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蝦夷とはなに?2

1 :天之御名無主:2007/07/06(金) 10:18:12
とりあえず前スレの1さんのを貼っておきます

蝦夷とはいったいなんでしょうね。
大和朝廷に従わなかった、
まつろわぬ民と言われる人たち。

戦前の歴史観などでは彼らはあくまで、同じ大和民族だというような説明がされてますが、
そもそも「大和民族」というもの自体が否定されかかっています。

最近ではアイヌ=蝦夷説も復活しつつありますね。
東北関東はおろかにし日本にもアイヌ語の痕跡がありますし。
高知の四万十川とかもそうですね。

2 :天之御名無主:2007/07/06(金) 20:16:34
とりあえず関西だと兵庫に俘囚として強制移民させられたのが多いって話だが…
今一話が絞れないし

3 :天之御名無主:2007/07/06(金) 23:18:03
アイヌ=蝦夷説はおかしい。

「エミシ」と呼ばれた東日本原住民が
鎌倉頃から「東日本良民」とのちのアイヌ族に
分離しはじめた。

アイヌと言うのは後世の自称で、差別的な言葉ではない。

4 :天之御名無主:2007/07/19(木) 19:02:12
快速アテルイ

5 :天之御名無主:2007/07/22(日) 12:12:46
アクロ王とは”羽黒王”だと思う。(羽黒→hakuro→Hが無音化→アクロ)

羽黒山、湯出山、月山の出羽三山を開山したのは蜂子皇子。
______________________________________
蜂子皇子(562〜641)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蜂子皇子(はちこのおうじ、波知乃子王、欽明天皇23年?(562年?) - 舒明天皇13年10月20日?(641年11月28日?))は、
崇峻天皇の第一皇子、聖徳太子の従兄弟。出羽三山を開いたと言われている。
能除大師や弘海などの異名をもつ。地元(羽黒)の人たちの面倒をよく見ていたと伝えられている。残されている肖像画は、
気味の悪いものが多いが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも言われている。
出羽三山神社にある皇子の墓は、粗末なものであるが、現在も宮内庁が墓を管理している。享年は91であったと言う説もある。
______________________________________

811年、弘仁2年12月の文室綿麻呂の38年戦争終結宣言

↑773年に38年戦争が始まった。蜂子皇子が亡くなってから132年後。

(ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/yds/yamagatas.htm)左記URLの庄内地方に羽黒山はある。
そして、最上地方に悪路王伝説がある。

羽黒山「アテルイ」の本陣跡?(9月25日)−岩手県− 
水沢市にある羽黒山(同市羽田町)で市民参加の発掘調査を実施している「アテルイを顕彰する会」は、
平安時代に作られた可能性の高い柱穴10数ヶ所と、奈良時代の土師器片1点が発見されたことを明らかにした。
同山は蝦夷軍と朝廷軍が戦った「巣伏の戦い」で、蝦夷の領袖アテルイが本陣を設置した場所とされている。
↑岩手の水沢にも羽黒山はある。水沢は後藤新平、斎藤実、大槻玄沢、山崎為時などを輩出した土地である。



6 :天之御名無主:2007/07/22(日) 12:19:40
○ 大伴小手子   (コテコ)   (母)
父は、大伴糠手連(オオトモノ アラテノ ムラジ)崇峻天皇の妃(ミメ)。
蜂子皇子と錦代(ニシキテ)皇女の母。
蜂子皇子を追って都を出、福島県川俣町や月館町にたどり着いた。養蚕と機織を伝えた伝説が残る。

↑蜂子皇子の母親。大伴氏。大友克洋は宮城県北部岩手との県境の登米市である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E7%B1%B3%E5%B8%82

7 :天之御名無主:2007/07/22(日) 12:31:21
語源なんてのはどうにでも解釈がつくからな
チョンみてれば分かるだろw

8 :天之御名無主:2007/07/22(日) 12:42:06
>>7
方言なんてどうです?日本じゅうにひとつの言葉の言い方で少しづつ変わっています。

1.アグドという方言の意味について
東北の各地にアグド(あるいはアクト、アクド、アグド、)という不思議な方言がある。地名研究で聞き覚えのある所謂アクツ、
アクタ、またアクト等のアク系の言葉に思われるが、この方言の意味が足の裏の端にあたる「かかと」を指すというから面白い。
○青森県南 →アグト
○秋田県 雄勝郡、平鹿郡、仙北郡、湯沢市→アクド、  同   由利郡→アグト  同   南秋田郡、河辺郡、秋田市、
鹿角郡、山本郡、北秋田郡→アグド
○岩手  南部、伊達 →アクト、アグト、アグト、アグド、アゴド、カガド、
○宮城仙台→アクイ、アクイト、アクツ、アクト、アコツ、アジャラ
○同 県北→アクド、アグド、カガト
○山形全般→アグド
○福島会津→アクト
○同その他→アグト、アクド
○新潟県西蒲原郡→アクト 同  長岡市 →アクト
○長野県下水内郡豊田村→アクト
○富山県→アクトウラ(方言俗語語源辞典:校倉書房)
○愛知県尾張地方→アクト
○東北六県→アクト
○越後(新潟)、信州(長野)→アクト
○東京とその4周(関東?)→カカト
○甲州(山梨)→アコイ
○伊豆(静岡)→アックイ
○駿河(静岡)、遠州(静岡)、三河(愛知)→アクツ、アゴト
○美濃(岐阜)、尾張(愛知)→アクト、アクイト
○近江(滋賀)→オゴシ
○西京(関西?)→キビス
○九州肥後阿蘇小国(熊本)、筑後久留米(福岡)→アド
○南島→アド、アドウ その両端にアクトを使う地域あり
上記を見ればわかるように、「かかと」という言葉が地方により少しづつ違うのです。しかし、それが意味するところは
全て同じです。

9 :天之御名無主:2007/07/22(日) 18:26:20
藤原千方と四性鬼
 謡曲「現在千方」によると天智天皇の御代高位を望んだ藤原千方はそれを果たせず、伊賀に火鬼・風鬼・水鬼・
隠形鬼を率い立てこもり朝廷に反旗を翻したという。
 実在の千方は「太平記」などの史書によると平将門征伐で有名な藤原秀郷の孫にあたる人物であり、
平安時代に伝説同様謀反を企てたとされている。
 なぜ天智天皇の時代に置き換えられたのか?この時代で有名な謀反は天智天皇の死後起きた「壬申の乱」である。
伊賀は大海人皇子が相対する朝廷側の大友皇子の母の出身地で、当然大海人皇子と戦うこととなり、見事に敗北し軍門に下った。
 この辺の歴史で語られない部分が作り話に反映しているのかもしれない。ちなみに四匹の鬼を忍者だったのではとの説もある。
 面白い話だが奥浄瑠璃「田村」にもこの四性鬼は登場し、朝廷と戦う悪路王に協力を申し出る件がある。
 鬼の名前も文献によって異なり上記意外には金鬼・土鬼などもいる。隠形鬼を怨京鬼と書く本もあるのが面白い。
ちゃんとした史書では山注記・三河坊・兵庫の堅者・筑紫坊という四人の山伏だったという。山の民と朝廷との確執も見え隠れしている物語だ。

ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/chikata.htm

↑このように、物部氏との共闘の他にも、悪路王と共闘をしようとしていた人々はいます。
立烏帽子もそうです。私が、悪路王とは旧王朝の人間だ、と言う仮説を立てる理由はここにあります。

10 :天之御名無主:2007/07/22(日) 18:26:59
立烏帽子

 悪路王の女房とされる鈴鹿山の鬼女。天竺第四天魔王の娘で別名「鈴鹿御前」。その姿は「田村三代記」によると
「年の頃は十六・七。天女のごとき美しさ。揚柳の細身に十二単、濃い紅の袴姿。左手には琴を携え、腰には黄金で
飾られた長剣『妖剣大通連』が下げられている」とある。なんだか白拍子の格好だ。白拍子とは祭事に舞を奉納する
踊り子のこと。かなり美人が多かったといい、ちっと歪んだトコでは売春もOKだったそうだが、情報収集能力はピカイチであろう。
してみれば、山に住む彼女ももしかして忍者?
 彼女は奥州達谷窟に棲む悪路王と組み、日本転覆を企てていたが、悪路王からの便りの無さに、
淋しさが憎しみに変わり征討者である坂上田村麻呂と逆に恋仲になってしまうあたりなんか現代の
長距離恋愛の悲劇と重なってしまふ・・・
 結局、立烏帽子の協力で悪路王は滅ぼされるのだが、奥浄瑠璃(東北の伝説)では鈴鹿御前が
東北の悪路王に恋をしているのだが、京で書かれた物語では悪路王が鈴鹿御前に恋をしている。
やっぱ自分の土地を優先するんですねー。

http://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/tatiebosi.gif

ttp://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/other/e/tatiebosi.htm

11 :天之御名無主:2007/07/22(日) 20:01:10
仏教世界の第四天はトソツ天(例の弥勒の所

12 :天之御名無主:2007/07/23(月) 01:29:37
>>5-10
おもしろいが、つづきは悪路王スレでやってくれ


13 :天之御名無主:2007/07/26(木) 18:51:41
ネイティブジャパニーズの縄文系と弥生系の外物部氏の系統が蝦夷じゃねぇの?
国津神の事だよ

14 :天之御名無主:2007/07/26(木) 22:01:26
>>13
たしか「炎立つ」では、ゆうの台詞で「安倍と物部の怨念を束ねて」云々ってのがありましたな


15 :天之御名無主:2007/07/27(金) 00:07:08
>>14
講談社は音羽グループですが、野田氏は物部氏でしょうか?

日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 熊野氏(熊野国造)
成務朝に饒速日命(物部氏の祖)の後裔、大阿刀足尼が熊野国造に任じられ、 ... 成務朝に饒速日命(物部氏の祖)の後裔、大阿刀足尼が熊野国造に任じられ、子の稲比が熊野直を賜姓される。 ... 覚遍 正実【野田氏】 俊親貞隆【杉本氏】【椙本氏】【和田氏】 ...
www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02125.htm -キャッシュ

ニギハヤヒ系の、物部氏とは違う氏族の人たちはどうなのですか?


16 :天之御名無主:2007/07/27(金) 02:00:46
↑馬鹿

17 :天之御名無主:2007/07/28(土) 01:56:52
まつろわぬ側が蝦夷らしい。
例えば長髄彦なんていうのもそういう者達なのだろう。

18 :天之御名無主:2007/08/03(金) 19:03:52
魏志倭人伝を思い出せ。邪馬台国は東北の狗奴国と戦争状態にあった。
狗奴国の領土と蝦夷の勢力圏内は完全に一致してるぞ。軍事境界線はフォッサマグナの
あたりだ。あそこから文化圏が弥生系と縄文系に完全に切り変わる。

狗奴国=蝦夷の国って事だろ? その後、邪馬台国が滅ぼされようが
敵国の事だから知った事じゃ無い訳で当然、その後の国(神倭王朝)の事も
関係無い話なわけ。喧嘩(戦争)売ってくるんなら「上等だよっ!!!」ってな感じ。

「なんで俺達が新参者のお前らに従わなきゃいけないんだ?」
この連中の事を態度のでかい新参者の神倭王朝は「蝦夷」と読んだ。


19 :天之御名無主:2007/08/07(火) 00:13:28
狗奴国は邪馬台国より南にあったんじゃないんですか?

20 :天之御名無主:2007/08/07(火) 18:25:47
飛鳥あきお儲はオカルト板に帰りなさい!!!!

21 :天之御名無主:2007/10/08(月) 11:37:08
大和人の長弓(2m程)より蝦夷の短弓(1m程)が好きだな
今見られる流鏑馬は当然ながら長弓でしか見たことないが
騎馬の弓射ちはもともと蝦夷の技術だったかと思われ
(このへんが蝦夷=アイヌとは言えないんじゃないか、の根拠のひとつか)
是非とも現代に短弓での「蝦夷流鏑馬」の再現を見たいものだ・・・

22 :天之御名無主:2007/10/19(金) 10:22:49
「えみしには、3種ある」

にぎえみし・・・新潟・関東・福島あたり? 朝廷に従順

あらえみし・・・山形・宮城北部〜秋田・岩手南部 抵抗勢力!

つがる  ・・・秋田・岩手北部〜      遠すぎてわからない


23 :天之御名無主:2007/10/21(日) 11:05:23
「蝦夷」に関する書物では、それぞれ見解がちがうので
いろいろ読んで自分の見解を組んでいくしかないな・・
みんなどういう本に最も同意しているだろうか

最近新しくて、入りやすい書といえば、工藤雅樹の『蝦夷の古代史』
わかり易すぎるというか、
「〜時代の蝦夷はここからここまで、〜時代はここまで」
と繰り返し述べてる。あまり踏み込んで独自の論を展開してる訳ではない
ので物足りない人もいるかと。
ぶっとんだ見解の代表は、久慈力の『蝦夷・アテルイの戦い』
蝦夷というのは縄文時代から既に新旧モンゴロイドの複雑な混血で、
アイヌ的ではない、ツングースの色合いの強い人々だったとほとんど断定。
証拠となる文献をあまり示さず持論を急展開させるのでやや読者置いてけぼりか・・

24 :天之御名無主:2008/09/01(月) 22:26:29
蝦夷=縄文民族(アイヌとはまた違う)あたりが妥当なんじゃないの?

25 :天之御名無主:2008/09/01(月) 22:29:36
東北の
豪族エミシ・頭アテルイ!!最強やぞ!

26 :天之御名無主:2008/09/03(水) 15:37:33
毛人と蝦夷は違うのではないだろうか。
毛人は縄文人の末裔、蝦夷は日本に進出したアイヌ。

27 :天之御名無主:2008/09/03(水) 16:55:05
日本に進出してたのは擦文人だし、その祖先は縄文人だから一緒じゃね?
中国でアイヌのことを蝦夷って書いてたのに習って蝦夷の字を当てただけとか。

28 :天之御名無主:2008/09/07(日) 22:08:22
毛人も蝦夷も基本的には縄文人。
ただ蝦夷のうち、青森に居住していた「都加留」はアイヌと思われる。

29 :天之御名無主:2008/09/07(日) 23:42:31
縄文人だってw

30 :天之御名無主:2008/09/11(木) 21:24:55
NHKの太王四神記で、高句麗辺りの話であるようだがどこかの部族の衣装がアイヌ紋様に似ていたし、
中国の映画でも「北の人」という呼び方でアイヌ風な人が登場していたお

日本だけではない北部地域に何かあるのかお?
教えてえろい人!

31 :天之御名無主:2008/09/15(月) 12:10:01
縄文系原住民→エミシ(大和側呼称?)→続縄文人→ウタリ人
        |
         L→東日本柵戸民→東日本人

と言うことでは?

32 :天之御名無主:2008/09/15(月) 17:44:14
>>30
それは直接的には連中が北海道でネタ仕入れてテレビに出しただけ。
中国人も韓国人も「アイヌ人はうちとこの野蛮人だ。日本人に独占させるな」
という雰囲気。呆れるよなまったく。

ただ、マジレスすると、沿海州あたりからモンゴルにかけては
「アイヌ模様」に似た模様がよく使われている。
数百年前にそっちからアイヌに伝わったというのが一般的な説。

33 :天之御名無主:2008/10/16(木) 12:26:12
縄文人は土器を使ってたのにアイヌ人は全く使わないのは何故?
縄文人は漆器を作ってたのにアイヌ人は和人に作らせていたのは何故?

34 :天之御名無主:2008/10/16(木) 13:35:18
知里幸恵

35 :天之御名無主:2008/10/17(金) 20:53:33
縄文人→続縄文人→アイヌ人となるうちに
土器よりも割れにくい木椀にうつっただけでしょ?

縄文人→蝦夷→東日本人となった人たちから、いろんな影響受けて
アイヌ文化も変化したと思う。

故・埴原先生は
関東・東北人とアイヌ人が分離したのを鎌倉末と想定している。
実際は室町頃まで、東日本人とアイヌ人は
たとえば言葉が通じ合った可能性、ないかな。

36 :天之御名無主:2008/10/19(日) 14:18:45
30です。皆さんレスをありがとう!
鎌倉末期といえば応仁の乱だの戦国時代だのの準備期だな〜
あの時この列島に居住してた人たちが実は相当掃討されたとか??
中国の映画はプロミスだったかな、北の人、大塚ねね似の人や、その民族じたい足の速い人達という扱いだった
NHがじゃあ聞きかじりで作成したとしても中国の人にとっても、沿海州辺りを何等かの特徴あり地域と認識してたんだろうな〜?

37 :天之御名無主:2008/10/19(日) 14:46:30
>あの時この列島に居住してた人たちが実は相当掃討されたとか

前向きに考えると、一部貴族と皇室を除けば、
室町からせんごく時代で
支配階級も庶民も先住民族も、ごちゃまぜになつたはず。

38 :天之御名無主:2008/10/19(日) 20:35:24
今日昼TVでムガール帝国やってたけどモンゴルの意味なんだね?
そして蒙古の周りで示し合わせたように同じ時期にてっぱうで騎兵した人達の国家がわんさか〜

>一部の皇族貴族
も無事でいられたのかな果たして…そんな暴力軍団を前に?

蒙古怖ス…

39 :天之御名無主:2009/02/02(月) 23:45:21
蝦夷は幻の人種

40 :天之御名無主:2009/05/06(水) 08:55:34
ワケわからん

41 :天之御名無主:2009/05/06(水) 20:53:19
蝦夷とは:
蝦夷地域(=ほぼ東北地方)に住んでた、
アイヌの先祖+大陸から日本海越えてやってきたミシハセ・マツカツ等のツングース族+和人地域から蝦夷地域に越境した倭人、及びそれらの混血した者ども達のこと。

民族名というより辺民名。

埴原和郎、工藤雅樹、高橋富雄、高橋崇などを読むべし。


42 :天之御名無主:2009/05/12(火) 23:54:26
東北の蝦夷は大和言葉を話してた縄文人子孫だったんだろうが、北海道アイヌとも当然交易は盛んだったろね。


















蝦夷は大和





43 :■ 毛人:2009/05/14(木) 23:58:54
倭王武の上表文のなかに、
「祖禰(そでい)自ら甲冑をきて、山川を跋渉(ばっしょう)し、寧処にいとまはなかった。
東は毛人(蝦夷、アイヌか)を征すること55ヶ国。西は、衆夷(熊襲、隼人などか)を服する
こと66国。渡って海北を平らげること95国。・・・」
という記述がある。

ここに記される毛人について考える。結論から言えば、毛人とは、東北方面に住んでいた蝦夷の
ことを指すと考えられる。

蝦夷については、『日本書紀』斉明天皇紀に次のような記事がある。
遣唐使が「道奥の蝦夷男女二人」を唐の天子にみせた。
天子がたずねた。  これらの蝦夷の国はどこにあるのか。
使人(遣唐使)がつつしんで答えた。  国は東北にあります。
天子がたずねた。  蝦夷には何種あるのか。
使人が答えた。  三種あります。
遠いものを都加留(つかる:津軽、青森県西半部とみられる)と名づけます。
つぎのものを粗蝦夷(あらえみし:大和朝廷に熟化していない蝦夷の意味か)と名づけます。
近いものを熟蝦夷(にぎえみし)と名づけます。毎年、大和朝廷に入貢します。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku246.htm

44 :天之御名無主:2009/05/15(金) 06:05:03
>東北の蝦夷は大和言葉を話してた縄文人子孫

縄文人子孫と言えばアイヌの人たちもそうだろう。



45 :天之御名無主:2009/05/15(金) 08:05:24
続日本紀
宝亀元年四月一日(称徳帝の代)には 
陸奥国の黒川・賀美など十一郡の俘囚三千九百二十人が、次のように言上した。
「私どもの父祖はもと天皇の民でありましたが」、蝦夷にかどわかされて、卑しい蝦夷と同じ身分になりました。今はすでに敵(蝦夷)を殺して、帰順し、子孫も増えております。どうか俘囚の名を除いて、調庸を納めさせていただくようお願いします」と。
(朝廷は)この申請を許可した。
とあるから実際には蝦夷には和人集団もかなりいたんだろうね。



46 :天之御名無主:2009/05/17(日) 12:19:47
>宝亀元年四月一日

多分朝廷に投降帰順した縄文系原住民の
「言い訳」だと思う。
朝廷もわかっていてそれを認めたみたい。

47 :天之御名無主:2009/05/23(土) 22:21:32
>>46
そうとも言い切れない。
陸奥国府としての多賀城が置かれたのが神亀年間(8世紀前半)、
それ以前にも郡山官衙(仙台市)が7世紀半ばには既に存在していたことから(因みに同官衙遺跡からは弥生式土器も多数見つかっている)、
当然朝廷側に属する数多くの和人系住人が柵戸としてその官衙・国府周辺に入植させられていたとみるのが自然。
柵戸の生活は厳しく、土地を放り出して逃げ出す者が跡を断たなかったというから、すぐ北の加美郡・黒川郡以北に逃げ出した者たちが多くいたとしても全然不思議ではない。

48 :天之御名無主:2009/05/25(月) 01:15:32
>>38
蝦夷も蒙古軍団とは樺太だか沿海州だかで戦ってるんだってね。

49 :天之御名無主:2009/05/25(月) 02:07:10
>>42
百済族は、物部と蝦夷を陰湿に執拗に攻め抜いている。
大和民族に対して異族は天皇族。


島根半島にある浦・十六島(ウップルイ)は、
縄文・アイヌ語との指摘がある。
ということは蝦夷とは物部及びその連携種族のことか?
長脛彦の兄弟の安彦が、追われて東北に逃げ込み
王朝を立てたという伝説がある。
長脛彦は、出雲地方の神社伝承によれば、
トミノナガスネ、トミ・トビは、出雲の地名の呼称から来ている。
瀬織津姫とともに、蝦夷が北に追われたか・・・
言語の類似性も興味深い 雲伯弁と東北弁。。

50 :天之御名無主:2009/05/25(月) 02:33:53
日本神話に登場する「オノコロ」島ってのもアイヌ語っぽい響きだよなぁ
確か北海道ウタリ協会のアイヌの会長さんも同じようなこと言ってたと思うけど

51 :天之御名無主:2009/05/25(月) 13:32:03
>>1
>東北関東はおろかにし日本にもアイヌ語の痕跡がありますし。
>高知の四万十川とかもそうですね。

俺がかつて聞いた説は、
四国の四万十川の「しまんと」という音が大和言葉の音とは思えない。アイヌ語のシマムタ(「水の豊かなところ」の意)からきているんだろう
というもの。

んで、俺は東京は葛飾の出身なんだが、葛飾といえば寅さんで有名な柴又。
この「柴又」も古くは(奈良時代くらいまで?)、
「嶋俣里」(しままた村)と呼ばれていたこと。
この「しままた」もそのアイヌ語の「シマムタ」からきてるんじゃないかと思ったんだよね。
近くには江戸川が流れていて、川の対岸には関東有数の貝塚があるんだけど、今でもその遺跡の当たりを歩くと、貝がじゃんじゃん出てくる。
つまり「水の豊かなところ」の意味でぴったり通るんだよ。

52 :天之御名無主:2009/05/25(月) 14:32:48
>四万十
シマントもシマムタもアイヌ語で「水の多いところ」ではない。
そんなダジャレ未満の説を唱えている専門家はいない。
>オノコロ
「フランス」って日本語っぽくね?っていうレベル。


53 :天之御名無主:2009/05/25(月) 17:15:26
>>49
>浦・十六島(ウップルイ)

ニセコ・アンヌプリみたいな名前だなw

54 :天之御名無主:2009/05/25(月) 23:17:42
>>52
> >オノコロ
「フランス」って日本語っぽくね?っていうレベル。


はっ?意味不明w!
単にアイヌ語っぽい響きと感じたからそう述べただけなんだがそれが不満かw?
だったら、お前はさぞや高尚な「レベル」とやらの見解の持ち主なんだろうから、是非それを聞かせてくれよ(爆)



55 :天之御名無主:2009/05/26(火) 11:53:48
>54
ごめんごめん
確かにアイヌ語っぽいな


56 :天之御名無主:2009/05/26(火) 20:04:10
西表島のピナイサーラの滝
奄美のマテリアが怪しい

57 :天之御名無主:2009/05/29(金) 17:03:14
遠野=トオ・ヌップ=湖のある高原

熊野=カムイ・ヌップ=神々の高原

58 :天之御名無主:2009/05/29(金) 19:26:32
41<< ツングース族説は嘘。アイヌ達は遺伝子が沖縄人と同縄文系だけど
モンゴル大和系には無い特殊な染色体を持ってて、他はチベットや黒人しか
持ち合わせてない。遺伝子はどうあがいても嘘は付けない。

59 :天之御名無主:2009/06/07(日) 08:44:31
埴原和郎だっけ?

東日本人が蝦夷と文化的に分離し、和人化の道を
着実に歩みだしたの、鎌倉以降だろうって。

たしかに頼朝が鎌倉(釜利谷別所?)に幕府、すなわち
前線司令部をおいて「征夷大将軍」と称したのも
形式的には鎌倉以東をいわば「敵地」とみなしているわけだし。

60 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/09(火) 00:41:37
>>58
遺伝子は個人の抽出サンプルデータによって、嘘の電波発信にもなるよ。
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub20.html
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub16.html
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/index.html
一番上の●確保形質は遺伝するか に、埴原和郎氏の指摘される「変数の
選択やそれらの初期値を充分に吟味する必要がある。」
Gm型やY染色体を強調したら、縄文人はチヘット人や黒人に近うなる。
MTDNAやHLAでは朝鮮人に近うなる。リチャード・フォーテイ氏が
「人類全てが一組の両親に由来するというような聖書解釈は科学として
正しくない。」と云われるようDNAは聖書伝説のアダムとイブに先祖が
辿れると云う神話に科学的という装飾語を付けたに過ぎんのじゃ。
遺伝子は嘘を付けない云うたら、遺伝子カルトの神話に洗脳された人間に
なって仕舞うよ。
真ん中は、縄文文化に憧れても、縄文時代にタイム・スリップしたら
殺されるか食人として喰われるのに、縄文美化文化人を皮肉って面白い。
最後にブログのホームを挙げたが、このスレに参考になる話題が
えっと(多く)でとるよ。

61 :天之御名無主:2009/06/09(火) 04:50:43
 縄文人は、軍事的に強かったようだ。実際、古代社会で日本の辺境にいた蝦夷や熊襲は、縄文の血の濃い人々だったが、
彼らは人口が少なかったはずなのに、記紀の記録によれば大変に精強で大和朝廷を悩ませたのである。

 これに対して、渡来人は、あまり縄文人が利用しなかった平野の沼地に植民した。
それも縄文人の人口が割合に少なかった西日本に入植したのである(縄文人の数が多い東日本には長い間入植できなかった証拠がある。
これらについては後述する予定)。縄文人は数が圧倒的に少なかったが、多くの渡来人植民地をたちまち制圧し、支配下においた。
つまり支配層の少なくない部分、というよりほとんど総てが縄文系で置き換わったのである。こう考えないと、
入植者系と原住民系が世界史の通例とは逆パターンの母系と父系の頻度の違いが説明できない。 

20世紀には、弥生時代や記紀の時代の上流階層である皇室や豪族は、
大陸からの渡来人の血を濃く受けていると考えられてきた。渡来人は「先進的」な技術を持って渡ってきたことと、
実際に記紀を初めとする文献に渡来人を祖先とする名族が記載されている例があるからである。これは今なお有力な説ではある。しかし、
Y染色体とミトコンドリアや常染色体の違いから考えると、稲作の導入によって日本人が爆発的に増えた弥生時代の豪族や貴族と言った支配層は縄文系が多かったことは疑いない。
進化生物学は、そう予言するのである。上流階層に比較的に渡来人の割合が多くなったのは、人口の増大が落ち着いたもっと後の時代なのである。
初期の弥生人の人骨のみならず、ぜひ古墳や天皇陵に葬られた古代の貴人の骨に残っているY染色体DNAの研究を待ち望んでいる。

62 :天之御名無主:2009/06/09(火) 04:55:54
異父兄弟である日本人と韓国人
http://kuroneko.blogdns.net/HP/aicient-Japanese/Japan-Koria.htm

63 :天之御名無主:2009/06/09(火) 12:00:51
>>61
>縄文人の数が多い東日本には長い間入植できなかった証拠がある。
>これらについては後述する予定


例のNHKスペシャル「日本人はるかなる旅」の、
東日本はブナやナラなどの巨木群に覆われていて弥生時代の道具では開墾が不可能だったってヤツ?

64 :天之御名無主:2009/06/09(火) 18:16:35
>>59
安倍宗任が東北の王者でいて、でその人が源義家にに負けているんだけど、そのときの万葉集はどうなの?和人化とは言わないの?
そしてその後の藤原3代があって、義経がいたりする。

征夷大将軍に源氏で初めて任じられたのは「木曽義仲」。

65 :天之御名無主:2009/06/09(火) 20:54:15
縄文=蝦夷=武士=任侠=ヤンキー

66 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/10(水) 01:40:42
>>61
武器に乏しい縄文人に軍事力があったなんぞ妄想に過ぎんよ。
朝廷が異民族を兵士に採用するんは世界的にどこの王朝でも
やりよるんで。天皇家の騎馬護衛は渡来系の東西史氏や秦氏
で蝦夷や隼人はもっと下級の宮門警備じゃけぇ扱いが悪りいよ。
また遺伝子カルト論が始まったか。中国西北部の青海の鮮卑族の
末裔である土族はY染色体では、D型が多いが、東部モンゴル、
満州西部から移って、現地民のチベット羌系を支配したのに、
支配された側のY父系遺伝子がチベット系に似るんは可笑しい
じゃないか。遺伝子なんか千年も変容せず不変云う証明出来る
根拠は無いわけじゃ。わりゃ、もう一遍>>60の特に青字の部分を
読んだ方がええど。
>>62
政治運動が盛んで、ネット右翼の扇動者、電波生物決定論者の
蔵琢也を挙げてもつまらんよ。
>>63-64
古墳期以降、東北も渡来形質が増えたけんのう。
奥州藤原氏の形質は埴原氏の調査じゃあ渡来系じゃけぇ、
縄文系じゃないよ。
>>65
武士の出自は、東北蝦夷を攻略した坂上氏のような渡来系と
奴隷の俘因が佐伯部になるよう武士になる形態もある。
埴原和郎氏は絵巻図から上級武士は、渡来系の容貌で
足軽は縄文系と云われる。

67 :天之御名無主:2009/06/10(水) 02:13:27
宗任はカコイイ!

我が国の梅の花とは見たれども
大宮人は何と言ふらむ

68 :天之御名無主:2009/06/10(水) 21:55:42
>>66
こんな過疎板でホンタク臭い妄想書き込んでる暇あるなら母国語の勉強でもしとけ。

69 :天之御名無主:2009/06/10(水) 22:20:36
明治維新まで大韓の冊封うけて朝貢してたくせにえらそうな事言うな


70 :天之御名無主:2009/06/12(金) 09:11:35
>>69
だれ目線だよ

71 :天之御名無主:2009/06/18(木) 06:23:20
やっぱエミシってのは
東日本原住民(縄文人)だと思うが。

72 :天之御名無主:2009/06/18(木) 08:50:55
蝦夷の民族的構成は時代によって変遷がある。
縄文、弥生の混在比率でいえば、あとになればなるほど弥生比率が増す。
有名な38年戦争手前の段階では縄文系、弥生系はもうかなり混在してるよ。


73 :天之御名無主:2010/02/10(水) 18:50:16
古代イスラエル人を日本に連れてきたスキタイ騎馬民族らしいよ。
だから先住民というのはおかしい。結局みんな地中海あたりから
来たんだよ。

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