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【岡野友彦】「源氏と日本国王」を語ろう

1 :井沢元彦(本人):2010/05/21(金) 17:10:30
「武家政権の国家主権者は征夷大将軍だった」
という認識は後世の誤解。

当時の人は、国家主権の所有者を
「源氏長者」だと考えていた、という説。

たとえば足利義持や徳川秀忠は、それぞれ父親の在世中
征夷大将軍であったが、実は彼らは主権者ではなかった。

同時期の源氏長者は
それぞれ父親の足利義満、徳川家康であり、
当時の世間はこちらの源氏長者こそ、
国家主権者と認識していた、という説。

つまり武家政権における国家主権の掌握は
従来説のように征夷大将軍としてではなく、
実は源氏長者というかたちで掌握されていた、という説。

将軍は単に軍事指揮権の行使者に過ぎず、
国家統治権は「準皇族」を建前とする源氏長者に属していた、という。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
講談社現代新書「源氏と日本国王」岡野友彦(700円)より

2 :井沢元彦(本人):2010/05/21(金) 17:21:16
足利義満は、子の義嗣を天皇にしようとしていたのか?
_________________________________
P222
「義満は自ら上皇になろうとし、
 その男子を皇位につけようとした、という説があるが
 およそ納得できることではない。〜中略〜
 義満が清和天皇の血統といっても
 清和ははるか500年も昔の存在で、しかも「枝葉」に過ぎない。
 
 義満の子が天皇になるということは
 すでに「固化」している光孝天皇以降の
 「幹(継承実績)」を壊して、文徳天皇を「幹」に戻し、
 清和天皇から義満までの不即位者16名をつないで
 新しい「幹」を作ろうということなのであって
 実績(既成事実の堆積)を重んじる中世人には
 とうてい通用しない理屈である。」

3 :井沢元彦(本人):2010/05/21(金) 17:25:07
尚、義満が母方の順徳天皇の五世孫という
血統を利用しようとしていた、という説も不可である。

なぜなら中世の血統理論は
男系の血統でしか機能せず、
母系に過ぎない順徳の血統が機能することはありえない。

清和の「十七世孫」という理論以上に不可である。

4 :井沢元彦(本人):2010/05/21(金) 17:29:22
足利義稙が没した後、11代〜15代までの足利将軍で
源氏長者を相続し得た者はひとりもいない。

これを国家主権の喪失とみる。

5 :井沢元彦(本人):2010/05/21(金) 17:37:03
徳川家康が将軍就任に際し、源氏に改姓したのは
征夷大将軍職を狙ってのことではない。

将軍になるだけなら、源氏である必然性などない。
家康は寸前まで藤原姓を名乗っていたが
鎌倉時代には藤姓の将軍は存在したし、
また、前代の覇者である織田信長が
平姓のままで将軍就任を打診された事実も
源氏改姓が将軍への前提条件ではなかったことは明らかである。

家康の源氏への改姓は
実に源氏長者の地位を狙ったものである。

信長、秀吉は「朝廷から独立した武家政権」というスタイルを
過去の遺物とみなし、公卿として
「朝廷内部からの統治」というスタイルを採ろうとした。

それに反し、家康は、源氏長者として
準皇族による国家主権の貸与、という
室町幕府のスタイルを継承する道を選んだ。

それは武権をも掌握していた豊臣摂関家から
軍事指揮権を分離させるという、窮余の一策から出た奇策であった。

6 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 19:09:54
トリップのないコテハンは荒らしです。
削除依頼します。

7 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 14:49:26
あげ

8 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 01:23:30
本のタイトルに騙された
あとがきにも書いてあったがこれ「源氏長者」とでもタイトルしとけよ

9 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 20:36:23
東大史料の先生が書いたご本の方がよかった
自己中心な歴史観だから彼は東大史料の採用に入れなかったんですよ

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