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【原理論】永井均と竹田青嗣はどちらが正しいか?

1 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 02:34:51 0
竹田 (略)永井さんがヴィトケンシュタインに依拠すると言われる時に、その
    先をどう考えるのか聞きたいところです。

永井 ですから、言語ゲームを変えていく根拠にある動機も、言語ゲームに
    よって考える限りは言語ゲームの中でしか意味を持たないわけです。
    それを動かす、さらなる根底的なものを想定することはできないと思います。

竹田 それだとニーチェが「善悪の彼岸」で行き着いたところで必ず終わると
    思います。それは永井さんが今持たれている結論ですか?

永井 今の問題に関してはそうですね。言語ゲームを動かしていくような根底
    にある何かを考えることによって、よりよい言語ゲームを考えていくこ
    とができるとは思えないんです。

前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1057909374/

2 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 02:36:52 0
竹田 (略)野球の場合はルール・ブックがあって、審判がそれを取り仕切って
    いるが、人間の社会の場合はルールの審判者がいない。ルールがこう
    でなければならないという根拠もない。で、ルールはただ人々のプレイの
    中でだけ必ず少しずつ変わっていく。では、なぜ、ルールは変化してい
    くのでしょう。これはルールの形式性だけをどれほど論理化して取り出し
    ても決して見えない。単純化していうと、ルールが動いていく根拠は、
    そのゲームに参加している人間のエロス原理です。ゲームをやってい
    る人が、このルールだと面白くないと感じた時だけ、ルールを変えよう
    という動機が出てくる。それが無ければ、ルールが変わる根拠は無い
    わけです。

永井 エロス原理のようなものを想定すれば、実は何でもそのエロス原理で
    説明がつくということになりませんか?

竹田 何でも説明がつくということと、この問題はこう言えば次の問題に進む
    ことが出来るということとは別です。

永井 ちょっと疑問に思うのは、言語ゲームが変化したという場合に、その方
    がもっと面白い、もっといいということが根拠になっている場合もあるで
    しょうけど、それは制度改革とかそう言う場合だけであって、むしろそう
    でない場合のほうが言語ゲームという概念にはふさわしい場面だと思
    うんです。

3 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 02:37:38 0
竹田 いえいえ、そうではありません。哲学そのものが言語ゲームですね。例
    えばギリシアにおいてソクラテスやプラトン、アリストテレスが出てくるま
    では哲学は世界を作り上げている原理は何であるかを見出すゲーム
    だというのが、暗黙のルールだったわけです。ところが、ソクラテスや
    プラトンが出てきたときに、そういう古い哲学の言語ゲームを変えた。

永井 何が受け入れられるかは、その時々の偶然的諸条件が多元的に決定
    するものであって、単一の根拠などはないと思います。つまり、たまたま
    ソクラテスやプラトンが残ったのであって、我々はその世界の中に住んで
    いるからそちらにリアリティーを感じる、というか感じさせられる。しかし、
    前四世紀のギリシアでそれを感じたのはごく少数のどうしようもない連中
    だけだったと思います。
    僕の考えでは、面白さ、良さの原理が普遍的にあって、より面白くしよう
    より良くしようということで変化が起こるんではなくて、何かが変わることに
    よって面白さとか良さの意味それ自体がそこで新たに出来上がる。だ
    から、振り返って見ればエロス原理のようなものが働いていたように見え
    るわけです。

4 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 02:39:16 0
竹田 人間のエロス性の原理は、これが面白いと思いたいから面白いことに
    しようというような恣意的な構造ではないんですね。また、あらゆる変化
    が面白いわけでもない。これは面白いぞ、と思わせるルールの変化が
    注目され、受け入れられる。そうである限り、どこかに面白さだとかエロ
    スとかの普遍性を想定出来るはずなのです。そんなものは想定出来
    ないというなら、それはちょうど言語のルールは明示出来ないからそん
    なものは何処にもないというのと同じです。
        (かなり略)
    で、この問題は、結局、共同体の「善し悪し」を解体したあと、では人間
    の実存の価値の根拠をどんな形で探せるのかということです。それに
    対して永井さんは徹底的な解体でいいと言われるのかな。

永井 僕はそうは言っていないんです。徹底的な解体でいいと言っている人
    たちとは違う立場です。

竹田 すると永井さんは今日、十分に自分の考えを言われていないんじゃ
    ないですか?

永井 ええ、そうです。だから「永遠回帰」や「超人」の話をしたかったわけ
    です。そこにはまだ汲み取るべきものがあると思っています。

5 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 03:28:46 0
永井は哲学の問題を純粋に論理的な問題としてとらえてる。
竹田は哲学の問題を実存的な問題として考えられない。
評論畑出身者の口吻はこうだな。
柄谷も広松と対談して妙にズレてた。

6 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 07:03:47 0
竹田さーんは尊敬してます。しかし、

>どこかに面白さだとかエロスとかの普遍性を想定出来るはずなのです。

これは違うんじゃないでしょうか。普遍性はどこにも無いと思います。確率的な話ならありえるでしょうが。

>>5
竹田さんは実存を否定してるんじゃないでしょうか?まあそれにしては普遍的という言葉を使っているみたいですが

7 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 08:03:48 O
>>1-4
出典(元ネタ)は何ですか?
こんな対談(?)があったのか

8 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 12:51:26 O
そもそも何についての対談なのかも、省略部分に何が書いているのかも不明なので、
何ともよく分からないけど、ちょっと疑問に思ったので。
竹田の発言は、>>2>>4あたりが整合してなくない?
というか、>>4の中だけでも、

> 竹田 人間のエロス性の原理は、これが面白いと思いたいから面白いことに
>しようというような恣意的な構造ではないんですね。また、あらゆる変化
>が面白いわけでもない。

というところと、

>これは面白いぞ、と思わせるルールの変化が
>注目され、受け入れられる。そうである限り、どこかに面白さだとかエロ
>スとかの普遍性を想定出来るはずなのです。

というところは、整合するの?
結局、変化が起こる時は、面白いという理由により(あるいはエロス原理?により)
起こされるということなのか、そうでないのか、どっちなんだ?
(もし、「変化が起こる時は、決まった理由や原理により起こすというわけではないのだが、
後から振り返るとそのように見える」というようなことだとすれば、永井の発言内容と
ほぼ同じじゃないか)

9 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 14:50:04 0
夏だなあ

10 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 17:09:28 0
>>8
前半も後半も普遍的なものの措定を主張してて一貫してると思うよ。
後半はエロス原理によって変更されるルールが人間の側でも受容される
ようにできてるってことなんじゃない。

11 :考える名無しさん:2010/07/25(日) 23:21:48 O
>>10
> 前半も後半も普遍的なものの措定を主張してて一貫してる

とは、どういう意味?
8で書いてみた疑問についてどういう答えになっているのか、よく分からないのだけど

自分も、もうちょっと細かく書いてみるか
ルールが変わるときに、「このほうが面白い(あるいは、これは面白くない)から、このように変えよう」
と思って変えるのか、そうでないのか、どちらだということになるの?そうでないとしたら、どうやって変わるの?
また、どちらにしても、面白い・面白くないということと、エロス原理とやらいうものは、どういう関係になるの?

(何にしても、原文に何が書いてあるのか不明のままでは、多分、あまり細かく考えても意味がないので、
回答してもらえなくても全く構いませんが)

12 :考える名無しさん:2010/07/27(火) 21:30:12 0
まあ確かに竹田さーんはエロスという物が普遍であるような言い方してるような
エロスはあらゆる変化が面白いわけでは無いが、一定の規則で面白さを感じるって事ですかね

永井さんの

>僕の考えでは、面白さ、良さの原理が普遍的にあって、より面白くしよう
>より良くしようということで変化が起こるんではなくて、何かが変わることに
>よって面白さとか良さの意味それ自体がそこで新たに出来上がる。
>だから、振り返って見ればエロス原理のようなものが働いていたように見えるわけです。

に対して、竹田さんはエロスには一定の規則があると言っているんでしょうね。
エロス原理が錯覚か、普遍的であるかが焦点っぽいですが、この場合普遍的ってのは
どういう意味で使われてるんでしょうかね。実存を仮定しての話なんでしょうか


13 :考える名無しさん:2010/07/29(木) 10:58:57 0
>>11
別に竹田の言ってることって複雑じゃなくない?

エロス原理

人間が特定のルールを面白いと感じるようにさせる

つまり人間がその特定のルールを面白いと感じる

その結果として特定のルールが受容される

14 :考える名無しさん:2010/07/29(木) 20:10:38 O
>>13
それは、
1.変化には、面白いものも面白くないものもある(面白い変化だけが起こるわけではない)
2.しかし、エロス原理により、一部の変化は面白いと感じられる
3.よって、人々は一部の変化を面白いと感じる
4.よって、時間が経って受容されていくのは、面白い変化である
というようなこと?

そうだとすると、

>>2
>単純化していうと、ルールが動いていく根拠は、
>そのゲームに参加している人間のエロス原理です。ゲームをやってい
>る人が、このルールだと面白くないと感じた時だけ、ルールを変えよう
>という動機が出てくる。それが無ければ、ルールが変わる根拠は無い
>わけです。

という話は、どうなるのかね
ここだけ見ると、受容されるものだけでなく全ての変化が、エロス原理とか面白さによる、と言ってるように見えるけど
まあ、ここでは表現を多少はしょっただけ、ということですかね…

15 :13:2010/07/29(木) 21:43:12 0
>>14
それも別に矛盾はしてないと思うな。

>>2で言ってるのは「変更されるルール」の側の話で、
ルールが変更されるとしたら「それが面白くない」場合に限られる。
つまりエロス原理に合致しない状態にならない限りルールの変更はない。

でも変更先つまり「新しいルール」の側から見れば、
それが面白いかどうかは完全には分からない。
面白いものが最終的に受容されるだろうけど、
途中過程に試行錯誤はあってもいい(間違えて面白くないルールを
一時的に発案してしまうなど)。

だからと言って両者に矛盾があるわけじゃない。

16 :考える名無しさん:2010/07/30(金) 20:07:58 O
>>15
すると、
1.古いルールが変化するのは、面白くないということによる
2.新しいルールが作られる時は、面白いものも面白くないものもいろいろ作られる
3.そして、時間が経って受容されていくのは、面白いものである
というようなこと?
それなら、確かに、特に矛盾というわけではありませんね

しかしそうなると、別の疑問として、ルールの変化については「偶然」「当てずっぽう」「場当たり的」などの言葉が
当てはまりそうで、「普遍性」などとは言えなさそうだが…

17 :13:2010/07/30(金) 23:37:31 0
>>16
俺は永井の「エロス原理のようなものを想定すれば、
実は何でもそのエロス原理で説明がつくということになりませんか?」
で竹田の主張はしびれてると思うよ。

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