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第三国人の暗黒史

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 17:21:14 ID:UHBkV2R00
奴らが日本人に加えた犯罪の数々を闇に葬らせてはならない!

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/26(土) 22:05:58 ID:lxKXSDZ80
『ZAITEN』 2008年1月号
レポート:日韓をまたぐ「4兆円財閥」の実像
ロッテ 「引き裂かれる重光王国」   ジャーナリスト 田中幾太郎

ロッテ王国を牽引してきた85歳のワンマン創業者・重光武雄の引退が刻一刻と迫っている。
“骨肉の争い”を行い、世襲に向けた環境を整える巨大財閥の次期トップは長男か、次男か。
韓国では反発の声も飛び出し、グループは“空中分解”の危機も孕む――。
http://www.zaiten.co.jp/zaiten/200801.shtml

 太平洋戦争のさなか、さまざまなアルバイトをしながら大学に通っていた重光が、在学中
(46年3月卒業)に事業を始めるきっかけとなったエピソードがある。
「辛(重光)氏自身が語っているところによると、日頃からつきあいのあった“ハナミツ”という
質屋を営む老人から、6万円を出すから工場をつくって不足している旋盤用の油を生産して
みないかと申し出があったという。それで工場を始めるわけですが、いくら親しくなっていても、
その当時の在日の置かれている立場を考えれば、日本人がポンと大金を出すとは考えにくい。
しかも、辛氏はまだ学生ですよ。眉唾としか思えないんですがね」(韓国紙記者)
 戦時中と現在の貨幣価値を公務員の初任給や消費者物価で比較すると、少なくとも1500倍
以上。となると、当時の6万円は9000万円以上ということになる。日本人か韓国人かは別にし
ても、それだけの額を借用書1枚で20代前半の学生に出資するとは、にわかに信じられない。
また、ハナミツなる老人についても、質屋だったこと以外、具体的なことはほとんど語られて
いないのである。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/26(土) 22:06:24 ID:lxKXSDZ80
>>49
 ともかくも、資金を得た重光は東京・大森に工場をつくり、旋盤用の油の生産に乗り出した。
だが、まもなく空襲を受け、工場は全焼。次に東京・八王子の民家を手に入れたが、工場が
順調に稼動し始めた矢先に、やはり空襲で全焼してしまった。終戦の数日前のことだった。
     (中略)
 戦争が終るとすぐに、重光は油脂を大鍋で煮て、石鹸やポマードをつくり始めた。粗悪な製品
だったが、つくった側からすぐに売れていった。
 それから半年後の46年2月、東京・荻窪に「ひかり特殊化学研究所」という会社を設立した。
石鹸やポマード以外の化粧品も手がけた。商標名は「ロッテ」とした。(中略)最初の頃は飛ぶ
ように売れたが、しばらくすると、大手化粧品メーカーが生産を再開し、次第に売れ行きは落ち
ていった。
「そんなとき、辛氏にチューインガムをつくらないかと持ちかけてきた友人たちがいた。化粧品で
儲けた辛氏の金をアテにした話だったが、やってみると、これがまた、当たりに当たった。ところ
が、しばらくすると、友人たちは辛氏をのけ者にしてガムをつくり始めた。怒った辛氏は、彼らを
見返すために、自らガムの製造販売に乗り出すことに決めた」(韓国紙記者)
 こうして48年6月、ひかり特殊化学研究所を改組し、ロッテが誕生した。
     (中略)
 重光はまずハリスを目標にした。1950年3月には、その2年前に購入してあった東京・新宿区
の土地に、工場と本店を移転し、ガムの生産を本格的に開始。
     (中略)

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/26(土) 22:06:52 ID:lxKXSDZ80
>>50
 徹底した宣伝戦略でライバルを追い落とし、60年代後半にはガムのシェアの5割を占めるまで
になるロッテだが、重光は気が気ではなかった。68年末に開かれた日米合同会議で、3年後の
72年初頭からガムを自由化するとの話が持ち上がったのだ。リグレー社が日本に上陸すれば、
太刀打ちできないのは目に見えていた。(中略)
「重光氏は脅威を感じ、深い関係にあった岸信介氏にリグレー進出阻止を頼んだ」と話すのは、
政治部OBだ。
「リグレーが日本に進出する72年、関税率は逆に35%から40%に引き上げられるという事態に
なりました。岸氏の命を受けた筆頭秘書の中村正芳氏が農林省や大蔵省に強く働きかけたん
です」
     (中略)
「岸と重光を結びつけたのは町井久之(韓国名・鄭建永)です。兄貴分にあたる児玉誉士夫を
通して岸と懇意になった町井が、重光を引き合わせたのだと思われます」
 町井は戦後、愚連隊を束ね、暴力団「東声会」を結成。東京・銀座界隈では「銀座の虎」と
恐れられた。
     (中略)
「戦争末期の物資がない時代に、どうやって旋盤用の油の原料を手に入れたのか。さらには、
重光は戦争が終わってすぐに、石鹸や化粧品をつくり始めている。原料の油脂はどうしたのか。
闇物資を調達するしかない。どうもこの頃、調達に町井が介在していた節がある」(週刊誌記者)

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/26(土) 22:08:24 ID:lxKXSDZ80
『ZAITEN』 2008年1月号
連載:あの人の自宅
ロッテ 重光武雄社長
http://www.zaiten.co.jp/zaiten/200801.shtml

東京都渋谷区。代々木公園から徒歩10数分、幹線道路から脇に入った場所に、突如現れる
大豪邸。この土地の持ち主は『チョコレートはロッテ』でおなじみ、ロッテの重光武雄社長。
1955年7月に購入した土地の敷地面積は、なんと920坪にもなる。立派な門構えに白い壁、
屋根はオレンジ色と、お菓子メーカーだけあって、さながらグリム童話に出てくるお菓子の家の
ようだ。
 土地購入から22年後、77年7月に建てられたご自宅は地上2階、地下1階の120坪。しかし、
登記上の住宅の持ち主は、ロッテと本社所在地を同じくする株式会社光潤社となっている。
 このご自宅を取り囲む白亜の壁の片隅に不思議なプレートが。「少量危険物貯蔵取扱所 
第四類第三石油類A重油 最大数量1796・4?」。――この敷地の中に工場があるという意味
なのだろうか・・・。しかしインターネットの上空写真で見ると、広い庭園にテニスコートが1面
あるのみ。(後略)

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