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■百済人(笑)

1 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:05:23
■百済人が熱い

今、他スレでもなぜか大人気の百済人(笑)
古代日本に仏教や文化、先進技術を伝え日本人を指導したという
この民族が2ちゃんで注目を集めている
歴史やハングル板だけでなく芸能、スポーツ、美容、ニュース板にまで
登場するようになった百済人(笑)

彼らは何者だったのか?
彼らは本当に韓国人の先祖なのか?
はたまた我々日本人の先祖なのか?
なぜ滅亡したのか?
古代日本の支配階級は百済人だったのか?
そしてなぜ今、百済人がブームなのか?

様々な謎とともにネットで一人歩きする快進撃の百済人
この民族とは一体?そして我々日本人との関係は?
我々は彼らを知らずにいられない



2 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:07:32
百済人こそ人類の模範だよな
カッコいいし

3 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:04:46
百済の支配層が日本勢に土着したのなら、
元の地である半島の返還要求しても正論だよね。
イスラエルがおっけーなら、
日本の渡来系子孫による百済返還要求、も正しいことになる。
さぁ、明け渡してください。

4 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 05:20:49
マジな話、百済人って本当に韓国人の先祖なの?

韓国では当たり前のように百済人は韓民族になってるってレス見たけど
実は日本人の先祖なんじゃないの?
それを韓民族なんかにされて何で日本の学者は黙ってるの?

韓国に対して言うべきなんじゃないかな
百済は倭族の支配した王朝であり、百済人は日本人の先祖だと
なぜ言わないんだろう、やっぱ確証がないからかな

5 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 14:28:36
今の韓国人は新羅人だから直接的関係は皆無

6 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 08:36:43
百済人が日本に移民して日本を発展させたのは事実だな
問題は百済人が韓国人かどうかだ

7 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 15:15:06
天皇家含めほとんどの日本人の祖先には百済人がある。
果たして韓国人、北朝鮮人にどれだけ百済の血が残っているかな?

8 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 19:29:17
>>7
え、天皇家の祖先に百済人?
認めちゃうんだw


9 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 19:37:33
百済人の名字は漢字二字が結構多い

10 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 20:17:32
【韓国】 「くだらない」は「百済ない」、クダラは奈良に比べて「大きな国」の意味〜イ・ナムギョの日本語源流散歩29★3[07/22]


日本古代史に最も影響を及ぼしたのは何といっても百済ということができる。日本書紀を見れば「百
済近肖古王405年に王仁博士が千字文と論語を持って日本へ渡り、聖明王552年に怒利斯致契が
仏教を初めて伝播した」となっている。

660年8月、百済泗?(サビ)城が陥落して、663年6月白馬江(ペンマガン)の最後の決戦の時までの
3年間に数千の百済人が日本に渡ったが、彼らの大部分は知識階層だったという。これによって、新
しい農機具と土木技術、仏事、仏経、新医術である鍼術、古代国家を形成する律令体制など国家の
根幹を形成する大部分の百済文化が流入し、日本は新しい新文明の全盛期を謳歌することになる。

日本に渡った当時の百済人は非常に優遇され、百済の職位をそのまま認められて官僚や将軍など
に任命されたが、日本政府はこれらを受け入れるために行政組織を16官位から20官位に拡大改編
までした。当時、日本政府の要職の国防大臣や文部大臣など、すべて到来した百済人を任命したこと
で発生した言葉が「アマクダリ」(天下り)だ。これは「空から降りた人」という意味で、現在でも高級官僚
が退職して関連機関の幹部などに降りて行くことを「アマクダリ」という。その当時、日本の首都は滋賀
県近江であり、673年に飛鳥地方へ遷都し、また再び710年に「奈良」に移転する。この時から784年
までを「奈良時代」という。

「ナラ」という言葉は「ウリナラ(我が国)」の略語として、当時日本の首都であった場所を百済遊民らは
「ナラ」と呼び後に漢字をあてて「奈良」になった。百済遊民らは消えた祖国百済を「大きな国(コンナ
ラ)」といったが、この言葉が変わって「クンナラ→クダラ(百済)」になった。百済(ペクチェ)を「クダラ」と
呼ぶのはこれに起因する。


11 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 20:18:58
[続き]

日本に渡った百済遊民は新羅(シンラ)を「シラギ」、高句麗(コグリョ)を「コクリ」と呼びながらも、百済
に対してだけは絶対に「ハクサイ」とせずに「大きな国」すなわち「クダラ」と呼んだことを見れば、彼ら
の執念がどれほど強かったかを察することができる。このような言葉に対する執着は、私たちの固有
な風習を見れば簡単に理解できる。

多くの兄弟がいる時、本家は先祖に対する祭事や全てのことを主管するから財産を全部譲られ、他
の兄弟より豊かで多くのことを内包する。したがって今、百済遊民らが生きている日本が「ナラ(国)」
ならば、百済は一番上の兄格の「大きな国(コンナラ)」という意味から出た言葉が「クダラ」だ。

「クダラナイ」という言葉は直訳すれば「百済にない」になる。言葉の意味は「つまらない」だ。「良くて立
派なものはみな百済にあるのに、これは百済にない。だから、つまらない」という言葉だ。

慶一大総長・イ・ナムギョ
http://www.imaeil.com/news_img/2009/column/20090721_170342000.jpg

ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩29]くだらない>日本に渡っていった遊
民らが祖国百済を描いて'大きい国'(百済)といったところで由来

関連スレ:
【日韓】 君と僕は金と朴、君が代は「キム家の世の中」という意味〜イ・ナムギョの日本語源流散歩28★3[07/15]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1247702567/
【日韓】 花郎道と侍〜「サムライの語源は、言うまでもなくサウラビ」イ・ナムギョの日本語源流散歩24★3[06/17]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1245332078/





12 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:28:30
関川:先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。
古田:日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。
‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。
‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関川:歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥
古田:民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。
当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。
櫻井:それは韓国の大学の歴史研究者ですか。
古田:イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。
李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。
要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。
この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。
櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
(文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69〜70頁)

13 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 22:44:53
>>9
日本人の苗字自体がそうだろ

14 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 22:49:55
【韓国】「日本語の起源は百済語だった」 8月に日韓同時に出版〜中国で「またか!」の声★2[07/23]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1248346833/

15 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 23:26:42
【韓国】 「くだらない」は「百済ない」、クダラは奈良に比べて「大きな国」の意味

〜イ・ナムギョの「くだらない」日本語源流散歩

16 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 00:21:26
>>14
日韓同時出版?
日本で売るのこんなデマを?


17 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 03:26:31
デマ本を売ることについては日本の大手出版社新聞社も似たようなものだから
藤村由加(文藝春秋)とか朴炳植(毎日新聞社)とか

18 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 03:43:26
朝鮮族のそもそもの出自は、
現在の北朝鮮から満州にかけての地域。
つまり、
新羅も百済も、移動してきた朝鮮族に居座られた被害者。

のち朝鮮族との混血が進み、
その後中華やモンゴルに何度も何度もレイプされ、
結果生まれたのが現代朝鮮人。

19 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 14:13:35
■朝鮮日報に書かれてる百済および韓民族の日本観

・「現存する世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿は、8世紀中盤に百済からの移住民が建てた寺です。」

・高松塚古墳、法隆寺、東大寺、広隆寺、大宰府、船山古墳、石舞台古墳…。日本が誇るこれらの遺跡の共通点は何か。
 それは韓民族、すなわち大韓民国の祖先の霊と魂、汗が染み込んだ代表的な場所だということだ。」

・「檀国大の鄭永鎬教授は「大宰府の建造と水城の築城には、百済の先進技術が活用されたことが立証されている」

・「日本が誇る遺跡が韓国の先祖の魂と汗で作られていることをこの目で確認でき、民族的自負心を持つようになった」と語った。

・「石舞台古墳は7世紀ごろ百済系の蘇我氏が作った大規模な墓として推定されている」

・江原大の孫承赴ウ授は「わが韓民族が古代日本の領土に文明と文化をもたらしたという
 華麗な過去の歴史を振り返り、自己陶酔に陥ってはならない。」

・釜山中央女子中のキム・ウンスン教諭(45)は「これまでは、われわれが文化を伝えたという自負心を
 抱くだけだったが、文化が一方からもう一方へ伝わった上で、それが受け入れた側によって発展していったという
 事実についても知ることができた」と語った。

・飛鳥地方の百済遺跡である石舞台古墳を訪問したときは、「飛鳥の漢字表示は“飛鳥”だったのではなく、
 元は百済人が渡来して心安らかに定着したという意味の“安宿”(発音はアンスク)だったが、後に変わった」と説明した。

・韓国が日本よりも進んでいる」という内向的な自負心ではなく、「隣国・日本の歴史をもっと知ることができた」
 という未来志向的な関心に基づくものだといえる。

・旅行会社のガイドは「韓国を訪れる日本人たちが、円高の恩恵にあずかり、ただソウルで金を使うだけ使い、大衆文化に関心を寄せているわけではない。
 日本文化の源流を学ぶため、扶余や公州を訪れるケースも多い」と話した。

20 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 20:21:11
おいらの女系先祖は百済人です
なぜなら桓武天皇の子孫だからです


21 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 20:26:06
そして平氏の子孫でもあります
だから百済の血が入っている事に
おいらは誇りを持っています

22 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 22:08:19
↓のソースをちょっと借ります。↓
http://img1.wiredvision.jp/news/200805/2008051419-1.jpg
群集が大移動するときは、砂漠や未開の危険な山岳を通るより、海岸或いは海洋を
利用するものだ。
上記の移動地図が正確だとした場合、私が他のレスでも何度も言ってきているが
朝鮮半島から文化が来たのではなく、日本の先祖が日本から半島に渡ったことになる。
このような仮説なら、いろいろ説明がまとまってくる。
言語の件、習慣の件、文化の件、諸々だ。
日本から半島に渡った民は、やがて土着し百済人なり高麗人になり当時は日本とは言わなかったかも
知れないが、その影響を半島人として受け継いでいったに違いない。やがて時が経ち
平安朝時代になると、高麗人として日本に渡来してきている。しかも支配するためでなく仕えるためとして
朝廷に馬を献上していることは文献に残っている。
高麗人は、日本に帰化し「コマ人」とよばれ、馬を「駒」として呼び各地に駒とつく地名が残った。
刀剣など「倭刀」などと呼ばれ朝鮮に持ち込まれ、やがて彼らに伝わっていったのだ。
つまり、韓国起源ではなく、その殆んどの名残は日本経由で伝わったと考えたほうが理に合う。
韓国人が述べる起源説はひっくり返して解釈すべきなのである。(仮説)


23 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 22:26:51
>>20
桓武天皇の母ちゃんである高野新笠の父方先祖なら、半ば神話的な百済移民だよ。
高野新笠のテテ親の時点で既に日本に来て2百年以上経ってる。
しかも光仁天皇の妾になった時、その身分はものすご〜く低くて一介の百姓扱いに等しいものだった。
よって息子である桓武が天皇になれたのもタナボタ。

24 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 23:36:19
>>23
百姓外人なんて、てーしたことねーよ〜
って解釈で宜しいでしょうか?
では皇太子の発言も信憑性が薄いちゅうて補足がいるねぇw

25 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:00:22
いんじゃね?それで

26 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:49:08
じゃ それで

27 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 02:18:40
>>22
この人類移動の流れで納得した
黄色人種が白色人種より新しい種だといわれているのに
なぜ白色人種に対して肉体的に劣っているのか
今までは北ルートばかりが正しいとされ、黒人→白人→黄人だと言われてきたが
身体的特徴が辻褄が合っていなかった
しかし、この複数ルートなら納得がいく
北上せずに、中央アジアで黄人へと進化する中間主が存在し、そこで白人種に近い主と交わったに違いない
その後赤道近くのルートを通り、太平洋にぶつかり、南北のルートに分岐した
これなら黄色人種が一番新しい種だとしても、苛酷な自然環境に晒されなかったため、肉体が退化し
過酷な北ルートを通った白人種が肉体だけは黒人種の特徴を残した別ルートの種だと納得がいく

28 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 08:45:43
なら、日本語と語順が同じ他の「アルタイ諸語」であるツングース語、チュルク語、モンゴル語なんかも、
日本語か、日本語の影響を受けた朝鮮語の影響を受けて出来た言葉なのか?

29 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 08:56:15
百済人の名前って名字は日本人みたに漢字2文字が多かったの?
百済人の名前に詳しい人教えて

聖明王(せいめいおう)
武寧王(ぶねいおう)

木満致(もくまち)
司馬達等(しばたっとう)
止利佛師(とりぶっし)



30 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 11:58:55
>>22 イ・ナムギョのような、半島から日本へ伝わったとのきめ付け方をするから無理が生じる。
髪の毛を右から7-3に分けていたことを左から分けてみれば気分が180度変わるように、随分世界観が変わると思う。

31 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 16:36:40
朴秀喜=百済人

32 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 23:36:49
>>22つづき
「倭」とは、「シズ」=「梶(かじ)の木や麻などで青・赤などの縞を織り出した古代の
布。」とある。 倭人は、紀元前の日本の民をさして呼ばれていた。しかも、すで織物の
技術と染色の技術を持っていた種族で 染色の技術がなく殆んど白布を使っていた朝鮮族
とは違いがあるし、誰かのレスで日本人と朝鮮人とはDNAが 違う配列にあると述べられていた。
だから、韓国人は日本人とは親戚でもなんでもなく赤の他人ということになる。
しかも、日本から渡来した日本人の先祖は半島で日本島をみて遥か昔の故郷を偲び、東にあった
その島を 「日の本」「日いずる国」として呼んだのではないだろうか。卑弥呼よりもっと前の事
である。やがて「日本」となる。 その頃は、「人類移動地図」にある如く、東南アジアから琉球
及び日本方面のグループ以外に 中国本土に向かう種族もあった。中東からインドなど大陸を通って
中国に住み着いた種族もあり、 その雑多な種族が中国を形成し、朝鮮半島まで侵食、倭族なり、
蒙古族などとの抗争を繰り返して やがては、中国の血を引く民族として朝鮮族が出来上がり
属国となっていくのである。
http://img1.wiredvision.jp/news/200805/2008051419-1.jpg
日本はアイヌ等は、日本の先祖となる人々が、そのまま住み着きアイヌ人となる。
DNAが日本人と同じであることはその証拠。
また、琉球の名残が日本にあるということも渡来人の痕跡を示すものである。
古代琉球人は、隣の中国とも交流があり、言語や習慣も取り入れていった。
今、沖縄の海底都市の発見は、このように、ソースの「人類移動マップ」による
古代人の移動軌跡を遡れば、なんとなく分かってくるような気がする。
以上は「仮説」ではあるが信憑性としては十分納得できると思われる。


33 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 04:10:15
>>23
まあな水鏡には母親が卑しいとされそのため桓武の即位に反対も
されていることが記述されているからな
年上であるにもかかわらず桓武が皇太子になれなかったのも
そのためだろう

34 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 04:28:30
藤原浜成申していはく
「山部親王(後の桓武天皇)は御母卑しくおはす。いかでか位に即き給はん」と申ししかば、
御門(父である光仁天皇)
「まことにさる事なり。酒人内親王を立て申さん」と宣(のたま)ひき。

水鏡

35 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 00:49:27
継体天皇って百済人なの?
朝鮮日報に書いてあったんだけど

36 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 22:27:33
古代日本の支配階級はほとんど渡来人が主流
百済人も日本の貴族となり事実上、日本を支配していた

37 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 01:35:16
>>36
>古代日本の支配階級はほとんど渡来人が主流

ソースヨロ

>百済人も日本の貴族となり事実上、日本を支配していた

ソースヨロ

38 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 02:16:00

'歴史戦争'に200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定 ...2007年6月18日

「北東アジア歴史財団」は、中国の高句麗(コグリョ)史編入と日本の歴史教科書歪曲に
対抗するための対策を用意しろという盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の指示で昨年4月
から準備を進めてきた。 今月末に50人余の組織(研究員は20人余) ...
japanese.joins.com/article/article.php?aid...200... - キャッシュ - 類似ページ


39 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 02:31:19
戦争状態から何隻のフネが脱出できたか疑問
日本書紀の記述を全部あわせても1万人に届かない
日本に亡命した百済人は今ではもう完全に同化してるよ

40 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 06:24:25
>>39
天皇やその貴族だった末裔達は今でも日本の支配階級
つまり現在の日本の支配階級=百済人の末裔

あと幕末に活躍した長州人(伊藤博文、井上薫、山形有朋など)も
百済人の血をひいてる可能性大だね

百済人の末裔たちは自分は日本人だと思ってるのか韓国人だと思ってるのか
聞いてみたいね

百済王の子孫と名乗る日本人が韓国に出向いて

「先祖の土地に今帰ってきました」

彼は「ご先祖様に参拝する願いを成し遂げて、喜びと興奮が胸を込み上げてき ます。
琳聖太子が日本で見せた業績を大切にしながら、誇らしい百済の子孫であることを忘れないで
子々孫々生きていきます」と語ったそうだ

彼も百済人は韓国人だと思ってるみたいだな
http://www.allthatnews.co.kr/news/photo/200906/16031_15144_5151.jpg



41 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 06:46:01
くだらねえな

42 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:11:18
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



43 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:24:34
>>40
だからソースだせよ

44 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:28:44
>>43

【韓国】 日本に号令した最高の名門、大内家は百済王の子孫だった[06/15]

http://www.allthatnews.co.kr/news/photo/200906/16031_15144_5151.jpg

「1400年の歴史の中で両親から受け継いだ家系図を通じ、歳をへてますます韓国が懐かしくなりまし
た。このような感情から、ご先祖様に必ずお墓まいりをしなければならないと考えるようになりました。」

去る8日KBS「歴史追跡」は自らを百済王の子孫だと主張する日本人夫婦の韓国訪問の話を扱った。
4月17日、昔の百済だった益山市(イクサンシ)を訪問したこの日本人夫婦は大内公夫(69、夫)と大内
タカコ(65、夫人)氏。彼らは1400年前、日本に渡ったという百済王族、琳聖(イムソン)太子が正に自
分たちのルーツだと紹介した。

空港で韓国取材陣に短い挨拶を終えた大内夫妻は先に琳聖太子の父親の聖王の墓の陵山里(ヌン
サンリ)第二古墳を訪れた。この日、近隣の文化院が提供した百済王の服に着替えた大内氏は聖王
に参拝した後「はるかに遠い先祖の百済王の墓の前に額づいて王の血孫45代子孫大内公夫、謹し
んで申し上げます。数多くの世代を経て、そして数多くの歳月をすぎて、いよいよ待望の先祖の土地
に今帰ってきました」という内容の祭文を読んだ。

礼拝を終わらせた後、彼は「ご先祖様に参拝する願いを成し遂げて、喜びと興奮が胸を込み上げてき
ます。琳聖太子が日本で見せた業績を大切にしながら、誇らしい百済の子孫であることを忘れないで
子々孫々生きていきます」と語った。(中略)印刷所のデザイナーをしている大内氏はこれまで訪ねる
ことが出来なくて申し訳ないいい、自分の財産の一部を整理して用意したお金3000万ウォンを文化財
管理に使って欲しいと、益山市と扶余郡に寄付して韓国での短い日程を終えた。

45 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:29:42
[続き]

琳聖太子の子孫、日本に号令する
琳聖太子を始祖に持つ大内一族は14世紀、荒涼とした山口を1万世帯以上が居住する日本最大の
都市として建設した名門の家柄だ。彼らは中国と朝鮮を相手に国際貿易を独占して富を蓄積するな
ど日本全域に強大な影響力を行使した。14世紀西日本の代表的な封建国家であった山口に首都を
たてて200年間、西日本を号令した大内一族の官邸は東西南北長さが200メートルに達し、室町幕府
将軍の官邸を規模面で圧倒する。

大内一族は当時、日本西部地域の周防、長戸など7ヶ国を支配したがこれは今日福岡県、島根県、
和歌山県、大阪一部に達する広大な地域に該当する。大内一族は一時この力を土台に当代の実力
者であった将軍をはね除けることもした。(中略)

百済の先進文化を日本に伝えた琳聖太子
(中略=>>2-5のあたり)
韓国訪問を終えて帰国した大内公夫氏は琳聖太子の供養塔で「私たちは今回、時間を超越して世代
を繰り返し、いよいよ先祖の墓に太子の心を持って訪問して、墓まいりしました」と告げた。彼は「百済
は私たちを通じて、これからも息をするでしょう」と話した後、韓国から持ってきた百済の土を供養塔の
下に心を込めて撒いた。

イム・ジェヒョン記者

ソース:allthatnews(韓国語) [企画]日本号令した最高名門街は百済の子孫だった(抄訳)
http://www.allthatnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=16031


46 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:32:09
■百済の先進文化を日本に伝えた琳聖太子

琳聖太子が創建した古刹として知られた「広隆寺」という寺には彼が直接使ったという遺物三種類の
刃物、笛、冠が伝えられている。特異な点は遺物の中の刃物が日本で製作された日本刀とは違って
もろ刃の形態で、日本では探せない銀象眼技法を使っているという事実だ。日本の学者らがこの刃物
の製作年度を測定した結果、7世紀以前に製作されたと分析されて琳聖太子の上陸時期と合致して
いる。

歴史書物によれば百済を出発した琳聖太子が初めて到着したところは防府市にある多々良浜で、彼
はまだ鉄の利用方法を知らない日本の人々に百済の先進文化であった製鉄技術を伝播した。このた
めに山口県のあちこちには日本最大の製鉄遺跡地が発見されている。琳聖太子は多々良で2年をす
ごして大内に移住した。彼の子孫は8代孫正恒の時、琳聖太子の上陸地点の名称をとって姓氏を
「多々良」と称して16代盛房の時に、居住地名により「大内」氏に変更した。琳聖太子が日本に伝えた
のは製鉄技術だけではない。仏教と民間信仰が融合した形態の妙見信仰(七星信仰)も日本に伝播
した。妙見神に仕える東京の妙見宮壁画には琳聖太子が百済から亀に乗って大韓海峡を通過し、日
本へ渡ってくる姿が描かれている。この絵は琳聖太子をめぐって韓半島にいる人々の悲しむ姿と日本
人の喜ぶ姿を対照的に表現したのが特徴だ。


47 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:33:04
[続き]

先祖の根元を探して、韓半島を訪れた子孫

韓国にはよく知られていなかった琳聖太子が日本で大きく浮上した理由は、百済王族の子孫として自
身のアイデンティティを正しく立て直そうとする大内一族の情熱のためだった。

1392年朝鮮王朝が立てられるや琳聖太子の25代孫大内義弘は1395年から毎年、朝鮮に使節を派
遣して親書を送った。特に正宗1年の時送った親書で彼は「私は百済の子孫です。日本の人々は私
の世系と姓氏を知らないのでこれを詳しく書いて下さい」として自身が百済王族の子孫であることを立
証できる記録を公式に要請した。しかし、朝鮮朝廷は大内一族のルーツを確認できる記録を探すこと
ができず、明確な返事を出すことができなかった。

朝鮮王朝実録によれば大内一族と朝鮮王朝の交流は150年の間200回を越えるほど活発だったが、
この過程で先祖に対する確認要請は63回にもなるほど粘り強かった。その時ごとに朝廷が要請を聞
き入れることが出来ない理由は当時朝鮮の歴史書物に琳聖太子に対する記録がなかったためだった。

歴史専門家は琳聖太子が聖王が殺害された悲しみに王家の政治的混沌が重なって、その逃避先で
選択したのが日本だったことで推測している。たとえ政治的亡命地で選んだ日本だったが、琳聖太子
はそちらで常に百済を懐かしがった。彼の影響で日本には韓半島式瓦と朝鮮式宮廷など故国に対す
る郷愁が埋めている遺物らが発見されている。彼の血管を持って生まれた影響であろうか、琳聖太子
の子孫らは日本で今でも百済の土地を懐かしがっている。

以上。
              

48 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:47:13
朝鮮ソース?

49 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 08:17:20
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



50 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 08:23:28
つまり当時の朝鮮王朝は百済の事を何も調査出来ず、百済とは断絶してしまっていると証明されたんだな。やはり百済人は全て半島から脱出したんだな。

51 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 08:53:05
百済つうのは扶余族で征服民なんだよ
4世紀中半から7世紀まで百済として国家をつくった。
モンゴルが半島征服したのと同じ
新羅と唐の連合軍に敗れて王族や支配層、つまり百済の
血筋は中国に引っ張られていった。日本に逃げたのは
一部

52 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:16:18
関川:先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。
古田:日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。
‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。
‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関川:歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥
古田:民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。
櫻井:それは韓国の大学の歴史研究者ですか。
古田:イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。
李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。
要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。
この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。
櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
(文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69〜70頁)

53 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 13:53:18
>>36 魏志倭人伝の倭人語と奈良時代の日本語は連続している。百済建国は邪馬台国より時代があとだ。

 百済語地名は日本語ではない。故に百済語≠日本語である。また百済語がヤマト朝廷用語に入っている証拠もない。

 大和朝廷は完全に日本人だけの王朝である(お雇い外国人として百済、漢人、高句麗人などはいた)。


54 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:23:31

>>52
まさにその通りだと言えますね。
彼ら朝鮮人たちと、対等に話し合おうとしてもまだ無理だと思う。
大学教授を名乗るものまでが「まず韓国ありき」でスレッドを立て、自国民を
喜ばせようとして捏造まがいのものをもっともらしい論説を並べているうちは
まだまだ時間がかかるでしょうね。

あるサイトに下記のようなコメントがあったので紹介します。
*********************************************************************
パリ国立東洋言語文明研究所教授  フランソワ・ジョワイオ
私はヨーロッパ人ですが、韓国の人達と話していていつも強烈に感じ取るのは、
彼らが想像を絶するほど強い自意識、すなわち韓国人としてのアイデンティティや
愛国心に衝き動かされているという事実です。
言葉を換えて表現するならば、本質的に彼らは世界一のナショナリストであるということです。
彼らが「何が何でも日本に勝ちたい!」と願っている深層心理を本当に理解できている日本人は
ほとんどいないのではないのでしょうか。------パクリ大国 南朝鮮 より
*********************************************************************
世界の人々も良く知っていますよ。


55 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:28:34
>>53
じゃこれは何?本まで出されてるよw
ウソなら大問題だよな?
何で日本は抗議しないの?

【韓国】「日本語の起源は百済語だった」 8月に日韓同時に出版〜中国で「またか!」の声★2[07/23]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1248346833/

【韓国】 「くだらない」は「百済ない」、クダラは奈良に比べて「大きな国」の意味〜イ・ナムギョの日本語源流散歩29★3[07/22]
慶一大総長・イ・ナムギョ
http://www.imaeil.com/news_img/2009/column/20090721_170342000.jpg

【日韓】 君と僕は金と朴、君が代は「キム家の世の中」という意味〜イ・ナムギョの日本語源流散歩28★3[07/15]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1247702567/

【日韓】 花郎道と侍〜「サムライの語源は、言うまでもなくサウラビ」イ・ナムギョの日本語源流散歩24★3[06/17]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1245332078/

56 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:33:48
http://www.chosunonline.com/news/20090222000011
【歴史】東大寺と正倉院の華厳経から新羅の角筆加点を発見 「日本語の起源」★

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1234358741/gi/news4plus/1231908485/
【韓国】日本のカタカナは、新羅の口訣が起源だった ★2 [02/11]

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1220914424/
【中韓】 中秋(秋夕)は中国の文化?〜新羅の僧が唐に伝えたのが起源★2[09/08]

http://www.chosunonline.com/article/20081109000005
【韓国】西洋に伝わった製紙法は高句麗の技術?

【韓国】「歌舞伎の起源」百済技楽、困難極める復元作業
http://www.chosunonline.com/article/20060910000028
日本書記には、612年に百済人ミマジにより日本に伝えられたと記録されている。
日本では伝統劇の舞楽や歌舞伎などの起源は、いずれも百済技楽であるとしている



57 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:51:37
いちいち反論できないほど一編に大量の嘘を垂れ流すニダ
 ∧_∧
<丶`∀´> クックック
( ∪ ∪  


58 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 18:24:35
>>55 ウソなら大問題だよな?
何で日本は抗議しないの?

・・・アホを相手にしている暇がないんだろう。

59 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 18:44:52
>>55 東亜古代史にしても日中の学者は朝鮮人学者を相手にしないらしいしな。


60 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 19:05:24
「言論統制洗脳国家」だから、自国の不利になることは絶対認めない。間違っても絶対認めない。
唯我独尊的な異常者たちにかまっても、かまうほうがバカになるから相手にしないほうが賢い。
しかし、なんの能力もないくせにパクッテばかりしていて、しかも日本の何兆円もの援助のおかげで
経済があがったことも知らず、図々しくも日本が嫌いだとぬかしている。
無能だから、経済破綻を何度も繰り返していながら、他国に頼ることをなんとも思わず
相変わらず韓国マンセーをとなえている馬鹿さ加減にもうウンザリだ。

61 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 19:45:15

'歴史戦争'に200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定 ...2007年6月18日

「北東アジア歴史財団」は、中国の高句麗(コグリョ)史編入と日本の歴史教科書歪曲に
対抗するための対策を用意しろという盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の指示で昨年4月
から準備を進めてきた。 今月末に50人余の組織(研究員は20人余) ...
japanese.joins.com/article/article.php?aid...200... - キャッシュ - 類似ページ


62 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 19:46:55

'歴史戦争'に200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定 ...2007年6月18日

「北東アジア歴史財団」は、中国の高句麗(コグリョ)史編入と日本の歴史教科書歪曲に
対抗するための対策を用意しろという盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の指示で昨年4月
から準備を進めてきた。 今月末に50人余の組織(研究員は20人余) ...
japanese.joins.com/article/article.php?aid...200... - キャッシュ - 類似ページ


63 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 20:37:46
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-b.html
「東北アジア歴史財団」の愚挙―樹木があったはずだとして岩場に植林。 植林したら竹島か?

>竹島には樹木があったはずだとして岩場の僅かな土地に植林し、今も竹島の自然体系を破壊し続けている。

これは、学問的客観性の意識など毛頭ない気違い政治団体ですね・・・


64 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 20:43:18
>東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク工作員がNHK出演とは終わってる。

ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]
【ゲスト】東洋大学教授…森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,
【…… ... 森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,【リポーター】
大桃美代子,【語り】高橋美鈴; スタッフ; 属性情報 HD 16:9 ステレオ コピー1
tv.yahoo.co.jp/program/122300/?date...ch... - キャッシュ - 類似ページ


65 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 20:58:34
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



66 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 23:12:11
ふ、くだらないぜ、ふw

67 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 23:28:53
日本語の「くだらない」の語源は、百済と関係のあるの?

68 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 23:50:45
戦前、日鮮同祖論を唱えて、えらい目にあったんだ。大損こいた。
戦後止めたら、今度は向こうがすがり付いてくるのかよ。
もう関わりたくねーな。

69 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 01:21:30
>>39
亡命は相当いるよ。
百済滅亡前後に日本の人口は60万から3百数十万に増えている。
日本書紀は当てにならない。
同化したってよくいうがそんなに簡単ではない。
婚姻後に「自分は朝鮮人だ」とかいったら昔でも今でもすぐ離婚でしょ。

70 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 01:58:05
奈良時代後半、飛鳥の住人のうち10人に8,9人が渡来系の姓を持つという。
(坂上大忌寸刈田麻呂らの秦言による)
関東では神奈川県大磯に朝鮮人を住まわせたことで有名だ。
>>53大和朝廷が日本人だけの王朝であるというのは信用できない。
そんなに囲まれるかえ?
天孫降臨ってどこから天下ったのか?
東征って佐賀から東征したって、おかしい。


71 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 02:22:03
>>69 ウソを書くな。

有史以来の日本の人口の変化

 歴史人口学の研究者である鬼頭宏氏の「人口から読む日本の歴史」によれば、
わが国の人口は単調に増加し続けたのではなく、増加と停滞、あるいは
減少を何度か繰り返しながら、大きな波を描くように変化してきた。
人口増加には、弥生時代から10世紀以降にかけてみられる稲作農耕とその普及による
人口増加と、19世紀から現代にいたる工業化に支えられた人口増加という
2つの大きな流れがあるという。

 鬼頭氏が江戸時代までの人口について様々な資料から推計したところ、
縄文時代には約10万人〜約26万人であり、弥生時代には約60万人であった。
奈良時代には約450万人、平安時代(900年)には約550万人となり、慶長時代
(1600年)には約1,220万人となった。江戸時代には17世紀に人口が増加し、
18世紀には停滞して、おおむね3,100万人から3,300万人台で推移した。

・・・少子化社会白書より

72 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 02:30:21
坂上苅田麻呂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坂上 苅田麻呂(さかのうえ の かりたまろ、
神亀4年(727年)- 延暦5年1月7日(786年2月14日))は奈良時代の武人。従三位。中衛府中将。左京大夫。坂上犬養の子。坂上田村麻呂の父。

坂上氏は中国の後漢の霊帝の流れを汲むという東漢氏に繋がる家系で代々弓馬の道をよくする武門の一族として、数朝にわたり宮廷を守護した。

・・・ということは漢人系の渡来人が飛鳥地方に固まっていたということだな。


73 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 02:49:16
だからね、
朝鮮半島北部方面からやってきた偉大なる″朝鮮民族″の皆さん、
そこ、百済人の土地ですから。
占拠はやめて、
百済人の子孫であるらしい日本人に、
早々に明け渡してください。
″イスラエル方式″です。わかりますよね?
え?
無理?
それってつまり、
イスラエルを認めない、ということですね?


74 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 04:12:28
>>70
佐賀?
宮崎だろ!

75 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 04:14:42
>>59
ま、世界的にはこうだけどね(笑)
ほとんど日本びいきだよ

■韓国はポルトガルの植民地だった!?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1234637431/

「4−5世紀に日本人は韓半島(朝鮮半島)南海岸に小さな植民地を所有していた」
「1640年代に韓国は中国・清王朝の属国になった」

米国の「世界史」の教科書に堂々と記載されている韓国の歴史だ。われわれは「教科書の歪曲(わいきょく)」といえば
すぐさま日本を思い浮かべるが、これは日本だけの問題ではない。
あらゆる大陸と文化圏で、多くの国家が韓国について誤った情報を教科書で学んでいる。
本書は、韓国学中央研究院の李吉相(イ・ギルサン)教授が2003年から40カ国余りの教科書500種類以上を一つ一つ分析し、
見つけ出した歪曲と誤りの事例を取り上げている。

それには首を傾げるほどにとんでもない内容が多い。
イタリアの『1900年代の世界史』は、「韓国はヤミ市場を通じ材料と技術を導入しさえすれば、核爆弾を作ることができる国」
と紹介している。アルゼンチンの『一般地理』では、韓国がマラリア感染地域に分類されており、
パラグアイの『歴史と地理』では、韓国をかつてポルトガルの植民地だったと表示している。

米国の教科書のあちらこちらには、オリエンタリズムと日本の植民史観が反映されている。
プレンティスホール社が2004年に出版した『世界文化』には、「西暦400年ごろ、(日本は)幾つかの氏族が連合して日本の大半を統一し、
韓国南部の地域を統治するまでに至った」という、あきれるような文章がある。
韓半島南部を植民地にしていたとする「任那日本府説」が、米国の教科書では健在だというわけだ。

カナダやオーストラリアの教科書もまた、日本の植民史観を盛り込んでいる。
日本の教科書の中には、「高句麗や渤海といった古代国家を現在どの国の歴史と見なすかは、複雑な問題だ」という、
中国の東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)を後押しするような内容もある。

http://www.chosunonline.com/article/20090215000001
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1234637431/

76 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 04:36:00
>>73
ちかうって百済はあとからきたんだよ
そして滅亡
先からいる韓族を祖とする韓国人らとは違うんだよ

77 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 04:38:58
http://killkorea.iza.ne.jp/blog/entry/745388
http://blog.livedoor.jp/booq/archives/492561.html

★以下は外国の教科書の韓国の記述の間違い事例

◎パラグアイの 教科書=ポルトガルの植民地だった国家

◎チリの教科書=栄養不足の国家     ←頭の栄養が不足だ

◎シンガポールの教科書=ロシアの植民地であって日本の植民地になった国家

◎イギリスの教科書=外国から援助を 受ける国家。韓国と北朝鮮を一緒に扱って `1人当り10ドル以下の
 支援受けている' と表記している。 ←ある意味正しいと思うが・・

◎ヨルダンの教科書=高校2年の歴史地理では仏教が公式宗教の国

◎ウルグアイ 教科書=中国語を使う国家

◎イタリア 教科書=軍人が統治する 国家。 リビア、イラク、イランなどと 一緒に核兵器を開発する
 可能性がある 国家

◎ウズベキスタン=朝鮮戦争は北浸戦争である

78 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 05:43:14
自爆が生き甲斐です

http://killkorea.iza.ne.jp/blog/entry/699474/

日本が好きで韓国人を無視する豪州人
daum8月30日 HN PN

オーストラリアに留学した時豪州人が認識する日本人と韓国人の差をひしひし感じました。
ホームステイした家に日本人もいたがその家族の人たちが日本人がとっても好きなのです。
寿司やさむらい、忍者、相撲、柔道のような日本伝統文化に対してよく分かっているし、
アニメーションやゲームみたいな大衆文化、自動車、工業製品、などが深くオーストラリア社会
に浸透していて日本が大好きなんですよ。
一方韓国人に対する態度はまるで後進国から来た人間のような取り扱いをします。中国人や
インドネシア人たちと全く同じ扱いなんです。
すごくかんしゃく起こしました。私たち韓国も先進国なのに日本びいきなんですよ。どうしてこん
なに差があるのか全くかわからなかった。とても不思議だった。日本の陰謀ではないですか?
それで家の主人に日本の過去の話をたくさんして、日本人がいかに残忍で反省することがで
きない仕方ない民族なのか詳しく説明してあげたら、そこの主人がむしろ怒ってしまったね。
「日本をまともに知らないくせに悪口を言わないでね」と説教を受けました.....あっけなかった。
同じ家で暮した日本の友達とも関係がトゲトゲしくなって私は遂にその家を出なくてはならなくなった。
私が間違った事をしたんでしょうか?
日本人が世界で一番悪辣な民族と言うのは事実じゃないでしょうか。反省することができなくて独島
を侵奪しようとまだ労力している恥ずかしい民族じゃないでしょうか?日本人は悪い民族なのは明ら
かなのにどうして私が豪州人から酷い目に会わなければならないでしょうか? 理解出来ない。

79 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 10:08:57
【韓国】朴正煕大統領が語った韓国と民族

●「朴正煕 選集 2国家・民族・私」−我々は今何をいかになすべきか− より抜粋 

第一にわれわれの歴史は始めから終わりまで他人に押され、それに寄りかかって生きてきた歴史である。
大韓帝国が終幕を告げるまで、この国の歴史は平安な日がなく外国勢力の弾圧と征服の反覆のもとに、 かろうじて
生活とはいえない生存を延長してきた。

ところが、嘆かわしいことは、このながい受難の歴程のなかでただの一度も形勢を逆転させ、外へ進み出て国家の実力を
示した事がないということである。
そして、このような侵略は半島の地域的な運命とか、われわれの力不足のため起こったのではなく、ほとんどがわれわれが
招き入れたようなものとなっている。
自らを弱者とみなし、他を強大視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自首や発展は
期待することはできないであろう。

第二に、われわれの党争にかんすることである。
これは世界でもまれなほど小児病的で醜いものである。
第三に、われわれは自主、主体意識が不足していた。
われわれの波乱多き歴史の陰になって固定されることのなかった 文化、政治、社会はついに「我々のもの」を失い、代わりに
「よそもの」を仰ぎ見るようになり、それに迎合する民族性に陥らせてしまった。
「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。

第四に、経済の向上に少しも創意的な意欲がなかったということである。
われわれが眠っている間に世界各国はいち早く自国の経済向上のため 目覚しい活動を展開していた。
しかし、われわれは海外進出は念頭におかず、せいぜい座ってワラを編んでいただけではなかったか。
高麗磁器などがやっと民族文化として残っているのみである。
それもかろうじて貴族の趣味にとどまっているだけであった。
しかし、これも途中から命脈が切れてしまったのだから嘆かわしいことである。
以上のように、わが民族史を考察してみると情けないというほかない。



80 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 10:31:54
>>79
>「よそもの」を仰ぎ見るようになり、それに迎合する民族性に陥らせてしまった。
「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。

この大統領のように気がついた韓国民はどれほどいるのだろうか。
相変わらずパクリ続けていて、自分たちが創始かのように空騒ぎをしている。
ハングルにしても、日帝時代の教育の所産ではないか。
挙句の果ては、「言語源流散歩」的なことまで始めだした。
一体、この国は何処へ行こうとしているのだろうか。
国家破綻も間近い。
この大統領のような、早く自国の真の姿に気が付かなければ・・・・・

81 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 13:41:59
てか、ぼくまさきのように自国の歴史の情けなさを正直に、そして客観的に直視したまではいいが、
今度はその反動で、次の世代が
何でもウリが一番、何でもウリの国が起源、というウリナラマンセー史観に陥らせてしまった。
朴は、日本が教育制度を敷いてくれたお陰で自分のような貧しい生い立ちの者でもここまで来ることが出来た、日本による併合が無かったら、とてもこうは行かなかった、とはっきり認めているからね。

82 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 15:56:40
でもハングルも伝統文化ではないな
何百年も民族が受け継いできた言語形態はむしろ漢字であって
それさえも捨ててしまったのが今の韓国人

高麗磁器も大日本帝国時代にソウルの道端で安値で叩き売られてたモノを
日本人が拾い上げてその素晴らしさを伝える努力をして、ガラクタ同然だった
高麗磁器を韓国の伝統文化にするまで押し上げてやったっていうのが事実

それなのに今では「日本人に真似させないほど優れた朝鮮磁器」とか
まるで日本が真似て作ったかのように報道している

83 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:17:18
>>82 まあ、日本が宗主国ですべての面で価値基準として仰ぎ見る存在ということなんだろう。


84 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:20:49
戦後の日本が欧米舶来ブランド品崇拝教徒だったようなものだ。


85 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:50:55
■百済系の蘇我氏?薬師寺の東塔、各層に積まれた1200年の歴史

日本に仏教が定着したのは用明天皇が百済(ペクジェ B.C.18−A.D.660)系の蘇我氏族とともに
仏教に帰依(きえ)してからだ。

西暦593年に摂政になった聖徳太子は百済から多くの職人を招き、数多くの寺を建設する。この時期は「飛鳥時代」と呼ばれ、1塔1金堂形式だった。
元明天皇が710年、奈良に遷都して「奈良時代」が始まる。双塔1金堂が主流で、薬師寺がその代表作だ。
1528年に焼失した西塔は1976年に再建され、金塔も火災の後、最近復元された建物だ。

四方仏のある東塔だけが1200年にわたる古色蒼然とした歴史を誇っている。3階建ての木塔だが、各層に裳階があって6重に見える。
薬師寺は法相(ほっそう)宗の大本山で、管長を選ぶ儀式が厳しいことで有名だ。
試験の日、住持200人余りが長い鉄の杖を手にして寺に集まる際に鳴る音を奈良の人々は「地軸を揺らす音」と言う。
僧侶は梵唄(インドの詠法による歌唱。高低のない声明)のような音律で難しい質問をする。
寒い冬、白い法衣1枚に身を包んだ候補は7時間にわたり法床に微動もせずに座り、あらゆる質問に梵唄の声で答える。

このとき答えに詰まれば法床から降りなければならない。前管長の高田好胤僧侶と安田暎胤・現管長兼住持ともに日本の立派な僧侶として尊敬される理由が分かる。
薬師寺は大きなイベントがあ度に韓国伝統の味噌汁を用意するなど、さまざまな面から韓国と深い関連があるものとみられる。
天皇が自ら「韓国人の血を引いている」と明らかにしたように皇室の願寺だったためではないかと思われる。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=118587&servcode=A00§code=A00

な、蘇我氏も天皇も百済人、百済人=現在の韓国人
百済人の血が入っている天皇=韓国人の血が入っているになるわけだ

これが韓国の百済観

86 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 20:02:19

'歴史戦争'に200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定 ...2007年6月18日

「北東アジア歴史財団」は、中国の高句麗(コグリョ)史編入と日本の歴史教科書歪曲に
対抗するための対策を用意しろという盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の指示で昨年4月
から準備を進めてきた。 今月末に50人余の組織(研究員は20人余) ...
japanese.joins.com/article/article.php?aid...200... - キャッシュ - 類似ページ


87 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 20:03:44

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-b.html
「東北アジア歴史財団」の愚挙―樹木があったはずだとして岩場に植林。 植林したら竹島か?

>竹島には樹木があったはずだとして岩場の僅かな土地に植林し、今も竹島の自然体系を破壊し続けている。

これは、学問的客観性の意識など毛頭ない気違い政治団体ですね・・・


>東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク工作員がNHK出演とは終わってる。

ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]
【ゲスト】東洋大学教授…森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,
【…… ... 森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,【リポーター】
大桃美代子,【語り】高橋美鈴; スタッフ; 属性情報 HD 16:9 ステレオ コピー1
tv.yahoo.co.jp/program/122300/?date...ch... - キャッシュ - 類似ページ


88 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 00:10:15
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



89 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 06:50:27
くだらねえ

90 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 08:02:14
下らねえ

91 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 09:35:15
百済がどこからだろうが、それがどうした。
今の朝鮮人は、なにをしている?

http://monokuro.tv/cache/data/200211/15/www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/6104/KoreaZZ.swf

他国の真似ばかりで一流づらして、よそ様のことにかかわるより、自分たちのこれからを考えたほうがいいんじゃないの。

92 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 11:01:37
これからを考えても希望が持てないから妄想の過去にすがるしかないんだよ

93 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 16:17:58
>天皇が自ら「韓国人の血を引いている」と明らかにしたように
>天皇が自ら「韓国人の血を引いている」と明らかにしたように
>天皇が自ら「韓国人の血を引いている」と明らかにしたように
>天皇が自ら「韓国人の血を引いている」と明らかにしたように


櫻井よしこさんも皇室には韓半島の血が入ってるってコメントしてたけど
田原総一郎も西部も誰も否定しなかった

94 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 19:15:50
1000年以上前に韓国人なんていたのか?

旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



95 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 22:11:08
表5
  O・プロコプ,W・ゲーラー著.石山c夫訳:『遺伝血清学』(学会出版センター)より
民族 被検査数 頻度(%) 頻度(%)
       O  A  B  AB σm p q r
日本 301千 30.5 38.2 21.9 9.4 0.1 27.6 17.1 55.2
朝鮮 9,434 27.7 31.5 30.7 10.0 0.5 23.9 23.4 52.6
アイヌ 509 17.0 31.8 32.4 18.4 2.2 29.7 30.1 41.2
蒙古     32.1 23.4 36.3 8.2
東胡     30.1 28.3 32.7 8.9
広東 1,000 45.5 22.6 25.0 6.1 1.6 16.0 17.4 67.4

 日本人はA 38% B 22% O 30% AB 9% とA型が多くB型が少ない。
 朝鮮、モンゴル、ツングースはA型よりB型の方が多い、またはほぼ同じ比率。

 日本人のようにA型が多い民族は東亜にはいない。

 渡来人が来たのなら西日本にB型が多いはずだが、実際は東日本の方が多い。

 ・・・これから見ると日本に大量の渡来人が来たとは考えられない、という説がある。(水野祐「王朝はひとつだったか」)


96 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 09:05:02
>>95
ちなみに日本でA型が一番多いのは北九州なんだよw
血液型でみれば渡来人が来たとすればA型が多いところからと見るほかないw

97 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 11:18:00
>>96
O・プロコプ,W・ゲーラー著.石山c夫訳:『遺伝血清学』(学会出版センター)より
民族 被検査数 頻度(%) 頻度(%)
       O  A  B  AB σm p q r
日本 301千 30.5 38.2 21.9 9.4 0.1 27.6 17.1 55.2
対馬    47.4 12.6 26.7 1.3
福岡    28.8 42.2 20.6 7.8

朝鮮 9,434 27.7 31.5 30.7 10.0 0.5 23.9 23.4 52.6
慶南    17.7 42.8 26.0 13.6
咸北 30.8 31.9 27.7 9.6


アイヌ 509 17.0 31.8 32.4 18.4 2.2 29.7 30.1 41.2
蒙古     32.1 23.4 36.3 8.2
東胡     30.1 28.3 32.7 8.9

・・・慶南はA型が多いですが、O型が異常に少なくAB型も福岡の2倍近くあるという
差がありますね。

 慶南と一番近い対馬とでは分布が全然違うというのも見過ごせません。



98 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 11:22:17
>>97
半島の分布見れば面白いが逆に倭が半島に進出しているのが分かるんだよ
半島南部になればA,が増えるから

99 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 12:27:36
>>98 半島南部は倭人地域だったからA型が多いという解釈も可能ですね。

 特に慶南は任那日本府があった場所ですし。


100 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 12:42:54
半島全体に居たのが駆逐されて南部に残ってる。

101 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 12:55:31
百済王豊璋の演説

我々は一人の英雄を失った。これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!
大唐連邦に比べ我が百済の国力は30分の1以下である。
にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!諸君!我が百済の戦争目的が正しいからだ!
一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった韓半島を支配して50余年、
韓半島に住む我々が自由を要求して、何度大唐連邦に踏みにじられたかを思い起こすがいい。
百済の掲げる、人類一人一人の自由のための戦いを、倭国が見捨てる訳は無い。

私の弟、諸君らが愛してくれた鬼室福信は死んだ、何故だ!

戦いはやや落着いた。諸君らはこの戦争を対岸の火と見過ごしているのではないのか?
しかし、それは重大な過ちである。大唐連邦は聖なる唯一の韓半島を汚して生き残ろうとしている。
我々はその愚かしさを大唐連邦のエリート共に教えねばならんのだ。

鬼室福信は、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために、死んだ!戦いはこれからである。

我々の軍備はますます復興しつつある。大唐連邦軍とてこのままではあるまい。
諸君の父も兄も、大唐と新羅の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。
この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを鬼室福信は死を以って我々に示してくれたのだ!
我々は今、この怒りを結集し、大唐連邦軍に叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。
この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。
国民よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ国民!百済は諸君等の力を欲しているのだ。
ジーク・百済!!

102 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 17:24:08
>>99
【日韓】 韓日歴史共同委員会の結論「任那日本府説に根拠なし」〜日本側学者認める[12/21]

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1229859600/
韓日歴史共同研究委員会(韓国側委員長、趙b(チョ・グァン)高麗大教授)は19〜20日の二日間、東
京で合同シンポジウムを持って韓日間の争点だった任那日本府説は事実上、歴史的事実ではないと
いう結論に逹したことが伝えられた。

日本側学者らはこれまで主張して来た任那日本府説、すなわち4世紀に日本が韓半島(朝鮮半島)
に進出して百済と新羅、伽揶などを支配したという説は一部妥当ではない、と認めたと言う。趙b教授
は20日、記者会見で「任那日本府の存在自体に問題がある。それはとてもひどい解釈だったというこ
とに(日本側も)同意する状況だ」と言った。

ソース:(韓国語) 韓・日歴史共同委結論…日"任那日本府説根拠ない"独島領有権は異見不変
http://www.segye.com/Articles/NEWS/INTERNATIONAL/Article.asp?aid=20081221001849&subctg1=&subctg2=


103 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 18:08:12
また朝鮮ソースか

104 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 19:42:51
>>102 任那日本府の実態は知らんが、魏志東夷伝の時代から彌烏邪馬国
というような国名の倭人国家があったことは確実だろう。


105 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 18:01:38
韓国人が「任那日本府」を認めることは永遠にないよ

加羅が鉄と引き換えに戦闘要員として倭人を雇って高句麗と戦ってたのを
広開土王が倭と戦っていたと勘違いしたなんて学者が堂々と言う国だからな


106 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 18:14:23
そうたよなー、キリストは韓国人だとか、孫悟空は韓国人だって言う国だもんな。
でも世界中は韓国が認めるか認めないかなんて興味ないんだよ。


107 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 18:15:50
×韓国が事実を認めるか認めないか
○韓国が事実を受け入れるか、妄想に生きるか

108 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 18:25:10
【歴史】天皇は「韓国人の血を引いている」ので皇室の願寺である薬師寺は韓国伝統の味噌汁を用意する★4[07/30]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1249202976/

109 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 19:02:35
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



110 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 20:59:12
>>105 >>加羅が鉄と引き換えに戦闘要員として倭人を雇って高句麗と戦ってたのを
広開土王が倭と戦っていたと勘違いしたなんて学者が堂々と言う

・・・朝鮮人は妙な捨てセリフを吐く連中だと福沢諭吉が指摘していたことの一例だな。


111 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 21:26:29
【朝鮮】
1895年 ソウル 南大門 http://www.geocities.jp/dinetomi76/0003.jpg
1888年 ソウル 南大門大通り http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/27/01/13702701/4.jpg
ソウル 東大門通り http://www.geocities.jp/dinetomi76/keijo54.jpg
ソウル http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/48.jpg

平壌 http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/heijo21.jpg
    http://www.geocities.jp/furen1002/kawadesentaku.jpg
    http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/3ae580f3034d6e9cd7664644afd23f25.jpg
【日本】
1863年 江戸 http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/Edo.jpg

【日本統治後の韓国】
ソウル 南大門 http://www.geocities.jp/dinetomi76/o_kr_0-016.jpg
ソウル 全景 http://www.geocities.jp/dinetomi76/keijo1.jpg
        http://www.geocities.jp/dinetomi76/keijo0yama.jpg

112 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 23:47:17
日本における仏像の起源まで百済人だったとは・・・

113 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 00:25:01
>>112 朝鮮顔の仏像など思い当たらないが。


114 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 00:41:58
>>113
渡来した百済人の司馬達等(しばたっとう)の孫である止利佛師(とりぶっし)
が日本の仏像における先駆者だそうです

彼の作品を「止利様式」と言うそうですよ

115 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 01:54:53
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \/  \/   \

116 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 03:18:27
【祭り】岡山・桃太郎まつり 約6200人が朝鮮半島から渡来した王子・温羅を祭るための「うらじゃおどり」を披露

岡山の夏の風物詩「おかやま桃太郎まつり」が1日、岡山市内で始まった。JR岡山駅前広場や主要商店街
などで、大人から子供までが参加した「うらじゃおどり」連による演舞やパレードが繰り広げられた。

祭りは、古代の岡山地方で朝鮮半島からやってきた「温羅(うら)」という鬼のような姿をした王子が、鉄や塩の
作り方を教えたとされる伝説が起源。温羅を祀(まつ)るために若者らが、うらじゃおどりを始めたのがきっかけと
されている。

今回は過去最多の138連、計約6200人が参加。表町商店街では約60のうらじゃおどり連(総計約1000人)
が、色とりどりの衣装をまとい、顔や腕に鬼のようなメークを施してリズミカルな踊りを披露した。

2日夜には市役所筋でうらじゃおどり連のコンテストやパレードなどが行われる。

ソース
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/090801/sty0908011921002-n1.htm

画像
http://image.mapple.net/ospot/photol/33/00/05/33000581_1877_1.jpg

117 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 12:20:24
■日本の歴史は百済人が作った

日本の歴史を作ってきたのは倭人ではなく古代日本に渡来した百済人を含む渡来系氏族達である
幼かった日本(倭国)に皇室、仏教、言語、文化、律令に至るまで文明を伝え、倭人を指導し今日の日本を
築き上げてきたのはまぎれもなく現在の韓国人の先祖である百済人達である

倭人の王朝である卑弥呼の邪馬台国から大和王権に移る過渡期に朝鮮半島からたくさんの百済人、新羅人、高句麗人
などが日本列島に渡来する、彼らは北九州だけでなく奈良、但馬国や出雲地方にまで進出し有力豪族となり勢力を
拡大していく、そして6世紀前期に近江から北陸にかけての首長層を背景としたオホド王が大和王権の王となる
これが百済系の継体天皇である、渡来して大和王権を乗っ取っていた新羅系の応神天皇以降の王朝をこれまた
乗っ取った形で百済系天皇が大和朝廷を支配した

7世紀、聖徳太子の時代に百済系の豪族である蘇我氏が台頭し、かつての祖国である百済から日本に
仏教、先進技術、文化、仏像、須恵器などを伝え、当時まだ瓦一枚さえ作れなかった倭人を指導し
後進国であった日本を文明国へと発展させた
飛鳥寺、法隆寺、正倉院、興隆寺、たくさんの「止利様式」の仏像なども百済人技術者達が作り上げたものである

660年以降、百済滅亡後3000人余りの百済王家や官職、学者、文人など高い地位の百済人が日本に亡命する
彼らは朝廷の行政機関である「史於」(フヒト)と呼ばれる組織などで活躍し天皇側近の貴族となる

中臣鎌足(百済滅亡後渡来した百済系)が蘇我氏(3〜5世紀にすでに渡来していた百済系)を滅ぼし藤原氏となり
朝廷を事実上支配した藤原不比等は平安時代に至る長い隆盛の基盤を作り上げた

ここで注目すべき点はどちらも新羅系天皇と百済系天皇の争いと、鎌足と蘇我氏の百済系同士の権力闘争
でありそこに日本人である倭人が関与してないのが日本史の最大特徴でもある
日本史でありながら日本人ではない外国人である百済人が歴史を作っているという点が滑稽であるがとても興味深い


118 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 12:21:22
[続き]

紀元3〜8世紀にかけての百済人や渡来人達の記録は「古事記」や「日本書紀」に多く記載されてる
その中でも百済人の記述は群を抜いて多い、「百済人」とは日本という歴史に置いて絶対に欠かせない存在なのだ

古くは王仁(わに)や阿直岐(あちき)などの学のある優秀な人材提供から宗教、建築、言語、仏像、土器などほとんどすべてを
百済人が日本に齎したのだから日本人は百済人を無視することは決してできないのである
日本史に出てくる時の権力闘争の主役も実は百済系同士という何とも言えない倭人達の哀れさを痛感する歴史であるが
日本の歴史は外国人と外国文化によってのみ成り立っているというのはまさにその通りである

倭人達が何をしただろうか? 彼らが何を発明し国に富と繁栄を齎しただろうか?
残念だが彼らは百済人や渡来系氏族が教えた技術や文化をモノマネしているにすぎなかったのだ
革新的な発想や行動、勇気、プライドが倭人達には欠落していたのである

そして百済系を始めとする外国勢力に王朝を支配されて彼らは奴隷階級に成り下がったのだ
倭人が日本史に置いて果たした重要な役割は百済人への「従属」である
百済人が決めた法、百済人が伝えた宗教、百済人が齎した文化、百済人が教えた技術
自分達では何も決められず、何も生み出さず、百済人が教えた通りにしかできず想像力がない倭人
いつの時代も他人任せのこの卑屈な民族は今こそ悲惨な歴史から学ぶべきである

自分達の国(日本)なのに主役はいつも外国人(百済人)だったということを(笑)
現在の日本も支配階級、上流階級のはほとんど百済系の末裔たちであることは疑いようがない
いつも、いつの時代も外国人頼みの日本人(倭人)、そして主役はいつも優秀な百済人

そろそろ自分達が主役になってはどうだろうか、百済人の手から離れ倭人達の手で日本を作っていって欲しいと
切に願うばかりである

それと日本成立にはこのほか蘇我氏の配下にあった東漢氏や秦氏などの大陸系や新羅系、そして高句麗人などの
関与と活躍があったことを忘れてはならない  

                                   以上


119 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 14:38:36
>>117
シナ殷墟出土の青銅人面?(禾皿)と日本縄文土器の人面注口器は、ほとんどそっくり同じもので、
別々に独立して作られるわけがない。

 同じモチーフの人面土器はイランからも出ている。 イラン>殷>日本という文化(人間)の流れがあったのだ。



120 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 14:43:48
>>117
魏志東夷伝 邑婁

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。

・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

 射撃が上手・・・これも同じだ。

 漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

 掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。

・・・これが朝鮮人の先祖だ。

121 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 14:47:40
当時の半島南部は百済、新羅、加耶があって相互に言語が違っていたことは
シナの史書に書いてある。

 百済は支配層(夫余系)と被支配層(韓人系)で言語が異なる多民族国家だった。

だから日本に亡命してきた百済王族は韓人(朝鮮人)ではないことも分かる。




122 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 21:42:41
>>殷王朝は縄文人王朝で有る!!!!!かな?<<

人面付注口器のフタの部分が人面に成ってる処など、偶然とは思えぬ精神性の同一で有る。

ワシントンにあるフリア美術館にある殷の青銅器。「人面?(カ)」
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDovL3d3dy5uaXBpYy5jb20vc2hvdy80Lzc5LzE5M2VlM2EzOGQyN2I4MTYuaHRtbA==,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,

『人面注口土器』福田貝塚出土
http://business2.plala.or.jp/azumatw/dai1.htm
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/4e/e6470a1845686117fa87f9ac7e26120b.jpg

『人面付注口土器』埼玉県埋蔵文化財調査事業団
http://www.museum.spec.ed.jp/monoshiri/stock/maibun/ma0102.html


123 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 21:44:43
>>119>>122.....殷の青銅器。「人面禾皿(カ)」と同じ髪型だよ。

http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDovL3d3dy5uaXBpYy5jb20vc2hvdy80Lzc5LzE5M2VlM2EzOGQyN2I4MTYuaHRtbA==,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,

http://kouko.bird-mus.abiko.chiba.jp/main/kofun/k1otoko3.jpg

http://www.ne.jp/asahi/hao/egg/haniwa/honjo/haniwa1.jpg

http://matsuoshika.img.jugem.jp/20070202_21042.JPG


124 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 09:35:31
>>123 その髪型?がツヌガアラヒトの正体だろうな。


125 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:17:33
仏教を尊んだ日本の友好王家、
百済王家は立派な一族ですよ。

126 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 21:13:34
くだらねぇ・・・

127 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 16:59:48
百済人は日本を築いて来た功労者
それは疑いようがない

128 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 18:32:31
西暦400年以降の百済王族は后を日本人から娶った。
大和朝廷が決めた日本人の后を娶るように命令されていたからだ。
よって代々、百済王族、高官らは日本人化の混血が進んだ。

129 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 18:37:03
日本人の混血である百済王を朝鮮人は先祖と崇めているのですね

130 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 20:00:51
>>127 その日本の同盟国百済を滅亡させたのが朝鮮人の先祖新羅

 それは史実だ。


131 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 21:41:27
>>130
新羅人も日本に移住してるよな
アメノヒボコとか
新羅の王子だっけ

132 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 21:52:15
>>131 アメノヒボコという名前は日本語だが、新羅語では何と言うんだ?

 日本名を名乗っているのなら倭人だろう。倭人が新羅王だったということだな。


133 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 22:39:14
桓武天皇の母親って、
朝鮮人て本当?

134 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:05:04
魏志東夷伝 邑婁(ユウロウ) >>古代韓民族成りすまし邑婁人(現在韓国人)発見<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる

風俗は皆、髪を編み(女官の髪型)、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。

586 :天之御名無主:2009/08/02(日) 16:33:28

       晋書  『粛慎、邑婁伝』
井戸も釜戸もない、?(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。

 風俗は皆、髪を編み(女官の髪型)、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。


135 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 03:35:56
倭人が新羅王だったことは史実に載ってるよね

136 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 17:10:29
>>135
それはどことなく虚栄心を煽る臭いがして嫌だな。
みんな、ちょっと考えてみてくれよ。
我々の精神性の本質は常に野蛮な未開の国であった所に寄る部分がとても大きいわけです。
これは本当に未開の国であったかどうかではなくて、
絶対多数の人からとか、権力や実行力を持った国々からそう見られ続けてきたということが
重要なのです。
それも単なる野蛮人ではなくて、見どころのある野蛮人と見られてきたというところですね。
このあたりはモンゴルの諸部族やバイキングと通じるところがあるかな?
何が言いたいかというと、「我々にプライドは必要ない」 ってことなのさ。
必要なのは恥辱と汚れにまみれることのない実利です。
でも憲法には「名誉あるナンチャラ」 とあったりする。

137 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 18:37:21
・好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。

百済と新羅は倭国の臣民だったんだね
史実に書いてるからどうにもならない事実だね
好太王碑って世界遺産だし

138 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 01:37:14
韓国はマッカーサーが建国した
イ・スンマンも大学教授だったのにいきなり朝鮮半島に
無理やり連れてこられて嫌がっていた
その証拠に朝鮮戦争開戦時に真っ先に逃げ出したのがイ・スンマンw
マッカーサーが韓国建国の父なのは明白なのだが朝鮮人は認めない
それを認めると韓国人の精神が崩壊するから
その裏返しとして、百済=韓国の先祖の国と言う逃避がある
ノ・ムヒョンとイ・ミョンバクが理想のリーダーとしてあげたのは同一人物
それは・・・・、イエス・キリスト 何でやねんw
何で鬼室福信や億来フクル、余豊章じゃないんだw
韓国でもインテリは百済と韓国は何の関係も無いって知ってる証拠
でもそう言うと命を狙われちゃうんだろうな
このスレを見て在日が真実を知って精神崩壊しないことを祈るよ

139 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:43:58
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



140 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:44:50
>>117
【朝鮮】
1895年 ソウル 南大門 http://www.geocities.jp/dinetomi76/0003.jpg
1888年 ソウル 南大門大通り http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/27/01/13702701/4.jpg
ソウル 東大門通り http://www.geocities.jp/dinetomi76/keijo54.jpg
ソウル http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/48.jpg

平壌 http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/heijo21.jpg
    http://www.geocities.jp/furen1002/kawadesentaku.jpg
    http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/3ae580f3034d6e9cd7664644afd23f25.jpg
【日本】
1863年 江戸 http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/Edo.jpg

【日本統治後の韓国】
ソウル 南大門 http://www.geocities.jp/dinetomi76/o_kr_0-016.jpg
ソウル 全景 http://www.geocities.jp/dinetomi76/keijo1.jpg
        http://www.geocities.jp/dinetomi76/keijo0yama.jpg

141 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 15:39:48
7世紀末、統一新羅になってから唐の年号や名前、風俗に変えるが
それまでの新羅人の名前って古代日本人見たいに長ったらしい名前が多い
百済人より新羅人のほうが名前的には古代日本人に近い

唐風の名前になるまで新羅王の名前も長ったらしい王の名だった
大和王権の影響を受けていたんだろうか

142 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 21:13:49
>>141 百済人も新羅人も人名は日本人と全然異なる異民族だが。


143 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 23:40:04
>>133
母親の遠い祖先が半島系なだけ

144 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 03:10:15
>>143
半島系、ではなく、半島原住民族系、な。
そこにあとからやってきた北方異民族がいて、
そいつらがシナやモンゴルにレイプされまくって
結果生まれた究極劣等異常生命体、それが現代コリア人。

145 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 03:25:23
しっかし韓国人ってどの板でも嫌われてるよなw
まあ自業自得だが

146 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 03:38:27
百済も新羅も滅んでいるが、世界史を顧みれば
滅亡させられた国の男はドレイにされ、老人・子供は皆殺しにされ
女は征服民族にレイプされて征服民族の子供を孕む
朝鮮半島も例外ではなく、結果として、純粋種の百済民族と新羅民族は消滅した

今の韓国に百済や新羅のような姓が無いのは
歴史の授業では自らシナの姓を取り入れたって教わったが
違うと思う

シナに征服されたとき男たちはドレイにされて死んでいったから
百済と新羅は子孫を残せなかった。
女は征服されたシナの子供たちを産んでいったから名前が父親(シナ人)
と同じになるのは当然

147 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 03:51:32
新羅はそもそも自ら秦の移民といっているから
いまさら中国人と言われてもなぁ

「其耆老傳世,自言古之亡人避秦役來適韓國」
三國志卷三十 魏書三十 東夷傳 辰韓
http://www.geocities.jp/intelljp/cn-history/sangoku/shinkan.htm


148 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 18:35:41
>>147
秦の移民達は辰韓に移り住んだけど王にはなれなかったんだろ
そこには現地人が居て、王もその現地人だったと記されている
それは百済人だと記述されてる
つまり新羅は原住民の百済人と秦からの移民(漢人)などの多民族国家



149 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 18:08:01
蘇我氏は百済人

間違いない

150 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 19:15:56
>>149 百済人で蘇我などという姓は見たことがないが。

 百済亡命人の姓は日本にないものばかりだ。



151 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 20:21:38
http://sanzan.gozaru.jp/miya/m0/keizu.html

蘇我満智ー蘇我韓子ー蘇我高麗ー蘇我稲目ー蘇我馬子ー蘇我蝦夷ー蘇我入鹿

韓子 高麗?

152 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:07:01
高麗や韓という名前でも、半島人ではありません。
そして、
どっちにせよ、現代朝鮮人とは何の関係もありません。

153 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:09:33
>>146
精子便器に自分の姓をくれてやる主人はいない。

154 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:39:04
韓子、高麗が半島人なら、蝦夷はアイヌ人ですか?
入鹿、馬子は動物ですか?
・・・ってのは散々ネタになってんだがな

155 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 20:21:33
蝦夷=毛人 入鹿=鹿  馬子=馬

は「日本書記」を編纂する時、藤原氏に意図的にで侮蔑的な名前を付けられた
可能性があるが

韓子=韓半島の女性と結婚したときに相手の国の名前を付けた

高麗=生まれが高麗だったか高麗人の妻を貰ったか

しか考えられないな

156 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:30:24
つまり当時の半島も侮蔑の対象だったということですね
本当にありがとうございました

157 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 03:20:37
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



158 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 04:51:22
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書

スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

 スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

159 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:15:04
>>158
【日韓歴史】歪曲だらけ日本の教科書〜韓国無視・歴史歪曲内容、古代から近現代まで網羅[05/23]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1211550422/-100

http://nimg.empas.com/orgImg/ck/2008/05/23/h080523japanmain.jpg

[クッキー社会]「統一新羅と渤海は日本の朝貢国だった。」「朝鮮民衆が倭寇だったし、本拠は済州島だ。」本紙が
23日、入手した北東アジア歴史財団の「2007年度検定本・日本歴史教科書分析集」には韓国を無視したり、歴史を歪曲した
事例が古代から近・現代まで総体的に網羅されている。

◇「百済と新羅は4世紀に建国された」=日本の大部分の高校歴史教科書には紀元前に建国された百済と新羅がこれよりずいぶん遅い
4世紀頃に建国されたと記述している。実教出版が発刊した日本史B教科書44ページには「韓半島南部は、多くの小国から構成された
馬韓-弁韓-辰韓の3地域に分けられていたが、4世紀中頃、馬韓には百済(4世紀中〜660年)が、辰韓には新羅(4世紀中〜935年)が
起きて、それぞれ小国を統一して建国した」と記述されている。山川出版社の新日本史30ページにも「4世紀前半に馬韓で百済が、
辰韓で新羅が建国した」と書いてある。

甚だしくは三省堂版日本史B388ページには図表で「391年に倭人が渡海して百済・新羅を破り、臣民とする」と言う内容が堂堂と出ている。
日本が統一新羅と渤海を朝貢国と見なしたという主張も教科書に現われる。実教出版の日本史Bには
「日本は新羅を朝貢国と見なしたが…なおかつ727年から唐と対立していた渤海が使者を送ったが、日本は朝貢国と
見なした」と出ている。
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129

つまりこ韓国はれはすべてねつ造だと言いたいんだな

160 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 19:30:51
百済は中国および日本からの渡来人により築かれた国。
百済を日本語でクダラとよぶのは仏教国にふさわしい抹香臭い
地名が当時カッコよかったからだろう。
すなわち、
チベットでは、都ラサにその名が 「ポータラカ(=補陀落)」に由来
すると言われるポタラ宮があるように、本来サンスクリットのポータラカから
フダラク、クダラとなった。
いずれにせよ、
北方より侵入した現在の韓国人の祖先により文化は徹底的に破壊され
日本に脱出できた一部のひとびと以外は悲劇的な運命をたどった。

161 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 22:36:33
【伽耶山】 も仏教の聖地からの地名。

かむ - 私立PDD図書館がやさん 【伽耶山】 ◇[英]Mount Gaya ○[地][仏]インド東部のビハール州(Bihar State)、
伽耶城(ガ ヤジョウ)の西方にある山。 三迦葉(サンカショウ)の一人、伽耶迦葉(ガヤカショウ)が住んでいた地。
釈迦(シャカ)が悟(サト)りを開いて間もないころ、この地で説法 を行った ...
pddlib.v.wol.ne.jp/japanese/kamu.htm - キャッシュ - 類似ページ


162 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:16:09
古代中国の文化はペルシャやインド源流のもの

163 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 02:59:50
>>155
「韓」も「高麗」も馬や毛むくじゃらと同じく、
差別語の一環。
「あいつら日本人じゃないから(ロクなことしねぇ)」



164 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 07:44:42
>>121
当時の半島南部は百済、新羅、加耶があって相互に言語が違っていたことは
シナの史書に書いてある。
↑ここまでは正解

 百済は支配層(夫余系)と被支配層(韓人系)で言語が異なる多民族国家だった。
↑ここは間違いだと思います。
百済は一度高句麗に亡ぼされてその時、日本の天皇陛下が朝鮮半島の日本の領土を与えて再出発した国なんだ。
だから、被支配層(韓人系)ではなく、被支配層(日本人系)と考えています。

165 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 08:57:45
百済の支配層が倭人なら桓武天皇も百済系ではなくなるな
しかし今となってはそれを証明できない
つまり所詮は仮説にすぎない

166 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:04:04
>>164 シナの史書には百済支配層は王をオラカ、王妃をオリクといい、
民衆は王をケンキシ(コニキシ)と呼ぶ、と書いてある。

 どっちにしても日本語、倭人語ではない。


167 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:00:43
>>166
民衆は王をケンキシ(コニキシ)と呼ぶ、と書いてある。

 どっちにしても日本語、倭人語ではない。

昔の日本語で、王は「こにきし」
百済王は、「くだらのこにきし」
…って、読んでたそうです。
つまり…もろに、日本語です。

168 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:14:09
>>167 古代日本語では王をオホキミといって、コニキシとは言わない。


169 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:50:58
>>167
百済王を「くだらのこにきし」って百済語で付けた名だろ


170 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:53:59
いや、日本語の百済方言というべきだろう。

171 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:57:18
>>170
日本語→古代日本語。

172 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 02:53:05
どっちにせよ「現代韓国語」とは全く関係ないな。

173 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 04:10:09
くぐってみたら、王の和訓が「こにきし」になっていた。王の音読みが「オホキミ」で、訓読みが「こにきし」だったのかな?

174 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 05:08:46
>>172
つまり…
 百済は、支配層(夫余系)と被支配層(非韓人系→日本人の可能性あり)で言語が異なる、国家だった。
…ってことだね。
韓国の人は認めないだろうけどね(笑)

175 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 07:36:31
>>169
百済王を「くだらのこにきし」って百済語で付けた名だろ
>>166の人が言うように…
シナの史書には百済支配層は王をオラカ、王妃をオリクといい、
民衆は王をケンキシ(コニキシ)と呼ぶ、と書いてある。
つまり、本来の百済語で王は、「オカラ」だったと思います。
日本の公式の呼び方かたが、「くだらのオカラ」ではなく、「くだらのコニキシ」なので、百済の民衆と日本の支配者が同じ民族だと考えられると思います。

日本でさまざまな和製漢字ができたので勘違いしやすいですが、例えば、「おやじ・ちち・おとうさん」などの呼び方を漢字にすると本来は「父」となります。
これは、漢字が意味を表した文字だからです。

日本で王を「こにきし」と読んでいた(という読み方もある)
百済の民衆も「コニキシ」と呼んでいた
百済が亡ぼされて日本の領土を与えてもらって再出発した過去がある
…と考えたら、百済の民衆は日本人(倭人)と考えた方が自然だと思います。

176 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:04:42
>>175 たしかに日本で「百済のオラカ」と呼ばず「百済のコニキシ」と
呼んでいたのはおかしい(帰化人は王族だったから)。

 日本では百済の民衆の呼び方が外来語として入っていたのだろう。


177 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 17:40:18
>>175
つまり百済支配層の扶余族に支配されていたのが倭人ってこと?
加羅の倭人ではなく大和の倭人?

「百済のおほきみ」 「百済のおおきみ」とは言わなかったんだ

>本来の百済語で王は、「オカラ」だったと思います

ちなみに今の韓国語では何て言うの?


178 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 17:41:33
オカシラ

179 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:23:36
>>176
外来語とは限らん
「けんきし・こにきし」の二種類の呼び方があったってことは、最低でも「けん・こに・きし」の3つの言葉で出来ている
「きし」が共通点なので、これだけでも「王」という意味があったはず。

日本の「おほきみ」も「きみ」 だけで、「君→君主・王・天皇 」などの意味がある。

「きし」と「きみ」が両方とも「王」という意味があるし似ているので、両方とも古代日本語で、何らかの使い方の違いがあっただけかもしれん。

例えば、「身から出た錆」というように、「み」という言葉には「自分の‥」という意味があるので、自分(の国)の王を「きみ」、他(国)の王を「きし」というふうに使い分けたかも。

180 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:11:49
日本で一番古い企業である金剛組は百済人が祖だよね

181 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:00:59
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



182 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:25:44
だから、現代朝鮮韓国人とはなんの関係もないんだって。
ちなみに新羅と韓国も関係ない。
空いた土地に住み着いた、ってだけ。
更地にして返せ。

183 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 13:47:32
>>179 コニキシはドイツ語のケーニヒ(王)と語源が同じ外来語だ。


184 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 14:34:04
新羅の王名がイラン系って説もあるよね

185 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 16:38:55
Y遺伝子D系の場合、出アフリカ系だからアラブっぽい名もあろうな。

今の半島にはD系の男はほぼゼロだが、日本人の男は45%、
三国人の混ざる戦前、さらに帰化人のふえる前のヤマト設立期ならもっと
D系の割合は多かっただろうな。
歴史を遡るほどD系の人口比の割合は増えるはず。

新羅の祖は、神武天皇の兄だと倭国では伝わってるし
高麗の歴史書にも、新羅の始めの王は倭人や大臣も倭人で
のちの金氏も倭人が拾ってきたと書いてあるようだし。
その場合、金は倭人では無いことがわかるが
少なくとも、古代半島はやはり倭人だらけだったということになる。

では、なぜ今の半島人は倭人をそこまで憎み下等だと思ってるのか、ということになる。
絶滅させるほどに嫌っているのは?
建国者が倭人だと知ってるが故のコンプレックスとしか考えられん。


186 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 18:05:51
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/09/post_5.html
■極東ブログ

なお新羅系とか百済系の移民とかって話ですけど、僕は古代日本人の中にそういう
「移民」がいたかどうか…って次元ではなく、古代日本人(弥生人)ぜんたいが
イコール古代朝鮮人だと考えます。
そうでなければ、弥生人は、いったいどこからわいて出たというのでしょう? 
中国渡来という声もあるが、それなら中国→南韓→西日本のルートを取ったはずで、結局は
朝鮮から来たことになるではありませんか。

クシフル岳のもとは韓国のクジボン岳で、天孫説話は扶余族ルーツであることは明白です。
ナラ・ハカタ・イズモ・ノト・ヒダなどはみな古朝鮮語で、とりわけイズモのような貧しい辺境
(失礼!)が古代に栄えていたわけは、朝鮮人の流入口だったからとしか、考えられない。

キム・ダルスは『続日本紀』中に「飛鳥人口の九割は秦氏系(朝鮮人)」の記事があることを指摘しています。
後世−現代のナショナリズムを拭い去って、日本史を冷静に見つめるなら、我々のルーツが
朝鮮半島にあることは明白ではないでしょうか?


187 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 18:09:09
■天皇家の起源は韓国 朝鮮が本家で日本は分家

海音寺  「魏志倭人伝」の記述を真正直に読めば、倭の境は朝鮮半島にありますね。
つまり、三国志の頃の中国人は南朝鮮から日本列島にかけての地域全体を倭・日本と考えていたのですね。
ですからおそらく南朝鮮の人間と日本人とは同種族でしょう。

司馬 同じだと思いますね。 「古事記」だったか「日本書紀」だったかにも、スサノオ尊は朝鮮南部とさかんに
ゆききして、晩年はソシモリというところに隠棲したということになっておりますね。
その子のなんとかの命も、日韓を往復し、朝鮮の植物をうんと持って来て日本に植えた、ということになっていますね。

海音寺 辞林の著者の金沢庄三郎博士・あの人は言語学上から日韓同祖説を唱えていますね。
同祖説の最初の人ですね。
今日の日本の学者の中にもそういう人がいないではない。
騎馬民族説の江上博士なぞは、向うの方から、征服民族ですが、渡って来ているといってるんですね。
古代の一時期、朝鮮南端は日本の天皇家及び天皇家をとりまいている貴族らの根拠地であったという風に、江上博士は言ってますね。
最近の朝鮮の学者たちにもその説の人が多く、こっちが本家で、日本が分家だという説なんですね。

http://www1.megaegg.ne.jp/~myfriend/higeki.htm

つまり朝鮮半島南部の百済人や新羅人が日本列島に移住して大和朝廷を作ったということで決まりだね
実は天皇家も百済王家の分家だったということで子孫は韓国人だったわけだ

188 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 18:11:54
245 世界@名無史さん sage 2009/06/19(金) 22:00:20 0
魏志東夷伝 邑婁(ユウロウ)>>朝鮮人の先祖発見2000年変わらぬ民族も珍しい<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

<<掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。>>

・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。
風俗は皆、髪を編み(宮廷女官か?)布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。


189 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 18:12:55
246 世界@名無史さん sage 2009/06/19(金) 22:03:10 0

       晋書  『粛慎、?婁伝』
井戸も釜戸もない、?(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
{{足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。}} 凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。

 風俗は皆、{{髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る}}、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。


190 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:28:09
>>186 >>古代日本人(弥生人)ぜんたいがイコール古代朝鮮人だと考えます。

・・・言語が全然違う民族が同系とは何の根拠もないことだ。

 これは古代に半島と列島に同じ種族がいたとしてもその後、民族移動などで別々の種族が双方で主流になったということだ。


191 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:43:41
>>186
現代韓国人の先祖は後漢書婁伝に書き記されてるぞ。

192 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 03:10:46
>>186
「半島を経由してきた」と「半島から来た」は別。
大阪から東京に来た奴を
「箱根から来た」と呼ぶようなもの。

193 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 06:31:26
縄文人+百済人→日本人
ツングース人+百済人+縄文人+満州人+中国人+モンゴル人+新羅人+高句麗人→朝鮮人

こんな感じか?

194 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:17:16
中国の文献では、

百済人=フヨ(支配者)、漢人・倭人(市民)
と書かれてある。

代表てきな民族として、その三つが当時の東アジアに居たとされていて
百済には三つとも住んでたことになる。

日本には、東の果てまでみんな倭種が居ると書かれてあるので
すでに縄文人や弥生人という区分は無く、倭人のみが住んでいるとされている。


195 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:20:29
>>191
何て記されてるの?

現代韓国人の先祖は百済人、新羅人、高句麗人ってことになってる
じゃなきゃ飛鳥寺を見て「古代の韓国人が日本に文化を伝えた」なんて言わない


196 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:26:34
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=114594&servcode=400§code=420
■「韓国修学旅行35年…宿題終える気持ち」 智辯学園の藤田理事長

「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ


> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ

> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ

日本人も認めてるしね(笑)



197 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:32:15
■朝鮮日報に書かれてる百済および韓民族の日本観

・「現存する世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿は、8世紀中盤に百済からの移住民が建てた寺です。」

・高松塚古墳、法隆寺、東大寺、広隆寺、大宰府、船山古墳、石舞台古墳…。日本が誇るこれらの遺跡の共通点は何か。
 それは韓民族、すなわち大韓民国の祖先の霊と魂、汗が染み込んだ代表的な場所だということだ。」

・「檀国大の鄭永鎬教授は「大宰府の建造と水城の築城には、百済の先進技術が活用されたことが立証されている」

・「日本が誇る遺跡が韓国の先祖の魂と汗で作られていることをこの目で確認でき、民族的自負心を持つようになった」と語った。

・「石舞台古墳は7世紀ごろ百済系の蘇我氏が作った大規模な墓として推定されている」

・江原大の孫承赴ウ授は「わが韓民族が古代日本の領土に文明と文化をもたらしたという
 華麗な過去の歴史を振り返り、自己陶酔に陥ってはならない。」

・釜山中央女子中のキム・ウンスン教諭(45)は「これまでは、われわれが文化を伝えたという自負心を
 抱くだけだったが、文化が一方からもう一方へ伝わった上で、それが受け入れた側によって発展していったという
 事実についても知ることができた」と語った。

・飛鳥地方の百済遺跡である石舞台古墳を訪問したときは、「飛鳥の漢字表示は“飛鳥”だったのではなく、
 元は百済人が渡来して心安らかに定着したという意味の“安宿”(発音はアンスク)だったが、後に変わった」と説明した。

・韓国が日本よりも進んでいる」という内向的な自負心ではなく、「隣国・日本の歴史をもっと知ることができた」
 という未来志向的な関心に基づくものだといえる。

・旅行会社のガイドは「韓国を訪れる日本人たちが、円高の恩恵にあずかり、ただソウルで金を使うだけ使い、大衆文化に関心を寄せているわけではない。
 日本文化の源流を学ぶため、扶余や公州を訪れるケースも多い」と話した。

198 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:33:10
百済は、支配者がフヨという北方系遊牧民族だったとしても
首都の名が「漢城」で、市民などにも「漢人」が多く居たとされている。
倭人も多かったようだが。

つまり、漢人の移民が基礎になっている国家なので文化は進んでいたことは確か。
一方、日本は倭人のみが住んでいるとされていて
文明を発達させるには、漢人の協力が必要だったため百済から帰化人を招いた。

だが、今の韓国とは関係が無い。
百済滅亡時に戦ったのは、百済人と倭人であり
その主力は倭人であったことは隋の記録にもある。
百済を懐かしむ子孫が、共に戦った倭人を罵ることは無いはずだ。

しかし、韓国人は倭人を猿とかチョッパリなどと呼ぶ。
百済人と関係ないからだ。
同じ場所に居るからといって子孫ではない。滅んだ国の跡地に居るのは「侵略者」なのが普通だ。


199 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:44:15
百済を滅ぼすために戦った男
唐(鮮卑、漢人)・新羅(フヨ、漢人、ワイバク)

百済を守るために戦った男
倭(倭人)・百済(フヨ、漢人、倭人)

ちなみに、新羅は元々は倭人の国であったが、倭人を嫌う勢力に乗っ取られた。
新羅が元は倭人の国家であり、王や大臣が倭人だらけだったことは
高麗の記録にある。また、倭の伝承でも神武天皇の兄が新羅の祖とされる。

金氏は倭人が拾ってきたとあり、
倭人ではないが、倭人が誕生に関与していることが伺われる。

200 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 19:12:21
ETVで韓国の学者が「蘇我氏はその名前の由来から百済系だと思います」

って発言した後、「蘇我氏と言えば当時天皇以上の権力を持っていた豪族ですから」

ってニヤけながら言ってた

あれは古代日本は韓国人が支配していたんだという優越感に満ちた笑顔だった
歴史学者でさえ百済人は韓国人の先祖と疑いもなく信じている



201 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 20:03:13
新羅が外国の唐の力を借りてまで百済、高句麗を滅ぼしたということはその支配層が異民族だったからだ。

 自分が滅ぼした国、民族を自国の歴史に取り込むのはシナが満州、高句麗などの東北行程と同じ歴史の捏造にすぎない。



202 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 21:49:22
中華の姓を持つ奴が言ってもなーw

203 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 23:04:06
>>195
ほれ
『後漢書』婁伝
 婁、古肅慎之國也。
在夫餘東北千餘里、東濱大海、南與北沃沮接、不知其北所極。土地多山險。
人形似夫餘、而言語各異。
有五穀、麻布、出赤玉、好貂。無君長、其邑落各有大人。
處於山林之 、土氣極寒、常為穴居、以深為貴、大家至接九梯。
好養豕、食其肉、衣其皮。冬以豕膏塗身、厚數分、以禦風寒。
夏則裸袒、以尺布蔽其前後。其人臭穢不 、作廁於中、圜之而居。
自漢興已後、臣屬夫餘。種衆雖少、而多勇力、處山險、又善射、發能入人目。
弓長四尺、力如弩。矢用、長一尺八寸、青石為鏃、鏃皆施毒、中人即死。
 便乘船、好寇盜、鄰國畏患、而卒不能服。東夷夫餘飲食類(此)皆用俎豆、唯婁獨無、法俗最無綱紀者也。



204 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 23:06:01
>>195
>現代韓国人の先祖は百済人、高句麗人、新羅人ってことになってる
残念だが世界中では、そうなってないんだよw

205 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 23:09:03
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書

スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

 スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」

◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」

◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」

◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」

206 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 23:10:22
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」


◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」

◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」

◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

207 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 23:17:30
>>200
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



208 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 02:51:19
>>195
つまり「混ぜ混ぜ民族」って部分は認めるんですね。
純粋ななにか、ではなく、混ぜ混ぜ民族、と。
ま、プラス、
多重被レイプ民族なんですけど。

209 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 04:19:14
>>195
>現代韓国人の先祖は百済人、高句麗人、新羅人ってことになってる

・・・それなら現代シナ人の先祖は漢人、モンゴル人、満州人、トルコ人と世界的に認められているのか?


210 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 07:13:07
百済を韓国人の祖先と考えているのは、韓国人と韓国人が僑胞と呼ぶ韓国系の人だけだよ。
あと、韓国系の人は渡来人をすべて韓国からと考えているけれど、百済、新羅、高句麗の出身の人は国の名前で書かれているのが普通で、‥
渡来人と書かれているのは、中国からの出身地がはっきりしない人の場合が多い。(中国からでも出身地がはっきりしていると呉とか国名が残っている)
秦氏なんかその代表例で、祖先が中国の秦の出身だと名乗ったので、「秦という氏を名乗りなさい」と天皇に決められた中国系の渡来人であることがはっきりしている一族なのに、韓国系の人は韓国からと言い続けています。

211 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 07:29:07
百済は新羅が滅亡させたとされているけれど、実際は、唐が主力で新羅は唐に従っていただけ。
その唐の記録に、百済の種を滅したとあるので、百済人の子孫は、滅亡前に亡命した日本以外にいないとされている。

212 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:27:20
>>210 シナ出身の渡来人とは楽浪郡、帯方郡、百済にいた漢人の子孫が大部分だろう。


213 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:28:41
もし百済、高句麗が大和を征服したのなら、なぜ百済、高句麗式の
誇り高き武器、彎弓、短弓が広がらず日本古来の和弓、長弓のままなのかね?

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?


214 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:45:10
それは現在の朝鮮族は北方から来たツングース系民族だから
風習や伝承も北方系民族のもの
日本人の風習、伝承は方系の人種で、はじめから終わりまで一貫している
面白いことに台湾内省人、沖縄、北海道と風習が似通っている
朝鮮族とはほとんどの部分で似ていない

215 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 14:49:21
>>213
日本では騎馬戦が流行らなかったから。
平地が少ないからね。
流鏑馬は高句麗壁画に書いてあるよ。

216 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 17:20:35
朝鮮人の心の古里アリランが伝わっていないのは交流が絶無だったということだな。


217 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 19:05:35
>>203
日本語に訳してよw

>>208
一つの地域小民族がそのまま広がってやがて大きな民族になるなんてあり得ないよ
小規模な村民レベルまでならあり得るけど国レベルにはなりえない
同種の遺伝子交配で奇形や特定の病気にかかりやすくなり個体数は増えない
だから単一民族なんてあり得ないということ

>>209
中国では漢民族や満州族、朝鮮族、その他の小数民族をすべて含めて
「中華民族」と呼んでるだろ
チンギスハーンも中国人だと言ってる

218 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 00:47:26
>>217
自分で訳せや。

219 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 00:50:08
>>214
これ李氏朝鮮の風俗、習慣にそっくりな部族の記述があるよ。
『三国志魏書』婁伝
 婁在夫餘東北千餘里、濱大海、南與北沃沮接、未知其北所極。其土地多山險。
其人形似夫餘、言語不與夫餘、句麗同。有五穀、牛、馬、麻布。人多勇力。
無大君長、邑落各有大人。處山林之間、常穴居、大家深九梯、以多為好。土氣寒、劇於夫餘。
其俗好養豬、食其肉、衣其皮。冬以豬膏塗身、厚數分、以禦風寒。夏則裸袒、以尺布隱其前後、以蔽形體。其人不 、作溷在中央、人圍其表居。其弓長四尺、力如弩、矢用、長尺八寸、青石為鏃、古之肅慎氏之國也。善射、射人皆入目。矢施毒、人中皆死。
出赤玉、好貂、今所謂婁貂是也。
自漢已來、臣屬夫餘、夫餘責其租賦重、以初中叛之。夫餘數伐之、其人衆雖少、所在山險、鄰國人畏其弓矢、卒不能服也。
其國便乘船寇盜、鄰國患之。東夷飲食類皆用俎豆、唯婁不、法俗最無綱紀也。


220 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 01:02:03
>>217
姿は扶余に似てるが言葉が異なる
>>言葉が異なる
だからソウルの語源もわからないのさ。

穴に住み
>穴に住み
李氏朝鮮時代も竪穴に住んでたよな

豚を飼育して豚肉を食べる
その人々は臭く穢く不潔で、便所を真ん中に作り、それを囲んで暮らしている。
李氏朝鮮時代の外国人の記述そのままだがなw

221 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 05:08:12
>>213
引く力が同じなら、ロングボウの方が威力が強いそうです。
それに、ロングボウの方が強い弓を作っても壊れにくいそうです。

引く長さが同じならば、短い弓の方が引く前と引きしぼった時の形の変化が大きいためそうなるみたいです。

222 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 21:22:15
狩猟が主要目的なら短弓の方が動かし易くて良いけど、戦闘のみが目的だと威力が優先で長弓になるのかな。
鎌倉時代あたりなんか騎射が戦闘のメインだったみたいだし、鎧武者相手だと威力が無いとダメだもんね。

223 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 21:49:50
http://upload.jpn.ph/upload/img/u46342.jpg
奈良百済(笑)


224 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:03:28

「大きな弓」と書いて「夷」東夷の夷

倭人は正統な東夷って事だね。

225 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:27:48
一番大事なのは

・百済人は倭人だった
・百済人を倭人が支配していた
・百済人は韓国人の先祖ではない

これらの証拠を見つけ出すことだよ
でないと永遠にチョンに「日本に先進技術や文化を伝えた」とか
「蘇我氏や藤原氏は百済系」とか言われる

しかし百済人は扶余族だから難しいな



226 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:30:22
>>225
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



227 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:34:35
>>225
現代韓国人は扶余の言葉が理解できない。つまり現代韓国人の先祖は婁人の方だ。

228 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:36:59
これが韓国人の先祖なんだが。
http://park6.wakwak.com/~photo/image/09.jpg
http://park6.wakwak.com/~photo/image/10.jpg
http://park6.wakwak.com/~photo/image/11.jpg
http://park6.wakwak.com/~photo/image/12.jpg

229 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 06:31:35
>>225
全部、日本と中国の記録に書いてある

韓国人が証拠もなしにデタラメを言いふらしているだけ

百済人は王様と側近以外は扶余族じゃない
藤原原氏の祖先は天照大神に仕えた神まで家系がさかのぼることが出来る、蘇我氏は臣籍に下った天皇家の子孫
どちらも百済とは関係ない

230 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 07:37:00
>>223
百済を日本が支配していたから、昔の朝鮮人は大和朝廷のことを奈良百済と呼んでたのかな?

231 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 15:13:06
>>228はグロ画像
注意されたし


232 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 17:19:38
>>228は乳出しチョゴリだなw

233 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 17:21:20
>>230
韓国人の祖先の婁人は扶余人と言葉が違うので、古代の言語は不明です。

234 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 03:31:21
>>229
>藤原原氏の祖先は天照大神に仕えた神まで家系がさかのぼることが出来る、蘇我氏は臣籍に下った天皇家の子孫
>どちらも百済とは関係ない

これってマジ?
そんな確かな証拠があれば蘇我氏も藤原氏も百済系なんて言わないだろ

蘇我氏は出生が謎に包まれていて先祖の名前に韓子、高麗と記されていることや
朝鮮半島の勢力と親密で仏教導入を推進したりしてたから百済系ではないかと
疑惑があるわけで、ちゃんとした出生が分かってれば認定されないよ

藤原氏の祖である中臣鎌足も出生は謎だよ
百済滅亡後に渡来して朝廷に仕えた百済王族の一派という説がある


235 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 05:07:24
>>234
中臣氏でggrk
蘇我氏は武内宿禰の子孫だが?
自分の妄想より先にきっちり当時の文献の検証しろ。
それでお前が当時の文献が違うと考えててるならソース出せよ。
何を言ってるんだか。

236 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 05:13:04
>>234
中臣氏は天児屋命
蘇我氏は武内宿禰
古事記、日本書紀に匹敵する当時の資料出してみろ。

237 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 05:16:50
>>234
>蘇我氏も藤原氏も百済系なんて言わないだろ
蘇我氏と藤原氏が百済系渡来人だって言ってる文献残ってんのか?
つかそんなものがあるのか?

238 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 05:35:45
>>234 >> 先祖の名前に韓子、高麗と記されていることや
朝鮮半島の勢力と親密で仏教導入を推進したりしてたから百済系ではないかと
疑惑があるわけで

・・・韓子、高麗=百済人とはかぎらず、半島倭人という可能性の方が高いだろう。

 百済人なら日本語とは思えない姓名を持っているからな。カラコ、コマというのは日本語の日本名だ。


239 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 05:40:28
>>217 >>中国では漢民族や満州族、朝鮮族、その他の小数民族をすべて含めて
「中華民族」と呼んでるだろ
チンギスハーンも中国人だと言ってる

・・・朝鮮人も百済、高句麗、渤海を「朝鮮民族」と呼んでいるだろ

 朱蒙も朝鮮人だと言っている。


240 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 05:52:14
>>235>>236

あのな、それが事実なら韓国の学者が自信もって「蘇我氏は百済系」って
日本のテレビで、しかも日本の学者の前で言わないだろw

蘇我氏は武内宿禰の子孫ってことになってるがどうも疑わしいから渡来人説
が今でも消えないんだよ、文献だけ見たって後世に書き換えられたとか色々あって根拠がない
からこそ断定できないんだよ

韓国人学者に対して日本人学者も「蘇我氏は武内宿禰の子孫だ」とは言い返さなかった
つまりそういうことだ
蘇我氏は古墳時代頃に突如出現した新興豪族と言っていた
謎に包まれてるからこそ日本、韓国の学者から「蘇我氏は百済系」と言う説が
でてくるんだ
「蘇我氏武内宿禰の子孫」で学会で確定してるなら日本人学者が反論するだろ






241 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 06:06:20
>>240
あのなテレビや韓国限定の学者はいいから資料出せよって言ってんだよ。
資料がない=妄想、願望なんだよ。
例えるなら、君は犯罪者だ、テレビで韓国の学者が言ってるから
だが証拠も資料もないって事を君が言ってるんだよ。
古事記や日本書紀に記載されてる事が事実じゃないと言うのなら、その証拠(ソース)を提示しろよ。
こんな風にな

旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



242 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 08:38:10
>>240
韓国の学者は、自信を持って「侍の語源はサウラビ」とかって電波飛ばしてますが

243 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 12:02:52
お父さんの年代だと、テレビで、「北朝鮮の人の頭には角がはえている」と断言してました。
韓国の教科書にも、ちゃんと書いているそうです。
もちろん、日本の学者も否定しません。
今も大勢の韓国系の人が信じています。

244 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 12:24:46
私は「イウとキク」の回で韓国語の「口(イプ)」という言葉が日本語では「イウ」つまり「言う」という意味
になったといった。それでは日本語で「口」を意味する「クチ」という言葉はどこから生じたのだろうか?
この言葉も実ははるか昔に渡来した古代伽揶族の言語であった。伽揶と言っても1,000年余りの歴史
を持つので、弥生時代と旧石器時代の伽揶人の差はそれこそ新羅と朝鮮時代程度のギャップがある。

最初に日本に渡来した古代伽揶人らは生活に必要な若干の基礎言語しかなかったと見られているが、
そのような言葉はたいてい物の形や特徴のようなものをまねたものだ。例をあげれば、「ホホ」と笑う
ほおの形を見てほお自体が「ホホ(頬)」になり、「ハナ」は「1」の意味で鼻の形も「1」と同じだから「ハ
ナ(鼻)」、指先で目を引き上げて恐ろしい表情をつくり「メエ」にしたことで「メ(目)」、額は白いから「ヒ
ダ」で「ヒタイ(額)」、息を「ハッ」と息を吐き出せば見えるから「ハ(歯)」、いたずらして耳をつまんでひっ
ぱられ痛くて「ミン」したのが「ミミ(耳)」。

「口」はいつも食べ物が入るのを待っている「コジ(乞食)」だから「クチ(口)」、「首」は「おまえも(ノド)」
食べ物を飲み込む通路だから同じ乞食として「ノド(喉)」、「手」は汚いものに触るから「トロウォ(汚く
て)」が「テ(手)」、腕は腕力を自慢して力を入れ「オデ(どうだ)」というので「腕」、首は曲げ(クビダ)ら
れるの「クビ」が「首」、「あご」は一発当たって痛くて「アゴ」(訳注:表記はアゴだが、記事表題からアイ
ゴーと思われる)と言ったので「顎」、「膝(ヒザ)」は曲げたり伸ばしたりよく曲がるから「フィジ」が「ひ
じ」、「舌」は話の種を持っているといって「シダ(種だ)」が「シタ(舌)」、「頭」は色が黒いから「コムダ(黒
い)⇒カムダ」で「カミ(髪)」。

245 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 12:25:53
このように基礎的な言語ができ始めた時は原始狩猟時代で、種族間の戦闘が熾烈で殺し合うそれこ
そジャングル社会であった。したがって古代の戦闘は相手側の男たちはみな殺しで女たちを戦利品と
することが特徴で、敵方の女性は捕らえて行って全部妾にした。そこでできた言葉は、韓国語の「妻」
を意味する「アネ」が「姉」になり、その妹も妻にして「叔母」を意味する「イモ」から「イモコ(妹)」という言
葉も生じる。こういう言葉の形態を見れば、古代は非常に強い男性優位社会だったことが分かる。

「恐ろしくて震える」を「オビエル(おびえる)」というが、この言葉は「オビ(父)」から派生した言葉でオビ
すなわち「親父=お父さん」ということだ。「オビエル」は「オビミエル(父見える)」すなわち「お父さんが現
われた」という言葉が短くなった言葉で古代の父親は恐れの対象だったということだ。そして怖がり震
えることを「オドゥロドゥル」というが、日本語では「おどおど」であり、「ぶるぶる震える(ポルボル トン
ダ)」は「ぶるぶる」だ。

慶一大総長・イ・ナムギョ

ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩33]「アイゴー」から「あご」
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=36680&yy=2009

246 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 14:33:29
  >日朝間には縄文頃より交流は有るが、木の曲げ物(杓子、樽作りの技術が無いので
甕を多く使う)水車等は明治に入るまで無かった。つまり幾ら交流が有っても興味が無い、必要性
(宗教上含)が無い、技術が無い、唐の様に絹の製法を国家管理してる場合などは伝達しにくい。

>朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していたことに関しては、1880年代になっても
金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」と未開性を嘆いていた。つまり、朝鮮人は、
朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったということだ。


247 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 17:33:22
>>244-245
で漢城(ソウル)のソウルの語源が現代韓国語でわからんのだから、無理矢理こじつけた言葉遊びしてる場合じゃないんじゃんw

248 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 21:47:04
>>247
これ自分で馬鹿さらしてるって事、分からんのじゃろうな総長にまで成って
白馬鹿青牛と同じじゃな。これじゃロケットは上がらんわ!!!!!

249 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 22:16:35
例をあげれば、「ホホ」と笑うほおの形を見てほお自体が「ホホ(頬)」になり、
「ハナ」は「1」の意味で鼻の形も「1」と同じだから「ハナ(鼻)」、・・・
額は白いから「ヒダ」で「ヒタイ(額)」、
息を「ハッ」と息を吐き出せば見えるから「ハ(歯)」、

・・・残念!日本語のハ行は古代にはパ行だったので全部ハズレ。

ホホはポポ、ハナはパナ、ヒダはピダ、ハはパと合わせないと無価値だ。




250 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 23:07:43
>>鼻の形も「1」と同じだから「ハナ(鼻)」、

アラビア数字は戦国頃に入ったが使い出したのは明治に入ってからパーカ
以前は漢数字の「一」「壱」もう氏ね。

251 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 18:44:47
>>246
ヒストリーチャンネル「古代からの発見」KL話で
朝鮮が龍の模型から煙を吐く毒ガス兵器を開発していたとか
古代ロケット砲(火車)で秀吉の朝鮮出兵で3000人の朝鮮兵が
4万人の日本兵を殺傷したとか言ってたぞw

そもそも二度の朝鮮征伐で日本軍の死者が4万人って・・・
あんな武器より日本の鉄砲隊や大筒のほうがはるかに上なのはヤツらも
分かってるのに空想上で4万人殺されてしまったよ

あの番組はどこの国が製作してるんだ?
アメリカかイギリスだと思うが韓国人の言うことをそのまま信じて流したんだな


252 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 21:35:04
慶一大総長・イ・ナムギョ

 こいつはこういう語呂合わせで日本語を学んでいるということだろう。


253 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 03:46:42
>>175
古事記では百済の国主をコニキシとしている。
クニヌシと同じことだろう。

254 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 04:05:34
あの国民総愚民の国、韓国。
そんな国の、さらにDQN大学だからwww

255 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 05:10:14
>>253
>>175
古事記では百済の国主をコニキシとしている。
クニヌシと同じことだろう。

>>179さんの仮説と合うね
国=こに
主=きし
君=きみ
仮に、大=おほ、とすると
国主=こにきし=王
大君=おほきみ=王
で合う

256 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 08:50:46
>>255

コニ(国<グン(郡))、キシ<キミ(君クン)ならシナ語起源とも
考えられる(こじつけられる)な。

257 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 10:54:03
>>255
国主と書いてコニキシと読んでいるのと、王と書いてコニキシと読んでいるのとある
意味で言えば同じなので、コニ,キシを別々に漢字に当てはめるのと一緒に当てはめるのとで、国主と王の違いが出てくるのだろう
>>256
古代日本語の話
こじつけでは無く実際に時代が下るにつれて、日本語にシナの影響が有るけれどね

258 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 17:19:44
朝鮮人て自分たちに何も無いから日本人に関わりたいのw
かわいそうな連中だなwお疲れ様ですw



259 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:23:07
大君(オオキミ)ではなく大君(ダイクン)って呼ぶようになったのはいつ頃?

韓国では檀君(ダンクン)って呼んでたそうだから何か関係があるのかな?w



260 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:57:47
>>王仁は中国人ですよ韓国人じゃ無い。!!!

『続日本紀』によると、子孫である左大史・正六位上の文忌寸(ふみのいみき)最弟(もおと)らが
先祖の王仁は漢の皇帝の末裔と桓武天皇に奏上したという記述がある。このことから王仁は
楽浪郡出身で百済にやってきた漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる。この記述が
真実であれば、王仁は313年の楽浪郡滅亡の際に百済へと亡命した楽浪王氏の一員ではないかと考えられる。

楽浪の時代を通じて強力な勢力をもった楽浪王氏は斉(中国山東省)の出自といわれ、前一七〇年代に
斉の内乱を逃れて楽浪の山中に入植したものという。おそらく、3世紀前半の楽浪郡の滅亡後に百済へ亡命、
その後、3世紀後半には日本へ移民したのであろう。

朝鮮半島の人間が中国風の一字姓を名乗りはじめるのは統一新羅以降の風習で、当時の百済の人間が
王姓を名乗っているとは考えにくく、この点から考えても楽浪王氏であるという説は説得力を持っている。


261 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 00:39:44
>>259
ハッキリとした時期はわからない。
唐との国交が回復した後中国風の読み方が流行したみたいに思う。

262 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 01:22:31
>>259
檀君陵
概要 [編集]
1993年9月に一部の改築を開始し、翌1994年10月11日に竣工した。
北朝鮮では1993年の発掘調査で夫婦のものと見られる古い男女の骨が発見され、
「電子常磁性共鳴法」という特殊な分析をした結果5011年前のものと分かったため、
檀君は実在人物であったと主張されており、その骨を祀るための施設とされている。

ただ、考古学会では檀君の実在そのものが否定的に見られているため、
一般的には北朝鮮政府が捏造した遺跡だと目されている。
 また同地には以前から高句麗式の積石塚古墳があったことが知られており、
既に高句麗時代の遺物が出土している。発見されたという骨も高句麗時代の
人物のものと考えられている。

なお、現在の陵本体はコンクリート製である。

by wikipedia


263 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 02:05:24
日本の王で、なになに〜大王(ダイクン)って呼ばれてた歴史上の人物っている?
古墳時代に大君(オオキミ)って呼ばれてたぐらいでおそらくいないんじゃないか

ガンダムのジオン大君(ダイクン)なら知ってるけど(笑)


264 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 02:36:39
>>263 幕末に日本の政権を代表するのが天皇か将軍か欧米人に分からなかったときに

将軍を日本代表として大君(タイクーン)と称したくらいではないか?


265 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 03:04:21
>>260
で、どっちにせよ「韓国人」とはなんの関係もありませんね。

266 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 09:04:44
朝鮮人が日本の将軍を大君と呼んでたみたいですね

267 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 09:18:41
自演うざい

268 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:50:24
>>265
また、韓国人が捏造しているのか?
当時、百済は日本の領土だし、一時的にいただけみたいだよね。
楽浪郡も中国の領土だったし、高句麗の領土にはなったが、今の楽浪より東の中国の領土内にあったって朝鮮系の人は言っている。
中国と朝鮮の領土問題も絡んでいるので、発言には注意した方がいいのだが?

269 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 11:11:35
クダラ人は朝鮮半島にあったというだけで現在の韓国人とは何の関係もありません

270 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 11:36:15
大和民族のルーツ指向性がそこにあれば、中身は味噌糞でいいのよw

271 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 13:57:04
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


272 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 16:50:28
>>260見て、王仁をくぐってみたら、「王仁吉師」と書いて「ワニキシ」と呼んででいた。
王仁も中国の王族の子孫だと名乗ってたみたいだし。
このスレの前の方を見るまでなら、字の意味で見ていたが、今は読み方が気になっています。

273 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 18:40:34
>>272  姓「王ワン、ワ」名「仁ニン、ニ」位「吉師、吉士キシ、キッシ」
    王さん家の仁ちゃんって事だよ、今は出世して吉師の位に就いてる人。
    人格的にも立派で、良い人、尊敬できる人の意味。王貞治さんみたいな人かな。

日本国の夜明け: 邪馬台国・神武東征・出雲 - Google ブック検索結果田辺広著 - 2003
まひき」とあり、注に「アメ二キシ、ク二二キシは天鏡し国鏡しの称辞か」とある。
しかし、これらの定説は果して正しいか。吉士(キッシ)または吉師(キシ)とは、
辞書によれば、 m よぃ人、立派な人、 A わが国に帰化して文筆などの職につぃた人の称 ...
books.google.co.jp/books?isbn=4835551761...



274 :日本@名無史さん:2009/08/24(月) 01:59:55
>>260
しかし韓国では・・・

■韓国での王仁

元来、朝鮮には王仁伝承は存在しなかった。現在は彼の地でも知られているが、これは近代になって
流入した知識によるものである。韓国で王仁は日本に文化を伝えた『韓国人』として扱われており、中学生用の
国定歴史教科書には「王仁は日本に進んだ文化を伝えた」と記述されている。

また、近年、全羅南道の霊岩郡では、毎年王仁博士祭りを開き、日本に文化を伝えた王仁を記念している(現在全羅南道には
王仁関連の遺跡も存在しているが、1970年代以降に創作されたものである)。

しかし、王仁は日本書紀、古事記、続日本紀にのみ記述され、韓国に残る歴史書である三国史記、三国遺事などの書籍には
王仁、あるいは王仁に比定される人物の記述は存在しない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81


275 :日本@名無史さん:2009/08/24(月) 22:57:03
http://www.chosunonline.com/news/20090824000044
明成皇后殺害事件、日本のテレビ局が取り上げる

あらら謝罪しちゃったね(笑)
日本人は素直すぎw中国人なら絶対に謝らない


276 :日本@名無史さん:2009/08/24(月) 23:04:45
>>275
謝る日本人と謝らない中国人、
どっちの民度が高いと思う?


277 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 02:33:24
意味もなく謝るのはゴミ以下だよ。

278 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 04:04:18
>>276
さっきテレ朝の報道ステーションでやってたけど
そもそも本当に日本人がやったどうかもわからない事件
暗殺した犯人の中に日本人がいただけ、朝鮮人もいた

確証がないのに謝るのは日本人ぐらい
中国人は例え確証があっても絶対謝らない
日本人はバカ正直というか素直だ
世界一聞きわけのいい民族だよw


279 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 06:49:58
>>278
犯人の中には日本人はいなかったよ!
暗殺された時、宮殿の中にいた人間が全員取り調べられて、その中に日本人がいた。
犯人グループは、ちゃんと名乗ったし、当時の国王の命令でやったと言っている。
国王も命令したと言ったので、釈放されたはず。
なんで日本人が出てくるだろう?

280 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 09:18:33
>国王も命令したと言ったので、釈放されたはず。

国王が政権を取り戻すまでに時間がかかって、3人ほど処刑された

>なんで日本人が出てくるだろう?

そういう小説があった。最初は取り調べられた日本人も犯人の一人て内容だったが。
だんだんエスカレートした。

281 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 10:01:44
明成皇后がロシアと通じて、親ロシア政策をとってた。
で、ロシアに国をのっとられそうになったので、韓国人の一団が暗殺。

で、ロシアは日本の影響力が強まるのを恐れて
日本犯行説を世界中に流布。

これの影響が残ってるわけ。
実際は、高宗が韓国人の犯人を捕まえて処刑している。



282 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 15:08:37
ロシアでなく中国だったような…
それに、王様は王妃に幽閉された場所から脱出して、どっかの国の大使館にかくまってもらっていたような…

283 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 15:26:36
>>273
コニ→国
キシ→日本に帰化したえらい人

コニキシ→国主・王、百済とか、日本に帰属した国の王さま
って感じ?

284 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 01:38:20
韓国の学者でも百済は呉から朝鮮半島に移住してきた倭族が建てた王朝
って説がある(朝鮮日報の記事)

しかし中国の文献とか見ると百済人は扶余族だとあるし、今現在も
百済があった地域に扶余の地名もある

その韓国人学者は何を根拠に百済は倭族の王朝と主張したんだろうか?


285 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 06:00:31
>>284
朝鮮日報の記事ってドレ?

286 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 06:34:43
このスレでも質問しますが、
百済と新羅は日本に朝貢して服属してたけど、
百済王族は倭によって婚姻が決められており倭人との混血が繰り返され、
基本的に百済王の后が倭人の中から選ばれ、その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として扱ったけど、
新羅王族も新羅王も倭人との混血児だったの?


287 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 07:00:03
>>284
扶余族の分類がなく、漢人,韓人,倭人で分けるとそうなるんじゃないかな?
半島の南が倭人の土地みたいに書いているので、百済が倭人でないと、日本の土地になってしまうし。
百済と日本が特別親しいのも、同じ倭人だからで説明出来そうだし。

288 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 08:19:16
>>286
新羅の王族は時代によって内乱などで入れ替わるので敵対したことも多いけど、
日本に人質を出したどこか、日本人を王様に迎えた時代も有るそうです。

289 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 09:06:48
>>288
早速ありがとうございます。
ウィキペディアでもいいのでその事が分かりやすく書いてるサイトとかありますか?


290 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 09:39:04
>>289
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E8%A7%A3%E5%B0%BC%E5%B8%AB%E4%BB%8A

291 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 22:42:02
>>279
>>281
どっちが本当なんだろう
http://www.chosunonline.com/news/20090825000053
【萬物相】明成皇后殺害事件を報じた日本のTV局

明成皇后殺害事件の実行犯たちの中でも、中心となったのは熊本県出身者たちだった。
伊藤博文と並ぶ日本の政界の実力者だった井上馨、朝鮮駐在の日本公使だった三浦梧楼らがシナリオを練り、漢陽(現・ソウル)に
あった日本の新聞社「漢城新報」が組織ぐるみで犯行に関与した。漢城新報の社長、安達謙蔵や主筆の国友重章も
熊本県出身者だった。景福宮の明成皇后の部屋に乱入し、直接手を下した家入嘉吉らの故郷もまた熊本県だった。


1895年10月8日に起こった明成皇后殺害事件は、世界史でも珍しいほど残忍で野蛮な事件だった。
「あちこちで“びん妃はどこにいるんだ!”と叫ぶ声が聞こえた。暴徒たちは震えている女官たちのうち、容ぼうが美しい二人を惨殺した。
そのうちの一人のこめかみに、天然痘の痕がうっすらと残っていたのを見て、びん妃であることを確認した」。
実行犯の一人は後日、「本当にこのことは書きづらい」と前置きした上で、明成皇后を惨殺した後、言葉では言い表せないほどの
残虐な行為をしたことを告白した(角田房子『明成皇后−最後の朝』)。


日本は事件後、自国の責任を徹底的に隠ぺいしようとした。明成皇后の遺体を燃やし、興宣大院君(朝鮮王朝第26代国王・高宗の父)と
明成皇后の権力闘争の末に起こった事件だ、とでっち上げた。広島地裁は、三浦梧楼ら56人の容疑者全員に対し無罪を言い渡した。
その結果、現在も多くの日本人は、日本政府と民間人が結託し、朝鮮の王宮に乱入して王妃を惨殺したという事実を知らない。
また、ほとんどの歴史教科書には明成皇后殺害事件についての記述が1行もない。

292 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 01:24:16
>>291
そんな小説がソースになるか。
歴史上では高宗が処刑したのは韓国人だけなので、
普通に考えれば日本は関係ないはずだが。
関係あるなら高宗は泣き叫んで日本が悪だと世界に訴えればよかっただけだ。

日本から見れば、数ヶ月前に朝鮮を独立させたのは日本であるから
朝鮮が恩知らずにもロシアと内通していることを世界にアピールした方が
日本に有利になるはずで、わざわざ日本が暗殺する必要が無い。

どんどんロシアに権益を売る明成皇后を暗殺したのは
それを憂う韓国人であると考えるのが普通で、実際の歴史でも
実行犯は韓国人だけだと高宗が決めているわけで。



293 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 01:31:13
>>291
信頼できる一次的史料から読み取れるふたつの確実な結論
「犯人は日本人じゃない。」
「計画、煽動、実行、事後、全て朝鮮人の犯行」
そして、
間接的にわかる結論
「ほんの前のことすら正確に理解不能な朝鮮人の史学感で、
百済や新羅のことを語られてもなぁ」

294 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 05:04:25
もう書いてある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%94%E5%A6%83

295 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 08:04:33
見るたびに内容が変わっている

朝日放送のことを書いた人によると、報ステの放送内容が書き換えられているようだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%96%94%E5%A6%83

個人的な記憶では、日本軍の記載が付け加えられている。
以前見た時には、鎖国派が親ロシア派に行った暗殺事件で日本は関係無かったのだが?

296 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 15:32:35
乙未事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E6%9C%AA%E4%BA%8B%E5%A4%89

これに書いてあるが、高宗はその時、明成皇后の近くに居たようだな。
だから外人が妻を殺したとすれば、隠す必要が無い。

韓国人は歴史の流れを無視して、自分が正しく日本が悪いと決め付けるが
このスレタイの百済も、滅亡を救おうとしたのは倭人だぞ。
王族の亡命者を受けれ、土地を与えたのも倭国だ。
だから百済を崇めるなら、倭人、ようするに日本人に感謝すべきであるのに。

歴史の流れを全く無視し、倭人を猿と罵り、百済を自慢する。


297 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 04:55:11
朝鮮の王妃を日本人の謀略で日本人主導で殺したとなれば国際的な大問題だよ
明成皇后なんて日本の教科書で習ったことも聞いたこともない

謝罪しにわざわざ韓国まで出向いた日本人は
それは「日本人が計画し、日本人が殺害した」ことを認めてるんだろ?
じゃなきゃ行かないよな?



298 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 07:48:48
>>295
日本軍と鎖国派の大院君の組み合わせは、無理が有るな。
たぶん元は高宗に処刑されたメンバーをソースに、親衛隊と訓練隊と書かれていたと思う。それだと韓国の資料にもあう。

299 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 13:18:41
>>531 アクセス不良なのでコチラへ
   *下記のアクセス先も潰されました。
*余程都合の悪い情報なんだな?民潭工作隊!必死さが目に浮かぶぜ。

**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://siyasin.ninja-x.jp/sisou-2/kodaisi/hokuriku/sakurahukugen/hukugen.html


300 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 21:44:22
>>283
みたいだね。

百済の王は扶余族系日本(倭)人
百済の民は純日本(倭)人
他、漢人の移民

新しい資料が出るまでは正しいと言える。

301 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 06:08:27
百済人が現在の韓国人の祖でないと誰か証明してくれよ

・百済人が稲作を伝えた
・百済人が百済の仏教を伝えた
・百済人が瓦式建築の技術を教えた
・百済人が飛鳥文化を作った
・百済人が仏像を作る技術を教えた
・百済人が酒や須恵器、陶磁器を伝えた
・百済人が日本語の基礎を作った
・百済人が能楽を伝えた
・百済人が茶道を伝えた
・百済人が武士道を教えた
・百済人が天皇になった
・百済人が蘇我氏になった
・百済人が藤原氏になった
・百済人の子孫が明治維新を達成した



302 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 07:27:25
現在の韓国人・北朝鮮人である朝鮮民族と百済人や高句麗人は別言語を話す別系統の民族じゃなかったっけ?
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

303 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 07:29:17

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。




304 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 08:35:47
>>301
>百済人が現在の韓国人の祖でないと誰か証明してくれよ

何度も書かれてるよ

旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶


つまり、百済の人は半島には残っていません。

305 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 08:54:56
>>302:日本@名無史さん :2009/08/29(土) 07:27:25
現在の韓国人・北朝鮮人である朝鮮民族と百済人や高句麗人は別言語を話す別系統の民族じゃなかったっけ?

上の方で、百済の民が日本語を話していると言うことで、百済人は倭(日本)人となったみたいです。

306 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 18:05:37
するってえとおれは百済人の子孫かも

307 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 19:06:02
>>306
倭>百済だから倭人の子孫だよ。

308 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 00:06:38
●東アジアの歴史

1990年代の韓国の国定教科書の内容です。
「韓民族(朝鮮民族)の先祖が紀元前8000年にパミール高原から韓半島に移住し、満洲族に文化を授け、中原の
黄河文明に影響を与え、紀元前7000年に日本文明を創造した。」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/27/2007022700...

韓国以外の世界中の歴史学者、歴史書が嘘つきということに私たちは気づくべきだと思います。

309 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 02:31:29
百済人の祖国の土地を、
明け渡すことを要求します。
24時間以内に出てけ、韓国人。

310 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:11:38
>>306
テレ東の「決着歴史ミステリー」で歴史好きが集まる店に百済王の末裔と
言われる大内氏の子孫が来るらしい
真田の子孫や新井白石の子孫も来店したそうだ



311 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 21:01:18
知ってるか今のギリシャ人と古代ギリシャ人とは別民族だぞ
今のギリシャ人はな南スラブ人とトルコ人の混血。

古代三国人と今の朝鮮人とは別民族だぞ、勘違いするな!
今の朝鮮人は白村江時の唐軍人とモンゴル、邑婁、との混血。

だから自分達の首都ソウルの語源さえ分からん、
名付け親と使用民族が違うんだよ。


312 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 22:24:51
「ソウル」って100年前は「漢城」って呼ばれてたんだろ

終戦後、日本や中国に対して「ソウル」と呼ぶように
外交的圧力をかけたそうだけど理由はなんだったんだろうな

中国風の「漢城」って名前が気に入らなかっただけだろうかw



313 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 22:35:36
日本人って古代朝鮮人なんじゃないの

314 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 22:52:07
>>313 言語が全然違う同系民族など世界にいない。


315 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 23:49:03
>>312
元々古代から漢江の北部をソウルと発音してた地名が有った見たい
其処に新羅時代「漢陽」と漢字の当て字を付け「楊州」「南京」「漢城」
と日本時代は「京城」戦後は「漢城」そして今は「首爾」と成った見たい

俺の感だけど新羅時代の「漢陽」此れがヒントだね 陽=ソウル
ラテン語で太陽神をソル、ソールと言いローマではキリスト前はミトラ教
の太陽信仰、軍人達に敬われたらしい。
そこで漢江沿いに太陽神「鏡 ソール」が祀られ住民らがソール、ソール、
と言ってる間に地名と成った。祠みたいな物が有ったかも、「辰王」か?


316 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 01:33:19
世界史規模になってきたな
ローマにラテン人にラテン語か・・・

317 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 04:52:45
黄泉の国の話とか、日本の神話とギリシャの神話と似ている。
何らかのつながりは考えられるけど。

318 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 12:12:58
他スレで見た事が有るが、沖縄の巫女さんが口伝で
ほとんどの地域では「山城(ヤシロ)の黒碗の世直し」って所を
太陽信仰の島、久高島では「ソウルの黒碗の世直し」って言うらしい。

ヤマトでは空(ソラ)とミトラ、ミトラス教からアマテラスに成った見たい
黒人達の音楽ソウルも太陽神、神、魂、ソールからと英語のソーラーも。

白は太陽神を現す色で神社の神官、古代半島、イスラムなどで白衣を着るのも
太陽信仰の為、白山信仰も。新羅も太陽信仰やローマの遺物が古墳から出るし
ミトラス教は仏教と絡んで救世思考の強い弥勒教になってる、韓国人は好きだな。


319 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 17:55:04
>>313一応、半島の南の方を支配していたので、そういう意味なら古代朝鮮人の一員と言えなくはないが・・・
例えば、漢人(中国人)も古代朝鮮の北西部を支配していたが・・普通、漢人(中国人)を古代朝鮮人とは言わない。

320 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:53:39
>>318
つまり

■沖縄文明は韓国人が築いた

http://www.chosunonline.com/news/20090503000014
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(上)

http://www.chosunonline.com/news/20090503000015
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(中)

http://www.chosunonline.com/news/20090503000016
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(下)




321 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:06:56
■ 大朝鮮帝国史

・我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。
・我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、大帝国を建設していた。
・高句麗建国の功臣 陜父が日本地域に逃げ、最初の国、多婆羅国を日本地域に建てた。
・伽耶の日本進出以後、倭列島に対する関心が高まるにつれて、百済,高句麗,新羅が争ってその地域に進出したのだが、
 伽耶系統であるカラ,アラ、新羅系統であるムラ,百済系統であるコム(熊),タムロ(担魯)などに関連がある
 地名は、皆この時期に開拓された所だ。

・ 沸流百済の日本地域の統治過程で、百済皇統の継承のために全ての担魯を制圧して建てたのが、まさに天皇国家の始まりである。
 この時の討伐将軍であるキョン・ジンジュは百済の大将軍であったし、天皇ソン・ソンジョも百済から派遣された百済皇族だった。
・ 神武天皇は、現地妻を取っていたソン・ソンジョ皇子の代わりに百済から送られた新しい天皇で、倭列島の東部征伐の任務を忠実に遂行した。
・ 新羅王子 天日槍の倭列島攻略以後、本州地方をめぐる百済,新羅の間の争いが激化したのだが、高句麗もコンボルを根拠地に勢力争いに
 飛び込み、倭列島は戦火に包まれ、これを解決するために百済は景行王を派遣した。

・三国遺事の延烏郎・細烏女の説話は、新羅に滅ぼされた馬韓遺民の倭列島移住を示し、この細烏女がまさに卑弥呼であり、その娘が神功皇后である。
 海上帝国を成していた沸流百済は、高句麗の広開土大王の侵攻によって本国の熊津(コムナル)を奪われて日本地域へ避難したのだが、この人が応神天皇である。
 応神は奈良百済を建て、そこを中心に本国の古莫那羅(コムナル)百済を支配した。
・古莫那羅百済の混乱に乗じて、新羅は倭列島における勢力挽回を試みた。
 この時、新羅の主導でなされた日本の改革がいわゆる大化の改新である。
・朝鮮(チュシン)の伝統を継承していた高句麗は、この時に我が民族関連の記録を民族保護次元で全て焼却したのだが、このためにその後の国史が歪曲された。

http://koreawatcher.at.infoseek.co.jp/docs/jushin.htm
http://upload.jpn.ph/upload/img/u46342.jpg
奈良百済


322 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:09:17
>>320
沖縄の「黒碗の世直し、赤碗の世直し」の話は弥生時代の事で

三別抄は鎌倉時代・・・・・時代が違い過ぎる。

323 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:25:47
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


324 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:57:34
>>320 沖縄に朝鮮文化が入ったのなら朝鮮文化用語が残っているはずだが
どういう単語があるのか例示してくれ。


325 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:06:37
南まで下がりすぎだw先に九州と話つけろや。
遺跡ネタ穿り返してセンズリこくと命取りだぜ。

326 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:46:28
どっちにせよ、
現代韓国人、北朝鮮人とは関係ありませんけどね。


327 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 02:34:22
今、最新の遺伝子技術が歴史の定説を覆しています。
もちろん、ファンタジー史観wwwは全ての科学的史料を全否定していますが・・・。

百越人(倭人、弥生人)とは、黄河文明より三千年も古い長江文明の失われた担い手です。今そのDNAは越南、日本、朝鮮にしか残されていません。
穏やかな農耕民族だった百越人は、残虐な漢族に侵略され南へ、長江を下り日本へと揚子江上流原産ジャポニカ水稲を携えて逃げてきたのです。
そして山東半島から、水稲と共に日本から朝鮮半島へと進出していきました。

現在、朝鮮より日本の稲作の方が古いことがわかっています。
そして日本米のDNAが朝鮮米に残されていても、朝鮮米のDNAは日本米に存在しないことで、稲作文明は定説(いわゆる朝鮮日教組史観ですね)の逆、日本から半島に渡ったことが判明しています。

今でも北朝鮮ではコリョ族(高麗族、扶余族とは敵対)のDNAが強く、南朝鮮では百越人のDNAが強いそうです。
千百年前までの南朝鮮は、日本から渡った弥生人を扶余族の王(三韓、倭共通で親族)が統べる日系の社会だったということです。

328 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 11:11:54
>今でも北朝鮮ではコリョ族(高麗族、扶余族とは敵対)のDNAが強く〜

コリョ族って高麗族と同じだろw

>日本から渡った弥生人を扶余族の王(三韓、倭共通で親族)が統べる日系の社会

扶余族の王に支配されてたんなら日系社会じゃないわなw


329 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 02:16:52
韓国とも関係ないけどね。

330 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:58:31
韓国人は百済人は自分達の先祖だと思ってるし、世界の歴史学でも
百済人=現在の韓国人ってことになってるだろ

331 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 20:09:46
>>330
なってないねぇw

332 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 20:13:10
>>330
地球とは違う惑星の事ですか?

333 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 20:38:38
オーソリティのある学術的根拠があれば「新羅は倭人が建国したと」
日本および世界の教科書や東アジア史に記されてもおかしくないのに
どこにもそんな記述はみあたらないんだが・・w

中国でも「新羅は倭人が作った」なんて学術論文さえ提起されないのはなぜ?
つまり『三国史記』に書かれてることなんて神話レベルの話としてしか捉えてない
新羅を建国したのは倭人って主張はまともな歴史学者には妄想でしかない


334 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:08:05
>>333
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」

◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」


335 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:11:51
>>330>>333
三国史記など神話同前で信用に値しない
中華の書物を読むべし
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



336 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:16:24
>>333
中国人が4228年前に植民地として作り4228年間の長きにわたって植民地として経営した地域の事ですね

337 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:14:51
任那日本府

日本人 = 日本書紀に「391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」
韓国人 = 捏造だ。
日本人 = 三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。
新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。
百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。
日本人 = 日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?
韓国人 = そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。

338 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:15:32
中国人 = 中国の歴史書まで捏造か?
韓国人 = そうだ。歴史書が本物だとしても,日本という名前は7世紀まで無かった。倭と日本は違う。
日本人 = 三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。
日の出る所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?
韓国人 = 捏造だ!
中国人 = 中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で
「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」と公式に認めている。
韓国人 = 中国人の捏造だ!!
日本人 = イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、
「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」 書いている。それを世界50か国の学校に発行している。
韓国人 = オックスフォード大学の捏造だ!!
日本人 = アメリカのコロンビア大学やアメリカ議会図書館が「5世紀の朝鮮半島南部は日本の大和政権の支配下にあった。」と記載している。
韓国人 = 世界中が朝鮮半島を捏造している!!



339 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 02:55:16
っていうか、その半島、お前らのものじゃないから。
イスラエルがおっけーなら、
「百済人に祖国の土地を返還」するのもおっけーだろ?
さぁ、
不法占拠の韓国人は早々に半島を明け渡して、
どこか宇宙の果てへ移住してください。
あとのことは、古来に則って、日本と中国で考えますから。

340 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 07:21:06
>>330
中国が残した文献のおかげさまで、百済の子孫は日本人だけになってますよ。
中国も民族ホロコーストに協力したなんて書き残したりしなければ良いと思う。
ひょっとして、当時は悪いことで、無かっのかな?

341 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 15:53:55
>>340
はい、歴史の事実をねじ曲げ捏造や妄想と擦り変える方が悪い事ですよ。


342 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 15:56:31
>>340
ローマ人はカルタゴ遺跡に未だにカルタゴ人の子孫が住んでる事にした歴史に書き換えた方がいいニダ


343 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 16:04:22
>>340
なんで中華の歴代王朝は王氏高麗や李氏朝鮮を百済人の末裔と書いてくれなかったニダ
悔しいニダ

344 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 18:02:36
>>335>>343
韓国ではこれが常識なんだな

■朝鮮日報に書かれてる百済および韓民族の日本観

・「現存する世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿は、8世紀中盤に百済からの移住民が建てた寺です。」

・高松塚古墳、法隆寺、東大寺、広隆寺、大宰府、船山古墳、石舞台古墳…。日本が誇るこれらの遺跡の共通点は何か。
 それは韓民族、すなわち大韓民国の祖先の霊と魂、汗が染み込んだ代表的な場所だということだ。」

・「檀国大の鄭永鎬教授は「大宰府の建造と水城の築城には、百済の先進技術が活用されたことが立証されている」

・「日本が誇る遺跡が韓国の先祖の魂と汗で作られていることをこの目で確認でき、民族的自負心を持つようになった」と語った。

・「石舞台古墳は7世紀ごろ百済系の蘇我氏が作った大規模な墓として推定されている」

・江原大の孫承赴ウ授は「わが韓民族が古代日本の領土に文明と文化をもたらしたという
 華麗な過去の歴史を振り返り、自己陶酔に陥ってはならない。」

・釜山中央女子中のキム・ウンスン教諭(45)は「これまでは、われわれが文化を伝えたという自負心を
 抱くだけだったが、文化が一方からもう一方へ伝わった上で、それが受け入れた側によって発展していったという
 事実についても知ることができた」と語った。

・飛鳥地方の百済遺跡である石舞台古墳を訪問したときは、「飛鳥の漢字表示は“飛鳥”だったのではなく、
 元は百済人が渡来して心安らかに定着したという意味の“安宿”(発音はアンスク)だったが、後に変わった」と説明した。

・韓国が日本よりも進んでいる」という内向的な自負心ではなく、「隣国・日本の歴史をもっと知ることができた」
 という未来志向的な関心に基づくものだといえる。

・旅行会社のガイドは「韓国を訪れる日本人たちが、円高の恩恵にあずかり、ただソウルで金を使うだけ使い、大衆文化に関心を寄せているわけではない。
 日本文化の源流を学ぶため、扶余や公州を訪れるケースも多い」と話した。


345 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 18:36:10
>>344
韓国の常識vs世界の常識>>334
その論議が>>337>>338ですね。
わかりやすい説明ありがとうございます。

346 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 19:13:38
>>344
まーつまり漢民族の功績という事でぉk?

347 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 20:36:56
いやだから世界の教科書には「韓国は中国の属国だった」とか
「4世紀日本が朝鮮半島を支配してた」とか書かれてるけど
「百済人は韓国人と別種」とはここの国でも書かれてない

中国は高句麗をめぐって韓国と歴史問題で対立しているが
「高句麗人や百済人は現在の韓国人とは別種である」とは一言も書いてない

つまり百済人、新羅人、加羅人、高句麗人は現在の韓国人の先祖と認識してると言うこと





348 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 21:17:11
>>347
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



349 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:15:10
>>347
>>348見たら解るだろ。百済の人は今の言葉で言えばホロコーストにあって生き残りは日本に亡命した人だけです。

350 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:26:07
新羅も今の韓国人の祖先か疑問だと言う人が居るけど断言するほどの文献はない。
でも、百済については、文献が有るので、断言出来ます。

351 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:31:17
古代史に国の滅亡で部族の四散なんて当たり前にある。
何もなけりゃ大量の亡命者や難民出ないだろw
征服者に征服されるとはそういう事。元に蹂躙された高麗や清に蹂躙された李氏朝鮮でもここまでの亡命者や難民は出してない
亡命者や難民を大量に出したと文献に記載される程の過酷な征服だったんよ
故地でなく周辺地域に痕跡が残ってる=四散したって事さ。

352 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:23:52
>>351
>亡命者や難民を大量に出したと文献に記載される程の過酷な征服だったんよ
故地でなく周辺地域に痕跡が残ってる=四散したって事さ。

…というより、ジンギスカンの虐殺か信長の虐殺を思い出したほうがいい。>百濟之種遂絶

征服した側が、 種を遂に絶した…と断言しているのだから。
こんな表現、中国でも、めったに見られるものでは無い。
天智天皇が踏みとどまって、亡命させることに成功した人間意外生き残りはいないと考えてまず間違い無い。

353 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:44:32
>>352
中国人特有の大げさに記述するのは古代から言われてることらしい・・
アンコールワットの感想を文献で見て「中国人は大げさに書くと言われてる」

朝鮮の文献や日本書記にも百済人全滅と書かれてるわけじゃないだろ
日本に亡命して来たのは3000人程度でそれ以外は高句麗に逃げたか
現地にとどまり新羅人に吸収されていったと考えるほうが自然な考えだね

いくらなんでも百済人をすべて抹殺するなんていくら古代でもあり得ないだろ
今でも半島南部に百済人の子孫が暮らしてると思うよ




354 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:55:48
>>353
反論の締めくくりが
>思うよ
なんですねw

355 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:06:10
>>353
当時の朝鮮の文献はない、日本書紀には亡命、難民
中華王朝側の文献は百済種絶える
ご覧の通り、その地からいなくなったと文献はあるが、その地に残った百済人がいるとの文献がないが?
遺った人間がいるなら少しは遺ったと、その後の百済人の記録があるだろう、それがなぜないんだ?


356 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:24:57
高句麗なら生き残りの記録が有るけど。
王族しか亡ぼしていないみたいに書かれてるし。
でも百済はこれで終わり。子孫も日本だけです。

357 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:28:31

>>353>>348を読む能力がないようだ。

河童虫氏ならどの様に解釈する?

358 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 01:07:45
ちなみに百済が半島南部に移動したのは高句麗に戦争に破れた6世紀以降で
元々は中華王朝の文献には百済とは遼東の東千里にあった国だ。
つまりこのスレの論法でいくと現在の中国領にも百済人の子孫がいなくてはならないはずだが
もちろん漢民族側に百済人の子孫を名乗る人間が出て来てもぉkだよな。

359 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 02:02:39
隋書によると、隋末の百濟の領域は、
北から高句麗の侵略を受け、南から新羅の侵略を受け、
東西62km(九百里)、南北31km(四百五十里)の小さなものになっていました。
この広さではホロコーストが十分に起こりうる広さでしかありません。

生き残り百濟人救出の為の陽動作戦が、百濟國滅亡3年後の白村江の海戦です。
百濟人救出作戦にはある程度の成功を収めましたが、倭軍本隊の船団は壊滅しました。


360 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 05:17:58
■百済と倭国の関係

『日本書紀』の中には、領土を奪われた百済に任那の一部を割譲した記録や援軍を供出した記録、さらには倭朝廷に
朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが数多く残っている。また中国の『隋書』にも、新羅・百濟は、みな倭を
以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。(新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來)
という記述があり朝貢関係があったことをうかがわせる。

さらに、広開土王碑でも倭について、百済■■新羅を破り以って臣民と為す(「倭ロ<耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民」)
という部分があり百済が辛卯年(391年)に倭によって支配を受けていたことも明らかとなっており主従関係が存在しており、倭の
重臣と百済との間で家臣上下に関わる席順の取り合いのエピソードも残されている。

これらのような記述が史実であるのかに関しては異論も多いが、友好的であったのは確かであろう。
また王族については、百済の王族は倭によってその婚姻が決められており中国ーツングース系と倭人との混血が繰り返された。
基本的に百済王の后が倭人の中から選ばれ、その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として扱った。

『日本書紀』には百済の歴史書が多く引用され(『百済記』『百済新撰』などが引用されているが遺失した歴史書である)、
百済から輸入された文物は多い。有名な文化財には、軍事的援助の礼として倭に送られた奈良県の石上神宮に伝わる七支刀がある。

百済滅亡により、百済王と王族・貴族を含む数千の百済人が倭国に亡命し一部が朝廷に仕えた。豊璋の弟・善光(または禅広)の子孫は
朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を賜った。百済王氏は8世紀に敬福(きょうふく)が黄金を発見し
東大寺大仏造立に貢献するなど日本の貴族として活躍した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88

>これらのような記述が史実であるのかに関しては異論も多いが
>これらのような記述が史実であるのかに関しては異論も多いが
>これらのような記述が史実であるのかに関しては異論も多いが

確証がないから学校で教えられないんだね



361 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 06:10:44
>>358
そんなややこしいこと言わないでも、百済が亡ぼされる以前に漢人になった人間なら居たはず。

だが、百済の子孫でも百済を亡ぼしている側の人間で百済人を名乗るほど恥知らずは、さすがに中国にはいないと思う。

これが韓国系の人間なら居たけど、後百済を百済の後裔とは認めて貰えなかったみたいです。

362 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 19:33:21
>>1
>古代日本の支配階級は百済人だったのか?
大唐国を敵に回してでも救援軍を送り白村江の海戦>>359で大敗した欽明朝王家は、
友好国以上の親密さを抱いていたのだろうな。一連托生の相手即ち血族だったのだろう。

363 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:11:45
>>362
欽明天皇は百済人だったわけねw

364 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:23:59
>>363 百済王室が倭人系だったとしか考えられないな。


365 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:30:28
>>362 >>友好国以上の親密さを抱いていたのだろうな。一連托生の相手即ち血族だったのだろう。

・・・百済を失うと日本はシナへの通路を失う、という地政学上の必要が大きかった。

 百済にとっても北は高句麗、東は新羅という敵国に包囲されて日本に頼るしかなかったという
地政学上の必要があり、日本・百済同盟は双方の利害一致によるものだ。

 

366 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:51:52
190 名前:日本@名無史さん :2009/09/04(金) 18:45:23
>>186
日本固有の前方後円墳も「マンガ日本史」で渡来人の技術指導者に
倭人がコキ使われて作ってたからねw


191 名前:日本@名無史さん :2009/09/04(金) 19:09:54
>渡来人の技術指導者

その上に日本人支配層がいた事を忘れんなよ。



192 名前:日本@名無史さん :2009/09/04(金) 19:29:09
>渡来人の技術指導者
まず漢民族の技術指導があってこそ海を渡っても食ってけた事を忘れるなよw


367 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 02:02:57
>>365
″という見解。あくまで俺は。″
と書くべき。

368 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 03:26:16
■百済人の容姿とは?

百済の歴史について、百済人は韓国人の先祖なのかについての議論は
ひとまず置いといて百済人の容姿について考察してみよう

百済人の容姿はどんなふうだったかは歴史好きでも興味があるところだろ
まず、身長はどれくらいだったのか?(倭人より高い?)
東アジア系の中でも中国、日本、韓国のどの特徴を多く持っていたのだろうか?
顔の輪郭が韓国人みたいなぺヤングだったのか?日本人みたいに卵型だったのか?
目の大きさや鼻の高さ、さらに歯並びや脚の長さなどを百済人の人骨から調べ
その容姿の平均値を出したいものだが・・

今現在、中国大陸も朝鮮半島も日本も様々な地域からやって来た民族との
混血が多く、古代朝鮮がまだ混血してなかった頃の百済人の容姿的特徴には
大変興味をそそられる(百済人は後期に倭人と混血してたという説もあるそうだが)

百済人の人骨からあくまで平均的な容姿を復元できないものだろうか?
しかし百済人は全滅してしまって朝鮮半島にも武寧王の墓ぐらいしか特定できないと思われる

日本で百済人が多く住みついた土地に住んでる人の容姿の平均値を出すのは難しいと思う
日本は1500年の間に国替えや人の移動などで混ざってしまったので
百済人的な容姿の特徴を特定するのは困難だろろう

しかしながら奈良や飛鳥にたくさん住みついたそうで、どうしても奈良や飛鳥地方の人達を
見ると「ん、百済人の容姿か?」と無意識に疑似比較してしまうw
奈良出身の芸能人明石さんまのようだったのか、それとも加藤雅也のようだったのか?
謎は深まるばかりだw

369 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 08:42:59
>>363
この珍説ですか?
百済人の新国家日本
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1222986020/

370 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:19:50
>>362 >>友好国以上の親密さを抱いていたのだろうな。一連托生の相手即ち血族だったのだろう。

・・・そりゃ百済王室に政略結婚した倭人、倭人官僚も多く一蓮托生だったが、王室同士の関係にすぎなかっただろう。

 戦国時代の大名同士の政略結婚関係に近い。それで領国同士が友好関係と言えるのか?

 友好というものでなくて利害計算関係一致による同盟に過ぎない。


371 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:47:09
>>362 >>友好国以上の親密さを抱いていたのだろうな。一連托生の相手即ち血族だったのだろう。

・・・古代から現代まで国際関係は「友愛」なんぞでは動かない。利害関係が基本にあって動く商売の一種だ。


372 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 17:52:23
http://japanese.joins.com/upload/images/2009/06/20090604144221-1.jpg
http://contents.oricon.co.jp/upimg/news/20080416/53795_200804160065711001208326562c.jpg
http://www.ocn.ne.jp/sports/soccer/magazine/images/sc_ia0005_main.jpg
http://kr.img.n2o.yahoo.com/yhi/nbbs/n2o2005/12/08/n2o_1211_567024_4?1146988991.jpg
http://geinoujin-seikei.up.seesaa.net/image/1126175612773.jpg
百済人はこんな外見だと思う(笑)


373 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 18:10:23
日本人にもあるような顔ばっかじゃんよw

374 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 18:17:18
http://www.tanteifile.com/diary/2009/09/06_01/index.html

375 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:17:25
>>363
欽明天皇が百済王家出身とすると、宣化朝に突如登場、欽明朝の重臣となった
稲目を出した蘇我氏が百済貴族出身という門脇説にも符合するなあ。

376 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 02:02:04
仮定を前提に仮説、そして断定、って。
朝鮮人論法かよwwww


377 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 21:23:45
■朝鮮に初めて国を建てたのは中国人です

【衛氏朝鮮 紀元前195年? - 紀元前108年)】
燕の亡命者、衛満が今の朝鮮半島北部に立てた国である。
前漢の高祖の時代、燕王廬綰が漢に背き、匈奴に亡命すると衛満も燕から亡命し、
千人余りの徒党と共に朝鮮に入った。そこで、朝鮮の集落や戦国時代の燕や斉の亡命者などを取り込み、
王険(平壌)を首都として王位についた。

【楽浪郡】
前漢の武帝が紀元前108年に衛氏朝鮮を滅ぼしたときに、朝鮮半島に置いた四郡の一つ。
今の鴨緑江から平壌付近を中心とした一帯の地域であり、中国の朝鮮半島支配の拠点になっていた。

【三国志魏書 辰韓伝】

>辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。有城柵。
>其言語不與馬韓同、名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴。相呼皆為徒、有似秦人、非但燕、
>齊之名物也。名樂浪人為阿殘;東方人名我為阿、謂樂浪人本其殘餘人。今有名之為秦韓者。始有六國、稍分為十二國。

辰韓は馬韓の東、そこの古老の伝承では、秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で、
馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。城柵あり。言語は馬韓と同じではない。
そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)、皆のことを徒と呼び合い、
秦語に相似しているが、燕や斉の名称ではない。楽浪人を阿残と呼ぶ;東方人は自分を阿と言うが、
楽浪人は本来、その残余の人だと言われる。

378 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 23:43:26
馬韓から発展した百済を建国したしたのは扶余

辰韓から発展した新羅を建国したのは倭人


379 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 23:58:01
扶余族って高句麗を建国した民族でつか?


380 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:54:53
李氏朝鮮を建国した李成桂って女真人って本当?


381 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:55:04
扶余と高句麗はほんとは違うらしい。
でも、扶余のほうが由緒があったから、かれらを服属させた際に
高句麗も扶余の分かれなんだよーって自称して宣撫したんだそうな。

382 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 01:29:57
高句麗がそもそも、
″シナの影響を色濃く受けた、多民族国家″だし。

383 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 11:44:05
隋や唐は鮮卑族が王になったわけだから
漢人が高句麗や百済に亡命して、むしろ百済とかの方が
漢の後継の正統性もあるかもしれない。
日本に亡命した百済人は、ほとんどのひとが東漢氏を名乗ってたわけで。

384 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 12:03:17
ないね

385 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 16:29:57
匈奴と高句麗の関係は?

386 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 18:56:34
>>382
では高句麗を建国したチュモンは漢人なの?
それとも女真族、韓人?



387 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 18:59:26
女真なんてそのころいたっけ

388 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 19:55:52
■韓国KBS「満州はわが領土だった」、中国紙応戦「でっちあげ」 【社会ニュース】 2009/09/08(火) 11:25

中国共産党系の環球時報は8日、「韓国テレビ局と中国が、満州史で論争」と題する記事を発表した。
実質的には、韓国KBSが番組で「満州はもともと韓民族の土地。清朝を樹立した愛新覚羅氏も、祖先は韓国人」
などと主張したことに対する反論だ。

環球時報が問題視したのは、KBSの番組『満州大探査』(中国語名)。8月29日と9月5日に放送した。
環球時報は「韓国の国家テレビ局KBSがゴールデンタイムに放送」、「もともと韓国人の土地だった満州を取り戻せとの
世論のもとで、韓国の主要媒体が改めて、中国との歴史論争の行動を起こした」と紹介した。

29日放送の番組では、「遼河一帯の第五の文明に迫る」として、「満州遼河地域には紀元前6000年ごろ、黄河文明より
1000年も早く文明の花が開いた」、「紀元前3500年前の紅山文化では、初歩的な国家の形態も存在した」、「遼河文明と
黄河文明は明らかに異なる。遼河文明の出土品には、韓国で発掘されたものとそっくりの耳飾りなどがある」と主張した。


9月5日に放送された同番組第2部では、「金太祖の完顔阿骨打(ワンヤン・アクダ)の祖先は韓国人」、「阿骨打は
新羅人の子孫で、本来の姓は『金』」、「金王朝を樹立したのは女真族。女真族はその後、愛新覚羅氏のもとに、中国最後の
王朝である清を樹立した。『愛新』は『金』、『覚羅』は『族』で、愛新覚羅は『金一族』の意」、「満州の歴史は中国の歴史ではない。
古朝鲜、扶余、高句麗、渤海、金王朝、清朝などと連綿と続く、韓民族と関係が深い地域だ」などと主張した。

同番組について、遼寧社会科学院辺境研究所の呂超所長は「韓国の一部の人間が、勝手に歴史をでっちあげている。
現在までの考古学の結果にもとづけば遼河は長江文明と黄河文明を継承した、中国文明の重要な源のひとつ」と主張。
民族の問題では、「過去には民族の融合が発生した。朝鮮半島南部にもともと住んでいた人々と、朝鮮半島北部の人々、中国の
北方少数民族が溶け合った」と述べ、KBSの「祖先は全部韓国人説」を否定した。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0908&f=national_0908_012.shtml


389 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 00:03:36
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。

このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。
強いて関連付けるならば、 一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。

高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

390 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 00:04:48
[続き]

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。

ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。
この2つの民族は最初から別種なのだ。


391 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 02:48:59

このスレでの質問します。↓の書き込みがあったけど、
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間、朝鮮人男性は結婚を禁じられていて、
朝鮮人の「祖先」は蒙古軍兵士の強姦魔って本当?


196 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/08/28(金) 15:40:05 ID:Oote8rzq
1、何故、しきりに現代韓国人は日本人に向かって「日本軍は強姦魔」とかっていいがかりするか?
2、何故、現代の韓国でも強姦犯罪が多く、又、半島生まれキリスト教団が性犯罪問題を頻繁に起こすか?

それは、元寇で朝鮮半島の婦女子を性奴隷化した蒙古軍兵士たち(現在の朝鮮半島人の「祖先」) が「景教」(キリスト教の亜流)だったから。
つまり、強姦魔の景教信徒だった自分たちの祖先を、韓国社会は現在の祖先崇拝文化で批判できないから。
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間近く、朝鮮人男性は結婚を禁じられていた。

朝鮮半島人は、李王朝初期での自分たちの「祖先」(蒙古軍兵士)が強姦魔集団だったから、
その「祖先の悪行」の歴史上での相対的な希釈効果を狙って、日本軍を必死に貶めたがってるだけ。
そのへん、台湾人とはまったく異なる歴史観をつくりたがってる。

つまり、「現代南北朝鮮人の祖先(蒙古軍)」の超大規模な軍関与による組織的強姦、
性奴隷化を隠蔽するために、現代朝鮮半島人は、日本軍にこじつけ、アテコスリしてるのだ。






392 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 02:52:02
希望、願望、仮定。
ファンタジーを史実と思い込む、それが韓国人の″史学″ですから。

393 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 09:23:35
【韓国】中国は反省せよ・・・我々の祖先の国は「韓国古代国家」と明らかになったではないか
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=2035

【韓国】漢字は東夷族が作った文字。我が国は漢字教育を堂々と推進すべきだ … 朝鮮日報コラム ★3 [09/22]
http://jsmind.blog18.fc2.com/blog-entry-1388.html

【韓国歴史】 私たちの先祖が作った漢字には韓民族の哲学思想が込められている〜韓民族史観定立意識改革会講義[11/05]
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=5462

【韓国】 殷は東夷族の国だった〜漢族はその事実を信じたくなくて意図的に無視した[03/18]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1206025708/

【サーチナ/中韓歴史論争】韓国KBS「満州はわが領土だった」、中国紙応戦「でっちあげ」[9/8]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1252385147/

【韓国】教育現場に日本植民地時代の痕跡多数、清算めぐり見解差も 中学校校長「満州と朝鮮半島は単一圏とみなすのが正しい」[08/13]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1250143141/

394 :九州王朝大好き:2009/09/09(水) 11:10:54
ちょっと違うので修正します。

>>389
>韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
>いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。
>このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。

韓国人=朝鮮人の先祖は、中国領満州東部内陸部に住んでいた挹婁(ユウロウ)族です。
この挹婁族は半島東北部日本海沿岸に進出し、
その強力な武力を背景に日本海西部沿岸で海賊を営んでいました。
その後海賊団挹婁族は半島東海岸を南下し、シラギ(新羅)に進出したのです。

395 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 02:08:07
どっちにせよ、
現代コリア人とは関係ないですね。

396 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 09:09:03
日本人と百済人は切り離されてた記録が残ってるけど

397 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 12:01:05
これが韓国人の祖先

魏志東夷伝 邑婁(ユウロウ)

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)
には反乱を起こした。
掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
晋書  『粛慎、邑婁伝』
坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる
風俗は皆、髪を編み(女官の髪型)、布で丈の短い上着(チョゴリ)を作る。

398 :九州王朝大好き:2009/09/10(木) 20:31:51
>>395
>どっちにせよ、現代コリア人とは関係ないですね。

挹婁族=現代朝鮮族だ。

挹婁族の故地中国領満州東部には、現代においても同じ風習を持った朝鮮族が住んでいる。
穴居は無くなったが、養豚、不潔、誉糞、射撃が巧み、法俗綱紀無し。

399 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 00:23:39
>>398
■朝鮮日報に書かれてる百済および韓民族の韓国側日本観 (まとめ)

・「現存する世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿は、8世紀中盤に百済からの移住民が建てた寺です。」

・高松塚古墳、法隆寺、東大寺、広隆寺、大宰府、船山古墳、石舞台古墳…。日本が誇るこれらの遺跡の共通点は何か。
 それは韓民族、すなわち大韓民国の祖先の霊と魂、汗が染み込んだ代表的な場所だということだ。」

・「檀国大の鄭永鎬教授は「大宰府の建造と水城の築城には、百済の先進技術が活用されたことが立証されている」

・「日本が誇る遺跡が韓国の先祖の魂と汗で作られていることをこの目で確認でき、民族的自負心を持つようになった」と語った。

・「石舞台古墳は7世紀ごろ百済系の蘇我氏が作った大規模な墓として推定されている」

・江原大の孫承赴ウ授は「わが韓民族が古代日本の領土に文明と文化をもたらしたという
 華麗な過去の歴史を振り返り、自己陶酔に陥ってはならない。」

・釜山中央女子中のキム・ウンスン教諭(45)は「これまでは、われわれが文化を伝えたという自負心を
 抱くだけだったが、文化が一方からもう一方へ伝わった上で、それが受け入れた側によって発展していったという
 事実についても知ることができた」と語った。

・飛鳥地方の百済遺跡である石舞台古墳を訪問したときは、「飛鳥の漢字表示は“飛鳥”だったのではなく、
 元は百済人が渡来して心安らかに定着したという意味の“安宿”(発音はアンスク)だったが、後に変わった」と説明した。

・韓国が日本よりも進んでいる」という内向的な自負心ではなく、「隣国・日本の歴史をもっと知ることができた」
 という未来志向的な関心に基づくものだといえる。

・旅行会社のガイドは「韓国を訪れる日本人たちが、円高の恩恵にあずかり、ただソウルで金を使うだけ使い、大衆文化に関心を寄せているわけではない。
 日本文化の源流を学ぶため、扶余や公州を訪れるケースも多い」と話した。


400 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 01:27:20
>>398
挹婁族が住んでた故地こそ

今韓国人が祖先の地、間島を返せと叫んでる場所だよ。!

401 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 01:41:21
■渡来人

●移住氏族について(上)    朴春日

古代朝鮮と日本列島との関わりは、いまから約5000年前にさかのぼると考えられている
わが民族の始祖王・檀君王倹が樹立した古朝鮮を初め、扶餘・句麗・辰国などの古代国家は、青銅器・鉄器文化と
農耕文化を発展させ、領土の拡大をめざした。

そして紀元前3世紀頃から高句麗・百済・新羅・伽耶などの封建国家が成立し、高度な金属・稲作文化を擁して海外へも積極的に進出した。
とくに、わが国の移住者集団は日本列島へ積極的に進出し、未開地を開拓してマウル(村)、コウル(郡)、ナラ(小国)を
築き、弥生時代の到来をもたらした。

彼らの渡海のピークは、@弥生時代前期A4世紀後半〜5世紀前半B5世紀後半〜6世紀初期C7世紀中葉――と見られるが、
その数「百万人規模説」(埴原和郎氏)は注目に価しよう。

神話の世界はさておき、それを伝承や説話から見ると、わが国では「三国遺事」所収の「延烏郎(ヨン・オラン)と細烏女(セ・オニョ)」が挙げられる。
すなわち、新羅の阿達羅王4(157)年、東海岸(迎日湾)に住む延烏郎が出雲へ渡って王に推され、後を追った妻の細烏女も王妃になったという話である。

この説話は、出雲地方で王権を握った新羅人集団の存在を物語るが、延氏については、高句麗の始祖王・高朱蒙の義父が延陀勃(ヨン・タバル)であったことを想起されたい。
一方、「古事記」や「日本書紀」など、日本の古文献には古代朝鮮からの移住者関連の記事が頻出する。
まず新羅の王子・天日槍(あめのひぼこ)は垂仁3(紀元前27)年に渡来し、但馬に定住して豪族・出石一族の始祖になったという。
天(あめ)が朝鮮を意味したことは周知のとおりだ。


402 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 01:48:59
また集団的な進出・移住の代表例は、応神14(283)年、「百済から夕月君(ゆつきのきみ)が百二十県の民を率いて渡来した」という記事である。
夕月君は豪族・秦(はた)氏の祖とされるが、共和国の学者はこれを6世紀頃、北九州の百済人勢力が畿内大和へ進出したもの、とみなしている。

その6年後、同じく東漢(やまとのあや)氏の祖・阿知使主(あちのおみ)が「十七県のともがらを率いて渡来した」が、これも西から東への進出であったろう。
また、日本で「文学の始祖」と讃えられた王仁(わに)の渡来も、ちょうどこの頃である。

こうして倭国王権の2大門閥−秦氏と漢氏が登場したわけだが、その数は「各々数万名を数えた」(「古語拾遺」)という。

(パク・チュンイル 歴史評論家)
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2002/7/0701/62.htm

403 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:15:32

【韓国】中国は反省せよ・・・我々の祖先の国は「韓国古代国家」と明らかになったではないか
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=2035

【韓国】漢字は東夷族が作った文字。我が国は漢字教育を堂々と推進すべきだ … 朝鮮日報コラム ★3 [09/22]
http://jsmind.blog18.fc2.com/blog-entry-1388.html

【韓国歴史】 私たちの先祖が作った漢字には韓民族の哲学思想が込められている〜韓民族史観定立意識改革会講義[11/05]
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=5462

【韓国】 殷は東夷族の国だった〜漢族はその事実を信じたくなくて意図的に無視した[03/18]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1206025708/

韓国KBS「満州はわが領土だった」、中国紙応戦「でっちあげ」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0908&f=national_0908_012.shtml

404 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:26:17
>>398
その不潔民族とやらを、
モンゴルがレイプして、シナがレイプして、
まっとうな男は殺され、
見目がいい女はキーセンとして交易品、もしくは朝貢品として出荷。
出る才能は嫉妬で潰され、有能な奴は評価されず。
数度の戦争で壊滅しつつ、事大と服従できる奴だけが選別されて生き残り。
そうやって、
数百年かけて交配されてできた新品種、
それが、
「現代コリア人」です。


405 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:21:11
■渡来人 2

4世紀頃、来日した渡来人を調べてみました。『記紀』(『古事記』・『日本書紀』)に記録があることから渡来伝説と言います。
彼らは伴造の下の品部に編入され、活躍しました。

(1)王仁が百済より渡来しました。漢の高祖の末裔で、百済に移住した子孫の王仁は、『論語』10巻・『千字文』1巻を招来しました。
   履中天皇の出納係となり、その子孫が西文氏です。日本の文筆に貢献しました。

(2)阿知使主が帯方郡17県の民を率いて渡来しました。後漢の霊帝の曾孫の阿知使主は、文筆を業とする史部を管理し、その子孫が東文氏です。
   日本の文筆に貢献しました。

(3)弓月君が渡来しました。秦の始皇帝の子孫である弓月君は、養蚕・機織を伝えました。その子孫が秦氏です。

6世紀頃、来日した渡来人を調べてみました。彼らは大王家や蘇我氏に仕え、活躍しました。

(1)513年、段楊爾ら五経博士が百済から渡来しました。『易経』・『詩経』・『春秋』・『礼記』の五経を講じ儒教を伝えました。

(2)522年、司馬達等が渡来しました。司馬達等は飛鳥の坂田原の私宅で仏像を礼拝しました(『扶桑略記』)。
   司馬達等の孫が鞍作鳥(止利仏師)で、その子孫が鞍作氏です。

(3)554年、医博士・易博士・暦博士が渡来しました。

(4)602年、百済僧の勧勒が渡来しまし、暦法・天文地理の書を伝えました。

(5)604年、初めて暦を使用しました。

(6)610年、高句麗僧の曇徴が渡来し、紙・墨・絵の具を伝えました。

(7)612年、百済人の味摩之が渡来し、伎楽舞を伝えました。


406 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:22:18
[続き]

1 国宝第一号をご存知でしょうか。京都太秦の広隆寺にある弥勒菩薩(正式には半跏思惟像)です。
  この寺を建立したのは、朝鮮から渡来した秦氏の子孫である秦河勝です。

2 世阿弥の『花伝書』には秦河勝が蘇我氏のいじめにあい、私の住んでいる相生市の隣の坂越に着いたとあります。
 坂越の神社では秦氏を祭神としています。毎年9月の行われる神事は国の重要無形文化財になっています。
 千種川水系には秦氏を祭神としている神社がたくさんあります。

3 以上から分かるように、古代では朝鮮人(中国人も含め)は日本人の精神的・文化的な方面での先生でした。

http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/001_050/epi012_01.htm



407 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:39:04
その「朝鮮人」は正確には、ね、簡単に言うと、ね、
「百済人」
「新羅人」
「朝鮮半年方面(つまり大陸)から来た人」
のどれか、ってことなんだよ。
つまり、現在の韓国人や北朝鮮人とは関係ないの。
安易に「朝鮮」「朝鮮人」とか言うと、混同しちゃうおバカさんが出てくるから、
正確に書かないといけないの。
わかるかなぁ?

408 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:45:47
>以上から分かるように、古代では朝鮮人(中国人も含め)は日本人の精神的・文化的な方面での先生でした。

中国系の人はともかく、朝鮮系の人はいないんですけど?

409 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 04:25:14
朝鮮人の名前がないねえ

410 :九州王朝大好き:2009/09/12(土) 14:18:51
そうだね。
シナ系の名前だね。
現代朝鮮系の名前がないね。
古代朝鮮はシナ系だよ。
現代朝鮮現代韓は挹婁系。
挹婁系は、「新羅」、「高麗」、「朝鮮」、「韓」の名称を次々と略奪してきた。
「百濟」、「任那」の名称の略奪はさすが出来なかった。
日本に渡った難民の子孫として居るから。

百濟任那難民救出は、660年百濟滅亡後の661年から663年にかけての大作戦。
663年の最後の救出作戦は、白村江で400艘の船団を囮にする、
残り400艘で救出する悲惨なものだった。

411 :九州王朝大好き:2009/09/12(土) 16:44:27
百濟が何処にあったか間違えてはだめだよ。
7世紀の百濟の領域は小さなものであった。
東西60km南北30kmの範囲で錦江下流域にあった。

隋書を詳細に読めば上記であることがわかるよ。

412 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 18:02:29
【梁書 新羅伝】
>新羅者、其先本辰韓種也。辰韓亦曰秦韓、相去萬里、傳言秦世亡人避役來適馬韓、馬韓亦割其東界居之、以秦人、
>故名之曰秦韓。其言語名物有似中國人、名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴。相呼皆為徒、不與馬韓同。

新羅、その先祖は元の辰韓の苗裔である。辰韓は秦韓ともいう、双方の隔たりは大きい。
伝承では、秦代に苦役を避けた逃亡民が馬韓にやって来たので馬韓は東界を分割し、
ここに彼らを居住させたゆえに、この名を秦韓という。その言語、名称には中国人と相似があり、
国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴と言う。皆を徒と呼び合い、馬韓とは同じではない。


413 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 19:22:34
【隋書 百済伝】
>其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。

そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる

414 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 19:46:43
【衛氏朝鮮 紀元前195年? - 紀元前108年)】
燕の亡命者、衛満が今の朝鮮半島北部に立てた国である。
前漢の高祖の時代、燕王廬綰が漢に背き、匈奴に亡命すると衛満も燕から亡命し、
千人余りの徒党と共に朝鮮に入った。そこで、朝鮮の集落や戦国時代の燕や斉の亡命者などを取り込み、
王険(平壌)を首都として王位についた。


【楽浪郡】
前漢の武帝が紀元前108年に衛氏朝鮮を滅ぼしたときに、朝鮮半島に置いた四郡の一つ。
今の鴨緑江から平壌付近を中心とした一帯の地域であり、中国の朝鮮半島支配の拠点になっていた。

415 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:54:48
>>412
辰韓に秦からの逃亡民がやってきて、後に新羅という国になったんだったら
何で統一新羅時代になる以前の新羅には中華文化が希薄なのか疑問だな

名前も長ったらしい名前だし文化も高句麗や百済ほど中国文化を
取り入れてなかった、事実ローマングラスなんかも出土してる
日本にやって来た秦の皇帝の子孫である秦氏が新羅に移住してたなら
中国文化を伝えたはずだと思うが・・

416 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 23:14:17
>>415
秦王朝の人物が逃げてきたのではなく、秦末の混乱が東にまで波及した結果、
燕人の衛満が到来して楽浪の地を奪ったため、そこに箕子の王統を継いでいた箕氏・準が馬韓に逃れ、
東界の地を割譲してもらったことを指している。


417 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 23:21:59
>中国文化を伝えたはずだと思うが・・

高句麗や百済みたいにすぐ中国化できると思うのが間違い。
この二国は楽浪郡に何度も侵攻して中国文化の取り入れに何百年もかかっている。
逃亡民の影響を過大評価しすぎ。

418 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 23:52:27
準王(箕準、??)の代になると、秦の動乱により
燕・斉・趙から朝鮮へ逃亡する民が増加したため、王は彼らを西方に居住させたという。
ところが紀元前195年、燕王盧綰の部将であった衛満が朝鮮に亡命して来た。
衛満は準王の信任を得て辺境の守備を担当するも、
翌年に逃亡民勢力を率いて王倹城を攻落し、王権を簒奪して衛氏朝鮮を興した。
ここに40余世続く箕子朝鮮は滅びたとされる。

追放された準王は南方の辰国に拠って韓王を称したというが、
これは3世紀頃、楽浪郡の韓氏による系譜の装飾と考えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E5%AD%90%E6%9C%9D%E9%AE%AE

419 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 02:14:24
【隋書 百済伝】
>其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。

そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。

そう百済人は雑多な人種だった
「百済は支配層と民衆の言語が違う」「百済の住民の多くが漢人や倭人」「倭人が頗る多い」と記されていますし
だから百済人が朝鮮人の祖というなら倭人を祖としているわけだ


420 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 02:51:02
↓のカキコミがあったけど、マジ?

625 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/09/13(日) 01:57:33 ID:0PByxvHU
韓国南部で前方後円墳が発見されたけど、
日本より全然新しかったから埋めちゃったしねw


421 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 03:15:11
埋まってたのを埋め戻したわけじゃなく、
元々あるのはわかってたんだけど、
「韓国が起源で日本に伝えてやった!に決まっているニダ」
「日本関連の遺跡なんて放置するニダ(類例″倭城″)」
「日本軍部の捏造ニダ」
という感じで長年放置。
任那のことを認めたくない、詳しく調べられくない、
明らかにされては困る、という理由もある。
あと、韓国考古学に発掘や研究の能力がない、
ということもある。
そして近年、どうやら日本のほうが古いことが判明してきたため、
「遺跡破壊」が進んでいる。
積極的保護しないでおいて、開発で失われたニダ!と言いたいらしい。
「日本より古いのもあったが、開発で失ってしまったニダ!」
「古いのは全て、秀吉が!日帝が全て壊したニダ!」
とも言っている。


422 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 17:18:02
新羅の前身だった辰韓は中国語しゃべってたんだよね

辰韓
>その言語、名称には中国人と相似があり、

後漢書 辰韓伝

>辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、
>行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。有城柵屋室。諸小別邑、各有渠帥、大者名臣智、
>次有儉側、次有樊?、次有殺奚、次有邑借。土地肥美、宜五穀。知蠶桑、作?布。乘駕牛馬。嫁娶以禮。
>行者讓路。國出鐵、?、倭、馬韓並從?之。凡諸(貨)〔貿〕易、皆以鐵為貨。俗喜歌舞飲酒鼓瑟。兒生欲令其頭扁、皆押之以石。

辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲したのだと自称する。
そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。


423 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 17:19:34
高麗の言語すら不明だしな。
高麗の次の李朝の四代目が諺文を作ったけれど、明らかに今の朝鮮語にはないような
音の組み合わせを示す切次があった。
高麗時代の事物についての記憶がまだ残っていたから高麗の言語の恩を書き写す必要性が
あったからだろう。
そのうち諺文も忘れ去れたに等しい状態で、高麗の言語は全く失われた。

424 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 17:33:50
歴史的に見ても朝鮮半島は古代は中国の領土であったし、統一新羅成立以後は中国の柵封体制に組み込まれた。
しかし韓国では歴史をこのようには教えてはいない。
唐と新羅の連合軍で高句麗を滅ぼし始めて朝鮮半島の統一がなったが、中国のおかげで朝鮮半島が統一できたと言うことになる。
統一国家の成立そのものが中国抜きには出来なかった。



425 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 17:50:01
>>418
「韓」という由来も韓氏から来てるんですよね

まぁ何にせよこれらの韓氏は、半島に住んでいるとは言え、あくまでも楽浪郡等
シナの支配下乃至影響下にある地域に住む漢人の移民であって、
彼らがニダ人 の先祖の一部をなしている可能性は高いにしても、決してメインではないはずです。

しかし古代のシナから見れば、
当時の朝鮮半島なんて同じシナ人の韓氏が多数移住している蛮地程度の認識しかなかったでしょうから、
殊更に同国人の韓氏に注目してその地を「韓」と呼んだのは自然な成り行きではなかったかと。

426 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 23:39:56
>>424
これが韓国の教育
■孔子韓国起源説で波紋

韓国梨花大学の?在?教授の主張であると書いたので韓国サイトで調べたが
?在?教授は実在する人物であり、孔子起源説、漢字起源説は探しようがないが彼のインタビュー内容を読むと
確かに韓国起源説を主張出来そうな内容である。

彼は韓国は東夷族の後代であり、中国の始祖である炎帝を東夷族の始祖であると主張している。
更に軒轅皇帝に敗れた炎帝の仇討ちの為に九黎族の蚩尤が皇帝と戦争を起こしたと主張し、蚩尤は韓国の
歴史書である(桓檀古記)と(揆園史話)に出る(倍達國, 檀國)の14代皇帝であると主張している。

問題は(桓檀古記)と(揆園史話)は1979年に出版された歴史書たが既に偽書と判断された物にも関わらずその
本の内容を引用して東夷族と韓国を関連付けるのである。 

中国の山海経の部分内容を引用して現在の山東半島が旧東夷族が暮らした地域ですから山東省生まれの孔子も
東夷族であり、東夷族=韓国の論拠である。

歴史は真実を追究すべきですが、憶測のみで孔子起源説、漢字起源説などを発表するのは望ましくないですね。 

http://www.china7.jp/blog/piao/258



427 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 00:37:01
箕氏朝鮮と衛氏朝鮮は中国人国家だったけど、辰韓も中国人国家なんでしょ?
あと辰国もそうなの?その他にも朝鮮史で中国人国家はありますか?

428 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 02:40:19
中国人国家はともかく、
「韓国人国家」は60年ほどしかありません。

429 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 04:51:59
>>428
しかし韓民族の歴史は6000年とか言ってるよねw


430 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 12:31:32
↓の書き込みがあったけど、 これって本当?
本当なら韓国は有史以来、中国人国家か中国の植民地か中国の属国だよね?

330 :出土地不明:2009/09/12(土) 12:27:25 ID:uDqh9Zzh
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。

431 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/14(月) 13:29:04
>>430
>これって本当?

大筋においては本当。

コリョ族(挹婁族)が新羅を乗っ取ったのは6世紀。
コリョ族(挹婁族)は、倭の内乱(磐井の乱)よる隙をついて、
半島南部の倭人を倒してシラギ(新羅)を乗っ取り新羅(シルラ)にした。
又、6世紀後半には、半島南部地域(倭人地域・任那・百濟南部地域)を併合した。


432 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 13:40:29
墓を掘ったら、東洋人にしては女性までも背が高かった。
エキゾチックな顔立ちだったそうだ。
ペルシャ系の人ではないかと、最近の研究では。

433 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/14(月) 14:01:14
>>431の追加説明

>>430
>朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族

中国東北部起源の北の蛮族=挹婁族・・・・戦闘侵略集団(挹婁寇)

434 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 15:44:03

朝鮮マンセーじゃ!これでもくらえー!!!!!!

435 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 22:37:11
>>432
どこの墓?

っうかに箸墓古墳とかもそうだけど日本に現存する前方後円墳を調べれば
かなりの古代日本の事が分かると思うがな
大和王権のことや卑弥呼と天皇の血筋とか、後円墳を作った人々のこととか

宮内庁の管轄で国が許可を出さないから中に入れないらしい
誰の墓だかわからんのに国宝扱いされてもな・・・
調べて不都合な事実が出てきたらヤバイので許可出さないんだろうか?
(例えば天皇家は百済王家の分家だったとかw)

エジプトのピラミッドなんてフランスの考古学者が勝手に
ダイナマイトで爆破したり墓あばいてるのに日本の後円墳は謎に包まれたままだ

箸墓古墳が卑弥呼の墓だと言うなら中に入ってちゃんと調査してほしいね






436 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:09:25
>確かに4世紀頃には日本に騎馬民族が入ってきて、日本の急速な発展があったとの記録があるな。

無いよそんなもの。
有ると言うなら、何民族?騎馬民族なんて民族は居ないよ。

扶余族?百済の支配層は扶余を名乗ってるが、
日本では神代からは名乗っているが扶余なんて記載一切ない。
天孫神話などもあるが、んなの東南アジアからギリシャの神話も入ってるし
イザナミを生き返らせに黄泉に行く神話がギリシャ神話の
ハーデスにオルフェウスが妻を生き返らせに行くのと同じなのは、
偶然ではなく単に文化が電波しているんだ。
(※発祥はギリシャではない…日本神話とギリシャ神話に残っていると言うだけ)

五胡十六国の時代に、中央アジアから始まった玉突き現象で、東は中国
西はローマが玉突きで押し出されたゲルマン人に滅ぼされた。
それが日本でもあったに違いないと言う仮説にすぎない。

中国が滅んで史書がないので空想劇場になってるが、朝鮮の方では断続的に
倭が攻めてきたと記しているし、大陸から馬文化は入ってきたでしょうが、
当時、人でもやっとなのに大量に馬で海を渡る船は無いでしょ。

また扶余の高句麗に比べたら新羅の方が日本の影響も大きく日本に近い。
むしろ当時に秦氏が日本に来てるが彼等が押し出されたもと辰(秦)韓でしょ。
記録的にも大陸から来たのは奴ら程度でしょ


437 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:16:37
朝鮮人に対する愛は無いのかー!!

438 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:17:18
↓の書き込みがあったけど、 これも本当?


323 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/08/28(金) 09:16:03 ID:CYJkm5K+
百済・任那は日本固有の領土

★百済は日本人が建国した

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦475年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の文周王が
大和朝廷の支援の下で、西暦475年に熊津(クマナリ)で建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。

第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。

百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。

百済人のしゃべる言葉は日本語だった。

439 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:42:34
史実には半島の住人を、「倭に近いため倭人に似て」と書かれているから列島の倭人の方が先人なんだろうな
韓伝や倭人伝の倭人は列島出目だというのがはっきりしているし

440 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 01:52:51
↓の書き込みがあったけど、 これも本当?


145 :出土地不明:2008/08/16(土) 20:46:54 ID:tp4KvCts
 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はワイ族の子孫である。この2つの民族は最初から別種なのだ。
戦前に唱えられ、現在も一部の無知な日本人や朝鮮人が唱えている『日韓同祖説(日鮮同祖説)』は学問的な
根拠がまったく無い、妄説である。


■倭人とは何か

 シナ揚子江下流地域、浙江、福建、広東、広西、海南、ベトナム、ラオス、台湾、フィリピン、
沖縄諸島、九州、四国、本州、カラ半島南部などに住んでいた、南方アジア系=海洋民族の総称である。
漁業を生業とし、また内陸部の倭人は稲作を中心に農業も行っていた。


■ワイ族とは何か

 古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族。もともとはシベリアの山岳部や森林地帯に
住んでいたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の直系の先祖。
 ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人、ミマナ人、クタラ人などと敵対関係にあり、
倭人系民族と領土紛争を繰り返していた。
 ワイ族は3世紀初頭から、まずシラキを侵略し、シラキ領北部にケリン(鶏林)を建てた。
3世紀後半にはシラキ南部にまで軍事侵攻し、4世紀前半にはカラ半島東南部を完全に乗っ取った。
 ケリンの軍事的圧迫を受けたシラキは、3世紀後半には領土が西方に移動し、国号をミマナに改めた。
その後、ケリンは、国号を『新羅(シンラ)』に変えた。
 新羅(ケリン)は、半島東南部を拠点にして、西側に隣接する日本領=ミマナ(馬韓)に対して
侵略を何度も仕掛け、6世紀前半に、ついにミマナを滅ぼし、新羅に併合した。
 7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を
支配下においた。

441 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 02:06:39
どっちにせよ、
「現代コリア人とは、なんの関係もない」
という史実を確認してからにしような。

442 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 02:15:58
↓の書き込みがあったけど、 これも本当?

■市辺押磐皇子と武寧王の関係とは◆百済武寧王は日本皇族だったのか。                 
『百済武寧王は、市辺押磐皇子の息子か』
『武寧王誕生伝説』では、百済王が「妊娠している側室」を軍君に「与えた」という。
ところが、与えたはずなのに、「女が子を産んだら、女と子を百済に戻せ」と命じたのだという。
百済に戻すのなら、その女を「与えていなかった」ということであろう。
また、百済に戻すくらいなら、なぜ、女をわざわざ軍君と共に日本へ行かせたのか?
日本へ行かせる前から、女が身ごもっていることをカイル王も軍君も知っていたのだ。
なぜ、その女を日本へ送ったのか。
このエピソードには、古代史の重要な真実が隠されている。
ようするに、この女は日本で子供(武寧王)を産む必要があったのである。
カイル王と軍君は、日本にいる反雄略天皇派の皇族や豪族に、その女が武寧王を産むところを
見せる必要があったのだ。
それは、武寧王が日本天皇家の血を受け継ぐ者であることを、日本の皇族や豪族たちに
確認させるためだ。武寧王が生まれた島には、市辺押磐皇子を支持する皇族や有力豪族が集まって、
軍君と女(武寧王の母)を迎えたであろう。
つまり、その女が島で子を産むことは、予め計画されていたことなのである。
武寧王は後に百済王となったが、彼が生まれた時、武寧王の誕生を見守った市辺押磐皇子派の皇族、
豪族たちは、武寧王を将来の天皇候補者の一人として見ていたのかもしれない。
だからこそ、武寧王は日本で生まれる必要があったのだ。武寧王はヒムカ(九州)の各羅嶋(加唐島)で
生まれたが、ヒムカは応神天皇とも縁のある土地である。

443 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 02:17:18
>>442


>つまり、その女が島で子を産むことは、予め計画されていたことなのである。
>武寧王は後に百済王となったが、彼が生まれた時、武寧王の誕生を見守った市辺押磐皇子派の皇族、
>豪族たちは、武寧王を将来の天皇候補の一人として見ていたのかもしれない。
>だからこそ、武寧王は日本で生まれる必要があったのだ。
                               
神功皇后と誉田別皇子(応神天皇)を支えた豪族の子孫が、ヒムカにいたのではないか。
これらの豪族が、軍君と女を島で迎えたのだろう。
ということは、桓武天皇の母、高野新笠は、市辺押磐皇子の子孫ということか・・・。

444 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 02:18:29
ごめん。>>443>>442の続き

445 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 04:52:57
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/soga01.html
●蘇我氏は高句麗からやってきた

[概要]

満智(まち)とは、百済人によく見られる名前です。
韓子は原日本人と韓人の混血のことを指して言う場合が多いようです。
蘇我氏は、渡来系の集団のリーダーとして力を持ってきたということを思えば、当然、蘇我満智や
蘇我韓子といわれた人たちとも、無関係であるはずがありません。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou6.html
●なぜ、蝦夷という名前なの?

[概要]

蝦夷とは、馬子が名付けたのではなく、藤原氏が、蘇我氏を貶めるために、死後与えたものだと。
前例が中国にあります。蘇我氏が絶頂期にあった頃の中国、「隋」の皇帝は「煬帝(ようだい)」という名前で歴史に
残っていますが、これは本名ではありません。後世の歴史家がつけた名前で「天に逆らい人民を苦しめる暴君」という意味です。
日本書紀の、いわば編集長であった、藤原不比等も、この程度のことは知っていたでしょう。
何しろ、藤原氏のバイブルは六韜ですから。



446 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 04:58:49
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou2.html
●藤原鎌足が百済からやってきた

[概要]
藤原不比等の以前の名前は、史(ふひと)なのです。不比等は、これ以外にも百済流の名前を持っていたはずです。
いずれにしても、この史(ふひと)という名前は、普通の名ではなく、むしろ彼の若い頃の役職名を表すものだったでしょう。
つまり歴史編纂に携わっている者という意味です。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou4.html
●藤原鎌足と六韜

[概要]
藤原鎌足が、日本的な考え方よりも、大陸的な考え方に、どっぷりと、つかって生きてきたような印象を与えます。
要するに、日本で生まれた人物と考えるよりは、百済で生まれ、大陸の影響を強く受けて育ち、百済から渡来した人物ではなかったのか?
そういう疑問が、頭をもたげてきたわけです。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/nakatomi.html
●藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた

[概要]
朝鮮半島から渡ってきたと考えられるような場合にも、そうは書かない。あくまでも、日本古来の祖先から連綿と続いているかのような書き方をしている。

「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。
そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」そういう作為が感じ取れます。
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。
その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。
さらりと述べています。


447 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 05:03:48
じゃあ朝鮮人の先祖は倭人ってことだね

【隋書 百済伝】
>其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。

そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。

448 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/15(火) 12:29:34
>>440
>書き込みがあったけど、 これも本当?

残念ながら全くの出鱈目。

■倭人とは何か
残念ながらよくわかりません。
@シナ山東省以南から渡来した古代シナ人の子孫。
  このシナ人は現代漢族とは全く別の人種です。
A日本に渡って来た夫餘系の人種。
@とAの混合したものが倭人。文化的には@、言語的にはAです。
古代シナ人の言語が夫餘系と同系統のものであるならば、Aはありません。

西暦以前には黄海東シナ海を取り囲む沿岸部には同一言語系統の人種が住んでいたと推定します。
勿論、北部・南部・内陸部では全く異なった文化を持つ異民族です。

■ワイ族とは何か
濊族は言語系統では夫餘系の民族です。現代朝鮮族と言語系統が全く異なります。
濊族の居住地は半島中北部の東部です。4〜5世紀頃、南下してきた挹婁族によって消滅しました。
「ワイ族とは何か」の内容は、ほぼ挹婁族についての説明に終始しています。

以上僕の見解でした。

449 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:22:38
>>445>>446

そこに書かれてることが事実なら古代日本は渡来人だらけの王朝であり
倭人はその渡来人に従ってたことになる

蘇我氏も藤原氏も天武天皇の母親も継体天皇も渡来人(百済人)
呉の滅亡後に日本にやって来た人達が優れた技術を教え
出雲や日本海側の国も渡来人(新羅人?古代韓国人)がもたらした
製鉄技術によって発展した

つまり古代日本作り上げた主役はすべて渡来人って結論になるな




450 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 03:44:51
>藤原不比等の以前の名前は、史(ふひと)なのです。
>この史(ふひと)という名前は、普通の名ではなく、むしろ彼の若い頃の役職名を表すものだったでしょう。

■ETV特集 日本と朝鮮半島2千年Bの概要

・当時、文字を使って朝廷の行政を担っていたのは「史於」(フヒト)と呼ばれ、そのほとんどが渡来人だった

●日本古代史が専門で渡来人の歴史に詳しい加藤謙吉さん
「百済、新羅、高句麗、あるいは中国大陸からやって来た人達が「史於」(フヒト)と呼ばれる組織に所属して
 律令制の主要な役所の文書を担当し力を発揮した、彼らは日本における律令国家の基礎を作ったた」

渡来人 = 「史於」(フヒト)= 不比等 = 藤原不比等

やはり・・・w




451 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 04:16:52
朝鮮式ダジャレ史学こじつけ乙wwwww
受信料ゼッタイ払いません。

452 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 04:35:51
じゃあ朝鮮人の先祖は倭人ってことだね

【隋書 百済伝】
>其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。

そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。

453 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 10:39:55
紀元前1000年ごろ水稲が揚子江流域から直接日本へ伝来。
紀元前800〜600年ごろ朝鮮南部へ水稲が伝来。

454 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 14:08:30

アメリカ大使館「朝鮮に歴史無し。昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」
http://s04.megalodon.jp/2008-0104-0331-22/www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=9&nid=3182743
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=8434966&oldid=8280871



455 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:34:14
あのさ、ウチの大学で古代史系の論文集や月刊誌調べてみたんだけどさ、

「日本古代史が専門で渡来人の歴史に詳しい加藤謙吉さん」

1985年から2008年までの間に、この人の論文がまるで見当たらないんだが。

456 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:14:18
磐井      新羅人
出雲      新羅人の王朝
中臣氏     3世紀ごろ渡来人
蘇我氏     高句麗人(百済人)
天智天皇の母  新羅人
継体天皇親子  百済人
藤原氏     百済人

古代日本の主要人物はほとんど渡来人です
飛鳥文化も奈良の天平文化も渡来人が作り上げたもの
残念ですね倭人君w

457 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:58:09
古代日本の主要人物が渡来人?勉強不足ですよ。主要人物の渡来人は藤原氏。現在に至るまでの腐った官僚政治のシステムを作りあげた腐った民。
過去も現在も日本国及び日本民族を食い物にする悪性の癌細胞に他ならない。
蘇我氏が新羅系?土着日本古来の出雲の正当な一族です。百済系渡来人の藤原氏一族によって表の歴史から抹殺されてしまいました。
(日本書紀編纂にあたり、百済出身の藤原氏一族の正統性、正当性を証明するでっちあげのために)

458 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:05:49
中臣(藤原)が来日したのは8世紀ころ

459 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:23:01
あほかw

藤原氏が渡来系なんて言ってる学者は学界には一人もいねーなw

460 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 02:15:00
>>456
妄想キャスティングですか?
ファンタジー創作史学の国ならでは、ですね。
ま、
どっちにせよ、
現代コリア人とは何の関係もありませんけどね。

461 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 05:31:47
■飛鳥寺を造営した人々

日本書紀』や『元興寺縁起』に引く「塔露盤銘」によれば、蘇我氏の要請に応じて、崇峻元年(588)百済の威徳王は
以下の僧侶や技術者を派遣してきた。

・僧:令照(れいしょう)律師、令威(りょうい)、恵衆(えしゅ)、恵宿(えしゅく)、道厳(どうごん)、令開(りょうけ)など
・寺工(寺院建築の技術者):太羅未太(だらみだ)、文賈古子(もんけこし)
・鑪盤博士(仏塔の相輪部分の鋳造技術者):将徳白昧淳(はくまいじゅん)
・瓦博士:麻那文奴(まなもんぬ)、陽貴文(ようきぶん)、布陵貴(ふりょうき)、昔麻帝弥(しゃくまたいみ)
・画工:白加(びゃくか)

造寺

・総括責任者: 麻高垢鬼(まこうくき) 意等加斯(おとかし)

・その部下
 意奴弥首(おぬみのおびと)辰屋
 阿沙都蘇首(あさづまのおびと)
 未沙乃(みしゃの)
 鞍部首(くらつくりのおびと)
 加羅爾(からに)
 山西首(かわちのおびと)
 都鬼(つき)

・手工・金工
 忍海(意奴弥、おしみ)

http://www.bell.jp/pancho/travel/asuka-ji/asuka_tera.htm


462 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 07:54:31
>>461 名前から見て朝鮮人とは関係の無い人種だな。


463 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 08:03:52
>>461 その朝鮮人でない百済人たちが楽浪郡のシナ文化を持ち込んだだけだ。

464 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/17(木) 13:20:25
>>462
同意
これらの名前は百濟人だな。
朝鮮人の名前ではない。

465 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 14:35:59
新羅の名前とかけ離れているな。

466 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:35:42
まあ俺らもみんな渡来人の子孫なんで
お前は違うみたいだけど

467 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 22:33:56
太羅未太(だらみだ)、
文賈古子(もんけこし)
将徳白昧淳(はくまいじゅん)
麻那文奴(まなもんぬ)
陽貴文(ようきぶん)
布陵貴(ふりょうき)
昔麻帝弥(しゃくまたいみ)
白加(びゃくか)

どうやらこれが百済人の名前見たいだな
それ以外は東漢氏とその配下の漢人のようだ

文賈古子(もんけこし) がオレのお気に入りw


468 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:38:04
    
      朝鮮半島    日本

     新羅   百済   倭
      |      |     |
      |      |     |
4世紀  .|      | ̄ ̄ ̄|
      |     ×    大和
      |           |
      | 蒙古       |
13世紀 |  |         |
       ̄|         |
        |         |
        |         |
        |         |
2009年 韓国人    天皇家


469 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 09:23:29
http://www.youtube.com/watch?v=aYDUa764YDY&NR=1
●百済と日本の差異. そして七支刀の秘密

・百済の使臣は靴を履いていたのに対し日本の使臣は汚らしい服装でしかも裸足(笑)

百済の近肖古王が日本に伝えた七支刀、日本の学者達は隠しています
日本の子供たちにこの事実を知らせなければなりません、歴史歪曲はダメです
七支刀に刻まれた文として日本書紀を根拠で日本の大和政権が4世紀から6世紀まで200年間
百済・伽揶の支配にあったという記録があります

>大和政権が4世紀から6世紀まで200年間百済・伽揶の支配にあったという記録があります
>大和政権が4世紀から6世紀まで200年間百済・伽揶の支配にあったという記録があります

http://www.youtube.com/watch?v=gqEplun4YnI&NR=1
●倭王に下賜した百済の刀

「伝示後世」も純然たる命令形。
百済の側から倭王=侯王と見なしていた(百済から見た属国・朝貢国)

>百済の側から倭王=侯王と見なしていた(百済から見た属国・朝貢国)
>百済の側から倭王=侯王と見なしていた(百済から見た属国・朝貢国)

◎倭王に下賜した七支刀
http://jpn.korean.net/wcms/list.jsp?pageID=04025257&bID=22534&byid=2
内容は「泰化4年9月16日丙午正陽日に白蓮鋼鉄で七支刀を作った。この剣は多くの敵兵を退けることができるものなので
諸侯国の王たちに分けてやることのが当然だ。OOOが製作する。」となっている。 七支刀の裏にはその製作動機が記されてある。
百済の王が倭王に七支刀を下賜したことは百済の王が豪族たちを中央権力体系の中に服属させるための一環で、東晉制の青磁と
鐎斗を下賜した事があるがこれと同じ時期だったと考えられる。
歴史的に見て斧鉞や刀剣の下賜は下位者に対する上級者の信頼の表示としての性格が強く、刀物は受け取る人が与える人より身分が低かった。

470 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 09:27:16
■日本は百済の属国だった2

http://www.youtube.com/watch?v=u5OuKiiKJ-w&feature=related
●百済の服を真似った日本

475年たくさんの百済人達が日本へ渡ってきた
当時の日本人はその文化や服装などに衝撃を受けて百済人の真似をした
宮殿に居る貴族達が百済の服装を真似た
それは日本的というのか源流は百済なので百済的だった

>それは日本的というのか源流は百済なので百済的だった
>それは日本的というのか源流は百済なので百済的だった

http://www.youtube.com/watch?v=vmGN76nRgBs&feature=related
●100人日本人皆百済の服を着て行列

593年、蘇我馬子を含めて100人余りの人皆が百済服を着たら見る人々が喜んだ『扶桑略記』
馬子の屋敷から100人の人々が百済の服装をして、百済の髪形にして行列になって仏舎利を運んで来て埋めた

>百済の服装をして、百済の髪形にして行列になって仏舎利を運んで来て埋めた
>百済の服装をして、百済の髪形にして行列になって仏舎利を運んで来て埋めた

http://www.youtube.com/watch?v=6lxF0dVeF1Q&feature=related
●日本書紀 - 百済の大韓記録(百済大寺の建立)

百済という地域に当時の朝廷が天皇の目麗で建てるわけですから百済という国にて対して
大変な憧れと魅力を感じていたと考えられる

>百済という国にて対して大変な憧れと魅力を感じていたと考えられる
>百済という国にて対して大変な憧れと魅力を感じていたと考えられる

471 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 10:19:41
>>469-470
これ何ファンタジー?
韓国ではやってんの?

472 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 11:25:29
百済人=韓国南部の先住民

473 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 13:26:26
>>469
当時の日本人、裸足で使者って酷すぎだろw
百済人と違いすぎる
これが本当に事実なら歴史観変わるわな

474 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:04:54
韓国系の学校では、こんなこと習っているの?

475 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:26:24
高麗の太祖王建って中国人なの?
王って苗字は中国人系だよね?


476 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:46:57
藤原って唐人じゃないの? 百済?

477 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:44:43
●倭と百済の関係

・倭人は裸足だった
・倭人は百済人を見て衝撃を受けた
・倭人は百済人の服装を真似して取り入れた
・倭人の王は宗主国の百済王から七支刀を下賜された(日本刀の起源)
・倭人は百済の服装、髪型を真似して行列して仏舎利を埋めた『扶桑略記』
・倭人は百済大寺を建て百済に対する尊敬と憧れを示した



478 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:10:27
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE

■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が漢族のものであること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること



479 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:27:35

346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 新羅王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城の内に満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】
425〜443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462〜478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】



480 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:28:17
宋書倭国伝・・・・・・・・・・・・朝鮮半島は倭の支配が及んでるとも書いてる

満州にある広開土王碑・・・倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。

三国史記「新羅本記」・・・・慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。
                 新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。

日本書紀・・・・・・・・・・・・・「391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」

宋書・・・・・・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。


随書・・・・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。



特に随書ね。

百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。



481 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:46:41
>>480
日本人がコメントしてるよ
学者やお坊さんまで
http://www.youtube.com/watch?v=aYDUa764YDY&NR=1
●百済と日本の差異. そして七支刀の秘密

・百済の使臣は靴を履いていたのに対し日本の使臣は汚らしい服装でしかも裸足(笑)

>大和政権が4世紀から6世紀まで200年間百済・伽揶の支配にあったという記録があります

http://www.youtube.com/watch?v=gqEplun4YnI&NR=1
●倭王に下賜した百済の刀

>百済の側から倭王=侯王と見なしていた(百済から見た属国・朝貢国)

http://www.youtube.com/watch?v=u5OuKiiKJ-w&feature=related
●百済の服を真似った日本

>それは日本的というのか、源流は百済なので百済的だった

http://www.youtube.com/watch?v=vmGN76nRgBs&feature=related
●100人日本人皆百済の服を着て行列

>百済の服装をして、百済の髪形にして行列になって仏舎利を運んで来て埋めた

http://www.youtube.com/watch?v=6lxF0dVeF1Q&feature=related
●日本書紀 - 百済の大韓記録(百済大寺の建立)

>百済という国にて対して大変な憧れと魅力を感じていたと考えられる


482 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 01:33:35
でも半島が属国だった事実は消えないわけで

483 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 01:36:22
ファンタジーを学ぶなんてwww
国民総愚民、韓国wwwwwバカスwwww

484 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:58:19
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
「新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る 所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」 と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」と書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」


485 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 03:34:11
休みになったのでイギリスの国際英語学校へ行った。
フランス人、ロシア人、ドイツ人、中国人、イタリア人、エジプト人、日本人、多くの外国人々が皆集った。
こんにちは〜お互いにこのようなあいさつをして友達になり誰かが突然自国の自慢を始めたので皆順番に祖国の自慢を始めた。

ドイツ人は私たちは創造力がすぐれて大部分の発明品を作ったし世界の人々が全部ドイツの製品を真似している。
 (中略)
中国人は私たちは世界の3大発明品を全部作った。大部分の間、強大国の時代だったことも多くてアジアの国々に文化を与えて朝貢を受けていた。
 (中略)
イギリスはいつも支配をした。ヒトラーの侵略、ナポレオンの侵略も防御した。
日の光が消えない帝国を建設した!イギリスの金融はアメリカと対等な状態で日本も追い越している。

と、皆あれこれ自慢をするのです。

日本人の誇る順番が来たんですが、日本人は謙遜して日本には誇ることがないです。こう言いました。

そうしたら世界各国の人々は日本は世界 2位の経済大国だ!
任天堂!侍!武士道!忍者!相撲!着物!ゲーム!アニメーション!大好き。
世界中の人々は全部日本のアニメーションとゲームをしながら成長する!
自動車はトヨタが好き、日本の家電製品を使っている。日本文化は神秘でファンタスティック!皆日本の自慢をしていました。

私は学校、メディア、政府で学んだ世界で優秀な人種の韓国人について誇ろうと思ったが、
日本人が謙遜してみんなが日本の自慢をしていることを見て私も日本人の真似をしました。

それで韓国には誇ることはないと言いました。すると各国の人々は悲しい表情を作って言いました。

「哀れですね。誇ることができることが一つもないですか?」
他の人々が小さな声でひそひそ話す声が思わず聞こえてしまいました。
「韓国は誇ることがないのか?」

486 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 03:36:06
OTL...................私は慌てました。

日本人が誇ることがないと言えば多くの人々は日本の物を次々と誇ったが私が誇ることがないと言えば人々は皆悲しい表情をする。

私は直ちに学校とメディアで学んだ内容を言いました。

韓国は世界4大文明と似ている5000年の歴史でもしかしたらその2倍壮大な9000年の歴史かも知れない。
韓国が日本に色々教えた。
韓国がなければ日本は今も土器の国家だ。三星、LGがある。
南北統一すれば世界で最も優秀な人種の朝鮮人が世界を支配する。

そう言うと、世界各国の人はみんな大爆笑しました。
「ハハハッ!!」「本当に韓国はすごい国家ですよね」「世界4大文明より壮大な国家」
「日本に教えたんですか?」「ヨーロッパでもイタリアとギリシアから文明を受けたがそんなことを誇るイタリア・ギリシア人はいないです」
「それならば韓国は中国から文化を受けなかったの?」
「三星LGを誇る理由は何ですか?三星LGは有名ですね。製品も持っています。しかしそれは日本の企業ではないの?」

私は三星LGは韓国の企業だと死に物狂いで説明したが皆日本の企業と間違えていると言います。

横の日本人も大爆笑していました。

皆、日本のせいだ!悪いことは全部日本だ!

私は挫折しました。


487 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 05:16:04
>>473>>477>>481
いくら電波飛ばしたって朝鮮が倭の属国だったことは変わらないから
中国文化の輸入中継地にすぎないのによくまあホルホルできるもんだ

488 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 10:05:12
■好太王碑の謎「百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」

●倭が百済や新羅を支配下においてしまうほどの軍事大国だったのか?

碑文の中でも常に論争の的となってきたのは、第一面の8行目後半から9行目にある。

「百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」の節です。
この文の意味は「百残(百済)と新羅はもともと高句麗の属民であり、高句麗に朝貢していた。
ところが倭が辛卯年(391年)より以来、海を渡って百残を破り、新羅を□□して、臣民にしてしまった」と解釈されてきました。
 
そこからは、百済、新羅を臣民にして、高句麗と対抗するほどの軍事大国だった倭のイメージが思い描かれます。
はたして、倭の実態はそのようなものだったのでしょうか。
戦後、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の研究者から異論がいくつか提出されました。鄭寅普(ちょんいんぽ)さんは
「百残と新羅は(好)太王のともに属民であった。しかるに、倭がかつて高句麗に来り侵し、高句麗もまたかつて海を渡って往きて
(倭を)侵し、相互に攻めあった。そして、百残は倭と通じて新羅に不利をはたらいた。(好)太王は、吾が臣民がなぜこのような
有様なのかと思った」と解釈しました。

朴時亨(ぱくしひよん)さんは「倭が辛卯年に侵入してきたために、高句麗は海をこえて彼らを撃破した。
百済は(倭をひき入れ)新羅を侵略し、それを臣民とした」とし、また、金錫亨(きむそくひょん)さんは
「倭が辛卯年に来たので(高句麗は)海を渡って百済を破った。そして新羅をもあわせて高句麗の臣民とした」とする解釈を下したのです。

また、碑文に記された倭が日本列島のヤマト政権のことを指しているのかということも問題です、西日本各地の豪族が率いた
海賊集団を意味するという説や九州北部におかれた百済の分国だとする説もあります。
少なくとも、4世紀後半の日本では、百済や新羅、はては高句麗まで攻め入るほどの軍事力を持っていたのかは大いに疑問です。
碑文に記された倭の文字は中国の王健群(わんぢぇんちゅん)さんによれば、周辺国中最多の11箇所にのぼります。
好太王の好敵手のように扱われていた倭の実態はいまだ多くの謎に包まれているのです。

489 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 10:53:35
参考までに
http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/h1.htm

490 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:08:03
「百済や帯方郡が遼西にあった」という証拠
http://www.geocities.jp/o1180/more3.html#TG0419

491 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:46:30
朝鮮人以外は倭=大和王権かつ日本の半島進出を認めている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%96%8B%E5%9C%9F%E7%8E%8B%E7%A2%91
碑文改竄説
「破百殘」の主語を高句麗とみなして、倭が朝鮮半島に渡って百済・新羅を平らげた話ではなく、
あくまでも高句麗が百済・新羅を再び支配下に置いた、とするものであった[3]。しかし、百済な
どを破った主体が高句麗であるとすると、かつて朝貢していた百済・新羅が朝貢しなくなった理由
が述べられていないままに再び破ることになるという疑問や、倭寇を破ったとする記述が中国の正
史、『日本書紀』、『三国史記』などの記述(高句麗が日本海を渡ったことはない)とも矛盾が生
じる。これに対して、高句麗が不利となる状況を強調した上で永楽6年以降の広開土王の華々しい
活躍を記す、という碑文の文章全体の構成から、該当の辛卯年条は続く永楽六年条の前置文であっ
て、主語が高句麗になることはありえない、との反論が示された[4]。

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91

朝鲜半岛的一些学者[谁?]认为日本在391年不具备征服百济和新罗的能力。新罗
和百济的历史文献记录也表明没有类似事件的发生。相反,相关典籍记载倭臣服于百
济。许多人[谁?]也认为,在颂扬高句丽国王的石碑上记录倭的功绩是不合常理的。

492 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 17:57:48
倭人だって百済人が中国語をしゃべってないことや自分たちの言葉で書いた書物がないことくらい
知ってたさ。
百済にあるのは中国人が中国語で書いた書物だけだって知ってたさ。
百済にいた中国人は知識人だが百済人自体は自分たち固有の文化も書物も知識もないって
倭人は知っていたさ。百済人は中国人に支配されていただけ。

493 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:21:27
■七支刀(しちしとう)

「泰(和)四年(369)五月十(六)日丙午正陽」で始まるこの銘文には「七支刀」とあり、「百済(くだら)王世子」が
「倭(わ)王」にもたらした呪刀であることが判読される。『日本書紀』の神功(じんぐう)皇后52年9月の条に
「久(くてい)等、千熊長彦(ちくまながひこ)に従ひて詣(いた)り、則(すなわ)ち七枝刀一口、七子鏡(ななつこのかがみ)
一面及び種々の重宝を献る」とある例などに基づいて、百済王が服属の証(あかし)として献上した刀と解釈する説があるけれども、
銘文のどこにも献上を意味する文言はない。

献上説に対して百済王からの下賜説も主張されているが、当時の東アジアの情勢のもとで銘文自体に即して正当に釈文することが必要である。
作刀の主体が「百済王」ではなく、「百済王世子」であったことも見逃せない。369年のころは百済の勢力が高まり、371年には
百済の勢力は平壌に侵入して、高句麗(こうくり)の故国原(ここくげん)王は戦死する。
そうした百済側の状況も考慮しなければならない。

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%B8%83%E6%94%AF%E5%88%80/

この刀が、百済王から倭王に献上されたものなのか、反対に下賜(かし)されたものなのかという点です。
これは、全体の文意を見る必要があります。
表「百錬の鉄で七支刀を造る。これによって世は兵事の不祥を避け、もろもろの侯王に幸いする」。
裏「先世以来、まだこの刀あらず。百済王の世子、奇しくも生まれながらにして聖徳あり。
それ故百済は倭王のために造った。後世まで示し伝えなさい」金錫亨(きむそくひょん)さんや上田正昭さんは、
この銘文を素直に読むと、上位者(百済王)から下位者(倭王)への命令的文書の形式をとっていることを指摘します。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/9,5272,98,220.html

494 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 01:52:29
■日本を作ったのは百済人 これは常識だ

ほとんどの日本人は,日本人あるいは日本国のルーツをキチンと言えない.自分たちのルーツが分からない…,世界でも珍しい現象だ
この原因は,日本には歴史書がないことだ.
『日本書紀』『古事記』.これらは日本に渡来した百済人によって書かれたものだ.両書とも,台本は『百済本紀』等々,百済國の歴史書だ
ではいったい,どうしたら日本のルーツが分かるのか?

中国は文字の国,そして歴史の国で,膨大な量の歴史書が残っている.韓国にも古い歴史書が沢山ある
もちろん『日本書紀』も重要な資料だ.
この日中韓の歴史書を読み抜き,徹底的に読み比べるのだ、すると,ルーツが辿(たど)れ,謎が解け,見えてくるのだ
いったい,我々の先祖はどこから来たのか?
……結論を急ごう.
7世紀,日本国は百済人がつくった.これは常識だ.では,百済のルーツは?
百済のルーツは,いくつもの中国史書に明確に書いてある.たとえば,『旧唐書』百済伝には「百濟國,本亦扶餘之別種」とある
これは,百済のルーツは「扶余」である,という意味だ.そう書いてある
つまり,「扶余」→「百済」→「日本」.日本のルーツ,それは「扶余」である
「扶余」とはツングース語の鹿(ブヨ)の漢字表記.「扶余」は鹿(ブヨ)なのだ

http://www.geocities.jp/o1180/more3.html#TG0417

495 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 01:52:30
朝鮮しあわせフィルター越しに解釈すると、
そんな風になっちゃうのか。
なんという民族レベルの中二病wwwwww

496 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:22:05
2008/08/09(土) 天武天皇から和田アキ子まで,みな同じ…

いま,私は鹿児島県の志布志にいる.豚ふん尿を乳酸菌で発酵させて肥料をつくる仕事をしている
養豚業者と農家が協力しあって,肥料代ゼロの農業! を実現しようという画期的な仕事だ
困ったことは,乳酸菌を培養する特殊ポリエステル・タンクが鹿児島にないのだ
あちこち照会したが,そんなタンクは九州には無い,という返事ばかり
そこで,韓国の友人に相談したら,アッという間に要望のタンクを船便で志布志の港に届けてくれた
こういうことは,今回が初めてではない.昨年は,済州島のヨモギの葉を漬物にして大阪の新阪急ホテルの地下まで,ヒョイと届けてくれた

(このヨモギ漬物の乳酸菌を拡大培養して,私は,新阪急ホテルの汚水処理施設の悪臭を消した.)
こういう経験をとおして私が知ったことは,多くの韓国人にとって,日本は「外国」ではない,ということだ.
ちょっと隣町に行ってきます! という感覚で,韓国人はヒョイと日本にやってくる

「小田原から小田急で新松田駅で降り,バスで延沢まで来てください」とだけ言うと,私の友人,
ソウルの金(キム)氏は,ヒョイとやってくる
現代.たとえば和田アキ子の一族も,ヒョイと大阪にやってきている
そして,その道,その道で,社会の頂点にのぼりつめる
池田大作氏などは,創価学会の頂点どころか,日本の頂上にいて,君臨している
日本という国は,韓国人の存在抜きには語れないのである
http://www.geocities.jp/o1180/html/16kodaisi.html#hismall

497 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:32:00
■日本は,百済の継承国家である!  2009/02/11(水)

世界中,どの国の国民も自国の「建国の歴史」を明確に理解している
ただし,一国だけ例外がある. わが日本国である、日本だけは「建国の歴史」が
曖昧模糊(あいまいもこ)としている
日本という国がどのようにつくられてきたのか? ほとんどの国民が知らない、
日本にも「建国の日」があるが,神話(つくり話)上の日なので 出鱈目である
だから 「建国の日」が,賛成・反対,右派vs左派,「分裂の日」になっている

国民こぞって皆が祝える 「建国の日」 にするには,どうしたらいいのか?
それには,先ず “建国の歴史” をより明確・明瞭にする作業が必要だ
難問は,日本には “歴史のタブー” があることだ

タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
このことを,過去1400年間,日本国の支配者層はタブーにしてきた
日本古代唯一の歴史書 『日本書紀』 も,渡来人が天皇になって日本国をつくった
ことを隠すために書かれている
ところが,ご聡明な平成天皇は…,
「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫である…」
と,先祖に百済人がいることを明確にされた.さらに天皇陛下は…,
「宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります」
と,現在においても “渡来人の子孫” が宮内庁にいることを明らかにしておられる
 平成天皇は,御自ら 「歴史のタブー」 を解き放たれたのである
http://www.geocities.jp/o1180/more7.html#ws0211

>タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
>タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ


498 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 04:53:29
■日本民族の歴史はない

http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/h36.htm
http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/h37.htm
我が国に、とくに我々日本民族の歴史というものは厳密に言って存在いたしません。

一般に言われているように「日本書紀・古事記」をもって日本の史書として いますが、これらの中の
「神代の巻」という伝承神話は、旧満州及び今日の韓 半島方面における史実の断片の神話伝承化であります。

  高天原(こま)= 後の高句麗の蓋馬(こま)大山(大古馬嶺山)

   蒼みが原   = 黄海(古名が蒼海、前漢が滄海郡をおいた所の南海に
           存在する海)

スサノウノミコトの大蛇退治の伝承
          = 鴨緑江流域に於ける檀君王倹の邑樓(おろ・うむる)
八部族の平定が日本に伝えられ、スサノウノミコトの
ヤマタノオロチ退治と寓話化されたもの

数えあげたらきりがない程、満州及び韓半島との係わりあいが多く、書記・古事記を全て今日の日本列島に位置づけて語ることには無理が出てきます。

なお、日本書紀そのものが百済本紀の引き写しとも言われる故、或いは、神武東遷の伝承そのものが
百済の始祖・尉仇台の遼西方面からの東遷の史実が色 濃く投影されている可能性があります。

又、我が天武朝が楽浪朝鮮(馬韓)の後身であったこと、先の天智朝とは何の繋がりもないことなども、日本の歴史家達は口をつぐんでいます。
何とぞ先生におかれましては現地の歴史にお詳しいことと存じますので、これらの史実の実証の程をお願い申し上げます。

かつて、日本がその偏見と独善的な歴史解釈から誤った指導理念を生み出し、近隣アジア諸国なかんずく御国・韓国に対し、いかなる
結果をもたらしたか、小生は、過去の歴史が雄弁に物語っていることを知る一人の日本人であります。

                                      山形 明郷 拝上


499 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 05:11:27
チョンの妄想史観にも辟易するな

>>488
チョン解釈って何でこんなに妄想なのか
>>497
日本の史書には渡来人はそれとちゃんと書いてある
書いてないのは倭人だからなんだが、隠しているだなんていつもの電波だな

500 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:37:49
「継体紀」六年条によれば、継体六年に、任那国の上多利・下多利・娑陀・牟婁の四県が
百済に割取されるとある。
「隋書」東夷 倭國で記述される倭国王、多利思北孤
後宮に600-700人の女がいたという豪傑だから子供だけでもっ数百人はいたと思われます。
さらに孫ひ孫と増えていけば・・・
そして、この王こそ、日出處天子、つまり聖徳太子のことだったのではないでしょうか?
日本に佐田岬という岬がたくさんあります。鹿児島県大隅半島の南端、愛媛県佐田岬、
これも娑陀と関係あがあります。
牟婁の方は、紀伊半等熊野地方は牟婁と呼ばれていました。室町、室戸岬の室。
多利は、足りと関係しそうな気がします。中臣鎌足、足利・・

つまり後の世に日本を支配したのは、絶倫王多利思北孤の子孫だったのです。

この絶倫を受け継いだ歴史上の人物について調査中です。

501 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:50:06
何だこの電波・・・

502 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:48:23
>>500なかなか鋭い推論ですね。脱線もあるけれど。
>牟婁の方は、紀伊半等熊野地方は牟婁と呼ばれていました。室町、室戸岬の室。
これは私も気になっていました。

503 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 23:40:45
奈良百済って事実かもw
藤原氏も天武天皇まで百済人なら日本は完全に乗っ取られてたことになる
倭人は何やってたんだろう情けない
百済人のお陰で今の日本はあるようなもんだ


504 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:12:48
>>503 大和朝廷内で百済人名をもつ人物があるのなら挙げよ。


505 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 02:12:26
    
      朝鮮半島    日本

     新羅   百済   倭
      |      |     |
      |      |     |
4世紀  .|      | ̄ ̄ ̄|
      |     ×    大和
      |           |
      | 蒙古       |
13世紀 |  |         |
       ̄|         |
        |         |
        |         |
        |         |
2009年 韓国人    日本人


506 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 02:28:10
>>505
いやいやwwww
百済と韓国が関係ないのと同じく、
新羅と韓国も関係ないから。

507 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 03:11:21
韓国www

508 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 04:35:53
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/03/000759.html
●高句麗→新羅→出雲

石川県小松市の地元では、小松は「高麗津(こまつ)」であるとささやかれているようです
出雲の文化と信州、東国の文化は新羅系の仏教文化である、それに対して大和の仏教文化は百済系である


あらら・・百済系だけでなく出雲まで新羅系とは・・(わかってたけどw)
ね、日本人って一体なんなの?

ね、 な  ん  な   の?



509 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 05:08:35
出雲は神道の本拠だろ
得体がしれないのは朝鮮人だよ
エベンキ族だけど

>>503
お前の国の電波教科書の電波は朝鮮以外では通用しない

510 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 06:14:20
>>506
朝鮮民族は高句麗人、百済人とは民族的・言語的に無関係だけど、新羅人とは関係あるんじゃないの?
つまり現在の朝鮮民族のルーツは新羅人とモンゴル人の混血。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

511 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 07:05:52
所詮、朝鮮DNA模造文化
長い歴史の中で中国文明に近かかったから模造しただけ


512 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 09:49:39
エヴェンキの文化には、朝鮮民族の文化と類似しているものが幾つか存在する。
チャンスンとエヴェンキの木像、ソッテとエヴェンキの鳥のトーテム、
タルチュムのタル(仮面)とエヴェンキの仮面劇用の仮面、
またムーダンと呼ばれる巫女とエヴェンキの巫女などが挙げられる。
朝鮮民族とエヴェンキ族の文化の共通点は更なる研究が待たれる。

-wikiよりー

513 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:09:01
>>508
辰→辰韓→新羅ですな。
秦の国から逃げて来た秦人が建てた国が辰。
その辰人が多く日本に渡って来た。
古代の朝鮮半島に多く住んでいたのは中国人と倭族なのよ。

朝鮮人がエヴェンキ族だった古い時代の事です。

百済や新羅に住んでいた中国人から大陸の文化を伝えてもらったんで、
新羅の朝鮮人からではない。
誤解のないようにな。

514 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:46:11
しかしながら、百済が滅んだあとも、その住民が田畑を捨ててまで全部日本に
亡命したとは考えられず、多くの辰人や倭人はその地にとどまったと思われます。
そういった現在の日本人と同じ血をひく韓国在住の辰人や倭人まで朝鮮人として
差別の対象にするのはいかがなものかといつも思っています。

むしろ、かの地に取り残された同胞を救いたいという気持ちでいっぱいです。

515 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:55:43
■『日本書紀』は蘇我支配から百済支配へスムーズに移行するための共認支配ツール。

日本書紀はそれまで倭国を支配していた蘇我支配を朝鮮半島から百済王族(天智、持統、鎌足、不比等)が
乗取った権力闘争を正当化する為の偽書であった。

蘇我を乗っ取ったわけであるから蘇我がそれまでに作り上げた国家基盤(律令制度)を自らの手柄として史実を塗り替える必要があった。
⇒大化の改新、憲法17条
正当化する為に必要だったのは古代の天皇(1代〜10代)と推古天皇、用明天皇、厩戸皇子(聖徳太子)である。
蘇我一族をクーデターを企む反分子として固定するのに乙巳の変が必要だった。(実際は蘇我入鹿を殺害した単なる暗殺事件)

それまでの蘇我支配から百済王族支配への転換がこの時代の基本フレームになる。当時の日本での状況を見て、単に武力による権力転換だけでは
支配できないと見た百済王族が共認支配するための歴史書を捏造した。

蘇我一族はどこからきているのか?高句麗という説が巷にあるが、明確な根拠はない。出雲との関連が強いことからも新羅系である可能性が強い。
また、天智系が百済の王族なのに対して、蘇我系列はそれほどの血統はない。早くからヤマトに馴染み緩やかな王国を形成した葛城との関係も指摘されている。

一つわからないのが天武天皇の系譜である。天武は新羅系と言われており、即位後蘇我系の重臣を多数配属した事から、その信憑性は高い。
天武対天智(持統)の争いは蘇我系対百済系の権力闘争と見て取れるのではないか?
では、書記を書いたのが天武と言われている事すら疑わしくなってくる。

http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=186217

516 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:03:24
●秦氏

50桓武天皇の平城京から長岡京・平安京への遷都に裏から経済的に支援した最大のパトロンが山背国葛野郡で勢力を張っていた
秦氏であったことは間違いない。
この氏族に出自を有するとされる後代の有名氏族としては、薩摩の島津氏 対馬の宗氏、四国の長曽我部氏、伏見稲荷社家、
松尾神社社家、雅楽の東儀、林、岡、薗家らの楽家と称される氏族などである。
一般的には、日本各地の富裕な土豪として各地の殖産事業に貢献したとされている

さて、この秦氏というのが、ものすごい。論者がそれぞれに主張することを合わせれば、半島の文明文化のすべてを運んだと言ってもいいくらいだ。
例えば、畑作とは実は「秦作」であり、秦氏が畑作を広めたという主張がある。また、鍛冶や鋳造技術に優れ、養蚕や機(ハタ)織りに長けていたと言う。
後述するが、仏教や道教の普及者でもあり、日本最多の社数を誇る「神社」稲荷ももとは秦氏の信仰である。

秦氏の渡来は五世紀後半以降、数度にわたりあったとされている。秦氏は新羅系加羅人と思われる。
六世紀半ばに加羅は新羅に吸収されるが、その前から加羅には新羅人が多く住んでいた。秦氏もそういう一族である。
「辛国」のカラとは、秦氏の故地である「加羅」を指している。
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=190717

517 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:59:28
>>514
大陸や半島の歴史は酷で負けた異民族は皆殺しにされた。
白村江の戦いは、かの地に残された同胞を救うためでもあった。

同じ血をひいているのが生き残っているだろうが、今の朝鮮人は
モンゴルや満州人の血の方がずっと濃くなってる。


518 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:34:10
なんで百済が日本を作っただのわけのわからんコピペが上げられてるんだ?

百済人はそんな大して上の階級になって無いぞ。
百済最後の王族が日本に亡命して、官位を与えられたが
家臣として中級止まりだぞ。

百済王氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E7%8E%8B%E6%B0%8F
百済王って姓を名乗り、天皇の家臣だったのが百済人なわけ。
これほど百済王が家臣なのだから、日本を作れるわけないだろ。

519 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:21:48
百済は二荒とも書く。
宇都宮二荒山神社とは、百済王祟神天皇の子、豊城入彦を祭っている。

520 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:32:56

韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。



521 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:34:07
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。


522 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:35:37
朝鮮人は高句麗とは関係ないポキール族です。

■朝鮮民族の故郷はシベリア・ヤクーツク地方

 朝鮮人は、アムール河流域に住んでいるツングース系諸民族と同種のようである。
アムール河流域の民族には、熊や虎を「山の主」「森の主」として崇拝する信仰があるらしい。
どうやら、朝鮮民族(ワイ族)は、アムール河の以北のシベリア地方から南下してきたようだ。
 朝鮮人の先祖は、狩猟民族のワイ族であるが、このワイ族はロシア領=シベリア・ヤクーツク地方に
住んでいるヤクート族やエベンキ族、エベン族と同種の民族である。
 ワイ族は紀元前の時代、シベリア地方でトナカイやカモシカ、猪などの狩猟をしながら生活していたらしいが、
獲物であるカモシカや猪を求めて南下していき、やがて古代カラ半島の東北部(現在の江原道地方)に
辿りついたようである。南下のルートは下記のような流れであろう。

 シベリア=ヤクーツク地方→ アムール河中流域→ アムール河下流域→ カラ半島東北部

【ヤクーツク地方】
http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/j/shinai/ykt.htm

【アムール河】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B7%9D

 朝鮮・韓国人は、「自分たちの先祖は満州地方からやって来た高句麗人(フヨ族)だ」と、
主張しているが、これは誤りなのである。
 朝鮮・韓国人とフヨ族はまったく無関係であり、別種である。朝鮮民族はシベリアから南下してきた
狩猟民族=ワイ族の子孫なのである。
 朝鮮人の土着文化がヤクート族やエベンキ族の文化に似ているのは、そのためなのだ。

★朝鮮民族とエベンキ族
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1553866



523 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:37:00
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。


524 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:42:39
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人

それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな


広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。

一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので

百済≒高句麗≒渤海  ≠  三韓=朝鮮民族




525 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:44:01
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE

■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること



526 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:49:08
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し冊封され支配、統治され
朝鮮人は混血も重ねています(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)

近年韓国で医学界等の遺伝子や血液の分析で朝鮮のルーツは北方である事
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との
混血である事も徐々に指摘、新聞でも報道されはじめました

血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報
韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828

"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html

韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html

顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400

もし日本人、韓国人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって
日本人が似ているのではないのです

朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、
今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり
それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです

国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400

韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上)
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056

527 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:50:38
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
 満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
 では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
 高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。


528 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:51:18
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。


529 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:52:39


          /\
        / 大\
      / / ̄\ \
    /清|へノ⌒|国/\
    \  \_//  .\
      \属 . /      \
       \/         \
             ∧∧∧∧ \
            <  `/)  >ヽ∧
            /   /  / `∀> ∧∧
          ◇(   イ◇  (   ,つ`∀´>
          /ヽ  )) ヽ  )ヽ )と  , イ
          (_/(_/(_/(_/ノ(_/⊂ノ> )J
      / ̄Y ̄`|/ ̄^Y ̄ヽ/ ̄ ̄Y `´ ̄\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
見ろチョッパリ! これがウリ達の誇らしい国旗ニダ!


昔の韓国の国旗は、清(中国)の属国と書かれていた

最古の太極旗の絵が発見
http://www.chosunonline.com/article/20040126000072
http://file.chosunonline.com//article/2004/01/26/096308444610326967.jpg

韓国の国旗自体が、中国の清の属国国旗だと言ってるじゃないか

530 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:53:42
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

531 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:54:25
朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。 
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。


532 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:55:07
百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人

渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。



533 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:56:06

高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。

wiki より

上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。



534 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:57:05
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)

1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
    長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
    国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
    反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
    しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
    しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
    泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/
韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm


535 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:57:50
宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、
朝鮮 半島の鉄則のようなものだ。千余年来、たいてい同じようなことを繰り返したのであった。
だから千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が
兵を引いたという歴史事実が繰り返されている。
 ではなぜ戦後になると韓国知識人の歴史歪曲が、日を追ってますます神話まがいのものまでに
変化していったかというと、それはどの民族も自存自衛のために欠かせない民族の自尊心にある。

韓国は壬辰倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐のこと)で焦土と化した。だから三百年もへても立ち
直れなかった。いやがうえにも倭乱のひどさを強調した いという気持ちはわからないでもない。
しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。
もしあるとす れば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに
再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退 したという自慢話と、
三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己撞着はないのであろうか。
 韓国知識人はつねにこのような歴史歪曲で「反日」を正当化する。

              韓国人の反日台湾人の親日  黄文雄 光文社


536 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:58:46
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
「新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る 所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」 と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」と書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」


537 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:59:37
わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に
伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である 「日本書紀」を
土台にしているもので、わが国の史書にはありません。(そもそも韓国に古代の
文献はほとんどない)ところが、日本の学者が 「日本書紀」を土台にして、古代日本が
二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を
主張すると、 韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのでは
ありませんか、という身の程を知らぬ質問をした。そしたらL教授は黙り込んで答えず、
横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。「日本書紀」 には日本が
「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいった
ようになっている。しかし、韓国の中・高等学校 では三国文化が日本に伝播される国際
関係に関しては何の説明もされず、ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた
事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを 助長する結果を
もたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
高麗大学教授 金鉉球

鄭大均 「日本のイメージ」より


538 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:01:02
朝鮮人は、シベリアから南下してきた原始的狩猟民族の子孫だよ。
少なくとも新羅とは赤の他人。高麗とも、なぜか縁が薄い。
だから、新羅や高麗の言葉が、朝鮮語では全く解読できない。
この「全く」というのがミソ。 少しつながりがあるのなら、民族の混交や変化があっても、少しは解読できる。
また、山野の木々の乱伐、灌漑の知識・技術の欠如、車輪や水車・染色など基礎的な
テクノロジーの欠如は、朝鮮人がまだ定住民として完成されていない証拠。

もしかすると、
古代末期に起きた長白山の大噴火というより、高麗王朝の末期に何か半島で自然災害(疫病、旱魃、洪水他)が起こり、
民族の絶滅(もしくは大幅減少)が起こり、シベリア狩猟民族の南下を招いたのでは?
新羅や高麗の時代までは高かった女性の地位が、李氏朝鮮の時代に入ると異様に低くなる。
家族制度という人間の基本的部分で、こんな急激な変化が起こるのは奇怪すぎる。

10世紀の有史2000年来の最大の噴火を起こした白頭山・中国名長伯山の大噴火(M7.4)で
古代在住朝鮮人は絶滅か僅少残っても後に南下在住した新朝鮮人に飲み込まれて消滅
しただろう。文献的、実証的記録すら絶無で、日本や中国は文献的、実証的記録を持ってる。



539 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:02:07
日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/

火山爆発指数(英:Volcanic Explosivity Index, VEI)とは1982年にアメリカ地質調査所の
クリス・ニューホール (Christopher G. Newhall) とハワイ大学マノア校 (University of Hawaiiat Manoa) の
ステフェン・セルフ (Steve Self) が提案した火山の爆発の大きさを示す区分。
火山そのものの大きさではなく、その時々の爆発の大きさの指標である。区分は、噴出物の量で
なされる[1]。0から8に区分され、8が最大規模である。VEI=0はテフラの量が104立方メートル未満の
状況を指す。VEI=8はテフラの量が1012立方メートル以上の爆発を指す。
それぞれの区分には噴火の状況を示す名称(「小規模(gentle)」など)が付けられている。

5 ヴェスヴィオ (ポンペイ eruption) 79年 セント・ヘレンズ山 (1980年の噴火) 1980年
樽前山 1739年
6 白頭山 (Tianchi eruption) 969 ± 20 年
7 Kurile 紀元前6440 ± 25 年
8 トバ湖 73,000 BP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%B1%B1%E7%88%86%E7%99%BA%E6%8C%87%E6%95%B0





540 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:03:44
朝鮮民族とツングース系の代表民族であるエベンキ、エベン族とは共通風習、歌、言葉などから、
「朝鮮民族」とは同じ流れと分かる。馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は、
遠くの人々を懐かしむ「アリラン(迎える)・スーリ(感じとる)」。
朝鮮のアリランには「アーリアリラン、スールスーリラン」とそっくりな言葉が続く。節回しも酷似している。
アリランという言葉、スーリも意味不明と言ってるが、エベンキの言葉では意味はハッキリしているw
朝鮮とエベンキ、ワイ族には、棒を立てたソッテ、トーテムポールのチャンスンが共通。
朝鮮の神社にあたるものであるソッテって、こんなものなんだよねw
いずれにしても、森を大事にする神社とは似ても似つかぬもの。
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2046m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2052m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2051m.jpg

これも、エベンキなどと同じ風習。中国や日本にはない。
チャンソンと呼ばれるトーテムポールの様な木像と同じで、エベンキ族と朝鮮でだけ見られる。
チャンソン
http://zaiwakan.hp.infoseek.co.jp/hanguku0311.files/image043.jpg
http://busan.nekonote.jp/korea/old/life/kokoro/chn.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2075m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2073m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2049m.jpg




541 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:05:17
ウィキペディア-エヴェンキ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%AD
エヴェンキの文化には、朝鮮民族の文化と類似しているものが幾つか存在する。
チャンスンとエヴェンキの木像、ソッテとエヴェンキの鳥のトーテム、タルチュムのタル(仮面)とエヴェンキの仮面劇用の仮面、またムーダンと呼ばれる巫女とエヴェンキの巫女などが挙げられる。
朝鮮民族とエヴェンキ族の文化の共通点は更なる研究が待たれる。

542 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:06:34

アメリカ大使館「朝鮮に歴史無し。昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」
http://s04.megalodon.jp/2008-0104-0331-22/www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=9&nid=3182743
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=8434966&oldid=8280871




543 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:24:03
聖徳太子と所管のやり取りがあったといわれる善光寺如来、百済王の皇子です。


544 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:25:04
>>518
5世紀日本は百済の属国だよ、七支刀が百済王の息子から
倭王に送られてる

百済人が日本を作ったというより3〜5世紀に日本列島に移民した百済や新羅の
子孫たちが帰化日本人として政権を取り大和朝廷を運営してきた

そこに7世紀に百済滅亡後に移民してきた新参者の大量の百済人達との
権力争いが大化の改新であり古株百済系は蘇我氏で新参者百済系が中臣鎌足
つまりどっちも渡来系氏族、配下にいた秦氏や東漢氏達も渡来系氏族

だから日本を作ったのは百済系日本人と7世紀に渡来した百済人(王族や高官)
と秦氏などの大陸系渡来人達であって倭人ではない
倭人は彼らにコキ使われてた可能性が高い

545 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 04:45:06
百済は滅亡して残った文盲の民は中国人の名前をもらったとな

546 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 05:08:50
>>544
またあべこべ電波を
朝鮮は倭に征服されて朝貢し、王子を人質に出してたの

547 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 08:44:36
>>544
亡命時の百済の王が家臣になってる記録があるわけで、
百済が偉大ならなんで百済王という名が家臣の名になるんだ?

隋の記録、唐の記録、高麗の記録
全てに百済と新羅は倭の属国だったと書かれている。

そして何より、日本の記紀にも百済は人質を出す属国であると記されている。
百済人が支配したなら、なぜその偉大な百済を属国と記すのか。

百済や新羅が王子を倭に人質に出していた記録はいくらでもあるが
逆の記録があるというなら、それを貼ればいい。

548 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 09:30:55
人質として囚われの身であった徳川家康が信長の死後メキメキと力をつけて
秀吉亡き後、日本の覇者になったことを考えれば、人質が本家を乗っ取ったと
いうのもことさら珍しい話でないことが分かる。
むしろ百済王の一族が高貴の出で底知れぬ実力を備えていたからこそ、大和
は百済を恐れていたと見ることもできる。

549 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:22:01
だからと言って三河の人間が尊敬されるわけでもなく

550 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:26:20
その話は家康が徳川を名乗らず織田家の織田家康だと称したというようなもので

551 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 17:13:37
>>548

お前の頭の中だけで通用する論理だな。

552 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 17:55:44
>>549
よく三河の人間は歴史雑誌なんかで
義理堅い質実剛健って評論されるけど嘘っぽいな


553 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:15:39
>>547
ヒデヨシが燃やしたから残ってない

554 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:57:06
日本の天皇家と全く関わりのなかい渡来人である中臣鎌足の子孫でしかない
藤原不比等が政権を維持するためにやっておかねばならないことは歴史の捏造だった。
古事記や日本書紀の編纂、風土記の編集と称して各地の歴史書の没収、焚書。
秀吉も同じことを考えた。小田原攻めで一番の標的は金沢文庫などの資料の破壊。
だから、鎌倉時代の役し資料は極端に少なく、鎌倉の大仏の起源すら分からない。

歴史の捏造は、今も教科書検定といった形で行われているけれど、インターネット時代
にそれがどれほど有効かはまだ分かっていない。

555 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:21:16
ネットって陰謀論とか大好きだけど、本気で信じる人は少ないよねw

556 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:40:49
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

557 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:41:30
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

558 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:42:10
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

559 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:47:26
歌垣は東アジア南部に広く分布している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3
特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習
俗。現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほ
か、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。

歌垣の習俗は、焼畑耕作民にも水稲耕作民にも見られるが、特に山岳焼畑地帯で顕著であり、もとは山岳地帯の焼畑耕作民の文化だったと考えられている

歌垣と同様の風習は、中国南部からインドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部
にかけての地域と、一体の文化圏を築いていたという見方もある


朝鮮人涙目wwww

560 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:49:26
杵島山は筑波山,摂山と並んで三大歌垣山といわれる歌垣山です。
東側には広大な白石佐賀平野が広がってます。田園に点在する集落は
昔ながらの懐かしく赴きのある風景がみられます。

稲佐神社:長い長い石段の先(車でもいけます。)にあります。
祭神は、五十猛命(いそのたけるのみこと)日本書紀によれば、
二人の妹神である妻津姫、大屋津姫とともに朝鮮半島から木の種を
日本に持ち帰り植樹したという神です。また、推古天皇の時代百済の
聖明王(仏教を日本に伝えたと言われる)を祀ったのに始まる。
という古代朝鮮国家百済に所縁のある神社である。古代杵島には
百済から渡来人が訪れ、住み着いたのかもしれません。
http://eimari.web.fc2.com/hagakure/sights/hizen/utagaki/j-hizen-2.htm

561 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:52:55




12世紀以前の書籍の無い朝鮮に、どうして古代に歌垣があったと言えるのでしょうww





よく見ると朝鮮に歌垣があったという根拠はほとんどが現地での伝聞だしwww

562 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:56:21
歌垣は将門記にも出てきますね。
将門は平真樹の娘と出来てしまって、のちに一族の争いの火種にもなっている。
今ではそういう風習は廃れてしまってさびしい限りです。

563 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:58:41
古代朝鮮に歌垣があったという根拠はありません。
証拠とするものの殆どは現地でのあいまいな聞き取り調査だけです。


564 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:16:38
文字による記録が残っていない以上、そういった伝承に頼るのはむしろ当然であり、
地道な民俗学的なアプローチを軽視するのは歴史学者の欠点でもあります。


565 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:23:55
その伝承の真偽を見極めるのもまた民俗学。
事の真偽を精査しないですぐに事実を認めるのは、三韓征伐伝承を
基にして任那日本府を語るようなもの。

民俗学を知りもしないで知ったかぶりするのはよろしくない。

566 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:31:02
歌垣には必ず百済が付いてまわる。

567 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:35:58
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html
↑道鏡のHP
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm
↑神社のHP
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
↑趣味のサークルのHP
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm
↑ページが見つかりません
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
↑個人のHP
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
↑新聞のHP
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
↑論文のようだが実態は個人的な手記。論文の体裁を為していない。
http://eimari.web.fc2.com/hagakure/japanese.htm
↑個人のHP

民俗学のものなんか一つもありませんが?

568 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:37:39
論文ってのはさ、

1 目的
2 研究史
3 研究方法
4 資料集成
5 分析
6 展望

が基本なんだよね。
文字をづらづら連ねたって論文にはならんよ。


569 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:47:52
“アウラジ船頭よ舟をちょっと渡してくれ 早世椿みな落ちた”、と先唱の
金南基(キム ナムギ)さん。

それに女声が、“落ちた椿は落ち葉に包まれ 春夏秋冬あなたが恋しく 
私は生きられない”と応じます。

このような応答が延々と続き、一日中でも歌われるであろう趣です
(この「旌善アラリ」は「旌善アリラン」のもと歌。手元のCD
『北と南のアリラン伝説』より)。
 
ここには、日本ではすっかり聞くことが出来なくなった、生活の歌としての
「歌垣」の典型があります。「うた」とは本来、このようなもので
あったのでありましょう。

http://www.myticket.jp/chonson2009.10.html

570 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:53:05
http://www.myticket.jp/chonson2009.10.html

旅行業者のHP。

コメントは大阪芸術大学の教授のものだが、当大学に史学部は無い。
つまり、門外漢の戯言。

571 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:18:38
音楽音響学者だろ。

音楽学者が歌垣だと判断したんだから史学者よりも歌垣である
信憑性は高い。



572 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:20:12
>音楽学者が歌垣だと判断したんだから史学者よりも歌垣である信憑性は高い。



ねえ、ここ笑うとこ?




笑うとこなの?w

573 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:33:52
史学者に歌垣が分かるの?

574 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:48:37
音楽学者は記録も無いのに歌垣のことが理解できるの?w

575 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:50:39
そりゃ、朝鮮に歌垣の記録があれば何とかなるだろうけど・・・

資料も何も残ってないのに「似てる」だけで起源を論ずるのはダメだろww
そもそも音楽学者って何する学者かわかってんのか?w

576 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:58:27
大阪芸術大学芸術学部
http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/gakka/kyoyo/kyoin.html

中山一郎
音と芸術  音楽音響学  情報音楽論


歴史にかすりもしてねえじゃねーかww

577 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:51:47
まじキチ…ユダヤが人工地震を起こすぞ

【緊急情報カクサンよろしく】

ついに来ました。

大きい動きです。250nT超えてきました。ほぼ間違いありません。もう一度言います。

友人、知人、親類縁者、あらゆるつながりを駆使して巨大地震がくることを教えて下さい。

四川地震より大きいのが来る可能性があります。
http://g★olde★ntam★atama.b★lo★g84.fc2.c★om/

★★★★★危険度MAX★★★★★
★★★★★★★★★★★★★★★★

★千葉、静岡、東京、関東で大地震が起きる可能性が非常に高くなっています★★★
★千葉、静岡、東京、関東で大地震が起きる可能性が非常に高くなっています★★★
★千葉、静岡、東京、関東で大地震が起きる可能性が非常に高くなっています★★★
★千葉、静岡、東京、関東で大地震が起きる可能性が非常に高くなっています★★★

★★★★★★★★★★★★★★★★
★★★★★危険度MAX★★★★★

警告!連休中の21、22、23日が危ない!かも2
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/eq/1★253494015/
【大気イオン】e-PISCO Part11【また延長】
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/eq/1★252991726/


578 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:15:05
>>576
音楽学者なら音楽史も普通やってるだろ。

史学者よりもむしろ歌の歴史に詳しいんじゃないの?

579 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:39:21
>>544
七支刀-ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E6%94%AF%E5%88%80

その内容も「百済王が倭王に献上した」、あるいは「百済王が臣下たる倭王に渡した」[誰?]などとさまざまに解釈されている。
日本書紀・三国史記等の史書では、百済が倭に対して朝貢し人質を献上していたことが記述されている。



580 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:26:02
韓流ファンタジー史観wwww

581 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:46:15
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/shinri3.html
●「韓人(からひと)」とは誰か?

[概要]
「韓人(からひと)、鞍作臣(くらつくりのおみ)を殺しつ。吾が心痛し」つまり、「韓人が入鹿を殺してしまった。
ああ、なんと痛ましいことか」 しかし、「韓人」とは一体誰をさして言ったのか
実は、中臣鎌足は百済からやってきたのです。少なくとも、彼の父親の御食子(みけこ)は、ほぼ間違いなく百済から渡来した人間です。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/temmu.html

●天武天皇と天智天皇は同腹の兄弟ではなかった。

[概要]
天智天皇が百済派の先鋒、大海人皇子(後の天武天皇)は新羅派の統領として対立していました。
天武帝の母親は、新羅系の渡来人である可能性が濃厚です。

この人も渡来人系であることは先ず確かです。これは当然の成り行きで、この当時のどの人物を調べても、何代か遡ると、たいてい渡来人に出くわします。
それほどこの当時は中国大陸や、朝鮮半島から渡ってきた人物がたくさんいます。
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/banse.html


582 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:47:32
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou2.html
●藤原鎌足が百済からやってきた

[概要]
藤原不比等の以前の名前は、史(ふひと)なのです。不比等は、これ以外にも百済流の名前を持っていたはずです。
いずれにしても、この史(ふひと)という名前は、普通の名ではなく、むしろ彼の若い頃の役職名を表すものだったでしょう。
つまり歴史編纂に携わっている者という意味です。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou4.html
●藤原鎌足と六韜

[概要]
藤原鎌足が、日本的な考え方よりも、大陸的な考え方に、どっぷりと、つかって生きてきたような印象を与えます。
要するに、日本で生まれた人物と考えるよりは、百済で生まれ、大陸の影響を強く受けて育ち、百済から渡来した人物ではなかったのか?
そういう疑問が、頭をもたげてきたわけです。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/nakatomi.html
●藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた

[概要]
朝鮮半島から渡ってきたと考えられるような場合にも、そうは書かない。あくまでも、日本古来の祖先から連綿と続いているかのような書き方をしている。

「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。
そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」そういう作為が感じ取れます。
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。
その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。
さらりと述べています。

583 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:55:50
>>579
■七支刀(しちしとう)

「泰(和)四年(369)五月十(六)日丙午正陽」で始まるこの銘文には「七支刀」とあり、「百済(くだら)王世子」が
「倭(わ)王」にもたらした呪刀であることが判読される。『日本書紀』の神功(じんぐう)皇后52年9月の条に
「久(くてい)等、千熊長彦(ちくまながひこ)に従ひて詣(いた)り、則(すなわ)ち七枝刀一口、七子鏡(ななつこのかがみ)
一面及び種々の重宝を献る」とある例などに基づいて、百済王が服属の証(あかし)として献上した刀と解釈する説があるけれども、
銘文のどこにも献上を意味する文言はない。

献上説に対して百済王からの下賜説も主張されているが、当時の東アジアの情勢のもとで銘文自体に即して正当に釈文することが必要である。
作刀の主体が「百済王」ではなく、「百済王世子」であったことも見逃せない。369年のころは百済の勢力が高まり、371年には
百済の勢力は平壌に侵入して、高句麗(こうくり)の故国原(ここくげん)王は戦死する。
そうした百済側の状況も考慮しなければならない。

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%B8%83%E6%94%AF%E5%88%80/

この刀が、百済王から倭王に献上されたものなのか、反対に下賜(かし)されたものなのかという点です。
これは、全体の文意を見る必要があります。
表「百錬の鉄で七支刀を造る。これによって世は兵事の不祥を避け、もろもろの侯王に幸いする」。
裏「先世以来、まだこの刀あらず。百済王の世子、奇しくも生まれながらにして聖徳あり。
それ故百済は倭王のために造った。後世まで示し伝えなさい」金錫亨(きむそくひょん)さんや上田正昭さんは、
この銘文を素直に読むと、上位者(百済王)から下位者(倭王)への命令的文書の形式をとっていることを指摘します。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/9,5272,98,220.html

>この銘文を素直に読むと、上位者(百済王)から下位者(倭王)への命令的文書
>この銘文を素直に読むと、上位者(百済王)から下位者(倭王)への命令的文書




584 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 05:11:56
>>548
人質は百済が差し出したんだけどw
>>581-583
朝鮮人の電波にかかるとなんでもウリナラ起源だな
それは朝鮮電波半島内でのみ通用するがそれ以外では相手にされんよ

585 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:30:05
>>584認識不足ですね。
いまの朝鮮半島の住人と古墳時代の朝鮮半島の住人が同じ民族だと思っているのかな?

586 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:47:08
>>585
別もんだろ
なんにせよ古朝鮮が倭の属国であったことは変わらん

587 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:10:31
>>585
■朝鮮日報に書かれてる韓国人の百済観 (先祖であることに疑いさえ持ってない)

・「現存する世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿は、8世紀中盤に百済からの移住民が建てた寺です。」

・高松塚古墳、法隆寺、東大寺、広隆寺、大宰府、船山古墳、石舞台古墳…。日本が誇るこれらの遺跡の共通点は何か。
 それは韓民族、すなわち大韓民国の祖先の霊と魂、汗が染み込んだ代表的な場所だということだ。」

・「檀国大の鄭永鎬教授は「大宰府の建造と水城の築城には、百済の先進技術が活用されたことが立証されている」

・「日本が誇る遺跡が韓国の先祖の魂と汗で作られていることをこの目で確認でき、民族的自負心を持つようになった」と語った。

・「石舞台古墳は7世紀ごろ百済系の蘇我氏が作った大規模な墓として推定されている」

・江原大の孫承赴ウ授は「わが韓民族が古代日本の領土に文明と文化をもたらしたという
 華麗な過去の歴史を振り返り、自己陶酔に陥ってはならない。」

・釜山中央女子中のキム・ウンスン教諭(45)は「これまでは、われわれが文化を伝えたという自負心を
 抱くだけだったが、文化が一方からもう一方へ伝わった上で、それが受け入れた側によって発展していったという
 事実についても知ることができた」と語った。

・飛鳥地方の百済遺跡である石舞台古墳を訪問したときは、「飛鳥の漢字表示は“飛鳥”だったのではなく、
 元は百済人が渡来して心安らかに定着したという意味の“安宿”(発音はアンスク)だったが、後に変わった」と説明した。

・韓国が日本よりも進んでいる」という内向的な自負心ではなく、「隣国・日本の歴史をもっと知ることができた」
 という未来志向的な関心に基づくものだといえる。

・旅行会社のガイドは「韓国を訪れる日本人たちが、円高の恩恵にあずかり、ただソウルで金を使うだけ使い、大衆文化に関心を寄せているわけではない。
 日本文化の源流を学ぶため、扶余や公州を訪れるケースも多い」と話した。



588 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:23:04
>>587
頭が悪い妄想ばかりだなw
だから馬鹿チョンと呼ばれるんだな

589 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:25:41
朝鮮人は脳内世界でそう思い込めば現実もそうなるという奇妙な思い込みを共通して持っている
これは幼児と同じ

590 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:12:47
>>587しかし、この朝鮮日報の記事の最大の問題点は、百済人の末裔はもう韓国内にはほんの少数しか生き残っていないという事実を記していない点です。
要するに新羅などの朝鮮族の侵入により、南に追われた百済人の多くは日本の亡命し、そこを新たな生活の場とした。
飛鳥文化をの担い手は百済人だということは確かですが、現在の韓国人とは別物だという点を意図的に隠している。
それは、朝鮮人は半島に取り残された百済人を迫害した歴史があるからです。
何かの都合で朝鮮半島に残らざるを得なかった百済人はつらい思いをしただろうと同情せざるを得ません。

591 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:49:19
>>578

そのセンセの専攻は何ですか?

592 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:36:09
>>590
今でもかつて百済があった全裸道の人は
差別の対象だと聞いています。

593 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:41:04
百済人の名前は日本人とも朝鮮人とも異なる異民族だ。

 朝鮮人の先祖ではない。


594 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:55:46
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

595 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:56:27
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

596 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:57:22
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

597 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:09:27
>>590
百済人がホロコーストのように全滅させられたんなら百済人の子孫は
半島には残ってなく、むしろ2000人余りの亡命者を受け入れた日本こそ
百済人の末裔と言えるわけだが、韓国人はそういう捉え方ではなく
端に韓民族の一派が半島から日本に移住しただけという認識みたいだ

つまり例え半島で絶滅したとしても(絶滅してれば当然その子孫はいるはずがない)
古代の韓国人が亡命して日本列島で子孫を受け継いでるという概念
半島か列島かの違いだけで列島の子孫も古代韓国人の子孫だと思ってるし
古代の王朝も当然韓国人の建てた王朝であり百済の果たした功績も韓国人
だと自負している

韓国ではおそらく「百済人は我々の先祖か?」なんていう議論さえなされてことがないだろう
誰も疑う余地さえないぐらいに百済人=韓国人は当たり前のように浸透している




598 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:11:06
はいはい百済人百済人

599 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:20:06
孔子の編集と伝えられる「春秋左氏傳」に下記の記述があります。
「隱公四年(紀元前719年)、春王の二月、呂(草冠に呂)人《きよひと》、杞を伐ち、牟婁《ぼうろう》を取る。」
ここは、現在の地名でいえば江蘇省徐州市付近です。緯度でいえば、山口県や奈良県と同緯度です。

ここを追われた牟婁(むろ)の人々は、朝鮮半島の任那に逃げてきました。ところが、「継体記」には

「百濟遣使 表請任那上多利(いずれも口編) 下多利 娑陀 牟婁四縣 大伴大連金村輕依表請 許賜所求」
とあり、大伴金村によって百済に割譲されてしまった。
そして住み着いたのが、和歌山県から三重県にかけての熊野地方、すなわち牟婁の地。

つまり、朝鮮半島は仮の住処でしかなく、もとはと言えば秦に滅ぼされた杞氏。
紀の国と呼ばれるようになったのはこのためです。

600 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:14:21
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


601 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 01:08:21
>>599   なんか匂うね!!!!

杞(紀)国,牟婁《ぼうろう》は今の山東半島で諸城県の西南だよ、後の「斉の国」
伊勢神宮の言い伝えで「斉」の御田より米が伝わったとも合うね。

紀(木,鬼)の国,熊野,牟婁(ムロ)の郡にある熊野大社はヤタガラス(三足烏)の故郷。

任那の牟婁四縣,百済の大姓(木氏),百済は百家で海を渡って来た伝説。



602 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 01:22:49
>>601   追加....皇紀2600年に近いね。 紀元前445年、楚によって滅ぼされた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9E
杞(き)は、古代中国の殷代から戦国時代にかけて存在した国。国姓は姒であり、禹の末裔と称した。
殷末周初に一時滅亡するが、周初に再興され、史料では東楼公より20代の王が記録されている。
紀元前445年、楚によって滅ぼされた。

603 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 01:50:31
>>599
>>601
>>602
妄想日記は押し入れの中で!
夢は眠ってから見る!
わかるか?わかったら実行!

604 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 05:03:17
なぜかチョンは百済人を万能視するが、
己がその百済を滅ぼした土人の末裔だと言うことはわかってないんだな

605 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 14:54:57
>>601
杞(紀、木)国----牟婁(ムロ)

三ヶ所の国名、氏族名、地名(漢字表記も)、伝説(徐福、斉の御田)、の一致は偶然とは思えんな。

606 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 17:59:57
>>604
新羅人も百済人もどっちも韓民族だと思ってる
例え半島に百済の子孫がいなくても亡命した日本に韓民族の子孫がいると思ってる
疑問の余地さえないぐらい百済人は自分達韓国人の先祖であると

シルクロードを通って中国から新羅、加羅を通って日本にやってきた秦氏も
韓国人、王仁(漢人)も韓国人、司馬達等(梁の人)も百済から渡来したというだけで韓国人





607 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 18:57:10
>>606
善し悪しは措いて、これが一般的な韓国人のメンタリティなんだろうな。

608 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:07:10
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

609 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:08:04
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

610 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:08:35
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

611 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 21:25:36
韓国人の祖先ワイ族がシベリアから来たらしいけど

シベリアでは敵対する部族もなく、動物を殺し猛獣を罠で捕えたり
して自分達が絶対的な王者と思っていたんだろうな

けれどヤクート人やブリヤート人、エヴェンギ族はシベリアに踏みとどまったのに
食料が足りないから南下する卑小さも持っていて

南下したらそこで初めて自分達より力のある民族や文明と合って
カルチャーショックを受けて劣等感が生じ、そこから恨の精神が出来たのかな


612 :599:2009/09/24(木) 21:57:25
>>601,602
賛同者が現われるとは、びっくりしました。
大姓ですか。稲荷山鉄剣の大彦に繋がる人物かもしれませんね。

613 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:22:28
>>608-609-610
このレス見るたび思うんだけど、韓国人も司馬遼太郎も歌垣を
分かって無いんじゃないか!

野山で飲み食いしながら仮面劇を見たり、歌を歌ったりする事を連想してないか?

基本的に韓国など儒教の強い所は歌垣は成り立たない。

歌垣とは男女10人以上ほどが歌、掛け声を掛ながら手足を揃えて垣根の様に並んで踊るんだぞ。
例えば昔子供達がやってた「花いちもんめ」や「たんすながもち」盆踊り、現在ならGOGOダンス
やディスコダンス欧米ではフォークダンス、基本横並びで人垣を作って掛け声を掛ながら踊るんだ。

(男)か〜ってうれしい はないちもんめ (女)まけ〜てくやしい はないちもんめ 

614 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:56:39
>>613
つーかもっとぶっちゃけちまえば「乱交パーティー」みたいな要素もあるしな>耀歌

615 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:36:09
>>614
そりゃ男女が手足揃えて一緒に踊れば、だんだん興奮状態に成り
トランス状態で裏の木陰で合体と、目出度し目出度しで先祖さんも大喜び
子孫繁栄を見て天に帰るんじゃ。

616 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 00:24:37
司馬遼太郎も古代史学者じゃないんだから、そのへんは適当な想像力で面白く
書いたんだろう。学問的な根拠は無いんだろう。

617 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 01:31:46
>>612
なぁ、ファンタジーは半島でやれよ。

618 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 01:38:45
>>27

肉体的退化ておまえはアホすぎる
とりあえず死んどけ

619 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 04:59:37
司馬も在日チョンとつるんだり電波の一種だが何でか神性視する信者がいるよなあ

>>606
今も昔もウリナラ認定だなチョンはw

620 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 06:56:26
夏朝の創始者、禹(う、紀元前2070年頃)は羌族(きょう軸、チャン族)であったといわれている。
太公望や始皇帝の実父とされる呂不韋は羌族の一部族である姜族の出身と言われる。


621 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 10:57:04
>>601-602,>>612
大坂には熊野の名を冠した神社が一つしかなくってそれは聖徳太子が四天王寺建立する際に
立てられたもので物部守屋と戦った渋川郡の近くなんですけどこれって怨霊鎮魂と関係があるの
でしょうか

622 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 11:15:38
■韓国になくて大阪にある『百済』

百済(くだら)とは,1400年も前に滅びた古代朝鮮の国家である.百済の最後の都とされる韓国の扶余(プヨ)
ここには,わずかな出土品以外,百済らしい遺跡はない.旧跡も残っていない.百済という文字を見つけるのも難しい
『百済』の「クの字」もない.百済は,本当に韓国に存在した国なのだろうか?

ところが,大阪は,韓国の扶余とは全然ちがう.大阪は,百済だらけ! なのだ
とにかく大阪の街には,いたる所に百済の旧跡や遺跡がある
あちこちで『百済』という文字が見られる

桃谷のコリアタウンに行ったら『百済門』という高くて大きな門が3つも立っていた
それから,天王寺駅の東には,貨物駅だが『百済駅』というでっかい駅がある
『百済橋』,『百済』というバス停,『百済時計店』もあるし,『百済小学校』まである
大阪城・天守閣の入口にある大砲には『百済なんとか衛門』が作ったと書いてある(笑)
江戸時代の地図には,難波に『百済郡』が書かれてるしとにかく大阪は昔から「百済だらけ」なのだ

韓国には『百済』がなくて,大阪は『百済』だらけ
これは,いったいどういうことなのか?

朝鮮半島の扶余に『百済』の痕跡がない,これは当然なのだ
『百済』とは,遼西にあった国家なのだから(遼東半島の西)

さて……,
660年(斉明天皇6年)百済滅亡
663年(天智天皇2年)白村江の戦いで倭国軍敗北.倭国軍と,百済の王族・貴族・遺民たちは難波(大阪)まで逃げ…,
やがて『日本国』を建国する、以上が『飯山・古代史』の骨子である

623 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 11:25:20
仮に百済人という定義が存在したとしても
今の韓国は新羅人気質だから同一にしたらいかん
(その証拠に金大中が出てくるまで百済地域は疎外して来た)

624 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 13:38:42
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

625 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 13:41:36
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

626 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 13:43:00
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

627 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:55:12
若松秀俊

東京医科歯科大学 大学院保健衛生学研究科
生体検査科学専攻生命情報解析開発学講座
取得学位 工学博士 (論文)工学修士 (課程)

ああ、なるほど。「と」方面の人なのね。


628 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:09:04
百済は上層部、支配階層が扶余族。
下層、被支配層が新羅系住民。
百済滅亡後、一部上層部が日本へ亡命、移住。
一部上層部が逃走(高句麗、中国へ)
一部が残留して、上層部は殺され、下層民が新羅に吸収される。
さて百済人とは何を指す?

629 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:16:30
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html
↑道鏡のHP
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm
↑神社のHP
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
↑趣味のサークルのHP
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm
↑ページが見つかりません
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
↑個人のHP
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
↑新聞のHP
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
↑論文のようだが実態は個人的な手記。論文の体裁を為していない。
http://eimari.web.fc2.com/hagakure/japanese.htm
↑個人のHP

民俗学のものなんか一つもありませんが?

630 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:30:55
気鋭の工学博士が解明する日本古代史の真実(w

631 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:20:01
歌垣の風習は、礼を重んじる儒教の精神と合致しないばかりか、不道徳なものとして受け入れられなかったのではないだろうか?
将門の時代ならともかく、現在は歌垣の風習は、ほとんど残っていない。
大阪でも歌垣をやっているのは暴走族くらいのものだ。


632 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:52:53
>大阪でも歌垣をやっているのは暴走族くらいのものだ。


!?

633 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:32:07
現在の「盆踊り」が歌垣の伝統を受け継いでるよ特に地方のね
真ん中のやぐらの上で歌う人を「くどき」って言うんだけど、これなんか女の子を「くどく」からだよ。
途中で歌ったり合いの手を入れたり。

大阪の河内音頭なんか“エンヤコーレ、ドッコイセ”と合いの手を入れる
阿波踊りだと“おなじあほなら おどらにゃ そんそん”って具合にね。



634 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:10:30
しかし、踊りの輪の中から一組、また一組と男と女が闇に消えていくといった
歌垣本来の目的が失われてしまい、気の抜けたビール状態。
種族繁栄という本来の目的を忘れたら祭りなど歌垣ではない。

635 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:55:55
要するに当時の歌垣は戦後のポップスみたいに海の向こうから
やって来たナウくてイカシたもんだったんじゃないかな?

戦後に海の向こうのアメリカから入ってきてラブソングで口説くと。

古墳期に海の向こうの百済からから入ってきて恋歌で口説くと。

636 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 01:30:21
小滝透著「反日嫌韓の謎88」に書いてあったけど、
清朝末期に清国は朝鮮半島が外国の植民地になったら安全保障上危険だから、
朝鮮半島を直轄領にして併合する計画があったんだって。
そうしてたら今頃韓国・北朝鮮はウイグル自治区やチベット自治区や内モンゴル自治区の様に朝鮮自治区になってたかも。
そして前12世紀〜前2世紀の箕子朝鮮、そしてその箕子朝鮮を滅ぼした前2世紀〜前1世紀の衛氏朝鮮、そして衛氏朝鮮を滅ぼした前1世紀〜後3世紀の中国植民地の楽浪郡の計1500年は朝鮮は中国の一部だった事で、
朝鮮は中国人の造った国家でもともとは中国の一部だったという認識が中国人にはあるらしい。
中嶋嶺雄著「日中対決がなぜ必要か」によると、毛沢東は、朝鮮・台湾・琉球・ベトナムは中国領という論文を書いたらしい。


637 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 01:44:44
●中国・韓国の歴史教科書に書かれた日本

◎朝鮮半島との文化交流

三国は大陸から中国文化を受け入れて独自の文化を作り上げ、発達した三国文化を日本へ伝えて日本の古代文化の発達に
大きな影響を与えた。(省略)

百済は日本と政治的に緊密な関係を維持したので、三国中、日本文化に一番大きな影響を与えた。
近肖古王のとき、阿直岐と王仁は日本へ渡り、漢文・論語・千字分を伝えてあげ、武寧王の時には段陽爾と
高安茂などが、漢字と儒教を教えてあげ、日本に政治思想と忠孝思想を普及させてあげた。続いて、聖王の時には
仏教を伝えてあげ、そのほか天文・地理・暦法などの科学技術も伝えてあげた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   

新羅の時代に公認した仏教も李氏朝鮮時代に仏教弾圧が起きたことや、漢字を捨て去ったことからも分かる通り、情勢と
共に自ら文化を破壊する朝鮮が、「三国は大陸から中国文化を受け入れて独自の文化を作り上げ」とは、理解しがたい。
また、大和朝廷と中国の文化交流の玄関である「任那」の存在を教科書ではひた隠しにして「三国」と表記し、文化交流の
単なる通り道であった朝鮮が、教えてくれたことになっているようである。
その一方で、大和朝廷からの高い技術導入の存在を微塵も感じられないのが、韓国の教科書の特徴と言えよう。
このような国が日本の歴史教科書に口を挟んでくることに対して、毅然と断るべきである。
また、日本の各教科書出版社が、任那の存在をひた隠しにする韓国の主張に同調していることに対して、もっと抗議するべきである。


638 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 03:03:15
●中国の歴史教科書に書かれた日本

新羅の時代に公認した仏教も李氏朝鮮時代に仏教弾圧が起きたことや、漢字を捨て去ったことからも分かる通り、情勢と
共に自ら文化を破壊する朝鮮が、「三国は大陸から中国文化を受け入れて独自の文化を作り上げ」とは、理解しがたい。
また、大和朝廷と中国の文化交流の玄関である「任那」の存在を教科書ではひた隠しにして「三国」と表記し、文化交流の
単なる通り道であった朝鮮が、教えてくれたことになっているようである。
その一方で、大和朝廷からの高い技術導入の存在を微塵も感じられないのが、韓国の教科書の特徴と言えよう。
このような国が日本の歴史教科書に口を挟んでくることに対して、毅然と断るべきである。
また、日本の各教科書出版社が、任那の存在をひた隠しにする韓国の主張に同調していることに対して、もっと抗議するべきである。


639 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 03:10:25
■大国主(オオクニヌシ)、素盞嗚(スサノオ)、天照(アマテラス)について

◎(神道)神社信仰は新羅人、加羅人、百済人が日本に持ち込んだ

日本各地には、古代朝鮮国の国名をもった神社が存在している。新羅(加羅)神社、百済神社、高麗神社である。
これらの神社の存在ははるか古代の朝鮮半島から渡来してきた人々が自分たちの国邑をそこに作っていたことを示している。
この三国の中で新羅の神を祀る神社は群を抜いて多くかつ古いものが多い。これは新羅国が古代日本の創世期に主役を演じていたことをうかがわせる。
新羅国を経由して渡来したスサノオが古代日本の形成の主役であったことを示している。
百済系神社が少なくかつ比較的新しいことは、アマテラスは日本の創世期には関与が少なく、日本神話を作るときに作り出され、
付け足されたものと見える。

九州南部にも新羅神社は多い。新羅(加羅)渡来の人々が居住していた。この新羅(加羅)の人の畿内大和への
移住があったかもしれない。神武東征神話は南部九州の新羅(加羅)の人の畿内への移動を借用したのかも知れない。
古代日本の創世の神は新羅からのスサノオであることは「記紀」からも読み取れる。
記紀に初出のスサノオは新羅のソシモリから渡来した。

記紀の中での渡来神ではスサノオが最も古い。もちろん、ニニギの降臨よりも古い。記紀の中の神はスサノオに集約される。
日本の正史「記紀」も、古代日本の創世神はスサノオでありアマテラスではないことを認めていることになる。

http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/test230.htm



640 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 05:11:10
>>637-639
電波乙彼さん
チョン半島に神社などないw

641 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 05:20:33
>>640
天照大神も加羅のアマテル神からきた神「高千穂のくしふる嶺の神話も
「加耶国」の始祖・首露王(スロワン/しゅろおう)が「亀旨峰(クジボン)に天降る話を真似たもの

古代日本では韓をカラといい、カラクニ(韓国)といった。これは伽耶、すなわち加羅からきている。
古事記の天孫降臨に出てくる韓国は伽耶からきている。唐津もしかり。伊都国は伽耶が引っ越してきたようなところとあります
古文書では朝鮮半島に対してムカツクニと言ったそうです。

ついでに「高千穂のくしふる嶺」は宮崎では遠すぎて糸島半島近くだと。
鶴、都留、弦巻のツルは朝鮮語のツルで原野の意味。熊本の球磨川には沿いにはツルが多い。
山梨の鶴は朝鮮渡来人の居住地。(ここに私に妙な縁がある人がいます)飛ぶ鳥の鶴は朝鮮語でツルミという。
奴国(なこく)の奴は朝鮮語のなと同じで国土の意味。
日本の白山だって朝鮮半島から来たものだしね。

642 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 05:33:10
「神話」でさえ韓国のパクリなんて日本って何なの?(笑)
神社だって渡来人が持ち込んだものだし
な、日本ってなんなの?



643 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 05:45:55
>>641-642
何だコピペ豚w
いつも駄洒落こじつけ電波ばかりだな
いくらわめいたって朝鮮が倭人の属国であったことに変わりはないぞ

644 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 05:54:58
属国の朝鮮に日本のものが伝わったこともあべこべにw

645 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 08:17:10
誤解のないよう付け加えれば、朝鮮人には歴史などない。
朝鮮半島とは、中国大陸、または、もっと広くユーラシア大陸のどこかで政変があるたびにその地を追われた部族が
流れつくところ、つまり、大陸の盲腸。それが朝鮮半島なのであり、朝鮮の王朝とは全て移民の起こした国なのです。
そして大きな財力を持った貴種だけが海峡を越えて日本に渡ってくることができた。百済王もその一人。
阿毎多利思比孤(聖徳太子)のように、日本を変えるような人物も渡来している。
朝鮮海峡は、雑民を日本に渡らせないためのフィルタ(関所)の役割を果たしました。
だから半島はレベルが低いと言っているのではないよ。


646 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:31:39
ムカツクとはムカツクニ(朝鮮半島)から来てんのか。

647 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:08:50
こういう電波ってさ、ほとんどがまともな論文や文献を持たないよな。

648 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 13:36:25
>>647書込は、お前の最も得意とする言語で頼む。

649 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 13:39:39
「硬直した官製史学の因習に囚われない斬新な発想に基づいた真実の歴史」
ってやつなんでしょうきっと

水に話しかけたりするタイプの人にもそういうのがいますよね

650 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:37:44
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

651 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:38:20
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

652 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:38:54
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

653 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 17:26:54
日本が渡来人達の混成でできあがったと言うのは事実ぽい
呉族、隼人族、加羅族、漢族そして新羅、百済、高句麗からの渡来人達が
それぞれ覇権を争い聖徳太子の時代ぐらいに「大和」の精神で統一し日本を作ったんだよ

中でも一番モロに影響受けてるのが百済と加羅
百済そのものが朝鮮半島から日本列島に国ごと移転してきたような感じかな
言語も古代朝鮮語の影響がかなり見られる

日本はヨーロッパの貧しい人達や新天地を求めて移民して来たアメリカと似ている
1400年前に起こったか、わずか300年前に起こったかの違いだけだ
日本の皇室も百済、加羅の系統だろうし日本神話も朝鮮半島起源なのはほぼ間違いない

宮内庁が卑弥呼の墓だと騒いでる箸墓古墳の発掘調査を許可しないのは怖いから
その他の前方後円墳も中まで調べて朝鮮半島起源がバレたら大変だと思ってる
日本の天皇の名誉に関わる大事件になることを防ごうと必死になってる

654 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 18:04:08
なんか根拠あって言ってるのかな

655 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 18:09:54
調べてみたら、学問的根拠は皆無のHPがほとんど。


http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html
↑道鏡のHP
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm
↑神社のHP
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
↑趣味のサークルのHP
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm
↑ページが見つかりません
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
↑個人のHP
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
↑新聞のHP
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
↑論文のようだが実態は個人的な手記。論文の体裁を為していない。
http://eimari.web.fc2.com/hagakure/japanese.htm
↑個人のHP

656 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 19:16:08
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


657 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 19:28:01
呉族って何だよ馬鹿じゃねえの?w

江南から渡来人が来てたら青磁も中国磁器の器形も伝わってるはずだろ。

その他諸々のリアルタイムの中国文物が一切伝わってねえよ。

658 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:26:14
百済って民度低いよね。

659 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:30:18
日本に来た百越人の本拠地であった地域がどんな文化をもっていたかが
分からない。結局、日本の古代文化を参考にするしかないのである。

660 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:25:30
インチキ歴史学のコピペを繰り返したところでそれが真実になるわけではない
ことを一体いつになったら朝鮮人は知るのだろう。いまだに声闘で学問をやって
いるのかな。

661 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:47:23
>>660
何を持ってインチキだと言いきれるんだ
日本の学者のほうがが真実を隠してるとは思わないのか?

っうか隠すまでもなく古事記にも日本書紀にも渡来人の影響力はたくさん
記述されてるし全国にある神社にも記紀や神話が伝わってる
百済人や加羅人、新羅人が渡来してきて倭人を制圧して建てたのが大和朝廷
それが事実なんだよ


662 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:04:29
我らにとって歴史とは学問に非ず、イデオロギーなんだよ。

師のおっしゃる事は疑いの目を持たず、信ずる事これ即ち礼儀なり。

そうで無ければ一流大学では良い成績が取れない、正しいとか正しくないとかは関係ない。


663 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:11:51
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


664 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:29:55
俺は倭人ってのが一番理解できない。
大陸からの渡来人? 呉の子孫?
アイヌではないはずだ。

665 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 23:19:50
歌垣はどうやら百済とは直接は関係なさそうだ。
たぶん、百済について日本に渡来した別の民族の風習だろう。
だから、もう、あの下品な歌垣の風習について書くのはやめてください。

666 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 23:40:29

>>661
>百済人や加羅人、新羅人が渡来してきて倭人を制圧して建てたのが大和朝廷
それが事実なんだよ

それなら何故、大和朝廷に百済語、加羅語、新羅語のかけらも残ってないの?
倭人を制圧して建てたのだったら俺達は朝鮮語を喋っているはずだよ。
それどころか、おまえら朝鮮人まで日本語を使っているのは何故?
おまえらは朝鮮人がハングルさえ満足に書けない、言葉を話せないのは何故?

おまえらは被支配者民族だからだよ。


667 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:02:48
>それなら何故、大和朝廷に百済語、加羅語、新羅語のかけらも残ってないの?
大阪弁とは、百済人が上代日本語を覚えた頃の名残が、独特のイントネーションや語尾の変化として今でも残っている。
たとえば、ユンソナの話し方、微妙に母国語の影響を受けているのがわかるだろう?


668 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:36:56
>>667 大阪弁の原型、関西弁は土佐に色濃く残っているが、百済人は
四国へも大量に渡来していたのか?

 それと朝鮮語には日本語みたいな高低アクセントがないわな。


669 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:39:47
>>667 >>百済人が上代日本語を覚えた頃の名残

・・・倭人を制圧して朝廷を作るほどの民族がなぜ被支配民の倭人語を
覚える必要があるんだ? スペイン人はインディオ語を学んだのか?


670 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:55:57
何が百越だよ。んなもん来てねえよ。

脳弱どもに向かってさり気にサギるんじゃねえよ。この詐欺チンクが。


659 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:30:18
日本に来た百越人の本拠地であった地域がどんな文化をもっていたかが
分からない。結局、日本の古代文化を参考にするしかないのである。




671 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:59:24
だいたい、どんな文化を持っていたかが分からないのに
何で日本に来た事が分かるんだよ?

馬鹿だろソイツw

672 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 01:47:00
すでに学会では定説になっている。論文や研究書はいろいろあるから
自分で調べろ。日本の歴史に無闇に半島をからめるのは迷惑だ。
やめて欲しい。史実を冒涜するものだ。


673 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 02:04:54
>>672
なんだ脳内定説に脳内ソースかw

朝鮮・朝鮮人を叩く正義の味方を装いながら、おまえの故郷の
南方中華に誘導する情報操作こそ我ら日本人にとって迷惑だし、
我ら日本人に対する陵辱であり冒涜だろが。

一度、故郷の台北101の屋上からジャンプしてくれないかw

674 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 05:14:34
>>653
いつもの無根拠電波妄想乙

>>661
真実を隠してるのはチョンw
前方後円墳が出てくるとブルドーザーで埋め戻してるもんなw

675 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 05:26:54
>>666
よく新たな異民族の支配者がその土地や、国を制圧して乗っ取った場合
征服した側の言語、文化、習慣が残ると言われるが必ずしもそうではない

例えば同じ島国のイギリスを見れば分かる
ローマ帝国の支配を受けていた現地人(ブリトン人)はローマの影響を強く受けていたが
後からやってきたサクソン人、デーン人はブリトン人を制圧してウェールズ地方に
追いやりその後にやってきたバイキングなどはサクソン人を制圧したが
サクソン人の言語や習慣に溶け込んでいって定住した

さらにノルマンディー公であるノルマン人の征服を受けても征服王朝の言語
フランス語は定着せずサクソン人の言語を使うようになり今の英語が誕生した

征服した側が必ずしも自分達の習慣や言語を一方的に押し付けるとは限らない
むしろ現地人の習慣や言語に溶け込んで同化していくケースが多いのでは

満州族の建てた王朝である清も満州語ではなく漢民族の使う中国語を使うようになった
のもそうだし百済人や新羅人が倭人にの言語や習慣に同化していったと考えるほうが
適切だと思う

676 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 05:40:53
「百済人や新羅人は倭を征服しなかった」と考えるほうがもっと適切だよ。


677 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 06:17:40
関西のイントネーション言語は
英語のそれに近いね
案外新しい由来なんじゃ

678 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 06:24:31
>>675
そもそも朝鮮自体が倭の支配下にあったのだから

679 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 07:53:38
>>671
どんな文化や言語をもっていたか分からない半島の人間が本当に
列島に来たかどうかが何で分かるんだ?それと同じだ。
馬鹿はお前だ。

680 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 08:13:46
だから百済云々はまるで無根拠なんだろう
「わからない」のになぜか日本の古代文化が百済だと断言する馬鹿

681 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 08:17:40
>>675
チョンが日本を征服したなんつう史料は皆無

682 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 08:19:30
逆はいっぱいあるけどな

683 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 09:02:44
されてるようなもんじゃん。俺もお前もあいつも帰化人

684 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 09:07:18
>>675
イギリスや中国ではなく、百済や新羅が日本を征服したという資料を提供してくれ。
まともなやつをな。

685 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 09:08:30
>>683
何妄想語ってんのチョン
征服されて日本に朝貢してつい半世紀前にやっと独立したのはチョン半島だけ
どんな電波言いわけしたってお前らが密入国者だって言う事実は消せないから

686 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 09:10:28
>>683
史料皆無w
まあお前んちが在日だってことはわかるがな
奴隷民は哀れだね

687 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 09:20:46
チョンのアホ論法だと

アメリカに日系人がいる→日本人がアメリカを征服した

こうなる。どんだけ馬鹿なの

688 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 10:05:41
>>685-686
勘弁して下さい大陸人さん。
さっきはああ書いたけど実は俺だけは土着の日本人なんです。
日本人の和の精神でつい自分も入れてしまいました。

お願いだからこっちには来ないで帰化人さん。
あなたの言葉も、電波の在日の朝貢の、と聞き馴れない言葉ばっかりです。
大和国の周辺はほとんど帰化人に占領されてます。
お願いだから東に来ないで。日本を占領しないで。

689 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 14:53:17
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

690 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 14:53:57
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

691 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 14:54:36
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

692 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 15:48:01
>>690
明治時代に日本から輸入された文化じゃないの?

693 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 16:29:13
>>691歌垣は半島へ帰れ

694 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:45:15
工学博士の歴史論はもういいよ
そういうキワモノに頼らないと成立しない立論なのは分かるけどさ

695 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 23:26:50
古事記や日本書紀、続日本紀、風土記なんかの文献見ると朝鮮半島との
関係が実に多く語られている

神社にも朝鮮半島由来の神社がたくさんある(新羅神社、高麗神社)
神話に至っても新羅だの韓国(からくに)だのとやたら出てくるし
高句麗の扶余神話や加羅の神話と酷似している

論理的に考えればやっぱり日本人の起源は朝鮮半島にあると・・
事実そうだろうし皇室も半島が起源だろう
百済人や新羅人が倭人を支配して日本を建国したかは分からないが
かなりの数の渡来人が大和政権の中枢を担っていたのは間違いないだろう
例え蘇我や藤原が百済系でも別に驚かないよ






696 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 23:35:27
日本人の起源も皇室の起源も沿海州。

半島とはその1400年後に若干関係を持っただけだよ。



697 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 23:41:53
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


698 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 23:45:04
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


699 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 00:17:32
3000年前に騎馬民族が存在したのかよ馬鹿ワン人w

700 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 01:19:08
>>695
稲作は大陸から日本へ直導入して、
半島へと伝わってますよ?
前方後円墳もね。
つまりね、
キミが言う「論理的に」っての、それ単なる「俺の願望」なのよね。

701 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 02:13:18
日本稲作はぜーんぶ朝鮮稲作のコピーだな。

大陸とは全然異なる農耕具や炊飯器が最古水田に伝わってるんだからw

ただそれを持ち込んできたのは航行人の北方のヴァイキングだがなw

縄文稲作があったとしても、これもやはり朝鮮だな。

大陸から伝わったのなら最初から水田稲作だし石製農耕具も伝わるはず。

つまり水田の無い稲作に非常に未開な場所から伝わったという事だよ。

702 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 02:22:52
結局まともな文献からの引用が一つもないのはまともな学説ではないから、
に尽きるということなわけで。

703 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 02:24:24
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


704 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 02:25:06
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


705 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 03:23:32

韓国人は韓国は中国の属国だったけど、日本は属国ではなかった、と正しく認識してるみたい。

平沢大学の中国学科長である池世樺教授は通話取材に対して、
「中国人の考えの中には、韓国は過去『属国』だったという概念が定着しているのに、北京五輪などで韓国が上手くやっているので、
こうした部分に対するコンプレックス的な思考の発露が起きたものだ」と指摘した。
池教授は、「これは中国国民の日本人に対する態度を見ればよく分かる。日本人が上手くやっても容易に受け入れられるが、私たちが上手くやることは容易には受け入れられない。
このような中国人の(韓国に対する)根本的な情緒が底辺にあり、最近の一連の事件が現実に(反韓感情表出に)火を点けたわけだ」と語った。


【韓中】韓国人教授ら:「中国の反韓感情の根は嫉妬。属国の筈の我が国が経済大国・スポーツ大国になったから妬んでいる」[08/22]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1219446028/

706 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 05:04:53
>>688
何その電波
在日が日本人のふりしないで

>>695
そりゃチョン半島は日本の一部だったんだから記述があってもおかしなことは何もない

>>701
気候の寒いチョン半島での稲作は日本の後

>>705
ただのホルホル電波だなw
中国人はちゃんと半島が属国だったってわかってる
日本はそうじゃないので一目置いてるってわけだ

707 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 05:29:56
>>706
日本を占領しないで下さい帰化人さん。
あなたの血がどれほど騒ぐのか知りませんが、
在日は昭和の話で飛鳥時代の帰化人と一緒に考える日本人はいませんから。

708 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 05:39:08
中国人は日本は大国だけど、韓国は歴史を持たない小国だと認識してるみたい。


【中国ブログ】中国人が語る「韓国を尊重できない理由」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0730&f=national_0730_035.shtml

>中国ですら5000年の歴史だというのに、歴史を持たない小国である韓国は、厚かましいことに6000年の歴史を持つと吹聴し、
>さらには韓国文明が中国文明を作り上げた、中国人は韓国人の末裔だと吹聴している。



【中国のアンケ】韓国がアジアのリーダーに?「資質ない」96%
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0409&f=national_0409_027.shtml

>「世界的に見れば、韓国は小国だ。中国、日本がある以上、経済力、影響力ともに韓国には勝ち目がない」



【中国のアンケ】中国と交戦の可能性がある国、第1位は?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0428&f=national_0428_005.shtml

>1位インド26.5%(4812票)、2位日本24%(4263票)、3位ベトナム16.2%(2893票)、4位フィリピン8.2%(1459票)。
>2位日本の意見もまた、日本海問題や尖閣諸島など領土問題に関するものが多かった。
>現在、文化侵略問題で険悪となっている韓国はわずか4.6%であった。理由としては「韓国は中国の足元にも及ばない」
>「相手にもならない」と軽視した意見が目立った。


709 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 05:50:25
>>707
何「日本人です」みたいな顔してんのw

710 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 06:37:50
>>709
日本人が珍しいんですか
そうですか
本当の日本人をまだ見たことがないんですね

711 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 06:50:17
>>710
在日が日本人のふりすんなってw

712 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 11:58:52
韓国で百済時代の墓を発掘したが、
出てくる遺骨が現朝鮮系住民とは違う人種だった。
飛鳥にある百済観音のように、背が高い人種。
ペルシャ系であろうかということになったいる。

日本に来た帰化人も背が高い人だったと聞くし、
うしなわれた部族の1つだろうという説まである。

713 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 12:17:02
一番問題なのは、


朝鮮・朝鮮人を叩く正義の味方を装いながら、日本人のルーツを何の関係も無い
南方中華に誘導するといった卑劣な手口の台湾・中国人の情報操作。


一番問題なのは、


朝鮮・朝鮮人を叩く正義の味方を装いながら、日本人のルーツを何の関係も無い
南方中華に誘導するといった卑劣な手口の台湾・中国人の情報操作。


大切な事なので2回言いました。

714 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 12:21:56
大和、朝鮮同族、今更何びびってんだよw

715 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 12:32:52
↑みたいのも台湾・中国人の情報操作。

716 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 12:47:52
なるほど百済発祥のはずの歌垣が華南から東南アジアにかけて
いまなお広く存在する事実は伏せなければならないのですね


717 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 13:21:53
>>711
同意を求められてもな・・・お前と一緒にしないでくれ。
俺は本当に日本人。

718 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 13:43:02
716みたいな偽善偽装が台湾・中国人の情報操作。


719 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 14:04:48
連中はセコイことはせんよw半島使って囲い込んでるかも知らんがな
確かに東シナ海じゃおちょくられてるが来る時は真正面から来るし
来なきゃ来ない。

720 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 14:48:22
↑みたいのも台湾・中国人の情報操作。

721 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 18:05:49
●韓国の歴史教科書に書かれた日本

◎朝鮮半島との文化交流

三国は大陸から中国文化を受け入れて独自の文化を作り上げ、発達した三国文化を日本へ伝えて日本の古代文化の発達に
大きな影響を与えた。(省略)

百済は日本と政治的に緊密な関係を維持したので、三国中、日本文化に一番大きな影響を与えた。
近肖古王のとき、阿直岐と王仁は日本へ渡り、漢文・論語・千字分を伝えてあげ、武寧王の時には段陽爾と
高安茂などが、漢字と儒教を教えてあげ、日本に政治思想と忠孝思想を普及させてあげた。続いて、聖王の時には
仏教を伝えてあげ、そのほか天文・地理・暦法などの科学技術も伝えてあげた。

722 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 18:13:32
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/nakatomi.html
●藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた

[概要]
朝鮮半島から渡ってきたと考えられるような場合にも、そうは書かない。あくまでも、日本古来の祖先から連綿と続いているかのような書き方をしている。

「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。
そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」そういう作為が感じ取れます。
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。
その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。
さらりと述べています。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/shinri3.html
●「韓人(からひと)」とは誰か?

[概要]
「韓人(からひと)、鞍作臣(くらつくりのおみ)を殺しつ。吾が心痛し」つまり、「韓人が入鹿を殺してしまった。
ああ、なんと痛ましいことか」 しかし、「韓人」とは一体誰をさして言ったのか
実は、中臣鎌足は百済からやってきたのです。少なくとも、彼の父親の御食子(みけこ)は、ほぼ間違いなく百済から渡来した人間です。


723 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 18:14:38
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/menu.html
●日本は古代韓国の植民地だった?

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou2.html
●今、日本に住んでいる人は日本人でないの?


724 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 18:32:11
しつこくコピペ貼りまくってるけどこういうのってバイトかなんかなの?

725 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 18:50:29
学問的に何の裏付けも価値もない個人のサイトで歴史が分かった
気になるような人は頭がおかしいってことを身をもって示して
くれているのではないでしょうか

726 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 19:47:27
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

727 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 19:48:01
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

728 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 19:48:42
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

729 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 19:56:00
また工学博士のエッセイですか…

730 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 20:26:02
>>724

'歴史戦争'に200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定 ...2007年6月18日

「北東アジア歴史財団」は、中国の高句麗(コグリョ)史編入と日本の歴史教科書歪曲に
対抗するための対策を用意しろという盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の指示で昨年4月
から準備を進めてきた。 今月末に50人余の組織(研究員は20人余) ...
japanese.joins.com/article/article.php?aid...200... - キャッシュ - 類似ページ


731 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 20:28:36

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-b.html
「東北アジア歴史財団」の愚挙―樹木があったはずだとして岩場に植林。 植林したら竹島(独島)?

>竹島には樹木があったはずだとして岩場の僅かな土地に植林し、今も竹島の自然体系を破壊し続けている。

これは、学問的客観性の意識など毛頭ない気違い政治団体ですね・・・




732 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 20:30:29

>東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク工作員がNHK出演とは終わってる。

ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]

【ゲスト】東洋大学教授…森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,
【…… ... 森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,【リポーター】
大桃美代子,【語り】高橋美鈴; スタッフ; 属性情報 HD 16:9 ステレオ コピー1
tv.yahoo.co.jp/program/122300/?date...ch... - キャッシュ - 類似ページ


733 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 21:03:43
今度、自民党総裁になった谷垣氏、歌垣で有名な百済人の末裔でしょうね。
もっとも、鳩山氏は秦氏の末だし、菅の親は在日だというし、血が汚れている。
ここはやはり神武天皇の子孫の亀井静香に日本の将来を託したい。

734 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 21:31:26
●百済人が日本にもたらしたもの

・仏教(あくまで大陸の仏教ではなく百済の仏教)

・『論語』、『千字文』『易経』・『詩経』・『春秋』・『礼記』

・暦法・天文地理

・紙・墨・絵

・須恵器、伎楽舞

735 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 23:09:27
●百済人(漢人、半島倭人を含む)が日本にもたらしたもの

・仏教(あくまで大陸の仏教ではなく楽浪郡の仏教)

・『論語』、『千字文』『易経』・『詩経』・『春秋』・『礼記』

・暦法・天文地理

・紙・墨・絵

・須恵器、伎楽舞

・・・すべてがシナ文化だ。


736 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/29(火) 01:39:30
>>735
>・・・すべてがシナ文化だ。

韓国人は、すべて韓国人が作った文化だと申しております。
だから、孔子も韓国人だそうです。


737 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 01:54:18
>>735
どうであろうが、
現代コリア人とはなんの関係もありませんけどね。
ましてや韓国なんて。

738 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 05:24:37
>>717
無理すんなってw

>>724
チョンだからだろw
妄想を書きつづけることで自分自身を洗脳しつづけている

739 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 10:26:02
■日本と朝鮮半島2000年 第6回 蒙古襲来の衝撃  ●三別抄と鎌倉幕府の[概要]

・高麗の三別抄は強力なモンゴル軍相手に3年も勇敢に戦い抵抗し続けた
 モンゴル軍は日本侵略軍を送り込む軍隊を急きょ済州島に移った三別抄に差し向けたために
 日本遠征が大幅に遅れたことは当時北条時宗兄弟の対立で外国に目を向ける余裕がなかった
 鎌倉幕府と日本にとってはとてつもなく幸運だった

・文永の役、博多を制圧して焼け野原にしたモンゴル軍が一日で引き上げたのは三別抄との戦い
 で武器を消費したのと高麗王の死去が重なり、5月〜6月に襲撃する予定がすべて中断になり
 その間準備されたものが消耗してしまったため戦闘を持続する時間を制限されてしまった
 つまり軍事物資が不足していたため撤退した
 三別抄が抵抗したおかげで日本遠征軍の軍事力が大幅に緩和したと思われる
(しかし敵のてっほうや毒矢などで鎌倉武士団は一歩的にやられ博多は火の海になる)

・弘安の役では鎌倉武士はモンゴル軍相手に奮闘した、そして台風で船団は壊滅した(日本の勝利とは言っていない)
 日本に奇跡が起こったのも三別抄の抵抗の時間稼ぎとと神風が吹いたおかげである

・1228年のモンゴル軍ベトナム侵略に向かう、バクダン川の決戦でモンゴル軍はベトナム軍に敗北する
 怒ったクビライは3回目の日本遠征軍を日本には向かわせずそのままベトナムに向かわせる
 これにより3度の蒙古襲来は避けられ日本は救われた

・1273年製造と見られる高麗瓦が沖縄で発見される
 勇敢に戦った三別抄の残党が済州島で敗北した後、沖縄に逃れているのではと韓国、日本の学者達の間で
 注目されている

◎番組最後に日本で生まれ韓国に住んでいるリポーターの笹部佳子さんのコメント

「三別抄の足跡をたどって韓国中長い距離を移動してきましたけど、彼らの国をを守りたいんだという
 執念がひしひしと伝わってたんです(ロケ中は涙目の時も)またそのこと自体が日本に大きな影響を
 与えていたことがとても驚きでした」(鎌倉武士の戦いにはほめ言葉すらない)


740 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 10:42:15
[結論]

・文永の役は三別抄の抵抗で日本侵略が遅れモンゴル軍の軍事力を
 緩和したことがほぼ日本との戦に勝利していたモンゴル軍を武器補給のため
 一時撤退に追い込んだ、日本を救ったのは三別抄である
(三別抄が抵抗してなければ日本は一度目の文永の役で敗北していたと言わんばかり)

・弘安の役も三別抄が時間を与えてくれたおかげとラッキーな神風で日本は救われた
 (鎌倉武士は奮闘した、それだけしか言ってない日本が勝利したとも言ってない)

・3度目の日本遠征軍はベトナムがモンゴルに勝利したおかげで日本遠征軍を
 ベトナムに向けたことが日本を救った

・高麗瓦が沖縄でみつかり日本軍でも勝てなかったモンゴル軍に3年も戦い
 続けた勇敢な三別抄の残党が逃れたのではないかと日韓で注目を浴びている

・この番組のリポーター日本生まれで韓国に住む笹部佳子さん
 
「三別抄の国を守りたいんだ、国を守りたいんだって言う執念をひしひしと
 感じました」
(弘安の役で勝利した日本の鎌倉武士団には褒め言葉もなく完全スルー」
 
何なんだこの番組はww 

741 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 19:41:27
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

742 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 19:42:03
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

743 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 19:42:35
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

744 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 20:31:48

 歌垣なんて下品な風習は百済にはない。くだらねえコピペはするな。

745 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 20:51:30
韓国には盆踊りはないの?
へー

746 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 21:01:48
韓国には盆はない。キリスト教が主流です。

747 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 23:09:46
日本の正月は百済から伝来したもの

へー

748 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 00:20:22
秦からの逃亡中国人が建国したのが辰韓(前2世紀〜4世紀)で、
それが12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅になった。
そして、朝鮮人の母体は新羅人。
と言う事は朝鮮はルーツを辿ると亡命中国人なの?

749 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 01:16:10
>>739
>>740
無知っぷりに呆れるわwww

750 :wiki だけど。:2009/09/30(水) 01:26:53

歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を
掛け合う呪的信仰に立つ習俗。現代では主に

中 国 南 部 からイ ン ド シ ナ 半 島 北 部 の山岳地帯に分布しているほか、
フ ィ リ ピ ン や イ ン ド ネ シ ア などでも類似の風習が見られる。

古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。


朝鮮半島南部は東南アジア文化圏の一部ということのようですね。

751 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 02:02:28
つまり今の日本があるのは百済人と三別抄のおかげ

と言うことでOKw

752 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 03:59:52
●笹部佳子

笹部 佳子(ささべ・よしこ、197?年11月14日 - )は、大韓民国在住のフリーライター、アナウンサー。
愛称は「ささ姫」。

◎経歴

福岡県北九州市出身。神戸学院大学卒業後、NHK富山放送局の契約キャスターとなり、地域情報番組で活躍。
契約期間満了後帰郷し、地元でフリーアナウンサーとして活動していた。

2000年10月、韓国に単身渡航。渡航を決めてから韓国に渡るまでに僅か3週間と短かったため、この頃は韓国語は全く話せなかったという。
そのため、西江大学校語学堂に入り、1年半韓国語を学んだ。卒業後、本格的に韓国に拠点を移して活動を再開。
2004年4月、3年余の経験をもとに書いた「韓国で働く」(めこん社)を出版。

2004年10月、ソウルで「COCORO」を設立。以降、韓国人スタッフと共に各媒体の取材活動を続けるほか、日韓交流イベントの
司会、企画、コーディネイト、制作も手掛けている。
またこの頃から、韓国KBSの国際放送「KBS WORLD Radio」のパーソナリティーとしても活躍している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E9%83%A8%E4%BD%B3%E5%AD%90
http://www.konest.com/data/korean_life_detail2.html?no=1208

「三別抄の国を守りたいんだ、国を守りたいんだって言う執念をひしひしと 感じました」
(弘安の役で勝利した日本の鎌倉武士団には褒め言葉もなく完全スルー)

                                   Byささ姫


753 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:14:45
次に、ダンジリについて語ろう。

 ダンジリは、シナ・朝鮮には見られず、日本以外ではインド、ネパールに見られる特異な神事である。

 神社から神を担ぎ出して、町を練り歩く独特の祭りが日本とインドで独立に成立したとは考えられないほどよく似た形をもつものである。

 これから推測すれば日本神道はヒンドゥー教に起源をもつ宗教と考えられる。



754 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:26:02
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。


755 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:26:42

韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。

756 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:27:34
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。


757 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:41:32
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人

それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな


広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。

一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので

百済≒高句麗≒渤海  ≠  三韓=朝鮮民族



758 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:42:25
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE

■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること


759 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:43:32
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し冊封され支配、統治され
朝鮮人は混血も重ねています(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)

近年韓国で医学界等の遺伝子や血液の分析で朝鮮のルーツは北方である事
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との
混血である事も徐々に指摘、新聞でも報道されはじめました

血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報
韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828

"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html

韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html

顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400

もし日本人、韓国人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって
日本人が似ているのではないのです

朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、
今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり
それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです

国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400

韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上)
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056

760 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:44:21
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
 満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
 では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
 高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。


761 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:45:39
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。


762 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:47:01
コピペチョンが何わめいたって所詮電波なのにな

763 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:47:51
百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人

渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。


764 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:49:05

高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。

wiki より

上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。



765 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:51:11

          /\
        / 大\
      / / ̄\ \
    /清|へノ⌒|国/\
    \  \_//  .\
      \属 . /      \
       \/         \
             ∧∧∧∧ \
            <  `/)  >ヽ∧
            /   /  / `∀> ∧∧
          ◇(   イ◇  (   ,つ`∀´>
          /ヽ  )) ヽ  )ヽ )と  , イ
          (_/(_/(_/(_/ノ(_/⊂ノ> )J
      / ̄Y ̄`|/ ̄^Y ̄ヽ/ ̄ ̄Y `´ ̄\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
見ろチョッパリ! これがウリ達の誇らしい国旗ニダ!


昔の韓国の国旗は、清(中国)の属国と書かれていた

最古の太極旗の絵が発見
http://www.chosunonline.com/article/20040126000072
http://file.chosunonline.com//article/2004/01/26/096308444610326967.jpg

韓国の国旗自体が、中国の清の属国国旗だと言ってるじゃないか


766 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:51:59
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

767 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:52:43
朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。 
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。

768 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:54:22
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)

1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
    長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
    国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
    反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
    しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
    しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
    泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/
韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm


769 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:55:23
宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、
朝鮮 半島の鉄則のようなものだ。千余年来、たいてい同じようなことを繰り返したのであった。
だから千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が
兵を引いたという歴史事実が繰り返されている。
 ではなぜ戦後になると韓国知識人の歴史歪曲が、日を追ってますます神話まがいのものまでに
変化していったかというと、それはどの民族も自存自衛のために欠かせない民族の自尊心にある。

韓国は壬辰倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐のこと)で焦土と化した。だから三百年もへても立ち
直れなかった。いやがうえにも倭乱のひどさを強調した いという気持ちはわからないでもない。
しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。
もしあるとす れば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに
再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退 したという自慢話と、
三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己撞着はないのであろうか。
 韓国知識人はつねにこのような歴史歪曲で「反日」を正当化する。

              韓国人の反日台湾人の親日  黄文雄 光文社


770 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:56:32
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
「新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る 所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」 と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」と書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」


771 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:57:20

アメリカ大使館「朝鮮に歴史無し。昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」
http://s04.megalodon.jp/2008-0104-0331-22/www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=9&nid=3182743
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=8434966&oldid=8280871



772 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 05:53:33
秦からの亡命中国人が建国したのが辰韓(前2世紀〜4世紀)で、
それが12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅になった。
そして、朝鮮人の母体は新羅人。
と言う事は朝鮮人はルーツを辿ると亡命中国人なの?

773 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 06:23:26
韓国人の中で新羅系は優秀らしい。 

774 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 06:43:57
所詮チョン

775 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 07:11:28
■『三田渡碑』、またの名を『大清皇帝功徳碑』、韓国人には『恥辱碑』

『三田渡碑』丙子胡乱で朝鮮が負けた時に、朝鮮王が清国皇帝に9回地面に頭を擦り付けて服従を誓った記念碑。

それに刻まれている文章を要約すると
★『大馬鹿な朝鮮王は愚かにも、偉大な清国皇帝に逆らった』
★『清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった』
★『良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った』
★『我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする』
★『大馬鹿な朝鮮王は愚かにも、偉大な清国皇帝に逆らった』
★『清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった』
★『良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った』
★『我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする』

さらに1637年1月30日に朝鮮が清国に結ばされた和約の内容は、
★朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと
★朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと 
★王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること 
★清が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること 
★内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること
★城郭の増築や修理については、清に事前に承諾を得ること 
★清に対して黄金100両・白銀1000両と二十余種の物品を毎年上納すること 
★清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること 
★清が鴨緑江の河口にある?島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること 
★清からの逃亡者を隠してはいけない 
★日本との交流を許すこと
『二十余種の物品』の具体的には、清国に毎年美女3000名、牛馬各々3000を献上等々。

▼なお、「この和約は下関条約で無効となる」  ← ここ重要


776 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 07:39:46
>>772
辰韓を建国した百越系の亡命中国人はスサノオに率いられて
日本にきたの。
東シナ半島の様な、いやな所には居たくはない、と言ってな。

777 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 07:49:30
スサノオ云々は異説のひとつに過ぎんから

778 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 09:37:18
http://www.youtube.com/watch?v=AhTatuOqC7Q&feature=related
【韓国の国史授業】 任那日本府を論破する

この碑石は高句麗の碑文だから部分、部分に主語が省略してると解析する
海を破の間で切って読む

百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」
                    ↑
                    ここ                      
つまりこうなる

「倭が辛卯年に海をこえてきた。そして高句麗の広開土大王が百済を潰して新羅を臣下にした」

当時、倭と百済と加羅は同盟だった、新羅は高句麗の影響下にあったからこの391年の事件も
倭が海を越えてきた、だから倭を叱るため広開土大王が倭の同盟国だった百済を潰して新羅を臣下にした

だとさww


779 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 21:23:36
宗家の中国人が
倭が百済、新羅を臣下にした、と解読しているんだがら、
属国の朝鮮読みは間違いであり、捏造。

780 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 22:37:03
>宗家の中国人が

そもそも日本の任那日本府を認めてる支那。

781 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:36:40
任那日本府とはいわゆる大和朝廷の屯倉。
通商上の拠点として治外法権が認められてはいたけれど、
その周辺地域全体を支配していたのは別の勢力。


782 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:38:33
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

783 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:39:17
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

784 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:40:00
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

785 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:55:55
●青銅鏡の秘密(日本古代王朝の起源は百済)

http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/06-1.htm
エジプトのピラミッドよりも巨大な世界最大の古墳と言われる仁徳天皇陵は、大阪湾に隣接している。
そしてその側には、仁徳天皇と鷹狩りにも一緒に行っていたとされる百済王族の酒君塚がある。
またその近くには南百済小学校、百済大橋、百済という苗字を持つ人々など、1400年が経った今でも日本古代王朝の
発祥の地である百済の痕跡を感じさせる様々な様子が残っている。

こういった様子は、仁徳天皇の父である応神天皇陵の周辺からも見ることができる。応神天皇は百済から王仁など多くの博士らを
招き、論語、千字文を教えさせていて、当時その周辺には船氏、飛鳥部(戸)氏などの百済系の勢力が居住していた。
なぜ百済系の氏族らは日本天皇陵の周辺に居住していたのだろうか。これは歴史の謎ともいえるが、日本人の心のふるさととも
言われる飛鳥地域で、当時百済勢力の蘇我馬子のお墓として知られる石舞台古墳を含めた百済人の古墳群(飛鳥千塚、新沢千塚など)は、
そこに大規模な百済人が渡来し、言わば「新百済」または「リトル百済」を形成、居住していたことを証明する。
また「続日本紀」でも当時飛鳥地域の10人中9人が移住民であると記録しているほど、現在の奈良県にあたる飛鳥地域は、百済の文化が日本に入る前哨地でもあったと考えられる。


786 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 01:57:46
はいはい、
前方後円墳は日本が先で、
日本から半島へ伝わっているんですけどね。

787 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 02:15:37
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


788 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 02:21:38
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


789 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 02:38:41
●任那日本府の真実

広開土大王碑文には百済を服属させたのは、倭つまり日本でなく高句麗であったと言える。当時倭は倭寇等で呼ばれていた
少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を持っていなかった。
従って広開土大王碑には新羅を侵略した倭を高句麗が退けたという内容がいくつも出てくるのである。

日本初期に日本府は"大和の御事持"であると記録していることから、日本府は総督府のような軍事統治の支配組織ではなく、
王の使臣を称するものであったことが確認できた。
日本が伽耶出身で、主に吉備、河内地域にいた伽耶系日本人を外交使節として安羅に派遣し、鉄器や土器の輸入を
担当させていたと考えられる部分である。

大阪にある辛国神社は、伽耶人たちが交流の多かった日本に移住したした6世紀頃、故郷を偲びながら祖先を祀っていたのが
始まりであると伝えられている。特に安羅国が滅亡する6世紀末、多くの伽耶人が日本に移住し定着していたという。
従って日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。
この他にも伽耶の鉄と先進文物が、日本の古代国家形成に決定的な役割をしたということは、様々なところから推定することが出来るであろう。
また日本で伽耶土器と知られている須恵器の大量出土は、伽耶の須恵器製造集団の日本移民を意味するものであろう。
こういう関係から考えて古代日本が古代韓国を支配したということは、考えにくいのではないだろうか。
http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/24-1.htm


790 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 03:46:26
貫井正之さん、アマゾンで3冊しか著書がヒットしない上に、今は取り扱い
できないってさ。
死ぬまでにまた本が出せるといいね。

791 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 03:48:08
●日本最高の新羅商品、新羅産毛氈(もうせん)

◎正倉院の宝物の意味

正倉院に保存されているものは、主に8世紀前後世界各地から入ったものである。日本の古代国家の完成期であったこの時期に、日本文化を
一段階高めたということで、日本ではこの正倉院の遺産に対する自負心がとても強い。そしてこの正倉院の宝物で象徴される8世紀の日本文化を、
聖武天皇のころの年号をとって天平文化と呼んでいる。

一方この時期中国も唐の文化が花を咲かせていて、首都長安は世界各地から様々な文物が集まる交易の中心地だった。
それで新羅もこの時期長安に使臣を派遣し、輸入してきた唐の先進文化を日本にまた輸出していたのである。
しかし日本はなぜこのような文化を中国から直接受容しなかったのだろうか。それは島国であった日本が外部の文物を受容するには
遠くの国まで行ける船が必要であったが、それまでの日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった。
そこでこういった事情の日本に、中国の品までも入れるにしたのが、当時東アジア一帯で造船術と航海術の達人として活躍をしていた新羅商人の存在であったのだ。
日本皇室の宝物倉庫正倉院に眠っている新羅からの文物は、このような新羅の力量と日本と盛んに行われていた当時の貿易関係の様子を今日も静かにもの語っている。
http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/04-1.htm

>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった
>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった

792 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 04:51:25
>>789>791
ちゃんとあらゆる史料に日本が朝鮮を征服したとかいてあるわけだ
うだうだ言ったって覆らんよチョン

793 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 05:36:01
日本の学者って任那日本府や七支刀なんかでは韓国の学者と対立してるけど
なぜか百済人が現在の韓国人という視点では韓国の学者と一致してるんだよな

古代朝鮮半島は日本が支配してたとか、七支刀は格下の日本に百済から下賜
されたものだとかそういう論文やブログは見たことあるけど日本人学者が
「百済人は現在の韓国人ではない彼らはほとんど日本に亡命してきたので
子孫は韓国にはいない、むしろ我々日本人の先祖だ」と主張した学者は訊いたことないし
歴史論文や個人ブログなんかでもなぜか皆無だ(不思議だ)
当然韓国人学者たちからもそんな声は聞こえてこない(あたりまえだけどw)

そう主張してるのはこの板に張り付いてるヤツだけなんだな(笑)
なぜ、百済人は韓国人ではないと主張しないのか?
百済人=韓国人は規定の事実なのか?
そんなことを主張したら学会でバカにされるんだろうか?


794 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 06:06:01
>>793
古代史学者の上田正昭京大名誉教授は任那日本府なんか存在せず、七支刀は倭に下賜したものって主張してるよ。
上田は高校教師だった時に在日朝鮮人の学生が虐められてるの見て衝撃を受けたんだって。
で、それ以来は確信犯的に親韓なことばかり言うようになった。
日本の文化は全部半島から来た、天皇には朝鮮の血が入ってるとか倭は半島の属国だったとか言ってる。
おそらくそうする事で日本人の朝鮮に対する差別感情を無くそうとしてるのかな。

795 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 06:23:29
迷惑だな
そんなことのために歴史を捻じ曲げるなよ

796 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 07:28:28
あの当時、世界一文化の進んだ文化をもった縄文人は、気象変動に伴い日本列島に弥生人が入植してくると、
沖縄や北海道、カムチャッカ半島やアメリカ大陸に押し出されてしまい、日本にはほとんど子孫が残っていない。
にもかかわらず、ほとんどの日本人は、縄文文化を創り出したのは我々日本人の祖先であると誇りに思っている。

これと同じじゃないか?

797 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 07:38:41
縄文人が(百済人が半島から押し出されたように)列島から押し出された、
なんていう「史実」はどこにも存在しませんよ。

798 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 07:50:36
>>796
縄文人はどこかに追い出されたことは無いんだが

799 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 08:03:55
25%は縄文人 75%弥生人

800 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 08:09:28
アイヌは南方からという説が有力だったが、そうでもないらしいな。遺伝子によると。

801 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 08:54:30
>>799

追い出されたかどうかって話にそんなもんは関係ないが

802 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:43:06
青銅や鉄製の武器を持った弥生人に追い出されたのでしょうね。
かわいそうな縄文人。( ; ; )

803 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:47:26
逆説的な話だが、百済人こそ縄文人の子孫で、
弥生人によって奪われた祖国日本を取り返すために、
騎馬民族をひきつれて渡来し、大和朝廷を乗っ取った。
そして弥生人を支配したのではないだろうか?
蘇我氏、藤原氏、源氏というのは、百済人の子孫だと思われる。
また、平氏は、縄文人が連れてきた騎馬民族の末裔。

804 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:48:17
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

805 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:49:49
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

806 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:50:28
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

807 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:47:03
>>803すごいです。そうだったんですね?!びっくりしました。

808 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:01:47
門外漢しか頼りにならないんだな。
専門学者からは見向きもされてないもんなw>騎馬民族征服説

809 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:12:07
>>808少し違います。
騎馬民族を味方につけた縄文人が征服したのです。
大和朝廷を乗っ取った主体は、騎馬民族ではありません。

810 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:12:19
門外漢であることでなく、内容がデタラメなことで相手にされてないんだけどね。
工学博士にしろ貫井正之にしろ。

811 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 22:36:34
>>803
いや、実は百済人ってのはいなかったんだよw
聖徳太子みたいに後世に捏造されたスターみたいなもん
百済人の正体は、ただの扶余族が高句麗南下に伴い半島南部に押しやられ
最後は日本に逃げてきた、ただそれだけなんだよ

それをまるで百済と言う国があり日本に仏教を伝えたとか先進技術を伝えたとか
古事記、日本書記などででっちあげたんだよ
百済を作りだすことによって得をする人物の手によってねw

(ただ韓国でも百済の遺跡や出土品は武寧王の墓と王隆寺跡以外
ほとんど発見されてない、実は百済は遼東半島西にあったなんて説もあるぐらい)

812 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 01:31:54
>>803
朝鮮史学かよwww
妄想願望ファンタジーは、押し入れの中でやれ。

813 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 03:37:54
>>812渡来人の押し入れ2ちゃんねる。なんだ、ここのことじゃないか。w

814 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 04:54:56
>>802
出て行く場所も無いのに追い出されるなんてこたーない
縄文人に吸収されていっただけのこと

>>803>>813
はい電波乙

815 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 07:26:56
>>814
同意。2ちゃんねるか決して押入れなんかじゃない。痰壺だ。

816 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 07:55:26
朝鮮人は糞壷にでも入ってろ

817 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:01:34
在日はこんな所で電波を飛ばしてないで、ハングルの勉強でもしてな。
韓国への帰還運動でもやりなよ。
おまえらは外国人なのよ。
それとも何かい、
祖国に帰るのがそんなに恐いの?

818 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:07:59
>>815
わけわかめ

819 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:35:44
また悪党の台湾人工作員の熱演する朝鮮人だろ?w 

自分でボケて自分でツッコミ。

朝鮮人の魔の手から救ってくれる正義の味方を装った後に空かさず、
江南江南江南江南江南江南江南江南江南江南江南江南・・・・・

820 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:43:13
>>789
5世紀以前、倭とは大和政権だけでなく朝鮮半島南部も倭と呼ばれていた
つまり倭人は日本列島だけでなく半島にもたくさんいたのだ

特に金官加羅なども倭人系であり、倭とは大和だけを指すものではない
では碑文の「倭が海を渡って」という下りがあるがこれは当時、加羅の同盟国
だった倭国(属国だった可能性大)から戦闘要員として借り出された倭人達であると
考えられる
つまり高句麗と激しい戦いをしたり新羅の王城を攻め落としたりしてたのは
大和の倭人ではなく半島南部の加羅だと考えられる
その戦いに(391年)大和の倭人集団が海を越えて加羅の備兵として戦ったことが
誇張されて碑文に刻まれたというのが真相


821 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 13:11:25
それが真相なら加羅の王族を支配層に取り込んだ新羅が史書に
克明に記述しないわけがないんだが

822 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 15:07:50
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

823 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 15:08:18
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

824 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 15:08:58
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

825 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 18:54:38
スクリプトなのかな…

826 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 21:36:25
手動ではないの?

827 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:09:31
それで韓国では万葉集に相当する歌集はなんて呼ばれてるの?

828 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:16:48
百済にないもの・・くだらない。
多利にないもの・・足りない。

いかに日本文化が百済や多利の影響を受けているかがわかります。

829 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 02:01:28
毎日スクリプトくんは、
日本語で書かれたそのコピペが
一体なんて書いてあるかわかんないんだろ。

830 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 04:07:28
828のすっとこどっこい
下らないが百済ないだと
本当に日本人かい
江戸時代、上方から江戸に船で輸送されない物の事を言ったんだよ

831 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 04:21:34
正解

832 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 05:03:07
>>820
残念ながら電波です

833 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 09:32:13
>>832
この時代(4世紀後半)の百済や伽耶は領土も大きく高句麗は勢いが増してる時期
新羅だけがひ弱という構造の中で果たして大和朝廷が海を越えて百済や新羅を
臣下にしたなんてことが本当にあったんだろうか?

ましてや伽耶も全盛期(新羅に降伏するのは532年、滅ぼされるのは562年)
普通に考えて伽耶や百済の要請で高句麗と戦うために備兵として雇われたと考えるほうが
当時の東アジアの力関係から見て妥当な考えだと思うが

倭人は人口が多く兵力の代償に伽耶から鉄資源、百済からは先進技術などを
取り入れた、そのための機関こそが大和のミコトモチといい半島南部に設置した
そこに駐在していた大和からの倭人達(6世紀中頃まで)の墓が安羅などで見られる墓
であり新羅に伽耶が滅ぼされる562年前後までその機関はあり伽耶滅亡後は
倭人達は大和に帰還した

その後、蘇我馬子や聖徳太子がミコトモチのあった伽耶の鉄資源を再び取り戻すべく
新羅征伐を敢行するが新羅出兵は中止される

つまり新羅や百済を臣下にして朝鮮半島南部をを支配してたわけではなく
鉄鉱石や先進文物を入手するための外交施設のようなものであり、それが
日本書記編纂で「任那日本府」などと書かれたために今日まで物議を醸している

百済や伽耶の要請で海を渡って戦いに参加した倭人が余りにもたくさんいたため
高句麗は倭が海を渡って百済や新羅を臣下にしたと勘違いしたんではないだろうか
実際は百済や伽耶の備兵として戦っただけなのに百済、伽耶以外に大和の倭
まで参加してきた連合軍を我々は打ち果たしたと誇張したかったんではないだろうか


834 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 12:17:51
前線基地だから力入れてでかくしてやっただけだろ。昔から半島南部はそういうとkoda


835 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 12:32:05
任那とは屯倉のこと。
大和朝廷直轄領、つまり租借地。
通商上の拠点ですね。

836 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 12:52:10
天皇の三種神器に百済の王器が加えられたのだが火災で百済の王器が焼失して以後は廃止されたと言う。これは天皇が百済の王位を兼ねたと言う事である。

837 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:17:41
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

838 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:18:24
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

839 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:19:08
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

840 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:23:40
>>830その江戸っ子というのがまた百済からの移民だということに、
あなたはまだ気づいていないようですね。

841 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:24:48
張り続ければ信じてもらえると思ってんのかコイツ?
大体同じヤツしか見ないってのに。

842 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 22:22:10
いつも「歌垣」張ってるやつウザいんだけど
もうわかったから張るな



843 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 22:28:06
ふーん 江戸っ子って倭国に王子を人質に差出したり、朝貢したり、領土を貰った百済から来たの
Gm遺伝子とか調べてね
朝鮮人と日本人は別って解りますよ
言葉も日本書紀の成立時ですら訳語(をさ)・・・通訳が必要な位違いますし


844 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 00:07:30
朝鮮4郡
高句麗(丸都):玄兎郡
平壌:楽浪郡
任那:真番郡
臨屯郡は後無し
みんな漢が落としていったパンツに生えたサルマタケ



845 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 03:12:08
>>841-842
ハングルで言わないと理解されないと思う

846 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 05:03:19
>>833
はい、本当にありました
否定するのはチョンぐらいのものです

847 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:45:52
>>846
オレはチョンじゃないが民族主義的な概念を払しょくした視点で
当時の東アジアの力関係や日本の国力を冷静に判断した場合
どう考えても百済や新羅を臣下にして高句麗と戦っていたなんてことはとても無理

新羅はともかく百済も高句麗も勢力を拡大していた時期であり、伽耶だって
鉄生産技術で国力が充実してたこの三大国(あくまで当時の倭国からみて)
と張り合う力さえなかったのが現実だよ

百済や伽耶が高句麗と戦うための兵力を倭に要請しただけ
(代わりに伽耶は鉄資源、百済は先進技術や七支刀などを倭に下賜)

倭とは当時伽耶も倭人であり大和と同系だと思われていた
しかし海を越えて来た大和の倭人を高句麗は過大評価し(あるいは意図的に)
自分達の優秀性を示すために碑文に誇張して残したというのが真相に近いと
思ってる



848 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:49:29
>>847
ただの電波ですな
百済も日本に朝貢して王子を人質に出していたというのに
何でもあべこべにするチョン特有の精神疾患

849 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:51:15
ま、誇大妄想はいい加減にするんだな
現実は変わらんよ

850 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 08:24:24
蘇我入鹿の暗殺の時、三韓朝貢の儀式の最中だって日本書紀に書いてあるのご存じかな
三韓朝貢ってはっきりと
ついでに当時の朝廷の人びとは、新羅や百済はしばしば信義に反した行為をとる卑怯な者どもの国であると、三韓を蔑視していたこともご存じかな

851 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 08:33:37
今も昔も変わらないんだなチョンは

852 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 11:44:11
>>843
朝鮮半島には、もう百済人の子孫はほとんど残っていないと何度言ったら理解してくれるのだろう?
あほか?


853 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 12:32:10
百済人はほとんど日本に移り住んでいるんだよ。
江戸は百済人の移住地だし、平氏は阿羅人だし、
今の朝鮮族が朝鮮半島のイメージを悪くしているのです。

854 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 12:58:16
韓国で差別を受けているのは全羅南道の出身者。旧百済の末裔である。韓族とは民族的に別系統であり現在も浮いた存在である。出身の故金大中氏が大統領となり雪辱を晴らした。

855 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 17:04:30
852  百済人は日本に何人来たのか教えてくれ
日本の人口は当時の文献によると
1、589年 393万人
2、622年 503万人
3、721年 584万人
1、2間の急激な増加は人口把握率の増加だと考えられるが百済滅亡660年を含む2、3間には急激な増加は見られないのだか
一説によると渡来が数千人と言われてが1万人としても0.25パーセント
その子孫が江戸っ子?
考えられない!!

856 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 20:56:13
>>850
当時は中国に使いを出しただけで向こうは自分達に朝貢したと
勝手に思ってる時代
それは何も中国だけでなく日本もやってたんだよ
百済が使いを出せば倭に朝貢だとか新羅が何か贈れば献上とか

朝貢というものが実際本当にどの程度のものであったかは正確には謎だ
貿易をするために使いを出す儀礼的な朝貢だったかも知れないし封殺体制に
されてた真の属国だったかも知れないしそれは分からない
少なくとも百済や新羅の日本への朝貢はただの使者を勝手に朝貢しに来たと
思いこんでた可能性が高い



857 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:23:24
使者をそう思い込んでたんじゃなくて、そう見なすのが当然だっただけだよ。
例えば耽羅国からの使者を、朝鮮本土の王権はみな朝貢だとみなし、正史にも
そう書いた。日本もそう。耽羅は文句が言えなかったからね、立場が弱いから。
新羅や百済から質を取っていた倭が、それらの国からの使者を属国からの
朝貢使だと見なすのは当たり前。使者も(内心はどうあれ)そう見なされること
を承知でやってきたはずだよ。

858 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:27:57
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

859 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:29:21
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

860 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:29:53
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

861 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:54:42
>854
ああ、全裸道

862 :◆VWCBut9QG7q4 :2009/10/04(日) 23:11:56
このスレ面白いので見ているが、「歌垣」とか「弓」だとか
何度もコピーを張っているやつがいるが、人の迷惑考えろよ。
オリジナルを書けよ。
誰か、何度も同じものコピーを張るやつは串焼きにして下さい。


863 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 01:18:38
>>862
その人に日本語で言っても通じないよ。

864 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 02:17:26
朝鮮半島の右=キョンジュ(新羅)
朝鮮半島の左=チョンラ(百済)
キョンジュ(新羅)がチョンラ(百済)を征服したので
キョンジュ(新羅) > チョンラ(百済) が韓国における構図

だから歴代の韓国大統領は征服国であるキョンジュ(新羅)からしか
輩出されなかった
それを打ち破ったのが金大中(キム・デジュン)
彼は初のチョンラ(百済)出身であり
日本で言うなら被差別部落から総理大臣が出たような感じ

天皇陛下は金大中(キム・デジュン)がチョンラ(被差別民居住区)出身であることに
感慨を受けたが ハッキリと「被差別民が大統領になるなんて苦労があったでしょう」
とも言えず
遠まわしに「百済と日本はかつて親密な関係にあった」とボカして言った

その本当の意味が理解不能な朝鮮人が「天皇が韓国出身だと認めたぞ!!」
と狂喜乱舞して歓喜の声を上げていたのは滑稽をとおりこして
あわれでさえあった


865 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 05:00:43
>>856
朝鮮は日本に王子を人質に出してたんですがw
どう考えても属国です

866 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 07:02:27
日本は古代から朝鮮へよく出兵しているが、朝鮮から攻めて来たことはないしな。


867 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 07:27:13
その全裸道という誤変換、実は的を射た誤変換なのです。
SMAPの某氏が酔って「裸のどこが悪い?」と叫んだように、
全羅道には、全身入れ墨の裸族が住んでいたのだ。

これでまた一つ百済の謎が解けた!

868 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 21:32:35
>>865
だからそれは高句麗の南下で百済はどうしても倭の援軍が欲しくて
人質まで出したんだろう
人質を出したから百済や新羅のほうが倭より国力が劣っていたと考えるのは
あさはかだ
6世紀中頃百済は最後の切り札である五経博士や仏教まで倭に送っている
飛鳥寺の建築技術者、僧侶、医博士・易博士・暦博士などを提供している

それぐらい高句麗と戦うためには倭の兵力が必要だったんだろう
倭人は人口が多かったらしいからね

869 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 21:42:13
ていうか、百済王は百済という国の滅亡を覚悟し、百済人の次代を担う人々を日本に避難させた。
百済という国は滅んでも、百済人は日本という別の国で生き伸びる。
そのために、ほとんど全ての財産や人材を大和朝廷に譲り渡した。
子孫の永遠の繁栄を願えばそれは仕方のないことです。

870 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:24:23
●NHKスペシャル日本人はるかなる旅

この番組で日本人のルーツを科学的に解明していました
およそ1万種類を越えるタイプに分かれるヒト白血球抗原(HLA)で日本人に一番多いタイプ
は中国北京北部から遼東半島一体に分布するB52ーDR2という抗原だそうです


B52−DR2    (日本人に最も多いタイプで北京北部から遼東半島付近と現在の韓国と西日本一帯)

B46−DR9    (中国中部長江流域)

B54−DR4    (中国南部)

B44−DR13   (現在の北朝鮮、古代の高句麗領土付近)

これだけのタイプが日本列島にさまざまな時代に入り込んできて現在の日本人を形成したそうです
一番多いB52−DR2タイプは北京北部、遼東半島、現在の韓国全域、そして九州北部から山口、広島などの
西日本のほとんどがこのタイプだそうです
意外だったのは韓国と北朝鮮ではタイプが違うということです
韓国は日本人と同じDR52−DR2ですが北朝鮮はB44−DR13というタイプです

このB44−DR13も日本に渡来しています、地図では日本海側の新潟あたりをさしていたように思います


871 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:08:36
>>868ウィキより

倭国との関係 [編集]

『日本書紀』の中には、領土を奪われた百済に任那の一部を割譲した記録や援軍を供出した記録、さらには倭朝廷に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが数多く残っている。
また中国の『隋書』にも、新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す、という記述があり朝貢関係があったことをうかがわせる。
さらに、広開土王碑でも倭について、百済■■新羅を破り以って臣民と為す、という部分があり百済が辛卯年(391年)に倭によって支配を受けていたことも明らかとなっており主従関係が存在しており、
倭の重臣と百済との間で家臣上下に関わる席順の取り合いのエピソードも残されている。

872 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:36:09
>>870
ところがねGm遺伝子で分析すると
1、Gm遺伝子の分布によって、蒙古系民族は、南方型と北方型とに大別されるが、日本民族は、あきらかに北方型である。南方型蒙古系民族との混血率は、せいぜい7〜8パーセントであって、それほど高いものではない。
2、日本民族は、北海道から沖縄にいたるまで、ことGm遺伝子に関するかぎり、おどろくほど均質(遺伝的に同じ)である。
日本民族は、北方型蒙古民族に属し、そのおおもとの起源はシベリアのバイカル湖畔と推測できる。
つまり「日本人については、北方型蒙古民族が中核をなしていたことは、原初以来一貫としており、異民族の血を、それほど大きくはうけていない、ということになるであろう。」と結論になるそうです。


873 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:38:49
スレタイが「完済人」に見えてしまう俺はDQN?

874 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 02:45:30
正統な百済子孫に、半島を明け渡してください。
不法占拠ダメ!
完済人になろう!

875 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 04:07:48

■「大和国」の由来は韓国だ (新羅のおかげ)

◎大化の改新も新羅人のクーデターだった

南朝鮮、韓国の歴史学者文定昌氏の「日本上古史」の中に書かれた「大化の改新」に関する部分を、韓国における状況の反映として紹介している。
◎「日本上古史」文定昌

孝徳王朝はこれよりただちに、日本有史以来はじめての年号を定めて大化とし、法制・官制、その他の文物制度を新羅、唐の
それを再販的に移植したのであるが、この事実は「日本書紀」にも記録されているので、日本の史家たちはこれを大化の改新と言っている。
(注:新羅は法興王七年( 520)に律令を制定して公服を定めたが、これは中国が唐となる98年前の事であった、)

このころ新羅は善徳女王が死んで、真徳女王が立ち、真徳女王はその年号を「大和」とした。
そして、金春秋がその実権を握ることになった。

このとき、金春秋は倭(やまと)から来ていた高向玄理(たかむくのくろまろ)を帯同して倭国に乗り込み、進行中の大化の改新に
拍車をかけて、倭国の名を新羅の年号「大和」としたものであるが、これが日本列島内に「大和国」というものの生まれたはじめであった。

大化の改新そのものは、土着していた新羅系渡来人が中心になって引き起こしたもので、母国の新羅がそれを後押ししたものであろうとする。
そして、金春秋も実際その目的で日本へ来ていたであろうとし、大化の改新は高向玄理ら渡来人が青写真を引いたクーデターだったと結論づけるのである。
今となっては、果たして真相は奈辺にあるのか誰にもわかりはしない。それこそタイムマシンで過去へでも行かない限り、実際の所は確かめようもない。

しかしこの時期、渡来人達が日本の形成に多大の貢献と指導力を発揮したであろう事は容易に想像しうる。
現代日本人のDNA調査で、韓国人に一番近い人々は近畿圏に集中しているという事実を見ても、多くの渡来人達が
日本の古代国家の成立に大きく関わっていたのは間違いない。
http://inoues.net/shoki/kojiki_shoki10.html


876 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 05:05:28
>>868-869>>875
願望垂れ流したって無駄w
日本が宗主国様だったので人質も何もかも差し出しただけのこと
残念ながら倭を大国として敬って朝貢していた事実は動かない
属国に人質を出す国なんてないw
朝鮮は中国文化輸入の中継地でしかない
妄想電波は半島でしか通用しないよ

877 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 05:05:41
真相は誰にもわからない、って書いてあるんだから、分からないんだよ。
「かもしれない」の積み重ねで歴史を語るの、いい加減にやめてくれないかな。

878 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 05:59:20
>>875
漢字のない国はこれだから困る。
新羅の年号は『大和』じゃなくて『太和』でしょ
まず根本的に間違えがある。
説得力ゼロの学説と思われますが

879 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 06:00:20
●高天原は朝鮮半島の倭種国家・伽耶にあった(11)

◎伽倻の始祖・金首露伝説

ある日、亀旨峰(クジボン)の頂きから村人を呼ぶ声がした。界隈の村長たちと村人がそこにかけつけ、亀旨歌(クジカ)<迎神歌>を歌うと、
天から金の櫃(ハコ)が天降り、その中に6個の黄金の卵がはいっていた。それを村長の我刀干(アドウハン)の家に運んで
榻(コシカケ)の上に安置した。そして12日目に卵が孵(カエ)って6人の童子が姿を現わした。
最初に孵(カエ)った童子が駕洛国(カラ)の始祖となり、その名を金首露という。他の5人は周辺にそれぞれ伽倻国を興し王となったという。

さらに、先に見た『記紀』日本神話の天孫降臨の地、「クジフル峰」の「クジ」も朝鮮語で亀を意味するという。
出雲系の神々の名に「櫛(クシ)」の名が多いという事は、既に多くの研究者によって指摘されていることである。
大国主を祀る、出雲大社の神紋は「亀甲紋」であることは、既に触れたことである。
金聖旲(キムソンホ)氏は、その著書、『沸流百済と日本の国家起源』の中で、邪馬壹(ヤマイル)は伽邪語で「亀」の意味であるという。

http://yatagarasu33.jugem.jp/?eid=63

880 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 06:16:34
古代朝鮮語自体が史料激少でわかってないのにコリエイトw

881 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 06:24:34
>>870これの緑の線だね

今では、ルーツ研究は、DNAよりもHLAの方が注目されている
DNAと違い、HLAは型が一致すると、100%同祖先だからである
DNAは型が一致しても、同じ祖先を持つというのは怪しい部分が多い
アフリカの黒人と日本人が同じ祖先を持つという結果が出てしまう
HLAは、人類が多発的に誕生していることを証明する

HLAによるルーツ研究
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html

このB52−DR2は、日本人に一番多く、日本人代表型と言われるもので
日本では、西に行くほど頻繁になってくる


882 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 06:54:59
例の朝鮮プロデューサーか

883 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 09:09:32
>>881から引用
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-23.html
●古墳時代人の姿

古墳時代、3世紀中頃から6世紀まで、巨大な古墳が造られました。
この時代に、支配する者と支配される者との差はいっそう拡大し、地位身分も固定化しました。5〜6世紀の古墳の
表面にたてられた人物埴輪は、男女、身分や職のちがいをよくのこしており、当時の儀式や社会を復元するうえで欠かせない資料となっています。
正装した男は政治をおこなう人、器を捧げもつ巫女は供え物をささげる人をあらわしており、亡き人に捧げるために生前の良き生活を再現したようです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし3世紀〜6世紀(200〜500年代)でこの程度の埴輪しか作れなかった集団がよく前方後円墳を作ったなw
秦の始皇帝の兵馬俑なんて2200年前にもかかわらずあの精巧な出来栄え、赤い色が残ってるものさえあり
弩(石弓)の三段射ち攻撃の様子が分かるほどの躍動感がある兵馬俑もあり、兵士の顔や体格の特徴も一人一人違う
兵俑達の平均身長は178センチで8000体、馬俑600体が埋葬されている
始皇帝の時代から400年以上経ってもこのレベルとは・・・・
やっぱ任那日本府なんて無理だよ、こんな技術力ではw

●2200年前の始皇帝稜からの発掘
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/heisi/heisi.htm
武器を扱う兵士たちの躍動感が伝わってくるようだ
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/heisi/kao-ta.htm
顔も一人一人違うが、曲げの形までも一人一人違うとは凄すぎ
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/uma/sensya.htm
兵馬も大きくてカッコいい(戦国の武田軍でさえ実ははポニーだったなんて言われてるのにこのカッコよさ)
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/calr/calar.htm
色がついた状態で発掘されたものもある
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/buki/buki.htm
2200年前の武器、1700年後の日本の戦国時代並みの装備と技術力


884 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 09:20:14
今度は支那様を持ち出してなにやら言った気になってるようだね
どんなにわめいたってチョン半島は日本の属国
毎日各所にコピペ乙彼

885 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 10:39:35
>>883
秦は背伸びしすぎ
それが国を滅ぼす原因のひとつだって知っているよね
日本だって、ピラミッドを造ったエジプトだってそれが原因で国は滅ばなかったよね
秦のすぐれた技術を継承したはずの国が、1500年後にモンゴル人に征服されたのだが
またその当時世界最強のモンゴル人の国、元は属国高麗と共に日本に攻め込んだが2度も撃退されたのはどういう事かな
1200年代の事ですけれど
日本の1700年代と同じってどういう事かな
偶然の神風?
でもそんな遅れた相手になんで2ヵ月も3ヵ月も船の上で夜をすごさなければなかったのかな
不思議、不思議

886 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 11:39:12
>>879
ダメでしょ
いつもは、頑なに半島に日本の支配する地なぞなかったってあの手この手使って否定しているのに
あっさりと伽耶は倭人種の地なんて
でもこの手の話、たくさんあるよね
凄いのはギリシャだったり
あくまで神話なんだから
でもその中に真実が隠されている場合もあるからまたおもしろいんだね
ついでに三国史記・新羅本紀に、新羅の建国時に倭人の重臣がいたってあるけれど
そういう都合の悪い話はスルーですか?

887 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:25:03
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

888 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:26:06
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

889 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:27:26
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

890 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:59:13
またコイツか。
もう飽きた。

891 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:21:24
以前いた三足土器くんと同一人物かな?

892 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:23:05
しかし当時の秦の技術力は凄いな
2200年前なんて日本では渡来人が水田稲作を日本列島に持ち込んだ時期だろ
確か矢じりも石だったし銅の車輪なんて想像もつかない代物だったろう

秦の戦争難民が朝鮮半島や日本列島にやってきて文明をもたらすんだろうけど
この時代の東アジアの大陸文明と日本とでは500年以上の差がある
問題はある時期に秦から継承された技術や文化が停滞し発展しなかったことだろう

16世紀後半豊臣秀吉の文禄、慶長の役では日本が大量の鉄砲で明軍を圧倒したこと
が軍事力差の逆転を物語っている
鉄砲が大量生産される前の1500年代中頃の日本の軍事力を秦は2200年前に
あみだし活用していたがその後1700年間際立った進歩はなく低迷していたという
事実が衝撃を与える
地球の生命の歴史の7割以上は微生物の時代で、ある時突然カンブリア爆発が起こり
多種多様な生物が誕生したように進化とは規則正しく起こるのではなくランダムに起こる
ようにまさに秦以降の中国に当てはまる現象だ
日本が中国をわずかな時期で簡単に抜き去ったのもある意味当然だったのかもしれない



893 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:47:12
大朝鮮帝国史
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/jushin.htm

http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/jushin/daejusin04.jpg
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/jushin/daejusin05.jpg
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/jushin/daejusin03.jpg

第1巻
*我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。

*我が民族はパミール高原に源を発して、バイカル湖を経て不咸山に移動、
 定着した不咸山に到着した我々の先祖はそこを中心に集団定着、
 文化を発達させ、紀元前6000年頃には紅山文明を、続いて黄河文明を起こした。

*我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、大帝国を建設していた。


894 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:51:48
>>892 おっしゃる通りです。
当時の秦の技術の先進性は誰も否定できるものではありません。
局面だけ見て他の文明、文化を馬鹿にする輩がいるのでいつも腹立たしく思っておるのです。
特に我が国に対して半島系の方が書き込んだと思われるでたらめな書き込みの数々。
史実、史料を都合の良いところだけ強引に利用したり、都合の悪い史料はスルーしたり、なんの根拠もないのに誤読だと切り捨てる輩には是非とも御退場願いたいものですね。

895 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 00:17:22
>>875 >>多くの渡来人達が日本の古代国家の成立に大きく関わっていたのは間違いない。

・・・その渡来人たちが百済名、新羅名を捨ててすべて日本名に改名しているのは何故なんだ?

 主導権が日本人にあったからとしか解釈できないな。

896 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 00:50:16
>>895
蘇我満智の「満智」って百済人が多く使う名前だとか言われてるけど
そもそも百済人や新羅人がどういう名前を使っていたかなんてわずかな
文献にしかないわけで名前の全容を把握するのは難しい

たぶんこの時代は朝鮮も日本も似たような名前だったと思うが

・飛鳥寺の造営者達の名前(百済人、東漢氏、漢人、倭人の名前)

太羅未太(だらみだ)、文賈古子(もんけこし)将徳白昧淳(はくまいじゅん)
麻那文奴(まなもんぬ)、陽貴文(ようきぶん)、布陵貴(ふりょうき)、昔麻帝弥(しゃくまたいみ)

麻高垢鬼(まこうくき) 意等加斯(おとかし)
意奴弥首(おぬみのおびと)辰屋 阿沙都蘇首(あさづまのおびと)
未沙乃(みしゃの) 鞍部首(くらつくりのおびと) 加羅爾(からに)
山西首(かわちのおびと) 都鬼(つき)

鞍部首(くらつくりのおびと)なんて鞍作臣(くらつくりのおみ=蘇我入鹿)
と似たような名前だしね
蘇我入鹿が倭人だったのか百済人だったのか分からんけどw






897 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 01:45:30
 >>893
基地外降臨!!
1994年出版の脳内朝鮮民族史
知ってて書き込んでいるなら、真性認定
教養用に使っている韓国陸軍も
こんなのが歴史史料なら竹内文書も一級史料

898 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 02:12:38
いや、笑い取るために貼ってんだろ。
真顔で受け取るなって。

899 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 04:46:21
新羅の始祖の重臣についての話で、朝鮮正史「三国史記」の記述は以下の通り。
「瓠公はその出身の氏族名を明らかにしていない。瓠公はもともと倭人で、
むかし瓠を腰にさげ、海を渡って来た。それで瓠公と称したのである。」

しかし、これはよく読むと瓠公の「瓠」がPakakないしPakであるので
その主人にして始祖王である朴赫居世干とじつは本来は同一人物であったのでは
ないのかという見方が出来るのである。

900 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 07:50:30
>>896
百済に住んでいた倭人か、倭人と扶余人の混血の名前だったんじゃね?

901 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 08:33:39
新羅本紀ですね。
海を渡って来たってのが、ポイントの様ですが。

902 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 08:59:22
結局倭人か

903 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 09:13:58
チョンの歴史は無い、日本に謝罪しろ朝鮮人。


904 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 11:03:28
唐代に成立した『隋書』卷八十一・列傳第四十六・東夷の百済条に
「其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人」
(そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。)
とあり、百済が多民族国家であったことが分かる。

同様に新羅条には「其人雜有華夏、高麗、百濟之屬」
(そこの人々は華夏(漢族)、高句麗、百済に属す人々が雑居しており)
とあり、新羅もまた他民族国家である。

高句麗と倭国の記載には、他民族国家であるような記載は無い

905 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 12:55:12
2200年も前に独創性と凄い技術力も持っていた秦(当時世界最強の文明)
の優れた文化はある程度継承されたが、その後の大陸での戦争で失われたり
復活したりしてるうちに次第に埋没していったと考えられる

明の時代の鄭和の先進的な大航海などはヨーロッパの大航海時代より70年も
早く行った偉業なのにその後明は閉鎖的になり航海は中止させられ、これまた停滞した
このように歴代皇帝の資質や様々な時代環境が中国を長期間低迷させた原因だと考えられる

これに比べ日本は織田信長の資質を秀吉が受け継ぎ海外に目を向けわずかな期間で
大躍進を遂げた
明の時代、軍事比較で総力戦を展開すれば日本は明に勝てたという学者は多い
(秀吉の時代ではなくその前の信長時代の後期らしい)
清の時代も欧米列強に屈して植民地を献上し内乱を招きここでも停滞する
逆に日本は欧米の技術を学びそれを自国に活用し軍事大国として発展していった

日本は世界でも進化するスピードが最も速い国だ(キッシンジャーも言ってる)
ポルトガルに伝わった鉄砲の大量生産の速さ(驚くべき技術とスピード)
封建制度から議会制民主主義への移行の速さ(明治維新は世界的にも奇跡的な革命)
貧弱な鎖国国から軍事大国へのスピードの速さ(これも世界的に見て驚異的に速い)
第二次世界大戦敗戦後の奇跡に近い経済大国への速さ(朝鮮特需があったがそれでも圧倒的な速さである
石油も鉄もないこの島国が80年代後半には 世界経済の48%まで支配した驚くべき経済大国)

実は世界的視点に立って考えると中国人が普通で日本人が凄すぎるだけなのかもしれない
日本人ほど短期間であらゆる物事を達成できる民族はほかにいないのである

ただし日本が短期発展をしてる時期はすべて外側からの影響力である「外圧」が キーワードになってる
外側からの刺激に対して非常に敏感で、驚くほどのスピードに簡単に変容するが、外からの刺激(外圧)がないと
問題を棚上げにしてしまう、日本人は外圧を受けたほうが発展することは歴史が証明しているのだ
外圧で驚異的に発展する日本と、外圧で従属する朝鮮、この差が両国の優秀性の違いとなって表れているのは言うま

906 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:42:11
■蘇我氏は渡来系氏族か

飛鳥時代の筆頭豪族である蘇我氏一門は、その実在が記録上ではっきりするのは蘇我満智からです。
その満智が渡来人だとしたら、その影響は大きいものがあります。

まず、皇族では崇峻天皇や推古天皇、用明天皇などが渡来人の5代目子孫、聖徳太子は6代目子孫
ということになり、天皇の祖先は意外な側面をみせることになります。

さらに、これまでの「帰化人史観」では、百済や新羅などから来た「帰化人」が倭に文化や技術を伝えたと
理解していたのですが、それが一転して渡来系氏族もヤマト政権の一翼をになったということになります。
このように右翼を仰天させるような大胆な説が門脇禎二氏により提唱されましたが、この説は地元の
明日香(あすか)村教育委員会でもまともに信じられているようです。
職員のキタムラ氏は蘇我馬子の墓と伝えられる飛鳥の石舞台を前にテレビでこう語りました

 「この古墳に葬られている方はどなたかというと、蘇我馬子といわれている。
その当時、今から1400年前に勢力を持っていた方で、この方の先祖、正しくはひいおじいさんは
韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では
蘇我満智(まち)という方」門脇説は意外なところでも信じられているようですが、はたして満智=満
致という門脇説はどの程度の信憑性があるのか興味あるところです。
http://www.han.org/a/half-moon/hm081.html#No.551

>韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では蘇我満智(まち)という方」
>韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では蘇我満智(まち)という方」



907 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:47:42
<蘇我氏と百済の木氏とのかかわりを示すものは、ほかにもある。のちの蘇我本宗家のひとりとして名高い
蘇我鞍作(入鹿)は、林太郎鞍作ともいわれたのであるが、その林氏は「百済国人、木貴の後なり」との
所伝(『新撰姓氏録』摂津国諸蕃)をもちつづけた。これもその傍証となろう>


(蘇我石河宿禰)−満智(まち)−韓子(からこ)−高麗(こま)−稲目(いなめ)−馬子(うまこ)
−蝦夷(えみし)−入鹿(いるか)

このなかで、蘇我石河宿禰だけはその存在が疑問視されています。

蘇我氏が勢力を伸ばした背景の一因にはITならぬ新技術の導入があったようでした。
配下に阿知使主(あちのおみ)を祖とする東漢(やまとのあや)や、のちに今来漢人(いまきのあやひと)など
渡来人をつぎつぎに吸収し、時代の先端技術を存分に活用したようでした。
また、必要とあれば飛鳥寺建設のように百済から技術者をおおぜい招きました。
こうした技術力、政治力により新興勢力の蘇我氏はどんどん勢力を伸ばし、宣化天皇期には勢力圏内に王宮を招致するほどになりました。

蘇我氏は渡来氏族であったとすると多くのことがすっきり理解できるのもたしかです。
たとえば、馬子にまつわるエピソードもその一例です。馬子は蘇我氏の氏寺である飛鳥寺で仏舎利、すなわち
釈迦の骨を塔の芯礎におさめる儀式に百済服を着用したことが仏教関係の史書である『扶桑略記』に記されました。
このような個々のエピソードに対しては個別にそれなりの反論が可能なのかもしれませんが、全体的に概観すると
蘇我氏は渡来系氏族と考えたほうが自然なように思われます。
http://www.han.org/a/half-moon/hm081.html#No.551

>先祖から5代目にもかかわらず馬子は百済服を着用した
>先祖から5代目にもかかわらず馬子は百済服を着用した

908 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:52:03
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

909 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:52:36
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

910 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:53:19
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

911 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 19:11:29
だから音楽の歴史専門にやってない音楽学者持ってきても意味無いっての。


912 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 20:30:00
蘇我氏の出爾って諸説あって謎なのよね
葛城氏の傍系って説やあの伝説の武内宿禰の子孫とか新しいところでは出雲系とか
本当に武内宿禰の子孫だとしたら半島と何らかの関係あるかもね
でも百済の出としても結局は滅ぼされているのだから、一時は娘を天皇の后にしてもそこまでの話
まして蘇我入鹿暗殺に居合わせた馬子の孫の古人大兄皇子が、韓人(卑怯者)が殺した(ネトウヨだと〇●人)と言ったとつたえられいるそうなのでどうかな。
まさか同族をそこまで馬鹿にしないよね
しょせんは半島に利権を持つフィクサーだったのではないかと私は思う。

913 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 20:51:51
百済の住人は倭人と漢人だからね

914 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 21:08:29
大和朝廷から続く、日本の官僚機構を作ったのは、ほかでもない百済人の子孫。
藤原不比等も渡来漢人で大和朝廷で文筆や記録を職とした史(ふみひと)。

915 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 21:49:47
新羅の王墓には勾玉がたくさん副葬されています。
弓月君が百二十県の人と共に帰ってきても日本語に韓国語の痕跡がありません。

栄山江流域には前方後円墳がいくつもあります。
欽明天皇の頃、百済は王子を人質として倭に出しています。
武寧王の墓は棺が日本のコウヤマキで作られていて、勾玉を副葬し、
中国南朝の舶来品はあっても百済製の土器はひとつもありません。

916 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 22:53:42
 >>914
記録を牛耳れる位力があるなら、なんで自分達の都合良い様に記録を残さないのかな。
本人達も、官僚の一員位と思っていたんじゃないの。
日本は、明治時代欧米の力を借りて近代化した。
一例をあげると、鉄道だよ。
でもね新幹線を見ても、アメリカ人もイギリス人も俺たちのおかげだよなんて誰も言わないんだよな。
また日本人もアメリカ人やイギリス人のおかげで新幹線が出来たって言わないんだよな。
でもどこかの国の人が、読書きできる様になったのは日本国民の血税が使われたおかげなんだな。
感謝しろよ。

917 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 23:26:54
おれらは渡来人の子孫だし
それで渡来しなかった連中の子孫が半島人だし

918 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 23:42:54
というか半島なんて中国からの移民だけしかいないし

919 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 23:45:57
しかも渡来人って長江人だし

920 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 02:36:33
>>905
世界経済の48%を支配したなんて常識的にありえない。
当時のアメリカのGDPは日本よりまだまだ上で2000年頃に日本が追い抜くなんて金融機関が予想してたくらいだから。
アメリカと日本のGDPを足せば100パーセントを余裕で超える。
確か記憶が正しければ18パーセント位だったような気がする。

921 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 04:20:44
韓国と百済の関係?
昔、百済があった土地に、韓国が不法生息しているってだけ。
日本に百済の子孫が沢山いるって言うなら、
その土地、百済の子孫に開け渡せよ、と。

922 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 04:53:44
>>917
渡来人なんぞ数百万の当時の日本に少々難民としてきたぐらいのもんだし大部分出戻り倭人

923 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:10:20
>>912
いや蘇我氏も中臣鎌足も百済人だと思う
蘇我氏は古墳時代あたりに渡来してきた百済人で鎌足は7世紀中頃に
渡来して来た新参の百済人

「韓人(からひと)、鞍作臣(くらつくりのおみ、入鹿)を殺しつ。韓政
(からのまつりごと)によりて誅せられるをいう。吾が心痛し」

(「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」)と言った。

どうも韓政とは韓の政治的要因によることで殺害されたという解釈らしい
百済、新羅、高句麗の使者も参列していたとか(朝鮮の文献では三国の使者が大和に招かれた記述はなし)

なにより地元の明日香(あすか)村教育委員会で百済の木羅満致(もくらまち)は蘇我満智(まち)と
信じられているんだからどうしようもないわな、しかもご丁寧に韓国の百済から、韓国の名前はなんて言ってるしw

蘇我鞍作(入鹿)は、林太郎鞍作 その林氏は「百済国人、木貴の後なり」との 所伝(『新撰姓氏録』摂津国諸蕃)
をもちつづけたことや蘇我満智から5代経っても蘇我馬子は釈迦の骨を塔の芯礎におさめる儀式に百済服を着用したとか
突如勢力を拡大させた新興豪族でありその要因は渡来人の最新技術を活用してたとか蘇我氏が渡来人だと
説明がつくことばかりなんだよ

蘇我入鹿の鞍作臣(くらつくりのおみ)と言う名前の由来は
百済から渡来した司馬達等(しばたっと)は鞍部村主(くらつくりのすぐり)と言い
子に鞍作多須奈(くらつくりたすな)、孫に日本の仏像に偉業を残した止利仏師(とりぶっし)こと
鞍作止利(くらつくりのとり)など、その子孫が鞍作氏(くらつくりし)と名のったそうだ

もう決まりだろww

924 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:25:25
>>923
無根拠妄想乙
まぁ三韓朝貢の儀式の最中に殺人があったと聞いたら、チョンが殺りやがったのかと思うわなw

925 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:42:08
臣と氏の区別をつけろ。

926 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:56:46
>>923
〜だと思う
〜だと解釈らしい
〜と名のったそうだ

こんなんで説明がつくの?www
イ・ナムギョの妄想の仲間たちは説得力がないな。

927 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 08:21:43
>>926
だったら蘇我氏や藤原氏が渡来系ではないという確証があるのかい?
古事記や日本書紀に記述がないから? たったそれだけだろw
(それらしく渡来系であることをにおわせてる記述はいくつかあるが・・)

1400年前の古代のことなんてわずかな文献や古墳などからでる遺品
ぐらいであれこれ判断するしかないんだよ

つまり多くの考古学者達はほとんど 〜だろう 〜の可能性が高い 
という推察しかできないのが現状、証拠を出せと言われたらほとんど証拠らしい
証拠なんてない(DNA分析も炭素年代法も決して100%ではない)

逆に蘇我氏や藤原氏が絶対に渡来系ではないという確証があるとでも?
蘇我氏は渡来人ではない土着人であると、歴然たる証拠があるとでも?
そんなもんないだろ?
つまり否定派も〜だと思う〜の可能性が高いとしか言えないのが現実

>こんなんで説明がつくの?www

古代の出来事で完璧に説明のつくことなどない
それは当時の古代人にしかわからん
だから推察して事実をつきとめようとしている


928 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 08:30:44
>だったら蘇我氏や藤原氏が渡来系ではないという確証があるのかい?
>逆に蘇我氏や藤原氏が絶対に渡来系ではないという確証があるとでも?

悪魔の証明きましたw

929 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 08:53:54
藤原氏や蘇我氏が超能力者や宇宙人じゃないという証拠をぜひ
927には出してもらいましょう。

930 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 09:40:40
>>927
>古代の出来事で完璧に説明のつくことなどない
>それは当時の古代人にしかわからん
>だから推察して事実をつきとめようとしている

この3行で完璧に破綻しているな。
推察しているのに、「もう決まりだろうww」とはこれいかに?




931 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 09:53:53
願望→推察→事実

韓国人の鑑ですなw

932 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 20:44:56
蘇我氏って馬鹿の間にいなかっぺがいる家系ですよね
   馬子
     蝦夷
  入鹿


933 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 21:33:15
朴赫居世干は倭人だよ

934 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 21:41:34
【韓国】中国は反省せよ・・・我々の祖先の国は「韓国古代国家」と明らかになったではないか
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=2035

【韓国】漢字は東夷族が作った文字。我が国は漢字教育を堂々と推進すべきだ … 朝鮮日報コラム ★3 [09/22]
http://jsmind.blog18.fc2.com/blog-entry-1388.html

【韓国歴史】 私たちの先祖が作った漢字には韓民族の哲学思想が込められている〜韓民族史観定立意識改革会講義[11/05]
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=5462

【韓国】 殷は東夷族の国だった〜漢族はその事実を信じたくなくて意図的に無視した[03/18]
http://unkar.jp/read/news24.2ch.net/news4plus/1206025708

韓国KBS「満州はわが領土だった」、中国紙応戦「でっちあげ」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0908&f=national_0908_012.shtml

韓国歴史書「上海も韓国の領土だった」に中国紙が反論
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=0510&f=national_0510_004.shtml

韓国の公共放送が「満州は元韓国」「清朝の先祖は韓国人」
http://specificasia.seesaa.net/article/127649927.html

935 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:00:47
半島人は渡来人の子孫ではない
渡来してないからね

936 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:07:37
>地元の明日香(あすか)村教育委員会で百済の木羅満致(もくらまち)は蘇我満智(まち)と
>信じられているんだからどうしようもないわな

っうか明日香(あすか)村に住んでる9割は渡来人の子孫だぞ
「続日本紀」にちゃんと記述がある
同じ渡来人の子孫だから素直に認めちゃうんだねw
いまでも百済の服着て手合わせてるんじゃないの?w

937 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:22:42
>>935
半島人は百済に住んでた倭人の子孫だしな

938 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:23:31
まず百済には何人が住んでたかを考えてみようか

939 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:31:54
>>932

まあ蘇我氏の時代に「馬鹿」は無かったがな。

940 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:55:11
中臣鎌足は百済人だし、藤原氏の子孫は実に多いです。
特に東北は藤原氏の流れをくむ佐藤氏、遠藤氏、伊藤氏、工藤氏・・藤姓だらけです。


941 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:57:20
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

942 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:57:49
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

943 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:58:35
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

944 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 23:09:25
>>923>>927は→【高句麗】亡命渡来人の行方【百済】にもカキコしているね。
蘇我氏に、えらい入れ込んでいるけど歴史捏造に蘇我氏を利用できるとふんだのかえ?
しかしながら語るに落ちるとはお前らの事。
都合が悪くなると歌垣とか三足土気違いの連投が始まるな。

945 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 23:14:26
中臣鎌足は百済人だし、藤原氏の子孫は実に多いです。
特に東北は藤原氏の流れをくむ佐藤氏、遠藤氏、伊藤氏、工藤氏・・藤姓だらけです。



946 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 01:07:29
あはははははははは
一生懸命だね
「ファンタジーを叫び続ければ史実になる」
のは、キムチ人だけですよ。
ざーんねん。

947 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 01:33:42
>>944
おいおい>>923だけど歌垣の連投はオレじゃないぞw
あんな同じコピペほぼ毎日のように張るなんてとてもできないw

よほど執念があるのか、歌垣マニアか知らんが同じものを毎日飽きもせずに・・
勝手に決め付けるなよ

それと蘇我氏は百済人である可能性が高いとオレは思ってる
藤原氏もね、それがオレの中での結論
別に都合が悪くなることなんてないんだが
古代日本は百済人を含む多くの渡来人達が築き上げたという主張に
自身を持ってるからね



948 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 02:00:45
あのね、
お前の信念イコール真実、ではないし、
お前の信念イコール史料、ではないのよ?
わかるかな?
世界の史学の常識なんだけど、わかるかな?

949 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 04:53:12
嘘でも言いつづければ本当になるという朝鮮の風習を続けてるだけだな朝鮮人

950 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 04:54:02
>>947
お前の願望にもとづく自身なんか何の根拠にもならん

951 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 06:14:01
百済人なんてほとんどが文盲。
自分たちの言葉で書いた書物なんかなんにもなかったんだぜ。
漢語で書かれた文章なんて百済にいた漢人が読み書きしていただけ。
日本に亡命したのは百済にいた漢人。

952 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 06:55:11
>>951その通り。
百済人とは、中国の秦や漢、呉越の滅亡、三国時代の混乱の中で土地を追われた
人々が落ち延びた土地。しかし、終の住処にはなり得なかった。
日の出処に優れた天子が居ると聞き、日本に亡命することを選択したのです。

953 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 11:13:17
小滝透著「反日嫌韓の謎88」に書いてあったけど、
清朝末期に清国は朝鮮半島が外国の植民地になったら安全保障上危険だから、
朝鮮半島を直轄領にして併合する計画があったんだって。
そうしてたら今頃韓国・北朝鮮はウイグル自治区やチベット自治区や内モンゴル自治区の様に朝鮮自治区になってたかも。
そして前12世紀〜前2世紀の箕子朝鮮、そしてその箕子朝鮮を滅ぼした前2世紀〜前1世紀の衛氏朝鮮、そして衛氏朝鮮を滅ぼした前1世紀〜後3世紀の中国植民地の楽浪郡の計1500年は朝鮮は中国の一部だった事で、
朝鮮は中国人の造った国家でもともとは中国の一部だったという認識が中国人にはあるらしい。
中嶋嶺雄著「日中対決がなぜ必要か」によると、毛沢東は、朝鮮・台湾・琉球・ベトナムは中国領という論文を書いたらしい。


954 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 12:03:55
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

955 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 12:04:22
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

956 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 12:05:00
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

957 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 12:20:22
●666年(天智5年)……「百済人男女約2000人東国移住」
●684年(天武13年)……「百済人僧尼以下23人を武蔵國へ移す」
●687年(持統元年)……「高麗人56人を常陸國、新羅人14人を下野國へ移住」「高麗の僧侶を含む22人を武蔵國へ移住」
●716年(霊亀2年)……高麗郡の設置(駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1779人を武蔵國に移す)
●733年(天平5年)……「埼玉郡の新羅人徳師ら53人に金姓を与える」
●758年(天平宝字2年)……新羅郡の設置(日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵國に移住)
●760年(天平宝字4年)……「新羅人131人を武蔵の地へ移り住む」などである。


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