると思うよ?

941 :世界@名無史さん:2009/06/29(月) 08:13:36 0
袁紹の本初という字は本初年間の生まれだから?

942 :世界@名無史さん:2009/06/29(月) 23:24:51 0
>>936-938
呂布も丁原も正史に出自の記録はない。
貧家、無学、無名の出自であったことは確かだ。

943 :世界@名無史さん:2009/06/29(月) 23:35:52 0
確か、丁原の養子となってるのは演義だけで、
正史にはその記述はなかったと思います。
五原郡九原県の人で、生年不明、丁原に重用されて主簿となったことしか、
正史には書いてありません。前歴全く不明です。陳寿の三国志正史も呂布の死後、
80年ぐらいあとに書かれているので、彼の有名になる前を知るものが全くいなかったのでしょう。
丁原を殺して董卓に寝返り、董卓の養子となってます。2世紀のはなしなんで、後漢書と三国志魏志の他に全く資料はなく、
現在としては知るすべはこの世に存在しません。



944 :世界@名無史さん:2009/06/30(火) 15:08:22 0
中国人は異姓から養子をとらない。
とるとしても、そのようなことをするのは貧民かゴロツキだけだ。

945 :世界@名無史さん:2009/06/30(火) 15:27:03 0
朝鮮人乙

946 :世界@名無史さん:2009/06/30(火) 17:58:23 0
ageてる奴が同一人物にしか見えない

947 :世界@名無史さん:2009/06/30(火) 19:13:21 0
たぶんそうだろ
心の病っぽいからな

948 :世界@名無史さん:2009/06/30(火) 19:25:21 0
何晏って曹操の養子みたいなもんだろ?

949 :世界@名無史さん:2009/06/30(火) 19:26:49 0


950 :世界@名無史さん:2009/07/02(木) 15:59:17 0
次スレはどーする?

951 :世界@名無史さん:2009/07/02(木) 18:34:39 0
>>950
立てるならあなたがやることになる。

952 :世界@名無史さん:2009/07/02(木) 19:15:26 0
じゃあ立てない

953 :世界@名無史さん:2009/07/02(木) 21:47:28 0
おk

954 :世界@名無史さん:2009/07/03(金) 10:57:04 0
だが、反逆する

955 :世界@名無史さん:2009/07/03(金) 22:10:43 0
そして、鎮圧 
>>954は斬首

956 :世界@名無史さん:2009/07/04(土) 06:25:00 0
うめ

957 :世界@名無史さん:2009/07/04(土) 14:47:36 O
うめ

958 :世界@名無史さん:2009/07/04(土) 20:35:02 0
次すれはたてなくていいだろう。

959 :世界@名無史さん:2009/07/04(土) 21:54:38 0
このペースだと次スレの話題はまだ早いんじゃないか?

960 :世界@名無史さん:2009/07/05(日) 23:59:27 0
魏の劉徽の円周率すげえ・・・
3.14159だって。
ちなみに
後漢の張衡は3.1622
呉の王蕃は3.1555


961 :世界@名無史さん:2009/07/06(月) 16:17:55 0
象の体重を量った劉徽

962 :世界@名無史さん:2009/07/06(月) 16:25:50 0
曹沖ではなかった?

963 :世界@名無史さん:2009/07/07(火) 02:11:59 0
2世紀のエジプトのプトレマイオスは3.1417にたどり着いてた
みたいね。結構近い・・・

964 :世界@名無史さん:2009/07/07(火) 09:52:23 0
象を計った話は、別の国の話から伝わったのが曹沖の話にされたという話を某二階堂氏から聞いた事がある。

965 :世界@名無史さん:2009/07/07(火) 15:19:33 0
>>942
盛家でもないが貧家ってわけでもないだろ
そもそも当時の郷挙里選で貧家、無学で官位にあり付けるとでも?

966 :世界@名無史さん:2009/07/07(火) 20:01:50 0
中国ってすごいよな。
いろんな発見、発明を世界に先んじてしてきたんだよな。
でもそれが近代国家成立に結びついていかないのだね。

967 :世界@名無史さん:2009/07/07(火) 20:08:43 0
豊かすぎて自己完結するので近代化の必要がなかったということだろうな。
けどスレ違いになるから他でやろうぜ。

968 :世界@名無史さん:2009/07/07(火) 22:45:33 O
>>965
後漢後期あたりでも、蓋勲など、能力優先を貫いた名太守はまれにいるよ。
全く可能性のない話ではない。

ただ丁原と呂布がそうかといえば違うんじゃないかなとは俺も思う。
あの辺りにそういう太守は出てなかったような気がするし。

969 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 00:41:14 0
数学や科学なんてのは末学扱いだからな。
学問の王道は経学。

970 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 09:47:06 0
侠客が義勇軍率いて成り上がった

971 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 14:05:02 0
>>970
侠客?
誰?

972 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 20:10:21 0
>>968
その優先される能力というのは、第一に文書の能力だよ。官僚なんだから。

丁原は書の能力は少なかったが、漢末の混乱に挙げた武勲を中心に出世した。
後漢末三国初の武臣達のはしりだろう。
呂布が重んじられたのも第一に武勇だけど、
交友関係を見ると恥をかかないくらいの学はあったように思えるな。

973 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 22:57:26 0
>>971
小侠を率いて挙兵した魯粛のことじゃね

974 :世界@名無史さん:2009/07/09(木) 16:01:06 0
呂布の妻子は殺されたのかどうか不明。美女だったら子どもも秦朗のように生かしてもらえたはず。

975 :世界@名無史さん:2009/07/09(木) 19:43:21 0
一説には魏続の係累という話もあるから、そちらの血縁は生き残っただろうな
袁術の子に嫁入りになりかけた娘はわからないけど、
呂布は夷三族などではないだろうから奴婢に落とされたとかで済んだかもしれない。

976 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 01:53:35 0
呂布の追い出されっぷりは異常。
どこに行っても厄介者扱い。

977 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 02:34:49 0
裏切り常習犯だから当然というわけじゃなかったろう。裏切り者など掃いて捨てるほどいた時代に。
匈奴軍団だったのかも?

978 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 06:40:43 0
夷三族ってさんぞくみなごろしじゃないのか

979 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 06:49:24 0
うめええ

980 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 06:51:16 0
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981 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 08:26:48 0
王匡さまを差し置いて侠客を語るとは何事か!

982 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 12:06:21 0
劉備のもとに身を寄せていたとき、自分から、劉備を妻の寝室に入れた。
劉備は「こいつは非常識なヤツだ」と思った。
建前としても「礼」を知らない野人とおもわれていたので、いくら戦功をたてても侮られたのであろう。


983 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 22:09:52 0
ageてるヤツが糖質にしかみえないんだが

984 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 22:22:50 0
もうこのスレはおわりさ

985 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 22:54:51 0
新スレよろ。
俺はスレ立て規制で立てれんので・・・

986 :世界@名無史さん:2009/07/10(金) 23:03:41 0
丁度いいから三戦いけよ。

987 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 11:21:43 0
だが、反逆する

988 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 13:12:16 0
最近の中国史系のスレのレベル低下が著しいんだけど。

989 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 13:57:42 0
うめ

990 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:06:14 0
990

991 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:12:26 0
うめ

992 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:15:19 0
次スレはいらんかな

993 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:17:17 0
http://ex24.2ch.net/warhis/

994 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:18:10 0
三戦池

995 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:18:56 0
rベル落ちたなあここ・・・

996 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:20:03 0
うむ

997 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:21:56 0
997

998 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 14:23:26 0
高度な議論や質問への回答をしてた皆さんの帰りを待っています

999 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 15:05:23 0
999

1000 :世界@名無史さん:2009/07/11(土) 15:06:23 0
1000ゲットだぜ!

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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