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モンゴル帝国に支配されなかった地域

1 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 12:15:43 0
幸いにも我が国そしてインド、東南アジア、アラビア半島、西欧、シベリア?
これらの地域についてジックリ話そうか

2 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 12:22:50 0
別にユーラシア大陸限定とは言わんけどさ、ただこれらの地域にとってモンゴルはまさに畏怖の対象だろうね
実際支配されたことないから知らんから余計恐怖心とかあるよな
そう考えると漢民族てタフだよな、あんな恐ろしい連中と何世紀もわたって抗争繰り広げてたからな・・・

3 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 12:48:13 0
>>1
アラビア半島はイル汗国の支配下でなかったの

4 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 13:09:32 0
>>3
結局マルムーク朝倒せなくて半島内部までは進出できなかった
メッカやアデンは支配されてないだろ?

5 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 13:11:51 0
元史にはメッカまで征服したとか書いてる

6 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 19:18:58 0
>>5
郭寶玉伝でしょ。
マムルーク朝が押さえていたエジプトも征服したとか書いてあるよw

伝統的にエジプトを支配した政権がメッカ、メディナの「両聖都の守護者」となってるけど
マムルーク朝がそれを宣言したのはたしかバイバルスの時代だったか。

7 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 20:53:10 O
初心者だけど同じ騎兵のコサックとはやり合わなかったの?

8 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 21:43:43 O
忘れちゃいけない北アフリカ。モロッコはスペインにもモンゴルにもオスマンにも屈しなかった

9 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 21:49:24 0
>>8
スペインにセウタとか沿岸の都市奪われてなかったっけ?>モロッコ

10 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 21:58:44 0
>>7
ロシア史料でコサックについて初めて言及されるのはモンゴル帝国衰退期で
しかも名前を見る限り初期のコサックはタタール人っぽいとか。

それ以前のキエフ・ルーシの時代にもチョールヌイ・クロブキ(黒頭巾族)という
キリスト教に改宗した遊牧民の辺境守備隊がいたけど。
モンゴルによってヴォルガ川流域に強制移住させられたらしいけど
後のコサックと関係あるのかないのかよく分からんだろうね。

11 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 22:18:35 0

モンゴルのロシア支配について語ろう!!!
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1212210300/


12 :世界@名無史さん:2009/01/23(金) 23:12:20 0
アイヌ

13 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 00:18:36 0
モンゴル?
イスラム、中華、欧州のような雑魚ばかり潰し調子に乗って、世界最高の日本に人間教育された田舎者か

14 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 04:10:21 0
個人的にはアフリカ大陸には進出して欲しかったなー
モンゴル騎馬民族VS黒人部隊の壮絶な戦い・・・・・ところで黒人傭兵てマムルークで使われてたか? 
ちょっとその辺気になる
まぁーいずれにしてもモンゴル帝国関連は夢が広がる

15 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 06:58:08 0
>イスラム、中華、欧州のような雑魚
確かに欧州は当時雑魚だったがイスラムや中華は当時の文明地域


16 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 09:36:39 0
分裂しているイスラームはともかく、南宋辺りはどう考えても雑魚じゃねだろう
征服するのに一番時間と手間が掛かったんだが(逆に言えば、それほどまでに掌握したかったといえる)

17 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 09:43:17 0
>ところで黒人傭兵てマムルークで使われてたか?

マムルークは弓矢と刀槍での騎馬戦闘を誇りにしていたので
火器を嫌って鉄砲隊や砲兵隊は黒人奴隷にやらせてたとか

18 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 10:27:06 0
>>16
南宋は正直城と河が多いだけという感じ
野戦部隊なら金のほうがよっぽど活躍してる

19 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 12:19:49 0
意外にも北欧て攻められそうで攻められない位置にあるよな
と言うよりスカンディナビア自体誰も気づかないか

20 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 13:00:37 0
13世紀頃って、地元民のバイキングだって、スカンジナビアのことを島と思ってたくらいだよ。
トナカイを狩っていたラップランド人は往来していただろうけれど、判っているのは自分らが季節移動を
する範囲のことだけで、大きな陸塊のどういう位置とか地形だとかは意識してなかっただろうし。

21 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 14:02:20 0
でも当時バルト海のゴトランド島あたりでタタール人襲来の噂が広まって
それでなぜかニシンの値段が暴落したらしい

22 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 15:21:43 0
タタール人が来ると、東の方に傭兵が駆り出されるだろ。兵糧としての塩蔵ニシンの需要が
無くなる、もしくは、東の方まで輸送費がかさむから持っていっても割に合わないから、
獲らない作らない作らない。

モール人との戦闘ならば、得意の船でがしがし運んでいけるし、戦場は今のスペイン・ポルトガル・
フランス・イタリア辺なので陸路でも運び易い。
タタール人との戦争になったりすると、ヨーロッパでの小競り合いもやむだろうから、兵糧の需要が
減ってしまうし。

23 :世界@名無史さん:2009/01/29(木) 12:56:50 0
>>22
でも教皇ウルバヌス4世は対モンゴルの十字軍を集めていたが
ドイツ騎士団領でプロイセン人の反乱が起きてそっちに回したそうだ

24 :世界@名無史さん:2009/01/30(金) 13:40:08 0
ヒマラヤ山脈がなかったらインドも危なかったな

25 :世界@名無史さん:2009/02/01(日) 10:19:55 0
デリー・スルタン朝はむしろチャガタイ家とフレグ家が牽制しあってたせいで本格的な侵略を免れたのでは?
トランスオクシアナからアゼルバイジャンまで平定したティムールには負けて劫略されてるね。

26 :世界@名無史さん:2009/02/01(日) 21:16:26 0
ヒマラヤ山脈は常に中華文明とインド文明の衝突を防いできた壁だからな
あれがなかったら歴史は大きく変わってたな
ただインドて北西はガラ空きだからそこからの侵入には弱いよね

27 :世界@名無史さん:2009/02/01(日) 23:13:16 0
だが角界が危ないぞ

28 :世界@名無史さん:2009/02/02(月) 00:35:43 0
ヒマラヤ山脈の北べりに支那の力が及んできたのって、中共になってからだよ。
チベットほは、元は西回りで攻めてきたから、中華文明として入ってきたわけでないし、
清は、西海に土着化していたモンゴル人の首領を介してチベットをてなづけていただけで
入っていけてなかったし。

29 :世界@名無史さん:2009/02/02(月) 08:44:56 0
インドは意外と攻め難いらしい。
場所は忘れたけどインド内深く進入できる道は1つしかないとか聞いたことある。
どこだったっけなあ

まああれだ。滅亡した方も凄まじい抵抗しとるよな。

30 :世界@名無史さん:2009/02/02(月) 16:36:19 0
>>29
インパール作戦を見れば納得する

31 :世界@名無史さん:2009/02/03(火) 03:58:34 0
南から攻めたイギリスはやはり正しかったのか

32 :世界@名無史さん:2009/02/03(火) 06:19:36 0
そういえばティムールの孫がインドを攻めて大敗してたような
やっぱり攻めるのは難しいのかね?

33 :世界@名無史さん:2009/02/03(火) 12:20:35 0
面積ではるかに中国より劣る高麗を征服しきれず、服属させるのに何十年
もかかっている所を見ると、平原でない所では極端に弱そう。

34 :世界@名無史さん:2009/02/03(火) 12:23:50 0
海から攻めてきたイギリスにはあっさりと敗れてしまったと<インド

35 :世界@名無史さん:2009/02/03(火) 12:59:35 O
>>31
予め軍事拠点をもち民族対立を理由しながら一民族つづ何十年もかけて制圧していったイギリスと闇雲に攻撃するモンゴルは全くの別物だろ

36 :世界@名無史さん:2009/02/03(火) 13:52:07 0
得意の騎馬でもカイバル峠は越せずか

37 :世界@名無史さん:2009/02/03(火) 16:24:06 0
ヒマラヤ山脈、アラカン山脈、タール砂漠、インド洋で護られたインドは天然の要塞だ。

38 :名無し募集中。。。:2009/02/03(火) 19:01:53 O
>>1
ビザンツとモンゴルは戦ったっけ?

39 :世界@名無史さん:2009/02/03(火) 21:18:56 0
>>36
熱帯の気候と風土病で、兵馬がやられてしまう。

40 :世界@名無史さん:2009/02/04(水) 00:53:50 0
>>38
キプチャク汗国が何回か侵入してる。

41 :世界@名無史さん:2009/02/04(水) 05:40:54 0
その割にはインドって他地域からの征服王朝が多いじゃん。
インド亜大陸の統一は難しくても侵入・定着自体はそんな難しくないんじゃないの?

42 :世界@名無史さん:2009/02/04(水) 09:06:04 0
北半分はね。
デカン高原やその先まで行こうとするとハルジーやアウラングゼーブのようなことに・・・

43 :世界@名無史さん:2009/02/04(水) 20:28:10 0
東側からの侵攻は山脈に囲まれてて難しいだろうな。
北西にルートがあるので、そこからだったらまだ侵攻は容易だろ。
アレクサンドロス大王もカイバル峠を越えてインドに攻め入ったしな。
これも北西ルート。

44 :世界@名無史さん:2009/02/05(木) 19:41:33 0
>>33
モンゴル軍が朝鮮半島の地形に苦労した印象は無いな。
引き篭もりの高麗王朝無視して、30年間半島全土で好き放題暴れまわりました、って感じ。
たぶん獲得した奴隷や略奪品で、収支決算は大幅黒字だったんじゃないのかな。

45 :世界@名無史さん:2009/02/06(金) 15:32:51 0
東南アジア方面が一番苦戦してるよな各地で負けまくってる
やっぱりあの多湿高温の地域は苦手なんだろうな

46 :世界@名無史さん:2009/02/06(金) 17:52:34 0
東南アジア方面は一度奪っても、統治してる間ゲリラ戦にも問いこまれ失ってる
日本ぐらいだなガチでぶとっとばして10万以上死んで大敗したの

47 :世界@名無史さん:2009/02/06(金) 18:51:44 0
10万死んだ?ソースは?

48 :世界@名無史さん:2009/02/06(金) 19:03:56 0
>>46じゃないけど元史の江南艦隊の記述じゃない。
まあ中国史料だから実際より水増しされてる可能性もあるが。

49 :世界@名無史さん:2009/02/06(金) 20:14:54 0
モンゴル人はそんなにいなかったぞ

50 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 02:21:02 0
モンゴル人は少なかったが、元軍なのは事実。

51 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 16:12:36 0
モンゴルはあれ以上膨張を続けることは果たして不可能であったのだろうか?
もし帝国の分裂が起きづにいたら結果はどうなってたのかな、よくあるタラレバだが

52 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 17:01:46 0
多分、膨張を継続することは可能だったと思う
その反動で、連邦化・分裂化が余計に進行しそうだけど

53 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 17:47:06 0
弘安の役で江南艦隊10万が全滅するなんて事態にならなかったら、
その後の東南アジア諸国は問題なく征服できていたはず。

54 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 17:51:25 0
バグダートでやった殺戮をベトナムでも実行してれば支配できたんじゃね?

55 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 19:41:47 0
馬から水牛に乗り換えないと

56 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 23:19:16 0
>バグダートでやった殺戮をベトナムでも実行してれば支配できたんじゃね?
バグダッドとベトナムでは湿気が違う。バグダッドのモンゴル兵はピンピンしているだろうが、
雲南遠征ですらモンゴル軍は暑さと湿気で苦戦し敵を殺戮どころか自らの健康すらままならなかった。


57 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 23:20:26 i
ベトナムでもビルマでもジャワでも、元軍は野戦だと普通に圧倒的な強さだったよ。

58 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 00:49:47 0
そもそもビルマとかジャワの武器や装備てどんなのだったのかな
映画に出てくる未開人のように素っ裸の状態で丸木弓とか竹で作った槍とかで戦ってたのか?
ホームとは言えよくそんな状態でモンゴルと戦えたな

59 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 01:05:58 0
モンゴルは砂漠に強かったから、アラビア半島、サハラ砂漠へも進出すべきだったな。

60 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 01:08:40 0
>>59
進出できなかったんでしょ

61 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/08(日) 01:37:06 0
モンゴル軍の構成は基本的に攻める国の隣国の兵を大動員していることを忘れてはならない。
指揮官クラスのみがモンゴル人で、後はその国に詳しい隣国の将兵が務める。
東欧を攻めた時はキエフ公国などのスラブ人部隊を動員したし、日本に侵攻した時は
朝鮮人や南宋人がメイン構成だった。
だから、イギリスだろうとアフリカだろうと、同じやり方を通せば、世界征服が可能だっただろう。
問題はその後の統治であって、如何にその国をモンゴルに服従させるかが重要だった。
手っ取り早いのはモンゴルの皇族とその国の王族を姻戚関係にすること。
また、宗教や言語はそのまま使い続けることを許し、有能な人材は中央政府の官僚として採り立てる事。
それが崩壊した時(モンゴル人優越主義化)、モンゴルの終焉は始まった。

62 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 01:50:50 0
>>61
そこまで独自色を許したら世界征服する意味が半減だろ。
世界を自分色に染めるのが男の本懐なのに。
経済的な利益だけではそこまでの大事業をするモチベーションが上がらない。

63 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 03:26:54 0
東南アジア方面、インド方面、アラビア方面、ヨーロッパ方面、日本方面
各地にまた進出したらおそらくインド方面が一番苦労するだろうな

64 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 03:31:35 i
>>62
相手を自分色に染めようなんて考えたら、
激しい抵抗を招くだけじゃん。
モンゴル帝国はそういう無意味なことに
こだわらなかったから、あれだけ巨大化できた。

65 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 04:15:09 0
結局征服して略奪しただけで文化的な功績を残さなかったから、
アレクサンドロス大王や大英帝国に比べて評価されないんだよな。モンゴルは。

66 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/08(日) 05:32:59 0
>>65
冗談もいい加減にしてくれ、モンゴルがユーラシアの諸民族に与えた影響は計り知れない。
その後のユーラシア世界の変遷はモンゴルの影響無くして語れない。
西洋人に未知の病原菌や紙幣や火薬などが伝わり、東洋と西洋の相互認識が深まり、
また帝国に従属した多くの民族や宗教を否定せずに緩やかに認め、物によってはモンゴル人の中に採り込む等、
それまでの人類史の流れを大きく変える転機になったことは言うまでも無い事実。
それは来るべき大航海時代(大後悔時代)を促す原動力となった。

67 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 07:50:01 0
>西洋人に未知の病原菌・・・が伝わり
こんなもん伝えて良いの?
14世紀の東西を問わない大疫病時代はモンゴルが招いたものであること
が今でははっきりしている。地方によっては人口半減とかザラ。文化的功績どころか
まさに文化の抹殺。
>帝国に従属した多くの民族や宗教を否定せずに緩やかに認め
多数の民族を領内に抱え込んだ帝国としてはそう珍しいことではない。古代から実例
がある。古代人に民族浄化なんてやってる暇はそうそうないんです。

68 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 07:52:58 0
>>61
>問題はその後の統治であって、如何にその国をモンゴルに服従させるかが重要だった。

モンゴル帝国の場合、服従してる側にもメリットがあるんだよ。
常勝軍の一員として征服戦争に参加し、略奪品や奴隷、領土なんかのおこぼれに与れるんだから。
だから、帝国が膨張し続けているかぎりは、求心力の維持も簡単なの。
高麗とかも、モンゴル帝国に対してしつこく日本侵略を促してるでしょ。
ある種ネズミ講みたいなシステムね。

69 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/08(日) 08:07:42 0
>>67
>こんなもん伝えて良いの?

良いか悪いかではなく、どんな影響が出たかってこと。
結果的にはペストの流行で免疫力が強くなったヨーロッパ人が
それに何ら抵抗力の無い新大陸のアステカ&インカを滅ぼす要因になった。

>>68
>高麗とかも、モンゴル帝国に対してしつこく日本侵略を促してるでしょ。

逆だよ、高麗は日本遠征を必死に反対していた。
特使の派遣を「海が荒れて渡れない」と3度も言い訳したぐらいだ。
しかも数千隻にのぼる艦船の建造をすべて負わされて、朝鮮半島から森が消えた。
植林の習慣が無かった朝鮮は以降、木材資源の枯渇に苦しんだ。
その上、負け戦で何にも得るものが無かったから悲惨だ。

70 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 08:33:40 0
>>69
まだこんな嘘を信じてる奴がいたのか。。。

元宗十三年、中書省、牒して曰く、「世子のェの云うに拠るに、『吾が父子、相い継ぎ朝覲し、特に恩宥を蒙り、
小邦の人民は、遺しょうを保つを得たり。感戴の誠は、言うは不可なり。既にタンは連年入覲し、毎に皇恩を荷い、
区区の忠は、益々切に效を致す。惟だ彼の日本のみ、未だ聖化を蒙らず、故に詔使を発し、継いで軍容を耀かし、
戦艦・兵站は方に須むる所在り。儻し此の事を以って臣に委ぬれば、勉めて心力を尽し、小しく王師を助くるに
庶幾からん』と。
(高麗史)

忠列王四年、王、又た奏して曰く、『日本は一島夷のみ、険を恃みて庭せず、敢えて王師に抗す。臣自ら念うに、
以って徳に報ゆるなし。願わくは、更に造船・積穀し、声罪・致討して、蔑てて済わざらんことを』と。
(高麗史)

至元十九年七月壬戌、高麗国王、自ら船一百五十艘を造り征日本を助けんことを請う。
(元史)

モンゴル帝国の日本侵略は高麗国王の再三の要請で実行されたんだよ。

71 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 08:58:26 0
ついでにこれも貼っとくか。
元の第二次日本遠征に際し、高麗の定慧寺の禅僧冲止(1226〜1293)が
日本遠征の威容をマンセーする「東征領」の中で述べたもの↓

皇帝(フビライ)が天下を統御するに
神功は放勲(帝堯)より越えた
徳は寛大で断折を包容し
広い恩沢は隅々にまで及んだ
車は千途の轍と共にし
書は天下の文章と共にした
ただ醜い島夷だけが残り
仮に鼎魚のように群れをなして生きていた
ただ滄溟を隔てていることを頼りにして
よって領域を分けることを図った
苞茅(朝貢のこと)はかつて入ったことがなく
班瑞(朝貢のこと)もまた聞いたことがない
そこで帝がこれに怒って
そのとき我が君に命令した
千隻の龍鵲(軍艦カ)の船と
十万の勇敢な軍兵で
扶桑(日本)の野において問罪し
合浦(馬山)の水辺で軍師を興した
鼓声が大海に鳴り響き
旗は長い雲を揺さぶった
(以下略)

高麗はモンゴルを唆し、日本征服を夢見ながら喜々として侵略軍に加わった、というのが真実。
思いっきり加害者だったという事実を誤魔化すため、日本遠征を必死に反対していたなんて
嘘っぱちを流布してるだけね。

72 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 10:37:23 O
モンゴルもなんで九州なんかに上陸したんかなぁ、とは思うな。
まぁ、一番近い所に上陸するのは当然なんだろうけどさ。
ぶっちゃけ、敦賀あたりに上陸して決戦を迫れば、本土平定は可能だったと思う。


73 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 10:42:48 0
モンゴル軍は野戦で鎌倉武士にまったく歯が立たない時点で、どこに上陸してもダメだろ

74 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 10:56:16 O
少人数の戦いならば鎌倉武士が強かったのは間違いない。
でも、一大決戦的な集団戦ならモンゴルに分があったはずで
でなけりゃあんだけの帝国は築けんだろうしな。
まぁ、結果論にすぎんけどさ。

75 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 10:57:48 0
>>66違います、古代ギリシャ時代にすべてありました。
紙も、印刷機も、火薬も地下から古代ギリシャの文献を
発掘して新たに作り直したんです。それがルネサンスというのは
有名でしょ。欧米はモンゴルに
影響なんて一つも受けていない純血種です。

76 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 12:00:34 0
>>75
他スレでやってろゴミが
それとコイツにレス返すなよ、またスレが荒れて糞化する」

77 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 13:36:56 0
製紙法がヨーロッパに伝わったのは明の時代以降です。

78 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 16:39:24 0
宋代でしょ。イベリアでイスラム教徒から伝わったのが早いはず

79 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 17:44:24 0
唐の時代だろ。
タラス河畔の戦いで生け捕った唐軍の捕虜から西方へ伝わった。

80 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 19:01:37 0
>>69
要するに世界史に負の影響与えまくりということですな。モンゴル。
疫病は伝染させる、新大陸の住民は絶滅させる、中近東は荒廃させる、
評価されるに値する功績なんて何もないことは変わらんね。

81 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 19:40:43 0
はいはいうっせぇーから害虫2匹は他スレでしろや
紙の話なんざどうでもいいんだよ

82 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 20:14:14 0
>>79
それのどこがヨーロッパやねん

83 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/08(日) 21:26:04 0
>>70
>>71
君は三別抄を知らないらしい。
忠列王はモンゴルの傀儡だという事も知らないらしい。
そもそも日本遠征の最大の目的は倭寇の掃討であり、国土の侵略ではない。
だからこそ倭寇の拠点である対馬・壱岐・松浦・博多周辺を掃討した。
じゃなければ、遠征軍は敦賀から上陸して京都を蹂躙しただろう。
あるいは直接鎌倉まで行って幕府の拠点を潰しただろう。

>>80
>要するに世界史に負の影響与えまくりということですな。モンゴル。

アホだな。
疫病の流行がなければ、ヨーロッパ人による新大陸の征服は容易に成し得なかったので
その後ヨーロッパ至上主義も生まれなかった。
産業革命も発生せず、帝国主義も起こらず、日本も中世から脱出できなかっただろう。
陸と海のダイナミックな東西交流が歴史を次のステップに昇華させる起爆剤になったんだよ。
まさにダイナマイトモンゴル。

84 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/08(日) 21:33:37 0
>>81
そんなに嫌ならオマエが世界史板から出て行けよ。
害虫どころがオマエはゴミだろ、ゴミ。


85 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 22:22:19 0
三別抄w
敗残ゲリラ風情より王の方が余程その国の姿勢をあらわしてるわ。
高麗の忠列王がモンゴルの傀儡?
朝鮮の王朝なんて殆どの期間が大陸勢力の傀儡みたいなもじゃねえか。

86 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 00:05:17 0
>>83
>疫病の流行がなければ、ヨーロッパ人による新大陸の征服は容易に成し得なかったので
>その後ヨーロッパ至上主義も生まれなかった。
モンゴルがいなければ、世界の歴史は大変望ましい方向へ向かって進んでいたはずであると、
そうおっしゃいたいのですね?

87 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/09(月) 00:24:07 0
>>85
>高麗の忠列王がモンゴルの傀儡?

忠列王はクビライの義理の息子だからな。
高麗国民の利益よりも、自らの保身に走った。
クビライという後ろ盾なくして、自らの地位も保てない暗君。

>>86
モンゴルが台頭しなかった場合、他の勢力が世界史をリードしただろうね。
もっと残忍なやり方で…
マヤ人がユーラシアに攻め込んで来たら心臓えぐられちゃうぞ。

88 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 01:02:36 0
モンゴルは圧倒的な強さだった。しかし、なぜあの時期だったんだろうね。
匈奴は強大だったけど、そこまでではなかったし。
モンゴル族の戦闘能力ならもっと早い時期にユーラシアを圧巻する時期があっても良かったと思う。

89 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 01:23:02 0
圧倒的な戦闘能力で内輪もめしてたからじゃね?
チンギス・ハーンという偉大な指導者の出現が不可欠だったのだろう。

90 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/09(月) 01:28:51 0
>>88
やっぱ、テムジンの類稀なる才覚の賜物だろうね。
民族や宗教の違いを超えて、有能な者を採り立てたり、
モンゴル文化に固執せず、優れた技術や文化はどんどん吸収した。
騎馬遊牧民でありながら、経済というものを重視し、東西を行き交う隊商を保護した。
帝国というよりも「緩やかなユーラシアネットワーク」を構築できたことが
モンゴルの成功を促したんだよ。
アレキサンダーやティムールも大帝国を創出したけど、モンゴルのような内面的なシステムを作らなかったので崩壊した。

91 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 04:03:02 0
>>83
倭寇の跳梁した時代は元寇より後ですが。時系列くらい把握しようなパクさん。

92 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 09:22:53 0
そりゃそうだ倭寇は元寇によって家族を奪われたり、生活基盤失った人達が
報復のために海賊化したものだから

93 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 09:41:02 0
>>91-92
いや、倭寇の最古の記録は高麗史における1223年の「倭、金州に寇す」なので
クビライが元朝を開くよりも早い。

前期倭寇の高麗等への襲撃が本格化するのは14世紀なかば以降なので
元寇の直接の被害とは関係ないと思われる。

94 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 09:42:23 0
あ、でも「倭寇の跳梁した時代」ならやはり14世紀か。横レス失礼しました。

95 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 10:29:49 0
>>87
>高麗国民の利益よりも、自らの保身に走った。

その基準を適用すると、三別抄も忠列王の同類ね。

「高麗叛臣裴仲孫、乞諸軍退屯、然後内附。而忻都未従其請。今願得全羅道以居、直隸朝廷。」
元史、世祖本紀

裏では保身のため、「クビライに臣従するから全羅道統治を任せて欲しい」ってモンゴル軍に
申し出てるんだよね。
高麗の連中って、どいつもこいつも腐った奴等ばかり。

96 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 18:58:59 0
>>90
お前の学者気取りの解説なんて誰も興味ねーよカスwwwww

97 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 20:03:10 O
>>95
そんな朝鮮の実情を知ってか知らずか
三別抄からの物資の救援要請を完全スルーした北条時宗は偉いね。

98 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/10(火) 01:48:53 0
>>93
ナイスフォローです。ありがとうございます。

松浦水軍などの私貿易集団が時として海賊化し、半島沿岸部を跳梁跋扈していたのは
14世紀以前からの事。
たとえそれらの損害が14世紀以降に激化した倭寇に比して少なかったとしても、
元寇を促す口実となった感は否定できない。
例えばWW2で真珠湾奇襲に対する報復戦として、数々の大規模空爆を実行したアメリカの如くだ。
被害の大小ではなく、国民感情としての報復戦など古今東西珍しいことではない。
ましてや、モンゴルの後ろ盾が必要だった傀儡の高麗王にとって、モンゴル駐留軍を半島内に留め置くには
日本遠征を継続的に行う必要性を生じさせた。

99 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 02:14:37 i
>>98
元寇が倭寇対策だとしたら、完全に逆効果だったな。
文永、弘安の2回とも、九州に拠点を築くことすらできないモンゴル軍の
ボロ負けに終わり、日本人の方が大陸の奴らよりも強いということが
バレてしまったからな。
元寇直後から、中国沿岸で我が物顔で暴れ回る倭寇に対し、敗れた元軍は
手も足も出ない。

100 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 02:37:58 0
倭寇対策に日本遠征したなんて珍説聞いた事もない。
南宋をけん制する為に、そこと繋がっていた日本に警告したら、逆に使者を斬られたので
文永の役を行ったってのが通説だろ。
そのついでに討伐もして一石二鳥を狙った可能性はあるだろうが、それが最大の目的などとは
到底思えない。
そもそも元寇以前の倭寇の規模がどれほどだったのかも分からないのだからな。
記述が圧倒的に少ないところを見ると、元寇以降に比べて微々たるものだったと考えるのが妥当。

101 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 03:38:10 0
倭寇退治が理由なら国書にはっきり倭寇取り締まりについて要請するだろうが。馬鹿じゃね?

102 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 05:40:08 0
>>94
そういう事。猖獗を極めたと書いた方が良かったかね。
フビライの南宋制圧以前に倭寇の活動が国家政策に影響を与えるほどの活動をしていたとは
記録にもほとんど無いし、倭寇の掃討が目的だったとは考えにくいね。
海賊衆だったらそりゃ居ただろうけどさ。

103 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 07:48:22 0
さてと、圧倒的に論破されたパオさん ◆mEq.Fp/iL. はグウとでも言うかな?

104 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 10:55:35 O
>>101
>逆に使者を斬られたから文永の役に

ダウト。文永の役の前の使者は斬られてない。普通に無視して元に送り返してるよ。
使者が斬られたのは文永の役の後に降伏勧告しに来たとき。
この時に初めて「はぁ!?俺ら負けてへんのになんで降伏せなあかんねん!」と徹底抗戦の意思表示として斬首
鎌倉幕府は決していきなり使者をぶっ殺すようなDQNじゃなかったよ。

105 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 17:04:13 0
>>104
あれ?そうだったっけ?
それが本当なら勘違いしてたわ。
ま、どちらにしろ倭寇退治に元寇やった事にはならないけどな。

106 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 17:26:08 0
>>105
それ、多分勘違いしてる人の方が多数派だから安心していいよ。
巷の歴史書とか時系列を無視し、意図的に勘違いを誘導しているとしか思えないような
悪質な書き方をしている。
三別抄が日本に救援要請して来たのだって、本拠地の珍島が陥落した後で、その頃はもう
残党しか残っていなかったのに、その辺の時系列もあやふやな書き方してるから、
多分知らない人の方が多数派だろうな。
何が何でも、日本が悪かったことにしたいらしい。

107 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 19:46:09 0
徹底抗戦の意思表示として斬首 するのは

いきなり使者をぶっ殺すようなDQNと大して違わないような

108 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 20:55:57 0
>>56
いあ、ベトナムはつよかったべ?
ベトナム戦争髣髴とさせるようなゲリラ戦でさ。


109 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 21:10:56 0
歴史上一度も侵略を受けていないアメリカ最強

110 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 21:34:01 0
スペインやらヨーロッパ諸国に侵略されまくったろ?

「現在の国が独立してから」とゆう制限つきなら他にもあるし

111 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 21:57:24 O
>>107
ホラズムはいきなり使者ぶっ殺して滅ぼされちゃいました♪

112 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 23:44:35 i
>>107
文永の役の直前に来た使者が、スパイ行為を働いてたんだよ。
だから使者斬首はDQNなんかじゃなく当然の処置。

それに、日本以外の国のモンゴルの使者への対応は、
ベトナムがいきなり投獄して拷問、ビルマは処刑で、
ジャワは使者の顔に刺青して送り返してる。
文永の役まで使者を無事に帰国させていた日本は、
まだモンゴルに対して穏健な対応した方なんだよ。

113 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 00:01:07 0
つまり各国それぞれの対応をしていただけで
そこで日本が穏健だったと言うのは頷けても
他をDQNと言い切っちゃうのもどうなんだろう?

顔に刺青なんて気が利いてるじゃないか

114 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 00:08:13 O
ベトナムは突然
ジャングルの中から
ゲリラが出てきて
蒙古兵は大苦戦

115 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 00:29:35 0
>>109
世ーろっぴに侵略されイギリスの植民地なってます

116 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 00:52:32 0
ベトナムの南、観光でボート乗った
濁った川は迷路のように伸び、深いジャングルが川べりまであって
こんなところでパトロールなんて大変だったろうな

117 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/11(水) 02:33:40 0
>>100
>>101
>>102
高麗国内の世論(莫大な遠征費用に反対!)を封じ込めるには
少しでも高麗にメリットのある条件を国民に提示する必要がある。
只でさえモンゴルの高麗への政治介入は三別抄という反乱分子を生み出す要因になったのだからな。
要はモンゴルが戦争をすることで高麗国民にメリットがあるように思い込ませないと
戦争の大義そのものが見えて来ないし、既にクビライの忠実なポチだった高麗王自身にとっても
モンゴル駐留軍の確実なバックアップがないと、いつ自分が殺されるか知れたものではなかっただろう。
もちろん戦争の名目は「モンゴルの傘下に入りモンゴルの遍く威光を享受せしめんとする」だろうけど、
そんなの高麗国民からしたら「知るかボケ!」って具合だろう。
だからこそ何かしら高麗にメリットとなる条件が必要だったんだよ。
高麗にとっちゃ戦勝後の中長期的な領土経営なんて端から考えてないだろうし。

118 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/11(水) 03:04:18 0
>>104
>鎌倉幕府は決していきなり使者をぶっ殺すようなDQNじゃなかったよ。

外交使節団を惨殺した他の国もそうだが、モンゴルの巨大さを認識してなかったんだよ。
世界地図も地球儀も無い時代だからしようがないけど。
しかも、日本なんて外国の軍隊と日本国内で迎え撃ったことなんて無かったし当然だ。
それはその後の日本の外交史を見れば分るけどね。
アメリカやロシアの使節を追い返したり、あるいは国力の差を無視して戦争を仕掛けたり。
つい60年ぐらい前まで「日本は神国なので異国の兵が攻めてきても神風が吹く」とか本気で信じてたから。

119 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 03:26:00 0
>>118
>つい60年ぐらい前まで「日本は神国なので異国の兵が攻めてきても神風が吹く」とか本気で信じてたから。
ねーよwwwwww

120 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 04:00:45 0
>>117
お前の妄想はいいから元寇は倭寇掃討が目的だったとする史料なり文献なり提示してみろ

121 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/11(水) 06:03:58 0
>>119
嘘だと思うなら、80歳以上の爺さんに聞いてみな。出来れば元軍人にさ。
日本の勝利を疑わなかったって言うから。(そう教育されていたからだが)
何しろ対工業生産力80倍の国と後先考えずに戦争したんだから。
そして伊勢神宮では夷敵調伏の祈祷をマジ本気でしてるし。
日本は開闢以来2600年も異国に侵略されていないのは天皇が現人神だからとか。神パワー。

>>120
ちゃんと読めよ、「元寇は倭寇掃討が目的だった」なんて>>117の何処に書いてあるんだよ?
>>83で言ったのはそういう事が戦火の口実にもなったろうし、事実として倭寇の拠点が潰されている事を挙げんだよ。
大体戦争を始めたモンゴル自体にとっていちいちそんなローカル事情は関係ないだろう。
史料文献云々言うなら真の目的が明確に書かれている史料を自分で探して提示するんだな。
でなきゃ歴史上の真相なんて誰にも否定肯定できないだろうよ。時空マシーンでもできない限り。

122 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 06:07:28 0
軍人じゃないけどばあちゃんに聞いたら竹やりでB29倒せると思っていたって言ってた。

学校の先生がそういうもんだから、信じて疑わなかったってさ。
まあ、ネットが出る前はマスコミの影響力が大きかったし、さらに国を挙げていたから当然かも。

123 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 09:40:53 0
>>121
幕末に黒船が来航した時、日本人が「日本は神国なので異国の兵が攻めてきても神風が吹く」とか本気で
信じていたら、危機感持って明治維新を成し遂げ、近代化に邁進するわけないじゃん。
幕末から戦前にかけて最も普及していた史書『日本外史』に書かれた文永の役と弘安の役↓

「(文永)十一年十月、元兵一万可り、来つて対馬を攻む。地頭宗助国、これに死す。転じて壱岐に至る。
守護代平景隆、これに死す。事六波羅に報ず。鎮西の諸将をして、赴き拒がしむ。少弐景資力戦し、
射て虜の将劉復亨を殪す。虜兵乱れ奔る。」

「(弘安)四年七月、水城に抵る。舳艫相ひ銜む。実政の将草野七郎、潜に兵艦二艘を以て、志賀島に邀へ撃つ。
虜の二十余級を斬首す。虜、大艦を列ね、鉄鎖にてこれを聯ね、弩をその上にはる。我が兵近づくを得ず。
河野道有奮つて前む。矢、その左の肘に中る。道有益々前み、帆柱を倒し虜艦に架して、これに登り、
虜の将の王冠せる者を擒にす。安達次郎・大友蔵人、踵ぎ進む。虜、終に岸に上る能はず。収めて鷹島に拠る。
時宗、宇都宮貞綱を遣して、兵に将として実政を援けしむ。未だ到らず。閏月、大風雷あり、虜艦敗壊す。
少弐景資ら、因つて奮撃し、虜兵を鏖にす。」

「神国」や「神風」なんて言葉は一言も書いてないだろ。
昔の日本人は、『元史』『高麗史』などの漢文史料を普通に読めたから、ちゃんと武士が実力で元軍を
撃退したって知ってたの。
戦後の洗脳教育に嘘八百を吹き込まれ、実際に史料に書いてある事を確かめようともしないお前とは
違うんだよ。

124 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 10:35:34 0
>>121
「ボクちゃんがそう思うから間違いないんだよ!根拠も史料文献もないけど!」
馬鹿かお前、歴史学の考証法そのものを否定してどうすんだよw

>だからこそ倭寇の拠点である対馬・壱岐・松浦・博多周辺を掃討した。

単に従来から知られてる対日本交易ルート上に沿って侵攻しただけだろ。
地理も何もわからないのにいきなり大軍を敦賀などに送り込めるわけねーだろ。
珍説を唱えるなら言いだしっぺが根拠となる史料文献を提示するのは当たり前のことだハゲ。

125 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 12:10:38 0
北の元寇 1264〜86年ごろ
ttp://maoda.hp.infoseek.co.jp/mokko.html

南の元寇
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E3.82.B0.E3.82.B9.E3.82.AF.E6.99.82.E4.BB.A3
>1291年に元軍に襲われたが、英祖軍は撃退している。

アイヌと沖縄は、ヤマトより強い。

126 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 12:47:08 0
いや、樺太は最終的には服属していた。まあアイヌはあの辺の民族の中ではかなり強いほうらしいけど。

127 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 14:24:31 0
パオさんってよっぽど古い教育を受けてきたんだろうな。
イデオロギー色がプンプン臭う。

128 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 14:46:07 0
>>83
弘仁の韓寇
弘仁新羅の乱
貞観の韓寇
寛平の韓寇
長徳の入寇
刀伊の入寇
応永の外寇

129 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 18:26:17 0
>>123
そういえば特攻隊に神風と名づけたセンスはどうなんだろう
自爆攻撃を契機に、戦況が変わればいいなーという感じ?

130 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/11(水) 18:51:28 0
>>123
>幕末に黒船が来航した時、日本人が「日本は神国なので・・・

ロシアもアメリカも一回目は適当にはぐらかして追い返しただろうがよ。
ていうか、そもそも戦争を仕掛けてきたワケではないが、お台場とか急遽造って
戦争もヤル気満々ていう気概だったんだよ幕府急進派はね。(旧式兵器で無謀にも)
それらの無謀を回避して明治維新に移行できたのは海外事情を正確に読み取って志士を育てた
長州の吉田松陰だよ。だが彼は異端の徒と見做され処刑されたのはご存知だろう。
それを断行したのは開国要請を受諾した井伊直弼だ。
つまり井伊としては対等外交を目論んでいたが、実情は吉田松蔭の精神論が正鵠を射ていたんだよ。
この辺からして当時の日本は自分の立場を理解していなかったことが良く分かるだろ。
薩摩なんかも基本は幕府と同一見解だったのでイギリスに挑んだ。
その薩摩軍基幹が後の日本陸軍の基礎となり、無謀なWW2消耗戦に突入したんだよ。
長州の志は先進的な近代文民統制の基礎となったが、上記バカ陸軍によって粛清された。(→226事件)

131 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 18:53:14 0
パオコテが現れたことは、このスレももう終焉かなぁ・・・・・

132 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/11(水) 19:11:06 0
>>124
>単に従来から知られてる対日本交易ルート上に沿って侵攻しただけだろ。

答えはNOだ。
交易ルート上ならストレートに那の津(博多)や周防に進軍すべきだろう。
その途中にある対馬や壱岐など執拗に攻撃するのは無駄すぎる。
しかもそれらを前哨拠点として駐留するならまだしも、攻めるだけ攻めて後は退却してる不自然さ。

>地理も何もわからないのにいきなり大軍を敦賀などに送り込めるわけねーだろ。

アホかお前は。
戦争でその国を攻める場合、充分にリサーチしてから作戦行動に出るのが常識だろ。
手っ取り早いのは内通者など現地人から情報収集することだよ。
当時の状況からみれば多くの日本人が高麗や支那に渡海していたし、
行基図などの地図や海図もあったから、どこにどのぐらいの人口の都市があり、
どのぐらいの兵力があり、どのぐらい自然の障壁があるかぐらい把握していただろう。
決定権のある政治中枢が京都ではなく鎌倉にあることも知っていた。(直接使節を派遣してるし)
大体、歴史上の戦争で情報収集が優れていた国が覇者となるのは証明済みだろ?
モンゴルが事前情報収集もしないバカ帝国の筈がないだろうがよ。

133 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 20:41:32 0
>>132
なんで使者が斬られたかわかってないんだな。やっぱ馬鹿だわお前。

134 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 21:13:17 0
コテハンにしてる分良心的だな。
アボーンすれば良いレス、読む価値の無いレスだと直ぐに判断できる。
名無しでアホなレスを連投する奴が一番タチが悪い。

135 :世界@名無史さん:2009/02/11(水) 22:54:52 0
>>129
特攻隊の名前の由来は、命名者の出身地に神風(しんぷう)道場という剣道道場があったから。
だから正式には神風(しんぷう)特別攻撃隊と呼ぶ。
神風を「カミカゼ」と読むのは誤解だ。

136 :世界@名無史さん:2009/02/12(木) 02:09:19 0
>>133
使者がスパイ行為をしたからという説もあるが、
もちろんそれだけを以ってモンゴルの諜報活動の全てだったワケではない。

>>135
そういう事聞いてないと思うぞ。

137 :世界@名無史さん:2009/02/12(木) 03:52:31 0
長門や敦賀に侵攻するにしても後方連絡線を脅かされる対馬や壱岐をスルーして侵攻するのはあり得ないだろ。
侵攻に際してルート上にある敵の拠点を潰しながら進むのはいつの時代も同じだ。
まして当時の航海技術で4万に及ぶ大軍を海上侵攻させるのは困難な事業だ。
それだけの船団を維持しつつ目的地まで運行することすら大変。
であれば最も近く情報も手に入れやすい九州北部を上陸地点に選択するのはごく常識的な判断だろ。
そしてそこに至るまでのルート上の敵拠点を殲滅しつつ進むのは戦術の常道だ。

138 :世界@名無史さん:2009/02/12(木) 06:22:46 0
ベトナムは密林と気候、日本は海、シリアは局地戦、でインドの勝因はなんなんだ?

139 :世界@名無史さん:2009/02/12(木) 06:50:58 0
象さん

140 :世界@名無史さん:2009/02/12(木) 07:10:58 0
エレファント

141 :世界@名無史さん:2009/02/12(木) 20:33:08 0
象って遊牧民には効果があったみたいだけど、動きも馬より遅いだろうし不思議だな。
ティムールもデリー攻略のとき、象にかなりてこずったみたいだし。

142 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/13(金) 00:13:22 0
>>141
牙に槍付けた象さん数百頭が凄まじい地響きとともに真っ黒な津波となって突進してくるんだよ!
小型の蒙古馬なんて、ビビッて動かなくなるさ。
しかも象さんの上に櫓のような巨大な見張台が乗ってて数人のインド兵がモンゴル兵の直上から矢を射掛けてくるんだよ!


そんなインド様に勝てるワケねーだろ。常考。

143 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 00:36:58 0
バーブルやアクバルの頃の「モゴール」たちは馬を後肢で立たせて高くなったところで
槍でホウダーの上の敵兵を突くということまでやるようになってたがね。

144 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 02:31:35 0
結局モンゴルって馬さえ潰せばそこまで強くないんじゃね?

145 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 09:00:44 0
>>144
カラコルムまで行ったカルピニ修道士の報告書(ほとんどスパイのレポート)によると
「戦闘中に乗馬を失ったモンゴル人はその場で死ぬまで弓矢で敵を射殺し続けるので非常に危険」
とか書いてるよ。

146 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 12:09:26 i
モンゴル軍は密林で象部隊を撃破し、ビルマのパガン朝を征服しているが

147 :世界@名無史さん:2009/02/13(金) 21:24:27 0
象はなわばり意識が高いので
何も知らずに象の通り道に設置したアメリカのキャンプがめちゃめちゃにされた。
ベトナムにて。

148 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 00:30:09 0
アレキサンダー大王もインドの象部隊にやられたしな、それとインドの場合は莫大な動員力も勝因じゃないの?

149 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 00:32:11 0
インドは暑すぎて馬が死ぬから無理

150 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/14(土) 01:21:00 0
象の大群を撃滅できたのは後にも先にもテルモピュライの戦いでのスパルタの300精鋭隊のみ。


151 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 01:32:20 0
インドに手を出してはいかんな・・・・歴史の鉄則。

152 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/14(土) 02:21:37 0
つ大英帝国

153 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 02:31:01 0
>>150
シハーブッディーン・ムハンマド、ティムール、ナーディル・シャー

154 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 04:28:31 0
>>142
ただの掠奪遠征を撃退するだけならそこそこ効果があったけど、
重武装の騎馬隊を用いた本格的な侵攻にはあんまり効果がなかったらしい。>ラージプート政権の象兵

1192年の第二次タラーインの戦いでゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドは、チャウハーン朝の
プリトヴィラージャ三世の象兵部隊数百頭に対して四万騎からなる完全重武装の騎馬部隊を使い、
四方八方から弓矢と投槍で袋叩きにして壊滅させたそうなんだけど、騎乗している象兵に対して
雨のように弓矢を、象に対しては象の口の中にありったけの投槍を叩き込んで片っ端から倒したとか
ゴール朝系の歴史書に出て来る。
(プリトヴィラージャ三世は象から降りて馬に乗り換えてなんとか逃げたそうだ)

インド北辺にいたモンゴル軍は、カシミール方面にずっと駐留していたようだけど、アフガニスタンや
カシミールにいた遊牧民系の政権は古代のサカ系にしろ千年後のガズナ朝にしろモンゴルにしろ、
インドの富を狙っての掠奪遠征はするけど、やっぱり夏の酷暑を嫌ってなかなかインド方面で
腰を下ろさない場合が多い。(サカ系は一応インドに定住したか)

ただし、クシャーン朝やゴール朝系の奴隷王朝、ムガル朝みたいに一旦もう面倒だからインドで
政権を建てる!と決心すると、インド側の政権の軍隊は殆どの場合歯が立たなくて、遊牧系の
連中がなんとか暑さを耐えられる北インド一帯まで征服される、ということが多かったようだ。
(やはり機動性の高い騎馬部隊の絶対数の寡多が勝因を決している感じ)

155 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 07:35:29 0
インドは常に北から攻め込まれて征服され続けた歴史。逆に北に攻めて出たことが
ほとんど無いのが不思議。アーリア人の進入から始まり、バクトリア王国、クシャーン朝、
エフタル、ガズニ朝やゴール朝やデリースルタン朝、ムガール帝国、大英帝国。
クシャーン朝時代に中央アジアまで遠征したことはあったらしいけどね、希有のこと。
それも結局は失敗。後、南インドのチョーラ朝がビルマやマレーシアまで遠征してるらしいが。

156 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 10:03:55 O
>>135
僕は、神風怪盗ジャンヌちゃん!

157 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 18:54:02 0
シベリアには興味なかったんだろうか?
明確な国家が存在しないから「ここから北は俺たちの領土みたいなもんだろ」とかそんな感じで無視してたとか?
だけどヤクート人やエヴェンキ人の存在は知っていた?とは思うんだけど戦争らしき事も起こってないし、謎だなぁー
でもあんな広大な大地は統治しようと気が失せる気持ちも分かるけどね
その点ロシアの欲は凄いな

158 :世界@名無史さん:2009/02/14(土) 22:01:31 0
好んでシベリア送りになりたい奴はおらんよ。
ロシアが欲かいたのは、毛皮が取れてそれが高い金で売れたから。

でも地味にモンゴルは樺太まで渡ってるんだけどね。樺太に元軍が築いた砦の遺跡が
ある。

159 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/14(土) 22:31:23 0
>>158
元が樺太に侵攻した理由として、日本を北辺から侵攻しようとした可能性がある。
アイヌ諸侯国を支配下に置き、背後から日本の中枢を突く戦略パターン。
蝦夷島と奥州を騎馬の速力を利して一気に南下し、鎌倉政庁を瞬時に撃滅、そのまま東海道&中仙道を西進。
合わせて北九州からも攻め込んで、京の都付近で江南軍と北辺軍が残存日本軍を挟撃するというシナリオ。

160 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 00:18:18 0
あの時代に樺太を南下したら日本に着くと知っていた大陸の人はいないでしょ。
地図の空白部だよ。
原因は元に朝貢していたニヴフ(旧名ギリヤーク)が樺太アイヌ(エンチュウ)に
攻められてると元に泣きついたこと。樺太アイヌとニヴフは仲が悪く、間宮林蔵の
北方探検の時代でも、アイヌの案内人がニヴフ(山丹人と記述される)の集落に行く
のを怖れていたりする描写がある。長年の交易相手でもあったんだけどさ。

しかし、モンゴルはロシアを攻めたり、樺太に渡ったり、寒さには何か強い感じだね。
ナポレオンはロシアで冬将軍に出会ったのに。江戸時代の日本でも樺太を攻めるのは
きつそうだ。

161 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 00:45:50 0
雲南遠征の際にはトゥルイは体調を崩してそのまま死去、
ベトナム遠征は惨憺たる失敗と、モンゴルは寒さには強いが暑さには弱い。


162 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 01:01:57 0
>>158
一応、いわゆる「北の元寇」についての専論が既にあるけど、主要典拠である『元史』や
『高麗史』の書き方では、アムール川周辺の現地住民が間宮海峡を渡って樺太からやって来る
「骨巍」の掠奪を受けているため、現地の女直や水達達など救援要請に応える形で対処療法的に
部隊を派遣しているに過ぎないような印象だ。

クビライの治世末期くらいに騒擾や掠奪を繰り返す樺太の「骨巍」に対して女直人部隊一万人を
狗橇で海峡を横断させて制圧しているけど、その後の情勢についても資料では飽くまでも
「骨巍」の鎮撫にのみに重点が置かれていて、日本のにの字も出て来ない。
部隊の派遣も日本遠征とかカイドゥやカダアンの乱なんかが下火になったか暇が出来た時に
出しているため、他の作戦と連動したものとかではなく、一連の派遣の目的は「骨巍」鎮圧
以上の意味はなかっただろう、というような説明だったと思う。

163 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 01:02:43 0
ロシア遠征も冬に沼沢地が凍って馬が通れるようになった時を見計らって
一気に攻めたんだっけ。

164 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 01:11:20 0
>「北の元寇」についての専論

北の何だか状況の拡大とかそんなタイトルだったっけ?

165 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 01:38:40 0
>>164
確か、北海道大学東洋史談話会の方で出している雑誌『史朋』に載ってる論文だったと思う。
> 中村和之「『北からの蒙古襲来』小論―元朝のサハリン侵攻をめぐって―」『史朋』25号(1992/5)

この先生、『歴史群像』の方でも樺太遠征について寄稿されてるそうだけど、自分が読んだのは↑多分これ。

166 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 01:44:37 0
>>164
申し訳ない。『歴史群像』じゃなくて『歴史読本』の方だった。
中村和之「"北からの蒙古襲来"の真相 (特集 八代執権 北条時宗)   (蒙古襲来の周辺)」
    『歴史読本』46(6) (通号 738)、(2001/06)

167 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/15(日) 02:42:39 0
>>160
南宋から樺太まで交易を行っていた安東水軍の存在を知らないらしい。






168 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 08:27:12 0
>>162
時代はまさにアイヌ人の膨張期でしょう。
時代的にはちょうど北海道の擦文文化が終わる頃ですね。一方、樺太はオホーツク文化時代。
考古学の時代区分とも何となく符号するし。文献資料からは北海道からアイヌ人が北方へ
盛んに侵攻していった様子がうかがえますね。しかも、沿海州にまでその侵攻はおよんだらしい。
これは考古学だけでは分からんですね。

後のアイヌ人のイメージからはあまり想像できない状況ですが、実はアイヌ人は独自の鎧も持っていました
>http://sv06.wadax.ne.jp/~gunsight-jp/c/k-ainu.htm
古墳時代の桂甲に似てるそうですが。


169 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 09:32:00 0
>>168
文献資料では、アイヌはその度にモンゴル軍に負けている。
樺太の南端に城を築かれて押さえ込まれた挙げ句、結局は降伏。
アイヌ駄目じゃん・・・

170 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 11:16:22 0
でも結局は樺太の南半分はアイヌ人のものに。
松前藩が村上掃部左衛門を樺太巡察に派遣した頃には樺太南部はアイヌ、
中北部がウィルタ、北部および対岸の沿海州がニヴフという棲み分けになっていた。

アイヌ人は平和を好んだ民族とよく宣伝されるけど、アイヌ民話では戦争
の話は普通に出てくる。礼文アイヌなどが勇猛さで知られたらしい。
それでも江戸時代には大分丸くなってたようだけど

171 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 11:37:30 0
北方少数民族て人口数が非常に少ないのが弱みだよね
それに比べ赤道付近や南方民族の出生率て異常

172 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 13:37:00 O
アイヌってインディアンみたいに色んな部族に分かれてたんだっけ?
仮にアイヌにチンギスハーンとまではいかなくても織田信長レベルの
統率者が誕生してたら、逆に東北〜関東あたりまではアイヌのモノになってたかもね。

173 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 13:40:04 0
>>165
ありがとう。チェックしてみます。

174 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 16:01:14 0
アイヌ人に鉄砲が先に伝わってたら結構な脅威になったと思う

175 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 17:03:12 0
狩猟生活なんかしてる時点で経済的に無理だろ
まともにやれてたのはアテルイの時ぐらいまでだな

176 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 17:27:38 0
>>174
仮に鉄砲が先に伝わっても、それを生産できる技術がアイヌにはない。
日常に使う鉄製品まで全部和人との交易に依存してたんだから。

177 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 18:15:41 0
北海道内でも若干の製鉄所跡が発見されてるようだから、全く鉄が扱えなかった
わけではないようだけど、基本的には交易依存だね。

>>172
ネイティブアメリカンは語族レベルで違ってるからアイヌとは状況が違う。
大陸と島との地理的スケールも違うし、比較はできんしょ。
アイヌは各村落レベル以上の政治権力は持たなかったと思われる。それでも時には
道東全域に影響力がある首長とかがいたりもするけど、個人的な名望によるもので、
そのカリスマの権力が次代に受け継がれるわけでもなし。
ただ、何かあったときの団結力は侮れなかった。コシャマインの乱の時は、
蠣崎氏(後の松前藩)以外の道内の有力な和人勢力はほとんど全滅。
シャクシャインの乱の時も、幕府が鉄砲隊を組織して向かわせるまで、アイヌ側が
戦局を押していた。毒矢が脅威だったと記録されている。
シャクシャインの頃にようやく政治権力が村落レベルを越えて地方単位でまとまり
だしたんだけど、なんだかんだで頓挫してしまった。テムジンみたいな人間がいれば
とは本当に思う。もっともアイヌはほとんど部族抗争してなかったけどね。少なくとも
近藤重蔵やら最上徳内とか言う和人が平気で北海道くまなく歩き回れたくらいには。

178 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 19:30:04 0
チンギスハンはムスリム商人や漢族豪族、キリスト教の宣教師など
多様な文化と接触出来たし、ケレイトのような有力なバックもあったが、
アイヌやインディアンはそのような多様な文化と接触出来なかったし、
発展させる母体となる集団も無かったので、多種多様な民族や宗教を取りまとめて
一つの国家にさせようという発想自体が生まれなっかったのではないのか。
シャクシャインが和人、漢人、イスラム学者、キリスト教宣教師に囲まれて成長していったのなら
チンギスハンのような首長にもなり得たかもしれないが。


179 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 19:38:14 0
そもそも、アイヌは鉄器どころか青銅器すら知らないだろ。

180 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 20:55:18 O
>>175
アテルイとか蝦夷はアイヌとは無関係だぞ。

181 :パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/02/15(日) 21:45:01 0
>>179
アイヌをバカにしすぎ。
製鉄技術こそ無いものの、原料を加工する冶金の技術はあった。

182 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 22:33:23 0
>>172
アイヌが東北〜関東までとか有り得なさ杉。
本家本元チンギスハーンが創設したモンゴル軍ですら、4万、14万もの大軍を送りながら
戦闘で日本軍にボロ負けし、九州に寸土の領地も獲得できなかったのに。。。


183 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 00:33:31 0
実は野心ありまくりのフビライも既に遊牧騎馬民族の支配領域の限界を悟っていたんじゃないか?

184 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 00:53:02 0
フビライはむしろモンゴル帝国史上一人だけその限界を突破しちゃった人。
他の諸汗国ではまともな海軍を作ろうとか考えもしなかったからね。

185 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 03:37:42 0
>>168
> 樺太から沿海州へ
なるほど。北東アジアの考古学関係については全然専門外だけど、十三世紀後半頃の
発掘資料と文献上での情報がちゃんと符合しているというのは興味深い。

そういえば『中世十三湊の世界―よみがえる北の港湾都市』という本で、12世紀末から
13世紀にかけて沿海州から北海道一帯にかけて交易物品の出土状況が大きく様変わりして
いるとかで、モンゴル帝国の出現で北東アジアの交易ルートが変わり、大陸の物産が樺太以東へ
あまり流入しなくなったんじゃないか的な議論がされていたと記憶しているけど、案外「骨巍」
の侵攻もそこら辺も絡んでいるんじゃないかと思わせるような内容だった。

> 古墳時代の桂甲に似てる
鋼性の小片を短冊状に束ねる鎧は既に紀元前後くらいの匈奴関係(らしい)の文物の中にも
描かれているそうで、拓跋や突厥などの遊牧勢力もだいたい同じような鎧を用いて居たらしい。
第三代モンゴル皇帝グユクの即位式を訪れたローマ教皇使節団のひとりプラノカルピニの
ジョヴァンニもその報告書で「鋼性の小片を短冊状に束ねる鎧」がモンゴルの兵士が着用している
ことを述べているから、この種の鎧は(中国方面からの逆輸入的な影響もあるかもだろうけど)
遊牧勢力の伝統的な鎧なのかもしれない。古墳時代は拓跋や突厥、高句麗など遊牧系政権が興隆
していた時期で、古墳時代の文物はそういった当時流行していた大陸の遊牧系の文化スタイルの
影響下にあったことは良く言われている通りだと思う。(例の騎馬民族征服説は置くとしても)
↓は十四世紀頃の絵で、モンゴル兵をモデルにしたもの。

○『集史』預言者伝のバドルの戦い部分。預言者ムハンマドの事蹟だから、本当は七世紀のアラビア半島
の話だが、絵の鎧や風俗は十四世紀あたりのモンゴル兵が着用したものをもとにした、所謂「当世風」。
ttp://www.ee.bilkent.edu.tr/~history/Pictures1/im9.jpg

チベットの寺院に残されている(多分北元以降のモンゴル王侯に)奉納された鎧を何処かの
サイトで見たことがあるが、胴回りから脚部までの裾の感じのアイヌの鎧と良く似ていた。
もしかしたらこのアイヌの鎧は清朝あたり経由で北方からもたらされたものが現地化したもの
なのかも。

186 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 04:41:01 0
>>184
それまでのモンゴル軍は基本的に陸上での戦闘のみを考え、凍結していない河川は
進路の障壁くらいの認識だったみたいだが、これはクビライ時代までの主要な戦場が、
大きな河川が稀な大陸の乾燥地域だったせいも大きいだろう。
>川底が浅ければ騎乗で渡河、深ければ船橋でおkみたいな認識。

南宋作戦の場合、オゴデイの時代から江南の入り組んだ河川流域の諸都市を攻略するのに
従来の陸伝いでの進軍のみで対処していたようだけど、経路が限られるため毎回苦戦を
強いられていた。クビライが海軍、というよりも「水軍」を使うようになったのは
攻城戦や渡河作戦が他の地域よりも遥かに多くなる南宋作戦に対して、ムカリ国王家の
華北経営の延長で醸成された、華北一帯のモンゴル系と契丹・女直などの混成軍
(蒙古・漢軍)を投入しようとしたのがベースになっているそうだ。

ただ、クビライが水軍に力点を置いたもう一つの大きな理由が、モンゴル高原や興安嶺方面の
従来のモンゴル騎馬軍を主体とする軍団が、カイドゥなど中央アジアでの紛争に投入せざるを
得ないため、モンケの頃のようにモンゴル帝国東部の軍を南方へありったけ投入するという
ような作戦がクビライの場合不可能だったという切実な事情もあった。

他には北宋時代に曽公亮らが編纂した『武経総要』のような軍事書に軍船などを用いた
水上戦闘についても論じられているため、それらの漢籍から得られる水上戦闘に関する研究を
混成軍に活用出来た、というのも大きいかも知れない。


187 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 04:54:11 0
>>186の続き。

> 他の諸汗国ではまともな海軍を作ろうとか考えもしなかったからね。
モンゴル帝国の領土で大洋に面しているのはクビライの元朝の他はイラン高原のイルハン朝
くらいだが、もともとイラン方面も含め歴代のイスラーム政権は政治的な権力を海上へ及ぼす
という指向が極めて希薄だった。

勿論、13〜14世紀のイラン南部やエジプト方面の商人や富豪たち(イスラム教徒だけでなく
キリスト教徒やユダヤ教徒等色々いた)は海上交易で莫大な利益を得ていたが、イスラーム政権は
彼らの資本力の源泉であった農園からの税収や船舶から卸した後の売上税から徴集していたが、
海上での活動そのものに干渉することは殆どなく、そのため海上の諸々は全く「民間の世界」だった。
>そのため近現代になるまで西欧諸国によるインド洋や東南アジアへの進出に対して、
 イラン高原やインド、エジプトやアラビア半島の諸政権はほとんど何らタッチ出来なかった。

イスラーム政権で海上へ軍事行動を起こしたのは、アラブ征服時代に地中海上の島々への征服とか
コンスタンティノープルへの遠征、あるいは精々対十字軍戦争で船舶に攻城兵器を搭載して海上から
攻撃するという程度で、常備的な海上戦力を保有するという場合は殆ど無かった。
(八世紀のイベリア半島征服も西ゴート王国周辺の諸侯が船舶を便宜したためで、北アフリカにいた
 アラブやベルベル軍が固有の海上戦力を保有していた訳ではなかった)
オスマン朝が強力な海軍力を保有していたのはイスラーム政権としては大変に珍しい現象。

なので、元朝以外のモンゴル諸王家が海上戦力を持たなかったとしても、これは当時のインド洋から
東南アジア方面のユーラシアの海上世界の事情からすると流石に仕方がないと思う。

188 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 10:46:32 0
>>187
サラディンのアイユーブ朝は1179年の段階で80隻のエジプト艦隊を保有していたし、
さらに増強もおこなっている。
実際、1183年には紅海の制海権を巡って十字軍の艦隊と戦ってるし。
その後をついだマムルーク朝だってディウ沖の海戦でポルトガルと戦っているわけで、
西欧諸国のインド洋進出にノータッチだったわけじゃない。
紅海と地中海を結ぶ交易で賑わったエジプトに海軍があるのは当たり前なわけで、
もしもイルハン朝がエジプトを征服していたら、当然海軍も引き継いでいただろ。

189 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 13:13:21 0
てえか日本は樺太と千島を早めに占領すべきだったよな。
惜しいことをしたもんだ。

190 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 13:16:51 0
>>138
ベトナムはゲリラ戦が得意だったのもあるな。しかも結構一致団結してさ。
モンゴルきたときも住民は食い物かくしてさっさと山へ逃げてる。

まあベトナム戦争みりゃわかるが元々強いんだろな。連中。

191 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 13:19:14 0
東南アジアはベトナムがふんばってくれたお陰が強いだろうな。
あとモンゴルはやっぱ船にゃ弱いよw

日本も神風とかいうが、二回目の時はかなり頑張ってた。

192 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 13:30:33 0
モンゴルは本気で日本征服したいなら50万ぐらい兵送らないと

193 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 17:32:27 0
>>190>>191
ベトナムは1257年に僅か3000のモンゴル軍に首都破壊され、モンゴル帝国の属国化した国。
大して強くない。
それに引き換え日本は、1274年に博多湾から上陸した元軍4万をたった1日の戦闘で撃退。
1281年には元軍14万を壊滅させ、10万人以上を捕虜叉は殺害という圧倒的な強さだ。

元軍と戦った国の中で、最後まで朝貢国とならずに完全独立を維持したのは日本一国のみ。

194 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 17:55:57 O
地の利があった日本より
モンゴルに平原での騎馬戦仕掛けて完勝したバイバルスのが凄いだろ。

195 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 19:02:11 i
>>194
地の利ならホームの中東で戦ったバイバルスにもあったから同じ。
アイン•ジャールートで1万ちょっとのモンゴル軍に勝っただけのバイバルスより、
福岡平野で4万のモンゴル軍に騎馬戦で勝った鎌倉武士武士の方が凄い。

196 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 19:06:44 0
世界史の英雄のショボさが次々と明らかになっているな。

俺が疑問に思うのは、鎌倉幕府の異常な動員能力なんだけど
あれは何でなんだろう?

197 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 19:10:49 0
ポーランド王がワールシュタットで3万人を動員してた時代に
鎌倉幕府は奥州戦や弘安では20万以上を動員してたわけだからね。

3万なんて日本ではせいぜい奥州藤原氏レベル。
なんか農業とか産業で世界と隔絶した部分があったのかな?

198 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 19:31:20 0
>>193
そりゃ一種の焦土作戦だろう。
これだからネトウヨはよ。

199 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 21:03:35 0
焦土作戦なんて為政者側からすれば本来やりたくてやるもんじゃないだろう。
それしか手が無いから行うんであって。

200 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 22:35:10 0
>ポーランド王がワールシュタットで3万人を動員してた時代に
>鎌倉幕府は奥州戦や弘安では20万以上を動員してたわけだからね

欧州中心で考えればすんげえ動員力に見えるだろうよ
当時は人口も文化も東アジアの方が段違いだったしな
平安京とか鎌倉ですら当時の世界都市人口トップ10に入る始末

201 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 23:16:03 0
焦土作戦の何が悪いのか
ロシアにイチャモンつけるナチオタやナポレオン厨みてえ

202 :世界@名無史さん:2009/02/16(月) 23:34:56 0
19世紀まで国力はアジア>ヨーロッパ、
植民地補正で逆転しだすのもここら辺から
戦力だけなら17世紀ぐらいには逆転してるだろうが。

203 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 00:35:21 0
キエフルーシは8万の軍勢を動員していたという。
この時はモンゴルは3万程度で軍勢の数ではキエフの方が多かった。


204 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 07:01:08 0
あの時代の文献に正確な人数なんて書けるかよww
いくらでも捏造できるわ、それともちゃんと名簿みたいなのがあったわけか?ww

205 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 07:19:39 0
ヘロトドスのペルシャ軍百万人とか、源平の20万騎とかはみな物語的誇張であり、
ありえない数字なのだそうだね。

206 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 08:11:50 i
今も昔も人間の営みは基本点に同じ。
何時代の文献だろうが、その性質によって数字が信頼できる場合もあれば、
信頼できない場合もある。
そんなこと、歴史を語る上ではイロハのイだぞ。

207 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 09:02:25 0
>平安京とか鎌倉ですら当時の世界都市人口トップ10に入る始末

詳しく

208 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 09:05:09 0
奉天会戦でやっとこさ25万なのに、源平時代に20万も動員できるわけないだろ…

209 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 09:51:17 0
源平時代に数万単位の動員が行われていたことを裏付ける遺構が存在する。
それが阿津賀志山防塁。
全長3キロにわたる二重堀で、建築に必要な人夫の数は発掘調査からの推定でのべ20数万人。
長篠の合戦で織田徳川連合軍3万人の野戦築城が全長2キロなわけで、それより
遥かに大規模な合戦を想定して建築されてるんだよ。
源頼朝の奥州攻めでは、3隊に分かれて北上する鎌倉軍の1隊が、この阿津賀志山防塁を
わずか3日で突破してるんだが、それじゃあこの時の鎌倉軍の総動員数は?って考えると、
どうしても物凄い数になっちゃうんだよね。

210 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 10:00:09 0
20万から急にスケールダウンしたな

211 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 10:02:47 0
してないと思うけど・・・

212 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 10:27:28 0
阿津賀志山の戦いでは双方の兵力は2万〜2万5千だったようだが
頼朝の本軍が奥州合戦で最大の難関で戦ったのがそれだと
北陸道軍や東海道軍の規模も知れたものであろうな

213 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 11:57:39 0
>>207
ウィキでごめんな

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%BA%E5%8F%A3#.E4.BA.BA.E5.8F.A3.E4.B8.8A.E4.BD.8D.E5.8D.81.E5.A4.A7.E9.83.BD.E5.B8.82_.28Chandler.29


1100年代、17万5千で平安京が世界3位、
1200年代、17万5千で鎌倉が世界5位

214 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 16:33:49 O
1100年代の一位と二位は臨安と燕京かな?
1200年代の一位は元の大都だろうけど、二位〜四位までが気になるな。
候補は臨安、バグダッド、カイロ、コンスタンティノープルあたりか。

215 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 17:02:06 0
>>213
現代の京浜地区の過密っぷりに戦慄を覚えた

216 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 19:00:25 0
>>214
大都が繁栄していた頃には、カイロ以外は没落しているな。
13世紀初頭と13世紀末では、まったく異なるだろうな。


217 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 19:55:33 0
>>201
馬鹿かお前。敵の来寇を凌ぐことはできても、国力に大きな損害を受けてしまうだろうが。
他に手があるならやらないに越した事は無いんだよ。

218 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 23:14:41 0
>>217
てか単純に考えすぎてないか?
根本的な考え方を身近な事例に置きすぎてないか?
ロシアはナポレオンのときあそこでふんばったからヨーロッパに食い込めた。

やらないに越したこと無いのはそのとおりかもだが
世界史版でそんなこと言われてもなあ。



219 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 23:21:15 0
>>217
もう一つ。
>国力に大きな損害を受けてしまうだろうが。

これだが、じゃあ日本やドイツは第二次世界大戦でボロボロにされたが
経済力がイギリスやらフランスを超えたのは何故だ?

どうも「新陳代謝」みたいな考えが抜け落ちてるんじゃねーかね?
いつまでもとっとくより壊して新しいの作り直す方が経済的には実はいい。

220 :世界@名無史さん:2009/02/17(火) 23:26:58 0
賭場にきてるのに「博打の打ち方」こだわられてもねえw

221 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 01:27:01 0
>>218
九州にまったく拠点を作らせずに完勝した日本と比較して、全土を蹂躙されたベトナムが
見劣りするのは当たり前。
日本とベトナムは、その後の歴史に勝ち方の差がはっきり出てるじゃん。
元に対して完全独立を維持した日本に対し、ベトナムは朝貢国。
元の後を継いだ明も、日本に対しては「元の二の舞は御免だ」と侵攻をあきらめたのに、
ベトナムは攻め込まれて長年占領されている。

>>219
ベトナム戦争の後のベトナムには、あまり「新陳代謝」効果がないみたいだが・・・


222 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 03:24:50 0
>>203
チンギス・カンの時代にキエフ・ルーシと戦った部隊は、ホラズム・シャー朝のスルターン・
アラーウッディーン・ムハンマドの追撃のため派遣されたジェベとスベエデイが率いた二万騎。

今のイラクとイランの北西国境付近での会戦でムハンマドを補足しそこない、右往左往した挙げ句
カスピ海西岸を北上。アゼルバイジャン高原のイルデニズ朝を叩き、アルメニア王国、グルジア王国の
軍を破って臣従の確約を取り付け、カスピ海を西回りでチンギス本軍のまだ居るマーワラーアンナフルへ
帰還するルートだったらしい。そこでアスと交戦し、さらにキプチャクの一派と遭遇してこれとも交戦。

ロシアの年代記、『ガリーチ=ヴォルイニ年代記』によると、このキプチャク(年代記では「ポロヴィッツ」)
側がキエフなどのルーシ諸侯たちに、自分達はけちょんけちょんにやられたが、放っておけばいずれ
ルーシ側にも甚大な被害を及ぼすゆえ、今駐営中のタタールとかいう連中を襲撃して撃退すべきだ、
というようなことを主張してルーシ側と連合して攻撃した、ということらしい。>いわゆるカルカ河畔の戦い

ルーシ側は普段苦戦を強いられているポロヴィッツ勢が大負けして助けを求めて来るような連中だからと
この作戦に協力したらしいが、逆に包囲迎撃されて返討ちにされてしまう。

ジェベとスベエデイが率いた戦力が二万騎だったことは、『世界征服者史』や『集史』などのモンゴル側の
ペルシア語年代記にはっきり書かれ、モンゴル帝国の境域地域に派遣・駐留する鎮守軍もだいたい二万戸(騎)
なので(有名なカシュミール鎮守軍も2万騎)、多分実際そのくらいの戦力を派遣したのだろう。

邦訳の『ガリーチ=ヴォルイニ年代記』にはルーシ・ポロヴィッツ連合軍の規模について特に書かれていなかった
ように記憶しているんだが、「8万」という数字は別の年代記に出て来るんだろうか。

223 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 03:26:57 0
>>219
日本もドイツも負けたし、戦後すぐのボロボロ状態からの脱却はアメリカの援助なくしては困難だったんだが。

224 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 07:59:39 0
植民地競争で先行してた勝ち組も、戦後の流れで植民地に独立された落ちるわ


225 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 08:04:16 0
政治的には植民地は独立できたが、経済的な面では未だに植民地状態から独立できてないんだよね
先進国と言われる国が旧列強ばかりなのはそのせい

226 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 12:10:41 O
>>220
しかしベトナムは日本がなす術なく完敗したアメリカに勝ってるぞ

227 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 12:32:02 0
>>226
ベトナム戦争の結果、狂喜した左寄り連中が700年も前のモンゴルとの戦いまで、資料無視してマンセーする
ようになったんだよな。。。
わずか3000人のモンゴル軍に首都破壊され、ベトナムがモンゴル帝国の属国と化した第一次侵攻まで、
何故かベトナムが勝利したことになってるし。
あと、時系列無視して日本が助かったのはベトナムのお陰だとか言ってみたり。
実際には全く逆で、ベトナムが助かったのが日本のお陰なのに。

228 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 18:40:09 0
>>222
モンゴル強。
てか、ヨーロッパ勢は全部、偽装撤退〜包囲射撃戦法にまたかと思うぐらい引っかかってる
印象がある。リーグニッツ、モヒ、カルカと全部このワンパターン戦法に実に
ワンパターンなひっかかり方してるよね。

229 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 23:06:00 0
日本はモンゴル、アメリカ相手に正面戦争で戦っている。
ベトナムはモンゴル、アメリカ相手にゲリラ戦で戦っている。
戦闘の規模は当然正規戦である日本の対モンゴル、アメリカ戦の方が大きいが、
勝つことにおいては遠来の遠征軍を退却に追い込むにはゲリラ戦の方が有効なのかもしれない。



230 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 02:09:43 0
>>223
アメリカは他の国も援助しとったけど
ドイツと日本だけ突出して成績良いよな。

231 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 02:11:27 0
>あと、時系列無視して日本が助かったのはベトナムのお陰だとか言ってみたり。
>実際には全く逆で、ベトナムが助かったのが日本のお陰なのに。

どっちも違うと思うが。あんま関係ないんじゃないか?
聞いたこと無い話だな。

232 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 02:13:55 0
>>229
なんかで読んだが結局ゲリラ戦にはかなわんとさ。

233 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 02:14:28 0
東方三王家の反乱の方が元寇への影響大きいような
ま、反乱自体元寇、その準備が一因な気もするが

234 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 02:18:27 0
今じゃ安全地帯が無いゲリラはたいしたことない

235 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 02:21:04 0
南宋がふんばってた影響がもしかしたらあるかもしれんかなあ?
ベトナムのおかげとか、逆に日本のおかげでベトナムは〜〜なんてのはは初耳だな。

>>234
玉置?

236 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 07:01:13 0
いや、ベトナムは大いに日本の恩恵受けてる。
第三次ベトナム侵攻の際、元軍は大軍を投入するにあたり、その兵站を海上からの船舶を使った輸送で
賄おうとしたんだよ。
でも、元寇で3500隻もの江南艦隊が全滅しちゃったから、元軍が用意できたのは結局数百隻単位の
小艦隊だけだった。
で、ベトナム軍は野戦ではまったく歯が立たず、元軍は連戦連勝であっさり国都とか占領したんだけど、
海軍が相次いで兵糧輸送に失敗したため、食糧不足が理由で撤退に追い込まれた。
元寇で日本が江南艦隊を壊滅させてなかったら、ベトナムは元軍に簡単に征服されていたよ。

237 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 10:48:59 0
>>236
そんなネトウヨ話はにわかに信用できん。

大体当時の群なんて現地調達が基本だろう?
ロジスティックスみたいな考えあんまない。
あと陸で運べばいいじゃん。地続きなんだし。

238 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 11:13:45 0
>>237
>>236のようなネトウヨは死ねばいいと思うが、
陸運と海運じゃコストが違いすぎる。

239 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 11:15:58 0
現地調達させないための焦土戦術だろ

240 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 11:53:10 0
至元二十四年(1287年)正月にクビライが発した計画では、17万石の糧量を船500隻で海路輸送することになっていた。
この段階で、弘安の役の東路軍が船900隻で糧量11万石だったのと比較して、かなり無理した計画だったのがわかる。
元寇の江南艦隊3500隻の全滅が、元のベトナム侵攻計画に大きな制約を課していたんだよね。

で、この糧量17万石ってのがどの位の量かというと、1石60キロで1万200トン。
こんなの鉄道もトラックもない時代にベトナムまで陸を運ぶのは物理的に不可能だから。

ベトナムは日本に対して大いに感謝する必要があるね。

241 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 12:01:56 0
感謝とか言い出すとキモイが関連はありそうだな

242 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 13:27:02 0
恩恵はあると思うけど別に感謝する必要はないと思う。

243 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 13:27:44 0
元の失策だし

244 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 13:30:28 0
>>236
永楽帝の時代の明軍は元寇の江南艦隊ほどの規模の海軍は使わなかったけど
20年もヴェトナムに居座ってるよ。
この当時の明は、洪武帝の定めた開中法によって軍糧の輸送に民間の商人を
利用していた。商人が国境まで食糧を持ってくると政府専売品である塩の
販売許可証と交換され、商人は官営の産塩所で入手した塩を売って利益をあげる。
食糧は内地から運んでくるばかりでなく、広西とかに商屯をどんどん作って
輸送のコストを削減、それが地方の開発にもつながって一石二鳥だったわけだ。

245 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 13:58:40 0
まあ元々日本が強すぎるだけなんだしベトナムにしてはよくやった方だし褒めてやろうぜ

246 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 15:14:58 0
日本の影響で元軍のベトナム侵攻から、ベトナムが助かったという事実を書くだけで
なんで>>236がネトウヨと言われなきゃならないんだろう?

ここの連中は、日本の影響で元軍のベトナム侵攻からベトナムが助かったという
事実を、そんなに否定したいのか?

247 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 15:45:16 0
日本が海戦を仕掛けて沈めたわけじゃないでしょ。

248 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 15:59:41 0
日本のおかげとか日本の影響とか
意味不明な感謝を要求し、自然現象の僥倖を自国の手柄として自慢するのが
非常チョン臭い

ウヨなのにね

249 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 17:33:42 0
なんでも日本が一番のネットウヨはウザイけど
影響があったという意見を書くだけでネットウヨのレッテル張るのはいき過ぎだろ。
ある一つの行為が本人の意思に関わらず歴史を動かすことなんてよくあることだ。



250 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 18:10:42 0
低能文系が発狂しております

せっかく世界史学んだのに、結局日本が一番であることを否定できないんだよね。

251 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 18:24:52 0
>>237
> 大体当時の群なんて現地調達が基本だろう?
いや、文永の役だったか弘安の役だったか忘れたけど、日本に派遣する前に慶州のどこそこは
糧秣をこれぐらいを負担すべし、鳳州のなんとかはこのくらい負担すべしみたいに、派遣前に
兵站部門への配給割当てが各々課されていて、合浦の司令部がこの配給を管理していたようだ。

事前に派遣地域に近い地域などが兵站の負担を事前に命じられるのが普通だったみたいだが、
負担が過剰だったりして準備不足なまま軍が到着すると司令官が無理矢理強制的に徴発する
場合もあって、現地の担当者と衝突することも良くあったらしい。

基本的にモンゴルの遠征では軍が展開する前線の後方に「アウルク」 Aγuruq と呼ばれる
兵站基地が置かれ、ここに戦利品の集積や後背地から供給される糧秣の配給などを管理して
いたそうだ。漢籍ではこれを「奥魯」などと音写している。軍ととも連れて来られた各戸や
部隊の家畜群の管理もここで行われていたようで、穀物以外の食品などもここで生産するなど
していたらしい。

『高麗史』でも高麗領南部を中心に文永・弘安の役の時の兵站への課田として色々な地域が
「奥魯」として設定されたことが出て来る。

戦利品は理念上、モンゴル皇帝の獲得物でそれを軍や兵士に公平に分配し褒美(Qubi)として
下賜される、という建て前があった。そのため、決算前に横領すると反逆扱いされて部隊ごとに
連帯責任をとらされ死刑になったそうだ。

戦利品獲得→そのまま食糧に  という展開は、モンゴル帝国の政治的軍事的理念としてアウト
なので、普通、大規模な遠征の時はこういうことは無かったようだ。
(モンゴル軍が良く占領した地域の住民を数えさせて捕虜として売り捌いたとか、男女を別けて
 一部を戦闘要員として転戦させたとか、商人と一般住民を別けて残りを農耕地へ回した、あるいは
 虐殺した、とかいう話が出てくるが、基本的には上のモンゴル皇帝の名のもとで行われる戦利品の
 分配と同じ現象)


252 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 20:46:45 0
>>246
うるせーな。ネトウヨ板にカエレ

>>251
なんか鋤鍬がみつかってるとかね。
殖民するつもりだったんかねーと俺は理解しとったが。

ロジスティックスの仕組みがどの程度だかしらんがあんま高いものとは
おもわないんだが、どうだろうね。とりあえず興味深いレスありがとう。

253 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 21:01:26 0
>>252
低能発狂www

冬営するためには耕作しなきゃ始まらんだろ
こいつ軍事にまるで無知だなwww

所詮は文系www

254 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 21:03:00 0
冬営っつっても無駄な装備になったけどね。
モンゴルの軍事力は、後進国では通用しても
真の先進国ではお話にならなかったということ。

255 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 21:22:31 0
鍬鍬っていっても必ずしも耕筰に限定されて使用されるわけでもなし、
野営地建設に使用する目的もあったかもわからんね。

256 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:07:55 0
>>253
なんだ軍板かい。いいからカエレ。
ネトウヨはめんどくさいんだよ。何でオマエのナル心理ケアせんとあかんの?
おめーんとこののナワバリで遊べばいいべよ。なんで出張すんのよ?

>>255
南宋兵メインだから殖民という名を借りてモンゴルは反抗的な南宋人を
追い出したかったんじゃねーかなと思ってたわ。
とはいうもののその線もありえるべ。

257 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:11:18 0
「日本びいき」しちまうと目が眩んで真実も歪む恐れがある。
それを避けたいだけだ。「歴史」好きな奴にとっちゃ当たり前の心構えだ。
なんでわからんの?

258 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:13:16 0
日本がいくら強くてすんばらしい国だろうが
オマエが強くてすんばらしーわけじゃない。

なんでわからんの?

259 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:15:11 0
>>257-258
強くてすんばらしい日本でドロップアウトした
惨めな低能文系の図www

260 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:17:49 0
日本びいきでも何でもなく
日本が、大元ウルスの主力を二度に渡って完全撃破して
ついでに元の船腹の大部分も壊滅させ
元の南方戦略を失敗に終わらせた事実を述べているだけ

261 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:20:07 O
軍オタうぜえ

262 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:21:46 0
ま、言い返したところで意味も無いことは分かってたけどな。
アゲで速レスして来るくらいだから相当病んでるな。

そんな手合いに返事したって意味ないからコレを限りにするが
オマエラがいくら日本を最強国家に仕立て上げたとしても
オマエラ自信はそのまんまだ。

じゃーな。

263 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:22:59 0
ネトウヨ認定→軍オタ認定

日本>>>世界の事実に何の反論もできないマルキシストの
精一杯の抵抗。
少し変化が見られた。

264 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:24:23 0
>>262
>じゃーな

とか言う奴に限ってなみだ目でモニターを見つめてるんだよなww
そんでキャラ変えて再び擁護カキコwww

265 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:32:34 0
サヨラーが逃亡したな。
その当時の日本が元軍に対して行動して他の地域にも良い影響を与えた統計的事実を
述べているだけで、ウヨ認定するんだから困ったもんだ。

266 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:38:09 0
後に与えた影響からしても
弘安の役が元の海上作戦能力の限界に挑んだものだったことが分かる。
研究の余地がある面白いテーマだと思うな。

ま、そんだけ力入れた結果が、文永以上の一方的な敗北だったわけだが。

267 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:44:57 0
>>262
>オマエラがいくら日本を最強国家に仕立て上げたとしても

別に仕立てあげたわけじゃない。

各国の一次史料を見てみると
日本も元もチョンも揃って「日本にぼこられて元が負けました」とはっきり書いてある。
要するにこれまでの日本の史学界は
学者失格の妄想家ばかりだったということ。

268 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:45:59 0
日本>>>>超えられない壁>>>>元>>>世界>>>>人類の壁>>>チョン

269 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:48:56 0
>>257
お前は今現在思いっきり「目が眩んで真実も歪む」状態なんだよ。
博多湾から上陸した元軍をわずか1日で撃退した文永の役や、
元軍14万を寄せ付けず10万人以上を捕虜又は殺害した弘安の役は日本の圧勝。
鎌倉武士はモンゴル軍より圧倒的に強かった。
こんなのは「日本びいき」でも何でもない。
当り前のことを書いてるだけ。
こんな当たり前のことに気がつかないのは、「目が眩んで真実も歪む」状態以外の何ものでもない。
お前の「歴史」に対する心構えは全くなってなかった。
いい加減に王様は裸なんだと気づけよ。

270 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:56:29 0
日本の史学科は元寇の実証的研究をもっとしっかりやってほしい。
弘安の役には元と日本の有のままの国力が垣間見えるはずだし、
日本と元の戦闘能力の差はどこから来たのか、という点も興味深い。

訓練、兵器、兵士の敢闘精神を支えたもの
比較すべきものは多い。

史学科のアホがこれまで50余年税金使ってやってきたことは
全て無駄なものだった。
このままでは史学科なんて、肥料にもならないからクソ以下だ。

271 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 23:03:45 0
お偉いセンセイ方はこれまで大真面目に↓なことをのたまっていたんだよね

「一騎打ちしか知らない日本軍は元軍にぼろ負けしましたが
元軍は船に酔ったので勝手にお家に帰りました。」

素直に笑えない。大学でこんな馬鹿げた論理がまかり通っていたなんて。

272 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 23:47:26 0
お偉いセンセイ方>>>>>>>>>>>>>>>>>271

まあ、おまえの典型的な馬鹿な歴オタの書き込みを見てると
まず出世することはありえないと断言出来る。

273 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 23:49:20 0
と、食えない史学科がほざいていますww

史学科が出世とかほざくなwwwワープアがww

274 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 23:49:52 0
>船に酔ったので
こんなこと言ってるやつ聞いたことない。だれ?

275 :世界@名無史さん:2009/02/19(木) 23:54:23 0
>お偉いセンセイ方>>>>>>>>>>>>>>>>>271

妄想乙。
現実↓
一般人>>>>>超えられない社会的地位の壁>>>>>
>>>>>文系教授>>ハムスター>>>>文系学生

276 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:01:36 0
>>275
その現実だと俺がヒエラルキーの頂点になるぞ。
いきなり何の根拠もなく史学科認定してる時点で、
君の脳みその程度は馬鹿そのものと言う事が証明された。

信じたいものしか信じない輩の「実証的研究」とやらより
専門家の意見を一般人は信じる。
それが正しいかどうかは別としてな。

277 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:12:20 0
>>243
その方向で同じ出来事を書いてたら荒れなかったな

278 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:14:47 0
ベトナム戦争で勝利したファン・バン・ドン議長に
当時日本の外交官だった岡崎久彦が硫黄島で日本軍はアメリカ軍に2万8千の損害を与えたと言ったら、
ファン議長は2万8千・・・と驚いた顔で絶句したという。
普通ベトナム人はアメリカに勝ったからといって勝ち誇って
アメリカに負けた日本を反日中国韓国人のようには嘲ったりはしない。


279 :どろりんぱ ◆O1SdlnknBs :2009/02/20(金) 00:17:35 0
>271 名前:世界@名無史さん 投稿日:2009/02/19(木) 23:03:45 0
>お偉いセンセイ方はこれまで大真面目に↓なことをのたまっていたんだよね
>
> 「一騎打ちしか知らない日本軍は元軍にぼろ負けしましたが
>元軍は船に酔ったので勝手にお家に帰りました。」
>
>素直に笑えない。大学でこんな馬鹿げた論理がまかり通っていたなんて。

その「お偉いセンセイ方」っていったい誰と誰よ?
たいへん興味があるからおしえて♪

それらの「センセイ方」が
「一騎打ちしか知らない日本軍は元軍にぼろ負けしましたが 元軍は船に酔ったので勝手にお家に帰りました。」
と発言している著作(論文?単行本?)のタイトルもよろしく♪

280 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:33:57 0
最近よんだ本じゃ、モンゴル軍って
森の民であるドイツ人の野蛮な精悍さを恐れてたんだろ?

大平野での戦い以外じゃ、いろいろなことを恐れる(配慮する)
ぐらいの知性はモンゴル人にあったろ。

日本武士がモンゴル騎兵より強力だったとしても驚かないよ

281 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:37:00 0
ベトナム遠征って風土病とかどうなん?

282 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:41:16 0
ドイツの川は凍らない。ロシアの川は凍る。
案外河の凍結の有無がモンゴルの勝利の要因として大きいのかもしれない。


283 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:46:09 0
>>280
何の本?
著者とタイトルヨロ

284 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:47:47 0
>>282
つ長江

まぁ長江を初めて渡河した時、色々苦労したらしいけど
みんな長江に脅えて、護符を貼ったりしたとか(だっけ?)

285 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 00:48:25 0
>>276
信じたいものを信じてる史学科乙。

一般人に相手にされないわけだねwww

286 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 01:03:30 0
>>280
そもそもドイツ人とは戦ってないんだが。
ただしチュートン騎士団とは戦って壊滅させてる。
当時のドイツはバラバラに分裂していて皇帝の権威は地に落ち、
団結の気配もなければ動員力もまるっきりないから、モンゴルに
対抗できたとは思えないな。ドイツ系諸侯の中ではオーストリー
が一番ましかな?
むしろ対モンゴルで期待できるのはフランス。というかあの当時に
フランスしかいない。

287 :244:2009/02/20(金) 01:04:48 0
ヴェトナムへの運糧話が興味深いと思って一石を投じたつもりだったけど
反論すらこなくて悲しい

288 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 01:07:07 0
世界史板って世間から10年は遅れてるよな。
今どき弘安棄民説を堂々と披露するなんて・・・

289 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 01:07:43 0
>>287
ベトナムへの遠征自体、唐代後半以降の江南と南海貿易発展のお陰なんだろうな
元朝や明朝の遠征共に

290 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 01:11:33 0
>>286
フランスって王様がマムルークの捕虜にあっさりなったあのフランス?
モンゴルなめてんの?

291 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 01:32:10 0
議論とは貶し罵ることだとでも勘違いしているのか

292 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 01:36:02 0
貶し罵られるのは君がバカだから

293 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 01:37:56 0
傍から見てると全然わからんw

294 :244:2009/02/20(金) 01:39:04 0
>>289
うーん、ヴェトナムを征服することによるメリットといった話かな?
軍事侵攻自体はそれこそ漢の時代からやってるけど

295 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 01:51:09 0
>>294
決まってるじゃないか。
ベトナムに限らず、まだ支配してない地域を支配した時に、地図上に
新たに征服した領土を色ペンで、キュッキュと塗るまさしくあの瞬間だよ。

征服することによるメリット云々ではなく、征服して、領土を増やしていく
過程その物が楽しいんだよ。

296 :244:2009/02/20(金) 01:52:31 0
鎌倉最強説氏とは過去に何度か色んなテーマでやりとりがあったけど
今のこのスレだともっと煽りっぽいこと書かないと反応なしかな・・・

297 :244:2009/02/20(金) 01:54:29 0
>>295
しかしそれだと「ベトナムへの遠征自体、唐代後半以降の江南と南海貿易発展のお陰」ってのは・・・

298 :289:2009/02/20(金) 02:01:44 0
>>294
あー五代までベトナムがいわゆる中国王朝の領域だってことを素直に忘れていた・・・・・
なんか混乱させてしまったようですみません

もっとも江南が余り(後世と比較すると)発展した無かった唐代までは、ベトナム北部が中国王朝領で
江南〜東南沿岸の開発が発展した宋代以降、ベトナム国家が存続できたのは疑問と言うか、面白いなぁとは思います

299 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 02:03:00 0
ベトナム側の対応って毎回焦土なん?

300 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 04:08:04 0
>>294
ウリヤンカダイが最初にベトナムの陳朝を征服した時は、モンケの南宋遠征の一環で南宋の勢力が
南方へ逃亡ないし南回りで反撃するのを警戒して、その押さえとして征服した、って感じ。
バトゥの遠征軍がハンガリー王国征服時にチャガタイ家のバイダル(らしい人物)がハンガリーに
北隣するポーランド王国に侵攻したのと大体同じような展開だと思う。この時陳朝はモンゴル帝国に
臣従し、その後に起きたクビライとアリクブケの後継戦争ではクビライ側についたため陳朝は貢納義務を
課される代わりに従来の諸領を安堵されている。(ダルガチの常駐と課税がまた負担が大きかったようだ)

一方、1285年1月、クビライの時代に陳朝が反抗したのはクビライの庶流の皇子、鎮南王トガンが
チャンパーへ遠征した時、その南方への経路に陳朝を通過せねばならなかったことに始まる。
雲南から下って来たトガンは陳朝側に遠征軍に必要な物資を供給するよう命じ、軍が陳朝に入国すると、
そこでかなり無理に膨大な物資を徴発したためこれに陳朝の君主仁宗らが反発。トガンはこの態度を反逆と
看做して攻撃したため戦争になった、ということらしい。

トガンが南方へ派遣される数年前、弘安の役の翌年である1282年に大都でクビライの世継ぎであった
皇子チンキムが宮廷内クーデターを起こして実質国政を掌握しているんだが、トガンの南方遠征もそこら辺の
「チンキム政権」のゴタゴタが色々絡んでいるような気がする。(クビライの隠居状態にさせられたらしい)

1288年に陳朝と元朝軍の双方散々な消耗戦の末、仁宗が再度元朝側に臣従を貢ぎ物を献じて懇願しているが、
クビライ側はこの先方の降伏条件をほぼ飲んでいるようで、仁宗は1293年までそのまま在位している。
当時クビライは1287年に東方三王家を率いるテムゲ・オッチギン家の当主ナヤンの叛乱を鎮圧するため遼寧へ
老骨を押して親征するという大事件の直中で、現在の中国東北部から高麗はその戦後処理とカチウン家の
カダアンの抵抗がまだ終わっていない時期だった。

元朝の南方政策はクビライの構想の他に多分大都中央の政争なんかも色々影響しているとは思うんだが、
今一つ自分としては全体像が掴めない。ところで仮コテとか付けた方が良いんだろうか?

301 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 09:20:23 0
フビライの代がモンゴル帝国最大版図だが同時に帝国の分裂が決定的にもなったな
五つのハン国でもやっぱり本家の元朝は群を抜いて国力があり好戦的だな、そのあたり東アジア方面は運が悪いな
西のハン国はみな急速に力が衰えて侵攻も緩やかになったからな

302 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 14:44:29 0
>>244
まず、ベトナムへ侵攻した明軍が、20年間本国からの軍糧輸送で維持されていたわけではないということ。
明軍がベトナム入りしたのは1406年10月だけど、翌1407年6月には胡氏を滅亡させて統治体制に移行し、
1408年6月には駐屯する兵力を大幅に削減させている。
胡氏滅亡以後、統治体制に入った明軍を支えていたのは、基本的に現地で得られる軍糧でしょ。
それまでは広東から海路輸送される軍糧に多くを依っていたわけで、元軍の場合とそれほど違わない。

あと、1418年と1421年に施行された開中法は、基本的に現地調達で不足しがちな分を補うためのものだし、
あんまり問題解決につながったようにも見えないから、ベトナムへの軍糧輸送という問題では過大評価する
べきではないだろ。

>>287
>>296
こんな感じでOK?

303 :世界@名無史さん:2009/02/20(金) 21:03:53 0
反日韓国人が高麗のサボタージュによって元の日本征伐は失敗したニダと得意顔でいうのと対照的に
ベトナム人自身は日本がモンゴルを撃退したことに賞賛を惜しまない。
元のベトナム遠征が失敗したことで元の日本への攻撃が緩まったなどというのが、
当のベトナム人ではなく、寧ろこの手の左巻きの史家というのがこの論の特徴。


304 :222=251=300:2009/02/20(金) 21:32:51 0
>>301
好戦的というか・・・ 
1266年に統一クリルタイを開催するはずが、肝心のフレグ、アルグ、ベルケの西方王家の3当主が立続けに
逝去した影響で流会。『集史』でそこら辺明確に主張されてるけど、南宋作戦はモンケの遺業を受け継ぐ、
という名目で是が非でも完遂させる目標だったし、統一クリルタイ流会の挫折をなんとか糊塗するために
同年ともかくもう力ずくで言うことを聞かることにした中央アジアのカイドゥへの遠征では、特命を受けた
チャガタイ家のバラクが、クビライに協力することになってたチャガタイ家当主のムバーラク・シャーや
母妃のオルクナ・ハトンから勝手に当主位を簒奪してカイドゥどころかジョチ家の新当主モンケ・テムルや
フレグ家のアバカを巻き込んでカイドゥ以上に中央アジアを混乱させる始末。

さらに1276年にはバラクに代わって嫡子ノムガンらを総大将にした遠征軍は、今度は遠征軍に従軍していた
モンケの遺児シリギが首班となってアリクブケの子ヨブクルとメリク・テムル、庶弟トクテムルが軍中で叛乱を
起こしノムガンは拘束されて遠征軍は崩壊。シリギらはカイドゥと共同しようとしたけど、先方から拒絶され、
行き場を失い迷走したあげく新たに南宋作戦から転戦を命じられたバヤン丞相に鎮圧される。



305 :222=251=300:2009/02/20(金) 21:33:31 0
>>304の続き。

しまいに後継者チンキムには宮廷内クーデターを起こされるし、晩年には頼みの綱でもあった東方三王家の
ナヤンにも叛乱を起こされるしで、クビライは南宋作戦の完了で経済的領土的にはモンゴル帝国の諸王家では
随一の勢力を築き上げたが、モンゴル帝国全体からすると、本来クリルタイによる「帝国の全体の王侯君臣の
総意によって選抜されるモンゴル皇帝」という建て前のはずが、モンケ没後にクーデターによって、
「力ずくで獲得し勝手に名乗っているモンゴル皇帝位」というアキレス腱を抱え、その危うい支配正統性を
巡って常に綱渡りな政策をクビライは晩年まで強いられている。
(グユクでさえ建前上ジョチ家も含むクリルタイの総意で選抜されたことになっている)

幸い、ジョチ家とフレグ家とは「トルイ家とジョチ家の親密なるよしみ」が保たれていたのでカイドゥと
足下で「何時反抗するか分からない反クビライ勢力」と対峙するだけで済んだが(それでも危機的)、
クビライの即位から晩年までの争乱や政策を見回すと、自分には「クーデター政権としての脆弱さを糊塗する
『モンゴル皇帝』」としてのある種の『必死さ』が見隠れしてならない。
(ここら辺はまあ某杉山先生あたりの受け売りだけど)

306 :世界@名無史さん:2009/02/21(土) 03:45:53 0
もうちょっと文章を推敲してから書けよ。何書いてるかさっぱりわからんぞ。

307 :世界@名無史さん:2009/02/21(土) 22:08:42 0
ν速脳に長文は辛かろう

308 :世界@名無史さん:2009/02/22(日) 06:58:53 0
別に読みにくいとは思わないし、面白いから続けてほしい。
ただ多少の予備知識は必要かもしれないが、杉様の本何冊か読んでれば十分理解できる。

309 :世界@名無史さん:2009/02/22(日) 11:57:56 0
>>1
スレの趣旨とはズレるが支配はされなかったが攻撃された地域も含めればやっぱりモンゴルの行動範囲は尋常じゃない
逆に攻撃すらされなかった地域ってどこ?

310 :世界@名無史さん:2009/02/22(日) 12:51:53 0
アメリカ

311 :世界@名無史さん:2009/02/22(日) 13:15:57 P
>>309
オーストラリア大陸
南極大陸
マダガスカル島
シチリア
マグリブ


ただイル・カン国の使節がシチリア経由で欧州とか行っているけど


312 :世界@名無史さん:2009/02/22(日) 19:24:31 0
エチオピア王国 
アステカ帝国
インカ帝国

313 :世界@名無史さん:2009/02/22(日) 19:36:15 P
当時アステカ帝国とインカ帝国は存在していた?
両方の王朝とも、成立は15世紀とかじゃなかったか?

314 :世界@名無史さん:2009/02/23(月) 03:51:23 0
黒人とインディアンとアングロサクソンは戦いもしなかった卑怯者

315 :世界@名無史さん:2009/02/23(月) 03:58:40 0
日本だけだね。モンゴルをフルボッコにしたのは。

316 :世界@名無史さん:2009/02/23(月) 05:04:40 0
>>308
フォロー甚だォくす。
某杉山せんせの講談社現代新書の二冊本とドーソンの『モンゴル帝国史』(東洋文庫の)の
クビライと元朝を扱った三巻目を読んだことがあれば、だいたい内容は分かるぞ程度で
書いたつもり。

>>309
アラビア半島西南のイエメンのラスール朝(1229-1454)なんかもモンゴルの侵攻とは基本、
無縁だった政権。ただ、このラスール朝、第6代君主のアル=アフダル・アル=アッバース
al-Afdal al-Abbas の時代(在位1363-1377)に君命によってアラビア文字で書かれた
アラビア語-ペルシャ語-テュルク語-ギリシア語-アルメニア語-モンゴル語の6言語対照辞書が
編纂されていて、モンゴル時代史的にも歴史言語学的にも非常〜〜〜に重要な資料を残している。
(明代初期から編纂された『華夷訳語』にも匹敵というか甲乙つけ難い重要な資料)

数十年前に発見された時は、ともかく各方面の研究者たちの度胆を抜いた代物だった。

317 :世界@名無史さん:2009/02/24(火) 21:58:23 0
モンゴルがもし帝国を統一し再建したらまたあの鬼のような侵略を繰り広げるのかな、

318 :世界@名無史さん:2009/03/08(日) 19:30:28 0
モンゴルの支配から免れた地域て本当幸せだよな

319 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 21:33:49 0
日本史は最近の若手研究者はだいぶマシになった。
皇国史観もない代わりに、
エセ結論ありきのカルトサヨク思考も消えつつある。

320 :世界@名無史さん:2009/03/21(土) 04:28:55 0
>>318
ドイツ以西のヨーロッパ、そして日本。当時まだ外部からの侵入が無かったアメリカも含めて
近代以降の世界の主要国は奇しくもロシアを除けば全部モンゴルの支配を免れてるんだよね。

>>319
日本史板の元寇スレには最近変なのが居ついちゃったけどね。

321 :世界@名無史さん:2009/03/21(土) 11:53:09 0
スラム街に住むムガール帝国皇帝の末裔たち、
タージマハールの「新・世界の七不思議」入りに歓喜する
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-53.html

322 :世界@名無史さん:2009/03/21(土) 13:02:54 0
>>314
攻めてもこないのにわざわざ戦ってやる義理などないわけだが

323 :世界@名無史さん:2009/03/22(日) 00:42:22 0
ロシアの領土ってシベリア除けばほとんど旧モンゴル帝国領土だよな

324 :世界@名無史さん:2009/03/22(日) 22:43:02 0
あいつら2次大戦で工場とかネジまで解体して根こそぎ持っていったり
風習はまんまモンゴル人

325 :世界@名無史さん:2009/03/23(月) 12:36:59 O
>>267
日本史板のスレでおまいさんの説完全に論破されてたぞ。
当時の元側や高麗側の記録見ても文永の役は武士の完敗だったようだ。
弘安に関しては逆に武士の完勝だったようだがな。

326 :世界@名無史さん:2009/03/24(火) 14:35:40 0
無理して盛り上げようとしなくてもいいよ

327 :世界@名無史さん:2009/03/24(火) 16:51:05 O
>>325
馬乗槍が存在しない時代で弓射しか出来ない鎌倉の騎馬武者がどうやって勝つんだよw

328 :世界@名無史さん:2009/03/24(火) 18:39:54 0
馬がいないモンゴル軍なんか鎌倉武士団以下ってことだ
大陸限定の軍団

329 :世界@名無史さん:2009/03/25(水) 01:19:36 O
>>327
いい加減バカの一つ覚えみたいにそれ言うの止めたら?

330 :世界@名無史さん:2009/03/25(水) 02:05:06 0
>>267>>325>>327ってもしかして同一人物の書き込み?

331 :世界@名無史さん:2009/03/25(水) 14:32:31 O
>>328
ある意味ではそういうことだな。>大陸限定
まあモンゴルは城攻めのやり方など征服した土地の戦術や兵器を
取り入れてるわけだから、単純に馬がいなかったら云々はナンセンス極まりないが
それでも日本、ベトナム、インドの征服に失敗したのは
草原で暮らす遊牧民の限界と言うべきかもしれんな。
日本もベトナムもインドも当時の軍人層が、よく奮戦した結果モンゴルを撃退したが
それ以上にモンゴルがあれ以上版図を拡大するのには無理があったんだ。

332 :世界@名無史さん:2009/03/26(木) 00:38:52 0
インドのデリー・スルタン朝あたりは充分騎馬民族の行動範囲だと思うが

333 :世界@名無史さん:2009/03/26(木) 19:46:53 O
日本は海と台風、ベトナムは密林と暑さが武士やベトナム人達に有利に作用し
マムルークはフラグ死後にバイバルスが
まだ引き上げてなかったモンゴルの駐屯軍を袋叩きにしたわけだが
インドだけはマジでわからんな。やっぱ象さんかな?

334 :世界@名無史さん:2009/03/26(木) 19:59:48 O
そこでアフガン航空相撲ですよ

335 :世界@名無史さん:2009/03/27(金) 00:14:38 0
>>333
アイン・ジャールートの戦いは1260年にモンゴル皇帝モンケの訃報によってフレグが
アゼルバイジャン高原に北還したしばらく後に起きた戦闘で、マムルーク朝のスルタン・
クトゥズとその旗下の諸軍がシリアに「侵攻」してガリラヤ湖南西のアイン・ジャールートで
会戦した。ただ、マムルーク朝側とイルハン朝側では開戦に至る経緯についての記録で
内容にかなり違いがある。
(1260年以前、シリア・パレスチナの大部分はまだアイユーブ朝の王族たちが領有していて
 アイユーブ朝の王族たちは基本的にマムルーク政権のエジプト支配を認めておらず、
 この戦い以前にはシリア・パレスチナのほとんどはまだエジプトの支配下には無かった)

アイン・ジャールートの戦いではバイバルスが前衛指揮官として奮戦しているが、戦闘後に
スルタン・クトゥズと不和になって軍中でクーデターを起こし、反クトゥズの将軍たちと
ともにクトゥズを謀殺している。その直ぐ後にバイバルスはこれらの将軍たちの推戴を受けて
自らスルタンに即位し、カイロに凱旋している。(この時までに、手薄になっていたシリア
北部までマムルーク朝軍は接収している)

フレグはこの後ジョチ家のベルケとアゼルバイジャン北部で熾烈な戦闘を続けることになり、
もう五年程存命している。バイバルスは幾度かシリア北部のキリキア・アルメニア王国など
イルハン朝の南西境域を侵攻しているが、フレグの没後、(バイバルスの晩年になるが)
アバカの時代に再び大規模な侵攻を行っている。

336 :世界@名無史さん:2009/03/27(金) 00:19:33 O
そうだったんか。勘違いしてたわ

337 :世界@名無史さん:2009/03/27(金) 00:24:22 O
大丈夫。俺なんてつい最近まで
フラグとガチでやり合って打ち破ったと勘違いしてたから

338 :世界@名無史さん:2009/03/27(金) 23:27:14 0
ベトナムは歴代中国王朝も支配しにくかったし
元でも難しいだろうね

339 :世界@名無史さん:2009/03/28(土) 00:00:35 0
元寇で財政破綻して南北朝・室町と大混乱した時期を経験する日本
江戸時代でやっと安定したんだよな

340 :世界@名無史さん:2009/03/28(土) 02:08:31 0
チベット地域は支配されたのか?
なんか勢力図によってはモンゴル帝国の領域に入ってなかったり入ってたり・・・
半独立状態だったのかな

341 :世界@名無史さん:2009/03/28(土) 02:49:22 O
>>340
チベットまで行くのが面倒だったんだろう。

342 :世界@名無史さん:2009/03/28(土) 04:51:17 O
>>339
日本の武士たちはボッコボコにされただけで全然戦果を上げてない。
モンゴルが撤退したのはたまたま吹いた暴風雨のおかげ





と吹聴したのは実は他でもない、鎌倉幕府自身だったりするw
そういうことにしとけば武士達にあんまし恩賞渡さずに済むので、幕府は全国の寺社とグルになった。
勿論、武士達もそんなの信じるほどバカではなく
身内人達の専横も相まって遂に不満を爆発させるわけだ。
因みに蒙古襲来後、鎌倉幕府は力が弱まるどころかむしろ上手いこと
口実つけて支配力を強めてる。しかも霜月騒動で有力御家人の勢力も削いだ。

ついでに元が余裕綽々だったのと同様
日本側も地元九州の武士達が相手しただけで
まだまだ動員する予定だったがその前に戦闘終わっちゃった。
必死こいて戦ったのに恩賞少なかった九州武士もそうだが
殆どの武士にとっちゃ私財売り払ってまで駆けつけてみたら
戦はもう終わってましたじゃやってらんなかっただろうなあ。

343 :世界@名無史さん:2009/03/28(土) 04:54:45 O
>>340
寺社勢力として上手くモンゴルに取り入る事に成功したの。
チベットは唯一交戦することも、属国化することもなく安泰だった。

344 :世界@名無史さん:2009/03/28(土) 09:43:44 0
しかしチベットと元や清の間で見られた「施主と帰依処」の関係って
実質上は属国化じゃないか? 宗派間のもめごとに軍事介入されてたり・・・

あとどこかで交戦もあったような気がするが

345 :世界@名無史さん:2009/03/29(日) 13:54:45 0
欧州でのローマ法王みたいなもんだろ

346 :世界@名無史さん:2009/03/30(月) 05:20:13 0
チベットて山岳地帯という地の利もあって結構攻めるのに苦労しそうだな
それにチベット族て今と違って嘗ては好戦的な遊牧民族というイメージがある、歴代中国王朝もなかなか手を出せなかったしね
吐蕃のような大帝国築き上げた実績もあるしな

347 :世界@名無史さん:2009/03/30(月) 05:58:11 0
>>340
吐蕃を建国した王家ヤルルレン家が、モンゴルに滅ぼされてしまったそうだ。
イスラムのアッバース朝滅亡と同様の事が、チベット世界でもあったとされる。
ヤルルレン家に代わるチベット民族統合の権威として、ダライ・ラマが台頭
したとされる。ローマ帝国崩壊後、ローマ教皇が台頭していったような事で
あるとされる。

348 :世界@名無史さん:2009/03/30(月) 07:18:42 0
>>346
山岳地帯以前に標高が高すぎて、まともに乗り込めば高山病になる。
現在でもラサで高山病で死ぬ旅行者は後をたたない。
地元民は平気なんだが

349 :世界@名無史さん:2009/03/31(火) 12:17:47 0
チベット仏教のせいでモンゴルは弱体化した

350 :世界@名無史さん:2009/03/31(火) 19:33:49 0
>>349
そこで宗教を受け入れて
中世的になったと思う
モンゴル帝国自体が古代帝国みたいでね

351 :世界@名無史さん:2009/03/31(火) 20:11:28 0
>>343-344
チンギスの死後朝貢を途絶えさせてオゴタイの息子コデンに攻められた
あとはフビライの時代に、モンゴルに対して反抗的だった南チベットも攻撃された

352 :世界@名無史さん:2009/03/31(火) 20:39:14 0
なぜかチベットの西の方から一度モンゴル系の軍隊が侵入してきたという記録があるとか

353 :世界@名無史さん:2009/03/31(火) 22:00:35 0
カギュ派を支持していたイル=ハン国かな?
1285年に、カギュ派の一つディクン派が主流のサキャ派に対して反乱を起こしている

354 :世界@名無史さん:2009/03/31(火) 22:40:14 0
>>349
いや、順番が逆。
クビライがチンギス・カン家というかクビライ家によるモンゴル皇帝位の支配正統性の強化のため、
宗教サイドからの支援として利用したはずのチベット仏教に、皇太后ダギの時代なんかが特にそうらしいけど、
成宗テムル没後の皇位継承をめぐる内紛でボロボロになった大元朝の内実を取り繕うため、ダギはじめ大都の
モンゴル宮廷が耽溺した、というのが実態らしい。(例の杉山センセの説明だと)

>>353
1280年代でイルハン朝支配下のの軍がチベットに侵攻したという話は少なくとも『集史』では出て来ないので
チベットの西部からとなると、アフガニスタン〜カシュミール方面の駐留軍(カラウナス万戸隊のあたり)か
中央アジアのチャガタイ家、ないしオゴデイ家の誰かじゃないだろうか。

355 :352:2009/04/01(水) 21:12:42 0
たしか昔この板で聞いたチベット史料に出てくる「上手のモンゴル」なる連中についての話だった。
うろ覚えなんで具体的に何をしてたのかは知りません。すいません。

356 :世界@名無史さん:2009/05/03(日) 16:23:07 0
モンゴル人はデカくて相撲が強い人が多い。

K−1で有名なチェホンマンの存在は朝鮮半島がモンゴルと歴史的にも民族的に密接なことを示す生きた証人。

◆鮑喜順〜世界一の「ノッポさん」は中国籍のモンゴル族
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0820&f=keyword_0820_001.shtml

20日付新華社電によると、ギネス世界記録(ギネスブック)は身長236センチメートルの鮑喜順さんを、
あらためて身長世界一に認定。

◆鮑喜順さんは1951年11月30日(旧暦同年11月2日)、内モンゴル自治区のオラーン・ハダー(赤峰)市内のオンニュート・ホショー(瓮牛特旗)で生まれた。
家系はチンギス・ハンの血を引くボルチギン氏族という。中国ではモンゴル族が中国語名を名乗ることがあるが、
ボルチギン氏の場合、包(バオ)、鮑(バオ)など、原語の冒頭部分の発音に近い漢字を使うことが一般的。

朝鮮族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中国朝鮮族の総数は、約200万人である。これは在米韓国人の数に匹敵し、朝鮮半島以外では最大級の朝鮮民族コミュニティーといえる。
中国国内の分布は東北地区(旧満州)に集中し、なかでも吉林省に約120万人が居住し、吉林省南部の延辺朝鮮族自治州(首府延吉市)に約80万人が集中している。
延吉市には、中国語と朝鮮語で教育する延辺大学も設置されている。

◆このほか、黒竜江省に約45万人、遼寧省に約25万人、内モンゴル自治区に約2万人が分布し、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%97%8F

357 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 08:07:02 O
>>356
チェ・ホンマンは巨人症だろ

358 :どろりんぱ ◆ykdEoSHk5o :2009/06/07(日) 03:50:33 0
>チベット支配
 白蘭王というのは、雲南の梁王とか、甘粛の安西王、モンゴル本土の北平王みないなもの?
 サキャパとの関係はどんなだったのだろう?
 永楽帝の「招撫」をうけてチベット諸侯が一斉に元から明にのりかえたとき、白蘭王はどうなったんだろう?
 チベット高原のど真ん中にいる「ホル王家」と関係あるだろか?
 


359 :世界@名無史さん:2009/06/08(月) 09:08:47 0
白蘭王って検索しても出てこなかったけど、どういう文脈で出てくるんですか?

360 :世界@名無史さん:2009/07/26(日) 21:51:43 0
骨嵬は既出?
何十年にもわたって粘ったようだが。

361 :世界@名無史さん:2009/07/27(月) 07:28:40 O
モンゴル帝国の確立は、ほとんどが偶然によるもの。
だが、この人口希少な棄民の帝国がロシアなどに奪われた、そのやられ方には着目すべき。
モンゴル帝国ほどに短期間に巨大な領土を略奪された例は、空前絶後。


362 :世界@名無史さん:2009/07/27(月) 07:30:27 O
なぜ、遊牧民は歴史において完全な敗者となったのか。
なぜ、世界中の遊牧民族は着実に、そして悲劇的に負け続け、ついに滅亡するにいたったのか。

世界史のプロセスにおいて、遊牧民は何の普遍的な価値も技術も残していない。
だから遊牧民に敬意を払う主要民族など皆無。

モンゴルを代表格とする遊牧民の、このとてつもない悲劇、それは黒人奴隷の悲劇やインディアンの悲劇と完全にマッチする。

どうも、この例を人間にたとえると、遊牧民というのは中学あたりまで乱暴だった近所のバカガキ。
そして山岳部や海洋部で鍛え上げた主要民族(ヨーロピアンや日本人)は、中学卒業あたりで知力や体力で完全に上回った少年だ。
そのごの格差はものすごく拡大するばかりで、壮年期にいたった現在では大企業の主要民族に低賃金でこき使われる派遣バイトが遊牧民、という構図。
これは遺伝的な宿命じゃないかな、という気がする

363 :世界@名無史さん:2009/07/27(月) 07:31:57 O
何故、平原遊牧民が歴史を作らずに絶滅したか……?
議会も兵器も衛生も、正義や法や権利も、何一つ残さぬまま、虫のように死んでいったのは何故か?

何故、歴史を創ったヨーロピアンや日本人は遊牧民から完全に袂を分かったのか……極めて重大なテーマだ。
そのカギが民族の居住条件にあったと考えても、おかしくはない。


364 :世界@名無史さん:2009/07/27(月) 07:32:46 O
もし我々が未だに遊牧民だったら、以下のものは無かったはず。

・福利厚生/農業化学 ・知力/身体能力の開発
・需要の自由と産業投資の自由
・金属/繊維化学
・物理学/耐久機械産業
・強力な火器/兵器開発・製造分業システム
・エレクトロニクス/コンピュータ
・領土/領海
・議院内閣制/権力分立
・所有権と社会権
・公正取引/バランスシート
・主権/民族/愛国心

これらを創出した人々が我々の文明の祖先であり、我々の歴史。

これらに無縁だったモンゴル遊牧民やインディアンやアボリジニは、
先天的な敗者として足掻きながら絶滅に向かった。
もちろん彼らも人間であり、けして迫害は許されない!



365 :世界@名無史さん:2009/08/20(木) 22:29:25 P
>>185
シナ人は打ちものが不得意で、胴体を半周包むような大きな鍛造品を作れなかった。
だから、仕方なく、小片を革紐でつなぎ合わせる形での甲冑しか作ることができなかった。
まぁ、それはそれで、一人一人あわせて作る必要が無く便利で、その形式の伝わった日本も
古墳時代から明治維新まで二千年くらいその形式の甲冑だったが。
もし、仮に、製造技術が伝わらず、体躯の半周を覆う形の甲冑が伝わったとしたら、
銅鐸でやったように他ではできないような薄い鋳物を作ったり、刀剣のようにシナ圏とは
全く別の技術の起源で鍛造を始めたかもしれない。

366 :世界@名無史さん:2009/08/29(土) 06:58:13 0
このスレでも質問します。↓の書き込みがあったけど、
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間、朝鮮人男性は結婚を禁じられていて、
朝鮮人の「祖先」は蒙古軍兵士の強姦魔って本当?


196 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/08/28(金) 15:40:05 ID:Oote8rzq
1、何故、しきりに現代韓国人は日本人に向かって「日本軍は強姦魔」とかっていいがかりするか?
2、何故、現代の韓国でも強姦犯罪が多く、又、半島生まれキリスト教団が性犯罪問題を頻繁に起こすか?

それは、元寇で朝鮮半島の婦女子を性奴隷化した蒙古軍兵士たち(現在の朝鮮半島人の「祖先」) が「景教」(キリスト教の亜流)だったから。
つまり、強姦魔の景教信徒だった自分たちの祖先を、韓国社会は現在の祖先崇拝文化で批判できないから。
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間近く、朝鮮人男性は結婚を禁じられていた。

朝鮮半島人は、李王朝初期での自分たちの「祖先」(蒙古軍兵士)が強姦魔集団だったから、
その「祖先の悪行」の歴史上での相対的な希釈効果を狙って、日本軍を必死に貶めたがってるだけ。
そのへん、台湾人とはまったく異なる歴史観をつくりたがってる。

つまり、「現代南北朝鮮人の祖先(蒙古軍)」の超大規模な軍関与による組織的強姦、
性奴隷化を隠蔽するために、現代朝鮮半島人は、日本軍にこじつけ、アテコスリしてるのだ。




367 :世界@名無史さん:2009/08/29(土) 11:17:38 0
そんな反乱の火種になるような法律作るぐらいなら男だけ根絶やしにしたほうが早いよw

368 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:34:44 0
このスレでの質問します。↓の書き込みがあったけど、
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間、朝鮮人男性は結婚を禁じられていて、
朝鮮人の「祖先」は蒙古軍兵士の強姦魔って本当?


196 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/08/28(金) 15:40:05 ID:Oote8rzq
1、何故、しきりに現代韓国人は日本人に向かって「日本軍は強姦魔」とかっていいがかりするか?
2、何故、現代の韓国でも強姦犯罪が多く、又、半島生まれキリスト教団が性犯罪問題を頻繁に起こすか?

それは、元寇で朝鮮半島の婦女子を性奴隷化した蒙古軍兵士たち(現在の朝鮮半島人の「祖先」) が「景教」(キリスト教の亜流)だったから。
つまり、強姦魔の景教信徒だった自分たちの祖先を、韓国社会は現在の祖先崇拝文化で批判できないから。
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間近く、朝鮮人男性は結婚を禁じられていた。

朝鮮半島人は、李王朝初期での自分たちの「祖先」(蒙古軍兵士)が強姦魔集団だったから、
その「祖先の悪行」の歴史上での相対的な希釈効果を狙って、日本軍を必死に貶めたがってるだけ。
そのへん、台湾人とはまったく異なる歴史観をつくりたがってる。

つまり、「現代南北朝鮮人の祖先(蒙古軍)」の超大規模な軍関与による組織的強姦、
性奴隷化を隠蔽するために、現代朝鮮半島人は、日本軍にこじつけ、アテコスリしてるのだ。



369 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:51:20 O
モンゴルに征服されてたら天皇の服は中国風になり、西日本に中央集権国家を築いてたんだろうな

370 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:13:20 0
天皇が明治以前の即位式で身につけていた冠と礼服は中国風だし、
国風化した平安貴族の装束にしても、唐代の貴族の服装が日本化したものだが。

371 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:00:41 O
十二単は錦を作る技術がないからだっけ?

まぁ工業製品は先進国の真似をするのは仕方ないべ。
奴らは今日本を真似とるな。
ただ昔の日本人がもっていた敬意がないのは噴飯ものじゃ



372 :世界@名無史さん:2009/09/11(金) 18:30:32 0
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介し、波紋が広がっている。
27日、サイバー外交使節団「バンク」(www.prkorea.com)によると「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。
中国に1895年まで属していたが、1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした」とわい曲した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

373 :世界@名無史さん:2009/09/13(日) 21:14:31 0
最後にヨーロッパであるが、これに関してはワールシュタット(リーグニッツ)
の戦い(1241年)で大勝しておきながら、本国でオゴタイが逝去したため本隊
を引き戻さざるをえず、ヨーロッパは一命を取り留めた、という説が有名であ
る。リーグニッツが地名で、ワールシュタットとは「死体の山」という意味だ。
これは大方間違っていないが、これでは説明できないことが二点ある。すなわ
ち、マムルーク戦でのアイン・ジャールートの戦いと同様に、総大将抜きでも
戦争自体は続行できたのではないかということ。もう一つは、ワールシュタ
ット後、再侵攻は行われなかったのかということ。
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51698715.html

374 :世界@名無史さん:2009/09/19(土) 10:56:36 0
>>373
モンゴルたって、女真族の金王朝は南宋との連合軍で無いと倒せなかった(1234年)。
モンゴル欧州遠征(1239〜42年)は、金を倒した同志の南宋と平和条約やってた時。
南宋と対峙するようになってからは、欧州遠征まで廻せない。
最初の元寇の時は、まだ南宋は有ったんだから。

このあたりの年表
1231年:モンゴルは光来に使者を送り、その後遠征
1232年:三峰山の戦いで金の主力をほぼ消滅させる
1233年:高麗が江華島への遷都を完了
1234年:モンゴルと南宋との連合軍により金が滅亡
1236年:南宋遠征中に皇太子クチュが消えて、南宋遠征中断
1239年:バトゥが欧州遠征開始
1242年:オゴデイ消えて欧州遠征中止
1246年:南宋遠征復活、日本で天皇家が大覚寺統と持明院統に分裂

1271年:モンゴル帝国分裂(大元)
1274年:文永の役
1279年:南宋滅亡
1281年:弘安の役
1287年 パガン王朝消える
1307年:元で皇位争い開始
1333年:日本で鎌倉幕府消える
1336年:日本で南北朝開始
1338年:日本で室町幕府開始
1351年:紅巾の乱

375 :世界@名無史さん:2009/09/19(土) 15:32:02 0
>>374
ジュチ・ウルスはオゴダイ没後すぐに独立してんだから南宋は関係ないんじゃね?
それよりも独立したこと自体のほうが重要なような

しかし>>373は突っ込みどころ満載だな
ヨーロッパ側の戦力を1万で確定させてたり(本によって1〜4万まで幅がある)、モヒの戦いをガン無視してたり
戦死者1万を全部支配者層としてたり、戦後のポーランドに混乱なしとか
一番はワールシュタット後の再侵攻を無しとしていることか

376 :世界@名無史さん:2009/09/20(日) 06:20:36 0
>>373
ハンガリー王国は被害甚大で、モヒの戦いのあとベーラ四世は体勢を立て直す間も無く各地で
敗退・逃走を重ね、バトゥが撤退をはじめる直前には首都だったエステルゴムはほぼ陥落状態で
トランシルバニア方面もおおよそ壊滅。(ブダは陥落済み)比較的強固な城塞のある所は最後まで
持ちこたえる事ができたみたいだけど、ハンガリー王国はモンゴルの侵攻から二年弱くらいで
九割がた消滅寸前になっていたんだが・・・

> もう一つ、インドにはイランからインダス川を越えての侵入もできる。これをやった
> 代表的な国家というとアケメネス朝ペルシアやアレクサンダー大王の帝国であるが、
> いずれも成果は今ひとつ上がっていない。イル=ハン国もこの方法がとれたはずだが、
> そんな余裕はどこにもなかったのか興味が無かったのか、大規模な軍事行動は起こしていない。
北はジョチ・ウルスと、東はオゴデイ家とチャガタイ家、南西は常時マムルーク朝と睨み合って
四方が敵状態がずっと続いていたんだからインド遠征なんて余裕は全くの皆無。
(フレグの遠征の時には北インドの駐留軍から戦力を引き抜いているし)
余裕が辛うじて出来た時でもマムルーク朝からシリアを取り戻す事すら戦力不足で失敗しているんだから、
その事をちょっとでも知っていたら「イル=ハン国もこの方法がとれたはず」とかこんな頓珍漢なことは
言えないはずなんだがw

> 彼らはトルコ系であってモンゴル系ではないし、
確かに日常会話はテュルク化しちゃっていたけど、自分達の出自がチンギス・カン家に次ぐ程の
「モンゴル諸部族の名族」だってのがティムール朝もムガル朝も彼ら自身のアイデンティティーの
根幹だったんだから、「モンゴル系ではない」とかあり得ん発言だ(w

ティムールのインド遠征は、明朝遠征の財源確保とかが目的で息子のひとりに遠征軍を出したら、
反撃にあって壊滅させられそうになったので、急遽自ら出陣してこれを救援したってのが真相。
バーブルの場合はジョチ家のシャイバーニー朝の侵攻でマーワラーアンナフルを追い出されて、
「仕方なく」アフガニスタンと北インドで地盤を築く事にしたってことなので、両者では事情が
全く異なる。全部の段落で突っ込みを入れねばならん文章とか勘弁して欲しいが〜〜w



377 :世界@名無史さん:2009/09/26(土) 10:28:22 0
オゴダイ崩御で作戦終了した、モンゴルの欧州遠征。
大政所&太閤薨去で作戦終了した、日本の朝鮮征伐。

パターンは同じ。


378 :世界@名無史さん:2009/11/02(月) 07:10:55 P
>>371
卑弥呼やなんか出てくる魏志東夷伝には、倭かせ錦やら生口やら携えて進貢をしてきた
とかいう記述があるんだが。

379 :世界@名無史さん:2009/11/12(木) 06:18:43 0
モンゴルは親日らしい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/MONGOLIA/kankei.html
>2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、
>「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。


モンゴルは中国を嫌っているらしい。

モンゴルの極右勢力が過激な「反中」運動を展開―中国紙
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0721&f=politics_0721_005.shtml


>歴史的に何度も中国からの侵攻を受けたモンゴル国は、中国に対する激しい敵対心を抱いており、
>中国人がモンゴルで襲われるほどである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E4%B8%AD


>歴史的に中国との関係は悪く、今でも一部の民衆には反中感情がある。
>例えば日本人観光客が中国人に間違えられるとトラブルに巻き込まれ、
>中国関連の施設に「看板等に使用している漢字を3日以内にモンゴル語に変えなければ、強制的に撤去するかペンキで塗り潰す」
>という過激な内容警告文を出され、さらに独立記念日に活動家に襲撃される事もあるくらいである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD


380 :世界@名無史さん:2009/11/12(木) 06:22:05 0
モンゴル国の国際関係
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82

南に隣接する中国とは、伝統的に関係が悪い。「娘が中国人と結婚したら一家の恥」との通念が今でも通用しているし、国政選挙でも中国との関係改善の是非が争点になる。
モンゴルが漢字文化を一切受容しなかったのも、モンゴル人が中国人を嫌ったためである。
モンゴル人にとって「中国人のようだ」というのは最大の悪口となり、選挙でも「あの候補は家系に中国の血が入っている」というのは最大のスキャンダルとなる。
日本人を含めた東洋系外国人が、街頭で「中国人か?」と聞かれることはまずない。中国人は蔑称であり、喧嘩を売っていることになるからである。
通常であれば、「中国生まれのモンゴル人(または韓国人)か?」と聞かれる場合が多い。ただし、日本とはまだ縁遠いため、日本人かと聞かれることは少ない。
モンゴル人と中国人との衝突事件、あるいは中華料理店に対する襲撃事件は、ニュースにもならないほど日常的に起きている。
学校教育で、中国人に敵意を煽る教育は行なわれていないが、家庭教育で敵意を植え付けている場合が多い。
モンゴル人の子どもが語る「学校の怪談」でも、中国人による殺人事件が頻繁に登場する。
現在、中国人が嫌いなモンゴル人は9割、好きなモンゴル人は1割と言われる。
衣料品や、家庭電化製品は、中国製がほとんどであるが、モンゴル人は、「中国の商品は構わないが、中国人の思想が気に食わない」と語る。




381 :世界@名無史さん:2010/01/12(火) 22:23:48 0
外興安嶺以北には一度も攻めなかったのだろうか。
明代には毛皮貢納民が往来していたようだけど。

382 :世界@名無史さん:2010/01/13(水) 12:38:01 0
弘安の役の頃って実際に台風らしき嵐が来た記録が日記とかに残ってるらしいけど
その嵐は鎌倉武士対元軍になんらかの影響を与えたのかね?

383 :世界@名無史さん:2010/01/13(水) 22:55:44 0
>>382
嵐で船が沈没したため元軍は逃げられなくなり鎌倉武士に皆殺しにされた。

384 :世界@名無史さん:2010/01/14(木) 06:46:50 0
14万の内どの程度上陸してたんだろう
2万くらいはモンゴルに帰ったんだろ?

385 :世界@名無史さん:2010/01/21(木) 03:05:35 0
58 世界@名無史さん sage 2010/01/17(日) 13:08:33 0
>>55
甘いな。
1277年3月に元軍がビルマのパガン朝に攻め込んだンガザウンジャンの戦い。
パガン軍は元史の記述によると兵数45万、象800、馬万匹。
対する元軍はビルマ側の記録だと騎兵600万、歩兵2000万。



これマジかよww

386 :世界@名無史さん:2010/02/14(日) 02:10:48 0
シベリア方面からロシアに攻め入るという経路は進行ルートになかったんですかね。

毛皮の道の交易ルートを抑えて、強敵もいないし。やはり気象条件ですか。
もしくは早い段階からシベリア勢力がモンゴルに服属していたんですかね。

387 :世界@名無史さん:2010/02/16(火) 09:21:22 0
昔の侵略戦争って基本的に南下するんじゃないか

388 :世界@名無史さん:2010/02/16(火) 23:29:07 0
誰が?モンゴル帝国が?なんでわざわざロシアなんかを狙いすまさにゃならんのだ
で、なんか検索してみたらこんなん出てきたぞ

>このモンゴル帝国はかなりの毛皮フェチでして…
>住民はみな毛皮を着用し、武将も兜に毛皮をつけるほどでした。
……どう考えても馴染み深いものを愛用してただけだろうが。
(毛皮が)手に入りづらい環境・向かない気候でも執着していたか?
産出しない土地からも貢納させたか? そのくらいやってないとフェチとは言えんがな

389 :世界@名無史さん:2010/02/26(金) 01:33:26 P
沿海州・アムール流域は大昔から良質な貂の大産地だし、羊を放牧するような草地には
兔がうじゃうじゃいて、夏でも冬でも放牧の片手間に兔を捕まえてはオヤツ代わりに食べ
皮は持ち帰っていたし、狼や鹿のような大きな獣も狩っていたし、

390 :世界@名無史さん:2010/02/26(金) 21:25:47 0
朝青龍がぶん殴った経営者が店の中でオンナをデンツ社員や
テレビ局員にあてがって韓国アゲをマスコミにそそのかした。これホント。
そいつのダチはそれをあからさまにやりすぎてライバルヤクザに睨まれ
路上のど真ん中で撲殺された。これがおととしのこと。
その撲殺野郎にさんざんしゃぶり尽くされていた芸能人は
足かせが外れ、”おくりびと”という映画で大復活した。

アイドルを食っては大人になって捨てていた、少女趣味の有名脚本家は
二番手ヒロインに朝鮮人を起用して以来、創作能力が急激におとろえ
今は少女を自由に得ることが出来なくなった。
捨てた女はチンピラグループにあてがっていたのだが。裏目に出た。
一番目に捨てた少女は逃走劇を演じ、二番目はおくりびとで復活はしたが
寄生していた朝鮮人チンピラが撲殺されるまで食い物にされていた。

なお、最初に韓流ブームをでっちあげたNHKのプロデューサーは
我が子の死ぬ死ぬ詐欺も手がけている

391 :世界@名無史さん:2010/02/26(金) 22:14:59 O
>>384
四万かそこらじゃないの。10万の江南軍は嵐で全滅

392 :世界@名無史さん:2010/02/26(金) 22:20:22 O
>>33

総大将のサルタクを討ち取られたり、苦戦してるね。
実際、高麗が降伏した後のモンゴルとの講和内容は極めて融和的だし。

393 :世界@名無史さん:2010/02/26(金) 22:57:21 0
>>391
10万の江南軍は嵐で全滅じゃないぞ。
嵐の後の武士との戦闘で全滅だ。

394 :世界@名無史さん:2010/02/26(金) 23:28:52 0
>>393
組織崩壊して継戦能力失った敗残兵を虐殺して回ったのが「戦闘」かw

395 :世界@名無史さん:2010/02/26(金) 23:57:01 0
>>394
組織崩壊する前から元軍14万は「戦闘」で武士に全く歯が立たず、海上を逃げ回ることしかできなかったじゃん。

396 :世界@名無史さん:2010/02/27(土) 07:29:49 O
>>394
嵐来る前に志賀島に上陸してるよ元軍
一本道突撃してきた鎌倉武士にフルボッコにされて海上に逃げ出したけど

397 :世界@名無史さん:2010/03/01(月) 05:58:25 0
どっちが正しいんだ?
資料とかねえの?

398 :世界@名無史さん:2010/03/01(月) 17:40:57 0
>>397
六月、方慶・[金]周鼎・[朴]球・朴之亮・荊万戸等、日本兵と合戦し、三百余級を斬す。
日本軍突進し、官軍は潰え、[洪]茶丘は馬を棄てて走る。王万戸、復た之を横撃し、五十余級を斬す。
日本兵、乃ち退き、茶丘は僅かに免る。翌日、復び戦いて敗績す。軍中、又た大病あり、死者凡そ三千余人。
忻都・茶丘等、累戦して利あらず。且つ范文虎の期を過ぎて至らざるを以て、軍を回すを議して曰く、
「聖旨、「江南軍をして奉じて、東路軍と必ず是の月の望に及びて、一岐島に会せしめよ」とのたまう。
今、南軍至らず。我が軍、先に到りて数戦し、船は腐れ糧は尽く。其れ、将た奈何せん」と。
方慶。黙然たり。旬余、又た議すること初めの如し。方慶曰く、「聖旨を奉じて、三月の糧を齎す。
今、一月の糧、尚お在り。南軍の来るを待ち、合わせて攻むれば、必ず之を滅ぼすべし」と。
諸将、敢えて復た言わず。既にして文虎、蛮軍十余万を以て至る。船は凡そ九千艘。
八月、大風に値い、蛮軍皆な溺死す。屍は潮汐に随いて浦に入り、浦は之が為めに塞がりて、践みて行く可し。
遂に軍を還す。

『高麗史』、巻104、列伝17、金方慶

元軍は八月に大風に遭う前から、「累戦して利あらず」で撤退が度々議題になる状態だったよ。

399 :世界@名無史さん:2010/03/08(月) 01:37:17 0
結局ベトナムは元(モンゴル)に服属したってことでいいのか?
ベトナム史の研究家は、共産党史観べったりであてにならないからな

朝貢の有無は、それこそ歴代ベトナム王朝が中国軍撃退後もやってるからあまり根拠にならないと思う。

ダルガチを常駐できたのか、ベトナムの帝位に干渉できたか、
元の戦争に協力させられたか、あたりが目安だと思うんだが。

ベトナムの歴史書では、服属しなかったことになってるんだよな(当たり前か)

400 :世界@名無史さん:2010/03/12(金) 07:48:46 0
阻止側が十分な準備をして手ぐすね引いて待ってれば、上陸側が危ういのは古今を問わない。

ノルマンディーが大成功したのはドイツ軍の攻撃がほとんどなかったから。朝鮮の仁川上陸とかも。
バイキングや倭寇が猛威を振るったのも襲撃地点を特定できないから。
逆に硫黄島では日本軍が待ちかまえていたので、
制海権・制空権を確保し圧倒的な兵力差にもかかわらず米軍の被害が多かった。

ただ手ぐすね引いて来るか来るかと待ち受けるのってスゲ金かかる。

401 :世界@名無史さん:2010/03/14(日) 11:59:32 0
>>400

つーかさ、日本軍が連合軍に大打撃を与えたのって
ほぼ、騙まし討ちか、待ち伏せぐらいなもんで
それ以外の、ミッドウェーみたいな自分から積極的に
攻撃を仕掛けたパターンはほぼ負けている

402 :世界@名無史さん:2010/03/15(月) 01:22:44 0
文永の役では結構九州荒らされたみたいだからな

403 :世界@名無史さん:2010/03/15(月) 22:01:56 0
今年の寒波でモンゴルで家畜が200万頭死亡して経済に大打撃らしい。
そろそろモンゴル人が馬に乗って略奪するために南下してヒャッハー!!する時かな?


404 :世界@名無史さん:2010/03/16(火) 08:49:02 0
モーニングの諸星大二郎の漫画でも
ソグド人が寒波で羊死んで略奪に走るシーンがあったな

405 :世界@名無史さん:2010/03/16(火) 12:00:29 0
今のモンゴル国は首府ウランバートルでホームレスが社会問題になってたりする
フヌケだから、無理だろ。
モンゴルのホームレスは下水や電気のマンホールにもぐって住んでるそうな。
大体、遊牧民が現役ならホームレスが当たり前なんだから、天幕張って暮らすだろ。


406 :世界@名無史さん:2010/03/16(火) 17:46:57 0
>>403
今頃中国北部の漢族がモンゴルの騎馬軍団の襲来にガクブル状態だったり?

407 :世界@名無史さん:2010/03/16(火) 21:48:40 0
>>403
そりゃない。

騎兵とマシンガンで武装した歩兵では
圧倒的に歩兵が強い。

近代化したドイツ軍の対ポーランド戦での
ポーランド騎兵の壊滅とか
独ソ戦における、ソヴィエト蒙古騎兵の突撃が
ドイツ軍の重機関銃の掃射で壊滅している。

中国軍の歩兵の方が圧倒的に強いよ。マジで

408 :世界@名無史さん:2010/03/17(水) 05:38:22 0
マジレスしすぎだろw

409 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 16:48:37 0
>>402
荒らされてないよ。
海岸にある博多の町ですら全く無傷だった。

410 :世界@名無史さん:2010/03/20(土) 20:39:51 0
>一方、元軍は博多を占拠したものの終日の激戦で矢が尽き、軍の編成が崩れた。
>このため、大宰府攻略をあきらめ、博多の市街に火をかけて焼き払い、撤退することにした。


火放ったらしいけど無傷だったのか?

411 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 11:08:51 0
>>410
それ、ガセ。
元軍が博多を占拠したなんて事実はないし、市街に火をかけて焼き払ったなんて事実もない。

412 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 15:44:22 0
ガセだと言える根拠は?

413 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 15:59:48 0

まあまあ、双方落ちつけて
ところでさ、博多周辺の島人って
元寇時に皆殺しにされて、今住んでいる人は
それ以降に入居した人って本当?


414 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 16:31:59 0
>>412
元寇関連の史料全部見たけど、博多に被害があったと裏付ける史料は一つもなし。
ガセの出所も確認したしね。
元軍が博多を占拠したとか、市街に火をかけて焼き払ったとかいうのは全部嘘だから忘れて。

415 :世界@名無史さん:2010/03/21(日) 16:37:58 0
ガセの出所って何?

416 :世界@名無史さん:2010/03/22(月) 09:37:55 0
八幡愚童訓って史料の書き間違い

417 :世界@名無史さん:2010/03/25(木) 01:48:07 0
>>403
むしろヒャッハーは元気な時にするものとも聞いた。
気象で大打撃を受けると南の勢力や他の遊牧勢力にボコられたり。

418 :世界@名無史さん:2010/03/26(金) 08:35:27 0
元はシュリーヴィジャヤ王国とかクメール王朝あたりは
攻撃しなかったのかな。

419 :世界@名無史さん:2010/03/26(金) 08:40:45 0
あとタイのアンコール王朝とかも

420 :世界@名無史さん:2010/03/28(日) 19:25:22 0
今のモンゴル人に南下して中国で略奪する度胸のある奴はもう居ない。
徳王とかチョイバルサンあたりが最後の残り火に過ぎない。
スッカリ牙を抜かれた狼になってしまった。

421 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 21:12:40 0
>>416
詳しく

422 :世界@名無史さん:2010/05/29(土) 14:39:59 0
>>420
モンゴルに限らず今は遊牧民全体が牙を抜かれた感があるね。

423 :世界@名無史さん:2010/05/29(土) 14:44:39 0
とんでもない僻地〜松山
とんでもない田舎〜松山

何にもないから高松までお買い物
http://www.yajyu.com/kankou/seikatu21.htm

続いてショッピング! 松山にもいろいろショップはあるけれど、やっぱり高松の充実度にはかなわない。 毎シーズン、松山から買い物に来る女の子達も多く、バーゲンシーズンとかになるとフェリー通りは大きな紙袋を抱えたnice girl & nice boyで溢れかえる。

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424 :世界@名無史さん:2010/05/29(土) 16:14:51 0
牙を抜かれたんじゃなくて騎馬がもう役立たず

馬よりも速くて頑丈な機械による移動手段、弓よりも速くて遠くて人が死ぬ兵器
遊牧民から馬の有利がなくなれば、残るのは食料の足りない貧乏人

馬という発明がもう時代遅れになった現代で暴れろだなんて無理を言うな

425 :世界@名無史さん:2010/05/30(日) 13:49:06 0
地域を限れば荒れ地での走破性を考えると馬はまだ使えるとは思うが
あと、維持費ってどんなもんなのかね

426 :世界@名無史さん:2010/06/07(月) 21:16:14 0
世界最強鎌倉武士団
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172215786/

427 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 07:02:18 0
【第33回】元寇から日本を救った高麗

日本の武家社会成立を指導し鎌倉幕府の成立に大きな役割を果たした高麗も
歴史の中で政治体制は移り変わっていきましたが、国体は維持していました。

しかしながら、1200年以降のモンゴルの拡大により大きな圧迫を受け
仕方なくモンゴルの配下になるという屈辱を味わいました。
(モンゴルが韓民族国家の一つというような主張をする学者もいますが、とても信じられないですね)

その中で高麗王忠烈王らは元に忠誠を誓ったふりをしながら、チャンスを待っていました。
元の日本への野望を忠烈王は心配し、日本に対する元の圧力外交を妨害をしていました。

その中で元はとうとう日本侵攻を決定し、高麗にも参加を命じました。(文永の役)
忠烈王は立場はありましたが日本を心配し鎌倉幕府側に元の侵攻を秘密裏に連絡したのです。

さらに忠烈王は派遣軍に妨害部隊を潜ませました。
そして、風雨が少し強い日に妨害部隊は蜂起し、派遣部隊の船に工作を行い海のもくずとしたのです。
これにより、撤退せざるをえなくなり、日本は救われたのです。

そして、忠烈王は鎌倉幕府に対して、防塁の築くアドバイスや、武器の改良アドバイスを伝える
使者を何度も秘密裏に送りました。

元は再度の侵攻を決定しまた高麗に参加を命じました(弘安の役)
忠烈王は前回と同じく、妨害部隊を潜ませ、同じように風雨の強い日に蜂起させ
船のほとんどを沈めたのです。

これにより日本はまた救われたのです。

歴代高麗王の日本への思いやりにより、日本は生きながらえ現代の日本があることを時々思い出してください。

428 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 13:43:47 0
ドーソンの「モンゴル帝国史」ってのはどうなのかな?

429 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 13:58:01 0
杜世忠
撤都魯丁

おまいら日本はFTA(自由貿易協定)を迫っても無駄だぞ
回鶻人ってあちこちフラフラしてモンゴル人の手先になったり
漢人の手先になったり忙しいのう

430 :世界@名無史さん:2010/07/13(火) 23:47:19 0
鎮海も有力ウイグル人官僚だよな。
モンケの代に粛清されたけど。


431 :世界@名無史さん:2010/07/14(水) 01:41:32 0
>>427
何、嘘言ってるんだか。
高麗が元を手引きしたのが真相でしょ。

432 :世界@名無史さん:2010/07/14(水) 03:14:09 O
あんたら『元寇』って歌知ってっかい?

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