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明治維新とは?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 19:53:07 ID:8Pe+OzxJ0
日本を大きく変えた明治維新。
この時代のことを語ってみましょう。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 21:00:04 ID:t2IA7Fx70
>>1
>この時代のことを語ってみましょう。

この時代とは、いつからいつまでだ?
起点は1853年(嘉永6年)のペリーの来航から、終点は戊辰戦争(68年1月〜69年5月)、
廃藩置県(71年)、西南戦争(77年)、立憲政治実現(89年)までのどれだ?

3 ::2008/04/17(木) 22:15:59 ID:NR0xopRl0
>>3
大政奉還から西南戦争終結くらいのつもりでしたが
立憲政治実現までのことを語ってもかまわないと思います。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 22:28:49 ID:2nJUWU/E0
明治維新を3行で説明してみて。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 22:44:52 ID:xeyDJR8B0
時間的な江戸に終焉を与えたのが明治維新。
明治の国家建設に加わったものは、1868年の「五箇条の御誓文」で
触れられた「旧来ノ陋習」と、新しい時代とが完全に断絶していると
主張した。そして、1870年代になって福沢諭吉は差異と進歩の両面から
江戸を明治という未来に対置するようになって現れた。福沢は「一身にして
二生を経るが如く」といった。それは自身が経験した差異をもとに江戸をこれから
やってくる明治の単線的な前史として焼き直したわけだ。福沢は、文明と呼ばれる
明治の新しさを、国家として進化するものとして見たので、江戸の古さを封建的で
時間の進行に対する障害として描いた。こうして江戸は封建的であると呼ばれるように
なった。(封建制度というと、古い中国語で中央集権的統治のことで、徳川支配の幕藩体制を
指していた。福沢は「親の敵」と門閥制度を意味するものとして使った。)

6 :福沢諭吉:2008/04/17(木) 23:02:45 ID:H6mowlp40
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。

●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。

●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 23:55:25 ID:EdSW4vZZ0
>>5
倒幕派が御箇条のご誓文で言ってることは、昨日まで幕府が主張してたこと。
五ヶ条のご誓文に時代を画する意義はない。
また、薩長が五ヶ条のご誓文を出したのは外国に媚びるための方便にすぎず、
人目にふれる場所には掲示されなかった。
薩長の本音は、ほぼ同時に掲示された太政官の高札に示されてる。
一札:五倫道徳遵守
二札:徒党・強訴・逃散禁止
三札:邪宗門厳禁
四札:万国公法履行
五札:郷村脱走禁止

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 01:07:58 ID:QExIPXOL0
>>1が大政奉還からって言ってるので便乗するが、そもそも大政奉還論は
松平春嶽が文久2年だったかに献上してたよね?龍馬のオリジナル?
はたして大政奉還案は、誰の案だったのか!?
そのあたりの話からすれば良いのか?

>5ー7
薩長閥に反感を持った福沢さんの意見って事?

この時代については知識ないから、何の話すればよいか、スレの趣旨が見えないのは
俺だけ?
すんまそん。


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 02:41:36 ID:xQwE6jDw0
維新から
わずか50年で列強入りは
世界史の奇跡です

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 03:56:11 ID:ttPbjKR70
>>9
そんなこともない。幕藩体制は罪の部分だけでなく、功の部分もあったのだ。
その1。幕府は諸藩の統治は諸藩に任せていた。だから薩摩藩・長州藩は独自に藩政として、
近代化を先取りしていた。そうした背景があってこそ成功体験を持った人材が育っていた。
日本という国全体が太平の惰眠を貪っていた訳でもなく、明日の日本を見据えていた人材がいた藩があったのだ。
幕府が強力な中央集権体制で全国を統治していたら、それはありえなかった。
それが幕藩体制の功という意味だ。
その2。薩英戦争、下関戦争という限定戦で近代化を欧米に学ぼうという意識が生まれた。
国全体が欧米と戦争していたら再起不能の大打撃を受けていたかも知れなかったが、
薩摩藩、長州藩が実験的にボロ負けしてくれたお陰で、極めて限定的なコストで学習効果を得た。
幕府が強力な中央集権体制で全国を統治していたら、これもありえなかった。

幕藩体制が日本の特異性であり、これが日本が明治維新・近代化に成功した秘密なのです。
日本の特異性はまだある。それが天皇制だ。
天皇制があり朝廷があったからこそ、幕府の統治が崩壊しても、速やかに新政府が出発できました。
もし天皇制が無かったら、親米派、親英派、親仏派、親露派、守旧派、攘夷派が入り乱れて、
果てしの無い内戦を繰り広げ、そこを諸外国につけこまれていたかも知れなかった。
欧米が日本を植民地化しようという野望を捨てたのは、日本に天皇制があったことを知ったからです。

そして鎖国の功もあった。この話はまたレスを改めて。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 04:23:32 ID:g8UL5EjBO
万引きで逮捕されたんだよな。坂本竜馬の甥は。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 06:18:01 ID:61zhIjRA0
>>10
それは単なる結果論じゃないか?幕府が諸藩に自治させていたのは
中央集権を行うだけの力が無かっただけ。
あえてやらなかったものではないから功とは言えない。
極めて短時間で列強入りできたのは日本人の文化と資質によると思われる。
勤勉で無宗教、外のものを排除しない柔軟な考え方・・・
無宗教ということがもっとも大きく、もっとも功ありだ。
宗教(特に一神教)をしていると頭が硬化してしまい馬鹿になる。馬鹿の壁ができるわけだ。
ヨーロッパもキリスト教の呪いを乗り越えてルネッサンス期を迎えた。
古代ローマの優れた技術、柔軟な考え方こそが近代化の鍵だったのである。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 07:41:05 ID:+u08G53v0
>>8
>薩長閥に反感を持った福沢さんの意見って事?

そういうことではなく、時間的な江戸に終焉を与えたのが明治維新。
ということが言いたかったこと。(明治維新の真っ最中、在野の人物であった
福沢諭吉は江戸を5で書いたように新しい時代である明治と断絶するものと捉えて
維新を推進したことを言いたかった)

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 08:32:49 ID:zoStdLdt0
467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 22:07:00 ID:F4F1rPEP0
>>460
>薩長こそが日本の近代化の走りであり、さきがけなのだ。
愚かな冗談はやめろ。

>薩長は藩政で実施した近代化政策を日本全国を舞台に国政として実施しようとした。
近代化政策を日本全体のために国政として展開しようとしてたのは、はかならぬ幕府だろ。
そして、幕府が日本の将来のために開国を断行し横須賀製鉄所を建設したとき、
一藩の私欲にこだわり、近代化政策に敵対し、幕府への当てつけで外国人を斬り殺してたのは誰だ?

>>462
>敗者は正しい? そういうわけでもあるまいし
てか、そもそも薩長や土佐の長曽我部残党は敗者なんだよ。
関ヶ原に破れて僻地に追われ、約350年もの間、国政からはじき出されていた。
明治維新はその虐げられてきた敗者の下克上であり、
全国的な視野をもたない浮浪の徒が、単に徳川憎しで暴走したにすぎない。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 08:59:49 ID:n35dkqUo0
★ 星野仙一氏 はサムスン選出聖火ランナー ★
★ 中国のチベット弾圧に抗議してボイコット・発言を!★

『言うべきことはいわなきゃだめですよ。
もう本当日本人、中国に対しても韓国に対しても本当に腰が引けてるね。』
と言ったのは星野さんあなたです。jp.youtube.com/watch?v=SWot8◆GKCfN0 (◆を除く)

<抗議先>
メール: info アットマーク tigersfanclub.jp 本社内にあるファンクラブ事務局
    (@を付けて下さい)
電話: 0 7 9 8 −4 6−1 5 1 5  阪神タイガース本社
ファックス:0 7 9 8 −4 6−3 5 5 5  阪神タイガース本社
郵送:〒 6 6 3-8 1 5 2 兵庫県西宮市甲子園町1番4 7号阪神甲子園球場内 


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 10:23:27 ID:MXrWJuyg0
明治維新後パッとしなかった元薩摩藩士
吉井友実
岩下方平
税所篤
桂久武


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 18:35:50 ID:3+Q9aNaQ0
 明治維新は確かに素晴らしい。それは認める。

だが、太平洋戦争を経てもなお日本は明治以来の方式に固執しているのでは
ないだろうか? というより現代日本の政治制度も明治からほとんど変わって
いない様にも思える。日本の高校では日本史の授業が古代から始まり三学期
の終わり頃には明治をあまり勉強する時間もないまま終わってしまう。(私
の頃はそうでした。)日本人のほとんどがそうではないだろうか? つまり
このような現代につながり、密接に関係する、重要な明治という時代について
いまだに何も検証されていないということです。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 20:03:32 ID:HWapaZEk0
>>17
>明治維新は確かに素晴らしい。それは認める。
だが、太平洋戦争を経てもなお日本は明治以来の方式に固執しているのでは
ないだろうか? というより現代日本の政治制度も明治からほとんど変わって
いない様にも思える。

大日本帝国憲法下の政治制度と戦後の(現在が)ほとんど変わってないように
思うのですか?

>日本の高校では日本史の授業が古代から始まり三学期
の終わり頃には明治をあまり勉強する時間もないまま終わってしまう。(私
の頃はそうでした。)日本人のほとんどがそうではないだろうか?

私の頃は、教科書はほとんど使わず受験する大学の過去問を徹底的に
問題を解くことをやってました。
(公立を受験するので日本史を選んだから…。そんな私でも上記の
政治体制については違うといえることは学びましたよ)

>つまりこのような現代につながり、密接に関係する、重要な明治という時代について
いまだに何も検証されていないということです。

学問のレベルでは、大変に研究は進んでいますよ。

それから、歴史教育について一言。
太平洋戦争というのは進駐軍が、占領政策を進めるために当時の日本では
大東亜戦争といっていたのを変更させた名称です。それは日本に住むものに
1931年の満州事変から廬溝橋事件(1937)を経て、1945年の日本の敗戦までの
日中戦争を消去させている。それは、アジア諸国への日本が行った侵略行為を
忘れさせた。これは歴史の即した、史実です。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 20:16:32 ID:4mI7n9bQ0
 総理が変わるたびに挨拶にいくあの人なんなの? いまだにタブーだよね。
制度(名称)上はどう変わろうともいまだに特権階級だよね。
オリンピックに誘われても行かないし。かつて列強の植民地化を諦めさせる
御威光はあったかもしれないけど、現代のアジアではどうなの?肝心の国
にたいしては無効だし、双方に呪われた暗い歴史を思いださせるだけなんじゃ
ない?

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 20:28:32 ID:T+6asv4nO
>>18
今はアジア・太平洋戦争って言われてるんだっけ?

21 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/04/18(金) 20:42:23 ID:nnZOUAkw0
NHKを見ていたら、兵士の手記を集めて歴史を検証しようとしている人がいた。
ある年の12月16日、17日、18日ごろ投降してきた捕虜を揚子江の岸辺に集め、
機関銃で銃殺し、川へ流したことが記載されてる。1日1万人+αとすると、計
3万人から4万人処刑してる。この人たち「◎軍」と言われてた人たちだよね?
明治以来この調子。こういう検証やらないから南京大虐殺館ができるんだよ。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 20:51:46 ID:ZPBCDGhh0
>>20
>今はアジア・太平洋戦争って言われてるんだっけ?

そのようだ、アジア太平洋戦争(太平洋戦争)と書いてる。
その中で、大東亜共栄圏を書いている。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 21:09:56 ID:QExIPXOL0
おいおい。このスレタイから話がズレていってないか?
歴史は繋がっているから明治維新から大東亜戦争に繋がるのはわかるが、
ちょっと話を戻そうぜい。


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 21:13:07 ID:KfaN0pc/0
誤解なきように書くが、>>18で言いたかったことは、太平洋戦争ということで
戦前の日本がアジアで行った侵略行為を忘れさせる効果があったということだ。
進駐軍が指示したということについてのソースは、具体的には進駐軍が新聞に
太平洋戦争の「真実の」歴史について連載するようにし、占領軍がそのための
材料を提供した、1946年4月に発行された「太平洋戦争史」がある。著者は連合軍
最高司令部民間情報教育局。文献名は、終戦史録第六巻 外務省編、北洋社1978

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 21:15:46 ID:KfaN0pc/0
>>23
>おいおい。このスレタイから話がズレていってないか?

すまん!なりゆき上書いておきたかったので…。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 22:04:31 ID:QExIPXOL0
ちなみに我が市には、奉還の際に職を失った武士が商いを行い栄えた事に由来した
「奉還町」があります。
豆知識な。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 00:22:55 ID:x2sk2aQb0
>>25
書いておきたかったという思いは貴方の勝手だが>>17>>18もスレ違いであるのは間違いない。
○○の△△が、その後の□□につながったという視点はあってしかるべきだとは思う。
それも歴史学だとは思う。
しかしだからといって、□□は○○の責任だとはいえまいて。
どんな制度であっても時代・国際情勢・国民意識に応じて手直しが必要なのは当たり前なのであって、
一度作れば未来永劫、問題なく適合する制度なんて存在しえないと思う。
それが人類の歴史だと思う。
本題に戻って明治維新だが、これはあまりにも長く徳川幕府が続きすぎた為に
幕藩体制・鎖国制度が制度疲労を起こし、硬直化した幕府にはもはや時代・国際情勢・国民意識に応じて
手直しすることが不可能だったということだ。
明治維新とは、幕府の限界を確信した幕末の志士たちが時代の主役としての自覚を持って、
世の中を改めようという運動だったと思う。
されど、その着地点と移行のプロセスの正解は誰にも分からないことであり、
様々な紆余曲折や試行錯誤があったことは止むを得ない当然のことであったろう。
そこに痛ましい犠牲者が生まれたことも止むを得ない。それは人類の限界だろう。
小栗上野介もその犠牲者の一人だ。それは時代を選んで生まれることができない人間の宿命でもあろう。
そんなことを思う今日この頃。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 04:35:30 ID:ODEO69A50
>>27
>幕藩体制・鎖国制度が制度疲労を起こし、
これは事実

>硬直化した幕府にはもはや時代・国際情勢・国民意識に応じて
>手直しすることが不可能だったということだ。
「時代・国際情勢」を読み解き、硬直した鎖国体制を廃止し国を世界に開いたのは幕府だよ。
ただし無知蒙昧な「国民意識」がそれについてこれなかった。
その隙を突いて、幕府に抑圧されてきた外様藩の下級武士が、愚かしい攘夷を煽った。

>明治維新とは、幕府の限界を確信した幕末の志士たちが時代の主役としての自覚を持って、
>世の中を改めようという運動だったと思う
薩長は幕府に成り替わろうとしただけで、「幕府の限界を確信した」わけではない。
玉(天皇)を握って成り上がることのみが彼らの動機で、
「世の中を改めよう」などという目的意識はどこにもない。

>されど、その着地点と移行のプロセスの正解は誰にも分からないことであり、
討幕派は己の盲動の着地点を理解していなかったけど、
幕臣の多くは世界の中の日本の位置とその進むべき将来を的確に理解していた。
明治政府が行った近代化政策は、すべて小栗上野介の模倣にすぎない。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 06:12:42 ID:6FBx01tP0
>>27-28
あんたら、小栗のスレ行って思う存分痛ましい犠牲者を語ればいい。
ヒーローの人物史観はつまらない

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 08:28:03 ID:8anWCbFnO
てかなんで小栗?

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 08:33:36 ID:vr8asPfP0
>>28
星亮一の読み過ぎw
もう少し学術論文を読んで欲しい
作家の妄想を信じているようではお話しにならないw

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 08:37:30 ID:jZp28lLr0
>>7
>倒幕派が御箇条のご誓文で言ってることは、昨日まで幕府が主張してたこと。
五ヶ条のご誓文に時代を画する意義はない。

どういうことなのか詳しく教えて欲しい。
どの明治維新の本を読んでも上記のことは書いてない。
小説に書いてあるなら知らんけど

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 08:50:28 ID:sreLdDIX0
>>27
>書いておきたかったという思いは貴方の勝手だが>>17>>18もスレ違いであるのは間違いない。

そうか?17は、明治維新で作られた体制が現在まで及んでいないか?という問い。
18はそれを受けて、新政府が構築した大日本帝国のイデオロギーは、敗戦後、新憲法を
制定し終焉したことを書いている。スレ違いの部分は、前の戦争について教科書で書かれている
ことについての部分かな…。各自思い込みをやりとりしてるわけじゃないから
構わないんじゃないかな

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 09:06:32 ID:iLej4u280
やっぱり明治維新は革命じゃないよな
って結論にようやく至りますた!

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 09:43:14 ID:3lo0JvDL0
確かに、RevolutionなのかReformなのかRestorationなのか分からんね。
通常、英文ではthe Meiji Restorationの表記で王政復古の語義を入れているが
Reformくらいでもいい感じはする。Revolutionだと、武士というごく一部の
人達が主に政治と戦闘を行い、その他の人は巻き込まれたという受動的な関与の
仕方だったわけだからRevolutionはちょっと合わないかなと思う。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 19:19:27 ID:CFKpXxmH0
狭義の明治維新は外様藩の下級武士による権力簒奪を意味する。
同じ武士階級内の抗争にすぎず、一種のクーデタ(Coup d'etat)にほかならない。

より長い時間軸でみた場合、明治維新は、幕藩体制を終わらせ一気に近代化が進んだ節目でもある。
ただし、留意しなければならないのは、幕末期に目的意識的に近代化を進めてたのは幕府側であったこと。
言い換えれば、近代国家へ移行するための革命(Revolution)を準備したのは徳川幕府である。
薩長を中心とする倒幕派は、幕府による上からの改革に危機感をもって倒幕に走ったわけだけど、
これは近代化に向けての革命に対する抵抗運動であり、明らかな反革命(Counter-revolution)である。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 20:18:17 ID:/SpbTYKm0
>>36
またおまいか。飽きもせずにようやるわ。
クーデターだなんてとんでもない。
クーデターとは不法な政権奪取のことだよ。
部分的には不法行為が無かったとはいわないが全体としては完全に合法的なプロセスだよ。

幕府の目的意識なんて初めから最後まで徳川家から将軍を継続させることだけだ。
幕末だろうとなんだろうと同じこと。その目的の為の手段として開国した方がいいかなとしただけ。
だいたい幕府の政権は老中の合議制で、皆がばらばらな政見を持って熾烈な権力闘争、
足の引っ張り合いをしていただけなんだから。継続的な政策方針もコンセプトも何もない。
攘夷派が政権を取れば攘夷、開国派が政権を取れば開国。ただそれだけだ。
近代化なぞ進めてない。かろうじて近代化のまねごとらしきこともやったけどな。
それもその人物が失脚してしまえばそれっきり。それでお仕舞い。
それで幕府はあらゆる改革が失敗し、事業もものにならずに中断したのが多い。
暗殺だの罷免だの幽閉だのとそればっか。讒訴されたり、事業失敗の責任を取らされたり。
まるで継続した政策方針が無かった。思いつきでなんとか令を発したかと思うと、
もう少しで完成という段階で、もうやあめたという。んな幕府に近代化なぞできる訳が無かった。
金も無い、人も無い、信用も無い、モノも無い。無い無いづくしで見栄はって威張るだけ。

笑わせるなっての。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 20:32:38 ID:6Mnn461I0
 明治維新は北朝→南朝への王朝交代でもあったという説がある。「玉を抱く」
という言葉にある通り、官軍側の最終兵器でもあり、維新の決定打でも
あった。この幽霊のような維新の核心、そして現代にもつながる秘密について
いまだ解明されていないと思うが。ココ、こそがが明治維新の肝なんだよ。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 20:44:20 ID:8Fe6AFC70
>>37
>完全に合法的なプロセス
なにが合法だよヴォケ。
討幕派は孝明天皇を毒殺して玉(幼帝)を握ったんだから不法行為だろ。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 20:51:24 ID:V6F63twY0
>>39
孝明帝は自然死です。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 20:53:21 ID:31aEauBz0
永井路子の新著「岩倉具視」は毒殺説扱ってるらしいな。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 20:59:55 ID:8Fe6AFC70
628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 22:27:02 ID:xDUUj11t0
>>627
孝明天皇の死因については、研究者のあいだでも決着はついていない。
もともとタブーとされていた問題で、天然痘による「病死」とされていたが、
病死である証拠はなにもない。

ちなみに毒殺説については、孝明天皇の主治医の「天脈拝診日記」が子孫の伊良子氏によって公表されており、
医師でもある伊良子氏は、日記の分析により砒素系毒物による急性中毒症状であると診断している。

また、アーネスト・サトウは、「一外交官の見た明治維新」で次のように書いている。
「幾年か後に、私は裏面の消息に精通する日本人から、帝はたしかに毒殺されたのだと教えられた(中略)。
やがて幕府が没落すれば、やむなく朝廷が西洋諸国と直接に関係交渉しなければならなくなると予見した人々の手にかかった。」

物理的な調査ができない以上、永遠の謎だね。
ただし状況証拠からすると限りなくクロに近いから、討幕派による毒殺として扱うべきでしょ。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:01:57 ID:V6F63twY0
状況証拠から見て、限りなく自然死なのですが?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:05:59 ID:8Fe6AFC70
「孝明天皇紀」「中山忠能日記」に見る孝明天皇の臨床経過

12月12日 高熱を発し、苦痛を訴える。(前駆期)
12月15日 手に一対の吹き出物が出来る。(発疹期−紅斑)
12月16日 吹き出物が顔にも出来る。
12月17日 典医十五名は正式に疱瘡と発表。
12月18日 吹き出物が変色して落ち着く。
12月20日 食欲、便通も順調、吹き出物の経過も良好。(発疹期−膿疱)
12月21日 吹き出物から膿が吹き出し始めてさらに楽になる。
12月23日 食欲ますます進み、吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた。(発疹期−結痂)
12月24日 この日も葛湯、お粥、ほしいいをとり、便通もあり、天皇の機嫌はますます良好。
12月25日 天皇の様態は前夜から急変、激しい嘔吐と下痢におそわれ、顔には紫の斑点が現れた。
さらには「御九穴より御脱血」、七転八倒の苦しみのうちにその夜遅く亡くなった。

…これが自然死?

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:07:41 ID:V6F63twY0
どうも俗説で勝手に孝明帝毒殺説を採用する人間がいて、議論の妨げになる。
毒殺説を主張する人間の文章も入手したが、これらのどこにも根拠がない。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:09:27 ID:V6F63twY0
毒殺か自然死か、というと>>44は典型的な天然痘の症状だ。
治癒に向かっていたのに倒れたのは変だ、という意見こそ無知だろう。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:18:44 ID:8Fe6AFC70
天然痘は数日間の前駆期を経て発疹期にはいり2〜3週間で完治する。
発疹期は「紅斑→丘疹→膿疱→結痂→落屑」と移行。
なお「死亡する場合1週目後半〜2週目」とは6日目から11日目前後の化膿期のこと。

孝明天皇は、12月12日前後に発症(15日は公式発表日)、
その後の経過は極めて良好で、発症から10日目頃には、
「全て御順道との儀承り、恐悦に存じ上げ候」と記録されてる。
「吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた」状態から、
亡くなる前日には天然痘が完治寸前の状態だった。
また、気管支肺炎などの吐血を伴う合併症の兆候も全く見られない。

やはり最後の日に突然激烈な発作を起こしたことは不可解としか言いようがない。

…完治寸前の状態で「御九穴より御脱血」となり悶死したことは、天然痘の症状では説明できない。
ちなみに紫の斑点や粘膜からの出血は典型的な砒素中毒の症状。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:22:33 ID:V6F63twY0
>>47
間違い記述お疲れ様。
実際は症状が悪くなる場合もある。

変な小説家に騙されていることが判明して、対処がしやすくなったよ。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:25:12 ID:V6F63twY0
馬鹿な毒殺説は次の矢が打てなくなったとして、
明治維新は合法的なものだった、という意見に反対するものはいませんか?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:30:50 ID:gjeXdVz70
明治維新までの流れを見ると
最初は西欧による外圧を利用し、諸藩が幕政に参画しようとして政争を繰り広げた。
そのために朝廷の力を利用して幕府を揺さぶってみたが
これが諸藩の思い通りにならないことが分かって来た。
そこで活用されたスローガンが西欧列強に対抗できる天皇中心の
新政府構築であり、ここに倒幕への流れができた。
個別に見れば吉田松陰など、西欧列強に対抗するには幕府を倒すしかないとの
強硬な発言を繰り返したものもいたが、当初はそれは夢ごとと誰もが考えていた。
転機はやはり第二次長州征伐であったろう。
頼りとしていた幕府が弱いといことが判明し、諸藩の心が幕府から離れてしまった。
そして新政府設立へ・・・
最初から倒幕→新政府設立なんて構想を頭に描けたものはわずか。
吉田松陰は故に偉大なのである。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:59:38 ID:f1Qdlvkm0
 孝明天皇は凄い攘夷の人だったらしいね。開国なんてもってのほか、
これじゃ官軍側も話にならなかったんじゃない?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 22:48:00 ID:gjeXdVz70
もともと存在感の薄かった朝廷を諸藩が活用しようと試みたことで
急に脚光をあびるようになった。
それまでは朝廷なんかには皆無関心だった。幕府様様。
久々に戻ってきた政権にさぞびっくりしたことだろう。
周りの公家の意見に流され続けたものと想像される。
毒殺説の根拠は不確かだが、孝明天皇の崩御により
確実に日本は良い方向に流れたと思われる。結果的に見て。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 22:49:40 ID:6rNFQ2vG0
天皇なんて単なるお飾りだからねえ。
幕府否定のために天皇を奉じる薩長が大事にするのはわかるけど、
公家諸法度で今まで押さえつけてきた幕府側が大事にしているのが笑える。
徳川将軍家もさぞやりにくかったことだろう。


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 22:55:56 ID:w9ByQmsu0
嘘は嘘を呼ぶって知ってる? 明治以来の合成された偽のシンボルを維持する
ことにどれほどの労力が払われ、犠牲を捧げ、陰謀が行われてきたことか。
本人も偽の役を演じることに心労が多かっただろう。(一説に伊藤博文が
大室某という南朝の末裔か馬の骨を連れてきたという。)

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:36:56 ID:8anWCbFnO
>>51
開国するのに四苦八苦したのは薩長じゃなく幕府の方じゃないのか?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:42:02 ID:LOuasqhg0
山口県民ってこんな奴なんだぜ?
信じられないだろ?しかも凶悪殺人の言い訳が「ドラえもんを信じていた」だぜ?
頭が悪いってレベルじゃない。山口県民の鬼畜ぶりをよく表してる。


光母子殺害事件裁判の被告人質問〜「ドラえもんを信じていた」

8年前、山口県光市で起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審で、
26日に引き続き、27日も元少年への被告人質問が行われています。広島高裁から中継です。
26日、5年8か月ぶりに法廷で証言し、殺意や乱暴目的を否認した元少年。
集中審理2日目の27日もしっかりとした口調で、よどみなく証言を続けています。
元少年は、弁護側の質問に答え、本村洋さんの妻、弥生さんを死亡させた後、混乱状態となり、
ズボンのポケットに両手を入れたところ、中にひもがあることがわかったと述べました。
元少年は、このひもを生後間もない本村さんの長女の首に巻きつけ、蝶々結びにして殺害したとされていますが、
ひもで首を絞めたことについてはわからない、認識がない、と供述しました。
また、長女の遺体を現場アパートの押し入れに入れたことについては、
「僕の考えではドラえもんの存在を信じていて、ドラえもんに何とかしてほしいと思いました」と述べています。
さらに、本村さんの妻の遺体に乱暴したことについては、生き返ってほしいという思いからだったと説明しています。
27日は、検察側も元少年に質問することになっています。以上、広島高裁でした。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:48:18 ID:8Fe6AFC70
>>37
なぜ「合法」という概念で討幕を正当化したいのかがよくわからない。
大規模な武器密輸、京や江戸での殺人、恐喝、破壊活動、外国人へのテロ、
御所への襲撃、天皇へ向けての発砲…
討幕派の行為は不法行為のオンパレードだ。

>>38
木戸は天皇を玉と蔑み、玉を握らなければ薩長が滅亡する、と犯罪者仲間を恫喝してた。
↓の木戸の言葉が明治維新の核心だね。

「甘く玉を我方へ奉り抱候御儀、千載一遇の一大事にて、
自然万々一も彼手(幕府)に被奪候ては、たとへいか様の覚悟仕候とも、
現場の処、四方志士壮士の心も乱れ、芝居大崩と相成、
三藩(長州・薩摩・安芸)の亡滅は不及申。」

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:49:01 ID:8Fe6AFC70
>>40
自然死である証拠はどこにもない。

>>42
利害関係のないサトウの証言が最も正しいと思う。

>>48
極めて例外的な症状。
天皇がありえないほど絶妙なタイミングで砒素中毒症状で亡くなった。
こうした場合、毒殺の可能性を疑うのがセオリー。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:52:52 ID:V6F63twY0
>>58
極めて普通な症状です。どこが異常なのか見当もつきません。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:55:06 ID:V6F63twY0
>>58
砒素中毒を提唱する理由が不明です。
死因は典型的な天然痘なのですから。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:58:27 ID:IHmGdM6J0
>>51
孝明天皇は兵庫開港に勅許を出しており、開国の障害ではなくなってる。
ただし、長州にとっては、長州嫌いで佐幕派の天皇は最大の障害物だな。

>>53
開国に際して朝廷の勅許が条件となったことから薩長や下級公家の増長がはじまった。
優柔不断で無能な阿部正弘が元凶だね。
ただし幕府は廃帝の可能性も研究してたから、幕府主導で近代化してれば、
薩長の場合のような天皇神格化はなかったはず。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 00:14:32 ID:z84P8naq0
>孝明天皇は兵庫開港に勅許を出しており
 武力を持つ幕府に脅され、イヤイヤ出したんだがなw
 物は言い様だなぁwww

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 00:25:45 ID:Al8i6F+IO
ちょっと待て。兵庫開港は孝明天皇死去後に勅許が出たんじゃなかったのか?

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 00:40:10 ID:38HZ/tlz0
>>61

>優柔不断で無能な阿部正弘が元凶だね。

同意。
これも含めて、幕府が打つ手を間違えすぎたんだね。
たまに、近代化は幕府の中の優秀な役人が構想を持っていて幕府主導で近代化できたって人がいるけど、
政権維持もできなくなるような悪手を打ち続ける政権に、近代化もくそもあるかと言いたい。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 00:43:34 ID:K68nlYKN0
幕府でも近代化できたろ
ただ、弊害が多すぎて薩長のような急速な近代化は絶対に無理だけど

幕府が近代化したら市民革命にて打倒されるってことも後々はあるかもな

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 00:49:26 ID:38HZ/tlz0
近代化するまえにつぶれるだろって事だよ。
そして実際そうなったとしか言いようがない。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 00:50:56 ID:9w0mQ/Aw0
>>65
ヒント:明治政府の官僚には旧幕臣が大量出仕。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 01:09:36 ID:K68nlYKN0
>>66
どこぞの藩が攘夷攘夷と叫んで寄り道さえさせさせなければ普通にできるだろw

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 01:16:12 ID:38HZ/tlz0
>>68

そのためには、幕府が毅然とした態度で諸外国と対等あるいは日本に有利な条約を締結せねばならん。
攘夷を唱えた連中(徳川斉昭など)の攻撃対象の一つは、弱腰の幕府。
結局、それも幕府の悪手の結果だ。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 01:22:45 ID:K68nlYKN0
>>69
当時、徳川でなく薩長のいずれかが政権を持ってたとしても
有利な条約など結べるわけがない
絵空事すぎ

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 01:34:13 ID:38HZ/tlz0
>>70
ありえない仮定は好きではないので徳川以外云々はわからないと答えておこう。
諸外国との条約締結で良い手を打てないのであれば、幕府の大政奉還あるいは滅亡は歴史の必然としか言いようがない。

後世の人物だからいえることかも知れないが、アメリカはあの後南北戦争に突入するので、
ペリーの要求を突っぱねてもしばらく何もしてこなかっただろうと言える。
アメリカの後に続いた諸外国がその後なにをしてくるかは、想像するしかない。
だから、ペリーの2回目の来航の際に要求を突っぱねるか回答を延期すれば、開国がもっと伸びた可能性はある。
そんなに長くは無理だろうが。
もちろん南北戦争の開始時期など知りようもないので、これをもって幕府の無能を糾弾する材料にはならない。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 01:59:01 ID:s2mvgnO80
>>69
攘夷派は夷荻を打ち払うべきだとして、日米修好通商条約の締結に反対してた。
条約の内容が不平等かどうかといったことは問題にすらなってない。

>>70
幕府は、中国で凶暴な侵略をおこなってたイギリスへの警戒から、
領土的野心の少ないアメリカとの関係を先行させた。
幕府が結んだ条約は中国の天津条約などと比べるとはるかに日本にとって有利な内容だった。
また、近代国家としての基盤ができていない日本が、完全に平等な条約を結ぶことは無理。
明治政府は、列強との間で幕府以上に弱腰な不平等条約を結ばされてる。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 02:12:51 ID:al//bW+X0
幕末には幕府は政権の正当性を疑われるほど、国民の信頼を無くしていたってことなのだよ。
だから徳川御三家である水戸藩が水戸学を背景に、幕府の統治権は朝廷から委任されたものであるという理論を打ち立てて、
幕府の統治権の正当性を理論的に裏打ちしたわけだ。大雑把にいえば王権神授説みたいなものだ。
公家諸法度なんて関係ない。落ちぶれた幕府は朝廷の権威に頼るしか身が立たなかったということだ。
それでなんとか身が立ったものの、それなら条約は天皇の勅許が要るよねと諸侯がいいだした。
幕閣は初めから閣内不一致で開国だ攘夷だで皆いうことが違うから全く意思決定もできなかった。
だもんだから天皇にどっちか決めてもらおうと。天皇が決めたことは皆従うだろうと。
それで攘夷ってことに一旦は決まったのがだが、諸外国に脅かされてみると、やっぱり無理っぽいと。
内と外の板ばさみになった幕府はあっちにうろうろ、こっちにうろうろ、諸外国には開国と、朝廷には攘夷と矛盾した約束を
するところまで追い込まれてしまった。なんとかかんとか口実作ってひたすら時間稼ぎしたもののにっちもさっちもいかなくなった。
それ条約勅許問題というわけさ。詐欺師の哀れな末路という他無い。身から出た錆とはいえ、惨めなもんだ。


74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 03:22:20 ID:K68nlYKN0
そうか
そういう見方もできるな
開国が攘夷か割れたところ朝廷にその方針を委ねたところ攘夷となったにもかかわらず
蓋を開ければ攘夷がどれほどお伽話であるのかがわかり
幕府の矛盾方針がはじまる・・・か

長州などがやみくもに攘夷を唱えて政局を混乱させただけかとおもっていたが
そう考えると長州のなどの攘夷主張には筋があるな
ただ、それと徳川が近代化できたか否かは別の話
幕藩体制は近代化への最大の要害になるだろうが近代化そのものはできるだろ



75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 03:31:47 ID:kY+VGhti0
結果で言うと幕府の対応はダメダメだったが、
>>61
>優柔不断で無能な阿部正弘が元凶だ

とは思わない。島津、鍋島などの実力のある外様に発言権を持たせ、品川を始めとした
台場作り、江川太郎左衛門や中島三郎助、川路など積極的な人事をしようとした事は
評価出来ると思っている。
平衡感覚があったため、保守派の空気を読んでしまい、断行出来ず優柔不断に見えるんだと。
そう思うわけですが、どうよ?


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 04:34:27 ID:27vwz/HW0
幕府でも近代化できた、という主張だが西洋の武器や道具を
日本に持ち入れただけでは近代化とは言わない。
それは中国が失敗した近代化と同じもの。
一番大切なのは市民兵の導入である。「自分の国」という意識を
国民全体が共有できてこその近代化なのである。
つまり武士をなくすことが最大の近代化であった。
徳川幕府にそれができただろうか?明治政府にはそれができた。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 05:05:20 ID:kY+VGhti0
>>76
つまり武士をなくすことが最大の近代化であった。
徳川幕府にそれができただろうか?

ここ、結構ポイントですね。幕藩体制ではかなり難しいかもとは思います。

各藩に大幅な人事権を与えて、中央では各藩の官僚を中央に置き政治を実施。
中央政府からの命令で廃刀例を断行し、各藩主導のもと徴兵制を導入。
及び、年貢制度の改め。(市民兵の獲得)
及び、新政府直属の国軍の編成。

在野の志士より外交能力が戦った幕府役人の方が明治以降はうまくいったのでは?
幕府自体はなくなっても徳川主体の近代化は出来たのではないかと思うが、
どうか?

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 05:23:50 ID:K68nlYKN0
幕府は外交も実践してるし開明的な幕臣も多々いる
とくらオランダ留学にいった幕臣たちは次代の日本の近代化の中心を担う人材になったであろう者達
近代化の弊害としてその者達は幕藩体制や今の社会秩序が適してないこともわかってる
いずれにしろ近代化の主導権を徳川が握っていたらいずれにしろ幕藩体制を改めることをしただろ
とくに慶喜の世であったら余計に
開明君主であるうえに大政をあれだけ簡単に返すだけのことができる慶喜なら幕藩体制など最終的にはポイっと捨てることすらできるだろ
ただ確実に薩長主体の近代化よりは時間がかかるはず

そこから後が見えないがな
民衆をうまく近代化の並に乗せることができたら今現在は面白い政体になってたかもしれないな
が、うまく乗せることができなければ市民革命が起きただろう
世界の発展は止まってはくれないが日本のよき発展を考えたらこのような形で市民革命が起きて徳川を打倒するというのがベストだったかもな


79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 08:12:20 ID:27vwz/HW0
幕府には優秀な人間も多かったがそれ以上に無能も多かったのである。
さらに身分制の弊害により無能ものの方が力を持っていた。
いくら有能の士がいても無能が害をもたらし、追い出されるのがおち。
つまり幕府には優秀な人間がいたが、それ以上に無能による弊害が大きかったのである。
もし幕府が有能の士だけを用いたならば、新政府に負けることはなかっただろう。
それができなかったから負けたのであり、故に幕府に改革は難しかったと思わざるをえない。
いつの時代も無能集団の抵抗勢力こそが改革の最大の壁だと思う。
無能はえてして保身の才には優れるから。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 08:39:20 ID:27vwz/HW0
補足だが
有能な幕臣自身が幕府を否定した結果が明治維新であったなら
やはり幕臣は有能であったと言わざるを得ない。
いずれにしても幕府では駄目なんだという先見の明があった。
つまり、幕臣自身が幕府の存続こそがためにならないと考えていたならば。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 13:54:35 ID:OKi5oXAr0
>>77
議論がひっくり返ってる。
幕府は外交や内政において中央政府としての役目を果たした結果、
巨額の出費を強いられ、幕藩体制ではやっていけなくなった。
これが問題の出発点。

「政治武備商業製造等に於ては、外国を模範として我国の改善を謀らざる可からず」
この小栗の論が示すように、日本が西欧列強と伍して国として生き延びるには、
中央集権的な近代国家に再編成し、富国強兵を進めなければならない。
これが当時の進歩派の幕臣の共通認識だった。

武士というものは封建的な政治体制を前提とした存在だから、
日本が近代的な政治経済制度に移行した場合、その特権は吹き飛んでしまう。
それゆえ改革派の意見は幕府内外から強い反対を受ける。
なかでも最も激しく幕府の改革に抵抗したのが薩長を中心とする討幕派だった。

それゆえ抵抗勢力である討幕派は、権力を握った後は、華士族を特権階級とし、
従来の封建的既得権を丸ごと温存しようと模索してる。
しかし、根底から幕藩体制の制崩が進んでる段階で、これは無駄なあがきにすぎず、
結局、財政上の都合で、士族は泣く泣く切り捨てられる。
このことは、仮に幕権をもって近代化を進めた場合でも、
同様の展開をたどらざるを得ないことを意味してる。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 16:08:53 ID:kY+VGhti0
>>81
いや、だからさ。幕藩体制そのものが「巨額の出資を強いられた」原因ではないでしょ?
度重なる飢饉、震災が引き金で、外圧による物価の高騰(インフレ)、防衛費の増強など
色んな原因があると思うのですよ。
そもそも幕末に至るまで、例えば直前の水野忠邦時代ですら、お金はなかったわけです。
決してお金がなくなったから幕藩体制が維持出来なくなったわけではないでしょう。

だから幕藩体制のままでも、交易や製造を盛んにし、徴兵制を取り入れ富国強兵を進めれば近代化出来たのではないか?
と思うのですが。。。
どうか?

あと、
>日本が近代的な政治経済制度に移行した場合、その特権は吹き飛んでしまう。
⇒武士の特権って何だろう?そんなに良い特権ってありますか?

>なかでも最も激しく幕府の改革に抵抗したのが薩長を中心とする討幕派だった。
⇒特権を目当てに討幕しようとしてるとは、私には思えません。
もっとイデオロギーというか、観念的な思想が第一だったんじゃないかなー。(公家はともかく)

※この議題は「幕府のままで近代化出来たか?」という事でOK?ズレてます?


83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 17:31:00 ID:1fxLlfWA0
>>82
高校の頃、日本史をとっていなかったようだから、手近の教科書を
まとめると、天保期(1830〜44)頃になると、日本社会全体が経済面でも
政治面でもやっていけない時代がきた。幕府・諸藩双方とも、深刻な財政危機に
直面し、それを打開するために年貢の増徴を図ったが農民の抵抗にあって、
それが不可能になる。そこで幕府は老中水野忠邦の指導の下天保の改革を
行うが失敗して状況は倒壊へ向かうことになる。
その時、西南雄藩は天保期の改革に成功する(財政再建と、軍制改革に
成功した)。そして、そのことが幕府から自立していくきっかけになった。
この内容についての史料をあげれば「維新史」全五巻・付録一巻 明治書院 1943-41。

幕藩体制で、天保以降の開国、条約締結と進む中そのままの政治体制では
さらに維持できなくなったのはご承知の通り。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 18:33:53 ID:Al8i6F+IO
>>83
なんで維新史なんて史料としてあげてるんだよ。
あれは王政復古史観だろ。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 18:40:28 ID:AdvHeMNl0
>>82
幕藩体制で徴兵制は厳しいだろ

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 18:53:40 ID:+rkx+9ZZ0
>>82
>度重なる飢饉、震災が引き金で、外圧による物価の高騰(インフレ)、防衛費の増強など
>色んな原因があると思うのですよ。

度重なる飢饉は、幕藩体制と鎖国の弊害によるところが大きい。
○○藩が凶作に喘いでいても隣の□□藩は助けることができない。幕府も知らん顔なのだ。そりゃお前の藩の問題だろがってね。
鎖国をしているから外国から食料を輸入することもできない。鎖国しているから新種の農作物も伝わってこない。
薩摩藩が琉球からサツマイモを伝えられたが、それは薩摩藩だけ。いつまでたっても全国に普及しない。
どれもこれも幕藩体制と鎖国の弊害だ。
外圧による物価の高騰は、経済オンチな幕府が内容をよく理解できないで馬鹿みたいな条約を諸外国と結んだから。
防衛費の増強といっても、鎖国体制で防衛も必要なかったからな。それが幕末には、そうはいかなくなっただけだし。
一番の問題は税制だ。農民から年貢を取り立てるだけ。年貢偏重で税金を取りはぐれている社会階層が増えてきたってこと。
しかし経済オンチな幕府はそれに気付かない。

>だから幕藩体制のままでも、交易や製造を盛んにし、徴兵制を取り入れ富国強兵を進めれば近代化出来たのではないか?
>と思うのですが。。。

できません。近代化には資本が必要。近代的徴税制度、資本家、金融システムが必要。
欧米のように植民地から搾取したり、産業革命で生産性をあげ、競争力のある商品をつくる。
あるいは外国に利権を売り渡して外国資本を導入するかしかありません。
富国強兵は固定した身分制度を廃止し、藩人でなく日本人という意識を国民に持たせなければならない。
幕藩体制ではどうにもならない。それは江戸時代の学者に論破された話です。
だから幕府はそうした学者にあらぬ疑いをかけて弾圧していました。
そんな幕府に近代化など、できるわけがない。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 19:19:49 ID:q1BgH1jE0
>>84
>なんで維新史なんて史料としてあげてるんだよ

あのさ、書いたことの根拠としての史料をあげているだけです。
史料批判をこのスレでやる必要があるのですか?
それに「維新史」を一ページでも読んでの書き込みですか?
どうせ知ったか書いてるだけでしょう…。
それに教科書に書かれていることよりもあなたはどのくらい
幕末・維新史に詳しいんですか?

>>85
さて、そのような近代化論で倒幕が行われたのでしょうか?
私には、後付の話のように思います。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 19:22:09 ID:q1BgH1jE0
失礼アンカー間違えました。
<誤>>>85
<正>>>86
さて、そのような近代化論で(以下略)

89 :82:2008/04/20(日) 19:43:26 ID:kY+VGhti0
あー、なるほど。よく考えたら確かにそうですね。やっぱり幕藩体制のままじゃ無理かぁ。
>>86さんの説明、非常に分かりやすい。ありがとう。


なんとなくだけど、小栗や川路、岩瀬忠震や永井尚志などのような優秀に思える人材が
新政府にいたならば、薩長じゃなくてもなんとかなったんんじゃないかなーと思っただけでした。


>>82 日本史はとってないです。別にえぇやんけ。おっさんになってから好きになってもw


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 20:05:20 ID:qCkqV0sG0
>>88
>私には、後付の話のように思います。
何の論拠も示さずに、たあだ「思います」っていわれてもな。なんのこっちゃ。

横井小楠が幕府にかわる新しい国家像を示したのだ。
横井小楠が、武士とか農民とかそんな旧弊にとらわれては、新しい国家はできないと主張したのだ。
幕府でも藩でもない新しい国家でなければ富国強兵は叶わないと説いたのだ。
横井がそうして理論的に倒幕を裏打ちしたわけだ。

そうした理論がなければ人の心は一つにはならない。そうした理論で自分の行動の正しさを確信しないと
人は命など賭けられるものではない。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 20:07:15 ID:iq5b7pHa0
>>89
>小栗や川路、岩瀬忠震や永井尚志などのような優秀に思える人材が
新政府にいたならば、薩長じゃなくてもなんとかなったんんじゃないかなーと思っただけでした

おっさんなら分かると思うが、国家の運営レベルでは戦略(組織)が先か人が先かといえば、
戦略(組織)あっての人材。人材がいくらいようと、そしてその人材を活かせる組織・戦略がなければ
どうにもならないのですよ。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 20:35:10 ID:+hEfNpOg0
>>86
>近代化には資本が必要。近代的徴税制度、資本家、金融システムが必要。
欧米のように植民地から搾取したり、産業革命で生産性をあげ、競争力のある商品をつくる。
あるいは外国に利権を売り渡して外国資本を導入するかしかありません。
富国強兵は固定した身分制度を廃止し、藩人でなく日本人という意識を国民に持たせなければならない。

ではお尋ねするが、王政復古のクーデーター、小御所会議の討幕派の一連の
行動の中、上記に書かれていることをその行動後の国家運営の方針として
考えていることを残している史料はあるのですか?内乱としての戊辰戦争が
終わり、この戦争で取りつぶされた藩は、わずかの例外を除いて事実上、
存在しない。処刑された大名もいない。この事実は、新明治政府が諸藩「衆議」を
基盤とする連合政権だった。その意味から、明治元年の3月に発布された五箇条の
誓文で、第一条に「一、広く会議を興し、万機、公論に決すべし」ということが
繋がる。何を言いたいのか、それはあなたが書いたようにはショートカットで
進んでいったのではないことが史実だということです。だから、後付と書いたのです。
御納得いただけませんか?

93 :92:2008/04/20(日) 20:37:03 ID:+hEfNpOg0
アンカーを加える
>>90

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:19:23 ID:Al8i6F+IO
>>87
読んだことはあるよ。知ったかぶりだろがなんでもいいよ。史料批判したのは維新史は勝者側から書かれた歴史だから批判したんだよ。
勝者側からだったら明らかに偏りが出て来るだろ。維新史を完全に信じるわけにはいかなくなる。それと、お前が言ってる教科書ってなんだ?どこの大学の教授が書いた本なんだ?


95 :尽忠報國:2008/04/20(日) 21:20:46 ID:2Hb0MZ56O
>>91
それは違う。人物あっての組織、制度だ。

維新回天の偉業はひとえに
幕末の群像達の人物がなしたもの。

民主主義という制度を過信し、
人物、人材の育成を疎かにしてきた
戦後日本の現状を見よ。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:26:16 ID:h/Qmdn2d0
>>94
高校の日本史の教科書とかいてあるでしょう?

>維新史は勝者側から書かれた歴史だから批判したんだよ。
勝者側からだったら明らかに偏りが出て来るだろ。維新史を完全に信じるわけにはいかなくなる。

なら、アンタが敗者の側から書かれた史料に準拠した高校の教科書を
書けばいいじゃない。今出ている高校の教科書でそのようなものはないから
需要があるかもよ。しかし、アンタが何言いたいのかよく分からない。
ナショナルヒストリーについてその是非を問うならスレ違いだと思う。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:27:43 ID:StlpAw1LO
威信

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:29:23 ID:h/Qmdn2d0
>>95
>それは違う。人物あっての組織、制度だ。
維新回天の偉業はひとえに
幕末の群像達の人物がなしたもの。

そういうのを、人物史観という。それは小説の世界だけで成立する話。
そんな人物だけで国家運営が出来るなら、あなたのいうようにこんな
日本になっていないでしょう?

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:35:42 ID:sQyHDp1D0
>>82
>幕藩体制のままでも、交易や製造を盛んにし、徴兵制を取り入れ富国強兵を進めれば近代化出来たのではないか?
これは薩摩や長州が主張した割拠論に近い考えだけど、この路線で行けば、各藩がそれぞれ違った国と組み、
小国として独立することとなり、日本はバラバラに分解され、列強の食い物にされる。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:38:04 ID:sQyHDp1D0
>>86
天保期の幕府の財政危機でも、以前言われてたほど深刻ではなかったことが判明してる。
貨幣改鋳益などを財源に収支はほぼ均衡してた。
幕藩体制は鎖国下の自給自足に終始してればとても安定した制度だった。

幕府財政が悪化するのはペリー来航移行。
外交、海防、船舶武器調達、開港場整備、朝廷対策、治安対策、将軍入洛、長州征伐、
横須賀造船所建設等々で支出が激増した。
こうした費用を直轄地にしか財政基盤をもたない幕府が担わなければならなかった。
当然、幕府直轄地からの地租だけでまかないきれず、通貨の増発が行われ、
激しいインフレを引き起こすこととなる。

この過渡的で不安定な状態が早晩破綻することは、幕府の中の人、
特に小栗のような財政を預かる幕臣にとっては自明のことだった。
行き詰まりを打開するには、全国的な財政基盤に依拠する中央集権国家に移行するしかない。
それゆえ幕府の権力をもって一気に近代国家を創ってしまおうという考えが生まれる。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:47:39 ID:kY+VGhti0
>>95
しかし、有為な人材が無知な幕閣によって阻害、迫害、邪魔されてきたシステムだった事も
事実だね。

>>94
史料批判するなら逆に「この部分が勝者側の歴史で捏造されていると思われ、史実と異なる」といった
具体例があればありがたい。
意見を言う場合、その根拠となる引用書を記すのは良い事じゃないだろうか。

>>96
維新史の内容についての議論ならスレ違いじゃないだろう?


102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:48:36 ID:3FmTK+Pw0
>>100
>天保期の幕府の財政危機でも、以前言われてたほど深刻ではなかったことが判明してる。
貨幣改鋳益などを財源に収支はほぼ均衡してた。

>小栗のような財政を預かる幕臣にとっては自明のことだった。
行き詰まりを打開するには、全国的な財政基盤に依拠する中央集権国家に移行するしかない。
それゆえ幕府の権力をもって一気に近代国家を創ってしまおうという考えが生まれる。

どの文献にあるかお知らせ下さい。小栗がそのようなことをどのような史料で残してますか?
小説家の書いたことでありませんか?



103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:02:32 ID:wIjtWybn0
>>101
>維新史の内容についての議論ならスレ違いじゃないだろう?

維新史については、>>84-94の書いてることは、幕末史を学んだものなら常識です。
しかし、現在日本史の高校教科書はその記述内容は間違いなく維新史によって書かれた
ものです。だから、その内容については議論も何もないのです。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:14:30 ID:kY+VGhti0
>>103
うーん。ごめん、結論がわかんない。
高校教科書に記述されている=維新史は議論の余地がない程、正しい内容
って言いたいの?
教科書に載ってるんだから間違いないよーって事?


105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:29:42 ID:kY+VGhti0
>>99
そうですね。現実は割拠論にならなくて良かった。今頃、英・露・仏あたりの植民地になってた
かもしれないって事ですよね。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:31:00 ID:2grvTdO90
>>104
単純に、王政復古史観で書かれているので、偏りがあるということです。
維新を行った西南雄藩ー主に長州・薩摩ー寄りの歴史で著述されている
ということです。歴史は、たった1つの事実で全てを説明できるような
ものではないことはご承知だと思いますがー例えば、アメリカは日米戦争を
終結させるため原爆を投下したといい、日本側は人類最初の核爆弾の被害者である
というーそれぞれの文脈で語れるわけです。そしてどちらかの視点から話の整合性を
もって書かれているということです。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:36:19 ID:sQyHDp1D0
>>102
天保期の財政についてはとりあえず大口勇次郎氏の一連の著作を嫁。

小栗の「天下を郡県となし大樹をもって大統領となさん」との構想は、渋沢栄一が記してる。
近代国家樹立の具体的なプロセスに関しての小栗の意見については明確な史料はないけど、
福沢諭吉が、長州再征に関する建白書で「一挙にて全日本国封建の御制度を御一変」する方途を論じてる。
小栗も征長強硬派であり福沢と考えが極めて近いことから、この建白書から類推できる。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:38:31 ID:kY+VGhti0
>>106
あ、そういう事ですよね。であれば納得です。
つまり「維新史」ひとつを取っても内容が「新政府史観」でしか書かれていないため
判断基準にならず、内容を議論しても意味がない。
って事ですよね。
で、あれば、「維新史」の内容について、別の史料を根拠に内容を議論する事は可能じゃない?
そういう意味で
>>96
維新史の内容についての議論ならスレ違いじゃないだろう?」
と書き込んだのだが。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:43:16 ID:27vwz/HW0
組織か人かと言うと答えは「そのどちらも」となる。
有能な者を活用できない組織は多々あるし、当初は優れたシステムであっても
時代の変化とともに機能しなくなることは多い。
あえて言うならば時代とともに変化できる組織がよく、
それを継続的に行うには優れた人材が必要である。
つまり最初どれほどすぐれたものであっても、その後のメンテナンスが大切ということ。
できる限り継続的にメンテナンスができる可能性を残したシステムとして
現在の民主主義がある。
おそらく優れた独裁者による政権よりも民主主義は遼に弱いだろう。
しかし凡庸な独裁者による悪政による害よりは百倍ましとの結論と思われる。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:50:06 ID:0naasy2g0
>>107
>天保期の財政についてはとりあえず大口勇次郎氏の一連の著作

また古い文献を出してきたものだ。読んでるよ、オレ日本経済史も
やってるから。

>小栗も征長強硬派であり福沢と考えが極めて近いことから、この建白書から類推できる。

それは違うと思う。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:53:01 ID:27vwz/HW0
歴史上の優れた人物たちの多くは凡庸なる者達によって
殺されてしまっている。つまり非凡なるものは凡人には理解しがたいものなのである。
ねたみにより抹殺された改革者のなんと多いことか。
優れた資質をもったものが活躍できる可能性は低く、かりに活躍しても
凡人たちに足を引っ張られて最後は不幸な終わり方となる。

一例として窮地に追い込まれた組織はこれまでの常識を超えることが
できるため非常に強い。
長州は窮地に追いやられて、身分の壁を超えた組織を得た。
また藩主が聡明で賢者を登用し、時代の変化になんとか追従できた。
もし愚者が藩主であったなら長州の活躍は無く、そこに時代の妙がある。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:57:45 ID:ZlFkCu0f0
>>108
>「維新史」ひとつを取っても内容が「新政府史観」でしか書かれていないため
判断基準にならず、内容を議論しても意味がない。って事ですよね。

違います。判断基準にならないのではなく、史料の1つとして偏りがあるという
ことです。「維新史」は王政復古史観で書かれているということが常識であり、
その前提で内容を読めば史料として十分意味はあります。だから研究者は、山のような
史料を突き合わせ自らの仮説を検証していくのです。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 23:05:09 ID:kY+VGhti0
>>112
偏りのない史料ってあるの?

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 23:10:47 ID:MfWz8dYz0
>>113
それが人間の歴史そのものでしょう?
矛盾がない判断をし行動した人がいるのでしょうか?
だから歴史について書かれたものは、偏りはある。
神ならぬ人が作った歴史なのだから…

115 :86:2008/04/21(月) 00:01:53 ID:fJfNnzCB0
>>92
>残している史料はあるのですか?
はあ?じゃあ聞くが幕府が何時、国家運営の方針を発表した?
そんな史料がありますか?
幕府に問わないものをなぜ討幕派に求めるんだ?
そして、その答えは既に>>90 に書いた筈だ。
横井小楠の説いた国家論に共鳴した志士が討幕派だ。
それに対して幕府には何もない。
俺はどこにもショートカットで進んだなどと書いたつもりも無いが、
お前さん何がいいたいかさっぱり分からんわ。


116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 00:07:41 ID:rDHcG7lm0
>>100
>それゆえ幕府の権力をもって一気に近代国家を創ってしまおうという考えが生まれる。
はあ?何時何処で誰に生まれたって?

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 18:59:32 ID:KM5z88Mk0
>>115
>横井小楠の説いた国家論に共鳴した志士が討幕派だ。
それに対して幕府には何もない。

そこまでいうなら、「幕末政治論集」日本思想大系56 岩波書店1976を
まず何はともあれ読んでから、自分がの書いたことを検証してくれ。
先に書いておくが、読んでいれば上記のことを書くことはないと思う。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 20:56:48 ID:g0nj6bh70
>>81
>巨額の出費を強いられ、幕藩体制ではやっていけなくなった。

幕府が中央政府としてなにかをしたことないだろう。
国際収支が悪化したのは、為替について武士層が鞭だったから漬け込まれただけ。
あれを東西の金銀を扱っていた為替商に任せておけば、即座に気付いたはずだ。
つまり人材の適材適所が出来なかったということ。
諸藩のなかには、財政改革を御用商人に任せてなし遂げた藩もある。
日本の当時の貿易にしても、生糸が外国に安く買い叩かれるから、
江戸では品薄となり、物価が高騰し大変なことになっていたが、
幕府がしたのは、フランスにさらに優先的、独占的に輸出することで、
借金を申し込むということだ。結果さらに悪化した。
その借金にしても、有効に使われればいいのだが、
諸藩討伐の軍事強化、さらに酷いことに組織が旧態依然としていたので、
実質強化されておらず、西南雄藩にぼろ負け。つまり無駄使い。
北洋軍閥が莫大な借款を、全て軍事力につぎ込み、国民党などを弾圧していたのに似ている。

>これが当時の進歩派の幕臣の共通認識だった。

そんなのは攘夷志士ですら同じです。
かなり過激な志士を除けば、欧米の技術、軍事、政治体制などは評価しています。
ただそれを自国の力でなり遂げるか、欧米の資本で、欧米人が成し遂げるか、
ここで、幕府と志士とで、大きな違いがあった。

>なかでも最も激しく幕府の改革に抵抗したのが薩長を中心とする討幕派だった。

それは間違いです、薩長を中心とする倒幕派にとって、
政治体制の移行が目的であって、幕府のように固守したかったわけじゃない。

>それゆえ抵抗勢力である討幕派は、権力を握った後は、華士族を特権階級とし、

実際の政策や、それ以前の建白書をみれば、
名前だけ与えて、特権を排除していったのがわかると思いますが。

そもそも幕府は、武士層の解体も藩主の解体も目指してません。
藩主を議員にして、議会制度にしても、藩主には変わりありませんし、
武士にしても、幕府はいらない武士を切りましたか?
明治政府は、数年ですさまじいリストラを慣行しましたが、
幕府はやってません。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 22:03:35 ID:RC/ngRuE0
>>117
>まず何はともあれ読んでから、自分がの書いたことを検証してくれ。
断る!
>>118
>幕府が中央政府としてなにかをしたことないだろう。
犬小屋を作った。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 22:43:05 ID:D2oqxVgR0
>>119
なら、好きにしろ。ただし無学であることは自覚してくれ。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 23:10:36 ID:k6md7UkV0
>>120
断る!

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 23:23:28 ID:HtlcY3780
>そんなのは攘夷志士ですら同じです。
>かなり過激な志士を除けば、欧米の技術、軍事、政治体制などは評価しています。
なにが「志士」だアホ。
攘夷に狂って殺人や放火を繰り返してた基地害だらけだ。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 01:03:09 ID:1HQWL4Vi0
>>122
>攘夷に狂って殺人や放火を繰り返してた基地害だらけだ。
方法論が納得出来ないのは同意する。彼らに知識がないというか観念論が高すぎたというか。
だが、そいつらのパワーは必要だったと思う。起爆剤みたいなもんで。
志があった以上、志士と呼んでよいんじゃね?
志士の名をかたって商人から金を巻き上げるような脱藩浪人は話にならんが。


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 05:08:53 ID:XDZviRBU0
>>122
>攘夷に狂って殺人や放火を繰り返してた基地害だらけだ。

その基地害を幕府は取り締まることができなかった。
どれだけ人材が無く人心を失っていたのか。
かような幕府に政権を担う資格など無かった。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 06:18:23 ID:LTgymAZX0
俺は殺人や放火も立派な政治手段だと思うが。
もっとも幕府が行った安政の大獄なども立派な殺人だ。
弾圧による恐怖政治という点で。
歴史上恐怖を頼りとした弾圧などいくらでもある。
人を従わすには恐怖も有効であると君主論に紹介されている。
混乱や自らに利をもたらすための放火は珍しい行為ではない。
政治というのはそれだけ恐ろしいものなのである。
綺麗ごとしか語れない凡庸な人にとってはなおさら。
志があればこそ時として凶器とも言える選択をせざるを得ないのである。
志がないものだけが綺麗ごとに終始する。
正当な手段だけで改革ができるはずがない。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 06:33:54 ID:OO/kzukaO
明治維新はクーデターで成り立った。

明治天皇を利用してこき使った薩摩長州。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 11:15:28 ID:YFlkwai10
>>123
そのおかげで近代化や改革が大いに遅れたけどな

>>124
それを操る基地外の親玉が代わりに担う基地外政権のほうが資格ないだろ

>>125
そんな一方的な見地での大義や改革など反抗勢力を形成させるだけ
安政の大獄にしろ尊攘派のテロにしろ
支持を恐怖や力でもって取り付けたものは少しの綻びで瓦解する
全ては合理的判断



128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 13:56:54 ID:PVkmp/+J0
>>125
もともとのテロの原義はジャコバン独裁の恐怖政治で為政者側に
依るもの。今では、少数派による国際法や国内法に反した暴力に
対して用いるが。
>>127
 結局は、その暴力を敢行した勢力の勝ち負けで歴史的評価が
定まるのだろうな。喩えその当事者が斃れても、その理念を
次ぐ施政が採られ続けるかどうかかと

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 16:28:12 ID:3jutNh7P0
初めてきたが、かっての明治維新スレと比べひどいレベルに落ちたものだと思った。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 18:49:21 ID:sowm9ZrM0
会津の馬鹿が、全ての意見に一次ソースを求めるから。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 18:58:57 ID:cO2zLYKj0
しかし会津厨の一次ソースは小説しかないのだ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 19:37:40 ID:opXY1VZ80
でも、妄想でなければソースは出せばいいことだろう?
しかし、一次ソースの本文まで出せといわれたら、普通の人は読めないだろから
面倒だなwww



133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 19:58:06 ID:juGzZQjNO
ちなみにみんな史料って読んだことあるのか?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 20:19:06 ID:nqVdgcwj0
>>122
幕府だって似たようなもんだろう、
幕藩体制の維持の為に、幕府はどれだけの人間を殺したのかね?
京都では新撰組などという、憲兵組織を使って、
京都の人間を迫害していたくせに。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 21:49:18 ID:EUAyQ61o0
>>133
オレは、日本経済史の授業とゼミで漢文の読み方の手ほどきを教わった。
白文の読み下すのはえらく骨が折れたが、国史をやってた友人が
幕末の志士の書簡を見せてくれて、同じ幕末の商人のものしか読んだことが
なかったけど、それと比較して明らかに書かれている文章の教養の差は分かった。
オレが読んだのは、大久保とか西郷とのかのものに、木戸が坂本龍馬に送った
薩長盟約の裏書きをもとめるものだったけど、武士は四書五経を学び簡潔で
格調高い漢文を書くものだと思った。
textkritikは真面目にやってないので、歴史学で言う史料批判はよくわからない。
本籍経済学部だから

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 22:11:20 ID:1HQWL4Vi0
>>129
あなたがレベルを引き上げれば良い。「かって」のスレのように(笑)

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 22:31:02 ID:LTgymAZX0
>>127
そうかいな。
人間の結びつきなんて所詮は利権次第。大義名分なんかで従うものなどわずか。
暴力で威嚇されては容易に逆らえないのが人間の心理である。
誰もが命は大切であるから。
本質とはそういう考え方をいう。
身近なところでも強く発言しやすい人間とそうでない人間とがいる。
暴力的な人間に逆らえる人間など、例え筋が通っていてもいないのである。
故に志士は立派である。自らが殺される危険にさらされながら
懸命に生きたのだから。己の信じる志のために。
安全地帯で傍観していたもの達は日本が植民地と化しても
へこへこしながら生き続けたことだろう。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:05:57 ID:sKvNMONv0
>>134
幕府はほとんど殺していない。
安政の大獄だって刑死者はたったの8人。
国家転覆を謀った大陰謀にたいする処罰なのに、甘すぎくらいだ。
新撰組にしても恐れられてるほどには、不逞浪士を斬っていない。
池田屋ではテロリストを一挙に殲滅してるけど、
これによって京都を火の海にする陰謀が未然に防止され、
多くの人命と文化遺産が救われた。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:07:45 ID:H1Braduy0
>>137
屁タレとっさんの繰り言乙

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:20:21 ID:LTgymAZX0
>>134
>幕府はほとんど殺していない。
て何か妙に恥ずかしい…おれはガムしか万引きしてないみたいなw
せこいな。
ただ考え方としては正しい。
後世に不幸をもたらさないために多少の犠牲を強いることは仕方なきこと。
そもそも暗殺だ、なんだと言ったところ最後は戦争だろ。
犠牲者の桁が違う。人間結局最後の決め手は暴力なのだ。
命とられちゃその先も無い。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:21:29 ID:LTgymAZX0
失礼
>>139 やった。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:23:18 ID:LTgymAZX0
あっ >>138かw 屁たれが目先にあったわ。ゴメン。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:49:28 ID:hG7A5LYO0
幕府は天狗党に酷い事したよね

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 00:46:32 ID:W8oQ+fox0
蛮社の獄とかね。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 01:00:46 ID:onnMUAp+0
>>138
人数の問題ではない。
あらぬ罪を捏造して吉田松陰を虐殺したという事実だけでも幕府の後進性、野蛮さ、反近代主義は明らか。


146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 01:51:37 ID:CG5ZYy1z0
>>145
お前は会津厨かw
小説読みすぎw

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 01:54:03 ID:DGSuUsc50
>>145
あらぬ罪?
老中間詮暗殺計画を立てたと自白したじゃん

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 01:59:11 ID:W8oQ+fox0
新政府だって神戸事件で滝善三郎切腹させてんじゃん。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 02:00:49 ID:W8oQ+fox0
って言ってたらキリがないな。
当時の情勢として殺人は方法論のひとつとしてあった事を前提で話をすすめた方が
良いのではないのでしょうか?

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 02:24:54 ID:p4YyI+lW0
内務省と近衛文麿はクソ
こいつらさえいなければ・・・

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 02:54:29 ID:9LXPhxfb0
>>147
そんな計画などありません。幕府の捏造です。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 02:56:03 ID:CG5ZYy1z0
>>151
もういいから小説の世界にでもお戻りください

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 06:13:08 ID:bZ69z8aB0
いつの間にやら現在の価値観で過去の出来事を見てしまうからいかん。
現在の価値観なんて現在の政権にとって都合のいい価値観なのだ。
人間生まれ育つ間に大なり小なり洗脳されている。
やれテロだなんだと騒いだところで、結局はアメリカの方が残虐非道なのである。
一方的にテロは悪という見方がすでに小説的。
本質では力の大小の比較でしかない。
そして歴史の評価というのは現在の価値観に洗脳された脳を解放して
行う必要がある。やれ殺人だなんだと言ったところで何の意味も無い。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 06:30:26 ID:CG5ZYy1z0
>>153
攘夷という近代化の足を引っ張るようなことを主張して挙句の果てにテロを起こせば悪
政道は徳川が握ってる
これは普遍的な定理
政道、政権をもってるものに対する実力による反抗行為そのものは悪である

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 07:54:57 ID:bSkoc34e0
>>153
そりゃ負けたらテロで悪だよ
明治維新功労者も維新が失敗してたら単なる内乱を起こしたテロリストの国賊だし

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 08:28:39 ID:OQmFzvk90
>>153
歴史とは現在の価値観から過去を再構成することだよ。

>>154
開国・近代化を目指し日本全体の国益を代表してたのは幕府。
これはまぎれもない事実。
そして討幕派は近代化に背を向け内乱を起こし国を分裂させた。
政権に反抗したことではなく、社会全体の発展を阻害した点において、
討幕派は悪なんだと思う。

>>155
テロリストの国賊が国家を乗っ取る場合もある。
そして「明治維新功労者」がでちあげた国家は、1世紀ももたずに消滅してしまった。
「勝てば官軍」的な歴史観の胡散臭さには留意が必要。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 09:27:24 ID:tQ/GdPTP0
>>156
横レスだが。
>歴史とは現在の価値観から過去を再構成することだよ。
笑止千万。ナンセンスの極みだ。
>開国・近代化を目指し日本全体の国益を代表してたのは幕府。
笑止千万。幕府は反近代化の権化だし、幕府の開国は売国に過ぎない。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 13:05:35 ID:dsBkOWy9O
明治維新で誕生した軍隊は第二次大戦まで繋がりがある??

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 13:30:49 ID:fPkreLZA0
>>158
陸軍省と海軍省に分かれて設置されてからは、いろんなシステムとしては
繋がりがあるといえるでしょう。部分的にはいじっても大筋ではシステムが
換わらなかった。全くそのままってことはもちろんないが。


160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 23:08:48 ID:sgodwMyK0
>>154-156
本当に。笑止千万やね。
現在の価値観で再構築なんてされた日にゃ歴史の終わりよ。
そもそも再構築もくそも歴史とは過去の出来事なんだからそのまま受け止める意外にない。
真実の追究であり、物事の本質に迫ることでもある。
それを己の都合のいい様に歪曲して捕らえようとするところから歴史の崩壊が始まる。
悪だの正義だの政道?(正道の間違いか?)だの言ってる時点で恥ずかしい。
この世に絶対的な悪だの正義だのは無い。絶対にない。そもそもそんな見方をしない。
人間の生きてきた道を知るのだから、歴史上のあらゆる出来事は人間の本質なのである。
正義に装飾することも。悪道に身を落とすことさえも。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 01:07:00 ID:vg4jGfH40
>>138
>池田屋ではテロリストを一挙に殲滅してるけど、
>これによって京都を火の海にする陰謀が未然に防止され

結局、禁門の変の時、御所を守るという名目で公家邸に放火した会津。
大垣藩なども放火を行ったので、京都の町は「どんと焼け」という大火事に見舞われ焼け野原♪
会津を筆頭に京都を火の海にしてますがw
結局、天皇さえ守ればそれで良かっただけっしょw

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 01:35:57 ID:4B7WISDC0
そういえばさ。池田屋の件、京の町を放火うんぬんって、証拠は古高の自供のみ?
本当に宮部や吉田が計画していたのだろうか?と、ふと思った。
大火にまぎれて要人を暗殺し、孝明天皇を長州に連れて行くって、すごく稚拙な計画だよね?
現代の感覚だから自分がズレてるの?当時の感覚だと、そんなものなの?


163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 02:51:05 ID:WH9ca/J20
サリンを撒いて騒乱を起こし、その混乱に乗じて国家乗っ取りを図る
脳内に異常をきたした人間の発想というものはいつの世も同じなのだ、それでいいのだ

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 03:13:43 ID:3C3Xp3gb0
>>162
当時長州派完全に追い詰められてたため暴発した

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 05:18:33 ID:qcBatXXG0
>>162
幕府側の史料にしか存在しないんだよね。
で、自白したのは拷問の末。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 08:33:36 ID:E2TSCZR/0
>>165
全部、幕府の捏造・創作劇・でっち上げなのです。
吉田松陰も、当然そうなのです。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 08:52:57 ID:6Z+QEGqj0
明治維新は天皇制絶対主義の確立でした。終了。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 08:54:46 ID:XDjmvU7Q0
>>162
古高の倉庫から大筒、短筒、木砲、火薬、重藤弓、尖り矢、
槍、長刀、具足等々、大量の武器が押収されてる。
凶悪な陰謀があったことは事実でしょ。

また、桂小五郎はこう記している。
「古高の縛られて新撰組中にあるを急襲して奪還せんと欲するの議あり、
尹宮(中川宮)の賊を助くるを怨し、その根本を除かんとの論あり」

ちなみに長州人がやることで稚拙じゃない行為の方がめずらしい。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 12:36:02 ID:3xywO2jA0
>>168
それだけでは陰謀の証拠にはならない。
武器のコレクションが趣味なのだとか、商売道具だとか、大弁護団ならいくらでも説明がつく。
全部、幕府の捏造・創作劇・でっち上げなのです。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 13:01:58 ID:r3qdRGsb0
>>166>>169
どんだけオメデタイやつなんだお前はw

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:10:18 ID:qcBatXXG0
>>168
つまり襲う予定のところは、新撰組であり、
目的は彼らにとらわれ、拷問を受けている志士を助けるためということです。
それを新撰組は、京都を火の海にすると、捏造したわけです。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:24:19 ID:a2db2uSr0
>>171
そのとおりです。
それで、嘘から出た誠ということわざができました。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:33:15 ID:r3qdRGsb0
>>171>>172
どんだけオメデタイやつなんだお前はw

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:23:15 ID:h55ZzkAr0
>>165>166>>169
>>171>>172
あなた等以下の文献を読んでみて下さい。
別に幕府側の史料だけではありませんよ。
・桂小五郎「池田屋及び蛤御門の変に関する自叙」木戸孝允文書八所収 日本史籍叢書 東京大学出版会
・防長回天史 第四編上五 マツノ書店
・甲子雑録 四 日本史籍叢書 講談社
・維新土佐勤王史 瑞山会著 日本図書センター
焼討計画の史料は、
・改訂肥後藩国事史料 巻四 細川家編纂所編 鳳文書館

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:57:57 ID:pUlFcTfq0
六月六日浮浪の徒、洛内へ聚屯、容易ならざる企これあり候節、
新撰組の者共、早速まかり出で、悪党共討ち留め召し取り、
抜群相い働き、鎮静に及び候。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:11:56 ID:qcBatXXG0
>>174
だから天皇ではなくて、焼き討ちに関しての史料だよ。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:21:10 ID:qcBatXXG0
原口氏は陰謀ではないかとしているね。
幕府側の史料にしかなく、
木戸は否定している。
当時流れていた噂を信じて、
いやそれを利用して、弾圧に変えたのが新撰組。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:30:01 ID:3ney0o3L0
>>177
そのとおりです。
それで、嘘から出た誠ということわざができました。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:34:40 ID:UfeqLqRy0
>>176
池田屋事件に関することと焼き討ちに関することですよ。

>>177
ならどうしてそれが学説として通説に未だならないのでしょう?

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:43:35 ID:qcBatXXG0
>>179
だから京都に火をかけるってのはフィクションだろ。
だって証拠ないんだもん。
あるのは、拷問の結果の「自白」のみ、
ちなみに、この人その後処刑されてて、口封じされているんだよね。

池田屋にあつまり、武器を集めていたのは、彼の救出の為に、
新撰組の詰め所を襲うため。
これも木戸が語ってますね。

>ならどうしてそれが学説として通説に未だならないのでしょう?

小説の脚色が、なぜか後世で真実になっていることってよくあるんですよね。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:49:36 ID:1w79bAls0
京都焼討の有無はともかく、首領格も肥後の宮部と解っているにも関わらず、なにゆえ「長州人」になるのかがよくわからんw
長州に天皇を移すだって?
下関で外国軍と戦ってべっこべこに負け、長州に上陸されると戦々恐々していた長州人が、天皇を外国軍が攻めてくるであろう長州に天皇を移すの?
なぜ?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:04:12 ID:1w79bAls0
>>179
>ならどうしてそれが学説として通説に未だならないのでしょう?
まず、学会で「新選組専門の研究」などなされた事など無いでしょうにw
大河ドラマの影響で学者がようやく新選組の本を書くようになったばかりだよ。
そしてその本のなかで、新選組研究家が「妄想ばかり書いていた」ことが暴露され、裏付けをとるなどして信憑性を高めなさいと叱られているw。
新選組に関する「通説」は、この学者に馬鹿扱いされている新選組研究家が作ったものだからね。
当然アテにならないw。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 00:30:25 ID:isf7zDpMO
てかさ明治維新について語るはずなのに、いつのまにか新撰組の捏造の話しになってるしw

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 02:27:08 ID:kiCm8L3K0
橋下知事のもと
大阪維新が進行中

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 05:23:17 ID:GjDDL9KD0
>>182
具体的なソースを

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 05:55:25 ID:dD3URoMH0
大阪も幕末幕府と同じで屋台骨腐りきってるカンジ
ガンバレとは思うが個人じゃどうしょうもないのは歴史の証明するところだし

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 11:46:04 ID:7P4ZqzRG0
>>185
>>182は知ったか厨だから、具体的な書名などは出せません。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 19:01:34 ID:OTLAbeM50
>>187
具体的なソースを

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 19:35:27 ID:GjDDL9KD0
結局>>182はソースを出せないのか

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 21:52:34 ID:vNIEGDL90
>>185-189
ええ!?マジ知らないのか?
新鮮ヲタなら読んでいて当然の本だぞ!?
俺はものすごい衝撃を受けると同時にお前等の知識レベルの低さに失望した・・・
『新選組』松浦令著・岩波新書
『歴史のなかの新選組』宮地正人著・岩波書店
これぐらい読んでおけよ。
新選組研究家が作り出した通説を批判している本だから。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 22:35:34 ID:N3J/MYHyO
再度クーデターで天皇を京都にお返しすべし!

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 23:14:00 ID:a9vGuO9i0
>>190
松浦令(笑)
この人、とりあえず通説批判するの好きだよな

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 03:51:07 ID:C+1u0FXY0
ID:a9vGuO9i0(笑)
この人、とりあえず通説盲従するの好きだよな

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 06:06:21 ID:RJg7ndbT0
つか通説か?
会津での死者埋葬禁止と同じで、一人歩きしたっぽいが。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 07:56:46 ID:PEz7W4Gs0
厳密に言えば、通説じゃない。
通説じゃないものが、一般的に通説と思われている事に学者が腹を立てたw

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 07:58:38 ID:PEz7W4Gs0
それに通説は「説」であって、事実でも真実でもない

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 09:44:21 ID:bMSno8yn0
伝説・俗説の類を盲目的に崇め奉り、勝手に通説扱いしている輩がいる。
それは宗教であって学問ではないのだ。
江戸時代の歴史は新撰組に限らず幕府贔屓に歪曲されて語られている。
教科書の内容も酷いものだ。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 12:41:18 ID:XZ2T4jPO0
>>190
こいつバカじゃないか。>>185は原口清のどの著作にあることかを
聞いてんのに、自分が読んだ本のことを書いてるアホ。ちなみに、
このバカがあげている2冊の本には、原口清の当該の論文には
触れられていない。せめて、松浦と宮地の議論の異なっている部分を
自分なりの意見を書くならまだしも、偉そうに

>俺はものすごい衝撃を受けると同時にお前等の知識レベルの低さに失望した・・・

だと何こいてんだアホがよ

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 13:07:50 ID:bo+GxqrJO
>>198
その原口氏の論文を詳しく。俺その論文読んだことないからもう少し教えてくれ。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 15:03:21 ID:oZtM1+OM0
>>199
原口清著作集第2巻 岩田書院に所収「禁門の変の一考察(二)」だよ。
(初出は、名城商学第46巻第3号1996年)蛇足だが、この著作集は発行部数が
少ないので、大きな図書館へ行かないと読めない。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 16:06:44 ID:PEz7W4Gs0
>>198
馬鹿はお前だ
原口の事を言っていた奴と俺は別人なのw
原口の事を書いていた奴に聞けよ馬鹿w
俺は俺が書いた事に関しての質問に俺なりに答えただけだ。

ついでに言えば、俺が書いた本は全国書店で簡単に買えるものだ。
読んでいて当然の本という事だ。
お前のはなんだ?「大きな図書館へ行かないと読めない」だと。
不親切極まりないと思わないか?せめてその部分の抜粋を書くとかしたらどうよ?。

まぁそれは良い。つまりは「新選組研究家の作った通説は通説に非ず」と言いたいだけだしな。
誰の本をソースにしようがこの部分は変わらないだろ?。
そうやって重箱の隅を突っつき、人の揚げ足取りの技術だけ磨いている君には、俺の真意は伝わらないだろうが、
お前以外の人に真意が通じれば俺はそれで満足さw

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 16:49:40 ID:CEnZQl0e0
>>201
じゃあオマエが先に「新選組」松浦令著・岩波新書
「歴史のなかの新選組」宮地正人著・岩波書店の
抜粋を書け、アホ。

>人の揚げ足取りの技術だけ磨いている君

それじゃあついでにもう一つ書いてやるよ

>俺が書いた本は全国書店で簡単に買えるものだ

「歴史のなかの新選組」は、重版未定で品切れです。
他人を不親切極まりないとまでいうくせに、簡単に買うことが
できるどころか売ってないものを買えるなどと書くな、
アホ。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 17:07:43 ID:fQG7rnol0
>>201
そのように、単純に歴史の研究者が書いたものだから<正>で、
新選組研究家の書いたものだから<ダメ>だというのはどうかと思う。
長い間、多くの素人を含めた新選組研究家の業績は間違いなくあると思う。
それから、史料に基づいたことであれば、松浦の「新選組」を読んでいるなら、
近藤の書簡集について書かれていた問題が次の研究のためにどうしても
必須であることを、自分なりのコメントくらい書けないのか?
宮地の「歴史のなかの新選組」であれば、政治家としての近藤の論説に
ついて、やはり何らかのコメントがあってもいいんじゃないか?

204 :189:2008/04/26(土) 17:09:40 ID:QyD3hbAa0
>>202
ちゃんと文章も読めないでアホな横槍入れんな

まったくまともなソースひとつ出せないのかw

205 :189:2008/04/26(土) 17:23:51 ID:QyD3hbAa0
ごめん
安価ミスった
>>202じゃなく>>201

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 18:07:14 ID:LYO8xDL30
スレの流れが全然分からん。
幕府厨が無理矢理場外リングアウトの引き分けを狙っているという理解でいいのかな。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 18:30:12 ID:1X/UzNcC0
脇道の、新撰組はさておき、明治維新は、その前の時代にあった「封建制」を
徳富蘇峰がいうように、人々を奴隷である庶民と主人公である武士に分け、
起こりくる企業精神を抑止したという経済的足枷や社会的手枷を想起させるものだった。
この封建的伝統は、どのような形であれそのほとんどが、社会的身分の平準化と権利と
義務の平等化を仮定する近代の社会的幻想と対置した。この議論についてのソースは、
藤田省三「天皇制国家の支配原理」丸山真男「日本の思想」
石田雄「明治政治思想史研究」を参照のこと。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 18:35:45 ID:yXBHq6XE0
>>206
うーん、変なじじいがたまたま読んだ本を有り難がって調子外れなことを
書き込んで、そのアホ振りを指摘され、逃げた。だな

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 21:05:24 ID:NY8tkNYk0
地方の庶民から見た明治維新ってどうだったんだろうな。

例えば1870年の時点で一般市民の何割くらいが幕府崩壊を知っていたのだろう。
京都民や雄藩の武士、商人はある程度情報が入るにしても、ほとんどの民衆は、いつの間にか
開国されてサムライがいなくなって、藩がなくなってって感じだったのかな。
それともある程度、認識があったのかな。
口伝てで回る情報だから、浸透するまで時間がかかったんだろうな。
「お上がなくなった?バカじゃねぇの?んなわけあるか。チョーうけるwえ?マジ?うそん」
な感じで、明治初期は幕府がなくなった事を知らない人がたくさんいたような気がするんだが。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 21:23:55 ID:LYO8xDL30
>>209
地方の庶民にとっては藩が政府なのだ。
幕府が崩壊しても同時に藩は崩壊した訳ではないのだ。
少なくとも廃藩置県までは藩は機能していたはずだ。
藩によって明治維新への関わり方が全く異なるのだから、
当然、地方の庶民にとっても、その認識は異なるであろう。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 21:30:21 ID:RJg7ndbT0
正直池田屋はかなり胡散臭いの。
これまでほとんど相手にされなかった新撰組が、
一躍有名になり、大きな権限を認められ、
隊士も増え、規模も一気に拡大したわけだけど、
(まあそれでも見回り組の半分以下で、会津藩の一割だけど)
けどさあ、こんな偶然がそうそうあると思う?
>>198
原口氏のことを示したのは俺。
だけど、俺は182じゃないし、185がなんのソースを必要としたのか、
わからないからスルーしたの。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 23:20:46 ID:8CUC9N2t0
池田屋の罪状は明らかに後から新撰組がでっち上げたものだと思われる。
じゃなければいきなり他藩の士を切り捨てているわけで
その大義が成立しないと考えたのだろう。
まして新撰組は農民集団だし。
暴動にまぎれて天皇をさらうなんてまず無理。
新撰組をやっつけようとした志士達に先手奇襲攻撃をかましたのが
実際ではないだろうか。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:19:04 ID:xsoq+YKR0
池田屋事件の直前に不逞浪士が起こした主な暗殺事件。

文久2年
 7月 九条家諸太夫島田左近惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 8月 目明し文吉惨殺後晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
 8月 不逞浪士本間精一郎惨殺 尊攘派内の内ゲバ
 8月 九条家諸太夫宇郷玄蕃惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 10月 万里小路家家臣小西直紀惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 11月 金閣寺侍多田帯刀惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
文久3年
 1月 町役人林助惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 1月 千種家家臣賀川肇惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 2月 唐橋村庄屋宗助惨殺後晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
 2月 足利将軍木像晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
 3月 妙法寺寺役正淳・光淳惨殺後晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士
 5月 儒家家里松剋S殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 5月 右近衛権少将姉小路公知惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 5月 徳大寺家家臣滋賀右馬允惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 6月 仏照寺弥助惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 7月 油商人八幡屋卯兵衛惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 7月 吉備津宮神官大藤幽叟惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 8月 生野銀山元締手代安福大次郎惨殺 下手人は尊攘派不逞浪士
 8月 西本願寺使用人松井中務惨殺後晒し首 下手人は尊攘派不逞浪士

陰惨な手口で殺害されてるケースが多く、例えば、賀川肇は、
隠れていたが、妻子に危害が及んだため出てきたところを斬殺。
その後、首は一橋慶喜が陣を張る東本願寺に、
両腕はそれぞれ千種家・岩倉家に投げ込まれてる。

こうした基地外テロ集団を殲滅するための特殊部隊が新撰組。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 04:48:15 ID:6unoDlrQ0
>>210
そうなんだけどさ。例えば新政府の多い西日本側では
「新政府になるぞ」
という認識が多くて、逆に東、東北地方は
「そのうち戦も終わって、もとの幕府のままだ」
って認識だったわけ?

当時の庶民の様子が描かれている文献でおすすめないですか?
『幕末百話・篠田鉱造・編著』のような。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 09:37:52 ID:Eij+US1Q0
>>214
>当時の庶民の様子が描かれている文献でおすすめないですか?

読んで面白いのは、中里介山の大長編小説「大菩薩峠」
小説ではあるが、歴史に対する史眼は凄いよ。ただ、長すぎるのが欠点。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 11:07:34 ID:+/ODOW8L0
>>214
いや、マスコミなんて無い時代だから東北農民には何も情報など入ってこない。
せいぜい庄屋どんから噂話を聞く程度だろ。その庄屋にしても藩の役人以外の
情報源があるわけでもない。そもそも幕府といっても東北農民にはまるで実感が無いし、
興味も無いだろ。興味があるのは藩の殿様についてがせいぜいだ。
どうせ俺らにはお上のことなどわかんねえ、それよりお天道様の御機嫌が心配だってなもんだろ。
「ええじゃないか」にしても東海道沿いの地域でしか起こってない。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 16:31:32 ID:+GocmAG00
年貢を現金で納めろって言われて初めて事の重大さに気がついたんじゃない。
今も昔もなし崩し的に、なんとなく、なんとなくで進んで行くから

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 17:24:06 ID:H6VxHvkEO
今日の日本の姿は明治維新から始まったのですか?

薩摩長州が明治天皇を利用し徳川幕府を倒して明治維新が成り立ったのですか?
あれから140年。
北方領土はロシアに占領され沖縄もアメリカに占領され…

天皇家も旧皇室典範の影響で跡継ぎ・存続の危機を迎えて……

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 17:44:34 ID:YQyED5lE0
>>218
>今日の日本の姿は明治維新から始まったのですか?

違うでしょうね。大東亜戦争に負けた1945年8月15日から
現在の体制の始まりがあるでしょうね。
それから、以下の書き込みは全く文脈から外れていて
あなたが学歴がなく思い込みの強い人であることを示してますね。


220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 18:14:01 ID:bx75jren0
明治維新とは?
8月31日に夏休みの宿題をやっつけ仕事している小学生。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 18:23:46 ID:H6VxHvkEO
現在の皇室が存続の危機の危機を迎えてる。原因は何??

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 19:15:25 ID:Bo3imW+y0
>>221
それが貴殿の問題認識の根幹ですか。
その妥当性はともかく、スレ違いです。
他をあたってください。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 19:28:13 ID:id3JpCS20
>>222
そのまま、オマエにお返しする。
低学歴なのはよく分かった。別にいいだろう
低学歴は間違いないんだから。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 19:45:43 ID:H6VxHvkEO
明治維新と天皇家は無関係??

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 03:06:52 ID:XudHcYcB0
>>215
ありがとう。さっそく読んでみる。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 17:06:34 ID:oYEfKruaO
幕府が政権返上したから明治維新というレボリューションあるいはクーデターは上手く運んだのかな。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 22:27:10 ID:XudHcYcB0
>>226
日本語でおk

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 00:28:21 ID:l/VpXsrH0
もし徳川慶喜が副関白のような重臣で明治政府に参入していたら
その後の日本はどうなっていただろう。
激しい戦闘は避けられたかもしれないが改革は上手く進んだであろうか。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 12:52:40 ID:Xs/yS4TdO
第二次大戦の軍部の基礎を作ったのは明治政府?

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 01:19:13 ID:fYtvsm7U0
今市言いたい事が分からんが、閥という意味では直接的には違うだろう。
長州閥→皇道派→統制派の順で主流派が入れ替わったから無関係とは言えないが……
統帥権と陸海軍現役武官制については一口には言えない。

陸海軍現役武官制については議会政治から軍の独立を守るための制度で
明治時代には確かに必要だった局面もあったと思うが、その後はぶっちゃけ要らなかったと思う。
もっとも、制度が無い時も清浦は海軍大臣決まらずに流産してるから、
その後復活してもしなくても結局同じだったんじゃね?という話もある。

統帥権の干犯問題については、憲法問題故にそれを制定した明治政府に原因があるとも言える。
でもこれが問題化したのは、ロンドン海軍軍縮条約時に政友会の犬養毅や鳩山一郎らが内閣を倒すための政局に利用してから。
明治の増師問題なんかは陸相が普通に内閣・議会と闘ってたのが、統帥権はその内閣を超越すると
主張しだしたのだから、昭和に入って新しく生まれた問題だと言える。
まあさすがにこんな利用法されるとは思ってなかったんじゃね。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 01:35:39 ID:DWWILrXD0
列強の中では
産業革命は最後だったので
初めから鉄道・重工業に集中投資したのが成功した

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 04:15:43 ID:02/L7WPt0
>>229
権力亡者の山県と無能乃木が太平洋戦争の元凶であることは間違いない。

>>230
現役武官制が復活してなければ、
昭和天皇の肝いりで成立した米内内閣が倒されることはなく、
したがって三国同盟は不成立で、日米開戦も回避されてた。
結果はまったく異なってくるはず。
統帥権干犯問題にしろ、明治国家成立時に固まった制度上の欠陥が、
後々深刻な悪影響を及ぼしてる。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 09:37:27 ID:8tYD7IlO0
>>232

お前の言い分を聞く限り、
太平洋戦争無い→日本の敗北もない→日本は徴兵制のまま→農地解放も無く、小作人など不平等な経済のまま→天皇を神とする体制(国家神道ではないが、江戸期の国学で天皇が神の末裔とするのは常識)のまま
という状況が素晴らしいと言っているようにみえる。
歴史にIFはなく、俺は「日本が負けて良かった」と思っている。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 10:50:42 ID:fYtvsm7U0
>>232
フランス降伏後の軍どころか民まで「バスに乗り遅れるな」を合言葉にしてた状態じゃ
永田鉄山辺りみたく暗殺されて仕舞いという気もするが。
陸軍抑えるには山縣みたく陸軍を牛耳れる人がいれば良かったんだけどね。
皇道派はアレだし、統制派は……

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 16:34:45 ID:QCP8U8/KO
富国強兵は明治維新のスローガンですか?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 19:42:05 ID:mS459o2R0
>>231
>初めから鉄道・重工業に集中投資したのが成功した

そんな大雑把な事書いてもしょうがないだろう?
経済史家は、山田盛太郎の「日本資本主義分析」(岩波書店1934)の通説、
最近の著作では大石嘉一郎の「日本資本主義百年の歩み」(東京大学出版会2005)
でも踏襲している「日本の産業革命は何よりも、朝鮮・中国への軍事的侵略である
日清・日露戦争によって支えられて推進した」という把握がまずある。
例えば、日清戦争賠償金を使った官営八幡製鉄所の設立についても、実際に
賠償金から投入されたのはわずか58万円で、収支が黒字になる1910年までの
投資4000万円のごく一部に過ぎなかった。賠償金の大部分は来るべきロシアとの
戦争に備えての軍備拡張に投入されていた史実を、あなたは知っているか?
第二次世界大戦後の日独経済の急成長と米ソ経済の停滞の要因としての軍事負担の
軽重を考えると、日清・日露の大戦争は、経済発展に関してはむしろ阻害要因だったと
見るべきではないかと思う。軍事支出は、一部の軍事産業を潤すとはいえ、国民経済的には、
生産力の増強には繋がらない再生産外消耗であった。そして、戦争による利益が産業投資に
ほとんど回らず、周知のように1899年の条約改正までは、外国資本の輸入が
禁止されていたとすると、国内で資本形成をせざるをえないことになるが、その中心を
担った商人の産業投資について具体的な実証は乏しい。と、複雑なんだけどなぁー…。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 17:13:19 ID:AiFhmlYX0
え?妄想で反論??
意味ないよw

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 23:32:30 ID:+D1r4iJ70
明治以降の日本は
軍事に集中投資した貧しい農業国


239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 05:54:09 ID:Rn+lv1SO0
攘夷で成立し攘夷で滅亡した国
それが大日本帝国

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 11:25:47 ID:8AFXdhfL0
>>237
>え?妄想で反論??意味ないよw

極端に頭の悪い釣り人です。笑ってやって下さい、この人は釣ることしか
他に出来ない哀れな池沼ニートなんです。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 14:45:35 ID:1x9HIllk0
>太平洋戦争無い→日本の敗北もない→日本は徴兵制のまま

徴兵制は兵隊の頭数が必要な時代だけ有効な政策で、
軍事技術の発達でいずれ志願制に切り替えてたと思うよ。
世界一の軍国主義国家アメリカも戦時中は根こそぎ徴兵していたが、
いまは志願制になってるだろ。

>→農地解放も無く、小作人など不平等な経済のまま

農地解放の原形は日本人によって戦前に作られている。
また、日本の貧富の差が少なくなったのは高度成長期に
累進課税を金持ちにきつくしたからであって、戦前とか
戦後とかは余り関係ないと思うぞ。現に今、再び税制が改悪
されて貧富の差は大きくなってるしな。

>歴史にIFはなく、俺は「日本が負けて良かった」と思っている。

日本中の都市が焦土になったうえに300万人も殺されて、
なにが良かったんだか。そういった損害がないまま社会制度が
改善されていくのが一番いいと思うがね。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 15:01:11 ID:1x9HIllk0
戦後に左翼によってつくられたバイアスのかかった歴史観では、
戦前の日本は自浄能力のないどうしようもない国としか見えない
だろうが、実際には大正時代から労働者の待遇改善や普通選挙の
実施など、民衆の権利は拡大傾向にあったし、生活水準も江戸時代や
明治時代に比べればはるかに向上していた。コレラなどの伝染病で
死ぬ人も激減しているしな。昭和恐慌のときは例外的に経済活動が収縮
して、多くの人が苦しんだけど。

戦前の日本の最大の問題点は、負ける戦争を止められない欠陥を
そのままにしてしまったこと。しかしそれは徴兵制や貧富の差が
大きかったことや、ましてや天皇制のせいなんかじゃない。
もっと別のところに原因があったんだよ。もっとも、戦前から
今に至るまで、ほとんどの日本人にはそれが見えていないがな。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 16:03:14 ID:FfDMkxDE0
>>241
>農地解放の原形は日本人によって戦前に作られている。

へぇー教えてくれ。

>日本の貧富の差が少なくなったのは高度成長期に
累進課税を金持ちにきつくしたからであって、戦前とか

ホントか?現行の所得税は、1972年に施行された所得税法だが
高度成長期に累進課税をきつくしたとはどの法令だ?オレが
知っているのは、1940年総合所得税と分類所得税の二本立てとなり
1947年以後総合課税主義に改められたくらいしか知識がないもんでな。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 21:46:32 ID:vS0dadsH0
>>241
農地解放はもともと計画としてあったもので、
たまたまGHQ統治中に実施されたに過ぎないことは、知っているが、
貧富の差がなくなったのは、ってのは間違いだ、
累進課税がきつくなったのは戦時中であり、高度経済成長期にも、
これを維持していたに過ぎない。
また戦後のハイパーインフレで、金持ちの資産が紙くずになっただけであり、
高度経済成長期はむしろ、格差が拡大していた時代、
これが低下したのは、バブル期から90年代だよ。
最近広がっているのは、高齢化の影響が一番大きいな、
あと働かないニートと、団塊の雇用と賃金の犠牲になった若者か。

ちなみに税制の改悪ではない、
欧米ではとっくの昔に所得税は大幅に下げられており、
金持ちを誘致に必死になってんだよ。
所得税の引き下げどころか、相続税贈与税が廃止になってんだ。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:58:58 ID:E6ckMWki0
戦前は農民8割だろ、
一番苦しんでたのもコイツらだろ
累進課税とかなんの話してるの?

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 02:02:54 ID:T9d9eXTr0
白色人種による世界支配に
唯一有色人種として対抗したのが日本

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 09:10:00 ID:A1plIOAT0
>>246
この人、歳いくつなのかな?こういう事を、今時思ってる人なんて
片足棺桶に入ってる人しか想像できないがいるんだね。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 12:03:19 ID:lQ21F7I/0
>>245
農民八割で戦前の工業をささえられるわけないだろ
常識のないやつだなw


249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 00:54:35 ID:yNh4PVDf0
>>248
農民と農村出身者を足すとそれぐらいにならんかw

明治維新後は
農民から集めた税で軍備増強した
工業国なんて幻想
日本の輸出1位はずっと絹製品
悲惨な製糸女工のおかげで機械や石油を輸入出来た

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 07:57:01 ID:BnUxOb3X0
>>249
ならねーよ。
農民が八割ってのは江戸時代の話だ。
このころは五割もない。

ちなみに製糸は立派な工業なんだがw

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 09:15:24 ID:n1ey32hR0
>>241
余剰人口からして徴兵制のままだろうな。
>>234
内ゲバは日本人の悪癖みたいなものだから回避は無理だろ。



252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 13:34:26 ID:yNh4PVDf0
>ちなみに製糸は立派な工業なんだがw

軍事立国を目指していた国がそれではダメだろw

軍事と財閥と地主を解体した戦後、奇跡の近代化と
工業化を達成したのは皮肉たったとしか言えない
明治政府の方針と真逆だ


253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 17:18:15 ID:5lyW8Ows0
軍事はアメリカが担当してくれる
よっしゃ!ワシら国づくりに専念できる
→高度経済成長

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 18:21:27 ID:JzPj5gXS0
>>252
>軍事と財閥と地主を解体した戦後、奇跡の近代化と
工業化を達成したのは皮肉たったとしか言えない
明治政府の方針と真逆だ

こういう何を言いたいのか分からない、論拠を一面的な過去の評価で語る輩というのは
どうしているのだろうと思った。
軍事とはどのようなことを意味するのか、同様に財閥とは?そして、地主を解体したことの
前記の事項との関連はどのようなものか全く書かず、いきなり戦後の奇跡の近代化と工業化を
達成したのは皮肉、ときたもんだ。締めは、明治政府の方針と真逆と?
何を言いたいのか本当に分からない。こういう人は、こないで欲しいな。
あ、忘れてた

>軍事立国を目指していた国

軍事立国とは誰が、言い出し誰が承認し目指したのですか?
どの研究者がそんなことを書いてるの?

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 19:25:05 ID:BnUxOb3X0
>>252
軍事立国を目指したことなどないだろ。
あと日本の工業化が一気に進んだのは戦後じゃなくて、
30年代からだよ。40年には、30年ごろの10倍近い工業生産を達成している。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:07:43 ID:KWdDNF+L0
軍事立国とはアメリカのことかな・・・?今のね。
少なくともアメリカの産業の一つは兵器と銃。
日本も明治以降これを目指してたの?
かなりの先見の明があるとしか言いようがない。あっぱれ日本だよw

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 00:46:05 ID:jqIgA1zL0
奇跡の近代化と工業化って、要するにアメリカのやり方の取り入れに成功したことだろうか。
WWUの時はアメリカこそ異常だったんだけどね。
ドイツでさえ、兵站も含めた機械化には程遠かった時代だし。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 10:25:35 ID:tv8y/FdM0
>>254,255
日清戦争賠償金の使い道を調べてみろ


259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 19:51:01 ID:VehjAcgI0
ロシアが迫っているのに、国防予算を計上しないと?

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 22:47:34 ID:Gmbxld5J0
で結局軍事立国って何なの?
軍事に予算をつぎ込んでる国なんて山ほどあるじゃん。現在でも。
反対に軍事力を保持せずに立国できている国なんてない。現在でも。
軍事に予算を割いたら軍事立国なら世界中の国はすでに立派な軍事立国だよw
戦後の日本の発展を奇跡なんて言ってるようじゃあ相当勉強不足だよ。
戦前の日本の技術力はすでに世界トップレベルだったんだから。
単にアメリカが強過ぎただけ。日本、ドイツはそれに次ぐ勢力だったんだよ。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 23:36:15 ID:pVuv9cauO
明治維新はクーデターで成り立った?

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 00:12:27 ID:FmNR2+5z0
兵器開発ってのは、ある意味その時代の国家の実力の清華なんだが。

特に海軍、その主力であった戦艦なんかは当時の国家の持てる最高の技術を注がれたもんでな。
技術と産業基盤の裏付けなしに、軍艦の国産なんてできんよ。
日露には間に合わなかったけど。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 01:22:57 ID:u5Ew5Y5I0
戦前の日本の技術と兵器の製造はある程度欧米に並んだと思うよ
でも工業力となると話は別だ
どれだけ大量に安く高品質で作れるかが重要になってくる
北朝鮮だってりっぱな技術力を持っているぞ
その点で日本はイタリア並みかそれ以下だった
自動車に関して言えば
戦前の日本の国産自動車はまとも動かず「戦場でも主に馬が使われていた」
生産台数だって微々たるものだった

ぜんぜん違うけど道路舗装率、某ブログより引用しました
>1939年の主要先進工業国の道路舗装率です。主要幹線道路のデータですので多少数値が違いますが。
>イギリス   44%
>アメリカ   39%
>ドイツ     36%
>フランス   31%
>イタリア   28%
>日本     0.9%



264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 14:47:35 ID:/waKg0h40
軽工業だって近代化ですじゃ。
江戸時代は家内制手工業なんだから。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 19:27:32 ID:iUfFqeeH0
>>263
そりゃアメリカに比べれば、工業力は劣るが、
それがどうしたというんだ。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 07:02:18 ID:mJSPN3Mj0
なんか、スレ主の意向とは違うスレになってしまったようだwww

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 08:31:50 ID:JkT5EifDO
薩摩長州の屑共が大人しくしてれば、もっと日本はマトモな国になってたかもしれない

ってのが何となく分かった

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 08:42:48 ID:v/A/OAZz0
議論に負けて、言いたい結論を押し付けて逃げるのが幕府厨房

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 12:39:41 ID:YB+GE6LT0
>>267
>日本はマトモな国になってたかもしれない

しかし、君はそういうマトモな日本でないから、こんなところで
遊んでいられるんだよ。薩長を否定するどころか、感謝しなさい。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 13:38:20 ID:ZRAejLuI0
明治維新がなければ、統一政権は作られず、四民平等にならず、不平等条約も改正されず、当然全体的な近代化も遅れる
そのまま日露戦争の時期までいってアボンが関の山

岩倉使節団が欧米を回ったとき、ドイツのビスマルクに大国は自己の利益になる場合は国際法を守るが不利益になる場合は軍事力で押し通すと忠告されたが

そのドイツ自体もドイツ大使は北海道はドイツ移民に絶好の地だから軍隊送って奪えと同時期にビスマルクに伝言送ってる

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 16:07:02 ID:fo4WIbaT0
>>270
>明治維新がなければ、統一政権は作られず
誤り。そもそも日本の近代化・中央集権化を進めてたのは徳川幕府。
明治維新とは、徳川幕府の絶対主義化路線に対する反動であり、
本質的に近代化とは正反対のベクトルを向いてる。

>四民平等にならず、
四民平等は不可避的な時代の流れ。
富国強兵政策を進め近代的な生産様式を取り入れたならば、
封建的な身分制度は必ず解体される。
現に薩長政権も、華士族の既得権を丸ごと温存しようと画策したけど、
経済的な理由でそれは不可能だった。

>不平等条約も改正されず、
薩長は幕府時代の条約を改定しようともせず追認し、
さらに幕府以上に劣悪な条件の不平等条約を新たに結んでる。
また、明治期に外交を担い条約改定に取り組んだのは旧幕府系の人材。
外交に疎い薩長の人材は、鹿鳴館で欧米に卑屈に迎合することしかできなかった。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 16:07:36 ID:fo4WIbaT0
>>270
>当然全体的な近代化も遅れる
明治政府は、愚かな復古を煽って近代化を停滞させ、明治当初に日本を大混乱に陥れてる。
これによって日本の近代化は少なくとも20〜30年は遅れた。
さらに天皇を神格化しカルトな政治体制を持ち込み、近代国家の枠組みを歪めてしまった。
明治維新の悪影響は極めて根深い。

>岩倉使節団が欧米を回ったとき
新政府発足直後に、自国の政治を放り出し、政府中枢部が外国に漫遊に出かける…
この前代未聞のバカ使節団そものものが、明治政府の無知で無責任な本質を端的に現してる。
ちなみに岩倉使節団は案内役である旧幕臣に頼りきっており、
岩倉や木戸は旧幕臣たちにバカ扱いされてた。

>北海道はドイツ移民に絶好の地だから軍隊送って奪えと同時期にビスマルクに伝言送ってる
そのため明治政府は北ドイツとの間に日本史上最悪の不平等条約結ぶ。
この卑屈な外交姿勢は現在まで通底してるね。
なお、ロシアにほんのちょっと脅されただけで、樺太をロシアに贈呈してしまったのも明治政府だ。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 20:36:29 ID:HTrzfY3c0
幕府中心で統一政権や四民平等なんて無理だよ、小栗なんかが熱心だった見たいだけど結局不可能だったしね
財政はズタボロで旗本は無学で惰弱になり蛆虫同然と言われていた
将軍は権威失墜で求心力はない

武士否定ができたのは天皇制だからできた

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 20:40:49 ID:wXuDvp7Z0
>>271-272
君はいい加減、辞めなさい。
定期的にアホなレスのせているけど、
それはもう全て否定されているでしょ。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 22:30:24 ID:z8oIWVZ+0
日本て中央政権が崩壊した方が
経済発展してるよね


276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 22:45:32 ID:z8oIWVZ+0
明治維新を一言で言うと太閤秀吉

下層武士が武力でのし上がったけど
武力過信が裏目に出た

そして結局滅んだ

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 23:32:19 ID:+BnMX8dr0
明治初期は、国家の歳入の三分の一は、華族皇族士族の禄に当てられてた。
これは幕府時代の武士などの家禄をそのまま維持したもの。
さらに、復古功臣章典と称して、島津、毛利、大久保、木戸などが巨額の資金を着服。
四民平等が聞いてあきれるよな。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 03:54:39 ID:EaFHzA140
近衛文麿はクソ
五摂家の面汚し

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 05:15:55 ID:AMRE8qnc0
>>277
初期のは実質退職金ですが、
そして幕府はそれ以上の金を武士にやっていたわけです。

なお章典録でさえ、薩長ですら10万石、三傑ですら、2000石以下の一時金ですから、
非常にささやかだったのがわかります。

徳川が関が原後にどれだけのことをしたか比べてみれば?

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 09:33:50 ID:7KyJ9ync0
>>271-272
歴史の断片だけとって、ああだこうだ言ってもどうとでも解釈出来るとすら
いえる。もう少し、限定して書いてくれ

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 11:02:27 ID:bu9+QurJ0
>>279
>初期のは実質退職金ですが、
それは秩禄処分だろ。
明治政府が世襲的な俸禄を切り捨てるまでには約10年かかっており、
それまでは封建的な既得権をそのまま温存しようとしてる。
また、秩禄処分に踏み込んだのも財政が破綻したから。
「金融ノ道蔽塞今日ニ至テ極マル」
要は幕府を乗っ取ってみたものの、うまく運営できず倒産させたということ。

>非常にささやかだったのがわかります。
農民は重税にあえぎ、商家の多くは倒産し、国家財政は破綻…
こうした危機的状況にあって、薩長は国民に倹約を押し付けつつ、
自分達の分捕り分だけはちゃっかりと先取りしてた。
どう見ても国家を乗っ取った強盗に他ならない。
「薩長は第二の幕府をなすものなり之決して我等の希望にもあらず又維新の目的にもあらず」
これが当時の庶民の反応。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 11:46:44 ID:e3QprJI/0
徳川幕府の横暴に比べれば、明治維新は清新なものであったということですね。

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 14:23:50 ID:/vbbP05z0
>>281
武士という膨大な無産階級はいつか切り捨てなきゃいけない存在だろう。
つっても、準備も整わない内にそんなリストラ挙行したら各地で騒乱が起きる可能性は多分にある。
少なくとも1873年の徴兵制の施行とそれが軌道に乗るまでの間はそんな事は無理。

大体、幕府の財政が健全なら造船所建設でフランスから借款する必要はないし、
軍制改革が進んでたら戊辰戦争所か第二次長州征伐で完勝してるんじゃないの?

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 19:26:59 ID:KESN+QEr0
明治維新とは?
単なる政権争いでしょ。
慶喜だって新しい政府のスタイルは、模索してたでしょ。
ドイツ人の友達が「幕府って何?」って聞いてきたので
「軍事政権だ」と答えたといたけど解釈間違ってるかな?


285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 20:18:17 ID:gk1i9m2F0
>>284
間違っていないと思う

江戸幕府は家康が武士が台頭しない様にいろんな規則を決めた
なぜか戦争回避を目的とした軍事政権だった
その結果、武士はひたすら弱体化していく

こんな軍事政権他に無い、誇っていいのか悪いのかw
ただ武士の弱体化は庶民の経済と文化の発展につながった

幕末では幕府と薩長は違う方向を見ていたと思う
薩長、イギリスの様な君主制
幕府、藩と武士を残してアメリカの様な合衆国化、藩主を州知事化し慶喜は初代大統領を夢見ていた

幕府は実行出来たかも知れないし出来なかったかも知れない
これが単なる政権争いである事は、薩長に庶民の応援がほとんど無かったことからも
はっきり分かる。いわゆる革命とは全然違う
改革を望んでいたのは武士、特に次男三男や底辺武士

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:29:34 ID:AMRE8qnc0
>>281
>それは秩禄処分だろ。

実質それだよ。
幕府がずっと抱えてきた無用の人間を、たった10年できったってことさ。
明治政府の役人の数はおよそ人口の1パーセントちょい。
明治政府はたったそれだけの人間で、幕府以上の仕事を成し遂げており、
そしていらない人間を全てきったってことさ。

>それまでは封建的な既得権をそのまま温存しようとしてる。

違う最初から武士のリストラは規定路線。
そして国防を武士ではなく、国民全てが担うようにし、
武士の価値を奪うことが明治政府の最大の目的のひとつなんだから。
戦争を武士だけがやったのでは、近代戦争には勝てない、
国民国家でないと駄目なんだよ。欧州はナポレオン戦争でその境地に至ったわけだが、
それを日本でまねようとしたのが、明治新政府。

>農民は重税にあえぎ、商家の多くは倒産し、国家財政は破綻…

重税になったのは天領ぐらいのもんですね。
地方の諸藩はむしろ下がっている。
それまで地方の諸藩は、参勤交代や江戸滞在費、賦役の捻出で非常に効率の税がかかっていたが、
今回の税改正で、全国一律になったので、天領は増税だが、地方の諸藩では、
そのままないし、下がった藩も少なくない。商屋の多くは幕府が借金を踏み倒したからだよ。
そしてつぶれた商店の場合、幕府が独占させるかわりに金を上納させてた株仲間を、
明治政府が廃止したからでしょうね、今で言えば、少数の企業にだけ免許を出し、
そこがカルテルを作って、政府に変わりに賄賂送るようなシステムだったのをなくしたのですよ。
そんな企業がつぶれるのは当然のこと。
財政も幕府と違い、健全化させ破綻させませんでしたし。

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:30:13 ID:s0A3YGTtO
ラストサムライ 西南戦争でようやく武士道鎮圧

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:45:56 ID:aUD14Vkf0
>>285
幕藩体制って連邦みたいなもんだよね。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:58:39 ID:AMRE8qnc0
>>285
戦争回避の為に、諸藩に参勤交代と江戸滞在といった無駄なことをえんえんとやらせて、
無駄な出費を強い、
諸藩ではこの制度を維持する為に、重税にあえぎ、餓死者まで出ているというのに。
これを誇れる奴などいるわけねーだろ、
戦国時代のほうが、数千倍マシだよ。
日本の飢饉が全て江戸時代に起きているのをみても、
同じ寒冷期で気候が悪かった、戦国時代以下なのは確実。

ちなみに薩長に庶民の支持があったかどうかは疑問だが、
幕府が徹底的に庶民に嫌われており、排斥されていたのだけは確実だな。
幕末の一揆や打ちこわしをみればわかる。
薩長の領地ではほとんど起こってないのにね。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:01:52 ID:wlCuVXg/0
>>286
討幕派なんて、ついこの間まで攘夷を叫んで外国人を斬り殺してた基地害集団だぞ。
それが10年かけて目的意識的に武士をリストラしただと?
妄想もいい加減にしろ。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:24:04 ID:AMRE8qnc0
>>290
それは一部の過激派だけだな。
攘夷思想というのは、外国に占領されずに独立を守るというものであって、
祖国防衛思想に他ならん。
で、その国防の為に、武士はイランって結論になってしまったの。
馬関戦争や薩英戦争、長州征伐でね。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:36:45 ID:AMRE8qnc0
大村さえ暗殺されてなければ、
もっと早く徴兵制を施行し、もっと早く士族を切れただろうがね。

徴兵制をして民を兵員とし、各地の鎮台を整え、内乱を防ぐ体制ができて、
初めて士族が切れるんだよ。
その直後に気っても、士族が反乱し、それを止める兵士が少ないという状況だからね。
内乱が長期化するのは新政府としては面白くないわけ。
幕府と違って、明治政府の首脳はよく考えているよ。

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:47:08 ID:/vbbP05z0
>>290
つか、徴兵制さえ軌道に乗れば、武士に存在価値なんてないじゃん。
むしろなんで維持しようとする必要があるのかが分からない。

あと倒幕派=攘夷派ってのは短絡すぎないか?
倒幕思想なんて欠片も無かった頃でも攘夷志士はいたじゃん。水戸藩がいい例だ。

幕府があの膨大な無産階級をどうするつもりだったのかには興味があるがw

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:57:46 ID:D1IsrwhN0
>>286
>実質それだよ。
華士族に対する家禄支給が薩長政府の本音。
秩禄処分は苦し紛れの打開策。両者は全く別物だ。
秩禄処分に関しては大久保は慎重論、木戸は反対の立場で、
政府内においても混乱状態だった。

>重税になったのは天領ぐらいのもんですね。
それは新政府が幕府の直轄地のみに財政基盤を置いていたから。
収税強化を行ったところ農民の不満が爆発したため、びびった明治政府は、
政府支出の倹約で乗り切ろうとし、大節約運動を展開する。
馬鹿としか言いようがない。
殖産興業や富国強兵なんてまるで念頭に無かったことが明らか。

>商屋の多くは幕府が借金を踏み倒したからだよ。
違うだろ。薩長政府が巨額の御用金をふんだくり、銀目を廃止したことが最も悪影響を与えた。
これにより関西圏の豪商の多くが没落し、一種の金融恐慌が勃発してる。
大阪の地盤沈下も薩長の愚策に遠因がある。

>財政も幕府と違い、健全化させ破綻させませんでしたし。
当初、明治政府は自らを八百万石の御朝廷と称して正当性を誇示してた。
しかしその八百万石は建前で、実際の明治政府の歳入は200万石程度しかなかった。
この中なら明治政府は特権階級への俸禄や復古功臣賞典を大盤振る舞いし予算を食いつぶした。
財政破綻しないほうがおかしい。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 00:18:52 ID:+xCrvdQJ0
>>285
>薩長、イギリスの様な君主制
>幕府、藩と武士を残してアメリカの様な合衆国化、藩主を州知事化し慶喜は初代大統領を夢見ていた
プロイセンのように幕府絶対主義化による上からの近代化という道もあった。
小栗や福沢が支持したコースだ。
なお、イギリスは薩長に対し「イギリスの様な君主制」ではなく、
朝廷を担いだ小国家連合を推奨していた。この方が分割支配しやすいからね。
いわゆる雄藩連合構想がこれに近い。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 00:21:03 ID:+xCrvdQJ0
>>289
薩摩や長州といった国家に対する不満分子に、
参勤交代の義務を課したことは賢明な対処法。
幕府の首脳はよく考えているよ。

>>291
祖国ではなく藩の防衛だ。
それゆえ幕府に睨まれ征伐されそうになると、
逆に外国と通じて藩の防衛に当たった。

>>292-293
>つか、徴兵制さえ軌道に乗れば、武士に存在価値なんてないじゃん。
そうだよ。そしてその近代的な兵制を導入したのは幕府だ。
明治初期の陸軍は、幕府陸軍をそのまま引き継いだもの。
薩長が倒幕に走ったのは幕府による怒涛の軍制改革に恐怖したから。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 00:52:26 ID:vFPhFck40
血税一揆が頻発したのは労働力の収奪と言うことで一番農村に
忌避されたからで、徴兵制度の早期の普及は考えられないな。
大村とか山縣の問題ではなく、農村が労働力とられるのを
嫌ったからだ。維新改革で一番農村に嫌われた制度だよ。
免除条項が廃棄されたのは明治22年、つまり憲法制定の年だ。
明治9年の免除率82%。

そしてこれに貢献したのが靖国神社となんて言っても軍人恩給。
戦後の靖国遺族会が最も熱心に復活欲したのも靖国神社の復活が
恩給の復活を意味するから。近代年金制度の端緒と言うよりは福祉制度の
端緒がこの軍人恩給。これに味しめて始めた制度が国民年金。
農村の票田開拓と言う意味では実に良く似た制度。

年金同様、実にいい加減に扱われていたんだろうなwww
そして貴族院の利権だったものだな。

無理な早期の徴兵制定はむしろ農村に反感をかい、維新自体が
頓挫する可能性さえある。
財政の9割を占める税源たる地租改正なんてものも基本になる土地台帳が自己申告でぜんぜん
いい加減の過小申告でしかなかった理由も、維新政府の権力基盤が
まだまだ脆弱だったからだ。太閤検地なんかと比べて味噌。
笑えることにこの台帳はいまだに今の日本の土地台帳の基本で殆どが
過小申告の不正確なものだwんで一坪いくらとか毎年新聞で大騒ぎ
しているんだから不思議な話しだなwww

なんだか実態から乖離した画餅の話しか?

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 01:11:45 ID:NrZR9QHD0
>>294
>華士族に対する家禄支給が薩長政府の本音。

誰がそんなこといったんだ?
廃止を提言している人は多数いたが、その逆はいないよ。
そして大久保木戸はどちらも廃止派だ、その廃止をどのくらいの時間をかけてやるのか、
そこでもめていただけ、目的地は一緒で、ルートが違うだけだよ。

>収税強化を行ったところ農民の不満が爆発したため、びびった明治政府は、

そりゃ今まで非情に税金が天領だけ安かったからだよ。
外様はだいたい四割というところだが、天領はろくに検地もなかったから、
二割程度しかなかったといわれている
それをきっちり検地をして、収入を明確にして、外様と同程度にしただけ。
そして最初期は、まだ他藩からはとれんだろ、だから廃藩置県と地租改正が実施してからとなる。
幕府と違って、ちゃんと仕事してるのよ。

そして殖産産業も富国強兵もしっかりやってる。お雇い外国人から、
技術や産業を学び、日本で次々に産業を起こしていた。

>違うだろ。薩長政府が巨額の御用金をふんだくり、銀目を廃止したことが最も悪影響を与えた。

間違いですね、御用金をふんだくったのは幕府、長州征伐でふんだくった金は、
550万両という膨大なもの。十何万って大軍を遠征させるのはただじゃないってことですよ。
それが大阪にいたから、大阪の物価は高騰し、米の調達費用も跳ね上がった。
大阪の大商人が破産してしまったのは、幕府が金を返せずに戦争で大敗して、
そのまま滅んでしまったから。
薩長はほとんど自前の金だけで戦っていましたから。財政力の差が勝敗を分けただけです。

>この中なら明治政府は特権階級への俸禄や復古功臣賞典を大盤振る舞いし予算を食いつぶした。

もともと幕府は全てをその特権階級の無駄使いいに使っていたわけですが。
そしてそれを切ったのは、明治政府

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 01:19:34 ID:NrZR9QHD0
>>295
幕府には近代化などという目的はありません。
幕府の維持しか視点はないですから、だから駄目なんですけど。

>参勤交代の義務を課したことは賢明な対処法。

奥羽の諸藩では何十万って人間が餓死してますが、
仕方ないことなのでしょう、幕府様を生かすためのですからね。

>逆に外国と通じて藩の防衛に当たった。

フランスにそそのかされて、内乱に軍事力を投入したケースですね。
フランスから金かりて、フランスから武器輸入してね。
ほんと操られているといっていい。

>明治初期の陸軍は、幕府陸軍をそのまま引き継いだもの。

幕府歩兵なんてなんの役にも立ってないでしょ。
旗本は銃などという、足軽が持つ武器は使用しないから、
江戸のチンピラごろつきを集め、彼らに打てとかいっただけで、
徴兵制とは全く違う存在、
長州の奇兵隊のほうがはるかに制度的にも、マシ。
幕府陸軍なんて、なんもつながってません。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 01:33:35 ID:159NYNuA0
明治になって地租税になって農民は江戸期より苦しんだ
これは歴史の常識

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 01:40:56 ID:NrZR9QHD0
天領に限っての話だね。外様は大差なし。

そして地租にせずに、従来のままって時点で、
遅れた状態ってのがみえみえ、
そうやって税制改革して、収入を安定化させないと、
近代国家とはいえないの。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 02:04:41 ID:159NYNuA0
「昭和東北大凶作」
http://www.mumyosha.co.jp/docs/01new/kyosaku.html

なぜ明治維新から60年も経つのにこんなことが起きる
どこを改善していたというのだ
明治の打ち壊しや一揆は教科書に載ってないだけで実はかなり多い
おそらく江戸期より多い、秩父事件を調べてみ

明治以降に税金が払えず土地を手放す農民が激増した
金を貸した高利貸しが土地を得て「寄生地主」として大きくなった
農民以外にも石川啄木とか蟹工船とかああ野麦峠とか、明治以降に哀史は多いね


303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 02:16:03 ID:Se2UL+q90
>>294
殖産興業って……
まぁとりあえず製糸業のデータ載せときますね。
器械製糸
明治 9年 工場87 釜数5000
明治15年 工場1068 職工37452人

木戸は秩禄処分による社会不安の増加を心配して反対したんだよ。
処分すること自体は認めてる。
強硬派がそれを承知で断行できたのは、徴兵制の整備が重要な背景だろ。
最有力な反対派は、征韓論争で下野した西郷だったんだから。

ところで、特権階級への俸録って士族への俸給のこと?
あれに比べりゃ他はカスだよ。明治5年の地租収入の8割だぜ。

>そうだよ。そしてその近代的な兵制を導入したのは幕府だ。
できてないじゃん。
徴兵制なぞ敷いてないし、伝習隊程度の事なら長州もとっくにやってる。
でないと数の上では圧倒的に優勢な幕府軍相手に長州戦争や鳥羽伏見で勝てるか?
むしろ、「身分が高いって理由だけで大将を決めるな」と諸藩に支持してただけ新政府軍のが上じゃん。
幕府歩兵隊だって鳥羽伏見の時の竹中は近代戦に無知だし、戊辰戦争の奥羽列藩同盟なんか目も当てられん。
幕府の軍政掛りは早くにその害に気づいてたらしいが、それを無視したのも幕府。
大鳥が就いてやっとまともになるが、それも江戸脱走後。上が無能じゃどうにもならんよ。

>>300
悲惨な話だが、ぶっちゃけ止むを得なかったと思うよ。
輸入超過状態で近代化を図るには、国力を振り絞るしかないから。
日本以前に近代化を目指したムハンマド・アリーのエジプトの例をみても同じ。
もっともあっちは英仏列強に介入されて終了したが。
まぁ所詮ゲームだが、Victoriaは良く出来てると思うよ。
急速な工業化を図るなら、農民の不満ギリギリまで絞りつつ官営工場作って資本家を育てるしかない。
当然ながら現実より単純化されてるけどね。江戸幕府鎖国してないしw

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 02:20:05 ID:NrZR9QHD0
>>302
餓死者も出ておらず、その余剰人口を都市部で吸収できた、
国家としてみれば、別段待ちがっとらん。
江戸時代はそれみんな餓死してたよ。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 02:21:02 ID:159NYNuA0
明治以降に大きな米騒動は3回起きている
とくに「1918年米騒動」は全国規模に拡大し
暴動参加人数は100万人に達した
http://ja.wikipedia.org/wiki/1918年米騒動
http://ja.wikipedia.org/wiki/秩父事件

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 02:36:06 ID:wyNysdkp0
>>296
幕府には国家などという観念は無い。幕府にあったのは将軍家を守ることだけだ。
幕府の国家観は、日本は将軍家繁栄の為の搾取対象であるというだけのこと。
吉田松陰・横井小楠という幕末の思想家は、そんな幕府の食い物に甘んじていては
日本は欧米列強に伍する近代国家たりえないと説いた。
そうした思想が明治維新を理論的に裏打ちしたわけだ。
それに対し、幕府には既得権益層の収奪を正当化する論しかなかったから民衆の支持を
得られる筈もなく舞台から退場を迫られたのは当然のことなのだ。
そして幕府には近代的な兵制は無かった。
固定的な身分制度に固執する幕府に近代的な兵制など実現できるわけがない。
近代的な兵制とは身分制度を打破した四民平等を前提とした国民意識を必要とするからだ。
明治初期の陸軍は、幕府の兵制など全く引き継いでいない。
人を再雇用したというだけに過ぎない。
明治新政府は過去にとらわれない人材登用を行ったのだから当然のことだ。
適材適所の人材活用とはそういうことなのだ。
幕府は高島流砲術の家元である高島秋帆を鳥居耀蔵の讒訴によって投獄するという
馬鹿げた愚行で軍制改革を失敗させている。これだけではない。幕府のいう改革という改革は
このような低レベルの嫉妬、讒訴によってことごとく失敗させていたのだ。
鳥居耀蔵という馬鹿がのさばっていたのは恐怖というしかない。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 02:59:49 ID:wyNysdkp0
>>302
その原因の全ては幕府にある。
幕府が260年もの間、ひたすら惰眠を貪り、諸外国との交流を怠り、
日本の近代化を遅らせ、無駄に国力を疲弊させていたツケはあまりにも大きかった。
幕府は日本という国に対して天文学的な簿外債務を発生させていたのだ。
そうした遅れを取り返すために明治新政府は少々強引な近代化政策を推進せざるを得なかった。
幕府の治世は農本主義であったにもかかわらず農業の合理化・効率化・近代化は
全くなされず、幕府を盲信していた東北諸藩においてもそうした機運は生まれなかった。
明治新政府においても工業化を急ぐあまり農業の近代化・技術開発に遅れをとったのは否めない。
それが昭和東北大凶作という悲劇の原因となり、窮民救済の要求が満州農業移民の思想の
背景であり、東北農民の悲劇を日本全国に拡散してしまうことにつながったのだ。
明治新政府は幕府という道楽親父の膨大な借金を懸命に返済しながら必死に勉学にはげんだ。
しかしこうした無理は体を壊す原因となった。
その原因の全ては幕府にある。
道楽親父を責めずに殊勝な孝行息子を責めるのは酷をとおりこして狂気という以外に無い。
あまりにも無情だ。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 03:47:02 ID:vFPhFck40
>>303
その急激な近代化と徴兵が急進的な大衆化と過激派生んだ
温床だよ。で、大戦から敗戦。
近代日本にリーダーがいなかった理由はこの急激な大衆化。
1889年の憲法体制以来普選まで僅か36年。
何百年もかけた英国とは好対照。

早く燃える炎は燃え尽きるのも早い。同期の桜か??
日本人は実に刹那的だねw
なるほど人口減少も急激だw
>>304
余剰人口が吸収できないから海外出稼ぎさせたんだよ。
ハワイ移民の歴史は明治初頭からだ。
1900年のハワイ人口の半数は日本人。
そして米国にまで移動してとうとうぶつかるわけだな。
戦後の北朝鮮5万人、南米移民も余剰人口からだ。
一昨年のドミニカ移民訴訟の背景だな。
戦前の満州移民1000万人計画然り。

つまり明治政府は最後まで人口問題の解決はできなかったわけだ。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 07:57:17 ID:NrZR9QHD0
移民で解決できたなら、解決できたとすべきですが。
それに海外への移民した人口なんで、全て合わせても、当時の日本の人口増加率に比べれば、
一年か二年分に過ぎませんよ。国内でも十分吸収可能です。
当時の失業率はもっとも悪いときでも5パーセント程度
欧米はもっと酷いときもありましたし、問題となる数字とはいえません。

江戸幕府みたいに、定期的に何十万という餓死者を生んでいたわけでもないし、
姥捨て山と子殺しがはやったのも江戸時代ですしね。

>その急激な近代化と徴兵が急進的な大衆化と過激派生んだ

それが国民国家というものです。
国民全てが国防を担い、それゆえに国民の政治意識があがり、
国民全てが政治に関与するのが、民主国家なのですから。
一部の者のみが、政治と国防を担う体制は、どのように安定していいたとしても、
民主国家の足元にも及びません。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 09:14:43 ID:Dh1rnryn0
>>308
>つまり明治政府は最後まで人口問題の解決はできなかったわけだ。
その原因の全ては幕府にある。
江戸時代の東北・関東での幕府による農民抑圧・窮民見殺し政策の反動で
明治になって人口爆発が起きたのである。
そもそも幕府の人口問題の解決は、経済を停滞させることによって婚姻を困難にさせて
人口増を抑え、非人道的な間引きの容認といった人口抑制政策に過ぎなかった。
徳川幕府によって抑圧されてきた国民が明治の文明開化・殖産興業・富国強兵によって
少々浮かれて子供を作りすぎてしまったのが原因である。
ここでも明治新政府は徳川幕府の無為無策のツケを払わされている。
明治新政府は幕府という道楽親父の膨大な借金を懸命に返済しながら必死に勉学にはげんだ。
しかしこうした無理は体を壊す原因となった。
その原因の全ては幕府にある。
道楽親父を責めずに殊勝な孝行息子を責めるのは酷をとおりこして狂気という以外に無い。
あまりにも無情だ。


311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 14:17:15 ID:159NYNuA0
人口が増えたのに税金を増やし続けた明治政府は孝行息子とは呼べない
どうみても似合わない贅沢品を買いあさるドラ息子だなw
陸奥も大和も役立たずで撃沈
馬と牛で飛行場造成

江戸期は農民に税は有ったが、町民は無税、相続税も無し!
農民の税は物納可能、娘売りや土地放棄はしなくて済んだ
また社会奉仕すると米で支払われ実質的な年貢は生産高の2割ぐらいだった
良い親父じゃないかw

江戸期の封建主義の非人間的な制度はそうだと言える
でも、これを改めるだけで人口爆発と経済発展と近代化は可能だった
明治政府が中央集権化して財閥に集中投資したため
近代化は逆に遅くなった
日本人の勤勉さと新しもの好きを過小評価し過ぎ


312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 15:41:12 ID:1vb4X8kn0
>陸奥も大和も役立たずで撃沈馬と牛で飛行場造成

トーホ愚人どもはどうしようもないですね。

>江戸期は農民に税は有ったが、町民は無税、相続税も無し!

明治期でも商業活動からは税金なかったんですが、
所得税が導入されたのは、もっと後。
他国でも第一次大戦ごろ。
そしてその結果、資本家のみが大金持ちに。

>農民の税は物納可能、娘売りや土地放棄はしなくて済んだ

人じゃなくて、農地に課税してるからだよ。
そして娘売りはあったけど?喰えないときは、ころすか売るかだよ。

>また社会奉仕すると米で支払われ実質的な年貢は生産高の2割ぐらいだった

そりゃ天領だけですな、
日本の四分の三は諸藩の領地で、ここは参勤交代や江戸滞在など、
無駄な経費が藩の出費の五割を占め(九州四国になるとそれ以上)
そのため税率が七割近くいってしまった藩だってある。

こうして諸藩とその民を苦しめた結果、一人発展していたが江戸とその近郊の農民。
今で言えば、北朝鮮でもピョンアンだけいい暮らししているのに似ている。

>明治政府が中央集権化して財閥に集中投資したため

開発独裁以外で、急速に発展した国などないよ。


313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 18:15:52 ID:LNvzg0pU0
>>311
>明治政府が中央集権化して財閥に集中投資したため
>近代化は逆に遅くなった
その原因の全ては幕府にある。
近代化とは制度の改善だけでは不可能だ。
公共資本と生産財に投下する巨大な資本が必要なのだ。
農民をひたすらいたぶるだけで経済オンチの幕府には資本が無かった。
また幕府の国民窮乏化政策によって資本家も育っていなかった。
だから幕府に近代化など不可能であったし、明治新政府も大変なハンディキャップを
背負って近代化を担ったのだ。
経済オンチの幕府は大商人から私腹を肥やすための賄賂を要求するだけで
全く課税はしていなかった。これが結果オーライとなり大商人が明治以降に
資本家・財閥として成長していくことにつながったのである。
しかし、そうしたわずかな芽を必死に育てて大きくしたのは明治新政府なのだ。
幕府は260年かかって犬小屋を作っただけで公共資本の整備を怠った。
その原因の全ては幕府にある。
道楽親父を責めずに殊勝な孝行息子を責めるのは酷をとおりこして狂気という以外に無い。
あまりにも無情だ。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 19:07:23 ID:e/x5QaaK0
何で互いの政治形態の欠点を罵り合う流れになってるの?

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 19:38:13 ID:LNvzg0pU0
>>314
何で貴方は、そんな幼稚な見方しかできないの?

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 20:46:44 ID:pNdV1tTP0
>>315
それは違う。現代からの視野の後付でああだこうだ書いてるだけだと
いうことだよ。幼稚というならID:LNvzg0pU0オマエの書いてることが
どれだけ高度なのよ?え、オレと>>314が納得いくようなレスを書いて見ろよ

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:05:21 ID:FrqdwAOJ0
    ..--‐‐‐‐‐‐‐‐---..,
   (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::::\
   //        ヽ::::::::::|
  // .....    ........ /::::::::::::|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ||   .)  (     \::::::::|    |  
   |.-=・‐.  ‐=・=-  |;;/⌒i   |  
   |'ー .ノ  'ー-‐'     ) | <   もうすぐ政変があるぞ!
  |  ノ(、_,、_)\     ノ    |
  |     ___  \    |_   | 
   |  くェェュュゝ    /|:.    |
   ヽ  ー--‐     //::::::::::: |  
   /\___  / /::::::::::::::: \____________
 ../::::::::|\   /  /::::::::::::::::::


318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:26:57 ID:MjJF0AwI0
>>308
>1889年の憲法体制以来普選まで僅か36年。
>何百年もかけた英国とは好対照。

いやおま、あの時代に何百年も掛ける計算で近代化してたら、
近代化完成する前に露助の属国にされて終了じゃね。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:38:02 ID:8NaZoJz30
>>298
>廃止を提言している人は多数いたが、その逆はいないよ。
そんなに俸禄廃止論者だらけだったのなら、
最初から華士族制度をつくらず、俸禄も支払わなければいいだろ。
オマエの後付けの屁理屈は穴だらけだ。

>御用金をふんだくったのは幕府
幕府が550万両ふんだくった証拠を出せ。
ちなみに薩長は戊辰戦争で疲弊しきった商人たちから、
御用金300万両をふんだくってる。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:38:42 ID:8NaZoJz30
>>299
>幕府歩兵なんてなんの役にも立ってないでしょ。
役に立ったか否かは本質的な問題ではない。
重要なのは、近代陸軍の創設に最初に着手したこと。

>長州の奇兵隊のほうがはるかに制度的にも、マシ。
卑民部隊の奇兵隊は、さんざんこき使われたあげく、長州人の手で粛清されてる。
これは長州人の封建的な差別意識の現れだから、覚えておくように。

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:39:42 ID:8NaZoJz30
>>300
そのとおり。明治期になってからの方が、貧富の差が拡大してる。

>>301
オマエが僻地に何百年間も飛ばされてた負け犬外様の子孫だということはよくわかった。

>>302
長州人が日本国内に投資せず、貴重な資本を朝鮮人のためにばら撒いた結果だ。
これによって日本の健全な近代化がどれほど損なわれたことか。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:40:31 ID:8NaZoJz30
>>303
そもそも繊維産業を外資獲得の基幹産業に育て上げたのは幕府だ。
薩長はその果実を掠め取っただけ。
また、秩禄処分の本質は極めて簡単。金が無いからもう家禄を払えないということ。
無い袖は触れないんだから、木戸が望もうと反対しようと、秩禄処分せざるをえなかった。
バカは薩長ヲタがこれをあたかも薩長の功績であるかのごとく妄想するから変な話になる。

>>306-307
なぜ事実を逆さまに見る?
新国家の設計図をもっていたのは幕府側。
薩長はなんの展望もなく、無謀な内戦を起こした。
これが事実だ。
薩長が攘夷に狂ってた頃、日本を開国に導き、
近代国家へと脱皮させようと努力してたのは誰だと思ってるんだ。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 22:42:59 ID:mpb3B0LF0
>>318
普選は近代化の要件ではないな。
そのロシアがそうだ。

もっと広く外国から学べ。
>>309
妄想からくるモデル論的な国民国家ではなく具体的な国家を上げてみな。
近代史は日本史しか知らない人間には理解できんぞ。
くだらん民主主義原理主義が日露戦争に勝てた原因ではないだろ。

「ドイツ語しかわからない人間に決してドイツ語は理解できない」〜ゲーテ〜

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 23:45:04 ID:lN82PMMp0
>>308
君の言う「急激な大衆化」がよくわからないけど、
憲法発布は単なる「大衆化」の結果ではない。
藩閥政治内で薩摩VS長州・土佐の抗争の結果として憲法と議会がつくられた。
明治憲法が欽定憲法なのはそのためで、民権派を押さえつけ、
藩閥の利益を守るための仕組みが随所に仕組まれてる。
そしてそれが日本にとって最悪の結果をまねくことになる。

>>309
明治国家は「国民国家」ではないよ。
一応オモチャのような機会制度はあったけど、
政府はそれを超越し、天皇の権威を悪用して好き勝手なことができた。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 23:52:54 ID:NrZR9QHD0
>>319
>最初から華士族制度をつくらず、俸禄も支払わなければいいだろ。

それじゃ反乱が起こるし、士族が盗賊などになり治安が悪化する、
こういう既得権益は徐々に減らしていかないと駄目。

>幕府が550万両ふんだくった証拠を出せ。

長州征伐の費用はとても幕府では捻出仕切れなかったので、
商人からの借金でまかなっていた。その総額は550万両、
ちなみにこれ長州征伐だけだから、それ以前のものや、欧米からの借款は含まれない。

>御用金300万両をふんだくってる。

初耳だが、あそこまで幕府から搾取されていたってのに、まだそれだけの余裕が、
商人にあったのか?

>重要なのは、近代陸軍の創設に最初に着手したこと。

チンピラごろつきを集めて、武士は銃には手も触れない、
指揮官も能力ではなく、身分で決まりました。
なんという近代陸軍なんでしょうかね(苦笑
奇兵隊の場合は、そういうのがなかったから、強かったんですけど。

>卑民部隊の奇兵隊は、さんざんこき使われたあげく、長州人の手で粛清されてる。

屠勇隊のことなら、別に差別されて粛清された事実などありません。
むしろこの時の活躍で見直され、身分制度の打破にもつながったくらいです。
また長州で粛清された奇兵隊ってのは、大楽以下武士層であって、
庶民や部落などが、差別意識からこき使われて、粛清された事実などありませんよ。

会津奇兵隊あたりと勘違いしてません?

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 00:00:11 ID:4dVXp8N80
>>322
>そもそも繊維産業を外資獲得の基幹産業に育て上げたのは幕府だ。

妄想を史実と勘違いしないように、
幕府がどこで製糸の工場つくったり、そういう業者優遇したりしたというんですか。

>また、秩禄処分の本質は極めて簡単。金が無いからもう家禄を払えないということ。

幕府みたいに武士に給料払うだけの機関であれば、余裕で払えますよ。
ですが明治政府は武士層の為にあるわけじゃないので、
さっさと切っただけです。他に使うところがいっぱいあるわけですよ。
幕府みたいに、武士の給料と大奥の経費などで、収入を全て使い切ってません。

>新国家の設計図をもっていたのは幕府側。

幕府にはそんな知性も計画性もないです、あったのは糞な幕藩体制を維持しようしただけ。

>薩長はなんの展望もなく、無謀な内戦を起こした。

違います、薩長にとって倒幕など通過点、
廃藩置県と武士のリストラと国民国家の創出により、
日本を強力な中央集権国家にするのが目的で、
その抵抗勢力である幕府を打ったに過ぎません。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 00:10:05 ID:4dVXp8N80
>>323
国民を戦場に自ら進ませるには、国家主義、民族主義的な思想が不可欠。
そしてその利益が国民にもつながり、国家と一体感を覚えるようにならんと駄目なんですよ。
これが最初の前提条件、でないと動員兵力に天と地の差がでる。

そして当然それだけでは戦争には勝てない。
指導者は冷静に国際情勢を見極め、時には世論を無視して、大国に妥協しないとね。

>>324
議会成立後の政府にそんな万能性はないが?
天皇を利用して、好き勝手にできた?
具体的になんのこと?
立法は不可能、勅令なんて、議会の下位法に過ぎず、
予算も議会を通さないと無理、年々インフレするのに、
前年度予算でやれるわけがない。

そしてそれゆえに、伊藤は政党を自ら作る道を選ぶわけなんだから。
天皇の権威を利用して好き勝手にできるのなら、そんなことをする必要はない。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 00:16:38 ID:F05UbPMk0
>>325
>初耳だが、あそこまで幕府から搾取されていたってのに、まだそれだけの余裕が、
>商人にあったのか?
薩長がふんだくった300万両というのは会計基立金のことだろ。
地租での引き当てを約束してたけど、要するに幕府の御用金と同じ。
江戸や関西の商人が苦しんだことは有名な話だ。
それよりも幕府がふんだくったとされる550万両の方が初耳。
ソースを教えてくれ。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 00:22:31 ID:r9GeRHdg0
まあ倒幕側の人間にしても幕府側の人間にしても
幕府という体制を破壊することに苦慮していたという点では同じだな。
時代の変化になんとか対応したい、という結果が明治維新であり、
その答えが倒幕であった。
幕府の体制で良かっただ、幕府に人材がいたと言っても仕方ないんだよ。
なぜなら幕府は長州一藩を敵にして潰せないどころか負けたんだから。
これから欧米と戦おうという時代に、国内の一藩も潰せない、従わすことも
できない幕府にいったい何ができるのやら???w
ライバルは清か、ロシアか、はたまたアメリカか・・・
いえいえ幕府の敵は薩長であり、それすら倒せなかったという答えが確かにある。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 00:56:54 ID:btkJmfNr0
>>329
長州は幕府に負けてる
つぶされる直前まで言った
薩摩が協力してくれて行きを吹き返した
長州脳だなw

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 00:57:55 ID:dhE5O5wk0
>>322
>なぜ事実を逆さまに見る?
>新国家の設計図をもっていたのは幕府側。
>薩長はなんの展望もなく、無謀な内戦を起こした。
>これが事実だ。
>薩長が攘夷に狂ってた頃、日本を開国に導き、
>近代国家へと脱皮させようと努力してたのは誰だと思ってるんだ。

ぐはあ、事実を逆さまに見ているのはお前の方だよ。
幕府には何の設計図も無かった。
幕府は清がアヘン戦争で大敗し、欧米列強の脅威が身近に迫っていると知りながら、
無為無策の空白の10年、有効な施策を何もうたなかった。
新国家どころの騒ぎではない。まさしく国家存亡の危機に何もしなかったのが幕府だ。
その幕府にいったい何の設計図があるというのか。
無謀な内戦を起こしたのは幕府の方だ。
長州一藩を仕置きできなくて、恥をさらしたのが幕府だ。
大政奉還と称して無責任にも一方的に政権を放り出したのが幕府だ。
そして幕府の残党はあろうことか明治新政府に逆らい逆賊にまで落ちぶれて無謀な内戦を起こした。
そして攘夷に狂ってたのは、そもそもが幕府だ。
1825年異国船打払令を発したのが幕府だ。もし、その令が原因で欧米列強と戦争になったら、
幕府はどう責任を取るつもりだったのか。国際情勢に対する無知と無責任で攘夷に狂い、
自分では外国と戦争する気構えも準備も全く無いにもかかわらず無責任に諸藩に命令するという
無茶苦茶の極致だ。果ては一戦交えることもなく、諸外国に恫喝され、軽んじられたのが幕府だ。
なし崩し的に開国に押し捲られただけだよ。あまり笑わせないでくれ。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 01:11:17 ID:4dVXp8N80
>>328
>地租での引き当てを約束してたけど、要するに幕府の御用金と同じ。

ぜんぜん別のものですが、、、
どこの世界に積立金と、御用金を一緒にする人がいますか。

そして長州征伐のときにかき集めた金です。
将軍上洛と長州征伐のときの御用金あわせて550万両以上。
詳しくは、「江戸幕府御用金の研究」などでも読んで自己保管してくれ。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 01:13:06 ID:4dVXp8N80
>>330
薩摩の協力って出兵しなかっただけなんだが、
薩摩なんて、武器の輸入ルートのひとつにすぎんし、


334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 02:07:19 ID:btkJmfNr0
>>331
打ち払い令は1842年(天保13年)には廃止した

下関戦争は1963年だよな
攘夷を主張しイギリスと戦争したのは長州だぞ?
賠償金を払って尻拭いしたのは何処だ、金返せw

まあこれでもよんで落ち着け
http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/tachiyomi.html?bango=4-18-413916-7


335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 02:34:32 ID:4dVXp8N80
朝廷は攘夷を幕府にいい、
幕府は諸藩に攘夷決行を命令したよ。
馬鹿正直にやったのは長州だけだったけど。

ちなみに幕府は金払ってないからね。
払えなくて、結局新政府が払っている、

なおこの金は無理に払わなくてもよかった。
英国は開港をさせる為に、無理な要求をしただけで、
幕府が開港させとけば、払わなくてもすんだもの。
だけど幕府は馬鹿だから、払うことを選んだ。
そして結局払えなくて、借金返済を待ってもらうかわりに、
結局開港することになり、借金も減らなかったw

幕府がどんだけ外交オンチで馬鹿なのかよくわかるよ。

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 03:26:31 ID:tUJBWw0m0
>>332
なんで積立金なんだよ、馬鹿かおまえは。
会計基立金は御用金だ。
薩長は大阪商人から金をゆすりとって戦費に当てたんだよ。

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 05:32:35 ID:lIpR/bIE0
馬鹿正直に攘夷を実行したのは長州だというが
当たり前だろ
長州が朝廷を動かして攘夷をやらせたんだから

で、痛い目にあってようやく馬鹿な行為だったと気づく
犬猫と同じだなw

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 06:10:47 ID:r9GeRHdg0
>>330
いつ長州が潰れる直前まで行ったんだかw
金は十分にあるし、兵の士気も十分。禁門の変こそ敗走したが
多勢に無勢だっただけ。そして何より薩摩が強かったんだよ。
幕府はいつも訳の分からん殿様を大将にして城に火をつけて敗走だろw
幕府の力とはつまりは薩摩のことですか?

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 06:19:12 ID:WBB5XYIp0
>>334
長州が下関戦争を起こしたのは、幕府の立場を代行したものに過ぎない。
戦争そのものは無謀な愚行だが、実に筋目の通った話なのだよ。
長州の先覚的な人物は、下関戦争が無謀な愚行であると初めからわかっていたし、攘夷の愚も
悟ってはいた。しかし長年の幕府の鎖国政策・海外留学禁止政策によって藩の大勢は
国際情勢に疎く本気で攘夷を信じてもいた。だからこそ、藩の大勢に、日本全体に、
攘夷の愚を悟らせる為に、あえて無謀な戦争を起こしボロ負けに負けて血を流したのだ。
そして実際に長州は藩論を攘夷から開国に転じさせることができたし、
他の諸藩も、あの長州でさえ勝てないならってことで開国を納得したのだ。
だから下関戦争はミクロな視点では愚行そのものだが、大局的に見れば実に賢明だった。
「話せば分かる」などというが、人は言葉だけでは動くものではない。
自分の目と耳で見聞し、自分の体で痛い目に会わなきゃ悟るものではないのだ。
それが人間の本質であり、政治の本質でもある。古今東西、それが人類の歴史なのだ。
長州は日本全体を救うために犠牲的精神で大局的見地に立ってあえてボロ負けてみせたのだ。
公家を賄賂で買収し、攘夷強行論者の天皇を丸めこめば攘夷から開国に転換できると
考えていた幕府の老中の軽薄さと比べれば、まさに雲泥の差だ。
その賠償金を払う責任は幕府にあることはいうまでもない。
長州一藩という極めて限定的で軽微な戦争で済んだから、ボロ負けといっても些少の賠償金に過ぎない。
勉強代と考えれば安いものだ。
しかし貧乏幕府には、その賠償金さえ払えないというのだから、もうお話にならない。
もし幕府の失政のせいで日本全体が無謀な戦争を起こし、天文学的な賠償金を課されていたら
どうなっていただろうか。長州一藩の犠牲によって日本は救われたのだ。
下関戦争は日本近代史に燦然と輝く長州の偉業なのだ。
だからどんな歴史教科書でも下関戦争を記載している。
幕府の失政の尻拭いをしたのは何処だ、金払えw

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 10:10:21 ID:lIpR/bIE0
>>339
久々にこれ程酷い妄想文をみたわw

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 14:37:04 ID:KEYOqKcv0
>>339
すべて日帝がわるいニダ!
とファビョってる朝鮮人みたいだ。

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 15:13:22 ID:4dVXp8N80
実際に全て幕府が悪いからな。日帝みたいな、朝鮮の救世主じゃなくて。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 16:17:04 ID:6vYSTfst0
少なくとも歴史の話で、あれが悪い、これが悪いと善悪論で語るのはニュー速でやるべきでは?

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 20:00:15 ID:soevyH2/0
長州人は朝鮮人。
300年間にわたって幕府を恨み続けたチョソ。

>長州は明治になるまで毎年正月に「殿、今年こそ徳川征伐を!」と、
>徳川への恨みを確認する儀式を繰り返してた。
>ここまで徳川への恨みを引きずった藩はほかにないだろ。

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 02:57:16 ID:bIYnKwh20
>>323
ああごめん、近代化による不満を緩めるための普通選挙導入って意味で近代化=普通選挙と考えていた。
分かり難くてすまん。

>>344
朝鮮人が一地方を占拠するほど大量に渡ってきた記録はないし、毛利氏はそもそも関東の出身の豪族だろ。
つか、百年経っても忘れない会津人も朝鮮人なのか?どんだけだよw

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 09:56:09 ID:Z0u2mqog0
>>335
幕府は全額払えなくても150万ドルを払ってる
あほな長州の為に

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 21:14:46 ID:bIYnKwh20
>>346
だから、それは最初から開港すれば払わなくて良い金だったと>>335は言っているんだと思うが。

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 21:24:43 ID:DH1CHjpv0
つまんねぇーことダラダラやってんな。もう止めろ、ホントにつまんねぇー

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 21:33:39 ID:H2UeW59F0
その時 歴史が動いた「日本人の心を守れ〜岡倉天心・廃仏毀(き)釈からの復興〜」 

明治維新のさなかに起きた仏教排斥運動、廃仏毀釈によって日本の仏像は壊滅の危機にひんしてしていた。
その保護に立ち上がったのが、近代日本美術の発展に功績を残した岡倉天心。
天心は日本が西洋化し伝統文化を軽視する風潮が広がるなかで、仏像保護の必要性を訴え続けた。
そして修理に挑む際、「美術品でもあり信仰の対象でもある仏像をいかに修理するか」という問題に直面する。
文化財保護の礎を築いた天心の闘いを描く。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 00:24:00 ID:4yHwE6l40
和宮降嫁の時に幕府は孝明天皇に「十年以内に攘夷します」と約束した。
期限が来た時、幕府(一橋慶喜だが)は「開港していない港に異国船が近づいたら撃ち払っても良い」と発表。
下関港沖に異国船が来たので、長州は打ち払った。

どう見ても長州は幕府の命令にそって行動しているぞw
賠償金は幕府が払って当然だろw

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 05:35:21 ID:Awy/qkqQ0
>>350
その朝廷を動かしたのが長州だっつーのw

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 07:17:40 ID:fbIh++VN0
>>351
ほう、幕府に動かせなかった朝廷を長州は動かしたのか!
こりゃたいした実力者じゃなあ。
それじゃあ幕府は実力者の長州に政権を譲ったのは当然じゃなあ。

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 07:57:15 ID:Awy/qkqQ0
>>352
単純な足し引き算で物事を決める馬鹿w

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 12:53:59 ID:UBAfBI0QO
とにかく幕府はクソってのは事実だからしょうがねーわな

戦後の経済復興だって明治式のエリート教育受けた政治家や企業が引っ張ったんだし

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 19:31:52 ID:XwVjvWCs0
>>351
嫁をもらうときの条件が攘夷なのは長州とは無関係のはずだが、
孝明天皇がゴリゴリの攘夷主義者で、この問題では幕府と終始対立してた。

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 22:04:33 ID:isRc34As0
>>355
いろいろと史料をよく嫁
はなしはそれからだ

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 22:31:43 ID:Cqjd/Gsx0
>>349
岡倉天心がいなかったら薩長によって日本の仏教美術が抹殺されるところだった。

>>350
和宮降嫁はあくまでも公武合体が目的。
攘夷を降嫁の条件に差し挟んだのは岩倉具視で、幕府に対する嫌がらせのつもりだった。
しかし実際は幕府に10年の猶予期間を与えることになった。
日本が、開国し、諸外国と通商を結び、近代化・富国強兵政策が
大規模に展開されたのは、この猶予期間があったからでもある。

>「開港していない港に異国船が近づいたら撃ち払っても良い」
それは長州が勝手に朝廷に要求したこと。
幕府の布告は、外国から攻撃された場合は反撃せよというもの。
「攘夷の儀五月十日可及拒絶段御達相成候間、銘々右之心得を以自国海岸防御弥以厳重相備、
襲来候節ハ掃攘致し候様可被致候」

長州は幕府の命にそむき野蛮な先制攻撃をし、日本を危険に陥れた基地害。

>>355
孝明天皇は同時にゴリゴリの佐幕派で長州嫌いでもある。

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:06:16 ID:MIfSRon/0
>>357
必死に言い訳しているところすまないが、
>和宮降嫁はあくまでも公武合体が目的
それは幕府の目的であって、朝廷の目的ではない。
孝明天皇の悲願は「鎖国の継続」であり、その為の和宮降嫁だ。
したがって幕府が攘夷決行を約束させた事こそ孝明天皇の成果。
元々孝明天皇自身和宮降嫁には大反対していた。
幕府が無理矢理政略結婚の圧力を加えてきたから、岩倉も政略結婚として孝明天皇に入れ知恵しただけ。
攘夷できないなら、最初から天皇に攘夷できないとハッキリ言えば良かったじゃないw。
約束した以上、攘夷決行は幕府の使命。長州は幕府の攘夷決行の先駆けとして攘夷決行しただけだ。

>孝明天皇は同時にゴリゴリの佐幕派で長州嫌いでもある
孝明天皇は激烈な攘夷派である事もお忘れ無くw。
もっとも攘夷主義者でありながら平和主義者でもあったがw

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 01:17:07 ID:UOivrhTo0
>>358
史料をとにかくよく嫁
もう妄想で話をするのはここでやめにしたら?w

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 04:08:30 ID:R7qaqAfq0
元々攘夷に邁進していたのは幕府の方なのだ。
その証拠に幕府は異国船打払い令を出した。
幕末においてさえ幕府は開国派と攘夷派に分裂し一貫した政策が打ち出せずに
ただ時間稼ぎをしていただけだ。いくら会議を開いても結論を出せずに、
権力闘争をしていただけだ。
開国か攘夷かは日本の命運を決する最重要課題の筈だ。
海外に留学生を送ったり、視察したりして国際情勢を探るのは最低限の勤めだ。
しかし鎖国に固執する幕府はそれすらやらずに、諸藩のそうした動きを妨害さえした。
幕府に攘夷派を謗る資格などない。幕府に攘夷派の不明を侮る資格などない。
海外文化の国内流入を邪魔して、海外書物に学ばせまいとしたのが幕府だ。
国策を開国に転じるなら、説明責任を果たし、国論をそう変える必要があった。
しかし幕府はそれもやらなかった。
豪腕井伊は強権的な弾圧に狂奔するだけで水戸浪人に斃される始末だし、
軟弱阿部は開国派と攘夷派の狭間で心労を重ね早世する体たらくだ。
人材難の幕府はひたすら醜態を重ねるばかりで政権担当能力の欠如を露呈していた。
幕府の惨状ぶりを見て取った長州藩と薩摩藩は自らが犠牲となって
下関戦争、薩英戦争であえて諸外国にボロ負けすることで攘夷の愚を満天下に
知らしめることにしたのだ。国策を変えること、国論を変えることはそれほどの難事であり、
それを果たしたのは幕府ではなく、長州であり薩摩なのだ。
だからこそ諸藩は長州を、薩摩を次のリーダーと認めたのである。
政策の是非が問題なのではない。問題は政策を決定するプロセスであり、それを遂行するプロセスであり、
国民の納得を得るプロセスなのだ。
幕府には、そのいずれもが欠けていた。そんな幕府に日本の近代化を担う資格など無いし、
政治の舞台から退場することになったのは歴史の必然といえよう。


361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 04:34:23 ID:UOivrhTo0
薩長ヲタのキモさだけがよくわかりました

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 06:12:31 ID:OXdxN7xC0
>>355
長州嫌いなんだから、長州の圧力で攘夷を条件にしたというのは嘘というのがよくわかる。
あくまで孝明天皇が攘夷主義者で、妹差し出すなら、攘夷しろ、
という交換条件でやったのに、幕府は命令を無視しただけ。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:33:03 ID:2kN98JZU0
宮台真司

宮城県仙台市で誕生。母方の祖父は生物学者。父は宮台昇(元キリンビール医薬事業部長)父親の転勤に伴い小学校時代の大部分を
入間市と京都市で、小学6年の秋から大学時代まで三鷹市と大和市で過ごす。中高時代は一貫制進学校の麻布学園に通っていた。

フィールドワークとしてテレクラに通い、女子高生の援助交際・コギャルの実態を分析した。
その結果、こうした行為に及ぶ女子高生の生き方を「キツい学校的日常を潰されずに生き抜く知恵」、
つまり「まったり」であると評価する。1990年代にはメディアに度々登場しブルセラ社会学者として注目を集めた。

一時期、ジャーナリストの速水由紀子との事実婚関係だったが、現在は解消し、書店員の女性(佐伯胖の娘)と結婚している。
(佐伯の教育論については門下の佐藤学を含め痛烈に批判していたことがある)。その妻の曽祖父は伊東巳代治。



364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:45:45 ID:u1q8r90PO
>>362
無知


365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:51:01 ID:Lk2i3LVW0
どうして幕府厨は他人を罵倒することしかできないのだろうか。

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 19:59:55 ID:DVtKzz+80
>>357
孝明天皇は攘夷というのが目的で、
それをやってくれるのが幕府だと思っていただけだよ。
だからその意味では佐幕派。
そしてこの認識は当時では、別に珍しくなかったわけ。
薩長にしても、もともとはそういう認識で、
幕府と一緒に攘夷をしよう、という認識だった。

だけど、幕府は欧米のいいなりになって、
不利な条約を結ぶばかりで、国内は大混乱。
安い欧米の製品が入ることで、国内の綿製品は大暴落。
唯一ともいっていい資源である生糸は欧米が買い占めるもんだから、
(それも途中から優先権などを認め、安く買い叩かれた。)
金銀の兌換比率の問題で、金の海外流出が進み、
通貨足りなくなり、今後はそれを補う為に、通貨の質を落とした。
物価の乱高下はすさまじいの一言。
さらに欧米人が持ち込んだ疫病が流行り、何十万という人間が死んだ。
唯一といっていい、貿易のうまみも全て幕府が全て独占していた。

このいつまでたっても。欧米の犬をやめない幕府に苛立ち、
尊攘派や攘夷派が、倒幕派へと変わってしまった。
幕府の長州征伐が一番の問題だがね。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 20:09:29 ID:DVtKzz+80
唯一ともいっていい資源である生糸は欧米が買い占めるもんだから、
物価が高騰した。

抜けてた。

さらにいえば、朝廷と幕府は尊号問題でもめてから、
仲が悪かった。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 05:25:39 ID:+gzUF1UC0
>>365
薩長厨がキモいからだろ

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 09:35:39 ID:kFhDnN7z0
お前のような会津厨の方がキモい

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 09:57:21 ID:+gzUF1UC0
>>369
会津厨?
馬鹿じゃね
死んでろお前w

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 10:42:51 ID:kFhDnN7z0
>>370
そうズボシを突かれたと必死になるな会津厨房W
佐幕ファンて、こんなんで必死になれるやつばっかか?W

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 11:46:57 ID:zzHBhz0IO
他人の事を無知だと思うなら、啓蒙すればいいじゃない。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 14:19:20 ID:0Fz8pioeO
>>362
根本から話せば?
幕府の大老井伊直助が朝廷の許可を得ず独断で開国
これに激怒した朝廷は幕府を飛び越し水戸藩に壤夷慣行の勅命を下す
つまり長州が国本でのほほんと暮らして時点から壤夷慣行は朝廷の勅命であります

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 14:25:07 ID:+znKLPek0
>>373
うーん・・・
実はその頃の長州は長井の「航海遠略策」を藩論としていまして、
「日本は國を開き貿易して豊かになるべきだ」と叫んで朝廷工作していましたw。
つまり、幕府の開国を支持&支援していた。
これに対して、松下村塾系の志士が反対していたが、藩本庁はスルーw。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 15:35:43 ID:ih0TZx0D0
>>371
必死はおまえだろw
笑わせんなw

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 17:30:16 ID:0Fz8pioeO
>>374

一体何の話しをしてるのかと…
壤夷は思想は長州がけしかけた思想では無いって話しをしてんだよ
話しの流れを読んでください
また藩と一言で言っても派閥が違えば思想も違う
極当たり前の事にWを付ける意味が解らない

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 19:25:41 ID:Jq1Hpe6C0
整理すると、攘夷というのは、もともと「夷狄」を「掃攘」する、野蛮人を追い払うという意味だ。
近世日本では儒学的な華夷秩序の観念が対外関係の基本にあったことを議論の前提にし、
自国は中華ー世界の中心にあたるすぐれた国家であり、廻りの諸国は夷狄ーすべてに劣った
野蛮人であるという思想があり、だから肌や目の色が違う西欧人は日本に近づけるなという
主張が出てくる。問題は、19世紀半ばになり日本が西欧列強に対しそのような関係を
持つことは無理だった。このことが幕府が開国へ向かうことになった。そして、朝廷や
公家は、この辺があまり理解できていなかった。朝廷や公家は日本という国を中華の国たる
ことこそ、自分たちの存在があると考えていた。だから、世界の諸国家・諸民族はすべて
平等といった近代的な世界観は持つはずはなかった。
朝廷が和親条約について、よくやったというのは、西欧諸国との間に結ばれたのが、
朝貢に近い関係だと勘違いしたせいだ。実際に和親条約には、困っている夷狄に物を
恵んでやる約束だ、という勘違い的な解釈を許すだけの余地があった。しかし、互いに
対等に貿易をやろうという通商条約には、もうその余地がない。だから、孝明天皇は
本気で怒り「神州の瑕瑾、天下の危亡の基」といい安政五年八月八日に幕府と水戸へ
勅諚を下し、さらに水戸藩にはこの内容を諸藩にも伝達せよ、という別勅がついていた。
これが、「戊午の密勅」という。(なお、>>373は幕府を飛び越しと書いているが幕府にも
勅諚は出している。)

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 20:28:15 ID:6XIE7YXg0
やっと下らない流れは止まったな。

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 02:36:56 ID:SiUWhbYqO
>>377

> 自国は中華ー世界の中心にあたるすぐれた国家であり、廻りの諸国は夷狄ーすべてに劣った

幕末の壤夷思想は中華云々では無く宗教色の強い神国論
"古より神々(天皇やら関白やら)が住み賜る神国。"
この宗教的思想から夷人により国が怪我される等…
また御三家とはいえ、水戸藩は諸藩に過ぎない
その諸藩に過ぎない水戸藩に直直に勅命が下されたって事は、中央政権である幕府を飛び越した異例の勅命
面目を潰された幕府による安政の大獄へと繋がり、桜田門外の変へと時代は流れた

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 08:58:17 ID:AttP+Ewv0
>>379
>また御三家とはいえ、水戸藩は諸藩に過ぎない

水戸は諸藩ではなく、親藩です。親藩とは、徳川本家の親戚で家来ではないから
番頭役の老中にはならず、外様は客分でこれも純然たる家来ではないという
理屈から幕府の政策決定には関われなかった。

…井伊は、勅諚(戊午の密勅)の言う通りにすると、大名連合になってしまうので
幕府はこれを握り潰し、水戸藩には、諸藩に伝達しないように厳命した。しかし、
朝廷側もどうせそうなるだろうと、諸藩に写しをばらまいたから、幕府・水戸あてに
こういう内容の勅が出たという事実はいっぺんに広まってしまった。危機感をつのらせた
井伊は安政の大獄で危険分子をかたっぱしから弾圧をした。そして、戊午の密勅がいまだ
水戸にとどまっていることを処理することに出た。(たとえ条約が完全に勅許された場合
でも生きるものだからである)井伊は返納を命ずる沙汰書を出してくれるよう、朝廷に
申し入れた。安政六年十二月十五日井伊は、水戸藩藩主慶篤に返納が沙汰されたことを伝え、
勅諚を三日以内に幕府に差し出すように命じた。この後、三ヶ月間近く、早く差し出せという
幕府と、いやもう少し待ってくれという水戸藩との間で押し問答が続く。そのうち水戸藩内部で
断固死守を主張する激派と、ここは穏やかに返納しようという鎮派の二派に分かれて収拾が
つかなくなった。ここに至って高橋多一郎、金子孫次郎ら激派の首領株が井伊の暗殺を決意した。

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 09:09:48 ID:l+NBev9F0
>>378
お前ウザイ
意味のない書き込みするぐらいなら消えろ

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 10:11:15 ID:iBa3jEq20
>>380
>危機感をつのらせた
>井伊は安政の大獄で危険分子をかたっぱしから弾圧をした。

開国・攘夷を巡る対立だけではない。
将軍後継問題を巡る対立もあった。
井伊は紀州派の頭目だし、水戸は当然ながら一橋派だ。
水戸藩は井伊に疎まれてからは桜田門外の変、天狗党の乱という喜劇を演じただけで
ついに時局の主流となることなく歴史の舞台から忘れ去られた。
今では水戸光圀公の大日本史編纂も忘れられ、時代劇と水戸納豆で、人々から慕われているという。

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 13:53:51 ID:SiUWhbYqO
>>380


> 水戸は諸藩ではなく、親藩です。親藩とは、徳川本家の親戚で家来ではないから

親藩・外様は徳川幕府徳川家の物差しで定めた区別であり、朝廷の下では征夷大将軍以外は諸藩に過ぎない筈です


384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 15:04:00 ID:QKv9g9qK0
>>379
でもないな。
例えば靖国神社の前身招魂社は儒教の招魂思想の影響が強く、
神道と他の信仰が習合したものだよ。
華夷思想と言うものは華になるか夷になるかと言うことで
平安朝以来続いているもので、征夷大将軍なんてものはその典型だろ。
そして恐らく鬼畜米英なんて戦時の発想も似たようなものだ。
欧米の植民地主義への加担も日本的には夷ではなく華の地位が
欲しかったと言うことだろうな。

その端緒が日清戦争だな。
つまり清朝に対する日本の華夷秩序の転換だな。

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 17:25:46 ID:KQeB+nuv0
>>379
>幕末の壤夷思想は中華云々では無く宗教色の強い神国論
"古より神々(天皇やら関白やら)が住み賜る神国。"
この宗教的思想から夷人により国が怪我される等…

平田篤胤の国学をいいたいのだろうが、思想史からみれば彼にしても思想のベースは
あくまでも儒学の華夷思想があり、それが例の神国思想と癒着したものでしょう?
そのあたりの国学については詳しくないが…

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 22:33:40 ID:SiUWhbYqO
>>384
一口に幕末と言っても初期と後期では諸藩の思想は大きく変動しています。
しかし幕末の根本は初期の神の国云々から成る尊王壤夷思想が出発点だと考えます。
>>385
> 平田篤胤の国学をいいたいのだろうが、思想史からみれば彼にしても思想のベースは
いや。私が言いたいのは水戸学からなる尊王壤夷思想です

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 21:47:29 ID:1cXlPktQ0
>>386
水戸学こそ儒学がベースだろ。


388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 22:40:34 ID:AWXIPiXMO
>>387

> 水戸学こそ儒学がベースだろ。

勿論そうですよ。つまり宗教色の強い思想です

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 15:33:39 ID:/ip7yjIS0
>>388
>宗教色の強い思想です

水戸学第三期のどこが宗教色が強い?説明してくれ

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 20:36:33 ID:NY/21YZ2O
>>389
申し訳無いが一行レスは勘弁して下さい
貴方の考えが解らないと答えようが無い…


391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 21:11:40 ID:L2UjTnui0
だからさ、松平定信が全て悪いんだよ。
こいつが復古思想で、経済オンチでアホなことやって、
思想統制をして朱子学マンセーして、西洋の学問を禁止し、
上げまいとかで、諸藩を苦しめ、生活ができないから、都市にきているのに、
強引に帰らせても飢え死にするだけだし、(そもそも農地は手入れしてないと、またすぐ田植えできない)
尊号問題では朝廷に喧嘩うって、朝廷と対立してしまった。

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 05:48:46 ID:7GG3Nhrr0
>>390
>貴方の考えが解らないと答えようが無い…

何言ってんだ?おまえが、

>>388
>勿論そうですよ。つまり宗教色の強い思想です

こう書いているから、そのまま聞いているんだよ。
幕末水戸学のどこが宗教色が強い思想なんだ?早く説明しろ。

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 13:26:41 ID:LwaWADUFO
>>392
もの凄い喧嘩腰の命令口調…
もし反論があるのなら、何がどうだから違うとか貴方の意見を聞かせて頂けないでしょうか?
1から10の内、もしかすると6とか7までは同意見かもしれない。そうすれば8から説明すれば済む話し。議論は円滑に進みます
一行レスで絡まれても困りますし、一々1から10説明するのも疲れます
もし貴方

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 13:28:04 ID:LwaWADUFO
>>392
もの凄い喧嘩腰の命令口調…
もし反論があるのなら、何がどうだから違うとか貴方の意見を聞かせて頂けないでしょうか?
1から10の内、もしかすると6とか7までは同意見かもしれない。そうすれば8から説明すれば済む話し。議論は円滑に進みます
一行レスで絡まれても困りますし、一々1から10説明するのも疲れます
もし貴方に「水戸学に宗教色が無い」と言うならば、その理屈をお聞かせください

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 16:05:20 ID:vbYUHnPC0
>>394
>もし反論があるのなら、何がどうだから違うとか貴方の意見を聞かせて頂けないでしょうか?

もう一度だけ聞く。

>>388
>勿論そうですよ。つまり宗教色の強い思想です


オマエが一行で返答してるのに、他人が同じように聞くのがダメな理由は聞いていない。

>1から10の内、もしかすると6とか7までは同意見かもしれない。そうすれば8から説明すれば済む話し。議論は円滑に進みます

自分が一行しか書いていなくて、どうして1から10の内なんてことを言い出すのか
分からない。オマエが、「水戸学は宗教色が強い」と書いた理由・根拠を書けばすむことだ。
もったいつけてないで早く書け。オレは、どうしてそう書くのか分からんから聞いている。


396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 15:21:20 ID:3t1Rrh3WO
>>395
私の意見は既に>>385に記してます
てっきり貴方は話しの流れを理解し絡んで来てると思ったので貴方の意見を聞きました
出来るならば、1レスだけ見て絡むのでは無く話しの流れを読み取ってから絡んで下さい
でなければ堂々巡りするだけですよ
宗教色云々に付け加えるなら、そもそも"神"と言う存在を認め、その下に成り立つ思想は宗教です
っあ!別に水戸学や宗教を批判している積もりはありませんよ

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 15:23:03 ID:3t1Rrh3WO
>>396
間違いましたので修正します
>>379
×>>385

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 17:12:32 ID:OhK1UQ8c0
>>396
散々待たせて>>379を嫁ってか?
せめて藤田湖東の「弘道館記述義」あたりをもってきて
自分なりの読解を書くのかと思ったが…。偉そうに、

>>394
>1から10の内、もしかすると6とか7までは同意見かもしれない。そうすれば8から説明すれば済む話し。議論は円滑に進みます

とまで書くから、面白い意見を出すと思ったが話にはならん御方でした。
それから、
>>379
>幕末の壤夷思想は中華云々では無く宗教色の強い神国論

は明らかに誤りだと思う。今回、水戸学や攘夷論・尊王攘夷論、国学などを
「國史大辞典」他数冊の歴史辞書にあたってみたが、アンタのいう論旨では
ほとんどなかった。いったい何をもって、水戸学が宗教色が強いというのか
結局分からん。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 17:40:42 ID:5ipxJnkj0
あ、書き忘れた。
>>396
>神"と言う存在を認め、その下に成り立つ思想は宗教です

違う。宗教とは、その神聖であるものを信仰すること。
英語のreligionはラテン語religio(神への崇敬、畏怖)が原義であり
religare(強く結びつける)に由来する。宗教は、神霊などの崇拝対象と
人間の宗教体験から、個人的・心理的側面と集団的・社会的側面からみることが
できるけど、思想ではない。


400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/23(金) 20:04:37 ID:dr+DgqM80
水戸厨は逃走した

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 18:55:51 ID:Y96vLTc60
1820年代に大きな影響力をもった水戸藩会沢正志斎は「新論」で
”しかるに今、西荒の蛮夷、脛足の賤を以て、四海に奔走し、諸国を蹂躙し、
 眇視跛履、敢て上國を凌賀せんと欲す。何ぞそれ驕れるや”
(しかるにいま西の果ての野蛮なるものどもが、世界の末端に位置する
 下等の存在でありながら、四方の海を駆けめぐり、諸国を蹂躙し、身の
 ほど知らずにも、あえて貴い神國を凌賀せんとしている。なんたる傲慢さで
 あろう)会沢正志斎「新論」日本思想大系53、水戸学 岩波書店1974
30年後、西洋と上記の考え方の日本と正面からぶつかった。そして幕藩体制は
瓦解していった。

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 18:43:44 ID:Ea82KzftO
>>398>>399
すまんね。急な出張で昨日帰国した
んで貴方は何やかんや書いてるが、確信を付いた反論が一つも見当たらないよ
また思想無き宗教など皆無です
根本的且つ的確な反論お願い致します

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 19:05:45 ID:59WochQc0
>>402
>思想無き宗教など皆無です

オマエ無宗教だろう?
宗教は思想じゃあない。
信仰なき宗教など皆無
なんだよ。信仰を持たない野郎は、宗教のことを語るな。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 19:07:03 ID:59WochQc0
それから、ここはオレとオマエのスレじゃないから
下らないことを二度と書くな。オマエが書くことは
水戸学が宗教的である実証だけだ。

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 19:45:24 ID:QIb9vc/o0
>>402
>根本的且つ的確な反論

そのままオマエにお返しする。
一行書きを云々するくせに、自分は何書いてるか分からない>>385の一行書き。
他人に要求する前に自分が

>根本的且つ的確な反論

をしてくれ。オマエが急な出張で昨日帰国した
など書くな。何の意味もないから。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 20:37:40 ID:mEIx0W2rO
この議論いつまで続くの?

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 21:19:32 ID:WmUGqePA0
>>406
水戸厨が、根拠を出すか、一切自分が書いたこと(妄想)を持ち出さなければ
すぐ終わる。

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 22:09:08 ID:jIQGjjJR0
「事に拠りて直書すれば善悪自ずから見はる」
水戸光圀は一種の実証主義者で、歴史的事実の正確な記述こそが正しい方法だとしていた。
全体としてはまだ宗教的外皮をまとっているけど、前期水戸学の核心部分は合理的な科学思想そのもの。
オーギュスト・コントが生まれる100年以上前に、
歴史事実から人間精神の一般史を記述しようとした為政者がいたことを、日本人は誇りに思うべき。

一方、藤田や会沢などに由来する後期水戸学は、記紀神話を歴史的「事実」と詐称し、
建国の原理を天照大神に置き、宗教的妄信と儒学的妄想を織り込み特異な国体論を展開。
これは劣悪なカルト宗教そのもので、光圀の合理精神からは大幅に退行している。
そして、ここから幼稚な尊攘思想やナショナリズムが派生し、
幕末から昭和にかけての日本に致命的な悪影響を与えることとなる。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 14:25:21 ID:kreLa1mmO
>>407
相変わらず議論が出来ない人なんですねw
もう一度書きます。反論があるなら根本的且つ的確に反論して下さい
貴方は人の意見を所々摘まんで質問を繰り返すだけ
貴方の論は一向に見えないまま…
貴方は気がつかなかったようなので>>399

>「國史大辞典」他数冊の歴史辞書にあたってみたが、アンタのいう論旨ではほとんどなかった。

ほとんど無かったって曖昧な発言をどう捉えれば良いのですか?ある程度の部分は同意なのですか?それはどの部分ですか?
〇〇厨って2ちゃん脳特有の脳内認定からの偏見で絡んでくるなら水掛け論になるだけなので以後はスルーさせて頂きます。


410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 14:26:51 ID:kreLa1mmO
>>409
文中のアンカー先訂正します
×>>399
>>398

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 18:30:23 ID:d9jKAPZ90
>>409
>もう一度書きます。反論があるなら根本的且つ的確に反論して下さい

オマエしっこいなー。人に聞く前に自分が

>>388
>勿論そうですよ。つまり宗教色の強い思想です

を先に聞いているオレの問いに答えろ。それを、どうして

>もう一度書きます。反論があるなら根本的且つ的確に反論して下さい

反論なんてしてないだろう?オマエが書いたことを説明してくれって
ずっと聞いてるだけだよ。

>貴方の論は一向に見えないまま…

あなたの論の前に、自分が聞かれていることを書けば何の問題もない。

オマエはな、オレが聞いていること

>>388
>勿論そうですよ。つまり宗教色の強い思想です

にオマエが答えられないという結論を、以下の書き込みで誤魔化し
逃げるということだよな。違うなら、早く書け。

>偏見で絡んでくるなら水掛け論になるだけなので以後はスルーさせて頂きます。

当方は、偏見で絡んでいないし聞かれたことに答えないことは水掛け論とは
いわないよ。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 18:37:57 ID:0CBwfSHs0
>>409
めんどくさいから、オマエの根拠とする文献名を挙げてくれ。
必ず読むよ。書名、著者、出版社、発行年を明記してくれ。
何冊もある中から自分で考えたとかいうなら、全部書いてくれ。
少なくとも、何冊読もうとも中心にした文献は書けるはずだから
レスをくれ。そうすれば結論はすぐでる。

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 21:24:20 ID:qJtlSWeS0
水戸厨におれから一読をお勧めする本を紹介する。
・Gerge Wilson,Patriots and Redeemers in Japan:Motives in the
Meiji Restoration. University of Chicago Press,1992
・Thomas M.Huber,The Revolutionary Origins of Modern Japan.
Stanford University Press,1981

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 22:22:42 ID:iTpWwPrg0
>>408
>水戸光圀は一種の実証主義者で、歴史的事実の正確な記述こそが正しい方法だとしていた。
全体としてはまだ宗教的外皮をまとっているけど、前期水戸学の核心部分は合理的な科学思想そのもの。

ふ〜ん光圀が実証主義者ね…。光圀は毎年元旦の朝には宮廷に参内するときに
着ていく礼服をまとって、京都の方角に向かってお辞儀をするのが慣わしだった。
そして、光圀は家臣に向かって「我が主君は天使也、今将軍は我が宗室也、あいく
了簡仕取違申まじき由」と言ってた。こんなことしていても、合理的な科学思想の
持ち主だった?そうは思わないけどなぁ

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 14:37:16 ID:75Tzdr/K0
>明治維新とは?

史伝・海音寺潮五郎『西郷隆盛』
http://momota1192.at.webry.info/

を読めば分かる。
かくゆう俺もこれで目からウロコ

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 17:37:28 ID:plAZNytJ0
つまらん水戸厨の戯れ言よりも、>>415の方が数段価値がある。

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 01:30:04 ID:V1Vu4dPM0
この国「日本」は、なぜこんなひどい国、「愛国心」など持てない国になってしまったのでしょうか?
マナーも心もない人達が街中にのさばり、人の心が荒れて人々を震撼させるような犯罪が毎日のように起こり、
教育制度が破壊されて教育現場が荒れ果て、社会保障制度が崩壊寸前で人はいつも将来を不安に思い、
所得の二極化で明日も希望もない低所得層が激増し、この国は夢や希望を持てない国になってしまいました。

それは、悪政・失政をとめどなく繰り返しながら、何ひとつ、まったく責任を取らない役人と政治家達がこの国を
壊し続けているからです。そこにはもちろん、国民にさえも、「徳」とか「道徳」という言葉はありません。

すべての根源は明治維新にあります。

明治維新とは、孝明天皇を殺害し、京都・江戸で強盗殺人を繰り返した、中国・九州の海賊・犯罪者のよう
な集団が生き残り、最終的に政権を奪取した事件です。
明治維新を、封建制度の崩壊とか文明開化とかの、たまたま起きた副産物で美化して目をそらせて、私達一般
庶民をだまし、ごまかし続ける呪縛から、私達は解き放たれる必要があります。

<明治政府とは金正日とタリバンが合体したような犯罪者集団がつくりあげたまやかしの政権だった>
と正しく理解し直さなければなりません。
http://meijiisin.at.webry.info/

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 03:22:40 ID:10LtTrim0
>>417
転が強引過ぎてワロタw

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 09:52:40 ID:TfL8Aeoq0
>>417
>明治維新とは、孝明天皇を殺害し、京都・江戸で強盗殺人を繰り返した、中国・九州の海賊・犯罪者のよう
な集団が生き残り、最終的に政権を奪取した事件です。

この理屈だと

江戸時代
江戸時代とは、豊臣秀吉を殺害し、大阪と関ヶ原で大量殺戮を繰り返した、三河の浮浪者・犯罪者のよう
な徳川家が生き残り、最終的に政権を奪取した徳川家康が作った時代です。
諸悪のすべての根源は江戸徳川幕府にあります。

とかもOKなのかwww

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 10:05:33 ID:FrD06SwP0
明治維新とは天皇制絶対主義の確立だ。70年も前に科学的に決着がついた問題を
なぜむしかえすのか。

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 11:35:14 ID:TfL8Aeoq0
そうか?
天皇制の大義名分を立てて、その実態は民主議会制の導入だと思うが。
実際、明治維新後に「天皇を政府機関の一装置にしている」と明治政府は尊皇家から非難轟々w

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 11:48:53 ID:1hnpiezE0
倒幕派が御箇条のご誓文で言ってることは、昨日まで幕府が主張してたこと。
五ヶ条のご誓文に時代を画する意義はない。
また、薩長が五ヶ条のご誓文を出したのは外国に媚びるための方便にすぎず、
人目にふれる場所には掲示されなかった。
薩長の本音は、ほぼ同時に掲示された太政官の高札に示されてる。
一札:五倫道徳遵守
二札:徒党・強訴・逃散禁止
三札:邪宗門厳禁
四札:万国公法履行
五札:郷村脱走禁止

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 12:30:31 ID:Z+VwMqzy0
明治維新は、興味を持って開国から戊辰戦争まで色々な本を読んたが、
内容はどうやっても簡単に理解しがたい重層的な歴史なので、いまだに
よく分からないところが多い。19世紀初頭の時点で、国内的に革命が
起こるほど緊迫していたかというと、多分なかっただろう。二世紀を
越える徳川幕府の体制は、欧米の出現で混乱が始まることがなければ、
1860年代以降も維持されたとみて間違いないだろう。

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 13:14:19 ID:4MLqH1hy0
>>423
まだ知識が足りていないか偏っているよ
>19世紀初頭の時点で、国内的に革命が起こるほど緊迫していたか
江戸末期頃の二つの大飢饉とそれ以降の国内状態を調べなさい。
ただし、この件と革命は直接には結びつかない(西欧で言う革命思想が日本にはない)が、
西欧の革命前夜の情勢と酷似した状態が発生している。

>欧米の出現で混乱が始まることがなければ、1860年代以降も維持されたとみて間違いないだろう
江戸期の経済が書かれた専門書を読みなさい。
すでに徳川幕藩体制の経済は末期的であり、もう長くは持たないという事がわかる。
もっとも、その末期的状態の所に開国による世界経済の流入でトドメを刺された訳だが。

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 13:18:17 ID:4MLqH1hy0
>>422
それ・・・・国家としての最低限の義務が書いてあるだけでしょw
明治政府だろうと幕府だろうとそれをやらなけりゃ国家じゃないよw
ちなみに、邪宗門はキリスト教を差していないと後日外国に公式見解を出しています。

426 :福沢諭吉:2008/05/31(土) 13:24:15 ID:uBA7TUDo0
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。

●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。

●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 13:30:46 ID:4MLqH1hy0
福沢諭吉って、たしか戊辰戦争の時に幕臣の身でありながら何もせずに傍観を決め込み、
戦争が終わった後で突如政府批判を始めた人だったよな・・・・
勝(江戸無血開城の立役者)と榎本(函館戦争の首謀者で、禄を失った幕臣の為に戦った人)を批判するための政府批判だったと言われているが・・・実際どうなんだ?。
板垣退助(土佐藩閥)らの自由民権運動にも加わらず、政府と民権派との戦いの時にも傍観者だったし。
彼はあくまで批評家(文句言うだけの口先だけの人)であって、運動家(理想とする状態にする為に、実際に行動した人)ではないという意見には賛成だ。

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 13:40:30 ID:JjxfUQ/I0
>>424
>江戸期の経済が書かれた専門書を読みなさい。
すでに徳川幕藩体制の経済は末期的であり、もう長くは持たないという事がわかる。

それはどんな人の書いた専門書にありますか?江戸期の経済の専門家っているんですか?

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 14:08:04 ID:66YgL52e0
>>423
>江戸末期頃の二つの大飢饉とそれ以降の国内状態を調べなさい。

近世から近代の経済については、「日本社会史における伝統と創造:工業化の内的諸要因ー1750-1920」
を読んだ。その中で、1700年から1850年までの150年間に本州の主要城下町の人口が平均18%減少した
こと。さらに、1720年から1860年代までの期間、総人口もほぼ停滞状態に陥ったこと、18世紀の後半に
何回か深刻な飢饉が起きて、何万人も餓死したことも読んだ。1786年の天明の飢饉では、数十年ぶりの
悪天候が凶作と飢えをもたらし、多くの村が廃村になった。そして、1830年代にも広範な地域で飢饉が
起こった記録も読んだ。で、それがどうした?

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 19:47:16 ID:wAkCL/bb0
停滞というか、北関東と東北と都市部で二割は人口が減り、
西南雄藩を中心とした、
西日本で人口が大幅に増えてから、全体の数字としては停滞しているだけだけどね。

つまり、関東以北では非常に深刻な食糧難に襲われていたってことだ。
それが解決するのは、明治維新後。

徳川幕府がどれだけ糞かよくわかる。
どれもこれも、みな幕藩体制が悪い。

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 20:22:20 ID:hYo+Lonx0
>>430
>つまり、関東以北では非常に深刻な食糧難に襲われていたってことだ。
それが解決するのは、明治維新後。

こんなに簡単に書かれては、読んでる人はまるでわからない。
1880年から90年にいたる期間に、約3500万だった人口が4500万へ増加した。
同じ期間に農村人口、農業人口は微減した。そして、何百万人の人々が村から
近隣の町へ、町から主要都市へ移動した。就業先も、農業から商工業への移動が
生まれた。ではこの人口移動にともなう食糧危機をどのように回避したか?
それは、二つの方法があり、現在のように食糧輸入に頼るか、国内の食糧生産を
増やすかどちらかだった。1920年頃までは、農民達は食糧を増産することで人口の
増加を支えた。どう具体的にやったのか、従来先進地域だけに限定されていた
優れた農法を広範囲に普及したことがまずあり、もうひとつは新たな作物や新たな
種子が導入され、多くの肥料が投入されるようになったことがある。このことが
農業生産性の飛躍的な伸びを実現した。そして、工業技術と軍事技術を輸入するための
外資を確保することになった。そのことは、

>徳川幕府がどれだけ糞かよくわかる。

ということよりも、明治政府の政策がうまくいった成果だと言う方が
史実に拠っていると思うが、どんなものだろう。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 22:44:24 ID:FrD06SwP0
近代天皇制はね世界史的には絶対君主制と言って、封建制から資本主義への
過渡期にブルジョアと地主の均衡の上に官僚と常備軍に依拠して専制権力を行使する
君主制なんです。民主的な教師にそう教わりました。

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 23:04:44 ID:jjAuOVy70
マルクス主義の歴史の発展段階説ですか…今時そんなこと言う人は
墓に入ったと思ってました。供養が足りなく黄泉の国から早い盆ですが
帰ってこられましたか?

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 23:12:06 ID:wAkCL/bb0
>>431
参勤交代と江戸滞在による莫大な費用、
それをまかなうための、商品作物への転換と、
米の飢餓移出。これが江戸時代にのみ、
日本に大飢饉がおきた理由、
気候の寒冷化など、数百年ごとにおこっているわけだが、
前回の戦国時代にしても、そこまで餓死者はでていないし、
人口が大きく減っていないのをみると、
幕藩体制に問題があることがわかる。

>>433
いや、こんなことをいまどき真面目に主張する奴が、
結構いるぞ。
相手にはされてないけどさw

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 23:40:47 ID:+EMbXhex0
>>432
この人は、遠山茂樹と井上清で明治維新を学んだ世代なんだろうな。
今から振り返ればいい時代だったことだろう。現在は、研究者がとても
細分化された分野をやっているから、広い視野で明治維新総体をとらえる
著述を行った50年前の環境で書かれたものの方が依拠しているマルクス主義を
あっちへ置いておけば面白いことは数段面白いとうのが、自分が上記2人の
本を読んだときに感じたことだ。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 07:10:48 ID:HopkchN90
>>431
>どう具体的にやったのか、従来先進地域だけに限定されていた
>優れた農法を広範囲に普及したことがまずあり、もうひとつは新たな作物や新たな
>種子が導入され、多くの肥料が投入されるようになったことがある。このことが
>農業生産性の飛躍的な伸びを実現した。そして、工業技術と軍事技術を輸入するための
>外資を確保することになった。そのことは、

それが江戸時代に出来なかったのは徳川幕府の幕藩体制と鎖国制度の弊害だと言う方が
史実に拠っていると思うが、どんなものだろう。


437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 07:36:02 ID:H0vzpyi60
>>436
では、Agricultural Production and the Economic Development of Japan,1873-1922.
James Nakamura.Princeton University Press,1966を読んでみて下さい。
>>431で書いたことを理解いただけると思う。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 08:09:18 ID:VHbnCR7+0
>>436
補足ですが、ポイントは幕藩体制のもとで築いた国土が前提としてあり
明治政府もその条件の中から、取り組みをしたわけで、それを単純に

>江戸時代に出来なかったのは徳川幕府の幕藩体制と鎖国制度の弊害

で片付けるのはあまりに議論を単純化しすぎ、歴史の本質から離れてしまうと
私は思う。(前記の文献に詳細に史実が書かれています)

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 08:11:04 ID:HopkchN90
>>437
断る!


440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 08:16:07 ID:HopkchN90
>>438
>補足ですが、ポイントは幕藩体制のもとで築いた国土が前提としてあり
>明治政府もその条件の中から、取り組みをしたわけで、それを単純に

そんなことは、古今東西、どんな国のどんな政府でも同じこと。
それが前提条件であり制約条件となるのは当たり前の話だよ。
そして前政権の弊害を反省して正す。
それも当たり前、古今東西みな同じ。
それが歴史の本質。

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 09:52:44 ID:64up8dCm0
>>440
なら、この議論はあなたのいう後付の話が全てということで終了です。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 11:12:46 ID:iSU4C3PE0
>>441
それはお前の知能を越えたレベルになったというだけだよw
ついてこれないなら無駄口たたかずに脱落しなさい

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 19:43:57 ID:X+rYU6Ac0
だから明治政府は江戸幕府の借金を返すために、
必死に頑張った政権なんだよ。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 19:47:39 ID:X+rYU6Ac0
あと結果論じゃないよ、
江戸幕府は日本を停滞させるのがもともとの目的としてあったわけ。
そして目的のどおりに、日本を停滞させ、
世界の進歩から目を背けただけだ。

そうやって諸藩を苦しめ、流通を破壊し、金を無駄なことに使わせて、
内戦が起こらないようにしたわけ。
正しくは内戦をするよりも酷い状況に日本を陥れただけだけどさ。

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 20:22:22 ID:bwnp3nAZ0
>>443-444
問題外のバカ。2chでしか存在できないあなたは寂しい人なんでしょうね。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 21:37:15 ID:VkNPxAfF0
>>445
何の主張も論拠も示さずに、ただ他人を口汚く罵倒するだけの人ってなんでしょうね。
例えば、宝暦治水事件がある。徳川幕府の本質、徳川幕府の政治の本質が端的に現れた事件だ。
木曽三川の治水工事を何の利害関係も無い薩摩藩に命じたというのだからクレージーとしかいいようがない。
しかも専門の工夫でなく、わざわざ薩摩藩士にやらせるというのだから無茶苦茶。
食事制限はするわ、工事の妨害をするわ、費用はすべて薩摩藩に負わせるわ、
これでもかこれでもかのやりたい放題。それで治水工事の成果はあったかというか、
反って洪水が増えたというのだから呆れて声も出ない。
徳川幕府の治世は一事が万事、この調子。これほどの極悪非道の政治は世界見渡しても
徳川幕府をおいて他に無い。>>443-444さんは徳川幕府をあまりにも美化しすぎていると思ふけど、
だからといって、罵倒していい理屈もないのだ。

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 21:55:32 ID:e33fqV100
>>446
やっぱりバカだな、オマエ。
ここは明治維新のスレだぞ。江戸中期の宝暦の話を持ってきてだからどうした?
維新が起こる百年前の時代の話をしたいのなら、他のスレ逝け。

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 22:02:40 ID:m0DhN8mp0
ピースウォーク京都
『戦争はやめられる!』
http://pwkyoto.com/

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 22:43:06 ID:guwD0rQQ0
>>445
低能文系なんざ全てひっくるめて存在価値ないだろwww

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 02:50:49 ID:QGBokX6V0
>>447
初期だろうと中期だろうと同じこと。私利私欲、公私混同の暴虐政権であるという徳川幕府の本質は
変わってないし、悪行の積み重ねで背負った業は後期になったからといってチャラにはなりません。
反論ができなくなると追い出しにかかる馬鹿さよの正体を露呈しましたね。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 13:04:25 ID:zbwVkeU80

明治維新と宝暦治水と薩摩義士  

http://www.mirai.ne.jp/~wakita/gisi/ito.htm


452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 13:07:04 ID:zbwVkeU80
>>446
約50年間は治水効果があり、濃尾の民は救われた。


453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 13:11:27 ID:zbwVkeU80
関が原の戦 慶長5年9月15日

西軍の諸隊が敗走する中、石田、島津隊は頑強に東軍と抗戦。
圧倒的な東軍に、遂に石田隊が敗走する。

最後に残った島津隊は、家康の本陣前を突破し、
牧田を経て伊勢街道方面に脱出した。


454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 20:17:31 ID:oe94whBN0
>>450
>反論ができなくなると追い出しにかかる馬鹿さよの正体を露呈しましたね。

反論も何も、オマエがスレ違いを書いてるから出て逝けと書いたんだよ。
しかも、書いてる内容はだからどうしたの小学校の教科書並のどうでもいい
話に粘着してる池沼丸出し。反論など誰もしないよ。還暦過ぎたじじいよwwww

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 20:52:35 ID:rpCcLr1G0
幕藩体制の構造的な問題点を指摘したわけだから、
別にすれ違いではなかろう。

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 21:43:51 ID:RyCKmPUN0
>>455
>幕藩体制の構造的な問題点を指摘したわけだから、

徳川時代の歴史の特徴としてもっとも重要なことは、戦乱が生じなかったことだ。
それ以前の時代との違いは、計り知れないほど大きい。歴史を振り返れば1467年から
1477年の応仁の乱で、それまで794年以来天皇の宮廷が置かれ、寺院や公家の屋敷が
あった首都京都が破壊された。それ以降一世紀簡、戦乱は途絶えることなく続いた。
つづいて、1570年代から1600年にいたる時代になると、三人の非凡な支配者が政治秩序を
打ち立てた。その後、1600年代の始めから十九世紀中葉までの二百五十年以上にわたり、
日本で戦乱がない時代が続いた。そのような日本の歴史を押さえた上での視野が
>>446の書き込みにないとオレは思った。だから、スレ違いだと書いた。
幕藩体制の構造的な問題点が、破綻する歴史的な出来事として明治維新が起こったと
いう視野で議論するスレがここであるとオレは思う。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 22:46:24 ID:rpCcLr1G0
戦争させないために。戦争に匹敵する出費を常に強いて、
日本を衰退させたわけでしょ。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 23:10:28 ID:fon57XAh0
>>457
そんなことしか書けないのですか?
やっぱり足りないわ…基本的な日本史の知識がwww

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 06:18:25 ID:bVhHRUA30
足りないのはお前の知識と頭。
だから。その程度のレスしか漬けられないんだよ。

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 07:52:40 ID:Yrih4dSq0
幕藩体制の欠陥により諸藩が衰退し、生き残った雄藩により改革が行われた結果が
明治維新であるとも解釈できるな。
幕府の諸藩出費政策のつけで諸藩の力が衰退し、雄藩に活躍の場を与えたとも見れる。
そう考えてみると明治維新は幕藩体制に対する反動だったのだろう。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 08:37:28 ID:UXoxPp7z0
>>460
衰退というのは当たってない。どの藩も石高は増えているし、飢饉のときは激減したといっても
大きな流れとしてはゆるやかに人口も増えているのである。問題は幕藩体制の欠陥というより
幕藩体制の弊害と矛盾の極大化なのだ。年貢という言葉に端的に現れているように
徳川幕府は農業を基盤としていた。しかし時代が進み、商業や工業が
ウエイトを増してくると、会津藩のように農業一筋の単品経営の藩は相対的に没落し、
長州藩・薩摩藩のように早くから多角化経営をしていた藩が実力をつけ台頭してきた。
そうした時代の変化、産業構造の変化に旧態依然の徳川幕府は、対応できなかったということだ。
だから反動というより、現状に不適合となった政治体制の是正が明治維新であったともいえる。
それが全てではないにしろ、そうした意味もあったということだ。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 10:40:57 ID:kBavUajEO
徳川幕府樹立だって歴史でみれば維新
結果として明治維新の勝ち
>>460
三勤交代の廃止で諸藩は力を付けた

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 12:50:09 ID:ofAMzSqcO
武士というでっかい無産階級の存在はどうだったんだろ。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 20:00:30 ID:ZMvJn7bn0
>>461
国高増加は江戸中期でだいたい頭打ち、これが再び上昇に転じるのは、
維新後から。
人口も同じく。
都市部北関東東北などは大きく減っているほどだ。

なお弊害というが、幕藩体制と言う制度は、
日本という国に対しては、メリットなどそもそもないだろ。
だから構造的な欠陥とすべきだよ。徳川家と江戸の町にしか、
メリットがないシステムはその生まれから壊れていたのさ。
だから日本はずっと停滞してしまった。

>長州藩・薩摩藩のように早くから多角化経営をしていた藩が実力をつけ台頭してきた。

それは正しくないな、殆どの藩では商品作物の栽培を推奨していた。
その結果従来の農地から商品作物へと転換した為、
不作の年では、関東以北では大飢饉となってしまっただけ。
多角化経営の付けともいえる。いやこれこそ弊害というべきか、
上手く乗り切ったのが、西南雄藩というだけだ。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 20:17:45 ID:Jh2Ubmwo0
徳川幕府の体制を支えた仕組みが、ジョン・ホールのいう「身分支配」制度。
明治維新で決定的に重要な位置を占めたのは、その「身分支配」を跳躍した
中層から下層の武士階級出身及び農村と都市のエリート層の内で国事を憂えて
活動した草奔の人々のことだろう。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 20:23:16 ID:6+xtirim0
>>464
>だから日本はずっと停滞してしまった

いつからどこが停滞した?詳しく

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 20:26:12 ID:6+xtirim0
>>461
>会津藩のように農業一筋の単品経営の藩は相対的に没落し、
長州藩・薩摩藩のように早くから多角化経営をしていた藩が
実力をつけ台頭してきた。

農業に単品経営とは?どのようなことをいうのですか?
同様に、長州・薩摩を一緒くたにしてますが、それは兎も角
多角経営ってどのようなことを具体的にはやったのですか?

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 21:03:13 ID:17ErGxE+0
>>464
>なお弊害というが、幕藩体制と言う制度は、
日本という国に対しては、メリットなどそもそもないだろ。
だから構造的な欠陥とすべきだよ。徳川家と江戸の町にしか、
メリットがないシステムはその生まれから壊れていたのさ。

そもそも日本という国家という概念自体近代の考え方であり
メリット云々をいうなら、>>456が書いている戦乱がなくなった
政治的体制を徳川家康が構築した事実がある。そして、徳川家と
江戸しかメリットがない体制がどうして200年を越える幕藩体制を
維持できたかかの反証にはならない。

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 21:44:45 ID:ZMvJn7bn0
>>466
まず流通網の破壊。
1000石を超える船の禁止、
街道への架橋を禁止し、車輪も禁止した。
結果輸送手段の発達を阻害した。

参勤交代と江戸滞在費の出費と、その出費を捻出する為の、
商品作物と、その結果による大飢饉。

他国の技術と知識を禁止し、進歩から目を背けた。

江戸幕府は日本を100年遅らせた。


470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 21:47:43 ID:ZMvJn7bn0
>>468
戦乱がないのをメリットとするならな。
諸藩とその民の苦しみは戦国時代以上であり。
徳川と江戸しかメリットしかない、というのは間違いではない。

>徳川家と江戸しかメリットがない体制がどうして200年を越える幕藩体制を

そこにしかメリットがなく。そこに全ての富が集積されていたからだよ。
他藩は疲弊しきっていたので、そんな余裕がなかっただけ。


471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 22:29:22 ID:avgZELVN0
>>469-470
高校の日本史教科書レベルのことは、文部省の王政復古史観そのもの。
アナタの書いていることで、一次史料に基づいたことはどれくらいありますか?
>>469
教科書レベル。
>>470
何も具体的な根拠を示さずのレス。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 00:34:35 ID:IDocqM2g0
>>471
反論もできないなら、寝ろ。
ここはお前みたいに、高校生以下の馬鹿がレスつけていい場所じゃないんだよ。
最低限の基礎知識くらい身につけろ。

でないと一生お前は、そのままだ。

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 02:19:45 ID:7HSwlWI+0
>>468
>日本という国に対しては、メリットなどそもそもないだろ。
そんなことも無いのだ。
能なし幕府はいろいろとくだらないしばりを入れていたけれども(>>469氏が指摘されている)
基本的には諸藩のやりたいようにやらせてもいた。
だから藩によっては殖産興業や人材育成などに独自の創意工夫を施すこともできたし、
そういうなかで資本家の走りというべき豪農や豪商も育った。
成功した施策は明治新政府の政策として活かされたし、近代資本主義の素地も育っていたのだ。
失敗した施策も当然あった訳だが、それは所詮その藩だけに限ったことだから被害も軽微で
済んで日本全体が道を誤ることにもつながらずに済んだのだ。それは直接的には能なし幕府の
手柄とは到底いえないまでも、幕藩体制という制度は評価すべきメリットもあるのだ。
鎖国制度もそうだ。弊害も多いが、伝染病(コレラ、ペストなど)の被害は軽微で済んだし、
麻薬中毒(アヘン、大麻)などの外国産悪弊を持ち込まれずにすんだというメリットは否定できない。
幕藩体制と鎖国制度は、当時の日本として、身のたけにあった身分相応の賢明な政策であったと
いえなくもないのだ。しかし日本が成長した暁には、もはや古い衣は脱ぎ捨てて、
大人らしい服装に着替えなければならない。それが明治維新であった。

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 07:34:47 ID:kbn/7Xmw0
明治維新など外圧があって起きたこと
そのまま幕藩体制→市民革命が理想
要らぬ上層階級革命を挟んだから馬鹿な戦争起こす結果になってる

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 09:31:31 ID:Bccj5mgR0
天皇制絶対主義の確立だと言ってるだろうが。
科学的歴史学でとうに結論が出てることをむしかえすな。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 10:04:55 ID:SH+LuqPE0
天皇制絶対主義(笑)

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 13:40:04 ID:IDocqM2g0
懐かしいな、いまどきそんなこと言う奴いないからな。
>>474
世界各地の市民w革命政権なんて、その後戦争しまくりですがw

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 20:40:24 ID:AzaXG0I30
>>475
>天皇制絶対主義の確立だと言ってるだろうが。
科学的歴史学でとうに結論が出てること

残念でした、そんなもの非科学的歴史学だと結論が出ています。

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 20:52:58 ID:FcA3/7WJ0
>>471
>反論もできないなら、寝ろ。
ここはお前みたいに、高校生以下の馬鹿がレスつけていい場所じゃないんだよ。
最低限の基礎知識くらい身につけろ。

反論も何もめちゃくちゃなこと書いてるから、お粗末なこと書いてるよと
意見を書いただけ。どうしてあなたは、

>高校生以下の馬鹿

と決めつけるの?挙げ句の果てには、

>最低限の基礎知識くらい身につけろ

なんて偉そうにいうの?最低限の基礎知識ってどういう内容なのか
詳細に書いて下さい。幕末・維新史はもの凄く複雑で簡単に決めつけることなど
到底出来ない領域であると思いますが、あなたはどれ程のことをご存じなんですか?
レス楽しみしてます。博識なあなたへ

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 21:13:41 ID:Bccj5mgR0
>>478
人類社会の発展法則を正しく把握した科学的歴史観です。

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 21:31:21 ID:IDocqM2g0
>>479
反論もできないで、中傷しかできないお馬鹿さんの相手まではできないのですよ。
もし万が一史実と違うところが、わずかでもあるのなら指摘してみろ、
それをせずに、中傷しかできないから、お前は厨房なんだ。
>>480
発展段階説来たーーーーーー!!!!!


482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 21:58:14 ID:FDph0R1z0
>>481
なら、

>江戸幕府は日本を100年遅らせた。

の史実を出して見ろ。


483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 21:59:26 ID:aql27Loc0
>>481
なら、

>江戸幕府は日本を100年遅らせた。

の史実を出して見ろ。


484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 22:00:40 ID:aql27Loc0
>>480
>人類社会の発展法則を正しく把握した科学的歴史観です。

どの学者のどの文献に書いてある。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 22:10:19 ID:6S+ywasnO
>>482 正確に江戸幕府は260年間はね。


近代化を進めた理由は近隣諸国のアヘン戦争など欧米に支配されたため


欧米列強に打ち勝つためです。

以上

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 22:25:48 ID:0kwFAyM00
紙幣消却することが正貨蓄積とどういう関係なのか?

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 22:46:31 ID:qCZCi5v80
>>485
>正確に江戸幕府は260年間はね。

あ?正確に260年?正確には、268年だよ。

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 22:50:08 ID:qCZCi5v80
>>481
惚けてないで、早く書け。

>江戸幕府は日本を100年遅らせた。

どの史料にそんなこと書いてある?
逃げんなよ。あるわけないんだよそんな適当なことなんか

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 23:28:01 ID:VTQgFu1n0
何年遅れたかはともかく、江戸幕府の無策のせいで
軍事・産業技術の発達が欧米諸国より相当に遅れてた
のは間違いないだろう。

全般的に見て、科学技術で日本が欧米に追いついたのは
明治維新から百年以上経った昭和四十年代ごろだしさ。

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 06:14:34 ID:Kgbv8b1v0
>>268
鉄砲、造船技術、輸送技術、戦術、自然科学、医療、社会制度、
これらのこと全てが江戸時代には止まった。

また人口も中期以降伸び悩み、100年以上増えていない。
だから100年遅らせたといったんだよ。わかるかい?

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 08:07:08 ID:XRqp04kG0
>>490
>人口も中期以降伸び悩み、100年以上増えていない。
だから100年遅らせたといったんだよ。わかるかい?

分からないなぁー、1880-1890年の期間でみても、約3500万人だった人口は
約4500万にへ増加してるぞ。たった十年でだよ。どこが100年以上増えていないだ、
朝から寝ぼけてんなよ、アホ。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 09:36:00 ID:nvhe7HqU0
1880-1890年の期間が江戸時代じゃない件について

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 09:51:28 ID:UCC4NvYv0
なるほど
明治時代のその期間に人口が1000万人増えたんですね

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 18:55:42 ID:l3bk5BzE0
>>492-493
分かったよ。釣りにそんな風に釣られてどうすんの?
家にあったもので、

>人口も中期以降伸び悩み、100年以上増えていない。

の史実については読んだが、ちょつと今日は忙しいので時間が出来れば
次の釣りレス書くよ

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 22:25:03 ID:SBBxUmm20
【釣り】
多くの場合、論破されそうになった厨房が逃げ口上の一つとして用いる単語w。
マジレスしていたの反論され、それに対抗できなくなった際「こんな釣りに引っかかるなんてw」という形で用いる。
誤魔化しや茶化しと相手に思わせて逃げる際に用いると効果的である。


496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 22:43:58 ID:0ge4m6JL0
>>495
毎日アホ丸出しの書き込みご苦労様。
今、スミスの「日本社会史における伝統と創造」を段ボールから出したとこ。
経済史からの視点でないと、>>490のアホを論破する議論が出来ないことは
分かった。>>495の粘着野郎も含めて今日書けたら書く。まだ、仕事の企画書が
出来上がらない。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 23:10:21 ID:Kgbv8b1v0
図書館から今日借りてきて、
今勉強かあ大変だなあ。
その直向さと負けず嫌いは、嫌いじゃないぞ。
できれば自分のもともとの知識でやってほしかったが、
そうやって、勉強して成長する子供を見るのもほほえましくていい。

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 23:22:48 ID:oyL5kksp0
日本社会に今も根強く残存する非民主的非近代的要素を一掃して真の民主化近代化を
達成するためには日本の近代化の遅れと歪みの原因を歴史的に究明する必要がある。
ここに明治維新研究の課題がある。

499 :495:2008/06/06(金) 00:20:09 ID:UHaluf+G0
>>496
粘着?俺、お前にレス付けたの>>496だけだぜw
そう必死になるなよ。馬鹿丸出しだぞw

と、煽ってみるw

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 01:08:04 ID:HHRz/YkM0
久し振りに来たら面白い奴が出てきてるな。
「日本を100年遅らせた」のソースまだー?

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 06:10:37 ID:+U1ae80A0
もう出てるジャン

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 07:45:56 ID:7bc4Mh8y0
>>490
>人口も中期以降伸び悩み、100年以上増えていない。
だから100年遅らせたといったんだよ。わかるかい?

研究者は、そのようには捉えていない。その詳細については
鬼頭宏の著作を読んでくれ。簡単にまとめられる議論ではないから。
どういう風に100年遅らせたというのかその事例が

>鉄砲、造船技術、輸送技術、戦術、自然科学、医療、社会制度

というなら、社会制度は当時の都市レベルの比較で江戸は高度なシステムを
構築していたという研究成果が出ているし、造船技術・輸送技術・戦術に
自然科学なんて大雑把に書かれても何のことなのかわからないから、
もう少し詳しく書いてくれ。

>>498
最近、そういう比較する視野は流行ってないようだよ。
例えば、

>真の民主化近代化を達成するために

じゃあ真の民主化近代化とはどのような内容なんですか?
だれが、それを達成とやらをしたと判定するのですか?
昔、今はほとんど見ないヘルメットをかぶった元気な人達が
むやみに大きな音声で騒いでいましたが、あなたは
まだヘルメットをかぶってやってるんですか?

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 12:58:18 ID:kFB6OKXB0
明治国家を近代国家と見なす人は、日本が現在ですら人権後進国として
世界から指弾されていることを説明できないだろう。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 16:02:50 ID:C+cS97th0
>>503
説明できるよ。反日暴徒がそういうデマを嬉しげに吹聴してるだけだから。

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 18:54:03 ID:kFB6OKXB0
ほんとうの近代国家なら皇族や華族のような封建身分は存在しえないし
農民は解放されてるはずだし特権的政商ではなくて自生的産業資本が
権力に就いてるはずだ。これが明治維新だ確立された天皇制国家を近代
国家ではなくて半封建的絶対主義国家と認定する科学的根拠の一部だ(まだまだあるよ)。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 19:16:11 ID:+U1ae80A0
>>502
>鬼頭宏の著作を読んでくれ。簡単にまとめられる議論ではないから。

私も読んでいる。というか歴史人口学の著名な学者のはだいたい読んでいる。
そして日本は100年遅らせたと結論をだしたんだよ。
東西で人口の増減に差があるが。
北関東以北に関して言えば、むしろ舞い戻ったといってもいいほどだ。

>というなら、社会制度は当時の都市レベルの比較で江戸は高度なシステムを

その高度な都市というのは、日本国民全ての犠牲の上に成り立っているといえよう。
諸藩は莫大な江戸滞在費を使い、その莫大な消費の上に成り立っているだけだ。
そして高度なシステムなら中期以降で、江戸の人口が三割も減らんよ。

>造船技術・輸送技術・戦術に

469に記してる。よくスレを読め。

>>505
ゲバ棒もってどっかで暴れてろ。
欧州には王族なんて珍しくないし、特権的政商もごろごろいる。

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 19:29:20 ID:Z/4bIXYx0
>>505
明治維新は独裁にならなかっただけでも奇跡に近いよ
対外的圧力が奇跡をおこしたんだろうな

封建身分である貴族が存在しない当時の近代国家ってどこだ?
農民はいつでも転職できましたが?
特権的政商とはなにかということだが、企業と政府が癒着した特権が
なくなったことなどない
封建制の影響をのこしていけないならイギリスはいまだに半封建的
絶対主義国家ということか
国際連盟を主導したイギリスがだめなら、どこが近代国家なのでしょう?


508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 20:41:16 ID:xp6BZoqj0
>>506
>私も読んでいる。

ならば、
日本の歴史 第19巻「文明としての江戸システム」鬼頭宏 講談社 2002
エピローグ「徳川文明の成熟」で下記の議論が出されている。

「十八世紀の日本列島の人口停滞したのは、偶然ではなく(中略)土地と人口
増加を低く抑えることによって、土地と人口の均衡がもたらされ、長期的に見れば
生活水準の上昇を可能にしたと考えてよい。十八世紀末期以後、清では果てしなく
続く人口増加が、土地を持たない流民や失業者を大量に生み出して社会が不安定に
なっていたのと比べて、きわめて対照的であった。」p313

「(人口停滞した十八世紀は)次の時代を用意するような胎動が始まった時代であった。(中略)
十九世紀に再び始まった人口成長は、十八世紀に達成された生態学的均衡からの逸脱の
第一歩であった」ibid.pp313-314

だから、

>>人口も中期以降伸び悩み、100年以上増えていない。
だから100年遅らせたといったんだよ。わかるかい?

人口は上記研究から、100年増えていなくても、単純に100年遅らせたという
ことではないということだと思うがけどね。

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 21:15:16 ID:+U1ae80A0
都合のいいところだけ抜き出さないでほしいな。
鬼頭氏は人口が低下したこともしており、
それは都市周辺部の人間が、都市部に流民となって大量に流入し、
そして都市部では男女比の差が激しく、子供の残さず死んだり、
疫病などで大勢死んだことも触れられている。

これを蟻地獄とたとえたのは誰だったかな?

>人口は上記研究から、100年増えていなくても、単純に100年遅らせたという

それは違うね、研究というのなら、
どうして後の人口増加に繋がったのか、因果関係が記されていないからな。
そして生活水準の上昇などなく、飢饉が連発して起こっていたが江戸時代なのだよ。

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 22:06:17 ID:QLkb2X0p0
>>509
>どうして後の人口増加に繋がったのか、因果関係が記されていないからな。

引用した文献、読んでないでしょう?読んでいればそんなことは書かないと
思いますが、人それぞれなので御勝手にです。

>生活水準の上昇などなく、飢饉が連発して起こっていたが江戸時代なのだよ

ここまで書くと、鬼頭氏やその恩師速水氏の文献を読んでいないの
バレバレですよ。いいですか、鬼頭氏の引用した文献で、江戸前期の
人口増加とあなたの書いた中期・後期の停滞についてについて以下のように
書かれていますよ。

「江戸中期になると一転して人口は停滞的になった。前述のように幕府の
人口調査によれば、享保六年(1721)から弘化三年(1846)までの125年間に、
調査人口はわずかに三パーセント増えただけであった。年率では0.03パーセントを
下回っている。ほとんど停滞していたといってよい。」ibid.p081

議論はしっかりと文献を読んだうえでの方がいいのでは…

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 22:15:14 ID:R0VImv0A0
補足です、
>>510
>「江戸中期になると一転して人口は停滞的になった。前述のように幕府の
人口調査によれば、享保六年(1721)から弘化三年(1846)までの125年間に、
調査人口はわずかに三パーセント増えただけであった。年率では0.03パーセントを
下回っている。ほとんど停滞していたといってよい。」ibid.p081

の後、

>>508
>「十八世紀の日本列島の人口停滞したのは、偶然ではなく(中略)土地と人口
増加を低く抑えることによって、土地と人口の均衡がもたらされ、長期的に見れば
生活水準の上昇を可能にしたと考えてよい。十八世紀末期以後、清では果てしなく
続く人口増加が、土地を持たない流民や失業者を大量に生み出して社会が不安定に
なっていたのと比べて、きわめて対照的であった。」p313

「(人口停滞した十八世紀は)次の時代を用意するような胎動が始まった時代であった。(中略)
十九世紀に再び始まった人口成長は、十八世紀に達成された生態学的均衡からの逸脱の
第一歩であった」ibid.pp313-314

と繋がっています。あなたが因果関係云々は、
「文明としての江戸システム」を読んだと思いましたが
読んでいないようなので、まずは読んでからレスした方がいいですよ


512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 00:12:43 ID:M0Dj6T1Y0
私が読んだのは人口から読む日本史と速水氏などとの共著のフロンティアですよ。
>>510
だからそれが正しくないのですよ。
人口の停滞というのは、日本全国で見た場合であり、
西南雄藩、とくにここの農村で五割近い増加があり、
上で私が示したところや北関東東北では、二割は減り、
全体でみればたまたま停滞、という数字になったに過ぎません。

>偶然ではなく(中略)土地と人口増加を低く抑えることによって、土地と人口の均衡がもたらされ、

これが間違いですから。もしくは素人に簡単に説明する為に、細かいところを省いたのでしょうね。
鬼頭氏がこんなミスをするとは考え難いですから。
西南雄藩では大規模な開墾が行われ、石高は中期以降でも延びております。
長州藩などは何度も細かい検地をして、正確な収入を把握していましたので、
それがわかっております。
とくに農村部で人口が増えたことがわかっており、この石高の増加とも合致します。

そして北関東以北では、土地が荒廃し、
流民が都市部にながれ失業者になったことで、耕作地と人口がが減っております。
だから低く抑えることで、均衡させたというのは、正しくありません。
西高東低が結果的に全体の数字では均衡になっただけです。

もうちょっと歴史人口学を学ばれてはいかがでしょうか?
簡単に説明する通史で、分かった気になっているだけでは?

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 06:48:19 ID:f0h7nQ3T0
>>512
よく分からないなぁー。まぁ、アンタが自分は鬼頭さんよりも偉いといいたい
ことは分かった。それからもう一度書くが、こちらの引用も省略して書いているから
日本の歴史 第19巻「文明としての江戸システム」鬼頭宏 講談社 2002
を読んでみてくれ。

>もうちょっと歴史人口学を学ばれてはいかがでしょうか?

いい機会だから、読んでみるよ。ただ、速水さんは日本経済史の研究者だと
思ってた。どうでもいいけどさ…


514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 17:02:38 ID:qgKgtC110
>素人に簡単に説明する為に、細かいところを省いたのでしょうね

専門家もこんなところに来るんですね

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:08:04 ID:itZduc1R0
速水さんナメちゃいかんよ。
あの人は網野善彦のいわば同志でお互いに影響し合ってる。
たしか若い頃は水産研究所(?)とかで一緒に研究員やってた仲。

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:17:07 ID:M0Dj6T1Y0
>>513
県別、農村や都市などの共同体別、それぞれで鬼頭氏はどこが人口が増え、
どこか人口が減ったのかも詳しく著書で説明している。

なので日本全体というふうに、大雑把に説明することはないはずなんですよ。
>速水氏
彼はこの日本における、この分野の大家みたいなものですからね。
もともとの専門からそれてしまったのでしょう。
そしてそこでも大成したわけです。

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:44:01 ID:Sk72hZxE0
>>516
>なので日本全体というふうに、大雑把に説明することはないはずなんですよ

あのな、こちらはソースを挙げている。大雑把に説明しているはずがないとか
書く前に、ソースを読め。それから、あなたが読んだ講談社学術文庫他の著作は
オレが挙げたものよりも新しいのか?古いなら新たな研究成果を踏まえた上で
書いてるから、あなたが読んだものと違うんじゃねぇの?
ちなみに、オレは三田で速水さんの講義を慶應の友人から誘われて聞いたことがあるよ。

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:49:52 ID:Sk72hZxE0
>>516

あ、忘れてた。

>>490
>また人口も中期以降伸び悩み、100年以上増えていない。
だから100年遅らせたといったんだよ。わかるかい?

まだ、あなたが書いた上記のこと分からない。100年遅らせたと、鬼頭さん速水さんが
書いているのを孫引きしてるなら、そのソースをレスしてくれ。

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:57:05 ID:M0Dj6T1Y0
私もソースを上げていますが?
そして古いか新しいかの問題じゃないですよ。
宗門人別帳から算出した数字なので、新たに大量の(何百万単位の)
宗門人別帳が発見されない限り、この数字は動きません。

もちろんこれに記載されない層も多数いましたが、
その層だけで、人口を左右するほどの数字にはなりませんよ。

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:03:59 ID:M0Dj6T1Y0
>>518
それは鬼頭氏と速水氏が記されているわけじゃありません。

貴方も記されているとおり、100年ほど人口は全体では増えていないわけです。
(藩ごとに大きな差がありますけど)
耕作面積と人口が増えていない、つまり今で言えば経済成長が行われていないわけです。
これを100年遅らせた、と私は言ったのです。

経済面をみても、都市部の人口が減っていますし、
どの産業でも、株仲間が寡占して利権を分配している状況で、
中期以降はろくに進歩していませんしね。



521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:04:19 ID:O4/OH8LJ0
>>519
あんた、歴史に限らず大学でゼミすら取ってないだろう?
学部であっても卒論書くときに教わるからな。ソースとはな、
書名・著者・出版社名・出版年、引用ページを
書くことだよ。宜しく頼むよ

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:15:18 ID:sLaSUvCV0
>>521
横レスだけどさ、お前よ、ソースと参考文献の違いも理解しとらんようやな。
よくそれで人様のことをうんぬんできるわ。
厚顔無恥とは、このことか。
大笑いだ。

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:18:44 ID:TeDghSwE0
>>520
でもな、
"18世紀初頭には、前世紀の人口成長の結果、一平方キロメートルあたりの
人口は百人を超えていた。これは現代でも低い水準ではない。こうした人口増加による
資源需要の増大に加えて、生活水準の向上によって、原材料・燃料・加工品への需要が
増大した。これらは直接・間接に生物資源への需要増大を意味したから、精力的な森林
原野・耕地・河海湖沼の利用につながった。そのため十八世紀には全国各地で森林破壊が
進み、しばしば災害が引き起こされた。"日本の歴史 第19巻「文明としての江戸システム」
鬼頭宏 講談社 2002pp312-313
とあるが、どこが進歩してないの?

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:21:38 ID:TeDghSwE0
>>522
>大笑いだ。

なら、笑ってろ。関係ねぇ野郎はすっこんでろ

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:36:46 ID:M0Dj6T1Y0
>>521
書名上げたら普通分かるとおもうけど。
手元にない本なのに、そこまでできるかいな。
論文書くんじゃあるまいし。

違うとおもうなら調べてみればいいよ。

というかなんで常識的なことで、突っかかってんだお前。
>>523
その向上の恩恵を受けていたのは、武士の上層と一部の江戸や大阪の町民だけなんですよ。
耕作面積もろくに増えないのに、商品作物や酒や醤油などの加工品ばかり売れたら、
穀物生産量が減り、飢餓になるんですよ。
今で言えば、牛に穀物食わせて、穀物が足りなくなって、貧困層が飢え死にしているのと、
似たようなケースです。

ていうかその内容で、どうして進歩したといえるのかが私には分かりません。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:45:34 ID:M0Dj6T1Y0
というか、そういう一部の富裕層の贅沢の為に、
経済力のない人たちが、餓死していったのが江戸時代の本質だろう。
どこの国、いつの時代でもあることだが、
これがもっとも酷い形で生まれたのが江戸時代。

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:48:49 ID:c9LVbqvx0
>>525
>違うとおもうなら調べてみればいいよ。

あのね、>>512

>もうちょっと歴史人口学を学ばれてはいかがでしょうか?

と書いたのは、アンタだよ。だから、聞いてる。
それと、

>常識的なことで、突っかかってんだお前。

勝手に常識的なことと決めつけるのは、御勝手だが幕末史に興味がある人が
全員アンタと同じ事を常識的と理解しているのではない。

>ていうかその内容で、どうして進歩したといえるのかが私には分かりません。

>>523で引用したことをそのまま理解すれば進歩していることは分かる。
しかし、

>その向上の恩恵を受けていたのは、武士の上層と一部の江戸や大阪の町民だけなんですよ。

と限定して見ればその部分では合ったかも知れない。しかし、上記の部分が恩恵を受けていたことが
まさしく政治体制の中枢は進歩していたわけだよな。

>>522
referenceとsourceの項目で、辞書を引いてみな。

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 22:05:05 ID:aCAdS4x+0
>>526
江戸期の「富裕層」とは?
富裕層と貧困層の所得格差はどの程度?
江戸から明治になって、その所得格差はどう変化した?
世界史において「もっとも酷い形」であるという珍説の根拠は?
これらについて具体的に実証できなければ、
オマエの言ってることは基地外の思い込みにすぎない。

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 22:17:28 ID:M0Dj6T1Y0
>>527
だから地域での数の増減は言っているだろ。
俺の言っている数信じられないなら、
裏を自分で取れ、
といっているだけなんだが。

>>523で引用したことをそのまま理解すれば進歩していることは分かる。

貴方だけでしょ、それは。

>と限定して見ればその部分では合ったかも知れない。しかし、上記の部分が恩恵を受けていたことが

それに何の意味があるんだ。

>>528
また足りない馬鹿が出てきたよ。お前逃げ出したんじゃねーの?

江戸期の富裕層とは、株仲間などの特権商人と、
旗本以上の上層の武士層。あとは大地主だね。
生涯長屋や、旗本に仕える層の人間や、水のみ百姓とでは、
何百倍と差があるね。

あと世界史ではなくて、日本史においてだよ。
日本において、これだけ飢餓が連続して起こり、何十万という人間が、
数十年に一度餓死していた時代はない。


530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 22:37:53 ID:CeKXLg0X0
>>529
>だから地域での数の増減は言っているだろ。
俺の言っている数信じられないなら、

信じる以前の話。根拠としている史料なり書名をあげろといっても
あげられない以上、アンタの妄想なのか研究者の研究成果か
分からない。更に言えば、アンタのあげた文献からさらに
研究は進みあらたな研究成果が出ているかも知れない。

>>519
>そして古いか新しいかの問題じゃないですよ。
宗門人別帳から算出した数字なので、新たに大量の(何百万単位の)
宗門人別帳が発見されない限り、この数字は動きません。

正直なところ、日本中の宗門人別改帳を速水氏なり鬼頭氏なりが
くまなく調べ終えたというのことではないと思う。あくまでも、
ある年代、ある地域における調査を通じての研究だと思う。

>日本において、これだけ飢餓が連続して起こり、何十万という人間が、
数十年に一度餓死していた時代はない。

本当にそうなんですか?

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 22:42:26 ID:EnjDa3SI0
>>512
>私が読んだのは人口から読む日本史と速水氏などとの共著のフロンティアですよ。


これで聞かれていることに答えたとはいわないよなwww

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 22:46:24 ID:M0Dj6T1Y0
>>530
だから鬼頭氏の書名あげているじゃないか。
なにが不満なんだよ。

>くまなく調べ終えたというのことではないと思う。あくまでも、

だから読んでくれよ。学生にも協力してもらって、
何年もかけて数字を算出したことが書かれているんだから。
県別と農村や都市、都市近郊などといった形態による増減まで、
鬼頭氏は調べ上げているんだよ。

>数十年に一度餓死していた時代はない。 本当にそうなんですか?

ないね。縄文時代の火山の噴火などを除けば、
日本の「歴史」では江戸時代以上に酷い時代はない。
日本の三大飢饉が全て江戸時代なのを見ても、当時の状況が洒落になってないのが分かるとおもうのだが。

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 22:52:39 ID:M0Dj6T1Y0
>>531
ん?なぜ?
読めばいいじゃん。手に入りにくい、論文とか、
絶版ものの本なら、そりゃ閲覧できないけど、
これはちょっと大きい図書館にいけばあるでしょ。
ちなみに、人口が記載されていたのは鬼頭氏のほうだよ。

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 23:07:19 ID:q0rXyCdu0
>>532
やっぱりなー、たった一冊の本だけしか読んでないのか。
そして、その著作よりも新しい著作はアタマから否定。
んーなかなか科学的な人ですね。アンタ、関山直太郎の
「近世日本の人口構造:徳川時代の人口調査と人口状態に
関する研究」を読んだことがあるかね?


535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 23:12:37 ID:W9N2x95b0
>>529
>何百倍と差があるね
明治時代の貧農と大地主でも「何百倍」と差があるだろ。
なぜ江戸期が最悪かの証明になっていない。

>あと世界史ではなくて、日本史においてだよ。
「どこの国、いつの時代でもあることだが、
これがもっとも酷い形で生まれたのが江戸時代。」
と言ったのはお前だろヴォケ。
「どの国に、いつの時代」とは、即ち世界の歴史のことだ。
お前は、江戸期が人類史上最悪の時代だと言ってるわけだから、
その根拠を具体的に展開する必要があるな。

536 :534:2008/06/07(土) 23:18:45 ID:Y4ogJ9BU0
>>535
>>529はあなたの問いには答えられないよ。
一冊の本だけで書いてるだけだから。
それと相当無学だよ

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 23:21:00 ID:M0Dj6T1Y0
ん?
この人口に関してのソースは鬼頭氏のだが、
歴史人口学の本で、それしか読んでないわけじゃないぞ。
関山氏のは日本全土を網羅しているわけでもないし。
参考史料にはやや弱いですな。そういうのの研究成果を、
吸い上げて今のがあるわけですから。
ていうかやっぱり、読んでないのね。。。

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 23:26:56 ID:M0Dj6T1Y0
>>535
>なぜ江戸期が最悪かの証明になっていない。

簡単な話、明治期では何百倍もあっても、貧農は食っていけたが、
江戸時代では食っていけなかった。だから最悪なの。

>と言ったのはお前だろヴォケ。

前後の文脈嫁よ。
足りない奴だな。

>>536
ソースとして示すのに、複数の本を示してどうするんだ(苦笑


539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 23:31:51 ID:3/H9YM470
>>538
>ソースとして示すのに、複数の本を示してどうするんだ(苦笑

やっぱりアンタ、分かってない。たった一冊で何がわかる?何がさ

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 23:35:44 ID:M0Dj6T1Y0
はい?
その県別などの詳しい人口の増減が記されたもののソースを君は知りたいわけでしょ?
ならその著書を上げるでしょ。
それが記載されていない本を、参考としてあげてもなんも意味ないでしょ。

歴史人口学がいちから学びたいとかいうのなら、別だけど。
学びたいの?
なら本庄氏と関山氏の日本人口史から読めばいいよ。(どちらも書名は同じ)



541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 23:39:26 ID:M0Dj6T1Y0
ただ手に入らないとおもうけどね。
図書館でも禁帯出になってるし・・・

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 00:12:18 ID:n9z+mMSD0
>>540
歴史人口学については大きなお世話。
本庄…?あんた歳いくつだ?60は間違いなく越えてるじじいなのかwww
いかにせん、本庄や関山はないだろうに

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 14:23:37 ID:D45FGQpz0
江戸時代は絶対悪というカルトな薩長史観を刷り込まれてる奴は、
かなりのヂヂイだな。戦争体験世代かもしれない。

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 15:06:21 ID:1SG6HA5U0
>>543
誰もそんな事言ってないのだがw
いきなり突拍子にそんな主張をし出す君の方がドキュンだと思うよw

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 18:04:21 ID:0k/KEmn+0
幕末江戸幕府の政策について批判的な人は、1858年6月にアメリカとかわした
日米修好条約の締結で、関税自主権を譲り渡したことをボロクソにいうが、
あの当時に、修好条約よりもよりよい選択しがあったのだろうか?
アメリカと戦争を起こすことはどう考えても無益そのものだし、アメリカ以外の
列強がもっと強硬な要求をつきつけることもあっただろう。批判する人から、この
時これ以上の有効な政策があるのかを教えて欲しい。
NB:この条約が日本に半植民地的な地位を押しつけたことは百も承知。
(政治でも経済でも、 諸外国の政府に法的に従属することになったことも
合わせて)

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 19:07:44 ID:1SG6HA5U0
>>545
そういう意味の批判なんじゃないんじゃねーの?
幕府贔屓が薩長批判をする時に必ず
「攘夷攘夷と無理を叫ぶテロリスト」
みたいな事を言うから、その反論として
「庶民や下級武士が困窮し、政治批判を始めた根本的原因が不平等条約。
そもそもそんな条約を交わした幕府に責任がある」
という形で反論してただけだと思うがなぁ。
実際、そういう形で尊王思想を排他的に評価すれば、
その反論として、幕府の開国を排他的に評価もされちゃうんじゃねーのw

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 19:52:28 ID:jDiPFk+A0
条約を交わしたことが、それまでにすでにあった国としてのプライドや主権を
踏みにじったと単純に結論づけるのは正しくはない。それよりも、19世紀初めから
1860年代にいたる期間に近代日本のナショナリズムが形作られたことがある。
幕閣たちの間で、各藩の城内で、そして政治に関心ある武士たちが歴史や政治について
論じあった私塾で「日本」をひとつの国としてとらえ、だから防衛し統治しなくては
ならないという、新しい考え方が根付いていった。だから、そのような歴史の流れの
なかから、徳川家こそが日本の正当な守り手だとする主張が衰退していった。

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 20:17:09 ID:c/esPmWp0
>>542
基礎資料くらい、先人に敬意を表して読めよ。
>>546
徳川家は、日本ではなくて、日本を売ってでも幕藩体制と将軍と旗本をいかそうとしただけ。
日本にとっては敵。

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 20:56:42 ID:dtXx14Ms0
>>548
>徳川家は、日本ではなくて、日本を売ってでも幕藩体制と将軍と旗本をいかそうとしただけ。
日本にとっては敵。

ま、これが中卒レベルのご意見なんだよな。もう少し勉強して下さい。
つまらなくてうんざりする。

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 20:58:54 ID:XowZATDm0
>>545
おかしな事をいうなあ。条約締結の是非など明治維新の時はもちろん、
現代に至るまで一度も論点にも争点にもなったことなどないのだが。
それって追い詰められた幕府厨が議論の摩り替えで喚き立てて居直ってるだけなんだよ。
明治維新の時に問題になったのは幕府の政策決定プロセスとか政策の正当性の担保とか
そういうことなんだよ。そもそも幕府には政策を決定する仕組みが無かったのだ。
そんな幕府でも幕末までは何とかやってこれたというだけの話でさ。
幕末になって、そうした欠陥が見事に露呈しただけの話。諸侯の合議制というだけでは
10年間喧々諤々の議論をしたところで何の意思決定もできなかった。
諸侯といっても海外事情に全く疎い耄碌爺ばっかりでは当然だな。
他人の足を引っ張るのが得意な連中しか幕閣にいないのだからどうにもならない。
ってことで登場したのが豪腕・独断の大老井伊だ。
豪腕といっても独りよがり、思い上がりの権化だわ。
もう日本は独裁者の言いなりで納まる時代じゃなかったんだね。
どんな政策にしろ国民に対する説明責任を果たし、国民の納得を得る必要があったということ。
海外事情に疎いのは仕方が無い。200年も鎖国をしていたのだから。
しかし政権担当者の責任として、政策転換をソフトランディングさせるべきであったろう。
幕府と諸藩を問わず海外に留学生を派遣し、海外事情を学ばせるべきで、
世論を導く責任も幕府にあった筈だ。しかし幕府はそうしたことを全くやらなかった。
それどころか諸藩が独自に留学生を派遣しようという試みの妨害しかしなかった。
幕府は有能な思想家を弾圧し、世論を力で粉砕しようとするだけで何の説明責任も果たさなかった。
そんな幕府が内外の有力者に見放されただけのこと。条約が平等とか不平等だとか、
そんなことじゃない。幼稚な議論の摩り替えはうんざりだ。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:04:55 ID:1SG6HA5U0
>>548
そうむやみに”釣り”をするなW
もう佐幕贔屓を煽ってやろうという魂胆ミエミエだよ
そんなんじゃ駄目駄目でしょW

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:29:49 ID:c/esPmWp0
>>551
釣りなんてしていない。事実を書き込んでいるだけ。

当時徳川が欧米とやっていたことは、
植民地化コースそのもの、
不平等条約を結ぶ、関税自主権がなく、また関税が低いので、
国内産業が壊滅(綿製品の流入)
体制の強化への協力ということで、
財政支援、軍事支援を受ける。(フランスからの莫大な借款)
その支援の見返りに代わり資源を買い叩かれ、(生糸)
借款が返せない?ならその代わりにさらに無茶言われる(開港と関税の更なる引き下げ)
鉄道も自前で通さず、鉄道敷設の権利を認める(鉄道敷設の許可を出す)

次になにが待ち構えていたのか、それはその場合鉄道の権利は欧米が持つから、
その欧米の資産と利権である鉄道の守備の為の駐兵だ。

幕府は当時欧米がアジアアフリカ各国を植民地化してきた、
マニュアルを着実に実行していただけ。

>>549
ならお前は中卒以下だ、少しは歴史を学べ。

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:30:59 ID:RW8yeJ410
徳川宗家への忠義と外様の弱体化で成り立っていた蕃幕体制では
明治維新後の近代的な国家統一をなした富国強兵はかなわん




554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:33:16 ID:yELsMkqL0
114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 21:48:14 ID:Li26Rl1f0
>>
木戸は「既に神経衰弱に罹れるに非ざるや疑ふべし」三宅雪嶺

アメリカに赴いた岩倉使節団は、条約改正交渉に乗り出す。
当初、天皇の委任状が無いことを突かれて交渉が頓挫しかけるが、
大久保と伊藤が委任状のために帰国することで交渉は続けられた。
アメリカ側とは木戸が中心となって何度も会談を重ねる。
しかし、木戸ごときに老獪なアメリカ外交を崩すことは到底不可能。
壁にぶち当たった木戸は、ついにはヒステリーを起こし、
そもそも条約改正交渉を行ったことが間違いだったと言い出す。
森有礼をはじめ周囲の日本人に当り散らしたことは有名な話で、
冒頭の三宅の一節は、その際の木戸についての評。

その後、使節団は欧州に渡りイギリス、フランスなど各国を巡るが、
木戸は一切条約問題については口をつぐんでしまう。
岩倉使節団は、世界中に日本人のバカの見本を晒して回ったようなもの。
岩倉や木戸ではなく、大隈を代表にしてたら、もう少しマシな活動ができただろうに…

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:34:07 ID:yELsMkqL0
260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 19:52:39 ID:PbSoiIHd0
>>250
>使節団の目的は、明治新政府としての国書提出と、改正交渉にあたっての諸外国の事情調査。
でも、その程度の瑣末な目的ならば、使者を送れば用が足りる。
政府首脳が勢ぞろいしてガキの使いに出かける必要がある?

>1カ国ずつやってたらすごい日本不利。
アメリカから日本に有利な条件を引き出せばいいだけ。
当時日本の貿易はイギリスに牛耳られ、輸入品に押された国内繊維産業は痛手を受けており、
保護関税が必要な状況だった。
これに対しアメリカはイギリスとの対抗もあって、
日本が関税自主権をもち保護関税政策をとることに理解を示していた。
一方のイギリスは、日本が関税自主権を獲得することには絶対反対の立場。
アメリカとの単独交渉は試みる価値があったんだよ。
問題は木戸や岩倉の交渉力が子供以下だったこと。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:34:21 ID:c/esPmWp0
そう外様を疲弊させる。
つまり日本の四分の三を疲弊させる政策で、
どうやったら日本を発展させられるというのだろうか。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:34:52 ID:yELsMkqL0
261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 19:57:47 ID:PbSoiIHd0
>>250
>結局この「最恵国待遇」条項を木戸が知るのは、旧知の駐日独公使フォン・ブラントから。
明治政府は、使節団を送る直前に、北ドイツ連邦との間で最悪の不平等条約を結んでる。
そして、最恵国条項により、沿岸貿易や領事裁判権等で他国との関係でも譲歩を強いられ、
日本は以前よりさらに不平等な地位に追い詰められた。
ドイツ公使としては、当然、アメリカと勝手な交渉するなと圧力をかけるだろうね。
そして木戸や岩倉は外交交渉そのものに臆病になっていた。
なんでこんなやる気の無いバカ集団が諸外国めぐりをしたのか理解に苦しむ。

当時の庶民が冷笑したように「大使副使の名あるも観光団に異ならず」だね。

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:47:23 ID:yELsMkqL0
268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 03:27:11 ID:PJh70z/r0
>>262
>そんなに重要な条約?
明治政府が幕府以上に弱腰な不平等条約を結んでた事実はとても重要。

>治外法権の維持、居留地の拡張、内地旅行と内地商業及び 不動産所有の許可などの内地解放、
>日本の輸出税の全廃、地方行政規則と貿易港則についての外国領事との協議など。
治外法権については、日本の近代的な司法制度が整っていないんだから、いきなり対等な関係は無理。
居留地については、日本ではなく外国側が不平等な制約を受けており、
外国資本が居留地外を自由に移動できず、産業や鉱山への投資が禁じられていたため、
揺籃期の日本の産業が潰されずにすんだ。
その後、明治政府が関税自主権を勝ち取ることができたのも、居留地を取引材料に使うことができたため。
日本が独自に近代化を成遂げることができたのは、ひとえに徳川幕府の巧みな外交の成果といえる。

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:58:08 ID:hLddDuNT0
>>550
>条約締結の是非など明治維新の時はもちろん、
現代に至るまで一度も論点にも争点にもなったことなどないのだが。

条約港で始まった貿易により、1866年インフレがピークに達した、江戸と大坂で大規模な食糧暴動が発生した。
数百件の米穀商が打ち壊しにあった。同様に、生糸の生産者による暴動も発生した。江戸の西方、武州の天領で
数千人の農民と生糸生産者が、激しい抗議行動を展開した。かれらは村から村へと練り歩き、
勢いを強め、自分たちの債権者である庄屋や金貸しなど、村の上層階層の家々を打ち壊した。
最後には、幕府の軍隊が出動して暴動を鎮静したという史実があるが、このような事実は
当時の幕府にとって争点となっていたことは間違いないが?

それからそんなあやふやなことを書いてないで、せめて開国が1857-58年に将軍の後継問題と、
アメリカとの通商条約の調印手続き問題をめぐる論争で生じた大混乱状態として現れた文脈で
安政の大獄を叙述するくらいの常識がないの?幼稚な歴史を書いているのは、アンタだよ。

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 22:23:55 ID:XowZATDm0
>>559
また訳の分からんことを。幕府の失政で暴動、一揆、打ちこわしが起こることなど、
江戸時代のいつでも起きている。そんなこと今更、史実だのと大上段に構える話ではない。
重要なのは、そうした民衆の怒りの爆発、暴動、一揆、打ちこわしは一度たりとも
倒幕にも維新にもつながっていないという事実だ。
幕末においても、それは同じ。それが明治維新に直結した訳ではないのだよ。
俺が>>550で指摘したのは条約の是非に関する論争が明治維新の原因では無いってことだ。
条約のどこにどういう問題があって、結果的に国内にそういう混乱を生んだのかなどという問題認識は
幕府内部の人間はもちろんのこと、倒幕派においても誰一人として分からなかったのだ。
共通認識としてあったのは、もう幕府には任せて置けないということだ。
分かりませんかね。開国そのものにいいも悪いもない。あなたの認識は江戸時代の人と同じだ。
後継問題?調印手続き問題?だから何?何をいいたい?何が常識だってのよ。
そんな問題をいくら列挙しても何の意味もない。
重要なのは、幕府にそうした問題を解決する能力が無いという事が志士の共通認識となった事実だ。
幼稚な歴史を書いているのは、アンタだよ。

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 22:39:56 ID:RiCTezUp0
>>560
>開国そのものにいいも悪いもない。あなたの認識は江戸時代の人と同じだ。
後継問題?調印手続き問題?だから何?何をいいたい?何が常識だってのよ。
そんな問題をいくら列挙しても何の意味もない。

そうですか。あなたが幕末の歴史をまるっきり知らないことは
よく分かりましたよ。あなたのような人がそのピント外れなことを
書けるのは、多分ここだけでしょうから思う存分その無知でピント外れを
書き込んで下さい。常識以前のアホと議論はしても時間の無駄。

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 23:00:02 ID:XowZATDm0
>>561
無知でピント外れなのはお前の方だ。
後継問題や調印手続き問題程度のことはこのスレの住民なら常識として誰でも
知ってるんだよ。それを今更うれしげに列挙しただけでは何の意味もないとお前に教えてやった筈だ。
それが明治維新において、どういう意味を持ったのかと語れないのなら、あらためて書き込む意味が
ないといってるんだ。それで、お前は議論しているつもりだというんだから恐れ入る。
この恥さらしめが。ここはお前の来るところじゃないぞ。砂場で大人しく遊んでろ!

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 23:09:48 ID:c/esPmWp0
>>555
タイが不平等条約を撤廃したのは、
第一次大戦後で、それも連合国について参戦して戦勝国となったから。

つまり当時の状況で不平等条約を撤廃するのはいくら木戸でも無理。


564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 23:47:35 ID:Cb+Fph4w0
>>545
>あの当時に、修好条約よりもよりよい選択しがあったのだろうか?
ないだろうね。
修好条約は外国人を開港場10里以内に閉じ込め、輸入品についてはほとんどの商品に20%の従価税をかけた。
これは同時期の天津条約などと比べるとはるかに日本に有利な内容。
この内容にイギリスは大きな不満を持っており、後に藩幕勢力と結びつく原因となった。
もしもアメリカではなくイギリスと最初に条約を結んでたら、間違いなくもっと不平等な内容の条約になってた。
幕府は様々な意味でベストをつくしたと言える。

>>550
>おかしな事をいうなあ。条約締結の是非など明治維新の時はもちろん、
>現代に至るまで一度も論点にも争点にもなったことなどないのだが
攘夷派は勅許の有無という点で、条約締結を政争の具にしてる。
「政策の正当性」に関しては、外交は幕府の専管事項だからなんら問題ではない。
たしかに無能な外様を集めて相談した安倍正弘は愚かだったが、
その後の井伊直弼は速やかに日本を開国へ導き、近代日本の礎を築いた。

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 23:50:40 ID:Cb+Fph4w0
>>552
>不平等条約を結ぶ、関税自主権がなく、また関税が低いので、
>国内産業が壊滅(綿製品の流入)
イギリスは兵庫開港をネタに輸入税の大幅引き下げと、各大名の貿易自由化を迫った。
この筋書きをイギリスに吹き込んで幕府を攻撃させたのが薩摩藩。売国奴そのものの行為だ。
後に明治政府は安価なイギリス製綿製品による国内産業壊滅という事態に直面するが、
文句があるなら薩摩人に言うべき。

>>556
幕府は事実上の中央政府。
外交や貿易は全て幕府が統制しなければならない。
幕府に失態があるとするならば、外様を「疲弊」させてことではなく、
勝手に外国と結びつく外様を徹底的に滅ぼさなかったこと。

>>560
>条約のどこにどういう問題があって、結果的に国内にそういう混乱を生んだのかなどという問題認識は
>幕府内部の人間はもちろんのこと、倒幕派においても誰一人として分からなかったのだ。
幕府は条約が引き起こす諸問題を速やかに解析し見事な対応をしてるぞ。
>>559のいう「インフレがピークに達し」たのも、金銀の交換レートを国際水準に変えたことが原因で、
いわば閉鎖的な通貨体制を解放した際の痛み。
ただし、倒幕派においては誰一人としてこうした高度な外交・経済問題を理解できる人材がいなかった。
実際、明治以降の経済外交は旧幕臣が中心となってる。
問題の本質は討幕派の愚かさと、愚者の暴走を許した幕府の手ぬるさにある。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 00:22:06 ID:5Ha+Zx8V0
>>564
>攘夷派は勅許の有無という点で、条約締結を政争の具にしてる。

それは幕府内部の政争だし、あくまで手続き論に過ぎないのだ。
幕閣内部が開国派と攘夷派に別れ熾烈な権力闘争を繰り広げたということだ。

>「政策の正当性」に関しては、外交は幕府の専管事項だからなんら問題ではない。

それでは済みません。徳川御三家のひとつである水戸藩が幕府の統治権は朝廷の委任を受けたものだという
論を打ちたてたのだから朝廷の了解を得るのは当たり前のこと。それを無視した井伊大老は自ら幕府の正当性を
否定したも同然だ。だから桜田門外の変で斃れることになったのだね。
執行権限の正当性を問うておるのではない。政策の正当性だ。摩り替えるなよ。

>たしかに無能な外様を集めて相談した安倍正弘は愚かだったが、

将軍はパープリンだし、誰も案が無いのだから仕方あるまい。幕府に人材が居なかったのは阿部正弘の責任ではない。
老中の名前を間違えるお前もパープリンか?

>その後の井伊直弼は速やかに日本を開国へ導き、近代日本の礎を築いた。

導いてもいないし、築いてもいない。導いていたなら生麦事件など起きていない。


567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 02:28:40 ID:mvs2LbNz0
>>564
>「政策の正当性」に関しては、外交は幕府の専管事項だからなんら問題ではない。

幕府自身が朝廷に判断を仰いだ時点で、その論は成り立たないと思うが?
後ろ盾にするつもりだったのに当てが外れまくったのが痛かったな。

>>565
井上松方大隈完全無視ワロタw
勿論彼らには旧幕臣のプレーンが居たわけだが、幕府が彼らのように人材を抜擢することができたかね?
鳥羽伏見に至っても、幕府歩兵隊の頭に近代戦に無理解な人を就けてた時点でどうかと思うがね。
「近代戦の分からない奴を身分だけで隊長にするな」という布告を出した新政府軍とは好対照だと思うが。

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 08:14:27 ID:VkEfE24g0
>>562
>今更うれしげに列挙しただけでは何の意味もないとお前に教えてやった筈だ。
それが明治維新において、どういう意味を持ったのかと語れないのなら、あらためて書き込む意味が
ないといってるんだ

そんな風にしか読めないアンタの頭の悪さは相当なものだね。
私にはアナタが>>550で書いていることは、小説かマンガレベルだと
思います。得意になって書いているのはアナタですよ。

>明治維新の時に問題になったのは幕府の政策決定プロセスとか政策の正当性の担保とか


は?幕府の政策決定プロセスって何ですか?政策の正当性の担保って何ですか?
具体的に書いてないので、小説・マンガレベルなんですよ。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 20:03:13 ID:7IfsvIFB0
>>564
結ばなければいいだろう、
当時アメリカに対して、日本が下手に出る必要がどこにある。
当時の欧米の戦力で日本を占領できるとでも?
されるとしたら、欧米にさまざまな特権を幕府が認めていたことだろうな。

>「政策の正当性」に関しては、外交は幕府の専管事項だからなんら問題ではない。

そんなもんがなかったから、朝廷に伺ったり、諸藩から意見を求めたわけだろうが。

>>565
>イギリスは兵庫開港をネタに輸入税の大幅引き下げと、各大名の貿易自由化を迫った。

売国奴は幕府。
さっさと開港しておけば、賠償金すら払わなくてよかったのに、
貿易利権を独占したいが為に、賠償金を選び、それが払えずに関税引き下げた上、
開港すら飲んでいる。幕府に外交交渉能力と国家運営能力が欠如していた証左だ。

>外交や貿易は全て幕府が統制しなければならない。

つまり貿易による被害を諸藩と民に押し付け、貿易のうまみだけは幕府が掠め取る、
というものです。

>実際、明治以降の経済外交は旧幕臣が中心となってる。

幕府にはそんな人材などいません、みんな新政府の人間がやっています。
誰かいましたっけ?

>幕府は条約が引き起こす諸問題を速やかに解析し見事な対応をしてるぞ。

できてねーだろうが、当時金流出と資源の安く売ることで、
江戸の物価は何倍にも跳ね上がり、欧米の安い製品が入ってきたことで、
都市近郊の農村は一気に没落した。

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 20:12:08 ID:7IfsvIFB0
>>558
追加借款の為に、蝦夷地の開発権を担保にしようと、
フランスと交渉しているんだがな。

そして関税自主権を勝ち取れたのは、明治政府の巧みな外交力と、
国力の増強であって、関税率を引き下げられた幕府とは違うんだよ。

571 :545:2008/06/09(月) 20:49:10 ID:9GIKoqg60
>>550
あまり現代人の視野からの書き込みで、後付の歴史を書いてるに過ぎない。

>どんな政策にしろ国民に対する説明責任を果たし、国民の納得を得る必要があったということ。

ねぇ、国民なんて概念を当時の日本に住む人が持っていたことの根拠を教えて下さい。

>世論を導く責任も幕府にあった筈だ。

世論ねぇーそれはどういう方法で形成された?

>幕府が内外の有力者に見放されただけのこと。条約が平等とか不平等だとか、
そんなことじゃない。幼稚な議論の摩り替えはうんざりだ。

内外の有力者に見放されただけのこと…???開国時の幕府は、外国の列強、反抗的な諸大名、
血気にはやる武士たちの三方からの脅威に直面していた。この新しい状況にたいして、幕府は
一貫性のない政策によって対応したのが史実だよ。幕府の首脳達の方針は、宥和から強硬へと
急変したかと思うと、今度は逆方向に大きく揺れた。その間彼らは一貫して、幕府を強化し
権力の共有を極力回避しようと願った。堀田の後を受けて大老について井伊直弼は、合意形成の
方針を一掃し、伝統的な徳川独裁体制の再生を目指した。別にな

>どんな政策にしろ国民に対する説明責任を果たし、国民の納得を得る必要があったということ。

なんてひとつも考えてないし、そんなものは当時の薩摩や長州でも同様だ。
そして井伊は安政の大獄という劇的な粛正を行ったが、反幕府の勢力をそれ以前の状態に
閉じこめる方策としては、あまりに不十分で、あまりに遅すぎた。というだけのことだよ。
そして、天皇が住む京都は、権力の争奪を目指す全ての勢力にとって、実質的な意味でも
象徴的な意味でも、戦場となっていった。これが史実だ。


572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 21:59:38 ID:CONvSWZK0
>>571
>ねぇ、国民なんて概念を当時の日本に住む人が持っていたことの根拠を教えて下さい。

吉田松陰が一君万民論にて、旧態依然の幕府を支えた身分制度を否定している。
横井小楠が国是三論にて幕府・藩を超えた新しい国家像を提示している。
そして、そういう思想が幕末の志士に広く支持されたのだ。
幕末において幕府を支持した思想家は現れず、幕府がやったことは思想家を弾圧しただけ。
吉田松陰・横井小楠は多くの門弟を育て、彼らは時代をリードし明治の世でも活躍した。
それに対し、幕府は誰も育てずに人材枯渇し、いたずらに既得権益に執着し、政権に
みにくくしがみついただけだった。

>世論ねぇーそれはどういう方法で形成された?

いつの時代でも世論は思想家・オピニオンリーダーによって導かれ形成されるものだ。
幕府はそれを妨害しただけだし、幕府支持の世論形成さえしようとしなかった。

>幕府の首脳達の方針は、宥和から強硬へと
>急変したかと思うと、今度は逆方向に大きく揺れた。

幕府には何のコンセプトも原則も方針も無かった。呉越同舟だから全く意見の一致を見ない。
権力闘争の勝者が独裁権を握っては、失政の責任を取らされて失脚。ただその繰り返し。


573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 23:10:57 ID:HXls0KIm0
>>567
>勿論彼らには旧幕臣のプレーンが居たわけだが、幕府が彼らのように人材を抜擢することができたかね?
あくまでも旧幕臣が主体であり、井上松方大隈なんて猿回しのサルのようなものなんだよ。
仮に幕府が近代化を行ったなら、当然、井上松方大隈のようなアフォが出る幕はなかっただろうね。

>>569
>結ばなければいいだろう、
てか、幕閣は海外の動向を正確に把握してたから、日本の近代化のため、
国を開き列強の進んだ文明を取り込むことが不可欠であることを理解してた。
永遠に鎖国状態を望んでたのは薩長のバカどもだけ。

>当時アメリカに対して、日本が下手に出る必要がどこにある。
「外国人を開港場10里以内に閉じ込め、輸入品についてはほとんどの商品に20%の従価税をかけた。」
通商条約の内容を見れば下手に出てないことは明らか。
また、当時、中国はアヘン戦争やアロー号事件で英国に蹂躙されていた。
一方のアメリカは寄港地と貿易を求めてただけで軍事的な脅威ではなかった。
まず最初にアメリカと通商条約を結んだのは極めて合理的な判断だ。

>さっさと開港しておけば
その開港の邪魔をしたのが薩摩だろ。
そして裏ではイギリスをけしかけ日本の国益を台無しにした。これほど薄汚い売国奴はいない。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 23:14:03 ID:HXls0KIm0
>>570
>追加借款の為に、蝦夷地の開発権を担保にしようと、
それはデマ。フランスからの借款に国土を担保にする条項はない。
ちなみに明治政府は主要港の関税を担保に英国から巨額の借金をし、
あげくの果てに樺太をロシアにタダ同然で譲り渡してる。
とんでもない売国奴だ。

>そして関税自主権を勝ち取れたのは、明治政府の巧みな外交力と、
条約改正を行った陸奥は紀伊藩の出身、日英同盟の立役者は旧幕臣の林。
外交音痴の薩長はことごとく旧幕臣や幕府譜代出身の人材に頼りきってる。
薩長オタの妄想はいいかげんにしてほしい。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 23:48:29 ID:Ts15WYvL0
>>572
>吉田松陰が一君万民論にて、旧態依然の幕府を支えた身分制度を否定している。

吉田の思想は要するに狂信的な個人崇拝思想だよ。
国家の根拠を神格化された天皇におき、すべての国民をそれに従属させようとしたわけで、
今の北朝鮮のキム王朝のような体制を吉田は理想とした。
これは近代的な国民国家概念や平等思想とは正反対の思想であり、一種のカルト宗教だ。

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 03:32:25 ID:xXia5mlM0
明治維新とは幕府、薩長のどちらの陣営が日本の近代化をするかという一連の綱引きである

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 19:42:25 ID:nFL1uyfm0
>>573
>あくまでも旧幕臣が主体であり、井上松方大隈なんて猿回しのサルのようなものなんだよ。

逆逆、幕臣なんて手足にすらなってない。

>てか、幕閣は海外の動向を正確に把握してたから、日本の近代化のため、

把握してたら、あんな不平等条約を結ぶわけねーだろ。
アメリカがそこまで強気になれるわけないって事ぐらいわかるからな。
そして鎖国を望んだのは幕府だろう。

>通商条約の内容を見れば下手に出てないことは明らか。

下手に出てるだろうが、関税自主権を認めさせるくらいしとけ。
また移動不可にしたのは、鎖国の継続を願ったにほかならん。
つまり出島の拡大。

>まず最初にアメリカと通商条約を結んだのは極めて合理的な判断だ。

脅してきたアメリカに屈服しただけです。
結ぶのなら、当時のロシアならもっと楽な条件で行けただろう。

>その開港の邪魔をしたのが薩摩だろ。

はあ?イギリスは開港すれば、賠償金をチャラにしてやるといっていたんだぞ。
賠償金よりも、開港のほうが利益がでかいと、踏んだだけだ。
アメリカなんて、こんなことで賠償金をもらうわけにはいかん、というスタンスだ。
長州なんて、下関の開港を望んでいたってのに。
それを全て蹴って、開港より賠償金を選んだのは幕府だよ。薩摩は動いていない。
開港場所が京に近かったのもあるけどな。


578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 19:55:15 ID:nFL1uyfm0
>>574
>それはデマ。フランスからの借款に国土を担保にする条項はない。

追加借款のときの条件として、フランスと交渉していたときの担保は、
蝦夷地の開発権だよ。
ただ幕府を新政府が素早く潰したから、借款はされなかっただけ。

>ちなみに明治政府は主要港の関税を担保に英国から巨額の借金をし、

幕府がしようとした、追加借款の六分の一に過ぎない。
また新政府は前倒しで借金を返済している。
また借款の相手も、外国政府ではなくて、金利の高い民間の銀行にしている。

>あげくの果てに樺太をロシアにタダ同然で譲り渡してる。

はあ?蝦夷地開発をせずに、樺太千島を事実上放棄してしまったのは幕府だろ。
幕府が雑居地にしてしまったからなのに、追い出していればよかった。

>条約改正を行った陸奥は紀伊藩の出身、日英同盟の立役者は旧幕臣の林。

陸奥の上司は井上で、井上の命令のままに行動しただけ。
林はただ調印しただけで、交渉したのは小村だよ。
というか明治期の外交ってのは、ほぼ全て井上の手のひらの上。良くも悪くもね。
そして陸奥はゴリゴリの尊皇攘夷主義者で、倒幕派なんだがなw

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 20:56:29 ID:D/8Zd9510
井伊なき後、幕府の指導部が打ち出した合意形成路線は、「公武合体」だった。
しかし、さまざまな勢力がこのスローガンをそれぞれが違う意味に捉えた。
幕府にとっては、孝明天皇の妹と家茂との結婚をとりまとめる協調路線の姿勢を
示すことだった。薩摩、長州、土佐などの雄藩の大名たちと、水戸・会津の親藩にとって
公武合体とは、京都に本拠を置く諸侯会議に意志決定の権限を大幅に移すことを意味した。
そういう制度が現実になれば、将軍は朝廷の忠実な一臣下としての地位、数ある同等な者の
うちの筆頭としての地位へと、降格されることになるはずだった。 

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 21:35:41 ID:mgpxrljU0
>>577
>把握してたら、あんな不平等条約を結ぶわけねーだろ。
アメリカがそこまで強気になれるわけないって事ぐらいわかるからな。

オランダ風説書で把握していたが…、幕府はオランダから、海外情報に
関する報告書を得ていた。特に、1840年のアヘン戦争を契機として42年からは、
別に詳しい情報をオランダから提出させていた。これは「別段風説書」と呼ばれ
幕府は海外の正確な情報を得ていたんだが、そんなことも知らないの?
そして、アメリカとの軍事力の差、要求に従わなければどういうことを
するかも分かっていたから、屈辱的な条約を結んだんだよ。

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 22:07:59 ID:nFL1uyfm0
だから把握してねーんだよ。
たった四席、後に六席、大砲なんてせいぜい100門。
上陸兵だってろくにいない。
この程度の軍で、日本をどうこうできるわけがない。

途中で政権も変わり、二度目は示威行動くらいしかできなかったんだから。

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 22:32:24 ID:OhHMQas90
>>581
無知につける薬なし。三谷博の「ペリー来航」を読め。
読んでも理解は出来ないだろうがな

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 23:40:17 ID:9xnq535z0
>>578
64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 03:24:15 ID:CJjgzkL50
小栗は日本ではじめてコンペニーを設立した人物。
コンペニーとは簡単に言えば事業を興し出資額に応じて利益を配分するスキームのことで、
資金調達の形態としては一種のプロジェクトファイナンス。

当時の日本は資本力のない日本商人が外国商人に従属し、
貿易利潤が外国に流出していた。
小栗は、このような実態を打破するため、
対外貿易を統括し日本商人に資金供与や与信を行うコンペニーの設立を急ぎ、
日本国内においては兵庫商社として実現する。

兵庫商社は、大阪の有力商人を出資者とし、
まず100万両の準備正貨を発行させ、
その融通を受けた幕府が兵庫開港の資金にあてる。
3年後には関税収入100万両を準備正貨と引き換え、
幕府発行紙幣100万両と切り替える。
結局、幕府は大阪商人の信用力を利用して、
100万両の資金を得ることになる。

さらに小栗はこれを国際的に展開しようとした。
>>61のいう「フランスと交渉」がこれで、
日仏貿易を統括する商社を相互に設立することが協議された。
実際に交渉を行ったのはクーレーで、
600万ドルをイギリスのオリエンタルバンクと、
フランスのソシエテ・ジェネラルが共同出資する契約がまとまる。
しかしこれに「蝦夷地の鉱山などの担保にする」という条項はつけられていない。

上で何度も出てるけど、
もし蝦夷地の鉱山などを担保にしたと言い張るなら、
その根拠条文を出してみろ。

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 23:57:17 ID:DeMgdVnV0
小栗小栗とさも天才のように語っているが、実はたいした事無いよ。
松平春嶽が政治総裁職で幕政を見ていた時、当時勘定奉行の小栗が幕府に金がないから貨幣作ろうと言ってきたそうだ。
春嶽は小栗に「金が無いのに貨幣なんか発行したら、信用無くて大暴落するぞ。日本を混乱させる気か」と叱ったそうだ。
春嶽はその著書『逸事史補』の中でそう語り、小栗と言ったってこの程度と豪語している。

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 01:45:46 ID:easGjT2v0
>>584
頭の悪い春嶽を引き合いに出して小栗を批判しても説得力がないよ。
そもそも日本で最初に藩札を無計画に発行し「日本を混乱」させたのは越前藩だし。

また、幕末の通貨増発は幕府だけではなく越前をはじめ諸藩入り乱れて行ってる。
幕府は外交・防衛・殖産興業といった国家事業に当てるため正貨を増刷したわけだから、
これはやむをえないだろうね。増刷された金札は主に御用金に対する補償に用いられており、
幕府の信用を裏づけとする一種の債権のようなものだ。
むしろ中央政府の金融政策と無関係に諸藩が勝手に通貨を増刷したことの方が害悪。
実際、薩摩藩などがデタラメに藩札を乱造したため、激しいインフレをまねいてる。
明治以降も、太政官札の大量発行で通貨大暴落を引き起こし、政府が吹っ飛びかけてる。

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 04:53:15 ID:7+dcrbZ+0
>>573
結局、幕府の人事の硬直化については解決策もなしか。

>>581
その割にはペリー来航のあと、蒸気船100隻オランダに注文しようとしてみました、みたいな話があったような。
風説書で欧州情勢を知っていたのは確かだろうけども。

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 19:15:35 ID:pbn9Tszd0
>>582
もっと学べ、人生とは学ぶことだ。

>>583
>日本国内においては兵庫商社として実現する。

兵庫商社はただの株仲間の一形態に過ぎません。
特定の商人にのみ、特権を与えただけ。
また幕府は信用がなく、商人がかねださないから、
関税収入を担保にして、商人から金を巻き上げただけです。

>借款。
フランスとは蝦夷地の開発権を担保とすることで交渉しております。
ただ幕府が早期につぶれたため、契約が成立しなかっただけです。
だから日本は借款した金は入っておりませんし、。
明治政府はその金を返済してもいません。

>>585
幕府は中央政府ではない。
日本最大の領主にすぎず、各藩は独自に統治する権利をもっている。
だから藩札は自由に発行できる。

そして幕府は当時改鋳して、貨幣価値を落とし、通貨をつくりまくったおかげで、
当時のインフレが洒落にならなくなっている。
返せない借金を減らすために、ハイパーインフレやっただけ。
つか幕府はろくに殖産興業なんてやってねーよ。幕府の借金は、
全て大奥と旗本の無駄使いに消えてんの。

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 20:13:49 ID:QhgXveNs0
>>587
>もっと学べ、人生とは学ぶことだ。

何言いたいんだ?オマエは、>>582より偉いと言いたいのか?
何言いたいんだ?

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 21:11:58 ID:jerq9xs/0
>>588
横レスだけど、どうしてそれを>>582にいわないんだ?
>>587氏はしっかり自分の理解しているところを述べているではないか。
それに比べて、>>582ってなに?いたちの最後っ屁みたいな捨てゼリフに過ぎないだろうが。
>>582はお前の親分なのか?
親分が親分なら子分も子分だな。お前も一言も自分の考えを述べられないのか?

藩札についていえば、その藩の中でしか通用しないのが建前だから、それで
日本全国が混乱するなどということは有り得ないのだ。もし、日本全国が混乱したとすれば、
それはきちんと統制・管理しなかった幕府の責任に他ならない。
結局、幕府は経済はほったらかしで藩に丸投げにしてたから、またしても、その尻拭いを明治新政府が
やらざるを得なかったという次第。経済オンチの幕府には何がどう問題なのか理解できる筈も
無かったし、幕府の政策が時代の要請についていけなかったという事実の一つの現れでも
あるのだ。

590 :588:2008/06/11(水) 21:36:38 ID:ayEPkYik0
>>589
>お前も一言も自分の考えを述べられないのか?

オマエのいう自分の考えてなんだ?スレを見ると>>582>>581
対して、オランダからの別段風説書の指摘を頭から否定しているので
根拠としての書名を挙げているんじゃないか?別に捨てぜりふでも何でもなく
バカに対して教えてあげただけだろう?それを

>>587氏はしっかり自分の理解しているところを述べているではないか。

って何だ?>>587は、

>>もっと学べ、人生とは学ぶことだ。

だぞ、これは何を言いたいのか全く分からん。オマエもアホの仲間の池沼か?


591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 21:45:31 ID:pbn9Tszd0
オランダから情報が入っていたことなど俺ですら知っている。
で、だからどうだってんだ?
当時のアメリカが、強攻策を取れない理由があり、
また強攻策を取ったとしても、日本をどうこうできる力もないんだよ。

その程度もわからないから、お前にもっと勉強しろと、諭してやってんだろうが。

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 21:50:20 ID:gZJ/Vi0/O
桂小五郎って稲垣吾郎ににてる

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 21:50:43 ID:FWX5pLBM0
>>587
>フランスとは蝦夷地の開発権を担保とすることで交渉しております。
誰と誰が何時交渉した?蝦夷地の開発権とは?
その担保価値は誰がどうやって見積もった?ソースを出して説明しろよ。

>契約が成立しなかっただけです。
600万ドル借款契約は成立しており、英仏の銀行が共同出資する予定だった。
ただしフランスの外相が変り、これに異を唱えたため出資金が振り込まれなかっただけ。
そしてその契約に「蝦夷地の開発権を担保」とするような条項は含まれていない。

>明治政府はその金を返済してもいません。
600万ドルの借款は横須賀造船所の建設費に当てるためのつなぎ融資。
それが振り込まれなかったため、未払いの建設費は借金として明治政府が引き継いだ。
明治政府はイギリスから、主要港の関税を担保に差出し、超高利で借金をして、
幕府の債務を返済してる。

ちなみに、日本の国土に対する野心が強かったのはイギリス。
グラバーは幕末期にすでに佐賀藩の高島炭鉱の経営権を獲得しており、
九州を手始めに日本を中国のような植民地にすることを狙ってた。

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 21:59:25 ID:w4lHHtZf0
>>585
>頭の悪い春嶽を引き合いに出して小栗を批判しても説得力がないよ

頭悪そうなってw
お前の主観的判断で「頭悪い」と決めつけても説得力無い罠w
必死に小栗小栗と褒め称える小栗マンセー厨がキモいという事だけ理解した
基地外に小栗w

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 21:59:37 ID:yPiVkstW0
>>591
>当時のアメリカが、強攻策を取れない理由があり、
また強攻策を取ったとしても、日本をどうこうできる力もないんだよ。

その根拠となる、史料をだしてくれ。1858年の日米修好条約締結時に、
強攻策を取れない理由と強攻策を取ったとしても日本をどうこうできる力も
なかったという根拠をね。

>オランダから情報が入っていたことなど俺ですら知っている。
で、だからどうだってんだ?

では、オランダからの風説書の存在がなくてどのようにペリー等と
外交交渉の対応をしたかも合わせて説明してくれ。

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:05:27 ID:pbn9Tszd0
>>593
交渉相手はクーレー
蝦夷地の開発権は鉱山など、
これは日本幕末外交史などにでている。
金かせという幕府に、フランスがならどっか租借させろ、
と両者が条件いろいろだして交渉しているのがわかる。

>600万ドル借款契約は成立しており、英仏の銀行が共同出資する予定だった。

成立してねーよ、もししてるのなら、その条項全文しめしてみろ。

>600万ドルの借款は横須賀造船所の建設費に当てるためのつなぎ融資。

滅びかかった幕府の軍事力強化に決まってんだろ。
造船所ごときに、600万ドルもかかるか、ボケ。

>明治政府はイギリスから、主要港の関税を担保に差出し、超高利で借金をして、

金利が高いのは、幕府にように、莫大な担保を差し出さなかったから、
そして借りた相手が民間の銀行だから。
そして関税ではなく、関税からの収入の一部だ。
また幕府がつくった借金のみならず、鉄道敷設などにもまわっている。

ちなみに幕府は鉄道敷設の権利を欧米に認め、日本の半植民地化をした売国奴。

>ちなみに、日本の国土に対する野心が強かったのはイギリス。

ちなみに、幕府が倒れたときに、借金回収の為に、軍を派遣しようとしたのがフランス。

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:11:52 ID:pbn9Tszd0
>>595
もう示しただろう。
当時のアメリカでは政権交代が起こっており、
時の政府は、ペリーに強攻策をとることを禁じていた。
だから示威行動以外はできない。
ペリーを派遣したときは、少々やってもOKだったんだけどな。

んで、たったの四隻、いや条約のときなら六隻だが、
この程度の軍事力で日本をどうこうできるわけがない。
例えば馬関戦争のときは、17隻、総砲門数は200を越え、
上陸兵も二千という大規模なものだったが、
これですら、長州一藩と戦っても、死傷者は連合軍のほうが多く、
英国は旗艦にも多数命中し、艦長以下士官が複数死傷している。

>では、オランダからの風説書の存在がなくてどのようにペリー等と

意味がわからない。

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:31:52 ID:RdiQWkJk0
>>597
>当時のアメリカでは政権交代が起こっており、
時の政府は、ペリーに強攻策をとることを禁じていた。
だから示威行動以外はできない。

アンタの書き込みなんていらねの。
根拠としている史料を出せと書いてるだろう。
早くしろ

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:34:57 ID:FWX5pLBM0
>>596
>交渉相手はクーレー
>蝦夷地の開発権は鉱山など、
>これは日本幕末外交史などにでている。
お前バカだろ。
で、その「幕末外交史」によると「蝦夷地の開発権」をめぐる交渉は何時行われた?
具体的な交渉の内容及び進捗状況は?

>成立してねーよ
借款が成立した史料としてはロッシュの本国宛の報告書を参照のこと。
契約内容についてはソシエテ・ジェネラル及びオリエンタルバンクに照会すればいい。

>金利が高いのは、幕府にように、莫大な担保を差し出さなかったから、
だから関税を担保に差し出してるんだってば。
もしデフォルトしたら日本は植民地になってた。
薩長こそが「日本の半植民地化をした売国奴」なんだよ。

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:37:39 ID:pbn9Tszd0
フィルモアからブキャナンに代っていることすらしらない奴には、
なにを言っても無駄だな。

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:42:40 ID:HKDAV0jG0
>>600
>フィルモアからブキャナンに代っていることすらしらない奴には、
なにを言っても無駄だな。

史料を出せ。出せなくて、逃げてるだけだろう。早くしろよ

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:44:02 ID:jerq9xs/0
オランダ、オランダと有り難がっている馬鹿がいるようだが、それで間に合うほど
国際情勢は簡単ではない。
だから工藤平助は赤蝦夷風説考を著して幕府に北方の重要性を訴えたのだ。
幕府は樺太・北海道合わせて九州の4倍ほどもある広大な蝦夷地を
わずか1万石に過ぎない松前藩に任せたまんまほったらかしだったからな。
松前藩にはアイヌいじめはできても露西亜に対抗などできる訳がない。
しかし農業命の幕府には米を作れない蝦夷地にどんな価値があるのか全く理解できなかったのだから
どうしようもない。そんなところに露西亜がひたひたと南下の準備を進めていたからたまらない。
工藤平助の努力が身を結ぶかと思われた矢先、田沼が失脚してパー。
毎度毎度のことながら、もう少しでものになる時に必ず要人が失脚してしまうのが幕府の常。
幕府の事業は、こうしてことごとく中途半端な失敗で終わってしまうのだ。


603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:46:03 ID:p4AYTRtV0
まあ、薩長は担保どころか広大な樺太(九州の倍以上の面積!)を、
ロシアに無償譲渡しちまったんだから、何をかいわんやだよな。
最悪の売国奴だ。

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:58:06 ID:pbn9Tszd0
ブキャナンじゃなくて、ビアースだった。
ブキャナンはその後だ。


605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:58:11 ID:p+v4dyl20
>>597
正直に孫引きしている書名を書いて、この本に書いてあるといえば済む
ゲロしてしまえ。

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 23:01:01 ID:RT58j8NI0
>>604
早く史料名を書け。大統領の名前なんて聞いてねぇ

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 23:09:55 ID:pbn9Tszd0
大統領名で、政策の違いがわかるんだよ。
ピアースに代わり、政策がかわる、
結果前政権の出した親書が、新大統領が認めるか、といったら必ずしもそうではない。

そして送った船が旧式のぼろ舟であることを知っていれば、
ペリーがただの張ったり野郎であることがわかる。


608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 23:10:39 ID:pbn9Tszd0
あれビアースになってる、ピアースだからな。

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 23:28:20 ID:38xVbdNm0
>>607
結局、根拠となる史料すらあげられないじゃないか。
もう書くな。妄想野郎

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 23:30:06 ID:38xVbdNm0
>>607
オマエに返すよ。

>>もっと学べ、人生とは学ぶことだ。

バカが気取って書いたことだが、オマエにはお似合いだよ。

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 23:52:38 ID:G6YRupJb0
>>599
>もしデフォルトしたら日本は植民地になってた。
>薩長こそが「日本の半植民地化をした売国奴」なんだよ。

差し出した担保は横浜の関税権だったと思うが。
まぁデフォルトしたら痛かっただろうが、それをしてない所か実際は最優先で取り返してる。
そもそもの原因は、幕府崩壊によるフランスの債権差し押さえ。それを英銀行からの借り換えで避けたのが経緯。

よって、君のいう「薩長こそが日本の半植民地化をした売国奴」という主張はどう考えてもおかしいと思うが?

>>603
あそこは有耶無耶で放っといてもどうにもならんだろ。幕府ならあの露助相手に強気に出れる局面を作れただろうか?

>>607
今知ることができる事実と当時知ることができた事実とでは、違うことがあって当然だと思うが。
実際、オランダからの親書ではアメリカについてどう説明してあったのかが重要じゃないか?
少なくとも、大統領交代による方針転換まで知っていたかは怪しい。ペリーだって出先で知ったんだし。
しかも当時の交通網でオランダ経由となれば何をかいわんや。

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 18:52:42 ID:dlm0dEHg0
>>593
馬鹿はお前だ。
>契約内容についてはソシエテ・ジェネラル及びオリエンタルバンクに照会すればいい。

もし成立しているのなら、その条文だしてみろよ。
成立しているのなら、どのような条件で結ばれたかわかるだろw

>だから関税を担保に差し出してるんだってば。もしデフォルトしたら日本は植民地になってた。

関税ではなくて、関税収入、関税からの収入の一部がなくなるだけ。
大した問題ではない、少なくとも幕府みたいに、唯一のいっていい生糸の独占売買とか、
開発権や、領土の租借で、話し合っていないだけ、数千倍マシ。
どうせ関税にしても、幕府が下手やって、たった5パーセントしかないしな。
明治政府の収入のほとんどが、地租であり、関税収入がほぼゼロだったのをみても、
植民地化の恐れなどない。
>>611
>少なくとも、大統領交代による方針転換まで知っていたかは怪しい。ペリーだって出先で知ったんだし。

それは一回目のときだよ。
二回目のときは、もう最初から代っている。
和親条約を結んだのは二回目
船増やしたといっても、旧式のばかりで、
とても戦闘に耐えられるものではなかった。

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 21:05:22 ID:M8IcPMi80
>>597
>当時のアメリカでは政権交代が起こっており、
時の政府は、ペリーに強攻策をとることを禁じていた。
だから示威行動以外はできない。

>>612
>それは一回目のときだよ。
二回目のときは、もう最初から代っている。
和親条約を結んだのは二回目
船増やしたといっても、旧式のばかりで、
とても戦闘に耐えられるものではなかった。

まるで聞かれていることを分かってない。
1854年当時、幕府が上記のことを知っていたのか?
154年経った現代から過去を見て解説しているが、当時の
幕府にそのことを知り得た史実はあるのか?

それから横スレするが

>>612
>もし成立しているのなら、その条文だしてみろよ。
成立しているのなら、どのような条件で結ばれたかわかるだろw

オマエ偉そうに書いてるが、フランス語読めるのか?
それからどう考えても、条文じゃないだろう、契約書じゃね?

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 21:37:26 ID:PvS/y4qc0
重〜箱〜の隅を〜♪
つっついてみても〜♪
揚げ足をとって〜みても〜♪
なに〜ひとつも〜変わらぬ〜歴史〜♪

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 23:12:39 ID:dlm0dEHg0
>>613
>1854年当時、幕府が上記のことを知っていたのか?

つまり幕府が分かってないということは、
幕府は当時の情勢が分かってなかったということだろ。
貴方は573に対する、反論なのが分かっているのか。
横レスもいいが、当初のが分かってないだろ。

>オマエ偉そうに書いてるが、フランス語読めるのか?

なにが言いたいんだお前は、どのような条件で結ばれたのか、
日本語の条文示せっていってんだよ。別にうpれと言っているわけじゃない。
その程度のことくらいわかれや。


616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 03:06:31 ID:MbfaAD6f0
>>596 >>612
>これは日本幕末外交史などにでている。
オマエのネタ本の著者は誰だ?言ってみろ。

クーレーとの借款契約は成立してるんだよ。これは大塚や石井などが明らかにしてる。
ただし融資実行前に頓挫してるから、これをもって契約不成立と表現するバカもいる。
いずれにせよ、成立不成立は本質的な問題ではない。
重要なのは、クーレーとの借款契約には蝦夷を担保にするような条件が付されていたか否かだ。

結論から言えば、この担保の件は勝海舟のホラが発端で流布されたデマにすぎない。
したがって「蝦夷地の開発権を担保」にしたソースを何度求められても、
オマエはその根拠を示すことは絶対できないだろう。

これに異を唱えるなら、「蝦夷地の開発権を担保」にしたソースを出してみろ。

>関税ではなくて、関税収入、関税からの収入の一部がなくなるだけ。
>大した問題ではない、
中国は関税を担保に借金を繰り返し、国家財政を押さえられて植民地化していった。
そして明治政府は、イギリスに関税を担保に差し出し中国と同じ植民地奴隷の道へ踏み込んだ。
結果的に植民地化されなかったのは、幕府が殖産興業に務め返済原資を準備していたおかげ。
幕府に感謝しろよ。

>少なくとも幕府みたいに、唯一のいっていい生糸の独占売買とか、
>開発権や、領土の租借で、話し合っていないだけ、数千倍マシ。
生糸の優先交渉権程度で横須賀造船所を建設し、巨大商社を設立できるんだから、まったく無問題。
もっともフランスに出し抜かれたイギリスにとっては承知しがたいことだろうけどね。
また、実際に鉱山の開発権をイギリスに売り渡したのは佐賀藩。
仮に戊辰戦争が長引いたら薩長は自藩の領地を次々とグラバーに売り渡したことだろう。
さらに、明治政府は、領土の租借どころか、広大な日本の領土をロシアに譲り渡してる。
まさに売国奴そのものだ。

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 03:42:53 ID:GFDINJvY0
>幕府が殖産興業に務め返済原資を準備していた

初耳なんだが。そんなもんあったの?

>仮に戊辰戦争が長引いたら薩長は自藩の領地を次々とグラバーに売り渡したことだろう。

何の問題意識もないなら、馬関戦争の時に彦島くれてやってるよ。

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 04:10:25 ID:gr/6gVZ60
>>616
>仮に戊辰戦争が長引いたら薩長は自藩の領地を次々とグラバーに売り渡したことだろう。

旧幕府の残党が死に場所探しに蝦夷まで逃げ回ったんだっけか?


619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 07:36:39 ID:+Y+VgT4T0
>>615
>つまり幕府が分かってないということは、
幕府は当時の情勢が分かってなかったということだろ。

歴史が分からない人だねぇー。現代の人間が当時の史料・資料を
広く集め分析したことを、渦中の幕府が同じように集め開国の
判断で使えなかった以上、アメリカがどういう方針であったかを
現在からみて幕府が当時の情勢が分かっていなかったとみることは
意味がないということだよ。

>なにが言いたいんだお前は、どのような条件で結ばれたのか、
日本語の条文示せっていってんだよ。

フランス側のものはフランス語で書かれているだろうから
フランス語を読めるのか?と聞いただけだよ。
それじゃあ改めて聞くが、日本語の条文というが近世日本語を
あんた読めるの?間違いないが、現代日本語では書かれていないよ。

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 09:08:31 ID:HgQO1cEz0
>>619
横レスだが、馬鹿も休み休みいえよ。
工藤平助が赤蝦夷風説考を刊行したのは1781年のこと。
工藤平助がたった一人でできることが、どうして80年も後の幕府に出来ないのかってことだよ。
お前、説明してみろよ。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 17:25:51 ID:sJyd37Uk0
>>620
一人で騒いでも誰も相手にしてくれない。
もう少し自分勝手な意見ではなく、皆が分かるように書きなさい

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 17:38:22 ID:A2u2yQW90
明治時代の20円って今で言うといくらぐらい?

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 19:13:49 ID:QUa5t3dSO
物価の優等生と呼ばれる
卵価格で換算すると3万円前後。

ただ大卒初任給ベースとか、かけそばベースとか
計算法によってだいぶ違うけどね。

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 20:14:19 ID:Qfm12jQc0
>>616
>借款
金の貸し借りをしよう、というところしか決まってないのを、
借款が成立したと記すのは、かなりアレな学者だな。
石井氏は全うな分類に入るが、どうも幕府びいきが過ぎる。

そして俺は日本幕末外交史で、両者が借款の条件として、領土の租借や、
蝦夷地の開発権の担保で交渉していたといっているだろ。

あと何度も言っているが、成立したのなら、その条件を示してみろよ。
条文全て書き込んでみろ。成立したのなら、あるだろw

>そして明治政府は、イギリスに関税を担保に差し出し中国と同じ植民地奴隷の道へ踏み込んだ。

関税収入など、当時の日本では収入のほんの一部に過ぎない。
実際明治政府は前倒しで返済しており、担保を取られることはなかった。
中国の植民地化はむしろ、鉄道の敷設や租界とそれに付随する駐兵権が大きい。
これを許可していたのが幕府なんだよな。鉄道の敷設を認めるなんて、正気とは思えない。

>幕府が殖産興業に務め返済原資を準備していたおかげ。幕府に感謝しろよ。

幕府が殖産興業などしたことはない。幕府の金蔵も空っぽ。
対外債務は数百万ドル。なにを感謝しろというのだ。

>生糸の優先交渉権程度で横須賀造船所を建設し、巨大商社を設立できるんだから、まったく無問題。

優先交渉権ときたか、これでネタ元がおおよそ予想がつくな。
こういうやわらかい表現をして、幕府を庇う人には心当たりがある。

横須賀造船所は、明治期になって大幅に拡張されたもので、
当時の設備などなんのやくにもたってないし、
ドックのひとつをつくったから、なんだというのだ、。
巨大商社はただの株仲間だし。

正しく言えば、この借款は、長州征伐や幕府の軍艦に消えているんだよ。
それも戊辰戦争でやくにたったのならまだ救われるが、
長州のぼろ舟にも、ぼろ負けして、射程範囲内に入らない腰抜けっぷり。
運用も下手糞で、座礁させたりと、金の無駄使いもいいもの。
幕府歩兵も役立たずだったし。

>さらに、明治政府は、領土の租借どころか、広大な日本の領土をロシアに譲り渡してる。

雑居地にして樺太を事実上あげてしまったのは、幕府だろ。さらに千島はまるまると。
千島列島だけでも取り返した、明治政府に感謝してほしいものだ。

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 20:21:35 ID:Qfm12jQc0
>>619
>歴史が分からない人だねぇー。現代の人間が当時の史料・資料を

スレの流れが分からない人だねぇー。
この幕府マンセー野郎が、幕府は外国の事情に精通し、
その中でベストとおもわれる国のアメリカと最初に条約を結んだ。
アメリカと結んだものは非常に有利なものだった。

とかぬかしたから、俺が、
幕府はアメリカの事情がぜんぜん分かってなかったから、
事実上ハッタリでしかなかった、ペリーの恫喝に屈して不平等条約を結んだ、
と言ったんだよ。

でお前が幕府は知ることができる情報には限りがあった。

とかいっても、俺の言っているように、幕府が情報不足で下手打ったことを捕捉するものでしかない。
横レスするのは自由だが、少しは流れを読め。
それが横レスするものの、最低限のルールだ。

>あんた読めるの?間違いないが、現代日本語では書かれていないよ。

だからなにがいいたいんだ?
んな当たり前のこと言って、誰か関心をもってくれるの?
つか現代語訳すればいいだけだろうに。
つまらんレスするなや。

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 20:22:46 ID:Qfm12jQc0
>>623
卵なんて、ここ20年くらいで、逆に単価下がってるよ。
最近は飼料の高騰で上がりそうだけどさ。

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:15:08 ID:PPHGjj6p0
>>624
>そして俺は日本幕末外交史で、両者が借款の条件として、領土の租借や、
>蝦夷地の開発権の担保で交渉していたといっているだろ。
また成立不成立に問題をすり替えて逃亡するつもり?
いつ、誰と誰が交渉したのか?
成立しなかったとするならば、交渉はどこまで進捗したのか?
「借款の条件として、領土の租借や、蝦夷地の開発権の担保で交渉していた」
とするお前の主張の根拠はなにか?
まず、これに答えろよ。

>雑居地にして樺太を事実上あげてしまったのは、幕府だろ。
境界問題を先送りしただけで日本の領有権は譲っていない。
だからこそ明治政府が屈辱的な「交換条約」を結ぶことができた。

>さらに千島はまるまると。
>千島列島だけでも取り返した、明治政府に感謝してほしいものだ。
樺太と千島は面積も価値も全く異なる。
例えるなら九州全体と石垣島を交換させられたようなもの。
これほど不平等な「交換条約」は世界史的にも珍しい。
明治政府も舐められたもんだね。

ところで、お前のナンチャラ外交史の著者は誰?
言えないような恥ずかしい著者なのか?

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:18:51 ID:giBwTBAy0
>>625
>幕府はアメリカの事情がぜんぜん分かってなかったから、
事実上ハッタリでしかなかった、ペリーの恫喝に屈して不平等条約を結んだ、
でお前が幕府は知ることができる情報には限りがあった。
とかいっても、俺の言っているように、幕府が情報不足で下手打ったことを捕捉するものでしかない。

じゃあオマエは、過去を全て現在から振り返りその判断の正否を審査することが
歴史の評価をすることだというの?

>幕府マンセー野郎が、幕府は外国の事情に精通し、
その中でベストとおもわれる国のアメリカと最初に条約を結んだ。
アメリカと結んだものは非常に有利なものだった。
とかぬかしたから、

後付の価値評価でしかないなら、オマエのようなバカでも歴史を語れるだろうが、
せめて、開国時に他のどんな政策があったのかくらい書かなければ、単なる後出し
ジャンケンの幼稚園レベルだよ。

>だからなにがいいたいんだ?
んな当たり前のこと言って、誰か関心をもってくれるの?
つか現代語訳すればいいだけだろうに。
つまらんレスするなや。

だから何が言いたいかをいえば、フランス語を学んだことが
ないので読めないオマエ。そして、史学の教育を受けていないので
近世日本語を読めないオマエだと、正直にいえばいいたいだけですよ。
だから、さ

>現代語訳すればいい?

なんて、オマエは条文出せと偉そうに要求するのを
読んで、無学でフランス語も近世日本語で書かれた一次史料を
出されても読めないのに、オマエのレベルに合わせて現代語訳すればって
誰がやるの?と思ったのよ。聞くけど、オマエ史学や外国語どのくらい勉強した?

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:25:45 ID:rf8ukZBV0
>>624
>そして俺は日本幕末外交史で、両者が借款の条件として、領土の租借や、
蝦夷地の開発権の担保で交渉していたといっているだろ

オレもその文献名を知りたい。教えてくれ。

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:35:47 ID:uVXpeXEO0
>>629
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/kyuki/doc/0A031580000000.html

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:01:37 ID:Qfm12jQc0
>>627
>また成立不成立に問題をすり替えて逃亡するつもり?

成立したか、成立していないかが、
問題だろ、ロッシュやクーレーなどが、いろいろ条件を題して、
幕閣と条件で話し合っていたら、途中で幕府がつぶれてしまったという落ち。

そして成立したのなら、条件みせてみろよ、と言っているだろ。

>境界問題を先送りしただけで日本の領有権は譲っていない。

その間に、進出して自国の領土にするのが、ロシアの常套手段ですが、なにか?

>樺太と千島は面積も価値も全く異なる。

それはどうだろう、ロシアを事実上押さえることができるし、
今なら広大な領海が手に入ることになるし、200海里などない、
当時でも漁場での補給基地となるし、えられるものはでかいぞ。
北部樺太までなら、石油も結構でるんだけど、南部は油田もあまりないし。

>ところで、お前のナンチャラ外交史の著者は誰?

お前でも知ってる、大塚だけど?
だから、お前の言っていることがおかしいのがよく分かるんだよ。

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:06:42 ID:3PA3ejRm0
>>631
>お前でも知ってる、大塚だけど?

???

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:19:57 ID:Qfm12jQc0
>>628
>じゃあオマエは、過去を全て現在から振り返りその判断の正否を審査することが

当時の幕府が知らなかったことと、
幕府が知ることができなかったことは、一緒ではない。
また情報を理解していたか、どうかでまた意味がかわる。
ペリーのときの政権交代にしても、一回目は知らなくても仕方ないが、
翌年知らないのは問題。
また旧式の外輪船、さらに補給基地がないから、開港させようとしたというのもあるわけだから、
とても戦争などできないこともわかるはず、
これは当時の情報からでも、十分分析可能なこと。

>後付の価値評価でしかないなら、オマエのようなバカでも歴史を語れるだろうが、

言葉がどんどん汚くなるなあw
お前のような馬鹿にはなにを言っても無駄だろうが、
清にしても、英国に負けるまでは、不平等条約を結んでいたわけではないし、
最初から弱気になって不平等条約を結ぶ必要などなかったんだよ。
ましてや、当時のアメリカはいろいろ問題を抱えていたし、
欧州との対抗心もあり、多少有利な条件でも条約は結べたわけ。
アヘン戦争のときでも、清にはアヘンは輸出しませんから、とか譲歩して、
一気にシェアを拡大した経緯があり、和親条約の条文の半分くらいは無視できた。
また結ばなくても、ペリーはなにもできなかった。
またペリーが来るのも、オランダから事前に情報が入っていたわけだから、
結ぶ気がないなら、追い返せばよかった、たったの四隻ではなにもできない。

>近世日本語を読めないオマエだと、正直にいえばいいたいだけですよ。

くくく、、、笑えるね。相手を見下しても、相手が本当に君よりも下になるわけではないし、
ましてや自分の価値が上がるわけじゃない。
少し落ち着いて、自分のレスを見直してみるがよかろう。
そのレスが第三者からみて、どのようにみえるかもね。
虚勢ってすぐわかるもんだよ。

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:22:48 ID:Qfm12jQc0
>>632
幕末を語って大塚も知らんのか。
確かに昔の研究者だが、そんなにマイナーかのう。
この幕府マンセー野郎でも、石井と並んで示しているくらいだし、
この程度常識だとおもったんだが。

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:28:02 ID:akxG5kRX0
>>634
>幕末を語って大塚も知らんのか。

フルネーム及び主要著作名プリーズ

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:43:44 ID:xMekonE80
>>630
榎本総裁の署名キター!
でも幕府とクーレーとの交渉とは無関係だね。

>>631
>成立したか、成立していないかが、問題だろ
めんどくさい奴だな。
わかった。君の言うとおり成立してないとしよう。
で、>>627の質問への答えは?
>いつ、誰と誰が交渉したのか?
>成立しなかったとするならば、交渉はどこまで進捗したのか?
>「借款の条件として、領土の租借や、蝦夷地の開発権の担保で交渉していた」
>とするお前の主張の根拠はなにか?
>まず、これに答えろよ。

>その間に、進出して自国の領土にするのが、ロシアの常套手段ですが、なにか?
そのロシアを相手に何百年もの間、蝦夷地を死守してきたのが幕府ですが、なにか?

>北部樺太までなら、石油も結構でるんだけど、南部は油田もあまりないし。
だったら北部樺太を日本が死守すればいいだろ。なぜそうしない?
そもそも明治政府はろくに資源調査もせずに樺太をロシアに進呈してるんだから、
資源の有無以前の問題だ。

>お前でも知ってる、大塚だけど?
大塚といえば久雄ちゃんだな。
ともあれ君の言う大塚が幕府は蝦夷地を担保にしたなんてほんとに言ってる?
具体的な該当箇所を引用してくれ。

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:53:54 ID:Rm9q/nQj0
>>633
この前のレスは全て、論破できる。
但し、今日は出先なので出先から戻ったら詳細に、それを書く。
今書ける分だけ、レスする。

>笑えるね。相手を見下しても、相手が本当に君よりも下になるわけではないし、
ましてや自分の価値が上がるわけじゃない。
少し落ち着いて、自分のレスを見直してみるがよかろう。
そのレスが第三者からみて、どのようにみえるかもね。
虚勢ってすぐわかるもんだよ。

相手を見下しているわけではなく、事実を書いただけです。
なぜなら、オマエはフランス語を読めるか読めないか、近世日本語を
読めるか読めないかのいずれにも答えず、はぐらかしているだけなのが
上記のレスの内容だからです。私が、見ず知らずの人に虚勢を張る必要は全く
ありません。つまり、聞かれていることに答えずどうでもいいことをいい
はぐらかしている知識も自信もないのが、オマエだとよく分かる内容です。

歴史は、どのようになるかいくつもの可能性があるものだけど、その1つが残る。
そして、可能性としてあり得えたことは残らない。そういう歴史のあり方を
オマエは史学を学んだことがないので知らない。語られない歴史が膨大なものであることを
オマエは知らない。


638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 23:00:48 ID:t9kpIrsq0
>>636
>大塚といえば久雄ちゃんだな。
ともあれ君の言う大塚が幕府は蝦夷地を担保にしたなんてほんとに言ってる?
具体的な該当箇所を引用してくれ。

大塚久雄は、西洋経済史それもイギリスの産業革命が専門だよ。
オレの親父は大塚久雄のT大の最後の講義を聴いたらしいが、
日本経済史ではないと、今聞いたが答えたぞ。

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 23:12:04 ID:Qfm12jQc0
>>635-636
大塚武松でくぐれ。
って下の奴は知ってるんじゃないのか?

>わかった。君の言うとおり成立してないとしよう。で、>>627の質問への答えは?

で、俺の成立したとするなら、その条件はなんなのか、示した?
知ったかぶっているか、どっかのサイトに書き込んでいることを信じているんじゃないなら、
当然書けるよね。
まずこれに答えろよw

>そのロシアを相手に何百年もの間、蝦夷地を死守してきたのが幕府ですが、なにか?

蝦夷地に関心をもっていたのは、田沼くらいのもんだろう。あとは酷いもんだ。
だからとられた。

>ともあれ君の言う大塚が幕府は蝦夷地を担保にしたなんてほんとに言ってる?

疑うなら嫁よ。日本幕末外交史(の研究)がついたかも?
幕府閣僚の上申書などから、フランスと幕府の間で、
どのように借款の条件が話し合われたのかがわかる。
こういうのは個人で所有できる本じゃないんで、自宅にまではないぞ。
価値をしらんブックオフにでもあればいいけど、古書屋にもしあっても、万単位するだろうから手がでん。
>>637
ああ、いたなこんなレスを書いた奴が。
そういや、あいつ496どこいったんだ?
付き合いきれないんで、前のと合わせてレスしてきてねw


640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 23:58:52 ID:xMekonE80
>>639
ググったぞ。
大塚によると、蝦夷担保の話はロッシュの一方的な提案だけで、
幕府に拒否されたそうだ。
ttp://tozenzi.cside.com/sikoku-tanpo.htm

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 01:50:47 ID:BqCTp/0v0
>>640
最近司馬さんの本読んでこのスレに流れ着いただけの人間なんだけど、
"小栗上野介の寺"がソースってどうなんだ?

あと幕府マンセーさんは引用符を正しくつけてくれ。
読みづらい。

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 04:06:17 ID:4DBA+JIc0
>>637
横レスだけど、虚勢って「この前のレスは全て、論破できる。」みたいなことをいうんだよ。

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 07:44:19 ID:S81DSLup0
結局、自分が東日本出身というだけで明治維新を否定したいという
強い思いが根底にあるだけだろ、幕府擁護派は。
史学だなんだとかこじつけじゃんかw
自分の出身地を盾に論理武装してもまったくお話にならんだろw
論点を明確にするなら「なぜ幕府は薩長に負けたのか?」だ。
そして、「なぜ薩長は幕府に勝てたのか?」だろう。
「幕府でもできた」とか「幕府の方がもっと良かった」と言う主張であるなら
「なぜ負けてしまったのか?」教えてくれ。

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 09:25:55 ID:kBSKtmvG0
>>643
幕府にできたのは犬小屋を作ったことだけだ。
だから犬小屋作りなら幕府でもできた。

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 09:31:53 ID:VgbCC5nN0
なぁ
ここで言う幕府は鎌倉幕府だよな?
討幕派って後醍醐天皇とかでしょ?
鎌倉幕府の北条サンは闘犬が好きだったらしいから犬小屋一杯もってたしね♪

ただ幕末時代の薩長サンの偉い所は、孝明天皇や明治天皇を利用して政治は自分たちでやった事だよね。
もし天皇中心の国家を作ってたら、後醍醐天皇の時みたいに収拾のつかない事になっちゃうもんね♪

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 09:33:44 ID:OSTe5Nps0
>>643
>結局、自分が東日本出身というだけで明治維新を否定したいという
強い思いが根底にあるだけだろ、幕府擁護派は。

決めつけが過ぎると思うよ。

>論点を明確にするなら「なぜ幕府は薩長に負けたのか?」

少なくとも、開港から大政奉還、王政復古そして戊辰戦争までの
歴史で捉えるなら議論として面白いが、上記のことだけが
論点だとは思えないし、その捉え方での明治維新をみることは
意味がないと思う。

>「幕府でもできた」とか「幕府の方がもっと良かった」と言う主張であるなら
「なぜ負けてしまったのか?」教えてくれ。

君と同じ些末なことに論点があると思う人はいるのか?と思う。
君の幕府は薩長に負けたという意見と同じように、幕府があったらよかったのに
という意見の人がいても構わないとしか私にはいうことがない。
いずれにしても言ってることがとてもつまらない。

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 10:57:08 ID:S81DSLup0
>>646
それは論理的な回答とは思えんね。
事実として自分の出身地を盾に論理武装している幕府擁護派がいるだろうに。
それははなから偏りがあるのだから議論の余地などない、と言ってるのだ。
もっとも君がそうだとまでは言わないが、そういう人もいるだろう。
決め付けではない。人間とはその程度のものだ、と言っている。

史実として幕府は薩長に負けた。仮定として幕府の体制や人材の方が優れていたのならば
なぜ薩長に負けてしまったのか?
この問いに明確な解答を与えられればこそ、幕府が良かったとの議論ができよう。
それについてはどのように考えているのか教えてほしい。

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 11:06:26 ID:VgbCC5nN0
>>646
私は>>643ではないが、君が外野から来て横レスしてるなら、下手な仲裁はしない方がいい。
なぜならば、元々幕府マンセー厨が妄想のIF論を語っての薩長叩きから始まった事だ。
しかもこのネタは2ちゃんでは、十年前から多くのスレで幕府マンセー馬鹿が書き込み、荒らし回っている。
ここにいる手合いは、まだ史料を根拠にしている分まともなんだよ。
だから、どんなに下らなく意味のない事でも、とことんやらせた方がいい。
結果、意味なかったという結論でも、少なくともそれが解っただけ前進なんだ。

「君と同じ些末なことに論点があると思う人はいるのか?」と君は問う
が、残念ながら「腐るほどいる」のだ。
こうした馬鹿の為にも、ある種の結論は出させた方がいい。

それでも君が「止めろ」というなら、君自身が幕府マンセー馬鹿の自作自演と言われるか、イタイ幕府厨の仲間と思われるだけだ。

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 11:44:33 ID:nkJuIWt50
薩長オタは議論に負けると涙目でファビョりだすから始末が悪いね。
とりあえず、>>648は大隈重信の言葉をよくかみしめ、深く反省したまえ。

「小栗上野介は謀殺される運命にあった。なぜなら明治政府の近代化政策は、
そっくり小栗のそれを模倣したものだから。」

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 12:31:14 ID:kBSKtmvG0
>>649
かみしめる前に、当時の大隈重信の政治的立場、発言の狙いを考えたほうがいいよ。
支持者に向けての発言か、公的発言かも考慮する必要がある。
大隈重信は学者でなく、政治家だ。政治家の発言は必ず政治的思惑があってのことだから、
文字通り受け止めるのは愚かなことだ。深く反省したまえ。

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 12:42:46 ID:BqCTp/0v0
>>648
引用符のつけ方みたら、外野じゃなくて本人に見える件。

>>649
もしかしてそれ、薩長より幕府の方が明治を興した方が良かったという論拠?

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 13:15:42 ID:+IzZ8QPx0
>>647
>史実として幕府は薩長に負けた。仮定として幕府の体制や人材の方が優れていたのならば
なぜ薩長に負けてしまったのか?

だから、そんな風に幕府は薩長に負けた、「それが歴史的事実だ」というのは、
歴史に未発の可能性があることをまるっきり考慮に入れないからつまらないと
書いたんだよ。歴史というものには実現しなかったものの方が多い。可能性のまま
消えてしまったものの方が圧倒的に多い。鳥羽・伏見の戦の場合にも、実現はしなかったが
5つくらいの選択肢があった。その時、ライヴでその場にいた人があなただとして、
いったい幕府につくか、薩長につくか迷うと思うよ。下手に負ける方についたら一生大損に
なるからね。勝てば前途洋々、自分の道が開けるわけだから、どちらを選ぶか一生懸命に
考えたことだろう。どっちに味方して、どの道を行くべきか、と。そんな視点から
戊辰戦争に限らず明治維新をを見れば、同じ歴史を見る上で格段の深みと広さがでてきて
面白くなるといいたかった。
(私は、幕府でも薩長でもない視野から明治維新を見た方がいいと思うだけなんですよ)

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 15:02:46 ID:BqCTp/0v0
要するに、反三国志ならぬ反明治維新スレにしたいワケか。
歴史に「もしも」を持ち込むんだったら、小説かワイドショーの範囲な気がするんだけど、どーなの?>歴史を学んだスレ住人さん



654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 15:09:20 ID:u8yhzxYp0
歴史の表舞台に出てくる者達は「常に、下っ端」である。

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 17:26:33 ID:h0Irfoi70
>>649
それ不思議なんだよな。
明治維新が小栗路線の踏襲だとしても、小栗が殺される理由にはならないと思うんだが。
なぜ殺す必要があったのか?結局誰が指示したかもよく分らんし。
まぁあの時代には珍しい事じゃないけどね。坂本しかり、大村しかり。
大村暗殺の黒幕海江田説も、状況証拠しかなかったと思う。

>>652
このスレは大分マシな部類だと思うけどね。
誰もが全ての事柄に対して第三者的立場に立つことができる訳でもなし。

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 19:09:33 ID:hClaPYHQ0
>>636
簡単に樺太死守というがロシア軍がぞくぞくと樺太に入っている
現地の日本人が暴行事件(リンチ事件)も受けてるんだぞ
もし日本軍が樺太を攻めれば日露戦争になる
この時点でそれはまずいだろう
日本政府(副島種臣)はアラスカのように樺太を200万円で買収しようとしたようだが失敗した

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 19:22:38 ID:IZr8Af4h0
>>656
まあ、あんたのいうことももっともだけどさ。
軍国主義者はいつも身の程もわきまえずに「死守しろ!」とか、やたら威勢だけはいいからな。
こういう輩を相手にしても徒労だと思ふ。

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 19:24:42 ID:EGaGmgTq0
>>653
>歴史に「もしも」を持ち込むんだったら

…そういうことじゃないんだよな。歴史家が無数にある過去の事実(資料)の中から
歴史の真実を表現するのに都合良い、または歴史の真実を最もよく表現していると
思われるもの(史料)を選び出す。そんな形で史実を事実の中から選び出すことを最初やる。
この史実は尊重されなくてはならない。決して、空想や想像が本則ではない。
歴史家の仕事で史実に基づいて行われたことは充分理解している。だから、
>>646でも>>652でも、教科書に書いてあることを改めて史実だというのは野暮で
面白くないと書いた。それはね、そのように集められた歴史的事実を使って、
それを組み合わせ、組み立てて、一定の歴史像を構成する過程で、どんなに資料を
たくさん上手に集めてきても、その資料を並べただけでは歴史の姿というものは
浮かんでこないわけで、資料というものはバラバラな部分的なものだから、その資料を
どうやって関連づけるかという部分で、幕末で言えば、単純に幕府と薩長の視野で
見るのではなく、広くその時代を語る史実を関連づけられて初めてその全体像を
つかめて面白いものになるのではないかと言いたいんだけどね。それは間違いなく
歴史家の認識にもとづく想像力によって行われた研究をベースに行われることは
勿論のことだ。しかし、分かりづらいことを書いたようだから謝る、すいませんでした。

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 19:41:25 ID:qjdyvz970
>>640
幕府が拒否したわけではなくて、交渉中に幕府がぽしゃっただけ。
一部分だけ抜き出すからおかしなことになる。
>>649
新政府が模倣したのは、西南雄藩での幕末での改革に過ぎない。
つまり自分とこの藩でやっていたことを、日本全国でやっただけ、
拡大再生産だよ。
小栗なんて相手にされてない。
もし小栗が使える人間だったら、なにがあっても新政府は小栗を登用しただろうが、
そうしていないのをみても、小栗が小物で空想癖があっただけというのがよくわかる。

財源は外国からの借金、行政改革はせずに武士層と大奥は維持、
欧米に次々に許認可を与え、欧米資本でのインフラ整備、
欧米がやっていることを、思いつきで日本に輸入。
財源が返せる宛てもない借金で、捻出するのなら、なんだってできるさ。

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 19:53:39 ID:YtUNY5a50
>>659
>新政府が模倣したのは、西南雄藩での幕末での改革に過ぎない。
つまり自分とこの藩でやっていたことを、日本全国でやっただけ、
拡大再生産だよ。

それは違う。社会体制が変わったのに、旧体制下で行ったことを
拡大再生産など出来るわけがない。標準的な日本経済史の教科書を
読んでみな

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 19:57:35 ID:XkwiZvjV0
>>647
>事実として自分の出身地を盾に論理武装している幕府擁護派がいるだろうに。
徳川幕府は日本を統一し、長期間の天下泰平を実現した。
今日の日本のアイデンティティや文化のほとんどは、徳川幕府時代に生み出されたもの。
日本人の原点を擁護するのに出身地は無関係だろ。むしろ、偏執的に幕府を攻撃してる奴の方が異常。

よく言われるように、明治維新とは外様藩の下級武士によるクーデタにすぎない。
徳川幕府に虐げられた一部の特殊な地域集団の恨みがその原動力となっており、
薩長の側から見た歴史観は、当然、幕府を貶め倒幕を正当化する内容となる。

偏狭な薩長史観は、複雑で多面的な幕末史の事実を突きつけられると破綻をきたす。
幕府を正当に評価する意見を自分の出身地への誹謗と感じるならば、
それは君の歴史観が偏狭で捻じ曲がってる証拠だ。

>史実として幕府は薩長に負けた。
なにをもって勝ち負けとしてるのか分からないけど、
薩長のクーデタが成功した最大の要因は、イギリスの謀略と支援だよ。

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 20:04:12 ID:XkwiZvjV0
>>655
>なぜ殺す必要があったのか?
ひとつ言えるのは、小栗はイギリス嫌いだった。
というかアヘン戦争を引き起こしたイギリスの危険性を警戒してた。
だからイギリス商人の権益を押さえつけフランスやアメリカとの関係を深めようとした。
それゆえ、イギリスから軍事援助を受けた薩長が、小栗を宿敵とみなしたのは不思議ではない。

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 20:18:46 ID:B8t9LHLP0
>>661
>薩長のクーデタが成功した最大の要因は、イギリスの謀略と支援だよ。

その歴史観は偏狭で捻じ曲がっていませんか?
私には、偏執的に幕府を攻撃してる奴の方が異常という君が同じように薩長を
偏執的に攻撃しているように見えますけどwww

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 21:20:28 ID:qjdyvz970
>>660
お前は、史実を学べ。
学制は、岡山や山口でやっていた、寺小屋を利用して全ての領民への、
初等教育を行っていたことを、全国でおこなっただけであり。

徴兵制は奇兵隊をはじめとする、武士層以外の諸隊の活躍から生まれたものであり。

市町村、それにおける行政機構や裁判所は、山口であった宰判を焼き増ししただけである。

明治政府の政策ってのは、幕府からの継承ではなく。
西南雄藩で行われていた、さまざま改革による成功例を、
組み合わせて作り上げたことがわかる。

>>661
幕府は日本を駄目にしただけだが。
人口、農地、生産性、経済。
途中から全てが止まっていたのが幕府。
日本を駄目にするための生体といえよう、
内乱をおこさせずに、幕府を存続させる為に、日本を駄目にした。
>>665
それでフランスの狗になっていれば世話ないわ。

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 21:32:51 ID:hClaPYHQ0
>>661
徳川は主家の豊臣家を倒して天下を取った
豊臣家も主家の織田家を抑え付け家臣にさせた
織田家も・・・

歴史でクーデターにいちいち目くじらを立てるなよw

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 21:48:36 ID:8fyKcG990
>>664
>お前は、史実を学べ。

私が学校で学んだことーそれは史実そのものでしたーは
「版籍奉還」すべての土地と人民は天皇の支配に服さなければならないという
原則は、あなたが指摘したことにも西南雄藩でもやった改革にもないものですが?
「廃藩置県」やはり西南雄藩で行われてはいませんよね?これは藩から県への
名称変更にとどまらない大きな変革でした。そして、学制は木戸らの指導者が
欧米社会の視察によって、国民教育こそが西欧の経済力、軍事力の根源の1つだと
確信したことから、主としてアメリカとフランスの教育制度に範をとったもので
寺子屋ではない。そもそも寺子屋には、学制公布で施行された小学校と中学校、
それに複数の大学校からなる制度などの構造をもっていなかった。内容から見て

>学制は、岡山や山口でやっていた、寺小屋を利用して全ての領民への、
初等教育を行っていたことを、全国でおこなっただけであり。

という理解は浅過ぎる。加えていえば、水戸の会沢正志斎や徳川期の学者達は
民心を惑わすキリスト教宣教師たちにいとも簡単に騙されており、さらには天皇までも
裏切る「愚かな平民」について、延々と不満を述べていた。政府はそのような見方が
あるにも関わらず、すべての国民を対象とした義務教育を実施するという思い切った
措置だった。
まだあるけど、アンタの

>明治政府の政策ってのは、西南雄藩で行われていた、さまざま改革による成功例を、
組み合わせて作り上げたことがわかる。

は杜撰な史実理解ですよね?違いますか?

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 22:10:21 ID:gYwbajOI0
長州人は朝鮮人。
300年間にわたって幕府を恨み続けたチョソ。

>長州は明治になるまで毎年正月に「殿、今年こそ徳川征伐を!」と、
>徳川への恨みを確認する儀式を繰り返してた。
>ここまで徳川への恨みを引きずった藩はほかにないだろ。

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 22:21:19 ID:qjdyvz970
>>666
>原則は、あなたが指摘したことにも西南雄藩でもやった改革にもないものですが?

違いますな。
廃藩置県は西洋に行く前に、というか倒幕前にすでに木戸、大久保がいっており、
また木戸は長州征伐でえた領土を全て朝廷へと返還を願い出ています。
またこのとき長州も返還し、日本全土も返還しひとつの国にしようと述べていますよ。
つまり西洋で学んで、廃藩置県へといたったわけではないのです。

>寺子屋ではない。そもそも寺子屋には、学制公布で施行された小学校と中学校、

岡山や山口であったものは、寺小屋であって、寺小屋ではないのですよ。
藩が経営し、藩士が教職につく、領民を教育し、また思想面からも統制することを狙ったものです。
また成績がいいものは、士族でなくても、藩校で学べました。

またイギリスでは公教育など行われておらず、開始は日本とほぼ同じで、
欧米で一般的なものであったわけではない。

>は杜撰な史実理解ですよね?違いますか?

というわけで、違いますね。

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 22:39:23 ID:qjdyvz970
特別会計があり、一般会計が赤字で、特別会計が黒字でも
そっちに手をつけられない、という明治期から、
今に繋がる財政構造も、長州藩のシステムに似てますしねえ。

初期の新政府の官僚の多くは、西南雄藩の出身者で、
特に薩摩(12%)や長州(16%)は全体の四分の一に達します。

ですから新政府の改革というものは、
良くも悪くも、藩で独自でやっていたことを、
焼き増ししたものが多くなるのですよ。

もちろん西洋からの影響で行ったものや、
ある程度西洋の影響を受けて変質したものはありますが、
格藩でやっていたことにルーツの多くがあることに変わりありません。

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 23:16:35 ID:4L4qZqbO0
>>668
>廃藩置県は西洋に行く前に、というか倒幕前にすでに木戸、大久保がいっており、
また木戸は長州征伐でえた領土を全て朝廷へと返還を願い出ています。
またこのとき長州も返還し、日本全土も返還しひとつの国にしようと述べていますよ。
つまり西洋で学んで、廃藩置県へといたったわけではないのです。

しつこいねぇ。史実を書けば、明治政府の首脳達は、多くの藩の大名、家臣を含めた
有力者に新たに出来た中央政府内のポストを約束することによってかれらの支持を取り付ける。
この説得をするに当たって、薩長の武士を中心に皇軍を組織して武力行使の可能性を
ちらつかせるという脅しももちいた。武力を実際に行使することはなかったが、この
皇軍は、どんな藩の単独の軍隊よりも、また考えうる複数の藩の連合体よりも、強大
だった。潜在的に反対派のリーダーとなる可能性のあった者達をこのような措置によって
買収し、主要な藩内に支持基盤を築いた政府は、1871年7月、天皇に、ただちにすべての
藩を廃止して県とすることを宣言させた。これが史実ですよ。その前に何をしたなんて
細かいことを書いてるが、現実に新政府になってどのような事実から実現されたかが
史実なんだけどね。

>岡山や山口であったものは、寺小屋であって、寺小屋ではないのですよ。
藩が経営し、藩士が教職につく、領民を教育し、また思想面からも統制することを狙ったものです。
また成績がいいものは、士族でなくても、藩校で学べました。

学制が発布されたときのー義務教育への反応はー政府の判断は、上記のようなレベルの
判断ではなかった。明治の指導者たちは、潜在的な反体制の駆り立てかねないような
「啓発」を施すのを思いとどまることもあり得た。しかし、意識的にこのリスクを冒した。
国民を無知な状態に留めておくことのほうが、政治・経済権力を構築しようという自分たちの
事業にとって、より大きな危険となるはずだ、と判断したからだった。1905年学齢期の男児の
98パーセント、女児の93パーセントが法の定める通りに就学していた。義務教育が定着するに
ともない、人のーすくなくとも青年男子のー人生の進路は出発点では開かれているべきであり、
個人の才能と努力を反映すべきだとする考えは、日本でもっとも基本的で広く共有された社会的
価値観のひとつとなった。徳川期の日本では、能力ある者が官職に就くべきだとする能力主義の
理念と、世襲的な身分制度とのあいだに、深い緊張があったが明治の社会革命はこのイデオロギー的な
緊張をあきらかな能力主義に有利なかたちで解決した。寺子屋レベルの話でないのはここまで
書けばアンタでも分かるかな。

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 23:32:52 ID:Jwe2HmK10
>>669
特別会計のルーツは、幕府が歳入歳出を定式別口に分けてたことに由来する。
ちなみに複式簿記による近代的な会計システムを最初に導入したのは幕府で、
明治以降の近代的な会計制度も、福沢諭吉の「帳合之法」から始まる。
公正な会計記録という概念を持たない長州人は、汚職を繰り返し国の富を私物化してただけでは?

また、福沢が不満を漏らしてるように、
明治当初は、無学な薩長の田舎者が官僚組織を乗っ取ったため、
日本は「復古」一色となり、日本の近代化が停滞してしまった。

その後の日本の近代化は、このような薩長による妨害を乗り越えながら、
旧幕臣が中心となって、日本を正しい方向へ導いたからこそ実現できたもの。

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 23:45:42 ID:48+z8dB60
>>668
補遺
藩レベルでの実行と新政府を建国し全国一律で政策を実施することは
水準が違う話なので、藩単位で何をしたというのも歴史に残っていることは
否定しないが、それがあったから新政府の政策が出来たんだという話では
ないのではないかな

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 00:03:52 ID:YpARoExE0
>>671
>明治当初は、無学な薩長の田舎者が官僚組織を乗っ取ったため
どあほw。薩長の連中が徳川静岡藩からスカウトしただけだろw。
乗っ取ったと言うあたりに偏見に満ちており、説得力を欠く。

>その後の日本の近代化は、このような薩長による妨害を乗り越えながら
は?明治政府の初期は薩長による専制政治でしょw。
頭が薩長、手足が幕府の有能な官僚。だから上手くいったの。
なぜかといえば、幕臣であっても優れた政策なら薩長は実行したから。
頭が幕府(老中評議制)で官僚も幕臣で上手くいかなかったのは、
幕府のトップが、有能な幕臣の意見を握りつぶし続けたからだ。
幕府の良い所だけを見て、悪いところを見ず、すべて薩長が悪いという君は偏見電波にしか見えないよw。

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 00:23:40 ID:k5vRborp0
>頭が幕府(老中評議制)で官僚も幕臣で上手くいかなかったのは、
幕府のトップが、有能な幕臣の意見を握りつぶし続けたからだ。

同意。幕府には文久の改革が精一杯。世界が能力主義に進んでる中で
政治を世襲主義でやってるのはイタい。
人材の問題でなく、個々の理解力の問題でもなく、制度の問題。
だから維新。
そこまでの間に幕臣ももったいない人が死んでしまっているし、薩長も同じ。
そこには参加しないで、新政府が出来てから批評する福沢は賢くて正しいけど
自分は好きじゃない。


675 :福沢諭吉:2008/06/15(日) 00:27:20 ID:VX5kDOP50
●日本を開かんとするに、之を妨げたる者は長州なり、之を妨げたる者は薩州なり、之を妨げたる者は薩長の同類なり。
今薩長の族類を以て外国人の良友と為すべきとは、大いに其の説を変じたる後のことなるべし。
薩州は最初開国を妨げたる説を変じて、近来は頻に外国の貿易を勉め、自国の諸港を尽く開きて貿易を為さんと欲せり。 
斯く開国の説ならば、大阪兵庫の開港を妨げたるは何故なる哉。
是他なし、日本全国の為め筋を思はずして、自己一家の私利を謀て躬から盛大たらんことを欲するのみ。

●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。

●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。

●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 03:23:01 ID:4173kVg30
> 「版籍奉還」すべての土地と人民は天皇の支配に服さなければならないという
> 原則は、あなたが指摘したことにも西南雄藩でもやった改革にもないものですが?
これはヒドくないか?
権力の座を追われる場合、権力も領地も命も奪われて滅びるのが常識。
それを、国を二分する大規模な内戦勃発を回避し、家督としての徳川も存続させるための妙手ではなかったのか?
それを幕府の改革として薩長にはない先進的政策というのは、それこそ杜撰な史実認識のように思える。

ID毎回違うのは、torでも使ってんのか?

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 05:45:05 ID:E1BMo0gG0
福沢は単なる負け犬だろw
外野でえらそうなことはいくらでも言える。
実際に政務を取り仕切ることの難しさを理解出来てないお馬鹿丸出し。
本音は新政府様、少しは私の意見に耳を傾けてください。
そして私を取り立ててください。に違いない。
そもそも福沢の功績なんて新政府の政治家の功績に比べたらごみだろw

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 06:14:01 ID:GhFMin0z0
福沢は学者で、政治家じゃないからなぁ。
だから、論を言うのは福沢の勝手だが、福沢とか、福地とか、
国の金で教育受けておいて、私学に回ったり、批評に回るのは、をい、金返せといいたい。
って、返してた?そんな金持ちじゃないと思うんだが。

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 08:42:56 ID:TfdM0HmY0
>>670
>細かいことを書いてるが、現実に新政府になってどのような事実から実現されたかが史実なんだけどね。

史実をいえば、廃藩置県も幕末からの構想を日本全土で成し遂げただけというだけ。
というか日本全土しかできないものをあげて、関係ありません。
といわれてもね。
領土の朝廷への返還など、その片鱗は当時から見えますし。

>学制
教育というのは、良くも悪くも知識をつけて、政府にとって都合のいいように「加工」
するものでしかないんだよ。戦後だと管理下での安い労働力が必要だったから、
画一的な教育を施しているのと一緒、欧米でもそれは変わらない。
政府の税金でまかなっているのだから、それは当たり前だし、それをしていないのは近代国家失格といえよう。

下関戦争や、長州征伐のときの長州藩などはそれがよく現れており。
多くの民が自発的に郷土防衛戦争に参加し、
簪や寺の鐘まで集めて、鉄を持ち寄り、それを鋳造して大砲を作っていた。
戦時下の日本のようにね。
封建体制化では、考えられないことが当時の長州藩では当時起こっていたわけ。

もちろん知識を与え、民の生産性を向上させるという面もあるけどね。
>>671
福沢は書物で日本に紹介したのが、日本で一番最初名だけです。

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 11:00:31 ID:fehx6x1U0
X 公正な会計記録という概念を持たない長州人は、汚職を繰り返し
  国の富を私物化してた

○ 会計という概念を持たない井上馨は、自分の金と他人の金に区別がつかないので
  大蔵大輔を務める傍ら、三井の番頭さんとしても奮迅(一部司馬遼太郎より)

明治以降なら、大隈や福沢より井上馨を入れてやってくれ。
井上と渋沢なしに日本の夜明けはあり得ん。

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 11:33:41 ID:E1BMo0gG0
>>680
確かに井上の功績は大きいな。
大隈も井上の合理性や瞬時にことをまとめることができる実務能力の高さを評価している。
伊藤と井上の絶妙なバランスがあればこそ、数々の政策を実現できたと見れる。
理想だけでは政治はできんからね。人間の本質を理解できる柔らかい頭がないと。
汚職だ汚職だと怒るだけの人間はたいした成果を発揮できない。
権力の構造を理解できているものだけが実務を果たすことができる。

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 14:38:28 ID:01Hzvj1W0
長州人は金に汚いというが、木戸孝允や大村益次郎や伊藤博文はどちらかというと淡白だったと思うが。
山縣と井上の汚職は有名だがw
ただ、井上が尾去沢銅山の看板に自分の名前を大書したってのはただの流言飛語だと思うがね。
その直後に下野した後、銅山の権利を得た岡田平蔵を中心に先収会社を設立してるが、
岡田が死去して一旦会社が解散すると、銅山の権利は岡田の遺族に返却してる。

>>662
権力を失った小栗が、なんで驚異なの?
あとフランスと幕府の蜜月関係は、薩長とイギリスの接近なんか問題にならないほど緊密だったと思うが。
とくに政治・軍事関係において。
フランスだって、対日関係じゃ出遅れてたが、アフリカやインドシナ、中国でやってたことはイギリスと変わらんよ。

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 18:00:16 ID:zfOCYZM70
>>667
徳川は勝者だが、豊臣秀吉の神社を破壊して幕府滅亡時まで認めず、宇喜多秀家の子孫を幕府滅亡時まで八丈島に閉じ込めたぞ
これは「恨」にはならんのか?

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 18:47:19 ID:2EjsfA190
違う所は、明治維新後も徳川家も会津松平家も存続しているが、豊臣家の血筋は絶えている点だね。
なぜ絶えたんだろうねぇw

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 19:15:36 ID:vff1yL5C0
何年にもわたって攘夷と討幕の運動が展開された過程で、明治維新というドラマに
参加した者達は、どんな立場からの参加であっても、望ましい政治・社会秩序について
それぞれの見方を大きくシフトさせた。
1860年代のはじめに、それぞれの藩や幕府に派遣されてヨーロッパや
アメリカを訪れた者達がいた。その大半は、即時の「攘夷」という粗雑な方針を
放棄し、西洋の技術や政治制度が秘めている可能性について、見識のある見方を
するようになった。1868年の時点までに、もっと先へ進んだ者達もいた。
彼らにすれば、10年20年先に西洋の野蛮人に追いついて追い払えるようになるためには
ひとまずは野蛮人から学ぶべきだとする戦略的譲歩の路線も放棄し、その代わり、日本は
独立国家によって構成される世界規模の秩序の一角を占めるべきだと判断するにいたっていた。
一般大衆ー武士が考えていたほどにはけっして愚かでも、無知でもなかった大衆ーは、
解放への熱烈な期待を抱いていた。幕府の崩壊を嘆く者はほとんどいなかった。しかし、
新秩序に賛同する者もほとんどいなかった。誰が新体制を率いるのか、新体制の構成はどうなるのか
1868年に明治という新しい年号が制定されたが、その時点では多くの問いの答えはなかった。

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 19:20:31 ID:UFfH/DNv0
維新とは書いているが、男尊女卑の徹底や
廃仏毀釈で文化の破壊と後退が進んだ時代だね。
日本人から大らかさが消えていった時代。

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 19:57:31 ID:N7n4SowE0
>>686
>日本人から大らかさが消えていった時代。

S馬の小説を真に受けてるアホご来店です。

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 20:24:10 ID:TfdM0HmY0
>>686
廃仏毀釈は寺社に不満をもった民衆が切れただけだよ。

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 20:32:44 ID:2EjsfA190
>>686
男尊女卑なんて平安の昔からだろうにw

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 21:25:56 ID:6fPy9xq10
>>681
井上は国家を食い物にした犯罪者。
本来なら江藤ではなく井上がさらし首にならなければおかしい。

>>682
金(井上)、女(伊藤)、権力(山県)。どこがタンパクなんだ?
薩摩人が比較的清廉な政治を行ったのと比べると、長州人の汚さは目に余りある。

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 21:43:01 ID:TfdM0HmY0
金(松方)酒(黒田)権力(山本)
なんだけどね。

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 01:20:58 ID:3dqzwM/SO
明治維新って徳川慶喜が殺されてないから維新なんだよね?
慶喜が殺されてたら明治革命とか言われてたんだろうか。

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 02:14:08 ID:c8jWzlxC0
井上の金銭収集能力なくして、明治の産業の近代化はあり得ん。
伊藤の女好きや山県なんかと一緒にしないでくれ。
てか、モテない薩摩ってことかw>691

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 05:48:00 ID:+UYssqDj0
>>690
は基本的に無知なんだよな。
伊藤の女好きは当時の倫理感からすればなんら問題のない話。
今の時代ですら女遊びする男は多いだろ。伊藤を責めるのはギャグだw
そもそも反伊藤の新聞記事を書き殴った記者が面白おかしく伊藤を
批判していただけ。維新の功労者の批判は大体が反政府のところから出ている。
それをそのまま真実と鵜呑みにするのは考え方が浅いだけ。
もっとその情報の出所を明確に理解してないと司馬坊に陥るよ。

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 05:52:42 ID:+UYssqDj0
ちなみに金、女、権力に汚いのは人間の本質だろ。
世間一般人はどうなんだ?みな汚いものばかりだろうに。
権力を保持し、政策を実現するものが、その手法を選択することは
なんら恥じではない。大義の前の小義に過ぎん。
政策を実現できた、ことがすべてであり、そのプロセスは問題にならない。
プロセスを大切にして何もできない奴よりもはるかに優秀なのだから。
だいたい権力に執着のないものは政治家をやるべきではなかろう。
金に執着のないものは経営者になるべきではない。

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 06:24:16 ID:+S1PaewB0
>>692
そうなんだよ。イギリスでもフランスでも国王を処刑して共和制や立憲君主制を確立したんだよ。
慶喜が特権階級の一員になり、天皇が主権を握る体制は絶対主義としか
言いようがない。

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 08:10:50 ID:NmXZ2l840
慶喜は国王ではない。日本の王は天皇だろう。
日本は、1945年でも天皇は処刑しない。そういう国体。
明治維新の段階では、中世的な封建制をやめただけで精いっぱい。
慶喜を殺した(もしくは死んでもらう)としても、制度が同じなら意味ない。
慶喜が死ぬことで、幕藩体制の終了に決着がつくのであれば、死んでもらうべきだったが。
廃藩置県から憲法制定までの時間を見ただけで、幕藩制度をなくした後遺症の
あれこれがわかると思う。

>>695
権力と金「だけ」に執着したものは、歴史に名を残す者にはならんと補足。
犯罪史には残すかもしれないが。

だから、伊藤とか井上、黒田や松方の性癖をもって彼等の功績をおざなりにしてはいけん。
それはそれとして、性癖が功績につながっているのを見ると、いとおかし。




698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 08:34:08 ID:MvkpPy4U0
>>696
英国成分憲法マグナカルタ成立は13世紀だから少し違う。
英国議会は貴族政治から、マグナカルタは貴族による王権の制限。
市民の議会政治参加にしても中世から始まっている。

国王処刑したピューリタン革命は近代共和制の時代だな。
ピューリタン革命後も絶対主義的王制は復活している。
権利の章典にしてもその後の名誉革命後だな。

英国議会政治や立憲王制はむしろ中世の産物だよ。
欧州政治の理解が実に教科書的だなw

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 08:46:55 ID:DwnQQ8We0
>>690
”金に淡白”って意味で書いたんだが、文脈で理解できんかったかね。
あと薩摩人も北海道開拓使払下げ事件やシーメンス事件起こしてるだろうに。
長州にしろ薩摩にしろ、清廉なのも居れば、汚いのも居たってことだよ。

あと、伊藤の女好き(ってか芸者好き)と並び称されるのは、薩摩の松方正義だぞ。

>>696
イタリアはサルディニア=ピエモンテの頃には国王殺されずに立憲君主制に移行してたと思うが。
つか、画一的な政体変更の過程なんてまずない。
そんな例だけを挙げて云々するのは無意味では。

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 08:49:35 ID:MvkpPy4U0
>>696
それとナポレオンは皇帝としてフランス革命を収集したわけだ。
その後のナポレオン3世にしても帝政復活させたわけだよ。
これらは皇帝による独裁政治だよ。

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 09:04:56 ID:1Uri3YkL0
>>697
慶喜は大政奉還をしたのだから殺す理由が無いどころか明治維新の大功労者だよ。
慶喜は慶喜の立場として明治維新に貢献したということ。
旧幕府の残党どもが慶喜を裏切り、慶喜を利用しようと悪あがきしただけなのだ。
慶喜には幕府の限界が分かっていたし、どうやって幕をおろそうか腐心した最後の将軍だ。


702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 11:44:25 ID:/sMtcXa40
>701
むしろ、幕を引くために将軍になったように思う。
というか、家定と将軍を争う(って、争ってないが、候補になる)頃に、
最後の将軍として慶喜、みたいな思惑があったのではないか、と思っているのだが。
あのまま、阿部、堀田、斉彬、慶喜のおとっつぁん、その他が死ぬのが予定に入っ
てない状況として。
歴史にifはないので、妄想だが。

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 11:50:42 ID:+S1PaewB0
慶喜が新政府に協力したのも、新政府が封建制を打倒した市民階級の政権じゃなくて
封建制再編成の絶対主義政権だったからだよ。西洋で言えばチューダー朝やブルボン朝の
段階だ。地主とブルジョアの均衡の上に官僚と常備軍によって専制的神権的天皇が
権力を行使した国家形態は社会科学的には絶対君主制の範疇に入る。

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 04:28:03 ID:+TerjYDy0
>>703
チューダー朝は17世紀初頭までだよ。
スチュアート朝も絶対王政だよ。

なんか根本的に勘違いしているな。
国王処刑したピューリタン革命はブルジョワの革命だよ。
クロムウェルを当初支援していたのはブルジョワで
労働者を弾圧した。無知晒すのはその辺にしとけよ。

貧弱な西洋史の理解は卒業した方がいい。
なんか唯物史観丸だしのやつだなw
近代板にはときどき貧弱な知識を観念論的な歴史理解で誤魔化そう
と言う馬鹿がいるな。
歴史と言う実証の学をどうして抽象論で誤魔化すかなww

維新政府を肯定するのに唯物史観を持ち出す馬鹿はなんとかならんのか?
日本をソ連にでもしたいのか?


705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 06:32:14 ID:qqGuvnT90
>>704
イギリス革命やフランスか革命は市民革命だが明治維新はそうじゃないと
言ってるんだよ。明治維新で日本が近代化したとい説こそ観念論だ。そんな理解では
天皇制の極端に専制的抑圧的性格や皇族華族等の半封建的特権身分や
経済外的強制まで使って収奪される高額物納小作料や絶対主義政府によって庇護
育成された財閥資本の前近代的特権的封建的本質など説明がつかなくなる。
とりわけこ明治維新近代化説の問題点は、アジア侵略の起点となった明治維新を
美化することによってアジアとの歴史認識共有の道を閉ざしてしまうことだ。

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 07:55:21 ID:QtU79QC20
イギリスが日本を開国させるために工作して、
間接的に徳川政権を倒したクーデターであり内政干渉。

明治維新はイギリスからみるとすべて理解できる。

維新の原因としてよく言われるのは植民地化の危機感だが、
これは真っ赤な嘘。そもそも発端となった黒船来航だが、
ペリーの目的は開港および拠点の確保であって、日本の侵略など
想定していない。またその戦力もない。
そもそもその後アメリカは南北戦争で極東どころでなくなっている
のだから、日本への植民地化の圧力など存在しない。
そして徳川政権はフランスともイギリスとも良好な関係を持っていた。

植民地化を免れたというのは結果論であって、結果は原因ではない。
その詭弁に誰もがだまされている。
本当の原因はやはり欧州、イギリスの意図にある。

そもそも維新に暗躍したのはイギリスであって、国内の志士とかは
イギリス人に操られただけ。
イギリスが伊藤博文をはじめとする人間を選抜して欧州留学を
させなければ、西洋かぶれの人間が生まれることもなかったし、
維新志士など存在しないあるいは佐幕派に敗れていただろうし、
そもそも開国しようという意欲も起こらなかった。

誰も彼も明治維新というと国内の話しかしないが、それは「近代日本
が他国に操られて生まれたはずはない」という無意識の国粋意識が
なせることであって、真実は、明治政府はイギリスの傀儡政権として
生まれたのである。

明治維新というとものすごいように聞こえるが、なんのことはない。
イギリスの極東戦略のひとつ。国策の一環だったのだ。

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 12:55:19 ID:paIDBypv0
>706
傀儡政権とは思わないが、それはそうだと思うよ。イギリスはくさすぎる。
特にパークス。
パークスは、その気なら、日本のいくらかを取って行くくらいは
できただろうけど、それはしなかった。
アメリカは、植民地という指向がない。あったかもしれんが、支持されない。
アメリカが「列強」に仲間入りする時点では、もう植民地支配という概念自体が
終わってる...とは言わないが、かなり下火。
あの時点(条約結んだ国)で、日本を「領土拡大」的な考えで見ててたのは、
ロシアだけじゃないかな?あと、フランスが、もらえるならもらうか?くらいには
見てたと思う。
イギリスは、植民地の不成功ぶりというのに行き詰まりかけてて、東洋は特に、
言ってわかるやつに自治させるのが得策と踏んでる。
イギリスの目的は、ロシアの牽制だと思うが。
で、後に、イギリスとつるんだ元勲仲間が、日露戦争で勝ってくれる。

大体、下関の報復になんでイギリスがあんな大艦隊を組んで行くのかがわからん。
イギリスはやられてないのに。ユーリアスなんか出すことないだろ。
トラファルガーで戦った歴史的な船の二代目だぜ?日本になんか出さんでいいだろ。
と、思うが。


708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 17:31:16 ID:z6kGMaAL0
>>706
>維新の原因としてよく言われるのは植民地化の危機感だが、
これは真っ赤な嘘。

嘘ではない。嘘の根拠として以下↓の駄文は、その論拠とはなり得ない
内容。

>そもそも発端となった黒船来航だが、(略)

それから、

>誰も彼も明治維新というと国内の話しかしないが

冗談言うな、古くは1972に出版された石井孝の「日本開国史」でも
アメリカの議会文書などの原史料まで引用しているぞ。研究者は
オマエのようなトンデモ話は書かないがな。

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 18:17:07 ID:AwMZ5iab0
>>707
生麦事件で幕府が賠償金などを払わなかったら、江戸や大阪を占領する計画をイギリスは立ててたぞ
明治になっても日本にさらなる不平等条約を結ぼうとしたぐらいだ

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 19:50:39 ID:NPHejt9P0
>>706
つまり幕府がイギリスによって、植民地化されそうだったのを、
新政府が救った。
ということですね。

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:07:50 ID:E6tegNxr0
狭義の明治維新は外様藩の下級武士による権力簒奪を意味する。
同じ武士階級内の抗争にすぎず、一種のクーデタ(Coup d'etat)にほかならない。

より長い時間軸でみた場合、明治維新は、幕藩体制を終わらせ一気に近代化が進んだ節目でもある。
ただし、留意しなければならないのは、幕末期に目的意識的に近代化を進めてたのは幕府側であったこと。
言い換えれば、近代国家へ移行するための革命(Revolution)を準備したのは徳川幕府である。
薩長を中心とする倒幕派は、幕府による上からの改革に危機感をもって倒幕に走ったわけだけど、
これは近代化に向けての革命に対する抵抗運動であり、明らかな反革命(Counter-revolution)である。

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:14:10 ID:XXAYOqut0
えーっと・・・・
長州藩出身で明治政府の要職に就いた桂小五郎は上級武士だし、高杉晋作も上士ですが。なにか?

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:15:58 ID:XXAYOqut0
さらに追加で、明治政府の要職を歴任した長州出身井上馨も上士だし、
土佐出身でやはり明治政府高官の後藤象二郎も板垣退助も上士ですが。
なにか?w

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:18:31 ID:NPHejt9P0
>>711
幕府が目的意識的に近代化したことなどないよ。
幕府がしたのは、幕藩体制を維持するための、
軍事力強化、それも西洋の武器の輸入くらいであって、
軍や組織の近代化は一切手をつけていない。

これは軍事政権が反政府勢力を打倒する為に、
欧米から武器を輸入しているのと全く同じ構図。

日本は反政府勢力が軍事政権を打ち倒し、
国家を近代化させた。

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:19:32 ID:NPHejt9P0
また
革命>クーデター
というわけではない。
革命なんぞをありがたがっているのは、赤い人たちだけ。

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 21:34:13 ID:/WofBciV0
>>705
>>711
研究史をおさらいすると、18世紀末以降に起きたフランス革命他ヨーロッパ諸国の
革命を雛形として措定し、それらとの比較をつうじて、明治維新によって実施された
変革を、不完全な革ないしは歪められた革命と規定するアプローチが最初行われた。
しかし、1790年代のフランスが真の革命のためのパラダイムを提示しているとするなら、
明治維新は、確かに「不完全」だったことになるだろう。また資本主義ブルジョアジーが
貴族の支配下にあった旧体制を攻撃し打破することによって、あらゆる拘束から自由に
なり優位立場に立つことをもって、近代化革命の本質と捉えるならば、「歪んで」みえる。
結局の所、明治期の変革をもたらしたのは、新興のブルジョワジー資本家階級ではなく
侍「貴族階級」の一部だったんだよな。
なお、マルクス主義の比較論的観点からの分析は役に立たない。なぜならヨーロッパ
中心的なモデルを恣意的世界史に当てはめるものであり、ヨーロッパ以外の地域の
歴史をそれぞれ固有な条件に即して理解する努力を充分に行おうとしないからだ。

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 22:47:56 ID:AwMZ5iab0
>>713
その上士出身者と足軽出身の伊藤博文が肩を並べている時点で・・・

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 22:48:04 ID:xRkJl7g10
>>706
イギリスが日本の植民地化をあきらめたのは
長州、薩摩のような日本の藩単位が予想以上に強かったからだよ。
そして長州、薩摩には優秀な若手の人材が多いことに気づいたのだ。
ぬらりくらりと約束を破り続けるお役所仕事の幕府なんてあてにならんと悟ったのだ。
だから長州、薩摩と手を組んだのであって、それは幕府を見限ったということね。
一発相手をがつんとできないような勇気のない愚か者は軽蔑されるのみ→幕府。
つまり利害関係が一致してたということ。薩長とイギリスは。
薩長…幕府を倒し、列強に対抗できる国家を築くこと。
イギリス…信頼できる政権を日本に樹立させること。

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 22:52:28 ID:xRkJl7g10
>>717
ちょっと違うなと思うのが下級武士が活躍できたのは長州藩の特殊なお家事情で
あって、下級武士が自ら政権奪取を望んだわけではない。
むしろ上級、下級の区別なく実力主義が長州藩には定着していたということだろう。
故に幕府を破ることができたのである。
身分にとらわれた組織は新鋭の実力主義の組織によく敗れるがその好例であろう。

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 23:21:08 ID:xRkJl7g10
>>711
江戸幕府が考えていた革命とは農民一揆のことか?w
いつでも農民に政権を明け渡す準備をしていたってか。
革命の準備をしている支配者層ってかなりユニークな奴だと思う。
自殺願望に近いものを感じる。

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 23:28:23 ID:XXAYOqut0
身分だと農民に毛が生えたぐらいでしかない伊藤博文を、
イギリスはロンドンに留学させる。それが長州。

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 23:51:09 ID:vtydG2fE0
>721
それは薩摩のがずっと多い。幕府だと榎本なんかだって、大した家の子じゃないだろ?
留学はしてないが、渋沢とかもいるし、貧乏旗本、陪臣で維新前に外国行ってる
生まれの良くないのは大勢いる。
長州は洋学とか西洋技術の導入という意味では、むしろ、遅れている。
早いのは、幕府、薩摩、美作、肥前、福井あたりだと思う。
木戸が憲法知るの、慶応の終わりだし。

桂や高杉は下級武士のうちだと思うが。外様の上士だと、せいぜい市会議員くらいの
位置じゃないだろうか。
長州が偉いのは、殿様が桂や木戸程度の部下に、したいようにさせたところだと思う。


723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 03:22:08 ID:DQEUXfj30
>>714 >>720
幕末期、幕府は外交、経済、治安などで、強力な中央政府としての役割を担わなければならなかった。
しかし幕藩体制では、幕府は直轄地からの収入に依存しており、全国的な財政基盤を持っていない。
ここに幕府が抱えていた最大の問題がある。
これを解決するには、徳川幕府のヘゲモニーのもとで日本を近代国家に脱皮させる必要がある。
言い換えれば、幕藩体制の維持が不可能であることを理解していたからこそ、
幕府は目的意識的に日本を開国に導き、文明開化を進めようとした。

一方の薩長はあくまでも「藩」の存続を至上課題としており、
愚かな攘夷戦争を引き起こし盲動を繰り返す。
結果的に英国の下僕となり倒幕に走るが、目的意識的に幕藩体制を廃止しようとする思想はない。
「攘夷」や「復古」が彼らのスローガンであったことに、その愚かさが端的に現れてる。

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 03:28:11 ID:DQEUXfj30
>>718
そもそもイギリスの関心は中国にあり、日本を植民地支配の対象と見ていなかった。
さらに明治維新前後のイギリスは、財政難を背景に植民地拡大政策にブレーキがかかり、
極東艦隊も予算を減らされ、日本を相手に無駄な紛争を抱え込む余裕はなかった。
したがってイギリスが直接日本を植民地化するような展開は考えられない。

ただし、イギリスの植民地化政策の基本は、現地人同士を争わせ、傀儡政権を通じて間接支配すること。
イギリスは、攘夷戦争にボロ負けした後の薩長が、反体制勢力として利用価値があることに気づき、
薩長を通じて、日本を内乱や分裂に導くための間接的な工作を行ってる。

>>721
あたかも長州藩の意向で伊藤を「留学」させたかのような表現は誤り。
五代や伊藤を「留学」させたのはグラバー。その目的は従順な植民地奴隷に調教するため。
当時の長州は既に英国の意向に逆らうことはできない。

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 05:52:48 ID:f2rw1LBG0
>>720
間違ってますな。
新政府が廃藩置県を目指し、そのために倒幕したのです。
そしてあくまで幕藩体制の維持を狙う幕府はそれに抵抗しただけ。
だから逆ですよ。
>>724
金を出したのは長州藩ですが?
伊藤を選んだのも。

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 06:14:56 ID:f2rw1LBG0
>>722
木戸も高杉も上士にあたる、
木戸の場合は医者上がりで寺社組だから、まだ低いかもしれんが、
高杉は文句なし。

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 06:27:57 ID:J5cAOI7W0
>>724
>薩長を通じて、日本を内乱や分裂に導くための間接的な工作を行ってる。

イギリスが行った工作内容とやらを説明してくれ。

大体君の論理は逆転してんだろw
伊藤達がイギリスに留学したのは下関戦争の前であり、馬関を封鎖した時期と同じくして
伊藤達をイギリスに送り込んでいる。君の解釈だ長州が外国船を砲撃したのも
四カ国連合艦隊と戦争をしたのもイギリスの謀略通りということか?
まあ、いつも「イギリス、イギリス」と他人の責任にして幕府マンセーしている程度の君には
言っても仕方がないのかもしれんがw

「攘夷」単なる政策のスローガンに過ぎない。朝廷が「攘夷」を押していたので
長州はそれに便乗しただけ。長州のもともとの政策は長井雅楽の公武合体、開国論だった。
幕府もその政策を支援したが水戸の攘夷論者の暗殺が横行し、幕府権威が失墜。朝廷が力を盛り返した。
(これは攘夷論をとなえる勢力からすれば狙い通りの効果を発揮したということだろう。)
過激論である「攘夷」を朝廷が支持したため時代は攘夷に傾いたのである。
長州は単に時勢に従っただけ。もっとも攘夷が暴走してコントロールできなくなったのは事実であるが。
長州が攘夷を支持したのは幕府権威を失墜させる狙いが一番大きい。
雄藩は影響力を幕府に及ぼすことで自らの政策を実現しようとしたので
薩摩と長州が対立したりと足の引っ張りあいをしたりもあったのだ。
その背景にあった思想は崇高なものであったが。

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 06:39:47 ID:GzD2Ebku0
>>723
>これを解決するには、徳川幕府のヘゲモニーのもとで日本を近代国家に脱皮させる必要がある。

無意味な戯言だ。
これを解決するには、徳川幕府を打倒して新政府ののヘゲモニーのもとで日本を近代国家に脱皮させる必要がある。
というのが明治維新のコンセプトであり、国民的コンセンサスだった。
旧幕府の残党だけが既得権益にこだわり、国民的コンセンサスに逆らっただけだ。
徳川幕府は幕藩体制を前提としなければ成り立たない。
しかし幕藩体制の維持は不可能である。
すなわち徳川幕府の維持も不可能である。
簡単な三段論法だ。
そもそも「攘夷」も「復古」も幕府が打ち出した政策でありコンセプトであった。
それを愚かというのなら、幕府は確かに愚かであった。


729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 06:51:32 ID:GzD2Ebku0
>>727
>「攘夷」単なる政策のスローガンに過ぎない。

スローガンではない。幕府は1825年に異国船打払令を諸藩に発している。
幕府の実際の政策であり、長年の政策でもあった。
江戸時代の260年間、幕府は子供の思いつきレベルの幼稚な命令を
出したり引っ込めたり、常に日本を振り回し続けていたのだ。
生類憐れみの令程度であれば笑い話で済むが、異国船打払令はとんでもない話だ。
まかり間違えば列強と戦争となり、清朝の後を追って半植民地化されていたかも知れなかった。
そうした幕府の軽薄な体質が、幕末の開国か攘夷かの混乱を生んだのだ。


730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 10:10:30 ID:73nzaYCg0
>>729
それは撤回になってるよ。多分、実施期間は20年足らずだと思うが。
その後、水とかくらいはあげるってことになるはず。
それが有効だったのは、モリソン号の頃がピーク。
で、モリソン号で高野長英とかが夢物語書く>鳥居ようぞうに弾圧くらう
>高島秋帆の知名度が異常に低い...だと思う。
それが発令になる寸前に水戸に外国船(イギリスだと思う)が来て、
そこから相沢正志斎の「新論」ができて、攘夷思想の流行
という流れだと思うが。

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 10:20:21 ID:X/3hWmVs0
>>726
長州の場合は上士と足軽の差がほとんどないんだよ。
長州藩自体が格落ちの外様藩だからだろうな。
萩の粗末な武家屋敷を見ればわかるけど、
上士でも犬小屋のような貧民靴に住んでた。

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 10:22:48 ID:X/3hWmVs0
>>727
>イギリスが行った工作内容とやらを説明してくれ。
アーネストサトウの英国策論を読め。
ここに明治維新の筋書きが書かれてる。
またそもそもイギリスが密貿易により武器を与えなければ薩長による倒幕はありえない。

>伊藤達がイギリスに留学したのは下関戦争の前であり
伊藤たちはグラバーの斡旋でジャーディン・マディソン商会の船に乗ってイギリスへ出かけた。
彼らの留学は、まず第一にイギリスの関与によって実現したもの。
下関戦争前から長州とグラバーは深い関係にあり、長州の藩論は一応攘夷だけど
内部はグチャグチャの派閥抗争状態だから、こうした密航が黙認されただけ。

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 10:23:57 ID:X/3hWmVs0
>>728
>明治維新のコンセプトであり、国民的コンセンサス
初耳だ。
どういう「コンセプト」なのか説明してくれ。
また、幕末期に「国民的コンセンサス」があったとする珍説のソースは?

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 18:52:21 ID:f2rw1LBG0
>>732
攘夷とは海外の技術や知識、制度の否定ではないよ。
だから英国からも学ぶことももちろんある。

そして密貿易の相手は別にイギリスである必要などない、
現に長州が輸入したミニエー銃はフランスの武器。
アメリカからも輸入していたし、金さえだせばどの国でも売ってくれる。
幕府の禁輸例など、外国は守ってなかったわけだし。

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 19:35:48 ID:liDk0dfL0
>>734
>攘夷とは海外の技術や知識、制度の否定ではないよ。
だから英国からも学ぶことももちろんある。

君が根本的な「攘夷論」についてまるっきりの無知であることは
よく分かった。もう少し勉強しな、笑われるよそんなこと書いてるとさ
本当にどうしょうもない低脳だね。


736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 19:51:53 ID:JkwX3jDwO
>>731 実質石高100万石の長州でそれなら、譜代や親藩のほとんども貧民窟に住んでるんだろうな

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 20:01:34 ID:f2rw1LBG0
>>735
攘夷とは独立を意味するものであって、排外主義や、
時代の逆行を意味するものではない。
これは高杉の攘夷論などについて、多少なりとも知識をもっていればわかるはずだが。

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 20:30:11 ID:/wAUErD30
>>737
>高杉の攘夷論などについて、多少なりとも知識をもっていればわかるはずだが

ほぉ、高杉の攘夷論ねぇ…それ詳しく書いてみてよ。高杉は思想家だったんだね…ふーん

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 20:58:39 ID:NQsJPdZ+0
攘夷とは、夷狄を掃攘する。つまり野蛮人を追い払うという意味。
近世日本では儒学の影響の元、華夷秩序の観念が対外関係の基本に
あった。それは、自国は中華ー世界の中心にあたるすぐれた国家で
あり、廻りの諸国は夷狄ーすべてに劣った野蛮人であるという考え方
だった。肌の色や目の色の異なる西欧人ならなおさらだ。したがって、
そういう連中を日本に近づけるなという主張が幕末の攘夷論者だった。
ややっこしいのは、近づき方次第では大いに結構という場合もある点だ。
それは、夷狄がみずから夷狄であることを認め、日本をあがめ奉り、貢ぎ
ものを持って慕い寄って来る場合がそれである。19世紀になって、日本が
西欧列強に対して、こういう関係を持てましたか?無理だった。

>>737
>攘夷とは独立を意味するものであって、排外主義や、
時代の逆行を意味するものではない。

これがまるで攘夷の本質を理解していない証拠ですよ。

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 21:04:47 ID:f2rw1LBG0
>>738
高杉はアメリカはイギリスに対して、攘夷して今があるといっている。
つまり高杉にとっての攘夷とは、独立して、対等な関係を作り上げるという意味。
>>739
それが足りない証拠なのだよ、
それは攘夷主義者の、より極端な一派の一部を、
あたかも一般化しているに過ぎない。


741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 21:12:25 ID:rWxbHepR0
攘夷論の筆頭だった松陰や久坂なんかも、兵は洋に学ぶべしとあっさり言ってる

中岡なんかも攘夷は皇国(日本)の私言にあらずといい、ワシントンを例に出し米国の歴史でもかつて英国に植民地にされ同じ事が起こりその後強国になったとと説いてる
攘夷は民族が窮地に追い込まれた時の非常手段でどの国もやってると


742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 21:53:32 ID:LoWVIWoV0
>741
>攘夷論の筆頭だった松陰や久坂なんかも、兵は洋に学ぶべしとあっさり言ってる

吉田松陰の続愚論(1958)にこんな風に書かれている。

鎖国の説は一時的には無事に見えますが姑息の徒が喜ぶもので決して優れた
策ではありません。日本の国内においてさえ、一カ所に居続けるのと、天下を
歩き回って見聞を広めるのとでは、知識の進歩という面で大変大きな開きが
あります。況や、世界の場においておや、なにとぞ大艦を製造し、公卿より
諸大名に至るまで、万国を航海し、知見を開き、富国強兵の大策を立てるように
したいものです…外国の事情も知らずに、いたずらに海岸の防備にあたり、経済的にも
苦しむなどというのは誠に失策であります。イギリス・フランスなどの小国でさえ、
万里の遠海にわたり、人を制しているのは、みな航海の利益によるのです。
このところに早く御着眼なくては、おぼつかないことと存じます。
出典は、「吉田松陰全集」全十巻 山口県教育会編 岩波書店 1936

まるで開国論だが、これこそ松陰の攘夷論の真髄だった。単に夷狄を攘うのではなく
夷狄を制し、皇国の武威を世界にふるう国家論というわけだ。そんなことは知ってるよ。
でも、攘夷論のベースは>>739で書いたのが基本なんだけどな

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:12:38 ID:Wqwcm51q0
>鎖国の説は一時的には無事に見えますが姑息の徒が喜ぶもので決して優れた策ではありません。
→井伊直弼による開国の英断。

>日本の国内においてさえ、一カ所に居続けるのと、天下を歩き回って見聞を広めるのとでは、
>知識の進歩という面で大変大きな開きがあります
→井伊直弼、遣米使節団を派遣、及び、軍艦奉行木村摂津守の太平洋横断プロジェクトを許可。

>況や、世界の場においておや、なにとぞ大艦を製造し、
→小栗上野介、横須賀製鉄所・造船所を建設。

>イギリス・フランスなどの小国でさえ、万里の遠海にわたり、人を制しているのは、
>みな航海の利益によるのです。
→「外国人と取引致し候には、外国交易の商社(コンペニー)の法に基き申さず候ては、
とても盛大の貿易と御国の利益に相成り申すまじくと存じ奉り候」小栗上野介

まぁ、松陰ごときが思いつくことは、すべて幕府が即座に実行済み。
松陰ヲタは徳川幕府に感謝しろよ。

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:28:45 ID:J5cAOI7W0
>>743
てか部分的にかじっていても意味ないんじゃない?
当てはまる部分を書いただけだろw
松陰の言いたかったことの本質は「西洋を知らなければ、何も始まらない」という
ことだろ。見聞を広めろということ。
そして、「敵を知り、それに対抗すべく対策を立て、それを実行しなさい」ということだ。
その根幹が「海洋を回ることで得られる富」だと言っている。
部分部分の政策のことなど何も言っていないぞ。
幕府は物事の本質を理解できないから薩長に負けたんだよ。
部分をかいつまんで本質を理解できない奴って確かに多い。

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:33:49 ID:J5cAOI7W0
>>732
「読め」じゃなんの回答にもなってないぞw俺は説明してくれと言ってる。
イギリスの工作を説明してくれ、とね。
簡単でいいから知ってる範囲で説明してくれ。

それと伊藤たちのイギリス留学は久坂が計画し、周布政之助が調整したんじゃなかったか。
グラバーがどの時点でどのように関与したのか説明してくれ。簡単でいいよ。

とにかくイギリス、イギリス一点張りの思いは伝わるが君の説明だけでは不十分だ。

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:39:09 ID:8jCFCMsF0
小栗厨ウゼエ
小栗マンセーしたけりゃ小栗板に逝け
小栗なんて小物だろうに
小栗のやった事なんて、全部官僚としてやってただけで深い考えなど無い。
もっとも官僚としての仕事を小栗はやってただけ偉いけどな。
それこそ幕府には役たたずの幕臣ばっかりが大多数だしw。

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:44:35 ID:J5cAOI7W0
>>739
少なくとも幕末の「攘夷」は理解できていない。
君の説明は「攘夷」の言葉の説明であって思想的な意味合いは言葉が生まれた
当初のものでしかない。
言葉は思想を帯びるとその意味合いは時とともに変わっていくのだよ。
物事を浅く考えるのではなく、もっと深く掘り下げれば幕末の「攘夷」の
真意を理解できるようになる。でなければ長州藩の合理性は到底理解できないだろう。

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 00:12:06 ID:KmiNC6BM0
>>742
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 与謝野晶子

〔歌意〕吉田のような童貞が天下国家を説いても無意味

>>744
逆じゃね?

鎖国をしてても、幕閣は海外情報を正確に把握してた。
井伊大老や小栗が高度で的確な政策を断行できたのは、世界的な視野と情報があったから。

松陰は、西欧文明の本質を知らず、妄言を吐いてただけ。
だから開国に踏み切った幕府の英知を理解できず、
愚かなテロリストに身をやつし、国事犯として斬首されたんだよ。

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 00:22:56 ID:WFnmEs+p0
井伊直弼の英断?
笑わすなよw

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 00:29:17 ID:b9APe4YZ0
>>748
で結局、井伊と小栗は結局何がやりたかったのか?その思想は何?
単に自分の仕事をやっていただけというお役所人間には出番はないよ。
まあ井伊には思想があっただろうが小栗は飼い猫だろw
主人がねずみを取れと言われたら取るだけの典型的な官僚に過ぎん。
小栗は日本をどうしたかったの?w埋蔵金埋めたかったのか?
そもそも幕府とは、井伊と小栗のことですか?他の方々は何をされていましたか?
世界的な視野で小倉城に火をつけられましたか?これもまた幕府の叡智ですか?
確かに理解できんw
ごく少数の故人の遺業にすがるしかない幕府哀れなり…

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 00:33:59 ID:b9APe4YZ0
まあ井伊の功績は暗殺されて幕府の権威を失墜させたことだろう。
確かに水戸藩士の英断であったw

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 03:41:15 ID:PFxVoQPw0
>>750
>埋蔵金埋めたかったのか?

埋蔵金wwww
オマエ馬鹿だろwwww

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 04:22:28 ID:0dwOvhhJ0
>>723
幕府に廃藩置県みたいな構想あったっけ?
自分はいいとこ雄藩と将軍→大統領による合議制ぐらいしか聞いたことないが。

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 05:39:13 ID:b/C8yqhc0
>>709
空想に近いな。
インドや中国での反乱で当時の英国にそんな余裕はないよ。
インド直接統治の始まり、間接統治の終焉は英国植民地帝国没落の
過程だよ。
>>708
無理だな。当時はまだ太平洋航路は開設されていないし、その為の
日本への開港要請だ。米国が目指していたものはそもそも中国だよ。

議会文書なる政治的なものを無批判に引用盲信しているとしたらそういう
研究書は信用しない方がいい。
>>705
歴史の個性を無視或いは軽視して概念的に理解し過ぎている。
具体論と実証が貧弱と言うかあまりないなw

社会学的モデル論と史学の混同が見られるな。
モデル論は部分的な共通の特徴を見出して社会政策に役立てるものであって、
国全体の歴史の直接的な理解の方法論としては無理がある。

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 05:42:00 ID:oePcVYqh0
>>743
>→井伊直弼による開国の英断。

アメリカに脅されて屈服して不平等条約結ばれただけ。

>→井伊直弼、遣米使節団を派遣、及び、軍艦奉行木村摂津守の太平洋横断プロジェクトを許可。

他の諸般でもやってること。

>→小栗上野介、横須賀製鉄所・造船所を建設。

造船なんてしてないぞ。さらにいえば、そこでは船は作れず、補修修理程度しかその後もできなかった
そこで作ったのは、明治政府が後に拡大化したから。

>とても盛大の貿易と御国の利益に相成り申すまじくと存じ奉り候」小栗上野介

幕府に金がなかったから、豪商にかねださせて、貿易の利益を分配するという、
ただの特定企業に特権を認めたカルテルに過ぎない。

つまり小栗はなにもしていないに等しい。


756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 08:11:08 ID:dYQceKIj0
>>754
>議会文書なる政治的なものを無批判に引用盲信しているとしたらそういう
研究書は信用しない方がいい。

ここのスレの住人特有なレスですねぇー。石井の文献を読んだことがなく
読む気もまるでなく、偉そうに無知丸出しで

>議会文書なる政治的なものを無批判に引用盲信

大笑いな断定をする。まともな人じゃないだろうから言っても無駄だろうが、
せめて読んでからここに来てくれ。

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 18:21:04 ID:2qyeyha00
>>748
井伊大老が的確に西洋事情を把握しているなら、不平等条約を結ぶことに躊躇してほしいもんだ
しかも条約の廃棄期限もないw


758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 20:33:04 ID:F2lVPq0H0
井伊大老がアメリカに派遣した使節は、
正使・新見豊前守、副使・村垣淡路守、監察・小栗豊後守の3人。
彼らはブキャナン大統領に大和言葉で綴られた国書を手渡す。
「むつびの のりをさだめて ものうりかふべき ちぎりの しるしのふみ」
これが日米修好通商条約批准書交換の歴史的瞬間。

井伊大老は批准書のなかで「日本」「大日本帝国」という言葉を初めて使用。
さらに日本を表明する国旗として「日の丸」を正式に裁可した。

井伊大老の卓越した国際感覚があったからこそ、
今日の日本があることを忘れてはならないだろう。

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 20:36:01 ID:OZ5mlC2U0
>>747
>少なくとも幕末の「攘夷」は理解できていない。
言葉は思想を帯びるとその意味合いは時とともに変わっていくのだよ。
物事を浅く考えるのではなく、もっと深く掘り下げれば幕末の「攘夷」の
真意を理解できるようになる。でなければ長州藩の合理性は到底理解できないだろう

じゃあもっと深く掘り下げた幕末の攘夷の真意を説明してくれ。
必ず、その根拠である文献も明示してくれよ。必ず、あんたの
書いたこととその根拠とした文献は読んだ上で、レスをする。

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 21:20:55 ID:kPb+CzfU0
>>747
当方から、文献を1つあげる。
原口清「幕末長州藩政治史研究に関する若干の感想」「山口県史研究」山口県史編さん室 1998
読んだことがあれば、このスレで書かれていることが…

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 03:32:26 ID:W9jMvttQ0
井伊直弼は幕府延命大事で不平等条約を結びそのくせ国内的には西洋化を禁じ
松陰だの幕府にものを言うやつをことごとく打ち首にしただけ

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 04:40:29 ID:OXM8ykVS0
>>756
こんな意見もあるようだなw
屁理屈はいいから当時の米国議会の原文提示してくれ。

石井孝 『日本開国史』
“日本の開国は、中国市場獲得活動の余波である” (本書393頁)
欧米列強(就中英・米)にとり、日本開国(市場開放)は、かの広大なる(と信じられていた)中国の開国
(市場開放)の付けたりにすぎなかったという評価。
“(幕末の)わが国際的地位は、「半植民地的市場」というよりも、むしろ「経済的従属国」とよんだほうが
ふさわしいかもしれない。ともかくもこのことは、アジアにおける資本主義の形成において、必ずしもインド・
中国・日本を同列において論ずることのできないことを示している” (本書388頁)
インドは純然たる植民地であり、中国は、英清天津条約において、外国による内政干渉を誘発して自国の
半植民地化を促進することが明らかな条項を英国と結び、さらには関税自主決定権を持たないというだけで
なく税関行政そのものが西洋人の手中に握られていたから、当時の中国の国際的地位は日本よりも
一層列強に対して従属的だったという評価。
この著における明言されない最終的な結論は、幕末明治の日本には欧米列強による植民地化の危険は
なかったということだろうか。
 もしそうなら、福沢諭吉の幕末観と同じである。福沢は幕末も明治以後も、西洋列強による日本の領土の
軍事占領やそれによる日本国家の消滅(すなわち植民地化)の可能性を、ほぼまったく考えていなかった。
(吉川弘文館 1981年1月第2刷) http://blog.goo.ne.jp/joseph_blog/m/200511

石井孝 『明治初期の日本と東アジア』
冒頭からこんな調子である。
“一一八五年(明治一八)福沢諭吉は、日本の「主義とする所は唯脱亜の二字に在るのみ」と主張し、
「西洋の文明国と進退を共にし」、中国・朝鮮に対しては「正に西洋人が之に接するの風に従て処分す」るという、
かの有名な「脱亜論」を発表した” (「はじめに」 本書本文部分3頁)

これで開巻早々、著者のテキスト読解能力と学識に深刻な疑惑を抱く(→2005年6月24日、
桑原三郎『福沢諭吉の教育観』)。 “しかしそれは、ずっと前から明治政府によって実践されてきた
外交路線なのであった” (同上)

 なぜなら明治日本は“天皇制軍国主義”だから。
 あの重厚緻密な研究『日本開国史』(→2005年11月30日)を書いたのは同姓同名の別人なのだろうか。
そう思えるほどに粗末な思考である。
 もっとも実際には、言葉遣いはもう少し学問的論述めかしく飾られてはいる。

“明治維新をへて成立した天皇制政府は、欧米諸国に対しては欧化を前提に、条約改正の動きを示すとともに、
東アジア諸国(中国・朝鮮)に対しては「脱亜」の姿勢のもとに、軍事力による強圧・侵略の態度をあらわにした。
ここに、日本軍国主義の国際政局への登場がある。のちに「極東の憲兵」とされる日本軍国主義の原点を
探るのが、本書の最も大きな目的である” (「はしがき」 本書2頁)

 しかしつまりは、すべて天皇制=日本軍国主義が悪いということである。
 「天皇制軍国主義」という概念をまちがって理解しているという反論が著者からなされるかもしれないが、
では正しい理解とは何であろう。書中、どこにも定義が見あたらない。(有隣堂 1982年11月) 
http://blog.goo.ne.jp/joseph_blog/e/d3f0c285f63e1acd2ff9385a50fe083a


763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 05:19:41 ID:squwjiXmO
【萩の乱】〜激戦区【西南戦争】不平不満の【士族の反乱】【田原坂】攻防戦い。【白刀兵戦】旧士族から召集された警視庁【抜刀隊】

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 05:25:29 ID:OXM8ykVS0
>>888
なにも動かないと思うよ。
自爆テロと同様に考えているつもりなら、
あれは組織と継続性があるから効果が出る。

単発の個人がどう頑張っても大した成果は出ない。
政治とはそういうもの。
>>890
それが正常なものならともかく異常ではどうにもならない。
例えば加藤は優れた兵士はなれないだろう。
何回も転職している点から組織に定着できる要素がない。
また精神的に不安定な気配があり、命令に忠実に動ける
保障がない。
また耐性に問題があり、継続的になにかをやり遂げると
言う事が期待できない。

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 05:28:50 ID:OXM8ykVS0

>>764
御免ww誤爆したww

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 07:39:25 ID:J1nGGCw00
>>762
アンタは、書籍之海 漂流記かね?
そうなら、日本開国史を読んでいるだろうから説明はいらないよな。
アンタが、上記でないなら、日本開国史を読んでから来いと書いただろう?
他人のブログを検索してコピーしてもどうにもならないだろう?

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 13:35:31 ID:iu6JUrbr0
明治維新とは

太政官になってから毎日窮す 
制度寮が狭苦しい上に便所の匂いで臭くてたまらん
それだのに会計の諸君子が八百給金一文も紅(くれない)
by 鍋島閑叟

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 14:54:56 ID:RHfqa2tD0
>>761
まさに、内弁慶だよなwwww
今の政治化にも言えることだが、アメリカやロシア、中国みたいな
大国には、何一つ文句も言えないくせに、自国民に対しては
これでもかと言わんばかりの強気っぷりwwwwwwwww
根性なしの典型的な奴がとる行動だよコレww

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 18:25:46 ID:0hiHP25L0
チンパン福田が白樺ガス田の主権を放棄したぜwwwww

中国の主権を承認したんだぜwwwwww

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 20:49:36 ID:jV+Crl3R0
薩長が樺太の主権を放棄したとき以来の屈辱外交だ…

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 21:03:36 ID:e55zv+yJ0
まだある種の政治的判断があっただけでもマシだなw
ロシアが対馬を占領した時、幕府は何も出来なかったし。
英国が文句を付けたので、ロシアが自主撤退したんだっけw

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 21:08:12 ID:jV+Crl3R0
欧米の砲艦外交に脅され→薩英戦争敗北・馬関戦争敗北
次々に無理な要求に屈し→神戸事件・堺事件・岩倉使節団
最後はどっかの植民地になる→鹿鳴館

討幕派がたどったコースです

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 22:07:40 ID:e55zv+yJ0
植民地になってねーしw
オチが失敗してんじゃん

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 23:20:16 ID:ykKDKjZ+0
確か、鹿鳴館に招待されたフランスの領事だかが
本国に帰ってから、日本人の欧化主義を徹底的に
馬鹿にしてたんだよなwww

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 23:49:21 ID:e55zv+yJ0
鹿鳴館とか都会だけが文明開化させただけの薩長とか言う馬鹿がいるが、
幕府が結んだ不平等条約改正の第一条件が「西欧並みの文明国」と外国人に言われたんだよな。
大久保利通の表から見ると豪華西洋風屋敷、中に入ると雨漏りだらけの安屋敷。
文明的な国になったと外国人に思い込ませる事が大事だという訳だが、
その一環が鹿鳴館。目的は西洋並みに文明的な社交界がある事を見せたかった。
それがどんなにチャチくても、「存在しない」と「存在している」では大きな差がある。
こんな深い考えが背景にあった訳だが、まぁ外国人に底の浅さを見透かされて上手くいかなかった事は確か。
でも何もしないよりは努力しただけ良しというものだろう。当時の日本は貧乏だからね。
ま、こうした知識の欠片もない無知君の格好の叩き材料になっている。
逆に言えば「無知でなければ叩けない」ネタだなw

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 23:58:36 ID:ncWKael90
鹿鳴館は外国人に冷笑されただけ。
また、岩倉使節団は日本の伝統を捨て洋装で出かけたが、
黄色いサルと馬鹿にされ、軽くあしらわれた。

一方、幕府の遣米使節団は、日本の羽織・裃という伝統的な衣装で通し、
その完璧な礼節と風格を絶賛されてる。

欧米人は薩長のように卑屈に擦り寄る土人は、利用はするけど、
本心では軽蔑の対象でしかない。
江戸文化が欧米で高く評価され尊敬の対象なのに、
明治日本の浅はかな文化がゴミ扱いされたのも同じ理由だ。

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 00:00:03 ID:uaORBFWV0
>>759
まあそう難しく考えるな。
「攘夷」という思想は中国で誕生したものだ。ではなぜ中国でそのような思想が発展したのか。
「夷狄」とは北方の異民族を意味する。つまり本質的に漢民族から見ればやはり野蛮だったのだ。
北方の異民族による侵略に散々苦しめられていた漢民族が、野蛮な奴らに屈せず追い払う、という思想だ。
つまり「攘夷」思想の根幹には「民族の独立」がある。
漢民族の場合は周囲の蛮族に屈してなるものか、という思いであった。
この思想が日本に持ち込まれ、幕末初期においては先の説明(>>739)の通りであろう。
これは過激な極論なのである。世の中に通用するはずがない。
そこで大幅に修正が加えられ、蛮族の侵略に対抗するための術(例えば西洋文明の受け入れなど)
についてはこだわらず、「日本の独立」こそが「攘夷」の意であると考えられるようになった。
これはもともとの思想の柱が「独立」にあるのだからおかしくはない。
但しそれを当時理解できていたのは限られた知識層だけだった。
日本の多くの大衆層はそれ以前の単純な「攘夷」を支持していたのだ。
この差を活用したのが長州藩であり、長州藩の知識層はむしろ単純な攘夷を支持する
大衆のエネルギーを利用した。世論を「攘夷」に一気にもって行き、朝廷の力をして
幕府を押さえ、政治の主導権を握るというものである。これが「尊王攘夷」。
なぜそのようなことをやったかと言うと「日本の独立維持のためには幕府の政治では駄目」との
見限りがあるからである。朝廷の権威を利用し、ひとまずは長州に政権を近づけたのである。
その先の歴史の流れを見れば、ことは複雑であるのだが、「攘夷」とは利用された
思想であると同時に「独立の維持」という最終目的のために指導者の奥底にも
明確に保たれた思想であった。



778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 00:04:45 ID:91uX6y9u0
>>777
デマもいいとこ。後付けの屁理屈にすぎない。

堺事件:
 慶応4年、堺港にフランス兵が無断上陸し乱暴狼藉の限りを尽くし、
 治安維持に当たった土佐藩兵との間で銃撃戦となる。
 これに対し薩長はフランス水兵殺害の責任を一方的に土佐藩士に押し付け、
 外国人が見物する前で11名の土佐人が切腹し凄惨な見世物となった。

…これが長州の「攘夷」の結末だ。

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 00:16:29 ID:uaORBFWV0
>>778
そういう小さい攘夷にはこだわらなくなったのだ、と言っている。
現実に維新後、日本はアジアの国にして数少ない独立国である。
つまり「攘夷」思想は保たれていたのだ。
小さい事件に執着して事を大にすることは凡庸な政治家の成す事だろう。
物事には機というものがある。機が無ければ心を鬼にせねばならぬ時もある。

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 00:38:57 ID:uaORBFWV0
鹿鳴館の真意は「社交」であった。
外国の貴賓を招待し、親日にすることが狙いであろう。
人間の本質を攻めるという井上らしい政策だと思う。
それなりの効果はあったようだし。
あの時点で完全な条約改正はいずれにしても無理であったろう。
やはり武力を示さないことには欧米列強は納得しない。

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 05:14:06 ID:tjofPHDP0
>>777
馬鹿の妄想だなw
攘夷とは大陸中国の多民族支配の
ために華夷秩序の一環として考えられたものだ。
もともと独立なんて大した意味はなく一種のヒエラルキー維持の為だよ。
攘夷とは儒教的な秩序で地位として上のものが下を退けると言う意味だが、
外交的には中国では柔軟に対応してきた。

日本の幕府の場合は単に外国との政治的人的交流や貿易を
制限する為に利用された文句でしかないよ。
言わば単なる排他性だろ。島国だからできたとも言えるな。
大陸では有得ない。
極論すれば攘夷思想とは鎖国政策そのものだよ。
実際幕府の対外的な方針そのものだ。これがペリーにより崩されてから
幕府の政策のイデオロギーとしての攘夷思想も揺らいで、幕府そのものの存立まで
揺らぐわけだろ。
倒幕派はこれを逆手にとっただけで、欧米との交易や技術輸入は単に
攘夷そのものを実現する為だ。むしろ独立維持の方が方便でしかない。
富国強兵も独立維持と言うよりは攘夷のためだろ。
靖国神社の朝敵思想もこの延長にあるものだろうな。
例えば太平洋戦争になるとこの攘夷思想は「鬼畜米英」と言うスローガンに変身するわけだ。
これも独立ではなく対外利権維持のためだな。そして敗戦してとうとう独立まで失うわけだ。
植民地解放の為の大東亜戦争なんて標語も攘夷思想の現代的表現でしかない。
お人好しよろしく、外国の独立を助けてあげましてなんて偽善よりも、盟主として地位を
確立し華夷秩序の中心に君臨したかったと言った方がしっくりとくるな。
だからまた中国が特に戦前の批判を強くするわけだ。単なる侵略ではなく夷荻が中華に
とって代わろうとしたからだよ。
日露戦争でも日本は似たようなプロパガンダをしたはずで、これがむしろ太平洋戦争の下敷きになる。
敗戦じゃないからあまり注目されないだけだな。
アジア全体の華夷秩序で言うなら現在の米国が1970年代以来承認しているものがそれだな。
ベトナム戦争敗戦で米国が中国に容認したものは東南アジアの華夷秩序だよ。
以前は日清戦争がその転機だな。中華たる清朝が夷荻たる日本に負けたわけだ。
これは中国の攘夷が失敗した形で、この場合清朝は日本に大きく譲歩するわけだが、
以夷制夷とばかりに、三国干渉されるわけだが、アジアでの清朝の権威は失墜し崩壊した
契機だ。

中国は夷荻の利用の仕方が昔から上手いよ。これができない国に華夷秩序の盟主は無理だな。
つまり外交下手の日本人には半永久的に無理だ。実際独立さえ喪失しただろ。


人間なんてものは保守的な動物であって、古代や中世の発想からそんなに進歩している
もんじゃない。これは勿論欧米にも言えることだけどなw



782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 07:38:55 ID:OdONDFX40
>日露戦争でも日本は似たようなプロパガンダをしたはず

そんなんあったっけ?
三国干渉以来、特にロシアに対する反感はあったようだが。
新聞とか教授連とかが開戦論唱えて、むしろ政府のが迷惑してたんじゃ。

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 08:08:17 ID:q5yLx3UZ0
幕末の政局に登場する考え方は、限定された特殊な課題を設定し、それぞれ特殊な
運動形態を持っていた。1一藩内的規模の課題を設定し追求する藩政改革派。
2一国内的規模の公武合体派、公儀政体派・討幕派等々3外国に対する関係において
課題を設定し運動する開国派や攘夷派の3種類に区別される。これらは相互に関連し
あっているものだけど、この一藩的、全国的・対外的な特殊課題の差違を軽視したり
忘れると、筋道が通らない話になる。スレを読んでいて議論がごちゃごちゃになって
いると思った。

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 08:45:57 ID:uaORBFWV0
>>781
お前の意見は無知の暴走だw
中国の歴史を全く理解できてないお馬鹿丸出しだ。
中国は戦国時代以前から匈奴などの北方民族の侵略に手を焼いている。
どこが夷荻との付き合い方が上手いんだw万里の長城は何のためにできたか知ってる?
漢の初期においては匈奴に漢の方が貢物を持って行ってたんだよ。侵略しないで下さいってね。
そもそも中国の王朝はほとんどが周辺蛮族の王朝だろうがw
そん中にあって漢民族が確立して来た思想なんだよ。「攘夷」は。
これは蛮族の侵略に対抗したいという漢民族の願いみたいなもんだ。
これはナショナリズムを高揚させるための思想だから過激なんだ。
日本の江戸時代は儒教中心の価値観だったからなお更に過激だった。
その無謀な思想が欧米には適用できないから変節したんだよ。
「攘夷」は思想だからその時代、時代で変化しているものだが
明治期の「攘夷」思想については「独立の維持」こそが柱だ。
対外的に孤立しないことに力を入れているのも「独立の維持」のため。
大陸に進出したのもそのためだ。
それと思想というのは指導者に利用されるものだということも理解しておけ。
指導者の考えは大衆の思うところとは全く異なる場合が多い。
大衆は単純で愚かな「攘夷」にいつまでも酔い続けているだろうから。


785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 08:52:14 ID:q0mbOK6Q0
>>778
お前馬鹿か?

>一方、幕府の遣米使節団は、日本の羽織・裃という伝統的な衣装で通し、
>その完璧な礼節と風格を絶賛されてる。

あれは絶賛された訳ではない。
たとえて言うなら、チンパンジーが群れのボスを崇め從う姿をみて「チンパンジーらしい」と褒めただけ。
白人社会の人が劣等黄色人種の姿を見て「劣等民族らしい」と褒めただけ。
褒めたと言えば聞こえはいいが(褒めたのはマスコミだし)、その真意は「嘲り」だ。
あれをマンセーする君は、表面の事だけ見て中身を考えない人のようだね。
そういう君や幕府みたいな奴って、外国にとっては「褒めるだけでイイなり」都合が良い。
実際、幕府の開国政策は外国の手のひらでイイなりだったw


786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 09:53:29 ID:Dhce/1Wm0
>>785
馬鹿だな、人間未満を「名誉人間」として扱うことにした、ということだ。
江戸時代を「凛とした」などと言い張るのは妄想だ。
欧米から見れば、人間未満がいた、として片付けられるだけの存在だ。

それが「名誉人間」扱いになったのだ。名誉なことであろう。
江戸幕府は日本人をお前の言うチンパンジーにしていたのだ。
だからその位置から這い上がる必要があった。

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:05:59 ID:SDKlt5GN0
>>777-784
そうかなぁ?民族の独立ということなのかなぁー
中華的世界秩序を支配した原理は「華夷」観念と呼ばれている。
世界の中心に文明を築いた「天朝」は、宇宙を支配する至高の
存在である「天」から「徳」を授かり、地上の人類全てに人倫を
教えることを使命とする。人類はこの教化に浴しているか否かに
よって「華」と「夷」に二分される。「華」と「夷」は空間的には
中心と周辺に配置されるが、その境目は必ずしも国境ではない。
皇帝の目には、世界の秩序は国内と国外に二分されているのでは
なく、皇帝の居所を中心に、外に向かって同心円的に関係が弱くなって
行く形に見えている。
そのことを歴史上でいえば、漢民族の優位と中国文明の卓越という
二面があり、明のように両者が一致している場合は問題が起きないが、
17世紀に発生した「華狄変態」満州族が北京に入り清国を建国し、
夷狄と中華の地位が転倒したとによって(清のように異民族が
統治者になった場合)両者の間に不一致が生じ、清は元来「夷狄」で
あった自らの統治を正統化するため中華と夷狄の差別を、文明の原理、
倫理を知っているか否かで根拠付け、「礼儀」の有無を判断基準とせよと主張した…
それはつまり、統治の正当性の方が華夷観念の根本じゅあないの?

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:40:33 ID:ceaUPFSeO
んで幕府は鎖国をしたの?しなかったの?
今の教科書では鎖国しなかったんでしょ?

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:50:35 ID:HL+pDp/M0
海軍スレからセルフコピペするな。

明治維新は、複数脳だったはずなのに、予定調和的に単一脳のように全体が動いたな。
初対面なのに「肝胆相照らし合わせた」ような不思議な話が何度もあった。

それに対し、単一脳だったはずなのに手足が勝手に動いた二次対戦直前の日本軍。

両方ともまともに受け取っている人間は純真な心を持ってるに違いない。

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 11:21:40 ID:uaORBFWV0
>>787
思想が統治者にとって都合のいいものに論理武装されて来たとの解釈ができる。
原理主義というかもともとは蛮族に対する漢民族の優位性を論じるものであり
その優位な漢民族が蛮族に屈してはならぬという論理であった。
それが「漢民族」の部分に「日本人」などのそれぞれの統治者に都合のいい主語を
用いるようになってしまった。
もともと優位性を持っていたのはあくまで漢民族であって、日本人でも満州族でもない。
それでは日本人にとって、満州族にとって都合が悪いから修正されて来たのである。
儒教はあくまで宗教だから洗脳なのである。統治者に都合のいいような形の宗教にし、
それで民を洗脳することはどこの歴史でも見られるものである。

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 11:42:55 ID:MkF67dzJ0
>>777
有得ない。
そもそも独立なんて概念自体明治翻訳語で語源は
インデペンデンツだよ。そんな発想は幕末で定着しているはずがないし、
漢時代の中国に独立なんて用語も存在しない。
言葉が存在しないのに観念なんか存在はしない。

独立なんて観念は漢時代中国には存在はせず幕末にも
定着なんかしてない。
>>790
あんたの努力が洗脳だろww

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 12:36:07 ID:1humrB6B0
>>790
>儒教はあくまで宗教だから洗脳なのである。統治者に都合のいいような形の宗教にし、
それで民を洗脳することはどこの歴史でも見られるものである。

儒教を宗教だと書いていますが、それは明らかに間違いです。
孔子を開祖とし、孟子や荀子らが形成させた思想ですよ。
(もう少し細かく書けば、中国で前漢の武帝の時に国教化されて以来、
皇帝を中心とする王朝支配を正当化するイデオロギーとして君臨した
というのが通常の理解です)

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 15:19:24 ID:h+5zBMSP0
>>784

>高杉は英国領事ガワーをたずね、
>長州は下関を開港しヴィクトリア女王の下僕になるから、
>下関の幕領化・幕府直轄港化の動きに反対し、
>長州の割拠を支援するよう懇願してる。
>外国の手先となって日本を分断しようとしていた高杉、
>これほど悪質な売国奴は当時珍しいんじゃないかな。

これが長州の攘夷。
長州にとって「独立の維持」とは、
あくまでも藩の維持であったことに留意すべき。

当時日本全体の立場で「独立の維持」を考えて行動してたのは幕府のみ。

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 15:50:32 ID:Dhce/1Wm0
>>793
どこのソース?

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 17:30:43 ID:PGx5Yoo50
>>793
>当時日本全体の立場で「独立の維持」を考えて行動してたのは幕府のみ。

高杉がやったかどうか知らないが、それだけで長州の攘夷が藩の維持だという
断定は、あまりにお粗末。かつ上記の日本全体の立場で考えていたのは
幕府のみという方は、何も説明がない。>793さん学校の勉強できなかっただろうねぇー
それだけはよーく分かった。

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 20:26:06 ID:iC4KRzw/0
>>791
だから幕末の「攘夷」が今で言えば、「独立」なんだよ。
攘夷志士の言葉を知っていれば、世間一般でいうところの「攘夷」との違いに気付くはずだが?
>>793
幕府は奴隷になりたかったんでしょ。
幕藩体制を維持できれば、つまり幕府の武士などの特権さえ維持できれば、
日本なんてどうでもよかった。
露骨に行動にでてるしね。近代化を阻止していたのも幕府だし。

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 20:34:32 ID:cyPF6qr60
>>796
>幕藩体制を維持

「幕藩体制」という歴史学的名辞は、今日では近世支配構造の全体的・基本的な
把握に適合した概念として学界に定着している。これは、全構造的把握の為の
概念だから、ある特定の限定された分野または観点からその対象の特徴を
規定する概念とは次元を異にしたものと考えるべき。
あえて付け加えれば、後者の場合、その限定された対象からさまざまな概念を
生じさせることができる。その内、幕末史でいうところの、「公武合体体制」
というのもの一つであり、幕藩体制を「公」と「武」との関係という視点から
把握する場合に生まれるもの。したがって、「幕藩体制」がやがて幕末期に
「公武合体体制」の変わると言ったものではなく、両者は次元を異にしたものとして
併存しているものと考えるべき。幕末期には本来の「公武合体体制」は崩壊の時期に
入り、その再編の試みー「再編公武合体体制」樹立の試みーが行われたが、それは
「体制」としては基本的には成立せず、そこに討幕運動発生の重要な根源があった。
アンタの書いたような雑ぱくな内容では話にならない。

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 21:16:45 ID:P1uvH2/d0
尊皇攘夷と言う思想は幕末当時の国民共通認識言ってもいいくらい一般常識

尊王は対内論で天皇を尊ぶと言う思想、これが政治論化されたのが公武合体(天皇と将軍がともに助け合い)という政策
攘夷は対外論で外国など打ち払えというのもあるが、基本的には日本を外国の植民地から守るという日本中共通した考え

違いは勤皇と尊皇で勤皇は尊皇と違い幕府否定思想
朝廷と幕府という権力の二重構造ではなく、幕府は天皇の家来に過ぎなく天皇中心とした一元化した体制・政治にするという考え

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 21:33:14 ID:HHoSVD7J0
>>794
ガワーのオールコック宛ての書簡を読め。
高杉は伊藤とともにイギリス領事ガワーを訪ね、領事館に6日間滞在してる。

高杉は幕府の貿易独占を非難し、下関幕領化の動きに反対の意を表明。
イギリスが下関開港を後押し、長州とイギリスが独自に条約を結べば、
諸大名もこれにならい、日本はバラバラになると、イギリスに媚びまくった。

この高杉の主張は、アーネストサトウが英国策論で展開した筋書きと似通ってる。
おそらく英国武器商人が高杉や伊藤に売国思想を吹き込んだものと考えられる。

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 21:42:25 ID:P1uvH2/d0
高杉は上海にもいってるし元から倒幕主義で開国主義でありまた攘夷主義でもある
西郷、木戸、龍馬とかいう連中も倒幕主義で開国主義で攘夷主義でなにも矛盾してないよ


801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 21:42:45 ID:+HE5pnyt0
>>798
>尊皇攘夷と言う思想は幕末当時の国民共通認識言ってもいいくらい一般常識

幕末当時に、国民共通認識としての一般常識などというものは、ない。
国民という概念は、当時武士も含めてほとんど認識していない。
一般常識なども同様。

幕藩体制は、これを公武関係という特定の側面からみる場合には、
本来的に、公武合体体制ということができる。
本来的な公武合体体制は、幕府が、表面的には朝廷を尊崇しながらも、
実質的には禁中並公家諸法度その他の諸法規を通じて完全に公家を
統制下におく幕主朝従の形態をとっており、また諸侯は将軍=譜代大名の
幕府権力の独占下において完全にその統制下におかれ、朝廷への接近は
堅く禁じられていたのだから、公武関係は現実には朝廷と幕府の二者間に
おいてのみ存在し、諸侯はその間に介入する余地はない。何度も書くが
この公武合体体制が崩れるなか、幕末の多様な政治運動が生まれた。

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 21:50:46 ID:P1uvH2/d0
>>801
今のような国民と言う概念じゃなくても、要するに民族としての共通概念として尊皇攘夷であった
新撰組なんかも元は尊皇攘夷で別に長州なんかとは変わらない
違いは天皇と将軍どちらがと言う争いに過ぎない

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 21:54:55 ID:APU62xHS0
>>800
>高杉は上海にもいってるし元から倒幕主義で開国主義でありまた攘夷主義でもある
上海で欧米の死の商人の傀儡となったんだよ。

要するに薩摩や長州の「攘夷」とは、
倒幕、つまり日本の中央政府を倒すための口実ということ。
西郷も木戸も龍馬も、結局は藩や私利私欲のために動いてただけ。

薩長の視点から見れば「矛盾してない」になるのかもしれないけど、
日本全体の見地からは矛盾しまくりだ。

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:07:06 ID:P1uvH2/d0
>>803
だからなぜそれが私利私欲になんだよw
幕府は大名の大いなるものでしかなく日本の代表ではないと言うのが討幕派の考え
幕府こそ日本の政府で将軍こそ皇帝であるとしたのが幕府側w

どう見ても幕府の方が私利私欲だろw

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:07:57 ID:iC4KRzw/0
>>799
長州藩は別に開国に反対しているわけじゃない、
幕府みたいに、欧米の狗となり、欧米のいいなりになる従属的な開国を嫌ったに過ぎない。
だからこそ、欧米にも人をやったし、貿易も隠れてやっていたわけ。

幕府が下関を直轄などしたら、そのまま国土を売り渡しかねないからね。

>>803
正しくは、最大の領主が勝手に中央政府を名乗って、
不平等条約を結ぶから、その幕府を潰すためだよ、。

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:20:29 ID:APU62xHS0
>>805
>長州藩は別に開国に反対しているわけじゃない、
幕府による開国や近代化には徹底して反対してる。

その代わり割拠を主張し、藩単位での独立を開国をたくらみ、
欧米武器商人の狗となった。

>幕府が下関を直轄などしたら、そのまま国土を売り渡しかねないからね。
それはありえないな。
逆に薩長は国土をロシアに売り渡してるけどね。

>>805
>不平等条約を結ぶから、その幕府を潰すためだよ、。
長州は条約が「不平等」だから反対してたわけではない。
私利私欲のため幕府による開国・近代化に反対してただけ。
その後、明治政府が幕府以上に不平等な条約を結んでる事実をよく考えろ。

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:20:57 ID:fH0QMU58O
何で、西郷が私利私欲に走るのよ?武士の身分、特権を捨てて、西郷自身は最後まで清貧だったし。

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:25:34 ID:8uOyp1NL0
>>802
>今のような国民と言う概念じゃなくても、要するに民族としての共通概念として尊皇攘夷であった

しつこいアホですねぇー。民族としての共通概念なんてものもありません。
あなたは幕末の社会を知らなさ過ぎる。幕藩体制下では、国家は藩です。
多くの民衆は、そこでの統治世界しか基本的にはないのですよ。

>>804
>幕府は大名の大いなるものでしかなく日本の代表ではないと
幕府こそ日本の政府で将軍こそ皇帝であるとした

>801を読め。国家という概念は近代のものであり憲法で国家権力の
範囲を定める近代国家が幕末日本にあるわけがない。そんな比較は
全く意味がない。

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:31:12 ID:HHoSVD7J0
>>807
西郷は封建時代の遺物のようなバカ。
幕府の近代化路線を許したら、いずれ薩摩藩は取り潰され、武士の特権も消滅してしまう。
西郷が倒幕に踏み込んだのは、近代化の流れrのなかで追い詰められたから。
しかし、皮肉にも倒幕後の明治政府の政策は、彼が危惧した幕府の政策そのもの。
で、愚かな西南戦争を起こし犬死したわけだ。

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:42:22 ID:P1uvH2/d0
私利私欲に走ったのは幕府、フランスから金を借りて将軍を中心とした中央集権体制を目論んだ
長州征伐でも諸藩が嫌がる中幕府が仕掛けた、弱すぎて長州にヤラレタが

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:47:41 ID:P1uvH2/d0
廃藩置県も国民皆兵も西郷が承諾したからできたんだけどな

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:50:22 ID:VvebMoKb0
本日のアホが決まりました。

>ID:P1uvH2/d0

優勝です。あまりの池沼振りでぶっちぎりです。

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:52:18 ID:P1uvH2/d0
>>812
何の具体的説明もできないアホに言われとうないな〜

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 22:55:45 ID:uaORBFWV0
>>792
儒教は常識で考えて宗教だろwどんな教育を受けて来たんだか。
そんな事言い出したら仏教も思想なんだから宗教じゃないと言ってるようなものだ。
洗脳的要素を絡むものは社会一般では宗教なんだよ。
神様のいる、いないで区別している訳じゃないから注意してくれ。

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:05:36 ID:uaORBFWV0
>>791
言葉がないから有り得ないって頭大丈夫か?w
「攘夷」が成立した背景を理解できていない己の無知さをさらけだしての反発か?w
侵略に屈しない=独立を保つ、と解釈できるだろうに。これは言葉の問題ではない。
独立って言葉は当時ないから…アホか、そんな堅い頭じゃいつまでも理解できんぞw

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:07:48 ID:d+Gf2CeT0
>>795>>796>>798>>802>>813
明治時代通じて藩閥政治していた連中に
国家としての意識なんかないよ。
極論すると昭和の時代まで上から下まで藩と言う意識はなくならなかった。
もっと極論するとこれは自然環境や地形が日本人に今でも
与えている半永久的な後遺症だ。つまり小異に拘泥して大同につけない、と言う
民族的な欠陥のようなものだ。山河や渓谷に分断され小さな
盆地や平野で数千年か数万年生活したきた民族の宿命みたいなものだよ。

これがまた現在顕現しているようにさえ見える。地方分権と言うと聞こえがいいが、
1955年までの政党の離散集合や内閣の短命、官僚のセクショナリズムや地方の
閉鎖性、等を考えると分裂の可能性さえありえる。

プロサッカーは地方性を生かした極めて新しい文化として近年定着しているが、
日本代表が極めて人気がない。これは現監督以前から始まっている現象で、
ある意味未来の日本を示している。これは同時に過去の日本の姿だろ。
>>814
そしたらマルクス主義も歴史教育も宗教になるよ。
定義に無理がある。

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:10:03 ID:AyEm6Gn60
残り少ない本日、>ID:P1uvH2/d0 の強力ライバル現る。
ID:uaORBFWV0こいつも低脳加減ではいい勝負。
自分の知識の無さをまるで理解していないところでは甲乙つけがたし


818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:17:50 ID:P1uvH2/d0
>>816
何言ってんだ?明治期に国家としての意識はバリバリあるが?
明治期の日本は富国挙兵以外何の関心もない時代で全て国家のためだし世界もそう

サッカーにしろオリンピックにしろスポーツで人気あるのは全て代表戦だろうがwww

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:22:16 ID:d+Gf2CeT0
>>818
なかったから明治神道をつくって洗脳しようとしんだよ。
明治神道は明治政府の集権化の象徴。

代表戦で最も人気があるのはサッカーで、それが今や下落していると
言うのが現状。

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:22:27 ID:P1uvH2/d0
Jリーグなんて観客も埋まらないし視聴率も取れない
野球も落ちぶれてきて視聴率が取れないが

代表戦なんて30%40%50%とか平気で視聴率取るw

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:27:19 ID:uaORBFWV0
>>815
マルクス主義は明らかに宗教だろw洗脳という意味でね。
ては儒教を宗教と思っていない幼稚園児がいるとは思わんかったよ。
孔子様は何のために祭られているのでしょうかね。
まあそれ以外の文を見ても無茶苦茶だからその程度の知識なんだろう。
明後日にでも学校の先生に「儒教って宗教ですか?」と聞いてみてくれ。


>>817
ては知識ないんなら無理に参加する必要ないよ。君の出番はないから。

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:27:25 ID:P1uvH2/d0
>>819
下落したのはW杯の惨敗後だろw
前からアジア相手や親善試合じゃもともとそんな高くなかったし

ちなみに近代国家と言う概念は明治期にできたが、近代国家なんていうのはどこの国も歴史的には最近できた考え
民族や国と言う概念は普通に昔から日本にもあります

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:28:59 ID:CYQasj+Y0
幕末に高島秋帆という高島流砲術の創始者がいた。
高島秋帆は幕府に重用され砲術を伝授したが、
それを妬んだ鳥居耀蔵の讒訴によって高島秋帆は投獄され、
高島家は断絶した。高島秋帆は日本を思い、独力でオランダ語を
学び、私費を投じて高島流砲術を完成させたにもかかわらずだ。
幕府は260年間の治世を通じて、一人たりとも愛国心を持つ偉大な人物を
支援することが無かった。そして幕府において、ありとあらゆる改革は
鳥居耀蔵のような私利私欲の権化のような俗物の妨害でことごとく失敗した。
260年間の幕政において一度も改革が成功しなかったのは、こうした理由なのだ。


824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:40:15 ID:d+Gf2CeT0
>>820>>822
現状に無知なら無理してスポーツ語るなw
少なくともサッカーの代表戦はもうそんな視聴率はとれないし、
観客動員数も地方の弱小新潟のチームにさえ適わない。
Jリーグ全体の観客数は増加しているが、代表は減少していると言う
のが現状なんだよ。
>>821
洗脳と言いたいのなら明治神道を挙げる方が現実的だよ。
儒教は例えば靖国神社の招魂思想なんかにも影響している。

宗教とは信心を前提としたものだ。洗脳の有無は基準にはならない。
それは布教の手段でしかなく定義にはならない。
これは教育がある意味国家の洗脳手段なのと同じことだ。
手段は所詮は手段だ。目的と手段を混同している。
マルクス主義はイデオロギーであり政治思想だ。
単なる政治思想と信仰を混同する馬鹿はいない。
これもまたその洗脳手段として教育やプロパガンダがある。

>>821
>神様のいる、いないで区別している訳じゃないから注意してくれ。

>>814
>孔子様は何のために祭られているのでしょうかね

には矛盾があるように見えるが、整合性のある説明をせよ。

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:44:36 ID:P1uvH2/d0
>>824
だからサッカーで視聴率が取れたのは最終予選とかW杯だろ、親善試合なんて昔は10%チョイぐらいだよ
2002年以降W杯で活躍したため一時期高くなったが

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:45:52 ID:P1uvH2/d0
天皇陛下と西郷隆盛のような偉人が居たから今の日本があるのは紛れもないね

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 23:46:03 ID:iC4KRzw/0
>>806
>欧米武器商人の狗となった。

それは幕府

>長州は条約が「不平等」だから反対してたわけではない。

不平等で、勝手に結んだからだよ。ただの領主に過ぎないくせに、
日本の代表を名乗るから。
>>808
国学の発展と、尊王を忘れている。


>>816
共産主義は宗教だよ。


828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 00:04:49 ID:Dcyey8zt0
>>825
観客動員数を看過して興業は語れないよ。

親善試合でもそんなことはない。

以下を調べてから出直せ。
2006/08/09(水) 17.3% 19:13-21:16 EX* キリンカップ「日本×トリニダード・トバゴ」
2006/08/16(水) 19.1% 19:10-21:16 EX* アジア杯予選「日本×イエメン」

2007/08/22(水) 10.6% 18:23-20:26 EX* キリンカップ「日本×カメルーン」
http://blog.livedoor.jp/t02e038/archives/50959776.html

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 00:08:08 ID:14IEy6Zb0
>>824
馬鹿の相手は疲れるが…なんで俺が「儒教は宗教」という社会常識を証明
せねばならんのだ。お前のお勉強不足の問題だろ。お前の中で解決しろ。
孔子は神様ではなかろう。アホか。従ってそもそも矛盾などない。
宗教も理解していないと思ったら「神」までも理解できていないようだ。
お前の無知さを一段一段重ねているだけだ。
少しは恥をしれ。

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 00:16:50 ID:Dcyey8zt0
>>829
屁理屈だな。
日本では孔子は神として祭られている。
聖人と言いたいわけかな?
聖人の崇拝も神の崇拝と同類のものだよ。
例えばレーニン廟はそれだ。

あとなw誰と戦っているのか知らないが別人と混同するなw
>>792は別人だw病院行けww



831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 00:17:21 ID:JYZ23c5L0
>>828
オマーン戦18%ぐらい取れたろ時間帯も違うし
親善試合で19%も取れるほうが昔から知ってる人間には異常だっての

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 00:20:06 ID:14IEy6Zb0
>>830
アホか。俺は誰とも戦ってなどない。相手にもならんだろ、その馬鹿ぶりでは。
お前は大馬鹿で無知なんだから学校の先生に確認しろ、と言ってるだろ。
先ずは確認しろ。そして学校の先生が「儒教は宗教じゃありません。」と言ったら
ここに連絡してくれ。いいか、まずそれを実践しろ。
それが無理なら周りの人間に聞いてみろ。己の馬鹿さに気付くだろう。
「神」の定義をしるのはそれから先だ。今のお前の知識では理解不可能だから。

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 00:26:12 ID:Dcyey8zt0
>>831
まだサッカーの話かww
総じて代表が人気下落した事実は変化がない。
部分だけ取り出しても無駄だ。
観客動員数に反論がないところを見ると
その点では容認すると言うことと理解しておく。

上で述べた日本人の国民性と言うか民族性の
ようなものに反論がなければ瑣末な議論でしかない。
サッカーは所詮はその例示でしかない。
別な話しろよwww
>>832
宗教の定義がおかしいと言ったんであって儒教が
宗教ではないとはどこでも言っていない。
それが>>816の意見だな。
読解力が貧弱か、妄想癖があるかどちらかだなww

病院行ってこいww


834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 00:33:47 ID:14IEy6Zb0
>>833
馬鹿はお前だw俺は洗脳的要素のあるものは宗教だと主張している。
マルクス主義も宗教だと言っている。
そして宗教の定義などはあいまいなもんなんだよ。
お前が宗教の定義を勝手に作っているだけなんだよ。
宗教を純に解体した場合に残る本質は洗脳だ。歴史を知るものなら簡単に理解できる。
儒教は宗教であることは確定したが、その定義は洗脳的要素に尽きる。
反論があるならお前の宗教の定義を示してから述べるが筋であろう。

835 :馬鹿の啓蒙?:2008/06/22(日) 00:44:38 ID:Dcyey8zt0
>>834
宗教とは神またはそれに類似する観念に対する信仰だ。
洗脳は布教の手段でしかない。
定義が曖昧でも洗脳を前提にはしない。

洗脳を定義のするのは君の主観だよ。
例えば現在の日本の自然信仰は必ずしも洗脳はない。
それでも信心はあるだろうな。

836 :馬鹿の啓蒙?:2008/06/22(日) 00:49:01 ID:Dcyey8zt0
例えばマルクス主義だが、一見共産主義を信仰させ
洗脳しようとしているように見えるがレーニン廟は
ビザンチン時代のイコン論争の結果、聖者の遺体は
国家安泰の御利益があると言う東方教会の信心の下ソ連で
成立したものだ。

つまりイデオロギーでも一見信仰に見えるものは習合された古い信心の
影響だよ。

馬鹿ほど表面しか見ないもんだけどなw

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 00:55:42 ID:14IEy6Zb0
>>835
ある日突然に人は信仰を始めはしないだろう。
何かのきっかけがあり、それを信じるが故に行動を起こすのだ。
つまりある日を境に洗脳されたから、信仰を始めるのだ。
自然信仰も「そう信じ込む」わけだから自分に対する洗脳であろう。
もっともそれを信じるものは洗脳されているとは言わないだろうが。
だからこそ洗脳されていると断言できる。

細かく言えば全ての「理解」は「洗脳」された結果であると言えるが
社会一般での宗教は「融通の聞かない教義を信じ込み、それを信じて生活すること」
であろう。それよりも細かい範囲には適用はしない。
全ての人間が洗脳されていることになるから。

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 01:00:46 ID:Dcyey8zt0
例えば昨今の自然災害を考えて見ろ。
メディアの馬鹿はそれこそ大騒ぎの洗脳して地震対策や土木事業
促進のアシストしたいのかなんか知らないが、
東北の大地震を見るとこれほど科学が発達しても人間の自然への
畏怖とか畏敬と言うものの発生が容易に想像できる。
ここいらが自然信仰の発端となっても特段不思議な感覚ではないな。
>>837
抽象論過ぎて実証が足りないな。
歴史を語ろうと言う人間としては論法が未熟に思えるよ。

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 01:05:02 ID:14IEy6Zb0
>>838
まあ君には難しすぎる内容だったかもしれない。
哲学の領域だからな。自然信仰もそうした現象をもとに信仰を始める、
だから洗脳が起点であることは明白だろう。
そういう因果があると信じ込むのだから。
生まれたその日から宗教している奴なんていない。なぜだ?w
まだ洗脳されていない無知だからだ。それは羨ましい状況でもあるがw
君はすでに洗脳されているから、立派な宗教活動かだよ。安心してくれ。

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 01:09:10 ID:Dcyey8zt0
>>837
君は多分モデル論的社会論にそれこそ洗脳され過ぎている。
マクロ経済馬鹿にも散見する発想だが、抽象論を好み実証を軽視し、
文化や文明の地域的時代的個性や価値観の変動と言うものを
重視できない。多様性を楽しめない。

歴史は究極の実証の学であり、観念的イデオロギー的理解には向かない。
それこそマルクス主義が信仰に見えるのは。この観念論への異常な執着で
あり、それはそのままドイツ的発想やロシア的風土で醸成されたものに過ぎない。

「ドイツ人と言うものは足下にあるものを雲の上にあるが如く考えすぎる」〜ゲーテ〜

「東方教会の特徴はその極端な隷属性である」
>>839

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 01:09:28 ID:erhTGtVQ0
古い伝統・文化・信仰を根こそぎ破壊しようとしたという点では、
明治政府が捏造した国家神道は共産主義に近い。
少なくとも一種のカルトであることは間違いない。

宣教使ヲ置クノ詔(明治3年正月3日)
朕恭しく惟るに天神天祖極を立て統を垂れ列聖相承け之れを継き之れを述へ
祭政一致億兆同心治教上に明かに風俗下に美なりし而して中世以降時汚隆あり道顕晦あり
今や天運循環百度維れ新なり宜しく治教を明らかにし以て惟神の道を宣揚すへきなり
因て宣教使に命し天下に布教す汝群臣衆庶其れ斯旨を体せよ

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 01:11:50 ID:Dcyey8zt0
>>839
Mウェーバー的な観念的モデル論から卒業したところに歴史学が
あると思えよw

またねw

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 01:21:21 ID:14IEy6Zb0
>>840
これは全ての「理解」は「洗脳」された結果であると上述している。
人間が洗脳されすぎていることは当然なんだよ。君もね。
それに気が付いていないから宗教なんかが当たり前のように存在する。
ただそれ自体が悪いものという意味ではない。
人間の根本にあるものは人間では定義不可能な曖昧さしか残らないのだから。
だから「神」を創造してしまう。確かな存在がほしいからね。
確かな存在であれば確かな答えを与えてくれるであろうとう考えだ。
君のにわかじこみの寄せ集めの知識では理解できないであろう。
君はなぜ存在し、何を目標として生きているのか理解できているかね?
そこに確かな答えは与えられない、しかし、確かなる何かがあるから
存在しているのであり、生きようとするのである。
君が抽象論を嫌うのは抽象化する力が備わっていないだけだ。
物事の本質に迫るためのプロセスだろ抽象化は。宗教の本質に迫れば
その本質にあるのは思い込みであり、洗脳であることが理解できる。

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 07:56:25 ID:mUdga8QU0
>>814
>儒教は常識で考えて宗教だろwどんな教育を受けて来たんだか。

長々とばかばかしいことを言ってるなぁー、いいですか、
儒教:孔子の教説を中心として成立した儒家の実践的倫理思想と
その教学の総称。学術面を強調して<儒学>。英語ではConfucianism.
中国の代表的な思想で、朝鮮・日本にも大きな影響を与え続けた。
日本では、林羅山が幕府に登用され、朱子学は幕府正統の学となった。
元禄期前後、山鹿素行の古学、伊藤仁斎の古義学、荻生徂来の古文辞学などが
興った。
世の中の常識は、あなたの常識と随分違いますねぇー。学校の先生に聞いた方が
いいのは、あなたですよ。

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 08:48:41 ID:XCT7kgce0
宗教というものには、救いを求める気持ちとか、
願いを聞いて欲しいとか、何かにすがろうとする人々の心のよりどころ
みたいな神秘的要素があると思う。
だからお守りなどがあるわけです。神頼みですね。
けれど儒教とかマルクス主義なんかは、現実的な道徳や思想であって
そこに救いを求めるとかいう要素はない。
そこが宗教とは全く違うかなと。
分かりやすく言えば、宗教はこの世の人間の頭脳では理解不可能な神秘的なものに対する思想、畏敬、信心であり、
儒教などの学問は現実的と言えるんじゃないかな。
宗教にも道徳や思想を教えているけど、それは神秘的なものに付随するものだろう。
儒教などは現実的なもので、その神秘性は一切ない。



846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 09:28:01 ID:14IEy6Zb0
>>845
はいはいお疲れさんw
君の書いた内容を見て世のほとんどの人は失笑しているよ。
少しは調べろ。儒教は宗教の欄に入っていることの方が普通なのだから。
調べずに回答するな。いいか調べてから回答しろ。
論点がずれてんだから面倒見切れん。
幕府オタは所詮アホの烙印を押されてしまうから小学校の先生にでも
聞けと言っているだろ。世の常識を知らない大馬鹿、それがお前だ。
儒教には十分に神秘的な要素がある。韓国の文化を知らないんだろ。
儀礼や価値観など生活に大きく影響を及ぼしてんだよ儒教は。
で仏教との区別は結局どうなるんだwお前の言う神秘性はどこから出るんだよw

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 09:31:33 ID:PkTbZIlp0
>>845
救いを求める気持ちが神秘的要素に結びつくとは限らないよ。
まさに釈迦のそういう思いから仏教は成立したが、その当時は神秘的要素は無かった。

宗教に含まれるかどうかはどう定義するかによるんだが、
定義する前に自分の考えを整理する必要があるんじゃないの?


848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 09:49:48 ID:XCT7kgce0
儒教は宗教とは別にしているほうが常識だ。
儒教が宗教だなんていってたら、それこそお笑い者だ。
人間の道徳規律などの教えだよ。
宗教とは明確にわけなければならない。


849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 11:29:43 ID:dFJfAqgg0
話がそっちの方に行くと、へんなのが出るぞ。

会津は早起き。
昼頃は戦争もの。
また〜りと数字を上げずに人知れず会話の進んでいるよいスレも多い。
この板の特徴。

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 11:46:23 ID:1xrCzhxI0
>>847
原始仏典によれぱフラウマー神に跪ずかせて釈迦が説いている
と言う点から神秘的要素は既にあるよ。
この跪きをサンスクリット語ではウパニシャッド哲学の語源ウパースと言う。
原始的な信仰ではより哲学や宗教や神概念の区別は難しい。
例えばアリストテレスは「デアニマ」では植物に魂を認め、
この魂こそアニマと称して生命の根源と考えた。
これはサンスクリット語ではアートマンだな。
アトムの語源だよ。


851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 11:51:09 ID:1xrCzhxI0
>>846
韓国儒教の招魂儀礼は土着の信仰と儒教との習合の可能性が
高いね。

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 12:25:20 ID:tC1F39Ja0
儒教云々はもういいにしない…、ここ明治維新のスレだからさ、で
通説だと、長州が馬関戦争で英・仏・蘭・米四国の圧倒的な軍事力の前に屈服し
以後、開国論に転じ討幕へ向かうとあるが、藩を指導する立場のレベルは戦う前から
結果は分かっていない筈はないので、そもそもどういう理由から攘夷期日実行をしたのか
どんな背景があったのか解せない。

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 13:14:20 ID:Qjwc7YCm0
>>852
>藩を指導する立場
指導者が存在しなかったからというのが正解でしょ。
長州は無政府状態に近かった。
だから発狂して外国船を砲撃したかと思えば、
手のひらを返して外国に屈服し言いなりになってしまう。

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 14:20:54 ID:k64gqwLG0
>>852
長州藩は幕府のような独裁者が存在せずに民主的に運営されていた。
藩主は象徴的な存在に過ぎず、実際の藩の運営は若い者に任されていた。
指導する立場といっても、穏健派や過激派などに分かれていたってこと。
つまり下関戦争という現実の前に過激派路線が打倒されて藩論が開国に転じたのは
そうした論者が大勢を占めたということなのだ。
幕府のように権力を握った独裁者が議論もなにもなく問答無用で反対派を粛清、失脚させたような
やり方は長州藩には無かった。幕府においては、とにかく幕府内の権力闘争に全てのエネルギーを
つぎ込むのので外国とも諸藩とも戦うような余力が全く無かった。常に内部の足の引っ張り合いで
消耗してしまうので具体的な政策が何一つ実施されない。幕府の政策は、反対派を牢屋にぶち込む。
とにかくぶち込む。いいがかりでもなんでもぶち込む。議論も何もなしにぶち込む。ぶち込んでぶち込んで
ひたすらぶち込む。罪状は後からでっち挙げてぶち込む。それが幕府の260年の政治であった。
幕府はそれが政治だと思い込んでいるのだから、どうしようもない。熾烈な権力の争奪戦と権力者の
早世、失脚、暗殺、復権の繰り返しが幕府の260年の政治であった。
長州藩は、そうした幕府の愚を踏襲することは無かった。一人一人が明日の日本を心から思い、
礎になる覚悟を持って、精一杯生きた。それが長州藩だった。

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 14:29:43 ID:UtgA39pC0
854は釣りか?

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 14:33:37 ID:sx2y8t2U0
藩主独裁ではないが、藩主毛利敬親の意向は大きいと思われ
村田清風に任せたり、吉田松陰への罰を実家育みにしたのが好例

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 14:34:02 ID:k64gqwLG0
>>852
長州藩は攘夷の愚を知っていた。圧倒的な軍事力を誇る欧米列強に、やみくもな攘夷で
対抗できるなどとは考えていなかった。しかし、海外事情に疎く、思い上がった考えの持ち主が
いなかった訳ではなかった。開明的な長州においても、そうなのだから日本全国を見れば
もっとそうなのだった。だから長州藩は日本を代表して、負ける為に、犠牲的精神で欧米列強と戦った。
実際に戦って、ボロ負けに負ければ、どんなに過激な攘夷派も攘夷の愚を悟るであろうと考えた。
実際にそうなった。あの長州でさえ攘夷が不可能なのであれば、それは誰にとっても不可能なのだと
悟った。そうやって長州は政策転換を図った。反対者にも納得してもらうための犠牲、それが下関戦争だ。
長州藩だけのことではない。実際には戦争に参加していない諸藩の攘夷派も心から攘夷の愚を
悟った。開国止む無しと納得できた。一方、幕府のやり方はひたすら反対派を牢屋にぶち込む。
ぶち込んでぶち込んで最後の一人までひたすら、ぶち込み尽くす。それが幕府のやり方だった。

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 17:06:04 ID:cOXTDMep0
>>853-857
馬鹿馬鹿しい
長州が攘夷決行した後、京都の大和行幸の工作を行うが何の為だったか全然わかってない。
たぶんコイツは「大和で天皇を誘拐して挙兵する為」と答えるんだろうなw。
大和天誅組の中に長州人は一人もいない上、土佐浪士主導だったのにも関わらず、なんでも長州に見えるんだろうからw

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 17:14:38 ID:cFc5iGrh0
>>857
>長州藩は日本を代表して、負ける為に、犠牲的精神で欧米列強と戦った。
実際に戦って、ボロ負けに負ければ、どんなに過激な攘夷派も攘夷の愚を悟るであろうと考えた。
実際にそうなった。あの長州でさえ攘夷が不可能なのであれば、それは誰にとっても不可能なのだと
悟った。そうやって長州は政策転換を図った。反対者にも納得してもらうための犠牲、それが下関戦争だ。

聞いた当人として、上記の一文は戦後教育を受けた人間の戯言だと思う。
上記のことが有効であるなら、何故元治元年7月の禁門の変を長州は仕掛けたのだろう?
禁門の変があった時点で、前年の攘夷期限実行の外国船攻撃後、諸外国からの反撃行為はずっと
迫っていた。なのに、京都で禁門の変を仕掛ける。これっておかしいでしょう?

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 18:44:52 ID:pfD2Ih6b0
>>859
おかしいのはお前の頭だ。なんでもかんでも長州とひとくくりにするが長州という主体が存在した訳ではない。
一人一人が自分の頭で考え、一人一人が自分で行動し、一人一人が自分で責任を持った行動をしたのだ。
長州には誰も独裁者などいなかったし、全員が一枚岩で誰の命令で動いた訳でもないのだ。
それは下関戦争でも禁門の変でもなんでもそう。そういった長州藩士の行動原理は>>854
説明した話だが、一体どう説明すればお前の頭でも理解できるのだろうか。
幕府脳には、馬鹿殿が「お犬様を大事にせい!」と一言命令すれば、全員がははーとひれ伏すような
世界しかイメージできないらしいが、これは長州には全く当てはまらない。
だから幕府脳には長州を理解することが不可能でもあったのだ。

それにだ。禁門の変は長州が仕掛けたものではない。これは幕府が仕掛けたもの。
長州の一部の過激派がとった軽率な行動が幕府に付け込まれて、そうした捏造劇に利用されたに過ぎない。
理由を捏造しては反対者を弾圧する。それが幕府の常套手段。なんでもそうなのだ。

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 19:03:27 ID:cOXTDMep0
>>259-860
なんだか「解っていそうで、実は解ってなさそう」な感じがするんだがw。
禁門の変の原因は「池田屋事件」で尊皇派の志士を殺され、怒った尊王の指導者真木和泉守が出兵論で煽った事がキッカケだよ。
八.一八の政変で京を追い落とされていた長州は、その直後から出兵論が持ち上がっていた。
それを長州藩指導者達が穏健論を唱えて防いでいた。
ところが、池田屋事件が起こった為に藩の制止を振り切って京都へ出兵してしまう。
八.一八政変は薩摩会津の陰謀で長州に罪無し。池田屋事件で藩士を殺した会津と幕府の責任を問うというのが目的。
一ヶ月間もの間、交渉を続けたが決裂し戦になった。これが禁門の変でしょ。
あんまり攘夷と関係ないと思うが?。

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 19:22:47 ID:pfD2Ih6b0
江戸時代の初めから有力な政敵を追い落とす口実を捏造するのが幕府の伝統芸能であった。
1614年の方広寺鐘銘事件がそうだ。
「国家安康」なる鐘銘が家康を呪詛したものだというのだから荒唐無稽な言いがかりにも程がある。
大阪冬の陣を開戦し、豊臣家を滅ぼす口実をでっち上げればなんでもいいというのだから、
目的の為には手段を選ばずが幕府の本質なのである。

1622年の宇都宮城釣天井事件もそうだ。長年、家康に仕えて多大な功績のあった本多正純に
謀反の嫌疑をかけて失脚させようというのだから、あまりにも人の道に外れている。

そして、江戸時代はこうした事例があまりにも多い。
幕末においても幕府は、この伝統芸能を如何なく発揮した。

禁門の変しかり。安政の大獄しかり。



863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 19:41:28 ID:cOXTDMep0
俺も会津嫌いなんだが・・・・
お前、マジ解ってないだろ?
それとも釣り?

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 19:50:39 ID:ycf9pdpf0
>>860
この人が書いてることは、論外だから、私からは「お好きに書き込みなさい」です。

>>861
書かれたことは知ってます。>>860で書いたのは、四国の報復が迫っているのに
わざわざ京都でコトを起こすその政策決定が分からないといってるんです。
単純に考えて、四国からの報復に全力で対処するのことが優先順位が上でしょう?
なのに池田屋事件が起こり長州京都藩邸にいた木戸もいたのにどうしてやってしまったのか?
8.18、禁門の変、馬関戦争ずっと長州は政治的判断を誤ってきたという風に見ていいのだろうか…

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 19:53:04 ID:ycf9pdpf0
>>860-862
ID:pfD2Ih6b0
この人もういいよね、どっかへ行かないかな…

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:06:23 ID:P9AUCR9K0
長州は統一的な指揮下のものと、一致団結して動いていたわけじゃない。
派閥ごとに様々な動きが当然あるし、
その派閥の暴走に付き合わされて動いたケースが多い、
禁門の変は、池田屋で同士が新撰組を殺された報復と、
天皇、つまり朝廷への影響力を確保するため。

ちなみに京都を火の海にして、天皇拉致っていうのは、新撰組のデマだから。
池田屋で相談してたのは、新撰組に拉致られて、拷問を受けていた同士の救出の相談。

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:20:25 ID:pfD2Ih6b0
>>864
お犬様を大事にせい!

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:21:08 ID:P9AUCR9K0
>>852
その教科書的な解説は正しくないな。
開国と貿易、海外の技術の輸入などは、
別に長州藩は別に否定しとらん、
そこまで否定するのは、攘夷派のさらに極右の一部くらいのもんだろう。

実際馬関戦争でも、欧米から輸入した大砲も使っており、
アームストロング砲なども撃っていた。
実際それで、英国の旗艦を砲撃し、艦長以下士官を複数死傷させているし、
死傷者も連合軍のほうが多かった。
旧式の砲で届かなかった、というのは正しくない。
そういう砲も存在しなかったわけではないけどね。


869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:29:20 ID:14IEy6Zb0
なぜ長州が列強に対して砲撃をくらわしたのか…の回答だが

そもそも日本の国防は武家の棟梁たる将軍の仕事であった。
ところが幕府は一撃もかますことなく空砲に屈して開国した。
その後、物価は上昇し庶民の生活は著しく悪化してしまった。
民衆の怒りの矛先は何もせずに開国した幕府に向けられた。
そして世論は「攘夷」を支持する。本来、当たり前と取れる「開国」の否定である。
長州がこのエネルギーに便乗したことは述べたが、その背景にあるのはあくまで
幕府に対する不信なのである。
民衆は幕府はあてにならないから長州に期待をしたのだ。
ひとつ誤解があってはならないのは西洋の情報を掴み、西洋の優れた部分を取り込むことは
あくまでも西洋の力に屈しないためのものであるということ。
西洋にかなわないから開国するという姿勢とは異なる。
力をつけ相手に屈しないために西洋の文明を受け入れるということだ。
当時の状況を見ると、日本人の指導者層であっても西洋の強さを正確には把握できていなかった。
自らの力を過信し、陸戦では優位に戦えるとさえ思い込んでいたのだ。

それと忘れてはならないのが吉田松陰の思想の影響だ。松陰は頭で理屈を考え続けるだけでは
改革は無理だと考えていた。改革を行うためには先ず行動を起こすことだと。
その行動のために世の中は混乱するであろう。その混乱こそが現秩序の破壊を導き
改革への近道となるという過激な思想だ(幕府権威を失墜させ、幕府を倒せという道筋)。
久坂はこの思想のよき理解者であった。高杉は最初対立したが、やがてそれが正しいということ
に気付く。先ず破壊が無ければ急激な改革など到底無理なのだから。

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:51:07 ID:rdsa9KfV0
>>860
勝手にファビョっておいて、その責任は相手になすりつける。
まさに朝鮮人そのものの長州脳だな。

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 21:00:56 ID:rdsa9KfV0
>>866
木戸は池田屋の集まりについて自伝でこのように書いてる。
「此夜諸士と会同し、古高の縛られて新撰組中にあるを急襲して奪還せんと欲するの議あり、
尹宮(中川宮)の賊を助くるを怨し、その根本を除かんとするの議あり。」
自分達の犯罪を隠すため抑えた表現になってるけど、
要するに「根本を除かん」とは、京を火の海にして、中川宮、徳川慶喜、松平容保など
邪魔者を抹殺し、天皇を長州に拉致することを意味しており、古高の自白と一致してる。

新撰組が長州人の凶悪な放火テロを防いだんだよ。

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 21:22:03 ID:pfD2Ih6b0
>>871
すべて幕府の創作・捏造・でっち上げです。それが幕府の伝統芸能ですから。
新撰組のテロを正当化するための口実ですね。
只食い、只飲み、町娘を手篭めにするわで京都市民を恐怖のどん底に突き落とした新撰組は
テロリスト集団でもあった。

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 21:47:12 ID:qcTzLbl20
>>799
その割には、馬関戦争のときには彦島の租借を断固はねつけたとも聞くが。
第一次長州征討軍も起こされて、外国の支援が一番欲しかった時期じゃないか?

>>819
>なかったから明治神道をつくって洗脳しようとしんだよ。

これは一般市民に対するものであって、

>明治時代通じて藩閥政治していた連中に国家としての意識なんかないよ。(>>816)

の傍証には全くなってないと思うのだが。
つか、

>明治神道は明治政府の集権化の象徴。(>>819)

つまり明治政府首脳には国家としての意識があったってことじゃないの。これ。

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 21:52:03 ID:cOXTDMep0
>>871
>長州人の凶悪な放火テロ

へぇ・・・・
確か首謀者は肥後宮部テイゾウのはずだが、
肥後浪士が計画した事も長州人の企みとする君の考え方って凄いと思うよw

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 22:08:16 ID:cOXTDMep0
>>864
>四国の報復が迫っているのにわざわざ京都でコトを起こすその政策決定が分からないといってるんです。
>四国からの報復に全力で対処するのことが優先順位が上でしょう?

なんだ。君は解っているじゃないか。
君の言う通り、長州藩は外国軍と戦う攘夷戦を最優先にしている。
そもそも攘夷を行った際の長州藩の大義名分は「攘夷の先駆けとなる」事だ。
先駆けと言っている事からも、長州は攘夷戦の先陣をきって一番槍となる事が目的であり、
長州藩の後に続いて攘夷戦を行ってくれる者が出る事を期待していた。
それが実は「幕府」なんだなw。長州藩は変なところで幕府に期待しちゃってるの。
戦いさえ始まってしまえば幕府は攘夷するしかない。だから長州の援軍になってくれると。
実際、譜代藩の小倉藩が攘夷しない事に腹を立てた、長州が「攘夷しろ」と文句の使者を送ってる。
文句を付けられた小倉藩は「はぁ?」だったけどw。
で、結局幕府がなかなか動かないから、天皇が将軍を連れて寺社に誓いを立てれば、
天皇の軍隊である将軍家も攘夷に踏み切り、長州藩と一緒に戦ってくれる事を考えた。
石清水や大和行幸はこの路線。
だが、久留米の神官で尊王の指導者真木和泉守は、これでもし幕府が立たなければ天皇の命令を無視する朝敵として討とう。
と叫んでいる。長州藩はこの案には反対だった。外国と戦争しているから幕府と喧嘩なんてしれられないんだ。
逆に大和天誅組の方が真に受け、大和で討幕挙兵しちゃうが、長州とは関係ない。
で、これは8.18政変でキャンセルされ、京都を追われてしまうと、外国と単独戦争になる長州はピンチ。
なんとか朝廷と仲直りして、攘夷戦の仲間を増やさないとヤバイ。
それで桂らが朝廷工作に奔走する。でも池田屋が起こって尊皇派勢力に打撃を受けると、
激怒した長州藩が兵を上京させて朝廷に直訴しようとするんだな。
この段階でも長州は幕府に期待していてね。悪いのは会津桑名一橋だと思っている。
だから禁門の変の時に、長州はわざわざ幕府に文書を送って、悪いのは会津桑名一橋なので彼らを排除しますと通報しているよw

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 22:50:17 ID:P9AUCR9K0
>>871
志士の弾圧して、さらには同士の拉致監禁拷問している新撰組の除去だろw
なんだその超解釈は。
そして拷問の末の「自白」その後口封じで処刑。
こんなものを信じるなんて、北朝鮮人か、なにかですか君?

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 06:36:09 ID:NfwRrLXE0
>>876
事を飲み込むことができないで地団駄踏んでるガキのレベルですねあなたw

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 17:47:24 ID:RbDlll4OO
>>871 持論に都合良く拡大解釈する人だなぁ。

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 18:04:23 ID:6xp5IlZR0
http://kanazuen.com/qdb/l24_1.html#q7415

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 18:37:23 ID:qZErXnIy0
池田屋は捏造というのが最近の主流

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 18:47:47 ID:8HuLgqWP0
>>875
長井雅楽切腹後、長州藩や毛利家が幕府内で権力を握ろうとした痕跡はないな
幕府の攘夷実行に期待しているなら、毛利敬親が長州兵1000人を率いて江戸へ行くべきだろう



882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 20:48:45 ID:frl5pbTs0
>>881
何か勘違いしているよw
長州藩が幕府内で権力を握ろうとした事なんて、長井切腹以前にだって無いでしょ。
長州(というより尊王攘夷派)の目的は攘夷決行。
和宮降嫁の時に幕府は攘夷決行を約束してるから、後は幕府の腰を上げさせるだけ。
外国にビビっている事を批判する事はあっても、結局最後は日本最強(と思っていた)で、
全大名に動員令を出せる幕府に期待しているんだって。
幕府に何も期待しなくなるのは長州征伐で完全に味方してくれないと知った時から。

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 20:59:29 ID:Ee+hpVCV0
「長州が滅びたら藩主父子と 共に朝鮮へ亡命する」高杉晋作

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 21:28:55 ID:RdUntEFL0
>>852
高杉や久坂は開国貿易の必要は十分知っていたが、
外国に屈従する幕府のもとでの海外交通貿易には反対して、攘夷をとなえた。
寺田屋の変で諸侯の頼むにたらないことを悟り、最大の望みを天皇にかけた。
攘夷派は宮廷をうごかして攘夷開始の期日を定めて決行するように、幕府に命令させた。
その一方志士たちはさかんに張り紙やビラで今日の生活難は夷狄のためであり、
夷てきを引き入れた幕府の罪であると民衆に訴えた。幕府役人や貿易商人に
さかんにテロルを加えた。
結果、幕府はついに1863年5月10日を攘夷開始の期日にすると朝廷に答えた。
そこで、長州が本気で外国相手に勝つと考えていたかどうかはよくわからない。
が、しかし高杉は奇兵隊を組織し外敵を迎え討とうとしていたし、尊攘派の士気はさかんであった。
全国をあげて攘夷を決行する政府をつくるために天皇をおしたてて倒幕の兵をあげようとした。しかし天皇は
攘夷主義ではあったが諸侯のそれと同じで封建秩序をみだす志士たちを嫌い8.18政変がおこった。
その後公武合体派の大名がふたたび勢力を持ち、尊攘は苦境に陥る。
諸隊は人数を制限され、諸士匹夫の差別を確率と民兵訓練の禁止が
長州藩主によって命令された。
そしてあせりが生じた攘夷派の一部が禁門の変をおこす。
直後、四国連合艦隊が進撃してきた。
長州藩はあっさり降伏した。
300万ドルという法外な額の支払いを幕府がさせられた。
長州の攘夷は幕府の命令の実行であったからという理由で。
そして攘夷は無意味となり尊皇攘夷派から倒幕派に転回するのである。
以上、参考本より抜粋。


885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 21:37:28 ID:5+5JU8zx0
そんなに長い間幕府に期待していたのか。
長州も駄目だなあ、
さっさと倒幕をしとけばよかったのに、
維新を、いや日本を何年も遅らせてしまったね。

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 21:42:34 ID:ry4kCGO+0
下関外国船砲撃事件も、幕府が尻拭いしてくれることが分かってるから実行できた。
要するに、長州人は幕府に甘えてる幼児なんだよな。
日本に依存しつつ反日ファビョーンの朝鮮人と同じメンタリティだ。

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 23:44:46 ID:Uzf6n+4S0
長州が幕府に期待したというよりも国内の政策を「攘夷」に転換させようと
しただけだろ。当時幕府が恐れて手も足も出なかった欧米相手にガツンとかまして
やったのだからさぞ爽快だったことだろう。
朝廷からはお褒めの言葉まで頂いているしw

吉田松陰は幕府や諸侯には何も期待できないと説いた。
それは利害関係が作用し私利で物事を考えるが故に大事をないがしろにしてしまうからだ。
松陰が期待したのは利害関係に屈せず、誠を貫き通せる志高きものであった。
幕府も藩も所詮は内部の利害を見ているだけでこの国の将来や、貧しい庶民の生活など
は見てはいないのだから。



888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 00:58:29 ID:gK09XWpb0
>>887
>欧米相手にガツンとかましてやったのだからさぞ爽快だったことだろう。
キミは長州が欧米艦隊にボコボコにされ屈服したことが、そんなに爽快なの?

>吉田松陰は幕府や諸侯には何も期待できないと説いた。
細吊目で頬骨が張ってる吉田らしい反日ぶりだね。

>それは利害関係が作用し私利で物事を考えるが故に大事をないがしろにしてしまうからだ。
実際、長州は藩閥の私利に執着して日本を腐らせてる。悪しき一例だ。

>松陰が期待したのは利害関係に屈せず、誠を貫き通せる志高きものであった。
利害関係に屈せず開国を決断した井伊大老。
口先だけの浮浪者にすぎない吉田。
誠を貫く志がどちらにあったのかは言わずもがな。

>幕府も藩も所詮は内部の利害を見ているだけでこの国の将来や、貧しい庶民の生活など
>は見てはいないのだから。
幕府は世界的視野で日本を捉えていた。これは紛れも無い事実だ。
しかし長州人は藩内部の利害にこだわり、攘夷に狂い、イギリス人の走狗となり、内紛を頻発させた。
国の将来や庶民の生活を考えていたのは幕府なのか長州藩なのか?答えは明らかだろ。

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 06:35:19 ID:Tt/qdYiH0
>>888
>キミは長州が欧米艦隊にボコボコにされ屈服したことが、そんなに爽快なの?
欧米の戦艦を砲撃して損害を与えていることも知らんか?幕府は空砲に敗れ去ったがw

>実際、長州は藩閥の私利に執着して日本を腐らせてる。悪しき一例だ。
幕府は役人の己の命惜しさに売国してんだろw時間稼ぎもしてるしアホそのもの。
時間稼ぎで自分が生きている間に戦争にならなければそれでOK。さすが売国幕府だw
海洋をゆっくり往復してくれることだけを願っていただろうにw

>利害関係に屈せず開国を決断した井伊大老。
最初から外国戦う選択肢は幕府には無かっただろうに。開国しか無かった。
なぜなら己の命が惜しいから。それだけ。

>口先だけの浮浪者にすぎない吉田。
その口先からでた思想で見事に崩壊したのが江戸幕府。理念なき保身は敗れ去るのみ。

>誠を貫く志がどちらにあったのかは言わずもがな。
幕府にあったのは新撰組の旗の「誠」だけw庶民が貧困にあえいでいても興味なしだ。
そもそも志すらないからすぐに敗走してしまう悪いくせだな。

>幕府は世界的視野で日本を捉えていた。これは紛れも無い事実だ。
そんな事実は微塵もない。あったのはその日の己の命をつなぐだけ。
行き当たりばったりは確かにあった。

>国の将来や庶民の生活を考えていたのは幕府なのか長州藩なのか?答えは明らかだろ。
確かに明白だなw長州だろう。幕府が庶民に対して何かをやったか?
260年間威張り続けたあげくに欧米の空砲を聞いただけで降伏なんて前代未聞だw
何のための戦闘員なんだかwそれでも武士か?農民は高い給料払い続けたな…



890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 06:57:40 ID:A32YEvyH0
>幕府は世界的視野で日本を捉えていた。これは紛れも無い事実だ。

はああ???
幕府は幕府の維持以外なにも考えてないよ、そのために国を売ろうとしていただけ。

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 20:26:38 ID:u0mQx3o30
幕府厨が来た途端にレベルの低い議論になったのはなぜだw?

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 20:40:46 ID:oesjBBBG0
ポイントは、破約攘夷論にある。
もう少ししたら、文久年間の状況について書く。

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 21:13:55 ID:F8ma7OFN0
>>890
幕府は幕府なりに日本が清国の二の舞にならぬように考えてたよ
当時は神聖視されていた天皇の命令を面従腹背してまでさ


894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 21:27:43 ID:N5iQFhg5O
河上彦斎

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 21:33:20 ID:u0mQx3o30
>>893
>幕府は幕府なりに
この単語を使うと、どんな馬鹿でもマトモに見える

凡例
「秋葉原通り魔事件で七人殺した犯人は、犯人なりに日本の社会の事を考えた末の行動であった」

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 22:26:56 ID:R9agTdq10
河上彦斎で思い出したが、奥羽越の連合?連盟?あれは、川上とか
古庄とかの企みだという海舟談はほんとなん?

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 22:28:16 ID:8RM0vUXM0
凡例
「老中暗殺をたくらんだ国事犯・吉田寅次郎は、犯人なりに日本の社会の事を考えた末の行動であった」

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 22:41:05 ID:v4xuWvFE0
>>897
幕府の捏造です。幕府得意のデッチ上げ。

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 22:47:33 ID:u0mQx3o30
凡例
「尊王の志士皆殺し大弾圧をたくらみ実行した虐殺実行犯大老井伊直弼は、犯人なりに日本の社会の事を考えた末の行動であった」

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 23:54:33 ID:u0mQx3o30
凡例
「900ゲッチュウ!した俺は、俺なりに満足した」

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 12:22:57 ID:gulBarn50
>>900

おまい、ほかのスレでも900取ったろ?
今年は、おまいなりにいいことあるぞ。

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 22:07:54 ID:Ngb33v1v0
>>901
いやぁ・・・ポリポリ・・・
良いことあるといいなぁ・・・

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 02:39:40 ID:3Al2LyBb0
松陰は自分の行動を無謀だと良くわかってやってるわけで
「僕は忠義をなすつもり、諸友は功業(成功)を成すつもり」と言ってる

自分は火付け役で殺されるかもしれないが、革命を成功させるのは次の久坂や高杉にと期待した
自分のやり方は真似るなと忠告もしてる

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 07:33:04 ID:bbfBcLzf0
また日本国内の話に戻ってる。
明治維新は海外からみた方が正確な評価になるということを
なぜまだ認められないのか?
国内の志士など全員がイギリスの手のひらの上で踊っていただけの
小者だろ。語るに値しない。

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 07:34:30 ID:bbfBcLzf0
「日本のことを考えた」ってただイギリスの思惑の通りに動いた
だけじゃねえかw
いい加減基地外じみた愛国心だか国粋主義だか捨てろ。
日本はイギリスの思い通りに政権交代し開国したんだよ。
日本人の考えていることは寝ているに等しい。
その事実を認めろ。

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 10:28:02 ID:Qv6op/fCO
>>905

イギリスの思惑に反すれば国益があったの?

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 10:36:51 ID:H4fApUY80
>>906
それはなおのこと日本側の志士とやらの無能の証明だな。

つまりイギリスに絡めとられたわけだ。なにもかも読み抜かれてなw

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 11:41:52 ID:gPmz2oc5O
イギリスさまは万能ですね。

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 12:51:58 ID:ClPdvW340

大筋を書いてるのがイギリスであれ、ロシアに勝つような国になったのは
上に立つ者より、中間層がデキるからだと思うな。
いわゆる官吏とか、あの時代にいきなり技術者になったサムライたちって
すごくね?
すごい有名な明治の偉人じゃなくて、半端に有名な偉人を追うと、
日本人の文化水準は高い!ということに感動する。

>902
おまい、かわいい。いいことがあってほしい。


910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 16:26:20 ID:AHlAtifv0
海外の列強国から日本を守るのには、徳川幕府が治め、各地に大名が藩を持つ国でなく
天皇を中心とした統一国家を創り、近代化する事が必要だった。それが明治維新。


911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 16:54:48 ID:Qv6op/fCO
>>907

ではどうして志士とやらは無能になったの?
何故イギリスに遅れをとってたの?
そんな世の中を作ったのは誰の責任?

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 21:14:39 ID:6z4lqNnJ0
志士は元々無能というか馬鹿だぞ。
なにしろ世界を知らない。井の中のかえるなんとやらだ。
だが、世界に向き合う事で目覚めた奴は目覚めた。
幕府は元々、世界がどういったものかを知っていた。
だが彼らは自分たちの安穏な生活を望み、なんとか棚上げ作戦&玉虫色決着で逃げ切ろうとやっきになった。
幕臣の中にも目覚めた奴がおり、もう決断をしなければならない時だといっていた。
だが、最後まで幕府は決断をしなかった。
だから討幕派に倒され、討幕派の目覚めた奴らが決断をした。
それだけw。
幕府の目覚めなかった者たちとは、幕臣でありながら歩兵にならない者や、
幕府閣僚老中たち。慶喜や小栗、勝など名の知れた有名幕臣は目覚めていた人達だろうね。
結局、既得権益に塗れた奴らが改革を阻止し続ける抵抗勢力。
討幕派は幕府もろとも彼らを権力の座から引きずり下ろした。
その後、今度は尊王攘夷派が抵抗勢力となったので、目覚めた尊王派が不平士族もろとも彼らを倒した。

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 21:38:05 ID:k5i0PNyN0
「志士」じゃないだろ「不逞浪士」「浮浪の者」と言うべき。
「志」なんてカケラもない連中なんだから。

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 22:02:45 ID:EY9QUU0U0
>>912
いやぁーこのスレも900を越えたのにお粗末なことを
書く奴がいるもんだと、正直思った。
史実には関係ないが、ひとつ書こう。

>なにしろ世界を知らない。井の中のかえるなんとやらだ。

な、現代に生きているオマエどれだけ現在の世界を知っている?
幕末と同じくらい井の中の蛙じゃねのか?志士が無能でバカと偉そうにいう
オマエは、これからの世界情勢とその中での日本についての見解をどれだけ
分かっているの?

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 22:51:23 ID:bQEbXNcN0
井伊直弼、川路聖謨、岩瀬忠震、水野忠徳、栗本鋤雲、小栗忠順、大久保一翁 永井尚志・・・
キラ星のごとき幕府の人材を見よ。
同時期の薩長には攘夷バカしかいなかった。

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 23:00:59 ID:nZT6LcQx0
>>915
>同時期の薩長には攘夷バカしかいなかった。

ま、そんな風に単純化しないことだよ。キラ星がいくらいようと
幕藩体制は崩壊したんだからね。

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 23:08:30 ID:uTFQdvIXO
アッー!

  ∧レイプ∧
 <ヽ`∀´>
 〈 ホモ淫魔 〉
  ∪  ∪

ウリはホモニダ!

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 23:20:53 ID:6z4lqNnJ0
>>914
はっはっはw
>なにしろ世界を知らない。井の中のかえるなんとやらだ。
の反論がコレか

>な、現代に生きているオマエどれだけ現在の世界を知っている?

いきなり何現代の話ししてんのw
反論になってない上、最初から俺の人格攻撃ですか?
それは「反論できなかったので、人格攻撃します」と受け取っていいのか?
はい、やり直し。
一から勉強し直してまた来てくれw

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 23:39:45 ID:5xME0WoW0
人材的に、幕府が薩長に劣ると思ってる人はあんまおらんだろ?
そのキラ星たちなどが政治の中枢にいないってとこが幕府の弱点だな。
上に行くほど、殺される確率と更迭されてそれっきりになる確率が高くなる。
平和時の封建社会形態じゃ、やっていけない時期だからな。
阿部とか堀田の時代に体制を改革出来ていれば、違ったかもしれんが。
結局同じだろうな。あの制度を変えるには、てっぺんが代わるしかないと思うが。
そして天皇という帽子をその上にのせるんだな。
日本の勢力交代は、結局みんな最後に天皇を頭にのせて集結する。
句読点みたいなもんだよね、日本の天皇って。

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 00:56:54 ID:NQBANAko0
イギリスって薩英戦争で薩摩武士にボロ負けした雑魚だろw
艦隊沈められ幕府より薩摩に着いたほうが有利と悟った雑魚

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 01:03:36 ID:NQBANAko0
幕府が雑魚だったのは、江戸期の経済戦争で薩長に負け財政はボロボロ状態
幕府の親衛隊であるべき旗本は無学で惰弱で幕府の為に命を捨てようなんてのは居なく蛆虫同然で使い物にならなかったからw

幕府側の主力であった新鮮組みとか会津藩なんて元は浪人と他藩だからね
代々幕府で食ってきた旗本だの井伊家だのはあっさり裏切り薩長についた

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 08:57:31 ID:La737nYl0
>>919
そうやっていにしえから天皇担いで歴史を紡いできた民族だからな

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 10:08:54 ID:zxi8su+AO
まぁ〜結局は中央政権に力が無いから内乱が起きる訳だ
長州1藩すら外交で治められず、挙げ句は戦でも負ける体たらくぶり
国内ですら中央政権として力を失ってるのに、他国との外交する能力なんて皆無
>>915が掲げた人物が例え優秀な思想を持っていても幕府にはそれを実行する力は無く、実行出来ないなら絵に書いた餅だよ


924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 16:33:06 ID:B9CyFZam0
何が「旗本八万騎」だwww
笑わせんなよwww

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 18:23:04 ID:ZTh1pyWG0
900過ぎてから、ペラペラ話ばかりでレベル低いなぁー

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 18:47:59 ID:MfOcALnB0
>>905
>日本はイギリスの思い通りに政権交代し開国したんだよ。

なあ、史実を知らぬ無知蒙昧のアホよ、史実はこのように残されてるぞ。
慶喜は、外国代表との謁見式開催を宣言し、イギリス、フランス、オランダ、
アメリカの四カ国のうち、大阪城で最初に謁見したのはイギリス公使のパークスだった。
萩原延壽の「遠い崖」に、謁見の模様が詳細に書かれている。パークスとの謁見は
三時間半に及んだ。通訳サトウの抱いた慶喜の印象は、「秀でたひたい、形のよい鼻、
まさに紳士そのもの」だった。パークスは、本国外務次官に、慶喜は「もっともすぐれた
人物」であり、信頼に値すると報告する(遠い崖、四)通説では、フランスが幕府に
近づき、イギリスが幕府を見限って薩長両藩と親しくなったと叙述される。このような
幕末の国際関係の枠組みは、戦前の「維新史」などがつくってきたものだ。フランスの
ロッシュの外交が、慶喜の改革を指導したというような見方に、最近の研究は懐疑的だ。
フランス外務省が、ロッシュを支持していなかったことが明らかになっている。
(高村「維新前後の”外圧”をめぐる一、二の問題」社会科学研究)さらに、萩原氏は
イギリスと薩長が親しくなったという通説にも否定的だ。サトウは間違いなく薩長に
「親密」を持っていたが、公使パークスはサトウとは違っていた。このころのイギリスの
外交の基本は、本国外務省も公使館も徹底的に「ただ貿易の発展」であり、「政治的
影響力の行使」を欲していなかった。日本が条約を厳密に守ることが日本に対する要求で
あった。パークスは日本の政治状況が揺れていることを知っていて政治情報を収集して
本国に報告していた。イギリス外務省は、日本への「いかなる形の内政干渉」も、
くりかえし厳重に禁じていた。パークスも、外務省の方針に依存はなかった。イギリスが
薩長と「親密」などということはなかった。逆に、条約承認や兵庫開港問題について
薩摩藩がくりかえし執拗に妨害するのをイギリス公使館は警戒していた。
違うというなら、史料に基づき実証してみな。アホ〜な無学な妄想野郎君

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 19:02:50 ID:fpnTGpsM0
「史実」か…。
おれは>905じゃないが、世の中には純真な人もいるんだなと感心した。

> イギリス外務省は、日本への「いかなる形の内政干渉」も、くりかえし厳重に禁じていた。



928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 19:57:59 ID:44AiVNlJ0
>>927
あ、何言いたいの?何かアヤ付けたいなら史料に基づき
オマエの粗末なレスを書いて見ろ

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 20:00:34 ID:ZuPjtY3W0
>>915
木戸や大久保には全員いても太刀打ちできん。
そいつら合わせて、やっと伊藤や大隈の代わりができるかどうか。
その程度の人材しかいなかった。

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 20:38:55 ID:14i/80/r0
「小栗上野介は謀殺される運命にあった。なぜなら明治政府の近代化政策は、
そっくり小栗のそれを模倣したものだから。」大隈重信

>>923
>幕府にはそれを実行する力は無く
現に実行してるだろ。
開国を英断し、日本を近代国家に導いたのは、ほかならぬ幕府だ。
攘夷に狂ったあげく、手のひらを返して英国の犬となり、
日本の近代化を妨害してた薩長の馬鹿どもとは格が違う。

>>929
>木戸や大久保には全員いても太刀打ちできん。
逃げ回ってただけの卑怯者の木戸は論外だろ。井伊大老の爪の垢ほどの価値も無い。
また、たしかに初期明治政府がもったのは大久保のおかげなんだけど、
それは大久保が幕臣に感化され、それなりの開明思想を受け入れたから。
もともとの大久保は西郷以下の低脳だったことを忘れてはいけない。

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 21:03:07 ID:ZuPjtY3W0
幕臣に感化されるような低能は新政府にはおらん。
幕臣を啓蒙し、新政府下で、やっと使えるようになった幕臣はわずかながらに存在するが、
幕府には基本的に人材というレベルのものはいなかった、。


932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 21:07:13 ID:08k6YGqT0
そこの二人だか三人だかしらねーが、ガナリ合っているお前等。
レベル低杉。
煽り合いやるにしたって、こう低レベルでは乗り気にもなんねーよ。
もう少しハイレベルにならねぇか?

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 21:16:11 ID:QkB+Cg7K0
>>931
>幕府には基本的に人材というレベルのものはいなかった、。

そうでもない。鳥居耀蔵がいる。権謀術数が得意で水野忠邦の腹心でありながら
水野忠邦を裏切り、失脚させ、天保の改革を失敗させてライバルを讒訴で追い落とした。
幕府には、こうした人材がごろごろいたが、薩長には全然見当たらない。

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 21:51:49 ID:08k6YGqT0
幕府は幕府内部で内輪揉め〜♪
新撰組は新撰組で内輪揉め〜♪
内部派閥抗争で能力フル発揮で、余った余力で諸外国と討幕派の相手する〜♪
そしてしまいに滅亡する〜♪

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 22:12:10 ID:Sio9g/GB0
>>905
>ID:bbfBcLzf0
>>927
>ID:fpnTGpsM0
何してる、逃げたのか?

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 22:33:21 ID:ZuPjtY3W0
天保の改革は潰して正解だと思うぞw

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:14:46 ID:dBRY0Q9MO
江藤新平が亡くなった事は惜しい。

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 04:33:54 ID:9d1Rkqc/0
>>926
いやーおまえの馬鹿差加減にはあきれてものがいえない。

じゃあ史実、日本人をイギリスに留学させて西洋文明や社会システムを
学習させてやったのは、イギリス人の親切心からなんだ?w

すべてイギリスのシナリオ、イギリスの国益のために決まってんだろがw

おまえみたいなのを純情まっすぐ君っていうんだろうなwww

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 07:14:17 ID:vGreBWAT0
>>938
>すべてイギリスのシナリオ、イギリスの国益のために決まってんだろがw

おそまつだねぇー。こちらは、幕末研究をベースにソースまで上げて書いている。
オマエが言う上記の日本人留学生を受け入れたのは、どのようなイギリスのシナリオが
あったという研究や一次史料であるんだ?それを出した上で、議論にこいよ。小説しか
読んだことがない、あまえのようなアホがここで議論するは無理じゃないか?正直そう思うよ。

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 09:28:00 ID:NMxPNpuF0
どっちがカスでどっちが優越してるとかそう簡単に割り切れるものかな

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 11:26:46 ID:kS85AKcE0
簡単には割り切れないだろうが、議論の仕方として「史料や学術論文」を根拠にしている方が優れているとは言えるな。
根拠を示さない意見や考えは妄想と切り捨てるべきだ。

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:08:41 ID:qap4Bq5O0
まあ史料を根拠にするのは別に良いんだが、外交文書にホンネがそのまま書いてるとはかぎらんからねえ。
というか、ふつうはホンネを書かない。

外交は情報戦なんだし、口で言ってることとやってることは正反対ということはいくらでもあるんだから
イギリスが内政干渉を禁じていたと称するのをそのまま受け取るのはナイーブすぎるだろうな。

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:10:52 ID:qap4Bq5O0
まあ、ウソをつくのはその時々の方便でやってることで、別に後代の歴史研究者を騙そうというつもりでなかったのはもちろんだが、
政府としては訂正する必要はどこにもないからな。

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:13:48 ID:kS85AKcE0
あのなあのなw>>942さんよ

>まあ史料を根拠にするのは別に良いんだが、外交文書にホンネがそのまま書いてるとはかぎらんからねえ。
>というか、ふつうはホンネを書かない。

だからって根拠の史料や論文を示さなくていい事にはなんないんだよ。
まず第一に根拠を示す。しかる後「史料批判」を含めた考えを述べる。
そうしなければ議論にならんだろw。

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:52:53 ID:NSxiqy+D0
>>942
>まあ史料を根拠にするのは別に良いんだが、外交文書にホンネがそのまま書いてるとはかぎらんからねえ。
というか、ふつうはホンネを書かない。

そういう飲み屋で話すような話ではなく、

>イギリスが内政干渉を禁じていたと称するのをそのまま受け取るのはナイーブすぎるだろうな。

そう断定する根拠を、史料をもとに書いてくれと何度も書いているのだが…
出せないなら、>>941氏が書いているように、

>根拠を示さない意見や考えは妄想と切り捨てるべきだ。

なんだよな。

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 13:28:47 ID:frg91WQQ0
いや、妄想とか、突飛な見方はいいんだよ。
こういう見方もできるでしょ?っていうのはあっていいんじゃね?
それを史実だというなってことだろ?
史実ばっか並べても、教科書みたいで面白くないからね。2chなんだからさ。
つーか、それ、どっから出てる説よ?ってので、その件をいろいろ調べてる人に
闘いを挑むと負けるぞ、ってことだ。
自説を裏付ける史料は探せ。とりあえず。深く知ると、深く好きになるぞ。


947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 13:42:28 ID:N5bW8Fhs0
しっかり調べ裏付けもつけている書き込みと、何の根拠もない妄想が併存することは
何の問題もない。しかし、妄想厨が根拠あることを書いている奴に言いがかりをつけるのを
やめればという但し書がつく。(妄想厨を無視すればいいだけの話ではあるが)
それと、

>>946
>どっから出てる説よ?ってので、その件をいろいろ調べてる人に
闘いを挑むと負けるぞ、ってことだ。

そうじゃないよね。闘いを挑むのではなく、自分の調べたことが足りなかったことを
教えてもらえるから、ウエルカムなんだよな。2CHにもそういう人がたまに来るので
素直に教えてもらうだけさ。

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 13:49:46 ID:pCPfh8JJO
の割りにはみんな喧嘩腰か見下しのために来る人も多いよね。

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 14:13:26 ID:xOoVCl/i0
むしろそれが2ちゃんねるの存在意義

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 15:05:20 ID:kS85AKcE0
それを言うなw
実際、マジな話しするなら「自分の名前を出せるとこ」に決まっているんだからw


951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:19:57 ID:sUN9EEun0
>>948
憂さ晴らしにくる人が多数のことは否定しないが、偶にへぇーっていう内容の
書き込みがある。それから、敢えて分類すると「喧嘩腰」の人は、特定の内容に
ついて否定するようなことを書くと、過剰反応し見境なく怒る。見下しの人は、
知っている範囲が偏っていたり古くさい内容である傾向がある。歴史板は、いわゆる
正真正銘の基地外は、特定の地域のスレでないと来ないんじゃないかな…そうでもないか…

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 20:40:06 ID:tHdj5Epb0
服部之総や羽仁五郎は?

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 21:33:18 ID:cpAJtQAx0
>>936
あれはなw
幕府が失敗する一方で、それに成功した薩長が力を付けているのが興味深い。

>>942
イギリスが当時日本に積極的介入してこなかった要因として、
1.イギリスの外国政策転換
2.1863年〜1867年 グラッドストーンによる財政緊縮政策の実施
が考えられる。

1については、1860年頃から中国への干渉について、軍事的圧力を基盤としたものから
外交的圧力を基盤にしたものへと変化したものである。
嵩む軍費(特に海軍費であり、ディズレーリも1862年には海軍費の抑制を訴えている)と
中国の経済構造に起因する貿易の不振(ミッチェル報告書)が主な原因であると思われる。
参考として海軍大臣サマーセットの提言を以下に挙げる。
「今日、我々は我が国の威信と名声の為に行動しなければならないと言われている。
しかし、それは何を意味するのであろうか。
我々は暴徒(太平天国軍のこと)に味方することはできない。
そして、清朝の体制を支持するために、我々には巨大な戦力が必要とされている。
我々が負わなければならない犠牲は多大であり、費用も膨大となろう。」
砲艦外交による出費を不安定な国家相手に要求しても、その後の必要経費も含めれば、引き合うとは限らない。
1860年代には、アジアでの海賊取り締まりに関して、多国間協力体制が構築されている。

勿論方針転換後の外交的圧力にも軍事力が不可欠であるため、中国ステーションにおける海軍力の削減が
直ちに行われたわけではない。
しかし2に挙げた財政緊縮政策により、鉄鋼艦への転換時期であったにも関わらずイギリスの海軍費は頭打ちとなる。
1869年には極東艦隊を含むイギリス艦隊の大削減が行われた。
これは旧式の帆船のみを削減するものではなく、イギリス海軍の近代改革の一環でもあった。
しかしこの転換期に1850年代のような無尽蔵ともいえる財政の傾注が行われなかったことは、
それ自体大英帝国の苦衷を示すものであり、積極的な対外軍事介入を抑制する要因となったことは予想できる。

以上により、イギリスが内政干渉(或いは軍事介入)を禁じることの正当性は存在する。
また、1845年頃から日本遠征計画がイギリスにあった(クリミア戦争などで実行されなかった)が、
それが最終的に放棄された(あるいはそんな事を言い出す奴が居なくなった)原因もここに見ることができる。

海外に拡張するのが命題ともいえる帝国主義全盛の時代であるが、帝国といえども常に不断の意思を以て
海外侵攻を強行できたわけではない。

以上、アジアの海の大英帝国・横井勝彦(講談社学術文庫版)より、関係ありそうな所を抜粋して俺の意見も入れてみましたがどうでしょう。
幕末関係で上記の文献を当たる人は、日本が刺身のツマ程度の扱いである事に気を付けてくださいw

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