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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 79

1 :まあ、このAAでも良いかwww:2010/07/25(日) 15:29:02
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!

出来るだけソースを出して後はお好きに!


卑弥呼さま〜〜!!
    ___
   / | \
  / / ̄ ̄\ 丶
  / /_  _丶丶
 |イ  ̄丶〃 ̄ | |
ミ||<◎>)(<◎>| |彡
ヾ ヒ(  ̄ ||  ̄ )ノ/
―⌒ヘ ノ丶ノ丶 /⌒ー
__∧ ( ̄ ̄) /ヒ__
(_) \`ニ"/ (_)


前スレ『♪邪馬台国 ドンと来い♪ 78』
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1278952027/l50


2 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 17:57:57
>>1
キモいAA貼るなボケ!

3 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 17:59:53
927 名前:次スレのご案内[] 投稿日:2010/07/25(日) 15:31:04
久々にスレたて成功したwwwwww

本スレ使い切ったら以下のスレへ

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 79
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1280039342/l50

4 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 09:10:46
このスレは
縦目仮面(名無し、なりすまし常習者)
ジョーカー
による九州説叩き用のスレです。
初心者、通りすがり、九州説論者はその辺よ〜く考えてからレスしてね

5 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 13:38:55
スレ立て乙であります。

さて世間では夏休みに入ったということで、ここのところ学生さんらしき書き込みも見られ
また常連各氏も、猛暑に拍車をかけるが如くの無限ループに飽き飽きしているでしょうから
過去スレで使われていたテンプレを引っ張り出してきました。

特にご新規さんは、現代の邪馬台国論争がどのようなものなのかを踏まえたうえでの発言を頼みます。
ループの原因となっている煽り&罵倒専門荒らしを寄せ付けないためにも、皆様ご一読よろしく。

6 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 13:39:36
:日本@名無史さん :04/12/01 12:44:12
「吉備、山陰、東部四国、丹後、河内、奈良盆地、東海、琵琶湖周辺、越、南関東など
これらの公益圏が倭国大乱(2世紀末まで)終結後に連合化して、原ヤマト連合を形成した。
(但し連合化の順番や内部での力関係は諸説ある。)」

これを3世紀の列島情勢だとする通説を採用したい。それを踏まえて
@(畿内説)この連合が倭人伝に言う倭国であり、邪馬台国連合である。
また後の大和朝廷の基礎となったのであろう。
魏への朝貢は、北九州を併合又は合併した後に行われたと考えられる。
卑弥呼は畿内纏向に居たとの説が中心だが、それ以外の土地に居た可能性も十分にある。
A(九州説)倭人伝に言う邪馬台国は、本州連合とは別の九州連合であろう。
後の大和朝廷との関連については、継続説と断絶説がある。
魏への朝貢は、狗奴国(南九州説と本州連合説がある)との対立や貿易権確保が目的である。
卑弥呼擁立時には原ヤマト連合とは合併していないとの見方が多数。
少数ながら原ヤマト連合を支配下においていたとの見方もある。
なお、卑弥呼の居館及び邪馬台国の位置は諸説ある。

なお大和朝廷との繋がりにおいては
a)邪馬台国は原ヤマト連合に滅ぼされたか吸収された。
b)九州連合と本州連合合併後、イニシアチブを執ったのが九州連合。
c)連合に際して血縁関係を結び、同族として融合化したのち派閥化した。
d)あくまで合併を拒み7世紀頃まで自治独立化した(九州王朝説)。
などが主な説であるが、畿内説論者でも邪馬台国と大和朝廷の断絶を支持する
考え方をしている者も少なくない。
また後世の壬申の乱や大化の改新などによる大和朝廷内の派閥争いの結果
記紀編纂時に恣意的な編集が見られると指摘するする動きも、九州、畿内支持に関わらずやはり根強い。
(神武東征、欠史八代、倭人伝の神功紀注釈への挿入、各天皇の即位状況、継体天皇問題
 聖徳太子と蘇我氏、物部氏の役割、藤原氏の意図など、問題は山積である)

このため単純に畿内説や九州説といったカテゴリーでは括れないのが現状である。

7 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 13:43:55
個人的には、自分もこのテンプレには少々異論もありますが
具体的にそれがどこか、またその根拠はなにか、自分の意見はどうなのかを明記することで
暑さを凌げるような快適な議論の場としましょう。

「連合などあり得ない、なぜならば邪馬台国は九州だからだ、以上」
こんなのは単なる荒らしですから。

8 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 13:46:32
一大率に怯える諸国連合はあるでしょ。「ゆるやか連合」なんて妄想するのが間違い。

9 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 13:58:28
面的な支配の実態がないって言ってるだろ。



10 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/07/27(火) 14:42:32
>一大率に怯える諸国連合はあるでしょ。「ゆるやか連合」なんて妄想するのが間違い。

当てとフンドシは向こうから外れる。
「一大率に怯える諸国連合」ねえ、
軍(一大率)を維持する為には、諸国から税の徴収が出来ていなければ維持できない。
税の納入が滞れば、軍を派遣して正す。税を徴集出来なければ軍ひいてはその王は疲弊する。
王は諸国を纏められず、卑弥呼に位を譲る。
卑弥呼は軍を持たない「ゆるフン連合」の大王である。
軍(一大率)は伊都に在し、遠くまで派遣されることは無い(そんな時代になった)。
正始元年以降の「倭王」はこの範疇に入っていない。
つまり魏は倭国を纏め、冊封する意志を持つ。
その為には、乱で疲弊していない勢力を持ち出す。これが大和政権である。


11 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 15:17:17
木器しかない畿内の野蛮人に、そんなことはできません。

12 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/07/27(火) 15:44:19
>>11
その通り、正しい。
崇神世では、鉄器が不足しているから崇神世では無い。
鉄器の充足した、景行世の出来事である。


13 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 19:25:46
さて、サイキバ君を最底辺に置くここのゴミクズ九州説の与太に付き合ってばかりもなんなんで
前スレで出てきた『北部九州の近畿系土器の受容に』ついて少し話をふっておくwwwww

『邪馬台国時代のツクシトヤマト』より 久住武雄の言

>三世紀の前半のある時期から近畿系の土器がぽつぽつと九州のほうに出てくるようになります。
 …途中略…
>そこで、なぜ近畿系土器を受容したかと言うことも問題になるのですが、事実関係を述べると、
>先ず福岡平野の一部で受容して普及します。
>それが各地の拠点的な遺跡、全ての拠点的な遺跡ではないのですが、
>拠点的な遺跡に更にそれが伝播していくという形になります。
 …途中略…
>ここで重要なのは、どうも近畿の勢力が近畿の土器を各地に直接的に土器の伝播を働きかけたと言うよりは、
>福岡平野あたりでワンクッション置いているという事実であります。

上記の事も合わせて、俺個人としては畿内が北部九州を直接的に統治したと言うよりは
福岡平野=奴国を通して間接的統治のような物をイメージしている。

逆から見れば、福岡平野=奴国にすれば東の首長連合を上手く利用して
北部九州における自身の地位をまんまとせしめた…のかもしれんがwwwww

まあ邪馬台国・卑弥呼の時代、博多湾周辺地域が半島との交易において
何処まで主体性を保持しえたのかはかなり幅を持たせて考えておく必要があると思うが。
(主体性=ゼロなら → ♪北(半島)から来た物を東(本州・四国)に受け流す〜 …的な意味でw)

14 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 19:52:08
>>13

>ここで重要なのは、どうも近畿の勢力が近畿の土器を各地に直接的に土器の伝播を働きかけたと言うよりは、
>福岡平野あたりでワンクッション置いているという事実であります。

福岡平野=奴国の一部首長集団(○○国というのはそれ自体が決して一枚岩ではない)が
吉備からの受け口になって輸入を開始したとは考えられないだろうか。
これは久住武雄の言うように3世紀前半の傾向で、この時点で例えば吉備や畿内の西征を想定するのでなく
それまで本州はおろか韓式土器すらほとんど輸入しなかった北部九州の各クニのなかで、最初に積極的に事を起こしたyというように。

この実験的な導入がわずか半世紀で北部九州一帯に広まる理由については
また別の要因も考慮せねばならないと思うが、それは今は置いといて。

ここでいう畿内系土器というのは、庄内式を指すはずなのだけど
やはり煮炊きにおいて熱効率がそれまでのどんな土器よりも優秀であったというのが
導入と普及の大きな要因ではないかと考えているのだが。

つまり政治的要素よりも経済的というか消費者目線の話だね。
その福岡平野と瀬戸内の繋がりってのは、まあ政治的な話なのだが。

15 :13:2010/07/27(火) 19:55:32
ワリィ人名間違っている。
「久住武雄」じゃなくて「猛雄」だ


16 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:03:34
同時期に畿内では保存用と考えられる東海系パレース式土器の出土が急増するのね。
これは土器だけの輸入と考えるより、それに伴うj人的移動も考慮したほうがいいのだけど
福岡平野での初期の動きというのは、まず土器そのものが輸入品であったと見て良いんじゃないかと思う。
それからわずか半世紀であちこちに、畿内系からの移住を示す集落遺跡が定着するのは
要するに経済的要因ではないかと、征服とかそんなのではなく。

北部九州に限らない話だけど、この時期に集落の全国的な再編成が相次ぐのは
要するに経済的な勝ち組と負け組に分かれてしまったということ。
交易連合に参加したところが結果的に勝ち組となったという事だと思う。

これなど北部九州をサンプルにすると、前原周辺や玄界灘東地域それに宇佐東部などが
その初期段階での勝ち組になるのだろうけど。

17 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:14:48
>>15
そのままコピペしちゃったじゃんかw

まあこの畿内系土器の導入という話にしても
福岡平野と吉備を介した大和、河内というミクロの付き合いだけでなく
日向なんかの、太平洋ルートでの畿内との従来からの付き合いとか
半島ルートが大混乱に陥ったことによる北部九州の弥生バブル崩壊とか
東海地方で起こった集落再編によるコングロマリット的クニが、畿内各地に進出してきたとか
瀬戸内商社の吉備と日本海商社の出雲が、商売のチャンスに命運かけて勝負に挑んだとか

もういろんな要因があって、その流れのなかで起こった現象の一つだと思う。

18 :13:2010/07/27(火) 20:24:45
>>16
>交易連合に参加したところが結果的に勝ち組となったという事だと思う。

九州説も九州邪馬台国を、勝ち組のグループの中に置くか
負け組みのグループの中に置くか…の二択なんだよなwww

まあ交易窓口の北部九州・玄界灘周辺を押さえられているんで
普通ならその「勝ち組」の中に見るのが順当なんだろうなwwww

以下、毎度おなじみいつもの「邪馬台国の会」にある安本と柳田の会話wwwwww

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm

■ 伊都国と女王国の位置関係

安本: 『魏志倭人伝』には、女王国は伊都国の南にあることが、3回も書かれている。
伊都国が糸島半島の国だとすると、その南の筑後平野は女王国の有力な候補であり、甘木や朝倉地域を邪馬台国の有力候補と考えている。
ところが、柳田先生の資料に「佐賀平野・筑後平野・筑豊地域などは邪馬台国の候補地どころか卑弥呼を共立した国にも含まれない」と書かれているので、甘木や朝倉は候補地ではないのか?

柳田: 考古学の立場で考えているので、初期の前方後円墳が出現していて、三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡が出ているところは候補地になる。
大願寺方形周溝墓、神蔵(かんのくら)古墳のある甘木・朝倉地域は、初期の前方後円墳が出現しているし三角縁神獣鏡も出ているので、候補地に含まれる。
文献学者は安本先生のような見方をする九州説の人が多いが、朝倉以南の筑後平野では、前方後円墳から三角縁神獣鏡やそれ以前の鏡を出すところがないので、この地域が女王国だということは考古学的には証明出来ない。


19 :13:2010/07/27(火) 20:34:38
>>18を分かりやすく言うとだ…

柳田自身は勿論、邪馬台国が九州にあったなんて考えていない。

しかし、それでもあえて九州に邪馬台国があったとするなら
初期の前方後円墳(=纏向型)が出現し、首長連合に参加していたと思われる地域がその対象になる。

…っちゅう話やねwwwwwww

20 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:35:36
アイヌと交易をはじめて、良質の毛皮が手に入ることを、そのうち畿内説では
「アイヌが江戸幕府を征服した」と言い出しそうで、いま監視中。

21 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:36:09
伊都国の南って、直感的には
三瀬峠通って佐賀大和か
北山ダム通って小城に着いちゃうんだよ。

実家糸島市、佐賀市大和町在住

22 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:41:43
>>18を分かりやすく言うと、
利権を守る柳田は畿内説を守るために、
魏志倭人伝には邪馬台国が多くの前方後円墳を造成し、
三角縁神獣鏡を魏から貰ったと載っているかのように
事実を捏造して語ったので、九州の比定地もおかしくなった、という意味。

23 :13:2010/07/27(火) 20:44:30
>>22
あ〜あ、柳田センセイもついにサイキバ君により
「悪の巨大組織キナイセツ」のメンバー入りかwwwwww

24 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:45:18
柳田あいかわらず厳しいなw

まあ交易連合とかいうと、なんか「我々はヤマト連合だ!」とか声明出してバッジつけてのりこんできたとか
そんな変なイメージ持つひともいるようだけど
そんなマンガじゃなく、要するに広い交易網と情報網を得たクニグニが持たなかったクニグニに勝ったという当たり前の話なんだよな。

邪馬台国ってのは倭国の盟主や支配国などではなく
その交易網と情報網の中継地が都会化したもので
卑弥呼にしてもそこに置かれた巫女という位置付けに過ぎないのが実情だったのではないかと。

逆に朝貢という対外的折衝のなかで、魏から下手に金印とか貰ってしまったので
ここで初めて倭国の代表国という概念と政治的メリットが生まれてしまい
例えばそれに反発する狗奴国なんかとの内部抗争が顕著化したり(俺は狗奴国=東海説で連合内派閥説)
彼女の死後にまた揉め事も起こり、結果どこかの巫女である台与にすることで一応落ち着いたとか、そんな話だと思う。

25 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:48:24
>>20
アイヌの文化が江戸城改築や江戸期の生活様式を一変させたとかはないからね。
だからそんなことは考えない。
九州がまるで変わっちゃったから、そう考えるわけよ。
ちなみにもし畿内が九州発祥のもので埋め尽くされていたのなら、当然東征や東遷を考えるよ。
ないから考えないだけで。

26 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:51:30
>>22
じゃあ柳田が主導して再評価された平原なんかも、あれ捏造なんだw
今後、陰謀論九州説は柳田の発掘成果を一切用いたらだめだよw
もちろん弥生時代に北九州が栄えていたというのも捏造なのだから、信じちゃダメよw

27 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 21:32:01
ウソとホントを混ぜてあるから、注意すればよいだけ。

28 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 21:33:57
>>25
前方後円墳と三角縁神獣鏡で、九州の生活様式が、どう一変したの?

29 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/07/27(火) 21:36:23
邪馬台国についての情報は倭人伝にしか無いのであるが、その倭人伝に記述されていない前方後円墳や三角縁神獣鏡を邪馬台国の比定地の
条件にするとはおかしな人だね〜。

首長連合というのも無理矢理こじつけた論だね〜。倭人伝によれば、倭国王卑弥呼(邪馬台国)は一大率を置いて諸国を検察している。決
して「ゆるやかな首長連合(交易連合)」とか形容されるような体制ではない。軍事力を背景として倭国内を統制している。

九州は大陸や半島の情報が入りやすく、戦乱に明け暮れる彼の地を見ていれば上記のような統制体制をとったであろうことが容易に考えら
れるのである。なかよしユルフン連合など有り得ない。

庄内式土器が近畿地方から九州に入って来たのが3世紀だという確証があるとは思えないが、仮にそうだとすれば(畿内説論者には思い及
ばぬことであろうが)それは近畿地方からの貢納だったかも知れない。弥生期の遺跡、出土物からも九州が文明先進地であり、近畿地方は
その先進地の仲間に入れて貰いたかったにちがいない というような見方もある。




30 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 21:42:54
>>28
なんでそのふたつなんだよww
それしか知らんのかw

31 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 21:51:34
>>29

>弥生期の遺跡、出土物からも九州が文明先進地であり、近畿地方は
>その先進地の仲間に入れて貰いたかったにちがいない というような見方もある。

思い及ばぬどころか、とっくの昔に検討されていますw
畿内や瀬戸内が目指したのは北九州ではなく、その先にある半島です。
半島との交易を主眼においていたからこそ、その地理的窓口として進出しただけで
別に九州の文化に興味があったわけではありません^^

ここでもよく例に出される西新町遺跡の地区別土器出土分類からも、3世紀後半には
畿内土器を使う集団、韓式土器を使う集団、九州在地系土器を使う集団とはっきり居住区が分かれており
もう2世紀までの九州ではないんですよ。ほとんどがよそ者。
そして伝統ある九州人は、どんどん隅のほうに追いやられていく。
これも武力侵攻によるものではなく、経済侵食の結果でしょう。

32 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 21:56:22
4世紀になると明らかに畿内土器と前方後円墳にチェンジする集落や
最初から畿内に影響された土器しか出ない新設集落がほとんどになるんだよな。
そのぶん中部九州が独自性を発揮し始め、南九州がさらに畿内寄りになって前方後円墳を造りまくると。

33 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/07/27(火) 21:57:40
九州邪馬台国説は、景行を無視せねば成り立たない。

この事実は縄文時代から変わらない!?


34 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:04:10
うーん畿内説の殆どは、景行を架空の人物だと考えているんだけど
唐松山はやっぱ、古い畿内説なんだなあ

35 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/07/27(火) 22:09:58
 沼津市教育委員会が発掘調査を進める前方後方墳「辻畑(つじばたけ)古墳」(同市東熊堂)が日本最古級の古墳となる可能性が浮上した。
出土した高坏(た かつき)の年代から、230年前後の築造で、纒向(まきむく)石塚古墳(奈良県桜井市)などと並ぶ古さとの指摘がある。
今秋に発掘を終える市教委は「副葬 品などの詳細が分かった段階で識者の意見を集約して判断したい」との考えだ。
JR香椎線宇美駅下車・駅前の緑道を北西方向に徒歩20分
西鉄宇美線 深町または下宇美口下車徒歩5分

光正寺古墳の概要

光正寺古墳の築造年代は、第1主体部から出土した古式の土師器で甕の制作年代が3世紀中頃から後半あり、県内の前期古墳の中でも最古期の
古墳に位置づけられます。また、光正寺古墳は糟屋郡内最大の前方後円墳であることから古墳の被葬者は、当時糟屋地域を支配した豪族
(王?)の墓と考えられます。

箸墓時代は、全国に古墳の作られる時代である。
これを景行以外では説明出来ない。


36 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:11:55
>>31
>畿内土器を使う集団、韓式土器を使う集団、九州在地系土器を使う集団とはっきり
>居住区が分かれており
畿内土器を使う集団って奴隷(生口)かもな。


37 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:13:46
>>29 蝿

…もうここのゴミクズ九州説の負け犬の遠吠えにも似たイチャモンは聞き飽きたから

だったら九州30カ国を強力に面的支配した軍事強国の存在を示す資料をもってこい
(無論、ゴミクズ九州説の脳内の「ぼく の かんがえた さいきょう やまたいこく」以外で)

…っちゅう話なんだよなwwwwwww

38 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:17:58
>>35
あれ?あんた>>12でこう書いているじゃん。

>崇神世では、鉄器が不足しているから崇神世では無い。
>鉄器の充足した、景行世の出来事である。

それと>>35の内容を合わせると、景行の実年代は230年前後という主張になるが
その頃に畿内に満足な鉄器はないよ。
それとも考古学者の考えよりさらに古く、鉄器が畿内に浸透していたとするわけ?
あちこちツギハギするだけじゃダメよw

39 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/07/27(火) 22:19:11
>>33
景行は卑弥呼の女王国とは関係ない。卑弥呼の時代は、日本の
は畿内と九州の2極に分かれていたのが真である。オマエは畿内兼九州説
というジョーカーもせせら笑う鳥とも蝙蝠ともハッキリ出来ないインチキ
であったのが、こっそり畿内説に鞍替えして益々それが露呈している。ww

40 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:19:56
>>36
奴隷のほうがいい暮らししてるとかないだろうな。
それとその後は奴隷に侵食されてご主人様たちが隅に追いやられることもないだろうね。
それとも北九州で人民革命でもあったのかな?

41 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:25:11
>>39
罵倒を書いてもダメ。私はバカですって自ら言っているようなものだから。
もっと具体的に、あなたのここがおかしいからそれは成立しませんよと書けばいい。
唐松山は単にあちこちツギハギで都合のいいところだけ持ってきているだけだし
思考回路そのものは、まず畿内にありきだろ。
まず九州にありきという君と本質的には同類なのだから、彼を見て他山の石とすればいい。

42 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/07/27(火) 22:27:10
同類じゃねぇよ。

43 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:47:37
要するに唐松山も「むてきのきないてっきぐんだん」というだけなんだなwww

44 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:58:39
>>24
>俺は狗奴国=東海説で連合内派閥説

良く東海と畿内の対立を前方後円墳と前方後方分と言う墳墓の形にも見る向きがあるが…

仮に象徴的に「狗奴国=東海説」を「前方後円墳 VS 前方後方墳」とすれば
俺が考えている「狗奴国=中・南部九州説」は「前方後円墳出現地域 VS 前方後円墳未出現地域」だなww

あと「連合内派閥闘争」に対して「連合加盟地域 VS 連合非加盟地域」とwwwwwww

それと
>ここで初めて倭国の代表国という概念と政治的メリットが生まれてしまい

…と言うのはどうだろう?

卑弥呼共立の前にもめていた時点で「対外的な代表者」と言うことは織り込み済みだったのではないかと…

倭国内の内政においては別に協議制でも良いが対外的な代表者となると一人に決めなければならない。
故にもめたとか?

45 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:59:44
畿内と九州勢力しか語れないのは、モノの見方が偏っている。
日本海側を中心に、日本の広い地域を支配していた出雲族の存在を忘れてはならない。
倭の五王、安東将軍は、九州でも畿内勢力でもないのだ。

46 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:03:22
よりにもよって、日本武尊の逸話並みに信憑性が低い景行記を元に考えるなんて、唐松山は終わったな。

47 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:10:20
景行はそれこそ
西都原と完全シンクロだろ
4〜5世紀だよ

48 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:23:07
そもそも「生目」の地名の由来って何?

垂仁の「活目」「伊久米」に関係ある?

49 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:25:24
日本の地名は、由来がわからないのが普通。

50 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:29:48
>>44
狗奴国をどこに比定するかというのは、そのまま当時の倭国の姿に直結するから、本当はその話をやりたいのだけどちょっとスレ違いっぽいので
もう少しあとでやりましょう。
それにしても

>「狗奴国=中・南部九州説」は「前方後円墳出現地域 VS 前方後円墳未出現地域」だな

この発想はなかったから驚いた。詰めて議論したいと思う。

ここではまず先にこっちを

>倭国内の内政においては別に協議制でも良いが対外的な代表者となると一人に決めなければならない。
>故にもめたとか?

まず各クニの首長に『倭国』という概念があったかどうかだと思うんだ。交易連合への参加動機はやはり我がクニの壕駅と発展だと。
だから朝貢するまではどこの首長も、俺のところが一番みたいな感じで、宗教やら墓制などを統一しようとか考えて買ったように思う。
それがどうやら半島経由で大陸(魏)と優先的に商売するには、どうやらクニではなく国じゃないと駄目らしいと判ってきた。
そのあたりがいわゆるオウではなくオオキミが必要となった理由で、当然誰がなるか揉めたとw
このあたりは想像なんだけど、俺には各クニのオウたちが、どこかの巫女を本気で崇めていたとは思えないんだ。
そこまでの宗教観の共有が果たして2世紀末あたりで、有力なクニに浸透していたのかどうか疑問でさ。

51 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:30:00
http://www.jiki.jp/blog/?p=4105
生目神社の由来だって
湧き水にホウ酸(今でも目薬に使われる)が含まれてる
他地区の地名とはまったく関係がなさそう

52 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:31:47
すまん>>50は誤字脱字だらけだ。
いちいち訂正しないが、意味を汲んで下さい。今夜はもう寝る^^;

53 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:37:10
「クニ→国」の概念の発生は邪馬台国時代のずっと前だと思うぞ
縄文の人びとが皆原日本語を使い
そうではない言語圏の人間たちと接して
「倭人」と呼ばれた
そこで「倭語」共通言語圏としての「国」みたいな概念が生まれたんだろ

54 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:46:48
「漢委奴国王印」の金印が1世紀
この頃すでに北九州は朝貢をし
この印を授かった自分らが「倭」という地域の「奴」のクニだとうことを認識していたわけで
「倭」という地域が「倭人の国」だという認識は
すでにこの頃からあっただろう

55 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:47:51
3世紀は、都市国家=首長国と、その上位概念、首長国連邦=倭国があったのだろう。
倭国や各首長国の構成員はもちろん、倭人。

56 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:08:31
>>53
のいう通りなのだけれど、ひとつだけおかしいところがある。

>そこで「倭語」共通言語圏としての「国」みたいな概念が生まれたんだろ

それもクニだよ。地方単位の中小のクニと
それらを民族や言語で大まかに分類したものもやはり大きなクニなんだ。

ヒエラルキーとか体制の有無だとか王制とかがそこにあると、国(国家)になるのだけど
クニの概念はかなり広いというか曖昧で、小集団でもムラではなくクニになり得る場合もあるしそうでない場合もある。

57 :44:2010/07/28(水) 00:47:06
>>50
狗奴国の比定と言うのはスレ違いじゃない、
と言うより邪馬台国スレ以外でやるのが不味いだろうと思うがwwwww

卑弥呼共立時に果たして対外的な代表者という概念があったか否か?
…と言う問題について言うと

先ず前提となる認識で、卑弥呼共立に至った所謂「倭国大乱」
その地域や時代、規模はイマイチはっきりとしないが
(佐原編年の年代観もこれで結構エライ目にあっているわけやん?www)

後漢の威光をバックにした北部九州がその後漢朝の衰退滅亡と共に
勢力を無くしその事に端を発したのは間違いないだろうと見ている。

その支配体制が崩れ去った後、騒乱に加わった勢力は当然
「次のキング・オブ・キングスは(大陸との)対外的な代表者になる」
と言う認識は持っていただろう。

無論「対外的代表者」と言っても外界と隔離された環境にあるような
ヒキコモリの不思議系ネエちゃんだかオバちゃんが外交をやったって話じゃなく
あくまで名義上の代表者(=傀儡)で実際の実力者はその背後にいたってシナリオなwwww

58 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 01:20:05
軍事的な覇権意欲満々の国々が「倭国大乱」を起こして、兵士を消耗し尽くしてどの国も疲弊し、
ついには、覇権意欲のまったくない女王国の卑弥呼を指名して、首長国連邦=倭国のトップに据えたというオチ。

59 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 08:16:44
北九州諸国は、後漢時代、倭国の中枢の国だという自負心をもっていただろう。
だから、中国地方の出雲、安芸などに勢力をのばし、また、中九州、南九州をも
うかがったのではないかな。ところが、中、南から反撃をくって、事実上、敗北
してしまった。それが倭国の乱だよ。
北は負けたから一大率の厳しい検察に服さざるを得なかったんだ。中国地方は本
家が倒れて基盤を失い、ふらついていたってことだろうな。

60 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 09:59:02
>>31
>半島との交易を主眼においていたからこそ、その地理的窓口として進出しただけで
別に九州の文化に興味があったわけではありません^^

無料で港が使用できるとでも思っているのかね。
また、港界隈の土地が無料で使えると思ってるのか ?

61 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 11:27:49
軍事面でもう少し考えてみよう
邪馬台国時代の軍事力
・銅剣、銅戈
・盾
・矢(銅)
移動⇒歩行(歩兵)
船 ⇒準構造船?または手こぎ船(丸太船)

大きな河川に橋はあったのか?その場合は軍はどうしたのか?
畿内説廚は、邪馬台国が弥生前期・中期は銅鐸分化であること
を忘れていないか?
準構造船は鉄文化でないと、作れないので、畿内の当時の河川
の移動は丸太船だろ

机上の空論でなく、現実的な議論をしないと何も始まらないよ

62 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 11:49:04
>>61
お前が現実と向き合えよwwww
>>59はお前の妄想だろ
>>60は文章すら読めないのかw

63 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 12:39:34
弥生時代の古墳から出土する鉄器は、北九州が圧倒的で
奈良盆地からは「0」です。

畿内廚は吉野ケ里が発見されるまでは、九州廚がどんなに
頑張っても、九州からは環濠集落跡はでていなので、環濠
集落のある畿内との認識(安心感)があった。

ところが、吉野ケ里が発見され、倭人伝さながらの環濠集落
だから、大慌てで、次の安心できるものを、未だに必死で
探している(なんでもいいからこじつけようとしている)

不比等が作為的につくった記紀を穴があくほど、勝手に解釈し
必死の状態が、現在の状況かな・・・

64 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 12:46:12
>>63

こういうレスを素人が真に受けて、6年もスレがループするんだな。

65 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 12:59:36
ていうか>>63が、核心を突いてしまったな。
話はここからだ。

66 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 14:04:42
サイキバの自作自演か

67 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 14:10:44
>>63
>弥生時代の古墳から出土する鉄器は、北九州が圧倒的で

「弥生時代の古墳」って、具体的にどこ?

68 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 14:25:48
弥生時代だと前方後円墳は少なそうだな

69 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:03:40
突っ込むところが違うだろ。
古墳から出たもの以外でも、九州の鉄器が圧倒してるんじゃないか?

70 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:07:53
少ないも何も、前方後円墳が造られたなら、そりゃ古墳時代だわなwww

71 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:10:50
>>67

鉄斧の破片も含む では以下のところ

福岡県前原市石崎曲り田遺跡    福岡県太宰府市吉ヶ浦遺跡

福岡県北九州市中伏遺跡    福岡県北九州市馬場山遺跡

福岡県行橋市下稗田遺跡    福岡県嘉麻市八王子遺跡

福岡県築上郡新吉富村中桑野遺跡   福岡県小郡市一ノ口遺跡T地点

福岡県小郡市三沢北中尾遺跡1地点  福岡県小郡市北松尾口遺跡

福岡 6 まだあったけどもういいや。
京都 3 大阪 3 山口 3 広島 1 もあったな。


72 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:13:10
やっぱり日本語を理解できないらしい

73 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:21:44
>>71
古墳じゃないぞwww

74 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:22:50
>>70 >>72
なんで前方後円墳にこだわっているのか知らんが
自分の考古学のレベルが低いのを、たかだか前方後円墳
の時代認識なんかで、人を笑うな

75 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:29:11
>>74
>弥生時代の古墳から出土する鉄器は、北九州が圧倒的で
奈良盆地からは「0」です。

逆ギレかよwww

76 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:45:50
うそだろ
>>75みたいなレベルの低いのが、畿内廚なのか?

77 :ローガン:2010/07/28(水) 15:49:41
>>74
>たかだか前方後円墳の時代認識なんかで、

でも、その発生の「時代認識」って結構ポイントなんじゃない?
ちなみに原田大六は平原一号を弥生古墳だと言ってましたね。

78 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:54:50
毎度おなじみ九州原理主義者による自爆テロでございます。

79 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 16:02:03
とりあえず、前方後円墳の出土物は
ほとんど古墳時代以降と判断して良いのかな。

あとは円墳、方墳か。

80 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 16:07:18
前原の平原遺跡は、方形周溝墓と、円形周溝墓だな。
弥生で問題ないだろう。

81 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 16:13:09
>>80
九州での方形周溝墓の開始は4世紀頃とみる説もあるけど

82 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 16:16:31
吉野ヶ里は文句なしに弥生時代で
鉄器も大量に出土している。

木製鍬先に取り付ける鉄刃アタッチメント式は
見てて面白い。

83 :ローガン:2010/07/28(水) 16:44:13
>>31
>もう2世紀までの九州ではないんですよ。ほとんどがよそ者。 そして伝統ある九州人は、どんどん隅のほうに追いやられていく。

九州没落の原因の一つに海退による港の機能の低下が有るのでは?
原の辻→糸島航路が実質、博多湾に取って変わられたと。

84 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 17:44:59
伝統ある九州人はとっくに畿内に入り込んで、銅鐸をぶち壊して
移住を完了しています。

尾張にも進出しており、のちの天武の旗揚げに協力しています。

85 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:01:28
まあ「弥生時代の九州の古墳」なんてのはサイキバレベルのご愛嬌だが…wwww

>>61
>準構造船は鉄文化でないと、作れないので、畿内の当時の河川
>の移動は丸太船だろ

河川なら丸太舟でいいとも思うが…
正直に言って畿内に準構造船が無かったと言うのは初めて聞いたw
(「我が国における準構造船も九州起源!」ってお話なのか?)

準構造船なんて基本的に刳船の延長上だと思うが?
…ひょっとして鉄製の釘や鎹(かすがい)の使用をそ考えているとか?

鉄と準構造船の登場の関連をもう少し詳しく説明してもらえないだろうか?



86 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:09:53
>>37
>九州説の負け犬の遠吠えにも似たイチャモンは聞き飽きたから
>だったら九州30カ国を強力に面的支配した軍事強国の存在を示す資料をもってこい

なんだこの下品なおっさんは!ひとをゴミクズ呼ばわりできるタマか?
聞き飽きたとはなんだ!!反論出来ないでタワゴトばかり言っているから何回でも問われるのだ。バカめ!

面的支配だと?面的という言葉もちんけだな。邪馬台国の支配体制とは政治的なものだ。その体制の一端は
「其犯法 輕者沒其妻子 重者滅其門戸 及宗族尊卑各有差序 足相臣服 收租賦 有邸閣 國國有市 交
易有無 使大倭監之 自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」と
いう倭人伝の記述にも見える。この資料で十分だろ。


87 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:28:35
>>86 ゴミ蝿

文献から自身が考えた支配体制を証明するに元の文献によるしかないと言う
アホ丸出しw

所詮ゴミはゴミwwwww

「九州は弥生時代、半島大陸からの文物を逸早く取り入れた先進地域」と考古資料をもって力説しても
肝心のてめえが妄想している混乱後の新体制秩序を構築したような形跡を示す考古資料は出せない。

結局「すなお読み」に逃げ帰るしかないwwww

「すなお読み」に始まり「すなお読み」に終わるのがこの板のゴミクズ九州説wwwwwww


88 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:41:39
畿内説は詐欺をベースにしてるから、話しこむだけ無意味。

89 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:42:32
>>63

吉野ヶ里ブームが巻き起こったのが80年代終わり頃だったか?
そして90年代に入って近畿でも池上曽根とかが出て来て
大型建物(東西両端に棟持柱を持つ高床式建築物)は吉野ヶ里をしのぎ

今、大型環濠集落を畿内や九州だけに求めるアホはいない
…ここのゴミクズ九州説のようにアタマの中が80年代でストップしているような連中は除いてwwwww

吉野ヶ里の所謂3点セット「宮室・楼観・城柵」なんて考古学的に定義された物でもなく
ぶっちゃけマスコミによって喧伝された「キャッチコピー」だw

とは言えやっぱり目に見える形で集落が再現されていると言うのは大きい
(邪馬台国ブーム様様だなw)

今でも多くの日本人にとって環濠集落と言えば吉野ヶ里で
そのイメージの延長上に邪馬台国九州説があるのは間違いと思うwww


90 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:43:52
畿内説詐欺師は、相手をコミクズとしか呼べないのか?

91 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:44:49
我が国から大陸へのルートはおそらく一つ切りしかない。北九州から韓国
を経て帯方郡に到るルートである。
これ以外のルートは、現在の所まだ確認されていない。このルートによる航海でも、
距離は数十キロと短いが、当時にあっては大航海だったのである。

弥生前期は、少なくとも畿内は銅鐸文化で、丸木舟かまたは丸木舟を
つないだ程度のものでしかない。

外洋船用の準構造船は、鉄文化の出現を待たなければならない。
邪馬台国当時、北九州は、既に鉄文化で韓半島との交流はある。
北九州の古墳から出土している(中国製鏡、絹等)。
畿内からの出土はない。
従って、畿内から、韓半島へ行くとはとても考えられない。

畿内廚の頭の中では可能でしょうが。


92 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:48:38
>>90
一応リアルでの九州説と、ここの九州説と言ってもその中身は「邪馬台国東遷説」や「九州王朝説」の類とを
峻別する為の方便だなw

ここのゴミクズとリアルの九州説を一緒にするというのは
いくらなんでも気が引けるww

言わば良心から来たものなんだよwww


93 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:50:31
>>91
机上の空論でなく、現実的な議論をしないと何も始まらないよ

94 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:55:27
宮殿・楼観・城柵、それに鉄と絹は九州だな。

畿内は宮殿だけか。


95 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:56:20
>>91
>丸木舟かまたは丸木舟をつないだ程度のものでしかない。

それが準構造船なわけだが?www
(一本の丸太をくりぬいた物では(横幅が)小さいから何本かの木を合わせる)

準構造船の出現と「鉄文化」とやらの関連については
何の説明も持たないアホレス。

頑張って長文にしているがサイキバ君かな?




96 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 18:57:42
吉野ヶ里や筑後地方の出土物では
弥生中期には、農具にまで鉄が使われている。

重要なものではあっただろうが、
権力者が独占するほど希少なものではないことが分かる

97 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 19:07:24
>>95
人間は、自分の理解の限度を超える存在が出てくると、それを
ひとくくりにしたり、変なネームをつけて自分を安心させようと
し、自分の存在や持論を安定させようとする。

あなたはその典型的な畿内廚ですな

98 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 19:09:47
ちなみに木工技術で言えば例えば木材に「貫穴」を施した例なんかは
纏向より更に昔、既に縄文時代の富山県桜町遺跡に見られると言うw

一体「鉄文化」の下でしか成しえない準構造船を作るための技術とは一体何なのか?

果たして>>91の脳内にはきちんとその答えがあるのだろうか?wwww



99 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 19:10:02
外洋船用の準構造船は鉄で細かく木材を細工しないと、建造できない。
それくらいは、わかって下さい。

100 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 19:16:58
>>99
これまた答えにもなっていない漠然とした能書きだなw

「細かい細工」? 

一体船のどの部分でそれがどのように外洋航行に利するのかな?

言っている事に具体性がまるで無い、やり直しなさいw

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