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日本の国語教育14

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 06:52:16 ID:F8j82XGI
文理系を問わず生産的な読解力と表現力、議論能力を培いうる
日本の母語の教育について語りましょう。

前スレ:
日本の国語教育13
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1178202631/l50
日本の国語教育12
http://school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1175615438/l50
日本の国語教育11
http://school6.2ch.net/test/read.cgi/edu/1174100485/l50
日本の国語教育10
http://school6.2ch.net/test/read.cgi/edu/1172141385/l50
日本の国語教育9
http://school6.2ch.net/test/read.cgi/edu/1159967026/l50
日本の国語教育8
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1154200287/l50
日本の国語教育7
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1151425151/l50
日本の国語教育6
hthttp://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1147062237/l50
日本の国語教育5
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1131541742/l50
日本の国語教育4
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1126353198/l50
日本の国語教育3
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1124978770/l50
日本の国語教育2
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1123168191/l50
日本の国語教育
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1017432781/l50



2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 06:54:57 ID:F8j82XGI
猫へ

 1)曲解しているのはキミ。最終医療現場での[希望」ということ大前提を踏み外せば意味がない。
  自覚的な死の期限と無自覚的な死の期限へ拡大するのは、ハイデカーと同じ手法。
  しかし、あくまでも死をどう受け入れるかという問題なしには希望は語れません。

 2)パラレルとは平行。もしくは同時に異なったことが起こること。つまり両者は異なっている。交わらないと
   いうことだ。ランガージュとUGがパラレルなら意味がない。ほとんど一緒というのならパラレルとはいわない。
   添削
  ソシュールのランガージュは言語を使用の面から、チョムスキーのUGは言語を規則の面からみたもので、
  同じことをいおうとしていると考える。
  ということでごちゃごちゃしているのはキミ。ことばの意味すら間違っている。

 3)一般言語学という講座名をソシュールが設定したという根拠がない。大学側がソシュールに要請したという
  可能性を否定できない。そもそもがソシュールが自分の研究を一貫しまとめることができなかった。
  その時点でソシュールが目指したものはソシュールの名で語ることは推測の域をでないことになった。
  断定するのは間違い。

4)辞書を読め。あともし徹底するなら英英辞典を調べよ。オクスフォードがよい。

5)ありすぎて言えない。端的に小学校は語れない。(もうすでにその時点では語ってしまっていた。)えー。
  根拠が大事。(白痴レベルっていうレベルの根拠はなんですか。そもそも白痴がレベルだとしたら白痴の上って
  そのまた上ってその上って…それって社会的に通じるの?論理的?)根拠なんてつまりキミにとってはレトリック
  にすぎないよ。その態度ってソフィストじゃないかねえ。構築主義だ。→すべての位相で納得がいかなければ…
  (ありえません。それこそ理想の社会、正しい社会を本質にする本質主義でしょ。ああた。)
  まだまだいっぱいある。
  ことほど左様に自分について自分で定義することは無駄である。自分が一貫しているかどうかなど自分で証明
  することはできない。
  自分を守ることしか考えてない。そういう意味では徹底して<一貫した行動>ではある。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 07:02:30 ID:F8j82XGI
 その上で論理的かどうか、一貫しているかどうかなんていうのも大したものじゃない。
 一貫していないと言われたら、そんなこと考えてもいない。と答えてもよいのだ。

 一つの発言の中で一貫性が保たれないのは不親切である。でも、人間は変わるものだ
という前提を認めないのは、相手を人間ではなくロゴスとしてしかみない考えただ。

 猫やママンはずっと論理性、論理的と主張している。主張だけは一貫しているが行動は
一貫してない。言ってることとやってることは違う。論理性なんていわなければ突っ込まれない。
にんげんだもの。

 論理=正しいではない。論理もまた整理するための道具であり、理解するための形式にすぎない。
 だいじなのは誰に何を伝えるのかであって、そのやり方ではない。

 不誠実?すべてに対して誠実であることはもともと不可能だ。少なくとも何については誠実であろう
としているかが大事だろ。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 07:11:08 ID:F8j82XGI
構築主義的社会学の大事な役割は、ある一つの発言(メディア上で)がどのように社会的に消費されていくのか
広がっていくのかということだ。どこで誰が、何と言うのが効果的だったのかという研究なんだよ。

 そして逆に、「これがこうなったのは」「こんなことばが社会的に認められ」「このような物語が生まれたから」
という説明も可能になる。社会的な生産過程を示そうということにもなる。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 07:14:36 ID:udKOzLYh


騙される人間はいなくなったね

6 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/04(月) 12:32:43 ID:obPTTD82
まあ、もう相手にするだけ時間も労力も無駄のような気がするざんすよ。
あの発言はそもそもどーでもいい内容なのだから、それを修正してやった
ところで何も残らない。残るのはあの知ったかぶりの態度のみ。

修正・調整して磨けばよくなる意見ならともかく、修正し甲斐もなければ
修正したところでくだらん言い訳しかしないんじゃやる気も失せるわ。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 17:43:09 ID:F8j82XGI
ママン。それもはや独り言。
じゃあ書き込まなきゃいいだけじゃん。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 17:51:36 ID:F8j82XGI
こんなところに猫は書き込んでいる。
ttp://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20060429/1146280752

けれども、わしはこの人となら議論しても楽しそうだと思える。お互いに現場をもってるしね。
意見の食い違いも現場の性格の差異を踏まえることで理解できると思う。

 でもいきなり、コメントで構築主義に興味がありますって書き出しはどうだろ。
普通は、書いてある文章に対する賛意というか、がんばっておられますね。みたいな書き出し
から自分のことを話すのではないか?

 で相手が話してることは無視して持説の押し付けをしてる。

自分の庭先に変なのがぶらさがらないように、「大人な対応をしている主」に拍手。
 そう書かれたからといって猫はあそこに粘着しないこと。人の迷惑も考えなさい。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 18:35:46 ID:udKOzLYh


寄り添う人間が少なくなってしまった原因をどう考えるのか

10 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/04(月) 22:18:53 ID:wJe40/BO
ママンちゃんへ

文科省の審議会答申でも藤原正彦でも「論理力+情緒力」ということです。
後者は保留するとして、前者はもう常識的前提になっています。そのような共有された
大枠の中で、次にどうすれば論理的な言語運用能力を養成できるか、それがポイントに
なるでしょうね。

>普通は、書いてある文章に対する賛意というか、がんばっておられますね。みたいな書き出し
>から自分のことを話すのではないか?

これは営業トークの基本である「Yes - but 法」なんですが、こういう『技術!』も教える必要は
あるでしょうね。けなしたいときには、まず褒めてから欠点を指摘するとかも。

そういうトークに引っかからないようにするためでもありますw

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 23:09:49 ID:udKOzLYh



の相手をしてやれよw

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 00:28:56 ID:tESsL+0y
>9
っとに、馬鹿だな。
そりゃ板が変わったからだよ。前の板にいたやつは迷子になってるだろうし、
この板は極端に人が少ないからさ。

もう一つある。小学校教師氏の相手をするのは、ただの馬鹿には出来ないからさ。
無神経・手前勝手・馬鹿・僻み根性という四つの条件のうち、少なくとも三つを
満たす必要がある。そういう人は少ないようだ、さいわいなことに。

だが、猫の跡について歩くには、ただ馬鹿でさえあればよい。お前のことだよ。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 05:53:24 ID:iMD7XoSD
格差を押さえて 地方分権に!みたいなバカな話であるな。
情緒力として押さえているのは=共感能力・共鳴
論理力として押さえているのは=批判力・だまされない力

 両立しっこない。それが両立する方法が一個だけある。
使い分けである。

 身内に対して、あるいは、プライベートやアンチームな事柄
や場所では情緒的。

 社会的あるいは、ビジネスにおいては論理的。

という論法である。TPOというマナーの基本である。
さて、そんなことができるなら、とっくに立派な国際エリートに
日本は溢れているわけである。けれども、そんなことになって
ない。

 日本人にとってのTPOというのは、その場に集まった人の真似
をしろ。ということだけだからである。

 さすがに冠婚葬祭じゃそうでもないだろうと思っていたが、葬祭
はともかく冠婚の方は儀礼的な部分はいい加減になってきてい
る。

 じゃあこの目標どこへ収斂するのだろう。決まっている。
「道徳的」に収斂するのである。道徳というのはもともとダブルスタ
ンダードなのであるからあたかもこの情緒と論理がぴったり符合し
てしまうのである。道徳の徳目に合致すること=論理的。道徳的
感情に合致すること=情緒的ということである。

 現場はいよいよつまらなくなる。包括的ではなく、同質的であろう
として排除的になるだろう。そして、いじめはもっと深刻になる。
この国の未来はバカな政治のおかげで真っ暗である。いざとなった
らアメリカに州として売り飛ばす気なんだろう。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 06:10:32 ID:iMD7XoSD
道徳がダブルスタンダードというのはどういうことかというと
「勤勉」という徳目がある。こつこつがんばることは素晴らしい。
ということである。

 泥棒を勤勉に行ってもだれもほめない。なぜなら、それは、
反社会的行為だからである。(反社会的というところがミソ)

 移民が、あるいは、女性が、勤勉にがんばって認められる
ためには成果を普通の2倍くらい上げなければならない。
 彼らは泥棒でもないのに泥棒扱いされるのである。
 ところが、これは道徳的にはちっともおかしくないのである。
 彼らは非社会的な対象なのだ。役に立つなら社会の一員に
してやろうという態度は論理的なのだ。


ウェーバーは、いわゆる「中間考察」のなかで宗教的共同体が
ふたつの基本的原則をもつことを指摘している。第一に「対内
道徳と対外道徳の二元論」である。第二に「対内道徳にとって
は『私はお前にたいしてお前が私にするように」という単純な互
恵主義[Reziprozitat]』」である。これは宗教的共同体の場合で
さえ、「村落、血族、ツンフト、航海、狩猟、軍隊仲間など、社会
倫理的な態度の原生的な諸原則を単純にうけついだだけのも
のだった」とウェーバーはいう。


 猫にとってはそれこそいたたまれない話なのである。
ママンにとっては驚天動地、恣意的な押し付けこそ論理的という
世界なのである。そんなものを根拠にもってくるセンスはどうかと
思う。

 がっかりだ。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 06:23:29 ID:iMD7XoSD
応答のないのはグウの音も出ない証拠なのであるから
別にかまわない。

 それに、いつものことであって笑い話にもなりはしない。

猫が書き込んだあのブログでいいことが書き込んであった。
批判的な文章を書くときの心構えである。

 「自分は違うとは思わないこと」

2chセンスでいえば

 「オマエモナー」

である。

 オマエ<モ>であるから勿論自分も入ってるわけである。
エグゼプトミーじゃない。そういうセンスが批判には大事だ
ということである。賛成。というかそういう意識がない人間
は批判すべきではないだろう。


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 06:38:50 ID:fzRRBCV1


ハッタリ勝ちかw

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 09:39:50 ID:9tAePWL4
ちょっと質問

アニメや映画はインターレースの境目にフレームチェンジを持ってくることで自然に見せているわけで
混在ソースを完全にノンインターレース化するには最小公倍数である120fps化が必要

という文章中で「混在ソース」という1語が出てくる。
これは何と何を指す?

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 18:47:42 ID:0lAYXEcu
するっとスルー

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 20:44:20 ID:eaL7QWtt
>>18
なんだお前わからないのかw

20 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/05(火) 21:12:21 ID:6tm7DJWq
>>14
どこまでも白痴。無知というだけではない。根本的に頭が悪い。しかも見栄っ張りw
見栄を張るだけの努力もしない。困ったカスだ。

その引用はどこからのものだ?また検索か? ま、どうでもいいことだ。
そもそも論理とは関係ない。

デカルト「方法序説」(岩波文庫、谷川訳)p.18-19
『たしかに、他のひとびとの習俗を考察するだけだった間は、わたしを確信させるものは
ほとんど見いだされなかった』
『ほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを
見て、ただ前例と習慣に納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだ。』
『自分の国、自分の書物から一度も離れなかった場合にくらべて、はるかにうまく果たせだと
思われる。』

デカルトは故郷を捨て旅に出る。「序説」が出版されたのはオランダだが、彼はフランス語で書いた。
お前が口にしたコギトは翻訳だよ、分かってるのか?
当時、フランス語で出版するということの意味をお前は分かっているのかな。
デカルトはフランスのために従軍したことも軽んじるんではない。

デカルトほどフランスを愛した人間もいない。
が、彼はそこに留まることをしなかった。

論理とはそのようなアゴーンから生まれる。お前のような脳天気な馬鹿には無縁なものだよ。

21 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/05(火) 21:18:18 ID:6tm7DJWq
「あ」の馬鹿へ

OEDを見ろ?w
お前は持ってるのか?wwww 持ってないだろw
shoter もあわせて持ってるけど、お前が持ってるんだたっら引用して論じるけどな。

で、そんなことは関係なく、お前は白痴。
empty と emptiness の意味の違いをことさら強調する意味が分からん。
しかも、お前は品詞には全く言及しない。意味が違うとか支離滅裂なことを言う。

ソシュールの件
ランガージュの強弁は見苦しい。味噌糞にするな。えっ、そういう解釈が一般的だって?!
ソースを頼むわ、根拠ね。

小学校スペックはハッタリ三昧での強弁しかないようだな。

22 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/05(火) 21:20:49 ID:6tm7DJWq
訂正

× shoter
○ shorter

お前には関係ないだろうがw OEDw

23 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/05(火) 21:46:41 ID:6tm7DJWq
それから、お前は文科省や審議会の『正統』を批判していたが、それは他の発言と
矛盾するんじゃーないのかな?w

普通の知能があれば誰でも分かることだが、お前は結局自分を擁護しているだけのようだ。
だから、小学校マンセーなわけだし。

ま、いい。どんどん妄言を垂れ流せw

ネタになるだけだから。

24 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/05(火) 21:52:18 ID:6tm7DJWq
良識

ここで理屈こねて道徳を叫ぶ変人さん
「良識」ってなんだか分かってるのか??

西洋ズッポリの翻訳語なんだけど、そんなことはおかまいなしのようだな。
デカルト「方法序説」はその『良識』から始まる。検討をよろしく。

なお、西洋的文脈以外で『良識』など全く意味はない。
そもそも日本にはなかったものだからね。

でも、そんなことはどうでもいいんだろうな。
とにかく文句を言いたい。それだけ。文句を言うための努力は全くしない。
理屈を否定して、理屈を言ってる自分の姿は全く見えない。滑稽。

職人とは、間違っても『良識』などを口にしない人のことなんだよね。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 01:47:20 ID:IHqBXk2B
>とにかく文句を言いたい。それだけ。文句を言うための努力は全くしない。
>理屈を否定して、理屈を言ってる自分の姿は全く見えない。滑稽。

何人もの人に何度も何度も「それはオマエだ!」と言われておる
というに、まだいうか、この猫は。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 03:53:56 ID:3FYCIPov
だって、<オマエモナー>って意識がないから?

 エンプティとエンプティネスの意味が分かってない→違いを強調する。
あれ?態度が変わってきてますね?形容詞と名詞ぐらいはわかってる
って。第一空の英訳をエンプティっていってるのは、<わし>じゃない。

 きちんと英訳ではエンプティネスかナッスングだよと答えてるよ。

 どうして読めないの?レスが3つ続くと関連とか、要旨とか混乱するの?

 そもそもが空の説明であることをはずしては意味がない。
 やっぱり文脈の読めないアのつく症例なの?

あとは全部論点ずらし。

  レトリック的にもダサイ手法。
  構築的社会学で研究の中心にあったりするのが「ラベリング問題」○○のくせに
とか○○という価値の発生について、ラベリングの無効化を志すならやっぱりその
発生を押さえないといけないから。

  で、なんでラベリングばっかりしている猫が構築主義なんて言い出すんだ。

  デカルトなんか持ち出して西洋的文脈?アホカ!それこそ本質主義だろ。
  単に歴史的な過程の違い、独自性として東にしても西にしても南も北も
  還元するのが構築主義。

 空気を読めとは言わないが、すくなくとも<筋道の通った論理的な書き込み>
つまり、意味のない罵倒だとかを抜いたもの。結論ー根拠1ー反証ー反駁くらい
の文章を書き込むこと。

 評価 :評価するに値ず。時間泥棒。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 04:06:16 ID:3FYCIPov
>>17
 混在ソースが何をさすかはその文の中にはない。
 映画やアニメではおかしい。映画やアニメにおいての動きの再現
の手法について述べている。複文であると考えれば、

 アニメや映画〜自然に見せている。<>混在ソースを完全にインターレス化
するには〜必要である。という変換が可能である。
<>に入る接続詞は果たして、ところがであるのか、だから、であるのか
がはっきりしない。そういう意味では完全に悪文。

 ところがであると仮定すれば、アニメや映画と混在ソースは同じものではない。
だからであると仮説すれば、アニメや映画と混在ソースの関係は推察不能に
なってしまう。

 したがってこの接続詞が不確かである以上、この問題に答えることはできない。
問題の立て方、ならびに対象文章が間違っている。

 論理的とはこういうことさ。

※余談 文から離れて、実写とアニメの合成について述べているとするなら、
混在ソースとは実写の映像とアニメの映像を合成したものである。しかし、そんな
ことこの文からは推定不能である。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 04:12:03 ID:3FYCIPov
わしは相手が持ち出してきたもので、つまり相手との間に存在するもので
 できるだけ答えている。

いきなり、外挿して何かの権威から別のことを言い出したりしない。
 それは論理的ではないからだ。権威主義的な言い負かしにすぎない。

それを持ち出すなら、反駁のところしか許されない。

 つまり、

 「しかし、○○は××じゃないだろうか、あるいは、ホントウに○○なんて存在するのかという
人がいるかもしれない。」

の後ならそれは許される。なぜなら、だけどさ、俺だけじゃないぜ、そう考えるのは、そっちは
こういうことを根拠にあげてるんだけど。これで根拠二つだぜ。まあ俺の言い分も認めろよ。
とやれるからである。

 猫がいかに感情的にしか書き込んでないか<論理的に>証明できるわけだね。諸君。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 05:02:02 ID:3FYCIPov
注もつけておくか

 えんぷてぃには名詞もある。複数型はエンティーズである。
 それは何か…調べてみてほしい。空には置き換えることが
不可能なものである。

 容器と関係ないという猫の脳髄には理解できないものである。

 だからヤマさんがエンプティでいいの?と聞くのは間違いでは
ない。勿論、空はエンプティではない。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 06:00:23 ID:Mav9LBtN



ゴマカシ

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 06:38:14 ID:3FYCIPov
オマエモナー


楽しい?それ

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 07:05:29 ID:3FYCIPov
>>17

 とりあえずフレームレートと混在ソースで検索してみた。

 どうもフレームレートにばらつきがる素材という意味らしい。同じ作品でも
再生速度が違う場面があったりするらしい。

 提示された文からはそんなこと類推不可能です。…orz


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 14:11:28 ID:xIJ98kwB
>>17は他のスレで叩かれた痛い子なんであまり真面目に相手しないでやってください。

PSP動画作成支援スレッド -15-
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/handygame/1177638532/693-748 辺りまで

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 14:12:35 ID:xIJ98kwB
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/handygame/1177638532/776-778

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 17:57:18 ID:77zJC9JP
わしにとって衝撃的な事実は(もしそれが事実だとして)猫が子持ちで、そして小学校に行く年の子らしいということ。

 あの気味の悪い指導案が、ホントウに子どもがいる大人から生み出されたかと思うとゾッとした。
 子どもの反応とか関心とか、素朴理論とかまったく感知できてないと思った。

そういう意味で子どもが心配である。

 自分が子どもなんだから、子どもを持つなんてことを躊躇すべきだったのでは…。

 猫みたいな保護者を相手にしなければならないのは大変であろう。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 18:23:40 ID:Qcu9DbRz
>猫みたいな保護者を相手にしなければならないのは大変であろう
同意する。でも面白そうだ。猫の授業参観と父兄面談を実況中継してくれたら、金を払ってでも見る。


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 20:18:16 ID:dFGzZn14
四十過ぎた独身男が2チャンにべったりか。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 20:37:52 ID:qqZYJqyv
従わなければ殺す、危害を加えると脅迫メール、脅迫の数々。
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/initimidation_j.htm

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 21:21:20 ID:qHg8R9Uo
従わなければ殺す、危害を加えると脅迫メール、脅迫の数々。
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/initimidation_j.htm

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 22:17:39 ID:Mav9LBtN


もかまってやれ

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 22:27:27 ID:+dRsQZch
従わなければ殺す、危害を加えると脅迫メール、脅迫の数々。
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/initimidation_j.htm

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:10:38 ID:/m6/mu2p
質問です。
読む力の養成の一環として読み聞かせは効果がありますか。
とくに、ある程度文章が読める小学3年生くらいの子に読み聞かせることに
効果などあるでしょうか。


43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:59:08 ID:Qcu9DbRz
>>17
>という文章中で「混在ソース」という1語が出てくる。
>これは何と何を指す?

24 fps のノンインターレース画像と 30 fps のノンインターレース画像の、
合成して一つの画像にする動画ソースの意味。24 と 30 の最小公倍数が
120 であることより「120 fps 化が必要」の話が出てくる。

国語の問題というより、画像処理についての知識の量の問題。

ただ、国語でも これに似た問題が多い。猫の話など、国語の問題というより
哲学/思想の問題。


44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 00:18:38 ID:7V6eYyoS
w

45 :良寛:2007/06/07(木) 00:40:06 ID:7V6eYyoS
>>24
>西洋ズッポリの翻訳語なんだけど、そんなことはおかまいなしのようだな

だから何なのだ?
猫の知っている程度の知識はほとんど誰でも持っている。
自惚れが過ぎる。

>デカルト「方法序説」はその『良識』から始まる。検討をよろしく。

私に哲学の知識を話するのか?やめておいた方がいいな。
前にも、私に落語を語ろうとしていた。その時は退散した様だが、それが賢い。

>なお、西洋的文脈以外で『良識』など全く意味はない。
>そもそも日本にはなかったものだからね。

全くの意味不明。正確には勉強不足。何をかいわんや。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 03:13:23 ID:oLhbnIsd
>>17
>という文章中で「混在ソース」という1語が出てくる。
>これは何と何を指す?

24 fps のノンインターレース画像と 30 fps のノンインターレース画像の、
合成して一つの画像にする動画ソースの意味。24 と 35 の最小公倍数が
120 であることより「120 fps 化が必要」の話が出てくる。

国語の問題というより、画像処理についての知識の量の問題。

ただ、国語でも これに似た問題が多い。猫の話など、国語の問題というより
哲学/思想の問題。


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 04:33:07 ID:eVXyoHRl
>>42

読み聞かせには「読書への興味づけ」と「コミュニケーション」としての二つの効果が期待できます。

 低学年ではその二つそのものが必要だからこそ、読み聞かせを薦めるわけです。

中学年、高学年では必要ないのか?

 一慨には言えません。

 読書そのものに興味がないような(文字が読める、読めないではなく)状況では、読み聞かせをし
その後、クイズのような活動(アニマシオン)をすることは大変効果があります。

 生徒指導面で落ち着きのない状況であれば、保護者が学校へ来て子どもに関わる状況を生み出す
という意味で子どもたちに妙な不信感を抱かせずに子どもに関われるよい機会になります。

 純粋に本来の効果を求めるのなら、子どものことも本のこともよく知っている指導者が必要になります。
中学年に「うらしまたろう」を読んでも仕方ありませんし、長いお話(15分くらいかかる)は飽きてしまいます。
おもしろくなる前でやめて、この続きは図書室でというブックトークに切り替えるなどの方法もあるでしょう。
どちらにしても、その地域の子どもたちの興味や問題について共感的に理解してないと、「道徳指導」をして
しまったり、「本の押しつけ」になってしまいます。

48 :ヤマさん:2007/06/07(木) 08:47:08 ID:/bjCvri6
>>47
あえてお伺い致したい。

道徳教育(道徳指導)になにか弊害でも
あるんですか?

まず、具体的に国歌を学校教育の式典で
生徒、先生、職員(公共の立場の人)が
歌う、また、国旗を掲揚することに反対
であるならば、どのような形を模索して
いるのかお聞きしたい。

一、国歌、国旗はいらない。
二、国歌、国旗を新たに創設する。

まず、ここから始めませんか?
第三があればそれも宜しくお願いします。

使用する人間がいて始めて言語足りうるという
お考えですから、使用する人間抜きに国語を語
る訳にもいくまいと思われますがいかがでしょ
う?

考え不足かも知れませんが僕は国旗、国歌賛成
ですし、仰げば尊しも、蛍の光も賛成です。

懐古趣味でしょうか?

まあ、しかし、(検索君になろうとした)
「あ」さんより「猫さん」の反発が先に来る
かも知れませんね。

どうでしょう?

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 18:43:16 ID:zrHN+Xoc
国家が国歌を歌えといったり、国旗を掲げ尊重せよといったりする。

 そんな国歌の姿を当たり前と考える。そんな国民をどう評価するか。という問題にすぎません。

我々には、「日本国」を自分の肉体の一部である。精神の一部であると実感するための物語が欠けています。
それははっきり自覚すべきです。

 日本国とは私が対象とできる何かなのです。はっきり私とは切り離して考えることができる。

さて、そんな国民にオマエタチは国民なのだと思わせる必要があるとしたらどうするのかということです。
それ以上でも、それ以下でもありません。

 勿論それは右も左も関係ないのです。左にしたって民主的なるものを押しつけようとすれば同じことをするに
違いありません。

 そのへんの感覚は「滝山コミューン1974」(原武史)でも読んで下さい。
高橋源一郎の書評。

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 考えは単純でも現実は単純じゃないってことは、しっかり認識しておかなくちゃいけません。
首が無くなったり、命が無くなったりしては遅いのです。

50 :実習生さん:2007/06/07(木) 23:02:28 ID:5tG99rPk
どなたか、PISA型読解力について、自分なりに実践を
進めている方いませんか?

PISA型読解力育成のための手法としては、確認、評価、
論理の3つのレベルで授業を組み立てるのが一般的に研究されている
パターンだと思いますが、たとえば低学力傾向にあるような学校では
「書いてある内容を読み取る」ための確認読みから、児童生徒が
説明文を「評価」あるいは「批判」しながら読む段階への質的な転換を
することがとても苦労すると思います。このあたり、交流ができたらおもしろいと
思うのですが。。。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 23:50:40 ID:xpTgJ/7N


荷が重いw

52 :ヤマさん:2007/06/08(金) 03:27:09 ID:ZLLWfzqK
>>49
>国民にオマエタチは国民なのだと思わせる必要があるとしたらどうするのか
誰がそう思わせる必要があるのでしょう?
帰属意識は押し付けられて成立しないでしょ!
自らが仲間だと感じられなければならないはずですよね。
経験上、各種式典及びオリンピックなど国旗、国歌を聴き
感動したものです。

>そんな国民をどう評価するか
どう評価されています?

>>50さん、
>低学力傾向にあるような学校
での
>説明文を「評価」あるいは「批判」しながら読む段階への質的な転換
ですね。
1、生徒が興味を持っていることに問題を転化する。
生徒それぞれ興味の対象が違いますから一斉授業では無理か?
2、書いてある内容を追体験できる教材を用意する。
これもなかなか難しいか?
3、感想文を書かせる。
やはり、これでしょうか?

どうでしょう?


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 05:42:52 ID:0PlQZO6U
帰属意識は押しつけられて持てないからこそ、国民という物語を多くの日本人は持てないでいるのです。

 オリンピックにしろ、海外で活躍する日本人にしろ、そのでの成果を喜ぶのは単純に自己価値の付与だ
からです。子どもによくいるこう気持ちです。
「俺の父ちゃんは社長なんだぞ。」俺の父ちゃんは社長かもしれませんが、俺は社長ではありません。
俺の価値はちっとも変わらないはずです。ところが社会的にはこういう言い方やこういう見方で人間の値踏み
をする習慣があるので、このような価値付与が成り立ってしまうのです。

 <権威主義>ですね。

 我々は我々が暮らすこの国のあり方に誇りをもつべきです。我々は我々が暮らすこの国がする事によって
この国を誇るべきです。誇るべき国だからこそ私の国であるという物語を求めるべきです。

 オリンピックで活躍しているのは国なんですか?式典で国歌を流すとき尊重しているのは何ですか>
 そもそも国はその式典にどう関係しているのですか?(卒業証書授与式には関係している。金も口も
出して義務教育を成立させてきているのだから。)

 つまり、その感動は国とはまったく関係ない勘違い(錯視)です。スポーツにまったく興味の持てない人、
耳の聞こえない人はじゃあ国民といしての意識を持てませんよ。そのことを考えましたか。

 内省でもの考えるのは必ずまちがえます。トートロジーに陥ります。

 なぜ、感動するか。簡単です。感動するように仕組まれているからです。そのようにメディアによって切り
取られているからです。実際に式典に行き、お偉いさんの長い挨拶ばかり聞かされたら、挨拶よりも、いい
雰囲気だった国歌斉唱が印象に残るのじゃないでしょうか?式典の主役はどこへ行ってしまったのでしょう?


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 05:49:21 ID:0PlQZO6U
押しつけられて、もしくは、押しつけて当然。
 日本人だからという理由で納得する人々は<幸福>です。
 どんな目にあっても、日本国政府の言いなりに動いてくれるのでしょう。

 んなことはない。

 彼らが求めているのは仲間意識なのです。
 なぜって、弱いからですよ。お醤油を借りに行って断られないそういう間柄
こそ本当だと思っているのです。
 社会を家族の延長であって欲しい人々は<国家>による止揚を求めるしか
ないのです。

 こんなこと、まさに弁証法の基本です。というよりも弁証法そのものが国家の
必然、個人の側からも国家が必要になることの論理的な説明なのです。

 僕は一人であるが、みんな一人だからこそ、自由につながれる。
 一人は孤独という意味ではない。

 ONLY IS NOT LONELY (BY 糸井重里)

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 05:57:40 ID:oEdwR5A+
>我々は我々が暮らすこの国のあり方に誇りをもつべきです。我々は我々が暮らすこの国がする事によって
>この国を誇るべきです。誇るべき国だからこそ私の国であるという物語を求めるべきです。

それ、基本的に日本にはできないんじゃないか?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:01:54 ID:0PlQZO6U
私は自由主義者です。そして真っ当であるためには自由主義者で個人主義者になるしかないものなのです。

>>50

 現行の指導要領はその基準をその考え方に合わせています。

 国語科の中だけでそれを行うのは不可能だからこそ、社会的な活動を通して
調査を行い、社会的に発信せよ。という総合的学習の時間はそのために設定さ
れたといっていいのです。

 文部省(当時)はひとこともゆとり教育などと言っていません。
 メディアでの命名を受けて、その名前を引き受けたにすぎないのです。
 ラベリング問題そのものですね。

 ですから、現行の指導案を完全に理解して、きちんと運営すれば、あのテストで
の評価は上がるはずなんです。

 それがうまくいってないとしたら、内容ややり方を変えたはずなのに、実は変わっ
てない。変えることが理解できていない。変える必要を認めていない。

 という現場の硬直性のせいです。指導法どうのこうのではありません。
少なくとも指導要領も教科書も「活動」と「記述」と「交流」を軸にどの教科も作られて
います。(実はそんな教科書はこれまで一度たりとも存在してきませんでした。つまり
初めての試みの最中なのです。)

 受験で失敗するぞという塾産業からの脅しによって低学力ということになってますが、
低学力なんて当たり前になってからそんなこという塾産業はマッチポンプにすぎません。
低学力が発覚したのは今から20年以上も前です。もうその時点では誰かではなく、誰も
が低学力でした。

 気づきますね。そうです低学力の親が我が子の低学力に恐れおののいているのです。
 低学力だから低学力ということを「できる・できない」ではなくて、「点数」でしかみること
ができないのです。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:08:50 ID:0PlQZO6U
>>55

 でもそれができなければ、個人はいつまでたっても国家を自分と結びつけることはできません。

 たった一つだけ、どんな個人でも嫌でも国家を自分を結びつけざる負えない出来事があります。
 それは戦争です。どうして今、あの戦争を見直そうなる動きが出てくるのは一種の必然なのです。

 俺たちと日本国民を呼びたい人々にとっては、確かに日本国民が一つであったあの季節を懐かし
がったり、あこがれたりするのではありませんか?

 非国民なることばを無視しても。

 現在は主権在民であり、言論を通じて(世論)政府のあり方に異議申し立てをしたりできるのです。
その結果、何がどう変わったのか、そのことをどう評価するのかということがこの国には欠けている。
誰も求めない政治意識の低さは、学校で政治と経済の基礎をまったく教えないからです。

 国民はこの国を変える権利を持っているし、変える力もあるのです。

(その力が最初に発動し、国民が変えたことになりそうなのが憲法とはこの国のかたちについてとても
?を抱えてしまう私がいるのは気のせいでしょうか?)

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:18:13 ID:oEdwR5A+
>でもそれができなければ、個人はいつまでたっても国家を自分と結びつけることはできません。

国家と自分を結びつけるというのは、どういうこと?
外交とか財政とか国家の問題を自分の問題として考えること?
そういうことだったら、荷が重いからおれはパスしたいな。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:21:58 ID:oEdwR5A+
だいたいさあ、「私を愛して!」なんていう奴は
愛だけで満足することなんてないからな。
国でも女でもそれは一緒だ。

「愛してるんだったら、○○くらいできるはず」って
論法で、おれらは追い込まれちゃうんだ。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:28:44 ID:0PlQZO6U
>>58

 単純ですよ。俺はこの法律はいらない。こんな法律がいるということです。
 我が国は法治国家ですから、立法こそ国の機能の根幹です。

 実は、廃液を垂れ流しては行けないという法律は足尾銅山の問題で国会で
成立していたのです。以降敗戦を経ても存在し続けました。

 ところがこの法律が運用、つまり、誰かを罰したのは昭和40年を過ぎてから
です。

 つまり、誰も国にそんなこと要求しなかったのです。
 俺は俺を生かすために、守るために国家に要求しなければならないことが
いっぱいあるはずですよ。そして、たとえば、公共の福祉のために、それは
キミの我が儘という採決が出ても、そのとき、俺は確かに社会とつながって
いることを実感するはずです。

 その公共の福祉=公益と国益こそ外交や財政の問題だったりするだけで
すから。それは統治する政府が説明し改善する問題なのです。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:33:19 ID:0PlQZO6U
国と女を一緒にしてはいけません。
政府というのはシステムで制度です。
女は生きものですね。
男だった似たようなものでしょ。

 昔から男は女に投資したぶんだけ執着するということばもありますよ。
え、女はデスか?一緒にいた時間の分だけじゃないでしょうかね。わかり
かねますが。

 愛国心というのは、恐ろしいものなんですよ。
実は当の政府にとっても。
 なぜなら愛国心に目覚めた人たちは理想の国家しか
愛しませんからね。
 クーデターを起こす人々の主な動機は実は「愛国心」
なのです。決して自分の欲望だけでは賛同者は集まりま
せん。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:33:54 ID:CQp3FMIj
「簡単ですよ」「単純ですよ」という口癖、やめたら?


63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:34:41 ID:0PlQZO6U
了解。気になりますか。それは失礼。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:44:03 ID:3diiHzTO


なぜか、自分の足場だけは肯定するw

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 07:12:29 ID:0PlQZO6U
>>64

キレが今一。

足場を肯定するんじゃなくて、肯定できる事柄を足場にするんだね。
どうもスランプですね。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:20:11 ID:3diiHzTO


嘘w
グラグラなことを平気で足場にする。
矛盾やすり替えがあるからへっちやらw

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:09:56 ID:0PlQZO6U
矛盾は関係。すり替えは手法。並列で表記はできない。
助詞「や」の誤用。

 うーん。ついに間違いまで…。

キレどころか。気が…。ちょっとお休みいただいた方が良さそうね。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:22:10 ID:3diiHzTO


また、ハッタリw

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 06:39:29 ID:gY4IH/AC
ハッタリとは虚勢をはることです。

 間違いを指摘するのは虚勢をはることでしょうか?

はなはだ疑問です。条件反射?

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 08:24:26 ID:DDpCxC1B


間違い?w

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 08:48:45 ID:gY4IH/AC
機械や生物とは言えなくて、機械と生物なら言えます。
機械か生物もOK。

 助詞の「や」の使い方が間違ってますよ。

>矛盾やすり替え



72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 10:26:37 ID:DDpCxC1B


奇怪な生物

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 10:28:00 ID:DDpCxC1B
× 機械や生物




奇怪な生物

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 14:53:44 ID:DDpCxC1B


〉とてもスランプ


馬鹿かw

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 14:59:01 ID:/DGZu8+k
名著をマンガにするプロジェクトだそーです。
http://www.mangadedokuha.com/

流行りのあらすじ本もそうだが
こんなものを読んで、生徒がやっつけで読書感想文を書く時代ですよ。
生産的な読解力と表現力、議論能力なんて
伸ばせるワケがない。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 16:03:53 ID:gY4IH/AC
>>75

マンガすら読めなくなってますよ。
 (マンガの読み方、読む文法が成立してないのだそうです。)

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 16:07:27 ID:gY4IH/AC
マンガ化したのを見ましたが、決定的なことを忘れてるようですね。
 漢字にルビをふってません。
 それじゃあマンガ化した意味がないでしょう。

ただ描写を親切に絵で解説した解説本になってしまいますね。
 普通のマンガより文字の量が多いのですし、原作への興味や
 読むことによってある程度の力を高めることを考えたら、ルビは必須でしょうに。

78 :ヤマさん:2007/06/09(土) 19:15:20 ID:E5G8fd4I
漫画化されるとイメージが壊されそう!

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 21:56:17 ID:stDY5Pjx
>78
そーゆー人は読まなければ良いw

漫画しか読まない人は、あらかじめイメージを作っていないから
無問題。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 09:47:30 ID:gZAWuopT
真理病患者がいなくなったようなのでマトモな国語力(きちんと考える力、人を動かす表現力)を前提にした
論議をしましょう。

  テーマ
  「従軍慰安婦の責任問題」は国語の教材に足りうるか?

提案者の主張
  「責任とは全面的に引き受けるものではない。何についてはある。何についてはない。
  といえるものである。また、誰がどのように責任を持つとして、どう果たすかというのは
  また、別問題であり、刑事的な事件と民事的な事件では当事者同士の関わり合いは
  まったく違う。
  
  そのことを学ぶためにはとてもよい教材である。」

 根拠
  従軍慰安婦(公娼ではない。)の何が問題なのかを考えることは、資料から分かる
  事実関係と、関係者が抱える情緒的なクレイム申し立てを分けて考えなければ、
  ならない<微妙>なものであること。

  命令や調査などの事実を想定するための資料が安易に入手可能であること。
  被害者と言われる方々の証言が安易に入手可能であること。

  この事件についての<極端な態度>のサンプルの入手が安易であること。

  いったい何が<犯罪>なのかということを法と社会のあり方の両方から論議可能で
あること。

  罰あるいは謝罪という責任の取り方を元に個人と集団で責任の取り方が違うという
法的な事実を提示できること。

 反証
  日本を貶めるようなことをわざわざ教えることはない。→無知であれば同じ失敗をする。

  学校で性交について扱うことは望ましいことか→性交を扱うのではない。性を商売にすることを
                                扱うのである。八百屋の野菜について語るので
                                はなく八百屋の仕組みについて語るのである。

  学んだ事を実現する手だてがない。→ここでは、慰安婦問題の解決をみなで行うのが目的ではない。
                         0か100かのような責任問題が間違っていること。事実とは、
                         語られないものもあることを学ぶのであって、自分が社会と関わる
                         際に必ず学んだことが生きるはずである。

さて、みなさんはどう思いますか。


81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 14:40:27 ID:19qliyLw
>テーマ
>  「従軍慰安婦の責任問題」は国語の教材に足りうるか?

おかしいだろ?この命題じゃー
お前が国語をやり直した方がいい。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 14:53:59 ID:gZAWuopT
「従軍慰安婦問題の責任所在」ぐらいかね。
もっとわかりやすく
「従軍慰安婦、責任はどこに」か。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 17:14:41 ID:OyGjzcm8
国語教育 とはなんの関係もない

と口をはさむいつもの馬鹿がなかなか出てこないw

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 19:15:25 ID:CApiZOQM
つまらないから、もう相手にしないんじゃね?

85 :ヤマさん:2007/06/10(日) 20:02:02 ID:6ILCV/eg
>>79
逆に漫画のイメージができて本を読む意味が
薄れませんか?

>>80
>マトモな国語力(きちんと考える力、人を動かす表現力)
は他人の話しをきちんと聞く態度はもちろん入りますよね。

>「従軍慰安婦の責任問題」は国語の教材に足りうるか?
足りうると考えるが、指導者にかくありきという結論が
あってはならないと考えられる。
いろいろな結論がでて、自分と違う他人の結論も受け入
れる準備をする必要を感じる。

集団に紛れて個人の責任を回避する恐れと個人の責任を
回避するために集団から孤立する恐れをどう考えるか。

仕方が無かったでは済まされない問題であり、また解
決する方法はないことを知りつつせめてもの代償とし
てなにをすればいいのか考えさせ、取り返しのつかな
いことを認識させる。

また、個々の状況を考えつつも一般化して考える力も
必要となるだろう。

いづれにせよ指導者の技量が試されることになろう!


86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 21:18:41 ID:gZAWuopT
ええと ヤマさん、どうも情報整理の仕方がよくないようです。

 会社員が業務ですることは「会社に対して責任」があり、業務であるから、その社員が迷惑をかけた相手には
「業務としての責任」を会社が取るのです。その個人が、謝罪するのは会社を背負って行うのであって、勝手に
謝罪されると会社は困ります。
(もしかすると、会社の責任じゃないかもしれないのです。)

 慰安婦については、国の責任、業者の責任を混同してはいけません。また時代背景(特に法の成立)抜きにして
事実をみてはいけません。

 現在の道徳的判断で、過去を断罪しても、問題を自分から疎外するだけで何の解決にもなりません。

 自分の問題として考えれば、「売春婦という職業」を社会的にどう考えるか。(法的には違法に決まってます。)
にすぎません。なぜ、慰安婦が現在も問題になるかといえば性の商品化にまつわる物語ゆえです。

 クレイムを訴えている人々は「だまされた」「慰安婦に仕立て上げられた」ということに端を発しています。
 一方で、自分から進んで申し込んだ人々は沈黙を守り、「ないこと」にしています。

 どちらも同じ物語の異なった側面にすぎないのです。責任=償うという考えは素朴すぎます。
我々のほとんどはクレイムを訴えている人々とは無関係であることは認めなければなりません。
我々ができるのは「これから」そして「今は」の話だけなのです。

 ※仕方なかったで済まされないというのはいいですが、じゃあタイムマシンで過去へでも行って是正できますか?
お金で解決すればいいわけですか?代償という考えはそういうことですよね。じゃあ、我々は原爆を落としたアメリカ
政府に賠償金を個々人で要求すべきです。取り返しのつくことなんか一つもありません。

 <責任問題>とは結局は純粋に<法的な闘い>にすぎないのです。(法とは何かは検索してみてー)

87 :ヤマさん:2007/06/10(日) 22:10:22 ID:6ILCV/eg
>>86
根底に会社(集団)を善だと無条件に考えていませんか?
また、個々人の状況が違うという認識はありませすが、
その個人的なことを集団として一般化する作業は必要では
ありませんか?歴史認識として・・・。

過去を断罪?(認識)しなければこれから自らに降りかかる
形を変えての問題にどう対応するか判断材料に困りませんか?

「売春婦という職業」は世界最古の職業としての広告として
残っているようですが、慰安婦問題は職業としての問題とは
違うでしょ!
職業じゃなく婦女暴行でしょ、この問題は・・・。

仮に職業として、体の問題は当然のことながらこころの問題を
どうするのか?三島由起夫も「世間と寝ている」などと自分を
評価してませんでしたか、ん、これは関係ないか。

「責任=償う」ばかりじゃないのはそうでしょう。褒美をもらう
場合だってありますから・・・。

<法的な闘い>でわりきれるものでもないでしょ!
<社会的な制裁>を考慮すべきです。
ある意味<社会的な制裁>の方が怖くありませんか?

どうでしょう?

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 22:38:04 ID:gZAWuopT
ヤマさん。そんな素朴理論というか情報不足がこの問題の解決を難しくしています。

 従軍慰安婦というは民間売春宿なんです。
軍は委託していただけです。結論からいえば当時は従軍慰安婦というものは存在していないのです。
慰安所は存在していました。(まずはその辺から資料を検討なさってください。メディアリテラシーの
実習としてこの教材はとてもよい題材なのです。)

 社会的制裁が私刑(リンチ)として行われないように法があるのです。

ヤマさんは組織がなぜ悪だかわかりますか?個々人が責任を取るべき悪徳を組織や
集団のせいにしているからですよ。

 またロックなどの自由人の立場に立てば、個々人こそ、自分以外の人間にとっては
悪なのです。

 慰安婦の問題は誰がどうしたのかを明かにするとともに国家と個人の問題でもあります。
そして、それは法によって仲介されるしかないのです。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 22:43:49 ID:gZAWuopT
雪印事件のとき
中間管理職が
「俺が責任を持つ」と言って古い牛乳の再利用をさせたようです。
彼は責任を取れる立ち場にあったのでしょうか?

 そもそも彼は誰に、もしくは、何に対しての責任があったのか自覚していたのでしょうか?

 私にははなはだ疑問です。責任の取り方というものが一般的でない好例だと思います。
そもそも責任とは何なのかがわかってないのです。

 「責任=償う」ほめることもある。という文は申し訳ありませんが、責任というものへの間違い
があります。

 責任は果たすことしかできません。そもそもが自分のために行う行為に対しては責任は発生
しません。それがなぜかを考えることが責任というものをはっきりととらえる思考訓練になります。

 契約という概念もそこでは必要になります。

90 :ヤマさん:2007/06/10(日) 22:44:19 ID:6ILCV/eg
<社会的な制裁>とは、日本国内にとどまらず、
国と国の関係に影響するでしょ。

国際法、国際裁判所が現在のところ機能していますか?
捕鯨にしろ日本は別の世界組織を創ろうと模索している
んじゃありませんか?
まして、米国によるイラク攻撃は米国の国内法でしょ!
世界が認めた戦争じゃないですよね。

ロシアはロシアでロシア流の民主化を図っているとも
聞きます。

力の背景があろうともいくら法律を整備しようとも人
のこころの自由までは奪うことは不可能でしょう。

法が万能で法によって社会と関係しているというお考えも
頷けますが人間は法のために生きているのではなく生きる
ために法が整備されなければならないだけであって、法は
単なる指針に過ぎないんじゃありませんか?

要はどのような社会が住みやすいのか個人個人考えること
が必要だと生徒に考えさせるのがねらいなのではありませ
んか?

過去を断罪するのではなく、未来をどう築いていくのがいい
のかに目を向けさせるべきでしょ?

違いますか?

91 :ヤマさん:2007/06/10(日) 23:03:06 ID:6ILCV/eg
>>88
そもそも軍を国が送ったからこの問題が発生した
のではありませんか?

>>89
>自分のために行う行為に対しては責任は発生
>しません。
意味が分りかねています。
正当防衛のことを言っているのでしょうか?

92 :ヤマさん:2007/06/10(日) 23:20:21 ID:6ILCV/eg
>>89
恐らく責任=義務と考えてのことだろうと推察いたしますが、
>「俺が責任を持つ」と言って古い牛乳の再利用をさせたようです。
の場合「俺が義務(責任)を持つ」とは言えません。

この場合の(責任)は「(責められる任)を俺が負う」ですよね。


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 07:18:10 ID:0ZgGNEJa
ヤマさん。

 対中戦争は中華事変といいます。なぜなら、国家が後付けで承認した戦争だからです。現地軍が勝手に戦争を始めて
しまったのです。政府は不拡大の決定をし、現地軍も従う構えでした。ところが、前線が引き延ばされるにしたがって歯止め
がきかなくなってしまったのです。

 従ってあの戦争では、国が軍に指示を出したとは言えません。

 太平洋戦争は国家を挙げての戦争であるといえます。
 普通は国は戦争する権利を有するのですから、国が軍を送ったことで責任を取るのは、戦争によって被害を被った人々
だけです。それが論理的な行動です。慰安所の考えは、現地人に対する暴行を防ぐためということが根っこにあります。
戦争の被害をできるだけ最小にしようという努力と当時は考えていたのです。

 自己責任なんていうものは本来存在しないんです。ゲームをした→成績が落ちた。を証明する方法は一般
的にはありません。なぜなら、ゲームをした→成績が上がった。ゲームをした。→成績は変わらない。という人
があきらかにいるからです。いつ、自分が、なにをするかは基本的に自己決定に任されています。
 その結果、他人に迷惑をかけたときに責任は発生するのであって、自分が困っただけでは責任は発生しません。

 雪印は潰れましたよ。その中間管理職が辞職すれば解決することというのは誰がどのような基準で決めたのでしょう。
つまり、結果が分かってないのに勝手に責任というものを持ち出したにすぎません。

 今話題になっているコムスンでもそうですが、会社内での責任構造というものはエンプロイヤー・エージェント問題の
最小コスト解答なのです。それを無視することはリスク増大につながります。
 

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 07:26:28 ID:0ZgGNEJa
今どうすると、これからどうするということしか述べられませんと既に、書き込んであります。

 外交上の言説はブラフや脅しがつきものであり、鵜呑みにしてくれる第三者を当てにして
行われるものです。

 日本が第三組織を作ると、現組織を構成している国では外交制裁を取るかもしれませんし、
しないかもしれません。それは、日本の外交戦略次第です。

 また、「捕鯨」なんていう問題は実は「アメリカのベトナム戦争における枯れ葉剤使用」を
環境問題として討議しようとしていたサミットで急遽浮上したアメリカ外交戦略です。捕鯨問題
を口にしてミンクの毛皮を着ているなんてことはざらです。だってお金が貰えるんだもん。

 そういった裏事情を国際的にプロパガンダしちゃえばいいんじゃないでしょうかね。

ことほど左様に、責任については法(公権力によるものさし)がなければ権力関係に置き換えられて
しまいます。日本は立法組織をもつ、法治国家です。その主権者が国民なのです。(建前は)
ヤマさんのように中途半端な社会人を量産しないためにもこの教材はいいと思うのです。

(ヤマさん。話題がずれていきすぎですよ。教材としてどうかについて語って欲しかったのです。)


95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 18:52:20 ID:7xLVM9T0


つまみ食いのデタラメ

96 :ヤマさん:2007/06/11(月) 20:19:58 ID:fSBs+bB0
>>94
>>85で教材足りうると言ってますよ。
ただし、日本からの視線だけでなく、中、韓(北鮮)等などの
視線も取り入れてみてはと考えます。
日本だけで内省しても他国の通念はまた違うでしょ。
お互いよく話し合って未来を構築して行けばいい。

(注)日本独自で内省してはいけないと言っている
   訳ではありませんので、それはそれで徹底し
   てやればいいんですから。

ただし、生徒にはいろいろな見方があることに気づ
かせ、その中から自分の考えを深め自分を磨く作業
まで到達すればいいんじゃありませんか。

97 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/11(月) 22:38:19 ID:oR+edBE+
馬鹿はデタラメを強弁する厚顔無恥で邁進する。

例えば
>従軍慰安婦というは民間売春宿なんです。
>軍は委託していただけです。結論からいえば当時は従軍慰安婦というものは存在していないのです。
>慰安所は存在していました。(まずはその辺から資料を検討なさってください。メディアリテラシーの
>実習としてこの教材はとてもよい題材なのです。)

おい、カス、よくもまーこんな妄言を吐けるもんだな。
上野「構築主義とは何か」p.27を読んでみろ。お前のようなカスがいかに生まれるか、それが
『真の争点』なんだよな。

井戸端会議じゃーないんだよ。もうちょっとレベルを上げろ。

お前はそのうち、ホロコーストはなかった。そう言い出すんだろう?w


ヤマさん
止めとけって。やるんだったら、レベルを上げてほしい。
素人談義でやっていい話題じゃーないでしょ?

「あ」スペックで議論するのは餌をまくだけになるから。


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 06:21:55 ID:qyI0H/Lt
猫。きちんとその前の授業の提案を読んでから、書き込むように。

 営業形態はそうなんだから仕方ない。そこでどのようなことが行われたのかは公的記録がない。
あるいは改善命令しか残っていない。

 だからこそ証言が必要になる。

 ところが、語らずに逝く人々も大勢いる。

 そこにあるのは「売春婦という職業」の問題だ。(ラベリングといってもいいかもしれない。)
国に全面的に責任がある/ない。というような0か100かの議論が間違っていることを考える教材だ。
もし、全面的責任者を挙げよといわれたら「人間」としか答えられない。

 おい、カスというラベリングをする存在の問題だよ。猫くん。キミが構築主義をかかげることは、エクセプト
ミー。自分を棚に上げてでしかないんだよ。事実は語られることで事実になるという観点で語ればいいのに、
立ち歩きは伝聞であっても事実だ。といってたろ。あれ構築主義的ではない。伝聞されたことが事実になって
いくのです。が正解。

 で言外の意味が読めてない。「詳しくは分からないんだよね」という確認だよ。当事者ではないんだよね。
そこを踏まえれば、
「確かに見たわけではないから詳しくは分からない。けれども、立ち歩いたのは事実だと思う。」ぐらいが
望ましい応対だろう。構築主義的には、そこから担任が飛び出す社会的通念の分析をするわけだ。
(ここからは社会学になるのでやめる。)

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 06:30:59 ID:qyI0H/Lt
 あ!一番大事なこと。構築主義が一番対象にしているのは、素人(その情報に精通していない人々)に
ある情報がどう機能したのか、素人の人々がどのような通念を抱くようになったのか。

 売春婦という職業であれば、社会的な蔑視の対象になったのは、明治以降である。それでも、それは公の
商売であったのは、終戦を迎えるまでのことであり、それはつい最近のこと。

 昭和の大不作の際によく、使われる写真教材に、娘を売るなら…というポスターが貼られている写真がある
人身売買が当たり前の時代ということを習っていない、あるいは、習っても忘れている人々が普通なのである。

 ところが、キリスト教(プロテスタント)的な潔癖さで職業としては侮蔑し、社会的な要請から役割としては公然
と認可をするという二重規範から日本における売春婦という職業観はとんでもないものになってしまった。

 今素人が援助交際といって私的な売春(職業ではない。)を行うのは、職業としての売春婦にまつわる物語の
せいでもある。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 06:35:36 ID:e6Iv6EP8
スルー

101 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/12(火) 11:18:26 ID:2gcLBE4G
>「詳しくは分からないんだよね」という確認だよ。

と言いつつ、

>従軍慰安婦というは民間売春宿なんです。軍は委託していただけです。
>結論からいえば当時は従軍慰安婦というものは存在していないのです。

などと断定してるのは明らかにおかしいだろ。
民間の話なら政府がアジア女性基金なんか作る必要もない。
仮にそういう授業をするとしたら、教育の場における特定の政治的立場の押し付けであるという
クレームが確実にくるわな。お前が前提として提示している考え方がそもそも偏っているから。
政治問題を授業で扱う慎重さがまったく見られない。竹島の話で既に顕わになっとったことだけど。

援交生徒が「職業としての売春婦にまつわる物語」なんて知るはずねーわ。
それに、歴史的事実が争点であるはずのこの問題について、そもそも売春がどうこうという話を持ち
出す必然性は全くない。お前の発言を慰安婦問題の文脈に置けば、別にそれくらいいじゃねーの
という言い訳にしか聞こえない。

結局のところ、売春なんて昔からあったし、民間がやってたって言われてんだからかまわねーじゃんか、
というお前の慰安婦問題に対する態度を生徒に押し付けて終わるだけだろうな。

「国語」の授業の姿を借りた愛国心や価値観の押し付け。
それを疑問にすら思わない教師。
いまだに国語は国語であって、日本語ではないのだなあ。


102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 18:12:35 ID:qyI0H/Lt
>>101

ママン。断定できるんだ。これが、そういう資料なら山のようにある。どういう関係がそこにあったかは
現在は証明可能なのだ。

 政府が作ったアジア女性基金というものをママンはよく知っているわけ?
 これは日本国民の気持ちを集めて表現しますよ。っていうものだよ。
 つまり政府は基金という組織を作るだけ。

 これをもって政府が悪いのだなる言い方は正しくない。政府は国民すべてに責任があったと言ってる
わけなんだから。お金は国民の心ある人々が出しなさい。政府はきちんと運営してあげるから。
これのどこが償いだと思う?

 つまり責任の問題は棚上げされて政治的な解決の方を取った。
(それは日本政府にとってのメリットだけでなく元慰安婦の方々が高齢であり、生きている内に保障を
しなければ意味がないという善意もセットにはなっている。)

 責任の問題は全然クリアーにされてないし、まだ国が悪かった、いや悪くなかったというような議論
ばかりなんだよ。それじゃだめなんだ。どこのところに国は不備があった。だからこの程度の責任は
あるという現実的な考え方を見出せないと意味がない。

 国にも責任はあるんだよ。でも、全面的ではない。

0か100かなんて議論が論理的なわけはないし、現実的でもない。どこがまずかったのかという思考
が大事だよ。

 価値観といか思考法の押し付けではある。愛国心=良い国を作ろうとする意志であるなら、確かに
それは押しつけてでもやらなきゃなるまい。
 
 だめな国を愛せなんて言ってるわけじゃない。ここが失敗だと指摘できなきゃ同じことをまたやるだけだ。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 18:14:45 ID:qyI0H/Lt
しかも、ここでもきちんと事実を踏まえていない考えがある。

 実はアジア女性基金はもうない。今年の3月をもって解散している。
 責任ってそんなものだと思ってるのかい。>ママン。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 19:18:36 ID:e6Iv6EP8
相手にしてもらえると大喜びでつねw
スルー推奨w

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 20:35:40 ID:SHd7+65a


またハッタリw

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 01:00:58 ID:C2YTLCxX
test

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 03:40:04 ID:YHMHgO/S
アジア女性基金は解散したが、その過程にも<責任>についての誤解というか齟齬がある。

 この基金による償い金拒否が相次いだ。このによって、多くのプレッシャーグループが分裂した。
日本政府による責任の引き受けを要求する団体はこれを拒否し先鋭化している。

しかし、事実を洗い出せば出すほど、政府が業者を管理していたという事実は出てこない。
現在の民間委託のようなものだ。その上業者との間の契約関係も曖昧なのだ。

 そのような杜撰さについての<責任>はあるだろう。だけどそれは慰安婦と呼ばれる従業員に対して
とる責任だろうか?

 つまり、この問題の発端には「日本国に責任がある」というガイドラインがまずあったのではないか?
 そういう社会的な構築が意図してなされたのではないか、まるで、捕鯨問題のように。

そのような言説に「カウンターコメント」をもつことは必要なことなのだ。

 責任のないことまで責任を取れと要求することは間違っている。そもそもそれは誰の裁量であり、誰が管理していたの
か。届け出制と認可制、許可制では国の責任は全く違う。そういう常識を持たせることは絶対に必要なのだ。

 じゃないと、うちの子の牛乳嫌いは国のせいという訴訟も成り立ってしまう。
(それがおかしいと思うのにどうして、慰安婦問題はそう考えないのだろう。)

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 05:28:23 ID:YHMHgO/S
一個補足。
 日本政府は基金に寄付はしている。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 06:01:53 ID:L7M4tZqs
事実?!

w

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 05:54:09 ID:riRIYvYQ


単なるネトウヨ

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 07:07:23 ID:EnOnIqEg
責任には程度がある。っ眼には眼。歯には歯。という罰則の鉄則を踏み外してはいけない。

ということのどこがネトウヨなんだ。

 日本政府にも責任はある。
 ただし、つきつめていくとなんで軍が政治を司っちゃったのかというあの戦争の根本まで行くんだよ。

 軍が文人制御されていない状態になってしまったのは誰のせい、何のせいなのか?
 その状態で行われたことも敗戦を処理しつづけてきた日本政府がすべて負うべきなのか?

 還元しつくすと、国民と官僚のせいってことになちゃいそうなことなんだ。
 日本の中にあった組織論に間違いというか時代齟齬の部分が出てきていたのに訂正ができなかった。
明治という時代の幻惑から脱却できなかった。(後から変えてね。と思っていたことを実行できなかった。)

 今の総理大臣と内閣、当時の首相や内閣を比べてみるとまったく権限が違う。
 軍縮会議直後の御前会議がターニングポイントであの時点で軍を黙らせる政治家が必要であった。
人材に恵まれなかったともいえるし、分かっていた人間が口をつぐんで、行くところまで行かせたとみえ
なくもない。

 帝国主義に対する危うさを感じていた人間は確かにいたんだ。
 本来はそのことから今、絶対に手放してはいけないことを見出して欲しいんだけどね。
 誇りなんて、自分がしたことについてくればいい。日本人としての誇りという言い方は、日本人として
恥ずかしいことはするなぐらいに解釈しておけばいいのだ。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 18:33:36 ID:riRIYvYQ
従軍慰安婦はいなかった。













は恥ずかしいことだね。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 18:56:33 ID:EnOnIqEg
従軍慰安婦はいなかった。
今、従軍慰安婦はいる。
この違いがわからないのは、悲しいことだ。

 ニュートンは科学者だったというのと同じ間違いだ。

そもそも慰安婦から従軍慰安婦だけ取り出す思考は実は何かをスポイルしてる。従軍であろうとなかろうと慰安婦が問題
だったはずなのだ。

なぜ従軍だけ取り上げるのだろう。結局、国家を対象にしたいからだ。慰安婦を問題にすべきなのに…。
そこから戦争責任を取り上げる人々を私は、やはりソフィストであると思う。
字義通りにレトリックが駆使されていると思う。(本来レトリックは裁判のために進歩した。)

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 23:47:39 ID:riRIYvYQ



国語教育w

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 23:49:10 ID:riRIYvYQ


は教師だというのと同じ間違い

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 19:46:47 ID:63kFQNeD
悪貨が良貨を駆逐した

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:03:55 ID:B4JjAJfe
電車の中のヤバい人には、ラッシュ時でも人が近寄らないの法則
にも似たw
ようはあれだろ?「誰も相手にしなくなった」

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:30:29 ID:63kFQNeD
そして誰もいなくなった

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 02:16:36 ID:SfkjiKRs
ヤマさんは、それを問題にしていたけど、本来誰にも必要とされてないスレは消えて
いくべきものなんだよ。

わしは基本的にスレストッパーだしね。それはそれで正しいことであるよ。

1>への結論。

おしえてうんこ先生!

 ことばを知り、使いこなせることは明らかにメリットになる。
しかし、同時にことばに使われる危険性も考えておかないと
口だけせいじん(成人、聖人、星人)になっちゃうらしいぞー。

うわー。


120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 07:02:23 ID:S6WJfB6K


必要とされていないのはお前

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 07:52:37 ID:SfkjiKRs
BUGみたいに
取れないね
この人。

スレとまったく関係ないよ。どこでも一緒でしょ。それじゃあ。

 わしはわしを必要としてるからいいんだよ。別にね。
キミがわしを必要としなくても、わしは困らない。
 いや、キミはわしを必要としてるだろ。
でなければ、その文は成り立たない。

 批判が基本的に格下扱いされるのは、批判対象がなくて
も自立しえないからだ。批判対象を超えた批判はなかなか
ない。
 キミの「あ」は取替え可能ゆえに、批判にしても相当稚拙。
日本語の修行を薦めます。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 16:03:53 ID:j4BuuiOe

従軍慰安婦?
要するに売春婦だろ?何が悪いの?
売春防止法ができたのは戦後だよ。
オランダや北欧じゃいまだに売春は合法なんだよ。
病気が広まったら大変だから政府も健康診断したりして大いに管理してるよ。
だから何? “平時慰安婦だ。政府も関与している”って騒いでるバカいるの?




123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 18:38:27 ID:S6WJfB6K
類は…ry

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 20:45:06 ID:Kw93FjCY
1)従軍慰安婦「問題」

上野「構築主義とは何か」p.27より
『真の争点は「歴史の事実が構成されているか否か」という点にあるのではない。
南京大虐殺で殺戮された被害者の数をめぐって争うと同時に、歴史修正主義者は、
「当時はホロコーストという概念が存在しなかったのだから、ホロコーストは存在しない」、
「慰安婦という言葉の存在しないところでは、慰安婦は存在しない。それは現在の
地点から過去を振り返って、つくりだしたひとつの現実にすぎない」といったたぐいの
構築主義の領有も頻繁におこなっているからだ。』

『「現実」は現在から構築されたものであるとしても、その構築の「もっともらしさ」を
めぐって、つまりより事実に近いものをめぐって、闘争は行われざるを得ない。』

この千田の論は誤解される可能性がある。事実が既に客観的に存在かつ認識しえるという
前提で何がより事実に近いかを判断できるという誤った理解である。しかし、
第九章、北田の論文では審判のあり方が明確に示されている。

『結局、歴史記述を「事実との対応」に照らして真偽で判定することは最初から
無理があったのではないか。記述者は、非常に限定された現在の知識・信念に
依拠しつつ記述をするのだから、<過去そのもの>など問いえず、たかだか現在に
おける記述の説得/受容可能性を問題にしうるだけだ。』P.257

『歴史記述を真偽の審級から引き離し、適切性(説得/受容可能性)の領野に連れ出すこと』同上

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:02:53 ID:Kw93FjCY
過去をめぐる言説における「闘争」とは、今現在の「適切性」において語るべきでない。
”今現在からの視線で過去を断罪するな”というプロバガンダは、

>非常に限定された現在の知識・信念に依拠しつつ

客観性を装うという卑劣さを持っていること見抜き、その系譜学的分析が必須になってくる。

我々が過去をどう受容するか、それが重大なのである。
言語教育は、その一点だけは踏み外せないであろう。

殺人を肯定する読みの可能性が道徳の圏内から飛び出すかもしれない。
だが、倫理とはそれを許すはずはない。その信憑こそが倫理なのだ。
言語教育が文学の快楽を横目で睨みながらも、決して同一視されえない理由も
そこにあるのだ。

従軍慰安婦「問題」

を過小に評価することに適切性を見出す社会にしたいかどうか、
その意志の問題にすぎない。したがって、今現在の問題に他ならない。

そして、インチキに騙されない頭を鍛錬すること
それが言語教育であると言えるのだ。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:09:21 ID:Kw93FjCY
訂正

× 過去をめぐる言説における「闘争」とは、今現在の「適切性」において語るべきでない。

○ 過去をめぐる言説における「闘争」とは、今現在の「適切性」において語る他ない。


補足
特攻隊の若者が犬死することに満足したという”事実”があったかもしれない。
しかし、我々はその満足を受容しえない。我々の受容とはその満足の「悲劇性」であるはずだ。
満足ではなく、満足の持つ悲劇を受容することだけが歴史を学ぶことになるだろう。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:18:33 ID:Kw93FjCY
2)「従軍」という問題

最近、沖縄戦での自決問題に関してのニュースは聞いていることでしょう。
教科書検定では軍の命令での自決ではない、そういう一方的押し付けがあった。
軍ではなく村長の命令で自決したとかいう理由=証言?!も聞いた。

ほほー、その村長さんは自決”趣味”でもあったんだろうかww

村長を動かしたものを見ようとしない。受容しない。

ヤクザの親分は「あいつがいなくなったら・・」と独り言。
子分は察して鉄砲玉。でも、今の法律は連座制になったんでしょ?

選挙違反もそうですよね。

民間だった?!w ならば、いっそうタチは悪い。癒着ww隠れ蓑ww

知らぬ存ぜぬでも、親分や議員は有罪だよ。そう受容される社会が健康的だ。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:23:07 ID:Kw93FjCY
その自決問題では、政府与党の自民議員も抗議の強い姿勢を示した。
文科省は珍しく「ゴメン・・」だってw

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:30:50 ID:Kw93FjCY
3)「責任」問題

責任論は、戦後責任論を典型としていろんなところでよく見ます。
必ず触れられるのが

責任=応答可能性

です。我々は過去をシカトしない。
応答しうる限り責任はある。ただし、どう応答するか、それは別の問題になることだろう。

我々の応答とは、どう応答するか=どう受容するかという社会や国民の
適切性にかかっている。

さてさて、中国やロシアのような応答をする社会にしたいのだろうか。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:55:58 ID:SfkjiKRs
猫なのだろうか?
 いつも疑問に思うのだが、引用が多すぎる。
   要約ということができないらしい。どうしてできないか?文意が読めないから。
     あと、権威主義の問題。

プラグマッティックにしか「真」を扱えないのが構築主義、最大の弱点。
 事実=構成されたもの 社会的な事実こそ事実というとらえ方は事実は再定義可能であるという可能性を
 持ち出したが、一方で事実のインフレを引き起こしている。真実というとらえ方をしようと本質主義に里帰り
 してしまうので、事実の効果しか扱えない。その効果が説得性、流通性であるとすると、通俗という罠が待
 っている。

 客観性というものが実証性、再現性というものと等価交換されていることが問題。
  客観性とは社会的適切に他ならない。他の人も「そう判断する。認識する」ということだ。
  実証性とは物的証拠。再現性とは物理的実演可能性。それらは客観性を成立させるための手段であって
  客観性ではない。私が見ているものは「犬」である。なぜなら、あの人もあれを「犬」と呼ぶのだから。という
  ことが客観性。実証性も再現性も犬という概念にはない。しかし、犬という概念には客観性はある。

(間主観性と呼ぶこともあるが、絶対主観を前提にする点でこの呼称は弱い。絶対主観などない。間主観しかない
と本来はいいたかったはず。)

 倫理は殺人を許す。死刑にもっとも根拠を与えているのが倫理。エチックということをよく考えてみること。
 これはギリシア語の習慣と人格(エトスとエートス)から来ている。許される条件が整ってしまえば、人を殺すに違い
ないという自己評価は「倫理的」である。人を殺したいという思いがあるにちがいないと思うことは一層、ラジカルに
「倫理的」であるし、「宗教的」でもある。

 また倫理も構築されたものと考えるのが構築主義。また使い分けがされている。ダブルスタンダードである。
インチキしかないと考えるのが構築主義である。よいインチキと悪いインチキしかこの世には存在しないという立場な
のである。インチキだから悪いというのは本質主義。



131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 22:07:24 ID:SfkjiKRs
法では、その法以前の違反を裁かない。
 事後法という原則は「倫理的」

その辺をごっちゃにするのは、リーガルマインドがない。

 応答可能性の中には拒否という応答もある。
どうして受容という応答しか応答にはないと考えるのかが問題。

 応答可能性をとらえるために応答する能力とは次のことである。
(1)環境の相貌のそれぞれに応じて、適切に応答する能力 (適切にふるまう能力)
(2)他者の行為に、適切に応答する能力 (一見不適切な行為に「なぜ」と尋ねる、など)
(3)自身の活動に対する「他者の応答」に、適切に応答する能力 (理由や弁 明を提示する能力など)

 つまり従軍慰安婦問題について語ることこそ、もうすでに応答しているのであって責任を果たしている
わけだ。結論は出なくても応答しつづけ他者と自分の位置確認をし続けることは十分に責任を取る行為
である。

 (このように引用しまくりなくせにキーとなる概念についてはブラックボックスに入れておくのが猫のレトリックで
あとからいかようにも変更しようという…それこそ非倫理的な態度であるな。)

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 22:20:40 ID:SfkjiKRs
 適切とは何か

 筋道(過去から積み上げてきた慣習など)を持ち出すのが本質主義。
 利得や目的合致性(どう振舞うのが国益をもたらすのか、どのような行為を相手から引き出したいのか)
を持ち出すのが構築主義。

 構築主義=社会主義ではないことに注意。(だからこそ、わざわざ構築主義的社会主義なる変てこな
主義×2みたいな名称が存在するわけだ。)

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 22:24:33 ID:SfkjiKRs
わしの批判は猫がいなくても意味がある。
構築主義一般に対する批判であるし、問題点の指摘だから。

 構築主義がなければ意味がないかといわれれば、そうでもない。
なぜなら、定義をしつつ進めているので、外部の援用をあまり必要としていないからだ。

 読むだけの人はそこまで考えてないとは思うけど、きちんと書こうと常に意識している
人間はそんなことも考えている。っていうか、考えるっていうのはそういうことだ。

口だけせいじんにはならないように。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 22:57:28 ID:4GQgLd8c
従軍慰安婦が問題だなんて言ってる奴いるの?
いないだろ。私は馬鹿ですって言ってるようなもんだもんなぁ。




135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:00:40 ID:4GQgLd8c
従軍慰安婦が問題だなんて言ってる奴いるの?
いないだろ。私は馬鹿ですって言ってるようなもんだもんなぁ。




136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:09:00 ID:j4BuuiOe
アブラカタブラーって、屁理屈を唱えてジューグンイアンフを呼び出したい奴はいるみたw
でも、呪文を唱えるだけでも恥ずかしいと思ってるみたいで、いつものコテハンで出て来れないみたいw




137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 00:08:02 ID:YXMpsdV7
ホロコーストということばは、その当時にあった。
ユダヤ人絶滅計画に限って使われるようになったのはその後の構築。

 ホロコーストがなかったにしても、ナチスドイツによるユダヤ人の捕縛、監禁があったという
事実は客観的に存在している。

 それだけでoutであろう。ユダヤ人であるというだけでそれを是とする戦時国際法はない。
だからこそ日本人収容所は保護の目的によって運営されなければならなかったし、実際その側面
も存在していた。(財産の没収は明らかにやりすぎ。これはアメリカ建国の考えからいっても憲法
違反であったろう。時効なのと戦時っていうのが、目をツブラセタ原因だろう。あと法として成立させ
ちゃってるからなあ。違憲立法訴訟をすればよかったかもしれない…社会が許せば…。)

 まあ、基本的にwaspには○○が多いと思っておいて間違いはない。気をつけよう。

 なんつうかね。基本的に責任というものがないがしろにされやすいのが第二の戦争である戦後処理
であるな。

 イランにしてもアフガンにしてもイスラエルにしても戦後処理が誰もしくはナニに対して責任を取って
行われているのかはあいまいにされたままである。

 あ 結論はホロコーストうんぬんはまったくの誤った認識です。真似をしてはいけません。
ということでした。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 12:47:44 ID:1DFwyeGW
堕ちるところまで堕ちた

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 18:21:28 ID:j9Hj99wi
4)法的責任  共有された「事実」との関係において

90年代になって、政府の国会答弁は「慰安婦は民間の業者が軍とともに連れ歩いたもの」などとする
嘘を繰り返した。吉見義明氏らは、旧日本軍による「慰安婦」の設置・統制を示す公文書を発見すると、
日本政府は一転して軍の関与を公式に認め、宮沢首相・細川首相がお詫び発言をした。

しかし、責任が「賠償」という実質を負荷させるために法的責任を回避する詭弁強弁を続けた。

法的責任に関しては、1994年にICJ(国際法律家委員会)が、日本は批准していた国際条約
および慣習国際法に違反していただけでなく、国際人道法違反の戦争犯罪と人道に対する罪に当たるから、
責任者の刑事訴追と被害者への国家補償が必要だとの報告書を出した。
1996年には、国連人権委員会で、「慰安婦」制度が国際人道法違反の「性奴隷制」(sexual slavery)で
あったとし、日本政府に法的責任の認知、個人補償、公式謝罪、文書史料の完全公開、歴史教育上の配慮、
責任者処罰を勧告するクワラスミ報告書が採択された。
1997年には、ILO専門委員会は日本政府の反論を精査した上で日本の条約違反を確認した。
1998年、国連人権委員会小委員会では『『日本政府の認めた事実のみ』』に基づいて、日本の法的責任を
詳細に論証した。日本政府の必死に反論(有形無形の圧力!)によって国連は最大に譲歩し、日本政府の認めている
事実「のみ」によって、法的責任が生じると最終的に結論が下されている。

札束で人権委員会委員の頬を叩いたが、封じることはできなかった。


嘘を見破る力
嘘発生の系譜学的考察

これらが言語教育に求められいるということでしょう。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 19:13:34 ID:zXtsNkom
よくよく寂しい人なんだなあ
しみじみ

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 06:34:57 ID:jDSylC4y
そもそもそのコピペが極端な意見だ。つまりサンプルAにしかすぎない。

 まず
 軍の関与を公式に認め、謝罪すること。と個人に対して賠償することは等号では結べない。
ICJなる団体がどれほど公的な性格をもっているかわからないのに突然、持ち出す。
 どの国際条約に違反しているのかがわからない。
 国際人道法違反っていうのは東京裁判の概念。つまりそれ以降に行われたものに使うべき。
 東京裁判が終わっている時点で、太平洋戦争でのケリはついてる。
 ソウル宣言で賠償問題は終わってる。
 国連で「慰安婦」が問題であるというのはわかる。従軍であろうとなかろうと「慰安婦」が問題なのだ。
 日本政府が認めている事実のみという言い方には他の事実があるということになるが提示されない。

 つまり、バイアスが明らかにかかった記述であり、そもそもがなぜ日本政府の責任拡大をしたいのか
がわからない。慰安婦には日本国民もいるのだが…どうもそちらの視点がないような気がする。
っていうか半島の人たちも当時は日本国民。つまり国際問題化していること自体が変なのだ。

 これが、中国へ侵略して捕縛した人たちを使ったというなら明らかな犯罪。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 06:59:50 ID:jDSylC4y
そもそもこの「問題」は話を大きくした虚偽の記述から始まっている。

世の中に「告発」をしている自分は「いい自分」という物語があるせいである。
悪いことをしない=よい。もしくは、困っている人を助ける=よい。であるのに
告白すること=良いというもう一つの物語がある。

「俺も昔はヤンチャで」みたいなものである。そういうことで、今のまっとうの価値
を吊り上げる操作を無意識の内に行っているわけである。

わしは端から「性奴隷」が問題だっていってるじゃんかさ。
 とりあえずデモのお尻についていくような人になけなしの知識を披露されても
   困ります。

 だからどうする→お詫びの旅みたいなのは間違ってる。メイドなどのバーチャルな
性−奴隷がどのような物語を作っていくのかという現行の問題へのアクセスをまったく
無視してしまうからだ。男性上位システムを利用したパワーハラスメントとしての性奴隷
を問題にするなら、一夫一婦制におけるセックスのあり方も問題になるはずである。

(それでも報酬をもらっているなら奴隷ではなく、売春婦という職業ではないかと思える。)
<売春婦たちはここでも、いらないもの、女性の地位を貶めるものとして同じ女性たちに
扱われている。それが人権を尊重する態度なのだろうか。つまり、それ以外に目的がある
と考えた方がまだ納得ができる。>

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 07:27:10 ID:LpgH/0oZ


また嘘w

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 08:48:58 ID:m0W6fotp
【ゴールデンレス】
  ∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩  このレスを見た人はコピペでもいいので
   〉     _ノ 〉     _ノ10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
  ノ ノ  ノ  ノ ノ  ノそうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
  し´(_)   し´(_) 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 11:26:48 ID:gq54+CSz
一週間ぶりにこのスレ見たんだが


な ん で こ ん な に レ ベ ル が 下 が っ て る ん だ … ?


やっぱ役者がいないと始まらないんだね……
教育学板への隔離も裏目に出ているし……過疎過ぎて新規の人がこないからね。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 17:06:22 ID:jDSylC4y
ショウガナイヨ。コミュニケーション能力が不足してるんだから。

 何がなんでも<絶対>に正しいとさえいってれば正しくなると信じてるらしいよ。
 それのどこが構築主義なんだろう。
 それこそ構築主義の足をひっぱるものじゃないかねえ。

従軍慰安婦問題、慰安婦問題、挺身隊問題は行為発生時は明らかに国内問題。
問題化した時点で国際問題。

 で、あることないこと責任を取るという態度は外交(コミュニケーション)としてありなのか
 なしなのか?ということはとても国語上は大切なことなんだけどね。

ネットサービスでちっぽけなものを買って、サービスがよくないとかのたまわる<お客様>は
サービスのために払う金額によってサービスには格差があることを知る必要がある。
MMOで糞運営という奴は他ならぬコミュニティーにおんぶにだっこの糞フリーライダーである
ことが多い。みんな同じお金を払っていて同じ障害が発生しているなら、運営上サービスは正
常なのだ。その上、お金を払っても得られるのはサービスを受ける権利であって、24時間常に
サーバーに入れる権利ではない。

 できちんとそれがログイン前に文章で出てくるわけだが、読まずに承認しつづける日本人とい
う存在は国語の問題であろう。長い文章は読みたくないという態度は…果たして、頭がいい態度
なのだろうか?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 19:02:00 ID:LpgH/0oZ


ごまかしw



得意のw

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 20:37:42 ID:N6UCFHE7
何週間かぶりにこのスレ見たんだが


あ  の  お  笑  い  は  ど  こ  に  い  っ  た  ん  だ … ?


やっぱ役者がいないと始まらないんだね……
教育学板に隔離される前は、“老人は古文を喋る”とかドアホウなことを言い出す奴がたくさんいたんだがwww

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 20:40:48 ID:jDSylC4y
お笑いを期待されても困ります。
お客様。
そういうスレではないのです。

 ほとんどバリアー内の会話になりますよ。これがまた。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 01:19:05 ID:F6n23uEs
>>149
いや、かつては爆笑が何回もあったんだよ。
それも猫とその一味が大真面目にやるから面白かったんだよね。

例えば、>>148の老人と古文の話は、古文という科目は無意味、という書き込みに対する以下のような発言だった。
“ボケ始めた老人の話を聞いたことがあるが、まるで古文を聞いているようだった。
 あれは古文に違いない。で、この老人が土地か何かの資産を持ってるとして、
 キミが不動産会社のセールスマンだったとしたら、この老人とコミュニケートしなければならない。
 だから、古文だって役に立つんだよ。”

 どうだ。笑うしかないだろw






151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 05:59:16 ID:xtpyLS9r
思いっきりコミュニケートとれてないね。

 老人→意味が分からん→古文のよう→古文→役に立つ。

  どう論理的なんだ?しりとりは論理的であるという話なのか?
  仮定を二つ使うっていうことは、どちらかを否定されたら話にならなくなる。

 単純に言語だと思うから腹が立つ。パズルだと思え。でいいじゃんか。
 パズルを解くことに意味なんかないからね。品詞にしたってジグゾーでいえば
単に形分けだしね。直線をみっけたら、それから入れればいいのよね。ぐらいで。

 でもそんなレス出してればいなくなるわ。人。会話にならないじゃないのよさ。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 06:24:20 ID:X2pBx50s
どんどん堕ちる

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 09:24:07 ID:NlUvvj0w
>147
あのさ、言いたいことはいろいろあるんだろうけど、
ちょっと暫く書き込みやめてみ。
それだけで、このスレは止まるからさ。
いま、君がスレを支えている状態なんだ。

154 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/19(火) 19:05:57 ID:YUXhAIjr
153さんには申し訳ないと思うのですが、「あ」のような馬鹿が嘘ハッタリの
妄言を垂れ流すのは困ります。
まさに、「あ」のような態度は個人のコミュニケーションという点においても、
外交のレベルにおいても問題を新たに作り出しているんですね。ご主人様である米帝に
さえ「おしおき」されてしまいました。
http://www.asahi.com/international/update/0619/TKY200706190038.html

中途半端な強気が墓穴を掘る。まさしく「あ」スペックで沈没です。

>長い文章は読みたくないという態度は…果たして、頭がいい態度
>なのだろうか?

たまには本も読んでね。勝手にねじ曲げないようにしないといけないよ。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 19:59:29 ID:xtpyLS9r
猫よ。

 これまた古臭くそして、それゆえに、分かりやすいパワーポリティクスであるな

 アメリカはこれをつついても何のデメリットもない。メリットしか生じないのだから
 こんな決議を平気でするのだ。
 
 じゃあ、わしらはアメリカの原爆投下は大量殺人であり、和平工作とはまったく関係
なかったことを歴史的にきちんと声明せよと要求すべきなのだ。

そして、そんな政治的な言説をもって論理的な正論だとするのは大間違いである。
 責任論の原則を大事にするならアメリカのやり方には断固抵抗しなければならない。
 アメリカは公娼が認められている。そのことについてカウンターで語りださなければ
 「ムスタング」についても語らなければまったくもって日本は外交ができない半人前
ということを認めることになる。

 (正直、安倍にはがっかりした。なら、言わなきゃよかったのである。あの男が変に
アジアを舐めて発言するおかげで、元より悪いことになってしまっている。)

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 20:02:41 ID:xtpyLS9r
あと
 事実は構築されるもの。

 と(事実)を勝手に捻じ曲げる。はどう整合するんだ?

 AならばBは当然。Aを否定しなければBは成り立たない。
Aの主張には社会によって認められたものが歴史になる。
歴史を語ることが歴史を作り出していく。ということが含まれている。

 常に事実は捻じ曲げ続ける。ナニが真実なのかわからないからだ。

そういう中途半端な頭の悪いサヨクスタイルがわしは大嫌いだよ。
猫。

157 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/19(火) 20:03:49 ID:YUXhAIjr
>>155
コロコロ変るね。ご苦労さん♪

>責任論の原則を大事にするならアメリカのやり方には断固抵抗しなければならない。

最初からそう言えって。

>(正直、安倍にはがっかりした。なら、言わなきゃよかったのである。あの男が変に
>アジアを舐めて発言するおかげで、元より悪いことになってしまっている。)

最初から、そう言えってw


158 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/19(火) 20:11:45 ID:YUXhAIjr
日本が中国ほどのかけひきもできないという事実。
日本の地獄とは、まさに「あ」スペックということでんがな。
お分かりいただけたでしょうか。


長年、一途におつかえしてきた米帝にはずーっと見下げられてきた。
ポチ、まんま
畜生は畜生の扱いしかされないんだね。コミュニケーションとかなんとか、
そんな言葉で誤魔化してはいけない。「あ」スペックの罪なんだね。


159 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/19(火) 20:16:12 ID:YUXhAIjr
>アジアを舐めて発言するおかげ

まさしく、「あ」スペック

>事実は構築されるもの。

> と(事実)を勝手に捻じ曲げる。はどう整合するんだ?

関係ありません。
言ってることがグチャグチャ、くにゃくにゃ


分かる人間には分かってるから、それはいいんだけどね。

「あ」から広がらないという事実をもう少し重く受け止めた方がいいと思うよ。

160 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/19(火) 20:25:57 ID:YUXhAIjr
>そういう中途半端な頭の悪いサヨクスタイルがわしは大嫌いだよ。

自分より上の人間くらい見極められるから心配するな。
ただね、頭が悪い人間に「いいねー」とは言えんよ。
とにかく頑張って賢そうに振舞えって。

「あ」スペックでのサヨクあるいは左翼の意味がよく分からん。
(元・現)サヨクあるいは左翼の人とはネット上でドンパチすることがよくあるから
その生態に関してもちょっとは知ってるけど。

でね、「あ」お得意のメディアリテラシーなんだけど、critical の意味くらい分かってるよね。
その線でずっとやってるんだけど、いつまでも分からんようで困るよ。

161 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/19(火) 20:28:33 ID:YUXhAIjr
>あの男が変にアジアを舐めて発言するおかげで、元より悪いことになってしまっている。


あの男とは

「あ」w

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 21:41:34 ID:F6n23uEs
>>上野「構築主義とは何か」p.27を読んでみろ。

こういう国内の反日勢力を退治することから始めないとね。
影響されちゃう奴もいるみたいだからw




163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 21:59:14 ID:xtpyLS9r
猫。
よくわからん。

 いったいどうしたいわけ。アメリカの政治的な動きが慰安婦問題の何を証明するの?
  まさにプロパガンダが歴史を作るってことだけじゃないの?
    わしがずっと言ってきたのは、適切な責任論という立場が必要だ。ということだよ。
      人権?はあ?一番人権に疎い国に言われて喜ぶ人間は大問題でしょ。

 日本が中国ほどの駆け引きもできないんだとそれこそ困るんだよ。
   こんなことは法廷でのやり合いと同じなんだから。
    将に国語の問題だよ。

    アメリカ追従ってわしのこと?わしは自由主義者であるから、軍事力を持ってアメリカ
と対等な関係をという話もありだと思ってる。やれるならやれることを証明すればいいだけの
話。アメリカのバンクとしてヘイコラするんじゃなくて、バンクとしての立場を利用するぐらいの
立ち回りをきちんと政治家も官僚もできなきゃいけないでしょ。

 キミがどうしたいのかがちっとも伝わらないし、そもそもがわしはずっと授業の土台の話をして
いるんだが。0か100かではなく、ナニの何処については責任があるという思考がとても大事だよ。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 22:13:09 ID:xtpyLS9r
第一 アメリカは朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも公認の慰安所を作って運営していた。

 じゃあ、あれは人権を無視した行為だったのか?
 騙されて慰安婦になったという人は日本軍に騙されたのか?
 その騙したという行為が人権を無視しているというなら、イラク戦争は将に人権を無視した
戦争だったということになるわけだ。

 つつきどころがこんなにいっぱいあるにも関わらず、日本の政治家が自分のことばできっちり
と反論しないのは大問題。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 22:18:36 ID:X2pBx50s
イラクも従軍慰安婦もダメで終わりじゃね?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 00:08:00 ID:v5yU7S4z
猫さ、パソコン使えないとかいう設定はどうなったん?
もう直ったん?

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 00:23:59 ID:teegpCS7
http://jig02.mobile.ogk.yahoo.co.jp/fweb/0620ObJF6xlmCL3K/0?_jig_=http%3A%2F%2Fwww.fukui.necel.com%2F&_jig_keyword_=%82m%82d%82b%95%9F%88%E4

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 06:39:26 ID:ha152QhZ
ウヨの巣窟

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 07:06:18 ID:9AX3RYBi
と詳細が分かったぞ。

 アメリカで日本議員が「真実」という意見広告を打ったことへの
 反発に押されて提案採決だそうだ。

 でじゃあ反発した人たちの「真実」とやらはいったいどうやって知ったんだろう。
 単にフェミ運動家のアピールだったのではないか?

 フェミは「売春婦という職業」を否定する。

 どちらにしても「真実」なんてどうでもいいんだよ。捕鯨反対運動と同じだ。
 他所の国にどうのこうのじゃなくて自分の国に対してきちんと行動すべきだろ。
 ここはアメリカから来たものをアメリカに受け流すで、話はつきそうである。

本当に政治のレベルの話である。しょーもない。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 07:35:28 ID:HCLUpIb9
>>169
>>アメリカで日本議員が「真実」という意見広告を打ったことへの
>>反発に押されて提案採決だそうだ。

これは日本のマスコミが言ってることだろ。
時間的にも意見広告と提案採決は直接関係なし。
マスコミは基本的に反日だから、“文句言うと三倍になって返って来ますよ”ってことにしたいだけ。

中国なんか、反中国の下院の決議なんてたくさん出てるのにどこ吹く風。
この点は見習いたいね。まぁ、民主主義じゃないから出来ることなのかな。

>>164
戦場の売春宿なんてヘミングウェイとか戦記物の小説にたくさん出てくるのにな。





171 :懐かしのメロディー:2007/06/20(水) 08:14:21 ID:Yd5W4mUI
>168 乙 ◆2VOjRT2l8o sage 2005/09/15(木) 01:11:28 ID:DhsoPTuO
> >>165 ってかID:D6JQHZ8B
>現在ってのは単に時間的流れの1断面じゃなくて、すべての過去が重層的に
>重なって成り立っているもんなんよ。
>でさ。地方の年寄りなどの中には方言を通じて平安時代と通じる言語生活を
>送っている人間もいるわけ。
>君がもし社会人なら、仕事をするわけだよな?んで、例えば君の勤める会社
>に出資してくれる見込みの人がいたとして
>その婆さんが古文のような日本語を話す人で、君が金融会社や不動産会社
>の営業マンとしてその人とコミュニケート
>しなければならないとしたら、どう?
>俺は>>143の最初の2行で「古典文法などは実用性がないのでいらね」とする
>君の議論をひっくり返したんだが。
>そこらへんはどーなのさ?


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 14:11:27 ID:XHkgIT6C
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1182307409/l50

173 :ヤマさん:2007/06/20(水) 22:01:53 ID:qllepcXe
客観的絶対的真実なんてあるのだろうか?
無意識のうちに「好きな事実」、「嫌いな事実」を選んではいまいか?

中観派さんどうなの?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:23:52 ID:HCLUpIb9
>>171
おお、それだw
やっぱ本物はおもしろいなぁw
本人が本気で言ってるからなお可笑しいんだよな。

あれ以来出てこなくなっちゃったけど、今どうしてるんだろ。
猫の完全な腰巾着だったから、ママンとかがそうなのかなw。






175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 06:13:06 ID:iUgr/Vzy
世の中には客観的な事実jしかありませんよ。
 主観的な事実=現象は記述されることで客観化されるのです。
 どうも客観ということが日本語ではあいまいです。疑いようのないという意味に使われているようですね。
 単に誰でもアクセスできるという意味にすぎません。
 物自体という考えともだぶっているようです。
 我々がアクセスできるのは概念に対してだけです。
 概念はことばで構成されますから誤用はあっても客観的でないものはありません。
 自分しか使用できない「ことば」にどのくらいの意味があるでしょうか?

 藪の中を真実のあいまいさの記述だと思ったり、立場によって事実は違うと思ったりしますが、あれは
そうではないのです。物語についての物語なのです。

 事実は殺人事件があったということです。どんな事件だったかも一致できます。どのようにして起こったのか
も一致してるのです。問題はその事件とは何かということが一致しない。どんな物語に配置するのかは、当事者
によって違うのです。

 あなたとわたしで確認できたことは絶対的客観です。
 日本の議員が主張していることが事実であろうと真実であろうと、あの議案を後押ししている人々には関係ありません。
 捕鯨のことを考えてみればわかります。数が減ってるから保護しなければならない。が目的のはずですが、数が増えよ
うと保護しなければならなくなってます。(調査捕鯨すら許さないということはそういうこと。)

 鯨を守るなんていいわけでその裏にお金が動くビジネスがあるからだし、イデオロギーがあるのです。
 今回のアメリカのプレッシャーグループは「売春」がカギなのです。いいですか。従軍慰安婦の従軍なんてことはちっとも
アメリカじゃ問題にされてないんです。売春を国が企画斡旋したということ。売春と戦争を結びつけたことに反発してるんで
す。その認識がないからあんな意見広告が出せたんです。国内問題と勘違いしちゃった。(井の中かわずですね。猫みたい
です。)強制したとかしないとかではなく女性を性処理の道具として扱ったこと。最高権力がかかわってたことをアメリカは問
題にしてるんですよ。(これは間違ってない。これについては認めるしかないのです。ただ、それが戦争責任かと問われれば
?マーク続出です。)

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 06:22:12 ID:iUgr/Vzy
 しかし、アメリカのプレッシャーグループは大きな偏向を持ってます。
 「売春婦という職業」を」認めないこと。
 売春婦というのは世の中や男に押し付けられて存在してるのだというのが彼・彼女らの
イデオロギーです。

 GAYやレズビアンは性別の自由があると主張するのに。性の商品化はしてはならない。
性は商品ではない。というのが信仰なのです。

 この世で真っ先に商品になったものに対して異議申し立てをしているわけです。
そのコンテキストで考えないととんでもない思い違いをしてしまいます。

 日本軍の犠牲になってた…うんぬんは国内向けの物語にしかすぎません。
そして、その物語にのっかっていれば現在の我々は「哀れむ」「同情する」という
態度を取り続けることでこの問題を自分の暮らしの中に入り込ませないでいられ
るのです。(そういった意味で全部の責任を国に丸投げする猫の態度は最低なも
の。誰にどの程度責任があるのかという思考から逃げてる。)

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 06:30:34 ID:iUgr/Vzy
最初からわしはこの問題が行き着く先は
「そこ」であることを示しています。

    論理的に問題を構成すればそうなるはずです。

日本は何かね。対外の言い分け探しでこの問題を扱うから
変な言論が多くなってます。

   全部間違えてるよ。

上野が問題にしていることを猫は読み間違えてる。
「女あそび」から読み直すこと。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 07:26:20 ID:iUgr/Vzy
客観については同じことばとは思えない意味の広さを辞書でも認めています。
きゃっ‐かん〔キヤククワン〕【客観】
「きゃっかん」を大辞林でも検索する
[名]スル

1 観察・認識などの精神活動の対象となるもの。かっかん。⇔主観。

2 主観から独立して存在する外界の事物。客体。かっかん。⇔主観。

3 当事者ではなく、第三者の立場から観察し、考えること。また、その考え。かっかん。


 1はあらゆるものが対象となります。
 2はまさに物自体であり、観念論の世界です。
 3は立場・語り手ですね。

 つまり、2以外では絶対的客観は成り立ちます。2は概念/ものという二分法が成立する
という前提ですから、わしはこの立場を批判しておりますのでもともとよりこのような客観の
使い方はしません。ことば(概念)とものは同時に生まれるものです。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 15:49:09 ID:BBcFSUL4
>>175
>>今回のアメリカのプレッシャーグループは「売春」がカギなのです。
>>いいですか。従軍慰安婦の従軍なんてことはちっとも
>>アメリカじゃ問題にされてないんです。売春を国が企画斡旋したということ。

「売春」がカギだとのことですが、アメリカの州によっては売春が合法です。
そのなんとかグループがこういったアメリカ国内の事例についてどのように大騒ぎしているのか、教えてください。



180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 18:35:39 ID:iUgr/Vzy
わしは基本的にアメリカの思想シーンとかに興味はないのでリンクのみ

ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/link/feminism.html

 こんなところじゃないでしょうかね。基本的には公認売春宿があるのはネバダ州のみ
あと売春宿があるということは、そこ以外での売春行為は違法ってことです。

 売春行為を認めている法律はアメリカにもありません。
(ナニをもって売春とするのかという問題はついて回るのでしょうが。)

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 21:10:58 ID:BBcFSUL4
>>180
ご苦労様です。
アメリカのプレッシャーグループについて話しているので、その筋に詳しいのかと思い、聞いてみたまでですが、
泥縄の検索結果とあっさり“興味ない”という回答にはズッコケてしまいました。
そのプレッシャーグループが他の国(例えば欧州)の合法的売春についてどのような活動をしているのかについても聞こうと思っていましたが、
まぁ、興味はなさそうですね。

でも、そのリンクに出てきているプレッシャー・グループのような集団はどこにでもいるものであり、
とりわけ今回の従軍慰安婦“騒ぎ”で大きな役目を果たしているとも思えません。
だから、この集団のカギがどこにあるかなんてどうでもいいことなのではないでしょうか?



182 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/21(木) 22:30:54 ID:u70Go9yJ
あわてて何を隠蔽しようとしているか、隠蔽したか
それが問題の核心なんだね。

他の非をあげつらうことで自らの汚れた恥部は綺麗にならない。
他人の恥部を指差すことでよけいに晒された汚れただれた恥部。

そもそも「技術」として稚拙だった。
あわてふためいた、醜態それ自体が罪を認めてしまっている。

「あ、そう」とする中華的開き直りさえできない不器用さ。
アジアに狼狽しない。だが、米帝にはバタバタする畜生の根性が醜い。

アジアにこそ慄け。ポチの強がりには反吐が出る。

カスは「あ」スペックで恥部を再びさらすであろう。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:05:50 ID:iKqlQe28
【イタリアントマト専務の暴言動画】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm480116
http://www.youtube.com/watch?v=HzdhwXVrS8w

【↓元ネタ?】
19日午前11時半ごろ、東京・西新宿にあるイタリア料理店「イル・ヴィゴーレ」の看板が突然
外れ、会社員・上原 真由美さん(28)を直撃した。上原さんを直撃したのは、縦1.5メートル、横
およそ5メートルという巨大な看板で、下敷きになった上原さんは、頭などを強く打ち、重傷を
負った。落ちた看板は、地上からおよそ3メートルほどのところに止められていたが、看板を
止めていたねじは、とても小さなものだった。

この店は、レストランチェーン「イタリアントマト」の直営店。イタリアントマトの小野泰右専務
は「うるさい、うるさい、ばか言ってるんじゃない、お前ら。(1人けがしてますよ?)だから今から
病院行くんだよ。(女性は脳挫傷ですよ?)脳挫傷じゃないですよ。誰が脳挫傷って言ったん
ですか?(警察関係の情報です)違いますよ。ここ切っただけですよ。(看板の状況は?)10年前
の看板(ボード)だからわかりませんって。(もともとの看板を点検せずに上からつけた?)そう
です。(被害者に対しては?)申し訳ないので、とにかく(病院に)行かないと、被害者のところへ、
病院に行きます」と話した

警察は、業務上過失傷害の疑いで、看板の落下原因をくわしく調べている。

動画 http://www.fnn-news.com/windowsmedia/sn2007061905_300.asx
FNN Headline http://fnn.fujitv.co.jp/headlines/CONN00112821.html

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 04:20:54 ID:tW6zu86/
そもそもがことばの問題。

 英語で従軍慰安婦なんて存在しない。どのように訳されているかといえば、
「SEX SLAVE」性奴隷。そのことを議員たちはどれだけ自覚していたか。

 ましてや、一国の総理が理解していたか。
情報のとらえ方の不均等が明らかにある。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 05:19:32 ID:VVhHWY13
構築主義的発想がまったく日本の政治家にはないのかもしれない。
世論の形成なんか簡単なんだと思いすぎているんじゃないだろうか。

 メディア操作ばっかりやってるから、よその国で通用しないレトリック
しか使えないのだろう。

 本当に国語の問題である。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 06:36:59 ID:gdXxVyLW


変節w

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 06:59:10 ID:VVhHWY13
端から「売春という職業」の問題だっていってるよー。

外交問題にしてるのは国家の側だよー。
何で日本に対してこんな歴史問題だとか、戦争責任問題だとか
認識論的な外交カードが存在するのか?

そこのところをよく考えよう。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 15:27:29 ID:7ydDK9Hj
認識論とか構築主義とかどうでもいいし、一生学校に閉じこもってる奴が外交カードとか聞いてるだけでイタイよ。

それより、日本軍は戦地の女性をサラって性奴隷にした、なんて思ってる人に出てきて欲しいな。
いつの間にかいなくなっちゃうんだもんなぁ。



189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 15:31:44 ID:vxVQEw+8
もう14もスレ消化しやがってwwww
そろそろ国語教育の話しろよお前らwwwwwwwwww

190 :ヤマさん:2007/06/22(金) 23:59:56 ID:7xUC5KEZ
では、では。

「後で後悔する」は誤用なのだが、これを正すべきか否か?
また、小論の場合、減点の対象とすべきか否か?

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 00:25:38 ID:xwARz24R
小論においては「後悔」という個人的な感情を根拠にして語るべきではないので、後で後悔する。という字句が減点になる
というよりもそれが出てくるコンテキストで減点されるでしょう。

 日常会話としては、あなたが相手に対して教える立場であれば、正すべきです。でなければスルーで。
正し方は「後で悔やむのが後悔。後の後で悔やむことはできないから、後で後悔するとはいわないよ。」と言えばいいで
しょう。

 「やって悔やむ方が、やらずに悔やむよりも上等」ぐらいはつけたしてもいいでしょう。

後悔=悔やむという素朴認識をどう訂正するのかは案外難しいです。

192 :ヤマさん:2007/06/23(土) 01:10:58 ID:sdo7R5SJ
>>191さん
早速のご返事有難うございます。

もう一つお伺い致します。
小論の於いて「ら抜き言葉」は減点の対象でしょうか?
NHKでも使っているなどとほざかれると困ります。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 06:25:11 ID:xwARz24R
 小論において、例えば漢字で書くことができるのに書いてないは減点対象にはなりません。なぜなら、字数制限があり、
字数ぎりぎりで仕上げるためにわざとしていることがあるからです。
 同じように「ら」抜き程度では字数に満たないこと、字数を超えてしまうことよりも減点対象にはなりません。論旨とはあ
まり関係ないですから。

 あっても1点程度です。それよりも、一貫した主張。立場の明確さ。段落構成の正確さに気をつけることが大事です。
正しい文字で書かれていても内容が論理的でなければ小論文ではないのですから。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 06:27:17 ID:xwARz24R
小論文を書かせられる目的を勘違いしてしまってはいけません。

   データーを元に論理的に主張することができるかという目的に基づいて練習、添削することが大事です。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 06:30:11 ID:xwARz24R
後で後悔のような表現は例えば、小論文だと、○○になってしまう恐れがある。○○してしまう可能性がある。のような
表現を使うべきです。これらは状況の悪化を表現しているのであって、個人的な感情を表現するものではありません。

 そのような文章表現(レトリック)に慣れておくこともまた、小論文の勉強です。

196 :ヤマさん:2007/06/23(土) 06:51:14 ID:sdo7R5SJ
>>193-195 ID:xwARz24Rさん
ご丁寧なアドバイス有難うございまず。
宜しければもう一つお願いしたいのですが、
小論において加点は存在しますか?

まあ、フギュアースケートのようなものでしょうが。
(注)イナバウアーは加点の対象外だった。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 08:01:46 ID:xwARz24R
加点はないんじゃないでしょうか?

 なぜなら、態度と技術を見るためのもので、実は結論についてはそれほど重要視しないでしょう。

 その根拠は問われていることについては基本的に実際には当事者たりえないことだったり、もし主張の
実効性を実証することは<受験生>には絶対に不可能だからですね。

 加点というより総点のプラスはあるかもしれませんが、そこになると主観的な+になるわけで受験小論の
採点では基本的に避けるでしょう。

 そもそも小論で落ちるような人物は大学へなど行っては行けません。小論はできて当たり前。
小論対策に時間をかけるより英語を勉強したり、数学を勉強した方が効率的です。特に数学の証明問題は
小論の書き方の原型として使えるので、そっちから攻めた方が段落構成などはうまくなるでしょう。

 数学の証明問題における仮説や、補助線、定理が小論文では何に当たるかがわかれば案外するっと理解
できるはずです。

 (わしは基本的に論文というものは形式を重視するものだと思ってます。形式によって論理を整えるともいえ
るし形式こそが論理であるともいえるはずです。)

198 :ヤマさん:2007/06/23(土) 09:40:29 ID:sdo7R5SJ
>>197
>なぜなら、態度と技術を見るためのもので、実は結論についてはそれほど重要視しないでしょう。
ここで一点、上記「態度」とはどのように評価できるのでしょうか?

(態度⇒道徳⇒採点者の好悪)と置き換えてもよろしいでしょうか?

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 09:49:12 ID:xwARz24R
小論文は思想調査ではありません。

 態度というのは、ことばを使う姿勢です。なげやりだったり、末尾をかもしれない。だとか、論文なのに、「です。ます。」
だとかそういうことを大切にしないことです。

 道徳的な態度なるものではありません。それこそ小論に取り組む際には脇へおいておかなければなりません。

原子力発電所は完全撤廃すべきか?というテーマを出されて、根拠を道徳に求めて撤廃を述べてはいけないのです。
与えられたデーターから撤廃すべきであるということを引き出せなければ減点です。
完全撤廃ではなく、設置場所や運営技術などのテクノロジーイノベーションこそが必要だという結論にしても同じです。
完全撤廃は必要ないという結論もデーターから導き出した根拠がなければ、<信念>を語っているだけです。

 信念は議論の対象にはなりません。行動の基盤になるものです。小論文は信念の発表の場ではありません。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 10:33:27 ID:xwARz24R
論文の形式を無視する態度は減点の対象ということです。
自由作文を書くわけじゃありませんよ。

201 :ヤマさん:2007/06/23(土) 11:06:36 ID:sdo7R5SJ
>>200
>形式を無視する態度
って形式じゃないの?
>>197は(態度)⇒形式と技術ってこと?

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 11:50:44 ID:jkSaGg57
教師は美しい日本語で喋れ!
そして、街でヤクザを見かけたら叱れ!


203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 12:30:01 ID:xwARz24R
形式を尊重する態度と適切な表現をするための技術ですね。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 16:52:28 ID:xwARz24R
>>202
主語が大人はだったらまだよい。
ヤクザがそれほど問題だろうか?キミはどうしてそう思うのだ?

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 18:06:03 ID:08kUdd1G
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%B1%9A

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 18:07:09 ID:08kUdd1G
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%B1%9A

207 :ヤマさん:2007/06/23(土) 18:20:18 ID:sdo7R5SJ
>>203
「形式を尊重した適切な表現」=技術
と理解してよろしいでしょうか?

つまり、「小論は技術である」と言ってしまってよろしいですか?

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 19:26:22 ID:xwARz24R
形式は技術じゃありませんよ。

形式は思考のかたちです。
かたちを成すためには技術が必要だ。という話です。

 ヤマさんは妙な短縮圧縮思考をしたがりますね。
それもまた形式なのです。では、それは技術でしょうか?

209 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/23(土) 21:01:58 ID:KSpzyhj3
203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 12:30:01 ID:xwARz24R
形式を尊重する態度と適切な表現をするための技術ですね。

の敷衍にはなっていない。

いつも同じ。グジュグジュ
「あ」スペック


210 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/23(土) 21:03:18 ID:KSpzyhj3
>形式は思考のかたちです。

とはどういうことか、できるだけ具体的に詳しく説明して欲しいものです。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 23:59:16 ID:xwARz24R
猫。わしは敷衍などするつもりはないよ。
ふ‐えん【敷×衍/布×衍/敷延】
[名]スル《「衍」はのべる意》
1 おし広げること。
・ 「それを種にして、空想で―した愚痴」〈宇野浩二・蔵の中〉
2 意味・趣旨をおし広げて説明すること。例などをあげて、くわしく説明すること。「教育問題を社会全般に―して論じる」

 トートロジーをしているだけだよ。ちなみにレトリックとしての敷衍とは、
例えば、
敷衍は、必要以上に詳しく並べて述べるレトリックです。
「ふつうならば、そこまでは事細かには述べないだろう」というところまで、あらゆる面を隙間なく並べるレトリックです。
表現の水増しのようなものだといえます。
言いかえると、1つのことに対して1つの言葉で終わらせずに、残らず全て言いまくるというレトリックです。
つまり、さまざまな観点から色々なことを、余すところなく述べるというものです。
対象のことを詳しく述べることによって、その対象を強調する効果があります。

のようなことだ。

ということでわしは敷衍を敷衍したわけだね。なぜって、猫がいかにあいまいで論理的ではないのかを表現するためだ。
グジュグジュなる感覚語で何かを表現したつもりになるのは、「わかったつもり」になるのと同じことだ。




212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 00:02:49 ID:swQ5H9iK
なぜわしがトートロジーで済ませているかって?

それはヤマさんがわざと文を変に区切って定義しようとしているからだ。
助詞や格助詞のはたらきを考えたら、あのような区切りはできない。

それをわざわざやるのはわざとであろう。そのようなときはトートロジーで充分だ。

なぜ、彼がそうするのか?それはわからない。そんなこと考えても意味はない。
わしは文学主義者ではない。わからなければ、したかったからした。と考えること
にしている。それ以上追求してもそれは嘘つきゲームにしかならない。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 00:05:08 ID:xwARz24R
思考のかたち、それはゲームのルールを作り出すことだよ。

あることを仮定すると矛盾が出るから仮定が間違っているとするのは、ルールなのだ。
そして、そのルールを認めるうちは人はそのルールを受け入れる。受け入れなければゲームに参加できないの
だから。

 そしてそのようなルールを社会の一人一人に内在させるために教育というものはあるのだ。当たり前のことだね。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 05:50:42 ID:5p252JQp


ごまかしw

215 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/24(日) 09:52:31 ID:Mq0MNuRb
203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 12:30:01 ID:xwARz24R
形式を尊重する態度

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 19:26:22 ID:xwARz24R
形式は思考のかたちです。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 00:05:08 ID:xwARz24R
思考のかたち、それはゲームのルールを作り出すことだよ。

そしてそのようなルールを社会の一人一人に内在させるために教育というものはあるのだ。当たり前のことだね。

216 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/24(日) 09:58:29 ID:Mq0MNuRb
教育の場では思考させ「ない」ことを目指すべきということか?
お前の理屈では、思考のかたちはルールを作り出すことに限定されている。

小論文との関係は忘れたか?
ルールを内在させるのが教育の目的なんだろ?
小論文で思考のかたちを練るのはいけないことになるようだな。

口からでまかせを言ってるから、こんなトンデモになる。
小学校スペックなら教科書とか具体的になことを「聞きもしないのに!」ペラペラ言う。
だが、レベルが上がるとこのざまだ。デタラメのつぎはぎで結局言ってることは
無茶苦茶。

お前からはとにかく広がらんなー
それがすべてだよ。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 12:58:03 ID:E4gQKNDM
>形式は思考のかたちです。

意味不明です。人にわかるようにものをいってください

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 13:13:19 ID:aXhxGEJ2
猫の言ってることは内容空疎だから捨ておくとしよう。

 思考のかたちがわからない。という方へ。

 物事を出来事の起こった順番にただ並べる。ということも思考だ。
 そこにはルールがある。
 起こった順番通りに並べるということだ。
 そして並べるということがこの場合の「かたち」である。


 自分が体験したことでないこともこのルールとかたちで処理しようとすることができる。
 5枚のバラバラな写真があって、背景や登場人物が同じであればそこの時間の相違を
見出そうとできるはずである。

 そのように情報をどのようなかたちにまとめるかということが思考であり、情報をかたちに
したものが形式である。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 13:22:15 ID:aXhxGEJ2
たった一つ。わかったこと。猫は議論を<広げる>ことばかり考えているらしい。

 それを昔は這いずり回る授業とか思考とかいって毛嫌いされたものである。
 なぜなら、それは独り言だからだ。

小論文で思考力はつくだろう。けれども、その前に基礎となる思考力がなければ
意味がない。0にいくらかけても0にしかならない。
数学の証明にみられるような筋道立った思考過程を訓練されてなければ、(記号操作)
小論文で書き始めるのは<感想>だ。それはもはや採点対象ではない。

  小論文だけでは残念ながら思考力はつかない。言語技術はそれなりに身につく。
その言語技術をきちんと内言でも使って考えるかについては今一、確信がもてない。

 忘れてはいけない。今や大学を出ている成人がほとんどなのである。彼らは少なくとも
卒業論文を書いて卒業したはずである。それが明らかに隙間だらけなナショナリズム的
(ナショナリズム的である。)言説にやすやすと踊らされている。明らかに記号操作の力
が足りないのだ。

 

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 13:54:28 ID:5p252JQp


いつも矛盾だらけw

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 13:55:33 ID:aXhxGEJ2
一昔前はナショナリズムではなく、ラジカリズムやリベラリズムだった。まさに、様々な意匠である。

  わしは自由主義者であり、個人主義者であるから、ナショナリズムもみとめる。困るのは、非国民とか
反日とか半島だとかいうラベリング工作である。そんなの個人の勝手である。

 ラベリングをして敵としてしまうことは自由度を減らすことであるから、わしは大いに困る。自由度だけが
基準なのだ。不自由な方がうれしいという御仁は飼い犬なのであろうか?

 太ったブタより痩せた狼とは誰のことばであったろうか?(大藪らしい。)

 太った豚より痩せたソクラテスになれの方がいいか?(ミルらしい。)


222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 14:05:33 ID:aXhxGEJ2
わしが慰安婦問題や南京問題をあのような観点から取り上げるのも、基準が<自由度>だからである。

 何がなんでも○○が悪い。責任を取れのような完全対立こそ自由主義の敵なのである。割合というものを
愛する態度がなければいけない。妥協という美しい結論と手を結ぶことを良しとしなければならない。時間と
いう伴侶を愛し、結論がその伴侶の手にあることを信じなければならない。

 そのようにして今の自由を減らすことは断じて許されてはいけないのである。
では自由とは何か?自己決定ということから考えてみるがよかろう。自分が言い放つはずの「自分の責任で」
がいつのまにか他人から「自己責任で」という言い方に変えられていくのは本当に困る。その両者は等号では
結べない。

223 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/24(日) 15:41:50 ID:z3UZmNLo
>>222
ぶは。頭悪すぎなんだけど…。
責任追求が自由主義の敵?妥協という美しい結論?
なんじゃそれ。おめー大丈夫かよ。ついに本領発揮ですな。

結局お前の「自由」ってのは、お前の意見を受け入れてもらえるかが基準なんでしょ?
お前の理屈でお前と全く逆のことがいくらでも言えることに気づいてないのかね。なんか
大真面目みたいだから痛々しいよ。ま、お前のレスはいつも通りの茶番ということだ。

思想信条の自由は憲法で保障されているんだから存分に活用すればよい。こっちも
お前が慰安婦や南京の問題をどう考えようが全くどーでもいいし、知ったこっちゃねーよ。
しかしポイントは、それらの問題においては、責任をはっきりさせないという態度こそが
既にきわめて政治的な偏りを持った態度であること、そして教育の場で、「自由」を標榜
してあたかもその態度が中立的な立場であると主張しようとしている(かどうかしらんが
結果的にそうなっている)ことの2点だ。

特に後者が問題だと思われているから、お前のくだらん意見に対してこうしてレスがつい
とるわけだ。単に政治問題に嘴を突っ込みたいとか、私塾でやりますという話なら、ホント
どーでもいいので誰も文句は言わないと思うぞ。どっか別の板に池。


224 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/24(日) 16:02:19 ID:z3UZmNLo
まあ端的に言えば、新しい教科書をつくる会の歴史教科書を導入するかしないかと
同次元の話でしょ。導入校が1%もない今の状況じゃ歴史や社会の時間の教育と矛盾
するのだから何を言っても無駄。これがもしほとんどの学校で同種の教科書を導入する
なんてことになれば、胡散臭いお前の意見も少しは参考にされるだろう。

結局、意識的かどうか知らんが国語の問題としてお前が語ってることは、明らかに現在の
歴史認識のあり方と深く関わっているわけで、何を言おうがその文脈に回収されてしまう
のであり、それを無視することはできん。今はこういう言説空間となっとるのだから仕方ない。
だから慰安婦問題が国語の教材としていいかどうかという話にはなりようがない。歴史的
事実の個別具体的な検討の話になんてなおさらなるはずがない。こういう事態が十分に
予想できたはずなのに、このスレで敢えてこの話題を持ち出し、いつまでも他人を批判
しながら声高に持論を主張し続けるお前の神経がわからん。板違いなのは明らかだろ。


225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 16:22:36 ID:aXhxGEJ2
ママン。勘違いしてるよ。

 わしは責任ははっきりさせるべきだと思ってるし、結局、その結果は、国が全部悪いわけではない。ってことに
なるってことだよ。

 そもそも責任という概念をやたらめったら広げることは間違いだ。国が直接してもいないことにまで責任を要求
できるのは誰でどんな立場なのかという問題もある。

 国が全部悪いわけではない。=国には責任がないなんて思われるとしたら、それこそ日本人の読解能力には
何も期待できないということになる。

 南京の問題であれば独断専行を常態化した軍の問題と文民統制がもはやできてない国の問題の両方が求め
られなければならないが、どちらも責任者というものはいない。いつの間にかできあがった無責任の体系そのも
のが問題だ。「腹を切れば」=死ねば責任を取ったことになるという日本の土壌が招いたとしかいいようがない。

 南京の問題は結局、「日本軍とは何だったのか」という問題に帰結するんだよ。それ以外の結論は結局似非
人間主義的なドクサにすぎない。過去を断罪する姿勢は結局、そこに含まれていた問題の再来を防ぐことには
ならないからだ。

 とにかくどちらも極端に間違った自由のせいだともいえる。決定権が責任の由来であるならば、決定権のあい
まいさの責任は誰にとってもらわなければならないのだろうか?

 ママンの誤読はどこまでいっても誤読でしかない。底が浅すぎて溺れることもできない。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 16:28:13 ID:aXhxGEJ2
わしは何度も言うが、責任の問題はまさに国語の問題だと思っているよ。

 自己責任なることばの用いられ方を考えても国語で扱わない限り、きちんとした概念化はできないだろう。

その中で南京と慰安婦の問題はまさに、すりかえの代名詞のようなものだ。そして、そこから透けて見える
日本人としての問題点も自覚するためには丁度いい。


 適当な組織をつくって暴れている集団が抱えている問題は南京問題と同じものだ。組織における統括と
いう問題を意識しなくては解決しえない。統括しなければならないもの/統括しなくてもよいものの線引き
こそが大事なのである。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 16:39:29 ID:aXhxGEJ2
 それにわしの原案にはきちんと慰安婦=SEX SLAVEという概念までのガイドラインがきちんと引かれているよ。

つまりきちんと外向き/内向きを考えて作っているわけだ。君らの議論じゃあ話にならない。売春婦とい職業が
最後はテーマになるんだよ。

 そのテーマを押さえておけば十分、国外との議論でもやっていける。

 (あまりにもちゃちいテーマ把握でがっかりだ。本当に。)

 わしは認識力がありすぎて、小さい頃決定ということができなかった。Aという結論の利得、Bという結論の利得が
一辺に見えすぎて、どちらかだけをとりなさいということに答えることができなかったのだ。

 その理由も今ならいえる。どちらを選んでも自分では実行不可能だったからだ。自分との関わりしか見えない小さい
ころでは、決定する意味が見えなかったのだ。

 大抵は認識力が足りないので、一番先に思いついたことに飛びつく。子どもとはそういうものだという前提ですべてが
進められていた。そうでない子ども少数であるがいるということは常に無視されてきた。

 今ならいえる。進め方やテーマが間違っていたのだ。ゲームであればもっと楽しいゲームでなければならなかった。
(もし、わしが授業に対するこだわりがあるとしたら、そのせいである。)

228 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/24(日) 17:22:06 ID:z3UZmNLo
何をどう言い訳しても、結局言ってることは同じじゃねーの。
つまんねーよ。

>進め方やテーマが間違っていたのだ。
>ゲームであればもっと楽しいゲームでなければならなかった。

このスレでのお前の議論ね。
進め方もテーマも間違っている。
ゲームならゲームでもう少し工夫しろ。


229 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/24(日) 17:55:35 ID:Mq0MNuRb
「あ」の馬鹿
>わしは認識力がありすぎて、小さい頃決定ということができなかった。

小さい頃から妄想癖があったのか、かわいそうに。。

ママンちゃん
「高校生のための論理思考トレーニング」(横山雅彦、ちくま新書)を読んだよ。
古事記から仏教(日本天台の本覚思想とか)、ナンバとかまで出るわ出るわ・・
山口明穂「日本語の論理」(大修館)から山田や時枝まで出して

「日 本 人 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン は テ レ パ シ ー」

だと断罪している。それも最近西洋に影響で変化しつつあるとも言ってるが、
基本は三森が驚愕したような違いを説いている。

買って読むほどの価値は・・・ないかな。図書館で借りてパラパラ読むので十分。

「反=日本語論」(蓮実)などに比べたらカスだな。

この手(新書)の書き手は当たりハズレが大きい。編集の人間も騙せると思ってるのかな。

三森ちゃん、「言語」で連載しているね。
少しずつ確実に変ってきているとは思うよ。

230 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/24(日) 17:59:04 ID:Mq0MNuRb
矛盾、あるいは自爆エロの典型として


215 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/24(日) 09:52:31 ID:Mq0MNuRb
203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 12:30:01 ID:xwARz24R
形式を尊重する態度

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 19:26:22 ID:xwARz24R
形式は思考のかたちです。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 00:05:08 ID:xwARz24R
思考のかたち、それはゲームのルールを作り出すことだよ。

そしてそのようなルールを社会の一人一人に内在させるために教育というものはあるのだ。当たり前のことだね。

231 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/24(日) 18:01:37 ID:Mq0MNuRb
言語教育とは、こういう馬鹿に気づくこと。

馬鹿(さ)を放置しないこと。
馬鹿(さ)から学ぶこと。

そういうことになるんだ。それしかない。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 18:53:24 ID:aXhxGEJ2
ママン。言い分けなんかじゃないから同じことを言ってるんだよ。

 サヨク的が幻想もウヨク的な打算も結局は極端な意見にしか過ぎない。
 責任とは感情ではなく、きちんと事実と議論から計られなければならない。
 単純な感情や打算であれこれされるのは迷惑なんだよ。



 少なくとも○の馬鹿のような日本語使いの人間がまともな日本語教育が
できるとは思えない。

 >>230
 それこそ敷衍してほしいものだ。単なるコピペじゃないのかな。それ。

 馬鹿さを放置しない…ほう…。あの指導案を書いた人間が言えるとはびっくり
だよ。論理的とはとても思えないがね。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 20:02:46 ID:5p252JQp


都合の悪い指摘には答えない。ごまかす

議論w
事実w

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 22:10:48 ID:tEMbElA0
来るなら来いバカウヨども!!  徹底的に論破してやる!!!

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1181745431/l50

来るなら来いバカウヨども!!  徹底的に論破してやる!!!

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1181745431/l50
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来るなら来いバカウヨども!!  徹底的に論破してやる!!!

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1181745431/l50
来るなら来いバカウヨども!!  徹底的に論破してやる!!!

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1181745431/l50
来るなら来いバカウヨども!!  徹底的に論破してやる!!!



235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 00:52:30 ID:AbNNpUWn
矢鱈に書名、著者名を出す輩がいるが、目的が理解できない。

こうゆう輩は往々にして・・・・、・・・・。

何れにしろ、みっともないから、やめたほうがいい。自慢にさえならない。

236 :ヤマさん:2007/06/25(月) 01:39:03 ID:+2AK8NW7
>>208
小論をサッカーで例えれば、
「ルール=形式、があって始めて技術の伴う試合ができる。」
こう仰っているのでしょうか?


237 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/25(月) 01:39:08 ID:hW7jx0xT
>>235
あのさあ、目的は私(を含めた三森に関心のある住人)への情報提供でしょ。
自分がよくわからんからって、やめた方がいいという言い草はないだろ。
お前のくだらん話と、三森の話と、このスレ的にどっちが面白いと思っているわけ?
みっともないのはお前だっての。寝言は寝てから家。


238 :ヤマさん:2007/06/25(月) 01:46:11 ID:+2AK8NW7
>>237
あ、ママンさん、三森の「外国語で発想するための日本語レッスン」
手に入れました。

まだ読んでいませんがいずれ話しができると思いますのでその節は
宜しくお願いしますね。

239 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/25(月) 01:50:29 ID:hW7jx0xT
わぁ、ヤマさん、ぜひコメントお願いしますね。
猫ちゃんも三森のことを詳しく調べているみたいだし、面白くなりそうです。
私も言語の連載を見てみるつもりです。


240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 02:28:51 ID:Vev3hWPE
ママンはさぁ、あれだけ俺の問いかけをなかったことにしておいて
何をのこのこと書き込んでんだ、ん?

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 07:18:02 ID:8s9d3bNy
ヤマさんへ それぐらいの理解がちょうどいいかもしれません。

三森をやれば、結局、わしと同じ地点にくるはずなのだが…。
なにしろ、わしが来るまで誰も言語技術とかレトリックとかを
持ち出してないのだから。

勉強するのは悪いことではありません。やった方がいいと思います。
知ったことは実行してみなければなりません。実行には意志が
必要になります。頭が重すぎて振り回されないように。

  こんなはずじゃないのは当たり前です。
    授業する人が違えば結果が違ってくるのが授業です。
      教えるということはパフォーマンスなんです。
        芸には修行が必要です。
          芸だからこそ天才もいるわけですが、天才
            には天才の別の問題が見えています。

  教えるということは、エンプロイヤー・エージェント問題
も含む非常に複雑なコミュニケーションモデルです。
追求されることは間違いではありません。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 07:21:51 ID:UgHbQOtc
責任の話をしていたら…時代と寝てるわけじゃないけれども、なんですか社会保険庁の対応は?

 平職員には記録を廃棄する権限なんてないでしょ。なのに<自主賞与返還>?しかも、それが責任を果たすこと?
だ・か・ら・だれが廃棄していいなんて言ったのか?が問題なわけでしょ?

 平は必ず上司に聞く。上司は前例を当たる。もしくは、さらに上司に当たる。つまり、上が「いいよ」と言ったわけで
その根拠は「法で定められてないから」…間違いじゃない。

 じゃあ何がまずかったのか?

 年金の受け取りに年金を払ったという証書が必要になった。年金手帳の切り替えが必要になった。で過去の洗い出し
が必要になった。

 事後法です。つまり想定外な事態で対応不能になった。法的不備だったので立法担当の国会にも責任がある。
なんで誰もそれを言わないのか。それは…実は…他の目的があるから、社会保険庁解体とそれに伴う全労の解体。
こんなの絶対に年金対策が右往左往している政権や年金が問題にあると1970年代から調査検討していた保険庁幹部
に責任がある。

 ボーナスを返すなるポーズが責任になるという拝金主義はどうだろ?だってそんなこと被害者にはまったく関係ない
じゃないのさ。責任を果たしてなんかいないよ。反省の姿勢を公にしているだけだ。責任ということばを使うべきではない。

 (このように責任一つとっても社会的なあいまいさがつきまとっていることが日本語の特徴であり、問題ランガージュの
力が強すぎて権威権力が通りやすい。話せる人のことばがそのままことばとして機能してしまう。)

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 20:36:59 ID:PR+qfFMW


また馬鹿なことを口走る。
ママンか猫の突っ込みが見えたw

244 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/26(火) 22:37:26 ID:sbS+qrxa
>平は必ず上司に聞く。

戦時下において軍や国家権力に「お伺い」することなしに何もできない。言えない。
従軍慰安婦は性奴隷であった。これはもう間違いないことになる。「あ」の理屈なら。

>社会的なあいまいさがつきまとっていることが日本語の特徴であり

これで何が言いたいのかサッパリ分からん。
社会的なあいまいさを日本語の特徴だと断定する根拠は何だ?
また、そういう発言の意図は何だ?

日本語を本質的に変えようと言いたいのか?
あるいは、今日の無責任体質は日本語の特質に起因するから仕方ない、あるいは必然だとして
引き受けないといけないと言いたいのか?

必死こいて日本語のローカルな論理を説いた理屈との整合性はどうだ?

「あいまいさ」とは明らかに西洋的な論理を自明性・自然性に押し込め前提させている。
ローカルな論理との照合はどうした?

言ってることがいつも無茶苦茶なのはなぜだ?

頭が悪いことは言い訳にならない。

245 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/26(火) 22:42:56 ID:sbS+qrxa
>問題ランガージュの力が強すぎて権威権力が通りやすい。
>話せる人のことばがそのままことばとして機能してしまう。

難しく言うことで根拠のない発言を高みに置こうとする。
うんっ??そんなことはないって?長文が要るか?

>問題ランガージュ

どひゃー
くるくるぱー

こんなのに引っかかる阿呆もいるんだろうなあ。。





246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 00:19:06 ID:DI1WG47N
はあ?

 民間業者が管理している売春婦がなぜに軍とか国家権力に逆らうとか逆らわないという話になるわけ?
 妄想全開。軍は委託している業者に対して最低賃金などの基準を示したりしてるよ。本来は組合がすべきことを
 軍は一応通達したりしてやってます。(←だからこそ、軍が関与してたって言われちゃうんだけどねえ。これもまた
関与には間違いない。)

 意味をはっきりさせないまま、ことばだけを流通させるってことですよ。
 年金問題がこれだけ問題になってるけど、何が問題で、そもそも誰が問題にしたのかがわかってますか?
 とりあえず「年金が問題」「年金の問題」ってだけで流通してるでしょ。

 わかった気にさせちゃうしくみがいっぱいあるのが日本語。気をつけておかないとそういうことばに流されちゃいますよ。
ぐらいの意味ですよ。

 現象学のエポケーが当たり前になってるっていった方がいいかな?エポケーこそが日本語の論理だよ。
現象学的還元ってやつをひっきりなしにやってしまう。

 あ、そこは「問題。」の句点が抜けてる。日本だと○○がテレビで言ってた。教科書に載ってたが根拠になってしまう。
そういう危険性をいいたかっただけ。
 
 で、問題の本質からずいぶん離れたところで穴を掘ってるのね。自分の墓穴なの?

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 00:39:47 ID:DI1WG47N
三森がテキストの構造分析的読みを講義しているテキストがあったのでリンク。

ttp://www.bunka.go.jp/1kokugo/17_tokyotaikai_06bunkakai.html

 これを読めばいかに猫の指導案が構造分析的ではないのかがわかる。
(あーあの語り口が気持ち悪いのは感情的な共感を強要されるからなのだな。)


 気持ちなんてことばは一つも出てこない。

248 :うちの息子がクネクネします:2007/06/27(水) 00:54:15 ID:I7OkRMCv
>難しく言うことで根拠のない発言を高みに置こうとする。
それはお前。証拠の数々を貼りに言ってあげようか?

小学校教師氏の言うことにも、ちっと微妙なところはある。
従軍慰安婦については「なんだかなあ」という気はする。
それは確かだよ。使う言葉もときどき、とんでもなく変だ。
アウトラインプロフェッサとかな。
でもな、それはいいんだよ。わかんなかったら聞き返せばいいんだ。

おれは、どっかで小学校教師氏を信用しているところがあって、
それは、氏が自分の頭で考えて試行錯誤している様子ってのが、
まあ、匂いでわかるからだよ。←

249 :うちの息子がクネクネします:2007/06/27(水) 00:57:27 ID:I7OkRMCv
でさ、猫のいうことが信用できないってのは、それが仮装に
過ぎないからだ。
猫が望んでいるのはね、

  一 発 大 逆 転                          ←

ってやつ。国語の話も教育の話も政治の話もすべて、そのための材料
でしかない。これはもう俺の目には明らかなわけ。←
そのために邪魔な人間を排除するためには、どんな嘘でもつくというのが猫の悪癖。
で、それを指摘するとさ、内容に批判できないくせに、とくるわけだ。
どんな立派な内容をコピペしていても、その前後で大嘘をついたことは
なかったことにならんだろうと俺は思うわけだが、例えば一言小僧君にはそれが
わからない。
この点で言えば、一言小僧君は猫に騙されているわけさ。
まあ、一言小僧君にしてみれば、猫に騙されていたい理由があるんだろうけどね。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 01:05:12 ID:mg3Tuiz7
>>245
>こんなのに引っかかる阿呆もいるんだろうなあ。。

そりゃ、いるだろ。
なにしろ、ママンを筆頭に猫に引っ掛かる奴らがいるんだから!



251 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/27(水) 01:47:38 ID:O9EMwddc
>まあ、匂いでわかるからだよ。

ぷ。「根拠のない発言」という指摘を批判できるかっての。


252 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/27(水) 01:55:24 ID:O9EMwddc
>これはもう俺の目には明らかなわけ。

ぷ。


253 :うちの息子がクネクネします:2007/06/27(水) 02:08:28 ID:I7OkRMCv
そこに食いつくと思ったよ。だから←をつけてある。

ところで、
> 138 ◆yk/JpL/Z9U sage 2006/11/28(火) 23:23:24 ID:WVZgiDJL
>自然科学者がそう傾くのはたいてい後半戦からです。
>アインシュタインやゲーデルが典型で、晩年は神さまーで神秘主義でひきこもった。
>そういう姿からアナロジーの力は何かを見出すのですww
>彼岸の近似・類似の匂いww

これは猫のレスだが、この直後にママンのレスがある。
そこでは「匂い」という言葉には反応していない。

では、なぜママンはおれの「匂い」という言葉にだけ反応するのかな、ん?

それはさておき、猫の金子みすずの授業案は読んだよね。
あれについてコメントをどーぞ。
しないんだったら、お前は手前勝手なヘタレ。

254 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/27(水) 02:17:09 ID:O9EMwddc
>>253
>そこに食いつくと思ったよ。だから←をつけてある。

ご苦労なこって。

>なぜママンはおれの「匂い」という言葉にだけ反応するのかな、ん?

小学生かお前は。
お前は「匂い」以外に理由を一切述べてねーだろ。これ以上恥をかくなよ。

>猫の金子みすずの授業案は読んだよね。

どこ?アンカーで示してくれや。


255 :ママンがクネクネします:2007/06/27(水) 02:23:26 ID:I7OkRMCv
>お前は「匂い」以外に理由を一切述べてねーだろ
猫もそうだよ。
>どこ?アンカーで示してくれや。
前スレに盛大に張ってあげたろうが。
もいっぺん貼れっつーの?
お前は、こうやって都合の悪いことはなかったことにすんのな。
そういうお前には「恥」について語る資格はないよ。
だって知らないんだから。

256 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/27(水) 02:29:48 ID:O9EMwddc
>猫もそうだよ。

よく読み比べろって。
猫はAと言って、それがBと似てると言う意味で「匂い」という表現を使っている。
一方、お前はAと言うために「匂い」を理由として使っているわけで、全く違うだろ。

>お前は、こうやって都合の悪いことはなかったことにすんのな。

おいおい、なかったことにはしてねーだろ。
どこかと聞いているんだからリンクが貼れるなら貼りゃーいいじゃねーの。

みすずの解釈はたくさんあったわけで、それのどれについてお前が言及しているのか
私にはわかりようがない。猫を僭称していたレスもあったと思う。


257 :ママンがクネクネします:2007/06/27(水) 02:50:49 ID:I7OkRMCv
ああ、なるほど。
>おれは、どっかで小学校教師氏を信用しているところがあって、
>それは、氏が自分の頭で考えて試行錯誤している匂いがするからさ。
これでいいか?

猫を僭称してるレスなんざなかったぜ。

258 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/27(水) 03:09:40 ID:O9EMwddc
で、どのレスなわけ?



259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 06:02:28 ID:BD6OGUS9


を信用する馬鹿w

と に か く
猫が憎い、猫が憎い





って、それだけ。

負けたからw
馬鹿教師のプライドは厄介だ

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 06:37:12 ID:BD6OGUS9
支離滅裂



を試行錯誤だとほめるニクイニクイニクイニクイ
その威力は絶大だ

猫を汚すこと以外は何も言うつもりはない

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 06:39:08 ID:BD6OGUS9
プライドだけ一人前のクソ教師

もっとやれ、猫w

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 06:48:13 ID:DI1WG47N
一番 醜いもの。
リングの外側にいて、
「もっと、やれ!」と叫ぶだけの
外野。

 

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 06:54:48 ID:DI1WG47N
でも、わかったことが一つ。
ママンは猫の批判をしているわしを、原本の猫の指導案を読まずに
批判したってこと。

 これが高校の国語教師のテキストに対する態度。

生徒が可哀想。女性にはこうなるタイプもいる。けれど、女性でその
言葉遣いなら言語技術としてもどうだろうか。

 態度批判だって?中身が空疎で批判できないよ。

 だってAとBが似ているという意味の匂いだからいいんだ。だって。
 類似の匂いがするから、アナロジーを感じるから神秘主義になって
しまうんだよなあ。というのが猫の文意であるから。

 Aというための根拠にしているもまた正解だよ。レトリックとして回りくどいのが
猫の文章。どうして、それで論理的なんてことばがとびだすのかがわからない。
繰り返しになるが、キャプランの螺旋の形態図は猫の言説のスケッチだ。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 18:05:56 ID:X4yOiXOz
というより三森の講義を聞けば、
わしの指導案こそ構造分析的な読み取りであることがわかる。

 わしを批判しながら三森も肯定できる猫は一体、どんな構造をしてるのか
理解不可能である。

265 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/28(木) 00:20:27 ID:2E3g5tjt
三森を読めば「あ」になるってかww

まあ、それでもいいよ。とにかく、三森や構造分析には賛成なんだ。
だったら、どんどん勧めてくれよ。くだらん言い分けはいいから。

構造分析なら石原千秋も勧めないとアカンぞ。
「国語教科書の思想」は構造分析で教科書をぶった切ってると明言している。
ぜひ読まんとならんことになるよな。

えっ、石原は素人だっていうの??

これだからクルクルパーは困るんだ。


266 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/28(木) 00:30:00 ID:2E3g5tjt
>クネクネ

みすずの一件、全然かまわんよ。「あ」の言い草とともに何度でも張ってくれ。
省略なしに。基本的に撤回することなんか一つもない。

お前にとって、オイラが無様なら「お前自身」にとって好都合なはずだ。
何度でも張ってくれ。「あ」の突っ込みも省略せずに。

分かる人間には分かる。

それとな、遠慮せずにどんどん発言しろよ。もったいぶったそぶりは止めておけ。
具体的な内容で長文連投を期待している。

不安まみれで揚げ足取りしか考えられないカス教師の自尊心なんか害悪以外の
なにものでもない。たくさん見ている。ウジウジしてないでどーんといけ。

オフ会の誘いも待ってるぞw

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 00:35:41 ID:9NASxxPI
> わしを批判しながら三森も肯定できる猫は一体、どんな構造をしてるのか
>理解不可能である。

いや、それは理解できるよ。
ポイントは三森が女で思春期を外国ですごしたということ。
これは、猫的解釈だと「国語の外部」にいるってことになる。
外部が国語を揺るがすという事態に、猫はエクスタシーを感じちゃうんだ。

なぜかというと、猫は自分がこの社会の「外部」にいると感じているから。
で、「同じ」「外部」の人間が、国語教育を変えちゃうということになれば、
自分(猫)だって、いつか国語教育を変えた大立者として認められる
という夢に浸れるから。

そこで敵(と猫がみなした人間)が三森について発言すると、
「三森はボクのもんだい!」と甘えっ子が駄々をこねる勢いで
「オマエハワカッテナイ。オマエハワカッテナイ」と呪詛を繰り返すわけさ。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 01:05:23 ID:4myExY2z
「構造分析」ってなんですか?

269 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 01:11:28 ID:1YbcVPNf
>>265
おいおい猫ちゃん、「あ」と三森のどこに共通項があんの?
「春」のような恣意的解釈の押し付けと三森の実践とは正反対じゃねーの。
まともに相手をするのはあほらしいけど、そこをいい加減にするのはよくないね。

みすずの件がなんだかよくわからんのは私だけなのかな?
具体的な指摘をしてつかあさい、クネクネさんや。

>>267
妄想はどーでもいい。
私としては、「あ」が三森の話をするのはまったくかまわんが、自分と同じ
だという主張にはついていけんよ。誰かに「ワカッテナイ」と言われたとして
も至極当然だとしか思わない。


270 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 01:27:01 ID:1YbcVPNf
>>263
>ママンは猫の批判をしているわしを、原本の猫の指導案を読まずに
>批判したってこと。

私はクネクネさんのいう「猫の指導案」というのが数あるレスのうちのどれの
ことかわからんと言っているだけ。お前も心当たりがあるなら貼ってくれや。
コメントしろと言われているのにわからんから困っている。
前レス539-550の「猫による市の…」というレスのことじゃないよね。


271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 03:23:35 ID:4myExY2z
私は、さきほどレスしたもうすぐ50になるおっさんです。2ちゃんねる初のレスでした。
蓮實重彦の「反=日本語論」なんて出たあたりからロムりました。
30年近くも前に読んだ本でなつかしくなりました。おもしろがっていただけでさっぱり理解はできませんでしたが。
また、20年ほど前に「分析批評」などが国語教育界で話題になった時のことや、
田近さんがバルトの構造分析を使った教材分析をしていたことなどなつかしく思い出しました。
わずかなレスを斜め読みしただけでみなさんの議論の枠組みとか流れとかはよくわからないのですが、
とても興味を感じました。

国語教育において「構造分析」を導入した授業が必要である、
これはみなさんの共通の認識なのでしょうか?
また、みなさんの言う「構造分析」とはどのようなものなのでしょうか?
(僕が印象では蓮実などはポスト構造主義的でありました。
「外」が問題になるのは「脱構築」的な場面だったように思います。)

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 05:16:13 ID:1ZKf6TOW
まず、小学生は国語の外部にいる。
小学生にとっては国語を身につけることが国語科の目標なのだ。

 このことを否定するには、学制そのものを変えなくてはならない。
 少なくとも次の学校制度を公的に認め義務教育を果たしていることにすることが必要だ。

 ・コミュニティースクール
 ・ホームスクール

 コミュニティスクールは地域が全てを決めるという制度である。村、町、あるいは町内会。
 パトリオティズムによって学校を運営する。

 ホームスクールは親が全てを仕切る。親に教育権があるという考え方である。

この二つを認めることによってしか、小学生の内から国語の外部なんてことを言い出せる
根拠は生まれてこない。

 したがって、そのことを小学国語科教育で考えることは意味のないことである。
 何かの内部の中にいるからこそ、その外が想定できるわけだから。

中学、高校では、国語の外部(古語や漢文や方言)や日本語の外部(英語や中国語など)と比較
したり往復したりする振幅を求めたりすることは可能である。
(しかし、そんな授業案も活動案も提出されないから問題なのだ。)

 構造分析はもっとも単純に言えば「書いてあることから何がわかるか」にすぎない。
そのための観点を示しているだけだ。向山はそれを「読むためのものさし」と呼んだ。
「ものさし」という存在は客観的である。基準である。という含みだろう。

 その向山が「春」の実践で作者は不幸か幸福かなる発問をしたのは愚かなこと
だった。(これは、書かれていない。テキストの外部である。)
 あの時点で向山にとっては分析批評とは論議をさせるためのツールにしかすぎ
なかったのだろう。

 結局、論議をどうさせるかという授業展開よりも、分析批評というツールのニーズ
の方が高かった。だから、「春」の実践が追試されたわけだ。けれど、いまだに、あ
の最終発問が繰り返されてると思うとぞっとする。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 05:22:17 ID:1ZKf6TOW
 ママンへ。

 何かと何かが同じか、違うかは、相違を上げるだけでいい。

 結論しか書かないのは、妄想と一緒。

 そんな言語使用を現場でしているなら、それこそママンの恣意的な価値観を
生徒に押し付けている。反論可能性が否定されてるから。

 Aという根拠からBという行為を禁止するとき、
 Aという根拠の心配がなければBはしていいんですねと言い返すことができる。

 だから生徒総会でルールを制定して、校則の項目廃止などを要求できるのだ。

 きまりだから守れ。きまりとは俺だ。はまさにリンチ法そのものである。

 追伸 三森は視点ということも分析する上で大事だと言ってるよ。

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 05:51:37 ID:1ZKf6TOW
ママンはケイタイで2chを見ている?

 だからリンク先の検討とかできない?
 文科省主催のフォーラムにリンクしておいたよ。
 そこでは、来た人と構造分析的読みを展開しているよ。

 基本的にはわしと同じ手法だ。けれど、赤づきん、悪い
のは誰って聞き方は構造分析というよりはアニマシオンの
方の技術で、構造分析じゃないよなーと思った。

 三森はきみたちより遥かに柔軟。原理主義的じゃない。
商売人だよ。商売人は信用できる。宗教家は信頼できない。
これは業界の常識だと思うけどなあ。

275 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 06:06:31 ID:1YbcVPNf
>>273
朝早くに何かと思ったらまたしてもつまんねー話か。
相違うんぬんで結局何について何を言いたいのかわからんし。

>三森は視点ということも分析する上で大事だと言ってるよ。

はぁ?
問題は、お前がこれまで述べてきた指導案その他のレスの内容と、三森の実践例とは全く次元が
違うということだろ。それを実は一緒なのだと主張するお前の理屈も態度もおかしいと言っているんだ。
ドストエフスキーの時と全く同じだな。誰かの理論と自分のくだらん意見の間に何か小さなどーでも
いい共通点らしきもの(単なる用語など)を見つけると、お前はそれを精一杯強調してその理論と
自分の意見が全体として結局同じであるのだと強引に結論付けようとしたがるわけだが、根本的な
問題意識も論理展開の文脈も全く無視しておいて、そんなどーでもいい「共通点」を示されても
ちゃんちゃらおかしいだけなんだわ。しかもそれを指摘されると、わけのわからん言い訳を始めてさらに
墓穴を掘る。悪いけど、お前の話はいつもその繰り返しだろ?

三森の話がしたいならすればいいじゃねーの。それはそれで面白いんだから。わからんのは、どうして
これまでの自分の意見と同じなのだとか、明らかにいい加減で適当な話にしちゃうわけ?どこをどう
見てもお前の話とは違うだろ。仮に何か同じように見えるところがあったとして、それは三森の議論
全体と関わるような重要な部分なのかよ?

>文科省主催のフォーラムにリンクしておいたよ。

あのねえ、こっちは本を見てるの。お前みたいにググって終わりじゃないの。一緒にするなっての。
そのサイトとほぼ同じ内容のことは既に本に書いてある。


276 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 06:27:16 ID:1YbcVPNf
リンク先で三森の言ってる構造分析ってのは、プロップの『昔話の形態学』その
ものだな。ま、一般向けにわかりやすい例を出したんだろう。
ハリーポッターや桃太郎ならともかく、現代小説では使えないね。

作者の仮面がお気に入りのお前はむしろ、

>作家が生きていようが亡くなっていようが,読者としては,「私はこの作品をどう
>読むのか」という立場で読んでいいということになります。

というテクスト論の常識を学んだらどうだ?
もうこの時点でお前の意見とは違うじゃねーの。


277 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 06:36:28 ID:1YbcVPNf
>>271
この過疎スレに新人登場でうれしいざんす。おっさんだなどと言わずにいろいろ発言してつかあさいね。
構造分析といってもいろいろありますね。上でふれたようなプロットレベルで登場人物の役割や物語の
展開を整理するものから、語りの審級を問題にする構造分析など、さまざまでしょうね。


278 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 06:44:41 ID:1YbcVPNf
>>274
>「基本的にはわしと同じ手法だ。けれど、赤づきん、悪い
>のは誰って聞き方は構造分析というよりはアニマシオンの
>方の技術で、構造分析じゃないよなーと思った。

ところでお前のいう「構造分析」ってのは何なの?
それでお前はどんな「手法」をどのように使ってたわけ?
ちょうどよい機会だから説明してくれや。


279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 07:12:28 ID:wC7oy2YN
おいおいママン
キミはわしの構造分析をブロッブかよ、そこどまりで…うんぬんと揶揄したぞ。

 つまり、大きな共通項が三森とわしの間で成立してるじゃない。藁。

つまり、キミなキミのことばでわしと三森の共通点を指摘してくれているんだが。
嘘つきは記憶力がよくなくてはいけないよ。

(昔ながらのいつ、どこで 、俺が言ったという嘘つきの名文句は役に立たない。
掲示版では書いたことがそのまま残ってるから。問題はなりすましだけ。)

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 07:16:14 ID:wC7oy2YN
わしは作者なんか関係ないってば、わしの指導案には作者なんか登場しないの。

 してるのは猫の指導案だよ。

 あーもう。ママン本当に大丈夫?日常のやり取りで齟齬とか起きてない?
 誰が何を言ったかが混同したら、周りは迷惑以外のなにものでもないでしょ。

きちんとメモとったり記録したりして整理してる?
 成績関係だけはきちんとやってよ。学校が一番信用無くすことなんだから。

わしが導入してるのは語り手であって、それは視点の導入のためだよ。
おかしな人だなあ。みんなが「ママンはバカだから、許してあげてください。」
っていうのは本当なの?

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 07:22:51 ID:wC7oy2YN
えー! ママンのわしが何を言ってるのかもわからずに批判してたの!

 …もう、いいです。そんな人とは議論もへったくれもないでしょ。

オマエよばわりだしね。わしもこれからはオマエと呼ぶことにするよ。
オマエはバカとかさ。

 語り手=作者だというのは、間違いだろ。どう考えても。
語り手=私の場合、明らかに階層構造ができあがっている。
 語り手が物語の外部にいるときだけ作者と仮定できる。
ただそれだけだろ。凡ミスだよ。そんな考え方。

 構造分析は、読む姿勢としては、書いてあることだけで読むことですよ。
その上で読み取る観点をいくつか用意して、物語の構造を明らかにしよう
とする方法だ。その観点が道具になる。語り手、移動、場面、対役、事件
などの観点だな。

 って前も説明したな。もう本当にスレ読みのできにないおまえなのですね。
それこそ反射で書いてるでしょ。


282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 07:24:12 ID:wC7oy2YN
あと読解力の問題のオマエが
「本を読んでるの」といっても説得力がない。

また誤読かよ。でお終いです。

283 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 07:31:41 ID:1YbcVPNf
そうそう、昔話の形態学はお前の得意技だったな、忘れていたよ。
どこかで突っ込みを入れた覚えが確かにある。

それなら話が早いな。
三森はプロップやろうぜなんて言っているのではない。いつまでも赤ずきんちゃんと猟師の
分析をやるわけにはいかないのだから。むしろリンク先で重視すべきは、

>ここでの構造分析の違いは,なぜこれがクライマックスになるのかということを
>論理的に根拠を求めて議論をするというところです。

という部分だろう。プロップは単なる議論の前提にすぎんよ。

「論理的に根拠を求めて」なされる「議論」がお前の指導案にあったか?
得体の知れない演歌のイメージから勝手に蝶の「北上」を決め付け、結果として地理的
条件とも矛盾するという体たらくだったお前の指導に、どんな「論理的」「根拠」があったと
言うのかね?プロップがたまたま出てきたから飛びついて喜んだのかもしれんが、本質的な
話とはかけ離れているのだからどーしようもないわ。


284 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 07:41:42 ID:1YbcVPNf
>>280
>わしの指導案には作者なんか登場しないの。

どんだけ批判されたか忘れたのかね。

>語り手が物語の外部にいるときだけ作者と仮定できる。

ぶは。ここで作者が登場してるじゃねーの。

>語り手=作者だというのは、間違いだろ。どう考えても。

だったら仮定できるのだっておかしいだろうが。それくらい気づけよ。

お前は自分のレスが矛盾してることすらわかっていない。
つまり、何度も言うけど、語り手概念の理解ができていないんだよ。それに「物語の外部」と
「語り手」の関係も間違っている。はっきり言ってお前の話はめちゃくちゃだぞ、おい。それなの
に三森と同じだなんて平気で言うから困る。


285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 07:48:50 ID:4myExY2z
作品(テキストじゃなきゃダメ?)の言葉を根拠に、客観的な観点によって作品の構造を分析していく。
「構造分析」を一応そのように理解しました。
そこで、ごくごく基本的な疑問でみなさんにとっては、解決済みなのかもしれませんが、教えてください。
なぜ国語科の読みの授業でなぜ「構造分析」をさせるのですか?
例えば、算数で長さの学習をしますが、その時「普遍単位」の概念(客観的な観点)は不可欠な学習内容です。
量の学習をする上で、面積、体積の理解の前提になります。
また、日常生活にとっても長さの単位は必要な知識ですし、それを用いて測定することも必要な技能です。
なぜ「構造分析」なのか?
あわせて向山の「春」の授業における作者の「幸・不幸」を問う類の学習はなぜだめなのか?
みなさんにとっては、ずーっと議論を引き戻す問題かもしれませんが、よろしければお答えください。


286 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 08:03:50 ID:1YbcVPNf
>>284の続き
あのねえ、小説の語り手は物語世界の内にいようが外にいようが、作者とは関係ねーの。
虚構世界に錯視される存在をどうして生身の人間と同列に論じられるわけ?また、それを
媒介する言語という表現手段が作者の内面を小説文体として透明に写し取っているとでも
言うのかね?語り手と作者を同時に持ち出してくる時点で全てが終わっとるんだわ。お前が
いくら作者を否定しても、言葉の端々に作者が前提とされた表現がいくつもあるんだからどー
しようもない。構造分析はおろか、それ以前の問題。三森の議論は、こういうお前みたいな
指導案を徹底的に批判したアンチテーゼとして成立していることに気づけ。


287 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 08:44:22 ID:1YbcVPNf
>>285 おっさんさん
別に構造分析でなければいかんわけではないのですよ。
構造分析して面白いものもあるし、別の視点から扱った方がよいものだってあると思います。
推測でも感想でもとにかく何か意見を言えばいいとか、教師が自分の読みに誘導していくような
授業の進め方ではなく、例えば三森などによって、書かれていることとそこからわかることを前提に
自分の意見を構築し、議論することで理解を深めていく形の授業が求められているわけです。
これまでの教師主導で、そもそもわかりっこない作者の見解(結局、教師が作者の仮面を被って
自らの解釈もしくは定説を押し付けることになる)を唯一の正解とするような一方的な講義形式
の授業では、読解力が育たないのです(教師の言う「正解」をノートにまとめて試験の時に反復
するだけ)。そういう授業とは別の形態のひとつとして、例えば物語の構造分析に注目して考えて
いくといった方法があるわけですね。

作者の問題は、作品によってはきわめて重要です。その人物像とか当時の社会背景の理解が
作品の理解にきわめて有効な場合があるからです。しかし、作者本人の内面とか、執筆時の
心理といったような話になってしまうと、誰にもわかりっこないわけです。そういうそもそもわかりえない
ものを「幸か不幸か」などとして推測したところで、あるものをどう感じるかという問題は個人によって
差があるはずなので、往々にして道徳問題のようになって特定の価値観を押し付けて終わること
になりかねないわけです。こういう、従来の作者とか物語の主題とかへの過剰な関心を振り払えば、
より客観的に分析可能な物語の構造などに自然と焦点が当たることになるはずです。


288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 09:24:13 ID:4myExY2z
>>287
うんうん。20年も前、向山らによって議論されたことですね。
教師の読みへ誘導するのはいけない。これは了解。
子供が自らの読みを持つこと、また自らの読みを持てる力を育てること。
こうした授業を目指していかなければならない、と僕も思います。
だが、そうした授業にしていくためになぜ構造分析が有効なのか?
構造分析を授業に導入することと教師主導の授業から脱却することはイコールではないと思います。
教師主導の構造分析の授業も十分できると思います。
(実は三森さんの講演(?)も、もしそのまま授業だとしたらどうなんだろうと疑問があります。)
構造分析の導入は、教師主導の授業をどう脱却するかというよりも、
読みの力をどう考えるかという問題なのではないでしょうか?
(またまた実を言えば、教師主導の授業もある段階、ある場面ではあってもいいと思っています。)

「作者」の問題もかつて僕もそう学びました。
語り手や登場人物と同一レベルで扱えないのは了解。
しかし、生身の作者と読み手が作品から想像する「作者」とは違うと思います。
これを同一視することが問題なのであって、
読み手が「作者」を想像することはあってよいことだと思います。
また、作品から想像される「作者」の内面や心情を問うことと、
教師などの既定の価値観を注入することはイコールではないと思います。
幸・不幸の感じ方は子供が判断する授業でよいのですから。


289 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 11:33:53 ID:pM82JIh9
おじちゃん

>構造分析を授業に導入することと教師主導の授業から脱却することはイコールではないと思います。

そりゃそうです。脱却うんぬんはそういう背景もあるというだけの話で、教師主導の構造分析だって当然
ありえますわな。別に構造分析やらなきゃいけないとか、これしかないなどと言うつもりは私にだって毛頭
ありませんよ。構造分析に拘る必要はまったくなく、多くの中のひとつにすぎないのは既に述べた通りです。

>読みの力をどう考えるかという問題なのではないでしょうか?

当然のことですね。構造分析に限らず全ての活動の目的は言語運用能力の向上にあるべきです。
国語科は技能教科ですから。

>しかし、生身の作者と読み手が作品から想像する「作者」とは違うと思います。
>これを同一視することが問題なのであって、
>読み手が「作者」を想像することはあってよいことだと思います。

悪いけどここはよくわからん。あなたのいう作者と「作者」は何が違うの?同一視も何も、別のものなら
同じ用語で語るのはよくない。作品から想像される「作者」というのがあるとして、それが生身の作者と
違うのは当然だけど、それならその作者とは異なる「作者」が一体何を指すのかわかりにくいよ。

それが虚構である文学作品から抽出されるのであれば、現実に生きる/生きた生身の作者そのもの
であるはずがない。そもそも次元が違うから。また、「この本はこういう人が書いたのかな」という単なる
想像なのであれば、当否はともかくそれは生身の作者に関することなのだから、違うものだとするのは
語弊がある。この物語を「語って」いる誰かがいるはずで、そのことだと言うなら、それは人格がなくても
物語から装置として錯視される「語り手」と表現されるべきもの(かつては「表現主体」などとも言った)
で、括弧付きであっても「作者」と表現するのはきわめて不適切です。


290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 16:33:12 ID:4myExY2z
ママンさん

僕の言う「作者」は「表現主体」のことです。
作品から読み手が錯視(僕にとっては新しい用語です。昔「物象化」という用語を使って考えたかもしれません。)する「作者」と
作品について作者の資格で語る生身の人間とは、次元が違うのはわかります。
ここまでは了解。
で、僕ら読み手が「作者」と言うのは、生身の人間のことでしょうか?
実は、作品の「表現主体」のことではないでしょうか。
作品の表現主体であってこそその生身の人間は「作者」と呼ばれるのではないでしょうか。
人格を理解するということがそもそも、表現からその表現主体を錯視していくことだと思います。
作者の資格を持つ生身の人間と作品の表現者「作者」とは次元が違う、
こうした次元の違いに即した用語のシステムは必要かもしれません。
しかし、そのことが作品からその表現者「作者」を読み手が想像する(錯視する)ことを禁ずることにはならないでしょう。
用語の問題は留保しておきますが、
例えば「春」を読み、あの作品の表現主体の幸・不幸を読み手が想像することはあってよいことだし、
そうした想像力も言語運用能力のひとつと考えていいのではないでしょうか。

問題は言語運用能力としての読みの力をどうとらえるか、でしょうか。
作品からその言語主体を想像する、これは言語運用能力と認められませんか?
「事実」や「言葉」によって正しいか間違いかが決定できることが、
学習すべき読みにとって不可欠な条件なのでしょうか?
私たちが育てるべき言語運用能力としての読みの力とは、そうした条件にかなう力に限定されるべきなのでしょうか?






291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 19:01:09 ID:zOuIJTAJ
昔の乙さんはママンさんという名で活躍しているのですか?w


>168 乙 ◆2VOjRT2l8o sage 2005/09/15(木) 01:11:28 ID:DhsoPTuO
> >>165 ってかID:D6JQHZ8B
>現在ってのは単に時間的流れの1断面じゃなくて、すべての過去が重層的に
>重なって成り立っているもんなんよ。
>でさ。地方の年寄りなどの中には方言を通じて平安時代と通じる言語生活を
>送っている人間もいるわけ。
>君がもし社会人なら、仕事をするわけだよな?んで、例えば君の勤める会社
>に出資してくれる見込みの人がいたとして
>その婆さんが古文のような日本語を話す人で、君が金融会社や不動産会社
>の営業マンとしてその人とコミュニケート
>しなければならないとしたら、どう?
>俺は>>143の最初の2行で「古典文法などは実用性がないのでいらね」とする
>君の議論をひっくり返したんだが。
>そこらへんはどーなのさ?

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 20:59:01 ID:HyXAU/Qq
お前もう止めなよ。誤読大王だよ。

わしは語り手=作者というのを否定しているんだけど。どう読んだら、わしが作者と語り手を同一視してるって読めるんだ。

したがって、全部いっぱい書いてあることは、わしに向かって言ってることではないよ。

 はあ。あとね。クライマックスがどうしてそこなのか、つまり中心場面の決定は昔からある物語読解の取り組み。
そこでは、カタルシスや変化が起こる。つまり起承転結の転の場面。もしくは序破急の破の場面。

 論理的な根拠なんかいくらでも出せる。

まあお前にはこのくらいで充分でしょ。いきなり「おっさん」扱いする教師。どうだろね。それ。

>>285

 まず、前もってテキストの意味が固定化されることは、テキストを読まずに解説を読めばそれでいいということになります。
ダンテの神曲を知るためににはダンテの神曲を読むべきです。

 ですから、テキストの意味というものは時代によって、そして、読む人間によって新に引き出されるものでなければなら
ない。またテキストの方もそれに耐えられる力がなければ生き残ることはできない。概ね古典と呼ばれるものには確かに
それだけの力がある。

 そして、そのような読み取りのためには「テキストのことばに準拠」することが必要です。でなければ、レストランのメニュ
ーから相対性理論が読み取れるようなことになってしまいます。ある心理的効果を上げているのは他ならぬテキストのこ
とばであり、センテンスの構造です。そしてそれを使って想像される物語の時間なのです。

 そのことを自覚的に記述するためのツールとして構造分析という方法が有効なのだということです。

 向山の幸・不幸はテキストの外部を持ち出さなければ、感想の列挙にすぎません。しかし、貧乏でも幸せな人がいるよう
にどのような現実的な作者の史実を調べようとそのときの心境などわかるはずもありません。感想を列挙させるような授業
は、それこそ構造分析とは真反対のものなはずです。

 構造分析的な取り組みではおかしいと思ったことに反論するために「テキスト内のことば」を使うことができ、どちらが、よ
りテキストの則しているかという基準でよりふさわしい考えに深めることができます。(というより、それが構造分析というツー
ルを使う目的のはずです。)

 いくら討論の授業だといっても、いや討論の授業だからこそ感想の列挙は否定されなければならないはずです。


293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:17:17 ID:HyXAU/Qq
たとえば蟹工船は、そのようなテキストではない。

 あれを今読むならモスキートマウンテンに暮らす子供たちの聞き取りを読んだ方が、その精神を受け継ぐことができ
る。


源氏物語は今も読める。なんとなくクリスタルの方が今に近いのに、源氏物語の方が今でも読める。

 テキストの外部を必要とすればするほど、つまり、作者と読者との間の了解事項が多くなければならないほど、
時代を超える、読者を超えるテキストたりえない。もちろん、そのようなテキストの需要もある。

だけれども、言語技術を磨くということで考えれば、わたしーあなたで了解されるような物語ではなく、教えるー教わる
のような了解するためにはなによりもことばと格闘しなければならないものに取り組んだ方がいい。


 話は変わるが、土曜日にやる「世界が百人の村だったら」は視聴していただきたい番組である。
少なくともこんな議論なんか、結局、許されて行われているのだということを肝に命じるためにも。

 あと教師が主題へ誘導する授業はよくない。けれど、教師が伝えたいものが何もない授業などする価値はない。
子どもが自分でそう思ったんです。…アホカ。
 子ども主体なんてことを幻想するのは愚の骨頂。子どもも教師も読者という地平で同じところに立てると思ってる。
立てません。言語経験や言語生活の厚みが違うわけだからね。

子どもの読みや生徒の読みを尊重することはできる。ガイド役やツアーコンダクターとしての役割を教師が放棄して
しまっては授業は成立しない。

 授業ではなく活動だというなら、それはそれでいい。活動に求めるものは参加者一人一人違うのだから。ただ、それ
を学校のカリキュラムの中でやるのはどうだろう。クラブとか同好会でやることじゃないだろうか?

 わしは案外文学読みみたいな読書を教養としてしか認めてないのかもしれない。そのその生きる過程で必要になる
読書ができればいいと思っているのかもしれない。(読書量一万を超えるわしがそんなこと言うのもなんなんだが)

294 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 21:18:49 ID:TfbOL+z6
>で、僕ら読み手が「作者」と言うのは、生身の人間のことでしょうか?

現代の文学批評用語ではあなたのいう「表現主体」という表現を今はもう使いません。
あいまいだからです。というより、語り手概念が導入され、それに席巻されてしまったので
しょうね。執筆・出版というリアルな世界の「作者」と、虚構としての作品世界(その内
であろうと外であろうと)の「語り手」を同一視することは理論上ありえませんよ。テクスト
は引用の織物であるとするテクスト論の立場からすれば、テクストを作者の独創物だと
いう主張さえも否定されるからです。テクストと作者は常に明確に切り離されています。
だからテクストから抽出される何かを「作者」と呼ぶことはしません。そこがあいまいになって
いたのがこれまでの作家論(テクストの記述全てを作家の個人的体験に還元する態度)
だったわけですね。当否はともかく、それに批判的にテクスト論が成り立っているのです。

翻って授業を考えてみると、「作者」と言えば生身の作者であると考えるのが普通でしょう。
児童や生徒にあなたのいう作者と「作者」の違いを明確に説明するのは難しいはずです。
中途半端な話だと、教師が作者の仮面を被って適当なことを「正解」として押し付けると
いう、悲しい事態が継続されるだけです。


295 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 21:22:38 ID:TfbOL+z6
>作品からその言語主体を想像する、これは言語運用能力と認められませんか?

読解の一部としてはいいんじゃないでしょうか。
もしそれをして面白いのであれば。作品によるでしょうね。


296 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 21:23:41 ID:TfbOL+z6
>>292-293
誤読はどっちだっての。
教師はガイド役なのは当たり前だろ。そんな話をしてねーわ。あほ草。



297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:26:21 ID:HyXAU/Qq
おもしろい おもしろくない なんていう主観的なことが方法選定の基準になるなんておかしい。

 新たな意味を同じテキストのことばを使って見いだせるかどうかならわかる。

価値創出という基準こそが大切なのだ。というのはきちんと議論をする土俵になる。
おもしろい/おもしろくないという表現は不適切ではないだろうか?

 (国語教師がそんな言語技術でいいのか?)

298 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 21:36:43 ID:TfbOL+z6
>>297
>新たな意味を同じテキストのことばを使って見いだせるかどうかならわかる。

あほか。
国語教育と文学研究をごっちゃにするな。


299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:41:48 ID:HyXAU/Qq
そんな話してねーわという作者とテキストはまったくの別もの。


そりゃそうです。脱却うんぬんはそういう背景もあるというだけの話で、教師主導の構造分析だって当然
ありえますわな。別に構造分析やらなきゃいけないとか、これしかないなどと言うつもりは私にだって毛頭
ありませんよ。構造分析に拘る必要はまったくなく、多くの中のひとつにすぎないのは既に述べた通りです


 脱却うんぬんがいつの間にかメインの話題じゃなくされてる。あれ?一体じゃあ何が言いたかったのか?
読み手が教師主導がいかんのだというように読み取ってしまったのは他ならぬオマエのテキストのせい。

 ここは教師主導だから良くないというのではなく、言語技術を身につけさせるべきなのに、その結果として
認識だけを教えようとする授業が問題なのです。

 ぐらいの返答がよかった。じゃなきゃ生徒が主体的にうんぬんなるガイドラインにからめとられてしまうだろう。

なにせ前に書いてあることが

、例えば三森などによって、書かれていることとそこからわかることを前提に
自分の意見を構築し、議論することで理解を深めていく形の授業が求められているわけです。

だからその文脈に落とされちゃってもしかたない。

 同じものさしで議論するということが必要だぐらいで充分だったのにね。


300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:46:42 ID:HyXAU/Qq
>>297

 じゃあ余計意味不明。
 自分にとって新しい意味を見つけるなんてことは授業の外でやるべきこと、それができる技術を身につけさせるのが
授業。

 結局、わかるーできるという成長の実感こそがおもしろいってことになるんじゃないかねえ。

オマエが何を言いたいかは一万年考えても到達できそうにないような気になってきたよ。
オマエの恣意的なおもしろさなんかどうだっていいんだからさ。

 それをやることによってどんなスキルが身につくか。だけが大事なことだろ。そしてスキルの定着度こそが授業の
価値を計る基準になる。おもしろいとかおもしろくないとか感情語を使う必要はない。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:48:27 ID:HyXAU/Qq
 授業を受ける対象が違う?だから対象のニーズに合った授業をしろよ。
ただそれだけのことだろ。漢字が読めないのなら読むスキルをつけさせる授業こそが価値があるんだよ。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 21:49:26 ID:HyXAU/Qq
その段階の生徒に論理的な根拠なんて戯れごと言おうっていうのが間違ってる。


303 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 21:52:56 ID:TfbOL+z6
>>299
私やおじちゃんが使っている「教師主導」という表現について誤解があるのは
お前くらいだろ。よく読みもせず何を言っているんだ。恥をさらすなよ。

何でもいいけど、建設的な話はないのかね?

お前のレスパターン
1、知ったかぶりで話を始め、指摘されると逆ギレ
2、どーでもいい揚げ足取りをするが、反論されてすぐ終了
 (そもそもどーでもいい話なので、後が続かない)

今回は2ね。わかりやすいやつ。


304 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 21:56:05 ID:TfbOL+z6
>>300
>それをやることによってどんなスキルが身につくか。だけが大事なことだろ。

だからそれを(教師として)「おもしろい」と表現しているんだろうが。
私はずーっとその文脈で話をしてきてるだろ。つまんねー横槍はやめてくれや。


305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 22:22:24 ID:HyXAU/Qq
まさに表現力がないと
通じないということだな。
まあオマエさまじゃ仕方ないか。


>>作品からその言語主体を想像する、これは言語運用能力と認められませんか?

>読解の一部としてはいいんじゃないでしょうか。
もしそれをして面白いのであれば。作品によるでしょうね

  これは明らかに感情を示すおもしろいだよね。

もし、オマエさまがいいたいことを基準に考えれば

…想像することは読解の結果であって、スキルではありません。想像するためにどのように
スキルを使うかが問題なのです。そしてそのスキルを高めるのが授業です。

となるはずだ。
ここでは作者のいいたいことをあるいはどんな作者なのか想像してみるのも、まあいいんじゃないのって
いっちゃってるし。

それはスキルという考え方からは否定するしかないでしょ。

306 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/28(木) 22:48:46 ID:TfbOL+z6
>作者のいいたいことをあるいはどんな作者なのか想像してみるのも、まあいいんじゃないの

はぁ?何がおかしいわけ?
作品によっては十分価値があることだろ。それはおじちゃんも言っていることだ。
テクスト論に傾倒するあまり「作者」は禁句、みたいな雰囲気を作ることもおかしな話だ。
お前は作者に関して私からずいぶん批判を受けたはずだから、トラウマになっているのね。
かわいそうに。おーよちよち。

何かもっとましなこと言えんのかねえ。


307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 23:10:18 ID:HyXAU/Qq
それはスキルの結果であってスキルの養成になってないよ。

  つまり、この作品を読んで何を学んだのかということを論議しても仕方ない。
  この作品をどのように読んだのか=読み方を論議するのが真っ当だろ。
  何を学んだのかは勝手にしてもらっていい。
  しかし読み方は勝手じゃ困るだろ。


 スキルは方法と不可分なんだからさ。

  赤ずきんから革命の構図を読み取るためには、権力と被支配者と暴力というものをそこで中心に見る必要がある。
そのような読み方を赤ずきんというテキストが許容できるかは議論できる。

 赤ずきんは革命の物語だ。という結論は議論したところで意味がない。そう思ったってことだけだからだ。読み方が
許容の範囲内ならそれはありということだ。

 なるほどねと言っておけばよいのだ。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 23:13:11 ID:HyXAU/Qq
面白い=スキルの定着に役立つということばは全くの嘘っていうか後付け?

 またかよ。はあ。理念がふにゃふにゃなんだよ。それでいて商売人じゃないから
ちっとも、それこそ面白くないんだよ。


 商売人はその商品を使ってみたくなる、その気にさせることが目的。正当化なんて
どうでもいいんだよ。はあ。

 半端すぎるよ。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 23:38:56 ID:SFBBYSmy
おやおや、今日はよう流れるのう。

>270
>前レス539-550の「猫による市の…」というレスのことじゃないよね。

どうして違うと思うのかな。俺は理由が三つばかり思い当たるが。
まあ、まさしくそれだよ。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 00:28:57 ID:2ABF62xm
クネクネ

って結局何が言いたいの?

猫の嘘を詳しく言って欲しい。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 07:04:53 ID:nC8JzjMB
で スレの流れがこうなるとは思ってなかったが。

 オマエは、「バトルロアイヤル」を読んで「ぼくも殺すにちがいない」と思ったこと
つまり認識の結果を認識の対象を通じて批判するのではなくて、

 読んだからといってそう思うとも限らないなる頓珍漢なお返事をしている。

これって議論の否定だよね。そのオマエが議論する授業が求められているという
こと自体が相当な分裂だと思うが?

 わしは、オマエのテキストを分析批評してるのであって、オマエの存在を批評して
いるのじゃないぞ。文は人なりじゃないから。文はその人が見せたい姿、あるいは、その
人の思考の現れだろ。

 第一、相手の行動分析をしておきながら、それに対応して行動できないのはどうなんだろう。
メンドクサイ?お金になるわけじゃないし、たかが2CHだし?

 でもそれこそ訓練じゃないだろうか?日常行動にしておかないと無意識に足をすくわれると思う
ぞ。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 07:10:15 ID:nC8JzjMB
ちなみに 彼は誤読は 減点対象と言い放ち。
教師なら生徒が読んだ作品は全部読めといった。

 なら「バトルロイヤル」は読んでないから、その読み方を吟味することは
できないなんていい訳はできないことになる。

どうして彼・彼女を見通しもなく断定して現実をこなして行くのだろう。
 経験から学ぶことができないのか、自分を変えるよりも環境を変える方が
 コストが低いと思ってるのか。

どちらにしても[謙虚」ということばだけは言い出さないでほしい。
お前よばわりやおじさんよばわりする人間が他人に求めてはいけないもの
だろう。それって。

313 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/29(金) 15:20:55 ID:FnCcDmUs
>>311
>読んだからといってそう思うとも限らないなる頓珍漢なお返事をしている。

読んだからといって(読んだ人が皆)そう思うとも限らない
=だから、読んだからそう思ったなどというのは理由にならない
=個人的な理由でいいのでもっときちんとした根拠が必要
=自分の思いを言語化しろ

と私は言っているんだろ。お前同じこと何回言わせんの。
何度聞いてもわからんのは仕方ないとして、思い出したように同じことを繰り
返すのはやめてくれや。せめて前回の返答を読み返してからにしろ。壊れた
レコードかお前は。

>お前よばわりやおじさんよばわりする人間

ぶは。私をオマエと呼んでおいて何を言っているんだお前は?
私はある時期までお前のことを「お前」とは呼ばなかったが、いんちき発言
の連発を見て考えを改めた。お前に対する私の態度が呼称に現れているだけ
のこと。

「おじちゃん」についてはよくわからん。あなたと呼ぶのもなんとなくよそ
よそしい気がしたので。別のふさわしい呼び方があったら変えます。

>>309
猫ちゃんが「あ」のことを小学校教師氏なんて言うかっての。
私のこともママン氏なんて呼ばねーでしょ。


314 :おっさん:2007/06/29(金) 16:37:36 ID:Ybmo35MZ
あれま?
「おじちゃん」が問題になってる?
最初の登場で、「おっさん」と自己紹介したんですよね。
それがそもそもですから、ママンさんの「おじちゃん」については、
僕自身はむしろ気遣いを感じました。
「おっさん」よりは敬意度がアップ、それでいて親しみも込められていると思いました。
僕に関しては、「おじちゃん」で全然かまいません。自称「おっさん」でいきます。
そう言えば、物語の分析の観点で「人物の呼称」なんてのもありますね。
テキストを重視するなら、「おじちゃん」問題は、一般常識から判断するよりも、
ママンさんと僕との絡みの言葉から検討していただいたほうがいいかも。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 19:04:47 ID:nC8JzjMB
 もしもし。読み=感想なのに、なんでそんな根拠がいるんだ。

 もし、突っ込むとしたら、
「この小説のどのあたりのことがそう君に思わせたのですか?
詳しく記述すべきでしょう。」
と書くべき。

 個人的理由でいいので…
 はあ?本を読んで思った以上の理由なんか必要ないよ。
 そんなテキストの外部を要求する必要はいらない。

読んだ人がみなそう思うとか思わないとか関係ないよ感想文には。
 読んだ「俺」がどう思ったかという文章なのだから。
  つまり、批判の観点がまったく頓珍漢だといってるのの。

(だからこそ、感想文や感想を述べることについては批判的なんだけどね。わしは。)

 どのような読みがそのような感想を引き出したのかを議論すべきだったのさ。
感想を批評するような態度はまったくナンセンスだよ。感想の感想にすぎないからね。
当然、それについての感想も可能なわけで、はいずり回るだけだよ。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 19:11:13 ID:nC8JzjMB
添削とコメントもごっちゃだったから仕方ないにしても、オマエの身勝手な恣意的批判にさらされてる
生徒が可哀想だよ。

 授業の批判ばかりうまくなっても仕方ない。肝心なのは自分の授業の運営なのだ。
 うまくなった批判で自分の授業が果たして切れて、こうすればもっとよいというアドバイスを自分に
できるものだろうか?

 (できっこない。できてたら、もうやってる。なのに、人のアラだけは目につくようになってしまうだろ。)

兎も角、オマエの実践がちっとも浮かんでこない授業観批評や教育批評は意味がないのよさ。
 切っても出てくるのは大鋸屑ばかりで、血も肉も騒ぎゃあしない。

317 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/29(金) 21:40:20 ID:FnCcDmUs
>>315
無限ループかよ。前回も全く同じ話をした。

感想文はとにかく書きゃいいんであって内容はどーでもいいなら、そりゃ事前指導も添削もいらんわな。
お前がそういう貧困極まりない感想文観を持つのは勝手だが、他人もお前と同じ前提に立っていると
思うな。感想文は、

>読んだ「俺」がどう思ったかという文章

なんかじゃねーわ。何度言えばわかるわけ?
感想文は、読んだ「俺」がどう思ったかということを、読む人にわかりやすく伝える文章。どう思うか書く
だけなら日記と同じ。そんなものを読まされる側はかなわんよ。どう思ったかだけではなく、なぜそう思う
のかという点が読ませどころ/読みどころなわけで、自分の個人的な内面をうまく他人に伝わるように
言語化する訓練をしているんだろうが。そのためにはその思いの「根拠」を示す必要があるのは当然の
こと。ただ「殺人の本を読んだから殺人がしたくなりました」なんてのは感想にはなり得ても、感想文に
はならんのだよ。

お前は、「どんな感想を抱こうが個人の自由である」ことに捕らわれて、どんな感想文にも文句はつけ
られないと思っているんだろ?ほんとあほだよな。

「どんな感想を抱こうが個人の自由である」のは当然であって、「感想」そのものの内容は自由である
べき。その「感想」に添削者が主観的な口出しをするのはおかしい。感想文の結論は十人十色なの
だから当たり前の話だ。しかし、その「感想」に至った個人的思考の経緯を示し足りない場合は、添
削者として当然それを指摘する必要がある。どの出口に到達したかではなく、それに至る過程を見る
のが感想文の添削だと私は言っているんだ。

これでこの説明は既に3回目。いい加減最後にしてくれや。


318 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/29(金) 22:03:30 ID:FnCcDmUs
おじちゃん

「おじちゃん」でよかったのならちょっと安心しましたー。

>問題は言語運用能力としての読みの力をどうとらえるか、でしょうか。
>作品からその言語主体を想像する、これは言語運用能力と認められませんか?

問答無用でそれだけやるとか、結果として作者の幻影を追い求めるようなことにならないのであれば、
語り手の分析はたいへん有意義だと思います。語り手が安定しない作品も多いので、そういう作品
で語り手に注目し、その変化によって生じる文学的効果などを考えるようなことができると面白いと
思いますけどね。

>「事実」や「言葉」によって正しいか間違いかが決定できることが、
>学習すべき読みにとって不可欠な条件なのでしょうか?

形式的な面で論理的であることや、わかりやすいことは重要なことだと思います。
例えば詩や歌を扱ったり語り手などをうんぬんしたりすることが文学的なものだとすると、それ以外に
論理的な文章の表現を学習することが必要ではないでしょうか。外国では「母国語」と「母国文学」
の授業が分離されていることが多いのですが、日本では「国語」としてごちゃまぜなので、文学的な
ことばかりやる(ばかりかそれを疑問にすら思わない)のはかなり問題です。ま、簡単ですけどこのへんは
これまでこのスレで何度かふれられてきたところだとも思います。おじちゃんの考えも聞かせてつかあさい。


319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 23:19:07 ID:nC8JzjMB
ワシも 同じ事を言ってることにオマエは気づかないのか?

 その物語や小説がその読み=感想を許容できるかが問題であり、そこが論点なんだよ。

 オマエが長く語ったことはそれだけのことだ。ただの主張文と違うのはそこに読書による啓発というイベントを
差し挟むことだよ。でなければ、「それ」はただの主張文。青年の主張だよ。

 ちなみに、わしはきちんとその例作では作中の条件を書いてある。きちんと根拠は示しているのにもかかわらず
そこはまったくスルーしてた。

 つまり、オマエが言うことは後付けにすぎないよ。
 バトルロイヤルの世界では法律で無作為に中学生に殺し合いをさせる。殺し合いを拒否することは、自死を意味する。
なぜなら、みんなで殺し合いを拒否してもタイムリミットがきたら首のツールが爆発して死んでしまうからだ。
 そんな条件下であれば、たぶん殺す側に回るという感想に説得力がないという…オマエの感性がよくわからん。

 ちなみにあの時点でオマエはバトルロイヤルを読んではいないわけだから誤読は指摘できないよね。

 繰り返していうが、オマエがあそこで指摘すべきだったのは、もう少し話の具体的な場面などどこからそう思ったのか
書くべきということだったんだよ。オマエが言ってることは初めてその時点で指導となったんだ。

 あれは指導ではなく、オマエの独り言だよ。

 別に午後の曳航を対象としてもよかったんだけどね。

320 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 00:02:01 ID:f2KKPSVe
>>271 おっちゃん

「反=日本語論」を出てすぐに読むあたり、只者ではありませんね。
あのハードカバーの重厚というか、ちょっとおどろおどろしい色合いというか、
妙に気にっています。内容もさすが蓮實と思わせます。蓮實語(?=確か「学燈」あたりで
そういう批評がありましたね)あるいは彼独特の言い回し・レトリックも好きですw

>みなさんの言う「構造分析」とはどのようなものなのでしょうか?

石原(ら)が言うように固定された方法論があるわけではないと思います。
論理的合理的に根拠を示すことができる枠組みを用いるということが共通理解ではないでしょうか。
人によって比重のかけ方も異なるでしょう。

しかし/だからこそ、三森のように暫定的であるにせよ、整理された枠組みの提示は意味があると思います。
それをもとに多少のアレンジで使えるでしょうから。要は根拠ということに尽きると思います。

>(僕が印象では蓮実などはポスト構造主義的でありました。
>「外」が問題になるのは「脱構築」的な場面だったように思います。)

蓮實は確かにデリダなどの影響は多分にあるようですね。彼の専門を考えれば当然でしょう。
「反=日本語論」には奥さんに関連した話しがけっこうありますよね。そのような周縁あるいは
「反中心」からの視線を大事にするのが参考になります。その『視線』が核心をえぐるんですよね。

ここに巣食う「一国家=一民族=一言語」を絶対視するような国語主義者の足りなさを撃つのは当然です。
彼にとって”齟齬”や”驚き”を大事にするのは、まさに彼の自然なんですね。
国語主義者の自明性を全く共有しない奥さんと境界に立つ子ども。そういう自然に生きている彼の日常は
多数派の異常性を浮き彫りにさせる。全く当然なことです。

脱構築を正しく理解する=受け継ぐのは難しいことだと思います。
「構築/構成主義」とはその継承なんですが、まるで分かっていない人間もいます。
私は「構築/構成主義」から読みの方向性を学びたいと思っています。まだ途上ですが。
よろしくお願いします。


321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 00:09:00 ID:eJJSxMkE
>313
えーと…つまり前スレ550に
> 550 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/05/27(日) 01:57:58 ID:1Z/L3NFf
> ママン氏と小学校教師氏のコメントをききたい。
と書いてあって、「小学校教師氏」と言う言葉は猫は使わないから、
前スレ550は猫ではないと判断したと。(その限りでは正しい)
で、前スレ550(って俺だけど)と同じIDの543-549は猫ではないと。
(これも正しい)
だから、前スレ543-549の内容は猫の書いたものではないと
判断したというわけだね。これは前スレ550(おれ)が
「猫を僭称して」でっち上げて書いたレスだと。

いやあ、そういう理由だったとは、まーったく想定外だった。
すげえ! いや、ホントすげえ!

コピペという言葉をママンは知らなかったんだ!
すげえ!

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 00:20:31 ID:eJJSxMkE
>310
いま、>320 に
>ここに巣食う「一国家=一民族=一言語」を絶対視するような国語主義者
なんて言葉が出てきたわけだが、それが誰のことを指しているか、君にわかるかね。
俺は「そんなやつどこにいる?」と思うよ。
つまり、猫はここで嘘をついていると判断するわけだ、俺はね。

323 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/30(土) 00:23:01 ID:qccINT6N
すげえと言われてもねえ。

どっからのコピペだっての。国語教育スレじゃないだろ?
私は初見だからな。コピペかどうかなんてわかりようがねーわ。
お前の貼り方がまずかったんじゃねーの?


324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 00:32:28 ID:eJJSxMkE
>323
わーい、何でもかんでも人のせいにする人がきたぞー。
あれは、「日本の国語教育」初代スレの454 455 456 457 458 464 465
だ。
ちなみに、同じスレの670が「ママン」というハンネの初登場だな。


325 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 00:33:16 ID:f2KKPSVe
>>285
作者、語り手、視点、「視線」・・・
それらを概念装置として練り上げ『常に』厳密な意味において語るという手法。

以前、ママンちゃんと「ごんぎつね」で視点と語り手だったかな、二つの異同をうんちゃか
議論したのを思いだします。私個人は作者の死としての作者の「構築」を念頭においています。
帰納されるべき作者は「あり」だと思っています。
語り手が持つ視点の位置が複数であったり、浮遊したりする場合も多いです。
私はそのような視点や語り手を操るような外部性を作者だと仮定しています。

模擬試験とかで使われた文章の作者(筆者)が異議を申し立てることが話題にのぼることがありますね。
それを書いた当の本人が分からん、違う、そんな異議を平気で申し立てる。
帰納され構築された作者(筆者)だということが分からんのだろうね。
論理的合理的テクスト分析から導かれた作者(筆者)は、当の本人でさえも反駁できない。
したければ、やはりテクストから帰納する以外にはない。

「俺はそう思ってない」なんていう反論は阿呆のすることです。
テクストとは「そう思ってない」ことを露にするものだからです。

作者の構築とは、生身の作者の特権を剥奪することから始まります。
大きな顔をするなっていうのw
私の論は理解いただけるでしょうか。
(ママンちゃんの意見も聞きたく思います。「あ」は要らん)

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 00:43:03 ID:eJJSxMkE
>324 の続き
これで分かるのは、ママンは「意に染まぬことはなかったことにする能力」をもつ
ということだな。植木の法則に出てきたら最強キャラだよ、おまえ。

327 :おっさん:2007/06/30(土) 00:43:06 ID:rxffoxB1
>「事実」や「言葉」によって正しいか間違いかが決定できることが、
>学習すべき読みにとって不可欠な条件なのでしょうか?

これは、文学作品の読みという文脈で書いたことでした。
あいまいでしたね。
観点を変えて問題にしてみます。
客観的な観点で作品を分析的に読むことをめぐる疑問です。
例えば、紹介のあった三森さんの『たきび』の読み。
「所」「時」「人物」などの観点で読んでますよね。

ああした読みをする意味はなんなんだろうか、ということなんです。
まず文学作品の読みとしての疑問があります。
分析のための分析でいいんだろうか? 分析自体が目的でいいんだろうか?
(あれは分析的な読みを紹介するためのものですから仕方ないのですが)
そして、育てるべき読みの力としての疑問があります。
ああした操作によって身につくことばの力とはなんなのか?
それは文学作品を読む力として不可欠なのだろうか?
また、それは文学作品でこそ育てるべき力として十分なのだろうか?
例えば「想像力」、こうした力はどのように考えたらいいのだろうか?

とりあえず文学作品の読みということに関しての疑問です。
(説明的文章の読みはまた別に)

かつて自分でも三森さんの「たきび」のような授業をずいぶんやってきました。
今はそうしたこともやりつつ、気持ちや様子なんかばんばん読み取らせています。
分析の仕方そのものを教えなければならない場面もありますが、
できるだけ分析のための分析にならないようにしたいと思っています。
例えば三森さんの「たきび」では人物の人数が三人以上が妥当だとされていますが、
中学1年生を相手にするなら、
5人以上が妥当だと問題にしていけば分析のための分析に終わらないような気がします。
(1・2連と3連との関係に着目させてみたい。視点の移動があると思いますが、
 中1なら人物の人数を問題を通して自力で気づくと思います。)
また、さざんかの色なども想像させてみたいなと思ったりもします。
(おちばの色、たきびの色などと関係させて)
会話文の発話者が男の子か女の子か、想像するというのはどうでしょう?

あ、いつのまにかまたレスが増えて、議論がハードになってる。

328 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 00:48:49 ID:f2KKPSVe
>>288
この発言を読まずして、先の発言をしました。
基本的に同じような考えを持っています。

ただし、

>また、作品から想像される「作者」の内面や心情を問うことと、
>教師などの既定の価値観を注入することはイコールではないと思います。
>幸・不幸の感じ方は子供が判断する授業でよいのですから。

このレベルで終わるのならあまり面白くないと考えます。
なぜそれを幸せだと感じるのか、そこをえぐらなければなりません。
「国語教科書の思想」参照のこと


「ごんぎつね」では最後には通じます。
なぜ通じることが大事なのでしょうか。そのあたりは無根拠に前提されていますね。
石原は上掲書で国語教科書における「他者」の不在を問います。全く、そうです。

「通じない」ことが前提されません。ここが危険なのです。
作者が「通じ合う」ことに癒されること(幸せ?)自体 が問題です。
通じないことに耐える、あるいはそれを自然だとできる心性こそが求められるべきです。
”作者”が前提させたイデオロギーを撃つために便宜的に構築させないといけないというのが
私の立場です。

帰納され構築された”作者”はこのように二度死の宣告を受けることになります。

329 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/30(土) 00:51:56 ID:qccINT6N
>>324
初代スレ?何年前なの?覚えているわけないじゃねーの。
私はてっきり捏造だと思ったよ。
クネクネのことも(前スレの指摘も)おかしな話だと思っていたので、
それなりの対応しかしなかった。それについては申し訳なかったね。

>>325
猫ちゃん
言いたいことはわかります。
今日は疲れててもう休むので明日以降改めて。


330 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 00:53:39 ID:f2KKPSVe
>教師主導

全くありです。
ただし、教師の印象批評による道徳の押し付けがいけないんですよね。
ですから、共通の方法論なり概念装置の必要が出てきます。また、そのことによって
議論が意味あるものとなります。

もちろん、生徒が自ら論理を新たに構築することもありです。
ただし、そんなことを安易に望むのはいけませんよね。教師主導で全くOKです。

ただし、

主 導 で き る 教 師 が そ れ ほ ど い る と は 思 え ま せ ん。

そこは別の問題でしょうが。

331 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 00:59:45 ID:f2KKPSVe
>>322
「国語」を止めよう。そんな当然なことも分からんのか。

他者と通じ合うというトンデモばかりの光村国語。
通じ合わないことを思うことを禁じる国語!

お前にはどうでもいいことなんだろうね。
しかしなー、そうではない人間もいるんだ。
しかも確実にその方向に向かっている。向かわざるをえないんだ。

十年後二十年後にお前の話を聞きたいもんだ。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 01:06:45 ID:eJJSxMkE
>329
二年以上前だな。
覚えてないのは仕方ないとしてね、
お前は前スレで捏造だとも言わなかったんだよ。
ただただ無視したの。なかったことにしたの。
猫に確認しようともしなかったの。
ただ捏造だと信じることにして、確認はこわいからしなかったの。

これからわかることは、ママンは信じたいことしか信じない。
信じたくないことは、いとも簡単に心から消せるということ。

あのな、あれだけの長文をわざわざでっち上げるなんてことを
誰かがすると本気で信じたのか?

わかった、お前のコメントはもういい。
あれをでっち上げだと信じたかったという事実がすべてを物語っている。

333 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 01:07:35 ID:f2KKPSVe
>>327
本音が出てきたようで議論が収斂されるでしょう。

>気持ちや様子なんかばんばん読み取らせています。

その手立てというか方法論の問題です。
「通じ合う」ことを無根拠に前提させる危険性なんかどうのように知らせるんでしょうね。
むしろ、そういうものを内面化させることだけのために機能しそうです。

「国語教科書の思想」参照

334 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 01:11:01 ID:f2KKPSVe
>>332
お前も粘着やのーw

で、古いのは読めんからコピして載せてくれ。
何を指しているか分からん。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 01:13:32 ID:dppxbyuG
長新太の名作「キャベツくん」はキャベツを食べたらキャベツになるぞという物語である。

 そんなことは有りえない!などといったら物語は存在しない。
 しかし、このナンセンスな物語も、ことばと絵で作られている<もの>なのだ。

我々が読むというのは、ことばと絵で作られている構造を読み取るということ。

 たき火の分析読みはそれこそ形象(イメージ)の明確化の取り組み。
ただ字面を追って分かった気になっていると、具体的なイメージを持てないまま分かった気になるだけ。

 垣根というものがイメージできない人間は垣根の垣根の曲がり角がわからない。
 だから住宅地という置き換えが必要になる。
 敷地内なら当たれない。公共の場所である道ばたで落ち葉を燃やしているからこそ、そこに関わろうと
できる。

 そのように、わたしとあなたの間にあるテキストをそのままに、あなたとわたしの間で成立させることが
形象を読み取ることになっていく。(というのば構造分析の考え方。)

 あくまでも、授業で使う場合は、自分ーテキストー他者ということを意識しなければ意味がありません。
その中で構造ということは一致できてもそこから考えることは多様であるという知的インプレッションこそ
読むことの楽しみではないだろうか?

 キャベツくんを食べるとキャベツになるということを受け入れなければキャベツくんは成り立たない。

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 01:18:48 ID:eJJSxMkE
>334
前スレのあれだよ。「猫による市の解説と授業案」ってやつ。
ママンが「あれは捏造だと思ってた」と言い出したから、
どひゃーとなって、おれは一人で阿波踊りを踊り狂ってるところ。
あいつ、前スレでそんなそぶり見せたっけ?

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 01:19:18 ID:dppxbyuG
えー猫。そもそも論理的なるコードこそがまさに国家なんじゃないの?

 まさか標準語が国家であり日本語だと思ってたのか?
 正しい語り方、正しい書き方、正しい読み方が国語であり、コードであり、日本語なわけでしょ。

その正しさを論理的ということを根拠にしようとしても機能は同じだよ。
まさに三森がやってることは第二の国語づくりなんじゃないのかねえ。

 わしはアナーキーなものっていうのは土台にあって、完成品として出てくるものではないと思ってる
から、そのような規範的な部分もまた必要だし、なきゃえらいことになるだろうと思う。

 なんか言ってることが中途半端でうさんくさいよ。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 01:23:07 ID:dppxbyuG
イソップのつるときつねで

 つるはお皿から少しは飲めた。ナメって飲んだ。と思うのは完全にテキスト無視。自分で場面を想像<しすぎ>

 「こまったな。のめないぞ。」と言っているのだから、飲めなかった。と考えるべき。

339 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 01:24:34 ID:f2KKPSVe
>>335
くるくるぱー

すまん、社交辞令はできん。

>授業で使う場合は、自分ーテキストー他者ということを意識しなければ意味がありません。

説明してくれ。思いつきは困る。思いつき

>その中で構造ということは一致できてもそこから考えることは多様

構造の多様性を排他する理由は?
また、構造が一致しかつ考えが多様であるのは価値観の相違ということだけになる。
そこをえぐる方策は無視か?

>知的インプレッション

お前の用語は要らん。


お前は 他 者 というのを知らんな。
検索しろ、お得意の検索w

340 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 01:28:14 ID:f2KKPSVe
>>336
ママンちゃんのことはママンちゃんとやってくれ。

で、あれのどこがいけないのか、そこを詳しく言ってくれ。
言いたいことがあれば自分で言えばいい。

341 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 01:32:04 ID:f2KKPSVe
>>337
正義は暴力だ(デリダ)。
だけど/だから、正義の構築を止めるわけにはいかんの。

第二第三・・・ずっと続けよう。
まずとにかく「日本語」だ。ニュートラルにして何が悪い。
それで困るのか?せこい。日本ってそんなものか。

以上、核心部分

342 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 01:45:17 ID:f2KKPSVe
>>337 その他

>そもそも論理的なるコードこそがまさに国家なんじゃないの?

また、無根拠な前提。
国家を駆逐するコードで縛られてるのが日本だろってw馬鹿か
だから、必死で国語、国歌国旗w

で、漢意を憂う宣長は何と言ったのか、そこまで考えて言えよ。
思いつきは困る。思いつき

>まさか標準語が国家であり日本語だと思ってたのか?

くるくるぱー
そういう妄言を垂れ流す人間はたくさんいる。藤原とか。
そういう人間を俎上にあげて叩け、ほんま阿呆やな

>正しい語り方、正しい書き方、正しい読み方が国語であり、コードであり、日本語なわけでしょ。

だから、お前のような無教養なカスは困るんだ。
せめて「反=日本語論」くらい読め。低レベルは困る。思いつきは常に低い。

知らんのなら引用して長文で論じるけど。(常識くらい共有したいもんだ)

>その正しさを論理的ということを根拠にしようとしても機能は同じだよ。

同じなら「論理的」でいいことになる。終了

>わしはアナーキーなものっていうのは土台にあって、完成品として出てくるものではないと思ってる
>から、そのような規範的な部分もまた必要だし、なきゃえらいことになるだろうと思う。

お前の稚拙な思想なんてどうでもいい。
どこからアナーキーが出るのよ。
新築がアナーキーか?w 明治維新もアナーキー? 戦後もアナーキー?w

「構築/構成主義」って言ってるだろ。

>規範的な部分もまた必要だし、なきゃえらいことになるだろうと思う。

規範は更新する。
当たり前だ。もちろん保守するものもあるだろう。
保守するべきものがあるなら、そこは精密に腑分けして論じるべきだ。

何でもマンセーは困る。思いつきも困る。ダッチロールも困る。

343 :おっさん:2007/06/30(土) 01:47:55 ID:rxffoxB1
>>320
僕らが学生の時は「おまえを革命に誘うのが俺の義務だ」みたいな先輩が
少数ながらまだいました。
僕らは祭りの後的な気分でしたが。
そうした時にニューアカなんかがちょいと流行りました。
蓮實や柄谷なんかが実におもしろかった。
蓮實は『小説を遠く離れて』(だったかな)、柄谷は『探求U』くらいまで読みました。
で、デリダなんか調子に乗って手を出してみたら、全然読めませんでしたが。
きっと蓮實や柄谷もおもしろがっていただけで、理解はできてないと思います。
教師になってからは、読まなくなっちゃいましたね。
堕落です。それと「現代思想」なんかわくわく感が全然なくなってもいました。
最近(といってももう何年前だろ)、東の『存在論的、郵便的』をたまたま手にとって
読んで、デリダってそうだったのなんて思ったりしたくらいです。
もう現代思想的な現場はフォローしていないのでみなさんに学びたいと思います。
(「構築主義」・・・ぽかーんです。上野さんとかが言ってたような気もするがみたいな)

>>328
「他者」とか「外」とかもかつて現代思想の流行語でした。それと関係あるのかな?
「ごんぎつね」の話ですが、ごんは兵十(村=共同体)にとって異人であり他者である、とか
そんな話なのでしょうか?
「学校的」価値観(「みんな仲良くしようね」みたいな)を
文学作品の読みに持ち込むなといった話なのでしょうか?
昔から国語教科書における思想性は様々に問題になっていますが、
そうしたこととはまた違った新しい問題なのでしょうか。
石原さん知りません。読みたいと思います。


344 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 01:56:39 ID:f2KKPSVe
「あ」よ

以前、小林秀雄の文章のどこに載ってたかを得意気に引用しただろ?
あの調子だよ。ネット理解はもういいから。
スレタイを音読してみろ。で、もうちょっとレベル上げよう。

オイラは勉強したいとは思ってる。だから、できるだけ文献資料に言及して欲しい。
すまんが、お前からはあまり学べない。それはお前がいい加減だということが第一にある
のは事実だ。だけど、オイラは簡単に飲み込まない。だから、じっくりと自分で咀嚼したい。

文献資料!

自分の頭で考える、っていうような陳腐な妄言はいいから。
「引用の織物」

自分自分じぶん、でもお前は参考にならんよ。ダッチロールだからね。
ちなみに「おっちゃん」の発言は勉強になる。掘り下げたいポイントが
提出されてるからね。もちろん反論だけど。

345 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 02:34:23 ID:f2KKPSVe
>>343
マルやチュンね。みんせーもかな。

>僕らは祭りの後的な気分でしたが。

えっーと、私はビラを配ってる活動家とたまに議論しましたよw
論破してくれないので困りました。おもろーないから。

ニューアカ、浅田とかですね。「構造と力」はいまだに参考文献でよく言及されますね。
その上野「構築・・」でも、この本の秀逸さを言ってます。
柄谷は難解さで有名でした(です?)。知性的な人間は必ず読む、とか院生などが論文の
テーマを拾う場所として使ってるとか、そんな話を聞きました。でも、すぐには手を出せずに
宝島などから入ってウオーミングアップしてから、柄谷はだいたい読みました。
その途上でいろいろ垣間見ました。もう手当たりしだいです。

分 か ら な い。

全くその通りです。なぜこんなものを読んでいるのか、読まないとならんのか、そういう
思いで読みました。柄谷を読む意義は難しいから、それに尽きるかもしれません。
前頭葉への往復ビンタ。そういう感じですかね。正直なところ。

そのうち、ちょっと分かるようになってくる。すると面白くなるんですね。

難解さでは酒井直樹が続くかもしれません。悪文だと石原は断定しますが。
でも、ああいうのを読むのは大変勉強になります。他を読むときに下り坂を自転車で
降りるような感じにさせてくれますから。

>堕落です。

これを口にできるあなたは立派な方でしょうね。
実は私はコレに恐怖します。なぜか強迫されてる感じなんですよ。
コンプの裏返しかもしれません。とにかく堕ちる感覚が不安です。
それを支えるのがこのようなところ(板)です。ここで発言することでなんとか
堕ちないですみます。情けないですが、そういうことがないと堕ちる一方です。

よく現場を出す人がいます。
現場なんて経験あれば惰性でどうにかなります。なっている人がほとんどです。
要はその当人は自らを知的に痛めつけているか、それが大事だと思います。
勉強しない人間が他人の勉強をとやかく言うのは恥です。これは最低の矜持だと
考えます。私は強いられないとできないようです。現場では強いられません。

ここで傲慢に振舞うような方策でしか強いることができない人間です。すいません。

で、作者の「幸・不幸」の前提をえぐることに関してご意見は?

346 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 02:51:42 ID:f2KKPSVe
>「他者」とか「外」

そういうことですね。
「他者」とは非対称であり通じないことにあります。
通じる時点で他者はいないし、一つの隠蔽です。

私の「他者」理解とはまさしく柄谷経由が第一です。
ですが、石原も同様な前提に立っているので、おそらくそれがスタンダードだと
思っています。なお、現代思想の座標軸で読むことは常識だと石原は喝破します。
これは大学入試レベルの現代文(評論文)について言ってることですが、
小学校の教科書でもツールは同じだと思います。「国語教科書の思想」参照

「ゆとり教育」下の国語教科書

競争ではなくて共生!
で、規制緩和で競争激化→格差社会での「生きる力」

こういう欺瞞の罪は重いということです。ま、完全に嘘なんですね。
正直者が馬鹿を見る教育。その核心に国語があるのが実情です。
特に小学校国語!「あ」の馬鹿はそれをまるで見ようとしない。

何がルールだ。現実社会や日常には決して存在しないルール!
それを振りまく国語の罪を「あ」は決して認めない。

そのあたりが今現在の議論の核心です。あしからず

347 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 02:57:34 ID:f2KKPSVe
社会はどのようなルールで回っているか、それを教えることをしない国語。
道徳注入だけを主眼とする国語。権力に支配される従順な心身を養成する国語。

馬鹿を育てる国語。こんな国語は要らない。

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:14:19 ID:dppxbyuG
 猫よ。あのさ。一つの作品あるいは一つの文が一つの構造をもつ。ということと多様な解釈が成り立つは別のことだ。

 多様な構造は多様な作品となって表れる。
 多様な構造を否定なんかしていない。

 説明がいるのかねえ。テキストというものは社会的な存在だってだけだろ。
 価値観の相違じゃないよ。焦点の相違だよ。焦点の決定には価値観も影響するだろうが、それだけじゃない。
 なんでそこをえぐるわけ?ちゃんちゃら可笑しいよ。なんでも他人を批判しなきゃいけないらしい。
 価値観とか信念なんて行動のモチベーションなんだから放っておけ。人間はたいてい信念とは別のこともやっている。

 ばかな。構築する意志が国家だろ。だからこそ様々のコードを擬制として作り上げて一応の体を作った。
 …国家を批判していた人間が、国家が論理的という衣をまとえばそれでよしと考えるのか?
 科学的社会主義マンセーみたいな誤謬だろ。それは。

 なんかねえ。行き当たりばったりなのは君の方だよ。猫。
 口空けてパッカーンしちゃうよ。

 後、全体を読んで批判したいことを選定してから書き込もう。なんだかとっちゃらかりすぎだ。(自戒を込めて)



349 :おっさん:2007/06/30(土) 03:20:24 ID:rxffoxB1
>作者の「幸・不幸」の前提をえぐることに関してご意見は?
>作者が「通じ合う」ことに癒されること(幸せ?)自体 が問題です。

石原さんの著書を読んでいないためか、ちょっとピンときません。
「ごんぎつね」の作者が「通じ合う」ことに癒される、というのがピンときません。
猫さん(でいいのかな?)が問題にしようとしている文脈がつかめていないんだと思います。
「外部性」(あるいは「他者性」?)ということを読みの授業に、あるいは教育活動に
どのようにして取り入れ実践していくか、という問題意識なのかな。
作品の思想、イデオロギーの問題なのかな?
例えば、構造分析的な物語論、教育論に入れてもいいと思うんですが、
スコールズの「テクストの読み方と教え方」という本をかつて読んだ記憶があります。
そこでは、例えばヘミングウェイの作品を分析しながらそのイデオロギーを問題にしていたと思います。
新批評などは、作者の意図などを問題にすることを禁じました。
また、近年の文学教育でも作者を神とする主題観、
そして教師を巫女的な媒介者として教師の解釈した主題を子供におしつけるような考えが
否定されてきました。
しかし、そのことがただちに作品にイデオロギーがない、それを授業で扱わないということには
ならない。(しかし、現場ではそうした傾向が強くなっている。)
スコールズ的な構造分析は作品のイデオロギー性を暴きだし、問題にする立場だと思います。
このような文脈での問題なのでしょうか?
こうした問題に対して、正直なところ、僕自身は自覚的ではありません。

僕が「作者」を扱い、「幸・不幸」などの情的なものをも読ませたいと考えているのは、
また違った問題意識からでした。


350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:23:05 ID:dppxbyuG
社会はどのようなルールで回っているかは社会科の担当だ。
でもって社会科が解体されたので、今は総合的学習の時間のがそれを担当することになってる。
(ってのが文部科学省が描いていた計画。)

  ところがね。現場がついて行けなかったってのが正直な話。教科専科っていうのはパターン主義だから
パターンがない総合的は忌み嫌われちゃったね。

 国語は「観」を育てるための「技」を身につけさせる場であればいい。
 ただ、それだけのこと。

 従順をバカというバカ。オマエがおまんまを食べられるのはその従順なバカのおかげ。労働配置というものが
どのようになされ、そして本当に社会を支えているのはどんな人々であるか考えてみること。

 手に30もものをもってる人間が3つ失うことはたいしたことではない。手に3つしかない人間はそうはいかない。

そのことを踏まえもしないで従順=バカとは何様のつもり?

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:23:40 ID:eJJSxMkE


長文を書いてる最中(だろ?)に、ごめん、小学校教師氏に質問。

猫が

>ここに巣食う「一国家=一民族=一言語」を絶対視するような国語主義者

なんて、書いているわけだが、君は「一国家=一民族=一言語」を絶対視するような国語主義者

なんだろうか?

ちょっと本人に確認しておきたい。



352 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:23:57 ID:f2KKPSVe
>価値観の相違じゃないよ。焦点の相違だよ。焦点の決定には価値観も影響するだろうが、それだけじゃない。

思いつきの言い分けはたいへんだな。
焦点の相違って何だよw

>構築する意志が国家だろ。

どうして国家「だけ」クローズアップされるのかねーw

>国家が論理的という衣をまとえばそれでよしと考えるのか?

国家を見る我々が論理を持たないとならんな。
お前は国家が好きやなあ。

お前の試行錯誤を応援している人間もいるようだから頑張れ。
広がらない原因も探れよ。


353 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:26:25 ID:f2KKPSVe
>>351
犯人は簡単にゲロしない。
しかも無意識に犯していることもあることを知らんのか。
「国語教科書の思想」参照

それと、それに該当するのはアンタだよw

354 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:27:44 ID:f2KKPSVe
国語でなく日本語にして何が困るのかねw
少なくとも後二十年もすれば変るって。

もう国文科もなくなるから、完全にw

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:29:11 ID:eJJSxMkE
>353
え、おれ?
こりゃまた、どういう根拠で?

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:31:38 ID:dppxbyuG
おっさんさんへ。

 イデオロギーを持たないものなんてないでしょう。社会ダウィーニズムをみてわかるように認識の方法としての仮設で
さえも利用できるものは何でも利用するのです。

 イデオロギー批判も一つのイデオロギーにとりつかれています。イデオロギーは良くないというイデオロギーです。
イデオロギーとは結局、一つの政治の型に理想を求める考えなのだと思います。

 たとえば家長制度など。男尊女卑もまたイデオロギーなのだと思います。
 そのようなメッセージを持たないということが文学の理想型なのだとは思いません。
 一つの礫として投げつけられたものと考えておけばいいでしょう。

わたしは作者を必要としません。作品のメッセージと作者はまた別ものです。

357 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:34:26 ID:f2KKPSVe
おっちゃん

>スコールズの「テクストの読み方と教え方」という本

そんな本があるんですね。ぜひ読まんとならんですね。

>僕が「作者」を扱い、「幸・不幸」などの情的なものをも読ませたいと考えているのは、
>また違った問題意識からでした。

それは理解できますよ。
だからこそ慎重にしないといけないと思うんです。
道徳と倫理の区別とか。

冷たさだけではなく温もりも要る。
その気持ちは分かります。だからこそ、そこを精密に考えるべきです。

国語の「共生」とは騙しです。単に三つしか持たない人間が三十持っている
人間をうらやむな、従順でいろっていうようなものになってはいけないと思います。


358 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:37:56 ID:f2KKPSVe
>>350
こういう発言は見逃すことなくしっかり記憶しておきたい。

お前が三つしか持たないような社会になって欲しいと心から思うよ。

359 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:38:57 ID:f2KKPSVe
>>355
そうか、違うのか?
ならOKだ。国語を止めて日本語でいいだろう。終了

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:39:38 ID:dppxbyuG
まさか、第一、それは逆ですよね。

一言語→一民族→一国家という民族国家思想ならわかる。
等号で結ばれるような関係ではない。

 我が国はもともと多様な言語を有した国だったし、単一民族幻想もこれまた民族という概念のあいまいさとメディアの
影響力抜きにはリアリテのない話。

 わしは言語の意味は使用にあるという立場だから、○○語みたいな考え方からは遠い。そんなのあなたは何語を話し
ているのですか?と聞くことでしか理解できないことだ。(帰属意識に近いもの)
 それで何ができるのかという方が大事。

>焦点がわからない?

 目の付け所という訓読みになおしておこうか?それを決定するのは価値観だけじゃないよ。

361 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:42:51 ID:f2KKPSVe
>>350
まるで「士農工商」みたいな発想やな。
差別主義者、乙。

格差主義者ここにあり!

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:43:06 ID:eJJSxMkE
>359
おれが聞いてるのは根拠だよ。
根拠無しに>353 「それと、それに該当するのはアンタだよw」
と発言したと自白したと俺はみなすが、それでいいね。

363 :おっさん:2007/06/30(土) 03:44:05 ID:rxffoxB1
>>356
人間の考えることは全てイデオロギーである、というのもそうだとも思えますが
ただの紋切り型のせりふのような気もします。
例えば、数学はイデオロギーか?
それは文学作品のイデオロギーと同列に扱っていいのか?
ちょいと迷います。
人間の思想は全てイデオロギーだ、という立場からはそうだと言ってもいいのですが、
そう言ってしまっただけで、両者を全く同じにしてしまうのは思考停止かなと思ったりします。

作者の問題はまた。

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:44:28 ID:dppxbyuG
はあ。泥棒をしろってか?

 三十持つためには、一番いいのは社会のためになることをすることだ。

 商売的には希少性の高く、多くの人間を魅了する商品を作り出すこと。

 どちらにして社会のルールの主体者として、チップをかける立場にならなきゃできないことだ。

 俺が三つで奴が三十なのはおかしい?それこそルサンチマンであるな。似非キリスト教徒め。

365 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:46:40 ID:f2KKPSVe
>>360
白痴満開

>一言語→一民族→一国家という民族国家思想ならわかる。

国家は国語を捏造し国民を養成する。
何をトンチンカンなことを言ってるんだ?

>我が国はもともと多様な言語を有した国だったし、単一民族幻想もこれまた民族という概念の
>あいまいさとメディアの影響力抜きにはリアリテのない話。
> わしは言語の意味は使用にあるという立場だから、○○語みたいな考え方からは遠い。

ならば、国語という用語はアカンな。終了

366 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:49:54 ID:f2KKPSVe
>>362
いや違うな。国語という用語に鈍感な理由こそはそこにしかない。
誤魔化すな。もっとリアリティある論を吐け。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:50:48 ID:dppxbyuG
ええ数学もイデオロギーですよ。

 数学こそ形式的な構築の大本山ですからね。
 数学では動的均衡などの重要な理論が社会に影響を与えています。

科学のことばとして採用されたときから、数学はイデオロギーを強めてきましたよ。

 社会への影響というものさしで見れば文芸作品のイデオロギーと同じように扱えます。
というより社会に影響を与えないイデオロギーなどに価値はありませんから、イデオロギーの
研究とは<社会とメディア>に収斂していかざる負えません。

 そこでは、たとえばなぜに猟奇殺人の記事には半裸の殺人者が描かれるのかというような
物語の分析も入ってきます。イデオロギーが機能するためには欲望と対にならなければなり
ませんからね。

368 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 03:55:49 ID:f2KKPSVe
>>364
ホント、お前は白痴だな。もうちょっと常識を踏まえろ。常識!

http://www.dir.co.jp/publicity/column/051031.html
という資本の犬でも言ってることだ。

>現在の日本では、「再分配を強化すると労働意欲が低下して経済成長が損なわれる」
>「二極化が成長を刺激する」という考え方が主流のようである。このような主張はいわゆる
>「勝ち組」によって唱えられているが、人間には運を実力と思い込む自信過剰の傾向がある
>ことが行動経済学で明らかになっていることも考慮する必要がある。それに、こつこつ努力
>する人を減らす経済構造が、日本経済の安定成長を保証するとは考えにくい。再分配メカニズムを
>整えて、脱落者を減らす=労働力を増やす方策こそ、公平かつ実効的ではないだろうか。

年金の問題も同じ地平で立ち上ってくる。

無知蒙昧の論は反吐が出る。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 03:57:14 ID:dppxbyuG
たは!民族意識の根っこがわかってない。

 明治に行ったのはまさにこのルートからの国民国家の建設ということ。

<国家が>というのはまだ早い。政府はぐらいが丁度いい。政府=国家とすると
議論はめんどくさくなる。

 政府と国民が一セットになって初めて国家のかたちになる。

国語という用語を廃止すればなんとかなる。というのはナンセンス。男女混合名簿運動みたいなものだ。
一般的にどちらでもいいものは、昔からの物を使う。
それは人間というものが基本的には保守的だから。

○○語なんて言い方実はどうでもよい。「ことば」で充分である。わしは「ことば」を教えている。それを、
国語の時間で行っている。ただ、それだけのことだ。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 04:01:29 ID:dppxbyuG
再分配システム=国家ってことだね。

 分かって引用してるんかいな。

昭和のころから
「こつこつ やるやつあ ごくろうさん」でしたよ。

 できないものをやれとはいえないでしょうに。
 

371 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:05:00 ID:f2KKPSVe
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9804yt.htm
>問題とすべきは、「再分配か、承認か」ではなく、「いかなる再分配か、いかなる承認か」である。
>フレーザーは、肯定的な再分配(「自由主義福祉国家」)は不平等の構造的原因を放置し表面的な財の
>配分を積み重ねて結果的にスティグマを強化する、自己矛盾的な戦略であるとしてこれを放棄し、
>再分配としては「社会主義」戦略を採る。承認の戦略としては「主流派他文化主義」は「社会主義」と
>明らかに矛盾するので、「社会主義」×「脱構築」すなわち、変革的な再分配と承認という結合が
>ベストな戦略であるとされる。

http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis180/e_dis171.html

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 04:09:02 ID:eJJSxMkE
>366
ええ、俺が何をごまかしてるって?
>国語という用語に鈍感な理由こそはそこにしかない。
俺が「国語でいい」とか「日本語に代えろ」とかいったっけ?
そもそも、ここしばらくは、それ論点になってなかったよ、なあ?
それを口にしないことが鈍感の証拠で、鈍感だから、
「ここに巣食う「一国家=一民族=一言語」を絶対視するような国語主義者」
だと言うわけだね?
どういう「論理」が、そういう推論を可能にするわけ?
どういう「技術」があれば、そういう判断が出来るわけ?

猫さ、論理とか技術とかいう言葉が好きで、よく口にするじゃん。
でさあ、そこだけ聞いて、「うんうん、もっとも、もっとも、猫もいいことをいう」
と思ってる人がいるわけさ。それは分かるんだよ。俺もその一人だったし。

でもなあ、お前が実際にやってることみると、そこにはどんな「論理」も「技術」
も見出せないんだよ。

373 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:14:28 ID:f2KKPSVe
「あ」のような人間にはどうでもいいんだろうなあ。

http://www.arsvi.com/0w/ts02/2006b2.htm
http://www.arsvi.com/0w/ts01/1999001.htm
>■2 「自由主義」による自由の剥奪
  自由と介入とを対比し、福祉国家は自由を侵害し好ましくない介入が行われる国家であると
>言われることがある。そしてこれに反論する側も、自由に平等を対置し、いや平等が大切だと、
>あるいは平等も大切だと、言う。しかし、まず以下のような主張である場合に、その主張は
>当たらず、対立の図式自体もまちがっている。
> 国家による税の徴収とそれを用いた再分配を不当な介入であるとし、ゆえにこれを排すべき
>だと主張する説がある。納税は強制であり、その税は自らの労働の果実の一部なのであるから、
>徴税とは強制労働に他ならないとするのである。「リバータリアン」と称される人たちが
>このような主張をする★02。極端な論だと思われるかもしれない。しかし、はっきりと考え、
>はっきりとものを言わないだけで、福祉国家に対する反感を詰めていくなら、その内実の
>相当部分はこうしたものではないか。だからその主張は検討するに値する。
> そこで考えてみる。すると、この主張は、「私の働きの結果は私のものである」という
>以上のことを述べていないこと、自らの生産物に対する所有権を前提とした上でその侵害を
>言っているだけであることがわかる。そもそもその所有権をどのように正当化するのかが
>問題だが、それについては語らない。だからその主張をそのまま受け入れる必要はない。
>これに対して、この主張を認めないなら自由を侵害することになるではないか、自由が
>この主張の根拠になっているはずだ、こう言い返すかもしれない。けれども、そう言った人は
>むしろこの主張を否定せざるをえない。つまり、各人に資源がしかるべく行き渡っていない
>ために、自由――そうおおぎょうなものではない、食べたい時に食べたいものを食べるとか、
>行きたいところに行けるとか――が奪われている。だから、各人にそこそこの自由を確保しようと
>すれば、この主張は否定され、代わりに、負担を義務とし、それによって各人に自由を割り振る、
>というより自由のための資源を割り振ることが支持される★03。
> 生きたいように生きるための資源のない状態に放置される時、人は少しも自由ではない。だから、
>この地点から見るなら、放置も介入も、一人一人の人、その人の生にとって、破壊的に作用することが
>あるという点では同じである。自由が一番最初に来る価値であるかどうかは検討を要する。ただ、
>自由という根拠によっても先の「自由主義」は批判されうるのであり、また同じ理由で介入を拒否し、
>自由のための分配が求められるのである★04。

374 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:20:39 ID:f2KKPSVe
おっちゃん

>>367 のような発言はよーく記憶しといた方がいいですよ。
差異の大小は常に恣意的ですから。あなたの留保を無視した強弁です。

文芸イデオロギーと同等になる数学のイデオロギーなんていうのは
ラディカルでもっと聞きたいでしょw

で、そんな馬鹿は放っておいて、あなたの言いたい「情」を掘り下げてください。
大事なことが浮き彫りになる予感です。


375 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:24:08 ID:f2KKPSVe
>>369
さあ、だんだんダッチロールも激しくなってきた。

>○○語なんて言い方実はどうでもよい。「ことば」で充分である。わしは「ことば」を教えている。それを、
>国語の時間で行っている。ただ、それだけのことだ。

これは銘記しておく。
で、今までの論は撤回?矛盾の露天商、返答を待つ。


376 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:27:27 ID:f2KKPSVe
>国語という用語を廃止すればなんとかなる。というのはナンセンス。

そこから突き破ろう。まずは第一歩だからな。OK?
古くても悪いものは捨てよう。終了でんな。

377 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:29:50 ID:f2KKPSVe
>>370
おう、そうよ。お前はサイトが好きだろ?
引用したものは信用できるものに限った。
よく読め。誰が国家をなくせといったんだ?

国家のキャラを変えんとアカンと言ってる。

くるくるぱー

378 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:36:12 ID:f2KKPSVe
>>372
どうしても「論理」などないとお前が断言するんだから仕方ない。
ただ、論理=理屈は「ある」という前提でそれ(論理)だけではアカンという
批判もたっぷり味わってきたよ。何もそれだけって言ってないのにだ。

お前が信用を置いている「あ」よりは論理的に整合性をもって発言しているとは
思ってる。それも違うか?「あ」のクネクネは試行錯誤ですますのか?
そこを逆に聞きたい。


379 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:41:29 ID:f2KKPSVe
「あ」は
再分配の肝心な点にはまるで言及しない。

>俺が三つで奴が三十なのはおかしい?

おかしい。お前のような論を言う人間はいない。白痴以外ではね。
すまんが、お前のスペックに合わせた単純化で問題を歪めんで欲しい。

380 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 04:44:17 ID:f2KKPSVe
>>372
それとな、オイラを憎むのはまあいいとして、そのために「あ」に寄り添うのは
どうかと思うけどな。「あ」とは関係なしに論を吐け。それはお前のためだ。
それくらい分かるとは思うけどね。

381 :おっさん:2007/06/30(土) 06:31:11 ID:rxffoxB1
「ことば」が問題として意識されるようになるのは、「ことば」が病んできたからだ。
そんなことを吉本隆明が言っていたような気がします。
確かに普段しゃべりながら、文法とか意識しません。
きっとそのほうが健全なのだと思います。
しゃべりながら自分のことばに違和を感じるのは本来不健全なことなのではないでしょうか。

「作者の死」(バルトの言葉だと思いますが)とか言われる概念は、現代文学がなければ生まれなかった概念だと思います。
表現する自らよりも「ことば」の方が大きく感じられる、そうした感覚による創作がなければ、
「作者の死」なる概念は生まれなかったのではないでしょうか。
批評(文学理論)は常に創作の後を追います。
創作は常に個性的な姿をしていますが、理論は普遍的な顔をします。
テキスト論なるものの実体はよくわからないのですが、
そこでは神としての「作者」の死とともに「ことば」が物神化されているのではないでしょうか。
「表現主体」が抹殺され「ことば」だけがある、ちょっと不気味な気がします。
本当に現代の文学理論は普遍的で信用するに足るものなのでしょうか。

まあこれらのことは、怠惰故不勉強な自分がふと思うことにすぎません。
ただ日々の授業で、様々にひっかかるのです。
分析的な読みは概念的な操作です。そうした操作によって付く力はもちろんあります。
しかし、分析批評とかに自分が取り組んでいて、
いつの間にか分析のための分析に陥っているような気がしてきました。

自分は小説を読んでいるとき、分析的な読みをしているか?
全く自覚的には使っていないように思います。
無意識にどれほど分析的な力が機能しているか?
それもはっきりわかりません。
教師自身が全く自覚できない力を育てて、それは教育と言えるのか?
いいや、そんなのは分析的な読みの授業に限ったことではない、
文学作品の授業なんて昔からそうさとも思いますが、
そもそも確かな力をつけるための分析的な授業であったはず。

こうした疑問がぬぐいきれませんでした。
自分の不勉強、自分の授業の拙さ、それだけのことかもしれませんが・・・。
今朝は、とりあえずごくごく個人的、主観的なかつての疑問を書いておきます。


382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 07:37:10 ID:dppxbyuG
ばはあはははは
笑わせる。経済は分配のためにあるのではない。循環のためにある。
世の中が回るということは経済活動が行われているということだ。

 資源が平等だったりすることは絶対にない。同じ農地であっても条件のいい農地
とそうでもない農地があり、条件のいい農地は狭く、条件の悪い農地の方は広く、
即ち予想収穫量によって分けたとしよう。

 ところが、条件のよう農地を分け与えられた方が収入が少なかった。どうしてか。
条件の悪い農地を分けられた者が農業ではなくその土地を他のことに使ったり、
転売してしまったから。

 つまり、資源の分配などということは、同時に使用の指示をも伴い。また、最低
ノルマも課さなければまったく意味がなく、世の中が回らないどころか、経済活動
がぐちゃぐちゃになってしまう。

 さてこの体制を何と呼んだだろうか。正解。計画経済体制=科学的社会主義
=俗称共産主義である。

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 07:43:22 ID:dppxbyuG
もし、その引用が正しければ、経済学はそもそも間違っていたということになる。

アダムスミスが「各人がそれぞれのやりたいことを自分の利潤を目的に行動した方が、全体的には豊かになる」
誰かが高見から労働力の配置を指示したり、何を作れといったり、どれだけ作れといったりせず、現場に任せた
方が結局は財は豊富になる。

 ということはどうなるのか?

この論文のダメダメなところは、人間の欲望というものがまったく消去されていて、生産の部面からしか経済を
見ていない。それじゃあ物を作っても回らない。

 生きたいように生きた人間など一人もいない。生きられるように生きてきた人間しかいない。

こんな論文をまともだと思う猫は経済をまったくわかってない。ふざけてはいけない。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 07:57:58 ID:dppxbyuG
猫がプロレタリアート、労働時間しか売るものがない存在というものがなぜ、三つしかもらえないのか
がまるきりわかってない。

 資本家はこう言うからだ。
「おまえの代わりは他にもいる。」

マルクスが労働を見いだしたとき、それは物象化された労働という概念だった。一般的な誰それがどうやったという
ような労働ではない。この商品が一個生産されるのに社会全体としてはどれだけの人間とどれだけの時間がかか
ったのかということであった。労働の強度というものは無視された。そのとき彼はこう説明した。生産性があがると
労働の強度は軽くなる。単純労働が主体になっていく。

 それをもっとも簡単にしたのが上の台詞である。
三つで働く人としか契約しないといわれれば三つでいいですというしかない。それだけのことである。自己決定とは
そういうときに使うのだ。

 もし自分の労働にはそれ以上の価値があると思えば、それより高く買ってくれるところヘ行って契約すればよいの
である。

 え?じゃあ、俺も資本家になる。そうである。それが正しい発想であるな。だからこそ、我が国は中小企業が多か
ったのである。(そこでも市場があり、同じことが繰り返される。)

 こんなに競争相手がいたんじゃ儲からない。おおなんと正しい推論だ。その通り売れるからといって人と同じもの
を作っていたのではプロレアリアートと同じである。君は<頭がいいな。>

 さてそろそろ賢明な読者は気づいたであろうか。<頭がいいな>これこそが現在なしえる。最大にして最高の再分
配の方法なのである。即ち教育である。世の中のしくみや経済活動のあり方など、なんと国がお金を出してくれ、能
力があれば認められチャンスを与えられるのである。

 <学歴社会>のマイナス面はその分配に預からなかったものたちがどれほど多いか。そして、学校のカリキュラム
が本来の再分配を果たすためのものにはまったくなってないのかを示すものだったのである。

 実にわかりやすい結論だろ。

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 08:07:31 ID:dppxbyuG
ちなみにあんな論文をまともだと考えるのは
エンプロイヤー・エージェント問題がまったく
わかってない証拠。

 あれほど勉強しろっていったのに!
  社会主義はこの問題の指摘でその効力
   を全て失ったとさえ言われたのだ。

でなければ社会主義は政教分離を否定して
なんらかの道徳的行動規範的な戦略を全体
に強要しなければ機能しない。

 ということが数学的な表現でもう証明されて
しまってるんだよ。

 計測量とシミュレーションという概念は数学
的な作業を可能とした。(まさに数学はイデオ
ロギーなのだ。)

 こんな論文は残念ながらまったくの空想に
すぎない。処方箋でもない。ただ孔子のように
聖王が徳政を行えばまるくおさまるといってる
にすぎないのだ。

(システム論抜きだなんて!ばかな。脱構築って
いうことでシステム論回避?大馬鹿者!)

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 08:17:00 ID:dppxbyuG
おっさんさんへ

 ただ書かれただけのことばは文学でもなければ、論文でもありません。
 誰かが読むときそれは文学というジャンルで解釈され、論文というジャンルで検討されるわけです。

作者は自分との対話(内言)や、描かれた世界の成り行きによって書くのでしょう。
じゃあそのとき使う「ことば」は彼が発明したものでしょうか?

 社会的生産物ですよね。

 固有名詞を持つ作者という制度は市場によってもたらされたものです。つまり、この儲けは誰の
ものなのか。英語で作品をWORKというじゃないですか。ただそれだけの制度だと考えてみた方
が健全です。

 作品が表現しているものは多様に読み取れます。作者のいいたいことはなど考える必要もない
のです。キャベツくんで、ナンセンスで、作者はなにがいいたいというのでしょうか?

 長新太の作品たちはすぐれて、「ことば」を使って組み立てることが楽しいのだ。ということを感じ
させてくれます。もしかしたら、彼はそのことをいいたいのかもしれません。

 しかし、それは勝手な推論でありどうでもよいことなのです。読んで楽しい。想像がふくらむ。とい
う<評価>がなされればよいではないですか。

387 :くねくねした人はくねくね組:2007/06/30(土) 08:31:00 ID:l20F0Z00
>378
わかった。
>それを口にしないことが鈍感の証拠で、鈍感だから、
>「ここに巣食う「一国家=一民族=一言語」を絶対視するような国語主義者」
>だと言うわけだね?

これを認めるとしよう。型をとると、
「Aを口にしないということは鈍感で、鈍感はすなわちBである」
となるわけだが、これを論理として認めるなら

「数学基礎論を口にしないということは鈍感で、鈍感はすなわち理系バカ」
これ、猫いってたよな。
「批判法学を口にしないということは鈍感で、鈍感なやつは大衆の敵」
これっぽいことも言ってた。
思いっきり批判された猫は長文連発でスレ終了に持ち込むという必殺技を編み出した。

ところでさ、こういうのが論理だったら、
「戦争協力を口にしない奴は鈍感で、鈍感な奴は非国民」
も認めなくちゃいけない訳さ。

それが、お前の「論理」。
ときどき猫も筋の通ったことを言う。でもな、こういう馬鹿げた理屈を
平気でいうのをスルーできないんだ。
ママンはいい。あいつは真性の馬鹿だ。
でも、お前はわかっててやってるだろ。
それってさ、共同体による理不尽な排除とどう違うんだ?

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 09:02:03 ID:dppxbyuG
猫は視野が狭く、井戸の底にいるだけなんだよ。

 努力はしてるんだが、その努力は井戸を掘ることに向けられている。


さて、そんな勉強好きの猫くんにプレゼントしよう。(もしかしたら、国語スレなのに社会学に興味がある人もぜひ。)

 よい子のり社会主義サプリメント(社会主義関係の書籍リストあと数学の基礎も役に立つ。数学がなぜイデオロギーなのかも
よくわかる。)

  ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/yoiko/index.html

 よい子の社会主義

  ttp://www.thought.ne.jp/html/text/socio/01hm1.html


あーサプリメントに出てくる共産主義と国粋主義の比較表はいい笑いのネタ。

>>387

 頭いい!ちょっと長いけど猫論理の構造をそのまま突いてる。俺サイコーだからそうなるわけなんだろうけどね。
論理が形式だって猫はわかってないから頓珍漢な答えが期待できるよ。
 

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 09:04:20 ID:dppxbyuG
サプリメントを読むときはUNICODEで。
ブラウザの表示→えんこーど→その他

390 :おっさん:2007/06/30(土) 09:07:44 ID:rxffoxB1
>>386 うーんなるほど。説得的ですねぇ。しかし、頑張ってみましょう。

僕は、制度としての文学を考えているのではなく、
表現としての文学を考えているのだと思います。
作品に固有名詞をくっつけて印税を稼ぐずっと以前から文学作品は存在しましたよね。
そうした文学作品にも作者はもちろん存在します。
例えば、万葉集には固有名詞のくっついていない作品がたくさんあります。
そうした作品を読むときに、実在した作者のことを想像しないでしょうか。
この時代、作者はこんな思いで生きてたんだなぁと想像して読むのはまずいでしょうか。
こうした読みは実在した作者を想像することであって、
概念としての話者を考えることとは違うのではないでしょうか。

そもそも表現には表現主体が実在したはずです。
ただ実在として厳密に考えるべきなのは、表現した時点での表現主体です。
文字として表現されたものは物として残ります。
それをかつて表現したものも、その後それを読むときは読者です。
「作者」という一般的な概念はそれほど厳密ではありませんが、
原理的な考え方としてはこのように考えられないでしょうか?

イデオロギーの問題については、
数学もイデオロギーとして利用されるということはわかります。
しかし、例えば「1」はイデオロギーなのでしょうか?
「1+1=2」という思考はイデオロギーなのでしょうか?

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 09:30:40 ID:WbSsj+s9
つまり、どんな人がどんな気持ちでこれを書いたのだろうと発想することの価値ですね。

 では、見方を変えてみましょう。どうしてそんなことを考えようと思ったのでしょう。
 モチベーションの問題です。

それは必ず作品(テキスト)から共感やあこがれや学び・気づきがあり、<もっと知りたい>
という<恋する状態>になってるからではないでしょうか?

 わたしは<恋の病につける薬はない>が結論だと思います。恋がなければ人生なんて
ドラマもないでしょうし。恋をしましょう。恋は素晴らしいなどと宣伝をしなくても啓蒙をしなくても
勝手に恋してますよね。

 つまりそのように発想することには価値はあるが、強制したり、あるいは啓蒙したり、本当は
などといって思いこみを砕いたりするようなことではない。

 ダメ男ダメ女が好きな人がいて世の中というもの回るものじゃないでしょうか。ダメ男につかまるな
なんて授業は馬鹿らしいでしょ。

 ええ1+1=2はすぐれてイデオロギー(整数論)ですよ。狼が一頭と羊が一頭合わせたら何頭
という問題が基本的には成立しないのがなぜかを考えればそこにきちんと政治的に区分というもの
が存在することがわかりますね。

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 09:33:45 ID:WbSsj+s9
よい子の社会主義

 とりあえずお勧めはよい子の知識人YO!

 猫がYO!

 なんなのかがよくわかるYO!

 君 納得。 俺 納得。 やっとく。 みとく。

  YHA!

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 09:38:59 ID:WbSsj+s9
おっさんさんへ

 仲間内に恋話をすることは別に困ったことじゃないので、話し合うのはいいことなんじゃないですか。
ただ

 「えー。あんなの好きなの」とか
 「趣味悪い」
 「マジ」

 など話題の腰を折る人物がいないときと場を選んでということで。

 いますからねえ。そういう人。本人はどんな立場なんでしょうね。(藁)

394 :おっさん:2007/06/30(土) 09:44:07 ID:rxffoxB1
>>391
作品を読んで情的な反応をするのは当たり前のことです。
情的な反応を喚起することとある特定の情を強制することとはイコールではありません。
情的な反応を喚起することはあっていいと思います。
またそうした反応を知的なものと関連させることで豊かにすることもできると思います。
情的な反応をあまりにも禁欲する姿勢にも、イデオロギーはありませんか?

「1+1=2」もイデオロギーですか。
そうなると定義の問題ですから、それはそれでいいのですが、
そうなると思考=イデオロギーとなり、
わざわざイデオロギーという言葉はなくてもいいのではないでしょうか。
ある限定した内容があって思考一般から特定の機能や内容を区別できてこそ
「イデオロギー」という概念が有効なのではないかと思うのですが。
そうではなく思考一般と区別される概念ならば、そこんとこを教えてください。

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:04:18 ID:WbSsj+s9
恋をしましょう。と呼びかける先生がいたって別にかまいませんよ。

 ただそのことが必ず意味のない反応を引き出すことや、恋をしなけりゃのような妙な硬さを引き出してしまう
 だろうということは頭に入れておいて欲しいのです。

先生が言う。ということは指示であり、発問になってしまいませんか。友だちと話すのとは違います。

(まさにマイクロ政治学の分野です。)

 私の言ってるのは私のイデオロギーです。勿論そうです。

国語科教育とは「観」を育てるための「術」を身につけさせること。というのがイデオロギーです。
あえて、情操教育の面を捨ててますね。(わしは。)

私の専門は美学であり、教師としては美術ということになります。
情操教育はそっちでやればいいやというのが正直な気持ちです。なぜなら、図画工作や美術は表現という
行動の中にすべての知を集約して実践する授業だからです。

なんでもかんでも国語の枠内に取り入れてしまうことは辞めてしまった方がよい。と思っています。

イデオロギーについてはよい子の社会学(リンク先)のよい子のイデオロギーについてお読みください。

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:05:04 ID:+T9rtAU/
嘘つき偽教師、まだべらべら言っているの?



397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:13:01 ID:+T9rtAU/
>>391
ぶーーーっwww
>ええ1+1=2はすぐれてイデオロギー(整数論)ですよ。
>狼が一頭と羊が一頭合わせたら何頭 という問題が基本的には成立しないのがなぜかを
>考えればそこにきちんと政治的に区分というもの が存在することがわかりますね。

爆笑wwwwwwwwww
最高だよ。もう、ここの部分にこの人の「ない知識を、いくらでもあるものに見せて
表現する」ハッタリ力が表れている。

さ・い・こ・う

腹イテーwwwwwwwww

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:14:31 ID:WbSsj+s9
イデオロギー(観念論)なんですよ。

 はっきりいえばイデオロギーなんて言い出した時点で負けです。

だって単なる悪口ですよ。それ。

 自然に見える自明性をひっくりかえす必要がある。というイデオロギーを
ひっくり返す方法は?

気にしないで実践を考えるってことですよ。それが何をどうするのか。
自分は結局、何をどうしたいのか。それはなぜか。
自問するだけでなく、他人に聞いてみることです。

 それが社会的な実践ということです。社会的実践はイデオロギーに基づいて
行われる。(だからどうしたっていうんでしょう。あんたはバカかとでもいっておけ
ばよいのです。)

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:16:16 ID:WbSsj+s9
>>397

 人を楽しませるというのも実践のひとつですな。

 善哉。善哉。

 ところで、そちらも何か実践を。(批判なんか実践じゃない。笑えないしね。)

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:21:45 ID:+T9rtAU/
偽教師様

1+1=2は、あなたにとって難し過ぎます。この難しさが分からないのであれば
やっぱりあなたは数学の知識が皆無です。例に使うのはやめた方がいいと思います。

これを例に挙げたいのであれば、まずはその証明に一応目を通してからされることを
おすすめします。ああ、証明が存在する事も知りませんでした?
整数論が何であるかも、当然ご存じないから>>391のようなことを書くのですよね。
とりあえず、「1+1=2」の証明が理解できるといいですね。有名ですから検索すれば
出てくるのでは?本にもたくさん載っていますし。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:24:47 ID:WbSsj+s9
おっさんさんへ

 構造分析のもう一つの役割は、なぜこう思ったのかということ(情緒的反応を引き出す仕組み)を
テキストの中に見いだすことです。

 そこでは情緒的反応が大事なのではありません。この感情はどこから来るかということが大事な
のです。

 まあ、恋の解剖学みたいなものですね。つりばし効果みたいにいわれてがっかりすることもある
でしょう。でも、恋が自分勝手な妄想でなければ、相手の行動とは関係なしに恋は存続するはず
です。

 けれども、まあ百年の恋もおなら一発、はなくそ一個で破れることがあるのですから、翻って
恋なんて恋に恋する自分にうっとりしているだけのことですよ。

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:26:31 ID:+T9rtAU/
>>399
最高でした。腹イテーwwwwww

だから、知らない事を知った風に長々書くよりも、一言
「俺は偉い。俺にすごいと言ってくれ」とだけ毎回書けば良いんですよ。
そしたら恥も書かなくて済む上に、自分が言いたい事がもっともダイレクトに
相手に伝わるのです。

批評なんてしていませんよ、私は。「おい、間違っているよーん」と
指摘しただけですから。あなたの主張についてなんぞ、一言も触れておりません。

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:32:27 ID:WbSsj+s9
1+1の証明とかは知ってるよ。藁。

でもそれは整数という概念以降の話にすぎないよ。残念ながらね。

1とは何かということは、整数の基礎という位置づけなんだから。

そもそも狼1頭と羊1頭は違う。という子に同じ1ということを教えることから考えてみたまえ。

まさに1という概念がイデオロギーであることがよくわかるだろう。

そしてこの問題は加法ではしてはならない加法なのだよ。

紙1枚と鉛筆1本ぜんぶでいくつと同じだよ。
(答え 紙1枚と鉛筆1本)

先の問題の解答は二つある。
一つは羊は狼に食べられてしまうから狼1頭(現実的)
羊1頭と狼1頭(観念的)

2頭というためには獣は2頭といわなければならない。(ほ乳類でも脊椎動物でもいいけどね。)
さあ1という概念がイデオロギー(装置)であることがわかってきたかな。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:44:45 ID:+T9rtAU/
ぶーーーっwww
やめておけwwwww

数学板に、貼っちゃうぞwwwww
このおかしさが分からず、真剣に
「ボクは証明知っているんだ(くやし笑い)」
真面目に書くのがおかしい、もう最高wwwwwww

証明を知っている人間は、絶対に>>403のような書き方はしないwwwwww
あー、やっぱり腹イテーwwwwwww

だからやめておけって。無理なんだから。いやいや、誰にでもできないことは
ありますよ。その時に、知ったかぶりをするか、素直に知らないと言うかが
違うだけで。
マジで腹イテーwwwwwww


405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:47:34 ID:WbSsj+s9
1+1の証明は1+1が成立するときはという前提がある。
1+1と記述できない場合には適合しない。

 記述できる/できないということが大事なんだな

 アンモニア1リットルと水1リットルを合わせてもアンモニア水1リットルしかできない。
つまり1+1と記述できないのだ。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:48:49 ID:WbSsj+s9
貼ってきて欲しいな。
ぜひお笑いを広めて欲しいものだ。

ちなみにそれに関わるレス全ても一緒にね。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:50:26 ID:WbSsj+s9
もし君がアンモニア1リットルと水1リットルを合わせたら二リットルになると思っているなら
それはそれで面白い。

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:52:05 ID:+T9rtAU/
>>405
>1+1の証明は1+1が成立するときはという前提がある。
>1+1と記述できない場合には適合しない。

もう、本当に最高!!!!!!!!!!!!
「やめとけ」って言ったのに。
いやいや、忠告を聞かないでくれたおかげで
ここまで最高なことを書いてくれたからいいとするか。
小学校教師を名乗るのはやめて「えんたーていなー」と名乗ったらどう?
最高だよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:02:14 ID:WbSsj+s9
>>408
それはそれでありがたい。
ベアノ一本槍だったらどうしようかと思ったよ。

そもそも数学が定理と定義でできてるということは、
思いっきりイデオロギーでできてるということに他ならないからね。

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:04:21 ID:WbSsj+s9
おっとミスタイプ ベじゃなくてぺだな。ペアノだ。
すんませんの。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:11:50 ID:+T9rtAU/
>>407
理科もできないのかwwwwwwwww
義務教育をまだすませていないのかもしれない。
早く卒業できるといいですねwwwwwwwwwwwwww

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:14:59 ID:WbSsj+s9
そうだ。モルを使って記述しないかぎりこの加法は成立しない。
しかし1モルと1リットルはどう違うのだろう。

そしてそれは数学ではない。数学とは数式記述以降の取り決めの話なのだ。

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:17:47 ID:6hqPV85h
そこまでイデオロギーという言葉を拡大してしまったら、
スポンジとかめんたいこもイデオロギーになったりしやせんか。
というか、言葉を使うことがすでにイデオロギーってことになって、
おっさんさんのいうように、イデオロギーという概念が無意味に
なったりせんか?

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:25:40 ID:WbSsj+s9
現在
政治的な揶揄以外ではイデオロギーという概念は終焉を迎えたといわれていますよ。

 フーコーなんかイデオロギーなんかディスクールと同じである。ディスクール一本で
OKなんて言ってます。

 つまりイデオロギーでないものなんかない。って言ってるわけですね。

もともとイデオロギー自体が政治的な悪口=荒唐無稽とか妄想とかいうことなんですからね。
岸田秀氏の立場に立てばイデオロギーしかないということですしね。

415 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 11:34:28 ID:f2KKPSVe
>>381
そのような「心情!」は理解できないことはありませんが、それを大事にするあまり
何かを見失う、あるいは覆い隠すことがあってはいけません。あなたの自然さや自明さを
共有「しない」人間と分かちあうためには何が必要でしょうか。
そのような情感が「自然!」と起こってくる枠組み(価値観などなど)を既に持たないと
いけないでしょ?その前提とはその強要であり無意識の内面化に他なりません。

あなたが持たざるをえない情感それ自体にはあまり価値がありません。同時に生徒が
抱く情感を可能ならしめる外部性あるいは構造というものにもっと注意を払うことが必要です。

我々の自然さなんて、ホントどうにでもなるような類のものです。
その心地よさを疑わないという心理機制も分からないではないですが、そういう空間によって
刷り込んでいくんだという自覚は欲しいものです。

「国語教科書の思想」はぜひお読みください。論駁あるならお聞きしたく思います。

石原は文学「理論」を勉強しない人間は小学校といえども現場には立つなとはっきり断言しています。
(もうちょっと穏やかな言い回しですが)

あなたが抱く心情の起源を問うことはいけないですか?
そういうことに関心ありませんか。

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:40:45 ID:fzBlR8aD
うん。その辺のことはよく知らん。
ただ、教師の考えのうち生徒に押し付けてもいい部分と、押し付けずに
生徒の判断にゆだねるべき部分とを区別することを考えるとする。
素人考えだが、こう区分したときに、押し付けてはいけないものを
イデオロギーと呼ぶことが多いと思うんだ。

イデオロギーという言葉が適切かどうかはさておいて、こういう区分
そのものは成立するだろうか。
あるいは、区分は成立するが、その基準を立てるのは困難なのだろうか。



417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:42:48 ID:fzBlR8aD
>416 は >414 宛な。

418 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 11:52:00 ID:f2KKPSVe
「あ」の馬鹿へ

分配の問題をそう片付けるとはお前の心性がまたまた出たな。
オイラが引用した論文はすべて学術的なものばかりだ。
「所有と国家のゆくえ」はここのスレでも出したことはある。
気になることがあったから、他のサイトで多くの人の意見や考えも聞いた。

お前のようなド素人の妄言は聞きはしなかった。
問題の共有はだいたいアレに集約されていることも確認済みだ。

白痴君、小学生相手にシッタカしておいてくれ。

419 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 12:00:40 ID:f2KKPSVe
「あ」の馬鹿以外の方へ

『だから、各人にそこそこの自由を確保しようとすれば、この主張は否定され、代わりに、
負担を義務とし、それによって各人に自由を割り振る、というより自由のための資源を
割り振ることが支持される』(>>373

道徳は要らない。しかし、倫理は必要だ。倫理とは上記のように我々自身を守るものなんだ。
道徳は一件自らのためのものであるかのような錯覚を撒き散らすが、決してそうではない。
今の日本ではどうでもいい国旗国歌は強要し、資本を疑わないような道徳だけが撒かれる。
倫理は常に蹂躙される。
実は、経済とは倫理と言い換えても過言ではない。自由放任に対してどのような倫理の枠を
かぶせるか、それが経済史だったのだ。
学校では倫理を教えて欲しい。倫理の基礎となる思考を目指して欲しい。

道徳は糞。そんなもの要らん。
君が代で年金はもらえんからな。騙される人間は作らんで欲しい。

420 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 12:14:42 ID:f2KKPSVe
>>387
>「戦争協力を口にしない奴は鈍感で、鈍感な奴は非国民」
>も認めなくちゃいけない訳さ。

そのような論理の外部性を明らかにするべきだ。そのときの枠組み。
しかし今は違う。枠組みが違う。パラダイムと言う人間もいる。
フーコーなら言説編成体になるかな。(言説じゃーない)

国語を日本語にするパラダイムになったんだよ。早くないぞ。遅すぎるくらいだ。

もちろん、将来は日本語それ自体の呼称が批判されるときもやってくるかもしれない。

お前は、国語を日本語にする「枠組み」批判をしないといけない。そうだ、枠組み外部性価値体系。
時代精神や世界の流れというような理解でもいい。そのような枠組み自体を問え。
オイラは国語の「枠組み」批判をしている。国語を強要する枠組みをいまだに維持保守しようと
する輩を露にしたい。その意図の暴露が重大だ。

国語の外部と日本語の外部。
その呼称を要請する枠組み自体を比較し論じて欲しい。それが論理的というものだ。

421 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/30(土) 12:22:26 ID:qccINT6N
>>319
>その物語や小説がその読み=感想を許容できるかが問題であり、そこが論点なんだよ。

読み=感想?はぁ?大丈夫かお前。
物語や小説が許容する感想って何だよ。そんなもんあるかっての。そういう教師の読みの押し付けや
道徳とか価値観を振りかざしておきながら「自由に書きなさい」と言うのだからおかしくなるんだろ。
感想文は本の解釈を語るものではなく、読んだ本を肴に自分を語るものなんだって言っとるだろうが。
出発点は自分で、読んだ本の内容などはきっかけにすぎんわ(誤読していては困るが)。


422 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 12:26:01 ID:f2KKPSVe
>それってさ、共同体による理不尽な排除とどう違うんだ?

国語あるいは国語の外部性が排他的であることを指弾し、それを「排除w」する
ことはアカンのか。味噌糞でんな。全く意味なし。

殺人鬼の自由を拘束するのはアカンか?

そうだよ、国語とはそういうメタフォーでくくれるものだと思ってる。
排他的なものを否定することの排他性を指摘することの愚かさよ。

「あ」スペックの論を展開されても困る。論理的にいこう。

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 12:27:05 ID:fzBlR8aD
だったらさあ、どうして「日本の日本語教育」というスレタイにしないの?

424 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 12:36:08 ID:f2KKPSVe
数学基礎論や批判法学

そういうものも出した。でもな、国語をやめて日本語にしよう!というレベルで
言ってはいないぞ。またまた味噌糞にする論法でんな。

「あ」のように数学のシッタカをする人間もいる。
法がなんとか、そういうことを臆面もなく垂れる阿呆もいる。
だから、オイラはこういう立場あるいは知見でものを言ってると明らかに
しているだけのことだ。それを自慢だと思うのはお前の勝手だ。

自慢かどうかなんて実にくだらん。
当方の主張がおかしいのなら指摘すればいいだけのことさ。

ちなみに、オイラは少々横柄傲慢な論者が好きだ。
柄谷を見ろ。石原も直言は辛らつだ。あいつの度胸は見上げたものだ。
同業者の痛いところを突いている。国語教科書を撃つのは並大抵の
根性ではできない。

石原は大学入試を分析し、その問題の質を皮肉ることで出題者(!)の質まで
露にしている。全く感心だ。仮面の向こうの同業者の憤りは尋常ではないだろう。
分かってやってる。どんどんやれっていう感じ。

傲慢横柄、で何が悪い。
要は内容の問題だろって。そんなことも分からんか?

おれは傲慢横柄が嫌いなわけじゃーない。
威勢のいい馬鹿が嫌いなわけだ。中身、それだけ。

だからね、お前も遠慮せずどんどん発言すればいい。何をウジウジ周辺探索
してるんだ?

425 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 12:42:28 ID:f2KKPSVe
クネクネ

それとな、オイラを叩くのにママンちゃんに振るのはどうかな。何度か言ったね。
同様に、お前には「あ」のことを振ったがスルーだよ。「あ」はまともだと思うか?

「あ」の変節
「あ」のダッチロール
「あ」の性根
「あ」の暴力

それがお前には分からんのか?
どうだ、臭いでわかっただろ?w「あ」の臭いは普通じゃーないぞ。

426 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/30(土) 12:55:57 ID:qccINT6N
>>>>390
>そもそも表現には表現主体が実在したはずです。
>ただ実在として厳密に考えるべきなのは、表現した時点での表現主体です。

「表現主体」は、実在する何かを指すのではなく、飽くまでも「語り手」に相当するテクスト内のものを
指す用語として使うのが一般的です。これは用語の問題。また、おじちゃんの言うようなそういうものが
あるとして、それを限定付きであれ実在のもの(生身の作者もしくはその「一部」)として人格化するの
はよくない。意図せずに表現してしまうものだってあるはずだから。おそらくここで名指されているものは、
猫ちゃんの言うように、作品から

>帰納され構築された作者(筆者)

と表現する方がより適切だと思う。いわゆる外部として評価にさらされ、人物像として明確なイメージを
持つ実在の作者像に対する戦略的なアンチテーゼとしてならよくわかる。それ以外に批評の戦略として
有効であればその使い方を教えてもらいたいざんす。そもそも作品という起源から構築される「作者」像
だって時代ごとに移り変わるのだろうし。例えばごんぎつねで語り手の変化を司る「構築された作者」に
言及するとして、それは作品解釈にどのような知見をもたらすのだろう?猫ちゃんはどうして拘ったの?


427 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 12:57:48 ID:f2KKPSVe
>>394
そのような情感の発生を自然視するのはいけないですよね。
自明な前提は暴力です。その自明性を明らかにしないといけません。

ニーチェは、文法が思考を決定すると言いました。「善悪の彼岸」
デカルトは方法序説の最初の方で、ある国家ある言語の文化や習慣に精神が拘束される
危険性を説いています。彼は生涯のほとんどを外国で過ごしています。逃れるために。

あなたの自然さの起源や諸関係を問うことから読みを始めませんか。
要は反復にすぎないんですよ。認知科学や脳神経科学の知見からも分かることはたくさんあります。
茂木や下條などの本が新書でたくさん出ています。ぜひお読みください。
面白い論文紹介があります。
http://www.livescience.com/strangenews/ap_050822_asian_american.html
(彼の著書もありますが、日本語訳は知りません。)
情感以前の視覚自体が枠組みによってコントロールされてしまうわけです。
英語ですが、ぜひお読みください。感想をお待ちしています。

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 13:01:56 ID:jCOkLtDu
         ____
       /◆yk/JpL/Z9U\   仕事もないし、家族はもともといないから、
      /  ─    ─\   今日も思う存分2ちゃんができるお。
    /    (●)  (●) \   
    |       (__人__)    | ________
     \        ̄    ./ .| |          |
    ノ           \ | |          |  
  /´                 | | 
 |    l                | |          |
 ヽ    -一ー_~、⌒)^),-、   | |_________|
  ヽ ____,ノγ⌒ヽ)ニニ- ̄   | |  |


429 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/30(土) 13:07:23 ID:qccINT6N
クネクネさんや、私はくだらねーと思ったレスにはくだらねーと言うか、全くスルーするよ。
私はあんたの前スレにおける一連の書き込みをスルーしたまで。理由は捏造。それ以上でも以下でもない。
そこにあんたが何を読み込むかは勝手だけど、そもそも引用であることを明示してコピペすればよかったんじゃねーの?
その話題に拘るなら、もう一度整理して提示すれば?
私や猫ちゃん以外にもそれを望んでいる人がいるみたいだし。


430 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 13:27:02 ID:f2KKPSVe
>>426
>例えばごんぎつねで語り手の変化を司る「構築された作者」に
>言及するとして、それは作品解釈にどのような知見をもたらすのだろう?

語り手でも視点でもそれはまだ内部のものなんですね。
構造分析でもテクスト分析でも手法はいろいろあるようです。

私はニーチェ→フーコー的な読み、それから「社会構成/構築主義」に関心があります。
外部拘束性にこだわりたいのです。バルトは作者を抹殺しました。これは作者は権力の
意味を反復する装置として機能するだけだからです。彼は無垢な意味を求めたようですが、
汚染されていない意味などないことに気づき無意味なものにたどり着きます。
その典型が俳句wだったのですね。
私自身がそのあたりのからくりを明らかにしたいからに他なりません。また、読解とは
世界の読解に他ならないのだから、からくりを読めるようになりたいし、言語教育とは
まずそこを目指すべきだと思います。楽しみ方は千差万別どうでもいいんです。
楽しむ前に大事なことがあります。テクストに快楽するのは一種の贅沢です。
彼自身はからくりを見抜いて、とことん汚染されていることを知り、最後に快楽に
及んだのですよね。
我々もまたからくりを見抜くことから始めたいと思うのです。
からくりを見抜くことは快楽とは違い収斂がある程度期待できるので言語教育には
好都合です。なんでもありを前提すると結果的には盛り上がらない。

バルトが殺した作者をまずは同定するべきです。作者のオリジナリティがいかに奪取
されているか、そこから逃れることがいかに難しいか。
一方、その拘束との闘いから一瞬逃れる閃光が垣間見えることもある。
そのあたりを見たい。

殺すためには捕縛するという感じかな。二度の宣告・・
従って、私の「作者(筆者)」とは「おれはそんなつもりで書いたんじゃーねー」という
異議申し立てを呼ぶような作者です。構築することで一度抹殺します。

作者はテクストのみならず社会や時代からも構築されるべきです。
ですが、それは人によって多少比重が異なるでしょう。
社会や時代をとりあえず( )に入れてしまうような読みもありです。

私の読みとは世界の読解への修練です。
快楽以前の労働や責務の発生でほとんどを過ごす人間のための読解です。

みんな快楽したいんだよね。でもでも・・

分かってもらえるでしょうか。
疑義は遠慮なくお願いします。

431 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 13:50:35 ID:f2KKPSVe
作者の不在証明
透明人間としての作者

にまで行けたらいい。

みすずの詩では、まずしっかり立ち上げることを目指しました。
もちろん本当は彼女自身が単にパラメーターというか透明なんですよね。
それにオリジナリティを感じるのは多数ではないものに彼女の枠組みがあった
ということに他ならない。それだけのことです。

光村国語にもある「みんなちがっていい」の詩
これはもう「共生」のテーマまんまですよね。彼女は早すぎた枠組みに立っていたんだ。

彼女とは「私の」彼女です。私のみすずに他なりません。

生身のみすずは「みんなちがっていい」とはほど遠い存在だったかもしれません。
間違いなくそうです。彼女は自堕落な亭主と離縁することを決意する。
そのとき娘を旦那が引き取るというようなことになって、抗議の自害を決行します。
旦那のような人間に娘を育てさせるわけにはいかない。はっきりそう訴えていますよね。

彼女は旦那のような「ちがい」を微塵も許さなかった。
小鳥や鈴のようなどうでもいいものに視線を投げる。
それを小さなものへの愛とかなんとか、そういう教義を読む人間がいます。

彼女は遠近法を転倒させたんです。
おそらく彼女の日常は耐え難いものだった。それから目をそむけるために
倒錯に逃げたとも思います。彼女が宇宙や海の底を見る理由はそこにあるんじゃーないかと
思います。とかなんとか、私は私のみすずを構築します。

彼女は銀河の向こうの暴君を許すが旦那は許さない。そういう人だったんです。

教室でみすずの抗議の自殺を取り上げる先生は何人いるでしょうか。
「みんなちがっていい」より、彼女のその行為の読解により興味を持つのは
いけないでしょうか。

彼女は書物に遊びました。結果、彼女の枠組みは日常や共同体から乖離したものに
なった。それに殺されたとも言えるでしょう。とかなんとか・・

「大漁」においては、テクストから帰納されるみすずを強調したから
そんな辛らつな視線を浴びせませんでしたが。でも、ちょっと触れたかな。

視点や語り手を操るものを見つめる。すると、どうしても作者を構築するしかない。
その構築にはさらなる外部が必要になるということです。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 14:09:54 ID:jCOkLtDu


 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
|私はニーチェ→フーコー的な読み、それから「社会構成/構築主義」に関心があります|
|外部拘束性にこだわりたいのです。バルトは作者を抹殺しました。これは作者は権力の     .|
|バルトが殺した作者をまずは同定するべきです。作者のオリジナリティがいかに奪取   |
|だが、これが本名か不明。もともと、とある組織で階級のある立場にいたが、.|
|ニーチェは、文法が思考を決定すると言いました。「善悪の彼岸」                |
|デカルトは方法序説の最初の方で、ある国家ある言語の文化や習慣に精神が拘束される              |
|                     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  |
 \___   ___________|   ニーチェって、オマエ日本語しか読めねーくせに・・・。|_/
        V                 \________  ___/
      ____                            V
     /⌒  ⌒\                        / ̄ ̄\   
   /( ●)  (●)\                     ./   ヽ_   \
  /::::::⌒(__人__)⌒:::::\                   (●)(● )    | 
  |     |r┬-|     |                   (__人__)      |
  \      `ー'´     /                    ヽ`⌒´     |
,,.....イ.ヽヽ.  __   ノ゙-、.                    {         |   
:   |  '; \_____ ノ.| ヽ i                     {        ノ 
    |  \/゙(__)\,|  i |                     ヽ.,__ __ノ 
    >   ヽ. ハ  |   ||            _, 、 -― ''"::l:::::::\ー-..,ノ,、.゙,i 、
     ◆yk/JpL/Z9U               /;;;;;;::゙:':、::::::::::::|_:::;、>、_ l|||||゙!:゙、-、_
                         丿;;;;;;;;;;;:::::i::::::::::::::/:::::::\゙'' ゙||i l\>::::゙'ー、



433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 14:18:13 ID:xoANT5NR
でた。

猫。間違ってるよ。
 論理は正しさを証明しないと教えたよね。

この場合は
「形式は同じであるが、表現された内容が違う。形式によって理解は誰でも同じになるが、その評価やそれに対する
意見はまた別のことだ。」である。

 あの表現は<論理的>だよ。間違いなく。表現方法は、正しさを証明しない。猫はそこを間違っている。
論理的=内容は正しいではなく。コードとして共通だから、少なくとも意味は一致する。ということなのだ。
論理の外部っていうのは、意味だ。文章の意味というものは文章の中にはない。

 その「ことば」が運用されている社会の中にある。だからこそ、古いテキストでも読み替えが可能なのだ。


お前は、国語を日本語にする「枠組み」批判をしないといけない。そうだ、枠組み外部性価値体系。


 はい。これがイデオロギーの押しつけの見本です。猫は何様?

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 14:33:08 ID:xoANT5NR
>>418

 はい。出ました。権威主義。


オイラが引用した論文はすべて学術的なものばかりだ。


 学術的ということは即ち業界的ってことがわかってない。
業界内で流通すれば問題ないわけだ。実効性もなにも
なくてかまわない。

 とりあえず○○という本に論文が掲載されました。
という事実があればいい。

その裏側が読めてない。

 もし読めてれば、あんな論文を紹介しなくても大本の
市場社会主義やアナルティカル・マルキシズムの話に
なったはず。
 エリックオンライトの
「平等主義の政治経済学―市場・国家・コミュニティのための新たなルール」
あたりがネタ本の単なる随筆にすぎないよ。(藁)


435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 14:37:53 ID:xoANT5NR
しかも、参考文献や引用文献が孫引きばっかだよ。

 そういうところに目が行かないのが一番、批判的読み取りからは一番遠いだろ。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 14:46:52 ID:xoANT5NR
>>424

論理的とは形式であって内容ではない。

 大事なのは内容だ。

いえ。違います。とりあえず、聞いてもらう。読んでもらう。ことです。

だから「真理病」なんだって。大事なのは社会的<接続>なの。君の望む変革というのはそこからしか
やってこない。形式も内容もその次だ。

ヒロユキが2chというスペースを作ったからこそ、君は接続できてるにすぎない。なんら社会的に<接続>
可能性を自分で高めているわけではない。

 君の好みなんか聞き手や読み手には関係ない。それは鏡に映った自分の姿にうっとりするナルシス
(自己陶酔)でしかない。

柄谷も石原もそれが商売なの。君はそれでお金を稼げているのか?柄谷はそれでお客を囲い込んでいる。
本を出せばいくら売れるか計算できる。プロレスと一緒だよ。業界がにぎやかになってお客が増えれば、悪役
の懐も潤うというわけさね。

 読めてない。
 商売人でもない君がそんな真似をするのを猿真似というんだよ。(辛辣?)

437 :おっさん:2007/06/30(土) 14:47:42 ID:rxffoxB1
英語ダメです。全く日本語という制度内人間ですね。
ただ知覚レベルにおいても文化被拘束的であるというのは、
サピア−ウォーフ仮説(だった?)とか昔から言われてたことですよね。
そこで言われていたこと以上の内容があるのだろうとは思うのですが。
この手の話題で僕自身が最初におもしろいと思ったのは岸田秀でした。
それから蓮實や柄谷などを読みました。
その頃、例えばフーコーなんかが思想界のスターで、
彼によって「権力」という概念を大きく変わりました。
「外部」とか「他者」、「制度」とか「装置」とかが流行語でした。
ご紹介のあったニーチェとかデカルトのことも
そうした文脈でよく語られていたエピソードです。
その後、蓮實なんか気が付いたら東大の総長(?)なんかになってたりして
あんな快楽に浸りきってるやらしい人がと驚いたりしましたね。
「反=日本語論」は読みやすくそれなりにおもしろかったのですが、
僕がよりおもしろく感じたのは大江論や夏目論でした。
完全それまでの制度的な読みをバカにして楽しんでいる本だったと思います。
あれは修練というより快楽ですよ。
僕が楽しんでいた30年前の「現代思想」という場と
こことがどれだけ離れ、新たな地点にいたっているのか、ちょっとピンとこないんですよね。
僕自身は明らかに30年前の「現代思想」という遊び場より
前に戻ろうとしているような気がします。それは、堕落、退化かもしれません。
今でも気になるのは、時枝−三浦や吉本、広松渉です。
30年前の現代思想的な遊び場ではちょっと鈍重でおっさんに見えた人たちですね。
ここももうこれからもう少しロムっていくと
30年前からどれだけ深化した地点で議論されているのかがわかるかもしれません。

茂木さんの本、投げっぱなしにしているのですが、
僕がいつか少しつっこんでみたいなと思うのは「クオリア」という概念です。
文学を読んでの情的、質的な反応ということに関連させられるような気がします。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 14:51:11 ID:xoANT5NR
>>421
 ママン。頭の悪いのは分かったから。はいはい。

 赤づきんに革命の姿を見いだすのは感想だ。そしてそれが物語の構造に一致してれば、だれも承認せざる負えない。

ただそれだけの話だ。

 あと、わしは一回たりとも「自由に書きなさい。」などという指導はしたことがない。

「自由に書かれたら採点できないからである。」わしの商売では採点不可能なことはやらないことにしないと
とっても辛い。

評価と評点は違うだろうが、評価を客観化しようと思えば、評点が中心になる。商売上の都合であるな。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 14:56:12 ID:xoANT5NR
>>422

えー国語が排他的だって!嘘つけ。今じゃ標準語教育だってゆるゆるだぞお。

 それに規範的でなければならないのは学校教育の宿命だ。

それに日本語は表記だって実はあいまいなのだ。

  計算これをどう音で読む。ケーサンと読むのかケイサンと読むのか。
実は西日本ではケイサンと読むのが標準。東日本ではケーサンと読むのが標準。
だからエ列の長音は「い」を振るなどという珍妙なルールがあることになる。

 基本的にはエ列の長音とは「ねえ」だけという見方もあるそうだ。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 15:00:23 ID:xoANT5NR
な。みなさん。猫が知識人を目指してるのは明かだろ。

笑っちゃいますね。

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 15:04:18 ID:xoANT5NR
論理的に説明すれば相手は理解できるというのは間違い。

 そもそも論理的という形式を読むコードを持ってなければ理解できない。

幼児に何かを教えるのに論理的に教えるのはバカ。

 とりあえず、何か物語でごまかしてしまう人間の方が案外利口。

   端的な事実だけを簡単なことばで示す。(まさに、示す。)のがスタンダード。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 15:56:48 ID:+T9rtAU/
>>441は分かりにくい。以下のように翻訳したらどうでしょう?

>論理的に説明すれば「あ」は理解できるというのは間違い。

> そもそも論理的という形式を読むコードを持ってなければ理解できない。

>従って、「あ=オレ」に何かを教えるのに論理的に教えるのはバカ。

> とりあえず、何か物語でごまかしてしまう「あ=オレ」は利口。

>   端的な事実だけを簡単なことばで示す。(まさに、示す。)のが「あ」スタンダード。

>オレはいつもそうやって、知らない事でもなんでも「せちめい」してしまう。

>オレは天才。誰か,オレを褒めてくれ。


443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 16:35:53 ID:xoANT5NR
あー。おしいなあ。
 本歌取りにこだわりすぎたなあ。
  最初のところを見つけたときに小躍りしすぎちゃったね。
 全体をもうちょっと考えるとよかったね。おしい。
(((○(((○
        □ボール2こです。

444 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/06/30(土) 18:29:58 ID:qccINT6N
>>438
>赤づきんに革命の姿を見いだすのは感想だ。
>そしてそれが物語の構造に一致してれば、だれも承認せざる負えない。
>ただそれだけの話だ。

はぁ?
それだけの話なわけねーだろ。お前は、ほんと、あ ほ だ な。

感想文においては赤ずきん(づきんは旧仮名)に革命を見出そうが浪花節を見出そうがどーでも
いいということがわからんのか。ついでに言えば感想文は何かを「承認」させるようなものではねーわ。
それから何だよ「物語の構造」ってのは。笑わせんなって。「物語の構造」に「一致する」「革命」を
見出すなら、それは解釈であって感想ではない。革命でも何でもいいが、その見出したものについて
どう思うかを述べるのが感想文だっての。お前の相手は疲れるわ。


445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 19:06:53 ID:xoANT5NR
だー日本語が通じない。

 どう言えばいいのかな。

  物語の道具立てや仕組み(構造)と合致するならどんなことだって言えますよね。
  合致しないときだけ、それはさすがに思いこみだよ。とつっこめるわけですよね。

 で、物語に触れもしないで、そんなことはないだろというコメントは指導として
おかしいでしょ。

 (わざとにわからないのかな。それとも天然なのかな。あれだけ論理的とか
 批判ならある程度筋道があるのに、聞き取りや読み取りでこれだけコードが
 成立しないってどういうことなんだろう。)

 ただここは分かるというか一致できる。

。「物語の構造」に「一致する」「革命」を 見出すなら、それは解釈で
あって感想ではない。革命でも何でもいいが、その見出したものに
ついてどう思うかを述べるのが感想文だっての。


 それはわしも最初に感想文は「作品批評」ではない。それは持ち込まない方がいい。
作品評価をしないで書くのが感想文。主張を書くものだ。と言ってるからね。

 それなら作例の「バトルロワイアル」の感想文にあのコメントはやはりおかしい。
読んだ人がみんなそう思わないかどうかはまったく関係ない。
 どうしてそう思ったのかをもっと詳しく作品かの触発を踏まえて書きなさいという
 ことになるはずだ。

<みんながそう思うことを言うのが感想文ではない><みんなになるほどと思わせるのが感想文なのだ>
という立場ならそうなる。というだけなんだが…。

 本当に教えている立場なのかがすっごく疑問だ。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 19:11:55 ID:jCOkLtDu

                             ,. -‐―――‐-、
   / ̄ ̄\      / ̄ ̄ ̄\       γ::::::::::::::::母::::::::::::::ヽ、
 /ノ( _ノ  \   / ─    ─ \     /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ      
 | ⌒(●)-(●)/  <○>  <○>u \  γ:::::::::人::::人::人::::人::::::::ヽ
 |     (__人__)|    (__人__)  u |  (:::::::::/ \    / \:::::::)
 |     ` ⌒´ノ \    ` ⌒´    /  \:/ (●)  (●) \ノ
 |         }   (◆yk/JpL/Z9U   |      (__人__)    | 
 ヽ        } ̄ ̄ ヽ○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\\    ` ⌒´     /
  ヽ     ノ    \パパやママと食事中ですw・・・/ /
   /    く \ |__| _ ..._.. ,       ___ \      (__ノ
   | 父  \ \ \ /        |\_____\
    |    |ヽ、二⌒)、^        |  |ヽ、      ノ|



447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 19:12:42 ID:xoANT5NR
バトルロワイヤルから見いだしたもの

条件が揃えば自分は殺す側に回るだろう。

それについての自分の深め。

いや、自分の中には喜んで殺しに参加する部分もあると思う。

なんだが…。

 ってママン。もういいや。ママンが「ことばに不自由な人」だってことはわかったから。
 教えることができないんだね。仕方ない。

448 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 23:03:30 ID:f2KKPSVe
>>437
>ただ知覚レベルにおいても文化被拘束的であるというのは、
>サピア−ウォーフ仮説(だった?)とか昔から言われてたことですよね。

そうですね。私のあげたサイトの論文は目の動き自体が拘束されていることを実証しています。
サピア=ウォーフの仮説が(部分的かもしれないが)自然科学の手法で証明されつつあるわけです。

これに限らず柄谷であれフーコーであれ、まだその圏内です。おっちゃんの30年前のまんまですよ。
ただね、それは単に「仮説」ではなく自然科学の領域であるいは社会科学の分野でしっかり根付いて
花をつけたような感じですね。

チョムスキーは御存知ですか。彼は言語学は心理学であって心理学は生物学の一分野となる。そういう
意味のことを40年前に言ってます。それも自然科学の手法で実証されつつあります。

おっちゃんの青春そのまんまで十分いけるんですよ。
時枝→三浦って、まるで外部w つとむちゃんはその筋では評価されてますが、彼は在野の人ですよね。
時枝も傍流だと思います。これに三上章を加えたいですね。三上も国語からは徹底して排除されてきた人です。
しかし、最近彼の論を下敷きにしてたくさん本が出版されています。

三十年前がやっと普通になりつつある、そういう思いです。
でも、おっちゃんはそれより前に戻ろうとしているんですよね。それはよく分かります。
吉本っていえばバナナですからね、今は。
廣松ですか。。漢字は得意になりましたか?w
そういうツールで読むのも十分にありだと思います。ぜひ試してみてください。

>僕がいつか少しつっこんでみたいなと思うのは「クオリア」という概念です。
>文学を読んでの情的、質的な反応ということに関連させられるような気がします。

こういうハイブリッドは楽しみですね。ぜひ、御意見を開陳してください。

449 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/06/30(土) 23:15:28 ID:f2KKPSVe
「あ」よ
お前はここで誰と「接続」できてるんだ?
広がらない理由をちょっとは考えろ。
心配するな、お前はあまり利口には見えない。
しかも臭いがイカン。

モデルチェンジは早い方がいいと思うぞ。

ますますつまらんようになってきた「あ」
オイラを憤慨させてくれ

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:07:29 ID:4SneXGTX
質問です
期待をしていた人を想いながらもがっかりした時に、
「軽蔑してしまう」などと言う気持ちがありますが、
「軽蔑」というのが残念な思いを伝える気持ちと、字の組み合わせとしても、
的確ではないというか、表現し切れていないのではないかと思います。
この気持ちを表す代わりの良い言葉はありませんか?

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:20:04 ID:vmby9Hus
>>450
がっかりしたのならば「失望」じゃないでしょうか?
なぜ最初に「軽蔑」ということばが出てくるのか分かりません。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:26:02 ID:ArwRrBzU
2chでつながる必要はないけれど、君には充分教えてあげられたと思うがね。

 少なくとも「くるぶし」のサイトは熟読されたい。まあ、それも君の勝手だが。

 で笑っちゃうのは君の戦争をアジる人々のレベル貼りとまったく同じなのだな。

「あいつらは泥棒だ。」
「あいつらは臭い。」

 君のラベリング戦略はいったいどこから学んで来たのだろう。○○レベルという言い方も
なんだか餓鬼っぽくて…いい年をした人間が使うのはどうかと思う。

 君のレトリックはなんだかできの悪いイエローペーパーのようだよ。
 できれば「よい子の知識人の巻」は読んでね。

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:26:46 ID:SZQ4wB2o
腐った





腐っても



454 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/01(日) 00:28:35 ID:wG3YjTus
>>445>>447
>だー日本語が通じない。
>ママンが「ことばに不自由な人」だってことはわかったから。

お前の日本語が他人に通じないのは、説明する側のお前が「ことばに不自由な人」だという可能性が
十分すぎるほどあるわけだが、それについてはノーコメントなわけね。

だから、何度言えばわかるんだよ。私が言ってんのは、「殺人の本を読んだから殺人をしたい」などと言
われても、誰もがそう思うわけじゃないんだから単にそう言うだけでは根拠が示されていないということだろ。
お前のように「殺人をしたい」という結論をうんぬんしたいわけじゃなく、その結論に至る過程が説明され
なければ感想文にはならんと言っているだけ。その意味では、「殺人の本を読んだから殺人はいけないと
思いました」という感想だって全く同じ。

「殺人」という本の内容を、例えば「殺人=自分にもその衝動が生じるかも」とか「殺人=人間として許せ
ない」など、どんなものと自分の中で等号で結び付けるかは全く個人の自由。だからこそこちらが聞きたいの
は、何を感想として持ち出すかではなく、どうしてそれを持ち出すかという点に尽きる。その根拠は、お前が
言うように物語の構造がどうのこうのというだけではなく、むしろ個人的な思考の背景を説明することで提示
すべきことなのだよ。

お前のレスに即して言えば、

>条件が揃えば自分は殺す側に回るだろう。
>自分の中には喜んで殺しに参加する部分もあると思う。

という部分を、なぜ自分がそう思うのかも含めて記述すればずいぶんまともな感想文となる。
単に「殺人やりてー」とか「殺人はいけねー」などという結論だけ読まされてもコメントしようがねーわ。
私が言っているのはそういうこと。お前は感想文の結論を、私はそれに至る過程について論じていたので話が
噛み合わなかったわけだろ。私はずっとそのことを指摘してきたのに、お前はいつまで経ってもわからんのだな。


455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:30:03 ID:ArwRrBzU
>>450
 見損なった。失望した。がっかりだよ。
そんな人だったなんて。
ぼく(わたし)はあなたを偶像にしてたんだね。
…ごめん。
I AM A DAYDREAMTRIER、

 私にはあなたはもったいない。

…あれ…別れ文句になってきてる?

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:35:27 ID:4SneXGTX
>>451
返答有難うございます。
良い所を知っているので情がまだあるが、許せない思いもあり、
このジレンマ
の苦しい様を表す言葉が欲しいのですが、二文字、三文字では難しいですかね?
代わりに独特の言い回しの方が相手に伝わるかも知れませんね。
「あろう事か、今の君の醜い心に僕の心が軽蔑を覚えてしまった」
最近漢字の組み合わせに興味を持っています。

457 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/01(日) 00:38:30 ID:wG3YjTus
>>450
「幻滅した」というのはどうですかね。
現実が思っていたものよりも悪くてがっかりすることです。


458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:39:05 ID:4SneXGTX
>>455
続いて返答有難うございます。
「見損なった」
これもなかなかの言葉ですね。
この言葉も意識してみようと思います。

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:41:05 ID:4SneXGTX
>>457
「幻滅した」
これは良いですね。
若い子が「げんめつぅ〜」なんて言ってしまいますが、
なかなか気持ちが伝わりそうで良いですね。
かなり気持ちの表れが的確な言葉だと感じました。
有難うございます。

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:49:21 ID:ArwRrBzU
>>454

おいおい 思ったことに根拠なんかそんなに必要ないよ。
 というより日常、人々はそれを無意識と呼んでいるわけだが。
 無意識を意識化するのが書くということかもしれないが、その場合、書く作業は自分に向けて行ってることになるよね。

>殺人の本を読んだから殺人をしたい」などと言われても、誰もがそう思うわけじゃない

 それってすべての感想文の否定だよ。
 根拠を示したり、何がそれを触発したのかを説明するのは説得するためではなくて主張の説得力を上げるためでしょ。
 説得力を上げる理由は「誰もがそう思わないから」じゃない。
 主張を納得してもらうためだ。

 つまり、誰もがそう思うわけじゃないという言説は余計な一言だよ。このようなことを書いた方がいいだろうというアドバイス
こそが必要なんじゃないの?

 どうしてそれを持ち出すのかじゃなくて、どうしてそう思ったのかだよ。感想文は主張文だが何かを変えようというものじゃ
ない。

>語の構造がどうのこうのというだけではなく、むしろ個人的な思考の背景を説明することで提示すべきことなのだよ。

 これは納得できない。<むしろ >がなければ、それなりに納得できる。読書経験から触発されたことと、それと呼応する
個人的な経験というのは一つの形式であるからだ。<むしろ>には納得しかねる。

 って以下のところがわしがもうすでに言ってる。というかわざと指摘できるように書いた作例でとんでもない添削やコメント
が返ってきてびっくりしたよ。

 最初からそこが用意された落としどころ。でもってじゃあ、読書経験による触発の書き方のバリエーションと実際の経験の
バリエーションの話になればいいなと思っていた。(そんなこともはや意味がないが。)

 ただし、それだけが感想文の書き方ではない。あの試験問題の感想文は個人的な経験の部分が省略され、その代わりに
学んだことをどう生かすかというレトリックが採用されていた。それもまた説得の技術である。


私はずっとそのことを指摘してきたのに、お前はいつまで経ってもわからんのだな。


いいえ。それはあなたの中の物語です。全然指摘なんかされてませんよ。感想それ自体の否定にとられかねない
言説ならいっぱいありましたけれどね。後付けはだめだなあ。お得意だけどさ。




 

461 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/01(日) 00:57:42 ID:wG3YjTus
>>460
>全然指摘なんかされてませんよ。

お前が読み取れなかっただけのことだろ?前レスを見てみろっての。
私が何回も書いて、やっとお前がわかったというだけの話。つまんね。


462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:58:38 ID:ArwRrBzU
感想文はパフォーマンスだというあのサイトはだからわしは納得できる。

 戦略的に文章を組み立てる訓練にはなるだろうからだ。

考えるということを貶めるものとしてママンは否定してたけどね。わしは、考える
なんてことは誰でもいつでもしてることであって、そんなに崇高化する必要はない
と思ってるからね。

 その差は埋まらないと思うし、埋める必要もない。実際に考える力を育てる実践
にどちらがなったのかということだけで計ればよろしい。

 言い合いすべきことではない。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 01:13:28 ID:ArwRrBzU
はあ?


ついでに言えば感想文は何かを「承認」させるようなものではねーわ。
それから何だよ「物語の構造」ってのは。笑わせんなって。「物語の構造」に「一致する」「革命」を
見出すなら、それは解釈であって感想ではない。革命でも何でもいいが、その見出したものについて
どう思うかを述べるのが感想文だっての。お前の相手は疲れるわ。


ママン。


革命でも何でもいいが、その見出したものについて
どう思うかを述べるのが感想文だっての。


 えっとそんなことは書いてませんね。

しかもいいですか。誰もがそう思わない。=承認されない。ということですよ。それを納得させる=承認させるという
ことですよ。感想文は主張を社会的な関係において承認させるものですよね。

 後付けはいけません。はい。

根拠を示せなることばは便利ですが、それは文章指導で使うことばではないでしょう。どうして、とか、どこからという
ことばを採用した方がいい。

464 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/01(日) 01:30:07 ID:wG3YjTus
>>463
ここでお前の貧弱なラングのありようを開陳されても困る。知ったこっちゃねーし。

>根拠を示せなることばは便利ですが、それは文章指導で使うことばではないでしょう。どうして、とか、どこからという
>ことばを採用した方がいい。

はぁ?
ここでお前に説明するのにどーして指導時の言葉遣いをする必要があるわけ?
それに根拠を示せというのがなぜ文章指導で使う言葉じゃないのかわからん。
しかも、どっちにしろまったくどーでもいい話だ。
そういうところしか突っ込みどころがないのか知らんけど、つまんねーよ。
建設的な話を頼むわ。


465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 01:32:14 ID:ArwRrBzU
でもスレ的に進歩したこと。少なくとも形而上学的などっちにしたって何も変わらないよというような
話にはならなくなったこと。

 それだけでも前進。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 01:39:01 ID:ArwRrBzU
 模擬授業とかをしたことがないらしい。いいなあ高校は授業研究なんかないんだなあ。

 基本的に添削の際には指導するときのことばづかいをしておく。
じゃないと添削というモードで書けないからだ。

 添削は批判ではない。教育的な仕事なのである。
ここはこのようにした方がいいということを伝えるlことだ。
そのためのことば遣いというものが世の中にはあると思う。

 根拠が示されてないのは根拠がわかってないからだということが想像の範疇にない
らしい。

 だからこそ、どんな文章や事件からそう思ったのか。人を殺したいと思うような経験が
あったのか。などの言い方が有効になるではないだろうか?

 にしても、ママンは本当に教壇にたって何かを指導してるのだろうか。
こんなに実践が見えてこないのはなんか変だ。授業論ははっきりいっていらない。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 09:28:26 ID:ArwRrBzU
おっさんさんへ 

 結局、なぜ情操教育としての国語の側面を無視あるいは軽視していこうとしているのかといえば
次のことがあるからだと思います。


形象理論と言い、解釈学と言い、結局は、作品の完璧さを前提として、作者の思想や心情への同化を
めざすものであって、それは、戦時中の国粋主義的な感化教育の中に完全に組み込まれる危険性を
内在したものであったと言えよう。

作品を絶対視し、限りなく作者に近づいていけばよしとする読みの理論」としての『国語の力』には、「教
材論がない」


 作品の自己完結。作品は完璧である。ということを否定し、作者を否定するのは、実は読むとは自己を
読むからに他ならないからです。

 わたしは、わたし。ぼくは、ぼく。読んで感じたことは交流はできますが、交流は授業ではないのです。
まちぼうけのように「事件」を待っている授業は授業ではありません。

 教師が授業でなぜ「発問」するのかといえば「事件」を起こすためです。

「作者は…」なる発問はどんな事件を起こし、そしてどんな解決をもたらすのでしょう。教師がさも得意に
「実は…」と本質をしろ示すのであれば、それは、ある構図と一緒です。

追伸 ◆yk/JpL/Z9U の>>431 は最低だということがよく分かりますよね。
「本当は…」などと言わずに黙って、みすずのことが書いてある本を何冊か学年の廊下に置いて誰でもが読めるように
すればいいのです。

 (彼は塾だから、そんな発想がないのでしょう。というよりそんな工夫がある現場で育てられてこなかった。もしくは、
そんな実践があってもまったくその意味に気づいてなかった。)

そうでないなら、単純に、みすずの評伝をテキストにすればよい。それだけの話です。何より「語りたい俺」が前面に出す
ぎです。「語りたい俺」にならなければならないのは生徒です。先生ではありません。


468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 09:43:19 ID:ArwRrBzU
猫よ。
 道徳はだめで、倫理はいい。というのは「方法は間違ってない」という発想だ。

 ロボットは悪くない。操縦する人間が悪いのだ。という発想。

けれど、現実には「ハンドルを持つと性格が変わる人々」が多数いる。

 身体の延長であるはずの道具/機械が接続することで、主体たる身体そのものを
別の身体にしてしまう。という逆転が現実に見られることなのだ。

 感化を求める考え方は間違っているとしなければ危険だ。国語教師はそれを否定さ
れるととても傷つく。なぜなんだ?

 美術なんかじゃ。作者は何を伝えようとしたのでしょう?なんて発問はしないぞ?
どう思う。どんな感じがするだ。どこからそう思う?タブローを前にあるいは、オブジェ
を前にそうするだけ。

 もし作者のことを知ろうという鑑賞の授業であれば、作者の外歴と「ことば」をプリント
し、、いくつかの作品を並べ、年代順に並ばせたり、作品名を当てさせたり、その上で
「あなたが選ぶこの作者この一品」のように作者のことばから考えて、その作者らしい
作品を選び、理由を書く・述べる。

 注意しなければならないのは青(悲しい)のような定式化だ。定式を利用しながら破って
いるからこそ、感染力が発揮される。定式のみによって作品を分析するような態度になら
ないように注意することぐらいだよ。

 思ったことを述べ合うだけの授業じゃないかという批判には、
「そうだよ。その代わり、ことばで書かれていないことをことばにする作業があるからいいんだよ。
そういうスキルを鍛えているだから。」と切り返せるだよ。美術はさ。

 国語科あるいは日本語科の授業を矮小化せよ。貧しくせよ。イタリアでも未来派の後は「貧しい芸術」
が台頭した。凡国語 凡ことば主義から脱却してもいいんじゃないの?

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 09:49:42 ID:ArwRrBzU
 え 作品は作者の考えを伝えるものなんじゃないの?

という帰国子女がいるかもしれないので補足を。

 その考えでいいですよ。

 だけど、そのためには作者が作品の横にいて、
見る人がこれで何をいいたいのと問うことができるよう
になっていることが大事です。

  でもひっきりなしにいるわけにはいかないので、
外国の展示会ではパンフレットや図版がしっかりして
いるのです。

 また作者の何を伝えたいのかが展示目的として
学芸員(キューレーター)の腕の見せ所になっている
のです。

 むかではどの足から歩き出すのかは考えてはいけ
ません。むかでは他者に聞けばいいのです。
「どの足が最初に動くのか見てて」と。

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 09:58:20 ID:ArwRrBzU
「大漁」の破格とは、祭りを見ながら弔いを思うことだ。
それがあの詩の強さにつながっている。

「土」の破格とは「土」という題なのに「土」には触れずに
土の上でのドラマを海の上での景色として語ることだ。
そのことで土と海を出会わせようとしている。

(それが成功しているかはともかくね。)


  そういう見方も構造を見る見方。

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 10:06:11 ID:ArwRrBzU
ママンへ

 あー。そうか。ママンが頓珍漢だった理由がわかった。

基本的に

お前のレスに即して言えば


ができてないんだね。相手のことばを見て相手に入るように
言ったり、書いたりするということを日常化できてない。
ということだ。


つまり、相手の意図を読もうとしない。

 わしが受験対策を教えるときに、まず、
「問題は解かれるためにある。解けるようにできている。
問題は出題者からのメッセージだ。メッセージがわかる
ようになれ。マッサージじゃないぞ。気持ちよくなってどう
する。そうすれば<よい問題>と<悪い問題>が分かる
ようになる。

 最後は自分が現実に直面している問題をきちんとメッセ
ージとして文章化できるようになる。

 そこまでいけば人生はどうにでも転がっていける。

 受験とは問題との出会いであり、航海だ。乗り切ってこ
そ意味がある。がんばれ。」ということがわからないんですね。

 今度からは相手のレスに沿って語った方が話しが早くて
いいですよ。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 10:42:48 ID:SZQ4wB2o


クネクネぐちゃぐちゃ

473 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/01(日) 11:19:31 ID:Ncs0bgsF
>「大漁」の破格とは、祭りを見ながら弔いを思うことだ。



「なぜ」という発問はない。

474 :おっさん:2007/07/01(日) 11:22:02 ID:q23E0ry6
>>467
「紋切り型」の知識としては、神なる作者が作品をつくり給う、
というようなことは自分も持ってはします。
それが戦前の体制へ・・・なんてことも。
だが、実際自分が『国語の力』を読むと、これはわけがわからんと思ってしまいます。
柄谷なんかの方がずっとわかったような気になります。
「形象」(『国語の力』以後の概念だと思いますが)なんてのも全然わからない概念です。
もちろんガイドブック的にわかったふりもできなくはないけど、
実際読んでみるとわからないというのが正直なところです。
そして、このわからなさには意味があるのではないか、とも思っています。
また、現場では指導書なんかの主題を教師が子供に押し付けるなんてこともあったとは思います。
しかし、真剣に教材を読んだ教師は、自分の解釈が唯一正解だと思うでしょうか?
こうしたこともかつての優れた実践家と言われた教師たちの著書を読んでみると、違うよなと思います。
彼らは作者の意図が聞ければ安易にそれを作品の主題にしようなんて考えるとは思えません。

「事件」とは何でしょうか?
僕がかつてなじんでいたのは、蓮實なんかが使っていた言葉です。
もうすっかり昔のことで忘れてしまいましたが、こんなふうかな。
例えば、デカルトが故国を離れ放浪していた。そうした「外」の体験が・・・(たぶん柄谷かな)
なんて話を聞くと、
それは「外」をめぐる「物語」になってしまっている。
本当の「外」とはそうした物語を失う場所だ。
そうした「外」と出会い語る言葉を失う体験こそが「事件」なのである。
とかとか、こうした言葉のゲームはあきちゃったなぁという気がします。

まあ、これも「紋切り型」の言葉の遊びかもしれませんが、
前に言った表現として作品をみるといった考え方は次のようなものでしょうか。

「作者」は、歴史的であるとともに個性的な存在であり、
その意識も無意識などを含め構造的です。
「作品」は「作者」の表現過程から生まれます。
表現過程は、「記号」化の過程であり、「物」化と「意味」化という二つの面があります。
作品は、「物」として作者を離れて存在します。
しかし、それは当然「意味」を持つ記号であり、そこに作者の表現過程が関係として内在しています。
(「語り手」という存在は、そうした作品に内在する表現過程の関係の結節を物象化したものです。)
また、表現には作者の無意識も作用します。
作品は、「物」として残るため、その理解において時代ごとの解釈コードの違いなどの影響を受けます。
時代の解釈コードなどの歴史的規定を受け、構造的な個性的な意識をもった読者が
作品を理解する過程が読みなのです。
(ここから「自己」を読むと言う考え方も出てくるのではないでしょうか。)
したがって、当然「作者」意識する内容よりも「作品」の内容は豊かであり、
常に読まれるたびに多様化していく可能性を持ちます。
だ・か・ら、作者を横においてとかいうようなことは、くだらない、ありえないお話にすぎません。
・・・みたいな考え方をしたいなと思っています。
こうしたことは、あんまりまじめに考え書いたことはなかったので、
混乱してたり不十分だったり、間違っていたりすると思います。
が、とりあえず、ここまで。

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 11:58:17 ID:k+ZMlIfJ
猫…発問が…わからない?

 「なにがありましたか?」から「○○だとしたらどうなるでしょう。」
「○○を証明せよ。」まで発問。

 あ!これってそういう仕組みなんだと気づかせるために発問を
計画するんですよ。

 わかりましたか?

だからこそ、
「語り手はどこにいますか。」という発問が生まれてくるわけです。
「弔いの様子を語り手は見たのですか。」という発問も

そこから、
 陸にいる。実際には見ていない。→祭りのようなにぎわいの中で
ひっそりとした弔いを思っているということにつなげていく。

 そしてそのような仕組みが他にないか探してみる。という活動に
つなげることで「この仕組み」と学習者は出会うことができるわけ
なんだけど。

 …というかそういう指導案を提案したはずだぞ。わしは。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 12:17:17 ID:k+ZMlIfJ
 おっさんさんへ
 内側で外側を語ることは、外部という物語を語ることだという考えは同感です。
「フランスでは」「スエーデンでは」「アメリカでは」「トヨタでは」いくらでも例を考え
られますね。

 そのような「具体的な外部ではない外部」、内部だと思ってたところにぽっかり
と口を開けている外部こそが本当は外部なのでしょう。

 例えば貨幣。どうしてみんな貨幣を欲しがるのか。貨幣のみが他のものと交換
可能だから。どうして交換可能なのか?他の人が交換してくれるから。どうして、
他の人は貨幣と交換してくれるのか?貨幣を欲しがっているから。

 こんなところに外部があります。絶対に安定していて、崩れるわけがない
はず、そのつもりの自明なもの透明な仕組み(内部)なはずなのに、その実
は自分以外の他者(しかも、その他者さえ同じ立場にある。)のささいな振る
舞いによって支えられている不透明さ(外部)。そういうものが外部なのです。

 我々はそういう内部と外部の閾(しきい)に暮らしているのだと考えています。

 事件とはそういう外部に触れること。思わず「あー」「えー」「う」と漏らしてしまい
たくなる。心理的あるいは、認識的な出来事でしょう。

 具体的に授業では「出会い」「つながること」だと考えておけばいいのではない
でしょうか?

 芥川龍之介と出会うことは十分「事件」だと思います。そのような「事件」を起こ
しうるものが教材です。

 教材研究とは事件が起こせるのかという吟味から始まって、どんな事件を起こ
しうるのかという検討でしょう。そこに教師(授業者)の読みがあると思います。
それは学習者のニーズを読むことでもあるし、そのニーズと照らし合わせた教材
の利用や教材特有の構造の理解も入るでしょう。

※ニーズを考えるときは潜在的なニーズというものを考えなければなりません。
おいしいからといってポテトチップスばかり食べているのはだめでしょう?
にんじんチップスをまぜるとか。いろんな方法でバランスの回復を図るとともに
バランスの必要性をなんとか理解させようとする。「バランス」に気づかせること
も大事ですよね。


477 :pl538.nas935.p-tokyo.nttpc.ne.jp:2007/07/01(日) 15:46:55 ID:X8S2BIoN
test

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 16:38:12 ID:6WbuB+p+
おっさんさんへ

 表現課程うんぬんの部分をよく読みました。

 で作者=作品という結びつきを基準に考えているように思いました。私は作者<作品と思っています。
作者の無意識は作者の内部にある。作者の欲望の抑圧されたものである。という考え方に私はそれ
だけじゃないという立場なのです。

 だれでも経験することですが、運転のとき多くの操作は無意識で行っています。さて、そこに欲望
などあるのでしょうか?外的な刺激に対してある行動を繰り返した場合、それは無意識のうちにできる
自動化された行動になります。

 作品を書くということは、自分の内面を外化するのではなく、「ことばの世界」へ入っていくこと。
「物語の世界」へ入っていくことだと考えています。(間テキスト性ってやつもそこには入りますね。)

 だから、作品を作者に帰結することは作品の卑小化でしかないと思っています。

読者論でいえば読者は作品から勝手なことを「学ぶ」のです。

479 :おっさん:2007/07/01(日) 17:29:08 ID:q23E0ry6
道草ついでに・・・

>作品の自己完結。作品は完璧である。ということを否定し、作者を否定するのは、実は読むとは自己を
読むからに他ならないからです。

「自己を読む」なんて言葉を聞くと、芦田を思い出さざるえません。
「戦時中の国粋主義的な感化教育」へ組み込まれた理論として形象理論や解釈学を
忌避する文章に続いて、「自己を読む」なんて言葉が出てくると
ちょっとうなってしまいます。
もっと露骨に作品をダシにしておのれを語っちゃう人もいましたよね。
彼なんか作者を抹殺したテキストなんてこと聞いたらどう思うかな、とか。

芦田なんかぜんぜん読まないのですが、
ちょっと読んだ限りでは僕にはけっこうおもしろい。
形象理論とか「自己を語る」とか、そうした大きなことを自分が言えるためには、
もっともっと垣内や芦田を読まなければと思ってしまいます。
そうでなければただの「紋切り型」の知識、陳腐な「物語」かな、と。
たまたま最近読んだ小林の宣長論なんか、おもしろかった。30年前には投げ出した本です。
で何事かを語れるか、というとまだまだと思います。
柄谷は、「小林を乗り越える」と言っていた頃から読み始め、
読まなくなった頃は「これからはテキスト論者を征伐する」みたいなことを言っていたような気がします。
その後開かれた風景が見たいのですが・・・

30年前、「物語」や「制度」を批判し「外」との遭遇や「事件」を語った言説は、
僕らにとって実にかっこよかったのです。
しかし、今もそれがそのまま生き続けているとすると、
それはもう「物語」であり「制度」なのかもしれない、と思えてきました。

周辺ばかりをうろうろしてすみません。



480 :おっさん:2007/07/01(日) 18:08:47 ID:q23E0ry6
>作者の無意識は作者の内部にある。作者の欲望の抑圧されたものである。という考え方

「欲望」ということは、考えていませんでした。
意識−無意識という構造はフロイト的にとらえられるのかもしれませんが、
そこまで考えていません。正直フロイトも読んでいませんし。
時間がありもっと読めるならフロイトからさらにラカンあたりまで読むと、
「ことば」の問題とのつながりが見えてくるのかもしれません。
「無意識」を持ち出したのは、
「作者」をと言うとすぐ「生身の作者を連れて来い」みたいな揶揄があるからです。
「書く」という表現過程には、「ことば」の自動化された無意識な使用ももちろんあるでしょう。

「間テキスト性」というのも、乱暴に言えば「共同主観性」の物象化なのではないでしょうか。
このへんはまだまだ知識が足りません。
「ことばの世界」へ「物語の世界」へ入るというのも、
「書く」ということが言語やジャンルという制度を通しての表現(うーん?)なのですから当然です。
作者が歴史的(社会的)存在というのは、そうした意味を持ちます。
「物」としての作品は、1回限りの表現過程の後も「物」として消滅しない限り残ります。
だから読者は、作者がいなくても読めるのです。(そのへんが話し言葉とは違うのかな)
しかし、読者もまた歴史的な存在です。
作品が言語やジャンルという制度的なものなのですから、読者も作品を絶対勝手には読めません。
それと同時に読者には歴史性も含めて個性的な存在としての差異もまたあり、
それが多様な解釈の可能性の根拠となるのです。

作者<作品、というのは
「神」としての作者>作品、という認識のアンチテーゼなのでしょうか。
ただ僕は「作者」を超越的な存在としてはとられていません。
作者は、そして読者もまた歴史的な個性です。

481 :おっさん:2007/07/01(日) 18:54:20 ID:q23E0ry6
ここんところ広く学んだり深く考えたり、
またそれらを整理したりということをしていません。
こう書き出してみると、実に拙いもののような気がします。
ただスパッと割り切るのではなく、
できるだけ広い考え方をしたいなぁと思うのです。

僕らは、小学校1年生に音読させます。
まず文字の読みを学ばせます(もうほとんど憶えてきていますが)。
「あ」なら「ア」と発音させる、これはもう言語規則の強制です。
次に「つくえ」などをフラッシュカードなどで読ませます。
これは文字の連なりを語句として認識させるためです。
さらに「あまい/あまい/かぶに/なれ」という文節を区切りながら、
文を認識させながら音読させていきます。
このとき、子供の音声化よりも速く切れ目を指さし、視線を導いていきます。
こうした作業は、知覚(視線)の文化的・言語的被拘束性を条件反射的に身につけさせていると言っていいのかもしれません。
(文字らしきもの、記号らしきもの、ただの図形などを並べて、
上下左右の視線の動きを様々な母語の使用者で調べると、知覚(視線)の言語被拘束性を検証できるかも)
これらも十分「イデオロギー教育」ですよね。
しかし、こうした場面で「外」との出会いとかは意味をなさないでしょう。
文学作品の読みだけが特権的に「外」との出会いの場でもないと思います。
基本的には僕らの仕事は、文化の内部的な存在へと子供たちを育てていくことなのではないでしょうか?
その上で、あるいはそれとともに・・・ということなのではないでしょうか?


482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 21:12:10 ID:6WbuB+p+
>>481

 アナキストじゃないですからね。外を内にしていくことが学習だとすれば、我々がやってることは
それでいいんじゃないでしょうかね。

 あきらかに文字を音と一体にできるようになったのと、文字の識別もあやしかったり、文字の識別が
できてもそれが音と結びつかない子は文字のことば化ができないことで、外に直面する苦しさを感じ
てると思います。

 外と直面するというのはやっぱりしんどいことなんですよ。それこそエクリチュールの0度のような
ロマンチズムで語るべきものではないのかもしれません。

 ところで、わたしが「あ」と呼ばれているのは一年生の文字指導のやり方を懇切丁寧に書き込んだ
からなのです。

 音と文字のつながりはあきらかに恣意的なものですから、身体化するまでは、使って使って使い
まくるしかありませんね。学習の生活化です。

 個人的にはスパルタな方なのですが、文字の習得が遅れている子には「かるた」がいいと思って
います。

 ・枚数をコントロールでき、ストレスを適切にすることができる。
 ・ありの「あ」のようにすでに認知が成立しているものを手がかりに活動することができる。
 ・取るだけでなく読むということに進むことができる。
 ・目の動きを鍛えて識別能力を上げることができる。
 ・ゲーム化することで個人的な目標をもちやすい。

などメリットは沢山あると思います。
デメリットは
 
 ・学級全体で取り組むことはなかなかできない。
 ・かるたというツールがなければ活動できない。
 ・書くという活動が入ってきづらい。
 ・授業時間に取り組めない。
というところでしょうか。

 外は内の中に隠れているだけでなくなったりしませんし、いくらでもあるのでそれほどまで
に気にする必要もないでしょう。外に出会ってもたじろがないタフさや前進力を育てる方が
大事ではないでそゆか?

>基本的には僕らの仕事は、文化の内部的な存在へと子供たちを育てていくことなのではないでしょうか?

 小学校というところではまさにそうだと思います。それが、中学、高校にいくと多文化的な取り組みも可能
になってくるでしょう。それで誰も文句なんかないはずです。

 そのあたりのことは なだいなださんが かつて岩崎新書の「教育問答」という本で詳しく書いていました。



483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 21:19:29 ID:6WbuB+p+
間テキスト性ってわたしは、すべてのテキストは先行するテキストからの引用の織物(テキスチャー)である。
ということにすぎないと思ってます。

 新しいテキストはそれまでのテキストの用語法をなぞる形でしか生み出すことはできません。
なぜなら、読み手が読めないからです。

 しかしそのように引用されることで古いテキストが常に新しい位置を全体の中で獲得することができるので
す。

 引用されないテキストは失われていくだけです。

 手紙の書き方なる本があるのは、まさにそういったことを端的に表していると思います。あの本の文面のオリ
ジナルなんていい始めたって意味がありませんから。引用しつづけること。複製しつづけることによってだけ、
価値が生まれてくるんですよね。

484 :ヤマさん:2007/07/01(日) 21:21:24 ID:SVN1ub3O
おっさんにさんをつけておっさんさんは変だし、おっさんではなれなれしいので、
おっちゃん。んーん、これもなぁ、しからば、おっちゃんさん、ん、いかんね、
どう呼べばしっくりくるのだろうか?しかたない、O先生としよう。

漱石の「こころ」、先生とKの組み合わせみたいで申し訳ありませんがそう呼ばせて
頂きます。

僕は最近、「『こころ』大人になれなかった先生」石原千秋著を読んで愕然としました。
そこには作家漱石も評論家江藤淳もいませんでした。
ただ、テクスト『こころ』から読み取れるものが書かれているだけでした。
石原さんはテストパイロットとして作品の可能性を最大限に引き出すだけで、
この試みをトリッキーと思われることを意識してのことですからある意味「ことば遊び」と
認識して書いているのでしょうね。しかし、自分の印象や江藤の解説に慣れ親しんだ僕としては、
驚天動地で、そこにはもはや漱石の作品などという感覚はありませんでした。
それでも、石原さんが漱石を愛して止まない人間であるのは理解できますので
そのような解釈もあるだろうと納得しない訳にはいきませんでした。
30年の月日を感じた次第です。
しかし、O先生の当時から(僕も同い年くらい)もっと極端かもしれない
蓮實さんの存在を考えるとまだまだこの路線(構造分析による読解)は多くのトンデモを創りながら
面白可笑しく日本に受け入れられていくような気がします。

いやね、構造分析(あるいはテクスト論と、僕は、混合しているのか?)が悪いとは思いませんが、
その分析に耐えられる人間が果たして現在日本人の何パーセントなのか考えると、ぞっとしてしまします。

しかし、時代はその流れを止めるわけにもいかない所まで来ている感があります。
O先生の頃のことば遊びと目されていたものが市民権を与えられて大手を振って街中をあるいて行きます。
いまこそ、O先生のような、その昔に帰れという考えが必要とされている時代はないのではないでしょうか?
例え、変人といわれようとも!

僕は、そう感じました。
最後にO先生これからも頑張って下さい。


485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 22:06:54 ID:6WbuB+p+
おっさんさんへ。

 作者<作品というのは作品というものは社会的な生産物だということです。本来は誰のものでもないでしょう。

 趣味的な話ですみません。わたしは幼少よりミステリーではなくて、SFの方に親しみをおぼえてきました。
 小説でありながら、ありもしないことを、真面目に描いていたからです。

 そして直感的にわしは、それが<小説>なのだと思っていたのでしょう。山椒魚でさえそういう文脈で読んで
いました。その立場からすれば作者なんて実はたいそうなものではないのです。

 時代精神を一人背負った天才が新しい…のような近代的な物語の胡散臭さ。そのような解釈に納得できない
できたのです。ゴッホはただ偉くなりたかったし、認められたかった。新しいが求められる時代の中では、ああ
いう試行錯誤しかできなかった。ただそれだけだ。と、小林秀雄に言ってやりたいのです。

486 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/01(日) 22:17:54 ID:Ncs0bgsF
おっちゃん

>「作者」は、歴史的であるとともに個性的な存在であり、
>その意識も無意識などを含め構造的です。
>「作品」は「作者」の表現過程から生まれます。
>表現過程は、「記号」化の過程であり、「物」化と「意味」化という二つの面があります。
>作品は、「物」として作者を離れて存在します。
>しかし、それは当然「意味」を持つ記号であり、そこに作者の表現過程が関係として内在しています。
>(「語り手」という存在は、そうした作品に内在する表現過程の関係の結節を物象化したものです。)
>また、表現には作者の無意識も作用します。
>作品は、「物」として残るため、その理解において時代ごとの解釈コードの違いなどの影響を受けます。
>時代の解釈コードなどの歴史的規定を受け、構造的な個性的な意識をもった読者が
>作品を理解する過程が読みなのです。

この部分に関して誰(のどような著書)に影響を受けられたのでしょうか。
ぜひ詳しくおしえてください。いろんなものの統合だとは思いますが。
話は理解しています。おっちゃんの軌跡を教えてもらいたく思います。

>とかとか、こうした言葉のゲームはあきちゃったなぁという気がします。

そうですね、私はバルトが無意味に快楽したような方向とはかなり違うところへ
連れて行かれる感じです。
言葉遊びではなく、やはり外部が「常に」必要だと思います。「他者」といっても同じです。
偶然や驚きも同様です。私は私の自然さに酔うほど素直にはなれません。
読みが確認に終わるなら、読む必要は全くないと思います。


487 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/01(日) 22:31:10 ID:Ncs0bgsF
おっちゃん

>柄谷は、「小林を乗り越える」と言っていた頃から読み始め、
>読まなくなった頃は「これからはテキスト論者を征伐する」みたいなことを言っていたような気がします。

柄谷が吉本から距離をもったとき逆鱗をかったというような話がありました。
柄谷は小林に関心はなくなったと言い放つことを何度かしています。乗り越えとも思ってないでしょう。
確かに立つ地平は違うように思います。
テキスト論者うんぬんはどのあたりのことかちょっと分かりかねます。彼は最初から同じ距離を
持っていたように思います。それは現代思想というものとの距離も同様です。
周りが勝手にニューアカにしたように思います。事情は蓮実も同様ですね。

『国語の力』と芦田を詳しく教えてください。すいません。

小林とは外部称揚の人です。同時代より昔。日本より外国。
ある種の蔑視に快感するのが小林の魅力かもしれません。マゾ・・ry

彼は天皇制に触れなかった。本物だとは思いません。
ただし、読んでみないといけないでしょう。いろんな意味で。

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 22:31:31 ID:6WbuB+p+
もし、作者を授業で取り上げるとしたら、
その作者になって書いてみるということぐらいしか考えつきません。

 物まね文学ですね。

 芥川流「蹴りたい背中」 太宰流「なんとなくクリスタル」など

その方が遥かに作品から作者を救い出せるような気がします。

 といってもわしにやれと言われても困りますが…。

太宰も芥川はそこまで好きじゃないのです。一番キライなのは梶井だったりしますが。

489 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/01(日) 22:53:28 ID:Ncs0bgsF
おっちゃん

>30年前、「物語」や「制度」を批判し「外」との遭遇や「事件」を語った言説は、
>僕らにとって実にかっこよかったのです。
>しかし、今もそれがそのまま生き続けているとすると、
>それはもう「物語」であり「制度」なのかもしれない、と思えてきました。

だからといって回帰する理由にはありません。
同じようなものだとして、なぜその同じものの中からそれを選ぶかは重要です。
正義とは一つの暴力です。だからよりマシな暴力を考えるべきでしょう。
それもまた制度であるとして、なにゆえその制度を選ぶのかを問う必要はあるでしょう。

私は「社会構成/構築主義」を今重視しているのはその点です。
何を構築するか、そこを問う必要はあると思います。

>作者は、そして読者もまた歴史的な個性です。

作者読者が自立/自立的ではなく、拘束されているものだという割合はいかほどか。
どちらかに収斂させるのはあまり利口だとは思いませんが、差異とは四捨五入できる
差異ではないか。
ニーチェが思考は言語の文法に支配されていると言った、その意味を考えます。
サピアウォーフの仮説は実は閉じることの安住への誘いでもあります。

おっちゃんは、例えば、在日の子どもを念頭において教えることがありますか。
日本語を母語・第一言語とする一方、異なる文化コードを持つ可能性があります。
もちろん、引き裂かれた状況を生きる人間は少ないかもしれません。しかし、少数が
正しいわけではないし、何か大事なことを与えてくれるわけではないのですね。

人間にとって、国語とは近代的な特殊な制度であり、今でさえも例外的なものです。

私がそのようなことにこだわるのは少数であるという自覚があるからでしょう。
従って多数という論理には賛成しかねます。他に正当化する根拠が必要だと考えます。

490 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/01(日) 22:55:26 ID:Ncs0bgsF
訂正

× 少数が正しいわけではないし
○ 多数


491 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/01(日) 23:09:19 ID:Ncs0bgsF
おっちゃん

>基本的には僕らの仕事は、文化の内部的な存在へと子供たちを育てていくことなのではないでしょうか?

ならば、その内部とは何ですか。
内部はクルクル変っていますよ。一昔前の非国民が今はどうでしょうか。
ナショナリズムを扇動する保守と結託した資本は日本の伝統や国土を破壊してきました。
キメラ。それに気づかない人間を育てているのはどうしてでしょうか。

国語が説く内部=道徳とは恣意的で権力への奉仕が向こうにはあります。
これはもう間違いないですね。少なくとも教科書においては。「国語教科書の思想」参照

>基本的には僕らの仕事は、文化の内部的な存在へと子供たちを育てていくことなのではないでしょうか?

ある意味大賛成です。
その内部を明らかにすれば。自明だとか自然だとか、そういう嘘が困ると思っています。
私にとっての内部とは国語の内部とは違います。国語の内部とは日本破壊を助長する人間を
育ててきたけれど、阻止する勇気は持たせない。そういうものだと思います。

「あ」というカスがいますね。はい、彼はカスです。私はそう断言します。
分配の問題をああ簡単に片付ける糞と同じ内部を共有したくないですね。
そういう糞を指弾する人間が育って欲しいです。

492 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/01(日) 23:18:34 ID:Ncs0bgsF
ヤマさん

>O先生の頃のことば遊びと目されていたものが市民権を与えられて大手を振って街中をあるいて行きます。

アカデミーな世界ではそうでしょうが、学校教育の現場においては権力奉仕の注入として国語は機能しています。
あと十年二十年すれば変るかもしれません。しかし、変るかもしれないのではなく、変えないとならない。
そういう思いです。

>蓮實さんの存在を考えるとまだまだこの路線(構造分析による読解)は多くのトンデモを創りながら
>面白可笑しく日本に受け入れられていくような気がします。

非常に危険な考えですね。私はそういう考えを持つ人間を撃たないといけないと考えます。
何がトンデモなんでしょうか。根拠のない断定ですか?

何が正しいのですか。

要は自分が可愛い。そういうことに根拠付けられるんではないですか。
「こころ」で問うたエゴイズムということでしょう。

だからこそ、自分を揺り動かすものを求めたいですね。
生徒は別の新しい、そしてもっといい内部を身に付けさせたいと思います。

古典の世界は資本を論理的に否定します。そういう意味において新しい内部とは
本当の意味で歴史や伝統を見直すだろうし、よみがえるものを多く見出すことでしょう。

493 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/01(日) 23:59:14 ID:wG3YjTus
>>474 おじちゃん
>作品は、「物」として作者を離れて存在します。
>しかし、それは当然「意味」を持つ記号であり、そこに作者の表現過程が関係として内在しています。
>(「語り手」という存在は、そうした作品に内在する表現過程の関係の結節を物象化したものです。)

私はここがよくわからない。
「語り手」なんか「存在」でもないし、ましてや「物象化」されるものでもないでしょう。読書行為を、解釈
コードを媒介とした語り手と聞き手という口頭のコミュニケーションに強引になぞらえているから錯視される
だけの話であって、さしあたって無理矢理に想定されているに過ぎないよ。

芦田については私も知りたいな。恥ずかしながら聞いたことないです。

>>484 ヤマさん
小森石原世代の『伊豆の踊り子』の分析も面白いよ。
これまで青年による青春のすがすがしい一場面などと言われてきた表現が、テクストに即して読んでいくと
娘に対する男性からのエロティックな視線満載であることが明らかになり、それまでの「定説」とはまったく
異なるイメージが立ち現われるというもの。新たな読みでノーベル賞作家の作品という呪縛が解かれる
瞬間はかなりエキサイティング。こういう読みには価値があると思う。江藤淳とか中村光夫とかの文学論
は無力すぎてこういう読みの前には全く太刀打ちできない。しかし、1980年代後半からのテクスト論全
盛の後にはいったい何が残ったのだろうね。社会史などと接続したのか知らんけど、読みの基準点を現
代から同時代に変えているだけなのかな。あまりフォローしていないのでもし知っていたら教えてつかあさい。


494 :おっさん:2007/07/02(月) 00:57:16 ID:qs7iUEtA
たくさんご意見をいただきました。ありがとうございます。

しばらく思考停止状態にありましたので、
皆さんの投げてくれた球、とてもうまくは打ち返せないのですが、
のらりくらりと考えていきたいと思います。

「小林秀雄をこえて」というのは、そうした書名で柄谷と中上健次の二人で出した本があったんです。
僕がかつて衝撃を受けたのは、まず柄谷の『日本近代文学の起源』でした。
僕たちが文学として自明におもっていることが見事にひっくり返され、
いかに制度的なものであるかを知らされた記憶があります。
それから蓮實の大江論や夏目論。
石田さんの夏目論は全く知りませんが、当時は今以上に江藤的な言説が支配的でしたから、
夏目作品の身振りなんかで論じた蓮實の夏目論はまさに驚天動地でありました。
大江は、サルトルに心酔していたのがその頃はロシアフォルマリストなんかにやられながら、
それでも相変わらず深刻にリベラル(?)に思想してたんですが、
たぶんそうした作家のお勉強とか思想とかを蓮實は軽蔑してたんだと思います。
それをバカにする意味で大江作品に頻出する数字なんかで大江論を書いていたんだと思います。
(数字の「1」はイデオロギー?と書いたときもそのことがちょっと頭にありました。)
志賀や中上を含め蓮實が日本の作家を評価するのは、人間としてではなく獣としてなんだなと思います。
当時はとてつもなくおもしろかったのですが、やがてちょっと胡散臭く感じてきました。
東大の総長なんかになった時は、驚きとともにやっぱりなぁって感じてしまいましたね。
当時も理解したとは言えず、2,30年も経過して今記憶していることなので、
全然まとはずれなことを書いているのかもしれません。

僕は、学生時代は一応教育学をやっていたのですが、
現場に入って困ったのは毎日ある国語の指導でした。
その時、これは使えると思ったのが分析批評や文芸研だったのです。
一番おもしろかったのは西郷の『教師のための文芸学入門』でした。
(文芸研ではこれしか読んでいないのですが)
その中で僕が目から鱗だったのは、
「視点」とか「話者」とかいう概念の根底にある、
表現はある話題や対象について表現であるとともに表現主体の表現でもある、という考え方でした。
こうした考え方から、三浦や時枝に行ったのです。
西郷の理論はほとんど知らないのですが、
分析批評と通じるテキスト論的な方向と三浦や時枝に通じる方向があるのかもしれません。
分析批評は、法則化とともに流行し割合よく読んだと思います。
その後、教科研なども少し読みました。一読総合法とか読み研とかも。

「作者」とか「作品」とかについて考えたことは、
文芸研や分析批評に三浦や時枝を言語過程説的な考えを継ぎ足したのかな?
三浦は「日本語とは・・・」、「認識と言語の理論」、時枝は「国語学言論」を
一応読みました。(趣味の読書程度。そうした読み方しかできないのです。)
学生時代読んだもののベースになっていると思います。
歴史的・社会的存在というと広松の「関係性」とか「共同主観性」とかを思い浮かべます。
僕は、ぜんぜん厳密に学んではいないのです。
趣味程度の読書で、読んでいるときも全然理解していませんし、
そんないい加減な読みで残った記憶をもとに考えているだけです。

垣内の『国語の力』とか『形象と理会』は全くわかりません。一応読もうとしましたが。
「形象」という概念も謎です。垣内等の解釈学系統と教科研−文芸研−読み研系統とがあるように思いますが。
芦田も「冬景色」の授業について『国語の力』で読んだのと『綴り方教授』を読んだ程度です。
垣内と芦田とは理論家と実践家の関係で、倉沢と大村の関係のようなものなのでしょうか。
芦田の「自己を読む」はキャッチコピーのようなものとして知っているだけです。
かつての世代にとっての国語教育の常識的な知識みたいなものとして知っているだけなのです。
ただ『形象』という概念は、ちょっと考えなきゃとずうっと思っています。
また芦田の実践については、けっこうおもしろいんじゃないかな、いつか読みたいなと思っています。

495 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/02(月) 03:11:43 ID:5xlWMGpg
西郷どんですか…
かつてここでもちょっと話題になりましたね。
私はちょこっとサイトをのぞいただけですが、なんだか?な感じがしましたよ。
専門用語も独自の定義で駆使しているし、いわゆる文学批評の流れとはあまり関係ないという印象です。

知らないくせにあまり批判ばかりでもいけませんが、サイトに個人崇拝の傾向があるのが気になりました。
20年も前の実践例を最近アップしたり、賞賛ばかりで批判が一切なかったり。
どういう系譜として出てきた人なんでしょうね?


496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 07:02:10 ID:viVefD5r
>>495

 ママンは教育学部の人ではないし、小学校教諭の免許も持ってないんだね。理解した。

業界には二つの流れがあって、一つは官制研(国や自治体がお金を出して教師を学習させる)もう一つは民間研
(サークル活動として自分たちで研究する)。

 文芸研は後者のもっとも有名な団体の一つ。主に小学校の教師たちが中心となって運営された。その中心に
いたのが西郷竹彦氏です。

西郷竹彦
 1920年、鹿児島県生まれ。東京大学応用物理学科卒業。
元鹿児島短期大学教授。文芸学者、文芸教育研究協議会会長。

 文学者=作家。だから文学を研究する人、文芸学者なのでしょう。特に彼は読み取り方=読み取ったことである。
という立場から読み取り方の研究をした人です。科学的読み取りということを日本で最初に提言した人なんだけれ
ども、そこから美なんてところにいったものだから批判されてしまったりします。

 

497 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/03(火) 00:12:30 ID:GyriXxYx
>>494
分かりました。やはり軌跡を聞いてよかったと思います。これからもぜひ御意見をお聞き
したく思います。また、いろんな話を聞かせてください。よろしくお願いします。

柄谷・中上の書名の件、了解です。知ってましたが、それは未読です。
柄谷は小林あたりを大したものだとは思ってないでしょ。そういうことです。
彼はカントとマルクス以外は糞だと断言してますしね。

私は別の意味=レベル?で小林は嫌です。
我々は小林を乗り越えないとならないのは言うまでもないことです。「乗り越え」です。

私は、あなたがあげられたような純粋の人文(科学)だけでは満足しません。
もっともあなたほどは勉強してませんから、そこは補う必要があると思っています。
西郷や向山は小学校教師でないと遭遇しない人物だから、あまり知りません。

逆に認知科学や脳神経科学、あるいは生物学(進化論など)など周辺科学から読みを
考えます。最近、スキーマ理論はほとんど常識になっています。これは評論のみならず小説でも
一緒です。そもそも我々人間の認知や理解がどうなのか、そことの関連から考えたいと
思います。また、Hallidayらの言語理論・・それらは談話文法とかテキスト言語学と呼ばれますが・・
なども参考にしたいと思います。

私にとって、読解とは世界の読解です。
同一性の確認→癒し・・みたいな方向性はタイプじゃないようです。

498 :おっさん:2007/07/03(火) 02:01:15 ID:wOdUShi9
>おっちゃんは、例えば、在日の子どもを念頭において教えることがありますか。
日本語を母語・第一言語とする一方、異なる文化コードを持つ可能性があります。

そういうことはないです。僕は北海道に住んでいます。
例えば、同和教育とか名前を知っている程度です。京都の本屋に行って驚いたことがあります。
在日の人たちの存在も僕の生活圏ではほとんど見えませんでした。
むしろ最近になって差別的な言説が目に付くようになりました。
僕が教師をしていて出会ったのは、アイヌの子供たちでした。
しかし、僕自身が出会った子供たちに関しては、
教室でそのことを意識しなければならないと思ったことは正直ありませんでした。
僕の担任したその子がアイヌの子であると知ったのも、
その父と偶然話す機会があり、たまたまのことでした。
観光「アイヌ」を生きる人々、それに反対する人々、そしてその父のように同化しようとしている人々。
その父自身は、言葉においても生活習慣においてももはやアイヌとしてほとんど何も持っていなかったのだと思います。
その子にアイヌであることを父が伝えなければ、その子は全く意識することなく回りと同じに生きる、
そのことへの迷いがその父にはあったのだと思います。
父の話を聞いて、それで僕の教室で何かをすることはできませんでした。
また、海外から留学生の子を担任したことがあります。
文化的な違いによる問題は日常的でした。そのひとつひとつに実際的なな対応をしてきました。
彼の国のことや文化のことも日常的な話題でした。
確かにその子は「引き裂かれた状況を生きる人間」であったのかもしれませんが、
日常的な問題解決以上の何かが必要であったのか、在日の子供たちの問題と同様に考えられるのか、よくわかりません。

いつもながら記憶があいまいですが、柄谷が「探求」で問題にしていたことを思い出してみます。
「話す−聞く」モデルに代えて「教える−学ぶ」モデルを提示しての思考があったような気がします。
(用語等ずいぶんあやしいのですが。ダンボールの中の本もどこにあるのか・・・)
「話す−聞く」モデルは、コードを共有したもの同士の理解。
それに対して「教える−学ぶ」は、コードそのもの、コードというそのことを
「教える−学ぶ」ことがなければ成立しない。
コードを持つ教える者とそのコードを持たない学ぶ者(他者)、
そうした非対称の関係こそがコミニケーションを成立させる基底的な場である。
そんなお話だったような気がします。
この意味で「他者」だと思うのは、入学してきた1年生です。
特にLDや自閉症の子たちは、教える場面では本当に「他者」だと思うことがあります。
例えば、どうしても平仮名が読めない子がいます。
そうした子に平仮名を教えるということは、試行錯誤の連続です。
自分にとって自明だと思ってきた単純なことを掘り起していかなければなりません。
そして、ある時、読めるようになる(こともある)。
しかし、それがどうして読めるようになったのか、
何かわかったような、何事かを指導したようなふりをするのですが、本当にはよくわからないのです。




499 :案内:2007/07/03(火) 06:00:59 ID:2mPWT+kw
このスレを読んでいる人は、こんなスレも読んでます。

学習&珠算塾の春夏秋冬【Episode6】
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http://school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1132744506/
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http://school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1094484901/
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http://school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1177404131/
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http://school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1155737568/
|ω・)闇に隠れて生きるクソねこ▲▲17匹(・ω|
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/intro/1175483339/


500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 06:10:28 ID:fpzIxrdh
>>499

おっさんさんへ。
 かぶってます。

 なにごとかの内部に入れること。そのなにごとかを文化というと何かを言えた気になってしまいますが、我々が
日常やってることは、そのような注入主義的なことではないですよね。

 まさに日常を作り出すこと。そこで問題になってるのは常に「社会的な価値」に他ならないと思います。

 昔から例えに言われることですが。夜道を一人で歩いていて、小さな子が歩いてきても怖がらないのに、大きな男
が歩いてくると怖がるのはなぜか?なぜなら、それは、無知ゆえに。

 自分の社会的価値=信頼、能力、知識というものを身につけに学校へ来ているのだし、そのようなものを身につけ
させることで[社会というものの認識]を持たせようとしているだけです。

 文字が読めないということは日本では、多くの情報に対応できないということだから問題なのです。すぐに怒って
暴力を振るってしまうことは、隣人との距離を1キロメートルとか現実的には取れない日本では、なんとかしなけれ
ばならない問題です。(そうでなければ、農業や林業など人間をつきあわずに物を介してだけ社会とかかわるそう
いう生き方が選択できるはずです。)

 我々が学校でやってることってそんなマイクロな政治だし、政治じゃないことなんかこの世にはありませんよね。

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 06:12:32 ID:2mPWT+kw
そういうあんたはアンカー間違ってるむ

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 06:14:10 ID:2mPWT+kw
むはなし。いいか。むはない。間違えた。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 06:14:48 ID:fpzIxrdh
本当だ。ご指摘ありがとー。ペコリ。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 18:12:03 ID:qX9atdD3


という病気

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 18:23:21 ID:fpzIxrdh
一病息災ってことで、一つ。

しかし添削くん、どんどんキレがなくなってきたねえ。
無理して書き込まなくてもいいんじゃないの?

 そのスタイルじゃあ、オチまで短いから難しいよ。

笑えないそれ系ほど、痛いものはないしさ。少し
充電したら。

506 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/03(火) 22:35:32 ID:GyriXxYx
「あ」という名の鬼畜へ

>そうでなければ、農業や林業など人間をつきあわずに物を介してだけ社会とかかわるそう
>いう生き方が選択できるはずです。)

農業や林業をやってる人は学校教育が必要ではない。その理由は人と付き合わないから。
そんな信じられないような妄言を吐く、お前の頭はどうなってるんだ。
日本では農業がコミュニケーションや協働のモデルであった。その農業を根拠に日本人の
集団主義を論じるものは非常に多い。

ま、そんなことはどうでもいい。
要はお前は差別主義者だから、根拠のない妄言を垂れる。どこぞの政治家と同じで失言にこそ
その人間の本性が出ているというものだ。

こんな人間をまともに扱うのも同罪であると思っている。
扱うなととは言ってない。扱い方が問題だ。


507 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/03(火) 22:52:32 ID:GyriXxYx
>>498
小学校から小さく閉じるようなことをしなくてもいいんではないかというのが本意です。
非対称で通じない「他者」に寛容であることを養うという倫理的要請は
一方で自らが他者であり、それが許容される社会であって欲しいという願いを
かなえる教育であってもらいたいと思います。

なお、コンビニ前でうろつく阿呆は単に甘やかされているというだけのことで、
そういうカスに寛容である必要は全くありません。
余儀なくされているものを見抜く力が大事です。味噌糞の峻別も必要です。
権利、個性とやらで髪の毛をいじるだけの若者=馬鹿者を量産するような学校を
指示しません。経験上、そういう輩は他者には抑圧的です。

農業をやってる人間には教育は必要ではないというようなことを吐くのを見逃すことを
擁護しない人間を育てて欲しい。そういう思いです。

508 :蛇年はクネクネするとでも?:2007/07/04(水) 00:34:24 ID:Z/w+oi91
んで、猫がつく嘘は見逃せと?
嘘を指摘されたときに独り言を言ってごまかす猫の癖は
藁って許せと?

んな、あほな。

おまえさあ、ニーチェかなんか引用して、道徳は糞だとか
言ってたじゃん。
で? 小学校教師氏が「鬼畜」だというお前の根拠は何よ?
道徳ちゃうん。 あれか? 自分が言うのは「倫理」で、それには
みんな従うべきだけど、他の人のいうのは「道徳」だから、
従わんでいいっていう理屈?
どういうダブスタだ、それ。

おまえ、そればっかなの!
それに比べたら小学校教師氏の方が数等まし。
ていうかあ、コンビニにたむろってる茶髪ねーチャンの方が、
パンツ見せてくれるだけ、よほど立派。

あのね、問題はね、お前の傲慢さなんかじゃないの。
お前のダブスタ。お前の意図的な嘘。
それに、何でもかんでも敵味方に分ける世界観しかないくせに
「他者」なんて言葉を口にする無神経さと厚顔ぶり。


509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 05:53:43 ID:MbqaewTv


のクネクネを
助ける

クネクネw

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 06:41:48 ID:9ify7fPh
>>506

 猫くん。本当にアスペなのだろうか?
 農業や林業をやる人に教育はいらないと言ってるわけではない。
 今の日本の教室では<だまって一人でいる>ということは許されない。
<他のメンバーと孤立することは学級の安全のために否定される。>
ってことだよ。

 そのために、周囲がその理由もわからずいきなり怒り出すという現象は
<治療の対象>となってしまう。

 じゃあこれまでもそんな人はいなかったのか?いたんだよ。でも、その人
たちは<静かに放っておかれる自由>が保障されていたんだ。学校では、
必要な技能だけ学んで、自分でできる何かに向かっていったんだ。

 自然を相手にしたり、機械を相手にしたりすることで社会参加できたのに。

 三ちゃん農業ということばも知らないんだね。

>>507

 コンビニ前にうろつくカスとコミュニケーションが取れない時点でキミも同じだよ。
社会に<寛容である必要は全くありません。 >と他人になんとかしろと言い放つ
時点で同じ。

 そんなの自分でどうにかしろ。というより店長の問題だ。


511 :くねくねちーん!くねくねちーん!:2007/07/04(水) 06:49:48 ID:rMEbElb4
>506
>こんな人間をまともに扱うのも同罪であると思っている。

おっと、あたくしの罪って何なんで?
それを決めるのは道徳? 倫理? それともあんたの利害?

あっしの罪はねえ、あんたがこのスレに来て間もないころに
ちょいとやさしい言葉をかけちゃったことです。
あたしゃつくづく後悔している。

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 06:51:20 ID:9ify7fPh
今の学校は「いじめ」をなくそうとして「いじめ」を増やしている。

 行動心理学や社会学のフィールドワークの結果「いじめをなくする」方法は
もうはっきりしている。

 たった一つ、「同質要求の少ない集団づくり」が正解。

 全員に同じ行動を要求すれば、できない人間がどう扱われるか、はっきりしている。
一人だけ違った意見を言えば、どうなる。

 それこそ、みんなちがってみんないい。という押しつけも一緒。

 授業中の指示については、したがえ。でも、オマエの格好なんか指示したりはしない。
無理してみんなが友だちである必要はない。でも、同質をもとめてのケンカは許さない。

 [祭り]なき学級…学級すら否定すればいじめはなくなる。

コンビニ前にたむろする茶髪ということで異質性を排除する姿勢は結局、オマエと同質を
押し付けようとしてるんじゃないの?甘やかされてるだけって…甘えちゃいけないのかい?
藁。キミこそパラサイトのような気がするよ。

 いい年をしてこんなことを考えることが考えることの中心なんて、あらゆる意味で「イカレテル」
それが職業であれば「イカス」に変わるのだが。

 資本主義社会だからこそ、猫の存在が許される。とりあえずお金があればサービスも財も提供
されるからだ。

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 06:55:44 ID:9ify7fPh
友だちを作るスキルを減少しても、いじめをなくすのかという二択問題にすぎない。

 これは本来結局、地域性、地域での決断に委ねなくてはならない。


いじめ0を目指す地域の取り組みはいじめを何よりも嫌う人間を集めるだろう。そこでは
同質性を要求されるのではなく、同じ目的を共有する人間が社会を形成することになる。

一方で、友だちを作るスキルを中心にするという地域もまた同じである。はじめて経済的
な集落ではなくて<社会形成の目的別>の棲み分けが可能になるだろう。

 そこで初めて学校選択性ということが生きてくる。

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 07:01:54 ID:9ify7fPh
 あとオドオドしているやつは「いじめてください」光線を出している。

オドオドしていても放っておけと指導はできる。異質だからと攻撃するなと。同質性を求めているわけじゃないって。

 日本におけるKY(空気読めない)がこんなにも「いじめの対象」になりやすいのは結局、まだまだ日本が安全意識
において同質であることを無意識のうちに多くの人間が求めているせいだ。

 政治的混乱は避けられないが、移民を認めない限りこれはたぶんなくならない。
東京がコスモポリタンであるゆえに、その揺れの渦中にあることは認める。だけど、だからといって○○人はという
レッテル戦略には同意しかねる。


 悪いやつは悪い。悪い奴は法でもって裁く。それで十分である。

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 07:08:13 ID:9ify7fPh
猫が論理にこだわるのは、コミュニケーションが取れないせい。

 「わかってほしい要求が高い」から。別に「わかってくれなくたっていい」と開きなおることができない。

だから数理的なコードを一般的にしたい。1+1=2。な俺のいうことがわかるだろということを望んでいる。

 翻って、じゃあ、オマエは他人の何をわかってるんだ。みすずについては明らかに偶像化している。
他人が白けるほどの偶像化だ。

 折角、「わかったふり」をしなくても回っていける世の中を作ってきたのに、「わかってもらいたい」
欲求だけがずっと生き残ってしまっているのはなぜか?

 そこにカルトが発生する根っこがある。「わかってほしい欲求」を転倒させて「わかってやろう欲求」に
変える試みがなければならない。(割合的均衡を求めること。)

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 07:10:34 ID:MbqaewTv


やっぱり

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 14:56:54 ID:XGtM/zjY
457 :名無しさん@八周年:2007/06/
■朝鮮人左翼による日本女性レイプ事件◆戦後史の闇■

 かつて、在日朝鮮人活動家たちによる<日本女性レイプ事件>が多発した時代があった。
 1960年代から1970年代にかけて、左翼運動の陰で起きていた『闇のレイプ事件』である。
古い資料だが、『マルコポーロ』1993年9月号に、梁石日、崔洋一、鄭義信の鼎談が掲載されていた。

 崔「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」
 鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね」
 梁「男の風上にもおけんなあ」
 崔「梁さん、唇、震えてますよ(笑)」

 映画監督の崔洋一は笑っているが、笑い事ではないのである。
 朝鮮問題に関わる政治運動をしている日本人女性たちが、在日朝鮮人活動家に警戒心を無くし、
朝鮮人と二人きりになった時にレイプされるという事件が、少なくなかったのである。
 そして、彼女たちは「反体制意識」を持っていたがゆえに、警察に通報することもなく、泣き寝入りした。
周囲の日本人からは、運動団体内でフリーセックスが流行っていると思われていたが、実態は朝鮮人左翼による
日本女性のレイプであった。
 「我々は人権を重んじる」と自ら主張していた在日朝鮮人の活動家たちが、何故そんなことをするのか。
また、日本の女性たちは、左翼活動家とはいえ在日朝鮮人男性が訪ねてくると、なぜ警戒心を無くして
部屋に上げてしまったのか。
 今はどうなのか知らないが、昔はそういう時代であったのである。

【『歴史と国家』雑考■「朝鮮人左翼による日本女性レイプ事件」】
  ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai

■犯罪者は、一般人とは、思いもよらない拉致方法を考えている。
 甘い考えしか持てない者は、あれでも餌食になる。 気を付けたい。


518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 17:18:24 ID:Dc50hzdq
うーん

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 19:17:32 ID:Vbik2vSY
どこの国の人間も良い奴と悪い奴がいる
あたりまえのこと

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 19:26:18 ID:9ify7fPh
これまたラベリング戦略の典型的なパターン。
どうしてこんなことが繰り返されるかって?だって、こんな陳腐なことで大勢の人間は案外
心の無意識の方にガイダンスを仕組まれていくから。

 だってさ。なんかあったらあいつらのせいで済むわけじゃないの。それで、解決するんなら
もうすべて解決してるよ。

521 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/04(水) 19:50:32 ID:xgoiT5Gr
>>512-515
>「同質要求の少ない集団づくり」が正解。
>友だちを作るスキルを減少しても、いじめをなくすのかという二択問題にすぎない。

はぁ?集団づくり?正解?上からの視点で何がわかるんだっての。
しかも何だその二択は?
いじめがそんな単純な問題だったらとっくに解決しとるわ。

>政治的混乱は避けられないが、移民を認めない限りこれはたぶんなくならない。

どうしてお前はこういうあほなことしか言えんわけ?
開いた口がふさがらんわ。多民族国家にはいじめはないのかよ。

そして、このいじめの話と猫批判がどう結びつくのかがわからない。
誰かへの批判を標榜するなら少しはましなことを家。批判にすらなっとらん。
この意味ではクネクネの方がはるかにいいな。少なくとも言いたいことはわかるから。


522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 21:12:13 ID:9ify7fPh
他民族国家に対立はあるがいじめはない。
いじめということがわかってない。

差別=いじめだと思ってる。

 そういうことじゃない。集団内の弱者に対する、メンバー全てからの
無関心や迫害が問題なのだ。

 対立とは一方で自分たちと同じ立場のものと連合することができる。
主語が「われわれ」なのだ。

 ちなみに、アメリカ教育界では「いじめがない」が定説になってる。
なぜなら民族差別からくるいじめはコミュニティ間の対立になり、す
ぐさま暴動の危機をもたらすから。

 様々な安全弁が用意されている。

 いじめは単純な問題。それが解決しないのは日本のやり方では、
同質を求めない教育を推進できないから。たったそれだけの話。
できないのも個性と言い切った個性観は現場では今でも受け入れ
られてない。

 あれはいじめを誘発する教師側のラベリングを回避するためのレト
リックだったのに理解されないまま。バカなことにされてしまった。

 週間ミヤダイでミヤダイも同じことを言ってる。っていうかいじめを真剣
に考えて調査したり、研究したりすればすぐにわかる事実。

 それだけに、それが実行できない現実ってやつがいかに強固なものか
思い知らされることが多いだけ。

523 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/04(水) 21:45:17 ID:xgoiT5Gr
あほか。

>民族差別からくるいじめはコミュニティ間の対立になり、す
>ぐさま暴動の危機をもたらす

だからこそ「いじめはない」というのが「定説」になるんじゃねーの?
そんで、もしそうだとして、民族差別と関係のないその他のいじめはどーなわけ?
イギリスでもどこでも、いじめの問題は深刻だっての。


524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 21:55:59 ID:9ify7fPh
ぶははははは。

 ママン。アホか。ジョンブル魂を舐めちゃいけません。
 有名な話だけどイギリス首相にはいじめられっこ体験者が結構多い。

 で彼らが口ぐちに言うのは同じこと。

 「やられたら、やりかえせ。」


 いじめられたときの作法というものがこの世にはきちんとある。
 「なにもしてないのに、ぼくだけ、わたしだけ」と思うなら机をひっくり返して
暴れろ。何か問題があると認識させる。

 次に当事者以外(親も教師も含めて)が問題の把握に参加する。
(できれば公的に記録をとる。)

 その中でいじめられた=被害者だと思ってた人間が実は、多くの心理的な
問題を抱えているということも発見されるかもしれない。
(だからといって、そういう状態の人間への対応の仕方をきちんと身につけていない
周囲(そして社会)の問題の方が大きい。)

 いじめた方の問題も浮き上がるかもしれない。

 その上で転校や学校以外のサークルや集団での場所を探すなどのこともやる必要がある。

 いじめが深刻なんていう言説自体がいじめを解決できなくさせてる。対策はある。やるかやらないか
それだけ。

 なんでいじめられた方が転校しなければならないのか?なんてバカなこという人間がいるが、いじめ
の発生をどうしようもなかった集団が変質するわけでもないのに、そこにとどまりつづけるメリットなんか
なにもない。

 あっさりと転校や校区外通学の申請をして、注意深く、再出発した方が遥かに効率的。

525 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/04(水) 21:59:00 ID:xgoiT5Gr
ぶははははって言われてもねえ。
何の反論にもなってねーんですけど。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 22:10:35 ID:9ify7fPh
いじめられたどうするかをきちんと教えてるのかい。

 いじめられないためのゲームのルールというものがあることを教えてるのかい?

その上でいじめる側が干されるようにするためのルール作りっていうことを実践しているか?

 学校がすべてではないと学校以外の教育の場を紹介したり、出会わせたりしているか?

学校のルールだけがゲームではないことをきちんと認知させないと、常に下を見つけて
安心しようとする下衆な輩の下衆な行為を未然に予防することはできない。

 なによりもくだらないから止めろという周囲の意識づくりをしなくちゃいけないだろ。
(それが一番難しいし、案外効果がない。無関心なら徹底して無関心な方がいじめはなくなる。)

527 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/04(水) 22:15:47 ID:PHUn1SDm
クネクネ

あのね、道徳と倫理を区別するのはずっとやってきたことだよ。
それをダブスタとは足りない頭だ。んで、「あ」の農業うんぬんについての
意見を聞きたいところだ。

多様なものといっても、味噌糞はしない主義だ。
自由といっても無知な差別主義者を擁護することはしない。

お前な、コンビニ前の糞ガキみたいな理屈をいってんじゃーねーんだよ。

まあ、いいから内容あることを頼むわ。「あ」の尻馬『だけ』って楽しいか?

それから、このスレって初代?
長い間のネガティブキャンペーンは効果あったか?w

とにかく意味あることを言え。つまらんから。

528 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/04(水) 22:23:02 ID:PHUn1SDm
「あ」という白痴

『いじめる』⇔『いじめられる』
というのは可逆的である点が重要。それは理論的可能性ということではなく
現実的蓋然性ということで無視できないはずんだけど、そういうことから考える
ことはしないのね、足りない頭は。

ま、いい。お前の本質がどんどん滲み出てきているから。
えぐいことだけ分かりやすいというのがお前の話の特徴だ。

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 06:38:33 ID:kE0tqeTG
がいぜん‐せい【×蓋然性】
ある事柄が起こる確実性や、ある事柄が真実として認められる確実性の度合い。確からしさ。
これを数量化したものが確率。「―の乏しい推測」

現実的蓋然性?はあ?意味わかりませんな。文脈においてフォローすると、いじめる人は
いじめられる人になりうるし、いじめられる人はいじめる人になりうるということは、理論的に
(⇔があるのに可逆的とかことばを付け足すのはよけい)も考えられるし、現実的にも起こり
うる(あるいは起こっている)ということを無視することはできない。

 ってこと?


 蓋然性が確からしさという意味だから現実的な確からしさなんて言い方本当は変だ。
 正しい使い方は蓋然性が高い、低いのように使う。

というようにオマエのことばづかいは少しおかしいよと言われて、
相手が傷ついたとしたらこれって「いじめ」?傷つくことがいじめなら生きることなんかでき
ないよ。ボクを受け入れてくれない。ボクは可哀想。はあ?ボクは誰かを受け入れたのか?

 傷ついただけでは、言い返せる時点でいじめじゃない。けんかもできないのは困る。

 無抵抗主義の考えを間違って受け止めている。一人がやられたら二人がその一人の前
に黙って立つ。その二人がやられたら、三人がという抵抗なのだ。つまり連帯を示すこと。
「我々を暴力によって屈しようというのは正しいのか」という抗議をみんなですることなのだ。

だけど、猫のやる罵倒はれべリング。レべリング戦略は「いじめ」なぜならヒエラルキー形
成と関係があるから。 猫がイイタイノハ「俺はいじめられたんだから、誰かをいじめてや
る」ということなのか?

 はっきりいえば、いじめられているやつが自分の社会的居場所を確保できれば、一番
単純なのは彼女/彼氏ができればそんな連鎖は起こらない。いじめている人間が、彼女
/彼氏ができても変わらないけどね。

(暴力によって自分を通すということの延長かもしれないので。)

 ともかく学校っていうところ。能力を判定したり、失敗させたり、叱ったりするところだから
ヒエラルキーやラベリングが起こりやすい。どんなに注意しても避けられないだろう。
 だけど学校と家庭しか社会はないわけではない。小さいころから社会的な振る舞いを
身につけておいて、それ以外の社会へアクセスできるようにしておくことが大事だよ。

 じゃないから、夜の街しか逃げるところがなくなってしまうわけでしょ。

 猫みたいなことばづかいを正当化しない。させないで、きちんと話せるスキルを身につけ
させることが小学校としてはとても大切です。

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 07:31:00 ID:kE0tqeTG
夜の街の人々はなぜそんな「素っ頓狂」な「甘えっ子」に優しいのかって?

 単なる資本にすぎないから。素材であり、労働者として囲い込めるから。

釣った魚に餌はやらないよ。あとは暴力や借金やなんやかやでしぼれる
だけしぼる。それもまた資本主義。

 家庭的な振る舞いや仲間内的な振る舞いしか知らないとそうなる。
 学校を通じて社会的な振る舞いを身につけることは本人のためにも必要
なのだ。

 それを仮面だとか、ふざけたことをいってはいけない。自由平等博愛の意
味とその適応可能性なジャンルや範囲を考えることを行ってはいけない。
大川は

自由は精神に、博愛は経済に、平等は政治に適応すべきであると言った。
わしもそう思う。しかし精神の自由は何をしてもよいということではない。
自由に何をしてもいいなんていうことは実は含まれていないのだ。
自由とは自己決定の原理以外は何も示していない。自己決定の基準という
ものは「いいことをする」ということなのだ。「盗みをする自由」などということは
古今東西認められたことがない。

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 07:32:05 ID:kE0tqeTG
行ってはいけない×
行わなければいけない○ スイマセン。

532 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/05(木) 12:40:21 ID:sclMlcvY
>正しい使い方は蓋然性が高い、低いのように使う。

ぷは。「蓋然性がある」という使い方はできんのかよ。
表現を批判するならせめて辞書等で確かめてからにしろって。
お前の語彙の貧弱さが顕わになるだけ。

ま、お前のは猫ちゃんに対するレスなので私が口を挟んでは横レスになるわけだが、
いくらなんでも低レベルすぎるだろ。ごちゃごちゃどーでもいい話をするだけで、本質
的な話題は一切なし。つまんねー。


533 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/05(木) 14:54:32 ID:sclMlcvY
うひゃ、辞書で確かめてるじゃねーの!
それでこれだからどーしようもないわ。

理論と現実が対になってるのもわからんらしいし。

ところでお前はいったい誰と話しているわけ?
妄想の世界に浸っているかのようだよ。大丈夫かね。


534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 17:37:30 ID:XXoUeRRM


の理屈では学校は格差の決めつけをするのが目的みたいだ

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 18:14:43 ID:kE0tqeTG
蓋然性があるという使い方はしないほうが普通だよ。

 なぜなら何もいってないにすぎないからだ。

 「現実にこの自動車が事故を起こす蓋然性がある。」というだろうか?言っても間違いではない。
間違いではないというだけだ。表現としてはまずい。

 「現実にこの自動車が事故を起こす可能性がある。」の方がよい。そもそも文章は相手に向けて
書くのである。意味が通りやすい表現の方が遥かに正しい。

 しかし、「現実にこの自動車が事故を起こす蓋然性が高い。」も今は「可能性が高い」に
とって変わられちゃったという気がする。

 蓋然性というのはもはや業界語なのではないだろうかね。



536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 18:24:07 ID:kE0tqeTG
強いていって形容詞的に
蓋然性がある○○についてぐらいだろう。でもそれじゃあ蓋然性は主語じゃない。

537 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/05(木) 18:42:21 ID:TrDh9P0v
>蓋然性があるという使い方はしないほうが普通だよ。
>なぜなら何もいってないにすぎないからだ。

あのねえ、寝言を言う前にググってみたら?

「蓋然性がある」約 18,800 件
「蓋然性がない」約 24,900 件


538 :おっさん:2007/07/05(木) 19:45:24 ID:H2FFsWaa
欧米などで本来日常語から用語化された言葉が、
日本で漢語的に翻訳されるととたんにわかりにくくなってしまいますよね。
「蓋然性」もそうなんだと思いますが。

possible =ありうる→possibility=ありうること=可能性
probable=ありそうな→probability=ありそうなこと=蓋然性

明日雪が降ることは、絶対ないとはいえない(=ありうる)けれど、
実際のところありそうもない。
そんな場合、「明日雪が降る可能性はあるけれど、蓋然性はない」と言うのでしょうか。

少しでもありそうと考えられる場合が「蓋然性がある」
全くありそうもない場合が「蓋然性がない」
けっこうありそうな場合「蓋然性が高い」
あまりなさそうな場合「蓋然性が低い」
・・・となるのかな。

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 20:11:14 ID:kE0tqeTG
その検索の結果のほとんどが裁判の記録ということはご存知か?

 まさしく業界語であるよ。その上で現実的蓋然性なる用い方が妥当だと考えておられるのかね。ママン?

しかもそれは枕であって、傷ついた=いじめられたなるナイーブな、考えやらセンチメンタルな思いやらが
問題なのだという論旨はまったく変わらないわけだよ。

 そして夏目漱石がいったように「私が教壇で逆立ちをする可能性はあるが蓋然性はない。」という用例を
上げるなら、まさに現実的蓋然性ということばは無意味であること、あるいは意味が重複しすぎであること
がわかる。

 どちらにしても猫のことばの間違いを指摘することはいじめだろうか?
もちろん、わしのことばの間違いを指摘してもいじめではない。こうやって反論したり、同意したりできるの
だから。わしの意思や意志というものが尊重されているといえる。

(意思や意志の尊重ということもいじめを考える場合大事な概念だ。)


540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 20:13:01 ID:kE0tqeTG
イギリスの子どもや生徒は何をいじめと考え、日本の子どもたち生徒たちの同じなのかという検討がなされなければ、
単に比較するだけでは無意味だよ。

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 22:07:52 ID:XXoUeRRM


枝葉で本質はうやむや

542 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/05(木) 22:27:30 ID:TrDh9P0v
>どちらにしても猫のことばの間違いを指摘することはいじめだろうか?

はぁ?
誰の言葉であろうと、表現の間違いを指摘するのであれば適切で正しい指摘をしろやというだけの話。
自分が知らないから、使わないからと言って他人の表現を批判するのはやめろよ。
お前がこのスレで表現の間違いだと言っていい加減な指摘をして、逆に反論されるのは初めてじゃねーだろ?
いつまで同じようなことを繰り返せば気が済むんだっての。


543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 22:39:56 ID:/WwRl2Dk
>>542
「はぁ?」「じゃねーだろ?」「だっての。」

なんだ、この言葉遣いは。見ず知らずの相手に対して失礼にも程がある。
少なくとも教師の資格は無い。ましてや国語の教師などとんでもない。
恥を知れ。


544 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/05(木) 22:48:22 ID:0NMvvtus
「あ」は馬鹿だから言語学とか無知きわまりないようだな。
何が間違いなんや、カスはこれだから困る。

http://www.kct.ne.jp/~takaie/auxiliary.doc

こういう面白いのを見つけた。さすが漱石だ。
http://crazyhal2007.blog100.fc2.com/blog-entry-62.html


で、ママンちゃん。「あ」の馬鹿の手口だよ。誤魔化しw
しかも自分の矛盾はいつも知らん振り

545 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/05(木) 22:50:59 ID:0NMvvtus
>>543
お前の頭は腐っとるのか?はあ??

丁寧な言葉で妄言を垂れる白痴差別主義者はいいのか?

敬語でいじめるのはOKという倒錯者のようだ。
お前、プライオリティがないのか?

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 22:51:50 ID:kE0tqeTG
そんなこと折込済みだからいいんだよ。

 蓋然性ということばの意味が明確になったことで、猫のいい加減な用語法が浮き彫りになればいいんだからさ。
わしは。そういった意味でママンの登場には感謝してるよ。

 猫を批判しているわしの用語法も少しズレているという指摘は大歓迎だよ。


 それにママンほどの勘違いでもないし、全然痛くなんかないよ。勘違いに気づかない勘違いっていうのは始末に
おえないからね。

 イギリスのいじめが基本的に暴力を基調としたもので、日本のいじめっていうのは心理的なものが多いって気が
するけどね。だからこそイギリスじゃやられたらやりかえせってことになるんだろう。

 日本のいじめは疑心暗鬼を招くからね。教師がいじめてたりすることもあったり、パワハラ気味なんじゃないかねえ。

 

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 22:55:29 ID:kE0tqeTG
>>545
罵倒する差別主義者はいいらしい。

 罵倒する根拠なんてないだろうに。

>>544

 それは、もう引用してある。で現実的蓋然性ってやつの意味は?
こんな摩訶不思議なことばで「分かった気になったり/させたり」
するのはソーカル事件と同じなんじゃないの?


 どうしてオマエといいママンといいレスをきちんと読めないんだ?
だから書き込むことも変になるんじゃないの?

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:02:48 ID:kE0tqeTG
英文法が言語学だとは恐れ入った。

 ここで言語学とはどのように使われているかの記述であり、本来正しい使い方を示すものではない。

このように使われている。と記述するものなのだ。(だからこそメタとしての応用言語学が存在できる。)
本来は○○に住む人々の間では××を表すのにこんな言い回しをするということを収集することだ。
それを分類整理することまでは言語学だろう。

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:05:18 ID:kE0tqeTG
っていうか教え方を論じている時点でこの人は応用言語学の範疇の人だろ。

 言語学のジャンルではない。ミソもなんとかも一緒にしないはずじゃないのかね。

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:10:38 ID:kE0tqeTG
敬語でいじめる。…だから…いじめるっていうのはどういうことなのか曖昧だよ。

 キミが反論できるうちはいじめられてなんかいない。関係は対等だからだ。

 ネットで誹謗中傷がいじめにあたるかどうか?基本的には当らない。
でもあのイラクの人質三人を空港にバカにしに行くoffはいじめである。
そこのところが理解できるかが問題だ。

 ネット上での誹謗中傷に傷ついたとか…じゃあLANケーブル引っ張って、
ネット見なきゃいい。もともと、誰がどこでどんな陰口を叩いてるかなんか誰
にもわからない。それが、わかってショックだ…当たり前ですね。そんなの。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:15:28 ID:kE0tqeTG
コーパス言語学について

 . コーパス言語学 (corpus linguistics)
1) コンピューターで読み込み可能なテキスト (machine-readable text) を大規模に収集した
コンピュータ・コーパス (computer corpora) の構築に伴う方法論・技術論に関する研究.

 だとさ。

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:19:34 ID:kE0tqeTG
もちろんコーパス言語学は応用言語学である。

本当にミソとなんとやらを一緒にしているのは本人であるらしいな。

553 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/05(木) 23:27:37 ID:0NMvvtus
>>548
応用言語学も分かってないようだw

ま、なんでもいい。自分の矛盾には無頓着な気楽さは見上げたもんだ。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:54:30 ID:kE0tqeTG
だってわしは、あらかじめ、論理的とは形式的であるということであって、真理であるとか正しいさを保障するものではない。

理解と記述のためのコードにすぎない。って立場だからね。矛盾なんて目じゃないよ。

 そもそもが矛盾するから偽というのは、仮定した条件や前提を否定するような結論がでるとき使える文。
矛盾があるから疑わしいわけではない。そもそも矛盾がいけないということがアプリオリにセットされてる
時点で本来は疑わしい。

 矛盾と対立が世界の基本構造なのかもしれないのに…。

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:56:42 ID:kE0tqeTG
ただし、猫やママンのように<論理的>信奉主義者が矛盾するのはわしは許さない。

 それはまったくもって背理法の定義にぴったり当てはまる矛盾の用法である。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:59:37 ID:/WwRl2Dk
>>545
>丁寧な言葉で妄言を垂れる白痴差別主義者はいいのか?

本当に頭が悪いようだ。
失礼なものいいと丁寧な言葉とは違うがそこはいい。その表現に乗っかって話をする。

丁寧な言葉と妄言との関係は次の4種類がありうる。
@丁寧な言葉で妄言を垂れる。
A丁寧な言葉で妄言を垂れない。
B失礼な言葉遣いで妄言垂れる。
C失礼な言葉遣いで妄言を垂れない。

>>545の言っているのはこのうちの@のこと。
私の言っているのは、妄言を垂れようと垂れまいと無関係なこと。妄言についての価値判断は無関係。
いずれにしても、失礼な言葉遣いはすべきでないということのみ。

発言の内容以前の話。

得意の頭の悪いこじつけの屁理屈はいい加減にしてほしい。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 00:03:42 ID:dGOqXlSu
排中律とか矛盾律だとかねえ。まあ論理学も一通りやったわけだが、そういう結論なので悪しからず。

558 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/06(金) 00:31:52 ID:UvkfQVBt
おい、良寛。あほかお前は。

>本当に頭が悪いようだ。
>得意の頭の悪いこじつけの屁理屈はいい加減にしてほしい。

これらのお前の発言だって、見ず知らずの人間に対してずいぶん失礼な表現だと思うぞ。
お前の理屈でいけば、このような発言は厳に自粛すべきだろう。
まさに隗から始めよだな。お前の大好きな素読で習わなかったのか?

平たく言えば形式か内容かという話で、お前の価値観を押し付けられる義理はない。
で、お前は何かまともな主張したのか?誰にも理解されない素読の連呼じゃ妄言と
同じだわな。とすると今のところお前は自分の分類でいえばBなわけだが、それに
ついてどう思うわけ?


559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 00:46:00 ID:BljOreco
>>558
判で押したような反応。解りやすいしレヴェルがお高い。

>これらのお前の発言だって、見ず知らずの人間に対してずいぶん失礼な表現だと思うぞ。
>お前の理屈でいけば、このような発言は厳に自粛すべきだろう。

その通り。相手に合わせただけ。

>今のところお前は自分の分類でいえばBなわけだが、それに
>ついてどう思うわけ?

Bとは限らない。BとC。妄言とはは無関係。無理やり関係を付けようとすると、屁理屈になる。


560 :アギトをみせていただくまでです:2007/07/06(金) 00:47:29 ID:97IkwbJZ
この季節にしては、穏やかな空気をこころゆくまで楽しみたいので
今日は長文を控える。

唯一つ確認。私はこれまで猫の嘘を三度指摘した。
それについて、実は猫は否定していない。
よって、猫は自分が嘘つきであることを認めたものとみなす。

>534
一言小僧君。君のほかのレスはどうでもいいが、このレスには
ちょいと興味を引かれる。
国語教師氏のレスから、どうして、そのような結論に至ったのか
自分で書いてみ。


561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 06:17:52 ID:dGOqXlSu
猫は自分を知識人か扇動家か革命家だと思いたいんだよ。

 だからこそ構築主義=プロパガンダやデマコギーの社会的効果の研究やある言説が社会的な権威をもつまでの
経過の研究。あるいは、われわれが言う現実はわれわれが作り出しているという立場。に関心があるんだろう。


 だからこそ、ラベリングをするのだし、攻撃的な言説を行うのだ。

でもこの三つの存在、迷惑なだけで必要ないものなんだよね。そこがわからない。そんな猫に花束を。

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 06:46:24 ID:iHUAyXME


と同じ馬鹿が他にもいるとは。
読解力をつけろ

563 :カカロフ:2007/07/06(金) 10:15:10 ID:nngFh0GJ
大道廃れて仁義有り。(老子): 改正前の教育基本法の「教育」は、「education」 = 「学び教える場(学び場)」の意味という説
http://kakalov.cocolog-nifty.com/daidou/2007/01/education_0aa5.html

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 17:20:20 ID:dGOqXlSu
あ ちょっと気になったので。形式/内容というような見方はあまりよくない。

 形式も内容であり、メッセージを持っている。エチカという書物がそうであるように。
どのような形式を取るのかは十分表現である。

 形式と対立するといわれている内容とは、二者間で何が了解事項なのかということだ。
何が伝わったのかと問われて答えることが内容である。

 罵倒という形式でオマエが好きだと伝えられるかということだ。伝えられなければ、罵倒
という形式を使うだけでもうコンテキストが用意されていることになる。

 わたしが繰り返しいっているのは論理的言説という形式は内容の真偽を決定しないと
いうことであって。形式/内容ということではない。

 カプセルという入れ物の中身がなんであるかはカプセルだけをみてもわからないと言っているだけ。

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 22:38:23 ID:dGOqXlSu
あと猫よ。そんなくそ難しいことをやるより
Basic Englishの GDMをやった方が「英語は使えるようになるだろう」
文の分析と言語の習得というものはまったく違うことだと思うがね。

「受験」なんて考えなければ「使えるようになること」「英語で考えることが
できるようになることの方が遥かに価値があるはずだ。」

小学校では、書きことばが話しことばとして使えるようになること。話しことばと書きことばの
使い分けができるようになることが結局は根っこの根っこにある。

 中学高校が結局その土台の上で何をやるつもりなのか本当は問いたい気持ちの方が強い。

566 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/07(土) 01:24:22 ID:hBI8qjB1
>>564
マクルーハンかい。
罵倒という形式と内容が別々に抽出できるのかよくわからんが、レスの形式に込め
られているささやかなメッセージくらいは受け取ってほしいね。しかし必ず妄言と
なる特定の形式は存在しないでしょ?

>中学高校が結局その土台の上で何をやるつもりなのか本当は問いたい

書き言葉と話し言葉の使い分けって、例えばどのように意識的になされているの?
小学校での実践を細かく提示してつかあさい。
そうでないと中学高校との結びつきは語れないよ。


567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 02:15:33 ID:9Wyyfjbk
今小学校は「読む」「書く」という領域から「話す、聞く」「書く」「読む」という領域に変わっています。

これは明らかに言語道具論の焼き直しなんだけれど、情報発信力、情報選択力を中心に能力開発を
する教科というのが新たなおさえのようです。

そのことに対して旧来からの研究団体とかはものすごく反発しております。

しかしながら、現実の児童をみると、まずは「話せて、聞ける」ことからだ。という提案には納得できるも
のがあります。

 社会にあくまでも家あるいは自分の部屋の延長を求める今のこどもたちは、常にサービスの受け手
であろうとしています。しかも、要求することなしに自動的に自らの欲望が達成されることを無意識の
うちに求めていたりしています。

 だからこそ、単なるけんかが「いじめられた」となるのだし、ことばを使わないので相手の行為を
「いじわる」と決め付けて受け取ったりするのです。

で、まずは自分のことばで適当に隣の人や先生に話すこと。尋ねられたことに答えることから、
ポスターセッション、パネルディスカッション、ディベートへの口語による話し合い、やりとりを中心に
そのための情報収集 情報整理 情報としての加工 表現力を養っていくという計画になっています。

その中で私的な口語から公的な口語(文語調)への転換が図られています。

書くと読むはそれらを高めるためという位置づけです。

(このことを批判するためには今までのやり方でもきちんと話し合える子どもが育つということを証明
する必要がありますが、はっきりいって無理だと思います。話さない子に育つことはあっても話す子
にはならないでしょう。なぜなら、感想を述べるだけの授業では、意見が対立することを求めること
は偶然にたよるしかありません。分析的な読みにしても最初に妥当なモデルが提示されてしまえば、
いいでーす。同じデース。で流れていってしまいます。正解も求めているんですから。

 この大きな転換はもしかすると国語科解体なのかもしれませんが、現実的には有効な転換である
と思います。)

568 :おっさん:2007/07/07(土) 03:37:57 ID:iX1hvXEC
従来は「理解」「表現」(それに「言語事項」)でしたね。
さらにそれ以前は、「読む」「書く」「聞く」「話す」(+「言語事項」)。
従来の読解の授業、あるいは分析の授業では、話す子を育てられない、
というのはどうでしょう。
それは「理解」領域の「読み」の授業のことですが、当然「読み」の力をつけることが目的です。
そこで「話す力」がつかない、という批判はおかしいと思いますよ。
従来の「理解」「表現」それぞれの領域にも「聞く」「話す」に関する内容がありました。
そこではディベートなどの活動をしても全然かまいませんでした。
領域編成の問題。領域や単元の目標レベルの問題。単元や授業の活動レベルの問題。
これらは区別して考えなければ混乱すると思います。

学習指導要領には、実際のところ、それほど大きな転換はないのではないでしょうか。




569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 03:54:45 ID:9Wyyfjbk
>>568

レスありがとうございます。
 「してもよかった」から「しなくてはならない」は大きな転換だと思いませんか?

そして、どう考えてもそんな力はそんな単元を一回やったから身につくものではない
以上、そこで必要となるスキルをあちこちにばらして埋め込むということが行われています。

 北海道地区で採用されている教科書では一単元一内容になっておらず、総合的な取り組み
(読む+書く・書く+話すなど)にこだわっているためにあまり目立たないだけだと思います。

理解なのだから理解していればよいのだ。は正論ですが、何を理解したかは結局、表現を通じてしか
知ることはできません。国語のテストなんか小学校の内はことぼさがしにすぎませんから、8割取れて
当たり前なので、あれで理解の力を計ってるとは正直いえないと思います。

 その表現の力に疑義が呈されるようになってきたし、確かに意欲といい程度といい落ち込んで来ていた
と思っています。

 (それが国語科のカリキュラムだけによるものではないというのも事実です。社会的な現象でもあります。
しかし、それを何とかしようとするのが授業ということだと思います。唯一子どもの生活の中でことばによる
表現を要求できる教科として国語科の役割が大きくなってると思っています。それでも情操教育までは引
き受けるべきではない。と思うので、完全に私なんかはスキルという観点でしか考えていません。

570 :おっさん:2007/07/07(土) 04:06:32 ID:iX1hvXEC
>その中で私的な口語から公的な口語(文語調)への転換が図られています。
>書くと読むはそれらを高めるためという位置づけです。

一般に、口語(体)と文語(体)は書き言葉における文体の問題だと思います。
公的な話し言葉=文語調にはならないでしょう。

概念や用語の整理が必要かなと思います。
「それら」=「私的な口語から公的な口語(文語調)への転換」ですよね。
で、これは「話し言葉」の問題ですよね。
書くと読むが、それら話し言葉の転換を高める(転換を高める?)というのはどういうことでしょうか?
私的な話し言葉から公的な話し言葉への転換に、書き言葉は確かに関係していくと思いますが、
<手段−目的>の関係ではないと思います。

571 :おっさん:2007/07/07(土) 04:21:27 ID:iX1hvXEC
学習指導要領にある内容、これは一応法的に拘束力を持つ、とされています。
ここでは、パネルディスカッションなどのレベルで活動は具体化されていません。
しかし、教科書にある内容は、学習指導要領のような法的な拘束力はありません。
教科書に提示された活動とまったく違った活動を行ってもかまわないのです。
こうしたレベルの違いは押さえておきたいと思います。
「してもよい」から「しなければならない」という変化は、
例えば「ポスターセッション」という具体的な活動レベルではありません。

また教科書の一単元一領域(内容?)という考え方と総合単元的な考え方で
どちらに重きをおくか、教科書会社によってかなり傾向が違う実態が確かにあります。
以前はそれほど違わなかったと思います。
(こうした違いの出てきた背景がそもそも問題ですが)
例えば、「パネル」などの活動が「読むこと」や「書くこと」と関連しないでしょうか?
ここでも、単元レベルと活動レベルとの関係などを区別しながら考えることが必要です。


572 :おっさん:2007/07/07(土) 04:27:36 ID:iX1hvXEC
情報活用能力などをねらった単元では、
各社「ポスターセッション」や「パネルディスカッション」などを取り入れてますが、
そうした単元は各社とも総合的なものになっているのではないでしょうか。

そもそも「話すこと・聞くこと」だけの目標、内容の単元で、情報処理能力を育てられるでしょうか。

573 :おっさん:2007/07/07(土) 04:41:10 ID:iX1hvXEC
「話す力」などもスキルとして繰り返し育てなければならない、そう思います。
しかし、それが総合的な単元ではなく一単元一領域(一内容)の単元を組むことで実現できるとは思えません。
むしろ、「読むこと」や「書くこと」の授業でも「聞く力・話す力」を伸ばすということをしていかなければと考えています。

読解型の授業だから、分析型の授業だから、「聞く力・話す力」は育たないとは思いません。
それは、そうした授業においても当然話す活動・聞く活動はあります。
そうした話す活動・聞く活動に教師がどれだけ自覚的になり、工夫していくかだと思います。
例えば国語の授業ではなくても、よく話し聞き、高度な議論をしている授業があります。
そうした実践をしている教師たちは、話す聞く活動に対してとても自覚的です。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 05:47:26 ID:9Wyyfjbk
指導要領に例示としめされているものは例ではなくて、やれと取るのが筋で、現在の
指導要領(国語科)にはきちんと言語活動とそして言語活動例が記載されております。

 これは「やらなくてはならない内容」ということでどの教科書にも現在は載っております。

ただし、例示されているものすべてを行えということではないというのは成立しているよう
です。

 したがって現場の我々は「やってもやらなくてもいい」から「やらねばならない」に変わっ
て来ています。

 口語と文語(この場合は書きことば)の関係はとても微妙だと思っています。
子どもたちは、調べたり思ったりしたことを一度書かないといえなかったりします。
(結局話すではなく、読むなので棒読みで、それは「読む」だよと注意されたりしますが。)

 概念的にはそれは内言と外言を橋渡しする外内言という活動なのでしょう。
(基本的に誰かを想定するのではなく、自分に向かって書いている場合が多いのです。)

 案外に話しことばというのは応答にすぎないのかもしれません。というより、本当は
話者とのやりとりの総体が話しことばなのかもしれません。

 聞きつつ話すということは、結局、ものすごく高いスキルなので、話すことはまとめて
おくということをしないとそれはできないというのが現実なのではないでしょうか?

 その中で彼らは「文章」というものを別の形式で習得しているので、話しことばの書き
ことば化が行われていくし、公的な話し方としては、書きことばを使って話すような習慣
ができあがるのだと思います。

 (それを打ち破るには「話しかけ調」という別の形式を持ち出すことになると思いますが、
これでずっとやられると疲れる気がするのは私だけでしょうか。)

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 05:56:42 ID:9Wyyfjbk
一単元一内容というのは<目標>と<評価>の関係から推進されている形式です。

 披授業者(子どもたち)にとっては、ここでは何をがんばればいいのか、どの程度で合格なのかが明確に
提示され、少なくともこのスキルだけは身につけようという意識づけが行われることになります。

総合的に扱うと時間の経過とともに目標が変わってしまい。いろんなスキルを少しずつ使って、その場その場
をこなしていくということで単元の最後までの見通しがもてないという批判に基づいています。

 ただ総合的に扱う教科書ではその点を考慮して、学ぶ教材。試す活動という単元構成に徹底しています。
(案外そのことが読めてないのは現場の先生たちの方かもしれません。)

 それにしてもやはりスキルを教えるという点ではあまりにも総合的で、明確化がなされていないという批判は
免れないと思います。

  声のスイッチという単元があれば声の調整ということとどんなときにどんな声でということだけ活動する。
という方が学習者にとっては活動しやすいと思いますし、そこで学んだことは「声のスイッチ」ということばで
それ以降も他の学習で使っていくことができます。

 (各教科書とも付録扱いになってますが、低学年では単元あるいは教材化してもらってもいい内容だと
思っています。)

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 06:03:16 ID:9Wyyfjbk
>>574
 ええその通りです。今回の要領改訂で国語科教師がまず反論したのが
「国語科は総合的学習の時間の下請けではない。」ということでした。

 教科の自立性ということを主張したのです。しかし、当の国語科教師たちは
長年、国語科こそ各教科の基礎となる教科である。と主張してきたのですか
ら本来これは主張してはいけなかったことでした。

 話がつながってないかもしれませんが、どの教科でも国語科で扱っている
ような<活動>は行われるし、それを通してしか授業は展開できないのでは
ないでしょうか?

 それこそ、じゃあ国語科で何を追及するのだ。他の教科ではできないのは
なんなのだと問われ直したときどのくらいの教師がきちんと答えられるでしょうか?

 わたしはことばの使い方(コード)を教えることができるのは、そしてそのコード
の訓練をすることは国語科でしかできないと答えると思います。

 他の教科はその成果を生かしているとともにさらに鍛えているだけなのです。

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 06:06:37 ID:9Wyyfjbk
 国語科「話す、聞く」で行われる話し合いはシュミレーションでかまわないのです。

本当に何かを決めたり、深く調べたりしたことを発表する必要はないのです。

 調べ方というコードを身につけるためには、単純な課題で何回もその過程を繰り返
した方が身につくのですから。

 そのあたりのことがあいまいなまま現場では、調べて発表という単元では総合的
にあまりにも近づいてしまったりしてないでしょうか?

578 :おっさん:2007/07/07(土) 06:12:39 ID:iX1hvXEC
問題は、学習指導要領で示されている「言語活動例」です。
例えば次のような内容ですね。
「自分の考えを資料を提示しながらスピーチをすること,目的意識をもって友達の考えを聞くこと,調べた事やまとめた事を話し合うことなど」
(第5.6学年)
やはり「ポスターセッション」や「パネルディスカッション」などのレベルでの具体性はないと思います。
教科書に「ポスターセッション」があるからそれをしなければならない、とはなりません。
指導要領の言語活動例程度の具体性ならば、様々な活動が工夫できると思います。

そもそも言語活動例にはかなり問題があると思います。
「目的意識をもって友達の考えを聞くこと」など活動例になるのか、とさえ思います。
これに対応する「内容」は、「話し手の意図を考えながら話の内容を聞くこと」ですよ。
ちなみに平成元年版のこれに対応する「内容」は、
5年生が「ア 細かい点にも注意して話の内容を正確に聞き取ること。
イ 話し手の意図を理解し、自分の感想や意見をまとめること。 」
6年生が「ア 事象と感想、意見の関係を考えながら、話の内容を正確に聞き取ること。
イ 話の内容と自分の生活や意見とを比べながら聞くこと。」です。
平成元年版の「内容」の方がずっと具体的かなと思えたりもします。

579 :おっさん:2007/07/07(土) 06:26:26 ID:iX1hvXEC
「声のスイッチ」という学習を組織することには賛成できます。
しかし、これは教科書レベルではたぶん単元にはならないでしょう。
(単元の定義にもよりますが)
なぜなら学習指導要領では、それは「話すこと・聞くこと」の内容にならないからです。
たぶん「言語事項」の「姿勢,口形などに注意して,はっきりした発音で話すこと。」に対応するのではないでしょうか。

学習指導要領には疑問があります。
しかし、それに従うとすると上のようなことになると思います。
様々なレベルの区別を明確に意識し、考えなければいけないと思います。

580 :おっさん:2007/07/07(土) 07:01:07 ID:iX1hvXEC
学習指導要領・国語の作成委員経験者から話を聞くことがあります。
学習指導要領の国語の内容には科学的根拠はない、そうです。
また、現場に近くなるほど解釈が狭くなる、そうです。

私たちは、組織内の人間ですから、様々に拘束されます。
(そのことと拘束される内容、例えば学習指導要領に対して批判することとは別です)
学習指導要領→(教科書)→学校の教育課程→実際の授業の計画と実践
この流れの中で、各段階の拘束性を押さえながら、できるだけ工夫が必要です。
上にいくほど、拘束する内容についての解釈は緩やかであっていいと思います。
だから、学習指導要領の内容には大いに疑問はあるのですが、
今以上に具体的になり拘束性が強くなるのはまずいと思っています。

現在使われている教科書が各社かなり内容に違いが出てきたのは、
文部科学省が「生きる力」路線は変えないといいながら、
「低学力」論争の圧力によって路線変更する、という
あいまいな態度をとったことが大きな要因ではないか、と思っています。
(調査官が中学校と小学校で基本的な姿勢が違ってたりもした、と思います。)
しかし、教科書の採択制度にとっては、各社特色があることは悪いことではないと思います。

581 :おっさん:2007/07/07(土) 07:31:37 ID:iX1hvXEC
例えば、「ポスターセッション」の学習をするとします。
その時、「ポスターを描く」というのは国語の学習なのか、疑問になります。
「本当に何かを決めたり、深く調べたりしたことを発表する必要はない」のかもしれませんが、
それにしても調べたりしなければなりません。それは国語の学習なのか。
こうしたときに指導要領における「合科的・関連的な指導」を工夫できるかもしれません。
図工や社会などとの「合科的・関連的な指導」ができるかもしれません。
そのことがまた「教材等の精選を図り,効果的な指導」になる可能性もあります。
こうした扱いは、「総合的な単元」と言えるでしょう。
調べる活動は社会の時間で、ポスター描きは図工の時間で落とすことによって、
一教科内での「一単元一内容」の学習よりも、国語的なスキルの学習に時間をかけることができるかもしれません。
もちろんこうした活動のレベルによって、
各教科も目標があいまいになったり達成できないのでは問題になりません。それは前提条件でしょう。
しかし、活動レベルの工夫によっては、より時間を確保しより目標を達成できる可能性はあると思います。

「一単元一内容」か「総合的な単元」か、そうしたことが問題になるレベルもあるとは思いますが、
あまり硬直的に考えてもいけない、と思います。
どこでどんな工夫ができるか、それが現場にいる人間にとっては重要だと思います。


582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 08:00:09 ID:9Wyyfjbk
ポスターセッションは「主張しよう」なのですから

 よい学校や よい学級作り あるいは 修学旅行のお勧めのプランなどをテーマにしたっていいんです。

 ぼくらは「あいさつ運動」を提案します。でも、「花いっぱい活動」でも何でもいいじゃありませんか。
 「市電でめぐる函館おすすめスポット」「函館市立博物館へ行こう」などでもOKですよね。

テーマにそった内容で自分たちの主張を「納得させることを目的に」話せて、賛同を得られればよいのです。

そういう意味を考えた取り組みというものが「なぜか、現場ではしにくい」のが問題です。
教科書の例に沿ってとなってしまう。教科書の指導書だって例にすぎないといってるのに。

 とりあえず、教科書に載ってるからと言い訳できるようにみんなが動いてしまうことが一番の問題なのでは
ないでしょうか?

 総合的は本当はいい目標なんだけどねえ。現場が一番わかってないかもねえ。(ぼやき) 



583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 08:05:19 ID:9Wyyfjbk
おっさんさん。国語スレらしい話題が展開できて助かりました。
こんなにたくさんのレスありがとうございます。

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 17:08:43 ID:F2R+QiLm
日本の小学校教育 1

585 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/07(土) 23:45:04 ID:1/Sj7n7h
>>556
>私の言っているのは、妄言を垂れようと垂れまいと無関係なこと。妄言についての価値判断は無関係。

よく分かった。早めにカス認定しておいてよかった。つくづくそう思う。
お前のプライオリティがよーく分かった。
脳味噌から膿がたれても言葉遣いを叫んでろ。それからな、相手に合わせたとかなんとか、
そういうのは矛盾だから言うな。頭が悪いようだからしっかり叩き込んでおけ。

相手に合わせたらどんな言葉遣いでもいいと主張しているのかな?確認しておく。

んで、ありもしない嘘のカウントに粘着するのは言葉遣いへのこだわりと整合性がないようだが。

当方はカス内容は罵倒で応じることが礼儀だと思っている。
お前の指図こそ無用だ。お前の論ではお前だけが言葉遣いにこだわって、他人には強要しないのが
論理的に正しいはずだ。もうちょっと頭を使え。ないなら、ないなりに。

586 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/08(日) 00:07:34 ID:OqJmvf2y
おっちゃん

>学習指導要領・国語の作成委員経験者から話を聞くことがあります。
>学習指導要領の国語の内容には科学的根拠はない、そうです。

審議会の様子は公開されています。読めば分かります。
馬鹿ウヨの素人談義ほど威勢がいいですね。困ったことです。

拘束ですか。。
「国立大学」入試の現代文を読むだけでもかなりマトモな頭になると思いますが。
大学入試は衆人環視ですが、”見えない”現場の勝手な矮小化よりずいぶんマシのようです。

587 :四六時中くねくねしています:2007/07/08(日) 00:39:58 ID:qW9JLzFR
>585
>ありもしない嘘のカウント
これで少なくとも四つ目

ちょっと誤解があるようだが、お前の嘘を数えているのはおれね。
良寛さんはそんなことしていないと思うよ。

588 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/08(日) 00:48:18 ID:OqJmvf2y
そうか、そういう手口で増やすのかw

んで、何か意味ある発言はしないのか。

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 03:32:38 ID:Yp4bGD62
こなくていい。仰山板から出てこないでほしい。あそこはきちんと「エゴイズム」「妄言」が投稿されていると書かれている。

あそこなら、キミの書き込むことは間違ってはしない。

戻ってきたとたん、内容は国語じゃなくて、人物評価、行動評価になってしまった。(がっかり)
そのことに対する抗議をしたりすれば、また、ズレる。


Basic Englishに制限すると少なくとも論理的表現ができる。ベーシック ジャパニーズもある。
今後はベーシックジャパニーズに選ばれた単語だけで書き込んだらどうだろう。

そこに白痴やらレベルなどということばはたぶんないであろうしね。

衆人環視が大事だったんじゃないのかな?その衆人がみんな、キミが悪いっていいはじめたら、、、どうするんだ?
一応国語スレであるから、無理やりにもこくご 日本語 言語について触れておいたよ。

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 07:50:57 ID:Yp4bGD62
ベーシックジャパニーズがわからないなら、 片桐ユズル 著「はじめてのにほんご」でも読んで
そこにつかわれていることばだけ、つかうがいい。

 君のように、やたらと語彙だけ使うのは論理的じゃないんだよ。

(日本語には漢字、カタカナ、ひらがながあるために、分かったつもりにさせるのが楽な言語)

いちど、ひらがなだけにして、いみがわからなければ、そのぶんにはごまかしがある。

おそろしいことだが、あのなんかいにみえる、うえののぶんしょうは、ひらがなだけにしても
さくさくよめるのだ。

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 09:58:33 ID:0CGxgwwR
だいぶ前に読んだのですが、イ・ヨンスク『「国語」という思想』を思い出しました。
(話題になったようなので、みなさん読まれているかもしれませんね。)
戦前も漢字を含んだ「国語」のあり方は問題になり、
その中で「Basic English」を参考にした「基礎日本語」を提唱した人がいたようです。
(確かめたら、英文学者、土居光知という人でした。)
その目的にひつとが朝鮮や台湾の人々への日本語を教えることだったそうです。
当時は、漢字を廃止ないし制限し表音文字中心にすること主張するものと
国語の伝統を重視することを主張するものと対立していたようです。
明治以前には存在しなかった「国語」づくりが明治以後いかに追求されたか
とてもためになった本です。
(国・政府の立場に立ち「国語」(標準語)づくりに取り組んだ言語学者
上田万年、保科孝一の挫折の物語、といっていい内容だと思います。
二人の主張はほとんど「国語」づくりには力にならなかったようです。
では、実際「国語」はどのようなにして出来上がったのか、
これはこの本からは見えないのが不満でした。
田中克彦さんの本など読めばいいのでしょうか?)

「国語」から漢字を排除(過渡的には制限)し
ローマ字あるいは平仮名などの表音文字のみで表わそうという意見は、
明治の頃から様々な立場の人々から繰り返し主張されてたようです。
しかし、その一方で欧米から新しい概念・言葉が輸入され、
それらのほとんどは漢語によって翻訳されました。
新しい概念、抽象的な概念を表現する性能は、
漢字・漢語が仮名・和語に圧倒しているのだと思います。

抽象的な内容、複雑な内容を表現した文章を平仮名にだけにしてもさくさく読める、
これには単純に賛成できません。(読むことが音声化することだけなら別ですが)
漢語を平仮名に直しても、それは漢語として理解いるのだと思います。
例えば上の「語彙」なんて用語は、和語で表現できるでしょうか。
(和語による文章ではなく和語の単語として)
その概念は正確に表現できないと思います。
それを「ごい」として表現して、その意味が理解できるのも
漢語の知識、表現を前提にしてのことだと思います。
前に書いたように、欧米ではもともと日常語だったものが用語化された言葉・概念を
日本語では漢語で翻訳することによって、
日常語から切り離されその概念の理解が難解になってしまいます。
小学校では、中学年以後、
日常語(和語)から離れた熟語(漢語)として使うことの多い漢字がどんどん出てきます。
そこで漢字の習得率がぐっと落ちこむ傾向があります。
また僕自身文章を書くと、漢語の多用によって、
自分でも十分理解していない文章を書いたり、内容のないことを粉飾したりしがちです。
こうした問題はありますが、単純に仮名だけで表現することで、
現在の日本語の表現力はカバーできないと思います。

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 13:40:51 ID:raBy38mN
語彙をその人がどう思ってるのかがそのまま表現されますね。

 「しっていることばのかず」
 「いみをしっていることばのかず」
 「つかえることばのおおさ」

などいろんな言い方が出てくるのではないでしょうか。

 つまり、表現できないわけじゃないのです。

 さてじゃあどうして漢字を使うのか?読む方の労力軽減のためです。
二文字で伝えられる内容をこれだけの文字にしなければならない。

 日本語を定着させたのは学校と軍隊ですが…。
それを日常性の中にとかしこんでいったのは新聞とラジオです。

 書きことばから日本語は成立したというのはやはり一面的な見方で
ラジオが発明され声がいない人間からとどけられるということは言語
習得の上ではとてつもないことだったはずです。

 

593 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/08(日) 14:05:58 ID:DhFi9f5B
おいおい、めちゃくちゃな話だなあ。

>語彙をその人がどう思ってるのかがそのまま表現されますね。

そういう問題じゃねーと思うぞ。
591で指摘されているのは、専門用語としてのやまと言葉だろ?
漢字表記を平仮名にしたらわけがわからなくなるのは当然(同音異義語が多いから)。
だから平仮名表記にはやまと言葉での(学術・専門・抽象)語彙の増加が前提になる。
それなしに平仮名表記を闇雲に主張したところで、

>いちど、ひらがなだけにして、いみがわからなければ、そのぶんにはごまかしがある。

などとは言えんだろと言うこった。
「意味」を「いみ」と書いたところで何がどう変わるわけ?

それから589はどうかと思うぞ。
そもそもお前は猫を駆逐するためとかなんとか言って登場してきたんじゃねーの?
人物批評とか行動批評とか言えた義理じゃねーだろ。
くだらん罵倒合戦はホントどーでもいい。猫ちゃんも放っといたらいい。


594 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/08(日) 14:59:48 ID:DhFi9f5B
>>573 おじちゃん
>読解型の授業だから、分析型の授業だから、「聞く力・話す力」は育たないとは思いません。
>それは、そうした授業においても当然話す活動・聞く活動はあります。

そうでしょうね。ただ私が思うに、ここで忘却されているのはむしろ「書く力」ではないかと思いますね。
指導要領のいう「スピーチ」とはどんなものなのかよくわかりませんが、プレゼン能力のようなものを想定
するとすると、表立ちはしないものの、事前準備としての「書く力」(もしくは議論の戦略や強調の工夫
等)は無視できないでしょう。

私がある国立大学の新入生向けのシラバスを見て驚いたのは、今後のリサーチスキル向上を目的とした
授業で課されるいくつかの小論文が、数人の教員の講義を聞いてそれらをそれぞれうまく要点を逃さずに
まとめるというものだったことです。そのような要約能力は研究上きわめて重要ですが、それは飽くまでも他
人の意見(論文や発表)をうまく理解するということであって、自分の意見をうまく伝えるというスキルとはか
なり距離があると言わざるを得ない。このようなスキルは確かに「書く力」かもしれないが、内向きであり、私
はこのシラバス内に一度でいいので外向きの小論文作成の機会がほしいと思いました。

話が飛びましたが、口頭か文面かという分け方ではなく、アウトプット能力として「話す力」と「書く力」を包
括的に扱うような形で何か活動はないんでしょうか?という質問です。

>>576 あ
>わたしはことばの使い方(コード)を教えることができるのは、そしてそのコード
>の訓練をすることは国語科でしかできないと答えると思います。

この文脈でのコードというのは具体的にはどういうもので、これはどう訓練しているんだい?


595 :おっさん:2007/07/08(日) 15:13:31 ID:0CGxgwwR
さっきのは私でした。
「語彙」を和語(大和言葉)にしてくれましたね。
(「いみ」は「意味」で漢語ですが)
 「しっていることばのかず」
 「いみをしっていることばのかず」
 「つかえることばのおおさ」
そうなりますか。
そうなりますよね。それこそ和語の限界を示す具体例なのです。
実は、(和語による文章ではなく和語の単語として) と書いておきました。
(「文章」という言葉が不適切だったかもしれませんが、)
「語彙」という漢語が和語では上のような文的な表現になってしまうのは、
和語には、「語彙」という概念を表現する単語がない、
また新たに語を創造する性能が低いためなのです。
こうした和語の限界は、漢字を日本に導入したときから自覚されていたのです。
例えば「天」という語の抽象的な意味は和語にはないため、そのまま使われたのです。
漢字の方が圧倒的に抽象的な意味を持つ語など語彙が豊かだったのです。
また、漢字は二文字以上を組み合わせることで容易に新たな語を作ることができる特徴があるのです。


596 :おっさん:2007/07/08(日) 15:59:45 ID:0CGxgwwR
>594 あそこでは、話題が「話す・聞く」だったので、
「書く」については触れませんでした。
小学校の国語教育の世界で有名な実践家に青木幹勇という人がいました。
青木さんは、「第三の書く」という考え方を提案し、大きな影響を与えました。
国語の教科内容としての「書く」には、作文(第1の書く)、書写(第2の書く)があるのですが、
読むために書く=第三の書く、そうした手段的な書く活動を重視しようという提案でした
青木さんは、そうした書く活動として様々な活動を工夫するとともに、
その基礎力としてすらすら書くための筆写力から鍛えることも重視していました。
こうして青木さんなどの本から僕は、ずいぶん学びました。
様々な場面で使える「書く力」を育てたいと考えています。

また、「要約力」についてですが、
小学校では中学年あたりから目標にされます。
しかし、その前提になる力(それ自体要約力の一部)は、
低学年からしっかりつけていきたいと考えています。
そうした力を継続的につけていくために、僕は朝の会の連絡などを利用していました。
また、教科等に関わりなく機会を見つけ取り組んできました。
朝の会の連絡では、わざと複数の連絡事項を用意します。
最初は「いくつ」(話題の数)を意識させ、聞かせます。
取り組みの始めの頃は、「一つ目のお話はね」などと言って話し始めたりします。
次の段階では、話題の数を確認した後、
それぞれが「何についての話だったか」(話題)を確認します。
これも最初は「一つ目は体育の場所のことです」なんて言ったりします。
これらの確認とともに箇条書きの仕方も指導していきます。
これらの内容を単純な連絡事項から一つの話題を詳しくしたものや、
順序性のあるものなどに発展させながら、継続的に取り組んでいきます。
その過程で「つなぎの言葉」とか「キーワード」や「例」、
また「順序」や「先生の伝えたいこと」など理解・表現の基本的な概念に触れていきます。
さらに単にいくつかの連絡事項を伝えるだけの話から、
テーマを決めた内容のある話などに発展した段階では
「はじめ」「なか」「おわり」という構成を教えます。
(内容が単純であれば、低学年でも理解し使えます。)

これらは主に私の話を聞いて理解する活動ですが、
最初は話し合いしながら教師が黒板に書く、
それを徐々に子供たちがノートに書けるように移行していきます。

こうした力は、読みでも発揮され、さらに高められます。
また、話す活動や書く活動でも「はじめ」「なか」「おわり」という構成や
「なか」で表現する話題を考える力としても発揮され、伸びていきます。

こうした力は、ある授業だけで扱ってもなかなか育ちません。
毎日のように繰り返し、徐々に発展させることで、けっこうなものになります。

597 :おっさん:2007/07/08(日) 16:22:46 ID:0CGxgwwR
表現・理解の基本となる概念や技能があります。
できるだけ「読む」「書く」「聞く」「話す」などに
共通した基幹的なものを考え、関連させながら指導していきたいと思っています。

低学年では、だいたい以下を身につけさせたいと思います。
「分ける」(内容を話題などで分け、その数を意識する。)
「話題をとらえる」(〜についての話と理解する)
「順序を意識する」(内容に順序性がある場合。話題ごとの関係の基本)
「(これらを)箇条書きで表わす」
「はじめ−なか−おわりという構成を知る」
これらは、「読む」「聞く」だけではなく「書く」「話す」でも使われる
理解力・表現力の基礎になる力だと思います。
これらをどう育てるかを上ではややくわしく書きました。

「視点」や「話者」などと言った概念も
「読み」よりも『○○に変身』といった作文を書かせたほうが子供は納得します。
「チョークになったつもりで何か言ってごらん」とか言うと
すぐに子供は発表し、書きます。

598 :556:2007/07/08(日) 17:23:58 ID:A0r7RiYa
>>585
>当方はカス内容は罵倒で応じることが礼儀だと思っている。

しからば、私も罵倒していいわけだ。礼儀にかなっていることになる。
お前の>585の私に対する発言は矛盾することになる。

何れにしても、この種の発言は無意味なことに気が付かないのか。
理屈とこう薬はどこにでも付くの例え。


599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 17:26:42 ID:raBy38mN
おっさんさんへ

 それは日本語が本来文字をもってなかった。が最終的な原因です。
なぜ、文字を持たないとそのような概念が生まれてこないのか。

 文字をもたないことがなぜにそんなに抽象的な概念つまり具体物の
特性から離れた概念を持たせないのかといえば、とどのつまり歴史が
もてないからです。

 歴史を持つためには技術的に次の要素が必要です。

 ・時間は後戻りしたりするものではなく過去から未来へと直線的に流れているという概念。
 ・過去や今や未来を区分けするための目印(単純にいえば暦のようなもの)
 ・ある事件には原因があり、そしてその事件の結果があるというような因果の概念。
 ・ある事件をその場で記録しておくための文字

実際に世界でこれらの条件を持っていたのは中国と地中海世界(エジプトもメソポタミアも含む)だけでした。

 歴史をもてなければどうなるか、神話ですべてを解決することになります。
日本にはそのために八百万の神がまだ息づいているわけです。

 日本語は文字を取り入れる過程で、それらの文化も引き受けてきたのです。その上で表意文字としての漢字
を表音文字として使うという大転換(はっきりいえば中国語をおぼえることを拒否したってこと。)を行いました。
その結果うまれたののが「かな文字」(カタカナもかな)です。本来、日本語とはひらがなだけでかくものだという
のはそういうわけです。表意文字としての漢字と表音文字としてのかなをもつ日本語という言語はとてつもなく
「取り入れることは得意」な言語になって行くとともに「差し出すことは不得意」な言語になっていったと考えています。

 今、コードとして一生懸命「論理」を打ち出そうとしているのは、「差し出すこと」を前提にしているのだと思います。
ひらがなでもいえることしか、いわなくても、なんとかほんとうはなるはずです。
ひとがいきるのに、だいじなことは、それほどおおくないのですから。

 え?漢字がなけりゃお前の好きな「般若神経」も唱えられないだろうって…正解。そのときは、
「かけまくも   かしこき  あまつかみ くにつかみ   やおよろずのかみたち 
 そのしたがえたまう  ちいほよろずのかみたち」とか祝詞を詠んでることでしょうよ。
それはそれで幸福なことにちがいないと思います。

 足立区なんて
「 大神達(おおかみたち)の大稜威(おおみいず)朝緑澄み渡りたる大空に伊照(いて)り輝く中に
東の都は足立なる六町」ですからね。ここまで全肯定しちゃう言い方ってたぶんないでしょ。

 すばらしいもののなか、ほんとうにすばらしく、よいものであるところの…だれそれとか。そういう
言い方だって知ってる人がどれくらいいるかはともかく、神様におねがいするのに、こいつはいいや
つだからさ、そこんとこ、ひとつ、よろしくなんていう文化はたぶんそうないでしょ。

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 17:39:26 ID:raBy38mN
 神話は歴史を否定しますから、当然、今起こってることは神話の再現として理解することになります。

歴史は繰り返す(字義通りに考えれば、この文は大きな間違いです。)と考えることになります。

 神話からこぼれおちてしまうような事実はなかったことになるのです。ですから、概念としても
存在しないわけです。

 実は語彙をやまとことばで単語にするなら、「ことのは」なのでしょう。言の葉とも言の端とも
考えられるところに日本語の意味の面白さがあります。多くの語彙、おおくのことのは、語彙を
豊かにする。ことのはをゆたかにする。見事に意味が通じてしまうでしょ。ことばと短縮しないと
ころがミソです。

 意味は「みたま」 概念は「おもひ」(いとは書かない。ひは火であり、日であり、霊である。)

思いっきり八百万の神の世界になっていくわけですね。

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 17:43:52 ID:raBy38mN
 本居も「古事記」に行き着いてしまったのは、結局、「やまと」ということはそういうことになってしまわざる
負えないからでしょう。

 それでも江戸でさえ、感覚的に意味がつかめるのは鎌倉までといってますから、「やまとことばの意味の
重層性」は武家ことばによって駆逐されていったんでしょうね。なにしろ、するか、しないかのために話し合う
のが武士というものですからね。

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 17:51:10 ID:raBy38mN
 ママンへ。わかってくれとはいわないが、そんなにおれがわるいのか…ってことで

 わしは必ず、国語に絡めて批判しているつもりだけれどね。

論理的表現が大事という人間が罵倒という感情を優先させる形式を取るのはおかしい。とかね。
これが、論理的表現が大事だなどとご高説をたれまくってなければそんなこといわれることが
ない。

 授業や、日常の中で具体的な言語使用者としての工夫だとか、教えることの困難さだとか、
こんなんしてみたけどもということであればいいんだよ。

 メタ(形而上)を語るなっていうことはそういうことなんだからさ。メタをどれだけ語っても行動とは
結びつかないでしょ。行動こそ記述すべきことなんだよ。本当は。

 書くことは世界を作り出すことっていうのはそういう姿勢で書いたときに生きることばなんだって。

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 18:16:20 ID:raBy38mN
言葉の意味は「ことのはのみたま」ということになり例の言霊ってことになるわけで、ものの見事に
本邦の言語観の原型にいきついてしまうわけです。

 日本語について考えていくと必ずいきつくところにこの考え方があります。恣意的にしかすぎない
言語のルールというものが恣意的であるがゆえに自然であるようなそのような表現。

 特に日本語ではそれが強いと思います。自分のことばは他人のことばであるということが誰でも
素朴に感じているのはなぜか?それについてはわかりかねますが、だから意味はやってくるもの
として捉えられているのでしょう。日本語使いである私にもやはりその感覚はあります。


 ちなみに感覚はやまとことばでは「けしき」(気色)です。

604 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/08(日) 19:59:19 ID:DhFi9f5B
よくこれだけ次から次へと適当なこと言えるよな・・・

>文字をもたないことがなぜにそんなに抽象的な概念つまり具体物の
>特性から離れた概念を持たせないのかといえば、とどのつまり歴史が
>もてないからです。

妄想はいいからオングでも嫁。口頭伝承で伝わる歴史はないのかね?世界各地にある英雄叙事詩
についてお前はどう思っているわけ?

>実際に世界でこれらの条件を持っていたのは中国と地中海世界(エジプトもメソポタミアも含む)だけでした。
>歴史をもてなければどうなるか、神話ですべてを解決することになります。

あのさあ、まず、何千年も差があるこれらの「文明」同士を一緒くたにする感覚がわからんわ。
さらに、歴史は言説だなんて常識だろうが。それに、どこでも「歴史」は遡れば遡るほど神話だろ。
できるだけ遡って、空いている場所に同時代の政権の都合で勝手な神話を後付けするなんてことは
どこでも常套手段だっての。


605 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/08(日) 20:00:25 ID:DhFi9f5B
>その上で表意文字としての漢字を表音文字として使うという大転換(はっきりいえば中国語をおぼえる
>ことを拒否したってこと。)を行いました。
>その結果うまれたののが「かな文字」(カタカナもかな)です。本来、日本語とはひらがなだけでかくものだと
>いうのはそういうわけです。

はぁ?大転換って言われても。そもそも文字は漢字だけで漢語が母語じゃねーんだから当然のことだろ。
現代の中国語だって表音文字としての漢字で外来語を入れているんじゃねーの?わけわからん。
それに仮名はもともと漢文を読解する際の補助記号(しかも漢字の略字体)だったわけで、漢語を拒否
するどころかなんとか取り入れようとする目的でできたものだろ。仮名という名称にだってそれが表われとる
(仮名/真名=漢字)。漢字という起源を隠蔽して仮名を「日本的なもの」などしてみても何ら説得力
はねーわ。

>表意文字としての漢字と表音文字としてのかなをもつ日本語という言語はとてつもなく
>「取り入れることは得意」な言語になって行くとともに「差し出すことは不得意」な言語になっていった

わけわからねー。適当なことばかりだな。何を根拠に言ってんだ。
そもそも「差し出す」って何だよ。海外における日本語教育の隆盛、日本で造語された漢字熟語の中国
での使用、伝統的・現代的日本文化に関する日本語語彙のグローバル化などについてお前はどう考えて
いるのだね?

こういうお前がコードだの何だの言っても誰も聞きゃせんわ。


606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 20:38:02 ID:raBy38mN
ママン。それこそが神話でしょうに。
貴種流浪譚だとかいくらでも型分けできることでしょ。
そのような原型にとよって現実が解釈されるような文化が神話が生きている文化だってこと。
 ママンは、悲しき熱帯から読み直しってところだな。

 ぷは。

 ママン。あのね。日本にだってそのころから文明も文化もあったよ。世界四大文明っていうのは
誤謬だよ。話をわかりやすくしているだけ。

 縄文文化とか旧石器文化とかもうすでに言ってるじゃない。何千年の差なんかないよ。誤解だね。

 問題を一つ立てるとしたら、どうしてこんなに文化や文明に発達という差が出てきたのか何がそれ
を作り出したのか?

 勿論、人=天才が原因じゃない。どんな天才でも石のないところで石彫は作れない。

ひぃ。

現代の中国語だって表音文字としての漢字で外来語を入れているんじゃねーの?わけわからん。

 そういう場合もある。しかし、電脳とかやっぱり表意として文字を扱うということは思考の形式として
息づいている。

コカコーラだって可口可楽としたのも、ライバルの百事可楽もきちんと音だけじゃなくて意味がある。
(意味は自分で調べようね。)

 売るということは、文化を売り込むことだから、きちんと向こうの文化にアタッチするところがないと
いけないから。(抗がん剤の理屈だ。)

 海外で日本語使用者が増えることと日本人が情報を発信できるこてゃまったく違った話だね。
カプランのうずまきの図みたいなことが解決するわけじゃないよ。わかってないね。


607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 20:41:32 ID:raBy38mN
中国語クイス 次の中国語は外来語の中国語訳 はたして何。

熱狗
Re gou
名詞

快餐
Kuai can
名詞

波音
Bo yin 企業・製品名

夏普
Xia pu
企業名

羅森
Luo sen
企業名

麦金多什
Mai jin duo shi
商品名

 というわけでママンの言説は、よく調べもしないでの思い込み。調べればいいのにね。

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 20:58:29 ID:raBy38mN
あと

それに仮名はもともと漢文を読解する際の補助記号(しかも漢字の略字体)だったわけで、漢語を拒否
するどころかなんとか取り入れようとする目的でできたものだろ。仮名という名称にだってそれが表われとる


 こんなことを、高校の国語教師がいうだろうか。いったい学校で何を教えてるんだ。

万葉仮名はいったいどんな漢文を理解しようとしてるんだ?もともと仮名は仮名と呼ばれるようになったのは、漢字を真名(まな、真字)
といったのに対応してるだけ。漢語に対するやまとことば自体が仮名なんだよ。

 これは新古今和歌集の真名序
「夫和歌者、託其根於心地、発其華於詞林者也。」漢文だね。
 で仮名序
「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。
世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。」

 で本当にママンは国語教師なのだろうか?いい加減にしてほしい。こんなのイロハだろ。


609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 21:00:45 ID:raBy38mN
>人物批評とか行動批評とか言えた義理じゃねーだろ。

 この指摘をそう解釈できる根拠はいったいなんだろうか?
わしは国語科にからめてきちんと指摘してるぞ?


610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 21:03:26 ID:raBy38mN
ママンが勘違いしてるのは、
「一、二点、などの読み下し点、こんなの漢文の基本だが漢字を中心に6箇所の場所を決めそこに印をつけること
でどう読むのかを示したのが始まり、レ点はその印のなごり」

というのと仮名ふり、もともと仮名ふりなんか漢文にはないよ。点だけなんだよ。

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 21:11:09 ID:raBy38mN
しまった 読み下し点ではない。ヲコト点である。その進化が訓点であるな。

参照。

ttp://homepage2.nifty.com/kanbun/izanai/izanai1/04-12rekisi.htm

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 21:44:59 ID:raBy38mN
適当なことを言ってるのは、わしであろうか?ママンであろうか?

ちなみにオングは次のように言っている。
(声の文化 文字の文化)

声の文化のなかでは、概念が、状況依存的で操作的なoperational準拠枠において
〔概念が状況や操作を指し示すというしかたで〕用いられる傾向がある。こうした準拠
枠は、人が生活している生活世界に密着しているという意味で、抽象の度合いはきわ
めて小さい。概念の状況依存的、操作的使用という現象をあつかった文献はかなりの
量にのぼる。

しかし論理がないとはいっていない。

 書くことを内面化した人は、書くときだけでなく話すときも、文字に書くように話す。
程度の違いはあれ、書くことができなければけっして知らなかったような思考やことばの型
にしたがって、口頭の表現までも組織しているのである。文字になれた人びとは、口頭で組
み立てられている思考が、型にしたがわないという理由で、素朴なものと考えてきた。しかし
、口頭による思考は、きわめて洗練されたものでありうるし、それ独自のしかたで、反省的で
さえありうる。声の文化のなかで生きている人びとは本質的に知的ではなく、かれらの心的
過程は「おおざっぱ」であると想定することは、ホメロスノ詩はあれほど巧みにつくられている
のだから、基本的には書かれた作品にちがいないと考えることと同種の考えかたなのである。

 また、声の文化のなかで生きている人びとは因果関係を理解できない、といったような単純
な見かたで、声の文化にもとづく思考を、「前論理的」であるとか「非論理的」であると想像して
はならない。声の文化のなかで生きている人びとは、あるものをぐっと押せば、押したことが原
因となってそれが動くことを知っている。声の文化がどのようにしてそうしたものをつくり出すの
かを理解するには、声の文化に特有な記憶のはたらきについて多少論じることが必要だろう。



613 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/08(日) 22:54:30 ID:OqJmvf2y
>>591 おっちゃん
「『国語』の近代史 帝国日本と国語学者たち」(安田敏朗、中公新書)
は御存知ですか。彼もイ・ヨンスク同様、田中克彦の弟子にあたる人です。
まだ、パラパラ見ただけですが、よくまとまっていると思います。今までの
新書ですが、彼の研究の集大成のようで多くの文献資料を駆使した力作です。

明治期以降の翻訳語が外来だからという理由で排除するのは滑稽です。
そもそも漢字のみならず、平仮名カタカナも漢字ですからね。
大和言葉自身が半島大陸あるいはそれ以外の「外部」の影響を受けていないという保証は
ありません。

日本語自体を廃止してフランス語を『国語』にしようと強く主張した小説の神様がいましたね。
国語の系譜とは、所詮そんなものです。

文体や統語規則でさえ外国語の影響でかなり変質しています。
明治の頃の小学校教科書はアメリカの教科書の翻訳でした。
日本語はもう一度変貌する必要があるでしょう。
光村国語での国語力養成ではまともな言語運用能力が育たないのではないでしょうか。

なお、「光村」とは一つの象徴です。

漢字の習得とは意味概念の習得です。平仮名では無理です。出自はどうでもいいんです。
小学校ではどんどん漢字を覚えさせてください。大変だとは思いますが。

614 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/08(日) 23:02:56 ID:OqJmvf2y
「あ」という馬鹿

>書きことばから日本語は成立したというのはやはり一面的な見方で
>ラジオが発明され声がいない人間からとどけられるということは言語
>習得の上ではとてつもないことだったはずです。

お前な、口語とは新しい書き言葉を口にしただけのことなんだよ。
そんなことは、柄谷「起源」をはじめとしてどこにでも書いてある。
話すように書くんではなくて、新しい書き言葉=話し言葉の創造だった。
だいたいな、アナウンサーの言葉を日常でお喋りしている人間っているのか?w
原稿を読むっていうことくらい考慮しろよ。

それからな、「言語習得」にラジオは弊害なんだよ。実証的研究で明らかになっている。
「言語習得」ね。言い分けは要らんよ。足りない人間の妄言はいい加減にして欲しいよ。

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 23:13:10 ID:raBy38mN
>>614

一面的ということがわからない?

 郭言葉や寄席の言葉など口語ではないというのかな?

  ランガージュということが本当にわからないんだな。

 方言札を作ったところで方言はなくならなかった。
ところがラジオが普及するにしたがって方言との切り替え
が行われるようになったんだよ。

 その前に新聞による新文体の普及を忘れてはいけないが。

 それでも統一的な日本語というものは、本当にあるのかと
いわれれば、米語がないようにあるともないともいえない。
というしかない。

 正当とは結局、学校ではどう教えているのかということに
すぎない。それは言語学ではないからだ。

616 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/08(日) 23:24:36 ID:OqJmvf2y
>>595
漢語の移入により日本語自体が持つ語彙を生み出す力は失われた、あるいはかなり弱体化し
使えない程度になってしまった。クーラーの効いた部屋にいると”鈍る”のと同様です。
従って、

>こうした和語の限界は、漢字を日本に導入したときから自覚されていたのです。

というのは部分的にであれ、留保されるべきでしょう。
日本語本来の造語力を言語学的に検証することは現実的に不可能ですから。
そのような「>自覚」というのは、単に外来のすごさに凹んだだけだと思います。
縄文末期には諸子百家は出尽くしていた。日本に移入されたとき、その差は歴然と
していたわけです。自覚とはコンプ以外のなにものでもありません。そしてそれは
正しい判断だったわけです。日本語という言語のせいではありません。それを使う
日本人が単に馬鹿だったわけです。
大陸では交通によって知的交錯が盛んでしたが、日本まで至るのはその何十分の一か
だったことでしょう。それは地政学的な配置のなせるわざ。仕方なかったわけです。

いまや時空間の意味は完全に変容しています。
その恩恵で今の日本があるのだと思います。

国語は作られました。
ですから、今もまた作る=変えることは国語の本来のあり方だと考えます。
デタラメな理屈でただ保守すること企図するのは害悪です。私は保守自体を
否定しません。「デタラメ」を否定します。日本本来だからという理由で守る
ものはもう日本語には一つも存在しません。日本語を木っ端微塵に分解して
そのような”古来”を腑分けしてもただただ悲しいほどに滑稽なだけです。

馬鹿が保守しようとしている国語とは外来によって変容した日本語です。
恣意的に作られた国語という側面もあります。
日本語は今一度変容する必要があると考えます。

PISAの結果から必然される方向へ日本の言語教育は変容すべきです。

617 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/08(日) 23:27:15 ID:OqJmvf2y
>>615
アナウンサーはお前の我々の話言葉をしゃべっているか?
核心を誤魔化すな。

書き言葉を話す。これが国語、標準語ということだ。ちがうか?

618 :556:2007/07/08(日) 23:51:49 ID:A0r7RiYa
>>605
はぁ?
じゃねーんだから
じゃねーの?
ねーわ。
わけわからねー。
聞きゃせんわ。



619 :556:2007/07/08(日) 23:56:27 ID:A0r7RiYa
>>614
「あ」という馬鹿
お前な、
だいたいな、
考慮しろよ。
それからな

620 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/08(日) 23:59:50 ID:OqJmvf2y
>>618
お前な、とことん頭わるいんだよ、カス。
だいたい2ちゃんをのぞいて言葉遣いだけこだわって粘着するって意味ない。

言葉遣いより先に治すことがあると思うぞ。
阿部ちゃんが「いい」言葉遣いのノラリクラリ。

お前はヨシヨシしてやるんだろうな、カスだから。
プライオリティの壊れた頭はどうにかならんか?

「殲滅」ならいいのか?www
「鬼畜米英」ならいいのか?www

ダヴォが

621 :556:2007/07/09(月) 00:04:50 ID:donGG1dm
>>620
お前な、とことん頭わるいんだよ、カス。
ダヴォが




622 :556:2007/07/09(月) 00:07:53 ID:donGG1dm
>>620
>だいたい2ちゃんをのぞいて言葉遣いだけこだわって粘着するって意味ない。

ここは国語教育のスレ。

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 00:11:56 ID:zLbShjmJ
先生質問

 日本に漢字が渡来したのはわかりましたが、誰が諸子百家を理解したのですか?
だって中国語は読めなかったんでしょ?


 諸子百家に圧倒されるためには、その書物(竹管)を読めなければならず、そのためには
中国語を習得しなければならない。

 そして、そのためにはやまとことばと中国語の橋渡しをする存在がなければならないわけ
だ。

 結局、そのためには大陸、半島、日本列島を含む大規模なアジア交通網を前提としなければ
無理な話だ。

 そしてそのことは中間言語(ピジン化)の存在を認めなければならないことになる。

そのような交通網が自閉していくことによって初めて国(クニ)という意識を自覚できるようになった
と考えるのが妥当ではないだろうか?

 言語の面では「やまとことば」による和歌の浸透と拡散と爛熟への動きであろう。
わが国において「ことのは」が即、歌であったというのは象徴的な事実ではないだろうか?

624 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 00:15:47 ID:zgtRf3un
>>619
確かに、あなた様がおっしゃるように適切な言葉遣いは大事だとは思います。
ですが、そのようなことだけにこだわっておられる態度は何か意味はあるのでしょうか。
また、このような場所をご覧になってそういう品格あることを望まれるのも少々場違いな
感じがします。

中身のある議論ができないから、そういう言葉尻だけをつかまえて非難されるのでしょうか。
あるいは過去に御自身が汚い言葉で非難された経験がおありだから、そのことをいつまでも
根に持って反応なされているんでしょうか。

いずれにしても、あなたの仰りたいことはよく理解しました。
お気持ちも理解できます。ですが、価値観の違いといいましょうか、優先順位が異なるようです。
あなたの御意見は十分伝わりました。親切な御忠告には感謝しますが、私としては「怒り」を
大事にしたいと思います。畜群はますます怒らないといけないとも思います。
そのような怒りが言論になればやはり罵倒です。テレビの討論番組でもたまに同様な場面を
見ますよね。

台湾の国会では罵倒罵声は当たり前。殴り合いを前提に議論しているようです。
そういう国もあるということです。彼らも怒っているんでしょうね。

私は汚い言葉より無知蒙昧がいい加減な根拠で妄言を口にすることが最もいけないと
思います。あなたとはまるで違うようです。平行線でしょう。

あなた様も他人の言葉遣いを「恣意的に」非難する前に、先に直すべきことがあると
思うのですが。当方の考えは伝わったことでしょうか。

625 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 00:18:48 ID:zgtRf3un
>>622
いえいえ、品性ある人物は2ちゃんなど除くことはありえないでしょう。
国語スレだから言葉遣いをまず「第一に」考えないといけないという決め付けを
無根拠でされる理由が分かりません。

言葉遣いにこだわる姿勢はよく理解しました。
次は内容にこだわるように心からお願いします。

626 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 00:23:01 ID:zgtRf3un
殲滅、鬼畜米英はいいんですね。よく分かりました。
やはり先に治療すべきことがあるようです。

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 00:24:15 ID:zLbShjmJ
漢字については この辺から勉強も可能。
「漢字伝来」
ttp://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0608/sin_k315.html

628 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 00:26:12 ID:zgtRf3un
>わが国において「ことのは」が即、歌であったというのは象徴的な事実ではないだろうか?

白痴は大事なことを隠すw うんっ、知らんだけか?
「歌」では中国を詠み込むことを第一に考えた。
気が付いたら、それが「歌」の核心になっていた。
それが「歌」だよw

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 00:29:01 ID:zLbShjmJ
清少納言かよ。藁。

 だからインテリジェンスとしての漢学の問題でしょ。それ。和歌ってそれだけのもんじゃないよね。

万葉集がすべてだなんていうナショナリストではないから、そんなことはいわないが、歌を詠むと
いうことはそういう識字層だけのことじゃなかったことはもうわかってることでしょ。

630 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 00:32:34 ID:zgtRf3un
>>629
また、誤魔化すwww

>そういう識字層だけのことじゃなかったことはもうわかってることでしょ。

お前だろうが、そういう「層」にこだわっているカスは。
ところで庶民の歌って、例えばどれ?w

議論を広げて誤魔化すんだろうな。まあ、何でもいい。カスはカスだ。


631 :おっさん:2007/07/09(月) 00:33:10 ID:YEfvSH+z
あそこで使った「自覚」は、「コンプレックス」でいいと思います。
また日本語(和語・大和言葉)の持つ潜在的な力がどれほどのものかはわからない。
これもそうだと思います。
もともとあった文化や言語を自然成長的に発達させていったならば、
どれほどの抽象的な概念を表現する言葉を生み出せたか、
またどれほどの造語力を発揮できたか、そうしたことは検証できません。
歴史は、大陸から圧倒的に進んだ文化・言語を取り入れ、
その力によって自分たちの文化・言語を飛躍させるという道を進みました。
これは、明治の文明開化もそうでした。
自分たちより圧倒的に優位であることを自覚していたからこそ取り入れた、
これは、自分たちの文化がいかに劣ったものであるかというコンプレックスでもあった
ということだと思います。

632 :556:2007/07/09(月) 00:48:28 ID:donGG1dm
>625
>国語スレだから言葉遣いをまず「第一に」考えないといけないという決め付けを
>無根拠でされる理由が分かりません。

根拠がいるとは、いやはや。

>次は内容にこだわるように心からお願いします。

内容にこだわるゆえの発言です。
言葉遣いと無縁な内容はありえません。




633 :556:2007/07/09(月) 00:59:34 ID:donGG1dm
632の続き
ここは、単なる国語スレではなく教育のスレですから。
>>622を確認してください。国語教育のスレを国語スレに置き換えないように。

634 :ぼくはね、トラッポリンを買っていただくんです:2007/07/09(月) 01:04:44 ID:2jLLJeAD
えー、罵倒モードに入ったときの猫というのは、
必ずなんか嘘をつくんで、それが問題なんです。
ここでは、
>いえいえ、品性ある人物は2ちゃんなど除くことはありえないでしょう。
ですね。
猫は、罵倒と同時に必ず、こういう立証しようのないことを言って
あたかも公に認められた事実であるかのようにいうのです。
(実際、私にはおっさん氏は品位ある方のように見受けられます)
そこで、口汚さを良寛さんなどが批判すると、「内容で〜」という形で
自分は批判されていない、悪口を言われているだけだという
ファンタジーに浸るわけです。

猫語にひそむ自己欺瞞の構造を私は何度も指摘するのでありますが、
猫は「中身がない。つまらん」と女子高生程度まで退行するのです。

でも、私が言っておるのは猫の中身です。
それにいい加減気づけよって話。

635 :おっさん:2007/07/09(月) 01:05:37 ID:YEfvSH+z
現在ある「国語」は明治以前には存在しなかった。作られたものである。
そう思います。
ただ『「国語」という思想』を読むと、
上田や保科が「国語」づくりの政策に異常なほどの精力を傾けながらも、
政治的には全く無力であったことがわかります。
彼らよりも漱石や鴎外、あるいは諭吉などの言語実践の方が
「国語」づくりにずっと貢献したのかもしれないな、とも思います。
漱石や鴎外の小説を今読んでもほとんど違和感はありません。
前時代の書き言葉と方言しかなかった状態から
あれほどの短期間で彼らが果たした「国語」の創造は驚くべきものに思えます。
彼らとともに新聞などのマスメディアの力も大きかったのだと思います。
一方、保科らの政策は無力であったにしても、国語の教科書は作られ使われていました。
これも当然「国語」づくりに力があったでしょう。

保科は、昭和に入っても存在すべき「国語」は未だ存在していないことを嘆いています。
結局、国として明確にあるべき「国語」を作ることはできなかったのだと思います。
今ある「国語」も様々な力がアナーキーに絡み合いできたもののような気がします。

作られたものだから新たに変容可能である、
そう僕も思うのですが、
どんな内容で、どのような方法によってなのか、
僕にはそこまで考えが及びません。



636 :トラッポリン:2007/07/09(月) 01:05:58 ID:2jLLJeAD
おやおや、いつ間にか9レスも流れている。

637 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 01:06:36 ID:zgtRf3un
>>631
そういうことです。
ですから、記紀の頃から明治期そして戦後と一貫して移入してきているんですね、日本は。
記紀においても漢籍の影響が見られることが明らかにされています。
そもそも文字で歴史の「正統」を残すということ自体が100%大陸的発想です。

私たちはもっと自覚的に移入しなくてはいけません。

光村国語では白痴を養いかねません。実際そのようになっています。
しかし今後は採択率が確実に下がるでしょう。その兆候は既に出ています。

真なる言語運用能力とはいかにあるべきものなのでしょうか。
私は、どこにも見つからない虚構としての国語に閉じるような方向は危険だと考えます。
例えば、漢字の力。これは本来の日本語の力ではないですよね。完全に大陸の力なわけです。
ですが、いいんだから何も卑下する必要はないと思うんです。

国語のオリジナリティとして漢字を称揚する輩には要注意です。
そこには歪んだ姿があります。周辺のアジア各国もかつては漢字を使っていましたが、
今は日本ほど使っていません。典型が半島のハングルでしょう。彼らは文字を
作り出しました。不便を覚悟してそこまで徹底することをすればナショナリズムも見上げた
ものです。しかし、そんなことは絶対にありません。ナショナリズムとは一つの意図です。
装置です。一つのインチキです。国語は今まだその部品として機能しようとしています。

我々の言語となるような日本語教育を心から望みます。

ちなみに、日本のナショナリズムは国語をフランス語にしようという考えと実に相性がいいんですね。
なぜなら、日本の愛国とは資本の”騙し”としてしか機能していません。
我々の日本語をそういうクズから取り戻すような教育を熱望します。


保守政治家がいかにカタカナ=外来語(たいてい英語!=言語帝国主義)が好きであるか。
しかも彼らは英語ができない!!


我々の日本語となるような教育であって欲しいと本当に思います。

638 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 01:09:09 ID:zgtRf3un
>>631
ほほーw
あなたの礼儀と私の無礼を対比させると好都合でしょうね。
教育的効果抜群。しかし、子どもにここを見させないとならん。終了w

639 :トラッポリン:2007/07/09(月) 01:10:42 ID:2jLLJeAD
アンカー間違ってるぜ、ぼん。

640 :トラッポリン:2007/07/09(月) 01:18:34 ID:2jLLJeAD
猫、長文作成中。

641 :トラッポリン:2007/07/09(月) 01:22:02 ID:2jLLJeAD
おっと「猫による詩の解説と授業案」をごらんになりたい方は、下記をどうぞ。

国語を崇拝するスレ
http://school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1177404131/
ここの29から35に再録してあります。

642 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 01:29:22 ID:zgtRf3un
>>635
あなたが最初に言及された時枝は半島の最前線において「国語」の流布に
邁進させられました。本土の上田らののん気な理論ではどうにもならない中で
彼は考えたんですね。

時枝は実は国語を日本語にした人間だと考えています。


国語学者ではなく文豪が国語の実質を決めた(割合が高い)というのは
その通りでしょう。教科書には文豪の文章が載りますから。

>結局、国として明確にあるべき「国語」を作ることはできなかったのだと思います。

そうでしょうね。だから、そういう明確な方向へ持っていこうとする勢力が出てくるわけです。
教育にはそういう方向性が必要だとは思いますが、方向が少々いけないと思うんです。
文科省・審議会の声明はある程度許容できるものになりましたが、それは役人の調整による
ものです。私見では、役人はそれほど馬鹿ではないようです。審議会委員は困った人もかなり
含まれています。議論の過程は公開されているので読むとよく分かります。

あなたが言われるアナーキーなベクトルの一つとして、何らかの方向性と強度を持って
ここで主張しているわけです。熱湯を冷ますのは冷水です。温水で冷ます阿呆はいません。
ベクトルの合成を考えれば分かることです。

>作られたものだから新たに変容可能である、
>そう僕も思うのですが、
>どんな内容で、どのような方法によってなのか、
>僕にはそこまで考えが及びません。

そう仰らずに、ぜひ頑張ってみてください。
私個人は方便として西洋的論理に徹底することを日本語に課すことをたくらみます。
特別なことではないんです。今までじわじわ侵入してきたものを再整理して自覚的に
行うだけのことです。三森らの実践は参考になります。

向山や西郷の実践も実は西洋の論理に他ならないんですよね。
ただ、中途半端だということです。かなりお粗末な部分もあるようです。論理という点に
おいて。いい加減なパッチワークが困るんです。やるんだったら徹底するということです。
そのような負荷において日本語の限界が見えると同時に意義ある変容が期待できる
と考えています。

643 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 01:35:26 ID:zgtRf3un
クネクネ

品性ある人物は2ちゃんにこないだろうというと嘘だとするのかw
例外で全体を否定できるか?

世の中なんでも○×に「完全に!」区別できるか?
排中律が成立しない事象は言及できないのか?
そこまで論じてから言及するべきだろうな。

もっと具体的に論じてくれよ、遠慮するなw

644 :トラッポリン:2007/07/09(月) 01:37:23 ID:2jLLJeAD
>あなたが言われるアナーキーなベクトルの一つとして、何らかの方向性と強度を持って
>ここで主張しているわけです。熱湯を冷ますのは冷水です。

うんうん、それじゃ熱湯のあるところに行ってそれやんなよ。
お前がやってんのはサハラ砂漠を涼しくするために、バイカル湖に
泥水突っ込んでるようなもんだよ。
まさか、バタフライ効果に期待してるとか?

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 01:37:36 ID:zLbShjmJ
猫よ。猫さんよ。

 あずまうた。以上。

646 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 01:40:06 ID:zgtRf3un
クネクネ

自己欺瞞の指摘って

「一発大逆転」を狙ってる

ていうアレか?
ほんま、めでたい奴だな。
逆転って阿呆か。心配するな、本道だよw

以前、きゅーじぅーさんがお前とは正反対の指摘をした。
図星だと思った。オイラはね、本命狙いなんだよ。
ま、いい。駄馬だと思うんなら放置しとけって。そうだろ?

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 01:41:57 ID:zLbShjmJ
 上からの改革みたいな線が失敗してきたのにもかかわらず、やはり、基準となる国語があたかもあるかのように
我々は振舞っている。

 なぜなら、生活上まったく問題がないからだ。ことばというものは人間が社会が必要だったために生まれたものだし、
社会が必要なように人間はできている。遺伝子レベルで言語能力をもつということは証明可能なのだそうだ。

 ただし、どのような言語を話すかは決められていない。

 言語ゲームのルールはゲームすることによって変更されていく、ただし、どのようなルールが成立するかはまったく
わからない。ゲームをする能力と実際にどのようなゲームをしているかは関連付けることができないから。


 我々にできるのはゲームをつづけることだけだ。

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 01:48:46 ID:zLbShjmJ
ブリコラージュを否定して新しいルールが生まれるものだろうか?

 本当に何をどうしたいのかがわからない。自分に合わせて洋服を作りたいのか?
しかし、だれもオーダーメイドの言語はもったことがないし、そんな言語はまったくの無価値だろう。

…いったい、猫のいう論理的な態度って何なんだ。そもそも、自分の言説が論理的だと思ってるとしたら…
大間違いじゃないだろうか?



649 :トラッポリン:2007/07/09(月) 01:52:29 ID:2jLLJeAD
>643 ほか。
「ありえない」という表現は「例外を認めない」ということだと思うが?
言い訳にしてもあんまりだよな。
おれは言いたいこと言ってるよーん。
俺か言わずに隠していることがあると思いたいのは猫のファンタジー。

いや、「一発大逆転」は撤回しないよ。
おまえの言う「本命」ってのが、自己欺瞞なのさ。
きゅーじうさんはできた人だが、あの人は>642 みたいな
とこしか見てないと思うね。
それじゃ猫はわからない。矢面にたってはじめて分かる真実て
もんがあってさ。それに気づくたびに人が消えていくの。
俺がほっとけないのはそれ。

あんたが仲間内で大言壮語しているだけのときは邪魔せんよ。
俺は「礼儀」を知ってるもん。

650 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 01:52:50 ID:zgtRf3un
>>645
やっぱりw
それね、役人がその地の言葉で歌ったとかいう説もあるんだよ。
ま、そうでなくてもいい。歌集に拾われる歌が庶民のものだという感覚が
壊れている。

そういう歌を詠む層が庶民だっていう感覚がw
お前の庶民って誰だい?w

他には?
ないのか、ないw

☆ 日本の伝統は東歌だと言いたいのか?

651 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 01:57:16 ID:zgtRf3un
>>649
>矢面にたってはじめて分かる

なんや、怨念かいな。
自称、国語スレの道徳警察やなw
せいぜい頑張れ。で、いつでもオフ会に応じるぞ。

所詮、お前はお前のプライドだけの問題だろ。
これだから教師は厄介なんだよ。

652 :トラッポリン:2007/07/09(月) 02:03:08 ID:2jLLJeAD
ほら、出たオフ会。やる気もねーくせに。

>所詮、お前はお前のプライドだけの問題だろ。
ほら、出た矮小化。
問題はお前の嘘なんだって。
>これだから教師は厄介なんだよ。
俺は教師じゃないよ〜。って何度目だろうね、これ言うに。
お前はわかってるだろうに。
これだから、ルサンチマンに満ちた大阪府民は厄介なんだよ。

>道徳警察やなw
これはわからんな。嘘つくのがありだとすると、議論も何も成立せんが。


653 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 02:04:13 ID:zgtRf3un
クネクネ

きゅーじぅーちゃんは分かってない。しかし、オレ様は何でも分かってるってか。
大した人間なんだろうな、お前は。一度お目にかかりたいもんだ。

少なくとも、お前よりは徹底した議論をしたよ、彼とは。
国語スレ以外でね。もちろん容赦はしてないよ。
あの人の専門で噛みついたからね。

ま、お前には関係ないことだ。

頑張れ、正義の味方!w

654 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 02:07:53 ID:zgtRf3un
>ルサンチマンに満ちた大阪府民は厄介なんだよ。

大阪府民に謝れw


オイラは同意するがw

彼らは許してくれないぞwwww

655 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 02:08:43 ID:zgtRf3un
>ほら、出たオフ会。やる気もねーくせに。

いや、やる気まんまん
実際、来ないから困るんだよね。

656 :トラッポリン:2007/07/09(月) 02:14:20 ID:2jLLJeAD
>653
>しかし、オレ様は何でも分かってるってか。
うううん。「何でも」は嘘だよ。(言っとくけど、これは猫のついた嘘だからね)
でも、猫の振る舞いはあの人よりわかるよ。わかってもしゃーないけど。

俺は正義の味方? なんか嬉しいね。
でも、お前は宇宙人を自称するとき、自分が自分に何を自堕落に
許してしまっているか、真剣に考えたほうがいいと思うんだ。

お前のために言ってるんだよwww

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 02:30:57 ID:zLbShjmJ
そういう問題ではないよ。

 あずま歌が示すものは、和歌の浸透と拡散だよ。
 役人が詠んだかも。

 役人は庶民じゃないんだねえ?わしは基本的に宮中人以外はみな庶民だと思うけどね。

 あずまうたで不足なら防人歌をつけたしておこうか?
役人が防人に同情して…なんていいだしたらそれこそ大笑いだろ。

防人に行くは誰が背と問ふ人を 見るが羨しさ物思ひもせず 

658 :トラッポリン:2007/07/09(月) 02:36:41 ID:2jLLJeAD
>654
いや、あやまるつもりはないよ。
ルサンチマンに満ちた大阪府民のルサンチマンが、どんなに
厄介か、おれは知ってるからな。
だから、猫の罵倒のテンポも「論理」も、そのときどのように
妄想モードに入るかも、そのことが、どういう事実誤認につながるか
も俺は知ってる。

もちろん、ルサンチマンに満ちてない大阪府民もいるだろうさ。
枚方に住んでピアノを弾いたりしてる奴がな。
でも、あんなのは大阪人じゃない。ただの府民だ。

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 07:11:17 ID:zLbShjmJ
思想性なんかをやっててもしかたない。

 具体的にことばをどう学習し、どのように使えるようにしたらいいのかということに話をもどそう。

オマエのけつはくさい。いや、お前のけつの方がくさい。といったところで仕方がない。

 ここまでの整理。

 話し言葉と書き言葉はそうきっぱりと分けられるものではない。(ランガージュ)

 現行の小学校国語科の重点は「話す・聞く」

 話すスキル、聞くスキルには「書くスキル」「読むスキル」が密接に関わっている。

 教えるとはコードを教えること。

 論理的というコードは形式的ということ。

 論理は決して正しさを保障しないこと。

 やまとことばと漢語と外来語はどれもやっぱり日本語であること。

 具体的な日本語像はあっても普遍的な日本語像というものは予め失われていること。


ぐらいだろうか?で何をどう教え鍛えるのか?


660 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/09(月) 13:09:33 ID:YE6n7b3D
>>608 あ
>万葉仮名はいったいどんな漢文を理解しようとしてるんだ?

あのねえ、私は仮名の起源が漢文理解だと言っているの。
お前は古事記が全てやまと言葉で書かれているとでも思っているのかね?
仮名=やまと言葉という思い込みもひどいな。


クネクネ
文句ばかりで具体性のある指摘はないのね。


661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 18:01:54 ID:zLbShjmJ
ママン。なんだかもう、わけがわからんよ。
古事記は変体漢文で主に記述されてるだろう。歴史書なんだからさ。
古事記は物語だと思っていたのかね?

 真名=漢字(漢文)に対しての仮名だっていってるじゃない。

 万葉仮名は何に使った?
 上代に日本語を表記するために漢字の音訓を借用して用いられた文字のことである

実質最古の資料は歌の一部。つまり和歌だ。その流用が漢文の訓だったにすぎないよ。

662 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 22:53:25 ID:zgtRf3un
「あ」という馬鹿

>教えるとはコードを教えること。
>論理的というコードは形式的ということ。

「論理的というコード」以外のコードは何なのか、お前の説明を聞きたい。
誤魔化さずに

663 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 22:55:59 ID:zgtRf3un
クネクネも本性が露になってきた。
やはりカス認定は正しかったようだ。

ピアノを弾けばいいらしいw

664 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/09(月) 23:11:50 ID:YE6n7b3D
>>661
古事記で言われる「変体漢文」ってのは、漢文体に万葉仮名(表音文字)を混ぜて
あるってことだろ?表記は基本的に漢文でしょ。

ところでお前は「かな文字(カタカナもかな)」の話をしてたんじゃねーの?
万葉仮名は「かな文字」じゃねーだろ。「文字」としては漢字なんだから。


665 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/09(月) 23:18:33 ID:YE6n7b3D
>私個人は方便として西洋的論理に徹底することを日本語に課すことをたくらみます。

>やるんだったら徹底するということです。
>そのような負荷において日本語の限界が見えると同時に意義ある変容が期待できる
>と考えています。

レス続投を期待してるざんす。


666 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 23:21:52 ID:zgtRf3un
「あ」という白痴へ

宣長は万葉集をカス認定したことを知らんようだな。
お前は何も理解できない頭のようだ。ネットでかじるだけのパッチワークは
いつもどんどんずれるだけだ。

古事記とか、歌とかそんなものにこだわるのが阿呆だと言った宣長。
引用が要るか?w

お前がまるで西洋的なんだよ。
無意識無自覚の漢意。宣長が最も唾棄した白痴スペック。

ならば宣長の道とはどんなものだったのか。

さて、オイラはその宣長と決定的に何が違うのか。

さあ検索検索ぅーwwwwww

667 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 23:30:32 ID:zgtRf3un
「あ」というスペック

えー、仮名が万葉仮名(男手)から変体仮名(女手)に移行する経緯とその「意味」。
そこまでの系譜を遡行すると「あ」の論考も面白くなんるんだが、いかんせん白痴スペック。

宣長を出すがまるで理解してない。
ネットでのお勉強がいかに阿呆を作るか、いい見本ですね。

万葉集に駄目だしした宣長を知らんとは恐れ入る。

668 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 23:35:02 ID:zgtRf3un
>>665
すいません、いくらでも続投するネタはあるんですが・・
もったいぶっているわけじゃーないんですよ。

できれば、厳しいツッコミをお願いします。
どうも根本的な部分において闘いがないと連投の意欲が出てきません。
「あ」では役不足です。

ママンちゃんとバトルすると私にとっては深化するかもしれない・・


669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 23:49:55 ID:ykZdSYQN
役不足って、そういう使い方だった?
最近はそうなのか?

670 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 23:56:56 ID:zgtRf3un
ママンちゃん

ちょっと前に、「高校生のための論理思考トレーニング」(横山雅彦、ちくま新書)
を読んだんです。まあ、レベルとしては威勢のいい素人談義で学ぶことはあまりない
ようなものです。しかし、その”威勢のよさ”はなかなか面白いw

『日本にロジックが根づく可能性は、永遠に閉ざされたのである。そして和洋折衷の
日本語だけが残された』(p.93)

横山が最近流行りの現代文における論理的読解の理論的不可能性を露にしています。
名前が出ていませんが、その論の核心はおそらく出口への批判であろうと思われます。
一時、彼と歩調を合わせることをしようとしたらしい。しかし、そのお粗末さに付いて
いけないと感じたようです。(出口かどうかは確認中)

私は日本語の変容に期待します。
今まで何度も変身してきました。その意味でのポテンシャルに期待します。

変身のツールとして考慮すべきものとして、例えば「思考と行動における言語」
(ハヤカワ、岩波)があります。ここでも何度か言及していますが反応がないのが
残念です。その一般意味論の実践への適用では井上尚美がいます。
http://books.yahoo.co.jp/book_search/author?author=%B0%E6%BE%E5%BE%B0%C8%FE
ただ、私も彼女の著作は一冊しか読んでいません。もっと、勉強したいと思っています。
少なくとも向山や西郷より論理的でシャープです。
宗教になっていないので広がりが少ないとも言えます。

一般意味論
http://www.kh.rim.or.jp/~masa-sem/

671 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/09(月) 23:58:42 ID:zgtRf3un
>>669
すいません、「あ」の方には役不足です。御立派すぎてw

672 :ダンスというより、暗黒舞踊:2007/07/10(火) 00:00:55 ID:myWSz7Ae
>663
とまあ、「おまえのかあちゃんでーべーそ」レベルまで堕ちちゃうわけね。
やれやれ、 サベツされた! とか思った?
>658 は猫にこそわかる話だと思ったんだが。

正直言って猫とママンの「バトル」なんざスローガン馬鹿同士の
仲間誉めにしかならんさ。
そういうのこそ、「モノローグ」ってんじゃないの?

ああ、ママン。>641 を見ておくように。

673 :ダンスというより、暗黒舞踊:2007/07/10(火) 00:09:05 ID:myWSz7Ae
煎じ詰めて言えば、小学校教師氏のような「他者」が
でてくる度に「カス認定」して目を背けてきたのが猫なわけで。
猫がいかに都合のいい「他者」だけを求めているかってこと。
そんなもん、すでに「他者」じゃないよ。

674 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 00:11:25 ID:/7O6tRLw
個人的には「社会構成/構築主義」をもうちょっとやりたいんですが、
もうやるべきことやっていることが多すぎて困っています。

三森は one of them です。
私は私の道を収斂させます。そのためには貪欲に取り込みたいと思います。
三森、一般意味論、社会構成主義、系譜学、認知科学などがその中心であることは
間違いありません。テキスト分析って実は理論じゃーないんですね。ただ、
テキストを分析するっていうことを言ってるだけ。

「私のうちではねー、犬を飼ってるのよ」

っていう意味はコンテキストが明白であっても伝わらないんだという
慎重な態度が一般意味論から示唆されるところです。
犬嫌いな人には伝わり方が異なる。

スキーマ理論にも関連してきます。

そんなレベルではないんだよ。そういう声はよく聞きます。
教える以前に学ばない姿勢を正当化してしまっているだけだと思うんです。

何か、具体的な話題を提供してください。お願いします。

675 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 00:32:06 ID:/7O6tRLw
>>673
うんうん、そのような・・アウシュビッツのような、通り魔のような・・他者を
許容するような原理主義的な他者論もあるな。

でも、オイラは違うんだよ。他者を抑圧する他者さえも認めろという
原理主義は困る。

何でも自由、何でも個性と同様、味噌糞ということでんがな。
アンタの反論における他者論とはこのレベル。

ただね、原理的には「あり」なんだよ。そこは見逃してはいない。
例えば、上野は兵隊から見た都合のいい慰安婦も理論的には認めるんだ。
もちろん少々の留保をおきながら。

もうそんなことは自分の中ではとことん考えつくした。
オイラはなー、そのあたりはスパッとしてるんだ。

アウシュビッツにおいて、虐殺「される」多様性を原理的にでさえ認める
という立場には立たない。他者とは「教える ー 学ぶ」だ。

小学校に乱入して殺戮するものはそのシステム自体を破壊する存在だ。
実はそれらは他者を消す項として存在する。すなわち非対称を転倒させ
対称なものとしてしまうものだ。

原爆においてはすべての差異は消失してしまった。文字通り何もなくなった。
他者や外部は内部や自己を前提する。その逆もまた同時に保持する。
そのシステム自体(内部 ー 外部)のまだ外は要らない。
アウシュビッツは要らんのだよ。それがオイラの「立場」だ。理論だ。

お前はどういう「立場」だ。
何もないが、ただただ反駁したかっただけか?ま、それでもいい。
もうちょっと考えてから発言した方がいいと思う。
でもね、オイラにとっては基本のおさらいになった。だから感謝している。
皮肉じゃーないよ。こういう突っ込みは大歓迎だ。内容あるからね。
(他は駄文で全く意味なし)

676 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 00:36:22 ID:/7O6tRLw
クネクネ

嘘はいかんよ、嘘はw

>目を背けてきた

十分相手しているぞw
応答可能性としての責任は十分に果たしている。
何が不満なんだ?

目を背けてるのは オ マ エ !

677 :ダンスというより、暗黒舞踊:2007/07/10(火) 01:13:24 ID:myWSz7Ae
>他者を抑圧する他者さえも認めろという原理主義は困る。
お前はさ、ここの「認めろ」という言葉をどういう意味で使ってる?
俺は愛しろといってるんじゃないぜ。それはわかるな?
俺が言ってるのは、嘘ついてレッテル貼りをした上で、
「話にならんwww」なんてポーズをとるのは止せということだ。
それこそ「共同体による排除」と変わらん。

>アウシュビッツのような、通り魔のような・・他者
それは本当に「他者」か?
いいや、違うよ。「他者を抑圧する他者」には何でもありだとする
猫からはナチスも宅間もそんなに距離はない。
お前は、理屈さえつきゃガス室のスイッチを入れるよ。
そのとき、お前は「他者を抑圧する他者」なのさ。

お前に欠けているのは、その想像力だ。
その欠如は
>何もないが、ただただ反駁したかっただけか?
こういう一文に出ちゃうんだ。

678 :ダンスというより、暗黒舞踊:2007/07/10(火) 01:35:10 ID:myWSz7Ae
>676
いや、どっちかというと、小学校教師氏がわざわざ相手してんだよ。


679 :おっさん:2007/07/10(火) 05:28:41 ID:hUcv1Arb
>変身のツールとして考慮すべきものとして、例えば「思考と行動における言語」
(ハヤカワ、岩波)があります。ここでも何度か言及していますが反応がないのが
残念です。その一般意味論の実践への適用では井上尚美がいます。
ただ、私も彼女の著作は一冊しか読んでいません。もっと、勉強したいと思っています。

井上尚美(しょうび)さんは男性ではないかと思います。
何冊か読みましたが、ずっとそのように思っていました。

以下、小学校国語に携わるものには常識的なことでご存知かと思いますが、
小学校国語のローカルな話のような気もしますので、ご紹介しておきます。

井上さんもコミットしていた民間の研究団体に「児童言語研究会」(児言研)があります。
そのリーダーが大久保忠利さんで、『思考と行動における言語』を翻訳した言語学者です。
(児言研の基礎理論は、パブロフの第二信号系理論のようですが)

児言研は戦後間もなく誕生した団体で、「一読総合法」で有名です。
これは、長らく国語教育の読みの方法として支配的だった解釈学に基づく「三読法」を否定するものです。
時枝誠記もこれを支持しました。

児言研では、「一読総合法」以外にも多くの提案をしています。
当時、黙読重視だった中、「表現読み」としての音読について提案しています。
小学校教師だった荒木茂さんが実に多くの著作、テープなどを発表しています。
HP「音読・朗読・表現よみの学校」http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/

また、とても早い時期に「話しことば」の教育を思考力育成と関連づけ
その重要性を提起していました。
昭和40年代からディベートを授業実践していたと思います。

小松善之助さんという人も中核的なメンバーで、理論的な実践家です。
読み(文学・説明文ともに)、文法等の言語指導、教材分析、授業論など
多岐にわたって著作を発表しています。

児言研の著作をそれほど読んでいるわけではなにのですが、
僕の読んだ授業報告などからは、実践の蓄積による熟成度の高さが感じられました。
教材分析などは文芸研の西郷理論や分析批評にお世話になりますが、
授業実践、特に低学年の授業では、児言研の実践にとてもお世話になっています。

僕は、教師になってから、
様々な理論、研究団体、実践家から自分が納得できるものを取り入れています。
様々と言っても、極めて狭い範囲のローカルなものだと思います。
しかも、つまみ食いです。
児言研については、基本的な理論はピンとこないのですが、読みの方法のひとつとして、
またその実践は大変参考になりました。

680 :おっさん:2007/07/10(火) 06:25:22 ID:hUcv1Arb
>向山や西郷の実践も実は西洋の論理に他ならないんですよね。
ただ、中途半端だということです。かなりお粗末な部分もあるようです。論理という点に
おいて。いい加減なパッチワークが困るんです。やるんだったら徹底するということです。
そのような負荷において日本語の限界が見えると同時に意義ある変容が期待できる
と考えています。

僕自身は上に述べたようにパッチワークです。
自分の納得できるもの、とは思っているのですが。
徹底化というよりも、実践化という視点の方が強いような気がします。
「いい加減」です。「いい・加減」になるといいのですが。
向山も悪くはなかったんですよ。
今も過去の良質な部分は学ぶべきものがあると思います。
でも、結局向山は運動論(だけ)の人だったんだなぁ、と思います。
法則化は、エイズ問題や環境問題などに、教育界では先駆けて着目しましたが、
それは、児言研が世間的な流行に関係なく
自らの理論的な立場から音声言語に着目したのとはわけが違います。

西郷さんの文芸理論はほんとうはちょっとすごいんじゃないかな、と思っています。
ソビエト出自の理論らしいのですが、基本的には三浦らのように在野の理論家なんだと思います。
こうした人の理論は、アカデミックな連中がよくやるように簡単にバカにできるでしょう。
しかし、流行に敏感で泡のように消えていくのが、
日本のアカデミックな立場からマスメディアに流される言説ではないでしょうか。

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 06:46:57 ID:65ZVEhGF
猫へ

 感情の表現のあり方もコードだし、共感するために何を読み取るのかということも文化的なコードだよ。
貨幣に価値を見出すこともコードであるな。行為を引き出すために、作られた規則=コードなのだからな。

 ことばの世界でいえば、時候の挨拶なんかはものの見事にコードだろ。あれは論理的かね。

 慣習というものをまったくコードに入れない気かい?ことばそのものは、その慣習によって成り立っている
はずだよね。

 コードについてはこれ以上の説明は必要としないだろ。ヴィトゲンシュタインの言語ゲームという概念にお
けるルールともきちんと呼応してるしね。

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 06:51:46 ID:65ZVEhGF
ママンへ

 まじめにねえ、本当に大学出てるわけ?仮名というのはひらがな、カタカナ、万葉仮名などの日本語における
表音文字の総称だよ。

 表意文字である漢字(真名)に対して表音文字である仮名なんだよ。

 わしは国語業界じゃこんなの常識だと思ってたよ。っていうか教育課程をとった人間なら国語科概論で習うあたり
前のことなんだよ。文学科じゃまったくやらないのに、教員免許…取れないって…え。本当にどんな大学出てるんだ?

 卒論で必死こいて勉強したことだけしか頭に残ってないのか?だからテキスト論とか…。
 そんな最高学府いらないし、そんな生徒は最高学府へ行くんじゃない。再生産による○の拡大のようだよ。

683 :おっさん:2007/07/10(火) 06:59:07 ID:hUcv1Arb
例えば、かつて夢中になった柄谷の本は、今も読めるかぁと思ってしまいます。
読んだ当時は、内容を理解することよりも、
時代の閉塞感を切り裂くような文体のテンションにまいったのかもしれません。
とりあえず、今自分が思い出せる内容が多少なりとも自分の血肉になったものと考えています。

「外部性」というのも当時はわくわくしました。
『隠喩としての建築』は、思考の限界としての形式化の徹底ということの意味を問うものだったと思います。
形式化の徹底の果てに見出される決定不能なもの、それは「外部」のひとつの極北の姿である、
と僕の記憶の中にはあります。
その後『探求』における「教える−学ぶ」関係の追求なども、おもしろくはあったのですが、
今ひとつピンときませんでした。

東浩之の『存在論的、郵便的』という本を読んで、
改めて柄谷の「徹底」や「外部」の追求の意味や、その不毛さについて知ったような気がしました。
その一方で、後期デリダがやってることは全然わけがわかりませんでしたが。
猫さんの「外部」とか「徹底」というのも、かつて流行語として知った以上には、
今の僕にピンとこないところがあります。
理解、知識の不足のせいかもしれないな、とは思うのですが。

「あ」さんの言う「言語ゲーム」とか「ブリコラージュ」とかも
僕自身は当時の流行語としてしかしりません。
ヴィトゲンシュタインもレヴィ・ストロースもその著作を読んだことがありません。
なんとなく「外部」とかおもしろかった当時よりも、
今のほうがおもしろそうな概念だとは思いますが、やはりピンとこないのが実感です。
ヴィトゲンシュタインやレヴィ・ストロースを実際に読むとピンと来るのかなぁ。


684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 07:11:09 ID:65ZVEhGF
おっさんさん
 その児童研の話はした。この人たちは自分に都合の悪いことは理解しないし、おぼえないので言わん方がいい。

 なにかとんでもない新しい崇高ななにかが新しい日本語であって、それが今ないということはこれまでの
取り組みが間違っていたのだという信仰にとりつかれているのです。

 昔は王の影響力が絶大であった。中国を作ったのは秦の始皇帝。シナというのは秦のことだし、チャイナ
というのも秦のこと。ことばから思想までまさに国家を作ったといっていい。でもその秦は一代で滅んだ。

 しかし、その後の中国王朝は結局、秦が成しおえたでっかい仕事があったからこそ統治が可能であった。

孔子は周へ帰れといったけれど、それは統治という面からは明らかに間違っていたんだ。

 そのようなとんでもない権力と権威がないかぎり、刷新というものは<意図を元に>行われない。
 技術の革新(イノベーション)によって行われる。日本語でいえば漢字(文字)という技術がまず、それだった
し、その後の仮名(表音文字)もそうだった。その後は、言語使用のモードの刷新によって、音の変更がさまざ
まに行われてきた。昭和に入れば字の簡略化=略字の正当化がなされた。その際に、本かな使いが否定され
た。それは上からだけでなく下からも使いやすさという点で大いに支持されたのだ。

 日本人は<論理的な説明>というものを求めていない。なぜなら、日本語でそれをやると加法の表現になって
いく。説明するものばかりがいっぱい話すのだ。(なにしろ定義をし、効用を話し…反証不可能性へと追い込んで
いくことが日本語における論理的説明なのだ。論破?)日本語はやり取りが前提になっている。基本的に口語が
中心なのだ。

 「おーい お茶」の世界が標準なのである。

 日本語による<論理的な説明>は引き算でなければならない。相手が、それってこういうことと、こちらが言い
たいを相手がいってくれるように説明するのだ。(この方法がグローバルに通用するかはまた別の問題。)

 店頭実演販売員の言語分析こそ、それに近いだろう。

 猫たちはそういう現実がわかってない。(だから常に文献を持ってきたりして足し算しまくる。)
 大事なのは足し算ではなく引き算なのだ。

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 07:19:58 ID:65ZVEhGF
 というか教える現場にいれば、どう相手に言わせるか、思わず反応させるかというのは
授業の技術として、常に考えていることだと思う。

 正解を教えるんじゃない。正解に気づかせる。引き出すこと。

 真理を言えば世の中が変わると思ってしまう「真理病」になってはいけない。
 真理をどう共有するか、そもそも共有を考えれば、真理なんてものはどこにでも転がって
いるものでテーゼにすぎないものだということがわかる。

 テーゼもアンチテーゼも真理なのである。

 ママンも猫も教育者としては失格であるよ。一から修行し直した方がいい。
猫は教育業界でやってくつもりは無いと思われるので、早く足を洗うこと。
自分のためにも、生徒のためにも。

 できれば筆で生活しようとした方がいいだろう。そうすれば売文という意味が
わかる。

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 07:24:22 ID:65ZVEhGF
あ 技術革新で忘れてた。

 木版から活字への転換。ワープロの発明。キーボードによる日本語文の作成。メールの普及。
HPの一般化。インターネットのメディア化。

 つまりこの状況が日本語の論理化なんて課題を生み出しているにすぎない。
でも英語でHPを作る人は日本人は少ないしこれからも多くはならないだろう。

 英語圏の人間を相手にしていないから。あらかじめ選別された他者。

687 :おっさん:2007/07/10(火) 07:42:08 ID:hUcv1Arb
>その児童研の話はした。この人たちは自分に都合の悪いことは理解しないし、おぼえないので言わん方がいい。

研究団体同士の政治は興味がありません。
団体内部では、向山も西郷も大久保も神のようです。
かつて西郷が低俗な法則化批判をしていました。
法則化の有力者の一人が「もう文芸研は読まない」と言っていました。
向山は向山で、ソ連崩壊に対して西郷にこれまでの理論の責任をとれ、
みたいなことを言っていました。
やれやれです。

僕は、おもしろいものはおもしろいという立場です。
向山でも、西郷でも、児言研でも、読み研でも、
できるだけ読みたいと思いますし、
理論や実践でおもしろいと思ったら、また自分で納得できるならば、
その話はしようと思います。

「パッチワーク」(「ブリコラージュ」でも)でいいと思っています。
左翼三浦は、時枝はもちろん、国粋主義者山田も、その学問は評価しています。
パブロフの第2信号系なんていうのはソ連製です。
そうした理論に基づく国語教育理論が一般意味論へも結びついているのです。

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 18:06:54 ID:65ZVEhGF
>>687
おっさんさん。ええわしもそう思います。

 なぜなら、対象そのものが別のコードで動いている人間そのものだから、
そのつど中間コードのようなものを作り出して移行をはからなてはいけない。

 理科であれば素朴理論から一般理論への移行とかいえるんでしょうけどね。
 国語の場合はそうはいえないですからね。

 だからブリコラージュにならざるおえない。

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 18:12:27 ID:65ZVEhGF
>>666

 話がずれてる。(またかとほほほ)
 わしは、庶民にまで文字が浸透していた例として万葉仮名を上げたのであって、万葉集の価値うんぬんを
いってるわけじゃない。

 宣長までもちだして何がいいたいのだ?君のことばを借りるならトンチキスペック?

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 18:32:43 ID:seezCT7O


とは全く似ていない

おっさん

691 :おっさん:2007/07/10(火) 20:16:27 ID:hUcv1Arb
>684
個々に論点とともに全体の論旨もなかなか理解できません。

とても大きな話なので、一部をかんがえてみます。
>そのようなとんでもない権力と権威がないかぎり、刷新というものは<意図を元に>行われない。
 技術の革新(イノベーション)によって行われる。日本語でいえば漢字(文字)という技術がまず、それだった
し、その後の仮名(表音文字)もそうだった。その後は、言語使用のモードの刷新によって、音の変更がさまざ
まに行われてきた。昭和に入れば字の簡略化=略字の正当化がなされた。その際に、本かな使いが否定され
た。それは上からだけでなく下からも使いやすさという点で大いに支持されたのだ。

>本かな使いが否定された。
この文に対応する歴史的事実は、戦後間もなくの政府が示した「現代かなづかい」のことでしょうか。
これ以後、確かに「歴史的仮名遣い」は一部の人たちが使うだけになり、大いに普及しました。
(それ以前にも仮名遣いに関して同様のことを主張した者はたくさんいましたが、
 上のような影響力はなかったと思います。)
これは政府が行った「意図的な」文字改革(イノベーション?)で、
現在振り返ってみると非常に効力があったと言えるでしょう。
しかし、戦後間もなくの政府が「とんでもない権力と権威」だったとは思えません。
また、こうした政策的なものではなく、言語は通時的に変容していきます。
しかし、そうした変化は、確かにある特定の人格などによる「意図的」なものではなく、
集団による「無意図的」なものだと思います。
その変化は、「技術の革新」「言語使用のモードの刷新」によってなされた、と言えるでしょうか?
変化した結果から、過去と比べ「技術の革新」「言語使用のモードの刷新」がなされた、
と言えるのではないでしょうか?

社会・文化の変容の要因は、権力と技術革新とで十分なのでしょうか?
また、両者は二者択一的なものなのでしょうか?
上の国家・社会の問題と言語の変化の問題は直結できるのでしょうか?
僕には無理があると思えますが。




692 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/10(火) 20:43:38 ID:DSutAL32
>>670
むむ、意味論ですか。
私は勉強したことがないので直接的なバトルはできねーと思います。
今のところ意味論にはおじちゃんしか反応していないんじゃないかな。
お二人が議論を進めてくれれば私も勉強になるのでうれしいのだけれど。


693 :ママン ◆mn0Cwuovio :2007/07/10(火) 20:47:44 ID:DSutAL32
>>684
足し算引き算なんて言われてもわけわからんよ。


694 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 21:03:53 ID:/7O6tRLw
おっちゃん

最初に誤解を解いておきます。
私がパッチワークとするのは味噌糞とほぼ同義です。なんでもかんでも一緒くたに
するのは困るというだけのことです。その原因は一つ一つを(それなりの程度であれ)
丁寧に理解しようという態度がないことにあると考えます。結果として、理解しているか
どうかの問題というより態度=心的枠組みの問題だということです。

あなたは実践にとっていいものは何でも取り入れるということを主張されています。
私も同様のことを主張し、かつそのような姿勢を持っているつもりです。従って、宗派や
教義、そして信仰なんて実にくだらんことだと思っています。

さて、あなたが実践において役立つと判断する「もの」は何でしょうか。
基準や価値観、あるいは考え方などと言ってもいいかもしれません。
全体を俯瞰する視座を持っておられると思うんですよ。もちろん、それは意識的な
ものではないかもしれません。しかし、何かあるはずだと思うんです。

私は「そこ」を問うているつもりです。
とにかく目に付いたものに機械的に次々と飛びつくというわけではないでしょ。
あなたに取捨選択させるものは何でしょうか。

そこを見過ごして、単に結果のバリエーションにだけ目を奪われるのはあきません。

バイキング料理。あなたが選ぶものは何か、それと同時にそれをあなたに強いるものに
強い関心があります。順番に最初から皿一杯に盛る。とにかく食べまくる。そんな阿呆は
要らんのですよ。

選択を問うています。それは結果から事後的に基準とかを見出すようなものかもしれません。
それでもいいと思います。というか、そんなものだと思います。

選ぶ「おっちゃん」を問うています。

695 :おっさん:2007/07/10(火) 21:24:50 ID:hUcv1Arb
>日本人は<論理的な説明>というものを求めていない。なぜなら、日本語でそれをやると加法の表現になって
いく。説明するものばかりがいっぱい話すのだ。(なにしろ定義をし、効用を話し…反証不可能性へと追い込んで
いくことが日本語における論理的説明なのだ。論破?)日本語はやり取りが前提になっている。基本的に口語が
中心なのだ。
 「おーい お茶」の世界が標準なのである。
 日本語による<論理的な説明>は引き算でなければならない。相手が、それってこういうことと、こちらが言い
たいを相手がいってくれるように説明するのだ。(この方法がグローバルに通用するかはまた別の問題。)

ここもおもしろそうなのですが、理解できません。一応先ほどの話から話題は転換したと考えます。

「日本人は<論理的な説明>というものを求めていない。」
一般的にそうした傾向がある、とは言えるかもしれませんね。
「なぜなら、日本語でそれをやると加法の表現になっていく。」
ここがわかりません。
日本語で<論理的な説明>をすると加法の表現になるから、人々はそれを求めないのですか?
日常生活において<論理的な説明>を必要としない社会的・文化的な要因があるのでは。
また、他の言語では、<論理的な説明>で加法的な表現にはならないのですか?
「定義をし、効用を話し…反証不可能性へと追い込んでいくこと」、
これは、<論理的な説明(?)>の在り方のひとつかもしれませんが、
日本語だからこうしたあり方になるということではないと思います。
言語の在り方とは別な思考とか論駁の仕方とかの問題だと思います。
そうした思考の仕方や論駁の仕方は、欧米的であり、だから日本人になかなかなじめない、
これなら一応わかります。

「おーい、お茶」的な会話で日本人の日常は成り立っている、
これは、<論理的な説明>を求めない傾向にある日本人の会話として一応認わかります。
「日本語はやり取りが前提になっている。基本的に口語が中心なのだ。」
会話が基本ということでしょうか?
会話が基本だから「おーい、お茶」的な非論理的な会話になる、といこと?
プラトンの対話篇で描かれたソクラテスを思い出してしまいます。
会話によって極めて論理的なやり取りをしていますよね。
また会話や口語(?)が基本ということも他言語に比べた日本語の特徴だと言えるのか、疑問です。
柄谷の「聞く−話す」モデルの批判、デリダなどの音声言語中心主義批判、前にあげられていた「言語ゲーム」、
そんなことを思い出し欧米の言語もそうじゃないのかと思ったりもします。
これは僕自身よく理解できていないことなので確証はありませんが。

「日本語による<論理的な説明>は引き算でなければならない。」
ここがわからない。
日本語による<論理的な説明>が足し算になるのに引き算にしてしまったら、
「おーい、お茶」になってしまって<論理的な説明>にならないのでは。
日本人は<論理的な説明>を求めていないのだから、足し算的な言語使用はやめて、
引き算的な<非論理的な会話>を行うべきだ。
こう主張するならば、賛成はできないけれど、わかります。

「相手が、それってこういうことと、こちらが言いたいを相手がいってくれるように説明するのだ。」
全てを言わずに相手の反応を引き出すということでしょうか。
そうした意味で「引き算」的なのでしょうか。
会話の技法として、そうしたことはありかなと思います。
しかし、それがただちに日本語における望ましい<論理的な説明>になるというのは飛躍しています。
また、会話の技法としても、日本語だからということではないと思います。
日本的な対人関係という媒介項を入れて説明するとつながるかもしれません。

で、結局「あ」さんの立場として、<論理的な説明>が必要だと考えるのかどうか、
そこもはっきりしません。

「足し算的」「引き算的」という発想は、おもしろそうです。
日本語という言語レベルと日本的な対人関係や文化のレベル、
思考と表現、論理と会話など観点を整理し、ていねいに論を作っていくと
おもしろいのかもしれません。


696 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 21:29:29 ID:/7O6tRLw
>>679 おっちゃん
井上さんは男でしたか。そうかなっと思ったこともあるんですが、何かのときに
女性かなと思いました。

「児童言語研究会」(児言研)ですか、聞いたことはありますがそれだけです。
例えば、私はコージブスキーの弟子であるハヤカワの”実践”に興味あるんであって、それが
ある宗派の教義となっているかどうかはくだらんことだと思っています。

言葉に反応する過程をブラックボックスだとしてないで、自覚的に視覚化するような
訓練が必要だということだと思います。パブロフの犬はそのヨダレの過程へ遡行できません。
しかし、我々人間も放置しておくと、犬同様な反応で終了する危険性の理論的基礎が
パブロフからコージブスキーを経由して一般意味論にはあるんでしょう。

そのような自動化された神経系を違和し、自明性を疑い、自然さに酔えない頭を説いている。
それは一方では、ここで馬鹿が垂れているような自明性を絶対視するような考え方を撃っている。

パブロフの『第二』とは、その社会性・歴史性という点で犬とは異なっているということですね。
犬においての遡行が可能だとして、結果は本能だけになるんでしょう。第一とはそういうこと。
しかし、言葉はそうではないですよね。

社会性・歴史性を見出さなくてはいけません。「いけない」というのは重要です。
これは井上も断言していますが、私も同意します。その理由は次に要約されています。

「教育というものは、たしかに一面では現代社会において生きていくにはどうしたらよいかを
教えるのですが、同時にそれらは、子供たちがやがて活躍する未来を指向するものでなくては
なりません。ですから、単に現代社会によく『適応』する人間を目指すのではなく、よりよい
未来にするためにこの世の中を変えていこうとする意欲を持った人間を形成することを目標
としなければなりません。」(言語論理教育、p.254)

697 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 21:47:02 ID:/7O6tRLw
>>680
>僕自身は上に述べたようにパッチワークです。
>自分の納得できるもの、とは思っているのですが。
>徹底化というよりも、実践化という視点の方が強いような気がします。

その実践化とはまさしく理論的であります。そして徹底化でもあります。
あなたはバイキングで最初から順番に同じ分量だけ皿に取って食べる(実践する)
わけではないですよね。食べ放題だかといって、最初から満腹になるまで食べないはずです。

それから、あなたは誰かに料理を取ってきてもらう方ですか。

好きなものがコロコロ変りますか。
あるいは大好きなものだけ一つを満腹になるまで食べますか。

>西郷さんの文芸理論はほんとうはちょっとすごいんじゃないかな、と思っています。

そうですか。私も気に留めておきます。(ここで私の選別が入りました。)
私(の理論)は、あなたのこの発言を選びます。

>在野の理論家
>こうした人の理論は、アカデミックな連中がよくやるように簡単にバカにできるでしょう。
>しかし、流行に敏感で泡のように消えていくのが、
>日本のアカデミックな立場からマスメディアに流される言説ではないでしょうか。

これは偏見です。大きな誤りです。
国語学会あるいは国語教育界の問題です。そういうゴミ箱は、例えば三上章をシカトしてきました。
なぜなら、彼が数学者であったからです。しかも、「国語」のボスを批判した。
本多勝一や井上ひさしは早くから三上章に注目していました。次に三上を見出している
のはアカデミズムです。ただし、そのアカデミズムとは「反」国語という言語科学において
です。最近は新書選書でも三上らに言及した著書がたくさん出ています。

国語「教科書」の文法はどうでしょうか。

アカデミズムの問題ではありません。
国語には長い間アカデミズムが欠落していたからに他なりません。


698 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 22:04:19 ID:/7O6tRLw
>>683 おっちゃん
私は柄谷を読んだのは彼が知的な空間でヘゲモニーを握っていたとか、論壇文壇の
天皇だとか、そんな評からです。読む前に真価や好悪は分かりませんからね。

柄谷、だけでなく浅田やその他いろいろ、そういうものの恩恵は今感じています。
少なくとも、まだその装置で語られているとよく感じます。

>『隠喩としての建築』は、思考の限界としての形式化の徹底ということの意味を問うものだったと思います。
>形式化の徹底の果てに見出される決定不能なもの、それは「外部」のひとつの極北の姿である、
>と僕の記憶の中にはあります。

私の方法論的モチーフはここに大きく影響されています。
論理の外部として感性やら情緒は見出されるはずだし、それでなければならない。

最初からバランスだとか、そういうのん気なことを言ってるから困るんです。
一度見出した者しかバランスは言えません。また、見出し方も重要です。
結果の注入ではなく、方法論の伝授もまた重要なことですからね。

>その不毛さについて知ったような気がしました。

最初に不毛さは到来しません。
また、果てにくる不毛さとは他の何か豊穣なものを見出していることが同時に
あるはずです。

おっちゃんが到達した時点から子どもは始めることがいいのでしょうか。
またそこから始めて到達するものでしょうか。

699 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 22:11:58 ID:/7O6tRLw
おっちゃん

「世界共和国へ」(柄谷、岩波新書)

柄谷は 転回 しましたね。御存知だと思いますが。
彼は積極的に構築しています。NAMとか失敗もいろいろありますが、
彼がそれでも建築することを意図することに注視したいものです。

あなたは、柄谷以前に回帰するようなことを示唆されました。
柄谷は随分前に建築しています。もちろん、彼の建築を自壊させるのは
たやすいことです。それを一番良く知っているのは柄谷自身です。
彼は自壊の理論的可能性ではなく、建築の現実的蓋然性(!w)を選んで
います。

上掲書の帯には
「私たちの進む道はここにある!」wwww

柄谷は十分戻っていますよ。
もちろん、おっちゃん自身が指向した意味において。

私は、まだ戻れません。
まだずっと後ろを歩いていますから。

700 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 22:18:10 ID:/7O6tRLw
おっちゃんは私のかなり前を歩いているのかもしれません。
そういう気が強くします。でも、アカデミズムは既にそういう方向です。

「社会構成/構築主義」

そのためにはまず自壊から始めないといけません。
国語とは戻ったものではないのです。
構築のためにはまず更地へ。。


ポストモダン

モダンを経ていない日本は、そのまんまポストだと錯覚する。
そのまんま現代の建築だと曲解する愚かさ。味噌糞・・

おっちゃんが歩んだ軌跡
それを国語も歩かせてください。そういうことです。

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 22:57:55 ID:8rs9+BFH
>>696->>700
尾っぽを振ること、尾っぽを振ること。
見苦しい極み。
おっさんもいずれあきれて逃げ出すよ。
みんなそうして居なくなった。

702 :おっさん:2007/07/10(火) 22:59:37 ID:hUcv1Arb
>694
「パッチワーク」については、態度へのけなし言葉であることは了解していました。
しかし、方法としてはそれでいい、ということでした。
自分の納得できるもの、ということで。

で、自分に納得できる、その基準ですね。
ちょっと考えてみます。

前に書いたのですが、例えば平仮名がどうしても読めない子が入ってきます。
たぶんLDの疑いあり、という子でした。
描いた絵など見ると非常に高度なのですが、平仮名が読めるようにならない。
普通に教え、ほとんどの子は読めるようになります。
この普通が成り立つのは、柄谷の言う「話す−聞く」関係が成立しているからでしょう。
しかし、その子には普通では全く歯が立たない。
これは、僕が顕著に出会った、柄谷の言う「教える−学ぶ」関係だと思います。
(普通の中にも本当はあるのでしょうが)
ここで、「外部」だ、「他者」だ、と言ってすますわけにはいきません。
あの手この手で教えるのです。
ああ音節分解ができないのだ、とわかります。
その時、僕にとっても「音節分解」ということの意味の理解がかわります。
それならば、と様々な方法を考えます。あちこち情報を探します。
失敗の連続です。それでも自分の手持ちの知識も指導法は増えていきます。
そして、読めるときが来るのです。(来ないときももちろんあります。)
どうして読めるようになったのか、本当はよくわからないのです。
しかし、僕は何かを経験したことは確かです。
柄谷の論は極限の論理だと思います。
だから現実のどこにでもあることだけれど、現実のどこにもないことでもあります。
その子と僕は会話しながら、平仮名を教えるのです。
共有したコードをたくさんもっているのです。
そうした現実の中で「教える−学ぶ」関係にあります。
そんな「教える−学ぶ」関係を成立させる何か、これを求めているのかもしれません。

703 :おっさん:2007/07/10(火) 23:00:25 ID:hUcv1Arb
別の観点から考えて見ます。
僕は、次のような仕事がしたいと思っています。

「言葉に反応する子」を育てたいと思います。
・言葉に触発される子です。
 教師の命令とかによってではなく、作品の言葉に触れ動かされる子です。
・言葉によって感じ、想像し、考える子です。
 思考は重視しますが、全的な反応を求めたいと思います。
 茂木の「クオリア」が気になると以前書いたのもそのためです。
・自分の感じたこと、想像したこと、考えたことを表現する子です。
・他と交流し、自らの反応を豊かにする子です。

ここ2年ほど担任していないのですが、その前は4年ほど低学年を持っていました。
低学年の子が言葉に触発されるためには、基礎体力的なことばの力が必要です。
すらすら音読できるやすらすら書ける、人前で話せる聞こうとする、こうした力が必要です。
そうした基礎体力的な力の上に、運動能力的な力をつけなければなりません。
前に書いた「要約力」の前提になる力なんかそうしたものです。
また、作品への「書き込み」をさせます。その活動の中で、様々な反応の仕方を教えていきます。
表現的な音読や話し合いの仕方も教えます。
ほかにもありますが、とりあえずこれくらいで。
さらにゲームする力をつけてやりたいと思います。
学習したことを表現する場をつくります。

こうした仕事に役に立つものを求めているような気がします。
日本語や言語についての自分自身の理解を深め考えを確かにするもの。
教材の分析に役に立つもの。
子供たちの能力を考え学習活動を組織するために役に立つもの。
指導の具体的な方法を考える上で役に立つもの。
こうしたものでしょうか。

704 :おっさん:2007/07/10(火) 23:01:11 ID:hUcv1Arb
アカデミズムに対する偏見・・・ああ、これはコンプレックスですね。

>国語「教科書」の文法はどうでしょうか。
アカデミズムの欠落の例としてあげているのでしょうか?
橋本文法があり、山田文法があり、時枝文法があり・・・程度の知識しかありません。
時枝の「国語学原論」は読みました。
そして、僕には、三浦がおもしろいのです。
橋本の「駒のいななき」を青空文庫で読んでおもしろいな、と思って程度ですね。
三上さん「象は鼻が長い」というフレーズしか知らないかな。
まったくアカデミックではないですね。
現代の文法で、橋本らとは全く違ったまとまった体系というのはあるのですか?

今や柄谷は天皇なんですかぁ。
僕が読み始めた頃はむしろちんぴらに近かったような気がします。
かっこよかったですよ。
蓮実は詐欺師みたいでしたし。
「探求」以後は全然読んでいませんね。

705 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 23:08:06 ID:/7O6tRLw
一つ重要なことを忘れていました、おっちゃん。

>左翼三浦は、時枝はもちろん、国粋主義者山田も、その学問は評価しています。

ハイデガーの仕事は評価するべきものはある。しかし、同時に彼の理論の本質には
ナチズムと交錯するべき部分はあるんですね。(と、柄谷からのパクリw)
山田の仕事に見るべきものがあったとしても、山田全体や他の部分の評価は基本的に
別です。

ニュートンは実は錬金術とかトンデモの論文の方が多い。
だからといって、彼の仕事のすべてが否定されません。
同時に万有引力の法則のように錬金術を評価できないわけです。

ま、それだけのことです。
同様な常識を「あ」の馬鹿にも適用することを提案します。

もちろん、あなたが彼をどう評価するのかも大きな関心事です。

「あ」の馬鹿は錬金術は当時の科学とかなんとか言うでしょうが。

それと、私に対しても遠まわしなことは無用です。
遠慮なくドンドン言ってください。あなたが理解できないのは、あなたの理解力や
無知のせいではなく、私に原因がある場合が多いと思います。そう感じたら、道徳なしに
そう発言していただけることを切に希望します。

706 : ◆yk/JpL/Z9U :2007/07/10(火) 23:25:20 ID:/7O6tRLw
おっちゃん

柄谷の初期、「隠喩・・」「内省と遡行」あたりで評価はそういうものだったと
思います。宝島の現代思想入門(?)で触れてあって、そうなんだと思いました。
なお、「探求」以降をぜひお読みください。

「他者」とは向き合うことでしか到来しないと思います。
だから、「教えるー学ぶ」なのですね。単に異物とかそういうことではないという
意味を私は受け取りました。
交通が訪れても、やはりまだ「他者」としての理論的可能性があると思います。
柄谷のモデルはその可能性を表しているんではないでしょうか。

「教えるー学ぶ」という社会的役割が他者の到来だとも言えます。
従って、教えようとしない人間には他者はいない。おっちゃんの遭遇した、その子も
そういう意味において他者だったわけです。

関係性ということ。それ自体の問題ではないということ。そう思います。

>次のような仕事

方法(論)の伝授を重視するんですね、安心しました。やっぱりとも。
「力」とは学べる力です。


詐欺師蓮實は、実は大ボスになる予兆はありましたよ。
個人的には彼は大ボスになってからの方がいい仕事をした思います。
「反=日本語論」でもその萌芽は見えます。彼は実に論理的です。
彼はそこにおいて感性やらをすくいだします。

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 23:28:18 ID:8rs9+BFH
>>705
まるで、薄氷の上で得意げに下手なダンスを踊っているようで、こっちがハラハラする。
それから、自惚れるな。

私も、おっさんが、あさんをどう評価するか興味があります。

708 :おっさん:2007/07/10(火) 23:57:41 ID:hUcv1Arb
蓮実と吉本の対談があるんですが、
吉本が蓮実の評論を胡散臭がるんです。
蓮実は、それに対して言うんですよね。
志賀や漱石を評論するのは本意ではなく、フローベールこそ自分の本当の仕事なんだ。
自分のフローベール研究を語り合えるのは世界で数人しかいない。
いつかその仕事を見てくれ。
そんなことを言ってたように思います。
蓮実のフローベール研究をわくわくして期待したのですが、
いつになっても出ないんですよね。
アカデミックな場では出たのかもしれませんが。

僕は、本当に理解していないと思うんです。
読んでてわかったという気のなりません。
でも、文体に慣れてきて、心地よくなってくると読めるんですね。
で、何を理解してたのかというと、自分でもよくわかりません。
最近は、廣松渉を読んでいます。
昔は退屈で読めなかったのですが、最近ちょっと快感なんです。
それでいて基本的な「対自」とか「即自」とかまだピンときません。
「向自」なんてのも出てきてなんじゃいな、と思いながら読んでいます。
茂木の「クオリア」に近い概念も廣松にはあります。
それもさきほどと関連して廣松を読む動機になっています。
30年前、構築する廣松はかっこ悪かったんですよね。
でも、今、それに惹かれているかもしれません。
猫さんの柄谷的な言説は昔馴染んだって感じなんですよね。
驚きはないんです。
ただ柄谷的な言説によって、何を見つめているのかは、よくわかりません。
興味があります。
また、僕よりずっと勉強しているみたいなので、
今の自分の位置を知るため、無知を補うため、とてもためになる気がします。

「あ」さん、おもしろいです。
僕にとっては腰が抜けるようなことを言ってくれます。
「他者」かもしれません。
つかもうとしてもなかなかつかめません。
一度「あ」的言説に正対してみようと思い、先ほどようなレスをしました。
小さな密度の濃い論を読んでみたいな、と思います。

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 00:12:16 ID:MQ4ADHKI
比例区は『おすし』と書いて投票しよう
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1183859979/l50

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 00:40:52 ID:+jvuYSCg
◆yk/JpL/Z9U の度々の「『あ』の馬鹿」との言い方をどう評価しますか。
是非、お聞きしたいです。

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 00:41:55 ID:+jvuYSCg
>>710は、おっさんへの質問です。

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 04:38:21 ID:HDIQAtXu
おっさんさんへ 

 道順の説明でいえば
「ここは○○です。左の道を300メートル進むと酒屋さんがあります。○○商店です。そこの角を右へ折れて
100メートル行くと大きな通りへ出ます。○○通りです。その通りを左に向かってまっすぐ進めばありますよ。」
という説明よりも
「左へ行って、○○商店で右に回って、○○通りに出て左まっすぐ」の方が<わかりやすい>ということです。

 日本人は論理的よりも合理的な説明を求めているといいなおした方がわかりやすいでしょうか。

行き方をわかりやすく知りたいというニーズに対して、行き方を正確に教えるサービスは非合理的です。

 「おーいお茶」という言説はその合理的なのです。論理的ではなくて。

 日本では論理的とはへたをすると、反論を許さないほど正確という意味になってしまいます。
本来は一貫した内容を、根拠を示して(つまり筋道)表現する。ぐらいのことなはずなのに。
そして、そのような筋道を使って表現するということは、形式論理に準拠することになります。

 ところが日常的思考としての形式論理というものが日本語には根付いていない。
その代わり合理的な考え方というものは根付いています。(日本人は非合理的だなんていう
話もあったけど、あれは大間違い。人のところを少し掃除しておくというのは実は社会的なニーズに対して
のとてもすぐれた解であった。その非合理的というの実は「非個人主義的」ということだったのだ。)

 日本人が説明に接する態度は、面白いか、役に立つかという態度なのです。説明とは、面白くするもの。
説明とは役に立つもの。というのが日本における説明の位置なのです。

 そこに、形式論理的な語りは必要でしょうか。そうであればあるほど、非合理になるのではないでしょうか。
受けてにとっては余計な情報がたくさんついてくる長い話になる傾向が出てきます。

 ですから、相手のニーズに応じて端的に話すということが必要になります。論理的であるよりは合理的で
ある方を優先しなければなりません。

 その上で説明というものが相手に納得させるという目的で行うなら、「相手に推論してもらうように」話すこと
がベストということになります。端的に結論を示しても「ああ、そう」なら合理的ではあるが、効果のない説明に
なってしまいます。

 私は、以上の点をもって説明というものは合理的であればよい。と考えます。

正しい説明というものを求められるとき初めて、論理的な説明の登場が合理的なのです。
そして、多くの入試問題で問われているのは<正しさ>だから<論理性>が問われているという、まさに合理的
な説明がなりたちます。

 入試の言語活動と日常の言語活動を直結するようなそんな非合理なことをしろという教師はどうかしています。

 大前提を失念しているとしか思えません。
 

 

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 04:56:21 ID:HDIQAtXu
 >>705
 科学という定義がないんだから錬金術師でいいんだよ。藁。

 第一科学という別称をなぜ求めたのかといえば、錬金術のような「うさんくさいもの」ではない。という主張=プロパガンダ
だ。

 錬金術だからだめなのだ、というのは科学以降の言説であって、当時は錬金術とは、実験というものを繰り返して、自然の
原理をつかみ、その原理に則って行動すれば、必ず、望んだ結果が得られるという信仰のことだった。

 考えるだけの錬金術というものは存在しない。術なのだから。自然の原理と考えるものがアナロジーだったり、精神論だ
ったりすることもあったからおかしいだけ。

 物はみな同じ物でできてるという直感は、結局今も続いてる。

 鉛を金に変えること。(なぜ鉛なのか、多くの人は知ってるだろうか?鉄でもいいじゃないとか藁。)の可能性は証明されて
いる。同時にそんなことをする非合理さも。

 つまり、錬金術という発想は実に科学的だったのだ。錬金術師たちのしでかしたことが作り出した社会的文脈こそが科学に
よって破棄されただけだよ。

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 05:00:22 ID:HDIQAtXu
あと補足。

 ブリコラージュ。
あり合わせの道具や材料で物を作ること。日曜大工。器用仕事。転じて、持ち合わせているもので、現状を切り抜けること。

◆英語のdo-it-yourselfにあたる。

なのでそこのところはあんまり意味を広げないでね。

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 05:04:24 ID:zSnGfuWp


   た だ い ま、 お っ さ ん 争 奪 戦

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 05:52:17 ID:jpLz7oOk
争奪 するのもされるのも
参加できない

奴もいる

717 :おっさん:2007/07/11(水) 06:16:23 ID:j9d+Ob/9
>710
かつて教室では必ず子供を「〜さん(くん)」と呼んでいました。
これは向山の影響です。
また、宇佐美寛の影響で、
論と人を区別し、論は批判しても人はしない、これを心がけていました。
かつては教条的にそうしていたのです。
今は、基本的にはそうしよう、くらいです。
ことばは、意図や状況、関係性などによって違ってくるものだと思います。
それらに無自覚にいつでも乱暴では困りますが、
それらを配慮して様々な言い方を使える、時には乱暴な言い方も使える、
その方がいいと今は思っています。

論文など、状況などに依存しない、影響されない、透明性の高いことばが必要なこともありますが、
ここは、そうしたことばに限定される場ではないと思います。

猫さんは、態度表明しているので、無自覚にそうしているのではなく、意図的なことなのでしょう。
それに対して不快に思う第3者がいることもきっと織り込み済みなのでしょう。
僕も、猫さん的な言い合いがスタンダードになっている場を経験したことがあります。
算数の研究者グループでしたが、相手を叩く、否定する、それがルールになっていました。
僕にはあんまり肌に合わないなと感じましたが、それはそれでおもしろい場でした。

二人のことはまだよくわからないのですが、
僕は不快というより漫才を見ているような気がします。
いくら猫さんでもいきなり「馬鹿」ではなかったと思います。
それが言えるだけの堅い絆が二人の長い歴史の中で築かれたのかな、なんて。

なんかいつも「足し算」的なレスになってしまっているような気がしますが、
答えになっているでしょうか。

712は、おもしろそうなので、じっくり考えさせてください。

「ブリコラージュ」について
僕の知識では、レヴィ・ストロースが近代的な「作る」思想に対比させた「野生の思考」だったと思います。
かつては近代的な知を批判、超克する文脈で使用される現代思想の流行語のひとつでした。
今では一般的な言葉になったのかもしれませんが、
僕にとっては、術語的な意味合いを脱色して安易に使うのがためらわれる言葉です。
やはりレヴィ・ストロースを踏まえないと使えないかなと思ってしまいます。
自分にはまだ使いこなせない言葉のような気がします。
僕には、「日曜大工」とイコールにはできません。
僕の頭の中にある概念のシステムと「あ」さんのそれとがずいぶん違うのかもしれません。
それで、僕は腰が抜けそうになってしまうのかな。


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