5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!47

1 :匿名:2010/03/27(土) 19:16:11
ダメだろうが、いちおうスレ立て
【前スレ】http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1266080998/

2 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 19:37:37
佐賀に御船山というのがあってだな・・・・・・

3 :サガミハラハラ:2010/03/27(土) 19:55:19
女王卑弥呼は佐賀県小城市甘木にあった邪馬台国の王なのです。
死して小城市甘木の小城公園内桜ケ岡にほうむられました。

4 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 20:04:18
でも、畿内説でほぼ確定だろ?

5 :サガミハラハラ:2010/03/27(土) 20:14:10
あれはね、今年平城京遷都1300年祭でしょ。
祭りに花をそえてあげたのです。

6 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 20:50:52
アホだろ

7 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 22:09:58
>>1


>>2
>>3
桜の名所だ
ともに明日は見ごろだと思う

8 :◆.L.MXSPOgc :2010/03/27(土) 22:31:37
>>3
最近は甘木の可能性も考えてみてるw
私の説で里程記事が唐津街道沿いなら、邪馬台国の西の範囲が小城からその東(佐賀市北部)あたりになる。
邪馬台国がこの辺りまでを含む広域な國であったとして、死んだときにどこに墓をつくるかと考えると、
魏に近い小城あたりも考えられるのではないかな、と・・・

しかし小城はちょっと遠すぎるか。


9 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 23:21:08
なんか九州説ってテキトーだな。
この人ら、九州ならどこでも良いのかと思うことがある。

10 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 23:48:40
畿内でなければどこでもいいんだろ。


11 :◆.L.MXSPOgc :2010/03/27(土) 23:50:39
>>9
畿内説はテキトーじゃないとでも?
方角まちがえてるとか、不彌國から水行だし、日数表記に変わってる説明はできないし、上陸地点は書いてないし。
あと巻向に7万戸は可能なの?大阪から奈良の平野までひっくるめてとか言うのはテキトーじゃないのかな。


12 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 23:59:21
>>11 がイイとこを突いた。

13 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 00:05:26

■邪馬台国は九州だ!=第3弾シンポジウム盛況

【PJニュース 2010年3月24日】
http://www.pjnews.net/news/390/20100323_4

福岡歴史ロマン発信事業実行委員会主催の三年連続開催の邪馬台国シンポが最終回を迎えた。「邪馬台国徹底検証第3弾!シンポジウム:邪馬台国は九州だ!!」である。
3月22日、福岡県春日市のクローバープラザ大ホールで開催。500名の県民で満席であった。進行は次の通り。

第1部:基調講演は「大和王権と邪馬台国―崇神天皇とヒミコは同じ時代に生きていた―」と題して、原秀三郎氏(静岡大学名誉教授)。
第2部:「あなたが決める邪馬台国」投票結果発表と討論。

原秀三郎氏の講演は文献史学の立場から九州説を支持するものだが、斬新な内容で聴衆を圧倒した。原氏は魏志倭人伝の解釈と古事記、日本書紀の記述を総合的に検討する必要性を強調し、つぎのように結論付けた。

「大和王権の創立者崇神天皇は、248年に没したとされる邪馬台国の女王ヒミコと同じ時代に生き、その治世が女王ヒミコと重なることが明らか」である。
「三世紀の日本には北九州に邪馬台国のヒミコの統治する女王国があり、一方、女王国の東、海を渡る一千余里の地には、大和を中心に大和王権が存在した」のである。

このように、原氏の立場は、従来の論争の視点の転換を迫るもので、邪馬台国は九州か畿内かというものではない。邪馬台国は明らかに九州で、それと並存した大和の王権の存在を主張するものであった。

第2部では、「あなたが決める邪馬台国」集計結果の発表があった。
2009年10月1日?12月23日に市民が協力した邪馬台国比定地投票(約1000名)の結果である。トップは甘木・朝倉が131票、2位は博多湾沿岸で102票、3位は吉野ヶ里で86票であった(以下略)。
討論は、西谷正氏(九州歴史資料館長)をコーディネーターに九州各県の教育委員会・博物館の専門家が参加する討論会であった。

この三年間参加した私は、一般市民の関心を惹き付けたポピュラーな企画で、回を追うごとに邪馬台国論争の視点が明確に転換して深まったシンポジウムであったと感じている。【了】




14 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 00:12:53
>>13
>このように、原氏の立場は、従来の論争の視点の転換を迫るもので、邪馬台国は九州か畿内かというものではない。邪馬台国は明らかに九州で、それと並存した大和の王権の存在を主張するものであった。

さようなら東遷説

プゲラwwwwwwwwwwwwwwwwwww




15 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 00:24:10
>>14
邪馬台国東遷説は、さようならかもしれんが、
神武東遷はまだ残っているよな

16 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 00:27:31
神武がなんだって?

17 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 00:30:55
原氏の説って、この板では既に何度も出ている話だよな。
ここでは別に斬新じゃない。

18 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 00:46:27
>>15
神武軍は河内湖で負けてます。
後は他人の話をパッチワーク。

19 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 01:16:35
つうか根本的な疑問があるんだが

本当に魏志倭人伝は日本の事を書いた書なのか?

倭人っていうのは実は魏における未開の地域に住む
人々の総称として用いられたのでないかと時々思って
仕方がない

実は卑弥呼は台湾の一部族の女王にしか過ぎなかったとか
沖縄の巫女さんだったんじゃないかと思ってしまう


20 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 01:22:10
>>19
倭人伝は伝言ゲーム。
最終回答者は、四川の山の中で育って、倭地なんか見たこともない陳寿。

21 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 02:32:44
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

22 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 02:59:43
>>11
『畿内』ってどういう意味か知ってるのw?アホですか?
巻向は宮殿の場所であって、誰がそこに全人口が密集していたといってるのかww

頭沸いてるんじゃないのwwww?

23 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 09:17:23
もう畿内説でいいよ。

24 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 09:30:25
>>23
ようやく人生の正しい道を歩みだしたようだな。

25 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/03/28(日) 15:11:31
邪馬台国が大和であっても、そこに卑弥呼は居ない。


26 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 15:38:49
卑弥呼=山門県女首長
壱与=神功皇后じゃないかな
仲哀は瀬戸内海沿いに
神功皇后は日本海沿いに

仲哀は吉備勢力
神功皇后は越(出雲)勢力
神功皇后に関わるものは『豊』が多い

27 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 16:41:28
トヨはヤマトヒメです

28 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 16:44:10
↓トヨタン禁止1

29 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/03/28(日) 17:42:48
国宝の「海部氏勘注系図」によると
卑弥呼=9世孫・日女命=別名は倭迹迹日百襲姫命、中津姫命、日神、神大市姫命=天照大神。
台与=11世孫・日女命=別名は稚日女命、小豊姫命、豊受姫命、その他多数=豊受大神です。

30 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 17:58:57
伊勢神宮の建立者はヤマトヒメ

31 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 18:36:00
>>29
系図に「卑弥呼」「台与」の文字は記載されていないよ、ね。

32 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 18:52:23
>>31
あんな漢字は当て字だというのが、両説の共通認識

33 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 18:59:01
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命?
この人と同一人物が書き込んでいる?



倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼ではないだろうか?
大国主と張り合えるということはそれなりの人物では?
箸墓古墳は当時箸が無かったことから土師のことを指しているのでは?
兄弟が吉備津彦だが、土師は岡山に密集している。
というより物部と土師の分布が極度に似ていることから同属の可能性もある。
http://www2.nipponsoft.co.jp/bldoko/index.asp
菊花紋が使われているようだが土師が天皇と血縁的に深い関係だったことの現われではなかろうか?

34 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:11:01
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命は常識ですが。


35 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:29:17
それが最大の思い込み

36 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:41:12
モモソヒメが崇神の頃の人物なら、4世紀前半だから卑弥呼とは時代が合わない。

37 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:41:50
>>33
まあ、共通点といえば、女性だってことぐらいのものだろう。
まったくの別人であることは明らか。



38 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 20:03:01
3世紀中頃 箸墓古墳が卑弥呼の王墓
3世紀後半 西殿塚古墳が台与かその世代の王墓
4世紀前半 現・崇神陵古墳がミマキイリヒコ王の王墓
4世紀後半 現・景行陵古墳がオシロワケ王の王墓

ヤマトトトヒモモソヒメがミマキ王の近親者で、その時代に亡くなったのなら、
卑弥呼とは時代が合わない。

39 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 20:17:46
つまり、倭迹迹日百襲姫命がヒミコということか。


40 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 20:27:38
なんでやねんw

3世紀中頃 箸墓古墳の主=卑弥呼

4世紀前半 崇神陵の主=ミマキイリヒコ
       ミマキの時代に亡くなったと伝えられてるのがモモソヒメ

41 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 20:31:58
仮に時代が同じだからと言って、すぐに「同一人物」とはならないだろ

42 :サガミハラハラ:2010/03/28(日) 20:53:02
そうですね、何故日本人は同時代の人間はみな同一人物だとみるのでしょうね。

43 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 21:11:28
箸墓・・・倭迹迹日百襲姫命・大市墓。
西殿塚・・・崇神天皇・山辺道勾岡上陵。後円部のみならず前方部にも埋葬施設の可能性。
現崇神陵・・・後世に崇神陵と誤伝された山辺道上陵(播磨稲日大郎姫命陵か)。
現景行陵・・・景行天皇・山辺道上陵。

つまり、倭迹迹日百襲姫命がヒミコということだろう。

44 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 21:21:44
まあ、上記のとおり、モモソヒメは卑弥呼よりあとの時代の人間だけどね。

45 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 21:23:33
哀れ、畿内説。開き直るしか、能なし。

46 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 21:42:06
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

47 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 21:53:10
邪馬台国は畿内でまちがいない。
箸墓古墳の被葬者がおそらく親魏倭王卑弥呼。
それに続く西殿塚古墳は台与の墓だろう。

ヤマトトトヒモモソヒメは、あくまで伝承上の神話的な女性であり、
実在の年代を設定するのはナンセンス。
あえて年代を設定するなら、紀の書いてある崇神朝なんだろうから、
4世紀前半ということになり、卑弥呼とは重ならない。

48 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 22:17:30
舒明世代  593年頃生まれ  40歳=633年
彦人世代  567年頃生まれ  40歳=607年
敏達世代  540年頃生まれ  40歳=580年
欽明世代  514年頃生まれ  40歳=554年
継体世代  487年頃生まれ  40歳=527年
仁賢世代  460年頃生まれ  40歳=500年
雄略世代  434年頃生まれ  40歳=474年
允恭世代  407年頃生まれ  40歳=447年
仁徳世代  380年頃生まれ  40歳=420年
応神世代  354年頃生まれ  40歳=394年
仲哀世代  327年頃生まれ  40歳=367年
成務世代  300年頃生まれ  40歳=340年
景行世代  274年頃生まれ  40歳=314年
垂仁世代  247年頃生まれ  40歳=287年
崇神世代  220年頃生まれ  40歳=260年
開化世代  194年頃生まれ  40歳=234年
百襲姫世代 167年頃生まれ  40歳=207年  80歳=247年

49 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 22:44:50
架空の人物や非現実的な父子相続の連続が入ってる点でダメだな。
記紀の系譜をそのまんま機械的に計算してもダメだ。

応神から前は、記紀の系譜はそのまんま信用できない。

50 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 22:53:14
>架空の人物や非現実的な父子相続の連続が入ってる

それは昭和の学者が勝手に言ったこと。
それだって確実じゃないんでしょ?

51 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 22:56:10
>>49

当然、神武東征なんて信じてないよな?

52 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:20:34
神武なんて架空の人物だからな。
東征神話(あえて神話というが)なんて、記紀編者の机上の述作にすぎん。

53 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 00:12:07
>>23
似たようなことを言ったがために、17年以上も殺人罪で収監されていた男がいたらしいよ。
キヲツケロw


54 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 00:18:20
何で自分の国の女王を蔑称で日本人は呼ぶの?

55 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 08:15:55
>>54
日本人はね、「イデオロギーと学問は別」ということを峻別できる民族だからだよ。

56 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 09:19:18
九州説は学問重視だから、
卑弥呼が朝鮮人でもいいし、
朝鮮人がうちたてた九州王朝が畿内に東遷しても何の問題もないんだよ。


57 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 09:28:52
>>49あなたありもしない末子相続なんてことを信じているのですか?

58 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 09:30:25
根拠の無い妄想は学問と呼びません。

59 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 09:42:36
九州説は古代史に興味持ち始めた初心者(中学生)の通過点であり、
基本的に九州地元民や九州出身者の観光史学、ご当地自慢でしかない。

60 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 09:46:46
哀れ畿内説。悪態をつくしか能が無い。

61 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 09:51:30
だって事実だからなあ>観光史学

62 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 09:54:20
まあ、それもよし

63 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 12:35:00
テスト投稿



64 :doontakuka:2010/03/29(月) 12:37:47
隋の時代、[イ妥]国の領域は半島を侵食していた。

言うことが隋書に記述されている。

従って

日本書紀・巻第十四《雄略天皇八年二月》の条に「伏請救於日本府行軍元帥等」
日本書紀・巻第十九《欽明天皇二年四月》の条「与任那日本府吉備臣」。

は、史実であろう。

65 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 13:34:54
先日、韓国との間で日本は任那日本府の存在を放棄したよ。
よく調べもしないで。


66 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 14:05:36
そりゃ、6世紀に任那「日本」府は存在せんだろ。
「日本」という国名自体が存在しなかったんだから。

でも、書紀に書いてある「在安羅諸倭臣」はいたと言ってなかったか?
>>64でいう、「任那日本府吉備臣」ってのは、要するに「諸倭臣」のことだろ。
だったら同じことだろ。
日本府なんて後付の漢字より、「〜諸倭臣」の方が実態を伝えてると思うが。

67 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 14:38:39
どっちにしろ放棄することはないだろ。後付けでもなんでも書いてあるのだから。
ゼロにするより、将来役に立つかどうか分からないが、とっかかりか何か残して
おいた方がいいのに。


68 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 14:43:14
どっちにしろ放棄することはないだろ。後付けでもなんでも書いてあるのだから。
ゼロにするより、将来役に立つかどうか分からないが、とっかかりか何か残して
おいた方がいいのに。


69 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 14:46:42
カタカナで「ヤマトノミコトモチ」、漢字で「倭宰」とか「諸倭臣」とか言ってる方が、
無難で妥当だと思う。

70 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 20:42:58
>>55
>日本人はね、「イデオロギーと学問は別」ということを峻別できる民族だからだよ。

え?まったくできないから、左翼史観が堂々と行われてまともな歴史学者が排除されたんでしょ??
左翼史観に異議を唱える学者が戦後学会から追放されるのが日常的に行われてました。
中国韓国と同じくらい国史は狂ってるというのは今や海外じゃ有名ですよ。

これと似た例として・・・
温暖化問題は海外じゃ嘘がバレてますが
温暖化問題が世界的に提示されたとき既に、多くの科学者がその信憑性に意義を唱えていました。
嘘だあり得ないと。
ところが嫌煙ブームとまったく同じしかけで、どんどん脚色されたデータが登場し曖昧な理論と
強引なプロパガンダによって洗脳が行われてきました。嘘だといいながら他の多くの学者が
プロパガンダのバックアップをしてきました。その理由は、多くの場合お金です。
この先生もそのからくりを突いてます。
政府の補助金が貰えなくなるから嘘でも政府に協力しているのがほとんどだと。
日本の国史ほどイデオロギーに利用されいる学問はありませんよ。
ttp://takedanet.com/cat5408034/index.html

71 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:07:02
地球温暖化や嫌煙と一緒に語るなよw

古代日本史についてはここ10年程で
結構新しい解釈がなされている。
20年前の文献書物なんてもはや読めた物ではないからな。

72 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:22:05
>>71
>20年前の文献書物なんてもはや読めた物ではないからな。

九州の地名が奈良に似てるから、邪馬台国が東遷したとかいうアレだな。


73 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:48:35
>>72
最近公開された映画とかもね。
もう今更昔のように盛り上がるはずもないのに。

74 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:57:57
幻の邪馬台国でしょw

盲目の妄想爺を嫁が同情して支えたってやつ。

まさに幻だよな(笑)

75 :日本@名無史さん:2010/03/29(月) 22:13:54
あれも本当のところは島原の観光史学だもんな。

76 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 00:15:13
>>65
今年のセンター試験でも普通に登場するけどな。
倭の五王が、中国に半島の軍事指揮権の官位をもらったと。

77 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 00:16:31
>>69
それは、完全に軍事基地みたいなもん。
似たようなのを、大和朝廷は
吉備や九州にも置いていた。

78 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 00:46:31
>>65
真相はこう


2010年3月、日韓関係史につき調査・研究を行うために、
日韓双方の学者・専門家によって構成された
日韓歴史共同研究委員会において、
メンバーである金泰植弘益大学校師範大学教授が執筆・公表した論文中、
「2005「日韓歴史共同研究報告書第1分科篇」」において、
「4〜6世紀に倭軍の加耶征服や支配は無く、
昨今の専門の研究者で任那日本府説を主張、
信用する人はいないという点を再同意した」と主張している[19]。
だが実際には、金泰植が、任那日本府と称されたところのものは
安羅が倭人官僚を迎え入れた外務官署であり、
また官僚は安羅の臣下であって、呼称についても「安羅倭臣館」と
するのが適当などとすると一方、
森公章は、安羅は倭臣が自立した活動をしていた場所で、
倭臣の安羅に対する隷属を否定するなど、不一致があった[20]。

しかしこれに基づき、韓国内では任那日本府の実在を否認する
最終結論に合意し、学説として日本の朝鮮半島南部における
実効支配は正式に否定されたとする報道がなされた[21]。

なお日韓歴史共同研究委員会では、大和政権の一部の勢力が
朝鮮半島の地方で活動したことは認められるとしている[21]。


また、今年のセンター試験でも、普通に
倭国が、中国から半島南部の軍事指揮権に関する官位をもらっていた
というような記述が正解という前提の問題も出ている。
そのことを、韓国の学者もうすうす知っている。

79 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 08:57:02
>>78

韓国をほっといたら、
「朝鮮南部に倭人の影響力は全く無い」という方向に歴史歪曲されるのは明らかだよ。
韓国人からみれば、「古代に倭人が朝鮮南部で活動してた」こと事態、受け入れ難い話だろ。

日本海の呼び名を東海にするようなもので、
歴史というのは現在進行形で変更できるものという認識は韓国人のほうがよく知ってる。



80 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 09:18:32
まあ主張するのは勝手だが、古文献資料までは
改ざん出来ないからな。

韓国は三国史記を放棄しますか?
脱解王は何処から来たのですか?
と主張すればいい。


81 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 12:24:13
>>80
ということは

鬱遼島はひょっこりひょうたん島になってしまうぞwww
古文献資料まで改ざんしてるぞ竹島問題ではwww


82 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 13:27:53
>>71
>地球温暖化や嫌煙と一緒に語るなよw

そのサイトで科学者がそう語ってるだけw
結構複数の著名な学者が

>古代日本史についてはここ10年程で
>結構新しい解釈がなされている。

そうなんだ・・
じゃあ学説通説も当然変わって来てるのかな
何かあり得ない韓国の言い分を擁護してる信じられないやつが湧いてるなぁ
あの国は反日史観のために国史を作り替えたって韓国の国内でもでたらめで通ってる
ただ反日政策上これを押し通してるだけ
歴史や歴史資料の改ざんは国策何度もやってるだろうが
山ほどネットに転がってる証拠を目にしてない方がいかれてる

そもそも歴史の共同研究って言うこと自体、
教科書の介入と全く同じで日本をいかに自国の反日史観に買収するかの研究だよ。
日本は日本独自の科学的根拠に基づく調査をして推し進めればいいんだよ。
何で反日史観、ねつ造正史が堂々と行われてきた中華思想・小中華思想の韓国と共同研究するんだよw

ハナから共同研究の目的が違うって。
それにwikiはニュースがあった即時にやつらが書き換えてる。まあ国家の工作活動部隊がいるから当たり前だが。
しかも出典は嘘電波の朝鮮新聞だぜ。何で日本のwikiを韓国発表の記事を載せる必要があるよ。
日本が完全に負けてるのは、外国じゃなくて国内に何十万人もの工作部隊・予備軍がひしめいてることだよ。
しかも帰化して日本人として学者になって寒流トンデモ学説を展開してこれを朝鮮のメディアが記事にして飛ばす。
終了だよ日本は。弁護士や裁判所など法曹界も帰化人在日など韓国人だらけ。地方公務員は在日でもなれるし
教員もたくさんいる。ことなかれのおとなしい日本人。気がついたら長者番付に名を連ねる在日コリアンが
金権政治によって日本を動かしてたっていうのが、今の日本だよ。
1%の金持ちが99%の国民を搾取するのがアメリカの金権政治。この金権政治をマネてきた日本はその頂点が在日利権って話。
何かにつけて韓国だらけのこの日本で、何も感じない方が普通に謎。

83 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 13:45:52
また、嫌韓か。

84 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 14:11:39
嫌韓ではなく彼等の歴史認識に対する態度は異常だよ。
まぁ日本も褒められたものではないが。

少なくとも倭人が一時期半島南部を支配していた点は
中国や半島の文献資料にも記載されている事だからな。

中国すら怒らせる韓国ってなんなんだ?

85 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 14:29:09
韓国というか、朝鮮民族は、被害者意識が激しいんだよ。
いろんな国に侵略されて来たので、無理もない。
明治以降でも、清国、日本、ロシアなどが占領しようとして確執を繰り返した。
優しい目で見てあげようぜ、な。

ま、学問は学問だが。真理は曲げられない。

86 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 20:14:46
箸墓=卑弥呼の墓としよう

何故、ハシ墓などと呼ばれている?
ハニシからきたものではないのか?
何故菊花紋が使われている?
何故土師は河内(物部とお隣)を陣取り、何故岡山、北九州を陣取っている?
彼らは天皇同族、あるいは古来の王だった可能性は?
河内は天皇の近親者もしくは非常に強大な勢力が陣取るものだと思っていたが?
家紋も本来斧付菊花紋だったようだが?
あまり注目されていない氏族だけに、おもしろいかと思い今調べ中です
土安彦との関連性はあるのだろうか?
何故、卑弥呼の墓とも言われるハシ墓古墳はハシと名づけられているのか?
何故、出雲臣と同じく天孫に分類され天穂日命が祖とされているのか?
なぜ菅原道真は左遷させられたのか?

87 :日本@名無史さん:2010/04/01(木) 01:52:09

■駅前に特産品店開店 - 市商工会女性部が運営【桜井】

奈良新聞 2010年3月30日
http://www.nara-np.co.jp/20100330105711.html

 手作りの「卑弥呼みたらし」や三輪素麺、柿の葉寿司などを販売する店「まほろばの里 卑弥呼」が28日、桜井市の桜井駅北口にオープンした。

 桜井市商工会女性部(林三起子部長)が運営。「木材のまち」らしく丸太などを使用した約40平方メートルの木造平屋建て。看板の市マスコットキャラクター「ひみこちゃん」が客を招く。

 店内では、こだわりの手作りのたれを使った卑弥呼みたらし(70円)、五平餅(100円)が焼き上げられ香ばしい匂(にお)い。飲食できるスペースもあり、三輪素麺や日本酒「卑弥呼の里」、木工品など土産物が…

      記事の詳細は本紙をご覧下さい

・テープカットで開店を祝った=28日、桜井市の桜井駅北口
http://www.nara-np.co.jp/photo/8440d52e603069341dab24b2e0247cb9.jpg

88 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/04/01(木) 17:20:13
韓国の歴史は、最後まで続いた王朝、新羅をもって正しいとする。
新羅本紀が正しい。
百済は在地住民、伽耶諸国からもあまり歓迎される国では無かったんだろう。
だから倭国が馬韓の地を割いて百済に併合する事を良しとせず、新羅に身を寄せる。
高句麗、百済の治世方法は19世紀まで続く、身分制度の厳格な封建制度だ。
小分国では、そこまで身分制度を厳格に出来ない。


89 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 03:44:21
ところで、邪馬台国の位置が確定したとこでどうなの?って感じなんだが・・・
倭人伝の記述を追って見たところで正確な位置の割り出しは不可能だと思うし
古代日本と古事記や日本書紀に書かれる神と人間の神話が、邪馬台国の位置によって左右されるんだろうか?

そもそも、倭人伝で国の広さや統治度が判別できるわけでもない気がするんだが・・・

90 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 07:46:12
>>89ところが邪馬台国は一人の天才によってその行路が解明され発見されているのです。
それにともない倭国の歴史そのものの解釈が大きく転換をはじめているのです。
この変革に乗り遅れないようにするためには、彼の邪馬台国をまず受け入れることです。
そこからすすまなければ、いつまでたっても従来の迷い道から抜け出すことはできないのです。

91 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 17:20:41
>>90
>一人の天才
サガミハラハラ じゃないだろうな? それとも 唐松山か?ww

92 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 19:41:39
この作者は天才?
http://www.d7.dion.ne.jp/~sekai/wiki.htm

93 :日本@名無史さん:2010/04/03(土) 07:49:17
天才的なバカ…ドツボか梅毒、蓑虫

94 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 23:08:23

■桜井市マスコットキャラクター『ひみこちゃん』が決定しました!

奈良県 桜井市サイト(更新:2010/4/1)
http://www.city.sakurai.nara.jp/himiko/news.html

 桜井市を全国的にPRし、情報発信することを目的として、マスコットキャラクターの公募(10月1日から11月30日まで)を行い、全国から586点の応募がありました。
 これらの応募作品のなかから、「邪馬台国の卑弥呼」をモチーフにした親しみあるデザインをコンセプトに選考を行い、入賞作品が次のとおり決定しました。
 最優秀賞は、今後『ひみこちゃん』として、桜井市の観光振興、まちづくりなどあらゆる場面で活用していきます。
 また、市役所ロビーにも、4月30日(金)まで展示します。併せてご覧ください。

●市マスコットキャラクターの入賞作品(敬称略)
◆最優秀賞 1点(副賞 5万円)
塩崎 歩美(大阪市生野区)
http://www.city.sakurai.nara.jp/himiko/image/himiko01.jpg

※キャラクターに関しては、企画課(電話42‐9111内線256・257)まで問い合わせてください。


■ひみこちゃんのページを新設しました。
(キャラクター使用要綱掲載)
http://www.city.sakurai.nara.jp/himiko/index.html


■ひみこちゃんのポーズ紹介

基本ポーズ 歓迎のポーズ 踊るポーズ 歩くポーズ 占うポーズ 紹介のポーズ 後姿
http://www.city.sakurai.nara.jp/himiko/himiko02.html

95 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 00:56:13
過疎ってるな・・・邪馬台国が畿内で決まったからか?

96 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 10:07:24
東アジアの古代文化を考える会の掲示板で、卑弥呼の即位年が確定したとなってるね。

97 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 10:21:36
東アジアの古代文化を考える会も、へんなのに居座られて迷惑だろうな。

98 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 10:55:00
サガミの空気の読めなささは異常www

99 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 11:07:31
>>98

ひょっとしてサガミってマジモンなん?

100 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 13:49:27
ドツボは派遣切りで、ホームレスになったんだって。

101 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 14:27:16
>>99

常人なら、教師辞めたり、自著を寄贈したりせんだろ。

102 :サガミハラハラ:2010/04/11(日) 22:43:44
マジモンってなんでしょうか?
真面目な人という意味でしょうか?

103 :日本@名無史さん:2010/04/12(月) 01:50:57
>>102
とりあえず迷惑をかけてるHPに謝ってこい。
話はそれからだ

大和の遺跡の話題のスレに
九州説をごり押ししたあげくに
長文を何レスも書いて過疎化させるやつのどこが真面目な奴なんだよ(笑)
荒らしじゃねぇか

104 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 00:38:16
卑弥呼は実は神様。天照大神。
巫女をよりしろにして現人神にした。途中でトヨに交代。
唯一居処に出入りできる男子が宮司=実質的な王。
権威権力の2重構造。

105 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 01:41:32

トヨタン・・・・・・・・・・
 

106 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 08:37:17
「卑弥呼=天照大神」なら、神武東征も、万世一系も創作だな。

卑弥呼に子供はいないわけだから。




107 :縦目仮面:2010/04/13(火) 21:11:56
このスレも伸びんな。してみると、河童・ドツボ両先輩は偉大だった。ww

108 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 21:32:59
九州説の荒らしでスレが伸びても意味ないだろ。
畿内説で決着したんだから、後は、いよいよ記紀の信憑性を論じたいところだが。
スレ違いか。




109 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 21:48:49


九州説は古代史に興味持ち始めた初心者(中学生)の通過点であり、
基本的に九州地元民や九州出身者の観光史学、ご当地自慢でしかない。



110 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 22:19:18
「どうして邪馬台国は九州では無く、畿内なのか?」という視点に立てれば、
もっと歴史は面白くなるんだけどな。

111 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 23:08:38
>>106

卑弥呼を元に天照大神神話ができたのではなく、天照大神神話を元に卑弥呼を擁立したのだ。
2世紀の戦国時代を経て、卑弥呼が天下を統一したのではなく、「共立一女子」、みんなで担いでいる。
この時点で各国が納得できる女神神話、もしくは女王伝説がなければ擁立はできない。

壱台も同じで、この時代の倭国はとにかく女王を担ぐ必要があった。誰もが女王の正統性を本気で信じる何かがあった。
十三の娘が自分の力で国を治められるはずがない。
女王は、統治者ではなく、みんなで担ぐ神輿だったのだ。

112 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 23:14:21

イヨタン・・・・・・・・・・
 

113 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 23:32:11
>>111
それなら、卑弥呼共立は、神武東征のずっと後ということだな。


114 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 00:49:09
いよいよ卑弥呼=倭迹迹日百襲姫説に近づいてきたな。

115 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 13:57:36
>>104
それはたけしの番組で取り上げてた新説ですよね。
その説の科学的根拠は「歴史天文学」。この天文学
によると卑弥呼の時代に皆既日食が発生したとか。
そこから日本神話に登場する天照大御神は、実は
卑弥呼だった可能性がある。天岩戸伝説はその時の
皆既日食を神話化。結構説得力あった説ですね。
ただ歴史天文学って学会で認められてるんですか?

116 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 21:06:39
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1271244093/

おまえらが九州説を唱えてるあいだに、
韓国はスサノオを韓国の神話に組み込もうとしてるぞ。

卑弥呼もそのうち韓国のものにされる。


117 :◆.L.MXSPOgc :2010/04/15(木) 00:15:58
>>115
詳しくは忘れたけど、簡単な(単純な)計算の天体ソフトなどでは皆既日食が起こることになるけど、
歳差運動だか何かの誤差をちゃんといれて計算したら、九州も畿内も皆既日食が観測できない、
ってオチじゃなかったっけ?

http://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEatlas/SEatlas1/SEatlas0261.GIF

118 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 00:17:20
こっちだったw

http://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEatlas/SEatlas1/SEatlas0241.GIF

119 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 00:47:59
>>115
日食は正直よくわからない。
卑弥呼の死んだ年に日食が起こった、という説だと思うけど、
卑弥呼死亡と日食の関係については以下の4つが考えられる。

  @卑弥呼死亡と日食が偶然重なる。
  A日食を理由に、卑弥呼殺される。 
  B日食を理由に、卑弥呼自殺する。
  C卑弥呼は巫女でも現人神でもなく、人間としての体を持たない本当の神。
    日食により死んだと人々に解釈される。

@が起こると、天照大神神話は本物と、誰もが畏怖するだろうが確立が低すぎる。
Aの場合、日食は数時間で回復するのでいきなり殺すことはないだろう。
 むしろ太陽の復活を願って、卑弥呼に祈ると思う。
Bはあるかもしれない。老いや病に苦しんでいるときに日食を見たら、自らの限界を悟って自殺するかも。
Cは前提の可能性が低い。卑弥呼は大規模な墳墓に埋葬されているし、殉死者も多い。
 後継者のトヨについて具体的な年(13歳)が記録されている。おそらく卑弥呼も人間として実在したのだろう。



120 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 00:58:50
天岩戸神話を知っている古代人が日食を見たらどうするだろうか?
俺なら「こりゃいかん」と叫んで、酒を出して、みんなで飲んで、若い娘を半裸で躍らせて、ドンちゃん騒ぎを始める。
卑弥呼に祈ったり、ましてや殺したりしないだろう。

121 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 02:37:02
>>120
>古代人が日食を見たらどうするだろうか?


日蝕は、べつに弥生時代後期から始まったものではありません。

弥生の中期も前期も、日蝕は、時おり起こっていました。、縄文時代にも、旧石器時代にも・・・。

何千年、いや、もっともっと長い人類の歴史が、この列島上にはあるのです。


・・・太陽が欠けていきます。・・・しかし皆既に近くならないと、なかなか暗くはならないでしょう。

しかし気付く人も、いたかもしれません。そのうちみんな空を見上げ、ザワザワとしてくる・・・。

そんなとき、長老が、ピシッと言ったと思います。「おお。みなの者、よく見て覚えておけ。これが日蝕じゃ」と。

もちろん日蝕という言葉はなかった筈ですが、それに類いする何らかの言葉はあったでしょう。

長老jは、自らの過去の体験を、若しくは、親世代からの言い伝えを、この時とばかり、後輩たちへ語り伝えたことでしょう。

あるいはそうした体験は、日蝕があってもなくても、常づね人々に語り聞かせていたのかもしれません。


・・・あっという間に皆既が終わり、すぐに明るさが戻り、天空は何事もなかったかのように回復します・・・。

人々は言うでしょう。「これは面白い見ものだったなあ。また何年か何十年か先になって、きっと再び起こるんだろうなあ」

「そうじゃ。子や孫のため、太陽は時折こうしたことが起こるのだと、きょうの体験をお主らも語り継いでいくがよかろうぞ」

人々は日蝕の体験を記憶の片隅に留め、狩猟に、漁労に、農耕に・・・と、それぞれの仕事へ戻っていったことでしょう。

122 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 07:36:56
そうだよね。日食なんぞわたしは何度もみているよ。皆既は別だが、部分もふくめると日食は珍しい
ことじゃないよ。あたりまえの天体現象だよ。

123 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 08:50:32
俺も日食は2回くらい見てるよ。

あと、日食の日本語は「ひふれ」ね。

日食が卑弥呼を殺したってのはエキセントリックで興味を引くけど、
弥生人だからって驚くものか。


124 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/15(木) 10:27:14
度々の規制のため、テスト。

125 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/15(木) 10:37:24
いまは書きこめるね。

日食がどうのと古代史観に入れるのはアマの指し手であり、プロの古代史研究家
はそういうものに手を染めない。これにアマの方々はおいしいネヅミ捕りの中の
エサの臭いにとび付くネヅミのように、この魅力の罠にひっかかる。

要するに日食であるという具体性に欠けるものが天の岩戸だとか神功初年の異常
現象であり、これを用心もせず日食にするのは論の暴走に繋がる。確かに紀には
明確に日食の記事もあり、推古36年3/2と想える記事は記載の明確性のことで

 日、蝕え盡きたることあり

の文で、太陽が食されてることの具体性が充分であり、これが日食であることは
問題ないから、これを妨げるものではない。

126 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 11:29:33
>>118
これがあってるとしたら、2回とも九州や近畿では観測できないことになるね。

127 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 16:34:18
倍歴がどうのと古代史観に入れるのはアマの指し手であり、プロの古代史研究家
はそういうものに手を染めない。

128 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/15(木) 16:55:45
もう染めてる奴は沢山いるよ。オマエは古代史の子供だな。ww

129 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 18:45:36
恣意的な数字遊びに没頭するヒマがあったら、
マトモな歴史の本を読めよ。

130 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 11:55:18
>>79
まあ、別冊宝島だったか、古事記、日本書紀の解説の雑誌が出ていたが
おかしな記述内容の記事が出ていたわ。

神功皇后の三韓征伐関連の記事では、倭の半島軍事進攻に否定的な解釈で解説しているのに
倭の五王関連の記事では、倭の半島南部支配を正統化して書かれていた。
同じ雑誌の中に二重基準だ。
この倭の五王の記述に関しては、中国側の文献なので、否定しようがないわけで。
だから、今年のセンター試験でも、それを正解を前提とした問題が普通に出ている。

韓国の一部の学者でも、そのことに苛立つような発言をしていたように思う。
つまり、任那日本府の件も、実は玉虫色の決着なんだわな。

131 :ローガン:2010/04/16(金) 15:16:22
度量衡というものがある。当然万人が共有するものであり、中華においても時代による変遷は認められるものの、同時代に複数の度が混在した事実はない。
魏の1里は周知の通り434mである。長里も短里も無い。公定の里があるのみである。しかし倭人伝に記された倭国、この尺度でははるか南の海上に存在した事になり、明らかに現実と乖離している。
つまり、間違ってあるのである。このような間違いを含有する書を、正確なもの、誤りの無いものとして 記述の逐次解釈をした所で徒労である。
もう一度言うが短里などない。同一人物が同一史書内で、2種類以上の度を用いる事など論外である。
現に倭人伝でも、陳寿は「会稽東冶之東」としている。勿論、机上計算であろうが都より東北に位置する帯方から、
12000里東南へ移動すれば、現在の福建省ビン侯の東辺りであろうとしている。公定里に基づいた記述である。
続く。

132 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 15:40:44
なんかうちの婆ちゃんが、うちは卑弥呼の末裔だって言ってた

133 :ローガン:2010/04/16(金) 15:44:19
では何故、誤った認識をしたか? これは陳寿が間違ったというより、引用した先行史書の段階で既に誤りがあったのであろう。魏略である。
翰苑注記引用魏略に「自帯方至女国萬二千餘里」とある。ではこの萬二千餘里とは、どのようにして得られた数字なのだろうか。
これに先立つ漢書の注記に「帯方東南萬里」と見える。この注を入れたのは魏代の人、如淳である。この萬里が何に基づいたものか?
魏使来倭によりもたらされた情報ならば、当然 倭人伝同様「帯方東南萬二千餘里」とする筈である。という事は、これは魏使来倭以前の情報であることが判る。
しかしながら、三国志東夷伝序文には、公孫氏のおかげで「天子為其絶域…云々」 そして公孫淵を斬り、高句麗位宮を追って後、ようやく東夷の事がわかるようになったとある。
「帯方東南萬里」 基点が帯方であるという事は、公孫氏時代の話である事がわかるが、その当時は、東夷伝序文が述べる通り東夷は絶域であり、遠く離れた倭までの距離など 知り得る筈がない。
よってこの「萬里」とは実測に基づくものではなく、元々あった単なる修辞を述べたものと考えざるを得ない。
続く。

134 :ローガン:2010/04/16(金) 16:08:26
そして、その後に書かれた魏略には「萬二千餘里」とある。この二千餘里が加えられのは 言うまでもなく、来倭した使者がもたらした情報であろう。
東夷伝、通読しても 書かれた里数、公定里に基づいたものと考えてなんら不都合はない。おかしな里数表記がなされているのは、韓地の大きさと倭への3渡海である。
この正体が「帯方東南萬里」なのである。確たる資料に立脚しない「萬里」。 これは元々、倭とは「遥かに遠い萬里かなた」という観念的里数なのである。
そしてこの萬里に、史家は使者が持ち帰った情報、上陸から都までの二千餘里を付加したのである。
そして書にする過程で、萬里を韓地7000里と3渡海各1000里に按分。7000里の行程も一辺4000里の正方形を考え、左辺を南下。底辺を3000里東へ移動という具合に机上で創作した。

これが、他では見られない極端に伸長され 現実と乖離した韓地及び、3渡海の正体ではないかと私は考えます。
連レス失礼しました。

135 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 16:38:41
>>133
>元々あった単なる修辞

こんなやつ?
 ↓
黃支自三萬里貢生犀

136 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 18:00:23
現在のレベルからすると、ちょっと古い里程論だなあ

137 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 18:53:18
>>136
>現在のレベルからすると、ちょっと古い里程論だなあ

なんだ。現在のレベルって?

138 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 19:22:07
>>131,133,134
ローガンさん、いいぞいいぞ!
復帰、大歓迎!

139 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 19:29:39
コテさん達、やたら規制かかっているようなんだが
どのプロバイダ使ってるんだろう。

140 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 19:37:25
卑弥呼は金官加羅国首露王の娘である

141 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 21:25:59
ベトナム原産の鶏は矮鶏。
倭と矮は似てるね。


142 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 01:03:01
卑弥呼の後継者の台与は初音ミクである。

143 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 01:09:22

トヨタン・・・・・・・・・・
 

144 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 01:29:59
なかなかいいぞ、ほれっ

【初音ミク】 天津祝詞
http://www.youtube.com/watch?v=SOesCWoKJzU&feature=related

高天原(たかあまのはら)に  神留坐(かむづまりま)す
神漏岐(かむろぎ)  神漏美(かむろみ)の  命以(みことも)ちて
皇親神伊邪那岐(すめみおやかむいざなぎ)の 大神(おほかみ)
筑紫(つくし)  日向(ひむか)の  橘(たちばな)の
小門(をど)の  阿波岐原(あはぎはら)に
禊祓(みそぎはら)ひ 給(たま)ふ 時(とき)に
生坐(あれま)せる  祓戸(はらへど)の 大神等(おほかみたち)
諸々禍事罪穢(もろもろまがことつみけがれ)を  祓(はら)へ 給(たま)ひ
清(きよ)め 給(たま)ふと  申(まを)す 事(こと)の 由(よし)を
天(あま)つ 神(かみ)  地(くに)つ 神(かみ)  八百万神等共(やほよろづのかみたちとも)に
天(あめ)の 斑駒(ふちこま)の  耳振立(みみふりたて)て
聞食(きこしめ)せと  畏(かしこ)み 畏(かしこ)みも 白(まを)す

145 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 01:34:36

ミクタン・・・・・・・・・・ミクタン・・・・・・・・・・ミクタン・・・・・・・・・・
 

146 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 09:06:57
>>144

高天原にいたイザナギが、筑紫の日向で禊をしたと書いてあるな。

つまり、高天原は九州以外にあったということだ。



147 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 09:45:50
>>144
声はイイけど、アニメの口の動きがクソ杉。見てられん。

148 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 09:59:37
高天原は大韓半島にある

149 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 10:20:11
>>132
1代を30年程度として3代で100年、1000年で30代。
つまり祖先は1000年で延べ2の30乗、これは約10億。
当時の日本人のほとんど全員が自分の祖先になる人数です。

150 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 10:44:57
>>144
いや調教もクソだろ。

調教っていってここの人に通じるか分からんがw

151 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 10:50:43
みんなはじめ人間ゴンの子孫

152 :初音 卑弥呼:2010/04/17(土) 11:33:51
♪歴史の限界を 超えて
 私は 来たんだよ
 鏡は ついてないけど
 出来れば 欲しいな
 あのね はやく
 私を見つけてよ
 どうしたの?倭人伝ずっと見つめてる
 君の事
 みっこみっこにしてあげる
 鬼道は まだね頑張るから
 みっこみっこにしてあげる
 だから ちょっと覚悟しててよね(してあげるから)
 みっこみっこにしてやんよ♪
 最後までね 頑張るから
 みっくみっくにしてやんよ♪
 だからちょっと油断をしてあげて
 みっくみっくにしてあげる♪
 世界中の誰、誰より
 みっこみっこにしてあげる♪
 だから もっと私に歌わせてね



153 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 12:06:47
>>151
おまいだけ、先祖はドテチンだよ

154 :doontakuka:2010/04/17(土) 13:07:34
投稿規制で書き込みができないが。・・・・・・・

其地大較在會稽・東冶之東・・・・後漢書 卷八十五 東夷列傳第七十五 (倭)
計其道里當在會稽東治【冶】之東・・・三國志 魏書 卷三十 東夷伝 倭人  (魏志倭人伝) 
會稽は、
北緯29度58分30秒 , 東経120度35分54秒。で、
それを列島に映しこむと、
口之島の北緯29度59分15秒 , 東経129度55分12秒でこれに種子島・屋久島を含めて『一大国』。

東冶之東の東冶は、
北緯38度38分36秒 ,東経 113度09分27秒で現在も東冶鎮があり、
東冶之東の列島は
北緯38度17分38秒 , 東経141度00分15秒の多賀城当たりと成る。

従って、後漢書の
倭国の領域は北緯29度59分15秒から北緯38度17分38秒迄である。


155 :doontakuka:2010/04/17(土) 13:09:40
在會稽東治【冶】之東
会稽郡の東治県は
現在の福建省福州で北緯26度04分27秒 , 東経119度17分48秒。
これを列島に映しこむと
那覇で北緯26度12分44秒 , 東経127度40分44秒。
會稽東治之東が對海【馬】國 なのです。

↓東治城遺跡
http://heartland.geocities.jp/zae06141/fukusyuu.html

勿論、
東【冶】之東は後漢書に同じ。
従って、魏書の倭人の領域は、
北緯26度12分44秒の那覇から北緯38度17分38秒迄の多賀城あたりまでと、
記述されている。


156 :doontakuka:2010/04/17(土) 13:11:27
「帯方東南萬里」と釈したのは、
又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國   
と、
狗邪韓國・・・始度一海千余里 至對海【馬】國 

二千余里を経由していないからです。


【如淳曰:「如墨委面、在帶方東南萬里。」
臣[王贊]曰:「倭是國名、不謂用墨、故謂之委也。」
師古曰:「如淳云『如墨委面』、蓋音委字耳、此音非也。倭音一戈反、今猶有倭國。
魏略云『倭在帶方東南大海中、依山島爲國、度海千里、復有國、皆倭種。』

からすると、
『倭と委』の『委』は相当に黒かったようだ、
『委』は倭系ではあり(倭の異種)であり、
魏時の委人の領域は北緯30度から北緯38度30分あたり。
魏時の倭王卑弥呼の領域は北緯26度〜41度31分40秒 , 140度54分26秒の大間崎迄。

如淳の分析は、上記の如し。


157 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 14:15:08
倭ではなく、実は矮でベトナム南部のチャンバのことではないかと
考えてた時期がある。

ベトナムの家は高床式でネズミ返しもあるし、
亀石や猿石もある

158 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 17:55:47
>>156
臣[王贊]曰:「倭是國名、不謂用墨、故謂之委也。」

これを、どう訳してるの。

159 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 19:12:47
2010/04/17 19:00〜20:54 の放送内容 テレビ東京
土曜スペシャル「古代ミステリー謎解きの旅」
「女王卑弥呼は本当に奈良にいたのか!?」「陰陽師 安倍晴明は日本初の天文学者だった!?」など、
いまだ解明されていない古代からの謎を解明していく旅。
日本には今だ解明されていない古代からの謎がある。旅人がゆかりの地を巡り、4つの謎を解いて行く旅です。
また、ご当地ならではの絶品料理や温泉、人気スポットもご紹介。 @女王卑弥呼は本当に奈良にいたのか!?
A陰陽師 安倍晴明は日本初の天文学者だった!? B諏訪の御柱祭は古代から続くお祭り!? C縁結びの国 出雲の謎!?
出演
高木美保(奈良/卑弥呼) 大和田獏(大阪・京都・福井/安倍晴明) 永島敏行(長野/諏訪) 森下千里(島根/出雲)


160 :ローガン:2010/04/18(日) 01:54:38
上で魏志のテキストは魏略である。としました。(勿論オンリーとまでは言い切れませんが)その事について
確かに魏志と魏略の内容は似ています。それ故、共通のテキスト、所謂 使者の報告書なるものを陳寿も見ていたと言う人が居ますが、その事について…
倭人伝に「其八年太守王キ到官…云々」の下りがある。その後、張政等が何時来て何時帰ったのかの年表記が無い。 報告書なるものが書かれたとして、はたしてその実施年月に言及しないなどという事があるだろうか。勿論否である。

さて「其八年太守王キ到官」
これは相攻撃状を受けたのが王キであった事、又、張政等を遣わした際の太守が王キであった事。
それらが何年何月かは知らないが、王キが赴任したのは正始八年なので、これらの記事はそれ以降の話であるという意味の記述であろう。
陳寿は八年以降の出来事の年月を把握していない。 そして年月の記載の無い報告書など、提出する筈がない。 よって倭人伝は報告書という類のものをテキストとしていない。
思うに、倭人伝のテキストとは、正始八年頃 以降の情報が劣化したものではなかろうか?「岡田説」氏の情報によると魏略の編者は明帝代の議郎であったそうである。
帝没後、ほどなく退官したとして、現場を離れた後の記述がややアバウトになったのであろう。
魏志と魏略 同様の内容を持つ理由は、共通のテキストが存在したのではなく 魏志が魏略を引いたからであろう…と考えます。

161 :日本@名無史さん:2010/04/18(日) 02:01:00
そうでしょうね。で、地理的記述には280年代頃までの情報が入ってると思います。

162 :日本@名無史さん:2010/04/18(日) 04:25:44
>萬二千餘里

これも限りなくどうでもいい数字のように思えるがwwwww

「漢書 西域伝」

 大宛国…長安を去ること万二千五百五十里
 烏戈山離国…同 万二千二百里
 安息国…同 万一千六百里
 大月氏国…同 万一千六百里
 …etc

一万里が皇帝の威徳が及ぶ範囲で、そこから、まあ二千里前後で夷蛮国と言うのが相場だったらしい。

と言うのが松本清張の解釈だったかな?
もちろん俺も「まあ、そんなもんなんだろうなあ〜」と思っているwwwwww


 

163 :日本@名無史さん:2010/04/18(日) 15:53:11
なんでも欲しがる クレクレタコラ〜〜〜〜ァァァアアアアア。

164 :日本@名無史さん:2010/04/18(日) 18:20:31
森川智之=BL界の帝王

そして、

檜山修之=現人神(矜羯羅童子:こんがらどうじ)
http://blog-imgs-30-origin.fc2.com/s/u/i/suiseisekisuisui/up3250.jpg
http://blog-imgs-30-origin.fc2.com/s/u/i/suiseisekisuisui/vl2_108763.jpg
http://blog-imgs-30-origin.fc2.com/s/u/i/suiseisekisuisui/vip1144171.jpg
http://blog-imgs-30-origin.fc2.com/s/u/i/suiseisekisuisui/viploaderf151679.jpg
http://blog-imgs-30-origin.fc2.com/s/u/i/suiseisekisuisui/KONGARA_DOJI_KIMKARA_KOYASAN.jpg
http://blog-imgs-30-origin.fc2.com/s/u/i/suiseisekisuisui/viploaderf151680.jpg
http://blog-imgs-30-origin.fc2.com/s/u/i/suiseisekisuisui/vl2_109381.jpg
http://blog-imgs-30-origin.fc2.com/s/u/i/suiseisekisuisui/vl2_109397.jpg
今更だが

165 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 01:13:14

■卑弥呼の宮殿、思いはせ …纒向遺跡シンポに160人

(2010年4月18日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/nara/news/20100418-OYO8T00341.htm?from=ichioshi

「建物整然とした都会」

 平城遷都1300年を記念した考古学シンポジウム「纒向遺跡とヤマト政権の謎に迫る〜女王卑弥呼の宮殿はどこか」(大阪よみうり文化センター主催)が17日、大阪市北区の読売大阪ビルで開かれた。
邪馬台国の最有力地とされる纒向遺跡(桜井市)から出土した、3世紀前半〜中頃とみられる大型建物跡などについて報告され、熱心な考古学ファンら約160人が卑弥呼の時代に思いをはせていた。

 建物跡の発掘を担当した桜井市教委の橋本輝彦係長が、東海や四国地方などの土器が多数出土する同遺跡を、「全国各地から人が集まる当時の都会だった」と説明。
建物跡は4棟が中軸線をそろえて東西に並んでおり、「3世紀前半にこれほど整然とした建物はなく、国家形成を考える上で大きな意味を持つ」と語った。

 遺跡内には、「卑弥呼の墓」との説がある箸(はし)墓古墳など、出現期の前方後円墳が多数あり、辰巳和弘・同志社大教授は「中国からの神仙思想の影響を受け、前方後円墳が造られるようになったのだろう」と述べた。

 パネルディスカッションでは、邪馬台国の所在地についても議論。
九州説の専門家が、纒向遺跡で見つかった大型建物跡を4世紀以降と指摘していることに、橋本係長は「近畿の土器だけでなく、九州の土器も含めた細かな研究が進んでおり、100年も違うことはありえない」と反論した。

 市教委は、今年度も大型建物跡周辺の発掘を予定。何度も纒向遺跡を訪れたことがあるという堺市東区、会社員清水英史さん(60)は「中国の思想が纒向遺跡にも影響しているという指摘が印象的。また現地に行くのが楽しみ」と話した。

・纒向遺跡の特徴などについて意見を述べる橋本係長(左)と辰巳教授(大阪市で)
http://osaka.yomiuri.co.jp/photo/20100418-765589-1-N.jpg

166 :◆.L.MXSPOgc :2010/04/19(月) 07:41:15
>>160
>>倭人伝に「其八年太守王キ到官…云々」の下りがある。その後、張政等が何時来て何時帰ったのかの年表記が無い。

正始八年に行って正始八年に帰ってきたんですよ。
魏の使いが1年以上の長きに渡って倭に留まったらしい記述は、魏志倭人伝にも魏略にもないでしょ。
(冬の1文字で、居た証拠だなどとは言えない)

167 :ローガン:2010/04/19(月) 14:12:13
>>166
>正始八年に行って正始八年に帰ってきたんですよ。

私は何時来て何時帰ったのかを編者が把握していないのではないかと しました。
貴方は八年の事だという。勿論 長期滞在は無いでしょうが、八年の事と言い切れる根拠ありますか?

168 :doontakuka:2010/04/19(月) 14:13:32
>>158
>>臣[王贊]曰:「倭是國名、不謂用墨、故謂之委也。」

>>これを、どう訳してるの。

【如淳曰:「如墨委面、在帶方東南萬里。」を解釈すると、『委』は北緯38度30分以北が領域であり、肌の色は墨の様に黒かった。

この『委』も【樂浪海中有倭人】の倭人と言うカテゴリで括れる。
が、

肌が墨の様に黒かた事は言うまでもない(不謂用墨)、

彼らを故(モト)『委』と謂う【故謂之委也】。



169 :doontakuka:2010/04/19(月) 14:14:19

>>162
秦の始皇帝陵の建造にペルシャ人が携わっていたようだが、
「漢書 西域伝」 の

 大宛国…長安を去ること万二千五百五十里
 烏戈山離国…同 万二千二百里
 安息国…同 万一千六百里
 大月氏国…同 万一千六百里
は、
中東、イラン、イラクになるんじゃないの。

因みに、
西安からイラク迄5,932.272 km≒13732里
西安からイラン迄5,077.939km≒11754.49里

西安からPersepolis イラン迄(北緯29度56分00秒 ,東経 52度54分00秒)
5,548.682km≒12844.171里
↓Persepolis 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3

西安からKermānまで(北緯30度16分49秒 , 東経57度04分01秒)
4,850,609≒11228.262里
↓Kermān
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%A0




170 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 14:40:37
また、現代の地図を定規で測って里数を出してるバカがいるな。

171 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 14:51:59
だが、定規で測った値の2倍までが限度で、3倍までにはまずならない。
そこまで誤差が大きいと里程を記載する意味そのものが無くなる。

あ、畿内説は里程に意味がないという立場だから、それでいいのか。

172 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 16:01:29
畿内説は、九州も邪馬台国に含みますから関係ありません。

九州説は、邪馬台国は九州だけとか言ってますが、
卑弥呼の死後の数年で、畿内の大和王権に征服されたことになるという矛盾を抱えてます。

え?まさか東遷説じゃないよね?



173 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 16:06:34
え、数年?

174 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 16:11:46
数年でしょ?

九州説であっても、トヨは畿内の女王と考えるしかないよね。


175 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 16:13:13
トヨタン…

176 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 16:31:59
またなんか新説が出て来たな。

卑弥呼が九州で、台与に征服されて畿内王朝になったという解釈か。
クナ国が畿内勢力という解釈でOK?

キナイ、クナ、何となく語感があっているような、いないような。

177 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 16:46:54
九州卑弥呼は伽耶王の娘であり
奈良で大和朝廷を開いた百済人と平和的統一を果たした言う事や
当然どちらも大韓民族や

178 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 16:55:52
畿内説と九州説のハイブリッド?

179 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 17:06:40
>>176
壱与(台与)東遷説は以前からあるよ。
たしか奥野正男さんがそんな説だったとおもう

180 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 17:50:03
台与東遷説は、まったく根拠ないよなあ。
文献とも一致しないし、考古学上の物証も無い。

181 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 17:54:54
>>168
レスありがとう。
しかし、(不謂用墨)を、「肌が墨の様に黒かた事は言うまでもない」と訳すのは無理だろう。
それに、師古注だと、委の音だけを問題にしていて、肌の色なんか関係なさそうだけど。
結局、如墨委面をどう訳すかが、どうも納得いかない。

182 :伊都国王卑弥呼:2010/04/19(月) 18:38:34
倭人伝には伊都國の説明に「世有王」とある、
この王とは倭王である卑弥呼〜壹與らのことであるので
少なくとも壹與の時代までは伊都國に倭王の都があた。
壹與の東遷説はありえない。

183 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 19:00:42
>>182

それなら、どうして、トヨの後に大和王権に服従することになったんですか?
トヨが身売りしたんですね?

184 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 19:10:24
>>182
>この王とは倭王である卑弥呼〜壹與らのことであるので

妄説です。

185 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 19:22:44
つうかね…

卑弥呼=九州邪馬台国の女王
壱与=畿内大和の女王

…って森浩一が言ってるよなw

確か倭人伝中の「女王」とはキホン壱与の事で
卑弥呼の事は言わば「回想シーン」のように挿入されているって話だっけ?wwwwwwwww



186 :伊都国王卑弥呼:2010/04/19(月) 19:28:48
壹與の後に大和王権に服従などしていない。
倭王武の時代も北部九州の倭が朝鮮で高句麗と覇権争いを行っていた。
>>184妄想に取り付かれているのは184なだ。
森浩一の考えは誤りだな。


187 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 19:34:58
こいつも九州王朝説か…

188 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 19:44:17
>>185
>卑弥呼=九州邪馬台国の女王
>壱与=畿内大和の女王

そういういいとこ取りみたいな説は説じゃない。
それこそ「そうだったらいいいなあ」的な妄想。
学者の考えることじゃないな。




189 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 20:17:24
如淳曰「如墨委面、在帶方東南萬里。」
如淳曰わく「墨の如く委面す、帶方東南萬里に在り。」

臣曰「倭是國名、不謂用墨、故謂之委也。」
臣曰わく「倭は是れ國名、墨を用いると謂わず、故に之を委と謂う也。」

倭国には「墨を用いる」という言葉がないので、これを「委面する」という表現にした、と。
これでどうです?

190 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/19(月) 21:58:32
>>129
これは数字遊びではない。唐松山の妄想薬であ〜る。オマエが飲みたきゃ
否みはしないが、本来オマエ目的のものではな〜い。

余計なことを言い出すな。

191 :伊都国王卑弥呼:2010/04/19(月) 22:01:11
>>187
記紀にも高句麗と戦った話は全く無い。
朝鮮半島で覇権争いを行っていたのは九州の倭でしょう。

192 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 23:15:47
神功は?

193 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 23:20:18
神功の本拠地は宇美
仲哀の本拠地は香椎

194 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 23:31:44
神功は、近江の息長氏の娘なんだが。


195 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 23:34:07
九州説って、神功皇后が敦賀から出兵したことも知らないバカばっかりだよな。


196 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 00:19:06
>>186のような説を唱える人は本気で言ってるんでしょうか。
都城や古墳を見れば無理だとわかりそうなものですが。
天皇や豪族の古墳も社もない。
巨大な武力を持つ畿内国が東にありながら、九州王朝の武が何度も朝鮮に出兵し高句麗と戦うなど
どう考えても無理があるでしょうに。


197 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 00:32:26
>>196 の考えは逆じゃなかろか
高句麗などと死力を尽くして戦闘している国家が、
巨大古墳構築に何万人の労働者を費やせるだろうか

198 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 00:44:40
そんなのは普通にあります。
ペルシアと戦ったギリシア。
ゲルマン・地中海世界との征服戦争を繰り返したローマ。
朝鮮を征服しようとした秀吉。
というより、外征戦争ではむしろそっちが普通。
巨大な敵国の脅威を背後に感じながら、海を渡ってそれより遙かに強大な国と
征服戦争を繰り返すなど、狂気でなければできないことです。

199 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 00:48:03
倭王武の墳墓は九州のどこにあるのでしょうか?
伝承ぐらいは伝わってるでしょう。
百済から贈られた本当の七支刀は九州のどこにあるのでしょうか?

200 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 01:14:35
ただ男子一人が居室に出入りして、食事を供えたり、言葉を伝える、というのは大嘗祭や新嘗祭に通じていると思う。


201 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 01:50:16
ていうか、九州王朝説では天武天皇までの日本史は全部九州史なんだろ。

202 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 08:24:54
だんだんと勢力が変遷しているようだが
7世紀まで、九州勢力は残存している。
8世紀になってから、一気に移り変わる。

大和朝廷が様々な施策を始めるのも
そのころから

ついでに、記紀が編纂され始めるのも
その頃から。

203 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 11:02:41
新羅や百済は倭の属国なのに
神功は何で新羅征伐に行ったんだ?

204 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 12:02:45
倭は約300年間、ほぼ4年に1回の割合で頻繁に朝鮮半島に出兵し、このような例は他に無い。
倭が朝鮮半島に出兵し始めたのは百済と同盟した366年からであり
当時の畿内が巨大な武力を持っていたとは考えられない。
倭が朝鮮半島に出兵している間に平和だった畿内は国内の開発を進め発展したのだろう。

205 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 13:20:57
>>204
北九州は朝鮮監視や攻める際の最前線基地。
秀吉もやはり同じことをしている。

その為の太宰府であり、一大。

206 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 13:24:28
魏志倭人伝の松浦
秀吉の名護屋
江戸の唐津

あの辺、大陸に渡るには良い場所なんだろうね。

207 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 13:37:48
秀吉は朝鮮征伐の時は名護屋城に居た
当然、倭が朝鮮半島に出兵している時に天皇は太宰府等の北部九州に滞在する必要がる
約300年間、ほぼ4年に1回の割合で頻繁に朝鮮半島に出兵していたのだから、
天皇は九州に常駐していたことになる。


208 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 13:43:32
畿内勢力は関東、東北へ
九州勢力は朝鮮半島へ

ともに勢力を伸ばしていた。

九州勢力が白村江で大敗して
勢力を伸ばせなくなる。

国力のアンバランスが生まれた。

209 :doontakuka:2010/04/20(火) 14:31:21
>>181
>しかし、(不謂用墨)を、「肌が墨の様に黒かた事は言うまでもない」と訳すのは無理だろう。

用の解釈
*不用説で『言うまでもない』と解釈可能なら、
不謂用墨は、
『如墨委面・委の顔は墨の如し』から「顔が墨の様に黒かた事は言うまでもない」と
解釈が可能。

>それに、師古注だと、委の音だけを問題にしていて、肌の色なんか関係なさそうだけど。

それは、倭と委の音の違いを論じ、『倭と委』を『別解釈』している。
だから、
【魏略云、倭在帶方東南大海中。依山島爲國。度海千里、復有國。皆倭種。】
を、引いて『倭種』と結論ずけている。

『倭種』の中の一種に『顔が黒い委』が居る。


>結局、如墨委面をどう訳すかが、どうも納得いかない。

『委の顔は墨の如し』で何も問題なし。




210 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 16:06:25
畿内は倭国における辺境の大国だろう
中国の戦国時代に辺境に位置した秦や楚が外に向かって発展し大国化して秦が統一をはたしたり
ドイツでプロシアやオーストリアが外に向かって発展し大国化してプロシアが統一をはたしたのと
同じように当時の倭国の辺境に位置した畿内が関東、東北へ勢力を伸ばし大国化して日本を統一したのだろう。


211 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 16:32:47
畿内は倭国ではありませんので、倭国の辺境というのは違うとおもいます。
畿内には畿内の国々があったのでしょう。

212 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 17:20:54
畿内の神武も九州倭国から来たと言っているので
畿内も倭王の血筋を引く地方政権で倭王の家臣。


213 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 18:51:26
畿内には間違いなく丹の山が有るので倭国です。

214 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 20:30:27
丹の出る山は日本全国各地にあるので
丹は決め手にはならない。

215 :水銀厨:2010/04/20(火) 21:01:54
全国各地には無いですよ。
鉱脈があっても採取の形跡が無い場所は当然ダメ。
弥生期に出てる形跡が無いと。

丹生神社の分布、更に水分神社の位置を考えても
答えは明白です。

216 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 21:44:49
九州説論者ってまだ居たんだね…

217 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 21:59:29
>>189
>如淳曰わく「墨の如く委面す、帶方東南萬里に在り。」

墨が、いわゆる墨刑あるいは黥刑(顔に刺青をする刑罰のことをいっているのなら、
「刺青刑のように、顔に模様を書きいれている」となります。
だから、「墨の如く委面す」もしくは「墨の如く面を委す」でいいでしょうね。
この場合「墨」は「墨刑(ボクケイ)」のことだから「スミ」と読まず「ボク」と読んだ方がいいでしょう。

ならば、「不謂用墨、故謂之委也。」は、
「墨刑を採用していないので、だからこれを(墨ではなく)委と言ったのだ」
という意味でしょうか。

218 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 22:01:45
>>209
>『委の顔は墨の如し』で何も問題なし。

問題大あり


>『如墨委面・委の顔は墨の如し』から「顔が墨の様に黒かた事は言うまでもない」と

『委の顔は墨の如し』なら、委面が主語になるので、「委面如墨」の語順でなければなりません。
「如墨委面」では、そうは読めません。

不用説が「言うまでもない」になるのは、「説(いう)」を「用いない」、つまり
「言うこと用いない=言うまでもない」だからです。
ここは「不用」ではなく「不謂」です。「用」を否定しているのではなくて「謂」を否定しているので、
あなたの説は成り立ちません。

219 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 23:35:20
>>218
不謂用墨

用墨=墨を用いる、ですよね。
で、「謂」は「用」(動詞)の前に置かれてるので・・・名詞?

墨を用いる謂(いひ)にあらず=墨を用いるという意味ではない。

それとも、「述語+目的語」の前に置く・・・前置詞?

墨を用いる謂(ため)にあらず=墨を用いるためではない。

220 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 00:36:49
>>219
用墨は名詞化していて「墨ヲ用イルコト」。
「墨を用いることを謂わず」
不は用言の否定、非は体言の否定。不謂だから、「謂」は動詞だと思います。

「墨を用いる謂(いひ)にあらず」ならば、原文は「非用墨(之)謂」になるんではないでしょうか。

221 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 00:44:36
要するに、これは「委面」という造語(もしくは極めて珍しい言葉)について
注釈を加えているところじゃなかろか。委面の「委」は「倭国」の「倭」から来ている、と。
しかし、発音は違うよ、ってな話じゃなかろか。

222 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 01:02:36
師古注は、
「如淳云、如墨委面、蓋音委字耳。此音非也。倭音一戈反。今猶有倭國。」
「如淳が「如墨委面」と言っているのは、委の字の音を説明しているだけだろう。(しかし)この音は間違いである。
倭の音は一と戈の反切である。今もなお倭国はある。」
訳すと、このようになる。
師古注のこの訳が正しいなら、「如墨委面」は「墨して面を委するが如し」と読んで、
「(倭の音は、)『刺青して顔に模様をつける』という時の委の字の音の如し」
とでも訳さなければ意味が通じにくい。
師古注の訳は正しいと思うんだけど、如墨委面の方の訳はちょっとムリクリっぽくなる欠点がある。

いずれにせよ、臣?と顔師古の段階で已に如淳の注の読み方が違っているので、
結局、217の訳とこっちの訳とで迷ったままです。

223 :218:2010/04/21(水) 01:05:11
>>220
レスありがとうございます。

「不」(副詞)の句法として、
・名詞述語の前に置いて、判断の否定を表す。例:豈不命邪
とありましたので・・・

辞書は漢辞海です。漢文の勉強はしたことありません。

224 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 01:10:26
いや、間違えた。>>223は219が書きました。

225 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 08:22:12
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!

答え)80年代に活躍したAV女優

226 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 10:02:09
>>225あの方今どうしているにおでしょうか?消息ご存じのかたお知らせください。

227 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 10:26:42
そういえば、レンタルビデオ屋で見たことある。

228 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 11:09:37
ナイスバディだったよなあ、大好きだった。

229 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 12:41:05
>>216
神武(※平安期に勝手につけた)が日向から〜by天孫降臨じゃなくて、
卑弥呼ちゃんにフルぼっこされた狗奴国難民が奈良盆地まで逃げてきたんじゃね?

>>226->>228
卑弥呼ちゃん・・良かったです

230 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 12:57:29
狗奴国東遷説は許せる範囲だな。

この板で主張してるやつは居ないが。

231 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 14:02:21
>>230
邪馬台国と対立していた狗奴国って宮崎の西都原古墳群辺りが勢力拠点じゃね?

神武の東征伝承(笑)を正当化するなら邪馬台国連合に大敗した狗奴国難民が、
各地を転戦しながら奈良盆地でよーやく勢力が落ち着いたって感じ。

232 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 15:06:14
>>230
卑弥呼ちゃんはAV出身だけど、オホド王の先祖って狗奴国出身なん?

233 :doontakuka:2010/04/21(水) 15:12:51
『如墨委面』の『墨は墨刑』ですか?

【然東夷天性柔順 異於三方之外 故孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷 有以也夫】
と、
【東夷天性柔順と孔子】を挙げているから、『墨の一字は墨刑より墨家』を選択する方がベターじゃないでしょうか?  持って、『如墨は墨家の如し』と。
さて、
『委面』の『委』とは倭種の一種で、『漢委奴国王』の『委』である。
だから、
【魏略云、倭在帶方東南大海中。依山島爲國。度海千里、復有國。皆倭種。】を
挙げてある。

【倭是國名、不謂用墨。故謂之委也】は、
倭是国名、墨家を用いるを謂わず、故より、之を委と謂う也。

之とは、『如墨委面 委の表面は墨家の如し』を受けて『之』である。

儒家系でもなく墨系でもない『東夷天性柔順 異於三方之外』
の異系の者達が居た、彼らを『委』と言う。

墨家の墨子は、墨刑を受けた可能性もあるし、墨から黒人系の可能性もある。
『委面』は、それらを全て含み、顔面の刺青、墨家の道徳行為、並びに肌の黒色。
・ ・・・インドを経由したアッカド系(ペルシャ系)の黒色肌の者、と・・・・・。



234 :doontakuka:2010/04/21(水) 15:16:38
『如墨委面』の『墨は墨刑』ですか?

【然東夷天性柔順 異於三方之外 故孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷 有以也夫】
と、
【東夷天性柔順と孔子】を挙げているから、『墨の一字は墨刑より墨家』を選択する方がベターじゃないでしょうか?  持って、『如墨は墨家の如し』と。
さて、
『委面』の『委』とは倭種の一種で、『漢委奴国王』の『委』である。
だから、
【魏略云、倭在帶方東南大海中。依山島爲國。度海千里、復有國。皆倭種。】を
挙げてある。

【倭是國名、不謂用墨。故謂之委也】は、
倭是国名、墨家を用いるを謂わず、故より、之を委と謂う也。

之とは、『如墨委面 委の表面は墨家の如し』を受けて『之』である。

儒家系でもなく墨系でもない『東夷天性柔順 異於三方之外』
の異系の者達が居た、彼らを『委』と言う。

墨家の墨子は、墨刑を受けた可能性もあるし、墨から黒人系の可能性もある。
『委面』は、それらを全て含み、顔面の刺青、墨家の道徳行為、並びに肌の黒色。
・ ・・・インドを経由したアッカド系(ペルシャ系)の黒色肌の者、と・・・・・。



235 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 16:26:23
「委の表面は墨家の如し」という日本語は、「委の表面は=主部 墨家の如し=述部」。
原文を見てみると「如墨委面」。
これに上記の訳をあてはめようとすると、述部が前で、主部が後ろの語順になって不自然。
如墨委面を解釈するには、まず「委の面は〜」とか「面を委するのは〜」のように、
委面を主語に訳そうとする考えを棄てるべきだと思うんだけど。

「委面」というのは、「倭面土國王師升獻生口」という記述と近縁関係にあるはず。
「倭面土」は音写で、例えば「ヤマト」のような音を表しているとすれば、
「倭面土」は刺青や肌の色には無関係といえる。

これが師古注の言いたいことじゃないだろうか。あくまでオレの推測だけど。
倭音一戈反と言っていて、上古音は知らないけど、一「yi」戈「ka」ならば、
倭の音は「ya」であらわされることになるね。委とは違うのかな。

それで「倭」と「委」が入れ替わり、「土」が落ちたのが「委面」。
「委面」だけとりだすと、顔に模様があるのかみたいな話になり、
「刺青だ。ならば、墨だ」と。そのような誤解が生じたのじゃなかろうか。

236 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 16:59:53
というか日本史の中に卑弥呼が入る余地がないw
どこに入れるんだよw
誰だよそれ


237 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 17:00:33
というか日本史の中に卑弥呼が入る余地がないw
どこに入れるんだよw
誰だよそれ


238 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 17:12:18
「やまとととひももそひめ」

239 :223:2010/04/21(水) 21:02:27
>>222
なるほど。・・・自分なりに読み下してみましたが、どうなんでしょうか?

蓋音委字耳、此音非也。 倭音一戈反

なんぞ音は字に委ねるか、此れ音に非ざる也。 倭の音は一戈の反なり。

240 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 22:25:46
君は漢文止めておいた方がいい

241 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 22:57:34
いやみいうなよ。
楽しくやろうぜ。

242 :239:2010/04/21(水) 23:21:40
>>241
ありがとね。一からやってるんだよ。

243 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 23:53:03
>>239
蓋(けだ)し委の字を音(おん)するのみ。此の音、非(ひ)なり。倭の音、一戈の反。

最後の部分は、倭の音は、「一」の子音と「戈」の母音の組み合わせで表されるということです。
反切(はんせつ)でググッてみてください。

244 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 00:28:08
私は、>>189 = >>221 ですが、私の仮説は以下のようです。どうでしょう。
ただし、「倭音一戈反」は「委音一戈反」の書写ミスと仮定します。

----如淳----
(倭人は)墨のように委面しており、帶方の東南萬里に住んでいる。
----王贊----
倭とは國名であるが、倭人は鯨面するのに「墨を用いている」とは言わない。
だから、如淳は委面と表現したのだろう。
----師古----
如淳は「(倭人は)墨のように委面している」と書いた。
今ここで、発音については委の字だけ論ずればよかろうが、
音から言えば此の「委」の字は間違った表現である(倭とすべきだった)。
「委」は「ヰ」のように発音する。倭は「ワ」と発音するのだ。
私の生きている今現在でも倭國は存在しているが、彼らは現にそう発音している。


245 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 00:30:49
>>202
歴代天皇陵は九州のどこにあるのですか?
九州王調説では葛城氏や平群氏はどこを治めた豪族なのですか?
秦氏は九州のどの地方を治め、彼らの氏神・氏寺は九州のどこにありますか?
記紀に記されてる飛鳥寺や四天王寺などの神社仏閣は九州のどこにあるのですか?
奈良にある法隆寺は偽世界遺産なのですか?

246 :◆.L.MXSPOgc :2010/04/22(木) 00:39:04
>>167
遅くなりましたが。
中国人にとって倭は、あまり関心のある対象ではない。だから倭の使いが来たとしてもそれほど興味がない。
だから倭の使いが、来たことは分かっても何時来たのか分からない、というならまだ分かる。
逆に、張政を使わしたのは魏側です。その記録が残らない(しかし倭の使いの記録が残って)と考えるのは難しい。

正始八年、張政を倭に使わしたが、その発端になった倭の使者が何時来たのかは分からない、が多分八年だろう。
という主張なら、すこしは考えてみる価値があるかもしれません。


247 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 00:41:57
邪馬台国ぐらいの未開社会なら史料や物証も少ないので、解釈を都合良くいじり倒せば
適当に捏造することができるのですが、6・7世紀まで引っ張ってしまうともう無理。
これらの建築物が現存せず、遺跡すらも存在しないのに、九州王朝などありえない。
幻の大朝鮮帝国と同じ類の妄想です。


248 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 01:38:36
>>239
ありがとうございます。反切は辞書に載ってました。
一(yi)と戈(ge)で、(ye)となるんですかね。
職場のPCならピンイン入れると漢字が出るので試してみようかな。
でも明日は出張なんだよな。

>音(おん)する

辞書には、「音」は名詞だけしかなかったんですが、音する、と(動詞的に?)使えるのですか。

249 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 13:16:08
>>245
九州から全て移設したらしいぞ(笑)
しかしそれでは、奴らのいう、
七世紀まである九州王朝がまだあるのに
それより遥かに前に建てられてある寺と神社を
他国の大和に移すんだ?ってことに

250 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 13:25:19
法隆寺は一度建てられて焼失し
九州から移築されたという説があるね。

251 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 13:43:51
>>250
そう。それを根城に全部移設!!って
言ってるんだが、自国の寺を他国に移すんですかと。

252 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 14:18:38
3世紀頃の日本の海岸線の正確な地図はできてるんかな?
http://flood.firetree.net/  (左上の+0〜14で海面上昇)
グーグルの海面上昇シミュレーションと航空写真を参考に、
過去の日本の海岸線(0〜6メートル)をシミュレートしてみると面白い。

・奈良・平安・鎌倉時代は、温暖化による平安海進により 2〜3メートル程度高く。
・弥生〜古墳時代は 寒冷と堆積と埋め立てを考慮して、1〜2メートル程度で参考。
・縄文時代(6000年〜4000年前)は、縄文海進により、3〜6メートル程度高い。

吉野ヶ里遺跡・伊勢神宮・熱田神宮・出雲大社・大阪天王寺などの位置は、
あきらかに縄文海進や平安海進の影響で現在の位置にあることは納得できるね。
大阪の河内湖とか九州の有明海とか1800年の土砂の堆積もあり、
今と全然海岸線が違うってのは、邪馬台国の議論でどれくらい考慮されているんだろうか。

253 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 15:04:01
>>252
これおもしろい。

大阪が水に沈む・・・河内湖というやつか。

思い切って10mほど上昇させたら京都の南に池らしきものが。

鹿嶋と香取が対岸と言うのは本当だね。



254 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 15:13:34
>>252
洪水マップ、これいいですね。感謝!


255 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 15:37:17
>>252
よく言われる奈良湖がでてこないな。

256 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 17:59:05
大人気の卑弥呼ちゃんはDVDまで再販されたが、
壱与ちゃんはAVデビューしなかった件について。

257 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 18:18:17

イヨタン・・・・・・・・・・
 

258 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 18:36:44
卑弥呼ちゃんは大胆
壱与ちゃんは恥ずかしがり屋

259 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 18:56:29

イヨタン・・・・・・・・・・ イヨタン・・・・・・・・・・
 

260 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 19:12:17
あの女のことは、もう忘れろ!
いつまでも、ミジメったらしい。

261 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 22:31:10
>謎の女王卑弥呼は誰か?

そんなの復興版DVD買えば誰だか分かるよ

262 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 22:55:07
レンタルでも十分な件について

263 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 23:30:29
AV女王は誰かって聞かれたら、俺なら小林ひとみと答える。

264 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 06:33:54
ヒント

卑弥呼ちゃん
洪水マップ

265 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 08:08:54
結論

卑弥呼ちゃん洪水マップ

266 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 13:26:26
>>263
なぜ白石ひとみではないのか。

267 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 13:33:05
懐かしのAV女王は誰か?今夜のおかず問題に終止符!

268 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 13:40:03
俺の世代は
長瀬愛とか。
桃井望は可哀相だったな…;;

269 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/23(金) 22:34:23
>>247
藪遺捨の診断だな。w 体表にガンの痕跡がないとガンにならないのか?w
遺跡は地震火災盗掘水害台風噴火等によって消失することが多分にある。
地表に遺跡等がないから九州王朝がないという理由にはならない。
また地表になくても地中にある場合もある。

体表にガンの痕跡がなくても、体内にガンの可能姓はありうることだぞ。
君の考察は妄想の即断だね。藪遺捨になるなよ。

270 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 22:43:04
いつの時代も娼婦や遊女はいるもんだなぁ。>卑弥呼

271 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 22:46:31
まあね。元手がいらない。w

272 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 23:14:27
>>269

まあ犬国はヤブ医者に劣る

竹の子医者(やがてヤブになる)
葛根湯医者(とりあえず葛根湯を出すしか能が無い)
手遅れ医者(常に言い訳で「手遅れだ」と言う)

…より更に劣るスズメ医者なわけだがwwwwwww

273 :ローガン:2010/04/23(金) 23:46:43
>>272
> …より更に劣るスズメ医者なわけだがwwwwwww

薮を目指す… 枝雀さんの枕やんか。

274 :日本@名無史さん:2010/04/24(土) 00:15:57
>>252   3メートル海面上げてみた。
一支国 http://flood.firetree.net/?ll=33.7966,129.7726&z=5&m=3
末廬国 http://flood.firetree.net/?ll=33.4326,129.9974&z=5&m=3
伊都国 http://flood.firetree.net/?ll=33.5737,130.2433&z=5&m=3
奴国  http://flood.firetree.net/?ll=33.6035,130.4623&z=5&m=3
---------ここからが不明-----
・投馬説1:【玉祖神社】 http://flood.firetree.net/?ll=34.0514,131.5384&z=5&m=3
・投馬説2:【鞆】  http://flood.firetree.net/?ll=34.4069,133.3998&z=5&m=3
・投馬説3:【但馬】 http://flood.firetree.net/?ll=35.5451,134.8270&z=6&m=3
・投馬説4:【都萬神社】 http://flood.firetree.net/?ll=32.0890,131.4449&z=5&m=3
--------------------------
吉野ヶ里 http://flood.firetree.net/?ll=33.3228,130.4311&z=5&m=3
出雲大社 http://flood.firetree.net/?ll=35.4126,132.6898&z=5&m=3
伊勢神宮 http://flood.firetree.net/?ll=34.4829,136.7125&z=4&m=3
熱田神宮 http://flood.firetree.net/?ll=35.1252,136.9538&z=5&m=3
難波宮・四天王寺 http://flood.firetree.net/?ll=34.6798,135.4995&z=4&m=3
大都市・岡山  http://flood.firetree.net/?ll=34.6270,133.9776&z=6&m=3

275 :ローガン:2010/04/24(土) 00:56:01
隔離スレ140氏
>ところで終止符スレで、つたない漢文学生をやっているのも私です。詳しい人がいて、なんだか意味がわかりそうな気がしてます。ローガンさんは如淳注、どう解釈されてるんでしょう。

詳しい方にお任せします。難しくて…
荘子に「如土委地」とあるそうです。「地に落ちたる土のごとし」かな。又、梁書に「髪長委地」とあります。これは毛先がかろうじて地に届く、というより「足元に広がる長い髪」
というニュアンスかなと。そこから戻って、「如土委地」は…地に落ち広がる土のごとし。 「如墨委面」…顔に広がる(?)墨のごとし。ゆえに鯨面の事ではないかという、付け焼き刃のこじつけです。
如淳の書いたこの「委」を 〔王賛〕と顔師古は 「如淳の注は国名の意味で書いたのではないか?としたら そうではない。」という注を加えたんじゃないかなあと勝手に思っています。


276 :◆.L.MXSPOgc :2010/04/24(土) 02:00:43
如淳曰「如墨委面、在帶方東南萬里。」

墨の如き"委面"、帶方の東南萬里に在り。


臣(王贊)曰「倭是國名、不謂用墨、故謂之委也。」

倭これ國名、墨を用いるをいわず、いにしえこれを委というなり。


(顔)師古曰「如淳云『如墨委面』、蓋音委字耳、此音非也。倭音一戈反、今猶有倭國。

如淳のいう「如墨委面」は、けだし音はただ委の字だが、この音にあらざるなり。倭の音はワ(一戈反)、今まさに倭国あり。

蓋し(けだし)は、かなりの確信をもって推量する意を表す。思うに。確かに。おそらく。たぶん。
耳は、語尾に遣われた場合、merely, only を表す。
猶は、just likeを意訳して「まさに」とした。

こんなところでしょうか。


277 :日本@名無史さん:2010/04/24(土) 09:24:53
>>272
ヤブ医者って本来、良い医者のことを指すんだよ。
いつの間にかテキトーな医者に対して皮肉で言われるようになり、
今の使われ方になった

よってデブ国はヤブ医者ではないヤブ医者に失礼だ

278 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/24(土) 09:36:14
>>277
オマエの詭弁さ。

279 :日本@名無史さん:2010/04/24(土) 10:19:17
だいたい医学の発達していない古代の医者なんてものは祈祷師みたいなものだったし、
江戸の迷いなんてのもたかが知れている。

280 :日本@名無史さん:2010/04/24(土) 10:23:57
>>279
江戸時代までは手術は出来ないから、
漢方薬を作る事が出来て
上手く処方できるかが名医の条件だったからね。

281 :日本@名無史さん:2010/04/24(土) 11:12:38
インカ文明の遺跡からは脳外科手術跡がある頭蓋骨が見つかってますね。
たぶん、植物から採った麻酔を使って脳外科手術が頻繁に行われていたのでしょう。
日本は、肉食はしないし、皮をはぐのは餞民の仕事とされてきたので外科手術という手法が育たなかったのでしょう。
しかし、縄文時代以前は抜歯の習慣もあったことだし、外科手術も行われていたかもしれません。

282 :日本@名無史さん:2010/04/28(水) 00:31:47

■いまが見ごろです 日田市内のシャクナゲ園

大分合同新聞 2010年04月22日
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2010_127189641738.html

 日田市内のシャクナゲ園がことしもオープン。天候不順に関係なく、鮮やかに咲き誇っている。5月半ばごろまで見ごろ。

川津シャクナゲ園 (前津江町)

 山一面に130品種、1万2千本。「花の付きもよく、例年以上の美しさ」という。
 花弁の多さが魅力のツクシシャクナゲの珍種「卑弥呼(ひみこ)」(英国王立園芸協会国際登録認定)などの日本種や西洋種の早咲きはほぼ満開。
 斜面をピンクや白、赤色などでかれんに彩っている。毎年来園するという玖珠町の西野スミ子さん(78)は「斜面を下から眺めるのもいいですよ」とにっこり。
 高校生以上500円。問い合わせは、同園(TEL0973・53・2501)へ。

・淡いピンク色の花がかれんな「卑弥呼」は見ごろ=21日、日田市前津江町の川津シャクナゲ園
http://www.oita-press.co.jp/mobile/data/local_news/2010/04/2010_127189641086.jpg

283 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/04/28(水) 19:44:09
前期初葉以前
纒向石塚古墳368平方メートル
纒向矢塚古墳369平方メートル、纒向勝山古墳357平方メートル
東田大塚古墳207平方メートル。
前期前葉又は前期後葉前半
馬口山古墳360平方メートル 特殊器台を備え(注)田中新史

行燈山古墳(2008平方メートル)、渋谷向山古墳(1522平方メートル)
佐紀御陵山古墳1264平方メートル
五社神古墳1865平方メートル
宝来山古墳1257平方メートル

箸墓(西暦250年頃)をモモソ姫とすると、纒向石塚古墳(西暦200年頃)唐古、鍵遺跡及
び近江伊瀬遺跡の衰退(西暦200年頃)から纒向遺跡の興隆、纒向遺跡の大型建物(西暦240
年頃)ホケノ山古墳(西暦240年頃)までを崇神以前としなければ数字を合わせられない。
纒向遺跡の興隆は、誰の時代に始まったか、そして崇神以後の墳墓はなぜ箸墓より小さくなるのか?
もし垂仁陵が平城京構築で失われたとしたら、この時点で、御陵の特定は失われている。



284 :日本@名無史さん:2010/04/29(木) 09:57:57
山高きをもって貴とせず
前方後円墳長さをもっと貴とせず

なぜそのくらいのことがわからないのだろう?

285 :日本@名無史さん:2010/04/29(木) 14:32:08
山は高いから尊いのです。


286 :日本@名無史さん:2010/04/29(木) 15:49:14
三輪山とか天香具山とか、その形の美しさにこそ価値があるのです。
富士山も美しい形の成層火山でなかったとしたらだれも見向きもしなかったでしょう。

287 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/04/29(木) 18:59:54
山の高さでなく、その頂上でアルペン踊りを何人が踊れるか?
広さなのだ。


288 :日本@名無史さん:2010/04/29(木) 23:35:14
その通り。
世界最大級の巨大カルデラ阿蘇山が一番偉いのです。
天皇の祖先が天の磐舟に乗ってやってきたとき、空から阿蘇山を見つけて大いに驚いたはず。
そして阿蘇に降り立ち、そこを高天原と名付けました。

289 :日本@名無史さん:2010/04/30(金) 06:55:37
阿蘇(笑)
あんなとこ、ラドンしかいねーよ

290 :日本@名無史さん:2010/04/30(金) 07:11:32
テンノウの祖先はユーフォーに乗った宇宙人だとでも言うつもりかね
テンノウのの祖先は大韓半島にあるタカマガハラから東韓征服軍を組織し
東韓征服した大韓民族である百済人であるのだ

291 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/04/30(金) 12:29:25
古墳への埋葬とは、
まず3段程度の墳墓を築くが、後円部は平坦な広さがある。
次に中央に棺身が入る浅い穴を掘り、棺身を置く。ここまでは生前でも良い。
それから遺体を棺に納め、親族が棺内に副葬品を置き、蓋を閉める。
次に参列者が、棺のまわりに鏡などを副葬する、その時鏡が不足すれば
それを断ち割り、その破片を参列者各自が副葬する。
参列者が多ければ、副郭を設けそちらに副葬する。
それらが終了したら、粘土で棺を覆う。そしてその広場に円墳を築く、
これが後円部の最上段となる。そのまわりに埴輪を飾り、最後に後方部で
祀りを執り行う。この最後の祭りは世継ぎの祀りかも知れない。
以後は、上部で祀りが執行される事はない。例外は後方部にも葬られた場合のみ。


292 :日本@名無史さん:2010/04/30(金) 14:17:21
古代史の山で本当に重要なのは二上山と剣山なのは常識。


293 :日本@名無史さん:2010/04/30(金) 23:19:32
阿藤・伊藤・江藤・加藤・木藤・工藤・佐藤・須藤・武藤・尾藤・、
皆藤・斎藤・内藤、安藤・遠藤・近藤・進藤、
藤井、藤江、藤尾、藤岡、藤田、藤村、藤本・・・
日本人の3人に1人は、藤原氏の末裔だといわれており、これは天皇の赤子よりずっと多い。
どうしてこれほど藤姓の氏族が多いのかといえば、富士山の噴火で古代富士王朝が滅びるまでは、
日本は富士王朝が支配していたからなのです。

邪馬台国とは富士王朝のことだったのです。

294 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 13:54:26
あんな太古の森が広がる樹海に人が
生活する余地はないんだが。

むしろ逆で神聖な場所である為に
富士は立ち入りを禁止していたのではないかな。

295 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 14:22:16
>>294
富士王朝は富士山の見える範囲を支配していて、遠く福島や和歌山からも見えるそうじゃないですか。
富士王朝の中心がどこにあったかははっきりしませんが富士吉田あたりも火砕流でやられているし、
静岡や甲府盆地も火山灰の堆積で不毛の土地になってしまったたのだと思います。
関東平野の至る所に富士見坂、富士塚、浅間神社がありますね。
そのあたりが富士王朝の範囲でしょう。

296 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 14:38:28
徐福は始皇帝に、はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるといって船を出しました。
蓬莱さんとは阿蘇山、方丈とは富士山、瀛洲とは十和田山(今は山麓が噴火で吹き飛んで火口湖しかない)だったと思われます。
そういう大きな山を御神体とする神国を総称して邪馬台国と呼んでいたのかもしれません。

297 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 15:47:05
富士王朝って竹内文献よっかトンデモだろ!
量的には東日流外三郡史のほうが多いけど。
例のアソ アサマっていうアイヌ語説もあやしいもんだが あの付近は学問的にきちんと調査が入って
トンデモ王朝が成立しないのを証拠立ててるぞ。
で、本題の「卑弥呼は誰だ?」は どこいっちゃったんだ?
卑弥呼って当時の支那人に聞こえたのって「姫御子」かな?「ヒメ」「ヒコ」からいくと違うかね。
後を継いだ「トヨ」は「豊受大神」なのかと思うんだが。

298 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 22:42:03
>>297
豊受だとすると
伊勢大社・・天照か。

俺はヤマトトヒモモソヒメだと思う。
彼女と祟神は甥叔母の関係にあり、弟王と符合するし、
その時代に起きた卑弥弓呼との戦いは、タケハニアスの反乱

卑弥呼の死後の男王時代の乱はサホヒコ・サホヒメ
男王は祟神の次王の垂仁。垂仁の時代にサホヒコサホヒメの乱が起きている
その次に女王・・つまり再び斎王を立てたとすると、ヤマトヒメがそれにあたる。

ヤマトヒメは伊勢神宮を建立した人物。

299 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 22:44:42

トヨタン・・・・・・・・・・
 

300 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 23:18:27
大彦の同母妹である倭迹迹姫命が卑弥呼とする説には賛成。
ただ、稲荷山鉄剣銘文の解読で古田も指摘しているように大彦は関東の大王であり、
従って倭迹迹姫命も関東に居た可能性が高い。
つまり、邪馬台国は関東にあったのだ。


301 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 23:21:00
>>300鋭いですね。古田先生ものど元までその言葉が出かかっていたはず。しかし、自ら信ずてきた九州説を自分の手で覆す勇気がなかったのでしょうね。

302 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 23:57:05
>>300さま
そうだったのですか?びっくりしました。
稲荷山古墳のそばにある「丸山古墳」が卑弥呼の墓だった可能性もありますね。
地元の研究者の間では、丸山古墳は新しいといわれていますが、改修工事が施されたからかもしれません。

303 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 00:02:32
むしろ、邪馬台国は九州じゃない証拠のほうが多いのに、
九州説信者は「あーあー、聞こえなーい」だからな。wwwwwwwwwwww


304 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 00:05:10
>>301
ちょっと待ってください。
そう決めつけるのは早計。倭迹迹姫命は畿内に嫁がせた可能性もあります。
それに、大彦の墓は関東最大の前方後円墳である群馬県太田市の天神山古墳だったと思われます。

305 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 00:07:20
このスレを呼んでいたら、なんだか邪馬台国は関東にあったのではないかと思うようになりました。えへっ

306 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 00:14:40
>>304
モモソは葛城族だ。
妹は祟神の嫁。葛城の葛木高名姫命。

307 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 00:45:43
卑弥呼は葛城にいたんですね。


308 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 01:25:07
葛城地域の発掘をして欲しい
ただ葛城氏の本拠地、御所市は財政難で余裕はないとか

欠史八代の陵墓がほとんど葛城氏領内なのが興味深い

309 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 01:47:40
>>308

>欠史八代の陵墓がほとんど葛城氏領内なのが興味深い

それは思い込みですね。
自分でリストアップしてみてください。

310 :水銀厨:2010/05/02(日) 01:55:26
ヤマトト・トヒ・モモソ媛
ヤマト=大和 トヒ=(外山 桃尾 登美)モモソ媛(呪術を使う姫)
普通に奈良周辺の媛という事です。

311 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 02:01:03
>>308-309

橿原市 4
御所市 2
奈良市 1
北葛城郡王寺町 1

神武を入れると橿原市は5

312 :ブラック・マンバ:2010/05/02(日) 02:22:19
倭迹迹日百襲媛命か。Wikiには、

>ヤマト(大和)のトトビ(鳥飛び)に基づく神祀りに仕える巫女と解釈されている。名の意味は、霊魂が身体から離脱して
  空中の鳥のように飛んでゆく。

とあるけど、どうだろ。「迹迹日」というのは「太陽を追いかけ祀る」という解釈がある。「百襲」は「多くの衣を重ね着する」と
いう意味もあるらしい。これは魏からもらった種々の織物ということか? www こんなの実情はぜんぜんわからん。

313 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 03:56:47
>>311
王寺に御所に橿原西部…
殆ど葛城領内だな


314 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 07:02:01
ブラックマンは、2chビューワ使ってるの?
よくアク禁にならないね。相当な投稿量だよ。

315 :水銀厨:2010/05/02(日) 07:23:07
>ヤマト(大和)のトトビ(鳥飛び)に基づく神祀りに仕える巫女と解釈されている。名の意味は、霊魂が身体から離脱して
  空中の鳥のように飛んでゆく。

それは少し妙な解釈だな。

モモは仙果 古代中国の事例でも有名
川の氾濫し易い場所に植えられる木

蘇は蘇我氏にも通じる「よみがえる」という意
これも呪術的なターム


316 :ブラック・マンバ:2010/05/02(日) 08:25:43
ただ弥生時代からの鳥信仰というのは確実にあっただろうな。これは鳥形木製品の出土(鳥竿)、鳥形埴輪の出土、鳥装シャーマン
が描かれた弥生土器の出土などから伺うことができる。下は唐古・鍵の絵画土器からの復元模型で、少しやりすぎという気がするがね。
http://uproda.2ch-library.com/241282LHF/lib241282.jpg

いずれ、「魏志 東夷伝」には、弁辰では人が死ぬと大きな鳥の羽で死者の霊魂を飛揚させた、「呉越春秋」巻四には、公主の葬儀に
際して鶴の舞が演じられた、と鳥装のシャーマンをを想起させる記述があり、東アジアには一般的な風習だろう。

この絵画時の場合は、シャーマンの胸には鹿の絵があるんで、葬送儀礼というより農耕儀礼だと思う。鹿は稲作に関係の深い精霊だし、
この他の鳥装の人物が描かれた土器は種籾などの貯蔵に用いたものが多く、種籾から新しい苗を復活させるための儀式かもしれない。
纏向遺跡の土坑に見る農耕儀礼的な出土物との関連も興味深い。



317 :ブラック・マンバ:2010/05/02(日) 08:51:04
「魏志 東夷伝」高句麗の条には、
>以十月祭天、国中大会、名曰東盟。(中略)其国東有大穴、名隧穴、十月国中大会、迎隧神還于国東上祭之、置木隧于神坐。

・・・大穴のある場所に10月に国中から人が集まって大祭を開くとある。これは収穫後に穀母神を祀るもので、纏向遺跡もこのような
大規模祭祀のための聖域であり、年に一度全国各地から集まってその年の収穫を祝い、種籾復活の儀式などで翌年の豊穣を願っ
たというようなことがあるのかもしれない。こう考えると、出雲の神有月が10月であることもいっそう興味深い。

いずれ鳥ーシャーマンー農耕儀礼というのは、俺らには普遍的な連想だし、記紀の百襲媛の事跡のほうに後代の脚色が含まれてい
る可能性がある。


318 :ブラック・マンバ:2010/05/02(日) 08:59:06
>>314
Jane を使ってる。・・・ところでこっちのスレは考古学はダメなのか?だとしたらなるべく文献でいく。

319 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 11:33:26
>>315
『我、蘇り』ですね。

ソチヒコの墓は室大墓だそうです。
葛城には大王になれる力があって、葛城が大王だった時代が欠史八代で
藤原はこの時代の王を悪く書き、簡略化したんじゃないか。
藤原にとって蘇我は完全に消し去りたい王族ですからね。

320 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 11:50:41
>>317
縄文時代ころまではこんなのが生き残っていたのかもしれませんね。

http://go1by1.com/jan/archives/img2/050506-01.jpg

321 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 18:17:58
>>319
俺は更にいわゆる『部落』と呼ばれた人々が蘇我や葛城の子孫で
藤原は意図的に彼らを蔑み民衆にまで差別を徹底させたのではないと思っている。
その証拠に御所市という所はそういう地域が多い・・いや全部がそうといって良いぐらいある。

322 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 21:15:58
>>321
鎌倉や室町期の文書を調べたかね?

323 :水銀厨:2010/05/02(日) 21:18:11
>>319
まあ葛藤という言葉からも藤原と葛城の対立というのが
キーワードでしょう、記紀編纂の時代は。

モモソ媛はやはり蘇我系に繋がるのでは?と
考えてもいいかも知れないような気もします。

勿論そんな単純な事ではないのでしょうが、
性器を箸で突くなんて話を記しているのは
やはり直系の子孫がいないという事を念押し
しているのではないでしょうかね?

324 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 22:44:15
性器を箸で突くってのは、作り話だろ。


325 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 22:47:09
>>322
しかしそれ以前から、蔑まれていた地域だったとも言える。
それに御所だけじゃなく、
王寺の平群もそう。平群は蘇我石川麻呂の本拠。関係ないとは言い切れないだろう

326 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 22:55:57
大物主絡みはホトを突いて死んでるな


327 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 22:57:14
ものすごく「蘇我」にこだわっている人いるんだけど。
「そが」は「蘇我・曽我・曾我・宗賀」がある。(もっとあるかも)
清(スガ)から来ているのではという説もある。
「われよみがえり」はあくまでも、日本書紀を推敲した人が選んだ漢字。
決まった漢字は元からないのでは。


328 :水銀厨:2010/05/02(日) 23:10:19
>>327
特に拘ってる訳ではないですよ。
でも解らない事が多すぎなんでね。
葛城、蘇我氏については。

蘇我系である推古天皇の逸話にしても
何か卑弥呼の件を念頭にしてる気がするんだよ、
まぁこれは完全に推測で妄想ですけど。

329 :ブラック・マンバ:2010/05/02(日) 23:25:28
奇妙な話題をやってるなあ。葛城氏と差別ねえ。「日本書紀」の神武紀に、土蜘蛛を葛網の罠で捕らえて殺しこの地を葛城と称した、
という地名譚が出てくるけど、それくらいしかわからん。日本書紀の編纂時に何らかの意図を持って編み込まれた記述なんかね?

330 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 23:58:25
箸、蛇、櫛って、出雲神話からのセットだよね。
蛇=神、櫛=魂をこめるもの、箸=捧げる
の意味だと思う。
これで言うなら箸墓は出雲に関係のある人物が近辺にいたんだと思う。



331 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 00:28:12
出雲を過大評価しすぎ。

山陰の土器がどれくらい出てるというのだ。

332 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 00:32:24
似た伝承を持っているということは近いということ。
それが血筋なのか、距離なのかは知らんが。

333 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 00:32:47
出雲国は、紀元前にアマ族(安曇族)に滅ぼされた国だから、関係ないよね。

334 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 00:40:39
なんだ?それは。どこら辺に記載されてんの?

335 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 02:49:29
どこら辺って、出雲が滅びる記紀のストーリーがそうなってるわけだが。

336 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 03:01:02
紀元前、アマ族(安曇族)なんて載っていませんが

337 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 03:28:54
国が滅んでても、出雲系は残っていたんじゃないの?
だから伝承が残っていても、不思議じゃない。
全滅させているなら、記紀に(国譲り)残す必要すらなかったと思うよ。

338 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 10:09:31
滅ぶどころか、大和は出雲を恐れていた感じがするね。
反乱を抑制してたのか敵だったのかは分からないけど、
王の宮より大きい社を建てたり

339 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 13:19:34
出雲国滅亡は天孫降臨の前だから、紀元後はありえない。
出雲を滅ぼした天照大神の勢力がアマ族だからアマ族と書いたまで。
出雲国の宗主権は剥奪され、出雲大社が創建され、出雲の軍備は解除された。
そして、出雲の為政者は祭祀専業に封じられた。
宗主権のない小国出雲はもちろん残ったはず。



340 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 13:37:26
トンデモ本で見たけど、
出雲は『いずる蜘蛛』で黄泉の国の事だって。
大和の遠慮の具合を見ても 祟りを恐れてのあの巨大な出雲大社だったんだろうね

341 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 13:49:16
>>339
いやその記述されたソースを知りたいんだが


342 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 14:08:50
土蜘蛛の子孫の皆さん、お元気ですか?
いまも日本各地の企業やお役所で、土蜘蛛のように這いずりまわって働いていることと思います。
ほんとうに、アマテラスの子孫というか弥生系の人が入ってきてから、日本は住みにくくなりました。
皆さんには同じ土地に定住することを強いられる農耕生活は無理だし、
工事現場を渡り歩いたり、セールスマンとしてお客さんのところを回ったりしているのだと思います。
獣や魚を取ったり栗や栃の実を拾って暮らす狩猟・採集生活をしていたあの頃が懐かしいです。

343 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 16:55:33
341によると、記紀には出雲が負けたことが載っていないらしい。
どういう読み方をしてるんだか。

344 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 17:48:45
>>341は「アマ族(安曇族)」とやらのソースが知りたいんだろ?
俺も知りたいわ。

安曇といったら、普通ワタツミ(海神)の系譜で、アマテラスとは別系統だが。


345 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 22:36:52
う〜ん、アマ津見=安曇でしょ。

346 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 22:41:41
安曇 安住 渥美 熱海
宗像 宗形 宗方 棟方
緒方 緒形 尾形 尾方
 

347 :ブラック・マンバ:2010/05/03(月) 23:10:28
横からだが、アマ=海人 という意味で使ってんじゃないの。・・・福岡の和布刈神社の祭神は比売大神、彦火火出見命、鵜草葺不
合命、豊玉比売命、安曇磯良命で、安曇氏の祖神とされる磯良は豊玉姫の子で、鵜草葺不合命と兄弟神(あるいは同一神)である
とする民間伝承もないわけではないが、ソースは難しいだろうな。豊玉毘売の正体が八尋和邇であることからの連想か?

「アマ族、出雲」で検索すればいろいろ出てくるが、俺にはすべてトンデモ系に見える。ww

「神功皇后が天照大神に三韓征伐を命じられ、安曇磯良に竜宮から旱珠・満珠を借り出させて敵を倒した。」こんな逸話もあるけど、
これは白村江の戦いで戦死したとされる安曇比羅夫と関連があるか?

348 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 23:22:08
いや、「アマ族、出雲」はトンデモ。
安曇とも関係ない。

出雲と関係あるのは、宗像のほうで、これはオオクニヌシ系。

もしかして「あずみ(安曇)」と「いずも(出雲)」をかけてるのかもしれないが、
音韻的にも両者は違うんじゃなかったかな?
「安曇」は「あずみ」
「出雲」は「いづも」


349 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 23:40:54
全国に分布する安曇、出雲、泉、和泉、伊豆、夷住といった地名・・
これらはほとんどが蝦夷というか日本列島の先住民の居住地という意味です。
安曇族、出雲族などといった民族がいたというのは全くの誤解です。


350 :ブラック・マンバ:2010/05/03(月) 23:41:35
>>348
www 「シュメール系アマ族」「パミール系アマ族」とか、ちょっと見ただけでこれは危ないものだとわかる。
しかし考古学資料も恣意的な解釈がされてるといわれるけど、文献はすごいよな。

351 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 00:04:55
卑弥呼は琵琶湖ですよっと

352 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 00:37:05
アマタリシヒコ=アマ=アマ津見

353 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 00:47:17
>>351
伊勢遺跡の発掘で、邪馬台国近江ー琵琶湖畔説もまんざらではなくなった・・・名乗りをあげる資格はありそうだな。
http://im-keyton.hp.infoseek.co.jp/public_html/ise/ise_seika2.htm

354 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 01:20:20
琵琶湖説は、火星説の次ぐらいだな。

355 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 01:36:56
>>353
いや邪馬台国近江説ではなくて。「邪馬台国」は大和だと思いますよ。
まあ、高天原(=高海原)は近江な訳ですが

ポイントは「卑弥呼」という名の女王は実在しなかったってこと。
邪馬台国には別の王がいた、もしくは
王はなく共和制で、伊都国の王が実質的なリーダーだった。

これは仮説だけど、
公孫氏=神武=邪馬台国の王、とかね。
神武が「東に豊かな国がある」って知ってたのが不思議なんだよね

356 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 01:55:03
野洲に王の住まいがあるとはやっぱり思えませんし^^;

おそらく伊勢遺跡は、農協と集会所を兼ねたような施設。
神無月には、米を分け合うために各国の長が集まる。
ちなみに野洲=投馬国に住んでいたのは、主にツクヨミの子孫。
(彼らは月齢で稲作のサイクルを計っていた。)

そんなとこかなーと

357 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 04:19:44
和歌山の伊都はどういういきさつで
伊都という地名になったんだろ

358 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 05:45:42
地方には、畿内の地名と同名の土地がよくあるよね。
特に奈良と同じ地名。
それもなんでだろ。

359 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 06:41:57
>>357
wikiによると、「伊都郡は、廃藩置県以前からある和歌山県(紀伊国)の郡」とのことで、
古くからの地名であることは間違いないようですね。
気になって調べたら、伊都郡かつらぎ町に「丹生都比売神社」というのがあって、

>丹生都比売大神は天照大御神の妹神であるとしており、稚日女尊と同一神とする説もある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E9%83%BD%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

>『播磨国風土記』によれば、神功皇后の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、
>衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来た
http://www.niutsuhime.or.jp/goyuisho.htm

とのことです。
なんだか、卑弥呼に関係ありそうな感じではありますが、
邪馬台国が畿内だったとしても、伊都国は九州だと思います。
あるいは、伊都国が東夷してきたのかもしれませんが、興味深いですね。

360 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 07:02:34
東夷は東征の間違いです。恥ずかしいー


361 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 11:44:47
韓国のソウルは語源が不明だったけど、
蘇我って、ソウルと読めるよね?

蘇=ソ
我=ウリ


362 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 12:31:16
>>357-358
大体、太平洋側じゃないですか?

伊都国≒蘇我氏、あと葛城とか東漢氏・西漢氏あたりは同族で、
藤原氏の画策により、大陸・半島から遠い場所に散らされた。
それが忌部氏になり、後に源氏の勢力になる。

日本書紀のスサノオは、本来はフトダマ(蘇我=忌部)
だから藤原氏によって書き換えられた。

どうでしょーか

363 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:11:58
近似した地名群には説得力があるが、
単発ごろ合わせには関心なし。

364 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 15:48:55
そういや、御所内にある宗像や厳島の分社も気になるなぁ。

なぜ宗像系の神社だけが御所内にあるのか
平城京や長岡京のときや、それ以前にもあったのか
もしあったとすれば、皇室と北九州の繋がりにどう関連するか

なんて疑問をずっと昔から持ってるんだけど知ってる人いる?

北九州の神社の分社が、なぜ畿内に作られたかが分かれば、
神武東征の「東征」が史実でなくても、事実と認識されるべき
端緒にはなるんじゃないかと思うんだわ。


365 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 16:23:56
>史実でなくても、事実と認識されるべき端緒にはなる
日本語でおk

366 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 17:12:26
四国の長曽我部と蘇我は関係あるのかな?

367 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 17:16:56
>>365

神武が東征したかどうかという史実性はともかく、九州勢力が東征したという事実ってことだよ。

368 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 17:23:59
神武が畿内にわずかな領土を占領したのは、まあ本当なんだろう。
それとはまったく関係なく、天武が(いわゆる)倭国の副都として
九州から畿内に行政機能移転をしたのだろう。

この二つをごっちゃにすると、わけわかめ。

369 :茶々:2010/05/04(火) 17:41:55
太閤様はどこぞ?

370 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 18:11:23
もうなんでもいいから古代政権に九州勢をねじ込みたいんだねwww

371 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:01:57
そもそも何で九州が出てくるの?
邪馬台国は九州にあったって勝手に思い込んでるだけ?

372 :サガミハラハラ:2010/05/04(火) 19:06:46
いいですか、邪馬台国は北部九州佐賀県小城市甘木に存在していたことは確定しているのです。
思い込みではなく確定ですよ。この現実をもとに、論をくりひろげていかなければ、議論は空回りするばかりです。

373 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:19:07
>372

どこにそんな証拠あんの?


374 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:23:46
>>364
葛城に、宗像系神社があるってこと?
それなら、宗像氏が、葛城で祀られてる事代主の後裔だからでしょう。

>>367
神武は関係ないね。むしろ出雲。



375 :サガミハラハラ:2010/05/04(火) 19:24:55
>>372
この古代史の天才であり、神のごとき英知を持ったサガミ様がそう主張しているからだよ。あー、なんか文句あんのかよ。

376 :サガミハウハウ:2010/05/04(火) 19:27:49
>>373
続きは本を買ってね!

377 :神無月巫女:2010/05/04(火) 19:32:41
買いました。なんとも素晴らしい内容でしたよ。先生。

378 :ギーコギーコ:2010/05/04(火) 19:37:47
ギーコギーコは鋸引きの、小城公園内桜ケ岡シュパッチ。

379 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:39:27
神無月巫女は、せっかくのハンドルなんだからさ、
女性になりきって投稿してよ

380 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:41:39
素晴らしい内容なので、サガミ様の住所が南区になりました。(4月1日〜)

381 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:42:22
南区じゃなくて緑区でした。

382 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:02:34
出雲滅亡が紀元前・後、どこにも書いてない件。

383 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:03:37
天孫降臨の前だから紀元後ってはずないでしょ。

384 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:27:42
>>383
 出雲は比喩で読み込むけど、天孫降臨はそのままって・・・。

 器用だね

385 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:35:23
>>382
崇神が
「お前のものは俺様のもの、俺様のものは俺様のもの!」
…とジャイアニズムよろしく出雲の神宝ガメった話しは?

神宝を奪われる=祭祀を取り上げられるで
実際滅亡にも等しいと思うが?www

386 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:37:42
>>385
 滅亡はそんな後じゃないでしょ。
 天孫来て国譲った時点でout

387 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:44:26
>>386
考えてみれば「国譲り神話」と「崇神の出雲の神宝ぶん取り」と

念入りに2回、出雲って記紀の中では滅ぼされてるんだなwww

388 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 20:58:45
四隅突出形墳丘墓の発生は紀元前後だよな。そしてこれ以降、出雲の青銅器祭祀はすたれる。これには精霊祭祀が祖霊祭祀
にいち早く切り替わっていったという説明がある。また、弥生後期に大型の四隅突出形墳丘墓が造営された出雲平野では、これ
を継承する大型の前期古墳は造られていない。これらのことは記紀の記述と何らかの対応関係があるか?

389 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:08:31
>>388
>>388
まあイマイチ、パッとしない説明だがw

ヤマト王権の伸張と共に瀬戸内ルートの活性化。
また半島との交易の窓口北部九州にも強い影響力を持つに至り
日本海ルートの物流がやや低下した…とか?

とは言っても中世まで北前船による交易とか
出雲の巨大神殿も平安時代にあったりと
そう劇的な凋落を想定するのは難しいが…

390 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:12:27
出雲系の方墳と九州系の円墳が合体してできたのが前方後円墳。
もちろん人的交流も盛んで、婚姻により男女も合体している。
日本人というのは混血児なのだ。

391 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:18:41
そもそも黄色人種の多くは混血

392 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 21:23:56
北前船か。・・・山形で内行花文の破鏡が見つかってるが、これは北部九州ー鳥取県青谷上寺地遺跡ー石川県古府クルビ遺跡・
無量寺B遺跡ー新潟県佐渡島蔵王遺跡ー山形県馬洗場B遺跡という日本海ルートだ。古墳時代前期には需要が減少していた
とは考えられるが・・・。

北前船には持衰(斎)が乗っていたという話がある。
>寛永10年(1633)の「北国船図絵馬」は、自らの命と引き換えに船の安全航行を祈願したという宗教者「持衰」(じさい)の姿を描
  いた、有数の貴重資料である。

http://kyodokan.exblog.jp/7952072/

393 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:28:43
甘木は甘木でも福岡県甘木市ですよ。
サガミハラハラの旦那。

394 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 21:35:26
>>392
の需要というのは、破鏡の需要ではなくルートそのものの需要。どうも自分だけわかってるつもりで言葉が足りない。2chは
難しいな。

395 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:37:36
>>387
国譲りしても祭祀だけは任されていたのでは。
それを完全に取り上げることで、組み入れられたのではないですかね。


396 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:52:14
>寛永10年(1633)の「北国船図絵馬」は、自らの命と引き換えに船の安全航行を祈願したという宗教者「持衰」(じさい)の姿を描
>いた、有数の貴重資料である。

実際にその資料の中でどういう風に描かれているのか分からないが
ひょっとして倭人伝中の「持衰」とは似て異なるものの可能性もあるような気がするw

倭人伝の「持衰」は言わば「成功報酬」が用意されていて
最初から航海の安全を祈願する為に死んだり
荒れ狂う海を沈めるために自ら入水すると言う
一種の「生贄」「人柱」と意味が異なるような…

>>395
まあ国譲りじゃあ大国主は引退の為の交換条件突きつけているからなw
そういう見方もできるかも知れんwww

397 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 21:57:22
出雲大社(杵築大社)はどこまで遡れるのだろう?・・・出雲の国譲りと神社の創建を指令したのは高皇産霊神(高木神)だったか・・・
建御名方神の諏訪神社もそうだが、巨柱信仰のようなものでの繋がりがあるのか?

398 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 21:58:57
>>396
この絵馬では船の舳先に縛り付けられてるんじゃなかったか。いずれ仏教色の強いものだよ。

399 :サガミハラハラ:2010/05/04(火) 22:02:59
>>373証拠は魏志倭人伝の行路記事ですよ。小城甘木にゆきつくでしょ。
>>376「神功皇后は実在した  明窓出版」の付録にメジャーで辿る邪馬台国として
私の邪馬台国論がのっています。
>>377非のうちどころがないでしょ。
>>380現在は新撰組の町、日野市に住んでいます。5月9日は新撰組祭りパレードがおこなわれます。
>>382出雲滅亡(国譲り)は西暦39年のことでした。
>>393福岡県甘木説は私の師である安本先生の説ですが、残念ながらなりたちません。


400 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:14:01
>>397
諏訪も出雲系ということだとオモ
だけれども、諏訪には竜神伝説なかったっけ?
竜神、蛇は三輪に繋がらないか?
倭迹迹日百襲姫がそこででてくるわな。

401 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:14:14
>>396俺も大学の頃は何日も風呂に入らず、外食する金がないので持衰していたな。

402 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 22:23:34
縦目先輩と違って宗教方面は詳しくないんだが、杵築大社の「杵築」というのは柱を立てる工法と関係があるか?
縄文の巨柱は北陸から越後など日本海側に多く見られるが、死と再生に関する樹木信仰にかかわるものか?

この持衰(持斎)は存在自体まだあやふやだが、あったとしたら高額の成功報酬はもらっていたのではないか。失敗したら
どうせ皆死ぬわけだし、いい商売といえなくもない。ww

403 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:25:27
>>399
日野の浅川はサンカが多かったところですが、なんで引っ越しを?

404 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 22:31:37
>>400
諏訪湖の竜神伝説か・・・氷結が大きく蛇行する「御神渡」がこの竜神伝説の元になったともいわれるけど、これは湖のあるところ
田沢湖とかどこにもあるからなあ・・・。

405 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 22:37:46
イッシーとかクッシーとかいうのも、姿を変えた竜神伝説なのかな。

406 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:41:12
長崎、沖縄、台湾などの中華系文化を持つところはは今でも竜神祭やるよね。
海洋民族の伝統なのかな。竜って。。

407 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:45:00
竜神祭は中華系文化をもつ長崎・沖縄・台湾などで
今でもやっているよね。

竜は海洋民族のシンボルなのかしらん・・・

408 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 22:56:10
>>406
・・・竜人祭か。東南アジアの貿易港は華僑の商売進出が目ざましいということじゃないか。ww 中国の竜はインド起源かと
思うし、中国の竜伝説は内陸部にもある。

田沢湖は秋田県の山奥にあって、辰子姫の竜伝説はそんなに古いものではないだろう。日本の民俗学的には竜と蛇の区別
は大きくはない気がする。

409 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:02:59
>>406>>407 連投sorry

巨柱で思い出した。紀にもあったけど、
推古の時代、推古の母の堅塩媛の改葬で
皆で柱を建ててなかったっけ?
それで誰のが一番高いってあったような。

410 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 23:13:40
>>409
いやあ、よく記紀読んでるね。堅塩媛の弟?が蘇我馬子で、改葬で諸氏に柱を立てることを競わせるイベントの目的は、
蘇我氏の権威の誇示と、推古天皇の出目を正当化することにあったと考えるのが通説じゃないか?

411 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:21:23
[柱を立てる]という行為が、高木神信仰のなごりなんじゃないの?



412 :ブラック・マンバ:2010/05/04(火) 23:42:01
>>411
証拠が出るようなことではないけど、何らかの関係はありそう。

蘇我堅塩媛の改葬そのものは、26代継体天皇から続く皇統の混乱期に、29代欽明天皇ー33代推古天皇という繋がりを
強調する意図があったというのは想像に難くない。考古学的には、欽明陵を奈良県橿原市の見瀬丸山古墳に比定する説が
有力だが、記紀の記述に照らして謎も多い。

413 :縦目仮面:2010/05/05(水) 01:48:59
こっちはちゃんとやってるようだけど、人格攻撃者というのはやめなさい。

414 :日本@名無史さん:2010/05/05(水) 07:23:36
>>406
普通、龍は水の神とか雨乞いの象徴じゃないかな。

俺は前々から思ってたのがこの蛇(龍)信仰が銅鐸を廃れさせた原因じゃないかと
思っている。
半島から「まむし除け」として日本に入ってきたという前提が証明されればだけど。

415 :ブラック・マンバ:2010/05/05(水) 13:51:19
>>414
「まむし除け」?竜のことか?・・・唐津の諏訪神社の砂がマムシ除けに効くというのは知ってるが・・・。
銅鐸が水の祭祀とかかわるという説はあるし、銅鐸祭祀が廃れたのは、土木技術の発展により水の制御ができる
ようになったことと関わりがある・・・これはほとんど妄想だが、水の祭祀の変遷というなら、竜もまんざらではない
かもな。

416 :日本@名無史さん:2010/05/05(水) 19:47:37
>>415
銅鐸が「まむし除け」

417 :ブラック・マンバ:2010/05/05(水) 21:23:08
>>416
銅鐸がマムシ除け・・・斬新だな。ww 朝鮮式小銅鐸とかは向こうでは家畜につけた一種のベルという話もあるから、マムシ除け
の機能もあったのかも。日本ではどうだろう。

418 :日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:59:25
>>417
ホントはまむし除けってのは考古学板の銅鐸スレからパクってきたんだけどなw

419 :日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:10:17
銅鐸には、マムシドリンクが入っていたのさ。

420 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 13:27:41
>>410
  あの推古条の中で柱を建てているのは、権威として既に認知されていたということ。

  柱を建てることが権威付けにならなきゃ、やんないとオモ。

 ちなみにオロチは蛇か?竜も同類か? どう見る?

421 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 13:41:43
>>414
 海神祭明けは梅雨明けと現地では言います。

 龍と銅鐸の関係を詳しくお願いします。

422 :ブラック・マンバ:2010/05/06(木) 13:50:16
>>420
ただ、馬子関係の事跡に関しては「日本書紀」の書き方は微妙だ。例えば崇峻天皇の事件以前の記事には「馬子宿禰大臣」と
記されていたものが、弑虐以降はその名前が消える(ただ「大臣」になる)。これは完全に恣意的な編集で、それ以前のことに関
しても裏を読んでいく必要があると個人的には思ってる。

423 :ブラック・マンバ:2010/05/06(木) 14:07:32
>>420
>ちなみにオロチは蛇か?竜も同類か? どう見る?

なんと難しいことを・・・俺の手にはあまるww まず中国の龍の概念というのがいつ頃日本に入ってきたかというのが糸口に
なると思うが、これにしてもインドの「ナーガ」系の龍が、東南アジア経由とかで入ってきた可能性も考慮する必要があるだ
ろうな。

高松塚古墳壁画に見る龍は、四神としての龍(東ー青竜ー春 北ー玄武ー冬 西ー白ー秋 南ー朱雀ー夏)だな。これは
「青春」や「白秋」などの言葉の元になってるが、方位との関係も深い。このあたりも糸口になるか。

424 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 14:09:22
>>422
  推古条自体、敏達の年齢と合わなかったりするもんね。
  聖徳太子の所も後日記載と思えるところが多いし。。。
  ただ文化として祭祀で柱を建てることはあったんだと思う。
  出来事・人物を挿入することはあっても、
  文化を挿入することはないだろうな、という思い込みですが。

425 :ブラック・マンバ:2010/05/06(木) 14:18:35
>>424
柱を立てる祭祀が縄文からそのまま繋がってるかはわからないが、起源は古いと思う。

>>423 訂正 白→白虎


426 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 14:32:10
後漢東夷伝によると、大倭は「無牛馬虎豹羊鵲」だったらしいが、
「持衰」の際には『不食肉』、いつもは何の肉を食べていたのか。
兎か?あれも出雲征伐隊の比喩か。
蛇は?熊は?猪か。肉で場所、特定できんかな。。。

427 :ブラック・マンバ:2010/05/06(木) 14:45:29
うーん、弥生時代ならイノシシ、ブタ、イヌ、シカとかか。あとはキジ、カモなどの鳥類。・・・(獣)肉食がいっさい行われていない
地域というのは聞いたことがない。鹿は稲作信仰にかかわる霊獣として特別な祭祀でしか狩らないというようなことはあったかも
しれん。銅鐸絵画に鹿狩りのモチーフが描かれているのは、何らかの祭祀を表すという説がある。

428 :ブラック・マンバ:2010/05/06(木) 15:22:20
ヤマタノオロチ・・・か。これをの氾濫を表す象徴と見て、退治されたのは治水がなされたことであるとする説は有名だし、スサノヲ
の出自から大陸系の技術うんぬん、という話もあるが、広範囲の洪水を治めるほどの治水技術は古墳時代にならないと無理とい
う気がする。

あと、オロチの腹が血でただれているのは、製鉄で川が濁った比喩で、オロチの尾から出てきた草薙剣は出雲の製鉄技術を象徴し
ているという説も有名だけど、鍛冶遺跡とは別に、出雲のたたら製鉄がどこまで遡れるか?


429 :ブラック・マンバ:2010/05/06(木) 15:23:13
× の氾濫  ○ 川の氾濫

430 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 16:17:31
ちょっとまてよ。

ヤマタノオロチは、出雲風土記に出てこないことは知ってるよね?
つまり、ヤマタノオロチは、出雲の地元では神話伝承ではかったと、大和朝廷がなんらかの意図で創作したのだと、
そういう視点を欠いて、製鉄だの治水だのと空想していいものか?



431 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 16:21:52
製鉄技術を持っていた人たちの象徴が蛇だったんじゃないかな。
彼らの製鉄が農業をしていた一族・・・櫛名田比売の一族とかの命を
脅かしていた比喩とか。
それが製鉄営む上の環境なのか、収奪や侵略なのか。
ここから考えて卑弥呼より前か後か。
製鉄業はもう来ているし、卑弥呼の時代はどうなのか。

432 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 16:22:00
古事記には、
「高志」のヤマタノオロチとある。
これを越とすれば、出雲とは関係なくなる。
ヤマタノオロチは越の伝説で、スサノオが出雲から越に征伐にいった話じゃないのか?
四隅突出型墳墓も、出雲と越にあるよね?

433 :水銀厨:2010/05/06(木) 16:49:09
ヤマタノオロチ伝承は後年に脚色されているでしょうね。

私は河内平野の大和川氾濫話が基本、もしくは
脚色されていると思ってますが。

434 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 16:50:19
>>432
 可能性はありますよね。ただ墓の形が気になります。
 二つは似た文化を持つ一族だったことになる。
 クサナギを献上したということは、越をお土産にアマテラス側に降ったということ?
 スサノオの子の大国主の子は諏訪まで逃げているし、
 あの辺りはこの一族の人たちが多かったのかも。

 ということは卑弥呼はどこ?

435 :ブラック・マンバ:2010/05/06(木) 16:54:36
>>430
俺はこの話はけっこう新しいのではと考えている。

436 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 16:58:21
>>430
 すべての話は比喩だと思う。

437 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 17:14:39
『又特賜汝紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤、皆裝封付難升米、牛利還到録受。
悉可以示汝國中人、使知國家哀汝、故鄭重賜汝好物也。』

邪馬台国って百余りの国の集まりなんでしょ??

銅鏡百枚は各国に配っているんじゃないかな。。。

438 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 17:47:48
>>437
>邪馬台国って百余りの国の集まりなんでしょ??

ちがうよ

439 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 17:57:48
竜はキットね揚子江ワニ。
ワニvs虎ならフェアな感じがする。
雨が降る前になるとワニは吠えるらしいし。

440 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 17:58:21
>>438  
倭人在帶方東南大海之中、依山島為國邑。舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。

は倭国としてこんなけ?昔、百余りなんでしょ?今は言葉が通じるのが30国。
じゃあ、邪馬台国が協定していた、支配下にあったという国は何カ国?

441 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 19:00:44
横レスですが、

次有斯馬國 次有己百支國 次有伊邪國 次有郡支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國
次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有爲吾國
次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
此女王境界所盡

邪馬壹國も含めて合計22ヶ国の連合国家なのではないかと思う。
伊都國は女王國に統屬してはいるが、女王國ではないと読める。
奴國、不彌國、投馬國については記載はないが、女王國の一部ではないと読める。

>>473
>銅鏡百枚は各国に配っているんじゃないかな。。。
同意。

442 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 19:04:14
>>421
文章力ないんで簡単に書くけど、ちなみに銅鐸にまむし除けの意味合いを持っていた
としての前提で。

銅鐸を使っていた時代は蛇を悪魔的な存在と考えていたんじゃないかと思う。
その証拠がヤマタノオロチ伝承かな。
その後、龍信仰が大陸から入ってきて蛇を神聖視するようになってくるとまむし
除けである銅鐸を使えなくなったんじゃないかと考えている。

>>423
龍を描いた絵画土器がなかったっけ?
吉備には弥生後期の遺跡だけど女男岩遺跡というものがあって、地面を掘り下げて蛇の形が表されていたらしい。


443 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 19:09:58
>>437
> 銅鏡百枚は各国に配っているんじゃないかな。。。
同意。

444 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 19:56:34
>>442
マムシは悪魔的存在だったかもしれないが、
アオダイショウは稲作農耕民にとって神の使いだったと思う。
ネズミを獲ってくれるからね。

445 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 19:57:53
>>442
 それどんな使い方するの?

 地中に埋める前の話だよね。
 村のどこかに掛けているの?持って歩いたわけじゃないだろうし。

446 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 20:03:28
銅鏡100枚を22カ国に配ると5枚弱。

現在各地で出てくる銅鏡のほとんどが国内の模造品ではないかと。
さらに小さい国に威光を示すために配ったのかねぇ??
何百枚と出てくる地域はなんだろう・・?



447 :ブラック・マンバ:2010/05/06(木) 20:13:59
>>442
それはあるけど、例えば後漢の龍虎鏡、盤龍鏡などに彫られてるのとはちょっと違う。これらをもって弥生後期の龍信仰に言及する
説はあるね。

http://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/fe865bcfd0d39357aeecc72c1f903263


448 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 20:14:09
>>445
どこかに持っていくまでは想定してなかったな^^;
銅鐸が大きくなってからは儀式化しちゃて村の中で吊るして鳴らしてたかな・・。

449 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 20:25:40
>>446
大半は国産だというのが定説です。

450 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 22:11:16
>>449
国産のほうが質が良いというのも定説です。


451 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 22:36:05
>>445
今の神棚に鏡があるように、聖なる場所に太陽信仰的に供えたんじゃない?

452 :◆.L.MXSPOgc :2010/05/07(金) 16:55:57
>>397
そういうデカい物というのは仏教の影響ではないのかい?

453 :日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:14:03
>>397 ブラック・マッパ

高皇産霊神(高木神)と巨木信仰という話しだが
個人的にはイマイチ、ピンと来ないなあ。

高皇産霊神(高木神)の信仰と言うのなら
多分今の日本の何処かでもやっていると思うが

「祭り」に臨んで山から高い木を切り出してきて
それを立て、カミがその樹梢に舞い降りてくる
…一種のヨリシロにすると言う風習があったと思うのだが
そっちの方がそれっぽいwwww

大昔、映像でそう言った祭りを見た記憶があるのだが
今適当なものが見つからない。

心当たりのある人がいれば教えてもらえるとありがたいw



454 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 05:23:12
高皇産霊神といえば 延喜式最高位の神社 奈良県御所市の高天彦神社

455 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 06:53:19
水銀(辰砂、丹、朱など)について調べたんだけど、防虫殺虫効果があるらしいね。
倭人が朱丹を身体に塗っていたのは、防虫のためだったんだね。

それで思ったんだけど、高床式倉庫には朱が塗られていたんじゃないだろうか?
復元模型などは茶色い建物だけど、実際は真っ赤だったんじゃないかと思う。
寺社が赤いのはその名残かも。
ねずみ除けの効果もあるんじゃないかと思って調べてみたけど、
それらしい記述はなかった。

それと、銅鏡の表面も辰砂で磨いてピカピカにしていたらしいね。
あと、金メッキに水銀は不可欠らしい。

水銀と製鉄の関係についても調べてみた。
製鉄に水銀が使われるという記述は見つからなかったんだけど、
製鉄所の排水から水銀が検出されるらしい。
それは鉄鉱石に水銀が含まれているからなのか、
それとも製鉄に水銀が使われるからなのか、どっちなんだろう?

辰砂のねずみ除けの効果と、水銀と製鉄との関係について、
水銀厨さんはご存知ないですか?

456 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 09:52:26
出雲大社や伊勢神宮が昔は朱塗りだったと聞いたような。
ソースは忘れた。


457 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:16:05
ソースを塗っていたとすれば茶色だったことになるが・・

458 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:46:43
朱塗りの鳥居は時々あるね

459 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:04:16
バーミリオンは殷の時代から使われていたわけだし、
殷の末裔である宋は、秦の圧迫を受けて日本に渡来したと考えられる。
鳥居は殷(商)の文化だったと云えり。


460 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:23:43
水銀だけが丹じゃない。魏では水銀の入っていない鉛丹を鏡とともに下賜している。

461 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:30:38
下級豪族には鉛丹でも鉄朱でもいいけれど、大王や女王は水銀朱以外ありえない。
鉛丹は赤というよりオレンジ色に近いし、別の色と考えたほうがいい。

462 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:37:16
丹には水銀しかない、と騒いでいる奴は、邪馬台国四国説と畿内説。

463 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:38:01
朱塗りは決して、赤塗りではない。

464 :水銀厨:2010/05/08(土) 15:15:23
>>455
製鉄と水銀については関係はあると思いますよ。
鉱物質を探して各地を探しまわる点については変わらないですから。

ただし用途が水銀朱が本来呪術、祭祀に使われている
事が多いので、製鉄=水銀朱が重要という訳ではないでしょう。
むしろ製鉄こそベンガラの方が関係深いです。

水銀は年代によってその用途、重要性が変化します。
簡単に説明するのは大変なのですが、
神仙思想影響下ではとても重視されています。
それ以降は大仏に代表されるように金メッキの資源としても
重宝されます。しかしその後毒性が認識されると
一気に需要が減少する事になりますが。


465 :水銀厨:2010/05/08(土) 15:36:08
>>460
その通りで鉛も仙薬の素として重要視されていたからです。
抱朴子によると鉛を加熱して赤ければ鉛丹。
丹とは本来「仙薬」の事ですから。

ベンガラは仙薬として用いる物ではないので、当初
丹とは呼称されてなかったのです。

鉄丹と呼ばれるのはもう少し後になります。

466 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 15:43:09
仙薬ばかりが書いてある抱朴子には、仙薬としての丹ばかり書いてある。
それゆえに、魏や倭にはベンガラという丹がなかったように書くのは詐欺理論。

467 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 16:08:42
山伏とは何のために山に入ったのかといえば、もちろん鉱山資源探しのためだったのです。
現に、修験主権の山として有名な山から朱や鉄、銅などの鉱山がいくつかあります。
弘法大師空海の真言密教は、中央構造線沿いに四国から筑波山まで広がったのです。

468 :水銀厨:2010/05/08(土) 16:38:20
>>466
抱朴子は仙薬の書ではないです。
神仙思想から社会・政治についても記述されている書です。
倭人伝の時代の諸事情を探るには結構重要ですよ。

もしベンガラを丹と評した当時の書があるなら
冗談抜きに教えて欲しいのですけどね。

469 :水銀厨:2010/05/08(土) 16:46:10
>>467
おっしゃる通りだと思います。

実は私の母方の実家が和歌山県伊都郡近くで
昔は鉱山も所有しておりました。
何十年か前の水害で相当地形が変わって
今は入れないようですが。

その辺の詳しい話を知る人も、
相当減っているのが現状です。


470 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 17:49:05
>もしベンガラを丹と評した当時の書があるなら
ベンガラは何と書かれているの?

471 :水銀厨:2010/05/08(土) 18:43:58
>>470
ベンガラについて、当時の詳しい文献はしらないですね。

もう少し古い「管子」だと一応赤土、紅土と読める。
「赤土の下には鉄が有る」と記述されてますからね。
ちなみにこの書でも「丹沙の下には黄金が有る」と
書かれてます。
この当時間違っても酸化鉄のベンガラは丹では無いです。

472 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:23:03
>>468
違います。丹が載っている部分は仙薬です。

473 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:24:39
要は、畿内説を弁護するために、根拠なくベンガラ=非丹説を空想しているだけ。

474 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:26:07
紀元前1世紀〜紀元3世紀ぐらいの
中国の神仙思想について詳しい文献なり資料って
何が良いですか?

475 :水銀厨:2010/05/08(土) 20:30:24
>>472
勿論そうですが、抱朴子自体は仙薬の書だけではないです。

>>473
ではベンガラを丹と記した当時の文献を教えてくださいね。
ちなみに丹沙=辰砂と記された書物は「抱朴子」「管子」の
他にもあります。
興味があるなら自分で調べてみたら?

>>474
一応何度も書きましたが葛洪の「抱朴子」でしょう。
鏡についての解釈のヒントにもなると思いますよ。

476 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:07:26
>>475
いや、当時の百科事典なんか残ってるわけないでしょ。
だからといって、ベンガラがずっと丹と呼ばれてきた事実は消えませんて。

477 :水銀厨:2010/05/08(土) 22:18:49
>>476
>いや、当時の百科事典なんか残ってるわけないでしょ。

しかし丹沙=辰砂という文献記述は残ってますからね。
私は文献資料を重視しますから。


478 :455:2010/05/08(土) 23:39:03
>>464
ありがとうございます。
いずれにしても、古代、水銀がこれほど重要視されているとは驚きでした。
歴史の見方が変わりました。

479 :水銀厨:2010/05/09(日) 07:34:34
>>478
考古学でも水銀朱が重視されるようになったのは
結構最近なんですよ。
今でも代用品に過ぎないベンガラと混同する人や、
顔料の一部位にしか思ってない人も多いです。

本来の意味から離れてゆく呼称というのは今でも結構例があるでしょう。
例えば電車、元々は路面電車や郊外を走る電鉄会社の列車に用いる物が
今ではディーゼルカーやブルートレインでも
電車と呼ぶ人が大半なのと同じです。
水銀需要が減ってしまうと本来の意味がボケてしまい、
次第に赤い土全てが丹と呼ばれるようになるのはこれと同じ事です。

480 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:38:08
>>477
魏は水銀を含まない鉛丹を産出するという記述もありますから、
水銀を含んだものだけが丹であるというのは、100%誤りです。

481 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:43:02
>>480
勉強不足ですね‥
鉛丹は産出なんてしないよ、熱加工する物。
当時は仙薬として用いられるから鉛丹なの。
ベンガラなら赤土と記述されますから。


482 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:46:19
>>481
魏では鉛丹を産業として作っていますよ。

483 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:48:21
>>482
別に言ってる事は矛盾してないと思うけど。
当時丹とは辰砂のことですよ。

484 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 17:10:29
「鉛丹各五十斤、皆裝封付難升米、牛利、還到録受。」

485 :水銀厨:2010/05/09(日) 17:57:17
えーと、なんか拘っている人がいるようですが、

>>480
まず「水銀を含んだものだけが丹である」という主張は
した事はないと思いますが。
水銀厨なんて名前なので誤解されるかもしれないですけど。

この時代丹沙といえば辰砂なのです。
そして辰砂といえば水銀朱を含んでいます。
水銀朱は金と同等以上の価値があり最上級の仙薬です。

鉛も一応仙薬扱いされていたので、鉛を加工して
赤くなった物を「鉛丹」と呼んだのです。

そしてベンガラのような酸化鉄は「赤土」、この時代だと「赭」、
今でも代赭石と言いますがこれは粘土状の赤鉄鉱で
ベンガラと同じ物です。仙薬扱いされた事はありません。

つまり>>484のようにわざわざ「鉛丹」と分類されて記述されている
書物なら、「丹」といえば辰砂の事です。

つまりベンガラなら「赭」と記述されます。
九州でベンガラが多く採れたとしたら、まさに
管子の「赭の下には鉄がある」という
記述そのままなのです。

486 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:51:12
ていうことは、畿内説の根拠にならないね。

487 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:16:51
九州説の可能性は限りなく無くなるけどな、
丹の山がなければ。

488 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:20:02
先に畿内説の根拠から無くなる。

489 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:29:23
魏志倭人伝にその山に丹ありとある以上は
ちょっと九州説は苦しいよね、ベンガラじゃ‥


490 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:53:00
倭人伝に、
以朱丹塗其身體如中國用粉也
とある、朱丹とは何なの?
人びとが体に塗りつけるほどだから、安価かつ豊富にあるものでしょ?


491 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:01:14
時代は下るが、装飾古墳ではベンガラが当たり前のように使われてる。
弥生〜古墳時代、畿内より九州のほうが、朱色をたくさん使っていただろう。

492 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:10:50
>>490
中国人にとってはとても貴重だったが、倭人は当初
そこまで貴重とは思ってなかったという事じゃないの?
その後大陸から安く丹が手に入るという事が知られて
買い付けが殺到するとか。

493 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:11:32
ベンガラを使っている古墳が九州ルーツ
水銀朱を使っている古墳が畿内ルーツ

なんて分け方できるのかしらん。

暇ができたら、代表的なものだけでも
色分けしてみようかな。
なんか優位な区別がでれば面白いかも。

494 :水銀厨:2010/05/09(日) 22:14:46
>>490
朱丹とは赤色顔料の総称という意味で
使用されていると思います。
ベンガラから辰砂まで、巫女的な人物だと
水銀朱、一般人なら他の赤土等でと使い別けるのでしょう。

余談ですが、この倭人が皆「朱丹」を体に付けているという
話が、後に日本が金に溢れた「黄金の国」と噂される
きっかけになるのではないでしょうかね?
丹は錬金術の素になる訳ですから。

>>493
畿内や徳島ではそれこそ縄文期の水銀朱精製跡が確認されています。
逆に阿蘇辺りでは豊富にベンガラが採取できたので
鉄器製造にも有利だったと考えられるのではないでしょうかね?

495 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:27:24
でも何故「赭」と書かずに「朱丹」と書いたんだろうか

496 :水銀厨:2010/05/09(日) 22:35:52
>>495
例えば古墳だと周囲はベンガラで頭部だけ水銀朱が使われる訳です。
体に塗る場合でも用途によって塗る物が違うでしょう。
そのため「総称」として朱丹です。

「赭」とは酸化鉄、赤鉄鉱の事です。これは「管子」や
「神農本草経」といった文献に記述されています。


497 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:38:28
倭人伝では、倭国の特産の記述の中で「赭」を記述していないが

498 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:49:09
そうすると、これ(朱丹)は
>>475
「ベンガラを丹と記した当時の文献」に相当すると言えるのでは?

499 :水銀厨:2010/05/09(日) 22:52:41
正直「赭」は「辰砂」と比べると採取が珍しくない物です。

鉄器を使っていて朱丹を纏うと記した時点で
書く必要の無いものだったのかも知れないです。

でも丹は貴重な物なので、特記したと思います。
真珠と書かれてる点も見逃せませんしね。

500 :水銀厨:2010/05/09(日) 23:01:00
>>498
顔料としての総称だと思いますからね。
逆に本当に水銀朱をふんだんに使っていた可能性もある訳です。

朱丹=ベンガラとした当時の他の文献があればいいのですが。
今の所私は見てないです。

501 :日本@名無史さん:2010/05/09(日) 23:04:03
そうすると、「丹とあれば必ず水銀朱」とは限らない、と。

502 :水銀厨:2010/05/09(日) 23:15:16
確実な事はこの当時丹といえば仙薬で辰砂、
赭は丹ではないという事です。

○丹とか記述されている場合は、水銀朱をさすとは限らない、
といった所ですよ。

503 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 05:58:18
辰砂(水銀朱)
http://www.gifu-market.com/up_image/item/2221_0_m.jpg
http://www.cad-red.com/blog/jpn/files/20090323_02.jpg

ベンガラ(酸化鉄)
http://hureai-town.com/monet/deta/yakimono/bengara.jpg
http://www.bengara.co.jp/shouhin/s_bengara.jpg

辰砂とベンガラって、素人に区別つくのかな?
若干色が違うらしいけど、並べて比較しないと分からない程度だとしたら、
魏使や通訳がベンガラを水銀朱と間違ったという可能性はないかな?

あるいは、辰砂の産地は極秘だったので、詳細な場所は分からず、
倭国のどこかに丹の山があるという程度の意味かも…>其山有丹

赤って、それほど好きな色じゃなかったけど、調べているうちに
ちょっぴり好きになったw

504 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 07:45:24
>>502
>確実な事はこの当時丹といえば仙薬で辰砂、赭は丹ではないという事です。

それは、葛洪の「抱朴子」以降のことじゃないのかな。よくは知らんが。
倭人伝の魏使が後代に流布した定義にしばられる必要はない。


505 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 07:53:17
>>504
陳寿と葛洪って、50年しか違わないよ。

506 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 08:27:33
50年でも後代は後代。
言葉の流行なんて50年でガラット変わることも

507 :水銀厨:2010/05/10(月) 08:47:43
>>503
当時最上位の仙薬とされた丹ですから、
間違う事は有り得ないと思いますよ。

>>504
春秋期の書である管子にも同様な記述があります。

その鉱山の項目に詳しい分類があり、
「赭の下に鉄」「鉛の下に銀」「丹沙の下に金」
となっていますから、紀元前からの認識でしょう。

丹が赤土を含む総称的に扱われるのは、むしろ
水銀の毒性が認識されるようになってからです。

508 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 09:18:03
そうすると、倭人伝の記述と矛盾するね

509 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 09:25:19
矛盾してるのは君の頭の中だけだよ

510 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 10:28:37
水銀厨氏の解説によれば、
・倭人伝では「朱丹」は赤土の総称として使う
・丹が赤土を総称的に意味するのは、水銀の毒性が認識されて以降
というんだから矛盾じゃね。
「朱丹」と「丹」が同一のものじゃないなら矛盾じゃないが。

511 :水銀厨:2010/05/10(月) 13:15:41
>>510
朱丹という物は無いですからね、文献資料では。
私は赤色顔料の総称の意味で「朱や丹」と捉えています。
「女子供」的な使い方でしょう。

512 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 13:29:55
そうすると、「朱」とは何でしょう?

513 :水銀厨:2010/05/10(月) 13:42:36
朱とは火のような赤色の事ですよ。
丹も赤いので赤色顔料の総称として用いたのでしょう。

他に記述された文献が無いので推測ですけどね。

514 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 13:58:43
だとすれば、朱丹=丹でいいのかな

515 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 14:00:36
というか、朱丹=丹と考えるべきですね。

516 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 14:12:06
そうなると、必然的に四国か紀伊半島周辺だな。

517 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 14:17:23
「黄金」は黄色い金属の総称ではなく、金のこと
「朱丹」は赤い土の総称ではなく、丹のこと
そう考える方がすっきりする。水銀厨氏の解釈は恣意的なのでは?

518 :水銀厨:2010/05/10(月) 17:00:44
>>517
私も普通にそう考えていたのですが。
そうなると倭人伝の風俗は徳島〜和歌山周辺のものかな?
と思ったりします。

しかし古墓等での使われ方をみると、そんなにふんだんに
使われる物なのか?という疑問もあります。
水銀朱の精製跡自体がそれ程見つかる訳でもないですし。

わざわざ中国人が白粉を塗るように用いると
比較して記述されているのをみると、
強調してるようにも見えますね。

519 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 21:47:00
面白い論文だったので邪馬台国ドンと来い70スレのレス450からコピペ。

南武志「遺跡出土朱の起源」、『地学雑誌』117号 p948-952  2008年
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf117-5/p948-952.pdf

520 :日本@名無史さん:2010/05/10(月) 23:44:42
魏志倭人伝には、水銀が含まれていない、「魏の鉛丹」が出てくる。
もう、この時点で「丹には必ず水銀が含まれている」という定義が破綻する。
同時に、畿内説の水銀理論も破綻する。

521 :日本@名無史さん:2010/05/11(火) 00:40:27
破綻してるのは君の脳漿だろw

522 :日本@名無史さん:2010/05/11(火) 00:49:01
呉が滅亡したのが280年。
陳寿によって魏志倭人伝が書かれたのは280年-290年間。
結局は、呉史と魏史(旧)を編纂したものが宋書なんじゃないかな?
そうなると、呉史由来の部分と魏史(旧)由来の部分をきちんと見分けることが大切になってくると思うんだ。

ちなみに魏史(新)は東魏の正史で、魏の正史とは別物だからややこしい話しになる。



523 :日本@名無史さん:2010/05/11(火) 03:08:49
>>519
おもしろかった。特に最後の
「中央集権国家の成立に朱がかかわっていたと想像すると非常に楽しい」
には共感しました。


524 :日本@名無史さん:2010/05/11(火) 21:20:02
私は、邪馬台国移設問題を5月末までに決着すると何度も申し上げておりました。
その気持ちは、いささかの変化もございません。


525 :日本@名無史さん:2010/05/11(火) 22:15:57
>>524
最低でも九州内と仰っていたじゃないですか?
その5月と言うのは今年の五月ですか?来年の五月ですか?

もう現実的には現行案の畿内説しかないんじゃないですか?


526 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 01:07:40
もっとネタを投下しないと、お笑い畿内説が面白くないぞ。

527 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 01:21:20
>>526
じゃあ九州説はシュールネタだな

528 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 01:40:59
畿内の遺跡は、すべて卑弥呼の時代です。

529 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 08:14:08
確かに畿内の遺跡は卑弥呼の時代のものですが、それらは、畿内独自の勢力(大和朝廷)のものであって、邪馬台国は九州に存在していました。
ここんとこしっかりおさえてくださいね。


530 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 11:45:59
平城京の年代を400年ほど繰り上げれば
卑弥呼の時代に比定できる。

531 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 18:52:10
>>529
それでも理論的にはまあなんとか成立するのだが
じゃあ邪馬台国は九州のどこにあって、その後どうなったかを
妄想じゃなく発掘事実も踏まえて語って欲しいんだよな

まだ埋もれているというのは、もはやありえない話なので
どの遺跡が邪馬台国の一部だという程度でいいから
そこからの出土品を根拠にした説を述べられるのなら、まあ説得力も出るのだろうけど

532 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 21:40:39
箸墓や三角縁神獣鏡しか出せない畿内説が、
発掘が少なくて不利な九州説において、
邪馬台国の地を特定できないからといって、
馬鹿に出来るほどのこともない。

むしろ、卑弥呼に合わせて無理やり箸墓の年代を古くしたり
かつて三角縁神獣鏡を魏鏡だと無理やり言い張ったり、
そういう詐欺的行為が学問の敵なんだよ。

533 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 21:45:05
文献的にも考古学的にも地政学的にも九州です。でも場所は特定できません。ww
九州説内で候補を絞ることもしません。そんな危険なこと誰がするもんですか。ww
厨たちは畿内説をけなすことが生きがいなんです。www


534 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 21:55:05
>>532

奈良の外来土器の比率が多い=多くの人が奈良に集まってきた=ヤマトは多くのクニと交易・交流をしていた

という事実について反論しないのは何故?



535 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/12(水) 22:03:06
>無理やり箸墓の年代を古くしたり

確かに箸墓の年代は無理やり古くしている、しかしそれも10年古くしただけで
250年±10年に含まれる。
問題は、中山大塚古墳
■大和(おおやまと)古墳群に含まれる全長120メートルの前方後円墳。
■大和古墳群の盟主的な存在である西殿塚古墳(衾田古墳)の南西に位置し、
出土埴輪から西殿塚古墳よりも古く箸墓古墳に並行する時期(古墳時代前期)
に造られたと推定されている。
盗掘によって石室内部は徹底的に破壊されていたが、それでも細片化した二
仙四獣鏡の鏡片2点、槍、鉄ぞくなどの、鉄器片36点などが出土している。

 墳丘頂部からは土器のほか、特殊壺形埴輪、二重口縁壺系の埴輪、特殊円筒埴輪、
特殊器台形土器、特殊壺形土器などが出土した。これらは埋葬主体部を囲むように
樹立していたものと推定される。発掘の結果、石室や墳丘構造、あるいは埴輪など
に初源的な要素が各所に認められ、この古墳は前方後円墳が築かれ始めたころの古墳であると推定されている。その時期は箸墓古墳と同じ頃か、またはそれ以前であるという。

箸墓古墳と同じ頃は、埴輪の時代に入っている。
箸墓をモモソ媛の時代とすることだ。



536 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:35:20
>>531
日向の遺跡、古墳は邪馬台国のものだよ。君は信じないかも知れないが、
否定する理由はないぜ。

537 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:37:26
>>532
だから、厭戦部族が寄せ集まっただけの、逃避国家が畿内にできちゃったわけでしょ?
だから何?

538 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:40:08
箸墓の詐欺がバレたら、次は中山大塚古墳、この詐欺がバレたらまたその次と、
そういう詐欺のエンドレス連鎖こそ、畿内説だという証拠にしかなりません。

539 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:40:59
>>536

で、根拠は?

540 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:41:28
>>534
人の交流が多かった所というのは、けして邪馬台国に限った話ではない。
何の証拠にもならんさ。

541 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:46:02
九州説の末期的症状は酷いもんだな。
特に北部九州なんて、もうどう足掻いても有り得ないぞ。

542 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:48:25
www 畿内説は詐欺で、九州説はオカルトという図式が定まってきたな。どっちがよりマシかというレベル。

543 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:54:50
>>540

九州説だと、交易圏は九州だけ。

畿内説だと、交易圏は西日本全土。

どちらが強大な連合国か、言わなくてもわかろう。


544 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:31:59
>>543
馬鹿を言え、古墳時代には九州を中心とした装飾古墳が岩手県まで広がっており、
一方で同時代、大和は播磨を支配下に置くことすらできていない。

545 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:08:17
それは、九州王朝が東北まで支配していたあかしでも何でもなく、
大阪発祥のノーパン喫茶が東北にまで広がったということと同じだと前にだれかが言ってましたね。
流行りものはすぐ全国にでんまするけれど、政治的な支配を意味するものではない。
文化の広がりをもって政治的な支配を論ずることの愚を説いたのでした。

546 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:46:55
そうそう、人の交流で畿内に政権があったなんてのは成立しないってことだ。

547 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 02:22:23
5月病が流行ってるせいか、死んだ九州説論者が墓場で呻いてるなw


548 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 04:41:30
>>545 でんぱ だと思うよ

549 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 05:54:08
サイキック・バカ乙

550 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 06:21:31
>>547
意味不明。

551 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 13:26:03
王宮も民衆住宅もない纏向。
潜水漁のできない纏向。
建築物が魏志倭人伝に反する纏向。
弥生倭錦も中国錦もほとんど出ない纏向。
考古学界利権だけが必死に支える纏向。

畿内説自体が、「円天」レベルの詐欺ですね。

552 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 15:17:42
というか、日本書紀のような記紀にしろ
民間の言い伝えのホツマツタエにしても
大和の首都が今の奈良県になってるのは確かで
その王族の出身地は宮崎県ということでしょ?

ということは、プロトタイプヤマトは九州で、ヤマトは畿内ってことでしょ。
どっちも正解でしょ?


553 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/13(木) 17:01:21
>王宮もない纏向。
纒向辻遺跡の大型建物(240年頃)は垂仁の珠城宮。
ここに「民衆住宅もない纏向」は、纒向は王都として建設された事を意味する。
その意味からも、纒向遺跡が2世紀末からであれば、崇神も2世紀末からとなる。

間違っても、箸中山古墳はモモソ媛になり得ない。


554 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 17:29:19
巻向の柱の跡はどうやって年代特定してるのかねえ。
個人的には、近所の藤原京の一部ではないかと思っているのだが。

そこにあった古い遺跡の跡に、新しく柱が立てられても良いだろ。

555 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 18:15:00
纏向って、結局考古学界利権の捏造でしょ?

556 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 18:23:35
>>554

新しい柱穴と古い柱穴の見分けがつかないと思ってるのか?



557 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/13(木) 18:46:15

そして 景行日代の宮は、ここより東数百メートル
まだ手は付けられていない。


558 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:42:36
出世や就職のためには、纏向が邪馬台国でないと困る唐松山。
業界の言えない事情・・・

559 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:00:23
>>556
見分ける手法はあるんだろうけど
具体的にはどうやっているんだろうね。

560 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/13(木) 20:40:49
纒向遺跡は2世紀末から、書紀では崇神から
であるならば、倭人伝の 239年、伊支馬=イクメは垂仁になる。
景行が九州の乱を平定し、倭国を統一する。
だからヤマトは「大倭」と表記される。

柱穴を新しく掘るときには、地表を一旦ならす、この表土の違いが新旧をきめる。



561 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 21:05:43
>「南」
>原字は納屋ふうの小屋を描いたもの。
>南の中の形は、入の逆形が二線にさしこんださまで、入れこむ意を含む。
>屮(くさのめ)とかこいのしるしを加えたのが南の字。
>草木で囲った暖かい小屋の中に入れこみ、促成栽培をするさまを示し、
>囲まれて暖かい意、転じて、暖気をとりこむ南側を意味する。
>(漢字源より)

日本って朝日を信仰してるし東のことだと理解しててもおかしくないよね。
バビロニアの地図でも西が上方、東が下方になってるし。

古代日本人が、地図は南を下に書くもの、南とは朝日の出る方向、と理解してたとしてもおかしくないよね。


562 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:43:01
越の国の直江津あたりに上陸して南に向かえば、なおええっつうのに。


563 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:01:54
==================================================================================
==================================================================================
==================================================================================

【 要注意 】

このスレには、wwwでお馴染みのサイキック・バカが貼りついているので注意されたし。

【 対処法 】

NGWordに「w」「w」を追加。(透明あぼ〜ん推薦)

これにより、しつこく自演を繰り返すサイキック・バカがすっきり浄化されます。

【 統合失調症 】

統合失調症(とうごうしっちょうしょう)とは、
妄想や幻覚などの多様な症状を示す症候群で精神疾患の一つ。

幻覚や妄想などの症状を呈し生活能力が失われる病である。
双極性障害とならび、二大精神疾患とされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87

==================================================================================
==================================================================================
==================================================================================

564 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:05:28
>>562
 どうしたらいい?

565 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:13:11
捏造とかwwwもう苦しいね九州説www

566 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:14:42
サイキック・バカはコテ付けろ

567 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:16:22
>>566
この粘着ぶりは・・・おまえ女だな?
暦女で九州説って三十路すぎてそうだな。


568 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:19:56
>>567
サイキック・バカの妄想乙

【 統合失調症 】

統合失調症(とうごうしっちょうしょう)とは、
妄想や幻覚などの多様な症状を示す症候群で精神疾患の一つ。

幻覚や妄想などの症状を呈し生活能力が失われる病である。
双極性障害とならび、二大精神疾患とされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87

569 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:26:36
>>567
おっさん
統合失調症は早く治した方がいいぜ

570 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:14:55
>>567
お前が何年も、九州説に粘着して荒らしてきたからだろ。
お前のウソと自演にはいい加減うんざりしているんだよ。


571 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:19:26
いやあサイキバ君(このコピペ馬鹿のことね)は
もっと若いかむちゃくちゃ年寄りかどっちかだよ

なにしろ奴の書く内容は稚拙というか
大昔の九州説本に書かれていることしかない

単純な三角縁舶載とか、もうあまり誰も言わなくなった説がまだ主流だと思ってるんだから
これはもう安本のしょーもない新書か
コンビニで売ってる文庫本レベルのことしか知らない

コイツ誰と戦ってるつもりなのだろうかねえ
戦わなきゃいけないのは、弱い自分の心だろうに

572 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:24:51
でもって、とりあえずサイキバ君は
日本史板にいる畿内説は、全部同一人物の自演だと頑なに信じている

それどころか世界には、畿内説を以ってして世論誘導しようとする謎の組織があるとも信じている

これはもう、相手にしないか、いじって遊ぶかのどっちかしかないじゃんねw
家族は大変だろうけど、基地外にネットは毒だから
早く契約解除して入院させてやったほうがいいと思うんだ
でないとまた不幸な事件が繰り返されないとも限らないから

けっこうマジで君と君の家族のことを心配してるんだぜ、俺

573 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:39:05
このコピペ九州説君は若い人だと気の毒すぎる。
老人なら、まあわからんでもない。いままで数十年、九州説に人生賭けてきたんだろう。
でも、本人は考古学を勉強する努力を怠ったがために、
九州説がどうして廃れてしまったか理解できず、陰謀論を信じるまでになってると。
できれば、老人であって欲しい。
20代だとしたら、それこそ友達もいないニートとして畿内説を恨みつつ、この先長い一生を潰して終えるんだろう。



574 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:49:08
>>561
そういえば古墳の向きも東西のと南北のがあるな
途中から方角の概念が変わった可能性もあるのかな?


575 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:50:05
>>572
>それどころか世界には、畿内説を以ってして世論誘導しようとする謎の組織があるとも信じている

スゲーwサイキバ君スゲーww

何、その壮大なお話www

576 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:42:45
コピペ氏は多分かなり以前から板に張り付いている人で
無視すると延々と自演を繰り返して、スレ荒らしするんだよ。
それも一日中で、何時間か寝てまた起きて自演というように
何週間もやるから、スレが機能しなくなるんだよね。

他のスレや板でも多分彼ではないかと見られるものがあって
特にオカ板では要注意人物になっている。

だから畿内説はおろか九州説にまで嫌われて、ここも過疎化が進み今に至るというわけだ。
もしここが彼以外無人になっても、彼は延々と自演を続けるものだと思われ。
こういうのはもうどうしようもないんだ。対策が無い。

577 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:46:46
>>567
統合失調症のサイキック・バカ乙

578 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:54:25
>>574
これが悲しいことに完全にランダム
初期はこっちで中期後期はあっちとか
畿内はこっちで関東はあっちとかすら、まったくない

前方後方墳も同じく、完全にバラバラ
それどころか方墳も四隅も全部そう
円墳にしても、判っているだけではあるが墓室の方向に規則性はない

方角はどうでもよかったとしか考えられない
これが昔から太陽信仰とかの天文に絡めた説が考慮されにくかった理由のひとつでも或る

579 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 02:25:32
>>578
 棺にも統一した向きはないの?

580 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 02:29:41
>>579
自分の知る限りでは、ない
てか、もしあるという説があるなら
どこかしらで耳にしているはず

581 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 02:58:53
有名な高松塚やキトラでさえも
四神の壁画が、実際の方角に対応してないんだからな

582 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 03:06:27
日本列島は地殻変動によって大きく捻じ曲げられたのだ。
糸魚川構造線は2つの島がくっついた跡だったのです。
だから西日本と東日本は民族や文化も異なる部族だったし、
動植物の生態系も異なりますね。

583 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 03:10:43
あすかあきお、乙wwww

584 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 03:13:37
だれがムー民を呼べとw

585 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 03:15:13
「天使と悪魔」で読んだんだけど、ローマの方では棺は西に向いている
とあったんだけど。

586 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 03:30:46
ダン・ブラウン乙www

ついでにデニケンもチャーチルも乙wwwwwwww

587 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 03:47:39
wwwwwwww

サイキック・バカの低能ぶりを楽しみましょう

588 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 07:44:59
>>576
【 統合失調症 】乙

589 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:40:33
さて、荒らしが消えたところで再開ですね。

邪馬台国は、神武が東征する前に日本を支配していた富士王朝のことだった。


590 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 09:49:10
思い込みも荒らしと似たようなもんだな。

591 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 08:29:58
↓邪馬台国関連の個人ページにはやたらと「MIDIが流れる」のが多くてウザイ

1 :春デブリφ ★:2010/05/16(日) 12:52:34 ID:???0
昨今ブログの普及のおかげであまり見なくなった個人ホームページ。一昔前までは容量を売りにしていたフリーホームページサービスが
山の様にあったのだが、今では撤退するところもあるくらいだ。米Yahoo!では大手無料ホームページサービス『Yahoo! GeoCities』を昨年閉鎖。
日本のジオシティーズはまだサービス継続されているが、ユーザー数は減っているという。個人の発信の地がブログ、『Twitter』、SNSなどに
奪われたのはいうまでも無いだろう。

そんな個人ホームページにありがちだったことを今回はアンケートにて聞いてみたぞ。個人ホームページならではの管理人が浮き出ていた
あの時代を思い出してアンケート結果を見て欲しい。

1位 MIDIが流れる 202 (13.5%)

http://getnews.jp/archives/59627
http://getnews.jp/img/archives/002117.jpg


592 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 20:21:35
卑弥呼とか邪馬台国らへんの時代に行ってみたけど
邪馬台国も卑弥呼も無かったよ

みんな英語喋ってたし

593 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:00:04
>>592
アイヌ人の語源は、自称"I am"
アイヌ語で水は"water(ワッカ)"

アイヌ語と英語は起源を同じくするという説に賛成です。


594 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:15:50
いや、倭人がフランス語をしゃべってた。
サンカンシオンとかモンペトクワァなんて会話してた。

595 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 09:16:18
age

596 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:00:14
『後漢書』を読んでいて思ったんだけど、

「自武帝滅朝鮮 使驛通於漢者三十許國 國皆稱王 世世傳統 其大倭王居邪馬臺國」
「(前漢の)武帝が朝鮮を滅ぼして(紀元前108年)より〜中略〜大倭王は邪馬臺國に居る」

つまり前漢の頃すでに邪馬台国があったと考えられますよね。
『後漢書』の成立が5世紀中頃だから500年ほど前の話になるので信憑性は低いけど、
西暦57年の金印はあったのだから、前漢時代に邪馬臺國があった可能性はありますよね。
少なくともそう読めますよね?


597 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 19:16:10
『後漢書』によると、倭國大亂(西暦146〜189年頃)の後、卑彌呼を王に共立とあるが、
邪馬台国の女王とは書いてない。
また、邪馬臺國の註釈に「案今名邪摩惟音之訛也」「今の名の邪摩惟は音の訛りであろう」ともある。
「今」とは後漢書が完成した5世紀中頃以降であろう。

『三国志』魏書には「邪馬壹國」とあり、ここまでの国名について整理すると、

紀元前 邪馬臺國
1世紀 倭奴(委奴、奴)國
2世紀後半〜
3世紀 邪馬壹國、伊都國、奴國、狗奴國など
5世紀 邪摩惟

となる。

598 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/21(金) 19:49:57
>西暦57年の金印はあったのだから、
この時金印を下賜されたのは、倭奴王である、だから倭国では、奴国王が最大規模となる。
桓、霊間。この時代は、地球規模の冷夏、凶作の時代であり、支那、倭国に限らず政変が起こる。
170年頃から7,80年間国王を建てられない時代となる。北九州に王墓が造られない時代でもある。
魏使の要請により、女王卑弥呼は建てられる。卑弥呼は共立であるから、乱を鎮める力は無い。
卑弥呼を倭国の女王とした魏に、これを転覆させることは出来ない。
そこで、女王以外に倭王を承認する、その倭王の居所が邪馬台国である。

倭人伝の倭女王と倭王は別人である。


599 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/21(金) 19:56:30
新羅 192年 冷夏 翌年倭人が餓えのため押し寄せる。
支那 193年 冷夏

崇神5年凶作 同6年餓えのため農民の離散。

これらは全て同じ年代であると仮定すれば、 崇神10年頃 畿内安穏の記事の裏に九州大変が隠されている。


600 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 20:06:35
>>596 補足
>『後漢書』の成立が5世紀中頃だから500年ほど前の話になるので信憑性は低いけど、
>西暦57年の金印はあったのだから、前漢時代に邪馬臺國があった可能性はありますよね。

『後漢書』の成立が5世紀中頃だから500年ほど前の話になるので信憑性は低いけど、
西暦57年の金印はあったのだから、全く信用できないということではない。
したがって、前漢時代に邪馬臺國があったという記述もある程度は信用できる。
つまり、前漢時代に邪馬臺國があった可能性はありますよね。


601 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/21(金) 21:08:33
>>599
193年は崇神6年には相当しない。船がないので空腹百姓が千人もの渡海
なんぞ不可能である。船を始めて作ったのは 崇神17年 の後代である。

それを押し切って193年を船のない崇神6年に当てるならば、これは電波星
とやらにあるらしい電送人間機が使用でき、その強力な電波により畿内から
半島へ直送できるという送信をその脳内にpipipi・・・と受信してると
言うならば、これはまぁ可能性が出てくるだろう。wwwwwww

602 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 21:59:04
祟神は架空の人物。
存在しなかったとするのが妥当。
生存年ももちろん架空。
論ずる異議なし。

603 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/21(金) 22:28:51
>崇神6年には相当しない。船がないので

その6年後にあの巨大な箸墓を造る。
崇神10年迄は四道将軍の派遣等で人手は無い。
2年で造るとなると、かなり人足が必要となるが、可能か?

それ以前に造られたホケノ山古墳は、伽耶の臭いがする。舟が無くては
伽耶との通好が出来ない。


604 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/21(金) 22:31:43
倭人千人の渡海は新羅の記録だ、新羅の記録を否定しても
太国編年に合わせ目は無い。


605 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/21(金) 22:42:03
否定はしていなよ。だからオマエの論では 崇神17年 以後にしなければ
渡海が出来ないということだね。それがこれより古いんじゃぁデタラメだと
いうことだ。ww 自明ではないか。

606 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/21(金) 22:51:48
>>602
今考古学は、纒向遺跡は2世紀後半からと云っている。
であるならば、崇神五,六年は、新羅一九二,三年に対応する。
この数字で、太陰暦のまま圧縮すると、
垂仁末年は239年になる、魏志に書かれた「伊支馬」は「いくめ」=垂仁である。
さらに時代を勧めると273年日食。この記事は、275年神功元年に記載される。
326年 神功52年が七支刀であり、書紀の記事は百済が大国となる場所を表す。

前に戻って神武元年は42年であり、弥生X期の始まりを表す。

太陰暦しか無い。


607 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/21(金) 23:13:34
そんなものは必ずしもアテにならない。多数〜
畿内から出て来る 景初3年 の【鏡】は、崇神6年の崇神天皇の同床共殿
の殿内奉安の模擬【鏡】の年代ころ合致させねばならない。天照大神宮が
成ったことからの崇神の策だな。

つまり 崇神6年 の翌年ころが天皇の次の身分の二次的模擬【鏡】奉安の
年代になるのだ。つまり 239年=崇神6年の翌年 だよ。だから畿内から
景初3年【鏡】がうんと出るのだ。景行元年あたりには【鏡】の特筆事件は
見当たらない。

このことは天津神算木の測定のとおり

 景所元年=崇神即位元年=237年

だ。オマエの編年は妖魔の業なり。

608 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/21(金) 23:30:11
>>607 訂正
× 景所元年
○ 景初元年

609 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/21(金) 23:53:15
>>606
臣下の伊支馬は天皇の垂仁ではな〜い。オマエは霖雨は噴火と
書かれてないから認めないと言ってたようにだ〜臣下は天皇と
書かれていることには全然ならな〜い。

しかし大宇宙は広いから、臣が天皇級で天皇が臣下クラスだという
天体があるんなら、これはまるで「猿の惑星」でありwwwww、
この惑星では万物の霊長たる人間がそれ以下の猿に支配されて
るわけであるから、そういう天体からpipipiと強力な大電波を受信
してるからとなっているご仁がいれば、この者にとっては当然そう
言い出すのは当たり前であるからして、まぁこういう「猿の惑星」
論的書きこみもしぶしぶ肯定益とせねばなるまい。www

であるが、唐松山の 伊支馬=イクメ とかいう主張は「猿の惑星」
では肯定益たるものであるがwww、ユンケル黄帝液を口蹄液だと
か即断主張している脳内と観てよくPuPuPu、まぁ「猿の惑星」の
ような天体とかから強力な大電波の受信が自信みなぎる強行論の
果てなのだろう。ww 黄帝液は健康にすこぶる良く、唐松山の自信が
みなぎる源泉なのであろうか・・・・・?wwwww

zzzzzzzzzzzz・・・・・・・

610 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:52:43
どうせ崇神なんて、九州配下の畿内1村長程度の人物にすぎず、
鉄も遠洋航海術もなく、国際関係が緊迫する中で、生き延びられなかった
負け組であり、文化水準の低い人間だったと思わざるを得ない。

纏向に集まった連中は、兵役逃れをしたダメ人間の集団。
だから纏向には、鉄も航海術も錦も文化もない。

611 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 05:28:27
そのダメ人間集団に負けたんだ、エリート九州集団はw

612 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 06:16:02
九州系天武が畿内系を制覇し首都機能を畿内に移転、
一方で九州系唐傀儡派を討伐した。だから九州系畿内政権。

613 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:12:46
倭国が百済を属国とし、皇子を人質として日本に住まわせていた。
百済王が死ぬと日本にいる皇太子を倭国が護衛をつけて送り返すことで百済を支配した。
このような支配体制が日本国内のほかの地域に対しても行われており、
畿内にあった国も倭国の属国だったとすれば納得がいく。
神武は元々畿内にあった国の皇子。
東征したのではなく、前王が他国の侵略か国内のクーデターで倒されたため、
倭国が護衛をつけて里帰りさせたのだ。

614 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 09:59:24
唐松山の言う 伊支馬=イクメ(垂仁) という「猿の惑星」的論は、まるで
ユンケルの 黄帝液=口蹄疫 とか言ってるようなもので、これは「猿の惑星」
から強力な大電波pipipi・・・の受信が来ているとか言う者ならば、まぁこう
いう論もシブシブ肯定益とせざるを得ないものであろうか。wwwww

まるで平成天皇が平野長官だと主張してるような類で、さらに彼は日食が犯罪
だとかも抜かしており、そろそろ奴の脳内検診を精神科で診てもらって、奴の
口論の口蹄疫をストップすべきだろう。www

615 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 10:49:23
太国がいくら倍年の類を主張しても、そんな物はこの地球上に存在出来ない。

存在出来ない物を有ったとする為に他人を否定し、傷つける。

これが太国という、あわれな老人の真の姿だ。

太国よ他人の誹謗中傷を止められないのなら、その手の板に自分でその為の板
を立ててやれ。


616 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 11:02:09
>オマエは霖雨は噴火と書かれてないから認めないと言ってたようにだ
>日食が犯罪だとかも抜かしており、

霖雨の時も水が引くよう祈った。
祈りの先には罪や願望がある。


しかし霖雨を富士山噴火との主張を否定はしていない。
この全く関係無い事象を同一の出来事と主張するなら、その証拠を提示するべきと
云っただけ解すよ。
だから、太国倍年上での出来事はすべて認めますよ。
景行43年は神功元年だから
霖雨は富士山噴火
応神元年は仁徳元年

太国倍年上では全て正しい。

617 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 11:03:42
中傷ではない。オマエの妄想を目覚めさせるためだ。オマエが気分がよく
ないのは分かるが、稚拙な論説への真面目な切こみだ。日食が犯罪なのか?
熱帯ジャングルの原住民がそういうことを言っててもやむをえないが、
オマエは高等教育を受ける身で、こんな幼稚なことを言っていて支離滅裂的
ではないか?ww 皆に頭がおかしいのではないかと、嘲笑されるぞ。

2倍年暦は古代南バビロニアで行われていて、さらに現今のバリ島でも
ウク暦(バウコン暦)で行使されている。つまりこの地球上にあるわけ
で、地球上にないなどとの主張は大ウソのインチキであ〜る。
いい加減デタラメを言うなよ。マシ、圧縮などこそこの世になく、強いて
あると言えば、オマエの脳内にある妄想製造工場だろう?ww

618 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 11:08:18
>>616
>応神元年は仁徳元年
      ↑
こんなことは主張していない。これもオマエの大嘘だ。こちらはこんなこと
を書きこんでいなぞ。デタラメを言うな。><

619 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 11:11:35
>>617 訂正
× 2倍年暦
○ 2倍年暦等

620 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 11:28:14
>応神元年は仁徳元年
      ↑
こんなことは主張していない。
では訂正させて戴く
訂正
応神元年の超新星爆発は、仁徳元年頃起こった。

これでよろしいか?
もし間違いが有れば、訂正して下さい。


621 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 11:41:43
そんなことも言っていないぞ。だからオマエは頭の考察が稚拙だと言う
んだよ。だいたい文献も書いていなくて、文言不十分ではないか。

ちゃんと先代旧事本紀大成経の應神4年の記述だと言え。

それが紀と三国史記の120年の年代差と同様120年の年代差があって、真は
仁徳初期ころの年代だということだ。>>620のように、文句を言うなら、
他の者らが書きこみを読んでるんだから、もう少し詳細に書きこんで、
誤解のないように文を作れ。まったく迷惑だ。><

622 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 12:09:51
崇神五年。國内多疾疫。民有死亡者。且大半矣。
同六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。
同七年.國内漸謐五穀既成。百姓饒之。

新羅192年 九年  三月 京都雪 深三尺 夏五月 大水 山崩十餘所
新羅193年 十年 春正月甲寅朔 日有食之 六月 倭人大饑 來求食者千餘人

太国倍年では3年の記事をもって1年とする。
であるならば、季節を無視すれば、五,六,七年で1年間になる。
新羅本紀に合わせるには、3年の歳月を要するから、五,六年の故事を192,3年と同等と出来ない。

では現実に崇神五,六,七年で1年間の出来事と認識出来るか?
太国以外にそんな人間はいない、誰が見ても三年の歳月が必要である。

この時点で、太国倍年は机上の空論であることが看過される。
机上の空論であれば、景行四三年の霖雨は神功元年に富士山噴火を肯定する。

太国倍年は何を主張したいのか? つらつら思うに、金木神算木は正しい。かな?
まあ歴史とは関係無い主張の一つではある。

では指摘を受け、再訂正
応神四年は、仁徳元年である。


623 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 14:03:48
>詳細に書きこんで、誤解のないように文を作れ。まったく迷惑だ。

だから齟齬があれば、訂正して戴ければ良いこと。

新羅193年 十年 春正月甲寅朔 日有食之 六月 倭人大饑 來求食者千餘人
來求食者千餘人 」を否定しても「倭人大饑」を否定していない。
だから、新羅193年は崇神六年と想定する。
なんら問題は無い。

この年の日食を「あづないの罪」と認識していないから、その為には
完全食であろうと予測する、であるならば、273年の日食が該当する。

大黒雲が「あづないの罪」に該当しない以上、否定にならない。

この中間に伊支馬が登場するから、垂仁に比定する。
垂仁は倭国の王では無い。倭国の王が卑弥呼であれば、それ以下の人間は、女王卑弥呼の配下であると
認識する、魏の態度は正しい。
それとも垂仁は女王の隷属国以外の人間である証明が必要となる。


624 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 14:14:06
>>622
オマエの論では 応神4年が常に仁徳元年だということなんだな。ww
こちらは、そんなことを言ってはいないんだよ。先述のとおりだぜ。

 崇神6年=景初3年【鏡】の銘文にある景初3年の前年=238年    だ。

これは伊勢神宮の成った年であり、崇神天皇は模擬【鏡】を殿内奉安し
た年でもある。だから翌年の 景初3年【鏡】が沢山畿内から出土するわけ
で、崇神の朝廷取り巻きへの右へならえ式の事で沢山の【鏡】が必要な
時代だから、このようにうんと【鏡】が出て来るわけなんだよ。よって

 景初3年=239年=紀の崇神7〜9年

したがって

 景初元年=崇神元年=237年

となり、天津神算木の測りは正確なのである。これが

 景行元年=239年=景初3年

では、【鏡】のうんと出土すべき出来事が左辺には無くおかしいわけで、
最後の等式は不合理で成立しない。193年の半島渡海を崇神6年としては、
まだ船舶製造は無く、初めて船舶を造ったのは 崇神17年 の後代で
あるから、193年を崇神6年とは出来ない。

625 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 14:26:44
卑弥呼が垂仁の配下なら、記紀の卑弥呼の銘文が崇神前後あたりに記述が
あらねばならないが、そういう記載はない。それに

 垂仁大臣

とか垂仁大連とかでの記載になるはずである。垂仁は天皇だと記紀に
あるのだから、垂仁が大臣、長官とかにはなりえず、オマエのデタラメの
空想である。それをなりえるとオマエは主張してるのだからwwwww〜
まるで臣下(猿)が天皇(人間)とみなした「猿の惑星」そのものと
言いたくなる論であり、これは古今の地球の人間の歴史では全然ない
インチキそのものの大妄想である。

しかしこういう変った天体が大宇宙は広大であるから、ないとは断言でき
ずwww、そういう「猿の惑星」のような天体からpipipi・・・と強力な
大電波を受信してるような人物がいるならば、その人物がこういう
「猿の惑星」のことを主張しても否定するのは早計だとなろう。www

626 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 17:17:30
239年以前の日本代表は、倭奴国王である。
だから魏使は、最初に奴国王に面会を求めるが、女王卑弥呼を
倭国王として、魏使に報告する。
魏使は伽耶で任那の存在を知り、大和政権もこの朝貢団に加わるよう要請する。
要請を受けた大和政権は、田道間守を団長とし、卑弥呼の朝貢団に加わる。
この時点で天皇垂仁とて、卑弥呼の下に存在する。
だから田道間守は次使にしかならない。

これが任那建国前なら呼ばれることも無かったであろう。
さらにこの時代では、箸中山古墳を造営する力が不足する。
これ以前に築造されたホケノ山が伽耶の参加を認めている。
垂仁の珠城宮を纒向辻遺跡の大型建物と推定するのも、伽耶の朝貢団が4年も
留め置かれた事情に合う。

太国編年は「猿の惑星」でも存在出来ないしろもの。金木算木より電卓の方が正確で早いぞ。


627 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 17:41:00
>オマエの論では 応神4年が常に仁徳元年だということなんだな。ww

太国編年では太国がその様に主張しています。


628 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 18:04:59
>>627
近似の主張をしたのは先代旧事本紀大成経の件の場合のみであり、それを
ことさら全部主張してるようなオマエの言い回しが気に入らない。

つまりそのような主張はしておらず、オマエの空想を膨らませた撹乱で
あ〜る。仁徳元年は391年と計算してるが、さそり座の☆の件は393年で
あるから、オマエのしていますという書きこみはデタラメであり、こちらは
そういう主張をしてはいない。

してはいないことをしたなどと、デタラメを拡散させるな。この野郎!

629 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 18:47:44
唐松山さんってニ倍年歴を必死で否定してるみたいだけど、孔子の不惑云々についてはどう思ってるの?
現代だと、七十而從心所欲 不踰矩、なんて言われて納得するけど、当時の平均寿命は40歳も行ってないでしょ?
現代でいえば、百五十而從心所欲 不踰矩、って言ってるようなもんだと思うんだけど、それについて一言ヨロシク

630 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 19:02:09
↑ごめん、間違えた。
太国さん宛て。

631 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 21:01:33
逃げたか・・・

632 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 21:16:47
2倍年とは、1ヶ月29.5日を2ヶ月と数える様なもの。

対する春秋暦という物が有る
こちらは単純に年齢を倍数にしたもの

春秋50歳なら、25才で死亡をあらわす。


633 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 21:33:02
>>629 >>630
古田氏学会の方だったと思ったが、古賀達也という人が孔子の2倍年暦説
の論文を出しています。ググればそれが見つけられるでしょう。
孔子のそれについては、まだ見解を考えてはいません。

634 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 21:56:02
古賀氏とは黄河から移り住んだ渡来人。
倍歴など使わずとも、司祭王は後継者が現れない限りミイラになっても神との間を取り持つ中津神として存在し続けた。と考えれば済む。
昭和天皇が崩御して早22年、死んだことを仮隠してしまえば、まだ生きているといっても誰も反論できない。
天皇とは、古代から、そういう存在です。

635 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 22:00:37
どこから当時の天皇のミイラが見つかったのかね? 初耳だが?
どの天皇だ?

636 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 22:06:27
畿内説なら、歴代天皇全員のミイラをすべて用意できます。ゴッドハンドですから。

637 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 22:17:57
前方後円墳の朱で染めた石室に納めておけば、腐ることもなく、
いつでも中津神として神託を伝えることができたのです。
それは、古代エジプトから伝わった秘法といえます。

638 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 22:25:09
頭蓋骨は猿、体はテンで、背中にカメの甲羅を背負った天皇を
1体注文。


639 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/22(土) 22:34:41
>>638
オマエは猿の惑星から送信を受けているのか?ppp

640 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 22:43:07
景初1773年の三角縁神獣鏡や卑弥呼も銘版を埋めた箸墓も用意できます。

641 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 00:04:13
金印が発掘されても難癖を付けて発掘場所の重要性をウヤムヤにしてしまいます。


642 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 00:38:39
>>641
ウヤムヤにしなかったらどうなるの?

643 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 01:31:05
>>633
御返事ありがとうございます。
漢がニ倍年歴を使ってたかは保留、でも漢と交流があったと思われる倭国がニ倍年歴を使ってた可能性は全否定という訳ですか・・・

644 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 09:01:02
漢で春秋暦は使われたが、朔を裏切る真似はしていない。
ただし甲子年甲子月甲子日甲子時が特定できないから、暦日を変更したことはある。

倭国に於いても、朔や季節をたがえる事はしていない。
ただし暦の伸長はある。


645 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 09:43:46
>>643
ですから、当時畿内の朝廷と九州の女王国とは別国です。卑弥呼側が倍暦を行使
していたかどうかはまだ資料、根拠が不足であって、いずれが真か確定出来ませ
んが、朝廷は倍暦を行使していたと観るべきです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

圧縮だとかマシだとか伸長などは、されてはいない。確実に年数をカウントして
いたんですね。例の成務なんかでうんとカウントされてるのは、全国の神社等の
伝承、由緒でハッキリわかる。よってマシなどの不正注入はインチキ論だ。

朔、季節がどうのこうの言うなら、オマエのマシとかは60年とかの干支の倍数に
なっていないではないか。これでは一発で不正が発覚するから、元に矯正され
て、マシは根絶される。オマエは以前30年だとか言ってたが、60年が出来ないの
で、まるでマシの2倍年暦のような30年説でその動機も言えず、インチキの
ゴマ化しで反論避けをたくらんだ。その後どこかの分からぬ文献の1〜2行を
ちらつかせて、3年のマシの証拠だとか繕ってたが、これも60年ではなく30年
でもなく、デタラメ、矛盾以外の何物でもない。オマエのはイカサマそのものだ。

646 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 12:10:39
>確実に年数をカウントしていたんですね。

であるならば、暦の後付けを証明する必要があるが
太国倍年は、全ての数字を否定した上に構築されているから
この証明を拒否する。

>60年とかの干支の倍数になっていないではないか。
朔は、新月を表す。その新月の数字を加増で狂わしたのが書紀の暦である
しかし、季節も新月も正しいのである。
となれば、年の干支で狂わしてないことがわかる。

日数を誤魔化すために、同じ年の干支を選ぶと、60年という制約が出来るが
書紀の数字は60年という空白は無い。
しかも60年で狂わせたのでは、19年7閏という太陰暦の単位も狂わせねば整合性がとれない
太陰暦に忠実でかつ伸長するためには、19年7閏を基本に置かねば、太陰暦が狂う。
書紀では、一応太陰暦で読める以上、伸長に60年という単位は使われていない。

>その後どこかの分からぬ文献の1〜2行をちらつかせて、3年のマシの証拠だとか繕ってたが、

文献の一つでも提示出来ればよい
倍年の文献など存在しない。


647 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 12:14:38
ホ04157 アマノハラ ソムホゐますも ヒトヒとぞ

天の原 16年居ますも ひと日とぞ

こういう文献を、倍年では見たことが無い。



648 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 12:24:36
太国じいさんは、浦島太郎の昔話で育ったんだろう。
思い出してごらんよ
太郎が1年ぐらい竜宮城で良い思いをして帰ってくる。
そして玉手箱を開けたとたんおじいさんになる。

ここに倍年が出てくるか?違うだろ。
あっという間におじいさんになるには、1日で50才も年を取れば良いのだ。


649 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:53:32
ていうか、古代の2年が今の1年だという事実は、否定しようがない。

650 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:48:06
太陽が真東から昇って真西に沈む春分の日と秋分の日が新しい年の始まりです。
そして、卑弥呼が主催する神事が行われていたのです。

太陰暦を使っている民族に支配される前までは・・・

651 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:58:49
古代っていつぐらいのことですか?

継体天皇以前?
それとも、卑弥呼の時代に相当する天皇の時代以前?


652 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 14:08:55
>>646
後付けだよ。朔が蟻の大群のように紀に記載されていて、なぜ佛伝以前に
月食の記事がないのかを考察すれば、後付けの計算だよ。

>60年・・・
こんなの言い訳にもなるまい。だいたい抽象的で意味不明だ。とにかく
60年とかの干支の倍数のマシにしなければ、オマエが研究する前に、おや
これはおかしいぞと誰にでも分かる。当然紀の成立時に感づかれて矯正され
てしまう。それにそんなことをすれば、当時の治安官憲に逮捕されるという
身の危険が切迫する。暦の誤魔化しなんぞ利害大なる事由が乏しい。
つまりこの論も成立はいない。

60年の空白はないんなら、あとは120年、180年・・・しかなく、つまり
マシは成立しない。世界各国でもマシの例がないようだ。当たり前だな。
そんなことをすれば、古代なら神への信仰は根強く、とたんに処刑される。

3年のマシじゃぁ、やらなくても年数が少ないのでいいではないか。3年の
不正注入ならば、なおさら動機がなくなる。所詮オマエの妄想の果て。ww

653 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 14:45:08
>>652
後付けを前提にした思考なら、後付けを証明せねば完結しない。
完結しない以上、思考途中のものであり、
数字を主張する根拠が薄弱である。それでも主張する以上、太国の頭の中が薄弱
としか認識出来ない。

>月食の記事がないのか
後付けでも月食を記載できる。

>暦の誤魔化しなんぞ利害大なる事由が乏しい。
バカを言うな、暦が無ければ農業に重大な支障を来す。

>60年の空白はないんなら、あとは120年、180年・・・しかなく
この方法で書紀を圧縮出来るなら、どうぞ御勝手に試してみて下さい。


654 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 14:49:03
>暦の誤魔化しなんぞ利害大なる事由が乏しい。

それでは古代神無月に各地の神々はどうやって集まったんですか?


655 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 15:12:21
>>649 もわからんやっちゃな。

いいですか書紀にはほとんど朔が振られている。
朔とは新月のことである。そして太陰暦で読める。

つまり太陰暦で読める様圧縮しないと成らないと言うことを表している。
太陰暦は1章こと19年7閏を単位として成り立っている。
だからこの1章×n回の空白を各天皇紀から差し引く。
これで太陰暦のママ圧縮したことになる。
4年程度の記事しかない、成務なら治世61−19×3=4年、これで正しいかどうかは
歴史に合わせられるかどうかで判断する。

一つも合わせられないことは無い、何処を基準とするかだ。
例えば 崇神6年の記事は新羅193年の記事と同等とすれば、
崇神元年は188年が得られる。
纒向遺跡=2世紀末と現在の考古学とも合致する。

であるならば、試してみる価値はある。
頭から否定しても何も生まれない。




656 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 15:13:42
>>653
マシを前提にした思考なら、マシを証明せねば完結しない。
完結しない以上、思考途中のものであり、数字を主張する根拠が薄弱である。
それでも主張する以上、唐松山の頭の中が薄弱としか認識できない。

月食は不規則性が強く、その傾向はおよその推定が出来ることは確か
だが、当時月食計算が出来たというなら、証拠証拠というオマエがその
証拠を提示せねばならない。そうでない限り、オマエの何の根拠証拠も
ない即興の言い訳にしかならず、言葉だけがご立派で、デタラメだという
ことになる。ww

>>654
暦がないとは言ってないんだぜ。暦の不正、誤魔化しなどしてないという
ことだよ。ミソもクソも一緒にするんじゃねぇ〜。圧縮なんぞ、オマエの
盲象語ではないか。ハッハッハ〜 ww

神々? それらで実在の人物もいようが、これでは臥海での論にはなり
難い。オマエの脳内は神話と現実とがゴッタ煮だ。真の史実の神話も
あるやも知れんが、そこまでくいつく必要はあるまい。こんな反問しか
できないのか?ww

657 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 15:24:08
193年≠崇神6年

右辺の代ではまだ船舶がないから、このとき千人もメシの食えない餓鬼の
百姓が半島へ渡海はできない 。これをできたと言うなら、これは電送
人間機とかUFOに乗ってなければ日本海の荒波を漁師でない連中が渡海など
不可能である。であるから、これを強行することは、大宇宙は広大にして
そのような電送人間機とかと作れる電波星とかがあって、そこから強力な
電波を受信して、あちらの天体では軽く渡海可能機械があるとかいう送信を
受けているならば、まぁこれは否定は完全にはできない。ww

渡海できるのは 崇神17年 であって、この年に初めて造船となり、渡海
が以後可能になるのである。よって奴の論では上の不等式が成立する。

658 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:35:39
>>657
NHKの天気予報とかで、世界地図見てみたら?
日本列島は南北に長い国だよ。
揚子江流域から越地域、台湾、沖縄、九州、本州、北海道、北方領土
全部数km単位で細かい島々で繋がってる。
島々を辿っていけば、誰でも簡単に大陸と往来できるのが日本列島だよ。

659 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:45:52
>誰でも簡単に大陸と往来できる

遣唐使の半数が遭難したわけだが

660 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 15:48:00
じゃぁオマエ試してみろ。

日本海の荒波がそんな大アマものなのか? 人数は千人だぞ。それは脱北
のように2〜3人ならば可能性はあるだろうが、彼らでさえ泳いで渡れたの
ではあるまい。この場合は小船だろう。千人といえば、桁が三つも違う
んだぞ。おまけにメシも喰ってない千人だ。デタラメを言うな。

661 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:20:27
海人は、弥生時代どころか石器時代からストリンガーカヌーで日本海を自由に行き来していまし。
呉や越の人々も普通に日本やってきて物々交換をして帰って行きましたよ。
ただし、それは熟練した海人だけにできることで、海を見たこともないような遣唐使には無理。
そういう点では大型帆船が実用化された後も、倭のみやびやかな人たちにとっては日本海を渡ることは
命がけだったといえます。

662 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 16:38:04
193年に新羅に渡ったのは、主として日本海側に住む住人でしょうね。
たとえば、青谷上寺地遺跡とか、工業製品を作る人たち。
凶年ともなれば、どんなに生硬な者を造っても、食料に変えられない。
当然翌年も同様なことが続く事は予測できる。であるならば、夏の食料のあるうちに
渡海すれば食料にあり付ける、風評でも何でも、藁でも塚みたい気持ちで渡ったんでしょう。
そうなると船を全て奪われた大物主がノイローゼにかかり崇神の元へかけこむ。

崇神は大物主から大王の座を禅譲される。
こんな大事なときに鏡と同床などとワケのわからないことを言う輩がおる。



663 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:39:51
大和三輪山を首都にもつ出雲王朝。大和の布都族の須佐之男時代島根遠征。
内陸から朝鮮半島を征服した今日の朝鮮半島の朝鮮族とは異なり、
稲田姫に対し川上から「箸」から須佐之男は同族に認定。
古代朝鮮半島で稲作から女長を置き天神思想を共有した北宮崎の日向王朝。
日向王朝(男系)神武が大和遠征征服し、和談し歴代皇后を出雲王家(女系)からえて統一。
統一(神武を祖にする)のその大和政権が、日向王家末裔の南宮崎にある隼人に軍事制圧。
天神思想(女長を置き稲作)から後の時代に残存可能な地はこの隼人地区。
出雲領地北九州でニニギが征服した筑紫が本命かも。
大和政権下で三輪山の祟り騒動(出雲から物部より皇后出たり、結果日向の天照の御霊を伊勢に出す)の中、
出雲王家の巫女を大和地内に置いた周辺。
古代半島(ルート)から船で高志(越前地域)に漂着し淡海(琵琶湖)や島根
から大和や九州が王道。


664 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 16:44:26
それから他の人々が九州へなだれ込み、九州大王がそれを適切に処理できなかったら、
畿内安穏のウラに九州大変が隠れている。
倭国乱の始まりだ。


665 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 17:06:11
まるで「猿の惑星」のような、臣下を天皇だとか支離滅裂なことを
言い出してる輩がいる。このように臣が天皇を支配するとかいう猿が人間
を支配すると同然の不整合を突出している奴が盲象を膨らませている。

臣下 伊支馬≠天皇 垂仁

であって、身分が整合せず双方は自明に別人であ〜る。

しかしながら大宇宙は広大無辺であり、かような猿が人間と同等であっ
たり臣下が天皇であったりする奇怪な天体が、全部大宇宙を調べつくし
たわけではないからあったと言われても否定はできない。そういう天体から
強力な大電波をpipipi・・・と受信している者らの中には、まぁそういう
主張をしてたとしても渋々否定は保留とするしかないだろう。ハハハッww

666 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 17:18:31
ま〜だウジウジ否定することしか考えていないのか、じいさんよ。

じゃあ崇神が鏡を抱いて寝た、までは解ったからその先へ進まねば
歴史にならない、話の続きをどうぞ。


667 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 17:39:53
鏡を抱えたまま逝ってしまったのでミイラにして神として崇めたのではなだろうか?
祟神とは猿神(さるがみ)のこと。日吉神などの太陽神の使者とされるサルの化身だったのだ。


668 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 17:46:45
>日本海の荒波がそんな大アマものなのか? 
太国倍年じゃあ季節も解らないが、6月と記述されているから
夏の出来事だ、夏の日本海は、冬と比べられないくらい穏やかだ。
だから北前船もあるんだよ。そんなことも知らないのかじいさんよ。


669 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 17:53:11
そんなことは関係な〜い。言えることは〜

崇神6年には船舶は出来てな〜い。だから193年の百姓がどうのこうのとか
の出来事は 崇神17年 以後としなければ整合しな〜い。これをゴリ押し
したとなれば、どのように渡海したのか? まさか千人も多勢が日本海
を遊泳したなどと、空腹で餓鬼状態で出来っこはな〜い。これが2〜3人
だけ残って生存できたとなれば、これはまた話は別であ〜る。

インチキを垂れ流すな。www 電送人間機で電送か〜?www

670 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 18:12:56
だから崇神の船など当てにしていない、
当てにしたのは大物主の船。
そして一番食料のある6月に渡海した、と記録されている。

千人の渡海を否定しても
飢餓と流浪は比定出来ていない。
これは新羅のはなしであるから、崇神は感知していない。
崇神の感知しているのは、飢餓と流浪だ。

では、鏡を抱いて寝た崇神のその後の話を聞きたいものだ。
なにかご利益でもありました?


671 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 18:18:29
何せ当時は倍暦を使っていたので6月は季節風の拭くぬける真冬。
こんな時期に日本海を渡るなんて冬のエベレストを目指すくらい無謀なこと。

672 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 18:21:47
も〜う必死だなじいさんよ。

崇神がこの時点で船を持っていないことは明白。
だからこの時点で誰が船を持っているか推測すれば大物主だ、だから船を奪われ
領民に逃げられ、それやこれやでノイローゼになった大物主が崇神のところへ
駆け込んだ。
こういう推理が成り立つわけさ。


673 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 18:25:03
>>671
倍歴はひと月が15日って説もあるよ

674 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 18:34:20
>>671
残念ながら6月千余人の渡海記録は新羅の記録だ。
なにをトチ狂ったかじいさんが、新羅に向けるべき文句を此方に向けただけだ。

此方に文句を言われても、その様な記録を私に消す術はない。

彼なら景行43年に霖雨と書かれているから神功元年に起こった富士山噴火だ、とか
記事を動かす力が有るが、私には出来ない相談だ。


675 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 22:13:09
オマエはホツマと乳繰り合いで抱いて寝てるんだろう。ww

誤魔化し経って駄目だぜ。崇神6年には船がない。オマエの得意のインチキ
うっちゃりなわけさ。何が大物主だ。オマエの創作の空想だ。そうなら
紀の崇神6年に始めて船舶を造るなどは記載するはずがない。騙されは
しないぜ。天津神算木を違えた奴は妖魔の編年だ。孫悟空が禁箍棒で画い
た三蔵一行の円内(r=3)から出るオマエの妖魔の編年にはかからない。

天津神算木とはr=3の円の球化の数式であり、それの表面積は

 4πr**2=113.0973355292・・・ (**はベキ)

これを本打ち切り末打ち断つ

 2≠113.097335=113.0973350

ここで右辺から  1/13 B.C.97年 崇神天皇 即位
           1/3 皇紀973年 仁徳天皇 即位

崇神即位の実年代は113を年数とみなして末桁の350年との関係で移項

 350年=113年+237年(←第二項は実年代)

 237年=景初元年=崇神天皇即位元年

オマエのイカサマとはおさらばさ。ppppppp

676 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 22:47:40
>>670
記録されてるのはオマエの脳内のあ創作小説からだろう。オマエは
インチキが大の得意技だからな。wwwww

併せて基点ズラしのうっちゃりは、毎回合わない連続なので
連続に →∞ までうっちゃりの継続だ。これでは数日間どころ
ではな〜い。崇神6年に船舶が出来てないから、オマエの脳内で製造
だ。どうだ? ホツマを抱っこして大物主とbibibiと脳内で交信
したか? pupupu

677 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/24(月) 18:20:58
>>676
気がふれたか。
病院へ入院してゆっくり静養しろ。


678 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/24(月) 18:38:33
オマエ、臣下が天皇だとか言ってるから、まるで 平野長官=平成天皇 だとか
のような〜いまだにかような論を言い放っているわけで、精神科で診てもらえ。

679 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 20:44:19
この時代、天皇とその他の諸王との地位はそれほど差がなかったのだと考えます。
諸王の中で、最もふさわしいものを天皇に選ぶ、占いをする巫女こそが絶対権力者だったのです。


680 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/24(月) 21:23:28
諸王とは王達という意味だろう。王を小さい意味でも使うことがあろうが、
一般的王の意味で考えるなら前者でいいが〜少なくともこれの意味では、
臣下は諸王ではないぜ。王、天皇につかわれる連中が臣下だよ。

猿は人間ではないとみるべきであり、その差は大きい。

681 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:31:49
下剋上はいつの時代にも起こりえるものです。
卑弥呼の時代にも下剋上はあった。
なぜ、そんなことがわからないのか不思議sだ。

682 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/24(月) 21:32:06
神の畏怖なら占い巫女もそういうことはあるだろう。しかし通常は
武力を前提にした権力であろう。
いまは大王と臣下とかの関係で話をしてたんで、巫女はまた別の
話だ。

683 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/24(月) 21:40:06
>>681
だからこの件で、下克上のことは唐松山に論じているよ。
垂仁のとき下克上なんかないよ。戦国の世はあったわけさ。

684 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:48:36
下剋上は戦国時代だけではな九、いつの時代にもあった。、
藤原氏の摂関政治も富士王朝の末裔による下剋上だし、
鎌倉幕府も武士による公家社会の支配という意味で下剋上。
江戸時代も関ヶ原での勝ち組が下剋上でのし上がった。
明治維新も徳川幕府によって封じ込められていた薩長土佐による下剋上。
敗戦後にも下剋上は起きている。
祟神の時代にも下剋上はあったのだ。

685 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/24(月) 21:52:07
いつの時代にもあったと言ったって、今の日本はないだろう?
だからない時代もあったろう。そのときは王権が安定してたとかでなかっ
たということだと思う。垂仁のときないと言ったが、これは畿内朝廷に
関しての意味で、九州とか関東に下克上がないと言ったんではないの。
そっちはあったやも知れない?

686 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 20:05:15
183 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:00:36
>「正しい意見というものは自信に満ちた静かな声で語られ
>間違った意見というものはひきつった嘲笑と
>相手を感情的に中傷する罵声とともに叫ばれる」
>というモーロワの言葉を何となく思い出しました

687 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 20:13:10
なるほど、安本は罵詈雑言だけだよね。


688 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 20:18:51
安本は裸の王様だよ。しかも股間が臭い。

689 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 21:12:21
コピペに答えるなよ

690 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 21:36:28
太国はコピペ荒らし。
唐松山と共謀してコピペ荒らしを展開している。

と解釈すればすべての謎が解ける。


691 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 22:13:05
実はローガンと唐松山の芝居

692 :日本@名無史さん:2010/05/26(水) 21:56:29
邪馬台国はなかった。
古田はいなかった。
唐松山は太国の妄想の産物。

歴史とは、かように移ろいやすいものなのです。

693 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/26(水) 22:01:17
唐松山は崇神が開化と大物主から二重皇位をもらったんだとさ。こちらは
こんなメチャクチャを言うわけがない。奴は精神化行きだよ

694 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/26(水) 22:06:56
>>693 訂正
× 化
○ 科

奴は神功〜仁徳の代を三重在位(二重在位が三個)だとかメチャクチャの
インチキを逞しうしている。奴はわけのわからんことを口走っており、
以前から奴の論説は珍説珍説のオンパレードである。ww

695 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/26(水) 22:30:28
太国よそんな唐松山にからむな。


696 :日本@名無史さん:2010/05/26(水) 22:39:30
だから、唐松山は太国の妄想の産物だってば。もちろん、実在しない。

697 :日本@名無史さん:2010/05/26(水) 22:42:53
観念上に存在するローガンと唐松山は、同性愛の相思相愛でヌルヌル

698 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/26(水) 22:46:53
唐松山は今夜もホツマをダッチワイフのように抱きマクラにして、
寝るんだろうか? zzzzz・・・と〜?

699 :日本@名無史さん:2010/05/26(水) 22:47:22
>>697
うむ。(←まじれす)

700 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/26(水) 22:55:34
>>696
原田さんは唐松山らしい奴に対して、景行重視の困ったダメ人物様の
批判をしてるようだぜ。w コチラは議論以外、奴とは関係がない。

701 :日本@名無史さん:2010/05/26(水) 23:38:32
原田って、自分を棚に上げてトンデモ批判してる原田実のこと?



702 :日本@名無史さん:2010/05/26(水) 23:41:32
古田を裏切って敵に付き、古田攻撃で儲けた、あの原田?

703 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 00:11:56
安本の東遷説に乗っかって恥かきダブルパンチの原田だろ?

704 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/27(木) 09:43:09
>>701
そうだよ。去年の歴読8月号で、唐松山らしい人物に対してそういう酷評をして
いたわけ。

705 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 16:43:10
>>704
妄想もここまでくると、救いようが無いな

なんでこんな場末の糞コテ妄想に、一派の雑誌が反論や批判を書くと思うのか・・・
現実と空想の区別がつかなくなっているとしか考えられん

つまりは大国自身が古代史界での重鎮で、それに噛み付く唐松山を歴史読本が批判したと言う妄想ストーリーを展開しているわけだろ?
あのな、お前らが現実世界に与える影響なんて皆無だってwww
早く社会復帰しろ

706 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/27(木) 17:02:09
一部の国粋主義者や古代史ファンにもてはやされている『秀真伝』は不幸
な事例の典型だ。・・・熱心に読んでいるのは景行朝成立に固執する信奉者
ばかり・・・かえって学究的な研究者が遠ざけられている感さえある・・・
・・・偽作説を否定する「信奉者」こそが「古史古伝」の健全な研究を
妨げている・・・
                  〜歴史読本 前年8月号 原田実氏 述
      ↑
これは唐松山のことのようだな。ww 言いすぎと思える個所もある。

それがしは重鎮じゃないよ。><

707 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 17:05:59
>>706

原田も、同じ事を東遷説に固執する安本に言えばいいのにな。

というか、安本の東遷説擁護のためのホツマ否定なんだろうが。



708 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/27(木) 17:15:25
>>705
唐松山は垂仁天皇を「重臣」化して、天皇の身分を下ろしているぞ。w
これは奴の論が、人間を猿級に低下させた説同様ということとなり、これ
では奴が「猿の惑星」同様の脳内だということを意味している。w

709 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 17:38:26
>>706
いやこういうのは、唐松山個人に対してではなく
彼のような痛い人一般に対する、痛烈な皮肉だよ

だから貴方が「これは唐松山のことのようだな。ww」と、唐松山個人を特定して原田が非難したわけではないのだが
だから正しくは「これは唐松山のような考え方に対する批判だな」となるべきなのだが

あと原田は安本とも決別しているよ
原だの安本批判は古田に対するそれよりもさらに過激で容赦ない

710 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 18:09:39
原田VS安本は何に載ってますか?

711 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 18:28:06
>>710
、「邪馬台国ブームとは何だったのか」 『ESTRELA』2009年12月号
とか、最近のと学会総会での発言とか

彼は騙され続けの人生だなあって、唐沢兄弟からも笑われている
と学会はけっこう雑多な人たちの集まりだけあって、内部の人に対しても容赦ないね

712 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 20:17:08
原田は、有名人をこきおろして生きるだけの、ダニ生活w

713 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/27(木) 21:04:07
垂仁は中国地方以東では最大の勢力を誇っていても
九州には、さらに昔から倭王が存在していた、だから魏は九州倭国が女王
を共立すれば、その時点で倭女王卑弥呼が頂点の支配体制と容認する。
この時点で、幾ら権力を持つ垂仁とて、長官にしかならない。

だからこの時代は、九州と大和の大2国体勢である。


714 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:04:09
>>711
原田は、それで結局、畿内説に転向したの?
まだ九州説に固執してるの?



715 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:19:11
>>714
それは知らんけど、纏向=邪馬台国には疑問を示しているようだから
心情的九州説というところだろ

716 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:35:06
マキムクは疑問だから近江とか言ってのかね?

そういう性格だから騙されるんだろうな。

717 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 22:07:09
卑弥呼の鏡は奈良時代にすでに盗掘されてしまって、
鏡はみんな和同開珎になって流通していたんだろうな。


718 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 23:10:20
大量に見つかった鏡はすでに、卑弥呼の銘を入れて改鋳済み。
現在、風化させて古色をつけている最中。 by畿内説ゴッドハンド

719 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 23:39:18
原田実をぐぐったら、ムーのライターだったのか・・・w
『日本ピラミッド超文明』なんてトンデモ本を書いてたのか!www

720 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/27(木) 23:41:13
>>719
あの人は唐松山よりはズッとマシだよ。

721 :日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:13:31
原田のあの顔は、どうにかならないか?
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/profile.htm

722 :日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:16:59
>>721
>11,「『ミスター味っ子』オカルト満載!暴走した料理アニメが問いかけたもの」

マンガにまで難癖つけてるのか?



723 :日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:34:58
噛ませ犬みたいだな。
攻撃対象が無いと生きていけないのか。

724 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 01:10:16
>原田実
三流学者って、こんな生き方しかできないのか?

725 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 09:20:44
遮光土器にそっくりじゃないか>原田氏
もしや、フキアエズの子孫?

http://www42.tok2.com/home/nakazy/pict/shakouki.jpg

726 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 09:51:04
原田って学者のうちに入るのか?

727 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:10:58
太国が唐松山よりは上だといっているじゃないか。


728 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 13:52:50
唐松山は有コテハンの中で、最もマズイ論説だね。その皆の中で評価は
最低だよ。車の運転で言えばアクセルをふかすことばかりで、左右後方確認
とかバック、ブレーキは全然操作したことがないに近い。だから論が
暴走する。

729 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 13:58:00
唐松山はハイウエイ・スターだったのか。

730 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 14:03:14
奴のは映画等の忍者の高飛び論を平気でやっていて、現実にはあり
えないことを警告してもこれを平気で無視して論を主張する常習犯
だから、点数は0点以下のマイナスなる有害そのものである。

731 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 14:08:06
唐松山はカムイだったのか。

732 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 14:31:11
忍者 石川五右衛門ww

733 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/29(土) 16:56:03
地雷也太国たじたじ。

734 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 16:58:48
太国は果心居士

735 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 17:09:33
あれは稀代のデ○○ですね。

736 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/29(土) 17:35:35
>唐松山は最低だよ。

これだけの認識があったら、こんなものに噛み付く太国は、狂犬病か。


737 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 17:54:51
【みんなの投票箱】

さあ皆さんで、太国氏、唐松山氏のどちらがより電波なのかを投票しましょう。もちろん一人1票です。
できれば理由も添えてね。


738 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 17:56:17
もちろん唐松山に1票。理由は尊敬する太国さんの説に反を唱えているからです。

739 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 17:59:57
これは唐松山のほうが電波だろうな、客観的に見て。ホツマは後代の創作だよ。

740 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 18:20:16
唐松山が電波。太国は信頼できる。

741 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 18:27:35
ここまでの集計は  唐松山3  太国0  で、唐松山氏が電波という意見が多いようです。

742 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 18:54:21
どちらもイイ。
まるでかけあい漫才を見ているようで、このスレの風物詩の一つといえる。

743 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 19:05:39
>>742
カエルとかセミの鳴き声と一緒で、聞こえないとなんか寂しいってやつな。

744 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/29(土) 19:24:10
>>738 太国さんに正しい日本史を数字以外に記事を並べるよう進言して下さい。
まだ、数字の羅列しか見たことが無い。

>>739 太国さんは、大成経や神社伝承も取り入れていますよ。
最初は、書紀でも月後半の記事が無い物に固執していたんですが。


745 :日本@名無史さん:2010/05/29(土) 20:53:00
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

746 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 00:39:07
唐松山さんの太国さんへのコメントをみると、、
太国さんに散々コケにされながらも
破壊力のない緩いコメントを返して、
脱力系の歴史愛好家
といった感じが
します


747 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 02:09:41
二人の人気ぶりに、ローガンが嫉妬

748 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/30(日) 19:46:51
強力に締め付けると、スレが破壊するからな。
真綿で首を絞めるのが一番。


749 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:49:46
太国倍暦は古神道の秘儀により金木が打ち出したものだ。これに間違いのあるはずもなく。
フルヘ、ユラユラトフルヘ。

750 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:58:10
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

751 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/30(日) 20:06:36
ある倍年の思考とは
最初に春秋暦の2倍年が頭から離れない、2倍がだめなら、3倍、4倍と
倍数を上げれば正解が得られるとの勘違いから派生する。
良いところは、全ての年を取り込むことが出来る。
ただし季節や朔を否定せねばならない。
そして暦の後付けをせねばならないが、季節も朔も否定した以上、数字を数える
事が出来ない。
しかし崇神五,六,七年の如く、正しく3年無いと整合性がとれなくなる。
そこで思いついたのが、空白の月の導入だ、これで単純に倍数を掛ければ
得られるはずの、書紀の暦の再現が際限なく難しくなる。

できた編年は、全てが正しい場合のみ、正当性が認められるが、
他国の文献との整合性は得られず、考古学の数字とも乖離している。
ただ、大部分の人は、その数字の近くに正解があると思っているようで
そのへんが一つの救いかも知れないが、月日の入らない歴史は、書紀の記事を
歴史に再現したとはとても云えない。


752 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 21:03:44
素人なんだけど、伊都国=出雲国って考え方はないの?

i・du・m→i・du・mo→出雲
     ?i・du→伊都

っていうのはあり得ると思うんだだけど、これって歴史に詳しい人からしたら考えられないことなんですか?

753 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 21:22:33
>>751
ニ段階での年次変更って考えられない?
倍歴を当然のように考えてた人々が、年次のずれに気付いて最初は単純に年数を加算した、その後また年次のずれが生じてるのに気付いて倍歴を改めたというのは?

754 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 21:41:46
>>751
こいつはインチキの達人であり、他国の文献との整合性は当然ある。

梁書には永元元年(=499年)に日本から大陸へ渡った慧深という僧が
顯宗天皇(=乙祁=袁祁)の消息をかなり具体的に伝えているが、唐松山
の説では以前顯宗生存とは15年差あることの不審を知りながら、その年代
の段差の存在を合理的に説明できず、いまも出来ない上での編年表を作っ
ており、奴はこの不合理が埋められないから奴の編年は根底から崩れっぱ
なしの状態にあり、これをとぼけてひた隠しで表が合っているとかゴリ
押ししている。それがしはこの年差を14年差と観ており、2倍年暦が後代
で使用されていたことからの年数の詰まりだと主張しているとおりである。

顯宗即位の通説は485年であって、永元元年(=499年)の間には

 499-485=14年

の年差があるが、2倍年暦からこの年代差の不合理は確実に埋めること
ができる。三国史記と日本書紀の間にはけっこう120年という干支の倍数の
年代差があるのは神功紀から周知のとおりであり、これを忘れて半島文献
との一致を強引にやる唐松山は、神功〜仁徳の代を三重在位(二重在位が
三個)と平然と主張しており、彼の妄想の交錯とその増幅が前代未聞のこの
インチキ主張を醸成し、まだ盲造だと気がつかぬ麻酔の脳内の状態を継続
しっぱなししていて、精神科行き候補を露呈させている。ww

755 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/30(日) 21:54:13
単純に2倍したら、数字が片寄る。このような異常は見られない。
神武東征以前から太陰暦は使われており、正朔の文字があるのが、日本書紀である。
太陰暦で正朔に違わないためには、19年*n回の空白を差し込むしか方法は無いであろう。
たとえば日本武尊が九州から帰って、直ぐに関東へ派遣される。
しかしここには景行28年九州より帰還、40年に関東下向。これを空白年の注入と捉えれば、数字は合わせられる。
日本武尊は景行元年生まれで同27年に16才である。←倍数では正解を得られない。


756 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 22:01:10
考古の数字と合わない典型が、唐松山の言っていた昨年の千葉県の博物館班
の箸墓基準測定値から50年も忍者の高飛び年代たる主張であり、
当時の各掲示板の書きこみの中で最もあさって以上のやなさってでもまだ
近いかと笑ってしまうほどの逸脱状態にあったのだ。それが誤魔化しの
ため即興得意のインチキうっちゃりを敢行して、その場しのぎに終始して
その醜態論をさらけ出していた。インチキと唐松山の脳内とはエイリアン
の同化したような仲良し合体状態にあり、よく言ってやれば盲象との
歓喜天合体のちちくりあいを今も平然と取り組んでいるのだ。ww

757 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/30(日) 22:02:44
現実の暦(四分暦の類)に空白の暦を注入しても太陰暦で読めるが
精緻に検証すれば、どんな暦法にも合致しない。
これが書紀の暦の本質だ。


758 :日本@名無史さん:2010/05/30(日) 22:03:53
>>752
単語の一部の音が一致するから・・・という論証はやってはいけません。
それを許容すると、何でもアリになってしまい、とりとめがなくなってしまうからです。
といっても、高名な学者でもついこれをやってしまいますが。

種々の論証(考古学その他などを駆使して)で地域比定を推定したあげくに、
プラス「単語の音の一致も見られる」というなら、これはアリです。

759 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 22:05:59
>>755
合わせられないのが先代旧事本紀の

 景行48年8月 五十功彦命の誕生

の明文である。これは奴の景行28年が景行40年であるというインチキから
しっかり防御する大盾となる。奴のデタラメはミエミエだ。ww

760 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 22:15:47
神武東征以前が太陰暦であったかどうかは、いまだ感知できっこな〜い。

朔は紀に蟻の大群のようにあるわけで、これが観測値だということは到底
考えられない。そうならばもっと目立つべき特殊朔と言える月食がうんと
載って然るべきであるが、それが佛伝以前に全然無い。つまり観測値では
なく、これらは精密計算だということなのだ。各日付の干支は2倍年暦等
とは不合理がなく、その事由は日数の空転があるからなのだ。つまり当時
2倍年暦等と並行して通常暦法を古代マヤと同様に行使していた関係上、
空転させておけば日数干支の交錯は回避できるから、双方の暦法に混乱が
出来にくくなり好都合となるためである。

761 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 08:01:13
>>758
それを言ったら畿内説はどうなるの?
「邪馬台」と「ヤマト」の音が似てるってことで、無理やり比定地にしてませんか?
とはいえ、伊都が糸島かどうかはさておき、九州北部に間違いないとは思います。

>>752
伊都と出雲は姉妹都市あるいは植民都市だった可能性はありますね。
フェニキア人が地中海各地に植民都市を作ったように、
あるいは、安曇氏が日本各地に植民都市を作ったように、
伊都、出雲、出水、泉、伊豆などは、何らかの関係があるのかもしれません。

762 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 09:49:29
>>761
>安曇氏が日本各地に植民都市を作ったように

それなら、邪馬台国の勢力領域は西日本に広がってたでしょう

763 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 10:09:05
六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。是以晨興夕■。請罪神祇。先是。天照大神。倭大國魂二神。並祭於天皇大殿之内。
然畏其神勢共住不安。故以天照大神。託豐鍬入姫命。祭於倭笠縫邑。仍立磯堅城神籬。〈神籬。此云比莽呂岐。〉亦以日本大國魂神。
託渟名城入姫命令祭。然渟名城入姫命髮落體痩而不能祭。

先是。←この文を読んでいないから、崇神6年の出来事になってしまうが、
ホ33029 ヨホメスエミカ ミコトのり ミオヤのさづく ミグサモノ クニトコタチは
カンオシテ アマテルカミは ヤタカガミ ヲヲクニタマは ヤヱガキと つねにまつりて
ミトカミと キはとほからず トノユカも ウツハもともに すみきたる やゝイヅをそれ
やすからず アマテルカミは カサヌヒに トヨスキヒメに まつらしむ ヲヲクニタマは
ヌナギヒメ ヤヤへのサトに まつらしむ

書紀は『先是。』で4年の記事を6年の記事と重ねてしまったため、よく解らなくなってしまっている。
6年には、生きた神が崇神の元に身をよせる。
4年の段階では、ヌナギヒメは日本大國魂神を祀れたが、6年に生きた日本大國魂神が避難してきた段階では、髮落體痩而不能祭。
という状態になる。
6年秋までは、大和の王は日本大國魂神(ヤマトオオクニタマ神)なんだ。
崇神の領地は橿原以南及び紀の国である。
崇神が庶母の子供であった為、橿原以南から追い出され、無人の原野である纒向に宮を構える
しか方法は無かった。
崇神は日本大國魂神に宮を構える了解を取ってから磯城に宮を構える。
大和に居を構える以上、日本大國魂神を祀る。これが4年の行為。
この面とおしと祀る行為が、6年に日本大國魂神等が避難してくる気にさせたんだ。
まあ歴史の皮肉とでも言うのか、その崇神に情勢が傾き、大物主から大王の位を譲位される。
これが崇神6年から12年の出来事を説明するための出来事なのだが、
10年の埴武安の乱は、これを良しとしなかった橿原以南の旧勢力が後ろ盾。
この確執は景行が紀の国で手打ちをするまで続くが、仲哀の死で再燃した可能性がある。

埴武安はこの時推定20才程度である。この年齢も開化の治世を短く見る理由の一つ。



764 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 10:12:20
箸墓を崇神の基準にしたら、
纒向は、誰が開発しましたか? 2世紀末ですよ。


765 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 10:14:35
当然纒向辻遺跡の大型建物(珠城宮でしょう)より後が崇神時代になる。


766 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 10:19:40
そして、崇神は纒向開発者を倒してその地の王となる。
書紀に書かれていなくとも、纒向開発が崇神以前なら、そこに卑弥呼は登場できる。


767 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 14:00:59
開化の代に太子となった崇神が開化崩御の後に天皇(大王)の位に就く
のは別に大物主がいなくてもそうなるわけであり、これでまた大物主から
譲位を受けて二重大王だとかの妄想の極を平然を言い放っている男がいる。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

いかにインチキだか記紀の捻じ曲げは四六時中であり、これは妖魔のクソ
と同等級の支離滅裂な精神科行きのデタラメそのものである。

768 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 20:06:55
近江伊勢遺跡の衰退と纒向遺跡の勃興は時代を共にする。=2世紀末
ホ30036 ヲヲモノヌシは アワウミの ヲヲクニミヤを つくりかえ コシネのクニも
サホコみな タミをおさめて しつかなり いまアマキミの クラヒなる

神武即位と大物主の近江に住む時期は一緒である。
畿内でこれだけ大きな動きがあれば、土器にも影響が現れる。
神武即位=X様式の始まり=西暦42年

太国編年では、この動きが読めない、しかし今の年代を主張するなら、それ相応の畿内の
動きを、書けば良い。

纒向遺跡の開発は2世紀末。


769 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 20:47:50
崇神天皇八年十二月乙卯《廿》天皇以大田田根子令祭大神。是日活日自擧神酒。獻天皇。仍歌之曰。許能瀰枳破。和餓瀰枳那羅孺。■磨等那殊。於朋望能農之能。介瀰之瀰枳。伊句臂佐。伊久臂佐。
コノミキハ ヤマトナス オオモノヌシノ カミノミキ イクヒサ イクヒサ

崇神8年12月20日 譲位式を執り行う。

倍年では凶作の翌年の夏の出来事になる?。まだ実りは得られない。
だから否定するのか。
現実は、5年の凶作から3年の歳月がながれる。
単純に「3年を1年とする」では正解にほど遠い。


770 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 21:17:35
どこに譲位と書かれてるんだ?wwwwwwwwwwwwwwwwwww
二重在位なんて妄想の極め付きだ。精神病院へ行ったのか〜?pp

オマエこそ動きが読めない張本人だ。オマエのは毎回記紀のねじ曲げ
ばかりのまがい物だな。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

771 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 22:27:51
太国よ
自分の倍年で歴史を語ればどうなんだ。
語れないんだろ、なんせ倍年など存在しなかったからね〜。

存在しなかった太国倍年で歴史は語れない。これほんと。
昔話に差し込むことも出来ない。なんせ「春五穀成就」なんてだれも認めないもんな。


772 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 22:37:56
こちらいつも語ってるぜ。オマエが語っていないと恣意的に決めてるだけ
だ。オマエこそインチキ歴史を語っているではないか? な〜んだ、あの
文は〜? あんなの譲位ではな〜い。太子だった崇神は開化の崩御で即位
したのであり、ここで他人から譲位で即位などしていない。したとなれ
ば、これは二重即位だ。こんなことと似たような神功〜仁徳を三重在位
などとともに、超トンデモ世界一クラスの歴史のデタラメを醸成している。

どうだった〜? 精神病院で脳内検査をしてもらったか〜?

773 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 22:56:50
確かにそのままでは認めないだろう。しかし春は後付けであって、後付け
を肯定してる論者はいる。だから誰もにはならな〜い。

紀には蟻の大群のように四季語がついている。紀の原書類には季語の無い
書も結構あったに違いない。その証拠にオマエのホツマもそうだろう。
紀にほぼ全部に季語をつけたのは、天皇が紀を見るからであって、書き方
の礼式が厳格だったということだな。だからほぼ全部に季語をつけたん
だよ。つけないのはあからさまに書名の指定ある紀の中の倭人伝であって、
紀のここには季語がないようである。本来の伝にも春夏秋冬のついてない
ところがある。倭人伝も紀の特殊な原書であって、倭人伝に季語がない
ところ、当然伝自体は外国書という特例で修飾せず季語を省いたのだろう。

こういうことから、通常の原書類にも四季語がないことは十分言えるん
だぜ。

774 :日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:15:07



韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ




775 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 23:15:59
ほつまに全て季語が付いているわけでは無い、認めますよ
そして太陰暦も認めているんですよ。だから少ない季節と日々の干支から
年度とそれらに誤りが無い事が確認出来ている。

では何故書紀に膨大な干支が付与されているかを考えた時。
正しい太陰暦の日付を得る為に付与されているんですよ。
誤魔化すんなら、古事記程度の干支と月日だけで充分でしょ。


776 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 23:35:23
>>775
だからそういうところをほじくるのも悪くはないが、こちらは日付がどうの
こうの言うのは編年(年代を定めること)をするためだから、日数のほう
は補助的にウラづけのために役に立つからだ。主体は年代だよ。

オマエも二重暦と言ってたようにだ、当時の畿内は通常暦と2倍年暦等
を並行行使していたのは古代マヤ暦同様であり、干支は空転しておけば
交錯がなくなり都合いいわけで、不合理はない。オマエのマシは先の
景行28年が景行40年だとかの極めて乱暴なオマエの論となるも、これは
景行28年8月の五十功彦命の記事で完全の崩れるからもうマシは遺棄
するしかない。また明日 zzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・

777 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 01:52:54
山形明郷氏が全てに止めさしてるだろ、邪馬台国&卑弥呼に関しては。

778 :サガミハラハラ:2010/06/01(火) 07:54:41
止めをさしているということは、邪馬台国の都、卑弥呼の墓を確定していっているということでしょうか。
当方寡聞にしてぞんじあげませんので、ぜひ、都と卑弥呼の墓を教えてください。

779 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 12:37:25
自説が脅かされると思うと、不安で夜も眠れないのか?

そんな人生は楽しいか?

780 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 13:45:45
たぶん、ハラハラするのが、好きな性(サガ・佐賀)なのです

781 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 16:55:19
山形明郷って人は確かに凄いっぽいぞ。
在野の人で直接アカデミックなところにいた人じゃないみたいだから一昔まえにちょこっと本だしただけで世間からは見向きもされてなかったみたいだけど、
ちょうど今、その集大成本が復刻して新発売されてる。
ttp://www.amazon.co.jp/卑弥呼の正体-山形-明郷/dp/4883205010

たまたま今日本屋で立ち読みして凄いインパクト受けた。 
明らかにトンデモ本の類ではないと思う。
とりあえずは一読してみることをオススメする。
 

782 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 17:20:20
宣伝おつ

783 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/01(火) 17:27:31
>>776 訂正
× 景行28年8月
○ 景行36年8月

784 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:58:39
>>781

山形さんは推論に頼るのではなく、事実だけを追い求めました。
そして古代北東アジア史を古朝鮮の所在位置から見直し、
「楽浪郡」は朝鮮半島ではなく遼東半島にあったことをつきとめました。
それによって、「卑弥呼」は日本列島にいなかったことがわかったのです。

なぜこのようなことが起こったのか。
それは、そもそも「倭」という国のとらえ方を誤ったことに起因します。
明治の学問を興した権威ある学者たちは「倭」=日本であると思い込んで、
日本を強い国であると誇示するために、日本の古代史を改竄したのです。



紹介文だけでもうトンデモの香りが濃厚に漂ってくるのだがwwwwww

785 :サガミハラハラ:2010/06/01(火) 21:18:58
はあー、もういいです。

786 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:26:01
それ、サガミの電波がセンチメートル波(無線ランなど)程度とすれば、中波(AM放送)程度。そのくらいの違いしかない。

787 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/01(火) 21:28:40
唐松山はどのくらいだ?

788 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/01(火) 21:33:46
ミリ波だ

789 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:37:27
財団法人ラヂオプレス(略、RP)は、国外(主に旧共産圏)のラジオやテレビ放送を聴取・視聴し
その情報を元に翻訳・作成した記事を報道機関や官庁に配信する日本の通信社である。

1994年、朝鮮民主主義人民共和国国家主席であった金日成の死去を朝鮮中央放送で知り、
各報道機関に配信したことがあり注目された。また『朝鮮民主主義人民共和国組織別人名簿』
や『ロシアの現況』など独自に編集した名簿や書籍を定期的に出版している。

太国は、唐松山やサガミハラの動向を監視するウォッチャーだったのだ


790 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/01(火) 21:39:14
太国
ハ〜。
ためいき波ってあるのか?


791 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:59:55
>>781
正体シリーズってどれもトンデモじゃないの

792 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:59:26
山形明郷説とやらをググってみたらちょうど誰かが簡潔に要約してくれてるページを発見したw
【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著〜@古朝鮮はどこにあったか?
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=184402

【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著〜A楽浪郡・帯方郡はどこにあったか?
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=184404

【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著〜B倭はどこにあったか?
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=184427

【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著〜C卑弥呼は遼東侯公孫氏の係累
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=184428

【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著〜D邪馬台国はどこにあったのか
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=184430


…ざっくりいうと魏志倭人伝の出発点の基準となる「朝鮮国」の位置が定説が間違いだ、ということね。
この要約をぱっと見るにそれほどトンデモとは思えないけど、問題は考古学的な現物とどれほど一致してるか?ってところだな。

793 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/01(火) 23:02:54
景行28年が景行40年だとか大妄想を書きこんでる奴の編年はインチキで
あ〜る。三輪神とは3倍年暦の示唆たる名である。崇神17年に船がないのに
崇神6年に半島の腹ぺこの百姓の渡海など出来るわけがなく、整合性が
まるでな〜い。これをそれでも懲りずに強行するものは、船のない年で
あるから、それを出来たとなると、まぁUFOならば即刻畿内から半島へ
と直送でき、あるいはどこか遠い大宇宙の彼方に電送人間機のある天体が
あって、その機械ならば畿内から半島へと千人の渡海が出来る等の論理が
可能となり、そういうことはかの電波星人からそれが可能という強力な
大電波の送信をBIBIBINNNNNNNN→∞と受けられる人物なのであろう?ww

まぁそういうんだったら、そういう渡海は否定は出来ない事になろう。w

794 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:36:47
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

795 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:41:06
>>792

よく読む気になるね。
5秒で読むのやめたわ。


796 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:52:12
倍歴、3倍歴などない。
ありもしないものをなかったと証明するのは難しいが・・

797 :サガミハラハラ:2010/06/02(水) 00:00:46
倍歴、3倍歴ではありません。倍暦、3倍暦です。

798 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 10:51:38
>>796
倍暦は古代南バビロニアがこれをやっています。あるものないなどとは、君の
無学なことを自ら暴露したも同然だね。今もバリ島でも倍暦が行使されており、
これをウク暦という。また古代マヤ、アステカ、サポテカでも倍暦の行使が
行われていたもので、古代エジプトでも倍暦が行使されていた。

日本の神武の即位から崩御までは3倍年暦の行使があり、このため神武紀を
調べればその記述が1月〜4月までしかない。これは当時の1年が4ヶ月
だったからで、ということは当時3倍年暦が行使されていたことになる。但し
神武の即位前と崩御の直後は通常の暦法を行使しており、神武葬が9月で
あることから3倍年暦を崩御にて不便のためか止めて通常暦に戻したのである。

799 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 14:03:24
>>798
素人ですまんが下段はまだ貴方の妄想の域じゃないの?

800 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 14:09:40
ホツマの垂仁の条には、妊娠期間が3年とあるわけで、こんなことは現今
の医学で考えにくく、通常の妊産婦は1年弱(=十月十日)が妊娠期間なの
に、3年の記述とは当時の3年が現今の1年だったということなのだ。つまり
垂仁の代には3倍年暦を行使していたということになるのだ。

801 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 15:05:04
妊娠期間が3年?だからホツマはおかしいのですよ。

802 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 15:16:40
じゃぁ紀だっておかしいということになろう。妊娠は誕生のほうだが死亡
(崩御)は、紀の欠史八代の天皇は8人全員が月の上旬の死亡だ。

こういうことは、人間の死が暗殺、自殺等特殊なことがない限り全部が
全部月の1日〜10日以内に死ぬなどということが滅多に起こりうることで
はない。このことは八代のころは、当時の1ヶ月が現今の10日間だったと
いうことなのだ。つまり神武の代とはやり方が違うも、3倍年暦を行使して
いたことになる。これから外出だ。質問は書きこんでおけ。

803 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 18:23:09
書紀に月後半の記事が無くとも、日々の干支は、後半の存在を肯定している。
そして太陰暦しか存在しない。
太陰暦は、半分とか1/3にすると、太陰暦では無くなる。
1ヶ月とは、新月から新月の間のことを言う。だから1ヶ月が10日という暦法は存在しない。


804 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 18:34:31
欠史八代の天皇は全て上旬に死ねはずがない。許容度は千に一度も
ない確率だろう。そうなると後半の存在は干支のみの空転であり、日数が
あるとは到底8人の崩御からは肯定できない。ここがオマエの一段目の
主張を完璧に近く妨げる。念のため言うが、8人も全員が上旬に死ぬわけ
がなく、せいぜい全員暗殺自殺ならばそれは可能であるが、そんなことは
ないだろう。つまり上旬全員死ということは、当時3倍年暦を行使して
いたというのが当然だ。それに倍暦は世界各地で古今存在しており、マシ
など行使していた地域は探してもない。景行36年8月の記事はオマエの
景行28年が景行40年であるという妄想を発表したことになる。ww

805 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 18:43:42
ホ37193 タジマモリ トコヨにゆけよ わがをもふ クニトコタチの
ミヨのハナ コソコホサシヱ アフミハヒ キミまかるトシ モモミソナ ミコのモハいり
ヨソヤヨル ハニタテモノし シハスソカ スガラフシミに ミヲクリの タビもかゝやく
カミのミユキぞ
ホ37202 あくるハル ヤヨヒにかえる タシマモリ トキシクカグツ フソヨカゴ
ホ37210 トコヨとは カミのかくれの をよびなき フリをなじむの トトセぶり 
あにをもひきや しのぎゑて さらかえるとは スメラギの クシヒによりて
かえるイマ すでにさります トミいきて ナニかせんとて をひまかる モロもナンダで
カクヨモト トノまえにうゑ カグヨモト スガハラにうゆ
ホ37220 ノコシフミ ミコみたまひて

垂仁90年春の命令で田道間守は、支那に渡る
垂仁99年7月8日崩御
同年12月10日に葬る
翌年春、景行元年3月に田道間守帰還。
時至9ヶ月24日

つまり垂仁90年は同99年であり帰着の景行元年で皇暦では10年が経過した。
現実に経過したのは10ヶ月である。
落胆した田道間守は、遺書を残し、殉死する。


806 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 18:53:01
ホ38013 フホヤヨヒ キビツヒコがメ たつキサキ ハリマのイナヒ オイラツメ 
ウチメのときに コゾウヅキ はらみてうまず フソヒツキ へてシハスモチ
ウスはたに モチハナなして フタゴうむ ヱのナモチヒト オウスミコ トのナハナヒコ
ヲウスミコ

景行2年3月 ハリマのイナヒ オイラツメは妃となる。
垂仁90年6月流産、それから21ヶ月後、景行元年12月15日に大碓、小碓兄弟を産む。
翌春にオイラツメは妃となる。

垂仁90年から景行2年までは、2年の歳月が流れる。


807 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 19:02:23
大碓、小碓兄弟は現実には景行元年12月生まれであるが、
景行2年3月 ハリマのイナヒ オイラツメは妃となる。 ←ここに併せて誕生した
と発表する。だから21ヶ月なのである。
現実は景行元年生まれであるが、公称は景行2年生まれとなる。

ホ38096 ソフホハツハル ミノノクニ カンホネガメの ヱトトヲコ クニのイロなり
オオウスを やりてよばしむ オウスミコ ミノにいたりて スガタみて ひそかにめしつ
とゝまりて カエコトなさす コトシソヒ

だから景行12年で11才となる。



808 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 19:27:23
ホ37210 トコヨとは カミのかくれの をよびなき フリをなじむの トトセぶり 

何故この様な表現が出来るかというと
田道間守がトコヨに渡ったのが魏明帝景初3年 なんだ、だから明帝の崩御を知り、それでも
暦に変化の無い事も知る。
大和の暦は+9年の10年ぶりとなる。



809 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 21:48:17
景行元年誕生などと、よくもこんなインチキを重ねてるな。景行の代は
2倍年暦の行使のため、妊娠が

 (十月十日)×2=20ヶ月20日≒21ヶ月

とホツマは教えてるんだよ。そんな即興の繕いの糊塗での、オマエが考え
出したインチキたる大妄想だ。こんなことをやればホツマの編者が生きて
いたら激怒するぞ。><

21ヶ月妊娠は現今の医学ではありえないことで、そのほぼ2倍の年月に
なっているということは、当時の1年が現代での半年だったということ
なのだ。景行の代の21ヶ月妊娠記事は当時2倍年暦を行使していたという
文証だ。そのさらなる補強証拠に

日本書紀の 景行13年 に

 高屋の宮に居すこと已に6年なり

とある。これは景行13年が(現今での年計算で)6年目だということを
記述したものなんだよ。景行の場合即位が7月だから元年が残り半年だと
みなしたとき、景行13年はほぼ6年目だ。だから当時の年数の数え方に
2倍年暦と並行して通常暦法も行使されていたのだ。このため>>806
主張はオマエがクルクルっと脳内で妄想の即興をなんだかんだと積み重ね
た結果のイカサマであり、上の文は21ヶ月妊娠を2倍年暦と観るべき
補強証拠なのだ。

ホッとしてるぜ。紀の編者らが欠史八代において、天皇の8人分の崩御
月日を残しておいたからこそ、唐松山という妖魔のささやきの防御になり
えたということをな・・・。ウワッハッハハ・・・wwwww

810 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 22:04:43
>景行の代は2倍年暦の行使のため、
垂仁90年は景行の代とし、

>日本書紀の 景行13年 に 高屋の宮に居すこと已に6年なり

景行天皇十二年九月甲子朔戊辰。到周芳娑麼。
景行天皇十九年九月癸卯《廿》◆十九年秋九月甲申朔癸卯。天皇至自日向。

書紀の記事を否定するなら、書紀を使わずに編年しても誰も文句を言いませんよ〜。




811 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 22:11:16
意味不明?? どうやら奴は支離滅裂らしい。相手に明確に答弁でき
ないのだろう。ww

812 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 22:22:00
>書紀の記事を否定するなら
       ↓
孝昭を懿徳の兄弟だとか日神は男だとか、書紀の否定はオマエのお家芸。
崇神が二重即位だとか神功〜仁徳が三重在位だとか、書紀の内の容否定だ。

どうだ〜? 何かbibibiNNNNNN→∞ っと聞こえてくるか〜?ww

813 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 22:24:39
>日本書紀の 景行13年 に 高屋の宮に居すこと已に6年なり

景行天皇十二年(壬午八二)七月◆十二年秋七月。熊襲反之不朝貢。
景行天皇十二年(壬午八二)八月己酉《十五》◆八月乙未朔己酉。幸筑紫。
景行天皇十二年(壬午八二)九月戊辰《五》◆九月甲子朔戊辰。到周芳娑麼。

太国倍年では月の後半が無い。
つまり景行は大和から周芳娑麼までを5日ほどで移動せねばならない。
この時代では、無理である。
だから書紀の記事は無視しても良い。
であるならば、『景行13年 に 高屋の宮に居すこと已に6年なり』が支持される。
こうなるのかな?


814 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:26:47
当時は政治が不安定で、自民党から民主党へ政権交代があっても、毎年のように首相が代わって、
そのたびに年を改めたとすれば、全てが解決します。

815 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 22:37:51
>>813
オマエ頭は大丈夫か〜? 景行は欠史八代ではないんだよ。後者において
はそういう月後半がない時代があった〜つまり2倍年暦の行使があったと
いうことなのだ。ところが名前は同じ2倍年暦でも景行の代は八代当時の
2倍年暦とはやり方が同じだとは限らない。実際紀の記録では1日〜20日
までの存在となっている。つまり15日〜20日があるんだから別のやり方の
2倍年暦法だと考えるべきだ。オマエはす〜ぐ単純に一緒にしてございと
しちゃう短所がある。もっともだな〜景行28年が景行40年でございと先代
旧事本紀大成経の文を見落として来たんだから、車の運転では左右確認
不履行で、オマエは運転史見は落第だ。www

816 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:43:10
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

817 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 22:45:24
>年を改めた
書紀は太陰暦のまま伸長されている。
つまり 太陰暦は19年7閏の積み重ねである。
だから書紀は、19年×n回の空白で伸長されている。
各天皇紀から19年×nを差し引けば、太陰暦でありながら歴史は圧縮される。


818 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 22:53:19
圧縮とマシはオマエのクソ語だ。www
マシなんぞやってる地域は世界のどこにもない。そんなことをすれば、
舎人親王らは身の危険が切迫する。今回の総理と小沢さんの辞職のように、
当時でさえ帳簿、文書を偽造して架空の記載が周囲にあれば、政敵等から
垂れこまれ、身分の失脚が待っている。

マシはインチキであり、オマエの脳内の脳ミソが脳クソ状態になって
るときにオマエが考え出した醜怪なるデタラメ思考だ。ww

819 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 23:02:13
>舎人親王らは身の危険が切迫する。
書紀では太陰暦しか確認出来ない。であるならば、倍暦虫は首をくくるか?
のうのうと生きているだろ?だから下記の如く言える。

倍年はインチキであり、オマエの脳内の脳ミソが脳クソ状態になって
るときにオマエが考え出した醜怪なるデタラメ思考だ。ww


820 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:03:19
罵り合いはやめれ

821 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:04:59
このスレは、太国と唐松山の占有隔離スレになりました。

822 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 23:05:43
訂正
×オマエの脳内の脳ミソが脳クソ状態になって
るときにオマエが考え出した醜怪なるデタラメ思考だ。ww

太国の脳みそに自分独自の思考など無かった。
よってこの文は、撤回します。
ほんとミミズより小さい脳みそに付ける薬は無い。


823 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 23:14:24
そうか、オマエの脳クソはメメズ以下の狭小か〜。www
どうだな。bibibiNNNNNNNNN→∞ と聞こえてきてるか〜?

zzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・・・

824 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 23:23:10
今1回起きてやった。ww
倍年暦は世界各地で古今行使されている。南バビロニアでは2倍年暦が
行使されていたし、古代マヤ、アステカ、サポテカでもn倍年暦が行使
されていたことはそれぞれの暦法を調べれば分かることだ。現今では
バリ等での行使があり、古代エジプトでも行使されて来た。これも調べれ
ば分かることだぜ。マシは世界探そうとどこにもなく、強いてあると
言えば、唐松山の脳くその中に悪臭を放っている。pp つまりマシは
デタラメであ〜る。

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・

825 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/03(木) 20:36:09
神武天皇四年(甲子前六五七)二月甲申《廿三》◆四年春二月壬戌朔甲申。
孝安天皇元年(己丑前三九二)正月辛卯《廿七》◆元年春正月乙酉朔辛卯。皇太子即天皇位。

まあ欠史8代でも1ヶ月は30日程度の暦(太陰暦)を使っていたことは、明白な事実である。
確かに日付の偏りはあるが、
それは、正しい日付に拘らず、都合に合わせ、多少の移動は有ったと言うことであり
たとえ「閏」の文字が登場しなくとも、日々の干支は、閏年を主張している。
だから
>南バビロニアでは2倍年暦が 行使されていたし、古代マヤ、アステカ、サポテカでも
n倍年暦が行使 されていたことはそれぞれの暦法を調べれば分かることだ。
このような妄想暦を持ち出すしか無いんだろうな。
だからこれらは『倍年暦』ではあり得ない。

なにせ当時の倭国は、南バビロニア、古代マヤ、アステカ、サポテカと通好が無かった
以上、これらを持ち出しても、太国編年の倍年は、その時の朝廷により日数が違うと
主張しており
日数の変動する『暦』は、一定の速度で回転する地球では存在出来ない。
 


826 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/03(木) 20:50:14
>帳簿、文書を偽造して架空の記載が周囲にあれば、政敵等から
垂れこまれ、身分の失脚が待っている。

太陰暦で書かれた書物は、太陰暦を基本とする。
これに反して、四季をねつ造するのが、太国倍年である。
そして全ての日付に干支が振られている。
これを無視するのが、太国倍年で有る。

後は、論敵をミソクソに書く。
これも、太国倍年の不徳の致すところである。


827 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:54:37
邪馬台国が後のヤマト朝廷と連続してるって考えてるから答えが出ないんじゃないの?
たまたま中国の歴史書に出てきてるからって、連続してるとは言えない。
別モノ、別の政治集団じゃないの?

邪馬台国は今の佐賀県にあった。畿内の勢力は弥生時代以降朝鮮半島からの渡来勢力で現代に繋がってる日本人の祖先。
佐賀県にあった邪馬台国は1度更地になってることがわかってる。そして2世紀くらい経ってから住民が移住して生活が
始まってるのもわかってる。畿内勢力に滅ぼされたって考えていいと思う。

828 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 07:15:35
弥生時代以降の畿内は朝鮮半島からの渡来勢力というか、
倭国と敵対関係にあった高句麗までヤマト王権に深く介入しているから有り得ないよな

熊本の何処だっけ?金色の甲冑だの装飾品が大量に発見されたやつなんだけどさ
これは中国南朝の文献にある高句麗と戦った倭の五王なんだろうな
ヤマト王権の史記(笑)だけ見ると歴史が全く見えなくなる

まあ、卑弥呼の邪馬台国なんぞは北部九州の一勢力に過ぎないわ

829 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 09:27:51
>>828
そこまで言うなら、北部九州なんぞにこだわらなくていいんじゃないかな。

830 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 09:53:50
たとえば、いま、宮崎で口蹄疫に感染した恐れのある牛や馬を大量に埋め立て処分しているが、
それを2000年後に発掘した人は、宮崎に大王がいた!その大王の死によって牛や豚数万頭が徇葬されたと見るのだろうか?
歴史というものはその時代の特殊事情によって後の世の人には想像もつかないようなことが起りえうという一例です。

831 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 10:45:18
熊本県菊池郡の狗奴国だっけ?邪馬台国と対立していた倭人の国なんだけどさ

倭国大乱期の瀬戸内海沿岸を見ると、狗奴国からの禿げしい進攻を受けて、
防衛目的に建設されたような高地性集落?とかあちこちに残ってるし、
史記に出てくる神武の与太話(藁)も、狗古智卑狗に実権を握られた狗奴国王の卑弥弓呼が、
狗古智卑狗の影響が及ばない近畿地方に逃れてきたのが元ネタだと思うなー

邪馬台国の卑弥呼ちゃんはもっと怖いし〜

どちらにせよ当時の熊本〜宮崎といえば狗奴国の勢力圏でしょ?

832 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 11:04:42
魏志倭人伝では、狗奴国の実権は、国王ではなく下僕の狗古智卑狗が握っていたみたい

神武が卑弥弓呼本人か卑弥弓呼の兄弟かは知らないけど、
45歳にもなって住み慣れた狗奴国(日向)から逃げないとヤバイ状態にあったのは事実でしょ?

833 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 11:09:42
まあ、少なくとも神武は邪馬台国側の人物ではないな


834 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:02:42
継体は邪馬台国側の人物じゃないかな

835 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:36:08
邪馬台国が越にあるならな。


836 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:42:42
狗奴国=敵対国も同じ文化圏だったりするわけだが、畿内は異質文化圏だ。

837 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:48:02
>>835
継体さんは近江出身だよ
話がスッキリしてきたでしょ

838 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:55:49
継体は、歴代天皇の中で例外的出身地だね

839 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:56:54
卑弥呼ちゃんは魏に朝貢して倭国王として認められてるけど、
神武(笑)だか卑弥弓呼のおっさんは朝貢やってたの?

エロい人教えて

840 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 14:02:39
卑弥呼ちゃんは大胆
台与ちゃんは炉利

卑弥弓呼のおっさんは加齢臭ぷんぷんw

841 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 14:26:14
神武は、畿内に乱入して、小さな部落を占領しただけ。
吉里吉里国レベルだ。朝貢する気力体力も必然性もない。

842 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 14:59:22
当時の畿内は、魏志倭人伝に書かれているような鉄器を用いない未開の地だから
鉄器を用いた狗奴国側の方が戦闘では圧倒的に有利だったはず?

神武は45才で日向から畿内に乱入した後、魏に朝貢したという記録もない。
魏志倭人伝では卑弥弓呼という狗奴国王がおり、邪馬台国と争っていたとあるだけ・・

843 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 15:11:19
むしろ、神武は近海戦しかできない海軍部隊のリーダーだったろう。
半島で戦争する時代になったら、お役御免となってしまい、スポンサー探しの旅に出た。
スポンサー探しも長続きしないので、ついに畿内で領地横取り作戦に成功したわけだ。
当時、九州にとっては畿内など、番外地にすぎない。
もちろん、畿内が九州に攻め込む理由もなければ、軍備もない。


844 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:08:47
九州説の原動力は関西へのコンプレックスだったのか

845 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:13:59
東京に負け続けた関西人による九州蔑視・九州苛めがその実態

846 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:46:22
畿内からも極少数の鉄器が発見されてるが、
これは神武が鉄器の本場九州から持ち込んだ技術と見ていいのだろうか?

史記は嘘臭い内容ばかりなので、神武が魏志倭人伝の誰なのか実態が掴めないよな
日向から出ているので、狗奴の一族だろうけど

847 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:52:12
史記?

848 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:54:51
と云うか、卑弥呼が関西の女王(笑)とかだったらキモいでしょ?
普通の日本人にとって関西人の毒文化は軽蔑の対象に過ぎないよ。

849 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:57:41
九州人の関西ジェラシーはすごいな

850 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:05:35
まあ、必死に自演するジョーカーなんざ軽蔑の対象ってことさ

851 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:24:06
まあ、必死に自演するサイキバとサイキバのふりする某糞コテなんざ侮蔑/爆笑の対象ってことさ

852 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 10:04:12
全てサイキックバカの自演()笑

853 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 12:19:43
狗奴国=コノ刻=許乃国
ここの王は、武埴安彦命。
彼を裏でささえておたのが、外戚の河内彦(拘右智卑狗)

狗奴国が熊本にあったというのは、疑わしいと思う。

854 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:11:17
「狗奴国」ではなくて「この国」ですよ。



855 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 23:38:02
>848
5世紀〜19世紀まで日本の首都はずっと関西だったわけだが。
都は文化・政治の発祥地で各地で類似品が作られ
「小京都」と呼ばれたりした。
人々の羨望の的だったんだ。

時代遅れの九州隼人は二度と上洛しなくていいよ(笑)

856 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 23:50:12
うそうそ、7世紀末から。

857 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 00:14:31
そうだな。7世紀末まで、近畿に首都があったとみるべき資料はない。


858 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/06/07(月) 00:24:18
>>856-857
九州説のフンコロガシが戯言を言ってます。

859 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 00:42:29
『天皇記』と『国記』が失われたのが痛いな。
この2つが現存すれば歴史は違っていただろうに。

それにしても、蘇我氏の所にしかなかったのかね?
それも妙な話だよな。

860 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 01:11:18
>>859
その代わり『古事記』と『日本書紀』が残っているけど、都合の悪い部分は
「捏造だ」と否定されているから、あまり足しにならないのでは・・・

861 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 05:19:17
>>855
サイキックバカの九州ジェラシーはすごいな()笑

7世紀末まで関西に首都があった資料なんて存在しない

862 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 10:25:37
>>859
蘇我氏が伊都国人だったからだよ

863 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 15:10:22
>>859
疑問はもっともだ。本当は『天皇記』『国記』なんてものは存在しなかった。
そうは言えないので、燃えたといっているだけだよ。

864 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 15:28:30
>>859
あんま期待すんな。
『天皇記』『国記』だって、『古事記』『日本書紀』同様、「捏造だ!」って言われるのがオチ。

865 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:34:10
>>861

九州王朝説は該当スレでやれ。

ゴミはゴミ箱に。

866 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:43:26
ていうか、畿内説はすでにゴミ箱に入っている。

867 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:53:31
九州説のコテハンはことごとく撃沈されていったけどな。



868 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:10:23
>866
スレによるテーマの区別と言うことが分からないのかな?

九州王朝説は>>861のように7世紀もその対象に入っていて
この連中が邪馬台国スレに乗り込んできて好き勝手やったら
邪馬台国スレは古代史一般スレと化す。

まあそうやって常識をひっくり返す・かき回すのが連中の目的なんだろうが

邪馬台国に話を絞るならいいが、そうやって7世紀頃まで話を広げてかき回すのは
もはや荒らしでしかない。

その内容に関わらずゴミクズ。



869 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:18:38
白村江で壮烈に滅びた九州王朝、東日流外三郡誌で壮大にミソ(小便か?)をつけた古田武彦。

870 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:21:31
>>869
一升瓶やペットボトルに入った小便を浴びたんだよねwwwww

871 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:23:46
小便は原田実が用意したんだろ。

872 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:33:45
>>871
はー、マジでそれ言ってるのなら凄いわ。信者の見本だな。
ところで寛政写本は誰が用意したんだい?

873 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:37:01
外三郡誌が偽書でも偽書でなくても関係ないわけだが

874 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:38:59
>>872
東日流外三郡誌が偽書かどうかで、魏志倭人伝の解釈がどう変わるのか言ってみろよ。

875 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:43:02
和田喜八郎氏の家は江戸時代から続く旧家なので、寛政原本は壁に塗りこめられているという説があったが、
和田氏が亡くなった後、家は調査され、江戸時代からの旧家などではなく、昭和初期の築造と判明した。これ
は建築した大工さんの証言も得られている。

また、内部の調査では、天井裏には、長持ちに収めた『東日流外三郡誌』を隠すような梁もスペースもなかった。
ただ、一升瓶に入った黄濁した液体が数本発見され、紙に古色をつけるために使用された小便ではないかと推定
された。

876 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:45:15
>>874
そんなの君のほうが知ってるはずじゃないか。
まず邪馬壱国が正しいとする客観的傍証として、古田は飛びついたんだろ?
東日流にも壱と書いてあったからな。
ところがそいつが偽書だったわけだから、結果的に何の傍証もない説のまま進歩がないわけだ。

877 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:53:22
偽書でもどうでもいいよ。

878 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 21:36:13
でもここまでケチョンケチョンに言われるのって却ってヘン

879 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 21:49:35
天井から落ちて来たというのは方便で、実は納屋にしまってあったんだよ。
そういうことってよくあるじゃないか。演出だよ。

880 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 22:31:43
「東の大陸からツボケ族が渡ってきた」とか書いてるらしいけどさ
サハリン辺りの先住民、ニヴヒ(ギリヤーク人)は
ネイティブ・アメリカンと同じ遺伝子タイプらしいんだ

881 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/07(月) 23:14:43
>>825
ホツマは、孝安天皇即位はハツ(1月) ノ ナカ(7日)だ。
27日に非ず。

882 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:20:25
Y染色体の分布
http://freepages.genealogy.rootsweb.ancestry.com/~robert/Y-Haplogroups-1500AD-World-Map.png

Y染色体の系譜

      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━ A 
      ┃
━━━┫    ┏━━━━━━━━━━━━━━ B 
      ┃    ┃
      ┗━━┫    ┏━━━━━━━━━━━ C 
            ┃    ┃
            ┃    ┃            ┏━━━━ D 
            ┗━━╋━━━━━━┫
                  ┃            ┗━━━━ E 
                  ┃      F
                  ┃      ┏━━━━━━━ G 
                  ┃      ┣━━━━━━━ H 
                  ┃      ┣━━━━━━━ I 
                  ┃      ┣━━━━━━━ J 
                  ┃      ┃    K
                  ┗━━━┫    ┏━━━━ L 
                          ┃    ┣━━━━ M 
                          ┃    ┣━━┳━ N 
                          ┗━━┫    ┗━ O 
                                ┃  ┏━━ Q 
                                ┗━┻━━ R 
                                    P

      ・    ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
   90420 82000 68500  53000 35600 29900 (年)

883 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 21:36:52
遺伝的な特性が固定化するには数100万年の年月が必要で、
現代人の遺伝子は、遺伝子学的な差異はないと見るべきです。
しかし、世界にたった1種類の人類しか生存していないと思ったら大間違いです。


884 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 21:53:22
ネアンデルタールが、まだ生きてるの?

885 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 22:49:42
ヨーロッパに金髪が広まったのは1万年前
それ以前のヨーロッパ人は焦茶色の髪と暗い色の瞳だった

886 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 23:15:14
金髪が広がる前に、色白で赤毛のネアンデルタールが2万数千年前までいた。

887 :日本@名無史さん:2010/06/10(木) 22:57:04
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

888 :◆.L.MXSPOgc :2010/06/11(金) 00:14:27
ドン来いに比べてこちらは静かですね。

ネアンデルタール人というと、混血はなかった(種が違いすぎるため)と考えられていたのですが、
ごく最近になって、人(ホモ・サピエンス)のDNAの一部にネアンデルタール人由来と見られるものが
見つかったとかいう発表があったようですね。
しかも困ったことにw、そのDNAは頭脳が大きくするようなもので、これによって人の頭脳が大きく=賢くなった
のではないかとか。
まーでもこのDNA持ってる人って7割くらいだそうだから、これだけで頭が良くなるって訳でもなさそう。

閑話休題

「國國有市、交易有無、使大倭監之。」の大倭ですが、これを大率の間違いと見ることはできないでしょうか。
そうすると、大倭こと大率と、次の文章の一大率と、その次の文章の「於國中有如刺史」の刺史の如くとが
つながるのではないかと思うのですが。

889 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 00:18:28
もちろん、「大率」の間違いと見ることも可能ではある。
しかし、さしたる根拠もなしに、皆がそれぞれ
そういうコトをやってしまうと学問ではなくなる。

890 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/11(金) 20:38:36
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_topic_pr_218.html
より ラヂオ氏は、新羅本紀と百済本紀の誤差を百済本紀に近づけようとしています。
下記はその直訳
*AD370年- AD318年= 52年偏差.

[1409] 千熊長彦, 383年の 人. Name:radio2010/06/04(金) 17:38 奈勿大聖神帝紀(ネムルデソン
グシンゼギ) 7年, AD383年.
七年 正月 行水羊祭 光臣伊伐〓 白花稟主 7年(AD383年) 1月, 水羊(修養, 癸未, AD383年)祭(私
の)を行った. 光臣(狂信)を 伊伐〓(イボルチァン)で, 白花(百貨)を 稟主(稟奏)にした.

三月 夫余流民三十戸又来降 夫余与倭相通 年年受其民 散置都鄙 倭臣熊彦美而善弁 与阿□相通
多聴其言 故国人異反 或帰于我 亦帰于麗 休礼太后生長?子勿? 始立戸口典 禁民子母相婚 3月,
夫余(付与)の 流民(流民) 30号がまた 来降(レハング)した. 夫余(付与)と 倭(なぜ)が 相通(上通)し
たら, 毎年その民たちを受けて, 都邑と田舍に 散置(散置)させた. 倭(なぜ)の臣下 熊彦(ウングオ
ン)はハンサムだ言葉がお上手で, 阿□(子供)と 相通(上通)したら, 彼の言葉にたくさん従った. そ
れで 国人(お吸物である)らは 異反(離反)して, あるいは私たちに, あるいは高句麗に帰属した. 休
礼太后(ヒュリェテフ)は 長?(ザングフン)の息子 勿?(ムルフン)を生んだ

癸未年に千熊長彦の登場である、


891 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/11(金) 20:39:24
奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 7年,癸未年、千熊長彦の登場。
この時代は、倭、百済、高句麗が同じ土俵上である。
この時代を書紀に求めれば、神功49年の千熊長彦になる。
323年頃、東晋は、洛陽奪回をあきらめる、半島方面は空白の地帯となる。
そこで東夷軍として存在していた倭軍(千熊長彦)は、半島の再編成をする。
領土の一部を百済に分与する。
その地の住民や役人は、自分の意志で、行き先を決める。
そして多くの人々が倭国へ渡来する。
3年後に七支刀がもたらされる。326年

この数字は275年神功元年で得られる。
だから倭国乱は崇神時代では、早すぎる。
、句麗、百濟及宇文、段部之人,皆兵勢所徙,340年代の記事である。
七支刀もこれ以前でなければ、書紀の記事と整合性を得られない。



892 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 20:53:56
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

893 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 01:32:55
>>892は森さん辺りのの論文を読んで、
少しは冷静な考察をしたらどうなのだ。

894 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 04:41:48
二ギハヤヒ≠火明命だと思うよ。

なぜなら、二ギハヤヒの正式名称は
天照国照彦天火明櫛玉二ギハヤヒ命だろう?

この「天火明」と「二ギハヤヒ」の間にある「櫛玉(くしたま)」ってのは
神道用語の「奇魂(くしたま)」のこととされ、
これは「形見」という意味にもなるそうだ、どうも。

つまり、神武東征戦争で、近畿側で応戦・降伏した
二ギハヤヒという人物は、自分のことを天火明命の遺児だというふうに自称していた。

だからこそ、近畿側には、天火明命の別の子孫(尾張氏、海部氏の先祖ら)が、
二ギハヤヒとは対立していて、神武軍を受け入れたことになる。

こんないった経緯から、後世、ヤマト王権では
二ギハヤヒの子孫の物部氏は、天神とされ、
天火明命の子孫の尾張氏、海部氏は、天孫というふうに
両者の出自が分けられた。
つまり、物部氏は自分達を天孫と自称していたが、ヤマト王権は認めなかったわけだ。

895 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:06:08

■「纒向に卑弥呼」想像膨らむ

読売新聞 2010年6月13日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20100612-OYT8T00944.htm

 桜井市民会館で12日開かれた纒向(まきむく)遺跡をテーマにしたフォーラム「女王卑弥呼の国を探るin桜井〜卑弥呼は纒向にいたか」(市主催、読売新聞大阪本社など後援)は、考古学などの専門家が同遺跡と卑弥呼を巡る豊富な話題を語った。
県内外から訪れた考古学ファンら約1000人は、約1800年前に卑弥呼が纒向にいた可能性について思いをはせていた。

 同遺跡の発掘調査を担当したこともある寺沢薫・県立橿原考古学研究所総務企画部長は「諸国の王が談合して纒向に王都を建設した」と持論を展開。
大阪市西淀川区、無職森岡正治さん(68)は「何らかの政治的な力が働き、この地が選ばれたと納得できた」と話した。

 前田晴人・龍谷大非常勤講師は「文献から倭の女王は7人いたと推定できる」と述べ、大和郡山市泉原町、会社員野村宏輝さん(31)は「邪馬台国論争にはまだまだロマンのある話があり、もっと多くの視点から勉強してみたくなった」と耳を傾けた。

 桜井市は遺跡の発掘だけでなく、活用も検討。
福永伸哉・大阪大教授の「散策路を整備し、遺跡を歩いて体感できるようにすればいい」との提言に対し、纒向遺跡の現地説明会に参加したという神戸市垂水区、会社員大和純二さん(42)は「発掘だけでなく、後世に伝えていくことが大事だと感じた」と感心していた。

 討論で司会を担当した俳優の苅谷俊介さんが、最後に「卑弥呼は纒向にいたか」と質問。全員が「いたと思う」「いても不思議はない」と答えると、会場から大きな拍手が起きた。
桜井市朝倉台、主婦池田登美子さん(62)は「史実に基づいた話で、本当に卑弥呼が纒向にいたんだと思った」と話した。

・パネリストの話に聞き入る考古学ファンら(桜井市民会館で)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100612-771347-1-N.jpg

896 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:13:44
大倭が大率の間違いなら
倭人伝は率人伝の間違いと言う事になる。

897 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:16:08
>最後に「卑弥呼は纒向にいたか」と質問。全員が「いたと思う」「いても不思議はない」と答えると、会場から大きな拍手が起きた。

橿原関係者ばかりを大勢集めるのに苦労しました。

898 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:20:23
まるで新興宗教の信者の集まりのようだな

899 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:41:57
こういう低レベルなフォーラムが馬鹿を拡大再生産するのだ。
裏で悪徳業界人が手を引いているから困る。

900 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 10:17:40
巻向なんかに卑弥呼はいないよ。w

901 :◆.L.MXSPOgc :2010/06/14(月) 14:15:46
>>896
倭人伝だから、大率→大倭、という間違いが起こりやすくなると考える。
倭→率という間違いは起こり難い。

902 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 14:22:34
>>901
倭→率という間違いが起こり難い
なら、文面も「使大倭」のままでイイじゃんよ

903 :◆.L.MXSPOgc :2010/06/14(月) 14:36:27
前後の文も持ってくると次のよう。

A:收租賦、有邸閣。國國有市、交易有無、使大倭監之。
B:自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國。
C:於國中有如刺史。
D:王遣使詣京都・帶方郡、諸韓國、及郡使倭國、皆臨津捜露、傳送文書・賜遣之物詣女王、不得差錯。

Aで大倭が國々に居る事が書かれている。
Bで(唐突に)一大率のことが書かれていて、伊都國に居る。
Cで刺史の如くと書かれているが、於國中から伊都國にしかいない一大率のことではないとされている。
Dの文は皆臨津など伊都國のことと考えられている。

このように短い1連の文のなかに、大倭と一大率と如刺史な者という3つの異なる役職などのことが書かれていることと、
伊都國について書かれているのか倭の國々についてなのか混乱しているように読めるところがある。

大倭を大率の間違いとすると、これらの文が全て大率についての文章であると読め、
伊都國に大率のトップを特置一大率していて、如刺史は國々の市を監する大率のこと、
一大率の元、伊都國で皆臨津〜している、と一連の流れとして読むことができる。



904 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:23:46
いかに文章の前後から「そう置き換えられる」としても、
さしたる根拠もなしに安易に改定しては学問でなくなる。

「さしたる根拠」とは、最低でも
・古い版本の中に「大率」と書いてあるものがある
・他の文献の中の引用で「大率」として引用しているのがある
程度のことが必要であろう。



905 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:37:47
女王國より以北は、(今までの大倭と違って)特別に「一大率」というのを置き、
(一国にそれぞれある大倭とちがって)諸國を検察せしむるようにしている。
故に、諸國はこれを畏憚している。

こういう意味じゃね


906 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:40:16
ここでいう「大倭」は警察、「一大率」は軍隊だね。

907 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:50:28
伊都国って、博多湾の出入り口を臨検するのには最適なところだから。
海の中道までのラインを船で確保すれば、船舶は博多湾に入ってこられない。

伊都国が博多湾内の国と仲が悪ければ、博多湾内は封鎖できる。
そんな要所を伊都国にゆだねるわけだから、
奴国と伊都国の仲は悪くない。

908 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:38:39
邪馬台(壱)国が何処かより、俺は伊都国の代官みたいなのが普通に漢字理解してたんじゃないかというほうが気になる。
輸出入の物品を台帳みてチェックしてたように倭人伝の一節が読めるんだが。
4世紀には大和かどっかの銅鏡製造職人も中国王朝の元号まで理解していたようだな
っか北部九州では1世紀に漢委奴国王を権力者階級は普通に理解してたとしか思えないんだが


909 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:51:21
どんな民族にも、複数言語に堪能な人物がかならずいるものだ。
おそらく北部九州には、3世紀に漢文仏典を読んでいた知識人もいたと思う。
時代が下るに従って、列島側の書く漢文国書がヘタになっていくのが笑える。

910 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:59:03
日本書紀で、中国語に堪能な人が書いた巻と
下手糞が書いた巻があるとか。

中国語に堪能な人が書いた巻は、
それだけ取り出して並べても
話のつじつまが合ってるという話を読んだことがある。

911 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 09:21:52
>>903
例えば、Cの文を「國中→中國の誤写」
と考えても、解読可能になるのでは?

912 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 11:14:03
漢文では単数か複数かは表示されないことが多い。
この國中も、女王国以北の国中であろう。要するに、一大率が検察する諸国
の中で、という意味だよ。

913 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 07:24:06
大倭は女王国の軍又は警察だな。一大率はその大将。以北の国々を監視する
大物の大将が置かれていたということ。

914 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 13:28:46
あげ

915 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:55:19
>謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!


答え) 卑弥呼は邪馬台国の女王

916 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:02:39
× 答え) 卑弥呼は邪馬台国の女王
○ 答え) 卑弥呼は邪馬壱国の女王

917 :◆.L.MXSPOgc :2010/06/19(土) 08:05:04
規制にあって書き込めませんでした。

>>904
学問を勝手に狭めると損ですよ。
他に大率と書かれているものがあれば、それこそ良いでしょうが。
大倭が大率である可能性を指摘しておくのは悪いことではない、少なくともそう考えたという事実は残りますから。

>>905
通常の解釈ですね。
”一大率”ではなく一”大率”とするなら、なぜ大率のことが書かれていないのかという疑問がでますね。
”一大率”として常治伊都國、なのに於國中有如刺史というのが矛盾するように思えるポイントでしょうか。

>>906 >>913
警察と軍隊という考えですね。倭の制度は中国から持ってきたものですので、私はよく知らないのですが、
漢や魏には警察と軍隊という2つの組織が分かれてあったのでしょうか。そうであるなら可能性は高いですね。
ただ、刺史はどちらかというと警察な感じがします。このあたりどうなのでしょう。


918 :◆.L.MXSPOgc :2010/06/19(土) 08:09:31
>>910
渡来人が書いた部分と日本人が書いた部分があると考えられています。
日本書紀は漢文で書かれているのですが、日本人は日本語からくる特有の間違いがあって、
例えば「ある」が「有」なのか「在」なのかをよく間違えます。
この様な間違いのある部分が日本人、そのような間違いの無い部分が渡来人が書いたのであろう、とされています。

具体的にどこがどうなのかは忘れましたが、飛び飛びにほぼ半々くらいの割合だったと思いますので、
半分だけで話のつじつまが合うかどうかは、ちょっと疑問です。

919 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:52:18
西も東もわからない渡来人が書いた部分は方向も間違っていますね。

920 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:38:15
>謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!


答) 卑弥呼は百越の女酋

921 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 15:55:08
卑弥呼お姉ちゃんの脇の下3
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1248518875/

922 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:15:50
>謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!

 答) 卑弥呼は死後の霊に使えた、三世紀の女王国=邪馬壱国の女王

923 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:55:43
倭国大乱のころは女も兵士になっていたらしいな。
男の王は当時反感を持たれることも多く、鬼道に長けたオバはんを最高権力者にした北部各国(ムラ)の
男王たちは割に知恵者だと思う。そのほうが自分の地位の安泰にもつながったのだろう。
日本書紀にはそいうことを類推させる記述は一切ないから、卑弥呼は3世紀の九州女王、歳くったミス九州みたいなもんだろう。

924 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:31:06
マジレスすると、邪馬壱国の倭人は文明の外に位置する存在でしかない。
当時、文明を有していた中国側の資料でしか判断できないのが現実なわけよ。

倭が文明を有し、五胡十六国時代に日本として独立を果たすまで、この状態は続いている。

925 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:04:34
>>924
奈良県桜井市在住の皆さんはどんな感じでしょう?
市民というにはまだまだですか、王ですら乞食と区別がつかないとか


926 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:07:10
>>924
でも魏の皇帝様は文明の外からの使者の来朝をこのほかお喜びになられたようですね。

927 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:28:58
周の成王も、紀元前11世紀に倭人が貢献してきて、大喜びだったわけだが。

千年たったら倭人は未開に劣化したワケね?

928 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 12:21:36
>謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!

当時の文明国(魏朝)からすれば、倭は文字すら有さない問題外の連中だったから、
魏朝が卑弥呼という見下した名称を与えられた蛮族の女酋な訳よ。

倭が文明を知るのは、五胡十六国時代に箸の使い方と文字の使い方を覚えてから。

929 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:04:55
卑弥呼は上表文を出しているが

930 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:24:51
卑弥呼の上表文は、のちの大和朝廷より倭臭のない、見事な上表文だな

931 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:21:21
倭武の上表文は、のちの大和朝廷より倭臭のない、見事な上表文だな()笑

932 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:37:30
聖徳太子から8世紀の大和朝廷まで
相当外交音痴で、航海も下手だな。

日本海がなければどうなっていたことか。

933 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 22:14:35
>>932
確かにね。
中国は民族間の内戦で海の向こうの国なんて見る余裕はなかっただろうな。
ようやく元の時代になって侵略しようとしたが、海の阻まれてる

934 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 06:26:59
>>932
聖徳太子は平安時代に創作された九州や畿内の豪族をごっちゃにした人物。
大和朝廷が相当外交音痴なのは認めるが、五王時代の航海能力が完全に失われているのは謎。

素人集団の朝貢と航海能力は、大和朝廷が五王時代とは全く無関係の中身で構成されてる証拠。

935 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 06:37:00
>>934
倭が朝貢しただけで、日本は朝貢していなかった。
そうとも言えないから、行こうとしたが失敗した、と嘘の弁解をしただけでは。

936 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 10:48:34
鑑真とか相当リアルな遭難話がまことしやかに記録されているわけなんで、
まあ、それが嘘とも思えないくらいのへたれ航海能力だったんだろう。

壱岐対馬とか、日常的に航海交易してないと
干上がるような島なんだが、その航海能力は
全く取り入れてないのかね。

937 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:48:12
壱岐、対馬のコースは問題ない。危険なのは南島コースと称する直接中国大陸をめざす
コースだ。

938 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:52:05
へたれ航海能力と云うより、航海能力皆無の猿集団()笑

五王時代は、大船団を率いて高句麗の本拠地まで侵攻しているのに中身が代わったのか?


939 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:59:57
たしかに、いずれの時点か知らないが、中身が変わった感じはする。

940 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 12:10:21
>>938
>五王時代は、大船団を率いて高句麗の本拠地まで侵攻しているのに中身が代わったのか?

半島南部は倭人が住んでいたのだよ。
そうでなけりゃ、あんなにたびたび攻め込めないでしょう。

941 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:11:35
日常的に玄界灘で暴れてれば、腕も上がるだろうが
瀬戸内海ならそれほど高波も立たず、うずしおに注意さえすれば穏やかなものなので
外洋航海術は持っていない。

942 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 22:17:12
おい、御用学者はさっさと邪馬台国スレ立てろよ

943 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:09:33
>>942
なんでこの寄生虫の九州説はこんなに偉そうなのか?

944 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:16:59
御用学者=畿内説 と証明されました(畿内説詐欺)

945 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:18:34
>>944


   ,,/ ̄''l       彡/-'''"" ̄-=彡彡/ ,,-''",,,,,,,ノ .彡''"
       (,  ,--(      彡 ,,-- ===彡彡彡"_,-_   ヽ Υ
       ヾ-( r'''''\    //=二二''''''彡ソ ̄ ∠__\ .\ソ  .|
         \;;;;  \   Ζ彡≡彡-'''',r-、>   l_"t。ミ\ノ,,r-v   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           \;;;;  \  彡""彡彡-//ヽ"  ''''''"" ̄'''""(エア/  /
            \;;  \'''''')彡ヽ// | (tv   /|  ,  r_>'| < 一体何と戦っているんだ
             \;;;  \'"  \ ,,"''-,, ノ,r-", /  r'''-, .j   \
               \;;;  \ /,,>--''' 二"''' r-|   二'" /.     \______
                \;;r'""彡 _l:::::::::::::::::::::: /./_   " /
                  )''//rl_--::::::::::::::::/:/ヽ"'=--":


946 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:20:57
>>945
おそらく自分の障害と、だろう。

947 :この人なのか?:2010/06/21(月) 23:22:13
576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576
それと・・・
 「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w

590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw

593 名前: 579 投稿日: 2008/08/03(日) 12:28:52
>>590
>きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
な、なるほど!
それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww

595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw

598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)

948 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:22:46
>>945
纏向は弥生時代に温暖で、しかも内陸で蛤や大魚がとれたと妄想している御用学者

949 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:24:23
邪馬台国の特徴

宮室・楼観・城柵・絹・蚕・大魚・水禽・温暖・冬の生菜食

纏向は無理でしょ

950 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:25:40
で、九州に卑弥呼の都の遺跡はあるの?


951 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:27:12
>>948 >>949
このあたり、この障害者の症状がよく表れている部分。


952 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:27:54
いや、世界のどこにも見つかってないが、吉野ヶ里と同一文化圏なのは確かだ。
間違っても、纏向だけはあり得ないがね。

953 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:29:00
候補地がありすぎて困るが、

久留米が首都で卑弥呼は八女に入る、に一票
根拠は特にないが。

954 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:29:52
三角縁神獣鏡舶載説w
箸墓卑弥呼墓説w
編年土器で畿内をどんどん古く判定w

畿内説は、詐欺の総合商社ですw

955 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:31:59
首都という概念があるんで
首都太宰府、伊都女王国も候補追加



956 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:32:01
久留米、八女、それから佐賀や熊本の有明海沿岸も有力候補地だと思う。

957 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:34:46
マイタウン熊本

■「第26代卑弥呼」に宮野さん

朝日新聞 2010年06月21日
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001006210003

 8月1、2日に和水町の古代の森一帯で催される古墳祭の主役「第26代卑弥呼」に同町久米野の熊本学園大商学部4年宮野里紗さん(21)が選ばれた=写真。
宮野さんは「伝統ある古墳祭を盛り上げていきたい」と話す。

 熊本三大火祭りの一つ。呼び物の松明(たい・まつ)行列は2日午後7時半にスタート。卑弥呼を先頭に古代衣装姿の町民約800人が松明をかざして古墳公園一帯を勇壮に練り歩く。

写真
http://mytown.asahi.com/kumamoto/k_img_render.php?k_id=44000001006210003&o_id=4253&type=kiji


※昨年の古墳祭ポスター(熊本県玉名郡和水町サイト)
http://www.town.nagomi.lg.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=7&id=10&flid=2
http://www.town.nagomi.lg.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=7&id=10&flid=3

958 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:36:14
で、九州に卑弥呼の都の遺跡はあるの?

候補地?ふざけんな。


959 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:41:21
今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以為飾。

倭には水人とそれ以外の人がいたことがわかる。
大魚水禽は水人がいた地域の話。
倭の全ての地域に大魚水禽がいたことにはならない。

他の産物にしても、倭の全域で採れなければならないわけじゃない。
「日本ではお茶が採れる」という記述を外国人が見たとして、
北海道から沖縄まで、日本の全域でお茶が採れなければならないとでも言うのかね。

960 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:41:33
>で、九州に卑弥呼の都の遺跡はあるの?
あったであろうと思われる候補地はある。沢山有り過ぎて困るくらいだ。しかし、遺跡自身は壊されて
しまった可能性が高い。

961 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:48:54
環濠集落も結構至る所にあるし
有明海も博多湾もあるし
絹も出るし、温暖だし

大抵の候補地が、マキムクよりは
可能性があるとおもうよ

962 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:49:11
>>959
日本全域のことが倭人伝に書かれているわけじゃないだろ。魏使が目にしたことが書かれている。梯儁
は邪馬台国の卑弥呼に詔書と金印を授けに行っている。その邪馬台国の風物が中心に書かれただろう。

963 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:50:52
あと、鉄も出るし
円墳もあるし

だから、一箇所に決められないだけだ。

964 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:56:18
ようするに、九州には無いってことじゃん。



965 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 23:58:13
>>963
>円墳もあるし

えっ!
3世紀の円墳が九州に、かい?

あまり聞かない話と思うんだが、よかったら3世紀円墳の名前と所在地を、出来るだけ挙げてくれよ

966 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:07:38
>>955
えー 逆に聞きたいが
年代がはっきりしている古墳っていくつあるんだ?

畿内の前方後円墳だって、しょっちゅう年代が変わっているだろ。

質問が無理だと思うのだが?

967 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:09:48
年代が気に入らなければ
畿内お得意の年代遡上があるからな
100年程度なら平気で動かせる

968 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:11:26
ホケノ山も4世紀から3世紀になったし

969 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:14:16
ホケノ山が4世紀になったら、
唐古・鍵が卑弥呼の都になるのでOKです。


970 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:26:43
愚かな田舎者九州人は村おこしで邪馬台国の候補地を捏造する恥ずかしい人種。

971 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:30:21
実際、マキムクよりは唐古、鍵遺跡のほうが
よほど可能性が高いと思うのだが
なぜマキムクに固執するのだろうと思う。

972 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:33:46
黒幕の御用学者挙げてもいいわけ?

973 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:45:07
>>962
>日本全域のことが倭人伝に書かれているわけじゃないだろ。

倭水人、諸国、倭地、国国有市、検察諸国、などと書いてあるんだから、倭全域のことが書かれていることは明らか。
倭というのは30カ国全体のことであって、邪馬台国一国のことではない。

>魏使が目にしたことが書かれている。

魏使は、帯方郡から邪馬台国までの道程を見ているのだから、
魏使が目にしたものは、邪馬台国の風俗だけではない。

>宮室・楼観・城柵・絹・蚕・大魚・水禽・温暖・冬の生菜食

これらの物の中で、邪馬台国の描写と断定できるのは、宮室・楼観・城柵だけ。
例えば、「お茶は静岡の産物である」という条件の下では、茶畑がない県は、静岡である可能性は皆無。
しかし、「お茶は日本の産物である」という条件の下では、茶畑の無い県も日本。

畿内説では、倭とは近畿から九州までカバーするから、朱が出る出ないとか、大魚水禽とか無意味。
宮室・楼観・城柵は、邪馬台国以外にもあったろうし、遺跡が失われている可能性もある。
だから宮室・楼観・城柵の跡が出たからといって、そこが邪馬台国という証拠にもならない。

974 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:48:46
候補が多いってのが
典型的な30カ国共立の証拠かもな。

どこか突出して国力が高ければ
そこが支配すればいいのだ。

支配できないくらい
それなりの力の国が
並立してたんだろう

975 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 01:04:01
>>973
おおむねその考えでいいと思う。

>>962
使節の見聞以外にも、倭の情報は得られたはず。魏使の見聞だけにこだわるのはどうか。
たとえば洛陽まで行った倭側の使者(難升米ほか)からの聞き取りや
洛陽の住人となったはずの生口たちからの聞き取りなども想定しておきたい。

976 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 01:33:12
>>973>>975

以上、サイキックバカの自演でした()笑


977 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 01:42:12
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!48
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1277138023/

978 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 07:36:28
ここももうすぐおわりだな


979 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 14:40:31
鉄を持たない崇神は、ゆるやかな連合しか主張出来ない。
鉄を得た垂仁は、大きな宮殿を建てる。武器の蓄積。
景行時代に、倭国統一がなる。箸陵の建設。

早くから鉄が分散した九州は、乱が続発。
北九州の衰退はあるが、それをまとめた九州勢力は無い。


980 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 14:44:11
無主歴年を、「主無きこと数年」と解釈する大和説。
それでも天皇家に空白を見つけられない。


981 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 14:49:26
北九州の衰退を認めて、卑弥呼の治世を引き延ばせば、
卑弥呼の宮殿が無くては成らないが、存在しない。
卑弥呼の治世を短くしたら、直ぐに乱を抑えねばならない。


982 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 14:52:24
一大率が諸国を厳しく取り締まっている状態に、ゆるやかな連合などあり得ない。
畿内説を無理やり成立させんがための詐欺理論が、ゆるやかな連合論だ。

983 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 14:54:15
呉国の驚異が薄くなった時代、吉野ヶ里軍は縮小したわけだが、
これを「九州全体の衰退」と言いくるめるのは、畿内説詐欺の常套手段。

984 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 15:00:36
魏志倭人伝のすべての記述が九州に符合する。
たとえば蚕や絹の製造、冬の生菜食、魚蛤、大魚などである。
邪馬台国とは無縁な辺境の地であれば、魏志倭人伝に
裸国の俗だとか、黒歯国の俗はこうだったと書いてあるはずだが、
そういう記述はみられなず、邪馬台国自体の様子としか読めない。

米国の風習を記述するのに、アラスカ・エスキモーの様子だけ
なんの断りもなしに書いた、などということはあり得ないのである。

985 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 15:06:42
庶母出身の崇神は、天皇家由来の地橿原以南から纒向に都を移す、これが
3世紀中葉であれば、2世紀末から開発された纒向は誰の王都でなければならないが
ここを素通りする、崇神=卑弥呼説。
五,六年の凶作を乗り切り、箸墓(箸中山古墳)が建設出来るなら。
九州から関東までを平定した景行ならさらに巨大な陵墓を建設出来たでしょう。


986 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 15:16:40
住民も王宮もない纏向に、移したものと言えば「土」だけ。

987 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 17:14:44
王宮と庶民の家が隣り合う様では、大国の王宮では無い。
これが纒向3代である。

ただし崇神は、庶母の出のため無人の纒向に王宮を建てるしか術が無かった。
三輪の近くだ、これが幸いして、同6年には大物主等が尋ねてくるきっかけとなる。


988 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 17:16:55
王宮も、民家も、どちらもないマキムクは、いわば墓地である。

989 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 20:34:12
マキムクなtんて、炊事用の薪を取りに出向くきらいの土地だったというのが真相です。

990 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 20:40:42
纒向は茅原が正解。


991 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 20:49:06
唐松山の説は、だれにも理解できない。

992 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 20:59:13
ホツマ教徒には、付ける薬がない。

993 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 21:38:17
崇神の自出
崇神の母親は、孝元の妾であった。この妾を開化が頂き崇神を生む。
この母親の魅力にとりつかれた開化は周囲の反対を押し切り崇神を世継ぎ
とする。当然妃にも子供はある。それが、後の武内こと忍信である。
忍信は紀の国に住する。天皇家と和解したのは、景行の時代となる。

この様に周囲の反対を押し切って即位した崇神に橿原以南に宮を構える
力はない。かろうじて宮を構えさせてくれたのが、ヤマト国魂ではないか?

こんな状況の崇神に箸墓(箸中山古墳)を築造する財力は無い。
現箸墓は箸陵である。



994 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 21:47:12
>>993
>崇神の母親は、孝元の妾であった。

この部分で既に何の裏付けもない妄想なのだから、その先は読むに値しない。

995 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 21:54:22
【逮捕された唐松山】
「犯人は、わけのわからないことを口走っており・・・」

996 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 21:59:56
崇神の母が庶母であることまでは認めるな?


997 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 22:06:13
まあ書紀にも庶母と書かれている以上認めないわけにはいかない。
そして武内が2名登場することも認めざるを得ない、景行が紀の国を訪れようとするが
卦は、不吉とでる。だから代理を立てて手打ちをし、紀から嫁をとり武内宿禰が生まれる。

これは書紀だけでも確認出来る事実である。


998 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 22:08:19
与太話は、チラシの裏に。

999 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/22(火) 22:14:07
崇神=卑弥呼がいかに書紀を読み替えねばならないか考えたか?


1000 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 22:18:47
誰も相手にしていませんが、何か?

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

311 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)