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【善】大老井伊直弼【悪】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 01:40:19 ID:Xd4BSWsX0
井伊直弼
彦根藩13代藩主 江戸幕府大老

安政の大獄や孝明天皇の勅許を無視し、独断で日米修好通商条約を結び
水戸脱藩藩士により桜田門外で暗殺された。
賛否両論の大老ですが、井伊直弼についてどうぞ


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 08:20:18 ID:emtSNfur0
どういう人物だったのか詳しくは知らないけど
専断的開国には好感をもっている。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 08:31:10 ID:BiU+YZxV0
井伊大老は日本を開国に導いた英雄。
彼がいなければ日本は無謀な攘夷戦争のあげく植民地になってた。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 10:12:01 ID:Xd4BSWsX0
先見の目はあるわな、維新以降に蔵を調べたら
多数の世界地図とかあったとか

ただ大獄でやりすぎた感はあるかな

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 10:43:36 ID:UA6mDe9zO
タイゴクはやりすぎで、長州のチョンどものテロは維新功労者とかありえんだろ

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 11:01:58 ID:JSQavX/B0
>>4-5

逆に言うと
大獄のお陰?で長州で一番ネックとなる寅次郎が
いなくなり、弟子達の自覚を促し、藩論が統一されたとも言える。

また井伊が暗殺→減封で
各藩のお家大事の意識が強まり、幕府への信頼感が薄れ、
維新政府側へ流れる傾向が強まったんじゃない?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 11:11:42 ID:emtSNfur0
大老が暗殺される
なんぞ
幕府の権威が落ちたことは確かだろうな。

開国が日本近代化を決めた事態だという意味では
その当事者の井伊が最大の功労者と言えるかもしれない。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 11:19:15 ID:QzXA7dLS0
他板関連スレ
★☆井伊直政・直孝総合スレ☆★
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164953961/
井伊直政と本多忠勝の待遇の違い検証スレ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1186069724/


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 12:05:59 ID:UA6mDe9zO
大老が暗殺されたこと事態は いつの時代でもやろうと思えばできたこと
そういう気運にさせたのは確かに弱体化していたことに起因するかもだが、
それ以前にやった藩の弾圧取り潰しを強行しなかったことが権威失墜させた原因だろ
そもそも二度にわたり老中暗殺くわだてた水戸が全ての悪の元凶だろ
糞斉昭が 家柄が悪いことを根に持ち、必要以上の幕府否定と尊皇思想で政局を混乱させたこと
さらにその姿勢が外様ごときの権利拡大思想に担がれ、ある意味使われた水戸

水戸さえいなきゃなんの問題もなかった
水戸なんて潰しちまえばよかったんだよ
もはやあそこまで幕府バッカクに敵意示せばただの賊だろ。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 15:48:44 ID:45OjXkrf0
残ってる肖像画でどういう人物だったかよくわかる。


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 08:36:01 ID:2mKQcngE0
みなさんが井伊直弼でレポート、文章をかうならどのようなテーマにしますか??

12 :日本@名無史さん :2008/09/07(日) 10:35:45 ID:xQTY18Qo0
何も知らない下郎が、幕府に対しテロを行っただけで、
維新後は自分達にアイデアが無いものだから、幕府の作った
システムを真似ている。

足軽風情が元勲だもんな!

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 15:28:15 ID:Hf5kUs3G0
大老とは言え
勝手に毛唐と条約を結ぶわ
水戸、尾張、一橋、越前など徳川一族の意見を聞かず蟄居させるわ
多くの有能な人材の命を奪うわでは
殺されても致し方ないわな。この身の程知らずの不忠者が..


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 23:33:04 ID:ryqdkzCd0
>>13
外交は幕府の専管事項だ。
幕府の対応にヘマがあったのは、勝手に条約を結ばず、
朝廷や水戸や外様大名にお伺いを立てたこと。
優柔不断で決断力がない阿部正弘がイクナイ。
また安政の取り締まりで処刑したのはたった八名。
朝廷の権威を悪用して国家転覆を謀った凶悪事件なのにあまりに少なすぎる。
禍根を断つため斉昭や三条など陰謀に関与した賊をすべて斬首にすべきだった。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 00:19:14 ID:adJ2O+S/O
桜田門外の変

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 12:20:55 ID:agC7SRPr0
>>14
まったく同意
そもそも 幕府が外交一切するのは当たり前

それに反して勝手にした薩長や水戸や朝廷などの行為はご法度!

17 :のうたりん:2008/09/12(金) 13:02:19 ID:9sfIPk3A0
井伊直弼を語るなら先ず長野主膳だろ。東條英機の知恵袋、武藤章のごとく
ある意味、傀儡か?

18 :のうたりん:2008/09/12(金) 13:04:35 ID:9sfIPk3A0
井伊直弼を語るなら先ず長野主膳だろ。東條英機の知恵袋、武藤章のごとく
ある意味、傀儡か?

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 13:20:41 ID:agC7SRPr0
>>17
長野も評価されるべきだな。
ただ、時代は彼を見捨てたわけだな。

家康〜綱吉までのまだ幕府の権威が強かった時代ならば
教科書にのっていただろうよ。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 13:24:37 ID:5h6bDhWo0
ひこにゃんとのツーショットポスターわろた

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 13:48:32 ID:4LAjNm4a0
直弼が果断だとか夢見すぎ
外国コワイの一念でビビって条約を結び、自分の風下にある国内には尊大に出る
長野は保守狂いの腰ぎんちゃく

鳥居耀蔵なんかと同じ部類だな。
蟄居処分にされ憤死した岩瀬忠震は鳥居の親戚だけどな。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 14:41:35 ID:wvKQJWWU0
アヘン戦争やアロー号事件など当時のイギリスの凶悪さは目に余るものがある。
幕府がイギリスを警戒し人畜無害なアメリカとの通商条約を先行させたのは歴史的に正しい選択だよ。
井伊直弼は大老として多くの難問を突きつけられたが、すべて最良の選択を断行してる。
長野も幕府・藩・朝廷の垣根を越えた同盟の必要性をいち早く認識しており、その先見性は高く評価できる。
井伊直弼のような理性的な超大物政治家が桜田門で散ったことは日本にとって極めて大きな損失だった。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 16:53:50 ID:53sLYF0JO
ちと一方的すぎる見解だな。

24 :闇将軍:2008/09/15(月) 21:45:56 ID:eJ4mL7daO
大老井伊直弼が登用した有能な人材は、安藤信正と小栗忠順ぐらいしか思い付きませんが、他に誰がいるのでしょうか?。

25 :のうたりん:2008/09/16(火) 07:38:52 ID:DL5Buz7N0
一ツ橋派との暗闘、安政の大獄はバランス感覚の欠如だろ。挙句の果てにああなった。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 08:38:25 ID:BrWgcs4ZO
島津斉彬が率兵上洛を決行していたら、井伊大老がどう対応していたか見物だったのでは?。やっぱり、薩摩藩をボコリに行くかな?。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 11:03:35 ID:BrWgcs4ZO
井伊直弼が、勅許無しで諸外国と条約を締結したのは、当時の情勢から判断して当然の事だと思います。ただ、その後始末がちと…。

28 :闇将軍:2008/09/16(火) 13:07:56 ID:BrWgcs4ZO
井伊直弼が、過去の行きがかりを捨てて、一橋派の高級官僚達(特に外国掛の役人)を活用する度量があれば、幕府の権威の崩壊を少しは緩和出来たのでは?。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 01:42:05 ID:G+w6sEDE0
>>27
たしかに後始末が生ぬるすぎる。
外交上の危機をにつけこんで政争を仕掛けた攘夷派は売国奴なんだから、徹底的に弾圧すべきだった。
倒幕を謀った下級公家を徹底的に締め上げ、斉昭を毒殺し、薩摩をボコっておけば、後々の禍根を絶つことができたのに。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 01:49:07 ID:+f4jzbguO
>>29 まず暴徒かした長州だろ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 08:06:40 ID:JdlHslyqO
<<29 いやいや、先ずは、直弼の最大の宿敵、水戸の老人率いる水戸藩をボコリ、返す刀で目障りな長州、薩摩ら反井伊派の諸藩をボコルのが順序では?。勿論、幕府の忠誠度を計る為に、尾張、越前等をこき使った上で…。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 22:58:56 ID:zs1EeYGD0
禅、居合い、国学、茶道を極めた人なんだよね。
一方、酒と女遊びが好きで、可憐な和歌も詠む。
薩長のデマによって極悪非道な弾圧者のイメージが定着してるけど、
井伊直弼ほど魅力的な人間はいないだろ。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 06:23:33 ID:/yHyZ9QsO
井伊直弼の前半生は、幼児期から青年期までは、埋木舎で冷や飯を食わされて不遇意識を植え付けられ、世子時代には藩主である兄直亮にたっぷりと虐め抜かれたから、これらの出来事が直弼の性格形成にかなりの影響を与えたのでは?。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 14:21:37 ID:p2MYl3lcO
井伊ナオスケが暗殺されてなかったら幕府の寿命は延びてたと思う?

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 18:21:57 ID:LFUVhPJb0
井伊は阿倍の尻拭いして殺されたという印象だけどなあ。
もっとさかのぼって水野忠邦あたりからどうにかしてないと幕府の存続は難しそう。
水野のやろうとしたことが成功してればもっと早く幕府がつぶれるか
幕府主導の新体制をペリーが来た時に作れたんじゃないかとは思う。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 13:52:31 ID:NBGBWQIPO
大老井伊直弼の政権担当が短期だったので、彼の政策は、通商条約締結と将軍後継問題の解決、その後始末としての安政の大獄しか思い付かない…。彼は究極的に日本(幕府)をどのようにしたかったのか知りたい…。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 15:11:17 ID:iLHW5jC+0
駕籠を取り巻く水戸藩士。名乗りを上げるが訛りが酷く、聞き取りにくい。
井伊直弼 少しも乱さず一言



「言い直すけ?」

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 19:54:34 ID:NBGBWQIPO
直弼が心底から日本の行く末を憂慮しているのならば、親しい大名や下僚達の忠告を聞き入れて、登下城の供揃えの人数を増やして身の安全に万全を期すべきだったのでは?。彼がテロられた事によって、かえって幕府の権威を失墜させてしまった…。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 21:53:48 ID:o6celS6l0
ソフト路線でいっても厳罰路線で行っても、どっちにしろ幕府と幕藩体制という
組織自体がダメになってるから早晩滅びたよ。

水野の改革が上手くいってれば……じゃなく、
水野の改革が上手くいかないような幕府だから滅びた。
家斉がさんざん腐らせて回復不能にした後だから、
どんなにがんばっても弥縫策以上のモノではないよ。


40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 22:46:05 ID:U2mCtirI0
溜間詰などの幕府トップが黒船来航を1年以上前から探知してたことは有名な話。
黒船来航後の井伊直弼は、世界情勢やアメリカ大統領の親書を検討し、
西欧と対峙するには、まず西欧に習い近代化を進めなければならない、との結論に達する。

それゆえ井伊大老は責任を一身に負って日本を開国に導く。
幼稚な攘夷を煽って国内の政争に明け暮れる攘夷バカだらけの状況で、
井伊大老は孤高の高みに立って日本の将来を見据えていた。

井伊大老が暗殺されることなく、小栗などの開明派を組んで、国家改造に乗り出してたら、
当然、幕府主導で日本は近代国家に生まれ変わってたはず。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 22:48:47 ID:aC1HtNFF0
■井伊直弼の絶筆見つかる
ttp://www.mbs.jp/news/kansai_GE080919112800159317.shtml

ttp://up2.viploader.net/pic2/src/viploaderf138167.jpg

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 22:48:49 ID:S6KhzhC90
井伊なんて低脳は、ただ恫喝に屈しただけだが。


43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 00:51:39 ID:YmXwRpYG0
探知してたってかオランダからお手紙来てたよね。
ペリー行くよーてのが。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 15:34:59 ID:sZnp+Iv+O
彦根藩では、毎年幕府(将軍)に正式な献上品の他に、折々将軍や幕閣・御三家等に近江牛の味噌漬けを贈っていたが、直弼の代になって近江牛の味噌漬けを贈るのを止めてしまった…。彼は近江牛の味噌漬けの代わりに何を贈答品に充てていたのだろうか?。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 10:16:17 ID:1I0YdlJ0O
某の知っている限りでは今までの時代劇で、中村梅雀(篤姫)、杉良太郎(徳川慶喜)、北大路欣也(花の生涯・テレ東版)、成田三樹夫(影の軍団W)あたりが井伊直弼役を演じているが、これらの中で誰が井伊直弼役に似合っていたろうか?。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 00:49:50 ID:MvsYKMwCO
杉さんだと思う。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 15:54:20 ID:jv0kkWDbO
川合伸旺さんに一度演ってほしかった

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 18:21:51 ID:FkiDI97hO
時代劇での井伊直弼は、確かに悪役のイメージで演じられる事が多い…。今の時代劇の悪役俳優で井伊直弼役を演じられる俳優はいるのだろうか?。最近、時代劇の悪役俳優が次々に死んでいく…(T-T)。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 20:18:38 ID:+H46Oclm0
山崎努がいいな。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 22:33:17 ID:gV5LLcYCO
>>21
>>42
「産業革命」で出来た西洋と東洋の格差を理解出来ん人間が
あの時代ならともかく現代にいるというのが嘆かわしい…

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 23:21:12 ID:wnrHM/Ky0
中村梅雀の井伊もよかったな
篤姫はつまらないドラマだと思ったけど
さすがにNHKだと脇役に良いのをそろえてくるな

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 13:56:45 ID:Pk7tnKxL0
>>50
ヒント:先の大戦

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 21:49:22 ID:riA05zNt0
水戸天狗党を敦賀で大量処刑する際、幕府は彦根・小浜・福井の三藩に介錯人の命じた
福井は「非道なり」として協力を拒んだが、彦根は嬉々として請け負った。


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 06:20:51 ID:l+eHBue7O
>>53 桜田門外の変で、水戸浪士等に大老であり彦根藩主の井伊直弼がテロられた報復を果たす為に、喜んでその任に当たったという。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 07:28:30 ID:l+eHBue7O
水戸徳川家と井伊家は、幕末の条約問題、将軍後継問題で激しく対立していましたが、それ以前の両家の関係はどうだったのでしょうか?。やはり、昔から両家の仲は悪かったのでしょうか?。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 07:35:47 ID:N1GXWRTnO
豪徳寺行った?

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 08:39:38 ID:l+eHBue7O
直弼死後の彦根藩は、まるで良い所無しだ…。30万石→20万石に減封、京都守護の剥奪から始まり、横浜の警備、天誅組の乱・蛤御門の変・第二次長州征伐の出兵等、経費の掛かる役ばかり押し付けられ、揚句の果てには、長州征伐で大敗北を喫っして諸藩からボロクソ扱いされた。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 11:21:01 ID:l+eHBue7O
>>57 直弼の兄直亮の時代に、浦賀の沿岸警備を命じられた時にも、彦根藩の警護ぶりが他の沿岸警備を担当する諸藩に劣るとして、「井伊の赤備えではなく祭備えだ」と嘲笑されたそうだ。井伊家の武威がいかに地に堕ちたかのエピソードだ…。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 18:31:43 ID:5QBaHucD0
斉昭は毎年彦根から届く牛肉の味噌漬けが大好物だった。
しかし井伊直弼がその慣習を取りやめてしまう。
激怒する斉昭。ここから水戸の逆恨みと暴走が始まる。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 21:24:15 ID:xqp+QGuO0
井伊家は水戸との対立より越前との対立のほうが早かったんでしょ?
越前が彦根との転封を画策してたり京都守護の役目を奪おうとしたり。
春嶽ってどうもわがままな小才子って感じだ。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 21:35:31 ID:l+eHBue7O
>>60 松平春嶽(慶永)は直弼の死後、朝廷の圧力で政事総裁職に任じられたが、春嶽は幕府の足を引っ張るような政策ばかりやったから、幕府にとっては獅子身中の虫もいいところだ。もし、直弼ではなく春嶽が大老になっていたらどうなっていたか…(^-^;)。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 21:51:07 ID:l+eHBue7O
>>60 松平春嶽は、御三卿田安家の出身で越前松平家に養子に入ったから、井伊家など家来筋という眼でみていたのだろう。変なプライドだけは一丁前だな…。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 22:23:51 ID:0AC2z/AG0
ほんとは橋本左内ではなく春嶽を斬首にすべきだった。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 22:50:33 ID:l+eHBue7O
>>63 井伊直弼が安政の大獄を実行した時に、「御身柄の者に傷が付いては、天子の失徳になり、ひいては幕府の失徳にもなる」という配慮で、主君春嶽の代わりに橋本左内が大獄の生け簀にされたようだ。もっとも、直弼の本音は斉昭や春嶽達を始末したかったろうが…。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 08:59:43 ID:kMFKfqC4O
直弼は政権を担当した期間が短かったので、政策として開国問題と将軍後継問題の解決、その後始末としての安政の大獄しか印象に残っていないが、彼が長期に政権を担当していれば、どういう風に幕府ひいては日本を変えて行くつもりだったのだろうか?。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 19:52:23 ID:kMFKfqC4O
>>57 井伊直弼は、幕府の権威回復の為に力を尽くしたにも拘わらず、彼の死後、幕府が冷淡な処置を採った事で、彦根藩が徳川幕府を見限って鳥羽伏見の戦いの時には新政府側に付いた。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 04:42:02 ID:rOfZX9Yy0
国立劇場の10月の出し物で歌舞伎「大老」やるぉ。
井伊直弼役は中村吉右衛門。ヒコニャンもくるとか。
中村吉右衛門には近藤勇も演じてほしい。鬼平風に。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 17:05:34 ID:Sizl3ThrO
井伊直弼は独裁者だとの評判だが、彼の幕政運営をみると、従来のルールである、老中評議→将軍伺いを前提とした意志決定を原則とし、愚直にもこれに従って閣議の一員として行動し、むしろ、幕閣間の確執に悩まされながら自分の使命を果たしていたようだ…。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 17:19:41 ID:YgDnlHbV0
安政の大獄では慣例無視して上申された処罰より重くしてたんでないの?


70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 18:29:25 ID:8ePM3af+0
>>68-69
戊午の密勅にからむ一連の騒動は、
外交の危機を煽って、その隙に天皇の権威を悪用して倒幕を試みた陰謀で、
未然に潰したとはいえ、前例のない悪質な犯罪だった。
これに対し直弼は大目付など五職に取り調べを行わせ処罰の公平を期してる。
その結果、事件の悪質さにもかかわらず、死罪はたった八名で、
ほとんどの罪人は謹慎や蟄居などのあたりさわりのない処罰となってる。

もしも直弼が独裁者で敵対者の首をちゃんと刎ねてたなら、
その後の混乱もなく、開国近代化を断行することができたはずなんだけど、
生ぬるい処分でお茶を濁してしまった。
直弼に問題があるとすれば独裁者ではなかったという点につきる。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 18:47:13 ID:Sizl3ThrO
井伊直弼についての研究なら、母利美和著書の[幕末維新の個性E「井伊直弼」](吉川弘文館刊行)を参考にされてはどうでしょうか?。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 23:12:53 ID:Sizl3ThrO
>>70 安政の大獄が中途半端に終わったのも、大老職にそこまでの専決権が無かった事の証では?。もし、大老に専決権があれば、一々閣議に掛けずに自分で処分を下せたし、幕閣間の確執に悩まされる事も無かった筈。確執があれば、クビにすれば良いだけだから…。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 03:26:49 ID:KBVPyp3J0
桜田門外のテロの後、復活した一橋派は、
井伊家に対する陰湿な報復を開始し、井伊家を減封してしまう。
そして徳川家の先鋒として働いてきた井伊家を切り捨てたツケは、
後に鳥羽伏見で慶喜に突きつけられる。
慶喜が夜逃げし、将軍の責を放り出したのは、
幕府内で孤立してることを痛感したから。
斉昭・慶喜の超馬鹿親子が幕府を潰したと言える。

74 :影の大老:2008/09/28(日) 09:42:36 ID:ZQwSgDEtO
井伊直弼は、将軍後継問題で紀州慶福を推していましたが、これは将軍家定の意向を察して、単に血統の近い慶福を推していたのでしょうか?。それとも、一橋慶喜の資質等も見極めた上で、一橋派に対抗馬を擁立する為に慶福を推していたのでしょうか?。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 01:45:51 ID:Xne/aTZMO
佐幕派の俺としては井伊は長生きしてほしかった。
水戸はマジでイラネ

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 02:01:53 ID:krDnOMTn0
水戸の存在意義ってなに?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 02:47:18 ID:0RcDgtIH0
納豆かな。かなり下がって蒟蒻。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 20:27:49 ID:9cIa7S8z0
「水戸から将軍を出してはならぬ」という神君家康公の言いつけにそむいたから、
幕府はあんな末路をたどった。
兵を置き去りにして自分だけ夜逃げし、江戸城の一室にこもって、
反乱をおこした賊に対してひたすら恭順…
こんな卑怯で情けない将軍を出したことは徳川家最大の恥だ。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 00:17:01 ID:zu+xvn2y0
はあ?
慶喜さえいなければ徳川幕府は永遠に続いたとでも?


80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 05:26:55 ID:4+3s1QZI0
>>78
>「水戸から将軍を出してはならぬ」という神君家康公の言いつけにそむいたから

違う。家康ではない。天海和尚の方だ。
水戸は江戸の鬼門にあり、鬼門の方角から江戸を攻められないように水戸藩を置いた。
だから逆に水戸から江戸に将軍を迎える事は鬼を招く事になるから駄目という話し。
しかし、慶喜は水戸から一橋に入った後に将軍になっている。
ワンクッション入れているので呪術的な問題はクリア済み(「方違え」という方法だが・・・知ってる?)


81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 21:54:03 ID:BLUkFLuE0
咲かけしたけき心の花ふさは ちりてそいとと香に匂ひける

82 :井伊の赤鬼:2008/11/29(土) 00:07:15 ID:3jJBeLm/O
近江の海 磯うつ波のいくたびか 御世にこころを くだきぬるかな

83 :井伊の赤鬼:2008/11/29(土) 00:12:00 ID:3jJBeLm/O
春あさみ 野中の清水氷居て そこのこころを くむ人ぞなき

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 19:56:19 ID:QjtA845bO
井伊直弼暗殺後の井伊家ってどうなったんだろう。
この前の篤姫で官軍側に彦根の名前があったけど、佐幕開国派から尊皇攘夷派になっちゃったの?

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 21:43:07 ID:kXIetiVYO
>>84 井伊直弼死後の彦根藩は、
幕閣に一橋派が返り咲くと同時に、直弼失政の追及(まあ、井伊派に対する復讐)で、
彦根藩の誇りとしていた京都守護の家格を剥奪され、
また、30万石→20万石に減封された。
無論、その前後に直弼の腹心として活躍していた長野主膳や宇津木六之丞等も、彦根藩の手によって粛清された。
…その後は、横浜警備や天誅組の討伐・蛤御門の変・第二次長州征伐の出兵等、経費の掛かる役目を押し付けられて、
(旧領回復という餌をちらつかせた)幕府にヘトヘトになるまでこき使われた…。
…この我慢に我慢を重ねた揚句、
(旧領回復について)何の沙汰も無い事に、ついに堪忍袋の緒を切り、
王政復古の時に、薩長側に付いたと思う…。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 05:02:56 ID:qO7lqSVb0
井伊大老が、テロリストを殺害したから
有能な人材がいなくなったというのは、あきらかにおかしい。

狭い下級階級のコジキどもが、藩閥政治をするからそうなるんだろ。
全国を見渡せば、あのぐらいの粛清で有能な人材が消えたなんてことは
ありえんよ。



87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 08:49:32 ID:Vp6rFnsnO
良い面であれ、悪い面であれ、
井伊直弼の決断力だけは買いだな。
…しかし、今の日本の永田町の政治屋共に、井伊直弼ほどの決断力を持ってる輩がどうも見当たらんな…。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 01:08:25 ID:ixCrqBBaO
直弼ってさ
何だか小泉元総理に似てね?
お互い政府の切り札みたいに出てきて
強権発動で政府内の抵抗勢力潰して
強い政府を国内外にアピールして
外圧には頭が上がらなくて
社会的弱者を省みないで
退陣後政府はボロボロになって…

麻生と慶喜が立場的に似てるからと言うのもあるんだけどさ

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 14:21:21 ID:o9qorW7pO
>>88 尤も也!。
ついでに言えば、井伊直弼が消えた後の幕閣の変動の激しさと、
小泉純一郎が消えた後の内閣の変動の激しさが重なって見えるな。(どちらも、短期政権が続出してる。)
それだけ時代が異なるとはいえ、両者の存在感が大きかったのだろうな。
…もっとついでに言えば、小泉純一郎と中曽根康弘の両者も重なって見える…。
小泉は、中曽根を手本にしたんかねぇ〜?。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 16:52:22 ID:o9qorW7pO
◎世の中井伊づくし◎

・外国貿易せぬが井伊。
・叡慮もちっとは立てるが井伊。
・水戸の隠居は殺すが井伊。
・越前やっぱり半知が井伊。
・太田の隠居はいかさま井伊。
・薩摩の家格は上げぬが井伊。
・西洋さっぱり止まるが井伊。
・堀田はそのまま置かぬが井伊。
・諸色の値段は下がるが井伊。
・金銀吹き替えさせぬが井伊。
・人気を和順にするが井伊。
・筋ある奴は殺すが井伊。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 18:57:44 ID:o9qorW7pO
井伊直弼の考えがもうひとつよくわからん…。
世界の情勢から見て、開国(通商条約)を決断したのは良いが、
国内をみると、幕府の政治・軍事体制は古式のままやし、
財政・経済政策も殆ど見るべきものが無い…。

さりとて、人材を積極的に登用するでも無い…。

井伊幕閣は、まさに無い無いづくしの政権だな…。

井伊直弼は、政敵の一掃や不穏分子の弾圧だけで、
幕府の権力或いは権威を回復させる事が出来ると考えていたのだろうか?。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 19:36:39 ID:QkFdmiRR0
思ってた。
和宮をもらうのも、初めは天皇の妹をもらうことで将軍の権威を示すという発想だった。

井伊はただの保守反動、内弁慶の外(外国には卑屈に下手に出まくるが内部には強圧的)


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 19:41:14 ID:Qh8+fgMS0
良スレ

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 14:13:20 ID:G/cJTmPKO
井伊大老は、仮に桜田門外でのテロを無事に切り抜ける事が出来たとしても、
彼の権力の集中ぶりからして、
早晩、失脚するか、新たなテロ攻撃にやられそうな運命を辿りそうな気がするなぁ〜。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 16:44:39 ID:G/cJTmPKO
井伊直弼がテロを切り抜けた後のシナリオは、
・幕権強化政策
水戸藩の制裁強化(水戸藩改易か?)
→ 公武合体政策の推進(当然、幕府主体の形で)
・財政・経済政策
貨幣改鋳 → 経済・財政通の小栗上野介に丸投げ?

・外交政策
ひたすら外国列強に迎合?
…っていう感じですか?。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 23:39:43 ID:BSdEM/3LO
いやらしい話だが、

あそこで死んだからこそ、ここまで語られる大老となった

今じゃ彦根の観光産業の銭ゲバに成り下がってる

現地の人間でさえロクに理解できてない人物

お前らただ大老開国桜田門外言いたいだけちゃうんかと

小一時間問い(ry

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 20:40:48 ID:IC6QxDJJO
井伊直弼は、居合術で一派を立てる程の腕前だったそうだが、
もし、桜田門外でのテロで、銃撃を受けて致命傷?を負わなかったら、

得意の居合術で、剣豪将軍と謳われた?足利義輝のように、
水戸浪士等を相手にひと暴れしていたかな?。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 18:08:18 ID:YdyFrjkIO
井伊直弼は、彦根藩内では善政を行った名君と言われていたそうですが、

彦根藩の財政を潤わせる特産物とかは何があったんですか?。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 20:47:59 ID:EX6C1lGS0
近江牛(将軍家献上牛肉)
水戸の斉昭が良く食べており、とても美味しいと彦根藩に感謝状を贈っている。
井伊直弼が藩主になると献上するのを止めた。
これに怒った斉昭が、彦根藩に「牛肉寄越せ!」と書状で要求すると、直弼は「厭だ」と書状を返している(この文書はマジで現在まで現存している)。
この事から桜田門外の変は牛肉を献上しない直弼を逆恨みした水戸藩士によって起こされたとされる冗談のような説がマジである。



100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 20:50:20 ID:EX6C1lGS0
ちなみに牛肉は政治問題を起こした事から、息子の慶喜は豚肉にしたとも

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 21:59:54 ID:6+AKJoi00
牛肉は旨いからな

102 :旧彦根藩百姓現ニート(その1):2008/12/14(日) 02:06:10 ID:eIU1xTDMO
>>98-99
確かに牛肉は特産物ではあるが、藩財政には殆ど影響してない。
実際に庶民に知られるのは食肉が盛んになる明治以降の話。
※江戸時代牛は何かとタブーの元だった。緒方洪庵の天然痘ワクチンが特に有名か?

結論から述べると、彦根藩は7代藩主直惟・8代直定(享保の改革)の頃に大赤字、14代直憲の頃には実質破産している。

特産物代表として彦根仏壇と近江上布が挙げられる。
前者は江戸時代、武具職人や下級藩士の内職により生産された銘品であり、今も彦根の名産物。
後者は武士の装束の原料で、中山道宿場町の高宮には市が立ち、後にオーミケンシやカネボウと言った縫製産業に繋がっていった。

また彦根藩領(長浜・近江八幡・日野・五箇荘・愛知川等)内に本拠を持つ近江商人の上納金も相当あったと考えられる。
現在の稲枝地域にあたる柳川・薩摩商人に至っては、松前藩と江戸・上方を往来し、蝦夷の特産物を賄う大商人を輩出したという。(1807年に蝦夷が幕府直轄地になると衰退した)

103 :旧彦根藩百姓現ニート(その2):2008/12/14(日) 02:27:09 ID:eIU1xTDMO
もっとも、彦根藩井伊家は幕府譜代筆頭格であり、各種公共事業では相当優遇されていたと考えられる。
何より経済基盤になる石高が近江領内に28万石あり、近江77万石の約1/3を占め、財政的に安定していたと考えられる。
当時流行していた百姓一揆も10代藩主直幸の頃の柳川騒動ただ一回である。(これも食糧難によるものではない)

だが財政状況は相当悪く、享保の改革以降の対策に
●7代直惟・8代直定時代
・藩士の年貢米の藩への返納
・領内での幕府発行硬貨の通用禁止、藩札使用の徹底
●10代直幸時代
・領内全村へ銀銭の積立(積銀)を課す→結果柳川騒動で五万人が彦根城下に押し寄せる一揆を引き起こした

と、なかなか無茶な対策もやらかしている。
一方直幸の嫡子直富は、飢饉の際には城内の幕府預かり米5万石を領民達に分け与え、一人の餓死者も出さなかったと言う。
※その直富は20代の若さで夭折。直弼の父11代直中の兄にあたる人物だった。

12代直亮(直弼の兄)の時代になり外国船対策の湾岸警護に、三浦半島への陣屋・砲台増築に多大な財政負担を強いられる。
直弼も1853年ペリー浦賀来航時に藩士共々、質素な装備で駆けつけ諸藩の笑い草になったと言う逸話が伝わる。

104 :旧彦根藩百姓現ニート(おまけ):2008/12/14(日) 03:15:30 ID:eIU1xTDMO
直弼が桜田門外の変で暗殺、その後の彦根藩は>>85さんが書いた通り10万石の領地召上となる。

この大減俸に彦根藩士達は為すすべ無く、多くの武家奉公人達が職を追われた。
また対象地となった神崎・蒲生郡の領民達は嘆き、城下への直訴が絶えなかったという。

14代直憲は二大目標を果たす為、一度は幕府に更なる忠誠を誓う。

・10万石の失地回復
・直弼の「違勅の臣」の汚名返上
※正確には当時13歳だった直憲に代わり家老岡本黄石が中核を担ったようだ。

・第一次長州征伐
・大和天誅組制圧
・禁門の変
・第二次長州征伐

と幾度の戦に従軍し、三万石の加増はなるが、完全には程遠かった。
また、従軍経費や軍備近代化等、減俸の致命的な財政不足に加えて、
開国による不景気や幕府の迷走は、彦根藩を更に困窮させた。

第二次長州征伐での芸州口戦での大敗後、藩論は幕府か新政府かで真っ二つに別れた。
勤皇派の至誠組なる足軽・下級藩士有志団の働きにより、直憲は新政府への恭順を決める。
そして鳥羽伏見の戦いの際、彦根藩は新政府方に加盟、戊辰戦争へと突入。戊辰戦争終結後、新政府より2万石の加増となった。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 03:46:31 ID:tHJFEsq30
直弼が死んだとたんに彦根を切り捨てる幕府
それでも旧に復するために使いまわされる彦根
けど幕府の負けが見えたとたん手の平を返す彦根

なんつーか世知辛いよね

106 :旧彦根藩百姓現ニート:2008/12/14(日) 04:02:35 ID:eIU1xTDMO
で、直弼時代の領地経営はどうだったかと言うと…
ほとんど記録が出回ってないのです。

※彦根市史という彦根の変遷を記した記録集には書いてあるのだろうけど…

ただ、経済状態は1、2で述べた通りかなり酷かったのは間違いなさそうです。
直弼は大老になるまでに、領内視察を9回行っていますが、これは農村部に対する激励と牽制だったのでしょう。

幸か不幸か国替えも領内での戦も起こらず、百姓一揆も一度だけで、取り潰しもなかった彦根藩は
藩主に暗君がおられなかったことが一番大きいのだと思います。

長文失礼しやした。

107 :旧彦根藩百姓現ニート:2008/12/14(日) 04:42:39 ID:eIU1xTDMO
>>107
そこらへんの解釈は難しいのですが、
元々井伊家は初代共保が藤原鎌足の子孫であり、南北朝時代には後醍醐天皇に味方した
バリバリの勤皇派だったようです。
また鎌倉時代は日本八介の一つに数えられる有力豪族でした。

しかし今川家の遠江守護着任後は一豪族に転落。桶狭間の合戦後は井伊直親が謀反の疑いをかけられ処刑。
嫡子直政は15歳まで奥三河にて隠遁、遠州に進出した徳川家康に見出されました。

確かに幕府に対する忠誠は相当だったと思いますが…
同じ勤皇派の水戸家との対立が一番まずかったのでしょう。
元々勤皇派だっただけに、内応する根拠にはなるかなと思います。
※何より将軍慶喜様自ら新政府方に恭順なされてしまいましたしね…(笑)

もしかすると藤堂家の内応ではなく、早い段階で彦根藩と新政府派との接触があったのかもしれませんね。
長州征伐で先鋒だった井伊家がなぜ鳥羽伏見に布陣しなかったのかを考えるとそう思えてきます。

108 :旧彦根藩百姓現ニート:2008/12/14(日) 04:44:09 ID:eIU1xTDMO
>>105への安価ミスですた!

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 05:21:32 ID:eEJhRUC5O
>>107
武家貴族と言われる人々の多くは
鎌倉時代から幕末に掛けてそれなりに地位が高く由緒ある御子孫ですね。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 07:49:45 ID:dVbBLso+O
>>106 …そういえば、「薩摩に馬鹿殿無く、
彦根に馬鹿家老無し」という言葉を聞いた事がありますが、
彦根藩は、優秀な家老が数多くいたのでしょうか?。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 19:45:13 ID:dVbBLso+O
藩主の井伊直弼と家老の岡本半介(黄石)の相性はかなり?悪かったようですが…。
何か両者に確執でもあったのですかね?。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 19:55:46 ID:dbW1/E100
>>98
財政を潤すまではいってないが、湖東焼というのもやってたよ。
情報元は京都新聞ね。

113 :旧彦根藩百姓現ニート:2008/12/15(月) 01:57:12 ID:LF1y2AYS0
>>107
徳川っつーより単に水戸憎しじゃね?
幕府は滅んだが主家の徳川家は一応存続できたし。

>>109
守護大名から幕末まで大名だったのはたった二家だったくらいだしねぇ。

>>110
設立時は、ね。その辺の下りは「井伊軍誌」という書籍にまとめられている。
幕末に関してはどいつも似たり寄ったりだったのかもしれない。記録がロクにないのである。
・・・しかし外様の長野主膳と若年の宇津木六之丞に実権を握られてる時点で何とも。
尤も、後々逆に全ての責任を二人に押し付けて斬首してるんだがね。

>>111
実は直弼も黄石も同じ尊皇攘夷派だったりする。
しかし黒船来航後、直弼は「職務上」開国を行う。
だがバリバリの攘夷論者の黄石は直弼と対立するあまり罷免されている。

あと岡本家は代々藩主の行いを諭すのが慣例のようになっている。
初代岡本半介の話には
・二代藩主直孝が城内を散策中、休憩がてら家老の庵原家に入ろうとしていた。
・すると庵原家で飼っていた闘犬が事もあろうに直孝に吠え掛かった。
・「何たる事じゃ」と立腹する直孝は刀に手をかける。青ざめる家老の庵原。
・そこへどこからともなく半介が現れ、一本のハサミを直孝に渡すとこう述べた。
・「それで殿のお耳をチョン切りなされませ。」その場に立ち合わせた皆のものが唖然とした。
・しかし直孝「半介のじじいにはかなわんのう」と刀から手を離し、何事も無かったように庵原家を後にした。
と、ホントかウソか判らない様な逸話が伝わっているくらいの家柄である。
殿に物申すのが誉れだったのかも・・・ただ事と時代が拙かったんで罷免されたのかもしれんね。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 09:14:51 ID:MMTMVW/6O
井伊家が浦賀警備に回されたのは、
直弼と将軍家慶の養女との婚約話を、
直弼の兄で、藩主の直亮が断ったからという俗説?があるが、
真偽の程はいかに?。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 09:22:43 ID:MMTMVW/6O
直弼の兄直亮は、西洋かぶれだったそうだが、
西洋かぶれのついでに、
軍制の方も、井伊の赤備から西洋式軍隊に編成替えしていたら、
「井伊の祭備え」等と他藩等から馬鹿にされずに済んだろうに…。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 13:57:18 ID:YlIdwqr+0
井伊の赤備がレッドジャケット隊にレベルアップ

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 16:33:16 ID:lATHTZqFO
井伊直弼は、大老職に就任する為に、
幕閣等にどのくらいの工作資金(賄賂?)をバラ撒いたん?。

…いくら何でも、ただで大老職に就任出来る程、
甘くは無いと思うんで…。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 18:31:54 ID:lATHTZqFO
>>115 そういえば直弼が大老在職中に、
外国から西洋式小銃(といっても、ゲベール銃だが…)を
2・300丁程買い入れていたそうだが…。
直弼在世中には、西洋式小銃は、ゲベール銃しか無かったのかな?。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 21:57:57 ID:2FjhFX+l0
ミニエー、エンフィールド、スナイダー・エンフィールドは
南北戦争が終わってからじゃないと本格的には出回らなかったでしょうからね

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 13:51:27 ID:L0TOZxihO
西洋式大砲は彦根城大手門付近に鋳造所があったみたいだな。
西洋式軍備は直弼→直憲の流れで行われてるはずだが…
鳥羽伏見までは幕府の目もあるし、旧式の軍備で従軍せざるを得なかったんでないの。
案外、反尊皇派の粛正も兼ねて長州に行ってたりしてw

最近彦根城で公開された戊辰戦争に従軍した彦根藩士の写真を見てると、筒袖の一般的な格好だった。
一瞬赤い筒袖かなと思ったが黒っぽい色だったわ(´・ω・`)

>>118
五港開港後一年で直弼は氏んじゃったからねぇ。
幕府の要職にあったのだから何でも買えそうなもんだが。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 14:03:04 ID:wIScu3FcO
>>120 幕府の目が気になるのであれば、
寧ろ、より積極的に西洋式軍備に編成替えした方が、
幕府にアピール出来たのでは?。

井伊家伝統の赤備を捨ててまで西洋式軍隊の編成に力を注いでいる事を示す事が出来るし、
幕府が推進する軍制改革の手本になれるかも知れん…。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 14:15:33 ID:wIScu3FcO
井伊直弼は、居合や茶道については、
一派を編み出す程の達人だったそうですが、

その後、それらの流派?を継承している人達は居るのですか?

また、今でもそれらの流派?は継続しているのですか?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 15:07:50 ID:SSRq4un7O
>>121
井伊家の旗本・足軽は直臣だから借金漬けなら可能だと思うが、
家老や陪臣の方が、借金やばくてとても西洋軍備まで手が付けられなかったんでないの。
武器商人とコネがあったかも気になるところだな。

>>122
当方彦根出身だが聞いたことがないな。
裏千家が彦根で活動してるのはたまに見かけるけど。

124 :旧彦根藩百姓現ニート:2008/12/19(金) 00:08:52 ID:6QUCvJBwO
幕末維新の彦根藩なる資料が手に入ったど〜
なんか知りたいことがあったら聞いて下され(・ω・)

今から奉公(バイト)故にこれにて

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 04:48:25 ID:YYas4MIqO
井伊直弼は、幕府内では強権を振るっていたが(但し、あくまでも独裁者では無かったが…)、
彦根藩内でも強権を振るいまくっていたのですか?

また、彦根藩の政策決定のやり方は、
どんな感じだったの?

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 17:53:23 ID:YYas4MIqO
井伊直弼と親しくしていた大名や旗本って、誰が居るの?。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 19:59:47 ID:IK1bmyULO
>>44 参考程度に、享保の頃の彦根藩の献上物を調べてみると、

・参勤之御礼…御太刀一腰,御馬代 銀200枚,綿200把

・在所到着御礼…高宮布20端,二種一荷

・端午…染御帷子

・重陽・歳暮…御熨斗目,染御小袖

・年中御献上物
・四月…鮒鮨 一桶(15入,上箱仕立)
・土用入…干鱈 一箱
・十一月…紅葉鮒鮨 一桶(13入,上箱仕立)
・寒入…醒ヶ井餅 一箱

(在国中)
・正月…干鯛 一箱

等が、将軍に献上されていたそうです。
(「譜代大名井伊家の儀礼」より。)

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 20:13:05 ID:IK1bmyULO
>>127の続き
幕府役人に対しては、

・四月…鮒鮨→老中,若年寄,側衆,寺社奉行,留守居,大目付,作事奉行に贈る。
・土用入…老中に高宮布を贈る。
・十一月…紅葉鮒鮨→老中,若年寄,側衆に贈る。 ・寒入…老中に醒ヶ井餅を贈る。

但し、いずれも、将軍への献上以後、もしくは献上の御残を贈るというのが通例である。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 22:21:09 ID:wZLlWmJsO
…ところで桜田門外のテロの時に、
彦根藩側で奮闘した河西忠左衛門なる供目付は、
かなりの剣の遣い手(確か、二刀流の遣い手だったかな)だったそうですが、
彼が習っていた流派は、何流だったんですか?

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:01:41 ID:YFp09D7x0
    アイゴー
  ◇
   .∵  ○ ノ
   ':.  | ̄ 松陰こと吉田寅次郎 国家騒乱罪で打ち首!!
 _| ̄|  / >



131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 23:06:29 ID:8dnTT7f3O
>>111 家老職にある者が、江戸から領国(彦根)に帰る時に、
藩主から馬を賜る慣習があるが、
家老の岡本半介が帰国する時に、藩主の直弼から賜った馬が、
片脚を引きずっている馬だった。
半介が「馬を替えて欲しい」と言うと、
今度曳かれて来た馬は、
片目が潰れた馬だったと言う逸話がある。

直弼は、半介に対してよっぽど含むところがあったんだなぁ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 17:40:22 ID:v+W9wsK+0
問題は有るけど、基本的に善。
攘夷など不可能と知っていただけでも、上等。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 17:42:21 ID:v+W9wsK+0
攘夷派の人間は、終戦に反対した軍人に似ている。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 18:00:02 ID:5hL5ZaNSO
あずみ幕末編で頃されてたね直弼

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 12:55:25 ID:3eLDY19hO
>>117 そういえば、水戸斉昭の策謀で老中を罷免された
松平伊賀守忠固が、老中に再任した時に、
井伊直弼は忠固の老中再任祝い?に
忠固に黄金30枚(300両)を贈ったそうだが、

…これって、大老就任の為の工作の一つに位置付けられるのかな?

136 :!omikuji!dama:2009/01/02(金) 03:54:09 ID:5sJu6PVIO
明けましておめでとうござゐます

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 19:42:21 ID:FQkVDAG10
司馬遼太郎先生が言ったとおり、
暗殺(者)が何かに寄与したことなんてないんだけれど、
桜田門外の変だけは、歴史を前に進める力になったよね。
徳川将軍家&譜代大名・家臣、イラネ

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 01:32:03 ID:muSETWqU0
そういうのは是々非々でしか語れないと思うのだが
わざわざ総論めいたこと言いたがる奴ってなんなの?

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 02:28:28 ID:PxMLpIBbO
>>138
ヒント:正月休み・冬休み

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 13:26:01 ID:K15z3aRZ0
関ヶ原に私が1000の兵力で参加していたら、
そもそも徳川や井伊なんて1600年時点で消滅しているわ。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 01:31:13 ID:18AK391C0
大老

(・∀・)イイ!!

щ(゚д゚щ)カモーン

直弼

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 18:44:50 ID:iamEJTltO
条約調印問題で、朝廷(特に孝明天皇)に条約勅許を拒否され、
その後の事態の責任は、幕府任せというのであれば、
いっそうの事、朝廷に政権を返上して
「朝廷がそこまで攘夷にこだわるのであれば、
朝廷にはさぞかし勝算がおありなのでしょうから、朝廷御自身で攘夷をおやり下さい。」
と、幕府(大老井伊直弼辺り)が言えば、
朝廷は、どう対応する気だったのかな?

いきなり幕府に政権返上を願い出られたら、
さぞかし、朝廷は仰天するだろうな…。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 21:46:05 ID:Dfqj9ftn0
戦争は武家の仕事といって権力以外を投げ返すだけだろ。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/10(土) 16:35:56 ID:02E5km6GO
返上しても勤皇派の水戸のチンピラ共が火病るのが目に見えてる
連中は幕府に文句を言うのが仕事
仮に朝廷と共に外交交渉に当たってたら、
責任云々の前に神洲を、しかも権現様の開いた江戸幕府のお膝元を信託統治領ムサシにされてたかもね
んでイギリスはオワリ、フランスはオオザカ、ロシアはエゾ、オランダはヒゼン、てな具合で
そして後に夷敵にフルボッコレイープされる母国を憂い共産主義で日本を美しい国に変えようと(ry

少なくとも直弼も最後まで勅許を待っただけでもましだな
そもそも懸かる事態は「日の本は武器すててバテレン共とかかわらず鎖国しつづけたら平和になれるよ!なれるよ!(AA略)」
つー天然ボケが行き過ぎた結果だしな、江戸幕府のボンクラ将軍と世間の狭い幕臣達の責任だよね

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 00:31:46 ID:mJeBdnLz0
1月18日に池袋で、幕末動乱の不義を正す!座談会を催します。
義に篤い東軍派の皆様、是非ご参集ください。
詳しくは、、、
http://8809.teacup.com/imperial/bbs?M=ORM&CID=142&BD=15

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 22:35:03 ID:OLpqqo28O
井伊派の大名や幕府役人には、
どんな人物が居たんですか?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 21:58:05 ID:/XtIM95WO
今更ながら花の生涯を読み返してみたが面白い。
たか女テラエロス(*´д`*)ハァハァ

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 23:46:54 ID:PLsQnHir0
>>137
いつまで昔に浸ってるんだ。
戦後日本でもっともいらないのは長州だけどな。

149 :最後進県・未開地山口(戦後評価):2009/01/22(木) 23:50:27 ID:PLsQnHir0
テロを美化する山口県民って頭弱いの?

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 00:33:50 ID:PAWgvXnJ0
>>24
勝海舟

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 14:50:56 ID:BQ0W1lYkO
>>150
政治哲学は違うけど、幕府の為に尽くしたのに…てな感じだな。
ただ二人とも本来幕府の重役には成れなかったんだよね。勝は貧乏旗本の息子、直弼は名門とは言え藩主の兄弟として世捨て人…。
そんな二人が幕府崩壊に深く関わっているのだから面白い。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 22:30:22 ID:NQGMecMb0
今の我々があるのは、草莽の志士も含め、幕末国事に奔走し、
いろいろ曲折ありながら幕府を倒した人々のおかげ。
中でも、MVPは最も多くの血を流した長州の人々やろ。
あと、いかにも殊勲賞、というのが、桜田門外で快事に及んだ水戸浪士など。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 22:49:14 ID:LekvtCKQ0
>>152
長州と水戸のドキュンは無駄な血を流しただけ。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 02:27:13 ID:i6YKVkGPO
あの時代に英雄なんぞ居ねぇよ。
市民革命でもないのに何寝ぼけたこと言ってんだ。
そもそも長州の不始末はご先祖が徳川家康の首を取らなかったことだろ。
結果グダグダと幕府を打つ打たないと260年根に持った挙げ句に民間人巻き添えの蛤御門・長州征伐・戊辰戦争何ぞやらかしよって。
戦後処理でどれだけ同胞を、東北人を殺した?
その後の明治政府以降大日本帝国だ何ぞぬかして日本人数百万を殺した元凶じゃないか。調子に乗るな。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 09:44:31 ID:P0E1xwoXO
幕閣の中でも、若手老中堀田正睦を中心とする開国派と、沿岸警備、市中見回りを厳にし、異国船は打ち払うべきとする溜間詰筆頭井伊直弼を中心とする攘夷派が対立。
会議を重ねるばかりで、何の決着も得られなかった

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 11:06:07 ID:tJB7ZXcPO
>>155 影の軍団Wですか?

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 11:10:33 ID:8mtcy9qz0
瀧澤中だとかいう人の『幕末志士の「政治力」』ってのを読んだが
井伊のことをボロクソに書いてたな。
クソおもしろくない本だったけど。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 14:14:36 ID:tJB7ZXcPO
老中阿部正弘亡き後の幕閣は、
事実上、溜間詰筆頭の井伊直弼の影響下にあったようなもんですな。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 01:42:44 ID:yVBQOKGx0
阿部はどう評価すればいいんだろうね
弱腰なのか英明なのか

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 11:38:43 ID:2PoGpn6VO
>>158 さしずめ、目白の闇将軍ならぬ
桜田(門)の闇将軍井伊直弼か…。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 11:46:28 ID:km80hs/60
戦後のぱんぱんは、わがままな「しんでれら」でおk?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 12:21:59 ID:3Ry5VvXh0
明治時代の農民の生活は悲惨。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 12:30:10 ID:km80hs/60
「食事をしなくても働ける」「ガソリンが無くても自動車は走る」
これが労働者を派遣する女性社員の常識だよ

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 18:51:17 ID:omvWuhHR0
井伊直弼は昔は松陰先生を殺したってことで極悪人あつかい。佐幕≒悪 勤皇≒善って考えが昔は
強かったからね。
最近は見直されてきたんじゃないかな。日本を開国に導いてテロ撲滅に力を注いだって
感じかな

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 20:08:20 ID:mRpqGCDy0
法が適切に運用されればテロも犯罪もおきませんじゃないかな

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 20:09:35 ID:mRpqGCDy0
そこで
「食事をしなくても働ける」「ガソリンが無くても自動車は走る」


167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 18:03:58 ID:D05dj1abO
17から32まで一戸建て庭付きで実家から仕送り貰って趣味に没頭して女中ともセクロス出来て直弼マジ勝ち組だよな

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/21(土) 04:59:57 ID:oNzBIgaPO
ぼくも村山たかたんと青姦したいお

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/21(土) 12:56:09 ID:hbGWSKOzO
>>167 埋木舎の生活時代では、
他藩への養子行きの話が纏まらなかったり、
大通寺の住職の養子になって坊主になる事も
藩命で駄目になったりで、
埋木舎時代の直弼は、とても勝ち組とは思えんが…。

…もっとも、最後まで彦根で燻っていた御蔭で、

井伊家の世子→井伊家相続という幸運が訪れたから、
その点では、確かに直弼は勝ち組と言えるがね。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/21(土) 15:22:27 ID:Pm2vQ5hV0
相続してどうする。
他スレでは「無能」と言う言葉を連呼する人間が
その地位に甘んじ、満足げに微笑を浮かべる存在
これを肯定するのはおかしい


171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 02:10:47 ID:uUcw7dQoO
大老就任とは聞こえが良いが
無勅許開国というババを引かされ
反体制派粛正に安政の大獄の責任者にされ
挙げ句桜田門で首落とされて、死んでから領地減封の上に
廃藩置県後、地元が県庁所在地になれず

大老とは言え、負け組臭がせんでもない

埋木舎時代の趣味にセクロス三昧の頃のが輝いてなくもなかろう
まあ譜代筆頭の井伊家一門としては負けてる感じだが

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 14:00:51 ID:c9Z42qtOO
大老井伊掃部頭直弼の百五十回忌が近いな。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 18:24:55 ID:AfR24Y8OO
藩祖直政と直弼って命日が同じ3月24日なんだね。
直政は破傷風だから偶然ではあるけど、直政はまるで先祖の後を追うような逝き方だね。考え過ぎかな?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 21:26:13 ID:c9Z42qtOO
そういえば、藩祖井伊直政は、関ヶ原の戦いで銃撃されて重傷を負い、
その傷が、事実上の致命傷になって、破傷風であの世に逝き、

もう一方の井伊直弼は、
桜田門外での襲撃で、
外から銃撃を受けて事実上の致命傷を負い、

駕籠から出る事が出来ないまま、水戸・薩摩浪士に仕留められたんだったな…。

…これも偶然の一致か?

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 10:16:13 ID:Ie3CAULD0
偶然の一致以外の何が想定できるんだ。

運命とか神の見えざる手とか、見て触ってからいえ

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/04(水) 19:48:06 ID:y0vrvObO0
3月3日に近かったから、合わせたんじゃないの?


177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/04(水) 19:56:59 ID:/9kIuoGK0
直政が関ヶ原で撃たれたときは岡本宣就らをはじめとした数騎がすぐにかけよったが、
桜田門での彦根藩士は…

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 02:36:04 ID:kwbEiKNbO
>>177
関ヶ原は追撃戦だからねぇ
桜田門外は局地的な包囲戦
けど、この二戦の兵の練度と忠誠心を比較するのは酷でしょ
前者は戦国乱世の武田・北条・今川出身の精兵
後者は実戦経験のない家格だけのエリート兵、いうなれば武者行列の人みたいなもんだ
まだ討ち死にした連中はともかく、逃亡した連中は流石に弁護すら出来んがな

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 05:41:08 ID:Ej5tC+/W0
>>92
保守反動??

犯罪者やアホ浪人から見ると、政治の最高責任者が「反動」になってしまうのか。
テロリストの発想って怖いな。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 20:03:20 ID:JgiWLkZpO
桜田門外のテロ以降、
井伊家では、桃の節句(雛祭り)を祝わないようになったそうですが、

現在でも、この慣習は続いてるのかな?

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 23:10:35 ID:rgIVtxQw0
井伊直弼の政治手法がテロリズムであり、
自らの身でそのテロルの結果を引き受けたとも言える。


182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 23:53:29 ID:kr1W8Gzc0
ゑー?
別にテロリズムじゃないだろ安政の大獄は
強権的ではあったけどだからこそテロに走る必要はないだろ

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 00:58:24 ID:qxDD+0bJO
>>180
最近までご子息しかおられなかったからやらなかっただけじゃね?
ちなみに現当主は婿殿らしい。

さらに言うとひな飾り自体はあった。
彦根城博物館に展示されてたよ。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 01:03:21 ID:qxDD+0bJO
>>181
非常事態とは言え10人前後しか死罪にしてねーだろ。
白色テロというにはあまりにお粗末。実際に危険思想の連中だったわけで。

戦中の共産主義者や反戦家と特高のイメージがダブってんじゃないの?

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/15(日) 18:48:51 ID:ip783c+fO
今日ぶらりと彦根城博物館行ってきた
もっとこう博物館てのは気のおかしい連中が殺伐として、カップルが来るような場所じゃねえぞ。

それはさておき直弼と兄の直亮と直元の鎧を見てきたよ。
直弼胴回りピザ過ぎて吹いた。
直亮全体細すぎ(´・ω・)カワイソス
直元細工凝り過ぎワロタ 橘の彫刻かよ

けど復古調でなく当世具足風で、保存状態良好で。
しかも直弼は具足下の装備類まで揃った徹底ぶり。
よくもまぁ悲運?の大老の鎧が今まで残ったものだ…萌えるね!

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 15:15:36 ID:Tp2cIa6eO
井伊直弼の差料って、かなりの業物なんかな?

赤具足は、井伊家代々のシンボルみたいなようなもんだから、
かなり良い作りだと思うが、

井伊家代々の当主の差料等は、
どんな刀を佩用していたの?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/18(水) 05:07:15 ID:2CNcBreVO
>>187
他の藩主は知らないが直弼は新々刀を好んだそうな。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/18(水) 05:31:36 ID:2CNcBreVO
↑安価>>186な吊ってくる
ちなみに刀は明治維新後に東京に持っていって、関東大震災で殆ど焼けたらしい…

あと井伊家藩主の朱具足は意外とシンプルなものが殆どだよ
歴史群像シリーズ「大名家の甲冑」と、井伊達夫著「赤備え」に五代藩主(文中では六代)直通の具足が詳しく載ってるから見てごらん
しかし八代藩主だけ異様に派手だから笑えるw

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 00:18:38 ID:AoX1VT0HO
押井守の観点の受け売りになるが…

結局薩長土肥も幕府もどちらも正義なんだよね
どちらも正義だから譲らないし、互いに殺してでも成就させようとする
直弼の死は悲劇だが、それは彼が正義を貫いたからと言える

もし彼が明治新政府の言う極悪人なら、ここまで後世まで語り継がれることもないだろう

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 00:23:57 ID:AK6hirAx0
本当の正義なら殺さないだろう

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 01:22:50 ID:31H5fLbG0
????
なんで正義なら殺さないとかいう話になるの?
正義だからこそ殺されるし正義だからこそ殺すんでは?
悪じゃねーから妥協しないし
平和のためには妥協しまくりぬるま湯人生こそが大切だよ

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 02:52:52 ID:AoX1VT0HO
>>190
もうちっと分かりやすく言うと、正しい正義=自分の掲げる正義 ってこと
現代に例えると、タリバンとかアルカイダがテロをやるのも、米軍が世界中で戦争するのも、
中国が少数民族を殺すのも、世界がフリーチベットを叫ぶのも、それは皆自分こそが正義だと信じているから出来る
正義の敵は悪じゃない、もう一つの正義なのだよ

直弼の場合は、将軍継承問題がその最もだろう

家茂と慶喜、それぞれの支持者は自分が選んだ将軍継承者こそが正当だと信じていた
そこで直弼が推薦した家茂が選ばれたが、慶喜を推薦していた連中達は自らが選んだ慶喜が正しいと信じていた
だからこそ斉昭や水戸浪士達は自分達と対極の正義を掲げる直弼を「悪」とみなし暗殺した

直弼も、日米修好通商条約や将軍継承問題に批判する勢力を「悪」と見なし、安政の大獄を起こした
直弼にとって、将軍と幕府を守ることが唯一日本を守る=正義だったわけである

その幕府を倒そうとした薩長土肥や朝廷も、それが正義だと考え倒幕→新政府を設立した
だからこそ戊辰戦争と戦後の東北への仕置きは苛烈で、未だに会津若松は根に持ってる

結局、正義とは貫くためには他の正義を叩き潰すしか成し得ない

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 03:09:23 ID:AK6hirAx0
またコジキ理論が始まったね

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 03:13:29 ID:AK6hirAx0
自分の言ったことに責任を持てなければ、ただの暴力になる
そんな言い分が通るんなら幾らでも戦争したら

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 03:14:37 ID:AK6hirAx0
アホか

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 03:28:26 ID:azQlzz2f0
正義というか正しさだろ
正しさ=己の信念
そんな感じじゃね

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 03:33:26 ID:AoX1VT0HO
>>193たんwww萌えww萌えwww

>>193たんの本当の正義の定義を聞きたいwww
フィクションでも別に構わんよ(*´д`*)ハァハァ

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 06:14:35 ID:b19T3tHsO
井伊ピザ弼

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 12:34:40 ID:4wqxyfiCO
井伊直弼と佐賀藩の鍋島閑叟との関係は、
結構、親密だったらしいが、
二人の間には、何か特別な繋がりでもあったんかな?

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 03:37:34 ID:prchyzg7O
>>199
たしかピザの娘が鍋島に嫁いでる

201 :200:2009/03/24(火) 14:06:49 ID:prchyzg7O
すまん逆だ
鍋島の娘がピザの息子の側室になってるはず

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 15:49:08 ID:bTJ/VpP4O
赤鬼井伊直弼は、家門・譜代勢力の中では、
自身の同じ溜間詰(常溜)の会津松平家(松平容保、若しくは容保の先代の当主)を

また、外藩では、佐賀の鍋島閑叟を最も頼りとしていたそうな。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 18:43:47 ID:jqYnBhhrO
そういや昨日は桜田門外の変149年age

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 21:50:40 ID:dRkG2/B+O
>>186 井伊直弼の指料。

・刀 … 銘 粟田口一竿子忠綱。

・脇差 … 銘 長曽根興里入道虎徹。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/12(日) 18:43:32 ID:S8pH/MY00
日本で初めて「売国奴」という単語で罵られたのってこの人?

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 15:59:49 ID:5Yrr5Lch0
譜代大名のほとんどが開国に賛成で
ただし宮中の外国嫌いというか恐怖で
勅許が得られず・・・というところがこの人の悲劇だな。

宮中さえなければ、ふつうに流れに乗って時局を処理する有能な宰相ってところだろ

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 19:38:41 ID:nRrECeJVO
本来ならば、欧米列強と条約調印をするのに、
幕府が全責任をもって、条約調印を断行すれば良かったんだが、

なまじ朝廷なんかに、
願い出る必要も無い条約調印の勅許を願い出たから、
政局がややこしくなった。
揚げ句の果てには、条約調印の勅許獲得に失敗したから、

幕府は二重の意味で、
権威を失墜させてしまったな…。

幕府の権威を失墜させた幕閣の後始末に、
大老になった井伊の赤鬼も大変だったろうて。

なにしろ、条約調印の勅許獲得に失敗した事は、
最後まで幕府の足を引っ張る事になったから…。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 14:56:49 ID:55li5XYWO
それにしても、井伊大老の立場も哀れなものだな…。
将軍継嗣問題は、あくまで時の将軍徳川家定の意向通りに紀州慶福を擁立した過ぎないし(勿論、井伊自身が血統重視論者ではあるが…)、

条約調印の方も、後は調印するだけまでに事が進んでいたのに、
井伊以前の幕閣がいらざる事(願い出る必要のない条約調印の勅許を願い出た揚げ句、
失敗して幕府の権威を失墜させた。)をやらかした御蔭で、
独断で条約調印をした揚げ句、反井伊派等から違勅調印呼ばわりされて、批判の的にされたからなぁ…。

こんな事なら、始めから朝廷なんかに条約調印の勅許なんぞを願い出ず、

条約の草案を纏めた井伊以前の幕閣が
全責任を持って、そのまま独断で条約調印を断行すれば良かったんだ!!。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 23:49:16 ID:eJBRmpKK0
堀田のせいというよりはその前の阿部っちのせいだな
何よりも斉昭に発言権を大きくしちゃったのがいくなかった

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 21:02:07 ID:mp4YUPM7O
十四代将軍徳川家茂の周りに、
将軍後見役として、徳川(田安)慶頼を登用したり、
既に隠居している津山藩の前藩主松平斉民(確堂)に
御三卿の清水家相続を打診したりして(確堂は固辞したが…)、

十一代将軍家斉の血筋で固めるのに
井伊大老も必死?だったようだが…。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 20:46:23 ID:TFthWhiBO
赤鬼直弼の兄貴である井伊直亮は、
親父の井伊直中が家老衆宛の遺言状に、
「自分の死後、直ぐに直亮を隠居させろ。」と書いた程の馬鹿殿だったらしいな。

その馬鹿殿直亮に、たっぷりと虐め抜かれた赤鬼直弼が哀れだ…。

212 :井伊の赤鬼:2009/04/23(木) 19:32:14 ID:wqA0DEKsO
・井伊掃部(よい鴨)と 雪の寒さに 首をしめ

・井伊掃部(よい鴨)を 網で取らずに 駕籠でとり

・人参で 首を継げとの 御使ひ

・倹約で 枕いらずの 御病人

・遺言は 尻でなさるや 御大老

…桜田門外の変の直後の落首の数も相当なものだったようですな…。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 04:05:32 ID:5yL1+VaF0
井伊大老が失敗したのは
安政の大獄が甘すぎたことだ。死刑7人なんて大獄でもなんでもない。

水戸藩なんて全員皆殺しにして取り潰せば良かったんだよ。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 21:17:55 ID:YosetXw/O
井伊直弼の腹心として活躍した
長野主膳や宇津木六之丞は、彦根藩内ではどのくらいの
格式の藩士だったんかな?

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 00:41:18 ID:mB57WxfV0
>水戸藩なんて全員皆殺しにして取り潰せば良かったんだよ。
征長、鳥羽伏見と現実の彦根藩兵が実戦ではフルボッコされている実力では非現実的。


216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 15:10:27 ID:MV/ID3qNO
井伊直弼が健在の頃の水戸藩ならば、
皆殺しはともかくとして、
水戸藩を討伐するくらいの力はあったのでは?

何も、井伊の赤備が単独で水戸と戦う訳では無く、
(井伊が主導する)幕府が諸藩に軍令を下して、水戸藩討伐を敢行する図式になるんだから…。

…おまけに、水戸藩内も派閥抗争で分裂状態だったしな。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 18:49:12 ID:mB57WxfV0
実際の戦いにおいて現に幕府軍は天狗党相手に蹴散らされて逃げ捲くっていた。
おっかなびっくりの幕府軍の腰抜けぶりに沿道の住民は幕府も末だと実感したという。
その辺は島崎藤村の「夜明け前」に詳しい。
幕府や彦根の実戦能力を過大評価し過ぎ。



218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 23:32:27 ID:gJvpfYRY0
さすがに小説を元に語られても困るよ

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/28(火) 21:40:07 ID:q9SZ8p2+0
幕府軍が天狗党相手に禄に戦えなかった幕府の戦力の現実は
その後長州一藩相手にフルボッコされて逃げ帰るという結果を予見させるに十分な根拠になった。


220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 03:53:26 ID:j8B33axgO
斉昭を早く消さなかったこと
朝廷をコントロールできなかったこと
モリソン号の段階で米国と国交を結べなかったこと
太平の世が続きすぎたこと

問題要素はなんぼでも…

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 10:30:39 ID:n3UQjZT70
直弼とムッソリーニって共通点多くね?

あとアンチ水戸の書き込みはほとんど一人だろw

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 11:37:14 ID:Kqpp2TGa0
1人だと思い込みたいのかもしれんけど俺と俺以外の書き込みで最低2人はいるよ

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 04:05:01 ID:aXASTrB7O
鮒ずし嫌いだったってマジ?

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 15:10:27 ID:zncOtuhVO
井伊直弼は、下戸だったそうだ。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 17:45:04 ID:Z5WnwS+PO
一番、興味があるのは島津斉彬の威嚇的東上が実現した場合に直弼と幕府がどの程度まで対処できただろうか?
どういう状態になっただろうね


226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/01(金) 08:54:10 ID:IVMzxIPb0
>>221
ムッソリーニは先見の目がなかったけど 直弼は先見の目はあったよ少なくとも

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/01(金) 19:47:28 ID:zsZJF15yO
先見の明があるのならば、
何で井伊の赤鬼は、一橋派に属していたという理由だけで、
有能な高級役人共を粛清して
わざわざ幕府の寿命を縮めるような真似をしたんな?

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 06:44:56 ID:dsfEY4uM0
先見性はともかく、あの時点では攘夷論開国論が密接に絡んでるから、
開国派からすれば、一橋派は邪魔でしかないと思うが…

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 08:14:39 ID:tUYDvE5eO
攘夷論でガチガチに凝り固まっている水戸の老人(徳川斉昭)や、
老人に加担する水戸の過激派共、
それらに呼応して蠢動する反幕の危険分子共を粛清するのは納得し理解出来るが、

本来ならば、自分の手足としてこき使わねばならん有能で開明的な高級役人達まで、
一橋派に属しているという理由だけで粛清してしまうのは如何なものかと…。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 15:33:51 ID:dsfEY4uM0
>>229
そこはあれ、井伊は下手なんですよ。
実行力、行動力はあるけど、細やかさが無い。
斉昭や春嶽をまとめて処断する豪腕はあっても、
そこから有用な者をつまみ上げることはできない。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 23:13:59 ID:tUYDvE5eO
井伊大老自身が登用した人材で、
まともな人材は、安藤信正(寺社奉行→若年寄→老中)と小栗忠順(使番→目付→遣米使節監察)くらいで、

他の輩はイエスマンや胡麻擂りばかりだな…。

それにしても、こんな陣容で、開国したばかりの外国事務や
財政経済政策、軍備増強等をしなけりゃあならんとは
生き残った開明派の官僚達も大変だったろうよ。

…もっとも、井伊直弼自身は保守派だったから、
西洋式の軍制改革や経済政策等を何処までやったか余りよくわからんが…。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 08:40:04 ID:bgzXZ1REO
彦根藩が財政難の真っ只中の時に、
井伊直弼は藩主になった直後に
十五万両もの大金を、井伊家の家中や領民達にばらまいたそうだが、

どっから、十五万両もの大金を捻出したんかなぁ?

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 11:01:19 ID:oyOt8r560
手塚治虫の陽だまりの樹(常陸国府中藩(茨城県石岡市)の藩医と藩士の話)ってあるじゃん。

あのなかに、貨幣改鋳で質を落として抜いた純金だか順銀を長野主膳と直弼ががめたいう話あるけど
あれってどのていどまで本当?

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 12:44:37 ID:xD/NQy2O0
がめられるほど財政に余裕があったんかね
安政小判は井伊直弼最大の汚点だなあ

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 14:18:49 ID:bgzXZ1REO
貨幣改鋳前に、小判等を(買い)集めるのは、
幕閣に列なっているお偉方なら
殆どやってそうだが…。

現在でいえば、さしずめ
政治家の輩が
インサイダー情報を手に入れて
株を買い集め、高値で売り抜けて
政治資金をがめつく稼ぐような感じだな。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 03:37:10 ID:McLdA2n8O
直弼はうちの国のお殿様だが…

良いことも悪いこともしなかった殿様よりかは、
幕末の中ボスとも文化人大老ともいえる人でよかったわ

良くも悪くも後世まで語られるからこそ、再評価もあり得るわけで

ただイベント絡みのバカの一つ覚えな直様マンセーは正直ムカツク
お前、チャカポン開国桜田門外言いたいだけちゃうんかと
特に旧市街の市民は最低花の生涯10回は読み直してから直弼を語れと言いたい

直弼の御身はもう果てたよと言いたいなら、チンケなイベントなどせず大河ドラマでも誘致しなさい
ひこにゃんで売りこみたいなら直政→直継→直孝→直澄でやれ
直弼とひこにゃんは直では関係ないんじゃアホンダラ

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 09:32:11 ID:LAIUc9+o0
それはこんなとこじゃなくてあなたの地元で吼えてくださいアホンダラ

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 14:32:59 ID:r1t6cfrzP
こないだお城に行った時、フランクフルト買ったら芯がすげえ
冷たくてガッカリした
そんな感じ?


239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/27(月) 18:38:46 ID:K0MZRTddO
井伊谷三嶽

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 14:56:32 ID:KPRM+CnKO
井伊大老が主導した安政の大獄も過酷だった?が、
一橋派が幕閣に返り咲いた後の井伊派に対する処分もかなり過酷だったな…。

・彦根藩主井伊直憲 … 十万石減封。

・村上藩主内藤信思 … 溜間詰格 → 帝鑑間詰。

・鯖江藩主間部詮勝 … 一万石減封、隠居・急度慎。

・小浜藩主酒井忠義 … 一万石減封(八月)、蟄居。

・前佐倉藩主堀田正睦 … 蟄居。

・前関宿藩主久世広周 … 隠居・急度慎(八月)、一万石減封・蟄居。

・前盤城平藩主安藤信正 … 隠居・急度慎(八月)、二万石減封・永蟄居。

・書院番頭小笠原長常 … 罷免・隠居。

…以上が文久二年十一月二十日付。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 15:28:03 ID:H5YUa9zk0
これじゃ完全にただの仕返しだよね

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 16:28:45 ID:KPRM+CnKO
>>240の続き、
・前高松藩主松平頼胤 … 蟄居。

・宮津藩主本庄宗秀 … 溜間詰格 → 雁間詰。

・西尾藩主松平乗全 … 隠居。

・前龍野藩主脇坂安宅 … 急度慎。

・前沼津藩主水野忠寛 … 差控。

・神奈川奉行浅野氏祐 … 差控。

・留守居松平康正 … 罷免・差控。

・講武所奉行大久保一翁 … 罷免・差控。

・槍奉行岡部豊常 … 罷免・差控。

・西之丸留守居石谷某 …罷免・差控。

・西之丸留守居久貝正典 … 差控、二千石減封。

・寄合肝煎池田頼方 … 罷免・差控。

・小姓組番頭松平某 … 罷免・差控。

・小姓組番頭駒井朝温 … 罷免・差控。

・小姓組番頭黒川盛泰 … 罷免・差控。

・奥医師伊東玄朴 … 罷免・差控。

…以上が文久二年十一月二十三日付。

243 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:47:21 ID:HrDjPquQO
>>240 堀田正睦は哀れだな…。

井伊大老に老中首座を罷免された上に、隠居を命じられたかと思えば、

井伊が消えて、一橋派が幕閣に復活すると、
短期間とはいえ、井伊政権にいたという事で、

井伊派と見做されて、蟄居を命じられたんだからな…。


244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/22(火) 19:57:40 ID:11tMOabFO
井伊直弼の政敵だった、越前の松平春嶽は、明治時代になってから、
井伊直弼を(ある程度)見直したらしい。

「徳川家の威光を盛んにせんとの志にて、
決して私欲する儀ではなかるべし。
彦根侯(井伊直弼)の英断は、今に至りては感ずべし。」

245 :ねこ:2009/09/22(火) 22:53:50 ID:Ltlw5xfN0
「井伊直弼」と「薩摩藩」のえらい違い

http://pwvx.hp.infoseek.co.jp/0202/4/129.html

井伊直弼の屋敷は、その後陸軍省・参謀本部となり、現在は国会議事堂の所管として、
「憲政記念館」となり、国会を見下ろしている。

薩摩屋敷は、鹿鳴館(鹿児島の泣く舘)として使用され、大和生命の敷地となったが、
昨年のリーマンブラザースの破たんに始まる金融恐慌で、大和生命は倒産した。

日本政府が、「徳川幕府」である、証拠だ。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 11:15:18 ID:t4XiLSMR0
「ダメじゃないか、就寝前、鎮静剤をちゃんと打ったのか?」
「ええ、でも先生、お薬漬けにしては可哀想ですよ」

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/29(火) 20:02:37 ID:ZezIyuv+O
一橋派と南紀派との対立は、
徳川幕府の最後まで尾を引いたようだな…。

…ま、もっとも、幕末の最末期ともなると、
徳川幕府内部の勢力(派閥)は、
かなり?複雑に分裂してたみたいだが…。

248 :蒸気機関:2009/09/29(火) 20:51:54 ID:YYOFOjYAO



249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 23:38:36 ID:eEEhegi2O
イイオナ弼

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 06:46:38 ID:JvQtny0+O
↑どんだけEが多いの

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 04:08:10 ID:GVIzgtZuO
/i     iヽ
((/l ̄l\))
 ソ_∠ニ二ス
∠シ*‘ω‘ *)ゝ ひこぽっぽ
  (    )
    v v

        ぼいんっ
   川
 ( (  ) )

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 14:57:43 ID:UZvukuvH0
多少スレ違いだが
長州征伐の時の彦根藩兵は情けないな
直政・直孝もあの世で泣いてるよ

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 15:19:17 ID:AbD8jNAsO
>>252 近代的装備を施した長州軍相手に、
旧式装備の井伊の赤備で押し出すのは、無謀この上無いな。

…もっとも、西洋式軍備を導入するには、
莫大な資金がいるから、

藩財政が苦しい彦根藩(彦根藩に限らず)では、西洋式軍備に統一するのは厳しい事だったろうて。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 17:50:53 ID:GVIzgtZuO
/i     iヽ
((/l ̄l\))
 ソ_∠ニ二ス
∠シ*‘ω‘ *)ゝ ひこぽっぽ
  (    )
    v v
        ぼいんっ

木俣隊くらいか?西洋化装備の部隊は

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/14(月) 09:22:39 ID:pXzV27hoO
直弼の治世より、直憲の東奔西走ぶりの方が興味が湧くのは漏れだけかな?

たまに名前を見ても、日和見の裏切り者とか書かれてるけど、桜田門外の変以降の幕府との関係見てたら同情する。

・十万石減封→二万石のみ戻る
・天誅組・禁門の変・天狗党鎮圧に従軍
・征長大敗北
・家茂後継者が慶喜→水戸派の将軍
・政権委譲

そんな幕府にいつまでも付き合う必要があったのか判らん時がある。
もし直憲があと十年早く生まれてたら上手く立ち回ったんだろうけど…
十二で藩主、十九で明治維新の荒波だからなぁ、あまりに若すぎるわ。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/05(火) 01:15:53 ID:KrPSpZqy0
親藩の分際で勝手に毛唐と条約を結び、主家である徳川の一族を処分するなど
身の程知らずもはなはだしい。旧水戸藩士に殺されるも当然の帰結である。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/05(火) 15:57:56 ID:INsrthRE0

井伊直弼の墓、埋葬状況解明へレーダー探査
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100105-00000015-yom-soci

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 10:05:32 ID:cYOwNpP30
原作:吉村昭の「桜田門外ノ変」映画化へ。

ttp://mitoppo.jp/index.html

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 21:08:11 ID:QZnrpaFx0
井伊直亮は、文政・天保期に大老を務めていたが、老中たちからバカにされていたようだな。

脇坂安董「井伊殿は本日御気色悪しくお休みにござるが、本件につきあちらに御談合はいりますまいか」
水野忠邦「そうよな」
忠邦は困ったような顔で、用部屋の上座を見つめた。すると一同爆笑し、
水野忠邦「御大老には後日それがしから話しておく」

大老を退職した後も、井伊直弼が将軍の前で大事な儀式があり、
松平容敬、松平頼胤が早めに登城して儀式の作法を教えてくれようとしていたのに、
肝心の直亮は、養嗣子の直弼に対し必要な衣服を貸し与えなかった為、直弼は仮病を使って休むしかなかったとか、
思い込みが激しく、嫌な性格であったことが伺える。





260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 20:36:02 ID:LcU8lH5f0
【小沢氏聴取】ホテル出る小沢氏の車に囲碁やロッキード本
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100123/stt1001231643009-n1.htm

ニューオータニと言えば旧彦根藩中屋敷跡、そこから出る車に藍色のベンチャーとは・・・
小沢は自分と井伊直弼を照らし合わせているのか?お笑い草だな・・・

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 21:33:11 ID:prsYhqaqO
>>259 その程度の人物(井伊直亮)が、
何でまた大老職に任命されたのだろうか?

その頃ならば、特に重大な出来事もなさそうに思うが…。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/25(月) 01:21:38 ID:nkjQwXgp0
やっぱり血筋じゃないの?

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/25(月) 10:24:03 ID:0LTEulAwO
>>259 井伊直亮の人格は、
実父の井伊直中が、生前(文政三年一月五日付け)に認めた遺言状によると、

1,勇気と決断力の欠如。
2,家臣の信頼を得られない事。

3,怒りを露わにする気性の荒さ。

4,隠し事をする事。

5,善悪の判断がつかない事。

6,物言いが不分明な事。
7,親の言う事を聞かない事。

と列挙された人物であり、今は年輩の家老衆が居るからよいが、
この先は、直中もいなくなり、
家老衆も皆直亮よりも年若になったなら、
「如何様の政事」となるか計りがたく、
「大事の儀」と思うから、

直中の死後は、この遺言により、
藩主直亮を隠居させるように家老衆に言い遺していたそうだ。


264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/26(火) 21:59:33 ID:/eY4gD/2O
>>263
…こんな偏屈者の兄貴(井伊直亮)が彦根藩主として君臨している間の、

世子時代の井伊直弼は、さぞかし溜間詰内では肩身が狭かったろうし、
やりづらかったろうなぁ…。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 12:34:48 ID:opKUcfs5O
親父も弟も有能な人物だったのがさらに不幸だわな>直亮
ボンボンだったと言ってしまえばそれまでだが。

しかしそんな直亮が直弼を後継者にしたのだから不思議だ。
一説には兄弟の井伊中顕の息子・貫名亮寿を跡継ぎにするつもりだったとも母利美和氏の直弼本で見た覚えがある。
…人を見抜く力だけはあったのかな?

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 14:33:21 ID:z95hFQEl0
井伊直亮が大老になった経緯は、家斉派にとって都合がよく、バカだから担ぐ神輿としてはうってつけだったからだと思う。

家斉側近集団の林、美濃部、忠篤らは、水野忠成死後、老中首座の松平康任とずっと組んでやってきていたが、
康任が仙石騒動で失脚してしまった。

そこで、閣内に井伊を送り込み、老中ら、とくに忠邦を監視したいと思ったのでは。

それにしても先日彦根城博物館に行ってきたが、彦根城もどうでもいいガラクタより>>263みたいな書状をこそ飾っておくべきだと思ったよ

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 03:36:09 ID:wekQFTd2O
>>266
詳しいのはごもっともだがsageくらい学べ。
ここのとこage続けてるのはお前か?

あそこの博物館は、どうにも彦根藩の末が末だけに、タブーを隠すように華やかな時代だけを見せてるイメージがある。
正直十四代の流れをきちんと知る展示が欲しいんだが、やる気なさそうだなぁ…。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 12:38:23 ID:LTvzxBHi0
は? ageかsageかお前に指図される理由がないんだが

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 07:15:20 ID:+a1Yc3EyO
 /i     iヽ
((/l ̄l\))
 ソ_∠ニ二ス
∠シ*‘ω‘ *)ゝ なおぽっぽ
  (    )
    v v

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/03(水) 14:07:38 ID:CgitC0ps0
直弼150回忌age

出来れば今日桜田門外ノ変の映画を見たかったな。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/04(木) 12:42:04 ID:2XzVaybv0
おお今日桜田門外の変から150年か(正確には24日?)
記念カキコ

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/04(木) 16:30:59 ID:KLBsAXPmO
細かいことを言うと24日だな。
昨日は佐和山の井伊神社にお参りに行ってきたわ。

彦根も水戸も何もやらないのか?もったいない。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/25(木) 00:16:08 ID:RBg3VDDe0
そして昨日が命日だったわけだが…

彦根での命日は旧暦の三月二十八日なんだとさ。どういうことだ???

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/25(木) 15:59:49 ID:cIsnR4J3O
>>273 (幕府もしくは彦根藩から)正式に井伊直弼の死去が発表されたのが、
その日(旧暦の閏3月28日)って事じゃないのかな?

井伊直弼が、桜田門外でテロられたのは旧暦の3月3日ではあるが、

幕府が大老の死を隠して、変後の事後処理等をしていた事もあって、
井伊大老を二ヶ月近く生きている様に取り繕っていたのではないかと…。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/28(日) 19:58:54 ID:qnVInQ3e0
【吉田松陰】獄(ひとや)に咲く花【生誕180年】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1269671625/

吉田松陰 生誕180年 映画「獄に咲く花」 公式HP
http://www.hitoya.com/

予告編
http://www.youtube.com/watch?v=S4A8itWtxMw
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10176029

吉田松陰 生誕180年。安政元年(一八五四年)長州、萩。「野山獄」にひとりの
男が護送されてきた。生きて出られた者は誰一人いないこの牢獄に、希望を与
え、その後の日本を切り拓いた男。彼の名は、吉田寅次郎。
“幕末”は、この男からはじまった。

直木賞作家:古川薫原作「吉田松陰の恋」(文春文庫刊)待望の映画化!
2月6日(土)、山口・福岡県《先行》ロードショー
4月10日(土)、有楽町スバル座他、全国ロードショー

出演:近衛はな 前田倫良
目黒裕樹 赤座美代子 池内万作 勝村政信 仁科貴 水田太郎 神山繁
後援:山口県 山口県教育委員会 (財)防長倶楽部 山口県商工会議所連合会
萩市 下関市 山口市 長門市 宇部市 周南市 防府市 下松市 柳井市
光市 岩国市 美祢市 及び各市教育委員会

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/28(日) 21:23:47 ID:U4jJ+7xR0
井伊直弼は松陰の名前すら知らなかったんじゃないのか
長州藩が過剰反応起こして勝手に処刑しただけだろ

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/29(月) 22:24:34 ID:D0KyklYaO
大老井伊直弼の当面の政治目標は、

・朝廷政策 … 幕府主導による公武合体。

・幕府 … 老中評議(無論、井伊大老が主導権を握る形)、将軍伺いによる本来の幕府の政権運営に戻す。
…の以上に尽きるのかな?

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 17:51:24 ID:qrUJO3H40
今日が実の命日、ふっふ〜んage

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 18:43:02 ID:b3aUKlD7O
じゃあ俺は規制解除記念age!

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 21:25:29 ID:s18BLx5NO
どうせじきにまた規制age

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/16(金) 20:03:46 ID:/sA9iM6N0
今日が太陰暦で3月3日

4月中旬でこんなに寒いんだから、江戸時代なら大雪が降るのもありえただろう

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/17(土) 21:20:06 ID:hjSwF+xVO
井伊大老は、桜田門外でテロられてから二ヶ月近く生存扱いにされていたから、

その間の彼の遺体の保存には、さぞかし骨を折った事だろうな…。

彼の遺体は塩漬にでもしてたのかな?

また、彼の首と胴体との縫合手術は、どのようにしたんかな?

…単に、糸等で首と胴体を縫い合わせただけで終わらせたのかな?

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/18(日) 03:57:11 ID:o0eEBszP0
さっさと豪徳寺に埋葬したんじゃね?

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/24(月) 02:19:17 ID:n9JjbHBx0
 
田原総一朗と井伊直弼とリンカーン大統領

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/35/238.html

現代版安政の大獄にようやく気付いた。

40年以上騙されていた。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/17(木) 13:55:18 ID:hbLRcLztO
>>257 あれから井伊直弼の墓から何か探索出来たんかな?

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