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歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ23

1 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/04(日) 21:45:07
おまんたせ

おなじみの23弾

いろいろは>>2-10あたり

前スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1266585763/l50

2 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/04(日) 21:45:55
歴史学博士の俺様があらゆる質問に即答するスレ
その1 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1049211873/
その2 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052236771/
その3 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053783706/
その4 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1054302336/
その5 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1055591123/
その6 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1061647300/
その7 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1063475997/
(歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ)
その8 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1064764029/
その9 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1067836556/
その10 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1070454990/
その11 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1073476763/ 



3 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/04(日) 21:48:15
(歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ)
その12 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1076091673/
その13 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1078829867/  
その14 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1082145556/
その15 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1092484626/
その16 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126539439/ 
その17 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126539439/
その18 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143148404/
その19 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1165096616/(前スレ)

html化済み分
その1 http://academy2.2ch.net/history/kako/1049/10492/1049211873.html
その2 http://academy2.2ch.net/history/kako/1052/10522/1052236771.html
その3 http://academy2.2ch.net/history/kako/1053/10537/1053783706.html

緊急避難所 歴史難民板
http://gimpo.2ch.net/nanminhis/

スレの主旨や他の質問スレとの違いなどについては、
幸いに専用のスレがありますので、こちらのリンクをどうぞ

停止の理由を教えてケロ@日本史板
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sakud/1064487159/



4 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/04(日) 21:51:08
■◇■ 本スレのお約束 ■◇■
1.自作自演と言われても泣かない。
2.自作自演がバレても泣かない。
3.高校生の参加はほどほどにして、学校の勉強をがんばる。
4.大学生の参加はほどほどにして、学校の勉強と就職活動をがんばる。
5.他スレの人集めにはいちいち反応しない。
6.AAは厳選して面白いものを貼る。
7.煽り・叩きはできるだけ工夫する。
8.伸びそうなネタはみんな大事に扱う。
9.質問には誠心誠意答える。。
10.面白くない煽り・叩きは完全放置で。

○●○ お馴染みの話題 ○●○
1)本能寺の変の黒幕は?
2)昔の○○は今の貨幣価値に換算するとどれくらい?
3)姓と名字と家名の違いは?

>>過去スレへ



5 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/04(日) 22:11:26
866 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2010/06/10(木) 20:28:52
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi06/chi06_03890/chi06_03890_0155/chi06_03890_0155_0001/chi06_03890_0155_0001.html

これは幕末の手紙だけど読んでみて
1868年8月に勝海舟が小松帯刀に送った手紙だ
大学院博士課程にいた者なら当然読めるはず

874 名前: 歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs 投稿日: 2010/06/11(金) 19:15:39
>>866
2行ぐらいずつ交互に読めばいいのかな?
「史学雑誌」を知らない人と

一翰拝呈当年も最(=ウ冠に取)早
半ヲ過候而時下秋冷相催
候所

どうぞ


6 :日本@名無史さん:2010/07/05(月) 09:38:43
武陽隠士の知ったかぶりは異常

7 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/05(月) 21:24:30
その20 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1229750631/l50
その21 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254816203/l50
その22 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1266585763/l50

8 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 00:16:28
天皇や朝廷の権限や立場が一番弱体化したのが江戸時代だと言われていますが、
なぜ幕末に尊王というムーブメントが起こったのですか?
幕府の力が弱体化したというのがひとつの要素としてあると思いますが、
他に何か理由はありますか?

9 ::2010/07/07(水) 20:07:51
博士ではないけど、朱子学の影響もあるのでは。結局は幕府が治政に利用したけどそもそも朱子学では将軍なんて卑しい訳で。

10 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 21:33:06
クルセーダー

11 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 01:51:46
酒井雅楽頭っていう殿様はどんな人だったんですか?悪い人だったんでしょうか…教えて欲しいです。あと酒井は三本刀みたいな変わった家門ですよね?家門の意味とかも出来れば知りたいです

12 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 07:28:13
徳川宗家16代家達公が男色好きだったのは有名ですが、その相手をつとめた男性たちの
名前は伝わっていないのですか?
さすがに武門の棟梁なりし家柄だけのこと、これありと感心させられる限りぢゃが、
他の大名諸侯華族でも衆道を愛好した人々は少なくなかったはず。
どんな人々が男色華族として著名でしょうか?

13 :日本@名無史さん:2010/07/09(金) 17:32:24
替地は何を目的としてやるのでしょうか?

14 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 08:51:41
>>12
ゑ?

15 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 10:11:21
摂政や関白は常時いるわけではなく必要に応じて置かれる役職だけど、
太政大臣や右大臣、左大臣はどうなの?
どの時代にもいる(いた)のですか?

16 :日本@名無史さん:2010/07/11(日) 11:49:59
本日、歴史検定試験日本史3級を受けました。
小学生らしき受験生もいましたが、この試験の1級なら自慢できますか?

17 :日本@名無史さん:2010/07/11(日) 15:20:36
2級の日本史、凄く難しかった。
1問1分で解くなんてレベル高いのでは?

18 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/11(日) 18:37:16
>>8
尊王論【そんのうろん】
幕末に盛んになった,天皇を崇敬する思想。儒教的名分論から
「大日本史」などで主張され,幕末には,対外的危機意識を背景
に国学・水戸学を通じて夷狄観と排外思想として結びつき,尊王
攘夷思想の形で一体化し下級武士などに広がる。逆に天皇を
相対化して見る観念は諸大名の意見書などに一般的で,_戊午
の密勅も諸藩は形式としては受け取り,実際には拒否した。形式
としては拝命し,実行するか否かは現実的に判断するのが幕末
の尊王論である。雄藩は天皇の権威が政治的に有用であった
ことから尊王論を強化したが,摂関制を廃し,天皇親政を国家論
として主張する討幕派の構想は,当時の尊王論としては異端的
な構想であった。

文字通りの尊王ではないのよ

19 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/11(日) 18:43:10
>>11
複数いるから答えようがない

>>13
いろいろ。
たとえば、老中就任に伴う転封、に伴う石高調整。江戸賄い料の調整など。
藩が江戸周辺に領地を欲しがって幕府に働きかけて成功し、
その分をどこかの領地を減らされたりする(江戸周辺に増、どっか減)など。

20 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/11(日) 18:46:37
>>15
明治以前と以後に大別されるけど、
太政大臣は常設ではない。左大臣・右大臣は常設だけど欠員の場合あり。

>>16
今後次第。定番になるかどうか。現時点では知らない人が多いのでは。
クイズ番組の影響もあって漢字はみんな知っているけどね。

よっしゃこい

21 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 06:15:49
江戸時代に庶民の間で伊勢参りが流行しましたが、
伊勢から遠いところ、例えば東北や九州からも人は来たのでしょうか。
あと、江戸時代は今以上に方言がきつかったと思うのですが、
伊勢参りの庶民は苦労しなかったのでしょうか。

22 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 14:26:30
江戸時代から明治新体制、さらに廃藩置県になって、それまで藩邸があった土地などは、誰の所有地になったのでしょうか?


23 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 16:19:56
国・県の物になった部分と、旧藩主所有になった部分とに分割されました。

24 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 16:37:26
皇族や公家のことを「宮家」とか「宮さま」と呼ぶことがありますが、
この場合の宮とは何を指すのでしょうか?

25 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 21:51:19
時代劇の乱闘シーンとかでヤクザの親分は町人姿の子分には
「おめえたち、やっちまえ」とかぞんざいな口調で命令してるのに、
武士の格好をした用心棒には「先生方、お願いします」と敬語を使う。

下級武士くずれの子分の場合、親分はどう接していたんだろう?
用心棒は客分で「先生」だから、それに対する言葉遣いはわかる。
しかし、兄弟または親子の杯を交わした場合、
どんな風に親分は子分や弟分に語りかけていたのか?

まして、次郎長の代貸たる大政は次郎長より年長だし・・・

26 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 22:01:24
>>24
「宮」はもともと天皇や皇族が住む宮殿を指す。
転じて宮に住む皇族を宮さまと呼ぶようになった。
「殿さま」の「殿」が建物を指すのと同様。
「宮」の語源については住みかを著す「家(や)」に
丁寧語の「御(み)」を頭に付けた説があるが詳細は不明。

27 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 22:20:37
>>26
ありがとうございます


28 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 13:44:27
律令制の国衙と国府って何が違うんですか?
辞書を見てもよくわかりませんでした

29 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 17:05:06
勝海舟が行った、長州征伐の具体的な和解案はどのような内容だったのでしょうか?
ドラマなどでも、勝海舟が停戦交渉を行う一方、慶喜は停戦の勅命を引き出し、時間稼ぎに
利用された事はよく描かれていますが、実際の停戦の協定の内容までは触れられていません。

30 :日本@名無史さん:2010/07/14(水) 00:30:47
江戸時代の将軍が日本を統治するのと平成の時代の総理大臣が日本を統治するのは
どちらが難しいと考えられますか?

31 :日本@名無史さん:2010/07/14(水) 01:28:05
おそらく平時なら、徳川将軍の方が統治は楽でしょう。
なぜなら家光以降通常の場合、将軍は政治に携わることはありません。
家継までは側用人、それ以降は老中が決断を行い、将軍は承認を行うのが職業となっていました。

32 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/14(水) 21:57:30
>>21
東北からも行きます。
少なくとも村役人層はいろんなところに旅行にいきます。参詣・湯治・観光。
村役人層は商人的側面を持つ場合が多いので、経営的な素養として必要なので、
家督を継ぐ前に旅行に行くのは一般的です。修業的な意味も込めて。

小前層は、出稼ぎや奉公で都市に出るのは一般的なので、他地域の人々と
交流するのは珍しくないと思います。東北なら江戸に出るのは珍しくも何ともないですからね。

東国の人にとって伊勢は遠いので、講を組織してお金を積み立てて、
クジで当たった人が参詣したりします。
でも、豪農の子弟だったら、単独で参詣に行きますよ。

また、参詣先には、地域や村ごとに馴染みの宿や御師がいたりします。

よっしゃこい

33 :日本@名無史さん:2010/07/14(水) 22:16:21
よくあの時代の天皇や将軍はお飾りであり、実際の政治は○○らが取り仕切っていたと
いう話があるが、天皇や将軍の意思は微塵も反映されたりしないのか?
いくらなんでもそんなことはないと思うんだけど、実際どうなの?


34 :日本@名無史さん:2010/07/14(水) 22:45:31
将軍の場合は、原則として側用人または老中の決定に従い、これを承認しました。
しかし、意志に沿わない場合は承認を与えない場合もありますし、
取るべき処断について希望を告げる場合はあったでしょう。

特に、世継ぎ問題や幕閣人事について、将軍の意志が影響を与えた、
または将軍の意思を騙って政敵を葬った例は
(将軍重病後、死亡発表までに行われた「松平定信による田沼派粛清」など)
いろいろあるようです。

朝廷の場合は、王政復古までは摂関制があり、この場合も天皇親政とはいかなかったようです。

35 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/14(水) 23:00:29
>>28
律令制下の各国の官衙(役所)が国衙、官衙の回りに計画的に作られた都市が国府。
国衙=「役所そのもの」、国府=「役所のまわりの都市」。
ちょっと古い理解かもしれないが。

よっしゃこい

36 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/14(水) 23:19:48
>>29
雄藩諸侯による合議政体かな?
政策決定権を合議体に移すという点で慶喜と対立

よっしゃこい

37 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 00:34:07
坂本竜馬の有名な「船中八策」で、○○○これを統治し〜という文言がありますが、
この○には何が入る可能性が高いのでしょうか?

38 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 00:48:17
織田信長が幼少時〜若者時代にうつけ者扱いされていた逸話について博士はどう思いますか?
@本当にうつけ者だった。
A周りの目を撹乱するための高等戦術だった。
B本当はうつけ者扱いなんてされてない。後世の捏造。
Cその他

39 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 01:22:58
>>37
何も入らない。
大政奉還は坂本龍馬にとって、

1.対薩摩
・薩土盟約締結に向けた薩摩への手土産として、幕府を日本国政府の地位から引き摺り下ろす手段
2.対徳川慶喜
・慶喜の構想する、幕府に代わる新政府(一会桑+諸侯)へ、土佐が積極姿勢であると徳川慶喜に印象付ける道具

としての2面があった。

1については、幕府の地位を引き摺り下ろすための空証文とはいえ、
その中で徳川慶喜の盟主就任をそそのかした、という証拠はないほうが望ましい。

2については、徳川慶喜は自分が盟主になることしか考えていないので、
自分以外が入るとは思わない。

だから何も書いていない。ただ、徳川慶喜が勝手に自分の指定席だと思い込むように書かれている。

40 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 12:40:06
祖父がなくなったので遺品の整理をしていたら、
ダンボール2箱の古文書が出てきました。

家系図やら手紙のようなものが入っているのですが、
我が家に古文書が読めるような者は居らず、
手紙の内容はもとより、価値があるものなのか、
そうでないのかすらわかりません。

家族でどうしたものか。と困っています。
どのように扱うのがいいのでしょうか。
よろしくお願いします。


41 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/15(木) 13:29:16
>>40
今は時間がないので、夜に改めて書きます。

価値がないとかはありません。価値は必ずあります。

42 :40:2010/07/15(木) 16:22:39
よろしくお願いします。

後だしですみませんが、
手紙のようなものの他に、ガラスのお侍さんの写真、
厨子に入った修験者のような格好をした20cmくらいの木像、
巻物や本、武士っぽい人の絵、
なども出てきました。

特に、木造は一般家庭に置いておくのも
どうなのか。と悩んでいます。

43 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 17:55:06
昔の刑罰で死罪になると、死体の埋葬や弔いも許されなかった。と有りますが、
その遺体は誰が処分するのですか?また、葬式や位牌を仏壇に祀る事も出来なかったのですか?

44 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/15(木) 21:54:59
>>40

1)地元の市区町村の教育委員会に連絡し、教育委員会の
文化財担当(さらにその中の古文書担当)のところに回して
もらって相談。この場合に受け入れとなれば、その資料の
収蔵先は、市区町村立の博物館・文書館・資料館的なところ。
そういう施設は教育委員会の管轄。

問題は、その担当者が馬鹿だったり、古文書の知識がない素人だったり、
やる気のない世捨て人だったりする場合がある。
そういう人に当たってしまうと、この史料は価値がないのかあと勘違いしてしまいがちだが、
その担当者の問題であって、史料とは無関係と考えるべき。

博物館に直接連絡してみるという手もあるが、最初は教育委員会に連絡し、
博物館に電話するように言われたら、そのようにすればよいと思う。

つづく

45 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/15(木) 22:11:09
>>44 つづき

2) 史料などを受け入れてもらう場合、

・寄託(所有権はあなたのまま、保管場所がその博物館というだけ)
・寄贈(あげちゃう、所有権もその博物館に移す)

の違いがある。

あなたの好きなようにすればよいと思うが、個人的には寄託を勧めている。
どこかの博物館の展示に使われたり、論文にその史料が引用されたり、
図録に写真が掲載されたりすれば、「○○氏所蔵文書」とかと名前が出るからだ。
もちろん、本人が望まなければ、名前を出さないこともできるし、展示に使うなとか、
本に載せるなと言うこともできる。持ち主だからw

あげるのはいつでもできるのだから、最初にやらずに、ゆっくり考えてもいいのでは?と思い寄託を勧めることにしている。

館によっては、いろいろ言って寄贈を勧めるところもあるので注意が必要。悪気はないと思うけど。とりあえず・・・とか、ゆっくり考えますとか、親族会議を開きますとか言えば大丈夫でしょう。

2年とか3年とか寄託契約を結び、それを更新していきます。ちゃんと契約書を交わします。

つづく


46 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/15(木) 22:32:43
>>45 つづき

3) 
・教育委員会の文化財の古文書担当に電話
・祖父の遺品から古文書類が出てきたので、寄託先を捜してる
・そういう施設があるなら紹介しろ(誰宛に電話すればいいのかも聞く)



・紹介先に電話(市区町村立の博物館か資料館)
・寄託したいと相談

以上とは別ルートなんだけど
・県立文書館という手もある。教育委員会も馬鹿で学芸員も馬鹿な場合はこれ。
・同じように、県立博物館という手もある。

市区町村ルートが馬鹿だったり、時間がかかりそうな場合は、都道府県立博物館・文書館も視野に。

つづく


47 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/15(木) 22:39:24
>>40
あれ? ちょっと誤読していたみたい

すいません。書き直さないといけないですな。
預けるという話じゃないですね。
申し訳ない。

48 :40:2010/07/15(木) 23:03:31
ああっ。
預けるです。預かって欲しいです。
誤読じゃないです。


49 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 23:31:46
名の知れた人物ならともかく、庄屋クラスでは古文書にほとんど値は尽きません。
町の歴史愛好家にでも診てもらった方が役に立つと思いますが・・・

50 :40:2010/07/16(金) 00:14:12
まとまりのない文章、連投ですみません。

出てきたものは売るつもりではなくて、
誰かの役に立つなら、引き取ってもらって貰うなり、
預かって貰うなりしたいのです。
家にあっても、もてあますだけなので。

最近、「武士の家計簿」を読んだのですが、
私にはよくわからないものでも、
研究されてる方などには、もしかしたら価値があるのかも。
と思いまして。




51 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 00:31:09
>>38もよろしくお願いします

52 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/16(金) 00:45:22
>>48
じゃー
・市区町村の教育委員会に連絡、相談(取扱方を相談したい、あるいは寄託先を捜している云々)
・市区町村立の博物館、資料館を紹介してもらう。学芸員やアーキビストを。そこでまた相談(取扱方あるいは寄託先)


まじめに活動しているところなら大喜びで受け取って預かってくれるよ。
手が空いている日なら、午前中の電話で、午後飛んでくるとかのレベル(所蔵者の気が変わらないように)


※しかし、今は博物館運営は民間委託をしている場合がある。それだと断られるかもしれない。
その博物館の学芸員が、民俗学の人しかいないとか、考古学の人しかいないとかもあるからね。
学芸員の反応だけで史料の価値を判断しても駄目ですよ。


都道府県立博物館、都道府県立文書館を紹介してもらう。都道府県立なら一応は機能しているはず。 ← でも都は駄目なんだけどw
区がしっかりしている

53 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/16(金) 00:55:47
>>49
郷土史家や歴史愛好家は、「○○郷土史会」「○○地方史研究会」
みたいなサークルを作っていて、その幹部が自治体の文化財関係
の委員になったり、博物館の行事(見学会や古文書講座)なんかに
協力するのよ。つまり、教育委員会と協力関係にあるのよ。

そういう適任者がいれば、教育委員会や学芸員が史料を見に
来るときに一緒に来るよ。郷土史家の人も。

よっしゃこい

54 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/16(金) 01:09:34
>>38


うつけのネタ元は信長公記だろうから、信長本人を知っている人々が存命中に
広まった話なんじゃないのかな? だから3じゃない

有名人の若いときの武勇伝みたいな話じゃないの

ただし、同時代人に比して、仏教や迷信を信じないとかちょっと変わっていた面はあったとは思う。

よっしゃこい

55 :40:2010/07/16(金) 14:53:59
ありがとうございます。
早速、電話・相談してみます。

何か面白い発見があれば嬉しいですが。何が書いてあるのか楽しみです。
詳しく丁寧に教えて頂いて、本当にありがとうございました。

56 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/16(金) 19:39:28
教育委員会の人、博物館・資料館の人は中味を見る専門家じゃない場合が多いから、
すぐにどういう史料か答えが出ないことも多いですよ。

普通は、地元の史料の散逸を憂慮しているので、親身になって相談に乗ってくれるし、
預かってくれますよ。

ただし、どこにでも馬鹿ややる気のない世捨て人がいるので、
そういう駄目人間の言説に惑わされて、
その史料を捨てたり、焼いたりしないで大事にしてくださいね。


57 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 20:18:00
>>40
そういった古文書を解読したために、触れられたくない過去があからさまになることがありますよ。
公金横領の罪に問われた時の弁明初だったり、切腹を命じられた時の辞世の句だったり・・・
恨み辛みを書き連ねた言霊だったり・・・良い内容でない場合のほうが多いかと思います。

パンドラの箱のように開けなければよかったと後悔するかもしれませんね。


58 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 23:41:41
根拠のない私見で構わないんですが、日本史上、一番の強権(実権)を握った人物は誰でしょうか?
可能性のある人物を何人かリストアップしてもらえないでしょうか?

59 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 01:03:02
任期が九月迄だと誰もが思っている今の総理なら
後二ヶ月の間はやりたい放題
誰にも止められない

民主党政権には自浄能力が全く無いしなw

60 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/17(土) 01:56:39
>>57
・前近代は公私未分離だから公金横領といっても内容は近代とは大きく異なる。
歴史学的に分析しないと何とも言えないし、言えたとしても現在の価値観で何か言っても仕方ない。

現在の価値観で明治時代や前近代を見ても仕方ないよ

そんなことをいうあなたが日本史板を見ているのが不思議でならない。
歴史に興味がないなら納得するけど。

61 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/17(土) 01:59:00
>>58
何度も出ている質問だが、まとまらない。

国制史的に中国の皇帝みたいなやつが出てこないから。

よっしゃこい

62 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 10:59:27
>>58
卑弥呼
蘇我馬子/蘇我入鹿
藤原道長
平清盛
足利義満
織田信長
豊臣秀吉
徳川家光
昭和天皇(戦前)

あくまで候補

63 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 12:00:47
厨なネタはぶようスレでやれ

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1255238250/

64 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 15:40:32
峯相記の史料的信頼性はどれくらいありますか?


65 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 19:44:40
全盛期の太閤秀吉じゃね?
財力&武力&権力どれも高い

66 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 19:49:46
信長くらいしか強権的な人間思い浮かばんなぁ

67 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 20:45:44
小池一夫だったと思いますが、幕末の和宮を題材とした漫画で、
当時の天皇が自分のことを「み」という一人称で呼んでいたけど、
これって実際にあった一人称ですか?

68 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 21:36:36
歴史学博士さんに質問です。
壬申の乱で大友皇子即位説を採っている
主要な学者と史料を教えて下さい。

69 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/18(日) 12:41:28
>>67
知らない

>>68
主要な学者ではいない

よっしゃこい

70 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 16:35:19
安政の大獄とは、後年、歴史を語る上で当時の攘夷派弾圧政策を安政の大獄と呼ぶのか
、政策の最中からやはり、安政の大獄と言ってたのでしょうか?
享保の改革も後に歴史を語る上で、享保年間に行った改革だから、享保の改革と呼ぶようになったのでしょうか?


71 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 18:17:23
称徳天皇(孝謙上皇)は、宇佐八幡宮の神託を聞きに行った和気清麻呂の
報告が虚偽だとして流罪にしましたが、
どうして称徳天皇は、その後、もう1回使者を立てたり、
真実の神託は「道鏡を天皇にせよ」と言い張って
譲位したりしなかったのでしょうか?

72 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 22:33:16
歴史学博士さんに質問です。
もしも、藤原仲麻呂が使者を送ってきて
「孝謙上皇があなたを退位させようとしています。
今すぐ、駅鈴と内印を持って、我が屋敷へ来て下さい」と言われたら
付いていきますか?

73 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 23:24:37
38 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日: 2010/06/29(火) 20:47:23.87 ID:KTTQaBXL0
信長「アーチーチーwwwwwアーチーwwwwwwwwwwwwwww
   燃えてるんだwww廊下wwwwwwwwww」

74 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 03:36:33
先日、千葉さなが結婚していたとかいうニュースを見ましたがこれに限らず新資料が出てくるとなんで今頃・・・と思うことがあります
すでに分かってたものを大河に合わせて公開とはたまに聞きますが、そういうのは別として本当にまだ手をつけていない資料および発見すらされてないポッと出の資料はまだまだありそうなんでしょうか?
なんか上手く言えなくてすんません

75 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 05:59:37
>>74
そういうことってのは、広く一般に知られてなかっただけで、関係者の間では当たり前の知識として伝わっていたりするものだ。
大河ドラマなんかで間違ったことが放送されたりすると、「間違いは正さなくては」というので、初めて声が挙がる。

76 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 07:16:39
小早川秀秋は関白になりたかったの?



77 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 08:50:44
大河ドラマとか見てて疑問に思うんだけど誰か答えてくれ。
幕末にアメリカやイギリスとは兵器の差はあったのは理解出来るけど、あの時代に日本を攻撃して占領まで出来る程の戦力を上陸させて勝てる程国力の差は有るのか?
いくら海軍が強くったって、陸地では意味ないだろうし、大砲の弾も無尽蔵じゃないだろうし、何より江戸幕府の兵隊つまり侍に陸上戦で勝って降伏させるのは無理だろ?
よう解らんけどww

78 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 22:03:59
近代戦とは心理戦です。
列強諸国は、既に心理戦を実戦で使って、植民地もほとんど戦わずして支配権を得ている。
いかに相手に威圧感を与え、戦うことが無駄だということを思い知らせることができるか、
抑止力とはそういうものです。

79 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 23:33:37
>>77
幕末維新物でよくあるじゃん
「このままでは日本も清国と同じようになる」
って台詞
イギリスやフランスは清の全土を占領した事はないし、
海外派兵のための、そんな規模の陸軍力があったわけでもない
でも>>78の言うような歴史になってるだろ?
いくら侍が強くても、玉音放送で、本土決戦なしにマッカーサーが厚木に来たようになってたかもね

80 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 01:44:33
江戸幕府が存続したなら、日本の欧米列強植民地化はありえたと思います。
理由は、武士と農民が乖離していたから。

植民地戦争の場合、相手の支配者階級と戦って、彼らから主権を奪って植民地とします。
この時支配者階級でない一般の人々が植民地化に抵抗すれば、占領軍は陣地で孤立し植民地化は起こりません。

植民地化を阻止するために必要なことは、地域にいる人々を国民国家の国民へと作り変えることです。
武士偏重に陥っていては、国民皆兵は実現しません。
国家を守るために、武士階級は消えるべきだったのだと思います。

81 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 05:26:57
>>80
同感!
インドやジャワの例もあるしな。

82 :日本@名無史さん:2010/07/24(土) 10:08:40
武士階級の多くは職業軍人として生計を立てる道を選びました。
郷士の奥は警察官になったり役場に勤めたりしました。
教員になったものも多いみたいです。


83 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 22:43:38
日本史の歴史年表を作るとして、10項目しか枠がないとしたら、
どんな10項目が入るだろ
まさに日本史の一番重要な出来事トップ10みたいな
@大和朝廷成立
A大化の改新
B元寇
C秀吉の全国統一
D明治維新成立
E国会開設
F太平洋戦争開始(もしくは終結)
G日本国憲法制定

残り二つ何が入るでしょうか?
あるいは疑問、反論あれば教えてください

84 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 23:51:14
>>80
それをしたのが高杉晋作の奇兵隊
高杉の流れをくむ長州藩は倒幕=幕藩体制
同じ倒幕でも薩摩は倒幕=江戸幕府

もう少し高杉や伊藤博文、井上聞多は高く評価されても良いと思う


85 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 01:02:10
>>83
古事記か日本書紀のどっちか入れるべきじゃない?
日本の歴史書の制定として

86 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 02:11:44
鎌倉幕府成立を入れたいなあ
武家政権の始まりだし

87 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 03:52:42
摂関政治(藤原家の栄華)
南北朝時代と合一(室町)
は重要過ぎるけどな

88 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 07:18:44
応仁の乱は入れた方が良いんじゃないのか?


89 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 09:33:03
神武天皇の軍隊は強かったのですか?

90 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 12:56:51
夏休みの自由研究で三英傑を調べようと思っています。
秀吉について質問があります。
秀吉は貧しい農家に生まれたと学校の授業で習ったし、
学研の歴史漫画にもそう書かれていますが、
秀吉の母の最初の夫も再婚相手も信長の父に仕えていた人です。
お城に勤めていた人が貧しい農家の人と結婚するということが
本当にあったのですか?
本当は農家でもわりと裕福な家だったんじゃないんですか?
そこが引っかかって先に進めないので僕に教えてください。お願いします。

91 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 15:15:50
>>83
大化の改新
平安遷都
鎌倉開腐
元寇
秀吉の天下統一(戦国乱世の収束)
江戸開腐(関ヶ原、大坂〜鎖国など一連の出来事ひっくるめて)
ペリー来航・開国
明治維新
憲法発布・国会開設(近代立憲国家の成立)
敗戦・新憲法制定(民主国家の成立)

開国〜憲法発布あたりは、ひとまとめにできるかもしれない。

92 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 17:37:11
ためしに略年表

4世紀中頃 ヤマト政権の国土統一(現在の日本の原型の成立)
645 大化の改新(古代国家成立の起源)
794 平安遷都(千年の都のはじまり)
1192 鎌倉幕府成立(武家政権のはじまり)
1274〜81 元寇(モンゴル帝国との激突)
16世紀末 天下統一(中世と戦国乱世の終了)
1603 江戸幕府の成立(近世のはじまり)
1853 ペリー来航(近世社会の終幕と欧米中心の世界経済への編入)
1868 明治維新(近代天皇制国家のスタート)
1945 敗戦と占領(大日本帝国の滅亡と民主平和国家のはじまり)

93 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 19:12:56
>>90
高校の日本史で一番シェアの大きい山川出版社の受験向け教科書「詳説日本史」では、
数年前から秀吉は「尾張の地侍出身」となっている。
東大の先生が執筆・監修に名を連ねている教科書なので、これが最近の通説なのだろうか?

確かに、地侍=半農半士の上層農民であった方が、これまでの通説である貧農の家庭よりは、
母の再婚相手が同朋(茶坊主)なのと辻褄が合うが。



94 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 19:18:27
>>82
明治初期の官吏や軍人・警察官のほとんどが元武士=士族だったのは事実だが、
士族の大半がそれになれたわけではない。

武士らしい仕事につけたのは1割ていどで、あとは売り食いの無職か農業。
商人になった者はあらかた失敗した。
旗本の多くは、人力車夫をはじめとする下層社会の都市細民に転落している。

95 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 19:37:44
明治時代の新聞では士族は政府から生活費貰ってて
参政権にふさわしくないとか武士が主君のために命を捧げるのは
家畜の豚のようだとか言いたい放題ww

96 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 20:10:35
>>83にレス下さった方ありがとうございました

97 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 20:55:46
分かる方、よかったら教えてください。

1『前期律令国家』と『後期王朝国家』の違い
: 

2『主従制的支配権と統治権的支配権』の違い


3『歴史学における資材批判に』について


分かるのだけでもいいので簡単・手短に分かりやすく説明するとしたらどう答えるか教えてくださるとありがたいです。
よろしくお願いします。

98 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 22:34:12
>>83の年表を5枠にした場合、こんな感じですか?
@大和朝廷の成立(日本国の成り立ち)
A大化の改新(古代国家成立)
B天下統一(乱世の終結、近世へ)
C明治維新(近代国家へ)
D太平洋戦争終結(民主国家へ)

99 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 00:03:54
もし島津斉彬が長生きしていたらどうなっていたと思いますか?

講義で習ったのですが、自分の地元の図書館には資料がまったく残ってません。

よろしければ、どなたか回答お願いします。

100 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 00:53:15
当時、井伊直弼は政敵であった一橋派(水戸・尾張・越前・土佐・宇和島)の諸侯へ隠居命令を
出していました。島津斉彬は存命なら一橋派の中心人物の一人ですので、
彼にも隠居命令が下るでしょう。

倒れる直前の島津斉彬は、自慢の自らの洋式部隊(歩兵・砲兵)を閲兵していました。
何をしようとしていたのかは不明です。

が、後に島津斉彬の後を実質的に継いだ島津久光は、
斉彬の遺志を継ぐ、として江戸まで部隊を派遣し、幕府に圧力を書け一橋派諸侯を復権させ、
京都に諸侯の討議する場を幕府とは関係なしに設立しました。

これに対して西郷隆盛は、島津久光のやり方は尊王攘夷派を弾圧しており、
継いだのは形だけで実は斉彬の精神を踏みにじっている、と批判を繰り返しました。

このことから推測されることは、
・島津斉彬は、井伊直弼存命中に薩摩藩洋式部隊を京都あるいは江戸に派遣し、
 井伊直弼の行動を覆すつもりだった

島津斉彬と井伊直弼が両方とも生きていたなら、
幕府と薩摩がこの時点で全面戦争になっていた可能性があります。

101 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 00:57:58
>>98
2〜3の間が開きすぎているのでそこに何かを入れたいが、
かといって1〜5で外すものがないんだよね
だからそれで妥当かも

102 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 01:04:20
なるほどです!

わかりやすい説明ありがとうございます。

個人的には、斉彬の死後、斉彬が計画していた事業がどんどん中止になって
いったと史実にあるので、もし生きていたら鹿児島はもっと豊かな県になってたのかも
と思っていました。

でも、洋式部隊については全く知らなかったのですごく為になりました。
そう考えると、やはり、薩摩は発展できない運命だったのかもしれませんね。

103 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 17:53:46
中国人や朝鮮人以外の外国人はどのくらいの昔から日本に来ていたんだろう?
たとえば、インド人やスリランカ人、ベトナム人、カンボジア人、ビルマ人らは
平安時代には、それらの外国人は日本に来ていたのだろうか?
誰か、教えてくれませんか?

104 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 19:51:29
>>103
インド人は遅くとも室町時代には来ていて
足利義満に仕えていた

105 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:04:59
1941年の産めよ増やせよってスローガンは
何年くらいまで続いたの?
というか団塊の誕生に重大な関与はあるの?

106 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:54:54
終戦で終了ですよ。
戦後は、食糧不足・引揚者増大・初期GHQによる工業立国の否定などもあり、
食糧増産運動による新規山間地入植・海外移民促進(中南米)などが行われました。

団塊世代の増大は、戦後の引き上げから始まります。

107 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:54:51
あらゆる質問に即答するには、前頭葉だけではなく側頭葉も鍛えておけよ!

108 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:57:58
下世話な話ですが・・・
コンドームが流通する以前は避妊はほとんどなかったんですか?
平安や室町、江戸時代の人々は体外射精とかしていたのでしょうか?

109 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 23:29:42
薄い紙を水にぬらして膣内に入れておく。ところがこれが良く破れて
お子様がお出来になる。
そうすると水子にしてしまうという寸法。

110 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 05:53:05
>>104
>>インド人は遅くとも室町時代には来ていて
足利義満に仕えていた

ありがとうございました。

111 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 08:14:34
楠葉西忍とかいう天竺人だな。
幼名はムスル、父はヒジリ。

112 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 10:05:30
今の皇室は何かと制限がかかって窮屈な生活をされてると思いますが、
かつての皇室はどうだったのでしょうか?
江戸期が一番皇室が弱体化したとも言われますが、現在よりも縛られた
生活だったのですか?

113 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 12:02:01
何を以って弱体化というか不明だけど、ここでは経済力、要はお金の面から考えてみましょう。
注:政治力ではない。

律令制度化では公地公民の原則が定められていたにも関わらず、
皇室自体が私有地、つまり荘園をもっていた。長講堂領や八条院領
という膨大な荘園があるので、鎌倉末期までは皇室は強大な力を持っています。

その後南北朝期以降、荘園を武士に蚕食されたので経済的に没落し、
室町中期以降、大嘗祭や大喪が出せない天皇も出た。経済的に一番
苦しかったのはこのあたりです。

江戸期に入ると、禁中並公家諸法度によって皇室や公家はがんじがらめにされますが、
少ないとはいえ皇室・公家領合わせて10万石程度が認められたので、
生きていくことは出来た。

江戸期は弱体化ではなくて、完全に武家の統制のもとに皇室が取り込まれた
と考えて下さい。だから現代に近い感じです。『大人しくしている限り、食べさせてあげる』
というところ。武家の権威を保証するのは皇室だから、生かさぬよう殺さぬよう・・・。


114 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 16:31:38
皇室が禁中並公家諸法度に対して怒ったり、強硬に反対したりしたら、
幕府や将軍家によって取り潰されたり、島流しにされたりした可能性もあるのですか?

立場的には皇室>将軍、幕府ですが、その辺はどーなんでしょう?

115 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 19:38:24
http://pc.l-search.net/auto_auth.php?pp=ZWY3MzE5NTFjMjQ5YWAmJcOFU1BmBVN1U6BGQHY1Y5CzECZFAwB2c&paygo=1


116 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 20:09:40
>>114
天皇家は潰せません。形式的に将軍の任命権者だから。
過去に退位させられたり島流しになった天皇は、全部
個人的責任を取らされただけだということを理解して下さい。

どんな状況でも、代わりの自分たちの言うことを聞く天皇を
見つけてきて即位させています。
承久の乱でさえ、天皇家の存続は認められた。
公家諸法度に朝廷が強硬に反対したら、見せしめに天皇を
退位させて黙らせるまでです。

いつの世の中にも、反対する勢力と結んだ方が得だと思う人はいるのですから。
天皇とて例外ではない。

117 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:17:53
鎌倉幕府や室町幕府は、大奥制度がなかったそうで
側室などは後の大奥の長局の原型と思わしき「局」というプライベート空間を与えられており
また、公家などの正室は「北政所」などと呼ばれていたそうですが、
では、本題ですが、江戸時代の将軍家の「大奥」とか各藩の「奥」などのように
奥女中達の集まりのを指しているのであろう固有名詞のように、
鎌倉時代や室町時代の将軍家や大名家には女中達の集まりを指す何か固有名詞とかは、なかったのですか?

118 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:54:37
>>117
室町時代は女房衆と呼ばれていたんじゃないの?

119 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 23:05:51
>>116
>>公家諸法度に朝廷が強硬に反対したら、見せしめに天皇を
>>退位させて黙らせるまでです。

天皇が意地でも退位しなかったらどうなるの?
絶対に退位しないと言ってる天皇を無理やり退位させることができるのですか?
また、他の皇族や公家連中もみんなその天皇派だったら、将軍の言うことを聞く
天皇(候補)が見つからない。


120 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 23:25:57
>天皇が意地でも退位しなかったらどうなるの?

簡単なことです。皇室と公家の賄料を減らすのです。日々の食糧にも事欠くくらい。
幕府は皇室だけでなく公家も統制しているから、公家の賄料を減らせば
公家の中から『お上が関東に従ってくれなければ困る』という意見が出てくる。

天皇と言っても公家衆の中で存在しているのだから、取り巻きがみなアンチになっては
もうやっていけない。

このように対立する組織を統制するには、組織内で仲間割れを仕掛けられる
形にしておくのが一番好ましい。かつての朝廷の得意技ですね。

それに対し、幕末は皇室や公家が薩長の援助で暮らしていたことは
無視できないと思います。世の中やっぱりお金なのです。大義名分や理屈では無くて。

121 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 23:45:49
>>120
>>皇室と公家の賄料を減らすのです。日々の食糧にも事欠くくらい。

皇室や公家が強硬にその施策(賄料を減らす)に反対したらどうなるのですか?
行き着くところは武力衝突であり、武力衝突なら武家(幕府)が強いって理屈になるのかな



122 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 02:01:55
あのな?権威くらい理解してんのかなw
徳川安泰は分かるでしょ?如何に謀反を避けるかは勉強済みなのな
そこを苦心して方策を駆使したんだなw分かるかな?

123 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 02:49:31
中国の皇帝は天命を権威の根拠にしたけど
日本の場合は天皇を権威の根拠にした
それだけ

124 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 04:56:23
幕末の孝明天皇の例が参考になるかも知れないですよ。
お上が現実離れした攘夷に固執している矢先、
あら不思議、突如天然痘に。

日本は何と言っても『和』の政治の国なのです。最後は合意がモノを言う。

125 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 06:57:40
朝廷は日々の生活に困ったって
戦国時代のほぼ全期間を通して、舎人が関白袋を持ち、京の家々を回って
お米を少しずつもらって、それで食事をしていたんだから
その生活に戻るだけ

126 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 07:18:46
天皇になりたい者はいくらでもいるわけでね。

幕府には逆らえないのさ。

127 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 12:10:35
>>125
大嘗会も大喪も出せないよ。食えるだけではまだ足りない。

128 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 17:57:13
応仁の乱の最中、後土御門天皇と後花園上皇はどんな立場だったの?
やっぱり、ニート?

129 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 19:41:54
足利義政もニートだったのに
ニートの家に居候する天皇はもっとすごいなw

130 :117:2010/07/29(木) 21:17:36
>>118
そうですか。ありがとうございます。

では、江戸幕府では、正室と その居住区の名称は「御台所」と呼び
女中達の居住区は「長局」と呼んで、それらを一括して「大奥」というそうですが、
鎌倉幕府や室町幕府の場合の、正室や側室や女中の各居住区を一括した固有名詞は、なかったのでしょうか?
たぶん「奥」ではないかと思うのですが、何か他に大奥を連想させないような別称とかなかったのでしょうか?

131 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 21:42:21
室町時代は花の御所に一緒に住む側室だけではなく
花の御所の外で、個人の屋敷を持っている側室もいたからな

132 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 23:32:51
琉球人の起源は、日本列島で弥生人との覇権争いに敗れた縄文人が、
新天地を求めて沖縄に移民し、そこに定住した縄文人の子孫ですか?

133 :日本@名無史さん:2010/07/30(金) 00:23:59
>>132
賛成です。宮里藍を見ていたら、そのたくましい精神力、世界と伍して戦う気概、
どれをとっても世界を股にかけて活動していた縄文人の姿と二重写しになります。

134 :日本@名無史さん:2010/07/30(金) 04:33:03
琉球列島の言語については明治以降の研究で日本語と祖形が同じであろうことが判明しています。
琉球列島の人々の遺伝形質については、縄文系との類似性を謳う人もいますが、諸説入り乱れています。

この場合、縄文系といっても縄文人がどこから来たのかということが問題となります。
旧石器人を消し去る形で縄文文化が日本列島に入ってくるわけですが、
彼らの元いた地域に関しては北方説(シベリア)・南方説(東南アジア)・朝鮮半島経由説とあります。

縄文早期の遺跡が南九州を中心とした地域にあることを考えると、
東南アジア由来説を私は現在のところ最もまともな説ではないかと思っています。

つまり、沖縄は中継地だったのではないか、ということになります。

135 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 19:37:49
江戸時代の皇室と現代の皇室は窮屈度で比較するとどうでしょうか?

136 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 20:01:20
窮屈度が何に主眼を置いているかで全く異なってくる。
お金?後継ぎ?

ただ言えるのは、江戸期の朝廷は政治の中心地から離れた場所にあったので、
血なまぐさい政争に巻き込まれたりはなかった。(幕末は除く)
現代のように国事行為もないから、あっちこっち連れまわされることもないし。

また後継ぎについては一夫多妻制が認められていたから、現代よりは楽観できる環境。
何よりネットも週刊誌も報道会見も無いしね。

そういう意味では江戸期の方がずうっと自由だったと思うよ。
政治は徳川でやってくれて、自分たちはハイハイ言っていればいいのだから。

137 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 21:36:20
武陽隠士さん たまには出てきてくださいよ!

お前の 話が聞きたいぞ! コラ!

138 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 21:48:49
朝鮮通信使一行を輿の上から見物していたというから、将軍とは別格だったにせよ外出の自由はある程度あった。
今の天皇ご一家は、マスコミを通じて国民に顔が知れ渡っているのでお忍びで外出も困難。
ローマの休日を楽しむなどということもできません。


139 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 21:59:16
× 天皇ご一家
○ 天皇一家

140 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 22:44:34
>>136
>>138

生活全般における規制や縛りの意味で問いました
江戸時代は幕府の許可がなければ京都御所から出られなかったと聞きます。
現代の天皇は外出はできますが、多忙な公務に忙殺されて自分の意思で
行きたいところへ自由に行けるわけではないですよね

その辺のところを総合してどうなんかな?と


141 :日本@名無史さん:2010/08/01(日) 01:23:46
>朝鮮通信使一行を輿の上から見物していたという

へぇ、それは初めて知った。歴代のどの天皇なんだろうね。

142 :日本@名無史さん:2010/08/01(日) 06:28:55
主人が家計簿を気にしています…!グッチのボストンバッグに1500万を詰め込んでいます!貴方にはバッグごと貰って頂けますか?!
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143 :日本@名無史さん:2010/08/02(月) 01:05:43
参勤交代って江戸から遠ければ遠いほど負担が大きいと思うんだけどそうでもない?

144 :日本@名無史さん:2010/08/02(月) 04:58:17
負担は大きくなります。というかそれが幕府の狙いだから。
遠国の大名にカネを使わせて蓄財させない。つまり徳川に弓を引く
ことを出来なくする。
大名の配置が江戸基準で遠国ほど外様の大大名が多くなっていることから
参勤交代の意図が見て取れる。

145 :日本@名無史さん:2010/08/02(月) 07:05:59
豊後・日向あたりの小大名なんて大変だったろうな。
臼杵とか高鍋とか飫肥とか。
船でショートカットしてたのかな?

146 :日本@名無史さん:2010/08/02(月) 07:14:26
fgt

147 :日本@名無史さん:2010/08/02(月) 07:50:46
大名の石高に応じて行列の人数が決められていた。
小藩はそれなりに規模が小さくなるけど、出費があるのは変わらない。
また何も生まない出費だから、当然藩財政を圧迫する。

後は江戸の藩邸の維持にカネがかかる。そうなると、島津重豪、斉宣の2人の
隠居を江戸で抱えていた薩摩藩は、カネがいくらあっても足りないわけだ。
更に世子斉彬は蘭癖と来ている。討幕の気運は結局経済的困窮に起因する。

徳川初期の農本主義の時代に作られた諸制度が、時代を下って貨幣経済が
発展しても『権現様の祖法』ということでそのままの姿で残された。
ここに幕府崩壊の道筋がある。

どこかの国をみているようだ。どこだろ?

148 :143:2010/08/02(月) 08:02:51
レスありがとう。近場のとことの不公平感を是正するために多少は別なところで帳尻を合わせてるとかもないの?九州は本当に大変そう。

149 :日本@名無史さん:2010/08/02(月) 08:32:34
対馬の宗氏だけは、遠いので3年に1度の参勤で済む決まりになっていた。
ただしこれも理由は後付けかもしれない。
秀吉の朝鮮出兵で断絶した朝鮮との国交回復に、対馬の宗氏の果たした
役割は大きいから。この部分のご褒美かも。

不公平感の是正というのは無いと思う。制度として『国替え』つまり転封があるから。
『もしかしたらあなたにも近場になれるチャンスがあるかもね』ということです。
また江戸だけを考えれば九州は損だけど、経済の中心地、天下の台所である大阪には近いわけだし。
年貢米を換金したり借財の申し込みには大阪が至便の方がいいよ。

150 :日本@名無史さん:2010/08/02(月) 14:27:41
昔の人名には、内匠頭や内蔵太のように意味もなく「内」がついてるものが
ありますが、あれはどうしてなんですか?

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