5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【女真】☆☆☆金☆☆☆【完顔】

1 :完顔阿骨打:2009/02/08(日) 16:26:08 0
さあ語れ!

2 :|ω・`):2009/02/08(日) 16:41:24 0
はい

3 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 17:17:21 O
宋・欽宗「何も語りたくなんかないわい。早く帰りてえよぉー」

4 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 17:36:48 0
岳飛ごときに負けたカス
それが金

5 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 17:38:44 0
女真族って日本にまで侵略してるんだよな
わざわざご苦労さんなこった

6 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 17:46:20 0
そんでもって撃退されてます。
女真は弱い。
それが事実。

7 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 17:50:25 0
お前とりあえずなんでもけなしときゃいいって思ってんだろ

8 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 18:12:32 0
刀伊の入寇なら一部族が適当に略奪しに来たものだろう
前の新羅の海賊よりずっと規模が小さい

9 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 18:18:23 0
そもそも刀伊と金じゃ時代が開いているし
完顔と関係があったかどうかもわからんし
いや、はっきり関係ないと思う

10 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 18:23:28 0
むしろ岳飛と闘った宗弼が無能すぎ


11 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 18:40:33 0
漢化してしまった

12 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 18:52:52 O
世宗は名君って云うけど、本当なんかな?この人のやったことって、時代錯誤な政策ばかりだし、経済とかもぐちゃぐちゃにしてるし。

13 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 18:56:03 0
前の王がめちゃくちゃすぎたからそう見えたんじゃないの

14 :海陵王:2009/02/08(日) 21:58:32 O
呼んだー

15 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 01:02:28 O
女真族の漢化が、急速に進んだのは何故だろう?中国に侵入してきた北方民族は、大かれ少なかれ漢化するんだけど。それにしても、極端過ぎる。

16 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 07:40:31 0
>>9
のちに朝鮮王朝を開いた李氏(女真系といわれる)と関係あるという話は聞いたことあるな

17 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 18:30:10 O
>>12
岳飛が凄いだけでは?

18 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 18:34:17 O
アンカーミス。
17は>>10へのレス。

19 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 19:52:36 O
海陵王の荒淫って、どこまで本当?

20 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 22:45:34 0
宗弼て宋に買ったことあるの?
いつも負けてるイメージなんだけど





21 :20 :2009/02/13(金) 22:47:29 0
ゴメン間違えた
買ったこと→× 買ったこと→○



22 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 22:51:35 0
>>6
でも太祖は遼の大軍に勝ってるし
指導者しだいじゃない?

23 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 22:52:53 0
>>20だからやつは無能なのだ

24 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 23:33:24 0
金の皇帝て残虐なイメージあるんだよな
海陵王のせい?




25 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 02:01:55 0
>>5-6
そういや以前どっかのスレで、日本は刀伊の入寇で女真族と直接対決して勝ってるから
ヌルハチの後金軍と戦っても勝てるよとか主張してる人が居たな。

26 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 11:25:13 0
そいつ馬鹿だろ

27 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 13:17:56 0
今川氏真が指揮する日本人部隊と
上杉謙信が指揮する日本人部隊とじゃ
強さが違うだろうにね

28 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 13:33:39 0
そもそも女真は部族国家で
阿骨打の時にようやく統一されたんだろ

29 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 23:05:21 0
>>23
宗望、宗輔の下では戦功上げてるんだけどな>宗弼
岳飛や韓世忠が凄すぎるのか?

30 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 23:11:34 0
宗弼は宗望や宗輔がいないと何もできなかったんだろう

31 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 00:08:45 0
武将としては優秀なんだろうけど
一軍を率いる才能はあんまりなかったんじゃないか?

32 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 03:55:47 0
朱仙鎮の戦いて本当は無かったらしいけど

33 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 09:51:04 0
負けぱなしてワケじゃないみたいだけど
いつも苦戦してるイメージなんだよな>宗弼

34 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 13:28:07 0
アグダが反乱を起こした頃はやはり遼軍と比べて装備など貧弱だったんでしょうか?

35 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 21:12:48 0
貧弱だったら遼の大軍に勝てたかな?

36 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 21:44:56 O
大軍といっても、各地からの寄せ集めだからなあ。多種族の混成軍で、無理やり集められたので、不満が高まり、軍内で反乱が起こった。それが原因で、大敗をきっしている。装備云々でいえば、遼軍も中核部隊以外はたいしたことなかったんじゃないかな。

37 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 21:52:05 0
>>35
阿骨打が凄すぎたんだよ。

38 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 10:19:52 0
女真族て強いのか弱いのかイマイチわかんないんだよな

39 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 13:04:39 0
阿骨打やヌルハチが族長だったら超強い

40 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 17:10:38 0
>>36
それまんま金の軍隊に当てはまるな
金の人口の女真人の割合は2割にみたない
軍も多民族

41 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 17:15:02 0
遼と闘っていたのがアグダじゃなく宗弼だったら
まず勝てなかっただろうがな
そして宋の北半分を占領することもできなかっただろう

42 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 17:29:17 O
>>38

防人には勝ったけど、日本軍本体(大宰府軍)には結果的に負けた。
>刀伊の入寇

43 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 19:38:26 0
刀伊は時代が離れているし
一部族の話だから語る意味ないだろ

あのころは、ゲルマンがスエビ族やテントニ族の
ようにいろいろな部族にわかれていたんだから

44 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 19:55:36 0
あれは適当に略奪し終えて帰っただけだから
勝敗もつかないよ

45 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 20:01:23 0
>>43
「女真族」という一つの民族はなかったわけか

46 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 20:06:10 0
遼や宋と闘っていた金の主力軍は
長江を超えようとしていた時には
すでに引退しているか年をとって死んでいた

47 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 20:11:27 0
女真の先祖の靺鞨は扶余と高句麗と同じく
ツングース系
白村江の戦いの時の唐の主力は靺鞨
ただし高句麗の側にも靺鞨はいた

48 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 22:52:12 0
>>41
天祚帝には勝てるだろ

49 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 23:56:31 0
それでも負けそうな兀朮

50 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 13:46:22 O
最弱なのは、末期状態の遼軍に連戦連敗していた童貫なんだが。

51 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 16:00:25 0
逆に考えるんだ宋が弱いんじゃなくて
金が強いすぎたんだって

52 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 16:46:46 0
ところで遼は強いのか?
阿保機も後唐に勝てなかったし。


53 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 19:07:50 0
最終的にナイマン族残党に乗っ取られて滅亡だしなw

54 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 20:26:55 0
>>53
カラキタイの残党、というか王家の一部はイランに流れてモンゴルの宗主権下でしばらく存続したらしい。

55 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 23:57:51 0
>>52
十分強い
宋より弱い国ない

56 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 00:23:31 0
遼て高麗にも負ける国だろ?

57 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 01:43:59 0
女真スレ他にあったろ?

58 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 04:48:17 O
一応、ここは【金】のスレなんだけど。女真のスレじゃなくて。

59 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 04:51:52 0
金あんまり人気ない?

60 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 07:51:39 0
金は地味

61 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 08:23:40 O
120年ほどで滅んでいるし、勢いがあったのは初期の頃だけ、最後はモンゴルの咬ませ犬。

62 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 21:22:54 O
金は強いお。

遼天慶4年(1114)
完顔阿骨打 遼に叛き挙兵連戦連勝
収国元年(1115)
阿骨打即位 国号を金とする
遼帝が70万の兵を率いて親征してくるが、これを僅か2万で破る。
収国2年(1116)
東京(遼陽)をとる
天輔4年(1120)
宋と結ぶ
天輔6年(1122)
中京、西京(大同)を落とす 燕京をとるが、宋に与える
天輔7年(1123)
太祖(阿骨打)死す
太宗即位
天会2年(1124)
西夏が帰順
天会3年(1125)
遼を滅ぼす
宋の違約に怒り、宋に侵攻天会4年(1126)
宋といったん和議を結ぶが、再び宋が違約 再侵攻
北宋を滅ぼす


63 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 22:07:56 0
阿骨打すげー

64 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 22:10:27 0
国や民族に強いも弱いもない
アメリカvsキューバとかあからさまなのは別にして

65 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 22:42:31 0
>>61
岳飛とか抗金の名将の噛ませ犬>金

66 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 00:43:04 O
海陵王が即位したあたりまではかなり国力あったんだけど。海陵王が宋を攻めて失敗し、反乱軍に殺されたあたりから、国はガタガタになった。

67 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 02:23:20 O
66の続き
その次の世宗は国政の改革を試みるが、あんまりうまくいかない。女真族の漢化による弱体化を食い止めようとしたが、あまり効果はなかった。
次の章宗は逆に中国かぶれで、漢制によって法制や官制を整備するなど、一定の成果をあげたが、宋との戦争などもあり、財政難がすすみ、女真族の弱体化もますますひどくなる。
章宗死後、モンゴルの侵攻が始まり、あとは滅亡一直線。


68 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 15:48:16 0
金の軍事力が衰えてきたのって世宗の時代?

69 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 18:34:55 O
>>68
軍事力の低下が表面化したのは、世宗の時だと思う。金は華北を支配するために、女真族に土地を与えて移住させたが、漢化して生活がぜいたくになり、借金がかさんで、土地を失う者が続出した。中核である女真族が弱体化したため、金軍の戦力はかなり低下した。


70 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:13:12 0
でも世宗の時代は平和で良かったらしいけどな

71 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 10:30:44 O
>>70
世宗は宋との和平の持続に努力したからね。
逆にいえば、軍事力が低下していたので戦争できる状況じゃなかったともいえる。

72 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 10:48:03 0
平和だから軍事力が低下したてことも考えられない?

73 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 17:58:03 O
>>72
確かにそれはそう。平和が続いたことで、軍事力はますます低下した。
世宗はそれを食い止めようとしていろんな手を打った。
漢化した女真族に民族主義を鼓吹し、宮廷で女真語以外の使用を禁止したり、女真語の科挙までやっている土地を失った女真族のためには、「徳政令」みたいなことをやって、土地を取り戻させている。でも、これは漢人の反発を招いただけ。
結局、一時的な政策で根本的な解決策にならなかった。

74 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 18:23:50 0
遼も元も似たような感じで衰退したのかな?

75 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 20:11:42 O
>>69
それでも勝てない南宋。
どんだけよわいんだか。

76 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 23:03:30 0
金も宗弼が(ry

77 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 23:21:02 0
兀朮はやればできる子

78 :世界@名無史さん:2009/02/21(土) 00:08:05 0
金朝歴代皇帝の肖像画って残ってないの?
どんな髪型で、どんな衣服着てたんだろう。
章宗皇帝の時に漢化が進んだというけど
北魏の孝文帝くらい漢化し切ったのか
それとも清朝の乾隆帝のように外見は女真人そのものだったのか。

宋や元の皇帝の肖像画はあるのに。

79 :世界@名無史さん:2009/02/21(土) 02:31:03 0
金の陵墓で阿骨打の石棺と遺骨が発見されたけど
肖像画とか衣服はどうなんだろう?

80 :世界@名無史さん:2009/02/21(土) 21:40:43 O
>>74
遼は似てるけど、元はまったく逆。
モンゴル族は漢化してない。軍事力が衰えていたわけじゃない。むしろ、軍閥の対立で国内が内戦状態になったのが滅亡の原因。

81 :世界@名無史さん:2009/02/21(土) 21:53:58 O
>>79
皇帝陵はたいがい盗掘されているから、副装品は期待できないんじやない?

82 :世界@名無史さん:2009/02/22(日) 09:36:10 0
遼と金は似てる

83 :世界@名無史さん:2009/02/23(月) 01:42:59 O
似てるというより、真似したみたい。女真族はそれまで国家を作ったことがなかったんで、遼や宋の制度を取り入れたみたい。

84 :世界@名無史さん:2009/02/23(月) 01:57:59 O
このスレで名前がよく出てくるので調べてみたよ宗弼。
金史によると、この時期の金軍は連戦連勝って感じだが、たまに「負くる」とか、「戦い利有らず」とかいう記載があるんだけど、全て将は宗弼w
本当に弱かったんだね。

85 :世界@名無史さん:2009/02/23(月) 12:40:19 0
中国名将録てサイト見るとまるっきり弱いわけじゃないみたいだけどね。




86 :世界@名無史さん:2009/02/24(火) 00:06:06 O
この時代、震天雷とか猛火油櫃とか本当に使ってたの?

87 :世界@名無史さん:2009/02/24(火) 09:47:19 0
1232年に侵攻してきたモンゴル軍に対して震天雷が使われた記録があるらしい。

88 :世界@名無史さん:2009/02/24(火) 23:24:20 0
震天雷って某コーエーゲーでは最強兵器みたいな扱いだけど
実際には音で脅かすのが主だったらしいね

89 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 14:13:01 0
完顔陳和尚の話題がない

90 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 14:36:13 0
>>89
「陳和尚」って女真語か何かですかね?

91 :世界@名無史さん:2009/02/26(木) 14:52:58 0
漢語じゃないの?
しかしあのスブタイを撃破したのは凄い。

92 :世界@名無史さん:2009/02/27(金) 23:58:39 0
完顔陳和尚は金の宗室?




93 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 23:08:43 0
田中芳樹の紅塵を読め

94 :世界@名無史さん:2009/03/05(木) 06:34:36 0
紅塵読んだけど
岳飛以外に韓世忠や呉兄弟にも負けてるんだよな宗弼w




95 :世界@名無史さん:2009/03/05(木) 11:54:51 0
>>83
そうだな。中華の制度を学んで上位補完するような感じだな
清も明のシステムそのままだし

96 :世界@名無史さん:2009/03/05(木) 17:31:49 0
遼は金やモンゴルにとって偉大な先輩だって杉様が言ってたなような。

97 :世界@名無史さん:2009/03/07(土) 22:12:43 0
>>91
元代の人名でも下の名前が「和尚」とか「先生」とか付いてる例があるけど
本名なんですかね? ダルガチとかでもいたはずだけど・・・

よく知らんけど「○○ホージャ」とかああいうのと何か通じるものがあったりするんですかね

98 :世界@名無史さん:2009/03/07(土) 23:07:49 0
名前からしても坊さんかと思ってた。

99 :世界@名無史さん:2009/03/10(火) 15:08:54 0
強い坊さんだなw

100 :岳飛迷:2009/03/11(水) 16:08:43 0
維基百科の岳飛の項↓
ttp://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B3%E9%A3%9E
に以下のような記述がある。

建炎四年(1130年)四月二十五日,岳飛在位于建康城南三十里的清水亭首戰大捷,金兵屍十五里,斩得耳戴金、银环的女真人头一百七十五级……

引用文献として三朝北盟会編巻3や巻28があるが、ここには女真が耳飾りをしていたということがあるだけ。
もう一つの引用文献である《梁溪全集》卷171《靖康传信录》には岳飛の戦勝の様子、女真の首級の数や様子について記述されているのでしょうか。

また、これ以外の文献でこの戦いのことを記述している本がありましたら、教えてください。

101 :世界@名無史さん:2009/03/11(水) 23:35:04 0
>>78


> どんな髪型で、どんな衣服着てたんだろう。

髪型は清朝の辮髪に近い感じらしいが、三つ編みは2本たらしていたらしい。一昔前の
田舎の女子高生のように、左右に1本づつではなく、一箇所から2本垂らしていたようだ。
衣装は襟のない旗包という感じらしい。というか、漢民族の長包とそれ程違ってないが、
袖が細身で手首までの長さだったみたい。


102 :世界@名無史さん:2009/03/30(月) 10:01:35 0
>>84
でも評価高いんだよな>兀朮

103 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 00:05:58 0
金の人口は南宋の倍近くあって、文化もかなり盛んであったというが

104 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 00:29:17 0
俺はいまだに漢族の衣装ではない
チャイナドレスを、中国人らが中国服としてアピールするのかがわからん。

現地の人に聞いても、満族由来というのは知っている。
漢服じゃだめだったのかしらん。
和服のほうが完成度が高いことがばれるからか?

105 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 01:01:13 0
ビデオ屋で中国ドラマ「大漢風」や「始皇帝烈伝」を借りて見ている。

長髪を頭頂部に巻き上げた髷を結い、ゆったりした漢服を着ていた時代の漢族は
本当に悠然としている。

それにくらべて辮髪や筒袖の服は滑稽でね・・・

106 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 01:07:09 0
衣服の騎馬民族化は欧州のほうが早いぞ。やつらのスーツなんて騎馬民族に
征服させられたから成立した欧風チャイナ服なんだぜ。

107 :世界@名無史さん:2009/04/12(日) 01:43:29 0
女真族及び金国についてのコラム
ttp://www.geocities.jp/jurchen_uru/CI2.htm
金代服飾
ttp://www.arthtml.com/eNews/news/200701/0003_1652165810.html

108 :世界@名無史さん:2009/05/31(日) 21:33:40 0
呉璘・呉玠兄弟にもボコられてるな宗弼

109 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 19:49:30 0
たしかに昔満州だった地域の中華料理は、
どちらかというとモンゴル料理くさいな。
羊料理とか当たり前にもあるし。

110 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:45:02 0
腹違いとはいえ弟の後に皇位を継ぐことになった宣宗の心境はいかに

111 :世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:52:15 0
>>109
先祖の料理を継承したこともあるのでしょ

麺類なんぞも、南北朝時代に、騎馬民族がもたらしたもののようです

112 :世界@名無史さん:2009/09/17(木) 23:04:27 0
世宗って本当に名君なのか?
海陵王を過剰に貶めすぎてると思うが。

113 :世界@名無史さん:2010/01/31(日) 19:20:38 O
age

114 :世界@名無史さん:2010/05/11(火) 00:35:56 0
李氏朝鮮って満州人国家なんだね

ウィキペディア- 李成桂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82

女真人説 [編集]
池内宏[8]や山内弘一[4]らは李成桂が女真人或いは女真人の血を引いている可能性を指摘している。

状況証拠としては次のことが挙げられる。

李一族の出身地の咸鏡道は15世紀までは女真人の地だったこと。

李一族は女真人の配下を多数抱え李一族が頭角を現したのはかれらの助けが大きかったこと。

のちに15世紀になって編纂された王朝創建の偉業を称えた『龍飛御天歌』によると、李一族は全羅道の全州出身で古くは新羅に仕えたがやがて咸鏡道に移住した、と書かれているが、後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと。

モンゴル語で書かれた李家の家系図から、李一族の女直名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれいないこと。

ダルガチは原則としてモンゴル人であり、稀に女真人や色目人が任命される事があるが、被支配民族の漢人、ましてや漢人の子分の高麗人が任命されることは非常に不自然であること。

千戸として女真人の統治を行っていたこと。

姓を李氏と言ってはいるが、祖先が元朝の家来で、元の開元路出身であることは明らかであり、モンゴル名を持っていること。(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、これだけでは女真人とはいえない)


115 :世界@名無史さん:2010/05/11(火) 00:40:18 0
岡田英弘と宮脇淳子は13世紀モンゴル時代の朝鮮半島と大陸の関係と李氏朝鮮勃興を概説し、
朝鮮の太祖李成桂女真人説について次のように論証している[9]。
その上で史料証拠として『李朝実録』の冒頭『太祖実録』の内容[10]を用いて次のことを挙げている[9]。

『李朝太祖実録』冒頭には「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晋、古諱成桂、號松軒、全州大姓也」とあり、本貫が全州李氏であること、新羅の司空李翰を始祖として、以下21代を経て李成桂に至ったとするが、
第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。その第17代以後の祖先の活動舞台と居住地を通観すると、
前16代につなげるために全羅北道全州(完山)を出発点として、東海岸の三陟から豆満江畔にわたり、
そのほぼ中央に位置する咸興をもって活動の根拠地としたように書いてある。すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造で、その証拠に、李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない[9]。

『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には次のような記事がある。「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。」
これを訳すると、「三海陽(咸鏡北道の吉州)にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、度祖(モンゴル名ブヤンテムル、三頁下、李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟(姓が違う兄弟)である。
彼は女真で育ち(女真の族長になった)、腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった」というのである。
これによると、太祖も女真族としか考えられない。なぜなら、遊牧民や狩猟民は族外婚制をとり、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とする。
女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるというならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然である。
『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが、どうしても書き残さざるを得なかったのが、この「三善三介」についての記事である[9]。


116 :世界@名無史さん:2010/07/22(木) 22:43:54 0
保守

22 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)