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中世(中代)ヨーロッパの暮らし (9)

1 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/09/12(金) 17:07:31 0
中世ヨーロッパの暮らしを、日常生活中心でいろいろ話しましょう。
時期は、スタンダードには西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。
話題に関係あれば、末期ローマ帝国とか、ルネッサンスとか、大航海時代とか、前後にはみ出してもOK。
地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアと
ギリシア(ビザンツ)とかもOK。
庶民の暮らしでなくとも、王侯貴族の暮らしでも、聖職者の暮らしでも、商人の暮らしでもOK。農村の暮らし、都市の暮らし、なんて切り口もありますよね。
時代や地域が目安からはみ出した話題がメインになって、あまり続くようだとちょっと、くらいの感じでマターリと。
研究者によって、また、研究の主題によっていろいろな区分があるようですが、スタンダードと思えるところを参照用目安として。

中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)
前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)
初期中世:大まかに5〜10世紀
盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。
末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀
【過去スレ】
中世(中代)ヨーロッパの暮らし (8)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1209916076/
中世ヨーロッパの暮らし (7)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1201099192/
中世ヨーロッパの暮らし (6)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1190868693/


2 :|ω・`):2008/09/12(金) 17:53:36 0
勃起した

3 :世界@名無史さん:2008/09/14(日) 17:23:48 0
>>1 スレ立ておつかれさまです。
疲れたからといってうっかり生水飲まないようにね。

4 :世界@名無史さん:2008/09/14(日) 21:49:05 0
中世ヨーロッパは山賊の類が多かったと聞くが、
どの期間にどの程度の規模がどれぐらいいたのだろう?

5 :世界@名無史さん:2008/09/14(日) 23:30:55 0
>>4
その地域に戦争のある時期は、山賊はいなくなった。
戦争が終わると、兵隊はそのまま山賊になった。

6 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 00:02:44 0
埋めました

1000 世界@名無史さん sage New! 2008/09/15(月) 00:01:37 0
1000なら日本は明日から中世ヨーロッパ!

7 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 01:16:35 0
418 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/03/14(火) 11:02:00 0
ウェセックス国王イネの法典によると

13・1 余は、七名までを「窃盗」、七名から三五名までを「盗賊団」、それを超えるものを「軍隊」と呼ぶ。

8 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 02:03:46 0
>>4
トゲトゲのついたショルダーガードを身に付け棍棒や鞭で武装した
屈強なモヒカン男たちがハーレーで乗り付けて村を襲って食糧や女を奪っていました。

9 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 10:31:28 0
ダバオ市長ならどこでも秩序を作れそうだけどなw

10 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 19:41:45 0
>>5
なるほど。納得できる説明だ。
つーことは盗賊の寿命なんてものはさほど長くないわけだな。
周辺を食い尽くせばお終いなわけだし、その前に領主に討たれるだろうし。
うまいこと規模を大きくした盗賊は傭兵にでもなったりできたのだろうか。
逆パターンの方が多そうだけど。
傭兵で有名な団体ってのはなんとなく聞いたことあるが、
盗賊として大成した人物って誰かいるっけ?
海賊ではなく山賊方向な。

11 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 19:53:49 0
>>10
傭兵隊長なんてみんな、平時は盗賊の頭領だよ。

12 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 20:06:01 0
山賊に討たれるヘタレ領主もいただろ

13 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 20:06:49 0
まあ領主=野盗の頭とかいう笑えない例も結構あったらしいが。
そもそも騎士貴族つーのが、言いがかりでフェーデしかけて略奪してくような連中だったりとか。

14 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 20:19:14 0
軍に国内で略奪行為をさせないために、わざわざ戦争する領主もいたな。

15 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 20:39:52 0
傭兵をまともな職業と考えることに無理があるわけだ。

16 :世界@名無史さん:2008/09/15(月) 23:46:36 0
(=゚ω゚)ノぃょぅ ヘイ!ヽ(゚ω゚=)

17 :世界@名無史さん:2008/09/27(土) 14:35:27 0
はて、止まってる?

18 :世界@名無史さん:2008/09/27(土) 14:44:01 0
やはり止まってるのか。

んじゃ、ちと質問でも今のうちに。
中世の農業生産が低い、とは良く効きますが、主に播種量に対しての
収穫量比率しか引き合いに出されず、面積辺りの収穫量が出てきません。
1農家辺りの典型的な人数や農地面積も出てきません。
税率もいまいち不明です。しかも、中世といっても1000年もあり、
初期と高貴ではどれくらい違ったかも不明です。

そのため、大体農家がどれくらい困窮した生活をしてたのか、
あたりが具体的にイメージできません。

米一石=150キログラムの米で1年食べられる、という数字と比較して、
どれくらい少なかったか、そのあたり詳しいかたおられましたらお願いします。
あるいは、その手の情報が載ったサイトへのリンクなどでも大歓迎です。

19 :世界@名無史さん:2008/09/27(土) 14:50:16 0
中世欧州の騎士に生まれたかった・・・

20 :世界@名無史さん:2008/09/27(土) 16:51:59 0
中世欧州の騎士と
中世奥州の武士だったらどっちがいいかな?

21 :世界@名無史さん:2008/09/27(土) 17:08:27 0
騎士にきまってんだろ

22 :世界@名無史さん:2008/09/27(土) 21:29:50 0
>>18 こことか

ttp://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG974.HTM7

23 :世界@名無史さん:2008/09/28(日) 00:29:56 0
>>19-21
まだいたのかw

24 :世界@名無史さん:2008/09/28(日) 08:44:47 0
>>22
ありがとうございます。
ただ、すいません、どうにもたどり着けないのですが。
どこか間違っているところのアドレスとかではないのでしょうか?


25 :世界@名無史さん:2008/09/28(日) 10:47:35 0
>>24
22じゃないけど、後ろの7がいらないみたい。
つか少し工夫すれば、簡単にたどり着けたよ。

しかし、収穫量から困窮っぷりがイメージできる?
小麦がいくらあればお腹一杯になるかなんか、全くわからん。

26 :22:2008/09/28(日) 10:50:03 0
アドレスの先頭に「h」をつけた? ほかにはこんなとこでは

ttp://www.ku-rpg.org/column/population.html
ttp://homepage3.nifty.com/onion/labo/memeat.html

27 :世界@名無史さん:2008/09/28(日) 12:47:20 0
>>25
ありがとうございます、行けました。
>>26
何度もありがとうございます。

28 :世界@名無史さん:2008/09/28(日) 12:54:59 0
困窮って比較の問題だからな。
当時の農民が普段から自分達は困窮してると思って生きてたわけじゃない。

比較で難しいのは、日本は1反=1石の米が得られる土地という生産に基づく度量衡なのに対して
ヨーロッパはエーカーもモルゲンも労働に基づく度量衡だから比較ができない点だろう。
しかし1家族の土地を1ハイドと言い、後に1ハイド=120エーカーとなった。
1エーカー≒3反(太閤検地以前)として360反
(三圃制で実質面積2/3として240反?)

ところで1ハイドは1人の兵士を出す義務がある単位。
日本だと1万石(=1万反)250人とすると40反で一人の計算になる。
もっとも日本も石高計算で米だけを計算してそれ以外の畑を無視する計算だし
時代が古代に近づくと日本も休耕田の割合が増えていくから(ヨーロッパも二圃制になるが)
その辺も考慮しないといけないが、それを考えても
土地の価値が日本(というかアジア水稲地帯)より数倍落ちるのは間違いないだろう。

ちなみに小麦の一人1年の必要量は1クォーター(約291リットル)

29 :世界@名無史さん:2008/09/28(日) 19:05:12 0
ヨーロッパは夢がある

30 :世界@名無史さん:2008/09/29(月) 01:01:29 0
あんなドロドロした世界に夢なんかないぞ

31 :世界@名無史さん:2008/09/29(月) 10:49:56 0
中世といえば病気、戦争。
治安は悪く、常に陰謀が蔓延っており、至る所で犯罪が起きる。
それでもどうしてこんなに魅かれるんだろう。

32 :世界@名無史さん:2008/09/29(月) 11:09:00 0
イスラムに抑圧されてた中世だからこそ魅力がある
唯一ヨーロッパが押されてた時代だからな
近世以降はヨーロッパの一人勝ちでつまらん

33 :世界@名無史さん:2008/09/29(月) 21:58:39 0
唯一って。
古代ヨーロッパはローマに制圧されてた超絶ど田舎ですよ?
その前となると東洋の超絶文明から隔絶した原始時代ですよ?
今はアメリカや中国や日本やインドに押されて衰退の一途をたどっていますよ?

34 :世界@名無史さん:2008/09/29(月) 22:30:35 0
>>18
貯金だローンだと騒げる現代日本の方が歴史的に見てみれば異常なんだろう。
一年の食料は一年で得るのが一般人の生活スタイルだと思うがね、世界的には。
一割ぐらいの支配者が搾取することで生活を成り立たせているのであって、
国際化という流通の加速によって、それが国レベルになっているのだろう。
中世ヨーロッパの生活レベルなら、現代でいえば発展途上国の雇われ農業者みたいなものではないかね。

35 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 00:58:08 0
ヨーロッパの稲作っていつ頃からやってたんだろ?

36 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 08:41:08 0
エーゲ、ギリシャ、ローマ
いつの時代も地中海世界は先進国だったと思うんだが・・・

37 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 15:34:04 0
ゲルマン人逝ってよし

38 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 20:58:57 0
>>36
中世に入って、ヨーロッパの中心はローマから西へ移っていったし、
ギリシャ研究なんかは、ルネサンスまではアラブ世界でのほうが
ずっと進んでたってこともあるんじゃない?

39 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 21:34:03 0
地中海がずっと中心でないことはイタリアが証明している

40 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 22:03:24 0
22さん、25さん、28さん、ありがとうございました。
色々探ってみた結果を報告させていただきます。


tp://www.ruralnet.jp/gn/200710/thaer.htm
>「輪栽式(ノーフォーク式)農法」の輪作では、休閑にかわって、根菜類(飼料カブ)
>と赤クローバ(一年生牧草)という地力培養型の作物が入ってくる。
>この輪栽式農法の確立によって地力が高まり、コムギ収量が、1ha当たり1tから1.7tにまで増えたという。

今の水稲だと年一回のみの収穫をする場合で1ヘクタールから120俵=7.2トン。
と、言うことは、三圃制時代に現代の7分の1以下、輪栽式でも
4分の1以下の収量、ということになりますね。
↓のを見る限り、江戸初期で1ヘクタール当たり33.3俵、2トンくらい。
江戸末期で50俵くらいと聞いた事がありますので3トンくらい。
あったかい地域では年に何回か収穫できますのでちと計算が面倒ですが。

41 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 22:04:40 0
ttp://blog.new-agriculture.net/blog/2008/01/000470.html

>日本の人口の推移を見ると,縄文時代には約27万人だったのが,弥生時代には
>約60万人。奈良時代には,600〜700万人と増えています。
>これは,お米の生産量が増えるのにしたがって増加したと言われています。
>江戸時代の初期は,約250万haしか水田はなかったと言われています。
>10a当たり200kgの収穫ですから,1人1石とすると340万人分しかないありません。

10アール当たり200キロということは、1ヘクタール当たり2トンです。
三圃制と比べて、面積辺り倍の収穫は上げていたと思われます。
ということは、麦主体の場合、作付け面積は2倍必要で、放牧地を含めた
必要農地面積は日本の3倍は必要、となります。
これのほかに永久放牧地がかなり必要とされているようですので、
1農家辺り30アルパン=15ヘクタール以上の農地という数字を某所で聞きましたが、
日本の4〜7倍の面積が必要となってもおかしくない、ということに納得しました。

時に後半、江戸初期の水田面積と面積当たりの収量から計算される総石高ですが。
これは多分、日本南部の年に複数回収穫できる地域を計算に入れていないもの、
さらに陸稲なんかも計算に入れない数字、だとは思うのですが、それでも340万石って(汗)
それとも、水田を正直に申告しない大名が大部分だったのでしょうか。
↓のと合わせて考えると、色々もにょる数字が載っていますが、貴重な資料として。

42 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 22:05:29 0
(アドレス収集漏れ)
>1500年中期のポルトガルの人口が100万、スペインで700万、
>最も人口の多かったフランスでも、1200万程度の人口であったのに対し、
>当時の日本では、2000万人以上の人口がいたとされています。
>つまり、小麦と肉を主食とする限り、その程度の人口しか養えないのです。

このあたり、ガリアのモデルとされる?16世紀フランスと同じなので、
非常に貴重な数字なのですが、ミスりました。どこからコピペったのかわからなくなってます。
この時期のイタリアやドイツ、イギリスの数字が欲しいところです。
って、国力の基本になる人口の話にそれていると?
まあそういわずに(w


ttp://blog.new-agriculture.net/blog/2008/01/000470.html
>お米はモミ一粒で、秋には500〜700粒に増え、
>米と麦を単位面積で比較すると、米は麦の約2倍の収穫を得ることができます 。
>小麦を作ってきたヨーロッパでは、古代から中世へ、2圃式から3圃式に進みましたが、
>10世紀ころで播種量の3倍を収穫するのがやっと、14〜15世紀でもわずか5倍程度にすぎませんでした 。
>ところが、奈良時代8世紀の日本では最下位の田でも7倍、
>上位の田では25倍もの米の収穫をあげています。そして、近世ですでに40倍にも達していました。

>小麦のできなくなったところに、草を生やして牧畜をし肉を生産してきました。
>肉食をするために要する耕地面積は、人間が直接穀物を食べるために要する面積の
>8〜10倍にもなります。こうした小麦と牧畜の農業は、広い面積を求める農業であり

おなじみの播種量と収穫量に関する数字です。
今の技術だとほんの一粒二粒で稲一株分の種とする事が可能である上に、
発芽率が100%に近く、しかも途中で枯れる確率も非常に低いものです。
そのためこのような数字になっています。
シュメールなどの肥沃な三角地帯での数字で70倍以上程度とすら比べ物になりません。

43 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 22:07:51 0
ここで本当に問題なのは、収穫量と播種量の差が近い場合、税金とられた後の数字です。

仮に3倍、5倍、7倍、10倍の収穫を播種量に比して得られると仮定し、
領主や教会の税が収穫量に対して一定割合だとして、来年の種籾を引いた後
どれくらい自分達で食べられる分が残るのかを計算してみましょう。
税額は合計で50%とし、1倍は来年の種籾なので引きます。

3倍÷2=1.5倍 1.5倍−1倍=0.5倍
わずか0.5倍しか食べられませんです。

5倍÷2=2.5倍 2.5倍−1倍=1.5倍
一気に食べられる分量が3倍に増えます。
播種量が同じとした場合、領主の取り分は1.5倍から2.5倍に増加します。

7倍÷2=3.5倍 3.5倍−1倍=2.5倍
食べられる分量は1.66倍に増えます。

10倍÷2=5倍 5倍−1倍=4倍
食べられる分は1.6倍に増えます。
領主の取り分は3.5から5へと増加します。

44 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 22:08:27 0


実際には面積辺りの収穫量と、播種量と収穫量の比率の双方で数字を
良くしていくことによって、総合的に実際に食べられる量が増えていくのですが、
これには農業技術だけでなく品種改良やら播種方法やら農具の改良やら
様々なものが関与しているので、3圃式から輪栽式になっても1.7倍にしかならない。

そのあたりは注意する必要があるので計算すると、
1トンのうち1/3を種とすると0.66トン。そのうち税で0.5トン持ってかれるので
実質0.16トンだけ。人一人が1年に食べる米が1石=0.15トンですから、
2アルパン耕してやっと人一人分。爺さん婆さん父母の4人に子供が5〜7人いれば
10人分以上ほども必要になり、20アルパン耕してやっとこさっとこという数字に。

さて、これに7倍と1.7トン/ヘクタールを当てはめると、
1ヘクタール耕作すると0.6トンほど残る勘定になる。
一家族2.5ヘクタール強、ほどで何とかなりそうですね。
輪栽式だと穀物の作付け比率が半分ほどになりますので、5ヘクタール強、
10アルパンほどで何とかなるということ。

以上で終わりです、スレ占領してすいませんでした。

45 :世界@名無史さん:2008/09/30(火) 23:55:06 0
そんな計算通りには行かない

46 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 00:02:34 0
印度が米食文化なのを考えると、麦と肉食は無理が多いんだろな

47 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 01:25:15 0
>>44
>実質0.16トンだけ。人一人が1年に食べる米が1石=0.15トンですから、
小麦(ヨーロッパ)の話じゃ無かったの?
米なら1石(約180リットル)で一人が1年食べれても、
小麦だと1クォーター(約291リットル)消費するから約1.5倍必要になる。

また、天候による年単位の変動を考慮に入れないと意味がない。
中世は穀物を大量輸送できるような社会じゃないから豊作の土地から不作の土地に
簡単に穀物を融通できたりはしない。
中期では小麦の価格変動は10倍程度の変動は珍しくない。
13〜15世紀のロンドンの小麦1クォーターの価格は、
平均すると10.8シリングだが標準偏差が8.7シリングもある。
今年は豊作だから2シリング、今年は不作だから40シリングそんな不安定さが中世。
平均値で丁度の計算で作付けをし、不作で収穫量が半分だったらどうなるか。
マクロな計算ならともかく、不作なら輸入しようではなく不作だと餓死が出る社会で
そういうミクロの計算は不合理。

48 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 07:06:06 0
インドが米食は南部沿岸とベンガルだろ
北部は小麦原料の食い物

49 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 08:35:15 0
小麦だけ食べてたわけじゃないし、日本も米だけ食ってたわけじゃないし。

50 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 14:28:13 0
長い中世、広いヨーロッパの話を数式一つで片付けようとはちとどうかと

51 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 20:53:03 0
何もせんよりはマシだろう。
とりあえず乙。

52 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 21:09:20 0
>>40-44
これで中世農民の生活は把握できますね
論文にまとめてみてはどうでしょう

53 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 21:52:54 0
労力がしのばれる。おつかれさまでした。
しかし数値的なものだけだと他人的にはイマイチピンとこないんだよな。
自分でやっているとわかるんだけどね、こういうの。
一月ごとの食生活パターンが、通常・豊作・飢餓時でどう違うのか、みたいなのが
具体的にあるといいよな。
そうそうメニューにバリエーションがあったとも思えないが、
まったく同じだったということもないだろうし。

54 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 22:51:15 0
みなさんレスサンクスです。

不作と豊作の時の違いは、別の論文になります。そちらについての計算は
もう10年以上も前にとある掲示板で簡単にですけど書いたりもしておりまして。

今回は面積当たりの収量×農家辺りの保有農地面積
から計算される数値からの中世〜近世農家の生活水準についての考察です。

輸送などが出来ないといった飢饉時の対策については、
これは完全に別問題になります。政治と統治者の人格の問題です。
どれくらいを飢饉時に施すために蓄えるか、それとも締め上げて
農奴に落とす好機と考えるか。戦争をしかけてあっさり浪費してしまうか。
あるいは外交を怠り攻め込まれてしまうか。
そういった問題でそれはすでにネット上でありふれていますのでご了解ください。

>>47
米と麦の必要量の差は一応知っていたのですが、
重量の差でどうなるのか、辺りが不明で、中に組み込めませんでした。
1クォーターの重量が150キロの1.5倍、ですか。
具体的な重量、なぜそれだけ必要なのか、肉や乳で
どれくらいの割合のカロリーを充当していたのか、
等の詳しい事をお教えいただければ幸いです。

あ、もちろんまとめてあるサイト等のアドレスなどをお教えいただけるのでも幸いです。

55 :世界@名無史さん:2008/10/01(水) 23:30:48 0
暖かい地中海があったからこそヨーロッパは発展した

56 :世界@名無史さん:2008/10/02(木) 01:22:02 0
>>54
おまえ天才だろ
中世学の教授になれるぜ
すごいすごい

57 :世界@名無史さん:2008/10/02(木) 04:49:16 0
金惜しまずに本買えよ

58 :世界@名無史さん:2008/10/02(木) 08:18:58 0
現地に行って、さらに向こうの資料とか見ないと実感できないかもな

59 :世界@名無史さん:2008/10/02(木) 11:34:16 0
っていうかヨーロッパの土地は貧弱ってのもあるぞ

60 :世界@名無史さん:2008/10/02(木) 11:39:27 0
ヨーロッパは発展せざるを得ない地域
温暖な気候、肥沃な低地、攻め込まれにくい地形

中央アジアが一時的に隆起しても気候が悪いから今は過疎なのと正反対

61 :世界@名無史さん:2008/10/02(木) 15:26:32 O
>>60
ヨーロッパって温暖か?

低地も肥沃ではあっても疫病の巣だったんじゃ?

62 :世界@名無史さん:2008/10/02(木) 22:08:40 0
歴史的に見て、過酷な環境の方が文化が発達しやすい。

63 :世界@名無史さん:2008/10/02(木) 22:20:28 0
>>54さん
素晴らしい成果ですね

64 :世界@名無史さん:2008/10/05(日) 22:19:29 0
過疎ってるな。

65 :世界@名無史さん:2008/10/06(月) 08:45:26 0
>>62
欧州よりアフリカ、シベリアのほうがよっぽど過酷だが?
だいたい古今東西問わず先進国なんて温帯に集中してるだろ

66 :世界@名無史さん:2008/10/07(火) 16:29:36 0
どこまで妥当かは知らないが、一応過去の人口推計。
ソースはMcEvedy & Jones他。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E4%BA%BA%E5%8F%A3

過去の都市人口推計。
中世ヨーロッパの都市人口も詳しい。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%BA%E5%8F%A3


67 :世界@名無史さん:2008/10/07(火) 17:53:06 0
>>54
中世(一五世紀ぐらい)の農民の摂取カロリーですが、当時の修道院の記録からみるとかなり多かったようです。
(もちろん、飢饉の時は別)

フランスの修道院やパリのパン屋の記録から察するに、カロリー計算でおよそ4000キロカロリー。
ざっと成人に必要な摂取カロリーの二倍ぐらいのパンの消費があったようです。
ただ、当時のパンは皿の代わりに使われていたりもしてるので、これをもって摂取カロリーとは言えませんが。。。


68 :世界@名無史さん:2008/10/07(火) 18:08:52 0
>>54
肉類の摂取ですが、14世紀後半から15世紀前半のドイツでは一人あたりおよそ500g/日の消費が認められるようです。
シチリアでは農村部で1400g/週。都市の肉屋だと、この倍程度の消費が見られるようです。

概ね、日常においてはどこの地域でも200g/日以上の消費は見られたようです。
ただし、宗教的な理由によって肉を食べられない日が相当あったので、年換算にすると平均値はぐっと下がるようです。

69 :世界@名無史さん:2008/10/07(火) 19:20:47 0
>>67
それはかなりいい時代の話だな。

70 :世界@名無史さん:2008/10/07(火) 22:00:40 0
>>68
シチリアあたりだと温暖だし、肉以外でカロリー摂取できたんだろうな。

71 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 00:01:29 0
というか、家畜飼料に多く回せないぐらい貧しかったんでしょ。

他所から来た支配者に統治されてたわけだし。

72 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 12:01:30 O
あんまり話題にならないけど
中世の魚の消費量ってどんなもんだったんだろう?

教会や修道院なんかには養魚池もあったりしたみたいだけど・・・

73 :67:2008/10/08(水) 12:33:44 0
>>72
中世の魚の消費量はかなり多かったようです。
もともと、魚を消費する沿岸部に限らず、内陸部でも魚は大量に消費されていました。
というのも、キリスト教圏では復活祭前の四〇日間は獣肉類が一切禁じられていたので魚が頼みの綱だったからです。

主に消費されていたのは「にしん」で、塩漬けから燻製から、とにかく毎日にしんばっかりという感じだったようです。
マス、サーモンも大量に消費されていたようです。ただし、消費していたのは聖職者や貴族たちで庶民の口には難しかったようです。
ついでにいうと、乱獲がたたってノルマンディーでは鮭の価格は200年で一六倍に暴騰しています。

魚の養殖は領主や修道院の主な財源の一つでした。
上述した肉類禁止の四旬節に備えて蓄えられ、直前に池の水を抜いて漁を行い生け簀へと運ばれたようです。
なお、農民戦争の時は日本の打ち壊しよろしく、こうした養殖場も破壊の対象になりました。
法外な値段で魚を売りつけたというのが理由のようです。

そんなわけで、中世(12〜16世紀)ごろのヨーロッパの食糧事情というのは記録を見る限りはかなり豊かです。
もっとも、記録に残るような人々は裕福だったという一面もあるので、一概には言えませんが。

逆に7世紀ぐらいのフランスのトゥーレル地方などではかなりカツカツの生活をしていたことが伺えます。


74 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 12:34:29 0
農村はともかく、都市部ではそれなりに魚が消費されてたはず。
キリスト教じゃ週に一度は肉じゃなくて魚しか食えない日があったし。
ハンザの主力商品が北海産ニシンの塩漬けじゃなかったか。

メッス市が近隣の諸侯と戦争になったときはニシンで食いつないだとかいう逸話もあった気がする

75 :67:2008/10/08(水) 12:44:17 0
>>74
ハンザ同盟は流通どころか加工・生産まで完全に支配してたっぽいですね。
漁場に支店をこさえて、塩やら燻製に必要な材木やらまでの流通もきっちりと管理して安定供給出来る体制をあちこちに確立してたっぽいです。


76 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 15:20:59 0
『食の生活史』に「隠居した夫婦のためにバイユーの施療院は1295年の1年間に
100匹のにしんを出すと約束していた」と書いてある。

言い換えると宗教上肉を食べられない日以外のほとんどは肉を食べてたんじゃないかなぁ。
漁港に近いところとか輸送路上の町は別として。

77 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 15:44:27 0
>>73
引用乙

78 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 19:18:57 0
ニシンの塩漬けか。確かに記号的にはよく見かけるが、
具体的に食ってるイメージがあまりわかない対象だったな。
どういう形で食卓にならんでいたのだろう?
煮込んでスープにでもしてたのかな?

79 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 19:35:59 0
パイに入れて食べたりもしていたらしい。

80 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 19:41:17 O
なるほど、アンチョビ?が主だったのか
養魚池の話で川魚がメインなんだと思い込んでたよ
勉強になるスレだ

81 :67:2008/10/08(水) 20:49:19 0
>>78
わりといろんな料理法があったみたいです。
>>79さんのいうようにパイに入れて食べる。
これはパイの包み焼きみたいなのから、細切れにしてパテにしてパイにするとかしてたみたいです。
それから、酢漬け。軽くソテーしてから、ビネガーでマリネするとかしてたみたいです。
オーソドックスなところでは、やはりシチューやポタージュの具。
蒸して塩気を抜いてから、ガーリックソースを塗ったくって焼き上げるとかいうのもあったみたいです。
あとは普通に焼いて、マスタードを添えて食う。

82 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 23:14:51 0
一般家庭でそのレベルの調理ができたのかな?
パイを焼けるような窯なんてけっこうな財産だと思うのだが。
中世あたりでは鍋のひとつかふたつぐらいしか台所用品がないイメージがある。
かまどがあるにしても簡単なのがひとつだけ。調理法は煮るか直火焼きか、みたいな。
日々の食い物なんて季節ごとの違いはあっても、大抵は毎日同じものなのではなかろうか。
祭とかならともかく、食事に味のバリエーションなんか求める余裕はなさそうな。
調味料としてガーリックはありそうだが、他はせいぜい塩とか、そのへんかと。
塩漬けならその味を薄めただけとかの方が多そうだ。
味噌や醤油を使えたであろう日本はずいぶんマシに感じる。

83 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 23:24:03 0
>>81
引用乙

84 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 23:41:00 0
いちいちうるさいな。黙っとけよ

85 :67:2008/10/08(水) 23:49:05 0
>>82
都市では、おそらくパイなんかは自家製ではなく総菜屋みたいなところで購入していたと思われます。
12世紀のロンドンには、今で言う屋台のようなものもかなり出そろっていたようですし。
パリなんかでもパン屋なんかも割と早期に専門職となってますし。

農村部はちょっとわからないです。
ただ、農村部はパンなんかは共同の竈にパン生地を持ち込んで焼いてもらっていたようです。
もしくは修道院などに小麦などを納めて、代わりにパンなどを貰うという形態もあったみたいです。

中世ヨーロッパのレシピを見てると、修道院や貴族層は気持ち悪いぐらいに香辛料や香味野菜を使用しています。
とくにサフランで原色に染め上げるのが大人気だったらしいです。
都市部でも、わりと香味野菜や香辛料は手軽に使われていたようです。
もっとも、高価なのは確かなので鍵付きの棚に保管されてたっぽいですが。


86 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 01:11:33 0
>>85
農民もとても豊かな食生活を送っていたのですね。
経済的にも余裕があったことが伺えます。

87 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 01:20:42 0
>>80
スラヴ系の国々では鯉を食べる習慣があって鯉の養殖は盛んだったよ


88 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 01:23:30 0
サフランって確かに香辛料として聞くけど、
wikipedia見ると堕胎作用とか、致死量12~20mgとかあって怖いな。

89 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 01:23:43 0
ポーランドはハンザ都市が国内に多かったためスラヴ系でもニシンをよく食べた
それでも鯉ももちろんよくたべた
今のリヴィウ、当時のルヴフにアルメニア商人が陸路でたくさん胡椒を運んできて、
大きな胡椒市場があったため、ヨーロッパのなかではわりと安く手に入った
というより、ルヴフは中世ヨーロッパの胡椒貿易の拠点だった


90 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 01:39:52 0
ヨーロッパはニシンとタラしかいないイメージ

91 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 02:30:55 0
>>85
なるほど。参考になります。
香辛料や調味料に関しては、利用されていたというのはわかるのだが、
それがどのレベルで普及していたのか、というのはどうにも曖昧なんだよね。
先に出てきた例なら、ガーリックやマスタード、塩までは庶民も使ってたのかな、というイメージあるのだけど、
胡椒やその他香辛料となると相当の高級品だったようだし。かといってまったく使っていなかったわけでもないような。
中世西洋にも味噌的な穀物を発酵させた調味料があったんじゃないかと思うのだがなぁ。
ハーブ的なものとかが多用されていたのだろうか? 庶民の食生活というのはどうにも想像しにくい。

92 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 03:26:49 0
>>91
>中世西洋にも味噌的な穀物を発酵させた調味料があったんじゃないかと

「ジュレック ライ麦」で検索

93 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 08:10:47 0
魚醤は使われてなかったの?

94 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 09:46:09 0
>>93
ビザンツでは相変わらず使ってたらしいが、ヨーロッパじゃ早くに消滅したようだ。

95 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 11:31:26 0
>93、ガルムだっけ?

96 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 19:16:32 0
西洋料理の味の要といえばソースというイメージがある。
現代のように洗練されたものはルネサンス以降だろうが、それ以前からも原型となる流れはあっただろう。
パン単体では味気ないし、具材も豊富とはいえなかったわけだから、
肉や魚介の残り汁を煮詰めて味を整えたものが、調味料の基本となったのではないかな?
内陸や海沿い、温暖や寒冷、乾燥や湿地など場所によって違いは多々あっただろうし。
一地方では単調な食生活かもしれないが、ヨーロッパ全土で考えると結構なパターンがあったんじゃないかね。
だからこそ遠距離の商業活動で大きな利益を得られたのだろうし。
距離による価値の違いが現代より遥かに大きかったはずだ。

97 :67:2008/10/09(木) 20:37:07 0
>>91
庶民レベルだと、スパイスではなく香味野菜がよく使われていたようです。
タマネギ、エシャロット、パセリ、マスタードといったところがポピュラーっぽいです。
あとはハーブ系ですが、こちらは医薬品扱い近かったっぽいです。
ちょっとビックリなのは、コショウがかなり庶民的だったらしいということです。
13世紀のドイツでは施療院で施される食事に使用されていたということなので、都市住民なら口に出来たかもしれないです。
ショウガの方が価格としては高かったらしいですね。


98 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 20:45:19 0
ミントソースはどうなんだろ。

99 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 21:13:44 0
>>96
西洋料理の味の要はソース以前に香辛料やハーブのほかはブロスと塩でしょう

>>98
ミートソースはボロネーゼといい、ボローニャのお金持ちの食べ物だった
昔のボローニャはお金持ちが多かったから肉をよく食べたので、ソースにも使ってみたら好評で広まった


100 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 21:17:01 0
>>97
胡椒の中世ヨーロッパ最大の集散地は当時のポーランドのルヴフ(Lwow)です
海上交易がメジャーになる前は陸上交易により胡椒が取引され、
アジアから入ってくる胡椒がヨーロッパで最初に卸されるルヴフの大市場のおかげで、
ポーランドでは胡椒が他の国より非常に安く手に入りました
胡椒の卸売りをやっていたのが主にそこのユダヤ人商人だったので、
当然、ユダヤ料理や、ポーランド料理のガリツィア地方の郷土料理は胡椒をふんだんに使いました


101 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 21:19:09 0
クラクフ近郊にあるヨーロッパ最古の塩坑であるボフニャやヴィエリチカで産出される大量の岩塩、
それとルヴフで取引される胡椒、これが中世ポーランド王国の栄華を創出したのです

102 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 21:36:32 0
>>99
98じゃないが
ミートじゃなくてミントだよ。

103 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 21:58:41 0
うわ、そこ俺も誤植だとおもってたよ(w

104 :世界@名無史さん:2008/10/09(木) 22:50:23 0
なるほど。塩・岩塩・胡椒・香味野菜・ハーブか。
主食がパンで、食材は塩漬けの燻製の肉、塩漬けや干物の魚。ときには野鳥とか川魚もあったんだろうな。
なんとなくイメージ固まってきた。庶民というよりは中流以上っぽいけど。
野菜関係の方は主に豆かな? タマネギとかもイメージあるな。根菜類は一般的だったのだろうか。
庶民的にはこれらを水か山羊の乳あたりで煮込んで粥にしていた感じかね。
ジャガイモがあれば食文化はぜんぜん違っていたんだろうけどなぁ。

105 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 00:34:07 0
中世ヨーロッパ料理なんて、原材料がなんだったか分からないレベルまでぐだぐだにしたペースト使いまくりとか。
なんか手間をかけたほうが高級ってイメージがあって、素材の味を生かすという考えはなかったとか。

今食っても美味そうなのって丸焼きとかロースト系ぐらいじゃね


106 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 00:49:21 0
現代ほど保存や輸送の利便が良いでなし。

107 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 02:08:34 0
>>104
ドイツ南部からスイスにかけては犬を食べるよ

108 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 02:10:03 0
13世紀半ばにはタタール人がやってきて、ザワークラウトと餃子を置いていった

109 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 02:14:54 0
漁醤っぽいのもありようだよな。地中海あたりはさ。・

110 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 09:50:59 0
ポーランドの餃子は好きだ。皮がもっちりしていて、日本の餃子より好き。

111 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 21:06:32 0
チョットマテ−−−−−−−!!!!

マジで餃子あったのか!?
せめてシュウマイとかじゃないのかよ!?

112 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 21:19:49 0
ギョーザのようなもの

113 :67:2008/10/10(金) 21:35:17 0
パン種で包めばパイになったりピロシキになったり。
逆に無発酵の皮で包めば餃子になったりラビオリになったり。
小麦粉を練ったもので肉を包むっていうのは、ユーラシア大陸全土に見られる普遍的な調理法ではないかと。

114 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 21:46:32 0
クレープだって小麦粉の皮で包んでるしな。
麺とパスタのバリエーションぐらいにいっぱいあるだろう。
時代と地域による変化を追跡するだけで一つの学問になるんじゃないか?
文化の推移を知るためにはけっこう重要な情報になる気がする。

115 :67:2008/10/10(金) 22:53:27 0
中世の農村部の日常の食事はこんな感じだったっぽいですね。

【主食】
ライ麦やフスマといった二級・三級の粉で焼かれたパン。
麦粥。固く焼かれた雑穀パンを砕いて煮込んだパン粥。

【副主食】
レンズ豆・そら豆といった豆類のポタージュやスープ。

【肉類】
内陸部で森林が豊かな地域では豚・猪。
冬場にハムや塩漬け・ソーセージにされて保管される。魚類は肉よりも高価でだった模様。
内陸部で森林がそれほど豊かでない場合は豚・猪の割合が減って鳥になる。
沿岸部では肉よりも魚介類。
修道院や領主の直轄では施しとして、肉類が定期的に供給された。
その一方で、自由に豚や猪を飼育して活用することは許されなかった。

【野菜類】
キャベツ・ボロネギといった菜っ葉系をポタージュやスープにして食べていた。

【その他】
不定期にだが、果実やナッツ類がそれなりに消費されていた。
とくにリンゴは保存が効いたので重宝されたもよう。
甘味のメインはドライフルーツや蜂蜜。とくに森林を活用できた農村では蜂蜜が多く活用された。


12世紀前後が中世ではもっとも豊かな時代だったらしいです。
間氷期の温暖な時期で、森林と開墾地の比率および人口のバランスが整っていた。
これ以降の時代になると増える人口に対して食料の供給が追いつかなくなる。畑も疲弊し、森林の乱開発で土地が不毛化。
さらに氷期に突入してしまい、結果として定期的な飢饉に見舞われたようです。

116 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 22:56:51 0
>>111
普通にあるよ餃子
ポーランドが餃子文化圏の西端かな
それともイタリアのラビオリを入れればイタリアが西端

小麦のクレープはポーランドではナレシニキ、ウクライナ(ポーランド含む)などではブリンツ、
ハンガリーではパラチンタ、ドイツやオースリアではパラチンケw、
蕎麦粉のクレープであるガレットは、ポーランドやウクライナではブリンツ

117 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 22:59:15 0
>>115
13世紀にモンゴルがやってきたのもアジアの不作のため

モンゴルに破壊されたポーランドの復興で
ドイツ人殖民が奨励されたのもドイツで不作が頻発したのも主な理由の一つ


118 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 23:22:11 0
そういやブルターニュで食べたそば粉のガレットは美味かった。
あれも言われてみれば餃子のバリエーションか。

119 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 00:33:29 0
ソバは世界的に食われてるからな

120 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 00:59:46 0
寒いとこでも育つからな

121 :67:2008/10/11(土) 10:26:52 0
そばは虐められた方が美味しく育つ、なんていうぐらい悪環境でも平気らしいですね。
我が家の周囲では、みんな米の収穫を終えた田んぼで、そばを育ててます。
今はちょうど、そば畑のそばは満開で可憐な花を咲かせてます。
あと少しで新そばのシーズンなのでwktkです。

122 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 10:37:53 0
休耕田作らなくていい日本は土壌が豊かでいいね。

123 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 10:58:36 0
土作りしてるからでしょ。

124 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 12:13:58 0
米も本来連作できない作物だからね。
水田は連作できない米を連作できるようにする知恵だね。
古代日本では休耕してたけど、だんだん休耕田の割合が減っていった。
しかし水田にするデメリットもあって、蚊が湧くし
水田を通じて寄生虫がうつりやすい。
日本脳炎のような病気が無くならなかったのは水田だったから。

125 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 15:09:09 0
パラチンケwww


126 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 17:41:58 0
>>100
>胡椒の中世ヨーロッパ最大の集散地は当時のポーランドのルヴフ(Lwow)です
>海上交易がメジャーになる前は陸上交易により胡椒が取引され、
>アジアから入ってくる胡椒がヨーロッパで最初に卸されるルヴフの大市場のおかげで、

それは色々と誤解を招く書き方では。
ポーランド王国がルヴフ含むハリチ地方を手に入れたのは
もう中世も末期になろうかというカジミェシ大王の治世で、当時は既に
何世紀も前からヴェネチア人等が地中海を中心に東方の産品を交易していた。
「ポーランド領ルヴフ」でスパイス交易が盛んだったのはそれ以降(16世紀後半あたりまで)なので
メディチ家とかが胡椒で大儲けしていたのと基本的に同時代だし
ポルトガルのアジア進出とも重なってくる。

あの辺の地域にやってくる胡椒は、陸上交易だとインドからホラズムあたりを経由して
ドン河口のタナがよくある隊商路の終点(黒海北岸沿いの陸路もあったようだが)。
そこから船に積んでクリミアのカッファとか経由で、ドニエストルやドナウ支流あたりを
遡ってルヴフ、さらにクラクフへ。
キプチャク草原を通らないなら(ティムールの金帳汗国劫掠後は交易路が衰退したらしい)
イラン・イラクを通ってトラブゾンあたりから黒海に出るか
ペルシア湾から北上してアナトリアへ、とか、イスタンブールから陸路北上ってルートもあった。
いずれにせよ黒海は重要。ルヴフのアルメニア商人等もカッファで胡椒を大量に買い付けてたそうだ。

127 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 17:43:57 0
モンゴル侵攻前だとキエフ、プシェミシル、クラクフ、プラハ、
レーゲンスブルク、マインツなどに点々とユダヤ人共同体があって
東方との交易路だったと考えられてるらしい。
ハンガリーがキリスト教化してからはドナウ河ルートも開けて
ボヘミアやオーストリアで「ロシア(キエフ)へ向かう商人」への
関税についての記録が残ってるそうだ。

128 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 01:08:24 0
>>126
ポーランド領だったかどうかにかぎらずルヴフは14世紀ごろからヨーロッパ・アジアの陸上交易の大集積所じゃなかったかな?


129 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 02:31:59 0
聞くも哀れやその昔 滅ぼされたるポーランド

130 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 07:57:12 0
【イタリア】嫉妬深い夫に50年間も“監禁”されていた女性、救出される[10/11]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1223692434/l50x

嫉妬深い夫w 嫉妬とか問題じゃねえだろ精神異常者 せめてテレビは見せろよ
ちなみにこの地方はイタリアというよりスイスに近くて山深い
ドイツ系のエリアだ。日常会話がドイツ語の事もある



中世ではこういう夫が多かった、と聞いたことがある

131 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 10:10:55 0
貴重な労働力を閉じ込めて無駄飯食わせる経済力があるならな

132 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 10:16:11 0
なあ、麦も稲も本来連作できないってんなら、
麦の次の年に稲を植えるとかってのはありなのかな?

133 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 10:57:44 0
インドネシアあたりだと米の二毛作とかしてるだろ。

134 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 11:01:23 0
×二毛作
○二期作

135 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 11:01:57 0
>>132
二毛作、陸稲(おかぼ)でぐぐれ
それぞれ別々に

136 :67:2008/10/12(日) 12:46:53 0
>>132
稲も麦も同じ科に属するので、一年目に稲を二年目に麦をという場合は連作と言えると思います。
連作の弊害は同種の作物を集中して栽培することにより、その作物が消費する微量元素が欠乏することにあります。
結果として、どんどん収穫量が減っていく連作障害を起こします。
これを防ぐには休耕するか消耗された元素を補充するかになります。
日本の場合は水田により、多量の水からミネラルや微量元素を補充出来たため連作はもちろん二毛作・二期作さえ可能でした。

中世ヨーロッパでは三圃式が一般的で、地力を回復させるために牛などを休耕地で放牧していました。
中世ヨーロッパを舞台にした小説なんかだと、休耕地で放牧している牛にまつわるエピソードなんかがよく出てきますです。

137 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 15:12:36 0
>>96
暗殺を防ぐため、中世ヨーロッパではソース皿を隣り合った二人で
共用していたとか聞きます。ということは、それなりにあったんでしょうと思います。

>>97

胡椒って同じ重さの金と同じ値段と聞いていましたが、それより高い生姜って!?
なんだか信じがたいです。

>>115

12世紀前後が中世ではもっとも豊かな時代、ですか。
イメージ的に中世ヨーロッパっぽい城もこの辺りで整ってきたような気もしますし、
いい時代のような気がしますね。

138 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 16:07:57 0
 ! ̄ ̄ ̄"'' ̄ ̄ ̄` ̄ ̄ ̄ ̄" ̄ ̄```!
 i                      !
 I〜--〜〜〜〜〜〜〜─〜〜〜〜〜!
 I                      i ,、,、,、,、          ヽ ヽ
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 `------------っ─--──────’ `ヽ  \   `'i       ヽ
    从从 `i i'    |::___|アヒャヒャヒャヒャゝ   ヽ   ;
         ( ヽ   (  ゚∀゚) /⌒ヽ⌒ヽ    )   !
         ヽ ⌒ ´-−ヾvーヽ   ノ     ノ    III        i i
          \   ☆  , 、 ☆  ,─,-─'''
            ヽ i `─, +;,─-''"  フランジュのヴァカとは、
              iヘ,, __+、_rリ    私のことか!!!
              iゝ、,,_,+、_r
         ,,-─-─`!二二'''i
         (      ! 獅子 i ̄ ̄`ゝ
       // ノ`──'i;    |__  ヽ
      /  ,/'     (    (    ヽヾ \
     /   |      )   )    |   \
   cccC,___)      ~~~~~      (___、つっっ
より
      .。   。   。   。
       .| ヽ / ヽ ./ ヽ / |
       |:  V   V   V  .|
      .|:           .|
      |________.|.
    /             \
   /                  ヽ 
    l:::::::::.                  | 
    |::::::::::   (●)     (●)   | 
   |:::::::::::::::::   \___/     | 
    ヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ 
のほうがまともに思えてきたのは気のせいだろうかw

139 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 18:17:46 0
断片的な知識で考証ごっこをやるから無茶苦茶なスレになってるな

140 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 18:26:34 0
>>136
なるほど、ありがとうございました。
とてもよくわかりました。


141 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 20:27:30 0
ソバが世界的に作られてるのは、痩せた土地でも育つのに加え、
短期間で育つからというのもある。
普通に春から秋まで作っても、2回は収穫できる。
東京くらいなら3回取れるかも。
稲と麦で二毛作が普通に出来るし。

東北中北部くらいになると、稲をかなり遅くに植えないといけなくなる
=麦の刈り取りまで期間がかかりすぎる から米の収量が減ったり
味がまずくなるのを覚悟しないといけない。
麦は安いからそれくらいなら米に専念したほうが儲かるんだって。

142 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 20:52:36 0
ソバには雑草抑制効果があるから、ってのも聞くな。

143 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:23:48 0
>>139
2ちゃんのスレをソースにしようとする考え方が間違っている。
概要を知るにとどめて、きちんとした確認は自分でするべきだ。
その指針としては役にたつ。

144 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:52:06 0
>>143
指針にすると道を誤るけどな

145 :世界@名無史さん:2008/10/13(月) 01:57:04 0
そゆーのを「減らず口」ってんだよ。

日本では古来より嫌悪されてきたもののひとつだ。

146 :67:2008/10/13(月) 13:04:49 0
ちょっと香辛料の価格ですがこんな感じだったようです。
15世紀の前半の話なので、スレチになるかもしれませんが参考までに。

オックスフォードでの1ポンドあたりの市場価格

クローブ:48ペンス
シナモン:20ペンス
ジンジャー:28ペンス
メース:36ペンス
コショウ:12.75ペンス
サフラン:176ペンス
砂糖:24ペンス

ロンドンでの1ポンドあたりの市場価格

クローブ:35.56ペンス
シナモン:24.15ペンス
ジンジャー:12ペンス
メース:
コショウ:18.03ペンス
サフラン:182.86ペンス
砂糖:35.27ペンス

当時の貨幣価値がイマイチはっきりしないんでアレですが、概ね1ペニーあたり2000円〜3000円ぐらいと考えるのが妥当っぽいです。
香辛料によっては一回の使用量が大きく異なるので、重量単価としての価格と一回あたりの使用量とを加味して考える必要があるかもです。


147 :世界@名無史さん:2008/10/13(月) 13:15:12 0
139=144=ただの包茎

148 :世界@名無史さん:2008/10/13(月) 16:46:56 0
必死だなw

149 :世界@名無史さん:2008/10/13(月) 19:48:49 0
>>146
レアな情報ですな。参考にさせてもらいますわ。
欲をいえば他の一般的な品々との比較があると理解しやすいのですが。
やはり当時はパンが基準になると思うのだけど、豊作不作でも大分上下したらしいしなぁ。
日本にいると卵や牛乳なんか安価な代表に思ってしまうけど、当時であれば高級品なわけだし。
そもそも牛乳はあったんかな?
庶民の食はけっこう出尽くした感があるので、次は高級食材でもネタにしてみますか。
現在では安く出回っているものとかだとよりよいな。
逆に、今に比べて以外に安かったものとかも面白いかもしれない。
まずは砂糖に果実、蜂蜜あたりでどうだろう。

150 :世界@名無史さん:2008/10/13(月) 21:45:19 0
>>146
おお〜〜なるほど、この時期になると胡椒が随分安くなるのですね。
となると、やはり胡椒が高かったのは中世中期くらいまでで、
大航海時代以後は劇的に安くなったと。
素晴らしい資料ありがとうございました。

151 :世界@名無史さん:2008/10/13(月) 21:51:25 0
>>146
できれば出典が欲しいです。

152 :67:2008/10/13(月) 21:59:08 0
……失礼しました。
割といいソースが見つかったんで、ちょっと浮かれてました。

トロント大学の経済学者の方のWebソースより抜粋しました。
かなり細かい情報が載っています。
>>146では省略してますが、当時の大工の親方の日給との比較もされています。
あと布なんかの日常品の価格も掲載されています。

つttp://www.economics.utoronto.ca/munro5/SPICES1.htm

153 :世界@名無史さん:2008/10/13(月) 22:14:03 0
すんまそん
>150 >152両氏
>146
> 15世紀前半

というとポルトガル/ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路(第一次1497年〜1499年、第二次1502年〜1503年)が未開拓じゃないでしょうか?

154 :151:2008/10/13(月) 22:14:26 0
>>152
おー、速レスありがとうございます。

155 :世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:27:26 0
>>153
ん!?

え〜〜、さておき拾いもんですいませんが。

某したらばより
>「パンとぶどう酒の中世」って本に紹介されてる十五世紀パリ庶民の日記にいわく
>「くさっても濁ってもいないぶどう酒が1パント(一リットル弱)あたり1ドニエ。超安くてゴキゲン」とか
>「卵が二個で4ドニエにも値上がりしてたガッデム」とか書いてるんだけどさぁ、
>1ドニエが食料価格からすると25円ぐらいで、だいたい12ドニエが1スウだから、
>まぁ1スウ三百円ぐらいで考えると良いって書いてあった。
>(貨幣経済なのに金本位制が生きてて、しかも十二進法と五進法がへまざってたりで、実はもうちょいヤヤコシイけど。
>貨幣が複数種類あったり物価の変動とか死ぬほど激しいけど)

http://mentai.2ch.net/whis/kako/1011/10117/1011754570.html
の17と24〜27が興味深い。

156 :世界@名無史さん:2008/10/14(火) 05:01:25 0
>>152=>>155氏、失礼。

157 :世界@名無史さん:2008/10/14(火) 22:48:05 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%99%82%E4%BB%A3
ウィキペディアより
>大航海時代(だいこうかいじだい)とは15世紀『 中 ご ろ 』から
>17世紀中ごろまで続いたヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・
>アメリカ大陸などへの海外進出をいう。


>十字軍の派遣はこのように失敗したが、皮肉なことに戦争によって
>東西交流が進み、ヨーロッパ商人とイスラム商人が盛んに
>交易するようになって経済が発展した。ヨーロッパから鉱物資源や
>毛織物等が輸出され、イスラムから『 香 辛 料 』や絹などの交易品が
>『 よ り 安 価 』にヨーロッパに流入するようになる。

『』でかこった部分は強調した部分です。
こういう感じで大航海時代『 初 期 』に、まずはアフリカや地中海東方
(所詮は聖地付近の東洋)と大航海し始め〜という意味で。
アメリカ大陸発見やらインド航路開拓なんかは、大航海時代でも
一大イベントであって、それのみを指すものではないと思います。

158 :世界@名無史さん:2008/10/14(火) 22:53:27 0
ただ、これを読んで、随分と大きな間違いにも気づきました。

>オスマン朝トルコが台頭して1453年ビザンツ帝国を滅ぼし、
>東西の中間に楔を打つように君臨した。オスマン朝トルコは
>東西交易による富を独占するために交易品に高い関税をかけ、
>さらにイタリア諸都市の海軍に勝利して地中海の制海権を得て
>周辺の経済を支配するようになった

つまり、大航海時代が始まったと同時期にオスマントルコが台頭し始め、
掴んだはずの香辛料貿易のうまみがどんどん無くなって行った。
だからこそアフリカ航路でインドと交易したりアメリカ発見に繋がったんだな、
とか。
金と胡椒が同じ値段で取引されていた時期って実はものすごく短かったのでは!?
とか。

159 :世界@名無史さん:2008/10/14(火) 23:15:50 0
なるほど、解説感謝です。

160 :世界@名無史さん:2008/10/14(火) 23:18:49 0
縄文と古代文明を探求しよう!−胡椒をめぐる争い(=大航海時代の始まり)
ttp://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/10/000346.html

161 :世界@名無史さん:2008/10/15(水) 00:04:06 0
>>158
それ、逆。
オスマントルコがそれまでの紅海〜コンスタンティノープル〜黒海・地中海という貿易ルートを押さえたから大航海時代が始まった。


162 :世界@名無史さん:2008/10/15(水) 00:34:43 0
いまどき「アメリカ発見」って・・・

163 :世界@名無史さん:2008/10/15(水) 07:59:37 0
>>157
致命的に読解力が無いな

十字軍が何世紀の出来事だと思ってるんだ。
引用している部分のすぐ後にもモンゴルだのマルコポーロだの書いてあるだろ。
その段落は大航海時代へと至る前史を記述しているに過ぎない。

つか、冒頭に
>主に西南ヨーロッパ人によって開始された。
>かつては地理上の発見あるいは大発見時代と呼ばれていたが、
>ヨーロッパから見た主観的な概念となってしまうので呼び名が大航海時代へと変えられつつある。

ともあるわけだが。

164 :世界@名無史さん:2008/10/15(水) 08:04:47 0
そもそも>>150
中世がいつまでかには幅があるけど、基本的にはビザンツの滅亡や百年戦争の終結をもって中世の終わりとするのが一般的では。
15世紀といったら確実に中世後期であり、
中世中期(盛期というほうが多いと思うが)といったら十字軍やってた11〜13世紀ころでしょう

165 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/10/15(水) 21:25:49 0
>>161
同じ国が貿易ルートを押さえること自体は貿易の安全にも資することなので、
それ自体が障害になるとは限らないと思うけど。

貿易に来る外国人を差別したとかwikiにある通り高い関税をかけたとか、
オスマントルコの貿易政策に問題があったんでないかと思う。



166 :世界@名無史さん:2008/10/15(水) 23:43:57 0
>>161

なるほど、逆なのですか。教えてくださりありがとうございます。
ともあれ97や146の時期よりはオスマントルコ時代や中世中期以前のほうが
胡椒が高価というあたりはよろしいでしょうか?


>>163-164

146>15世紀の前半の話なので
150>おお〜〜なるほど、この時期になると胡椒が随分安くなるのですね。
150>となると、やはり胡椒が高かったのは中世中期くらいまでで、
163>十字軍が何世紀の出来事だと思ってるんだ。
164>中世中期(盛期というほうが多いと思うが)といったら十字軍やってた11〜13世紀ころでしょう
1>中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)

■中世中期=5〜15世紀の真ん中あたり(胡椒高い)→十字軍などで交流が活発に
→中世後期(香辛料貿易のうまみを掴んで胡椒安い)■

150>大航海時代以後は劇的に安くなったと。
158>ただ、これを読んで、随分と大きな間違いにも気づきました。
164>ビザンツの滅亡や百年戦争の終結をもって中世の終わりとするのが一般的では。

■大航海時代初期=オスマントルコ台頭(胡椒高い)→大航海時代盛期=インド航路発見以降(胡椒『 劇 的 に』安い)■

文脈的に問題何もありませんよ。
間違っていた部分がある点について自己申告もしましたし。

167 :世界@名無史さん:2008/10/16(木) 00:00:13 0
ウィキより
>15世紀半ば、ポルトガルとスペイン両国は(中略)このころ頑丈なキャラック船や
>キャラベル船が建造されるようになり、イスラムを介して伝わった羅針盤を使用し
>両国は撤退するイスラム勢力を追って北アフリカ沿岸に進出するようになっていた
>(中略)スペイン両国は競い合って海に乗り出していった。

この頃には、まだまだオスマントルコに抑圧されていた様子はないです。
よって、イタリア商人などにマージン取られる必要も無いぶん、
146の例よりも、中世中期よりも、さらに胡椒が安かった可能性が高いかと思います。
その一方で、

153>ポルトガル/ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路(第一次1497年〜1499年、第二次1502年〜1503年)

があった背景には胡椒が無茶苦茶高かったというものが記憶にあります。
これらを考えるに、オスマントルコが覇権を握ってぼったくった時期、
すなわち胡椒が金の重さと同じ値段という時期は、かなり限定されるかと思います。

そして、これ以降は劇的に安くなっていったと思います。

168 :世界@名無史さん:2008/10/16(木) 00:18:50 0
何を今更という感じだが・・・
宗教上の理由でイスラムとの直接貿易を禁止していたのはヨーロッパ側。
ビザンチン帝国の崩壊で、イスラム商人−ビザンツ商人−ヨーロッパ商人
という経由で香辛料を買う事ができなくなった。
オスマントルコと香辛料の独占契約を行ったヴェネチアは破門されている。
(最終的には表向きオスマン領に住むキリスト教徒との取引という事になる)
破門されても平気なヴェネチア人以外のヨーロッパ人は別ルートを探す事になる。

問題があったのはヨーロッパの側だと思うが。

169 :67:2008/10/16(木) 01:06:42 0
どうも、なかなかビンゴな資料が見つからないです。
とりあえず、胡椒ですが13世紀後半だと1ポンドあたり12ペンス前後(1シリング)ぐらいだったようです。
別の資料だと、13世紀半ばで1ポンドあたり50ペンス前後(4シリング)ぐらいと4倍も価格差が出ていたりして混乱気味です。

おそらく、4シリング/ポンドの胡椒は長胡椒で1シリング/ポンドの胡椒は粒胡椒だと思われます。
ローマ時代でも同重量の金に匹敵すると珍重されたのは長胡椒の方で粒胡椒は2級品だったようです。
ちなみに長胡椒は需要がないのかそもそも貴重なのか、現在でもびっくりするぐらい高いです。
このサイトの通販だと、粒胡椒(黒)が25gで240円なのに対し長胡椒は20gで440円です。倍近く違います。
つttp://www.e-tisanes.com/original/cooking/ch115231.htm
つttp://www.e-tisanes.com/original/cooking/ch000013.htm

ちなみに1ポンドで上記サイトのそれぞれの価格を計算すると、粒胡椒が3960円で長胡椒が9900円……
意外と今でも香辛料はお高いようで。

170 :世界@名無史さん:2008/10/16(木) 13:14:04 0
一度味を覚えたら手放せなくなるし、シリコンチップと違って
性能が陳腐化することもないし、ほんといい商品だねえ。

171 :世界@名無史さん:2008/10/17(金) 22:58:31 0
>>169
俺も探してみました。ここ結構いいです。ただ参照文献が載っていません(w
ttp://homepage3.nifty.com/onion/labo/l-index.htm
ttp://homepage3.nifty.com/onion/labo/pepper.htm

>1世紀のローマでは、1リーヴル(約320グラム)の長胡椒が15ドゥニエ(現在の価値に直して1万円)、白胡椒は7ドゥニエ(約5000円)、黒胡椒が4ドゥニエ(約3000円)
>408年にローマ市が西ゴート族の王アラリックに包囲された時、当時のローマ皇帝は、都市を解放させるのにおよそ3000斤(1トン強)、現在の価値に直して2500万円相当の胡椒を代価の一部として支払ったそうです。

ttp://blog.goo.ne.jp/kosyou1
ここでは上のサイトの内容を部分的につまんだような内容が一部に(w
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/1099/spice.html
ここは砕けた口調で言っているだけで似たような内容が。
参考文献が同じなのでしょうか?



172 :世界@名無史さん:2008/10/17(金) 23:04:30 0
黒胡椒10円/gぐらいなら今と大差ないな。仕入れ価格か小売価格かにもよるが

173 :世界@名無史さん:2008/10/17(金) 23:32:53 0
ほら、中世ヨーロッパではローマよりもっと高かったんだよ。

174 :世界@名無史さん:2008/10/18(土) 23:28:58 0
主食はパンのほかポリッジやパスタなど穀物の加工食品であった。肉は格式が高く穀物や野菜より高価だった
。一般的な調味料は柑橘果汁・ワイン・酢であり、そのほか購買力のあるものには蜂蜜や砂糖が普及しており、
いろいろな料理に甘酸っぱい味付けがされた。


175 :世界@名無史さん:2008/10/18(土) 23:51:47 0
今でも肉が食えるのは上流階級
庶民は靴底みたいなオージーか
毒入りのチャイナしか口にできない

176 :世界@名無史さん:2008/10/18(土) 23:52:25 O
パンが無いならブリオッシュを食べればいいのにね

177 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 00:10:51 0
ブリオッシュの方が贅沢じゃないか

178 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 15:15:14 0
>>172
>>175

そういうこと言い出したら、地球全体の60%だかか1日1ドル以下の生活費で
生活している原状を考える必要がある。
今の日本でまともな成人男性なら、休日と平均しても1日5千円は稼げる。
独身貴族も多い現在、1日5千円の生活費ってのがマジで通る世界だ。

その感覚で言うなら胡椒の値段を50倍くらいで考える必要がある。
1リーヴル(約320グラム)の黒胡椒が150万円くらい、
と考えれば高いと感じるだろう?

179 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 15:32:31 0
>>178
1日1ドルの問題は難しいんだよね。
なぜ彼らは1ドルの稼ぎしか得られないのか、
地域経済そのものが1ドル以上の報酬を出せない規模なのかもしれない。

180 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 16:01:06 0
それは仕方ない。とにかくそういう統計があるとしか言いようが無いんだから。
というか、1ドル以下といっても色々あるんだろうしね。

蜀そのものが無くて、職の在る人は1日20ドル稼げるけど
働けるのは平均半分の日数で10人養わないといけない、とか。
(都会型)

全員でとにかく働いて農作業などをして、税金などを取られた後
残る作物が一人1ドル以下にしかならないとか。
つまり生産額そのものはもっとずっと高いけどぼったくられて
一人平均1ドル以下になるとか。
(農村型)

この農村型は、国が穀物を国の専売にして、公定価格で
勝手に買い取っていく、なんていうひでえやり方で極貧になってるタイプも含む。
国内の市場原理で決まる価格で売るなら、もっとずっと裕福なはずなんだ。

発展途上国では国家が輸出できる産物が農作物しかないなんて事がとても多い。
けどそれを普通に買ったら外国の穀物に対抗できない。
だから正当な相場よりずっと安く売らざるを得ない。
そのためには安く買わないといけない。だから専売制にする法律作って
安く買い叩く。都市部では食料が給料に比して無難な値段でないと
暴動が起こってしまうので、やはり安値で売らせるようにする。
こういう発展途上国は、都市部さえがっちり押さえておけば、
農村で反乱が起こっても何とかなると学習してしまっているからたちが悪い。
農民の不満なんて武力鎮圧すればいいと割り切ってるんだ。

181 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 16:48:30 0
で、どうにも職のない人間は出家してつつましく生きたわけだ。

182 :67:2008/10/19(日) 17:44:57 0
当時の価格を円換算にするよりも、1ペニーあるいは1シリングで何が出来たのか?
という比較の方が香辛料の感覚的な価格は理解出来そうな気がします。

Webソースになりますが、概ねこんな感覚になるようです。

収入(1337年)
自由農民:400ペンス/年
大工:800ペンス/年
最低生活費:200ペンス/年

物価
乳牛:120ペンス
パン(1ポンド×2):0.4ペンス
麦(1ブッシェル):10ペンス
豚:40ペンス(1338年)
胡椒(1ポンド):80ペンス(14世紀半ば)
ガチョウ:8ペンス(1375年)
卵2ダース:1ペニー(14世紀)

この辺から考えると、胡椒1ポンドは大工の親方の年収の約十分の一。一ヶ月分以上はすっ飛ぶ計算になります。
豚で言うと二頭分。
ただ、胡椒はそれほど一回あたりの量が必要ないのでちょっとした贅沢という感覚で使えたような気もします。

参考URL
つttp://www.fordham.edu/halsall/source/medievalprices.html#FOOD AND LIVESTOCK
つttp://www.hyw.com/Books/History/Money__I.htm

183 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 18:11:39 0
なるほど、確かに1ペンスで何が出来たのかを考えたほうがよさそうですね。
胡椒はそれほど量が必要ないについては、領主なんかは宴会で
面子にかけて大量に使ったとかの話を考えるとそれなりには量が必要だったのかな。
庶民は「高価だからもしわけ程度にしか胡椒を使えない、俺たちは貧乏だな」
とか思っていたのでしょうか?

とはいえ当時の生活水準考えると結構日本なんかより裕福そうに見えますしね。

184 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 18:27:30 0
農業の生産性は日本の方が圧倒的に高かったけどね。
つーか、日本ネタは荒れる元だから。
荒らしたいなら話しは別だが。

185 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 19:26:28 0
見てるとあなたのほうが噛み付きたくなるからやめてくれとおっしゃってるように思えます。

まあ現実的な事を言えば比較検討の対象がなければ相対的な状況は
わかりませんので、禁止は議論そのものの検証性を下げる&
難しくするので却下させていただきます。

186 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 21:02:45 0
都会じゃ10ドルかかるところが
田舎じゃ1ドルですむっていう計算もできるよ
1ドルしか稼ぎがないから貧しいとは言えない数字のマジック

187 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 21:13:37 0
さすがに10倍の差を普遍的とか言いきるのは強弁の類だと思います(w

が、田舎だといろんなもの、特に生活必需品が安くなりやすいという
レベルの話であれば賛同いたします。

田舎だと都会と比べて質が悪くても問題視されにくいという辺りもあって、
1/3の収入だから摂取カロリーも1/3とかって事はないですからね。
確かレ・ミゼラブルでも小麦のパンを食べずに黒パン、それより
ランクのずっと低い稗や粟を食って生活費を節約して〜
見たいな話があったんじゃないかと思いますから。

188 :世界@名無史さん:2008/10/19(日) 23:28:43 0
この格差社会、なんでも100均でそろえる人と
ブランド物を買う人とじゃ100倍の差があるな

189 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 00:42:51 0
日本と比較するなら当時の日本のデータも必要だが、あんのかな?

190 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 00:50:53 0
その理論はおかしい。
同じ給料の人でも百円ショップを良く利用する人もいれば
ブランド物にこだわる人もいる。

が、それは生活物資(嗜好品等も含めて)全てをそれで賄えるわけじゃあない。
一部をブランド物でそろえるというだけであって、それ以外の物資は逆にケチっていたりする。

いつもは百均でケチって金を貯め、それでブランド物を買う等というのが普通。

191 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 01:37:36 0
一般人が色々と選択できるようになったのは20世紀後半以降の先進国等一部の国、地域だけでしょ

192 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 02:59:28 0
田舎はそもそも貨幣を使わない生活だよ。
分業の進んだ都市だから貨幣で交換するけど、
自給自足が基本の農村では貨幣を使う機会自体があまりない。
都市では年間100の貨幣を入手できても、
田舎じゃ地代に払った後の可処分貨幣は100には遠く及ばない。

193 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 08:48:56 0
中世の中でもヨーロッパってだけでなんで特殊な感じがするんだろう

194 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 08:52:31 0
気のせいじゃないの。

195 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 08:59:32 0
たぶん建物や衣装が他の地域や時代と違って独特だからだと思う
ゲームやファンタジーの世界に出てきそうな世界だもんな

196 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 09:00:52 0
>>193
セレブだからだろう

197 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 10:03:34 0
キリスト教プロパバンダの影響

198 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 10:18:34 0
確かに中華やイスラムよりは華やかなイメージがある

199 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 10:28:22 0
実態はどう考えても中華やイスラムのほうが華やかだったんだけどな。

今のヨーロッパの中世イメージは、19世紀から20世紀初頭にかけてのロマン主義の流れの中で
再構築されたもの。

ぶっちゃけて言うと妄想の産物。

200 :67:2008/10/20(月) 12:45:40 0
中世ヨーロッパがなんとなく特別に思えるのは、やっぱりイメージなんじゃないかなと思います。
身も蓋も無いことを言えば、幻想的な映像作品のモデルとして喧伝されまくっている。
イスラムなんかだと、アラビアンナイトぐらいしかすぐには思いつかないわけで。
これが中国とかになると、今度は身近すぎて異国情緒に欠けてしまう。

あと、中世ヨーロッパはローマが崩壊した後の衰退が著しく、ローマとゲルマンの文化が混在していく過程がかなりダイナミックだからではないかと。
中世ヨーロッパの都市というのは、早い話がローマの系譜であり、農村や地方領主のそれはゲルマンである。
という説があるそうで。

中世ヨーロッパの農村の食生活が単調かつ貧しくなったのは、やはり農村が貨幣経済に組み込まれる12世紀以降のようです。
それまでは、フカフカの白パンこそ無かったものの、森林資源を背景にした「農耕」「牧畜」「狩猟」「採集」の混在がかなり理想的に運営されていたようです。
このころの農地はスペルト小麦、小麦、ライ麦、大麦、オート麦、混在麦など麦だけでもかなり多種多様でした。
これが貨幣経済が本格的に復活してくると、スペルト小麦が消え、混在麦が消え、パンとして有用な小麦とライ麦、それとアルコールを確保する大麦。
粥としてのオート麦とどんどこ種類が減っています。
森林面積も農耕機具の発展と人口の増加によりガソガソ減少し、農村では肉が貴重になっていったようです。
結果的には貨幣経済がどっかりと農村に食い込む頃にはパン(雑穀)や麦粥・豆類・ワインもしくはビールというえらく単調な食事になってしまっていたようです。


201 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 12:59:53 0
以前このスレで「中世ヨーロッパに憧れるのはなぜか?」と言う問いに、
「つ女子高生」と言う答えがあったのは秀逸だと思う。
結局妄想の産物なんだよ。
中華やイスラムはもとより日本の方がずっと繊細で華やかなだけどなあ。
俺は華やかさと言うより朴訥としたイメージに惹かれるんだけど。

202 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/10/20(月) 13:35:23 0
思うに日本の一般人は、中世と近世(絶対王政期)の区別が曖昧なんでないかと。
絶対王政期になると確かに派手で華やかなんだよね。
ベルサイユ宮殿で着飾って舞踏会やって〜という。



203 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 14:11:49 0
だからそういうのは間違いだよとこのスレから発信しなくては。
中世とは剣と魔法の時代なのだよ。

204 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 14:19:20 0
もっと単純にファンタジーの影響だと思うけど。
幻想と現実の混在したイメージとでもいうか。
近いところではアニメやゲームだし、古いところではルネサンスあたりで生まれた歌劇とか。
その舞台として都合のいい中世ヨーロッパ像ができあがったんだろう。
代表的なところで竜と騎士とか。アーサー王の伝説も時代的には中世だし。
時代としての具体的な内容はともかく、導入としてはこのあたりの物語や神話がきっかけだろう。
古い世界史のとっかかりとしてはもっとも入りやすいのが中世ヨーロッパといわれる時代なだけじゃない。
日本の文化とまるで印象が異なりながら、どこか似たような雰囲気もあるのもポイント高そうだ。

205 :67:2008/10/20(月) 14:29:13 0
ウィザード(原題:THE NAVIGATOR: A MEDIAEVAL ODYSSEY)という映画があります。
当方も中世ヨーロッパ=指輪物語なイメージを持っていた時にこの映画に出逢ったわけですが……

あっさりと剣と魔法とロマンの世界は砕け散りました。

陰鬱な重たく曇った空。
寒々しい丘陵地帯に、コケのごとくへばり付く農村。
折しもペストが猛威を奮い、見知らぬ顔を見かけたら脱兎のごとく駆けだして村人にご注進。
集まった村人はめいめい石を拾って、遠巻きに投げつける。(弓矢じゃないところが、また陰惨でリアルです)
投げるのは石だけじゃなくて、枯れ枝とかも混じってる。
着ているモノはぼろ切れとしか表現のしようのない代物で、貫頭衣なんだかシャツとズボンなんだかもよくわからない。
顔は垢でテッカテカで汚れ放題。どんな顔つきかもイマイチわからない。

面白くとも何ともない映画ですが、このスレ的には一見の価値はあるかもしれないです。



206 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 14:40:43 0
中世的な暮らしを送っているネパールの高地人やチベット人、
ブータン人でもそんな酷いなりはしていないが、凄いな。

207 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 14:48:51 0
当時は野蛮な文明後進国だもの

208 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 14:53:22 0
魔法=呪術、迷信とすれば間違いではないな
そういう意味では日本は中世以前の呪術があふれてる国なんだけどな

209 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 16:04:43 0
中世イスラムなんざ今とかわらん野蛮な世界だろ
中華も国が大きい割にはいまいちだし
ヨーロッパって世界地図で見るとあんなに小さいのに
世界史の重要な出来事の八割は占めてるもんな

210 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 16:09:05 0
とはいえ、12世紀と13世紀のはじめの方3/4ぐらいまでは
そう悪い時代じゃないだろ?
それ以前(中世初期)と比較すれば当然のこと、その後の
ペスト流行期とか宗教戦争の時代とかと比較すればの話だが。

211 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 16:20:56 0
人口の増加と貨幣経済復興による、農村部に対するモノカルチャー的な都市からの要求および森林資源の後退。
これがなければ、中世ヨーロッパもなかなかのものだと思う。

つか、飢饉とかって13世紀以降にしか聞かないような。。。

212 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 16:38:04 0
聞かないから無かったんだな
やはり中世は豊かな時代だったんだ

213 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 16:48:40 0
記録に残るような「飢饉」は大飢饉の事。
中世社会は、現代的な意味では、慢性的に「飢饉」だった。
秋の収穫物では冬をしのぐのが精一杯で、春になると多くの人間が餓えて死んだ。

214 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 17:09:29 0
中世は温暖化で大豊作だって言ってたよ

215 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 17:24:54 0
豊かだったらアラブに掠奪に行ったりしないだろう

216 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 17:41:59 0
十字軍は、略奪が主目的じゃないよ。
ごろつきを追い出すのが目的w

217 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 17:53:08 0
どう見てもごろつきはヨーロッパだろう
民衆十字軍なんて乞食の群れ以外の何でもない

218 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 17:54:04 0
農業生産増→人口増→周辺領域への拡大
という流れだな。

十字軍
ドイツ東方植民
レコンキスタ
イングランドによるケルティック周縁の征服
等々。

219 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 20:17:27 0
十字軍は、当時の民衆とか下流貴族の日頃の不満をそらすためって気がするなぁ。

220 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 20:58:09 0
ヨーロッパはアジアやアフリカより面積は全然小さいのにいろんなことが起こるよな

221 :67:2008/10/20(月) 21:46:58 0
十字軍があれほど熱狂的だったというのは、ちょうどその頃から欧州の社会システムが大きく変わる時期でもあったというのが大きいっぽいですね。
まず、気候が温暖になったこと。
鉄製の農耕機具が手に入りやすくなり、開拓が進んだこと。
ヴァイキングの教化がほぼ完了し、定期的な略奪が激減したこと。

この結果、人口が一気に増えたわけですが、これが社会を不安定にさせてしまった。
子作りなんてのは、概ね豊かなときに励むわけですが、いくら温暖になったとはいえ収穫が安定していたわけではないわけで。
つまり、増えた分だけ飢えやすくなる。
この時期の食料の増産は耕地面積が増えたことに起因するモノで、決して収穫倍率が劇的に向上したせいではないわけです。
また、森林面積が無視できない速度で減少する→森林で飼っていた豚さんなどの食肉の入手が厳しくなる。

さらに、当時のヨーロッパの飢饉の原因は天候の不順もさながら略奪などによる農耕地の荒廃というのが大きかった。
ヨーロッパの身分制度は「聖職者」「戦闘職種」「農工商」の三身分からなっていて、戦闘職種の連中は戦争できなきゃ山賊盗賊夜盗となって農村を荒らしたおしたわけです。

そんなこんなで、食うや食わずというよりも生きるか殺されるかという不安と小金持ちが増えたことにより巡礼が大ブームになった。

要するに十字軍というのは戦争しか能のないウォーモンガーどもに大義名分を与え、大ブームになっていた巡礼者を大流出させるという壮大な口減らし大作戦であった。

という気がするわけです。はい。
もっともライオンハーティッドみたいに売れる物は全部売り飛ばして聖地に戦争しにいっちゃう香具師もいるわけですが。

222 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 22:15:04 0
十字軍にそういった政治的、経済的思惑があったのは事実だろうが、やっぱ根底にあったのは(はた迷惑な)宗教的情熱だと思うぞ。

223 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 22:22:57 0
>>222
67さんに意見するとは

224 :世界@名無史さん:2008/10/20(月) 23:35:14 0
贖宥状のもとになったともいうしね

225 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 01:29:39 0
>>209
今時ヘーゲル史観w
後進地域が急激に発展することは良くあることだ

226 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 01:32:06 0
>>220
中国ほど多くのことが起こった地域はないぞ。
お前が中国史をしらないだけだろう。

227 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 01:48:31 0
釣り臭いのにレスすんな。

228 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 06:27:07 0
今のイスラム過激派を見るような目で見られてたんだろうな、十字軍

229 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 07:58:11 0
むしろ過激派の原型が十字軍かも・・・・

230 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 08:29:53 0
イメージだけなら十字軍も夢一杯の冒険物語だよなあ

231 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 09:50:28 0
なんでアラブ諸国はヨーロッパに抜かされたんだろ
中世はあれだけ押してたのに

232 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 10:17:12 0
>>231
新大陸の金の力

233 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 10:37:08 0
スペインにおけるレコンキスタ

インド航路の開拓。

ロシアの南下による、オスマン家の支配権の崩壊

234 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 11:23:52 0
>>221
こうやって見るとアフリカって中世なんだなぁ
人口が増えて食えない
環境悪化で生産が減る
略奪で生産が減る
農地を求めて移動し紛争勃発
あと病気

>>231
ヨーロッパが中世を脱し始めた頃から、イスラム帝国では神学が重視されそれ以外の科学が軽視されるようになっていった
後は衰退と、それによる宗教傾斜の悪循環

235 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/10/21(火) 11:37:05 0
>>233
レコンキスタとロシアの南下には数百年くらい開きがありますが。

ヨーロッパは各国が戦争ばっかりやってたのが大きいと思う。
おかげで製鉄や各種の武器、築城技術、その他科学技術の開発が物凄く進んだ。
非ヨーロッパは経済力では五分五分かそれ以上だったかも知れないが、
軍事力でヨーロッパに圧倒された。



236 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 12:59:20 0
>>231
コンスタンティノープルの陥落で大航海時代が始まり
東西交易でお金が落ちなくなっていったから

237 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 12:59:44 0
>235
数百年におよぶ抗争で潰したと。

238 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 15:50:42 0
アラブも宗教に傾斜しなければ順調に近代化したかも
そもそも近代化という概念もヨーロッパ発だが

239 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 18:18:15 0
ヨーロッパ中世というのは世界史の華

この時代ほど興味をそそる時代はない

240 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 18:21:10 0
イスラム中世こそ近代の始まりといってよいのではないか

241 :世界@名無史さん:2008/10/21(火) 19:06:12 0
今のアラブを見るとかつて先進国だったとは思えない
今のEUを見るとかつて中進国だったとは思えない

242 :世界@名無史さん:2008/10/22(水) 00:53:08 0
中進国どころかアフリカレベルじゃん

243 :世界@名無史さん:2008/10/22(水) 16:59:23 0
アフリカよりはまし
日本のほうが遅れてた

244 :世界@名無史さん:2008/10/22(水) 18:11:50 0
>>243
10世紀くらいの欧州は後進もいいところだよ
日本にも適わない

245 :世界@名無史さん:2008/10/22(水) 19:25:29 0
石の組積造=ゴシック=すげー建築技術だと思ってるんじゃねーの

246 :67:2008/10/22(水) 19:26:02 0
>>231
欧州の中世後期〜近世の爆発的な発展は概ね次の理由に支えられてのことではないかな、と思います。

・中世盛期の前半ぐらいから、中東との交流が活発化した。
・このオリエントとの交流により、中世三大発明(というか三大改良)という武器を手に入れた。
・衰退するほど不安定ではなく、停滞するほど安定していなかった。
(個人的にはコレが一番大きいと思います)

これらの結果として、欧州の全体的な傾向として常に膨張傾向にあったと言えるかと思います。
(ペストなどによる人口激減期は微妙ですが。。。)

こういった内在するエネルギーが絶対王政の確立と共に、効率的な経済力や人員といった国家リソースの集中をもたらすことになりました。

一方、栄華を誇っていたオスマン朝やサファヴィー朝などは欧州ほど不安定ではなかったために腐敗や無能化でも国が滅びるには至らなかった。

中途半端に永らえた国家が滅亡ではなく衰亡する時、概ね外国勢力の草刈り場と化します。
これは「外交」による延命に見せかけた、内部侵略が可能になるからで、結果として中東は近世以降、西洋に飲み込まれることになったような気がスルです。

……考えてみれば、ロシアも似たような境遇だったんですが。。。
冬将軍、偉大なり。

247 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 01:14:04 0
マルコ・ポーロの旅行記も「そんな夢みたいな話はありえない」つって
マルコも法螺吹きおじさんとして生涯を終えたほどだからヨーロッパはかなり後進だったんだろう

248 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 01:17:07 0
18世紀でもオランダの使節が日本の農民を「ヨーロッパより豊かで自由」って言ってるな。

249 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 10:17:26 0
東北に行けばそんな感想は抱かなかっただろうに

250 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 10:18:43 0
東北でも「ロシアより豊かで自由」と言ってくれただろう。

251 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 10:31:40 0
オランダ人が?

252 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 10:37:58 0
東北通ってくるのはロシア人くらいだろ

253 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 13:02:18 0
東北にも優れた文化があるのは事実だろ
東北は飢饉なにもないと思ってるヤツは日本史を勉強しろ

254 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 13:34:16 0
東北は12世紀くらいは奥州藤原氏が平泉を中心に色々やってて文化的にもかなり発展したのにね
何で無視するんだ

255 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 13:36:03 0
無視するもなにも、このスレは中世ヨーロッパスレだからだろーに。

256 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 14:12:08 0
というか、優越-劣等の比較はポジティブでないというか、
主観的な決め付けの要素が大きく学究的でないからね。

257 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 15:54:35 0
>>244
後進か?
イスラムに追いつけ追い越せと中進国だったと思うぞ
後進国って古代の日本やアフリカのようなところだろ

258 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 17:26:19 0
>>257
どう考えても後進だろ。追いつけ追い越せどころか…

259 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 17:41:21 0
ヨーロッパの中世って、1000年近くあるんだが。
それを一括りに後進だの中進だの先進だの、無茶もいいところだろ。
とりあえず、11世紀ぐらいまでは後進国つってもいいと思うぞ。
ローマ崩壊と共に崩れ去った貨幣経済がフカーツするまでは、明らかに遅れてるし。


260 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 17:46:23 0
そもそも地理的にどこまでを指して言ってるのかにもよるな。
10世紀以前でもビザンツあたりはまた話が変わるし

261 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 18:20:29 0
それはローマ圏では?

262 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 18:25:21 0
1レスより転載。

中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)
前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)
初期中世:大まかに5〜10世紀
盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。
末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀




時間的に等分に言えば5〜8世紀が初期、9〜11世紀が中期、12〜15世紀が後期、
とは思うし、ローマとガリアやゲルマンが区別されていたように
ローマ文化圏は別物として考え、広義の意味でだけ中世ヨーロッパに入れたほうがいいと思うけどね。

263 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 18:33:26 0
このスレ的には
東ローマ帝国領−アフリカ沿岸+ブリテン+アイルランド+北欧+東欧(ウラル山脈以西)
って感じでいいんじゃまいか?
ローマ文化圏という考え方はどうかなあ。
ドイツあたりでは、かなりローマの残照が根強かったわけだし。

264 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 19:28:50 0
このころ調味料っていたらどんなもんじゃろな。
やっぱ塩くらいなもんか?甘味料はどーなっとたんだろ?

265 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 19:33:43 0
蜂蜜とか?

266 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 19:44:25 0
蜂蜜の他に各種果実、干しぶどうとか、桃、ベリー類、いちじく、なつめやし(十字軍以降)、あと香辛料の肉桂(シナモン)も甘い風味で甘味を補うのに使うかな。

267 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 20:06:39 0
さとうだいこんは意外と歴史は浅いんかね?
使われてなかったんかな?

268 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 20:56:45 0
>>257
道路というのは文明の一つの尺度で、ローマの街道は有名だ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E9%81%93%E8%B7%AF
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E9%81%93%E8%B7%AF

他にも比較の基準は沢山ある。
例えば聖武天皇の百万塔に示される工業生産力などもそうだろう。
古代日本が後進国だとどんな基準で言えるんだ?

269 :67:2008/10/23(木) 21:44:18 0
>>264
10世紀以後の中世ヨーロッパの味覚は基本的に「辛味・酸味・甘味」の三つに、油脂類のこってりによって構成されていたようです。
辛味はスパイスや香味野菜から、酸味はビネガーやワイン、甘味は蜂蜜やドライフルーツを使っていたようです。

とくに蜂蜜は、宗教的な理由から養蜂が極めて活発であったために比較的お手軽な甘味料だったようです。
フルーツ類はドライフルーツをさらに煮詰めたり崩したりして甘味を強くしたジャムっぽい使われ方もしたらしいです。
砂糖に関しては12世紀ぐらいにサトウキビが栽培されてはいましたが、需要を満たすだけの量ではなかったようです。
また、この頃の砂糖の扱いは調味料というよりも医薬品だったようです。
もっとも、上流階級ではステータスシンボルとしてスパイス類と同じようにたっぷりと使われたようです。

こってりを演出する油脂類ですが、暖かい地域ではオリーブオイル。オリーブが育たなくなる地域ではバターやチーズの形で提供されました。
もちろん、獣肉の脂もきっちりと使われ、ソース類として大活躍していたようです。

270 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 22:19:10 0
どこまでいっても続く原生林のなかにぽつんぽつんと集落が点在する世界のどこをさして
先進だとか日本よりとか言ってるのかよくわからん

どういう風景をイメージしてるんだろう。もしかして21世紀に撮って来た石造りの風景写真を
イメージしてるんだろうか

271 :世界@名無史さん:2008/10/23(木) 23:21:37 0
和製ファンタジー辺りのイメージを現実と思い込んでる人が、
ヨーロッパ中世に変な思い込みを抱いてるんだろうな。

だからと言って暗黒の中世というまで行くとまた別のフィルターが掛かって来る訳だが。
農業技術の発展、建築技術の発展、商慣行などの社会的仕組みの発展、
それなりに中世に発展したものも多くあるし、その全部が全部イスラムやアジアからの
借り物と言うわけでもなく、ヨーロッパ独自の発明も色々ある。

イスラム文明の周辺に過ぎないと言えば言い過ぎだが、
周辺地域に影響を与えるほどの先進文明でも無かった訳で、
ヨーロッパ中世は中進文明だったと思うな。

272 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 00:11:19 0
中進なんて言葉作るなよ

後進地域だったわけだし

273 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 00:20:16 0
なんか、後身後身言ってる人からは、絶対後身にしてやると言う怨念を感じるなwww

274 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 00:33:02 0
中進(国、地域)は普通に白書なんかでも使ってるぞ。
IMEなら変換できるしな。

275 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 01:12:33 0
で、何で「中」だなんて言えるの?
先進諸国に発展度で劣るから後進国なわけだが
ヨーロッパは何を以って中進だと言えるんかね

276 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 01:36:24 0
最近出た講談社学術文庫の
「中世ヨーロッパの農村の生活」ってどうよ。
13世紀末から15世紀初頭に的を絞った作品だけど
文章の主題がいまいちハッキリしないような感じを受けた。ただ
法廷記録を一次資料に使ってるんで賦役や税に関する記述が多かった分
これだけ厳しく管理されてりゃワットタイラーもブチ切れると思ったわ。

277 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 01:40:16 0
そんな、中世といっても何百年もあるわけで。

そういや十字軍直後のブリテンを舞台とした「修道士カドフェル」のドラマ化に際しては、森がないってんで東欧まで出かけて撮影してたな。

そんなんだから主要登場人物の一人の都合がつかなくなってキャスト変更しなくちゃならなくなるんだよ、とか。

それはともかく、中進・後進なんてばからしいよ、いつまで主観的なきめつけで堂々巡りやる心算だ?


278 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 01:42:06 0
>>276
シリーズ最初の、「中世ヨーロッパの城の生活」で既に通読を放棄中。

279 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 02:06:15 0
やっぱり中世は12世紀までだな

280 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 06:21:52 0
>>269
ほー
塩ばっかなイメージありましたよ。サンクス。

281 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 12:07:59 0
カール大帝のころはイスラムより少し遅れてた
第一回十字軍の頃はイスラムと対等だった
百年戦争の頃はイスラムをわずかに超えてた

282 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 12:26:12 0
>281
君の主観はよくわかった。書き込めて満足しただろうから、もう黙ってろ。

283 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 12:27:41 0
10世紀以前
ビザンツ>イスラム>西ヨーロッパ

12世紀前後
イスラム≧ビザンツ>西ヨーロッパ

大航海時代前夜
オスマン朝>イスラム≧西ヨーロッパ

大航海時代全盛
オスマン朝>西ヨーロッパ>イスラム




284 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/10/24(金) 12:31:22 0
>>281
それで何でハンガリーがオスマントルコに負けるのかね。

個人的には欧州>イスラムとはっきり言えるのは
17世紀後半以降だと思う。

285 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 12:33:20 0
いつもの釣りだろ

286 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 12:42:25 0
十字軍時のイスラムは西洋と対等だったと思う
防衛線なんだから勝って当たり前
押してたのはウマイヤ朝のときだけ

287 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 15:24:08 O
軍事面だけで先進・後進論じちゃ駄目だろw
「北朝鮮は核持ってるから先進国」なんて言うようなもんじゃないか

288 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 15:51:47 0
蛮族が文明国を占領した例なんて世界中幾らでもあるしな。
征服した後で新しい文明が生まれることはあるにせよ。

289 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 17:55:53 0
モンゴルが世界征服をしてた時モンゴルが最先進国だったというようなもんだしな。

290 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 18:00:40 0
普通の村人とゴブリンではどっちが強いのですか?

291 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 18:01:09 0
>>289
それは一部あってるだろ
フビライの時代はモンゴルが最大にして先進の国だったよ
世界規模の貿易構想ってのはもっと後の時代にならないと他の国は実践できなかったのだし

292 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 18:17:07 0
フビライの時代はもう世界征服じゃなくて保守の時代じゃん

293 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 18:25:53 0
>>292
元寇って何時だっけ?

294 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 18:30:08 0
>>293
元寇とベトナム侵攻の失敗で東アジアでの膨張策は止めを刺されるし、
西方はもっと早く分裂とイスラム化が始まってる。

全体的に見ればフビライ時代がモンゴルにとって既に保守の時代に入っていたのは間違いではない。

295 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 18:37:05 0
>>294
フビライの時代は保守の時代じゃなくて膨張から保守への転換期だってことだな
世界制服をしてた時期でもあるし保守してた時期でもあるわけだ

296 :世界@名無史さん:2008/10/24(金) 18:38:10 0
アッチラ大王のフン王国やガイセリック率いるヴァンダル王国が
ローマ以上の文明の担い手だったと言う方が良いかもな。

297 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 13:29:06 0
フン族やモンゴルがヨーロッパを支配していたらどうなったんだろう
日本の場合も見てみたい

298 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 13:30:01 0
>>297
どうにもならなかったんじゃない?当時のヨーロッパを過剰評価しすぎ。

299 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 13:45:50 0
ハンガリーってモンゴル系のカザフ人とトルコ系のマジャール人の混血でしょ?

300 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 14:16:23 0
>>297
案外、うまくやってたかもね。
でも、モンゴルに反抗する勢力ができたりして、
いまとは全く違う国境ができていたんだろうなぁ。

301 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/10/25(土) 14:53:15 0
1241年のワールシュタットで、モンゴルと戦ったポーランド軍とドイツ軍の
「ドイツ軍」って、神聖ローマ帝国の諸侯軍のことだよね?
当時の皇帝はフリードリヒ二世で、イタリア政策ばっかりやってて
ドイツ方面は熱心じゃなかったって話だから、
もしオゴタイが後数年生きててモンゴルが本気でドイツに攻めて来たら、
ドイツ諸侯がフリードリヒ見捨てて、対立皇帝(国王)立ってたりしてたかも。



302 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 15:05:32 0
モンゴルの騎馬隊が通用するのは平原だけ
森が多いヨーロッパを征服するのは無理がある
ワールシュタットも平地だし数で押した局地的な戦闘に過ぎない

303 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 15:37:36 0
>>302
モンゴルが騎馬戦術だけで勝ち進んだとか本気で信じてるのか?

304 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 16:10:46 0
圧倒的な数、電撃戦、偽装退却
どれも姑息な手段ばかりですね、わかります。

305 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 17:35:42 0
正々堂々が戦いだとか思ってる奴は騎士道物語でも読んでオナニーしてればいいさ

306 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 17:55:51 0
姑息でない戦いなど

307 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 17:58:39 0
姑息を体系化したものが戦略

308 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 18:59:14 0
泥濘に重装騎兵で突撃したフランス万歳
動けない所に弓を使ったイギリス軍姑息
こんな感じか

309 :世界@名無史さん:2008/10/25(土) 20:54:24 0
>>297
現地に吸収されるだけじゃないかな

310 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 00:35:18 0
300人の○○兵が迫り来るモンゴルの大軍団を打ち破った
とかなら映画になったのにな

311 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 08:25:34 0
当時のヨーロッパで300人つったら結構大軍じゃないか?

312 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 08:44:47 0
300人の重騎士が、とかならばね。

313 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 14:55:41 0
300人の大強盗団じゃないのかw

314 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 15:28:56 0
近世のずいぶん後のほうまで、軍隊と盗賊は同義語だな、ヨーロッパじゃ。

315 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 18:28:44 0
外国人の傭兵が多かったよな。
軍隊とか盗賊団とかよりも、略奪が主要産業の難民キャラバンとでも言った方が正解に近いと思ったが。

316 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 19:13:49 0
カトリック圏内では三職分っつう身分制度が確立してたからね。
だから、支配階級を構成していた戦闘階級は生産性のある仕事に従事できなかった。
支配者としてのあがりを期待できる領主や跡取りは食っていけたけど、次男坊や領地無しの騎士階級なんかはそういかない。
自分で食い扶持を確保しようにも、商人にもなれない。職人にもなれない。農奴にはなれるかもしれんがプライドが許さない。
となると、大義名分を掲げて略奪するか傭兵するか騎士団に入ってパトロンに恵んでもらうか、坊主になるかしかないわけで。

傭兵騎士団って、戦争が無くて食えない時分は治安維持とかいう名目で集落から守り代かすめるチンピラか私掠船の地上モードでしかないもんね。
おまけに、騎士装備(従者込み)の維持費って半端じゃなかったし。

トーナメントって、騎士の数を一定に保つのと同時に騎士保有資産を収斂させるって意味もあったらしいし。
負けたら身代金と名誉失墜で廃業→騎士の口減らし。
勝てば名誉と身代金ゲット。うまくやればパトロン付き→エリート騎士の養成。

自由民より世知辛い暮らしだったんだろうなあ。

317 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 19:18:29 0
十字軍に従軍してフロンティアへ行こう、と

318 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 20:55:52 0
ワールシュタットの戦いでドイツ騎士団はガチガチに装備を固めたが
モンゴルの弓騎兵の前には無力だった
一方トゥールポワティエの戦いでは重装備のフランク軍が
軽装備イスラム軍を押し切る形で勝った。

319 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 21:06:33 0
>>318
レグニツァの戦いにドイツ騎士団なんかいねーよタコ

320 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 21:15:47 0
そうするとドイツ騎士団がいたとワメイテいるポーランドの歴史家は嘘つき揃いということだな。

321 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 22:28:02 0
>そうするとドイツ騎士団がいたとワメイテいるポーランドの歴史家

具体的に誰?発言のソースは?


322 :世界@名無史さん:2008/10/26(日) 22:40:00 0
キェニェーヴィチのポーランド史くらいよめよ。
ポラックはポーランド好きのくせにポーランドの歴史書も読まないんだな。
やっぱポーランドネタでアラシがしたいだけか。

323 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 01:14:55 0
>>321-322
元ネタはヤン・ドウゴシュの年代記じゃないの。
ドイツ騎士団についての部分が後世に挿入されたかどうか議論になってて
それが>>319の発言につながってくるわけだ。

324 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 01:27:27 0
ドイツ騎士団とタタールが実際に戦った例としては14世紀末のヴォルスクラ河の戦いと
15世紀初頭のタンネンベルクの戦いがある。
参考までに言うと、後者の戦いでは軽騎兵が中心だったリトアニア兵とタタール兵は
緒戦ではドイツ騎士団の攻撃を支えきれず退却している。
後で戻ってきてドイツ騎士団は思いっきり側面を突かれる形になり敗北するのだが。

325 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 01:30:46 0
議論の内容のソースは?どこでだれが議論してるの?

326 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 01:39:33 0
>>325
まあまあ、堅いことは言わずに

327 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 01:50:49 0
>>325
Gerard Labudaって人が言い出したんだそうだ。
ttp://www.allempires.com/article/index.php?q=battle_liegnitz

328 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 16:55:39 0
>>322
キェニェーヴィチのポーランド史でモンゴル来襲のときにDeutscher Ordenがポーランドにいたと?
そんなことひとっことも書いてないだろ・・・

シレジア公ヘンリクのポーランド騎士たちを助けるためにドイツからやってきた援軍の騎士たちと、
Deutscher Ordenは違うものだぞ



329 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 16:58:17 0
ポラックとかポーランドネタでアラシとか、それよりも自分自身がアラシだろうが
このスレに来てほしくないです

330 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 17:04:18 0
>>328
いやDeutscher Ordenも呼ばれた
シレジア公ヘンリク率いる全5軍のうちの第4軍が修道会総長が率いるチュートン騎士団
ここでボコボコにされて、その翌年にはロシアに行ってアレクサンドル・ネフスキーにボコボコにされてw
戦争に勝ったためしがない

331 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 17:11:55 0
>>330
というか>>327のソースでは、
ドイツ騎士団はいなかったんじゃないか、ドゥウゴシュの記録でドイツ騎士団がいた話は創作で後の時代の挿入ではないか、
と書いてある↓

Controversy about the battle
Presence of Teutonic Order at Liegnitz (Legnica)

(Note: Some names require the encoding to be set to "Eastern European" to be viewed correctly)

In the recent studies provided by the polish miedeval scholar Gerard Labuda, some discrepansies in
Annals of Jan D3ugosz have been disovered. Initially D3ugosz specifies four polish units but when he
comes to the details suddenly five units appears. Critical analyze of D3ugosz's Annals have proved that
the fifth unit - Teuton Knights commanded by the Grandmaster Poppo von Ostern - were added after
the Annalas had been completed.. According to this supplement the Teutonic unit were nearly anihilated on
the battlefield and its Grandmaster was killed. However according to other sources Poppo von Ostern was
appointed to the position of Grandmaster in 1252 (11 years after the Battle). Due to the services rendered to
the franciscans, he was burried (1263) in the church of St. Jacob, where Prince Henry was also burried as well.
Because of the proximiy of their burial locations, the legend arose that Poppo von Ostern was killed in the
battle of Legnica as well. Nevertheless the most possible theory is that the Teutons (a least as separate unit)
never participated in the battle of Legnica...

年代が合わないのが最大の理由


332 :330:2008/10/27(月) 17:14:31 0
>>331
あらあら本当だ・・・w
俺も下手なシッタカせんほうがよかったなw



333 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 18:54:54 0
>288-289
ジンギスカンの時代のモンゴルって、蛮族でもなんでもないじゃん。
既に文明進歩度は中世に達していたから、中央アジア・西アジアとほほぼ同じ進歩度合で、
古代から中世になりかけのロシアや。律令時代から脱却できずに古代に留まっていた支那
よりは進歩しているでよ。

334 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 19:53:15 0
ティムールに破壊されたジュチ・ウルスの首都サライ関連のページでもあればね。
(Wikipediaの記事だと、詳しく書かれていないし。)

335 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 21:52:40 0
>>333
キミはパーなのか

336 :世界@名無史さん:2008/10/27(月) 23:09:25 0
パーにはチョキ

337 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 00:11:06 0
>>333
封建制もないのに中世w

338 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 00:52:45 0
時代区分と文明程度を一緒にしている馬鹿がいるのはこのスレですか?

339 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 08:50:30 0
中世ヨーロッパの騎士に生まれたかった

340 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 09:12:31 0
>>338
というかマルクス主義者でないの?

341 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 12:43:05 0
335-340さっそく荒らしか、ポラックさんよ。
キェニェーヴィチのポーランド史読んでないだろ。
104ページに兵力はシロンスクとヴェルコポルスカの騎士とシロンスクの鉱夫と農民、ヨハネ、テンプル、チュートン騎士団と書いてある。
逆にドイツから来た援軍の騎士がどうのってどこに書いてあるんだ。
そのサイトには少なくても独立した部隊としては参加していない可能性が大きいとあるだけだ。一つの仮説だろ。
原文だとthe fourth of the Grand Master of the Prussian Knights with his brethren and other chivalryなのに
説明文だといきなりfifth unit - Teuton Knights commanded by the Grandmaster Poppo von Ostern。どこから名前が出てくるんだよ。
原文にはGrand Masterとあるだけだ。
説明にはPoppo von Ostern was appointed to the position of Grandmaster in 1252とある。
原文のGrand Masterとは別人じゃないのか?
それになんで引用もとの論文名がないんだ。著者しかない。これじゃ検証しようもないじゃないか。

342 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 12:44:47 0
やっぱ白人が良いよな

343 :327:2008/10/28(火) 13:20:53 0
>それになんで引用もとの論文名がないんだ。著者しかない。これじゃ検証しようもないじゃないか。

多分この二つのどっちか。自分もポーランド語読めないんで検証できないけど。

Labuda Gerard ? Wojna z Tatarami w roku 1241, w: Przegl?d Historyczny, tom L, 1959, zeszyt 2
Labuda Gerard ? Zaginiona kronika w rocznikach Jana D?ugosza, Pozna? 1983

344 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 20:06:04 0
えー。モンゴル帝国って封建制じゃんよ。恩地奉公じゃん。

345 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 21:12:40 0
>>344
お前は50年前の共産主義者か

346 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 21:35:29 0
モンゴルは、征服民族やるには民族の数が少なすぎたってのがネックだったんだろうなあ。
結局、現地主義になっちゃうしかなかったんじゃないだろうか。
制度とかは当時としてはわりときちっとしてたんで、そういう意味での後継は続いたんだろうが。

347 :世界@名無史さん:2008/10/28(火) 23:32:58 0
いくらなんでも中国とモンゴルの文化レベルが一緒って事はないだろ
どんだけハイレベルなんだよモンゴル

348 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 14:06:55 0
11〜14世紀頃のモンゴルは西方イスラム世界やチベット・インド世界との交流で
支那世界よりも進歩していた。

349 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 15:10:41 0
>>348
そりゃ、ある部分では進歩していただろうけど、南宋なめるなよ…

350 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 15:48:24 0
>>348
何がどう進歩して立って言うんだ…

351 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 15:49:29 0
今のアフリカ諸国が現代兵器を利用していても、社会が進歩してるとは言われない。
イスラムの技術を利用はしていても、モンゴル社会の進歩とは結びついてない。
技術をモンゴル自身の物として咀嚼出来てないから後世に独自の発展もほとんど出来てない。
技術を借り物として利用してただけでしょうね。

352 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 17:29:06 0
>>351
じゃあ、おまぃ自身、携帯電話を使って居たってどういうしくみで電波に音声や文字情報を載せているかは
説明できないだろうし、パソコンを使っていたって液晶でなぜ多色発色なんかできるとかもおそらくはうまく
説明できまい。
自動車の内燃機関や電車のモーターの仕組をしっていたって、金属塊を渡されて自動車や電車を組み立てられるか
おそよ無理だろう。
仮におまぃがそれをできたとしても、モータリゼーション社会や高度情報化社会の恩恵に浴している日本の人間の
中ででそういうことができるのは、理工系の大学の研究者か機器メーカーの技術者くらいだ。
でも、日本は、紛れも無く、モータリゼーションを完了した先進的高度情報化社会だろ。

353 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 17:38:43 0
>>350
世界に対する理解、つまり、自然科学が、宋の時代でも支那世界では陰陽五行だ。
これは、西洋で言うと、ポリス分立時代の四大元素説や、古代インドの七大要素説に
と大体同じものだ。つまり、ギリシャやインドで1500年〜2000年前のレベルの理解。
中世になると、錬金術レベルの理解になる。13世紀頃の錬金術レベルの科学の理解度は
インド、回教圏が少し進んでいて、二番手グループにヨーロッパ、チベット、そして、
モンゴルがあった。
日本は、院政期から鎌倉時代くらいだけれど、政治制度的には中世に達していたが、
科学レベルは、古代とさして差のないレベル。それでも、冶金・刀鍛冶はアホみたいに
発達していたがな。

354 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 17:46:56 0
>>352
で、モンゴル人はイスラム文明圏の民族と同じような生活してたのかい
ゲルで生活して略奪してたんと違うんかい

355 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 18:09:25 0
また病院から逃げ出した奴が現れてるのか。

356 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 18:42:51 0
>>353
なるほど、解りやすいな。

確かにチベットも科学先進国だよね。
まあでもそれぞれの国の文化的な姿勢があるからなあ。

357 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 18:54:24 0
>>352
的外れな例えご苦労様。
その例えでいくと、専門のエンジニアですら理解できてない割合が多いのが
当時のモンゴルってこと。

358 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 22:40:55 0
>>354
前近代で戦時に勝者が敗者から略奪するのは当然のことだった。
ヨーロッパの中世、十字軍でも三十年戦争でも百年戦争でも略奪しまくってんじゃん。

天幕に住んでいようから劣ってる、石造の建物に住んでいるから文明が優れている、
なんていのうは、それこそ、19世紀の植民地主義者の考えたことで、きょうび、そんなこと
言ってると笑われるで。


359 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 22:45:51 0
>>358
そう言うことじゃ無いっていっても、全く理解する気無いだろうねキミ

360 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 22:46:35 0
>>357
エンジニアと同じことはできなくても、エンジニアの言ってることがまっとうかどうかが判る、
エンジニアが作ってきた物の良し悪しを正当に評価できるレベルにあるだろう。

モンゴル人は、西アジアの回教徒やインド人の持ってる技術や知識が有用かどうかの判断は
できたし、そういう技能をもった人を連れてきて応分の役割につけて使うことはできた。
宋の人間はできなかった。
モンゴルに支配されている間にも、支那人はついぞ理解できず、算数ができないものだから、
税法も旧来に戻し、明の時代になると暦がずれまくる始末だった。

361 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 23:09:19 0
>>359
じゃあどういうことを言ってるの?
三匹の子豚で、藁の家を作っていた長兄は嵐で家を失いました、木造の家に住んでいた次兄は
火事で家を失いました、末弟の作った石と煉瓦で造った家は嵐にも火事にも耐えました。
……みたいな刷り込みをされてるだけだろ。
中世にヨーロッパよりも科学が進んでいた時代のインドは、ニッパ椰子の家に住んで、裸足で
歩きながら、貝葉で算術だの天文だのをやってたんだよ。

362 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 23:54:00 0
ますます意味不明だなw
外国人を登用して得意分野を任せたから何だというんだ
一般遊牧モンゴル人が算数や科学を使いこなしていたのかよ
でないとお前の例えにはまったく当てはまらんよ

363 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 00:00:14 0
中国やイスラム圏よりモンゴルが進んでたとは思えないね
常識的に考えて
大体略奪で生計を立てているような連中に文明も糞もあるかいな

364 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 00:01:35 0
文明の進捗で言うならルーシ諸侯と同レベルくらいかな


365 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 00:19:19 0
>>362
一般の中東の人間が数学や科学を使いこなしてたとでもいうのんかい
すげぇ突飛な話だな

>>363
略奪で生計を立てたら文明ない?
ということは欧州、日本、中国にも文明はないな
兵士や農民たちは略奪で生計立ててたんだし

366 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 00:33:27 0
欧州人ほど略奪しまくってた連中はいないと思うが

367 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 00:34:28 0
北アメリカも乗っ取っちまったしな

368 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 00:47:51 0
モンゴルが金や南宋、ホラズムやアイユーブ朝
この辺りを征服して学問的にも発展して行ったのは確かだろう。
中国の宋はすでに近代だしな。
ヨーロッパとは時代が違う。
元代の製鉄能力をヨーロッパが持つのは18世紀だ。

369 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 01:02:53 0
古代とか中世とか近世とか近代とか、時代区分を覚えたての中学生が書き込みしているようだな。

370 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 01:25:45 0
ぬっちゃけ、こういうことだろ
中世 …… 武断政権、割拠状態、封建制パワーバランス
古代 …… 神権政治、広域支配


371 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 01:26:47 0
で、宋どころか清まで支那世界は古代だ。
元の時代が例外的に中世。

372 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 01:37:15 0
時代区分を、それも恣意的に当てはめて、あまつさえ文明度と絡めてくる馬鹿はなんなんだ?

373 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 01:43:58 0
>>382
それが良いものかどうか判る、その技術や制度が有用かどうか評価できるというのは、
少なくともその段階の直前くらいの相応の進歩をしてないと無理なんだよ。
およそ理解できないものを見ての反応と、価値くらいは理解できるのとで大違いだ。
そんなことは、日本は幕末から明治にかけて経験しているだろ。理解できないところは
あっさりと植民地になって、19世紀のうちに理解できところは植民地化されてない。

大体よ、農耕の方が進歩的、牧畜なんかやっているのは野蛮、とかいう先入観だけで
ものを言ってるからおかしいんだ。
中世の時期にバビロニアやローマの文化を最もよく継承していたのは遊牧民族起源の
アラブ人だし、支那世界でも文明・文化のよく進歩した時期というのは、北魏だの隋だの
唐だの元だのの遊牧民の支配層の強い時期だし。

374 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/10/30(木) 01:50:57 0
取りあえずスレタイをよく読もう。

モンゴル語るんなら、少なくとも具体的にヨーロッパと絡めて語ってくれ。
モンゴルの法制度と当時のヨーロッパの法制度比較するとか、
モンゴルがヨーロッパに攻めてきたときの話とか。
ハンガリーなんか、かなり荒らされたって聞いたがね。



375 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 02:01:05 0
仕切んなクソコテ

376 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 02:12:36 0
ハンガリー田園幻想曲♪

377 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 02:41:14 0
>>353
>世界に対する理解、つまり、自然科学が、宋の時代でも支那世界では陰陽五行だ。
>これは、西洋で言うと、ポリス分立時代の四大元素説や、古代インドの七大要素説に
>と大体同じものだ。つまり、ギリシャやインドで1500年〜2000年前のレベルの理解。
>中世になると、錬金術レベルの理解になる。13世紀頃の錬金術レベルの科学の理解度は
>インド、回教圏が少し進んでいて、二番手グループにヨーロッパ、チベット、そして、
>モンゴルがあった。

古代と中世の自然科学を「四大元素説レベル」「錬金術レベル」などと区別して
なにか飛躍があったかのように書くのは誤解を招くな。
中世の錬金術でもジャービルとかが硫黄、水銀などの「原質(Principle)」を
付け加えたとはいえ四大元素説は基本だし、当時西欧で盛期を迎えていたスコラ学でも
自然科学はアリストテレスの「自然学」に拠っている。

378 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 10:10:38 0
時代区分と文明や科学の発達度合には基本的に何の関係もない、でこの話終了でいいだろ。

379 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 10:47:30 0
>>341
>説明文だといきなりfifth unit - Teuton Knights commanded by the Grandmaster Poppo von Ostern。どこから名前が出てくるんだよ。
>原文にはGrand Masterとあるだけだ。

おまえの言いたいのは
・オステルンのポッポがグランドマスターだったのが1252-1256(あるいは1257)だったのが嘘
・嘘でないとすればポッポではなく別人に違いない
ということだな

まず前者、ポッポがその年代にグランドマスターだったという記録しかないのであるから
嘘だといいたいなら、君のイデオロギーのことだから、どうにもならんなw
後者、ドゥウゴシュの原典にそれが書いてあるということだから別人を想定していたとはありえないな

これから導かれる最も自然な結論は、「ドイツ騎士団の第5軍は、いなかった」
要するに「ドイツ騎士団の第5軍がいた」というのはポッポの墓がヘンリクの墓の隣にあったことから生まれた伝説

いた、といいたいなら、その証拠を挙げよ

キェニェーヴィチのポーランド史は一般向けの読み物だろうがw
しかも社会主義時代の1970年代の
絶対正しいものじゃあないw

おまえの態度は
・ドイツ民族史観に都合の良いものは全部正しい、批判は受け付けない
・ポーランドに都合の良いものは全て捏造、批判は受け付けない

これだから話にならんわキチガイさんよw


380 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 17:19:34 0
>>377
ヨーロッパの中世って、早く数え始めてキリスト教受容、遅く数え始めて西ローマ帝国の滅亡、
終わりは、東ローマ帝国の滅亡もしくはウェストファリア条約。
ざっと980年間とか1300年間とかの長い期間だよ。

381 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 18:09:55 0
>>379
どっちが基地外だよ。
勝手な読み替えが多すぎだ。
>原文のGrand Masterとは別人じゃないのか?

これがどうして「違いない」なんて断定になるんだ。疑問だろ。

>>・オステルンのポッポがグランドマスターだったのが1252-1256(あるいは1257)だったのが嘘
誰がそんなこと言った。
解説に1252年就任とあるぞと書いただけだ。
原文と食い違ってる。それを指摘しただけだ。

>>要するに「ドイツ騎士団の第5軍がいた」というのはポッポの墓がヘンリクの墓の隣にあったことから生まれた伝説
そのサイトのどこにそんなこと書いてあるんだ?
それとも元の論文を読んだのか?読んだのなら出典を出せ。
その墓の伝説とドゥウゴシュの追加部分の関係はどうなってるんだ?
その墓の伝説と関係があるならなぜドゥウゴシュの方にはポッポと明記されていない。どうなってるんだ?

それでこれかよ。
>>キェニェーヴィチのポーランド史は一般向けの読み物だろうがw
>>しかも社会主義時代の1970年代の
>>絶対正しいものじゃあないw

読まずに適当なことを書いたことは認めるんだな。
この嘘つき野郎が。
絶対正しい歴史書なんてものがあるのなら読んでみたいよ。

キェニェーヴィチのポーランド史の中世の部分はワルシャワ大学の中世史家ギェイシトルが書いている。
ポーランド科学アカデミー版通史の中世部分の著者だ。
ポーランドの歴史家ってやつは自分の専門分野についてもいい加減なことを書くような奴ばっかなのか?
俺が最初に聞いたのはポーランドの歴史家は嘘つき揃いかってことだが。
お前はそれを認めるのか?

382 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 18:24:25 0
墓がが隣って。
埋葬されたところが近いってことか?
墓が隣っていうから墓が現存するかと思ったじゃないか。
それで現存しているのか?
この埋葬場所が近いこととドゥウゴシュの追加部分の関係はどうなってるんだ?
特になぜ個人名で記録されなかったんだ。

383 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 22:46:17 0
流れぶった切ってすいません、教えていただきたい事が在ります。
中世〜近世の話になってしまいますが、馬車の移動速度、
馬での移動速度、早馬での移動速度等はどうなっていたのでしょうか?

いわゆる高速移動手段の具体的な速度がどれくらいだったか知りたいのです。

二輪馬車が舗装道路(所詮ローマ遺産の石畳の直線道)を走る場合
時速20キロくらい出せた、などという話を聞いた事があるのですが、
これは本当なのでしょうか?
だとすると1日12時間移動したりすれば240キロ/日進める?
条件さえ整っていれば=舗装道路や代え馬用の駅が頻繁にある
わずか10日で2400キロも移動できる?
それともこういった設備が整うのは近世も末になってから?

実際のところどのような状況だったのでしょうか?

384 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 22:51:18 0
中世にはまだスプリングの仕掛けがなかったから、悪路だとひっくり返ることもままあった。
だからその速度も推して知るべし、ってとこです。

385 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 23:04:34 0
1日に12時間も走る馬なんかいないよ。精々、5〜6時間くらい。

386 :67:2008/10/30(木) 23:48:56 0
>>383
ローマ全盛期と異なり、中世ヨーロッパの移動速度は遅々としていました。
ローマ街道は至る所で寸断され、群雄割拠する地方領主や都市が至るところで通行税を要求し、農村部に至っては季節によって道が変化する
(年ごと季節ごとに耕作地が変わるので、それに合わせて村道も変化しました)ありさまでした。

14世紀の荷馬車の場合だとおよそ600kmの行程に17日ほどかけていたようです。
概ね30km〜40km/日という換算になります。
早馬の類だと、15世紀のイギリスでおよそ180kmを四日間でがんばった部類になるようです。
ざっと40km〜50km/日ですね。
駅制が充実しているような道合だと、これよりはかなり早かったと思われます。

中世ヨーロッパに限らず、結局の所は道を含めた移動のバックアップがどれほど充実していたか?
に大きく左右されてしまいます。
中世ヨーロッパでは絶対王政が成立するまではあちこちで勝手に税を徴収したり道を破壊したりということが日常だったので、なおさら遅くならざるをえなかったようです。


387 :世界@名無史さん:2008/10/30(木) 23:53:47 0
>>384は馬車の話ね。

388 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 00:21:43 0
2時間歩かせたら1時間休むを3回繰り返して1日分。
速足ならば、1時間走らせて1時間休ませるを4回繰り返して1日分で翌日は1日丸々休む。

389 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 02:47:23 0
日本の江戸時代、伝馬制では最高で1日に10駅、約164kmを移動できた。
同じく江戸時代、早駕籠と言うのが有って、昼夜を問わずに乗り換えて行くものだが、
江戸から赤穂約620kmを108時間(4日半)で駆け抜けたという記録がある。
馬と人間(籠)の移動速度がそれ程大差ないのが驚きである。

江戸時代の伝馬制を維持する為、沿道の代官、領主、村民たちは以下の義務を負わされている。
代官や領主は禄高百石毎に宿駅へ詰め夫1人、160石につき伝馬1匹、馬子1人を供出、
沿道の郷村は1年間に詰め夫6人、伝馬6匹を供出。

中央集権化していた江戸時代でようやくこの程度のものを維持できた。

日本の場合古代にも駅・伝馬があり、制度としては延喜式などに詳しくあるが、
実際の運用結果は良く判らない。
何れにしろ10世紀頃から廃れ始め、中世は通信網などは一旦衰える。

中世と言うのは封建制により中央政府の威令が通りにくい時代なので、
単純に馬の速度より、道が整備されているか、その道が安全に通れるかという
要素のほうが大きい。
徒歩の商人に対して道中の安全を保証する事でシャンパーニュの大市が生まれた
というのもそうした中世の交通事情を示している。

390 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 03:01:20 0
江戸時代が中央集権てw


391 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 08:19:52 0
>>379>>381

なんかもうずっとスレ違いな話が続いてるけど、そろそろ適切なスレに移行してくださいな。

392 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 11:40:37 0
なんか最近殺伐としてるね。
独り善がりの書き込みが多い気がする。

393 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 14:34:08 0
>389、堂島の相場はその日のうちに江戸まで伝わるけどなw

394 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 21:21:49 0
それは望遠鏡+手旗信号みたいな方法で遠距離をほぼゼロ時間で伝達したばあい、ですよね?
(読み取り時間と送信時間は別計算ですよ?)
そちらについては私も聞いた事があります。
大阪の相場が半日で江戸に伝達されたとか。

395 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 21:34:14 0
光通信だからね

396 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 21:40:11 0
海路のそういう仕組み無かったのかねえ。
ヴェネチアはそんな仕組みあったみたいだけど、
他では無かったんだろうか。

397 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 21:55:05 0
>>389
シャンパーニュの大市が廃れたのも、人口減少によって
陸路の安全が守れなくなったからだしな。

古代ペルシャでは徒歩で3ヶ月の距離を王の使者は1週間で移動したらしいが、
単純に移動速度10倍強というのは速過ぎる気がする。
関所で足止めされる日数とかそんなのが有ったのかもな。

398 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 22:26:58 0
>>397
人と馬を完全に入れ替える駅伝なら、それぐらいの速度は出せたと思う。
その気になれば、昼夜ぶっ通しでノンストップで走れるし。

399 :世界@名無史さん:2008/10/31(金) 23:50:02 0
http://wikiwiki.jp/trpganalyze/?%2ASpeed
こんなものを見つけた。
色々と参考文献なども併記した具体的な数字。
それによると19世紀ロンドンで19キロちょっととかとなっている。
ありえない数字ではないが、という程度?

400 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 00:09:03 0
>>399
シンガポール市民速いな・・・

馬車だと生活速度で12km/h程度、急ぎで20km/hって感じか。
後はそれを何時間続けられるかという問題だね。

401 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 00:19:39 0
ゲーム設定が資料?

402 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 00:23:14 0
日本の幕藩時代の大名行列なんかも、1日6里で3日歩いて1日休むくらいのペースで
平均20km/日くらいのものだったし、そんなところだろう。

403 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 01:05:12 0
>>396
ヴェネチアは中世でも遠征に出た海軍がいちいち本国と連絡を取って指示を仰がなければならなかったって本当かね?

404 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 02:32:50 0
本当でしょ?まぁ無視して行動しちゃった英雄も居たけど


405 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 03:00:14 0
>>402
金が掛かるだけだな

406 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 11:15:45 0
中世ヨーロッパや地中海世界はロマンがあるのはなぜ?
やはり本や映画の影響?

407 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 11:15:54 0
>>405 それが幕府の狙いじゃん

408 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 11:30:36 0
>>406
やっぱ異文化だってことが大きいんじゃないかな?

409 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 11:50:09 0
中世ヨーロッパにロマンがあるんじゃなくて、ロマンがある演劇・映画・小説・ゲームetcにロマンがあるわけで。
そのベースになってるものにもロマンを感じるっちゅうことでしょ。


410 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 12:21:50 0
>>406
あの時代だと想像力を働かせる余地が大きいからな
キリスト教世界になったとはいえ、民衆の世界では魔女全盛で、妖精やら
天使やらを信じていたからな、
あの時代の聖人の話を聞いてくると、日本や中国の仙人や修験道者みたいな
香があるからな、
十字軍を煽った聖職者なんかを見てみても、近代の革命家とか独裁者とは
香が違っているような感じがするのだ、
これが時代が下ってルターやカルバンなんか、ちょっと前の共産主義者
みたいでガチガチのイデオロギー主義者みたいな感じだからな
日本でも犬夜叉の時代までだと妖怪とかが大活躍をしてもおかしくなさそうだが、
信長の時代になると完全に近代の香がして、魑魅魍魎の妖怪が大活躍を
する余地がなくなってくるような気がするのだ、せいぜい個人に取り付くくらいしか
出来なくなってしまいそうな気がする。

411 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 13:25:45 0
>>405
封建時代なんだから主君が臣下を呼び出すのは当然だし、
速さについても、それ以上だと脱落してついてこれない人が多くなる。

412 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 16:40:27 0
>>406
ローマの遺産があるから

413 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 19:38:31 0
完成して一年足らずで壊れる中世ヨーロッパの橋。
その橋と同じ川で千年前と同じように架かっている古代ローマの橋。

それから千年後の現代。
今はもう痕跡もわからない中世ヨーロッパの橋。
二千年前と同じように架かっている古代ローマの橋。

こうですか? わかりません><

414 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 19:41:07 0
今に残る古代ローマの橋は主要街道にかかっていたため、中世の間も延々と保守され続けた事は
無視ですかそうですか。

415 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 19:43:13 0
>>406
ギリシャ・ローマの古典文化にヨーロッパの基礎を見出すルネッサンス、古典主義に対し、
ローマ時代以降の庶民文化からヨーロッパの感情的基礎を見出そうと言うのがロマン主義。
ロマン主義の発想が「むかしむかし」で始まる時代を舞台にしているから、
ローマ時代から中世初期が舞台になる。

ヨーロッパ中世もある程度経つとキリスト教が浸透し、ドルイドなどの異教的なもの、
キリスト教から外れる物が消し去られ、「不思議な事」も無くなって行く。
十字軍、大航海時代にヨーロッパの外に「不思議な事」を見出した経験が、
見知らぬ場所には「不思議な事」がある、冒険にはロマンがあるという発想になり、
海の底や地の底、月や火星に不思議な世界があるというSFにも繋がる。

しかしこのスレ的には、中世ヨーロッパの歴史的事実を知ってしまった為に、
「不思議な事」が無くなって行き、ロマンとか言われてもあれが実態だしとなってしまう。
ぶっちゃけ、今更古代から続く地底帝国とか言われても、みたいな。

416 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 20:43:51 0
>>414
保守して2千年保つだけでもすごいぞ
今のコンクリート橋では無理な話だ

417 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 20:48:19 0
>>401
国の調査機関や外国の調査機関の提出した数字、
過去文献から拾った数字、
別ホームページから拾った数字、

等を『TRPG用の資料として』まとめたのが件のページなんだそうな。
つまり参考文献と数字そのものは信用できるらしい。

418 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 20:51:14 0
>>414
>>416
確かに今のコンクリート製の建造物だと持って200年とか言われてるな。
わずかでも海砂使ったような粗悪なものだと数十年とか言われてるのもある。
もちろんお手入れをきちんとしてその数字。
手入れをしないと数年でアスファルトがはげちょろけになって使えなくなったりも(w

419 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 20:57:29 0
ついで
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081021AT1D2008I20102008.html

 歌舞伎の本拠地「歌舞伎座」(東京・銀座)が2010年4月の公演を最後に、
50余年の歴史に幕を閉じることになった。松竹と歌舞伎座が20日、
再開発計画の一部を発表した。老朽化への対応が主な理由。

420 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 21:50:44 0
ところで、「中世」ってどういうふうに定義するの?
ヨーロッパでいつからいつまで…ではなくて、どういう時代・どういう世相の世の中の
ことを中世と定義するの?

421 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 22:02:52 0
>>420
近世と古代の間だから中世。それ以上でもそれ以下でもない。

422 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 22:03:08 0
>>413
カペル橋他多数

423 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 22:08:23 0
>>421
じゃあ、「近世」「古代」はどういう定義をするの?

424 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 22:10:40 0
聞いてばっかりだな

425 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 22:24:02 0
聞いてばかりのやつは>>1も読まない。

426 :世界@名無史さん:2008/11/01(土) 23:25:01 0
>>423
栄光の古代世界と考えられた範囲が「古代」

「中世的カオス」から脱したのが近世

427 :世界@名無史さん:2008/11/02(日) 23:03:07 0
>>414
橋だけでなく道路も現役で使われてるよなあ。
補修はされてるだろうけどそれはどれも同じだし。


428 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 01:38:02 0
>>423
その辺の用語の定義は色々あるけど、ようするに
世界の大部分は一度成立した古い政治の体制を維持したまま、長い間過ごし、
現代になって先進国の圧力とか植民地支配を経て、近代的な政治体制に移行してるんだよ
王国・王朝→共和制とかね

一方で、欧州とか日本など一部の国は、歴史の中で政治体制を変化・進化させてきた
結果、古代の政治体制と、現代の政治体制の中間のような時代が出来た
それを「中世」って呼ぶ

と自分は勝手に思っている

429 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 01:47:15 0
まあ相対的なもんだよね
五百年後ぐらいには17世紀は近世とは呼ばれてないかもしれないし、
もちろん21世紀を現代とは呼ばないはずだし

430 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 02:01:36 0
古代:人類が地球だけに住んでた時代
近代:銀河系社会に参加して以降
中世:古代と近代の間

こんな時代が来る・・・かもしれない

431 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 02:19:24 0
>>426に同意だな。
時代区分は、「現代」=modern=「近代」の自己意識だよ。

俺らが生きているすげー時代=「近代」だし、
「近代」によって否定されるクソな時代=「中世」だし、
それより前の、俺らが学ぶべきイケてる時代=「古代」
ってのが近代的な、ヘーゲル的なヨーロッパの自己理解。

もっとも19世紀的な「近代」がどうやら終わろうとしている昨今、
時代区分の枠組みは相当変わっていきそうだが。

432 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 08:57:41 0
現代や新世紀(21世紀)の事もたまには思い出してやってください。

433 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 09:41:45 0
中世とか曖昧な言葉を使うからダメなんだよ。

「12世紀中頃のヨーロッパ西部」とかもっと具体的に言えば文句も出ないだろ。

434 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 10:07:39 0
っていうか、今では中世っていう区分では表現できないっていう方が正解だ罠。
西ローマ帝国が滅亡して、ルネサンスによる復興までの暗黒期を便宜的に中世って言ってただけだから。


435 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 11:51:58 0
暗黒期 というのは、時代的な統一性ではないのか?

436 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 13:39:26 0
どこもかしこも暗黒期じゃないし
今じゃそう言う中世のイメージは払拭されてるだろ

暗黒期というのなら今から50年から100年くらい前までは
ある意味中世とは比較にならんくらいの暗黒期だぞ

437 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 16:25:24 0
中世っていうのが定着したからな
それに数ある時代区分の中で一番メジャーなのが中世か古代だろ

438 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 16:42:54 0
古代ってくくりも無茶過ぎるけどね
結局、時代区分なんて自然天候でもない限り国単位での区切りになっちゃうでしょ

439 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 18:25:50 0
社会科の教科書、新しい社会 歴史 東京書籍 によると

中世の終わりは1279年法王や教会の勢力が衰える〜1748年モンテスキューの法の精神
までの間となっている。つまりこの期間がヨーロッパの中世と近世が両立していた時代。

古代の終わりは439年〜870年フランク王国がフランス・イタリア・ドイツに分かれる
あたりまでの間となっている。つまりこの期間がヨーロッパの古代と近世が両立していた時代。

440 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 18:32:59 0
ついでに書いとくと現代は1945年からね。
ここはきっぱり統一されてるから現代と近代が混じる期間は無い。

441 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 19:07:40 0
後世の歴史家は2007年か2008年を一つの区切りとするだろうな。
汎アメリカ経済体制の終わりとして。

442 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 19:50:48 0
そうならないけどな

まだアメリカの制海権に陰りは全くないし

443 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 20:33:16 0
アメリカこけたら、みなこけるのが、今の世界だよ

444 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 20:44:35 0
間違った暗黒中世のイメージって魔女狩りとペストかな
間違った華やかな中世のイメージはは絢爛たるキリスト教文化と騎士道ってとこか

445 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 20:52:08 0
間違った暗黒中世:昼がない。モンスターが湧き出る。


446 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 21:14:11 0
>>444
イスラムの豪華宮殿とかも間違ったイメージかもね
連中、基本は移動する民だから豪華な宮殿とか習慣が無かった

447 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 21:57:38 0
いや、イスラムつっても当時はアジアの相当な部分に浸透していたからなあ。
イスラム=豪華宮殿ってのはわりとそういう面もあると思うけど。
オスマン朝はイスラムだったけど、トプカプ宮殿なんておったててるし。

448 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 22:13:48 0
>>447
ちょっとググれば出てくるけど、あの版図と権力を思えば簡素なもんだよ
少なくとも、当時の西欧の宮殿の方がずっと凄い
もちろん、その西欧の豪奢な飾りはオスマンからの輸入品も多いのだけどw
多分に性向の問題なんだろうね

449 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 22:21:29 0
そら、ハプスブルク=ロートリンゲンの宮殿群に比べりゃ簡素は簡素だが。。。

450 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 22:23:45 0
民衆からいかに搾取してたかの証

451 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 22:29:34 0
>>448
成金趣味って感じだな>西欧の宮殿

452 :世界@名無史さん:2008/11/03(月) 23:06:48 0
>>451
まぁ、日本の権力者だって些細なものだし
西欧のアレは、ケルトとかゲルマンの趣味なんだろうなと思う
ローマ人は質素だったからね

453 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 00:13:31 0
そういや日本の成金も
似非西欧風の屋敷を建てたがるなw

454 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 00:18:18 0
てか日本人が見るから成金に見えるんじゃ?
生まれた時からあちらの文化圏だったらソレが普通に見えると思う。

455 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 00:53:25 0
壁に金箔金泥使いまくりの建物とか作ってれば
そりゃあ黄金の国とも言われるだろうな。

456 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 01:27:06 0
成金は無駄にゴテゴテ装飾されてるのを好むんだよ
ヨーロッパ人みたいな史上最大の成金にその特徴が強くあらわれている

457 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 01:46:09 0
イスラム圏の人間を金閣に連れて行くと感動するらしい。これこそゴージャスだ、って。
桂離宮とかは大して感心しないそうな。

458 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 01:49:04 0
>>456
文化の違いに言及するのに
そんな主観的で価値判断的な表現はそぐわない。
十九世紀の人ですか?

459 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 01:58:24 0
>>457
あっちは腕っ節も金も、みせびらかして権勢を知らしめすのが
一種の国柄だっけな。節制と吝嗇が美徳になる日本の文化は
なかなか理解出来んだろうなあ。

460 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 02:13:41 0
>>440
うそぉん。
フランスなんかフランス革命以降は現代だし、イギリスも名誉革命以降を現代にしているで。
ソビエト連邦を除く東欧諸国は1945年からを現代と定義していたけれど、それも、ソビエト連邦の
共産政権樹立を現代と定義してたからに過ぎないし。


461 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 02:21:04 0
>>459
本来は日本人の間でも金箔で装飾された金閣や、
豪華でゴテゴテした飾りのふんだんについた
東照宮の方が有名だった。

桂離宮が変に高評価になったのはタウトが来日して
簡素うんぬんとか言い出して評価し、日本の知識人がナショナリズムからその言説を利用してから。
当時のナショナリズムや欧米への崇拝と反発に動く自我意識とかいろいろ混ざってる。

462 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 02:35:52 0
千利休あたりからじゃないの?

463 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 02:38:33 0
へうげもの。

464 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 05:49:12 0
>>462
じゃないの

元々日本は室町時代からその手の質素を尊ぶ価値観があったし
江戸時代になったからって絢爛豪華なものが廃れてたわけじゃない
殊更ワビサビなんて言い出すようになったのはむしろ最近の話

465 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 07:31:27 0
侘び寂は元々仏教の無常観に通じるから、発想としては古くからある。
利休は仏教建築以外のものにその思想を取り入れたという点で一段階進めた。
現代は物質文明への見直しとか、非西洋的な文化から次の文明の流れを探そうという
発想から、日本の思想の中でも物質文明と異なるものに世界的な評価が集まってる。

466 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 07:49:31 0
中世ヨーロッパも、貴賎合わせて服装が華美になりすぎてたびたび教会が問題にしてるな。
服の色が派手になり、帽子とか靴の先が異様に尖って伸びてったり

467 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 11:03:16 0
どうあがいても、外壁は二十年に一度くらいは塗りなおす必要があるし、
唐招提寺金堂とか法隆寺塔とかのようなしっかりした造りの建物でも
百五十年かそこらの周期で一度バラして組みなおさなければ歪んで倒れる。
庶民の家の掘建て柱だと、もつときに二百年くらい腐らず使えるけれど、地下水位が
下がったりシロアリがたかったりすると、数十年で壊れてしまう。
都市の火災での類焼が多く、やはり、建物が何百年ももたない。五十年、二世代ももてば
いい方だくらいの感覚だ。
そういうところで、住居の建築にあまり費用をかけるのも無駄なわけだし。

468 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 11:08:22 0
でも仏教寺院って本来は大概ギンギラギンだわな

469 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 12:13:18 0
東大寺の大仏も元々は金ピカだったらしいしな

470 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 12:48:59 0
その国民性を一時代の一面だけ見て質素とか豪華とかちょっと言えないけどね。
どちらの要素も持っていても流行とかに左右されることも多いし。

471 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 14:28:58 0
だからどっちもあったって言ってるだろ

日本のワビサビが強調されるようになったのなんて近代、現代辺りだろ

472 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 14:38:50 0
キレた上に「だろ」って言われてもw

473 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 14:43:05 0
そりゃ、海外に対して侘びさびを紹介するようになったのは近代以降だけど、
侘びさび自体は中世末期から近世を通じて磨かれ続けた感性だし。

474 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 14:53:42 0
>>472
何でキレたことになるんだか
一行レスで煽りくれるだけじゃなくて今の話題にかかわることを書けよ

475 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 14:57:11 0
キレてるじゃん

476 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 15:13:08 0
子供かよ

477 :世界@名無史さん:2008/11/04(火) 21:33:55 0
>>460
それがさ、少なくともこの教科書の年表では一刀両断完全に1945から現代なんだ。
172Pと173Pの間という本の真ん中へんに折込になった年表では
日本も西洋もきっかりそこから現代。

478 :世界@名無史さん:2008/11/05(水) 01:21:31 0
キレてまーすw

479 :世界@名無史さん:2008/11/05(水) 03:21:17 0
近代も現代も英語じゃmodernだろ。

480 :世界@名無史さん:2008/11/05(水) 03:22:07 0
リアル厨房か。

481 :世界@名無史さん:2008/11/05(水) 03:23:17 0
ゆとりの教科書

482 :世界@名無史さん:2008/11/05(水) 17:11:45 0
>>477
この教科書っちゃあどの教科書かいな?

483 :世界@名無史さん:2008/11/05(水) 18:22:45 0
>>439-440

リアル厨房だな。

484 :世界@名無史さん:2008/11/05(水) 20:35:32 0
>>482
>>439

485 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 07:39:44 0
東京書籍ってぐぐると40件ミス発見とか出てる教科書だな。
教科書は最近の学説は取り込んでなくてちょっと遅れた認識なのが当然とは言え
1945年からが世界的に現代とかいうのはなんとも呆けた筆者だな。
下手にこの国は何年から現代とか書けないのは解るが、
もっと書き様はあるだろう。

486 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 08:41:10 0
ちょっとどころかだいぶ遅れてると思う。
まぁ検定が・・・

487 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 16:48:15 0
日本の戦後体制(戦後レジューム)の残滓だよな。

明治維新とその後の自由民権運動、大正デモクラシー.etcを
戦時体制ともども否定して、占領軍(GHQ)による民主化をもって
現代とする、というのは。

488 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 19:48:08 0
というか戦前の民主主義要素の復活がGHQの目的の一つなんだがなw

489 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 20:05:17 0
中世ヨーロッパは今の日本と似てるよな

490 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 20:22:28 0
>>488
だが、戦前のオールドリベラリストの予想をはるかに上回る過激な民主化だったな。

491 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 20:43:55 0
10年ほどで落ち着いたけどな

492 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 22:30:09 0
フランス王家ってイエス・キリストの子孫って聞いたんだけどマジ?

493 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 22:42:55 0
>>473
そうなのか?
弥生時代になると、急に、土器の装飾性が無くなって実用一点張りになってくるし、
土器の年代から100年遅れくらいで、こんどは漆器が、黒一色になってくる。
縄文時代の漆器は朱で着色して真っ赤。

494 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 23:43:49 0
>>492
イエスに隠し子が!

495 :世界@名無史さん:2008/11/06(木) 23:48:07 0
>>490
戦前でも極端なのは天皇制廃止まで言ってたから、
最過激路線は採らず配慮したと言える。
農地改革も持ち山とかは残ったまま。

496 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 00:14:01 0
久しぶりに見てみたらスレ間違えたかな
中世(中代)ヨーロッパの暮らしだと思ったんだが

497 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 09:20:40 0
イギリス・フランス・ドイツの話はもう飽きた。
中世ヨーロッパの大国だったポーランドの暮らしの話をもっと聞きたい。


498 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 09:56:26 0
ポーランドこそ飽き飽きだ。
そっちのスレ行ってくれ。

499 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 10:27:15 0
じゃあイスラム支配下のイベリア半島の人々の暮らしとか語ってくれ

500 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 10:34:21 0
頼むから他所にいってくれ。

501 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 14:44:43 0
いわゆる暗黒時代はいつごろ終わったのですか?

502 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 15:00:25 0
ポーランドの話は新鮮でおもしろい


503 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 15:34:45 0
ポーランドって中世の頃もヨーロッパだったのか?

504 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 15:43:20 0
少なくともポーランド王国が成立して以降はどういう定義の仕方でもヨーロッパだと思うが。

505 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 16:03:08 0
少なくとも、10世紀に成立したポーランド公国はカトリック国として成立してるからヨーロッパ世界になるだろ。
中世初期の時点では氏族国家だったんで、キリスト教圏としてのヨーロッパとは言えないが。

506 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 18:34:20 0
聞くも哀れやその昔
  滅ぼされたるポーランド

507 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:02:43 0
ポーランドね。。。

にんじん、キャベツ、パセリ、キャラウェイ、といった野菜やハーブは西欧に伝わるより前にすでにポーランド人は日常的に食べていた
というのは既出かな?



508 :世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:09:08 0
>>506
木戸孝允乙

509 :世界@名無史さん:2008/11/08(土) 00:36:11 0
西欧人はクミンと言いながら普通のクミンを食べてない
「ローマのクミン」を食べている
アラビア語の誤用である

西欧人がキャラウェーと呼ぶものが、本物のクミン(ポーランド語、チェコ語)である
ローマのクミンは、ポーランド語で、クミン・ジムスキと呼び、チェコ語でクミーン・ジームスキーと呼ぶ


510 :世界@名無史さん:2008/11/08(土) 09:00:05 0
東京23クミン・ジムスキー

511 :世界@名無史さん:2008/11/08(土) 17:10:02 0
聖書にも「いのんど」とかいう名前でクミンが出てくるが

512 :世界@名無史さん:2008/11/08(土) 18:54:29 0
クミンは食べ物としてはインド起源
クミンという名前はアラビア語から
南アジアから中東へ伝わり、ヨーロッパへ広まっていった

ところで、いのんどはクミンではなくディルのことであろう


513 :世界@名無史さん:2008/11/08(土) 19:00:07 0
ローマはポーランド語でジム(Rzym)、チェコ語でジーム(Řím)、ロシア語でリム(Рим)

514 :世界@名無史さん:2008/11/08(土) 19:29:25 0
いのんどはディルシード(ディルの種子)
ポーランドで中世から食べていたというのは特にディルウィード(ディルの葉)(ディルシードも食べる)
いまでもポーランド料理といえばディルウィードとキャラウェイを多用するのが特徴
ルヴフ経由の胡椒ルートは大航海時代に入って衰退
それまではポーランド人は胡椒をふんだんに使っていた
胡椒を挽くのではなく、胡椒の実をそのまま、あるいは潰して使った

515 :世界@名無史さん:2008/11/09(日) 10:40:56 0
>ルヴフ経由の胡椒ルートは大航海時代に入って衰退

「大航海時代」は17世紀半ばまでらしいが、Trade and Urban Development in Polandという本によると
そのルートが衰退したのは16世紀後半とのことなので、大航海時代中期までは現役だったのでは。

その本に16〜18世紀のクラクフへ香辛料が入ってくるルートが載っているが
黒海あるいはトルコ領からルヴフ経由の他に、ヴェネチア〜ウィーン経由、
又バルト海からハンブルク、シュチェチン、グダンスクを通ってくるルート(ポルトガルから?)
があったようだ。

516 :世界@名無史さん:2008/11/09(日) 10:43:20 0
↑ちなみに「ハンブルク、シュチェチン、グダンスクを通ってくるルート」は言うまでもなく個々別々

517 :世界@名無史さん:2008/11/09(日) 22:11:46 0
>>515
>そのルートが衰退したのは16世紀後半とのことなので、大航海時代中期までは現役だったのでは。

そりゃいきなり終了にはならんだろ
船便と陸路で胡椒の価格競争が起きて船便のコストが下がって陸路を凌駕してって時間がかかるだろ

新大陸から穀物がやってくるとポーランド産の穀物価格がどんどん下がって
ポーランドの国庫は縮小、ポーランド東部の貴族たちはできるだけ耕地と農民を囲おうとして
広大な領地を持つ再版農奴制へ
軍事費が不足したポーランドに周囲の国の軍隊が攻め込むようになり、ポーランド分割消滅へと

経済から見ていくとすんなり理解できる

ハンブルクからはエルベ川を遡って途中から運河を使ってオーデル川へ入りそれを遡り
中途から運河でクウォドニツァ川からヴィスワ川に入ってあとは陸路でクラクフへ
シュチェチンもオーデルを遡ってあとは同じルートでクラクフへ
グダンスクはそのままヴィスワを遡ってクラクフへ


518 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 09:02:37 0
ヨーロッパが中世伸び悩んだ理由は?

519 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 09:05:40 0
寒冷期で寒かったからじゃね?

520 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 09:16:12 0
中世前期は4-5世紀を中心に寒い
8世紀ごろから11世紀にかけて暖かくなってまた17世紀にかけて寒くなる

中世前期はフンやアヴァールやマジャールが西アジアで食いっぱぐれて攻めてきた動乱期
17世紀前後も戦乱の時代

寒くなると作物=財政の問題が起きて戦争がおきやすくなる傾向があるぞ


521 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 10:04:09 0
10世紀までは寒冷期だったというのと、ローマ崩壊後の秩序統一過程で伸びなかった。
中世盛期になると、温暖になり秩序統一も落ち着きプチ技術革命もあったので一気に人口が伸びた。
12世紀ルネサンスあたりは、一番ヨーロピアンファンタジーに似ている時代じゃなかろうか。
14世紀ぐらいになってくると、貨幣経済が復興する一方でペストなんかが猛威を奮ったりもしたし、百年戦争もおっぱじまっている。
イベリア半島ではレコンキスタのど真ん中でムスリム勢力とガチりながらカスティーリャ王国は内乱してたり。
都市化もわりと進んでいたので一番物騒で汚くってドロドロした時代。その反面、航海術も発達し大航海時代が幕を開けている。
ベルセルクなんかの陰鬱な中世像がこの時代かも。
もうこの時代をすぎると絶対王政の華開く近世へと突入する。

中世も内訳を見ていくと、決して伸び悩んでたわけじゃあないと思うな。
ただ、ローマレベルへ戻る過程がかなり長いんで伸び悩んでたように見える気がする。



522 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 10:18:45 0
>>521
そういう歴史の要因になったのが気候変動だろ。
ローマが崩壊したのは2点
・農業生産性が下がり、そこへイベリアの銀山が枯渇してインフレが進行した
・フン族に追われてゲルマン族がやってきた
これ両方とも気候変動が原因。

しかも絶対王政は華じゃないだろカス。
気候変動で農業生産性が下がった結果だ。

523 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 10:30:24 0
>>518-519
アバウトすぎる
長い中世の間には寒冷期も温暖期もありました

524 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 11:08:26 0

( ´3`)チュ・・・チュッ



( ´3`)チューセイ!

525 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 17:15:39 0
中世だと寒冷期は2回だな

526 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 22:30:42 0
>>522
なんで銀が枯渇してインフレになるんだよ? 逆だろ

527 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 22:50:59 0
銀が枯渇して、通貨だった銀貨の質が低下したからでそ。
信用貨幣じゃないんだから、通貨の質が下がれば額面が信用されなくなる。


528 :世界@名無史さん:2008/11/10(月) 23:27:32 0
それはインフレじゃあないじゃん。

529 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 00:56:18 0
インフレじゃん
通貨価値の下落なんだから

530 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 01:00:11 0
秤で計ってたんだろ。
鉄を混ぜときゃオケー。

531 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 01:42:55 0
鉄を混ぜるとかバカすぎワロスwww
金を混ぜた方が重くなって得だぜ。

532 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 03:17:40 0
だから貨幣の質が下がったら誰だって余計にもらわないと損だって思うだろ?
それで額面が上がる=インフレ だっつの

533 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 08:08:23 0
>なんで銀が枯渇してインフレになるんだよ? 逆だろ

わかってねーなw

534 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 09:32:31 0
貨幣改鋳の話は中高でもやると思うんだけどねえ・・・

よっぽどひどい教育現場なのか、あるいは・・・

535 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 12:23:10 0
ゆとりだろ

536 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 17:11:46 0
なんでマジレスなんだよ

537 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 19:17:17 0
ゆとりだな。

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貨幣総合スレ
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541 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 23:13:30 0
中世は貨幣経済だったのか?

542 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 23:53:47 0
>>529
それは、相対的に貨幣の価値が下がっていても、デフレーションの一種で、
スタグフレーションというものだ。
インフレとは全く別物。

543 :世界@名無史さん:2008/11/11(火) 23:59:18 0
ローマ崩壊ごろは貨幣経済もメチャクチャになってたが、ゲルマン系の諸国家はとりあえずローマのコインを踏襲。
東ローマ帝国が落ち着くとソリドゥス金貨が発行され、基軸通貨となる。
また8世紀半ばにはフランク王国がデナリウス銀貨(1gほど)を発行、欧州の標準的コインとされる。

公定では一応12デナリウス=1ソリドゥス、20ソリドゥス=1リブラ。
デナリウス・ソリドゥス・リブラは、フランスではドゥニエ・ソル・リーヴルに、英国ではペニー・シリング・ポンドになる。
貨幣は金銀の重量で測られて取引に使われた。

11世紀ごろになるとビザンツがわやになるが、西欧では商業が盛んになって貨幣経済が復興し、
13世紀には北イタリア諸国でフロリン(ドゥカート)金貨が発行された。

544 :世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:46:30 0
>>542
デフレて額面が安くなることじゃねえの
在庫抱えるよりはマシだってんでどんどん安くしてくのを言うんじゃ?

545 :世界@名無史さん:2008/11/12(水) 02:01:57 0
>>541
ちょうど中世の千年を通じて、贈与慣行が通貨経済へ移行していったと
阿部謹也氏の本に書いてあった。

546 :世界@名無史さん:2008/11/12(水) 08:25:37 0
スタグフレーションは景気後退とインフレが同時に起きることを言うんだと思ったが

547 :世界@名無史さん:2008/11/12(水) 18:55:27 0
こういう初歩の初歩な用語くらい、理解して使えな。漫然と使うなよ。
インフレーション …… 需要が増大し、供給が逼迫しながらも供給が増大する状況。
デフレーション …… 需要が縮小し、相対的に供給が過剰となっている状態
スタグフレーションは …… 需要が増大しているにも拘わらず、なんらかの原因で供給が減少する状況。
貨幣と言うものは、交換の仲立ちをするだけのものだから、通貨が現象を起こしていると思うなよ、
通貨の状態というものは、結果的におこったことだ。
出発点は需要で、それに対して、生産活動が活性化しているのか停滞しているのか、ということを
表すものだ。
こういう初歩くらいは予め頭に入れておけ。
乳母車に札束積んで馬鈴薯を買う第一世界大戦直後のドイツの絵面なんか忘れていいから。

548 :世界@名無史さん:2008/11/12(水) 19:01:41 0
金本位制度や銀本位制度、為替変動制は関係ねー

てかんじ?

549 :世界@名無史さん:2008/11/13(木) 08:35:27 0
通貨の供給量が急増するとつられて需要が増大してインフレが起きるが、
これの出発点を需要の変化に置くと話がややこしくならないか。迂遠なんだよ。

550 :世界@名無史さん:2008/11/13(木) 12:25:22 O
>>547
その説明自体
『貨幣量に対する』需要と供給の話なんだが・・・

551 :世界@名無史さん:2008/11/13(木) 15:55:45 0
そいや域内での物価差ってどうしたんだろ?中国なら均輸法・平準法やってたけど

552 :世界@名無史さん:2008/11/13(木) 20:51:58 0
1マイル内に何箇所も関所があって、橋とか通る度に料金取られ・・・
(現代でも、ガソリン代から自動車税orレンタル料、各種の維持費に高速道路の料金と色々あるけどさ。)

ある程度まとまった権力を持っていないと調整のしようが無いような気がするがw

553 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 12:15:31 0
バイキングはなぜ南下した?

554 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 12:17:56 0
>>542
>デフレーションの一種で、
>スタグフレーションというものだ。

糞ワラタwww
世界史板は香ばしいなぁ

555 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 12:20:08 0
>>553
ヨーロッパの寒冷期で北欧では作物が採れなくなったからだよ
アジアの遊牧民も寒冷期で牧草がなくなって家畜が痩せて食いっぱぐれるたびに南下した

556 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 12:26:40 0
なんかしたん?

557 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 12:45:01 0
ヨーロッパもアジアも北方民族のほうが強いのはなぜ?

558 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 12:51:16 0
ヒエラルキーや役割が豊かな地方ほど分化してないから。

ヨーロッパでは戦士は闘うしか能がないし、農民は農耕しかできない。
根付いて刳らすにはこういう役割分担をしないと効率が悪いけど、根無し草の場合は部族はマルチでないとやってけない。
男はみんな戦士であり狩人だってな具合。

こいつらだって、根無し草を辞めればやっぱり階層社会になって強さも普通になる。
西ヨーロッパの王族はほとんどがヴァイキングやゲルマンの子孫だし。


559 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 13:09:02 0
ヴァイキングが根無し草?

560 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 13:27:39 0
>>558
ちげーよタコ

>>557
もともと貧乏で土地も貧弱だし定住性が低いから守るものが少ないから
他人が攻めてきても、というか攻めていくメリットが無い
古代にローマがゲルマニアにほとんど手をださなかったのはこのため
あんなとこ征服しても意味ないから

561 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 13:28:37 0
>>559
バイキングは根無し草だよ
定住性が低い
農耕をやっても焼畑で、ある土地で作物が育たなくなるなどのことがあると、
他の土地へ移ってしまう


562 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 14:56:05 0
ゲルマン人が戦に強かったので
ライン川以東(ゲルマニア)は攻めなかったのでは

563 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 15:20:53 0
いや、攻めたし。んでトイトブルクで見事に壊滅した

564 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 16:15:43 0
>>562
強かないよ
ゲルマン人はマリウスやカエサルに散々にボコられただろ
ローマとしては、ゲルマニアなんかに進出しても経済的になんの意味もないからそれ以上攻め込まなかっただけ



565 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 17:09:27 0
アウグストゥス時代の遠征をお忘れで?

566 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 17:12:07 0
そんな昔のことは忘れた

567 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 19:35:51 0
ハムは指にぐるぐる巻いて食べてたんだよね?

568 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 20:31:38 0
とりあえず、ウァルス君は余の軍団を速やかに返すように。

569 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 20:55:47 0
ゲルマンは滅ぼすべきである、にならなかったのが不思議

570 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 20:56:25 0
中世を通してずっとローマ的だった国(都市)ってどこだろ。

571 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 21:26:17 0
そもそもローマ軍が強かったのものなかにも雇われゲルマン兵が多数いたからだろ

572 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 21:27:31 0
>>564
だったらブリタニアなんかもっと利用価値ないだろw

573 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 21:28:29 0
>>570
コンスタンティノポリス

574 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 21:56:54 0
>>550
貨幣の量そのものは、実のところ、景気には殆んど関係無いんだよ。
需要や供給が増大すれば自然に貨幣の量も増えるし、逆に財やサービスの需給が縮小すれば
貨幣の量も自然に減る。
唯一といってもいいくらいの、貨幣が実体経済に与えるインパクトといえば、贋札のようなもの
くらいだ。贋札・贋硬貨が出回ると、財やサービスを貨幣に換える動機が薄れるというか、札や
銭の形になった貨幣を回避する方向に働くので、需要も供給も縮小する。

575 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 22:13:01 0
もとは貨幣改鋳(改悪)の話なんだが。

まあどうでもいいや、めんどくせ。

576 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 00:27:25 0
>>572
ブリタニアは錫などの鉱物資源が取れた。
あと、ガリアに向かって突き出た形になってるから、
安全確保の意味もあったと思う。

577 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 09:46:44 0
>>571
それはずっと後の時代の巨大化して衰退していたローマ
マリウスやカエサルの時代のローマはそんな堕落していなかった

>>572
だからカエサルは南部に上陸して威勢を示しただけで帰っちゃっただろ
ただブリタニアは鉱山がすでに開発されていたからローマが手に入れる価値はあった
ゲルマニアはただの森
カエサル(本人が書いたかどうかには異説があるが)もゲルマニアについては森のことしか書いてない
当時のローマ人にとってゲルマニア人の連中はウッホウッホ野牛をつかまえて喜んでるだけの原始人



578 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 10:59:37 0
中世ヨーロッパに行くにつれてなぜ西洋は不潔で野蛮になったんだろな
ローマ時代のほうが健康的な暮らしできたんじゃね?

579 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:14:28 0
原始人は言い過ぎw

580 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:23:47 0
落とし穴を掘って野牛をつかまえて喜んでる、風呂にも入らない野蛮人って書いてあるよ

581 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:29:34 0
>>578
来週だか再来週に、日本女子大で
「どのように野蛮なゲルマン人は清潔なドイツ人となったか」
みたいな講演があるな。
タイトルからして興味深々だw

582 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:52:31 0
そもそも古代のゲルマン人と今のドイツ人は違うだろw

583 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 12:01:00 0
フランク王国は発展したんじゃね

584 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 13:07:46 0
キリスト教者の考えが偏ってるから
風呂は異教徒の風習だと排斥したんだよ
だからヨーロッパは不潔になった

585 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 18:00:45 0
中世ヨーロッパも温泉はあった

586 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 18:07:43 0
温泉は医療用で日常的に使うもんじゃなかったんじゃない?
そんな特殊用途を挙げても何の意味もないよ

587 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 18:13:59 0
ヨーロッパの温泉は飲むもの

588 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 18:27:21 0
スラヴ人のほうが清潔好きだったらしいな
川で沐浴する習慣があった上、街を大きくするのを嫌った
ペストの発生源である草原のげっ歯類が多いのにほとんどペストが発生していない
ルーシまで行くとまた不潔になる
ロシア人が不潔なのはそのため

589 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 19:12:59 0
ペストで風呂に入る習慣が廃れたというのは既出
それ以前は風呂に入っていた。

590 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 21:01:18 0
まあ売春の巣窟になるからってんで、キリスト教会が風呂屋を
排斥したってのも事実だ。これも既出だけど

591 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 22:55:54 0
そういや江戸時代も風呂屋は売春の巣窟になっていたっけ。

592 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 00:34:38 0
風呂なんてのは古今東西そんなもんだ。

593 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 11:30:52 0
まあ裸になるんだしね

594 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 12:31:42 0
裸になるってこと自体、キリスト教会が禁じてることだからな

595 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 12:36:48 0
キリストさんは裸や

596 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 13:27:19 0
チンコは隠してるぞ

597 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 14:00:29 0
人間は裸で生まれて裸で死ぬんや

598 :マラー:2008/11/16(日) 15:11:54 0
  /⌒\
 (    )
 |   |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |   |< 風呂場で殺されました。全裸で
 ( ・∀・)  \_________
  )   (
 (__Y_)

599 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 19:19:37 0
イブン・バットゥータが大旅行記で、エジプトだかシリアだかの。どっかの街の公衆浴場入ったら
そこの住人は腰にタオル巻かず全裸で入浴してたので、「け、けしからーん」って、そこの総督に
文句言いに行ったって話があったな。

600 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 20:15:44 0
周遊記にそんなこと書いてるのかw

601 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 20:21:53 0
総督曰く「ぱ、パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」

602 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 22:13:46 0
パンツじゃないって言うかパンツがないから。

しかし全裸より肌に張り付く湯着のほうが、こう、けしからんと思わんかね。

603 :世界@名無史さん:2008/11/16(日) 23:35:23 0
それが男でもかね?

美少年ならまぁ、わからなくはないが

604 :世界@名無史さん:2008/11/17(月) 01:22:24 0
チラリズムや着エロは日本独特の文化なんじゃない?w

605 :世界@名無史さん:2008/11/17(月) 03:04:00 0
ああ、動いていると着物がだんだんはだけていくところから発展したのですね?

606 :世界@名無史さん:2008/11/17(月) 08:47:27 0
現代イスラム教徒も手足の肌がちょっと見えただけでエロスを感じるらしいよ

607 :世界@名無史さん:2008/11/17(月) 09:03:12 0
イスラムにしても裸にする途中にすぎないのでは?
衣服が残っている方がよい、というのは日本独特な気がするのだが。
なんつーか、ワビサビ?

608 :世界@名無史さん:2008/11/17(月) 09:38:59 0
なんかイスラム圏の出会い系サイトが紹介されてて(それ自体どうよw)
女の子の顔写真が載ってるんだけど
みんな顔隠してるから眼しか見えないんだよねw
あれはほんとだったんだろうか

609 :世界@名無史さん:2008/11/17(月) 18:08:52 0
北欧神話には、とある女神が「一番綺麗な足の男神を婿に選ぶ」という変な話もある

610 :世界@名無史さん:2008/11/17(月) 20:26:50 0
白人はなぜ突出して美しいのか

611 :世界@名無史さん:2008/11/17(月) 21:34:08 0
ほとんどがふけ顔

612 :世界@名無史さん:2008/11/18(火) 16:45:13 0
ある程度韃靼人の血の混ざってる黒海沿岸は西欧よりも美人揃いだな。


613 :世界@名無史さん:2008/11/18(火) 17:54:56 0
ちょっと渤海に行ってきますね

614 :世界@名無史さん:2008/11/18(火) 18:42:31 0
ヨーロッパとアジアの境界あたりはほんとに美人ばかりだな
やっぱり混ぜた方がいいんだな

615 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 00:13:54 0
ブラジルも美人多いって言うしね

616 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 00:47:47 0
中世ヨーロッパでは、美人コンテストとかはなかったのかな

617 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 01:07:30 0
代わりに騎士がトーナメントやってました


違うか。

618 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 01:22:54 0
>>616
美人コンテストという露骨な名前ではないが、
淑徳と何チャラを競うみたいなのはあったぞ。

619 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 01:49:04 0
衣装くらべとかはあったんじゃないの

620 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 03:00:39 0
舞踏会デビューだのなんだので競うとか?

621 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 07:41:03 0
>>620
そういうイベントは近世にできた習慣では?

622 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 09:14:13 0
ご近所の奥さん達で張り合うようなことは有史以来あっただろうね

623 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 09:46:37 0
616、イワンだっけ?后決めるのに美人コンテストやったの

624 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 12:58:44 0
少なくともビザンツ帝国にはあったな

625 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 17:11:05 0
>>612 >>614
いやどう見てもゲルマン系のほうが美人だろ
スラブ系は普通の白人とは程遠い

626 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 17:27:37 0
え、ゲルマン系が美人?

・・・まあイギリス料理を旨いという人間も世の中にはいるだろうな。

627 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 17:50:17 0
東欧のスラブ人より西欧の白人のほうが綺麗に決まってる

628 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 17:55:34 0
色白 金髪 碧眼 はゲルマン系の特徴ですが

629 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 18:01:59 0
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/59/Light_hair_coloration_map.png

>セントアンドリューズ大学が発表した金髪の分布図(2005年)。
>黄色は80%以上、薄橙色は79%〜50%、薄茶色は49%〜20%、茶色は20%以下の地域を指している。
>その他(焦茶色)の部分は0%、つまり全く金髪が存在しないとされる。

バルト三国や北欧諸国(ノルディック)のほうが金髪比率が高いわけだが

630 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 18:13:24 0
ええ、ヒットラーさんは見事な金髪でしたね。

631 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 18:19:44 0
北欧もゲルマン系だろうがw

632 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 18:43:36 0
インド人はアーリア人だ。

633 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 19:48:36 0
美人の基準は文化によっても違うぞな

634 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 19:48:48 0
ドラヴィダ人どこへ行ってしまったん?

635 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 19:50:09 0
タミル人になりました

636 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 19:53:58 0
結局ゲルマン系が一番美人だな

637 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 19:56:59 0
ドイツ人乙

638 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 20:07:14 0
ゲルマンオタクって痛いな…

639 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 20:23:57 0
色白、金髪、碧眼でも猿や豚みたいな顔の奴もいるんだし

640 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 21:34:47 0
性生活はどんな感じだったの?
ヨーロッパのどっかでイエスの教え通りにするために女性をほとんど家に閉じ込めたら
やり場の無い性欲を発散するためにホモが激増してそりゃマズイってんで
教会が商館経営する羽目になったとか聞いたことあるけど

641 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 21:35:29 0
商館→娼館

642 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:01:13 0
>>640
カンタベリー物語を嫁。

643 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:08:08 0
エプタメロンでもいいな。

644 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:13:36 O
>>629つまりBC12000年前の氷期が終わって氷河が溶けてから移住した人々の子孫の突然変異で金髪、碧眼が出来たわけか人類の歴史ではごく最近だな。
インドヨーロッパ語族、ウラル語族、の白人のどちらが金髪碧眼人種の先祖なんだろ。

645 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:18:27 0
言語と人種は必ずしも一致しないけどな

646 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 00:05:52 0
>>629
ポーランド北部とロシア北西部はスラブでも住民の半分以上が金髪だな

647 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 00:09:25 0
ブリテン島でも、ちょうどデーン人(ヴァイキング)が征服してたところが金髪率高いのな

648 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 00:12:52 0
>>644
>インドヨーロッパ語族、ウラル語族、の白人のどちらが金髪碧眼人種の先祖なんだろ。

フェアブロンドに関しては、印欧語族でもフィン・ウガル語族でもない、
それ以前にアルプス以北の寒いところに移住した非印欧語系住民
あとから印欧語住民が来て混血して、集団としては消えた

ドイツでは、ポーランドやロシアより金髪が少ないのだから、
プロト・ゲルマン語族がそれほど金髪でもなかったというのは間違いない
プロト・ゲルマン語族のうちスカンジナビアに移住した集団が、
金髪の先住民の集団と混血して北ゲルマン語派を作ったと考えるのが合理的

要するに、金髪の先住民がブリテン島からスカンジナビアやロシア平原にかけて住んでいて、
そこで印欧語族の集団が3つ入ってきて混血して、ゲルマン、スラヴ、バルトの北欧金髪3語族ができた


649 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 00:30:30 0
巨石文化人とかピクト人・ケルト人はあんまり金髪じゃなかったのかなぁ

650 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 01:11:15 0
ベルベル人は金髪だよね

651 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 01:23:24 0
北欧の一部族みたいなもんだったのか金髪は

652 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 01:36:43 0
豪州のアボリジニも金髪じゃなかったっけ

653 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 04:50:35 0
寒いところに定住すると遺伝的にメラニンが減って肌の色素が薄くなる仕組みの延長で
体毛も黒髪から金髪になっていくんじゃないのかと漠然と考えてたけど違うか

654 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 05:39:48 0
そういう適応の要素が強いんじゃね

655 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 06:16:18 0
>>653
環境適応ということであれば、メラニン過小でもデメリットにならないので淘汰されなかったということでしょう。

656 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 08:24:54 0
>>649
アルプス以北のヨーロッパに散在する、ピクト人など巨石文化を担った古代の集団こそ
金髪の「非」印欧語集団によるものだった可能性高し
そこへ印欧語族やウラル系語族の集団が入って混血した

ケルト人は印欧語族集団で、古代から現代までのケルト文化の分布を考えると、
この基礎となったプロト・ケルト人の髪の色は濃いはず
つまりヒトラーの言うアーリア人とは、それほど金髪でもなかったことはほぼ確実
閣下は古代の印欧語族(アーリア人)が金髪だったと勘違いしたまま死んでしまったんだな


657 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 08:54:19 0
適応といってもしかし、皮膚の色が薄いと南方に移動したとき
皮膚癌にかかりやすくなるだろうし、瞳の色が薄いと
北方にあってさえ白内障等によって失明するリスクが
高くなるのでわないか。

658 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 10:09:06 0
高緯度だから色白ってことはない。っていうか高緯度だと雪が降るわけでそんなところだと逆に紫外線が激しい。嘘だと思ったらスキー場のゲレンデで全裸で立ってればいい。目は見えなくなるわ激しく日焼けしてガクガクブルブルすることになる

659 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 10:09:16 0
>>629
20%以下とはいえ、意外に南のほうまでいるんだな

660 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 10:14:59 0
高緯度地方は日照時間が短い。

高緯度地方で直射と反射で浴びる紫外線量<<<<<<<低緯度地方で直射で浴びる紫外線量

661 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 10:16:44 0
>>658
色白の連中が住んでいたのはツンドラの森林。
実際もっと北の、氷雪原の多い地域では色黒。サーミ人など。


662 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 11:05:10 0
緯度が変われば同じ色でも見え方が変わるからね

663 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 16:48:40 0
実際、金髪碧眼の起源はノルマン人(ゲルマン系)だろ

664 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 16:50:54 0
>>656へ進む。

665 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 19:18:03 0
ツンデレの森林ならば赤毛比率が高いはず。

666 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 19:38:59 0
アスカ・ラングレーのことかー

667 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 22:47:05 0
今の人間は70年も80年も生きるから勘違いされるが、人間の生殖可能年齢は15歳くらいから。
10人ほど子供を産み40歳くらいまで生きられれば文明の継承には不都合が無いはず。
白内障が明らかに害をもたらすほど長命ではなかっただろう。

668 :世界@名無史さん:2008/11/20(木) 22:57:18 0
>>667
生産と消費のバランスを忘れちゃいかん。

669 :世界@名無史さん:2008/11/21(金) 12:09:18 0
金髪の起源は北欧だけど赤毛の起源はどこ?

670 :世界@名無史さん:2008/11/21(金) 12:55:51 0
中世ノルマン人はなぜあんなに強かったの?

671 :世界@名無史さん:2008/11/21(金) 13:13:42 0
ネアンデルタール人は赤毛で白い肌?
ttp://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200710291627

672 :世界@名無史さん:2008/11/21(金) 14:53:19 0
厳格なノルマ管理。

673 :世界@名無史さん:2008/11/21(金) 15:36:03 0
井村屋のノルまん

674 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 01:03:53 0
>>670
そりゃ負ければ餓死するしかない連中だからな

675 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 11:33:26 0
>>629
この図ってヴァイキングが進入したところほど金髪率が高いんだな

676 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 13:56:33 0
>>675
なにか認識違いがあるようですね

677 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 14:03:10 0
>>675
フランスの中でもノルマンディー地方の金髪比率が他より少し高いな

678 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 14:12:12 0
つttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fb/I1a_europe.jpg
北方の人に多く含まれる遺伝子の分布図。
割と金髪エリアと被ってるかも。

679 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 14:18:32 0
イギリスは北方系の国だったのか

680 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 15:12:27 0
侵略されたからね

681 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 16:30:46 0
クヌートたんの北海帝国とノルマン・コンクエストがあったではないか

682 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 17:58:58 0
>677、つ「ノルマンディ公国」

683 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 18:01:03 0
だからイギリスは他の西欧諸国より金髪比率高いのか

684 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 18:08:33 0
イギリスって文化も経済も一流なのになんで料理だけは不味いんだろうな
不思議な国だ

685 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 18:17:27 0
水がまずいと聞いた事はある。あっちの水は性質が悪くて
人体からレアメタルをかっぱいじゃう、んでそれで鉛だか亜鉛だかを持って行かれて
味蕾が鈍磨しちゃうんだと。

686 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 18:18:18 0
そもそも大した食材が取れる場所じゃないんじゃ?
それと、「食べられるだけで感謝」みたいな意識が上流にもあったとかなんとか…。
料理大国フランスと自国を比べて悔しいから捻り出した言い訳ともとれるが。

687 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 18:21:08 0
食材にも恵まれなかった

688 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 18:28:36 0
イギリスは石灰岩がやたらと多いので水の硬度がべらぼうに高いらしい。
だから、紅茶なんかはメチャクチャ濃く入れても渋くならない。
逆にイギリスの紅茶の淹れ方を日本でやると渋くて飲めたモンじゃないという話を聞いたことがある。

689 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 19:21:56 0
モダンブリティッシュは美味い、フレンチ臭いけどゴードン・ラムゼイなんぞは美味いと思うぞ。

あと"ティー"はガチ。

更にナイジェラ・ローソンのおっぱいはボリュームがいい。
おっぱいのボリュームに見合うだけのマジ食いが気持ちいい。

690 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 22:07:56 0
流れを切って申し訳ないですが。

中世で、銅貨ってどういう扱いだったのでしょうか?
庶民の小さな買い物などにやはり必要だったと思うのですが、銅貨の資料が見つからないので……
個人的には、国は作ってくれないけど必要だからやむなく民間で発行していた。だから信用度も低く、それが銅貨の価値をさらに低くする原因となった。
なんて妄想をしているのですが、実際はどうなのでしょうか。

691 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 22:24:21 0
どうかなあ…

692 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 22:34:19 0
>>678
陸地を白黒逆に見てしまい、大陸移動中の東アジアか?と思ってしまった。

693 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 22:38:56 0
ローマ末期〜ビザンツ時代には「フォリス青銅貨」なんてのもあるが。イスラム世界におけるファルス。
13世紀までの中世ヨーロッパじゃ、ビザンツのノミスマ金貨以外は銀貨、それも1g程度の(ペニーとか)ぐらいしかなかったしなぁ。

ああ、英国で1/4ペニーの価値をもつ「ファージング銅貨」があった。
しかしこれも13世紀後半に発行されたときは銀貨で、銅貨になったのは17世紀初頭なんだよなぁ。
ペニー以下のカネは銀貨をざくざく切って使ってたんだろ。

694 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 22:46:17 0
>>678の図は間違ってる
このハプロタイプの分布はもっと広い
その図はwiki向けに恣意的に作った図だと思う



695 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 23:08:10 0
>>690
基本的に中世盛期まではデナリウスの域内流通貨幣しかなかったからねえ。
ビザンツやイタリアには銅貨もあったけど、西ヨーロッパは全部と言っていいぐらい銀貨オンリー。
金貨さえもほとんど無い。
例外中の例外にイシュトヴァーン公国に銅貨が見られるぐらいかな。


696 :690:2008/11/22(土) 23:31:22 0
>>693
やはり切るのが一般的なんですか。
貨幣観があまりに違うので驚きです。

しかしなぜ人々は17世紀になるまで銅貨を発行しなかったのか。全く不便だったでしょうに。
公権力から制限されていたのか、相場も何も知らなくても一目瞭然だからあえて切り分けて使っていたのか。

後者の理由も大きそう。妄想しかできない自分が悔しいですが。

697 :世界@名無史さん:2008/11/22(土) 23:37:38 0
ギリシャ・ローマ時代はオボロスとかアッシスとかセステルティウスとかレプトンとか、
いろいろ銅貨のバリエーションも豊富だったのにな。銅鉱山が枯渇でもしてたのかしら。
まぁ、極東部とかだと南宋ぐらいまで銅貨(銭)ばっかりなんだが。

698 :67:2008/11/22(土) 23:46:23 0
>>690
基本的に中世の西ヨーロッパは本位制経済だったので、銅貨というのはドメスティックなレベルを超えて流通することはなかったようです。
おまけに肝心の銀貨にしても、しょっちゅう改鋳されていたので計算貨幣で価格が提示され、それぞれの時代や地域ごとの銀貨は計算貨幣に対して何割程度の価値を持つか?
という感じでした。
例えば、パリ貨はトゥール貨の1.2倍〜1.3倍で計算という感じです。
さらに貨幣の発行権は国王だけではなく、司教や有力な騎士団なども有していたのであちこちで銀貨が発行されていました。
結果として、庶民の少額決済は粗悪な銀貨などで行われ、例外的に都市や都市教会が保障する銅貨があったようです。
ただし、銅貨は本位通貨ではなく補助通貨ですので保証圏外に出てしまうと使えません。
まあ、言ってみれば地域商店街商品券みたいなノリです。
両替商がやたらと幅をきかせていたというのも、まあ道理かなという感じであります。

西洋貨幣史(上中下)の上巻の末尾から中巻にかけて、ずらずらっと当時の貨幣が紹介されています。
もっとも、この資料にも銅貨はほとんど載っていませんが。

699 :690:2008/11/23(日) 00:17:29 0
>>695
>>67さん
詳しい説明ありがとうございました。
主要都市の貨幣発行状況を見ても全く分からなかったのは、そういうことだったんですね。

700 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 00:34:01 0
>>696
例えば銀貨1枚で鶏を買う。
2羽売って。いや1羽しか出せない。じゃあこの1羽とこっちの卵を2個つけてよ。

貨幣を細かく分けないでも商品の方を調整すれば良いのであって、別に不便だったとは思えない。
ヨーロッパやその植民地だった場所では現代でもお釣り代わりにガムや飴を出したりするが、
小銭を使う代わりにおまけをつけて調整するというやり方の方が自然と感じるからであって、
別に権力で少額貨幣の発行や流通が制限されてるわけじゃない。

701 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 00:38:05 0
まぁ、そんなにきちっとした定価があるわけでもないからな。
定価規定なんかも都市部では時々あったけど、昔は大らかな値段設定だったんだろな。

702 :690:2008/11/23(日) 09:06:19 0
>>700
なるほど。
パンも値段ではなく、重さで調節していたようですしね。
しかし、酒場でビールと安い黒パンをかじるときとか、一個人が市場で食料を調達するときとか、やはり不便だったように思います。
ああでもそう考えてみると、やはり限られたケースなのか。

703 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 10:11:47 0
>>702
>酒場でビールと安い黒パンをかじる
これって非中世的な場面だと思うんだが。
18世紀以降の世界でならこういう場面もあっただろうが、中世でこれは無いだろう。

704 :67:2008/11/23(日) 11:35:22 0
>>702
少額貨幣に関しては銀貨がその役割を担っていたようです。
厳密に言うと、中世中期から鋳造されていた質の悪い銀貨が少額決済の最小単位として利用されていました。
言い換えると、この最小単位に合わせる形で生活必需品の量が市場原理に従って変動します。

例えば、パンですが、これは大きく二種類の販売方式がありました。
A)一つは重さや品質が固定されており、価格が変動する方式。
B)一つは価格が固定されており、重さや品質が変動する方式。
Aのパンは富裕層が購入していた、純小麦のパンや蜂蜜やらドライフルーツを練り込んだパンでした。
Bのパンは庶民のパンで、大麦小麦ライ麦などの混合麦のパンや豆やフスマやらで水増ししたパンが該当しました。
パンは主食でしたので、毎年のように何キロの小麦からは何個のパンを作らなくてはならないという感じの測定が行われていました。

そんなわけで、ゲームや小説などでお馴染みの銅貨の位置には低質な銀貨が使われていたというのが実情のようです。

実際問題として、中世の貨幣制度で一番困っていたのは庶民ではなく商人でした。
理由は、中世の後期まで高額貨幣が存在しなかったためで、要するに大量の商品を買い付けたり売りつけたりするときにえらく不便だったわけです。
こうした高額決済にはビザンツから輸入した金貨や香辛料。あるいは為替の先祖のような書式貨幣によって行われていました。

地域や時代によっててんでバラバラに発行される貨幣の価値判断というのは、やはり難儀な問題であったようです。
「金と香辛料」という本にはこんなエピソードが紹介されています。

パリの酒場に立ち寄ったイングランドの兵隊が飲み代4パリ・スゥを要求されました。
彼は1エキュ金貨を差し出し、「1エキュは26パリ・スゥだから、22パリ・スゥおつりをくれ」と主張しました。
しかし、酒場のマダムは「1エキュは24パリ・スゥだよ。おつりは20パリ・スゥ」と主張します。
兵隊さんは「ぼったくりか、このやろう。よっしゃ、別のところで両替してくるからマッテヤガレ」と息巻きますが、
酒場のマダムは「そんなこいって、食い逃げする気だね!」と息巻き、「外に出るなら、その1エキュを置いていきな。あんたが両替して帰ってきたら返してやるよ」
という一幕もあったようです。

705 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 12:06:28 0
>>658
日本は緯度が低い割には雪が積もるからね。
たとえはコペンハーゲンは北緯55度。これは樺太の北端よりもまだ北にある。
樺太にあった日ソ国境が北緯50度。パリが48度。ブリュッセルやロンドンが北緯51度。
稚内が北緯45度で、ここでようやく、ミラノと同じくらい。
北緯45度っちゃあ、冬場は、日の出からに日没まで8時間か9時間しかない。
あたる日差が無い。

706 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 14:01:02 0
>>704
ちなみのその兵士が持ってた1エキュってのはどのくらいの価値があったんですか?

707 :67:2008/11/23(日) 14:50:30 0
>>706
まず、基準となる1ドゥニエですが、これはパン300〜400gに相当しました。
1スゥは12ドゥニエに相当しますので、1スゥでパンを4kg前後購入出来たことになります。
件のイングランドの兵隊さんは3人分の飲み代を支払おうとしたので、一人頭15ドゥニエの飲み代になります。

で、肝心の1エキュは兵隊さんの主張によると26スゥ。酒場のマダムの主張だと24スゥになるわけです。
パンだと100kg以上購入出来る計算になります。

このエキュ金貨ですが、発行年によって品位や目方に差がありました。
1420年に発行された王冠エキュは1マールの黄金から66枚作られました。
この金貨は22スゥ6ドゥニエに相当します。
1419年に発行された王冠エキュは1マールの黄金から64枚作られています。
これは1エキュ30スゥに相当するとされていました。
さらに1421年には別の金貨が発行されています。

なお、このイングランドの兵隊さんはなけなしの1エキュだったようで、この後は修羅場に突入してしまったようです。
なお、1リーブルは20スゥと決まっていたらしいです。


708 :690:2008/11/23(日) 15:18:50 0
>>703
なぬ。
中世都市の宿は一階が酒場であるものが多い、とか、ガレー船の漕ぎ手が時間をつぶすための酒場in港町、とか、それらの知識はすべてゲームや小説の刷り込みってことですか?
それとも酒場がパン屋から仕入れてる点に突っ込まれているのだろうか。たしか仕入れてるトコもあったと思ったんだが。総菜屋あるくらいだし。

>>702
>酒場のエピソード
おお、なるほど。
貨幣の種類が多様だと、そんなこともあるんですね。


709 :690:2008/11/23(日) 15:20:12 0
訂正
702→704

710 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 15:34:55 0
現代のカネに換算するのは危険だが、まあ仮に1ドゥニエで買えるパン400gほど(1リブラというやつね)が150円とするとだ、
1スゥは12ドゥニエで、150円×12=1800円。
1リーブルが20スゥ=240ドゥニエで、1800円×20=3.6万円。
1エキュは22〜30スゥで、4万〜5.4万円か。
5円玉ぐらい(3.4g前後)の金貨一個が諭吉4〜5枚とは。

711 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 15:42:23 0
中世だったらもうちょっと高くないか?

712 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 15:49:03 0
初代スレの1を思い出すな

ゲームや小説はおおむね近世をモチーフにしてると思ったほうがいい

713 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 16:16:56 0
>>707
レスサンクス

今の価値観だと100kgのパンに相当する飯ってのは壮絶ですね
パンの価値は今より大分低かったのかしら

つか、ヨーロッパと日本とじゃ今でもパンの価値が違ってそうな気がしないでもない

714 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 16:51:02 0
>>708
中世で宿に泊まるのはどんな人間か。
巡礼なら教会や修道院に泊まる。
身分のある人間なら地元の名士の家に泊まる。
中世の宿は宿屋と言っても売春宿の方で、ちょっと金の入った兵隊とか、
商品の売れた商人とか、そんな人間がぱっと騒いでそのままよろしくする為に来る。
風俗施設に来てパンと一杯のビールを注文する人間は居ない。
ファンタジーなら成功した冒険者がこうした店で騒ぐのはありだろう。

14世紀頃からは巡礼向けの酒場兼宿屋も生まれたが、
これは現代の観光地の宿屋やみやげ物屋みたいな物で、
やはりふらりと入って酒とパンを注文するようなものではない。

貧民層が街にあふれた近代になってこそ、貧民向けのサービスが生まれるのであって、
中世に「酒場でビールと安い黒パンをかじる」人間は存在しないはずで、
居るとすれば「教会でビールと安い黒パンをかじる」のが中世。

ガレー船の漕ぎ手はほとんどの場合囚人か奴隷だから港に入っても船は降りられない。
自由民がガレーを漕いでたのはヴェネチアなどの一部のイタリア都市くらい。
この場合漕ぎ手も1商人として商品を持ち込む事が許されているから、
その売買で儲ければ宿屋にしけこむ事もできるだろう。

「異人歓待の歴史―中世ヨーロッパにおける客人厚遇、居酒屋そして宿屋」
という本等が参考になるかと。

庶民レベルの視線の話とはずれるが、中世の貨幣というものへの意識として参考になると思う。
ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/00171519.pdf

715 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 19:23:11 0
思い出した。宿屋の主人が客のモノかっぱらうのが多くてレセプツム責任ってできたんだったw

716 :690:2008/11/23(日) 20:00:24 0
なるほど、勉強になりました。

717 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 20:38:00 0
パンじゃなくてポリッジだな
おかゆ


718 :世界@名無史さん:2008/11/23(日) 20:48:14 0
ボッソボソの雑穀パンとか脱穀してない大麦なんかをシチューの中に放り込んで、
野菜や雑草やチーズのかけらや古びたベーコンと一緒に煮込んだのが、
当時の一般的農民の主食じゃろ?

719 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 09:34:58 0
中世西洋人は不潔だったそうですが現代西洋人はどうですか?

720 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 09:48:21 0
土足で家の中に上がるようなやつらだ

721 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 10:17:51 0
欧米は土足で家に上がるぶん掃除も大変なんだろうか

722 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 12:18:13 0
ドラマなんかで靴のままベッドで寝る姿もよく見るな

723 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 12:28:58 0
体をあまり石鹸などで洗うのは良くないという話もありますけどね。
体表の皮脂を落とし過ぎてしまうので乾燥肌の原因になると。

724 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 12:49:23 0
ヨーロッパは寒冷だからあまり垢を落としすぎると寒いってのは聞いたことがある

725 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 13:19:00 0
動物は風呂に入らないしな

726 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 13:38:31 0
クマーは温泉に入るけどなw

727 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 13:41:13 0
ニホンザルも温泉に入ります
英語ではスノーモンキー

728 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 13:56:52 0
地中海とかは普通に生活するぶんには汗かかないしな。一番いいのは夏場イタリアか南フランス→冬場シシリーかな?アテネ→クレタでもいいけど

729 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 14:30:31 0
ローマは風呂屋があったじゃないか
垢すりもしてくれたんだっけ?

730 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 14:32:09 0
動物は定期的に水浴びやすな浴びをして体をきれいにする。西欧人より清潔。

731 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 15:21:57 0
日本人も湯船につかる習慣が出来たのはごく最近

732 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 15:26:20 0
スラブ人はサウナー→川にダイヴ!をやるけどあれっていつからだろ?

733 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 15:27:05 0
>>731
江戸時代の湯屋は湯船に漬からなかったんだっけ?

734 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 15:32:32 0
江戸時代は寒冷期だったんだよ
だから風鈴程度のグッズで涼しくなれたんだ

735 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 18:52:47 0
>>732
スラブ人は知らないが、フィンランドでは1世紀頃から横穴式のサウナがあって、
6世紀頃には屋内式のサウナが有ったらしい。
サウナは風呂として有った訳じゃなくて、肉や魚の燻製を作ったり、
洗濯物を干したり、ビールを発酵させたりと生活の中心というべき場所だから
長時間居て暑くなって外に出て水に飛び込む、雪の上で転がるとなるらしい。

736 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 18:58:53 0
そういや、宮崎駿の泥の虎にもサウナの後に氷の浮かんだ湖にダイブってシーンがあったな。
なんか、心臓マヒ起こしそうだが、実際はどうなんだろ?

737 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 19:20:52 0
>>693
ファルスとかペニーとか
チンコ好きなんですか?

738 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 19:24:30 0
逆に考えるんだ
硬貨の単位が隠語としてチンコを指すようになったんだ







すまん、適当なこと言った

739 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 19:42:31 0
>>738
とーちゃん乙

740 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 21:05:03 0
>>719
>中世西洋人は不潔だったそうですが

ttp://mimizun.com/search/perl/dattohtml.pl?http://mimizun.com/log/2ch/game/game13.2ch.net/game/kako/1205/12057/1205792217.dat
PCゲーム板にて

776 名前:名無しさんの野望[sage] 投稿日:2008/06/22(日) 10:04:08 ID:psvjhDo7
>>755
>はっきり言うがそれらのサイトは間違いだらけだ。
>近世と中世を混同しているだけだ。
>
>入浴習慣が廃れたのは16世紀以降の事で中世では人々は普通に入浴していた。
>ローマ式の入浴スタイルは退廃的云々以前に巨大な公衆浴場を維持するのが不可能になったので変わりに個人経営の風呂屋がたくさん出来る事になった。
>例えば中世のパリでは300軒以上の風呂屋があったしロンドンのチープサイド地区では大量の風呂屋が立ち並び入浴にしに行く人々でごった返していた。
>当時の多くの医学書では入浴は体に良いので頻繁にするべきだと書かれている。
>なんなら引用してやろうか?
>そして中世欧州ではそこら中の都市に石鹸工のギルドがあったんだがね。
>石鹸は何に使われる?
>ちなみにローマ人は石鹸を使用しなかったぞ?


だって。
不潔さでは 近世>>中世>>現代 じゃないか


741 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 21:56:14 0
中世は革とかの重い胴着だったのが、近世になると、軽い衣服が広まったってのもある。

742 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 22:33:39 0
>>740
まあ、何度も出た話題で、その通りとしか言いようがないがな。

743 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 22:47:37 0
中世において、入浴は夜明けの教会のミサに行った後の早朝や夜明けに行われるものであった。
この習慣は現在のヨーロッパでも多くの国で残っていて、朝にゆっくり入り、夜は蒸しタオルなどで軽く拭くのが普通とされている。
貴族や裕福な市民は内湯を備えていたが、ほとんどは木製の大桶で、その木桶の底にとげが刺さらないように布を敷いて使った。
また特別に浴室があったわけでは無く、食事をしたりする部屋と一緒だった。
一般庶民はもっぱら、街の公衆浴場を利用した。1292年のパリには26の公衆浴場があり、夜明け前から営業していたが、
夜明け前は盗賊がいたので実際に人々がやってくるのは夜が明けてからであった。
風呂の用意が出来ると、呼び込み人が大声を出したり、角笛を吹いたりして人々に知らせた。
浴場にはサウナ風呂、温水・冷水浴があり、人々は1〜2週間に1度ぐらいの割合で入浴を楽しんだ。
日本の銭湯のように男女の更衣室はなく、ほとんどが混浴だったため、娯楽の少なかった時代にしてみれば、
男女にとって公衆浴場は格好の社交場であった。

中世末にもなると、風呂屋は娼家のように娼婦を抱え始める。
当時、夫がいくらがんばっても子供が出来ない不妊女性は、夫に出来ないことを客がしてくれるといって公衆風呂に行くよう勧められた。
また14世紀初めの南ドイツでは、結婚式の披露宴を風呂で行うところもあり、人々は生まれたままの姿で酒を酌み交わし、
ご馳走を食べ、歌を歌って結婚式を祝った。しかし、1348年頃に黒死病(ペスト)が大流行し、
共同で風呂に入ると感染の恐れがあったため、それを境に公衆浴場の数は激減していった。
そして、この時代から風呂の習慣は一時途切れてしまう。また16世紀には蒸風呂と桶風呂があったのだが、
ペスト流行のため、蒸風呂屋の閉鎖禁令が次々と出された。16・17世紀の考えによれば人間の皮膚は穴だらけで
そこからペストや悪性の空気、悪い病気が入り込むとされていた。そして水や湯は、皮膚に裂け目を作り、
穴を拡大することによって危険な状態を作り出すといわれていた。
つまり、皮膚こそが外からペストの入り込む身体境界線と見られており、そのため皮膚を傷める入浴は極端に恐れられた。


744 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 23:19:44 0
軟石鹸で体洗うってすげーな

745 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 23:28:08 0
歯の衛生状態の悪さは

 現代>近世>中世

大航海時代だかナポレオン戦争のものだったか忘れたが、
イギリスで引き上げられた帆船(軍艦)の乗員の歯は皆
完全に揃っていたというはなし。

746 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 23:34:45 0
>>745
現代>近世>中世

いや、それはないだろう

747 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 23:35:14 0
>ちなみにローマ人は石鹸を使用しなかったぞ?
ありゃりゃ(^^;プリニウスの博物誌に石鹸の記述があるし、ヘロンは石鹸と手水の自販機なんか作ってたりしてたよーな?

748 :世界@名無史さん:2008/11/24(月) 23:36:17 0
ただ断片的に自分の知ってること並べるんじゃなくて何で見たかも載せてほしい。

749 :67:2008/11/24(月) 23:47:46 0
15世紀のドイツでは公衆浴場というのはかなり一般的だったようであります。
入浴は快楽の一種と捉えられており、風呂嫌い=有徳という考え方もあったようです。
もっとも、だから入浴はふしだらだ、というわけではなく変人扱いに近かったようでありますが。

浴場は本邦の温泉のようなものではなく、やはりローマ的な雰囲気のスパに近いモノであったようであります。
マッサージ師もいれば楽士も居るし床屋も医者もいる。
一応、男女の別はあったようですが同じ湯を使わないという程度で、仕切りには窓が開けられており自由に会話も覗き見も出来たようであります。

こういった奔放な公衆浴場が廃れた原因には感染性の病。
ペストだけに限らず梅毒や性病の流行もあったようであります。

750 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 06:33:27 0
つーか中世も1000年あるんだから、まとめて一概に語れるかっつーの

751 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 11:28:33 0
科学的思考の苦手で衛生概念に乏しいな中世ヨーロッパですら伝染病の元みたいに考えてしまう
公衆浴場って、いったい、どれくらい汚かったんやら。

752 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 12:09:07 0
古代ケルト人も石鹸を使ってたよ

753 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 12:19:35 0
石鹸なんぞ獣脂と灰があれば作れるだろ。
なにげにシュメール文明の時代からあるんだぜ。

754 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 16:51:57 0
なんで近代化はヨーロッパでしか起こらなかったんだろうな

755 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 16:58:35 0
君の考える『近代のイメージ』が漠然と『ヨーロッパのもの』だからでは?

756 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 17:02:13 0
新大陸のおかげ

757 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 17:17:05 0
>>754
中国、アラブ、インドは旧大陸にしがみ付くあまら近代化が遅れた

758 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 18:25:15 0
ナチは処分したユダヤ人の体から石鹸作って家族へのおみやげにしてたってほんと?

759 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 18:25:18 0
そもそも近代化というものがなんなのか、という問題になるだろ
侵略を近代化とは考えたくはないな

760 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 19:35:38 0
物が語る世界の歴史って本によれば、古代から中世を通してヨーロッパで作られてた、魚脂か獣脂と灰を使った石鹸じゃ
刺激が強すぎるし臭いも非常にキツイので、もっぱら洗濯に使われてたそーな
硬石鹸は13世紀ごろにイタリアでも作られるようになったが、広まったのは何故だか16世紀以降からなんだと。

761 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 20:22:30 0
洗濯税なんかがあった地域も多かったからかな?

762 :世界@名無史さん:2008/11/25(火) 23:07:08 0
川で洗濯物を岩にばっしんばっしん叩きつける方法なら、石鹸いらないもんな

763 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 00:02:21 0
普通2、3日も風呂入らなかったら体中が痒くてしょうがないとおもうんだが
中世ヨーロッパ人はどうだったのかな

764 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 00:09:35 0
シラミや蚤は人生のお供。あんまり気にしない

765 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 00:21:24 0
16世紀以降石鹸の消費量が増えたのは、紡績業が盛んになってきたから。
個人的な服の洗濯とは別に、紡ぐ前に羊毛や綿花を洗うのにも石鹸は使われていた。

しかしペスト以降風呂に入らなくなったとはいえ、手や顔を洗うくらいは普通にしていた。
760に有る様に、古くは動物性油脂を使った石鹸が一般的だったが、
イタリアやスペイン、南仏などではオリーブオイルを使った。
従って地中海産の石鹸は嫌な臭いがしなかったので、高級石鹸として有名になった。
イタリアだとサボナ(サボンの語源になった)、ヴェネチア、
スペインだとキャスティール(カスティーユ)、南仏だとマルセイユなどが有名な産地。

工業用と一般人用の2種類の商品があった場合、仮に工業用の商品の方が大量に
作られていたとしても、有名になるのは一般人用の方というもの。
そこで地中海に石鹸の生産が集中したように見えるが、これは高級石鹸の話で、
動物性油脂で作った石鹸もその後も大量に作られていた。
一般向けの石鹸はその後オリーブ油からラベンダーやキャラウェイなどからとった
エッセンシャルオイルへと進化する。

766 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 01:18:02 0
>>754
こういう奴は 近代=ヨーロッパ って結論を先に決め付けてるから
最初からそれ以外を認めないタイプ

767 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 02:45:15 0
日本に住んでるのにね
蒸気炊かなきゃ近代じゃ無いのかねぇ

768 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 08:49:20 0
まぁ近代って概念が欧州製の概念だし。


レスしといてなんだがこの話題スレ違いだし荒れるから続けないほうが無難

769 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 13:37:00 0
近代ねえ。
ヨーロッパにおいては絶対王政により政情が安定し国力が増し、
同時に産業が良く発展した時期だ。
それ以前は封建制の、いわゆるちょっと強いだけの伯爵が王様と呼ばれていただけの国。
戦乱続きの上に各伯爵領同士がばらばらで発展しようにもかなりむずかしい。

それで言うなら中国なんかは戦国から封建、絶対王政との間を行き来し、
産業の大きな発展もたびたびあった。

結論から言うと中国の近世は2千年くらい前から何度もあったという事に?

770 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 16:53:08 0
現代に近い時代が近代なんだよ
地域にもよるけど200年前〜150年前からあとは近代でよくね
それ以前の300年ぐらいが近世で、その前の1000年〜600年ぐらいが中世
それ以前は古代

771 :世界@名無史さん:2008/11/26(水) 17:15:58 0
sapoという単語が登場するプリニウスの記述
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text.jsp?doc=Plin.+Nat.+28.47&fromdoc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0138

獣脂と灰から作り、ゲルマン人やガウル人の主に男性によって使われ、
髪の毛を茶色に染めるために使われたとあるから、石鹸の使われ方が違う。


772 :760:2008/11/26(水) 21:22:34 0
博物誌にあるように、ローマ人は髪染め用としてサポの存在を初めて知った。
2世紀ごろにはそれを洗剤として用い始めたようだ。
この時代までに脂肪と炭酸カリウムを煮沸させて作った、もっと質の良いサポが使われ始める。
医師のガレノスはサポはソーダより洗浄力があるので、体を洗うときにサポを使用することを称賛した。
と、「古代の発明(東洋書林)」には載ってたよ。

同じ項に、オリーブオイルと木灰を主要成分とした、棒状で白色・無臭の石鹸はアラビア人によって
初めて作られた。その製造は1000年以降、スペインの重要な産業の一つとなった。とあるんだけど。
これがイタリアや南仏で作られるようになった硬石鹸なのかな?

773 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 01:52:45 0
中国は紀元前の方が近代的だったというわけのわからん国

774 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 03:09:23 0
古代ギリシャ・ローマも近代的というか「先進的」ではあったぞ
中世千年の闇はそれを忘却の彼方へ押し流した

スレタイに戻る。

775 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 04:11:58 0
中世ローマ帝国の文明レベルはいかようであったか、だが。

776 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 08:00:54 0
国産の小麦が、海外(植民地)産の小麦との価格競争に敗れて
国内の中産階級が壊滅した、なんて事を古代ローマ時代に既にやってるからな

777 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 11:09:45 0
中世イスラムと古代ローマはどっちが先進的?

778 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 12:18:34 0
イスラムに中世はない。

779 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 13:17:59 0
ギリシャローマの正統な後継者はイスラム
ヨーロッパは遅れて来ていいとこ取り

780 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 16:44:30 0
イスラム自体が7世紀、いわゆる中世に出てきた宗教だしな
10世紀以降のテュルク諸侯がカリフより強くなる時代は、
一種の中世というか戦国乱世というか

781 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 17:27:46 0
>>779
地理的に一番影響受けてるのはビザンツだと思うぞ

782 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 18:01:45 0
メソポタミア・エジプト→ペルシャ→イオニア・ギリシャ→ローマ→ビザンチン→イスラム→イタリア→ヨーロッパ

783 :世界@名無史さん:2008/11/28(金) 01:46:50 0
>>781
ビザンツ帝国スレに紹介されてた中世アラブ人のビザンツ観

アル・マスウーディー著『黄金の牧場と宝石の鉱山』より

「古代ギリシア人の時代とビザンツ[この場合ローマ]帝国のしばらくの間に、哲学的諸学問が
発展し続け、学者と哲学者は尊敬され、栄誉を授けられた。彼らは自然学(身体、知性、魂に
関する)や四科、すなわち数の学「アリストメーティケー」、面積と幾何の学「ゲオーメトリケー」、
星の学「アストロノミア」、そして旋律の調和的創作の学「ムースィケー」に関する諸理論を
発展させた。キリスト教がビザンツ人の間に現れるまで、諸学問はかなりの需要が続き、大いに
洗練された。その後彼らは哲学の証拠を削除し、その痕跡を消し去り、その道程を破壊した。
また彼らは古代ギリシア人が明確な説明で展開したものを変化させ改悪したのである」

784 :世界@名無史さん:2008/11/28(金) 19:05:41 0
中世ヨーロッパ諸国が対外戦争に弱く感じるのは遠征が多かったから?

785 :世界@名無史さん:2008/11/28(金) 19:24:51 0
封建領主も国内に侵入してきた敵と戦うときは必ず馳せ参じなければならないけど
逆に国外で戦うときは1日ごとに王様がペイしなきゃならない契約を結んでたり
(給料が出なかったら帰っちゃったり)

786 :世界@名無史さん:2008/11/28(金) 19:35:18 0
>>784
中央集権制に比して封建制は外征向きじゃないからね。
契約面もそうだし、兵站・指揮権その他でも。外からの攻撃には強固だけど。
イングランドでは結構早い時期に軍役免除金の支払いで封建動員の免除をしてたはず。
その金で傭兵やヨーマンの軍勢を維持する、と。

787 :世界@名無史さん:2008/11/28(金) 21:08:33 0
「中世ヨーロッパの城の生活」では、主君が多数存在し得たって紹介されているしね。

統一国家化が進むと非難されたらしいけど。

788 :世界@名無史さん:2008/11/28(金) 22:18:36 0
>>769 >>786
その手の絶対王政とか封建制云々で近代を測ろうとしたり、
だから中国やアラビアもそう違わないといった類の主張自体
近代=ヨーロッパの石頭と同じって気がする。

結局ヨーロッパとの類似や対比による思考や発想でどっぷり囚われてるのに
気づいてないんだよね。言葉で表面的に西洋否定してたり、ヨーロッパ以外にも近代認めてるように見えても。
逆にヨーロッパを強く意識して認めてるのと同じだろうね。
表面上はマンセーするか反発するかの違いがあるだけで。

789 :世界@名無史さん:2008/11/28(金) 22:29:46 0
>>768へ進め。

790 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 00:18:21 0
>>732
サウナって、それルーシ人だろ
ポーランド人は風呂好きだし(ただし家庭の風呂)、チェコ人はドイツの影響で風呂に入らない


791 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 09:26:45 0
>チェコ人はドイツの影響で風呂に入らない

それって近世になって浴場が風紀取締りの対象になってからでは?
中世にはドイツ人も風呂に入ってたが

792 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 11:10:08 0
>>785
日本みたいに、うまく取れたときに成功報酬の分配、王様の割り当てた役割ごとに
戦功やら戦略的な貢献度に応じて論功恩賞ってことはしなかったの?

793 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 12:08:49 0
ヨーロッパってだけでなんか特殊な感じがする

794 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 12:37:34 0
特殊学級だからって差別はよくないぞ

795 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 14:09:35 0
イザベラ・バードの本とか読むと、
明治時代の日本も地方によっては全然風呂に入らなず、
不潔だったということが良く分かる。

江戸や京都などの都市部が清潔だというのは色々な人が共通して記述しているけど、
皮膚病と盲人の多さについてはよく指摘されている。


796 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 14:19:46 0
水田のマイナス面だな。
田植えなんかで村中が同じ水に浸かるから寄生虫などがうつりやすい。
人糞を使うと言うのもまたうつりやすい原因になる。

797 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 16:14:59 0
最近はサナダムシ健康法とかあって一概に寄生虫が悪いわけでもないんだがな

798 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 16:21:09 0
wikipediaのサナダムシの項目見てたら日本と欧州のサナダムシは違って
前者は寄生されても今のところ危険性が確認されてないそうだが
後者は危険だそうな

799 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 17:09:17 0
最近温泉で病気がうつるとかいう記事を見たな。
銭湯で水虫がうつるとかいうのはむかしから有ったが。

800 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 17:10:43 0
サナダムシダイエットは現代の異常な飽食の状況で生まれた寄生虫の異常な使用法だろ

801 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 17:18:09 0
>>795
盲人は性病が原因らしいな


802 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 17:18:50 0
>>799
主にレジオネラ菌感染症な

803 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 17:55:58 0
十字軍とか騎士って他地域の兵士と比べるとなんであんなに重装備なの?

804 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 18:05:59 0
他地域って、どこと比較して?
日本の具足とかは板金鎧とは行かなくても、チェインメイルよかずっと重装備だと思うけど。

805 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 19:05:45 0
>>803
十字軍の頃のチェインメイルなんてイスラム諸国だって近いもの(ラメラーで補強したチェインメイル)を身につけてるぜ?
ビザンティン帝国もチェインとラメラーの併用だし。

806 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 22:48:01 0
>>796 日本吸血住虫って怖いのもいるしね

807 :世界@名無史さん:2008/11/29(土) 22:53:53 0
>>805
>>803はたぶん、対イスラム十字軍の時代より後に広まったプレートメールを混同してるのだと思う

808 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 00:25:01 0
日本住血吸虫

809 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 00:48:26 0
在日腸線腎って怖いのもいるしね

810 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 00:51:31 0
消えろ嫌韓虫

811 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 01:04:13 0
↑在日腸線腎が検出されました

812 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 01:40:11 0
そういやちょい上で十字軍の話題が出ていたが、十字軍国家って軍備や制度は西欧準拠だったのかな?
よく遠征して定住する連中がごく少数で大半は帰国しちゃって人材不足だった、と聞くけど。

813 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 12:13:22 0
>>812
西欧準拠。
軍制も騎士と弩などで武装した歩兵がメインで
軽騎兵の「トルコプル」が使われてたぐらいが違いか。

814 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 13:02:51 0
イスラム軍は軽装備のイメージがある

815 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 13:14:50 0
イスラムはモンゴルの軍制、軍装の影響はあるの?

816 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 13:25:49 0
>>814
エリート騎兵はメイルの上に小札鎧とか重ね着してたから
当時の西欧の騎士より重装甲だったかもしれない。

でもウサーマ・ブヌ・ムンキズの回想録に
ジャウシャン(当時はビザンツの「クリバニオン」に相当するような
小札の胴着をそう呼んでたらしい)を着たムスリムの兵士が
フランク人のランスに胸を突かれて死んだ例とか
出てくるらしいけど・・・

817 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 13:28:00 0
>>815
例えば初期サファヴィー朝では君主の親衛隊をコルチと呼んでたね。
探せば他にも色々出てくると思うが・・・

818 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 14:33:09 0
ヨーロッパ史で一番マイナーなのは中世?

819 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 14:46:04 0
マイナーなのは先史時代史。

820 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 15:04:28 0
ローマ帝国があるじゃないか

821 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 15:06:04 0
それは有史時代(古典古代)

てかここは学問所だで基礎教養のないひとはお引取りを。

822 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 15:10:22 0
あれ?
ローマ帝国って古代ヨーロッパ史に入るっけ?

823 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 15:17:42 0
中世ローマ帝国とは違うだろ。

824 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 15:42:21 0
まあ地中海世界とヨーロッパ史を同一に捕らえるかは意見が分かれるところだよな

825 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 16:45:01 0
ヨーロッパはローマによる被征服経験があるからローマはヨーロッパ

というのは結構面白い発想だな

826 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 17:08:19 0
ゲルマンとラテンを区別するのは難しい
元々ローマ帝国領内にもゲルマン人はたくさん住んでいたわけだし混血も進んでいた

827 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 17:24:50 0
ヨーロッパという括りは単なる地理的な話じゃないからな。
いつから、ヨーロッパとなったのか? というあたりで意見がかなり変わる。

828 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 17:46:55 0
ゼウスが牛になって走り回ってから

829 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 17:51:14 0
エーゲ文明のエウロペが起源かと

830 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 18:58:52 0
ロシア・ウクライナあたりも一応ヨーロッパなんだが

831 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 19:09:08 0
>ロシア・ウクライナ

アジアといっても差し支えないんじゃない?

832 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 21:46:50 0
あの辺はアジアからは欧州と呼ばれ、欧州からはアジアと呼ばれ・・・

833 :世界@名無史さん:2008/12/02(火) 23:44:03 0
ユーラシア、というのが一番しっくりくるな

834 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 01:12:55 0
ビザンツ帝国はヨーロッパ?

835 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 01:25:56 0
アナトリア側にもまたがってたからヨーロッパとも言い切れんな

836 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 01:35:07 0
むしろローマ帝国・ビザンツ帝国・アッバース朝までのイスラーム帝国は、地中海世界史じゃないか?と思っている
確かにヨーロッパも、ローマ帝国の性質を一部とは受け継いでいるけどね、ねぇ・・・

837 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 01:53:57 0
まあ、毎度“中世ヨーロッパ”の範囲ネタは結論がでないもんだが。
何の注釈もなしに使われるときは大体ローマ・カトリックの勢力圏とほぼ同義だと思うわ。

まあ、ヴァンダル王国はヨーロッパなのかとか言い出すとキリがないし。

838 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 07:18:22 0
ビザンツとかはオリエントでいいよ

839 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 10:00:08 0
スウェーデン、ポーランド、ハンガリー、イタリア、ここまでが中世のヨーロッパの東端


840 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 10:30:16 0
その辺は中世と現在で国境線が大違いなんだが、どっちを基準にして言ってるんだ?

中世基準だとシチリア王国がヨーロッパじゃないってことになるな。一理はあるが。

841 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 22:43:43 0
エーゲやクレタ文明も古代ヨーロッパに入るのかな

842 :世界@名無史さん:2008/12/03(水) 23:14:26 0
古代ギリシャの枠内だから入るんじゃねってかここ中世だし。
ルーシ地域についての話題が乱発してるわけじゃないのにヨーロッパとはどこまでか、みたいな議論イラネ

843 :世界@名無史さん:2008/12/04(木) 01:07:51 0
古代ギリシャはヨーロッパじゃないだろ?

844 :世界@名無史さん:2008/12/04(木) 04:46:51 0
でも「エウロパ」って意識は、古代ギリシア人が作った概念じゃなかったっけ?

845 :世界@名無史さん:2008/12/04(木) 05:22:53 0
>>844
古代アッカド人が作った概念だと言われている。
元々は「日が沈む地方」を意味していて、メソポタミアから見て
西の地域を指してたらしい

846 :世界@名無史さん:2008/12/04(木) 16:43:10 0
そして、アジアはボスポラス海峡の東側全部

847 :世界@名無史さん:2008/12/04(木) 18:13:08 0
アッカド語だかフェニキア語だかアッシリア語だか、セム系の言葉ではあったらしい。

エレブereb:日が沈む方角(西) ギリシア語のエレボス(暗黒)、ケルト語のエール(アイルランド)、アラビア語のマグリブ
アスassu:日が昇る方角(東) アシア(アジア)
       ラテン語ではオリエント、ギリシア語ではアナトリア、フランス語ではレヴァント、アラビア語ではマシュリク


848 :世界@名無史さん:2008/12/04(木) 21:43:30 0
ピレネー山脈を越えたらそこはアフリカだった。

849 :世界@名無史さん:2008/12/04(木) 23:43:49 0
後ウマイヤ朝がヨーロッパじゃないのは良いが、
アフリカかといわれると違う気がする。

850 :世界@名無史さん:2008/12/04(木) 23:55:14 0
中世のイベリア諸国はキリスト側もイスラム側も互いの文化が融合してて何とも言えない感じ。
ヒネテみたいな兵種は西欧一般の兵種にはないものだし。

851 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 07:56:52 0
>>840
国境線がどう動こうと中世では>>839がヨーロッパの東端、そこから先はルーシ
現代はノルウェー、フィンランド、バルト三国、ポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、
ブルガリア、ギリシャ、南キプロス、ここまでがヨーロッパの東端
あと何年かすればそこへベラルーシ、西ウクライナ共和国、カリーニングラード共和国が入ってくる

852 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 08:48:00 0
ルーシとか未開の原野だろ

853 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 09:18:28 0
ウラル以西のロシアもヨーロッパじゃないのか

854 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 09:20:50 0
>>851
小学生か

855 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 09:48:39 0
中世ヨーロッパと同時代のインドはどっちが繁栄してたんだろうか

856 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 10:05:13 0
>853,今でもそうだがw


857 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 10:28:00 0
>>855
繁栄の定義によるな。

豊富な香辛料、宝石、絹。
ヨーロッパ人が欲しいと思うものが有り余っていたインド。
一方でインドが魅力を感じるものを持っていなかったヨーロッパ。
そう考えればインドの方が繁栄している。

しかし気候と地勢により多くの病気を抱え、慢性的な食料難を患っていたインド。
そうした生存条件の厳しさを階級差別で低層民に押し付けて調整しなければならなかったインド。
気候が良い時期には食料が豊富で、インドよりは疫病も少なかった中世ヨーロッパ。
民衆レベルの生活水準ではヨーロッパの方が良かった。

858 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/12/05(金) 11:25:17 0
中世といっても1000年あるから、いつの時代のどこかで大分違うかと。

例えば西暦1000年前後、平均的な作柄なら一家4〜5人が取りあえず食える程度の
土地のある小作農、といった条件なら、暮らしやすいのはどの国だろう?



859 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 11:29:31 0
地理的な基準と文化的な基準は違う
地理的なヨーロッパなら>>853
文化的なヨーロッパ、つまり西欧世界なら>>851


860 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 11:32:55 0
1000年ごろならビザンティン帝国領域内なんかはどうだろう?
アナトリアみたいな(小)アジアも入っちゃうから不適当かもしれないが、テマ制もまだまだ強固だし、
帝国自体も黄金期だから安心かつ安全に暮らせるんじゃないかと。

それを除くとやっぱ基本はイタリアじゃないかなあ。気候的にも先進技術的にも。
南イタリアはビザンティン帝国の支配下でギリシャ系が活躍してるし。

861 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 17:27:49 0
ビザンツがイスラムを凌駕してた時代ってあるの?

862 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 17:32:15 0
>>861
大征服以前

863 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 17:42:08 0
まだイスラム誕生してないじゃん

864 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 18:06:32 0
バシレイオス2世ブルガロクトノス(976-1025)の治世の後期あたりが中世ビザンツ帝国の最盛期。
アルメニア・シリア・アナトリア・バルカン・ギリシア・南イタリアを掌中に収め、専制政治を敷いた。

しかし当時のイスラーム世界は、西イランからイラクにかけてのブワイフ朝は弱体化しているが、
西方エジプトのファーティマ朝と東方アフガニスタンのガズナ朝が最盛期。
ファーティマ朝には奇人カリフのハーキムが、ガズナ朝には中央アジアと北インドを征服したマフムードが出ている。
ビザンツにこの両帝国を凌駕する国力があったとはいいがたい。

865 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 18:14:39 0
イスラムは、イスラム世界全てでビザンツは一国のみ、というのは比較として不公平じゃまいか?

866 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 18:22:44 0
ほんならビザンツ帝国対ファーティマ朝ぐらいなら規模的にちょうどいいかな。
後ウマイヤ朝はガタガタになったあと1030年に滅亡するし。
半世紀ほどすると東方からセルジューク・トルコ、北方からクマン人やノルマン人が進出してくるが。

867 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 18:28:13 0
ビザンツが学問や文芸復興に力を入れたのも10世紀ごろなのに対し
イスラムはウマイヤ朝の時代には既に発展していた
ビザンツは正式な古代ローマ帝国の片割れなのにどうして新興宗教に抜かれたんだろう・・・

868 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 18:30:24 0
アッバース朝分裂以降〜モンゴルに完全に滅ぼされるまでのイスラーム世界は
カリフが何人も乱立してとても学問どころじゃなかったのでは?

869 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 18:43:05 0
>>867

聖書に書いてある以外の事を書いてある書物は異端だから燃やせ!
聖書と同じ事しか書いていない書物は聖書があるから要らん、燃やせ!

名前をこねくり回して666になる奴は悪魔だ、火刑にして財産没収せよ!
これこそが正義也、神の威光を広めるジャスティス也!
反論は異端だ、火刑にせよ!





これじゃあ国が即刻滅亡しなかっただけでも正直すごいと思う。

870 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 18:51:46 0
それはローマ教会では?

871 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 19:49:19 0
>>869
いっつもキリスト教会がそういう感じってわけじゃなかったんだけどな。
ちと誇張しすぎ。

872 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 20:17:17 0
>>871
イスラームの興隆から、ビザンツのキリスト教はファナチックになったと思う。

873 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 20:46:44 0
ビザンツ帝国でキリスト教の教義と対立する類の学問や芸術が追いやられたのは事実。
イスラム側に「せっかくの知識なのに捨てちゃうなんてもったいナス」みたいな記述もあったはず。
ただ、逆にイスラム側からビザンツの知識人や書物を貸してほしいと申し出るケースもあったから
圧倒的大差、というほどではないんじゃないかと。

874 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 22:19:21 0
>>851
>国境線がどう動こうと中世では>>839がヨーロッパの東端
>>853
>ウラル以西のロシアもヨーロッパじゃないのか

中世人のアジア・アフリカ・ヨーロッパの概念を表したTO図ではアジアとヨーロッパの境はドン河。

875 :世界@名無史さん:2008/12/05(金) 22:27:16 0
>>867
古代から続くペルシャとの戦争や、人口の減少、財政破綻を起こしていた時期に
攻め込まれて、領土の大半を失ったから。
それからはイスラムやスラブの度重なる侵攻と、国内の混乱でそれどころじゃなかった。

>>869
ビザンツというか、東方正教圏はそこまで宗教狂いじゃない。
そもそも様々な民族や異教徒がいたから、そんなことやれない。

876 :世界@名無史さん:2008/12/06(土) 08:21:30 0
欧州とアジアの境界がウラル・カフカスってのに自然地理的な根拠があるわけじゃないからなぁ
自然地理的にはユーラシア大陸はユーラシア大陸だw

その時々の国際情勢や文化環境などの人文地理要素で、適当な山や川を境界としているだけだ。
ソ連が健在だったころは「ウラル・カフカス派」は西側の地理学会でも圧倒的とは言いがたかった。

877 :世界@名無史さん:2008/12/06(土) 09:46:20 0
★大学院博士課程単位取得土木作業員★
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/recruit/1217061484/l50
■大学院生や博士号持ち【無職・だめ】10
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/dame/1204889445/l100
孤独な大学院生
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/alone/1206889416/l100
●コンビニで働く大学院生M1〜D6・・・博士号
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/conv/1107576360/l100
◎大学院生の輪っ 4◎
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/nohodame/1129338760/l100
【奨学金累積博士】大学院修了【人生終了】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/debt/1143953895/l100
【M1限定】激論!博士課程か就職か!?【高学歴】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1138365690/l100
【Dr.K】博士取っても定職なし、Dr.はどこへ 10
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1208118374/l100
博士号ゲットしたけど4月からの職ない人集合
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/sci/1079661248/l100


878 :世界@名無史さん:2008/12/06(土) 10:02:30 0
>869、エーイメン!が足りませんわよw

879 :世界@名無史さん:2008/12/08(月) 04:03:46 0
>>783参照。

880 :世界@名無史さん:2008/12/08(月) 04:28:37 0
>>783
>自然学(身体、知性、魂に関する)

「身体」じゃなくて「物体」だな

881 :世界@名無史さん:2008/12/08(月) 23:27:43 0
もっと中世ファンタジー系やってよ
ttp://changi.2ch.net/test/read.cgi/anime/1227451494/

882 :世界@名無史さん:2008/12/09(火) 23:25:37 0
中世ヨーロッパの衣装や建築物はなぜあんなにメルヘンチックなんだろうな

883 :世界@名無史さん:2008/12/09(火) 23:39:55 0
お前の頭(ry

884 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 01:34:09 0
ノイシュバンシュタイン城がメルヘンチック

885 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 03:18:30 0
>>884
あれは中世じゃないだろw
どーでもいいけど、ルートヴィヒ二世のwikiページ色々と変わってね?
右上の肖像画は以前のがよかったな。

886 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 04:04:42 0
「メルヘンチックな中世」なんて、それそのものが近代ロマン主義の作り出した幻想。

887 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 10:21:08 0
ノイシュバンシュタインなんて、中世どころか近世ですらないじゃん。
あれは、まさに近代最後の貴族主義が中世ロマンを求めておったてた代物じゃん。

888 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 10:24:14 0
ノイシュバンシュタインネタは中世はロマンチック、中世はメルヘンチックのお約束

889 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 10:31:33 0
ロマン主義がドイツ統一あたりまでの運動で、ノイシュバンシュタイン城は
普仏戦争直前に着工して、ルートヴィヒ2世が移り住んだのは1886年。
移り住んだ頃はロマン主義すら終わってしまったものねぇ。

890 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 17:17:50 0
中世も後期だがマリエンブルク城なんてのがあるな

891 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 22:17:02 0
カステル・デル・モンテも世界遺産に登録されたんだな。

892 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 22:45:35 0
>>890
ドイツ騎士修道会(;´Д`)ハァハァ

893 :世界@名無史さん:2008/12/10(水) 23:22:46 0
十字軍の城ならクラック・デ・シュヴァリエだろ

894 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 00:32:39 0
それとベート・ジブリンが十字軍城塞の双璧だな

895 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 12:49:59 0
古代イタリアは繁栄したのに中世以降はぱっとしないのはなぜ?

896 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 14:13:12 0
食って飲んで遊んで寝る習慣が付いて抜けなかったから

897 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 14:20:38 0
ローマを作った時点で力を使い果たしたので今は充電期間
1000年後、イタリアの前に再び世界はひれ伏すであろう

898 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 14:46:20 0
充電器壊れてない?

899 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 14:52:49 0
冷静に突っ込むなよ・・・・・・

900 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 16:49:51 0
ルネサンスで文化的には復活したやん
イタリア戦争でボッコボコにされてまた衰退したけど

901 :5共和国派:2008/12/11(木) 19:33:39 0
南イタリアを併合したからな・・・

902 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 20:09:58 0
>>895
都市国家ごとに結構栄えていたよ。ローマはアレだが、貿易(と海軍力)で地中海を支配してたし。
文化的にはビザンツ・イスラム国家からの先進技術・文化が西欧でいち早く伝わってたし。
まあ、国家規模や単純な軍事力では英仏神聖ローマには及ばないけど。

903 :世界@名無史さん:2008/12/11(木) 21:08:28 0
南イタリアも結構栄えていたんでないの?
ナポリとかカプアとか、シチリアだけどパレルモとか

904 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 00:06:05 0
中世〜近世のヨーロッパでは随一の先進地域だったんだが。。。
せめて北部だけでもまとまってたらよかった。
最後に統一されてたのが6世紀半ばのユスティニアヌス時代だし。

905 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 00:21:04 0
そのユスティニアヌス時代も直前のイタリア戦役で各地を破壊しまくったからな…おかげで
少しながらも残っていたローマ時代の都市や施設が壊滅。

906 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 05:47:42 0
どの道、整備の費用も技術も無いなら壊れる運命。
早いか遅いかの違いしかなかったのではないかと。

907 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 08:56:22 0
バラバラだからこそそれぞれ発展したとも考えられるが

908 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 11:45:44 0
>>890
マリエンブルク城は戦争で廃墟になったのを1950年代からポーランド人が資料を集めてはコツコツ復元して今の姿を維持してるんだよ


909 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 11:47:36 0
しかもマリエンブルク城だけでなく、あの地方のドイツ騎士団城は何十件もあり、
ポーランド人がみんなして修復している
俺はクフィジン城が好きだな


910 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 12:34:01 0
クフィジン城のあるクフィジン(Kwidzyn):
fajna dupa, a by się wstydziła co ona robi z tymi kotami..kto to słyszał pakować do
gęby ryj kota? tak w ogóle to wideo nazywa się jak zespół szczypiornistów z mojego
miasta- MMTS KWIDZYN

    / ̄`Y  ̄ヽ、
   / / / / l | | lヽヽ  
  / / // ⌒  ⌒ヽ  
  | | |/  ( ゚ ) ( ゚ )  http://jp.youtube.com/watch?v=WwPWVA0ppXY
  (S|| |      ・ィ  ヽ |\_/|
  | || |     r=、 ノ/    u ヽ
  | || |、     (^l(^l|(●) (●) |
  | || | `rー--r- ヽ `ヽ、 (文_)三 |
  | || /⌒ヽ`⌒ \ `ー----イ
  | ||./  、  \/`つ、      !
  | |/`=='´\  /      ノ


911 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 12:49:20 0
イタリアって南部と北部じゃずいぶん民族性が違うらしいな
やっぱ南部はアラブ人やノルマン人が混ざってるから?

912 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 14:01:49 0
フリードリヒ2世ぐらいまでは先進国だっけ?・・・いつから南はダメリアになったのかな?

913 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 14:18:57 0
なまじ文化・経済的に先進国のほうが中央集権的な国家の形成に失敗して近代以降停滞する傾向はあるんじゃないか。

914 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 14:22:24 0
>>912
スペイン支配以降だろうね

915 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 16:14:13 0
ローマ帝国の衰退以降はダメダメでそ。

916 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 16:37:38 0
個人的にはローマよりルネサンスのほうが輝いてた

917 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 16:40:15 0
>>911
むしろ北部がゲルマンが混じってるから

918 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 16:41:22 0
ヴェネツィア共和国は十字軍時代から18世紀初頭ぐらいまでかなりの先進国だぜよ

919 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 16:44:56 0
何でそこでヴェネツィアの話出すの?

920 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 16:46:08 0
素敵だから

921 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 16:46:37 0
>>918
ベネチアはどう見ても北イタリアですが、なにか?

922 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 17:27:26 0
>>895

923 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 19:40:33 0
>>895
中世にパッとしてたところってどこだ?
似たり寄ったりだと思うが
そう言う意味ではイタリアはパッとしてたんじゃないか?

924 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 19:45:34 0
>>923
イスラーム支配下のスペイン

925 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 20:01:03 0
コルドバやセビリアじゃ夜中に街灯がパーッとついてたからな

926 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 20:28:32 0
西ローマ崩壊直後のアイルランドはぱっとしてた。
カロリング朝はぱっとしてた。
シチリア両王国がぱっとしてた。
シャンパーニュの大市もぱっとしてた。
ペストの頃はリトアニアがぱっとしてた。
その後ハンザ諸都市もぱっとしてた。
北イタリアがぱっとしだしたら中世が終わった。

927 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 21:55:54 0
>>926
ラングドッグ、プロヴァンスといった南仏を忘れとるぞ。

928 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 22:01:32 0
中世イングランドがパッとしてた時期なんてないってことだな。

929 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 22:04:39 0
人口とかロンドンだけは結構ぱっとしてなかったか。

930 :世界@名無史さん:2008/12/12(金) 23:05:02 0
>>927
南仏はホモいから無かった事にしたい

>>928
イングランド上げるよりはクヌート王のデンマーク上げたいな

931 :世界@名無史さん:2008/12/13(土) 09:41:20 0
クフィジン城(政府観光局サイト)
http://blogs.yahoo.co.jp/dziendobrywieczor/35869262.html

932 :世界@名無史さん:2008/12/13(土) 10:42:47 0
政府観光局じゃないだろ、引用してるブログだろ

933 :世界@名無史さん:2008/12/13(土) 19:09:42 0
歴史上の推定地域人口
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E4%BA%BA%E5%8F%A3

歴史上の推定都市人口
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%BA%E5%8F%A3

この二つの図表などはどうでしょうか?
具体的に地域ごとの人口がわかりますので、数字で比較できます。
・・・なんか中世ヨーロッパの場合すごく微妙な気もしますけど。

934 :世界@名無史さん:2008/12/13(土) 21:54:13 0
>>933
ttp://www.ne.jp/asahi/wh/class/toudai2002.html
問(10)次の表は、1750年ごろの都市人口を推定し、当時のヨーロッパ七大都市
を示したものである。このうち(a)は商業・金融の中心として知られ、また(b)
は16世紀と17世紀に、2度にわたり包囲された歴史をもつ。それぞれの都市名を、
(a)(b)を付して記せ。

 順位  都市名   推定人口
  1  ロンドン   675000
  2  パ  リ   570000
  3  ナポリ    339000
  4  [ (a) ] 210000
  5  リスボン   185000
  6  [ (b) ] 175000
  7  マドリード  160000

↑の問題の数字って、Bairoch (1988)と同じだな。


935 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 00:19:19 0
おお。
東大にも認められた(w)数値なのですね。
それなりに信頼できそうです。

936 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 03:18:23 0
1750年ってとっくの昔に近代じゃねーかよ。

937 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 07:09:01 0
>>936
Bairochの推定値は西暦800年からあるぞ。


938 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 09:06:19 0
ベロッホの古代の数値はあんまり当てにならないって
ガーンジーおじちゃんが古代ギリシャローマの飢饉についての本で
言ってたヨ。

939 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 09:56:54 0
ロンドンの人口がまだ2万人程度の頃がいいんだ!

940 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 11:54:53 0
マルコポーロは長安の事を
「ヨーロッパのどの都にも劣らない」と評していたけど
長安と肩を並べる都って具体的にどこなんだろう?

941 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 13:04:07 0
ヴェネチアとかジョノバとかミラノとか?
あとはコンスタンティノープルも通過していたかな・・・

942 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 13:23:00 0
当時の長安って人口どのぐらいよ?

943 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 13:49:40 0
1300年ごろの都市人口はこんな感じらしいよ。

【中国】
杭州 43万
大都 40万
長安 11.8万

【マルコポーロが比較したと思われる都市】
ヴェネツィア 11万
コンスタティノポリス 10万

人口だけで見れば、肩を並べるは妥当な表現じゃね?



944 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 14:14:03 0
コンスタンティノポリスって意外と少ないんだな
イスラム支配下のコルトバとおんなじくらいかと思った

945 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 14:51:51 0
最盛期のコンスタンティノープルは60万ぐらいいたらしいが、
1300年ごろはこんなもんだろ。セルジュークとかにボッコボコにされたし。

946 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 15:00:53 0
ローマ帝国末期〜ユスティニアヌス時代くらいは50万以上いたけど、
小麦の無料給付終了、イスラム帝国包囲前夜の貧民追放で相当減ったし、
1204年に十字軍に制圧されて以降は10万さえも危ういほどに。滅亡直前は5万程度だったとか。

947 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 15:15:01 0
十字軍さえいなければフビライの時代もコルドバ並に栄えてたかも>コンスタンティノポリス

948 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 15:25:32 0
【1300年ごろの欧州主要都市人口】(この後、ペストで激減する)

パリ:15万〜20万
ヴェネツィア、サライ、コンスタンティノープル:10万前後
グラナダ、セビリャ、ジェノヴァ、フィレンツェ、ミラノ:9万前後

コルドバ、パレルモ、ナポリ、ケルン、サロニカ:5万前後
ロンドン、バレンシア、バルセロナ、ブルッヘ、ヘント、プラハ、カッファ:4万前後

949 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 15:33:00 0
パリが10万都市になるのが1200年ごろだしなあ。
それまでの欧州じゃ、ビザンツ・イベリア・南イタリアに大都市が集中してる。
ローマはルネサンスまで荒れ果ててたが、それでも3〜4万ぐらいいるか。

950 :世界@名無史さん:2008/12/14(日) 21:21:23 0
>>938
古代ローマに関する著作を残したKarl Julius Beloch (1854-1929)とPaul Bairoch (1930-1999)は別人。


951 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 00:53:24 0
コンスタンティノープルは5世紀以来50万ほどの人口を抱えていた大都市。
イスラム勃興後の混乱でやや減少したが、9世紀〜12世紀は人口30〜50万の世界有数の都市だった。
しかし第四回十字軍によってボロボロにされ、14世紀には10万ほど。15世紀の末期時代は4〜7万ほどに。
そのためマルコポーロ時代は、そこそこの都市といった程度で、中国の主要都市には及ばない。
のちにオスマン時代になると、世界最大級の都市として復活する。

952 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 01:44:28 0
古代にローマが100万超えてたのがかにすごいか分かるな

953 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 01:58:29 0
アレクサンドリアはローマ以前にちょびっとだけ100万に達していた
コンスタンティノポリスは100万に達したことはない
イスラム世界ではバグダッドが唯一100万都市

シナでは唐の長安・北宋の開封・南宋の杭州、
元の大都・明の南京・北京と100万都市(首都)が連続している
まあ人口自体が桁違いで貧民も多いんだが

954 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 08:42:09 0
まぁ中国を中心としたいわゆる東アジア世界は別格と言うか別世界だよな
色々な意味で

955 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 09:51:42 0
しかし中国は城外はフリーダムだからな・・・神聖ローマ帝国時代のシシリーとかは住みやすそうだがすぐにカエル野郎がごちゃにしてくれるからな・・・

956 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 11:13:56 0
数字として信頼できる100万都市はロンドン以降。

アレクサンドリア100万人説はパピルスに残っている選挙権を持つ自由民男性人口が18万人いたことが
最大の根拠だが、100万人を超えていたとするのは少数派。

ローマについてもModelskiは再大120万人としている一方でChandlerは60万人にしか見積もっていない。
アウレリアヌスの壁内(1300 ha)に平均450人/ha住んでいたとして60万人。
壁の外を含めて1800 haに平均550人/ha住んでいたとして100万人。
テオドシウス時代の記録である48,382戸に平均25人/戸住んでいたとして120万人。
近年になると「小ローマ派」が増えていて、ローマ100万人説は盤石ではない。

バグダードはChandlerも100万人以上住んでいたと試算しているけど、イラク全域で当時300万人以下しか
人口を養えなかったという試算と矛盾し、最近では疑問視されている。

長安に関しては一応742年の人口調査で196万0188人という数字があるが、これは周辺の農村部を加えた京兆府全域の数字で、
実際に都市と呼べる城壁内の人口に関しては100万人は微妙なライン。Chandlerは750年頃に80万人と抑えた推定人口を出している。

宋、元の諸都市に関しては、都市人口の記録が不完全。Chandler自身は清代の北京まで100万人いたとは試算していない。
ただChandlerの中国都市の人口密度試算は100人/haと少なく、最近では杭州や南京などは100万人以上いたとする説の方が多数派。

コンスタンティノープルは城壁の存在により、100万人いたとする説は少数派。


957 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 11:25:23 0
ついでに江戸の人口は100万人以上で当時世界一だったというのは日本では定説だけど、海外ではそうでもない。
公文書として残っているのは町人の人口で、出稼ぎ人を加えた信頼できる数字としては、最大で58万人。
神官・僧侶は5万人程度。エタ等は1万人。で武家地の武士・使用人や浪人の人口が不明。

江戸の町方奉行支配場の人口は550人/haを超え、確かに異常だが(50万人/890 ha)、
寺社門前地は100人/ha程度(8万人/880 ha)。江戸の6割を占めていた武家地(3,900 ha)の
人口密度が寺社門前地以下とすると100万人に届かない。

一方武士の人口から推定すると、武士として認められた人口は日本全土で150万人以下。郷士や使用人クラスを含めて400万人。
各藩で江戸住まいしていた武士は、例えば和歌山藩で15%程度。武家屋敷に住んでいる使用人人口を加算し、
さらに幕府直轄地の旗本・御家人等の江戸住まい人口をどう見積もるかによって、江戸の人口は100万以上にもなるし、100万以下にもなる。

ローマの100万人は江戸の町屋なみの人口密度を仮定しないと届かない。


958 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 17:04:54 0
まあ、高層ってほどでもないが、3〜4階建てぐらいの集合住宅もたくさんあったらしいけどな
日本は基本的に平長屋だから

959 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 17:21:20 0
ヨーロッパはアジアに比べて都市圏に人口が集まらずと満遍なく分散してるイメージ

960 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 17:46:43 0
ヨーロッパは稲作地帯に比べて農業生産性が低いから膨大な都市人口を養えない。

961 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 19:04:50 0
神聖ローマ帝国は栄えてたのかな

962 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 20:44:03 0
俺的には張り子の虎のイメージ

963 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:11:47 0
しかし古代は未開の森林だったのに
中世はずいぶん発展したよな>ゲルマニア

964 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 23:39:38 0
神聖ローマ帝国は各領邦によって豊かさにかなり格差があるだろ。


965 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 02:57:56 0
ライン流域と海岸部を除けば古代と大差ないと思う。

966 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 11:22:59 0
中世も近代もそうだけどドイツ人ってなんでやたらと東方遠征したがるんだろうな
ロシアなんてゲルマニア以上に魅力ない土地だろ

967 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 12:20:35 0
西はフランスで大国だから駄目。
北は海。
行けるのは東か南。
中世ドイツはイタリア遠征大好きだよ。

968 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 16:13:12 0
ロシアまで行くとあれだが、ポーランドとかバルト海沿岸は結構豊かな平原地帯だぞ
琥珀とかの交易もできるし

969 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 17:24:50 0
サンクトペテルブルグなんかは、ネバ川経由でヴォルガ川→カズピ海→イスラムと貿易できる要衝だったしな。
バルト三国のあたりからはイスラムの貨幣がやたらと出土するらしい。
イスラムにしても北方の毛皮は貴重だったので、今で言うwinwinの関係にあったらしい。

970 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 17:47:13 0
内陸でもウクラナイナ重要

971 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 18:09:17 0
>>956-957
あのう・・・見ているとわざと少なく少なく見積もることばかりを考慮した
数字だけを上げているように思えるのですが。


例えば東京の人口だって居住人口と昼間人口と夜間人口などで差が出ます。
東京の人口のかなりが留学生や周辺から仕事に来ている人で占められてるのはわかるでしょう。
正規の戸籍をその都市に持っている人・・・ここでは「市民」と表現しますが、
都市の人口は商業が活発であればかなり膨れ上がります。
市民に加えてかなりの数の宿泊・逗留している交易商人や市民権を持たない使用人や奴隷、
周辺農村から兵役で警備兵等として定期的に労役に来ている人など、
実際にその都市にいる人口はかなり膨れ上がります。

まあこれは一例でしかありませんが、意図的に人口を少なく見積もっているようにしか見えません。

972 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 18:12:13 0
ウクライナというか黒海北岸は、農耕にも牧畜にも漁業にも交易にも適した土地だな
ちょいとばかりだだっぴろ過ぎるが

973 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 19:23:12 0
中世のウクライナ近辺は、古くはフン族やハザールにマジャール、ブルガール
とかクマンとかキプチャク、モンゴルなんかの遊牧民の集団、国家ばかりのイ
メージがあるけど。

974 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 20:35:47 0
キエフ公国を始めとしたルーシ系諸侯もいるよ。中世が進むにつれて勢力を失っては行くけど。

975 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 21:13:37 0
>>971
交通手段の発達した現代の都市での昼間人口比をそのまま適用できないでしょ。
というかそもそもChandlerの推定値はどれも抑え気味だし、
ローマやアレクサンドリアの人口を低く見るもるのは最近の傾向で別に自分の意見じゃない。

ttp://www.princeton.edu/~pswpc/pdfs/morris/120509.pdf
ttp://antiquity.ac.uk/ant/071/Ant0710966.htm (log inしないと読めないが)

多く見積もる傾向があるのはModelskiという人だが、
江戸に関してはそれでも100万人。


976 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 21:19:25 0
>>975

一例だと申し上げました。それを鬼の首を取ったようにいわれましても。
というか。
交通手段が発達していないなら外来者の滞在時間が延びて
より市民に対する外来者の比率が増える可能性すらありますが。

977 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 21:23:05 0
つか、異論があるなら別のソースだせばすむはなしじゃん。

978 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 21:31:48 0
>>976
現在の都市は、都内ですら夜間人口が200人/km2だが、
ローマや江戸などは中心部や町人地区が600人/km2以上の人口密度を有し、
現在の都市の昼間人口密度を軽く超えている。

また江戸の場合は毎年二回人口の集計が行われているが、
江戸当地生まれは約30万人、外から籍を移してきたものが15万人、
籍を外に持つ出稼ぎ人は3万人程度と把握されている。
人口密度も余所者分を織り込んだ値。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8


979 :978:2008/12/16(火) 21:45:06 0
失礼

単位は 人/haね。

2万人/km2 = 200人/ha以上が区部の人口密度
4000人km2 = 40 人/haが日本のDIDの基準。



980 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 22:06:21 0
Bairochの場合、中世の城壁で囲まれた都市に対して、
1300-1500: 100-115 人/ha
1550-1800: 175-190 人/ha
と仮定。

Chandlerの場合は75-200 人/ha
城壁が古いほど人口密度が高くなり、ジェノヴァやエディンバラは
500 人/haに達していたと推定。
ttp://www.irows.ucr.edu/research/citemp/estcit/estcit.htm

中世都市の人口推定値は根拠がないわけではないが、
数字自体は参考程度のもの。


981 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 22:43:14 0
>>978
やぱり嘘でしたか。
行商やら観光やら船員やら色々と入っていないのが丸わかり(w



982 :世界@名無史さん:2008/12/16(火) 22:51:58 0
江戸の人口はもっと多い!、いや言うほど大きくはない!ってな話はどうでもいい。ここ世界史板だし。

それよりも中世都市の過密っぷりを見ると、なるほど疫病が流行するわけだと納得。
ゴミや糞尿に関しては何度も法令(条例)が出てるのを見ると市参事会も困ってたんだろうねえ。

983 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 00:40:55 0
モンゴル帝国ってドイツまで侵入したっけ?
ドイツの諸都市を落としたりした?

984 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 00:54:29 0
>>971
中世ヨーロッパと現在の東京を並べて考えてる方がよっぽど意図的だろ
インフラから全く違うんだから

985 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 01:20:13 0
>>983
先遣部隊は侵入したっぽい。実際に陥落したのはハンガリー・ポーランド諸都市までかと。

986 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 03:47:03 0
モラヴィアあたりで攻城戦に失敗してるぐらいじゃなかったか。

987 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 04:05:12 0
>>971>>975の決着を付けてほしい


988 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 07:32:46 0
うめ

989 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 08:10:04 0
>>978
971は現代の例で言ってるんだから論外。例にすらなっていない。
江戸時代に神奈川や千葉埼玉から昼間人口が倍になるほど通勤してくるかい?
975は単にこういう推計もあるといってるだけだからそれが正しいといってる訳じゃない。
978は「町方並寺社門前町人人口」という意味が判ってないでウィキペディア貼ってるだけ。
957が書いているように当時の幕府の政策により統計外となっているの武士人口が不明なので
江戸の総人口の見積もりは大きなばらつきがある。

結局それぞれの産出根拠を細かく見て、自分はこれを支持すると言うしかない。

990 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 09:18:41 0
人口推計する時に扱いが難しい変数ってなんだろ。旅行者とか?

991 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 09:26:02 0
推移と言っても細かい統計がないから
確実な史料に当たって○○年現在では○○人と言うしかない
人口に対する旅行者の数なんて宿帳を精査しないと解らないだろう

992 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 09:55:10 0
つーか旅行者は現代都市の昼間人口でも含まないだろ

993 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 19:24:10 0
都市の人口推計で難しいのは、都市の人口にどういう人間を含むか。
例えば浮浪者を含むのか、含むなら家も戸籍も無い人間をどう数えるか。
田舎で食えなくなって都市の知り合いの家に転がり込んだ人間なら
統計上表には出ない人口になる。
そこで統計上の数字と、その統計が実態とどの位誤差があるかの推定、
誤差を埋める為の根拠の調査というように進んで、
街が輸入した食糧から推定とか、堆肥として売った人糞の量から推計とか
色々でてくる事になる。
そうなってくると学者もそれぞれ自分の計算が正しいと言うから、
「この時代のウンコは一人当たりもっと少ないんじゃね?」
「いや、食物繊維の割合が多いから意外と多いんだ。」なんて事を
真面目な顔で議論する事になる。

まあそんな感じで計算するから誤差が大きくなるし、
どれが正しいかなんて誰にもわからない。

現代だって東京や大阪の人口はといった時に、昼夜人口はともかくとしても
街の公園に住み着いてる数とか、ワープアネカフェ難民の人数とか、
密入国してアパート1部屋に5人くらい住んでる外国人の総数なんて
誰も正確な事は知らないし、統計資料も無い。
ましてや昔の話となれば、統計外民がどれくらいいることやら判らない。

994 :世界@名無史さん:2008/12/17(水) 21:08:07 0
なぞなぞみたいになってきたな

995 :世界@名無史さん:2008/12/18(木) 03:42:38 0
うめ

996 :世界@名無史さん:2008/12/18(木) 05:05:04 0
うめ

997 :世界@名無史さん:2008/12/18(木) 05:32:18 0
うめ

998 :世界@名無史さん:2008/12/18(木) 14:33:06 0
うめ
次スレは?

999 :世界@名無史さん:2008/12/18(木) 22:09:27 0
次スレができるまで以下のスレで間借りするとか。
中世の職業
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1076231719/
中世騎士団スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1065707943/
中世〜ルネサンス期ヨーロッパの戦争のリアリティ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1217729820/


1000 :世界@名無史さん:2008/12/18(木) 22:13:19 0
立てました。

中世(中代)ヨーロッパの暮らし (10)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1229605945/l50

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