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イデアは実在として実在するのか【プラトソ】

1 :kyrie@鬱 ◆Debha1lQgc :2010/04/01(木) 18:43:49 0
わざわざ回りくどいスレ鯛にしたのは、
イデアという観念は歴史的に実在しているが、
プラトン的意味でのイデアが、実在を認められるのかをあなたがたに問うためです。

2 :kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2010/04/01(木) 18:59:03 0
プラトンは、「在るもの」と「在らぬもの」の中間に、中間者たるドクサを置いている。
ドクサとは、日常的な美しさのごときものであり、美しさの程度や、他の性質への変転可能性を孕んでいる。
イデアとしての美は、イデアでない中間的な美に対して、つまり中間的美が常に存在を変容・被疑するのに対して、
厳密な意味で存在している。この厳密な存在は、自己同一性を永遠に保持する。

3 :kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2010/04/01(木) 19:15:51 0
厳密に「在るもの」という観念が、二重にイデア的である。なぜなら、厳密に在るものは、
その性質毎にそれぞれイデアであり、一方性質を超えたイデアとして、最高に一般的な「在るもの」をイデアのイデアとして
考えることができるからだ。ところで、イデアのイデアは、エイカシアー、つまり洞窟内の影から、中間段階を省いて
導ける。なぜなら、エイカシアーが存在するものだ、とみなし得るならば、エイカシアーから直接イデアのイデア、つまり
存在のイデアを導けるからだ。その行程はこうである。
今、私はエイカシアーを見ていることは疑いない。なぜなら、私は感覚的にはドクサしか見いだせず、ドクサから推して、
ドクサの地平を推し、ドクサをイデアへと高めているからだ。従って、いかに洞窟の内部構造を複雑にして、二重投影、
三重投影にしたとて、ドクサからイデアへの移行は、投影方法に依らないのである。

4 :考える名無しさん:2010/04/01(木) 22:42:09 0
Wiki読むと、ソフィスト達は客観的な真理は存在しないって言ってて(独我論かな?)、
それだと真理に到達不能だからプラトンがイデア論をぶち上げたって書いてあるな。
つまりプラトン君がどうしても真理、唯一の答えがあって欲しいという願望の元に、
イデアという概念を生み出したわけだ。妄想乙で終わるな…

5 :kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2010/04/01(木) 22:46:41 0
哲学徒がwikiを参考にするとか…

6 :考える名無しさん:2010/04/01(木) 22:52:27 0
>>5
イデア論を信じてるやつの言いそうな事だなw
神聖な本を読んで、それに書かれてる唯一の真理を参考にすればいいのかな?
イデアにでも置いてあるんかいな

7 :考える名無しさん:2010/04/01(木) 22:55:55 0
それよか、なぜ僕らは客観や真理について議論する必要があるのかだ。
現代でも、裁判や新聞記事から子供の喧嘩まで、どちらが客観で真理に近いかが争われる。
鷹が獲物を狙うような感覚が、獲物が実在しなくても観念に対し働く。

8 :笑ゑクジラ ◆WMm5BQV/ao :2010/04/02(金) 01:34:27 O
導ける、という表現の意味がよく分からないな…
想定し得る、説明し得る、という意味かな
それとも論証できるという意味かな

9 :考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:24:40 P
イデアは実在として実在するが、それを人間は認識できない、
というのがカントなどの近代批判哲学側の意見となるだろう。

10 :考える名無しさん:2010/04/07(水) 00:58:14 0
>>9
認識できないものが実存するというのも凄い言い方だよな。
物事の根っこを探る哲学として、「よく分からないけどあるよ」って言うのはダメだよな。

11 :考える名無しさん:2010/04/07(水) 03:56:44 P
物自体=実在(実体の存在であって人間自身の実存ではない)が人間に認識できたとしても、
それはあくまでアンチノミー=他者としてであろう。
そしてそうした思考の枠組み自体は理性の越権行為を許さないための基本設定にすぎない。

ちなみに、カントは自然科学論文からそのキャリアをスタートさせているので
実在の認識をあきらめたわけではない(カントの遺稿ではニュートンとスピノザが主に考察
されている)。

要するにカントの実在観はプラトンのそれと違ってアリストテレスを受け継いでおり
多義的なのだ。カントがアリストテレスと違うのは認識の限界を根拠に倫理が要求される点だ。

12 :kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2010/05/06(木) 12:34:22 0
イデア=ものの前の普遍とすれば、昔の普遍論争に結局落ち着くのかな。
普遍とは感覚主義を採れば、個物を経験していって、そこから理性が作り出す、
というもの。理性が作り出したんなら、そしてイデアが理性のための便宜だと
すれば、外在はしないんじゃない?
ところで外在することと実在することとは別ね。

13 :考える名無しさん:2010/05/08(土) 01:37:40 0
普遍は言語だから言語の実在を認めるのと同じ意味でその限りで普遍は存在する。おわり。

14 :kyrie@鬱病 ◆Debha1lQgc :2010/05/10(月) 18:53:23 0
>>13

それは唯名論だね。
今反プラトン主義の本を読んでる。

15 :考える名無しさん:2010/05/10(月) 20:58:12 0
実体として実在するのか、だろう?
実在として実在するのか、だって?
アホか。www

16 :考える名無しさん:2010/05/11(火) 00:53:02 0
・・・?ちょっとわかりづらいな
プラトンにとっては、本当の意味で存在するものはイデアだけだろ?
プラトン的議論の範囲を超えて論じろってこと?

しかしプラトンの議論の外でイデアという概念を論じるのは難しかろう

17 :考える名無しさん:2010/05/11(火) 00:54:35 0
>>17
実体概念(ウシアないしヒュポケイメノン)を考え出したのはアリストテレスだよ

18 :考える名無しさん:2010/05/11(火) 08:00:50 0
実体とは不変の本質的存在。つまり本当に存在するもののことだ。

19 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 15:29:12 O
イデア=本質 でよいですか?



20 :考える名無しさん:2010/06/21(月) 17:52:43 0
プラトンはそう考えたらしい。
が、アリストテレスはそれを形相という概念にまで引き下げている。


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