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ぶっちゃけいまの公共の福祉って憲法より偉いでしょ

1 :法の下の名無し:2008/11/10(月) 04:03:52 ID:B8dkpdxf
やっかいな裁判で頻繁に公共の福祉を言い訳に使ってたらいつの間にか
憲法より公共の福祉が上に立つみたいになってるじゃん
判例とかそういうの多いし
けど憲法って公共の福祉のためにあるもんじゃないでしょ
そもそも憲法は国家対私人で私人の権利を保障するためにあって私人から見ればポジティブなスタンスだけど、
公共の福祉は国家が介入しても私人対私人の権利関係のことであって
しかも権利を主張してもいないよく分からない不特定多数の私人の権利を勝手に想定して保障するとか言って
いろいろ規制をするだとか国家側に体のいい使われ方をしてることが多いじゃん
言ってみれば憲法と公共の福祉のスタンスは全く逆だよ
憲法のスタンスを否定して公共の福祉を重視してる今の風潮ってどうなの

2 :法の下の名無し:2008/11/10(月) 10:37:47 ID:SaLW13eh
公共の福祉を護る。これは「国は人権を守る」という憲法の中にある重要な「基本的人権の尊重」に
内在しているのだと思う。
憲法は人権に個別に制限の根拠や程度を定めることはしていない。
人権保障には「公共の福祉」による制約が存することを一般的に定める形式をとっている。と解釈する。
で、公共の福祉は人権相互の矛盾衝突を調整するためにある公平の原理である。と
つまり一方の人権だけを個別に規定し守ろうとすると、もう一方の人権自由が犠牲になる。
それは偏った人権になり、憲法で基本的人権の保障という理念からはなれてしまう。
「表現の自由」(報道の自由)→←「肖像権」(プライバシー権)のような。
だから、公共の福祉ってのは相互(人権)の調整機能ということになると。
憲法が基本的人権を保障している限り「公共の福祉」は当然に生まれてしかるべきかと思う。

3 :法の下の名無し:2008/11/10(月) 11:01:24 ID:SaLW13eh
>公共の福祉は国家が介入しても私人対私人の権利関係のことであって
>しかも権利を主張してもいないよく分からない不特定多数の私人の権利を勝手に想定して保障するとか言って
補足する。具体例で
「川原で魚を焼いて食べて煙を出した」→「煙を吸ってしまった」
どちらも自由にできる場所だったとしても、双方人権を(焼いて食べる自由)(煙を吸わない自由)を主張した。
この場合、裁決で「公共の福祉に鑑み」とか「公序良俗に反しない程度…」とでたほうが、双方の自由を認めつつ一定の(公と私人間)制約を課したことになるよね。
逆に焼く行為がNG という裁決がでてきてみ?そんな不自由な制約などきっと望まない、かかわらない(不特定多数)人でも迷惑だよね。
そんな「不特定多数の私人」にいつの間にか制約を課さないようにするのが公共の福祉。
あれはだめ、これはだめの判例がたくさん出てきてみ?自由なんてなくなるよ?矛盾が生まれてくる恐れもあるし。
「みんなの迷惑にならない程度であなたの自由は認めますよ」ってのが包括的基本権としても明文で載ってます。
公共の福祉があるからこそあなたの人権も守られているのさ


4 :法の下の名無し:2008/11/10(月) 16:06:47 ID:SaLW13eh
>>1
ひょっとして「公vs私人」「公共の論理・矛盾」とか論を楽しむだけの人?
いつもの人?論破してみろよスタンスの人?

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