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韓愈(師説)は論理に合ってるの、反してるの??

1 :ニャー:2007/10/02(火) 11:10:00 ID:sTJBmv8C

こんな宿題が出ました、、、意見のある方教えて〜〜

2 :ニャー:2007/10/02(火) 11:13:05 ID:sTJBmv8C
〔第一段〕
古代の学問をする者には必ず先生がいた。
先生とは道を伝え、礼・楽・射・御・書・数などの技能を授け、(人の生き方の)迷いを解決するために存在するものである。
人間は生まれながらにそれを知っているものではない。いったいだれが迷いがなくていられるだろうか。(迷いがない者はない。)
(しかし)迷っていながら先生について学ばなければ、その迷いは結局解決しないであろう。
(だから)私の前に生まれ、しかも道を聞くのが私より先ならば、私はその人について、その人を先生とするであろう。
私の後に生まれても、道を聞くのが私より先ならば、私はその人について、その人を先生とするであろう。私は道を先生とするのである。
そもそもどうして私よりも年長であるとか年少であるとかを考えるだろうか(いや、考えない。)
そのようなわけで、身分の高い低いの区別もなければ、年齢の上下の区別もなく、道の存在しているところが、先生の存在しているところなのである。


3 :ニャー:2007/10/02(火) 11:14:02 ID:sTJBmv8C
〔第二段〕
ああ、先生について教えを受ける正しい在り方が伝わらなくなってから、長い時間がたつなあ。
(しかし、それでいながら)人が迷わずにいたいというのは難しい。
古代の聖人(孔子)は、他の人よりはるかに抜きんでていた。
それでもなお、先生について色々と質問をした。今の一般の人々は、その聖人(孔子)に比べれば、ずっと劣っている。
それなのに、先生について学ぶことを恥じている。そのようなわけで、聖人はますます聖になり、愚人はますます愚かになる。
聖人が聖人である理由、愚人が愚かである理由は、みなこの点によるのだ。


4 :ニャー:2007/10/02(火) 11:15:22 ID:sTJBmv8C
〔第三段〕
(親は)自分の子供を愛して、先生を選んでその先生に(自分の子供を)教えさせるが、自分自身のことになると、先生について教えを受けることを恥じる。
これは間違いである。あの子供の先生というものは、子供に書物を与えてその書物の読み方を学ばせるものであって、私の言うところの、人の道を教え人の迷いを解決する者ではない。
文章の読み方を知らない者と、迷いの解決していない者がいて、ある者(文章の読み方を知らない者)は先生について教えを受け、ある者(迷いの解決していない者)はそうしない。
(これは)小さいものは学んでも、大きなものは忘れているようなものだ。私はその人が道理に明るいなどとは思わない。
祈祷師と医者・音楽師・各種の職人は、お互いに先生について学ぶことを恥じたりしない。(それに対して身分の高い)士大夫たちは師だとか弟子だとかいっている人に対しては、皆で集まってはあざ笑う。
その理由を聞くと、「彼と彼とは年がだいたい同じで、修めた学問も同じようなものだ。」と言う。
(自分が先生とする人の)身分が低ければ、(その人について学ぶのは)とても恥ずかしいことだと思い、(先生とする人の)位が高ければ、へつらっているようなものだと思う。
ああ、先生に師事して学ぶことが復活しないのが分かる。祈祷師と医者・音楽師・各種の職人たちについては、知識階級の人たちは彼等を軽蔑している。
しかし今、(その知識階級の人たちの)知恵は、彼ら(祈祷師と医者・音楽師・各種の職人たち)に及ぶことができない。なんと不思議なことであるよ。


5 :ニャー:2007/10/02(火) 11:16:27 ID:sTJBmv8C
〔第四段〕
聖人(孔子)には決まった先生はいない。
萇弘・師襄・老タン・タン子などの連中は、その賢さは孔子には及ばない。
(しかし)孔子は「三人が行動すれば必ずその中に自分の先生がいる。」と言った。
(そして彼らについて学んだのである。)だから、弟子は必ずしも先生に及ばないというわけではないし、先生は必ずしも弟子より優れているというわけでもない。
道を聞くのに後先があり、技芸・技能に専門があるという、ただそれだけのことである。


6 :ニャー:2007/10/02(火) 11:17:05 ID:sTJBmv8C
〔第五段〕李氏の子供の蟠は、年齢は十七である。
古典を好み、(易経・書経・詩経・礼記・春秋・楽経の)六経の本の本文と注釈を学び、それらによく精通している。(しかし)この時代の風潮にこだわらず、私について学びたいと言ってきた。
私は彼が古人の先生に仕える在り方を実行できることを褒め、(この)「師説」を作って、彼に贈り物とするのである。

7 :名無氏物語:2007/10/02(火) 13:33:08 ID:2v+6s0dD
また、変なのが湧き出してきたよwww

8 :名無氏物語:2007/10/03(水) 23:15:52 ID:JjE3uXOP
唐人が楽経の本文を学ぶことは有り得ない。
よって、間違い。

9 :「勇俊(冬のオイラ):2007/10/04(木) 22:35:46 ID:vhjG0S/h
韓といえば、オイラの国ニダ

10 :名無氏物語:2007/10/06(土) 00:41:51 ID:X242yL6o
>>8
唐人が六経と言えば、通常五経のことを指す。
六という数字自体には、大した意味はない。
上のニャー氏の日本語訳の( )による強調に問題がある。

>>1
誰が出した宿題か知らんが、一体その人間は古文が作れるのか?
それが出来もせずに、一足飛びに、
韓文公の文章が論理に合ってるか否か、などという問題を提起しているのだとすれば、
僭越極まりない愚行であり且つ暴挙である。



11 :名無氏物語:2007/10/06(土) 16:22:46 ID:JqH6RQEW
>>10
あんた頭おかしいんじゃない?

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