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【草原の覇者】 ティムール 【ジンギスカンの再来】

1 :Timur:2008/07/27(日) 01:02:04 0
14世紀の中央アジアに世界帝国を築いた
アミル・ティムール(欧名タメルラン)。

自らジンギスカンの再来を期し
北はロシア南部、東はインド、西はトルコという
とほうもない大帝国を建国した英雄
この人物について語ろう!

2 :世界@名無史さん:2008/07/27(日) 01:19:57 0
2

3 :世界@名無史さん:2008/07/27(日) 09:50:49 0
顔はモンゴル系だったの

4 :世界@名無史さん:2008/07/27(日) 10:35:51 0
ビザンティン帝国の命を50年延ばした英雄?

5 :世界@名無史さん:2008/07/27(日) 11:47:09 0
http://jp.youtube.com/watch?v=mXNHjTx7UPk
森山直太朗 生きてることが辛いなら

生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り
気が付きゃみんな年取って 同じとこに行くのだから
生きてることが辛いなら わめき散らして泣けばいい
そのうち夜は明けちゃって 疲れて眠りに就くだろう
夜に泣くのは赤ん坊 だけって決まりはないんだし
生きてることが辛いなら 悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で 摘み取るんじゃなく守るといい
何にもないとこから 何にもないとこへと 何にもなかったかのように巡る生命だから
生きてることが辛いなら 嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで 宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ
生きてることが辛いなら

6 :世界@名無史さん:2008/07/27(日) 18:00:49 0
6年にも及ぶ活躍の後、永眠した前スレ

ティムール朝について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1007474869/

7 :世界@名無史さん:2008/07/27(日) 19:55:44 0
ティムールVSバヤジット・イエニチェリ。
アンカラの戦いって世界史屈指の好カードじゃない?

8 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 03:24:35 0
>>7
当時イェニチェリってすでにあったん?

あったとしてもルーミ銃とかはまだ装備してないだろうな

9 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 09:49:49 0
>>3
有名な再現像あるじゃん。ティムールとウルグ・ベクの。

ウルグ・ベクの像は浜田雅功に似ている気がした。

10 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 13:20:57 0
アンカラの戦いにオスマン朝兵として参加していたはずのヨハン・シルトベルガーは
ティムールが32頭の戦象を攻撃に使ったとかよく分からないことを書いている。

他の史料に象部隊のことって書いてあるの?

11 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 14:24:48 0
発掘調査されたチムールの遺体から再現されたチムールの顔
http://www.geocities.com/go_darkness/god-timur.jpg

去年の正月の深夜にNHKの特番見たんだけど
直接チムールの遺体を見た調査員が
「チムールはとんでもない大男だった」と言っていたのが印象的だった。
たしか朱元璋も大男だったんだよな。
やっぱ徒手空拳のコミュニケーションは大男が得なんだろうか?
西郷さんも大男だしな。

12 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 14:26:49 0
>>3
チムールってモンゴルを自称してるけど
どう考えてもトルコ系だろ(笑)
問題はこの時期のトルコ人の顔が
現代のような西欧人風のものだったかどうか、だよな
イスラム化もしてるし

13 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 14:29:49 0
>>7
その通りだ。
これほどの英雄対決ってないよ。
もし戦っておかなかったらトルコは
「いくらチムールでもオスマンにはかなわなかっただろう」とか
言ってたはずだぜ。

でも結果はチムールの圧勝だ。
トルコは騎馬民族というわりに歩兵が主体だったらしい。
それに対し、チムールは騎馬主体だから。

14 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 14:36:37 0
>>12
オスプレイのThe Age of Tamerlaneでアンガス・マクブライドが描いたイラストAに
"Timur-i-lenk"が出てくるけど、赤みがかった頭髪で描かれていた。

というか腕と脚に矢が刺さった瞬間の絵なんだけど
シースターンのマリクに雇われて戦ってた頃かしらん?

15 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 15:37:10 0
>>14
欧米の肖像画はまったく当てにならないよ。
ほとんどがトルコのスルタンに擬されて書かれているからね。
つまりアラブ人の顔で書かれている。
http://www.gems-afghan.com/slidshow/slidsho6/timur.jpg
http://sleague.apolyton.net/images/5/5b/TitleTimur.gif

しかしリアルタイムで書かれた肖像画は、目の細いアジア顔だよね。
絵とは違うけど、個人的には↓この胸像なんか好き
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/Timur.JPG/800px-Timur.JPG

16 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 15:59:31 0
>>12
中央アジアのトルコ人なら西欧人風ではないんじゃね?

17 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 18:15:30 0
>>12
いや、ティムールの属すバルラス部族自体は起源的にコンギラトとかジャライルみたいに
モンゴル諸部族に含まれていたの一派だけど、ティムールの時代、チャガタイ・ウルスでは
王族から譜代の諸部族まで言語的にはほとんどのテュルク化してしまっていた、ってことね。

>>14
あれは、ソ連時代の文学作品では「野蛮で圧制者的な遊牧民」のビジョンとして、どういう
理由かは知らないけど「赤い髪の遊牧民」って言い方が良く出て来るから、その影響じゃ無いかと
思うんだが・・・どうなんだろう。


18 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 19:26:26 0
You Tubeに"Tamerlan"というドラマの動画が
60秒分だけ投稿されているのだが
http://jp.youtube.com/watch?v=cuic-9lcuXw
   ↑
これなんか見ると、顔はモロに東アジア系。
それでいて兜はモンゴル風ではなく、
イスラームのモスク型尖頭兜を被っている。
さらにそれで部下には欧米風の顔立ちの者が混じっている。

この動画の投稿者の国籍はロシアだから、ロシアのドラマと思えるが
奴らがチムールをどう捉えているのかがよく表れていると思うよ。

19 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 19:34:48 0
日本語で書かれたチムール関係の書籍では
『草原の彗星チムール / 森下 研』という単行本小説があるね。
俺は千葉県の松戸図書館から取り寄せて読んだんだけど。

結構よく書けた小説なんだけど、このなかに
「チムールは嫉妬から周囲のイスラーム諸国を荒らした」という意味の
文章があったけど、どうなのかね。

20 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 19:44:02 0
俺は事跡だけではなく、より本人に関心があるのだが
チムールもまた大変興味深い人物だね。

ジンギスカンは「(弱くなるから)建物には住むな」と遺言したそうだが、
チムールはそれをかたくなに守って、
豪華な宮殿を建てておきながら、寝るときには
その宮殿の庭にパオ(テント)を張り、そのなかで寝たという(笑)

なんか意固地というか、よくいえば一徹だけど、
いったん思い込んだら、是が非でもやり抜こうとする異常人の姿だよなぁ。
でもイチローが大リーグ行ってから5年間、朝食はルーの量を計った
カレーを食べ続けている、というのと一脈通じるものがあるような…。

やっぱり異常人じゃないとあそこまでいかないよね。。。

21 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 19:47:42 0
騎馬軍団を率いて攻撃力が高いのに加え戦い方が非常に上手いよな。
アンカラでもオスマンの行軍を上手く利用して有利な状態で戦ったし、他でも上手い。
自分で考えていたのか、頭のいい側近がいたのかこのへんが気になるところだ。

22 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 20:03:59 0
チンギス・ハーンは帝王という感じがするが、
ティムールはただの武装強盗団のボスという感じがする。

たとえばルイ14世は帝王だが
ナポレオンは傭兵隊長という感じがするのだが、
それと同じ感じ。

帝王という感じがしないのだ。
みんなはどう?

23 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 20:07:35 0
>>21
弱小勢力だったころに一度、手ひどい敗戦を経験し、
その後、戦術を研究して常勝将軍になったらしいね。

だけど片翼に強力な部隊を集中させて、
この部隊を突出させて敵を包み込もうとするという戦術は
古代ギリシアのトラキアで開発されたものとそう進歩ないよな。
まぁ、コロンブスの卵なんだろうな。
頭でわかってたって、普通、部隊は均等に配置したくなるもんな。

24 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 20:09:23 0
>>チムールvs明
強国になる前のチムール朝は明朝に朝貢していたという記述を
どこかで読んだ気がするのだが、ほんとうだろうか?

25 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 20:16:30 0
>>24
本当っぽい。
靖難の変の混乱の際、使者が来なくなったのを期にやめたらしい。
その後、再び使者がくるようになった時に使者を捕らえたとか。
これはカスティリャの使節が報告している。

26 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 22:21:03 0
やっぱりゴロツキか

27 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 22:53:33 0
>>11
チムールの墓には「この墓を暴くと恐ろしいことが起こる」と書いてあり、ソ連が
調査した3日後にドイツのバルバロッサ作戦発動。
以後チムールの墓は鉛で封印され二度と空けられることはなかった・・・
ってウィキに書いてあった。

恐るべしチムール・・・

28 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 23:27:29 0
>>25
岡田英弘氏によると、
ティムールが貢税を納めていた相手は北元であって、
明朝ではないらしいよ
キタイという語はかつての契丹、金朝の領域をさすから、
キタイの皇帝というのは、北元の大ハーンのことだそうな
明朝の皇帝のことならば、本拠地は南京だから、マンジのハーンと言っているはずなんだそうな

29 :世界@名無史さん:2008/07/28(月) 23:50:29 0
ティムールの同時代のライバルはヨーロッパ連合軍を粉砕したオスマン史上屈指の軍事的天才バヤズィット、
キプチャクハン国を再統一し新興ロシアを焼き討ちした中興の英雄トクタミシュ、明の全盛期を築いた永楽帝と、非常な英傑が多い。
そしてその内永楽帝以外とは直接対戦し、すべからく圧勝しているティムールの戦績が凄すぎる。
永楽帝にも勝ってた可能性はかなり高いと思う

30 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 00:04:16 0
>28
ところが岡田氏はそんな大事な話を論文にしていないんだな。
通俗書で書いているだけ。専門家で相手にしている人はいないよう。

31 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 01:46:00 0
>>18
>この動画の投稿者の国籍はロシアだから、ロシアのドラマと思えるが
>奴らがチムールをどう捉えているのかがよく表れていると思うよ。

それはカザフ人のティムール・ベクマンベトフの撮ったCM。

ところで行軍中は槍をあんな風に手で握って持ち歩かないと思った。

32 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 01:49:44 0
>>15
>ほとんどがトルコのスルタンに擬されて書かれているからね。
>つまりアラブ人の顔で書かれている。

オスマン朝はアラブ人の血はほとんど入ってないのでは?

というかこれもその本のイラストだが
どこがアラブ人だと
ttp://medieval2.heavengames.com/m2tw/history/faction_histories/faction_histories/timurids/tamerlane.jpg

33 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 09:44:16 0
>>20
> その宮殿の庭にパオ(テント)を張り、そのなかで寝たという(笑)
宮殿というか、ティムールがサマルカンドを建設し直した前後から、市壁で囲われた
市街地や城塞の郊外に大小いくつもの庭園(バーグ)を築いて、サマルカンドに滞在中は
それらの庭園にユルト(ゲル)を張って寝起きしていたそうだ。

ビジョンとしてはウィーンのシェーンブルン宮殿みたいなただっ広い庭園に東屋がいくつか
あって、その一角に王侯たちが寝泊まりするユルトが随時立てられているって感じだろうか。

ティムール朝の他の王族たちもその慣習を受継いで、基本的に建物の中に住むってことは
しなかったらしい。こういった庭園でティムールやその他の王族や諸侯、貴顕たちは宴席を
開いて交流するのが常で、『バーブル・ナーマ』でもバーブルはヘラートに滞在中にヘラート
郊外の庭園で開かれたスルターン・フサイン・バイカラの王子バディーウッザマーンの宴席に
参加し、庭園の一角を借りて起居していたそうだ。

34 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 17:11:56 0
誰かティムールの家臣に詳しい人いる?
有名な武将とか居たら教えてほしい。

35 :世界@名無史さん:2008/07/29(火) 21:37:46 0
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-King/2816/flash/bayazid.html

世界史FLASH バヤジット VS ティムール

36 :世界@名無史さん:2008/07/30(水) 02:47:45 0
>>34
とりあえずチャークー?

37 :世界@名無史さん:2008/07/30(水) 13:33:21 0
>>33
クラヴィホの旅行記なんかにサマルカンド郊外の宮廷の様子が描かれてるけど
どこかにいるはずの傀儡のハンの影が薄いんですよねw

38 :世界@名無史さん:2008/07/30(水) 14:27:28 0
>>34
こんなのがあった
ttp://shirayuki.web.infoseek.co.jp/txt/CenterAsia3.html

チン4の武将追加用かな?

39 :世界@名無史さん:2008/07/31(木) 08:37:24 0
>>20

いや、いったん遊牧生活になじんじゃうと、堅い壁で囲まれた建物の中って、
閉塞感で耐えられなくなっちゃうみたいだよ。

だから、遊牧民出身の帝王ってたいてい首都の都市や宮殿を作っても、
庭園や近郊に豪華なテントを張って、そこで日常生活を営んでる。

イランのサファヴィー朝のイスファハーンの王宮も、壁の内側は
広大な美しい庭園になっていて、公務は庭園に点在するあづまやとか
バルコニーでやっていたらしい。

もちろん、寝泊りはテント。

元朝の大カアンたちも大都の王宮の庭園にテントを張って暮らしていたし、
ジョチ・ウルスのカンたちもボルガ川がカスピ海に注ぐあたりのサライの
近郊の草原に豪華なテントを張って、そこで暮らしていたらしい。

厳密に言うと遊牧民じゃない満洲人だけど、清朝の皇帝たちも、
夏は熱河の離宮でテント生活をしていた。

ちなみにテュルク系のテントはゲルじゃなくてユルタ。

40 :世界@名無史さん:2008/07/31(木) 08:48:22 0
>>39
わかるような気がする



41 :世界@名無史さん:2008/07/31(木) 08:59:32 0
>>37

オゴデイ家のハンは、サマルカンドとは別の場所の草原で、
子飼いの牧民を連れて遊牧していたんじゃなかろうか。

42 :世界@名無史さん:2008/07/31(木) 15:58:53 0
シェークスピアのタンバレン大王は
ほんとうにティームールを描いたものなの?

43 :世界@名無史さん:2008/08/06(水) 21:38:24 0
>>29
永楽帝が即位した頃の明朝が所有する馬は約二万三千七百頭だったそうな
交通、軍事などで大体六、七十万頭必要としていたそうだから、
永楽帝が即位した時の明朝は国家機能が麻痺していたものと考えられる
(馬市を開いてウリャンカや女真から馬を購入し、早急に馬を補充しようとしてたようだが)
ティムールが侵攻してきたら、明朝は相当やばかっただろうな

44 :世界@名無史さん:2008/08/07(木) 00:49:09 0
末期の明を倒すのに清でもヌルハチから3代かかったから
土木の変的な勝利はできたかもしれんが、継続的支配は難しかったろう。

しかし、オスマンのバヤジットに加え明の永楽帝まで倒してたら
ティムールは史上最強間違いなしだったな。

45 :世界@名無史さん:2008/08/08(金) 19:55:11 0
とはいえ、ティムール一人が八面六臂の活躍をしていただけで
息子らで使えるのはシャー・ルフだけ、寵臣にもたいしたのが
いない、というザマじゃ死後すぐに帝国崩壊は必然。

46 :世界@名無史さん:2008/08/08(金) 22:35:40 0
逆に考えるんだ。ろくな部下に恵まれなかったのにあれだけの戦績を残した
ということを。

47 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 01:28:35 0
チムールは今ひとつ世界的英雄になれていない気がする

原因は明を討てなかったことだ

48 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 01:30:03 0
>>43

チムールは万里の長城を攻略できたのか?
当然、明側は篭城作戦を採るのじゃないか?

49 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 03:22:58 0
ティムールの時代の長城はショボイと思うけど。
遊牧民の突破が困難なほど強化されたのは
もっと後だったかと。

50 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 10:44:06 0
>>47
ティムームは十分に世界的英雄だと思うけど

51 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 11:55:54 0
>>50
曹操や信長と比べるとなぁ・・・

52 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 14:40:26 0
いつものように早々にネタ切れで、「ティムールvs永楽帝もし戦わば」で
300くらいまで行きます。それで落ちます。

53 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 16:04:58 0
チムールって西欧ではジンギスカン以上の知名度だと
NHKでやってたね
繰り返し西欧に侵入していたオスマンを屠ったことで人気があるらしい


54 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 16:08:56 0
チムールがモスクワを焼いたと書いている書籍があるのだが
これって比喩的表現なのか?
それとも実際にそこまで北進してたのか?

手元の歴史地図3冊の中にはチムールの進撃路をそこまで
進めているものは1冊もないのだが

55 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 16:14:43 0
チンギス・ハーンとティムールの戦争スタイルの差として

チンギス・ハーンは将帥を派遣するスタイルで
自分では陣頭に立たなかった
ティムールは常に部隊の先頭に立ち、敵陣に突進した

というものがある
チンギス・ハーンは武田信玄で
ティムールは上杉謙信というところか

56 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 16:19:09 0
ポストミリテール社製のティムールのフィギュア
http://www.miniature-park.com/picwindow.php?id=5849&func=s

自分も持ってるんだけど、この服装ってどうなの?

57 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 18:34:22 0
ティムールはチンギスに比べるとワンマンだったんだろうな
だから帝国もティムールが死んだらもろかったし

58 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 19:05:52 0
チンギス・ハーンに比肩できる人物って誰よ?
多少見劣りするのは仕方ないだろ?
いい加減なこと言うなよ

59 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 21:45:33 0
モンゴル帝国も結構もろくない?
内紛とかも多いし

60 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 22:04:14 0
モンゴル帝国のどこがもろいんだ
内紛が多くてもあれだけしっかり体制を維持できたし
子孫はそれを足ががりにさらに広大な帝国を築いた
それもチンギスが有能な人材を発掘育成して優れた政治機構を作ったおかげ

それに比べてティムールが築いた政権はティムール個人のカリスマでもってたんだろ
だからティムール死後、政権基盤が弱い感じがするのは否めないね
だからといってティムールをおとしてわけじゃないけどね
軍事に特化すればチンギスハンより能力は上だと思う

61 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 22:43:10 0
>>47
原因は根拠地が中央アジアというマイナー地方だからな気がするが。
西欧の人物だったとしたらヨーロッパ人が神扱いしてたろうよ。

62 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 22:51:08 0
少なくとも信長よりは上だ

63 :世界@名無史さん:2008/08/11(月) 23:07:34 0
ウズベキスタンでは紙幣になっている英雄だけど
よく考えるとティムール朝を滅ぼしたのはウズベク人

64 :世界@名無史さん:2008/08/12(火) 00:11:06 0
ウズベク人といっても元はサルトやタジクだったかもしれんし。

65 :世界@名無史さん:2008/08/12(火) 06:00:51 0
>>62
信長ごときと比べんなよ

66 :世界@名無史さん:2008/08/12(火) 12:00:28 0
ハァ?
ティムールなんて火縄銃でフルボッコだろ

67 :世界@名無史さん:2008/08/12(火) 22:11:41 0
ムガル帝国もティムール直系だからそれを考えると長続きしたな。
タージマハルやら建造物も残したし。

68 :世界@名無史さん:2008/08/12(火) 22:54:50 0
>63
シャイバニー勢力が当時のマーワラー・アンナフルの住人を
皆殺しにして総入替えになったわけじゃないんだから、別に
何も変じゃない。

徳川に滅ぼされたのは豊臣だけなのに、大阪人がみんな死んで
三河人や江戸人に入れ替わったと勘違いしてるようなもの。

69 :世界@名無史さん:2008/08/12(火) 23:10:06 0
>>68
ということは支配者層のシャイバニ勢力が来ただけで
ウズベキスタンの住民の民族は当事と今で変わってないということですね。
ソ連時代やいろいろな民族が混じる場所だけに信じられないが・・


70 :世界@名無史さん:2008/08/13(水) 00:52:34 0
最初はシャイバニー朝勢力だけを「ウズベク」と呼んでいたのが、
その後はマーワラー・アンナフルの住民のうちチャガタイ・テュルク語
話者を含めて(要するにタジクを除く)「ウズベク」と呼ぶように
なった、ということでしょ。「ウズベク」の定義が変わっただけ。

チャガタイ・テュルク語、シャイバニー朝勢力の話すウズベク語、
現代ウズベク語がどれほど違っていたのか知らないけど。

71 :世界@名無史さん:2008/08/13(水) 09:40:10 0
たしかバルトリドの「ウルグ・ベク」に載ってたエピソードで
ティムールがある聖職者を追放するときの口実が
「ウズベクの土地へ行ってイスラムを布教するべし」

ジョチウルス左翼あたりは半異教みたいなイメージだったんですかね。

72 :世界@名無史さん:2008/08/13(水) 21:14:46 0
シャイバニー朝の系図を見ると、イスラム風アラブ名になるのは
アブル・ハイルの祖父イブラヒームから。これがだいたいティムール
時代にあたりそう。

ジョチ・ウルスのカンで最初にイスラム教徒になったのはウズベク・カン
(14世紀前半)だから、左翼方面のイスラム化はそれより若干遅れたんじゃ
ないだろうか(よく知らない)。

73 :世界@名無史さん:2008/08/14(木) 00:05:27 0
>>72
ウズベクより以前にベルケがムスリムになってますよ。

74 :世界@名無史さん:2008/08/14(木) 01:23:35 0
赤坂恒明さんの論文「十四世紀中葉〜十六世紀初めにおけるウズベク ── イスラーム化後のジュチ・ウルスの総称 ── 」
によるとそもそも「ウズベク」の名は金帳汗国をイスラム化したことで偉大な君主と見なされるようになった
ウズベク・ハンに因むそうです。

75 :世界@名無史さん:2008/08/14(木) 12:10:46 0
赤坂先生の話によると、ベルケ以降も次代のモンケ・テムルやその弟トダ・モンケも
個人的にはイスラム教徒だったらしい。

特にトダ・モンケはクブラウィー教団系だったかの高名なスーフィー修行者に帰依して
自らも修行するほどの入れ込み様で、甥のトレ・ブカやコンチャクの兄弟、モンケ・テムルの
息子のアルグイ、その弟でウズベク・ハンの父トゴリルチャの四人の王族たちがクーデターを
起こしてトダ・モンケを廃位させた時も、クーデターの理由がトダ・モンケがスーフィー修行に
耽溺するあまりチンギス・カン家の祖法をないがしろにして非ムスリムの王族たちを排除しようと
画策していたから決起した、というものだったらしい。(王族排除はかなり濡れ衣っぽいけど)

ジョチ・ウルスは左翼の諸ウルスをバトゥの長兄オルダの一族が統括していたそうだけど、あまり
王族の誰かがイスラムに改宗して、という話は聞かれないものの、オルダの次男クリの五男に
ムスルマーン(「イスラム教徒」の意味)がいるし、このクリの孫たちの世代になるとムバーラクとか
ダーニシュマンドとかハリールなどイスラム関係の人名が増える。

バトゥやオルダ、トカ・テムルなどのジョチ・ウルス草創の第一世代から曾孫や玄孫くらいの世代になると、
左翼も右翼も、ヒズルだのホージャだのスーフィーだのムハンマドだのと、アラビア語やペルシア語の
イスラム関係由来の名前を持つ人物が多くなりはじめるようだ。時期的には13世紀後半くらいから
14世紀前半くらいにかけてだと思うが、ジョチ・ウルスのイスラム化の過程はまだよく分かっていない。
ちなみにトクタミシュの父はトイ・ホージャ、祖父はトゥグルク・ホージャ(クトルグ・ホージャ)という
ばっちりテュルク・モンゴル語+ムスリム的な人名な人物だったりする。

赤坂先生の話を要約すると、ウズベク・ハン以降にジョチ・ウルス自身やその周辺から「ムスリムである
ジョチ・ウルスの一統」くらいの意味合いで「ムスリム君主ウズベク・ハンの一統」という感じで
「ウズベク」という名称を他称、自称で使われるようになったらしい、ということみたい。
ウズベク・ハンの時代はジョチ・ウルスが比較的安定していた最後の時代なので、多分そのことも関係
しているのかも知れないけど・・

76 :世界@名無史さん:2008/08/14(木) 21:12:52 0
今手元にないんで曖昧な情報だけど、加藤九祚先生の一人雑誌「アイハヌム」の
わりと新しい号にウズベク民族の形成とかサルトとの関係とかの論文(翻訳)が
載ってたと思う。読んでおくといいよ。

77 :世界@名無史さん:2008/08/15(金) 00:13:23 0
ヴェネチア人のバルバロなんかはタタール人の間でイスラムの信仰が義務付けられたのは
エディゲの時代だとまで言ってますね。
それ以前は各自が勝手に好きなものを信仰していて、荷車に載せた木や布の偶像を
崇拝している者もいたと。
そういう偶像についてはルブルクやカルピニも書いてるけど、バルバロの場合タタール人から聞いた
大雑把な「過去の有様」の話をそのまま書いてたりしないんでしょうかね。
>>76
読んでみます。

78 :世界@名無史さん:2008/08/15(金) 10:46:48 0
ティムールの個人的性格とかってどうなの?
文献から探れないのかな

余談だけど角川映画で反町隆が演じたチンギス・ハーン、
地元ではボロクソだったらしいね
なんでもチンギスは遠謀深慮の人というイメージらしくて
反町が怒号を発して突撃するシーン、なんだこりゃって反応だったらしい

角川春樹は信長のイメージでチンギスを撮っちゃったんだよなw
まだお薬が抜けないのかもしれない

79 :世界@名無史さん:2008/08/15(金) 10:49:55 0
アレクサンドロスとティムールが戦ったら
どちらが強かったのだろう?
人類史の野戦における二大英雄だからな

永楽帝と比べられちゃ本人もガックリだろうな
永楽帝は、元々戦争の弱い中国人との内戦に勝っただけだからな
草原へ遠征したというが、宗教で骨抜きになったモンゴル人など
勝ったって意味ないよ

80 :世界@名無史さん:2008/08/16(土) 17:48:22 0
加藤九祚先生『中央アジア歴史群像』のチムールについての記述から抜粋
(容貌は省略)
「声は太く、力が強くて勇敢であり、死を恐れなかった。死ぬまで確かな記憶力をもち、
冗談と嘘を好まなかった。自分が困った状況になったとしても、真実を好んだ。・・・
チュルク語とタジク語を自由に話せたが、読み書きはできなかった。しかし
面会した人は誰でも、彼が教養のある人であるとの印象を受けたという。チムールは
暇なとき、特に遠征中、いつも「読み手」をともなって、その人に本を朗読させた。
とりわけ歴史書を好んだ。」

81 :世界@名無史さん:2008/08/16(土) 18:09:48 0
びっこのチムール読んだ人いる?

82 :世界@名無史さん:2008/08/17(日) 02:19:39 0
ボロディンだっけ。あのシリーズ一通り持ってるけど、
なかなか読む気になれない。古本で買って10年くらい
積んだまま。

83 :世界@名無史さん:2008/08/17(日) 02:23:42 0
小説だと国産にも、森下研『草原の彗星チムール』という
いいのがある。とはいえ、活劇調じゃなくてわりと淡々と
歴史的な事跡を追う感じだから、一般受けはしないかなあ。

新潮社から出てるのに、新潮文庫にすら入れてもらえないほど
だから、よっぽど売れなかったとみえる。装幀もかっこいい
んだけどなあ。

84 :世界@名無史さん:2008/08/21(木) 00:03:57 0
>>装幀もかっこいいんだけどなあ。

同意。
モンゴルの兜、とがってかっこよい




85 :世界@名無史さん:2008/08/21(木) 19:27:57 0
ティムールが描かれてるミニアチュールでさ、
足置き台に足を乗っけてるティムールとかあるけど、
ほんとにティムールは足置き台を使ってたんかね?
ティムールはモンゴルの伝統と遊牧という生活様式にこだわっていたというし、
何か違和感あるんだけど

86 :世界@名無史さん:2008/08/22(金) 01:37:46 0
そのミニアチュールについてはよく知らんが
「ナスレッディン・ホジャ」にはティムールが不自由な方の脚を
真っ直ぐ突き出した格好でクッションに座るのをネタにした
話があったな。

87 :世界@名無史さん:2008/08/23(土) 23:38:38 0
ターバンを巻いてモンゴル気取りか

88 :世界@名無史さん:2008/08/24(日) 20:30:06 0
ティムールが矢傷を負って不具になったときカラウナス部のフサインと共に
「シースターンの王」のところで戦ってたらしいですが、シースターンの王って
サッファール朝と何か縁でもある連中なんですかね?

ヴィレム・フォーヘルサング「アフガニスタンの歴史と文化」によると
「一一世紀初めまで、この地域ではサッファール朝の末裔たちによる支配が
続いており、一五世紀の終わりに至るまで、その名前はスィースターンの
土候たちの間で流布していた」そうですが。

89 :世界@名無史さん:2008/08/24(日) 20:53:49 0
ティムール朝時代は一応チンギス汗の子孫を汗にたててたけど(実際には「空位」の期間が長く
ときどき思い出したように汗をたててるような感じだけど)、ムガール朝になってからは
特に汗をたてたりしてないんですかね?

90 :世界@名無史さん:2008/08/24(日) 22:37:52 0
アフガニスタンにもインドにも汗に奉るような人物はいなかったから。

それにティムール時代に、スルターン・マフムードを最後に、もう
チンギス統を傀儡の汗に据えるのやめちゃったし、ティムール家自体が
すでに権威となってたのに、バーブルがわざわざそんなカビの生えた
制度を復活させる必然性は何もない。

91 :ty270410:2008/08/24(日) 22:37:56 0
ティムールの没後はほとんど空位状態だったようですね.
ムガール朝ではペルシャ風にシャーという称号を使ったのでは
ないでしょうか!

92 :世界@名無史さん:2008/08/24(日) 22:55:52 0
ハリル・スルタンか誰かが一時期ティムール家の人物をハンに擁立してなかった?

93 :世界@名無史さん:2008/08/25(月) 21:54:05 0
>>90
しかしカンとは名乗ってないし、
チンギスの血脈に対するある種の遠慮はあったんじゃないの、やっぱ
それにバーブル自身も、母方ではチンギスの血をひいてるわけだし

94 :世界@名無史さん:2008/08/26(火) 00:55:42 0
「カンはチンギス統のみが名乗る」という意識はあったんだろうけど、
無理矢理でもカンを名乗ってもバーブル時代には特にメリットもない、
というところじゃね。それにティムール朝時代は、モンゴルよりも
ペルシアがあこがれの文化先進国という意識だから、シャーを名乗る
方がステイタスが上。

そういえば、インド〜パキスタンで姓のKhanが現れてくるのが
ムガル朝時代以降だと思うんだが、これはカンのインフレ(モンゴル本土
みたいに)とみていいのかな?それともこれはテュルク系言語の
Tarkhanが省略されてKhanにでもなったのかな?

95 :世界@名無史さん:2008/08/26(火) 01:20:51 0
>>94
ムガール朝以降というか、サファヴィー朝以降というか

96 :世界@名無史さん:2008/08/27(水) 18:51:26 0
ティムールってどのあたりまで北上したの?


97 :世界@名無史さん:2008/08/27(水) 22:24:25 0
>>96
金帳汗国への第2次遠征のときロシア側の史料ではリャザン公国の南のはずれの
エリェツという町を占領してから引き返したとされているそうです。
ニコン年代記によるとウラジーミルから運ばれてきた聖母のイコンの霊験によって
ティムールが恐れをなして引き返したとかいう話になっている。
でもシャー・ルフの宮廷で書かれた「勝利の書」ではマシュカウ(モスクワ)まで
征服したことになってるらしい。

98 :世界@名無史さん:2008/08/28(木) 13:40:02 0
>>97
ご丁寧にありがとうございますm(_ _)m

google mapでRyazanskayaを確認しました。
モスクワから50〜60qほど南東にある都市ですね。
サマルカンドを根拠地としたティムールが
こんなに北まで攻め込んでいたとは、ちょっと驚きです。
また、某書籍の「モスクワを焼き払った」という表現は
「勝利の書」に準拠したものだったのですね。

ありがとうございましたm(_ _)m

99 :世界@名無史さん:2008/08/28(木) 18:13:42 0
現在の地図で言うとリャザン州の南西のリペツク州にあります
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Elets

100 :世界@名無史さん:2008/08/28(木) 23:42:55 0
>88
サッファール朝以降のスィースターンの支配者はだいたいこんな感じ。
(1)861-912:サッファール朝ライス家
(2)923−1002:サッファール朝カラフ家(ライス家の傍系)
(3)1040−1225:ナスル家(セルジューク朝の代官、サッファール朝とは関係なし)
(4)1236−(1510):ミフラバーン家(土着の豪族、サッファール朝後裔ではない)
16世紀にサファヴィー朝がスィースターンを押さえてからも、一応ミフラバーン家は
続くようだがほとんど権力はなし。

サッファール朝滅亡後もその後裔は名家の誉れ高く、ミフラバーン家の登位でも
同家による推挙が決め手だったそうな。

ティムールに救援を求めておきながら裏切って戦傷を負わせたのはミフラバーン家の
王(ジャラール・アッディーン・マフムードと書いてあるのと、イッズ・アッディーンと書いてある
のがあってどっちが本当か知らないけど、どっちにしても二人は相次いで王になった兄弟)。

より詳しくは、
C.E.Bosworth / THE HISTORY OF THE SAFFARIDS OF SISTAN AND THE MALIKS
OF NIMRUZ (247/861 to 949/1542-3). Mazda Publishers (1994).
をどうぞ。

101 :世界@名無史さん:2008/08/29(金) 01:09:59 0
>>100
ありがとうございます。図書館にあればいいが・・・

102 :世界@名無史さん:2008/08/29(金) 21:37:07 0
ティムールはチンギス・ハンに自己投影していたというが
チンギスがムスリムでなかったことを
ティムールはどう解釈していたのだろう?

つまり世界一の征服者がイスラームの信徒でなかったということで
信仰への疑惑が芽生えたりはしないのだろうか?
まぁ、このような疑心自体が無宗教の日本人のものかもしれないが…

103 :世界@名無史さん:2008/08/30(土) 09:35:22 0
>>102
ウルグ・ベクの宮廷で集められた史料を元に編纂されたというShajarat al-atrak(トルコ人の系譜)という歴史書では
地元ネタのせいかホラズム・シャー朝の滅亡についてかなり紙幅を費やして記述してあるけど
モンゴル軍の侵攻は「異教徒のモゴールどもがムスリムの土地で殺戮を繰り返した」みたいな調子で描かれている。

その一方でバルラス部の祖先のカラチャル・ノヤンの功績なんかは強調してあるんだけど。

104 :世界@名無史さん:2008/08/30(土) 18:52:10 0
>>103
おそろしく詳しいね。。。
リスペクト。

ティムールたちもやっぱり祖先の異教の歴史は
ぼかしながら合理化して納得してるようだね。

105 :世界@名無史さん:2008/09/02(火) 07:22:04 0
ティムールの史書なんて何語で書かれてるんだよ

106 :世界@名無史さん:2008/09/03(水) 19:53:19 0
なんか研究者っぽいよな
少なくとも趣味ではあるまい

107 :世界@名無史さん:2008/09/03(水) 22:28:42 0
Shajarat al-atrakは英訳が出てるが?
ttp://www.amazon.co.jp/Shajrat-Ul-Atrak-Genealogical-Tatars/dp/1432679805/ref=sr_1_11?ie=UTF8&s=english-books&qid=1220447872&sr=8-11

このスレには研究者っぽい人もいるが、自分の場合は趣味。
というかティムールについて詳しく書いてあるだろうと思って買ったら
「アミール・ティムール・グルカンの偉業と諸国の征服については他の史書に詳述されている」
って最後のページにそう書いて済ましてたんですがw

108 :世界@名無史さん:2008/09/03(水) 22:29:03 0
>>105
ペルシャ語じゃねえの。ティムール朝時代にチャガタイ語も
文語として普及していったらしいけど。

109 :世界@名無史さん:2008/09/03(水) 22:31:03 0
ああ、つか買わなくてもここで読める
ttp://persian.packhum.org/persian/main?url=pf%3Ffile%3D21601010%26ct%3D0

110 :世界@名無史さん:2008/09/03(水) 22:31:58 0
>>108
Shajarat al-atrakの原語はペルシア語

111 :世界@名無史さん:2008/09/20(土) 16:37:28 0
age

112 :世界@名無史さん:2008/10/04(土) 23:09:58 0
アイハヌム2008は二百数十ページに渡って「チムールの帝国」。
今ようやく東チャガタイ汗国とホラズムを平定したとこまで読んだ。
なかなか何度も遠征したり反乱起こされたりとドタバタしてますなー。

113 :世界@名無史さん:2008/10/07(火) 01:04:07 0
>>112
その本、叙述の仕方はどんな感じですか?
ブノアメシャンの「灰色の狼」みたいな
エッセイの出来損ないみたいな、あんなんならいらないです。
中央アジア関連の本は変なものが多いので警戒します。

しかしその「灰色の狼」、ネットの中古で6,000円近く
するのですね。
たぶん、ケマル個人の人気でしょうね。


114 :世界@名無史さん:2008/10/07(火) 10:57:56 O
>>112
それって最新刊ですか?
あの本でそのページ数だとかなりの範囲をそのテーマで占めていることになりますね

115 :世界@名無史さん :2008/10/07(火) 14:56:10 0
”信長は死せず...、野望は世界に...。”

国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開

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116 :【新刊】ジンギスカンは源義経だった:2008/10/10(金) 16:45:02 0
中杉弘のブログ
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55152808.html
(10月25日発売予定)
著者 経歴
中杉 弘(本名 黒須英治) 昭和16年9月5日 横浜生まれ
都立小山台高校中退後 工学院大学専門学校 応用科学科卒
日本電酸工業(現キンチョウ・サンポール)研究部入社新商品
の開発に従事する。K食品会社経営・現在会長、
未来型大学IOND UNIVERSITY 教授
比国立ミンダナオ大学 名誉学長
比国立イーリスト工科大学 名誉工学博士 
正理研究会会長
宝栄山妙法寺 官長
「中杉弘のブログ」運営
(URL:http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
神奈川県油壺シーボニアにクルーザー2艇所有、趣味 島巡り
愛刀 初代備前長船、車ベンツAMG550、NISSAN GTR、
ポルシエ カレラ 4S。 
研究テーマ、 歴史研究・宗教研究・仏教
著書「仏法の極意」「法華経入門」「般若心経の大予言」「日本人の
使命」「日本原理公論」「催眠術の極意」など多数・・・・・・・・

117 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 02:01:39 O
>>112
今日やっと入手できたが
仕事の疲れで目に負担がかかりすぎているので
せっかくだが、今は本を読みたくない、もう寝る
この本一冊丸ごと同一テーマになったのは初めてじゃないかな?

118 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 18:26:16 0
買った人はレポよろ

119 :世界@名無史さん:2008/10/29(水) 02:34:00 0
ティムールってモンゴル人?トルコ人?

120 :世界@名無史さん:2008/11/13(木) 00:10:08 0
チムールの軍団は雑多な民族の集まり
遊牧民はいつだってそう

アッチラだって


121 :世界@名無史さん:2008/11/13(木) 07:46:18 0
>>119
ティムールの有名な復元写真あるじゃん。
頭蓋骨に肉付けしたやつ。
思いっきりモンゴロイドだったよ。

122 :世界@名無史さん:2008/11/13(木) 12:37:17 0
>>119が聞きたいのは人種の事じゃなくて定義としてのモンゴル人かトルコ人かを聞きたいんじゃないの?
これに関しては外国の連中って言うか当事者達なんかも見方がバラバラで
モンゴル人だ いやトルコ人だ
言語文化がテュルク化したから彼はトルコ人
元がモンゴル貴族だし彼はモンゴル人
って感じで色々入り乱れてるって感じ
トルコとかウズベキスタンの歴史なんかでは元がモンゴル貴族だとしても
トルコ人として教えてるって感じでは有るな

123 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:41:55 0
日本人は外国の王朝の"帰属の基準"を
血統に偏らせ過ぎてるといわれた

たとえば中国の学界は、隋や唐を当然ながら純然たる中華王朝、
すなわち、漢民族の王朝とみたがる(というか断定してる)
ところが日本の学界は、隋や唐の初期の皇帝が草原の出身
すなわち万里の長城の外、遊牧民の血統者であることに粘着し
隋や唐を半征服王朝といった位置づけで捉えている

つまり近代国家成立以前、国境などあってなかったような大陸では
隣の民族と血統を峻別することなど不可能、という諦念があって
その王朝の帰属条件を文化に求める傾向がある
つまり祖先が遊牧民であっても、漢民族の言葉をしゃべり、
漢民族の服装、文化、つまり風俗を受け入れた者は
漢民族に認定する、という感覚をもっている

一方、古代から海で国境を隔てられてきた日本人は
自他の民族の血統を峻別しようとする傾向がすさまじい
とっくに混血してトルコ化しているティムールの一族を
祖先がモンゴルから来たからモンゴル人だ、などというのは
日本人の血統信仰の証左に過ぎまい

124 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:54:53 0
ティムールだけではないが、彼らの一族は
西アジアへ移住してから百年以上経ち、言葉も風俗もトルコ化した
その証拠にティムールが奨励した文学というのはモンゴル語ではなく
チャガタイ語というトルコ語の一種だ

つまりティムールの実態はトルコ人なんだよね
それを祖先の定住地を引き合いに出して強引に
モンゴル人だ、などと強弁する感覚を是正しないと
日本人はいつまでも世界の物笑いだな

125 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:57:22 0
しかし、これだけ偉そうに能書きを書いたあとになんだが
たとえば朝鮮から渡来したことがはっきりとわかっている人間が
倭兵を率い東アジア一帯を征服したとしよう

日本人はこれを日本民族の英雄として讃えるだろうか?
たしかにソフトバンクで成功した孫正義を無邪気に讃えてはいるが
日本人は自他の民族を峻別しようとする民族意識を克服したのだろうか?

126 :世界@名無史さん:2008/11/15(土) 18:28:56 0
ティムールは自分の顔みて泣いたんだろぶさいくすぎて


127 :世界@名無史さん:2009/01/15(木) 08:16:19 0
あげ

128 :世界@名無史さん:2009/01/15(木) 21:51:04 0
ティムールは草原の掟とイスラムの戒律が相容れない時は、
草原の掟に従ったという。中央アジア遊牧民全体に言える事だが、
彼等はムスリムである前に草原の民であることに拘っている。


129 :世界@名無史さん:2009/01/16(金) 02:09:23 0
それはそうだろう実際
チンギスハン末裔の女性と結婚してチンギスハンと縁の存在で有る事を強調したり
彼自身がモンゴル貴族の末裔でテュルク化した存在だし
遊牧民にとって一番のアイデンティティと言えばやはりチンギスハンだしな

130 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 15:40:15 0
ティムール・イ・レンク 1363年頃
ttp://img258.imageshack.us/img258/2432/ageoftamerlane19iz.jpg

131 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 20:39:48 0
ジンギスカンの再来って言うから牟田口のことかとオモタ

132 :世界@名無史さん:2009/01/29(木) 16:43:13 O
ティムールの名言知ってる人いますか?
世界史の資料で読んだことあったんだけど忘れてしまった…

133 :世界@名無史さん:2009/01/30(金) 17:48:01 0
欧米人はティムールのことを
「モンゴル」だと思っているんだな

笑ってしまった

134 :世界@名無史さん:2009/01/30(金) 18:58:46 0
>>132
ベルニエのムガル帝国誌でティムールの言葉みたいなのがでてた。
バヤジットに対する言葉らしいのだが本当にあったのかは不明。

詳しい人頼む。

135 :世界@名無史さん:2009/02/06(金) 19:00:15 0
>>132
ハーフィズに向かって
「私はサマルカンドやブハラを繁栄させるために諸国で戦っている。
貴様はそれをトルコ女の頬のほくろのために売り飛ばすというのか!」

136 :世界@名無史さん:2009/02/06(金) 20:53:15 0
>>135
詩的表現にそんなムキにならんでも・・・
「ネタにマジレスカコワルイ」という感じ>ティムール

137 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 12:20:39 0
>>136
武人だしな
でも確かこの後用意周到な上手い答えを述べて難を逃れたんじゃなかったっけ
それは違う時の話しだったかな

138 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 13:55:55 0
>>137
「その気前のよさのためにかような仕儀に相成りました」
と答えて褒美をもらったといわれている。

139 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 15:51:42 0
>>138
なるほど
そう言う感じであっさり許すティムールは良いもんだな

140 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 18:49:58 0
まあ、相手が1000年に一人クラスの超天才詩人ハーフィズだし。

141 :世界@名無史さん:2009/02/07(土) 22:08:19 0
イランではその名を知らぬ者無しと言われるハーフィズか
英語のウィキペディア見たらこんなやりとりが有ったな

With Samarkand being Timur's capital and Bokhara his kingdom's finest city.
"With the blows of my lustrous sword,"
Timur complained,
"I have subjugated most of the habitable globe... to embellish Samarkand and Bokhara, the seats of my government; and you, would sell them for the black mole of belle of Shiraz!"
Ha-fez, so the tale goes, bowed deeply and replied
"Alas, O Prince, it is this prodigality which is the cause of the misery in which you find me".

So surprised and pleased was Timur with this response that he dismissed Hafez with handsome gifts.

Translated by Clarence Streit

上のやりとりの事か

142 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 01:27:49 0
ナーディル・シャーの軍陣へやって来て功業を称える詩を朗読した詩人なんか悲惨だぞ。
シャーは追従が嫌いだったので、乗ってきたラバを奪われてアフガンの山中に一人で放り出された。

143 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 02:04:55 0
ナーディルシャーは頑張った董卓というイメージ

144 :世界@名無史さん:2009/02/08(日) 22:11:29 0
そういやナーディル・シャーもサーヒブ・キラーンと呼ばれてたらしいね。

145 :世界@名無史さん:2009/02/21(土) 12:58:29 0
中央アジアの歴史について語ろう!【シルクロード】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1235005791/

146 :世界@名無史さん:2009/02/21(土) 19:19:00 0
>欧米人はティムールのことを
>「モンゴル」だと思っているんだな
西欧人からすれば恐るべきオスマン・トルコを瞬殺でフルボッコした
ティムールはまさにチンギス・ハンの再来を彷彿させた。
トルコ同士の戦いではなくモンゴルに屠られるトルコであった方が西欧には理解しやすい。
フンはモンゴルなのかトルコなのかとかアヴァールはモンゴル系でハザールはトルコ系だとか
西欧の史家は妙にアジアの遊牧民をあの民族はトルコ系であの民族はモンゴル系だと
峻別するのにこだわっている。



147 :世界@名無史さん:2009/03/08(日) 22:34:00 0
age

148 :世界@名無史さん:2009/04/10(金) 08:27:33 0
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm6668982
かなり脚色してある気がするが、ティムールを扱った動画……


うん、先に言っておく
宣伝乙

149 :世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:05:29 0
何かでティムールは15歳でカザガンの親衛隊に入った、みたいなことが書いてあったけど、史実?

150 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 02:01:17 0
この時代は大ハーンの血統をかついで強大な支配領域を継承するのが主流だった
ロシアやオスマン帝国や清の発祥もこのパターン

151 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 11:18:23 0
>>150
オスマンや清は騎馬民族だし分からんでもないが、何故ロシアが?

152 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 13:43:00 0
モスクワ公イワン・カリターがトヴェリ公やら周りのルーシ諸国を抑えた頃以来の伝統かしらね

153 :世界@名無史さん:2009/05/05(火) 23:03:24 0
>>150
オメリアン・プリツァクらの言っているキエフ・ルーシ=ハザール後継国説か?
>>152
その頃は「大ハーンの血統」はかついでないな

154 :世界@名無史さん:2009/05/07(木) 23:02:13 0
>>149
小説だけど
森下研の草原の彗星ティムールでそんなこと書いてあったな

155 :世界@名無史さん:2009/05/10(日) 10:14:08 0
>>154
あ〜、あれで読んだのか
ありがとう

156 :世界@名無史さん:2009/05/15(金) 13:02:56 0
曹操なんてティムールと戦ったら手も足も出ず瞬殺されてしまう
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1225385899/

157 :世界@名無史さん:2009/05/17(日) 02:13:32 0
>>154
その小説のティムールの中国LOVEっぷりには違和感をおぼえたな〜

158 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 22:04:02 0
アイハヌム2008読んでて気づいたんだけどさ、ティムールがフサインと協力してキシュに入ったときに、馬の尾に木をくくりつけて、土煙を大きく巻きあがらせて大軍が攻めてくると勘違いさせて、
キシュにいた領主たちを追い出したってのがあったけど、これって突厥沙陀族がキタイを攻撃したときに使った戦法とほぼ同じだよね

これってティムールは沙陀がこの戦法を使ったことを知ってたんだろうか?
それともティムールが自分で考えたんだろうか?
あるいは、その実よく使われていた戦法だったんだろうか?

159 :世界@名無史さん:2009/05/18(月) 22:56:49 O
砂煙を上げて大軍に見せかけるってのは
ドイツ・アフリカ軍団のロンメルもやってるからな。

160 :世界@名無史さん:2009/05/20(水) 22:38:17 0
インドでトゥグルク朝と戦ったときには「火牛の計」で象部隊に対抗してるしね。
あと夜営中に篝火を多めに焚いて大軍に見せかけたりとか、中央ユーラシアの戦争について調べると
時々出てくる戦術だが。

161 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 03:08:43 0
ティムールに関する記述って「幻聴秘史」に比べると極端に少ないですね。
かの王朝の外交政略や人物に詳しい文献内ですか。

162 :世界@名無史さん:2009/05/29(金) 20:41:59 0
Rise and Rule of Tamerlaneとか

でも「元朝秘史」と比べるなら「勝利の書」とかそのあたりなのかな?

163 :世界@名無史さん:2009/06/24(水) 22:39:59 0
ウィキペディアにティムール帝国の国旗が載ってるけども、俺書籍であの旗見たこと無いんだわ
誰か裏の取れる本知らない?

164 :世界@名無史さん:2009/06/24(水) 23:15:17 0
>>163
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Timurid.svg

この解説によると1375年頃に作られたカタルーニャ世界地図上に載っているのだそうだ。

1375年というとクラヴィホの使節団もまだ到達していない頃だが・・・

165 :164:2009/06/26(金) 23:12:26 0
>>163のと微妙に違うけど、たしか三つの円が重なった紋章で「サーヒブ・キーラーン」
を表したものをティムールが使ってたとか何かで読んだような記憶が・・・

166 :世界@名無史さん:2009/06/27(土) 01:36:37 0
>>165
×サーヒブ・キーラーン
○サーヒブ・キラーン

167 :世界@名無史さん:2009/06/27(土) 22:37:08 0
>>165
俺もそれは見た覚えがあるなぁ
国旗は分からんけど
勝利星、オリオン座だっけか?

168 :世界@名無史さん:2009/06/29(月) 21:40:00 0
何かウィキペディアにこんなの新しく出来てた。

ティムールの征服戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%BE%81%E6%9C%8D%E6%88%A6%E4%BA%89

169 :世界@名無史さん:2009/06/29(月) 22:35:07 0
>>168
>ジョチ・ウルスは実質的にはこの時点で息の根を止められたと言っても過言ではない。
>零落したトクタミシュは乞食同然の身となり、

さすがにそれは言いすぎ

170 :世界@名無史さん:2009/06/30(火) 21:57:09 0
極上のティムール

171 :世界@名無史さん:2009/07/18(土) 22:36:33 0
>>146
チャガタイ人達も、自らをモンゴルと認識していたんじゃないの
(テュルク民族の支族としてのモンゴル民族、という感じかもしれんが)
アクバルの時代でさえ、『チンギス・ハーン・ナーマ』とかつくってたくらいだし
彼らの自己意識・価値観の源泉は、やはりチンギスとその血脈及びそれらとの縁にあるのではないかと

172 :世界@名無史さん:2009/07/18(土) 22:53:29 0
>>171
しかしそれだと東チャガタイがわざわざモグーリスターンと呼ばれたのは・・・

173 :世界@名無史さん:2009/07/22(水) 04:02:26 0
マーワラーアンナフルの連中なんてチャガタイチャガタイ言ってるけど、
所詮タジクかぶれのばったもん。
チンギス・カンの祖法とかモンゴルとしての伝統を堅持しているのは
やっぱうちらだよね〜、とかそんな感じで言っていたような雰囲気がする。
>それで「モグーリスターン」と


174 :世界@名無史さん:2009/07/26(日) 20:38:22 0
「この墓を開いた者、恐ろしき者にうち倒さるる」


1941年6月19日
ソ連の調査隊は、開けてはイケナイ棺を開いて調査開始。
結果は史実の通り。

で・・・

1941年6月22日
ナチス・ドイツのソ連侵攻。



倒されずにはすんだけどえらい目にあう。



『海外版将門』



後にソ連が棺桶の蓋溶接して二度と開かない様にした事が、
この件についてトラウマになったんだって事を示してると思う。

175 :世界@名無史さん:2009/08/13(木) 13:25:04 0
バヤジット一世最後は獄死してなんだかかわいそうだな。

176 :世界@名無史さん:2009/08/13(木) 16:44:51 0
滅亡寸前だった帝国を立て直したメフメト1世の実務能力は凄い。

177 :世界@名無史さん:2009/08/14(金) 23:31:14 0
メフメトと言えば復活後のオスマン朝とティムール朝の関係ってどうだったんだろうか
恨み辛みが残ってたりしたのかね?

178 :世界@名無史さん:2009/09/03(木) 21:51:14 0
領国経営と怨み辛みは別でかんがえてんじゃないかな?

179 :世界@名無史さん:2009/12/09(水) 05:00:31 0
バヤゼト1世も連戦連勝だったけど、弱小で未開な欧州人が相手だしな

ティムールとの戦は主導権握られて好いように振り回され
完璧に手の内を読まれた挙げ句の大敗、格が違った
ティムール側の被害も甚大ではあったらしいけど

180 :世界@名無史さん:2009/12/09(水) 05:02:50 0
>>174みたいなのを真に受けるから文系は馬鹿だって言われる

181 :世界@名無史さん:2009/12/09(水) 08:20:58 0
欧州人ではワラキアのミルチャ老公がバヤジット1世に連勝してる

182 :世界@名無史さん:2009/12/09(水) 08:25:39 0
バヤジット1世は過大評価されてるわな

183 :世界@名無史さん:2009/12/09(水) 08:49:41 0
>>181
それは白人キリスト凶徒お得意の誇大広告

184 :世界@名無史さん:2009/12/09(水) 09:10:27 0
バヤジット1世は別に大したことない
単に物量で物を言わせただけ

185 :世界@名無史さん:2009/12/09(水) 09:43:44 0
ヨーロッパ諸侯に比べれば意志、覇気、軍才、軍略、全ての面で優れていたけどね

186 :世界@名無史さん:2009/12/10(木) 03:34:55 0
ティムールはテュルク化したけど
モンゴル系ですか?

187 :世界@名無史さん:2009/12/10(木) 15:02:41 0
本人はバルラス部族の名門モンゴル貴族と自称していたけど
実際はトルキスタンの土着したモンゴル系

188 :世界@名無史さん:2009/12/10(木) 22:19:32 0
その後もムガール帝国として続いたのは凄いですね
ムガールがないと知名度もずいぶん変わったのかも

189 :世界@名無史さん:2009/12/10(木) 23:38:00 0
ティムールとその後継者たちが擁立した
ハーンの名前とか在位年とか系譜とかわからん?

190 :世界@名無史さん:2009/12/11(金) 02:41:17 0
サマルカンドでこっぴどく負けたばかりのバーブルに
あっさり征服されたインドってどんだけ弱いんだよ

191 :世界@名無史さん:2009/12/11(金) 04:19:43 0
スール朝なんてのもあったな

192 :名無し募集中。。。:2009/12/11(金) 07:21:09 0
インドってイギリスの植民地だったけど
ムガール帝国もインド人の国じゃないんだよなあ

193 :世界@名無史さん:2009/12/11(金) 11:44:12 0
死にたい

194 :世界@名無史さん:2009/12/11(金) 21:31:52 0
>>192
まー外から支配者がやってくるのは何時ものことだけど
イギリスは本拠地を海の遥か向こうから動かさずに全土を
完全支配するというぶっ飛んだ存在だったからなー

インドと言えばティムールの部将ヒズル・ハンがデリーに建てた
サイイド朝(1414-1451)を忘れてはいかんな、ティムールスレだけに。
領域は狭く期間も短くヒズル・ハン自身、ティムールの代理人と
任じてたそうだけど。期間はシャー・ルフと概ね重なるけどどんな
関係だったんだろ。

195 :世界@名無史さん:2009/12/12(土) 10:49:36 0
>>189
ソユルガトミシュだとかベンヤリシだとかの名前は読んだことがあるが……どこで読んだんだかなぁ
後、傀儡のハーンの中にも結構な実力を持った人がいたらしいね
実際に一軍を指揮しててその人が死んだ時にはティムールは大いに惜しんだとか
多分「ティムール帝国支配層の研究」か「ティームール朝成立史の研究」に一覧表が載ってたと思うんだけど

ベンヤリシが独力で北元のハーンに就くまでとか詳しく知りたいなあ

196 :世界@名無史さん:2009/12/12(土) 11:50:54 0
マフムド・ハンのことね
汗でありながらティムールに忠誠を尽くし、指揮官としても優秀だったらしい

197 :世界@名無史さん:2009/12/12(土) 18:08:30 0
その頃のインドは戦象がいたらしい

198 :世界@名無史さん:2009/12/13(日) 08:47:11 0
>>197
ティムールやシャー・ルフも使ってます。

199 :世界@名無史さん:2009/12/13(日) 11:15:05 0
何かベンヤリシにしろマフムド・ハンにしろ「傀儡」っていう言葉が似合わないほど自分でよく動いてるよな
確かに実質上の最高権力はティムールが持ってたんだろうが……

200 :世界@名無史さん:2009/12/13(日) 13:57:55 0
北元のベンヤリシは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%85%83
(北元)で言うと
>オルジェイ・テムル(プンヤシュリー)(在位1408年 - 1412年):アスト部のアルクタイ・タイシとティムール朝が擁立
になるのかの。

201 :世界@名無史さん:2009/12/13(日) 19:12:40 0
>>198
象は砂漠でも使えるの?

202 :世界@名無史さん:2009/12/13(日) 19:53:22 0
>>201
シリアとかホラーサーンの戦争で使ったから砂漠というほどでもないと思うが。

203 :世界@名無史さん:2009/12/14(月) 20:16:37 0
象の食料は大量に必要だから砂漠で運用するのは難しいんじゃ
モンゴルの馬も砂漠あたりで進めなかったんじゃない

204 :世界@名無史さん:2009/12/19(土) 23:42:24 0
>>203
イルハン朝はよく砂漠突っ切ってシリアに侵攻してたような

205 :世界@名無史さん:2009/12/20(日) 09:58:30 0
川沿いに侵攻したんじゃないの

206 :香川のトリッピー:2009/12/23(水) 23:41:52 0
どうも、無料のシミュレーションゲームを幾つか作成しているもの
です。 現在第4弾としてユーラシアシナリオを作っているんですが、
ティムール+バヤジット回り(とりわけ武将)に関していい資料もしくはURL
があれば、教えていただけば助かります。(英語版Wikiは押さえています。)

作成が終了したら、こちらのサイトで掲載する予定です。
http://soresuta.com/
もし、いい情報があればよろしくお願いします。

207 :世界@名無史さん:2009/12/24(木) 12:58:26 0
>>206
>>38

208 :香川のトリッピー:2009/12/25(金) 00:55:01 0
>>207 ありがとうございます。
これで、バヤジット1世と朱元璋周りの情報を集めれば、
ユーラシア三国志っぽくなりそうです。


209 :世界@名無史さん:2009/12/25(金) 19:00:04 0
>>208
おいおいトクタミシュを忘れんなよ
バヤジットに比べて日本じゃ低いかもしれないけど
あの頃のジョチ=ウルスを再統一した英雄だぜ

210 :香川のトリッピー:2009/12/25(金) 22:50:25 0
>>209 こういうご指摘こそ大歓迎! トクタミシュ、当然入れさせて
いただきます。

211 :世界@名無史さん:2009/12/26(土) 03:52:24 0
>>210
OK!ありがとう
トクタミシュとティムールの間柄も実はかなり重要な歴史だったりするからね
同盟したり対立したり戦争したりまた結んだりとこの辺の複雑怪奇な不思議な感覚こそが中央アジア史って感じがするよ

212 :世界@名無史さん:2009/12/26(土) 23:52:49 0
ついでにドミトリー・ドンスコイちゃんも仲間に入れといてよ!

213 :世界@名無史さん:2009/12/27(日) 05:12:51 0
ヴィータウタスやヨガイラも仲間になるんじゃろか

214 :香川のトリッピー:2010/01/16(土) 08:50:55 0
ドミトリー・ドンスコイ、ヴィータウタス、ヨガイラ、ママイも同時代
の人間なので、当然入れさせていただきます。
ゲームの方はチンギス・クビライ時代の2シナリオが入ったものが
1月中にうPし、2月中にティムール達が登場する2シナリオ
(紅巾の乱・東西激突)を追加する予定です。

215 :世界@名無史さん:2010/01/17(日) 10:34:32 0
>>214
サマルカンド三人衆はどうだ?
マウラン・ザデと……後の二人は忘れたけど

216 :世界@名無史さん:2010/01/25(月) 12:24:01 0
同時代ならイギリスのエドワード黒太子も入れてあげて

217 :香川のトリッピー:2010/01/25(月) 22:06:31 0
ご心配なく、エドワード黒太子もイングランド勢として当然入っています。


218 :香川のトリッピー:2010/02/02(火) 01:01:30 0
マニュアル作成が遅れているので、もう暫くお待ちください。
申し訳ない。 m(_ _)m

219 :世界@名無史さん:2010/02/10(水) 20:25:04 0
Harveer Gulia
http://en.wikipedia.org/wiki/Harveer_Gulia

これ何者?
ティムールと戦った英雄みたいだけど

220 :世界@名無史さん:2010/02/10(水) 20:58:07 0
Harveer Singh Gulia (1376 - 1398) was a Jat hero of the Gulia Clan from the village Badli; district Rohtak in Haryana, India.
He was 22 years old when fought war with Timur.
He was a strong and brave warrior.

らしい

221 :世界@名無史さん:2010/02/10(水) 21:25:36 0
ゲリラ戦でティムールを苦戦させたインドの武将ってこと?

222 :世界@名無史さん:2010/02/11(木) 01:54:51 0
ハーヴィア・シン・グリア(1376-1398)は ジャート人の英雄。インド・ハリヤナ州ロータクのバドリ村出身、グリア氏族。
22歳のときティムールと戦った。強く勇敢な戦士だった。

こんなかんじ?

223 :世界@名無史さん:2010/02/11(木) 13:10:07 0
初めて聞くなあ
ジャラールッディーンみたいな奴だな

224 :世界@名無史さん:2010/02/11(木) 17:35:10 0
詳しく知りたいが翻訳がデタラメ過ぎてよくわからんな

225 :香川のトリッピー:2010/02/11(木) 22:19:29 0
一部の方には、お待たせしていましたが、
本日やっとユーザーマニュアルが完成しました。

とりあえず、うPできる状態にはなりましたので、
今週の日曜日にはユーラシアシナリオβ版、
必ずうPさせていただきます。


226 :世界@名無史さん:2010/02/12(金) 06:29:51 0
>>225
ワラキアのミルチャ老公、ハンガリーのラヨシュ大王、セルビアのドゥシャン大帝とかも入ってんの?

227 :世界@名無史さん:2010/02/12(金) 09:02:52 0
この分野は数が少なくてみんな飢えてるからねえ
誰かが作ってますなんて言おうものなら
あの人も出してくれこの人も出してくれと
チン4の倍くらいは人数出さないとすまないでしょう

228 :世界@名無史さん:2010/02/12(金) 12:36:19 0
うざいからゲーム板でやれよ
欧州勢が史実に見合わない強さに設定されるのは目に見えてるんだし

229 :トリッピー:2010/02/12(金) 12:36:40 0
とりあえず、Β版をうP+3月にティムール時代のシナリオ2つ追加、
その後は、こちらのスレでご要望がある勢力・人物の追加、能力値
の修正意見等を受けながら、徐々に拡張していきますので...。

ご協力してくださる方は大歓迎です。
皆さんの力でゲームを(徐々に)よくしていきましょう。

230 :トリッピー:2010/02/12(金) 12:58:08 0
>>228
失礼しました。 確かにスレ違いですね。
こちらに書き込むのは控えます。

231 :世界@名無史さん:2010/02/12(金) 14:32:16 0
まぁたこんな過疎スレで器量の小さいこと言う。

232 :世界@名無史さん:2010/02/12(金) 18:01:50 0
まあネタがないよりは良いでしょう。

>>229-230
特に傑出した人物というわけではないけどボスニア王国を短期間
現出させたトヴルトコ1世とかも入れてもらえると有り難い。

233 :世界@名無史さん:2010/02/12(金) 18:43:20 0
>>229
当然トゥグルク・ティムールは入るよね?
一応ティムールの最初のライバルだし

234 :世界@名無史さん:2010/02/14(日) 02:00:35 0
>>229
もしかして「戦国史」でつくるんですか?

235 :香川のトリッピー:2010/02/14(日) 21:30:40 0
どうもです、β版のうPは終了しました。
暫くは微調整とゲームデータ修正・追加を続けて改修していきますが、
ゲーム自体は問題なく動くはずです。

とりあえず、ゲームに関してのこのスレでの書き込みはこれで
最後にします。

>>232-233
ありがとうございます。 ただし、やはりスレの主旨が違うので
このスレでの書き込みはやめておきます。
ただし、β版のゲームバランス調整や、各人物情報は皆さんの
方がよく把握しておりますので、もし、今後もご協力いただける
のでしたら、ゲーム板の以下のスレでお待ちしております。
「度マイナーテーマの歴史ゲームを作ろうスレ」
あと、将来公開のシナリオ3のテストデータには既にトゥグルク・ティムール
は入っています。

>>234 いいえ、戦国史では無く、もっと簡易にサクサク遊ぶためのオリジナル
です。



236 :世界@名無史さん:2010/02/22(月) 14:24:16 0
とりあえず、日本語で読めて手頃に入手できるティムールの本を教えて。

自分は岩波新書の「中央アジア歴史群像」でティムールを知った。
イブン・アラブシャーの本は日本語訳されてないの?

237 :世界@名無史さん:2010/02/22(月) 23:27:27 0
アイハヌム2008年版が面白かった。
色々とそれ推測に過ぎないんじゃないの?とか、変なバイアス掛かった箇所はあるけど

238 :世界@名無史さん:2010/02/23(火) 14:19:33 0
>>236
もう読んだかもしらんが
河出文庫の「世界の歴史10 西域」に載ってた
ティムールの偽自伝の話とかは面白かったな

でもまあアイハヌム読めば後は手頃に入手できる本は補助資料にしかならんのじゃないかなあ

239 :偉大なるフン族の大王アッチラ:2010/03/27(土) 00:05:31 0
>>236
講談社現代新書の「オスマン帝国」にはアンカラの戦いについての記述があるよ。

240 :世界@名無史さん:2010/04/01(木) 20:59:49 0
>>236
アラブシャーは英訳があるらしい。

241 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 09:16:59 0
シルクロードの覇者ティムール大王 バンザーイ!

甦って中国とロシアを懲らしめてくれ

242 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 14:29:29 0
ウズベク、タジク、キルギス、トルクメン、アフガン北部が合併した広域国家が出来るんですね、わかります

243 :世界@名無史さん:2010/04/10(土) 18:11:02 0
カザフ、ウイグルも含めましょう。

首都はサマルカンド

244 :世界@名無史さん:2010/05/03(月) 21:21:43 0
以前ここで数回カキコさせてもらった、無料ゲームサイト ソレスタ88
ですが。

一部の方には長らくお待たせしました。
ティムール・明・オスマン・トルコシナリオのβ版が完成したので、
明日アップします。

(テストプレイ1回目のAIでは明がかなり強かったので、少々
バランス調整した後、アップします。
尚、テストプレイではオスマン・トルコ朝もまあまあ勢力を
伸長していました。)

245 :トリッピー:2010/05/04(火) 20:33:14 0
紅巾の乱シナリオうPしました。 以下のサイトのユーラシア・レジェンド
でプレイ可能です。 能力値等で何かご意見があれば、ご指摘のほどよろしく
お願いします。
(シナリオ3で、明・ティムール・オスマン・トルコ、白鳥汗国(トクタミシュ)
等でプレイ可能です。)
http://soresuta.com/soresuta_game_2.html

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