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台湾の民主化を促進した李登輝氏にノーベル平和賞を

1 :美麗島の名無桑:2009/09/05(土) 19:59:48
李登輝氏にノーベル平和賞を
http://taidoku.fc2web.com/ouen33nobel.htm

では台湾の前総統、李登輝氏の功績を見てみよう。
李登輝は1988年に台湾出身者で初めて台湾の総統に就任した。すでに蒋経国政権末期に民主化の萌芽は見られたが、た
だ「蒋家の者が後を継ぐことはない」のと戒厳令を解除したことと、新聞の発行を自由化した(言論が自由になったわけではない)だけであった。
李登輝は本格的に台湾の民主化にとりくむようになる。

総統就任後の1988年4月には政治犯を減刑して釈放した。
1990年3月、台湾の学生たちが民主化を求めて中正祈念堂で座り込みの抗議を行った。中国で天安門事件が起こった9ヵ月後である。
これに対し李登輝氏は学生運動のリーダーと会談し、@国民大会の解散、A超党派の「国是会議」の開催、
B動員戡乱時期の停止と臨時条款の廃止、C総統の直接選挙の実施、D政治改革の日程表の提出、を約束した。
中国で学生たちが天安門に集って民主化を要求したときには、人民解放軍が出動して2000人の学生たちを虐殺したのとは大違いである。
1990年5月に第八期総統に再任されるとただちに政治犯に対する大規模な特赦を行っている。
1991年5月 「動員勘乱時期臨時約款」を廃止し、中国との戦争状態終結を宣言した。「動員戡乱時期」とは、「反乱団体」である
中国共産党政権を「戡乱」(平定)するまでの、国家総動員の時期をいう。台湾を「非常事態」下におき、憲法よりも上位に来る
「臨時約款」を制定することによって、中国国民党一党独裁を無理やり正当化してきた。
1991年の12月に40年以上も改選されていなかった国民代表大会の「万年議員」約600人が一斉退職した。
李登輝総統は万年議員一人一人を訪れて説得したのだという。気の遠くなるような作業であっただろう。
1992年5月には刑法100条を改正し、これにより言論の自由を確保し、ブラックリストも有名無実となり、政治犯も存在しなくなった。
同年年12月には初めて完全に民主的な立法議会選挙が行われ、民進党が161議席中51議席を獲得する大躍進を遂げた。
1993年には県市長選挙、1994年には台北・高雄市長選挙、台北・高雄市議会選挙が行われ、民主化は地方政治にも広がった。
1995年には、48年前に国民党が台湾の民衆を虐殺した228事件に関し、李登輝総統は本来なら被害者の立場でありながら、
国民党主席の立場で台湾国民に謝罪した。すでにその3年前には被害者に対する保証金の給付を始めている。
1996年には総統選挙を実施し、過半数の得票率を得て当選した。ここに、台湾の民主主義は極めて成熟した段階に達したことになる。
この年、モンゴルを国家として承認している。まるで笑い話のようであるが、1921年に独立したモンゴルを、中華民国政府は
台湾移転後も国家として認めてこなかったのだ。
1998年には台湾省議会が廃止された。台湾省は中国のひとつの省、つまり地方政府という建前だが、実際には台湾の大部分の面積を
占めるもので、大変な効率の悪さをもたらしていた。
1999年の台湾大地震の際には的確ですばやい指導力を発揮した。
2000年の総統選挙では民進党の陳水扁氏が当選し、台湾史上初めての政権交代が実現した。この時、李登輝総統は表面的には
副総統の連戦を応援していたが、影では陳水扁を応援していたと推測されている。この推測はおそらく間違いではないだろう。


意外なことだが、独裁国家が段階的な改革を経て民主化した例はあまり多くはない。多くの場合、民主化とは革命、暴動、戦争などによって達成されている。
12年の歳月をかけて台湾を独裁国家から民主国家へと変貌させた李登輝氏の手腕は世界史上でも異例である。
これらを振り返ってみても、李登輝氏はノーベル平和賞を受賞する資格が十分あると言っていいのではなかろうか。
今年あたり、そのときが来るかもしれない。
李登輝氏は台湾のみならず、日本や欧米でも尊敬されている。特に今日の日本人の台湾に対する思い入れの強さは李登輝氏によるところが大きいのではなかろうか。
そういう意味では李登輝氏は世界平和にも貢献しているといっていい。

2 :美麗島の名無桑:2009/09/05(土) 20:04:21
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BB%E8%BC%9D

蒋経国の死後、その後継者として中華民国総統、国民党主席に就任し、中華民国の民主化・本土化を推進した。
中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、
台湾・澎湖・金門・馬祖には中華民国という別の国家が存在するという「中華民国在台湾」を主張、
その後さらにこの国のことを「台湾中華民国」と呼ぶようになった。
北京政府との内戦状態の一方的終結宣言は、内戦を理由に存在し続けてきた治安法「動員戡乱時条款」を廃止させ、
政治の「民主化」を推進させることとなる。
また、総統在任中経済発展についても大きな成果を上げている。

3 :藤澤基邦:2009/09/06(日) 22:33:01
李 登輝様 台湾元総統昨日の日本での講演心より喜び、感謝して居ります。既にご承知のとうり、竹田宮親子、竹田恒和、竹田恒泰の非国民、国賊の行状、お知らせ李 2009/05/18(Mon) 08:19
JOC会長親子に騙された私の竹田恒和。倅の皇族作家恒泰。
先ず恒和は中国四川大地震の寄付と称して今の中国にとっては,はした金にもならない
小金を時の北京五輪の会長に渡した。人民に限らず世界はこの輩の本性は熟知している。
更に16年も20年も日本にはオリンピック招致は無理と知りながら、中国に尾っぽを
振りはした金で媚を売り、

都知事もこんな竹田の様な輩とは
竹田の倅恒泰は台北国賓大飯店でピエロ役、台湾侵略の御旗役北白川宮と竹田の宮との縁を語り、日本天皇秘史の本を出したり、李登輝さんと語ったり。馬鹿さかげんにもほどがある。人民は日本の皇族を心底憎み、毛嫌いしてるのが本心。

そんな事も知らずにピエロをやらされる為に台湾にまで呼びつけられ御満悦。竹田親子の本性は全て知られてるのも解らずにだ。

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