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宮崎繁三郎

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 00:33:26 ID:mROIAOic0
日本陸軍最強の将にして、決して部下を見捨てない人格者、日本陸軍の良心宮崎繁三郎閣下について語りましょう

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 01:00:10 ID:2Wk1yeql0
お互いの傷を舐めあって不正をかばいあうのが閨閥に於ける慣わしだ
決して部下は見捨てないが、部外者は平気で犠牲にする
排他的で、陰湿な男の世界について語ろう


3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 01:19:19 ID:XnijGIgTO
>>1
こんな人がいるとは知らなかった。教えてくれてありがとう

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 04:28:33 ID:qU34sP3E0
おれもびっくりしたぞ、歴史を調べてもなかなかお目にかかれない人物だと思う
視界を超える人間を表せる芸術家はいないだよね

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 16:17:01 ID:qU34sP3E0
勉強に勉強を重ね、富士のようになった人かな
何故ですか
と富士に問いかけてみる

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 00:31:10 ID:fJiLWhvkO
出処進退も見事だね
戦後は慎ましく生活し、表舞台からは身を引いている

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 20:54:13 ID:rmP2+gC2O
現在での評価と人格、これでもかってぐらい牟田口と対称的で笑える

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 05:09:32 ID:jeTloXpj0
名将という評価が相応しい
主観では他に栗林、今村かな

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 11:59:59 ID:2CWgtb+t0
でも旧軍の悪弊である、命令違反の常態化からは逃れられてないね。
コヒマ突入の際、決められたラインを超えて攻撃。(上海戦を日中全面戦争に飛び火させた連中と同じ行為)
しかも本来担当の隊がくると、俺らの軍旗にかけてここを奪取するからと助勢すら拒否。
まぁ完璧な人なんていないってこった。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 23:15:47 ID:KKWp67FLO
age

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 05:48:15 ID:H8mfvhvo0
>>9
思い込みで結論が先に出てない?
事実の一部をもって全体を論ずるとは

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 08:56:50 ID:Hsbh26/90
ご子息も立派な方ですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E7%B9%81%E6%A8%B9

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 18:53:59 ID:Vvf5mLaYO
山頂涼風渓谷清流

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 19:05:50 ID:B6fIvgCj0
この人はすごいね。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 19:10:05 ID:B6fIvgCj0
すごいのだけれど、惜しまれるのは、
「常に悪条件下での戦いを強いられた。悪条件の最たるものは★上官に恵まれなかった★」

宮崎氏がもう少し上の階級だったら、戦況も違うものになったと思う。悔やまれる。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 21:50:46 ID:zyjvcNbh0
>>11
命令違反は事実なんだからしょうがない

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/14(火) 23:16:56 ID:hiaVcHUJ0
>>16
未だ紛争であり、政治問題だった上海戦と既に戦争状態にあった
インパールでは同列に扱えないよ。
これはまだ独断専行の範疇(真の意味での)に入る。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/17(月) 19:29:17 ID:aRRQQ6bp0
佐藤幸徳と並ぶ名将

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/17(月) 21:22:55 ID:8OlVEWa4O
メイショウサムソン

20 :棄車保帥 ◆jGok8klrco :2009/08/19(水) 15:33:58 ID:tRsyGkXq0
良スレ発見!!

あげ

21 :棄車保帥 ◆jGok8klrco :2009/08/19(水) 15:52:49 ID:tRsyGkXq0
たしか、宮崎繁三郎は内輪向けの回想録を書いてた。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 14:00:56 ID:oVlxVyhSO
素晴らしい人格者

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 22:34:08 ID:uW89zOTP0
>>15
桜井省三中将のこと、たまにでいいので、思い出してあげてください。

第28軍自体が最悪の条件下での戦いだったけどっつか最後は殆ど第54師団=第28軍だったけどw

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 22:47:01 ID:CCMrK4eQO
陸軍の少将クラスは意外に勇猛な人材がそろってる
木庭少将も素晴らしい

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 13:45:11 ID:cDiIt6op0
歴史に残らない立派な奴なんていっぱいいたんだよ
それこそ一兵卒の中でも

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/07(金) 21:57:58 ID:zND7r9450
ネトウヨがアジアで日本人が婦女子を暴行せずに
礼儀ただしかった、とふんぞりかえれるのはこの軍人のおかげ
といってもいい

この人の部隊は軍律がものすごく厳しくて好き勝手させなかった

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/10(月) 22:27:39 ID:HJPSRRrS0
http://tafu.iza.ne.jp/blog/entry/639229/

● 酸鼻を極めたインパール作戦の中止が発令された昭和19年7月、
 作戦地域最北端のインド領コヒマで英印軍の攻勢を支えていた
 第31師団宮崎支隊(歩兵第58聯隊基幹)が軍命により撤退作戦の後衛を務めることになった。
 歩兵第58聯隊は新潟県・越後高田(現・上越市)編成の精鋭部隊、
 支隊長の宮崎繁三郎少将(岐阜県出身)は戦上手で知られていたが、
 連日の激戦で当初の兵力三千が約一千名に減少している。
 第31師団の撤退は惨憺たるもので、連日の豪雨に加えて飢餓と疫病で将兵はバタバタと倒れ、
 「白骨街道」という異名がつく程であった。しかも最後尾の宮崎支隊に対して英印軍は容赦ない追撃戦を仕掛けてきた。
 そんな中、宮崎少将が部下に出した指示は賞賛すべきものであった。
 「後退途中に斃れている兵がまだ息があれば、必ず救う事。
 既に死亡している者は姓名、部隊名を控えて、特に敵の目につかぬよう必ず埋葬すること」
 宮崎支隊そのものが全滅の危機に瀕している中での、困難な命令である。
 しかし宮崎少将はその理由をこう述べている。
 「戦友は絶対に見捨てない、という考え方が大切なのだ。それは軍隊の根幹であるので、
 必ず実行してほしい。そのために我が部隊が全滅してもかまわない」
 この命令に奮い立った宮崎支隊は他部隊の兵をも救助しつつ、脱出に成功したのである。

● 戦後、宮崎繁三郎氏は東京・下北沢で瀬戸物屋を経営していたが、昭和40年8月に病没した。享年73歳。
 亡くなる直前、見舞いに来たかつての部下・村田少佐に
 「敵中突破にあたり分離した部隊を間違いなく掌握したか?」
 と何度もうわ言で尋ねたという。指揮官として一生涯をかけて、部下を見捨てないという信念を貫いたのであった。


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