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日本の国語教育14

484 :ヤマさん:2007/07/01(日) 21:21:24 ID:SVN1ub3O
おっさんにさんをつけておっさんさんは変だし、おっさんではなれなれしいので、
おっちゃん。んーん、これもなぁ、しからば、おっちゃんさん、ん、いかんね、
どう呼べばしっくりくるのだろうか?しかたない、O先生としよう。

漱石の「こころ」、先生とKの組み合わせみたいで申し訳ありませんがそう呼ばせて
頂きます。

僕は最近、「『こころ』大人になれなかった先生」石原千秋著を読んで愕然としました。
そこには作家漱石も評論家江藤淳もいませんでした。
ただ、テクスト『こころ』から読み取れるものが書かれているだけでした。
石原さんはテストパイロットとして作品の可能性を最大限に引き出すだけで、
この試みをトリッキーと思われることを意識してのことですからある意味「ことば遊び」と
認識して書いているのでしょうね。しかし、自分の印象や江藤の解説に慣れ親しんだ僕としては、
驚天動地で、そこにはもはや漱石の作品などという感覚はありませんでした。
それでも、石原さんが漱石を愛して止まない人間であるのは理解できますので
そのような解釈もあるだろうと納得しない訳にはいきませんでした。
30年の月日を感じた次第です。
しかし、O先生の当時から(僕も同い年くらい)もっと極端かもしれない
蓮實さんの存在を考えるとまだまだこの路線(構造分析による読解)は多くのトンデモを創りながら
面白可笑しく日本に受け入れられていくような気がします。

いやね、構造分析(あるいはテクスト論と、僕は、混合しているのか?)が悪いとは思いませんが、
その分析に耐えられる人間が果たして現在日本人の何パーセントなのか考えると、ぞっとしてしまします。

しかし、時代はその流れを止めるわけにもいかない所まで来ている感があります。
O先生の頃のことば遊びと目されていたものが市民権を与えられて大手を振って街中をあるいて行きます。
いまこそ、O先生のような、その昔に帰れという考えが必要とされている時代はないのではないでしょうか?
例え、変人といわれようとも!

僕は、そう感じました。
最後にO先生これからも頑張って下さい。


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