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日記の歴史

1 :世界@名無史さん:2009/01/08(木) 07:08:03 0
無かったので立ててみました。

アッシリアの天文日記から始まる様々な日記について語りましょう。

2 :世界@名無史さん:2009/01/08(木) 10:07:12 0
しかしまあ毎回飽きずに同じことを何度も・・・・

3 :世界@名無史さん:2009/01/08(木) 10:44:40 0
過去にあったっけ?

4 :世界@名無史さん:2009/01/08(木) 10:59:54 0
〜の歴史ってパターンが気に食わないんじゃないの?

5 :世界@名無史さん:2009/01/08(木) 11:35:27 0
無かったので立ててみました。

が嫌なんじゃないの?

6 :世界@名無史さん:2009/01/08(木) 13:24:36 0
日本の日記文学(土佐日記とか更級日記)って、日記じゃないんだよね?

7 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 10:20:28 0
あげ


8 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 11:16:03 0
612 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/12/17(水) 01:07:01 0
ふと思ったけどインド人って日記なんて書くんだろうか?
歴史をあれほどないがしろにする国の人間が。

613 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/12/17(水) 01:47:06 0
インド人は書かないだろうね。宣教師とかのある程度の知識レベルの外国人じゃないと。

614 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/12/17(水) 15:31:42 O
勿体無いようなある意味先進的なような

9 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 12:35:25 0
日本人は鎌倉時代頃にはすでに日記大好き国民になっていて、
それが貴重な資料を提供した例もある。

たとえば中国の歴代王朝は国家規模で天文観測記録を残してきたため
天文学史では歴代の正史を参照することが欠かせないが、
理論上はあったはずなのに正史に載ってない(観測はされたが不吉な前兆ということで記録から消されたとみられる)天体現象が
同時代の日本の日記によって裏付けられたというケースもある。

10 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 12:45:23 0
>同時代の日本の日記によって裏付けられたというケースもある。

ちなみにそれ、どういう人が書いた日記?
やっぱり貴族階級?もしくは天文方とか?

11 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 13:05:16 O
方丈記にかに星雲(おうし座)の超新星爆発の記録があるらしいからそれじゃないかな?

12 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 13:40:41 0
方丈記って日記なの?

13 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 18:13:14 0
今でいう地方公務員階級の日記としては鸚鵡籠中記があるな
部分だけど故光輝先生が漫画にしてる

14 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 18:44:53 0
暦がなくても日記はあっただろうか?
まあ、文字があるぐらいなら暦もあるんだろうな

というより、暦、天文学、日記の起源が、日々の天文現象の記録なんだろうな。

15 :世界@名無史さん:2009/01/09(金) 21:26:05 0
>>11
超新星爆発の記録があるのは明月記

16 :世界@名無史さん:2009/01/10(土) 03:47:27 0
>>15
明月記ってぐぐって見たら古いんだね。
日本の日記の最古クラス?

17 :世界@名無史さん:2009/01/10(土) 06:28:43 0
>>8
インドは確かに日記書かなそうだね。
日本人と対極的?

18 :世界@名無史さん:2009/01/20(火) 00:26:47 0
歴史の記録を残さない人たちだからね。

19 :世界@名無史さん:2009/01/20(火) 08:48:12 0
森田日記http://gendai.net/?m=view&g=geino&c=070&no=20505

20 :世界@名無史さん:2009/01/20(火) 09:25:17 0
インド人じゃないやん

21 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/01/20(火) 09:26:54 0
>>9-12
>>15-16
『明月記』は古い方ではありません。定家は平安末期から鎌倉初期にかけて
の人物ですが、超新星爆発とされる現象があったとされるのは天喜2年(1
054)のことで、過去の事件の一つとして挙げられています。
引用されているのは、寛喜2年(1230)11月8日条。

初めて登場するのは4日条です(本文は国書刊行会本による)。
夜天晴見奇星、此星朧々光薄、其勢非小、去二日泰俊朝臣示送、自一昨日夜
(原注:晦日)、奇星現辛方、在織女東天津艮奚仲傍、其体客彗之疑候、未
及光芒、如当時者客星之条無不審、客与彗大略雖同体、占文各別、其重変候、
依事恐候不注進本文、未蒙密奏宣旨、雖不及披露、如此時不出詞、近来彼処
不伺見候、依無由事内々言上、若事次候者可得御心候、答依病籠居由訖、

「客と彗大略同体たりと雖も」と、彗星と同様のものとされていますが、彗
星が日食(計都)と並んで羅喉として恐れられたことは、インド・中国から受
け継いだものです。
そもそも、天文への関心と記録魔も中国に由来する。
インドは天文は発展させましたが、記録に関しては中国と大違いですね。

「当時の如きは客星の条不審無し」とありますが、承久の乱で上皇三人が流
されて天皇が廃位されるは、これまた当時の天変地異を記した『方丈記』に
もあるように、旧暦7月に美濃や武蔵で雪が降って大飢饉になるわで、とり
わけ公家の間では「末の世」という感覚が広がっていました。
もっとも、平安中期頃から「末の世」という言葉は広まりを見せており、口
吻に自然に現れるものとなっていましたが。

最後は流石「紅旗征戎吾が事に非ず」と書いた定家、にべもありません。

22 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/01/20(火) 09:34:26 0
元々、日記は貴族やそれ以下の官僚が、家や役所の故実を代々伝えるために
書いていたものです。後者は今なら日勤記録と言った方がいいでしょうが。
個人的な記録は『日本書紀』にも引用されていますが、貴族の間で暦の間に
書かれた日記が登場するのは、10世紀のこと。
宇多・醍醐・冷泉天皇の「御記」や、親王・摂関家のものが有名です。
もっとも、残念ながら全て佚書となっており、逸文しかありませんが。

分量として大量に残っているのは、藤原道長のライバルだった藤原実資の日
記である『小右記(小野宮右府記の意)』。
道長自身の日記である『御堂関白記』もかなり現存していますが、字も文章
も「分かりゃいいだろ」というもので、豪快な気風が伺われます。
おそらく、道長の自筆日記が現存する歴史上の重要人物の日記では最古級で
しょうね。

当初は、あくまでも子孫のための記録であり、個人的なことは記しませんで
した。定家の場合、歌人として風俗について記すことが多かったためか、天
文も含めて実に多くの同時代の現象について記してくれています。
勿論、天文も当時の関心ごとでしたが、それにしても量が多い。
もっとも、定家の場合、晩年は朝廷から距離を置いていたせいか、天文の異
常を記しながらも、本人は上記のように我関せずの態度をとっています。

23 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/01/20(火) 09:44:29 0
最後に、客星は名前の通り突然出現した星のこと。
『後漢書』に「客星犯御座」という記事があることから、身分の卑しい者が
天子の位を狙う際にも、喩えとして用いられました。
似たようなものに白虹と太陽があり、日本でも注目されています。
出典は言うまでもなく『史記』。平治の乱の前などに出たというもの。
勿論、後から「出た」と書いてもいい訳です。
実際に天文の異常があって事件が起こるのではなく、事件が起ってから天文
の異常が注目される訳ですから。
『平家物語』や『太平記』で陰陽師が出張してくる異変などはそうです。
もっとも、『平家物語』の方には、天文の異変は出て来ませんが。
『太平記』も天文には詳しい(聞きかじり中心)ですが、彗星と客星が同時
に出現した康安2年(1362)の事件を挙げています。

24 :世界@名無史さん:2009/01/20(火) 09:45:50 0
その小右記を読み込んで書いた角川文庫の「殴り合う貴族たち」が面白い。
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200809000242

25 :世界@名無史さん:2009/01/20(火) 10:08:34 0
韓国とかイスラムの国も日記を書く習慣はあったのか?

26 :世界@名無史さん:2009/01/20(火) 10:43:29 0
おー、山野さん降臨

27 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/01/20(火) 17:51:15 0
>おそらく、道長の自筆日記が現存する歴史上の重要人物の日記では最古級で
>しょうね。
現存する著名人の自筆の日記では、ということです。
史料というのは、後から改変されている恐れが常につきまといますが、自筆で
あればその心配もない。もっとも、本当に自筆かというのも、問題ですが。

定家の自筆日記も現存していますが、彼が小倉百人一首でも有名な歌人であり、
定家様という書の祖となったこともあり(漫画『へうげもの』にも登場してい
る小堀遠州や淀殿も定家様の使い手)、彼の日記は一部の頁が切り取られて表
装され、掛軸として流通しました。
今でもたまに出て来ますが、500万円ぐらいはするでしょう。
余談ながら、これまた一部が切り取られてアメリカにも流出した『鳥獣人物戯
画』(本体は国宝)の場合、10年ほど前に軸が10億で取引されたそうです。

28 :世界@名無史さん:2009/01/25(日) 00:37:55 0
日記に性交の有無を記録した最初の例は何?

29 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/01/25(日) 19:08:09 0
>>28
我が国では、院政期には見えて来ますね。
「打腰」、「濫吹」、「交合」、「会交」、「会合」、「犯」などと記されています。
ただ、浮気の現場を押さえたとか、懸想していた相手に受け入れられたとか、
精進潔斎して断っていたとか、特別な理由がないとわざわざ書かれませんが。
よく言われるように、人が犬にかみつけば記事になりますが、犬が人にかみついても
記事にはなりません(最近はそうでもないようですが)。

30 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/01/25(日) 19:09:54 0
>「打腰」、「濫吹」、「交合」、「会交」、「会合」、「犯」
これらは漢籍の表現を輸入したものと思われますが、こうした単語を使用し
た漢籍をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授を願います。
最初の「打腰」は自作かもしれませんが、ないとは言い切れませんからね。

31 :世界@名無史さん:2009/02/09(月) 18:23:42 0
>>17
バーブルは書いてたんじゃなかったっけ?

32 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 04:05:36 0
>>28
920 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2006/04/19(水) 00:09:03
平安の大物ホモ藤原頼長の日記「台記」の研究を読んでるんだけど
「受領讃」こと大僕卿孝標とかいう男が笑えた。


孝標日記(仮)

1. 頼長から手紙でしつこく言い寄られる。うざい。無視。
 つーか俺には愛する妻もいるし。

2.このまま無視し続けるつもりだが、どうやら
 俺とヤりたいがために坊主に加持祈祷までさせてるらしい。キモすぎ。

3.元上司の藤原忠雅さんは頼長の愛人の1人だったらしく、
 俺と頼長の仲を取り持ってポイントを稼ごうとしてやがる。
 これはかなり断り辛い。最悪。

4.しかたなく1回だけ会ってやる。会うだけだ。
 それに忠雅さんも同席してもらって3人で。妙なことにはなるまい。

5.忠雅さんが頼長と別れたらしい。なんかかなり嫌な予感がする。

6.頼長のやつ調子にのって、今度は陰陽師に祈祷させてるらしい。テラキモス。
 つーかストーカーだろ完全に。
 1度会うだけの約束だったじゃねーかよ。祈祷のせいか最近夢見が悪い。

33 :世界@名無史さん:2009/02/10(火) 04:06:09 0
921 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/04/19(水) 00:09:45
7.久しぶりに忠雅さんから呼び出されたので、
 何の用かとおもって家まで行ったら、ニヤニヤした顔の頼長がいた。
 畜生、ハメられた。
 って言うかこの日は忠雅さんの手前、断りきれずに
 とうとう実際に「ハメ」られてしまった。ケツが痛ぇ……。痛ぇよ…。

8.妻が難産で死んだ……。子供も死産だった。欝だ。俺も死にたい。
 とか言ってる矢先に、玄関先まで頼長が来てるらしいと従者から連絡が。
 馬に乗って駆けつけてきたらしいが「空気読め」と百万回言いたい。
 なんでこんな奴が藤原氏の氏長者なんだクソが。
 馬より鼻息荒らそうで想像するだけでキモい。顔も見たくない。
 もちろん追い返すように従者に言った。はぁー。

8.妻が死んでからは頼長も言い寄ってこなくなった。
 さすがに俺の胸中を察してくれたのかな。
 噂では今は年上の男と乳繰り合ってるらしいがもうどうでもいい。

9.と思っていたが妻の四十九日が終わった直後、
 忠雅とさん一緒に頼長がうちまで押しかけてきた。
 思わず警戒したけど普通に2人してお悔やみを言って帰って行った。
 ホッっとした。意外と常識はわきまえてるんだな。

10.俺が甘かった。2日後にまた、頼長が今度は1人でうちまで来やがった。
  もちろんまた俺のケツを掘ろうと必死に迫ってきたよ……。
  開き直って交換条件を出したらOKしてくれた。
  クソーこうなったらとことんコイツを利用して出世してやるしかねぇ。
  ヤケクソだ。

なんかこんな感じだったw
続きが気になる人はヒストリア84号を読もう。
真面目な論文なんだけどそれだけに妙に生々しい。

34 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/02/10(火) 10:01:45 0
>>29で挙げた院政期の史料というのは、『台記』のことでしたが、『孝標
日記』という史料はありません。
>>32-33は、『台記』の記主藤原頼長自身が記した大蔵卿孝標との関係につ
いて記した文章を、大幅に想像・脚色してなったものです。

10の内容も、頼長が訪問して来た理由は、自らが交歓したものではなく、
孝標に頼まれて、孝標自身と誰か(性別不明)の仲立ちをしたという記述を
膨らませたものですが、孝標と誰かは当日会っており、約束は以前からの事
でしたから、当日「交換条件」を出してなったことではありません。
そもそも、頼長からこの前後に迫ったという記述自体が存在しない。
当時、男女に要求される美的基準は共通しており、美女のような男=美男子
でしたから、どちらでもおかしくありません。

8も原文を読むと、「会いに行ったら不幸を聞いたので会わずに帰った。但
し人を通じて訪問を告げておいた(頼長視点。遠慮して帰ったが、弔問の意
思は告げておいたということでしょう)」と解釈した方がいいですね。
やはりコピペによる孫引きには問題があるかと。

なお、頼長は一生の内に多くの書籍と男女に通じた人物で、若い頃から身辺を
警護していた随身(皇族や閣僚級の貴族につけられたSP)で男色相手だった
秦公春が没した時など、彼の死を悼む文章が数十丁(一丁は用紙を二つ折りに
して二頁分)に及んだと言います。
恋愛的なものばかりではなく、長い人間的つきあいを反映したものでしょうが
(頼長は感情の激しい人物であったようです)、これには現存する『台記』の
書写を行った人物も写すのが億劫になり、なおかつ儀礼的な面でも参考になら
ないと判断したようで、記事の内容は全て省略されています。

一人の随身の人生について知る史料であったこともあり、残念至極。

35 :世界@名無史さん:2009/02/15(日) 18:04:12 0
唐揚げ

36 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/02/27(金) 23:39:19 0
>>21
>たりと雖も
今更ながら、「たると雖も」に修正。

37 :世界@名無史さん:2009/03/07(土) 15:04:21 0
あげ

38 :世界@名無史さん:2009/03/16(月) 19:57:36 0
なんか世界史板っぽくないスレになってきた

39 :世界@名無史さん:2009/03/24(火) 09:49:56 0
中国の日記の歴史って、やっぱり日本よりだいぶ古いんだろうか?

40 :世界@名無史さん:2009/04/02(木) 18:36:42 0
>>38
山野が来たからだな

41 :世界@名無史さん:2009/04/02(木) 21:25:46 0
>>40
じゃあ、外国ネタよろしく

42 :世界@名無史さん:2009/04/03(金) 04:51:45 0
なんでコテ外してんの?

43 :世界@名無史さん:2009/04/03(金) 05:04:03 0
つか日記とかいわれても王朝時代の日記文学や
貴族の日記ぐらいしか思いつかない。マジで。

44 :世界@名無史さん:2009/04/03(金) 23:43:12 0
航海日誌的なものは?

45 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 15:06:32 0
>>43
アンネの日記も知らないの?

46 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 16:14:33 0
それでOK。語ってちょ。

47 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 17:38:40 0


48 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 18:33:20 0
最近、「アンネの日記」をぐぐるとき、セットよく使われる単語は「捏造」である。

みたいなのでいい?

49 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 20:16:17 0
日本の小学校では夏休みの宿題に絵日記書かされるがヨーロッパではどうなんだろ?
アンネの日記もその延長だったりして。

日本の小学校の絵日記も、もとは明治期にヨーロッパから学校制度にともなって導入したものなのかな?


50 :世界@名無史さん:2009/04/05(日) 20:29:30 0
少なくともアメリカでは夏休みの宿題は無い。
学年の変わり目だから。

勉強する子は自発的にやるし、ほとんどの子は単に遊びほうけるだけ。

51 :名無し募集中。。。:2009/04/05(日) 21:43:01 O
ドナルドキーンの百代の過客の海外篇みたいなのが出ると助かるね

52 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 18:08:01 0
なんで日本では日記がよく書かれたのに、他の地域では書かれなかったのだろう?

53 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 19:21:10 0
書いたけど戦乱が多くて残らなかったのでは?

54 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 20:44:23 O
江戸時代になると、軍記からマジ日記になるしな

55 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 21:13:42 0
>>52
http://en.wikipedia.org/wiki/Diary#History

中東やら中国やら他の地域でも書かれてるようですよ

56 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 23:14:15 0
中国についてはこのスレでも出ててたねぇ。
中東は中世では書かれて、その後は衰退したんだろうか?
なんか日本語か英語に訳された日記ってないのかな?

57 :世界@名無史さん:2009/04/15(水) 23:15:18 0
>>53
日本だって十分戦乱多かったと思うけど。

58 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 07:29:17 0
戦国大名は日記なんか付けてないだる

59 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 08:10:27 0
どんだけ想像力がないんだ。
貴族だって戦乱に巻き込まれるだろ。

60 :世界@名無史さん:2009/04/28(火) 08:52:04 0
>>58 そこで祐筆ですよ

61 :世界@名無史さん:2009/07/26(日) 21:50:20 0
本人直筆の日記を拝みたい人向きの催し物

戦国武将の日記を読む〜『松平家忠日記』に見る信長・秀吉・家康〜
平成21年11月1日(日)〜12月18日(金)
駒澤大学禅文化歴史博物館
http://www.komazawa-u.ac.jp/cms/kikakuten/2740


62 :世界@名無史さん:2009/07/28(火) 01:19:01 P
別に当日書かなくてもよい。
たとえば更級日記は、晩年になって少女時代を回想して書いたもの。

63 :世界@名無史さん:2009/07/29(水) 19:11:49 0
それは日記じゃなくて回想録っす
『たまきはる』とかも日記文学とか言われるけど
何十年も後で当時を懐かしがりながら書くのは回想録っす

64 :世界@名無史さん:2009/08/04(火) 01:44:19 P
更級日記が日記でないだと?
あほでぃ

65 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 17:22:40 0
何年何月何日に何があったと書くのが日記。

66 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 18:20:45 0
現代人の考える「日記」ではないが、
文学ジャンルとしての「日記文学」ってことだろ。

平安時代でも男性の日記は、普通に日々の記録だし。

67 :世界@名無史さん:2009/08/08(土) 19:50:39 0
いや、だから更級日記を日記文学のジャンルに入れるのが間違いって話じゃね?

68 :世界@名無史さん:2009/08/09(日) 02:56:01 P
>>65
更級日記、そういうふうに書いてあるんだが。
大体、その日の晩に回想したものと、人生の晩年に回想したものと、どちらも
回想録ということでは本質的な差は無いだろう。

69 :世界@名無史さん:2009/09/08(火) 18:58:24 0
差が無いなら、回想録を日記文学と呼んでもいいかな
カサノヴァ回想録とかフルシチョフ回想録も日記文学


70 :世界@名無史さん:2009/09/08(火) 22:33:47 0
サリー・ビラリのメモも日記文学、とな。

71 :世界@名無史さん:2009/09/08(火) 23:45:40 0
なにそれ?

72 :世界@名無史さん:2009/12/12(土) 12:22:44 0
age

73 :世界@名無史さん:2010/01/10(日) 12:12:06 0
ジョージア州サペロ島にいた一人の黒人奴隷がアラビア語で綴っていた手記。
同島に末裔が今も住んでいる。

74 :世界@名無史さん:2010/01/10(日) 17:22:53 0
ジョージア州ってアメリカの?

75 :世界@名無史さん:2010/01/10(日) 20:16:19 0
そう。東海岸のサペロ島。
「小さな島の大きな歴史」に詳しいよ。
http://www.bk1.jp/product/01662242

西アフリカ・マリの徴税吏だったビラリがアメリカに売られてくるまでの道のりを
書き残している。初期の日付はないので日記とは呼べないかな。
けど通称は「サリー・ビラリの日記」で通っている様子。



76 :世界@名無史さん:2010/01/11(月) 09:45:29 0
なんかルーツみたいな話だな

77 :世界@名無史さん:2010/01/31(日) 09:41:45 0
日本以外こんだけネタが無いとこ見ると、やっぱり日本人の日記好きってのは本当だったんだな。

78 :世界@名無史さん:2010/02/04(木) 22:07:14 0
ウィキペディアの「日記」の項目をみるとよい

79 :世界@名無史さん:2010/02/04(木) 22:19:38 0
有名なルイ16世の日記。
バスティーユ陥落の日の記述が「何もなし」であることは
余りにも知られているけど、これ、狩猟の成果の日記らしい。

ニコライ2世の日記もトロツキーは『ロシア革命史』で酷評してるが
これも一種の備忘録的なもので、全部を記しているわけではないようだ。

寧ろ重大事が起きた日ほど「日記など書く気力も無い・・・」って場合もあるだろうから
日記は重要な史料ではあるが、それだけで当人の人格や能力全てを判定はできないだろう。


80 :世界@名無史さん:2010/02/04(木) 22:31:47 0
ニコライ2世の日記については講談社学術文庫から本が出ている。
保田孝一『最後の皇帝ニコライ2世の日記』。

大津事件当時のニコライ皇太子が実は親日家だったことが
本人によって詳細に記されていて面白い。その反面、皇帝になってからの
国家の重大事についてはある程度筆を抑えている節がある。

81 :世界@名無史さん:2010/04/22(木) 18:36:10 0
俺は昭和天皇の日記を読んでみたいな


82 :世界@名無史さん:2010/05/01(土) 18:46:59 0
外国の日記もっと邦訳されないかなあ

83 :世界@名無史さん:2010/05/01(土) 22:17:58 0
このスレを見る限り、日記に関しては歴史的には日本が圧倒的に先進国だったってこと?

84 :世界@名無史さん:2010/05/03(月) 09:36:40 0
>>83
スレ読んでないだろw

85 :世界@名無史さん:2010/05/04(火) 09:34:33 0
>>84
お前こそ読んでないだろw

86 :世界@名無史さん:2010/05/13(木) 10:10:33 0
日本語&amazonとかで在庫があるのって幾つあるかな。

87 :世界@名無史さん:2010/05/15(土) 08:02:19 0
どういう意味?

88 :世界@名無史さん:2010/05/17(月) 07:30:59 0
「征服王ジャウメ一世勲功録―レコンキスタ軍記を読む」や「フロワサールの年代記」も
実体は日記がもとらしい。西欧の場合、日記が「年代記」とされていることも多いようなので、
必ずしも日本が日記先進国とは言えない。

89 :世界@名無史さん:2010/05/22(土) 10:57:37 0
>>87
ごめん。
日本語訳されてたもので、amazonなどの大手書店に在庫がある、
手に入れやすく読みやすいものは幾つあるかな。
ただのオタにはやはり邦訳が欲しいし古書店回るほどの気力もない。

90 :世界@名無史さん:2010/05/22(土) 11:36:41 0
>>88
>>83のいうように、「圧倒的」にではないにしても、先進国であることに変わりはないと思うが。

91 :世界@名無史さん:2010/05/22(土) 19:09:48 0
横光利一の『厨房日記』が青空文庫に入っていたことに今日気がついた。
かねがねこのような日記文学を読みたいと思っていたのだよ我輩は。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card2156.html

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