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明智光秀はなぜ本能寺の変をおこしたのか

1 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:44:13
説一覧
黒幕は光秀だとするもの
怨念説
野望説
恐怖心説

*黒幕は別にいるとするもの
**将軍指令説/室町幕府再興説
**朝庭説
**四国説
**イエズス会説
**諸将黒幕説(徳川家康、羽柴秀吉など)

2 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 23:07:12
>>1
>**朝庭説

朝廷説だろボケ

3 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 00:03:24
正親町天皇に騙されて使い捨てにされた。
バカな男だよ。流浪の身の光秀を取り立てて大名にしてやったのは誰だ?
一向宗との戦で包囲されて危ういとこを信長公に助けられてるだろが。
恩を仇で返すとは、このことだ。そんなに天皇が大事か?あんなもん下らんわ。

4 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 00:26:11
>>2
打ち間違えました
教えてくれてありがとう

5 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 03:00:39
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6 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 14:35:24
>>3
それほどの恩はないだろう。
信長と義昭の橋渡しをして幕臣になり、その後、信長の家臣になったので、
「流浪の身をとりたてて...」とは言えない。
企画力(義昭・信長連携)で成り上がり、佐久間信盛への折檻状でも
「明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこし」とあるので
その後も、実力で出世したわけだし。


7 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 15:50:39
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8 :日本@名無史さん:2010/05/11(火) 15:41:07
>>5>>7は、荒らしなのかぁ

9 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:36:23
>>1
もうね朝庭説と打ってる時点でダメ

10 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 07:13:18
信長と朝の庭で語りたかったんだろう

11 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 16:54:32
怨念というよりも私怨というのが正しい。

母を人質に出して恭順させた波多野兄弟を信長が勝手に殺害したことで、
波多野兄弟の家臣は怒って光秀の母を殺してしまった。
とか、
武田勝頼を滅ぼした時に、信長に対して「これで我々が骨を折った甲斐がありもうした」と
言ったら、信長は逆上して「いつお前が骨を折ったというのだ」と叱り付け、
森蘭丸に鉄扇で頭を打たせて流血させられた。
とか、
その他にも枚挙に暇がないのだが、信長の光秀への虐めは酷いものがあった。

12 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 17:49:33
>>11
一次史料には「虐め」は無く、全くのデタラメ、
畿内の軍事と行政を任されている光秀は、
同じ軍団長でも地方の柴田や羽柴より優遇されているといえる。
天王寺砦に包囲された光秀を、自ら銃弾を受けながら救出したこともあるし、
佐久間信盛折檻状でも、功臣第一と褒められている光秀。
京には城は無く(義昭のために築かれた城は破却され、安土城に転用)、
京に宿泊する場合は、各寺院に分宿するしかない状況では、
その防衛は、丹波、坂本に所領を持つ光秀の役割で、
光秀が叛意を持てば、信長を殺るのは難しくなく、それほど信頼されていた。
本能寺は、ナンバー1とナンバー2を同時に殺る機会が発生したので、
下克上をやっただけだろう。

13 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 11:38:20
自ら銃弾をうけてとか何美談にしてんの?w
そんなのに光秀が感謝してたとでもいうのですか?
光秀からすりゃあいつ何勝手に雑兵に足撃ちぬかれて出血してんの?やっぱうつけだなありゃ
って感想だよ

14 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:25:39
光秀もうつけだから死んじゃったんだよ

15 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 18:55:42
>>13
だから?

16 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 09:33:01

「明智荘」の惨劇   

17 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 12:30:02
黒幕説は面白いけど、
単純に徳川、羽柴との共謀だと思う。
三河に帰った後の徳川は、呼応する動きだったし。で、羽柴は裏切った、と。

信長は周囲を身内で固め始めていたし、日向に飛ばされるとなればそりゃあ焦るし怒りもするだろう。

18 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 16:41:35

羽柴徳川明智共謀説だけでも大変な黒幕説だが?

19 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 12:20:28
>>18
>大変な黒幕説

まあたしかに、共犯者がばっくれれば黒幕、ということになっちまうのか?

20 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 12:32:31
あまりにもあっけなく死にすぎたから陰謀説がでるんだろうけど
基本は今川義元と同レベルの油断だろう 信長の最後は結局因果応報だな

21 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 14:11:28
信長が光秀を信用し過ぎたのが敗因だな。

22 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 15:38:01
たんに調子こいてただけだろ

23 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 15:47:18
鈴木とかは、肝心の変の真相部分には一切触れず、客観的政局・戦局をとうとうと連ねてお茶濁してるだけのクズだからな。
専門家ならはっきり変の背景述べろ、ボケ

24 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 20:04:34
>>17
徳川、羽柴との共謀もありえないけどな。
家康なども、自害を思いとどまり、必死こいて自領に帰っている。
変を聞いた畿内の土豪がどう出るか不明なのに、数十人で堺をブラブラなんて危険もいいとこ。
穴山おじさんが、死んじまったくらいに危険なのだよ。
羽柴とて、(もし和議を結んでいたとしても)変を聞いた毛利が、勇躍して羽柴に総攻撃をかけるかもしれず、
羽柴自体が危うい。


25 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:38:55
・武田攻めでの御折檻
・徳川様接待不首尾のお叱り
・近江坂本・丹波領地を召し上げ、出雲・石見を切り取れとの冷たきご沙汰
・丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち
など!語りつくせぬ恨みあれども、此度の戦、決して、私心にあらず。

デアルカ光秀

26 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:46:57
鬼は退治されねばならぬ…

わかっておるな光秀ー!

27 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:59:28
みんな信長にはひどい目にあってるから、倒せば喜ばれるだろうし
自分にみんな味方してくれると思っていたのだろうか

28 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:12:21
「木下に利用された惟任の決起 〜京」
ゲスト 萩原健一 

29 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:18:31
若き頃尊敬いたした武田信玄公の守り神 新羅三郎義光公に誓った!
もう二度と太刀は抜かぬと!されど此度ばかりは我慢ならん!
私の命に代えて許して頂きたい! 今その戒めを解く かかれー

30 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:51:27
>>24
今から俺が言い出すことを持ち出したら歴史を語ることじたいが破綻してしまうんだが、

『歴史は勝者が作る』
とすれば、家康が自害を思いとどまった、というのは眉唾だとも思える。
堺からの脱出そして伊賀越えというのは、通常であれば命がけではあろうけど、光秀と共謀して事前に準備していればどれほどのものだっただろうと疑惑はもてないでもない。
同じ時間軸で中国大がえしをやっている秀吉にいたってもそう。
三者の共謀でなくても、光秀とどちらかの共謀のなかでもうひとりに情報が漏洩していた、というのはそれなにリアリティのあることだとは思うけど。

家康や秀吉が、まとまりかけていた日本を混乱に貶めるようなことはしないのではないか。というのは誤解だと思う。
そういうのは太平の江戸時代(そして現在)にだからこそ出てくる発想であって、戦国時代なんだから『すきあらば』ではないだろうか。
だいいち、百年にも及ぶ戦乱で『太平の世が来る』なんて考えていた人間がどれだけいたのかだって怪しい。自分の利権を拡大するために全力を尽くすということが念頭にあれば。
リスクのない駆け引きはないわけで、ハイリスクハイリターンにかけるのもありだろう。
すべての戦国武将が天下取りを狙っていたわけではない、ということからだって想像できることだよ。


31 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 04:10:51
>>30
大返しなんて、確実性のある話ではない。
織田家がツートップが消えて、空中分解状態なので、
ある程度工作していたとしても、追撃策が決定されるかもしれない(普通はそうするだろう)。
また、家康と共謀?しても、光秀には何のメリットも無い。
だいたい共謀なんてしたら、情報が漏れやすくなり、褒章目当てなどで、
計画は破綻するわけで、頭のいい光秀がそんなことはしない。
信長と、既に織田家の家督を継いでいた信忠(No2)が京にいて両者を同時に殺せて、
羽柴は毛利、柴田は上杉と戦っていて簡単には戻れず、
徳川は自軍と離れて数十人で暫くは問題外という絶好の機会は、もう二度とないので、
下克上をしただけ。
信長を殺るだけでは、尾張、美濃、信濃、甲斐の軍団長でもある信忠に、簡単に返り討ちになるが、
信忠の京入りは、予定が急遽変更されて決まったもので、共謀している暇もない。
秀吉の大返しがなければ、光秀の畿内の制圧は可能であっただろう。


32 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:05:16
でもあの状況に秀吉か勝家がおかれていたら、やっぱり謀反してたかな?

33 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 18:04:54
謀反したいな♪あったらいいなっ♪の
勅令
昔からの知り合い、親族、味方沢山
中国から急いで返って来ない人


34 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 12:53:10
>>31
>光秀には何のメリットも無い。

ないとは言い切れんな。
柴田や羽柴などの信長直属の部下よりも、同盟者という一歩はなれたところの家康を味方につけておくのはただそれだけのことでも有利に働くこともある。
結果がうまくいかなかったというだけ。

35 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:12:49
>>11
>怨念というよりも私怨というのが正しい。
怨念だと、呪いみたいになっちゃうしな

36 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 13:57:24
変事後に撤退作戦に移行したのは秀吉だけじゃない。
四国攻めも、上杉攻めも撤退に移行してる。
撤退の判断を誤った滝川は孤立して北条に大敗する羽目に陥
ってる。
基本的に兵糧など補給上の問題から、後方が脅かされる事態
になれば、最前線に長くいられる道理がない。
なんとしても自領に舞い戻りたいし、そうせねばならない。
中国攻めの秀吉と四国攻めの信雄・丹羽が合流するのは、位
置関係から、当然の流れ。
両者は共に自領に戻る上で、光秀と対峙せざるを得ない位置関
係にあったから、合流して光秀打倒に動いた必然的な動きでし
かない。
大返し云々で、秀吉の関連を疑うのは馬鹿げている。

37 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 14:08:22
渡海作戦になっている四国攻めは、補給の問題は非常にネックに
なるので、撤退は必要不可欠。
四国攻めが頓挫すると、長宗我部が盛り返して、毛利と連携して秀
吉軍の補給路を攻撃する恐れがある。
光秀が他の織田家家臣と同盟する可能性もあるから、敵地に長居
するのは危険極まりない。
追い打ちを掛けられないよう、情報秘匿の上短時間に撤収する必要が
秀吉にあった。
撤退作戦は危険を伴うからこそ迅速さが必要なわけで、必要だったから
早く戻ったに過ぎない。
上杉攻めも素早く撤退した連中が居たおかげで、滝川だけが旧武田領に
居残る事態になっている。

光秀は、織田家臣団の動向を全く読んでいない場当たりな謀反をした
に過ぎない。

38 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:02:14
謀反の理由?
そりゃ濃姫との浮気がばれそうになったからだよ。
史料がない?
こんなこと恥ずかしくて口にできるわけないだろ。

39 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 16:45:49
よいか!いまこそ、この光秀、天下を変えるっ!
天下布武と唱え、民草を安寧に導くと言いながら、宗門を虐げ、
武田が滅びると自らを神と称し、帝をも膝下に置かんとする所業!バンッ、許しがたし!
天下のため、てぇばいいたす

40 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 11:54:30
>>37
前線から撤退するのは当然としても、相手の追撃に対する体制を整える必要がある。
柴田の場合は対上杉戦で、せっかく奪取した魚津城を明け渡して撤退したが、
上杉方の工作もあって越中の国人衆で寝返るものが続出し、その鎮圧にも時間を取られた。
上杉の場合には、主兵力は春日山に向かっていて前線にはいなかったが、
対毛利の場合は主力どうしが向かいあっているわけで、
信長の死で士気が上がらない上に、撤退するところを攻撃されたらどうしようもなく、
羽柴軍団は壊滅していただろう(普通の戦国武将なら追撃するだろう)。
また、相手の追撃が多少遅れたとしても、ほぼ全軍で戻ってしまうとガラ空きとなり
毛利の切り取り放題になるので京に簡単には戻れず、播州で様子見がせいぜい。
四国攻めの兵は、信長の死で逃亡者が続出し、津田信澄殺害などで混乱、
大返しで合流する先がなかったら雲散霧消していた。
光秀の下克上のタイミングは悪くはなく、前線で両軍が対峙していない柴田の方を心配していたかも。
秀吉は大バクチに勝ったわけだが、その場合でも光秀が近江や美濃など東方でなく、
摂津などの西方の制圧を優先していたら結果は違っていたかもしれない。

41 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 21:16:17
まあ黒幕を疑うとしたら普通に毛利しかありえないだろうな。

別所、荒木、明智のラインで調べていけば面白いかもよ。
浅井まで繋がったら流石に笑うが。

42 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 17:33:59

むしろ毛利は相当弱体していたから変の情報を入手しても
秀吉を追撃できなかったと考えるほうが自然だ。
秀吉も毛利の内状を知っていたから行動できた。
だから井沢説のように翌年には信長はほぼ天下を握っていた
というのは無理な説ではない。
しかし追い込まれれば戦場で何が起こるかは判らない。
厳島の合戦や幕末の第二次長州戦争のように
追い込まれれば火事場の馬鹿力を発揮するのが毛利だ。

43 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 18:20:51
だーかーらー
部下もまともに掌握出来ないのに天下とれるはずないだろ
井沢はほんと頭悪い

44 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 18:29:27
逆にさ、本能寺の変を起こした後、どうしたら光秀は天下を取るor生き残ることができたかな?
天海は置いといて。

45 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 19:03:00
山崎の戦いで秀吉を撃破すること

46 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 20:05:10
本能寺の変がなかったら
山崎の戦いで勝っていたら

可能性ゼロの妄想w

47 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 20:27:01
>>42
>しかし追い込まれれば戦場で何が起こるかは判らない。

つ 本能寺の変

48 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 22:59:31
>>42
そんなの「説」とは言わない。

49 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 03:26:16
>>42
毛利が弱体化してたんなら、信長が援軍(その先鋒が光秀)を送るまでもない。
兵力は毛利の方が羽柴より多く(羽柴2万+浮田1万vs毛利4.5万)、毛利方は信長を含む強力な援軍の影におびえていたにすぎない。
本能寺で援軍は幻と消え、敵が背を向けて退却にうつったなら、毛利は数的にも優位であり追撃戦での勝利は疑い無い。
むしろ、この時代の常識では追撃しないほうがオカシイだろう。

>>45
本来は、山崎の戦いなどは無いはずだった。
秀吉の予想外の早い大返しで、全ての段取りが狂ってしまった。
光秀も山城、近江を制圧するなど順調に足場を固めていたので(この時点ですでに130万石)、
もし、秀吉と対決するような場面になるとしても、
摂津あたりまでは版図になっているはずで、負けるハズが無いと思っていただろう。

50 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:39:56
>>44
謀反を起こした時点でどのみち明智は天下を取れませんし、生き残れません。

51 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 02:58:57
>>50
当時の下克上の世の中では、謀反は普通、
その後、生き残るかどうかは当人の運、または力量によるだろう。
当時の主君を追放、あるいは殺害したものとしては
織田信長(足利義昭)、長尾為影(上杉房能、顕定)、
北条早雲(堀越公方)、斉藤道三(土岐頼芸)、
宇喜多直家(浦上宗景)、三好長慶(細川晴元)、
明智光秀(織田信長)、数え上げればキリがない。
もちろん、織田や明智のように、後に没落したものもあれば、そうでないものもある。



52 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 07:21:51

織田家自体、尾張国守の代官のそのまた分家だからな。


53 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 08:55:03
馬の骨だな

54 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:04:49
デアルカ光秀ぇ!

55 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:20:15
土岐源氏様をつけろよデコ助やろうー!

56 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 17:09:25

馬の骨と骨の馬の諍いだったのか本能路

57 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 17:52:02
実は信長が天皇に成り代わろうとしていて
それを防いだ「義挙」だとする説もあるが
そもそも光秀が「天下取り」を考えていたのかどうか

58 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 20:18:51
やっぱりあれだよ。明智は信長に鎮圧されていた民の行く末を考え、自らが信長に代わって全国を統一し、新しい日の本を創ろうとしたんじゃないか。
いや違うと思うが。そう思いたい。

59 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 21:46:06

信長教の熱烈な信者である光秀は
他のものが信長を神と崇められるのが耐えきれず
「俺だけの信長様〜」といって本能寺に突っ込んだ
というのはどうだ?

60 :高嶋政宏:2010/06/09(水) 00:10:24
ほっほっほっほ。さすがは織田家随一の重臣光秀殿。負けてはおりませぬのう。

61 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 02:10:14
井尻千男『明智光秀 正統を護った武将』(海竜社)
http://blog.kajika.net/?eid=996733

評者 宮崎正弘

信長が合理主義の近代をひらき経済自由主義者だったという妄説を駁
す。明智光秀は謀反人ではなく義挙をとげた悲劇のヒーローではない
のか。

正統とは何か、歴史とは本質的にいかなる存在か。なぜ正統なる価値
観が重要なのか?歴史と正面から向き合い、国家の自尊をもとめて行
動する知識人=井尻千男氏は主権回復国民運動の中枢を担い、歴史認
識の正論を国民に問うために戦い続ける。


62 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 16:53:49

信長を近代史観で観てると同様、光秀を皇国史観で見てるわ。
イデオロギー史観ウザイ。

63 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 17:33:04
皇国史観で当然だろ それが日本の歴史なんだからw

64 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 20:39:39
>>46そもそも筒井と細川が明智から離反しなければ山崎の戦いは勝てていた


65 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 21:44:45




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. |`゙'' ./   `'゙'''"    .〉,l |
 |.   ,'           //     近代に先祖が4代も不明なら、信成よ、おまえはワシの末裔じゃないだろう
. ',. ,'           , r' 
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''  
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |   織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】 
.  |  |  .l i       / ./ |  |    http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
  |  |  | l      / ./ .|  |
. |  |   | l     / /  |  |
 |  |   | ',   / /  l  .l



66 :日本@名無史さん:2010/06/10(木) 00:23:04
>>64
もし山崎の戦いに勝利したとしても詰んでる。
今度は柴田との挟み撃ちに合うから。

67 :日本@名無史さん:2010/06/10(木) 14:08:32

細川は事前に光秀がかなり欝だって気づいていたな。
そうでなきゃあんなに早く坊主になれるのが不自然だ。
目的を果たした変後の光秀は木偶人形状態で
斉藤利三が支えてやっとでなかったの?

68 :日本@名無史さん:2010/06/10(木) 14:35:03
信長に女寝盗られたからじゃないか。



また近いうちに
ありがとうございました。

69 :日本@名無史さん:2010/06/10(木) 23:12:35
>>66
どうかな、中央の情勢が一気に決着がつかないようなら
慎重な毛利とて黙ってはいないであろうし、東へ向かう毛利の押さえに兵の大部分を裂く状況になる。
また、山崎の勝利により、日和見している大名(筒井など)の光秀側に立つものが続出、
その他に、羽柴を裏切るものも出てくる。

70 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 18:43:43
>>69
毛利は秀吉側について一緒に光秀討った方が断然オイシイのですがね。

71 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 20:46:52
>>70
光秀と旧羽柴領を分け合ったほうが、断然、お得です。

72 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 22:00:54
>>71
お得なのはそこまでで、その先は未来ないけどな。
光秀討てば織田家の戦力も手に入るし朝廷の支持も得られるし天下狙うのにいいことずくめ。

73 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 22:03:35
光秀の立場を自分の立場として考えてみるべき。

・名家のプライド
・母親を信長に殺されたも同然の状態
・許婚が信長の正室に
・それまでの領土召し上げ、欲しけりゃ攻略して来いと言われる
・苦言を呈したら、大勢の前で足蹴にされる
・勤皇佐幕の志が強い光成と、倒幕はおろか自ら「王」に成ろうとする信長

そもそも光成と信長は考え方が相容れない存在。
光秀を介して信長に紹介した将軍義明を追放、光秀は完全に面子丸潰れ。
まぁ…義明は低脳だったって所で諦めもついただろーが…。
それにしてもねぇ…。

朝廷軽視、母親・領土の件にしても通常なら奮起して当然かも。
光秀の立場なら、もう我慢成らんと思ってもおかしく無いだろう。

逆に、光秀に肩入れせず、信長人気も相まって「光秀=謀反人=卑怯者」と
評価されてるのは可哀相な気もするな。


74 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 00:05:15
まとめ

・武田攻めの御折檻
・徳川様接待不首尾のお怒り
・近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰
・丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち

など、語り尽くせぬ怨みがあるが、こたびの戦、決して私心ではなく、若い頃、尊敬した武田信玄公の護り神新羅三郎義光公に誓った、二度と太刀を抜かぬと、誓ったが、もー我慢ならぬ、私の命にかえて、許していただきたい、天下のため、もろ刃の剣を抜く。

75 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 11:55:34
山崎の戦い明智勝利→中央の情勢が泥沼→島津、伊達、長宗我部の成長
→毛利、上杉の逆襲→応仁に逆戻り

76 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 23:26:05
>>72
そのころには、畿内、近畿を制圧してるので、一番天下に近いのは光秀。
山崎の合戦の前でも、近江、山城、丹波、若狭などで140万石だが、
毛利と羽柴領を分け合った時点では、大和、河内、和泉、摂津、丹後、
但馬、播磨、うまくいけば美濃までも加えてると400万石に近くなる。、
また、実は違うが、畿内を支配する実力で、忠臣というお墨付きも得てるだろう。
(朝廷に対して叛意をもっていた信長を倒した忠臣ということにしてもらう)


77 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 09:34:12

しかし明智の兵隊さんは大変だな。


78 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 16:56:26
本能寺の変で気になるのは信長に随行していた黒人従者「彌介」の安否。
モザンビークの黒人王国の元王族で数ヶ国語に長けたイエズス会の優秀な諜報部員でもあった彼が
まんまと巻き添え死する筈もなく、仮に明智軍の何重もの包囲網を掻い潜って逃げ延びたところで
当時としてはその異様な容貌では市井に隠れる術も無かっただろうし、本当にどうなってしまったのだろう?

79 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 17:39:50
一万数千の軍勢が悟られずに京に侵入し本能寺を包囲する
よく成功したな
奇跡としか思えん
暗殺じゃなくて謀反して討ち取るだもんな

80 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 16:42:13
>>74
全部高柳光壽「明智光秀」(人物叢書)で否定された話だな。
反論もないまま復活させるなアホ。

81 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 19:13:14
>>73
信長光秀が相容れないんなら、なぜ浪人同然から織田の軍団長にまで
出世できるんだ?
だいたい佐久間信盛の折檻状で、信長は光秀を家中一番に評価してるぞ。
光秀が勤皇家というのも根拠がない。ただなんとなくそう感じられるという
だけ。
勤皇家なら誠仁親王一家を徒歩で二条御所から退出させたり、
御所への小屋懸を放置するはずがなかろう。

82 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 17:47:49
>>81
>信長光秀が相容れないんなら、

それだけのはなしなら、別に不思議はない。
自分と相容れない人間をあえて部下として配置する、ということはあってもおかしくない。
思想信条に隔たりがあろうが、実力があり謀反さえ起こさないと思えば登用もするだろう。

怨恨だとか不仲だとか、そんなところではなくて危険回避、危機管理の手段結果が本能寺だったんじゃないの?
怨恨も不仲というのも光秀個人の心情。それがために己が部下大軍団を動かすかなぁ。
もっとも、入れ知恵した人、同じように謀反をおこそうとしながらばっくれた人なんてのは居てもおかしくはないだろうけど。

83 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 12:39:30
黒幕説もそうだが光秀の信長に対する怨恨説では、
重臣たちへの説得をどうしたのか説明がつかない。
光秀が信長を恨んでいたとしても、重臣たちが反対すれば
謀反など起こせない。
その点を考えればやはり野望説が妥当だと思う。
天下取りできるから重臣たちも光秀に付いていったのだろう。

84 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 05:55:14
>>80
ネタに反論乙

85 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 15:28:46
二条城を攻撃したことで、朝廷工作に失敗したような気もするな。
御上に刃を向けたようなものだから。
後年の、禁門の変のような状態になってるんじゃないかと

細川離反も、原因はその辺にあるのでは?
光秀の親戚として朝廷工作を担って貰えば最良の立場だったのに、
離反されたことで、何もかも巧くいかなくなっているような気もする。

86 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 16:52:41
>>79
確かに、奇蹟に近いよな
誰一人、密告者を出さずに謀反を完結させた光秀は、
さすがに高い能力の持ち主であることを如実に示している


>>82
いや〜社会では普通、相いれない部下を出世させないよ
なぜなら、上司としてはかわいい部下に手柄を立てさせたい
優秀な部下でも、嫌な野郎には大事な仕事は与えない信長と光秀は割りといいコンビだったと思う
信長にぶん殴られたとか、諸々の逸話が残っているのは、
本能寺の理由を解釈するためにあるのでは…

87 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 19:48:19
光秀の野望作れよ買うぞ

88 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 21:41:40
>>83
その点は佐久間信盛の追放で説明できる。
佐久間信盛は光秀や秀吉のように信長に取り立てられて出世した者と違って尾張の豪族。
信長と家康のような同盟関係に近い間柄で信長についてきた。
立場的にも会社で言うと副社長のような重臣の中の重臣であった。
その佐久間信盛でさえ信長の一声ですべてを失ったのだ。
この衝撃は大きかっただろう。
そしてがむしゃらに働いて出世しても領土をすべて召上げられ敵地を切り取らなくてはならない悪夢。
光秀だけではなく重臣達も信長のやり方には付いて行けなくなって当然だと思う。
もし野心説をとるならもっと早い段階から家臣を取り込んで綿密に計画を練っていたと思う。
だが実際の光秀の行動はあまりにも場当たり的。
本能寺で信長を討ち取ってから次の行動にミスが多すぎる。
安土への道中に割拠する領主達を味方にできなかったばかりか蒲生に安土の金銀財宝を隠されてしまいこれが後の行動に大きく影響してくる。
そして味方になり得た津田信澄軍が大阪にいたにも関わらずなんら援助も行なわず見殺しにした。
本能寺の変は鬱屈した光秀の心が起こさせた発作的な出来事ではなかったかと推察する。


89 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 21:46:54
いずれにしても信長の統率力のなさが全て

90 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 22:00:08
つまり光秀ノイローゼ説ですな

91 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 00:03:54
>>88
佐久間追放の折檻状で「一に光秀、次に秀吉」じゃない。
佐久間追放でなんで光秀が不安になるの。
門閥家老より光秀が家中トップであるって言われて

92 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 00:12:50
門閥家老ですら簡単に追放されたんだからいくら現在トップでもちょっと気を抜けば追放されるという恐怖感じゃないかな?

93 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 00:33:33

はい言論統制が始まります。
今年の7月から東京にあるネッ▲トカフェはすべて会▲員制になります。匿名書き込みできなくなりました。
警察が、ユ▲ダヤ(統▲一京会)や薩▲長連合のためにイ▲ンターネ▲ットカフェ規制をした。


↓【参考:洗▲脳支配  苫▲米地英人(著)】↓【参考:マ▲インドコントロール  池▲田整治 (著) 】↓
・ 第二次世界大戦時、油田のないドイツに石油を販売していたのは、英国女王支配下の石油会社。
・アメリカ軍から「日本の水道水には塩素が入ってるので飲めない」と言われた。
  GHQのマッカーサーが日本人を弱らすために水道水に塩素を入れた。古い水道管から溶けだす鉛や、
  農薬や有機物質と塩素が化合し、トリハロメタンやMX等が猛毒の原因にもなっている。

■いま日本の最▲高権力者は薩▲長連合(鹿児島県、山口県)の田舎侍たちです。日本はいまだに武家社会です■

・明治維新はテロだった
薩▲長土肥・・・・・ユ▲ダヤのロンドン支店が資金を貸し出す(年利18%)
幕府・・・・・ユ▲ダヤのパリ支店が資金を貸し出す(年利18%)
借金を型に最新兵器を売り、彼ら(ユ▲ダヤや貴族)の派遣した軍事教官をもって教育し、最新武装の洋式軍隊を作ればいいだけだ。

・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県、 高知県、
佐賀県、 長崎県出身者ばかりです。国策捜査は、薩▲長連合やアメリカのための捜査です。

2▲ちゃんねるに書き込めないレス
http://m▲egalodon.jp/2010-0527-2135-09/anchorage.2ch.net/test/read.cgi/s▲iberia/1▲274526803/2▲96

新しい掲示板に移動しよう

統▲一京会=2▲ちゃん運▲営=清▲和貝=薩▲長連合=ユ▲ダヤ権力
2▲ちゃんねるは統▲一京会の世●論工作所として作られてる。あとI●P集めが目的。


94 :日本@名無史さん:2010/06/25(金) 21:36:49
本能寺の変の黒幕はいる。
だが明智光秀は黒幕の存在を認識できていない。
たがらあたかも光秀の単独犯のようにみえるのだ。

95 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 06:37:10
>>79
でも、本能寺から脱走できた人ってけっこういるんでしょ。
なんか包囲が中途半端なんだよな。

信長だって本気で逃げれば脱走できたかもしれない。
だって、首を見つけられないぐらいだし。

本能寺の変の光秀は手際がいいのか悪いのかよく分からない。

96 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 13:53:42
>>95
本能寺から脱出できたのは女性たちのほかは
黒人ヤスケだけで、あとはみんな討ち死にしたはず。
二条御所と間違えてないか?
二条御所からは織田長益(有楽)、水野忠重、
前田玄以、山内康豊などが脱走している。
そのため信忠も脱出可能だったかが議論になっている。

97 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 15:10:05
>>96
そうなの?

それじゃ、信長公記にある信長の最期の言葉の「是非に及ばず」って、証言者いるの?
その脱走できた女性たちが証言したの?

98 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 16:17:34
>>97
確証はないが、研究者たちは「信長公記」の作者太田牛一が、
その女性たちから取材して記述したとみていて、是非に及ばずも
作者の単なる創作とは見ていない。

99 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 21:26:48
>>95
光秀の包囲は完璧だった。
逃げ延びた人は光秀が逃がしただけの話。
あれだけ不利になると臆面も無しに逃げ回った信長が逃げるのをあきらめたわけだ。
信長は襲撃者が光秀だと知った瞬間に包囲の完璧さがわかったので逃げる事をあきらめ火を放つ事によって遺骸探しという最後の難問を光秀に置いて死んでいったのであった。
「是非に及ばず」という言葉はまさにそういった様々な要素が含まれたある意味信長らしい名言ではないかと思う。

100 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 21:54:04
>>99
でもさ、本能寺がどれくらいの広さかしらないけど、そんな見分けもつかなくなるぐらい人間って燃えるの?

乾燥させなきゃ、普通そんなに燃えないでしょ。
人体って水分の塊だよ。
まあ、皮膚が焼ける程度でいいのかな?

でも、なんか死体が見つからないって不自然なんだよね。
なんなら、光秀が似てる首を引っ張り出してきて、「見つけたけど、腐敗してたから燃やした」って嘘ついてもいいし。
信長の生死が確認できないって、一番クーデターとして問題じゃない。

なんでウソもつかなかったのかな?
正直に見つからなかったことにしたんだろ。

101 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 22:09:19
本能寺は守りが薄く、信長本隊の大部分は二条屋敷にいた。
一方、光秀は大部隊を率いており、
光秀部隊は信長の命で徳川家康に奇襲をかけると思い込んでいたらしい。

女性は戦国の世でも助命されることが多かった非戦闘要員なので信長が逃がし、
光秀も本能寺から逃げる武器を持たない女性たちを深追いしていない。
黒人弥助は脱出できたのではなく、光秀に生きたまま捕えられている。
ただし、光秀に「人にあらず」と言われて命を奪われず国外追放になった。

102 :信長:2010/06/28(月) 02:07:06
クソ 光秀 クソ こいつのお陰で日本の近代化が遅れたと言っても良いほどだ。


103 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 11:19:34
>>101
>光秀部隊は信長の命で徳川家康に奇襲をかけると思い込んでいたらしい。
兵士達は「魔王ならさもありなん」って納得してたんだろうなwww
あの時代の信長に対する世間の評価ってすごいねw

104 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 12:04:01
>>100
木造の建物が全焼すると、最高温度は1000度近くに達するから、
遺体は炭化して性別の判断すら出来なくなるまで燃える。
消火活動は殆ど行われず燃えるに任せてるから、見分けが付かな
いのは当たり前。
居場所や死んだ状態(割腹した姿など)で類推できるが、信長が意図し
て解らないようにしてしまえば、推測すら不可能になる。
広間ではなく廊下の辺りで刀を手に大の字で転がってれば、討ち死に
した家臣と見分けは付かないだろう。(居場所は、本能寺を知る物から
間取りを聞いたり、柱の土台に使う石の配置などで、遺体の位置は解る)

首を渡さないという大前提で行動すれば、照明用の油を被り可燃物
を多く身の回りに起き、遺骸の状態が「信長はこのような無様な格好
ではないだろう」と思わせるような、転がり方をしておれば、真っ黒焦
げの焼死体から、「信長に間違いない」と思える物は見つからない。
ドラマにあるような割腹は、していない可能性が高い。

105 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 14:49:24
信用して良いのかどうかは分からないが
信長の煙硝流通ルートが本能寺で、
大炎上したというのが、井沢元彦説

106 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 16:04:59
なるほど!
当時の寺院は兵士の宿舎や食料武器弾薬など荷駄の集積所にってましたよね!
大阪城下には多くの寺院が移築され有事の際に備えられたとの事。
なので今も下寺町など寺院がズラリとならんでいます。
安土に転居してから信長が宿舎として使っていた本能寺を対毛利戦用の荷駄集積所に使っていても不自然ではないですよね!


107 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 21:38:01
>>104
じゃあ、光秀は、どうして正直に「信長の遺体は見つからなかった」って言ったの?
嘘でもいいから、「死体見つけた。信長は確実に死んだ」って言えばいいのに。

108 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 22:47:00
>>107
そういう工作のできる人じゃなかったのかもね。
ていうか、本能寺の変以降の光秀はあまりにもミスが多すぎる。
魔王信長を殺した後は呆けてしまったのかもね。

109 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 14:18:33
そんなウブな戦国武士がいるかよ

110 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 02:35:56
>>88
> そしてがむしゃらに働いて出世しても領土をすべて召上げられ敵地を切り取らなくてはならない悪夢。

石見切り取り前に丹波召し上げ説はとっくに否定されている。



111 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 10:12:40
以前テレビドラマで小野寺昭という俳優が光秀を演じた時は
実際に頭が悪いという設定だった。
同じ俳優が演じた刑事ドラマの「殿下」とは正反対。

112 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 12:02:22
信長が光秀を管理・掌握しきれていなかったのが悪いみたいな書き込みがあるが
内に秘めた翻意や突発的な謀反まで掌握しきれる人間なんて居ないわ
エスパーか何かかと思ってんのか

113 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 15:03:19
>>88
本能寺の変・山崎の戦いでの明智軍に丹波国衆が大勢いるんだが。
本当に召し上げられたのなら13000といわれる大軍を率いて
事件を起こせるはずがない。
中国への国替も典型的な俗書といわれる「明智軍記」にしかない話。
史実とは認められない。


114 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 16:58:45
>>107
信長の遺体は見つからなくても、当時の人は「信長は死んだ」
と思ってるんだよ。
携帯もニュースもない時代、中国にいた秀吉すら信長の死を
確信して大返ししている。
もし誤報だったら勝手な戦線離脱で責任は免れないのにだ。

115 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 21:10:09
>>113
織田信長の部下操縦法はこうだ。
領地を召上げ豪商から借金をさせて軍役につかせる。
報酬は切り取った敵地。
必死になって敵と戦う。
そして敵地を奪い振興策を施し領土を富ませたとこでまた召上げられ次なる敵の領地を切り取らされる。
光秀はすでに九州の名族である惟任の姓と日向守という役職を信長から与えられた。
これは何を意味するか光秀は痛いほど理解していたわけで。
九州まで敵地を切り取っては召上げられるという地獄が繰り返されることが確定していたわけだ。
信長は尾張の小領主の時代から恐ろしいほど苦難の道を歩んできた人物。
だから信長の尺度はあまりにも部下にとっては過酷だった。
光秀はもう精神的に疲れきっていたと容易に推測できる。

116 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 21:16:58
>>114
確かにおっしゃるとおり。
想像してみたら怖い賭けのよう。
たまたま秀長の陣に迷い込んだ怪しげな密使の持っていた手紙だけが信長の死の根拠。
これを信じて勝手な和議を結び全軍撤退させて誤報だったらおそらく秀吉でさえ殺されただろう。
だからこそ秀吉真犯人説が囁かれるのではないだろうか?
密使を捕らえてから石田三成に和議案を作成させそれを安国寺恵瓊に持たせ毛利輝元・小早川隆景・吉川元春に合議させるまでを夜明けまでに実行させた。
これは確信がなければできない所業。
真実は別にあるのか興味の尽きない歴史物語ですな。

117 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 21:42:48
光秀は、いくら戦国の世とは言え、母親を殺されたよーなもんだろ。
領土召し上げ、敵地切り取りを言われて堪忍袋の緒が切れただけだと思う。

118 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 21:56:57
>>117
母親を殺された・・・「総見記」
領土召し上げ・・・「明智軍記」
がそれぞれ初出。
いずれも事件から100年以上経って書かれたもの。
信憑性がない。


119 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 22:10:08
>>117
どちらも真実であると仮定しても、
領地召し上げならともかく、光秀の母が殺されたなんてことで
明智の家臣団が付いてくるか?
「殿の母上が信長に殺されたから信長殺しだ!」なんて
家臣たちが思うのか?
そういう光秀の個人的な感情や怨恨で、本能寺の変の原因を
探るのはもう古いんだよ。


120 :日本@名無史さん:2010/07/01(木) 22:56:20
個人的な感情や怨恨が動機でもいいけれど
出典が後世の創作物だしな。

必ずしも事実通りとはいえない『信長公記』『日本史』よりも
創作の度合いがさらに高い『信長記』『太閤記』よりも
輪をかけて信用できない『総見記』『明智軍記』・・・・

121 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 12:27:50
つい最近もマツダ工場でキチガイが暴れただろ
人間は精神的に追い詰められると暴走しちゃうんだよ

122 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 20:01:49
>>114
>>116
う〜ん、考えてみたら不思議だよな。
どうしてみんな死体がないのに信長は死んだと思ってるんだろ…。

まあ、死んでなくても、光秀が反乱を起こしたと言う理由だけで、中国大返しする理由にはなるか。

なんか、もしかしたら、本能寺の変って、一種の集団謀略だったんじゃないの?

実は犯人は個別にいなくて、オリエント急行殺人事件みたいに、集団がみんな口裏合わせた。
実は光秀も、秀吉も、柴田も、家康もみんな共犯だった。
全員に動機はあるし。

123 :日本@名無史さん:2010/07/02(金) 20:41:59
>>121
ちょっと上に書いてあることも読めないのか?
本能寺の変は明智光秀ひとりで起こした事件じゃないんだよ。
明智家臣団も一緒になっての犯行なんだよ。
光秀ひとりが追いつめられていても家臣団はそうでなければ、
また成算がないと思ったら家臣たちが必死になって止めるだろ。



124 :日本@名無史さん:2010/07/03(土) 00:42:32
いやいや精神的に追い詰められてなかったら謀反なんてリス区侵さないよ


125 :日本@名無史さん:2010/07/03(土) 03:10:10
信長に対して負の感情が蓄積

己が覇者に成りたいという戦国武将としての野心

この2つをかなえられる機会が到来


これだけそろえば謀反しちゃうよね

126 :日本@名無史さん:2010/07/03(土) 22:33:45
>>124
戦国時代より以前には、謀反・裏切り・暗殺などは日常茶飯事。
それらすべてが精神的に追いつめられていたのか?
もう一度言うが光秀がそうであったとしても、
重臣たちも同じように追いつめられていなければ
本能寺の変は起きない。
さあ、重臣たちも追いつめられていた証明をしてくれ。

127 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 00:47:03
それにしても母を殺されたとか中国への国替えとか、
後世の俗書が出典なのになんども繰り返すヤツがいるんだ。
黒幕説もそうだが、そういう怨恨説では、重臣たちへの説得を
どうしたのかの説明がない。
黒幕説では「何故殿が○○のために?」と考える家臣がいるはずだし、
怨恨説では光秀の個人的な恨みで明智家臣団全体が動くのかがわからない。
ここらをちゃんと説明してくれないか?

128 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 04:15:31
光秀の動機が怨恨でも、信長を殺して政権を掌握できれば重臣も栄達できるだろ?

129 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 09:48:02
>>128
>政権を掌握できれば
だからそれが高柳光壽を中心とした「野望説」じゃん。
野望じゃなくて怨恨だということにならないだろ。


130 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 10:30:23
本人にも理由がわからないのに、どうして後生の人がわかるんだ?

131 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 15:22:35
>>130
後半はその通りだが、前半は?だな。
本人にもわからないって、光秀が錯乱か発作でもしていたってか。
そんな主君に家臣たちが黙ってついていくものかね。
本人と明智家臣団はわかっていたに決まってる。
ただその動機となると、史料がないんだから不明としておくのが
正しかろう。
「本人に聞いてみるしかない」で終わらせるべきだ。

132 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 18:57:35
遺恨と野心の両方だろぼけ茄子ども
どっちか一つなんて有り得ないんだよ

133 :日本@名無史さん:2010/07/05(月) 00:59:35
普通に考えて統合失調症
被害妄想に陥ったんでしょうね
だから合理的な行動を全く取っていない

134 :日本@名無史さん:2010/07/05(月) 01:59:57
信長殺害後の行動をみるに
とても前もって計画して行ったものではない
陰謀説はまず無いね
遺恨、野心、統合失調症のどれが理由かはわからんが
千載一遇のチャンス到来で突発的に行動したぽいな

135 :日本@名無史さん:2010/07/05(月) 20:05:04
>>133
忠臣蔵の浅野内匠頭と比較するとわかりやすいが、
浅野は1人で吉良を斬っている。
だから乱心とかいろいろ言われてるが、これは本人の
個人的な感情で片づけられる。
だが本能寺の変はまったく違う。
光秀が統合失調症だとして、重臣たちまで同じだったのか?
重臣たちがそうでなければ止めてるはずだろ。
そういう光秀の個人的な事情で説明できる事件じゃないんだよ。

136 :日本@名無史さん:2010/07/05(月) 21:12:37
重心重心うるさいな
反対したが聞き入れられなかったか
または信長殺せば天下取れると思ったから従ったかのどっちかだろ
だいたいまともな頭なら謀反なんて起こさねーよw


137 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 14:42:19
戦争の終わった時代の吉良上野と、戦時中の信長を比較してどうするw
敵に奇襲を受ける心配をしてなくて手薄とはいえ、小姓や供回り100人程度は本能寺に置いてるよ
光秀も一人で出来るなら一人でしてたって

138 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 22:35:46
>>137
比較してるのは信長と吉良ではなく、明智と浅野。
浅野が殿中刃傷、浅野家取りつぶしと決まったとたん、
家中たちはみんな「その場に自分がいれば止めたのに・・・」と
思ったことだろう。
しかし明智の場合、山崎の戦いならともかく本能寺の変のあと、
「殿を止められずに信長を殺してしまった、しまったなあ」などと
思った家臣がいただろうか。
秀吉の「中国大返し」がなければ光秀の天下取りは成功していたはず。
家臣たちがみんな賛成したから信長殺しは成功した。
もし家臣たちの中で脱走したり、信長に密告する者がいたら謀反は
失敗しただろう。
だから光秀の個人的な動機なんかじゃ事件は起きないと言ってるんだよ。
また信長を殺せば天下が取れると思ったから従ったというなら
「野望説」でいいじゃん。
何故光秀の怨恨とか、統合失調症とか言うのかわからん。


139 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 07:28:08
光秀がまともな思考出来てたら謀反なんて起こしてないわw

140 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 09:02:59
>>111
あのドラマって信長(高橋英樹)も光秀を人間の屑みたいに言いながら
戦場では信用していたし。他の登場人物もバカみたいだったな。

141 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 09:43:39
>>138
同意、光秀の独断で謀反なんて起きるわけがない。

142 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 10:45:44

小室直樹『信長ー近代日本の曙と資本主義の精神』(ビジネス者2010)

第一章 「本能寺の変」が近代日本を作った

いきなりこれだからな。
突っ込みどころはマンサイだが、さすがに最終章は「学者」らしく手堅い。

143 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 10:48:49
訂正 ビジネス者→ビジネス社

144 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 12:33:23
明智光秀と織田信長の共謀である

此により知識欲の強かった信長は大好きなヨーロッパへ行く事ができた。

145 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 12:38:54
>>138

まともな家臣は本能寺の前に光秀のヤバさを察して離反しとるがな 
残ってたのはイエスマンと野心のあった連中だけ

146 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 12:55:06
信長に未来はなかった

147 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 13:33:20
光秀も戦国武将
自身が天下を取りたかったんだよ


148 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 13:51:55

信長はむしろ秀吉を疑ってたな。
毛利軍優勢の報告は怪しい。
事実、毛利は秀吉を追撃出来なかった。
それで自分の側近を派遣したがどうにも挌下だ。
だから光秀の出番というわけだ。
軍監というより事実上信長の名代だな。
もし光秀がすんなり中国路にあれば、さぞかし秀吉は嫌な顔をしたろう。
むろん光秀に不満はなかろう。
そう信長が考えるのが成りゆきとして自然だな。
だから信長が天を仰ぐのも無理はない。
あくまで軍事官僚(パーツ)としての光秀を信頼していた。
野心家の秀吉は警戒していたが光秀の野心までは読めなかった。
そういうところだな。

149 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 19:12:49
光秀にも戦国武士として、たくましい野心はあるよな

後世、線の細い優等生像が造られているけど、
あの信長軍団で筆頭格にのし上がったわけで、
そんなに生やさしい男ではないよ

少しでも隙があればクーデターでも起こして、
信長なんぞボコボコにしてくれるわ!ぐらいの気骨はあったと思うね

150 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 20:51:19
光秀がやらなくても、そのうち何らかの方法で葬られてたよ。
なんせ嫌われもんだから。

光秀の単独犯行ってのも疑問だね。
秀吉一派と組んでたかもね

151 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 22:30:26
そうだよな
「本能寺の変がなかったら」
と妄想するバカが多いけど、もし信長に天下を取る力があるなら、
本能寺の変なんておきないっちゅうの。

152 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 22:51:28
天下とる能力はあるだろ
つーか実質天下とってたようなもんだし


153 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 23:20:42
>>152
それじゃまるで
マスゴミを乗っ取ったから既に日本はおれたちの物、
とか言ってる人達みたいではないですか

まあ実際、
マスゴミが信長に取ってもいない天下を取らせたようなもんだねー
昔は大して重要視されてなかったんでしょ

154 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 02:15:35
>>145
> まともな家臣は本能寺の前に光秀のヤバさを察して離反しとるがな 

誰が離反したのかな?


155 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 03:33:07
三島の「金閣寺」は主人公が光秀で金閣が信長か?
と思い読んだな
三島は天才だ

156 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 07:19:23
>>153

信長が天下取り寸前までいったのは事実だろ
信長があそこまでいったから秀吉も天下人になれたわけで
ゴール目前でこけたからってそれまでのこと全て否定てのもなぁ


157 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 07:40:51
>>153

情報はマスゴミが握られ
金はパチンコに吸い取られ
残念ですが十分支配されてますorz


158 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 08:52:29
>>156
民の心をつかまずして天下人とは言えぬのですよ

>>157
日本語を勉強してから出直せ中国人

159 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 09:27:05
まーマスゴミが美化することからも分かるように
信長ってのはチョンシナ系だったわけ。

160 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 09:57:13
【織田信成さん、本能寺を知らなかった】

知らないナリ。
織田信成さん(22=文学部休学中)は、一族因縁の地・本能寺(京都市中京区)を知らなかった。
20日付の新聞各紙が、織田さんの“本能寺参拝プラン”を報じたが、
当の本人は会見で「どこにあるんですか」と発言。
フィギュアスケートの世界国別対抗戦後に、周囲を凍らせてしまった。
【河田悌一学長(左)も“本能寺くらい知っとけ”とアキれた?写真は2月25日・千里山キャンパスBIG100ホール】

殿が仰天発言だ。
本能寺の変は1582年、先祖にあたる戦国武将・織田信長が明智光秀の謀反に遭い、自害したとされる。
受験生が“いちごパンツ”と覚える一族の宿命の時、ゆかりの地。末裔の織田さんには決して忘れない場所…と思いきや

「本能寺?どこにあるんですか。行ったことないんです」と、あっさり答えた。

昨年のシーズン開幕前、織田信長が武運を祈った福井県の剣(つるぎ)神社をテレビで知り(何でテレビ?)、
わざわざ電車で2時間かけ参拝。 お守りを身につけ、大会に出ていた経緯がある。
今年は本能寺はどうですか?と、記者からの“無茶振り”な質問にマジボケしてしまったのだ。


本能寺が織田さんの家から近い、京都市中京区にあることを知らされると
「めっちゃ近いんですね。調べてぜひ行ってみたいです」
と笑顔を見せた。ゲンかつぎになるかどうかは疑問だが、細かいことは気にしない。
五輪出場、そしてメダル獲得。信成の野望は、ご先祖の夢が破れた地からスタートする。

●ソース●
関西大学と関大前の情報紙「ブームスポーツ」
http://www.boom-sports.com/archives/51641958.html


161 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 10:02:26




織田信成が織田信長の子孫って本当?【3代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346/








162 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 12:21:21
>>156

世間で人気のあるものにケチ付ける俺様カッコいい!
な中2病アンチ信長はスルーが吉

163 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 12:27:44
>>158

秀吉や家康が心つかんでたのかw?


164 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 14:37:55
秀吉はいまだに大阪人の心をつかんでいるらしい。

165 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 18:09:09
信長人気なんて韓流ブームと同じで、作られた風潮に過ぎない

明智光秀や石田三成はネガキャン張られてもなお、地元で人気がある

166 :日本@名無史さん:2010/07/09(金) 00:06:39
馬鹿発見伝

167 :日本@名無史さん:2010/07/09(金) 00:54:14
光秀に謀反する理由が見当たらないということは、
光秀の家臣が謀反を計画し、光秀もそれに乗ったということでは?

168 :日本@名無史さん:2010/07/09(金) 13:03:42

なかでも斉藤利三はそうだな。
馬揃えの予定はあったがその中止の報告を握りつぶせばいい。
光秀以上に動機はある。
「極悪人」として磔になったが、信長、光秀の二人の主人を裏切ったから無理もない。
どうやらその娘にも「極悪人」のDNAが受け継がれたようだ。

169 :日本@名無史さん:2010/07/09(金) 21:10:27
光秀の家臣からすれば光秀に天下を獲らせれば、自分らは大名だしなあ。
主人はあくまで光秀なんで、信長を殺しても主人殺しの後ろめたさは無いだろうしねえ。
気分的には、青年将校がクーデータ起こして政権交代させる感覚か。
光秀にしても、下のもんが主導したことなんでという言い訳が立つしなあ。
主要な家臣たちが血盟して光秀に決起を迫れば追認するしかないかも。
西南戦争の西郷のように。

170 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 02:17:35
>>167-169

その説、八切止夫がとっくに本に書いている。


171 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 17:35:47
なぜ本能寺の変おこしたかったって…正直、虫の居どころ悪かったのよ、あん時のわし。

172 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 19:38:07
光秀「むしゃくしゃしていた。今は反省している」

173 :日本@名無史さん:2010/07/14(水) 01:13:18
そんな時、家臣からヨッテタカッテ「お館様、今ですぞ!腑抜けにお成り遊ばすな!」な〜んて言われちゃね。信長には、ひっぱたかれた事もありゃドクロ杯の恨みもあったしサ…

174 :日本@名無史さん:2010/07/14(水) 09:06:12
あの世で秀吉ともども信長にボコられてそう

175 :日本@名無史さん:2010/07/14(水) 17:54:04
>>150
いやだから、中国にいる秀吉に信長の動向がどうしてわかるんだ?
現代なら「織田信長がわずかな伴だけで本能寺に入りました」とか
TVのニュースで流れるだろうが、当時はマスコミもなければ
携帯電話もない。
秀吉はたしかに信長に援軍要請をしたが、信長自身の出馬要請は
していないし、京に無防備で泊まるなんてことはわかりようがないだろ。

176 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 21:08:27
>>173
信長にひっぱたかれたとか光秀の「怨恨」話は
どれも後世の俗書に書かれたもので事実ではない。
このことは半世紀も前に学者の高柳光壽が指摘している。
仮に事実だったとしても、そんな光秀個人の恨みだけで
明智家臣団まで一体になって「信長殺し」に走るものかね。

177 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 13:20:58
読んだ人いる?

「本能寺の変の謎」 米田一雄
ttp://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-08885-3.jsp

178 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 20:22:42
信長が光秀だけを特に虐めていた理由って何だったんだろう?

信長は光秀の能力自体は認めていたが、でも光秀の一々もったいつけて
利口ぶる行為が癪に触ったとか?

179 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 20:42:17
信長は明智勢を、柴田勢の次
No.2として扱っていたわけで、客観的には
厚遇しているようにしか見えないんだがなあ。



180 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 22:16:48
光秀いじめで
ある程度信憑性があるのはフロイスが書き残した
安土城の密室で足蹴事件くらいのものだろ。

ただ、この事件は信長の機嫌を損なうような発言をして蹴飛ばされたんだし
いじめとは違うよな。

181 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 22:19:49
>>179
佐久間の折檻状も読んだことがないようだな。
信長は丹波を平定した光秀を家中一番に挙げている。
中国数ヶ国の秀吉は二番目。
柴田にいたっては「おのおのの働きを聞き及びて」
加賀を平定した、ときわめて視線が冷たい。

182 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 00:12:27
やはり明智を厚遇してたことは間違いないようだな。

183 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 00:36:11
有能だから厚遇してたってことだな
そんな相手に滅ぼされて本望だったろうよ 本望寺の変

184 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 00:44:49
厚遇の事実はあったとしても、光秀が信長から真に信頼を受け、尊重されたのであれば、あの様な行動を起こすだろうか。
光秀は教養もあり、人格破綻者の印象も無いけれど…

185 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 02:44:41
光秀と秀吉は今で言う中途採用なのに、元からいた家臣を追い抜いて出世
していったので嫉妬されていたという説はよく見るね。
そういう昔からの家臣こそ信長のやり方に不満あったんじゃないのかね。

186 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 10:07:18
>>184
光秀は自らの出自を顧みて「石ころのような身分」といっていたが、信長の家臣として国持大名
にまで出世したわけだ。
それを恩に感じて忠義を尽くす人もいれば、自分の器量はこの程度の処遇では見合わないと不
満を感じ、もっと上を狙って反逆する人もいるのが戦国時代でしょ?
そして、1次史料である「フロイス日本史」や1582年に書かれた「惟任謀反記」でも野望説を採用
していることを考えると野望が大きな要素だった気がするね。



187 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 21:07:24
>>186
その「石ころのような身分」と言っていたのが奇しくも本能寺の変の
ちょうど1年前。
また変の年の正月には光秀は茶会の際、信長自筆の書をうやうやしく
掛けている。
両者に亀裂が入ったのはそれから変までの半年間だろう。
野望に加えて、四国問題があるのではないか。

188 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 22:28:51
ただ仮面の下で機会を待っていただけでは?
フロイスによれば陰謀も得意なようだし、軍団長がそれぞれ前線で敵と相対していて、
武田征伐後、遊軍となっている軍団長(かつ織田家家督)の信忠と、信長を
一挙に殺り、野望を実現する機会をじっと待っていた?
次代の信忠と光秀の関係が良好だったかどうかは知らんけど。

189 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 23:21:43
>>188
信忠との関係が良好であってもなくても、
殺すなら信長と一緒にやらなければならないだろう。
生かしておいたら柴田、羽柴らを束ねて自分が殺される。
光秀も信雄、信孝は放置してるわけだし。

190 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 23:36:05
>>187
四国問題により「光秀は織田権力から排除された」と桐野がえらく押しているが、光秀は
長曽我部と縁戚関係にあるから信長としても大将に起用しにくいだろうし、3か月の兵糧
しかない混成兵を信孝に率いさせた事実から長曽我部をナメていた節があるから、明智
軍団を有効活用するために四国ではなく中国派兵を命じたんだと思う。
しかも、武田攻めみたいな物見遊山まがいの軍役ではなく中国攻めの先陣を命じられた
のは名誉なことで四国の件から外された光秀の面目は立ったと思うから、四国問題がそ
こまで深刻だとは思わんね。

>>188
本能寺の変が成功したのは、
@信長(信忠)がほぼ無防備の状態で在京
A光秀が京都周辺で公然と大軍を動かせた
B光秀の敵となる各方面軍は遠方で反織田勢力と交戦中
これら3つの条件が6月2日に出揃ったのが大きい。
そして、確実に言えることは@〜Bの条件のお膳立てをしたのは信長自身の意思だと
いうこと。
謀反の善悪・理由はどうあれ、このチャンスを確実にモノにした光秀はえらいと思う。

191 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 09:51:16
>>190
四国問題は桐野だけでなく谷口も言ってるよ。
谷口はそれより、当代記にある光秀の年齢67歳を採用し、
老齢で子がまだ小さいことからくる不安を主原因にあげてるが。

192 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 13:59:20
>>190
信長の命令通り中国に出陣して毛利を降してもそれは
秀吉の手柄になるだけで、光秀の名誉なこととは思えないが。
ただしこの件で光秀が屈辱と思って謀反した、というのは
飛躍があるとは思う。

193 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 00:19:37
>>192
>秀吉の手柄になるだけで、光秀の名誉なこととは思えないが。
そうかな?
桐野が紹介している福屋隆兼宛書状によると、光秀が信長から命令された侵攻ルートは
備中→伯耆の山陰道ルートであり、このルートでは兵力的に明智軍が主力になるでしょ?
毛利征伐の担当はおそらく山陽道:秀吉、山陰道:光秀だったんじゃないかな。
光秀はかつて尼子家の取次をやっていたこともあるから、毛利征伐で光秀が山陰担当と
考えるのも飛躍した考えにならないと思う。

そうすると、山陽道での手柄は秀吉が独占するとしても山陰道は光秀の手柄と評価される
ことになると思うが。

194 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 21:20:40
世の中そんなに合理的な事ばかりじゃないでしょ

光秀も後年の石田光成のように安易に勝てると思い込んでやってみたら、
細川藤孝すら荷担してくれなかったってとこなんじゃ

そして、秀吉が被害を押さえる為に毛利攻めをだらだらやっていて、
引き返して来られる状況だということを掴めなかったのが最大の敗因

一方、信長は光秀はちゃんと合理的に考えるだろうと思い込んだのが死因

195 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 22:35:45
>石田三成のように安易に勝てる
そんなこと言ってる研究者がいたかな?
逆に家康が勝つべくして勝った、つまり家康の勝ちは最初から
決まってたという論者はよくいるけど。

196 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 08:50:28
三成の場合は
家康方より兵力を集めた
家康方より陣形を有利に出来た。

だが経験と人望がなかった。

机上では優秀だったんだろう。

197 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 15:06:16
単純に下克上を狙える条件が整ったから起こした謀反じゃないだろう

>>190の@信長(信忠)がほぼ無防備の状態で在京
とあるが、光秀が本能寺で信長を完全包囲してた同時刻、妙覚寺の信忠は完全放置。
信長方にバレずに行動を起こし、両寺を同時に包囲攻撃出来るだけの兵力があったにも係わらずだ
二条城に篭った信忠に光秀が兵を向けた記載は信長公記等にもあるが、妙覚寺に兵を向ける指示を出したとする記載のある資料は無かったと思う。
この事から疑問に思うのが
1.光秀が信忠が京の妙覚寺に宿泊してたのを知ってたのかどうか。知ってたなら何故、信忠に逃げるチャンスを与えるようなマネをしたのか。
2.信忠を討つことが光秀の目的としてあったのかどうか。

光秀が信忠が二条城に篭って初めて信忠が京に来てるのを知ったなら、本能寺で信長を殺ったあと光秀討伐に進軍してくる信忠軍を迎え撃つつもりだったとも考えられる。
また、初めっから信忠は眼中に無し。信長のみを殺すつもりだったとも考えられる。

198 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 16:09:49
信忠は家康・梅雪とともに5月21日に上洛、目的は京都・大坂・奈良・堺の見物とある(信長公記)。
そして、京都滞在を終えた家康・梅雪は29日に予定通り堺に下向するも、信忠はなぜか同行しなかった。
これは、同日信長が西国出陣の準備のため安土より上洛したが、信忠発給文書によると父の上洛の出迎
えのための予定変更であるとされ、信忠接待の準備をしていた堺会合衆がガックリしたとの書状も残っている。
一方、光秀は27・28日と愛宕山で連歌を催していたが、信長上洛の情報はキャッチしていても信忠の予定変
更は知らなかった可能性がある。
1、すなわち、信長は京都、信忠は堺だと認識していた可能性があるということ。
この場合、堺の近くの住吉に13000人の四国派遣軍がたむろっていたので、仮に信忠をターゲットにしようとし
ても堺派兵は不可能といえる。
ただし、信長上洛を知りつつ信忠が京都に止まったのを知らないというのはリアリティのない話だと思うが。

2、また別の可能性として、信忠在京もキャッチしていたが(信長の当時の定宿は本能寺・妙覚寺のどちらか
なので、信長が宿泊していない妙覚寺が自動的に信忠の宿所となり居場所まで特定できる)、>>197のいう謀反
のターゲットは信長のみで信忠は目的になかったので兵を向けなかった。
おそらく、謀反失敗のリスク(信長生存か信忠生存)を天びんにかけてターゲットを絞ったのか、信長に対する
私怨の情が大きかったのかどっちかだと思う。

199 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 17:44:24
大軍を一つのルートで通すのは非効率なので、光秀は明智光忠(雑賀攻めでの働きが目覚しく信忠から一字を賜る)
を別部隊(4千)にして、本隊の老ノ坂〜丹波口ルートとは別の唐櫃越〜四条街道ルートを通らせている。
この明智光忠隊が妙覚寺を囲んで、本来は同時攻撃となるハズが、なぜか光忠隊が遅かったという説がある。
また、多少時間差が生じても、街道封鎖してれば大丈夫だし、逃げ延びた人がいたからといって封鎖してなかったとは言えない。
絶体絶命の事態でも、常に逃げることを選択した信長でも、ぜひもなしと、光秀に手抜かりなどあるハズがないと自決してわけだし。


200 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 17:53:39
>>199
明智軍記にある記述なら信憑性はかなり薄い
光忠の進軍ルートに関する記述があっても、妙覚寺攻撃を指示されたことが解る記述が無い
説といっても根拠の無い推理未満

201 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 18:20:39
>>200
では、こういう推理はどうだろう。
俗書(川角太閤記)がソースでしかも記述自体あいまいだが、桂川渡河後に光秀が家来に触れを出していて、
「そこにての触れには、(中略)侍どもは、彼の2か所にてのかせぎ、手柄、このたびの儀にて候間願ひ申すべく候。」との
一節がある。
「2か所」のうち、片方は信長がいる本能寺なのは確実だから、もう片方が信忠のいる妙覚寺だと推測できないだろうか?
また、俗書とはいえ本能寺襲撃のくだりは、作者自身が明智遺臣の林亀之助と山崎長徳から直接取材しているから
信憑性もあると思う。
よって、上記の推測が成立するならば、光秀は京都侵入の際に信長ともう一人(おそらく信忠)をターゲットにしていた
といえるのではなかろうか。

>>199
>雑賀攻めでの働きが目覚しく信忠から一字を賜る
なにがソースか分らんが、陪臣の光忠が信忠の諱を下に賜って光「忠」と名乗るのは不敬極まりないからありえんだろう。

202 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 21:10:17
>逆に家康が勝つべくして勝った、つまり家康の勝ちは最初から
>決まってたという論者はよくいるけど。

勝つべくして勝てる戦いを
勝敗は五分五分
小早川の裏切りがなければ危なかったところまで持ち込まれた家康は
途方もない間抜けということになるな…



203 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 23:05:46
>>194
それは秀吉の大返しが原因。
筒井などもいち早く明智の天下になるとふんで、一族の者に兵を付け光秀に加担させている。
以外に早く、秀吉が兵を京に向けるとわかり、信長や信忠の偽の生存情報を流したりしたので洞が峠になったが、
大返しがなければ、組下でもあるし畿内は押さえていただろう。
信長が死んで羽柴軍は動揺しているハズだし、正面の兵力も毛利の方が多い(明智や信長の援軍におびえていただけ)。
普通は毛利の猛攻撃で、畿内方面には手も足も出ないハズ。
羽柴軍を破り、備前、播磨も手中に出来たかも?
毛利軍に背を向けて撤退しだした羽柴軍を破るのは、赤子の手をひねるようなもの。

204 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 01:56:52
織田家中での家臣の序列はどんなだったのだろう。
清州は柴田勝家や秀吉ら宿老=軍団長による織田家簒奪だと思うんだよね。
軍事力もってる彼らが簒奪した。
本能寺以前はNO.1がもちろん信長、NO.2信忠。
その下にそれぞれの側近集が権勢を誇っていて、
次に中央の官僚集がいて、
最前線の軍団長はその下じゃないかと思うんだよね。

205 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 08:01:30
家臣団の序列は軍団長たちがトップだろう。
権勢は信長側近や官僚たちが握っていたかもしれないが。

206 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 15:02:07
>>201
桂川渡河したら本能寺も妙覚寺も目と鼻の先だよね・・・
その時に一緒に渡河した兵に出した触れだったら、2か所を本能寺と妙覚寺と仮定すると
本能寺包囲完了した時に妙覚寺に兵が着いてないっておかしくないか?
1km離れてるかどうかって距離だよ
本能寺が襲撃されてる報告を受けて信忠が信長のもとに向かおうと寺を出たときも明智の兵が来ておらず、
村井貞勝から本能寺が焼け落ちたって報告を受けて、二条御所に向かうときも何の妨害も受けてない。

207 :201:2010/07/21(水) 17:18:52
>>204-205
織田家はNo.2に信忠がいるだけで、それ以下の明確な序列なんてないよ。
序列を図るメルクマールは、馬揃えの序列・茶会の許可の順序・正月の安土登城順が参考になるだろうが
いずれもバラバラで判断しようがない。
また、人材登用の抜擢(梁田・塙)・降格(佐久間・林)がラディカルすぎたので、あいまいな序列があったと
してもそれはすごく流動的だったと思う。
確実なのは、信長が「天下の与奪」権を付与した信忠が信長の次にエラいってことだけだと思う。

>>206
フロイス日本史の記述によると、明智兵が街路を占拠していたため信長のいる本能寺に駆けつけることができ
なかったが嗣子の邸宅に引き返したという意味の記述がある。
信忠の邸宅である妙覚寺に引き返すことができたんだったら、妙覚寺界隈は明智兵による「街路の占拠」はな
かったことになるね。
よって、光秀の軍令は@本能寺の襲撃のみだったA本能寺・妙覚寺襲撃だったがなんらかの理由で後者が遅
延したかのどちらかだったと思う。
@だとすると、>>201の推測は誤りだったということになる。
Aだとすると、本能寺襲撃後に信長の首級が発見できず、信長の生死確認のために妙覚寺襲撃に優先させて
信長探索に総力をそそいだために遅延したんじゃないかな?
信忠に逃げられるのは困りものだが、信長に逃げられたら明智一族の破滅は間違いないからね。

208 :201:2010/07/21(水) 18:43:23
>>207の補足
「老人雑話」に本能寺の変を目撃した江村専斎の記述がある。
『さて本能寺に火をかけてから城介殿のいる妙覚寺へ押し寄せる。そのあたりには京の町家も所々にしかな
くほとんど障ることが無かったので、土居の上からはっきりと水色の旗が妙覚寺の方へ来るのが見えた。
そのため「さては明智殿が御謀反だ」と皆が知った。』
この記述を信用するならば、光秀は「本能寺襲撃→襲撃成功→妙覚寺襲撃」の軍令を出した可能性が高い。
そうすると、ターゲットは信長のみか或いは信長討ち成功を条件に信忠討ちのいずれかだったことになるね。

209 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 21:20:41
まとめると光秀の軍令は、
「本能寺の信長と妙覚寺の信忠を討つ。但し、妙覚寺は信長を討ったあとに攻撃する」か。

210 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 07:36:42
>>209

そうかな。

もし別動隊が妙覚寺を囲む計画だったとしても、別動隊が妙覚寺に来ていないことは
すぐにわかっていたはずだよ。

別動隊は四千か五千だろうから、本隊は九千から八千はいただろう。
本能寺を囲むのに八千は多すぎる。
妙覚寺に千か二千回して、別動隊の到着まで囲んでおくくらいはするのではないか。

まとめると「光秀は信忠が妙覚寺にいることを知らなかった」ではないか。




211 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 09:08:18
本能寺の敷地の大きさは40m四方だったらしいので、テニスコート8面弱といったところか。
とすると、8000人で囲むには多すぎるがそもそも「13000人の明智兵が本能寺界隈を占拠した」って前提
に疑問を感じるね。

洛外から本能寺に行くには京都を南北に流れる堀川を渡る必要があって、堀川の橋を描いた絵図を見る
限り2列縦隊で渡るのがやっとという狭さだから、機動性は著しく劣るんじゃないかな。
例えば、入場ゲートが2つしか開いていないディズニーランドのシンデレラ城を13000人で包囲するには結構
時間がかかりそうな気がするな。
そう考えると本能寺を囲んだ兵力は8000よりはるかに少ない人数だった気がする。そして、妙覚寺の信忠は
500人程度の家来が分宿して滞在していたみたいだから、妙覚寺方面には本能寺以上の相当数の兵力を割
く必要があったと思う。しかも、信長討ちは謀反の絶対条件だから兵力はなるだけ本能寺に集中させる必要
があると思う。

とすると、実際は「同時襲撃」は人数的に不可能で、襲撃の順序を決めて>>209のような軍令をだしたんじゃ
ないかな?

212 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 09:43:01

五百人もいる妙覚寺を放置しておくのは危険だよ。

妙覚寺に五百人いると知っていたかどうかはわからないが、信忠がいると
知っていれば、脅威になる人数がいたことは、推測できる。

囲みを作る人数が割けなかったとしても、信忠滞在を事前に知っていたら、
逃亡を阻止する部隊を置いておくくらいはするだろう。

本能寺を囲んだ人数だが、確か、先陣が到着してから、攻撃にかかるまでに
四時間以上かかったはず。八千人でもおかしくないだろう。


213 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 14:43:26
俗書(惟任謀反記)だが、>>197>>210の見解を裏付ける史料がある。

『惟任は、将軍(=信長)御腹を召し、御殿に火焔の上るのを見て、安堵の重ひをなし、信忠の御陣所を
尋ぬれば、二条の御所に楯籠らるる由、これを聞きて、武士の息を続がせず、二条の御所に押し寄す。』
同書によると光秀が信忠攻撃を決意したのは本能寺陥落以後だから、光秀の当初の軍令は
いわゆる「 敵は本能寺にあり 」であり、信忠はターゲットでなかったことになる。
同書は2次史料だが、本能寺の変の半年後に書かれた点で史料価値マシな方だし、妙覚寺周辺がしばらく
包囲されていなかったとする1次史料と合致することから、光秀は信忠在京をしらなかった可能性が高いね。
理由としては>>198の言うように信忠の急な予定変更を知らなかったのだろうか。

214 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 15:33:24
>>207-208
>信長討ち成功を条件に信忠討ち

この可能性は限りなく薄いと思う。仮に信長討ちが失敗してたら、泣いて謝って許してもらうつもりだったのか?って話でね。
一旦兵を起こした以上は、信長一人に逃げられても信忠一人でも両方に逃げられても、光秀にとっては破滅だよ。

信忠が堺方面にいるとの認識で光秀が本能寺を囲んだのなら話は解る。
信長の首をゲットしてれば、混乱している信孝(合流してくれば信忠)軍と戦う際に相手を威圧するのに使えるだろう。
ただその「老人雑話」の記述を見ると、光秀は妙覚寺に信忠がいることを知ってたことになるね・・光秀の行動は色々矛盾してる。
信忠が少人数で妙覚寺にいるのを掴んでたなら、信長の首に拘る必要はないんだよ
首が無くても、本能寺と妙覚寺を焼き落として水色桔梗の旗を掲げて勝ち鬨の一つもあげれば、光秀が信長・信忠を討ったと宣伝出来る。
信忠に逃げられてもいいから、何としても信長の首を・・・ってことにはならないと思うんだが

もしくは光秀が信長の首を見て信長が死んだことを実感できるまで安心出来ないほど、信長に対する恐怖心で凝り固まっていたか

215 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 22:01:44

光秀は見えない敵「信長の亡霊」のために迅速な行動をとれなかったのかな。
京や安土などに関わらず一気に南下して信孝・丹羽軍に決戦を挑む。
それしか生き延びる道はなかった。
途中の摂津衆はじゃませねばよし。
日和身の細川筒井も同様。
ここは全無事前でやるしかない。
それでも新兵ぞろいの四国遠征軍に楽勝の可能性もある。
それより織田信澄の救出が肝腎。
そこでどうあっても信澄に織田家の家督を継がせる。
つまり本能寺は織田家の内紛だと天下に表明する。
それでようやく「本能寺の変」が完成する。
これはいわば山崎の合戦の個別撃破でもある。
この時点で秀吉の大返しはまだ光秀は知らない。



216 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 09:57:08
>>214
> ただその「老人雑話」の記述を見ると、光秀は妙覚寺に信忠がいることを知ってたことになるね・・光秀の行動は色々矛盾してる。

信忠の滞在を知っていたことにはならないよ。

> 「老人雑話」に本能寺の変を目撃した江村専斎の記述がある。
> 『さて本能寺に火をかけてから城介殿のいる妙覚寺へ押し寄せる。そのあたりには京の町家も所々にしかな
> くほとんど障ることが無かったので、土居の上からはっきりと水色の旗が妙覚寺の方へ来るのが見えた。
> そのため「さては明智殿が御謀反だ」と皆が知った。』

京都の町衆から見た出来事の順番が書いてあるだけで、光秀がそういう段取を計画していたとは
書いてない。

町衆は明智の旗差し物を見て、やっと明智と分かったくらいで、光秀の計画が分かるわけはない。



217 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 22:14:31
川角太閤記は俗書ではないだろ。
谷口克広著「検証 本能寺の変」という本に、
本能寺の変について書かれた史料の分類が載せられている。
このなかで同書は3、参考になる史料とされている。
明智秀満の「湖水渡り」の話など怪しい点も多いが、
信用できるところも多いとするべきだ。

218 :無双立花宗茂:2010/07/24(土) 23:04:01
イエズスにソソノカサレたんだよ
でも実際は本能寺の2本隣の南蛮寺からナパ-ム弾で燃えあがったんだよ

219 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 06:40:08
俺の説は基本、足利義昭黒幕説だな

安国寺恵慶により秀吉調略が成功。京都への東進が決定。
光秀はそれに参加。細川、筒井も参加。

本能寺後は本隊である羽柴勢を光秀は待っていたが
大坂あたりで秀吉が光秀を討つらしいことに気づいて
急遽天王山に陣取る、その後敗戦。
細川筒井は急な展開で動くこともできずに知らぬ存ぜぬを通す。

秀吉は義昭を入京させずに大坂に軟禁。その後、天下人へ。
家康は伊賀のこともあって多分何も知らなかった。

220 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 09:58:52
>>219
将軍追放時に光秀は義昭を見捨てて信長に付いてるのに
なぜいまさら義昭のために動くんだ?
それに義昭が関与していたらなぜ毛利は秀吉と和睦して
「中国大返し」を黙認したのか。
また事件後、光秀は1人でも多くの与党を募りたかったのに
将軍の命令とかまったく言っていない。なぜ?
説明できないことが多すぎる。

221 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 10:10:30
>>219
義昭は中国にいるんだが・・・
マスコミも携帯電話もない当時、信長が京に無防備で泊まるなんて
ことがわかりようがない。
光秀と義昭の間に直接の連絡ルートがあった根拠もない。
逆に雑賀の土橋宛ての書状は直接のルートがなかったことを
示している。
この程度で「黒幕」としての働きなどできるはずがない。

222 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 15:41:03
>>219のような○○が黒幕だ!って輩は、本能寺の変は明智光秀
1人で起こした事件じゃないってことを忘れていないか?
光秀が将軍義昭を担いで足利幕府再興!と考えたとしても
家臣たちも同じ考えでなければ「信長殺し」には同意しないだろう。
下級兵士のなかには最後まで「家康殺し」に行くと誤解していたものも
いるが、斉藤利三など重臣たちは真の目的は知っていただろう。
重臣たちまで幕府再興!と考えてなければ「本能寺の変」は
起きていないはずなのだが。
この点について説明してくれないか。

223 :219:2010/07/25(日) 16:30:09
>>220
信長に付いたといっても光秀の信長に対する忠誠は
かなり疑わしかったのは明らかで、時期が来たから
勝算ありと踏んでの義昭擁立参加だったのではないかとみる。
毛利輝元は副将軍だし、毛利は中国大返しを黙認どころか
むしろ秀吉の後背を固めていたのではないかと。
毛利、羽柴、細川、筒井、おそらく宇喜多あたりも参加していたので
光秀は本能寺後は京都周辺を固めるだけでよかった。

>>221
光秀と秀吉の間には連絡はあったんじゃないかな。
本能寺の後、秀吉が捕まえた光秀から毛利への密使とやらは
光秀から秀吉への密使ではないかと思う。それを殺したうえに
密書も焼いてしまったから証拠も残りようもないが。

>>222
基本、義昭黒幕説だと始めに書いたんですがね。
基本って文字、読めませんか?
光秀の家臣たちは光秀を担いでいたから、幕府再興なんて
二の次だったかと。重臣たちも実際に乱に参加したわけだし
光秀の思う通りにさせてやりたい気持だったかも?
史実で見る明智光秀についていった連中も結構混乱してるし
心情なんて説明しようもないかと。想像でしかない。

224 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 16:38:00

議論のレベルが急に下がった。


225 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 17:13:50
>>223
有名な細川藤孝宛ての光秀の覚書があるが、光秀が義昭を
奉じたのなら、そのことを明言するはず。
このころの光秀は筒井もなかなか味方になっておらず、
1人でも多くの仲間を集めたかったはず。
細川も義昭の旧臣であり、将軍の命令であれば
そのことに触れないはずはなかろう。
このように義昭が関与していない根拠はいくらでも
出てくるが、関与したとの説は「推測」のみ。
黒幕説なんてみんなそんなもの。
すべて空中楼閣。

226 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 17:29:14
将軍義昭黒幕説はどうもなぁ。
義昭の支援者である毛利がまったく同調した動きを見せてない。
状況から推測してまずありえない。

227 :219:2010/07/25(日) 21:00:50
>>225
将軍が絡んでいても、現実問題として光秀が本能寺の変を
起こした理由も分からないままなので、本能寺に関わるものって
全てが説と推測だと思うよ、根本的に。

史実として語られるものにも理由がよくわからないものが多い。
秀吉はなぜ忙しい信長を毛利と講和を進めつつ安芸まで呼んだのか
小早川、安国寺をなぜ秀吉は重用したのか
本能寺の変後、なぜ義昭は京都へ向かい、大坂で足止め食らったのか

点ばかりで線にならない、本能寺の変の前後は

228 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 21:25:02
たしかに頭を下げるなら、毛利が上洛するのが筋だな。

229 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 13:35:12
明智光秀は、信長を討つためだけに来た未来人だったのです

230 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 14:23:13

また小室直樹が大ぼらこいてるが
こう言う手合の学者の話がいちばんつまらん。


231 :日本@名無史さん:2010/07/30(金) 12:52:20
俺は基本的に黒幕いない説だな。要はさ織田家には知っての通り嫡男信忠を
除けば最高幹部が5人いた。更に与えられた仕事の重要さや領土、佐久間への
折檻状の内容からして光秀、勝家、秀吉の3人はその中でも別格だったと
推測できる。もう1つ付け加えると柴田は織田家譜代の家臣ゆえ重用された
面もあったろうし、秀吉は農民出身のため家中で敵も多い。それらと比較して
光秀は畿内担当だから信長のそばにいる事も多いし第一やはり畿内は他の
土地とは重要度も違う。そう考えると表面上の序列は勝家が1位だった
かもしれないが、実際は光秀がほんの少し他の家臣をリードしていたのでは
ないんかね?時は戦国、序列1位の家臣が主君を裏切るなんて日常茶飯事だ
それが他と比較してスケールが大きかっただけなのではないか?

232 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 09:35:54
本能寺の変はありませんでした。おわり。
江戸時代の劇作の中に作られた架空の出来事です。

そもそも織田信長も明智光秀も架空の人物です。

233 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 10:58:10

本日の日替わりメニュー

店長お薦め 特選本能寺幕の内弁当
        信長の丸焼き
        光秀の串刺し
        蘭丸の唐揚げ
        家康の刺身

   デザート 藤吉郎アイス
    


234 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 16:05:52
なぜか三成と光秀を混同してしまうw

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