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開国はいつがベストチャンスだったか?

1 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 19:52:47
結果的に日本は領土的な植民地にはならなかったから
1854年日米和親条約がベストだったとはいえるだろうけど、
1844年のオランダ国王親書での開国や、1846年のビットルとの
平和裏な通商交渉での開国もよかったのではないか?
あるいは遡って国力がまだ低い時代のロシアと、レザノフ、
あるいはラスクマンの時にでも開国したらどうだったか。
さらには田沼意次の赤蝦夷交易とか。

2 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 20:15:23
開国の問題点

1.条約についての細かい知識が無かったため、不平等条約を締結させられ、その後何年も苦しめられる
2.武力によって開国したという形になったため、攘夷派が力を持ち、それが倒幕に繋がる。
  良い面もあったかも知れないが、結果論であって、外国の支配に屈する確率があった。


3 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 20:24:43
従って、ロシアが正式に開国を文書で長崎に持ってきた時点で開国すれば良かった。
武力によって開国する形になったのはまずい。

4 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 21:13:27
>>3 たしか、幕府はたぶらかし政策でロシアともアメリカとも開国する気は全然なかっただろう。

 それでアメリカは武力をちらつかせて開国をせまったようだ。


5 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 21:14:46
>>3
いやいや、ペリーが来る前にオランダ商館長クルティウスとの
交渉で有利な条件で開国したほうがよかったと思う。
日蘭条約草案がほんとに有利だったかは知らんがw

6 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 19:10:20
>>2
本当に知識がなくて、そこに付け込まれたといえるのだろうか?
川路や岩瀬はかなり交渉にがんばったと再評価もされてるみたいだけど。

7 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 19:51:20
やっぱりオランダと最初に開国すべきだったでしょうね。
通詞もいるし、ある程度国情のわかる国だし、
威圧的ではなく友好的に開国を迎えられたでしょう。

8 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 20:53:14
通詞は19世紀ぐらいには英語も学習してたらしい。

9 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:27:08
>>1
近代的な国家間条約って、いつの時代からなの?
田沼時代のロシアとはそういう条約での国交はありえたの?

10 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:32:49
不平等条約と言うが、
現代の日本政府が江戸幕府と条約結んだって不平等条約になるだろw

幕府の刑法でしょっ引かれちゃたまったモンじゃねえぞ。
逆に昔の人騙してアコギに稼ぐヤツを取り締まれんかったりする。

11 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:34:18
>>10
激しく同意

12 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:53:42
>>10
領事裁判権についてはそうだと思うが、
協定関税率についても、日本の実情から大きく外れていなかったのでは?
当初条件では税率引き上げ交渉権を留保していたわけだし。

13 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 02:01:36
>>6
少なくとも、「ここが不平等だ!」と主張した記録とかあるの?

14 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 03:14:57
>>7 オランダとは鎖国時代にも貿易していたのでオランダだけには開国していたといえるだろう。

 米国の要求も最初はシナへ行く途中の水、食糧、燃料補給程度のことだった。

 

15 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 21:51:45
>>14
幕府もオランダも開国という認識もってないじゃん。

16 :日本@名無史さん:2010/05/28(金) 01:31:26
1673年のリターン号来航による、イギリスとの通商再開がベストタイミングでは?
この時期から複数のヨーロッパ諸国と付き合いがあれば、江戸時代の対外政策は
もう少し海外事情に即したものになっていたはず。

17 :日本@名無史さん:2010/05/28(金) 18:51:08
>>16
イギリスとそんなに早くから通商すると
他国みたいに植民地にされてしまうのは必至。
むしろモンロー主義で植民地拡大をアジアに向けなかった
合衆国との付き合いが優先されたほうがよかった。
したがってビットル来航がベストチャンスだ。

18 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 02:10:15
1673  イギリス船リターン号来航、幕府は通商要求拒否。
1708  イタリア人宣教師シドッチ、日本に潜入、捕らえられる
1791  米国商船レディ・ワシントン号が、紀伊大島に来航。
1792  ロシア使節ラックスマン、大黒屋光太夫を伴い来航。通商を要求するが拒否
1797  イギリス船、室蘭に来航。
1804  ロシア使節ニコライ・レザノフ、長崎に来航し通商を要求。
1808  イギリスの軍艦フェートン号、長崎に来航して補給 を要求
1809  間宮林蔵、蝦夷地を探検、サハリン島を確認。
1811  ゴローウニン事件
1812  高田屋嘉兵衛ロシアに拿捕される(翌年帰国)。
1825  無二念打払令
1828  シーボルト事件
1837  モリソン号事件
1842  天保薪水給与令
1844  オランダ国王、親書を送り開国を勧告する。
1846  アメリカ使節ジェームズ・ビッドル、相模国浦賀に来航し通商を要求。
1852  オランダ商館長クルティウス来日、ペリー来航を予告し通商交渉する。
1853  アメリカ、フィルモア大統領の国書を持ってペリーが浦賀に来航
     ロシア、プチャーチン来航

19 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 09:50:33
1673年 イングランドの海賊らしいのが来航したので信用できず拒否。
1708年 バチカンの変な坊主が来てお布施求めたので逮捕。
1791年 アメリカ船を名乗る変な船が来たので拒否。アメリカなんて国あったか?
1792年 ロシア人が恩着せがましく助けたから何かくれという。拒否。
1797年 イングランドの海賊船らしきのも拒否。
1804年 ロシア船、港への接岸料、出島の家賃も払わないのに交易を求める。拒否。
1808年 フェートン号、大砲をちらつかせ水、薪を求める。金を払う様子も内ので拒否。
1809年 間宮林蔵、変なヤツが来る前に我が領土を確認する。
1812年 高田屋嘉平衛、密入国、密輸で逮捕。ロシアにろくな税金を払わなかった。
1825年 密輸、密入国をおそれ国籍不明船をうち払う。
1828年 シーボルトという者、勝手に税関を通さず日本国の物を持ち出し国外退去。
1837年 また変な船が来たのでお断り。
1842年 薪、水の価格が決まり納入する。
1844年 オランダ東インド会社が落ち目になり出島お家賃が滞納し、他国への開港を進言する。
1846年 アメリカという国がお金を出すので港を開けと要求。
1852年 オランダ東インド会社は金がないので撤退する旨通告。ペリーという男の艦隊が
      脅しに来ることを連絡。
1853年 アメリカなんて国を知らなかったがフィルモアなる統領がいることを知り お手紙受け取る。
                  徳川幕閣


20 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:49:03
1810年から1815年までは、日本はオランダではなく
フランス帝国と交易していた。

21 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 01:17:33
津軽藩なんかは、漁民に無理矢理命令して、付近を航行するアメリカ捕鯨船に漁民を乗り込ませ
内部がどうなっているか調べさせている。

中は非常に広く、豚もいるし、酒も大量にある。アメリカ人は背が高く、非常に陽気で有効的だ。
船の内部では百人程度が忙しく働いており…

なんて報告書を出させている。他の藩はどうだったんだろう。

22 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 13:33:27
船の中にブタがおり口蹄疫の危険があり入港をことわる。

23 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 15:26:46
日本国の近海で勝手に大切な鯨を捕ることにも抵抗した。

24 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 16:58:09
アメリカ捕鯨船を狙って黒塗りの海賊船(本人らは環境保護団体と思っている)が日本へ。

25 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 20:00:12
アメ公どもは油を絞るためだけに
日本近海まで鯨を捕まえに来たんだな
ひどいやつらだぜ

いまでも家賃も払わずどころか逆に金をせびって
米軍を居座り続けさせているからな
今も昔も厚顔無恥だ

26 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 15:04:51
鯨をさんざん捕って、今は捕るな、厚顔無礼な人が多い国柄。

27 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:37:37
>>25
アメリカが「カラスは白い」と言ったら
日本の首相は黒いとは言わない。
結局鳩山も同じだったねえ。

28 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:07:59
>>5
その草案では、関税権が日本側にあり、返すがえすも惜しいチャンスを逃した。
当時の刑罰は日本側が相当重く、治外法権の条項はやむを得ない。
長崎奉行や会所商人の役割が重視されていて、これで開国していれば
他国との交渉は事実上オランダか仲介することになっただろう。

29 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:31:43
アメリカの武力によって開国させられたのは、
現在にまで続く日米の腐れ縁の原点とも言えるから、
やっぱりオランダかロシアと最初に開国しておいた方がよかった。

もしオランダやロシアが最初に条約を結んだ相手になっていたら、
現在ほどアメリカが日本に大きな影響力を持つこともなかったろう。

30 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 19:16:09
>>29
むしろロシアとの腐れ縁で、今日まで北方領土、国境問題が
現在まで続いているんじゃないの?

31 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 19:40:56
日ロの国境問題が200年前に始まったのは通商を拒否したからですよ

32 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 19:46:13
でも、ペリーの黒船がなかったら、
日本がアメリカと戦争したり、敗戦して現在まで占領されてるような事態は、
多分おこらなかっただろう。

やっぱりオランダと最初に条約結ぶべきだったな。

33 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 20:10:55
>>31
そういえば来年はゴロヴニン事件200年記念だな。
行政も観光も気づいてないみたいだがw

34 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 21:08:18
>>32
じゃあ、オランダと条約結ぶとしてそれはいつの時点がベストだと思うんだ?

35 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 10:17:40
ホーランドとかネーデルランドという土地にオランダという国ができたのは
いつなの?王様がいた、そのへんに東インド会社の本部があった。程度の
ことだろう。

36 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 19:20:38
鎖国は粗放にこざる

37 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 17:12:58
日本が近代に米や露と激突したのは地政学的必然じゃね?
開国がいつだろうが、どこ相手だろうが変わらないような…


38 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 18:30:16
オランダかレザノフ前後のロシアと最初に条約結んで、
開国路線にソフトランディングしてたら、
黒船の反動で極端な富国強兵、帝国主義路線に走ることもなかったから、
史実のような米ロとの激突はなかっただろう。

39 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:12:15
>21
1825年には水戸藩領にもイギリス捕鯨船が上陸。
若き日の藤田東湖は決死の覚悟で現地に向かうが
漁師とスコッチを飲んで酔っ払っているイギリス人に
拍子抜け。
以後、水戸藩は尊皇攘夷の思想へ突っ走る。

ここからは推測だけど東湖は捕鯨船の武器とかも
確認したのだろう。

ペリー来航前に水戸藩では大砲を作っていた。

40 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 09:02:02
勝手に船からおりて酒飲んでさわいじゃだめだよ。イデオロギー以前の問題。

41 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:34:27
こんどは日蘭戦で勝つ!

42 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:07:39
多分、黒船4隻を相手に幕府が総力戦で挑むより、
ワールドカップ日蘭戦で勝つほうが困難

43 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 12:29:35
鎖国せずにスペインやポルトガルと貿易してればよかったんだよ。家康の時代は主因船貿易で東南アジア各地に日本人町もできて、栄えてた。鎖国なんかするから科学技術力と軍事力で欧米に遅れてしまった。

44 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 12:07:19
スペイン船、ポルトガル船は税金払え、着岸料払えって言ったら来なくなった
だけ。オランダ東インド会社だけが応じて払った。
 出島開港により貿易額は増大し豊かな日本ができた。
幕末公務員(侍)の賃金が下がり動乱が起きる。明治になると江戸時代に蓄積した
富をもとに軍事力を強化し外敵に備える。公務員も賃金が上がり満足する。
 しかし公務員の賃金が高騰し軍事力の近代化が遅れ近代戦は戦えず敗戦となる。

45 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 15:35:51
>>44
公務員という言葉に引っかかるが・・・まあ、あたってる部分もあるわな

46 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:17:07
大奥、すなわち女公務員の賃金高騰が幕府財政を圧迫した。
特に下級公務員の子弟(下級侍の二三男)は就職ができず幕末に騒ぎ出す。
 嫁さんにした芸者も女公務員に嫉妬し旦那に大奥なんて潰してしまえと
ハッパをかける。そして男は立身出世した。もと芸者の女房は大奥の女公務員
にざまー見ろといいたげに洋装のドレスで着飾った。
 

47 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:07:25
江戸が始まったとき

48 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:33:31
>>47
理由を述べよ

49 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 18:37:46
キリシタン禁止などの為に外人の入国に制限はかけるにせよ
朱印船を廃止して日本商人が海外に進出する機会を奪ったのは駄目だな
オランダ人に中継貿易の旨味を独占させただけだしな…

50 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 01:32:15
実際のところ、キリシタンってどれだけ脅威だったんだ?
そもそも鎖国が妥当だったのか疑問。
でも、清や朝鮮も同時期キリシタン締め出して海禁してるから、それなりの妥当性はあったと思うけど・・・

51 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 04:02:06
>>49-50
鎖国政策そのものは、幕府による私貿易の統制、管理、やがては禁止であって、
禁教政策とは別々に始まったと考えられる。ある時期からそれらがセットで運用されたが、
鎖国体制は幕府の貿易利得独占が狙いだったのでは。

52 :日本@名無史さん:2010/06/25(金) 01:51:27
一向一揆が無ければキリシタンにもっと寛容になれたんかね?
狂信+外国勢力+侵略者 のコンボで、当時の支配者層への受けが悪かったのは想像に難くない

53 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 13:46:15
お城に大手門があるように日本国、長崎に大手門を開けた。以後、変な奴
は来なくなった。

54 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 19:23:57
おまえら早くすることばかり考えてるけどさ、
むしろパリ講和会議あたりに開国してれば
史実より平和な国になったんじゃないかな?

55 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 22:24:57
>>54
ロシア帝国に併呑されてただろうね

56 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 03:20:12
>>55
清国と朝鮮次第で変わりそう

57 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 03:35:25
>>54
朝鮮が先に開国→征日論が台頭→対馬あたりで軍事演習→幕府が朝鮮に不平等条約結ばされる
→日本の植民地化めぐりロシアと対立→露朝戦争勃発→奇跡的に朝鮮勝利→幕府は朝鮮に屈伏、日朝併合

58 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 03:47:22
とはいえ、ロシア、清国、朝鮮が海を渡ってまで日本を侵略したいと思うかね?
アヘン戦争からもだいぶたつし、闇雲に植民地増やすって時代でもないだろ

59 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 20:16:21
自立できなければ植民地化が当時の趨勢
朝鮮は大院君が異国船を打ち払ったのが逆効果だった

平等な条約を締結することができたなら、史実の日本よりスタートラインは高い
しかし、まるで西洋に対する知識はなかったようだから、平等な条約なんてまったく無理だろう

60 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 20:37:55
>>57
朝鮮に維新〜対露戦争勝利が出来たか疑問

61 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 21:12:03
>>57
朝鮮に名目だけでも国民国家に成れたと思うか?
多分、在日だと思うが贔屓の引き倒しだよw

62 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 21:05:11
しかし、開国が1854年以降をベストチャンスとする発想はいいかもしれない。
たとえば、開国よりさきにオランダから軍艦を購入してたら、とかどうだろう。

63 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 22:45:39
>>58
日本開国の前触れが阿片戦争なんだが

64 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 22:48:48
>>58
百年ROMれ

65 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 00:32:59
>>2
開国しなかったら、
それこそ武力で占領される確率が上がっただけだと思うよ。
19世紀〜20世紀前半はまだまだそういう時代だし、
開国していなければ、経済力や軍事力の差は途方も無いものになっていたのは確実だし。

66 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 00:36:13
不平等条約は知識が無かったと言うより、
欧米が日本を対等と見なさなかったという事が原因。
あの時代に欧米と対等である為には、
ヨーロッパの産業革命の時にはすでに開国している必要がある。

67 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 00:53:11
それに知識がある無いの問題と言うより、
憲法があったかどうか、
近代的に社会や経済がそれなりに発展していたかどうか、という事が問題だったんだよ。
結局1911年まで不平等条約は改正出来なかった訳だし、
問題は不平等条約だけでは無く、鎖国していた事で世の中の発展が阻害されたり、
逆にバスに乗り遅れるなで、時勢を読めなくなってしまったり、
19世紀の時点で開国していなかった時点で遅かったと言える。
チャンスと言うなら、遅くとも18世紀にヨーロッパで産業革命が起こった時がチャンスだったと言えると思うよ。

68 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 01:29:51
領事裁判権に関しては、刑罰の合理性というか重さの差が大きかったからだろ。
中国に関しては現代においても刑事罰が重いと国際社会で問題になっているけど。

69 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 06:56:25
>>68
>領事裁判権に関しては、刑罰の合理性というか重さの差が大きかったからだろ。
これは対等では無かったという事と、ほぼ同じ事だよ。
あるいは同じ事の違う側面と言った方が良いか。
どういう事かというと、残虐刑等を行わない法があるかどうか、
つまり国による不当な権力の行使が制限されているかどうかが問題になっていた。
そういう制限をするには憲法が必要になってくる。
憲法は国の暴走や権力の濫用に歯止めをかけるというのが大きな目的の一つだけど、
そういったものが無い国は対等と見なされなかったという事。

70 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 07:00:27
史実の開国の時期くらいには憲法が運用されていないと、
あの時点で不平等条約を締結するのを避けるのは極めて難しかったと思う。
そういう意味でも、それよりかなり前の段階で開国していた方が良かったと思う。

71 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 12:34:26
>>70
じゃあベストはいつだと考えますか?

72 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 18:54:46
開国はいつがベストタイミングだったか?

もうじき井沢元彦大先生が、週刊ポストで答えを出されるようです

73 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 08:35:48
>>63
アヘン戦争での清敗北の衝撃的ニュースが日本に
伝えられると深刻な動揺を日本国内に引き起こした
とよく言われるけど、どういうルートで日本に伝え
られたのだろう?国際情勢がリアルタイムで報道
される現代と違い、当時は米国独立の情報が年単位
の遅れで日本に伝わる時代。出島のオランダ人が
幕府の役人に報告したのかな。

74 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 17:20:45
>>73
そのとおり。
オランダもそうだが、そもそも私貿易ではあるが
清とも貿易してたから、清の商人たちから情報を得ていた

75 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 17:30:47
で、江戸や京都で遊学していた武士たちのネットワークを通じて全国に広がったと

76 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 11:33:11
井沢は「平和友好的なビッドル」の時に開国すべきだった、
ということにしたいようだな

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