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南北朝時代がわかりにくい

1 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 09:05:56
ので
わかりやすくおしえてください

2 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 09:48:22
何を知りたいのか教えてくれ

3 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 11:13:12
全体的に何もかもがわからない
南朝と北朝にわかれた時代だってことぐらいしかわからない


…サーセンorz

4 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 12:31:36
たとえば、

オヌヌメの本を教えて

とか訊けよw


とりあえず「太平記」を読め。これで時代背景はわかる。
話半分くらいに受け止めて、あとは専門的な本を少しずつ読むと良い。

5 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 12:38:11

南朝は時代錯誤の政策で当時の国民を苦しめた。
後世、天皇親政ということで持ち上げられ国民を苦しめた


6 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:08:16
>>4

今太平記読み始めた


専門的な本で
何かオススメはある?

7 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:27:40
悪党が渦巻いた時代

8 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:56:35
足利尊氏ってなんであんな性格なのw

9 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:12:54
立派な人じゃないですか
・武芸は達人級
・誰からも慕われ、仰ぎ見られる人格者
・自らの領地も惜しげもなく部下に与える気前のよさ
・部下思い

10 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:14:14
南北朝がわけわからん状態になっているのは、足利尊氏の性格によるトコロが大きいなw

11 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:26:48

尊氏は人情に厚すぎて、南朝を根絶やしに出来なかったことが
禍根を残した。殲滅できなかったことは残念なことだ。
日本人・日本史にとっても不幸なことだった


12 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:54:40
北朝を立てて後醍醐天皇を追い詰めた後も
北朝の元号なんて使わないし、北朝を本物扱いしない。
あくまでも本当の天皇は後醍醐天皇という感じ。
面と向かうと後醍醐天皇に平伏してしまう。

おかげで室町期は、北朝が継いだ天皇家の権威が
ほとんど将軍の傀儡クラスまで軽くなっちゃった。

13 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:20:29
光厳天皇を北朝初代とするのは誤り。後醍醐天皇は挙兵失敗で退位した。この時点で二朝並立ではない。
その後の倒幕で後醍醐重祚、さらに足利尊氏により光明擁立で「南北朝」となった。

14 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 01:01:57
人名を全部覚えようとするから混乱するんだよww
最初は苗字だけ覚えとけばいい(足利尊氏、足利直義、足利直冬だけはフルネームを覚えよう)


15 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 09:56:35
>>6
とりあえず通して読んだら、どのへんに興味を持ったか、だな。
その時期によっておすすめは違ってくるよ。

16 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 16:44:23
NHKから出てる大河「太平記」のDVD全巻買え。

17 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 20:14:18
戦乱の時代なのに、太平記ってネーミングもなんだかなーって感じだよね。

18 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 20:28:14
「太平記」は三国志演義みたいな軍記物語だから、
史実を理解するために勧めるのはどうだろう?
とは思うけど、
ビギナーズクラシック 日本の古典 太平記 武田友宏編

19 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:09:27
大覚寺統が途絶えることになって、もう後がない後醍醐天皇が無茶やって何ら成果出せなかったのに
それに便乗してきた有力御家人たちによって、思いがけず倒幕が叶う
倒幕後の政策方針を用意してなくて、現実的な対応として律令制の中に無理やり武士をねじ込んで、公武一体の封建体制を築こうとする
それに対して謀反を起こした足利尊氏は、保守的な立場のため、天皇をどうこうしたくないので、
ドラマティックなまでに弱い南朝が、ドラマティックに局地戦で勝ち生き長らえる

旧体制を倒してみたらさらに旧いのがシャシャリでてきて混乱に拍車をかける
ドタバタコメディの王道
こんな軍記物見たことない!!
大陸が帝国主義に目覚めたり、
西洋が三世紀ばかり早く大航海時代(宗教改革)を迎えていたら、
こんな呑気なことにはならなかった
まさに太平な世の中だったための悲劇的喜劇
それが太平記

自ら武器を取って、将軍として武家の上に立とうとした護良親王がロマン有って好きだ

20 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:19:55
太平記って大河でもしばらくやって無くて、やっと1回やっただけなんだよな。

それもこれも、明治政府と明治天皇がなぜか南朝が正当だと言っちゃって、南朝を酷い扱いすると明治天皇の意向とか
政府の意向とかにひっかかるとかひっかからないとか…。

その時代だけグダグダなんじゃなくて、今に至ってもグダグダなのがなんとも。

21 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:26:16
南北朝時代が分かりずらいってのは、実は南朝が正統だというコトから、下手に物語りを作ったりすると
政府の判断への批判になりかねないという問題があるからなんだよな。

明治天皇って北朝側の天皇なのに、なんで南朝を支持したんだろう…。なんて考えていって変な陰謀論に
はまった人もいるんだけどさ。

22 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:32:47
>>19
北条高時=麻生太郎
後醍醐天皇=鳩山由紀夫
足利尊氏=菅直人

ですか?

23 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 17:05:27
>>22
似ていますけど少し違います。
尊氏は、高時を先ず裏切り、その後後醍後にも反旗を翻す。
菅直人は、その二度の裏切りはない。

24 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 18:41:26
南北朝があまり「語られない」という原因の一つが、南朝が正統だという明治政府・明治天皇の判断があるんだよね。

この説って、いったい誰が始めたの?で、その根拠は何なんだ?

水戸光圀?

25 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 20:40:06
>>24さん
そのとおりです。
他スレで議論済みですが、
南朝自身の北畠親房の『神皇正統記』を別にすれば、水戸黄門ら編纂の『大日本史』水戸学です。
外、頼山陽なんかもそうらしいです。
両統は、兄弟の差(兄系が北朝持明院統、弟系が南朝大覚寺統)があるだけで、
さしたる根拠はないでしょう。
水戸学は、武家政権(幕府)優位を主張するためとのことですが、合理性がありません。
幕末に水戸学の影響を受けた勤皇の志士たちは、南朝正統論です。
また、明治の当時の為政者・世論ともに圧倒的に南朝びいきです。
そこで北朝系であるはずの明治天皇も、南朝正統論を認めたという経緯です。

26 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 20:56:57
実は南朝正統を決めた御前会議に明治天皇は臨御していない。
そこに明治天皇の真意を見る人もいる。

27 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 21:08:35
観応擾乱〜正平一統あたりの歴史みると、やっぱ二大政党制より第三極が出てきたほうがオモロイ。

28 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:33:34
忠臣蔵の歌舞伎を作るとき、そのままの人物設定では幕府から中止させられるからと、
高師直を吉良上野介の代わりにしているのだが、その頃に既に南朝人気があったってことか…。

するってーと、その頃すでに水戸光圀の大日本史って庶民にまで読まれていたということか?

29 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 00:22:27
判官贔屓と幕府嫌いの両輪
先ずは南朝支持ありきで、理由や権威は後付け

30 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 15:18:21
意外と忘れられがちだが、徳川家というのは新田源氏の分家の末裔(世良田氏分家の得川氏)を自称していたから、徳川時代は南朝贔屓が体制イデオロギーだった。
家康の孫の光圀が南朝正統史観を打ち立てたのもそのためだ。
その際、楠木正成を忠臣ナンバーワンと祭り上げたのも、新田義貞のほうは当時いわば最後の勝者となっていた徳川の先祖筋として別格であり、言わずもがなの存在だったからだろう。
幕末に尊皇攘夷が流行したのも徳川斉昭、藤田父子、会沢正志斎らの水戸学による。薩摩の西郷も長州の松蔭、桂、高杉も皆、若いときの水戸詣でから始まった。
水戸学由来の尊皇攘夷がぎりぎりのところで薩長の開国倒幕に転倒して明治時代になだれ込んだから、そもそも徳川が南朝マンセーを確立、流布させたことが忘却、隠蔽されるようになった。

31 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 16:19:45
ぶっちゃけ、そこらへんの天皇論は取り敢えず棚上げしといた方が南北朝時代を素直に楽しめるよね。
南北朝時代のキモは各それぞれの所領継承問題なんだし。
あんまりイデオロギーとかは関係ないだろう。北朝か南朝か、尊氏か直義か、そんなの自分の敵がどこに属してるかで決めてるヤツ殆どだし
足利兄弟・親子自体が南朝に降伏したりするし

32 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 18:46:49
30だが、たしかに近世・近代の南朝イデオロギーの話で、南北朝時代そのものの話じゃない。スレ違いではあった。

33 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 19:20:38
映画「ラストサムライ」は吉野の反乱だったな。教科書に載ってない史実らしいが。

34 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 19:40:07
はじめて「太平記」読んだ時、四条畷の正行を少年武将と勘違いした記憶がある。

35 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 19:53:24
例のヒゲ面で馬に乗ってる足利尊氏の肖像画、
近年では高師直説が高まってるようだが、
NHK大河では終盤、真田広之尊氏があれそっくりのメイクにしてた。

いったいどっちが本当なんだ?

36 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 20:34:08
NHKの太平記ってかなり前の話だろ

37 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 22:05:41
ドラマが史実に則った画作りするようになったら末法の世だな

38 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:12:13
>>32
いや>>30はなかなか参考になった。

確かにこの話は、イデオロギーの話だが、「南北朝時代がわかりにくい」という現象と直接かかわってくる問題だと思う。
新田義貞の扱いにちょい引っかかる点もあるが、自分でも調べてみたいと思った。

39 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:27:54
南北朝時代って、
王朝権力から武家権力への変わり目でしょうか?
具体的には、朝廷支配→幕府支配。

40 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:01:51
>>39
え、じゃあ鎌倉幕府って何なの?

41 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:51:26
公武で並列してたのものが後醍醐がやらかしたお陰で勝手に欠けたという

42 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:06:22
>>40
鎌倉時代は、公武二重支配でしょう。
ただ、後鳥羽上皇による承久の乱後は、幕府優位なってゆく。
その後、
後醍醐による倒幕→建武の新政→南北朝時代を経て→室町幕府体制確立。

43 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:28:04
権門体制論と東国国家論の対立がこのスレでも始まる

44 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:37:06
権門体制論と東国国家論を、
わかっている人がどれだけいますかね(自分を含めて)!

45 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 08:54:19
研究素材が少なく、一般教養として教育できるような総論に到達してないのが、
南北朝時代を一般受けしづらくしている原因かな?

大覚寺統の嫡流が途絶え、その既得権益の維持をするために、
幕府と朝廷の協調体制の打破が必要だったのが、南北朝動乱の直接てきなきっかけではあるけれど
朝廷対幕府の単純な対立ではないのが、面倒だよね

鎌倉後期以降も仏教の各宗間の権力争いは無視できない
支配層への影響も、それ自体の武力も大きく
宋学の流入による天命思想と易姓革命という、動乱とは直接関係しないけど、思想対立もあって、
支配体制の構築に必要な権力が、王家の血統(朝廷)と経済力を背景にした武力(幕府)だけではないんだよね

46 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 10:09:51
南朝の財政基盤は八条院領なんですよね?
たいした統治機構もない南朝が年貢のとりたてもままならなくなっていくんですね。

47 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 22:05:31
ぶっちゃけ日本史上最高の英雄譚である太平記がつまらなくなる史実は究明されないほうがよい

48 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 18:28:15
だが、太平記よりは難太平記の方が史料価値は高い

49 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 21:00:19
>>6
南北朝時代の概説書として評価が高いのは、佐藤進一『南北朝の動乱』。

50 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 21:41:00
新田次郎の「新田義貞」はおもしろかった

51 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 23:28:17
大覚寺統の嫡流は北朝で官位貰って働いていた

52 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 23:48:08
わかりにくいわかりにくいと言われるが
応仁の乱前後の後に南北朝時代を見るとなんて分かり易いんだ!ってなるぞ

53 :日本@名無史さん:2010/06/24(木) 16:23:02
>>49
読み始めました。

手に取るようにわかるありがとう!

54 :日本@名無史さん:2010/06/25(金) 21:12:20
考えるな!感じるんだ!

55 :日本@名無史さん:2010/06/25(金) 21:29:29
>>53さん
>>49を書いたものですが、その本、定評は高いのですが難解との評価もあります。
私など積読になっています(笑)。

56 :日本@名無史さん:2010/06/25(金) 22:57:11
>>55さん

一つ一つ噛み砕いて読んでいますがなかなかわかりやすいです。
が、まだ序盤ですが、守護と国司のあたりでつまずきはじめました。orzやはり南北朝は鬼門か…?

57 :日本@名無史さん:2010/06/25(金) 23:39:45
足利義詮が意外に評価低いんだよな。
あと基氏は早死にしたからか知名度が低い

58 :日本@名無史さん:2010/06/28(月) 08:48:59
>>57
二代目は影が薄いです。初代創業者が、偉大なせいですかね。
三代・八代に傑物が出ているように思う。
鎌倉公方の存在自体、知らない人が多いです。

59 :日本@名無史さん:2010/06/28(月) 10:54:04
義詮はお父ちゃんが亡くなってから実力発揮したタイプ

60 :日本@名無史さん:2010/06/28(月) 20:01:16
むしろお父ちゃんのせいで実力発揮できなかったりしてなw

61 :日本@名無史さん:2010/06/28(月) 21:10:29
長生きすれば光栄パラメーターは上がる
誰かに殺されると、そいつに劣るとも勝らない
早逝すると評価すらされない

62 :日本@名無史さん:2010/06/28(月) 21:15:01
>>61さんと重なりますが。

義詮は、割と早世(1330〜67、37歳)だね。
影が薄いのは、そのせいもあるかもしれない。
ちなみに、父尊氏は1358没(53歳)。


63 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 02:30:06
室町将軍って守護大名どもの力が強いせいでみんな必死になって生きている感じが
胃が持ちそうにないw

64 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 19:46:00
義詮と後村上天皇は偉大な父を持ったばかりに影が薄いが実は優秀。

65 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 00:11:03
>>56さん
改めて読み直してみます。
ちなみにこの著者は、この時代の第一人者(大御所)のようです。
まだご存命と聞いております。

66 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 00:21:22
中国では、次政権により前政権の史書が書かれる
それもある程度の年数を経てから編纂するのがならわしで
そうでない史書は、内容が利害関係に左右され信頼に乏しいとされる
いわんや絶版ですらない本の書評をや

67 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 14:27:32
それとこれとは話が違うけどな

68 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 19:59:19
生年不詳の唯一の天皇。
それが後亀山。
影薄いってレベルじゃねーぞ長慶
歴代天皇の中で最も多くの国に行った後村上

69 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 20:30:48
■第96代.後醍醐天皇(ごだいご)
 1318年 2月26日〜1339年 8月15日 
南朝初代天皇。
■第97代.後村上天皇(ごむらかみ)
 1339年 8月15日〜1368年 3月11日
南朝第2代天皇。
■第98代.長慶天皇(ちょうけい)
 1368年 3月11日〜1383年10月
南朝第3代天皇。
■第99代.後亀山天皇(ごかめやま)
 1383年10月〜1392年10月 5日
南朝第4代天皇。

1911年(明治44年)には明治天皇の裁定により、南朝の2代2人(後村上天皇、後亀山天皇)を正統な天皇と認め、
従来の第96代・光厳天皇から第100代・後円融天皇までの5代5人を北朝として正統から外した。
また、後小松天皇の在位期間を、1392年(明徳3年)の南北朝合一以降のみとした。

□北朝初代.光厳天皇(こうごん)
 1331年 9月20日〜1333年 5月25日
□北朝第2代.光明天皇(こうみょう)
 1336年 8月15日〜1348年10月27日
□北朝第3代.崇光天皇(すいこう)
 1348年10月27日〜1351年11月 7日
□北朝第4代.後光厳天皇(ごこうごん)
 1352年 8月17日〜1371年 3月23日
□北朝第5代.後円融天皇(ごえんゆう)
 1371年 3月23日〜1382年 4月11日

■第100代.後小松天皇(ごこまつ)
 1382年 4月11日〜(1392年12月 5日)〜1412年 8月29日
北朝第6代

70 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 21:22:20
>>64
偉大×
迷惑○


後村上は北朝との講和を視野に入れ
彼が途中で崩御したせいで強行派にとって変わられ
楠木正儀は居場所を失ったと言われてるが
そうすると北畠親房にも色々思うところがあった気がする
親房と歩調を合わせていたなら藤氏一揆は起こらなかったろうし

71 :日本@名無史さん:2010/07/03(土) 18:06:22
道誉と正成読み終えた
佐々木さんは奇行癖がない、ただのデキる人だた
話がバッサリ終わるのは、太平記モノのお約束なのかな

72 :日本@名無史さん:2010/07/03(土) 19:23:58
佐々木道誉は陣内孝則のイメージ。
足利義視は佐野史郎ね

73 :日本@名無史さん:2010/07/03(土) 20:27:41
自分も>>72さんと同じイメージです。
大河ドラマですかね!

74 :日本@名無史さん:2010/07/03(土) 21:05:15
オス!
自分も北条高時ってゆーと片岡鶴太郎がバカ笑いしてる所を思い浮かべてしまうス!

75 :日本@名無史さん:2010/07/03(土) 21:15:57
別に北条歴代執権の中で取り立てて悪い人間ではなかった。
ただ、後醍醐天皇の破天荒な行為が、たまたま近畿の悪党蜂起として大当たりして
鎮圧しようとしたら、更に足利新田が反北条の立場で乗っかって、鎌倉が滅んでしまった。

76 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 01:03:31
つか北条得宗全盛期の後に鎌倉幕府滅びてるからな

77 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 02:36:59
>>66
>>67

ワロタwwww

78 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 00:18:14
この時代の人物では懐良親王って何気に凄いと思うのだが。
一般の知名度は今ひとつだね。

79 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 09:16:35
何をどう評価しているのか全くわからないんだが

80 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 05:36:57
懐良親王の事績は偉大だが
もとは小御門守良親王の計画と地ならしあってのもの。

81 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 18:13:35
わかりにくい?
これほど滅茶苦茶すぎるぐらい面白い時代なのに?

82 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:05:18
よーしっ、わかった!

83 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:31:34
はいはい、わかったわかったw

84 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 23:16:44
皇家手動の南朝が天下を取っていたら、天皇記や国記を焚書したように古事記や日本書紀も消して
醍醐系を正統とする新しい歴史書をでっち上げたりするんだろうか

85 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 01:38:49
そういえば今夏休みだっけ。

86 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 17:13:51
南北朝期は、日本国中の人が上は天皇から下は庶民まで、
自分の権益のために戦っていた時代です。具体的には
朝廷も貴族も武士も庶民も、土地を求めて争っていた。
土地は無限にないから、後は限られたパイの奪い合い。

皇位だの将軍位だのという争点は、二の次三の次に過ぎない。


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