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【源平も】甲斐武田氏総合史スレ【戦国も】

1 :日本@名無史さん:2009/12/24(木) 18:48:54
源平争覇以前から古い歴史を持ち、戦国時代に興隆し
江戸時代にも高家や旗本として受け継がれ
現代まで存続している甲斐武田氏
そんな武田氏の長い歴史について総合的に語ろうというスレです
平安時代から鎌倉時代、南北朝、戦国時代、江戸時代、それ以降、
あらゆる時代OKです
武田の一族だけでなく好きな配下武将に領国統治、
総合的にいろいろ語り合いましょう

424 :日本@名無史さん:2010/03/31(水) 03:50:01
『甲陽軍鑑』はしんどそうだからちゃんと読んでないんだけど、やっぱりあの中で描かれる勘助の存在って特殊なのかな?

「真下家文書」の発見も大きく扱われて安中市や山梨県博での企画展も行われているわけだけど、
でも特に最近は「戦国遺文」の刊行とかあって実在・実名が未確定な武田家臣の再確定なんて相次いでいただろうし、
大河ドラマになったから一般的注目度があるのは当然にしても、でも「菅助」にしろ「山本菅助」にしろ、
果たして武田家中において重要な存在なのだろうかと思っちゃう。純粋な家臣団研究としてね。

「菅助」文書の発見はおおすごい大発見って思っちゃうけど、単に一家臣の実名と実在が確認されただけなのかもって思っちゃうよ。

425 :日本@名無史さん:2010/04/01(木) 20:57:01
>>424
『甲陽軍鑑』での勘介は晴信の信頼厚い名軍師。各所で大活躍なんだけど、他の史料に全く現れなかった。
『軍鑑』の信用が低かったこともあって、その存在は疑われていた。

『市河文書』で「山本管助」が確認されたんだけど、そこでの役割は市河氏に対する使者。 
ここで424氏の「一家臣の実名と存在が確認された」状態になりました。
一応の存在がわかるけど、その地位や役割はまだ未定。

ついで『真下家文書』でその存在の確定と、軽輩ではなく部将格であった事が確認されたわけですね。

「軍師」として武田家を支えたドラマティックな「勘介」は講談や小説、テレビドラマで人気あるキャラクター。
疑問視されていたその実在が確認されたので話題になってます。

軍師だったかどうかはともかくですが^^;

426 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 01:58:32
なんかね、メディアの扱いでは山本勘助=「菅助」が前提になってしまっているのよ。

真下家文書発見以来、まだ武田研究者のうち人物比定に関する見解出している人いないのね。
よく勘助=「菅助」も定説だとか言われるけど、それは『甲斐国志』刊行本の校訂やってる佐藤八郎とか
山梨の郷土研究黎明期から活動している上野晴朗とか、専門は古代史の磯貝正義とか、言い方悪いけど
旧世代の研究者中心で、平山さんとか柴辻さんとか、現役の武田研究者はけっこう比定に慎重なんだよね。

夏のシンポジウムで見解が出されると思うのだけど、「山本菅助」だけじゃなくて、戦国時代史における
人物比定の問題として総論を展開してくれないかなぁと思う。いろいろな研究論文読んでみるとわかるけど、
文書上に出てくる人物比定の問題って、けっこう厄介なんだよね。

「菅助」新出文書だって、そこに出てくる「小山田」は越中守信有か備中守虎満かって見解が別れたわけだし。

427 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 17:42:13
真下家文書で重要なのは、第四次川中島以降にも「菅助」の動向が確認されちゃうこと。二代目なのかな?
「菅助」だけじゃなくて諱とか別称がわかれば、手がかりが広がるのにねぇ。

あと、真下家文書は「両職」の用例が確認できる文書でもあるし、家臣団研究においては重要なのかもしれない。

428 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 00:45:05
池田恒興に預けられたという勝頼の次男て病死?

429 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 19:59:39
>>428 穴山梅雪の嫡男と共に家康に謀殺されました

430 :美人は氷高皇女:2010/04/13(火) 11:38:34
信玄と言えば最先端の治水工事,信玄堤
あのセ-ヌの氾濫も信玄堤を手本にし,治水工事した
日本は凄いな

431 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 17:40:01
信玄堤は、戦国大名の権力はどの程度のものかっていう戦国時代史の命題のようなテーマと関わるから、大事なのよね。
「棒道」論争もそうだけど、戦国大名は在地社会にどこまで関われたのか。これが研究史的には続いているテーマだよね。

432 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 20:11:08
ただ、さすがに治水問題を大名権力抜きに語るのは無理がある
治水は作るのもそうだけど、それ以上に関与する全域を統合した力による維持体制が必要
古代中国の王朝も治水管理の問題から発生したといわれる程なのだから
信玄堤だけそうでないというのは逆に不自然

433 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 17:57:04
近世段階になると、例えば甲府徳川家時代には徳島堰とか用水路開鑿が行われている。
信玄堤の修築も近世段階まで延々と継続されているし、これを前提に新田開発が進捗している。

よく甲斐は貧しい土地柄だから領国の拡大を行ったとか、金山収入で財政を補填したとか言われちゃうけど
大名権力が確立すれば治水が行える、治水が行われれば新田開発ができて、農業生産は当然向上するはずだと思うのだけどね。

434 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 18:14:22
そりゃそうだが堤が一朝一夕にできるわけではないし、それなりの完成を
みるまでは水害で生産力が脅かされないと限らんのも確かなんでは?

435 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 21:55:58
確か1560年代だったよね
信玄堤の一応の完成
それから後も江戸時代に向けて工事は継続していくから
そんな急激に国力が豊かになってたなんて事はないね

436 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 22:31:44
妙法寺記を見れば毎年のように水害を始めとする災害で甲斐は餓死者続出

437 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 13:21:55
山本勘助以外で、文書上からは存在が確認できてない家臣っている?

438 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 13:23:28
山本勘助も文書上で確認とれているよ

439 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 14:13:34
まだだよw

440 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 15:00:26
原昌俊なんかは、文書が無かったような。。

441 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 15:40:11
原昌俊については>>231でもいわれてるね
息子の昌胤はやたらと文書が残っているけどさ

442 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 15:46:10
でも、それを言うなら信虎以前の人物はほとんど記録資料頼りになってしまうよなぁ。
跡部氏とかは棟札資料にも出てくるけど。

443 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 17:36:30
「王代記」「塩山年代記」「勝山記・妙法寺記」は、いちおう同時代の記録資料だからまず信頼できるだろうと。
「甲陽日記」は駒井高白斎が書いたかもしれない武田家の用務記録が基になった編纂資料。まぁ信頼できるだろうと。

「甲陽軍鑑」はある程度に信頼性を評価するにしても、「甲陽日記」と同程度にもそれ以上にもならんと思うよ。

444 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 17:46:43
ただ当時の風俗や家中の雰囲気、当時の価値観、細かな逸話、など軍鑑を見る事でわかる事はかなり多い
そういう意味で軍鑑は武田家だけでなく戦国時代の研究にも参照されたりする

445 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 19:20:39
事績は疑ってもいいかもしれんが、存在については認めてあげてもいいような。

446 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 10:04:00
残存文書点数の一覧が欲しいな。。

447 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 12:34:10
近年の大きい発見だと、高野山文書の紹介じゃないかな。

毎年高野山入って文書調査している研究者さんいるんだけど、
「甲斐国過去帳」とかで飯富虎昌の没年が確定したり、けっこう新発見があった。

平山さんも講談社新書「山本勘助」で高野山にはまだまだ文書が眠っている可能性あるって書いてたしね。

448 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 19:09:01
『甲陽軍鑑』といえば資料性の疑問視だけど、そもそも軍記物だから、近世文学としての評価が第一であるべきだよな。。
どこまで史実性が認められるにしろ、実証史学における活用は二次的にしか使えないのだから、まぁ未だに誤解されている資料ではある。

449 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 22:42:37
軍鑑って香坂が勝頼や長坂達に武田の過去の栄光を取り戻して欲しい為に
昔の事をいろいろ口述筆記させたのを、その甥が引き継いで書き上げたもので
軍記物っていう解釈はどうかと思うが

450 :日本@名無史さん:2010/04/18(日) 13:30:18
子孫が、先祖の話を小説とかで書いてるようなもんか。

451 :日本@名無史さん:2010/04/18(日) 23:46:37
「勝山記」は「日国覚書」っていう古写本?が近年出てきたよね。
甲陽軍鑑も古写本とか、編纂段階の記録資料とか素材資料が出てくれば、状況変わるかもしれないけど。

「高白斎記」の現存本には軍鑑からの引用があったよね。山本勘助士官記事も載ってるし。

452 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 20:30:37
>>451

「高白斎記」(甲陽日記)の記事は引用でなく改竄。

江戸初期成立の「甲陽軍鑑」から明応七年(1498)〜天文二十二年(1553)の「高白斎記」への引用は無理!
江戸期の文書所有者が自分の先祖栗原氏のお手柄を無理に書き込んだ。
その時に「軍鑑」の文言も入れて信憑性を増す工作をした。

大正時代に指摘され、研究者なら誰でも知ってることですよ。

453 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 23:44:30
「高白斎記」原本に軍鑑からの引用があるなんて言ってないよ。

「高白斎記・甲陽日記」の原本はなくて、この題名は現存本の書題なんでしょ。
改題を書いている柴辻俊六さんも、これは原本ではなく、おそらく武田家の用務日誌をもとに、
おっさる通りの栗原氏の事績を竄入した編纂物であろうと指摘していたと思うし、ということは、
まだ原本に近い諸本が存在している可能性もあるんじゃないかなぁって思っただけ。

454 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 19:03:07
>>451-453
脇からですまんが、なるほどな…


ちと皆の衆にお訊ねなんだけど、このスレ的には柴辻俊六氏の書いてる
諸々の書籍ってどう?
中公新書の「信玄の戦略」を読み始めたばかりなもんで、訊いてみたいのだが

455 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 22:50:24
結構いい本じゃないの
柴辻氏らしく淡々とまとめてる
味気ないと言えばそうだけど、バイアスかけてないともいえるのだし

456 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 00:38:07
柴辻さんは早稲田大学図書館の職員で、古文書整理を担当していた人。武田研究はどちらかといえばライフワークだよね。
戦後に始まった実証研究の第二世代くらいなのかなぁ?若い頃から文書の集成にも関わっているし、地べた這うような研究をしているよね。
テーマは武田領国の構造かな、武田領国の個別地域別に、あくまで文書に依拠して冒険しない緻密な研究を重ねている。

笹本さんとは、いくつかのテーマで見解が異なって論戦している。

一般向け書籍は確かに味気ないかもしれないけど、確実だよね。「信玄の戦略」は「武田信玄合戦録」だったかな?同時期に出ていた選書と対になるような本。

柴辻さんといえば、新府城発掘で武田勝頼再評価ムードが出てきた時に「贔屓、無策」と評していたなぁ。
笹本さんは信玄堤や棒道に武田の大名権力はそれほど関わっていないんじゃないかと疑義を唱えて、柴辻さんは文書上からは問題ないと反論。
あと、平山さんについては、少々大名権力を過大評価しているのではないかと、どこかで書いていた覚えがある。

柴辻さんは論文だときちんと研究史と問題の所在、自分の論考の位置づけをしっかり書くのだよね。

457 :日本@名無史さん:2010/04/22(木) 20:23:30
>>455-456
そっかぁ
俺もなかなか良い本なんじゃないかと思いながら読み進めてるんだけど、
文書を丹念に洗いつつ軍鑑を短絡的に講談の一言でぶった切る様な事もしない
俺のなかで漠然と描いていた理想の研究方針というか論説で好感がもててる

確かに普通にみれば味気ないとか地味とかって印象かもしれんけど、
俺はこういう本が読みたかったんで満足してるよ
他の著書もさがしてみたくなった

458 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 14:49:36
武田は一般的関心が強いだろうからね。

たぶん、平易に読みやすく面白く一般向けにと心がけなくても、そこそこ売れちゃうんだと思う。
他の戦国大名家研究だと、そうはいかないんじゃないかなぁ。やっぱり、研究者が著作で副収入を得られることは大きそう。

459 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 15:23:42
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_tenjiannai_symbol_018.htm

に、
>小幡景憲印可状(山本菅助あて)
>1660年(万治3) 個人蔵

>新発見の古文書。
>『甲陽軍鑑』を刊行し、甲州流軍学を確立した小幡景憲が、江戸時代の山本菅助に軍学の奥義を伝授した時の文書。

とあるのだが。。

460 :日本@名無史さん:2010/05/06(木) 15:25:15
「山本菅助」=山本勘助で確定?

461 :日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:49:13
江戸時代の山本菅助

山本勘助の子孫に二代目山本勘助がいたのかな?
先祖と同じ名前名乗るってのも別に珍しくないとは思うけど
甲陽軍艦で好きなのは武田家での裁判の様子が事細かに出てくるところだな
武士道とはこうしたものだったのだなというのがちゃんとあらわされている
法度がしっかりしてないと国民のやる気とかモラルが無くなるとか現代の理不尽な裁判
見てると痛感するわ 何人も殺しといて精神鑑定で無罪主張とか噴飯ものだし 
コーヒーで焼けどしたから二億円払えとかアボカド

462 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:19:37
喧嘩両成敗も甲陽軍艦から来てるの?
喧嘩したならちゃんとお互い殺す覚悟でやれ他人の仲裁に期待して迷惑かけるな
喧嘩したら理由はどうあれ両方成敗する

内藤がそれについて意見してるのが面白い 両方成敗には賛成だけど
いいがかりつけられてそれでも我慢したものには適応しないようにしましょうとか
苦労人らしくフォローうまいと思った 親が理不尽な手打ちにあって関東放浪してたのを
後に甲斐に召還されて旧領回復&謝罪&労いの金子&取立てって感動ものだ

463 :日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:32:54
新出文書から山本菅助→十左衛門尉→平一の菅助系子孫が確認されるよね。

菅助系子孫が江戸期にも「菅助」を名乗っていたということかな?
甲陽軍鑑の成立にも関わっているとなると、いよいよ「山本勘助」に比定される可能性は確実になってきたのかもしれない。

464 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 17:16:21
武田氏研究41号
・秋山敬「四辻季遠の甲斐下向とその目的―武田晴信の対朝廷政策と関連させて―」
・柴辻俊六「「永禄武田将士起請文」の歴史的考察」
・鈴木将典「戦国大名武田氏と「借銭法度」」
・畑大介「甲斐国の五輪塔と宝篋印塔を一対とする造塔法」

465 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:47:51
菅助」子孫の文書に「勘助」出家後の名前 県立博物館学芸員、静岡の史料館で確認「同一人物の可能性」

http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/06/04/17.html

466 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 11:24:34
まだ確定視できない。実証史学とは面倒なもの。

467 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 13:18:10
「山本菅助」が『甲陽軍鑑』に記される「山本勘助」の活動と重なることを示す文書とか、
あるいは号「道鬼」や「晴幸」の諱が文書から確認されないと確実視はできないのだろうね。

今回の発見は、あくまで近世の山本家子孫は「菅助」を「山本勘助」と同一視していた、とまでしか言えない。

468 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 19:37:58
平山さんに『山本勘助』の続編で『甲陽軍鑑』書いて欲しいな。

469 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 05:05:37
「山本菅助」展、見たよ。

古文書は読めないからなんだけど、新出の「真下家文書」は前年発給の文書と併設してあって、
筆跡が同じで同一人物の右筆であろうことが指摘されていた。墨の濃淡が濃いことが特徴であるらしい信玄の自筆文書とかね。
タイミングよく出てきた文書だから怪しむ声もあると思うけど、ちゃんと鑑定してるんですよ、みたいな感じ。

「山本菅助」子孫は江戸時代に徳川家に仕官しているらしい、とまでが史料紹介での見解だったけど、展示の後半では
なぜ「菅助」文書が群馬にあるのかも含めて、調査結果が公表されていた。どうやら「菅助」子孫の山本氏は一度浪人して、
淀藩主永井尚政から松平信興に仕え、常陸、下野、越後をへて、高崎藩士になっていたとのこと。所蔵文書は好事家の真下家により収集され、
日の目をみることとなったそうだ。

で、江戸時代には「甲陽軍鑑」が広まっていたわけだけど、「菅助」子孫が再仕官するにあたり、「山本勘助」子孫であることの由緒が役立っていたらしく、
少なくとも江戸時代の「菅助」子孫は自家の先祖を「甲陽軍鑑」における「山本勘助」だと位置づけ、軍学の習得に励んでいたとのことだ。報道にもなったけど、
3世くらいだったかな?「菅助」子孫が小幡景憲から受けた印可状も現存していた。初代を「山本勘助」だと位置づけ法号を「道鬼」としていたことは、報道にもなったよね。

展示の担当には平山優さんが携わっておられたようだけど、平山さんの筆であろう末尾のパネルによれば、問題の「山本菅助」=山本勘助かについては、
まだ不明とのことだ。市河文書以来の発見で、「山本菅助」の実在性は確実で事績も多少はわかり、「菅助」子孫が初代を「山本勘助」と位置づけていたことまでは言えるけど、
「甲陽軍鑑」における「山本勘助」の活動の史実性とか、まだ完全に比定できるとは言い難いらしい。というあたり。

470 :堀大和守久太郎:2010/07/24(土) 21:56:50
長文乙

471 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 06:49:11
菅助と勘助が同一人物か否かは、
今のところ山勘に頼るしかないのか・・・・

472 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 09:27:51
http://ranmaru99.blog83.fc2.com/

473 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 07:41:37
菅助=山本勘助でとりあえずはいいと思うよ。

だって甲陽軍鑑って人名表記に関してはほんと適当で、
逍遥軒が「勝用軒」とか、当て字が頻出するしね。

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