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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 52

1 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 21:04:03
             優良スレ            普通            クソスレ
               ┝━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┥
       88彡ミ8。   /)
      8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
       |(| ∩ ∩|| / /   <ココ!
      从ゝ__▽_.从 /
       /||_、_|| /
      / (___)
     \(ミl_,_(
       /.  _ \
     /_ /  \ _.〉
   / /   / /
  (二/     (二)

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。 煽り、粘着禁止。荒しはスルー

邪馬台国ドンと来い! 51
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1250989216/l50


2 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 21:15:25
乙b

3 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 21:57:17


4 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:03:40


河童虫出入り禁止のテンプレ貼らないと、スレがあらぬ方向に流れるけどいいの?

5 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:45:08
>>978
>それどころか3世紀の九州に既に前方後円墳があったと言う事なら
>卑弥呼の墓もその中から選り取り見取りw

おいおい、いつから卑弥呼の墓が前方後円墳になったんだ?
普通に考えて、円墳の系統だろう。
前方後円墳は日本独特の形だから、郡使がそんなのを目にしていたら倭人伝に
書かれていないはずがない。

6 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:49:13
つまり、卑弥呼の時代というのは、前方後円墳が誕生する前の時代と考える
ことが出来る。

7 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:55:45
箸墓も円墳の系統だよ。
実際円墳として書かれてる資料もあるでしょ。


8 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 23:00:54
>>1
前スレの貨泉の話は続くのか?


9 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 23:02:22
>>4
ついでに縄文人も出入り禁止にしろよ。あいつの説に反論するのはきつい。畿内説がもたない。

10 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 23:03:09
pgr

11 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 23:04:28
>>9
自演ご苦労。

12 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/29(土) 23:12:14
河童虫 ◆EY2wfgakAQ>>552はさすがですよね。

まあ、ほめるところはほめますよww


13 :のんびりひまじん:2009/08/29(土) 23:20:31
>>998
>畿内説どうしで議論したい
>>999
>正直その方がいいかもね。
>>1000
>まだ モモソ媛が恋しいか?

そうゆうスレが出来たなら、自己満足レス交換を生暖かく眺めましょう。

文献では、「水行十日陸行一月」の計40日という以外の論拠に注目。
考古学では、古墳の年代以外の論拠に注目。そして、
関西への仏教公伝が文献では、ひどく遅いことが分かっているのだが、
これを補正する考古現象(つまり4世紀以後の状況説明)に注目。

14 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 23:31:04
頑張れ すれぬしwww

15 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 23:53:08
前方後円墳って、円墳+祭祀壇だと思うな
前方後方墳というのもあるが、これは方墳が基調
つまり祭祀壇である前方部が付加した形式が、前方後円墳の共通形式なのであって
そういう前方部をつかう祭祀様式が、古墳時代特有なんだとおもう

16 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 00:08:33
>>5
そんな特別な形だとは思わんがな。で、君なら何て書くの?

17 :縦目仮面:2009/08/30(日) 00:10:36
ゴビ砂漠より生還しました。いやー、2週間で7kg体重が減った。過酷だった。

18 :ローガン:2009/08/30(日) 00:17:31
>>17

おや、ご苦労様でした。無事が何より。

19 :縦目仮面:2009/08/30(日) 00:32:47
>>18
あ、いやどうも。「暑い」ということがどういうことかよくわかりました。人が住む場所ではあり
ません。旅行に行くところでもない。・・・目的の「デス・ワーム」w については、それなりに収
穫はありました。

20 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 00:35:19
で、前方後円墳はゴビ砂漠が発症だったんですか?

21 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 00:42:15
>>19
どうして卑弥呼スレで借金取りの真似なんかしたのです?
バレバレですから。

22 :縦目仮面:2009/08/30(日) 00:53:22
借金取りはちょっと事情があって・・・w

前方後円墳は、俺は前方部は、墳丘墓の周溝を掘り残した通路部分が発達した、という説を
採りたいところですね。

23 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 01:10:56
>>22 縦目
>通路部分が発達した、という説

…都出比呂志だっけな?

いや、そんな事はどうでもいい。

下記のお前の後輩君がゲロった内容に付いて先ずは釈明をしてもらおうか…

>522 名前: 489 投稿日: 2009/08/13(木) 09:08:33
>503を読んでくださいよ。ぼくは大学教授ではなく、コテの縦目という人の後輩です。ぼくら
>はたぶん全員畿内説です。庄内は九州発祥ではないし、画文の年代観もほぼそのとおりで
>しょう。縦目さんが旅行中なので、このスレを混ぜ返すように指示を受けてやってます。上の
>Ghost of KHM や 醜の御楯(こいつ馬鹿)も仲間です。すみませんでした。

” スレを混ぜ返すように指示 ”とはどう言う事だ?あん?

24 :縦目仮面:2009/08/30(日) 01:22:59
>>23
www いや、畿内説を盛り上げろくらいの意味で・・・縄文人の自由にはさせるなよ、と。w まあ、
剣道部の後輩はほとんど教育ー体育 の推薦入学であてにならないんで、人文のほうの後輩に
指示してったんですが、過去ログを見ると名無史でも相当書き込んでるようで。ちょっと「ブラック・
マンバ」はやりすぎでしたね、皆さんすいませんです。ただ、あいつはインターハイにも出た、学生
では関東有数の剣士なんですが、やはり奇矯なところがあって・・・。



25 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 01:31:34
全体として前方後円墳のカタチではあっても
埋葬主体部は後円部を離れる事はない
つまり円墳なのだ

26 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 01:57:06
基本円墳+@だろう。

27 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 02:32:28
径百余歩の「径」というのは、円形のものの「さしわたし」を意味するので、
卑弥呼の冢も円形と考えるべきじゃなかろうか。
それに、殉葬された奴婢については書いていても、埴輪について語られて
いないのもしっくりこないなあ。

また、前方後円墳を見たら、前方部の役割なんかも書かれていたかも。
たとえば、そこで祭りのようなものが行われていたとか。

喪主の哭泣、周りの人々の歌舞飲食、親族の沐浴などについても書かれていて、
葬式に立ち会ったことは確かなのだが。

28 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 02:38:46
>27
前方後円墳であっても、中国人は普通に円墳と捉えたのでは?
“変わった形”と思うのは、我々の邪推にしかず
殉葬については付属する培塚が当てはまるのでは

29 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 03:13:04
倭人伝に倭人からの伝聞情報が混じってるのは確実だろ
水行から陸行に切り替わるってのは、何処かで上陸した証拠
なのにその上陸したという国が書かれていないのは明らかに変
これは九州/畿内説関係なしに突っ込める部分
もうね、倭人伝にある邪馬台国を九州だとか畿内だとかに比定するには
魏の使者が実際に邪馬台国まで出向いたのかどうかを明らかにしてから議論すべき
下手すれば、古代中国人の妄想の海の中で溺れ死ぬことになる

30 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 04:14:54
更には、邪馬台国の所在場所比定に関して議論する場合においては、実際に邪馬台国ま行ったのかどうかは議論の対象とはならないんだよね
この倭人伝の行程部分の記述にそれを突き止めるだけの情報の明らかな不足が認められるからね
倭人伝を歴史史料として全否定はしないが、欠陥部分があることは認めないと駄目

31 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 04:29:16
>>30
まあ仮に行程記事が倭人からの伝聞であっても
それをもって位置を決定できないと言う話ではないw

しかし逆にアレが魏使の報告に基づくものであっても
とてもじゃないが位置論に決定的な情報を示すもので無いのも明らかwww

32 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 04:38:45
>>5に出ている前スレ>978は俺れだがそこで言った
「偽僭説こそ最強!」
と言うのはあながち冗談でもないw

箸墓を卑弥呼の没年代から外せても庄内を4世紀にするのは
正直もはや難しいだろう。
まして纏向に先行する首長連合形成の動きともなれば
もはや邪馬台国の時代から外し
「何の関係もありません」
と言うのもかなりの無理筋。

「半島からの影響は受けても本州の影響は受けません」
などと言った日には噴飯ものだw

もし邪馬台国が九州にあったとて本州四国で大きなうねりがあったのは間違い無い。

それを考慮するなら偽僭説がピッタリだw

まあ偽僭説か偽僭説に近い形のものが今後の九州説の主流になるとは思うwwwww








33 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 04:40:03
伝聞だからどうかを言ってない
情報として欠落部分が認められると言ってるだけ
反論になってません

34 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 04:45:41
畿内説は概ねその史料の情報のあやふやさは認めている
…と言うか誰が見ても明らか。

と言うかまともな文献史学の学者で倭人伝だけで
位置論を決する事ができるなどと豪語している奴がいるのか?w

公平を期して言えば倭人伝をもって畿内説を批判する材料にする事は出来るかもしれない。

しかしアレだけをもって九州説を唱え畿内説に対するアドバンテージを主張するのはまあ無理だろうなwww


35 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 04:50:24
…しかし今気づいたが名無しのデフォ「 @そうだ選挙に行こう 」になってるな。

投票率が上がれば現野党に有利になるだろうに
(今頃自民の幹部は雨でも降って少しでも投票率が低下する事を願っているだろうw
 まあ蜃気楼みたいな馬鹿は言わんだろうがwww)





36 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 05:05:56
情報のあやふさとかではなく、欠落欠陥がある記録書なんですよ
四角の物体を表す情報なのに円であるとするような記録書なんです
上陸地点、即ち通過点であるにも関わらず遠くにあって詳細を得ることができない国に含まれる筈がないのです

37 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/30(日) 06:56:52
前スレ >822
>>で、後漢末期の混乱から立ち直りつつあった時期にせっかく魏から冊封を受けたのに
>>九州にはその恩恵が何も無いのはおかしいと言っている。
低脳の君が上記のようなことを何度も言っているわけですが、それを皮肉って「冊封されたら繁栄大爆発」と言っているのですよ。
これだけはっきり書かないと分からないのですね、頭の悪さがにじみ出ていますね。

あと畿内説云々というのは、低脳ニート君にとっては唯一の拠り所なのかもしれませんが、私にとってはあまり興味のある分野ではないのです。
生命科学分野の方が面白いですし、歴史としても生物史や人類史の方が興味あります、古細菌(アーキア)とかね。
他にも数学・物理学や海洋開発など、いろいろ。

まぁ畿内説勉強しろとか言う前に、低脳ニート君は日本語を勉強しなさいw

38 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 07:09:14
>>37 二 ◆.L.MXSPOgc

捨て台詞乙w

まあ古細菌(アーキア)とか数学・物理学、海洋開発
…別に何でもいいが、それがどうかしたか?って話でここは
日本史板なのだから板のテーマに沿った話をすれば良い。

違うジャンルの事を語りたければ該当の板に行けば良いだけの話。

この馬鹿は一体何が言いたいんだろう?w

で、結局、九州にその痕跡を何も示せないので

かかるみっともない捨て台詞をほざいて退散と言う事で良いのかな?wwwwww


39 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 07:58:36
>>29 >>30
上陸地点がいずれかの国の首都とは限らない。上陸地点に宿泊したとも限らない。
その地点名が書いてないから不自然だとか情報が不足しているなどというのは
因縁をつけているとしかみえんな。倭人伝の情報で十分に邪馬台国への道は分かる
よ。倭人伝どおりに末盧国の東南五百里の伊都国すなわち佐賀市付近に行ったら
それで何も問題はないではないか? 情報がたりないとかごちゃごちゃ因縁をつける
のはお前らが邪馬台国だといいたいところへたどり着かないというだけのことだろ。


40 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:14:43
伊都国が佐賀市付近だってことは次のことからまちがいないだろ。
@ まず末盧国からの方角と距離。佐賀大和はぴったりだ。
 方角はわざわざ東南といっているんだ。東北の怡土のはずはない。
A 末盧国で上陸したのは船ではいけない所とみるべきだ。怡土では理解でき
 ないが、佐賀大和なら上陸は必然だ。
B 南水行とは何のことかを考えよう。乍東とか乍西を言わず、いきなり南への
 水行を言うのは有明海を南下することしか考えられん。白鳥が「有明海航行」
 と言ったことは間違いではないんだよ。伊都国をどこに比定するか細かいこと
 は抜きにしても有明海沿岸であることはまちがいない。
伊都国が佐賀市付近となれば、近畿説や北九州説が成立しないことは明白だ。
文句があったらきちんと言えよ。

41 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:41:33
前方後円墳を墳墓とするのは早計ではなかろうか?
あれは公園。最盛期には貴人がお濠に船を浮かべて雅に歌を詠んだりしていたと思われる。
日本庭園の走りみたいなものでしょう。

42 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:53:37
>>40
投馬、邪馬台国へは里数ではなく日をもって表してますからね。
魏史倭国伝によるとこれは倭人の伝聞情報だと判断できますから。
更にその倭国伝でははっきり邪馬台国とはヤマトだとも断言されてますね。
文献資料からでも邪馬台国=ヤマトと明記されてますよ。

43 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:12:34
>>42
伝聞情報だ、伝聞だから完全にまちがってるんだ、そう言って倭人伝の行程を完全否
定しないと君の思うところに行かないんだろ。
倭人伝は伝聞は伝聞と分かるように書いているよ。投馬国、邪馬台国へは魏使は行っ
ている。伝聞情報でないことは倭人伝の記載から明らかなところだ。

倭国伝てのは隋書のことかな?魏志倭国伝なんていってるのは君の知識がどの程度の
ものかを示しているよ。邪馬台国はヤマトだと断言? どこからそんなことが出てく
るのかな。隋使が訪れたところは魏志にいう邪馬台と同じだというだけだ。
君の読解力はゼロってことだね。


44 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:13:41
>>42
身勝手な判断です。

45 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:19:09
>>43
単なる書き込みミスにムキにならんでも。

伝聞情報だからって誰も倭人伝の行程を完全否定なんかして無いけどな。
否定してるのは君の行程解釈ですよ。
読解力が無いのはどっちでしょうねw


46 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:24:02
倭人伝は倭国伝とセットで読まなきゃな。


47 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:33:57
>>46
倭人伝のずっと後世に書かれた倭国伝とセットでって、四世紀の読者はタイムトラベラーですか?

48 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:46:15
>>47
少なくとも中国人が倭人伝の文を引用してる以上はね、
当時の解釈を判断する事も重要ですよ。

というより文献を解釈する上で他の史料をスルーなんて
無謀だと思うけど。

49 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:10:40
>>48
四世紀や五世紀の読者はスルーしたくても、スルーしたい倭国伝が存在しないのだが
やはりタイムトラベルが必須なのか?

50 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:12:34
>>49
頭大丈夫ですか?

51 :うましか:2009/08/30(日) 10:16:21
>>49

後漢書やその原資料の筆者達は、漢書や三国志等の読者でもありますね。
後継史書の記述はそれらの先行史書を解釈した上で書かれているはずだから尊重しなさい、と言うことでしょう。

52 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:27:45
当時の解釈を判断すると言っても、書かれていることは同じ事
原文を解釈出来る人が後世の解釈をも参考にするのなら話しは分かるが
原文を解釈出来ない人が後世の解釈を理解できるのか?
と言う問題よ
一つの史料より二つの史料とは、ただ量の多さに精神的な安堵さを求めているにすぎないのではないかと
二つよりも三つ、三つよりは四つと数を増やして行く精神的な安堵感。
実際はいくつ史料を集めても、根本的には何も分からずじまい
結局最後は、一番最後に集めた史料を最高の史料と自分に言い聞かせ
先に集めた史料なんて、既に頭の隅にも残っていない状況。
そりゃそうだよな。先に集めた史料が理解出来ていないからこそ
今手元にある史料を探したのだから。

53 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:37:09
>>51
編纂者が先行史料の読者なら尚更の事。
当該書物だけで十分に判断出来るもの、判断出来れば後世に書かれた史料等参考にする必要などないはず
参考比較しようとしている史料は、今貴方が目の前にある史料を手本に書かれているのだから

目の前にある史料が分からなければ、参考にしようとしている史料なんてイミフ確定ですね?

54 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:39:36
>>50
人に尋ねる前に、明日病院に予約入れMRI検査してこいよ

55 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:42:44
だからわざわざ倭人伝ではヤマトの事を
「魏誌でいう邪馬台の事」と念押ししたんだと思うけどね。

56 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:46:57
>>55
倭人伝 ×
倭国伝 ○

57 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:49:14
中国人が東京ディズニーランドを遊びに言って、
福岡までの旅はブログに詳細に書いて、
ディズニーランドの様子は観光案内程度のことしか書いてないのに、

「俺は東京ディズニーランドまで言った。」と言ってる人とは論争にもならないわ!

58 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:56:20
>>57
確かに卑弥呼に関しても会ったにしては話が少なすぎですね。

59 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:02:12
>>55

魏志には邪馬臺なんて書いていないから、当該の編纂者は「所謂」といれた。
ようするに当該編纂者の解釈として。

60 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:09:16
確かに、邪馬台国は浦安にあったととしても何の不思議ではない。
船橋大神宮、別名、意富比神社(おおひじんじゃ)が卑弥呼の墓だったのだ。
これでまた新たな候補地が見つかった!

61 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:16:36
>>60
浦安よりは成田から飛行機で、ハワイの方が住みやすいぞ

62 :うましか:2009/08/30(日) 11:22:09
>>52

> 原文を解釈出来ない人が後世の解釈を理解できるのか?
> と言う問題よ

つまり、漢文が読めないと。
それは重大な問題ですね。
でも、字面を眺めているだけでも参考にはなりますでしょう。
三国志では「邪馬壹」、後漢書では「邪馬臺」と表記が違う理由を考えてみましょうと言うことですね。


63 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:36:38

       大型古墳遊園
     地説に1票。昔は外濠
   に貸しボート屋があって、内濠      は流水プール、前方は
  広場で、後円には滑り台もあった。たとえば飛鳥地方とか、さきたま古
 墳群は往時にはディズニーランドほどのにぎわいだったのではないかと思う。

64 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:04:55
巨大な円墳は、現代で言うビックサンダーがあった所で、
大仙陵の堀はジャングルクルーズだろ?

65 :うましか:2009/08/30(日) 12:09:41
>>53

> 編纂者が先行史料の読者なら尚更の事。
> 当該書物だけで十分に判断出来るもの、判断出来れば後世に書かれた史料等参考にする必要などないはず
> 参考比較しようとしている史料は、今貴方が目の前にある史料を手本に書かれているのだから

今、貴方の目前に有る三国志と范曄が参照した三国志の記述内容が同じかどうかと言うことは考えないのですか?
貴方の三国志は紹煕年間の刊本を元にしたものですが、范曄は劉宋時代の写本を見ているのです。
古書の内容と言うものは、書写字の誤写や散逸などにより、少しづつ異同が生じてしまいます。
紹煕本を見ての解釈と劉宋期の写本を見ての解釈が全く同じと言うことは在り得ないのです。
だから、複数の資料を参考にしましょうと言われている次第です。
お判りいただけましたか?

66 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:20:20
>>65
誤写や散逸を見かけたのですか?
ただそう思い込んでいるだけではないですか?

67 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:21:09
>>39
邪馬台国まで上陸して一ヶ月かかってる
なのに
遠くにありて詳細を得ない国はバンバン書かれてる
投馬国から邪馬台国までの国は書かれてない
普通、こういう情報は参考に出来ない

68 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:29:43
「遠くにありて」の国こそ、魏使が直接行ってない場所なんだろ
だからそう書いて国名だけ上げた、邪馬台国に含まれる国だからだ
つまり行ってる行ってないの敷居は、ここにあると思うのだが


69 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:38:57
>>68
>邪馬台国に含まれる国だからだ

そんな理解しかできないから、倭人伝をちゃんと理解できないんだよ。

70 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:42:24
女王国の盟主国が邪馬台国
倭国>女王国>邪馬台国

71 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:47:09
魏志倭人伝の原本が残ってないのは痛いね。
最古でも900年以上も後の南宋の時代の写本しかないなんて。
日本にもっと古いものが残ってないのかな。

72 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:52:55
>>69
「遠くにありて」で名前が上がっている国は、邪馬台国に含まれる30余国だ
なにも問題はない

73 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:54:13
ああ、倭国と言う括りか
そうだな、倭国>女王国>邪馬台国 だな

74 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:58:49
「遠くにありて」なんて、小学生みたいな事言うなよ。
疎遠とか付き合いがないとかの意味だろ

75 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/08/30(日) 13:04:31
>>24
縦目仮面はあの手この手と陰謀をめぐらしたが、徒労に終ったな。しかし、借金取り立てはお前に似合ってるよ。考古学なんかやめて
どっかで使ってもらえ。

俺の自由にはさせるな だと。俺がよっぽど怖いんだな。分らんでもないが。考古学資料はまだ十分ではないのだ。だから大学や研究
所に考古学部門が細々ではあるが残されているのだ。これまでに発見された遺跡や出土物は幸運の産物だ。古代の人間の生活の全てが
痕跡として残るものではないということは言うまでもないが、痕跡として残り得る物も発見されるとは限らない。住居跡などは近年に
開発された場所で見つかる。それまで人手が入らず放置されているから見つかるのだ。弥生時代の住居跡も後の時代に開発され利用さ
れていたら破壊されているかも知れないし、今では発掘調査もできない。古墳時代の住居が木造住宅になっていたら、住居跡が残るの
は奇跡的であろう。出雲の神殿の柱だとか古墳の柱穴だとか見つかったものは特別だ。庶民の木造住宅は地面を突き固めてその上に柱
を立てて作る。建て替えも容易。建て替えには古材も使えるし、使えなくなったものは燃料にする。そんな住宅地が遺跡として発見さ
れるのは奇跡と言ってよかろう。 だから、考古学資料で古代史が語れるなど 思い上がってはいけない。お前は分ってるだろうが、
畿内説派の中には考古学資料がどういうものかを理解していない者が多いからな。

76 :うましか:2009/08/30(日) 13:08:03
>>66

> 誤写や散逸を見かけたのですか?
> ただそう思い込んでいるだけではないですか?

現在伝わっている三国志の写本で完全なものは存在しません、散逸とはそう言うことです。
そして、残巻として一部だけが伝わる写本類は、手写の繰り返しの結果、内容に異同があります。
刊本とは印刷物ですので、同内容のコピーが容易に作れますが、
様々な写本や他所への引用部分を校勘して再編集されたものですので、
編集者の判断により内容も異なります。
現在の刊本は、大きく分けると「咸平本」「紹煕本」「紹興本」の三系統が有り、
倭人伝についても使われているが違っていたりします。

この辺りをもう少し詳しくお知りになりたいなら、「三国志」「古本」等のキーワードで検索してみるとよいかと思います。

77 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/08/30(日) 13:35:32
>>76
うましかさんの言われることは分ります。しかし、原本の内容と異なった写本が残っている可能性はありますが、原本の内容を忠実に伝えた写本が
残っていないとは言えないでしょう。必ず異なっていると言われるならば、その証拠が必要でしょう。

「咸平本」「紹煕本」「紹興本」に異なる記述があるとしたらその部分を検討して見ればよいでしょう。多少の違いがあるのを以て全てを怪しいと
するのは正当な考え方ではありません。

78 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:43:10
三国志に書かれていないことが後漢書に書かれているというのは、後漢書が
別の文献を参考にしているということになる。
たとえば、倭奴国王のことや帥升のこと。

そうなると、三国志の方が古いから信頼性だ高いとも言えなくなる。
けっこう微妙な問題だな。

79 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/30(日) 14:15:57
>>78
>三国志に書かれていないことが後漢書に書かれているというのは、

向こうのスレ読んでたら勉強になるだろ?ww

80 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:26:53
結局のところ、後代の史書で魏志と異なる記述があって

「ひょっとして魏略にも先行する史料によったのでは?」

…と思われたものでも様々な史書・写本等の比較の結果
そういった原史料の存在を確認する事はできず
結局は魏志の内容を越える物ではない…と言うのが今日の結論だったと思うが?w

例を挙げれば梁書や御覧に例の行程記事をわざわざ頭に「又」を付けて
明確に連続式に表記してある。

ではそれが魏志・魏略に先行する史料によったものかと言えば
結局は魏志倭人伝をネタ元に梁代の知識を加味したに過ぎないと言うのが研究家らの結論だったはず

ぶっちゃけ言えば単なる改変コピペwww(まあ放射説はギリギリセーフってとこかな?w)

結論を言えば倭人伝は単一史料で、そこから比定地に関し決定的な情報を得るのはどうやっても無理。
元になるピースが足りないというか…

まあ、暗号解読ゴッコは最初から限界が見えているといえば、あまりにアレだがw

それも事実だと思うが?文献史学に詳しい人のご意見を拝聴したいwwwwwww





81 :うましか:2009/08/30(日) 14:30:09
>>77
> 原本の内容を忠実に伝えた写本が残っていないとは言えないでしょう。

そうですね。
>>76で書いたことは、議論をする上で他資料との比較などが必要無いと仰る方がいらしたのですが、
古本の成立ちも御存知では無い方のようでしたので、複数の資料を比較検討することの必要性を説明したまでです。

> 必ず異なっていると言われるならば、その証拠が必要でしょう。
> 多少の違いがあるのを以て全てを怪しいとするのは正当な考え方ではありません。

例えば「邪馬壹國」問題ですね。
御存知のこととは承知していますが、この現行刊本の表記と異なる表記「邪馬臺國」と言うものが、
後漢書や御覧魏志に使われており、その正誤について古来論議が尽くされているところでしょう。
結果、「邪馬壹國」を正として校勘される方々もいます。
資料に照らし、議論を行う、こう言う例まで「正当な考え方」では無いと否定されるわけですか?




82 :今後の畿内説についてのあれこれetc・・・:2009/08/30(日) 14:50:59
まあ万年ループのネタばかりでもアレがアレなんで
今後の畿内説についてチョッと占ってみる…と言うより個人的なリクエストwww

北部九州における前方後円墳の登場時期について
ぶっちゃけ所謂「纏向型」と言われるものについて年輪年代法で数字で無いものだろうか?

無論、年輪年代法について色々意見のある事は承知しているが
仮にその”ものさしの”目盛りの指し示す数字が信用できないとしても

少なくとも同じ”ものさし”を当てれば大和と北部九州の前方後円墳の登場時期について
その時間(年代)差については知りうる事が出来ると思うのだが?この考えは無理かな?w

まあそうそう時間差は無いというのが大方の見方だとは思っているが
ここの板でも「九州と本州の弥生時代・古墳時代開始時期は100年ずれている」…みたいな書き込みも散見されるんでw



83 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:01:41
後代で供えられた出土物の年代持ち出してでいちゃもんつけるキチガイ学者がいるんだからね
無意味だよ

84 :縦目仮面:2009/08/30(日) 15:25:43
>>82
どうなんすかねえ。地域地域の年輪年代を標準曲線化するのは、地元の資料の多寡の問題
はあるでしょうが、まあ物理や分子生物学などの実験設備と比べてはるかにお金はかからない。
光谷氏の履歴を見ればそれほど人材面での問題があるとも思えない。しかし・・・地方教育委員
会が専門員一人雇うのも厳しい現状であるし、何より産業や軍事に転用のきかない基礎化学に
対する予算はつれないものですからね。




85 :82今後の畿内説についてのあれこれetc・・・:2009/08/30(日) 15:33:36
確か九州でも雀居遺跡付近(だったかな?)で年輪年代法による年代値が出ていて
他にもいくつか(僅かではあるが)あったと記憶しているが・・・



86 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:47:57
北部九州と畿内で同じものさしは使えないだろう。
北部九州では、独自の年輪パターンが必要になると思う。
まあ、その前に日本の年輪年代の信頼性を確かめることが先だが。

87 :82今後の畿内説についてのあれこれetc・・・:2009/08/30(日) 15:51:11
>>86
>北部九州と畿内で同じものさしは使えないだろう。

…とは以前俺も思ってたんだが
>>82で書いたように既に九州で数字が出されているって聞いたもんで…

まあソース思い出せたら書いておく。。

88 :縦目仮面:2009/08/30(日) 16:09:12
理化学年代を出そうとする動きは今後多少増えてくるとは思いますけどね。オオヒコスレに
貼ったものですが。  http://gunma.zamurai.jp/pub/2009/haruna495.pdf

まあ、できれば考古学とも、邪馬台国とも、地元観光w とも関わりの薄い第三者がやるのが
ベストなんでしょうが、地元大学だとそうもいかないかな。こないだの歴博発表以来、話題に
なることはわかったんで、純理学系の参入に期待。

89 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/08/30(日) 16:14:17
>>81
<資料に照らし、議論を行う、こう言う例まで「正当な考え方」では無いと否定されるわけですか? >

いえいえ。そのようなことを否定しているわけではありません。

そうではなく、「咸平本」「紹煕本」「紹興本」に異なる記述があるとしたらその部分を検討して見ればよいでしょう。多少の違いがあるのを以て
全てを怪しいと するのは正当な考え方ではありません。」と申し上げているだけです。
3系統の本に異なる記述があればどれが正しいかを検討すればよい、ただそれだけのことです。

私は、陳寿が司馬炎にもその才能を評価され、史書編纂者としても高く評価されていることをふまえ、優秀な史書編纂者であれば必ず資料にあたって
書いているものと考えます。倭人伝の記事については、晋の時代に残っていた記録や文書に目を通したでしょう。後漢の公式文書が残っていればそれ
にも目を通したでしょう。晋は魏からの禅譲によって建てられて王朝ですから魏の公式文書も当然引き継がれます。政権の譲渡だけでなく政権を行使
するために必要な物事を譲るのが禅譲です。その公式文書の中には張政らの報告書(本人直筆でなくても役人が記録したもの)がある筈です。皇帝の
使節は任務を遂行できなければ厳罰を受けますから、任務遂行の証拠とともに報告(書)を差し出します。そしてそれらの記録は原風に管理され保管
されます。昔のことで争いが起きた時、それを裁くのに当時の記録が必要です。部下は自分の功績が記録されそれが保管されることを望みます。為政
者は記録とその保管の重要性を知っていました。そのために文書を司る役所を設け役人を置いたのです。

陳寿はそれらの文書に目を通して倭人伝を書いた。もし、陳寿がいい加減なことを書いたら、「この文書にはこう書いてあるではないか 」と指摘され、
立場を失うことでしょう。

言いたいことを要約すると「陳寿の魏志東夷伝倭人条の記述は晋時代の倭に関する認識を示すものであり、行程記事は張政らの報告記録を見て書かれた
可能性が高い」ということです。だから、先ず、それを読むことが第一だということです。

90 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:20:25
と言うかあの行程記事が
魏使の報告書に基づいてかかれたものであろうとなかろうと

邪馬台国の位置を決定するにはあまりに情報が不足、精度にも問題あり。
この結論は変わらないって話で

その内容を比較検証しようにも他に適当な史料が無いのが現実。

倭人伝の内容だけで九州説なるものを完結させようとする事自体がそもそも無理。

これも馬鹿でも分かる話www


91 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:26:13
>>89

縄文人は何をそんなに必死になってるの?

邪馬台国が九州にあった、それでいいんじゃないの?

俺が君の説を全面的に支持すると表明したら納得するの?



92 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/30(日) 16:28:18
>>90
記紀の当時の時代ころ、女王という帝籍の記事はない。無帝籍だ。
これは卑弥呼が朝廷の女帝でないことを物語っている。ということ
は、畿内以外の女王だということが分かり、これは九州の女王だと
観て間違いはない。

93 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:28:24
×「いい加減なことを書いたら」
○「皇帝に都合の悪いことを書いたら」

そして、倭国の朝貢は晋の高祖、司馬懿の手柄。
功績は大きく見せないとね。

94 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:30:10
縄文人は、自説の立証の前提として、
1.考古学の否定(遺物からは何も知ることはできない)
2.文献を読むこと(縄文人の読み方が正しい)

この2点を挙げてるわけだから、
縄文人が古文書を読んで、「邪馬台国は九州にありました!」って言えば、
九州にあったということになるわけ。

これ以上、2ちゃんで何を議論したいの?


95 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:34:13
>>94
まあ縄文人の馬鹿が考古学を否定するのは自由だろうが
少なくとも考古学は出土したものから説を組み立てる。

がこの馬鹿は何の痕跡も無いところから
3世紀の奈良湖なるものを主張している。

もうこの時点でお話にならない。

ついでに記紀の何処にも書いて無いような
祟神東征も妄想しているようだ。

もう正気の沙汰ではない。

文献も考古も関係ない単なる狂人レベルwww

96 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:35:45
>>90
>邪馬台国の位置を決定するにはあまりに情報が不足、精度にも問題あり。
倭人伝だけでは情報が不足してるだって? 倭人伝の情報で伊都国の場所は
十分に分かるだろ。どこが不足しているんだ? 



97 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:38:40
>>45
どっちでしょうねと言われても君の読み方が示されたいないんだから、
判断のしようがないね。

98 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:38:47
>>96

伊都国の場所は定説と違うって言ってる人は九州説でもいっぱいいますよ。

縄文人とか。

99 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:39:13
90,91,93,94 の書き込みをした人達には何を言っても無駄。90なんかバカだから何も分らない。


100 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:39:59
>>97

他人の読み方を示したとしても「それは違う」と一蹴するでしょ。



101 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:41:35
>>99

君が「わかってる」んなら、それでいいんじゃない?

何を知りたいの?ってか、知るべきことは何も無いんでしょ?
何を議論したいの?

102 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:41:38
中国における歴史は書いて作るもの
だから前代の王朝についても史書が作られる
武力で建国された王朝ならば、易姓革命の正統性を示すために、
前王朝末期の凋落と天運の喪失を描き、そして当代王朝初代の武力蜂起を世直しの為の義軍として説明する
中国にとっては歴史の正確性よりも、「連続性」こそが大事なのだ

103 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:42:05
>>98
異説があるからといって、倭人伝ではきめようがないとか、倭人伝が悪いなんて
ことにはならんよ。
決めるだけの十分な資料があっても、信じないって奴は常に存在する。
どれだけ証拠があっても、「信じない」ってのはいるからね。馬鹿は相手にして
も始まらない。

104 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:43:06
>>95
これもバカをさらした書き込みだね。

105 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:43:57
>>96
伊都国はその地名や遺跡等あり
九州に上陸してまだそうそう移動して無いからなw

もっともこの板じゃあその定説にも疑問を呈する奴も居るがw

要は最終的に邪馬台国の位置を絞り込めるか否かだなwww


106 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:45:24
>>101
害毒を流す奴がいるから、善良な人が汚染されないように書いているんだよ。

107 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:45:56
>>103

じゃあ、君は縄文人のことを「バカ」だと言ってるわけ?



108 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:46:42
文字が刻まれた縄文式土器や弥生式土器が一切発見されていないということは、
倭人は文字を持たなかったとしか考えられませんね。土師器には墨書土器があるし、
古代の寺院の跡から製作地を記した刻印が押された瓦が出土していることを考えると、
邪馬台国の時代は文字は使用しておらず、その存在を裏付ける粘土板や石碑が発見
される可能性もゼロに近いと思われます。
古代文字としては、彦島のヒエログラフが有名ですが、縄文人や弥生人とは別系統の
通りすがりの海洋民族が残していったもののようです。
邪馬台国九州説の未来は暗そうです。

109 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:47:54
>>106

君は、>>90が「害毒を流しているから、善良な人が汚染されている」と、

そういうことを言ってるのかな?

だったら、俺は「善良な人」だ。


110 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:51:58
俺は「善良な人」だから、人から騙されるのは嫌です。

だれか、「縄文人の主張は全て正しい」と、縄文人を擁護できる人はいますか?

いなければ、「縄文人は害毒を流してる人」になり、他の人は善良な人ということになりますが。



111 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:53:35
>>107
具体的に誰のことなんて言ったつもりはないがね。
伊都国に関しては、縄文人は倭人伝で十分に分かるという立場だったと
思うよ。それなら、正常だ。

112 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:55:22
>>111

すると、君は縄文人を支持してるわけですね?

あなたも善良な人なんですか?


113 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:58:07
>>112
うん、君よりはね。

114 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:58:07
『倭人伝だけで位置論に決着する事は適わない』

…こんな当たり前のことすらここの九州説の連中の多くが認めたがらないのは何の事は無い
それを認めたら自分達のやっている暗号解読ゴッコと言うお遊びの前提が崩れるからw

本来その事実自体は別に畿内説九州説どちらかに利するものでもないんだがwww




115 :縦目仮面:2009/08/30(日) 17:00:27
この議論は不毛だな。縄文人か基本的に自説がすべて正しい主張し、畿内説を叩くために
書いてるようだから、やつのストレス発散には俺はとうてい付き合いきれない。まあ、コミュニ
ケーション能力が不足した可哀想な人として見ることにしたらどう。




116 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:03:05
>>106の人が、とても示唆に富んだ指摘をされました。

「害毒を流す奴がいるから、善良な人が汚染されないように書いているんだよ。」

おそらくこの動機は、全ての論客に当てはまるのではないでしょうか?
「誰々がいいかげんなことを書いてる」「間違った説が流布するのはまずい」「俺が修正してやろう」

この構図でいえば、論客はすべて「害毒を流す奴」の可能性があり、
読み手である「善良な人」は騙される可能性がありますね。

「善良な人」は、誰が「害毒を流す奴」かを見抜くことが出来ません。
「害毒を流す奴」を見抜けるのは、論客同士のようです。
では、論客の誰が「害毒を流す奴」で、誰が「害毒を流す奴ではない」かを判断するためには、
どうしたらいいと、思いますか?

誰か、アイデアのある人はご意見どうぞ。


117 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:05:34
>>113

君は俺よりも「善良な人」なんですか?

どういう風に推察されたのか、興味ありますね。
善良な人を判断するために、見分け方を教えてください。
「言ってみただけ」では無いのであれば。


118 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:19:45
>>116
>「善良な人」は、誰が「害毒を流す奴」かを見抜くことが出来ません。
そんなことはないでしょう。それぞれの主張を見ていれば、どちらがまともか
分かると思いますよ。


119 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:23:39
>>118

具体的に何の主張を見ていれば、まともかわかるのですか?

たとえば、縄文人の主張のどこを見ることによって、「縄文人の主張は正しい」と、
見抜くことが出来ると思いますか?

あと、>>113のような善良な人は、自分が騙されてることを自覚出来るのか、出来ないのか興味あるところ。
「自分は騙されない」と自信を持って言える善良な人は、
その根拠も教えていただけると助かります。



120 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:25:10
>>108
文字の出土が無いこと、これが謎だな
中国は外蕃の冊封国に対し、内政の記録を文字で残す事を求めなかったのかな
あれほど文字の文化を大事にする中国にしては、冊封国に甘いんだな
聖徳太子が送った第一回遣隋使は、法もない蕃国とは付き合えないと、相手にされなかったんだよな

121 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:31:17
まあ考古学を重視しない人が歴史を語っちゃダメでしょ。
倭人伝だけ読んでもね、パズルじゃないんだから。

122 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:33:36
>>119
簡単なことだ。君たちが偏見を捨てて率直になればよい。

123 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:36:14
あるグループがAと主張すれば、別の対極にあるグループはBと主張しないと生きてはいけない、のも世間だがな

124 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:37:01
>>116
名無しの掲示板では無理でしょう。
「善良なふり」して
「悪党と位置付けられたが」実は

掲示板なら如何様にも

125 :うましか:2009/08/30(日) 17:38:28
>>89

「全てを怪しい」とする人はいないと思いますが、ある人の結論が倭人伝の記述と一致しないとしたら、
一度、記述の方を疑ってみる(何故、一致しないのか理由を考えてみる)のは当然のことと考えています。
それを正当と呼ぶか、不当と呼ぶかは人それぞれでございましょう。

> その公式文書の中には張政らの報告書(本人直筆でなくても役人が記録したもの)がある筈です。

そうですね。
張政遣使の復命以外にも重要な資料が幾つかあったでしょう。
正始元年の遣使梯儁の復命、倭人伝に記載の無い正始四年朝貢時の上申。
そして、倭人伝中で唯一出処の明記されている文章、梯儁が携えて言った詔書。

私は中でも景初二年の朝貢を取継いだ帶方太守劉夏の上申書が重要かと思います。
この上申により卑弥呼は、高句麗や諸韓国を跳び越えて「親魏倭王」に任命されました。
おそらく、その内容は卑弥呼の朝貢が、いかに有益なものか、倭人の地が如何なる地か、
自己の手絡話も含めて、それらが多少の誇張(戸七萬、婢千人等)を交え滔々と述べられていたのではないでしょうか。

劉夏の上申は詔書の起案に先立つ原資料のようなものです。
詔書の原文が引用されている以上、詔書とセットを為す、この上申書の内容も陳壽に伝わっていたでしょう。
もちろん、陳壽は梯儁や張政の復命も目にすることは出来たでしょう。
ただ、詔書を引用する以上、その前段の記述では倭の地は親魏倭王に相応しい国でなければならない。
それに一番都合のよい報告とは、実際に倭地の検分を行った遣使の復命ではなく、前段の劉夏の上申内容だったのかと考えます。

126 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:41:23
>>121

いや立場として文献一本で勝負するってのはありだと思うなw
更に言えばそこからの畿内説の批判もねwww

ただし文献だけから九州説を立てて
畿内説に対しそう優位を説くと言うのは噴飯物って話でwww

俺がたまに引用する久米邦武の台詞

 「邪馬台の考証時代は既に通過したり、今は其地を探検すべき時期に移れリ」

でも分かるように倭人伝だけで決着するようなもので無い事は
既に大昔から畿内説でも九州説でも分かっていたこと。

(ちなみに上記の久米ような立場に対しもう一度文献に立ち返り
 >>76のような写本の比較等、文献の徹底的洗い直しを主張したのが畿内説の内藤湖南。
 というのは現在から見れば歴史の皮肉か?www)

それが邪馬台国ブームでチョッと方向性がおかしくなって
手段である倭人伝の読み解きが目的そのものになってしまったと。


127 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:49:11
>>122

「偏見」とは、具体的にどのような偏見ですか?



128 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:06:31
>>121
俺は考古学を軽視してはいない。遺跡や出土物から勝手な想像を作り上げている連中を批判しているだけだ。
遺跡が築造された時期や出土物が埋められた時期の絶対年代が分らないということは何回も説明した。だが、まだ理解していない
者がいるようだから、もう一度説明する。

年輪年代法の問題点はモノサシとなる年輪パターンがある時代までしか無いということだ。ある時代とは、伐採年が明確な木材試料が得られる
上限ということだ。1500年以前のそのような木材試料入手は不可能だ。年輪パターンをつないで行く手法の落とし穴は、10年くらいのスパン
で一致する部分を重ねて先に伸ばすものであるが、10年くらいのスパンで気候が一致する時代はいくらでもある。1000年前の年輪パターンに
1500年前の年輪パターンの一部が一致して1100年前の年輪パターンが得られたとしても、その1500年前の木材試料が1500年前のものだと分
っていなければ誰も誤りに気づけない。この年輪年代法で2000年前の木材だと判定された木材をC14年代測定法の較正用試料として用いても正
しい結果が得られるわけがない。ここんところを理解しないとダメだ。


129 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:13:27
ttp://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html

土器の編年


畿内の編年でいうと、邪馬台国論争にとって庄内式・布留式あるいは纏向1-3式が一つのキーワードになります。
というのは、ちょうどこの年代が魏志倭人伝の示す邪馬台国の年代に一致し、
この土器の実年代で纏向石塚などの古墳を含む纏向遺跡や箸中山古墳(伝箸墓)の年代が決定されるからです。
たとえば、纏向1式が200年頃なら(卑弥呼以後の)邪馬台国東遷説は完全に否定されます。
(このため、東遷説支持者はこれらの土器の編年をもっと時代を繰り下げようとします。
逆に、畿内説支持者はより繰り上げようとする傾向があるようです。)
また、異なった地域の土器の比較もかなり難しいらしいです。

邪馬台国の時代の土器をさぐると、大和なら纏向2式か3式(前)、
九州なら西新式、東海なら廻間(はさま)II式ということになります。
とくに九州では西新式が出るか出ないかがその遺跡が邪馬台国の時代のものかどうかを決める決め手になります。


-----------------------------------
邪馬台国時代に出る土器は、
九州では、西新式。
大和なら纏向2式か3式。






130 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:14:52
>>119
>具体的に何の主張を見ていれば、まともかわかるのですか?
合理的な理由を述べているか否かでしょうね。いつも、理由を述べず、うめき声しか
発しないような方は駄目ですね。苦しいんでしょうね。

>「自分は騙されない」と自信を持って言える善良な人は、その根拠も教えていただ
>けると助かります。
そんな人はいないでしょう。騙さないと自信をもって言える人はいるかと思いますが。





131 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:18:57
ttp://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html

例えば吉野ヶ里ですが、私が読むような素人向けの本にはどれを見ても300年頃まで存続していたと書いてあります。
これだけ見ると、「吉野ヶ里遺跡は邪馬台国の時代(卑弥呼が文献に登場するのが239年から247年)も繁栄していた」、
「纏向遺跡が180年頃から340年頃だからこの二つの遺跡は東西で共に同じ時代に繁栄していた」という事になります。
ところが、そうは問屋が卸さないのです。

後期の吉野ヶ里は解体・分村化の段階にあり、途中、北内郭の大型建物といったポイントはあるものの、
集落規模は縮小の一途をたどります。
この間、首長墓に比せられるようなお墓もありません。
環濠内には庄内期の遺構が全くと言っていいくらい無く、内・外の環濠は庄内式併行期の土器をふくむ土で埋まり、
この時期に中期以来営まれつづけた環濠集落は廃絶します。
一方、纏向遺跡が繁栄を始めるのが庄内式期の始めですから、
この二つの遺跡はほとんど共存していないのです。
しかも、九州の柳田編年にしても畿内の寺澤、あるいは石野・関川編年にしても庄内期の開始を200年頃としていますから、
これらの年代観を当てはめれば、吉野ヶ里は邪馬台国の頃には完全に衰退していたことになるのです。

これがなぜ300年頃まで継続していたことになるのでしょう。
実は、発掘責任者である高島氏(佐賀県教育委員会)は、
庄内期の始まりを300年頃とする年代観の持ち主だったのです。
弥生の終末がどんどん早くなっている現在の流れからはかなりかけ離れた年代観ですが、
完全に否定も出来ず、300年という年だけが独り歩きしていたのでした。

-----------------------------------
吉野ヶ里が300年まで続いたという話は、庄内期の始まりを300年とした年代観から。

もし、庄内期が200年からなら、邪馬台国時代の吉野ヶ里は環濠を埋められ衰退していたことになる。

132 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:19:11
>>128
遺跡や出土品も無しに4Cに東征があったと勝手な想像してる奴は論外だよな。

133 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:22:55
>>132
異議なし。

極めて当然のツッコミw

134 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:24:18
>>128
まともな意見だと思うよ。

135 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/08/30(日) 18:28:36
>>125
<ただ、詔書を引用する以上、その前段の記述では倭の地は親魏倭王に相応しい国でなければならない。
それに一番都合のよい報告とは、実際に倭地の検分を行った遣使の復命ではなく、前段の劉夏の上申内容だったのかと考えます。>

あなたはそう考える。私は別の考えをする。

親魏倭王にしてやった卑弥呼が狗奴国との紛争も処理できずに使節を送ってきて訴える。いったいどうなっているのだ?ということで張政らが
派遣される。その張政らは「かくかくしかじかでございました」と報告する。さあ、陳寿は実際を知らぬ帶方太守劉夏の上申書を重視して書くか、
それとも実地を踏んだ張政らの報告書を重視するか。陳寿はもう過去の人である帶方太守劉夏のメンツを立てなければなりませんでしたか?


136 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:29:09
ttp://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html

年輪年代による編年

これまで、土器の暦年代は非常に信頼性の低いものであり、研究者により100年の差が出るなどと言われてきました。
私も上ではそのような立場で書いています。
ところが、ここへ来て土器の暦年代は大きな変革の時を迎えているようです。
その切掛けとなったのは、池上曽根遺跡出土の木材の伐採年代が年輪年代法により紀元前52年と判明したことでした。
これは、土器の様式では畿内IV-3といわれるもので、従来は紀元後一世紀中頃とされていたものでしたので、
一挙に100年年代が繰り上がってしまいました。
非常に大きな年代差であったために、発表当初は伐採年代と木材が使われた年代が同じとは限らないといった強い批判もあり、
私もそうだろうなとタカを括っておりました。
ところが、この数年のうちに多くの考古学者がこの年代を認める方向にかわってきたようで、
畿内の土器の編年は一気に様変わりしてしまった様です。
その結果、弥生中期と後期の境は紀元前後となり、畿内と九州の時代区分の捩じれは完全になくなりました。
このあたりの事情は、最近出たばかりの『卑弥呼の謎 年輪の証言』(講談社)をご覧ください。
学術書ではないので盲信することは危険ですが(実際、都合の悪い事実が隠されている−あるいは知らないので書いていない−箇所を幾つか見つけています)、
文句なく面白い本であり、従来の編年がいかにいい加減に(失礼)決められていたのかということもよく分かります。
間違いなく、お薦めの本です。

------------------------------------

年代が100年繰り上がったきっかけは、
池上曽根遺跡出土の木材の伐採年代が年輪年代法により紀元前52年と判明したから。
強い批判があったが、多くの考古学者がこの年代を認める方向にかわってきた。

137 :縦目仮面:2009/08/30(日) 18:34:25
しかし、縄文人はその年輪年代が不確かだという論を誰に対して言ってるのか?俺でもww
wでも、それを根拠に畿内説を言ってるわけではないし、本職の考古学者にしても一方向から
の情報だけでは、危なくてそれを基に論文など書けはしないと考えている人が大勢いる。今は
過疎化してるが、年輪批判をやりたければ「年輪年代スレ」でやればいいと思うんだけどね。

あと高島氏は、佐賀県の観光・町おこし?への貢献を讃えられて?今は佐賀女子短大の学長
になってる。俺は、こう言っては問題あるだろうが、高島氏自身その年代観をどれだけ信じてる
のかかなり怪しんでるけどね。


138 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:38:46
>>136
最近って、10年も前の本じゃないか。

139 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/08/30(日) 18:43:41
>>136
池上曽根遺跡出土の木材の伐採年代を決めたという年輪年代測定法で使われた年輪パターンとその作成に使われた木材試料の提示を
求めたいですね。紀元前後の木材試料で伐採年が分った試料があるなら是非見たい。年代繰り上げを認めた考古学者達は何をしてい
るの?自分で確かめたのか?

140 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:45:07
元々の年代設定自体も怪しいから。そんな事を言い出すとキリがない。

その点やっぱり貨泉だろ、上限は確定だからなw
30国は北部九州から西日本中心、これは譲れないですね。

141 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:46:23
こと年代論に関して言えば理化学的手法による新しい年代観が出てきたというより
古い年代観、昔の教科書に載っていたような
「古墳時代は4世紀から」
と言うものが省みられなくなった方が大きいと思う。

そもそも考古学の世界でその年代観の根拠になっていたのは
椿井大塚を最古級とし、そこに副葬されていた三角の一番古いタイプのものを
魏からの下賜品と前提した小林説だったわけでwww

(無論祟神の崩年干支から少し遡って・・・と言う極大雑把な目安はあったが)

結局ボタンの掛け違いだったと言う事で
九州説の一部はいまだにそのかけ違いの状態が心地良かったので
そのままにしておけと言っているお笑い話wwww



142 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/08/30(日) 18:51:36
>>137
俺が考古学を重要視しないから邪馬台国論争に加わる資格がないと言ってる連中に言ってるけど。なにか?おまえが口を挟んでくるのは
俺に恨みでもあるんか?個人名を出して中傷するような発言はもうやめような。

143 :縦目仮面:2009/08/30(日) 18:53:03
まあ、古墳時代300年からというよりは、池上曽根遺跡出土の木材の伐採年代のほうが、
まだしも根拠があるといえるようなものなんだよな。この20〜30年で自然科学がどれだけ
進んだかを考えると、考古学は実にお寒い状況。しかし、文献はと見れば未だに白鳥ー内藤
時代と大差のない人も・・・。

144 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:54:46
>>136
要するに、従来の土器の暦年代は非常に信頼性の低いものであったが、最近の土器編年は
急に信頼できるものになったといいたいわけだ。
しかし、年輪年代法が本当に信頼できるものか、そこが問題だよな。従来、いいかげんな
土器編年を垂れ流してきた連中が、今度のは間違いありませんと言ったところで、またす
ぐに話は変わるんじゃないか? 外から見てたらそう思うけどな。

145 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/30(日) 18:55:45
>>135
>倭の地は親魏倭王に相応しい国でなければならない。
そこで魏王は、親魏倭王にしてやった卑弥呼が狗奴国までをも治めるよう要請、戦争が始まる。
戦争の後部支援に張政らが派遣される。

この辺の思考はどうにでもなる。


146 :縦目仮面:2009/08/30(日) 18:56:15
>>142
まあ、かかわらないようにしましょう。ww ただ、批判的なレスにはレスで返すしかないんですよ。
レスの力で黙らせることができるかどうか、それだけ。

147 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:56:15
ttp://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html

しかし、いつでもこううまくいくとは限りません。前掲書では成功例として書かれている纏向石塚ですが、これはちょっと問題があります。
纏向石塚は、はじめは石野らの発掘により周濠の土器から纏向1式とされましたが(のちにはこの時の土器には3式ぐらいの新しい土器が混在していることが明らかとなっています。)、
その後の発掘では周濠底から布留0式土器(纏向3式新)が出土し、布留0式の少し前の庄内3(纏向3古)という年代が与えられました。
その後、またどんでんがえしがあり、墳丘中の土器に纏向1式以後の土器が全く含まれないことから纏向1式か2式とされ今に至っています。
心情的には、私も纏向1式か2式に乗りたいところですが、慎重に考えれば未だどちらか不明というところです。

このような状況では、年輪年代と土器の年代を結びつけるのは無理です。
仮に、年代が布留0式ということになると、その他の状況からして布留0式を3世紀初頭以前にあげることはまず無理なので、
板材の年代と纏向石塚の年代は無関係となるでしょう。

-------------------------------------
池上曽根遺跡出土の木材の伐採年代は、年輪年代法により紀元前52年。
土器の様式では畿内IV-3。

土器編年をあてはめ、纏向石塚を布留0式とすると3世紀初頭以前になる。
それは無理なので、纏向石塚は、纏向1式か2式としたい。
しかし、纏向石塚が4世紀になることは無い。


148 :うましか:2009/08/30(日) 19:01:08
>>135

> 陳寿はもう過去の人である帶方太守劉夏のメンツを立てなければなりませんでしたか?

この場合、誰を立てなければならないかと言うことであれば、劉夏の上司で当時の太尉、遼東派遣軍の指揮官司馬懿でしょうね。
陳壽にとって司馬懿は「過去の人」でなさそうです。理由はわかりますよね。




149 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:01:20
>>138

10年前の年輪年代に具体的な反論も聞かれないわけだから、
間違ってはいないということなんじゃないの?






150 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/30(日) 19:03:31
自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史 
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津捜露傳送文書賜遣之物詣女王不得差錯

傳送文書賜遣之物詣女王不得差錯 文書を送っても間違いが無いと書かれている。
この辺を読まずに、倭国に文字無しを正当化するくらい当たり前。


151 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/08/30(日) 19:13:57
>>148
司馬懿が上申書を出したのですか?
だが、これは枝葉末節の議論ですね。
「実地を踏んだ張政らの報告を陳寿は重視した」で可笑しいことは無いですから。これにて失礼。

152 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:16:54
>>144
土器編年は、もともと絶対年代がわかるもんじゃないよ。
あくまで、相対年代。
絶対年代は、中国・半島系遺物で決まるんじゃないの??
年輪年代は、あくまで補完史料でしょ。

プロの考古学者が書いた邪馬台国関連本で、最新って何がお勧めですか??
あったら教えてください。
自分は2000年前後のしか読んでないんで。

153 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:56:07
プロの考古学者が書いた邪馬台国関連本なんてどれもインチキでしょう。
読む必要はありません。
考古学で邪馬台国など分かるはずはないのです。

154 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/30(日) 21:08:42
>半島系遺物で決まるんじゃないの??

半島でも 百済と新羅では、数字が合わない。
これが 100年遡る元凶では?


155 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 21:27:27
>>153
じゃあ九州や畿内を問わず、今後一切の遺跡や出土物はスルーだな。
まぁ頑張ってくれ。

156 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 21:29:25
>>139 池上曽根はそれ以前の問題も多いよ。

まず、出土したわずかな土器により土器年代を確定できるのかという根本問題がある。
現場にはほかの穴もあり、この土器がいつ落ち込んだのかはっきりしない。
しかも、土器型式も確実とはいえない。普通なら不確実な出土物に分類される。

さらに、その土器が使用開始時期か使用後廃棄かという不確実性もある。

木材の再利用の可能性という問題がある。

木材の伐採から使用年の間隔の問題がある。

前51年以外の年代が出たほかの木材をどうするのかという問題がある。

最後に年輪年代はこれまで一度もデータが一部たりとも開示されていないという問題がある。
これは普通に論外であろう。


ここまで問題山積の状況では、この遺跡を検討する価値があるのか大いに疑問である。


157 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 21:40:43
>>156
検討する価値は勿論ありますよ。
文献の記紀や倭人伝だって完全な形、
正解な記述なのかという点では?でしょ。
それでも資料性が無いかといえばそんな事は無いですからね。

158 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 22:45:04
>>156

> 最後に年輪年代はこれまで一度もデータが一部たりとも開示されていないという問題がある。
> これは普通に論外であろう。

これ言うと思ってた。他人の研究の成果や努力をタダでパクリたいのですね。
他の研究者が自分で基礎データを作れば良いだけじゃないの?そして反論すればよい。

159 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/30(日) 22:51:01
>>38
低脳、と書いたから理解できなかったのでしょうか。バカとかアホとかなら理解できますか?
バカひきこもりニート君、ちゃんと小学生が習う日本語を勉強しなおしてきなさい。今からでも遅くはないですよ。

>>で、結局、九州にその痕跡を何も示せないので
「冊封されたら繁栄大爆発」が皮肉だ、という日本語の意味は通じていないのでしょうか。
鏡でも墓でもいいですから、それらが畿内の「冊封」の痕跡であることを、はやく証明してください♪

まぁ無理なんですよ。バカひきこもりニート君の大好きな考古学者もそんなことを言っていない、というか言えるわけがない。
バカひきこもりニート君が勝手にそう思い込んでいるだけなんですよ。

しかし私も、なんで「キミはこんなにも頭が悪いんですよ」と教えてあげなければならないのでしょうね。
バカがバカなのはもう放っておきたいものですが、ともかく私の説が批判・否定できないなら、認めたってことでいいのでしょうか?w


160 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/30(日) 22:53:52
1、伊都国は前原だ、考古学的遺跡などから間違いない。
2、伊都国は佐賀平野だ、倭人伝の記述から間違いない。

あれかこれか。はキルケゴールでしたっけ?
あれもこれも、の私の説が最強なのですよ♪w


161 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:02:25
>>158
データが一度たりとも公表されていないという事実は変わらないですよ。



一方でC14は膨大なデータが公表されていますが、何か?


162 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/30(日) 23:07:34
>>158
日本国内の年輪年代法の問題点は、年輪の地域差が大きいと予想されることと、残されている年輪(木材資料)の少なさから、
1000年を超えての年輪年代の標準曲線を得られるのが難しく(というか不可能に近い)、(一人を除いて)誰もそれが作れないという現状があり、

そのような状況で、標準曲線を得られたと主張している一人は、その標準曲線の正当性は主張せずに
「年輪年代法では何年」といった数字だけを発表し続けている。
だから他の学者が、その標準曲線の正当性を検証させろ、と言った批判が出ている。

と、私は認識していますが、違うでしょうか。


163 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:08:06
というか、中国に冊封されたのは九州だけってことでいいんじゃないの?
九州人は中国にしっぽ振ってればいいんだよ。

畿内の人は中国の冊封なんて必要なくて、後に大和王権を築いたんだからたいしたものだよ。
聖徳太子の時代でも、中国の冊封なんてお断りしてたくらいだからな。
大和王権が歴史上、中国の冊封を受けたことなんてないし、そんな文献資料残って無いんだから。


164 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:16:27
畿内説にしても、どうして大和王権が中国から冊封を受けたことで始まったことにしたいのか、わからん。
いちいち他国から冊封を受けなくたって、国家運営はできるでしょ。

現に、近畿では銅鐸という一つの文化圏を形成してたわけだし、
それらのクニの集合体が後に大和王権のバックボーンになったわけだから、
冊封を受けて威信を示さなくても、全く問題ないわけで。

中国の冊封を必死に必要としてた九州とは対照的ってことでしょ。


165 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:17:21
>>161
すまないが、C14測定値をできるだけ数多くまとめてある
場所をしらないだろうか。

C14データが出ているのは時々みかけるのだが
C14年代と弥生、古墳時代の地域による変遷、
土器編年比定のずれを簡単につかみたいのだ。
それもできるだけ解釈が入らない形で。

十分に数が多くて最小二乗法などで
リビー値と照合できるようになるのが理想だ。

暇を見つけて拾っているが、なかなか進まないので
もしそのようなデータ集があると教えてくれると助かる。

166 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:18:45
>大和王権が歴史上、中国の冊封を受けたことなんてないし、そんな文献資料残って無いんだから。
中国史書を読んだことないのか?


167 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:20:14
現代から考えても、本州の人は中国の冊封を受けるなんて考えもしないだろうし、
九州は、中国と今でも仲良しこよしだからな。
そういう地域ごとの国民性は、弥生時代からずっと続いてたんだろう。


168 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:22:47
九州説が今でも根強いのは、本州の人であっても、
本州が母体の大和王権が「中国から冊封を受けて誕生した」という感覚が、
受け入れがたいものだからだろう。

そういう売国奴は九州人だけでOKみたいな。



169 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:23:21
>>165
歴博の『新弥生時代の始まり』の1〜4巻とかはダメなのか?
『弥生時代の実年代』とかもあるよ。
公刊物以外の報告書なら国会図書館に行けば取れる。

歴博は解釈の異常さが批判されているけど、公表しているデータそのものは
検討できるレベルだよ。


170 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:27:07
>>168
九州には確実に上陸したことだけだろ

171 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:28:06
そもそも、北九州なんて、朝鮮半島からの渡来人による植民地みたいなものだからな。

北九州の開拓民は、渡来人が占めてたからこそ、
「中国の冊封を受けることが、威信につながる」という発想が生まれるわけで。
ジャイアンの家来になって威張ってるスネオみたいな。

中国・半島と何の関わりもない本州の人は、
何が悲しくて他国の臣下にならんといかんのや?という感覚だろう。
古代の大和王権が、中国の冊封を受けようって発想が起きること自体が想像できないな。
そういうのは、九州人の発想だろ。

172 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:30:09
>169
まとまっているのは「考古学と実年代」くらいしかしらなかった。
あとは個別に拾っていた。
折を見て閲覧、入手を考えてみようと思う。感謝です。

173 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:34:31
だいたい、九州の人は閉鎖的で本州の人はお断りって感じ。
大和王権誕生後も、しょっちゅう九州は本州と敵対してたわけで。

本州の大和王権に組み込まれるよりは、
中国の冊封を懐かしんでいたことだろう。
だから、北九州には、初期前方後円墳が極端に少ない。

九州は4世紀以後も何かと中国と関係を持とうとしてたみたいだし。
年号だって九州独自の年号を使うほど、大和王権を毛嫌いしてたからな。

九州人の気質を見れば、中国の冊封を受けたのは九州しか考えられなくて、
邪馬台国は九州しかないよなーって気になるよね。

畿内の大和王権が中国の冊封を受けて誕生したなんて、冗談はやめてねって言いたい。

174 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:48:57
日本書紀を読めば、神功皇后のところに魏志倭人伝が引用されてる。

それはつまり、九州の邪馬台国を征伐したのが神功皇后だって、
日本書紀の編纂者は考えてたわけだよね。

日本書紀には卑弥呼なんて出てこないし、天皇家の系図にも卑弥呼なんていない。
でも、魏志倭人伝には卑弥呼が登場するから、書記の編纂者は怪訝に思ったろうね。
きっと、卑弥呼は大和王権とは関係なくて、大和王権が制圧した九州のクニだと、
そう考えたに違いない。
そして、それは事実だったろう。

神功皇后が5世紀頃に九州に進出して邪馬台国を滅ぼしたんだよ。

175 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:59:57
一般的に箸墓が卑弥呼の墓とされてるようだけど、
宮内庁が絶対発掘させないよね。

だって、箸墓が卑弥呼の墓って証拠が出てきたら、皇室は大問題だよ。
女性天皇がいたってことになるから、系図が大混乱になる。
中国の新聞には、「日王の祖先が中国の臣下だった」って大々的に報じられるよ。
韓国だって「ゆかり発言」であの騒ぎ。
こんな面倒で国益を損ねることは無い。
卑弥呼が天皇家であっては、絶対まずいわけだよ。

万が一にも、そんなことはないけど、万一のために、箸墓は掘らせてもらえないんだよ。
まあ、箸墓は絶対卑弥呼の墓じゃないと思うけどね。

箸墓が卑弥呼の墓だなんて、
どこの売国奴だよとか思っちゃうね。

176 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 00:07:55
九州説の人は、とにかく地道にがんばって欲しいと思うよ。

九州の人は中国の臣下になることに抵抗は無いかもしれないけど、
本州の人は「中国の臣下なんてかんべんして〜」って思いが強いからね。
畿内の女王が、中国から金印もらって喜んでる図なんて、想像したくないもの。
そういうのは、やっぱり九州がお似合いですよ。

考古学者の人は売国奴が多いのか知らないけど、
とにかく天皇家の祖先が中国の犬だったことにしたいらしいから、
徹底的に阻止してくれるとありがたい。


177 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 00:12:25
景行、成務、仲哀(神功)は九州勢力の一族。
仲哀を持ってこの一族は断絶した。

存在が疑問視されていることから
実際には卑弥呼の時代ではなく
4世紀から5世紀の一族で、
日本書紀で編集されたものと見る。

その後の応仁天皇は別の一族
神功皇后は仲哀と応仁を繋げる為に設定された。
だが九州勢力の仲哀の死んだ時期と、畿内勢力の応仁を
繋げているように書くのには無理がある。
そのため、神功がいろいろやったことにして
時期をあわせた。




178 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 00:24:21
自分も本州の人だから、九州の人がどれくらい中国にシンパシーを感じてるのか、正直よくわかんない。

九州では、何の疑問もなく、卑弥呼は九州の人と思ってるみたいだから、
中国の冊封を受けて臣下になることに、何にも抵抗は感じないってことなんでしょう。

                                 稚内
                               札幌旭川網走
                               室蘭帯広釧路
                               函館

                               青森
                              秋田岩手
                              山形宮城
                              新潟福島
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  国国中中国          鮮良三重愛知静岡神奈川
     国中国  愛媛香川  和歌山
     中国  高知徳島
 中  





179 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 00:28:51
>>177

ヤマトタケルを九州の一族にしたいの?

いやあ、それは止めた方がいいんでない?
でも、言い張るならとめないけどね。

「ヤマトタケルは九州人」

さあ、声を大にして言ってみ?

「ヤマトタケルは九州人」
「ヤマトタケルは九州人」
「ヤマトタケルは九州人」
「ヤマトタケルは九州人」


180 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 00:34:45
>>178

失礼、そのコピペはニュー速の選挙関連スレから拾ってきた。

だいたい、2ちゃん総意としても、九州は中国よりって感覚なのは正しい認識だと思う。
この勢いで、邪馬台国も九州ってことでお願いします。



181 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 00:35:10
畿内勢力は鏡を国産にして大量に生産する愛国者。
中国から属国の証である金印と100枚の鏡をありがたく
頂いてくる卑弥呼とはまったく別の勢力である。

182 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 00:55:12
>>177

こういうふうに、天皇家の祖先を九州だと主張するのは、
何でも起源を主張する朝鮮人とよく似てるね。
朝鮮人も、天皇家を朝鮮人の子孫だと信じて疑わないみたいだけど。
九州人は朝鮮人の血が濃いから同じメンタリティなんだろうな。


邪馬台国が九州なのはいいとして、天皇家の祖先まで朝鮮人にするのは止めて欲しいなあ。
いくら九州人が朝鮮人と親戚だからって。



183 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 00:59:06
「九州は中国の臣下ですが、それが何か?」
「九州人は朝鮮人の血が濃いですが、それが何か?」
「天皇家の祖先は朝鮮人ですが、それが何か?」
「売国奴と呼ぶなら、勝手に呼べば?」

てっことで、気にせずどうどうと九州説を主張すればいいよ。

実際、邪馬台国は九州にあったんだろうからさ。


184 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 01:08:34
ひとり必死なのがいるねw

185 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 01:22:45
wwww

186 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 01:24:52
>>177
そんな混乱の最中に外国まで行って戦争出来ないよ
継体の時でもあんなに揉めたでしょ?
色んな意味であり得ない
ヒントとして、神功は戦前の海外伸張に利用された
そして戦後の公職追放で入り込んだ反日学者達が虚構説を盛んに吹聴した

そういうこと

187 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 01:47:33
そもそも神功皇后が朝鮮まで
渡海したということが書記の
編集だったのでは?
書記はいろいろあったということにしたいだけ。

188 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 05:11:53
>>159 二 ◆.L.MXSPOgc
>それらが畿内の「冊封」の痕跡であることを、はやく証明してください♪

「冊封」の痕跡ねえ
そんなものは金印でも出なければ直接の証明にはならんだろうなあ
いやそれすら移動の事を考えれば何処まで証拠足りえるのかも分からない。

まあ蓋然性の範疇の話だな…ってヒステリー起こしている馬鹿に言っても分からないかwww

このヒステリー馬鹿が勘違いしているのはそんな「便利なオレサマ設定」の下でいくら辻褄合わせされても
大抵の人間にとってはアホの自慰行為にしか思えないって事で
説得力持たせたければその前提が何故成り立つのかを証明しろって事w
(例えば放射説なら良く問われるのはそう言った読み方が他の中国史書に見られるのか?…とか)

問題にされるのはその枠組みの成立に如何に蓋然性があるかであって
どれほど上手く説明できるかではない。
そんな事に堕したならば、それは単なる「ボクのアイデア発表会」だwww

結局「上手く説明できるからこっちが正しい」とは現実の論争の世界でも通用しないし
もっと言えば様々な怪現象なんかがあったときオカルト・トンデモを持ち出せば
とりあえずその現象を上手く説明できるというのは良くある話w

どうしてもこのヒステリーちゃんが望むのなら
 「 二 ◆.L.MXSPOgcの説は否定は出来ない 」 とはっきり言っても良い。

が、それはゴマンとある他の九州説のオレサマ流解釈に対しても同じなんだなw

まあこのアホが
「ボクちゃんの説は2ちゃんで誰も否定できなかったんだぞう!」
とお手製のブリキの勲章でも作ってはしゃぐのは止める気も無いがwwwwwwwww

189 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 09:52:46
>>155
勘違いするな。遺跡や出土物が役に立たないといっているのではない。
考古学者のいいかげんな解釈が有害無益だといっているだけだ。

190 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 09:56:38
>>189
専門家でもない君の解釈が正しい訳か。
まあ頑張って新たな解釈を見出して世間に公表してくれ。

191 :俺様が崇神だ!:2009/08/31(月) 16:54:39
なぬ 本州人は中国のメダルは欲しがらんからメダルを貰った卑弥呼は九州人だと!
じゃ それで邪馬台国は九州にあったつうことになって終ったじゃん。俺様の出番ね〜な。

192 :俺様も崇神だ!:2009/08/31(月) 17:46:36
夫余にしても高句麗にしても新羅にしても百済にしても漢や魏に東夷と馬鹿にされ侵略されで大陸に対しては敵愾心を持ってるから
大陸の王朝から金印貰って臣従するのは我慢ならんだろ。ということは、大和王権は半島の系統だな。卑弥呼の邪馬台国は大陸系かな。

193 :俺様が本家崇神だ!:2009/08/31(月) 17:56:39
>>188
こいつも偉そうなこと言ってるが、南を東に読むのが正しいだとか末盧国から五百里(200km余)のところに怡土があるだとかの
蓋然性ある説明ができるのか?


194 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 18:15:21
べつに畿内辺りに独自の原住民がいること自体は別に否定しない。
ただ、それ以前の銅鐸原住民と、九州北部の倭とかいう原住民とは
別の一族と言うだけ。

195 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 18:15:53

>>82 >>85で言った九州での年輪年代法による測定結果についてだけど
一応ソース?記事出しておく

『邪馬台国時代のツクシとヤマト』学生社 P232〜
>常松:雀居遺跡は福岡空港の西側、国際線のほうにあります。
>そこで木製短甲のすぐそばから槽とよばれるスギの木を刳りぬいた容器が見つかっています。
>九州で数少ない年輪年代の基準になっている史料で、紀元100年の年代が測定されています。
>その年代にだいたい33年ぐらいの偏在幅を足すと130年ぐらいになるのですが(以下略

尚、上記の発言者、常松とは常松幹雄氏。

良く分からないんだが一応九州の出土であっても適応できるって話じゃないのか?
詳しい情報モトム…

196 :195訂正:2009/08/31(月) 18:20:16
偏在幅 → 辺材幅

197 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 20:56:22
その学生社っていう出版社が、学閥的にも思想的にも偏っているような気がする。


198 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/31(月) 21:00:43
>>188
何をごちゃごちゃ書いているのかと思ったら「ボクの説は証明できません」ってことですか。
それで蓋然性なんて言葉に逃げようとしているのですね。自分の意見には蓋然性があるんだーっとか。

でも「冊封の痕跡が残る」などというのは蓋然性の無い話なんです。それが全く分からないのでしょうね。
結局、考古学者が本に書いてあることを盲信してオーム返しのように発言するけど、まともに理解できていないから
「冊封の痕跡を示せ」みたいなアホな事を平気で言う。そしてそれが低脳であることをあらわしている事に気がついていない。
それどころが、それが蓋然性のある話だなどと重ねてバカを言う。ほんとうにどうしようもないね。


ところで私の説の蓋然性を示してみよう。箇条書き。
・伊都国は前原、奴国は博多、遺跡や金印などから正しい可能性が高い。(梯儁コース)
・末盧国からは南東に500里+100里で佐賀平野へ抜ける。方位、距離とも問題がない。(張政コース)
・放射説ではないw
・梯儁は郡から邪馬台国を12000里、張政はそれぞれの国間の距離を里程で記述。中国人だから里程を書くのがあたりまえ。
・だから水行20日水行10日陸行1月は行程記事ではない。中国人(以下略
・張政の里程を足しても梯儁の里程12000里にならない。コースが違うのだから距離が違うのだから当たり前。

すごく正しいような気がしてきたw

# 余談「上手く説明できるからこっちが正しい」これは科学の世界では当たり前。教科書に載ってるから正しいとか先生の作った問題を正しく解けるとか、そういった「正しい」しか知らない(学の無い、と世間では言う)人はこのような間違いをよくしますね。
# 人の意思を介さないで「正しい」を証明できるのは数学くらいではないでしょうか。


199 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 21:16:33
邪馬台国≠女王国で邪馬台国=女王の都する所。
女王国=共立した国々、伊都国=女王に統属する国ですから。

200 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 21:34:05
>>198
>梯儁は郡から邪馬台国を12000里、張政はそれぞれの国間の距離を里程で記述。

これは、あなたの仮説にすぎません。証明してください。


201 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 21:36:56
>>198
># 人の意思を介さないで「正しい」を証明できるのは数学くらいではないでしょうか。

その通りだと思います。
だから、

>すごく正しいような気がしてきたw
あなたの仮説は、あなたが「正しい気がする」と思う程度にしか正しくありません。



202 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 21:47:37
邪馬台国は女王の都する所でヤマト、女王国=共立国は
瀬戸内海を中心とした国々(吉備や播磨、伊予等)
投馬は丹波(この時代の出雲の中心)
那国は北部九州一帯でいわゆる筑紫、伊都国は佐賀辺りですよ。
狗奴国は南九州の国ですかね。使役の通わない国もあるだろう。

これなら女王国まで万二千で収まりますし、
文献上や当時の物流の様子からでも矛盾は少ないはず。

203 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 21:57:21
> 郡から邪馬台国を12000里

魏志倭人伝のどこにそんなことは書いてあるの?

204 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 22:34:20
奴国は二つある。一つは筑後川流域の佐賀県側を中心とする(吉野ヶ里も含まれる)地域、もう一つは博多湾岸の地域。
博多湾側の奴国は漢から金印を貰った王の居た国だが、倭国大乱の頃に倭国の盟主の座を失う。内部の勢力争いで分裂。一派が筑後川流域に
移って「奴国」と名乗る。邪馬台国の卑弥呼共立にあたって積極的に協力する。博多湾岸の奴国は邪馬台国に対しては面従腹背。邪馬台国の
目を盗んで半島や本州と密貿易を行った。

梯儁も張政も同じルートで邪馬台国へ向かった。倭人伝には別ルートがあることを示唆するような記述なし。

水行、陸行の日数記述は実際に要した日数で、投馬国(5万戸)および邪馬台国(7万戸)という大国内で要所の豪族達との会談などを行い
ながら行ったがために表現が変わったのである。


205 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 23:20:02
>>195
列島内でも地域によって気象が異なりますので、例えば福岡と奈良では同じスギでも年輪パターンが同じにはなりません。同じ地域でも
山の南側と北側、尾根筋と川筋でも生育状態が違うので、さらに言うと、一方向からの風が強いところと弱いところでは年輪パターンも
異なるので、本当は難しい問題があるのです。年輪年代法での測定というだけで信用できない理由の一つです。

206 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 23:36:11
>>182
皇室の先祖が九州というのは、皇室自身が語っていることであって、別に
九州の人間が主張しているわけではない。
皇室の歴史書である古事記も日本書紀もそのようになっている。

都合の悪いことは何でも朝鮮を持ち出せば良いというものでもない。

207 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 00:08:18
>>188
こんなところへの書き込みはアイデア発表でよかんべ。それともなにか?おめさんここは学会だと言うとるのけ?

208 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 00:16:34
>>198 二 ◆.L.MXSPOgc
># 余談「上手く説明できるからこっちが正しい」これは科学の世界では当たり前。
それ自体は正しいだろうなw
ただし、余計な前提条件等を設定しなければだwww

「〜たら〜れば」を増やしての下でより上手く説明できても
それはその新たに付加した前提条件の証明がないかぎり意味なし。

ー手っ取り早く言えば「オッカムの剃刀」だっけな?w
(ただしそれは必ずしも正解を保障するものでは無いが)

それとも「便利なオレサマ設定」をいくら増やしても
とりあえずは上手く説明できたら勝ちなのか?
お前の”科学の世界”では?wwww

魏使の報告書が二つあった。
ルートが違った。
…まあここまではいいとして

そもそも何でその報告書を混ぜて一つの記事に作成しなければならないのか?
先ずここで大概の人間は訳が分からなくなる。
それも何やらフォーマットが違うものを無理やりっぽいしなw

そして郡からのトータル日数を示した史料をそこに無理矢理くっつけたと言うのだから
一体何処が自画自賛できるほどの説なのか?理解に苦しむと言うより
呆れるしかないwww

他にも報告書の記載されるべきファクタとして距離・方角・クニの名があるとして
それをお前の言うような二つの報告書への”割り振り”になる根拠が全く示せていない等々。

馬鹿は一回現実を見ろ。
(不弥国あたりまでの)定説が定説足りえているのは何も行程記事を上手く説明できているからではない。

209 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 00:33:38
>>208
不弥国までは定説と言っているが、普通は不弥国で引っかかるのではないかな。
不弥国から南に水行がどうしても見えてこない。東に水行でも同じ。
不弥国=宇美町という新井白石の地名比定の限界がここにある。

210 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 00:34:28
>>163 あたりからの書き込みから推定すると、畿内説派は大和王権が立派だったと自慢したいだけだったんだな。邪馬台国が九州に
あったことは内心では認めているわけだ。こんな連中だから先入観でものを見るんだな。

211 :俺様が本家崇神だ!:2009/09/01(火) 00:41:06
>>209
そうだそうだ。定説などと言ってる奴は思考停止状態だ。世の中の進歩について行けとらん。

212 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 00:41:15
>>209
不弥国で候補地が分かれるのは無論承知しているw

まあ逆に言えばだあくまで
「行程記事を上手く説明できる」
事を志向するならば、わざわざ手詰まりになる方向を目指しているとも言えるwwww






213 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 00:42:59
>>211

…なんか縦目っぽいな、もうチョッとキャラの作りこみをせんかい!

214 :俺様が本家崇神だ!:2009/09/01(火) 00:45:10
>>212
なにが手詰まりだ?

215 :195:2009/09/01(火) 00:57:00
>>205

まあ樹木の生長に地域の気候条件の違いがかなり影響してくるなんて事は分かるが・・・

念を押して聞いておくが
じゃあ>>195の常松幹雄と言う学者が言っていることはデタラメだと言う事でおk?

216 :俺様が本家崇神だ!:2009/09/01(火) 00:57:42
畿内説派には骨のある奴はおらんのか?つまらん。

217 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 01:04:09
>>215
多分、常松幹雄という人は、光谷さんの説を引用しているだけだと思う。
少なくとも、年輪年代の専門家ではないようだし。

218 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 01:05:14
>>215
年輪年代法による測定結果ついては、どのようなモノサシを使ったのか、そのモノサシはどのようにして作られたものかを
検証しなければなりません。<常松幹雄と言う学者が言っていることはデタラメだと言う事でおk? >とはまた極端な話の
持って行き方ですね。全てデタラメではないかも知れません。

219 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 01:06:12
>>215
雀居遺跡でも年輪年代が発表されているが、基準グラフも測定グラフも
いつものように公表されていない。

このレベルのものを相手にすること自体がダメなのでは?
畿内説でも年輪年代を完全に無視している学者もいるくらいだから。

220 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 01:19:11
>>218
この話の始まりの>>82を読んでもらえれば分かると思うがw

ここでは一応年輪年代法の弾き出す数字が正しいかと言うより
ヤマトと九州の年代差を測るものとして使えないかどうかに主眼を置いているんでwww

(目盛りの数値が間違っていても同じ”ものさし”を当てれば両者の差は分かるのではないか?…と言う事ね)

関西と九州の地域差で元々同じものが使えないというのなら
そのお話もおジャンだがwwww

221 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 01:27:56
というか、九州説側は、本当に全く、自分達の説を裏付ける資料を出してこないよね。
畿内説を批判してばっかりじゃなくて、自分達の説も立証してごらんよ。
魏志倭人伝をいくら読み解いても、それは「説」でしかない。
立証しなきゃ、邪馬台国が九州のどこそこにあったと、誰も認めてはくれないよ。

九州が3世紀中期に繁栄を極めてたって証拠は何があるの?
なんにもないじゃん。

「考古学は信用しない」って言うセリフも、裏を返せば証拠が無いってことだし。

終わってるなー。


222 :縦目仮面:2009/09/01(火) 06:50:48
九州大学でヤクスギの年輪をやってると思ったけど・・・崇神云々は俺でないですよ。(過去の
所行から、信用されんか?)

223 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 06:57:46
>>221
邪馬台国の証拠ってなんですか?
貴方は死体を見たら全て殺人事件ですか?死体は何もしゃべりません。勝手に台詞入れないで下さい。

224 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 07:02:26
土器や鏡で政治の何が解るのです?解るのは3Cに土器や鏡があっただけですよね?

225 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 07:26:01
仮に同じ時期の痕跡が発掘され、邪馬台国関連の痕跡と、無関係の痕跡の区別がつくのでしょうか?

226 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 07:36:25
>>221 >>223
221は古墳や土器、鏡は資料として動かないものであり、文献は何とでも解釈が
できるものだと信じ込んでいるらしい。おめでたい考え方だねえ。
考古資料からどんな事実を読み取るか、文献史料からどんな事実を読み取るか、い
ずれも説だな。その説の考え方が合理的であって、多くの人が正しいと認めれば、
それは証明がなされたと評価されるわけだ。

>自分達の説を裏付ける資料を出してこないよね。
資料はまず文献資料、倭人伝そのものだ。近畿説は文献資料は信用できないっていうが
九州説はそんなことは言わん。十分に信用できる。最高の資料だよ。
考古学的にも十分に資料はある。日向の古墳群、いろいろな出土品。
それだけではない、近畿の出土品も九州説を裏づける重要な資料だ。近畿から出たから
近畿説の資料になるだけだって思い込んでいるのかな? けしてそうではないんだよ。
銅鐸は近畿が他の勢力に征服されたことを証する重要な資料だ、それに剣、鏡や玉など
の出土品を合わせ、九州に邪馬台国があったことの裏づけと評価できる。



227 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 08:00:02
考古資料って、文献挫折組の受け皿になっているよね?
専門的に研究している人にとったら、なかば苦笑い状態。
無下に追い払うわけにもいかなくて

228 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 08:21:51
>資料はまず文献資料、倭人伝そのものだ。近畿説は文献資料は信用できないっていうが
九州説はそんなことは言わん。十分に信用できる。最高の資料だよ。

まるで宗教の教義だな。
九州説は信仰の世界だ!

九州教恐るべし。

229 :雑魚場:2009/09/01(火) 08:23:51

九州説が絶滅寸前なんは、信心が足らへんからでっか?




230 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/01(火) 08:34:41
>>208
貴方は私説を理解できていなくて、「ボクが理解できない説は間違ってる」と言っているに過ぎないところが多々あります。

「混ぜて書く」というのは三国志全体が多数の情報から書かれているのですから、当たり前の話ですよ。倭人条だけみてもそれは良く分かることです。
ここだけでも、どれだけ貴方がバカな書き込みをしているのか、皆に分かるというものですよ。

>>(不弥国あたりまでの)定説が定説足りえているのは何も行程記事を上手く説明できているからではない。
行程記事すらも上手く説明できてしまう私の説が、より正しいらしいのは当然といえますね♪

>>221
>>九州が3世紀中期に繁栄を極めてたって証拠は何があるの?
>>なんにもないじゃん。
この意見の「冊封されたら繁栄大爆発」という貴方の主張は間違いだと、あれほど親切丁寧に教えてあげたのに、まだ理解できないようですね。
どれだけバカなのでしょう。


231 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 09:16:02
>>230 二 ◆.L.MXSPOgc
>「混ぜて書く」というのは三国志全体が多数の情報から書かれているのですから、当たり前の話ですよ。

こらこら、そこのバカ、話を広げないように
ここで言ってるのは行程記事の事で

本来違うルートのものをまるで一つのルートのように”混 ぜ た”

トータル12000里の行程が何故か最後の1300里の記録が四散してしまっていて
(この時点でトータル12000里の積算根拠が良く分からないんだがw)
仕方ないから郡からの日数を”混 ぜ た”

そう言えば投馬国の「水行二十日」は沖縄までの日数だっけ?
そうなると最終目的地が邪馬台国で無いものまで”混 ぜ た ”って事か?

言っていることがさっぱり分からん、他の連中は分かっているのかな?

まあこのアホは
「反論なければボクちゃんの説最強!」
とか本気で思っていそうだが…

全く 馬鹿スギ モリ君wwwwwwwww

あ、ちなみに>>221は俺じゃないぞドカスw
まあこの馬鹿が狂犬みたいにあっちこっちに噛み付くのは自由だがwww

232 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 09:44:58
>>228 >>229
倭人伝が伝える邪馬台国について、倭人伝にまったく合わない所に邪馬台国があった
と信じ込んでいる方が、よっぽど信仰の世界だと思うがね。


233 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 09:51:54
>>232
日向説のことですね。わかります。

234 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 10:03:41
佐賀だ福岡だと言っている状況で
畿内って…頭大丈夫か?

235 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 10:10:04
>>234
頭が80年代のままの人ですか?

236 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 10:11:22
吉野ヶ里ブームが最後の打ち上げ花火だったな

さよなら九州説

237 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 10:12:42
>>234
もの凄い釣りですねw

238 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 10:30:47
天皇家のルーツは日向だと言ってなんのはばかりもない。
宇佐をやたらとあがめる。
意地でも中国の柵封に入らない。
記紀の編集の際に金印の存在くらいは知っているはずだが
ウソでももらったと書かないくらいに価値を知らない。
銅鐸の存在を知らない。
やたらと前方後円墳を作りたがる。

大和朝廷と北部九州は別勢力である。
日向とは繋がっているかもしれない。

239 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 10:43:37
水行二十日とか水行十日陸行一月を畿内に比定出来るなら
北海道でも沖縄でも比定できる。

陸行一月があるから北海道が妥当だろう。
沖縄本島は陸行一月には小さすぎるだろうから。

水行二十日で北陸へ行き、水行十日で北海道に上陸
一月歩いて、北海道のいずれかの内陸部に移動したに違いない。

240 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 10:50:48
そうだな、日本でなくてもいいな

241 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 11:36:08
>>226

>その説の考え方が合理的であって、多くの人が正しいと認めれば、
>それは証明がなされたと評価されるわけだ。

実に危険な考え方だ。

ウソも百回つけば真実になるみたいな。
従軍慰安婦や南京大虐殺をどう考えてる?



242 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 11:38:28
>>230
>この意見の「冊封されたら繁栄大爆発」という貴方の主張は間違いだと、

冊封されても、証拠は無くていい、繁栄もしなくていい、って言うなら、
鉄器の少ない近畿が邪馬台国でも全くOKってことだよね。



243 :畿内説大好き:2009/09/01(火) 11:44:38
俺は畿内説が大好きだ。好きな点はいっぱいあるが主な点を挙げると
1.倭人伝を無視する大胆さ
2.箸墓を卑弥呼の墓と断定する勇気のある奴もいること
3.畿内に後の大和王権があったから邪馬台国も畿内にあった筈だと決めつける勇気
4.畿内に7万戸の大国があったことを示す弥生時代の遺跡など無用とする勇気
5.鏡や土器をこよなく愛する純情さ

俺は畿内説派の連中の発言に拍手を送っている。とにかく笑える。ありがとう。

昔、俺が縄文人だったころ、俺の名の頭にアホを付けてレスして来た奴がいた。今度もそれやってくれ。

244 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 11:44:47
現在、世界中で「神がいる」と信じて疑わない人は多い。

>>226の考え方で言えば、「神の実在は証明された」と言っていいわけだ。
俺は承服しないが、>>226は承服するのか?
じゃ、その神はどこの神だ?ユダヤか?ヒンズーか?あるいは仏様か?

信教の自由とは関係ないぞ。>>226は「証明がなされた」と断言してるわけだからな。


245 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 11:48:44
あるいは、あれだな。

いっそ、九州説は宗教法人にでもなったらいいんだよ。
そしたら、信仰の自由は誰にも制限されないからな。

学問の中であるなら、批判を受けるのは説を立てた側の責務であるが、
宗教なら関係ない。「信じていればそれでいい」のだから。

九州説は、宗教法人を名乗れよ。そしたら、社会の中で一定の位置づけが得られるぞ。


246 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 11:53:09
宗教法人〜の会の事ですか?

247 :畿内説大好き:2009/09/01(火) 11:56:01
>>244
この論は一見筋が通っているように見えるが、宗教界の話と俗世間の話を混同している。
なお、俺は日本人の多くが神を信じていないと思っているが、違うか?

248 :畿内説大好き:2009/09/01(火) 11:58:26
>>245
おまえさんは宗教法人畿内邪馬台国神霊会を作りな。

249 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 11:58:54
>>243
もしかしたら危ない方ですか?
学問が大好きなら理解できるのですが、畿内説に固執するとはヤレヤレw

250 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 12:03:21
>>243 畿内説大好き
馬鹿丸出しだな

251 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 12:05:46
>>249みたなやつがさ
>>243の皮肉たっぷりの日本語さえ理解できてないのが

九州説な人々なわけさ。


252 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 12:06:41
おっと、>>250の馬鹿も追加しとく

253 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 12:19:20
>>251
多分自演な気がするけど。

254 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 12:34:58
webで皮肉が言える畿内説論者ってやっぱ凄いわw
仕事もせずに一日PC張り付きの成果は確実に出てる。

255 :俺様が本家崇神だ!:2009/09/01(火) 12:53:41
なんだなんだ?畿内説は火が消えたんか?
なんなら伊都国と狗奴国の話でも蒸し返せよ。蓋然性のある論を展開してみせてくれ。頼む!

256 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 13:26:12
邪馬台国は中国の犬なんだから、九州でかまわんよ。



257 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 13:52:01
本州には出雲や吉備など、明らかに出土物も多い遺跡がたくさんあるのに
なせ畿内だけが比定されるのだろうか。
東海地方も怪しい。

258 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 14:19:36
>>256
そんなこと言ったら大和王権は半島からのあぶれ者といわれるぞ。

259 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 15:19:18
九州と畿内が争ったのはタギシミミの反乱だろ
これは実に変な話
神武の正妻であるヒメタタライスズヒメが何故タギシミミに嫁いだか?だ
ヒメタタライスズヒメは国津神の系統で神武同様にタギシミミを正妻にすることで
神武体制の継承を願ったからだろ
当然、ヒメタタライスズヒメもその目的を知っていた筈
実際に反乱を起こしたのは綏靖側だと思うのが自然だろ

260 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 15:33:39
>>257
出雲や吉備や東海地方にも縄文時代の昔から人は住んでいたし、弥生時代にも独自の文化を持っていただろう。出雲あたりは半島からの金属加工技術や
窯業の技術などが入って来ていただろうから、かなり繁栄していただろう。吉備や東海地方もそれなりに。
まあ、しかし、魏には遠国の倭種の国と見られていたのだろう。これらの国の文化や人の暮らしがどうであれ、魏には見えていなかったのかも知れない。

261 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 15:55:00
大陸や半島と関係を持つ上で壱岐・対馬は非常に重要。
ここを抑えていないことには話しにならない。
卑弥呼の陣営がここを抑えていたのは確か。

262 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 16:02:01
>>259
<ヒメタタライスズヒメは国津神の系統で神武同様にタギシミミを正妻にすることで >

たしかに変だ。タギシミミは神武の長男(神武が九州に居たときの妻の子)だが、これを正妻にする?
これは書き損ないだろうが、ヒメタタライスズヒメは父の妻とは言ってもタギシミミとは血の繋がりはないから継母との結婚は
許容されていたんだね。タギシミミは神武体制の後継者となるべく継母と結婚した。ヒメタタライスズヒメもそれを承知の筈だ。
それを阻止したのが綏靖。当然、反乱と呼べるのは綏靖側だ。


263 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 16:36:54
>>261
元寇で日本に派遣された半島からの軍船は対馬と壱岐を経由してやって来た。この航路が日本に来るのに最適と考えられていたのだ。昔からの
経験で確立された航路だ。だから、對海国は対馬、一大国は壱岐と考えるのは自然だ。邪馬台国が魏と通交するにも半島と通交するにもこの航
路によったであろうことは容易に考えられる。対馬から千里の壱岐であれば、壱岐から千里の末盧国は九州西北部ということになる。そして、
その末盧国から東南5百里に伊都国がある。伊都国が怡土の前原市などではあり得ない。何回言えば分るのかな。
伊都国からは東南百里で奴国、その先東百里で不彌国。不彌国から南に投馬国、その南に邪馬台国がある。邪馬台国を畿内に持ってゆこうにも
どうにもできんではないか。こんな単純なことが分らんかね。畿内説派のお偉方よ。

264 :don`ntakuka:2009/09/01(火) 16:49:51
>>263

元寇が沖縄を襲ったのをしてるかね。

対馬と壱岐
ての
ホケキョの題目ですか?

米軍の沖縄から来たぜ。

265 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/01(火) 17:00:56
>>263

対馬は二つの勢力で二分され、壱岐は単独支配
だから倭人伝には

対馬の規模=方可四百餘里
壱岐の規模=方可三百里ジャスト

正式国交のある地域は実数にて記載されたが、非正式域は「餘」で記録
対馬の規模は方可四百里と餘


「其餘旁國」の「餘」と同じ意味です。


本州も九州も、この対馬を利用しないと当時大陸と交易出来なかった。

266 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 17:01:02
>>244
「その考え方が合理的であって」と書いてあるのを見落としてはいかんな。神の存在を
信じるのは、宗教であって、合理的とは言えない。不合理の世界の話だよ。だから、い
くら信じるという人がいても、神の実在が証明されたなんてことにはならないんだな。
わずか数行の書き込みの意味すら読み取れないとは情けないな。
証拠がなくても邪馬台国は畿内にあったと信じる。そういくら大勢のひとが言ってもこ
れも合理性がない、だから宗教の世界と同じだ。

267 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 17:04:04
>>260縄文人
>出雲や吉備や東海地方にも縄文時代の昔から人は住んでいたし、

おまえが言うセリフか。
なぜ人が住んでいたと判る?


268 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/01(火) 17:46:08
>>259 >>262
ヒメタタライスズヒメまたの名イスキヨリヒメ
此方は、神武の妾で手研耳が一夜神武より借りた、生まれた子供は、天押男
この孫娘が考昭の妃。

手研耳と綏靖の軋轢は、手研耳=天照大神系、綏靖=大物主系


269 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 18:05:58
>>267
俺だってお世辞くらいは言うよ。「出雲や吉備や東海地方にも縄文時代の昔から人は住んでいなかった」なんて考えられるか?
これは常識の問題だ。俺が考古学資料を軽視していると思っているようだが、軽視しているのじゃないぞ。過信しないだけだ。
おまえらとは資料の見方が違うんだな。

270 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/01(火) 18:11:25
縄文人さんよ、2,30年前の古本で思考してもダメなんだよ。
当時の数字が正しいなら、とっくに決着している。


271 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 18:20:58
>>264
don`ntakukaは俺に突っかかりたいらしい。まあ、相手してやる。
元は鎌倉幕府の本拠がどこにあるか知っていた。九州に寄らずに鎌倉を直接攻略すれば事は早くすむ筈だが、戦略、戦術としては
そうはゆかん。いきなり鎌倉を海から襲っても、上陸して戦ううちに西方から反撃を受けて退路を絶たれる恐れがある。だから、
先ず九州を押え、恐れた鎌倉幕府が降伏するのを待つ作戦だった。もし降伏しなければ、さらに瀬戸内を蹂躙しながら進み威力を
見せつける。こうすれば鎌倉幕府は観念する。とまあ、こんなところだ。
沖縄?沖縄は航路を間違った大陸進発の船団の仕業だ。


272 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 18:24:23
>>270
唐松山さん
なんのことですか?2,30年前の古本てなに?

273 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/01(火) 18:34:28
縄文人さんの土器に対する編年が新しすぎる。
それから神功が書紀の記事と合わないのは、設定場所が間違えているから。


274 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 18:46:20
>>263
だから女王国は本州西部一帯で邪馬台国はヤマト。
外交は伊都国(俺も前原ではないと思う)でするのだから、
邪馬台国が畿内で何の問題もない。

275 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 18:46:44
>>273
唐松山さん
あ、そのことですか。私は土器の編年はしていません。ただ、遺跡から土器が出て来た場合、その土器が何時埋められたかを確定する方法が
あるのかと言っているだけです。
<それから神功が書紀の記事と合わないのは、設定場所が間違えているから。>
これはどういうことか分り難いですが。紀の仲哀天皇のところに神功を置いているのが間違いということですか?


276 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 18:54:39
>>227

…と言うよりはこの2ちゃんの板においては邪馬台国論争が
「なんちゃって文献史学」
の温床になっている気がしないでもないw

元が僅か二千文字程度の文献で比較的とっつき易く
何より相当無茶な事を言っても一つの説と許されるような雰囲気があると思うw

そもそもまともな文献史学者で少なくとも倭人伝と言う単一史料だけで
位置論に決着を付けられるなんて言っている奴が今時居るのかと…



277 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 19:01:42
>>274
むむ、伊都国を前原ではないと思う と来たか。拍子抜けしたな。
じゃ、何処だ?まさか出雲だとか丹波だとか言うんじゃなかろうな。

女王国の東は海で千餘里むこうに国があると書いてあるが、海と書いてあるということは陸続きではないということだが、畿内
にそれが当てはまるか?まさか東は南だと言うんじゃないだろな。

278 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 19:11:36
>>277
伊都は佐賀ですよ、俺は畿内説だが以前からそう主張してるし。
投馬は丹波(出雲)、国讓りの伝承もある。
君の好きな大規模土木工事の伝承もあるぜ。

女王国の東の海はまだ確証はないが、関東以東だな。
女王国はあくまで女王を共立した国々の事だからね。

279 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/01(火) 19:17:45
土器(はじき)は、もろくて壊れやすい。
だから丁寧に扱っても長くは使えない。1年も使えればおんのじ。

神功皇后が260年頃では、書紀の記事内容に合わない。
だから皆さん記事を書き換えるか、居ない事にする。私が考えてもこの数字では、
書紀の記事を支持出来ない。

これは「神功は260年頃」との考えが間違っている。
記事と思考が合うところを纏めようか?少し時間はかかるが。



280 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 19:32:30
邪馬台国は九州だろうね。
九州の邪馬台国に対抗して生まれたのが西日本を束ねる畿内の大和王権。

九州の邪馬台国は、266年の朝貢で歴史から消えるのは、
畿内の大和王権が九州を制圧したから。

でなければ、朝貢を続けてきた九州勢力が朝貢を止める理由が無い。


281 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 19:33:54
景行から仲哀までは4世紀から5世紀というのが持論
景行のゆかりの史跡は4世紀頃設立と想定されるものがある。

熊本の天子宮数社
久留米の高良大社、玉垂神社

もっとも全然関係ない神社を景行行幸と言い張っているだけかもしれない。

282 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 19:43:27
>女王国の東の海

そもそも魏略逸文には「東」の文字は見えないわけで
これは陳寿が加えたものだろう。

一体何処から得た情報か?

個人的には案外正しい方角の情報は
この部分に現れているのかもしれないと想像しているがwww



283 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/01(火) 19:54:27
三國志 魏書 卷三十より抜粋
傳送文書賜遣之物詣女王不得差錯
文書を送っても間違いが無い、と書かれている。
手紙を送ったら、その返事が届く。と言うこと。この時代倭国に文字は有った。
通典』邊防より抜粋
晉武帝咸寧(275年-280年)中、馬韓王來朝、自是無聞。三韓蓋爲百濟、新羅所呑并。
260年頃魏の力が弱くなり半島南部に蓋爲百濟、新羅国誕生
273年日食 神功前紀に書かれた「則日暉炳」「日のカゲがきらめく」
神功元年辺りの記事は日時を考えない。(時空に誤差がある)
この辺は新羅本記を参照の事。
274年を神功元年に充てると、
神功52年は325年、1年の誤差で326年
 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
これを満たす西暦は、326年5月辛卯朔 
東晉明帝太寧4年5月16日丙午、

神功が272年の渡海なら、私は信じられる。



284 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:09:55
神功皇后はトヨだろうね。

285 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/01(火) 20:13:31
>>283
君の脳内のほうに誤差があるんだよ。pp

286 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 20:20:32
>>278
佐賀から東南へ百里で奴国、そこから東へ百里で不彌国だ。佐賀から丹波だと南じゃなくて東北東で90度以上違うし、不彌国からだっておなじような
もんだ。これは説明できるの?投馬国で大型土木工事をした記録は倭人伝にはないな。国譲りの神話も関係ないな。
女王国の東端は関東に近かったの?なんか変な説だね。

287 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/01(火) 20:27:33
>国譲りの神話も関係ないな。

崇神世になって6年の大国魂
これ以降崇神は、各地へ軍を派遣したり、最後には、振根まで殺す。
ここが「国譲り」

投馬国は、今の戸畑。


288 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 20:33:52
>>281
私も神功の事績(新羅征伐)は4世紀末のことを反映したものと考えている。紀に倭人伝を引用していると言われるが、これは後世
に付け加えられたものと見ている。

289 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:41:55
>>288

ならば東遷説は捨てるんだな?



290 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:43:08
>>286
別に倭人伝のみを重視してる訳ではないし、
倭国伝他、記紀や各地の伝承を当然照らせあわせますから。

投馬、邪馬台国については日数で書かれているので別資料、
倭人の伝聞という説を取るのでね。ループするから詳細はパス。
ただ南というのは郡からの行程を表すという解釈です。
まぁ方向間違いという説でも良いが、ちょっと?な部分があるからね。


291 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 20:47:26
>>289
東遷説?それはなんですか?

292 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:51:14
>>291
お前が言ってた祟神の東遷の事だろ?

293 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/01(火) 20:54:55
神功渡海当時の半島南部

西暦265年頃には、新羅、百済が独立領土を広げるべく馬韓、辰韓に戦を仕掛ける。
任那、辰韓の鉄は、魏時代 楽浪方面で捌かれていた。魏国滅亡により、物流が滞る。
それに加えて新羅の圧力が加わる。
任那は、大和に助けを求める、それに答えて倭国は、272年軍を渡海させる。
この時は、大きな戦も無く引き返すが、その後新羅が辰韓を襲うようになる。
もし辰韓が新羅の手に落ちると、倭国の鉄輸入に重大な阻害要因となる。
280年代に入ると倭国は、新羅を攻め、辰韓を守る行動に出る。
300年には、新羅も倭国と友好関係を築く。
百済に鉄は有りません、百済は、辰韓の鉄を輸入し、それを楽浪で捌き、鉄器を買って、
輸入代価に充てる。辰韓を支配する倭国とは、友好関係を保たない限り、鉄が手に入らない。
対する新羅には、ある程度の鉄は、有ります。
友好関係を踏みにじっても辰韓の鉄がほしい。

こんな調子でしょうね。


294 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 20:56:51
>>292
なんであれが東遷になるの?東に都を移すのが東遷。崇神は新たに王権を建てただけ。

295 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:56:54
4世紀に東遷を実証するのは困難だな。
高地性集落や垣内遺跡跡、アメノヒボコの播磨での伝承も1〜3世紀の話だ。

296 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 21:04:44
>>295
神武の東征(東遷ではない)が2世紀末の倭国大乱の頃。崇神は3世紀末から4世紀の人物。

297 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:14:18
>>296
アメノヒボコの行動が神武天皇の東征に組み入れられたんじゃないの?

298 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:15:35
>>294
はあ?

盆地湖を陸地化したのは九州邪馬台国の一派なんだろ?
そして祟神も九州邪馬台国の人間じゃなかったのか?

違うと言うのなら祟神は一体何処からやってきたんだ?

訳の分からない奴だな。

あといまだに九州の邪馬台国の位置もはっきり言って無いな。

肝心なところはぼかして突っ込まれるのを回避したいのかな?

299 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:22:28
縄文人は、スレが新しくなると、過去の発言は無かったことにするつもりなのかな?





300 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:28:55
少しは勉強して、修正入れて来たんでね?

301 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 21:28:56
>>298
おまえさんの頭が単純だから理解できないだけだ。
東征した神武が邪馬台国出身、崇神も邪馬台国人の血筋でも邪馬台国を東に持って行った訳じゃない。崇神の大和王権が
邪馬台国の支部だったかも知れないし、独立したかも知れない。そこんところは分らん。
とにかく、俺は邪馬台国が東遷したなどとは一度も言ったことはないぞ。

邪馬台国は熊本県(南部を除く)と宮崎県(南部を除く)に跨がる大国だと言っただろ。

302 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:29:00
>>294
>>296

じゃー、改めて聞くけど、崇神はどこから来て王権を作ったのさ?

で、崇神が来る前の、神武が東征して作った王権との関係は?
崇神と神武は血縁じゃないってこと?
なんで記紀では神武〜崇神が奈良に宮を置いてるの?
全部、記紀の創作なの?
じゃー、神武東征とか崇神の実在はどうして信じてるの?

303 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:29:43
縄文人も少しは勉強したんだろうw

304 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:31:10
>>301

>崇神も邪馬台国人の血筋でも

記紀には、崇神が九州から来たなんてどこにも書いて無いけど?
なんで、崇神が九州から来たって思ってるの?

根拠はなに?



305 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:34:30
縄文人は老後の暇つぶしとして2chやってるんで、レスの真偽なんかどうでもいいんだろう。

306 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:51:44
>>301
なんか知らんが東遷説と言われる事を嫌っているようだが(ゲラ

その枠組みなら十分東遷説の範疇だな。
あるいは奠都説か?

何れにせよ考古学的資料に基づくものでもなければ
無論記紀の何処にもそんな事は書いていないw

妄想だけのお話。

それに

>邪馬台国は熊本県(南部を除く)と宮崎県(南部を除く)に跨がる大国

…と言うのも範囲が広すぎて良く分からないな。
ここまで漠然とした回答もいくら九州説でも珍しいw

卑弥呼がいたのは結局、何処なんだ阿蘇の麓か?w



307 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 21:53:58
>>304
九州から畿内への進出は何世代にも亘って続いたんだよ。その過程が神武から崇神まで。神武も崇神も同じハツクニシラスという和風
諡号を持っているのはそのためだ。神武が畿内に根拠を築いた。崇神はそれを大和王権と呼べる広域の支配勢力に育てた。
これでなんの問題もなかろう。

308 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:02:21
>>307
無理です、何世代も渡るにしては
畿内に九州の痕跡が少なすぎですね。

出雲や吉備、丹波の痕跡の方が断然多いし。

309 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 22:04:24
>>306
おまえら言葉の意味をはき違えておるな。遷都は都を移すことだ。奈良盆地内でも樫原から飛鳥へ宮殿を移せば遷都だ。
俺は崇神が邪馬台国の都を畿内に移したとは言うとらんぞ。単純に考えるな。

310 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:08:25

まあ結局、東遷説(あるいは奠都説)のジレンマだなw

「九州勢力が東征してきた足跡が大和に無い」

と言う指摘を回避するためには

それがごく短期間で、かつ、少数の規模で行われたもので
その時の記憶が伝承として受け継がれ記紀に記載された

…とするのが良いんだろうが

何代にも渡り大和への移住があって
九州邪馬台国と大和が本国と植民地、あるいは首都と副首都のような関係であったなら
そりゃ痕跡がなければあまりにおかしいって話になるwww




311 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:08:59
ここの畿内説の連中は東遷と東征のちがいをまったく分かってないからなあ。

312 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 22:09:31
>>308
神武や崇神が出雲や吉備や丹波を服従させるときに職人や奴隷を畿内に連れてきたからな。

313 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:12:30
縄文人の意見が微妙に変わってきてるな。

314 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 22:16:35
>>313
おぬしらの理解が少しずつ進んで来たんだ。だが、まだ俺の考えの奥深さが分っていない。

315 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:19:12
「東遷では無い」
これを強く主張する九州説の連中の意図は分からないが…

では完全に移したのではないと言うのなら
ヤマト王権が勃興した後も九州の邪馬台国は存続した事になる。

一体両者が如何なる関係だったのかの説明が欲しいところだなw

そしてその上で九州邪馬台国がどうなったのかも・・・

316 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:19:40
>>312
なんてバカなレスだww 九州の山陰系土器は、畿内勢力が出雲から奴隷や職人を連れてきた
といってもなんも変わらんじゃないか。wwwww

317 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:20:17
>>310
それが考古学の便利なところで、土器でさまざまな妄想を膨らますことは
厭わないくせに、都合の悪いところは無視する。
古墳時代の畿内を見たとき、弥生時代のどの地域の色が最も濃いか。
それを考えるべきだろう。
少なくとも、弥生時代の畿内と古墳時代の畿内に連続性はない。

318 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:20:39
>>312
人の流れとしては無理有りすぎるでしょw
単純に畿内に人が入った痕跡があるとしたら、渡来人しかないでしょ。
九州勢力は全て渡来人とでも言いたいのか?

319 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:22:19
>>317
まあ、あまりないだろう。纏向あたりは首長連合が共同で作った都市だからな。

320 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:23:27
>>317
>弥生時代のどの地域の色が最も濃いか。

少なくとも九州ではないwww

大型首長墓による祭祀と言う根本的な文化が違う。


で、もしその証が鏡と言うのなら九州からやってきた勢力と言うのは
ほぼ玄界灘周辺地域に限られてくるだろうなwww



321 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/01(火) 22:24:59
>>231
>>こらこら、そこのバカ、話を広げないように
話を広げたのは貴方ですよ、バカひきこもりニートさん。これだから自分が何いってるのかすら
分からないほど貴方はバカだ、と私は言っているのですよ。いい加減理解できませんか?w

>>1300里の記録が四散してしまっていて
これだから、私の説が「理解できない=間違えてる」といってると思われるのですよ。

それから「混ぜた」ことに一所懸命何かを主張しようとしているようですが、私の2つのルート仮説は、そもそも「混ぜた」ことを前提にしているのですよ。
複数の資料があり、それらから同じものと思われることの記述を”纏めて”=”混ぜて”書いた。だから元々2つの別ルートだったものが1つのルートのように記述されている。
同様に1つのルートとして記述しようとして出来なかったところを、他の情報を「混ぜて」補完しようとした。
文章を書こうとした時の思考としては、非常に蓋然性のある主張な訳です。

翻るに畿内説の主張は、南を東と間違えた、距離は適当な値をいれた、途中からわけも分からず日数に変えた、日数に変えて国々の記述はしなくなった、
ついでに1月は1日かもしれない、だから三国志の記述は全く当てにならないというもので、これに蓋然性があるというのがバカひきこもりニート君の主張でしたっけ?w

どのみち頭の悪い貴方には、私の説を覆したりすることは無理なんですよ。いい加減、自分の無能さを理解しなさい。


あと他人と間違えられるのが嫌ならコテくらいつければ良いでしょう?そんな勇気もないひきこもり君なのでしょうけどねw
それから2年以上前からさらしてる名前をここで書いて何か勝ったつもりですか?小学生なみの思考ですね、情けない。


322 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 22:25:44
>>310
<九州邪馬台国と大和が本国と植民地、あるいは首都と副首都のような関係であったなら
そりゃ痕跡がなければあまりにおかしいって話になるwww>

俺は九州の邪馬台国と大和が本国と植民地、あるいは首都と副首都のような関係にあったとは一度も言ってはいない。
勝手に想像するな。

第一、卑弥呼の時代にはまだ畿内の神武は小さなボスにすぎん。崇神が大和王権を確立したのは4世紀のことだ。
畿内が植民地みたいなもんであったかも知れんが、首都と副首都なんかあり得んだろ。


323 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:28:25
>>322
また結局推論だけか、やっぱり進歩しない奴だなあ。

324 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:31:19
>>321 二 ◆.L.MXSPOgc
>私の2つのルート仮説は、そもそも「混ぜた」ことを前提にしているのですよ。

「放射説で書かれている事を前提とする」

「古代中国人の倭国に対する地理特に方角に関していい加減であった事を前提とする」

・・・etc

これでも問題ないなw

”前提”を無条件に是とするなら如何なる説も問題ないwww

もう少し考えろよドカスwwww


325 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:32:29
>>319
首長連合のような痕跡もない。さまざまな文化が混在しているような様子は
見られない。
だいたい、土器は庶民の道具であって、権力の所在とは無関係。

>>320
だから、古墳の様子からどこの文化がもっとも重視されているかということ。
九州でないならどこ?

326 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:34:32
>>325
>古墳の様子からどこの文化がもっとも重視されているかということ。
>九州でないならどこ?

普通に注目されているのは吉備・出雲だろうなw

まあ今時、鏡を東遷の証になんていうのは一部の東遷説論者ぐらいだろうなwww



327 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:40:10
>>321 二 ◆.L.MXSPOgc
>私の説を覆したりすることは無理なんですよ。

おいおい、前にも言ったぞ?
「お前の説は否定できない」と、
そしてゴマンとある九州説のオレサマ読みも同じように否定できないと
「悪魔の証明」って言葉も使ったっけ?w

まあ否定は出来ないが他説に対する優位性は微塵も見出せないって話だな。

分かるかな?クズwwwwwwwww

328 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:40:40
>>322

だからさ、どうして崇神が九州から来たと思ってるわけ?

神武はともかく、それ以後の天皇はみんな畿内で嫁をもらって生まれた子供ばかりですが?



329 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/01(火) 22:42:10
縄文人の創作。

330 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:42:29
>>325
搬入土器の多さは関係ない、といいたいわけだ。しかし、土器形式の移動ではないから、きっと
これらの持ち込まれた土器の中には各地から古墳を造りに来た人のお弁当が入ってたんだろ。
(半分冗談)

331 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:44:32
>>326
吉備や出雲には、いわゆる大型首長墓による祭祀が古くからあったのかな。
鏡、剣、玉を副葬する習慣は古くからあったのかな。

なお、鏡の副葬は、玄界灘沿岸の特質というものでもない。他の地域の甕棺
には、前漢鏡が副葬されているものもあり、年代的には玄界灘の方が新しい。

それに鏡は重要だろう。

332 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:50:29
>他の地域の甕棺には、前漢鏡が副葬されているものもあり、

南九州は漢鏡少ないよなあ。ほとんど関東なみ。

333 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:50:50
縄文人も泣きながらキーボード叩くくらいなら、名無しに戻ればいいのに。

東遷説がもてはやされたのは、もう何十年も前のことなんだよ。
いまどき、東遷説なんて、説として垢抜けなくて誰も見向きもしないんだよ。



334 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:54:10
>>331
四隅の登場は前方後円墳よりは早いとされているし
祭祀に使われた特殊貴台は吉備がルーツ

・・・って今更な話だろ?w

それに「鏡、剣、玉」の3点セットが纏向のどの古墳から出てきた?w

三種の神器がレガリアとして登場すんのは一体いつの時代だって話だなwww

鏡については少なくとも数では玄界灘周辺が圧倒的だが
鏡の副葬は筑紫その他の地域の発祥なのかい?



335 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 22:58:06
>>323
おまえの説は推論ではないのか?材料が限られてるんだから推理するしかないだろが。進歩がないのはおまえだ。

336 :334:2009/09/01(火) 22:59:02
「鏡、剣、玉」の3点セットについて言えばおかしな話で

それが東征勢力によってもたらされたなら
東征してきた時点から延々大和でそれが続いていなければならないと思うのだが?w

それにその3点セットが九州の副葬の文化と言えるほどの事例があったっけ?・・・なんだがw



337 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:01:29
>>335 おーよちよち、いい児だからママのところへお帰り。


338 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:03:24
>>335
2chを長くやってれば、数行のレスでも、そいつがどのくらいの学識を持ってるかわかるもの
なんだよな。

339 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:05:07
奈良に向って各地の土器が集まってきたことはわかったんだが、土器は人が運搬して移動したということは
移動させた人はその後国に帰還したのだろうか?
帰還したとなれば、その帰還した者は当然各地の土器を見てきたわけだし
国には存在しない様々な趣向を凝らした土器をしってるわけだ
そうなると、その帰還者は国の者へその様子を語るだろうし、国にはない様式の土器を持ち帰る可能性はある
なのにそうした現象が各地に見られないのはどうしたことか?
それともそうした現象を確認できるのか?

340 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 23:06:03
>>333
俺が東遷説をいつ語ったんだ?おまえのような単細胞の頭脳では理解出来ないだけだ。

341 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:07:03
>>336
少なくとも、他の地域では全く見られないな。
弥生時代では、副葬品という習慣も九州以外では見られなかっただろう。

342 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:10:42
奈良に東海や吉備などから人が集まり後に帰還したのであれば、吉備に東海様式の土器やその他の物品
東海には吉備様式の土器やその他の物品が出土してもよさそうなんだけど

343 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:14:47
>>338

>2chを長くやってれば、数行のレスでも、そいつがどのくらいの学識を持ってるかわかるもの
なんだよな。

それは判断する人が判断する対象者よりも、学識を持っていないと判断することが出来ないのではありませんか?

344 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:15:53
>>340

崇神が九州から来たと語ってるだろうが?

逃げんなよクズ野郎。


345 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:17:44
崇神がきたからって東遷になるわけではないね。

346 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:18:52
>>343
Yes we can.

347 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:24:04
>>342
古代の集落で、各地の土器が見られるのは常識。
これは縄文式土器でも同じで、たとえば5000年ほど前の曽畑式土器という
九州系の土器は、朝鮮半島や沖縄あたりからも見つかっている。

遠賀川式土器も非常に広い範囲に分布している。

古代人の交流は想像以上に広かったのだろう。
要するに、各地の土器が見つかるのは、交流があったことを物語っているわけ
だが、それ以上のことは何とも言えない。
首長連合なんてのを土器で語れるわけがない。

348 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:25:19
>>345

なら、九州の邪馬台国は、畿内の大和王権に制圧されたということだな?


349 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:26:06
土器の分布が集まるばかりで
広がらないというのでちょっと怖い想像をした。
まさか…ねえ。

350 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:28:15
>>349
いや実際に

九州←畿内←東海

と言う一方通行っぽいw

351 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:29:50
濃尾平野では朝日遺跡が知られているが、弥生後期の段階までは環濠がめぐらされており、
庄内式土器が登場するとほぼ同時期になくなっている。東日本各地でも庄内式の時期を通じ
て環濠が姿を消している。土器で語れることは多い。

352 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/01(火) 23:31:34
337と338を書いた奴は何か凄い説でも持ってるのか?持ってるなら見せてみろ。

遺跡なんかは中世以降に開発されずに残ったところで見つかるものだ。現在の都心部ではよっぽどの幸運がないと
発見されないものだ。土器に拘っている奴らは昔使われた土器の何%が出土していると思っているのだ?こんなも
んで邪馬台国の場所が決まるとでも思っとるのか。しかもその土器をもとに言ってるのは結局は想像だ。おまえら
が想像して語っているだけだ。土器は語らない。だが、文献は語っているのだ。その違いが分らんか。

353 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:33:18
351は少し誤解を招くので、

濃尾平野の東海系の土器は東日本各地に広がると同時に近畿地方にも広がって移動して
おり、さらに遅れて近畿地方の土器は吉備、九州へ移動している。東日本各地の弥生式土器
が土師器に転換するが、それは近畿地方の庄内式土器や布留式土器の影響によるもので
なく、まずは東海系の土器の影響によって土師器に転換したことが立証されつつある。350の
図式はまあ合っているが、完全な一方通行ではないよ。

354 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:33:47
>>346

何故「we」なの?

355 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:33:59
>>348
文献的、つまり記紀の記述からはそれはうかがえないなあ。
大和朝廷と邪馬台国との戦争なんてのはないだろう。

356 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:35:16
>>352
お前は文献だってきちんとやってないだろ。単なる断片を脳内で組み合わせてるだけ。ほぼ
妄想。

357 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:36:57
>>354
we=このスレに参加してる多くの人=(縄文人より学識が上の人)

358 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:37:23
>>335
お前のように痕跡すら無いものを説とするような事はしないけどね。

359 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:38:23
縄文人は、崇神が九州から来たといいながら、東遷説ではないという。

縄文人はいつまでたっても、その件をうやむやにして、具体的な説明をしようとしない。
こっちが、「では、こういうことですか?」と問いただすと、違うという。
まったくお話にならない。

「崇神が九州から来たが、東遷説ではない」

これを額面通りに受け取るならば、
崇神は九州出身だが、九州の邪馬台国の中枢の権力者ではなく、官僚程度の人物で、
畿内に入植して大和王権の王となった。
で、九州の邪馬台国はどうなったかと言うと、東遷することはなかったわけだから、
九州にあったまま、畿内の大和王権に帰順していったと。

そういうストーリーでいいのかな?縄文人くん。
どうせ、「違う」という答えが帰ってくるんだろうけどな。

360 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:39:24
で、その土器の分布スピードってどのくらいの速さなの?
分布の起因が交流だったら人の移動速度にほぼ比例するよね?

361 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:40:46
>>355

大和王権は九州を何度も征伐しますが。
文献が無いなどとデタラメを言うものではありません。


362 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:46:02
>>360
数世代程度かな。数年ということではないよ。

363 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:46:26
縄文人の矛盾は以前言っていたが(本人が覚えているか分からないがw)

神武がヤマトを目指し瀬戸内を西へと移動した時
各地を政治的に押さえ(=統治機構)背後を襲われぬように進んだと言っていた。

つまり事実上その時点で西日本一体を勢力下においたと言う事だ。
とてもじゃないが奈良盆地の隅っこの位置勢力ではありえないw







364 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:47:21
たとえば交流によって土器の分布が広がった場合は、
A地区で250年に使用されていた土器は、B地区では250年+移動日数 となり

分布の広がりが制圧によるものなら
A地区で250年に使用されていた土器は、B地区では250年+制圧にかかった日数

これが最速分布スピードだよね?


365 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:50:03
>>362

>数世代程度かな。数年ということではないよ。

だとしたら、土器の分布は交流によるものじゃないよね
交流による分布だったら 広がりは移動時間に近づくのが普通でしょ

366 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:57:50
もちろん人が大勢土器を持って移動したとするケースではなく、優れた土器を手にして現地の
人が現地の土で工夫して造り始めたという場合のこと。中国が、他国の電気製品を分解して
しくみを理解し、パチモンを作り始める・・・やな例えだね。ww

367 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:04:50
物の広がりって、直接的な交流じゃなくても
そのものが今より価値があったり使い勝手が良かったりすれば
隣国同士さえ交流があれば、鎖のように伝わるんだよね
だから、奈良で東海式の土器が出土したからって奈良と東海地方が交流していたという
証明にはならないと思うんだ
東海から奈良に伝わるまでに、もしかしたら5つの地区を経てやってきたかもしれないし
奈良と四番目の地区さえ交流があれば伝わる話だよね?
それがどうしていつの間に奈良と東海の交流になっちゃったの?

368 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:04:54
>>361
ちょっとやってきて、朝飯前にちょちょいと片付けた。
これが大和朝廷と邪馬台国の争いとは思えないなあ。

たとえば、熊襲征伐では、景行天皇は日向に宮を築き、何年もかけて戦った。
それでも、熊襲は滅びていない。ヤマトタケルも征伐に出かける。
それでも滅びない。仲哀天皇も征伐に出かける。

熊襲でさえこれほど苦労しているのに、魏から倭国の盟主とされた邪馬台国
あるいはその連合と大和朝廷との争いが簡単に終わるわけはないと思うが。

369 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:13:59
>>367
だから、纏向で見つかるのは、東海で作られた搬入土器。もう寝るよ。

370 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/02(水) 00:17:03
>>359
大和王権が確立した後(4世紀以後)の九州の邪馬台国がどうなったかは分らんと言った筈だ。
>>363<神武がヤマトを目指し瀬戸内を西へと移動した時 >
瀬戸内を東へ移動した時だね。
<とてもじゃないが奈良盆地の隅っこの位置勢力ではありえない>
そうだよ。奈良盆地の隅っこの一勢力ではないよ。奈良盆地は支配下に収めていたよ。崇神との比較の上での話だ。

なお、俺が神武や崇神の話を持ち出したのは、畿内説派に元気を出してもらう為だ。倭人伝では議論にならないからな。
少しは餌をやらないと魚は釣れんからな。まあ、苦心の甲斐あって、畿内説派諸君が勇気を出して俺に突っかかってき
てくれた。論は相変わらず陳腐なものであったが根性だけは褒めてやる。今後はさらに勇気を出して名前つきでレスし
てくれ。



371 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:18:00
>>368
記紀は、大和朝廷の立場から書いているんだよ。だから、邪馬台国を描くときに
邪馬台国がどんなに立派な国でも、立派な国がありましたなんて書くはずはない。
けなしながら描くということになる。それが熊襲征伐っことだね。

372 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:22:08
>>369
東海で作られ物が間接的に入ってくる事も考えられるよね?

373 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:25:54
>>370
>少しは餌をやらないと魚は釣れんからな

後付けの釣り宣言・・・

出るもんが出たって感じだな、2ちゃんでは負け犬の遠吠えに等しい
流石はアホの縄文人www




374 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:35:45
>>370

縄文人は釣りがしたかったらしいが、
東遷説論者を追い詰めるダシにされた自覚は無いらしい。

375 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:48:23
しかしねえ、縄文人が例えば「土器からは何もわからん」というのは、土器の本を二十冊も
読んでからいうんだったら、それは拝聴に値する意見なんだが、こいつのレスを読めば、ほ
とんど何の知識もないことは明白。

つまりは、自分がわからないこと=意味のないこと というだだっ子のような思考経路なんだ
な。その手のことばっかりだから、これは攻撃される。うん、人生いくつになっても勉強だな。ww

376 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:55:16
まあ人により得て不得手はあるし
興味の無い分野まで”勉強”しなきゃならんほどの場所じゃないだろう?2ちゃんなんてw

でもこの縄文人のアホさは何の痕跡も無いのにな3世紀の盆地湖を妄想し
記紀のストーリーを勝手に書き換えて祟神東征をぶち上げてるところ。

この馬鹿に考古学がどうの文献史学がどうの言う資格があるのかと小一時間(ry


377 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:57:43
>>375
たとえば、戦国時代を土器で語ろうとする人はいない。
明治維新が土器でわかるわけがない。

そもそも土器は文化的なもので、当時の文化を知ることは出来ても、歴史的な
出来事を知ることは出来ないだろう。もし、無理に知ろうとすれば、かなり
身勝手な解釈とならざるを得ない。

378 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:20:30
>>377
ある城跡でA氏B氏の馬印が同時に出てきたら、
その城でかつて両氏が合戦したか、或いは友軍としてその城に攻め寄せたか、
或いは第三者の城で会合の場を持ったか、という想像はできるだろう。
土器が同じ遺構から出土するという事は、そういう事だ。
例えば巻向で言えば、東海系や吉備の土器が出るならば、その場に両者居たという事だ。
土器は文化の産物ではあるが、人々が意匠の好みで選ぶものではない。
製作者の手が違うという事であり、製作技術の系譜が異なるという事だ。


379 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:41:30
>>377

まあ文化が分かれば御の字じゃないのかな?

例えば我が国における馬匹文化の導入は
半島での高句麗との交戦の中でその必要性が認識されたと言われる。
政治と文化は常に表裏一体。

どんなジャンルの学問でも適応できる範囲と言うものがあり
それを間違わなければ良いって話で。

まあどの道、九州邪馬台国は何の文化の変容も起こさなかったと言う事でwwwww

380 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:50:06
>>370
釣りにしては知識不足がモロバレじゃんw


381 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 02:18:17
>>370縄文人

崇神はどこの生まれだ?

382 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 06:59:21
しかし、毎日、突っかかられてボロクソにやられて縄文人退場という図式なんだが、こりないねえ。
ってか、充実した2ch生活といえなくはないな。



383 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 07:05:08
明治維新が土器でわかるわけはない、というのは詭弁であっって、豊富な同時代の文献資料
があるから、わかる必要がないってことだな。倭人伝を神棚にあげて拝んでる人たちはともか
く、倭人伝信じるに足らずという立場なら、遺跡・遺物の出土品を語るのは当然。

384 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 07:14:48
てか、そのあたりで屁理屈こねないことには何もない・・・

385 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 08:30:58
倭人伝信じるに足らずの根拠は?
400年後の記紀よりは倭人伝が信頼できるだろう。
歴史の記された石碑でも出ないと遺跡・遺物の出土品だけでは何も判明しない。
倭人伝の研究こそが邪馬台国解明の王道。

386 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 09:04:03
当然倭人伝だけで解明するも無理です。

387 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 09:05:09
もう100年以上やってきましたが無理でした ><

388 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 10:06:41
>>387
伊都国=怡土と思い込んでいたからね。伊都国の比定をまちがえてしまうと
千年やってもだめなんだよ。

389 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 10:39:41
>>388
始めから伊都の場所なんて正確に書かれていない。

390 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/02(水) 10:42:29

>>387に同意

邪馬台国問題は伊都国≠怡土に始まる。

391 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 10:46:58
>>385
ここに書き込みしてる畿内説でまともに答えられるやつはいないだろ。
白石は「考古学と古代史の間」で次のように書いているな。

倭人伝の記載どおりに邪馬台国の位置をさぐると、九州島のはるか南の海上に求めざるをえません。
九州説をとる場合には倭人伝の距離に関する記載を修正するほかなく、また大和説をとるには方位
に関する記載を修正せざるをえません。倭人伝には史料としての大きな限界があることは明らかです。

これをみると、白石は倭人伝の記載を順次式に読み水行・陸行の1日の進行速度をかなり行けるはず
だと思い込んででいるんだろうな。しかし、放射式が正しいということは、多くの学者らが認めてい
るところだし、1日の進行速度については倭人伝は何も書いていない。いろいろな想定ができる。そ
れを考えると、白石が言った「九州説をとるには方位に関する記載を修正せざるをえない」は、根拠
のない思い込みと言わざるをえん。「倭人伝には史料としての大きな限界がある」としたのは、はや
まった判断だったということだ。疑うべき理由が飛んだ以上、まずは倭人伝どおりに考えてみる、こ
れが当然のところだな。

392 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 10:56:27
>>391

しかし、九州説の中でも、邪馬台国の位置は確定できませんでしたね。

これを限界というのではないかな?


393 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:00:47
>>392
九州説の論者だって、伊都国=怡土説をとるものはいるからね。当然、そいつは
論外だ。それと、放射説を理解できないものもいる。これも結局は、倭人伝どお
りではない道へと迷い込んでいくんだよ。
そうゆうのがいるからと言って、倭人伝の限界などというべきではないな。
まともに文章を読めない人間はどこにでもいるもんだ。

394 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:10:43
放射説といっても何も伊都からとは限らないでしょ。
特に日数表示に変わる2国は帯方郡からでもOKじゃないの?

395 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:13:44
>>394
文章的にそんな読み方は成立しない。
里数表示と日数表示に根本的な差異はない。日数表示だからといって出発点
を変えて読むなんて理由はまったくないよ。

396 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:15:42
同じ起点で方や里数、方や日数ってのはねえ・・・

397 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:23:00
>>396
何も不自然なことではないだろう。奴国や不彌国は距離も近いから里数が分かる。
投馬国や邪馬台国は遠くて里数がはっきりしない。倭人に聞こうにも倭人は里数
を知らない。当然、里数と日数の混用となる。それだけの話だ。

398 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:24:23
結局gdgdあーでもないこーでもない

399 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:24:36
>>395
別に伊都からとする理由もない。
やはり急に日数表示や記述内容が簡略化されてる点で
別史料と考える方が自然だ。


400 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:27:08
>>399
伊都国からだってことは、漢文の例を引いたりして学者が論じているよ。たまには学者の本も読んで
みるんだな。いくらか利口になるかも知れん。

401 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/02(水) 11:38:16
>>392
>しかし、九州説の中でも、邪馬台国の位置は確定できませんでしたね。
>これを限界というのではないかな?

邪馬台国の城郭が都市の地下に眠っているので確定できないだけです。
城郭の大部分は後世の都市建設によって破壊され、地下には痕跡が残っているだけでしょう。
三潴の古墳でさえ20世紀の農地整備によって殆どが消滅したケースがあります。

>>391
順次式同様に放射式と決め付けるのも同罪です。
帯方郡より邪馬台国及び女王國への道程記述と位置関係記述を区別できないのも同罪です。


402 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/02(水) 11:49:47
>>399
>別に伊都からとする理由もない。
>やはり急に日数表示や記述内容が簡略化されてる点で
>別史料と考える方が自然だ。

同意
しかし、あえて別史料と考えなくてもよい。



403 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:54:15
>>400
学者にもピンからキリまであるからなw

急に日数表示になるのはやはり何らかの区切りがあるからでしょう。


404 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 12:01:37
流れを変えない為にも、教育者や元教育者は必死に異説を排除する。

405 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/02(水) 12:02:09
>>403
>急に日数表示になるのはやはり何らかの区切りがあるからでしょう。

同意
里数表示の延長上に日数表示を置く読み方は間違っている。
区切りがあるんですね。

406 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/02(水) 12:06:46

以下の構文についても明確に区別しなければならない。
@動詞+到
A動詞+至
B動詞無し+至

407 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/02(水) 12:40:45
>>406
結局「至と到」の文字の違いが解っていないと
何をしても無駄ですよ。
「至」と言う文字からは
(到、屋、臺、致……)などへと広がりが伴うが、「到」からは何も広がらない。

408 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/02(水) 12:58:07
俺のことをいろいろと批評してくれているな。返礼をしよう。
学識というものは使い道を知らぬ者には脳の容量(使用可能量)を狭める邪魔物でしかない。畿内説派は邪馬台国を畿内に持って来たいという
一心で倭人伝を恣意的に解釈し、それでも人を納得させられないことを知ると、今度は考古学資料をこれまた恣意的に邪馬台国の所在地比定に
用いようとする。
倭人伝は直接邪馬台国に言及した第一級史料である。この三国志の編者陳寿は中国でも有数の史家と評価される人物である。その陳寿が皇帝に
派遣された使節の報告を調べずに倭国のことを書くとは考え難い。先ずはこの倭人伝を読むことが大事である。その倭人伝で無理無く辿り着け
るところが邪馬台国である。
畿内説派は土器だとか鏡だとかの出土物から反撃しようとするが、出土物がどういうものであるかという観点で根本的な間違いをしている。遺
跡や遺物は壊されないで残っているものしか発見されない。したがって、開発から取り残されていた場所で発見されることが多い。人が多く住
む場所では住居は次々と建て替えられ、模様替えされるが、昔の住居跡を保存しようなどとはしない。遺跡保存の意識が生まれたのはつい最近
のことである。住居が木造建築物となってからは古代の住居跡や集落の痕跡はほとんどが消滅する。卑弥呼の時代には人々はどのような家に住
んでいたかさえも考古学は答を出していない。恐らく、多くの人はまだ竪穴式住居に住んでいたと思っているのではなかろうか。竪穴式住居は
簡単に見えるかも知れないが、床のある木造住宅と比べてどちらが建造に労力を要するか検討したことがあるのか。また、雨の多い西日本で地
面を掘り下げた構造の家と地面より高い床の家の構造のどちらが適しているかと言えば明らかに後者である。大陸からも半島からも人が入って
来ている時代にいつまでも竪穴式住居に住み続けるほど愚かではなかった筈だ。竪穴式でも高床式でも労力や資材の必要量はさほど変わらない。
となれば床のある木造住居を選ぶに決まっているではないか。
いくら繁栄した集落でもその痕跡は消されている。昭和のはじめ頃までに都市化していたところにあった古代の集落跡など発見されれば奇跡的
なことである。遺跡や出土物は極めて幸運にも発見されたもので、古代の生活跡のごく一部にしかすぎない。


409 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 13:25:17
倭人伝自体も過去の文化遺跡、出土物の一部だと思うけどね。
あれはオリジナルと言えるのかい?資料の原典でもあればね。

410 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 13:30:21
と言うか魏志じたいが魏略のコピーみたいなもんだしw

411 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/02(水) 13:39:29
>>407
同意
漢籍の読解力が無い人には何を言っても無駄です。

>>408
同意
庶民の住居については中世までは土間のある竪穴式の延長上ですよ。
竪穴式住居は夏涼く冬暖かく内部も乾燥しています。

ところで、縄文人さんは邪馬台国の城郭が何処にあったとお考えなのですか?


412 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 13:55:03
>>402
通常史書は国が滅んだ後に書かれるものだが
魏略は魏代に書かれている
魏の機密文書である外交記録は魏代にはまだ閲覧は難しい
魏略に倭王の記事がないのは魚豢が魏と倭の外交記録を見ていないから
魏略の倭の記事は公孫氏の帯方郡からのもの
つまり里数は公孫氏の帯方郡の記録
日数は魏代の使者の記録

413 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 13:58:55
>>412
>魏略に倭王の記事がないのは

その部分が「逸文としても残ってない」ではなくて「元々なかった」で決着してるの?

414 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 14:00:15

邪馬台国は中国の犬なんだから、九州のクニで間違いないよ。




415 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 14:18:56
>>413
魏略には『其国王皆屬王女也』の文があるから
倭には大勢の王がいたことになる
魏が認めた倭王がいれば他に倭に大勢の王がいるはずはない。


416 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 14:31:03
倭国というのは、単一の国ではなく29国の連合体で各国に王がいた。魏が認めた倭国王がいる
ことと倭国に属する各国に王がいることは矛盾しないんだよ。
後漢書も「王を称し」と書いているだろ。倭王以外は魏が認めた王ではないという趣旨だろう。

417 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/02(水) 14:45:37
>>408
ほぼ同意。

418 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/02(水) 14:46:26
>>412
>魏略に倭王の記事がないのは魚豢が魏と倭の外交記録を見ていないから
>魏略の倭の記事は公孫氏の帯方郡からのもの

下記を除いて同意。
魏略に倭王の記事がないのは、魏が倭王(卑彌呼)の存在を承認したのは公孫氏滅亡後だからです。


承認前の名目上の倭王は、吉野ヶ里(倭面土國・不彌國)出身の伊都國王だと推定されます。
伊都國へ移動の直前には佐賀城(奴國)に居た。
この名目上の倭王は、後漢時の倭王であった帥升の王統となります。

伊都國の東南100里の奴國は、帥升が継承した倭奴國と推定します。
餘旁國リストラストの奴國は帥升が継承する前の倭奴國となります。
以上妄想的推定。


楽浪郡が楽浪郡と帯方郡に分割後も、

419 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 14:47:15
>>416
後漢代には「王を称し」と書かかれている様に初め倭には王が沢山いた
倭奴國の王が漢に朝賀し倭國王(大倭王)となり邪馬臺國を作り
倭の王は邪馬臺國の倭國王(大倭王)だけとなったが
後漢末に倭は乱れ倭國王もいなくなりまた多くの自称王が乱立した
再び王女が倭の王達を束ねるようになった(魏略の時代・・・公孫氏時代)
王女は魏から倭王に任命され倭の王は卑弥呼以外は狗奴國王だけとなった。



420 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 15:22:31
>>419解説
中国では皇帝⇒王⇒公
王は皇帝から任命されたものと、自称王がいる。
王は皇帝の家臣
王は横並びで上下はない。
倭国に倭国王がいれば倭国王の部下を王とは呼ばない。




421 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 15:55:52
>>420
倭王は倭國王の部下じゃない。

422 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/02(水) 16:03:51
>>409 >>410
今日みることの出来る三国志が写本であっても原典に忠実に従ったものと考えてよいだろう。筆写の間違いが皆無とは言えないだろうが、
改竄されたと考えるべき理由はない。このような文献資料には言葉がある。土器などとは全く違う。同じ出土物だろ などと言う人間の
見識が疑われる書き込みである。
魏略のコピーだと見る人もやはり見識を疑われる。三国志は晋が陳寿に命じて編纂させたものである。陳寿は魏略に目を通したであろうし、
魏略と共通する記述があっても不思議ではないし、魏略以外の資料調べた上で正しいと判断したことを書いている筈だ。魏略のコピーだと
切り捨てるのは倭人伝を認めたくないという心情の吐露にすぎない。



423 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/02(水) 16:05:11
九州王朝大好きさん
私が倭人伝に興味を持つようになったのはつい最近のことです。最初は邪馬台国の所在よりも倭国の風物や人間の生活の様子に興味があった
のですが、他の掲示板などを覗いているうちに邪馬台国の所在も気になりはじめました。私は漢籍の読み方を勉強したわけではなく、ひと様
が書かれたものを読んで私の感覚に違和感なく入ってくるか、引っかかるものがあるかということで判断しています。その結果として畿内説
にはうさん臭いものが充満しているという感想が生まれたわけです。
私が最初に倭人伝を読んだ時、末盧国のところで草木生い茂り人は海に潜って魚をとるなどの記述を見て南国の香りを感じました。ここが奄
美大島で邪馬台国が沖縄だったら面白いなと思ったこともありますが、さすがにそれは無理でした。
私は邪馬台国は熊本県と宮崎県にまたがる大国であったと思っています。両県の南部は除きます。それらは狗奴国の領域です。邪馬台国へ伊
都国からでも不彌国からでも水行で行けます。途中の投馬国は筑後平野部です。ここは有明海沿岸を内陸に出入りしながら行きます。そして
さらに有明海を南下して邪馬台国の港で上陸して陸行です。7万戸の大国ですから途中で立ち寄る豪族の数も多く、卑弥呼の宮殿に達するの
に1月を要しました。1月を要したのは距離が遠かったからと考える必要はないでしょう。魏の皇帝の使節が来るのですから途中でその行進
を人々に見せるとかなど示威的な行動や歓迎行事などを行いながら行ったのです。何故かと言えば、魏の使節の目的は結束が緩んだ倭国の引
き締めにあったと考えるからです。なお、卑弥呼の宮殿ですが、有望な候補地を見つけている人も居られますが、私はまだ自分の目で確かめ
たものを持っておりません。

424 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 16:07:07
>>422
そのとおりだろう。

425 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 16:46:44
倭人伝が第一級の史料であって
真っ先にそれにあたるべきであると言う事と

それで邪馬台国の位置を決する事が出来るかどうかは別の話である。

こんな道理も分からないのがここの九州説の連中。

「九州説は比定地を絞れ」と言うのが横暴と言うのなら
「倭人伝の正確な読み方を決定してくれ」と言えば良いのか?

それすら出来ずなんで位置が特定できるのだ?と言う話で

傍から見ればお笑い以外の何物でもないw

426 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 16:53:54
邪馬台国の位置を決する事が出来るかどうかと、説が分かれるかどうかは別の
話だ。倭人伝には問題がなくても、読み手が違えば、ちがった解釈が出てくる
可能性はある。
畿内説論者だって、人によってコースはいろいろだろ。目的地を決めてるくせ
にコースすら一致しない、そんなもんだよ。

427 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/02(水) 16:55:06
>>425
倭人伝に書いてあることから邪馬台国の所在地は九州であることが明白である。
おまえが理解できないだけだ。おまえの言い分は幼児の泣き言でそれこそお笑い以外の何ものでもないWWW

428 :俺様が崇神だ!:2009/09/02(水) 16:58:50
>>425
道理の意味も分らん奴がなにをほざいとるか。ばかもん。おまえは畿内説の面汚しだ。

429 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 16:59:07
選挙演説の真似事の次は江戸の花か!

自民党の大敗以上に邪馬台国九州説は大敗済み。



430 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:00:42

邪馬台国は中国の犬なんだから、九州のクニで間違いないよ。







431 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:04:00
畿内説論者には論客はいないのか? 九州説にやられっぱなしじゃないか。
誰かがんばれ。

432 :俺様が崇神だ!:2009/09/02(水) 17:08:51
>>430
おまえも情けない奴だのお。おまえはどこの犬だ?と言われるのが落ちだろ。

433 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:12:36
畿内の大和王権が中国に土下座してまで金印もらって倭王に認めてもらう必要なんてないじゃん。

すでに、弥生時代から近畿は一体となって束ねられてるわけなんだから、魏の後ろ盾なんて必要ない。



434 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:14:49
九州の中だと、弥生時代は戦争ばっかししてたから、
魏に朝貢して倭王に認めてもらって後ろ盾が必要だったということだろ。

かわりに、魏の臣下になって魏のために派兵要請とか受けてるわけだから、
そういう売国奴は九州のクニってことでいいよ。

435 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:18:08
畿内の大和王権は、中国に朝貢する必要なんてないの。

その証拠に、確実に前方後円墳が広まりだした4世紀から、
朝貢はピタっと止まってるだろ。

朝貢を必要とする九州の邪馬台国が滅亡して、
朝貢を必要としない大和王権が日本に誕生したってことだよ。

436 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:18:21
『伊都国は怡土か?』

一応これについて言及してネタを振っておこう
以前確か日向東遷厨に散々言った記憶があるがw

三雲遺跡からは「楽浪土器」と言うものが数十点極めて集中的に出ていて
そこから郡使の常駐も想定しうるらしい。

(楽浪土器は他の遺跡では遺跡全体で一つ出れば御の字のレア・アイテムw)

半島から島伝いにやってきた郡使が常駐するポイントとして十分蓋然性がある。

が伊都国=佐賀大和説では「惣座遺跡」をあげ
そこからの出土の腕輪か指輪だったかをあげるのみ。

その出土物の価値はいざ知らずそれによってそこが伊都国であった蓋然性を担保するものとも思えない。

まあ「伊都国=怡土」は現状、ガチガチの鉄板としか言いようが無いw


437 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:20:41
>>433
半島の鉄利権とか大陸の威信財の鏡とか…w

畿内説に立てば遠隔地の九州に対しての威圧の効果も期待できるんじゃないかな?w

438 :俺様も崇神だ!:2009/09/02(水) 17:22:12
畿内説の論客はいないのか?
倭人伝の南は東、東は南であることを論証できる奴はおらんのか。
めんどくさいから、倭人伝は偽書だと証明する理論家を育てろ。
大和朝廷が畿内に在ったんだから邪馬台国も畿内に在るべきだということを理論化しろ。
箸墓が卑弥呼の墓だと証明しろ。
誰か一人くらいやってみろ。九州説をのさばらせていいのか?

439 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:24:57
>>437

もういいよ。

なんで、今まで必死になって、天皇の祖先が中国の臣下だったことを証明しなきゃならないのか、
考えてみたらバカバカしい話。

せっかく、九州説の人が、「中国が臣下としたのは九州だけ」って言ってるんだから、
そういうことにしてもいいんじゃない?

畿内王権は九州とは別に順調に発展して4世紀には西日本を支配するってことは、
事実としてあるわけなんだから。
それにプラスアルファとして、「畿内王権は中国の臣下として始まった」という定義を加えないといけないの?
必要ないじゃん、そんなの。


440 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:26:25
>>438

おことわりします。

「中国の臣下は九州だけ」ってことで。



441 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:29:57
>>439

そんなメンツ?はどうでもいい話だなw

倭の五王にいたっては将軍だぞ?
あれも九州の王朝のお話なのか?

行き着くところは九州王朝説だw

ちなみに現代の天皇も皇太子時代にはイギリスで叙勲されてたりするwww





442 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:39:43
>>441

偽僭説ってことでいいんじゃない?

考えてごらんよ。
大和王権が、魏の臣下でしたって主張したところで、誰か得する人がいるわけ?
九州説の人は、大喜びで魏の金印を欲しがってるみたいだからいいけどさ。

大和王権の始まりは、考古学者の研究通り、250年頃から。
九州の邪馬台国は、畿内の大和王権とは無関係に中国の臣下になる道を選んだ。

これで、誰も困る人なんていないだろ。


443 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/02(水) 17:51:23
>>436
半島から対馬、壱岐を経由して九州北部沿岸に到達する航路は弥生時代初期から使われていただろう。
糸島あたりから倭人が半島に出かける、また半島から来るのはざらだったろう。楽浪郡との人の往来があっても
何の不思議も無い。糸島に王墓級の遺跡があり、楽郎土器が出土したのは糸島に国があり、楽郎郡からの土器が
持ち込まれたことを示しているが、それだけのことで、それが伊都国の証明になるわけがない。

伊都国が郡使の常に駐するところで、一大率が置かれている重要国であるから、糸島なら魏使は壱岐から其処へ直行
すればよい。官の名もない末盧国に上陸してわざわざ難儀な陸路で行く必要がどこにあるか。末盧国から陸路をとる
しかないところに伊都国があったと解釈する方が理に適っているではないか。


444 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:54:59
>>439
このアホウ、一つのネタで延々と書きやがって、真実がどこにあるかが重要であって、冊封
だの朝貢だの関係ねんだよ。じゃあ、ポツダム宣言受諾とか都合の悪いことは全部なしかよ。
消えな、クソガキ。

445 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:56:30
>>443
土器は一人で歩いてこないからなw
楽浪からの人間が頻繁に来ていた事の証左にはなろう。

逆に言えばだ。

もし佐賀大和から楽浪との往来が頻繁である事を伺わせる材料が出てくれば
「伊都国=佐賀大和説」も浮かんでくるんだろうがwww

まあ現状厳しいなwww

446 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:56:59
>>443
外国船は東京湾に入港すればいいのに、わざわざ長崎に入港し
そこから陸路で江戸にむかってる。

447 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:59:58
3世紀当時、有明海はムツゴロウ大王が治めていた、人外の国であった。

448 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:09:26
>>442
臣下と言っても武力で征服されたりしたわけじゃない。
まあ、中国を都合よく利用したという解釈できないこともない。

倭の五王は、大和朝廷の大王というのが一般的だが、これもちゃんと朝貢して
いるわけで、大和朝廷が朝貢などするわけがないというのも間違い。

本居宣長も、親魏倭王などにカチンと来て、それが偽僭説の始まりとも言われる。
でも、面子なんてのはどうでもいいことで、要は真実を探し出すという
ことじゃなかろうか。

449 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:09:36
>>444

残念だけど、「歴史の真実」ってのは確かめようがなくて、
歴史学者が作るものなんだよ。

歴史学者がいっせいに、「邪馬台国は九州だ」って言えば、
邪馬台国は九州になるの。
いくら、それがおかしいって言ったところで、普通の人は学者の言うことを信じるし、
歴史に興味ないひとはなんとも思わない。

歴史の真実とは無関係に、歴史は作られていくものなんだよ。
邪馬台国は九州だって、皆が言ってるわけだから、邪馬台国は九州という歴史が作られるわけなんだよ。

そのことに対して反対するのもいいけど、
じゃ、反対した結果、その先に何が待ってるかというと、
天皇家の歴史が間違ってたこと、大和王権の始まりが中国朝貢から始まったことを証明することになる。
これは、日本の国益を考えれば、けして良いとは言えない。
所詮、日本は中国の属国だという認識が世界中で認知されることになる。

100年先の日本の国益を守るためにも、中国の属国である邪馬台国は九州だけであるべきなんだよ。




450 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:11:58

なんかややこしいのが出てきたなwwwwww

もっとも九州説の開祖、本居宣長もこういうノリだったんだろうがwwwwwwwwwww



451 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:19:36
>>449
とっとと消えろっていっただろ。国益?今の中国も日本も当時とは全く別の政治体制である
ことを強調すべきだな。日本国は、倭寇や秀吉の朝鮮出兵まであやまらなきゃならんのか?
九州は日本じゃないのかよ。どんだけバカさらしたレス書いてるかわかってんのか?クソガキ。

452 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:20:39
>>448
>要は真実を探し出すということじゃなかろうか。

いや、真実を探し当てたからって、それが結果的に良かったということになるとは限らない。
間違ったことを真実とすることも、時には重要なことだってある。

ちょっと、想像力を働かせてみて。
もし、箸墓が卑弥呼の墓認定されたら、何が起こるか?
中国からの観光客がどっと奈良におしよせて、
中国の臣下である「親魏倭王」の墓などと揶揄され、
日中朝貢の歴史とかいって、天皇の祖先が中国皇帝から金印を授かる寸劇なんてのが上演されるよ。
天皇の威厳は完全に消失する。2600年の歴史は吹き飛ぶんだよ。
天皇も、卑弥呼が魏に朝貢したことについて、何かコメントしなきゃならなくなる。
韓国人からもいい笑いものになるね。

畿内説の考古学者は、売国奴と同じだよ。
売国してたのは九州でいいよ。




453 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:25:06
>>452

じゃあ金印を出した志賀島は中国人に明け渡すのか?w





454 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:26:35
せっかく九州説の人が身代わりになって、
中国の臣下だったのは九州だけだって、何の迷いも無く言ってくれてるんだから、
ありがたくゲタを預けてもいいだろうということ。

九州説の先に東遷説がくると、また、天皇の祖先が中国の犬だったということで、
国益を損ねる話になるからアレだけど、
太国も縄文人も東遷説じゃないわけだから、結構なことではないか。


455 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:27:05
>>427
倭人伝には邪馬台国の位置を書いてますよ、勿論ヤマトの事ですがw


456 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:27:58
>>454
縄文人が言う東征してきた祟神は邪馬台国の人間らしいぞw

457 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:28:37
>間違ったことを真実とすることも、時には重要なことだってある。

ほーほんとは畿内だと認めてんだな。ここは少なくとも各自が真実だと考えることを書く板。
(河童は違うようだが)明らかな板違いだな。政治板に行けよカス。

458 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:32:45
>>456

縄文人が言ってる崇神は、卑弥呼と血縁の無い人じゃないの?

本人に確かめないとなんともいえないが。

縄文人が国益についてどうこう考えてるとも思えないから、
正直に、崇神は卑弥呼の甥とかなんとか言い出すかも知れないな。
縄文人の発言は予測不可能だ。

459 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:35:51
何となく歴史観の違いのような気がしてきた。

真実はどこかにあって、替えられないという考え方と
ウソでも100回言えば真実になる。真実は変えられる。

の路線の違いのような気がしてきた。

460 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:37:37
九州説って結局倭人伝だけを元にあれこれ推測して
各自妄想してるだけでしょ?結局比定地すら定まらずに
人物や墓の候補無し、あったとしても何の証拠もないしな。
やる事は出土品や遺跡のケチつけだし。そりゃ衰退しますね。

461 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:39:52
>>457

真実を隠ぺいすることも、歴史の側面だよ。

ぶっちゃけ、もう畿内説は隠ぺいする時期に来たと思う。
大和王権が3世紀から始まってることがわかった以上、
邪馬台国との関係は無視できないし、考古学上は畿内説有利だとしても、
畿内説を正しいと宮内庁に上申するなんてとても出来ない話。

九州説は、考古学は信用しないって言ってるわけだから、
仮に畿内から金印が出ても九州説を捨てないだろうから、
畿内説を隠ぺいするなら、今のうちなんだよ。
九州説が息があるうちに、畿内説から手を引かないと、将来的に国益を損ねるのは必至。


462 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:43:10
畿内説の連中が、九州説がいやならそれならそれでしかたが無いんだが
出雲や吉備、または箸墓巻向以外の場所である可能性は絶対にないのか?

出雲や吉備を完全に無視できる根拠は何なのだろうか。
遺跡の年代と出土量なら箸墓巻向を凌駕していると思うのだが。

463 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:46:12
>>461
お前釣り師なの?
マジモンだったら病院へ逝けwwww

じゃあどうする?九州は切り捨てるのか?

「九州は歴史的に見て中国の領土です」

とか言ってw





464 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:48:20
>>462
出雲や吉備を完全無視してるのは九州説の方が多いはずだが。
畿内説では出雲や丹波、吉備の影響下でヤマトに都を設ける説が多いですよ。

465 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:48:41
最近の考古学者が、邪馬台国に言及しないのは、
畿内説が正しいとなった場合の影響力がちょっと予測できないからなんだよね。

テレビなんかでも、九州説をもりあげて、九州説の火が消えないように工作してるでしょ。
そのおかげで、九州説は一定の支持があるから良いけど、
ちょっと考古学を勉強しはじめると、九州説が不利なのがばれてしまう。
ほんとに、まずいところまで来てるんだよ。
邪馬台国が大和にあったら、まずいんだよ。




466 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:53:12
>>465
お前みたいなナイーブちゃんは国際社会でやっていけないんじゃないのか?

1000年以上も前の朝貢でそこまで隠ぺい工作しなきゃならんのか?
ハゲんぞ終いにはw



467 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:55:09
>>465
そりゃ血統の問題が絡むからですよ。記紀で記述を訳わからんようにしたのも
やはり原因はこれでしょう。
もっとも古事記には神功皇后は新羅の血統とはっきり書いてあるもんね。

468 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:55:33
>>463

いや、怖い話だけど、そういうこと。

「倭国は歴史的に中国の領土」だっていう意識は実際に中国人にあるんだよ。
だから倭国に戦争でやられたのが悔しくてしょうがない。
もう一度、「倭国は歴史的に中国の領土」だって思い知らせようという勢力は中国に多いよ。

こんな状況のときに、「魏の臣下の邪馬台国は大和王権だった」なんてことが知れたらとんでもないことになる。
中国の反日感情にどういう影響があるか。
日本が下手に出てればいいが、強く出れば暴動が起きて日本企業がやられるよ。


469 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:00:08
>>468
変な論理だ。
歴史的真実などどうでもいい。
「いまの」中国や日本の世論に影響があるから
それに都合の良い方を取れと言うことか。

それは政治板でやってくれんかな。
ニュー速の方がいいか?

470 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:06:05
>>468
もうすでに荒らしだからな。もうやめな、レスのムダ遣いだ。

471 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:15:55
>>469

関係大有りだよ。

日本書紀が、神功皇后の所に魏志倭人伝を引用しておきながら、
なぜ、「邪馬台国とは大和国なり」と注釈しなかったのか?

当時から、邪馬台国が大和国だと認めたくなかったからだよ。
それはそうでしょ?
白村江で敗れてから、天武天皇は中国から独立した大和王権を築こうと必死だったのに、
大和王権が魏に朝貢してたなんて認めるわけないでしょ?

そういう歴史上の隠ぺい工作ってのは、いたるところにあるわけ。
現代でも、同じことなんだよ。

472 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:16:15
>>465
>最近の考古学者が、邪馬台国に言及しないのは、

と言うか大方の考古学者にとっては邪馬台国論争なんて既に終わった話。
それに過去邪馬台国論争では私怨にまで発展したようなケースもあり
あまり積極的に関わりあいたくないという心理が働いているんだろうw

>テレビなんかでも、九州説をもりあげて、九州説の火が消えないように工作してるでしょ。

はて?一体なんの話かな?
盛り上げるも何ももはや九州説にはネタが無いのが現実w

473 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/02(水) 19:21:05
>>471
だったら神功紀の神功39年等の記事も証拠隠滅のため抹消するはず
だ。だから認めたくなかったこととは言えない。認めたくなかっ
たならば、この神功39年等の記事を削ることを必ずやっている。

474 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:24:10
>>473

抹消しても、中国側に記録が残ってるから同じだよ。
中国人から「魏志倭人伝にある卑弥呼は誰だ?」って必ず聞かれてるはず。
だから、しぶしぶ魏志倭人伝は引用した。

もし、邪馬台国が大和と関係ない九州の国なら、そのように書くだろ。
中国に朝貢してた国があっても、大和とは無関係なんだから隠す必要は無い。




475 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:29:09
>>468
おいおい、九州を中国に渡してどうすんだ?

神武東征じゃなくて人民軍東征が21世紀に起きちまうぞ?www

476 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/02(水) 19:30:01
>>474 前段
そういうことは言えるが、そうならば邪馬台国とやらが大和国にしたくないと
いうことにはいずれにしろならない。

477 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:37:00
>>476

邪馬台国が大和じゃなければ、
「邪馬台国の女王卑弥呼が〜」と、ちゃんと記述するはずですよ。
魏志倭人伝に明記されてることを、日本で否定することは出来ないからね。

では、どうして記述できなかったのか?
当時の人たちは、邪馬台国が大和国のことだという認識があったからだよ。
でも、女王卑弥呼を神功皇后とは、そこまでは書きたくなかったということだよ。


478 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:46:57
大和朝廷が邪馬台国を書かなかったのはなぜか。

いちおう、記紀を編纂していたときはそれなりに大和朝廷の
支配が及んでいたのだろう。
だが、中国の柵封を受けず、独立国としてやっていこうとしている
大和朝廷としては、かつて九州に倭があり、大和朝廷は2番手あるいは
それ以下だと言われてはならなかった。
そこで、記紀の中では九州勢力も大和朝廷の系統として取り込んだ。

479 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 19:51:12
もうグダグダ…いい加減馬鹿らしくなってきたw

480 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/02(水) 19:58:32
>>477
大和でなくとも「邪馬台国の女王卑弥呼が〜」と書くとは限らない。
なお当時の人間が伝を見て、邪馬台国が大和だと思うやつと思わない奴との
双方がいたはずだ。
女王卑弥呼を神功皇后だとまで書かなかった理由は、同一人物か別人かの判断に
確信が持てなかったためだろうが。

481 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:00:36
神功皇后はトヨだと思うけどね。

482 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:04:14
畿内説は考古学で、九州説は文献史学って事だな。
お互いに相手が拠ってたつものを攻撃しあってる訳だ。

でも、九州より都市開発が盛んな機内で有力な発見があるのに
遺跡が破壊されたとかちょっと苦しいよね。
九州説の邪馬台国の比定地なんて田舎なんだから、掘れば何か出てくるだろ。
大規模な遺構になればなるほど遺構の完全破壊なんてなかなか出来ないし。

483 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:08:40
箸墓を発掘させないように、宮内庁がストップかけてる。

宮内庁は、畿内説を快く思ってないですよ。
宮内庁は、記紀が真実であることが証明されるのを期待してはいても、
箸墓が卑弥呼の墓だとされるのは困るわけさ。
考古学者は真実を〜なんておめでたいことを言って箸墓を掘りたいらしいけど、
そこでわかる真実は、天皇家が中国に朝貢してたということでしかない。
そんな真実は、宮内庁には必要の無いものだってこと。
考古学者なら、肌で感じてるはず。
これ以上、発掘したら、まずいことになるって。

右派の政治家も同じ考えで、邪馬台国が大和国であるということは好ましくないと考えている。
だから、九州説系雑誌「季刊・邪馬台国」にも麻生はじめ政治家が寄稿してたりしてるんだよ。





484 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:08:55
開発が進んでないのは九州より山陰でしょう。
未だに非電化単線のローカル線しか無い土地だし。
出雲や丹波なんてまだ何が出てくるかわからんと思うよ。

485 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:10:36
じっさい、九州の古い居住地なんて、掘れば何か出てくる。
うちの土地の調査してもらったら住居跡が出た。

低湿地や過去に海だったと子をのぞけば福岡、糸島、佐賀、
久留米、筑後、南関、菊池、熊本と何かしら出る。
邪馬台国はいったいどこだろう。

宮崎も多いよな。

486 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:16:10
まあ掘ったら何が出るのかわからんのは奈良も同じ。
店やマンション建てるにしても大変なんだよね。

487 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:24:41
住居跡が出てくるのは、川から近くて、心持ち標高が高めのところが多い。
近所じゃ水浸しの田んぼの下から出てきた例もあるが。

やはり竪穴式住居では、水が湧くようなところは住みにくいんだろうなんて
考えてる。その場所に立って周りを見回すといい場所だなと思えるところが多い。

吉野ヶ里の環濠跡は、駐車場が遠かったせいもあって、
メタボな俺にはちときつかった。標高高いぜ。



488 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:37:52
と、土蜘蛛の子孫が言っています。

489 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 21:03:15
>>471
>なぜ、「邪馬台国とは大和国なり」と注釈しなかったのか?

注釈するまでもない、当たり前の事実だったから。

490 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 21:29:27
>>482
畿内でも奈良はど田舎
200万福岡都市圏は市街化が進み遺跡の大規模な発掘は困難なの。

491 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 21:40:42
>>490
福岡を邪馬台国に比定している説って珍しくないか?
普通は福岡平野は奴国だし、弥生期の遺跡もいっぱい出てるじゃん。

492 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 21:51:58
>>491
倭人伝を正しく読めば伊都国や奴国が邪馬台国の中心地だと判る。

493 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/02(水) 21:57:10
>>489
邪馬壹は大和とは読めないだろうが。
当たり前じゃない。大和(ヤマト)が畿内の天皇国名なら、邪馬壹国
はヤマト国と読みが違い、畿内でない別の国名だということになる。

となれば邪馬壹国は畿内でない九州なんだよ。

494 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:03:43
>>492
文化財保護法の仕組みを考えれば、開発行為が行われる所で
事前に調査がなされるわけだから、現時点でめぼしいものが
出てないようでは、その節は望み薄じゃないか?

495 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:03:56
>>465
今の学者で本気で畿内説を信じている人なんて居ないよ。

立場上やっているだけ。


496 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:05:32
>>482
考古学は、日本全土をくまなく掘っているわけじゃない。
つまり、ごく一部の発掘で語っているに過ぎない。

昔、吉野ヶ里遺跡が新聞紙上をにぎわしている頃、熊本県のうてな遺跡が
道路工事で部分的に調査された。大規模な環濠が四重も五重にも囲んでいる
のが見つかった。

吉野ケ里クラス?それ以上?一部の新聞ではけっこう注目したりした。
新聞記者が、畿内説の考古学者に意見を求めたところ、ちゃんと発掘調査が
されないとしょうがない、との意見だった。

要するに、無視ということなのだろう。このようなケースも多い。
考古学は、発掘調査も部分的だが、注目するもしないも考古学者の勝手。
さらに、その解釈も考古学者の勝手ということになる。

考古学は、かなり裏読みできる人でないと、発表だけを鵜呑みにするのは
危険ではないかと思う今日このごろ。

497 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:11:10
>>483
箸墓を全面調査しても、何にもわからないと思うな。
誰の墓かなんてのは、今までの古墳の発掘調査の例から考えてまずわからない。
卑弥呼の墓でないことだけはわかるかもしれないが。

498 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/02(水) 22:13:49
「日本国(大和)は、倭国(九州)の別種なり。あるいは云う。日本は もと小国、倭国の地を併せたりと。」
九州を併せた大和を大倭国(ヤマト)と云う。


499 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:16:13
発掘したって無駄無駄無駄。

邪馬台国は九州だ。文句あるか?



500 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:30:10
>>495
自称町の学者さんですか?

501 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:32:18
>>493
>邪馬壹は大和とは読めないだろうが。
何て読むの?

502 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:33:36
>>496
>ちゃんと発掘調査がされないとしょうがない

小規模の調査結果だけでは遺跡の価値は見極められませんよ
その考古学者は当たり前の発言をしてるだけですが?

>考古学は、かなり裏読みできる人でないと

裏読みし過ぎて陰謀史観ですか?
終わってますねw

503 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/02(水) 22:57:51
>>501
それが分かれば苦労は少ないよ。少なくともヤマトとは読めないん
でないの?

504 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:01:30
ヤマイチ、山一証券こそ邪馬台国だったのだ

505 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:01:31
ヤマトと読むから大和と混同されるんであって。
ヤマイと読めば九州の国ということでOK。
古田は正しかった。


506 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:08:28
ヤマトゥならヤマトと採れるし
ヤマイチなら畿内の地名(大市、十市、高市、古市)に
縁はあるけどな。

507 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:11:32
箸墓の土地なんて「大市」だしな。

508 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/02(水) 23:17:45
>>501

>何て読むの?


邪馬壹、邪馬臺、邪馬嘉、邪馬惟、邪馬堆

すべて日本語の表現は「ヤマイ」です。

509 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:27:00
>>507
箸墓の地域に市場があったのはいつの時期だろうかと考えると、マキムクが開発された
当初の頃であろうということになるわな。

それ以降の時期は廃れてしまっているから。

けど、それを認めたら、マキムク信者は終わりだね。

510 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:30:14
>>508
それ全てヤマイでは変ですね。

511 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/02(水) 23:34:33
>>510

ぜんぜん変ではありません。これは日本語の表現であり漢字の読みではありませんから
ようするに、大和をヤマトと表現するのと同じ

512 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:37:49
>>509
市の意味が今でいう市場の市かは不明じゃないかな。
商業的な市なら巻向から少し南の椿市に引き継がれるしね。

513 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:46:24
河童虫氏は表現という言葉に、また独特の使い方をはじめたようなので、
レスする人は、根掘り葉掘り聞いた方がいいよ。
ま、大半はどうでもいい派だろうけど。

514 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:47:25
>>511
倭国伝の時代にヤマイ国があった事になるけど。

515 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:52:26
読みはヤマトが正しいんだよ。だが、近畿にヤマトができたのは7世紀だ。
それまでは、ヤマトなんて地名はなかったな。

516 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 23:58:39
ヤマイ国だからな。



517 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 00:07:16
>>514

>倭国伝の時代にヤマイ国があった事になるけど。

ないよそんな国
あったのは「イ(ヒ)」の地域(国)

地域は時間の経過(支配層の代替わり)とともに変化するので、各編纂者は編纂趣旨に合わせて
地域名を(壹、臺、嘉、惟、堆)で表した
でも根本的なことは同じ

518 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 00:14:44
>>517
隋書倭国伝に魏誌の邪馬壹とは邪馬堆の事とあるけど。


519 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 00:16:41
>>517
イマイチ説得力不足だな、


520 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/03(木) 00:18:08

「邪馬壹國」は「山委國」、内陸部の山が近いところにあった。

「山委國」に対応するのが海辺の「委國」、邪馬壹國の母国だ。
それは「壹國」即ち「壱國」、壱岐のことである。
一大率(一支率)は母国の他国支配システム。

521 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 00:18:12
>>518

読み手の漢人にしたら別な文字ですよ 邪馬壹から邪馬堆に変化したことは
見た瞬間に気付く事ですね

522 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 00:21:29
>>521
だから倭国伝の時代に邪馬堆(ヤマイ)国があったのか?と。


523 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 00:26:28
>>520
壱岐が女王の都なのか、斬新だなw

524 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/03(木) 00:33:06

俀國は大倭國のこと。同音

ゆえに、邪馬臺國は邪馬大倭國のこと。同音

邪馬臺=邪靡堆であるから、邪靡堆はヤマタイと発音。

525 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 00:36:16
で、ヤマタイは大和でOKだな。
北部九州は伊都が中心で筑紫一帯が奴国。

526 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 00:38:03
>>521

>だから倭国伝の時代に邪馬堆(ヤマイ)国があったのか?と

だから始めからそんな国や地域なんか存在しませんよ
「でっかいイ(ヒ)」地域という自称をを漢人が「邪馬壹国」と表現しただけです

527 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 00:47:32
>>526
ちょっと説明が苦しいですよw

528 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 00:49:22
>>524

漢語は表意文字だから日本のように表音文字とは違って「音」の重要性はかなり低いです
ましてや書は見て判断するもの
重要なのは音よりも文字の形です。

529 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 00:51:14
>>527

説明が苦しいと判断できる貴方が私の代わりに説明してください。
大変助かります。

530 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/03(木) 00:59:23
>>526
<「でっかいイ(ヒ)」地域という自称をを漢人が「邪馬壹国」と表現しただけです >
なるほど。私は邪馬台国は熊本県(南部を除く)と宮崎県(南部を除く)に跨がる大国だと思っているので、この説に合うな。
河童虫さんはやっぱり凄い。

531 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 01:05:04
>>530

その名残は今でも一部残っていますよ
「ヒ前」「ヒ後」
あれは「火の国」ではありません。
「火国」は「ヒ」ではなくて「ほ」です。

532 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 01:07:32
表意文字しかないから当て字をするわけだろ?
音の重要性が低いって矛盾してると思うけど

533 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/03(木) 01:08:26
>>526
>「でっかいイ(ヒ)」地域という自称をを漢人が「邪馬壹国」と表現しただけです

「邪馬壹国」は、倭人の「イ(ヒ)地域」を漢人が表現したものではないの?

534 :河童虫:2009/09/03(木) 01:13:09
>>530

日向の地名は日向の西に住む肥後の人が付けた名称です。
日向の人が自分の地域を日向なんて言えないから。

535 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 01:16:56
>>532
それは文字に意味を持たせない当て字の事ですよね?しかし倭人伝は
意味を持たせた漢字を使用しているので、音の重要性は落ちます。

536 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 01:20:00
>>535
邪馬壹にどんな意味が?

537 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 01:26:58
>>736

それは漢語での事?

538 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 01:39:57
どうでもいいが、肥前と肥後が離れているのはどういうものだろうね。
肥前と肥後の間に筑後がある。

539 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 01:48:22
>>508
この説だと全部読みはヤマイなんだろ、それは矛盾でしかない。
それでは隋書倭国伝での記述は漢字を訂正してるだけになる。
7世紀の時点でヤマイなんて国が存在した事になるのはあり得ないし、
この時点で隋の人間に国名を「広い国」なんて説明する訳もない。


540 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 01:50:48
>>537
>倭人伝は意味を持たせた漢字を使用している
と言ってるから、邪馬壹にどんな意味が?と聞いてるんだけど

541 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 01:52:52
>>530
俺の説でも和泉〜河内〜大和を想定してるからピッタリだなw

542 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 02:03:57
>>539
たぶん、「読み」じゃない。「表現」なんだ。と言うんだろうな。
だから、表意文字は音は重要じゃないとか言い出す。

543 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 02:10:11
>>542
まあ河童の話はマトモに聞く理屈じゃないことは解った。

544 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 07:00:01
「邪」=列島の形(斜め)「馬」=誕生
「壹」=地域の名称

倭人は自分達の営む地域を、ヤマイ(でっかい日国)と自称し
漢人がヤマイの音に日国の地勢を乗せたものが「邪馬」

545 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 07:26:35
邪靡堆に都す、則ち魏志にいう邪馬臺なる者なり。
これは、倭国の都の邪靡堆は魏志にいう邪馬台と同じだというだけだな。
その邪馬台がどこなのかは言っていない。畿内説をとれば大和だが、九州説を
とれば九州にあるということだ。そして、魏使はその倭国につき、「古より言
う、楽浪郡の境および帯方郡から一万二千里、会稽の東に在り、儋耳と相近し
と。」として、倭人伝の非常に南の国だという認識をそのまま受け継いでいる。
訂正しようとしていないんだ。ということは、魏使も九州に上陸して南へ行った
ということだ。けして、大和へ行ったわけではないんだな。

546 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 07:28:01
545の間違い訂正
魏使→隋使



547 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 07:28:17
邪の字は「じゃ」が正しいです。

「や」と読むのは8世紀以降の唐の漢人ですから。

一番基になる読みを間違ってたんじゃ妄想はひどくなるばかり。

548 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 08:01:16
>>547
何を言ってるのですか?
「ヤマ」は古代からずっと日本にあった和語ですよ
漢人が「ヤマ」と言うはずがありません。
漢人が和語「ヤマ」の意味と音を元に「邪」を使用したに過ぎません。
貴方の言われるジャからヤへの変化も、
当時からヤの要素が存在していたから変化する事が可能だったんでしょ
しかも音の変化は線を引くように百年二百年で変わるわけじゃありません。
混在する時期が長く続いた後の一本化
八世紀にヤ音になったからと言って、ジャ音が消えたわけじゃないように

549 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 08:11:23
>「ヤマ」は古代からずっと日本にあった和語ですよ
ありませんでした。知らないでしょ。

漢人は倭人が「じゃ」と発音したから「邪」の字をあてたんです。

わかりますか?3世紀の漢人(史官)は邪はじゃと発音していたんですよ。

550 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 09:03:27
>>549

>ありませんでした。

では古代日本には「ヤ」音と「マ」音は存在しなかったのですね?


古代日本の「ヤ」と言う音をそのまま音写するなら「邪」は使用しないでしょう。
しかし日本語の「ヤ」音に、日本の地勢を付加させる場合は、日本語「ヤ」は漢語「邪」が音と意味のバランスがベストなんです。
例え漢音がジャでも、和語音は“ヤ”なんです。
ましてや漢人が倭人の表現を利用して作り出した表現ですから


知らないでしょう、日本語の仕組み。

551 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 09:12:03
>では古代日本には「ヤ」音と「マ」音は存在しなかったのですね?
極端な解釈ですね。ありましたよ。当然だと思いますよ。

まだわかりませんか?
漢人の書記官が、倭人がじゃと発音したから邪の字を書いたんですよ。
もしも倭人が「や」と発音すれば、漢人は「爺 や 」の字を用いますよ。

552 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 09:13:11
>>550
>知らないでしょう、日本語の仕組み。

河童虫さん以外に誰に習えますか?

553 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 09:16:58
>>550
>知らないでしょう、日本語の仕組み。
君の脳内日本語の理屈を語られてもね。




554 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 09:19:21
>>551

「爺」では日本の地勢を表現する事はできません。
漢人は、日本で「でっかい」と表現された地勢を「斜め」と
表現したから「邪」なんです。
単なる音写ではありません。

ましてや自分達の国を「じゃま」なんて誰が表現しますか
考えればすぐわかるはずです。

555 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 09:23:23
邪靡堆に都す、則ち魏志にいう邪馬臺なる者なり

河童虫によるとヤマイに都す、即ち魏志にいうヤマイなる者なりになるの?
訳分かりませんが。

556 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 09:24:34
>「爺」では日本の地勢を表現する事はできません。

そんなことまで、漢人の書記官は考えていません。
貴方のかってな解釈ですよ。

それにじゃまではありませんから。じゃめです。

557 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 09:32:45
倭人伝に書かれている固有名詞は
ただの音写ではありません。文字を見るだけで
意味も十分理解出来るように施されている。

「伊都」と書かれていれば、その地が都の玄関であった事が漢人には理解できるし、
「邪」と書けば、当地が斜めの地勢で、同時に和語を理解できる人には
倭人は“でっかい”と表現している事もわかるのです。

558 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 09:37:40
>>556

日本語に「じゃめ」という表現は存在しません。

559 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 09:40:39
>>555
何を言ってるんです?

邪馬臺は邪馬堆だと表現されているのです。
臺と堆ではまるで意味が違いますね。

560 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 09:41:31
>>557
貴方の思考はまるで細かくちぎったパスタ料理みたいですね。

一つ一つが短い。



561 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 09:43:39
>>559
>>508は?

562 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 09:46:05
>>547
漢和辞典をみると、ジャは呉音で、漢音はシャ、ヤとあるよ。


563 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 09:48:49
>>547

呉音が正しいのですよ。

漢音っていうのは8世紀以降の唐の漢人が発音したものなんです。


564 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 09:50:13
>>563
アンカーミスです。>>562さんへ

565 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 09:57:50
倭人伝では、倭語を卑字優先で音写してると考えるのが普通なんですがねえ。また、一部
の例外(末盧 などはおそらく漢語)を除いて、原則一音一字で表記しようとする意図が見ら
れる。意味まで写すのは無理と思いますけどね。

566 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 09:59:18
>>559

ヤマイは平成になってもヤマイですよ。

567 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 10:01:14
ですから本来はじゃめ臺国なんですけど、
8世紀に漢音が入ってきたので、やま臺国になってヤマトと訛ったわけです。
臺は中国語の可能性があります。高台にある役所という意味ですから。

当時の倭人にじゃめの表現がないとどうして断言できるのかな?
その時代に生きていた訳じゃないのに。


568 :565:2009/09/03(木) 10:01:50
だから、一音一字と考えれば「ヤマタイ」はない。やはり「ヤマト」と見たいとこですが。

569 :565:2009/09/03(木) 10:13:11
あと、「ジャマタイ」に関しては、3世紀の倭国に「拗音」があったとする根拠はないでしょう。
これは、中国語の音節構造上、介音を伴った音に由来したいて、漢字音の流入とともに日
本語として定着したと考えるのが一般的です。音韻体系として確立したのは室町期あたり
だと思いますけど。

570 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 10:14:30
>>565

漢字に卑字とかいう区別があるのですか?

571 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 10:17:03
結局やっぱりヤマトでしょう。

572 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 10:20:08
>>567

「じゃめ」と言う表現の発生理由が存在しないからです。

573 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 10:23:27
>>566
それじゃ答えになってませんね。

574 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 10:23:45
>>569
>3世紀の倭国に「拗音」があったとする根拠はないでしょう。
ありましたよ。
なかったとする根拠もないでしょう?その時代に生きていた訳じゃないのですから。




575 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 10:24:50
>>567

ただ、津軽方言に「じゃめ」(意味はわからない)と言う言葉が存在するので、邪馬台国津軽説でも打ち立てたらいかがでしょうか?

576 :565:2009/09/03(木) 10:25:23
あると思いますけどねえ。中華思想あるいは華夷思想と呼ばれるものにより、蛮夷の国には、
あえて、「匈奴、鮮卑、?(これ特にひどい)」とか動物名や明らかによくない意味の漢字を
んでつけてると思いますが。ただし「高句麗」などは、相手の国の自称をそのまま用いていると。

577 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 10:31:46
>>572
ですから、発生理由がなければ、そういう表現はなかったと断言できるんですか?
おかしな理屈ですね。


578 :565:2009/09/03(木) 10:32:48
576の ?=ワイです。「穢」がさんずいになってる字。拗音に関しては、「そうじゃない」の
ような使い方はあったかもしれませんが、少なくとも名詞に関しては漢字流入以降でしょう。

579 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 10:33:43
>>577

はい。理由のない音は言葉ではありませんから

580 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 10:42:21
>>575
ご冗談を。
私は北部九州説ですから。

じゃというの「さ」の音がうまくいえない幼児などが「じゃ」「しゃ」になりますね。



581 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 10:42:49
じゃ=蛇だったりして。

582 :565:2009/09/03(木) 10:45:53
まあ、565の考え方をとるとすれば、「一大=一支=一岐、対馬、末盧」までは、倭国への
渡航ルートとして、半島では一般に知られていた可能性があるんではないですかね。例えば
「まつら」はもともと倭語の「松浦」のような字義だったとしても、慣用化されることで「末盧」と
漢語化した。これが、「末」が一音一字になってない理由で、また、このルートには何らかの
必然があっていつも使われていた・・・まあ、そこまではいえないかな。

583 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 10:53:13
>>578
>少なくとも名詞に関しては漢字流入以降でしょう

じゃめというのは名詞じゃないですから。
じゃめには意味があるんです。
名詞の始まりはもともと意味があったのであって、いきなり名詞にはならないでしょう?

584 :565:2009/09/03(木) 11:10:22
しかし「じゃめ」が何だかわからないので答えようがないです。いきなり名詞にはなるでしょう。
言語の始まりは名付けることと思いますがね。

585 :565:2009/09/03(木) 11:20:07
まあ、卑字に関しては、唐書に「自らその名の雅ならざるを悪みて」云々とあり、「倭」の字義
がよくないものであるとどうやら感じてきて日本に改めたらしい、という記述のようです。中国
側にしてみれば、よくここまでもったな、と。

586 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 11:40:22
ヤマイ国ですよ。



587 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 13:25:31
>>563
確かに漢音は遣唐使によってもたらされたとか言われるが、それ以前だって使われていただろう。
呉音については、次のように言われている。

5, 6世紀に導入され、一般的に中国の南北朝時代、南朝の発音が直接、あるいは朝鮮半島(百済)
経由で伝わったと言われるが、これは「呉」音という名称や倭の五王が南朝の宋に朝貢したことや
朝鮮半島から儒教や仏教など多くの文物を輸入したという歴史的経緯が根拠となるのであろう。し
かし、呉音が本当に南方系統の発音かどうかについて、それを実証できるような史料はない。対馬
音や百済音といった別名が示すように古代の日本人は呉音は朝鮮半島からきたと考えていた。

どうかな? 3世紀に魏で呉音が使われていたとも言い難いようだが?


588 :565:2009/09/03(木) 14:23:20
日本でいう場合の「呉音」というのは蔑称的なニュアンスですよね。まあ、正統とする漢音以
外の音というほどの意味かな?


589 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 15:02:14
ジパング(Zipangu)なんだから、ジャマタイ・ジャマイでも不思議はない

590 :ローガン:2009/09/03(木) 15:26:20
>>544
> 「邪」=列島の形(斜め)

ん〜どうでしょう。確かに斜めという意味はありますが、「列島の形」とはちょっと…
「邪届伊都傍連斯馬」とありますから、位置関係を述べる際の「斜め、はすかい、」位の意味はあるとは思います。


591 :565=縦目仮面:2009/09/03(木) 15:39:56
>>590
しかし、衛星写真もない倭人伝当時、「斜め」などと認識できるもんですかね。まあ、河童さん
にこんなことを言ってもムダなんでしょうが。

592 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 15:45:00
>>591
出来たから「斜め」

593 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 15:50:37
河童虫の発想はいつも常人の斜め上

594 :縦目仮面:2009/09/03(木) 15:54:16
うーん、斜めねえ。まあ、「大倭豊秋津島」はトンボのことともいわれ、当時の倭人にも細長
いという認識はあったんでしょうねえ。東西は日本海、太平洋であるわけだし。しかし、国産
みの秋津島は本州のことですよね。

595 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/03(木) 16:56:18
人には二人の親がある。その親のそれぞれにも二人の親がある。したがって、現在1組の夫婦の3代前には合わせて32人の祖先がいたことになる。
4代前だと64人、5代前だと128人と倍々で増えてゆく。このように考えると100代前は2の101乗と途方も無い数字になる。弥生時代の人口は30
桁を越すから、日本列島は人ごみで身動きがとれない。

上の論のおかしなところを説明できないと河童虫さんの言ってることは分らないであろう。

596 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 19:22:32
>>574
拗音は無かった可能性があるな。
企業名を見ればわかるが、
「キャノン」は「キヤノン」が正式だし、
「キューピー」も「キユーピー」だ。

これは当時(明治)?の日本に拗音が無かったからで、
現代の我々が使っている拗音はどうも欧米由来らしい。

597 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 19:30:19
>>587
漢音というのは唐を建国した民族の音です。
魏やその前の後漢はまた別の民族の音です。
ですから、当然地方の訛りがあります。
中国の歴史を知らない人が呉音を無視するんです。
要は史書を書いたのは中国人ですから、自国の音で書き記すわけです。
日本人がいつどの音を使っていたかは無問題。

598 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 19:42:13
まあ、「呉音」、「漢音」、「唐音」、「宋音」
なんかが日本に入っている事から考えると
中国自体、音はどんどん変化しているみたいだし、
3世紀の発音がわかると考えるのが間違いかもな。

599 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 19:49:39
>>598
いえ、わかりますよ。楚辞だの詩経
だのは韻をふんでいるから、どの地域のどの民族が何音を使っていたかはわかります。

3世紀の魏は呉音です。

600 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 20:12:56
>>599

「楚辞」は魏代の300年前、「詩経」に至っては800年前だぞ
それなら魏代後世の七世紀の切韻の方が役にたつんじゃね

601 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 20:18:30
結論だけ言うと魏代の発音が漢代と同じ上古音なのか、晋代の中古音なのかは不明です。

602 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 20:22:45
いえ、詩経は800年も前じゃないです。本当は。
中国の歴史は引き伸ばされていますから。
でもそれはあまり問題じゃありません。
魏時代の詩人の詩も読んで確かめたらいいと思います。
魏の建国の祖の曹操は河南省の人です。
その当時河南省は呉音だったのです。


603 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 20:26:51
上古音とか中古音は問題じゃないです。
変わってもだいたいわかる範囲の変化ですから。


604 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/03(木) 20:42:47
私が子供のころ、学校の運動会で挨拶していた長老は明治5年の生まれだったが、運動会をウンドウクワイ(ワは小さなワ)と言っていた。
今でも、カをケという人もいる。タイガイをテーゲーと言う人もいる。固有名詞でも人によって発音が違うこともある。うちの近所の大造さ
んはタイゾウと呼ばれることもあるしタアゾーと呼ばれることもある。魏の人間が倭人から聞いても倭の正式発音かどうか分らない。などと
いう話になったら収拾がつかなくなる。呉音、漢音の話は決着がつくのだろうか。

605 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 20:43:56
どうしても呉音にしたい椰子がいるなあ?

呉音愛好会のメンバーらしいな

606 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/03(木) 20:53:19
>呉音、漢音の話は決着がつくのだろうか。
絶対に決着は付かない、何故ならば「発音も漢字で書かれていた」から「匈奴、鮮卑」
も漢字を使い自分たちの発音で「漢字を使用」。


607 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 20:54:05
>>605
8世紀以前の中国史書は全部「呉音」で読むの正解です。

隋書では対馬を都斯麻国と書いていますから。
「都」をつと読ませています。これは呉音です。


608 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:15:27
>>604縄文人へ

>>381に回答を


609 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:15:56
邪馬台国の存在を示す石碑、板碑は存在しない。
従って、邪馬台国の存在は今世紀中に明らかになることはあり得ない。
まあ、人工衛星から地下の埋蔵物の構造を読み取れる技術が発明
される希望は微かにあるけれど。

610 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:17:07
>>607

>8世紀以前の中国史書は全部「呉音」で読むの正解です。

隋書では対馬を都斯麻国と書いていますから。
「都」をつと読ませています。これは呉音です。


隋書の例をあげただけで、なして8世紀以前の中国史書は全部となるんだ?
説明してもらおうか。

611 :ローガン:2009/09/03(木) 21:23:24
漢音呉音の区分って日本の漢字音の事でしょう。
上古音から中古音への変化期辺りが魏晋朝なら、「呉音」で読むべきですね。


612 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:30:00
麻は呉音で「メ」とあるな。

613 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 21:38:38
>>610
魏志倭人伝では「對馬」と書かれています。對は対の旧字体です。
これを「ついめ」と読めば、呉音よみ。「たいま」と読めば漢音読み。
今現在の音から考えれば、呉音読みの方が近いです。

他の史書は名前や国名は魏志倭人伝の記載によっています。
「北史」のみ、邪馬台国を邪麻堆と書いているので、堆は呉音が不明なので、
漢音なのか呉音なのかはっきりしません。
正しくは申し訳ありません、「北史」だけ不明です。

614 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:42:05
>>604縄文人へ

>>381に回答を


615 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 21:43:43
>>611
>漢音呉音の区分って日本の漢字音の事でしょう。

今までのレスをきちんと理解できてないですね。


616 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:44:18
縄文人にかかわるな。


617 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 21:52:47
>>613
北史は現代の編纂でした。
邪麻堆を現代音でよむといいと思います

618 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 22:01:12
>>617
追加
堆の字は音に当てたのではないようです。
この字の意味は「丘」ですから「台」と同じ意味です。
ですから、本当の名前は邪馬で、それに中国語の「台」が付いたということです。

619 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:06:18
後に漢音が登場するなら、呉音漢音の混在期と捉えても間違いじゃない。
統一された教育なんて存在しない時代なんだから


620 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 22:10:43
>>619
混在などないです。中国人にとっては漢字一字に対し、一音ですから。
日本人は色々な音を取り入れたので、漢字一字に対し、いろいろな読み方があるんです。
この際、日本人の漢字読みは一切無視して考えたほうがいいですよ。

621 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:14:16
と言うか当時の中国人の発音が分かっても
倭人の方の発音が分からないのでは比較検証しようが無いのでは?

いやKYなんだろうがw

622 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:17:37
>>610

>魏志倭人伝では「對馬」と書かれています。對は対の旧字体です。
これを「ついめ」と読めば、呉音よみ。「たいま」と読めば漢音読み。
今現在の音から考えれば、呉音読みの方が近いです。


その考え方ちがうだろう。
現在の「つしま」の地名が、中国漢籍からの呉音読みから「つしま」という地名が発生した場合
どんなに漢籍を紐解いても呉音の読みしか浮かび上がらない。

たとえばAという固有名詞を漢音記載したものがあっても、後に呉音読みした音を地名に取り入れた場合は
たとえ漢音表記された漢字でも、永久に呉音表記とされてしまう。
当然「つしま」は

623 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:18:16
>>604縄文人へ

>>381に回答を


624 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:20:52
『隋書』倭国伝に書かれている「多利思比孤(タリシヒコ)」とは御諸別命のことだと思われます。
「歌語り風土記」には『景行天皇の御代に、豊城入彦曽孫の御諸別(みもろわけ)王が、東山道
の十五か国を拝領したとき、陸奥で蝦夷の騒動があった。王は即座にこれを平定し、以来東国
に浪風は無い。 当時の武蔵国入間郡は、国民も少く田畑も荒廃し、これを歎いた御諸別王は、
天皇に奏上して、大和、山城、河内、伊賀、伊勢の五国の多里人・八百九十七人を武蔵国入間
郡に移住させ、多里郡(大里郡)を置いた。この多里は「たり」と発音し、タリシヒコトは御諸別だ
ったとするのが妥当。後にその子孫は、足利氏(「たり」と読んだと思われる)の祖となったので
はないだろうか?

625 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:23:25
その前に、三世紀当時中国に音借なんて存在したのかという疑問も湧くがな
音借なんていうのは、そもそも自国の文字を所有していない国が便宜的に
行う臨時的な処置で、文字を持つ中国には必要ないもの
あえていえば
音借は日本からの逆輸入といっても過言じゃないと思うよ

626 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 22:28:43
>>621
>>622
ですから何度いったらわかるのかな。
倭人の発音を聞いて中国人が書いたのですよ。
中国人は発音どおりになるべく近い音の字を使ってあるいは卑字などを使ったりして
書いたので、呉音で読めば、すなわち、当時の倭人の発音がわかるっていうことです。
わからないですかねえ。

627 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:37:06
>>626

>倭人の発音を聞いて中国人が書いたのですよ。

そういう根拠は存在しないと思いますよ
それに当時の中国に音借という行為が存在していたかどうかもわかっていないのだから


>中国人は発音どおりになるべく近い音の字を使ってあるいは卑字などを使ったりして
書いたので、呉音で読めば、すなわち、当時の倭人の発音がわかるっていうことです。
わからないですかねえ。

それには当時の日本に固有名詞が存在していたことをまずは証明しなければなりませんね?



628 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/03(木) 22:38:35
>呉音で読めば…

呉の発音を知らない人間は居なかったのか。


629 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 22:44:00
>>627
中国人が日本に来て、かってによその国の名前を書くはずないでしょ。
それとも対馬や壱岐は中国人が先に名づけたとでも言うのですか?

そのほかにも二十数国の名前がずらずら書いてありますけど、それも中国人が名づけたのですかね。
随分器用な中国人ですよね。

630 :縦目仮面:2009/09/03(木) 22:49:30
うわー、漢音・呉音まだやってたんですか。これはいわゆる「夏侯惇」問題ですかね。「カコウジュン」
なのか「カコウトン」なのかというやつ。「ジュン」が呉音で、「トン・シュン」が漢音。しかし、漢音ー呉音
というのが、ある時期、ある地域でぴったり区分されるものかな?

631 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:49:36
魏晋時代、呉音を用いて和語を音借して表記しているなら
倭人伝にも隋書と同じように「都斯麻国」(はっきりとツシマとわかる)と表記されています。
それが「對海」や「對馬」と表記されているなら
それは音借という音の重要性ではなく、漢語表記としての文字の表意性重視と
解釈するのが現時点での最良な考え方と思います。

632 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:52:06
中国の歴史書は、耳で聞いた知らない国名や人名を漢字で表記したと考える
べきなんだろうな。ただ、そうなると、聞く人によってかなり違った表記に
なるのだろう。

日本も昔は外国の国名を漢字で表記していた。でも、一つに決まっていたわけ
じゃない。たとえば、アメリカなどは、亜米利加、亜墨利加、米利堅、
美利堅、弥利堅などがあったらしい。

同じ国や人名でも、違う書き方をされる場合があることなどを考えると、
地名、人名に細かくこだわるのもどうかと思う。

633 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/03(木) 22:52:20
嶋王って斯麻王て書いたんでなかったか?

634 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 22:56:30
>>630

されません。
地域によって様々な言葉が飛び交う地域だからこそ
音が異なっても理解できる表意文字が発達したのですから

635 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 22:57:42
>>630
区別されるんじゃなく、区別を見極めるんですよ。

それと民族移動などもあるから、区別するのは難しいけど、それを区別しなきゃ
そもそも読み方がわからないでしょう。
日本人が一つの史書を呉音でよんだり漢音でよんだり、ごちゃ混ぜにして読んでいるから、
何時になってもわからないままなんですよ。


636 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 23:01:13
>>631
表意性重視ではないです。
音重視です。

637 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:06:09
>>629
中国人が名付けたのではなく、河童の言葉を借りれば表現した
すべて漢語で表記すれば百であろうが千であろうが数限りなく作り出すことは可能だと思います。

たとえば『海に近い』国、『海から少し離れている』国、『山にだんだん近づいてきた』国、『崖が多い』国
いくらでも作り出すことができます。

638 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:14:43
伊都をイツと読ませ、伊都イト≠前原としたい思惑絡みの椰子には
どうしても呉音による音借表記を絶対的にさせたいからな。

639 :縦目仮面:2009/09/03(木) 23:16:38
>>635
でも、曹植でも「ソウショク」か「ソウチ」か本場でも説が分かれるけどね。ちなみに「ショク」
も「チ」もどちらも漢音。詩人の曹操がつけたのなら声調が合う「ソウチ」を取りたいところだけ
ど。しかし、この問題は難しいよ。


640 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 23:17:29
>>625に同意

641 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/03(木) 23:19:45
>>632
それでいいのだ〜。


642 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 23:20:59
>>631 は私のレスで、名無しになってしまいました。



643 :日本@名無史さん :2009/09/03(木) 23:28:19
音を写してかいたことを音借というんですか?

中国史書は日本だけじゃなく、異国の史書はみんな音借ですよ。

644 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:30:28
>>625
漢字は、先秦時代の中国人にとって、自国の文字ではない。
秦の文字統一によって、征服者が押し付けたもの。
それ以前は、国ごとに文字が違っていた。
しかも、押し付けた秦も滅んでしまった。
漢以降の文化を担った人々は、漢字を作った人々の直接の子孫じゃない。

645 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:38:39
晋の文書なのに何で呉の発音で書かなきゃいかんのよ?

646 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/03(木) 23:39:26
>秦の文字統一によって、征服者が押し付けたもの。
この時点では、漢字は、表意文字であり、発音は、その土地の発音で良かった。


647 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/03(木) 23:43:37
>>324 >>327
そろそろ自身の無知なり頭の悪さなりを披露するのを止められたらいかがでしょうか?
科学というのは仮説を立てそれを検証し残ったものを是とするのですよ。
貴方が言っているのは仮説を検証せずに否定することばかり。畿内説云々以前にあなたの思考がすでに非科学的なのです。
オカルト板にでも行かれたほうがよろしいですよ。向こうではあなたのような思想でも十分通用します。

あなたの頭がわるくて、他人の仮説が理解できないことが多いのでしょうが、それなら素直に理解できないというべきです。
他人の仮説を理解したうえで検証し、現実に合わないような何かを指摘する。それが出来ない頭の悪さなら、
この一連の書き込みのように、ご自身の頭の悪さをさらけるだけになりますよ。

「自分が理解できない」=「間違えてる」しか考えられないなら仕方ない。
個々の説を検証できない、どの程度の優劣があるのか理解できないなら仕方ない。

ぼくの信じるせんせーの本に書かれたキナイせつがただしい、と言い続けておきなさい。


648 :俺様が崇神だ!:2009/09/03(木) 23:46:48
>>623
俺様が生まれたときには縄文人はいなかった。俺様は九州出身だ。今は奈良に住んでいるが、何か問題でもあるか。

649 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/03(木) 23:53:24
>>643

ナイスな指摘   私も>>631のレス間違って使用していたわ  音借と音写のちがいね

では>>631の訂正文

魏晋時代、呉音を用いて和語を音写して表記しているなら
倭人伝にも隋書と同じように「都斯麻国」(はっきりとツシマとわかる)と表記されています。
それが「對海」や「對馬」と表記されているなら
それは音写という他国の音の重要性ではなく、漢語表記としての文字の表意性重視と
解釈するのが現時点での最良な考え方と思います。


音写=ある言語の音を、他の言語の文字を用いて書き写すこと



失礼しました。


650 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:10:40
崇神天皇の御世は、疫病の発生から始まっている。
民の大半が死に、加えて不作で人々の心は離れていく。
どうすればいいかと悩み、大物主神を祀る。
これで疫病は治まり、人心も戻る。

そこで、武埴安彦の反乱が起きる。制圧して畿内は安泰。
次に四道将軍を派遣して、周囲を固める。

このように見てみると、神武天皇やその後のいわゆる欠史八代は、畿内で
なにをしていたのだろうかと思う。
神武天皇と崇神天皇が同一人物ではないかというのはそこにある。
東征から即位までが神武天皇であり、その後が崇神天皇なのではないかと。

651 :俺様が崇神だ!:2009/09/04(金) 00:13:35
>>650
むむ、俺様の素性に迫ってきておるわい。

652 :ローガン:2009/09/04(金) 00:53:39
>>615
> 今までのレスをきちんと理解できてないですね。

おや、失礼。しかしアンカーを辿ると発端は
>>547邪の字は「じゃ」が正しいです。「や」と読むのは8世紀以降の唐の漢人ですから。

でしょう。 邪が助詞でない以上、中古音以降 zia→sie→(xie)「や」と発音する事はない。
「漢音」の発音はシャ、「呉音」はジャ。 いずれにしても日本における漢字の発音。
しかし上古音と中古音の変化期に邪(yia)と云う発音があれば、長安辺りの中古音を基軸として後に日本で広まって辞書に記される「漢音」ではないのは、明らかだと思いますが。いかが?


653 :俺様は祟神だ!:2009/09/04(金) 01:57:43

奈良湖の南岸に細々住んでいた神武族に疫病が流行った。
その混乱に乗じて河内から奈良盆地に侵入し、征服したのだ。
神武族の抵抗は全くなかった。
征服6年目には奈良湖は消滅し、
奈良湖跡地では米の大増産をし、
我々は冨と力を蓄えることが出来たのある。

ところが、奈良盆地の北の丘の向こうには、
奈良盆地の支配を快く思っていない奴がいた。
そいつは武埴安彦だ。
彼等は金ピカの鐘を奉る変な信仰を持っている。

彼等の聖地(祝園)に一気に攻め込み皆殺しにした。
彼等の仲間を追いかけて淀川の畔(樟葉)まで追い詰めた。
我々の勇猛さに、彼等は恐怖のあまり糞を漏らすのだった。

654 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 02:21:15
>>647 二 ◆.L.MXSPOgc
>他人の仮説が理解できないことが多いのでしょうが
と言うよりお前の説は誰からも理解されないんじゃないかな?w

「三国志は多数の史料より構成されるから自分の言う行程記事も
多数の史料よりなると言うのも必然性蓋然性がある」
と言えば尤もらしいが…

魏・呉・蜀の全てを網羅した原史料のようなものがあってそれで三国志が書かれた訳じゃなし
各々は多数の原史料からなりさらに一つ一つが…と多層的構造になるのは当たり前。

だがこの馬鹿が言う「二つのルートのごちゃ混ぜ」とは話が違う。

通常あの行程記事が複数のソースからなると言ってもそれは言わば「継ぎ足し」であって
(例えば…不弥国までの郡使の収集した情報 + 不弥国から先倭人に聞いた情報) 

「足して2で割る」「水と油を無理矢理混ぜる」この馬鹿の言う事とは違う。

このレスを読んでいる人間には、例えば日本で江戸〜京の行程について
「東海道」と「東山道(東海道よりは飛騨・信濃と言った内陸を通る)」があり
その二つをぐちゃ混ぜにして一つの記事にしてしまう…と言えばこの馬鹿の言うのが
如何にこの馬鹿の言う事が無茶苦茶かイメージし易かろうw

まあ二つのルートが同一のものならごちゃ混ぜもありうるかもしれんが
そもそもトータルが12000里にならない「張政の報告書」をど
うして全行程12000里(この積算根拠も分からないがw)の「梯儁の報告書」と混ぜなきゃならんのか?

陳寿か魚豢かそれ以前の編者か…二 ◆.L.MXSPOgcなみのアホだったのか?w

何れにせよ「便利なオレサマ設定」の下でいくら
「ボクちゃんの説は上手く行程記事を説明できます」と言っても誰もまともに取り合わないだろうよwwwwwwww

655 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 02:28:36
ついでに言うと、四道将軍とは北陸、丹波、東海、吉備に派遣された将軍と
なっている。この地域は、まさに畿内の周囲といえる。
つまり、崇神天皇の時代には、畿内の周辺でさえ抑えていなかった。

一方で、邪馬台国は、壱岐や対馬まで官を置き、ちゃんと支配している。
伊都国には、諸国が恐れ憚るような一大率まで置いている。

卑弥呼の時代は間違いなく3世紀前半。では崇神天皇の時代はいつなのだろうか。
邪馬台国畿内説を取ると、かなり矛盾したことはならないだろうか。

656 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 02:40:30
>>655
書き忘れたが、倭人伝には、伊都国には代々王がいて皆女王に統属すると
書かれている。この地域が女王国に統属したのは、かなり古いことになる。

657 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 02:48:42
女王国=邪馬台国ではなく女王国=卑弥呼を共立した国々ですよ。


658 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 05:44:14
>>655
大和王権成立から国家統一過程まで飛躍しすぎ
それぞれ段階がある

神武は北部九州から畿内に至る瀬戸内制海圏の掌握と国津神と天津神との宗教的融合
すなわち、軍事同盟成立

崇神は畿内における反大和王権の一掃
すなわち畿内に限ってではあるけど、同盟から強固な集権的国家からの脱皮(政治の一元化)
そして四道将軍により革命の拡大化肥大化が行われた

卑弥呼は崇神の一世代前
北部九州と畿内にある邪馬台国の関係は神武から続いてる
それは、綏靖=帥升という仮定と、なぜ帥升が奴国を名乗らなかったかも符号するんだ

659 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 06:25:23
>>604縄文人へ

>>381に回答を


660 :うましか:2009/09/04(金) 07:17:51
>>655

> 一方で、邪馬台国は、壱岐や対馬まで官を置き、ちゃんと支配している。

壱岐や対馬の「官」は邪馬台国直属じゃないかもしれませんよ。
官名が類似するのは玄海諸国の一部(対馬、一大、奴、不彌)だけ。
なので、これらの官は玄海諸国の中心っぽい伊都國配下の官だったのかもしれない。

661 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 07:22:10
官はその国の王が置くもの。邪馬台国や伊都国が対馬の官を置くなどということはない。

662 :うましか:2009/09/04(金) 07:40:04
「国」には、必ず「王」がいないといけないのですか?

663 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 07:40:09
>>661
伊都や対馬も邪馬台国です。

664 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/04(金) 07:53:41
>>654
日本や朝鮮半島の正確な地図や、北九州の遺跡や金印が見つかったのは、それほど昔のことではありません。
伊都国=前原、奴国=博多を覆すような何かはありますか?
末盧国から南東500里、これを方位や距離を間違えて記述したという蓋然性のある根拠はありますか?
現在、私たちが入手できる情報では、これら2つは相容れないものであると簡単に判断できます。
しかし18世紀以前、おなじ邪馬台国までの行程を書いた文が2つあり、それら2つのルートが異なるか同じかなど、
日本に来たこともない人が、どうやって判断できたというのでしょう。

人の説が理解できないなら理解できないでいいですよ。
間違えているとも指摘できずに、それでも認めないとわめき続けるのは、負け犬の遠吠えでしかありません。


665 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 07:54:00
女王国に存在する女王は、金印紫綬と言う外臣最高位の魏臣
倭の交易地域の統率は、女王に委ねられているのだから、各国に官を置くのは普通です。

666 :日本@名無史さん :2009/09/04(金) 08:19:10
>>652
>邪が助詞でない以上、中古音以降 zia→sie→(xie)「や」と発音する事はない

貴方は呉音と漢音の区別を何か勘違いしていませんか。
貴方は呉音も漢音も同じ地域の変化だと思っていませんか?

ziaはziaから変化。

sieはsieから変化。
別々です。ですからzia→sie→(xieのような変化は私は説明した覚えはありませんが。


667 :日本@名無史さん :2009/09/04(金) 08:32:32
呉音はおもに洛陽から南京あたりの発音

漢音はおもに秦の故地 長安あたりの発音。

中国は広いから、詳しく分ければ膨大に数になるけれど、
史書に書かれた音はこの2つがおおまかなところ。
というよりほとんど呉音で書かれていますけど。

別個にそれぞれの時代とともに音が変化しているんですよ。



668 :日本@名無史さん :2009/09/04(金) 09:04:01
辞書を見たら、邪は疑問反語の助詞に邪を用いて漢音でヤと読ませるようです。
=耶と書いてあります。

耶も疑問、反語、詠嘆の助詞でヤと読みます。こちらは呉音も漢音もヤです。

邪馬台国の場合、一歩譲って邪を助詞としてヤと読めば(本当は呉音は不明)、ヤメ台国で、
台はうてなの意味で中国語だとすれば、基の名はヤメ国で、ずばり「八女」ですよ。
でも私は元の意味は「じゃめ」だと思いますけど。
ですから、邪馬台国は八女市一帯の広い地域を支配していた国なんだと思いますよ。

669 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 09:51:19
>>668
「邪」が助詞なら
一体何と何の関係を示すものですか?

670 :日本@名無史さん :2009/09/04(金) 09:59:24
>>668
助詞読みを借りるという意味ですよ。
意味はないです。音の当て字ですから。

671 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 10:42:37
邪馬は漢語です。
=斜めな地に建国された(よこしまな奴らが建てた


約束したから最高の位を与えたのに、どうして約束を破る。 ヨコシマな奴らめ


だから「邪馬」

672 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 11:05:43
>>662
国は、王(支配者)と領土、領民で成り立つものですからね。
当然、王はいます。

673 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 11:18:29
>>672

それは当時の「國」の考え方には当て嵌まりません。当て嵌まらないからこそ、改めて韓伝にて

「十二國亦有王」と書かれるのです。

國に王の存在が定番なら、書く必要もない記事です。

674 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 11:31:15
>>673
韓国の場合、王を別の呼び方にしていた国が多いからでしょう。


675 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 11:34:55
>>647

例えばどのような呼び方?

676 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 11:36:27
韓伝を読め。

677 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 11:48:23
>>676

書いてないから読む必要もない。
だから


貴方の考えはボツ決定。

678 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/04(金) 12:52:00
>>659
おまえさんに回答してもどうせ碌なことにはならんだろが、真相を話してやろう。
崇神は大和王権確立の立役者で畿内で活躍したので、また万世一系の建前から、神武の子孫ということにしてあるが、本当は
九州の出身だ。いわゆる欠史八代は神武と崇神の部下だ。神武は倭国大乱の頃九州を離れているから卑弥呼の邪馬台国とは時
期が違うから邪馬台国直系ではないとすることが出来る。それでも記紀では時代を随分前に持っていった。崇神は壹與の邪馬
台国時代に生まれて青年時代に畿内に移った。彼が邪馬台国の王になれる見込みがなかったのか、疎外されたのか、愛想をつ
かして新天地を目指したのか、詳しいことは本人に聞いてみなければ分らんが、まあ、そんな次第だ。ともあれ、英雄だった
ことは間違いない。

679 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 13:06:32
>>678縄文人
>崇神は(中略)、本当は九州の出身だ。

どういう史料、資料で、それを論証する?

680 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 13:31:17
全ては想像だけのお話・・・

681 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 13:56:08
>>679
古事記の読み方ではそのように読めるそうだよ。

682 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 14:18:51
崇神天皇のとき謀反を起こしたとされる武埴安彦だが、その妻の吾田媛が
重要視されているなあ。ところで吾田媛…?。

吾田というのは日向ではなかったかな。
神武天皇の妻は、日向の国の吾田邑出身の吾平津媛だったはず。
即位してから妻にしたのは、姫蹈鞴五十鈴媛だが。

なんとな〜く、手研耳命と武埴安彦がかぶるような気がしないでもない。

683 :俺様が本家崇神だ!:2009/09/04(金) 14:43:33
縄文人は俺様がやっつけた武埴安彦の子孫が代々伝えた遺言、口伝というやつか、を聞き知ったんだろ。俺様を恨みに思う連中もかなり居て
辺鄙な田舎に隠れ住んでいたようだからな。そう言や記紀も昔のことは口伝に頼ってるな。資料価値はどっちが上か分らんぞ。

684 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 15:08:16
>>677
馬韓の王が居る国は月支國
その他の49国には王がいない。
倭も同じ
伊都国に女王が居て
その他の国には王がいない。
例外として狗奴國だけが王と称して対抗している。

685 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 15:13:02
>>684

丗有王皆統屬女王國

どうする。

686 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 15:41:00
>>684

女王は伊都国なんかにいません。女王は伊都から千五百里離れた女王の都に居ます。
その場所は決して伊都国ではありませんから安心してください。

伊都はイミグレのある、都の入口国です。

687 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 15:45:30
>>684
後漢書の
使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。其大倭王居邪馬臺國

あるいは、隋書の
魏時、譯通中國。三十餘國、皆自稱王

は、どうなる?

688 :俺様が本家崇神だ!:2009/09/04(金) 15:58:39
丗は この時代 の意味だろう。皆と統は意味がダブルが、女王が治めることになって以後はみんな と言っているんだろう。
伊都国には王が居るがみんな女王国に従属している。王が何代か代ったな。卑弥呼が女王になって、壹與が立てられて、かなり
の年数だからな。

独立国には王が居たであろうが、連合国のそれぞれの国に王が居たかどうかは難しいところだ。居たところもあるだろうし、邪
馬台国からの官が統治していたところもあるかも知れない。日本も第二次世界大戦で負けたあとアメリカに占領統治されていたが、
国は日本のままであり、アメリカに属していたかも知れないが、アメリカの領土ではなかった。

689 :ローガン:2009/09/04(金) 16:23:31
>>666
> 貴方は呉音と漢音の区別を何か勘違いしていませんか。

だから昨日の議論では漢音呉音の2択でしょ?誰も方言に触れていない。
2択とした場合、辞書を参考に考える際、そこに記される漢音呉音とは、日本で受容された音ですね?
その辞書に書かれた漢音とは、李フウが切韻から説明した呉音と区別される唐時代の長安語が、日本で受容され広まったものですね?(昔そう習いました。)
つまり辞書にある漢音で3世紀の書は読めない。という事です。

690 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 17:00:23
>>688

丗に「この時代」と言う時間の意味を持たせる場合は、この「丗」に時間の意味を要求する場合に限ります。
しかしここでは
「女王国」という、女王が存在したと言う限定された時間の設定がなされているので、
この場面で「丗」に時間の意味を持たせるのは無理があります。

691 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 17:11:10
「丗」30に時空は無いが、
世世傳統。は時空の変遷を表している。


692 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 17:52:42
>>691
唐松山は、どうやらNHKのSF恐竜番組の見すぎらしい?ww
彼の論はそろそろSF志向だな?w

693 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/04(金) 18:36:05
>>691
丗は30のことなん?参も十も使わんで丗にする意味が分らん。

694 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/04(金) 18:40:58
>丗は30のことなん?

この人、今頃知ったのかw
やっぱ、縄文人 さんは少し勉強不足だよねww

695 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/04(金) 18:43:40
>>686
>イミグレ

師匠がイミグレて言い出したら、すかさず真似っ子ですかw
ほんとに意味分かって言ってる?

>>690
丗は30人じゃないよwww

696 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/04(金) 18:51:42
うましかさん
て初めて見る名前だね

>「国」には、必ず「王」がいないといけないのですか?

て新人さんかな?初めまして〜

697 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 19:19:57
>>696 改め ◆qexCkQtLcY さん

うましかさんは、馬鹿どころか博識の人。
以前から他スレに出ているよ。

698 :me :2009/09/04(金) 19:26:16
>>697
了解
 
うましかさんって、
ハンドルネーム変えたか、ある程度知ってて来た人みたいだね。
知識あるとか、無いとか、その人、初めてみるのでw


699 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 19:26:27
>>695

>イミグレ
>>686は正しい用法で書いている。
伊都國は女王の都への玄関だと書いているのだ。


700 :me :2009/09/04(金) 19:28:11
というか、
ハンドルネーム付は人って、みんな、詳しいですよね。

私なんて、勉強不足を痛感させられますわw

701 :me :2009/09/04(金) 19:30:28
>>699
いや〜 それは分かってるけど、
また、師匠が言ったから僕も〜 てやつかなと..........w

702 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 19:53:22
伊都国の都という字の意味をよく考えよう。

703 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 20:34:20
邪馬台国関連のスレ読んでると九州、畿内どちらにも説得力ありそうに
思えて困るわ
結局、何が発見されたら勝利確定なの?

704 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 20:39:28
>>703
デタラメが最近畿内にくら替えしたそうだから、畿内はヤバイと思う。

705 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 20:40:42
>>703
縄文人というコテがいってることはほぼすべて違う。これは競馬で考えればわかりやすいが、
こいつは実に重宝な存在だ。つまりそこを外して考えればよいのだから。

706 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 20:43:37
伊 イ
都 タ
ですね。


707 :wwwwwwwwwwwww:2009/09/04(金) 20:48:18
>>695
改めさんは河童虫さんに嫉妬しているのですか?まるで消防見たいですよね。

708 :me :2009/09/04(金) 20:51:03
>>707
意味不明レス

賛成である、河童さんに嫉妬してどうするんだよ。
嫉妬するんなら、女性がからんでからにしなさい!って思う。


709 :me :2009/09/04(金) 20:51:45
賛成 ×

男性 ○

710 :俺様が崇神だ!:2009/09/04(金) 21:04:09
改めが嫉妬してるのは縄文人だな。
>>705 を書いた奴もそうだな。
優れた人間に嫉妬するのは凡人の性でこれは仕方がない。世の中とはそういうものだ。ただ、慧眼の士を友に
持っておればこのような他愛のない連中と付合う必要も無いよ。

711 :日本@名無史さん :2009/09/04(金) 21:13:23
>>689

私も呉音で読むべきだと思っていますが、

貴方のレスでわからないことがあります。
>上古音から中古音への変化期辺りが魏晋朝なら、「呉音」で読むべきですね。
上の文です。
上古音、中古音は時代による音の変化でしょう?それがなぜ呉音に結びつくのかわかりません。
呉音は地方の訛りです。

そしてzia→sie→(xie)「や」の変化はないと示しましたよね。
ziaは呉音でsieは漢音ですよね。
呉音→漢音の図式は私には思いもつかないものです。
呉音、漢音は地方の訛りですから。
例えば、関東弁→関西弁に時代とともにかわることはないですよね。
関東は関東の音で変わるし、関西は関西の音で変わるでしょう。

だから、上古音、中古音というのは地域性を全く無視した学問なのではないですか?



712 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 21:21:16
帰宅して見れば、勝手に想像して一人ではしゃいでいるのが居るようだ。

>イミグレ

先日イミグレが何だか解らなくて、聞いていたのは何処のだれだったのかな?

713 :me :2009/09/04(金) 21:29:35
>>710
君はまだ、飽きられてないからねw 今が花というかw

>>712
?? イレズミがどうかした?w
どうせ、虫氏からの、うけうりのくせに〜何を言ってるwww

714 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 21:30:05
>>685
「丗有王皆統屬女王國」の意味は
「丗有王」・・・伊都国には代々王が居た(卑弥呼〜壱與)
「皆統屬女王國」・・・倭の国々は皆、女王國(伊都国)に統屬す
です。
「丗有王」の文は魏略には無い、
魏略が参考にしたであろう公孫氏の帯方郡の倭の資料では
伊都国には代々王がまだ居なかった(初代の卑弥呼の時代の為)。
「皆統屬女王國」も「其国王皆屬王女也」となっている、
これも魏略が公孫氏の帯方郡から倭に付いての情報を得た為で
まだ親魏倭王が誕生する以前の状態を表している、
倭王がいれば「其国王皆」とは書けない(帝−王−公が秩序、王の下の王は無い)
倭人伝では倭王が存在するので「其国王皆」が「皆」と書き換えられている。

>>687

>後漢書の
>使驛通於漢者三十許國 國皆稱王 世世傳統

これは倭王が漢に任命される前の状態

>其大倭王居邪馬臺國

これは倭奴国に「漢委奴国王」の金印を与え柵封し倭国王とした後の状態

>あるいは、隋書の
>魏時 譯通中國 三十餘國 皆自稱王

これは親魏倭王以前、魏略を参考にしたもの




715 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 21:37:25
呉音
晋が五胡の侵略を受け、江南にのがれ 東晋を建てる。
華北の中原を治めるのは、北方民族
「晋は辺境の江南に追いやられているが、中国の正当な王朝は漢人たちの
江南の東晋にあるという劣等感を持ち続けていた」

このへんから 呉音が受け入れられる。


716 :俺様が崇神だ!:2009/09/04(金) 21:41:09
呉音だろうが漢音だろうがそんなことはもういいだろ。出雲では昔の人は「何時も(伊都も)」のことを「いずも(出雲)」
と発音していたぞ。倭人伝は書かれている文字から受けるカンジで読めばよいのだ。

717 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 21:49:45
>>716
おまえのレベルではそれしかできんのだろ。

718 :me :2009/09/04(金) 21:50:28
上古音?
カタ仮名とか、ひら仮名のもととなった、
上代特殊仮名遣いのことを言ってるのかな...。
二パターンあって、「甲」、「乙」に分かれてるとかいうやつだよね。

んで、「邪馬台」国=「ヤマト」国 でいいのかな?まあ、議論の対象でしょうがww

719 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 21:57:27
>>713

>?? イレズミがどうかした?w

イミグレーション(出入国に関する審査)
ちゃんと今のうちに覚えておかないと笑われちゃいますよ・・・・

思いっきり自慢するけど、私はこう見えても一般旅行業務取扱主任者資格保有者です。(英語がムズくて何度も落ちたけど)


>どうせ、虫氏からの、うけうりのくせに〜何を言ってるwww

残念でした。オリジナル


720 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 21:57:41
いとおかし。


721 :me :2009/09/04(金) 22:03:52
www

今度はオリジナルでしたかw
毎回、ホームページをコピーしてるだけかと・・・w

722 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/04(金) 22:15:27
>>721

>毎回、ホームページをコピーしてるだけかと・・・w

そう思っていたのなら私にレスする必要もないし、話題に出すこともないと思います。
それとも私を煽ってスレを荒らしたいという思惑からなのかな?
だったらそう言ってくれれば
何時でも「プラム」に戻ってご要望にお応えしますが  いかがですか?


723 :me :2009/09/04(金) 22:17:24
www

もう顔が真っ赤になってるw

724 :日本@名無史さん :2009/09/04(金) 22:33:28
>>714
大倭王の「大」の字がありますよ。後漢書には。
その下にだたの「王」がいたんだと思いますが。

725 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:21:40
>>724
倭王だけではその前の『國皆稱王』の王と区別がつかない
漢が任命した正式な倭王を大倭王と記したもの
大倭王がいた時は下には王はいない。
後漢書は5世紀のもので
倭の非統一時代の『國皆稱王』と統一されて倭王、倭国王がいた時代の記述がゴッチャ混ぜ。



726 :日本@名無史さん :2009/09/04(金) 23:27:28
>>735
では魏志倭人伝は?伊都国の条で、
世有王皆統属女王国
とありますよ。


727 :河童虫 ◆jPpg5.obl6 :2009/09/04(金) 23:47:15
>>725

>後漢書は5世紀のもので
倭の非統一時代の『國皆稱王』と統一されて倭王、倭国王がいた時代の記述がゴッチャ混ぜ。


たとえそれが平成の世に書かれようと、後漢書は後漢時代の事を書いた書
後漢時代の以降の時代背景が入ってしまったら
それこそ予言書でありトンデモ書です。

728 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:50:31
>>726
世有王皆統属女王国は、伊都国だけに関する記事ではない。
伊都国だけのことなら、王の話なんだから官より先に書くはずだろ。


729 :ローガン:2009/09/05(土) 00:01:40
>>711

> 貴方のレスでわからないことがあります。
> >上古音から中古音への変化期辺りが魏晋朝なら、「呉音」で読むべきですね。
> 上の文です。

三国志が官話系方言なのか?呉方言なのか?それ以外なのか?はたまた上古音なのか?中古音なのか?又はその端境期なのか?
さあ結論やいかに(笑)
まあ想像はしますがね…。さておき、昼にも書きましたがここでは「漢音vs呉音」の議論でしょう?
漢和辞典に書かれた漢音は唐時代の長安語の日本訛であるがゆえ、六朝音を考える上に於いて除外して良いと思うのです。
2択ですから残るのは呉音。古式の面影、つまり上古音や中古音の端境期の面影を残すのは呉音だと思います。



730 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 00:08:04
>>728
文の流れからいうと伊都国のことです。
皆は前の「王」にかかります。

伊都国の官の爾支(ぬし=主)が王であると思います。


731 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 00:13:00
>>729
>三国志が官話系方言なのか?呉方言なのか?
それは誤解ですよ。
三国志は官話系方言でもあるし、呉方言でもあるんですよ。

ですから、場所(地域)が問題なんです。
唐の時代は長安でしょう。これは秦音なんですよ。
漢、魏、晋などは呉音でその時は天下をとっていましたから官朝方言なんですよ。

732 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:16:38
>>730
文の流れからいってちがうのですよ。学者もそれまでに出てきた国々の話だ
とも解釈できると言って、伊都国のことだと断定はしていません。

官=王ということはありませんね。

733 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 00:20:14
>>730
いえ、そこで唐突に伊都国以外の話題になるのはおかしいです。
学者はアホとしか思えません。

官は王です。
女王国連合になったので、それぞれの国の王を官に任命したのですが、
自国内では王を自称していたと思われます。

734 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:23:28
>>733
伊都国以外のことになるのではありません。伊都国も含めた、それまでに出てきた
4か国のことを合わせて書いているということです。


735 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:25:24
>>734
伊都国を含めても同じですよ。

736 :俺様が崇神だ!:2009/09/05(土) 00:32:19
>>734
横から失礼する。
世有王皆統属女王国は誰が見たって伊都国についての記述の途中にある。前には有千餘戸、後には郡使往来常
所駐とある。他の国のことである筈がない。学者という奴はよほど変な解釈をするもんだな。

737 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:34:22
>>726
「世有王皆統属女王国」は魏略では「其国王皆屬王女也」となっている
「世有王」は魏略後の様子
魏略は公孫氏が持っていた倭に関する情報に基づいて書かれ(卑弥呼が倭王になる前まで)
魏志倭人伝は公孫氏が滅んだ後の情報が追加され
卑弥呼の後も女王国が続いたので「世有王」は追加された
「世有王」は伊都国にいた女王、卑弥呼、壹與らのことです。



738 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:39:38
>>734
魏略の「皆屬王女也」を修正して「皆統属女王国」となっているから
元々は伊都国も含めた、それまでに出てきた
4か国のことを合わせたものを「女王国」と呼んでいると考えられるが
魏志倭人伝の場合は傍らの国々も含まれ邪馬台国となっている。

739 :俺様が崇神だ!:2009/09/05(土) 00:41:19
>>737
伊都国に卑弥呼や壹與が居るわけなかろう。南至邪馬壹国女王之所都とあるではないか。

740 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 00:45:42
>>737
魏略も魏志倭人伝と内容は変わらないですよ。表現が違うだけで。

伊都国にいた女王、卑弥呼、壹與らはいないでしょう。
邪馬台国にいたんですよ。

741 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:45:46
>>736
前にも書いたが、伊都国だけのことなら、王の話なんだから官より先に書くはずだということ。
それと、魏略のほぼ同じ文章「其国王、皆属女王也」が伊都国歴代の王ではなく、
4か国を示すと解釈されることが理由だね。
後には郡使往来常所駐とあるというが、これが問題なんだよ。これを伊都国についての
記述と読んだ場合、いったい何を言いたいの?と思わないかな。駐する所というのは宿
泊する所という意味。伊都国に泊まることは当然だろうが、泊まるのは伊都国だけでは
なく全ての国都で宿泊するはずだろ。休めるところで休みながら進むに決まっているん
だから。伊都国に他より長く宿泊する? 一大率がいるんだから、そのぐらいは当たり前
でわざわざ記載する必要があるとも思えない。妙な文章だと思わないかな。


742 :ローガン:2009/09/05(土) 00:47:09
>>731

> 漢、魏、晋などは呉音でその時は天下をとっていましたから官朝方言なんですよ。

あ!そうですね。これは失礼。幼稚な思い込みでした。撤回します。
少し教えて下さい。その方言についてですが… 呉方言であり官朝方言であったとした場合、濁音の有無、声調の異同(官話系方言四〜五調、呉方言六〜七調)といわれる違いについて
どう解釈するのが良いのでしょう?まあ現代の区分とは同義ではない事ぐらいは承知していますが。


743 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:49:20
>>739
「南至邪馬壹国女王之所都」も魏志倭人伝で追加された文
女王之所(伊都国)が邪馬壹国の都であるとの意味です
里数での説明に加え同じ行程に掛かる日数での説明を付け加えたもの。


744 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:50:48
>>740
邪馬台国の都が伊都国です。

745 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:53:19
伊=霊力を持った聖職者=卑弥呼
都=首都
伊都=卑弥呼の都

746 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:55:47
>>741
郡使が伊都国までしか行っておらず、それから先には行っていない可能性が
十分にある。
そうすれば、「郡使往来常所駐」も無理なく理解できるし、不弥国から先が
里程から日程に変わっているのも納得できる。

747 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:57:27
「世有王 皆統属女王国」

「世有王」は「(伊都國には)魏代に(複数の)王がいた」の意味。

「皆統属女王国」は「皆[複数の王全員]は代々[統]女王國に属していた」の意味。

解説:「統」の意味は「血統や系統の代々」

748 :俺様が崇神だ!:2009/09/05(土) 01:02:08
>>741
伊都国は女王国が直接統括する国だ。ここは河童虫さんが言うイミグレ(入国管理署)が置かれた所だ。郡使はここで必要な
手続きを行う。郡使往来常 所駐とはそういう意味だ。単に宿泊する所などではないわ。ではお休み。

749 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 01:04:34
>>746
郡使が伊都国までしか行っておらず、それから先には行っていないことを書いたと
いうならば、確かに意味がある文章でしょう。しかし、伊都国までしか行ってい
ないなどというのはどうみても無理な話。そこに逃げるのは間違いです。
伊都国から先に行かなかったというなら、往来という言葉は不自然だという指摘も
ありましたね。

750 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 01:07:54
>>747
統属は一つの熟語、切り離してはだめだな。

751 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 01:10:26
>>747
>「郡使往来常所駐」も無理なく理解できる

女王の都への入り口にあたる場所で、イミグレーションがあったとも理解できる。
根拠文「常治伊都國 於國中有如刺史 王遣使詣京都 帶方郡 諸韓國 及郡使倭國 皆臨津搜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯」

752 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 01:14:17
>>750
>統属は一つの熟語、切り離してはだめだな。

何故熟語なの?
切り離しては駄目な根拠は何?

753 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 01:19:40
>>742
ローガンさんは博識ですね。
私は教えられるような知識はないですが、さっきちょっと調べたところ、
声調の数は江南方面の方が多ですね。
つまり、呉方言を使っていた元中原の民族は秦に追われたりした中原の民族や、
漢の武帝が全国統一したので中原の漢人を地方に入植させた結果、
呉方言は全体に散らばり、その後、
唐以降の王朝の交替とともに、南方に色濃く呉音の声調が残ったのではないですかね。
ですから唐以降は官話系方言は四〜五調で北部に多いのだと思います。

754 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 01:39:15
>>752
統属は、魏志梁習伝や蜀志李厳・費詩伝にも出てくる言葉で、熟語と解釈されて
いるんだよ。


755 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 01:57:09
>>751
一大率を税関の役人のように捉えるのはどうかと思う。

一大率について、刺史のようなものと書かれているが、刺史というのは王を
監視するのが主たる目的で、権力としては王以上のものがある。

その文章は、「於國中有如刺史」でいったん切れるものだと思う。
したがって、「臨津搜露 傳送文書賜遺之物詣女王」は別の人間の役割であり、
しかも、伊都国での出来事ではないと思う。

伊都国は、末盧国から陸行しているのであって「津」とは言えないと思う。
「津」とあるのは不弥国だろう。
不弥国から水行して投馬国や邪馬台国に行くと思うからである。

756 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 02:03:37
どう読んでも伊都国は邪馬台国ではないでしょ。
女王国は邪馬台国ではありません。女王を共立した国々が女王国で、
その都する国が邪馬台国なんですよ。

つまり瀬戸内海を中心に起きた西日本一帯での大乱で、
和平の結果瀬戸内海沿岸の諸国が女王国なのです。
だからモモソ姫の伝承がこの一帯に多く残っている理由です。
そしてヤマトが邪馬台国という事になります。


757 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 02:18:27
>>755
>伊都国は、末盧国から陸行しているのであって「津」とは言えないと思う。
>「津」とあるのは不弥国だろう。

末盧國に官がいないので、伊都國の出先である津があった。
不彌國には官がいるので伊都國の津ではあり得ない。

>その文章は、「於國中有如刺史」でいったん切れるものだと思う。
>したがって、「臨津搜露 傳送文書賜遺之物詣女王」は別の人間の役割であり、
>しかも、伊都国での出来事ではないと思う。

その文章は、「於國中有如刺史」でいったん切れます。
以降は別の人間の役割の記述になりますから。
しかし、出来事の発生している場所は継続して続いています。

758 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 07:53:37
伊都国は行政府で王都ではありません。
渡しの津があり、津を利用したイミグレーションがあり、一大率を管理する役所がこの伊都に集中しています。
それらを担当するのが各王達であり、この王達は
「在王」でないので、伊都には直接関係ない王。
彼等はサラリーマンのようにせっせと通勤する。

759 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 08:21:17
>>755
一大率の性格はそのとおりだろう。しかし、津に臨みて云々も一大率あるいはその
配下がやっていたことを書いていると思うね。
一大率は末盧国の普段は港へ行くわけではない。末盧国から入ったものは、伊都国
へ運ばれ、伊都国の港から出る。そのときに点検されるという趣旨だな。
伊都国は有明海沿岸、そこに津がないはずはない。一大率がいちいち不弥国の津に
臨むというのも不自然。

伊都国と邪馬台国が同一ということはありえない。倭人伝もまったく別の国として
書いている。邪馬台国は北九州から遠い国だ。だからこそ、北九州には一大率が置
かれている。
また、不弥国の官が記載されていないからといって、いないというわけではない。
国と書かれているからには、それ相応の官や組織があるものと考えるべきだね。

760 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 08:21:19
何で通勤してたのでしょうね?馬?牛車?徒歩?船?

761 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 08:27:54
>>759の訂正
一大率は末盧国の普段は港へ行くわけではない。→ 一大率は普段は末盧国の港へ行くわけではない。

普段はとしたのは、魏使の到着に際しては、一大率が不弥国の港へ出向いて出迎えたのではないかと
思われるからだ。

762 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 08:28:46
また間違えた。 不弥国→末盧国

763 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 08:30:19
伊都国が邪馬台国の王都であることが判明してしまうと
邪馬台国論争が終わってしまうので
伊都国を単なる行政府にしたい気持ちはわかるが
魏志倭人伝の何処にも伊都国が行政府とは書かれていない。
伊都国が重要な場所であることは魏志倭人伝の記述から間違いなく
魏略でも伊都国までの行程記事しか見つかっていない。
また、伊都国〜奴国〜不弥国は100里しか離れておらず(魏略では伊都国が万戸として奴国、不弥国は伊都国に含まれている)
一つの都市で王宮地区、商業地区、港湾地区のような違いではないかと考えられる。
>>758
倭王がいるのに、その下に王がいる事は中国の秩序ではありません。
中国人が書いた文ですから伊都国の王は倭王のことです。

764 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 08:56:49
>>760
周りと遮断し、津の存在があるなら
交通手段は舟がベストかと

765 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 09:02:58
先に三雲の楽浪土器の大量出土で郡使の常駐をも想定できる事を書いたが
須玖だと鉄素材や三韓系土器が出てきて工業都市的な性格を想定できると言う。

伊都国と奴国で一種役割分担のようなものは想定できるだろう。

が、

>その下に王がいる事は中国の秩序ではありません。

はどうか?

そんな事を言ったら径百歩の墓を作ったことは魏代の薄葬に真っ向から逆らう事になると思うが?wwwwwwwwwwww

766 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 09:09:25
>>763

魏略の扱い方を間違っていませんか?

魏略逸文は、魏略曰と原文がそのまま写されているとは限らず、唐の張氏が参考書として必要に応じ編修している可能性の高いものです。
だから、魏略に書いてないからと言う考えは成立しません。

767 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 09:15:36
一大率と伊都国の関係は、一大率を管理する役所が伊都国に置かれていただけの話。
だから「常治」
一大率が「特置」されていたのは自女王国以北。
伊都国とは別物だよ 伊都は管制塔。

768 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 09:25:12
>>766
無論、魏略に書いてないからと言う考えは成立しませんが
「世有王 皆統屬女王國」と「其国王皆屬王女也」のように
明らかに違いうところが注目すべきことろです。

また、漢文を読むときは帝−王−公のような中華の常識が欠かせませんよ。

769 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 09:29:39
>>767
>伊都国とは別物だよ 伊都は管制塔。

根拠は?

770 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 09:31:18
> 根拠は?
妄想

771 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 09:34:49
>>768

文章が別物、編纂者が別人なら
その表現方法が違うのも当然。

772 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 09:37:57
女王国は本州西部から畿内までの範囲です。
傍らの国はそれを説明しているのです。

773 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 09:38:50
そして女王は、単なる女王ではなく、
魏の最高位外臣でもあります。
王と言う同列の者に、一つ箔が付いていることを忘れていませんか?

774 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 09:42:58
>>772

「旁」とは

観測地点から見て、一方向に隣の隣。(隣を挟んだ向こう側)

775 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 09:51:07
>>770

余りにも漢字を知らな過ぎます。十分恥じて下さい。

>>769

「置」= 無から有へ

「治」= 役所

役所で行うのは、古今東西事務処理です。

776 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 10:05:34
>>774
伊都からみて隣の隣、つまり本州の事。

777 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 10:09:31
>>776
本州でいいんだけど
「自女王国以北」って書いてあるから 伊都じゃない。

女王の住む王宮から見て。

自=女王国の基

778 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 10:23:47
傍は国の規模の大小の事ではないの?

779 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 10:28:39
>>778

大小には関係しません。


「かたわら」という日本語でも理解できる文字だから確認してください。

780 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 10:44:21
>>779
大小というより重視の度合いという意味では用いるでしょう。


781 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 12:18:59
>>780

ないと思う。
飽くまでも視点からの位置関係だし。

782 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 12:27:09
>>771
>文章が別物、編纂者が別人なら
>その表現方法が違うのも当然。

表現方法が違うのではなく内容が異なっている、
「世有王」は魏略には全く無いし
「王女」が「女王國」、「其国王皆」が「皆」へと
変わっているのは表現方法の違いではない。
時間の経過で魏志倭人伝では「世有王」の状態になり
倭王の誕生で「其国王皆」の王達がいなくなり「皆」としか書けなくなり
「皆」としたことで「皆」が国々を指すようなったので「王女」を「女王國」としたのだ。
>>773
意味が分かりません?
>>775
役所は首都には無いの?





783 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 12:35:52
>>782

早く三国志倭人伝と魏略の違いを理解してください。

そして意味がわからないのは、貴方が内容を十二分に理解できていないから。


首都の話など誰もしていません。

784 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 12:45:39
伊都国が女王国の首都だと言う人達と付合ってみようかな。
伊都国が邪馬壹国の首都で卑弥呼や壹與が居る所であるならば、伊都国の記述のところでその旨を書けば良いだろ。
一言もなく、邪馬壹国の記事のはじめに女王之所都と書いてあるのは何故か。説明できるかな?

785 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 12:51:27
>>782
魏志の世有王の「世」は世襲で代々という意味です。
代々王がいて女王国に属していたという意味です。

魏略の其国王皆の「其」は伊都国を指します。
ですから、伊都国の(代々)の国王は皆女王国に属していたという意味です。

両者は同じことを表現しています。

大王がいれば、その下に王はいます。
大邑長がいれば、その下に邑長がいるのと同じですよ。

786 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 13:07:51
旁について、一方向に隣の隣という説明は始めて聞きました。


787 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 13:13:31
>>783
つまり根拠は無い、河童虫さんの想像ですね。

>>784
伊都国にある「世有王」が倭王の代々の都の意味です。
邪馬壹国の記事のはじめに女王之所都と書いてあるのは
女王国については公孫氏の記録からの情報で
邪馬壹国については公孫氏が滅んだ後に魏使がもたらしたもの。
>>785
>魏略の其国王皆の「其」は伊都国を指します。
この解釈には無理があります、魏略では伊都国の王について書かれていませんし
伊都国の王を「皆」と複数にするひつようはないので「其国王」でよいはずです
従って「其国王皆」の「其」は倭を指すことは明らかです。




788 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 13:26:04
>>785
魏略の文脈を見ればわかるけど、其は伊都国のことです。

>邪馬壹国については公孫氏が滅んだ後に魏使がもたらしたもの。

公孫氏が滅んだ前の後漢書にはちゃんと大倭王は邪馬台国に居ると書いてあります。



789 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 13:27:16
>>787
訂正>>787さんへ

790 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 13:28:03
伊都国、女王の都する処と書けばいいだけだな。

791 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 13:41:25
>>788
>魏略の文脈を見ればわかるけど、其は伊都国のことです。

魏略では伊都国に複数の王がいたとは書かれていませんから
文脈からは其は倭国のことですよ。

>公孫氏が滅んだ前の後漢書にはちゃんと大倭王は邪馬台国に居ると書いてあります。

後漢書は魏略や三国志より後で書かれたものですから余り参考にならない。

>>790
「世有王 皆統屬女王國」が伊都国が代々の女王の都で、倭の国々が伊都国(女王國)に統屬していた
の意味です、「伊都国、女王の都する処」と書かれているのと同じ。

792 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 14:07:16
>>791
其が倭をさすなら、倭王皆だけでいいはずです。
わざわざ「其」の字を用いなくても。皆は代々居た王のことをさします。
皆をはずしたら、現在の王だけしか指さなくなりますから、言いたいことが伝わりません。

>後漢書は魏略や三国志より後で書かれたものですから余り参考にならない
知っていますけど、それは暴言でしょう。
後漢時代の資料をもとに書いているんですから。

>伊都国が代々の女王の都で
代々ということは長くつづいているということだから、後漢時代から続いて
公孫氏がまだ権力を振るって居た時代からでしょう。公孫氏が滅びたのはAD239位?でしょう?
後漢書には邪馬台国にいるとはっきり書いてあります。


793 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 14:11:24
>>791 <世有王 皆統屬女王國」が伊都国が代々の女王の都で、倭の国々が伊都国(女王國)に統屬していた
の意味です、「伊都国、女王の都する処」と書かれているのと同じ。>

こんなへんてこりんな読み方はないでしょ。伊都国が女王国に属しているのです。別のところの記述も併せて解釈すれば
伊都国は邪馬壹国 が直接管理している役所(出入国管理や警備)を置いているところです。伊都国には王が居たけれども
独立の王権を持っていないことを示しているのです。


794 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:15:51
>>763
>倭王がいるのに、その下に王がいる事は中国の秩序ではありません。

中国では、王の上に皇帝がいた。
倭王も、中国における皇帝のような意味で使われていたのだろう。
ただ、皇帝という言葉を使えるのは、中国の皇帝だけという自負もあった
だろうから日本では使えなかったのだろうな。

たとえば、江戸時代の藩主は王とみなされる。当時の宣教師もキングと呼んで
いたし、外国の文献などもそのように書かれている。そして、徳川将軍家が
その上に君臨する王というのも間違いないだろう。

795 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:19:17
>>792
>後漢時代の資料をもとに書いているんですから。


「後漢書倭伝」についてそう断定できているのか?



796 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:22:55
>>792
>其が倭をさすなら、倭王皆だけでいいはずです。
「倭王皆」では倭王が大勢いることになり変です。

>皆をはずしたら、現在の王だけしか指さなくなりますから、言いたいことが伝わりません。
魏略では皆が伊都国を指すとすると皆に対応する複数のものがないの、
伊都国に代々王がいたとは書かれていないでしょ、魏略を良く読んでみてね。

>後漢時代の資料をもとに書いているんですから。
魏略や魏志倭人伝なども参考にしているはずですね
後漢書は資料が多すぎて内容に混乱があるようです。

>代々ということは長くつづいているということだから、後漢時代から続いて
「世有王」です「世世有王」ではありません。
代々でも短い代々です、2〜3代を指しています。
>後漢書には邪馬台国にいるとはっきり書いてあります。
魏志倭人伝を参考にしたんでしょうね。




797 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:22:58
>>791
論外です。

798 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:24:42
>>797
反論できずですか?
全て筋が通った理論ですよ。

799 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 14:31:14
魏略は

「従帯方〜王女也」

これで一話完結。魏志倭人伝と混同してはいけません。
すべてはこの文中だけで読み取り処理するものです。

800 :ここはジサクジエン共和国(AA略:2009/09/05(土) 14:34:02

ああ、もう、はっきり言ってやる。

一番分かりやすいのは相手のレスを引用する時 < > で括るってところかな?
使用語彙の傾向や、文体、改行の間隔等々…丸分かりw

この馬鹿は上手くやっているつもりなんだろうがwww


167 名前: 俺様が崇神だ! 投稿日: 2009/09/05(土) 12:28:59
<平安時代になっても当時の貴族は、物忌み・方違えのような、極めて非合理なことに汲々 としている。> というのは全ての

793 名前: 縄文人 ◆cM49xEAzX6 投稿日: 2009/09/05(土) 14:11:24
>>791 <世有王 皆統屬女王國」が伊都国が代々の女王の都で、倭の国々が伊都国(女王國)に統屬していた
の意味です、「伊都国、女王の都する処」と書かれているのと同じ。>
こんなへんてこりんな読み方はないでしょ。


801 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 14:35:17
>>796
>其が倭をさすなら、倭王皆だけでいいはずです。
>「倭王皆」では倭王が大勢いることになり変です

其国王皆を
倭の国王は皆女王国に属していたと訳したら、狗奴国だって倭種なんですから
倭の国です。狗奴国も女王国に属していることになってしまいますよ。

802 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:43:27
>>799
だから何ですか???
>>800
>こんなへんてこりんな読み方はないでしょ。
変だと思うのは今までの思い込みが強いから。
>>801
>狗奴国も女王国に属していることになってしまいますよ。
だから狗奴国には「不屬女王也」とわざわざ書いてある。





803 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:44:09
>>800
自分と同じタイプの人間は気になるみたいだな。

804 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:45:08
>>785
>魏志の世有王の「世」は世襲で代々という意味です。

この「世」は、その時代の意味、即ち魏代を指す。

「皆統屬女王國」の「統」が世襲で代々という意味です。

基本的なことは辞書で確認しよう。

805 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:50:16
>>803
さあねえ…
自作自演した覚えは無いと言っておこうかwwww

まあやっても良いがこの板でやるメリットが無い。

自説の内容を変えてやるのは本末転倒だし

厨房が考えそうな多数派工作もそもそも
ここの九州説の馬鹿連中から「学者の受け売り」とお叱りを受けるぐらいで

もう多数派も多数派なのは確定済みだからなあ…
「オリジナリティ」で勝負す売る気は一切無いからのうwwwwwww

806 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 14:51:59
>>804
世は代々と書いてあります。代代とも。 累代とも。

807 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 14:55:08
>>804
統は血筋、治める 支配するです。
これがどうして世襲で代々なんですか?


808 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:02:22
>>804
「世」は新芽の形から出来た文字で世代交代の意味がある。
「世世」で代々の意味となる。
「世」一字でも代々の意味となるが2〜3代の意味。
>この「世」は、その時代の意味、即ち魏代を指す。
以前はこうも考えたが、 「世有王」が魏略にないことから
「世」の意味は魏代より2〜3代の代々が適切でしょう。


809 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 15:05:36
>>802
もう一度いいますよ。

世有王 皆統属女王国 
皆がいきなり独立して倭の国々を指すと読むのは無理がありすぎです。

810 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:05:52
後漢書のついでに書いておくが…

そもそも倭人伝に関して魏略にも先行するような史料の存在を確認できているなんて話は寡聞にして知らない。
(あるのか?)

それをここの九州説の中には魏志や後漢書をごちゃ混ぜにして
新しい事実を見つけたかのように言う奴が多いが
もう文献史学の手法とかはるか以前の話だろう?w

例えて言うなら
 X+Y=10
と言う式ではXYが求められないからその式を展開したものをくっつけて
 X+Y=10
 2X+2Y=20
…と、見た目二元連立式にしたような感じか?wwwwww




811 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:06:51
「統」は従うです。
「伊都國に到る。官を爾支といい、副を泄謨觚柄渠觚という。千余戸あり。
王あれども世(魏代)は女王國に余す事なく従う。郡使の往来常に駐まる所なり。」です。
女王国の属領だから官が置かれているのです。

812 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 15:10:43
>>808
妄想がひどいですね。
>「世」一字でも代々の意味となるが2〜3代の意味
世が2,3代でもいいですよ、別に。
ですから、伊都国は邪馬台国成立と殆ど同時に出来た新興国なんですよ。
皆王が女王国に属していたんですから。

813 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:11:21
「東南陸行五百里到伊都國」  東南方向500里で伊都國に到達する
「官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚」  伊都國の官は爾支と云い、副官は泄謨と觚柄と渠觚と云う
「有千餘戸」  伊都國には千戸余り有る
「世有王」  伊都國には当時(魏代)に王が居た
「皆統屬女王國」  その王達は皆代々女王國に属していた
「郡使往來常所駐」  伊都國では郡使が行き来し、常に宿泊する所である。

814 :ローガン:2009/09/05(土) 15:15:35
>>753

ご教示感謝! 書き忘れてましたが、上で書いた音の変化は、藤堂明保漢和大字典から写したものです。
上古音(周秦)―中古音(隋唐)―中原音韻(元)―北京語―(現代語)
邪Giag(ひっくり返したG)―(yia)―zia―sie―sie―(xie)
これによると上古音と中古音の間に(yia)と。魏晋朝の音はヤで良いのではないかと考えた次第です。


815 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:20:46
>>809
>世有王 皆統属女王国 
>皆がいきなり独立して倭の国々を指すと読むのは無理がありすぎです。

分かりが悪い人ですね。
皆がいきなり独立して倭の国々を指してません。
魏略で伊都国には代々王が居たとは書かれていない
代々王が居たとは書かれていないので伊都国に複数の王を指す皆を当てられない
だから魏略で皆は明らかに倭の国の王達をさしている。
同じように魏志倭人伝の皆も倭の国々を指しているの。
「世有王」は魏志倭人伝で付け加えられたものだから
魏略から引き継いだ皆が「世有王」を指すとの説は誤り。
魏志倭人伝の皆も魏略と同じく倭の国々を指すと考えるられる。
 

816 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:25:07
>>815
魏略が「皆」のオリジナルだから
魏略にない「世有王」を皆が指せるはずがない。
当然「皆」は魏略では倭の王達、魏志倭人伝では倭の国々を指す。



817 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 15:30:02
>>814
いえ、こちらこそいろいろ勉強させていただきました。
>邪Giag(ひっくり返したG)―(yia)―zia―sie―sie―(xie)
これは官話系の縦の関係ですよね。
ですから、詩文から分析したのでしょうけど、
中央官庁の発音の変化を表していますね。
これはこれで、官庁の発音の変遷を示していい資料になるとは思いますが、
地域性を考えていないです。
中央官庁は別の民族が占領した場合、いきなり音が変わります。

ですから、上のような一列に変化を示すことはできないと思います。
上のような一列の変化だと、まるで同じ民族が時代とともに音を変化させたように見えるからです。
上古音と中古音の間に(yia)という音があったそうですが、これは前に貴方が言われた
助詞用法での発音ではないでしょうか。
結局邪は「じゃ」と「や」に読めるということですね。



818 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 15:36:02
>>815

貴方も同じく「倭の国々を指す」と考えるられるといっているではありませんか。

ですから「倭の国々を指す」のはおかしいですと私は言っているのです。

だいたい捻じ曲げて解釈しすぎですよ。


819 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:39:28
>>816
倭とはどの地域かも書いていないのに、倭の王は不可能

820 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:44:14
>>807
>統は血筋、治める 支配するです。
>これがどうして世襲で代々なんですか?

統の意味
@ひとすじのつながり→血統、系統
Aひとつにまとめる→すべる、支配する、治める

伊都國の王達は皆、ひとすじのつながりで(ひとつにまとめて)女王國に属していた。
すなわち、王達は皆、代々にわたって切れ目無く女王國に属していた。

821 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 15:48:50
>>820
統をもう一度辞書で調べてごらん。
どこにも代々支配するなどとは書いてないから。

822 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:50:54
>>818
まだ理解出来ないようですね。
 魏略の伊都国の説明には「世有王」がない、王かいたとも書かれていない。
 「其国王皆」は「皆」が付くから複数の王を指す。
 だから「其国王皆」の「皆」が全く何の説明も書かれていない伊都国の王達を突然指すと解釈するのは不可能。
 魏略では「其国王皆」は倭の王達としか解釈できない。
 「皆」を魏略から引き継いだ魏志倭人伝でも皆は倭の国々を指すとしか考えられない。
 

823 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:54:09
>>821
意訳しています

ひとすじのつながりで(ひとつにまとめて)=代々にわたって切れ目無く

ではないでしょうか?

824 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 15:54:43
皆統属女王国

は、伊都国の代々の王は皆、女王国に属して(伊都国)を支配していた
です。

825 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 15:59:32
それに「皆」が倭の国々だったら、女王国に属していない国々もあるはずなのに
(狗奴国以外にも)。


826 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:05:57
>>824
>伊都国の代々の王は皆、女王国に属して(伊都国)を支配していた

その訳文は文の構造を無視している。
属の目的語は女王國・・・異論はないですね
統の目的語は無いのに、勝手に伊都國としている。
統は属の状態を形容しているのでは?


827 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:14:09
>>824
意味が分からん???
「皆統属女王国」は「(倭の国々は)皆、女王国(伊都国)に統属していた。」でしょう。
>>825
「世有王」で伊都国が倭の代々の都であると説明し
伊都国にいる倭の代々王が女王であり
魏から正式に任命された親魏倭王であるので
倭の国々は形式的には女王国に属しているのです。

828 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 16:21:22

世有王皆統属女王国

伊都国の条の最後にあります。それを頭に入れて、
訳します。

(伊都国には)代々王が有り(いて)、(伊都国の代々の王たちは)皆、女王国に属して
(伊都国を)支配する。

829 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 16:24:15
つまり連合国だから、それぞれの国には王がいて自国を支配していたんです。
一応邪馬台国の女王が共立されて大倭王になっていますが、
いつ謀反があって敵同士になるかもしれない可能性があるわけです。
諸侯や外様大名みたいなもの。

830 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:29:31
世有王=主語、皆統属=述語、女王国=目的語 の一文
直訳すると、
  女王国に属して(伊都国)を治める所の王が代々いた
「世」は代々じゃなくて、魏代かも知れない

831 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:39:08
>>828は変、女王国は魏略では王女、この王女は伊都国の王女ですよ。

>>829
魏略ではそれぞれの国には王がいて自国を支配し、
王達が王女に属する体制だったが
魏志倭人伝では親魏倭王の卑弥呼がいるので
他の国には王はいない。
例外は卑弥呼に敵対する狗奴國の王だけ。


832 :829:2009/09/05(土) 16:39:23
王=主語、有=述語、皆統属女王国=装飾語  やね


833 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 16:48:01
>>831
魏略も魏志倭人伝も同じ時代のことを書いているんですけどね。
編纂した時代は違うけど。

834 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:50:24
珍解釈ばかりでこのスレ終わりそうね

835 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:52:37
絶対に人の話を聞こうとはしない、我が儘勝手放題な方です。暫くそっとしておいてあげましょう。
大勢の人から何度違うと言われても、また同じ内容を繰り返す伊都国絶対主義者です。

836 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:55:41
>>833
魏略は魏滅亡前に書かれているから倭の情報は公孫氏からなど限られたもの
魏志倭人伝は魏滅亡後だから魏と倭の外交内容も書かれている。



837 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 16:58:01
>>835
皆自分の意見と違うと言うだけで
まともな反論がないからな。
人の話は聞いてますよ。

838 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 17:01:44
>>837
相手の意見をまともとかそうでないと判断するには、貴方が相手以上の知識豊富を必要とするものです。貴方はそれに当て嵌まりますか?

839 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 17:02:59

>>836
勝手な想像をするものではありません。

840 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 17:08:56
>>836
逸文ですからね。
散逸してしまっているので、証明するのは難しいですけど、
副官の名前が一人違いますけど、音を調べれば、同じ人物だということがわかります。
狗奴国の官名は同じです。
ということは同時代です。

841 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 17:10:54
世有王・皆統属・女王国 で切れる
一節目の王(ファン)と3節目の(ファン・ゴ)で韻を踏んでいる


842 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 17:13:12
>>838
「〜も経験したことも無い奴が批判するな。」の変形だな。
とりあえず、あんたのその意見はまともじゃないよ。

843 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 17:18:12
>>842
まともではない会の代表だからこそ言える、奥の深い言葉ですね?わかります。

844 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 17:37:02
なあなあ
ヤマタイってアルタイに似てね?

845 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 18:08:21
誰かのお陰で魏使が伊都国で止まったままだな。これからどうなるのだろう。みんなシラケてしまった。

846 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:22:47
ヤマタイじゃなくて、ヤマイね。

ちなみに、日本語の母音は前の母音と接続するから、
ヤマイは「ヤミ」に転じただろう。
さらに「ヤメ」に転じれば、「八女」という地名が九州に残ってるのでここで決まり。

決まりだな。





847 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:33:18
単に倭の時代には航海失敗の記録が無いからだと思うが。

848 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:34:20
ありゃ、別の所に投下してしまった。

849 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 18:35:02
>>846
なかなか楽しそうな話題を提供してるようで

で、それから?
続けて続けて。

母音と母音が結合すると……?

850 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:37:42
少しエロい事を考えてしまった。

851 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:39:45
>>846
過去に何度も聞いた論ですな。

852 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 18:40:16
>>845

じゃあ、郡使をイミグレーションから先に動かすよ

「…及郡使倭國…」

ほら、動き出したよ。
ただし郡使だけだけど

853 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 18:43:53
>>850

バカン〜 大きくなってるーっ

854 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 19:14:58
>>838
鋭い反論ないから
今ここに、知識豊富な人はいないようですけど。

>>840
>ということは同時代です。
公孫氏が滅亡して帯方郡から出た情報に基づいて書かれたのが
魏略の倭についての記事。
それ魏の使者がもたらした倭についての情報プラスしたのが魏志倭人伝の記事。
官名が同じでいい。



855 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/05(土) 19:18:59
>>810
こいつの数学能力が中学生レベルに達していないことだけは分かった。

856 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 19:30:37
>>854
卑彌呼が共立された時はAD180年頃でそのころ女王はどこにいたとお考えですか?

857 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 19:30:41

邪馬壹→ヤマイ→yamai→yamε→ヤメ→八女

858 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 19:34:42
>>857

ちょっと無理矢理強姦すぎないか?

859 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 19:46:24

aiの発音記号は[ε]

860 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 19:48:29
>>855 二 ◆.L.MXSPOgc

出てきたなドカスの馬鹿スギモリw

で、何処がどう間違っているのか教えてもらえないかな?



861 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 19:49:31
>>859
じゃあ、結局ヤマイじゃん。

862 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 20:00:30
>>854
>官名が同じでいい。
其れじゃあ困る。

難升米や都市牛利の発言に官名が含まれていた。


863 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:01:25
まあせっかく出てきてくれたんだからレスしておこうw

>>664 二 ◆.L.MXSPOgc
>おなじ邪馬台国までの行程を書いた文が2つあり、それら2つのルートが異なるか同じかなど、
>日本に来たこともない人が、どうやって判断できたというのでしょう。

お 前 は ア ホ か ?

お前の説なら二つの報告書は
 ・トータル距離が違う
 ・通過したクニの数が違う
あと 
 ・はっきりと書いていないが、そもそもクニの名がそんなに紛らわしいものだったのか?

これでごちゃ混ぜとは余程の馬鹿だったんだな
お前の脳内の陳寿とか魚豢とかはwww



864 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 20:12:34
>>854
856ですが重ねてお聞きします。
魏略逸文の資料はいつの資料だとお考えですか?

865 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:12:37
>二 ◆.L.MXSPOgc

ついでに追い討ちw

確かに自然科学の世界では
「科学とは反証可能な仮説体系」
と言う言葉がある。

が同時にお約束として「オッカムの剃刀」と言うものもある。
ある事象を説明するに必要な前提事項の少ない方
よりシンプルな方を選択すべきだと言うやつな。
(無論、「事実は小説より奇なり」と言う場合もあるが)

お前の説はその前提条件においてあまりにもアクロバチックすぎる。

>>863以外にも郡から邪馬台国までの日数が情報として混入したとか
投馬国=沖縄で水行二十日と言う情報も混入してるんだっけ?

もう訳が分からんわwww

まあそれは俺の理解力の不足と嘯くんだろうが
お前の説一体今までどれくらいの賛同を得ているんだ?w

2ちゃんのこの板でさえ誰も賛意を示していないように思えるがwwwwww






866 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 20:14:04
>>859

「ai」がどんなに頑張っても母音「e」にはなれないんだけど〜


「ai」は破局へと変化するだけ

867 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:03:20

[ai]とアルファベットが並ぶと、その音は[e]音ではなく[ε]音となります。

868 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 21:14:10
>>867

>[ai]とアルファベットが並ぶと、その音は[e]音ではなく[ε]音となります。

じゃあやっぱり「メ」にはならない。


869 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 21:41:59
aiは誤解によって生まれるところの人間への神の贈り物ということでヤメはやめにしますか。いきなり邪馬台壹国に飛んだのを伊都国に
引き戻して、ここから東南百里のところに奴国があります。私は奴国にも魏使は訪れたと考えています。訪れて名が記載されている官に
会った。張政らの任務は、狗奴国との紛争を訴えた邪馬壹国の要請に応えたものではあるが、倭国のタガを締め直すことにあったと思う
からです。

870 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 21:49:26
>>869

>張政らの任務は、狗奴国との紛争を訴えた邪馬壹国の要請に応えたものではあるが

誰も狗奴国なんかと戦っていないし、戦わなければならない理由なんて何処にもない。
狗奴国と戦争しているのは学者だよ


871 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:50:22
>>864
魏略は260年ごろで?
魏略の倭についての内容は238年に滅亡した公孫氏から入手したと考えていますが。


872 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:01:33
そもそも、この「伊都国が卑弥呼のいた都であった」と言うネタは定期的に出てくるが
元ネタってあるのか?
それともこの板の論者のオリジナル?

邪馬台国=伊都国+奴国+・・・・ で
更に九州の半分か全域近くをもって女王国とするわけなのか?


873 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:16:23
>>872
かなり昔から聞いたことがあるような気がする。
平原遺跡を卑弥呼の墓と考える人がいたということだろう。

874 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:18:11
>>870
じゃあ、張政は何のために日本にやってきたと思う?

875 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:22:05

郡使は、

「東行至不彌國百里」と言うことで不彌國へは行っているが、

「東南至奴國百里」と言うことで奴國へは行きがありません。

郡使は不彌國までは確実に訪問しているが。

876 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:26:23
なんでそうなるんだかワケワカメ

877 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:29:20
唐突だが、
末廬国は、松浦川河口の今の唐津。
そこから松浦川を遡って(今の唐津街道と唐津線ぞい)、東南五百里にある伊都国は、今の小城市あたり。
さらに南東百里にある奴国は佐賀市を中心とする平野部一帯の穀倉地帯。
地勢的にそう思う。

そこから南に水行二十日にある投馬(ヅマ)国は、鹿児島(サツマ)。
同じく、南に水行十日と陸行一月という邪馬台国は、・・・・・・私には解りません。
熊本の八代市あたりで船を下りて内陸だとしたら、宮崎まで行ったとしても1ヶ月は掛からんだろうし。

878 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 22:30:53
>>874

> じゃあ、張政は何のために日本にやってきたと思う?

複雑に絡み合った利害関係を調整し、冊封国を安定化させるため




879 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 22:31:43
>>870
またまた得意の冗談を。
正始八年のこと、倭女王卑弥呼與狗奴国男王卑弥弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣寨曹掾史張政等・・・
とあります。

880 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 22:32:58
>>871
>魏略の倭についての内容は238年に滅亡した公孫氏から入手したと考えていますが。
それだといつの資料かはっきりしませんが、魏の建国したAD220〜AD238の間っていうことでいいですね。
魏略ですから。

そのころはもう卑彌呼は女王になっていました。
後漢書にありますから。
ということは魏略には其国王とありますから、
確かに女王国が成立してからも国王がいたことになります。
王女とありますが、そのすぐ後の文に女王之南とありますから、
王女は誤記です。


881 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 22:37:31
>>878
冊封国を安定化させるため  これには異議無し。

882 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:40:46
張政が調整

883 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 22:52:43
>>879

狗奴国にちょっかい出したのは男王卑弥弓呼素。
それまで卑弥呼の「たぶらかし」によって安定していた狗奴国は、男王卑弥弓呼素
の余計な政治統制によって国が乱れた
卑弥呼は金印を借りる時に、王朝と「種人には手を出さずなだめ治める」という約束をして
その権限を王朝から下賜された
だから卑弥呼が狗奴国に軍事的な圧力をかけることなど絶対にあり得ない話
しかし弟の卑弥弓呼素は政治的な圧力を狗奴国にかけてしまったから
さ〜大変。
これでは「約束がちがう」と怒った狗奴は内部不安定状態に。

884 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 23:00:37
あれ? トリップ間違えた。

卑弥呼は宗教の力によって、国内を安定させてきたが、実務は全て男王に委任。例え卑弥呼と言えども
男王卑弥弓呼の政治には中々口を出せない。

885 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 23:01:15
>>883
素は名前ではないです。

全く逆です。
張政は檄文をもってきたのですから、
敵は悪いやつだから、みんな頑張れ魏が後押しするからといって檄をとばしているんで
す。檄の意味調べましたか?

886 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 23:08:06
>>885

>素は名前ではないです

ごめん。余計なところまでコピーしちゃった。   スマソです。

887 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 23:09:46
>>885

>全く逆です

では全く逆な話を組み立ててください。

888 :ローガン:2009/09/05(土) 23:10:57
統屬…その意味が議論の対象なら三国志の用例あたればいいでしょう。
同じ人が書いているんだから。

889 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 23:13:19
>874
庇護下に置いている冊封国とは言え、たかが小国の為にそこまで援助してくれないだろう
やはり、中国内戦による難民が公孫氏を頼って半島に流入しており
司馬懿がそれを滅ぼすや、更に倭国へと逃れた者もいただろう
いま卑弥呼と敵対する狗奴国と戦になったと聞いて、狗奴国に反魏分子の流民おらずやと、まず疑っただろう
そしてその検分の為に張政が使わされたと
黄幢を下賜し、檄を授けてこれを告諭すなんて事、魏の投降命令と解す事ができる対象者がいてこそ、効果を発揮する物だ



890 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 23:13:35
河童どの
なんだか貴方の前コテハン名での書きこみがありますが、あれは
あなたなんでしょうかな?

891 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 23:17:32
卑弥呼と卑弥弓呼は姉弟だったの?仲違いして邪馬壹国を出て狗奴国を建てた?う〜ん、あるかも知れんけど倭人伝には
そのいきさつは書いてないから、保留しとこう。面白い小説書けるかも。そっちの方に興味をとられた。本日はこれにて。

892 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 23:21:57
>>887
まったく貴方たちは平和ぼけの頭お花畑ですよね。そのほうがいいですけどね。

狗奴国と素から不和だったので、戦っていたんですね。郡に戦況を説明していたんですから。
それで郡は張政(文官)を遣わして、黄色い幕のようなのぼりのようなものに、
檄文を書かせて国中に触れ回ったんです。
敵はどうこうのこうので、魏が味方するからみんな大丈夫だ勇気をだして戦えと。


893 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 23:23:30
>>890

>河童どの
なんだか貴方の前コテハン名での書きこみがありますが、あれは
あなたなんでしょうかな?


はい私です。私を煽ってスレを荒らそうとしている輩がいるため
何時でも対応出来るように封印を切りました。
目には目を  です。   半端なことはしたくはありません。



>>885

>張政は檄文をもってきたのですから、



894 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 23:27:06
>>891

>仲違いして邪馬壹国を出て狗奴国を建てた?

いいえ 卑弥弓呼は邪馬台国の政治的な実力者です。出て行く必要なんてこれっぽっちもありません。

895 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 23:28:15
わかりました。おやすみ。

zzzzzzzzz・・・・・・

896 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/05(土) 23:33:23
>>895 はいおやすみなさい。

>>893
が中途半端になってしまったので


>張政は檄文をもってきたのですから

いいえ「檄」です。  檄と檄文は違いますよ
しっかりしてください。

897 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 23:37:09
>>896
檄を告諭ですから檄文と同じようなもの。
しっかりしてください。
細かな突っ込みはやめましょうよ。

898 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 23:46:29
>>892
黄幢は、黄色い幕のようなのぼりのような物ではありません
棒の先にボンボンが付いた様な物で、馬印の様に軍列の中に高く掲げます
檄は、皇帝の命を民に知らしめる為に詔書を高札に写した物です
つまりこの時の詔は、卑弥呼というより狗奴国およびその兵や民に向けて語っているのです
告諭は、臣下に対しての言葉ですから、狗奴国に匿われている魏の元臣民へ向けてという事です
皇帝が詔まで発し、わざわざ張政を派遣したのは、倭国へ逃れた反魏分子に対しての処置です

899 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 23:50:39
>>898
幢の字を調べましたか?
いいかげんなこといわないでください。
トヨに檄を告諭したと書いてありますよ。

900 :日本@名無史さん :2009/09/05(土) 23:54:00
>>898
辞書にはそのボンボンみたいなものもありますが、それではないです。
状況をよく考えてください。
はたの一種ですよ。のぼりや横断幕だと思いますけど。

901 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 23:59:42
>>トヨに檄を告諭した
狗奴国との戦いを支援するために出された詔書や檄が、
なぜトヨの役に立つ?
國中遂定のあとなのに

902 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:04:05
黄幢は魏の軍旗。
どうしてそんなものが必要だったのだろう。
卑弥呼の方が要求したのか。
それとも、勝手にくれたのか。

その場その場で勝手な結論を出すよりも、全体を見渡して整合性のある
結論を出すべき。

903 :縦目仮面:2009/09/06(日) 00:04:21
大場脩氏によれば「幢」というのは旗というより、形としては中空の筒状をした小型の「吹流
し」とされてますね。あと黄色は五行説で、魏を表す色とされ、魏の文帝(曹丕)の治世に行
われた最初の元号が、黄初(元年=220年)。

904 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 00:04:58
>>892

>まったく貴方たちは平和ぼけの頭お花畑ですよね。

自分のことをよくご存じで、私に言われる前に自ら述べてしまうとは
天晴


>戦っていたんですね

戦えないんですよ  「其綏撫種人勉爲孝順」 なんて言われたら
仮に戦ったら
魏の応援どころか、「この不忠者」と 即刻 柳生の刺客を倭に送り込みます

905 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:06:39
幢の「巾」は旗印の意味だが、布でできた軍旗の様なものではない
皇帝の頭上に挿しかける天蓋に似たもので、
ふさふさした羽ぼうきで傘を何重にも重ねて作った様な物
江戸火消のマトイに近いかな


906 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:08:54
>>903
>あと黄色は五行説で、魏を表す色とされ

「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」だなw

907 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 00:11:11
「黄幢」

以前にも触れたけど 正始六年の「黄幢」と 正始八年の「黄幢」は
文字が全く違うから、その辺踏まえて考えないと間違えて読んじゃうよ
正始四年の掖邪狗と八年の掖邪狗の文字が違うように

908 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 00:13:12
>>901
書いてあるじゃないですか。

それと曹幢史の意味、史というのは文字を書く人です。
ですから曹幢史は幕に字を書く役人ということです。
檄文を書いて触れ回るための黄幢なんですよ。

トヨには檄を告諭したんです。
檄って味方にとばすもんでしょう。

909 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:20:54
文字が読めたらね

910 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 00:24:06
文字は読めないですよ。
ただ黄色いのぼりというだけで、威力があるんですよ。
錦の御旗みたいなもの。
そこに何かわけわからないものが書いてあるなあ、すごいなあ!という感じでしょう。

911 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:25:32
正始八年、帯方郡の太守・王頎は、倭国の使者から狗奴国との交戦の報告を
受け、自ら都におもむき、決裁を仰ぐが、援軍が来ることはなかった。
代わりに、塞曹掾史の張政が皇帝・曹芳の詔書と黄幢を携え、やって来ること
になった。

要するに、倭国と狗奴国は交戦状態にあったということ。卑弥呼は魏に援軍
を要請したということ。これは、倭人伝の記述からも明らかだと思う。
張政が黄幢を持ってやってきた意味もこれなら理解できる。

912 :縦目仮面:2009/09/06(日) 00:31:15
うーん、奥野正男氏の説では、黄幢=節(支持節の節)で、これが三角縁神獣鏡に見られる笠松
模様の元になったということになってる。高句麗の安岳3号墳の壁画にあるのが 節だとすれば、
確かに笠松模様に似ているし、幢も天蓋のようなものかもしれないですね。
なるほどねえ、細かい部分も面白いな。

http://yamataikoku.hp.infoseek.co.jp/13.htm

913 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:31:22
>>910
それは中国の管理下におかれた半島の支配階級なら意味はわかるが
日本の首長でも日本以外で戦争したことねぇんだから意味ないんだよ
その旗は半島で用いて意味が有る

914 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:32:34
たった役人一人に幡一本の支援と見るか、
たかが冊封国の事情が天聴に達したのを大と見るかだな

915 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:35:36
ちなみに、当時は三国時代。この名前は伊達ではなく、三国が争っている
時代である。魏の最高実力者だった曹爽は、正始五年に蜀に兵を出し、
大敗北を喫している。これが原因で魏の内政は混乱状態になる。

倭国に援軍など出す余裕はなかったのだろう。

程なく、曹爽は失脚し、司馬懿が権力を握ることになる。
卑弥呼が景初三年に使者を送って以来、何かと気にかけてくれていた曹爽は
司馬懿によって殺害される。

916 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:44:38
さらに、曹爽が降伏したのは正始10年。その年に、司馬懿によって
三族皆殺しの刑に処せられた。西暦で言うと249年。ちょうど卑弥呼が死んだ
頃に当たる。

ちなみに、司馬懿は、景初二年(西暦238年)に公孫氏を滅ぼし、成人男子を
皆殺しにし、首を晒したことで知られる。その翌年に卑弥呼は帯方郡に
使者を送った。

917 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:49:33
曹爽が卑弥呼を気にかけていた? 皇帝でもないのに?
どこの物語?

918 :ローガン:2009/09/06(日) 00:55:48
>>902
> 黄幢は魏の軍旗。どうしてそんなものが必要だったのだろう。卑弥呼の方が要求したのか。それとも、勝手にくれたのか。
> その場その場で勝手な結論を出すよりも、全体を見渡して整合性のある結論を出すべき。

黄幢…黄は色ですね。幢は幢キ、軍の指図旗。その「旗」を渡す行為の意味ですが、
呉志周ホウ伝の石亭の戦いの所、曹休への第七の手紙に山兵を味方につけるべく使いたいので数十の軍旗を乞うとあります。
同様に考えれば、旗を渡すという行為は、「味方として参戦しろ」という意味だと思います。
檄の意味も「仲間を集めるためのふれぶみ」(漢和大字典)
魏から倭に対する半島への出兵要請だと思います。



919 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 01:00:07
半島でも戦乱が起こってるんだよね
245年には、帯方郡太守と楽浪郡太守が遼東のワイ族を攻めている
そして翌年、帯方郡太守は韓族の反乱でで戦死
更にその翌年だ、狗奴国との戦いを卑弥呼が報告したのは
郡としては、自分の版図を守るためにも、対岸(倭国)の火事を重く見たかもね

920 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 01:01:41
>>917
景初三年に明帝が死んだとき、跡継ぎとなった曹芳はまだ幼かったので、
曹爽が補佐役となっており一番の実力者だった。
皇帝は、274年に43歳で死去となっているので、当時7才か8才だったことになる。

921 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 01:05:28
>>918
正しく「勉めて孝順をなせ」だね
忠を魏一朝に尽くせと
倭国はいつも冊封国だね、戦後はアメリカの傘の下だし、米軍基地の賄いも払わされているよね

922 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 01:25:40
狗奴国と卑弥呼の戦争も、半島の戦乱に関連して起こったとは見れないかな

923 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 01:25:44
>>920
補佐役が卑弥呼を気に入ったという文献でもあるの?
卑弥呼の最初の朝貢は239年(または238年)で、その返事はかなり子供っぽく、
当時の7〜8歳が勅を出せるのかは知らんが、補佐役が内容まで口出ししたと断言出来るものではない
黄幢を送ったのは245年、13〜14歳で既に一人前だ

924 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 01:39:28
>>その返事はかなり子供っぽく
そんなことは無い、「制詔親魏倭王卑弥呼(皇帝、制詔して曰く、卑弥呼を親魏倭王と為す)」と、
勅命で授爵するときの定型の書き出しを踏んでる

925 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 02:04:34
定型の書き出しなんてどうとでもなるだろ
子供っぽい点をあげれば、
・(倭からの初めての朝貢でもないのに)なぜかすごく喜ぶ
・朕はお返しにこんないいモノをやるぞえ
・なにしろいいモノをやるんだから、諸国に見せて自慢するがよいぞ

926 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 02:54:28
>>923
幼い帝が自分で書くと思っているところが子供っぽいな。

927 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 03:30:23
>>915
倭国との修交は(公孫氏を滅ぼした)司馬懿の功績だから
「何かと気にかけてくれていた」のは司馬懿の方では?

928 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 03:31:00
>>926
ふーん、曲解して他人を貶すのか
そんな読解力で記紀や倭人伝が理解できるのかね

929 :& ◆1Ah8y5sOptK6 :2009/09/06(日) 05:02:49
ふーん、曲解して他人を貶すのか
そんな読解力で記紀や倭人伝が理解できるのかね

930 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 07:26:55
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
混乱を断定形で正して見解している。

遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告
をもって、その混乱も解消した。

「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)

この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐
とされている。

日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
きていなかったことは事実である。

これをもって、九州説諸氏はこの条項に反論しているが、ヤマト側に
よる中国(隋や唐)の認識よりも、要は隋国の使者が正しくヤマト側の
ことを伝えていればそれでよいのである。

608年4月 裴世清ら隋使一行が筑紫に到着
  同6月 難波津に到着、一行のため高麗館の傍に新館を建設
  同8月 京に到着、大伴連が出迎えて国書を天皇に奏上
  同9月 裴世清が隋に帰国、小野妹子は大使として随行

この行程からも、裴(世)清ら一行のヤマト入りは、九州であった
はずはなく、当時の実力者(王)は推古天皇ではなく、実質的には、
嶋大臣の蘇我馬子(天武系の人々に後に卑しい命名がなされ歴史
から抹殺)であった。


931 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/06(日) 07:56:25
>>863 >>865
バカは貴方のほうですよ、何回も証明してあげてるのにまだ分かりませんか?

貴方の好きなオッカムの剃刀で説明しましょう。

私説
1、”2つのルート”が混在した。伝の記述の混乱は全てこれに帰結する。

キナイ説
1、何らかの理由で東を南と間違えた。
2、何らかの理由で陸行の里程がかなり大雑把なものになった。
3、何らかの理由で内陸の不彌国から水行という記述(もしくは不彌国を湾岸に比定、もしくは放射説)
4、何らかの理由で不彌国以降の行程が日数で記述されている。
5、何らかの理由で不彌国以降の国々の詳細が記述されていない。

バカ引きこもりニート説(キナイ説に加えて)
1、北九州は頭をさげてゆとり連合に加入させてもらえたが南九州(狗奴国)はハブられた。ゆとり連合は何故か非常に排他的な連合で南九州とは人・物・文化的な交流は無くなった。
  各々の理由は良く分からないが、こういったことは”蓋然性”のあることだ(その証明はできない)。
2、何らかの理由で、南九州(狗奴国)が北九州を攻めたとき、中国地方の国々や畿内の国々は北九州の国を助けなかった。
3、何らかの理由で、畿内の邪馬台国は直接助けようとせずに魏に助けを求めた。
4、何らかの理由で、日本書紀には畿内ヤマト政権は自力で南九州を平定したことにし、魏に助けを求めたことを記述しなかった。

オッカムの剃刀ってどういう事なのか理解できていないでしょう?

あとこれも何度も言いますが、貴方が理解できていないだけでは、それが間違いだとうことには決してなりませんから、
貴方が「理解できない」というのは「私はバカです」と言っているに過ぎない事なのですよ。

932 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:11:09
>>931
自分の主張を認められたくてここに投稿しているのなら、考え方が根本的に違う畿内説者を相手にしてはいけません。
と、言うか
ここに投稿している人達全員が違った考え方しているのだから、理解してもらおうなんて考えてる
時点で無理があるのです。

933 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:11:45
自意識過剰だな

934 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:31:08
「〜だろう」節で始まってる自説であることすら>>931は気付いていないのか?

935 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:38:15
二つのルートが存在したとする>>931の根拠って
結局のところ、古田氏のように、つじつま合わせをしているだけにしか見えない。

936 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:39:08
>>931 二 ◆.L.MXSPOgc
バカ杉、アホ杉、マヌケ杉の杉森 良博君が何かほざいているみたいだが…
>4、何らかの理由で不彌国以降の行程が日数で記述されている。
>5、何らかの理由で不彌国以降の国々の詳細が記述されていない。
少なくともこれらは倭人からの伝聞情報(投馬国=沖縄だっけ?w)の混入と言っている
お前の説がどうして他説をどうこう言えるのか?って話だなバカがw

あとの事は古代中国人の日本に関する地理情報がいい加減だったと言う一言で済む話w
ついでにそれで南北が逆さまになったような古地図や隋書の記述の件も説明できると言うか
普通の人間ならそう解釈するwwww

それに首長連合が南九州をハブった事に対しゴチャゴチャ言ってるが
狗奴国と邪馬台国が対峙したのを史実とするなら
お前とて何処かの地に狗奴国を想定してその敵対理由を述べなきゃならんわけだが

新たな交易体制かの恩恵に預れない(パイの大きさには限界があり東日本の流通も活発になれば当然取り分は減る)
と言う説以上に蓋然性をある説を出せよクズw

「上手く事象を説明できる仮説を是とする」んじゃなかったのか?お前の脳内幸福の科学はwww

それに大連合の軍事力で狗奴国を制圧しろと言うお前の主張だが
そう話は簡単じゃない、兵隊の頭数だけ揃えたところで兵力の輸送手段、兵站線の維持等々できなければ戦争なんて出来ない。
そう言った現実的なところを踏まえてもらわないとなwww

まあ「ゆるやかな首長連合」なんて俺の造語でも無いがこの馬鹿には理解できないんだろうwwww

で、もはや「わたしの説を理解できないのはあなたがバカだからです」と繰り返しほざくしかできないようだが

お前の説を理解してくれたお利巧さんって一体どれくらいいるんだい?wwwwwwwwwwww

937 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:43:48
つじつまも全く合ってない。

938 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:47:07
> 二 ◆.L.MXSPOgc

で馬鹿杉君、とりあえず

 ・トータル距離が違う
 ・通過したクニの数が違う
 ・方角の記述も片方は四方位、方や八方位

これらがありながら二つの報告書を同じルートのものと勘違いしてごちゃ混ぜにしたという
奇々怪々な現象についてその理由をきちんと蓋然性のあるお話をしてもらえないのかな?w

折角お前ご自慢の説に突っ込んでやってるんだから気の利いたアイデアひねり出せよwwwwwww



939 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:55:01
いやその前に、その二つの報告書とやらを出せよ。
見比べてやるから

940 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 10:01:42
二氏って以前全然反論なくてぼやいていた奴だよね?
でもいざこうして反論されると、全く応える事も出来ない口から出まかせ野郎だな。

941 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 10:08:25
テンポ悪すぎだろ

942 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 10:16:37
俺は読んでも分からなかったw


『魏志倭人伝 陳寿の勘違い』 二 ◆.L.MXSPOgc
http://yamat-2007.blogspot.com/





943 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 11:57:10
>>913
十分意味があります。
だって、舞台は北部九州ですから。機内ならばわからないですが。
邪馬台国は九州ですから。
黄色の御旗を見ただけで、戦意高揚するし心強くなります。
字が読めなくても。大陸の強くて偉い天子様がくださったものだと思えば、
それだけで、勇気百倍です。

残念でしたね、畿内説の皆さん。
状況を考えれば、畿内に邪馬台国があるのはどうもおかしいって気付きましたか?
それに都合わるいでしょ?
そんなに不安定な政権で、外国の支援を受けなきゃならないいような状態が邪馬台国では。

944 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:17:55
>>943
貨泉は西日本、畿内からも多く出土してますけど。


945 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:30:55
旗なんて魏の人が勝手に送り付けて来ただけだろ。
援軍が来るでも無し、倭人には意味の無い贈り物。
どうせなら鉄の武器とか送って来いと思ったに違いないよ。

946 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 13:46:21
伊都国で他国からの使者を留めたりしてんのに
他国に軍事支援求める筈が無いだろw

947 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 13:58:11
>>946
生始元年に刀もらってるじゃん。

948 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 13:59:54
×生始→○正始でした。

949 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 14:40:46
正始八年に、卑弥呼は使者を帯方郡に派遣し「説相攻撃状」となっているが、
これは非常にみっともないことだろう。

うちのところと、狗奴国は昔から仲が悪くて今お互いに攻撃しあっています。
なんていうのは、もろに助けてくださいと言っているようなものだから。
しかも、卑弥呼はこんなことを説明するためにわざわざ使者を派遣している。

これはもう、切羽詰っている状態としか言いようがない。

950 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 14:45:38
5レス アクセス禁止にでもしとけw

少し昼ねしようかな・・・・zzzz

951 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 14:48:57
嵐は無視にかぎるwww

952 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 19:12:10
>>946
わざわざ魏の使者が来てくれたんだ。邪馬台国にとっては各国に威信を示す
絶好の機会。使者を伊都国に留め置くなんて馬鹿なことはしない。
邪馬台国まで来てもらったんだよ。

953 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 20:34:48
>>952
じゃなくて、伊都国の検閲システムとか一大卒のような監視システムを持っていた
そんなシステムを持っているのに、安易に外国に軍事的支援求めるってのは腑に落ちない

954 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/06(日) 21:09:55
>>953
おっしゃるとおり腑に落ちないですね。
ということは何かわけがありますね。伊都国の入出国管理とか一大率は邪馬壹国に直属の機構ですよね。伊都国とその近傍は
邪馬壹国の統制下にあった。しかし、倭国(連合国)の内部には狗奴国との戦いに反対する、あるいは消極的な、国もあって
女王を中心とする結束が緩んでいた。さらに言えば、分裂の機運さえ生まれていた。とまあ、このようなことは考えられませ
んかね。

955 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 21:24:20
まあ結局は九州説だろうと”ゆるやかな”連合体になるんだよなw





956 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 21:25:30
いい加減に邪馬台国とか倭、卑弥呼っていう支那表現やめませんか?ヤマト、和、ヒミコにしてくれ!

957 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 21:37:35
>>956
自分でその趣旨のスレを立ち上げればよかろう。

958 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 22:09:43
昨日の「世有王皆統属女王国」の正しい訳がわかりました。

代々王がいて皆、女王国の血筋に属している です。

統は血筋ですから。

つまり伊都国は女王国の親戚なんです。

ですから、代々の王は皆女王国に属したのは、邪馬台国の卑彌呼が共立された
AD180頃に一緒に建国した国だからです。親戚を冊封した国なのです。

959 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:18:36
この馬鹿自分で正しいなんてほざいてるよ

960 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 22:21:26
>>959
馬鹿は貴方。至極真っ当な訳です。

961 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:29:02
伊都国が邪馬台国に統属したのは帥升のときだろう。
西暦100年頃。
その帥升体制の中で王位をめぐる争いがあり、卑弥呼が共立される。

卑弥呼にはカリスマ性があり、内部的には安定していた。
しかし、卑弥呼のような宗教的な指導者には軍事力が伴わない。
それが露呈したのが外部勢力である狗奴国との軋轢。

卑弥呼の死後、倭国内部の安定を求めて台与が共立される。
しかし、外部との武力衝突に対応するためには男王の存在が不可欠。
それが、梁書などに登場する「男王」であり、台与と並存することになる。

そして、この男王の存在によって、倭国は武力的にまとまり、外に向かって
その力を膨張させていくことになる。

962 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 22:31:12
「ですから、代々の王は皆女王国に属したのは、邪馬台国の卑彌呼が共立された
AD180頃に一緒に建国した国だからです。親戚を冊封した国なのです。」

もしくは、伊都国と邪馬台国は帥升、あるいは金印を下賜された倭王のころからの
親戚関係かもしれません。
むしろこっちの方が真実に近いかもしれません。


963 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 22:34:40
>>961
そうですね。貴方のレスの方が早かったです。

964 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:35:06
河童のようになりたいんだろ。

965 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 22:38:48
>>964
正しいと自分でいわないとなかなか読んでもらえないから、あえて正しいと。
そういうことです。

966 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:55:54
>>964

>河童のようになりたいんだろ。

無理だろう。

967 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:56:11
王がいて皆、女王国の血筋に属しているなんて意味不明だな。
女王と血がつながっているというのならば、女王国なんて書くはずないね。


968 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:04:22
魏略では伊都国の説明で「其の国王は皆、王女に属す」とあるから
王女は伊都国の王のことで
魏志倭人伝の女王国も伊都国のことだよ。



969 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 23:06:56
>>967
初め九州に渡ってきた民族が増えていく場合、だいたいが親戚関係です。
日本の田舎も親戚ばかりの村って多いでしょう。


970 :日本@名無史さん :2009/09/06(日) 23:13:02
>>968
それは違います。
魏略の資料は公孫氏が居た頃だとしても、魏が成立したのはAD220ですから、
それ以降の資料ですから、その時、魏略には国王、王女、女王国という文字もあります。
女王国と其の国王は別国です。

971 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:15:13
河童はフェニックス

河童がフェニックスに着くころに みんなは起きてるだろう
そして ここに書いたレスに気づくはず
みんなは笑うに決まってる
だって 河童は今までなんども別れを口にしてきたから

アルバカーキに着くころには みんなは仕事してるかな
お昼どきに 河童にレスするかもしれない
でもレスにはだれも答えないんだ

オクラホマに着くころには みんなはたぶんベッドだ
寝返りをうって 河童の名前を呼ぶんだ
そして みんなはきっと泣く 河童がほんうに去ったと知って
河童はなんども別れを伝えようとしたけれど
みんなはいつも本気にしなかったんだ
河童は伝えようとしたんだけれど・・・

972 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:20:44
>>968
王女は王の娘。王女=女王ではないだろ。

973 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:48:27
魏略も短里なので、短里は公孫氏の制定したものだろう。

974 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 00:21:01
ここでいう「王」というのは、あくまでも中国目線での王であって
実際は単なる豪族。

975 :サガミハラハラ:2009/09/07(月) 00:39:48
短里って倭人伝の里ですか?
これは周尺のことで1里67.5mのことです。
箕子朝鮮時代に半島で使用されていました。
倭人伝の行路記事は箕子朝鮮の時代に計測されたようですよ。

976 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 01:31:29
どのレスにアンカーしたらいいかわからんが、
統屬の統は、統治の統。
血統とは何の関係もない。

977 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 03:21:46
>>975
周牌算経が求めた1里は76〜77米
夏至の南中時の太陽の角度の緯度1度ごとの差が千里
地球は平らではないので洛陽から北へ千里と南へ千里では違うのだが
当時の人は平坦だと考えたので確定値だと思っていた

978 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 07:12:30
>>975
周尺を使っていた記録なんてあるのかな?

979 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 07:39:16
南至投馬國水行二十日。

不彌國の南に投馬國
(循海岸)水行二十日。

980 :日本@名無史さん :2009/09/07(月) 07:52:25
>>976
統治下に属するって変な意味で今ひとつはっきりしない
統属という熟語はないし。
もっとはっきりした訳がほしいところです。

981 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 08:16:39
>>977
短里の起源が周尺か周牌算経かはともかく、
公孫氏が短里を使って倭や韓の地誌を記録し
魏略が公孫氏の滅亡で流出した公孫氏の持っていた短里情報で書かれ
魏志倭人伝は魏略の短里情報を引き継ぎ、
それに新たに卑弥呼に謁見した魏の使者の日数情報を加えた
と考えられる。


982 :サガミハラハラ:2009/09/07(月) 08:44:41
>>981は「公孫氏が短里を使って和や韓の地誌を記録し魏略」以外はほとんど私の説と同じである。
公孫氏が短里をつかった地誌を書いたのは、三国時代に他の三か国に比べ、領土がせまいために
過大に(本土の人たちは漢尺で読むだろうと)みせようとしたためであると考えました。
しかし私とほぼ同じ考えにいたる人がいたということは驚異でした。


983 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 08:58:31
>>980
日本語化してないだけで、統屬は熟語と言っていいんじゃないかな。
三国志でも、倭人伝を含めて6ヶ所使われてるし、他の史書でも多く使われてるから。
大漢和では「所属の官司をすべ治める」となってる。

984 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 09:02:35
魏志倭人伝に里数と日数が混在している理由は基の資料が異なるからだろうと
考え、また、前から公孫氏が短里を使っていたのではないかと思っていましたが
魏略を読んで確信しました。



985 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 09:39:42
ありもしない公孫の記録まで引っ張り出して、自分の論を通したいのか?

986 :サガミハラハラ:2009/09/07(月) 09:46:28
中国は戦乱の大地、多くの資料がうしなわれています。
ある程度は推測をもって推測せざるをえないと思います。

987 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 10:18:38
>>986
どのような資料が失われたかご存知かな?
始めからありもしない資料を失われたとすれば、どんな推論も可能となる。

988 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/07(月) 11:52:26
>>936
どうしてそう自らの理解力の無さをアピールしようとするのかな、この引きこもりニートさんは。

不彌国以降の行程において混入といっているのは「水行20日」「水行10日陸行1月」についてだけです。
それ以外は梯儁が訪れたときの記録をもとに不彌国以降の記述がされているのですよ。
私の主張が少しは理解できましたか? その上で、

>4、何らかの理由で不彌国以降の行程が日数で記述されている。
は、日数で記述されているのは誤情報の混入。

>5、何らかの理由で不彌国以降の国々の詳細が記述されていない。
は、日数が誤情報のため、実際には不彌国以降の国々(といっても投馬国だけになりますが)の詳細は記述されている。

となります。キナイ説ではこれらはどのような説明ができますか? それは私の説より蓋然性のあるものですか? と聞いてるのです。

>>新たな交易体制かの恩恵に預れない(パイの大きさには限界があり東日本の流通も活発になれば当然取り分は減る)
「新たな交易体制」とか「パイの大きさの限界」とか、そういった前提条件をわざわざ想定しなくても、
狗奴国との対峙を想定することは出来ます。前提条件の少ないほうがより良いのではなかったのですか?

>>それに大連合の軍事力で狗奴国を制圧しろと言うお前の主張だが
なぜ、中国地方や機内の国々が北九州の邪馬台国を助けなかったのか?というのは、以前のあなたの主張だと思っていたのですが、これもまた他人の書き込みでしたか。
どちらにせよ、連合なのに援助するそぶりもなく魏に助けを求め、日本書紀には自力で制圧したと書いたということでしょう?


989 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/07(月) 12:05:10
>>938
あなたの頭の悪さがどれくらい悪いのか理解できません。

「二つの報告書を同じルートのものと勘違い」することは、それほど珍しいことではありません。
むしろ似たようなことは現実には良くあると言っても良いような話です。
それを何故あなたは「奇々怪々な現象」だと考える(ほど頭の悪い人間なのか)のか理解できません。

トータル距離が違うし通過国の数も違うから、それを埋めるのに20日やら10日1月を充てているのです。
三国志では4方位がよく使われているので、その事に対して疑問もないでしょう。8方位ならより詳細に記述されているわけですから
4方位で東が8方位で南東と書かれても矛盾するものではないでしょう。

何に突っ込んでいると言っているのか、あまり頭の悪すぎることを言われても分かりません。


990 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/07(月) 12:12:38
>>939

私が想像した、2人の報告書の内容はこのようなものだったのではないか、というものです。

http://yamat-2007.blogspot.com/2008/10/blog-post_8878.html

これらから、同一のルートの記述だとして邪馬台国までの行程記事を書くとしたら、
おそらく三国志や魏略にのこされたような文章になるだろう、と私は考えています。


2つくらい前のスレで、新たに自説のHPを宣伝されていた方がいましたが、(機内説で30国を瀬戸内に配置したような想像をされていました。)
その方が、国が変わる際、太守の交代の引継ぎで、倭国についてまとめられた文が作成され、それが元になって
魏略や三国志に書かれているのではないか、というようなことを述べておられましたが、私もにたような考えです。



991 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 12:26:46
二ルート説は、>>990二氏が思い描いた夢物語であったと
言う締め括りで、このスレは終了します。

992 :日本@名無史さん :2009/09/07(月) 13:23:29
>>983
その場合、主語が「王たち」で目的語が「女王国」でも
成り立つ熟語なんですか?

993 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/07(月) 13:57:17
>>976
統属の統は統治の統です。「すべて治める」から統治。
もしかして統に支配の意味でもあるとお考えならば、それはありません。

994 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 13:58:50
>二ルート説
なんだかな、肝心の「水行20日」「水行10日陸行1月」を丸投げした感じ

995 :日本@名無史さん :2009/09/07(月) 14:04:33
>>993
ではどう訳しますか。
王皆が主語ですよね。

996 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 14:11:10


997 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 14:11:16
王が皆では女王国とバランスがとれない。やはり、国は皆なんだよ。

998 :日本@名無史さん :2009/09/07(月) 14:14:08
>>997
国は皆が主語でもいいですけどとりあえず、どう訳しますか?
上下関係は主語が下ですか?

999 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/07(月) 14:19:05
>>993
王はみんなすべて女王国に属する。数代の王が居たら、代々の王が全て女王国に属していた。


1000 :997:2009/09/07(月) 14:22:51
国々は皆、女王国に統属する。


1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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