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任那と加羅と日本府と【10ヶ国め】

1 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 20:40:37
日本府の話題はもちろん、それに限らず、
新羅にも百済にも含まれなかった半島南部地域についていろいろ

1)東部=加羅諸国(秦韓・卞韓)、任那鎮守(初代・塩乗津彦)
→任那日本府(倭宰・任那行軍元帥・倭国大臣・倭使臣)
2)西部=慕韓・神功紀四邑→任那国司(四県二郡)→任地が消滅して安羅に寄寓
3)加羅諸国(反百済)が南北に分裂
北)大加羅=伴跛国を中心とする独立派(新羅に騙され先に滅亡)
南)金官国=駕洛国を中心(のち安羅国を中心)とする親倭国派

ループしないように過去スレよく読んで、sage進行で。
任那と加羅と日本府と【9ヶ国め】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1244028529/
任那と加羅と日本府と【8ヶ国め】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1233367717/
任那日本府説その2【実質その7】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1226080812/l50
任那日本府説【実質6発目】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1090513470/
任那日本府について【実質5代目】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1030968865/l50
★任那日本府説ついに決着!!★【実質4本目】
http://academy.2ch.net/history/kako/994/994026593.html
任那って日本領だったんですか? part2【実質part3】
http://mentai.2ch.net/history/kako/976/976659863.html
http://mentai.2ch.net/history/kako/974/974989450.html
任那って倭国領だったんですか?パート2
http://academy.2ch.net/history/kako/974/974989450.html
任那って日本領だったんですか?
http://mentai.2ch.net/history/kako/970/970077532.html

以下関連リンクは>>2-5くらいで誰かお願いします

2 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 21:21:40
2なら天皇家は縄文系!

3 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 21:55:47
むしろ半島の王族の血も受け継いだ天皇家こそ列島と半島の君主

4 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:02:22
■百済人が熱い

今、他スレでもなぜか大人気の百済人(笑)
古代日本に仏教や文化、先進技術を伝え日本人を指導したという
この民族が2ちゃんで注目を集めている
歴史やハングル板だけでなく芸能、スポーツ、美容、ニュース板にまで
登場するようになった百済人(笑)

彼らは何者だったのか?
彼らは本当に韓国人の先祖なのか?
はたまた我々日本人の先祖なのか?
なぜ滅亡したのか?
古代日本の支配階級は百済人だったのか?
そしてなぜ今、百済人がブームなのか?

様々な謎とともにネットで一人歩きする快進撃の百済人
この民族とは一体?そして我々日本人との関係は?
我々は彼らを知らずにいられない



5 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:46:58
>>2 彦ホホデミ、ニニギ、○○ミミは南方系だが。

6 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 05:26:29
ほんと美容板でも百済人が暴れてるよw
誰か歴史に詳しいヤツ美容板で戦ってくれよw


7 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 00:05:07
中国の認識では、任那は日本の領土で中国と日本の橋渡しをしていた国、ということらしい

8 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 08:30:59
>>7
だったら何で「任那日本府」を韓国が執拗に否定するんだ

■日本の学者の主張

任那日本府の正体1
http://jp.youtube.com/watch?v=6VcHEgIEWSU&feature=related
「大和政権が任那を支配したものではなくただの外交使節だ」

任那日本府の正体2
http://jp.youtube.com/watch?v=UhGbCTif4zI&feature=related
「日本では4〜5世紀に鉄は作れなかったので半島の加羅から輸入していた」

正倉院
http://jp.youtube.com/watch?v=zx7VtkdX0Ng&feature=related
「7〜8世紀の国際色豊な天平文化は直接遣唐使によってもたらされただけでなく
 朝鮮半島との交流で日本の国家制度が作り上げられていった」


9 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 09:06:30
関川:先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。
古田:日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。
‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。
‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関川:歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥古田:民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。
当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。
櫻井:それは韓国の大学の歴史研究者ですか。
古田:イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。
李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。
要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。
この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。
櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
(文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69〜70頁)

10 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 20:22:28
【韓国】 「くだらない」は「百済ない」、クダラは奈良に比べて「大きな国」の意味〜イ・ナムギョの日本語源流散歩29★3[07/22]


日本古代史に最も影響を及ぼしたのは何といっても百済ということができる。日本書紀を見れば「百
済近肖古王405年に王仁博士が千字文と論語を持って日本へ渡り、聖明王552年に怒利斯致契が
仏教を初めて伝播した」となっている。

660年8月、百済泗?(サビ)城が陥落して、663年6月白馬江(ペンマガン)の最後の決戦の時までの
3年間に数千の百済人が日本に渡ったが、彼らの大部分は知識階層だったという。これによって、新
しい農機具と土木技術、仏事、仏経、新医術である鍼術、古代国家を形成する律令体制など国家の
根幹を形成する大部分の百済文化が流入し、日本は新しい新文明の全盛期を謳歌することになる。

日本に渡った当時の百済人は非常に優遇され、百済の職位をそのまま認められて官僚や将軍など
に任命されたが、日本政府はこれらを受け入れるために行政組織を16官位から20官位に拡大改編
までした。当時、日本政府の要職の国防大臣や文部大臣など、すべて到来した百済人を任命したこと
で発生した言葉が「アマクダリ」(天下り)だ。これは「空から降りた人」という意味で、現在でも高級官僚
が退職して関連機関の幹部などに降りて行くことを「アマクダリ」という。その当時、日本の首都は滋賀
県近江であり、673年に飛鳥地方へ遷都し、また再び710年に「奈良」に移転する。この時から784年
までを「奈良時代」という。

「ナラ」という言葉は「ウリナラ(我が国)」の略語として、当時日本の首都であった場所を百済遊民らは
「ナラ」と呼び後に漢字をあてて「奈良」になった。百済遊民らは消えた祖国百済を「大きな国(コンナ
ラ)」といったが、この言葉が変わって「クンナラ→クダラ(百済)」になった。百済(ペクチェ)を「クダラ」と
呼ぶのはこれに起因する。



11 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 20:23:42
[続き]

日本に渡った百済遊民は新羅(シンラ)を「シラギ」、高句麗(コグリョ)を「コクリ」と呼びながらも、百済
に対してだけは絶対に「ハクサイ」とせずに「大きな国」すなわち「クダラ」と呼んだことを見れば、彼ら
の執念がどれほど強かったかを察することができる。このような言葉に対する執着は、私たちの固有
な風習を見れば簡単に理解できる。

多くの兄弟がいる時、本家は先祖に対する祭事や全てのことを主管するから財産を全部譲られ、他
の兄弟より豊かで多くのことを内包する。したがって今、百済遊民らが生きている日本が「ナラ(国)」
ならば、百済は一番上の兄格の「大きな国(コンナラ)」という意味から出た言葉が「クダラ」だ。

「クダラナイ」という言葉は直訳すれば「百済にない」になる。言葉の意味は「つまらない」だ。「良くて立
派なものはみな百済にあるのに、これは百済にない。だから、つまらない」という言葉だ。

慶一大総長・イ・ナムギョ
http://www.imaeil.com/news_img/2009/column/20090721_170342000.jpg

ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩29]くだらない>日本に渡っていった遊
民らが祖国百済を描いて'大きい国'(百済)といったところで由来

関連スレ:
【日韓】 君と僕は金と朴、君が代は「キム家の世の中」という意味〜イ・ナムギョの日本語源流散歩28★3[07/15]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1247702567/
【日韓】 花郎道と侍〜「サムライの語源は、言うまでもなくサウラビ」イ・ナムギョの日本語源流散歩24★3[06/17]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1245332078/




12 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:11:17
>>10-11
大学教授までもが電波で逝っちゃってるな。

天下りの強引なこじつけは、いかにも斜め上の発想。

13 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:13:21
百済ん

14 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:17:40
任那日本府を論破する韓国の鬼太郎先生
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7454409

韓国でのある授業風景。でも、批判してるのは戦前の説なのよね…

15 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:18:42
>>10-11
>>9
>(関川)事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥
>古田:民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんです

の見本になる具体例をまず示してくれたのかw?

16 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:22:46
>>12
日本もそんなに変わらないよ
連想ゲームのレベル
ただ、この韓国人は意見を出す前に少し日本人に相談した方がいいと思うな
余りにも知らなさ過ぎる

17 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 22:04:55
>>16
相談する気なんかハナからないだろ
真実を探求してるわけじゃないんだから

18 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 00:15:59
NHKで「くだらない」の語源は確か「のぼり」と「くだり」から
来ていると言ってた

それに古代日本では百済(くだら)ではなく(くたら)だったはず

19 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 05:00:30
百済をくだらもしくはくたらと呼ぶということ自体百済には資料が残ってないんだろ?

20 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 14:09:00
>>14
その戦前の説は未だに論破されていない。
即ち任那日本府説は今でも基本的に有効なもの。

21 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 14:16:31
>>14
韓国っていつも任那日本府を論破しようとするとき、
チャイナの文献の記述は意図的に無視するよね。


22 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 20:25:39
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 新羅王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城の内に満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】

23 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 20:26:40
425〜443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462〜478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】

24 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 20:29:36
「宋書」倭国伝

(前略)
興死して弟武立ち、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称す。
順帝の昇明二年、使を遣わして上表す。
いわく、「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬(みずか)ら甲冑をツラヌき、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国(中略)。」
詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。

25 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:35:56
そういえば、今日深夜にETV特集の任那日本府の回の再放送があるね

26 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 01:50:38
日本は任那(加羅)を支配しておりました。
百済も新羅も属国になりました。

以上です、有難う御座います。

27 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 02:43:44
相変わらず韓国は民族主義を基盤に置いて、
支配された・されないの延長でしか語れないんだな。
まじめにやってる学者は研究成果を発表できないのかな?

28 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 04:03:00
朝鮮人は、国にお帰り下さい。

有難う御座います

29 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 08:42:50
>>25
これですね。7/23深夜から始まったETV特集の再放送ですね。
7/24の第2回放送では、朝鮮半島南西部の栄山江流域に偏在する前方後円墳の
映像が紹介されていた。国内のとは、方墳部の立体形状がやや異るのですね。
シリーズ 「日本と朝鮮半島2000年」第1回〜第3回 午前1時10分〜2時40分
http://www.nhk.or.jp/etv21c/saiho/index.html

30 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 09:03:28
>>25
これでしょ
注目すべきは2の任那日本府は加羅から鉄を入手するために奴隷(戦闘要員)
を送っていて加羅と高句麗の戦いに参戦した倭軍を高句麗は倭と戦ってたと
勘違いして碑文に刻んだというもの

■ETV特集「第1回 古代 人々は海峡を越えた」 日本と朝鮮半島2000年

この番組で立命館大学名誉教授 山尾幸久教授が認めたこと


1  稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島から日本に伝えられた

2  任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅が高句麗と戦うために倭が欲しがっていた鉄と
   引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
   朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと

3  仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
   日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
   日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた

4  7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
   大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけて先進文化を
   吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした

31 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 09:31:08
>>30
その番組、なぜかチャイナの文献については一切ふれられなかったよね。

32 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 12:06:40
> 日本を成熟した国家にした

結局、成熟卓越した古代国家日本ですよ。日本の勝利だな。

33 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 15:21:00
>>30
>引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用・・・
登場した韓国人研究者が、広開土王と対戦した倭賊とは伽耶に雇用された傭兵だと
述べていた。畢竟、倭国が侵略したのではないと。

34 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:25:57
>>33
そんな財力があったとは到底思えない

35 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:42:31
というかそもそも伽耶という国家はない

36 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 01:09:51
>>31
中国どころか朝鮮の歴史書にも触れてないw

37 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:19:22
NHKの番組は日本が朝鮮半島で戦った倭は単なる傭兵、それも日本に技術を与えた見返りに贈られた奴隷とまで言い切っているから、
倭にたびたび攻め込まれて百済と新羅が王子、王族を人質として倭に差し出したなんて記述がある三国史記はとてもじゃないが取り上げられないわな。

しかしジャパンデビューとかいう台湾に関した偏向番組は提訴騒ぎになるくらい問題になっているというのに、
この東アジア各国の歴史資料に反する韓国人の右翼的妄想だけで作られているシリーズが問題にならないのはなぜなのか?

38 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 15:47:56
>>37
それだけ韓国は日本にとってどうでもいい国ってことなんだよ。

39 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 16:35:48
>>37
しかもやたらとBSとかでも再放送とかやってるしww
まるで日本が誕生したのは古代の韓国人のお陰だよとしつこく日本国民に
知らせたいような、そんな意図を感じる放送だよね

誰がそうしてるのか知らんけどね
在日が関ってるのは間違いないでしょ

40 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 17:17:01
BSだしな。
今日は白村江か、壮大な冗談が見れそうだw

41 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 18:11:41
冗談なのはお前らネット右翼の存在自体なわけだが。

42 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 18:22:49
>>41
中国や半島の歴史的資料を引用して韓国の妄想部分を指摘してるのに、どこをどうしたらネット右翼?

43 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 03:53:04
その番組に違和感を持つのは当然
普通は確度の高い情報を紹介するのだが、何にも裏の取れない仮定推論の話しであっても、一応、韓国の学者の肩書きを持つ人が言えば、なにかしらの根拠があると普通の視聴者は感じる

もちろん、他の部分で根拠となりうる映像を交えて放送するから、尚更に視聴者は確度の高い情報だと思う

化粧品や健康食品の宣伝と同じトリック

44 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 05:05:33
犬HKは日本人から直接金取ってるくせに半島電波流しやがるな
くさってるな

45 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 12:51:33

古代の朝鮮総督府だろ!



46 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 11:22:53
朝鮮日報
「北東アジア歴史財団は日本を狙った組織」

高句麗研究財団を解体に追い込んだ北東アジア歴史財団の発足は、
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領のひと言から始まった。
昨年3月7日、盧大統領は「歴史歪曲(わいきょく)、独島(日本名竹島)問題について
総合政策の樹立と研究のための政府出資機構を設立せよ」との指示を下した。
あえて独島の名前を挙げていることからも分かるように、これは主に日本を狙った組織だと解釈された。

◆中国より日本に焦点 

盧大統領の指示は迅速に履行され、同月20日には、金秉準(キム・ビョンジュン)青瓦台(大統領府)政策室長(当時)
を団長とする「北東アジアの平和のための正しい歴史確立企画団」が設置された。
企画団は北東アジア歴史財団を発足することを主目的とし、
副団長には元駐日公使で現在は外交安保研究院の院長を務める趙重杓(チョ・ジュンピョ)氏が任命された。

この企画団の関心は主に日本に関連する問題だった。
青瓦台は企画団の発足と関連し、「独島問題は政府が責任を取るという方針の下、
断固かつ確固たる対応をとる。また、日本の歴史教科書歪曲問題にも力を注ぐことになるだろう」と述べた。
だが、中国の東北工程による高句麗史歪曲が長期にわたって推進されていたにもかかわらず、これに関する言及はほとんどなかった。昨年9月、正しい歴史企画団が提出した初めての資料集は、
独島関連の一次資料の原文をそのまま収録した「独島資料集」だった。
今年5月に国会を通過した北東アジア歴史財団法第1条も、
「北東アジアの歴史問題及び独島関連事項に対する長期的かつ総合的な研究分析と、
体系的かつ戦略的な政策開発を遂行する」となっている。


東北アジア歴史財団の連中を出すのも故意だろうな。
NHKもうどうしようもない状態。

47 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 07:44:57
NHK ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 第1回 古代 人々は海峡を越えた
http://ameblo.jp/campanera/theme-10002943377.html

最後のクレジットで番組制作を指示するディレクターの名前を見たら、「田容承」、案の定在日だった。

田 容承
初めまして。
入社4年目のチョンと申します。
皆さんはあまり聞いたことのない名前だと思いますが、
「田 容承」と書いて「チョン ヨンスン」と読みます。
(本当は少し発音が違いますが・・・)
実は、私の出身は韓国のソウルです。
http://www.cr-nexus.co.jp/colum/colum02-3_large.html

48 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 19:37:46
在日だとしても少しやり方がどぎつい感じがするな

49 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 23:30:43
戦のために重要度の高い鉄を任那日本府で作ってたは合理的じゃないのかな?
実際設備や人材は大陸側の方がやりやすいだろうし。

50 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 08:32:50
ヒドイ番組だったな

51 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:52:06
■百済系の蘇我氏?薬師寺の東塔、各層に積まれた1200年の歴史

日本に仏教が定着したのは用明天皇が百済(ペクジェ B.C.18−A.D.660)系の蘇我氏族とともに
仏教に帰依(きえ)してからだ。

西暦593年に摂政になった聖徳太子は百済から多くの職人を招き、数多くの寺を建設する。この時期は「飛鳥時代」と呼ばれ、1塔1金堂形式だった。
元明天皇が710年、奈良に遷都して「奈良時代」が始まる。双塔1金堂が主流で、薬師寺がその代表作だ。
1528年に焼失した西塔は1976年に再建され、金塔も火災の後、最近復元された建物だ。

四方仏のある東塔だけが1200年にわたる古色蒼然とした歴史を誇っている。3階建ての木塔だが、各層に裳階があって6重に見える。
薬師寺は法相(ほっそう)宗の大本山で、管長を選ぶ儀式が厳しいことで有名だ。
試験の日、住持200人余りが長い鉄の杖を手にして寺に集まる際に鳴る音を奈良の人々は「地軸を揺らす音」と言う。
僧侶は梵唄(インドの詠法による歌唱。高低のない声明)のような音律で難しい質問をする。
寒い冬、白い法衣1枚に身を包んだ候補は7時間にわたり法床に微動もせずに座り、あらゆる質問に梵唄の声で答える。

このとき答えに詰まれば法床から降りなければならない。前管長の高田好胤僧侶と安田暎胤・現管長兼住持ともに日本の立派な僧侶として尊敬される理由が分かる。
薬師寺は大きなイベントがあ度に韓国伝統の味噌汁を用意するなど、さまざまな面から韓国と深い関連があるものとみられる。
天皇が自ら「韓国人の血を引いている」と明らかにしたように皇室の願寺だったためではないかと思われる。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=118587&servcode=A00§code=A00

な、蘇我氏も天皇も百済人、百済人=現在の韓国人
百済人の血が入っている天皇=韓国人の血が入っているになるわけだ

これが韓国の百済観

52 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 20:06:17

'歴史戦争'に200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定 ...2007年6月18日

「北東アジア歴史財団」は、中国の高句麗(コグリョ)史編入と日本の歴史教科書歪曲に
対抗するための対策を用意しろという盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の指示で昨年4月
から準備を進めてきた。 今月末に50人余の組織(研究員は20人余) ...
japanese.joins.com/article/article.php?aid...200... - キャッシュ - 類似ページ


53 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 20:08:13

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-b.html
「東北アジア歴史財団」の愚挙―樹木があったはずだとして岩場に植林。 植林したら竹島か?

>竹島には樹木があったはずだとして岩場の僅かな土地に植林し、今も竹島の自然体系を破壊し続けている。

これは、学問的客観性の意識など毛頭ない気違い政治団体ですね・・・


>東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク工作員がNHK出演とは終わってる。

ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]
【ゲスト】東洋大学教授…森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,
【…… ... 森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,【リポーター】
大桃美代子,【語り】高橋美鈴; スタッフ; 属性情報 HD 16:9 ステレオ コピー1
tv.yahoo.co.jp/program/122300/?date...ch... - キャッシュ - 類似ページ


54 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 20:09:48
>>51
>百済(ペクジェ B.C.18−A.D.660)系の蘇我氏族

蘇我氏が百済系のいうのは、恐らく蘇我氏の先祖に高麗や韓子といった名
の人物がいることを論拠としていると思われるが、蘇我氏には蝦夷という名もあることを無視してはいけない。
このような論拠が成り立つなら蘇我氏は蝦夷系氏族という主張も成立することになる。
そもそも渡来系氏族については、その渡来の経緯が「日本書記」等に書かれている。
渡来系氏族が出自を隠したりすることは無かった。
もし蘇我氏も渡来系ならば渡来の経緯について記録されているだろう。
しかし、そういった記録はない。


>天皇が自ら「韓国人の血を引いている」

桓武天皇の母、高野新笠が百済武寧王の血を引くことを強調したいのなら
武寧王が日本で生まれた理由、即ち百済王族が頻繁に日本に人質として
送られていた事実についても認識しなければならない。

55 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 17:38:27
だから韓国では蘇我氏だけでなく聖徳太子も藤原氏も百済系なんだよ


56 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 17:40:44
百済ん

57 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 18:01:52
下らん

58 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 18:07:32
また朝鮮ソースか


59 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 18:33:52
俺たちは日本にきた百済系の子孫だが
お前らは日本に来なかった百済系の子孫にすぎないじゃんかと
どっちがエライかよく考えてみそ知る

60 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 21:13:56
朝鮮は新羅だろ

61 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 22:14:35
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



62 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 23:10:02
>>59
それは、そう思うな。
百済が滅亡したのなら、日本は援軍を送ったぐらいだから、それなりの身分の人たちは
日本に亡命できたはずなんだよね。それが出来なかった残った人たちは、当時も乞食
だったんじゃないかと。

63 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 23:44:28
ギリシャ人も古代エジプトの支配層など最も早く文化を花開かせた人たちって残ってないんだよね
絶滅までしてないにしても混血が進んでる
チョーセン人が百済の子孫だとは民族学的にも言えないし、また文化の継承者でもないから
そんなことを言う資格なんぞないわな
日本に対してそんなアホなこと言えるだけで
世界はそう認識してないよ、100%

64 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 04:14:01
>>55
電波乙

65 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 04:29:18
>>64
>>55は世界中で韓国だけは、そういう捏造と妄想を垂れ流してますってレスだから電波じゃないだろw韓国だけはって認めてんだからw

66 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 11:43:38
>>49
任那日本府という名称の根拠は日本書紀しかない。
そして日本書紀に現れるのは、雄略紀で「任那王」の指示を受ける「日本府」
の記事と、
欽明紀に現れる、百済王を通してしか天皇の勅を受けられない、他の任那諸国
と同列の「任那日本府」の情けない姿。

なんと言おうとこれだけしかないのだ。あとはすべて想像。

67 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 12:06:24
>>49
別に日本府とかの名称はどうでもいいわけだが。
当時、日本はないわけだし。

68 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 17:18:45
百済の子孫を名乗っていいのは今の満州族じゃないの?

69 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 17:36:50
>>67
名称じゃなく実態だというなら、その実態は上記の通り。

70 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 17:39:27
>>66>>67
やまとのみこともち


71 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 17:42:20
>>69
元々の名称を知らないだけだってw

72 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 17:49:31
>>67
日本(やまと)
倭(やまと)
大和(やまと)

ぜんぶ「やまと」と読める。

73 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 18:08:13
みまなのやまとのみこともちのつかさ
を知らんと宛て字の漢字に意味持たせようとするんだろうなあw
万葉集とか一辺読んでみw

74 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 09:03:25
>>66
皇別に渡来系が含まれなくて残念だったなw

75 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 18:04:05
>>72
日本 は ひのもと

76 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 18:11:15
もともとはヤマトだよ。

77 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 18:15:38
アホか、普通に「ひのもと」だろうが。どう読めばヤマトになるんだ。

78 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 19:22:32
>>74
「皇別に渡来系が含まれない」とはなんのことだ?

79 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 19:38:41
>>72
ぜんぶ無理がある

80 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 19:58:27
もしかして
みまなにほんふ
って読んでる馬鹿がいる?
あー書いてな
みまなのやまとののみこともちのつかさ
って読むんだよ。

81 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 20:08:32
べつに用語としていうぶんには「にほんふ」でもいいんじゃない?

82 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 20:10:23
ヤマト=倭
と宛ててたのをやめて
日本と宛て字を変えて
平安時代にヤマト=日本を
ニッポン
って読むようになったんだよ。


83 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 21:02:31
ヤマトとヒノモトは別だろ

84 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 21:06:46
古事記では夜麻登だな。日本はまだない

85 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 21:30:21
ヤマトのもこみちのつかさに見えた

86 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 21:59:00
日本書記で
みまなのやまとのみこともちのつかさ
に任那日本府って当て字つけたんだろがw
太宰府とか平安京を大和言葉でどう読むかとか知らんのか?
大和言葉じゃダザイフとかヘイアンキョウじゃないぞ。

87 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 22:09:47
なるほど、じゃあそれまでどう表記してたの?

88 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 22:29:27
>>87
つくしのおほみこともち
たいらのみやこ
倭人が漢字を作ったんじゃなく
大和言葉に漢字を当て字していったんだよ。
その後に漢字の読みで
ダザイフやヘイアンキョウって読みが出来るんじゃん。

89 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 22:33:07
>>88
だから、日本という字を当てる前の、
「やまとのみこともちのつかさ」の「やまと」には、どんな字を当てていたの?

90 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 22:33:59
>>87
ちょうど>>84みたいに当て字なんだよ。万葉集とか読んでみ。

91 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 22:36:33
>>89


92 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 22:41:25
>>89
>>91だが先にレスしとく。
やまとたけるでggrk

93 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 22:42:37
>>90
なるほど、「任那夜麻登府」という記録があると、
あ、すまん。
>>91
「任那倭府」なのか?

でも、倭を「ヤマト」とよむのも無理があるよ。大和もだけど

94 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 22:50:32
「やまと」とは為政者の都合で何にでもつけられる便利な言葉だな〜が正直な感想。そのくせ、本来あったであろう字がない。
山都、山戸、山門このあたりなのだろうか

95 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 23:02:26
>>93
元々あった大和言葉に漢字を宛がっただけですからね。

96 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 23:13:48
ひのもとももともとあった(大和)言葉だと思うけど

97 :サガミハラハラ:2009/08/03(月) 23:19:55
奈良県のヤマトは神武天皇が北部九州(宮崎にいたは誤り)に住んでいた故郷のヤマト(福岡市西区山門)の名を移植したものです。

漢字の大和はもとは大倭で、倭(わ)を嫌って和をつかうようになったのです。
大和は国号でダイワと発音すべきものなのですが、国の中心部がヤマトとよびならわされているところから、
大和とかいてもヤマトとよむことになったのです。
新東京国際空港とかいてナリタ空港とよむようなものです。

98 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 23:30:37
>>97
ありがと、ヤマトは山門でしたか

99 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 23:31:10
>>96
あったかも知れませんね。
>>97
わかり易く、かつ丁寧な説明ありがとうございます。さすがですね。

100 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 00:28:40
>>97 山門と大和ではトの音が甲乙で違うという批判もあるな。


101 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 00:46:57
>>97
>宮崎にいたは誤り

そんな簡単に断定するな。
西都原に最古級の古墳があることをどう説明するのだ?
また5世紀には国宝級の鞍まで出る。
皇室の祖地にふさわしいではないか。

102 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 03:19:33
【祭り】岡山・桃太郎まつり 約6200人が朝鮮半島から渡来した王子・温羅を祭るための「うらじゃおどり」を披露

岡山の夏の風物詩「おかやま桃太郎まつり」が1日、岡山市内で始まった。JR岡山駅前広場や主要商店街
などで、大人から子供までが参加した「うらじゃおどり」連による演舞やパレードが繰り広げられた。

祭りは、古代の岡山地方で朝鮮半島からやってきた「温羅(うら)」という鬼のような姿をした王子が、鉄や塩の
作り方を教えたとされる伝説が起源。温羅を祀(まつ)るために若者らが、うらじゃおどりを始めたのがきっかけと
されている。

今回は過去最多の138連、計約6200人が参加。表町商店街では約60のうらじゃおどり連(総計約1000人)
が、色とりどりの衣装をまとい、顔や腕に鬼のようなメークを施してリズミカルな踊りを披露した。

2日夜には市役所筋でうらじゃおどり連のコンテストやパレードなどが行われる。

ソース
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/090801/sty0908011921002-n1.htm

画像
http://image.mapple.net/ospot/photol/33/00/05/33000581_1877_1.jpg

103 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 04:02:48
>>75
日本武尊
読んでみろ。

104 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 04:05:56
>>79
倭建命
読んでみろ。

105 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 04:43:18
あほ

106 :サガミハラハラ:2009/08/04(火) 09:46:37
>>100それは奈良での話だと思います。奈良と福岡とはトでも発音が異なっていた(方言等)からです。
また時代を経るにつれ変化したとも考えられます。

>>101古墳時代はかなり新しい時代です。その始まりの時代にはもう畿内に天皇家は数代にわたって王権を行使していました。
鞍については、5世紀ごろ、高句麗との戦いにおいて騎馬の必要性を痛感し、半島から騎馬に習熟した民をやといいれ日向に牧場を開かせた
と聞いております。立派な鞍はそれに由来するものではないでしょうか。

宮崎が皇室の祖地といわれるのは、日向という国名と、日向風土記にみられるような天孫降臨伝承があったからです。
それで聞きの編者は宮崎が天孫降臨の地であると勘違いをし、後世それに見合う名所を周辺につくりあげたのです。

107 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 00:07:33
>と聞いております

誰から聞いてるのだ?

立派な鞍は応神天皇陵の陪冢から出土した国宝と同系で、
鮮卑族をルーツとし、中国からの舶載品という意見が強いようだ。


108 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:37:06
国土の大きさが、兵力の多寡に影響するとは言わないけど

国土面積
大韓民国 98,480
このうち
1)東部=加羅諸国(秦韓・卞韓)、任那鎮守(初代・塩乗津彦)
2)西部=慕韓・神功紀四邑→任那国司(四県二郡)
3)加羅諸国(反百済)が南北に分裂

北)大加羅=伴跛国を中心とする独立派(新羅に騙され先に滅亡)
南)金官国=駕洛国を中心(のち安羅国を中心)とする親倭国派

これらの地域が、現韓国領土の半分の地域を領していたとしても
約45平方キロでほぼ九州と同程度の大きさになる

その中に、これだけの諸国に分かれていたことを加味すると
一国は九州の一国より若干大きい程度であり、
当時の人口や農作物の取れ高を考えると、朝鮮南部の国々の一国の動因可能兵力は2000程度?

と考えると、日本が半島に兵力を送っても充分勝算あるな

109 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:26:37
【聯合ニュース】横浜市、「新しい歴史教科書をつくる会」の『歪曲』教科書を採択[08/04]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1249368063/
ソース:東京=聯合ニュース(韓国語)
http://www.yonhapnews.co.kr/international/2009/08/04/0601010100AKR20090804098300073.HTML

>自由社版の中学校歴史教科書は、扶桑社版の歴史教科書と同じく韓日の学界で
>否定されている任那日本府説を記述しており、東アジアで日本だけが独自的な年号
>を使ったと主張している。

110 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 00:32:39
倭も日本も本来の読みはヤマトだから断絶は全くないな

111 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 01:26:39
>>110
あほ

112 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 04:31:47
↑断絶国家半島国民乙

113 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 05:27:17
>>111
論理的な反論ができないなら黙ってればいいのに


114 :サガミハラハラ:2009/08/11(火) 06:18:40
>>110
倭、日本をヤマトと読むのは
新東京国際空港とかいて成田空港と読むごとし。






115 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 06:50:07
>>114
ちょっとちがうんじゃね
なぜ「山門」を隠したのかをも含めて政治的作為を否定できないとおもうけど

116 :サガミハラハラ:2009/08/11(火) 07:09:36
山門という字は、漢字が伝来してからづーっとのちにつくられたものです。
ヤマトという名称は、漢字が伝来する以前からつくられたものです。
別に山門をかくしたわけではないようです。

117 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:21:59
【日韓歴史】歪曲だらけ日本の教科書〜韓国無視・歴史歪曲内容、古代から近現代まで網羅[05/23]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1211550422/-100

http://nimg.empas.com/orgImg/ck/2008/05/23/h080523japanmain.jpg

[クッキー社会]「統一新羅と渤海は日本の朝貢国だった。」「朝鮮民衆が倭寇だったし、本拠は済州島だ。」本紙が
23日、入手した北東アジア歴史財団の「2007年度検定本・日本歴史教科書分析集」には韓国を無視したり、歴史を歪曲した
事例が古代から近・現代まで総体的に網羅されている。

◇「百済と新羅は4世紀に建国された」=日本の大部分の高校歴史教科書には紀元前に建国された百済と新羅がこれよりずいぶん遅い
4世紀頃に建国されたと記述している。実教出版が発刊した日本史B教科書44ページには「韓半島南部は、多くの小国から構成された
馬韓-弁韓-辰韓の3地域に分けられていたが、4世紀中頃、馬韓には百済(4世紀中〜660年)が、辰韓には新羅(4世紀中〜935年)が
起きて、それぞれ小国を統一して建国した」と記述されている。山川出版社の新日本史30ページにも「4世紀前半に馬韓で百済が、
辰韓で新羅が建国した」と書いてある。

甚だしくは三省堂版日本史B388ページには図表で「391年に倭人が渡海して百済・新羅を破り、臣民とする」と言う内容が堂堂と出ている。
日本が統一新羅と渤海を朝貢国と見なしたという主張も教科書に現われる。実教出版の日本史Bには
「日本は新羅を朝貢国と見なしたが…なおかつ727年から唐と対立していた渤海が使者を送ったが、日本は朝貢国と
見なした」と出ている。
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129

118 :サガミハラハラ:2009/08/12(水) 18:39:33
朝鮮半島南部はもともと倭の領域なのです。
ですから、神功皇后の新羅遠征でもカラのことはでてこないのです。
遠征する前から日本(大和朝廷)の中にくみこまれていたからです。
大和朝廷にくみこまれたのは、西暦290年代垂仁天皇の時代です。
それ以前も倭であり、卑弥呼の時代には狗邪韓国として、倭の北岸にあると
しるされています。

119 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 14:29:29
倭人が半島に居たが、今は居ないのはなんでだろうな。
半島でD系統の男がゼロになってるのは
単に日本に帰ってきた(文字通り帰化)ってことなのかね。

それとも、ほんとうに絶滅させたのか?
あいつら弱いが、戦後の暴れ回りっぷりを考えると、絶滅させたのもありえる。

それでもなんか似てるところがあるというのは、倭人系の「女」の遺伝子を
朝鮮人は持ってるはずだからだろうな。
男は絶滅させたが、女は倭人系なので、朝鮮人も日本人に似てるところがある、と。


120 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 17:41:52
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%A2%B3
朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉という極めて限られた時期に成立したものであり、韓国全羅南道の
栄山江流域を中心に10基ほどが存在している
日本の前方後円墳に比べれば大凡、小規模である
段築・造り出しや葺石といった日本の前方後円墳に見られるものは韓国の前方後円墳に見られない
周濠については、あるものとないもの、両方存在している

遺物については、百済系遺物と共に円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった倭系ともいえる
遺物も発見されている。また、倭系の遺物に属す巴型銅器や碧玉製の石製品などは、日本の場合なら首長の墳墓や
前方後円墳などから副葬品として出る支配階級の権威の象徴だが、伽耶では、地位の低い人間の墓からも出てきている

前方後円墳を倭人の墳墓と認め、倭の軍事勢力が栄山江流域で活動していたという事実を認定した上で、百済に
服属した倭系官僚がこの地を支配していたとする韓国人学者も出始めている

5世紀の第四半期と6世紀第一四半期とに、多くの倭国の有力者が移住して百済に臣従し、当時、百済が全羅道の
重要な拠点の領有を進めていたという事実から、山尾は、この地に派遣された武臣の一部に、百済の臣下たる
倭国の有力者一世がいたと推測している

>山尾は、この地に派遣された武臣の一部に、百済の臣下たる倭国の有力者一世がいたと推測している
>山尾は、この地に派遣された武臣の一部に、百済の臣下たる倭国の有力者一世がいたと推測している
>山尾は、この地に派遣された武臣の一部に、百済の臣下たる倭国の有力者一世がいたと推測している

百済の臣下じゃんw

121 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 20:15:49
「百済の臣下」の理由は:
1)百済系の威信材が出る。
2)6世紀中葉は百済が全羅南道に進出した時期である。

ということらしい。しかし威信材が出るから臣下ならば、鮮卑系の鞍が出る
日本の古墳の主は鮮卑の臣下ということになる。
また6世紀中葉はたしかに百済の進出期と重なるが、5世紀後半はそうでは
ない。だから一世というなら一世は少なくとも百済の臣下ではない。

要するに全羅南道の前方後円墳は、継体紀に書かれた四県割譲とよく一致
するのだ。(つまり割譲したからと言ってすぐには変わらないということを
加味すれば)

この問題に関して日本の学者の言うこともあてにならないよ。
彼らは発掘に参加したり、情報をもらったりする立場の人たちだ。
ストレートにものを言えば韓国から情報をもらえなくなるという心配が
あるからね。

122 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:07:24
旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶



123 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 08:24:31
>>120
何で半島で百済の王より大きな古墳を作ってる倭人達が「百済の臣下」なんだよw

124 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 08:40:49
>>123
秀頼と家康の関係かな。実権は既に倭人が持っていた。
後漢末期の曹操かな。

125 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:27:28
実権がどうこうよりも5世紀以降の百済王って日本で人質だっただろ。

126 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:24:21
もし百済、高句麗が大和を征服したのなら、なぜ百済、高句麗式の
誇り高き武器、彎弓、短弓が広がらず日本古来の和弓、長弓のままなのかね?

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?


127 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:51:12
倭人は大弓を使う、とあるな。
まあ、百済や高句麗の帰化人は、いろいろ記録にある。

征服したって韓国人が言ってたか?
人口が違いすぎるから、征服と言う理論が出るはずが無いんだがな。
それに、誇り高い韓国人が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだ。


128 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 12:50:24
>>127
人口が違いすぎる?
人口にいったい何の関係が?
史上人口の少ないほうが多いほうを征服した例などはいて捨てるほどありますが?

129 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 00:32:14
>>128
モンゴルが漢を、満州が漢を・・・
百済も、小数のフヨ族が漢人を支配してたようだな。

小数の異民族が、全く異文化の大多数を支配する場合
言語の違いが明らかで、第三国の記録にも残る。。
百済は支配者層と民衆の言語が違うと中国の記録にある。

日本にそんな歴史は無い。支配者も民も倭人。
自分で和(ヤマト)、以外の民族を名乗ったことは支配者も大多数の民も無いし
第三国である中華や朝鮮の記録にも、日本列島に倭人以外の勢力は見当たらない。


130 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 01:13:28
そもそも、当の朝鮮王朝にそんな記述が無い事自体が全てを物語ってるんだが。
分国論とか騎馬民族征服説とか、自分達の国の記録見てから言えって思うよね。

もしかしたら時空関白ヒデヨシや凶悪な資本主義日本帝国が全て書き換えたかもしれんがw

131 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 07:38:54
百済の支配民族と被支配民族の言葉が違ったことは中国の記録にあるが、
>>130が言うように百済じしんの記録にはない。
ということは、倭国でそんな状況があったとしても倭国の記録に残らないのは
当然、と言いたいのかな?

132 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 09:57:07
>>123
もともとあった百済の国は、高句麗に滅ぼされたんだ。
それで、たまたま人質として日本にいて生き延びた百済の王子とその側近に、朝鮮半島にあった日本領地の一部を与えて百済王を名乗らせた。
それで、百済の王様と側近以外の領民や役人は、ほとんどが日本人で、あと渡来人が少し、という状態になったみたい。
だから実態は、日本の地方の領主だと思うんだけど、(百済王が日本に従っているのを無視すれば)一応形としては、百済王が領土内の日本人を支配しています。

133 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 11:04:52
×大和朝廷
○奈良百済
http://upload.jpn.ph/upload/img/u46342.jpg

134 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 11:58:30
なるほど、何かの拍子に百済の民が倭人だと気づいて、百済が倭を全て支配したと妄想したのか。

135 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/18(火) 15:14:11
http://upload.jpn.ph/upload/img/u46342.jpg は、
シナから海を渡った弥生人を示しているね。


やっぱり朝鮮人のルーツは挹婁人だ。

136 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 15:18:34
『後漢書』婁伝
 婁、古肅慎之國也。在夫餘東北千餘里、東濱大海、南與北沃沮接、不知其北所極。土地多山險。
人形似夫餘、而言語各異。有五穀、麻布、出赤玉、好貂。無君長、其邑落各有大人。
處於山林之 、土氣極寒、常為穴居、以深為貴、大家至接九梯。好養豕、食其肉、衣其皮。冬以豕膏塗身、厚數分、以禦風寒。夏則裸袒、以尺布蔽其前後。
其人臭穢不 、作廁於中、圜之而居。
自漢興已後、臣屬夫餘。種衆雖少、而多勇力、處山險、又善射、發能入人目。弓長四尺、力如弩。矢用、長一尺八寸、青石為鏃、鏃皆施毒、中人即死。
 便乘船、好寇盜、鄰國畏患、而卒不能服。東夷夫餘飲食類(此)皆用俎豆、唯婁獨無、法俗最無綱紀者也。


137 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 17:02:28
http://blog.livedoor.jp/global_yamato-wareomofu/archives/51296410.html

138 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 20:52:38
朝鮮百済は滅亡して奈良百済は大和/日本になったのか。
日本人は百済人の正統な末裔だね。

139 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 21:43:53
そして婁人は朝鮮半島に住み着き、現代韓国人の先祖になった。

140 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 21:44:18
>>138
うん。
百済王は代々、日本人の奥さんもらっていたみたいだし…
百済の民は元々、日本人だし…
滅亡の時に大量の亡命者を受け入れたし…
その前から日本に帰化した王族もいるし……

何よりも、半島の百済の人間は皆殺しになったから、日本人以外に百済人の末裔はいないもん。

141 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 21:48:07
>>133
すごいな奈良百済だけでなく外百済なんてのもあるんだw

それ韓国の軍隊で実際に教えられてる教科書で一般に市販されてるらしいよ

142 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 00:33:47
アルメニアって国とチョンがそっくりだwhttp://armenia.hp.infoseek.co.jp/035.html

「アルメニア人は、アルメニア共和国は日本やEU、アメリカ等と全く対等な国だと
勝手に思い込んでいる。世界の歴史を創造したのは、全てアルメニア人だと思っている。
世界の経済を動かしているのも、アルメニア人だと思っている。

「9.11事件」のテロ事件が起きた時、あるアルメニア人は、
「あのツイン・タワーは実はアルメニア人のモノなのだ。アルメニア人の富を狙ったテロだ!」
と、真顔で言った。最初、冗談かと思ったが、無職の本人は真剣にアルメニアの富を心配していた。アルメニア人は、外国人の有名人やお金持ちなら誰でも「アルメニア人」にしてしまう。
「あー、彼もアルメニア人。彼女もアルメニア人!」と、こんな感じに。
最初は僕も真に受けていたのだが、「ジョージ・ブッシュ合衆国大統領も、ビル・ゲイツも
実はアルメニア人なんだよ」と真顔で言われて、単に虚言癖がある人達だと分った。」

143 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 01:13:00
>>142
凄すぎだろアルメニア人w
韓国を超えているw

144 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 04:01:56
問題はアルメニアの情報が少なすぎてこの話の検証ができんww

145 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 04:36:17
>>140なども相当アルメニアくさいな

146 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 04:48:14
奈良百済なんて随分前にハン板でコケにされた話題を今さらw

147 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 06:31:05
アルメニアは美人の国

148 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 13:17:57
大国に囲まれて支配され続けたから
アルメニアと朝鮮はよく似た国民性になるのかな。
でもそんな国はたくさんあるからね。

ま、アルメニアは美人が多いだけ朝鮮よりは遥かにましw


149 : [―{}@{}@{}-]◆VWCBut9QG7q4 :2009/08/19(水) 14:47:16
15年前にサンフランシスコの郊外のChino cityに仕事で行った。
モーテルの横のモール街の洗濯屋に行ったら奥さんが出て来て、
日本人だと分かったら、私はアルメニア人でだんなは日本人だと
言ってだんなを呼んだが奥に姿見せただけで出てこなかった。
奥さんは小柄で、肌はちょっとスベイン人見たく薄黒かったぞ。
そんなに美人ではなかったが半島アガシよりはすっぴんでも良かった。

150 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 06:03:59
【グローバルアイ】日本で開かれる韓日祭り

最近、日本の中老年層はNHK大河ドラマ「天地人」にはまっている。 日曜日午後8時に放送されるこの時代劇は
豊臣秀吉に従う若い侍が主人公として登場する。 人気の背景は乱世で目を引く彼の配慮と義理だ。 利益ばかり追う現代人に
足りない徳性であり、注目を集めている。

この侍が主演だが、それでもドラマの中心はさまざまな奇行を見せる豊臣秀吉だ。 彼は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で倭兵が
破竹の勢いで朝鮮に攻め込むと破顔大笑する。 「朝鮮民族にわれわれの兵士の槍と刀の味を見せた」と喜んだのだ。
豊臣秀吉は余勢を駆って明を経てインドにまで進出し、アジアを征服する誇大妄想に陥った。

豊臣秀吉の朝鮮侵略はこの時まで力を誇示するという側面が強かった。 戦国時代を統一し、日本が国家の枠を築くと、文物が
進んだ朝鮮を制圧することを望んだのだ。 しかし明治維新後に近代化に成功した日本は次元が変わった。
日本が1500年以上も頭を下げて学んできた朝鮮と中国は無力な弱小国にすぎなかった。
ロシアに勝ってアジアを制圧した日本人は自分たちの力に驚いて熱狂し、自信と優越感に満ちていた。
集団催眠にかかり、豊臣秀吉のように誇大妄想に陥ったのだ。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119409&servcode=100§code=140

>文物が進んだ朝鮮を制圧することを望んだのだ。
>文物が進んだ朝鮮を制圧することを望んだのだ。

>日本が1500年以上も頭を下げて学んできた朝鮮と中国
>日本が1500年以上も頭を下げて学んできた朝鮮と中国
>日本が1500年以上も頭を下げて学んできた朝鮮と中国

ま、これが現実だから(笑)


151 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 06:12:43
ウリナラオナニー記事かw

152 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 07:36:27
アルメニア人はトルコ系かなにかだと思っていた。
ウィキによるとアルメニア語は最も古いインドヨーロッパ語なのだそうだ。
そうすると、混血は避けられないとは言え、アルメニア人は基本的に
インドヨーロッパ系なのだ。
またアルメニアはヨーロッパで最初にキリスト教を国教とした国だそうだ。
その後国がなくなったりしながら、イスラムの嵐の中でキリスト教を
守り通したのだから、筋金入りだ。


153 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 07:47:31
系統は不明だか。

154 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 08:34:40
>>150
朝からマルチコピペ乙
つまんねーことやってないで、さっさと宿題終わらせろよ

155 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 10:25:27
ザビエルもそうだが中世の宣教師達がすでに日本を絶賛してるよね。
京都はローマより上を行くと言ってる人もいた。


156 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 14:14:02

>朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していたことに関しては、1880年代になっても
金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」と未開性を嘆いていた。つまり、朝鮮人は、
朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったということだ。


157 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 14:35:13
  >日朝間には縄文頃より交流は有るが、木の曲げ物(杓子、樽作りの技術が無いので
甕を多く使う)水車等は明治に入るまで無かった。つまり幾ら交流が有っても興味が無い、必要性
(宗教上含)が無い、技術が無い、唐の様に絹の製法を国家管理してる場合などは伝達しにくい。

>朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していたことに関しては、1880年代になっても
金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」と未開性を嘆いていた。つまり、朝鮮人は、
朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったということだ。


158 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 14:58:56
  下記の様にペルシャ系語には「カラ」黒、城の意味も有る。
    韓国南部古代地名の加羅、カラクニ、オオカラ、ウカラ、も城砦都市の事かも。

イチャン・カラ/ウズベキスタン イチャン・カラ(ウズベキスタン)への旅この町は、
二重の城壁で守られており、外城をディシャン・カラ/内城をイシャン・カラと呼んだ。
内城のイシャン・カラには約20のモスクとメドレセ(神学校)/6基のミナレット...
www.tomorrow-01.com/sekaiisan/ityan.html - キャッシュ - 類似ページ

[PDF] バーミヤーン谷における 考古調査ファイルタイプ: PDF/Adobe - HTMLバージョン
した平野部が開け、そこでは4箇所のカラ(城)をはじ. め、いくっかの古墓、石窟群、
ジアラット(巡礼地)を確. 認した。カラとは、一辺20∼30m四方の範囲を土壁もし. くは
日干し煉瓦の壁で囲み、その四隅に平面円形もしく ...
repository.nabunken.go.jp/modules/xoonips/download.php?... - 類似ページ


159 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 14:08:45
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


160 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 21:34:08
>159
扶余族自体が、ツングース系。旧満州・東北地方よりも更に北乃至、モンゴルよりも西
から朝鮮半島に遣ってきた。扶余族自体は、騎馬民族であるが、朝鮮半島内で牧畜は出来
ないから、入植の最初は風俗としての短弓は残っていたが、実際には使う際に、騎馬で占
領する過程で、短いのが遠くに届かなくて駄目になると、長いものになる筈。出ないと、
戦いに負けて、文化も民族も殲滅される。だから、世代を追う毎に、変容する。例えば、
トルコ系の西魏等は、自分をトルコ系ではなくて中国人だと思っているが、隋や唐を作っ
た。だから、遺跡には、トルコ系の遺跡が残る。其の場合は、祭祀で使用する場合には、
使ったと思うが、実用上は、意味がなかった。そのうちに忘れ去られる。
馬具とかがあることが、騎馬民族である証拠となる。砂漠などと違って、道路の整備
がないと馬は、騎馬民族でも邪魔だ。ベトナムで戦車戦が意味がないのと同じだ。ベト
ナムで、ソ連製の戦車がないから、ソ連から援助がなかったとかにはならない。同じく、
日本で100年前に徳川と、薩長土肥の近世戦の10年内戦が続いたとして、
騎兵戦ではなくて、白刃戦と鉄砲だったと思う。其の時に、弓の出土がなかったから、
と言うことで、武士がいなかったことにはならない。
だからといって、
ないから、

161 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 22:46:59
>>160 >>159の話題の主旨は只単に長弓短弓を使ってる使ってないの問題じゃ無く

射撃法の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る
射撃法は倭人しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif
長弓を使う民族は太平洋島嶼部に何部族かは居るみたいだけど全て
弓の中心で射撃を行なってる。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-10.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-7.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-12.jpg
彎弓 ・・・・・モンゴル、朝鮮、ペルシャ
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-6.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-8.gif


162 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 23:32:40
>>152
アルメニア人は第一次大戦時にトルコ人に大虐殺されて、今はトルコ領内には残っていない。
同族なんて言ったら石が飛んでくる

オスマントルコ時代に商人として活躍したアルメニア人も多い。
祖国が占領され商売に精を出した点はユダヤ人やギリシア人に近い。
アメリカで儲けたアルメニア人もいるし、ロシア帝国、ソヴィエト時代にロシア領内に移住した人も多い。
グルジアやアゼルバイジャンが反ロシア的だが、ロシアはアルメニアには友好的だ。
しかし民族主義的なロシア人はアルメニア人もカフカス系として排除したい考えだ。

163 :日本@名無史さん:2009/08/24(月) 08:39:42
>>162
古いインドヨーロッパ系だが長くじぶんの国を持たなかった民族として、
クルド人と通じるところがあるな。
クルド人はいまでも持っていないが(イラク内の自治州的なものは別として)。

164 :日本@名無史さん:2009/08/24(月) 22:52:37
http://www.chosunonline.com/news/20090824000044
明成皇后殺害事件、日本のテレビ局が取り上げる

あらら謝罪しちゃったね(笑)
日本人は素直すぎw中国人なら絶対に謝らない


165 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 00:35:24
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%94%E5%A6%83

166 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 10:28:48
いまだに夫餘がツングースとかいってるやつがいるけど
どうにかなんないのかね

167 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 11:44:16
>164
>これらの動きは明成皇后に不満を持つ大院君や開化派勢力、日本などの諸外国に警戒され、1895年10月8日、大院君を中心とした開化派武装組織によって景福宮にて暗殺され、その遺体は武装組織により焼却された(乙未事変)[6]。
>朝鮮が親露に傾くことに危機感を持った公使・三浦梧楼も暗殺事件への嫌疑がかけれられたため、日本は国際的に非難され三浦を含む容疑者を召還し裁判にかけたが、首謀と殺害に関して[7]は証拠不十分し免訴となり、釈放した。
>死後、皇后としての称号を剥奪され、平民に降格された[8]ため、当初は東九陵の崇陵ではなく崇陵前に埋葬されたが、後に清凉里の洪陵に移され、さらには高宗没後は南楊州市の金谷銅に位置する洪陵に高宗と彼女の合葬陵とし
>て現在の洪陵[9]に移された。

明成皇后が、夫を愚昧で政治を遣らないからという事で私物化したって事。

168 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 09:44:06
質問がありますが、
百済と新羅は日本に朝貢して、
百済王は倭によって婚姻が決められており、百済王の后が倭人の中から選ばれ、
その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として扱い、倭人との混血が繰り返され、
新羅王も倭人系で初期の宰相も倭人だったけど、
加羅諸国の王も倭人もしくは倭人との混血だったの?


169 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 10:07:42
>倭によって婚姻が決められており、百済王の后が倭人の中から選ばれ

ソースは?
もしそうなら加羅諸国の王も同じだろうね。

170 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 11:08:49
>>169
ソースはウィキペディアの百済のページ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88#.E5.80.AD.E5.9B.BD.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

百済の中期には、高句麗の軍事的圧力に対抗するために和通したと記録されている、『日本書紀』の中には、領土を奪われた百済に任那の一部を割譲した記録や援軍を供出した記録、さらには倭朝廷に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが数多く残っている。
また中国の『隋書』にも、新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。(新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來)という記述があり朝貢関係があったことをうかがわせる。
さらに、広開土王碑でも倭について、百済■■新羅を破り以って臣民と為す(「倭ロ<耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民」)という部分があり百済が辛卯年(391年)に倭によって支配を受けていたことも明らかとなっており主従関係が存在しており、
倭の重臣と百済との間で家臣上下に関わる席順の取り合いのエピソードも残されている。
これらのような記述が史実であるのかに関しては異論も多いが、友好的であったのは確かであろう。
また王族については、百済の王族は倭によってその婚姻が決められており中国ーツングース系と倭人との混血が繰り返された。基本的に百済王の后が倭人の中から選ばれ、その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として扱った。

171 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 18:30:37
>>170
一例だが:
「慈悲麻立干(じひ まりつかん、生年不詳 - 479年)は、新羅の第20代の王(在位:458年 - 479年)
であり、姓は金氏。先代の訥祇麻立干の長男であり、母は18代実聖尼師今の娘、王妃は訥祇麻立干
の弟の舒弗邯(1等官)未斯欣の娘。458年8月に先王の死去に伴い、王位についた。『三国遺事』
王暦では母の名を阿老夫人(または次老夫人)、王妃を巴胡葛文王の娘(または■叱希角干、別名
未欣角干の娘)とする。」

ウィキペディアより。



172 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 02:58:33
慈悲麻立干も倭人なの?

173 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 03:06:15
>また王族については、百済の王族は倭によってその婚姻が決められており中国ーツングース系と倭人との混血が繰り返された。
>基本的に百済王の后が倭人の中から選ばれ

これを論証するような史料ってあったっけ。

174 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 08:36:44
>>172
百済王の妃が倭人ではないことの例だよ。
慈悲麻立干は5世紀中葉の人であるようだが、百済王の王妃が倭国が決めた
倭人だったというのがこの頃のことでないとすると、いつごろのことかな?

175 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 13:27:56
ごめん、慈悲麻立干は新羅だった

176 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 14:21:49
麻立干=まりこ
尼師今=にしき
妹 子=いもこ(男)
男 子=おのこ
女 子=おなこ

177 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 16:38:43
>>176
麻立干=まりこ >麻立干=まろこ
>後の麻呂まろじゃ無いか。

178 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 16:44:41
麻呂は韓国系ということか。

新羅三郎義光→源氏は韓国系
今川義元(麻呂)→源氏は韓国系

結論が出たね。

179 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 17:18:41
神歌は女たちだけのものだと思っていた自分には新たな発見であり、驚きです。しかもその内容は
「赤椀の世直し」であるという。赤椀に関する神歌は、私の説では弥生時代の革命を謡った極めて
重要な神歌です。しかも久高の赤椀の歌は、他に無い特徴があります。沖縄に45篇ある
「赤椀の世直し」歌のなかで、そのほとんどは、

大和から下りたる 赤椀の世直し
山城から下りたる 黒椀の世直し

ですが、久高にある2篇だけは、

大和から下りたる 赤椀の世直し
ソウルから下りたる 黒椀の世直し

と、ヤンバルや勝連で、「山城(ヤシロ)」謡うところが、久高のそれでは、ソウルとなっています。
ある男。「ソウルは朝鮮のソウルなんだ」
他の男。「そんな馬鹿なことがあるもんか」と議論になったのでした。


180 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 17:20:11
>>179  久高島って確か太陽信仰の島のはず、
そのソウルって「ミトラ、ミトラス教」の太陽神「ソル、ソール」の事じゃ
ラテン語らしい日本では「ソラ」じゃなく「ア」(中央アジアの神はアーが
良く付く)を付け「アミトラス」訛って「アマテラス」英語で「ソーラー」。

ローマではキリスト教以前は太陽神ソル、ソールが盛んだったらしい
仏教の弥勒菩薩もミトラの影響を受けてるな、韓国のソウルも古代太陽信仰
の影響が伺われ、白は太陽を現し白服を着るのと白山も太陽信仰だろう。

日本のソシフルとか新羅のソボルもソールの変形か
じゃ黒人音楽ソウルもラテン語の太陽、神、魂、なのかえ?


181 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 17:21:57
>>180
ローマと言えばローマの休日オードリーヘプバーンが手を入れて
騙されるシーンの太陽じじー顔がミトラス教の太陽神ね。

キリスト生誕神話もミトラスの太陽復活行事のパクリね、クリスマス。


182 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 17:29:03
「山城(ヤシロ)」が社(ヤシロ)で
ヤーの神が天から降りて住まう処。

山城、社には太陽神(鏡ソール)が祀られてるので
ソール、ソウルと言ったんだろう。

ヤーが住まう高い所を社の屋根ヤネ、山々の高い所を
尾根オネ、峰ミネ、箱根ハコネも其処からの由来だろう。


183 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 17:42:46
ひょっとして世界の宗教はすべて韓国起源?

184 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 19:20:35
ミトラ教はアーリア人の古代宗教らしい(中央アジア発祥説有)
ミトラから分かれてゾロアスターの光と闇、善と悪の二元論が現われ
旧約聖書の世界や仏教へは光明をもたらす弥勒教
インドにはヒンズー教へと世界宗教の元祖だけれど
今は化石化してるんで知られていない、キリスト教なんか諸ミトラだね。


185 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 00:55:32
>>178
出るかアホw

186 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 05:07:58
新羅にはなぜかローマの文化を思わせるものがたくさんある
百済や加羅、高句麗からは発見されてないのになぜ新羅だけが・・

実は日本にもあるんだよなローマングラス
新羅のとそっくりなのが、しかも勾玉までそっくり
蘇我氏か秦氏の墓とされてる場所から出土したらしいけど
これって・・

187 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 05:31:00
ほお、つまり日本からの下賜品か

188 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 08:26:04
>>186
>蘇我氏か秦氏の墓とされてる場所から出土したらしいけど
これって・

具体的に何古墳なんだよw


189 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 16:12:32
>>186
海のシルクロードかな。南から来て日本に入り、日本人が新羅へ持ってゆく。

190 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 20:06:52
>>189
新羅南部の一部しか発見されていないので、そこに日本の直轄の領土があったと思います。
新羅の中心部からは見つからないので。

191 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 20:50:43
新羅領で発見されたものが日本でも見つかったんだから、
日本は新羅領であることは明らかなんだがな。
どうしてそんな簡単なことがわからないのか。

192 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 21:03:12
たかがガラスの遺物で直轄領だなんだと言ってのける短絡さがうらやましいわ

193 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 21:33:27
>>191
逆のことも言えるでしょ。

んで、日本が新羅領だったということが記載されている文献はあるのか?
逆に、新羅が日本に朝貢していたと記載されている文献はあるようだがな。

194 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 22:49:40
新羅史では倭軍が新羅領内を度々侵犯して来たって話が出てる訳だが。

195 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 00:05:57
歴史の上では日本は海洋進出が盛んで、朝鮮は陸地のみが行動範囲。
三国史記でも古事記でも日本書紀でもこの点は一貫している。

196 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 00:29:16
>>191
どうも遺物の炭素半減期計って丹念に出自を特定していくと、
それは「ない」みたいですよ。
新羅が日本を領土にしてたら、少しは文献もあるでしょうね。


197 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 02:16:23
>>191

新羅のキンピカは北魏経由の文化であろう。


198 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 04:12:19
騎馬民族は船には乗れなかった。

199 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 04:51:41
>>191
なんでもあべこべ民族乙

200 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 05:42:53
>>188
■新沢千塚126号

新沢千塚126号墳のガラス器は、他の出土品(青銅製熨斗、金製歩揺など大量の金製品)に中国東北部や朝鮮半島で
見られるものが数多く含まれており、日本系の遺物が極めて少ないことから、被葬者は外国人であり、ガラス器は
その人物が将来したとみるのが、多くの研究者の見解である(59)。

しかし、その人物がどこから来たのかについては、新羅(由水常雄氏)、百済(森浩一氏・千賀久氏)、北朝(菅谷文則氏)と様々である。
現在のところ、被葬者の出自を特定しうる決定的証拠はないが、

@ガラス皿の類型が北朝の馮素弗墓で見られる事、
A熨斗の形状が新羅のものより百済・北朝のものに似ている事、
B金製歩揺が鮮卑族の間で用いられている事などから、
被葬者は、菅谷氏の主張する、高句麗・百済経由で日本に亡命した北朝系の貴族である可能性が高いように思われる。

http://www1.odn.ne.jp/museum/gulas.html

201 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 05:56:49
物の移動と人の移動を完全同一視してる

202 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 07:30:11
現在の韓国人・北朝鮮人である朝鮮民族と百済人や高句麗人は別言語を話す別系統の民族じゃなかったっけ?
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。


203 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 07:30:54
>新羅にはなぜかローマの文化を思わせるものがたくさんある
百済や加羅、高句麗からは発見されてないのになぜ新羅だけが・・
実は日本にもあるんだよなローマングラス
新羅のとそっくりなのが、しかも勾玉までそっくり

↑勾玉は日本独自のものなので、新羅で見つかった物は日本から伝わった物だと断言出来るが、>>200のリンク先では勾玉のことが触れられていない。
ソースが欲しい。

204 :日本@名無史さん:2009/08/29(土) 19:24:29
>>200
新沢千塚126号は長方形の極めて珍しい古墳でもあるね。
だから何なんだ?
そういう珍しい古墳があるという事実が、
何で日本は新羅領というアホな意見になるのかな。

205 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 00:02:53
■韓国の歴史歪曲

<国号の選択>
朝鮮王朝実録によれば、太祖・李成桂は使いを明に送って、国号として「朝鮮」と「和寧」という二つのうちのどちらかを
採択することを請い、「朝鮮」を選んでもらった。
国号すら自分たちで決めることが出来ず、他国に選んでもらうなど「属国」以外の何者でもない。
なお、この「国号の選択」に関して韓国の教科書は次のような歴史歪曲捏造を伝えている。

曰く「新王朝は、国号を朝鮮と定めた。「朝鮮」は、すなわち古朝鮮の伝統を受け継ぐという意味で、壇君に民族の
独自性を求めるという意味が含まれている。」
無論、事実は上の通り明に選んで貰ったのである。

<朝貢>
朝貢については韓国側もその事実はさすがに認めている。
となれば当然、「朝貢」は臣下の礼を致すものであるから、朝鮮は中国の属国であったと言える・・・のだが、ここでもまた
韓国の歴史歪曲捏造の教科書は次のように始めている。

曰く「明との外交は朝鮮側がより積極的であった。朝鮮は朝貢を通じて明の名分を立ててやり、使臣の往来を通して経済的・文化的実利を得た。
しかし後にはいきすぎた親明政策に流れる傾向があらわれた。」
何をかいわんやである。
「明の名分」という訳の分からない理屈で朝貢は仕方なくやっていたもので決して臣下の礼をとった訳ではないことを強調しているのである。


206 :日本@名無史さん:2009/08/30(日) 00:04:10
[続き]

<人質・強制連行>
明の後、清が中国の統一王朝となったが、この際朝鮮と戦争をし清は朝鮮に勝利している。
清は朝鮮の王子一族他、貴族とその家族数百人を人質としており、朝鮮民衆50万人を強制連行している。
朝鮮が清に敗北した1636年から1881年までの244年間の間に、朝鮮から清への朝貢はなんと500回を
超えるに至っている。
また、清の使者が朝鮮を訪れる際には朝鮮国王は漢城郊外の迎恩門まで出向き、土下座をして恭しく使者を迎え、慕華館で
勅使の接待をすることを余儀なくされていた。
もう誰が何と言おうとこれは清の属国として朝鮮である・・・はずなのだが、ここでまたまた韓国の歴史歪曲捏造の教科書は
次のように説明している。

曰く「後金は勢力を強め、国の名称を清とかえ、朝鮮王朝に対しては君臣の礼を要求して再び侵入し、漢陽を占領した。
そのため仁祖は臣下とともに南漢山城に移り、45日間抗戦したが、ついに清の要求を受け入れて講和を結んだ。
この戦争を丙子胡乱という(1636年)。」
そう、朝鮮は敗北したのではない「講和」をし清と友好関係を結んだだけであったのだそうだ。

members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi08.htm

207 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:06:37
>>29
今夜の第5回は、朝鮮でなく渤海国を取り上げるようだね。しかし、何も
総選挙開票即報の夜にぶつけなくてもなあ。融通のきかないNHKらしいな。
ETV特集 シリーズ日本と朝鮮半島2000年 第5回 日本海の道
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/0830.html

208 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 03:29:55
中国⇒百済に寄港⇒日本だろう。
百済、任那に寄港できれば日本に向える。
新羅が疎遠な理由。


209 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 06:35:35
>>204むしろ新羅でローマ文化が発見された地域が古墳の造られた時代日本の領土だった可能性が大きいよね。

>新羅にはなぜかローマの文化を思わせるものがたくさんある
百済や加羅、高句麗からは発見されてない…新羅だけが・・
実は日本にもあるんだよなローマングラス
新羅のとそっくりなのが、しかも勾玉までそっくり
>勾玉は日本独自のものなので、新羅で見つかった物は日本から伝わった物だと断言出来る…

210 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 18:42:57
>>209
好太王碑でも倭の臣民と言ってくれてるしなw

211 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 21:23:14
>>207
まじかよ当然見逃したよふざけんなNHK。
再放送いつやるか教えろ>NHK

212 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 22:17:15
新沢千塚126号古墳は新羅から渡来した外国人の墓というのが有力だそうだよ
蘇我氏の墓とか言われてて蘇我氏は新羅系何て説もあったそうだが・・w

蘇我氏の配下にいた渡来系の東漢氏や秦氏だと思う
問題は年代、日本から朝鮮半島に伝わったのではなく朝鮮半島から日本に
伝わったと考えるほうが合理的だよ
秦の末裔、あるいはユダヤ起源などと言われてる秦氏が新羅に逃れて来て
住みついたのは事実で、それから日本に渡来したと考えるとつじつまが合う

ローマングラスも秦氏がヒッタイト人やユダヤ人と何らかの関わりがあり
ローマ製品を新羅にまで持ち込んで日本に来るときにそれを持ってきたと考えるのが
理にかなうと思うんだがな

北魏やシベリア経由で入手したなんて説もあるみたいだがローマングランスに関しては
新羅と日本にし出土してない

213 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 22:18:56
日本史板ってこんなのばかり

214 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 00:56:35
ムームー星人があらわれた

215 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 00:59:25
>>212
外国人の墓でいいんだけど、
この古墳の存在をもって「日本は新羅領だった」とか言うアホがいたものでね。
まさか君か?

216 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 04:27:35
大体、交易と民族移動の区別がないのはどういうわけなのか

217 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 04:36:36
大化の改新があった7世紀以降に廃れるてるから、蘇我一族と関係してんのかも
それにしても凄い財力だ
っていうか大王クラスでも持ってないような財宝だらけ
相当、貿易で懐に入れてた可能性代

218 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 04:50:55
よく見ると、6世紀に衰退してんだな
大伴の大和朝廷は任那、百済
新羅ってのは磐井らの北部九州の豪族
貿易品では無く、渡来人が直接持ってきた?
よくわからん

219 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 21:57:47
>>212

その外国人の墓って蘇我氏だよ。
テレビで見たことある。

韓国まで行ってローマングラスやトンボ玉なんかが新羅から出土した
モノとほぼ同じであることから蘇我氏は渡来してきた新羅人と言ってた。


220 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:14:54
でも、武具も多いんだよね
渡来系のイメージとは違う

221 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 23:38:35
>>219
東漢だろ。
5世紀後半に蘇我は台頭してないし。
だいたいここでも何度も出てるけど蘇我は渡来系ではないしね。


222 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:47:45
東漢ならありうるかも

223 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:19:41
ETVの日本と朝鮮半島2000年って番組でも

蘇我氏は渡来系氏族を配下に置いていたと日本の学者が説明していた
彼らの進んだ技術や大陸の文化、そして仏教に傾倒していき日本に
仏教を導入することを主張したらしい
確か東漢氏ではなく秦氏だったような記憶が・・・

しかし韓国の学者は蘇我氏そのものが百済系だと主張してたw
根拠はさんざん言われてる「韓子」「高麗」に由来する名前と
渡来人達との関係が強かったことや当時の日本の豪族と違って先進的な
文物や広い視野を持っていたことがその理由らしい

ま、蘇我氏は百済に援軍をだしたり何かと百済びいきだったのは事実だけどね



224 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 05:02:22
47 名前:日本@名無史さん 投稿日:2009/07/29(水) 07:44:57
NHK ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 第1回 古代 人々は海峡を越えた
http://ameblo.jp/campanera/theme-10002943377.html

最後のクレジットで番組制作を指示するディレクターの名前を見たら、「田容承」、案の定在日だった。

田 容承
初めまして。
入社4年目のチョンと申します。
皆さんはあまり聞いたことのない名前だと思いますが、
「田 容承」と書いて「チョン ヨンスン」と読みます。
(本当は少し発音が違いますが・・・)
実は、私の出身は韓国のソウルです。
http://www.cr-nexus.co.jp/colum/colum02-3_large.html


>>219
電波乙チョン

225 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 15:20:06
蘇我さん、新羅人になったり百済人になったり、韓国人の学者に大人気ですね(笑)

226 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 16:35:42
ハン板でも似たような電波飛ばしてたアホがいた
藤原氏は韓国人だってほざいてて、鎌足が百済人というソースと新羅人というソース、両方のソース出してた
一体どっちなんだw

227 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:56:32
>>226
もちろんどっちでもない。

228 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 21:37:07
>>226
藤原氏は百済系だろ
新羅系なんて聞いたことない

蘇我氏は百済系説と新羅系説があるのは知ってる

229 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 21:38:49
>>228
藤原が百済系という根拠を言えよ、この糞チョンが。

230 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:57:24
■韓国では日本の藤原氏は百済人

【噴水台】低姿勢
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=101133&servcode=100§code=120

日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという
学説が少なくない。 それなら、われわれの血筋にも奉仕の美学が残っているのは
明らかなのだが…。

>日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという
>日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという
>日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという
>日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという

231 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 01:58:14
鮮人のチラシの裏が根拠になると勘違いしてる、かわいそうな人がいるようですね

232 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 04:56:52
>>228>>230
結局お国の電波しかないw

233 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 05:30:26
蘇我氏の祖先の武内宿爾は神功皇后にはりついているが、神功皇后はアメノヒボコ
の子孫、そして神功皇后と応神天皇を祭る八幡神社の始まりは渡来系のシャーマン
信仰だという。
このグループは非常に怪しい。


234 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 06:01:51
まだファンタジーにすがるのかw

235 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 08:20:26
>>233
神功皇后の母方がアメノヒボコの子孫。
わざわざそう書いてるのだから父方はそうではないということ。
しかもアメノヒボコは新羅の王系なのだから倭人の血筋だ。

236 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 11:33:27
新羅の王統がすべて倭人伝説(正確にはタバナ国伝説)を持っているのでは
ない。

237 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 11:36:34
>>234
アメノヒボコとツヌガアラシトは同一人である可能性が高く、ツヌガアラシト
に関する記紀の記述は具体性がある。

238 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:20:32
>>236
「天」が名前につき、皇室の祖先に深く関係する神だから、
倭人(昔)の可能性が高い。

239 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:29:59
韓国系のアメノヒボコに「天」がつくことから、
「天」=韓国系なのは明らか。

倭人憤死w

240 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:52:08
アメノヒボコは祖先が倭人だからね。

241 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 19:25:17
■瓠公

瓠公(ここう、生没年不詳)は新羅の建国時(紀元前後)に諸王に仕えた重臣。もとは倭人とされる。
新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物である。瓠(ひさご)を腰に下げて海を
渡ってきたことからその名がついたと『三国史記』は伝えている。

初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠から取られているため、同一人物を指しているのではないかという説がある。
脱解尼師今が新羅に着した時に瓠公の家を謀略で奪ったと言う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A0%E5%85%AC


242 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:05:17
天が付くから神武系
神武のお兄さんの子孫

243 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:24:03
>>239
アメノヒボコがツヌガアラシトと同一人であれば、新羅ではなく金官加羅だ。

244 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:15:58
>>239
瓠公も秀吉軍も日帝も簡単に上陸できて支配者になれるんだね。
朝鮮人って劣等民族だねw

245 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:19:48
任那日本府

日本人 = 日本書紀に「391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」
韓国人 = 捏造だ。
日本人 = 三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。
新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。
百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。
日本人 = 日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?
韓国人 = そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。

246 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:22:38
中国人 = 中国の歴史書まで捏造か?
韓国人 = そうだ。歴史書が本物だとしても,日本という名前は7世紀まで無かった。倭と日本は違う。
日本人 = 三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。
日の出る所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?
韓国人 = 捏造だ!
中国人 = 中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で
「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」と公式に認めている。
韓国人 = 中国人の捏造だ!!
日本人 = イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、
「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」 書いている。それを世界50か国の学校に発行している。
韓国人 = オックスフォード大学の捏造だ!!
日本人 = アメリカのコロンビア大学やアメリカ議会図書館が「5世紀の朝鮮半島南部は日本の大和政権の支配下にあった。」と記載している。
韓国人 = 世界中が朝鮮半島を捏造している!!



247 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 06:36:30
>>237
具体性があるのはそれ以前に新羅が日本人によって建国されたという記述

>>239
何も明らかじゃないw
短絡脳だな

248 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 08:31:30
>>247
なるほど、タバナ国から卵だか赤ん坊だかが流れ着いて王になったという
話にはそれなりの「具体性」があるな。

249 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 08:45:12
新羅の場合、なんと日本列島から渡来した倭人が王になって王統をも伝え、述べ8代の王を輩出したとされる。

初代 赫居世居西干(朴氏)
*2代 南解次次雄(朴氏)
*3代 儒理尼叱今(朴氏)
*4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身説が有力。
*5代 娑婆尼叱今(朴氏)
*6代 祗摩尼叱今(朴氏)
*7代 逸聖尼叱今(朴氏)
*8代 阿達羅尼叱今(朴氏)
*9代 伐休尼叱今(昔氏) 13代 味鄒尼叱今(金氏)
10代 奈解尼叱今(昔氏) 14代 儒礼尼叱今(昔氏)
11代 助賁尼叱今(昔氏) 15代 基臨尼叱今(昔氏)
12代 沾解尼叱今(昔氏) 16代 訖解尼叱今(昔氏)
..                17代 奈勿尼叱今(金氏)

そしてさらに、それ以上に興味深いのが建国時に新羅の宰相となって影の王のように振る舞い活躍した瓢公という、
瓢箪を腰に付けて船で渡来したとされる倭人で、この人物は現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題を孕んでいる。
というのも、現代の朝鮮人の姓名は"中華"への服属意識を如実に表す、漢字漢語を用いた姓=一字、名=二字という漢族式で、
実際の姓自体も漢族が使用するものの借用が殆どという有様だが、新羅の初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
辰韓の語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓とされ、特殊な姓と言える。
ではこの「バク」という辰韓の語が何を意味するかと言うと、「瓢」。宰相として影の王のように振る舞った倭人の「瓢」公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるとも言われている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代にして第四代新羅王脱解の治世時に、これまた件の倭人宰相瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
(参考文献:三国史記、三国遺事)

250 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 09:32:24
瓢といえば浦島太郎

251 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 18:04:31
>>245>>246
■日本の学者の主張

任那日本府の正体1
http://jp.youtube.com/watch?v=6VcHEgIEWSU&feature=related
「大和政権が任那を支配したものではなくただの外交使節だ」

任那日本府の正体2
http://jp.youtube.com/watch?v=UhGbCTif4zI&feature=related
「日本では4〜5世紀に鉄は作れなかったので半島の加羅から輸入していた」

正倉院
http://jp.youtube.com/watch?v=zx7VtkdX0Ng&feature=related
「7〜8世紀の国際色豊な天平文化は直接遣唐使によってもたらされただけでなく
 朝鮮半島との交流で日本の国家制度が作り上げられていった」

252 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 18:05:25
アメノヒボコとツヌガアラシトが同一人である可能性があり、したがって
神功皇后は新羅系ではなく加羅系、と言っているのだから、この際新羅は
置いといてよい。

253 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 20:53:49
瓢といえば木下藤吉郎

254 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:48:56
>>251
金積まれたり、利害関係が絡んだり、
帰化人だったり、特定の思想の人だったり。
実際向こうには国家肝入りの歴史を捏造する
工作機関があってその番組はその工作機関が協力して作られてる。


255 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 04:16:14
>>251
電波学者しかチョンには味方しないよなw

256 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 19:02:30
>>211
第5回>>207の再放送は、9/6日と9/26土の2度それぞれ深夜に
予定されているよ。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/saiho/index.html

257 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:10:51
見るほどの価値なし。

258 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 13:08:17
【NHK訴訟】台湾少数民族パイワン人も提訴、原告1万人突破 NHK台湾特集訴訟[08/12]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1250127505/

259 :NHK板に見るNHKの正体:2009/09/06(日) 13:33:12
韓国ドラマを流すNHKには受信料を払いたくない
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1159940188/l50
■■■■反日韓国ドラマうざい!part4■■■■
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1152016704/l50
職員の不祥事より韓国美化で受信料を拒否が真実
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1145107036/l50
最近のNHKは韓国マンセー美化偏向捏造操作やりすぎ!5
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1174554524/l50
NHKが在日朝鮮人の犯罪を本名ではなく通名で報道
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1151666226/l50
「韓国人と結婚しろ」「韓国人と結婚しなさい」
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1096003616/l50
NHKがまたもや在日朝鮮人を・・・
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1154313400/l50
【ハセキョー】スペシャルドラマ 海峡
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1195278593/l50
NHKは朝鮮ドラマの放送をやめろ!
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1196746231/l50
NHK、韓国映画に4億ウォンを支援
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1128938038/l50
■韓国男が日本人女性をレイプ→NHKが犯人をかばう
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1151858314/l50
■ NHKはなんで朝鮮人が好きなの? ■
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1239326531/l50
NHKの極左売国捏造路線何とかなりませんか?13
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1248444757/l50
NHKの韓国汚染の原因は「天下り会社MICO」が原因!
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1146976529/l50

260 :NHK板に見るNHKへのブーイング:2009/09/06(日) 13:34:39
NHKは電波の押し売りを今すぐ止めろ
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1195383099/l50
NHKは不要です!
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1110889247/l50
NHK受信料制度を廃止する為のスレッド
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1203243361/l50
NHK潰れろ
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1135594092/l50
まず、受信料支払いを拒否しましよう。
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1146969267/l50
NHK は分割民営化で、受信料を廃止でいいよな
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1209980031/l50
詐欺】放送法を無視してまで受信料を取っているNHK
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1125818923/l50
まっすぐ、解約。NHK
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1138772846/l50
   NHK   い・ら・な・い 
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1230028313/l50

261 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 21:36:00
■朝鮮語

上が文字の読めない韓国(朝鮮)の人達の教育に使いだして、
1913年、日本統治下の韓国(朝鮮)において本格的に小倉昇平、金沢昇一郎博士によるハングル教育が始まりました。
韓国(朝鮮)のハングルの普及は、日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力によるものです。

そもそも、朝鮮語は、東北、西北、中都、西南、東方、済州島の六つの大方言区分に分かれ、
李朝時代には、言語的にはけっして統一されてはいなかったものを、日本の朝鮮総督府が体系化したものなのです。

262 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 21:39:22
【歴史】 好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致・・・
旧陸軍が改変したとする説が成立しないことが確定的 [04/14]
http://mirs.web.fc2.com/log/060418/1145011558.html
■好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致

古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され、
倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手した拓本と一致することが、中国社会科学院
の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。
これによって、1970年代以降論争が続いてきた、旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする
「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。

好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
この碑文の拓本を、1883年に旧日本陸軍参謀本部の酒匂景信が入手。参謀本部が、4世紀に日本
が朝鮮半島を支配していたと解読した。

徐教授は「これで、皇国史観からも、軍の関与を証明するための研究からも脱却し、好太王碑
が4〜5世紀の東アジア史を解明する純粋な歴史資料として位置づけられるだろう」と自らの研究の
意義を強調した。

補足: 好太王碑 
広開土王碑ともいう。現在の中国東北部から朝鮮半島北部を統治した高句麗(紀元前後〜668年)
の好太王を顕彰するため、没後2年の414年、吉林省集安市に建立された。高さ6.2bで東アジア 最大の墓碑。
王の戦績など約1800字が刻まれている。1880年に中国(清)の役人が発見した。
近くにある古墳群 とともに世界遺産に登録されている。

263 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 02:58:00
>>262
ただ、碑文の解釈については、倭を打ち破った好太王の業績を誇張するために、倭を実際よりも
強大な勢力として記述したとの説が強く、改竄が否定されても古代の日本が朝鮮半島を支配して
いたかどうかの問題を決着させることにはならない。

そこ省くなよw

264 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 03:37:27
倭の存在が誇張されているというのは確かに考えられます。
百済とは同盟を結んでいるはずなのに、「破百残」ですからね。
まあ百済の内部が親倭派と親高句麗派に割れていて、
親高句麗派を「破った」ということなのかもしれませんが。

265 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 05:01:11
支配されていたことを何が何でも認めたくないんですね

266 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 05:26:57
史料に即して考えることが大事だと思いますよ。
予断はなるべく排して掛からないと。
彼我に対して言えることですが。

267 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 05:35:55
その史料を都合よくひんまげるのが朝鮮人

268 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 08:34:41
誇張されているのは倭の勢力よりもむしろ高句麗の戦勝だろうね。

269 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 12:41:05
>>263
碑文に書かれていることが誇張されているので、
実際には日本が朝鮮半島に支配地域を持っていたわけではない可能性があるってのは
まあ、理解はできるが、
それだと、チャイナの文献に載っている記述と整合性がとれなくなるんだけど、
そのへんはどうするの?

270 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 12:42:19
ちゃいなの文献に載ってる記述というと?

271 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 13:20:37
倭を大国として貢物を送るとかじゃないの?
同時代史の宋書とか。
ちゃいな(笑)からすれば、自分達に関係の無い事だから純粋に事実
だけ書いたと思われるが。

272 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 14:31:05
>倭を大国として貢物を送るとかじゃないの?

「新羅百済皆以倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来」というのは
『隋書』に初めて見える記述だから、4世紀末、5世紀初頭の状況を
述べたものとは限らず、むしろ、7世紀当時の倭の国際環境を説明
したものと考えるべき。

>同時代史の宋書とか。

「ちゃいな(笑)からすれば、自分達に関係の無い事」なので、
都督百済諸軍事や開府儀同三司などを除けば、倭のある程度の
要求は入れたんだろう。もちろん、半島に宋の強制力など及ぶ
べくもないので、倭王の官号はもらっただけではタダの称号に
過ぎない。支配の内実は倭王の努力をたどって明らかにする
ほかないわけで、その称号のみをもって半島支配の証拠とする
ことはできない。

273 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 14:42:32
>>268
同意です。
それにしも半島で高句麗と互角に戦うなんて半端な勢力じゃ無理でしょうし、任那の評価って矮小化されすぎてする気がします。



274 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 14:59:50
高句麗の戦勝を強調するために、敵である倭の勢力を大なるもの
と誇張したとも考えられる。倭は百済の宗主というより、同盟者だろう。

275 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 16:00:42
同盟国に人質は送らない。
あるとすれは双方で交換することだが、
百済だけが王族を日本(倭)に差し出している。

歴史は妄想や願望では語れない。

276 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 16:35:19
同盟関係といっても、全くの対等とは限らないからね。
日米安保条約のように。百済王子の質については
エージェント的な性格なども指摘されて入るが、
人質であることには違いないだろう。

277 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 16:54:13
たしかに碑文である程度の誇張は十分ありうる。
しかし朝鮮の願望では逆に任那と倭が矮小化されすぎw

278 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 18:45:58
>>263
>好太王の業績を誇張するために、倭を実際よりも強大な勢力として記述したとの説が強く

碑文では高句麗は倭とだけでなく百済や東夫余とも戦ってる。
なのになぜか倭の記述だけが誇張されてることになる。
好太王の業績を誇張するなら百済や東夫余も誇張されているだろう。

279 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 19:07:13
広開土王碑の読者に想定されているのは主に高句麗の貴族層だろうが、
彼らが敵としてよく知っている百済や夫余の勢力を誇張しても、広開土王の
偉大さを顕彰するプロパガンダとしての効用は大したものにはならなかったろう。
したがって、高句麗人にとってあまり身近でなく、よく知らない倭をいかにも
強大で恐ろしげに誇張することでその効果を狙ったのだと思うが。
古今東西のプロパガンダの定石ともいえる。

280 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 19:17:43
http://www.youtube.com/watch?v=WF98DjA_VZ0
古代天皇はなぜ殺されたのか 3−1

http://www.youtube.com/watch?v=uGMrayzxTnI&feature=related
古代天皇はなぜ殺されたのか 3−2

http://www.youtube.com/watch?v=hhMbtGmLpMY&feature=related
古代天皇はなぜ殺されたのか 3−3

3−3に倭軍と高句麗との戦いについて語ってるよ
日本軍は甲冑や鎧を捨てて引き上げたんだと


281 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:19:54
誰も碑文が漢文だということを指摘しないな
普通に中国だろ

282 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:38:17
【任那 369年 - 562年】
三韓の中の弁辰、弁韓の地に相当する。かつては倭の任那日本府の支配下にあったとされている。
三国時代の「弁辰」に替わって、 宋代にはすでに成立しており、 450年頃、加羅が任那から分立した。
任那は、梁代に、特に525年以前に新羅に滅ばされた。 任那の故地に関する記憶は唐の高宗の時代まで残っていた。

283 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:52:52
【サーチナ/中韓歴史論争】韓国TV「満州はわが領土」に「その通り(笑)」。「お母さん(中国)のもとに、帰っていらっしゃい」[09/08]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1252411416/

「満州はもともと韓民族の土地。清朝を樹立した愛新覚羅氏も、祖先は韓国人」
「遼河文明と黄河文明は明らかに異なる。遼河文明の出土品には、
韓国で発掘されたものとそっくりの耳飾りなどがある」と主張した。

284 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:11:36
>>283
朝鮮人って本気でこういう考え方するんだな

>「満州はもともと韓民族の土地。清朝を樹立した愛新覚羅氏も、祖先は韓国人」
>「遼河文明と黄河文明は明らかに異なる。遼河文明の出土品には、
>韓国で発掘されたものとそっくりの耳飾りなどがある」と主張した。

>>191 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/08/28(金) 20:50:43
新羅領で発見されたものが日本でも見つかったんだから、
日本は新羅領であることは明らかなんだがな。
どうしてそんな簡単なことがわからないのか。

285 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:15:37
>>280
とても面白かったです。感謝。
実際は泥仕合なのに、碑文で高句麗が勝った勝ったと言い続けなければならなかったのは、よほど苦しかったのでしょうね。
好太王自ら出撃して大勝利の戦利品が捨てられた鎧だけというのが笑えました。

286 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 01:26:31
>>263
誇張する時に相手の支配レベルまで誇張するか?
不当に大軍を送ってきた送ってきて百済新羅が酷い目にあっている。
で十分だろ。

287 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 02:41:24
>>280
そんなおっさんの講釈を聞くより、じかに広開土王碑の釈文に当たった方がいいと思うよ。

288 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 03:12:44
倭国へ人質を送っている
倭国を大国として拝めている
中国が倭の業績を誇張する必要が無い
この頃に新羅百済が高句麗への朝貢をストップしている
三韓征伐
高句麗が海を渡って倭を征伐した記録なんぞどこにもない

289 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 10:40:43
5世紀といえばすでに九州から関東まで大和朝廷の範土だから、
実際に大国であり強大な勢力なのだ。

290 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 14:23:32
範土 → 版図
版図とは戸籍と地図を併せた、徴税台帳のこと。
転じて王権の及ぶ範囲、すなわち領土を意味するようになった。


291 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 14:38:50
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 新羅王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城の内に満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】

292 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 14:39:41
23 :日本@名無史さん [sage] :2009/07/24(金) 20:26:40
425〜443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462〜478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】


24 :日本@名無史さん [sage] :2009/07/24(金) 20:29:36
「宋書」倭国伝

(前略)
興死して弟武立ち、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称す。
順帝の昇明二年、使を遣わして上表す。
いわく、「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬(みずか)ら甲冑をツラヌき、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国(中略)。」
詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。

293 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 14:40:54
渡りて海北を平ぐること九十五国

詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。

294 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 20:46:54
>>280
問題はなぜ日本の歴史学会は戦後になって神武天皇〜14代までを抹殺し
15代応神天皇からが史実だと決めつけて教えてるのかだな
(なのに10代崇神天皇だけは実在説がある)

高句麗と倭の戦いも抹殺してるみたいだけど、要するに神功皇后の三韓征伐も
神話であると言いたいんだろう

戦前の朝鮮半島侵略の大義名分になったからとか軍国にもどるからけしからんとか
以前に「事実はなんだったのか?の」考古学視点でっとちゃんと検証してもらいたいね
当たり前のことなんだけどw

神話や後世に書き換えられたものだと言うならそれを証明するべき
あんなもの神話だからやるまでもないというのはいただけない

295 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 20:53:27
>>293
とうとう「百済」は入れてもらえなかった。当たり前だ。
百済王はすでに「鎮東大将軍」をもらっていたからね。
そして、どうも「鎮東」のほうが「安東」より上らしい。

296 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 21:09:57
>>295
「宗主国」に「隷属」していたに近い関係だから。
実質より名目のみ。

297 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 21:10:29
5世紀頃、やはり百済は東アジアでは文明が最先端だったのだろうか。
領土が小さいのに官位は倭より上だったのか。

百済が、中華への上奏文に倭との関係をどのように書いていたのか
気になる。
倭は子分です。とか書いてたのだろうか。


298 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 04:44:44
最先端w

299 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 16:40:40
朝貢国どうしの上下関係とは関係ないだろう。
武も後には「鎮東大将軍」に昇進しているからね。
つまりこの時点では百済王と並び立ったわけだ。

上下関係ではなく、百済王が国王として認められていたから、
倭国王の百済における「軍事権」は認められなかった、というだけのこと。

300 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 20:31:25
>>295
百済が先に朝貢したからね。
早いほうが優先順位が高いのは普通の法則ともいえる。

例えば徳川幕府において、関ヶ原以前に従っているものが
譜代として外様より優遇されている。
譜代の中でも三河以来の臣は優遇されている。
このようにより早くから徳川に従ってるもののほうが
高いポジションが与えられる。

中国史だと元朝においての優先順位を考えればよい
蒙古人>色目人>漢人>南人
これは基本的に先に従った順。

ただ名目的なことではなく、実質的な面をみれば
軍事権が認められた範囲は
百済王が百済1国にすぎないのに対して
倭王は6国となっており、差は歴然としている。

301 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:46:23
ところで倭がなんでそんな強い力を持ってたかなんだけど
亡命に適した地理性(外国の有力人材の流動性・米国みたいな感じ)
と高く評価された工芸品のおかげかな?



302 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:58:24
普通に人口が多く軍事力もあったから。
今の韓国を3つにわけたうちの一つに過ぎない百済と
日本じゃ国力の差は歴然なのわかるだろ。


303 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 00:19:37
>>302
当時、倭がそんなに強大な国だったとは思わないな

■ETV特集 日本と朝鮮半島2千年Bの概要

◎渡来人がもたらした飛鳥文化

・588年に建てられた飛鳥寺は百済人技術者が倭国に渡り建立したことが日本書紀に書かれていたがそれが
 韓国で王興寺から出た出土品や年代から証明された 577年に王興寺を建てた百済人技術者が倭国に渡り飛鳥寺を建てる
●東北学院大学大学教授 佐川正敏さん
「日本で最初の瓦を作った、きちんと指導や伝え方がないと全く技術がない当時の日本がまねることはできず
 百済の技術者たちの指導のもとに作られた」

・当時、文字を使って朝廷の行政を担っていたのは「史於」(フヒト)と呼ばれ、そのほとんどが渡来人だった
●日本古代史が専門で渡来人の歴史に詳しい加藤謙吉さん
「百済、新羅、高句麗、あるいは中国大陸からやって来た人達が「史於」(フヒト)と呼ばれる組織に所属して
 律令制の主要な役所の文書を担当し力を発揮した、彼らは日本における律令国家の基礎を作ったた」

「結論」

1 蘇我氏はその名前の由来からも元々百済人であり配下に置いていた渡来人氏族である東漢氏から仏教
  に関しての知識を得て仏教に傾倒していき倭国に仏教を導入した

2 飛鳥寺は王興寺を建てた百済人技術者が当時何もできなかった(瓦一枚作れなかった)倭人を指導して作った
  
3 日本の国宝級の仏像も百済からの渡来人の子孫である止利佛師(とりぶっし)によって作られた
  
4 古代日本の漢字文化普及は百済仏教が倭国に入ったおかげである

5 仏教、建築、仏像、だけでなく律令にいたるまで日本の基礎を築いたのは「史於」(フヒト)と呼ばれた
  優秀な渡来人達だった


304 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 00:21:43
仁徳陵や応仁陵の壮大さを見れば
絶大な力を持っていたことは明らか。

305 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 00:24:58
でも、新羅の古書には倭が新羅領内に毎年の様に侵入したり
新羅の王都を倭軍が包囲したり、新羅が倭へ王子を人質として送ったりした
事がしっかり書かれているのだが。

306 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 01:39:14
■渡来人

●移住氏族について(上)    朴春日

古代朝鮮と日本列島との関わりは、いまから約5000年前にさかのぼると考えられている
わが民族の始祖王・檀君王倹が樹立した古朝鮮を初め、扶餘・句麗・辰国などの古代国家は、青銅器・鉄器文化と
農耕文化を発展させ、領土の拡大をめざした。

そして紀元前3世紀頃から高句麗・百済・新羅・伽耶などの封建国家が成立し、高度な金属・稲作文化を擁して海外へも積極的に進出した。
とくに、わが国の移住者集団は日本列島へ積極的に進出し、未開地を開拓してマウル(村)、コウル(郡)、ナラ(小国)を
築き、弥生時代の到来をもたらした。

彼らの渡海のピークは、@弥生時代前期A4世紀後半〜5世紀前半B5世紀後半〜6世紀初期C7世紀中葉――と見られるが、
その数「百万人規模説」(埴原和郎氏)は注目に価しよう。

神話の世界はさておき、それを伝承や説話から見ると、わが国では「三国遺事」所収の「延烏郎(ヨン・オラン)と細烏女(セ・オニョ)」が挙げられる。
すなわち、新羅の阿達羅王4(157)年、東海岸(迎日湾)に住む延烏郎が出雲へ渡って王に推され、後を追った妻の細烏女も王妃になったという話である。

この説話は、出雲地方で王権を握った新羅人集団の存在を物語るが、延氏については、高句麗の始祖王・高朱蒙の義父が延陀勃(ヨン・タバル)であったことを想起されたい。
一方、「古事記」や「日本書紀」など、日本の古文献には古代朝鮮からの移住者関連の記事が頻出する。
まず新羅の王子・天日槍(あめのひぼこ)は垂仁3(紀元前27)年に渡来し、但馬に定住して豪族・出石一族の始祖になったという。
天(あめ)が朝鮮を意味したことは周知のとおりだ。


307 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 01:40:01
また集団的な進出・移住の代表例は、応神14(283)年、「百済から夕月君(ゆつきのきみ)が百二十県の民を率いて渡来した」という記事である。
夕月君は豪族・秦(はた)氏の祖とされるが、共和国の学者はこれを6世紀頃、北九州の百済人勢力が畿内大和へ進出したもの、とみなしている。

その6年後、同じく東漢(やまとのあや)氏の祖・阿知使主(あちのおみ)が「十七県のともがらを率いて渡来した」が、これも西から東への進出であったろう。
また、日本で「文学の始祖」と讃えられた王仁(わに)の渡来も、ちょうどこの頃である。

こうして倭国王権の2大門閥−秦氏と漢氏が登場したわけだが、その数は「各々数万名を数えた」(「古語拾遺」)という。

(パク・チュンイル 歴史評論家)
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2002/7/0701/62.htm

308 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:17:06

【韓国】中国は反省せよ・・・我々の祖先の国は「韓国古代国家」と明らかになったではないか
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=2035

【韓国】漢字は東夷族が作った文字。我が国は漢字教育を堂々と推進すべきだ … 朝鮮日報コラム ★3 [09/22]
http://jsmind.blog18.fc2.com/blog-entry-1388.html

【韓国歴史】 私たちの先祖が作った漢字には韓民族の哲学思想が込められている〜韓民族史観定立意識改革会講義[11/05]
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=5462

【韓国】 殷は東夷族の国だった〜漢族はその事実を信じたくなくて意図的に無視した[03/18]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1206025708/

韓国KBS「満州はわが領土だった」、中国紙応戦「でっちあげ」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0908&f=national_0908_012.shtml

309 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:21:21
>わが民族の始祖王・檀君王倹が樹立した古朝鮮を初め、扶餘・句麗・辰国などの古代国家
>青銅器・鉄器文化と農耕文化を発展させ、領土の拡大をめざした。
>高句麗・百済・新羅・伽耶などの封建国家が成立し、
>わが国の移住者集団は日本列島へ積極的に進出し、未開地を開拓してマウル(村)、コウル(郡)、ナラ(小国)を
 築き、弥生時代の到来をもたらした。
>共和国の学者はこれを6世紀頃、北九州の百済人勢力が畿内大和へ進出したもの、とみなしている
>日本で「文学の始祖」と讃えられた王仁(わに)の渡来も、ちょうどこの頃である。

古朝鮮(笑)古代国家(笑)封建国家(笑)渡来人が弥生文化をもたらした(笑)
文学の始祖(笑)
ねえ、ここ笑う所?
百万人渡来説なんか現在じゃ考古学方面から否定されてるんだが(笑)
朝鮮人って自分達に都合の良いものしか見ないのな(笑)

310 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:37:27
>わが民族の始祖王・檀君王倹が樹立した古朝鮮を初め

この時点で既にアウトwwww

311 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:18:50
■渡来人 2

4世紀頃、来日した渡来人を調べてみました。『記紀』(『古事記』・『日本書紀』)に記録があることから渡来伝説と言います。
彼らは伴造の下の品部に編入され、活躍しました。

(1)王仁が百済より渡来しました。漢の高祖の末裔で、百済に移住した子孫の王仁は、『論語』10巻・『千字文』1巻を招来しました。
   履中天皇の出納係となり、その子孫が西文氏です。日本の文筆に貢献しました。

(2)阿知使主が帯方郡17県の民を率いて渡来しました。後漢の霊帝の曾孫の阿知使主は、文筆を業とする史部を管理し、その子孫が東文氏です。
   日本の文筆に貢献しました。

(3)弓月君が渡来しました。秦の始皇帝の子孫である弓月君は、養蚕・機織を伝えました。その子孫が秦氏です。

6世紀頃、来日した渡来人を調べてみました。彼らは大王家や蘇我氏に仕え、活躍しました。

(1)513年、段楊爾ら五経博士が百済から渡来しました。『易経』・『詩経』・『春秋』・『礼記』の五経を講じ儒教を伝えました。

(2)522年、司馬達等が渡来しました。司馬達等は飛鳥の坂田原の私宅で仏像を礼拝しました(『扶桑略記』)。
   司馬達等の孫が鞍作鳥(止利仏師)で、その子孫が鞍作氏です。

(3)554年、医博士・易博士・暦博士が渡来しました。

(4)602年、百済僧の勧勒が渡来しまし、暦法・天文地理の書を伝えました。

(5)604年、初めて暦を使用しました。

(6)610年、高句麗僧の曇徴が渡来し、紙・墨・絵の具を伝えました。

(7)612年、百済人の味摩之が渡来し、伎楽舞を伝えました。


312 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:20:10
1 国宝第一号をご存知でしょうか。京都太秦の広隆寺にある弥勒菩薩(正式には半跏思惟像)です。
  この寺を建立したのは、朝鮮から渡来した秦氏の子孫である秦河勝です。

2 世阿弥の『花伝書』には秦河勝が蘇我氏のいじめにあい、私の住んでいる相生市の隣の坂越に着いたとあります。
 坂越の神社では秦氏を祭神としています。毎年9月の行われる神事は国の重要無形文化財になっています。
 千種川水系には秦氏を祭神としている神社がたくさんあります。

3 以上から分かるように、古代では朝鮮人(中国人も含め)は日本人の精神的・文化的な方面での先生でした。

http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/001_050/epi012_01.htm

>以上から分かるように、古代では朝鮮人(中国人も含め)は日本人の精神的・文化的な方面での先生でした。
>以上から分かるように、古代では朝鮮人(中国人も含め)は日本人の精神的・文化的な方面での先生でした。
>以上から分かるように、古代では朝鮮人(中国人も含め)は日本人の精神的・文化的な方面での先生でした。





313 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:48:55
王仁も千字文も百済から日本への貢ぎ物なんだが。


314 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:57:00
朝鮮人がおらん
朝鮮人認定されている人のリストか?

315 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:58:26
>>312
その随筆を書いた人の願望を見せられても困る。
ふーん、そういう風に思いたいんだとしか思えない。

316 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 04:11:43
>>311
仏教も儒教も外国の宗教なんだから元々日本にないわな

317 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 04:24:30
王仁の祖先は漢の項羽の末裔と桓武天皇に上奏したという記述がある。
当時の朝鮮では王の名はない(中国風の一字の姓を名乗るようになったのは七世紀の統一新羅以降である)ので、
313年楽浪郡が滅亡した後、百済に亡命した楽浪王氏の一員、
すなわち漢人と考えられている。当時の百済の優れた文化の大半は、
楽浪郡の滅亡後、漢人からもたらされ、それが日本にも伝わってきたのであり、
決して百済で発祥したものではない。

318 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 07:34:14
>>312
司馬達等は漢人ではなく百済人
そのエピソード日本史の著書の人も

百済人=朝鮮人と認識してるのは明らかだな



319 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 07:44:10
司馬なんて名前は当時の朝鮮人にゃいないだろ

320 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 08:31:02
>>300
>ただ名目的なことではなく、実質的な面をみれば軍事権が認められた
>範囲は 百済王が百済1国にすぎないのに対して 倭王は6国となっており、
>差は歴然としている。

百済が倭の属国であったことを否定しているわけではない。
武が安東大将軍をもらったこと、その一事をもって倭が大国であったこと
の証明にはならない、ということを言いたかったのだ。


321 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 08:54:08
>>320
あなたが思う大国の定義を教えて欲しい?
ここでは半島の諸国より倭の方が国力が大きい、
半島の諸国より大国であるという意味で使われてると思うけど。

322 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:33:49

韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。


323 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:35:21
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。


324 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:36:30
朝鮮人は高句麗とは関係ないポキール族です。

■朝鮮民族の故郷はシベリア・ヤクーツク地方

 朝鮮人は、アムール河流域に住んでいるツングース系諸民族と同種のようである。
アムール河流域の民族には、熊や虎を「山の主」「森の主」として崇拝する信仰があるらしい。
どうやら、朝鮮民族(ワイ族)は、アムール河の以北のシベリア地方から南下してきたようだ。
 朝鮮人の先祖は、狩猟民族のワイ族であるが、このワイ族はロシア領=シベリア・ヤクーツク地方に
住んでいるヤクート族やエベンキ族、エベン族と同種の民族である。
 ワイ族は紀元前の時代、シベリア地方でトナカイやカモシカ、猪などの狩猟をしながら生活していたらしいが、
獲物であるカモシカや猪を求めて南下していき、やがて古代カラ半島の東北部(現在の江原道地方)に
辿りついたようである。南下のルートは下記のような流れであろう。

 シベリア=ヤクーツク地方→ アムール河中流域→ アムール河下流域→ カラ半島東北部

【ヤクーツク地方】
http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/j/shinai/ykt.htm

【アムール河】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B7%9D

 朝鮮・韓国人は、「自分たちの先祖は満州地方からやって来た高句麗人(フヨ族)だ」と、
主張しているが、これは誤りなのである。
 朝鮮・韓国人とフヨ族はまったく無関係であり、別種である。朝鮮民族はシベリアから南下してきた
狩猟民族=ワイ族の子孫なのである。
 朝鮮人の土着文化がヤクート族やエベンキ族の文化に似ているのは、そのためなのだ。

★朝鮮民族とエベンキ族
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1553866


325 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:37:38
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。


326 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:38:48
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人だろ?

それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな


広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。

一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので

百済≒高句麗≒渤海  ≠  三韓=朝鮮民族


327 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:39:33
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE

■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が漢族のものであること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること



328 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:40:51
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し冊封され支配、統治され
朝鮮人は混血も重ねています(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)

近年韓国で医学界等の遺伝子や血液の分析で朝鮮のルーツは北方である事
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との
混血である事も徐々に指摘、新聞でも報道されはじめました

血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報
韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828

"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html

韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html

顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400§code=400

もし日本人、韓国人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって
日本人が似ているのではないのです

朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、
今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり
それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです

国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400§code=400

韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上)
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056

329 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:41:48
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
 満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
 では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
 高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。

330 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:44:33
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。


331 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:45:13

          /\
        / 大\
      / / ̄\ \
    /清|へノ⌒|国/\
    \  \_//  .\
      \属 . /      \
       \/         \
             ∧∧∧∧ \
            <  `/)  >ヽ∧
            /   /  / `∀> ∧∧
          ◇(   イ◇  (   ,つ`∀´>
          /ヽ  )) ヽ  )ヽ )と  , イ
          (_/(_/(_/(_/ノ(_/⊂ノ> )J
      / ̄Y ̄`|/ ̄^Y ̄ヽ/ ̄ ̄Y `´ ̄\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
見ろチョッパリ! これがウリ達の誇らしい国旗ニダ!


昔の韓国の国旗は、清(中国)の属国と書かれていた

最古の太極旗の絵が発見
http://www.chosunonline.com/article/20040126000072
http://file.chosunonline.com//article/2004/01/26/096308444610326967.jpg

韓国の国旗自体が、中国の清の属国国旗だと言ってるじゃないか



332 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:46:58
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

333 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:52:54
>百済人が現在の韓国人の祖でないと誰か証明してくれよ

何度も書かれてるよ

旧唐書 東夷伝 百済伝

仁願、仁軌等既還,隆懼新羅,尋歸京師。儀鳳二年,拜光祿大夫、太常員外卿兼熊津都督、
帶方郡王,令歸本蕃,安輯餘衆。時百濟本地荒毀,漸為新羅所據,隆竟不敢還舊國而卒。
其孫敬,則天朝襲封帶方郡王、授衛尉卿。其地自此為新羅及渤海靺鞨所分,百濟之種遂絶。

>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶
>百濟之種遂絶


つまり、百済の人は半島には残っていません。

334 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 15:55:27
>>321
>ここでは半島の諸国より倭の方が国力が大きい、
>半島の諸国より大国であるという意味で使われてると思うけど。

定義ならそれでいいんじゃないの?
だけど私は倭が大国であったと主張しているわけではないし、大国で
あったかどうかもここでは問題ではない。

武が安東大将軍をもらった、見ろ、この通り大国だ、と言う人がいるから、
そのこと自身は大国の証明ではないよ、それが大国の証明なら、
それより高位の鎮東大将軍をもらった百済のほうがもっと大国だと
いうことになってしまう、ということを言ったのだ。


335 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 16:10:54
>>333
高句麗の滅亡を述べた文章は「高氏扶余氏遂亡」で終わっている。
これと比較するなら、「百済乃種遂絶」は百済の王統が絶えたことを
言っているのだろう。
(これについてはウィキペディアも明らかな誤訳だから注意)

だいたい中国の史書は百済の人種について、雑多な人種が混住していた、と
書いているのであって、百済種などという人種がいたとは書いてない。

336 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 16:23:31
まあふつうはそう読むよね。
コピペ貼りまくる連中に言っても無駄かもしれんが。

337 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 16:56:33
「那●内連公」(●は判読不能字)と判読 連はムラジ?
百済時代木簡皮と破片129点が確認された。また扶余双北里遺跡で出土した百済時代木簡に、
百済と倭の間の交流実状を知らせる文字資料という新しい判読結果も公開された。

また、1999年扶余双北里遺跡で百済時代の物品荷札用百済時代木簡はこれまでに文字があるという点は確認されていたが、
正確な判読はされていなかったが、今回赤外線を通して精密な判読が試みられた。
その結果、扶余博物館は「(那●内連公)」(●は判読不能字)と判読結果を示して、
「連(ムラジ)」という字は日本古代の大和政権で官職を基盤に与えられた姓(カバネ)
に該当すると見ることができるという見解を出した。

このような説明が妥当ならば、この木簡が製作された当時、
百済には「連(ムラジ)」という姓を持った倭人が活動していたことに繋がる。

中国の正史の中の一つ周書の百済伝には、百済には中国と新羅と倭人が居住していたという記録が見え、
百済と倭国の間に人的・物的交流が活発だったことを見せる初めての実物資料となる。

[参考:2009.1.8聯合ニュース、朝鮮日報]

338 :九州王朝大好き:2009/09/12(土) 17:21:10
>>335
「百済乃種遂絶」は、「種」とあるから「百済乃種」は百濟人のことだ。
百濟の王統ではない。
「百済遂絶」なら百濟の王統が途絶えたと解釈できるが。

参考記事
「韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里
 有三種 一曰馬韓 二曰辰韓 三曰弁韓」
「三種」は馬韓人、辰韓人、弁韓人を指す。

339 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 17:38:25






 台 湾 人 の 日 本 侵 略 を 許 す な !


http://www.youtube.com/watch?v=f7LXG9gqzbo







340 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 18:37:48
5世紀あたりの半島は三国時代なんかでなく、高句麗と倭の二強時代という見方が必要かも

341 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 20:02:19
>>338
「種」は旧唐書で:
「高麗者出自扶餘之別種也」「百濟國本亦夫餘之別種」と用いられる。

これは「高麗、百済(の王族)は扶余氏から別れた支流の氏族である」という意味だ。

さらには個人についても同じ旧唐書で:「渤海靺鞨大祚榮者本高麗別種也」と
用いられる。

これも「渤海創始者の大祚榮は高麗(の王族)の血を引く人である」と
解釈すればすんなりわかる。

なお疑いがあれば漢和辞典を引いてみよ。
「タネ(植物の種子、動物の精子)」「種類」に次ぐ第三義は「血すじ」だ。
精子によって引き継がれる男系の血すじが「種」なのだ。

342 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 20:41:54
まあ、要は先に中国へ媚売ってた百済が遠い南朝から文化(仏教・書道)
や技術(機織・建築)を教えてもらって、官位をもらってた。
で、隣の大国倭に謙って軍隊送ってもらったり貢物や人質を差し出してた。
って事でしょ?

こう書くと百済って結構強かに思えてくるな。

343 :九州王朝大好き:2009/09/12(土) 23:36:38
>>341
>「高麗者出自扶餘之別種也」「百濟國本亦夫餘之別種」と用いられる。
>「渤海靺鞨本高麗別種也」

高句麗人、百濟人、夫餘人、渤海人、靺鞨人として問題ない。
あえて王統としなくても。

○○人と言うと共通の遺伝子を持つ人のこと。
血統は共通の遺伝子の範囲が狭く限定される場合。


344 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 01:02:38
じゃあ史書の撰述者は高句麗の遺伝子をもつ人は高句麗人、
百済の遺伝子をもつ人は百済人ていうふうに書いたってえの?
ニュース板系でY遺伝子とかいってる連中と同類だなw

345 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 02:49:01
>>344横から

○○人とか☆☆種とか血統の差別化は曖昧なの?
記述した人の意図はどうだったんだろうね。

346 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 08:15:07
>>343
>「渤海靺鞨本高麗別種也」

わざと「大祚榮」を抜かしているな。
個人では困るのか?

347 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 08:27:34
>>343
「百濟國本亦夫餘之別種」

高麗は国も人もついてないから、まだ高麗人のことだと言う余地がある。
しかし百済は「国」がついている。

なんで「国」が遺伝子に拘わる「種」であり得るのか?
それは古代においては国と王統は同義だからだ。

国は王統と領土とからなるものであり、人民などは王の財産に
過ぎない。

だから百済の滅亡については「領土」は周辺諸国が分け取り、
「王統」は絶えた、これで百済は完全になくなった、と述べているのだ。
これはそれ以前の、百済王統をなんとか存続させようとした唐の
努力の記述を受ける。

348 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 14:23:03
朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。(コリョ族もモンゴル族も同祖、東胡が匈奴に破れ四散したのは2200年前、ゆえに彼らの歴史も最長2200年)
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。 
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。

349 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 14:23:46
百済→王族は扶余族、大和朝廷と親戚 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに大和出自伝説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人+
渤海→ツングース系女真人+倭族系統

渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。



350 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 15:46:03

朝鮮マンセーじゃ!これでもくらえー!!!!!!

351 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 20:58:50
NHKの歴史物なんてまともな知識のある人間は眉に唾つけて見ている。

352 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 04:59:56
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou2.html
●藤原鎌足が百済からやってきた

[概要]
藤原不比等の以前の名前は、史(ふひと)なのです。不比等は、これ以外にも百済流の名前を持っていたはずです。
いずれにしても、この史(ふひと)という名前は、普通の名ではなく、むしろ彼の若い頃の役職名を表すものだったでしょう。
つまり歴史編纂に携わっている者という意味です。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou4.html
●藤原鎌足と六韜

[概要]
藤原鎌足が、日本的な考え方よりも、大陸的な考え方に、どっぷりと、つかって生きてきたような印象を与えます。
要するに、日本で生まれた人物と考えるよりは、百済で生まれ、大陸の影響を強く受けて育ち、百済から渡来した人物ではなかったのか?
そういう疑問が、頭をもたげてきたわけです。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/nakatomi.html
●藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた

[概要]
朝鮮半島から渡ってきたと考えられるような場合にも、そうは書かない。あくまでも、日本古来の祖先から連綿と続いているかのような書き方をしている。

「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。
そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」そういう作為が感じ取れます。
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。
その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。
さらりと述べています。


353 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 05:04:31
じゃあ朝鮮人の先祖は倭人ってことだね

【隋書 百済伝】
>其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。

そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。

354 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 05:07:57
>>352
チョンの電波も無限だなあ

355 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 09:41:38
>>352

「はずです」 
「だったでしょう」 
「ような印象」
「ではなかったのか?」  
「感じ取れます」


356 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 10:41:11
新羅の脱解王は倭国東北千里、多婆那国(丹波国)から来た
倭人だそうですね。

357 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 14:53:46
>>356
それはむしろ倭が韓国の植民地だった証拠だな。
植民地在住の新羅人が帰国して王に即位した。

358 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 15:35:27
朝鮮人自身の史書に「倭に連年ボッコボコにされてた」ってあるのにww

359 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 16:15:23
新羅は強国に人質差し出してるのにw

> 三十七年 春正月 高句麗遣使 王以高句麗強盛 送伊? 大西知子実聖為質
春正月に高句麗で使者を派遣してきた。
王は高句麗が強勢であるので、伊?の大西知の息子 実聖を人質として送った。

>元年三月、與倭国通好。以奈勿王子未斯欣為質。
元年三月、倭国と通好し、奈勿王の子の未斯欣を質に差し出した。

>十一年、以奈勿王子卜好、質於高句麗。
十一年、奈勿王の子の卜好を、高句麗に人質として差し出した。

360 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 16:50:25
>>357
>植民地在住の新羅人が帰国して王に即位した。
それじゃ倭人にはならんでしょw

361 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 20:42:36
>>360
昔氏の伝説は別に「倭人」だと言っているわけではない。
赤ん坊がタバナ国から流れ着いたと言っているだけだ。

このタバナ国が日本列島の丹波国であると考える人が
「倭人」だと言っているわけだ。

362 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 20:57:55
これで丹波=韓国領が確定したね。

363 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 21:16:05
なるほど、韓国は日本の一地方丹波に征服されるほど弱かったのか。

364 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 21:52:21
実聖王7年(西暦408年)条に、新羅側は倭国軍の半島攻撃拠点が
対馬にあるのを知ったとある

つまり対馬は朝鮮に方に近いのにその頃から倭国の領土だったわけだ

365 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 22:18:32
>>361
瓢公という倭人の重臣がいたのだから実質倭人王だろうが。
明らかな王権簒奪だ。

366 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 22:41:41
>>361
まあどんなに目を逸らせても、半島南部に倭人の王が居たのだと、
他でもない韓国の文献に記されてる訳だ。あきらめろ。

367 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:22:24
>>365
倭人は新羅王の家臣だった
実質倭は新羅領だな

368 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 01:58:42
>>367
今も昔も朝鮮人って哀れだねw

369 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 03:14:34
>藤原不比等の以前の名前は、史(ふひと)なのです。
>この史(ふひと)という名前は、普通の名ではなく、むしろ彼の若い頃の役職名を表すものだったでしょう。

■ETV特集 日本と朝鮮半島2千年Bの概要

・当時、文字を使って朝廷の行政を担っていたのは「史於」(フヒト)と呼ばれ、そのほとんどが渡来人だった

●日本古代史が専門で渡来人の歴史に詳しい加藤謙吉さん
「百済、新羅、高句麗、あるいは中国大陸からやって来た人達が「史於」(フヒト)と呼ばれる組織に所属して
 律令制の主要な役所の文書を担当し力を発揮した、彼らは日本における律令国家の基礎を作ったた」

「史於」(フヒト)= 不比等 = 藤原不比等

やはり・・・w

370 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 05:11:39
>>357
無根拠乙
日本が朝鮮を属国にしていた史料は山ほどあるが逆は皆無

371 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 05:13:17
>>369
やはり電波か

372 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 08:39:37
このスレ、ずーっと同じことの繰り返しだな。飽きないのかね。

373 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 11:42:54
>>365
倭人の重臣がいたから新羅王が倭人なのか。
では倭の大王も秦氏など渡来系の重臣がいたから半島系か。

374 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:21:25
>>373
脱解王は倭人でしょ。韓国が認めたくないだけで。
倭国ではアメノヒボコを半島系とした上で
キチンと認めている。
もっともアメノヒボコも本来倭人の線もあるが。

375 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:27:26
>>373

半島系って言葉がごまかしなのよな。
古代の半島には、フヨ、漢人、倭人しか居ない。
韓人ってのは、中国から秦のころに逃げてきた人とされてるから漢人だ。

半島系って言葉でごまかすのではなく、
フヨ、漢人、倭人、こういった当時の半島に居た民族のどれかを指摘するべき。
あんたは新羅王はどれだと思ってるんだ?

ほかの民族の種類があったというなら、それを書いたらいい。




376 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:54:51
>>374
>脱解王は倭人でしょ。

根拠を述べよ。伝説ならすでに言ったように、タバナ国から流れ着いた
というだけで倭人だとは言っていない。

>>375
話を広げる必要はない。

私は「重臣の瓢公が倭人だから昔氏王統も倭人だ」という論理を衝いている
だけだ。

これを裏返せば「重臣の秦氏が渡来系だから倭の大王も渡来系だ」
ということになるわけだ。

377 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 13:01:07
>>376
瓢公が倭人、昔氏が倭人、というのは、日本人が言い出したことではなく、
高麗の記録の三国史記?だったかに書いてあることでは?
半島に住んでる人間が、倭人であるとそう記してるわけで。

秦氏は始皇帝の子孫だと自称してるが
天皇は倭人しか自称して無い。
また日本に住んでる人間は、天皇を外人とは記して無い。

まったく意味の違う話だよ。

378 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 13:12:40
>>376
>根拠を述べよ。伝説ならすでに言ったように、タバナ国から流れ着いた
というだけで倭人だとは言っていない。

そのタバナ国は倭国東北千里にあると書かれてますが。
そこから海を解して卵が半島南部に流れ着いてるという
伝承上、タバナ国は日本列島上の国ですよ。
倭人でなければ何人なんでしょうね?




379 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 14:23:29
>>373
屁理屈こくな。
倭の大王はどこか具体的な場所から流れ着いたという伝承あるのか?

380 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 14:34:17
>>373
おや?秦氏って大和の「重臣」だったっけ?

381 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 15:31:10
>>379
ファビョるなよw

382 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:08:00
>>377
>瓢公が倭人、昔氏が倭人、というのは、日本人が言い出したことではなく、

何度も言うが、昔氏が「倭人」だとはどこにも書いてない。
タバナ国から流れ着いたと書いてあるだけだ。

>>378
>そのタバナ国は倭国東北千里にあると書かれてますが。
>伝承上、タバナ国は日本列島上の国ですよ。

「倭国」の解釈次第だ。
「倭国」を倭王の支配する全域だと考えればタバナ国はそれ以外の
どこか別の国と言うことになる。実際にそのような「シャングリラ」
という意味に過ぎないのかも知れない。

またタバナ国を丹波すなわち兵庫県だとすれば、「倭国」はそれより
西南方ということになる。君は九州王朝説なのか?

383 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:14:05
>>382

>何度も言うが、昔氏が「倭人」だとはどこにも書いてない。
>「倭国」を倭王の支配する全域だと考えればタバナ国はそれ以外の
 どこか別の国と言うことになる。

まあ、確かに書いちゃいないな。
でも日本以東に非日本人っていたっけか?
アイヌか蝦夷かもなww

それに、朝鮮人の地理感とは実にいい加減なもので、元寇の際にも「壱岐で敗北した」
と言ったりしてるし、朝鮮王朝時代の地図さえ当時の中国や日本自身の地図に比べて
日本列島の地理を不正確に表している。
もしかしたら方角を間違えていて、実際は南東から来た中国人だったって可能性もあるw

ま、いずれにせよ異民族に支配された国家だってのは変わり無いけどねw


384 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:56:34
>>3823>またタバナ国を丹波すなわち兵庫県だとすれば、「倭国」はそれより
西南方ということになる。君は九州王朝説なのか?

九州に王朝は当然あったでしょ、2世紀位まではね。
で、弥生後期には丹波地方が発展してきたという点も
最近の発掘調査からも否定出来ない事実です。
この時代に王クラスの墓があるのは限られてますからね。

385 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:02:05
>>384>>382宛てに訂正。

386 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:17:40
>>378
多分そういう実際の地理に基づいた記述じゃないよ。神話だもの。
まあ脱解が倭人だろうがそうでなかろうが、外来者として描かれているのが
重要なんだろう。瓢をぶらさげてた倭人の瓠公というのもそう。
初代王の朴氏の朴も瓢(瓠、ひさご)を意味するから、そもそもは瓠公と
同類で外来者という設定だったんだろう。つまり、同じモチーフの繰り返しに
過ぎず、まず史実とは認められない。神武東征や天孫降臨とあまり大差のない話だ。

瓢だの瓠だのは神仙思想めかした小道具っぽいし、新羅から海を隔てた
異国として倭国が設定されたのもあるいは神仙思想でいう蓬莱島に見立て
られたものじゃなかろうか。

『三国史記』には、王様だけじゃなく、貴族集団である六部も朝鮮(楽浪方面か)
からの移住者と書いてあり、王権に関わるものは外来者だとする神話の筋立てが
うかがえる。

387 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:23:35
高麗は新羅を滅ぼしたわけだから、
高麗が半島を確実にモノにするためには
新羅の王が適当な、どっかから来た奴だとしたほうがよかっただろうしな。
半島人が常に嫌い続けてきた倭人、あるいはそれに近い者
とするのが高麗にとっては良かったのかもしれんし。

ところで、蝦夷って中華から見ると倭人だったのかね?

388 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:36:07
そういう高麗の事情もあるのかもしれないけど、
神話の素地は新羅時代にある程度出来上がって
いたんじゃなかろうか。

国民国家の思想があったわけじゃないのだから、
新羅王権が被支配層に対して自分らが外から来た
ヨソモノであると積極的に主張してもなんの不都合もない。

389 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:36:24
>>386
しかし日本側の神話にも、スサノウが新羅の降りた話があり、
丹後地方には昔海を渡って新羅国の王になった者がいるという
伝承が残ってるからね。
話は一応一致してるのは無視出来ないでしょ。

390 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:41:09
一致しているが認めたくないのが朝鮮人の性。

391 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:51:28
>>386
>まず史実とは認められない。

半島南部には倭人の製鉄遺跡もあるし、充分史実と認められるだろうね。


392 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:53:05
>>389
彼我で話が一致しているとみるのは疑問だな。
丹後半島の伝承は知らないが、スサノヲについては
いったん新羅に降臨したが、その地を嫌って日本に渡ったと
あるよね。これはスサノヲを祀る人々が新羅から大挙して
渡来したことを示しているとみることもできる。

393 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:57:14
>>391
朴氏、瓠公、脱解の説話に製鉄に関する記述ってあったっけ。
あと、半島南部の倭人の製鉄遺跡とはどこの何遺跡のことだろう。

394 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:01:49
>>393
釜山市の萊城(ネソン)遺跡や慶尚南道の勒島(ムクト)遺跡だよ。
説話に製鉄に関する記述があろうがなかろうが、
鉄を採ってたのだから関係ないだろう。

395 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:14:34
>>394
教えてくれてありがとう。「倭人の遺跡」というからには倭系遺物や土器が
大量に出土しているということなのかな。
『魏志』に「國出鐵、韓、濊、倭皆從取之。諸買皆用鐵、如中國用錢、
又以供給二郡」とあるから、倭人が鉄を求めにやってきていたのは知ってたけどね。

ただ、倭人が半島南部に鉄を取りに来てたからといって、朴氏、瓠公、脱解の
説話が史実ということにはならないと思うよ。

396 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:20:49
>>392
新羅に渡った王の話は籠神社の伝承にあるよ。

>>395
半島南部の前方後円墳は?

397 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:28:50
>>396
ありがとう。海部氏系図の籠神社か。

>半島南部の前方後円墳は?

同じ半島南部といっても、前方後円墳のあるのは全羅南道だから、
新羅のあった慶尚北道や、製鉄遺跡のあるという慶尚南道とは
だいぶ離れてる。それに築造年代も5世紀末から6世紀初頭なので
別々に考えるべきだろうね。

398 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:29:19
>>395
倭人が住んでた、あるいは支配者であったという事が、
朝鮮の後世にまで象徴的に伝わってて、
それが何なりか脚色されて三国史記の説話になったんじゃないかな。

399 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:01:43
>>398
倭人が支配者であったというのはちょっと考えがたい。
考古学的にも成り立たないんじゃないかな。

というか、そもそも朴氏、瓠公、脱解の説話には史実性がない。
それぞれ倭人の出自を明記したり、匂わせたりしているが、
それで終わっており、倭国と関連した話もない。それらしい
異国であれば倭国でなくとも代替可能だったのではなかろうか。
たまたま新羅が倭国と距離的にも近く緊密な関係にあったがゆえ、
神話の舞台回しとして取り入れられただけだと思う。

400 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:39:29
まあ、支配者層は出自は自慢するはずだからな。
朝鮮の王は、ふよ族とか名乗ってたろ。
倭人だったら倭人を名乗って、唐や隋に言うはずだ。
実際にはふよ。

同じように、日本の天皇は倭(漢字は倭でも発音はヤマトだが)
しか名乗ってないから倭人。

なんかアホみたいに相手の王を、自民族認定することが多いが
そんなことは無駄なことだ。
支配者は出自を隠すことなど無いし、むしろ誇る。
それは中華の記録魔に記録されているしな。


401 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 02:34:26
>>399
じゃ単純な質問。
何で三国史記編遷者たちは新羅建国時の倭との強い関わりを書いたのかな?
当時の朝鮮にはすでに小中華思想もあったろうし、
彼らにとってそれは大変な屈辱であったはずだ。

俺の答えは簡単。
本当にあったことだからごまかせないと思って書いた。

402 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 02:43:10
>>400
>朝鮮の王は、ふよ族とか名乗ってたろ。

それは百済。
新羅は名乗ってない。

403 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 03:16:44
日本の史書には古代日本の支配層の出自について朝鮮由来とは書いてないけど
日本の王族が朝鮮系なのは明白ニダ

朝鮮の史書には新羅の支配層の出自について倭人由来と書いてあるけど
新羅の王族が倭系ということにはならないニダ

404 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 03:59:03
>>401
建国神話の主眼は、王権が外来者を標榜することによって、被支配層に
対してその地位の差異、隔絶を強調することにあったんだと思う。

現在残されている建国神話では瓠公の出自については倭人と明示してあるものの、
王の出自については朴=瓢=瓠の仄めかしだったり、倭国の東北一千里先の
多婆那国というまわりくどいものになっている。しかし、神話本来の目的を
考えれば、成立当初の神話ではもっとストレートに王は倭人の出自であると
設定されていた可能性は高い。もっとも、倭人出自ということになったのは
異国としての距離感がたまたま神話の設定に相応しかっただけだろうが。

ただ、それでは貴方の仰るとおり新羅にも芽生え始めていた小中華思想に
抵触してしまうことになる。それゆえ、神話の設定である王の倭人出自説が
次第に曖昧に変形されたんじゃないかな。ちなみに王家の金氏の始祖は
卵生の初代や脱解と異なり金の箱から生まれており、倭人や倭国とは結び
つけられていない。

405 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 04:53:05
ま、朝鮮の国は倭人が作ったんですけどね

406 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 08:12:37
>>404
>建国神話の主眼は、王権が外来者を標榜することによって、被支配層に
>対してその地位の差異、隔絶を強調することにあったんだと思う。

その通りだと思うね。
考えて見れば日本の高天原神話だって王権外来説の一種なのだ。

407 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 08:21:54
高天原が外来王権てなにそれ?

408 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 08:41:20
だから、具体的にどの民族が出自だと思うのか、まず書くべきだろ。
漢人、倭人、ふよなどの遊牧系・・・

地域名じゃなく、どの民族、集団か。
金ってのは、満州あたりの部族もよく名乗ってきた氏や国名だから
金氏はフヨじゃないか?
あるいは、中華以外の固有名がわからない、全く無いなら漢人だろう。

倭人ってのは、名前はどう見てもはっきり違うとわかるもので。
まあフヨ族固有の名前って物がどんなものか知らんけど。

409 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 09:17:44
>>406
>日本の高天原神話だって王権外来説の一種なのだ

どこから来たか分からないからこそ、
アイデンティテイを聖山信仰に持って行ったのだ。
これは「日本の王権は外来ではない」という強い意味だ。
新羅と一緒にするな。

410 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 11:41:58
部族と民族とか分けるのは難しいな。

漢人とひとくくりにされてるのは
漢、秦、趙、呉、楚、越、斉、韓、とかだろ。
呉とか越は刺青をしてたそうだし、倭人の一部になったのかもしれん。
ヤマトは越(越後、越前、越中あたりの国)を吸収してるし。
呉人も帰化したと記録にあるようだ。

倭人でひとくくりにできるのは、魏志倭人伝でも、皆倭種と書かれてるから
ヤマト、ハヤト、イズモ、クマソ、対馬もそうか。
伽耶とか、百済や新羅の一般人(古代半島人)これは今は日本に帰化して半島には居ないだろうな。
エミシも倭人になるのか?
ハヤトやクマソが倭人と呼ばれていたのなら、エミシや沖縄人も倭人だろう。
基本的に、倭人には漢人の亡命者も多く入ってると見えるね。

フヨは・・・
今の満州周辺の部族とも被るのかね。だいぶ部族が多いよな。
モンゴルとの違いもよくわからん。
百済や高句麗の王族は自称してたが、確信はどの程度あったのか。
ちなみに、倭人やアイヌなどもあのあたりまで居たようだし
言語も遺伝子もある程度近いようだな。Y遺伝子はおそらくCやDと近い。


411 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 13:19:28
>>409
>これは「日本の王権は外来ではない」という強い意味だ。

高天原は人間社会の外にあるのだから、そこから天下ってきたという
ことは外来ではないか。

高天原であろうと、タバナ国であろうと、「我々は外から来たから
あなた方とは違うんです」と言っていることは同じだ。

412 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 14:34:36
元々国津神もスサノオの子孫だから天津神なんだけどね。
て言うか、天孫降臨神話は世界中にあるものだし天皇家を特別なものとする
ために天津神と国津神の区別を作っただけのことという事はすでに広く認知されてるし。

ま、人間の国と神の国を同列に論じること自体無意味なんだが。
>>411は騎馬民族征服説にすがりついてるようだけど、もう少し勉強したほうが良いと思うよ。


413 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:21:35
>>411

具体的な場所を示してる新羅建国神話と、
そうではない高天原神話のどこが同じなんだ?

414 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:37:47
>>412
そのスサノオは新羅に天下って見たけどつまらないから日本に来たと
いうのだろう? それならその子孫だって外来者だ。

415 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:49:51
>>414
とにかく半島系にしたくて仕方ないようだな。
きみは日本への劣等感は永遠に治らない病気だ。


416 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:55:35
>>412
>天孫降臨神話は世界中にあるものだし

天孫降臨神話が世界中にあるのなら、それは王権外来説が世界中に
あるということだ。

417 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:00:31
>>415
私は上にも出ていた神話の異説を紹介しただけだが、なにか言うと
すぐに「半島系」とか「騎馬民族」とかに結びつけてピコピコするのは
実に面白い。

私が「外国から来た」と「神の世界から来た」を併せて「外来」と
言っているのがわからないのなら、それは「抽象力の欠如」という
ものだ。

418 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:18:18
なんで新羅の話が、とおもって
新羅のウィキみると、 中国の書物の隋書東夷伝によれば
「その王はもと百済人で、」とあるな。
卵やら流れてきたやらそういう抽象的な高麗の記録よりは
この中国の記録の方が正しいと見るべきでは。

百済人は漢人、倭人、ふよのどれかなので、もともとの部族はわからない。
だから新羅の金氏は出自不肖ってことになるなあ。


419 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:31:06
>>417
苦しいなw

420 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:56:54
>>418
改めてウィキを読んでみると、新羅のそれぞれの王統の始祖は:
朴氏が卵生、
昔氏が赤ん坊の漂着ばかりでなくその出生は卵生、
金氏が出所不明の小箱から出た小人、
と、いずれも超自然だ。超自然をもって王の出自を一般人と差別する
ところは、日本の天下り神話となんら変わらない。
単なる地理的外来ばかりでなく、超自然もまた王権外来説の一種なのだ。

このような本来作り話であるものと、歴史的な記述とを、ことらが正しい
などと比較するのがそもそもおかしい。

421 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:57:10





 台 湾 人 の 日 本 侵 略 を 許 す な !


http://www.youtube.com/watch?v=f7LXG9gqzbo






422 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:15:12
>>418
隋書新羅伝を見ると、高句麗との関係も最初から濃厚だな。
新羅が強盛になったのは高句麗人逃亡者が流入したからだと言う。

また、最初は百済に、次いで加羅に従属したと言っているのは
実に面白い。
加羅への従属は考古学と一致するからだ。

423 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:06:40
>>420
訂正:
ことらが正しい → こちらが正しい

424 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 22:07:14
>>414
>>415

>そのスサノオは新羅に天下って見たけどつまらないから日本に来たというのだろう?

ふうむ・・・
「外来系」が貴種の証明だと言っておきながら、国津神も外来系にする・・・か。
さて、違和感を感じるのは俺だけかな?

>私が「外国から来た」と「神の世界から来た」を併せて「外来」と

普通、外国から来た事はともかくとして、神の国から来たって言うのは
外来とは言わんだろ。
何しろ神話だからな。

お前の考えてることって、世間の一般的な意味とは違ってるんだよww

425 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 22:51:46
>>424
>「外来系」が貴種の証明だと言っておきながら

誰がそんなことを言ったのか。支配者が自らを差別化するために、外来者
としての説話を創作する、という話をしているのだよ。
その支配者が実は土着だった、でもいいのだ。「何しろ神話だからな」

>国津神も外来系にする・

私がしたのではない。神話の一説がそう言っているという話をしたのだ。
神話がそう言っているにもかかわらず、その国津神が実は土着であっても
一向にかまわない。「なにしろ神話だからな」

>神の国から来たって言うのは外来とは言わんだろ。

神の国は現実世界の外にある。そこから来たのなら外来に違いない
ではないか。
外来と言えば「渡来人」しか思い浮かばないのか。頭かたいな。
漢字は本来の意味に使っていいのだよ。


426 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:03:56
オイオ〜イw
矛盾ありまくりだぜ〜?

>誰がそんなことを言ったのか。支配者が自らを差別化するために、外来者
 としての説話を創作する、という話をしているのだよ。

差別化できてないじゃんよ〜?w
どっちも高天原っつーとこから来たんだろ〜?
故郷が同じで来た順だけ違けりゃ差別化できんのか〜?
フツーに「土着の神」を征服すりゃいいのによ〜ww

>「なにしろ神話だからな」

都合の良いところだけ「神話」かよww
この程度で「外来」なら、世界中の民族は外来系に支配されてんのかよ〜?ww

>神の国は現実世界の外にある。そこから来たのなら外来に違いないではないか

いや、それはお前の主観。
フツー外来からそのようなイメージは無い。
辞書で調べてみ?


ここまで神話にひっつくなんて、よっぽど悔しかったんだなwwww

427 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:22:01
>>417
>「外国から来た」と「神の世界から来た」を併せて「外来」と
>言っているのがわからないのなら、それは「抽象力の欠如」という
>ものだ。

アホか。
私が「外国から来た」と「神の世界から来た」を併せて「外来」と
言っているのは「創造力の欠如」だ。
神の世界から来たのなら「天から」と表現することはあれども、
「外から来た」なんて言わないのだ。

428 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:24:08
>>427
訂正

×私が
○君が

429 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:01:58
>>425
>神の国は現実世界の外にある。そこから来たのなら外来に違いない
>ではないか。

外とは内外の横軸だ。
天地の縦軸とは違う。
何言ってんだよお前w


430 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:16:32
神話の登場人物は、歴史研究での民族には当てはめることは無理だぞ。

どんな民族でも、その最初の統率者はその民族だ。
例えばゲルマン民族の伝承にあるだろう始祖は、ゲルマン民族だが
その父親は何なのか?というとゲルマン以前の人間だが、
何に当てはめて良いかわからん。そこで神話になる。

民族の始祖がどこから来たかというのは、民族に関係が無い。
民族が始まるのはそこだからだ。

431 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:28:35
そうだな。
ま、新羅のように完全に外来人に王権を奪われた伝承を持ってるのも情けないがなwww

432 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:44:55
あのな、ここで色々言ってるけどそもそも韓国では日本人の
「新羅は倭人が建てた王朝説」なんて誰も知らないし
新羅は韓国人が作った国として当たり前に認識されてる



433 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:54:23
>>432
だから何なんだ。それは都合の悪い事は教えない韓国自身の問題であるとしか言い様がないけど。

434 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:24:03
俺達は、たとえ半島の古代史の主役が、俺達の先祖じゃなくても
、合理的かつ客観的に証明できる人間と議論ができればそれで満足だろ?
だってここ、一応は史板だぜ?
それが理解できない人間がいる事こそ理解できない
韓国の人とか、左の人って、思想の優先順位が違うの?

435 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:48:32
>>418
「其王本百濟人」というのは『隋書』に初めて出てくる記述であって
前後の史書をみるとかなり怪しい。ただ、「自海逃入新羅、遂王其國」
とあるように、海を渡ってきた外来王としているのは瓠公、脱解の説話
と共通していて興味深い。

初めて新羅の項目が立てられた『梁書』には、新羅の前身の辰韓(秦韓)に
秦からの亡命者がおり、王には馬韓人が立てられたという説がみえるが、
これは『三国志』魏書などのコピペであり、とくに前者はそう自称している
という言い伝えがあるよというだけでほとんど信用できないシロモノ。
『北史』もそれを踏襲し、『南史』は『北史』を参照しろといい、『旧唐書』
には「本弁韓之苗裔也」とある。

総合的にみると、『隋書』の「其王本百濟人」というのは、『梁書』等の
馬韓人を辰韓の王に立てたという説に基づいた憶説と考えられる。ただ、
その辰韓王もオリジナルの『三国志』魏書をみると、「辰王」となってる。
辰王は馬韓の月支国を治め、弁辰と辰韓の半数の国々を従えたとあるから、
これは新羅王をいったものではない。結局、倭人出自説にしろ百済人出自説
にしろ根拠がない。新羅の王や貴族が外来者というのは史実ではなく、
地生えの辰韓人らの王権なんだろうが、彼らが外来者を標榜したことは
おそらくそのとおりであり、それをもって身分秩序を強固にし、貴族層の
特権を保持する目的があったんだろうね。

436 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:51:28
だから史実の解釈なんてどうでもよくて、
倭人が堂々と鉄を採ってたって考古学的事実は、
倭人が王であっても差し支えないだろうに。

437 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 02:30:10
史実の解釈はどうでもいい、というのはよく分からんね。
一連の議論は新羅の建国神話の解釈についてじゃないの。
あと、倭人が堂々と鉄を採ってたって考古学的事実ってのは
>>394の釜山市萊城遺跡と泗川市勒島遺跡のことなのかな。
詳細についてもっと教えてくれると有難いのだけど、いづれにせよ、
新羅本来の領域からは離れた場所であることには違いない。
さらにいうなら、鉄を取っていたからその地の王であるなんてのは
まったく論証になってない。

438 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 06:04:55
>>426
>差別化できてないじゃんよ〜?w
>どっちも高天原っつーとこから来たんだろ〜?

私が「支配者が自らを差別化する」と言っているのは被支配者の
人民と差別化するという意味だよ。

君も>>412でいいことを言っているではないか。
>天皇家を特別なものとするために天津神と国津神の区別を作っただけのこと

その通りだ。その国つ神のところに人民も併せて考えればいいのだ。
天皇家を「特別なものにする」すなわち「差別化」の名目が「高天原」から
の「外来」というわけだ。

スサノオは出自が天つ神であって、しかも異説によれば新羅を経由するという
「二重の外来」だ。


439 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 06:48:43
スサノオが新羅経由したなんてのはいくつもあるスサノオの降臨神話の一種だけどな

440 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 06:50:40
てゆーか日本人はみんな降臨した神の子孫

441 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 07:50:06
>>437
史料と物証が揃ってれば事実となるのだが、
一応揃ってるといえる。

>新羅本来の領域からは離れた場所であることには違いない

古代の国境や領地概念から言ってそれは違う。
また新羅が5世紀以前に倭の臣民にされてたというのは好太王碑にも示されてる。

442 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 08:05:44
>>438
>「高天原」からの「外来」というわけだ。

おまえしつこいな。
外来でなく「降臨」

スサノオは追放され海を渡るのだから新羅側から言えば「外来」

443 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 08:56:12
新羅は倭人が造った国ですからね。
新羅にとってスサノウは外来です。

444 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 10:32:00
なんだか神経症みたいにしつこいヤシが居るね。

445 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 11:24:30
>>442
「降臨」は縦移動の「外来」、
「渡来」は横移動の「外来」だ。

昔氏の始祖伝説は漂着だから横移動の外来だが、その元は卵生だ。
卵生神話は扶余の始祖伝説にもあって、この場合は女が日光に感精して
身ごもるのだ。
昔氏の場合は日光感精がないが、卵生神話は上記のように本来は日光感精、
すなわち縦移動の要素を含んでいる。

だから昔氏の始祖伝説は縦移動と横移動の合成だ。
降臨、すなわち縦移動は日本神話の専売特許ではない。

446 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 11:35:12
昔氏の始祖に関する民間伝承の一つによれば:

「昔、倭国の東北千里に多婆那国があって、またの名前を龍城国とも言った。
国王の名前を含達婆といい、女王国の女を王妃としていた。その王妃は妊娠
から7年目にして大きな卵を産んだ。国王は怪しいと思って、それを捨て
させた。
王妃は絹布で卵を包み、櫃の中に入れて船で海に流し「有縁の地に到り、
国を建て、家を成しなさい」と祝福して別れを告げた。
その船は阿珍浦(慶州郡陽南羅児里)に流れ着いた。」

これによればタバナ国は完全に倭国ではない。
また王妃の出自「女王国」が倭国のことだとすれば赤ん坊は倭系では
あるが、母系だ。

447 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 11:55:37
だから、魏志倭人伝に「女王国東渡海千余里復有国皆倭種」
女王国の向こうにも多くの国があるが、皆倭種である。

と書いてるだろ。
ヤマトだろうがクマソだろうがエミシだろうが
中華から見たら全部倭人だったということだよ。

中華は、多くの民族を分けて書き記しているのに
日本の島には倭人しか居ないように書いてあるわけで。


448 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 11:57:36
渡来渡来言う奴は、具体的な民族名を示すことができない。
いくらでも古代人の名前も記録にあるわけで
漢人か倭人かその他か、くらいは示してもらいたいね。

449 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:26:15
多婆那=丹波で女王国がヤマトだと仮定すると、
そこに婚姻関係が存在する事は
籠神社の海部氏系譜図とも一致しているね。



450 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:45:54
新羅の王の一人は外国人だ、だから日本もそうに違いない!!

って言う思考はどうかと思うね。
知識人ぶってファビョってもね・・

451 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:15:07
>>449
残念ながら大和は丹波の東北ではない。

なんで倭国の東北なのかと言えば、倭国の西ならばそれは日本海で、
半島人には通い慣れた海域だが、
倭国の東北と言えばそれは北太平洋で、半島人には全く未知の海域だ。
だれも知らないし、だれかがそこへ出かけていく可能性も薄い。
タバナ国がここだということにしておけば、作り話がばれることはなかろう。

そう考えただけだろう。

452 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:22:21
新羅王の外来説は王だけ外来なのが問題なんでしょ
日本の神話の場合は全部ひっくるめて天から降臨してる上に、それが起きた時期が神話としてしか語れない大昔な上に、王権を確立したのは神様の何代もあとでどう見ても倭人成立後のはなし

453 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:25:47
>>451
>残念ながら大和は丹波の東北ではない。

何処にそんな事が書かれてるのw
倭国=北部九州とすれば
必然的に出雲〜能登半島辺りだけど。


454 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:37:35
>>445
>「降臨」は縦移動の「外来」、
>「渡来」は横移動の「外来」だ

へぇ君は自分の住んでる空(天)を「外」と言うのか。
変わったやつだねw

455 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:56:17
>>446
>これによればタバナ国は完全に倭国ではない。
>また王妃の出自「女王国」が倭国のことだとすれば赤ん坊は倭系では
>あるが、母系だ。


倭国と呼ばれてなくても倭人だろ。
出雲は一つの国だけど人種は倭人だよね?
それと同じ。

456 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 01:31:49
>>441
史料は新羅の建国神話で、物証は釜山や泗川の遺跡なの?
全然関係ないものなんだけど。補完にも傍証にもなってないよ。

>古代の国境や領地概念から言ってそれは違う。

違う、とだけ言われてもね。新羅の本拠は慶州周辺であって、
考古学的にみて、釜山方面に勢力が伸びたとされるのが
5世紀半ば頃だし、泗川などはもっと先の話。釜山や泗川
に倭人が住んでいたからといって、必ずしも支配者という
ことにはならないし、そこが新羅の本拠であったわけでも
ないのだから、そのことをもって倭人が新羅の支配者であった
とするのは全く理屈に合わない。

広開土王碑の記述にしても、新羅が倭の臣民とされたのは
辛卯年(391年)以降とされていて、貴方もご存知のとおり、
建国当初からの事態ではない。
しかも、碑文の筋立ては、以前は高句麗の傘下にあった新羅
が倭の臣民とされてしまったものの、それを見事打ち破ったぞ
(そのあとは碑面の摩滅でよく読めないけど、文脈からいって
新羅が再び高句麗の傘下に復帰したとするものだろう)という
ものだから、倭に属したのは一時的な出来事といえる。
その後の中原高句麗碑でも高句麗と新羅は上下の関係にある
とされているしね。

457 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:17:20
>>456
>史料は新羅の建国神話で、物証は釜山や泗川の遺跡なの?
>全然関係ないものなんだけど。補完にも傍証にもなってないよ。

これで完全に証明されたなんて言ってない。
しかしながら可能性はあるだろう。
瓢公が半島に渡ったのも何かの理由があったろうが、
それは「鉄 」であったろう。
釜山にあった倭人の製鉄場から新羅に対して何なりかの実行支配に及んでも不思議でないとも思う。
逆にそうでないなら何で瓢公という倭人の重臣の話が伝承になってたのか、
はっきりした答えを以前のレスでも聞いてないが?

458 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:28:51
伝承は実際に物事があったから残るものだからね。
勿論脚色等はあるのだが、何もない所に伝承は残らない。

それが半島の南部、日本の丹波地方双方に
似たような話があるという事は、
実際にあったと考えられる話でしょうね。

459 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:29:20
それと、
>広開土王碑の記述にしても、新羅が倭の臣民とされたのは
>辛卯年(391年)以降とされていて、貴方もご存知のとおり、
>建国当初からの事態ではない。

その辛卯年(391年)の話は倭が海を渡って進軍してきたのであって、
それ以前に瓢公という倭人によって穏やかな王権簒奪があっても不思議でない。
もちろん、そうであったことを考古学的に証明しろなんて言われたら全く出来ないが。w

460 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:49:31
>>459
http://www.youtube.com/watch?v=aYDUa764YDY&NR=1
●百済と日本の差異. そして七支刀の秘密

6世紀頃に描かれた外国人使者 梁職貢
で裸足だった倭人が4世紀に新羅を属国にできるわけないだろう(笑)

461 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 03:46:34
■任那日本府の真実をもみ消そうとするへたれ日本人学者 

いったい日本の古代史研究者はなにをしているのだろうか?歴史研究者でなく政治、イデオロギーに囚われた人間でしかない。
結局、日本帝国時代の悪いイメージ(これも歴史学者が事実をしっかりしないために根付いたひとつの問題)と古代歴史をくっつけて
研究してしまい、半島に気を使い、真実に近い論を言えない人々と言える。そこには何ら客観性・中立性や事実に近づこうとする精神はない。

半島で前方後円墳がいくつも見つかり、日本製ヒスイが各地で多く見つかり、中国や朝鮮の史書には倭人が攻めていたと書かれ、終いには
碑文には倭人が百済・新羅を破り臣民としたとまで書かれている状況でありながら、「ヤマト朝廷と深い関連を持つ集団」が
伽耶地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたなどと、あくまで「倭人が〜」と言えない半島主導の半島言いなり研究者たち。

これが本当の売国奴(歴史売国奴)と言えるのではないだろうか?これがまったく逆に、例えば九州あたりで新羅独特の墓が多く出て、半島で
しか取れない物が多く出土し、各国の史書や碑文に新羅人が倭人を攻め臣民にした、などと書かれていたら
「新羅人が」九州を支配していたなどと定説化していることだろう。

これまでの韓国の研究者の行動からして間違いない。どんだけ主張できない(わざとしない?)研究者達なのだろうか?
真実を求めはっきり主張できる研究者はいないのだろうか?

任那日本府を通じての半島南部の有効支配については否定する見解が提出されています。私の手元にある資料だけでも、
井上秀雄氏、鈴木靖民氏、鬼頭清明氏、田中俊明氏などです。

462 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 05:00:04
>>460
チョン国の妄想歴史動画w
新羅建国は倭人によるものだし半島を属国にしたことは広開土王碑にもかかれている

463 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 08:09:49
>>454
>へぇ君は自分の住んでる空(天)を「外」と言うのか。
>変わったやつだねw

へぇ、君にとっては高天原が「内」であって、君は高天原に住んでいるのか。
それとも天国かな?

>>453
>残念ながら大和は丹波の東北ではない。
>何処にそんな事が書かれてるのw

>>449
>多婆那=丹波で女王国がヤマトだと仮定すると

と書いたのに対して書いたまで。的外れで残念だったね。

464 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:06:57
>>463
>へぇ、君にとっては高天原が「内」であって、君は高天原に住んでいるのか。
>それとも天国かな?

天を「外」という変わった君が何か無理やり言い返そうとしてるみたいだが、
高天原は日本にある架空の山、だから「内」だというのが俺の説だが。
だから何か?

465 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:12:30
>>463
>多婆那=丹波で女王国がヤマトだと仮定すると
と書いたのに対して書いたまで。的外れで残念だったね。

まだ的外れてますよw


466 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 10:03:14
■好太王碑の謎「百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」

●倭が百済や新羅を支配下においてしまうほどの軍事大国だったのか?

碑文の中でも常に論争の的となってきたのは、第一面の8行目後半から9行目にある。

「百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」の節です。
この文の意味は「百残(百済)と新羅はもともと高句麗の属民であり、高句麗に朝貢していた。
ところが倭が辛卯年(391年)より以来、海を渡って百残を破り、新羅を□□して、臣民にしてしまった」と解釈されてきました。
 
そこからは、百済、新羅を臣民にして、高句麗と対抗するほどの軍事大国だった倭のイメージが思い描かれます。
はたして、倭の実態はそのようなものだったのでしょうか。
戦後、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の研究者から異論がいくつか提出されました。鄭寅普(ちょんいんぽ)さんは
「百残と新羅は(好)太王のともに属民であった。しかるに、倭がかつて高句麗に来り侵し、高句麗もまたかつて海を渡って往きて
(倭を)侵し、相互に攻めあった。そして、百残は倭と通じて新羅に不利をはたらいた。(好)太王は、吾が臣民がなぜこのような
有様なのかと思った」と解釈しました。

朴時亨(ぱくしひよん)さんは「倭が辛卯年に侵入してきたために、高句麗は海をこえて彼らを撃破した。
百済は(倭をひき入れ)新羅を侵略し、それを臣民とした」とし、また、金錫亨(きむそくひょん)さんは
「倭が辛卯年に来たので(高句麗は)海を渡って百済を破った。そして新羅をもあわせて高句麗の臣民とした」とする解釈を下したのです。

また、碑文に記された倭が日本列島のヤマト政権のことを指しているのかということも問題です、西日本各地の豪族が率いた
海賊集団を意味するという説や九州北部におかれた百済の分国だとする説もあります。
少なくとも、4世紀後半の日本では、百済や新羅、はては高句麗まで攻め入るほどの軍事力を持っていたのかは大いに疑問です。
碑文に記された倭の文字は中国の王健群(わんぢぇんちゅん)さんによれば、周辺国中最多の11箇所にのぼります。
好太王の好敵手のように扱われていた倭の実態はいまだ多くの謎に包まれているのです。


467 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 10:28:35
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/tabana=tango.htm
「北九州から東北へ進みますと、(日本海の孤島を別にしますと)人間の住んでいる場所で、
王様のいそうな場所といいますと、日本列島の日本海側だけです。
 で、千里とはどのくらいかといいますと、仮に昔のシナの里を使っていたとしますと、
魏の時代の里は、
「一里=435メートル」
 ――なので、
「千里=435キロメートル」
 ――となります。
 これを地図上で計りますと、鳥取から丹後のあたりになります。」
「西暦713年に《丹波国》の(都から見て)後ろの方が独立して《丹後国》になったので、
新羅云々の時代には《丹波国》と呼ばれておりました。
 つまり、《籠神社》の一帯は、古代においては《丹波国》だったのです。」

なるほどねぇ…丹後(丹波)に決定だなw

468 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:12:37
年代は特定できないが、「倭国」が北部九州だと
その東北千里に「タバナ国」があって
そこの王は「女王国」の女を王妃にしているという事だからね。
はっきり「倭国」と「女王国」は別とされている訳です。

ヤマト王権成立以前に、今の丹後地方に王権を持つ
強大な国らしきものがあったのは、
遺跡や出土品からも確実ですからね。

特に鉄の量の豊富さは、弥生後期の一時期は
北部九州の国を凌駕するとも言われてる位だし。



469 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:42:12
いくつもの独立的な『国』があっても対外的には全部ひっくるめて倭国(連合的・同一民族的なまとまり)なんじゃないの
「倭国」内の始点(大陸に近い側)から東北千里に倭国のタバナ国があって、倭国の女王国から王妃を迎えている

470 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:20:48
>>464
>天を「外」という変わった君が何か無理やり

「内」か「外」かは境界(ボーダー)しだいだ。村境をボーダーに
すれば隣村でも「外」だが、県境をボーダーにすれば隣村も「内」に
なる。

君が「天」は「内」だと言い張るのは、「宇宙」の果てをボーダーとして、
地球を含む宇宙ぜんたいが「内」だと言っているわけだ。
しかしそれだけの無理をやっても囲い込めるのは物理的な宇宙であって、
現実ならぬ形而上のものを囲い込むことはできない。

太陽の光の形で女の身体に入り込んでこれを孕ませてしまうものは
まさに人間社会の「外」にある形而上の力だ。
このような意味で、扶余や新羅の創始者は人間社会の「外」から来た
「外来者」なのだ。

もちろん、神話の中の話だよ。

471 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:43:18
>>470

おまえ頭おかしいのか。
自分の生存行動範囲の天空を「外」なんて【日本人】は言わない。

そ れ だ け だ。

472 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:55:35
それと
>>463の「君にとっては高天原が「内」か?」に、
そのとおりだと答えただけだ。
「日本領内」なので何も問題ない。

473 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:50:11
>>457
同じようなことを聞かれて>>404を書いたんだけど、
分かりにくいところがあったかもしれない。

平たくいうと、そもそもは原型として、渡来してきた倭人が新羅の始祖
になったというシンプルな神話があったんじゃないかと思ってる。
支配者がヨソモノであることを強調することで、被支配者の原住民と
同じ地から生じてはいない、常人ではないと主張する意図があった
ということ。

しかしながら、第三者的な中国史書にもそれに類した話は載っておらず、
考古学的な物証もないから、この神話に史実性を認めることはほとんど
できない。新羅王墓をみても、一目で分かるような倭系要素はないからね。

ではなぜ、倭人出自という設定がなされたのかということだけど、まず
倭国が新羅にとって近すぎず遠すぎない海の向こうの異国であったこと、
そして国家戦略的に重要な位置づけにあり、高い関心が寄せられていた
ことがあったからだと思う。事実、新羅の外交を管掌する官司は7世紀
初めまで「倭典」と称されており、対倭関係の重視がうかがわれる。

474 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:55:37
ところが、唐との関係が安定するにしたがって、新羅にとっての倭国の
格付けが下がり、また次第に華夷思想が受け入れられてくると、新羅の
始祖が渡来倭人であったとする神話は都合が悪いってことになってくる。
そんなわけで、神話の部分的改変が行われたんじゃなかろうか。まず、
始祖の渡来倭人王のキャラクターは分割され、卵生を特性とする始祖王
朴氏と、渡来倭人の能臣瓠公になったんだろう(朴と瓠は同じヒサゴを
意味する)。また、キャラの分割という方法によらず、始祖から代数を
ずらし、倭人の設定を少し変えたのが、第四代王の脱解だったんじゃ
なかろうか。倭人か否かと議論になってる曖昧な部分はそのように
出来上がったのだと思う。

この脱解は瓠公の家を詐取したという少々トリッキーなキャラクターだが、
他の説話が取り入れられることで、いたずら者のキャラが加味されたのかも
しれない。なお『三国遺事』には瓠公の宅地詐取の際、脱解が自らの祖先を
鍛冶屋と称したとあり、外来王と鍛冶が結び付けられているのは注目される。
鉄を求めに渡来した倭人のイメージが取り入れられたとも考えられる。

475 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:20:54
>>461
>「ヤマト朝廷と深い関連を持つ集団」が伽耶地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたなどと、

↑これだけ言ってたらまだマシなほうかもしれない。
それだけ無茶苦茶になってる実情がある。

>>466
>戦後、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の研究者から異論

馬鹿馬鹿しい。

476 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:52:30
>>474
脱解も国はタバナだが人種は倭人に間違いないだろう。
宰相の瓢公は倭人と書けても、
4代目王を倭人と書けなかったのは、さすがに朝鮮人のプライドが邪魔したのだろう。

477 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:33:03
■日本は,百済の継承国家である!  2009/02/11(水)

世界中,どの国の国民も自国の「建国の歴史」を明確に理解している
ただし,一国だけ例外がある. わが日本国である、日本だけは「建国の歴史」が
曖昧模糊(あいまいもこ)としている
日本という国がどのようにつくられてきたのか? ほとんどの国民が知らない、
日本にも「建国の日」があるが,神話(つくり話)上の日なので 出鱈目である
だから 「建国の日」が,賛成・反対,右派vs左派,「分裂の日」になっている

国民こぞって皆が祝える 「建国の日」 にするには,どうしたらいいのか?
それには,先ず “建国の歴史” をより明確・明瞭にする作業が必要だ
難問は,日本には “歴史のタブー” があることだ

タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
このことを,過去1400年間,日本国の支配者層はタブーにしてきた
日本古代唯一の歴史書 『日本書紀』 も,渡来人が天皇になって日本国をつくった
ことを隠すために書かれている
ところが,ご聡明な平成天皇は…,
「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫である…」
と,先祖に百済人がいることを明確にされた.さらに天皇陛下は…,
「宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります」
と,現在においても “渡来人の子孫” が宮内庁にいることを明らかにしておられる
 平成天皇は,御自ら 「歴史のタブー」 を解き放たれたのである
http://www.geocities.jp/o1180/more7.html#ws0211

>タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
>タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ


478 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:49:46
× 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」
○ 「日本建国は外国人(渡来人)も関わった」

479 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 03:06:06
■日本を作ったのは百済人 これは常識だ

ほとんどの日本人は,日本人あるいは日本国のルーツをキチンと言えない.自分たちのルーツが分からない…,世界でも珍しい現象だ
この原因は,日本には歴史書がないことだ.
『日本書紀』『古事記』.これらは日本に渡来した百済人によって書かれたものだ.両書とも,台本は『百済本紀』等々,百済國の歴史書だ
ではいったい,どうしたら日本のルーツが分かるのか?

中国は文字の国,そして歴史の国で,膨大な量の歴史書が残っている.韓国にも古い歴史書が沢山ある
もちろん『日本書紀』も重要な資料だ.
この日中韓の歴史書を読み抜き,徹底的に読み比べるのだ、すると,ルーツが辿(たど)れ,謎が解け,見えてくるのだ
いったい,我々の先祖はどこから来たのか?
……結論を急ごう.
7世紀,日本国は百済人がつくった.これは常識だ.では,百済のルーツは?
百済のルーツは,いくつもの中国史書に明確に書いてある.たとえば,『旧唐書』百済伝には「百濟國,本亦扶餘之別種」とある
これは,百済のルーツは「扶余」である,という意味だ.そう書いてある
つまり,「扶余」→「百済」→「日本」.日本のルーツ,それは「扶余」である
「扶余」とはツングース語の鹿(ブヨ)の漢字表記.「扶余」は鹿(ブヨ)なのだ

http://www.geocities.jp/o1180/more3.html#TG0417

480 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 04:55:32
■日本民族の歴史はない

http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/h36.htm
http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/h37.htm
我が国に、とくに我々日本民族の歴史というものは厳密に言って存在いたしません。

一般に言われているように「日本書紀・古事記」をもって日本の史書として いますが、これらの中の
「神代の巻」という伝承神話は、旧満州及び今日の韓 半島方面における史実の断片の神話伝承化であります。

  高天原(こま)= 後の高句麗の蓋馬(こま)大山(大古馬嶺山)

   蒼みが原   = 黄海(古名が蒼海、前漢が滄海郡をおいた所の南海に
           存在する海)

スサノウノミコトの大蛇退治の伝承
          = 鴨緑江流域に於ける檀君王倹の邑樓(おろ・うむる)
八部族の平定が日本に伝えられ、スサノウノミコトの
ヤマタノオロチ退治と寓話化されたもの

数えあげたらきりがない程、満州及び韓半島との係わりあいが多く、書記・古事記を全て今日の日本列島に位置づけて語ることには無理が出てきます。

なお、日本書紀そのものが百済本紀の引き写しとも言われる故、或いは、神武東遷の伝承そのものが
百済の始祖・尉仇台の遼西方面からの東遷の史実が色 濃く投影されている可能性があります。

又、我が天武朝が楽浪朝鮮(馬韓)の後身であったこと、先の天智朝とは何の繋がりもないことなども、日本の歴史家達は口をつぐんでいます。
何とぞ先生におかれましては現地の歴史にお詳しいことと存じますので、これらの史実の実証の程をお願い申し上げます。

かつて、日本がその偏見と独善的な歴史解釈から誤った指導理念を生み出し、近隣アジア諸国なかんずく御国・韓国に対し、いかなる
結果をもたらしたか、小生は、過去の歴史が雄弁に物語っていることを知る一人の日本人であります。

                                      山形 明郷 拝上


481 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 05:12:27
>>479-480
電波はどんだけ発しても電波

482 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 06:43:42
ということは韓半島は満州民族に支配されていたということでいいのかな?

483 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:18:45
長文こぴぺしても無駄なのにね。

484 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:53:10
>>471
>自分の生存行動範囲の天空を「外」なんて【日本人】は言わない。

この珍妙な文章を読んでいて、ふと思った。「生存行動範囲の天空」とは
ひょっとして「領空」という概念か?
今は飛行機があるから空も行動範囲で、国境を空に拡大した「領空」の
概念があるが、それを古代に投影しているのでないか?

>>472
>「日本領内」なので何も問題ない。

地上の国境などに囚われないでこそ天上界の有り難みがあるのに、
「日本領内」とは、高天原も落ちぶれたものだ。


485 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:56:48
日本人の精神的領域だろうが

486 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 09:38:41
>>484
もう一度言う。
縦軸は天地。
横軸が内外。

天を「外】なんていうアホはおまえだけ。

>地上の国境などに囚われないでこそ天上界の有り難みがあるのに、
>「日本領内」とは、高天原も落ちぶれたものだ。

分かった。おまえは高天原を空中にあるものと捕らえてるのか。
おいらは頂上に神々が住む聖山信仰と捉えてるのだ。
だから日本のどこかに高天原に見立てられた山があり、
その最有力候補は三輪山だけどね。

487 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 20:41:48
>>486
なるほど、天孫族は三輪山に盤踞する山賊であったと。
まあ、古今東西、古代の支配者の始祖は山賊みたいなものだからあり得ない
話ではないな。

しかしいずれにしても自らを「天つ神」と称しているのだから、みずからを
人間界の「外」に由来するものと規定することによって人民や土着豪族と
差別化しようとしているのは間違いないではないか。

488 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 20:50:24
ついでに「高天の原」について世人の見方を書いておこう。

広辞苑:日本神話で、天つ神がいたという天上の国。「根の国」(私注、死者の国)、
葦原の中つ国(私注、日本)に対して言う。

ウィキ:
<作為説>
神話は作られたものであるから、そこに出てくる高天原がどこにあったかなど
と考えること自体が無意味であるとする説。(中略)現在でもほとんどの学者
は、高天原神話は支配階級を天上界に由来するが故に尊いとする信仰を語った
ものであるという説に与しており、思想的には別として次の天上説と実質的には
同じである。

<天上説>
高天原は神の住まう場所であるから天上に決まっており、それ以外の場所を
考えるのは不遜であるとする説。(中略)戦前は皇国史観と結びついてこの
考え方が主流であった。

以下、各種地上説が紹介されているが、そのなかに三輪山説はない。


489 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:08:43
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

490 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:44:44
隋書によれが新羅は「附庸於迦羅国」つまり加羅に従属していた。

新羅は加羅の属国であった。
このことがあまり問題にされないのは不思議だ。

491 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 23:44:46
属国もなにも任那も加羅もすでに新羅に滅ぼされてたんだけど

492 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 04:38:07
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/03/000759.html
●高句麗→新羅→出雲

石川県小松市の地元では、小松は「高麗津(こまつ)」であるとささやかれているようです
出雲の文化と信州、東国の文化は新羅系の仏教文化である、それに対して大和の仏教文化は百済系である


あらら・・百済系だけでなく出雲まで新羅系とは・・(わかってたけどw)
ね、日本人って一体なんなの?

ね、 な  ん  な   の?



493 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 05:05:46
出雲は神道の本拠だろ
得体がしれないのは朝鮮人だよ
エベンキ族だけど

494 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 06:08:30
>>487
つか高天原は美濃から神坂峠を登った信濃の高原地域の事だってば
アマテラスが産まれた場所は中つ国の阿木
で、中つ国の恵那山にはイザナミとアマテラスのエナが祀られてるよ
で、神坂峠を越えると信濃高原
ここが高天原だよ
ちなみにアマテラスは皆神山み祀られてたけど、後にその岩戸は開けられて戸隠し山に捨てられた
だいたい「天」って漢字が付いてるからって大げさに考え過ぎ
そもそもアマテラスの「アマ」は「雨(あめ)」の意味だよ

ちなみに大国主から国譲りを受けたのがアマテラスの御子。でそのアマテラスの御子達は国造りを行い各地を治めたってだけ
ちなみにアマテラスの御子である天孫降臨の日向三代が国造りに降り立った地は乾国だっての


495 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 06:40:57
>>487
>みずからを人間界の「外」に由来するものと規定することによって人民や土着豪族と
差別化しようとしているのは間違いないではないか。


まだ言ってるのかおまえ、神経症のようにしつこいやつだな。
高天原山上にすむ神々の子孫であり縦軸における「天」

「外」は化外。

残念だな新羅建国神話と違って。悔しいのうw

>そのなかに三輪山説はない

三輪山というのは纏向遺跡など考古学的な要素から考えた俺の私見。

496 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 06:47:28
× 「外」は化外。
○ 「外」は化外という言葉があるくらい横軸。

497 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 07:02:07
>>492
>小松は「高麗津(こまつ)」であるとささやかれているようです

おまえらチョンが「ささやいてる」のだろ?w
百歩譲って高麗津であったとして、
高麗を他所として識別してるのだから、
識別してるその実体は日本人たちだね。

498 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 07:42:40
だんだん倭人が追いやられた、ということになるか。
どさくさにまぎれて、だと思うが。

新羅なども、初期は倭人だらけの国であったが、金氏などに乗っ取られた
これは色々な記録からわかることだな。

日本の都市部が在日韓国人に乗っ取られ、国政にも食い込まれつつあるのと
同じように思える。
結局は、自分が大和、いわゆる倭人の系統なのか、中華やフヨなのか、という自覚で
民族を分けるしかないだろうな。

499 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 07:49:39
>>492
古墳ができるころの時代は、百済や新羅あたりは
中国の記録では倭人だらけであるとされている。
倭人は日本人のみの先祖のはずであるから、問題は無いよ。

金とかいう一族が新羅を乗っ取ったのは、古墳時代も終わろうかという頃だし。
それ以前は、高麗の記録にさえ倭人が王で倭人が大臣で・・・と書かれてある。

500 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 08:10:55
>>498
>在日韓国人に乗っ取られ

一等地がかなり乗っ取られたという人が多いが、
そこで汚い商売してれば結局ダメになってる。
俺にとって「乗っ取られるというのは、
例えばソニー、ホンダ、松下、三菱などの大企業がチョン系であった場合、
はじめて「あぁ乗っ取られた」という感想を持つが、
実際はそうでないので日本が乗っ取られなんてしてないよ。

>結局は、自分が大和、いわゆる倭人の系統なのか、中華やフヨなのか、という自覚で
>民族を分けるしかないだろうな。

自分のY染色体で男系遺伝子を調べればいいだけ。
今じゃ簡単。
面白いのは母系を示すミトコンドリアではチョンとの共通性が見られるが、
父系のY染色体では皆無に等しいのだ。

501 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:44:43
>>491
>属国もなにも任那も加羅もすでに新羅に滅ぼされてたんだけど

それは6世紀の話。
隋書の記述は年代を示してないが、「百済が高句麗を圧迫したので高句麗人
は新羅に帰化するものが多かった。帰化した高句麗人のおかげで新羅は
強盛になり、(それ以前従属していた)百済に替えて加羅に従属した」
となっている。

百済のほうが高句麗より強かった時代と言えば漢城時代、すなわち
475年より以前だろう。

そのころ、新羅が加羅に従属していた時期があったということになる。

502 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:55:14
>>495
で、君の意見によれば、天孫族はもともと三輪山にいたのか?
それとも別の場所からやって来て三輪山を占領したのか?


503 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:34:15
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

504 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:53:00
>>502

見てたんだけどさ、天=外って概念を証明できる根拠あるの?

505 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:24:16
>>502

日向から来て三輪山周辺にに住んだ可能性高いと思うよ。
西都原古墳群と畿内の古墳群の連動性を見てそう思う。
占領ではなくて三輪山祭祀を通じて各地方が連合を組んだのが大和王権だろう。

506 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:02:14
>>505
>日向から来て三輪山周辺にに住んだ可能性高いと思うよ。

なるほど、大和土着の人々にとっては「外来」だな。
そして、それならば普通に、日向が高天原ではないか。


507 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:20:50
>>504
>見てたんだけどさ、天=外って概念を証明できる根拠あるの?

君は宇宙人が地球人にとって外来者であるという概念を証明する必要が
あるのか?


508 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:34:24
元々日向にあってもおかしくないが、
所詮神話上の想像の山なのであろうから細かく拘ることでもなかろう。
どっちにしても3世紀頃の三輪山周辺から王権が始まってる事を考えれば、
三輪山を高天原に見立てることで各地域の豪族をまとめたのではないかと思ってる。


509 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:46:50
>>507
それは地球内と地球外だから「天=外」とは関係ないよ。


510 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:42:13
>>499
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2008/09/000594.html
日本人の起源:“倭人”のルーツは中国大陸の呉・越

511 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 04:57:00
ブログw

512 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 08:16:23
>>509
>それは地球内と地球外だから「天=外」とは関係ないよ。

宇宙=天だ。
古代人は「宇宙」という言葉も概念もないのだから「天」と言うしかない
ではないか。

だから我々にとって「地球は内、宇宙は外」であるのなら、古代人に
とっては「地上界は内、天は外」だ。

これを古事記の言葉で置き換えれば
「葦原の中つ国は内、高天原は外」になるわけだ。

もちろん、内か外かは立場次第だ。高天が原もそこに住む天孫族に
とっては「内」だ。
高天が原が「外」だというのは、古事記を読む古代の一般人の立場だ。

513 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 08:24:06
何で自分らの祖先が外なんだよ

514 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 08:37:38
>>513
天孫族は日本人一般の祖先ではない。天皇を中心とする支配者の祖先だ。
それとも君は皇族なのか?

515 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 08:50:09
天孫という記録を、「記録を全て事実」と見るなら

天孫族も国津神も同族と記されている。
アマテラスとスサノオが兄弟だからだ。
また、ハヤトとヤマトは兄弟であるようにも記録されている。
源氏、平家は帝の子孫であるからその子孫は全て同族。
藤原氏はアメノコヤネの子孫とされているから、天孫。

で、大半の日本人は源氏や平家、藤原氏、イズモ、ハヤトの子孫であるから
記録を事実と見るなら、大多数の日本人は天皇の子孫、または直系男子で無くとも親戚。

帰化人系の秦氏、漢氏(彼らも日本人の半数は居るだろう。)
らも1500年も日本人として生き混血しており差別は無い。

516 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 08:53:43
508
>三輪山を高天原に見立てることで各地域の豪族をまとめたのではないかと思ってる。

地上説をとるにしても、高天原の場所は古事記にちゃんと書いてある。
「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺に天下りまさしめき」
つまり高天原を出発して九州のどこかの山に着いたのだが、問題はその
後で:
「・・ここはいとよき所なり」と詔りたまいて・・高天原にひぎたかしりて
坐しき」とあることだ。
つまり、出発地も、到着地も、高天原なのだ。ここに地上説がつけいる
余地がある。
しかしいずれにしても、古事記に則れば三輪山ではない。


517 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 08:57:45
>>512
>だから我々にとって「地球は内、宇宙は外」であるのなら、古代人に
>とっては「地上界は内、天は外」だ。


だから天を外と書いてる文献、史書でも随筆でもなんでもいいから出せよ。


518 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 09:03:03
>>515
>天孫族も国津神も同族と記されている。

君がスサノオや源氏の話をしているのなら、それは臣籍降下の話だ。
スサノオは高天原を追放されて地上界に来たのだから臣籍降下の
はしりだ。

支配者がはじめから、「私は君たち土着豪族や一般人民と同じだよー」
と言うのなら、扶余の卵生神話や日本の天下り神話は必要ない。


519 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 09:06:20
>>512
>古代人は「宇宙」という言葉も概念もないのだから「天」と言うしかない
ではないか。

その通り。だからずっとそれを言ってるわけだ。
にも関わらずむりやり「天=外」なんて概念持ち出して、
外国人に王権簒奪された新羅神話と同一視させようとしてたのはお前だろ。


>だから我々にとって「地球は内、宇宙は外」であるのなら、
>古代人に とっては「地上界は内、天は外」だ。

現代人の感覚を古代人に当てはめるな。
【古代人は「宇宙」という言葉も概念もないのだから「天」と言うしかない
ではないか。】とたった今言ったばかりではないか。
アホかおまえは。

520 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 09:07:45
>>518
違うと思うのは、それは君の「想像」だろ。
同族であるかのような「記録」のほうが確かなはずだが。

記録というと、中立国の記録はどうか。
魏史倭人伝
女王国東渡海千余里復有国皆倭種

皆倭種とかかれており、百済のようなフヨ、倭、漢の区別も無い。
もともと全部倭族だとされている。


521 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 09:54:24
>>512
>だから我々にとって「地球は内、宇宙は外」であるのなら、
>古代人に とっては「地上界は内、天は外」だ。

おまえって古代人が地動説で自分たちが住んでるのは、
地球って言う一つの星であると知ってたとでも思ってるのかよ。
馬鹿じゃねこいつw

522 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:42:07
>>520
誰が民族の話をしたのか。君が>>515で氏族に由来する身分の話をした
から、それに沿って答えたのだ。

私がはじめから言っているのは、支配者がみずからを超絶した「身分」に
置くために、自分が外来者であるかのような説話をこしらえる、という
話をしたのだ。

もちろん、本当に外来者である場合もあるし、清国における満洲族のように
民族が即ち身分である場合もある。
しかしそれはまた別の話だ。

523 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:56:50
考えてみると、君にとっては「外来者」という言葉が躓きの石なのかも
しれない。漢語は意味につきすぎるから、「外」の字にこだわって
しまうのだ。

では英語で言えばなにか。それはalien、アライアンだ。alienを辞書で
引いてみよう。形容詞のほうで言えば、
1)外国(人)の
2)異質な、相容れない
3)地球上のものでない
4)外来の(動植物など)

このなかに卵から生まれた人、天上界から来た人、宇宙から来た人、
外国から来た人、超絶した身分の人など、全ての概念が入っている。
卵生や天下りの始祖伝説は、支配者の始まりをアライアンとする
ものなのだ。
こう言えば「外」にこだわることもあるまい。

524 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 13:33:39
>>523
訂正:
発音を間違えた。alienはアライアンではなくエイリアンだった。
すまん。
ついでに「超絶した身分の人」は「超絶した人となりの人」と
訂正する。言葉を思いつかなかった。

525 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 13:36:54
>>518
高天原も地上だっての

なんでそんなメルヘンな解釈するの?

526 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 17:12:20
>>522
>>523

君の長ったらしい講釈は良いからさ、当時の書籍または文献に天=外と言う
意識があったかどうかを教えてくれよ。

英語とか持ち出してきても、当時の人間がそう考えていたかどうかは別物。
君の頭の中の妄想はどうでも良いんだよ。ホント。

527 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:32:37
>>523
だからアマテラスやニニギは、

1)外国(人)の
2)異質な、相容れない
3)地球上のものでない
4)外来の(動植物など)

ではないじゃん。

何を言ってるのかな、おまえ。

528 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:57:02
>>527

まあまあ。
落ち着いて「天=外」という意識があったという根拠を待とうじゃないか。
出せなかったらこき下ろしてやれば良いんだ。
韓国面に陥ったら元も子も無いぜ?

529 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:34:13
>>527
アマテラスやニニギは高天原という天上界に住んでいたのだから
「地球上のものでない」に該当する。
もちろんそれは地球人とは「異質」でもある。
また地球(地上界)が内であるのに対する「外来」でもある。
高天原は地上だと言ってもダメだ。それは神話の、一つの俗解に過ぎない。
神話の主張するところは天上界だ。

>>528
>>512ですでに説明した。考え方なのだから証明や根拠の問題ではない。
それが理解できないのならそれで終わり。待ってもむだだよ。

530 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:16:43
>>529

つまり、
「ぼくちんはこう考えてるよ。根拠は無いけどね。」
って事か。

だったら
>高天が原が「外」だというのは、古事記を読む古代の一般人の立場だ。
とか証拠も出せない妄想を書き込むなよw

531 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:22:36
>>530
どうも君の考え方がわからん。
古代の一般人にとって、天上界が「内」だという考え方をよく説明して
くれ。

「考え方」だよ。私は「証拠」などと馬鹿なことは言わない。

532 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:29:01
>>531

何で?
君の「考え方」を、古代人が持っていたかどうか聞いてるだけだよ?
その「考え方」を古代人がしていなかっただけ。

もし「天=外」と言う意識が古代にもあったなら、それを出せば事足りる。
でも実際には天=外のような記述は無い。
それが全て。
つまり、君の考え方は君自身の頭の中だけにあると言う事。

533 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:05:18
                  /〜〜〜 皇国の興廃
            ∧_∧  /  ● /   この一戦にあり
           (・ω・´ ) /〜〜〜    瑞穂の国を愛する
           (    つ         国民たちよ団結せよ
             Y  ノ、            日本人の怒りを 
            (_)J             見せてやろうぞ

   【外国人参政権断固反対!全国リレーデモ開催中】

   9月13日は北の大地「札幌」で雨に負けないデモ行進
   9月20日は三英傑を生んだ「名古屋」で前回を上回る威風堂々の大行進
   次の決戦地は首都東京・秋葉原です!

9・27外国人参政権断固反対!『東京』デモ/秋葉原(ニコニコ動画で生中継予定)
【集合場所】秋葉原公園※出発および解散地になります
13:30集合 13:45デモ出発 14:45デモ解散
【デモコース】
秋葉原公園発 - 昭和通り - 神田明神通り - 昌平橋通り - 万世橋交差点 - 秋葉原公園着

雨天決行
日章旗、プラカード持参大歓迎
特攻服など現場にそぐわない服装はご遠慮ください
当日は撮影が入りますので、顔を写されたくない方は帽子サングラスなどをご持参ください
   主催:在日特権を許さない市民の会
   http://www.zaitokukai.com/modules/news/article.php?storyid=270
10月4日(日)『福岡』天神 警固公園・10月10日(土)『大阪』新町北公園

534 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 04:56:44
>>514
天孫からみんな生まれたってのが神話だろ

535 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 05:06:39
>>529
>アマテラスやニニギは高天原という天上界に住んでいたのだから
>「地球上のものでない」に該当する。

アホ丸出し。
天動説の当時、地球なんて概念あったのか?
アマテラスやニニギは神々。
神とは崇高なる者。
神々が住むところはあくまで天。



536 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 05:13:27
だいたい何で英語を引き出してきて
その解釈内に引き込もうとしてるのかな。
まったく意味がない。


537 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 05:14:16
横から失礼。
天動説つーのは中世ヨーロッパで信じられた説
日本は関係ない。

538 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 05:17:32
>>537
日本人は地球が一つの星であり太陽の周りを回ることを知ってたと?

539 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 05:29:56
>>537
仏教では須弥山という超高山の廻りを月や太陽が廻ってると考えられてた。
高天原というのも須弥山と同じ意味であろう。
これらは地が動かず天が廻ってるというのだから天動説に含まれる。

540 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 06:07:51
>>531
>古代の一般人にとって、天上界が「内」だという考え方をよく説明して
くれ。

5歳の子供に例えよう。
子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
天上界とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。

分かったかな?

541 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 06:22:59
日本人の精神世界内でのことなんだから内だろ

542 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:36:40
>>529
>アマテラスやニニギは高天原という天上界に住んでいたのだから
>「地球上のものでない」に該当する。

エイリアンという言葉に「地球上のものではない」
という解釈が付け加えられたのは、
主にハリウッド映画「エイリアン」が大ヒットして後のこと。
それ以前にも、火星にはタコのような生き物がいるなんてヨタ話も欧米で出回ってたみたいだが、
どっちにしても近年に出来た意味合いだ。

それでもって古代日本の説明になるわけない。

543 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:38:16
>>540
やっと出て来た「考え方」がそれか。
天上界=おとうさん、おかあさん >内
理解できる人がいるかな。かえって5歳児なら直感的に理解するかもしれない。

君の「考え方」だからそれはそれとして尊重して、私の「考え方」を示そう。
以前に「内、外」を境界で説明したが、また「属する」という考え方もできる。

我々にとって日本が「内」、外国が「外」であるのは、我々が国境の
内側にいるからだとも言えるが、また我々が外国ではなく日本に
「属している」からだとも言える。

さて、古事記は世界を「高天原」「葦原の中つ国」「根の国」に分けて
いる。国つ神や一般人民は「葦原の中つ国」に属している。
天孫族は「高天原」に属している。死者は「根の国」に属している。
それぞれ属する先が異なる。

そうであれば、国つ神や一般人民は高天原に属していないのだから、
高天原は彼らにとって「外」であり、高天原から天下った天孫族は
彼らにとっては「外来者」である。

これが私の「考え方」だ。おとおうさん、おかあさん説よりはわかりやすい
のでないか?

544 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:45:20
だから日本人の精神世界内でのことなんだから内だよ

545 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:19:04
>>543
>540は君が質問してた人ではなくて横レスだったのだが、まぁいいだろう。

>そうであれば、国つ神や一般人民は
>高天原に属していないのだから、
>高天原は彼らにとって「外」であり、

大八島の「内」での事だからね。
言い張っても「外」にはならないのだ。

また、

>「高天原」「葦原の中つ国」「根の国」に分けて いる

と言われても、それは縦軸を示す「高中低」であって「外」にはならないよね。

何回同じこと言えば分かるのかな?
5歳児の方が理解力あるぞw

546 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:23:47
>>545
前から言おうと思っていたが、まさか、と思って言わなかった。

>それは縦軸を示す「高中低」であって「外」にはならないよね。
>何回同じこと言えば分かるのかな?

この文章は君の基本的な誤りをよく表している。
「高中低」であれ何であれ、あらゆる「範囲」「広がり」には「内外」
があるのだ。
なぜならば「境界」や「所属」を設けることによって、あらゆる「広がり」
には「内外」の区別が生じるからだ。
例えば地面を塀でしきることによって我が家と隣家との境界が生じ、我が家に
属する「内」と、隣家に属する「外」が生じる。
それを、「それは隣近所であって内外ではない」などと言っても始まらない。

つまり、「高中低」と「内外」は全く別の尺度、判断基準なのだ。
そこをごっちゃにするから「それは高中低であって内外ではない」などと
書いてしまうのだ。

547 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:30:56
>>542
>エイリアンという言葉に「地球上のものではない」
>という解釈が付け加えられたのは、
>主にハリウッド映画「エイリアン」が大ヒットして後のこと。

私もそれは若干あると思う。
しかし、映画が地球外生物に対して「エイリアン」という言葉を
使うことができたのは、この言葉がもともと「異質の、外部の」という
意味であったからだ。

つまり地球に関連して「エイリアン」を用いれば、それは「地球の
ものでない」という意味になってしまうのだ。

いずれにしても、神話上の天孫族や扶余の始祖が「エイリアン」だと
いうのは、我ながらうまい用語だと思うよ。


548 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:41:41
ひどい水掛け論だなぁ
いつまでこんなの続けるつもりなんだみんな……w

549 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:25:31
>>546
横レスだが、あんたの「内外」は平面的な内外だったんじゃないのか?

で、その目的は高天原を外国に比定し、日本を朝鮮人の祖先が作ったという妄想にふけること。

550 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:07:00
>>546
>つまり、「高中低」と「内外」は全く別の尺度、判断基準なのだ。
>そこをごっちゃにするから「それは高中低であって内外ではない」などと
>書いてしまうのだ。

ごまかすな。
内外は大八州での概念だ。、
その中の高中低だと言ってる。

会社で言えば取締役、中間管理職、平社員と同じ。
平社員からみて取締役を外部なんて言わないよね、同じ会社なんだから。
君は日本語をもっと勉強した方がいい。

さて「天=外」の文献を示せないなら君の脳内だけの話となるがそれでいいのか?

551 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:10:40
>>547
>つまり地球に関連して「エイリアン」を用いれば、それは「地球の
>ものでない」という意味になってしまうのだ。

だから古代の日本には地球という概念なかったのだから、
そんな例え使っても意味ないだろうに。
真性のアホかおまえは。

552 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:42:34
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

553 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:07:05
>>546
>「高中低」であれ何であれ、あらゆる「範囲」「広がり」には「内外」
>があるのだ。
>なぜならば「境界」や「所属」を設けることによって、あらゆる「広がり」
>には「内外」の区別が生じるからだ

君の私見はけっこうだが、日本の歴史においてそのような解釈があったという例を出してくれ。
なければまったく意味がないからな。

554 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:50:44
>>551
君が引用した文章は映画の話。間違えるな。

だが、神話上の天孫族や扶余の始祖を「エイリアン」と呼ぶのは、
現代の言葉で古代の事象を表現しているわけだ。

しかし天孫族は三輪山にいた九州系の豪族だ、と言ったところで、
「九州」「豪族」「天孫族」という言葉が古代にあったわけではない。
現代語で古代の事象を表現しているのは同じことだ。

言葉の意味範囲が対象をうまく表現していれば、現代語だろうと
英語だろうとかまわないのだ。

555 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:55:41
>>553
私は一般論を説明しているのだから、一般論で反論してくれ。
文献を出せ、というのは一種の「逃げ」だ。

文献というなら、「天=おとうさん、おかあさん、だから天は内」の
文献を出したらどうか。

556 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:44:41
>>555
>文献を出せ、というのは一種の「逃げ」だ。

おまえが逃げだろうが。
天=外が歴史上使われてない概念なら、
それにどんな意味があるのかと何度もおまえに問うているのだ。

>私は一般論を説明しているのだから

だから天=外なんてそんな一般論があるのかと聞いてるのだ。
通常使われてないなら君の脳内ろんだろうが。

>一般論で反論してくれ

だから「子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
天上界(の神々)とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。」なのだ。

これに文献を出せとはどういう意味だ。
これこそ一般論だ。
逃げるな。

557 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:48:23
>>555
それとおまえは都合の悪いことは無視してるが、

>会社で言えば取締役、中間管理職、平社員と同じ。
>平社員からみて取締役を外部なんて言わないよね、同じ会社なんだから。
>君は日本語をもっと勉強した方がいい。

これに一般論で反論してみろ。

558 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 02:22:35
何の議論をしてるんだかわからなくなってきたぽ…

559 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 08:52:35
何も難しくない。
日本神話の神々を無理やり「外来」にしたいやつ(1名)が、
自分の屁理屈を一般論と摩り替えてごまかしてるだけ。


560 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 09:23:46
>>556
>だから「子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
>普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
>天上界(の神々)とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
>うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。」なのだ。

もはや幼稚園児がだだこねているのと変わらなくなって来たな。
この辺で打ち切ろう。スレを浪費して皆さんにも申し訳ないし。

561 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 11:00:07
ヤタガラスは外来の物のアレンジだな。

562 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 12:13:44
谷田ガラスは韓国起源だよ

563 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 14:02:19
俺の第三の足は風呂場で上手く玉をグリップしてる

564 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 14:55:33
倭のタバナ国の謎は面白いですね。当時の半島との係わりを説明するのに便利かも。
邪馬台国とどうつながるのかも妄想したくなりますw

565 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 16:10:26
>>560

「ぼくちんの考えはこうだよ、すごいでしょ!」
って言いたいならチラ裏にでも書いとけ

566 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 18:39:52
>>560
だいたい日本の神々は天地初発。
http://homepage1.nifty.com/Nanairo-7756/kobanashi-tenchi.htm

エホバのように在って在る神でもあるわけだ。

何で「外来」なんだよ、このハゲが。

567 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 18:57:21
新羅のように外来人に支配された歴史を持ってると、
結局、近代でも外国人に支配される歴史になるんだね。
血筋って怖いね。

568 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:02:37
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

569 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:17:59
>>567
新羅を馬鹿にすることはできない。
日本が白村江で負けて唐恐怖症になり、博多に600人の唐軍に上陸
されてもひたすらかしこまって軍需品を差し出していた同じ時期に、
独力かつ実力で唐軍に敵対し、ついには半島から追い出したのだからね。

570 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 21:33:19
>>569

唐の力を借りた時点で独力でもなんでもないだろ。

571 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:21:34
>>570
唐の力を借りて唐を追い出したとでも主張するのかw

572 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:40:07
>>569
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

[旧百済領を占領していた唐とその支配権をめぐって対立し、
670年から争ったが、676年に唐軍を半島から追い出し、
旧高句麗領の南半分と合わせて朝鮮半島をほぼ統一することに成功した。
これ以後を日本では統一新羅時代と呼んでいる。
半島統一後、唐に対して謝罪外交をする一方、
引き続き唐との小競り合いが続いたので関係は緊張し続け...]

謝罪外交してるじゃんw


573 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:34:56
負けて謝罪する倭とは大違い

574 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:44:57
あれ?
倭って謝罪したっけ?

575 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:45:49
新羅は負けても無いのにあやまったの?
戦う前からあやまったの?
なぜ?道徳的におかしいことをしたからかな?
本来は中国の土地だった半島東部、日本の土地だった半島南部、それを盗んだから?

576 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 00:19:40
>>571
唐の力を借りながら、恩人に対して仇で返す。今の朝鮮人に通じるね。

577 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 01:15:02
>>576
朝鮮戦争時、アメリカに助けてもらったおかげで今の韓国が存続してるのに、
この何年かの酷い反米行動と同じだね。

578 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 01:59:18
朝鮮戦争以前にアメリカがいなきゃそもそも独立してないし。
大日本帝国という列強の一部として幸せに暮らしてたのに。
アメリカのせいで中進国にされた。
経済的にも政治的にも大損害。
今も主要先進国には絶対入れない状況。

579 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 08:38:06
>>575
一応戦争に勝っておいてから册封を受けるのが中華の周辺諸国にとって
有利な生き方なのだ。後にベトナムも同じことをやっている。

戦争に完敗してから册封を受ければ、清国に対する李氏朝鮮のような
みじめなことになる。

>>574
日本が大量の軍需物資を差し出したのは一種の賠償だ。
しかもその後に朝貢しているのだから謝ったのと同じだ。

580 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 09:02:56
そりゃ拡大解釈しすぎ

「〜と同じ」だけで論理を組み立てる
机上の空論にさらに空論を重ねている。

581 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 09:40:07
『旧唐書』劉仁軌伝に「麟コ二年、封泰山、仁軌領新羅及百濟、耽羅、
倭四國酋長赴會、高宗甚ス、擢拜大司憲」とあり、白村江敗戦の翌々年、
唐の総大将劉仁軌に率いられる形で「倭国酋長」が封禅の儀に参加させ
られており、このとき唐に対する倭の降伏と謝罪が行われたと考えられます。
「倭国酋長」は倭王とは思えませんが、王子が派遣されたのかもしれませんね。

582 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 12:25:39
>>579
>しかもその後に朝貢しているのだから謝ったのと同じだ。

しかしその後に聖徳太子が册封破ったのだからなかったも同じだ。

583 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 12:29:00
>>582
?聖徳太子の後の時代の話だろ。

584 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 12:39:13
>>581
「筑紫の君、薩野馬」が、唐軍二千とともに帰還したと日本書紀は記している。

585 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 12:53:54
>>582
その時は聖徳太子死んでます。
時系列が判らない人こんにちは。
時制の表現に不足がある言葉なんて捨ててしまおうね。

586 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 15:57:31
>>585

て言うか日本は唐の冊封受けてないし。
受けたと言うなら官職名と当時の日本の暦号と唐の暦号を出してみろ。

587 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 16:56:20
>>586
冊封と朝貢は別物。
冊封受けてなくたって朝貢は成り立つ。
お馬鹿さんにはちょっと難しいかな?

588 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 17:25:15
遣唐使を廃したから朝貢は無かったも同じだww

589 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 17:28:59
>>579

日本が大量の軍需物資を供出したなんて初めて聞いたな。
出展求む。

590 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:26:38
倭の五王の時代は朝貢。
ただし半島をめぐる領有権を認めさせるためのもので、
他の朝貢国のような自国を認めてもらうための冊封という意味合いはない。
遣唐使は
形式「朝貢」実質「留学」
先進文化を学ぶためのみ存した。
政治的意味合いは皆無。


591 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:35:43
遣唐使は
・政治的に土下座
・文化的にも土下座
・倭列島の統治権すら承認されず

ひどいな・・・

592 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:18:36
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

593 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:28:36
文献が残っていない国ってなんなの?

594 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:46:21
>>591

>倭列島の統治権すら承認されず

承認されずとも元から日本のだし。
承認されないと統治できなかった朝鮮半島と比べるな。

にしても・・・

・政治的に土下座
・文化的にも土下座

これって朝鮮の歴代王朝のことじゃね?

595 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:27:10
>>584
『日本書紀』をみてみると、天智天皇4年(麟徳2年、665年)条の
「是歳、遣小錦守君大石等於大唐、云々。等謂小山坂合部連石積・
大乙吉士岐彌・吉士針間。蓋送唐使人乎」が対応するようです。

「唐使人」というのはこの年に来航した劉徳高、百済禰軍、郭務悰
を主とする254人で、守君大石、坂合部連石積らはその送使となり
ました。岩波『日本書紀』の補注によると、守君大石の官位が小錦
と送使にしては高いこと、劉徳高が泰山に近い山東省沂州の司馬
であったことから、劉徳高の来航および守君大石の遣唐の目的は
封禅の儀への参加であった可能性が高く、また実際に封禅の儀が
執り行われたのは麟徳3年正月で、おそらく彼らは封禅の儀には
間に合わなかったろうが、遅れて参加したのだろうとしています。

596 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:31:56
>>589
横レスですが。
天智の崩じた直後、以前より筑紫に来航していた郭務悰らに対し、
甲冑弓矢、ふとぎぬ1673匹、布2852端、綿666斤が供与されています
(天武天皇元年3月条)。武具はいうまでもなく、糸・布・綿も帆布やら
防寒具になるわけで立派な軍需物資です。

>>590
倭の五王の時代は都督某諸軍事某将軍および倭国王の官爵を受けて
いるわけですから、倭王は冊封されています。一方、遣唐使の時代は
官爵を受けることなく遣使のみ行っているので、不臣の朝貢国という
扱いになります。

それから、「政治的意味合いは皆無」というのはどうなんでしょうか。
正式な国使を派遣するということは政治的行為に他ならないと思うの
ですが。遣唐使の本質は王権の代替わり事業であると言い切ってる
研究者もいますしね。唐使派遣のペースをみてみると結構当たってる
んじゃないかなと思います。

597 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:44:27
>>596

高句麗が滅びた後も唐軍はその残党征伐に忙しかったしね。
主力はそっち行ってた感がある。
軍需物資ってのは百済に手が回らなかった唐に対する融和策か。
対新羅の同盟結んだ可能性もあったかも。



598 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:51:26
>>596
糸・布・綿は兵士の被服や防寒具用とも考えられますが、唐軍が元寇の
時の元軍のような「綿甲」を用いていて、それの製造に使ったとすれば
直接の軍需物資です。

599 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:35:16
>>569
負けた日本と勝った新羅の唐への対処を比較しても意味がない。
単に勝った負けたという事実だけだし。
だいたい負けたと言ったって唐や新羅の人間に常駐されたわけではない。
古代から続く半島への足がかりを失ったが、
鉄を自製できてたのでそんなの意味がないし。

むしろ関わらなくなって後の日本の独自性が生まれるきっかけになった。
新羅なんて名前が金ナントカって中国人風になって行くのだよね。
白村江の戦いは半島と日本の文化の分岐点になったし、
日本はあれで良かったし幸運だったと思う。

600 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:22:29
新羅は唐に勝って正式の属国になれてよかったね

601 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 09:22:53
歴史的に見れば白村江で負けても何も問題なかった日本。
新羅は勝ったせいで中国との関わりを強くして禍根を残すことになった。

602 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:20:06
「日本と朝鮮半島2000年(5) 日本海の道〜幻の王国」を再放送まで見損なったんだけど、
どこかで動画観られない?

603 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:07:35
NHKオンデマンド

604 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 23:47:20
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


605 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 01:16:58
>>603
タダで観たい。

606 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 04:53:54
>>599
>むしろ関わらなくなって後の日本の独自性が生まれるきっかけになった

こういうのはホント不思議だよな。
イギリスも新大陸植民地に負けて植民地を失ってからむしろ発展して“日の没しない帝国”となってるしな。

607 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 10:11:58
>>604
射程距離は?


608 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 19:17:56
>>607   和弓は飛距離で約400m,実用射程で約200m,実戦射撃距離は約70m〜80m位見たい。

米カリフォルニア大学のサクストン・ポープ教授による同大人類学博物館所蔵の世界各地の弓の実射テストによる結果でも、
トルコ弓の飛距離が257mおよび250mであったのに対し、朝鮮弓そのものではないものの同系統の東アジアの角弓である
中国弓(清朝)が91.4m、モンゴル弓(タタール族)が82.3mおよび102.4mと同じ角弓であってもトルコ弓に著しく劣る。
(なお、同実験における和弓は142.6m)
遠矢用の軽い矢を用いれば最大射程は4町(約436m)を超える。(『図説・日本武器集成』/学研 68頁)

トルコの弓最大飛距離は実用の矢で400m、遠矢用で600m 和弓の最大飛距離は実用の矢で200m、遠矢用で400m
ロングボウは実用255mただしこれは照準をしない撃ちっぱなしの射撃バリスタは420mだが現代の素材を用いれば1キロメートル以上の射程も可能 ...
may.han.net/b/res/80009238.htm - 類似ページ


609 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 18:06:20
>>608

最初の矢合わせで飛距離が大負けしてたら不味くね?
飛ばない弓は敬遠しそう。

610 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 09:38:12
http://www.youtube.com/watch?v=AhTatuOqC7Q&feature=related
【韓国の国史授業】 任那日本府を論破する

この碑石は高句麗の碑文だから部分、部分に主語が省略してると解析する
海を破の間で切って読む

百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」
                    ↑
                    ここ                      
つまりこうなる

「倭が辛卯年に海をこえてきた。そして高句麗の広開土大王が百済を潰して新羅を臣下にした」

当時、倭と百済と加羅は同盟だった、新羅は高句麗の影響下にあったからこの391年の事件も
倭が海を越えてきた、だから倭を叱るため広開土大王が倭の同盟国だった百済を潰して新羅を臣下にした

だとさww


611 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 13:54:34
渡海の主語も高句麗にするんじゃなかったか?
(高句麗が)「海を渡って百済を破り・・」

これによって「来渡海」を「海を渡って来たり」と変な読み方を
しなければならない問題もなくなる。

612 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 14:18:51
【政治】 民主党「川端文科相」「江田五月議長」ら5議員の団体、キャバクラなどへの500万円超を政治活動費で支払い★4
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1254277701/l50

613 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:58:30
●日本最高の新羅商品、新羅産毛氈(もうせん)

◎正倉院の宝物の意味

正倉院に保存されているものは、主に8世紀前後世界各地から入ったものである。日本の古代国家の完成期であったこの時期に、日本文化を
一段階高めたということで、日本ではこの正倉院の遺産に対する自負心がとても強い。そしてこの正倉院の宝物で象徴される8世紀の日本文化を、
聖武天皇のころの年号をとって天平文化と呼んでいる。

一方この時期中国も唐の文化が花を咲かせていて、首都長安は世界各地から様々な文物が集まる交易の中心地だった。
それで新羅もこの時期長安に使臣を派遣し、輸入してきた唐の先進文化を日本にまた輸出していたのである。
しかし日本はなぜこのような文化を中国から直接受容しなかったのだろうか。それは島国であった日本が外部の文物を受容するには
遠くの国まで行ける船が必要であったが、それまでの日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった。
http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/04-1.htm

>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった
>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった


614 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 01:11:32

縄文時代から沖縄まで出かける能力が有りましたが!!

615 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 02:43:09
●任那日本府の真実

広開土大王碑文には百済を服属させたのは、倭つまり日本でなく高句麗であったと言える。当時倭は倭寇等で呼ばれていた
少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を持っていなかった。
従って広開土大王碑には新羅を侵略した倭を高句麗が退けたという内容がいくつも出てくるのである。

日本初期に日本府は"大和の御事持"であると記録していることから、日本府は総督府のような軍事統治の支配組織ではなく、
王の使臣を称するものであったことが確認できた。
日本が伽耶出身で、主に吉備、河内地域にいた伽耶系日本人を外交使節として安羅に派遣し、鉄器や土器の輸入を
担当させていたと考えられる部分である。

大阪にある辛国神社は、伽耶人たちが交流の多かった日本に移住したした6世紀頃、故郷を偲びながら祖先を祀っていたのが
始まりであると伝えられている。特に安羅国が滅亡する6世紀末、多くの伽耶人が日本に移住し定着していたという。
従って日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。
この他にも伽耶の鉄と先進文物が、日本の古代国家形成に決定的な役割をしたということは、様々なところから推定することが出来るであろう。
また日本で伽耶土器と知られている須恵器の大量出土は、伽耶の須恵器製造集団の日本移民を意味するものであろう。
こういう関係から考えて古代日本が古代韓国を支配したということは、考えにくいのではないだろうか。
http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/24-1.htm


616 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 02:49:02
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


617 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 02:50:59
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


618 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 04:47:57
>>610>>613>>615
またチョンはトンデモだなw


619 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 07:42:35
>>615
>大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。

まったくの嘘。
日本では出るのに韓国で出ないタイプがあるが、
その逆はない。
これはこのような鉄製武器が日本製である証拠だ。

620 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 10:00:42
>>619
×鉄製武器

○鉄製武具

621 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 15:44:57
みまなの白うさぎ


622 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 22:33:01
>>615
>当時倭は倭寇等で呼ばれていた
>少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を>持っていなかった。

「倭寇」とは海賊のみに用いられる用語ではない。
「元寇」が単なる海賊集団でないように、豊臣秀吉による朝鮮出兵の派遣軍についても朝鮮側では「倭寇」と記している。

そもそも
*『広開土大王碑文』には倭が新羅の王都の中に満ちるとある。
*『三国史記』には新羅の王都が何度も倭軍の包囲を受け、さらに新羅・百済は倭国に人質を送っている。
*『宋書倭国伝』には倭王が、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任じられている。

もし倭が「少数分散的略奪集団」に過ぎないのなら、このようなことはあり得ない。
古代半島で活動していた倭とは「大和の王権」以外にあり得ないのである。

623 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 03:56:59
>>613
九州から半島まで渡れるのに、半島伝いに中国まで行けないとしたら、
途中の国が海賊行為をする以外ないだろ。


624 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 07:47:00
>>613
遣随使は?

625 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 09:16:07
遣隋使って半島経由とちゃう?

626 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:38:41
>>622
5世紀以前、倭とは大和政権だけでなく朝鮮半島南部も倭と呼ばれていた
つまり倭人は日本列島だけでなく半島にもたくさんいたのだ

特に金官加羅なども倭人系であり、倭とは大和だけを指すものではない
では碑文の「倭が海を渡って」という下りがあるがこれは当時、加羅の同盟国
だった倭国(属国だった可能性大)から戦闘要員として借り出された倭人達であると
考えられる
つまり高句麗と激しい戦いをしたり新羅の王城を攻め落としたりしてたのは
大和の倭人ではなく半島南部の加羅だと考えられる
その戦いに(391年)大和の倭人集団が海を越えて加羅の備兵として戦ったことが
誇張されて碑文に刻まれたというのが真相

627 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 13:35:03
>>626
>大和の倭人集団が海を越えて

大和に限定する必要はない。九州とか吉備とかの、大和の対抗勢力だった
かもしれない。

628 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 18:53:33
>>626
>倭国(属国だった可能性大)

ほんと朝鮮人ってしみったれた考えだね。

629 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 20:03:40
>>619
>日本では出るのに韓国で出ないタイプがあるが、その逆はない

鋲留め式縦はぎ短甲は?

630 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 21:03:30
>>628
倭国(属国だった可能性大)などについては、そう書いている本人もたぶん「ないだろうな」と思っているかとw
それにしても「同盟国ってよく言われるけど、どこからでてきたんでしょ。

631 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 22:42:15
俺はNHKでみたが。
根拠がみまなは製鉄技術があるが、日本はない。
だから公開土王の石碑の倭兵とは傭兵もしくは、鉄の対価に渡された日本人奴隷に違いないはず
みたいな事いっててクソワロタ。
「〜はず」ならなんでもいえるわい。
冶金技術はともかく国力が桁違いだろ。



632 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 22:59:02
都合の悪い歴史書は読まずに、そのせいで知識の空白となった部分を自分勝手な妄想で埋め立てて喜んでるんだもんな……
ほんとあの国の歴史学者は時代小説家と勘違いするよ

633 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:11:02
人間なんて、皆そういうものさ。
だから、自分に都合のいい歴史だけを残したものが勝。


634 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:42:34
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

635 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:43:07
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

636 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:48:52
>>629
鋲留めであろうが
縦剥短甲という「タイプ」だからな。

韓国でまともな木製短甲は見付かったのかい?w

637 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 00:21:06
>>626-627
丁度、『広開土大王碑文』や『三国史記』で百済・新羅が人質を倭に送る時期にあたる4世紀末から5世紀始めごろから、日本で鉄製甲冑・武器・馬具といった軍事的な遺物が全国的に激増する。
この遺物変化は九州や吉備に限定されるものではない。
この全国的な遺物変化が何を意味するかと言うと、この時期日本列島の大部分から兵員が朝鮮半島へ派遣される状況にあったことを意味する。
こうしたことは大和の王権による号令がなければ起こりえないこと。

また、大和の王権は本拠を内陸の奈良盆地から、海に面した大阪平野に移している。これは半島の軍事状況に対応した処置と考えるのが妥当である。
そしてこの時期、大阪平野に築かれた前方後円墳は最大級に達している。これはこの時期に大和王権の勢力が最大化していることを意味する。

これらを考え合わせると大和の王権が全国的に号令を発して軍勢を動員し、朝鮮半島に派兵し、当地に何らかの勢力圏を確立していたことは明確である。

638 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 01:20:13
大和の王権が朝鮮南部に勢力を築いたことはない!
と主張する論者は韓国人、朝鮮人と何故か日本人の一部を除くといないだろ。


639 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 05:02:14
>>626
また電波をw
属国だったのは朝鮮なんだよ

640 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 09:37:09
>>639
この時代(4世紀後半)の百済や伽耶は領土も大きく高句麗は勢いが増してる時期
新羅だけがひ弱という構造の中で果たして大和朝廷が海を越えて百済や新羅を
臣下にしたなんてことが本当にあったんだろうか?

ましてや伽耶も全盛期(新羅に降伏するのは532年、滅ぼされるのは562年)
普通に考えて伽耶や百済の要請で高句麗と戦うために備兵として雇われたと考えるほうが
当時の東アジアの力関係から見て妥当な考えだと思うが

倭人は人口が多く兵力の代償に伽耶から鉄資源、百済からは先進技術などを
取り入れた、そのための機関こそが大和のミコトモチといい半島南部に設置した
そこに駐在していた大和からの倭人達(6世紀中頃まで)の墓が安羅などで見られる墓
であり新羅に伽耶が滅ぼされる562年前後までその機関はあり伽耶滅亡後は
倭人達は大和に帰還した

その後、蘇我馬子や聖徳太子がミコトモチのあった伽耶の鉄資源を再び取り戻すべく
新羅征伐を敢行するが新羅出兵は中止される

つまり新羅や百済を臣下にして朝鮮半島南部をを支配してたわけではなく
鉄鉱石や先進文物を入手するための外交施設のようなものであり、それが
日本書記編纂で「任那日本府」などと書かれたために今日まで物議を醸している

百済や伽耶の要請で海を渡って戦いに参加した倭人が余りにもたくさんいたため
高句麗は倭が海を渡って百済や新羅を臣下にしたと勘違いしたんではないだろうか
実際は百済や伽耶の備兵として戦っただけなのに百済、伽耶以外に大和の倭
まで参加してきた連合軍を我々は打ち果たしたと誇張したかったんではないだろうか


641 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 10:29:39
>>640
つまり、「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」は本国であるはずの加羅の軍事権を属国の領主である倭国の王に与えたものなわけですね
……よくわかりません

642 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 14:43:51
>>640
倭の進出が活発であった4世紀末から5世紀はじめにかけての時期
*『三国史記』には加耶の記述は皆無。
*『広開土大王碑文』には倭軍の退却先として「任那加羅」が登場するのみ。
南からは倭、北からは高句麗の圧迫を受けたこの時代、百済・新羅の力は大きくなく、小国群にすぎない任那(加耶)の諸国の力は更に小さかった。
小国が強国の従属下に入るのは小国の生き残り手段として当然のこと。

この情勢が変化するのは5世紀後半以降。

643 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 15:33:39
>>636
http://www.jfe-21st-cf.or.jp/jpn/hokoku_pdf_2008/asia07.pdf
(大阪大学文学部教授 福永伸哉)より引用

では、その帯金式短甲の系譜はどのようにとらえられるであろうか。日本列島の古墳
の調査が進んでくると、帯金式短甲に先行する4世紀中葉に日本列島にはじめて鉄製
短甲が出現したことを示す事例が増えてきた。それは、竪矧板革綴短甲、方形板革綴短甲
と呼ばれるもので、細長い鉄板や方形の鉄板を革で綴じた構造を持つ。
 これらは、従来、前期古墳に特徴的な「前期型短甲」ととらえられてきたが、近年の
出土数の増加によって形式研究が進展すると、竪矧板革綴短甲から方形板革綴短甲を経て
帯金式短甲へと一連の技術系譜で展開することが明らかになってきた(高橋克1993)。
さらに、竪矧板革綴短甲との関係がうかがえる縦長鉄板を用いて製作する短甲が4世紀の
韓国釜山福泉洞古墳群や金海市退来里遺跡などで出土し、その技術系譜の出発点を朝鮮
半島南部の伽耶地域に求められることがほぼ確実となった。

●技術系譜の出発点を伽耶地域に求められることがほぼ確実となった
●技術系譜の出発点を伽耶地域に求められることがほぼ確実となった

644 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 15:41:44
>>643
たしか甲冑の研究をしてて、常備軍の存在を主張している
田中晋作氏もそんなことをいってたな。
ルーツがどちらにあるにしろ、相互に関係しあってるんじゃないの。

645 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 18:23:45
>>643
日本列島と朝鮮半島南部の双方から同一形式の短甲が出土することは
大和王権の朝鮮への進出を物語るもの。

646 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 18:32:17
奈良盆地から大阪平野への陵墓の移転を
なにも別王朝の成立とする必要は無い。
海に面した大阪平野のほうが半島へのアクセスに便利だから本拠を移転したもの。

副葬品の変化もこの時期に朝鮮への進出があり、その影響を受けたからで
別王朝の成立を物語るものではない。

647 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:14:39
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

648 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:24:46
>>643
>竪矧板革綴短甲との関係がうかがえる縦長鉄板を用いて製作する短甲が
>4世紀の韓国釜山福泉洞古墳群や金海市退来里遺跡などで出土し、
>その技術系譜の出発点を朝鮮半島南部の伽耶地域に求められることがほぼ確実となった。

おかしいね、竪矧板革綴短甲が出た椿井大塚山古墳はもはや3世紀後半が有力なんだけどね。
つまりその説は古いのw

それと伽耶には鉄製短甲の前の木製短甲の系譜がないのだろ?
日本は沢山ある。
木製短甲から鉄製短甲への流れを説明できない伽耶と、
説明できる日本とじゃ出発点がどちらかは明白。
まぁどっちみち伽耶の縦長鉄板の短甲も倭人がもたらしたものだろうけどね。

649 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:14:09
韓国人が鉄で作っていたものを倭奴は木でつくっていた。
それだけのこと。しょせん鉄製品が作れない土人ですからw

650 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:22:55
>韓国人が鉄で作っていたものを倭奴は木でつくっていた。

確か韓国から出る最古の鉄製武具は四世紀なんだが、
それ以前に作ってたのかい?

興味がある。
ソース。

651 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 05:02:26
>>640
本当にあったから倭が朝鮮を征服したって史料ばっかなんだろうが

652 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:25:04
>倭が朝鮮を侵略したなんて史料ばっかりなんだろうが

新羅の王城に攻め込んだり高句麗と激しい戦いをしてた「倭」とは伽耶のこと
当時「倭」とは日本列島だけを指すものではなく半島南部の伽耶も含まれている

その伽耶と大和朝廷は同盟関係(実際は属国)にあり高句麗と戦うため
大規模な兵隊を半島に送っただけ





653 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:43:51
>>652
だから日本が半島を占領してたわけだ
伽耶など日本の属領のほんの一部に過ぎない。>>641-642のレスも読んだら
どんなに電波を発したって日本が伽耶の属国なんてあべこべにはなりはしない

654 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:48:35
三世紀に、朝鮮半島の南部に、「倭」がいたんだよ。
三国志・東夷伝・韓伝には「韓は、東西は海をもって限りとし、南は倭と接す。」とある。
弁辰伝には「弁辰のトクロ国は倭と界を接す。」ともある。
陸で倭と接していたことを記しているんだよ。

655 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:54:03
>>654
そ、倭が海を渡って征服したとあるもんね
倭の本拠というものが海の向こうの存在だとちゃんと認識してたというわけだ

656 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:59:08
加羅なり伽耶なりが倭を属国にしていたなら、それが中国の史書に記されない
わけがないし、加羅の支配層を取り込んだ新羅が記録に残さないはずがないと
何度言ったら。

657 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 08:04:37
あらゆる史料が日本が半島を属国としていたことを示している
反対するのはチョンだけ

658 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 08:53:03
日本の史料を認められなくても、せめてお宅のご主人様の中国の史料位認めなくてはねぇ
当時の日本と中国がわざわざ口裏合わせる必然性どこにあるんだろうか
理由解ったら教えて下さいね

659 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 10:33:36
というか三国史記だけを見たって652のような結論も推測も成り立たないのは
あきらか。
加羅がかつて倭を属国にしていたなら、新羅に併合された後に旧加羅王族が
そのことを秘密にしておく理由は皆無で、むしろ大袈裟に吹聴してまわるはず。

660 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 11:23:02
というより、半島南部にあった伽耶が倭族だったから居たのは日本人じゃないって主張もなんかすごいよな……
普段は、朝鮮半島に首都を移した事もある扶余族の作った高句麗滅亡後、その流民がいた渤海は朝鮮民族の国だ!という民族主義的な主張をしてるのにね
他国の場合は民族よりも位置が重要だ!って事ですか? 素晴らしいダブルスタンダードですね

661 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 16:57:40
半島南部に倭があったってのは『魏志』の誤読

662 :◆VWCBut9QG7q4 :2009/10/04(日) 23:15:46
>>661
何?魏志の誤読って。

663 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:30:29
自分の夫が朝鮮半島出身だと知ったら、妻はショックで寝込んでしまうだろうな。
そして離婚を切り出すのはほぼ間違いない。半島の血を半分引いていると知れば、親権も放棄するかもしれない。
家庭崩壊につながるような秘密は、絶対に漏らしてはならない。

664 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 04:58:29
結婚前に戸籍見たらわかるから常考

665 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:23:12
>>663
●NHKスペシャル日本人はるかなる旅

この番組で日本人のルーツを科学的に解明していました
およそ1万種類を越えるタイプに分かれるヒト白血球抗原(HLA)で日本人に一番多いタイプ
は中国北京北部から遼東半島一体に分布するB52ーDR2という抗原だそうです


B52−DR2    (日本人に最も多いタイプで北京北部から遼東半島付近と現在の韓国と西日本一帯)

B46−DR9    (中国中部長江流域)

B54−DR4    (中国南部)

B44−DR13   (現在の北朝鮮、古代の高句麗領土付近)

これだけのタイプが日本列島にさまざまな時代に入り込んできて現在の日本人を形成したそうです
一番多いB52−DR2タイプは北京北部、遼東半島、現在の韓国全域、そして九州北部から山口、広島などの
西日本のほとんどがこのタイプだそうです
意外だったのは韓国と北朝鮮ではタイプが違うということです
韓国は日本人と同じDR52−DR2ですが北朝鮮はB44−DR13というタイプです

このB44−DR13も日本に渡来しています、地図では日本海側の新潟あたりをさしていたように思います

666 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:19:42
>>665
母系を示すミトコンドリアでの話だね。
父系を示すY染色体では全然違うよね。


667 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:31:19
ところがねGm遺伝子で分析すると
1、Gm遺伝子の分布によって、蒙古系民族は、南方型と北方型とに大別されるが、日本民族は、あきらかに北方型である。南方型蒙古系民族との混血率は、せいぜい7〜8パーセントであって、それほど高いものではない。
2、日本民族は、北海道から沖縄にいたるまで、ことGm遺伝子に関するかぎり、おどろくほど均質(遺伝的に同じ)である。
日本民族は、北方型蒙古民族に属し、そのおおもとの起源はシベリアのバイカル湖畔と推測できる。
つまり「日本人については、北方型蒙古民族が中核をなしていたことは、原初以来一貫としており、異民族の血を、それほど大きくはうけていない、ということになるであろう。」と結論になるそうです。


668 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:42:21
だから人間はお父さんとお母さんがいるから産まれたわけだろうが。
片一方の話をしても仕方ないだろうが。

669 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 04:09:09
■「大和国」の由来は韓国 (新羅のおかげ)

◎大化の改新も新羅人のクーデターだった

南朝鮮、韓国の歴史学者文定昌氏の「日本上古史」の中に書かれた「大化の改新」に関する部分を、韓国における状況の反映として紹介している。
◎「日本上古史」文定昌

孝徳王朝はこれよりただちに、日本有史以来はじめての年号を定めて大化とし、法制・官制、その他の文物制度を新羅、唐の
それを再販的に移植したのであるが、この事実は「日本書紀」にも記録されているので、日本の史家たちはこれを大化の改新と言っている。
(注:新羅は法興王七年( 520)に律令を制定して公服を定めたが、これは中国が唐となる98年前の事であった、)

このころ新羅は善徳女王が死んで、真徳女王が立ち、真徳女王はその年号を「大和」とした。
そして、金春秋がその実権を握ることになった。

このとき、金春秋は倭(やまと)から来ていた高向玄理(たかむくのくろまろ)を帯同して倭国に乗り込み、進行中の大化の改新に
拍車をかけて、倭国の名を新羅の年号「大和」としたものであるが、これが日本列島内に「大和国」というものの生まれたはじめであった。

大化の改新そのものは、土着していた新羅系渡来人が中心になって引き起こしたもので、母国の新羅がそれを後押ししたものであろうとする。
そして、金春秋も実際その目的で日本へ来ていたであろうとし、大化の改新は高向玄理ら渡来人が青写真を引いたクーデターだったと結論づけるのである。
今となっては、果たして真相は奈辺にあるのか誰にもわかりはしない。それこそタイムマシンで過去へでも行かない限り、実際の所は確かめようもない。

しかしこの時期、渡来人達が日本の形成に多大の貢献と指導力を発揮したであろう事は容易に想像しうる。
現代日本人のDNA調査で、韓国人に一番近い人々は近畿圏に集中しているという事実を見ても、多くの渡来人達が
日本の古代国家の成立に大きく関わっていたのは間違いない。
http://inoues.net/shoki/kojiki_shoki10.html


670 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 05:00:02
>>669
はいホルホル電波乙
属国は哀れだねチョン

671 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 06:01:13
漢字のない国はこれだから困る。
>>669
新羅の年号は『大和』じゃなくて『太和』でしょ
まず根本的に間違えがある。
説得力ゼロの学説と思われますが

672 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 09:07:47
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-23.html
●古墳時代人の姿

古墳時代、3世紀中頃から6世紀まで、巨大な古墳が造られました。
この時代に、支配する者と支配される者との差はいっそう拡大し、地位身分も固定化しました。5〜6世紀の古墳の
表面にたてられた人物埴輪は、男女、身分や職のちがいをよくのこしており、当時の儀式や社会を復元するうえで欠かせない資料となっています。
正装した男は政治をおこなう人、器を捧げもつ巫女は供え物をささげる人をあらわしており、亡き人に捧げるために生前の良き生活を再現したようです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし3世紀〜6世紀(200〜500年代)でこの程度の埴輪しか作れなかった集団がよく前方後円墳を作ったなw
秦の始皇帝の兵馬俑なんて2200年前にもかかわらずあの精巧な出来栄え、赤い色が残ってるものさえあり
弩(石弓)の三段射ち攻撃の様子が分かるほどの躍動感がある兵馬俑もあり、兵士の顔や体格の特徴も一人一人違う
兵俑達の平均身長は178センチで8000体、馬俑600体が埋葬されている
始皇帝の時代から400年以上経ってもこのレベルとは・・・・
やっぱ任那日本府なんて無理だよ、こんな技術力ではw

●2200年前の始皇帝稜からの発掘
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/heisi/heisi.htm
武器を扱う兵士たちの躍動感が伝わってくるようだ
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/heisi/kao-ta.htm
顔も一人一人違うが、曲げの形までも一人一人違うとは凄すぎ
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/uma/sensya.htm
兵馬も大きくてカッコいい(戦国の武田軍でさえ実ははポニーだったなんて言われてるのにこのカッコよさ)
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/calr/calar.htm
色がついた状態で発掘されたものもある
http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/heibayou/buki/buki.htm
2200年前の武器、1700年後の日本の戦国時代並みの装備と技術力

673 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 09:17:32
おや、言うに困ったチョンが宗主国支那様を崇拝する発言をw
前方後円墳はもう隠せないよね〜
どんなにわめいたってチョン半島は日本の属国

674 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 10:09:12
>>672
埴輪のあの穏やかでユーモラスな表情こそ最高の芸術品なんだが。

675 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 10:13:59
>>672
とりあえず、お前がアホだということはよく分かった

もういっぺん自分の文章読み返してみな。恥ずかしくて死にたくなるだろうから

676 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 10:43:17
>>672
秦は背伸びしすぎ
それが国を滅ぼす原因のひとつだって知っているよね
日本だって、ピラミッドを造ったエジプトだってそれが原因で国は滅ばなかったよね
秦のすぐれた技術を継承したはずの国が、1500年後にモンゴル人に征服されたのだが
またその当時世界最強のモンゴル人の国、元は属国高麗と共に日本に攻め込んだが2度も撃退されたのはどういう事かな
1200年代の事ですけれど
日本の1700年代と同じってどういう事かな
偶然の神風?
でもそんな遅れた相手になんで2ヵ月も3ヵ月も船の上で夜をすごさなければなかったのかな
不思議、不思議

677 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:46:03
「好太王の碑文」

「倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」
「391年に倭が海を渡って攻めてきて、百済・新羅を属国にした」


「宋書」倭国伝
「倭王武の上表文」

「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬(みずか)ら甲冑をツラヌき、山川を跋渉し、
寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、
渡りて海北(朝鮮半島)を平ぐること九十五国、・・・・・」

詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。


そして、神功皇后の三韓征伐。
ここまで内外の文献が一致していたら、認めないわけにはいかない。


678 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:50:36
>>672
日本の馬はポニーではないよ。
あと写真見たが人間の背丈より馬の方が低く見えるんだが。
あと騎兵じゃなくてほとんどは戦車じゃないかな?
騎馬兵もいたかもしれんが。
それから秦の時代の甲冑と戦国時代の甲冑では全く違う。
材質、作り方、何を防ぐかも。


679 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:52:10
>>672
それから三世紀は201年からな

680 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 00:40:27
672の人気に嫉妬w

681 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 02:58:00
“朴”姓在朝??中作Pak,音和“瓠”相近,加上朴姓来源的??,
?更肯定了“朴”、“瓠”一体的状况。既然“瓠公”是倭人,
而且后来?期在新?朝中担任要?,?新?王室的朴氏也当是倭人无疑。
朴氏?当是先于昔氏抵?新?并?立?治地位的一支日本人

682 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 03:25:30
三国史記・新羅本紀?

683 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 05:46:54
>>678
秦代の甲冑=戦国時代の甲冑だろ。

684 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 05:54:13
ご冗談を

685 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 07:35:23
つまり中国の文化が劣化して明は秀吉に簡単に敗北したと。

686 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 07:40:41
>>683
春秋・戦国時代と言う落ち?

687 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 12:56:14
>>685
2200年も前に独創性と凄い技術力も持っていた秦(当時世界最強の文明)
の優れた文化はある程度継承されたが、その後の大陸での戦争で失われたり
復活したりしてるうちに次第に埋没していったと考えられる

明の時代の鄭和の先進的な大航海などはヨーロッパの大航海時代より70年も
早く行った偉業なのにその後明は閉鎖的になり航海は中止させられ、これまた停滞した
このように歴代皇帝の資質や様々な時代環境が中国を長期間低迷させた原因だと考えられる

これに比べ日本は織田信長の資質を秀吉が受け継ぎ海外に目を向けわずかな期間で
大躍進を遂げた
明の時代、軍事比較で総力戦を展開すれば日本は明に勝てたという学者は多い
(秀吉の時代ではなくその前の信長時代の後期らしい)
清の時代も欧米列強に屈して植民地を献上し内乱を招きここでも停滞する
逆に日本は欧米の技術を学びそれを自国に活用し軍事大国として発展していった

日本は世界でも進化するスピードが最も速い国だ(キッシンジャーも言ってる)
ポルトガルに伝わった鉄砲の大量生産の速さ(驚くべき技術とスピード)
封建制度から議会制民主主義への移行の速さ(明治維新は世界的にも奇跡的な革命)
貧弱な鎖国国から軍事大国へのスピードの速さ(これも世界的に見て驚異的に速い)
第二次世界大戦敗戦後の奇跡に近い経済大国への速さ(朝鮮特需があったがそれでも圧倒的な速さである
石油も鉄もないこの島国が80年代後半には 世界経済の48%まで支配した驚くべき経済大国)

実は世界的視点に立って考えると中国人が普通で日本人が凄すぎるだけなのかもしれない
日本人ほど短期間であらゆる物事を達成できる民族はほかにいないのである

ただし日本が短期発展をしてる時期はすべて外側からの影響力である「外圧」が キーワードになってる
外側からの刺激に対して非常に敏感で、驚くほどのスピードに簡単に変容するが、外からの刺激(外圧)がないと
問題を棚上げにしてしまう、日本人は外圧を受けたほうが発展することは歴史が証明しているのだ
外圧で驚異的に発展する日本と、外圧で従属する朝鮮、この差が両国の優秀性の違いとなって表れているのは言うまでもない


688 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 15:55:51
>>682
出所は知らないがこれは現代中国語だよ

689 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:49:40
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

690 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:43:27
稲作技術は6000年前にもう日本列島に入ってきてるよ
ただ水田技術を使った水田稲作は2300年前ぐらいに朝鮮半島からもちこまれたもの


691 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 08:01:02
半島じゃ稲作は無理

692 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 08:53:29
半島経由だったとしても稲作をメインに生活していた部族は半島には数世代ですら定住せずに稲作ができる地域を求めて移住したはずだな

693 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 21:36:33
半島には日本経由で稲作が伝わったんだよ
縄文人がいろいろ教えに行ってあげたわけ

694 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:24:49
もともと南方系の作物である稲が、
中国の稲作圏ではないところを経由して半島に到達するという仮説には無理があるような。

故に中国南部から半島に海路で稲作が伝播したのでなければ辻褄が合いませんが、
中国南部から海路を経由するならばむしろ日本列島に稲作が伝播するほうが先だと考える方が合理的。

695 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:48:25
稲の伝播は、中国南部から半島南部の倭人地経由日本列島
半島南部の倭人地から半島北上
これでOK?
OKとしたら、朝鮮人は日本人のおかげで稲作始められたって事ですよね。

696 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:50:42
稲作技術は、いまだに日本には根付いていないようで、
政府の所得補償なしでは農民は自活できません。情けない状態です。

697 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:52:15
>>695
おk
稲の研究からしてそれ以外に考えられないらしい

698 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:53:27
あ、違うや
中国南部→九州→半島だよ
稲の研究からしてそれ以外に考えられないらしい

699 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:53:33
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

700 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 23:25:20
>>696
って事は、なにかい在日半島人にはいまだに自立精神が根付いていません。
日本政府による生活保護支給に頼って生活している者が多数おりますので。
って事かい。
本来、日本国憲法で保証されている生活権は日本国民に対してのものですね。
日本国民とは、日本国籍を有する人です。
自立生活出来ないのなら、愛する祖国政府に泣き込んで下さい。


701 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 01:17:51
久々にここを見たら何のスレかと思った。

スレ違いもいい加減にせいよ。

702 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 01:21:35
稲の話してるのは歴史関係の板に粘着してるキチガイだから相手にしちゃだめ

703 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 04:03:42
>>664
今どき結婚前に戸籍見せてくれ、なんて言う奴いねーよw

704 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 05:16:30
>703
普通は調べる
実際のとこ結婚は相手の親族とも繋がりができるから、
相手が変な一族だったりすると後々面倒だからな

705 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:45:22
>>704
調べたって、他人の戸籍なんて見られないよ。

706 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 00:23:44

近代、清朝時代に鵜飼いがあったから古代にも、「あったかもしれません」記録はありませんが!

近代、沿海州には高床式倉庫があったから古代にも、「あったかもしれません」遺跡はありませんが!

近代、沿海州には自動車があったから古代にも、「あったかもしれません」遺物は発見されてませんが!

近代、古代日本には納豆、なれ寿司があったから古代朝鮮にも「あったかもしれません」古代朝鮮の記録にはありませんが!

近代、古代日本には歌垣があったから古代朝鮮にも「あったかもしれません」古代朝鮮の記録にはありませんが!


707 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 04:53:25
>>705
興信所とかあるっしょ

708 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 11:12:18
唐代に成立した『隋書』卷八十一・列傳第四十六・東夷の百済条に
「其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人」
(そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。)
とあり、百済が多民族国家であったことが分かる。

同様に新羅条には「其人雜有華夏、高麗、百濟之屬」
(そこの人々は華夏(漢族)、高句麗、百済に属す人々が雑居しており)
とあり、新羅もまた他民族国家である。

高句麗と倭国の記載には、他民族国家であるような記載は無い

709 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:19:50
任那とは百済・新羅の南、朝鮮半島の南端部分です。日本ではその地に任那日本府を置き、
加羅諸国を支配したと主張しています。しかし韓国ではその地域は加羅又は加耶と呼ばれ、
それぞれ独立した小国の総称であるとして、任那日本府の存在を認めていません。

しかし広開土王の碑には「大軍をもって新羅城を奪還すると、
撤退する倭兵の背後から任那加羅まで急追していった」との記録があります。
又倭の5王が認められた勢力範囲として任那の文字が明記されています。
当時朝鮮半島南部に任那と呼ばれる地域があったこと、
そこに日本が大軍を置いていた事は確実ではないでしょうか。

710 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 15:38:04
>>709
その任那日本府(任那ではない)については事実上、欽明紀の記述が
あるのみ。
そこに書かれた任那日本府は百済の下位、他の任那諸国と同列の一小国だ。

711 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 15:56:37
『宋書』によると、倭王済と武が、使特節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事安東大将軍に任ぜられているのですが。

712 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 18:04:37
「日本府」という単語の有無は
言葉尻の問題であり、大して重要ではない。

713 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 18:35:04
●任那日本府の真実

広開土大王碑文には百済を服属させたのは、倭つまり日本でなく高句麗であったと言える。当時倭は倭寇等で呼ばれていた
少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を持っていなかった。
従って広開土大王碑には新羅を侵略した倭を高句麗が退けたという内容がいくつも出てくるのである。

日本初期に日本府は"大和の御事持"であると記録していることから、日本府は総督府のような軍事統治の支配組織ではなく、
王の使臣を称するものであったことが確認できた。
日本が伽耶出身で、主に吉備、河内地域にいた伽耶系日本人を外交使節として安羅に派遣し、鉄器や土器の輸入を
担当させていたと考えられる部分である。

大阪にある辛国神社は、伽耶人たちが交流の多かった日本に移住したした6世紀頃、故郷を偲びながら祖先を祀っていたのが
始まりであると伝えられている。特に安羅国が滅亡する6世紀末、多くの伽耶人が日本に移住し定着していたという。
従って日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。
この他にも伽耶の鉄と先進文物が、日本の古代国家形成に決定的な役割をしたということは、様々なところから推定することが出来るであろう。
また日本で伽耶土器と知られている須恵器の大量出土は、伽耶の須恵器製造集団の日本移民を意味するものであろう。
こういう関係から考えて古代日本が古代韓国を支配したということは、考えにくいのではないだろうか。
http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/24-1.htm

714 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 20:36:01
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

715 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 00:52:10
日本は軍隊を朝鮮半島に派遣し、
任那(みまな)7県を新羅から取り戻し、百済に与えましたね


716 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 04:54:37
>>713
はい電波乙
朝鮮は日本の支配下でした

717 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 05:46:39
新羅・儒礼王が、先手を打って倭国を何とか攻められないものかと下問したのだが、
舒弗邯(新羅宮廷官位の第一位)の弘権が、
我が軍は水上戦に不慣れで倭攻略は無理でございますと諫言したという記述がある。


倭国はガンガン攻めて百済と新羅を臣民したのに新羅は情けないねw

718 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 07:48:33
その新羅も元を手繰れ倭人王だし。

719 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 09:16:42
>>713
>日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、
>北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
>確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、
>伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。

何度も繰り返さないといけないが、
日本の鎧や冑が伽耶に波及してる。

720 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 14:22:42
>>713
やっぱりそうなんだ。韓国人からしたら迷惑な話だ。

721 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 14:28:04
韓国人の存在は迷惑だわな

722 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 15:17:22
>>721
なにコイツ?

そんなに韓国が嫌いなら日本から出てけ

723 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:06:43
>>722
お前の孫は日本に帰化するよ

724 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:51:55
●青銅鏡の秘密(日本古代王朝の起源は百済)

http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/06-1.htm
エジプトのピラミッドよりも巨大な世界最大の古墳と言われる仁徳天皇陵は、大阪湾に隣接している。
そしてその側には、仁徳天皇と鷹狩りにも一緒に行っていたとされる百済王族の酒君塚がある。
またその近くには南百済小学校、百済大橋、百済という苗字を持つ人々など、1400年が経った今でも日本古代王朝の
発祥の地である百済の痕跡を感じさせる様々な様子が残っている。

こういった様子は、仁徳天皇の父である応神天皇陵の周辺からも見ることができる。応神天皇は百済から王仁など多くの博士らを
招き、論語、千字文を教えさせていて、当時その周辺には船氏、飛鳥部(戸)氏などの百済系の勢力が居住していた。
なぜ百済系の氏族らは日本天皇陵の周辺に居住していたのだろうか。これは歴史の謎ともいえるが、日本人の心のふるさととも
言われる飛鳥地域で、当時百済勢力の蘇我馬子のお墓として知られる石舞台古墳を含めた百済人の古墳群(飛鳥千塚、新沢千塚など)は、
そこに大規模な百済人が渡来し、言わば「新百済」または「リトル百済」を形成、居住していたことを証明する。
また「続日本紀」でも当時飛鳥地域の10人中9人が移住民であると記録しているほど、現在の奈良県にあたる飛鳥地域は、百済の文化が日本に入る前哨地でもあったと考えられる。


725 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 18:37:59
>>724
神道のけがれの感覚が理解できれば高貴な人が墓の近くに住むなんてありえねーww
そんな連中は下等な連中認定受けてるだろww

726 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 20:49:05
朝鮮人って今も昔もエタヒニンと同じ地域に住んでいるのか。

727 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 21:05:41
なんかレベル低いな

728 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:15:48
>>724
>またその近くには南百済小学校、百済大橋、百済という苗字を持つ人々など、1400年が経った今でも日本古代王朝の
>発祥の地である百済の痕跡を感じさせる様々な様子が残っている

おいらまったくの地元民だが、南百済小学校なんてないぞ。
百舌鳥、東百舌鳥、西百舌鳥小学校ならある。
百舌鳥陵南町という町が昔に百済町と言われたらしいが、
それも小さな町だ。
そして百済という苗字を持つ人なんて一人も知らない。

729 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:50:13
>>712
>「日本府」という単語の有無は
>言葉尻の問題であり、大して重要ではない。

なにを言っているのかわからない。
任那日本府というのは、任那という地方にある日本府という役所
(ないし役人)だ。
その証拠に安羅日本府という言い方もある。




730 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 02:19:36
朝鮮半島では5〜6世紀の新羅・百済・任那の勢力圏内で大量のヒスイ製勾玉が出土しており、
新羅の宝冠や耳飾などにヒスイ製勾玉が多く使用されている。

勾玉に使われる宝石レベルのヒスイ(硬玉)の産地は、アジアでは日本とミャンマーにほぼ限られ、
朝鮮半島にはその産地がないことや、
また朝鮮半島で出土されるものは日本出土の硬玉製勾玉を時期的にさかのぼる例が認められないことに加えて、
最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じものであることが判明した。
これにより倭の勢力範囲を示し、少なくとも倭から朝鮮半島へ伝播したものであると考えられている。



まぁ新羅は日本から渡った日本人が作った国だから当然だわな

731 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 04:56:20
>>722
何この馬鹿w
お前が帰れや在日

732 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 07:22:02
>稲飯命(神武天皇の兄)は新羅王の祖である。

『新撰姓氏録』右京皇別下新良貴条は、「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組合」とあり稲飯命は新羅王の祖であるとする異説を載せている
(朝鮮の歴史書『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀では、「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」とあり新羅の4代目の王にして昔氏王統の初代である脱解尼師今は
倭国の東北千里にある本多婆那國の出であるとされており、関連性が見られる)。なお尼師今は日本語のニシキと思われる


733 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 07:39:51
>>731
おまえが認定すんな。

ほとんどの日本人は韓国と韓国の文化のことが大好きなんだってよwwwww。
おまえら反韓派は少数派なの、わかる?それが嫌なら日本から出てけよ。

こんなところで何優越感に浸ってんだよw 悔しいの?大韓民国のこと大好きなんでしょ?wwwwwwwwwwwwwww


734 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 08:11:40
>>733
何だ鳩ポッポ民主ネタで釣りか

735 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 08:13:36
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/07/13/0200000000AJP20090713002100882.HTML
一方、7月に発表された韓国の国家機関の調査では、日本は韓国を嫌ってる国に属し、
さらに韓国製品を見下してる国に属するという結果が出ている

736 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 08:38:01
朝鮮半島と我が国との長く豊かな交流の歴史を振り返るとき、
昭和天皇が『今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない』
と述べられたことを思い起こします。

ていうか、ずっと仲が悪かったような気もしますが・・・

737 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 08:47:09
朝鮮との交流で何か豊かだったことなどないな

738 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 09:38:31
>>732
>なお尼師今は日本語のニシキと思われる

なるほど、トキニシキという相撲取りだったのか

739 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 18:34:12
>>728
百済人の子孫か?w

740 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 21:21:26
>>728
朴や金では日本に住みにくいですから、
木戸とか金田とか日本風の苗字に変えて生活しているんでしょうね。

741 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 00:15:09
在日なんてほとんどいない地域だが。
旧・百済町は秀吉の朝鮮出兵と関わってるとも聞いたが、
その時代には百済はないよね。
謎だが、どっちにしても旧・百済町は小さな地域だ。

742 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 01:24:21
[偽書とされる書における檀君]  <清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え>
                     <20世紀に入ってから作られた男女平等、父権などの用語が使用されている>

『桓檀古記』に含まれる「檀君世紀」上編[2]によれば、檀君朝鮮は始祖王倹より古列加まで47代続いた王朝であったという。
しかし、同書や同じく『桓檀古記』にある「太白逸史」には清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え、
「太白逸史」の引用書「朝代記」に至っては男女平等、父権などの近代になって登場した用語が使用されている。
このことから、20世紀に入ってから作られた新しい偽書であることが確実視されている。


743 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 04:17:15
飛鳥時代に伝説はともかく金やら朴を一般的に名前として使ってはいないだろうに。


744 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 04:45:10
東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院
ttp://www.chosunonline.com/article/20070604000018

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」
とし、新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」
と記述した。また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、
「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。

745 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 04:53:42
ま、所詮は属国のたわごと

746 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 15:19:18
百済の民衆はナニジンが住んでたんですか?

747 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:42:01
>>745
そうだよなw
日本はアメリカの属国なんだから黙っとけばいいのに
こんなところで根拠のない優越感に浸って何考えてるんだ?クソネトウヨ。

748 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:05:49
しかし日本は少なくともアメリカ人が造った国ではないよな。ちょっと上。

749 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 02:10:09
>>747
アメリカって多額の国債を日本に買ってもらい、
軍事技術も日本の民間企業に頼ってるのだよ。
こういう状態ってアメリカが日本の属国とも言えるよね。
もっとお勉強しようね。
まぁ君の国韓国が日本のようにアメリカを属国にするほどには永遠になれないけどねw

750 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 02:39:41
>>748
日本は百済人を初めとする渡来人が作った国だろ
日本もイギリスと同じ征服王朝の王室



751 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 03:43:40
渡来人の征服王朝?
なぜ当時の日本の記録にも、中国の記録にもその事が書かれていないのか。もちろん朝鮮の記録にもだ。


752 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 04:09:36
>>751
逆に、百済は倭人が作った、倭国の属国だったという記録ならたくさんあるよな

753 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 04:12:00
謙虚じゃないなーオマエラ

754 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 05:01:28
>>747>>750
はい、チョンワードいただきました。「クソネトウヨ」w
日本人が優越感に浸ってるんじゃない、
朝鮮人が勝手に劣等感に駆られてファビョってんだよ
征服王朝は朝鮮ですな。日本と中国とモンゴルのw

755 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 05:14:04
まぁ新羅と百済はヤマト国の臣民だよ
記念碑にがっつり書かれてるから言い逃れできない真実

756 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 05:51:13


東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」
とし、新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」
と記述した。また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、
「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。


「王建は決して<朝鮮>半島の新羅人の子孫ではなく、
中国・淮河流域から来た漢人の末裔・・」と主張し、933年に後唐の明宗が
太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。
冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、
この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、
太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国」と主張している。


757 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 07:29:43
百済は扶余人が作った国。
日本は百済人が作った国。

つまり、日本は中国人が作った国じゃないか。w

758 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 07:47:51
>>757
え?
とうとう唐辛子の過剰摂取で脳細胞が壊死したのか?
日本も朝鮮も倭人が建国しましたよ

759 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 08:22:17
>>758
そんなこと言ってるの2chだけだぞ。現実を見ろ。
日本は渡来人が作った国、紛れもない事実

なぁ…。もうこのスレ終了しようぜ。『ネトウヨ』『チョン』とかレベル低すぎ

760 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 08:24:02
>>759
そんなこと言ってるの朝鮮人だけだぞ。現実を見ろ。
朝鮮は倭人と中国人が作った国、紛れもない事実


761 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 08:26:31
百済は日本に人質を送っていた日本の属国
これは世界共通の認識

つい最近でも、

【韓国】 「高宗は国の統治をあきらめた王」「任那日本府説」 外国教科書の韓国関連の誤りが深刻 [10/05]
ttp://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/373af38eb725d38f2bb1aadde4cce66c

>またアメリカの世界文化教科書には「日本が韓国南部の小さな地域を統治した」と「任那日本府説」が載せられた。


762 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 08:30:29
>>759
チョンだけだよ電波飛ばしてんのはw
現実を見ようぜ在日君

763 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 09:16:29
日本を建国したのが渡来人だとするためには倭人がヤマト王権確立と同時に渡ってきたっていう証拠が必要だな
あちこちから日本に渡ってきた人間が日本で何百年もかけて倭族を作り上げ、
倭族が王権を確立したとしたら建国した民族は外人ということにはならない(そんなこといったら世界中の国を建国したのはアフリカ人になるし)

ってことで、渡来一世代目がガンガン建国してる朝鮮の国々とは違うわけです

764 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 18:38:01
遺伝子レベルで調べたら日本人の6〜7割は2200年前以降に
渡来してきた弥生人の子孫らしい

つまり日本人の7割は渡来人の子孫
ではその渡来人はどこから来たのか?
北京北部や遼東半島、朝鮮半島、中国南部など様々な地域から来てる

しかし大和政権を担ってた主流派は百済人集団や伽耶人達
正確には百済系かな
蘇我や藤原だけでなく物部氏もさえも百済系だという説もある
3〜4世紀の有力豪族である武内や葛城、大伴は新羅系
秦氏はユダヤ系、東漢氏や西文氏は大陸系
倭人がいないんだよなw


765 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 18:57:18
>しかし大和政権を担ってた主流派は百済人集団や伽耶人達
>正確には百済系かな
>蘇我や藤原だけでなく物部氏もさえも百済系だという説もある
>3〜4世紀の有力豪族である武内や葛城、大伴は新羅系
>秦氏はユダヤ系、東漢氏や西文氏は大陸系


だから根拠を言えよ、いくらでも聞いてやるから。

766 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 19:12:48
>>765
とりあえず涙拭けよwww

767 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 19:50:25
●青銅鏡の秘密(日本古代王朝の起源は百済)

http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/06-1.htm
エジプトのピラミッドよりも巨大な世界最大の古墳と言われる仁徳天皇陵は、大阪湾に隣接している。
そしてその側には、仁徳天皇と鷹狩りにも一緒に行っていたとされる百済王族の酒君塚がある。
またその近くには南百済小学校、百済大橋、百済という苗字を持つ人々など、1400年が経った今でも日本古代王朝の
発祥の地である百済の痕跡を感じさせる様々な様子が残っている。

こういった様子は、仁徳天皇の父である応神天皇陵の周辺からも見ることができる。応神天皇は百済から王仁など多くの博士らを
招き、論語、千字文を教えさせていて、当時その周辺には船氏、飛鳥部(戸)氏などの百済系の勢力が居住していた。
なぜ百済系の氏族らは日本天皇陵の周辺に居住していたのだろうか。これは歴史の謎ともいえるが、日本人の心のふるさととも
言われる飛鳥地域で、当時百済勢力の蘇我馬子のお墓として知られる石舞台古墳を含めた百済人の古墳群(飛鳥千塚、新沢千塚など)は、
そこに大規模な百済人が渡来し、言わば「新百済」または「リトル百済」を形成、居住していたことを証明する。
また「続日本紀」でも当時飛鳥地域の10人中9人が移住民であると記録しているほど、現在の奈良県にあたる飛鳥

768 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 19:53:19
>>764
>北京北部や遼東半島、朝鮮半島、中国南部など様々な地域から来てる
一部で檀君大学のキム教授と逆なこと言ってるなw

キム教授は、その2200年ほど前に「日本から朝鮮半島へ弥生人が流入」って
方々で主張してたぞww

769 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 20:09:22
>>768
●NHKスペシャル日本人はるかな旅

この番組で日本人のルーツを科学的に解明していました
およそ1万種類を越えるタイプに分かれるヒト白血球抗原(HLA)で日本人に一番多いタイプ
は中国北京北部から遼東半島一体に分布するB52ーDR2という抗原だそうです


B52−DR2    (日本人に最も多いタイプで北京北部から遼東半島付近と現在の韓国と西日本一帯)

B46−DR9    (中国中部長江流域)

B54−DR4    (中国南部)

B44−DR13   (現在の北朝鮮、古代の高句麗領土付近)

これだけのタイプが日本列島にさまざまな時代に入り込んできて現在の日本人を形成したそうです
一番多いB52−DR2タイプは北京北部、遼東半島、現在の韓国全域、そして九州北部から山口、広島などの
西日本のほとんどがこのタイプだそうです
意外だったのは韓国と北朝鮮ではタイプが違うということです
韓国は日本人と同じDR52−DR2ですが北朝鮮はB44−DR13というタイプです

このB44−DR13も日本に渡来しています、地図では日本海側の新潟あたりをさしていたように思います
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html

770 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:02:50
百済は扶余人が作った国。
日本は百済人が作った国。
日本は扶余人が作った国。

物部氏も扶余人だったというから、
縄文系とみられる遺伝子を持った人たちも、大陸から物部氏とともに渡来した可能性がある。

つまり、縄文文化を形成した生粋の縄文人は、日本には残っていないのではないかということです。
では、縄文人の子孫はどこに消えたのか?謎だらけですね。

771 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:12:33
>>769
NHKは「我々はどこからきたのか」という番組を放映している。
やはり最新の研究の結果、日本人のDNAサンプル取りまくって、
世界中にルーツを求めた末に、マンモスを追ってユーラシア大陸を横断してしまった民族が日本人のルーツと結論付けている。

さらに南方系は、中国福健省あたりの海岸周辺の民族が海を渡って直接入ってきたことがDNA鑑定で確かめられた。
このグループは沖縄だけでなく、九州から一気に北上して近畿まで来ている。

DNA鑑定という新技術が採用されるまでは、
狩猟を生業とする縄文人が朝鮮半島から稲作技術を備えた弥生人によって駆逐されて古代国家が成立したと単純に考えられてきた。

しかし韓国人は人種的に日本人とはかなり違った異人種であるという事が分かった。少なくとも原日本人のDNAとは一致しない

772 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:15:18
>>769
>1つや2つではなかったという考え方(図1)、
>似ていないという考え方(図2)、
>中央アジアだろうという考え方(図3)

在日朝鮮人はただの推測で結論付けるのが好きだな

773 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:17:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

774 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:18:14
B52-DR15が高頻度の場所が日本とモンゴルで地理的に離れて 二極化しているのに対し、
B44-DR13は高頻度の場所が日本と韓国で地理的に連続しており、
その中で一番頻度が高い地域が日本の東海地方と来れば、
東海地方から日韓中に広がっていったと見るのが正解。

現にDNAは日本からモンゴルへと入っている
http://www.geocities.com/littlednaproject/MIGRATE.JPG
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1e/f77f86e4a168353c3f365f49698af8f2.jpg
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/2a/62/amatsukaze1/folder/1475373/img_1475373_55103769_0?1220884218
http://www.pro-classic.com/ethnicgv/vivi/genographic_map416.gif
http://news.nationalgeographic.com/news/2002/12/photogalleries/journey_of_man/images/primary/jm2n.jpg
http://www.wired.com/images/article/wide/2007/06/human_genographic_project_wide.jpg
http://ao.jpn.org/kuroshio/sundakara.jpg

DNAの流れも日本→半島ですね

775 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:19:41
>>764
>遺伝子レベルで調べたら日本人の6〜7割は2200年前以降に
>渡来してきた弥生人の子孫らしい

ソース出してね
日本人で一番多いのはD2で縄文系ですが

776 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:35:33
韓国のB52-DR15の頻度は1.4%だ。

古墳時代以降、朝鮮人は満州人などと混血してB52-DR15(DR2)・B44-DR13が
半減したからそれ以前は現在の倍以上あったとするのなら、

本州日本人に16.1%、韓国人に17.4%見られる日韓共通の古モンゴロイド
の北方縄文人のmtDNAも、朝鮮人は現在の倍以上の35%以上もあったという
馬鹿げた事になる。

日本から朝鮮へ流れた可能性の方が高いね

777 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:41:16
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=79526&servcode=400§code=400
■高句麗象徴する「三足烏」、韓国の代表ブランドに

韓国だけでなく日本でも昔から三足烏を神聖視していたことを示す事例がある、と指摘した。
日本の王が即位式のときに着る服に三足烏が描きこまれてあったり、日本サッカー協会(JFA)のエンブレムも三足烏だとのこと。

これについてネットユーザーは「韓民族の風習が日本に伝えられたもの」とし「高句麗の遺物に現れる三足烏の形が日本のものよりデザイン的に優れている」と主張した。
他のネットユーザーは「東夷族が初めて三足烏を崇め、近隣諸国に伝えたのだろう」とし「三足烏の元祖は韓半島」と強調した。



778 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:54:52
モンゴルや満州、フヨなどの北方騎馬民族系の男の集団は
Y遺伝子C3系の遺伝子の多さでわかる。

朝鮮はフヨが支配していたり、モンゴル満州に支配されていたので
15%以上はC3系の男が居るようだ。

でも日本にはC3系の男は1%居るかどうか。
これは百済王族の帰化人だと思われる。
日本はフヨなどの騎馬民族とほとんど関係が無い。

南方C系のC1系なら5%ほど居る。
なんにしても男の集団として日本と朝鮮は違いすぎるので
どちらかの民族が移動して支配したということは無い。

779 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 22:40:33
C3は約2年前に日本に入ってきたので帰化人ではないな
日本人のC系はほとんどC1で日本固定で10%ほど
D系はD2で45〜50%でこれもまた日本固定(C1、C3、D2は縄文人)
父系で日本人と朝鮮人は多くの研究者がびっくりするほど違っている
母系でも日本人に一番近いのは福建省と台湾人です
まぁ母系はアジア特有でどこも同じだけど

780 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 05:03:03
>>764>>770
無根拠乙
朝鮮の国々は倭人が建国してるだろ

>>767
それ地元の人が否定してたろ
百済小学校なんてねーよ、と

781 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 07:53:26
百済小学校、百済大橋などがある百済という場所は東住吉区。
7世紀の百済崩壊時の渡来人に関わる場所で、
5世紀の仁徳天皇の時代とは全然関係ない。
もちろん場所も堺からは遠く離れてる。

782 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 08:03:29
百済から馬飼いが送られてきたり、
降伏した新羅王が馬飼いになったとか、
または百済王の一族である酒君に命じて鷹を養わせたとかの記述があるが、
それらの根拠地から考えれば、
渡来系と同和地域は密接に関連してるね。

783 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 08:15:06
難民が部落化したのか

784 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 16:34:20
>>783
当初の職掌、職権からして充分あり得る話かもね。

785 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 18:06:25
>>780
でも蘇我氏は百済から来たというのは信じてるねw

■蘇我氏は渡来系氏族か

飛鳥時代の筆頭豪族である蘇我氏一門は、その実在が記録上ではっきりするのは蘇我満智からです。
その満智が渡来人だとしたら、その影響は大きいものがあります。

まず、皇族では崇峻天皇や推古天皇、用明天皇などが渡来人の5代目子孫、聖徳太子は6代目子孫
ということになり、天皇の祖先は意外な側面をみせることになります。

さらに、これまでの「帰化人史観」では、百済や新羅などから来た「帰化人」が倭に文化や技術を伝えたと
理解していたのですが、それが一転して渡来系氏族もヤマト政権の一翼をになったということになります。
このように右翼を仰天させるような大胆な説が門脇禎二氏により提唱されましたが、この説は地元の
明日香(あすか)村教育委員会でもまともに信じられているようです。
職員のキタムラ氏は蘇我馬子の墓と伝えられる飛鳥の石舞台を前にテレビでこう語りました

 「この古墳に葬られている方はどなたかというと、蘇我馬子といわれている。
その当時、今から1400年前に勢力を持っていた方で、この方の先祖、正しくはひいおじいさんは
韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では
蘇我満智(まち)という方」門脇説は意外なところでも信じられているようですが、はたして満智=満
致という門脇説はどの程度の信憑性があるのか興味あるところです。
http://www.han.org/a/half-moon/hm081.html#No.551

>韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では蘇我満智(まち)という方」
>韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では蘇我満智(まち)という方」

786 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 18:10:13
>>785
日本語が読めない方ですか?(笑)

787 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 18:47:47
この話も延々とループするね。
いい加減疲れた。


788 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:27:49
■日本は,百済の継承国家である!  2009/02/11(水)

世界中,どの国の国民も自国の「建国の歴史」を明確に理解している
ただし,一国だけ例外がある. わが日本国である、日本だけは「建国の歴史」が
曖昧模糊(あいまいもこ)としている
日本という国がどのようにつくられてきたのか? ほとんどの国民が知らない、
日本にも「建国の日」があるが,神話(つくり話)上の日なので 出鱈目である
だから 「建国の日」が,賛成・反対,右派vs左派,「分裂の日」になっている

国民こぞって皆が祝える 「建国の日」 にするには,どうしたらいいのか?
それには,先ず “建国の歴史” をより明確・明瞭にする作業が必要だ
難問は,日本には “歴史のタブー” があることだ

タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
このことを,過去1400年間,日本国の支配者層はタブーにしてきた
日本古代唯一の歴史書 『日本書紀』 も,渡来人が天皇になって日本国をつくった
ことを隠すために書かれている
ところが,ご聡明な平成天皇は…,
「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫である…」
と,先祖に百済人がいることを明確にされた.さらに天皇陛下は…,
「宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります」
と,現在においても “渡来人の子孫” が宮内庁にいることを明らかにしておられる
 平成天皇は,御自ら 「歴史のタブー」 を解き放たれたのである
http://www.geocities.jp/o1180/more7.html#ws0211
http://www.geocities.jp/o1180/html/16kodaisi.html

>タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
>タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ

789 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:56:49
そもそも百済の住人は倭国人です
しかも倭国に王子を人質を送っているような格下の国でした
新羅百済は倭国を大国と敬い仰ぎ、日本の糸魚川周辺で作られた ヒスイ勾玉を王冠に使っていましたね


【隋書 百済伝】
>其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。
「そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。」

【三国史記】
>397年。王與倭國結好。以太子腆支爲質
「397年 夏五月 王は倭国と友好関係を結び、太子の腆支を人質として倭に送った。」

【隋書】
>新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
「新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。」

790 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:30:24
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

791 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:50:44
>>788

アホの言い分をいくら集めても真実にならないのだよ。



792 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 04:53:18
>>785
信憑性なし
「青森にキリストの墓がある」レベル

>>788
はい妄想
日本が朝鮮を建国した史料はあっても逆は皆無

793 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 07:00:07
>>749
何この香ばしすぎるバカwwwwww

アメリカが日本の属国??んなわけねぇだろw
じゃあ漢字、稲作という技術を使ってる日本は二千年間支那、百済の属国だね♪
所詮このスレや板は>>749みたいなクソが妄想してるに過ぎないんだよ。新羅は倭奴が作った国??バカじゃねぇの?
まぁ日本は、あの超大国アメリカ合衆国さんを属国にする位だから、そうなのかもなwwwwwwwwwww。

794 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 07:08:23
>>793
チョン火病w
漢字も稲作ももともと朝鮮のもんじゃないのになぜかウリナラ起源認定w
どさくさにまぎれて電波飛ばすな
新羅は倭人が建国したのは史料が残っているw

795 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 08:03:19
続日本紀によると、王仁は漢の項羽の末裔と桓武天皇に奏上したという記述がある。
このことから王仁は楽浪郡出身で漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる。

稲作は江南からの黒潮ルートで日本の方が早い。
百済の住人は倭人が多い。
百済の王子は日本に人質に捕られ、日本が王を選んで即位させていた。

全部歴史書に書いてある事実

796 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:16:43
このスレでもそうだけど新羅を建国したのが日本人とか言ってるやつ
何なんだ?ww

蘇我氏や藤原氏が百済人ってのはあっさり妄想とか言ってるわりに
信憑性の薄い朝鮮の神話に「倭国から渡ってきたって・・」だけで新羅の
初代王が日本人だって?w4代目の脱解尼師今が倭人だって?w
大和(日本列島で生まれた倭人)か伽耶の倭人かだって分からんのに(根拠なし)

日本の記紀にどれほど百済や新羅から日本に渡来したと記述されてると思うんだ
「新羅建国は倭人」より明らかに「蘇我氏や藤原氏は百済人」
「大和王権建国は渡来人」「日本を作ったのは渡来人」説のほうが客観的に見ても
信憑性が高い

ま、日本を建国したのが倭人ではなく渡来人集団ってことになると色々と
問題なのは分かるが(笑)


797 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:23:43
>>796
百済とか新羅とかの名前が出るはるか昔から倭人の記録がある。
また、百済人、新羅人というのは
倭人、漢人。フヨ族のどれかであって
古代からだれしもどれかを名乗っていた。

百済の王族はフヨ族を名乗り
王仁は漢人を名乗り・・・
高句麗、高麗はフヨ族を名乗り
高麗の記録では新羅の初期の王や大臣は倭人とされている。

百済人、新羅人と言うのは国の人間のことで民族ではない。
漢人、倭人、フヨ族のどれかで指し示す必要がある。
天皇は倭を名乗り、名前の漢字表記にも倭が多く入っている。


798 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:32:50

新羅の金氏は倭人では無い、と高麗の記録から見れる。
金氏は、倭人が「拾ってきた」とあるようなので
倭人とは別のカテゴリーに入ることになる。
それが何のグループなのかは不明だな。
何の自称も無いし。
朝鮮人ということになるか。
初の朝鮮人。
そこで初めて、漢人、倭人、フヨに、朝鮮人が加わったのかもな。


799 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:47:39
>>796 朝鮮南部は元々倭人文化圏

「東アジアのゴホウラやイモガイ,オオツタノハ製品,その他の南海産貝製品出土圏」
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_06/kai448.jpg
「朝鮮半島南部の勾玉文化圏」
http://yamatai.cside.com/katudou/image/241-5.gif
韓国全羅南道の前方後円墳分布図
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/img_1583928_39577794_21.jpg
1 七岩里古墳  2 月桂1号墳  3 古城里古墳  4 月桂洞2号墳 5 月里古墳 6 月桂洞1号墳 7 明花洞古墳
8 新徳1号墳   9 咸平長鼓山古墳10杓山古墳  11チャランポン古墳  12龍頭里古墳   13海南長鼓山古墳

「甕棺文化圏」「南式支石墓文化圏」 縄文「土器,石匙(携行ナイフ),漁労(釣り針同系)」文化圏


800 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:24:35
百済より新羅より大和の方が早く成立してるのにどうやって渡来人が大和を作るんだ?w


801 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:36:58
『百済』= 『大きい奈良』
くだら→くなら→くんなら 『くん』は大きいという意味、『なら』は奈良、つまり当時の倭人(渡来)は遥か遠くの百済に思いを馳せて奈良を作ったのだろう。

802 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:00:03
新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來

803 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:03:11

史実には半島の住人を、「倭に近いため倭人に似て」と書かれているから列島の倭人の方が先人なんだろうな
韓伝や倭人伝の倭人は列島出目だというのがはっきりしているし

804 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:08:31
倭人は半島人に似てるなんて書かれてないよな
昔から半島人は倭人のコピーだったのかw

805 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:29:23
!!住民の数,軍事力,財力の差は歴然>新石器時代の遺構、朝鮮半島405カ所、日本列島約10万カ所

「朝鮮半島の考古学」(早乙女雅博 同成社 2000年 p32)によると、
新石器時代の遺構は半島全体で1995年までに405カ所。
うち、貝塚が122カ所。住居址は僅か26カ所。だそうです

同時代日本列島の縄文時代の遺跡総数は約10万カ所あります。(小学館百科全書)
発掘状況に違いはあるでしょうが、その差は歴然です。


806 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:52:11
>>796
渡来系の氏族にはちゃんと歴史書で渡来系という記録が残っている
だからこそ、誰でも「渡来系が沢山来ていた」とわかるわけだ

で、「蘇我氏や藤原氏は百済人」・「大和王権建国は渡来人」・「日本を作ったのは渡来人」
ってのはどの歴史書に書いてあるんだ?
あぁ、先祖が大陸からきたから渡来人とか言うなよ、縄文人も大陸から渡来したんだからな

807 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 01:02:11
>>796
あくまで神話と捉えてそれが形成された史的背景を探ってるレスも
あるにはあるけどね。

808 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 04:56:55
>>796>>801
朝鮮の側でそういう史料があるんだからしょうがないw
お前の言う電波は根拠がない妄想

809 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 17:27:57
>806
ヤマト王権成立後にわたってきたのを「渡来系」としてるんだろ。

810 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 17:30:33
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

811 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:20:25
ソウル大学黄禹錫(ファン・ウソク)教授に頼めよ
どうせ暇だろDNAには詳しいんだから

812 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 01:13:33
>796
まったく同感。しかも倭人=日本人でただしいのか?

813 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 02:20:06
■【広開土王碑】より
>百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
<訳> そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、
    百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。

■【宋書】より
>詔除武、使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王。
<訳>「詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。」

■【隋書】より
>新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
<訳> 新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。

■【三国史記】
>瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。
瓠公は新羅の建国時(紀元前後)に諸王に仕えた重臣。
また金氏王統の始祖となる金閼智の育て親。
もとは倭人とされる。新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物である。
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠から取られているため、同一人物を指しているのではないかという説がある。

■朝鮮半島南部にある前方後円墳群
現在までに全羅南道に11基、全羅北道に2基の前方後円墳が確認されている。
朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉という極めて限られた時期に成立したものであり、
百済の国境に沿った伽耶の地のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、
内部をベンガラで塗った石室といった大和系遺物を伴うことが知られている。そのため、
大和朝廷から派遣された官吏や軍人、大和朝廷に臣従した在地豪族などのものと見られており、
大和朝廷による直轄的な経営の根拠とされる。

814 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 02:35:54
■日本を作ったのは百済人 これは常識だ

ほとんどの日本人は,日本人あるいは日本国のルーツをキチンと言えない.自分たちのルーツが分からない…,世界でも珍しい現象だ
この原因は,日本には歴史書がないことだ.
『日本書紀』『古事記』.これらは日本に渡来した百済人によって書かれたものだ.両書とも,台本は『百済本紀』等々,百済國の歴史書だ
ではいったい,どうしたら日本のルーツが分かるのか?

中国は文字の国,そして歴史の国で,膨大な量の歴史書が残っている.韓国にも古い歴史書が沢山ある
もちろん『日本書紀』も重要な資料だ.
この日中韓の歴史書を読み抜き,徹底的に読み比べるのだ、すると,ルーツが辿(たど)れ,謎が解け,見えてくるのだ
いったい,我々の先祖はどこから来たのか?
……結論を急ごう.
7世紀,日本国は百済人がつくった.これは常識だ.では,百済のルーツは?
百済のルーツは,いくつもの中国史書に明確に書いてある.たとえば,『旧唐書』百済伝には「百濟國,本亦扶餘之別種」とある
これは,百済のルーツは「扶余」である,という意味だ.そう書いてある
つまり,「扶余」→「百済」→「日本」.日本のルーツ,それは「扶余」である
「扶余」とはツングース語の鹿(ブヨ)の漢字表記.「扶余」は鹿(ブヨ)なのだ

http://www.geocities.jp/o1180/more3.html#TG0417

815 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 04:59:33
>>809
>あぁ、先祖が大陸からきたから渡来人とか言うなよ、縄文人も大陸から渡来したんだからな

こう書かれてるのにわざわざやっちゃうところがw

>>812
倭人は日本人だろうが。アホをいえ

>>814
はい願望電波乙チョン

816 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 06:20:13
一人渡来人が来たからって子供はハーフだし孫はクオーターだぜ
不比等が渡来人だとしても子孫は日本人だろ

817 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 09:31:24
>不比等が渡来人だとしても

チョンと左翼が流してるデマにだまされるな、何の証拠もない。

818 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 09:36:32
縄文人とその後の日本人では歯の形、骨の形、遺伝子、骨格など多くの要素が違う。
そこになんらかの「渡来」があったと考えるのは自然だと思うんだけど。実際神武たち天皇も縄文人みたいな先住民と戦ってるじゃん。それに記紀での「天津神」、「国津神」とかの区別はどう考えるの?

819 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 10:04:22
>>818
何なりかの渡来はあったが、
D2という縄文系遺伝子が今でも4割も存在してるのだ。
天皇家が何なのかは分からないが、
勾玉など縄文文化が古墳時代まで継続していたことから考えても、
D2の可能性が高いと思う。



820 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 13:42:49
にちゃんで日本人の起源について語るとき、Y遺伝子以外の話題が出ないのは何故。Y遺伝子って父系の先祖を共有してたら違う人種の人間でも一致するよね

821 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:08:08
ミトコンドリア遺伝子は母系だから被征服民の歴史しかわからない。
モンゴル大帝国の兵士は女を連れずに大遠征をおこなったため、
中国や朝鮮半島だけではなく、遠くマジャール人にも血がまじゃっている。
アレキサンダー大王の東方遠征で生まれた子が秦の始皇帝になって
秦の滅亡後に中国山東半島から直接渡ってきたのが神武ということになります。
いかにも東洋的な顔立ちのこの大王こそ日本人のルーツではないだろうか?

http://www.a-pen.com/z-alexandros/alexander-expan.jpg


822 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:45:17
>>818
神武が先住民と戦ったのはヤマト王権成立よりも前の時代
倭人は(邪馬台国が連合だったように)様々な部族の融合によって生まれた物
よって倭人は日本内部で成立したものであり、先祖が大陸から来たのは当然としても、倭人たるヤマト王権は侵略政権ではない
天津神と国津神の違いは江戸時代における、親藩・譜代と外様の関係のような物(天皇系に服従した時期の違い)

823 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:54:58
天皇は海洋民族ですよ
神武は海神ですしね

824 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 15:13:08
狗邪韓国→金官加羅→任那日本府
場所も古墳も一致しますねー

825 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 15:31:05
神武はアレキサンダー大王の子孫

826 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 15:38:36
アレキサンダー大王の一族は断絶してるけど

827 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 15:55:04
・任那日本府

現在、記紀の記述や考古学的成果、他に傍証として、広開土王碑、『宋書』倭国伝等の記述をもとに、
任那日本府は倭国の軍事を主とする外交機関であり、
倭国は任那地域に権益(おそらく製鉄の重要な産地があった)を有していたと考えられている

1983年に慶尚南道の松鶴洞一号墳(墳丘長66メートル)が前方後円墳であるとして紹介されて以来、
朝鮮半島南西部で前方後円墳の発見が相次いでおり(その後の調査により、
松鶴洞一号墳は築成時期の異なる3基の円墳が重なり合ったものであり、
前方後円墳ではないことが明らかになった)、これまでのところ全羅南道に11基、
全羅北道に2基の前方後円墳が確認されている。

また朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉という極めて限られた時期に成立したもので、
百済が南遷する前は金官伽耶を中心とする政治的領域の最西部であったとする説がある地域のみに存在し、
円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった倭系遺物を伴うことが知られている。

そのため、ヤマト朝廷と深い関連を持つ集団(ヤマト朝廷から派遣された官吏や軍人、ヤマト朝廷に臣従した在地豪族)が
伽耶地域とその西隣の地域において一定の軍事的影響力
および経済的利権を有していたことについてはほぼ確実視されるようになった。

828 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 17:30:07
はて、任那日本府の「考古学的成果」て、あったっけ?

829 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 17:59:45
>>817
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou2.html
●藤原鎌足が百済からやってきた

[概要]
藤原不比等の以前の名前は、史(ふひと)なのです。不比等は、これ以外にも百済流の名前を持っていたはずです。
いずれにしても、この史(ふひと)という名前は、普通の名ではなく、むしろ彼の若い頃の役職名を表すものだったでしょう。
つまり歴史編纂に携わっている者という意味です。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/rikutou4.html
●藤原鎌足と六韜

[概要]
藤原鎌足が、日本的な考え方よりも、大陸的な考え方に、どっぷりと、つかって生きてきたような印象を与えます。
要するに、日本で生まれた人物と考えるよりは、百済で生まれ、大陸の影響を強く受けて育ち、百済から渡来した人物ではなかったのか?
そういう疑問が、頭をもたげてきたわけです。

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/nakatomi.html
●藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた

[概要]
朝鮮半島から渡ってきたと考えられるような場合にも、そうは書かない。あくまでも、日本古来の祖先から連綿と続いているかのような書き方をしている。

「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。
そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」そういう作為が感じ取れます。
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。
その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。
さらりと述べています。

830 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 18:00:45
http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/shinri3.html
●「韓人(からひと)」とは誰か?

[概要]
「韓人(からひと)、鞍作臣(くらつくりのおみ)を殺しつ。吾が心痛し」つまり、「韓人が入鹿を殺してしまった。
ああ、なんと痛ましいことか」 しかし、「韓人」とは一体誰をさして言ったのか
実は、中臣鎌足は百済からやってきたのです。少なくとも、彼の父親の御食子(みけこ)は、ほぼ間違いなく百済から渡来した人間です。

◎「韓人(からひと)、鞍作臣(くらつくりのおみ、入鹿)を殺しつ。韓政
(からのまつりごと)によりて誅せられるをいう。吾が心痛し」
(「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」)と言った。

831 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 18:18:25
記紀によると、神武より先に畿内に入っていた新モンゴロイドは意外に縄文人となかよくやってた

832 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 18:20:30
学者でも何でもない個人のサイト
学者だけど専門が全く異なる人のサイト
学者で専門も史学だけど著書がほとんどない人のサイト
学者で専門も史学だけど論文すらほとんどない人のサイト

からのコピペ、いつもご苦労様。


833 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 18:53:31
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

834 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 18:56:05
【韓国】 「高宗は国の統治をあきらめた王」「任那日本府説」 外国教科書の韓国関連の誤りが深刻 [10/05]
ttp://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/373af38eb725d38f2bb1aadde4cce66c

>またアメリカの世界文化教科書には「日本が韓国南部の小さな地域を統治した」と「任那日本府説」が載せられた。

835 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 19:23:23
>>834
>外国教科書の韓国関連の誤りが深刻 [10/05]

韓国人の歴史認識の誤りこそ深刻じゃないの?


836 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 19:25:35
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=121646&servcode=100§code=120
【コラム】他国の教科書を非難する前に

チリの教科書は韓国を「栄養不良国」、パラグアイは「ポルトガルの植民地」と書いている。

「中国語を使う」(アルゼンチン)、「軍出身が統治する」(イタリア)、「後進国」(イラン)、

「世界文化遺産がない」(メキシコ)など、誤解と偏見もさまざまだ。朝鮮末期にこの地を訪れた西洋人が残した

「路上が人糞だらけの汚い国」「東アジアで最も怠けた卑怯な民族」のような記録をそのまま
引用しなかっただけでも幸いと思わなければならないのだろうか。

>「路上が人糞だらけの汚い国」「東アジアで最も怠けた卑怯な民族」のような記録を
>「路上が人糞だらけの汚い国」「東アジアで最も怠けた卑怯な民族」のような記録を

本当だったんだなww

837 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 22:49:13
>>824>>828
『日本書紀』には任那日本府は金官ではなく安羅にあると書いてありますね。
最近咸安で「安羅高堂」らしき遺跡が出てきたそうですが、あるいは、
そこが日本府の置かれた場所なのかもしれません。

838 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 05:00:37
>>818
それだと縄文人も渡来人になるだろうが阿呆

>>829-830
はい、電波サイトコピペ乙
三韓朝貢の儀式中の事件だと聞けば、
チョンが殺りやがったのかと思うわなw

839 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 08:43:37
安羅高堂の跡が出て来たとしても、それが直接、日本府に結びつくものでは
なかろう。
安羅が作った施設であって、日本府(あるいはそのように呼ばれる集団)は
別の場所から高堂に来て会議に参加したかも知れない。

まあ、日本書紀の記述が裏付けられるということは認めるよ。
しかしそれならば、欽明紀に書かれた任那日本府の情けない姿も
認めなければならない。

840 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 09:14:30
『日本書紀』の雄略紀によれば、高句麗に漢城を攻め落とされた時に
百済は一度滅び(475年)、その後(477年)に雄略天皇が百済王に熊津の地を賜って国を再興させたとある。



841 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 10:17:47
>>837
ということは狗邪韓国もとっくの昔から倭国領だとも証明されますね

842 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 10:19:57
欽明紀に書かれた日本府の情けない姿とは。
それは日本府=新羅の手先、ということだ。

843 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 10:26:09
>>838
>三韓朝貢の儀式中の事件だと聞けば、 チョンが殺りやがったのかと思うわなw

乙巳の変(いっしのへん) の時、百済、新羅、高句麗の使者が来ていたと
いうことになってるけど三国の文献には大和に居た記述さえない

もし同席していたならこんな大事件を記録に残さないなんておかしいだろ
つまり使者など初めからいなかったんだよ
大体、当時の日本ごときに百済、新羅、高句麗の三国が同時に使者を送るほどの
大国でもないのは分かり切っていること




844 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 10:29:58
うーむ。
だから

太古は倭の力が半島南部にあった。
古代は倭の力が弱まったのか一部だけ(伽耶など)になった
中世前には白村江の敗北後は、倭の勢力は消え、釜山あたりの倭館?だけになった。

ようするに、韓国人も別に困らんと思うのよな。
だんだん朝鮮も強くなったことを示してるんだから。

また、倭と呼ばれ続けたヤマト民族が、つまり日本国が、
半島を併合したことは、取り返しただけともいえるな。

845 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 15:53:29
>>843
入鹿を呼び出す口実だろうね。
外交使節の目の前でクーデターなんかすると思えない。
リハーサルとかで十分。
ご意見をお聞かせいただきたい。
って言われたら出向くだろ。


846 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 21:04:50
>>842
新羅って?
あぁ日本の一地方でしかない筑紫に賄賂を贈るほど情けないあの国の事か。w

847 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:20:26
>>839
>安羅高堂の跡が出て来たとしても、それが直接、日本府に結びつくものでは
>なかろう。

もちろんあくまで推測です。ただ、日本府が安羅にあったとされること、
安羅高堂には倭王の使臣と安羅の王臣しか立ち入れなかったことを
考えると可能性はあるかと。

>しかしそれならば、欽明紀に書かれた任那日本府の情けない姿も
>認めなければならない。

ほぼ同意ではあるのですが、「情けない」というのは倭国の立場からの
視点だと思います。日本府のイニシアチブを握っていたのは新羅シンパの
現地人下僚ですから、彼らの立場を考えるとその複雑な動きも捉える
ことができるかもしれません。

>>841
なぜ?

848 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:54:35
日本神話の「高天原」はどこにあるかということについては、日本にはいくつも高天原と称する所があり、韓国にも
あるようですが、高松塚古墳の壁画で有名な奈良県明日香村の古代の地名の「飛鳥」は
古代韓国語の「ASUKU」(ふるさと)に由来するといわれていることや、九州の霧島連山の高千穂の峰の隣の峰が
韓国岳(からくにだけ)と呼ばれていることから、やはり「高天原」は朝鮮半島にそのルーツがあると考えるのが
妥当なようです。

>古代の地名の「飛鳥」は古代韓国語の「ASUKU」(ふるさと)に由来する
>古代の地名の「飛鳥」は古代韓国語の「ASUKU」(ふるさと)に由来する

>高千穂の峰の隣の峰が韓国岳(からくにだけ)と呼ばれている
>高千穂の峰の隣の峰が韓国岳(からくにだけ)と呼ばれている


849 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 00:11:27
>>848
古代韓国語って何のこと?

850 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 00:17:21
イ・ナムギョ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%8D%97%E6%95%99

韓国毎日新聞に執筆中のコラム「李南教の日本語源流散歩」において、
頻繁に、根拠不明な韓国起源説を主張し、日本のインターネット上で嘲笑されている。



851 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:07:47
韓国人は日本語で言う「音読み」「訓読み」見たいな
民族語音と外来語の漢音の区別が付かなく成ってるんじゃ無いかなハングルのせいで

だからアンスクを民族語と勘違いして、中国の漢音だと気ずいてない様な??




852 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:38:32
古代朝鮮語で「飛鳥=ふるさと」(笑)

やはり百済人が日本に移民して自分達の「ふるさと」て名前付けたんだろうな
奈良とか飛鳥ってなんか日本ぽくないよなw



853 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 02:12:38
百済の武寧王は日本生まれでシマくんという名前だった
倭人だったんだろうね

854 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 03:55:52
奈良は、奈良山から。楢の木がはえている山。
完全な日本語。
異説では、崇神天皇の御世に、山背の賊を討伐するために派遣された大軍が踏み「なら」した山だから奈良山というのだとの説話ができたそうです。


855 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 05:20:22
>>843
日本の資料にはちゃんと残っているw

>>852
そんな古代朝鮮語はない

856 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 09:37:58
>>852
ソウルは英語起源。
韓国はイギリスの植民地で日本統治は嘘。。


857 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 17:42:31
ソウルって、古代の文献では「漢城」だからな。
中国人の城。
百済の首都が漢なんだから、中国人だらけだったのは確実。

奈良ってのは、日本の文献の日本書紀でも「ナラ山」の語源が
「ふみならす」が語源とある。

この書物の編纂には百済帰化人が多く居たのに
ならはウリナラのナラなどと言っていた百済人など無かったことになる。


858 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 21:23:00
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/09/post_5.html
■極東ブログ

なお新羅系とか百済系の移民とかって話ですけど、僕は古代日本人の中にそういう
「移民」がいたかどうか…って次元ではなく、古代日本人(弥生人)ぜんたいが
イコール古代朝鮮人だと考えます。
そうでなければ、弥生人は、いったいどこからわいて出たというのでしょう? 
中国渡来という声もあるが、それなら中国→南韓→西日本のルートを取ったはずで、結局は
朝鮮から来たことになるではありませんか。

クシフル岳のもとは韓国のクジボン岳で、天孫説話は扶余族ルーツであることは明白です。
ナラ・ハカタ・イズモ・ノト・ヒダなどはみな古朝鮮語で、とりわけイズモのような貧しい辺境
(失礼!)が古代に栄えていたわけは、朝鮮人の流入口だったからとしか、考えられない。

キム・ダルスは『続日本紀』中に「飛鳥人口の九割は秦氏系(朝鮮人)」の記事があることを指摘しています。
後世−現代のナショナリズムを拭い去って、日本史を冷静に見つめるなら、我々のルーツが
朝鮮半島にあることは明白ではないでしょうか?

>ナラ・ハカタ・イズモ・ノト・ヒダなどはみな古朝鮮語
>ナラ・ハカタ・イズモ・ノト・ヒダなどはみな古朝鮮語


859 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 23:08:45
むしろ朝鮮人は亜日本人だな

860 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 02:05:45
古代朝鮮人?
今の朝鮮人は、多民族の混血の結果形成されたのという事、Gm遺伝子の解析で判明しているのですよ。
古代朝鮮人は、具体的にどんな民族でどんな言語を使っていたか教えて下さい。

861 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 03:52:01
馬鹿の妄想ブログが何をいってもソースにはならん

862 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 04:52:10
>>858
電波ブログ乙w
そんな朝鮮語はないw

863 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 16:50:38
>>858
>中国渡来という声もあるが、それなら中国→南韓→西日本のルートを取ったはずで、結局は
朝鮮から来たことになるではありませんか。

中国の江南地域からは海流を利用して直接日本に渡って瀬戸内海に入った。
国立科学博物館の資料参照。
弥生時代頃では、対馬海流は激流なので、横断するのは困難だったそうだ。
なお、弥生時代という時代区分は歴史学上のものであって、弥生人という人種
がどこからかきたわけではない。縄文時代の日本人が大陸との交易などの
刺激をうけて、弥生文化と言われている生活様式に徐々に暮らし方が変わって
いった、と理解するのが正しい。

864 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 22:04:13
久しぶりに来てみたら議論水準だいぶ劣化してるな
>>1にある過去スレ読んでる方が断然おもしろいよ

865 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 22:20:41
コピペだらけだし、たまに議論があっても頭の固い連中ばかり。

866 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 13:07:34
チンコは硬いけどな。

867 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 16:54:38
>>864
というか、もう議論する話題もさほどないのでね。
蘇我=渡来系あたりの話が延々とループしてくるだけで。

868 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 19:46:39
>>865
そうだね、これが真実にちかいね
●任那日本府の真実

広開土大王碑文には百済を服属させたのは、倭つまり日本でなく高句麗であったと言える。当時倭は倭寇等で呼ばれていた
少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を持っていなかった。
従って広開土大王碑には新羅を侵略した倭を高句麗が退けたという内容がいくつも出てくるのである。

日本初期に日本府は"大和の御事持"であると記録していることから、日本府は総督府のような軍事統治の支配組織ではなく、
王の使臣を称するものであったことが確認できた。
日本が伽耶出身で、主に吉備、河内地域にいた伽耶系日本人を外交使節として安羅に派遣し、鉄器や土器の輸入を
担当させていたと考えられる部分である。

大阪にある辛国神社は、伽耶人たちが交流の多かった日本に移住したした6世紀頃、故郷を偲びながら祖先を祀っていたのが
始まりであると伝えられている。特に安羅国が滅亡する6世紀末、多くの伽耶人が日本に移住し定着していたという。
従って日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。
この他にも伽耶の鉄と先進文物が、日本の古代国家形成に決定的な役割をしたということは、様々なところから推定することが出来るであろう。
また日本で伽耶土器と知られている須恵器の大量出土は、伽耶の須恵器製造集団の日本移民を意味するものであろう。
こういう関係から考えて古代日本が古代韓国を支配したということは、考えにくいのではないだろうか。
http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/24-1.htm


869 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 20:16:46
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

870 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 22:19:23
>>868
>これらは大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。

3世紀後半からあるので伽耶より早いし種類でも圧倒してる。
こういう関係から考えて古代日本が古代韓国を支配したということが考えられるだろう。



871 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 05:01:33
>>868
半島は日本の植民地でしたから
なんぼ頑張ってもダメよ

872 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 13:19:20

なんで古代は基本的な登場民族が、倭人と漢人しか居ないのに
それを指摘することさえできないのかね、チョンは。

古代半島古代朝鮮古代韓国・・・

だからその古代に居た民族は。中国の文献にでてくる民族だとどれよ?
言っておくが韓人は、半島に逃亡した漢人だぞ。

倭人にも越や呉の人間は混ざっているが、ヤマトという固有の民族の名も
神道という固有の文化も保っている。

半島の固有の名前、文化って何よ?

873 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 14:38:44
韓倭奴国王

874 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 15:02:31
倭奴国とはアイヌ国のことだったのではないのか?
人種も生活習慣も風俗も異なる異民族を追いやって
倭人や百済人は日本列島に進出したのです。

875 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 15:37:29
百済の人間は、民衆が倭人や漢人、王族がふよ族。
倭人ってのは、漢人と違う原住民だぞ。

日本人が渡来人といくら混ざっても倭人と呼ばれることと、
日本の男の人口の半分は、アイヌと同じY遺伝子D系統ということから
倭人ってのは遺伝子D系の文化。
O系が主軸なら中国人と同じ名前になるはず。
変える必要など無いからな。支配者が名前を変えるはずが無い。

876 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 16:34:12
半島は完全に中国系だよな。このO3の多さからしても

Haplogroup O3

Koreans 47%
Filipinos 33%
Polynesians 25%
Japanese 16%
Tibetans 10%

877 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 16:35:01
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

878 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 16:42:25
>>876
半島の中国系・モンゴル系は古代から侵略されたり・属国にされたり・貧民が逃亡したりでどんどん流入してるからな

879 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 00:22:01
【岡田外相 「民主党が"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる」】


植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40

1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」

2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。  陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」

3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね? 
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」

4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」

5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)

880 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 05:11:05
>>874
アホ

881 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 11:51:09
実在が確実視されている最初の天皇、祟神天皇の和風諡号は御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)である。
この御間城とは任那の城のこと、つまり、祟神天皇は任那の王だったのです。


882 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 01:19:52
>>881
懐かしいね、それw

語呂合わせするなら、
任那の城に入って王になった倭人だろうねw

883 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 16:22:32
313〜4年、高句麗(こうくり)は南下して二郡を滅ぼし、400年続いた中国勢力を排除した。

その直後の4世紀中頃、辰韓・弁韓・馬韓の中から、
各々、新羅(しらぎ)、伽耶(かや)=加羅(から)、百済(くだら)が新興した。
高句麗の南下進攻を怖れた百済は、三国と倭国との結束を図る努力をしたが、
新羅は途中から高句麗に下った。

高句麗は百済・伽耶を圧迫し始めた。伽耶には倭人が多く移り住んでいた。
百済と倭国はこの状況に危機感を強めた。
倭国(ヤマト王朝)は伽耶の任那(みまな)に日本府を置き、屡々(しばしば)半島に遠征した。
遠征の事蹟は高句麗の広開土王碑に刻んである。

884 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 17:10:34
前方後円墳があるから否定しようがないな

885 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 18:34:17
>>707
戸籍謄本で簡単に相手の家系は調べられるよ

886 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 20:58:58
登記簿謄本ならともかく、戸籍謄本は他人が取ることはできない。

887 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 21:57:41
結婚相手は戸籍謄本を見せてもらってから決めましょう

888 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:36:18
>881
2字の駄洒落は吉本でもいわんぞ。
それで、文化勲章を貰った、江上ちゃん。

889 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:12:11
福岡市博物館で「考古資料からたどる日韓交流」と題した特別展をやってたよ。
朝鮮半島系の遺物がたくさん展示してあった。特に古墳時代の遺物が充実していた。あんなに韓式系土器や新羅土器があるとはね。
学芸員らしき人に聞いたら、展示物はそういう遺物のごく一部だって。
さすがにビートルで釜山にすぐ行けるところだけあるな、って思った。




890 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 04:28:16
そして朝鮮半島の縄文土器や前方後円墳はなかったことにしてるんですねわかります

891 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:17:03
朝鮮半島の前方後円墳や、半島にある倭系青銅器、結合釣針などの縄文時代の相互交流のことも解説してあったけどな。

892 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 00:57:14
>>889
>あんなに韓式系土器や新羅土器があるとはね。

「考古資料からたどる日韓交流」と題した特別展だから展示して目立ってるだけ。
実際の文化は弥生時代からの継続がほとんどだが、そんなの当たり前すぎて話題にならない。
須恵器は韓式系土器と言えないほど日本に来るのが早かったけどね。


893 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 08:38:00
まあそれも一面正しいけど、福岡あたりは他の地域よりも半島系遺物がかなり多いのは事実だよ。
展示見たの?百聞は一見にしかず、だよ。

ところで須恵器はいつからと考えるの?AMSでも4世紀末以降。AMS年代をストレートに使う年代観には異論が多いし。また須恵器が日本で作られるようになっても半島から陶質土器は搬入されるんだけどな。

894 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:22:23
>>893
4世紀後半だろうね。
今までは5世紀中ごろと言われ、
”須恵器という文化が半島で熟成されてから日本に導入された”
という見解とは少し毛色が変わってきた。
ほとんど時代的に変わらないし、半島倭人がもたらしたとも言えるからね。

895 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:28:35
>>893
>AMSでも4世紀末以降。

AMSでなくて年輪年代法。
389年という実年が出てる。

896 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:12:01
陶質土器の成立は3世紀後半。須恵器成立が4世紀後半としても百年違う。
というか、年輪年代そのまま年代観を信じる学者は少なく、王名が比定できる新羅の王陵の遺物や、高句麗王陵の遺物、三燕の4、5世紀の遺物の年代との関係から、須恵器開始は早くても5世紀初めとする人が大半。
あと都合よく「半島倭人」って何?
半島に倭人がある程度いただろうが、列島と同じ文化を保持していた人が倭人であって、列島になかった文化を体系的に列島にもたらしたのは韓人だろ。
韓式系土器が特定遺跡や地域に集中する事実は、そこに韓人が渡来したことを示すはずだが。

897 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:19:16
>あと都合よく「半島倭人」って何?

単純に半島南部が倭地だったってことだろ

898 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:58:20
>>896
韓人の渡来?
須恵器はもともと中国南部発祥なのだから、
その理屈で言うと中国人の半島や日本への渡来を言わないといけないな。

それと大阪の長原遺跡では韓式土器と在地の土器と共伴がみられるらしい。
こういう現象は異民族同士ならなかなかありえないらしく、
これらは里帰り倭人であって不思議でない。


899 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:33:01
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2000a_41.html

(3) 馬韓土器

(略)前方後円形の古墳〔岡内(編)1996〕や
埴輪類似の円筒形土器〔小栗1997〕が存在するほか、
栄山江式石室が九州の横穴式石室に類似すること〔林永珍1997:50-51〕、
この地域の陶質土器が須恵器の器形に影響を与えていることなど、
日本との関わりは深い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つまり倭人だね。

900 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:38:23
自主的に渡来してきた朝鮮人などいない。
多くは、生口として強制的に連行された。
朝鮮半島は平野が少なく、もともと農業に適さない貧しい土地の上に、
経済的にも文化的にも不毛の土地だった。


901 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:26:05
>899
引用しているサイトを見ると馬韓と倭の関係が深いのは分かるが、馬「韓」は馬韓であって倭ではない。
だいたい、倭の文化様相とは全体的には違いすぎる。倭系の文物は客体的に存在するに過ぎない。また、前方後円墳が馬韓にあるのは6世紀前半だけで、その時期でも馬韓在地の特色がある古墳と混在している。
加耶も、狗邪国がわざわざ狗邪「韓」国と書かれているのだが。

須恵器が中国南部から伝わったとか、そういうトンデモ説があるみたいだが、出典を教えてくれw
半島南部に倭人がいたのは確かだが、倭系文物の量から言って、そこが「倭地」とは言えない。対馬海峡を挟んで大きな文化断層がある。

半島のが何でも「倭」なら、同じ理屈で列島の韓半島系文物の存在から、半島の倭系文物も韓人の里帰りにできる訳だが。
長原遺跡の例を異民族が共存する訳がないとかいうが、異民族が共存とか古今東西どこでもあるだろw



902 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:28:24
黒飴おちかれ。相変わらずだね(笑)

903 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 05:25:32
いや半島は日本の植民地でしたから

904 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 05:51:48
有史以来倭は半島を攻めっぱなしで国力は常に倭>半島だもんな
おそらく江南から弥生人が渡ってからずっとそんな感じなんだろう

905 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 10:01:35
>倭系の文物は客体的に存在するに過ぎない。
>また前方後円墳が馬韓にあるのは6世紀前半だけで、
>その時期でも馬韓在地の特色がある古墳と混在している。

5世紀後半だと思うが、その時代の馬韓にある前方後円墳より大きな「馬韓在地の特色がある古墳」を言ってくれ。



906 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 10:09:06
南方誘致がいる

907 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 10:22:40
>>901
5世紀後半〜6世紀に、
倭系の前方後円墳を(最近、破壊されただろうものも含めて)10数基も作られるほどだから、
当然、この地域はそれ以前から大和朝廷の管轄下にあったわけだな。
その管轄下の時代に須恵器を輸入したのだろう。
何も反論の余地はないと思うが。

908 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 12:21:13
>>901
今も世界中どこへ行っても共存できない民族が日本の近くにあるわけだがw

909 :日本@名無史さん:2009/12/06(日) 12:19:10
携帯電話のように、何でもガラパゴス化してしまう島国こそ日本じゃないのか?

910 :◆VWCBut9QG7q4 :2009/12/06(日) 12:29:31
>>909
君の文章の意味が良く分からんが、素人として言うと、日本は何でも
ガラパゴス化してしまうから日本文化は世界で独自なものとして認知されている。
元は中国かもしれないが、朝鮮のように中華文化圏ではない。


911 :日本@名無史さん:2009/12/07(月) 06:17:12
ニッポン=鳥なき島のこうもり

912 :日本@名無史さん:2009/12/07(月) 06:38:35

国際的コウモリミンジョク半島民がどうしたって?

913 :日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:44:05
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

914 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 00:09:37
任那日本府、歴史は文明国から後進国に流れるのに逆を主張する日本
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=53961&yy=2009


人類4大文明の一つ黄河文明は中国の黄河流域から始まり、満州、韓国を経て日本に入ったことは
古代遺物、遺跡や歴史的事実などで明確に知ることが出来るにもかかわらず日本はこのような文化の流れを
認めようとしない。そのため、日本は常に韓日古代史の部分を論じるときは
古代韓国南部地方に「任那」という日本の植民地があったと主張をする。これが「任那日本府」説だ。

日本の歴史書物を見れば「任那」とは「韓国高令地方や金海地方」を称する言葉で任那を文字の通り解釈すれば
「任意国」であり「ミマナニホンブ(任那日本府)」は「王様(イムグムニム)がいらっしゃる国に日本府を置いた」
という言葉で、日本はこれを反対に解釈して「日本が任那を置いた」と言い張る。

今でも日本では「テパンブ(大阪府)」と同じ用語を使っており、昔は九州地域を総括するために
福岡近辺を日本「テジェブ(太宰府)」などを置いた。これは全部その地域を総括する地方官庁を称する言葉だ。

それなのに、これをもし任那日本府式に解説するなら、大阪府や太宰府が日本を派遣したというようなもので
全く道理に合わない。したがって「任那日本府」は「任意国日本府」すなわち「ニムの国で日本に支部を置いた」とするのが正しい。


915 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 00:11:48
それなら日本はどうして、ごり押し主張をするのか?古代の日本と伽耶の関係を見る時、多くの伽耶人らが
日本に渡って行ったことはあまりにも自明な事実だから古代に伽耶を治めたという主張は正しい可能性がある。
しかし、ここで問題になるのはそのような中間過程を省いてあたかも日本から渡ってきて
伽耶を支配した時があったように逆に解釈していることだ。歴史というものは、水の流れと同じで
文明国から後進国へ伝播したので、どんなに言い張っても良いわけではない。

916 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 00:16:14
任那日本府=伽耶

だからそこに日本文化が流れたのは必然


917 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 00:21:30
そもそも任那日本府の時代に朝鮮半島に朝鮮人はいない


918 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 00:45:47
>「任那日本府」は「任意国日本府」すなわち「ニムの国で日本に支部を置いた」とするのが正しい。
しっかしキッツイ電波すなぁ(笑)

919 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 00:56:26
>日本はこれを反対に解釈して「日本が任那を置いた」と言い張る。

誰が任那を置いたなんて言ってるんだ?w
大阪府とか太宰府の解釈も意味不明すぎるし
新種の電波学説だなww

920 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 04:36:50
>>914
当時の朝鮮は最も後進国だっただけのことだなw
ストローだから当然だわな

921 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 21:43:11
お前ら、中国が再び世界一の経済大国になるのを指をくわえてみているつもりか?

922 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 22:50:17
中国が世界一の経済大国になって何か不都合が?
別に良いじゃん、向こうは人口多いんだからそれなりに経済発展するさ。
嫉妬する必要もなし、日本は日本で進むべき道を進めばいいさ。

まあ最近の政権見てると不安だが…

923 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 23:13:15
また中国に使節団を送って、封柵を受けて三角縁神獣鏡を下贈してもらって平伏したいのか?

924 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 23:18:42
ここは任那スレ

925 :日本@名無史さん:2009/12/18(金) 03:49:22
じゃあまた韓国の属国になるか。

926 :日本@名無史さん:2009/12/18(金) 04:05:07

【韓国】 「高宗は国の統治をあきらめた王」「任那日本府説」 外国教科書の韓国関連の誤りが深刻 [10/05]
ttp://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/373af38eb725d38f2bb1aadde4cce66c

>またアメリカの世界文化教科書には「日本が韓国南部の小さな地域を統治した」と「任那日本府説」が載せられた。


927 :日本@名無史さん:2009/12/18(金) 05:15:12
>>925
万年属国半島民乙

928 :日本@名無史さん:2009/12/18(金) 16:03:24
任那日本府ってのは野蛮な日本人を狩って奴隷として売買する役所だったんだけどな
アメリカでいうエリス島だな

929 :日本@名無史さん:2009/12/18(金) 21:27:27
妄想乙

930 :日本@名無史さん:2009/12/19(土) 05:00:39
>>928
万年奴隷半島民乙

931 :日本@名無史さん:2009/12/19(土) 06:08:45
>>914
ヨーロッパとアメリカ大陸の間にあるグリーンランドとかすごい文明が有りそうだな。
朝鮮半島のような半端な場所を跳び越して文明があってもおかしく無い。

文明は中心部分に居ない限り、それを手に入れようと努力する者の手に集まるんだがな。
カナートを掘ったり、井戸から水を汲むようなもの。
朝鮮人はそれが判っていない。水を飲む為に上を向いて口を開けて雨を待つ朝鮮人。
故に文明の輸入先が遥か遠いヨーロッパになったとたん干乾びた。

932 :日本@名無史さん:2009/12/25(金) 16:55:08
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/373af38eb725d38f2bb1aadde4cce66c

933 :日本@名無史さん:2009/12/25(金) 21:59:33
ここで反論がないから南部は日本が占領したってことでいいみたい。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1260516149/130-131

934 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 11:34:10
まあ青森岩手は今も日本領になってるしな。

935 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 00:59:13
NHKの教育テレビで
百済と倭が対等な関係だったとか言う糞番組がやってたw
あほか
百済の王族の婚姻から何から大和が決めてたのにw
NHK糞過ぎる

936 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 02:24:59
あと、鉄を得るため、
対価として生口を輸出してたのだろうという立命館の山尾の意見もアホ丸出し。
倭人は弥生時代から鉄を採ってるのに。

937 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 02:29:14
こんな変な事を言う山尾と韓国の学者を同時に出して、
反対意見を言う学者を出してないNHKを偏向と言わずして何というのやら。

もちろん今年も受信料は払わない。

938 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 14:09:51
大和王権は鉄を作る技術が無かったとか言ってたな
一方的な支配ではなく双方向のものだとかw
完全に一方的な支配だから
百済と新羅を臣民にしたと記述してある広開土王碑や
これらの国と倭が朝貢関係にあったと記述されてる中国の歴史書
それから詳細な記述のある日本書紀を否定して
現代朝鮮人の希望による偽史をNHKが放送したんだから
終わりすぎてる
ただただ事実を追求するべき

939 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 14:16:35
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 新羅王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城の内に満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】


940 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 14:17:59
425〜443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462〜478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】

941 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 14:34:22
「宋書」倭国伝

(前略)
興死して弟武立ち、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称す。
順帝の昇明二年、使を遣わして上表す。
いわく、「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬(みずか)ら甲冑をツラヌき、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国(中略)。」
詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。

942 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 14:37:02
以上は現代人の妄想の入っていない
当時の歴史書
それを朝鮮の妄想で
朝鮮>倭に変えようとしているんだ

NHKの捏造放送は訴訟起こさないと駄目だ
日本古代史の真実を追究する会とかつくって

943 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 15:35:15
なんで百済が抜けて六国になったか。
百済王のほうが先に、安東より上の鎮東大将軍になっていたからだ。
残念でした。

もっとも武も後に鎮東大将軍に昇格したが、そこではじめて同格。

944 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 17:54:05
百済って南下した扶余系部族が在地の江南系諸属(倭人含む)や
楽浪経由で流入するシナ人を糾合して作ったイメージだな。

元々、倭人がたくさん住んでいたから百済の中枢部に倭人がいて当然。
したがって、新羅や弁韓にも倭人はいて、特に弁韓地域に多かったのだろう。

縄文人や倭人の交易力なめたらあかんよ。

945 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 19:58:04
製作者も古代の日本による半島南部の支配を確信していて、逆にイメージで対等な関係であることをアピールしようとした結果かもね。
2、30年前までくだらないことでも半島起源にされていたのが今では滑稽。

946 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 20:08:02
最終的に百済は日本に収斂されているからな。

947 :日本@名無史さん:2010/01/02(土) 21:07:29
>>940-941
安東大将軍は格下なんだって。
まあ最終的に昇進したんだけどさ…
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1260516149/130-131

948 :日本@名無史さん:2010/01/04(月) 23:52:11
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。


949 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:11:05
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。


950 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:15:27
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。

なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE


951 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:17:44
■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧
・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
・焼肉はモンゴルのパクリ!焼肉メニューはモンゴル語ばかり
・キムチは秀吉が朝鮮出兵の時に落とした唐辛子の種が増殖したのが起源
・テコンドーは日本空手をパクリ!そのままだとまずいのでキック特化にした
・中国の太極図案と五行八卦の中の四卦と陰陽魚が韓国国旗であること
・大韓民国の国名の民国は中華民国の民国の借用であること
・大韓民国憲法は、全て1948年に南京で制定された中華民国憲法を剽窃したものであること
・韓国の法律は、台湾の六法全書、「憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法」と全く同じであること
・中国原産の木槿(むくげ)の花を、勝手に改名し、無窮花として韓国の国花にしたこと
・朝鮮という国号は明の永楽帝が下賜したこと
・古代高句麗人と現代の韓国人は全く違う民族で高句麗は古扶余人で東胡の一部であること

952 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:18:55
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し冊封され支配、統治され
朝鮮人は混血も重ねています(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)

近年韓国で医学界等の遺伝子や血液の分析で朝鮮のルーツは北方である事
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との
混血である事も徐々に指摘、新聞でも報道されはじめました

血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報
韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828

"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html

韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html

顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400

もし日本人、韓国人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって
日本人が似ているのではないのです

朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、
今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり
それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです

国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400

韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上)
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056

953 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:22:40
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
 満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
 では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
 高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。



954 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:23:46
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。


955 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:29:43
高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。

wiki より

上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。



百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人

渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。


956 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:31:57
前12世紀〜前2世紀の箕子朝鮮は中国人の箕子が建国した中国人国家。
箕子朝鮮を滅ぼして前2世紀〜前1世紀の衛氏朝鮮は中国人の衛満が建国した中国人国家。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして朝鮮半島北部に前1世紀〜後3世紀に設置した漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)は中国植民地。
百済と高句麗はツングース系民族の夫余族の国家。渤海は夫余族と靺鞨の国家。夫余族と靺鞨は中国・満州族の母体。
秦からの亡命中国人が前2世紀〜4世紀に朝鮮半島南部に建国したのが辰韓(秦韓)で、後に12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅。
百済と高句麗を滅ぼしたのは新羅ではなく唐。唐は百済と高句麗の滅亡後に旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として半島全域を藩属国から羈縻州(中国国内扱いにした事を指す)にした。
このため一時的に朝鮮に「国」はなくなった。

朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。 
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。


957 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:32:52
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)

1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
    長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
    国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
    反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
    しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
    しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
    泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/
韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm


958 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:34:45
『アイゴー!シンガポールヤフーが韓国を中国領と表記してるニダ!』
シンガポール ヤフー(sg.travel.yahoo.com)とカナダのブリティッシュコロンビア(BC)州政府サイト
(www.protocol.gov.bc.ca)が韓国関連の誤りを訂正した。
サイバー外交使節団「バンク」は「1週間前までシンガポールヤフーはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していたが、
5日現在、『韓国領』に是正された」と明らかにした。(略)
http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/shakai/090106-3.html


『有名教科書と地図「韓国は中国領土」』
英国オックスフォード大の出版社が制作している教科書をはじめ、世界の教育機関、博物館、テレビ局、新聞社、ポータルサイト、
百科事典など総34個の世界有名機関の世界地図53個が、韓国の領土全体または一部を中国領土に表記していることが分かった。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65416


『スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」』
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」
スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が 「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、
1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもしたいた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−
などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213





959 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:37:00
アメリカ大使館 「朝鮮に歴史無し。昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」
210.236.224.130
このIPを調べてみると...
Network Information: [ネットワーク情報]
a. [IPネットワークアドレス] 210.236.224.128/25
b. [ネットワーク名] US-EMBASSY
f. [組織名] アメリカ大使館
http://s04.megalodon.jp/2008-0104-0331-22/www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=9&nid=3182743
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=8434966&oldid=8280871




960 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:38:48
各国教科書に見る朝鮮半島
http://bansensyukai.blog23.fc2.com/blog-entry-7.html
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ オーストラリアの教科書
「朝鮮は近代に到るまで、その国内での抵抗に関わらず、中国と日本の属国だった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ インドの教科書
「朝鮮は永らく中国の属国だった」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

韓国と北朝鮮の国内でどれだけ洗脳教育をしても勝手ですが外の世界に出れば朝鮮半島は古代から下関条約まで常に属国。
これが世界の一般的な認識ということです。


961 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:39:57
統一新羅
http://www.memomsg.com/dictionary/D1096/390.html

統一新羅は、676年の朝鮮半島の統一から935年に滅亡するまでの新羅の事を差す。
この統一新羅、いわゆる新羅は、現在の韓国、朝鮮両国の共通の先祖の国家の初代といえる。
それ以前の国家は民族・言語・文化的につながりが薄い。当然、統一新羅の前身である新羅と統一新羅は連続している。
統一の過程で滅んだ、高句麗、百済は現在の韓国及び朝鮮とは連続性があまりない。
高句麗は実質的に後継国家として渤海があり、現在の中国東北部に小さく民族移動して国家を再建設している。



東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院 『朝鮮日報2007年6月4日』
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」とし、
新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」と記述した。
また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。



東北工程・高麗も中国が建てた国『朝鮮日報2007年6月6日』
http://www.chosunonline.com/article/20070606000006  

高麗について、「箕子朝鮮、高句麗に続き、中国が朝鮮半島に打ち建てた3番目の政権」と主張したところの、
吉林省社会科学院が隔月刊で発行する歴史雑誌『東北史地』の2007年第3号に掲載された「後唐の明宗が、高麗を建国した太祖・王建の族籍を明らかにした」と題する論文の存在が確認された。
この論文は、「王建は決して朝鮮半島の新羅人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の末裔」と主張し、
933年に後唐の2代目の明宗が太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国



962 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 11:43:33
結局ケンカ別れしたが、任那どころか百済・新羅も日本の親戚国家。当初は属国といってもよい存在だった。
これら三韓諸国の民衆は漢人と倭人(弥生人・長江文明人)で、支配層は穢(ワイ族)系扶余族で日本の親戚。
その地では日本独自の古墳が遅れて造られ、日本固有のD2型縄文人遺伝子を持つ人骨が発掘されている。
ところが、朝鮮学派と日教組シンパはこの事実を否定、あまつさえ古墳を破壊してまで隠匿しようとしている。
そんな中国起源の北の蛮族、朝鮮国家が穢系高麗族(コリョ族、王氏高麗と同族)だ。
その侵略に対抗して扶余王を立て親戚国日本と連合したのが三韓諸国なのである。

963 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 13:55:36



韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ




964 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 05:06:50
稲作は日本から朝鮮に渡ったからな

965 :文責O2bさん:2010/01/13(水) 08:30:57
熱帯ジャポニカ米は、スンダランド辺りの原産である陸稲のこと。

温帯ジャポニカ米は、揚子江中域の原産である水稲のこと。

陸稲、水稲ともに南から徐々に低温耐性を付けながら北上するのは当たり前の話。

常識も科学も通じないのが、日教組シンパと朝鮮学派。

966 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 07:08:07
「金、清、韓国史に編入を」…東北工程対応策提案  中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=79900&servcode=200

「中国の漢族は漢、唐以後、満州地域を一度も完全に支配したことがない。
高句麗(コグリョ)と渤海(パルヘ)を継いで満州一帯に建国された
女真族の金と満州族の清を広い意味で韓国史の一部に編入し、
中国の悪意的な歴史歪曲に積極的に対処しなければならない」


967 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 22:10:28
>>965
日本語の起源はスンダランド。
倭人とはスンザランド人の生き残り。
邪馬台国もスンダランドにあった。

ということで確定ですよね?

968 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 08:45:58
>>967
なんでそうなるの?

969 :文責O2bさん:2010/01/16(土) 09:22:33
>>968
日本語の起源のひとつはスンダランド?
倭人(長江文明人、弥生人)と温帯ジャポニカ水稲のルーツはスンダランド(熱帯ジャポニカ米)?

このふたつの説はマジで学界で論議されているらしいよ。

970 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 13:20:01
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20090426/1242580868

ディレクター  田容承

以下内容)

・1970年代の日本の民間教科書と韓国の国定教科書を比較して任那日本府完全否定。
・1970年代の教科書と2009年現在の日本の歴史教科書を比較して「ほら、今はもう任那日本府なんて書いてないでしょ?」
・広開土王碑の碑文を一部抜粋してここに書かれている「倭」とは倭からやってきた傭兵の事で倭国の事では無いニダと断定。
・勿論、広開土王碑の倭が百済、新羅を臣下に加えたの記述はカット。
・倭はカヤの鉄を欲していた。その対価として傭兵などの労働力を送った。
・半島から日本に渡ったのは技術者で、日本から半島に渡ったのは奴隷。
・前方後円墳?何それおいしいの?
・前方後円墳に眠るのは奴隷。
・日本の事は「倭」と呼び、半島の百済や新羅や高句麗の事は「韓国」と呼ぶ。
・日本書紀の記述は正しくないから十分な検証が必要by立命館教授。
・神功皇后の名前カット。
・宋書の「倭人が頗る多い」の記述はカット。
・と言うかそもそも中国の存在無視。
・四神は韓国起源。
・中国の資料や中国の実態や半島南部の前方後円墳や勾玉には一切触れず、
日本側が受けた文化的影響全てが韓国からやってきた。
・勾玉、翡翠も朝鮮から頂いたというのがこの番組。


971 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 05:14:24
翡翠はアジアじゃ日本でしか産出されないのになw

972 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 21:29:45
ビルマでも取れます。


973 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 05:07:36
随分遠いな。それじゃウリナラ認定できんなw
ビルマの翡翠が東アジアに輸入されるようになったのは18世紀だそうだな

974 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 19:00:05
ビルマのざれごと

975 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 18:20:21
またもや捏造するか 国立歴史民俗博物館
http://inoues.net/study/uso_rekihaku.html

「歴博発表の「箸墓築造は卑弥呼の時代」」は捏造?
http://ameblo.jp/tokyoboy-blog/entry-10375913455.html

神々の汚れた手―旧石器捏造・誰も書かなかった真相 文化庁・歴博関係学者の責任を告発する
http://booklog.jp/asin/4870352214

12月12日 名古屋歴史博物館 民団の歴史ねつ造展示会を許さないぞ!
http://www.nicozon.net/watch/sm9076131

976 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 01:50:53
アメリカの教科書には任那日本府が書いてあるらしい。

【新刊】李吉相(イ・ギルサン)著『世界の教科書・韓国を語る』(青い森)

「4−5世紀に日本人は韓半島南海岸に小さな植民地を所有していた」「1640年代に韓国は中国・清王朝の属国になった」
米国の「世界史」の教科書に堂々と記載されている韓国の歴史だ。われわれは「教科書の歪曲」といえばすぐさま日本を思い浮かべるが、
これは日本だけの問題ではない。あらゆる大陸と文化圏で、多くの国家が韓国について誤った情報を教科書で学んでいる。
本書は、韓国学中央研究院の李吉相教授が2003年から40カ国余りの教科書500種類以上を一つ一つ分析し、
見つけ出した歪曲と誤りの事例を取り上げている。それには首を傾げるほどにとんでもない内容が多い。
イタリアの『1900年代の世界史』は、「韓国はヤミ市場を通じ材料と技術を導入しさえすれば、核爆弾を作ることができる国」と紹介している。
アルゼンチンの『一般地理』では、韓国がマラリア感染地域に分類されており、パラグアイの『歴史と地理』では、韓国をかつてポルトガルの植民地だったと表示している。
米国の教科書のあちらこちらには、オリエンタリズムと日本の植民史観が反映されている。
プレンティスホール社が2004年に出版した『世界文化』には、「西暦400年ごろ、(日本は)幾つかの氏族が連合して日本の大半を統一し、韓国南部の地域を統治するまでに至った」という、あきれるような文章がある。
韓半島南部を植民地にしていたとする「任那日本府説」が、米国の教科書では健在だというわけだ。
カナダやオーストラリアの教科書もまた、日本の植民史観を盛り込んでいる。


977 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 01:51:38
続き

日本の教科書の中には、「高句麗や渤海といった古代国家を現在どの国の歴史と見なすかは、複雑な問題だ」という、中国の東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)を後押しするような内容もある。
なぜこうしたことが起こるのか。李教授は「大多数の教科書の執筆に参加するアジア学者が、日本史と中国史を中心に研究活動を展開してきたからだ」と語った。
不確実で充実性に欠ける資料によって生じる「誤り」というわけだ。より大きな問題は、日本のように意図的に「歪曲」する行為だ。
日本は歪曲された歴史を世界に知らせることにたゆみなく投資し、世界各国の教科書に大きな影響を及ぼした。
ならば、どのように解決すべきか。こうした問題が持ち上がるたびに「無能な政府」のせいにされるが、李教授は「民間レベルの学術的な努力と文化交流が解決法」だと主張する。
政府の役割は、そうした努力を後押しする支援と粘り強い国家広報、というのが著者の考えだ。
多くの国家が間違いだらけの教科書を量産している、という事実は同書を読みながら決して気分のいいものではないが、さまざまな事例と共に誤りを修正するための著者の足跡がスピード感ある展開を見せ、興味深い。
ページをめくる度に、これまで知らなかった韓国史の知識まで学ぶことができる。「世界トップ10に入る経済大国」のことを知ってもらえないと人のせいにする前に、まずは自らを振り返ってみよう。
われわれは果たして、われわれの歴史をどれくらい知っているだろうか。

ホ・ユンヒ記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/article/20090215000001

978 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 05:21:01
相変わらずキチガイだな朝鮮人は

979 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 16:57:30
やっぱ朝鮮人は学問にむいてないんだな

980 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:36:59
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

981 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 06:00:50
チョン

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