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感情自己責任論

1 :観念は具現化する ◆mL2ZRk1cK. :2006/12/31(日) 23:32:14
喜怒哀楽や不平不満等の感情の原因は100%それを感じる人の持つ固定観念にある。観念に強く執着すればそれだけ湧いてくる感情も強くなる
固定観念とは、個々人が持つ固着観念、既成概念、主観、評価基準、先入観、世界観、見識、信条、思想、哲学、イデオロギー、主義主張、思考パターン、思い込みなど、無意識的にせよその人が「これは正しい」「かくあるべし」等と認めている価値観、定義付けのことである
笑いや感動や驚愕も固定観念に依るが、自我が未発達な幼児期や先天的な脳障害によるもの、また摂食や性交等による肉体的快楽や脊髄反射等については、直接観念が作用しないので論外である

如何なる事象も最初から意味のあるものはない。ただ「起きている」だけである。見た人が各自の視点・観点から定義を与えて初めて、意味や価値が生じる。種々の形態の情報も、元を辿ればただの光の濃淡や空気振動等に過ぎない
貴方がたった今目にしているこの文面も、実態は単なる画面に映った黒白模様である。日本語という共通キーを手掛かりに、貴方が現在持っている固有のフィルタ・色眼鏡を通して解読し意味を判断している

読者が触れ得た情報をどう読み取ってどう活用するかは、完全にその読者の勝手自由である。例えそれが誰かに教わった考え方・見解であっても、読み手が他者に「強要」されることなく自由意思でそれを選んでいれば、その結果に対する責任は読み手自身にある
例えば貴方がある情報に接してどれほど憤りを覚えたとしても、それはあくまでも貴方の判断基準・尺度に照らして貴方自身が無意識的にせよ選んだ解釈の結果であって、その情報の発信者には「貴方の憤りに対する原因・責任」は全くない
ここで言う「強要」とは肉体に対して直接的物理的な実害が及ぶケースのみであり、暴言や誹謗中傷については、騒音となるもの以外「強要」に当たらない。例えそれが脅迫文でも、恐怖心を抱く事自体は読み手の勝手な所為、自業自得である

続く

77 :没個性化されたレス↓:2007/01/20(土) 14:36:32
「観念次第で、人は感じ方が変わる」などという議論は、
本質的に無意味な議論だ。個人の体験に関して、
その体験とまったく同じ状況などあり得ない。
故に「同様な体験をあの時はああ感じたのに、この時はこう感じた」からといって
「これは観念が変化したからだ」という帰結に達するのは論理的な飛躍がある。
むろん否定はしないが、それは可能性の一つでしかないように思う。
別の原因が、あるいは影響していることも十分に考えられる。
ここまでは一般的な方法論での議論の行く末であろう。

ここで観念ちゃんの議論のすばらしいところは、あらかじめ
「感情の原因は全て固定観念に拠る」としている点であろう。
なるほど、そうしておくことで他のあらゆる原因を排除し、
固定観念のみが感情の原因であるとすれば、感じ方の変化とは、
まさに「観念の変化」に他ならない。観念ちゃんの議論のその中核は、
「感情の原因は全て固定観念に拠る」という命題なのである。

>>1において、この命題は証明するまでもなく明らかというように論じられている。
しかしながら、この命題はそれほど明らかなものなのだろうか。
揚げ足取りのようで申し訳ないが、固定観念が内包する概念には
固着観念や、思考パターンなど説明を要する語も多いように思われる。
また、ある観念が生じる原因を因果に沿ってさか上っていくと、
何にたどり着くのか(観念の因果関係とはリングあるいは螺旋状なのか)。
そもそも、観念とはいつどのようにして生じるのかという発生論的問題もあろう。
このように少なからず、疑問は挿めるだろう。

「喜怒哀楽や不平不満等の感情の原因は100%それを感じる人の持つ固定観念にある。」
これは、観念ちゃんの議論の言わば屋台骨であろう。
この大原則について、もう少し考を深めることは、悪いことではないのではないか。

78 :追記:2007/01/20(土) 15:00:44
発生論的問題に関して補足すると、

「観念は観念によってしか生じない」のであれば、
「ではその大元の観念はどこから来たのか」という
問いはどうしても生じてくる。
これを遡って考えていくと、
「観念は宇宙原初から(あるいは宇宙に先立って)あらねばならない」
ということにまでたどり着く。何故ならば、
宇宙が始まってから観念が生じたのならば、
「観念以外の何かから観念が生じた」ということになり、
前提に矛盾してしまう。しかしこれはいくらなんでも奇天烈な話だ。
そうすると、「観念は観念以外からも生じる」とするのが妥当である。
では、「観念以外から生じた観念」について
その原因を観念以外に求めることができないのかと言う疑問が生じる。
後は脳内で補って頂きたい。説明が必要なら言ってね♪

79 :追記2:2007/01/20(土) 15:59:55
思いついたので述べるが、

観念ちゃんは、感情についてのこの議論を人生についてまで敷衍している。
確かに人生を形成するものとして感情は非常に重要であると思う。
しかしながら、人生を形成するものは感情だけではないように思われる。

>笑いや感動や驚愕も固定観念に依るが、自我が未発達な幼児期や先天的な脳障害によるもの、また摂食や
>性交等による肉体的快楽や脊髄反射等については、直接観念が作用しないので論外である
なのだそうだが、その「論外」の部分もまた、人生の一部である。
少なくとも人生には観念以外の要素もたぶんにあるようだ。
感情に関するこの理論を、人生についても当てはめることができるのは、
何故なのだろうという疑問は呈さざるを得ない。

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