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新撰組の沖田総司って、病気になってなかったら…

1 :日本@名無史さん:2009/07/20(月) 13:07:21
どこでどんな死にかたして どんな人物に描かれていたんだろう?
半兵衛みたいな感じかな?

病気になったから 病弱=薄幸=美少年=カコイイ で今のイメージでしょ

2 :日本@名無史さん:2009/07/20(月) 13:45:46
やっぱ戦で死んじゃうのか
永倉のように長生きするのか
どっちだろうね

3 :日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:54:08
長生きはしないんじゃないかな…?
土方についてくだけじゃない?で、そのまま戦死。
病気になったからこそ、ドラマ性があって美化しやすいんだろうね。真っ赤な血を吐くとか。
口から真っ赤な金魚を次々と吐く、とかだったらもっと好きになったのにw

4 :日本@名無史さん:2009/07/20(月) 17:03:51
シモザワの本には
「あれは思想も何も分かってない人殺し野郎、冷たい人間でありました」と証言してる人がいた

実はドカタと仲悪くて近藤死んだ時点で永倉側についてたりしてね。


5 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:24:04
もし生きていたらおそらく抜刀斎と戦う事になっていただろう。

抜刀術と平刺突き天才剣士の戦いが!

6 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:57:59
戊辰戦争には参加しているだろうね

7 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 12:32:23
近藤×沖田

8 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:49:27
まあ実際死んでないけどな
近藤達の計らいで死んだことにして多摩のお姉ちゃんとこに帰ったよ
形勢が変わった途端にさらっと病死とか都合が良すぎるからね
まあ弟みたいな若い沖田だけでも逃がしたかった近藤の気持ちも分かるけどね
晩年は名を変え百姓としてひっそり暮らしたよ

9 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 15:41:00
壬生技士伝見て勉強するべき

10 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 15:00:11
>4の証言通りなら
とにかく戦に出て、人が死のうが自分が死のうが構わず剣を振るってたかもね
やっぱ長生きしそうなイメージないわ

11 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 18:55:58
もちろん長生きしてたら「平成の新選組」に
長老格としてお呼びがかかったろう


12 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 20:48:34
でも
どう歪曲したら美少年になるんだろうね?

13 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 00:49:13
>>8
妄想ですか?願望?

14 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:40:36
鳥羽伏見で薩軍の銃弾に当たるか斬られるかして重傷を負って、
江戸に護送された後も療養してて、でもやっぱりダメで同じ日に同じ場所で死んでるよ。

15 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:01:37
@近藤勇投降に同行して捕縛・処刑。
A近藤勇投降に同行して捕縛されるも助命されその後戦線復帰。
B義兄一家に同行して新徴組一向に混ざり庄内へ。
C近藤勇投降後土方に同行して北関東〜函館まで戦う。運良けりゃ生き延びそうだが横倉甚五郎みたいにしばらくして処刑もありそう。
D鳥羽伏見〜流山の間に戦死。或いは他の近藤の同郷・同門人同様に離脱を進められ隠遁生活。
可能性順だとこんな流れが考えられるな。いずれにしてもあまり長生きはできそうにないが。

16 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 18:53:48
めちゃくちゃ怨まれてたんだろうな〜
嬲り殺しにされてもおかしくない。
ていうか実は療養中に嬲り殺されたんだけど、官軍のイメージ戦略で隠蔽されてるだけかもなw

17 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 20:48:03
>>16
むしろ逆。近藤勇みたいに大々的に晒し首にしたほうが士気高揚や官軍の武威を誇る効果が期待できる。それこそイメージアップになる。
ただ、沖田が逮捕されても多くの新撰組隊士が裁かれた坂本龍馬・伊東甲子太郎殺害容疑には明らかに当てはまらず死刑は微妙。獄死はあるかもしれんが。
勿論、実際に御陵衛士が沖田襲撃を企てた王政復古期前後や戊辰戦争初期という実質的無政府状態なら、なぶり殺しなんかもあり得そうだが。

18 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 02:54:47
つーか、新撰組ごときを官軍の眼中にないだろうよw
だいいち総大将の将軍が謹慎して、無血開城してしまっている。
それこそ大石のように、投降しても虫けらのように殺される程度の存在さ。
官軍が過剰反応すると思っているあたりが笑えるwww

19 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 07:38:32
>>18
官軍つっても内実は薩摩、長州、土佐、佐賀なんかの藩兵の寄せ集め。当然ながら反応はそれぞれだし一概にはいえないけどな。
新撰組を直接恨んでるのはしょっちゅう喧嘩してた土佐藩下級武士連中やその関係の草奔志士が中心。
長州も対立歴は長いけど木戸孝允の日記などから察するに新撰組っていうより新撰組をひっくるめた会津藩そのものに対する怨みが強いな。
薩摩藩は仲間だった時期が長いし特に新撰組からちょっかいだされたこともなく無関心気味。そのため新撰組で維新後仕官した連中はみな薩摩藩を頼りにしてる。
正直、個人的ならまだしも藩そのもので怨みというか意識してたケースは少ないのは事実。
大概関心の対象はその上の会津藩や旧幕府にいく。

20 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 11:45:34
近藤や土方みたいに写真とってヒラメ顔を後世に残してた。

21 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 02:02:36
>>19
薩摩藩を頼りにしたのは新撰組でも離脱した勤皇派の連中だけだろ。
それも薩摩にしたら剣客など必要ないんだが、対幕戦が確実になってきた時期に
国元の事情で兵士を十分に京都へ配置できなかったから、予備兵としてしぶしぶ仲間に加えただけ。
結局兵力不足のまま鳥羽・伏見で幕府軍と激突したが、結果は言うまでもない。

22 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 08:09:20
近藤や沖田も天皇の意向を第一にしたわけで勤王派なんだどね。極簡単に言えば幕府に対する愛着の有無が新撰組のような東国の勤王派と西国の勤王派の違い。

23 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 10:11:12
>>12
義経もそうだし、判官贔屓補正じゃね
義経の外見はチビ出っ歯だっけ。
鎌倉時代の本だから鎌倉補正強くて信憑性薄いらしいけど

24 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 13:00:14
沖田総司の伯父である宮原久五郎氏の写真をみると、なかなか立派なお顔立ち。
http://shougo.blog4.fc2.com/blog-entry-52.html

源義経にしても、頼朝の兄弟なんだからそんなに違う容姿ってことはないだろう。


25 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 16:20:39
ヒラメとか言われるが、それ関係者子孫が昭和になってしばらに取材受けて根拠も無く適当に語った話だからねぇ。美青年説と変わらない。
幕末当時の関係者によれば、色の浅黒い、背の高い(165〜70cmくらい)、肩幅の広い男ってのが共通。性格は明るいが短気だったって話が多い。

26 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 01:03:35
>>22
それを佐幕派というのだよ。

27 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 06:57:46
佐幕派=公武合体運動による朝廷・幕府の二重構造維持を望む。但し江戸幕閣と京都一会桑政権の間で対立が生じていて一枚岩ではない。
倒幕派=幕府を排除し天皇と大名の直接結合を望む。但しその方法論は様々。佐幕派に対して勤王派とも称されることが多い。
これに攘夷や開国、細かい方針の違いなんかがさらにプラスされるけど、どの立場も天皇の意志を重視している点は変わりない。
要は方法論の差はあれみんな根っこは勤王にあるわけで、単純に倒幕派だけを勤王の志士とはいえないってことな。

28 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 14:26:30
>>27
どうも解説ごくろうさんw
ちなみに、それは勤王ではなく尊王な。

29 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 22:36:18
元祖ロリコン

30 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 04:14:13
>>25
当の沖田家では色の白い、小柄な男だったとの言い伝えがあるみたいだね。

31 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 15:14:56
僕も沖田って姓なんだけどどっかで繋がってるのかな


32 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 23:41:18
>>31
うん!

33 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:03:32
>>1
板違い

34 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 02:18:37
なんかここ見るまで沖田完全に労咳で死んだと思ってたけど、
生きてるって説も完全には捨てきれなさそう。
死んだとき葬式とかあったのかな。

35 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 02:28:20
変態!キモイ!オカマ伊東甲子太郎から守れ!
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1171787195/

36 :日本@名無史さん:2009/12/27(日) 23:51:08
沖田十三

37 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 21:01:02
幕府公募攘夷浪士組(ヤクザと同じ)→壬生浪人(やっかいもの)→花畑勤務(適当な任務)
池田屋(人を斬ってカネ貰う)→会津の犬→幕府の犬→罪人(打ち首)


38 :日本@名無史さん:2010/03/05(金) 17:38:41
土方に付いていって五稜郭で討ち死に。
斉藤や永倉みたいに明治にも生き続ける。
捕まって処刑。

こうして並べてみると沖田総司は病気で夭折したからこそ伝説に成り得たんだなぁと思う。

39 :日本@名無史さん:2010/03/08(月) 12:59:43

http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/budou/1255192899/

http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/budou/1262952934/l50

http://www.unkar.org/read/schiphol.2ch.net/budou/1224518715

http://www.unkar.org/read/schiphol.2ch.net/budou/1174623112


40 :日本@名無史さん:2010/03/08(月) 13:17:19


●  もしも日本が米英に負けていたら   ●

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 10:16:37 ID:EoGxdxl60
もしも、あの大東亜戦争において、金甌無欠の我が大日本帝国が
万が一にも、鬼畜米英に負けるような事になっていたら、今頃、大日本帝國はどうなっていたんだふか……を考えてみるスレの第2段。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1250039797/




41 :日本@名無史さん:2010/03/08(月) 23:15:01
沖田って、当時の村娘が選ぶ、
新撰組イケメンベスト3には
入ってないんだよね。



42 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 10:16:13
そんなのあるんだ
ベスト3は?

43 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 12:10:24
>>42
何かの本でみたんだけど
その本が今手元に無いw

あんまり聞いたこと無い名前だったような。
ちなみに試衛館メンバーは誰もいなかった。
土方も。

44 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 13:27:00
ドンゴリは実質内部で小藩に分かれていたからな。
実力が出せなかったんだろ。
親戚同士での食い合い藩。
やっぱ一人に継がせないとだめな証左か。

45 :日本@名無史さん:2010/03/20(土) 03:52:31
陸奥に勝ってた

46 :日本@名無史さん:2010/03/26(金) 01:05:55
43
楠とか馬詰とかそこらへん?


47 :日本@名無史さん:2010/03/26(金) 07:11:32
ちなみに新撰組が内部粛清以外で殺した人数は
17人だそうです。
基本的には京都を見回りして治安を守るおまわりさんです。
新撰組がしょっちゅう人をズバズバ斬っているというのは
小説やマンガの間違ったイメージです。
http://www.eonet.ne.jp/~arpeggio/history/(1)shinsengumi01.htm
で、取締りで一番多く人を斬ったのは永倉。
内部粛清で人を一番多く斬ったのはは斉藤でしょうね。

>aitokanashiminodoukeshiさん
まず、会合への切り込みといっても例えば池田屋事件で討ち取った浪士は七人です。
それは「十七人」の中に含まれている数値でしかないです。

まず内部粛清についてはちゃんと別扱いとして断ってあります。新撰組が内部粛清で殺した人数は41人です。
それと確かに戦争での戦果については「17人」に含めてませんが、
新撰組が戦場で戦果を挙げたという記録も残念ながら残ってないのです。
戦争に投入された新撰組はあくまで「二線級部隊」程度にしか見られていません。
新撰組が「戦場で活躍した」とか」「鬼の剣士隊として恐れられた」とか「味方に頼りにされた」とかいう記録は一切なく、
戦場で叩きのめされた逸話ばかりが残ってます。
「あの凄腕剣士揃いの新撰組なのだから、戦場でもきっと大暴れしたに違いない」というのは
単なるファンの空想でしかありません。
なぜなら幕末ともなるとすでに戦争は銃によって行われていたのであり、剣士の出番などなかったからです。
天才剣士と銃を持った一般人では残念ながら後者の方が遥かに強いのです。
新撰組も江戸に戻ってからは銃士隊化しましたが、それでも経験の浅さからたいした部隊にはなりえませんでした。
新撰組が光り輝いてたのはあくまで京都で見回りを行っていた時期までの話です。



48 :日本@名無史さん:2010/04/27(火) 19:02:41
新撰組は、「○番隊」なのに、なんで「組」長、なんですか?

49 :日本@名無史さん:2010/06/10(木) 23:30:18
誰か答えろや

50 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 11:05:41
死に場所の浅草説は今戸神社裏の浅草新町で死んだのか?

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