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ポルトガル人って本当に宣教師だけ来たの?

1 :日本@名無史さん :2009/11/04(水) 09:15:09
女性とか一般の人間は来なかったの?
日本人の中にポルトガル人を先祖に持つ家系は意外と居るみたいだから
ポルトガル人自体相当な数だったと思うんだけど

2 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 09:40:16
腐乱死す子

3 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 10:35:54
商人も来ただろ

4 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 11:22:45
変なヤツもいっぱい来たはず。

5 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 18:08:53
>>1
ポルトガル人かどうか知らんが、
西洋人を妻にした肥後の国人が居たというウワサだ

6 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 19:50:00
宣教師だけというか、商人がほとんどだろ?
商人にして宣教師資格を与えられたもの。
布教はイエズス会とかスペインのほうが熱心だったはず。

7 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 07:35:45
何語で布教したの?言葉できない人がどーやって布教したの?商人は何を売り
に来たの?わけのわかんないヤツから物を買うヤツがいたの?スペインとかポルトガル
ってどーしてわかったの?宣教師は免許証持ってたの?持ってるとしたらどーいう
物。何語で書いてたの?おしえて。

8 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 07:54:04
>>7
交渉はマカオやフィリピンでスカウトした日本語のわかる人が担当した

9 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 08:01:02
布教当時の聖書ってあるの?だれが書いてどこで印刷したの?

10 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 10:46:34
>>7
壷や陶器などが流行って重宝されてた
今でいうブランドものと同じで当時から日本人は海外のものに価値を見出してた

11 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 10:52:02
児童買春目的の奴もいたかもな
ペドリアン・ペドリスとか言う名前の

12 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 13:51:39
ポルトガル本国は、スペインに併合されて消えてたんだが
本国以外では、抵抗してポルトガル名乗ってたんか?

13 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 13:58:12
併合されててもポルトガル人はポルトガル語しゃべるからな。

14 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 14:37:39
アメリカ映画によくあった海賊なんとかみたいなのがゾロゾロ来たんとちがうか。

15 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 17:47:52
聖書を持ち込んだ形跡がない。

16 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 19:36:41
スペインに一旦併合されるのは種子島に来てから40年後ぐらいなんだが
その40年もの間、カスティーリャとかスペインとか名乗ってたんか?

17 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 03:27:26
スペイン自体が連合国家なんだから、ポルトガルも一時期その中に入っていたというだけ
当然「スペイン人」というのも微妙でそれぞれの出身地を名乗ってたはず

18 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 11:04:01
変なヤツ来て持ち込んだのは「梅毒」「阿片」「伝染病」等々。

19 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 12:27:18
人ウリと人買い、奴隷商人は

20 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 00:09:36
ザビエルは、バスク人

21 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 09:13:58
バスク人って何だか変な地域にいるよな?何者だい?昔よくゴダゴダさわいでた。

22 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 12:58:53
ピカソもバスク人

23 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 14:18:14
ゲルマン人より前からいた人達

24 :日本@名無史さん :2009/11/07(土) 14:56:00
平井堅とか若林豪とか遠い先祖にポルトガル人が居るんじゃね?
若林豪は長崎の人だし

25 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 15:08:59
>>23
日本で言えば大和民族に対してアイヌとか蝦夷ってとこ?

26 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 15:20:59
確かにヨーロッパの先住民族を主張している。
バスク語も印欧語ではない。
フランス圏もスペイン圏も差別はほとんどないらしい。
ただしバスク語は忘れられていて、近年では民族意識の高まりとともに大人になってから習うひともふえているという。
フランス、スペインとしてではなくバスクとしてEU加盟を望む一派もいる。
なかには過激な連中も。


27 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 16:29:04
何に対して過激なの?

28 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 16:45:41
ETA(バスク祖国と自由)
分離独立をうたう過激派組織。
爆弾、暗殺テロを起こしたりしている。
IRAとも連携していた。

29 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 17:04:30
フィリピンやインドにはスペイン人村やポルトガル人村が残っているしな。


30 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 17:47:10
あんな小さいとこ独立しても国家としてやっていけないと思うんだが。
不思議。さまざまな国税を払いたくない人たちなのかな?

31 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 21:34:46
バスク地方は、スペインの平均より豊か
モナコとかルクセンベルクが独立してるんだから、
バスクも独立してやっていけないことはないだろう

32 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 08:41:50
モナコは賭博でお金が入ってくる、ルクセンブルグは税金が安く金融機関が集中して
入っている。バスクは何でお金があるの?闇屋か麻薬か?


33 :日本@名無史さん :2009/11/09(月) 20:46:34
結婚できたとしても一般社会から疎外されたんじゃね?

34 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 15:39:37
バスクって、なんとか教の国かい?

35 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 16:36:04
バスクに現在独自宗教はない、敬虔なカトリックが多い。
イエズス会のロヨラやザビエルを輩出したのもバスク地方。
スペイン、フランスもカトリック国。

ちなみにチェ・ゲバラもバスク系。

36 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:34:46
敬虔なカソリックでも何とか派ってあるよな。曹洞宗、天台宗みたいに。
何派なんだろう?スペインの派とフランスの派は違うはず。

37 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 10:29:05
爆弾、暗殺、テロを起こすやからが敬虔なカソリックとは思えない。
なんか変な場所バスク。

38 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 12:01:38
そういうの見てるから琉球人はポルトガルとは貿易しなかったんだよね

39 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 12:15:15
ポルトガル、スペインの変なヤツも病人も、麻薬の売人も来たみたい。
まともなのは一部で船で来るヤツに変なの多かったと見るのが自然じゃないか。
豪華客船で来たわけじゃない。船の中にいた鼠もゴキブリも上陸する。

40 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 03:33:25
スペイン・ポルトガルはアメリカ原産の梅毒で世界を汚染した

OK

41 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 13:31:12
1580年ポルトガルがスペインに併合される

42 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 16:17:42
宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ 16世紀 イエズス会本部への報告書より
日本人は全世界で最も賢明な国民に属しており、
彼らは喜んで理性に従うので、我ら一同よりはるかに優っている。
我らの主デウスが人類に何を伝えたもうたかを見たいと思う者は日本へ来さえすればよい。

彼らは不必要なことを外面の表情に表すことはなく、
甚だ忍耐強く、大度ある国民で、悔悛は真摯にして信心深く、
儀礼に大いに気をつかい、交際においては丁重である。
              
我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、
日本人に比べるとはなはだ、野蛮であると思う。
私は毎日、日本人から教えられることを告白しなければならない。
私は世界の中で、これほどまで天から才能を与えられた民族はないと思う。

京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、
科学、見識、文明はローマよりはるかに高尚である。
信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりもあきらかに劣っている。
私は日本語がわかるようになってからは、
世界にかくも聡明で明敏な人々はいないと考えるに至った。


43 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 16:28:46
おれのこと言ってるのかと思った。

44 :日本@名無史さん:2009/12/25(金) 16:21:45
確かイタリア人、イギリス人も来ただろ?

45 :日本@名無史さん:2009/12/25(金) 17:22:03
>>42
軍人が「私が撃破したのは世界最強の軍団だった」と言いたがるのと
同じ類いだろ?

46 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 02:36:16
カステラをありがとう!

47 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 21:29:04
そもそも>>1は鉄砲伝来のポルトガル人のことを知らないの?

48 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 22:18:28
>>42 ヨーロッパ人が威張りだしたのは産業革命以後だしな。

 それまでは比較的客観的に見ていたんだろう。

 朝鮮通信使のシナ中心の偏見とは大違いだ。

49 :日本@名無史さん:2009/12/30(水) 02:33:05
日本国民は勇敢で絶えず軍事訓練をしている。
したがって日本を征服しても益はないが、スペインがシナに進出するときのよい足場になるので、日本を重視する必要がある。
私が、ここで陛下に断言できることは、迅速に遠征するならば、シナを簡単に征服できるということである。
そして、このことを一層容易に運ぶには、シナの近くにいる日本人が、すすんでこれに加わると思えるのである。
日本人は、シナ人に対して非常に効果的である。

スペインの宣教師バリニャーノ
スペイン領フィリピン総督あて

50 :日本@名無史さん:2009/12/31(木) 21:32:55
梅毒が日本に伝わったのはどういう経緯で?
南蛮人の船乗りや宣教師が、日本人男性のケツを掘ったの?

51 :日本@名無史さん:2009/12/31(木) 21:38:19
なんでホモネタになるんだ…常識的に考えれば
梅毒持ちの南蛮人船乗りが日本に到着→日本現地の遊女と性交→
日本人遊女梅毒に感染→日本人男性が遊女と性交→日本人男性が梅毒にry
って感じになるだろう

52 :日本@名無史さん:2009/12/31(木) 21:43:25
遊女が梅毒の原因になることは江戸時代でもそうだったけど
戦国時代でも知られていたね
家康は若いころからこれを警戒し、戦場にも筋目のはっきりした側室や妾などを同行し
感染を防いでいたそうな

53 :日本@名無史さん:2009/12/31(木) 22:24:58
>南蛮人船乗りが日本に到着→日本現地の遊女と性交

なんか南蛮人に失望した。
もっとイイ奴と思ってたのに、そんなことしてたのかよ。

54 :日本@名無史さん:2009/12/31(木) 23:09:44
全くだ。がっかりだ。

55 :日本@名無史さん:2010/01/01(金) 01:53:52
ちょw
南蛮人船乗りだってあの時代の男なんだから到着した先で遊女くらい買うだろw
あの時代は軍隊でもそうだけど、各地を大人数で長期にわたって移動する船乗り達は
定期的に立ち寄った先で遊女を買っていたものだし、現地の仲介業者も新しくそういった連中がくると
めざとく渡りをつけて斡旋していたものだ

56 :日本@名無史さん:2010/01/03(日) 01:13:32
日本の年頃の娘が集められ、全裸で家畜同然に船に乗せられて行ったとどこかで見たが

57 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 18:42:43
ハーフの子とかはまだ肩身が狭かったんだろうな
異様な外見でイジメとかあったんだろか(´・ω・`)

58 :日本@名無史さん:2010/03/04(木) 20:32:55
一休さんの新衛門さんとかどうみてもフィーゴ

59 :日本@名無史さん:2010/03/04(木) 21:08:00
日本人に来たポルトガル人
http://homepage2.nifty.com/atyuke/portugueses-menu.html

フロイス等「三位一体のデウスであり、天地唯一の創造主である」
日乗「私達にそれを見せてみよ」
フロイス等「それは見ることができない」
日乗「釈迦や阿弥陀よりも以前のものか」
フロイス等「以前のものであり、無限で永遠のものであるので、始まりもなければ終わりもない」
 日乗はロレンソが説いたことを少し聴いたが、それを十分に理解できず、
日乗は信長に「これは陰謀であります。殿下、彼等は人々を欺いている者ですので、彼等を追放し、二度と当諸国に戻らないように、すぐさま追放するよう命じてください」と述べた。
信長は笑って、「お主は気後れしたか。問うてみよ。彼等は答えるであろう」と返した。

信長は人ができてるな

60 :日本@名無史さん:2010/03/04(木) 21:09:45
>>53
なんか、俺もガッカリしたわ。
南蛮人には裏切られた思いだ。もっと気のいい、善良な奴らと思ってたのに。

61 :日本@名無史さん:2010/03/04(木) 21:27:17
>>60
ポルトガル人も日本の男色の蔓延に辟易してたが。

命懸けで数年単位の大航海して
命懸けで現地人と接触して
性欲まで抑えたら人間じゃないし

62 :日本@名無史さん:2010/03/04(木) 22:03:51
遊女を買うこともあの時代においちゃ(というか近現代に入るまでほぼ全ての時代で)
別に悪い事じゃなかったからな、むしろ自然
日本にやってきた南蛮人船乗り達の中には(あの時代の定義で)気のいい善良な奴ら、ってのは結構いたんじゃないか
もちろん当たり前に遊女買っていたろうけどな

63 :日本@名無史さん:2010/04/25(日) 16:52:16
南蛮人のイメージがくずれたな、このスレ読んでると。幻滅。

64 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 00:19:31
イメージもくそもないだろwww
日本じゃただの宣教師としてくらいしか認識されてないが、同じ頃船底に人詰めて奴隷貿易しまくってたんだぞwww

65 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 13:21:13
 商人兼海賊の倭寇も朝鮮で買春していたが、朝鮮儒教ヤンパンは遊女を拷問、虐殺していたらしいな。


66 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 09:39:38
アヘンを持ち込んだやつもいるみたい。解熱、鎮痛、赤痢につかったみたい。
一時的に効くが中毒になる。

67 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 11:34:38
>>64
あほか
ポルトガル商人と宣教師を混同してんのか
イエズス会はポルトガル国王に奴隷貿易禁止を願い出ていた
布教の妨げになるからね

68 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:49:55
>>64 そのころ朝鮮人が奴隷として売り飛ばされてイタリアへ行って、その子孫が残っているらしいな。

 オランダ人が朝鮮へ漂着して10年以上幽閉されてその間に生まれた朝鮮人ハーフは賎民として差別されながら暮らしていたらしい。


69 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:25:31
前から疑問だったのだが、種子島に漂着したポルトガル人は
何語で日本人と会話して今で言う何千万単位の商談をしたのだろうか?
あと、江戸末期に浦賀に来航したペリー黒船一行は何語で会話したのだろう?
英語ペラペラの中浜万次郎は幽閉中の身なので使えないし。

大黒屋光太夫や中浜万次郎は何年もかかって現地の言葉を理解したが
日本に来航した商人や使節はいきなり高額な商談をしたり、条約を締結したりしているので
かなり高度な言語疎通が可能だったのだろう。
今ですらビジネス英会話など、海外との商談にはある程度高度なレッスンを必要としているのに
当時の人たちはどこでそんな高度な交渉言語を学んだのだろうか?
ちなみにロシア使節のラックスマンは大黒屋光太夫から日本語を学んでいたので
長崎奉行と、ある程度高い交渉言語による会談を実現している。

70 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:04:19
>>69
まず先にペリーだが、これは長崎奉行配下の長崎通詞。
オランダ語→英語、日本語→オランダ語というオランダ語を介すカタチで通訳した。
次にポルトガル人の漂着だが、これにはシナ人が同乗していて漢文で筆談した。



71 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 23:55:08
>>1 宣教師のほかにカステラ、テンプラ、コンペイトウ職人が付いてきたことは確かだな。

 その他、ビロード、ジュバン、ボタン、コールテンなども入ってきたので仕立て屋も付いてきたんだろう。


72 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 08:41:48
パンもポルトガル語だからパン職人も来ただろう。

73 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 11:28:43
船の中に豚、牛を積み込み食料としていたので口蹄疫も運んだと思う。

74 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 21:23:50
結局、カトリックのポルトガルが追い出されてプロテスタントのオランダだけが通商できたのが面白いな。


75 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 03:26:23
>>72
そういえば、江戸時代にパンの製法が途絶えたのが謎。
将軍謁見のために江戸に赴いた長崎のカピタンも代替物の「餡なし饅頭」を振舞われたとか。
そのくせカステラなどの焼き菓子は大いに発展したのも対照的な謎。
やはり、日本の湿潤な風土や魚介と野菜メインの食文化にパンが合わなかったからだろうか?

76 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:01:06
ちょっと調べてみたら、カステラの製法はオランダから伝わったみたいだね
パンの方は鎖国以前にイエズス会の人たちが日常的に作って食べていただろうから
キリスト教的なものとして手を出すことを控えたのかも

77 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:56:29
>>74
オランダあたりに本部を置く東インド株式会社がお家賃年額銀55貫目に契約したから。
たまたまプロテスタントだっただけ。お金の問題。場所を借りるときは今も
昔もお金。金を払わない者には貸さない。

78 :日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:16:36
>>76 カステラはポルトガル語カスティリャ(地名)ではなかったか?

 オランダ語という感じはしないな。

79 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:17:04
ザビエルを案内してきた日本人キリスト教徒のアンジローってなんか凄いな
鉄砲伝来からまだ5〜6年しか経ってないのに

80 :日本@名無史さん:2010/05/26(水) 21:23:12
>>79
じゃ義ンボアもる
おあ名も・・賀終えキャ穂がうごイ由が濃い所

81 :日本@名無史さん:2010/05/27(木) 02:29:10
鉄砲伝来の船のオーナーはシナの海賊だったそう。
シナ人と種子島の役人が筆談してるとき、役人がポルトガル人を指差して「こいつらは一体何ぞ?」と聞いたら、
シナ人は「禽獣である」と答えた。

82 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:55:08
ていうか、種子島に漢文の才がある役人が居たのが奇跡としか言いようが無い。
当時の種子島といえば日本の領域に辛うじて含まれる辺境だろ。
そんな辺鄙な所に現代風に言えば英検1級にも匹敵するかようなインテリが居たことが奇跡。

83 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 00:38:29
貿易がらみでそこそこ栄えてたんじゃない?

84 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 01:15:09
日本、乗っ取りの為に送り込まれたスパイたちですね。
分かります。

85 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:59:01
南蛮人がやってきて日本に梅毒が伝わったという話をよく聞くが、
南蛮人に対する好印象がくずれて、失望させられる。

あいつら、もっとイイ奴らだと思ってたのに、ガッカリした。

86 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:42:23
イイ奴らも来た。いつの世も悪い奴が目立つ。イイ奴と悪い奴を区別した
のが長崎出島の開港。

87 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:55:48
でも、そのオランダ人ですら、丸山遊郭の遊女の顧客だったわけだし・・・

88 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:22:11
ラシャメンと言って外人専用の女がいた。外来の新種の菌を防ぐため。

89 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:50:36
>>82 シナに近いほどシナ語に堪能なのは自然なことだろう。沖縄にはシナ人そのものの集落があったそうだし。


90 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:02:53
>>81
ポルトガル人が鉄砲伝えたってのは案外嘘かも
だって火薬も鉄砲も中国人が発明したんだし。
たまたまポが一緒にいただけじゃないの?

91 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 14:33:44
糸満市周辺は、いっときポルトガル領になってたって聞くけど。

92 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 18:14:59
>>89
× シナ人
○ 唐人、明国人(明人)、中国人、

93 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 19:11:31
>>90 秀吉の朝鮮出兵のときシナに鉄砲隊などいたか?


94 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 19:48:21
>>93
× シナ
○ 唐(から)、唐土(もろこし)、明国、中国

95 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 21:03:29
ホルトガル対北朝鮮の試合を見ているのだけれど、
ポルトガルに刺青を伝えたのはもしかしたら日本ではないだろうか?
その子孫が今、Wカップで戦っているのは不思議な縁です。

96 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 22:21:35
北鮮が7−0でボロ負けしているが、朝鮮人はサッカーを国技と言っていたな。


97 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 22:49:10
>>89
単に言葉を話せるのと、文章で筆談するのとでは学習レベルが違う。
言葉は無意識に出てくるが、文章は文法と膨大な漢字を論理的に組合わせる思考技術が必要。
日本では近世以前は書記は歴とした専門技術職。
世界各地を見ても文章で物を読み書きし、更に外国人と筆談することができるのは
相当に博学な専門技術者だった。
そんな逸材が当時の種子島にたままた居たのが奇跡なんだよ。
おそらく京都あたりの私塾で勉学を積んだ公家の子弟か何かの出自だろうか。

98 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 11:44:30
おれもクラブで中国人と筆談したが理論的に組み合わせる思考術がなくても
普通に通じる。

99 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 00:18:00
わしも上海のホテルで日本へ電話したいと思って、英語やシナ語をしゃべっても通じないので「国際電話」と書いて渡せば通じた。


100 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 00:48:12
>>98-99
待って、時代背景が違いすぎるじゃん。
お互いの文化水準が殆ど等しい現代ならいざ知らず、
まだ「鉄砲」「火薬」「銃身」とか言う熟語が無い時代にどうやって
火縄銃を論理的に説明して売り込んだんだろうか?
そもそも鉄の筒に火を噴く粉を入れて弾丸を撃ち出すような
構造体そのものを日本人が知らなかった時代だよ。
だがその全く未知の謎物体に種子島公は千金を投じて2挺も大人買いしたんだよ。
今だったら、アマゾンのヤニマミ族がiPhone4を買うようなもの。
運用そのものだって未知数だろうに。

101 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 02:45:12
>>100 火縄銃の構造など比較的簡単だろう。日本人なら見ただけで理解できただろう。

 火薬はシナの爆竹を知っていただろうし。製造法で分からなかったのはネジだけだったそうだしな。


102 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 10:31:46
>>101
確かに見て手にとって使い方を聞けば、そんなに難しくも無いように思える。
だからって、そんな物に大金叩いて衝動買いしてしまうほどの価値を見出せたのだろうか?
例えば、ヤノマミ族だって本当に欲しいのはiPhone4じゃなくて入手困難な生活道具(鉄器や布)だろう。
室町時代の日本人なら陶磁器、綾錦、香木、象牙、珊瑚、夜行貝など。
いわゆる中継貿易で利を食む島人にとっては換金価値の高い物品の方が遥かに興味があったでしょう。
それが高々爆竹の発展形?的な謎の鉄筒に大金払ったのかが日本史最大の歴史ミステリー。

103 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 10:52:05
当時の日本にはすぐに模倣できる程度の技術力があったわけだから
手に入れるだけの価値があると思うけどな
戦国時代、新しい武器の需要は特に高かったはず

104 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 12:32:28
 そこがシナ人や朝鮮人と違うところだろう。

 シナ人、朝鮮人なら弓矢で十分と考えて大金など出す価値は無いと判断したんだろう。


105 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 10:11:30
シナは大砲に関しては日本より先いってたけどね
日本に限らずオスマン、イラン、インド、中国も火器に力入れてるし
日本はそのトレンドにのっただけ

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