5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

日本の国語教育14

325 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 00:33:16 ID:f2KKPSVe
>>285
作者、語り手、視点、「視線」・・・
それらを概念装置として練り上げ『常に』厳密な意味において語るという手法。

以前、ママンちゃんと「ごんぎつね」で視点と語り手だったかな、二つの異同をうんちゃか
議論したのを思いだします。私個人は作者の死としての作者の「構築」を念頭においています。
帰納されるべき作者は「あり」だと思っています。
語り手が持つ視点の位置が複数であったり、浮遊したりする場合も多いです。
私はそのような視点や語り手を操るような外部性を作者だと仮定しています。

模擬試験とかで使われた文章の作者(筆者)が異議を申し立てることが話題にのぼることがありますね。
それを書いた当の本人が分からん、違う、そんな異議を平気で申し立てる。
帰納され構築された作者(筆者)だということが分からんのだろうね。
論理的合理的テクスト分析から導かれた作者(筆者)は、当の本人でさえも反駁できない。
したければ、やはりテクストから帰納する以外にはない。

「俺はそう思ってない」なんていう反論は阿呆のすることです。
テクストとは「そう思ってない」ことを露にするものだからです。

作者の構築とは、生身の作者の特権を剥奪することから始まります。
大きな顔をするなっていうのw
私の論は理解いただけるでしょうか。
(ママンちゃんの意見も聞きたく思います。「あ」は要らん)

502 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)