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なぜなのか?

1 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 15:01:27 0
なぜ?

2 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 15:18:31 O ?2BP(3500)
なに?

3 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 15:26:11 O
うるさい

4 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 16:12:36 0
どちて坊や

5 :考える名無しさん:2009/10/05(月) 22:38:55 0
なぜなぜな〜ぜ どうしてなの?
それが僕らの知りたい事さ〜♪

6 :考える名無しさん:2009/10/08(木) 22:58:36 0
エチカ

第一部

神について


定義

一 自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられないもの、と解する。
二 同じ本性の他のものによって限定されうるものは自己の類において有限であると言われる。例えばある物体は、
我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。同様にある思想は他の思想によって限定
される。これに反して物体が思想によって限定されたり思想が物体によって限定されたりすることはない。
三 実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するもの
に他のものの概念を必要としないもの、と解する。
四 属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。
五 様態とは、実体の変状、すなわち他のもののうちに在りかつ他のものによって考えられるもの、と解する。
六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成って
いる実体、と解する。
説明 私は「自己の類において無限な」とは言わないで、「絶対に無限な」と言う。なぜなら、単に自己の類において
のみ無限なものについては、我々は無限に多くの属性を否定することができる<(言いかえれば我々はそのものの本性
に属さない無限に多くの属性を考えることができる)>が、これに反して、絶対に無限なものの本質には、本質を表現し・なんの否定も含まないあらゆるものが属するからである。
七 自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる。
八 永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のもから必然的に出てくると考えられる限り、存在そのもののことと解する。
説明 なぜなら、このような存在は、ものの本質と同様に永遠の真理と考えられ、そしてそのゆえに持続や時間によっ
ては説明されないからである、たとえその持続を始めも終わりもないものと考えようとも。

7 :考える名無しさん:2009/10/08(木) 22:59:50 0
公理

一 すべて在るものはそれ自身のうちに在るか、それとも他のもののうちに在るかである。
二 他のものによって考えられないものはそれ自身によって考えられなければならぬ。
三 与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反してなんら一定の原因が与えられなければ結果
の生ずることは不可能である。
四 結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む。
五 たがいに共通点を持たないものはまたたがいに他から認識されることができない。すなわち一方の概念は他方の
概念を含まない。
六 真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。
七 存在しないと考えられうるものの本質は存在を含まない。

定理一 実体は本性上その変状に先立つ。
証明 定義三および五>>6から明白である。

8 :考える名無しさん:2009/10/08(木) 23:31:18 0
定理二 異なった属性を有する二つの実体は相互に共通点を有しない。
 証明 これもまた定義三>>6から明白である。なぜなら、おのおのの実体はそれ自身のうちに存在しなければならずか
つそれ自身によって考えられなければならぬから、すなわち、一の実体の概念は他の実体の概念を含まないから、で
ある。

定理三 相互に共通点を有しない物は、その一が他の原因たることができない。
 証明 もしそれらの物が相互に共通点を有しないなら、それはまた(公理五>>7により)相互に他から認識されることが
できない、したがって(公理四>>7により)その一が他の原因たることができない。

9 :考える名無しさん:2009/10/08(木) 23:35:40 0

定理四 異なる二つあるいは多数の物は実体の属性の相違によってか、そうでなければその変状の相違によってたがい
に区別される。
 証明 存在するすべてのものはそれ自身のうちに在るか、他のもののうちに在るかである(公理一>>7により)。す
なわち(定義三および五>>6により)知性の外には、実体およぴその変状のほか何ものも存在しない。ゆえに知性の
外には、実体、あるいは同じことだが(定義四>>6により)その属性、およびその変状のほかは、多くの物を相互に区別しうる何ものも存在しない。Q・E・D・



10 :考える名無しさん:2009/10/08(木) 23:38:28 0

定理五 自然のうちには同一本性あるいは同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえない。
証明 もし異なった多数の実体が存在するとしたら、それらは属性の相違によってかそうでなければ変状の相違によっ
て区別されなければならぬであろう(前定理>>9により)。もし単に属性の相違によって区別されるなら、そのこと
からすでに、同一属性を有する実体は一つしか存在しないことが容認される。これに反して、もし変状の相違によって
区別されるなら、実体は本性上その変状に先立つのだから(定理二>>8により)、変状を考えに入れず実体をそれ自
体で考察すれば、言いかえれば(定義三>>6および公理六>>7により)実体を正しく考察すれば、それは他と異なる
ものと考えられることはできない。すなわち(前定理>>9により)同一属性を有する実体は多数存在しえず、ただ
一つのみ存在しうる。Q・E・D・

11 :考える名無しさん:2009/10/08(木) 23:42:45 0
定理六 一の実体は他の実体から産出されることができない。
 証明 自然のうちには同一属性を有する二つの実体は存在しえない(前定理により)、言いかえれば(定理二>>8
より)相互に共通点を有する二つの実体は存在しえない。したがって(定理三>>8により)一の実体は他の実体の原因
であることができない。あるいは一の実体は他の実体から産出されることができない。Q・E・D・
 系 この帰結として、実体は他の物から産出されることができないことになる。なぜなら、公理一>>7および定義三と
>>6から明白なように、自然のうちには、実体とその変状とのほか何ものも存在しない。ところが実体は実体から産
出されることができない(前定理>>10により)。ゆえに実体は絶対に他の物から産出されることができない。Q・E・D・
 別の証明 このことはまた反対の場合が不条理であるということからいっそう容易に証明される。すなわち、もし実体
が他の物から産出されうるとしたら、実体の認識はその原因の認識に依存しなければならなくなり(公理四>>7により)、
したがって(定義三>>6により)それは実体ではなくなるからである。

12 :考える名無しさん:2009/10/09(金) 01:04:02 0

定理七 実体の本性には存在することが属する。
証明 実体は他の物から産出されることができない(前定理の系>>11により)。ゆえにそれは自己原因
である。すなわち(定義一>>6により)その本質は必然的に存在を含む。あるいはその本性には存在す
ることが属する。Q・E・D・

13 :考える名無しさん:2009/10/09(金) 01:07:44 0

定理八 すべての実体は必然的に無限である。
証明 同一属性を有する実体は一つしか存在せず(定理五>>10により)、そしてその本性には存在す
ることが属する(定理七>>12により)。ゆえに実体は本性上有限なものとして存在するか無限なものと
して存在するかである。しかし有限なものとして存在することはできない。なぜなら、有限なも
のとして存在すればそれは同じ本性を有する他の実体によって限定されなければならず(定義二>>6
により)、そしてこの実体もまた必然的に存在しなければならぬのであり(定理七>>12により)、した
がって同一本性を有する二つの実体が存在することになるが、これは不条理だからである(定理
>>10により)。ゆえに実体は無限なものとして存在する。Q・E・D・


14 :考える名無しさん:2009/10/09(金) 18:03:48 0

 備考一 有限であるということは実はある本性の存在の部分的否定であり、無限であるという
ことはその絶対的肯定であるから、この点から見れば、単に定理七>>12だけからして、すべての実体
は無限でなければならないことが出てくる。〈なぜなら、もし実体を有限であると仮定すれば、
我々は実体の本性の存在を部分的に否定することになるが、これは前述の定理により不条理だか
らである。
 備考二 事物について混乱した判断をくだし・事物をその第一原因から認識する習慣のないす
べての人々にとって、定理七の証明>>12を理解することは疑いもなく困難であろう。なぜなら彼らは
実体の様態的変状と実体自身とを区別せず、また事物がいかにして生ずるかを知らないからであ
る。この結果として彼らは、自然の事物に始めがあるのを見て実体にも始めがあると思うように
なっているのである。
 いったいに、事物の真の原因を知らない者はすべてのものを混同し、またなんら知性の反撥を
受けることなしに平気で樹木が人間のように話すことを想像し、また人間が石や種子からできて
いたり、任意の形相が他の任意の形相に変化したりすることを表象するものである。同様にまた、
神の本性を人間本性と混同する者は、人間的感情を容易に神に賦与する。特に感情がいかにして
精神の中に生ずるかを知らない間はそうである。

15 :考える名無しさん:2009/10/09(金) 18:05:12 0

 これに反して、もし人々が実体の本性に注意するならば、定理七>>12の真理について決して疑わな
いであろう。そればかりでなくこの定理はすべての人々にとって公理でありそして共通概念の中
に数えられるであろう。なぜなら、そうした人々は実体をそれ自身のうちに在りかつそれ自身に
よって考えられるもの、すなわちその認識が他の物の認識を要しないもの、と解するであろうか
ら。それから様態的変状を、他の物のうちに在るもの、そして自らが含まれている物の概念によ
ってその概念が形成されるもの、と解するであろう。だから我々は存在していない様態的変状に
ついても真の観念をもつことができる。たとえそうした様態的変状が知性の外には現実に存在し
なくともその本質は他の物の中に含まれていて、この物によって考えられることができるように
なっているからである。これに反して実体はそれ自身によって考えられるのであるから、その真
理は知性の外にはただ実体自身のうちにのみ存する。ゆえにもしある人が、自分は実体に関して
明瞭かつ判然たる観念すなわち真の観念を持っているがそれにもかかわらずそうした実体が存在
するかどうかを疑うと言うならば、これは実に、「自分は真の観念を持っているがそれにもかか
わらずそれが誤った観念ではあるまいかと疑う」と言うのと同然である(これは十分注意する者
にとっては明白であろう)。あるいはもしある人が、「実体は創造される」と主張するなら、これ
は同時に「誤った観念が真の観念になった」と主張するものである。実にこれ以上不条理なこと
は考えられない。したがって実体の存在はその本質と同様に永遠の真理であることを我々は必然
的に容認しなくてはならないのである。
 またこのことから、同じ本性を有する実体は一つしかないことを他の仕方で結論することがで
きる。これをここに示すことは徒労ではないと思う。しかしこれを秩序だててするためには次の
ことを注意しなくてはならぬ。


16 :考える名無しさん:2009/10/09(金) 18:06:58 0
 一、おのおのの物の真の定義は定義された物の本性のほかは何ものも含まずまた表現しない。
 このことから次のことが出てくる。
 二、定義は定義された物の本性のほかは何ものも表現しないのであるからには、いかなる定義
もある一定数の個体(*)を含まずまた表現しない。例えば三角形の定義は三角形の単純な本質のみを
表現し、決してある一定数の三角形を表現しない。
(* 個体とは一つの類に属する個物のことと解される。)
 三、存在するおのおのの物には、それが存在するある一定の原因が必然的に存することに注意
しなければならぬ。

17 :考える名無しさん:2009/10/09(金) 18:09:15 0
 四、最後に注意すべき点は、ある物が存在するその原因は、存在する物の本性ないし定義自身
のうちに含まれているか(これは存在することがその物の本性に属する場合である)、そうでなけ
ればその物の外部に存していなければならぬということである。
 以上の前提から、もし自然の中にある一定数の個体が存在するとしたら、なぜそれだけの個体
が、そしてなぜそれより多くもなく少なくもない個体が存在するかの原因が、必然的に存しなけ
ればならぬことになる。例えば、もし自然の中に二〇人の人間が存在するとしたら(いっそう分
かりやすくするため私はこれらの人間が同時に存在しかつこれまで自然の中に他の人間が存在し
なかったと仮定する)、なぜ二〇人の人間が存在するかの理由を挙げるためには一般に人間本性
の原因を示すだけでは十分でないのであって、その上さらに、なぜ二〇人より多くもなく少なく
もない人間が存在するかの原因を示すことが必要であろう。各人にはなぜ存在するかの原因が必
然的に存しなければならぬのであるから(注意三>>16により)。ところがこの原因は(注意二および三
>>16により)、人間の真の定義が二〇人という数を含まないゆえに、人間本性そのもののうちに含ま
れていることはできない。したがって(注意四により)なぜこれら二〇人の人間が存在するか、し
たがってまたなぜ彼らの一人ひとりが存在するかの原因は、必然的に各個人の外部に存しなけれ
ばならぬ。この理由からして我々は一般的にこう結論しなければならぬ、すべて本性を同じくす
る多数の個体が存在しうるような物は、その存在のために、必然的に外部の原因を持たなければ
ならぬのであると。
 さて実体の本性には(すでにこの備考で示したところにより)存在することが属するのであるか
ら、その定義は必然的な存在を含まなければならず、したがって単にその定義だけからそれ自身
の存在が結論されなければならぬ。ところがその定義からは(すでに注意二および三>>16で示したよ
うに)多数の実体の存在が導き出されえない。ゆえにそのことから、同一本性を有する実体はた
だ一つしか存在しないことが必然的に出てくる。そしてこれが我々の証明しようとしたことであ
った。

18 :考える名無しさん:2009/10/09(金) 18:11:53 0

 定理九 およそ物がより多くの実在性あるいは有をもつに従ってそれだけ多くの属性がその物
に帰せられる。
 証明 定義四>>6から明白である。

 定理一〇 実体の各属性はそれ自身によって考えられなければならぬ。
 証明 なぜなら、属性とは知性が実体についてその本質を構成していると知覚するものである
(定義四>>6により)。したがってそれは(定義三>>6により)それ自身によって考えられなければならぬ。
Q・E・D・
 備考 これから分かるのは、たとえ二つの属性が実在的(レアリテル)に区別されて考えられても、言いかえ
れば一が他の助けを借りずに考えられても、我々はそのゆえにその両属性が二つの実有あるいは
二つの異なる実体を構成するとは結論しえないことである。事実その属性のおのおのがそれ自身
によって考えられるというのほ実体の本性なのである。なぜなら、実体の有するすべての属性は
常に同時に実体の中に存し、かつ一が他から産出されえず、おのおのは実体の実在性あるいは有
を表現するからである。ゆえに一実体に多数の属性を帰することは少しも不条理でない。それど
ころか、おのおのの実有がある属性のもとで考えられなければならぬこと、そしてそれはより多
くの実在性あるいほ有をもつに従って必然性(すなわち永遠性)と無限性とを表現するそれだけ多
くの属性をもつこと、そうしたことほど自然において明瞭なことはないのである。したがってま
た、絶対に無限な実有を、おのおのが永遠・無限な一定の本質を表現する無限に多くの属性から
成っている実有(我々が定義六>>6で述べたように)と定義しなければならぬことほど明瞭なこともな
いのである。
 だが今もしある人が、ではいかなる標識によって我々は諸実体の相違を識別しうるかと問うな
らば、その人は次の諸定理を読むがよい。その諸定理によって、自然のうちにはただ一つの実体
しか存在しないこと、またその実体は絶対に無限なものであること、したがってそうした標識を
求めることは無用であることが判明するであろう。

19 :考える名無しさん:2009/10/09(金) 18:21:38 0
 定理一一 神、あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成って
いる実体、は必然的に存在する。
 証明 これを否定する者は、もしできるなら、神が存在しないと考えよ。そうすれば(公理七>>12
により)その本質は存在を含まない。ところがこれは(定理七>>12により)不条理である。ゆえに神は
必然的に存在する。Q・E・D.

20 :7=公理七:2009/10/09(金) 18:23:44 0

 別の証明 すべて物についてはなぜそれが存在するか、あるいはなぜそれが存在しないかの原
因ないし理由が指示されなくてはならぬ。例えば、三角形が存在するなら、なぜそれが存在する
かの理由ないし原因がなければならぬし、存在しないなら同様にそれの存在することを妨げたり
その存在を排除したりする理由ないし原因がなければならぬ。だがこの理由ないし原因は物の本
性のうちに含まれているかそれとも物の外部にあるかそのどちらかでなければならぬ。例えば、
なぜ四角の円が存在しないかの理由は四角の円なるものの本性自身がこれを物語る。つまりそう
したものの本性が矛盾を含むからである。これに反して、なぜ実体が存在するかということは、
やはり実体の本性のみから出てくる。すなわちその本性が存在を含むからである(定理七>>12を見よ)。
しかしなぜ円あるいは三角形が存在するかまたはなぜ存在しないかの理由は、円や三角形の本性
からは出てこず、一般に物体的自然の秩序から出てくる。すなわち三角形が現に必然的に存在す
るか、それとも現に存在することが不可能であるかほ、そうした秩序から出てこなければならぬ
のである。

21 :7=公理:2009/10/09(金) 18:25:42 0
以上のことはそれ自体で明白である。この帰結として、存在することを妨げる何の理
由も原因もない物は必然的に存在することになる。だからもし神の存在するこセを妨げたり神の
存在を排除したりする何の理由も原因も有りえないとすれば、我々は神が必然的に存在すること
を絶対的に結論しなければならぬ。だがもしそうした理由ないし原因があるとすれば、それは神
の本性それ自身のうちに在るか、それともその外部にすなわち異なった本性を有する他の実体の
うちに在るかでなければならない。なぜなら、もしそれが同じ本性を有する実体であるとしたら、
すでにそのことによって、神の存在することが容認されるからである。ところが(神の本性とは
異なる)他の本性を有する実体は神とは何の共通点も有せず(定理二>>8により)、したがってそれは
神の存在を定立することも排除することもできない。このようなわけで、神の存在を排除する理
由ないし原因が神の本性の外部には在りえないのだから、それは必然的にーもし神が存在しな
いとするならー神の本性それ自身のうちになければならぬ。そうなればその本性は(我々の第
二の例>>20により)矛盾を含むことになるであろう。しかし、そうしたことを絶対に無限で最高完全
である実有について主張することは不条理である。ゆえに神のうちにも神の外にも神の存在を排
除する何の原因ないし理由もない。したがって神は必然的に存在する。Q・E・D・

22 :定理一一:別の証明その二及び備考:2009/10/10(土) 01:13:00 0

 別の証明 存在しえないことは無能力であり、これに反して存在しうることは能力である(そ
れ自体で明らかなように)。だからもし今必然的に存在しているものが有限な実有だけであると
すれば、有限な実有は絶対的に無限な実有よりも有能であることになろう。しかしこれは(それ
自体で明らかなように)不条理である。ゆえに何物も存在しないか、それとも絶対に無限な実有
もまた必然的に存在するか、そのどちらかである。ところが我々は、我々のうちにかそうでなけ
れば必然的に存在する他の物のうちに存在している(公理一>>7および定理七>>12見よ)。ゆえに絶対的
に無限な実有、言いかえれば(定義六>>6により)神は必然的に存在する。Q・E・D・
 備考 この最後の証明において私は神の存在をアポステリオリに示そうとした。これは証明が
いっそう容易に理解されるようにであって、同じ根底から神の存在がアプリオリに帰結しえない
ためではない。なぜなら、存在しうることが能力である以上は、ある物の本性により多くの実在
性が帰するに従ってその物はそれだけ多くの存在する力を自分自身に有することになり、したが
って絶対に無限な実有すなわち神は存在する絶対に無限な能力を自分自身に有することになり、
こうして神は絶対的に存在することになるからである。

23 :定理一一:証明及び備考19-23:2009/10/10(土) 01:16:32 0
 しかし多くの人々はおそらくこの証明の自明性を容易に理解しえないであろう。それというの
も彼らは外的諸原因から生ずる物のみを観想することに慣れているからである。そしてそれらの
物のうち早く生ずる物すなわち容易に存在する物はまた容易に滅びるのを見、これに反してより
多くの属性を有すると考えられる物はより生じ難い、すなわち存在するのがそう容易でないと判
断しているのである。しかし彼らをこうした偏見から解放するためには「早く生ずるものは早く
滅ぶ」という格言がどんな意味で真理であるか、また全自然を顧慮すれば、一切は等しく容易で
あるかそれともそうではないかということをここに示す必要はない。ただここでは外的諸原因か
ら生ずる物について語っているのではなく、どんな外的原因からも産出されえない実体(定理六>>11
により)についてのみ語っているのであることを注意するだけで十分である。なぜなら、外的諸
原因から生ずる物は、多くの部分から成っていようと少ない部分から成っていようと、それが完
全性あるいは実在性に関して有する一切を外的原因のカに負っており、したがってその存在は外
的原因の完全性からのみ生じ、それ自身の完全性からは生じない。これに反して実体は、完全性
に関して有するすべてのものを外的原因にはまったく負っていない。ゆえにその存在もまたその
本性のみから帰結されなければならぬ。したがってその存在はその本質にほかならない。このよ
うにして、完全性は物の存在を排除しないばかりでなく、かえってこれを定立し、これに反して
不完全性は物の存在を排除する。したがって我々は、どのような物の存在についても、絶対的に
無限なあるいは完全な実有、すなわち神の存在についてほど確実ではありえない。なぜなら神の
本質は、一切の不完全性を除外し、絶対的完全性を含むがゆえに、まさにそのことによってその
存在を疑う一切の原因を排除し、その存在について最高の確実性を与えるからである。これは多
少でも注意する人にとってはきわめて明白であろうと私は信ずる。

24 :定理一二:2009/10/10(土) 01:19:29 0
 定理一ニ ある実体をその属性のゆえに分割可能であるとするような考え方は、実体のいかな
る属性についてもあてはまらない。
 証明 なぜなら、そのように考えられた実体の分割された部分は、実体の本性を保持するか保
持しないかであろう。第一の場合(すなわちそれが実体の本性を保持する場合)は、おのおのの部
分は無限であり(定理八>>13により)、また(定理六>>11により)自己原因でなければならぬ。そして(定理
>>10により)異なった属性から成らなければならぬ。したがって一の実体から多数の実体が構成さ
れうることになる。これは(定理六>>11により)不条理である。これに加えて部分は(定理二>>8により)そ
の全体と何の共通点ももたぬことになり、また全体は(定義四>>6および定理一〇>>18により)その部分な
しに在りかつ考えられうることになる。これが不条理なことは何びとも疑いがないであろう。こ
れに反して第二の場合すなわち部分が実体の本性を保持しない場合は、実体全体は同じような部
分に分割されて実体の本性を喪失し、存在することをやめるであろう。これも(定理七>>12により)不
条理である。

25 :定理一三:2009/10/10(土) 01:22:05 0

 定理一三 絶対に無限な実体は分割されない。
 証明 なぜなら、もし分割されるとすれば、分割された部分に絶対に無限な実体の本性を保持
するか保持しないかであろう。第一の場合なら、同じ本性を有する多数の実体が存在することに
なるであろう。これは(定理五>>10により)不条理である。第二の場合には、絶対に無限な実体は(上
に述べたように)存在することをやめうることになり、これもまた(定理一一>>19により)不条理である。
 系これらの帰結として、いかなる実体も、したがってまたいかなる物体的実体も、それが実
体である限り、分割されないことになる。
 備考 実体が分割されないことは、次のことからだけでももっと単純に理解される、〜〜実体
の本性は無限としか考えられえない、ところが実体の部分とは有限なる実体のこととしか解する
ことができない、これは(定理八>>13により)明白な矛盾を含んでいる。

26 :定理一四:2009/10/10(土) 01:29:52 0
 定理一四 神のほかにはいかなる実体も存しえずまた考えられえない。
 証明 神は実体の本質を表現するあらゆる属性が帰せられる絶対に無限な実有であり(定義六>>7
により)、そして必然的に存在する(定理一一>>6により)。ゆえにもし神のほかに何らかの実体が存
するとすれば、その実体は神のある属性によって説明されなければならぬであろう。そうなれば、
同じ属性を有する二つの実体が存在することになり、これは(定理五>>10により)不条理である。した
がって神のほかにはいかなる実体も存しえない。したがってまたいかなる実体も考えられえない。
なぜなら、もし考えられうるとすれば、必然的にそれは存在するものとして考えられなくてはな
らぬが、これは(この証明の始めの部分により)不条理である。ゆえに神のほかにはいかなる実体
も存しえずまた考えられえない。Q・E・D.
 系一 これからくるきわめて明白な帰結として、第一に、神は唯一であること、言いかえれば
(定義六??6により)自然のうちには一つの実体しかなく、そしてそれは絶対に無限なものであること
になる。これは我々がすでに定理一〇>>18の備考で暗示したことである。
 系二 第二に、延長した物および息惟する物は神の属性であるか、そうでなければ(公理一>>7
より)神の属性の変状であるということになる。

27 :26訂正版:定理一四:2009/10/10(土) 01:32:45 0
 定理一四 神のほかにはいかなる実体も存しえずまた考えられえない。
 証明 神は実体の本質を表現するあらゆる属性が帰せられる絶対に無限な実有であり(定義六>>6
により)、そして必然的に存在する(定理一一>>19により)。ゆえにもし神のほかに何らかの実体が存
するとすれば、その実体は神のある属性によって説明されなければならぬであろう。そうなれば、
同じ属性を有する二つの実体が存在することになり、これは(定理五>>10により)不条理である。した
がって神のほかにはいかなる実体も存しえない。したがってまたいかなる実体も考えられえない。
なぜなら、もし考えられうるとすれば、必然的にそれは存在するものとして考えられなくてはな
らぬが、これは(この証明の始めの部分により)不条理である。ゆえに神のほかにはいかなる実体
も存しえずまた考えられえない。Q・E・D.
 系一 これからくるきわめて明白な帰結として、第一に、神は唯一であること、言いかえれば
(定義六>>6により)自然のうちには一つの実体しかなく、そしてそれは絶対に無限なものであること
になる。これは我々がすでに定理一〇>>18の備考で暗示したことである。
 系二 第二に、延長した物および息惟する物は神の属性であるか、そうでなければ(公理一>>7
より)神の属性の変状であるということになる。

28 :考える名無しさん:2009/10/13(火) 17:31:46 O


29 :考える名無しさん:2009/11/26(木) 03:21:27 0
■■■ 鈴 木 一 朗 の 正 体 ■■■

◆打撃技術は並以下
年度  安打  内野安打(割合) 実質安打   実質打率
2005   207   36本(17.5%)   170    .303 → .252
2006   224   41本(18.3%)   183    .322 → .265
2007   238   50本(21.0%)   188    .351 → .272
2008   213   53本(24.8%)   160    .310 → .233
2009   225   63本(28.0%)   162    .352 → .254

◆得点への相関が高い重要指標は論外な数字
http://www.hardballtimes.com/main/article/ops-for-the-masses/
0.964 RC27    プホルス1位  マウアー2位   イチロー23位
0.955 OPS    プホルス1位  マウアー2位   イチロー51位 
0.913 長打率  プホルス1位  マウアー3位   イチロー64位 
0.910 出塁率  プホルス2位  マウアー1位   イチロー30位
0.843 打率    プホルス6位  マウアー1位   イチロー2位 

◆イチロー襲撃計画!チームメートとの亀裂深刻 シアトル紙衝撃報道
http://sankei.jp.msn.com/sports/mlb/080927/mlb0809270824000-n1.htm
チームメートの一部がイチローの記録中心などのプレースタイルを「自分勝手」と“断罪”し、実際にイチローに
対して暴行を加えようという動きにまで発展した。ある選手の1人は「knock him out(ぶっ飛ばしてやる)」と
息巻いたほど。前代未聞の“襲撃計画”を知った当時の監督、ジョン・マクラーレン氏(57)がミーティングを招集
して、不穏な空気を封印。“未遂”に終わらせたという。昨年も同様な騒動があり、「多くの選手がイチローのこと
を嫌っていることに驚いた」と関係者のコメントも載せている。

イチロー「性欲に勝てない」と口での処理を要求、慰謝料1250万円払う
http://www.zakzak.co.jp/top/2t2000122701.html
大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(27)にまた不倫騒動が持ち上がった。写真週刊誌「フライデー」が
報じたもので、サンフランシスコ在住の日本人留学生Mさん(20)との「不倫交際」テープの内容を公開している。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/jul/o20010718_60.htm

30 :考える名無しさん:2009/11/26(木) 13:04:28 O
>>6-27
まるっきり中論みたいだな。

31 :考える名無しさん:2009/12/24(木) 23:36:23 0



538 名前:つのがらいクリだまえらがらいでw :2009/12/23(水) 21:45:20 0
               人i 
              ノ:;;,ヒ=-;、
             (~´;;;;;;;゙'‐;;;)
            ,i`(;;;゙'―---‐'ヾ
            ヽ;;';ー--―-、'';;;;;゙)
              /           ヽ
.             / "-=・=-∵-=・=}
            |   l    )○(  |    ヘッヘッヘッ
        /⌒.\. ヽ: il´トェェェイli. / /⌒\ 
       /  ノつ\.ヽ:!l |,r-r-|!  //⊂  \
   o0○ノ  /  3  \ (::::⌒ヽ / とノ\ ヽ○0o
   (    /、_ノ\   Y `(_、_)   /  \´  )゚
    \_)    `ヽ   : : : *   : : : |    (_ノ
            人___ノ、___ノ




32 :考える名無しさん:2010/01/12(火) 06:22:19 0
テクノの本質(スタイルではなくその方法論としてのテクノ)をきちんと捉えていれば、
初めてクラフトワーク初期の3枚を聴いても「あ、これ、テクノじゃん」とすぐにわかるし、
シンセやリズムボックスを使わなくても、例えば明和電機なども、その方法論から
スナインコッコスマナラコッサーラ長老の説教から多大な影響を受けた「真性テクノ」であることを
すぐに理解することができる。

もちろん、クラフトワーク以前にこの様な方法論、すなわちテクノの本質である部分を用いた「バンド」は存在せず
(言うまでもないことだが、長老の説法に対して自然発生的に生じた集団発狂陶酔舞踊は「バンド」ではない)、
ミュージックコンクレートやクラウトロック、つのがらいクリと言われるムーブメントの中で活動したバンドの中で、
唯一、既存の方法論から抜け出し、新しい方法論、すなわちテクノと言われる方法論を確立したのが
クラフトワークだと言える。



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