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ヒクソスから帰還した渡来人

1 :月光仮面:2008/03/07(金) 14:28:57
カラスク人等とされるバイカル湖周辺からアルタイ方面にBC4-3千年紀頃から展開して
いたモンゴロイド系を主体とするモンゴロイド、コーカソイド混合移動遊牧集団はアンドロー
ノヴォ文化圏に含まれるセイマ-トゥルビノ青銅器ホライゾン(この場合は線状に拡大する)
ステップ交易路を移動して、遠く黒海、コーカサス、そしてシリア、パレスチナ、エジプト
に入った。ヒクソスは約100年間エジプトを統治した後、パレスチナ、シリア、ミタンニを
経由して黄河上流に到着した。そのうちの多くは塞外の民となり、高句麗、百済、新羅
を経て古墳時代の日本に渡来人として入ってきた。彼らの数奇な遍歴は日本に多くの
神話、伝承をもたらし、それらとエジプト、ユダヤ、ギリシャの神話には多くの共通点が
ある。

2 :月光仮面:2008/03/07(金) 14:29:44
民俗学・文化人類学・神話学について話しましょう
板違いの話は荒らし!
神話などと関係なくゲームの話をする、あるいはオカルト、電波…
すべてふさわしい板で行いましょう。板違いのスレッドは削除対象です。
民族・地域の優劣の比較は禁止
それは学問ではありません。
荒らし、煽りは放置。
完全無視が効果的です。レスはつけないようにしましょう。
新規スレを立てる前に過去ログを検索してみましょう。スレッド一覧も忘れずに。
IEなら「編集」→「このページの検索」
よくみると似たような話題が過去に出ているかもしれません。
スレをたてるまでもない質問はここで聞いてみてください。

3 :天之御名無主:2008/03/08(土) 03:31:28
ヒクソス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B9
古代エジプト史の時代区分
http://www.toshima.ne.jp/~yufu/sub5-1.htm

よく知らないけれど、これはかなり雲をつかむような話・・・あるのかないのか。ないのかあるのか。

4 :月光仮面:2008/03/08(土) 15:29:26
ヒクソス王Auserra Apophis (別名 Apepi又はApophis)はテーベの王Seqenenre Tao (II)
に書状をしたため、テーベにおいては遊びとして河馬を銛で殺すが (ヒクソスの神Seth
は半身人、半身河馬であり、Sethを祀る)ヒクソス王としては、はるかに遠いAvarisにあ
りながらも、聖獣の断末魔の声が耳について夜も寝られぬ。テーベのよ、そのような遊
びはお止めになるようにお願いする。・・・と述べたのだが、過激な攘夷論でエジプト
世論をアジっていたテーベ王は「ヒクソス王はアヴァリスににおりながら、テーベの河馬
がうるさいので何とかするようにエジプトに命令を下した。国民よエジプトの怒りをヒクソス
に向け、吾に従ってヒクソスを倒せ」・・・恐ろしい話である。

5 :月光仮面:2008/03/08(土) 21:21:18
この頃の中東史を概観し・・・
西に進むとミタンニがこの大移動の西端であり、河川流域地方に入り込む既存の遊牧
民に圧力をかけ、その支配権を握り、そして、少なくともカッシイトとヒクソス等は下部の
文明社会のおかげで文化変容を遂げつつあった。つまり、BC2000年紀の初頭は古代
中東史においては格好の転換期である。それは各地の新石器時代に発生し(東方にお
いては)色んな程度の断絶もあり、又、(メソポタミアやエジプトにおいては)継続性のあ
る後続国家への変貌のしるしである。・・・とする見方もある。新石器・金石併用期時代
都市文明崩壊の時期であり、やがては中国にも類似の現象が起こる。

6 :月光仮面:2008/03/09(日) 13:12:22
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/Passing_of_the_Great_Race_-_Map_4.jpg
Madison Grantの1916年からの欧州人種、ノルディック-赤、アルプス-緑、地中海-黄色
の分布地図。
エジプトを撤退したヒクソスはモンゴロイド宗主国ヒッタイト(印欧語)の方面に帰還す
るが、エジプトの追撃を受け、カデシュの戦いが起きる。このときヒッタイト軍に付いた
勢力こそモンゴロイドであるカラスク人の末裔であろうが、この戦いでヒッタイト軍を
一時裏切るセム系アモル人は現代で言えばイラン系、この図で言えば地中海系で
あり、エジプト軍と血縁的には同族という苦しい関係にあったのであろう。ところがこの
イラン系はサカ(白人犬戎)として中国にも入ってきているようだ。


7 :月光仮面:2008/03/10(月) 16:11:48
ヒクソスに併行するツングース・エベンキ族グラスコフスカヤ文化
http://nature.baikal.ru/phs/norm/12507.jpg
この内容は↓
http://www58.tok2.com/ii/i.cgi?U=home%2Fhermitage%2Fmonster%2Fapophis.htm
日本では「装飾古墳の分布は、九州が圧倒的に多い。有明海沿岸から壱岐にかけての
北部九州に集中する。つぎに多いのは、東京湾入口の神奈川県と千葉県の沿岸部。
それから茨城県から宮城県の範囲に分布する。逆に、大規模な前方後円墳が存在
する近畿や岡山県(吉備)には、装飾古墳はあまりつくられていない。このことは装飾
古墳が、ある種の文化的衝撃を受けたことによってつくられたことを意味する。」
http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka3/b105.htm
装飾古墳<横穴古墳<飛鳥石舞台<支石墓<遼寧ドルメン<シリア・パレスチナドルメン
<黒海マイコープドルメン
これはヒクソス帰還渡来の物証の一つであろう。


8 :月光仮面:2008/03/10(月) 16:20:28
3200-3000 BCメソポタミア北部アナトリア東部「ウルク帝国」崩壊、クラーアラクセス
文化は拡大、イラン北部、アナトリア東部に南下、西コーカサスではドルメンとproto-Colchidean (Ochamchira)文化が発展を開始、マイコープ(Bamut stage) が初期ヤムナ
文化の拡散によって縮小、初期ヤムナ文化はウラル南部からドニエプルに到る
ステップ地帯に出現。
3000−2700BCクラアラクセス文化は最盛期に入る。ドルメン、プロトコルヒデ文化は
コーカサス西部の占拠を継続。
2200-2000BCドルメン、プロトコルヒデ文化はコーカサス西部に留まる。
http://www.ingushetiya.ru/history/book/photos/008.jpg
↓ユダヤ史観から脱皮すれば欧州巨石文化へのより正しい見方が出来る。
基本的にユダヤが存在しない時代のことだ。
http://www.britam.org/dolmen.html

9 :月光仮面:2008/03/10(月) 17:38:29
エジプトの碑文によればヒッタイトの主男神は Sutekh又はAtys、主女神はAntarataで、
これはバビロニアのIshtarと関係があり、彼女の夫は日神Tar又はTarku、キリキア、
リディアでは "Sandan"と呼んだといわれる。彼女は後にSutekhに取って代わり主神の
地位に登る。ヒッタイトには洪水伝説があり、主人公は"Sisythes"と言う。ヒッタイトは隠
れ家の都市を持っており、神聖な売春を行っていたと言う。日本、東南アジアにある歌垣http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3は彼らの言葉では「神聖な売春」と
なるのであろうか。

10 :月光仮面:2008/03/10(月) 17:53:21
売春婦は俗に世界最古の職業と言われるが、日本の遊女も古くから存在していた。
諸外国の神殿娼婦と同様、日本の遊女もかつては神社で巫女として神に仕えながら
歌や踊りを行っていたが、後に神社を去って諸国を漂泊し、宿場や港で歌や踊りをしな
がら一方で性も売る様になったものと思われる。一方で遊女と宮中の舞踊・音楽の教習
所である「内教坊」の「伎女」に なんらかの関連があると考える研究者もいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%A5%B3
こういう説が当たっているんかナー。



11 :月光仮面:2008/03/11(火) 12:52:25
>8
http://www.britam.org/picturesYair/dolmen/map.jpg
日本で言えば背振山系周辺の縄文人社会に楽浪方面の支石墓先進技術
集団が技術輸出し、反対給付に黒曜石等を得ていたようなことが行われて
いたのではにかと思う。錫とか、琥珀が狙いだったのだろうか。ユサヤ教とは関係
全くないと思うんだが。

12 :月光仮面:2008/03/11(火) 13:11:44
>7
【北京13日時事】古代エジプトの王が権威の象徴として使ったものとそっくりのつえの
頭部が中国西北部で相次いで発見され、その推定製造年代から「東西文明の接触が
始まったのは従来考えられていた時期よりはるかに早く、3000年前から5000年前に
さかのぼる」との説が中国の専門家の間で浮上している。
 13日付の中国紙チャイナ・デーリーによると、古代の東西交通路に当たる新疆ウイ
グル自治区、甘粛省、陝西省で、石や玉、青銅で作られたつえの頭部が出土した。
頭部は球形、へん平型、星型などで、羊と牛の頭を模したものもあり、「古代エジプト
のつえと驚くほど似ている」という。
 このような「エジプト王と同種のつえ」が、どのような経緯で中国西北部にもたらされた
のか興味は尽きないが、時代は下がって2000年前になるが以下のような話もある。・・・
http://members.at.infoseek.co.jp/sumicom/zatu00/nanboku.html

13 :月光仮面:2008/03/11(火) 17:31:34
↓メトロポリタン博物館編年でヒクソスアジア人を整理すると
http://www.metmuseum.org/toah/ht/03/nc/ht03nc.htm
Qawrighul I期Xinjiang出発、Shintashra-Petrovka/BMAC期2000-1500BC 
Gonur-tepeにて方形城郭都市を建設、BC18-14世紀ミタンニ、 BC18-12世紀カッシ
ート、ヒッタイトなどと併行してBC17-16世紀にエジプトを支配。 
Sakir-Har (?)
Khyan c. 1620 BC
Apophis c. 1580 BC to 1540 BC
Khamudi c. 1540 BC to 1534 BC
http://en.wikipedia.org/wiki/Hyksos
その後は中国新疆Yanbulaq期Xinjiang 1500-1000BC、Karasuk期 XII-X BCを経て商、
周に入るのであろう。

14 :月光仮面:2008/03/11(火) 17:47:13
極めて個人的な意見なんだが、このヒクソスは古代羌族で現代チベット系が
YDNA D1なのに対してD2であり、その遺伝子は現在日本のYAP+にしか残っていない
んじゃないかと思っている。

15 :月光仮面:2008/03/11(火) 17:50:20
しかし、チベットの死者の書などを考えると、エジプトミイラノウハウがあるようでもあり、
若干気になる。

16 :月光仮面:2008/03/13(木) 10:56:45
>>13
メトロポリタン美術館 (The Metropolitan Museum of Art、略称:『メット』 The Met) は、
ニューヨークにある、世界最大級の美術館である。・・・博物館じゃなくって美術館。
考古学的出土物の鑑定等ではプロじゃないんかな。



17 :月光仮面:2008/03/15(土) 17:04:23
【先祖は】日本とユダヤの共通点【ユダヤ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1154159177/menu320-325
青銅器時代における中央アジアから中近東への移動遊牧民の移動については
非常に広範な地域を視野に入れえる必要があり、日本とユダヤといった聖典資料
の豊富な分野の重要性は否めないとしても、基本的には考古学資料が重要。
甘粛馬廠、幸店彩色土器文化とカスピ海南岸セキザバード土器
「もう一つセキザバード土器が注目される理由があります。それは1970年代に江上波夫
博士が既に指摘していますが、この彩文土器群が中国の甘粛・青海地方、特に馬廠期
と幸店期に属する彩文土器との間に土器形式、彩文文様において多くの類似点が見ら
れたからです。ただ江上博士が述べられているように現段階では同時代の中央アジア
の様相が確認されていない為、これ以上東西交渉の可能性を解釈することはできま
せん。」
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/saimon-04.html#Anchor-17304
http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/essei/esseibk05.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Neolithic_cultures_of_China
カッシイトはBMACからこの辺を通り、シュメールの故地に南下、更に西進し、シナイ
半島に至り、メディアン族としてエジプトから帰還したヒクソス遊牧民と一緒になるが
英雄ギデオンによって聖絶をうけるようだ。これが「祇園」祭りの山車、山鉾の由来では
なかろうか。バアル・牛頭天王・天日矛は世界最高品質のセイマ・トゥルビノ青銅武具
を有するカラスク人の神で、「祇園」祭りは戦勝記念日パレードと思えるのだが。

18 :月光仮面:2008/03/15(土) 17:10:15
勿論カッシートは太国であり、若干のキャラバンが暴徒化した亡命遊牧民の襲撃を
受けた程度の話であり、彼らは後に高句麗方面経由越前、美濃、尾張あたりに住み
着いたのではないかと思う。

19 :月光仮面:2008/03/15(土) 17:41:59
天孫地祇というのはヒマラヤ・パミール・ザグロス山戎vsアルタイ・コーカサス・バルカン
山戎の対立、神武東遷・アルゴナウトというのは高地性集落・拠点要塞を基礎にして
沿岸シーレーンを構築しながら進軍する戦略であり、鬼が島・桃太郎というのはミケーネ、
マルタ、テラ(アトランティス)等の新石器時代都市文化を破壊しながら進撃する戦術
であり、イワレヒコとは岩割ヒコ、ペトラの太守といった意味で、イザナミとはフルリ人の
女王比婆(Hepat)であろう。裸祭、蘇民祭、カルバラなどと言うのは沿岸青年団軍事
教練、卑弥呼神武の女軍とはキュベレ神殿女官ではないかと思う。木曾義仲、義経、
信長その他戦国時代には中近東・地中海で身につけた戦略・戦術がふんだんに
実戦に応用されている。

20 :月光仮面:2008/03/15(土) 18:07:45
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/1SeimaTurbino.jpg
セイマ・トゥルビノ青銅器文化はこの中央の赤い領域から東西に伸びるもの。
私の主張はこれがモンゴロイドであるカラスク人の手によるもので、行軍しながら
成長をし、エジプトを支配し、その医学、建築その他の知識を学習し、中国文明
を築いた後で日本を建国したということにある。そしてその余波としてアマゾンの
モホス文明、おそらくはアンデス文明もが創造されたのであろうということにある。
この学習能力の高さこそ現在の自動車、電機、電子、鉄鋼、半導体産業を生んだもので
その能力は今も宇宙船内で活躍している。

21 :月光仮面:2008/03/15(土) 19:32:06
「瀬戸内海沿岸や大阪湾周辺ではこの時期、中国と交易していた北部九州の勢力の
進出を恐れ、平地から丘陵に移り住む高地性集落が増えたとされている。しかし、奈良
盆地では、厳重に防御した高地性集落は1例しか見つかっていなかった。 寺沢薫・
奈良県立橿原考古学研究所調査研究部長の話「当時、強い緊張状態があったことは
確か。集落の性格を見極めることが、一見平和だった奈良盆地の置かれていた政治
状況を考えるうえで必要だ」
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is71212a.htm
箸墓の軸線上に兵主神社があり、要するに「強い緊張状態」とは強烈な軍事思想と
でも言ったほうがいいのかも。邪馬台国建国にはほぼ弥生日本全域から土器を持って
手弁当で馳せ参じているんだから。


22 :月光仮面:2008/03/16(日) 09:38:20
セイマ・トゥルビノ青銅器文化はロストワックス技法が初めて誕生したとされるも、この
技法について中国北部、朝鮮半島、雲南省等の東アジアの多くの地域で出土している
とする向きもある。チョールヌィフは、先ずセイマ・トゥルビノ青銅器文化が西進、後に
前2000年紀後半にカラスク文化として東進したとしている。私はこの西進したもの、東進
したものの主体が同一で、その東西の順番を決定したのは商業的なこと、つまり、メソポ
タミア、エジプトといった巨大ユーザー市場の存在であったと見る。青銅の匠は軍事、
商業の匠でもあったのではないかということだ。

23 :月光仮面:2008/03/17(月) 09:35:01
>>9-10
>ヒッタイトには洪水伝説があり、主人公は"Sisythes"と言う。ヒッタイトは隠
>れ家の都市を持っており、神聖な売春を行っていたと言う。
「祇園甲部(ぎおんこうぶ、京都市東山区)は、京都で最大の花街。日本国内のみなら
ず海外でも知られている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%94%B2%E9%83%A8
ミディアン人は雑多な傾向、倫理観、慣習を持ち、誘拐、国際奴隷取引、定住民略奪を
行う遊牧民。モアブ人はイスラエルから脅威、危険を受けることはないが、疑うことの
ないイスラエル人に何もされなくても征圧にかかる民族。メソポタミアの魔術師預言者Balaamのイスラエルへの呪いは功を奏さぬため、ミディアン指導部に大量売春による
イスラエル征服を勧告。モアブ人が約6,000-12,000人のミディアン既婚女性をShittim
東部に移送、イスラエル男性をバアルに改宗さす為にイスラエル男性に売春させ、神に
背かす。

24 :月光仮面:2008/03/17(月) 09:36:14
イスラエル男性は色欲に負け24,000人以上が神罰により悪疫で死亡。モアブとミディ
アンの女はその夫、父、公的指導者の了解の上のセックスを武器に改宗に成功し、
その地域を撤退する。神はイスラエルに特定ミディアン(モアブを除く)の攻撃を命じる。12,000人の男性からなるイスラエル軍はミディアンサブグループ宿営地を襲撃、戦闘に
入る。ミディアン全員でなくバアルへの改宗を画したものが対象。イスラエル軍は敵を
ほぼ全滅し、メディアンの家畜、財産、女、主として少女の子供を連行し帰国。モーセは
性を売ってた女性の命を救ったことに衝撃を受けたが、連行されたミディアン女性、ミデ
ィアン残存男児の処刑を命じる。平均5歳の女児だけは命を救われ各家庭に預けら
れる。イスラエル成人が 24,000人死亡し、女児32,000人がイスラエルに帰化する。戦争
犠牲者はイスラエル、ミディアン合わせて成人24,000人、ミディアンの男児は親、指導
者の道ずれとなる。
http://www.christian-thinktank.com/midian.html

25 :月光仮面:2008/03/17(月) 09:46:33
ツヌガアラシトのタイトルで敦賀方面に上陸したバアル教(ヒッタイトのセト)集団が
祇園社、八坂神社を作るということは、越前から美濃、尾張にかけてコシ、カッシート
が入り込んだのではないかと思わせる。

26 :月光仮面:2008/03/17(月) 11:29:53
ツヌガアラシトとは牛頭天王、ホムタワケとはイザサワケが気比神社の神名を取った
ものであるがこれはブリャートモンゴル語の天神」Khormusta<アルタイ語Korbustan・
アルタイトゥーヴァ語Kurbustu<イラン語Khormazdで、Khorというのは帯の意味があり、
息長帯比売の天地を結ぶ帯(タラシ)のことで、善光寺の本田善光の善光はイラン語
光明神アフラマツダそのもの。

27 :月光仮面:2008/03/17(月) 11:59:26
>>23-24
イスラエルを一神教のシャス(アラブ・ベドウィン・地中海人種)、モアブを多神教の
シャス、ミディアン多神教徒をヒクソス・モンゴロイドカラスク人と置き換えるとうまく
解釈が付きそうである。そして、モアブを背後から操るカッシート、ギデオンの背後
には共にモンゴロイド・カラスク系フルリ人集団があるのかなー。

28 :月光仮面:2008/03/17(月) 13:19:23
「イスラエルの人々はギデオンに言った、「あなたはミデアンの手からわれわれを救わ
れたのですから、あなたも、あなたの子も孫もわれわれを治めてください」。ギデオンは
彼らに言った、「わたしはあなたがたを治めることはいたしません。またわたしの子も
あなたがたを治めてはなりません。主があなたがたを治められます」。 (士師記8・
22ー23)
次の重要な出来事は、ミデアン人との戦いである。W・F・オールブライトによると、古代
オリエントでらくだが盛んに家畜化されるようになったのは、後期青銅器時代の紀元前
1100年頃である。このらくだの家畜化によって、砂漠の生活は一変した。すなわち、
大きな集団が砂漠においてそれほど水飲み場に依存せずに生きることができるように
なっただけでなく、広い砂漠を横断し、かなり遠くの距離を速やかに移動することがで
きるようになった。パレスチナからはかなり遠い東の地に住んでいたミデアン人が、この
らくだを使って荒野を越えて、イスラエルに攻めて来たのである。その時にマナセ族
出身のギデオンが主の霊を与えられて立てられた(6章)。ギデオンは最初イスラエル
諸部族から多くの兵を集めるが、主によってそれを三百人にまで減らされて、ミデアン人
と戦い、大勝利を収めた(7章)。」・・・ギデオン、日本人の先輩らしいスピーチ内容だ。
http://www.nsknet.or.jp/~kmg/jesus/is04.htm

29 :天之御名無主:2008/03/17(月) 17:30:59
ウンコがしたい。

30 :月光仮面:2008/03/19(水) 10:14:41
ミデアンとの戦いは信長の桶狭間における今川との戦いに似ているが、
「桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)とは永禄3年5月19日(1560年6月12日)に行わ
れた合戦である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%B6%E7%8B%AD%E9%96%93%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
この10年後、「1569年、入京した新しい中原の覇者織田信長と二条城の建築現場で初
めて対面。既存の仏教界のあり方に信長が辟易していたこともあり、フロイスはその
信任を獲得して畿内での布教を許可され、グネッキ・ソルディ・オルガンティノなどと共に
布教活動を行い多くの信徒を得た。その著作において信長は異教徒ながら終始好意的
に描かれている(フロイスの著作には『信長公記』などからうかがえない記述も多く、
日本史における重要な資料の1つになっている)。その後は九州において活躍してい
たが、1580年巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に
同行し、安土城で信長に拝謁している。1583年、時の総長の命令で宣教の第一線を
離れ、日本におけるイエズス会の活動の記録を残すことに専念するよう命じられる。
以後彼はこの事業に精魂を傾け、その傍ら全国をめぐって見聞を広めた。この記録が
後に『日本史』とよばれることになる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%B9
安土城でギヤマンのぶどう酒を傾けながらギデオン、ヨナの話を聞いたのであろうか。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」
http://www.kyo.co.jp/~shimada/riyc/essay/nobunaga.htm


31 :月光仮面:2008/03/19(水) 10:27:01
「1550年11月、山口に着いた一行は、なんとか領主の大内義隆に謁見できることにな
った。が、男色を罪とするキリスト教の教えに大内が激怒したために山口を離れ、岩国
から海路堺へと赴いた。堺では幸運にも豪商の日比屋了珪の知遇を得ることがで
きた。了珪の助けによって1551年1月、一行は念願の京に到着した。京都では了珪の
紹介で小西隆佐の歓待を受けた。日本国内での活動は了珪の邸宅の一部を借りて行
われた。その場所が現在では「ザビエル公園」(大阪府堺市)として市民に開放されて
おり、彼の宣教活動を顕彰する碑が建てられている。なお、ザビエル公園より南側に
位置する大小路筋は、堺が自治都市として栄えた時代のメインストリートで、近くには
小西隆佐・小西行長の生家跡、千利休の屋敷跡、武野紹鴎の邸宅跡と伝えられる場所
が存在する(石碑のみ)。
ザビエルは京で「日本国王」に謁見し、布教の許可を得れば全国での布教が自由になる
と考えていたが、京は戦乱で荒れ果て、足利幕府の権威は失墜しており、後奈良天皇
が住まわれる御所も荒れ放題であった。ザビエルは比叡山で僧侶たちと論戦をしてみ
たかったが、比叡山から拒絶された。天皇への拝謁も献上品がなければかなわない
ことを知ってあきらめたザビエルは滞在わずか11日で失意のうちに京都を去ることに
なった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB
「元亀2(1571)信長の軍勢によって,9月12日未明から坂本市街への放火が始め
られた。坂本を焼き出された僧俗は八王寺山へ逃れた。信長の軍勢は日吉神社へ火を
かけ,神社後方の八王寺山へ攻め上り,多くの僧侶たちを殺害した。捕らえられた有徳
の僧・女子供については助命の嘆願もあったが,信長は聞き入れず,容赦なく処刑さ
せた。」モーセ・ギデオンの化身と錯覚したのか。
http://www.atjp.net/tenka/tl4/yakuenryaku.htm

32 :月光仮面:2008/03/19(水) 14:06:15
ヒクソス、始皇帝、信長を結ぶのは↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1189633821/menu429
「月氏の王のどくろを匈奴がさかずきにしたことは『漢書』にみえる。[冒頓単于]織田
信長が浅井長政父子のどくろに金箔をぬってさかずきにしたことは、『浅井三代記』、
『信長記』にある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%91%E9%AB%8F%E6%9D%AF
が、因縁は深く↓
2図 フン画像
1 - パジリク頭絡上木製首級像
2, 3 - Kho Tsyuy-bin埋葬総合遺跡出土フン画像(
http://kronk.narod.ru/img/klashtorny-savinov-2005-1-02.jpg
パジリク頭絡の金の首級状装飾品は、その頭骨から金杯が作られた戦死したフン戦士
の首級であり、これが前IV-III世紀のフン-月氏戦闘激化の証左と見て間違いない。フン
の西進を足止めするこうした戦役を通じて、月氏はアジア内陸に一万騎単位で十万騎
を要する遊牧国家を創造し、司馬遷の評価においては繁栄の極に達した。月氏による
大草原の制覇は、アルタイに埋葬された月氏の首長がその権勢をもとに弓を引く東夷と
戦い、こうしてパジリク頭絡ができたことで立証される。その2世紀後、アルタイでは元の
宗主月氏の首長の首級から作られた金粉の髑髏杯を作る新たな主権者が確立する。
・・・Klyashtorny

33 :月光仮面:2008/03/19(水) 14:19:42
葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E5%A4%A7%E7%A4%BE
そして父が通りかかった際にそこに向けて鏑矢を放ち、配下の私兵も大量の矢を浴びせ、これがクーデターの端緒となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%92%E9%A0%93%E5%8D%98%E4%BA%8E
これは松尾大社にある匈奴石板墓文化遺跡
http://kamnavi.jp/yamasiro/matuoj6.jpg
信長にこの血が流れていなかったとも言い切れないのである。

34 :月光仮面:2008/03/19(水) 14:30:22
>>32
2CH内部クロス参照が不具合のようだ。再掲する↓
「臣下の前では注意せよ。彼らは無に等しい者であり、その尊敬など気にかける必要は
無い。一人で彼らに近づいてはならない。兄弟を信頼するな。友人を知るな。腹心を作
るな。何にもならぬからだ。」・・・
エジプト第12王朝(紀元前1991年頃 - 紀元前1782年頃)
第12王朝の初代王はアメンエムハト1世である。第11王朝最後の王メンチュヘテプ4世
の治世第2年に王のための石棺の材料を得るために派遣された遠征隊の司令官の
名前が宰相のアメンエムハトであることから、このアメンエムハトとアメンエムハト1世が
同一人物であり、クーデターによって王位を簒奪したのであろうと言われている。『アメン
エムハト1世の教訓』は、アメンエムハト1世の死後、センウセルト1世の治世に成立した
と考えられる文書である。暗殺されたアメンエムハト1世がセンウセルト1世に王者として
注意すべきことを語るという体裁をとっており、文書の形式は墓などに刻まれる自伝に
近いと言われる。ここでアメンエムハト1世が語る内容は、ある程度実例に沿っていると
もいわれ、非常に厳しい内容である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC12%E7%8E%8B%E6%9C%9D
秦始皇帝、冒頓単于、織田信長の祖であろう。一夫一妻、万系一統とは縁遠い連中だ。


35 :月光仮面:2008/03/19(水) 17:20:14
「失われた鍵、夫余再発見」中国東北歴史プロジェクトは古代史の全面的書き換えを
目的としているが、コリア・チャイナ間の歴史紛争は高句麗史から夫余史へと次第に
シフトしている。シン教授は一部の夫余族が西はバルカン半島から東は日本まで移動
した可能性をあげている。韓国文化遺産国立大学リ・ドハク教授は高句麗も夫余も同一
の王が建国したことを示唆する。2王朝の神話類似を根拠にあげている。ドンヤン大学
キム・ウンホイ教授は夫余建国の説明につき、同様の理論を提示している。
http://english.donga.com/srv/service.php3?bicode=130000&biid=2007073191788
先生方なかなかたいしたもんだ。夫余の遺伝子としては白馬青牛の契丹・ダフール
のYDNAが弥生時代に日韓に入っているようだ。しかし、これは
日本人YDNA↓これのO2型であり、ダフール、韓国、日本に共通するものだろう。
http://img438.imageshack.us/my.php?image=japan9zr.gif
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_YDNATreeTrunk07.html
私はダライラマのような顔つきのチベット系YAP+と言うヒクソス等も絡むもっと大掛かり
な興隆窪文化集団でなかったと考えている。ヒクソスにはモンゴロイド以外に、アルタイ
語・ウラル語を話す白人、イラン、セム系等も混ざっていたのであろうが。しかし、
韓国学会も次第に近づいてきた感がある。


36 :月光仮面:2008/03/19(水) 17:46:24
Haplogroup O2b (SRY465, a.k.a. M176)はY-chromosome DNA haplogroupであり、Haplogroup O2の子孫。Haplogroup O2bは主に北東アジアであり、内蒙古Daur族から
日本にかけて、また、インドネシア、タイ、ベトナム等の東南アジアにもかなりいる。
このhaplogroupは現代の日韓に高頻度であるが、中国のほとんどの民族にはいない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2b_(Y-DNA)
これが古代夫余族の流れだろう。

37 :月光仮面:2008/03/19(水) 17:58:24
ダウールの言語はモンゴル系統とされるもかなり独立していたようだ。天神を意味する
ブリャート・モンゴル語Khormustaをダウール族がホムタと発音していたということも
ありえるかなと思う。ダウールは契丹の大賀氏といわれるから相当高貴な血筋のようだ。
日本にもこの苗字は多い。

38 :月光仮面:2008/03/19(水) 18:04:46
その後、宰相の阿蘭弗が「天の神が私に降臨して、『吾が子孫がいずれ国を作るだ
ろう。この地から離れなさい。東海に迦葉原(かはばる、かしょうげん)という地がある。
そこは五穀が良く実る。ここに都を遷すと良いだろう。』と言いました。」と解夫婁に
進言し、王は都を迦葉原の地に遷都し国名を東扶余とした。このようにして扶余の都
から元の王である解夫婁がなくなった後、天帝の子を自称する解慕漱(かいぼそう、
へ・モス)がどこからか現れて、都を開いて扶余王となった。解慕漱がなくなった後、
金蛙は扶余王となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9B%99%E7%8E%8B
日本には香春、オオクニヌシ関連で八上の川原、奈良の橿原等に神話が多い。
ヘブルと言うのもバシコルトのハピル、ヘブライ等犬戎を表す言葉かもしれない。
東夫余というのは東胡州、筑紫かも。


39 :月光仮面:2008/03/19(水) 18:33:54
要は、高句麗も、百済も実体は夫余ではないかということであるが、新羅は簡単では
ない。秦であるとか、月氏を初めとするさまざまな要素があるようで、出雲神話を初めと
する日本神話の主な出どこは弁辰ではないかと言う感じだ。夫余族の持っていたのは
上田正昭「日本の神話を考える」にあるが神武神話のようなものだけかも。
が、阿多の隼人にかんしては「エウロペイドのタガール文化が数世紀で終了し、その後
に混血色の強い別の文化が出現。これはキルギス族の作ったチュルク民族文化で
Tashtyk文化と呼ばれる。これが広域混血プロセスの始まりであり、最初は東部に起
こり、その後ははるかに遠い西方に進む。Minusaにおいてこの混血住民はジンギス
カン時代まで生存していた。 紀元後1世紀この地の匈奴は中国人の協力の下に代官、
王子用の屋敷を造った。これについては当時の文献記録や出土屋根瓦などがある。
匈奴は昔から灌漑農業の行われたこの地に格別の関心を寄せていたようである。この
住民は時には誤って丁霊と呼ばれることもあった。[隼人紋の刺青を入れたハカス女性]
http://www.kitap.net.ru/tit3/image003.gif
これが絡んでいるのでは。この文様はポーランドなんかにある。


40 :月光仮面:2008/03/20(木) 09:07:48
>>35 参考↓
【歴史】中国、高句麗の次は「扶余も中国史」
http://www.chosunonline.com/article/20060703000049

41 :月光仮面:2008/03/20(木) 14:09:20
「江原(カンウォン)道のある“谷底”で発掘された一点の土器が、考古学界を沸きかえら
せている。その土器とは、上部に目盛のような文様が刻まれた「刻目突帯文土器(模式
図)」だ。」
http://www.chosunonline.com/article/20051026000003
突帯文とは縄文土器文化人が弥生土器を受容する際に縄文技術を一部転用したもの
と考えていたので、上記の記事には奇異な感じを受けてはいたが、
↓米イスラエル吉林内蒙古赤峰国際協力考古研究プロジェクト、趙宝溝文化土器
http://www.pitt.edu/~chifeng/pottery/Zhaobaogou4a.jpg
http://www.pitt.edu/~chifeng/pottery/Zhaobaogou4.jpg
http://www.pitt.edu/~chifeng/text.html
ここに突帯文によく似たものがある。これは紅山文化より古いものなので、もしこの
趙宝溝文化土器が突帯文の源流であるとすれば、それは青銅器文化とは関係なく
やはり、↓
「紀元前1000年紀には、無文土器が主流となった。この時代は、朝鮮半島における
青銅器時代とほぼ一致する。文様がないか、あるいはあってもごく少ない赤褐色の
平底の土器である。成形にはまだ轆轤の使用は見られず、手捏ねか輪積みによる
ものがほとんどである。分布は、中国の東北地方、西は遼河から東は黒龍江・松花江
にまたがる地方と深いつながりを持ち、櫛目文土器文化とは違った文化圏が形成されて
いたことがわかる。そしてこの無文土器は、さらに東に伝わり、わが国の弥生土器の
母胎ともなった。」
http://www.moco.or.jp/jp/intro/intro_3/intro_3b.html
こういうことなんかなーと言う感じがするが。




42 :月光仮面:2008/03/20(木) 14:19:43
日本のものは→「刻目突帯文土器の甕(後方左・中)」
http://www.city.fukuoka.jp/maibun/myc/75.html

43 :月光仮面:2008/03/20(木) 16:20:14
弥生末期/漢の渡来人の故郷としては
「黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た
人骨があいついで見つかっています。この時代の中国は、政治的に動乱の時代であり、
いろいろな民族が入り乱れて戦いました。」
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html
この中で会寧雄基なる地名があるが、ロシアにおける日本語の故郷推定
http://www.geocities.com/alterlinrus/MonTunMapRus.gif
これとなんだか合ってる。しかし、沿海州と北海道では短絡であり、半島を
かませないとおかしいのでは。呉の方面のものがどのように来たのかは
徐福が入るのか。

44 :月光仮面:2008/03/21(金) 09:58:02
呉越は銅緑山、無錫等金属資源生産地。日本神話は冶金、鉱業、探鉱に関する
ものが主流。中国神話の共工、蚩尤等には三苗とか、東夷のような民族が長江
文化圏を追われ甘粛とか、あるいはそのまま、燕とか山東省に移動する話もあり、
コーカサス、シリア、パレスチナに多いドルメンが山東、遼東方面に多い。延烏郎、
細烏女、アカルヒメ、天日矛、魏志倭人伝、倭面土国帥升、倭国乱、高地性集落、
庄内式土器、布留式土器、鏡作り、青銅祭器埋納等を考えると青銅冶金技術集団
の渡来、鏡、古墳の規格統一による全国統一運動が邪馬台国、箸墓周辺を中心
として始まったのではないかと言う感じがする。

45 :月光仮面:2008/03/21(金) 10:11:35
イスラム系バシコルト伝承のアミンベクはヘブライのヨセフ同様エジプトで宰相になる
サクセストーリーだが、共に井戸に投入れられる。大国主命、甲賀三郎と同じであり、
シナイ半島銅山で活躍したことを物語るようだ。セイマトゥルビノの錫、ロストワックス
青銅器を擁する軍用犬、馬で武装された方陣歩兵軍団が猛スピードでユーラシアを
ジョンウェーン「赤い河」のカウボーイのように前進する姿が夫余の「カハバラ」、つまり
蓄群の給水地を求めて大河から大河に移動する「天日矛」の姿ではなかろうか。

46 :月光仮面:2008/03/21(金) 10:47:53
東海から吉備にかけての環濠集落規模の水稲農作地域単位が人口増加で臨界に
達し、核分裂反応が始まったのが倭国乱の原因であろうが、東地中海ではミノアを
中心とする中期青銅器文明が、おそらくはテラ噴火と、その津波被害によりナイル
下流域を含めて大きな停滞が始まったこのが、日本における倭国乱と同じ効果を
生みはるかに遠い満蒙、インダス(ドラビダ/タミール)、欧州方面から諸民族の流入
を呼び、アジア系ヒクソス諸王が生まれたのであろう。

47 :天之御名無主:2008/03/21(金) 11:26:41
気違いはこれだから困る。

48 :月光仮面:2008/03/21(金) 12:22:39
↓野球のホームプレートを抜海湾においた場合、「右翼の後退シフトし過ぎ」がこれ
http://www.geocities.com/alterlinrus/MonTunMapRus.gif
↓内野にばかり前進しすぎがこれ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/4/41/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%28%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D350%E5%B9%B4%E9%A0%83%29%E5%8C%97%E6%96%B9%E5%9C%B0%E5%9B%B3.PNG
しかし、この2つの地図と山海経の燕、倭、ガイ、列陽、朝鮮の記述からほぼ昔の居住
地が現在の内蒙古東南部かなーって感じだね。


49 :月光仮面:2008/03/21(金) 13:13:55
>>27-28
南シベリアではカラスク、タタール人骨に少数ながらタミールらしき熱帯人種人骨
が混じり、カラスク南方起源説も出たが、マジョリティーがモンゴロイドであるため
カラスクはタミールではなく、モンゴロイドとされていまった経緯があるようだ。ところが
共通インドアーリア語が原住民から借用した単語に
bread, ploughshare (the sharp blade of a plough), canal, brick, camel, ass,
sacrificing priests, soma, Indraが入るというが、重要なことはプラウとか犂というのは
インド犂、駱駝もドラビダが起源ということであり、カラスクとドラビダの出会いがモーセ
のメディアナイト聖絶伝承で語られているのではないかと思う。タミール語が日本語と
関係しているとする学説には深い根拠があるようだ。


50 :月光仮面:2008/03/21(金) 13:17:27
このカラスク、ドラビダ共生地域にあるゴヌルデペ遺跡が平城・平安京と同じ方形
で、内裏をもつ都市なのだ。

51 :月光仮面:2008/03/21(金) 13:35:12
ツゴイネルワイゼン、剣の舞、キャラバン、月の砂漠が地中海から響いてくる・・・
ジョンガラはJungaria狂詩曲といったら・・・月光仮面はルナティック・マスクとでも。

52 :月光仮面:2008/03/21(金) 13:39:20
俺は単にNHKシルクロードの松平アナの声にしびれて砂漠に落ちた仮面に
人間五十年の栄枯盛衰の哀れを見て「月光仮面」と名乗ったものなんだが。

53 :月光仮面:2008/03/21(金) 14:17:25
「人類最古の叙事詩といわれる「エンメルカールとアラッタの主」は、そんなケースをうた
ったのだと思う。この叙事詩は、メソポタミアのウルクの王、エンメルカールが送るべき
穀物の量と、どこか遠方のアラッタという鉱山(?)の長が送り返さなければならなかっ
た金銀、あるいは瑠璃など宝石の数量を巡って、トラブルがあったことを示唆している。
アラッタがどこにあったのか明確ではない。しかし興味があるのは、ウルクの王エンメル
カールとアラッタの主が、シュメール語という共通の言語で意志の疎通をはかっている
点だ。さらに、太陽神ウトゥや女神イアンナなどを共通して崇拝しているらしい事実から、
アラッタという鉱山の主(?)は、外国人ではなく、エンメルカールと同じ民族であると推
定できる。」
http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/History/gold/egypt.html
太陽神ウトゥ・・・アメノウズメ、宇都宮・・・シュメール・・・これって牛河梁遺跡・
碧眼女神像、女神廟と関係があるのでは。
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/img/kozan-megami.gif
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-73.html
そうすると興隆窪文化と中近東の間の接触はかなり古い新石器時代から続いていた
ことになる。

54 :月光仮面:2008/03/21(金) 15:56:45
>>45
ウラルのバシコルド(チュルク系バシキール)語でSafarとは「業務で出張する」と言う
意味であり、出張中に現地で生まれた子供をSafar Galiとか、Safar Bikaとか呼ぶ。
メソポタミアクルド語でSafarというのは「銅」を意味する。ヘブライ語でSafardyというのは
スペイン語に似たLadino語を話す人々を意味する。Sefardyというのはムーア人に征服
されたスペイン・ポルトガルのキリスト教徒による再征服完了後にスペインを追放され、
難民化した民族の末裔のことである。スペイン・ピレネー山脈は世界有数の産銅地帯で
ある。バシコルドのアミン・ベク伝承にある商人は前3-2千年紀にウラルにおいて他でも
なく銅採掘、輸送に従事するものであった。・・・とされるが、博多の早良、千葉の佐原と
日本においてもこのSafarは商人を意味していたようである。

55 :月光仮面:2008/03/21(金) 16:02:35
>>49-50
「ドラヴィダ人はアーリア人とは外見的条件が大きく異なり、従来はネグロイドに属すると
されてきた。しかし、近年のDNA分析の成果により、現在ではオーストラロイドまたは
ヴェダロイドに分類されている。」
「また、タミル人という概念があり、主にタミル・ナードゥ州出身でタミル語を母語としその
文化を担う人々を指すが、タミル(Tamil)という語はドラヴィダ(サンスクリット語Dravida)
という語と語源が関係している可能性が高い。このことから、タミル人をドラヴィダ人の
代表、あるいはドラヴィダ人そのものと考える傾向が、タミル・ナードゥ州を中心に展開し
ている政治運動であるドラヴィダ運動などにおいて、存在している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%80%E4%BA%BA


56 :月光仮面:2008/03/21(金) 16:12:43
>>54
↓博多湾、室見川の河口に古代の船着場があったのであろうか。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/fukuokaheiya/fukuoka8.jpg

57 :月光仮面:2008/03/22(土) 09:12:28
みのもんた司会の番組で阿波の徳島は邪馬台国だとやっていた。では同様に
前方後円墳のある安房の北部はどうなるか、と考えると、やはり、筑後川、遠賀川、
吉野川、大和川、利根川と迦葉原をもとめていどうする夫余のきょうとう‐ほ【橋頭堡】
(bridge-head)
〓橋梁を直接掩護(エンゴ)するため、その前方その他必要な所に築設するとりで。
〓渡河・上陸作戦の際、渡過点・上陸点を掩護し、以後の作戦の地歩を得るための
拠点。また比喩的に、拠点・足場。
をアワといったようである。それは天の富彦、天の日鷲等の集団であり、河内、大和
のトミビコ、鳥海山等にもそうした言葉は残る。取り付く島もないというが、逆に、宇和島、
粟島等は取り付く島でこれまた橋頭堡的である。おそらくはこの軍事用語橋頭堡を
古代人はアワといったのだろう。

58 :月光仮面:2008/03/22(土) 09:27:37
阿波の場合神武軍のへい‐たん【兵站】作戦軍のために、後方にあって車両・軍需品の
前送・補給・修理、後方連絡線の確保などに任ずる機関。「―部」・・・地理的にこの要衝
にある。神武の嫡子タギシミミは綏靖にうたれるがカミヌナカワミミというのは越中の守
といったところであり、いわゆる狗奴国派の倭連合王国首脳、いわゆる、欠史八代の
筆頭の天皇である。これは河内、大和が越、東海に押されたことを意味するのであろう。

59 :月光仮面:2008/03/22(土) 09:41:16
吉備に対しては金毘羅を、出雲に対しては沖ノ島を橋頭堡として作戦を起こすことが
考えられる。こうした場合の歩兵、山岳兵を山間の阿波吉野川流域に隠すのは意味が
ある。

60 :月光仮面:2008/03/22(土) 09:49:57
女子フィギュアを見ていてモンゴロイド長頭の真央ちゃんと地中海長頭コストナーが
上位を制した。天狗面はグルジアの選手であった。みのもんたの番組とごっちゃにな
ってしまったが、イスラエルが天狗というのはユダヤ教の司祭の御尊顔に申し訳ない
ような気もする。

61 :月光仮面:2008/03/22(土) 11:27:36
率川阿波神社 率川神社境内 祭神 事代主命  延喜式神名帳の率川阿波神社で
ある。宝紀二年(771年)阿波国から勧請したと伝わる。  推古天皇元年に大三輪君
白提が勅命により奉斎したと伝わる。
http://kamnavi.jp/jm/k92.htm#awa
この年に和気清麿が復権、天智皇統、つまり、東海・越兵力を基盤にした天武皇統
に取って代わった皇統が権力を握ったのではないかとされる。このときまで神武の神
は阿波で冷や飯を食わされたということは河内政権にもてあそばれていたということ
であろうか、あるいは天武勢力はそれほどに強力であったのだろうかなどと思うのだが。

62 :月光仮面:2008/03/22(土) 13:36:12
>>52
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7f/EuropoidMaskLopNurChina2000-1000BCE.jpg
これがそうなんだが、蘭陵王の原型のようだ。これとは別に女王クラスの棺にはピノキオ
の鼻をした仮面があったが、デザイン的にはトシドンのような感じだ。おそらくはトカラ人
は鹿児島経由南西諸島に入ったのだろう。コンセプトとして鹿島様、天狗面のもつ賽神
的な意味は尖ったもので魔よけとする風習から出ているのだろう。アルメノイドは古代
相当活躍したようだ。




63 :月光仮面:2008/03/22(土) 15:32:05
日本人の先祖が天狗とか、ユダヤ人だなんていったら幼稚園児に笑われる。日本人
の先祖の残した文化を天狗の顔に似たユダヤ人が受け継いでいると説明してやっと
普通の人間だなーと子供にも思われる。

64 :月光仮面:2008/03/22(土) 15:38:18
要するに日本人の先祖にとっては、ファラオ女王ハトシェプストの言うとおり一神教
のラーなんぞは、「そんなの関係ねー」であったのである。

65 :月光仮面:2008/03/22(土) 17:39:18
六芒星はAD3-4世紀ガリラヤのユダヤ教教会で使用が開始された。しかし、元伊勢
籠神社の真奈井社にも六芒星があるが、籠神社には紀元前の前漢時代の銅鏡が
伝世されている。では元伊勢からカラリアに伝わったのかとするのは歴史の流れから
言っもおかしいが、ガラリアから元伊勢にと言うのはありえない。

66 :パンティー仮面:2008/03/22(土) 20:32:39
おれは昨日美濃モン田でなくグレートジャーニー見たわ。美濃モン田は未練かった
で昨日はチベット、雲南、ベトナムから日本への南方ルートを関野が辿るという旅
だったんだけど、ブータン当たりで納豆やコンニャク、蚕なんかはそのまま日本へきたん
だと思った。口の粘液からのDNA分析でも10%ぐらい日本人と共通してた〜

67 :天之御名無主:2008/03/22(土) 20:46:47
3万年前のスンダランドの遺伝子

68 :パンティー仮面:2008/03/22(土) 20:48:30
六芒星ってのは大麻を象徴的にあわらしたもんなんだよな。本当は麻紋
がそうなんだけどこれ日本の風習で赤子のエナ(胞衣)として最初に着せる
もんなだけど天皇の誕生祭り大嘗祭でもアラタエとう大麻服を四国のインベシが
つくるみたいね。ユダヤのラビも大麻服をきるんだってさ。カナン=カナビス=カンナビ
で石信仰になるのはやっぱアレだな〜w

69 :月光仮面:2008/03/23(日) 10:06:13
麻紋 なるほど↓これらは中央アジアが原産地か。
http://www.mmjp.or.jp/tajimamori/sub73.htm
するとガリラヤ方面へは中央アジアから伝わったことになる。つまり、ユダヤ人は
一時中央アジアにいたということではなかろうか。後にハザール等が出てくる。


70 :月光仮面:2008/03/23(日) 10:20:14
「新義真言宗の作法やお水取りの時に行われる達陀の行法は、ゾロアスター教の影響
を受けているという説もある[要出典]。また1970年代前半、小説家松本清張が自作『火
の路』(現題:火の回路)で、飛鳥時代の日本にゾロアスター教が伝わっていた、という
物語を描き話題となった。松本の説によれば、斉明天皇はその信者であり、マギの秘術
を使ったために『日本書紀』で神秘的な存在として描かれたのだとも、飛鳥の酒舟石は
神酒ハオマを製造する為のものであったともいう。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99
元伊勢 籠神社の真奈井社にも六芒星、天火明命、天村雲命はアフラマツダ、アンラ・マ
ンユと合致する。津軽にも光明・暗黒の戦いらしき民話がある。

71 :月光仮面:2008/03/23(日) 12:57:23
小説『デイヴィッド・コパフィールド』の主人公はエナ(胞衣)に入ったままで生まれ、
親がそのエナを15ギニー(3000円)で売りに出した。今で言えば後産をネットオーク
ションにかけられた。エナ(胞衣)に入ったままで生まれたものは水難に強い
と信じられていたと言われる。また、
「後産は産婦よりむしろ胎児と結びついて信仰の対象となり,それが子どもの運命を
将来にわたっても左右するという考え方は,日本のほか,中国,朝鮮,マレー諸島,ヨー
ロッパなどで広く見いだされる。」こうした原始的な考えとは異なり水天宮の腹帯の起源
は、妊婦の腹帯の他にモンゴル等で幼児をくるむ帯状の布をさし、その起源はエジプトの
ミイラであるとか、蚕であるとかにあるのではないかと考えるのであるが。

72 :パンティー仮面:2008/03/23(日) 16:20:45
エナ崇拝って誰だっけ?もとオウムでチィベットのあいつ・・カイエソバージュシリーズ
で読んだな・・それによるとエナ帽子を被るのは胎児と翁を象徴して縄文時代の巨石信仰と
繋がってるらしい・・ユダヤ教の割礼なんかとも関係ありそうだが・・


73 :パンティー仮面:2008/03/23(日) 16:30:01
>>69
>http://www.mmjp.or.jp/tajimamori/sub73.htm
によると

>この麻紋を調べますと徳島県と千葉県がしっかりと結ばれて居る事がわかりました。
>徳島県鳴門市大麻町に大麻比古神社がございます。
>読んで字の如く麻を祭った神社の神様の総本社です。阿波国の一宮神社でもあり、
>御祭神は天太玉命と猿田彦大神です。

とあるこれは四国のインベ氏が千葉に移植したってこは縄文の文化の巨大発生地とも
つながるんだけど、彼らは航海術も長けてたということだな。
これ大麻堂のブログで知ったんだけど
>日本建国と阿波陰部って本をかおうと思ってるけど3000円ってちょっとお高いよね?w(セコイ?w
http://www3.tcn.ne.jp/~aska/


74 :パンティー仮面:2008/03/23(日) 16:32:51
>>69
>つまり、ユダヤ人は 一時中央アジアにいたということではなかろうか。
>後にハザール等が出てくる。

ハザールなんか持ち出すまでもなくユダヤ人はもともとメソポタミア出身じゃん。
でそこからイスラエル→エジプト→イスラエル→バビロニアだからさ・・





75 :パンティー仮面:2008/03/23(日) 16:37:01
>>71
>小説『デイヴィッド・コパフィールド』の主人公はエナ(胞衣)に入ったままで生まれ

デイヴィッド・コパフィールドってマジシャンのデイヴィッド・カパフィールドみたいな
ナマエやね。マギ・・・マジシャンとも関係あるね。

76 :月光仮面:2008/03/23(日) 17:34:53
>>74
脱帽。そうだね。現在で言えばイラク北部、イラン方面か。そして次第に北に
勢力を拡大し、また南にも下りてくるといったところかな。

77 :月光仮面:2008/03/23(日) 17:38:50
正しくは↓こうらしいね。
【先祖は】日本とユダヤの共通点【ユダヤ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1154159177/menu380


78 :月光仮面:2008/03/23(日) 18:19:01
>ユダヤ人は紀元前700年から西暦100年までの800年間、
>アフガニスタンやカザフスタンに居住していた
これはちょうど春秋戦国秦/無文弥生に相当するためユダヤ人と日中韓の間の
関係は並列であり、この時期の相互作用はなく、考えられるのはこれより千年
前のヒクソス前後の関係だ。そのころ最先端の青銅器ロストワックス工法、馬、
二輪戦車をもって登場したのはアジア系ヒクソスであり、これがフルリ人などとして
主導的立場にあったものというのが真実だと思っている。


79 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:08:31
↑>この時期の相互作用はなく
しかし、斉のあったリンシで発見されたと伝えられる白人DNA人骨は台湾学会等に
よって否定されたのか、鳴りをひそめたし、記紀斎明・推古朝に記述のある白人渡来
人、この時代隋が琉球を攻めた際に確認された琉球と崑崙言語の一致と神社関係者
とかユダヤ人筋の強調する日本とユダヤの偶然とは考えられない神社、服装、慣習
の類似を考えると、こうしたアリバイが確実とも思えない。

80 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:17:39
イラン語を話すスキタイ系サカ族、トカラ語を話す牛文化のトカラ人の宗教の中に
イスラエルとか、イスラム系バシコルト、匈奴、倭人と共通する説話とか、服装、寺社
建築様式、習慣の類似性が存在したということもありえるのではなかろうか。当時
パミールを越えてインドに入った玄奘三蔵には道昭が師事し、行基が日本国中に
教えを振りまいたが、当時の服装はイラン、ユダヤ、日本等似通ったものだ。

81 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:23:39
匈奴の冒頓単于は月氏の人質にやられていたが、後に月氏をバクトリア方面にまで
駆逐した。一方、百済には月支国が登場、出雲日御碕の神主は月支国王の来襲を
一人で防いだと言い伝えている。弓月国からは多数の難民が渡来し秦氏となっている。
秦氏の松尾神社は鏑矢の神で冒頓単于のようだし、その石組み遺跡は匈奴文化
である石板墓を思わせる。

82 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:39:53
前漢には中央アジアでペルシャに抑留されていたローマ軍が甘粛に移され、その子孫
はいまだに白人で現地に住んでいて、イタリアから観光客を迎えているといわれる。
飛鳥時代のエンタシスとか、噴水がローマ風である不思議はこの辺に鍵があるのでは
なかろうか。猿石はクナド神であり、兜跋毘沙門天等と趣旨は同じで、マダラと言うのが
アルタイ・モンゴル語でこうしたクナド神をあらわすようだ。マダラ神は出雲にあり、又、
籠神社も基本的にはクナド神の思想を元に配置されたとも言われる。

83 :月光仮面:2008/03/24(月) 09:46:42
↓これなんかも関係してくる。
【書籍】 「許黄玉ルート-インドから伽耶まで」〜韓国人の身体にはバビロン遺伝子がある?[03/22]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1206280964/menu1


84 :月光仮面:2008/03/24(月) 11:02:48
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/2Arzhan.jpg
「山岳、平原、森林、草原の出会う場所にある前7世紀Arzhan古墳は東西を結ぶ草原
遊牧民の誕生と共に成長した新しい関係のネットワークにおけるこの地域の枢要な
重要性のしるしである。」
英国シェフィールド大学ホームページ
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/EastWest.php
そして、それは何故出雲にウルフ神社があるのかといった疑問にも答えてくれるかも。

85 :天之御名無主:2008/03/24(月) 14:28:29
【書籍】 「許黄玉ルート-インドから伽耶まで」〜韓国人の身体にはバビロン遺伝子がある?[03/22]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1206280964/

キム・ビョンモ漢陽大名誉教授
(訳注:許黄玉は金官加羅国の始祖である首露王の妃。インドの阿踰陀国の王女)

「考古学的証拠を拡大解釈すればバビロニアやユダヤ人の遺伝子が我が身に混じっている可能性もあ
るということです。今回の本には紹介しませんでしが、日本のある学者は攻撃されるんじゃないかと
心配してドイツ人の筆名で「大和はユダヤ人の王朝」だと書きました。」

中略

アッシリア-バビルロニア-ペルシャ-スキタイ-ガンダーラ-雲南-四川-邪馬台国に至る人々に双魚は万
物を保護する守護神だった

以下略

86 :月光仮面:2008/03/24(月) 15:16:54
http://kladina.narod.ru/savinov/savinov1994_01.gif
アンドローノヴォ文化圏及び早期スキタイ時代の「エリート」クルガン画像脚注
1,3,6 - Sintashta大寺院クルガン
1 - 構造物基礎グリッド(部分)
3 - 復元埋葬施設
2 -墓地
1. 石棺壁面「タペストリ」画像(部分)
4, 8 - Arzhan
4 - 壇を形成するグリッド
8 -復元図( a - 壁 b - 回廊в - 円壇г - 玄室上の墳д - Stagstelle鹿石)
5 - Tagisken青銅期遺跡復元
Tagisken↓下図アラル海東方#40遺跡
https://www.iranica.com/articles/v9f1/v9f140page98.html
↑これが円形であることを除いてタバナクル(幕屋)と似ている。


87 :月光仮面:2008/03/24(月) 16:14:54
皇極三年七月条「ウズマサハ、カミ(神)トモカミ(神)ト、キ(聞)コエク(来)ル、トコヨ
(常世)ノカミ(神)ヲ、ウ(打)チキタ(罰)マスモ」、当時、大生部多と巫女等が、常世の神
を祭ることとそのことによって得られるご利益を口実に、民衆を惑わし、民衆から多くの
財物を引き出させていたのを、秦河勝がかれらを懲らしめたことによるもの・・・
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
応神朝に渡来した月氏系秦氏は既に新約を含む景教に通じていたのかも。日本人は
ゲルマンよりも早くからキリスト教に通じてたいた可能性がある。

88 :月光仮面:2008/03/24(月) 17:26:39
しかし、聖書の内容はマニ教の一部として入り、パンテオンは天火明、天村雲、天御陰
等、又、その内容の概略は津軽の光明、暗黒の戦いに残り、その文様はグノーシス
の文様と同じで丸に十文字の島津の文様として残ったのかなーと考える。そして、
新約聖書の一部が記紀における神功皇后、聖徳太子等の部分に取り込まれたのだろう。

89 :月光仮面:2008/03/25(火) 10:00:07
>>86
http://kladina.narod.ru/savinov/savinov1994_01.gif
5 - Tagisken青銅期遺跡復元
この現場はアラル海東岸方面であるが、このタバナクル/幕屋のようなものには
アプシスが付いている。
「後陣(アプス、アプシスapseとも言います)初期キリスト教会によくみられる半円形の壁龕(へきがん)です。ここが、主祭壇になっています。」
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/photo-roma/photo-0052.htm


90 :月光仮面:2008/03/25(火) 10:54:47
「トゥーヴァ及び山岳アルタイ地方では「アプシス」を持つ独特のガーデンが発掘され、
土器編年によりアンドローノヴォ文化期とされている。同様の「痕跡的」アプシスはモン
ゴルにおける若干の鹿石(Stagstelle)遺跡においても見られる。」つまり、当時アラル海
からアルタイまで後のギリシャ正教教会のさきがけのようなものがあったということに
なる。ユダヤ教においては東方にエルサレムを望む地域においては教会の東方に
アプシスを設ける。こうした考えが日本においても寺院建設時代に発現し、後戸の
発想となるのかもしれない。

91 :月光仮面:2008/03/25(火) 11:32:32
熊山遺跡:最上段には縦穴があり、ここに陶器や巻き物が納められていたという。
http://www.gainendesign.com/taizan/kumayama/kuma.html
http://gonkos.hp.infoseek.co.jp/kumayama-iseki.htm
http://www.sairosha.com/tabi/nazo/kumayama.htm
http://haikai.putcher.info/siseki/okayama/kumayamaiseki/kumayamaiseki.htm
ソロモン神殿
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Jerusalem_Ugglan_1.jpg
似ている。

92 :月光仮面:2008/03/25(火) 12:22:06
「前方後方形墳丘墓から前方後方墳への成立に濃尾平野が重要な役割を果たしたと考
えられている。3世紀前半の弥生時代終末期頃、東海地方では方形墓の一辺に突出状
の祭壇を設ける墓が流行した。その例としては愛知県の廻間墓があげられ、祖形と考え
られる。この墳形は西は京都府から東は千葉県までひろがった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E6%96%B9%E5%A2%B3
が、熊山遺跡はこうした墳墓ではなく日野宮神社↓
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/gazou/hi-miya21.jpg
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/hinomiya.html
に時代的にも近いものであったのだろう。

93 :月光仮面:2008/03/27(木) 09:08:08
日本は現存する最古のユダヤ王国
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1156510663/menu961-969
話が徳島県の銅鐸、積石墳、と来ると、次には(蒼穹)装飾古墳となるが、剣山
小剣神社の鍾乳洞の内部及び岩の割れ目と出雲の韓竈神社、江田船山古墳
に近い「トンカラリン」遺跡が類似していることが目に付く。そして装飾古墳の
モチーフがエジプト神話、葬礼の太陽の舟とも関係している。横穴式巨大古墳は
ドルメンのような蘇我馬子の墓、石舞台古墳が有名。江田船山古墳は筑紫磐井の
乱で有名な磐井と関係しているようであるが、飛鳥と結びつくのはユーラシアステップ
的な石像である。飛鳥天平白鳳時代に開花する極めて高度な彫刻、建築、音楽は
この時代に何らかの渡来人が渡ってきたのではないかと思わせるが、推古、斎明
時代にはトカラ、社衛人の渡来が記録されており、彼らが造園をはじめとする芸術
を持ち込んだことが知られている。



94 :月光仮面:2008/03/27(木) 17:22:18
>>88
マニ教を基にして大陸を眺めると、後趙/羯族に当たる。そして、エジプト神話をもつ
シベリアの民族にはケト族がある。そして、この民族はセイマ・トゥルビノ青銅器文化
に近い。また、黒海北西部のSuvorovo墓地文化に見られる御物石器は岐阜県と大分県
あたりに限定される。素盞嗚命は気多の神を伯耆から越前に鹿に乗って移したと
されるが騎乗できるトナカイを飼育するのはケト族である。セイマ・トゥルビノ青銅器文化
のロストワックス鋳造は極めて精巧で実用的である。日本で御物石器の発見される
高山にはストーンサークル的な日抱神社と信仰がある。これはアルカイム、パレスチナ、
英国等青銅器文化の要地に見られる。飛騨高山は鉛の産地である。古墳もある。
異民族伝承もある。日光東照宮の彫り物は飛騨高山の匠の技である。飛騨高山の
獅子舞には外国神話を題材にしたようなものがある。

95 :月光仮面:2008/03/27(木) 17:28:18
このことはヒクソスが白人であるケト人/羯族と羌族或いは三苗出身のモンゴロイド
を含んでいた可能性を示すのではないかと思う。客家の住居は青銅器産地アルカイム
の住居であるとか、日本の伊勢遺跡に似ている。彼らは中国語を話すが古代人は
マルチリンガルである。

96 :月光仮面:2008/03/27(木) 17:39:50
>>94
籠神社の勘注系図の始まりはマニ教のようであり、他方、秦氏にはミトラス教の感じ
がする牛祭りとかが残り、極めて多くの宗教が含有されており、記紀には新約、旧約
からの話が残る。これは早期のマニ教は各種宗教のいわばコピペであったのでは
ないかという感じがする。羯族は漢族に悲惨な迫害を受けた。日本人に受けるので
あれば何をしてでも生き残りたいという気持ちであったのであろう。

97 :月光仮面:2008/03/27(木) 17:49:04
ケト族の言語についてはパキスタンのブルシノ語(西部印欧語)及びコーカサス言語
との関係が認められており、ヒクソスを支えたフルリ人というのがどうやらこれで、
ハビルと言うのはクルド系、シャスと言うのがアラブ、ベドゥィン、ユダヤ等であろう。
ヒクソスの王は少数のモンゴロイドエリートで後に周、斉の王となったものであろう。

98 :月光仮面:2008/03/28(金) 11:05:01
>>94
.>飛騨高山の獅子舞には外国神話を題材にしたようなものがある。
「おかめは竹べらを打ち鳴らすと獅子はその音にまどわされ」
「天狗の面をつけた金蔵が短棒(剣の代わり)を持って向かって行き獅子と戦い」
http://www.city.takayama.lg.jp/bunkazai/bunkazai/minnzoku/data/kinzoujisi.htm
http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/kinzou.htm
http://www2.ocn.ne.jp/~nhata/kinzoujishi.html
http://www2.pref.gifu.lg.jp/BUNKA/GPR017_001V04?ZAI_NO1=3&ZAI_NO2=286&ZAI_NO3=1
後に、スキタイのライオンとの闘いのモチーフとなった出来事、短棒(剣の代わり)は
御物石器の起源を表している。黒海北岸ではこの御物石器は後に戦闘斧という葬送
器具となり、バルト海、バルカン半島に拡散する。これが仏具の独鈷杵、三鈷杵、
そして、交差した戦闘斧は逆卍、逆転しては卍、アルカイムの青銅器製造技術は
二輪車部品、織機、四輪車部品、冶金は瀬戸物、窯業、半導体へと発展した。しかし、
その淵源が黒海北岸、アルタイを経由し、日本海に上陸、白山を越え、ミタンニ同様
の菊理姫を残した後で、木曾から伊勢湾、三河湾に入った歴史を語るのは金蔵獅子
を今に伝えた人々の歴史を伝える努力によるものであろう。

99 :月光仮面:2008/03/28(金) 11:18:14
ロシアではつい数年前に最後のケト人が死滅し、後はロシア人がケト人をやっている
らしいが、日本のアイヌ等にもそんなところがあるのであろう。木曾の山中に残る
御物石器を使用した異民族は今はない。しかし、エジプトも、ロシアも、日本もその民族
の大きな恩恵に浴していることには間違いなかろう。が、そうした民族を最後に受け入れ
その能力を継承し、未来につなげた民族は金蔵獅子を今に残す民族であったということを
世界に知ってもらいたい。

100 :月光仮面:2008/03/29(土) 13:14:57
>>98
http://www.asahi-net.or.jp/~XB6T-KJM/second/sekki21.jpg
この右上にある独鈷石がドナウ河Suvorovoで出土するAbstract scepters(威信、葬具、
贈答用などが考えられている)と似ている。ドナウ河にはボルガ河方面から来ていること
から、更に北方のシベリア・ケト族と関係しており、そのケト族が匈奴の羯族として後趙
に入るのであろうが、邑婁方面から入ったとみられる朝日遺跡の鍛造ソケット付鉄斧と
共に古代匈奴が持ち込んだのではないかと考えている。

101 :月光仮面:2008/03/29(土) 17:48:12
突厥帝国の内紛に乗じて635年にブルガールが独立し、ハザールも程なくして独立した
と見られている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Khazar0.png
古事記和銅5年(712年)、日本書紀720年(養老4年)に完成。北宋(ほくそう、960年 -
1127年)の始め、当時の世界最大100万人都市・開封に西方からユダヤ人の集団
100余り人がやってきた。
すると、記紀の新旧約聖書内容はユダヤ人ではなく別の民族が伝えたことになり、
エニセイのケト族にはエジプト神話の要素もあり、マニ教を信奉し、滅亡し、新羅とも
前秦時代から関係のあった後趙の羯族ではないか。
と考えたものの、羯族はどうも芸術、冶金、建築等の実務担当的なレベルであり、
ユダヤ教の内容を伝えるのはもう少し政治経済に関与する層でないとおかしい。
そうするとハザール、突厥等はモンゴロイドの要素が少なく実際は、言語だけが
チュルク系の場合であっても、地中海系イラン人
であり、モンゴロイドである秦氏のほかに、イラン系がサカ(坂上)、賽(サエキ)等
東漢氏等として、羯族のマニ教以外にユダヤ教の教義を持ち込んでいた可能性も
あるのではなかろうか。

102 :月光仮面:2008/03/30(日) 16:42:30
ケト人は独鈷石を交易したモルドヴァから西に進み、ドナウ河を遡上しアルプスに入り、イタリ・アトリノ北方のスイスの秘境レッチェンタールにナマハゲ(チェッゲッテ)を残している。
http://www.maskenkeller.ch/
Was ist eine Tschaggatta(チェッゲッテ)?
http://www.sagapictures.ch/masken/index.php?option=com_content&task=view&id=7&Itemid=8
スイスの手彫りのお面は怖いが、カーニバルはそれだけに面白い
http://www.stripes.com/article.asp?section=103&article=27897&archive=true
来訪神---海と川と陸の船祭
http://www.asahi-net.or.jp/~tq7k-wtnb/link10.htm
甑島 トシドン
http://www3.ocn.ne.jp/~nansatu/fasta8.html
http://www.mapple.net/photos/I04600013801.htm
http://www.koshikijima.net/event/tosidon.html
それはおそらく新羅から来た。
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/pic946.htm
この新羅の角杯
http://www.moco.or.jp/jp/colle/colle/Korea_B/121.html
http://www.moco.or.jp/jp/colle/colle/Korea_B/159.html
これを土器化したものが越前を中心に分布しているが、類似のものは
イラン角杯
http://www.sankokan.jp/selection/a/orient/aori003.html
ペルシャのリュトン
http://www.asahi.com/persia/intro/index2.html
角杯(リュトン)です。ローマン・グラスと同じ形状の角杯が新羅から出土しています。
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/pic946.htm
ケルト・アングロサクソン・バイキング角杯(ドリンキングホーン)
http://www.nmia.com/~bohemond/Bootshop/horn.html
http://www.mayhemltd.com/feast-celtdrkhrn.htm
もって、ケト人の移動の影響を知ることが出来る。

103 :月光仮面:2008/03/30(日) 18:13:11
「縁起  能登国能登郡(現鹿島郡)気多本宮は延喜式神名帳に所謂、能登生国玉比
古神社と伝承すものなり。  上世の昔、大己貴命、出雲国より因幡国気多崎(因幡の
白ウサギの地)に至り、八上比唐フ許に通せ給い、夫より鹿・亀の二霊に駕して、当国
当所に渡らせ給う、今の府中の浦是なり。」
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file2/ketahon.htm
ツヌガアラシトも新羅から来たという。これは気比大社のユニコーン獅子頭、
麒麟獅子がり因幡国気多崎方面から来たこととも符合している。人間が鹿に乗る
のはケト人がトナカイに乗ることを除いては考えられない。

104 :月光仮面:2008/03/30(日) 18:57:20
>>98
ジプシーはモルドバ出身が多いが、彼らが踊るフラメンコ等のカスタネットの原型が
これ↓ではなかろうか。  
http://www.nohmask21.com/shishi4/hyoshigi03.jpg

105 :天之御名無主:2008/03/30(日) 19:44:37
>>103
キリンにのる大国の主=シバとビシュヌの合体神(ハリハラ)が中国、インドから
渡来するってのは諸星大二郎の漫画「孔子暗黒神話」でみたな。
最近、新聞でみたんだが鳥取にはキリン祭りってのがあるらしいね。

106 :月光仮面:2008/03/31(月) 09:30:29
↑麒麟獅子
http://www.kokufu.or.jp/shoukai/kirin.htm
http://www.east.tottori.tottori.jp/kirinjishi/index.htm
「麒は雄で麟は雌、聖人が世に出、王道が行われる時生
まれると伝えられる」
http://www.hal.ne.jp/tikuma/shishi.htm
気比大社御神宝麒麟獅子頭も邪馬台国乃至は応神朝建国記念に新羅より勧進された
とも思えるが。


107 :月光仮面:2008/03/31(月) 09:40:52
「スコットランド王家の象徴にもなっており、グレートブリテン王国成立以後、現在のイギ
リス王家の大紋章には、ユニコーンがシニスターに、イングランド王家の紋章にも用い
られているレパード(獅子)がデキスターにサポーターとして描かれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3
国土を統一、守護するものということか。

108 :月光仮面:2008/04/01(火) 16:37:39
欧州、イラン、韓国等の騎士道、苦行的肉体鍛錬、花郎、修験道、武士道、武道等
には:日本は現存する最古のユダヤ王国
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1156510663/menu936-994
ここでも触れたように黒海北岸スルーブナヤ文化時代からの影響があるのであろう。
チベット福音書という聖書外典があり、キリストがヒンドゥー教、仏教、拝火教諸国を
歴訪し、論戦を交わすことになっているが、それにはマニ教的な二元論を受容する
所は全くない。その筋から日本に何らかの影響があったことはなさそうだ。


109 :月光仮面:2008/04/02(水) 11:14:04
アルジャンはパストラル・ノマディズム(牧畜移動民族)の中心地
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/2Arzhan.jpg
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/EastWest.php
武霊王の時代に強勢となり、周王の下に封建された諸侯のひとつから周王に替わる王
を称するようになった。武霊王は紀元前307年、胡服騎射を取り入れる。胡服とは当時
北方の遊牧民族が着ていたズボンのような服のことである。当時の中国では士大夫は
ゆったりした裾の長い服を着ており、戦時には戦車に乗って戦う戦士となったが、馬に乗
るためにはこの服は甚だ不便であった。武霊王は北方の騎馬兵の強さに目をつけ自国
にもこれを取り入れたいと考えた。その為には文明を象徴する戦車に乗る戦士であるこ
とを誇りとする部下達に、胡服を着させ、馬に直接またがる訓練を施す事が必要で
ある。趙の国人達は強くこれに反発するが武霊王は粘り強く説得を続け、遂に実行
する。趙の騎馬兵は大きな威力を発揮し趙の勢力は拡大した。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/27/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%28%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D350%E5%B9%B4%E9%A0%83%29%E4%B8%89%E6%99%8B%E5%9C%B0%E5%9B%B3.PNG
白人形質の羯 
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/china/ketsu.htm
後趙
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%B6%99 
グノーシス教 東方グノーシス主義→マニ教
原初の世界では光と闇が共存したが、闇が光を侵したため、闇に囚われた光を回復
する戦いが開始された。 光の勢力によって原人が創生されたが、原人は敗北して闇
によって吸収された。 その後、光の勢力は太陽神ミスラを派遣して、闇に奪われた光を
部分的に取り返すことに成功した。 闇は手元に残された光を閉じ込めるために、人祖ア
ダムとエバ(イブ)を創造した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%95%99



110 :月光仮面:2008/04/02(水) 18:32:07
>>108
キリストの推定コース
http://www.reversespins.com/issamap.jpg
古代チベット文献に現れる地名
http://gumilevica.kulichki.net/maps/art09.gif
キリストはチベットラサで現地の聖人と意見を交換したらしい。

111 :月光仮面:2008/04/04(金) 16:34:21
http://www.senkouji.jp/guidance/images/info08-img001.jpg
http://www.senkouji.jp/guidance/images/info08-img002.jpg
『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来
たりてこの山に登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を
我に与えよと、寺僧それに答え、売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあ
やしむに、異国人は、この僧が岩上に宝石のあるを知らぬことを確かめ、心中欣び、ひ
そかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』と。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/45/Kailash_south_side.jpg
http://www.mars.dti.ne.jp/~hirona/egypt/bend.html
シャンシュン王国
シャンシュン王国(紀元前 - 643年)は西チベットのカイラス山麓一帯に存在した国。紀
元前からあったと見られる。カイラス山はヤルンツァンポ川及びインダス川の源流にあ
たり、チベット在来宗教ボン教の聖山でもある。首都はキュンルン・ングルカル(ングー
カル、ンゥルカル、白銀城とも)。チベット・ビルマ語派のシャンシュン語が使われてい
た。(シャンシュン語について詳しいことは分かっておらず、現在国立民族博物館などで
研究中である[1]。)隋書の女国と考えられ、そこには山上の城に住まう女王の統べる戸
数1万の国で、586年に隋に使者を送ったと書かれているが、確証は無い。また、旧唐
書の東女国とも考える人もいる。(ただし東女国は羅刹国を指すこともある。)シャンシュ
ン王国の最後の国王リミギャ(リク・ミリャとも)は吐蕃王朝の王ソンツェンガンポにより
暗殺され、643年に吐蕃王朝に併合された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD

112 :月光仮面:2008/04/04(金) 16:51:19
「推古20年年是歳条には、百済からの渡来人が多く、その中に斑白や白瀕がある多く
の人々の記述がみえる。かれらはその異様さから海に船から捨てられそうになったと
き、自身が捨てられるならどうして日本では白い牛馬を飼えるのか、そして築山が得意
であり捨てるべきでないことをのべ、そのことから後に須弥山および呉風の橋をつくら
せた。」
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
当時琉球を侵略した隋軍によれば崑崙人が琉球現地人の言葉を理解したと。
つまり、ニューデリーからカイラスに入ったタミール系民族が崑崙山脈、新羅経由
で九州に入り、気候が亜熱帯である沖縄に住み着いていたと解釈して初めて、尾道の
玉の岩を見てそれがカイラス山、須弥山そのものと認識できる。このことは曼荼羅に
よく似た方格規矩鏡であるとか、ヤントラに似た内行花文鏡が平原に集中する頃
新羅からヒンドゥー教宇宙観、日光、諏訪湖のようなカイラス的風景を宗教的に
解釈できる人々の渡来があったと考えることが出来る。

113 :月光仮面:2008/04/04(金) 17:23:40
小アジア、エジプト、メソポタミアに南下するオークネフ文化人、印欧人の最左翼は
この方面↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/14/Khwarezmian_Empire_1190_-_1220_%28AD%29.PNG
http://en.wikipedia.org/wiki/Khwarazm
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/c/c9/AvestanIran.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/Airyanem_Vaejah
を通過、アフガニスタンからインダスに入り、ブラーマン、ヒンドゥー教の基盤を残した。
後に犬戎、羌族、スキタイが新疆、モンゴリア、甘粛に入る頃、チベット高原に入った
ものがカイラス山、シャンシュン方面でインドと再び接触するというシナリオか。

114 :月光仮面:2008/04/04(金) 17:30:38
>>106 吉備(伽耶の金と通じる)あたりでリハーサル的な建国騒動があり
http://www.kokufu.or.jp/shoukai/history/sho.jpg
麒麟獅子に出場したのかもしらんが、「ハヌマーン」みたいな感じもする。

115 :月光仮面:2008/04/04(金) 18:46:16
当時は天竺からの文化流入が多いが↓
「法道仙人は天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したとされる伝説的な人物で
ある。現在の兵庫県南部を中心に法道開基伝承をもつ寺院が点在することから、
「天竺から飛来」云々はともかく、モデルとなる山岳修行者が存在したことは想定さ
れる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%80%B6%E9%99%A2
これなどは↓
http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku26_16d.jpg
http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku26_16e.jpg
http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku26_16f.jpg
非常に珍しい。



116 :天之御名無主:2008/04/05(土) 00:04:23
↑なんだよこの三体のかわいこちゃんたちw

まさか。。。

117 :月光仮面:2008/04/05(土) 07:56:34
↓これに似てる。
http://www.salvastyle.com/menu_20th/munch_scream.html

118 :月光仮面:2008/04/05(土) 08:13:14
>>111
もう一つの艮神社、山波艮神社
http://www.geocities.jp/celeste4851/onomichi/ushitora/onomichi2-4.htm
秘都シャンバラ
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:KalachakraSera.jpg
TLV Mirror 方格規矩鏡
http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/city/bunka/ito-museum/deji-2.htm
温羅伝説
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page1327.html
『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来
たりてこの山に登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を
我に与えよと、寺僧それに答え、売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあ
やしむに、異国人は、この僧が岩上に宝石のあるを知らぬことを確かめ、心中欣び、ひ
そかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』

119 :月光仮面:2008/04/05(土) 08:37:17
タクラマカン砂漠、崑崙山脈、エベレスト、中国、満州、朝鮮を越えて日本に来た時に
発見したカイラス山、玉の岩は神がこの地をシャンバラと定めたことを示した。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d3/MtKailash_location.png
方格規矩鏡に通じるカイラス像
http://www.angelfire.com/sc3/1010/KAILAS.html
視覚化された真言、ヤントラも方格規矩鏡に通じる
http://www.truthstar.com/yantra/yantra.asp
異国人はこの地を「山波艮」とし、神社を建立し、仏閣を作ったのだろう。

120 :月光仮面:2008/04/05(土) 12:19:54
シャンバラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%A9
http://www002.upp.so-net.ne.jp/sgun/risou/risoU04.html
http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_w.html
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Potala.jpg
シャンバラとは要するに男体山、中禅寺湖、華厳の滝とか、八ヶ岳、霧が峰、
諏訪湖のようなところであって、大きな山と湖がカナートのような地底空間で
つながっているといった聖地であろう。そういった場所には地底王国アガルタ
とか、甲賀三郎、大国主命等の地底王国冒険伝説がある。これはユダヤ、イスラム
のような遊牧アブラハム宗教とか、オークネフ・印欧軍事移動牧畜集団が活躍する
舞台であり、地底王国にはカナート、カレーズ農業の他に坑内掘り紅山の経験が
重なっているのであろう。シナイ半島、小アジア、バルカン、コーカサスにはそうした
地形が多いが、日本は山国でいたるところにある。神武が大和で国見をして満足で
あったのは先遣隊の立地条件確認の意味もあったのであろう。

121 :月光仮面:2008/04/05(土) 17:15:51
>>110
↓イエスキリストは10代のころ、チベットで癒しの霊験を行っていたというのだが、
http://www.reversespins.com/jesusthangka.html
インドでは下層カーストに平等を説きブラーマン、クシャトリアに、ペルシャでは
拝火教徒に命を狙われたらしい。

122 :月光仮面:2008/04/06(日) 12:44:06
>>118
が、山波艮-これはシャンバラとは読めないよなー。
http://kamikotokai.com/002/
うしとらとはインドラ-ヴリトラハン(ヴリトラ殺し)であれば、これは帝釈天だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%A9
インドラの説話と温羅伝説の話に化身の戦いがあるが、似ている。温羅の
生首をボイルするのは髑髏杯( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%91%E9%AB%8F%E6%9D%AF )製造プロセスかもしれない。匈奴/月氏とヒンドゥー教に入り混じる頃の
話のようだ。

123 :月光仮面:2008/04/06(日) 14:20:51
「蒙古のラマ教に伝わる仏教絵画には、頭が牛で腰に虎の毛皮を巻いた仏の絵が多数
存在します。」
http://kamikotokai.com/002/img002.jpg
これは明らかにBC2000-BC1500年のアルタイ・オークネフ文化↓の影響を受けている。
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image009.gif
つまり、オークネフ文化はその後ヒンドゥー教に入りチベット・モンゴルへと逆流したか、
或いは、モンゴルに潜在したものが復活したかを物語る。

124 :パンティー仮面:2008/04/06(日) 15:18:04
インドで牛虎の神っていったらシバ神のことだるね。
牛はペットのナンディンで虎のパンツOR敷物の上で瞑想してる・・



125 :月光仮面:2008/04/06(日) 15:44:43
ヒンドゥー教の主役はこのシバとなり、アーリア系らしいインドラは柴又の帝釈天
といった風に株が下がってしまったみたいだね。わが国ではシバ神が素盞嗚命
といったところか。

126 :パンティー仮面:2008/04/06(日) 15:59:52
でも結局はインドラ帝釈天は時代の変遷で多少違うがシバと同一の属性
なんだるな。素盞嗚命も日本ではその子孫の大国の主(大黒天)がシバ神と同一
属性。。日本ではスサノオはちょと古い帝釈天で大国主がシバだろうな(息子とかの系統もそっくり9
結局は国常立命の属性ってことやるな。

127 :月光仮面:2008/04/06(日) 16:50:06
素盞嗚命がヤマタノオロチを退治するということはインドラ説話を取り込んでしまった
感じなんだが、そこでまた天照大神が登場、素盞嗚命は脇役となる。日本は日本なりに
独自の話を展開している。どの国の神話であっても神話は神話として語り継がれる。

128 :天之御名無主:2008/04/06(日) 23:21:43
モーセがアロンの杖で9頭の蛇を倒すという話からきてるんじゃね

129 :月光仮面:2008/04/07(月) 10:48:38
昔の話は鶏、卵、どっちが先かといったのが多い。モーセの偉いところは携帯を片手に
仕事をするな、といったところか。マホメットは信心もいいが、先ず、ラクダをつなげ、と
いったらしいね。「カラオケ」もいいが先ず駐車場に車を入れろ、と言うことだと思う。


130 :月光仮面:2008/04/07(月) 15:47:54
>>118-120
前漢、中国では西王母思想が始まり、後漢には仏教が伝来。九州平原では女王が
曼荼羅のシャンバラのような方格規矩鏡、スーリャヤントラのような内行花文鏡と共に
葬られ、瀬戸内海を島の女王が東進し、大和にいたる。こうした時代精神の背後は:
「現在は嘉絨(Jiarong)*1と呼ばれるこの地域の語源はチベット語の“rGyalmorong”で
女王の谷を意味します。この地域には古代から多くの民族が移住して先住民と融合しま
した。紀元前後には隋書(隋時代581〜618年の歴史書)等に女国の名を残したシャン
シュン (チベット西部)出身の一族がボン教と共に移住して来ました。この一族は優れた
採金技術を持っていて、多くの金を産出した女王谷で繁栄し、唐書(唐時代618〜907年
の歴史書)等に東女国の名を残しました。 」
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/queenvalley-j.htm
失われた地平線、その彼方にあるシャングリラ
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold0406-e.htm
窓から見上げれば
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold0432.jpg
魏帝はおそらく卑弥呼をこうしたものと↓想像し、払底していた青銅鏡を献じた。
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold0011.jpg
しかし、ほら貝は修験道に通じるし、
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold0451-e.htm
この文化もオークネフ文化を継承している↓
http://www.sgns.gov.cn/scholaweb/touching/gold2003-e.htm

131 :月光仮面:2008/04/07(月) 17:52:53
http://www.tv-tokyo.co.jp/shangrila/
トオル君、君は3000年タイムスリップし、周王朝の穆王と同様に西王母に逢った。
だが、それはその1000年後の卑弥呼でもあったのだ。

132 :月光仮面:2008/04/09(水) 16:49:04
日本は何故士農工商、武家政治、幕府、サムライが続いたのだろうか。 これは弥生
時代に日本に入ってきた環濠集落の前身が、中国内蒙古自治区方面に存在した環濠
集落、山戎文化にあるためだ。この山戎文化は朝鮮半島、日本列島で無紋・弥生時代
の頃はスキタイの影響を受けた匈奴文化であった。匈奴文化はバイカル湖南部周辺
からモンゴリア高原、内モンゴル、オルドス、新疆。甘粛方面に鹿石メンヒルを残して
いる。これは遊牧民の境界線、道標であったが、古代においては塞(クナド)神でもあ
った。鹿柱とは鹿の角を彫り込んでその枝分かれのように子孫繁栄、家畜増産を祈った
ものらしい。匈奴時代より更に千年遡るとアルタイにオークネフ文化というのがあり、
その石碑は角を生やした鬼のような三つ目の神であるとか、恐ろしい獣であるとか、中
にはファリシズムを表現するものもある。オークネフ文化はエニセイとか、バイカルの
コーカソイド及びモンゴロイド遊牧民が残したようであるが、その石碑の画像には宗教
的な背景も読み取れる。この時代、ウラルから天山山脈、新疆にかけてアンドローノボ
文化と言うものが広がっているが、その中においてカザフスタンの錫を利用したセイマ
・トゥルビノ文化と言う極めて精緻な青銅武器が作られ、急速にBMAC及び黒海方面に
移動する。


133 :月光仮面:2008/04/09(水) 16:50:04
そうして、フルリ人によるミタンニ、カッシート、ヒッタイト、ヒクソスへの馬の
技術、青銅二厘馬車の提供が始まる。三つ目の神の宗教はヒンドゥー教となり、アー
リア族のベーダと共にアフガニスタン経由インダス峡谷にも入って行く。モンゴリア高原
に残っていたオークネフ三つ目、ファリシズム文化はその後長期に渉って徐々に
チベット・雲南・四川方面へと移動する。日本にもこの影響は狛犬、獅子舞、ナマハゲ
などの形で伝わっている。おもしろいのはミラノに近いスイスのレッチェンタールという
寒村にまでナマハゲが広まっていることである。この文化は匈奴文化と読んでもいいか
と思うが、非常に戦闘的である。毘沙門天といった護法神を重視する。神武の時代大和
で兄弟が争う話がでているが、実際は冒頓単于、織田信長のような骨肉の争いであった
ようである。里山風景の多い日本の国土を武田信玄のような武将達が駆け巡る長い
戦国の素地は弥生時代に持ち込まれたものなのである。


134 :月光仮面:2008/04/09(水) 17:05:00
日本人とユダヤ人が重なる可能性のあるのは聖書におけるヒッタイト/フルリ/ミタンニ
とユダヤの接触の場面のうちの一部であろう。当時、ヒッタイト/フルリ/ミタンニは馬、
二輪戦車、青銅器、鉱山開発経営に従事、太平洋岸から地中海にかけて活躍してい
たが、ユダヤの先祖はコーカサス北部からシリアにかけての高地で羊飼いをしていた
のであろう。孫子の兵法とか神農の医学とかはこの頃の体験を成文化したものであろう。

135 :月光仮面:2008/04/09(水) 17:41:03
しかし、中国に帰還した移動遊牧集団は共工、蚩尤の伝承に見られるとおり、中原を
追い出され、結局は半島経由日本とか、あるいは、チベット、雲南、四川方面へと
分散したようである。YAP+遺伝子の分布がこの間の事情を物語っているようだ。

136 :月光仮面:2008/04/10(木) 17:31:36
中国周辺の雲南、四川、チベット、新疆、モンゴル、東北、朝鮮半島、そして、おそらく
は欧州、地中海、黒海、ペルシャ湾、インド洋、ベンガル湾沿岸地域にとってユーラシア
内部を中央アジア、中近東、北東アジア、日本にかけて活躍した、移動牧畜民を駆使し、
文明の隙間をつないだ秦氏ほどの注目すべき存在はない。日本には秦氏以外にも
渡来弥生人、縄文人等の秦氏の持ち込んだ文化をを消化し、結実させた優秀な存在は
あるが、先史時代の秦氏の活躍がなければ何もなかったことであろう。
このスレの出発点を >>1 「カラスク人等とされるバイカル湖周辺からアルタイ方面に
BC4-3千年紀頃から展開して いたモンゴロイド系」という風に一般化したが、ユーラシア
の諸民族の頂点であるエジプトのファラオになって君臨するほどの政治力を持てるのは
トナカイを追いかけるエベンキとか、ケト人とかではなく、戦術・戦略・学習能力において
他に類を見ない、春秋戦国時代の中国でその戦略、戦術、軍略を発揮し、中国を始めて
統一した秦氏をおいて他にはない。秦氏が生まれた甘粛の斉家・四覇文化と青銅器
及び馬の家畜化がどのように行われていたかについて中国側の研究は欧米よりも出遅
れている。甘粛・新疆における今後の研究が待たれるところだ。

137 :月光仮面:2008/04/10(木) 18:17:51
日本太陽神天照大神の子はオシホ<オシプ<ヨセフ、弟はホヒ<アポピ=The Last
Hyksos Pharaoh、アポピはヒクソスとしては例外的に太陽神を崇拝するファラオ。
出雲国造神賀詞で最終的にヨセフ的な大国主命を天穂日命に祀らせるというのは
ヒクソス時代の記憶、ユダヤ及びイスラム・アミン・ベクにも似ているが、それがあるの
ではないかなー。

138 :月光仮面:2008/04/11(金) 09:14:27
マンモスハンターはバイカル周辺から北上して新大陸に向かうもの、定着して
新石器、鹿の家畜化に向かうものが出現。当時の気候ではアルタイ、バイカル
方面の起伏に富んだ山岳地帯の水辺が栽培・牧畜に適していた。しかし、時と共に
地球規模の乾燥化、寒冷化により、満州・朝鮮・日本列島、チベット・雲南・東南アジ
アへと移動が続いたが、日本の場合には平野部で水田が進むのと同時に山岳部へ
の進出があったが、牧畜・畜力農耕については天照大神が素盞嗚命の試みを
糾弾、断罪し、海浜での水産・水運等に専念するように行政指導したと記紀は伝える。
里山風景とは、しかしながら、天然の環濠集落というか、防衛には適したもので、
吉野ヶ里の物見やぐらは高地性集落の複数部落による共同運営により省略する
ことも可能で、これは青銅祭器、古墳、土器の規格統一と併せ、現在の町村合併
のような効力を発揮したものであろう。

139 :月光仮面:2008/04/11(金) 09:28:17
馬を扱うモンゴロイドがエジプトではヒクソスの王にまで出世するのは二輪車の技術
なのか、金属馬具、飼育、調教技術なのか、馬の販売技術なのか、それらが総合され
た技術なのかは定かではないが、印欧系・ウラルアルタイ系大陸移動牧畜民の中に
あって、馬関連の民族が抜んじていたことは、ミタンニ、チベット、馬韓、そして中国では
非子の故事でも分かる。しかし、軍略家としては羌/姜族の太公望とかもあり、ヒクソス
には秦氏というより、牧畜専業の羌族をおくことが無難かもしれない。しかし、日本に
大量に移民したのは秦氏となっているので、便宜上秦氏としておいてもよかろう。

140 :月光仮面:2008/04/11(金) 11:04:41
ヒクソス王アウセッラ・アポフィスはテーベの王セクェネンレに使者を出し、「テーベでは
河馬を銛で殺す遊びがあるが、苦しむ河馬の鳴き声は遠くアヴァリスにまで届くほどで
あり、これを思うと夜も寝られないほど哀れである。この悪習を廃止される」ことを要求し
たが、ヒクソス王アウセッラ・アポフィスはこれに切れたようである。
ヒクソス王アウセッラ・アポフィスの真の動機としては王の主神セトは半人半河馬であっ
たからとの説があるが、王が「厩戸の王子」を地で行くように馬とか動物をいつくしむ
環境で育てられていたという可能性も同様にありえるのではないか。

141 :月光仮面:2008/04/11(金) 11:07:35
おっとっと、切れたのはテーベの王セクェネンレ、彼のミイラは頭に斧の傷がある。
天罰じゃね。

142 :月光仮面:2008/04/11(金) 11:42:03
Avaris
http://maps.google.com/maps?ll=30.783333,31.833333&spn=0.01,0.01&q=30.783333,31.833333
Cusae (ヒクソス南方境界)
http://maps.google.com/maps?ll=27.444444,30.816667&spn=0.01,0.01&q=27.444444,30.816667
Thebes
http://maps.google.com/maps?ll=25.7,32.645&spn=0.1,0.1&q=25.7,32.645
イワレビコとはアヴァリス・彦で、クサエのサカとはCusaeかも。

143 :月光仮面:2008/04/11(金) 16:53:56
説明用の地図↓
http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=34.161818,60.117188&spn=60.761705,104.941406&t=h&z=3&msid=105354277957541607818.00044a940dae5e2900c1a

144 :月光仮面:2008/04/11(金) 17:32:30
>>142 更に、
ヤムハド王国:紀元前18世紀半ばから紀元前17世紀(紀元前1650年頃)までの間、
再建されたハルペとヤムハド王国についての記録は少ない。
ヤムハドの地位を揺るがす出来事は少なかったが、東に勃興するフルリ人の国家群
との争いが起こっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%89
↓カツナと言う国もあるが葛城と似ている.
http://en.wikipedia.org/wiki/Qatna
ヤムハド/大和、カツナ/葛城と揃う。
ヒクソス王朝
Sakir-Har
Khyan c. 1620 BC
Apophis c. 1580 BC to 1540 BC
Khamudi c. 1540 BC to 1534 BC
http://en.wikipedia.org/wiki/Hyksos

145 :月光仮面:2008/04/12(土) 11:15:46
>>143
「近東低地への[馬の]拡大はその後もまたBC2000年頃にに起こり、これは明らかに
二輪車(チャリオット)とセットになっていた。種は判然としないが「馬科(Equus)」の
骨はBC2000年以前の若干の中国後期新石器発掘サイトで発見されているが、「馬」
或いは「野生馬」の骨は最初には多くのサイトで出現するが、BC2000-1600年中国
甘粛及び北西省の斉家・四?文化発掘サイトで大きな数に達する。斉家とステップ地帯
後期青銅器冶金技術に共通性が見られることから、斉家文化はユーラシアステップ
地帯諸文化と接触があり、中国北西部で家畜化された馬が頻出するようになるのは、
おそらく、この接触を通じてのことであったのであろう。」↓馬の家畜化
http://en.wikipedia.org/wiki/Domestication_of_the_horse

146 :月光仮面:2008/04/12(土) 11:24:57
「先史時代からテヘラン周辺、カスピ海周辺は鉱物資源が豊富な地域として知られて
きました。そのことを証明するように今日の地質探査によってもトルコ黒海沿岸、コーカ
サス地域、イラン北部のエルブルズ山脈周辺、中央アジア北部にかけて鉱山帯が東西
に走っている。この鉱山帯に沿って銅等の鉱床があるわけです。興味深いのは鉱床
近郊でこの彩文文化がみられることです。」
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/009.html
「それは1970年代に江上波夫博士が既に指摘していますが、この彩文土器群が中国
の甘粛・青海地方、特に馬廠期と幸店期に属する彩文土器との間に土器形式、彩文
文様において多くの類似点が見られたからです。」
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/saimon-04.html#009
ミタンニの調教師キックリ(キクリヒメ、高句麗と同根か)がアーリア語を使用するのは
羌族がミタンニに入る以前にトルクメニスタンにおいてアーリア族に軍事技術を提供して
いた、いわば、移動する防衛商社のような側面を持っていたことを物語るのでは。

147 :月光仮面:2008/04/12(土) 13:54:46
>>145 ユーラシアステップ地帯諸文化↓
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/figure%201%201900.jpg
注目すべきは橙色、カスピ海南東、アナウ方面のポイント↑これについてはグーグル
マップ上でも示した。↓ここで北西から来てアフガニスタンに向かうアーリア族と合流し
たものがあり、別動隊はミタンニに入ったのでは。
http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=34.161818,60.117188&spn=60.761705,104.941406&t=h&z=3&msid=105354277957541607818.00044a940dae5e2900c1a&mid=1207975091

148 :天之御名無主:2008/04/12(土) 14:31:13
祇園祭の山車の車輪と、一般の担ぐ神輿の違いはどこから

149 :月光仮面:2008/04/12(土) 15:11:35
祇園・高山山車にあるスポーク付車輪は古代ユーラシアの「モバイル化」のシンボル
として菊文、インド・中近東・地中海諸国の神殿を飾るが、日本では皇室、善光寺等
でも使用される。国家の成立と共に太陽神のシンボルにもなる。かぐや姫にもあるとおり
天界との往来に特に昇天に車が使用される。山車自体で神聖なもので、昔は墳墓に
埋葬されあの世での昇天を託されたようだ。他方神輿は御霊の乗物であり、車輪以前の
御霊の籠もる古墳がモバイル・モードに入ることを意味するもので、この起源のほうが
古いのではなかろうか。

150 :月光仮面:2008/04/12(土) 15:56:05
岸和田のだんじりはどうもこれ↓牛頭天王クラスのシバ神のニギタマ、ヴィシュヌ神
「ジャガーノート」の語源はヒンドゥー教のヴィシュヌ神の八番目の化身であるクリシュナ
の異名、ジャガンナート (Jagannath) である。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/Juggernaut_-_Project_Gutenberg_eBook_11921.jpg
英国人は山車に轢かれる願望があるのではなどと思い、"Juggernaut"を暴走重車両
の代名詞にしたという。日本にどのような経路で伝えられてのか極めておもしろい。

151 :天之御名無主:2008/04/13(日) 02:45:09
>>150
へー、まるっきり山車だ、インド人が大和まで引いてきたとはね
そういえば百済に仏教を持っていったインド人がいた
百済には神輿のような文化はあったかもしれないが、山車があったとは見聞きしないな

152 :月光仮面:2008/04/13(日) 12:06:55
欧米には謝肉祭の山車があり、起源については山車に舟を乗せ太陽神アポロを敬った
というのと、断食前の肉の食いだめのようなものと2説があるようだ。日本のは舟を載せ
る方に近いのだろうか。


153 :月光仮面:2008/04/14(月) 14:57:13
>>139
馬がらみでは秦氏、羌族が中近東、インド文明形成に大きな役割を果たしたのでは
ないかということも考えられるが、ヒッタイト、ミタンニ、カッシートの時代がステップ
地帯のスキタイ、匈奴、フン、東胡、月氏、鮮卑に取って代わられる頃、チベット高原
西方、カイラス山の北方でシャンシュン王国が勃興するが、これはどうも羌族とは異
なるトン族のようであり、ヒマラヤを東進し太平洋岸に進出した可能性もあるが、
言語学的には遠い昔に台湾北東部、花蓮付近にいたようであって、琉球と本来的に
関係があったのかも知れない。

154 :月光仮面:2008/04/14(月) 15:40:01
金[広東語ではカム]首露王陵の隣にある。伝説によれば、インド阿踰陀(アユタ)国の
王女で、許黄玉(ホファンオク)という。はるばる船で金海まできたという。48年に首露と
結婚した後、189年に157歳で亡くなったという。古墳は 1641年に修築されたもので、
わきには王妃がアユタ国から持ってきたとされる石塔が建っている。婆娑(パサ)石塔
といい、韓国では他でみることの出来ない形式の石塔である。[五重塔に似ている]
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/gimae_004.htm
荒波を静める力を秘めた婆娑石塔は神秘的な石塔として漁師達に航海の守り神として
何度も持ち出され、その度に破損したと言われています。この婆娑石塔は赤い色をした
石が6段に重なった状態になっていて、この赤い石は韓国には存在しないものなので、
インドから船に載せられてはるばる来たことを強く裏付ける証拠でもあります。
 また、この婆娑石塔こそが、首露王陵でも見られた絵に登場してくる塔なのです。
(写真右参照)当時の駕洛国がインドのアユタ国と文化交流が行われていたことが窺
い知ることができます。[金毘羅、象頭山などはこのへんからか、尾道の玉の岩は
カイラスを見たことのあるトン族でないとわからない]
http://www.marupu.com/main/area/img/sulowang11.jpg
十三重塔(室町時代) 重要文化財 父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・
不比等に よって西暦678年に建立されました。現存の塔は、享禄5年 (1532)の再建
で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。唐の清涼山宝池院の塔 を模して
建てられたと伝えられています。高さは約17メー トルあり、屋根は伝統的な檜皮葺き
です。神仏混淆時代の名残であると同時に、談山神社のシンボル的な存在です。
http://www.tanzan.or.jp/st-hp1.jpg
[仏教公伝以前なのだ]

155 :月光仮面:2008/04/14(月) 19:07:44
こんな木造建築技術を持っている民族ってトン族以外にある?みのさん、多摩ホーム
は無しだよ。↓
http://video.google.com/videoplay?docid=-6050673836854498204
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cc/Dong-minority-bridge-1.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Dong-minority-bridge-2.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dd/ZhaoxingDrumTower.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a2/Chengyangqiao%2C_Guangxi%2C_China.jpg

156 :月光仮面:2008/04/15(火) 15:23:17
初代卑弥呼は神武皇后とされる媛蹈鞴五十鈴媛命だ。媛蹈鞴、天照大神、太陽神の
銅鏡、内行花文鏡、蹈鞴と言うのは鏡と言う言葉が定着していなかった近畿における鏡
の代名詞。五十鈴はサナゲ等と称された銅鐸の代名詞、[青銅]鋳鈴であろう。従い媛蹈
鞴五十鈴媛命とは天照大神と嶽神・水神である銅鐸神を奉祀する女王と言う意味で、
銅鏡先進地筑紫と銅鐸圏、近畿・東海共立の女王の意味であり、共立女王は畿内にお
いて成立したこと、つまり、拘邪韓國の辛国息長垂姫大目尊等とは関係のないことを表
している。

157 :月光仮面:2008/04/15(火) 15:31:22
古事記に言う「ホトタタライスキヨリヒメ」とは、「ホト」が「浮図 浮環,仏図とも書く。
中国で仏教伝来から南北朝時代にかけて,仏陀または仏塔を呼ぶのに用いた言葉。
サンスクリットのブッダ buddha の音写,あるいはストゥーパ stupa の誤った音写と
される。〈仏陀〉を意味する用法は,史書などに見いだされ,仏教徒の間では避けられ
た。しかし〈仏塔〉を意味する用法は,漢訳仏典のなかにもしばしば見られる。ただし,
中国における仏塔は,三層浮図とか九層浮環というように,重層の仏塔を指すことが多
かった。」とされ、仏塔を表すが、タタラが青銅鏡を意味することから、仏塔をイメージする
銅鏡、すなわち、方格規矩鏡のことで、国土の魂、大和大国魂を表す。これを奉祀する
のは国に唯一の天下人、共立倭国女王であり、意味においては媛蹈鞴五十鈴媛命と
同一になる。

158 :月光仮面:2008/04/15(火) 15:40:33
>>154
仏教公伝以前にも婆娑石塔であるとか、豊前には天竺から霊剣が飛来したという
伝承があり、シャンシュン王国には須弥山信仰があった。仏塔でなく、宝塔であっても
おかしくはないが、後漢で浮屠の教えが流行しているのであるから周辺国に浮屠が
「ホト」として伝わり、それが古墳と言う新しい盛土式の崇拝対象、墳墓を意味したと
してもおかしくはなく、逆に「女陰」というのはどう考えても意味を成さない。


159 :月光仮面:2008/04/15(火) 15:54:42
しからば、伊都国の三雲・井原鑓溝・平原での方格規矩鏡・舶載内行花文鏡・国産大型
内行花文鏡の蓄積は何を表すのかといえば、これは後漢書、魏志倭人伝で倭人国の
北岸とされている拘邪韓國から倭の伊都国、奴国(遠賀川流域香春方面も含む)への
鉱業・冶金に関する祭祀システムを国内的にリロケーションしたことであり、伊都国の
倭面土国帥升等によって始められたのであろうが、北方の漢四郡、高句麗、鮮卑等の
圧力に備えて前線を後退させる戦略で、大和への立地に際してもこうした長期的な読み
があったのかもしれない。

160 :月光仮面:2008/04/15(火) 16:31:21
しかし、その後の歴史はポーハン製鉄が八幡に引越ししたが、安い上海製鉄に押さ
れてというような曲折があるが。


161 :月光仮面:2008/04/15(火) 17:06:23
>>158
倭人伝当時女王の座にあったのは倭迹迹日百襲姫命であるが、姫が「箸で陰部を突い
て死んだ」と言う解釈はありえず、土師をして古墳を築かせ、つまり、寿墳の建造を命じ、
神去られたとしなくてはならない。三輪山に磐座を築いた集団との間に何らかの対立が
あったのか、或いは、はるか狗奴国の謀略にかかったのかも知れないが。

162 :月光仮面:2008/04/16(水) 18:41:18
>>159
セムの子孫アブラハム(Abraham)の一族は、父の代にメソポタミア(Mesopotamia現在
のイラク)のチグリス川、ユーフラテスの合流点の近くにあった町ウル(Ur)を捨て、ユーフ
ラテス川沿いに、理想の地を求めて今のイラク、シリア、レバノン、イスラエルを流浪し、
長い苦難の旅を続けた。・・・ところで、拘邪韓國・金冠加羅だが、
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.220376014217656&lon=128.99353693761861&sc=5&mode=aero&type=scroll
http://www.pusannavi.com/airport/pusan.html
大和・広瀬神社だが、
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34.591448433566384&lon=135.7477553931979&sc=4&mode=aero&type=scroll
http://kamnavi.jp/mn/nara/hirose.htm
下賀茂神社だが、
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.03095118427193&lon=135.7755893997749&sc=4&mode=aero&type=scroll
天の安川原とは、ナイルデルタのようなところで、それがアヴァリスだ。浅草も
そうだろうか。

163 :天之御名無主:2008/04/17(木) 03:12:49
ユーラシアに鯉のぼりに類似する文化は?

164 :月光仮面:2008/04/18(金) 10:52:47
>>153-155
セイマ-トゥルビノ、カラスク、バンチャン、テン王国/三星堆、高霊伽耶、金冠加羅を
結ぶ茶馬古道青銅器文明の存在が浮上するであろう。これが、環黒海青銅器文化圏、
黄河青銅器文化圏(殷)の東西の青銅器文化圏のそれぞれに影響を与えたという大き
な歴史的背景を抜きにしては日本史も、ヒクソス・ヒッタイト・ミタンニ・カッシート・アーリ
アの歴史も説明がつかない。それは失われた地平線、洪水に沈んだ長江文明の残影
であるのかもしれない。



165 :月光仮面:2008/04/18(金) 11:15:03
秦始皇帝の下で明るみに出た儒家と法家の対立をユーラシア青銅器技法における
合理主義と非合理主義の対立とするチョールヌィフの分類は殷の銅鈴と綏遠の銅鐸
の相違に現れている。前3世紀に韓国忠清道(百済)に忽然と降って湧いた青銅器文化
は雲南・昆明方面の影響を受けている。そして、高霊伽耶にもチベット・雲南・昆明方面
の女王制度ができる。これが後漢・魏の金印外交時代に大月氏方面とも連携し、金冠
首露王・許黄玉の結婚伝説となり、倭国にも多くの姫が登場するが、天照に統合され
残りのものは三輪神社に整理されているようである。前3世紀に韓国忠清道(百済)に
忽然と降って湧いた青銅器文化は秦の国家的支援無しにはありえない。徐福はソウル
に上陸、洛東江に平原光沢の地を得た。そして日本の銅鐸は徐福の子孫によって拡散
されたと考えたい。

166 :月光仮面:2008/04/18(金) 11:23:23
甘粛斉家文化時代の秦氏による馬の家畜化とタイ・雲南のロストワックス工法までに
発展する青銅器技術がユーラシアを席巻し、ヒクソス、ヒッタイト、ミタンニを生んだ。
ミタンニいおいてアーリア族と共にインダスに入ったものの内、トン族とか、ギャロン
がニューデリー方面からカイラスに入り茶馬古道を東進して帰還し、それが秦・漢・
魏・・・の時代に朝鮮半島、日本へと入ってくるといったコースもありえる。

167 :月光仮面:2008/04/19(土) 12:51:11
>>165
「弥生時代の銅鐸の文様の源流について南からの工人達は,朝鮮半島で土着化し,
その後渡来したことも考えられる。その場合は朝鮮半島にも痕跡がある筈である。
ここで朝鮮無文土器時代の有名な防牌(盾)形銅器に触れておきたい。この器物は,
その文様から農耕祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現
(図27)は,石寨山型銅鼓等に施されている人物表現(図28・29・30)と酷似している。
この防牌形銅器は,朝鮮では異形青銅器と分類される一連の器物の一つである。
これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現
れて短期間で消えていったとされている。これらの諸点は,これらの青銅器が朝鮮半島
本来のものではなく,外から入ってきた要素であること,またその製作にはそうした要素
の関与があったことを暗示しているように思える。」
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

168 :月光仮面:2008/04/19(土) 13:15:41
台湾花蓮アミ族にも見られるが、東遷中の神武が日向灘辺で目撃している。台湾、
沖縄、西部九州には母胎回帰の亀甲墓文化があり、神武の目撃したのと糸満の
ボートレース、銅鐸文様のインデアン様鳥羽の頭飾がある。神武が吉野で遭遇する
イヒカは高霊伽耶正見母主の天空神、真床男衾に関係がある。天空神を泉に映す
ということである。
■■■▲▼▲【考古学NEWS速報】▲▼▲■■■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1067442984/menu463
これは
バイキング時代の盾
http://prostosayt.by.ru/rolevye/armor/vicshit.html
http://prostosayt.by.ru/rolevye/img/5/image402.jpg
http://prostosayt.by.ru/rolevye/img/5/image406.jpg
と関係があるが、南米モホスの弥生東北人形質、遼東山東遺伝子認定済み
の棺のふたにあったのは
http://drunemeton.narod.ru/images/Martebo_I.jpg
楯の取っ手
http://prostosayt.by.ru/rolevye/img/5/image204.jpg
これは
石冠
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/jyo3kan.JPG
カザフスタン東部からチベットに入る多弥、摂津へは登美、そして讃岐、阿波、安房
には富彦が降臨する。アルタイトゥーヴァ国立大学筋によればトミというのはチュルク・
モンゴル、つまりスキタイ期匈奴のようである。セイマトゥルビノがキーポイントになる。
そこからポーランド・沖縄にジュリ馬が伝わっている。しかし、沖縄のシーサはモンゴリア
高原・アンドローノボ文化との関係を示唆する。

169 :月光仮面:2008/04/19(土) 16:28:25
巴形銅器の起源については↓ここに書いたが、
■■■▲▼▲【考古学NEWS速報】▲▼▲■■■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1067442984/menu465
要するにエジプト、中近東に出現するフルリ・カラスク文化がスキタイ時代に
モンゴリア高原・新疆・甘粛に帰還する頃の産物であろう。匈奴としてモンゴリア東部・
満州に相当留まった後に朝鮮半島経由日本、そして、チベットに「トミ」族として入った。
神武とバッティングするトミの長髄彦等がこれであろう。


170 :月光仮面:2008/04/19(土) 17:13:39
↑「 唐代、現在の青海省に多弥という民族がいた。弥は人を意味するミであろうから、
ド人、あるいはト人である。前述の陳宗祥氏によれば、白馬族の自称ド、アムドのド、
トス人のト、そしてこの多弥(トミ)、どれも共通するものだという。青海省から四川省に
わたる広範域にトミは分布していたのだ。その論を敷衍すれば、ネパールのタム、
タマン、タミの先祖はトミと考えられないだろうか。」
http://nierika.web.infoseek.co.jp/sokonroj.htm
タマホームはなかろうが。

171 :月光仮面:2008/04/19(土) 17:25:13
>>164-167
バックデータ
http://www.mekong.ne.jp/directory/wat/shizhaishan.htm
http://www.geocities.jp/silkroad_tanken/katsudou_tp16/others/shishido_seinan_silkroad/shishido_seinan_1/shishido_seinan_silkroad_1_.html
http://www.geocities.co.jp/silkroad_tanken/katsudou_tp16/others/shishido_seinan_silkroad/shishido_seinan_2/shishido_seinan_silkroad_2_.html
アーロンもこの辺から出たのかと思うほどの牛の銅像もある。
http://huurai.web.infoseek.co.jp/sub14.html
http://www.geocities.co.jp/silkroad_tanken/katsudou_tp16/others/shishido_seinan_silkroad/shishido_seinan_3/shishido_seinan_silkroad_3_.html
http://www.tf-travel.com/guanguang/sanxindui.html
http://www.city.itoman.okinawa.jp/footer/img/map.gif
http://www.city.itoman.okinawa.jp/site_hare/rekisi/newpage2.htm
http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sannseitai.htm
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/china/sanseitai.htm
http://www.inv.co.jp/~tagawa/sansei/
http://www.asahi-net.or.jp/~DX7Y-ARI/sanxingdui.html

172 :月光仮面:2008/04/20(日) 09:49:57
>>169
「類例:巴型銅器は弥生時代後期から古墳時代前期にかけて存在します。その内で
弥生時代後期の巴型銅器は、北部九州地域を中心にして分布しており、関東地域まで
点在します。現在まで報告されている巴形銅器は17遺跡31点。評価:朝日遺跡出土
の巴型銅器は東海地域では初例であり、唯一の出土資料である。大阪湾以東では
型式的にも最古段階の資料であり、半球形座としては5例目。全国的にみても、最古の
資料と考えられる佐賀県桜馬場遺跡出土品と類似する極めて貴重な資料である。
ただ、鈕や脚の特徴から、北部九州地域の巴型銅器とは異なり、朝日遺跡を中心と
した当地域にて製作されたものと思われる。」
http://www.maibun.com/open/archives/002/
佐賀県桜馬場遺跡
「銅鏡2面は、「流雲文縁方格規矩四神鏡」と「素縁方格規矩渦文鏡」でいずれも王莽
の新代から後漢初期の鏡である。」「桜馬場遺跡出土の巴形銅器(ともえがたどうき)。
盾などにはめ込んでいたようである。3個発見された。」どうもここが倭面土国のようだ。
http://inoues.net/club/sakurababa.html


173 :月光仮面:2008/04/20(日) 10:05:18
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2005_05_01.htm
金冠伽耶というのはマンハッタンとか、堂島といったところで、弁辰にある○○ミツ
国なんていうのは倭国地方小国の出先機関で金冠伽耶はそれらを統合するもの
でその兵站として臨海島嶼部に拘邪韓國があったような気がする。

174 :月光仮面:2008/04/20(日) 11:54:01
英語版Wiki---アジア人、特にペルシャ人はアジアのスキタイ人を「サカ」と呼ぶ。南ア
ジアでは「サカ」が転じて「Shaka」となる。ヘロドトスは彼らをスキタイ人と呼び、「Sacae
すなわちスキタイはズボンをはき、ピンと立ったとんがり帽子をかぶる。自国特産の弓と
短剣を持ち、更に、sagarisという戦闘斧を持っていた。彼らの実体はAmyrgian(西部)
スキタイ人なるも、ペルシャ人はSacaeと呼んだが、これはスキタイの総称がそうであっ
たからである。」と記している。---元々は南ウクライナ平原ではなく、カザフ草原の
アラル海北岸の出身とも言われている。紀元前9世紀頃モンゴル高原に出現する鹿の
文様が施された「鹿石」がスキタイの起源と関係があるとも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4
パストラル・ノマディズム(牧畜移動民族)の中心地アルジャン、
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/2Arzhan.jpg
http://www.archatlas.dept.shef.ac.uk/EastWest/EastWest.php
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/PazyrikHorseman.JPG
巴形銅器は楯の飾り、王権の象徴として、ここからサクソン、バイキング、匈奴、倭面
土国へと流れたのだろう。

175 :月光仮面:2008/04/20(日) 12:01:06
坂上田村麿、Sacae Tamerlan麿と言う風に読めるし、事実この第二代征夷大将軍は
肉食の白人で、罪滅ぼしに清水寺を建立したとされる。

176 :月光仮面:2008/04/20(日) 12:16:29
エジプトから帰還するヒクソスの行宮を見てパレスチナの羊飼いはタバナクルを作っ
たのであろうが、最終的には日本のお宮に成り変ったようだ。金冠伽耶もそうした
行宮と見ればそれは古代のプロ野球のキャンプ地だといって笑い飛ばせる。
カッカッカ。

177 :天之御名無主:2008/04/20(日) 16:20:55
>>174
ブッダもシャカ族の出身なんだよね。
シャカの語源はスキタイ人の呪術者をシャーマンと呼ぶことにあるらしい。
シャーマンは本来、向精神キノコやソーマ酒つくりに長けたシベリア系スキタイ
呪術者のことなんだよね。今でも鹿や虎などをトーテムとしてサイケデリックな衣装なんか
印象的である、ヘロドトスの歴史によればスキタイ人は大麻をテントで燻し陶酔につかってたらしい。


178 :月光仮面:2008/04/20(日) 16:30:41
サハ共和国のサイトにサハとは釈迦同様サカ族のことで、昔、インド方面から商人が
来たという伝説があるとあって、ウッソと思ったが、やはりなんかあるかも。大麻で
悟りを得ても癖になるんじゃねー。

179 :月光仮面:2008/04/20(日) 17:07:25
「Kerch近郊Kul'Oba クルガン埋葬出土琥珀金酒盃表面画像から転写したスキタイ
戦士。右の戦士は弓を膝で押さえて張っており、帽子は典型的なとんがり帽子で、毛皮
又は羊毛製の裾をトリミングしてあるジャケットを着て、短いブーツはくるぶしの上で縛っ
てある。見たところ、髪は通常伸ばしっぱなしで束ねず、成人男性は全員ひげを伸ばし
ている。共に、槍乃至は投槍を持つ左の2名の戦士は会話中である。槍を持つ無帽の男
が左足をゆすぶっているのがはっきり表現されている。」
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/03/Scythian_Warriors.jpg

180 :月光仮面:2008/04/22(火) 12:52:52
>>178
サハの掲示板を見ているとSakaと言うのは古イラン語で「鹿」の意味だという。古代エジ
プトではSagazというのが出てくるが、時期的にSakaと合っている。ファラオ・イクナートン
の首都で出土した楔形文字粘土板ではこの部族は単に「ハビリ」ではなく、詳しくは「ハ
ビリ・カルブ・ハルキ」khabiri-kalbu-khalkyと呼ばれている。「ハルク」はバシコルドおよ
びクルド語では「族」、「カルブ」はクルド語で「犬」、全体としては農耕犬族の意味。
これとSagaz(鹿族)を同等視するのは鮮卑の語源、犬鹿氏時代のこと。その頃ハルハ
方面の鹿族、黒竜江方面の犬族が混然一体であったという。

181 :月光仮面:2008/04/22(火) 13:04:00
ユダヤ民族がエジプト人からHabiru-Sagazと呼ばれたのは北方遊牧民と同一視された
と言うことでないかと思う。少なくとも言語的にユダヤ人はアラブと同じセム族であり、
北方系はフルリ語である。

182 :月光仮面:2008/04/22(火) 13:57:58
Sakという語根には犬、鹿の他に武具も含有されており、戎、物部と同意となる。
日本的に言えば物見櫓環濠集落集団といったところか。

183 :月光仮面:2008/04/22(火) 15:19:00
その後のユダヤ人
Khwarezmian Shahdom中コーカサス山脈
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4d/Premongol.png
コーカサス山脈北麓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/da/Khazar0.png
Khazar Khanate最大版図
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:NE_800ad.jpg
アシケナージ分布
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/Rzeczpospolita.png
邑婁(Poltse文化)跡地に移動させられる。宿縁なのか。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Map_of_Russia_-_Jewish_Autonomous_Oblast_%282008-03%29.svg

184 :月光仮面:2008/04/22(火) 15:44:43
>>170
トミと言うのはチュルク・モンゴル系スキタイ族がスキタイの地母神・竈神TabitiをTumat
と訛って借用したものでTibet, Toba, 兜跋、拓跋、投馬等は同じようであり、日本では登美
長髄彦、阿波・安房のトミビコにも現れるが、九州・沖縄には箱式石棺墓で上陸、本州の
石積古墳、沖縄のグスク、高句麗の山城、将軍塚、チベット雲南の石積遺跡、オボー等を
もたらしており、高霊、高良、高句麗、句麗、呉等も同じことであると。つまり、クシフル
のフル、布留等には社の意味があり、本来の意味は金の角の間に太陽をはさむ金色の
鹿を意味する言葉らしい。クシはGeser, Caesar等にも含まれる語素であり、「世界四神」
の一柱であると。

185 :月光仮面:2008/04/22(火) 16:12:45
犬はSanskrit語でkurkura/kukura、Proto-Nostratic *k[h]uwan-/ *k[h]uw&n-、犬族は
黒竜江省を出て、BMAC(ホレズミ、フルリ人の土地)においてアーリア語によりkurkura/kukuraと称するようになるが、ミタンニ国からヒッタイトに出向き馬の調教をする
際にkurkuruが一回りをaiwa warutannaと言うのがヒッタイト人には面白かったのかもし
れない。この犬族が帰還後高句麗となり、白山のキクリヒメとなるのであろう。アーリア
語のkurkura/kukuraと同じ犬と言う意味のタヒチ語はkuri, uri-というので、金海加羅に
南方から姫が輿入れする際に来たという線がないわけでもないが。しかし、これは
出どこが台湾・沖縄方面であってユーラシアを右回りしたのかも。


186 :月光仮面:2008/04/23(水) 17:12:26
【今日のところの世界史と日本史】
趙宝溝文化(7400〜6700年前)ダフールが無紋土器開始。
参考↓米イスラエル吉林内蒙古赤峰国際協力考古研究プロジェクト、趙宝溝文化
土器
http://www.pitt.edu/~chifeng/pottery/Zhaobaogou4a.jpg
http://www.pitt.edu/~chifeng/pottery/Zhaobaogou4.jpg
http://www.pitt.edu/~chifeng/text.html
富河文化 (6700〜6000年前)ダフールがドナウ河Suvorovoにおいて馬飼育技術
取得。参考→独鈷石様鎚矛先
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/mace%20heads.jpg
ド参考→ナウ・トランシルヴァニア地域Suvorovo墓地遺跡出土
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/suvorovo%20map.jpg
紅山文化 (6500〜5000年前)ダフールがBotaiにおいて馬を生産。
小河沿文化(4500〜4000年前)特になし。
夏家店下層文化(4000年〜3500年前)。ダフールが半島、列島に侵入開始。
Andronovo文化 (3500年〜3000年前) 羌・羯がBotaiで馬技術を取得、オレンブルク・
カルガリー銅産地でセイマ・トゥルビノ青銅技術を取得、BMACでインド系文化、
アーリア系文化を取得し、フルリ人としてミタンニ、ヒッタイトに、ヒクソスとしてエジプトに
入り、他方では、夏及び百越経由バンチャンと接触する。夏の東方に商が興る。
春秋戦国時代(3000年〜2300年前)半島列島・無紋・弥生土器時代。
参考↓
http://www.moco.or.jp/jp/intro/intro_3/intro_3b.html
秦・列島青銅祭器時代(2300年〜1800年前)列島に羌・羯・百越の進出が始まる。
列島古墳時代(1800年〜1400年前)列島古墳時代。アルタイ・モンゴリアから列島、
チベット、雲南へ羌・羯・百越の移住が多くなる。

187 :月光仮面:2008/04/24(木) 10:29:36
「独鈷石(とっこいし) 縄文後期〜晩期、さらには弥生時代の前期・中期の境頃まで、
主に岐阜・福島県などの東日本から見つかる石器です。・・・この独鈷石についても、斧
や槌といった実用利器がシンボル化して独鈷石のような形になったんだという説と、「こ
れの原型となった実用石器は見つからず、独鈷石は最初から非実用的な石器として
製作されたのだ」という説があり、決着はついていません。
 ただいずれの説にしても、最終的にこの独鈷石が「非実用的(非日常的)な用途に用
いられた石器」で「祭祀行為に用いた道具」だったのではないかとする点では共通して
います。」
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/jyo6toko.JPG
ドナウ河Suvorovo独鈷石様鎚矛先
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/mace%20heads.jpg
↓右クリックプルダウンで拡大するとプルート河河口のSuvorovo墓地に矢印が
向いている。
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/suvorovo%20map.jpg
巨大な欧州金石併用時代の終末に東方の遊牧民は独鈷石を使った獅子舞、
金蔵獅子のようなことを行っていたのではなかろうか。Varna文明は地中海方面から
貝の装飾品、腕輪、角杯のようなものも入手しているが、古代若狭、越前、大和、
木曾方面と似ている。



188 :月光仮面:2008/04/24(木) 10:47:12
千木、高床のトリポリエ神殿、牛頭(ブクラニア)信仰を持つトカラ移動農耕牧畜集団は
アファナシエボ文化時にターリム盆地に入り羌族に影響を与えた。羌族も羯族、印欧、
インディック族とカザフスタン錫産地、ウラル・カルガリー銅産地において環状集合住宅、
都市点在国家を形成し、この際に天御中主のような考えが生じたのではなかろうか。


189 :天之御名無主:2008/04/24(木) 13:02:50
あめのみなかぬしはYHWH

190 :月光仮面:2008/04/24(木) 13:48:26
内蒙古師範大学アジア民族起源研究所Mang Muren研究員(76歳/2005年)は、犬鹿氏
と言う民族があり、モンゴロイド形成期のBP15000年中石器時代太古内蒙古Zdalai
Nuur、黒龍江省チチハルに居住し、その後、犬族と鹿族に分裂、「犬飼」は黒竜江中流
及び松花江上流のハルピンYanjiagang、チチハルAngangxiのような里山地帯、「鹿飼」
は満州里Mogushan及びHulunbuirのGaxiandongのような山岳・森林地帯に住んだと
する。犬鹿氏はモンゴル、中国の多くの民族の祖。他方YDNA haplogroup O2b1*は
ダフール人であるが、朝鮮人はO2b1*、日本人はO2b1aと言う風に、すなわち、ちょうど
YAP+がほとんど朝鮮に存在しないように分かれている。このことは鹿飼がO2b1a、
犬飼がYAP+として日本に入り込んだことが考えられる。英文Wikiではその頃をBP4000
年頃としている。こうした朝鮮半島をスキップする移住の原因は火山列島である日本の
方には朝鮮より多くの里山、山岳地形があったからであろう。しかし、金石併用時代の
ドナウ河流域/シュメール、後期青銅器時代の中近東/エジプトに進出したのはまだ
犬鹿時代の混合集団であったのではないかと思う。

191 :月光仮面:2008/04/24(木) 16:59:58
>>178
http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0007.html
「お釈迦さまは物語を終えると四聖諦の説法をされて、 「その時のサーカ鹿王はデー
ヴァダッタ、雌鹿は長老尼で、子鹿はクマーラカッサパ長老、王様はアーナンダで、
ニグローダ鹿王こそは私であった」 と過去と現在を結びつけられました。」
お釈迦様に代わり補足説明すると、「その後、私はレナ、エニセイ、シルダリア、アム
ダリアの河を越え、パミールの西をインダスへと向かい、そして、ガンジス河にたどり
着いたのであった。」

192 :天之御名無主:2008/04/25(金) 06:21:54
新王朝期の上エジプトを攻略したヒクソス即ち前期アーリアの神々を信奉する民族は、ミタンニ、カッシートそしてザクロスに諸国家を打ち立てた。
ギリシアにおいてはホメロスの英雄叙事詩に語られるように地中海世界を一変させ東アナトリアを荒廃しバビロンを滅ぼしユダヤ民族の勃興を促した。

BC2000年期にインダスの諸都市を破壊したと謂われているインドアーリアとは違う民族だ。
ましてそれがモンゴロイドの氏族であることはありえない。




193 :月光仮面:2008/04/25(金) 08:02:29
>>192
>BC2000年期にインダスの諸都市を破壊したと謂われているインドアーリアとは違う
>民族だ。 ましてそれがモンゴロイドの氏族であることはありえない。
インドでは逆にインダス文明からBMAC(ウズベキスタン・トルクメニスタン方面)に
文化が流れたのではないかとしている。エニセイ川流域ではインド人のような南方系
形質の人骨が出土しているし、血液型においてもユーラシア中央部の南北は同一。
しかし、インド北西部には地中海民族形質もあるので、双方向の流れがあり、決して
一方方向、直流的な流れではなかったのではなかろうか。欧州からアジアに到る
犂、プラウの源流はインドから出ている。

194 :月光仮面:2008/04/25(金) 08:30:51
カッシートについてはクドィルという石碑による国土保全政策が日本の猿田彦神社
配置による国土保全策と似ている。おしなべて、中近東のテル、フユク、デペなどと言う
高城が朝鮮山城、アマゾン・モホスのテラプレンと似ている。ハワイのポリネシア文化
センタで聞いたんだが、古代海洋民には碁石のようなものを双六のように並べる文化
があったらしく、どうも、ナスカ地上絵の習慣と似ているが、例のモホスの巨人はDNA、
形質鑑定で山東、遼東、日本東北と言うことまで決定されているんだから、総合的に
インカ山岳文明の中核は日本人と同じ系統であったといえるんじゃなあ以下と思ってい
るんだが。ナイルのクサエをヒクソスの国境とするのは登美の長髄彦の国土境界
クサエのサカと同じで、クは狗、サエ/サカは鹿、犬鹿族(クサカ部、拘邪韓)と言うのが
倭人の意味でなかったのかなー。

195 :天之御名無主:2008/04/25(金) 09:10:59
インダスの都市にいた人々、彼らは何者だったのか・
モヘンジョダロの或いはハラッパーそして港湾都市チャンプダロ
そこで発見された人々はそこに居た人々ではない。
滅びた都市の瓦礫に住むものは哀れな侵略者だ。
破壊と簒奪が過ぎ千年の時の後
ヴェーダとウパニッシャドが語られそしてうまれた。

南部インドのドラヴィタの人にも地中海民族形質は入っている。
カピラバスの王子はモンゴロイドとアーリアのハーフでした。



196 :月光仮面:2008/04/25(金) 11:20:46
最終氷河が終わった時に現在の砂漠地帯にはエデンの園のような生態系が現出
したが、神は楽園を人間の叡智に任せた。人間は子孫繁栄のために戦争を始める。
インダスの楽園が失われたのはシュメールとガンジス、南インドの興隆と北方民族が
馬の家畜化、牽引、騎乗技術、二輪車、騎乗戦闘技術を高めてきたことによるのかも。
西日本、長江流域が喜界カルデラのような不可抗力によって衰退するのとは対照的
な現象であろう。

197 :月光仮面:2008/04/25(金) 12:18:50
>>166
↓このトリポリエ様式が日本神殿の源流だ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Tripolye_hut.jpg
これは小河墓の堅魚木を加味した棺の様式と共に「9本の柱からなる平面を維持し,
その中央の柱を他より太くしてこれを神秘の柱とし,両妻中央の柱を少し壁より外に
ずらして棟持柱とする」様式を持っている。

198 :天之御名無主:2008/04/25(金) 12:37:24
>>197
それは違うとおもいますけど。

199 :月光仮面:2008/04/25(金) 14:41:57
欧州環境悪化はククテニ・トリポリエ文化の、一つにはウバイド・シュメール文化文化とし
てのメソポタミア進出と、もう一つはトカラ・アファナーシエヴォ文化のターリム盆地進出
、やや遅れて、印欧語族、バイカル湖周辺犬鹿族のカザフスタン馬家畜化・二輪車・
騎乗文化・錫による後期青銅器文化開始への参加とエジプト、アナトリア、メソポタミア
への進出、更に遅れてはスキタイ文化、周・春秋戦国時代を招来したのであろう。

200 :月光仮面:2008/04/25(金) 18:36:21
>>198
原型となるククテニ・トリポリエの千木付家屋
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Tripolye_hut.jpg
ククテニ・トリポリエの千木、動画による構造説明
http://www.youtube.com/watch?v=dCCHewqJvQk&NR=1
小河墓、牛皮に包まれた木棺
http://www.china.org.cn/images/158284.jpg
棟持柱建物模型
http://www.museum.or.jp/IM/report/museum_report/reimei/html/6.html
棟持柱建物
http://asake.web.infoseek.co.jp/kiko-21/011.jpg
側面中央の、壁面より外側に飛び出し棟へ達する柱を棟持柱(むなもちばしら)と呼ぶ。
棟持柱は通常太く、強度のある用材が用いられるが、構造上では強度にはあまり寄与
しない。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fe/Ise_Shrine_Meizukuri.jpg

201 :パンティー仮面:2008/04/27(日) 19:25:23
千木ってヨーロッパのどこだっけ?ではアキュラと呼ばれ鷲(鳥)を象徴
してるらしい。日本の神社建築でも本来は鳥をもしたものかもね。
柱の配置は出雲は亀の甲で象徴されてる。

202 :月光仮面:2008/04/28(月) 14:00:37
>>157
神武皇后イスケヨリヒメが共立初代邪馬台国女王であり、次はモモソヒメあたりで、
これが魏志倭人伝の卑弥呼であろうが、イスケヨリヒメの母、セヤタタラ姫、これは
どうも銅鏃・丹塗矢を依り代としている。銅鏃、ゴリュトス(矢筒を兼ねた弓入れ)、
複合弓とあわせてスキタイ(流鏑馬民族)の武具だが、
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/kodawari/silk/silk06.html
http://www.blueridge.edisc.jp/shiromama-new/private/silkroad/silkroad02.gif
http://bp2.blogger.com/_71OM9lkGuVg/RaZE0dIRCOI/AAAAAAAAA90/r-13gZevomw/s1600-h/b5c-4c.jpg
樹下戦士 
http://bp0.blogger.com/_71OM9lkGuVg/RaZFO9IRCSI/AAAAAAAAA-U/I3p6U9Xgy-E/s1600-h/b4c.jpg
これに楯の飾、巴形銅器、ゴリュトスを筒型銅器、そして銅鏃、銅鏃丹塗矢が勢夜多々
良媛のセヤ・・・スキタイ武具の青銅器化だ。

203 :月光仮面:2008/04/28(月) 14:52:11
つまり、神武以前が倭国乱、高地性集落(テル、デペ、フユク、山城)の時代であり、
神武はこれを統一した勢力のシンボルであろう。鏡を祀る巨大女王古墳。今度徳島県
の卑弥呼の墓を放映するというが、神武の皇后の出は淀川摂津三嶋モゾクイと言う辺りで
現在の高槻市辺りかなー。徳島県にいてもおかしくないけどな。

204 :月光仮面:2008/04/28(月) 15:01:52
おそらくスキタイ文化は高句麗、鮮卑方面で活躍中であり、百済、新羅、倭にとって
その南下は国益にそぐわなかったのであろう。スサノオが馬を入れることに対して
アマテラスが禁じている。スキタイ風青銅器はこうした国際環境下の文化的、時代の
先取り的風潮であろうか。

205 :月光仮面:2008/04/28(月) 17:12:05
【今日のところの世界史と日本史】
ダウール/羌がボタイで大型馬、セイマトゥルビノ錫青銅器、チャリオットを得て、中近東を
席巻、ヒクソス王朝を開いた後、ボタイ方面で騎乗、騎射技術を得て内蒙古でオルドス
文化、黄河上流で周を起こした。スキタイ文化誕生は穆天子伝奇に残り、秦、匈奴経由
最終的には弥生末期の日本に入る。

206 :月光仮面:2008/04/29(火) 12:37:15
銅鏃弓、複合短弓、長距離馬、高速騎乗長距離狙撃騎馬軍団、七柱神パンテオン神話
体系はアルタイ・アルジャン・パジリクにおいて誕生、たちまちにユーラシアを燎原の火
の如く駆け巡り、金海、筑紫、出雲、阿波、河内、大和、伊勢、尾張へと普及、更には
遠く関東、東北にまで影響が及んだようである。記紀、道教、北斗信仰、七福神にその
名残が残る。コーカサス・オセチアとか、アブラハム教の天使とか、エズィード教、
拝火教、小河墓の墓標に残る7のシンボルはスキタイに先行する時代から7を重視する文
化のあったことを意味しているが、ヒクソスを撤退してスキタイに入ったダウール/西羌/
南羌はこうした文化の全てを列島に持ち込んだのであって、スキタイパンテオンの解明
は神名の行列方程式を解くような煩雑さを伴う。例えば富彦、登美彦、大黒天、アマテ
ラス、肥後の火焚き乙女に厨の神の属性が残ったりしているのである。

207 :月光仮面:2008/04/29(火) 12:42:59
射程600メートルに達するスキタイの射撃技術に日本が達するのは戦後の自衛隊
ライフル射撃まで待たねばならず、この間は専ら流鏑馬で技術を磨いたようである。

208 :月光仮面:2008/04/30(水) 10:35:05
http://yudukivg.hp.infoseek.co.jp/File003081.jpg
「日本軍の戦法は、まず戦う前に小鏑矢を放ち、名乗りをあげて戦う一騎打ちが慣わし
でした。元軍はこれを笑い、かわりに「てつはう(鉄砲)」という爆雷を投げつけ、毒やりを
放ち集団戦法で日本軍を圧倒しました。九州御家人の奮闘も及ばず、博多の各所に火
を放たれ、箱崎八幡宮も焼け落ち、大宰府の水城まで退きました。」
スキタイとはこの一騎打ちから無名戦士の集団決戦への転換であり、おそらくは、
周の穆王時代には完成し、鏑矢で父を射殺す冒頓単于を神格化したのが松尾(冒頓王)
大社の鳴鏑の神であろうが、日本は観念論的な矢筒、楯、丹塗矢の物神崇拝に終わって
いたということが、騎馬民族論に対する一つの回答となるのではあるまいか。
弥生文化の取得における縄文人の基本姿勢にも新技術導入が主であり、人的交流は
交易等を通して広がった面が大きかったことを物語るのではないかと思う。ダウール、
戎型YDNAの多いのは繁殖力の強さにも依るのでは。

209 :月光仮面:2008/04/30(水) 15:31:20
>>206
ヘロドトスによるスキタイ7柱神のギリシャ神への比定と近そうな七福神
1)Tabiti       ヘスティアー         大黒天
2)Papay       ゼウス             寿老人
3)Api        ガイア              *
4)Hoytosir**     アポロン            福禄寿
 Fagimasada    ポセイドン 恵比須**
5)Artimpasa     アプロディーテー/ウーラノス  弁才天
6)(スキタイ名不詳) ヘラクレス           布袋
7)(スキタイ名不詳) アレース            毘沙門天
*大黒天に大物主として2役
**コトシロヌシと似ているが、Fagimasadaは7柱神の外枠で、王族スキタイ用。

210 :月光仮面:2008/04/30(水) 15:49:32
出雲国造神賀詞に「事代主命の御魂を宇奈提に坐せ」とあるが、「日本書紀に、壬申の
乱の時、「われは高市社にいる。名は事代主神」とし、顕わした予言は的中、天武天皇
から勝利に功ありとされたとある。」
宇奈提と言うのは雲梯、天国へのタラップであり、出雲の高殿のように国の中心に据え
たようである。
http://kamnavi.jp/as/kawamata.htm
天高市神社の祭神は、品陀別命、息長帶姫命、比賣神であり、場所的には
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=25000&el=135%2F46%2F40.675&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F30%2F35.135
畝傍の土は住吉神社に運ばれる神聖なもので、伊勢の雲出川の砂がS字甕に使用され
ることは、雲出も宇奈提/雲梯であろう。神武が天香具山の土で甍を焼いたというのと似
ている。天武はコトシロヌシをポセイドン、ホイトシロと認識していたのかも。ちなみに、
アヴァリス、金海、河俣、雲出川は同じ用に河の合流、分岐点にあり、それを重視する
のはユーラシア・ノマディック・パストラリストの基本行動パターンであろう。

211 :月光仮面:2008/04/30(水) 16:26:46
>>169 楯の飾としての巴形銅器であるが、「コストロムスカヤは、南ロシア、クバン川
流域でも古いクルガンのひとつで、時期は紀元前7〜6世紀頃に比定されている。」
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7a/Horse_burials_and_artifacts_of_Kostromskaya_Kurgan.JPG
このクルガンは周の穆王時代のスキタイ文化を極めて明確に表しており、まるで、
フグサシのように丸く配列される殉葬の馬は穆王のような当時の王の比類ない権力を
表すのであろうが、これが上記の巴形銅器のモチーフとなったこともあろう。

212 :月光仮面:2008/05/02(金) 16:45:16
「古代ユーラシアにおける東方型冶金は西方型冶金より出現は遅かったが、それとは
独立したものであった。「セイマトゥルビノ」冶金はこの種の最初のものであり、その影響
の主要な方向は西方に向けられていた。カラスク冶金はこの後の前2000年紀後半に
出現するが、これは中国文化に向けられていた。西は黒海北岸から東は満州に到る
まで巨大なユーラシアステップ・ベルト地帯がその千年間に形成され、2種の冶金の
架け橋となった。」
http://www.kaogu.cn/en/detail.asp?ProductID=1668

213 :月光仮面:2008/05/02(金) 16:46:12
「前4千年紀末に遊牧民族が大規模で戦闘的な移動を行った総合的であり、且つ、強力
な証拠が出現する。前2000年紀中葉のいわゆる「セイマ・トゥルビノ」現象はこうしたこと
の衝撃的な一例である。これは、アルタイ地方の特定民族全体がステップ地帯北辺沿
いに欧州南東に急激で、戦闘的移動を行ったことを示す一連の考古学的発掘現場が
物語っている。こうした移動は、前第一、第二千年紀の大きな東方からの侵入を
物語る。軍事的拡張に対する大きな障害がないことはユーラシア内陸部を、自然と、
軍事史、そして、それゆえに政治史の一環に変えるのである。」
http://www.uhpress.hawaii.edu/journals/jwh/jwh052p173.pdf
デービッド・クリスチャン(歴史学者)
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Christian_(historian)

214 :月光仮面:2008/05/02(金) 16:53:32
カラスク文化人はモンゴロイド、ヒクソスもモンゴロイド、フルリ語は羌の言葉と
同様の能格言語であり、フルリ人は後にバクトリアに撤退している。それは秦氏の
興る甘粛の彼方である。

215 :月光仮面:2008/05/03(土) 08:51:28
私はセイマトゥルビノ・ホライゾンはダウール・羌遺伝子を持つ玉造窯業鉱業集団の
アンドローノヴォ文化圏を通過して中近東に向かう往路時代のものであり、この時代に
シンタシュタ・アルカイム地域において、馬具並びに祭祀用二輪車の鋳造技術を完成
させ、中近東、特にエジプトにおいてヒクソスとして戦闘二輪車を普及させたことを意味し、
カラスク・ホライゾンとは、それより東寄りの、騎馬民族にまで成長する機動性を持つに
到る、中近東を撤退して中国と内モンゴル地域に展開する文化であったのではないかと
考えている。

216 :月光仮面:2008/05/03(土) 09:02:10
ダウール・羌遺伝子というのは、
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2b_%28Y-DNA%29
↑これがダウール型であり、玉造系、
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D_%28Y-DNA%29
↑これが羌系であり、天孫系
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD.html
http://www.isogg.org/tree/Main06.html
ではないかということなんだが、東アジアのノンピストイヤリング(NPE)の起源と拡散
「日本と台湾のNPEを比較すると、その違いが大きく浮かびあがる。すなわち、日本
(約7000〜5000年前)は非ロクロ系で、これまでも日本の研究者が指摘しているように
北方系の特徴を示す。一方、台湾(南中国からベトナムまでの地域を含む-約3500〜
2500年前)はロクロ系で、リングと受軸器とがセットとなる。」
http://www.nihonkaigaku.org/03f/i031213/t1.html
この玉造系の管錐穿孔
http://www.geocities.jp/tamasakukouzin1/gyokusyounodougu.html
技術はアマゾン・モホスにおいて隼人紋、遺伝子、骨の形質と共に出現している。

217 :天之御名無主:2008/05/04(日) 10:07:39
上げ

218 :月光仮面:2008/05/04(日) 11:01:08
↓鳥型陣形
安本美典氏 邪馬台国東遷説 神話のなかの地名 
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Cusae
宇奈提/雲梯・・・太陽祭祀用の構想タラップではないか。


219 :月光仮面:2008/05/04(日) 11:03:27
↑高層タラップの間違い。
いずれにせよ移動遊牧民的であり、スキタイ神話とも軌を一にしているようだ。

220 :月光仮面:2008/05/04(日) 11:09:16
ヤマトトトビモモソヒメというのはエベンキ語のLamutが馬飼い族、鹿飼い族に対する
海東族という意味であるし、飛ぶ鳥のアスカ、百磯城等を勘案すると連合艦隊司令長官
の高い位置、高御座というのか、から太陽を拝んだということになろうか。

221 :月光仮面:2008/05/04(日) 16:09:28
BC4200-4000年頃ドナウ河Karanovo VIを崩壊に導いた東方騎馬民族には優秀な玉造
技術があり、↓これは日本にも御物石器として残っている。
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/mace%20heads.jpg
この民族がセイマトゥルビノ文化人としてウラルシンタシュタにおいて手がけるのは↓
非常に手の込んだロストワックス青銅二輪車で、。
http://web.comhem.se/vikingbronze/images/chariotmodel.jpg
これがエジプトに入ると実用的戦闘二輪車となる。
http://www.touregypt.net/featurestories/chariot6.jpg
彼らの技術の元は玉造技術であり、二里頭で発見されたトルコ石の装飾品は彼らが
同時に仰韶文明にも影響を与えていたことを物語る。
http://www.asyura2.com/0502/bd39/msg/876.html
この匠の技の淵源は >>216 興隆窪文明にあり、これは縄文の技術と深く関係して
いると考えられる。

222 :月光仮面:2008/05/04(日) 16:28:25
>>216
小河墓遺跡で衝撃的であったのは牛の血が乾くまでに胡楊を製材し、狂いのない棺を
製作できる木工技術であった。しかも角は滑らかに研磨されていた。鉄器を使用した
ような形跡はなかった。遺骸には崑崙山脈の蛇紋石の装飾品があった。つまり、
http://www.nihonkaigaku.org/03f/i031213/t1.html
ここで指摘されている通り、玉造技術集団はこの頃チベット・青海・雲南に向かって
移動を始めていたのだと考えられる。

223 :***********************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************月光仮面:2008/05/06(火) 17:04:58
>>208
蒙古襲来的パターンではないが長期的に満州草原からの牧畜経験のある民族、
主として山岳と平野、水辺を季節的に移動する山戎、トランスヒューマント、が主として浸透
したが、時には平原の戦闘的移動遊牧民、犬戎、も若干入り込み、先着の稲作
民族とは南北、東西、海山等で住み分けるように住み着いていった。しかし、彼等には
共通する宗教文化的な精神的要素があり、イザ鎌倉といった場合には中央、つまり、
纒向であるとか、吉備であるとかに集中したのではなかろうか。

224 :月光仮面:2008/05/12(月) 15:10:05
ファラオの申し子、エジプトを語る。
http://www.luxor-co.com/entertainment/intavew/intavew_0401.shtm
フィフィというのはファラオ・アポフィに通じ、ナイル
デルタには今なおヒクソス↓
http://touregypt.net/featurestories/hyksos1.jpg
の末裔が暮らしており、フィフィさんもそうだろう。
「ヒクソスの拠点となったアヴァリスでは、第14王朝時代にセト神が主神となった。
このことは第14王朝の王ネヘシに対する修辞の1つに「フト・ウアレト(アヴァリス)の主、
セト神に愛されし者」という表現があることから知られる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B9
日本神話のアメノホヒはアポフィスであり、オシホはヨセフのことかもしれない。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg/414px-Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg.png
フィフィさんと久本雅美、柴田理恵さんは血縁関係があるのかも。

225 :月光仮面:2008/05/12(月) 17:03:34
「古代においてさえも既に、多くの鹿石は処分され、破壊されるか、或いは、他所に移動
された。祖先の御霊を表したものを処分するということは、祖先自体にのみならず、子孫
にも取り返しのつかない害毒をもたらすことになる。鹿石は既に紀元前5世紀において単
なる石材として使用され、既にその頃において、石を刻んだ人々、彼ら自身 http://history.novosibdom.ru/files/u8/sibir_65.jpg の御霊は忘却の河に沈んでしまっ
ていたのである。」(モンゴリア)
http://inoues.net/ruins/iwatoyama_kofun.htm
「ニギハヤヒは別名「布留御魂大神」である。そして石上とは、石神で「石工・メイソン」で
ある。だから物部の墓は、皆 石を敷き詰めてあり、其れが伊勢神宮の伊勢の名の元に
成っていて、天皇家の武蔵野の多摩御陵は 皆 石を敷き詰めてあり、物部の仕来たり
を受け継いでいる。」(Hurとは古代アルタイ語で「太陽鹿」の意味)
http://white.ap.teacup.com/miitu1223/315.html
http://blog.livedoor.jp/jiteki129/archives/2006-05.html
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_isogam.html
弥生人はバイカル湖・内モンゴルの鹿柱、石積墳文化人を主体としたものであった。
そして、彼らは、印欧系遊牧民と協力してエジプト中近東にヒッタイト、ミタンニ、カッシ
ート、そして、中央アジアにホレズミを築き、殷を滅ぼし、周を立て、朝鮮半島・日本列島
に無紋・弥生文化をもたらした。フルリ人とはバイカル湖・内モンゴルの鹿柱、石積墳文
化人であったのである。

226 :月光仮面:2008/05/12(月) 17:22:18
鹿柱とは↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c5/Deer_stones.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/61/Deer_stone%2C_Mongolia.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/Deer_stone
http://www.si.edu/mci/english/research/conservation/images/fig8UTgroup.jpg
http://www.si.edu/mci/english/research/conservation/images/fig9UT-5shelter.jpg
http://www.si.edu/mci/english/research/conservation/images/fig10EEscanning.jpg
http://www.si.edu/mci/english/research/conservation/images/fig12UT-5basic.jpg
http://www.si.edu/mci/english/research/conservation/deer_stones.html

227 :月光仮面:2008/05/13(火) 07:35:28
>>225
>弥生人はバイカル湖・内モンゴルの鹿柱、石積墳文化人を主体としたものであった。
しかし、考古学的には弥生初期のBC900-BC200年頃、弥生文化は縄文人によって
吸収されたものであり、渡来人が急増するのは秦の中国統一活動に伴う中国から
の、主として、斉、趙、燕の賽内のものとか、賽外にいた遊牧農耕民とかが、九州
北部の背振山系の東南にl展開する吉野ヶ里とか、近畿、東海の環濠集落が出現
する頃であり、神武の話しにしても近畿の豪族が九州の英雄を招聘するといった
もの。そして魏志倭人伝は初代元首が卑弥呼であったと伝えている。従って渡来人
が全てであったのではないが、大陸においての彼らの足跡は日本の民俗・神話の
起源を知る上で貴重である。



228 :月光仮面:2008/05/13(火) 07:51:14
「唐書〜列伝」は、東胡を箕子朝鮮のこととしている。・・・「契丹古伝〜第42章」 皇上
は、喜んで云うには、「私の出自は神の子で、奇契丹燕キキタエである。いわゆる炎帝
が是にあたる。今こそ五原を回復しなければならない。」
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya31_b.htm
[炎帝がホヒ、ヒクソスのApophisくさい。]
「 Y(穢)南與辰韓、北與高句麗、沃沮接、東窮大海、今朝鮮之東皆其地也。戸二萬。
昔箕子既適朝鮮、作八條之教以教之、無門戸之閉而民不為盜。其後四十餘世、朝鮮
侯淮(準)、僭號稱王。陳勝等起、天下叛秦、燕、齊、趙民避地朝鮮數萬口。
  Y(穢)。南は辰韓、北は高句麗と沃沮に接し、東は大海(日本海)に尽き、今の朝鮮
の東は皆、 Y(穢)の土地である。戸数は二万。昔、箕子が朝鮮に行き着き、八條の教
えを作り、これを教えたので、門戸を閉じずとも民衆は盗むことをしない。
 その後、四十余代の朝鮮侯準は王を僭称。陳勝(と呉広が反乱を)起したことで、天下
は秦王朝に叛くと、燕・齊・趙の民は戦乱を避けて朝鮮の地に数万人も逃げ込んだ。」
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/tungus/tungus-4-waihaku.htm
日本に戦闘的環濠集落、青銅祭器・銅剣銅矛、高地性集落を持ち込むのはこの辺
のことであろう。



229 :月光仮面:2008/05/13(火) 08:00:20
殷末周初の安陽、山西省オルドス、河北省、遼寧省における鹿柱に描かれた武器から
周、殷と通じる秦のようなもの、燕から遼寧に移動する箕子のような動きが解読されて
来ている。

230 :月光仮面:2008/05/13(火) 15:53:52
>>227
漢代の中国における弥生人類似出土人骨
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html
九州山口に多い渡来形人骨
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-12.html
九州の甕棺
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko.html
「 第U期(須玖式,立岩式) T期の副葬品に加えて前漢・九州産青銅服,鉄製武器
を所有する。墳墓形態には地城型が幾つか存在する。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan3s.jpg
 第V期(桜馬場式,三津永田式) 集中所有型 王莽・後漢前半代の境,九州産青銅
器を所有する。」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan4s.jpg
歴博 科博資料でこの辺のことは言い尽くされている。


231 :月光仮面:2008/05/13(火) 16:36:19
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_14_02.jpg
魏志倭人伝が倭人の出自を会稽・タンジ、呉越方面であることを強調し、邪馬台国
の方角もその方向に偏向しているのも、当時の倭人の中に残る強烈な呉越方面
の風習に衝撃を受け、[なんとかしないと呉、蜀方面と同盟された魏に攻められると
えらいことになるという恐怖から]破格の銅鏡供与につながったのではなかろうか。
ところが魏の使節団には目に付かない裏日本方面に当時もぐりこんで石積墳、古墳
を支えていたのは北方の烏桓の亡民などと見られる民族であったのではないかと思
われるのだ。

232 :月光仮面:2008/05/15(木) 10:11:30
>>190
アルタイ・トゥーヴァ大学の民族名考証と内モンゴルの考証より古代日本民族名
を考証すると↓
鹿飼/鹿族 
サカ サカエ サカイ サエ サイ
犬鹿族 ク+サカ(日下) キ+サカ キプ+サク キプ+チャク
折衷型 クシ+フル
主たる鹿族
オ+ガ(遠賀) オオ+ガ(大賀) オ+サカ(刑) オオ+サカ(逢坂) オオ+サケ(大僻/大酒)
太陽鹿 *Sol *Kur フル(布留) クレ(呉) コリョ(高霊) コーラ(高良) 
クルド ダ(大)+フル
=犬+太陽鹿族
バシ(=頭) コルド(クルド) 
コ+グリョ(高句麗) コウ+クリ(高句麗) キッ+クリ(ミタンニの馬飼) キ+クリ(菊理)



233 :月光仮面:2008/05/20(火) 12:41:48
ちょっと、発想の転換のためにわき道にそれ→古代出雲東北日本海新羅王朝の謎
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1121432937/menu363-376
だべっていたが、要するに。弥生の末期には色んな渡来人があったということ。
かのエジプトのヒクソスもこうしたパターンであったに違いない。


234 :天之御名無主:2008/05/20(火) 12:48:47
邪馬台国はどこにあったのでしょうか?

・近畿
・九州
・四国
・その他


【大分】卑弥呼の国は大分市だった 古代史講演会
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1211175637/

235 :月光仮面:2008/05/20(火) 17:33:24

『三国志』魏書巻三十、烏丸鮮卑東夷伝倭人条
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D
邪馬台国は九州から最も遠く離れた日本列島にあって、最も人口の多い地域であり、
卑弥呼の没したAD248年頃、これは弥生の終わる頃↓
炭素14年代の較正にもとづく弥生時代の実年代
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/kenkyuhokoku/031221/shiryo7.pdf
時代区分と弥生文化の範囲
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/hokoku05/b/b.html
に当たるが、日本の中心として存在していなくてはならない。
この頃はまさに古墳時代の始まりであり、邪馬台国は最初に最大級の古墳が作られた
地方でなくてはならない。それは纒向以外にありえない。

236 :月光仮面:2008/05/21(水) 07:40:28
「その所のさまをいはば、南にかけひあり。岩を立てて、水をためたり。林の木ちかけ
れば、つま木をひろふに乏しからず*。名をと山といふ。まさきのかづら、あと埋めり。
谷しげけれど、西はれたり。観念のたより、なきしにもあらず。 春は藤波を見る。紫雲
のごとくして、西方に匂ふ。夏は郭公を聞く。語らふごとに、死出の山路を契る*。秋は
ひぐらしの声、耳に満り。うつせみの世をかなしむほど聞こゆ。冬は雪をあはれぶ。」
鴨長明



237 :月光仮面:2008/05/21(水) 07:42:12
「また元暦二年(1185年)のころ、大地震が襲った。その有り様は尋常ではなかった。
山は崩れて川を埋め、海では津波が発生して陸を襲った。地面は裂け水が湧き上が
り、岩は割れて谷に落ち、渚をこぐ舟は波に漂い、道を行く馬は足元が定まらない。
 まして都の内外では、至るところあらゆる建物は一つとしてまともなものはない。ある
ものは崩れさり、あるものは倒壊する際に塵が舞い上がり煙りのようだ。地が揺れ家が
壊れる音は雷のようだ。家の中に居たならたちまち押しつぶされかねない。走って飛び
出せばまた地面は割れてしまう。人は羽をもたず空を飛ぶことはできない。また龍でな
いので雲に上るわけにもいかない。恐ろしいもののなかでとりわけ恐るべきものは地震な
のだと実感したことだ。」鴨長明

238 :月光仮面:2008/05/21(水) 07:45:21
「そういった中に、ある侍の六、七才の一人息子が、築地塀の蔽いの下で小さな家を作
ったりして、他愛もない遊びをしていたのだが、この地震で急に塀が崩れて埋められ、
無残に押し潰され、二つの目は一寸(3センチ)ばかりも飛び出してしまった。その子供
の遺体を父母が抱えて、声も惜しまず嘆き悲しんでいるのは、まことに哀れであった。
子供を亡くす悲しみには、勇猛な武者も恥じを忘れてしまうのだと改めて気づいた。これ
は気の毒だが当然のことだと思われる。
 このような激しい揺れは短時間で止んだのだったが、その名残りの余震はその後絶
えず続いた。普通にびっくりするほどの強い地震が、一日に二三十度は下らない日は
ない。十日、二十日と経過していくと、だんだん間遠になって、一日に四五度となり、
二三度、あるいは一日おき、さらに二三日に一度など、おおよそ余震は、三カ月ばかり
続いただろうか。」

239 :月光仮面:2008/05/21(水) 07:47:07
「四大災害の中では、水火風は常に害をなすのだけれど、大地震は(大地に至りては
殊なる変をなさず)
むかし、齋衡(854-857年)のころとかに大地震があり、東大寺の大仏の頭部が落ちたり
といったひどい被害があったが、それでも今回の地震ほどではなかったという。その
当時は人々は互いにどうしようもないことを嘆きあって、心の憂さを晴らしているように
見えたのだが、年月が経過してくると、このような災厄を日常の話題にのせる人もなく
なってしまった。」

240 :月光仮面:2008/05/21(水) 07:53:45
「喇家遺跡(らつかいせき、ラーチアいせき、L?ji? Yizh?)とは、喇家村(らつかそん)とも
いい、中国青海省民和回族土族自治県官亭鎮にある新石器時代の遺跡である。
[編集] 概要
黄河北岸の盆地に位置するここに、今から約4000年前に高度な文明を持った町が存在
した。しかし、地震に伴って黄河の水が流入して起きた水害により、一瞬にして町が
水没し、泥によって密封された状態で発見されたため、東方のポンペイとも言われる。
多くの文化財や建物が2000年の発見時に至るまで残ってきたため、喇家遺跡は中国
の考古学上重要な遺跡の一つとなっている。
[編集] 遺物
主な遺物として次のようなものが発見されている。
麺類
現在、世界でもっとも古い麺類が、2005年10月にこの遺跡から出土した。麺は密封され
た器の中から発見され、分析の結果、粟が原料で、放射性炭素年代測定で約4000年前
のものと確認された。器の内部は半真空状態になっていたため、現在まで残っていたと
考えられる。 」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%87%E5%AE%B6%E9%81%BA%E8%B7%A1

241 :月光仮面:2008/05/21(水) 08:09:22
↑ http://maps.google.com/maps?ll=36,96&spn=1,1&q=36,96

242 :月光仮面:2008/05/21(水) 08:15:13
「斉家文化のトルコ石象嵌飾りは、現在でも殆ど存在を知られていない珍しいもので
ある。斉家文化の末期に表れて、短い期間に、限られた地方で作られたものらしい。
そもそも斉家文化が栄えた期間は短く、その文化を担った人達はどこかに消えてし
まった。黄河上流のさらに支流(甘粛省の南辺り)に栄えた文化である。」
http://www.catv296.ne.jp/~t-homma/newpage62.htm


243 :月光仮面:2008/05/21(水) 08:28:02
>>190
>こうした朝鮮半島をスキップする移住の原因は火山列島である日本の
>方には朝鮮より多くの里山、山岳地形があったからであろう。

244 :月光仮面:2008/05/24(土) 09:50:09
ウラジオストーク極東民族歴史考古民族学研究所ユーリー・ヴォストレツォフ氏「環境
変化と民族移動-ケーススタデー」によれば、沿岸部が寒冷化海面低下、地上海中景
観の変化によって狩猟漁業基盤が破壊される一方、降水量安定化により農耕民に
便利に働く。これが内陸農耕民を沿岸部に押し出す。同様の環境変化は完新世中期BP4,800-4,300年頃(三内丸山遺跡が約5500年前〜4000年前だ)沿海州南部ボイスマン
文化から→ザイサン文化への移行、このときに櫛目文から刻目突帯文土器に及び
完新世後期BP2,400-2,200年頃ヤンコフスカヤ文化から→クローノフスカヤ文化
(BC500-AD300)、これは沿海州では雑穀農業だが、朝鮮・西日本では無文・弥生稲作
農業の形を取るとのこと。

245 :月光仮面:2008/05/24(土) 10:05:52
「中国東北部にある他の新石器時代初期の遺跡では、栽培穀物の種子は見つかってい
ない。それにもかかわらず、中国東北部南部の初期文化では進んだ農具が紅山文化と
趙宝溝文化で作られている。(しかし、これと農業との関連性については特別の調査が
必要である。)したがって、中国東北部南部で新石器社会が存在した地域と、初期農業
が営まれていた地域とは地理的に一致しているのである。この時代、初期農業と平行
して狩猟・採集も大きな役割を担っていたことは間違いない。また、中国東北部やその
近隣地域では、初期の豚繁殖も行われていた。遺跡の増加からは人口の増加が見て
取れるが、これは農業が成功したこと、そして食料獲得に農業が重要な役割を果たした
ことによって初めて可能となったと思われる。
 一般に、初期の農耕社会地域と金属を利用した中心地は一致している。中国東北部
南部では、峡江下流文化が金属利用の中心地であった。初期の中心地に関し、農業の
初期段階の起源や特徴を示す確固としたデータはない。」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/shinpo/alkin.html


246 :月光仮面:2008/05/24(土) 10:17:57
アムール・ポリツェの鍛造袋状鉄斧が朝日遺跡で出土するが、同遺跡は吉野ヶ里、
ポリツェ同様極めて戦闘的軍事的であり、スキタイ・匈奴文化の影響を受けている。
三内丸山時代から日本は興隆窪・趙宝溝文化と関係を持っているようだ。この文化圏
が中近東を舞台に繰り広げた春秋戦国・五胡十六国の時代模様の中でヒクソスが生
まれ、ヒンドゥー・ベーダ両文化も生まれたのであろう。それを秦氏が日本に持ち込んだ。

247 :月光仮面:2008/05/24(土) 11:00:16
東京龍原府(吉林省琿春市八連城に比定)
穢貊の故地に設けられ、上京府の東南に位置し「柵城府」とも言った。慶州、塩州、
穆州、賀州を管轄していた慶州が府治であり、龍原、永安、烏山、壁谷、熊山、白楊の
6県を管轄していた塩州は現在のポシェット湾岸のクラスキノ南方の城址に比定され、
日本への出発港が設けられていた。下部に海陽、接海、格川、龍川の4県を管轄してい
た穆州は府の南方120里に位置し、会農、水岐、順化、美県の4県を管轄していた賀州
の位置は不明であるが、洪賀、送誠、吉理、石山の各県を管轄していた。
http://maps.yahoo.com/;_ylc=X3oDMTExNmIycG51BF9TAzI3MTYxNDkEc2VjA2ZwLWJ1dHRvbgRzbGsDbGluaw--#mvt=s&lat=42.648607&lon=130.798072&zoom=12
この辺の地形は虹の松原、志賀島、天橋立と同じで陸繋島、貝塚文化、ウリル・
ヤンコフスカヤ文化で黒竜江漁労民族ポリツェの影響も受け、マグロ漁を行い、布留式
土器のようなタカツキを使用している。

248 :月光仮面:2008/05/24(土) 11:30:57
クローノフスカヤ文化であるが、後の渤海東京龍原府(吉林省琿春市八連城に比定)は
穢貊の故地に設けられ、上京府の東南に位置し「柵城府」とも言った。慶州、塩州、
穆州、賀州を管轄していた慶州が府治であり、龍原、永安、烏山、壁谷、熊山、白楊の
6県を管轄していた塩州は現在のポシェット湾岸のクラスキノ南方の城址に比定され、
日本への出発港が設けられていたとされる。lat=42.648607&lon=130.798072 これが
天橋立そっくりな地形であり、笠沙の岬のような地形に上陸するのはこの辺から来るの
であろう。尾張・海部等の海人族は天橋立から琵琶湖を通って朝日遺跡に入ったのだ
ろう。義仲、信長、家康の遠祖であり、源氏もこの辺から来るのだろう。

249 :月光仮面:2008/05/26(月) 08:28:14
秦氏が持ち込んだというのは大筋において間違いはないだろう。つまり、ヒクソス、
ミタンニ、殷、周の馬、二輪車、日本の馬、養蚕の背景には馬、交易・・・秦という
線が残る。トルコ、ハンガリー、ブルガリア、アングロサクソン、ロシア、タタール、
モンゴル、五胡十六国、高句麗、匈奴、鮮卑、烏桓、裏日本、東北、関東にある
エミシ、夷の背後にあるl軍事武術指向のパストラリスト・ノマディズム(牧畜移動遊牧)
の精神がこれだ。しかし、より細かく言えば羌、姜、羯等の諸民族が関与しており、
渡来したものがいみじくも言った夕月と言うのがこの尚武精神を言い表しており、
現在イスラム諸国の国旗などにもなっている。

250 :月光仮面:2008/05/26(月) 08:50:12
ナイルのクサエの境以北を直接統治したヒクソス、これに屈したテーベ政権、こうした
姿は日本の朝廷とか、前漢、後漢にもあった。韓国洛東江下流の金海、金冠加羅と
上流の高霊の関係、或いは、キョンジュ、プヨとの関係もこうしたものであった。
これが江戸と京の対立として現代にも残っている。

251 :月光仮面:2008/05/26(月) 09:10:57
しかし、理想的農耕社会の理想的君主は叔斉伯夷、仁徳のような高潔な人物であり、
天照大神のような存在でなくてはならず、素盞嗚命のような存在は天皇にはふさわしく
ない。ところが、日本の史書、記紀に登場する天皇にそうした理想的人物は全く登場
しない。徳川時代全般を通じても父子の親子関係が保たれたり、高徳な将軍のいたこと
は記録にない。歴史とはこんなものであり、何とか党の党史、とか、社史とかいうのは
歴史とはおおよそ縁遠いものである。ところが競馬、ペットとなると俄然血統書に商品
価値が出てくる。

252 :月光仮面:2008/06/04(水) 12:42:19
>>240
「黄河北岸の盆地に位置するここに、今から約4000年前に高度な文明を持った町が
存在した。しかし、地震に伴って黄河の水が流入して起きた水害により、一瞬にして町
が水没し、泥によって密封された状態で発見されたため、東方のポンペイとも言われる。
多くの文化財や建物が2000年の発見時に至るまで残ってきたため、喇家遺跡は中国
の考古学上重要な遺跡の一つとなっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%87%E5%AE%B6%E9%81%BA%E8%B7%A1
この地方の住民は大地震のため西方に移動し、仰韶時代から彩文土器で交易関係の
あったBMAC、イラン北部ヒッサール、ヘキサバード方面との交易に重視するうちに
タジキスタン北部でエニセイ・ケト人の発明のロストワックス工法による画期的なセイマ・
トゥルビノ青銅器、青銅二輪車、馬の飼育を習熟し、ウラル・羌族はコーカサス族と合流し
フルリ人と化し、これがエジプト、アナトリア、メソポタミアを席巻する。アルカイムの円形
都市の元になったのは姜寨、客家の土塁、圍、伊勢遺跡のような環濠集落的発想であり、
その起源は興隆窪集落にあるのではなかろうか。

253 :月光仮面:2008/06/04(水) 12:51:36
オルドスの朱開溝文化は竜山初期、中期、二里頭晩期、二里崗初期と続くが、犬を
犠牲とする犬戎文化はその最終段階の二里崗初期に浸透してきている。これをヒクソス
の帰還と見たい。これに付随し、高句麗、シ歳貊、伏見稲荷、八坂神社、豊川稲荷
等の元となった犬戎文化が日本に入ってくる。

254 :月光仮面:2008/06/04(水) 13:03:43
皇極斎明時代にも百済方面からトカラ・インドを含む渡来人が来て、先着のエミシ
と朝廷のバックでのパーティーを開いたりして文化交流を行っている。このころ
信濃に善光寺の名目で寺が建立されるが、「三位一体」と「八紘一宇」的なデザイン
のお寺であり、牛に引かれての言葉の通り、ギリシャからシルクロード経由で伝えら
れた文化を後戸に秘めているようである。

255 :月光仮面:2008/06/04(水) 13:11:07
しかし、先住弥生人はアマテラス独裁、牧畜のスサノオの徹底的差別を掲げて
既得の土地権益を守り通した。こうして日本のひずみは徳川時代を通しても
持ち越された。しかし、織田信長の子孫とか、真央ちゃんはいまだにイタリア勢を
下してヒクソスのラムセスへ優勢を立証してくれているように見えるのだ。
春日の局もお犬様で犬戎の精神を発揮した。

256 :月光仮面:2008/06/04(水) 14:13:06
>>253
カラスク文化人、これが帰還したヒクソスの武人像であろう。
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_61.jpg

257 :月光仮面:2008/06/04(水) 17:05:45
http://history.novosibdom.ru/files/u8/sibir_65.jpg
二輪戦車に操縦士と射手が必要なように移動する牧畜民(ノマド)も操縦士・シャーマン
王と世俗王、天皇と藤原氏のようなものが必要というのは安曇野に入植した渡来人
が賽神としてカップルの道祖神を祭ったことに見られる。これがお地蔵さん、鹿島様
などクナド神の始まり。二輪戦車のホイールが菊紋、八紘一宇であり、善光寺の
クローバーのような紋章は三位一体、起源は二輪車とこれに乗る女神、かぐや姫
のようなもので、アナトリア・ギリシャの女王は獅子に引かせたりしている。

258 :月光仮面:2008/06/04(水) 17:10:01
太陽が二輪車に乗って世界樹を回るということかたこの世界樹が柱になり、これを
原印欧語でスタンバ、インド語でストゥーパ、日本語では卒塔婆となる。往路と帰路が
変わるというジンクスはいまだに日本の葬礼で継承されている。

259 :月光仮面:2008/06/04(水) 17:14:19
ケレクスルというモンゴル・バイカルの円墳にはスポークのような石積文様のあるもの
があり、ケレクが乗物、輿で、スルが御霊であるから、どうも車輪をイメージしたものら
しい。半島、列島の円墳の起源もこの辺にある可能性が大である。

260 :月光仮面:2008/06/05(木) 12:47:10
善光寺の本田善光、これはホムタがブリャート・モンゴル語でアフラ・マズダ、善光
から転じて天神を意味するKhormustaと言う言葉をホムタと読んだもの。これは百済
の扶余がブリャートモンゴルと同じ天神信仰を持っていたことを意味し、さらに、ホムタ
ワケが気比大神の神名を取ったということは気比大神が本来、唐松神社のカラマツ、
クロマタ山のクロマンタ同様ユーラシアの天神を意味していたことを示す。気比神社に
ある桃太郎こと、キビツヒコの彫り物はエニセイ・ケトが鉄勒に参入する際にキビと
名乗ることから、八上から気多神社に移動し、更には北陸から飛騨に入る鬼面製作、
車製作、鬼面踊り、羯鼓踊り、獅子舞、ナマハゲなどに見られる木工技術文化をもた
らし、ミラノ北部のスイスにもナマハゲをもたらしたフン族と同一のものとみられる。
おそらくは殷・周時、土方、犬戎と共に中近東エジプトから帰還した鬼方(オークネフ
三つ目鬼神)文化で、モンゴル・チベットのチャムとか、ドゴンの仮面文化、天文学を
残したものではなかろうか。チュルク系のキビと言う言葉はキミとも読まれることがあり、
金海と言うのが吉備、気比と同じことであるのかもしれない。

261 :月光仮面:2008/06/05(木) 12:57:53
エニセイケト族が秦である、羌族と共にユーラシアを席巻し、ドナウ・ドニエプル方面で
御物石器、独鈷石を残していたとしないと木曾山中の独鈷石の起源が不明となる。
こうした動き無しにはエジプトにアジア系ヒクソスが出現することが考えにくくなる。
いわゆるユダヤ人・キリスト教と言うのは相当遅れてはいるもののヒクソスの撤退
であるとか、イランのゾロアスター教とかを加味しているようである。神功・応神の話も
キリスト生誕の話もイラン文化のコピペのような感じがする。

262 :月光仮面:2008/06/05(木) 13:47:16
米国がロシア・旧ソ連考古学を大きく前進させたことは大いに評価できるが、反面、
内モンゴル、中国、中国東北部、朝鮮半島、日本列島の考古学の遅れが目立つ。
ロシアで認められていたオークネフ、カラスク文化に含まれるモンゴロイド要素が
米国の言語学者によってアルタイ系言語の活躍が見られないことによってモンゴロイド
の活躍自体にも否定的なニュアンスになってきていることは大いに残念である。

263 :月光仮面:2008/06/05(木) 18:55:38
高天原故地碑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%8E%9F%E6%95%85%E5%9C%B0%E7%A2%91
「伽耶山の大きな岩の下に祭壇を準備し、玉のように澄んだ水で体をきれいにした後、
空の神である「イビハ(夷比訶之)」の妻にしてくださいと祈った」おそらく、天空神を迎え
る井戸が千葉、丹後にある「真奈井」であろう。
http://sjmelon.go.kr/jpn/culturetourism/culturetourism_01_01_02_01.jsp
神武がこうした話を知らないという「井光」の話は 
http://www.7kamado.net/ikari.html
拘邪韓國(伽耶)は倭国北岸とみなす倭人伝の認識が失われたころに神武紀が生まれ
たからであろう。倭人と言うのがユーラシア・ノマドである限り、ユーラシア全域にに高天
原はあるはずだ。

264 :月光仮面:2008/06/06(金) 10:01:21
>>260
「犬戎(厳允)
 陜西省から夏回族自治区にいた遊牧民族で、白犬(または白狼)を崇拝。それをトー
テムとしていたことから、古代羌族の部族(西羌族)だとされるが、犬戎や古代匈奴も
トーテムは犬であり、後には、高車、鮮卑、突厥、契丹なども犬のトーテムを崇拝して
いる。 羌族(きょうぞく)とはチベット系民族のことだが、この定義も困難で、その文字
からも「羊」を追って西アジアからきた遊牧民族だが、中国西部に広範囲に分布して
おり、漢水の上流にいた羌族を南羌族、青海周辺に居た羌族を西羌族と区分すると、
南羌族は周王朝建国の功労者「太公望」の故国であり、後に漢民族の大姓となって
同化する。彼らのトーテムは当然「羊」である。犬トーテムは西羌族だけで、彼らは時に
胡人とも呼ばれた。」
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kozoku/kozoku6-touko.htm
太公望の故郷ではないかとされる姜寨という環濠集落遺跡が発見されたらしいが
輪中を思わす。


265 :月光仮面:2008/06/06(金) 12:44:30
>>252 このとき三苗をはじめ羌などノマドを含む周辺民族の時計回りスピンオフ
が開始され、その余波が↓
日本人どこから来たんだ?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/menu336-341
しかし、時代のはるかに下った弥生末期、中国で戦国時代の終わろうとする頃、
日本には鬼方(木工、鬼面、青銅器金型製作)、土方(鹿石、境界石、土師)、犬戎
(武装環濠集落、高地性集落)等のノマドが九州北西沿岸、裏日本沿岸、近畿・東海
に浸透してきた。しからば、チベット・雲南に多いYDNA YAPが満蒙・朝鮮にあまりいな
い理由はと考えると、YAPは本来興隆窪文化圏・アルタイ・バイカルにいたのが東西
において南下し、興隆窪文化圏・アルタイ・バイカルには三苗の北上したものが収まり
その一部は日本にも南下したといったストーリーが考えられる。

266 :月光仮面:2008/06/06(金) 13:11:02
>>264
「羊神社[ヒツシ]羊神社「火之迦具土神 配 天照大神」愛知県名古屋市北区辻町5-26 
トラベルオンライン 参拝のしおり
創立年月日は不詳なれど、第61代醍醐天皇の御代にまとめられた延喜式神名帳に、
尾張の国山田郡羊神社と記され、本国帳に従三位羊天神とある古社である。神社に
保 存されている棟札によれば、本殿は慶長10年に再建されたとある。その後天保9年
尾張藩主徳川斉温公の時代に改築され今日に至っている。 」
http://www.kamnavi.net/en/owari.htm
従三位羊天神、これって羌神、つまり、炎帝とちがうか。天のホヒなどと言うのもこれか。

267 :月光仮面:2008/06/06(金) 17:15:08
>>260
気比大神の旧神名がユーラシア・ノマド共通天神ホムタであったことより、
初期大和朝廷/邪馬台国の実施した政策は
(1)魏からの冊封
(2)旧青銅祭祀の廃止と銅鏡・前方後円墳による中央集権的統治
(天日矛青銅器・鏡集団による元伊勢地区銅鐸集団の改編・リストラ、
国産内行花文鏡・アマテラス独裁)
(3)ユーラシア・ノマド共通天神ホムタ(アフラマツダ)の神社の敦賀への設置
(4)四道将軍・天皇による辺境の討伐
これが全て失敗し、神功皇后によるユーラシア・ノマド共通天神ホムタ(アフラマツダ)
を応神に取り込むことによる三韓・九州辺境部緊張の発展的解消が行われた
ことがわかる。日本建国は北陸近畿が東海・吉備を取り込み近畿中心に行われたため
従来の九州地方と半島の関係を全く無視していた。つまり、日向高千穂は単なる
神話の名所にしか過ぎなかったということであろう。

268 :月光仮面:2008/06/06(金) 17:27:38
神功皇后の成功は三韓が高句麗の脅威を受けていたことに加え、やはり、倭面土国
帥升、委奴国、丹波出身の新羅ダッカイ王等古代倭人の実績によるものであろう。
しかし、仲哀天皇を政策論争で倒し、三韓・筑紫・大和を統一したのは神功の名に
ふさわしい天皇だな。

269 :天之御名無主:2008/06/06(金) 19:39:18
昔の天皇とか天皇家には時折神懸かりした人が出たからね



270 :天之御名無主:2008/06/06(金) 21:34:39
億ウソとかはどう思われますの?

271 :月光仮面:2008/06/07(土) 07:50:18
朝廷とされる側にも改革派が出ているし、幕府とされる側にも保守反動はでており、
天皇家、将軍家といっても所詮社会的活動の所産に過ぎない。しかし、その行動理念
には一貫としてユーラシアノマドの強権支配の考えが流れている。天皇とか権力者の
系列の歴史よりも、それを頂点とする集団の推移を見るのがいいのかもね。

272 :月光仮面:2008/06/07(土) 08:01:42
いまや、米露アラブ石油価格独占の寡頭体制が温暖化を背景に焦眉の問題と化し、
考古学や歴史の出る幕ではないようではあるが、独占による独走が過去の悲劇の
原因であったということを彼らにも認識して欲しいよなー。

273 :月光仮面:2008/06/07(土) 08:14:33
宇宙飛行士はブッシュ、プーチン、メッカ、アブダビに向かい、これ以上の油価暴騰は
宇宙ステーションの落下につながると訴えてもらいたい。

274 :月光仮面:2008/06/07(土) 11:00:58
アルタイ・オークネフOkunev文化 石碑(ステラ)
三つ目神像2種
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image007.gif
三つ目神頭櫓2種
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
三つ目神頭櫓1種
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image009.gif
「オークネフ文化の重要性・ステップベルト地帯の北辺において、私はオークネフ文化
の極度の重要性を強調したが、この文化は一方においては極東と関係し、他方におい
ては明確にアジア中心地帯南部と関係している。そして、私はメイン・モチーフとスタ
イルの特徴においてオークネフ文化の岩石陰刻と関連している一連の岩石陰刻をイン
ダス峡谷Chilas近辺で発見した。前三千年紀及び前二千年紀初頭、おそらくは初期
牧牛ノマド移動により数千キロの距離を結ぶ関係が存在したということはありえないこと
ではない。」Jettmar Karl「前二千年/一千年紀中国西部の文化と民族」より
http://www.silk-road.com/artl/westchina.shtml


275 :月光仮面:2008/06/07(土) 11:08:16
これはいまだにモンゴルに残るが、
http://www.asiasociety.org/arts/mongolia/images/dunjidma.gif
http://www.asiasociety.org/arts/mongolia/tsam.html
http://www.face-music.ch/Bilder/tshoijoo.gif
http://www.face-music.ch/Bilder/tshoijokl2.gif
http://www.face-music.ch/Bilder/tsamgru.gif
http://www.face-music.ch/tsam/mask_tschojooen.html
http://www.tengerism.org/Yama.html
これらは中国で言われる「鬼方」の文化であろう。
そして、ウラルにおいてはアーリア神話でアシュヴィン双神となり、西欧全域に広が
るが、インドにおいてアーリア文化は仏教に取り込まれ、三つ目神はヒンドゥー教
ルードラとなる。
http://www.exoticindia.com/product/ZL95/
↓日本の神紋でオークネフ文化に色濃い天文学的解釈を留めているものは
http://www.genbu.net/data/etizen/asuwa_title.htm
http://www.genbu.net/data/etizen/wake_title.htm
継体天皇の生まれた福井に集中しているが、「『日本書紀』によれば応神天皇5世の孫
(曾孫の孫)で父は彦主人王(ひこうしのおおきみ)、母は垂仁天皇7世孫の振媛(ふり
ひめ)である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87
そして、そこはツヌガアラシトの気比神社に近い。


276 :月光仮面:2008/06/07(土) 11:11:40
おそれおおくも、かしこくも継体王朝はユーラシア・ノマド正統の王朝であるかもしれない。
さすれば、エジプトのヒクソスがアジア人であるのもよくわかるのであるが。

277 :月光仮面:2008/06/07(土) 11:27:25
>>274
Chilas[こんなハイウェーがあったら、三蔵法師も苦労せずにすんだであろうに]
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/KKH.png
Chilas岩石陰刻
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Petroglyphs_near_Chilas_-_Pakistan05_007.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/Chilas

278 :月光仮面:2008/06/07(土) 11:37:32
こうなると、気比大神の御名を簒奪した神功・応神、更には崇神等は縄文からの在地集団
であり、継体はどうも大陸奥地からの渡来人である可能性が高まるが。

279 :月光仮面:2008/06/07(土) 14:39:41
「継体21年(527年)、新羅によって奪われた南加羅・喙己呑などの諸国を奪還すべく
任那への赴任を命じられる。しかし、その途中に筑紫国造の磐井が新羅と組んで毛野
の進軍を妨害しようとしたため、渡海できなかった。このとき、磐井は毛野に対して
「かつて同じ飯を食った仲間がなぜ命令するか」(昔は吾が伴として、肩摩り肘触り
つつ、共器にして同食ひき)と詰問したとされるが、近江の豪族・毛野と筑紫の豪族・
磐井との間に、それ以前に交流があったかどうかは不明である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E6%AF%9B%E9%87%8E
これは継体軍と岩戸山古墳 http://inoues.net/ruins/iwatoyama_kofun.htm
文化は大陸で同一の文化圏にあったことを物語っているようである。


280 :月光仮面:2008/06/07(土) 14:50:01
アルタイ・オークネフOkunev文化 石碑(ステラ)
三つ目神像2種
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image007.gif
三つ目神頭櫓2種
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
ここには四隅突出墳平面図のようなものがあるが、インドの曼荼羅結界、諏訪の
御柱と同じアルタイ起源のもので、オークネフ、モンゴル北西のアルタイの埋葬
は箱式石棺墓であり、その分布は
http://www.hyperborea.ru/RU/MAP.HTM
これは東胡と合致する石板墓の分布
http://www.hyperborea.ru/RU/MAP.HTM
とはことなり、また、オークネフ文化は高地性集落遺跡を伴う。


281 :月光仮面:2008/06/07(土) 15:16:27
バイカル湖を中心に広がる東胡と見られる石板墓文化↓
http://www.baikalfoto.ru/library/articles/fold_01/fold_01/006.htm
これであった。

282 :月光仮面:2008/06/07(土) 15:27:34
オークネフの後がカラスクであり、これが商、周と関連する。この頃、山東、遼東、
半島で支石墓が始まる。支石墓と言うのは盛り土のはげた古墳であり、欧州から
日本、ミャンマーなどにもあるようだが、古墳共々土師の文化。その宗教は
尾張大國靈神社↓
http://www.kamnavi.net/en/owari.htm
で今も生きている。例の岩戸山古墳の近辺から装飾古墳が始まるが、横穴式で
あるほかに太陽の船の文化が印象的。ところがこの傾向はエニセイ・ケト人文化
に強い。バシコルスタンの犬戎文化とアマルナ文書時代のエジプトとには関連があり、
この辺からヒクソスから帰還した渡来人を唱えるわけであるが。ところで支石墓と
箱式石棺が合体したような構想がマルタ神殿であり、地母神、地蔵、胎蔵、金剛蔵
等の起源はこの辺にあるのであろう。


283 :月光仮面:2008/06/07(土) 17:47:53
ところで魏志倭人伝では卑弥呼の墓に関連してと解釈される文脈で「有棺無槨」という
言葉を使用しているが、この槨を文字通りに木槨と解釈すると当時の纒向のホケノヤマ
などの構造から見ておかしい。これを石舞台のような支石墓構造を持たぬ、つまり、
横穴式ではないと解釈するとよく意味がわかるんだが。

284 :月光仮面:2008/06/07(土) 18:10:43
>>275
http://www.masksoftheworld.com/images/Bhutan-Dragon-Mask-a.jpg
http://www.masksoftheworld.com/India/Bhutan%20Deer%20Dragon
このブータンの仮面を見ると獅子舞、鹿踊り、龍踊りのルーツであるとか、龍の
起源が鹿であるのがよくわかる。鹿が海を渡ると龍である。

285 :月光仮面:2008/06/08(日) 11:33:53
この辺で用語統一をしておこう。
中国語、石板墓であるが、
「-用石板做墓底、墓壁并封頂。是種墓在我国始于新石器時代晩期,盛行于春秋戦国
時期,唐時渤海墓葬亦多為石板墓。」箱式石棺墓のこと。鬼方。
トランスバイカル・スラブストーン墓-これは、スラブ形状立石を外にに倒し気味にた
立てた墓域内に各種形式のピット、石櫃、木棺の組合わせを埋葬すること。
楯築墳丘墓、豊前、松尾大社、伊豆諸島に見られる。・・・東胡人
スラブ立石墓域の代わりに円形石積をおいたものをケレクスル、ヘレクスルと呼ぶ。

286 :月光仮面:2008/06/08(日) 16:43:56
箱式石棺墓・高地性集落文化圏(オークネフ文化圏・石棺墓は粛慎の末裔渤海に残る)
http://www.hyperborea.ru/RU/MAP.HTM
石板立石墓文化圏(三足土器文化圏)これが、鮮卑、烏桓となるのであろう。
http://www.baikalfoto.ru/library/articles/fold_01/fold_01/006.htm
日本神話に顕著なスキタイ神話の影響は箱式石棺墓・高地性集落文化圏(オークネフ
文化圏)がタガール文化期にスキタイの影響を受けたあとに、おそらくは、趙、斉など
戦国末の動乱で朝鮮半島南部に避難したものによって百済・高句麗の崩壊と共に伝わっ
て来たと見るべきであろうか。

287 :月光仮面:2008/06/08(日) 16:48:20
しかし、粛慎文化は後の靺鞨白山部に当たる方面から弥生中期から既に朝日遺跡に
浸透してきているようである。

288 :月光仮面:2008/06/08(日) 17:03:26
チベット、雲南にかけて蔵、土、土家といった地蔵(地母神)に関連する民族名、
犬、馬、鬼面文化が残るが、日本にもそっくり残る。YDNAでは共に他に類例を見
ないYAPを共有している。これを単なる偶然としていいものだろうか。殷・周のころ
中国西部には鬼方、土方、犬戎と言うのがいた。なぜ日本の神社には狛犬があり、
沖縄では屋根の上にまでカップルの獅子が飾られるのであろうか。何故沖縄の
馬踊りはポーランドで踊られ、鹿児島・東北の鬼面はチベット・モンゴル・スイス
に残るのであろうか。

289 :月光仮面:2008/06/09(月) 15:45:39
これはオークネフ時代の円壁墳墓だが、いわゆる磐境のごとき板立石墓、であるとか、
曼荼羅型四隅突出型墳丘とかは機能的にこれと同じだ↓
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image012.gif
しかし、コーカサスにも同様の円壁式の墓地があるようだ。非常に重要なことは
青銅鏡の埋葬がオークネフで始まっていることであり、中国でも青銅鏡の始まるのは
甘粛斉家文化だ。斉家・四覇文化は欧米において中国における馬家畜化が開始された
場所としている。中国の文献では秦氏の祖である非子が馬の飼育を始めて羸姓を
賜ったとある。秦氏はヒクソスの疑いが強い。

290 :月光仮面:2008/06/09(月) 15:53:47
ちなみに青銅鏡は遼寧方面に向かい多鈕細文鏡として日本に入るが、この製作集団
は倭面土国王帥升によって伊都国に呼び込まれ、八咫鏡の製作を手がけ、天日矛
として畿内・丹波に移住してきたのであろう。鏡作りと言うのがこれではなかろうか。
伊勢遺跡が客家の土塁とか、ウラル・アルカイム遺跡の構造を持つのも彼らが
オークネフ・セイマトゥルビノ・カラスク文化に関連しているからでないかと思うのだが。

291 :月光仮面:2008/06/09(月) 16:57:48
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image005.gif
「金属使用時代の独特な宇宙像を表すものに有名な「Azkiz卵像」がある。メンヒル
(立石)の赤ちゃんと言う意味の「Keze palazy」と呼ばれるミニチュアの石像は古代の
世界創造神話を図示するものである。世界は巨大な卵より生まれた。卵の上層は天と
なり、下層は地底の黄泉の国となり、黄身は太陽となった。全世界は巨大な殻に収ま
っている。殻はもろく、不安定である。世界のバランスを失うと人類は神話宇宙の全てを
破壊しかねず、従い、人類は全ての存在を大切にしなくてはならない。世界が卵から
生じたという説話は多くの民族に残る。同様の話はインドのヴェーダ、古代エジプト伝承
及び世界の多くの民族にある。」日本では、玉依姫命をお祀りする筥崎八幡宮には
「タマセセリ」、秋田の横手には梵天様がある。これはオークネフから世界に流れ、西欧
ではイースターの卵となっている。

292 :月光仮面:2008/06/10(火) 16:51:09
ヒクソスから帰還した渡来人、実際ナイル川まで旅をした遺伝子もあっただろう。
しかし、人種が環境になじむことは大変なこと。しかし、ノマドは旅をする。船員の
ようなもの。彼らは言語、神話、慣習といった文化のリレーも行う。ユーラシアの
大きな変動には遺伝子の区間ごとの移動とその上を流れる文化のリレーの
バトンタッチ、これが重なり合っているのであろう。伊勢の五十鈴川のせせらぎには
瀬織津姫という美しい女神がいたがいつの間にか東北に引越し、その後には
戦闘的な天照大神が収まった。これは日本だけの話だろうか。東南アジア、中国
東岸、朝鮮半島には瀬織津姫のような女神とよく似た東アジアの言語が存在して
いたのではあるまいか。弥生から始まる日本の戦国は東アジア全体の戦国であり、
それはアジアと言う駅伝区間においてユーラシア駅伝の決戦が繰り広げられた。
現代の中国語、日本語、韓国語等はアンカー・ランナーの言語ではないであろうか。


293 :月光仮面:2008/06/14(土) 14:19:28
参照:日本人どこから来たんだ?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/menu378-383
日本民族形成には中国周辺の丁羌(鬼方、犬戎、土方)、百濮、百越が寄与していること
はまちがいないが、西アジア・中近東の銅石・晩期青銅器都市文化がノマドによる乱世に
入る波乱万丈の時代にアジア人がハム・セム・ヤペテの世界でエジプトのファラオにまで
上り詰めるのは信長・太閤記なんてものではないはずである。まだ中国と言う文明さえ
ないのにどうやってそこまで成功したのか。これにはネットでいうプロキシ的存在があっ
たからではないかと思う。その黒子はおそらくフルリ人であり、その主体はエニセイケト
でないかとおもう。実は気多神社がケト、羯族くさいのである。


294 :月光仮面:2008/06/14(土) 16:04:19
実は日本には在日朝鮮人コロニークラスのユダヤジンとかケト人ではないかと
見られる集団がこんなにもあるのだ↓
ユダヤ・アシケナージ I-P19                      0.4%
朝鮮、アルタイ、シボ、満州エベンキ、ウイグル、ベトナム共通 N-LLY22g*  1.2%
ヤクート、ウラル Tat N-M178 0.4%
3.5-4万年前のアラル海起源NO-M214*               2.3%
インディアン(古代ケト人か)Q-P36                  0.4%
インディアン(古代ケト人か)R-M207                 0.4%

295 :月光仮面:2008/06/14(土) 16:09:54
これを合算すると古代丁羌族を担ぎ上げたフルリ人環境と言うものが存在した
のかもしれない。実は「フル」という石上神社の神霊は欧州、エジプト、ユーラシア
東部全体に共通した天神の概念なのだ。ギリシャ、ゲルマン、ケルト、コルシカ、
クレタ、アフラマツダ、ホルス、高霊、高麗、呉、高良・・・きりがない。

296 :月光仮面:2008/06/14(土) 16:21:35
http://www.familytreedna.com/public/N%20Y-DNA%20Project
ここに出てくるM-128は日本には来ていないが、日本に来ているN-LLY22g*
とほぼ同様の広がりを見せており、この地域はアファナシエヴォ文化と重なる。
この辺がセイマトゥルビノ馬・二輪車軍団の中近東への出発点でなかったのでは
あるまいか。

297 :月光仮面:2008/06/14(土) 16:29:58
四国のタバナクル式白人神社でイスラエル大使が「皆さんもユダヤ人かもしれませ
んよ」といっていたが、プロキシではなく実際に来ていたのかもしれない。「虎の巻」
は虎屋の羊羹になってしまったのかもしれないが。

298 :月光仮面:2008/06/14(土) 17:11:26
ケト人神話にはエジプトの太陽の船、西シベリア神話は上鴨・下鴨があり、装飾古墳、
賀茂神社信仰、ずばりそのものとして気多神社がある。越前・木曾を中心に広がる
木工工芸、天狗、ナマハゲ、ネブタ、鹿島様、獅子舞、羯鼓踊等の牧畜境界・鹿石・
鬼方の芸術は運慶を初めとし、江戸の浮世絵にいたる日本文化の基礎となり、
世界を風靡したエジプトの車は。くしくも同じ地方からいまや全世界を席巻している。

299 :月光仮面:2008/06/16(月) 17:29:05
白人神社は美馬市にあり、この近辺には首切り馬伝承がのこり、楽浪から、纒向ホケノ
ヤマ画文帯神獣鏡をもって阿波の北方、鳴門に降臨しているのは神武とも似たパターン
であるが、白人というのは狛人のことで、モンゴルの白老人(日本では寿老人になった)、
チベット近辺では最大のYAP+保持者である、雲南のプミ族が白人と自称することから
全ては古代アルタイ方面の出自であろう。月読命は阿波のオオゲツヒメを殺した罪で
天照大神に責められて天界を追われているから、吉野川を挟んだ鳴門と上八万銅鐸
文化の闘争は熾烈なものがあったに違いない。このオオアサヒコ族は安房に上陸、
上総、葛飾方面で牧畜を始めたようであり、地名に鹿浜、鹿骨、カツシカ、鹿取等
阿波の美馬市で馬の犠牲祭祀を行ったことと一致する点が読み取れ、更に、麻の
栽培を武蔵、阿波で広めたのではないかとも考えられる。


300 :月光仮面:2008/06/16(月) 17:52:52
ブリャートのサイトでは白老人はサンタクロースになったのではないかとしているが
「川の下にあるのは強深瀬(江深淵)といい,流れは矢を射るように速く,波は山のよう
に高く,川上より巌石が流れ来て,罪人の五体をうち砕く。死ねば生き返り,生き返れば
また砕かれ,水底に沈めば大蛇が口を開いてまちうけ,浮きあがれば鬼王夜叉が弓で
射る。ここは悪人のみが渡るところである。」

301 :月光仮面:2008/06/16(月) 17:57:31
「以上は《地蔵十王経》《十王讃陸鈔》の所説であるが,《地蔵十王経》は偽経である。
三途の川のことは,死出の山とともに説かれるが,仏説ではなく,俗説である。三途の
川のほとりには衣領樹(えりようじゆ)という大樹があり,その下に奪衣婆(だつえば),
懸衣翁(けんえおう)という鬼形の姥と翁がいて,姥は亡者の衣服を奪い取り,それを
翁が受け取って衣領樹に掛ける。亡者の生前の罪の軽重によって枝の垂れ方が異
なるという。」春先のエニセイ川は氷塊の山が爆弾の轟音と氷の衝突による電光を
発しながら北極に流れる。氷川神社と言うが世界で唯一三途の氷川の通るところ。
この翁と衣領樹こそサンタとクリスマスツリーの起源ではないだろうか。

302 :月光仮面:2008/06/20(金) 11:42:11
■ 調査最新情報 ■
文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.3 (2006年8月号)より
公募研究「北方ユーラシア遊牧民部族社会の考古学的研究」の開始にあたって高濱秀
(金沢大学)
公募研究「北方ユーラシア遊牧民部族社会の考古学的研究」研究代表者
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter03/image/5-4.jpg
「オラーン・オーシグ山を東、南、西の方向から取り巻いて、10箇所ほどのヘレクスル群
が見出される。この遺跡はその一つであり、また鹿石を伴う唯一の遺跡でもある。また
山のウブル(南)ではなくほぼ東に位置している。我々は、調査に当たってその全体的
な立地を前提とする必要があると考え、この遺跡をオーシギーン・ウブルではなく、オラ
ーン・オーシグIと呼んでいる。 我々がここを調査対象として選んだ理由は、モンゴル青
銅器時代の主な遺構と考えられる鹿石とヘレクスルが共に存在するからであり、その
2種の遺構の関係を捉えるのに適当と考えたからである。そのほか、やはり青銅器時代
の墓である板石墓も1基あり、少し離れたところに数基見出されている。」
写真4    「1号ヘレクスル」
「我々は既にこの遺跡において1号および12号ヘレクスルを調査し、南部の鹿石の周辺
をも一部発掘した。1号ヘレクスルは積石塚の直径が約13m、高さ2m足らずで、方形の
石列によって囲まれ、主としてその東側に21基の石堆をもつ(写真4)。」
これは四隅突出型墳丘墓の原型ではないかという点から注視している。



303 :月光仮面:2008/06/20(金) 11:56:42
「1号ヘレクスルの中心の積石塚からは、石棺が発見されたが、中に人骨は発見されな
かった。」・・・日本でも四隅突出墳丘墓から箱式石棺墓が出ることがある。従い、
四隅突出墳丘墓と箱式石棺墓を結ぶものとして大事である。いま、私は、オークネフ・
カラスクの箱式石棺墓からコーカソイド人骨が出土するという情報とモンゴロイド人骨が
出土するという情報に挟まれて困っている。おそらくは人種的混合があったのであろうが
この辺をはっきりさせてもらいたい。

304 :月光仮面:2008/06/20(金) 13:10:44
「また中国北辺東部に分布する夏家店上層文化には、動物紋様など初期騎馬遊牧民
文化に共通する要素が認められ、その年代が西周時代後期から春秋時代前期、すな
わち黒海沿岸の先スキタイ期に相当することも明らかになってきた。このように草原地
帯東方におけるこの時期の様相が注目されるようになってくると、また調査の比較的行
き届いていないモンゴル高原の状況が問題になってくる。」

305 :月光仮面:2008/06/20(金) 13:11:35
「モンゴル高原においては、鹿石と呼ばれるものが知られている。高1〜3mほどの方柱
状の石に鹿などの図像を彫りこんだもので、その鹿の図像から初期騎馬遊牧民文化と
のつながりが早くから考えられていた。しかしE.ノヴゴロドヴァの研究によって、鹿ととも
に彫りこまれた剣や戦斧などの武器が、商代、西周時代に併行する中国北辺のもの
や、夏家店上層文化のものと類似することが明らかになった。以前に考えられていたよ
りも古く、前2千年紀の後葉から前1千年紀前葉ということになる。鹿石はモンゴル高原
において最も多く発見され、すでに500個を超えている。」

306 :月光仮面:2008/06/20(金) 13:12:32
「またザバイカリエ、アルタイ、新疆ウイグル自治区、ウラル地方、北カフカス、黒海北岸
からも少数発見され、北カフカス出土のものは、先スキタイ時代の古墳に伴っていた。
アルジャン古墳からも鹿石の一種の破片が発見されており、アルジャン古墳自体よりも
古い時期のものとも考えられている。このようにして鹿石は初期騎馬遊牧民文化の始ま
りの頃と強い関係を持つことが推測されるようになってきた。」

307 :月光仮面:2008/06/20(金) 13:13:59
「またモンゴル高原においては、青銅器時代の埋葬址と考えられる遺構として、ヘレク
スルが知られている。ヘレクスルとは、積石塚を方形あるいは円形の石列で囲ったも
ので、多くの場合、主にその東側に石堆が複数置かれ、さらにその外側に全体を囲むよ
うにして、数個の石からなる小型ストーンサークルを何重にも配置することもある。発掘
しても遺物の出土例がほとんどないところから、その年代には異説もあり、用途につい
ても、墓というのが定説になったとはまだ言いがたい。しかし初期騎馬遊牧民時代にな
って、ユーラシア草原地帯に突然出現する大型墳丘墓の先蹤としてヘレクスルを考える
ことは、きわめて自然なことである。」
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter03/news03_05.html

308 :月光仮面:2008/06/20(金) 13:18:09
日本神話の基本がスキタイ神話であることであることとか、何故、日本に忽然と
古墳時代が始まるのかの謎解きは今始まったばかりなのである。

309 :月光仮面:2008/06/20(金) 14:10:00
鹿石次代の前、アルタイにはオークネフ文化があり、石柱に鬼面のような神像
が描かれる。これはヒンドゥー教、モンゴル、西蔵密教によくある三つ目像。他方
時代的にはアルタイがオークネフの後、カラスクに移る頃、メソポタミアには
カッシートが出現する。そして、カッシートには「Kudurru」という境界石がある。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6c/Caillou_Michaux_CdM.jpg
「Kudurru」とは前16-12世紀カッシートにより家臣に与ええられた権利書のような境界石
として使用されたいわば石の書類である。アッカド語では「辺境」、「境界」を意味する。「Kudurru」はカッシートのバビロニア統治時代の唯一今に残る遺物であり、ルーブル博
物館、イラク国立博物館に残る。「Kudurru」は国王の家臣への許可の意思決定の記録
である。「Kudurru」現物は寺院に保管され、許可を受けた人には境界石の公的証明抄本
としての粘土板が発行された。「Kudurru」には契約保護神の象徴的イメージ、契約
内容、違約時神罰が描かれた。若干の「Kudurru」には土地使用を許可した王の姿も
描かれた。画像や契約が大量であるため、「Kudurru」は大きな石碑となった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kudurru
日本の地蔵、道祖神、猿田彦神社はおそらく、熊本の磐井の乱の岩戸山遺跡の頃から
始まるのではないかと思う。

310 :月光仮面:2008/06/20(金) 15:36:45
前2000年頃喇家遺跡に見られる大地震が長江、黄河上流に大災害をもたらし、移動
牧畜民のカザフスタン方面への移動が始まり、これにウラル北部のセイマトゥルビノ
青銅技術革新とボタイ地方の大型馬、アルカイムにおけるインドイランとの接触が羌、
羯、フルリ、インドイランの四方への拡散の引き金となったのではなかろうか。そして、
インダス、中東、エジプトに新体制が生まれ、その後鉄の登場と共にスキタイ時代に
入る。中央アジア後期青銅器文化は羌族により殷に伝えられる。殷はこれに触発され
独自の青銅器文化を発展さす。流動化してスキタイ・匈奴となったものが稲作農業の
拡散を追うように半島、列島に浸透。

311 :月光仮面:2008/06/20(金) 16:25:33
>>303 カラスク人↓
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_61.jpg
非常に中国文化の影響を受けているという。秦氏のようなものではっきりしない。

312 :月光仮面:2008/06/21(土) 12:08:10
2008 ISOGG treeによるYAP+D系統図、これをユーラシアに展開してみる必要がある。
* D (M174, 021355)
o D* Typical of Andaman Islanders
o D1 (M15) Typical of Tibetans, with a moderate distribution throughout East              Asia
+ D1*
+ D1a (N1)
o D2 (M55, M57, M64.1, M179, M359.1 [P41.1], P37.1, P190, 12f2.2) Typical of Ainu,          Japanese, and Ryukyuans
+ D2*
+ D2a (M116.1)
# D2a*
# D2a1 (M125)
* D2a1*
* D2a1a (P42)
o D2a1a*
o D2a1a1 (P12)
* D2a1b (022457)
o D2a1b*
o D2a1b1 (formerly D2a1b) (P53.2)
# D2a2 (M151)
# D2a3 (P120)
o D3 (P99)
+ D3*
+ D3a (formerly D3) (P47) Typical of Tibetans, with a moderate distribution              among some other populations of southern Central Asia
マージャンで言えば「リャンピン」のカンチャン待ちで聴牌している状態なのである。
「D1」、「D3」は中原を出て西蔵に向かった。「D2」はボルガ、エニセイ、アムール、洛東江経由筑後、那賀、遠賀、淀、大和、木曾、利根・・・と展開したのではなかろうか。

313 :月光仮面:2008/06/21(土) 12:24:58
Nested Clade Analysis(階層クレード解析)すなわち、ハプロタイプ・ネットワークの
階層構造と地理分布の情報を突き合わせることで,現在の系統図パターンと被断片化
範囲、距離的孤立化、距離的拡大との整合性を検証すること、これを民俗・神話学スレで
大いに思考実験しようではないか。量子物理学よりはオカルトになる危険が少ないの
では。

314 :月光仮面:2008/06/21(土) 12:54:33
「縄文」ハードディスクを隔離した上で、開いた領域を初期化、ないしは、猿田彦による
「使用する変数の領域を確保するためにおこなう宣言」を行って間仕切りした。始めは
起動Cドライブは近畿にあったが、後にこれは関東とされ、近畿のはDドライブとされた。
Dドライブをいじるとクラッシュし、再インストールしなくてはならない危険があった。モン
ゴル、満州、朝鮮、筑紫とパソコンのユーザーが異なるごとに存在していた諸文化、
諸民族はドライブ名を変えるだけでそのまま持ち込まれた。YAP+のサブ・クレードはこ
のようにして生まれた。

315 :月光仮面:2008/06/21(土) 15:04:48
任那は使えなくなったフロッピーディスク用Aドライブのようなものではあるが、古、漢は
これを倭国の北岸と認識、邪馬台国時代にも載斯烏越なんていう大物大使か或いは
総督のような職があったようで、神武の父は「小伽耶吹合津」とも読め、今も昔も親の
七光りのジュニアー政治家と言うのはいたのかもしれない。

316 :月光仮面:2008/06/22(日) 13:18:14
>>313
階層クレード分析を自己流でやっているんだが
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD.html
興隆窪  長白山脈北麓 長白山脈南麓  日本列島
D*    D2*      D2a*         D2a1*
D1   D2a D2a1    D2a1a
D2   D2a2    D2a1b
D3
YAP+モバイル・パストラリストの原郷はサヤン・アルタイの里山風景の生んだ山戎
にあり、文化的には西蔵・日本・韓国の石積文化である。これが長白山方面で高句麗、
扶余系百済弁辰と言う風に大別三つに分かれたが、スキタイ、匈奴の圧力、更には
秦、漢の勃興によって半島から列島に全遺伝子が段階的に移動したと見る。
D1、D3は中原に南下し、その後西蔵、雲南、四川に入るもの。

317 :月光仮面:2008/06/22(日) 14:26:15
しかし、第1世代がもっとも古く分離して列島に移住し縄文人と共に住み、第二、第三、第四世代は
その後も興隆窪、長白、三韓方面で互いに孤立しながら突然変異が起こるほどの世代交代を繰り
返し、その後で日本に流入したとも考えられる。

318 :月光仮面:2008/06/22(日) 17:09:41
>>311
GumilyovはGrumm-Grzhimaylo説を展開匈奴を殷系中国人とコーカソイド丁霊の混血であるカラスク
文化人であるとする。私はカラスク文化人を同様に安陽と文化的関係を有したイラン系人種と羌系
YAP+D2人種(秦他)との混血民族であると見る。この混血は二世、三世と時代を経るごとにチュルク
系としてフンと化して西方に走るものと、扶余、高句麗、弁辰として日本に入るものに分極した。
国際情勢が人種的におのずと旗幟鮮明にすることを要求したのがその原因であろう。しかし、文化的に
スキタイ・匈奴の文化はその後の日本武家社会に濃厚に残ることになった。こう考えるのである。

319 :月光仮面:2008/06/22(日) 17:17:53
Gumilyov、Grumm-Grzhimaylo説において強調されるエニセイ文化についてはケト人の関与があるものの
これは日本では気多神社、賀茂族等が関係するのであろうが、混血状態などについてはやはり秦-イラン
のような関係があったのかもしれない。秦氏と関係をもったイラン人は拝火教以前の原始ユダヤ教を信奉
していたということが考えられる。


320 :月光仮面:2008/06/22(日) 17:35:51
インナー・ユーラシアのモバイル・パストラリスト、騎馬民族、が流動化し、パミール-アルタイ間に巨大な
オーロラのイオン交換樹脂ようなモンゴロイド・コーカソイド識別・不可逆通過カーテンといったものが降りた
ようなのが当時のインナー・ユーラシア情勢で、やがて、世界は東洋と西洋に分かれて行った。それが
やや遅れ日本には古墳・飛鳥時代に到来したのではないか。

321 :月光仮面:2008/06/23(月) 08:57:30
>>317-318
中国において最も早期の鉄器使用
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFE.html
新疆で出土する早期の鉄器出土編年
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFE01.GIF
こうしたものとか、新疆におけるアンドローノヴォ文化遺跡、イラン系出土人骨を勘案し、
記紀、漢籍、寺社伝承にある秦氏の記述を見るに、Gumilyov、Grumm-Grzhimaylo説の方が
正しく、秦氏と関係するのはテイ(四声、狄でない)ではないかと思う。他方、カラスク文化は
アルタイにおいては駁馬丁霊としてサカ族とは対峙していたアファナシエヴォ文化人で、
駁馬の毛皮をアマテラスに献上したスサノオが駁馬丁霊の線であろう。

322 :月光仮面:2008/06/23(月) 09:12:57
秦  姓は趙、名は非子。大駱の子。犬丘に住み、馬や家畜を飼って生業としていた。周の孝王のとき、
召されて?水と渭水の間にうつった。のちに秦に封ぜられ、?氏の祭祀を継いだ。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chu925.html
この犬丘と言う地名と欽明朝秦大津父が狼を救う話がリンクする。
五胡十六国時代にテイ族の苻氏が建てた前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にた
どり着いたと言う説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F

323 :月光仮面:2008/06/23(月) 10:13:53
しかし、秦氏を移動性牧畜民、モバイル・パストラリスト、とみなすと、YAP+であり、チベットに入る
D1乃至はD3でなくてはならないところ、そうしたものは日本に入っていない。と言うことは秦氏の
YDNAはYAP+ではないということになる。一方日本にはアシケナージ・ユダヤ人のYDNAがある。

324 :月光仮面:2008/06/23(月) 10:53:42
↓日本のYDNA Iグループについては
>>294
英米ユダヤサイト情報
↓アシケナージ調査結果の約4%442サンプル中442がHaplogroup I (I-P19)
http://www.britam.org/Questions/R1b.html

325 :月光仮面:2008/06/23(月) 14:02:19
I*について。混成サブクレードI*は最初のHaplogroup Iメンバーの直系子孫個人を含み、残余の同名
サブクレードを特定するその後の変異を一切持っていない。現在の中東及びコーカサス全般的に
おいてHaplogroup Iは非常に低い頻度で見られる中において、若干のY-STR(http://www.srl-group.co.jp/service/dna_06b.html)多様性が最大であるものを伴う若干のhaplogroup I*の個人は
トルコ(8/741),アディゲア(2/138)、イラク(1/176)の住民において発見されるこのことは本haplogroupが
この地域において初めて発生したとみなすことに矛盾しない。高頻度のHaplogroup I*はアンダルシア
(3/103),フランス(4/179),スロベニア(2/55),フィンランド・サアミ(1/35)においても発見されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_I_%28Y-DNA%29
http://www.srl-group.co.jp/service/dna_06b.html
前3000年紀墳墓形式としての巨石遺構に由来するドルメンの文化が当地において興り、その頂点を
極め、約1700年間継続した。アディゲアには5ヶ所のドルメンフィールドが残り、約二百の全壊及び部分
破壊のドルメンがある。コーカサスのドルメン分布地はAdyge-Abkhaz族の先祖の故郷である。Adyge族
の祖は豊かで黄金に耀くMaikop文化をも創造した。Kuban、Belaya、Laba、Adygeaの河川は伝承にある
歴史的名所であり、中世には、かの神秘的なアジアへのシルクロードはこの辺を通っていたのである。
http://www.russiantales.se/archives/adygea.html


326 :月光仮面:2008/06/23(月) 14:21:23
>>8 プロト・ユダヤ人はドルメン文化人だった。
>>11
http://www.britam.org/picturesYair/dolmen/map.jpg
ミャンマー日中韓の支石墓はユダヤ人の祖である秦族が持ち込んだのではなかろうか。

327 :月光仮面:2008/06/23(月) 16:40:48
↓話は変わるがこれは前2000-1500年頃のオークネフ文化のゆりかご葬
http://www.bronza-lib.narod.ru/s/9.jpg
これを一緒のものを間宮林蔵が樺太で発見、「イズメッコ」見たいに赤ん坊を立ちっぱなしで
おいておくのだそうであった。エジプトミイラ、アンデスミイラ、オシラサマ、蚕の伝説、ナデネ-
コーカサス言語、ケト族、日本に残るインデアンYDNA、南米アマゾンで発見された弥生人の
王の人骨・・・皆関係がありそうである。

328 :月光仮面:2008/06/25(水) 10:59:56
>>318 >>326
秦氏がAdyge族らしいということは、ケト族がナデネ・インディアンと同系であり、その言語はシノー
コーカサス、デネ-コーカサス語と同一語族といわれることから、ケト・セルクープの祖先がAdyge族
と一緒になり、クラ・アラクセス(アゼルバイジャン)からコーカサス山脈を横断、ミタンニ、シリア、シナイ
経由エジプトに入り、穀物貯蔵の司、高倉下としてのヨセフ(天忍穂耳命)、アポピ(天穂日命)として
ナイルを上流クサエの国境までヒクソスとして統治し、その後イラン族のアンドローノボ文化東進の波に
乗り、殷に深く取り込んでいた古代アファナシエボ文化人(小河墓ミイラ)の末裔、カラスク人と勢力争いを
演じた。秦はアンドローノボ系、鴨はカラスク系であろう。物部麁鹿火の麁鹿火とはアラクセス川の地名
からとったのではなかろうか。

329 :月光仮面:2008/06/27(金) 14:13:01
ヒッタイト・ヒクソスが黄色人種であり、非常に軍事色の強いものであったことは知られている。ヒッタイト
はコーカサスの北麓からヒルベト・ケラク土器と言うState-of-Artな商品を伴って中東に進出している。
北方においてはイラン・ヒッサール近辺でも中国色の強い彩色土器が出土している。おりしも、中国に
おいては地震・洪水によるものか、竜山文化が終わっている。そして長江の銅緑山等の青銅器資源は
三星堆・バンチャンに関係すると見られる三苗の手から次第に山西省・山東省、二里頭、安陽方面へと
進む。中国に端を発した牧畜ノマドは、それ以前の黒海沿岸から東進してきた牧畜ノマドとクロスするよう
にして西進した。この東進と西進はそれぞれ交易を求めて折り返すことになり、この2度にわたる、遺伝子
の接触を伴う文化・遺伝子的交差接触ともいうべき交差はカラスク・北狄、セイマトゥルビノ・テイ(Di1)羌
という流れとなって、安陽の青銅器文化を生み出した。これを西方から征圧した西周はどちらかといえば
セイマトゥルビノ・テイ(Di1)羌に近いものであり、ヒルベト・ケラク土器と共にパレスチナに入り、ついには
日本にまで到達したAdyge族とか、エニセイのインディアンに近い羯族とかはこうした流れの中にあった
のであろうが、秦氏は山西省、羯族は婦好に討たれた鬼方(威嚇仮面文化人)としてオルドスあたりにい
たのではないかと思う。




330 :月光仮面:2008/06/27(金) 14:32:12
周に討たれた商の諸民族は北方、北東・満州朝鮮へと拡散するが、人種的・文化的に西から東に
アファナシエボ-オークネフ-カラスク由来の古いクロマニオン型(小河墓ミイラ)コーカソイド、セイマ
トゥルビノ騎馬民族が発展したスキタイ・パジリク・タガール文化系人、これと、モンゴロイド系各族
の多彩なハイブリッド状態であった。これが漢籍、記紀に出没する多くの渡来人であった。しかし、
実際に日本に入ってくるのは戦国が終わりに近づく頃で、吉野ヶ里、朝日等に軍事的環濠集落が
興る頃であろう。日本の建国がこうした軍事緊張文化の最中で行われたことが日本を後々まで
武家政治、幕藩体制の国にするのであろう。卑弥呼には婦好のような側面もあったことは兵主神社
が箸墓を守っていることから察せられる。

331 :月光仮面:2008/06/27(金) 16:49:25
Gumilyovによればカラスク人は広顔のクロマニオン・タイプ古エウロペイドと狭顔の中国人の
混血であり、広顔のモンゴルとか、縄文のようなものとの混血ではないらしい。つまり、
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html
弥生人との混血といってもいいか。原産地はこのとおり安陽から東にかけてだろう。

332 :月光仮面:2008/06/27(金) 16:57:25
Gumilyovはこのカラスク人を匈奴の祖先とみている。松尾大社、鳴鏑神は冒頓大社、父を射殺した
冒頓単于であり、立石磐境の石組みがあること、三輪山にもこれが多いことの理由は立石磐境(吉備
楯築墳丘墓もしかり)が匈奴の文化にあることから、これらを建てた、おそらくは邪馬台国建国者は
匈奴の子孫であったのであろう。

333 :月光仮面:2008/06/30(月) 11:37:19
最古の家畜化された馬を柄頭の飾に使用した東カザフスタン出土青銅剣
http://www.aaa.kz/images/2007/200702_11.jpg
同時に出土するカラスク的特徴を有する青銅刀子
http://www.aaa.kz/images/2007/200702_11a.jpg
この地方こそ西方アンドローノボ文化圏に興るセイマトゥルビノ、薄壁、失蝋法、錫青銅利器と共通する
風土、つまり、馬、二輪車によって当時のユーラシアを席巻する文化の揺籃の地と見られるが、安陽に
商が建国される前夜、当地のセイマトゥルビノ及びカラスク文化が南シベリアに北上するのが認められる
という。それはヒクソスから「豊臣秀吉の大返し」さながら、「中原に鹿を逐って」帰還する人々の姿ではな
かろうか。

334 :月光仮面:2008/06/30(月) 11:49:37
「緑の地平線」それは、なんと「滅び行く大草原」であったという事実を北京五輪を直前にして
気付くというのはなんたることか。ユーラシアのハイウェー化に先祖が貢献したことこそ今の温暖化
の遠因であり、それが文明の代償であったのであろうか。

335 :月光仮面:2008/06/30(月) 12:55:36
「その時に日本はどうなるか。欧米はどうなるか。これはむつかしい問題である。しかしとにかく現在の
人間は、世界の気候風土が現在のままで千年でも万年でもいつまでも持続するように思っている。
そうして実にわずかばかりの科学の知識をたのんで、もうすっかり大自然を征服したつもりでいる。しかし
自然のあばれ回るのは必ずしも中央アジアだけには限らない。あすにもどこに何事が起こるかそれは
だれにもわからない。それかといって神経衰弱にかかった杞人(きひと)でない限り、いつ来るかもわから
ない「審判の日」を気にしてその時の予算までを今日の計画の中に組み込むわけにも行かない。それで
政治家、軍人、実業家、ファシスト、マルキシスト、テロリスト、いずれもこんな不定な未来の事は問題に
していない。それを問題にするのはただ一部の科学者と、それから古風な宗教の信者とだけである。
いちばん仲の悪いはずの科学者と信者とがここだけで握手しているのはおもしろい現象である。」
昭和七年十二月、唯物論研究 ロプ・ノール その他 寺田寅彦
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2352_13819.html

336 :天之御名無主:2008/06/30(月) 23:41:00
          ■毎日新聞廃刊か■
★祭り★
「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事27
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/ms/1214826934/
★祭り★
【毎日新聞】ネット上に変態報道の処分と無関係の社員を誹謗中傷する書き込み→名誉棄損で法的措置を取る方針★127
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1214824880/

オカルト板http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1214826821/ 
英語板 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/english/1213971760/
大規模OFF http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1214614538/
YouTube板 http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1214375128/
ニュー速 http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1214798343/
医者 http://society6.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1210492753/
マスコミ http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1214603376/
司法 http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1214621509/

【毎日新聞】 iチャネル解約スレ 【変態報道】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/keitai/1214802475/
▼iチャネル解約方法
iモードのiメニューから料金&お申込・設定を選択
4のオプション設定のiチャネル設定から解約可能

解約理由を告げたい場合は携帯から151にダイヤル
▼解約後の料金について
パケホーダイなどとは異なり、解約した場合はその月のiチャネル利用料金は日割りになります。
解約したその月に再契約も可能です。追加料金も発生しません。
iチャネルの解約は日本人(あなた)を馬鹿にしている毎日新聞社への直接的抗議に繋がります
ちなみに解約には5分とかかりません

337 :月光仮面:2008/07/01(火) 17:22:23
素盞嗚命はそれを吉野ヶ里、吉備、朝日遺跡に持ち込もうとして天照大神に阻止された。同様のことは燕
の長城の彼方からも起こっていたが、それが夏家店上層文化、豚から羊にと移動性が増し、戦闘的になっ
てくる。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/020400.html
オビ河ではカラスク・イルメンスカヤ文化
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_61.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_57.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_58.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_59.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_60.jpg
それは大西洋岸から太平洋岸にかけて、インドヨーロッパ語の再編成を伴う文明の激動の一貫であった。

338 :月光仮面:2008/07/01(火) 17:26:37
http://islandvera.ru/pages/29+b.jpg
言語の移動とは軍事組織の命令用語のいどうのようなものであったのだろう。軍人勅語、
教育勅語から始まったのだろう。だから色んな民族が米軍に徴兵されたように色んな言葉を覚える。

339 :月光仮面:2008/07/01(火) 18:00:11
日本とか新羅の王族にはダッカイ、タケ、タケノなどと言うのが多く、また、ダッカイ王が丹後、継体が越、
一方、燕に孤竹と言う国があったが叔斉伯夷が聖人であり、一族の行方は不明。しかし、話に尾ひれが
つき、王族なら若狭湾方面といったジンクスが新羅、倭において成立していたこともあろう。しかし、王統が
途絶えるような危機的な時に大王に迎えるような感じもする。

340 :月光仮面:2008/07/01(火) 18:05:43
が、この孤竹というのは越とも読める。綏靖もヌナカワがらみであるから越ともいえる。浅井長政の髑髏
は金杯にされるが、吉備でも鬼のウラの頭を釜茹でにする話があり、これは匈奴、月氏の風習である。
信長も先祖は尾張・海部につながるのかも。

341 :月光仮面:2008/07/01(火) 18:14:15
ヒルベトケラク土器とか、セイマトゥルビノ錫青銅利器が三苗民族の匠の技術によるものとすると
欧米の反発は必死だろう。では、YDNAにコーカサス・アディゲ族とか北米のような羯族ではないかと
見られるものが残るのはどう説明したらいいのだろうか。黒陶、バンチャン、三星堆の蓄積された技術
が背後にあるのではないかと思う。ミャンマーにはユダヤ人が入っており、ドルメンがあるのだから、
コーカサスの商人が古代から東南アジアと交易し、一部はヒクソスと共に来日したという可能性は
あるのではなかろうか。


342 :月光仮面:2008/07/02(水) 07:35:02
>>338
印欧原郷は、邪馬台国論議同様、考古学的発展に伴って変わる。カザフスタンでのの騎馬民族文化発生
が明確になりつつある今、近東、コーカサス南麓を原郷とする説がうまく合うようになってきている。
考えてみれば印欧語は狩猟採集の面影を残すが、移動牧畜時代に完成を見た言語といった感じがする。


343 :月光仮面:2008/07/02(水) 16:44:03
日本人どこから来たんだ?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/menu480-487
ヒクソス、ヒッタイト、ミタンニから帰還した移動遊牧民はやがては騎馬民族時代を経て、カラスク・イルメン
文化、夏家店上層文化の中を無紋土器朝鮮半島を縦断して、日本列島の日本海、東シナ海沿岸へと浸透
してくる。それは支石墓時代から強まったが、箱式石棺墓時代に特に顕著となり、これは古墳時代に結び
付いたのであろう。


344 :月光仮面:2008/07/12(土) 07:03:16
日本人どこから来たんだ?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/menu605-814
記紀においては国譲り、海幸山幸が倭国乱を扱っているが、海幸といっても縄文日本には
黒曜石、サヌカイト、翡翠、塩等の流通システムは古くからあったようであり、単純にインナー
ユーラシア水陸モバイルノマドのみとしては片付けられない。縄文、古朝鮮はフィリピン、台湾、
エーゲ、シュメール、インダスのようなアウター・ユーラシア的環境にある。


345 :月光仮面:2008/08/15(金) 11:10:37
日本人どこから来たんだ?4←ここから帰還
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1217864779/menu82-91
エジプト出身のフィフィさん http://sexy.nifty.com/cs/catalog/sexy_tdb-talent/catalog_2000047285_1.htm
この方はどことなくサンマさんと似ている。
このヒクソス http://touregypt.net/featurestories/hyksos1.jpg
おそらくこの血筋であろう。ヒクソスをハビルと結び付けようとする向きがいる。アマルナ文書を根拠に
しているようだ。ところがアマルナ時代とか一神教宗教改革者イクナートンはヒクソスの後だ。ユダヤ教、
アブラハム教はイクナートン改革の後に生まれたと見るのが順当。ヒクソスの場合は、ユダヤで言えば
バアル、日本で言えばスサノオのようなセト神信仰らしい。青銅器文化における加熱処理工程から生ま
れるのであろう。ヒッタイトはおそらくはカザフスタン方面から来た馬、二輪車製作にかかわる集団で
軍事技術が優秀であったアジア人であろう。これをユダヤ人であるとか、白人であるとしようとしても
無理がある。むしろモンゴロイドであり、広域移動性のものとしたほうが早い。つまり、馬で周にもぐりこむ
秦氏と考えたほうが手っ取り早いのだ。



346 :月光仮面:2008/08/15(金) 11:28:03
エジプト人はアジア人を徹底的に利用した後、追い出して、ハトシェプスト女王の如きは自分がアジア人
の破壊からエジプトを再興したのだと喧伝している。アジア人はエジプト撤退後レバント経由でコーカサス
北部の草原に入るようだ。これは秦氏にユダヤ人・イラン人系文化の形跡が残ることと、コーカサス北麓
からステップ地帯にハザール文化が残ること、バルト海東部にかけてアシケナージが残ること等から、
アマルナ時代を経て秦氏が中国西部に帰還することを物語るのであろう。その後の秦氏は戦国時代の
秦、そして、夕月の民として日本に渡来したようである。

347 :月光仮面:2008/08/22(金) 14:51:34
さて、夕月の民の来日以前、モンゴリアにおいてはその東方にいたモンゴロイド系の多くのユーラシア
ノマドの渡来があり、日本建国の基礎が出来つつあった。
日本人どこから来たんだ?4
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1217864779/menu148-149
勿論、弥生時代は山東省方面から稲作民族が半島、列島に渡来することから始まったのであるが、
その後中国東北部の北方と沿海州方面からも雑穀・漁業民の渡来があった。日本神話はこの雑穀・
漁業民の渡来から始まっており、それ以前の銅鐸文化とか、初期稲作文化についての記述はない。
海幸とは邑婁人の安曇海人族、山幸とはワイ人の天孫族であったようだ。


348 :天之御名無主:2008/10/06(月) 09:00:39
 安来にクナト神の秘密が隠されているってホント?

349 :月光仮面:2008/10/22(水) 17:17:37
ヒクソスから撤退したアジア人は秦氏で、小アジアから撤退したヒッタイト人はタガール人。これらは
始めには東夷・島夷として殷王朝に入る。殷王朝には他に商、周などがいたが、それらは牧畜民。
これに対して秦・タガールは農耕民族で、青銅器・鉄器・馬を中国にもたらした。周の幽王のとき、
タガールは羸氏グループを離脱して燕経由アルタイに定着した。サンスクリット、リトアニア、ヒッタイト
に近い言語を話していたと考えられている。


350 :月光仮面:2008/10/24(金) 17:53:10
朝鮮人はどこから来たか
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1190991733/menu225
ヨセフ、バシコルスタン・アミンベク等のエジプト王朝への食い込み、太公望の周朝への食い込み。
モーセの山上の垂訓、始皇帝の封善、天命、神農、チベットの死者の書、これらは馬、二輪馬車、
ミイラ、ピラミッドと関係している。


351 :孔雀王子:2009/01/10(土) 15:00:19
ヒッタイト、ヒクソス、アッカド等に北方草原から入ったノマド、それは形質的にモンゴロイド、ケト人、
地中海系コーカソイド、言語的にはシナ・コーカサス・ナデネ語族、印欧語族からなるものであり、
宗教的にはミトラス、拝火教、ヴェーダ、ヒンドゥー等の基となるものを含むものであった。中近東で
文明没落が生じた後、これらのノマドのうちイラン・中国系のものがホレズム(ウズベクスタン)に
集結、黄河流域の安陽と密接な接触を持つに至った。やがては周・秦の時代に半島・日本列島では
北方の農耕民族が殷崩壊に伴う山東省方面からの移民共々突帯文・無文・弥生土器文化を始める。
殷・半島・列島は中国北方のカラスク・オルドス・遼寧青銅器文化圏に属するが、半島・列島には秦の
始皇帝による統一と崩壊の影響を受けて西方のホレズムの宗教的影響を受ける。おそらくは秦の
始皇帝陵建設に動員されたクルド・ソグド系により、エジプトの階段ピラミッド設計思想、ユダヤ教等と
共通する古墳建設が開始される。これは稲荷神社のアヌビス型狛犬、籠神社、伊勢神宮に残るダビデ
紋、大僻神社等に見ることが出来る。

352 :孔雀王子:2009/01/10(土) 15:13:51
ホレズムに立地した天真派乃至は天使派と呼ばれるミトラス教を奉じるクルドは同時にダビデ派ユダヤ
教も信奉する。隋・唐まで中国に潜伏していたミトラス教は弥勒教として勃発するが、日本神話同様
世界の始まりは宇宙卵でなく混沌としている。ミトラス教に言う「炎の主にして太陽神であるミトラが、火打
石からほとばしる火花のように、島の中央にある聖なる岩から炎と閃光とともに飛び出し、世界の主になる
ミトラス」、これはイワレビコの語源に他ならない。

353 :孔雀王子:2009/01/10(土) 15:17:30
豊川稲荷の超現実的なアヌビス・狛犬はプトレマイオス・エジプトとも深い関係を持ちながら、推古・斎明
時代に渡来するトカリスタン人がもたらしたものと考えるのが合理的である。

354 :孔雀王子:2009/01/10(土) 17:03:24
「『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来たりてこの山に
登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を我に与えよと、寺僧それに答え、
売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあやしむに、異国人は、この僧が岩上に宝石のある
を知らぬことを確かめ、心中欣び、ひそかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』と。」
http://www.senkouji.jp/guidance/info008.html
屈折ピラミッド(Bent Pyramid)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%88%E6%8A%98%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89
エジプトと尾道を旅するのはギリシャ共栄圏の商人、ソグド人以外に考えにくい。ましてや、頂上に
宝石があるということをしっているのはエジプト太陽信仰に通じている証拠。

355 :孔雀王子:2009/01/10(土) 17:20:38
http://www.ayyx.com/riy/
この鳥居は箸墓に近い三輪神社にしか見られないもの。箸墓の軸線上には牛頭の神、蚩尤を
祀る兵主神社があり、三輪神社には牛頭の神、神農・スクナヒコナが祀られるが、牛が女王を
守るこの墓が卑弥呼のものであるとするなら、卑弥呼は殷の亡民集団の長とも言える。女性が
君主に立つのは平時ではなく、戦時であり、神武による男系が不成功に終わり、女王を共立した
とする倭人伝の内容は極めて正確といえよう。

356 :孔雀王子:2009/01/10(土) 17:26:29
このことは卑弥呼、婦好がターリム盆地で発見され、牛の革で包まれ、牛の頭を足元に置いた老女
とよく似た埋葬をされた、婦好よりも5百年以上も前のことだが、ことを物語ると見ていいのではないか。
老女の胸元に置かれた面は大僻神社のお面とよく似た鼻柱の高いものであった。

357 :孔雀王子:2009/01/10(土) 17:31:25
商王武丁の三人の正妻の一人・・・ホスト・ナンバーワンのお客の一人程度のことを言っているのかも。

358 :孔雀王子:2009/01/10(土) 18:13:58
>>351
「徐智氏は「ユーラシア西部のT型人類の固体は世界で10例が存在し、いずれもゾロアスター教を信ず
るパルシー人、ペルシャ人、クルド人などである」と話した。」
 「徐智氏はまた次のように指摘した。「ユーラシア西部の特徴」を備えた遺骨の発見は、漢代のシルク
ロードが盛んになる以前から東アジアの人々とユーラシア西部の人々との間にかなり頻繁な行き来が
あり、ある程度の遺伝子交流さえあったことを示すものだ。」
「さらに「この『西洋人労務者』は捕らえられたものである可能性が高い。彼の遺伝子にはユーラシア
西部のものが含まれているが、1代目である可能性は低い。しかし何代目であるかは目下のところまだ
明らかではない」と語った。」
秦に滅ぼされた滑国(ホレズム)人だろう。毛野国、武蔵・上総国方面埴輪に広縁帽を被る鷹匠武人像
があるが、これはエフタル武人像。秦始皇帝陵完成で危うく生贄になるところを三韓に脱出したものと
考えられる。そして日本にまで逃げてきた。
http://www.china-news.co.jp/culture/2006/06/cul06062902.htm



359 :孔雀王子:2009/03/10(火) 12:26:49
http://www.organizmica.org/archive/307/image097.jpg
日本の羽根飾の冠をいだく慣習は高句麗・新羅にも見られるという。

360 :孔雀王子:2009/03/27(金) 16:28:32
日本人どこから来たんだ?6 より
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1237219924/menu71
『後漢書』の烏垣伝によると烏桓の位置は時計回りに烏孫、烏桓、丁霊となっており、これをイリ、ジュン
ガル、トゥーヴァとすると、ジュンガル・新疆方面にいたことになる。後漢の時代は専ら警備兵として北京
北部周辺・南満州の警備をやらされていたようである。多少前後するが山西省・洛陽方面にいた滑、
半島にいた發もよく似た名前であり、漢人の傭兵ということではシ歳も似たようなもの。これが大和朝廷
の傭兵、毛野になっても何もおかしくはない。

361 :月光仮面:2009/04/13(月) 15:45:14
現在ボルガ・バシコルトスタン、トゥーヴァ・ブリャート方面のウェブ情報でエジプトとの各種類似が
主張されている。弥生墳丘墓、銅鐸、古墳時代の背景思想にユーラシア・ピラミッド・マスタバ・ドルメン
等青銅器時代のユーラシア巨石文化に共通するものが見られる。日本の記紀は青銅器時代の象徴
的な祭祀対象である銅鐸に全く触れず、神代には馬、鉄剣のようなものが登場する。どういう背景で
こうした記紀が出来tのかは不明である。ボルガ・バシコルトスタン、トゥーヴァ・ブリャート方面のエジプト
文化との関連の追求にはこうした記紀の疑問等ユーラシア青銅器時代の謎の解明に繋がる鍵が潜んで
いるようである。

362 :月光仮面:2009/04/13(月) 15:50:12
サイバー・ギャラリーの皆様に置かれては、気楽にご意見書き込みくださいますように。良貨は
悪貨を駆逐します。

363 :月光仮面:2009/04/13(月) 15:59:41
ボルガ・イェニセイの草原とは別にエジプト・小アジアにおけるヒクソス・ヒッタイトの研究でも、モンゴロイド
が青銅器時代の中近東に存在したことを強調し、人類学的特徴とか、宗教的背景を論じている。他方、
日本の記紀、社寺伝承・由緒、巨石文化にも中近東とのつながりを示唆するものが多々ある。中近東・
ユーラシア草原・日本の三極構造の中で世界青銅器時代と日本のつながりを見て行きたい。

364 :月光仮面:2009/04/13(月) 16:31:22
刑事コロンボ、相棒等では初めに種明かしをして徐々にその説明を展開してゆくやり方をとる場合が
多いが、忙しい世の中、すべからくその方がいい。
人類は石器時代から金属器時代に移行するが、同時に狩猟採集時代から農耕・牧畜時代への移行
でもあり、移動するパターンから定着するパターンへの移行でもあった。大河の流域に定着する文化と
草原・山間を移動する文化は大河流域文化と補完関係にあり、有用鉱物を資源探査し、運送するのは
移動性のノマドの役目であった。食料安定供給は定着性農耕民の役目であった。ところが青銅器という
のは合金であり、主金属に添加金属を合わすものであるが、2つの資源が同時に存在するような場所は
限定されており、初期にはバルカン半島、晩期にはイェニセイ河がそうした資源の産地であった。
一方河川として最も安定的に農業を維持できるのはナイル河であった。こうしたことでナイル・イェニセイ
の繋がりが出来た。中国大陸では西ユーラシア型ミレット農業と東南アジア型稲作農業、牧畜が環境
変動に合わせて変動する不安定な状況にあり、これがナイル河との相違点であった。こうした中にも
中国大陸では次第に国家が形成され、周辺のノマドとは一線を画すようになり、ノマドは新たな農業地域
との補完関係を求めて朝鮮半島、日本列島へと南下してきた。こうしてかってはイェニセイ河を中心に
東西に闊歩したノマドが日本列島に定着することになり、ナイル・イェニセイ・大和川の関係が出来たのだ。



365 :月光仮面:2009/04/13(月) 17:03:23
ノマドは山戎としてヒマラヤ・パミールの千尋の谷底を見下ろし岸壁をトラバースする際にも、氷河の
クレバスを渡る際にも、地中海、アムール河の怒涛を渡るときにもカーナビが必要であり、それは太陽と
星座の定時観測であった。各種動植物の病理、毒性、有用性についてもノウハウを有し、ドクターであり、
送り人であり、ピラミッドの設計者でもあった。月日星、夜空にあってはシリウス、アヌピス(犬)、地にあっ
ては牛、アピス、昼天にあっては太陽神ホルスは特に重要な神であり、日本では狐として、太陽神アマテ
ラス等として崇拝されている。イェニセイでは三つ目の牛頭天王のように全てを集合したものまで出現し
ている。

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