5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【ヤマト】纏向は王権の礎の地か【マキムク】その7

1 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 08:59:45
次の意見(老教授氏)に関して議論するスレなのだ!

「2世紀末頃、纏向に各地の文化の集合体である「ヤマト」が新設され
それが王権の礎になったってことです。
その母体は、参加時期や規模の差はあるが
北部九州、吉備、出雲、阿波、讃岐、播磨、大和、丹波、東海などのクニであり
いわば技術、文化、物流の集積地となった纏向が王権化して各地を凌駕したものが
後の大和朝廷だと考えられています。
そこには西日本のありとあらゆるクニの技術とモノが集結しています。
問題はそれだけの勢力を「どこが」主導したかなのです。
それは北部九州かもしれませんし、吉備や畿内かもしれません。
そのあたりは過去に散々議論されていますし、各説一長一短があります。
伊都国主導というのも有力説ですし、また阿讃、東海も一概に否定できません。
ただ、どこかの任意のひとつの勢力が、単独の力で征服や建国を成したとは考えにくいですね」

■前スレ
その6 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1238078055/
その5 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1231414308/
その4 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1222374987/
その3 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1203827235/
その2 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1177791246/
その1 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1166155276/


2 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 10:38:01
>1 乙

  無人都市マキムク(笑)

の論争は始まるのかな。

3 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 12:12:20
巻向の地名は出雲庄、モモソは丹後ゆかりの姫、
墓は吉備の影響大。九州の痕跡なんて少ないだろ。

4 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 20:30:46
マキムクに筑紫の影響は少ない。確かにそう。
一部の東遷厨が何を言っても変わらない。

5 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 00:24:55
>>4
方向は不明だが、庄内式があるじゃん

6 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 09:40:21
>方向は不明だが
???

7 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 10:52:05
どっち由来か分からないって事じゃないの?

まあ、全域に広がってる北九州が起源で、
ごく一部しか出てない河内とオオヤマトに伝搬してきたんだろうな。
庄内式を作る奴等が移住してきたのだろう。

8 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 16:05:18
マキムクは「無人都市」か?

対象となる「マキムク遺跡」の範囲→http://www.geocities.jp/j_imada1999/xa_kfn10.htm

事実A  住居跡は極めて少ない。
事実B  田の跡もない。
事実C  建物は簡易の掘っ立てばかり。
事実D  建物跡から出土した鉄器は皆無。
事実E  外来系の土器の出土割合が高い。
事実F  河川の護岸工事がなされている(ところがある)。

結論:少なくとも現時点では、吉野ヶ里のような「居住遺跡跡」ではない。
    現時点では「マキムク王権」なる仮説を提唱することも不可能。

9 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 16:09:43
マキムクは「無人都市」か?

対象となるマキムク遺跡の範囲→http://www.geocities.jp/j_imada1999/xa_kfn10.htm

事実A  住居跡は極めて少ない。
事実B  田の跡はない。
事実C  建物は簡易の掘っ立てのみ。
事実D  建物跡から出土した鉄器は皆無。
事実E  外来系の土器の出土割合が高い。
事実F  河川の護岸工事がなされている(ところがある)。

結論:少なくとも現時点では吉野ヶ里のような居住の実体がある遺跡とは言えない。
    よって「マキムク王権」などという仮説を提唱することも不可能である。


10 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 16:33:20
ヤマト国は葛城山を中心とした国ですよ。

11 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 18:25:45
>無人都市

無人都市というのはかつて人が多く住んでて都市だったんだが
なんかの理由で人がどんどん居なくなってしまい
建物の景観は都市そのものなんだけど人がすっかり居なくてガランとしてると
まあそんな廃墟みたいな語感なんだから
マキムクを説明するのには全然ふさわしくない

12 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 23:24:43

「マキムク遺跡=マキムク王権」を成り立たせるためには、少なくとも
百以上の住居跡が5、6世代にわたって建て直された跡が必要だが、
そんなものが出そうな気配は全くない。


人はいう 「まぼろしのマキムク」 と


13 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 23:47:00
人はじゃなくて私はだろ

14 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:29:52
纏向遺跡をそれまでの弥生時代環濠集落と同じ視点でとらえている人がいるようだな
その基準で纏向を語ると>>9>>12のようにトンチンカンなレスになる

15 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:47:33
弥生の環濠集落の延長でマキムクを考えたら駄目だよ。


16 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 11:18:22
>>7

ハア?
河内庄内は、東は群馬、西は佐賀まで、超広域に出土するが。
サイキバ君はこんなスレまで覗きに来てるのかw

17 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 15:26:47
マキムクを大和王権発祥の地としなけりゃ、最初の場所はどこになるんだよ。
馬鹿か

18 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 02:07:39


19 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 02:52:52
石野さんが館長の奈良県香芝の二上文化センターで、また今年も今週末
邪馬台国シンポやるみたいなので、現地レポよろ

20 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 21:12:18
地元だから覗いてみるよ。

21 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 11:32:45
■邪馬台国シンポジウム9 開催のご案内

 考古資料を通じて、邪馬台国が存続した3世紀の大和と各地域の関係や前方後円墳の出現・成立過程等を考える邪馬台国シンポジウムシリーズの第9回。
今年度は、古代に伊予(愛媛県)、豊前・豊後(福岡県東部から大分県)、安芸(広島県西部)、周防・長門(山口県)とよばれた西部瀬戸内地域に焦点をあて、
各分野に精通された7名の考古学研究者によって、邪馬台国時代前後の同地域と畿内の関係等について検討します。

▼日時 第1日 7月19日(日) 13:00〜  第2日 7月20日(月・祝日) 9:30〜
▼会場 香芝市文化施設・ふたかみ文化センター・市民ホール
▼定員 300人

▼内容
第1日(7/19)
13:00〜13:10 開催挨拶・趣旨説明 石野博信・二上山博物館館長
13:10〜14:00 「周防・長門における3世紀の集落と初期古墳」 田畑直彦氏・山口大学埋蔵文化財資料館
14:00〜14:50 「3世紀の豊後の集落と初期古墳」 田中祐介氏・大分県教育庁
15:00〜16:00 「3世紀の伊予と西部瀬戸内の土器交流」 梅木謙一氏・松山市考古館
16:00〜16:50 「畿内の西部瀬戸内系要素」 橋本輝彦氏・桜井市教育委員会
第2日(7/20)
09:30〜09:40 開催挨拶・趣旨説明 石野博信・二上山博物館館長
09:40〜10:30 「邪馬台国時代の前期古墳と西部瀬戸内の海人族」 苅谷俊介氏・俳優、日本考古学協会会員
10:30〜11:20 「3世紀の安芸の集落と初期古墳」 古瀬清秀氏・広島大学大学院
11:20〜12:00 「瀬戸内の早期古墳と近畿」 石野博信・二上山博物館館長
12:00〜13:00 休憩
13:00〜16:00 シンポジウム「邪馬台国時代の西部瀬戸内と近畿」
テーマ1「土器の流通」 2「住居と集落」 3「鉄と青銅器の生産と流通」  4「初期古墳─墳形と埋葬施設─」 5「初期古墳─副葬品(鏡他)─」
司会・進行:石野博信 パネリスト:梅木謙一氏、苅谷俊介氏、田中祐介氏、田畑直彦氏、橋本輝彦氏、古瀬清秀氏

▼その他
・事前の申込みは不要です
・入場には、当日発行の二上山博物館観覧券が必要です(観覧券は2日間有効です)
・資料集は1冊1,500円程度で販売します
http://kashiba-city.net/hakubutsukan_cgi/nicky.cgi?DT=20090614A#20090614A

22 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 09:06:14
面白そうね。

23 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 19:08:53
今の状況じゃ権力の中心だったとは考えづらいよね。大阪平野の豪族の影響、
特に物部氏の探求が古代日本の姿を探る鍵なんじゃないか

24 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 20:14:19
物部氏を過大評価しすぎ。
4世紀にぽっと出の河内の豪族だよ。

25 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:27:01
物部とか大伴などの連姓神別氏族が台頭するのは、大王権力が高まる4〜5世紀ごろからか。
天孫降臨とか神武東征に自分の先祖を紛れ込ませたりしたのもその頃だろう。

26 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 04:27:12
物部氏は宮中の神事を司る集団であって、ぽっと出でできる役職だとは思えない。

27 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 06:28:27
崇神以前に物部氏はいません。

ニギハヤヒ? それは物部氏が勝手に末裔だと言ってるだけで。

28 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 08:18:35
>>27
証明出来るものは何?


29 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 18:22:41
物部という固有名詞は崇神以降しか出てきません。

30 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 19:12:23
それだけかよw

31 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 21:49:26
石上神宮の創建も崇神天皇の時代からです。

まだ納得できませんか?


32 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 22:01:18
全然w

少し期待して損した。

33 :日本@名無史さん:2009/07/22(水) 23:14:19
じゃあ、納得できない根拠を述べてもらいましょうか。



34 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 00:57:01
まず勝手に末裔だとのべてる根拠もないでしょ。
縁もないのに名乗るというのはちょっと理解できませんね。

35 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 01:30:10
まず、第一にニギハヤヒは物部氏じゃないよ。


36 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 01:35:58
だからその説明を聞きたかったんだけど。
出来なきゃスルーしてね。

37 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 02:53:07
ニギハヤヒは物部氏じゃないだろ。
常識的に。

逆に聞くけど、ニギハヤヒがどう物部氏なわけ?
石上神宮でニギハヤヒが祭られてるか?

物部神社だって主神は宇摩志麻遅命であって、ニギハヤヒじゃない。
ニギハヤヒは、神武以前の大和の支配者だったようだが、
宇摩志麻遅命は、ナガスネヒコの妹との間の子。

ニギハヤヒが、ナガスネヒコの妹を孕ませて生まれた子供の子孫が物部氏。
正式な王族扱いであったかどうかも疑わしい。
孝元天皇の妃を出すまで傍系だったのは確実。
神武から孝元まで、ニギハヤヒ〜物部系氏族は何も中央で活躍してないわけだから。

物部姓が生まれたのがやっと崇神の時代で、
石上神宮も、孝元の時代より後の崇神時代だから、それ以前は、権力の座にあったとも思えない。

崇神時代になって、ちょっと力をつけてきた物部氏が、
「実は、おれ、ニギハヤヒの血が入ってるんですよ。」って言い出したわけだろ。
それでも、ニギハヤヒを祖と言うのはおこがましいから、
宇摩志麻遅命を祖にしてるわけだ。

物部氏が本当にニギハヤヒの直系なら、正式にニギハヤヒを祖にすればいいのを、
わざわざ宇摩志麻遅命としてるってことは、
ニギハヤヒの子孫を騙ることに躊躇があるからだよ。



38 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 03:03:06
物部氏にはウソくさいところがあって、
物部氏は、ニギハヤヒを天火明命と同一としてるようだが、
記紀にはそんな記述は無いし、正式な天火明命の末裔である尾張も物部氏は無視している。

物部氏だけが、
「ニギハヤヒは天火明命のことなんですよ」と吹聴してるわけだよ。
でも、日本書紀には、「一書に曰く、ニギハヤヒの別名は天火明命なり」とは、書いてないわけ。
物部氏の文献を朝廷は無視してるってことだな。







39 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 03:09:51
ここはマキムクスレ。

物部氏、ニギハヤヒについては専用スレがある。
そっちで存分に議論したらいい。

「謎多き存在、物部氏について語るスレ」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1106979203/

40 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 03:10:09
物部氏で検索すると、
「九州には物部氏が多いから、ニギハヤヒ=物部氏が東遷した」って説を良く見るけど、
こんな矛盾した話は無い。

ニギハヤヒは物部氏じゃないんだから。
物部氏は、ニギハヤヒの子の末裔なんだから。
神武は、物部氏と戦ってないんだから。
神武は、物部氏を引き連れて無いんだから。
神武の時代に物部氏は存在しないんだから。
九州に物部氏がいたらおかしいだろ。

崇神以後に、九州制圧に向かった物部氏が痕跡を残したと考えるのが正解だな。


41 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 10:00:50
>>38
物部について記紀の記述をそのまま基準にするの?
それは無茶でしょ。

>>40
それには同意。

42 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 17:17:06
記紀が信用できないなら、天孫本紀はもっと信用できない。

43 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 16:16:44
>マキムクは「無人都市」か?

まあいつもの東遷厨の粘着だろうが・・・

別に田畑が無くとも生活に必要な物資は外部に頼れば良いじゃないのか?
そう言う発想は無いん?wwwww

で、その無人都市に何で大型の古墳や大溝を築く必要があったんだ?

掘っ立て建物もさほど柱は太くなく耐用年数もわりと短かったんじゃないかな?
(加えてチョッと掘れば湧水層に当たる土地と言うことも影響したか?)
つまりスクラップ・アンド・ビルドを頻繁に繰り返していたと・・・

まあ他にも遺跡全体の保持運営に結構な人手は要ると思うが
一体それらの人間は何処からやってきたんだ?

権力にかかわりの無い場所ならボランティアか?wwwww

「無人都市纏向」…ひょっとしたら自分ではナイスなネーミングだと思っているかもしれんが
全体像がさっぱり分からないw


44 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 16:23:26
>>8 むじんくん(仮w)

ところで・・・

>>17で既に聞いているが
纏向はヤマト王権と縁もゆかりも無い遺跡と言う事でおk?



45 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:11:12
それまでの自給自足で自己完結してた弥生の拠点集落と違うんだよ、マキムクは。
マキムク周辺の集落を巻き込んでの分業、日本で初めて都市化が起きた場所

46 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:15:52
実体としては墓場担当

47 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:16:56
>>44
何の為に目の前の大和川があると思ってるんだ?

48 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:31:44
>>47
何が言いたいんだ?はっきり言えよ阿呆

川を利用しての物資の運搬、市場であったとでも言いたいのかな?
じゃあそれだけ物資の運搬が可能であれば
外部からの物資の搬入も容易だったと言う事で
田畑が見られないとか言う むじんくん(仮) のネタも問題なくなるなw

でもう一度聞くぞ?

纏向はヤマト王権と縁もゆかりも無い遺跡と言う事でおk?

はっきり答えてくれんかね?w
 

49 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:46:09
>>48
縁もゆかりも無かったら、墓は誰が造るんだよボケw

石は芝山の物と証明もされてる。
つまり山辺周辺と葛城山周辺の国が動いてる。
つまりそれがヤマト政権の基礎だ。

そんなわかり切ったこといちいち聞くなよアホ。

50 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 22:41:07
阿呆、ボケは、やめれ

51 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 22:45:50
>>49
ふむ、

じゃあ『 無人都市纏向 』はヤマト王権の祖であったとい言う事で良いんだな?w

人はいなかったが権力はあったとw

52 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 23:07:48
>>51
>無人都市纏向
>人はいなかった

意味不明。他人に分かるように説明を。

纏向遺跡が形成される庄内〜布留の頃、纏向には人がいた。
遺跡は人の営みの跡だ。
無人では遺跡・遺構は形成されない。

53 :51:2009/07/24(金) 23:19:50
>>52
だからさ、俺も意味が分からんのだよw

纏向は無人都市であったがヤマト王権の祖であったのは間違いないってんだから
もう何がなんやらw




54 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:16:38
卑弥呼は王となってからめったに姿を見せないのだから、
周辺に集落がないのは別に変ではないでしょ。
普段は最低限の人数が周辺に居住していればいい。



55 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 03:44:43
>>53
まあ住居跡が少なすぎるわな。
あれで都市なんて口走った連中は、学者失格ww

56 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 04:16:38
住居跡がないのはいいが、
高床式柱跡が多いのはどう評価するわけ?

人がいないのに、勝手に倉がたったの?


57 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 04:21:52
倉といっても、縄文時代の大型建物、
権力者の住居や倉など、にも劣るサイズだし。
あれはやっぱり祭祀施設でしょ。
併設の井戸から祭祀用具も出てるし。

58 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 04:24:01
なんでもいいけど、人がいないのに構造物が建つわけないんで。

というか、高床式住居だろ。はっきり言わせてもらうけど。


59 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 04:37:22
住居って具体的にはどれ?
どの地区のどの掘立穴?

60 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 04:49:10
人がいないのに矢板をびっしり並べた大溝や、
ボカスカ土器を投げ込んだ土坑群や
100メートル近い墳墓群、280メートルの大古墳なんかが
勝手に生まれてくるはずがない

61 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 05:00:55
そうだね。
それで住居って具体的にはどれ?
どの地区のどの掘立穴?


62 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 09:25:59
ただ高床式住居に住んでいた人間が古墳の造営だの大溝の建造・保守に従事していたというのも考えにくいんじゃないのかな?

そうすると今後も竪穴式住居跡がまとまった数で見つからなければ
全て外部に頼ったと言う結論にならざるを得ないんだろうが・・・

石野は何処かで
「3世紀に後の租庸調のような労役を課すシステムがあったとは考えにくい」
と言っているが

本当に無人都市ならそう言うことにならざるを得ない。
まさかそれこそ「夜中に神が造った」と言うことでも無い限りwwwwwwwww

さてさて将来ある程度は竪穴式の住居郡が見つかるのか?
それとも労力は100%外部に頼ったと言う結論になるのか?

むじんくん(仮)の場合、後者にならざるを得ないが
その場合、権力としては相当強大な物になるが
本人としてはどうなんだろう?wwwwwwww



63 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 10:01:13
>>62
>ただ高床式住居に住んでいた人間が古墳の造営だの大溝の建造・保守に従事していたというのも考えにくいんじゃないのかな?

それは現代人から見た感傷ではないですか?


64 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 13:05:09
高床式住居ってカプセルホテル並みのところに住めるのは、せいぜい一人。
食事は外に出てどこかで食べるのか。



要するに、アレを住居という奴はバカ、ってこと。


つまり、マキムクには居住の痕跡が極端に少ないってこと。



65 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 13:08:52
>>62
みっともない論点のすり替えだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



「川に護岸工事がある。人が密集していたに過ぎない。」
などという暴論で、食いつないできたトンデモ発掘史。

「マキムク王権」とか「古代都市マキムク」とか散々放言してきたくせに
ネタがばれると、話を変える。


これが「無人都市マキムク」の成れの果て。



66 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 13:15:16
巻向に人が住んでいた形跡が希薄なのは、
それだけ国の範囲が大きかったと判断するしかないでしょ。


67 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 13:42:27
>>65
サイキバ君かな?

「人がいた形跡」・・・と言うのなら古墳、大溝、掘っ立建物群、…etc全てが根拠足りうる。
それらが人の手を介さず勝手にできたのか?って話だドアホウ。
(そうそう「人がいた痕跡」と言うのなら「集水施設から出てきた寄生虫・・・」なんてネタがあったなwww)

要は「それらを作った人間が何処にいたのか?」が問題で
それらの労力を外部に全て頼ったと言うのならそれこそ余程強力な権力があったという事にならざるを得ない。

お前は子供じみた幼稚な反発心で
「そんなもの王権とは関係やい!」
「あんなもん都市なんかじゃないやい!」
と言いたげが
じゃあ誰が何の為にあそこにあんな物を作ったのか?きちんと説明してみろよ。

それで権力権威とは全く関係なく、まるで自然現象のように纏向ができたってんなら
お前の言う事も認められるんじゃないのかな?wwww

現時点じゃあ馬鹿が「無人都市」って言葉で一人はしゃいでいるとしか思えんのだがw






68 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 13:47:02
まあ、実際問題、祭祀に関わる人間はいたんだろうけど
じゃあ「実際に纏向の人口はどれくらいだったのか?」となると難しいんだろうなあ。

環濠集落なら環濠で囲まれた面積や建物跡の幾つかが見つかれば
大雑把であっても数を推定できるんだろうが
纏向の場合、参考にできるモデルが無いって事なんだろうし・・・

69 :縦目一派:2009/07/25(土) 14:27:45
都市というより、王都と考えれば、住居エリアが遺跡内になくとも不思議ではないと思いますが…
まあ様々な遺構がみられる以上、「無人」は論外ですね。

70 :横目マスク:2009/07/25(土) 14:39:18
>>69
でもどうなんだろう?
そこまで一般居住区との分離が徹底されていたと言うのは
ある意味において”過大評価”とも思えるw


71 :縦目一派:2009/07/25(土) 14:54:42
>>70

手元に資料がないのでいいかげんな事かきますが…
たしか、滋賀県の野洲だったか、広域にわたって同心円上に建物群が建ち並ぶ遺構が出てましたよね?
その遺構の解釈はさておき、広い円の中に同時期の住居跡は見つかっていなかったように記憶してるんです。
勿論、マキムクと規模の違いはあるでしょうが。

72 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 15:09:37
「纏向遺跡の範囲外に居住区がある」というのは言い訳になっていないよ。


ではどこに人が住んでいたのか、という次の問題の回答も用意されていないし、
むしろ、纏向遺跡は本来の意味での遺跡ではなかったことを認めるだけ。


これでは100次以上にわたる発掘は税金の無駄遣いだったと白状するようなものだろ。



73 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 15:30:33
>>72
>纏向遺跡は本来の意味での遺跡ではなかった

何がなんやら、なんかもう禅問答だなw

遺跡じゃないなら何なんだ?
誰が、いつ、何の為にあんなもん作ったんだ?
分かるように説明してくれやwww

結局・・・

>結論:少なくとも現時点では、吉野ヶ里のような「居住遺跡跡」ではない。
>    現時点では「マキムク王権」なる仮説を提唱することも不可能。

↑これがあまりにも短絡的と言うか馬鹿丸出しって事で
古墳や大溝の築造・保守等々に必要な労力、或いは食料を初めとした必要物資・・・

それらを遺跡内部に求める事ができなければ外部に求めるしかないという
小学生が考えても分かる程度の事をすっ飛ばしちゃってるとwww



74 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 15:38:38
>>72
>むしろ、纏向遺跡は本来の意味での遺跡ではなかったことを認めるだけ。

遺跡に、

@本来の意味での遺跡、
A本来の意味では遺跡ではないもの、

と2種類があるという主張か?

まるで理解できない。

遺跡の定義を述べてみてくれ、



75 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 16:03:02
マキムクは本来は、そこに王の宮殿があって、重臣たちの居住区があって、
近習が護衛する場所があって、法円坂遺跡のような倉庫群があって・・・・・
・・・と多くの期待が寄せられてきた。

しかし、そんなものは全部出なかった。

本当に見るべきものは何もなかった。

「ザ・期待外れ」

・・・それがマキムク。


そこで、「マキムクはより大きな遺跡の一部でしかなかった(だから何も出なかった)。」

「なんてすごいんだ、マキムク。」

と言い出したバカがここにいるwwwwwwwwwwwwwwww



76 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 16:13:45
居住区なら三輪山周辺にあるでしょ。巻向の地の名は元々出雲荘。
ご丁寧に現在でも出雲なんて地名まで残る場所まである。
維持ならそれくらいの人口で充分ですよ。

77 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 16:14:28
>>75
うん?
別に良いんじゃないのか?
そう言った機能的に完結した都市のモデルから変わっちゃったとしてもww

ちなみに断っておくが俺自身は最初から(現在でも)そう言った「機能分離」の可能性は視野に入れていたんでヨロwwwwwwww

まあ、むじんくん(仮)にご満足いただけるモデルとしては
纏向=ネクロポリス 説 見たいなのが一番近いのかな?wwwwwww

78 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 16:18:58
マキムクが中心ではないのなら、「マキムク王権」は詐欺だな。

  「ヤマト王権のへき地」

くらいのネームで売り出すべきだな。



79 :77:2009/07/25(土) 16:34:54
>>75
ついでに言っておくと
政治や宗教、交易、工業施設・・・それらの機能が一体となっているモデルより
その一部であったと言う方が
「なんてすごいんだぁ〜」
ってのは別に変で無いと思うが?

例えば墓を河内に宮を大和に造営したなんてのは一体何百年後の話だ?って事でw

もし最初から
「纏向は古墳があるだけ宗教だけの都市、政治中枢は別の地にある」
・・・みたいな事を言ったら、そりゃ周りから白い眼で見られたんじゃないのか?wwwwwwww

まあ、たとえ話をするのなら、チューナー・アンプ・デッキ等々が一体になったシステムコンポ
より各々が独立したセパレートコンポってのが大概高級やん?wwwwwwwwww

80 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 17:25:52
むじんくんはどうしも弥生時代環濠集落の物差しで纏向遺跡を語りたいんだろ
環濠が見当たらない時点でそれが通用しないのは、ちょっと考えれば分かりそうなもんだが

個人的な見解を言えば纏向遺跡は古代倭の宗教政治都市で、
現在発掘されいる遺跡はおそらくは崇拝するヒノミコに何だかの啓示を授かるために
各クニグニより詣でた王もしくはその使者が滞在するための仮住まいと
考えるのが妥当じゃないかな
外来系土器の出土割合が高い、建物は簡易の掘っ立てのみ 等も充分説明がつく。

81 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 19:01:19
なぜ、高床式住居に人が住んでいたと認められないの?
1棟に5,6人は住める。

現実に東南アジアではそういう建物に住んでるだろ。


82 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 19:51:18
各地から纏向の祭祀に参加する為にやって来た人間用の
短期滞在施設が掘っ立建物・・・と言うのは可能性として十分あると思うけどねえ。。

83 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 20:52:22
保津・宮古遺跡辺りには何かあった気もするが、
中世の遺構の下なんだよな。特に保津という地名が気になるし。

84 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 21:25:15
>>81
大きさからは寝るためだけの施設としても、5,6人は無理だな。
あの掘建て建物には、食事を作る場所もなければ、食品などを保存する場所もない。
生活痕がまったくない。

ほかの場所で食事を作って持ってくるというような不自然な想定をして、なおかつ、
わざわざ食事を作る場所から離れたところで寝泊りだけする設備を作ったという
不合理な生活状況を想定する必要が出てくる。


85 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 21:28:22
掘っ立てに住むのが貴族だとすれば自分で食事は作らんだろ
一緒に付いてきた下男が運んだのだ

86 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 21:33:01
貴族がイナバ物置で寝泊りするわけないwww

87 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:06:16
>>84
>不合理な生活状況を想定する必要が出てくる。

そう、それが祭祀に参加すると言う意味なのさw

祭祀土壙の中からは穀物や果物が出てくるが
食事と言う日常的な行為も非日常的な祭祀に繋がる。

そもそも単なる倉庫として考えるならもうチョッとキャパがあっても良いし
もっと太い柱を使って丈夫な物にしても良いというかすべきw

むしろ今日の神社で式年遷宮みたいに一定期間で取り壊されるのを
前提で立てられた建物と考えた方が理解しやすいと思うがwwwwwwww





88 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:12:58
遷宮か、なるほどね。

89 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:13:15
月並みだが、あの掘建て建物は、「大市」と言われた市場に持ち込まれた交易物資を
一時的に置くためのものだろう。

物資は土器に入れられたものも多かったから、あの近辺で土器が多く出土する。


ぶっちゃけ、ほとんどの学者は今ではこう考えているのだが言い出せないだけだろww



90 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:23:05
いずれにしても纏向遺跡全体の発掘面積は今のところ全体の5%ほどにとどまり
現在発掘されている第162次調査も今後 5年かけて行われるんだよな


91 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:23:19
市場があって公共事業やってんだから、人がいっぱい集まってたと考えるのが普通。
まともな考え方もできんのか

92 :ご利用は計画的に:2009/07/25(土) 22:29:39

♪ララララ むじんくん(笑)



93 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:42:47
>>90
そうなんだよね、まあ俺の聞いてる範囲でも…
むじん君なんて言ってる奴は今のうちかもねw

94 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:47:57
>>90
そのとおりだな。
三角縁神獣鏡が日本で550面以上出土して、中国では0面とか正論ぶって
主張するバカもいるが、今後の発掘の進行次第では、中国で10万面で日本で
600面と大逆転するかも知れない。

未来のことなど誰も分かるわけないのに決め付けるのは誤りだな。

95 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:55:04
>>90
こんどの総選挙でも、5%開票した時点で、Xが10万票でYが0票でも、
その後の経過では大逆転があるよね。

96 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 23:29:46
>>90
税金を出すなら、橿原とか、他の地域の発掘に出したほうが良いだろうに・・・

伝承の裏づけをするくらいなら、税金をドブに捨る方がましということか・・・




97 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 23:55:35
何をむきになってるんだw

98 :87:2009/07/26(日) 00:06:04
まあ今日の神道とかの宗教に重ね合わせて語るのもアレだが・・・
式年遷宮の例も言ったんでついでにw
まあチラウラだがww

>>84 が言った
>不合理な生活状況を想定する必要が出てくる。

…と言うのがまさに祭祀に参加するとい言う事の具体的イメージとして
「潔斎」と言う言葉を思い浮かべるのがよろしいかとw

例を挙げれば伊勢の外宮で御饌を神前に供える神官が
前日から「斎館」に入って潔斎すると言う。

面白いのは外国の宗教者が見学に来ると
その「斎館」の中で特別な秘儀のようなものを行っているのではないか?
…と言う質問を良くするそうだw

が実際にはこれといって何もせずひたすら外界・日常と隔離された環境で
ひたすら心身を清める事に努めるだけとww

まあこの辺の感覚は日本人ならではだと思うが
そういった場所に日常的な生活臭の痕跡が希薄なのは当たり前だとwwwwwww



99 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 08:54:35
マキムクは当時でも僻地の田舎だ。年に数回やるかどうかの大物産展的なものならともかく
恒常的な生活物資やり取りする普通の市場だとは考えづらいだろ。祭事場兼王族の墓地
と考えるのが妥当なんじゃないか

100 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 10:20:14
>>72
無駄じゃないでしょ。
どれだけ掘っても生活痕跡のある住居はほとんどみつからない
ってのは凄い成果になる。
ただこういうネガティブな方向の事項は評価が難しい。
将来見つかったら立論は全てパアになるし。

101 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 10:26:40
>>84>>87の言う通りかなと思う。
ただ式年遷宮どころか、あの建物は作られて、その年の内に捨てられてる。
それは井戸の埋設物から明らか。豊穣祭祀に使われたのだろう。


102 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:30:49
考古学だけで考えるから、そういった歪な考え方になる。
残り易さというファクターを重要視しないと。
たとえば住居にしてもタテ穴と高床しかなかったというのはどうか?単に残り易いから目立つだけ
土器も同じだが

103 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:51:23
巻向は単純にまだ未発掘の場所が多いからでしょう。


104 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 13:03:09
95%は未発掘。
今後何が出るか分らんよ。

105 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 13:29:40
ここまで掘っている地域も少ないけどな。

106 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 13:31:42
>>105
それだけ範囲が広いって事でしょ。

107 :日本@名無史さん:2009/07/26(日) 21:57:03

税金の墓場


108 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 01:36:46
(新泉社) シリーズ「遺跡を学ぶ」051

  「 邪 馬 台 国 の 候 補 地   纒 向 遺 跡  」  石 野 博 信


これほどまでにろくな出土のないあの地域を邪馬台国とか、ギャグでもつまらんね。


 「 日 本 最 大 の 期 待 外 れ 『 マ キ ム ク 』 の 失 態 に 学 ぶ 」

 (副題−「まぼろしの王宮、まぼろしの王都、まぼろしの祭殿、まぼろしの王権」)

くらいでちょうど良いよね。


109 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 09:06:39
>>108まぼろしは九州でよろしくw



110 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 09:15:21
>>108
余程悔しいんだね‥

111 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:50:30
邪馬台国はともかくとして、大和王権の誕生地はマキムクで間違いないだろ

マキムク以外に相応しい場所なんてないし

112 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 16:16:12
>>111
普通ならね…
でも「無人都市纏向」だとそれすら怪しくなる(笑)

なんていうのか
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い...ってやつだね(笑)

113 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 18:35:47
古墳時代初期のころは、マキムクは湿地帯の外延部で人が住むのに適さなかった。
人が住んでいたのは、もう少し内地の方だろ。
天皇の王宮の伝承地でないマキムクをムキになって掘っても徒労におわるだけ。

素直に伝承地の近辺を掘るべきだろうけど、「記紀の記述を裏付けることはできない。」
という左翼のプライドがそれを許さない。


114 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 18:51:30
>>113
はあ?
その左翼ってのは邪馬台国畿内説をとなえているんだろう?

だったら記紀に初めて出てくる女帝推古より遡る事ン百年前に卑弥呼と言う女帝がいたって話で
「記紀の裏づけ」云々がピンボケのお話だが?w

115 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 20:15:34
>>114
ni ho n go de ok

116 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 21:59:31
>>113
扇状地の地質特性も知らないのか?

117 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 22:11:09
マキムクは崇神の宮があっただろ?


118 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 22:33:42
変な人がいるな。

119 :日本@名無史さん:2009/07/27(月) 23:05:09
実際は倭人伝の記述をマキムクの発掘成果とすり合わせる時期に来てるんだけど
感情的な九州説が反発してるだけなんだよな。

理化学年代をおとしめ、マキムクをおとしめ、かといって代替の意見がある訳じゃない。
産業革命の時のアイロンを排斥した労働者と一緒で、
時代についていけないから新しいモノ、考え方を目の敵にする

120 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:01:27
>>117
いや祟神の宮の伝承地は遺跡の範囲からやや南だったはず。



121 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:29:00
>>120  そうだね。

もう少し東や南に発掘の重点を移すべき。
伝承地は伝承の裏づけが出ることを恐れて、ほとんど手をつけない。

一方、伝承のない地域で王宮を掘り出して「記紀は嘘っぱちで後世の捏造だ。」と
高らかに宣言しようとして、無駄と判明した発掘に執着している。
薄らサヨクの成れの果てだな。


122 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 07:56:46
巻向じゃなく纏向遺跡とか名付けてる時点で、かなり記紀を意識してると思うが。
また箸墓を卑弥呼の墓と言うのも、紀の箸墓説話に影響を受けてのことだし。

なんか無理矢理イデオロギーに結び付けて、一人で勝手にムキーッ、てなってる感じが

123 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 14:15:56
>>122
いつもの東遷厨(現在はむじんくん?)だと思われ。。

124 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 16:07:38
>>111
纏向は有力な候補地であることは間違いないけど、
現状ではオオヤマト全域が候補になると思う。

125 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 23:23:29
狭義のマキムクで言えば黒塚も離れてしまうし、確かにそうなんでしょう。
ただしかし、開始段階のマキムク型前方後円墳が狭義のマキムクに集中している以上、
特別な聖地、始祖王が即位した地みたいな感覚があったように思います。

126 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 11:18:38
文献を考慮すると纏向は候補地筆頭でブッちぎり、
考古資料だけだとオオヤマトの構造がまだ良く分からない状態。

127 :日本@名無史さん:2009/07/29(水) 23:06:34
オオヤマト古墳群は確かになぞだよな。
個人的には大和川連合が三輪山の神官を王として共立。
その後、柳本と磐余の2系列に王統が分裂、連合を繰り返して大和王権になっていったのかなあと

128 :日本@名無史さん:2009/07/30(木) 01:08:01
>>127
そのまで推測するとはただものではないですね、あなた
大和川連合で思い出したけど、
大阪府富田林市に美具久留御魂神社というのがあって、
そのあたりはどうも弥生時代中期に出雲の人々が移り住んだらしい場所らしい
不思議なことにそこと箸墓古墳ほとんど同緯度(春分と秋分の日に太陽が通るライン)
で神社より東側へ500mほど行ったところに なぞの岩のテーブルが置かれていたり
する、
ここと纏向遺跡となんだかの関係がある様に思えたりするんだが
詳細はまったくの謎ですね


129 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 13:44:17
出雲人形
http://www.nagomi1ban.com/yamato/index.html

130 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 01:32:09
>>128
西郷信綱も言ってますよね。
後世、中国の子午線(北極星)信仰により大分改変されますが、
日本古来の信仰は東西線なんだと。
ニライカナイにしてもそうですが、東が聖、西が穢とする神話が
日本古来のものであったようです。
伊勢と出雲、常陸と長門もそうでしょう。
崇神にしても大坂(穴虫)神と墨坂神を祀ったというのも、
東西線を意識してのことでしょう。
後に九州が大和王権に参加した時に、西に対する蔑視が無くなったのでしょう。
応神東征なんてものがあって、今までの東西線による価値観が一変したというか。

131 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 01:58:58
>>130
ヨコからで、かつスレ違い的内容で悪いんだが…wwwwwwwww

東西で「ハレ/ケガレ」と言うのは仏教なんじゃないのか?

ついでに言うとニライカナイとか言うのは方角はあまり関係ないかと
(水平線の彼方から祖先の霊やカミサマ的なものwがやってくると言うのは
 太平洋のどこぞだとカーゴカルトと言うやつだったと思うが)

仏教で東西南北の方位に四人の如来(弥勒は将来なるのは確約済みと言う事で如来扱い)を配すると…

              【北】弥勒(未来)
                 ↑
【西】阿弥陀(来世・死後)←  →薬師(現世・今生)【東】
                 ↓
              【南】釈迦(過去) 

だたと記憶しているが。。        

132 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 07:57:43
東を聖と見るのは、太陽が昇る方向を信仰するプリミティブな太陽神信仰のように思うのだが。
東=ひむかし(日向かし)だし。
サンロードには異論があるだろうけど。
私個人的には箸墓築造の頃、倭国全体を包摂するような宗教観が必要になり、
三輪山を基点にした東西線が引かれたように思う

133 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 09:24:52
その東西の基点は共同体の実質的生活の場だった大阪平野でしょ。後背地である
生駒山系に高地性集落が築かれたのも当時の防衛思想によるものそこから三輪、
伊勢に聖地が移行して行ったのは太陽信仰による東を聖とする見方によるものだと
いうのは同意

134 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 09:44:49
つまり葛城山系周辺に邪馬台国の基盤があったという事でしょう。
天の岩戸神話の記述もはっきり場所を示しています。


135 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 09:58:57
鍵・唐古から西に戻ってるね。>

136 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 11:01:12
記紀にもその名が記されている纏向の地から
いろいろなものが発掘されるのは当たり前のこと
それが邪馬台国かどうかというのは別の話ですね
可能性が高いとは思うけど

137 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 12:19:35
>>135
水害でやられたんじゃないか?
その為生活基盤を西、もしくは東に移動、
大和・畿内共に水害の伝承が多い事も裏付けると思う。



138 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 12:56:53
>>137
この辺で水害といえば初瀬川の巻向だぜ。
天理の東側はあまり流域が広くない。
だから大規模治水のない弥生時代にも栄えたのだと思う。
ただ磯城の継続性については、俺はよく分からない。
葛城と共に継続的に栄えたのだと思うが。

巻向は、導水祭祀が特徴的で、
やはり宗教がからんだ治水が鍵になっているのだと思う。
やはり磯城、葛城、橿原の共立が怪しいんじゃないかな。
都市ではないと思うが。




139 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 19:55:12
>>138
箸墓に二上山の石が使われている以上、
葛城方面との連携があるのは確実だからね。

140 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 20:42:22
>>139
二上山の石じゃなかったと思うが。

確か大阪府柏原市にある芝山の輝石安山岩。

141 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 21:29:25
>>140
まあ区域としては二上山周辺には違いないよ。

142 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 21:54:19
二上山のサヌカイトを押さえた権力が、最初の奈良盆地の支配者かしれん。
そういう意味では、葛城王朝説もあながち嘘ではないのかも

143 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 23:07:10
王権あったの否定する人はいないでしょ。
王朝交代って言っていいかどうなのかって議論あるだけで。

144 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 22:11:07
王朝とか言うと同一血族みたいな問題が出るから。
実際は大和川水系の有力豪族の大王位持ち回りが妥当なところ。

145 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 22:45:19
大和川水系の争いと考えて…
狗奴国=クノ国=葛の国という事で、邪馬台国と
対抗していたのが葛城国と推定してみたのだが。

奴国の南という点でも、奴国を難波国と解釈出来ないことはない
と思うのだが。倭人伝でも奴国は二つ存在するからね。

146 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 22:54:53
邪馬台国の南に狗奴国だから、熊野、紀ノ川水系が相応しいと思いますが

147 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:02:00
狗奴国は奴国の南じゃなかった?
まあ葛城と言っても和泉葛城も含めて、
紀ノ川水系の部族とも考えれるな。


148 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:57:04
厳密な「レイライン」なる話は、スピリチュアル研究家にでも任せておけばいいと思うw

確かに、日本列島の少なくとも南西側半分の住民(ただし九州島はちょっと別)が、
東西軸を重視していたことは言えると思うんだが、
この東西軸、実は無意識のうちにかなり「傾いている」。
実際には、一貫して「西南西−東北東」の軸になっていて、完全な正東西ではない。
日本人の「東西南北感覚」は、実は西に15度くらい傾いているんだよ。
これは今でも言えることで、
東京大阪間を移動するときは、日本人は絶対に「西へ行く」「東へ行く」という。
ここに南北の要素は一切混じらない。
ところが、阪神大震災のときに、Newsweek社の米国人東京特派員が神戸に向かうとき、
"go SOUTH"と言っていた。この「軸線移動」が東西移動であるというのは、自明では無い。

149 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 11:56:44
それは方位感覚の問題ではなくって日常的に関東・関西と対にしたものを見聞きしているからだろ。
これが畿内・近畿と坂東なら話は違ってくるよ

150 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 12:21:02
土地感覚なんて結構曖昧なんだよな。

1800年も前の、しかも見たまともな地図さえない時代で
魏から視線の書物を語るのに
現代の感覚で語るのは無謀ではある。

151 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 12:26:02
魏書や卑弥呼の話題は他スレへどうぞ。・
ここは纏向遺跡専用でお願いします。

152 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 12:42:36
>>151
決して無関係では無いと思いますが。

153 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 18:18:21
>>152

関係あるとすれば、
マキムクの権力者がどういう人物で、
魏と国交があったか無かったか、という程度の話だろ。

現時点では、
マキムクの権力者=箸墓の被葬者とするなら、モモソヒメという巫女
魏と国交があったか無かった=魏と国交があったという物証はみつかってない

これ以上の関係は無いだろ?


154 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 19:55:24
>>152
年代的にみても充分関連性のある話ですよ?


155 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 20:05:02
倭人伝とマキムク、記紀の3つをどう結びつけていくのかの問題。
あえて排除しなくていいかと

156 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 23:22:23

マキムクをそっちのけにしたレスはいかん、ということじゃね

157 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 03:22:08
>>149
いや、時代を遡ると、話はさらに「純然たる東西概念」に収斂していくぞw
なんと言っても、「津軽外が浜」が「日本の『東端』」と考えられていたわけで、
古くは、東北地方さえ、マクロでは東西に伸びていると考えられていた。

「日本列島は東西に伸びているはずだ」

というのは、古くはあまりにも一貫したステレオタイプだった。

何が言いたいのかというと、
「東」というのは、「秋津島の奥地」であって、「大和族の開拓進出方向」ではあるが、
こんなにgdgdである以上は、伊勢神宮のようなものも含めて
天文学的な「東」を前提とする太陽信仰云々と結びつけるべきでないと言うこと。
おそらく、伊勢神宮さえ、天孫族の神を「あづま」の入り口に祀って、
呪術的な「前進守備で大和を守る」という、発想があるように思うけどね。

158 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 04:31:13
纏向関係ない上に、根拠も示せずw

159 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 18:22:13
日本史のマキムクスレは、どちらかと言うと、大和王権の成立プロセスにウェイトを置いてるからさ

160 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 18:35:20
確かに倭人伝だの記紀だの用いれば、話に厚みが増すと言うか肉付けができるんだろうが

しかし出来上がったお話は論者の数だけできてしまうとw

纏向遺跡の発掘成果だけで話しても色々意見は分かれるわけで
倭人伝だの記紀を持ち出したら収拾付かなくなるって話だなwwww


161 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 18:38:31
>>158
つうか、俺は批判をしているだけで(叩いているだけ)で、
立論をしているとは言いがたいからね。

何を叩いているのかというと、
「東に何か宗教施設らしきものができた→太陽信仰の証だ!!!」
というのは間違いだということ。それだけ。
例え奈良盆地の東端部分に何か宗教的な施設ができたからといって、
それが太陽信仰だなんて話には、全く繋がらない。

さらに敷衍した、「伊勢は生の国」「出雲は死の国」なんて話は、
これ自体、それこそスピリチュアル研究家の宗教的説法の言葉であって、
それを信仰として信じることはもちろん自由だし批判されることではないが、
考古学や歴史学が、正面から相手にするような代物では無い。

162 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 19:13:09
太陽神信仰を毛嫌いする態度も学問的ではないと思うが。
考古学で宗教が論じられないのは当たり前の話で、
そのことは考古学の限界を物語りこそすれ、
宗教祭祀を論じることが不可能ということではない

163 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 19:13:14
>例え奈良盆地の東端部分に何か宗教的な施設ができたからといって、
それが太陽信仰だなんて話には、全く繋がらない。

それは単なる個人の意見だな。
太陽軌道上に施設があるとしたら、
繋がると見る人がいてもおかしくはないでしょう。

164 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 20:46:43
>>163
どんな「軌道上」なんだい??
「太陽信仰」の側からみれば、これが大問題となる。
正東西=太陽信仰は、自明でも何でもない。
なにしろ、太陽は、年間で50度近く角度を変えながら昇って沈むんだぞw

正しい「東(90度)」と太陽信仰が結びつくためには、

「太陽信仰」 かつ 「日の出信仰」 かつ 「春分信仰」

が三位一体でなければならない。曲者なのが最後の「春分信仰」で、
春分信仰、あるいは「暦法の上で春分を特別視する宗教文化」が無い限り、
「真東であること」は、太陽信仰とは結びつかないんだよ。

メソポタミア文明のように、「暦と言えば春分だろJK」という文明的常識があれば、
正東西が重要視されても当然だろうが、古代の大和盆地で果たしてこう言えるかな?
少なくとも、文献時代に繋がる日本の祭事暦で、春分が有り難がられるということは
ハッキリしているとは言いがたいと思うがね。
新嘗祭=冬至祭であることは通説といってよいだろうから、
冬至は、古くから重要視されていたと見ても良いかもしれないが。

165 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 23:51:57
うーん。だからこそ同緯度に聖地が並んでる事実が重要なんであって。
稲作はいつ種を蒔くかなどでまったく収穫量が変わってくるから、暦、太陽についてかなり気を遣っていただろう。

166 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:16:40
>>165
さりげなく無関係なものをグチャグチャに闇鍋に放り込んでくれるなよw

「春分(秋分)を、暦法上特別視しないかぎり、
「太陽」と「正東西」の間に、宗教的関連が繋がることは、論理的にあり得ない。
地球から見て、正東西を太陽が運行するのは、これらの日だけだからだ。
これは、もはや天文学・地球物理学的事実であって、
否定するならスピリチュアルの世界に行かなければならない。

春分が特別視された形跡がないのに、目視不可能な遠さで神社が正東西に「並んでいる」
とするなら、それはただの偶然か、太陽とは別の意味を含ませたかということになる。
あるいは、後付で神社に意味が付与された可能性も高い。
下手すりゃ意味付けがされたのは、21世紀のスピリチュアル研究家だったりするかもな。

ただ、冬至がかなり古い時代から重要とされたことは確実なので、
例えば、仮に、巻向の祭祀遺跡において、拝殿の向きがピタリ113.5度だったとなれば、
太陽信仰の可能性があるということになる。

167 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:25:23
春分の日は昔から大事にされてただろ
神社の社日とか
なんかまあ思い込みが激しいようで

168 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:34:09
>>167

つ「社日の起源」

モロに中国起源(かなり時代が下ってからの道教祭祀の導入)ですが何か。
どっかの暦関係サイトに、
「仏教が彼岸なら、神道は社日」と書いてあって、
腹を抱えて笑ってしまったことがあるが、
日本の暦法文化自体、中国暦によってほぼ完全に塗り替えられてしまっているから、
笑うべきところではないのかもしれない。
中国暦以前からの暦法を微かに推測させる祭祀は、
大嘗祭くらいしか残っていないからな。

169 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:36:19
確かに同緯度上にあるというのは重要でしょ。
意図がなければそんな面倒臭い事しないよ。

170 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:36:37
稲作に暦が重要な事を認めるなら、古代日本人も当然太陽観測してたし、
春分秋分を特別視してただろう。
なんでこんな簡単なことも分からないのか

171 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:39:36
いや、いまいち分からないのだが、社日の風習が大分後世とか言い切れる根拠って何?

172 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:41:33
稲作も中国からだし、暦法が一緒に伝わった可能性は高い。
そもそも冬至だけ大事にしたなんて発想がナンセンス

173 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:44:37
まあ三角にしろ画文にしろ道教の影響が強いと言われてるし、
3世紀のマキムクなら問題ないと思うな。

174 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:48:40
>>164
> 新嘗祭=冬至祭であることは通説といってよいだろうから、

それが確認できるのはかなり時代が下ってからじゃないの?

> 冬至は、古くから重要視されていたと見ても良いかもしれないが。

纏向の時代はそう言いきれないと思うが。

まあ冬至、夏至はいつなのか知るのが簡単だから、
古くから使われているはずではある。

175 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:50:14
>>170
田植えのタイミングを決めるのは歴ではないよ、気候。
だから「代掻き馬」というものがある。

176 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:52:55
太陽の力が最も弱まる冬至に人々が恐怖したのは間違いない。
本当にまた春が迎えられるのか?
死ぬほど厳しい冬を過ごしてた古代人の気持ちは、現代人には伝わり難いんだろう。

177 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:54:25
天の岩戸神話なんてのは確かにそうだろうね

178 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:56:17
いや、社日の計算法を一目見れば、
陰陽五行説の深い理解を前提にした、純然たる中華祭祀であることは明らかだろうに。
陰陽五行説を、「宇宙の原理」として哲学的に正しく理解して初めて、
社日の日取りの意味が明らかになる。
吉野裕子説のような特殊な立場を取らない限り、
こんなものが本来の「神道の祭祀」であろうはずもないし、
巻向時代からあるわけがないだろう。
古墳時代になっても、十干十二支の配列を間違えるような、
「中華文化の劣等生」なんだぞ>大和人

179 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:58:46
稲作は暦重視だよ
暦に基づいた方が収穫が最大になる

180 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 14:06:42
社日が突然生まれたってのはどうだろう?
そんなんじゃ各地で根付かないだろ。
昔のウジノカミは暦に精通してて天体観測から農作業の適切な時期、農暦を伝えるのが重要な役割だった。
日知り、つまり聖だよ

181 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 15:28:50
>>180
そんなに難しく考えることはないんだよ。

「五節句」と同じことだよ。

端午の節句や桃の節句は、日本社会に今でも深く根付いている伝統行事だが、
これが純然たる中華祭祀起源であることを、疑うものは日本には誰もいない。
恥ずかしい某半島の連中は、まああれだがな。

182 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 23:54:24
>>179
> 稲作は暦重視だよ
> 暦に基づいた方が収穫が最大になる

アホだろw
農業勉強し直せ。

183 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 21:52:30
あ、いや、実際中世の木簡とかでも、稲の種類に応じて蒔く時期を変えるとかやってるし
あと、暦を知るからこそ今年は冷夏だとか暖冬だとかを判断できる。

世界中の農耕民は暦重視してるよ。

184 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 14:45:44
しっかしなあ。古代に「春分を特別視する」伝統の残骸を探すとして、
「社日」なんて、誰がみても餃子臭プンプンのネタしか持ち出せないなんて、
こりゃ筋が悪過ぎるよ。
それこそ、既出だが「こよみのページ」の編者の珍妙な記述を笑えない。
あのサイトは、総体的に見れば非常に秀逸な記述だが、
時に、首を傾げるようなあまりにも変な記述が混じることがある。
旧暦信者特有の、中国暦への変な思い入れによるのかもしれないが。

もし、春分と日本の古い祭祀を結びつけるなら、
どうみても「祈年祭」だろ?常識的に考えて。


185 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 15:21:28
としごいのまつりは何時からはじまったんよ?

186 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 18:28:16

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo023.jpg
これは福岡県のスダレ遺跡から出土した弥生時代の壺です(高さ約40cm)。
その形状から子持ち壺と呼ばれているものですが、用途は不明とされているそうです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo031.jpg
これは古代の南インドの墓から出土したもので、楽器を模した土器です。
副葬品として墓に埋めていたものらしい。大きさはおよそ40cmで、
上の福岡県から出土したものとほぼ同じ大きさです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo011.jpg
これは南インドで今でも実際に祭りで使われている楽器(太鼓の一種)で、
大きさは高さが110cmあるということです。この楽器の存在がなければ、
上に挙げた日本の子持ち壺が楽器か、あるいはそれを模したものであろうと
いうことは判明しなかったと云えます。


187 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 18:59:46
中国暦ほどじゃないにしろ、ある程度春分やら冬至くらいは分かってただろう。
古代人をバカにし過ぎ。


188 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:12:44
>>185
少なくとも8世紀。7世紀以前からの祭りであろうことは確実。
だが、新嘗祭の場合、持統3年の新嘗祭の「新旧暦接続」の場面で、
ローマ帝国のカエサルが行ったユリウス暦採用とそっくりのことが行われているから、
中国暦以前の新嘗祭が、冬至祭であることは確実だが、
祈年祭については、このような「新旧接続」がハッキリしない。

>>187
でもなあ。中国暦導入後の日本人の「暦法音痴・暦法苦手」っぷりは尋常じゃないからなあ。
中国暦の精神をどうしても理解できず、ひたすら劣化させるばかり。
オリジナリティーを発揮した場面が、まったくこれっぽっちもない。
大安仏滅や、細木数子の占いでさえ、オリジナリティのあるものではない。
あげくのはてには狂った暦を1000年も放置して平然としていた。
日本はいろんな文明要素を大陸から導入したが、暦法(と占星術)ほどひどいものはない。
これは、天文学が苦手というより、
「広義の占星術」と「形而上的な森羅万象の説明」が、実は大の苦手だからなんだけどね。
日本人ほど、「占いに適性の無い民族」はいない。
古代以来、前近代世界では暦法は占星術そのものだったことを考えれば、大したものは期待できない。

189 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:59:54
>>188
>でもなあ。中国暦導入後の日本人の「暦法音痴・暦法苦手」っぷりは尋常じゃないからなあ。

「好きこそものの上手なれ」と言う言葉がある。
逆もまた真なりで、好きでもない=興味がない 事に関しては上達しないと…

結局他所の国の人間から見れば健忘症かと思われるような民族性というものが昔からあって
過去の事を正確に記録する事を真剣には望まなかった由縁かとw

それは早期に文字に接しておきながら本格的にそれを導入する事が遅れた事に通じると思うがwwwwwwww

190 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 01:25:12
中国暦が後世輸出の対象物とされることからも、正確で尊ばれたのかも知れん。
しかしまあ、コヨミという訓読みが残されていることからも、
古代日本人が暦をまったく無視してたことにはならないかと。
春分秋分は大事な日でムラごとにお祭りをしてたと考えるべき

191 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 02:55:15
>>183
> あ、いや、実際中世の木簡とかでも、稲の種類に応じて蒔く時期を変えるとかやってるし

歴を元に蒔く時期を決定してない。
気温、水温の方がずっと重要なんですよ。


192 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 08:33:46
どうなんだ?そもそも気温水温ってどうやって測るの?
てか、大事なのは無論だが、そんな稲作に都合よく花が咲いたり、
虫が卵を産んだりしないだろうし。品種によっても地域によっても時期は変わってくるしな。
そんな都合よく、そんなのは見つからないよ。

まあそんなので原始的な暦を作ってたのかもしれないが。

193 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 09:55:44
それを言うなら暦を作った時にはもっと最適な時期を計れるはずがない
てか暦通りの農作業をするんじゃなくて過去の統計からの目安でしょ暦なんて?

194 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 12:42:20
>>189

>結局他所の国の人間から見れば健忘症かと思われるような民族性というものが昔からあって
>過去の事を正確に記録する事を真剣には望まなかった由縁かとw

特亜の方ですか?
これは全く違うんだが。具体的な記録を丁寧に付けてそれを保存することに関しては、
日本人は、極めて勤勉かつ実に正確なものを残している。
公家などは、正確な日付を書いた上で、
どうでもいいことについてまで、莫大な日記を残している。
藤原道長の日記には、正確な曜日(七曜)まで書いてあって、
しかもそれが現在まで残っている。

日本人が全く興味を示さなかった(というより興味があっても適性ゼロだった)のは、
天体の運行から、地上の出来事を予言することを試みる「占星術」と、
その基盤として形成された、森羅万象を、抽象的な呪術的概念で示す疑似科学の体系。
インド以西の4元素や、中国の陰陽五行説などのこと。
天体の運行と、その呪術的意味を確定しないと、地上のことを「予言」できないし、
それを前提にして暦が組み立てられるので、
占星術、天文学、暦法の発達は、前近代社会では
メソポタミアから中国、マヤ文明に至るまで、不可分一体のものだった。
日本文化には、ここが完全に欠けている。よほど苦手としか思えない。

占いと切り離された近代西洋天文学が入ってくる江戸時代から、
突然暦の精緻化が始まるのも面白いところだ。
日本人は、占いと切り離された、自然科学としての天文・暦法は苦手ではない。

195 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:25:05
>>194
>特亜の方ですか?

…ったく、どうせ「健忘症」って言葉に脊髄反射したんだろうがアホが

良くも悪くも「過去にこだわらない」と言うのは日本人の特性だよw
今日の大方の日本人は曽祖父母以前の名前は出てこないし
それは「本貫」に拘る半島の人間とは対照的だ。

また莫大な労力を費やしながら墓碑を残そうとしなかった。

陰陽五行のようなロジカルな思考が苦手だったと言っているようだが
俺から見れば全然ナンセンス。

身の回りの年中行事等を見ても陰陽五行説に由来するものばかり
土用の丑の日に鰻を食うのだって陰陽五行で説明できるんだぞ?www

明治維新後、極東でいち早く欧米の文化を吸収しえたのはそう言った素地があったからだろう。

「占い(疑似科学)」と「自然科学」を分けて考えているようだが
ヨーロッパにしたって元々は両者に明確な区分はなかったと思うぞ。

占星術、錬金術、音楽、神学…何れも自然科学の母体であったとともに
オカルトの母体でもあったと

ニュートンを評して
「最初の物理学者というより最後の錬金術師だ」
と言ったのはだれだったか、まあ有名な台詞だったと思うがw

196 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:27:37
土押さえるなら鰻じゃなくて牛食えよwwww
おおっぴらに牛食えなかった江戸時代ならまだしも現代なら牛で良いじゃねえかよ
牛の代用が鰻だぞアホwwww

197 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:38:08
>>195
だから、形而下の具体的事象の記録には、日本人は非常に熱心なんだよ。
それから、貴賎を問わない博物学的な趣味があるのも珍しい。
漢字圏の古典書籍でも、日本でないと探せないものも沢山ある。
形而下の具体的事象の記録には、当然日時が必要だから、
日時というのはかなり正確に残っている。

日本人が健忘症だと言われるのは、形而上のイデオロギーに関心がないから。
朝鮮人が必死で父系血統だけを記し続けるのは、
形而上学的な朱子学の動機付けあってのもの。
形而上学は、その性質上、「イデオロギーが忘れられない限り永遠」なので、
末代に至っても、同じ意識と行動を取り続けることになる。
具体的行為は、形而上学的しつこさの反映に過ぎない。
日本人には、こういう動機付けがないから、
日本人は、「形而上学的な行動様式」に全く執着しない。だから健忘症と言われる。

198 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:48:28
実は、日本人のこの形而上学無視の傾向は、
特亜というより、インドと対極にある。
暦法の正確さと、具体的事象の記録・記憶の豊富さが全く関係しないことは、
インドをみるとよく分かる。ほぼ日本と正反対だからだ。
インドでは、形而上学は猛烈に発達したし、
非常に精緻な暦法を編み出し(中国の太陽太陰暦よりシステム的に優秀だ)
もちろん、占星術もすさまじく発達したが、
「いつ、どこで、何が起きたのか」の形而下の事象を記す文献は、異様なほど少ない。
むしろ、形而上学に熱中し、暦法の精緻化を究める前近代社会は、
形而下の具体的事実の記録・継承には不熱心なところがある。


本論に戻れば、日本の暦法がgdgdであったことは、中国暦導入前も同じだろう。
3世紀には形而上学に長けていたなどというのは、ちょっと考えにくい。

199 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:16:38


形而上・形而下の用法はこれで合ってるの?

200 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 19:05:59
>>197-198
早い話が大阪人気質そのものってことだろ

201 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:48:22
>>193
暦が無いと最適の時期が記憶出来ないということ。

毎年大体この時期に植えると実りが多い、など。

202 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 22:03:05
古代日本には春分を祭る風習がない。
暦が伝わってないから春分の日が分からない。
東西線を意識するはずがない。
という論法が理解出来ないのだが。

203 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 01:33:53
>>192
> そんな稲作に都合よく花が咲いたり、
> 虫が卵を産んだりしないだろうし。

何も知らないのね。
今でも使われているものがあるよ。

古代には、暦のような抽象的な知識よりも、
ずっと知識集約が進んでいたと考えるのが常識的。
通常、歴に先行するのが農業に関する季節の知識だろう。

ただ、古墳時代は歴が重要度を増した時代である可能性はある。
季節に関する知識の統合整理を促すからね。

204 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 09:20:49
>>203
>何も知らないのね。
>今でも使われているものがあるよ。

具体的にかいてよ
かきしろうま以外で


205 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:59:23
種蒔桜、知らないですか?


206 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:07:31
馬が日本に来たのも大分あとだろうし、白馬の話もどこまで遡れるか。

桜が稲の神との関連性で語られるのも確かだが、
稲作は種蒔きだけじゃなし、
その都度都合よく何か花が咲いたりはしないでしょうと。
あと地域によっては桜咲く頃に蒔いちゃあダメな所もあるだろうしな。

207 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:12:19
東北の種まき桜は辛夷のこと。
もちろん古墳時代にはない呼称だろうけどね。

208 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:17:46
農耕民族にとってこそ暦は重要なんだよ。暦を使ってのマジナイやらは、
天文学が発達した後世のもの。
あまり正確な暦は農耕にはいらず、大体でいい。中国皇帝みたいに日食を言い当てたりする必要はなし。

狩猟採集の民にとっての暦は回遊魚とか里山の木の実がみのる時期とかくらいか

209 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:47:44
>>208
> 暦を使ってのマジナイやらは、天文学が発達した後世のもの。

これは同時進行でしょ?

210 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 06:22:58
**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://bunarinn.fc2web.com/gozaru1/gozaru/sakuratokaboto/sakuratokaboto.html

211 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 19:55:54
>>210
あらら「404Error」だわ…。
(キャッシュなら見られるみたいだが)
http://74.125.153.132/search?q=cache:xTbD-9CMp_sJ:bunarinn.fc2web.com/gozaru1/gozaru/sakuratokaboto/sakuratokaboto.html+%E6%A1%9C%E7%94%BA%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%A8%E6%B2%B3%E5%A7%86%E6%B8%A1%E9%81%BA%E8%B7%A1&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
ググッて出てきた類似のサイト
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html

この遺跡の木工技術はかなり纏向の護岸工事等に使われていたものを髣髴させて
一瞬、纏向のルーツか?見たいな事を想像したがいかんせん時間が開きすぎるw

これが最古のものだとしても流石に1000年技術が北陸や
あるいは日本海に留まっていたと思えないし…

案外出土例が無いだけでこの木工技術はわりと弥生末期にはありふれたものだったんだろうか?


212 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 00:22:43
そりゃ縄文時代の巨大建物みれば、
このくらいの技術は当たり前かと。
柱材が実際出て来たのは凄いと思うけれど。

213 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 13:26:49
野蛮でまとまりのなかった倭人が、2世紀後半、大和マキムクを中心に急に求心性をもつ王権が生まれた要因を知りたい訳で。
外来によるものではなく、そういった権力構造が時代に望まれ、そのために女王を担いで大同団結男したのだというならその理由は?

214 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 13:44:15
>>210-211  こちらをどうぞ木材以外の遺物も展示してます。
      **これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html
縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html

三内丸山遺跡の縄文文化(約5500年前-4000年前)の大規模集落← 高床式建物も有るよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E...
東日本の縄文文化の中で、円筒土器をもつグループは、土器を多用したことで知られている。
円筒土器文化は縄文前期後半から中期まで存在したが、その特徴とされる円筒型の土器の
由来は、明らかではない。この円筒土器文化圏は、北海道中部から東北地方北部の範囲に
限られており、その遺跡は巨大な集落を構成することで知られている。その代表の1つが
青森市三内丸山遺跡である。この遺跡では、800件以上の竪穴式住居が発掘され、
高床式建物も数百以上が検出された。また、この遺跡の縄文中期の段階では、3種類の墓が
つくられており、直径5m程度の竪穴式住居と直径30mの大型住居の相違など、一般に考えら
れるような平等な社会ではなかったと考えられている。多くの高床式倉庫の存在から、
安定した生活が営まれていたことが推測される。さらに、この遺跡を中心として、ヒスイや
黒曜石の交換だけではなく、海魚も山奥の遺跡にまで持ち込まれているなど、交換活動が
さかんであったことが分かっている。

215 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 14:15:40
縄文「北代遺跡」は、およそ4000年前、縄文中期後葉を中心に営まれた大集落跡である。
これまでの発掘で、東西280m、南北200mの範囲に70棟以上の住居跡、4棟以上の高床式建物跡
が確認されている。そして、縄文以外にも、旧石器時代、弥生時代、奈良 ...

長割遺跡(縄文時代)
[PDF] (村上市下相川字長割307ほか)ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - 表示
「高床式建物」と考えています。縄文時代の高床式建物としては県内では最大です。
日常的に居住する「家」. ではなく、特別な場合に使用する建物と考えています。
調査が進み、ムラの様子が分かってきました。環状集落で、高床式建物群が南側、
貯蔵穴群が ...

縄文時代 加工建材出土
大分市の横尾遺跡で2001年5月に出土した長さ3.4m、一辺約18cmの角柱状の材木が
約6000?年前(縄文時代早期)の加工された建材と分かった。別の部材を差し込む
ための「ほぞ穴」など6個が開けられており、横に渡す「けた材」らしいという。
これまでの貫通穴のある建材らしい最古の遺物は、富山県小矢部市の桜町遺跡で
見つかっていた約4000年前(同中期)のもの。この材木と共に、高度の建築技術による
建造物が古くからあったことが明らかになった。この技術で内部の柱を頑丈に組んだ
竪穴住居のほか、高床式の建物などが想定されている。
( 天野幸弘朝日新聞記者/今井邦彦朝日新聞記者 )


216 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 17:40:32
縄文時代から此れだけの技術が有るなら、
纏向辺りから巨大な宮殿群が出土しても可笑しくないね。
磯城の宮なんか。

217 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:39:11
卑弥呼の神殿は弥生土器にある様な空中神殿じゃないの
大階段付きで高さ20mくらいの。

218 :サガミハラハラ:2009/09/02(水) 21:42:33
卑弥呼は吉野ヶ里の北内郭に住んでいたことがあります。
あの巨大なたてものが卑弥呼の宮殿であったのです。

219 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 09:08:57
>>217
そんな柱穴は出て来てない。
もっと時代の遡る遺跡からは山ほど出ているのに。


220 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 13:46:31
纏向地区で発掘が済んでるのは一割程度だと聞いたけど。

221 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 17:06:26
マキムクの範囲も推測だろうからなあ。
実際、広範囲過ぎて、どこ掘ったらいいのかという目星がつけ難いのか。

222 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 17:44:49
>>220
一割も発掘が済んでいる遺跡は他にほとんどないよ。

223 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:15:02
なんだかんだ言っても一番掘り返されているのは
やっぱり吉野ヶ里なのかな?

224 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:30:35
山の中だから全部堀繰り返せた。

225 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:56:55
時代は違うけど三内丸山もね。


226 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 19:39:33
妻木晩田遺跡もかな

227 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:32:18
縄文「北代遺跡」は、およそ4000年前、縄文中期後葉を中心に営まれた大集落跡である。
これまでの発掘で、東西280m、南北200mの範囲に70棟以上の住居跡、4棟以上の高床式建物跡
が確認されている。そして、縄文以外にも、旧石器時代、弥生時代、奈良 ...

長割遺跡(縄文時代)
[PDF] (村上市下相川字長割307ほか)ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - 表示
「高床式建物」と考えています。縄文時代の高床式建物としては県内では最大です。
日常的に居住する「家」. ではなく、特別な場合に使用する建物と考えています。
調査が進み、ムラの様子が分かってきました。環状集落で、高床式建物群が南側、
貯蔵穴群が ...

縄文時代 加工建材出土
大分市の横尾遺跡で2001年5月に出土した長さ3.4m、一辺約18cmの角柱状の材木が
約6000?年前(縄文時代早期)の加工された建材と分かった。別の部材を差し込む
ための「ほぞ穴」など6個が開けられており、横に渡す「けた材」らしいという。
これまでの貫通穴のある建材らしい最古の遺物は、富山県小矢部市の桜町遺跡で
見つかっていた約4000年前(同中期)のもの。この材木と共に、高度の建築技術による
建造物が古くからあったことが明らかになった。この技術で内部の柱を頑丈に組んだ
竪穴住居のほか、高床式の建物などが想定されている。
( 天野幸弘朝日新聞記者/今井邦彦朝日新聞記者 )


228 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:34:07
三内丸山遺跡の縄文文化(約5500年前-4000年前)の大規模集落← 高床式建物も有るよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E...
東日本の縄文文化の中で、円筒土器をもつグループは、土器を多用したことで知られている。
円筒土器文化は縄文前期後半から中期まで存在したが、その特徴とされる円筒型の土器の
由来は、明らかではない。この円筒土器文化圏は、北海道中部から東北地方北部の範囲に
限られており、その遺跡は巨大な集落を構成することで知られている。その代表の1つが
青森市三内丸山遺跡である。この遺跡では、800件以上の竪穴式住居が発掘され、
高床式建物も数百以上が検出された。また、この遺跡の縄文中期の段階では、3種類の墓が
つくられており、直径5m程度の竪穴式住居と直径30mの大型住居の相違など、一般に考えら
れるような平等な社会ではなかったと考えられている。多くの高床式倉庫の存在から、
安定した生活が営まれていたことが推測される。さらに、この遺跡を中心として、ヒスイや
黒曜石の交換だけではなく、海魚も山奥の遺跡にまで持ち込まれているなど、交換活動が
さかんであったことが分かっている。


229 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:36:08
>>210-211  こちらをどうぞ木材以外の遺物も展示してます。
      **これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html
縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html


230 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:07:48
へ〜マキムク遺跡って真だ一割位しか掘ってないの
ガンガン掘ってほしいな。

231 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 18:29:21
>>230
そんなこと言ったら学校も団地も皆立ち退きだぞ。

232 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:59:10
俺ん常も立ち退きかえ。困るのう

233 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 12:53:52
>>229
桜町遺跡も一割位だと聞いたな、全部発掘するの何年かかるか。
歴史を塗り替える物が出てきそうじゃな。

234 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 15:56:34
なんだ?

235 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:06:50
しかしアレだな、今までやれ「平安時代からだ」とか「鎌倉時代からだ」とか言われていた
木工技術が縄文時代に普通に使われていたなんて話は
邪馬台国論争で100年の実年代を争っているレベルじゃ無いって事だよな…

流石に付いていけないと言うかw

まあ纏向の一種オーパーツ気味な”キモチの悪さ”は解消できるのかもしれんがwwww

236 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:15:11
378 出土地不明 [] <2009/09/07(月) 16:09:29 ID:CnO8VE30>
辻畑古墳:最古級の可能性 230年前後の築造か 静岡
http://mainichi.jp/photo/archive/news/2009/09/07/20090907k0000e040036000c.html

237 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:23:06
>>236
土器で実年代を言うのはやはり慎重なほうがいいな。

238 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:29:33
実年代はともかく、編年で考えても古いぞ。
纏向2式〜3式前半、西新式に相当というのが通説だった。

239 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 04:05:11
>>236
最古の古墳…って前方後方墳か。

しかし前方後方墳と前方後円墳の関係も良く分からんよね。
(まあ個人的には雑煮に入れる餅が地域により
 丸餅か切り餅の四角なのかの差ぐらいかな?とも思っているがwww)

そう言えば吉野ヶ里も最後に造られたのは前方後方墳だっけ…。


240 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 23:47:07
>>236 本文より
愛知県埋蔵文化財センターが調査を指導する静岡県沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)の
辻畑(つじばたけ)古墳が、日本最古級の可能性があることが7日、同センターと沼津市教委への
取材で分かった。出土した高坏(たかつき)の素材や色、形状などから230年前後の築造と
推測されるという。名古屋大と共同して科学的に分析し、築造時期の特定作業を進めている。

市教委によると、辻畑古墳は前方後方墳で、南北約62メートル、東西は現存する部分で約32
メートル。高坏は古墳の周濠(しゅうごう)の底から割れた状態で出土した。脚部の上の方に、
くしで引いたような横じまが入るなど「廻間(はさま)2式」と呼ばれる特徴があるという。
同センターの赤塚次郎調査課長は「高坏の特徴から230年前後」と説明。
市教委は今年秋に発掘調査を終える予定だ。【田口雅士、平林由梨】


赤塚さんは年代遡上派の切り込み隊長のような立ち位置だね。

241 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 11:24:02
実年代はともかく、廻間2式に分類していいものなら、
古いことは確実だね。沼津だからかなり東だ。

242 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 13:11:04
マキムクとは東向きという意味ですね。
日代宮といい、まさに太陽信仰といえるでしょう。

243 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 14:50:07
安い推測だことw

244 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 17:02:41
では高尚な推測をどうぞ。

245 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:40:25
これからも日本各地で最古級の古墳が発見されていくのだろう。
それをどう考えるのか? が問題。

246 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:50:44
九州で最古級の古墳って話はぜんぜん出てこないけどね。
プゲラ


247 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:57:10
吉野ヶ里の北墳丘墓とか。
そういえば南のは墓じゃないってことで決着したんだっけ?

248 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 12:12:21
古墳といっても円墳か方墳か前方後円墳か
九州北部なら古い前方後円墳はない。
あるとすれば宮崎

九州北部は前方後円墳文化ではない
大和朝廷とは別の文化だ。

249 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 15:43:50
円墳・方墳は関係ないだろ。



250 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 22:13:56
>>236だって前方後方墳だしな。
前方後方墳と前方後円墳の違いはもちろん重要だけど、
前方後円墳を極端に特別扱いすると、
古墳の起源を見誤ることになりかねないよ。

251 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 23:17:54
★日本最古と判明 横尾遺跡の建築部材

大分市横尾の横尾遺跡群(第八十二次調査)で見つかった縄文時代の建築部材は、市教委のその後の調査で
縄文前期初めから早期末にかけて、約六千年以上前の「日本最古」だったことが十五日までに分かった。
これまで国内で出土した最も古い建築部材は、同中期末の約四千年前で、それを二千年以上もさかのぼる。
市教委は「日本の建築史上、貴重な発見」として、さらに時代と部材について詳しく調べている。
建築部材は縄文後期初めのドングリ貯蔵穴のさらに1mほど下から見つかった。地層断面を詳しく調べたところ、
建築部材はアカホヤ火山灰の下から出土していた。アカホヤは、南九州の鬼界カルデラから約六千年前に噴出。
県内では縄文時代前期と早期にまたがる時代とされている。この結果、建築部材は前期初め(約六千年前)から、
早期末(約六千三百年前)の可能性が高くなったという。
加工された建築部材はこれまで、富山県小矢部市の桜町遺跡から出土した縄文中期末(約四千年前)が
「日本最古」とされていた。横尾遺跡の建築部材はそれを二千年以上さかのぼることになり、建築史の専門家
らも注目している。市教委は今後、火山灰の分析をする一方、時代を確定させる土器の発見に全力を挙げていく。


252 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 23:19:33
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/yokoo.html
出土した建築部材は断面が正方形に加工された長さ三・八m、縦横十八cmほどの角材。「ほぞ穴」「めど穴」と呼ばれる丸い穴が、
確認できるだけで六カ所あった。原始・古代建築に詳しい東北芸術工科大学の宮本長二郎教授は「大型の高床建物の桁(けた)
部分ではないか」と話している。
建築部材は他の二つの木と一緒に、組み合わされた格好で出土。建物の部材として使われた後、水場の作業場の足固め(水場遺構)
として使われていたらしい。他の二つの木も、一部に石斧(せきふ)による加工跡があることから、部材の一部の可能性が出ている。
このほか姫島産の黒曜石の原石が、植物繊維で編んだかご、またはネットに入って見つかっている。
横尾遺跡は、縄文前期から後期にかけての横尾貝塚遺跡の隣接地にある。これまでに縄文後期初めのドングリ貯蔵穴八基と多量の土器、
石器が出土していた。


253 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 12:16:29
>>251
ちょっと凄すぎてウソだろって思ってしまうな。

是まだ発掘中だろ、建築材がまだまだ出てきそうとか書いてたな。

254 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 17:40:02
出土地層から考えると、
周辺には他にもこういう遺跡がたくさん眠ってるんだろうな。

255 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 20:42:22
ごっそり炭化米でも出よう物なら、日本史がひっくり返るけど
まっ、それはないな。

256 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 22:49:09
多分、そのうち腕時計が出てくると思うよ。

257 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 21:54:04
前方後円墳はやっぱ道教の「天円地方」思想からですかね。
それともユダヤ教の「三種の神器」マナの壷ですかね。

258 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 08:30:44
どっちも違うと思うが。

前方部の起源は周濠の陸橋部や主体部への登坂路なのかもしれないけど、
定型化後の大型前方部は何の意味が有ったのかな。
天上界への滑走路とかをイメージしたのか、はたまた単なるマンモスの牙か?

259 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:23:58
箸墓はこの秋から本格的調査に入るそうだよ。

260 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:44:36
箸墓のどこを?

261 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 07:31:48
最近になって箸墓には幅10メートル前後の内濠と内堤の周囲に、
更に巨大な外濠が周濠として整備されていたことが分ったようだから、
その外濠の存在を確認するために本格的調査をするのではないか。

262 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:18:07
外濠から何か出てきても、外濠が箸墓と同時期に作られたかどうかって判別できるの?


263 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:27:57
>>259
この春に発表された(例の年代の事だろう)のは
調査結果の一端で、秋からは本調査に入るとされてたから。

これから発表が続くとは聞いているけど
具体的内容は本調査が進んでからだな。

264 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:30:27
>>262
出土品の出た地層の階層を読む

265 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:56:48
>>262
外濠の掘削土が墳丘の築造以外の用途に使われていた証拠が発見され、
その場所から大きく時代が降る土器群でも出土しない限り、
外濠が墳丘の築造のために掘削されたという定説は覆らないだろう。

266 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:22:19
外堀があるといってること自体、まだ妄想に近いレベルだしなぁ。

267 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:45:35
心配しなくても色々ネタは控えてるよ。

268 :のんびりひまじん:2009/09/23(水) 20:31:55
諸君!横スレです!
この板ならでは考古学に心得あるみなさんへ

近畿説とまったく対極の九州王朝説の最新仮説に新たな展開の模様です。

九州王朝が、7世紀なかば、副都:難波宮を建設し東遷を始めたという、
(九州王朝説そのものが仮説のところさらなる)仮説には難点があった。
考古学遺物が難波宮から九州の考古遺物が見付かってなかった。

ところが有力な展開があったようです。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html

「古代難波に運ばれた筑紫の須恵器」(『九州考古学』第83号、2008年11月)
「前期難波宮の整地層から出土した須恵器甕について、タタキ・当て具痕の比較をもとに、
北部九州から運ばれたとする。」という『史学雑誌』2009年五月号の「回顧と展望」

 注目しよう!

269 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:00:18
アホらし。

270 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:53:25
>>268

古田は法隆寺とかも九州王朝の「遺物」で、それが証拠だとか言ってなかったか?
そうか、あれは、九州王朝論者も内心では認めていない大ウソだったのかw

271 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:35:00
古墳時代に阿蘇の石がはるばる運ばれているというのに、
7世紀の須恵器ガなんだというのか。


272 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:40:32
古田弾劾スレになりそうだが、よいことだ。

273 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 10:36:16
マキムクに関係ないよ!

274 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:06:19
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

275 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 01:57:51
結局のところ、大和の古墳ってのは各地に源流があって、
それらのパッチワークで前方後円墳てものが生まれたということで。
各地から中心大和に収束したベクトルが、前方後円墳の確立後、
今度は一転して各地に拡散する。

この流れを政治史として解釈するなら、各地の首長たちが大和に集結して
初代大王を担ぎ、プレ大和王権が誕生。「前方後円(方)墳の祭り」が行われる。
その祭りが各地に拡散、ていうことなんだろう。

各地のオウたちが大和に集まった理由というのは想像するしかないが、
恐らくは瀬戸内海交易路の安全を保障する権威として三輪山の巫女が担がれた
というのが妥当な線。
瀬戸内海の海商小国家群がそれぞれに関税を課し、瀬戸内海航路は使い物にならず。
出雲が安全保障の権威足り得た日本海航路が優先された。
それに対する東瀬戸内地域、畿内、東海らの反発。瀬戸内海交易をいかに活性化するかが
プレ大和王権の存在意義だったのでは?

276 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 04:40:38
関税なんてもんが当時にあったのか

277 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 09:27:22
各地とか曖昧すぎだろ

278 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 21:38:59
>>276
想像力無さ過ぎ
関税てのは、海賊が
「この海を安全に渡りたくば、品の何割かを置いていけ」
というのを上品に言い換えたんだよ

279 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 23:47:17
言葉は正確に使わないと実体とかけ離れていくぜ。

280 :うましか:2009/09/30(水) 00:12:32
>>278

海賊統制説、大好きですね。
ただ「関税」はイメージ的にちょっと違うかな。
みかじめ料の方がいいかもしれません。


281 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 13:36:29
そもそも古代に連合国家なんて成立できるのか。俺には一つの権力が征服して
支配権拡大していったようにしか思えないのだが

282 :うましか:2009/09/30(水) 19:07:00
連合国家じゃないですよ。
国々の連合、それも緩やかな連合。
今のEUみたいなものをイメージした方がいいかもしれません。
他の時代、他の地域でもいろいろなタイプの連合は在ったじゃないですか。
メジャーなところでは、神聖ローマ帝国とかも似たような感じがしますが。
北方遊牧民の大首長の選び方なども連合の仲間かも。

283 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 00:23:14
>>281
>一つの権力が征服して
>支配権拡大していったようにしか思えないのだが

うーんどうなんだろ? なぜそう思えるのかの根拠を示してもらえれば。

倭人伝にも女王共立と書かれてるし、大和王権は比較的後代まで有力豪族の
連合政権の様相を呈してる。

特に最近の考古学の研究で、古墳の誕生および全国への波及を考えれば
連合政権説が妥当。
これからも各地で最古級の古墳の発見がなされていくだろう。
日本列島である時を境にパラレルに王権が誕生したんだという認識は持つべき。
それは地球規模の寒冷化がもたらしたものなんだよ。

284 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 10:36:46
>日本列島である時を境にパラレルに王権が誕生した

パラレル王権を認めると、九州説も否定できなくなる。
パラレル王権を主張し続けて、畿内説から九州説に転向した人がいたね。
でも、九州説の人はパラレル王権を認めないというのが浅はかだね。



285 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 01:29:14
巻向は日本のスイスかも。
スイスはドイツ、フランス、イタリアの接点。
巻向は山陰北陸勢力、東海勢力、瀬戸内勢力の接点。

286 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 01:31:52
ドイツもイタリアもつい最近までは都市国家郡だし。

287 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 02:28:53
ヒミコの死前・後で違うと思う。
ヒミコの死前はたしかに各地でいろんなタイプの墳丘墓が作られ、点的に波及したりしてるけど、
ヒミコの死後つまり箸墓以降は、巨大前方後円墳いわゆる大王墓が1世代1基的に作られていて、
墳丘形態や副葬品の形式などに定形化・統一性がみられるようになり、
この前方後円墳という様式が布留式土器や△鏡とともに急速に全国へ広がっていく。
中にはヤマトの大王墓の相似墳なども作られている。
私は古墳前期という時代にはすでにA族・B族・C族……の持ち回り政権ではなくて、
王権の「核」となる統領一族(つまりヤマト王家)が存在していたと思う。
ま、それがヒミコやトヨの一族なんだと思うんだけどね。

288 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 03:21:18
>>287
だから、一応、日本列島の地面から出てくる遺物をもとにした考古学的分析と、
中華漫遊小説「ひょっこりひょうたん島の女王様」のネタ話を、
勝手に接続するはやめろと、繰り返し繰り返し書いているんだがw


289 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 03:32:14
>>287
> ヒミコの死後つまり箸墓以降は、巨大前方後円墳いわゆる大王墓が1世代1基的に作られていて、
> 王権の「核」となる統領一族(つまりヤマト王家)が存在していたと思う。

オオヤマトだけ見てもそんなことは全く言えないが。

290 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 13:20:19
古墳前期のおよそ1世紀のうちに200m超級の大王墓的なものがヤマトのごく狭い範囲に数基造られてるわけでしょ?
他国(地方)の古墳規模からも隔絶しているし、ヤマト内でも墳長だけでみればNO.2クラスの倍はある。
つまり箸墓以後、ヤマトを統べる大王的な存在はいたのだろうと。
で、その「大王的存在」が、持ち回り……A族の長が20年在位したあと、B族の長が即位して、
その20年後がC族の長なので、D族の長はさらにもう20年待ってください、みたいなものだったのかというと、そうではなかったろうと。
規模の隔絶した王墓の累世的築造というのは、それまでの弥生社会にはなかったことだし、
次にどこ族の誰が王になるのかもわからない(各族間での主導権抗争の危険を孕んだ)そんな先の見えない政治体制のもとでは、
前方後円墳・葬制・布留式土器・△鏡があれほど急速に全国へ伝播・浸透していくような政治意志・原動力も生まれなかったろうと。
そこはやはり、王権の「核」となるヤマト王一族(ヒミコ・トヨを輩出した一族)の存在があってこそなのだろうと。

291 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 13:26:36
>>285
島根と新潟の物部神社と熱田神宮、宇佐八幡宮は畿内勢力の征服の証であり砦

292 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 13:29:29
>>283
一つの権力内での勢力争いがまとまらずに共立となっただけだろ。神道における高天原も共和制だし
ちょっと前までの自民党も55年体制下で一党独裁といわれていたが党内の派閥争いによって政策が
変わっていた

293 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 14:37:27
>>290
良く見れば、大和古墳群,柳本古墳群,纒向古墳群でも、
拮抗したサイズの古墳が並立していて、
> 大王墓が1世代1基的に作られていて、
> 王権の「核」となる統領一族
ってことはないだろ。

初期の大和政権については、
邪馬台国論や万世一系に引き摺られて、
古墳の実体とはかなりかけ離れた議論が行われてるぞ。

> ヒミコの死後つまり箸墓以降は、

ってのが典型なんだが。


294 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 14:54:11
>>293
>大和古墳群,柳本古墳群,纒向古墳群でも、 拮抗したサイズの古墳が並立

具体的には?


295 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:27:12
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

296 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 22:06:35
海賊統制説もそうなんですが、私は
「大和王権がいかにして誕生したのか、そのトリガーとなったのは何か?」
に興味があります。
今現在最も有力な説は何なんでしょうか?
考古学では分からないが正解なんでしょうけど。

297 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 22:43:58
山陰勢力との共存関係の成立が大和の始まりかな。

東海と瀬戸内は唐古鍵の時代から共存してるしね。
これも大和と言えるかも。

山陰が加わることで、唐古鍵から巻向に遷都だな。

298 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:16:40
山陰が制圧併呑されたのは確実だろ。東海も畿内説が確定ならたぶんクナ国だろうし

299 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:17:38
>>296
記紀の記述、神武東征服伝承やらをどこまで信用するかだろうね。
同時代の文字の記述がない以上(倭人伝は除く)、あとは推測しかない。

巨大古墳のような特定首長墓が作られる以上、その頃にオウが生まれたんだろう
では納得できないかな。

そもそも倭人は呉の太伯の子孫を名乗ってたんであって、
太陽神につながる天孫降臨とかの伝承は後世創られたものなんだよ。
記紀を読んで余り想像力を逞しくさせない方がいい。


300 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:32:57
>>297
298が言うような制圧併呑まではないだろうが、日本海航路諸国と
瀬戸内海航路諸国の利害が対立してたのは事実だろう。
初期古墳や三角縁の出土状況からも、大和王権成立(瀬戸内海航路の安定化)以後は、
日本海側は軽視されるようになったと思うが。

301 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:45:26
ヒミコが三世紀前半の人であり弟王が崇神天皇であったとするなら神武天皇が
存在していたとしてもせいぜい紀元前1世紀ごろだろ

302 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:11:30
>>298
このスレの時代には制圧併呑されてないだろ。

303 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:26:14
>>299
記紀の記述が信用出来ないのはそうだろうが、
少なくともヤマト大王の初代がいたことは間違いないだろ?

それが箸墓の被葬者になるのか石塚の被葬者になるのかは分からないけど。

304 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:26:44
巻向の話をしてるのに、なんで東海が敵国になるんだよ。

305 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:36:39
>>303
いや、ヤマトの大王は唐古辺りが最初かも知れない。
初代が纏向なんてことは全く言えない。

306 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 08:22:01
唐古鍵に初代大王がいたという根拠がないのでは?
記紀でもスルーだし、首長墓の発展、階層化も見られないし。
少なくとも後世の人は、マキムクの崇神をハツクニシラスとする認識があったんだろう。

307 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 17:43:08
すくなくとも前方後円墳と銅鐸は北部九州発祥ではない。

308 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:09:38
初期の銅鐸鋳型の出土は九州でも多いですよ。
初期〜中期の銅鐸の一部は、九州で作られて本州で使われていた
というのが、考古学的事実です。

309 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:14:59
つまり巻向が形成される以前、倭国の大乱の頃に大分辺りまで征服されていたってことなんじゃないか

310 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:41:55
「征服」では無くて、交流が有ったとまでしか言えないでしょう。
その関係は弥生前期から変わってませんけどね。

311 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 20:07:58
>>307
>すくなくとも前方後円墳と銅鐸は北部九州発祥ではない。

前方後円墳は同意。

しかし銅鐸は・・・・北部九州かもしれないぞ。

312 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:22:23
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

313 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:06:27
夏や殷周のような都市国家群のリーダー、ていうのがマキムク王権の実態だろ。
各地を征服併呑とかはかなり後世になってから。筑紫なんかは6世紀の磐井の頃に漸く。

314 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:31:38
>>308
そんな事実はないよ。勉強しなおしておいで。

315 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:54:26
ヤマト王権は魏晋の権威をバックに、各地の豪族間の利害調整やら仲裁、調停機関として機能していた。
三角縁配布なんてまさにそれ。各地のオウたちの権力の承認。
軍事的行動で各地を征伐したのは、あくまで当時の倭国世界の外、周辺の異民族。エミシとクマソだ。

316 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 10:09:21
>>81
一年しか使わずに放棄されていることが、
併設井戸の埋設物で分かる。

317 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:18:37
銅鐸は出雲中心で多いんじゃなかったかな

318 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:31:21
>高床式住居

各地から纏向での祭祀に参加するためにやってきた人間が
短期滞在するために造られた…に一票wwwww

で一定期間の後、取り壊される事を前提に
(今日の式年遷宮みたいに)
建てられたと…

319 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 20:34:07
>>314  勉強しましたww
九州出土銅鐸
http://homepage1.nifty.com/moritaya/syutudo7.html
http://museum.city.fukuoka.jp/je/html/171-180/179/je179_02.html


320 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 20:58:59
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )

321 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 23:11:37
>>319
銅鐸の祖形は朝鮮からきた小銅鐸である。
鐸型土製品は小銅鐸とほぼ同時期に九州で普及した。
これが銅鐸のもとになった。

小銅鐸はその後大型化し、いわゆる銅鐸となり、流通の中心が本州に移った。
九州でも鋳型が出土していたが、製品の出土はなかったので本州で使用された考えられた。

しかし、九州でも出土した。http://www.saga-ed.jp/workshop/edq01453/doutaku.htm
そのため、銅鐸とその他の銅製品の流通地域に対立関係があるという説には疑問。
むしろ、銅製品が徐々に大型化するという傾向を共有する一つの文化圏とみるべき。


322 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 00:41:33
小銅鐸なんて古墳時代までいくらでもあるのに。
古墳の中から見つかった例まである。

で、小銅鐸を除くと九州で出土している鋳型は銅鐸の発展の流れからは、
完全に外れていて、いわゆる銅鐸生産の中枢から外れた
地方で作られた亜種と見られている福田型のみ。

また、九州出土の銅鐸は中期中ごろをさかのぼらないが、
本州からは前期末から中期初頭にさかのぼるだろうという鋳型が出土している。

ちゃんちゃん。


323 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 02:25:30
>>322
>本州からは前期末から中期初頭にさかのぼるだろうという鋳型が出土している。

なわけないww  さかのぼってせいぜい中期前半。
本州重視の学者は銅鐸を無理に古くする傾向が強いね。しかし、それをやると
九州の青銅器の大型化の時期とのバランスが完全に崩れてしまう。ようするに無理。

福田型を亜種としても、銅鐸が九州から出土した事実は覆らない。
小銅鐸や鐸型土製品が九州で大量に出土した事実も隠せない。
ようするに銅鐸の元は九州で始まっていて、その使用集団が本州で発展させたのは事実。

ただ、銅鐸は当初は小銅鐸から始まったが、銅鐸が大型でゴテゴテしたものになっていく一方で、
小銅鐸も細々と併行して製造はともかく使用は続いていたというのも事実。
小銅鐸を使い続けていたのは渡来系の人たちかもしれないね。


324 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 02:28:40
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]
http://pds.exblog.jp/pds/1/200802/05/63/d0063263_11202731.jpg

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/
日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。

325 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 02:29:40
そもそも銅鐸のなかで確実に中期半ばまで遡ることに異論のないものはあるのか?


326 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 03:07:34
>下の話と>>324の話と銅鐸出現時期とが妙に合うね。

司馬遷の史記「呉太伯世家」(紀元前585年頃 − 紀元前473年)【天皇紀2600年に近い?】
[魏略]の逸文注1)の【その旧語を聞くに、自ら太伯のすえという】
晋朝注2)の史書[晋書][梁書]の倭人伝中の【自ら太伯の後と謂う】

呉は西暦前473年に滅亡。越は呉の後を追い都を山東半島の根本の琅邪(徐福の出地)
に移します。しかしこの越も西暦前334年に楚に滅ぼされます。
*この頃より九州北部「吉武高木遺跡」に三種の神器を持った王が現る。

*始皇帝本紀には「楚国、越国を滅ぼす」、始皇帝の『越絶書』には
「外越と内越がある」と書いてある。内越とは中国大陸にいる越で、
外越は会稽の東海の彼方にいる越で、交流を絶つべしと命ずる。


327 :うましか:2009/10/10(土) 09:25:54
>>325

> そもそも銅鐸のなかで確実に中期半ばまで遡ることに異論のないものはあるのか?

銅鐸そのものじゃないですけど、鋳型(菱環鈕式?)が出土した朝日遺跡の土坑が、
畿内U並行期とされていませんでしたか?

328 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 11:18:20
>>323
中期前半でも九州よりは古いわな。

329 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 11:25:17
>福田型を亜種としても、銅鐸が九州から出土した事実は覆らない。

だからどうだって言うの?
亜種ということは、東で広く使われている
日用品にしては大きい銅鐸を使用した祭祀の影響が
九州に波及したということでしかないんだけど。


330 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:26:28
大型銅鐸は別として、
銅鐸は九州など大陸に近いところから流行したって考えるのが自然でしょ。
特殊な道具ならともかく単なる鐸ですからねえ。
あの音色聴けば流行らないところはないでしょう。

331 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 14:32:47
それが小銅鐸の意味なら同意。
菱環鈕からの大型化に向かう流れの起源を九州に求めるのは難しい。

332 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 14:40:05
>>327
相対年代だと確実性がいまいちなんだよね。

たとえば中期後半に作られたタイプの銅鐸が中期後半に数箇所で埋められたとして、
ある地域では中期後半でも中期前半の土器をそのまま使っているかもしれないし、
さらには前期の形の土器を使っている地域もあるかもしれない。
逆に後期の土器を最初に使い始めた地域で埋められるかもしれない。

つまり、土器は全国一律に一斉に変化するわけではないので、地域的なばらつきが大きい。
なので、出土状況を全体的に見てその中央付近で年代を決めるほうが穏当だよ。

銅鐸もこういった見方をすれば(朝鮮式の)小銅鐸や鐸型土製品が中期前半から半ばで、
その後銅鐸に変化したのは中期後半からとするのが穏当だろうね。


333 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 07:12:06
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091002-00000266-mailo-l29

水田跡:御所・玉手地区で県内最古級 弥生前期、人の足跡も−−市教委調査 /奈良
10月2日16時2分配信 毎日新聞

御所市教委は1日、京奈和自動車道建設に伴う同市玉手地区の発掘調査で、県内最古級の弥生時代前期(約2500年前)の水田跡が見つかったと発表した。
農作業をした弥生人の足跡も確認。同市教委は「稲作が奈良盆地に伝わって間もない時期の、水田の実態を知る貴重な資料になる」としている。
JR玉手駅北側の約6800平方メートルを4月から調査。
縄文時代晩期(約2800年前)〜古墳時代前期(約1700年前)の遺構が7層にわたって確認された。
弥生時代前期の水田跡は、高さ最大15センチのあぜで、縦3・5〜5・5メートル、横1・5メートル程度に細長く区画されていた。
緩い斜面になっており、棚田のように斜面に作られたとみられる。
水田内を巡る用水路や川から水を引く際の堰(せき)のほか、水田に深く足を沈めてできた弥生人の足跡も無数に見つかった。
北約2キロの萩之本遺跡(橿原市川西町)でも同時期の水田跡が見つかっており、同市教委は「一帯が大規模な稲作地帯だった可能性がある」としている。
このほか、縄文時代晩期の土器の棺おけ「土器棺墓」1基、古墳時代前期の建物跡2棟も見つかった。
現地説明会は4日午後1時から。駐車場はなく、玉手駅から徒歩3分。
小雨決行。【高島博之】


334 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 11:54:52
かなりスレ違いだけど、考安天皇陵のあるところだな。
ちょっと南にヤマトタケルの白鳥陵。
あの辺は三輪はもちろん箸中とは違って平らだから、
15センチですむんだろうな。太田と同じくらいの傾斜。

335 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:27:19
この辺は数年前から継続していろいろ出てる。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=34.45482156843581,135.7428872373365&sll=34.454289,135.743079&sspn=0.010899,0.013261&ie=UTF8&hq=&hnear=&ll=34.456146,135.74559&spn=0.010899,0.013261&t=h&z=16

航空写真を見ると明らかに道路用地として確保された土地がみつかる。
これに沿って多分工事が進んでいて、掘るたびになんか出てる感じ。
縄文から弥生前期あたりで。

336 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:26:36
葛城ってのはやっぱり無視出来ない勢力だったんでしょうね。
だからこそ欠史八代の天皇が加えられたんでしょうし。
サヌカイトの産地を押さえた勢力こそが、最初の奈良盆地の覇者になったと考えるのが自然。
雄略の時に本家はいったん滅ぼされたんですけど、葛城の一族は後世でも力を持ち続けた訳で。

337 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 07:35:30
葛城は纏向よりも高いところに平らなところがあるから、
少し前の時代は古奈良湖の中で平地ない問題もない代りに、
この時代は古奈良湖の縮退に合わせて
田畑が自動的に増えていくって事もないわけだよね。
後の時代の河内湖でも同じように新田が増えた。

338 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 12:40:57
葛城が高天原だったわけだしな。

339 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 15:41:20
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

340 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 15:48:04
葛城は倭国の大乱における高地性集落が発生原因と考えていいのかな

341 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 18:30:37
葛城国造があったことからも分かるように、もともとは大和と葛城は別国。

342 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 09:56:10
神武東征より前も後も、ヤマトと葛城は別の国だと記紀に書いてある。
東遷説では説明ができない。
なぜ魏から金印をもらったような国が東遷したのに葛城が独立していられるのか?
よって、邪馬台国はヤマト。


343 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:44:25
少なくとも3〜4世紀のヤマト王権は、各地のオウより頭一つ出た程度の、倭国内のリーダーに過ぎない。
各地のオウたちはそれぞれ独立性が高く、対半島・大陸の窓口、倭国の代表としてヤマトを担いだだけ。

344 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:45:24
つまりは漢委奴国の代替であって、筑紫から大和に倭王の座が移ったのは倭国大乱による。
大乱の原因は弥生後期に起きた地球規模の寒冷化。

345 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:16:02
巻向のスレで遺跡に関係なく妄想してる・・・

346 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:40:50
>大乱の原因は弥生後期に起きた地球規模の寒冷化。

これは事実でしょ。

実際、北九州は衰退し人口も減ってる。
飢えた九州難民は畿内の援助を乞うしかなかった。
いくら鉄器が豊富でも腹は満たされないからな。



347 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:42:18
だから、炊飯用途の庄内式土器が九州に輸出されたんだよ。
当然、穀物も一緒に。

348 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 01:00:23
寒冷化で北九州の食い詰め者が機内に攻め込んだのが神武東征

349 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 01:16:08
寒冷化なら普通は畿内が不作になり、九州が豊作になる。
むしろ高温化じゃなかろうか

高温化なら、九州が乾燥化して畿内が豊作になる。

350 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 10:30:58
寒冷化も、九州の人口低下も事実なんですから。
そこから考えてください。

351 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 10:53:24
考古学的証拠がない

352 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 12:16:19
寒冷化の証拠→遺物の種子の植生の変化
人口減の証拠→遺跡の規模の縮小

353 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:22:07
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

354 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 22:24:31
西ローマ帝国の滅亡やら後漢の滅亡も寒冷化が原因とされてるし、そういった考察は必要かと思う。

355 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 14:16:11
太陽の黒点が増加すると政治が乱れる、てのがあったな、確か。
要は太陽の活動が減退してるってことで、寒冷化、農業国家が混乱するという説。

356 :351:2009/10/16(金) 15:45:41
俺の書き込みは>>348に対してのもの。九州から近畿に政治権力が移動した形跡がない

357 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:54:59
九州は寒冷化より高温化の方が痛い。
水不足、空梅雨、台風の大型化

少々寒冷化しても稲が育たなくなるほどに
なることは滅多にない。

寒冷化が強烈だと近畿の方がダメージ高くないかね

358 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/10/16(金) 19:23:49
1773年、1774年、1781年、隅田川凍る。1812年、隅田川、淀川凍結。
1856年7〜9月、江戸降雪。おーぉ!寒い!さむい!

359 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 19:30:02
弥生後期後半から終末の北部九州の集落数は増えているし、大規模化する遺跡も多いんだが
九州の人口低下ってソースは何?

360 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 23:46:40
>>359

吉野ヶ里ですら衰退してるってのに・・・


361 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 00:53:33
吉野ヶ里の南内郭や北内郭の最盛期は後期後半から終末だが
しかも、知らないかもだが、後期後半以降には、吉野ヶ里の周囲の低地などにも遺跡が増えているよ
北部九州で後期後半から終末に大規模化する遺跡は平塚川添とか、野方遺跡、以来尺、惣座、笹井、下月熊、などたくさんあるが
もとから大きい須玖や三雲、那珂比恵は大きいままだよ
佐賀平野や玄界灘沿岸で後期後半に遺跡数が増えるのも本当。しっかり調べてくれ


362 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 00:58:26

 邪馬台国は筑紫の磐井



363 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 11:55:18
【社会】奥の山に未盗掘石室 レーダー探査で影二つ 行田・埼玉古墳群
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1255607433/l50

国指定史跡の埼玉古墳群(行田市)の南端に位置する奥の山古墳に未盗掘とみられる石室が
存在することが12日、明らかになった。6世紀前半に造築されたとされる同古墳。各地の古墳の
大半が盗掘で荒らされているケースが多い中、同古墳の石室は墳丘表面の状態から掘り
起こされていない可能性が高い。発掘調査を行った県立さきたま史跡の博物館によると、
同古墳群で石室が正式に確認されたのは1968(昭和43)年に国宝・金錯銘鉄剣が見つかった
稲荷山古墳以来。

同博物館によると、石室が見つかったのは全長約70メートルの前方後円墳のうち直径43メートル、
高さ約7メートルの後円部分の墳丘。東北大学と共同でレーダー探査を行ったところ、
墳丘地表面から深さ3メートルほどの位置に二つの影があることが分かり、2メートル×4メートル
ほどの部屋があると確認された。通常、石室には鏡や馬具、武具などが埋葬されており、
金錯銘鉄剣も稲荷山古墳の二つの石室のうち、未盗掘だった一方の石室から出土している。

石室が二つ存在するとの見方があるほか、「地中に長さ1メートルほどの棒状の影が映った」との
情報もあり、関係者の間では鉄剣など副葬品への期待も高まっている。文化庁は調査する場合、
空調などが整った状態で行うようにと指導。未盗掘であれば石室に何が眠っているか、
古代への夢は膨らむ。

同古墳で11月から行われる古墳復原整備は、主に外観整備が中心。石室を掘り起こすには、
資金面や、地権者との調整などの準備にかなりの時間が必要なことから、現時点で石室を
調査する予定はなく、現状のまま保存する方針。


364 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:54:52
>>361

実年代が何年か言えるか?


365 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:27:29
巻向のスレなのに、なんで九州とかの話が出てくんの?
関係ないっしょ!九州なんて興味もないし・・・ね。


366 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:00:33
弥生末期の纏向が独自だったのか、
普遍性を持つか考えるには、>>361のような常用は必要。
畿内論と九州論とか興味ないけどね。

367 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 16:05:36
九州の後期後半は畿内の5様式後半に、終末期は庄内式にほぼ併行
実年代はそれぞれ、およそ2世紀と、2世紀末から3世紀前半とされる
ちなみに、古墳初めが3世紀中頃ないし少なくとも3世紀後半という意見は、最近のものではなく、実はすでに1970年代に岡崎敬や橋口達也が言っていたもの。


368 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 17:23:12
>>361

…と言うかその実年代はおいとくとしても

須玖岡本の衰退→比恵那珂の繁栄 と言う変遷はガチだと思うがw

なんかめぼしい遺跡を全部挙げて弥生末期まで繁栄したと引っ張っているようなwwwwwww



369 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 17:26:31
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

370 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/10/17(土) 20:26:23
京都府城陽市にある芝ヶ原12号古墳の発掘調査現地説明会に行って来ました。
礫敷きから庄内式土器が出土して、当初4世紀初頭の築造と考えられていたのが
3世紀後半に築造された前方後方墳となったようです。

371 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 22:51:43
>>357
気象板住民にでも聞けばいいと思うが、

ほとんど関係無い。

夏の気候は、中部山岳より西(大雑把に言えば「名古屋以西」)の広義の西日本は、
冷害に関しては、地形・気候の点で基本的にほぼ全く同じ条件。
結論から言えば、冷害自体が滅多に起きない。
梅雨の長雨が続く場合は、近畿も九州も同じ。
近畿中央部で冷夏、なのに九州北部で猛暑などという年は、統計上皆無。
京阪神(畿内)では穏やかな夏だが、九州で大水害頻発という年はよくあるが。

冬はと言えば、これも緯度の差ほどの差異もない。
というのは、近畿の北側には空気を暖める日本海の緩衝地帯が長く続くが、
九州の北側は、あの朝鮮半島が横たわり、九州北部は大陸の寒気が実は直撃する。

372 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 07:11:42
後期に九州が衰退という話があったから違うと言った訳で
須玖は終末までは繁栄、布留0で衰退だと思うが
三雲は確実に繁栄が継続している、那珂は言う通りだが元々繁栄している遺跡
終末にはほとんどの遺跡が衰退、とか違うと思うけどね。別に無理やり引っ張ってるとかじゃなく事実。


373 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 12:14:50
庄内期はまだ繁栄してたってこと?

374 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 12:29:00
そういうことらしい

375 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:09:36
つまり、邪馬台国時代に、畿内は庄内式土器を九州に輸出してたということですね?



376 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:48:08
まぁ土器なんて考証する事物の一部にすぎないからなぁ
そこだけ掘り下げられても全体は見えてこないよ
しかも日本の土器編年も眉つば的なものになっちゃってるしね

377 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:50:45
問題は、繁栄してるのが海岸端で内陸はそうじゃないってことなんだけどな。
で、三雲や那珂は邪馬台じゃないだろってことになると、
他に候補もないから九州じゃないなってことになる。



378 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:52:18
輸出もあるが、割合はごく僅かで、九州出土の庄内式は大半が在地生産みたいだ
比恵や博多遺跡などで庄内甕がたくさんある
福岡平野に多いが、他は少ないみたいだけど

畿内の庄内式の成立よりは少し遅いみたいだから、技術移転だろうね


379 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 15:55:27
邪馬台国所在地は纏向で決定だとしても、九州と土器年代を擦り合わせるのは、
邪馬台国がどういう範囲の連合であったか考えるのに非常に重要。

380 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 16:47:13
邪馬台国九州説を採る訳ではないが、佐賀平野や筑紫平野の大規模集落は弥生終末におしなべて衰退した、という事実はないハズ。
古墳初めに前方後方の築造と共に吉野ヶ里集落は衰退するが、周囲にたくさん集落ができていたり。平塚川添なんかは古墳初めでも大きい。久留米にも後の国府がある台地に大きい集落があるが。
もっとも、伊都や奴国には負けてるだろうがね

381 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 21:18:18
寒冷化による政治的混乱で、ツクシからヤマトに政権が移ったということなんだが。
ヤマトや東海も同じく寒冷化の被害を受けてただろうし、だからこそ政治体制の改変を求めた。
弥生文化の東進開発により、ヤマトや東海、キビなどの新興国が徐々に力をつけてきたという背景もあるだろう

382 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 00:23:25
まんが日本史01卑弥呼

九州説はスルーだな。

383 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 06:35:48
客観的にみたら九州説を採れる状況じゃないからね。

384 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 14:22:27
おまはんらなに頓珍漢なことほざいとるんけ?弥生終末期の遺跡が九州に少ないから衰退したってか?
住居の形式が床のある木造に変わったら遺跡として残りにくいんじゃにゃ〜か。大陸や半島から入って来た
人間が多くなって住居などの作り方が変わってきていたかも知れんじゃろ。巻向の遺跡なんか卑弥
呼の時代よりずっと後のもんじゃね〜か?巻向地域を邪馬台国に関連させるなんてあほかいな。

385 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 14:42:13
つ〜か、奈良は田舎でしょ。弥生時代の奈良って遺跡も貧弱でしょ。邪馬台国って大きな国
でしょ。奈良にあったっていう証拠はなにもないでしょ。

386 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 15:52:17
生活共同体は大阪平野。巻向は聖地兼祭事場

387 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 19:36:39
大阪平野といっても葛城、二上山麓周辺だな。


388 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 21:11:05
ツクシの凋落は古墳時代前期末くらいでしょう。
ちょうどヤマト、キビ、カツラギの古墳が巨大化する時期。何らかの政変があったのかもしれない。

389 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:10:47
>>387
そんなわけない。邪馬台国論争はスレ違いだからあまり書かないけど巻向が邪馬台国確定で
ヒミコ=ヤマトモモソヒメが葛城から来たのなら邪馬台国の住人は河内湖周辺の海人だろ。
総数7万戸だったそうだから当時の大阪平野いっぱいに広がっていたはず

390 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:14:37
たぶん南の熊野にもまたがっていたはず。当時の大阪平野だけじゃ狭すぎる

391 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:23:37
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

392 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:24:28
>>390
大和川水系、その中でも特に大和・中河内連合が初期ヤマト王権の版図だと
考古学的には言われてます。

紀ノ川水系を取り込むのはかなり後世。紀ノ川水系vs大和川水系の
利害対立関係にあったのでは?と推測しています。
クナ国は熊野水軍ではなかったかと。
紀国造家の代替わりも、出雲と同じように報告させていたわけで、
かなり警戒されてたようである。

393 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 00:36:52
>>381
なんで、土器の分布を話しているときは、それぞれの地域交流の話が出来るのに、

「昔々、東の果てのひょっこりひょうたん島に、変な呪いをする女酋長がいたそうな」
という、「チャイニーズ・ナイト物語」に出てくる
謎の呪い文句 「 邪 馬 台 国 」が出てきた瞬間、

「政権は筑紫」だの「政権は大和」だの、
凡そ根拠もない統一的絶対政権前提の話に話が変わってしまうんだ?
玉手箱から変な煙でも出てきたのかよ。

本当に、魏志倭人伝の害悪は大きいと思う。
なんでこうなちゃったんだろうな。

394 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:01:48
思うに、記紀の記述をどこまで信用するのか?で庄内布留の解釈の仕方は変わってくる。
そもそも記紀を編纂した大和朝廷にどの程度の記録、記憶があったのか?
都合が悪いから改竄したのは間違いないとして。



395 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:04:03
そもそも倭人たちは呉の太伯の末裔であると自称していたらしい。
確かに倭人と古代揚子江流域の人々との習俗的は近いものがあり、あながち否定は出来ない。
ただまあ、弥生文化は半島経由という説も根強いので、交流があった程度の解釈でも良いかと。


396 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 06:46:21
>>389
だから葛城(現在の葛城〜金剛〜和泉葛城山系)、
二上山麓周辺(信貴、生駒南部を含む)なんだよ。
つまり河内湖周辺エリアの事。

当然大阪側のみではなく奈良県側も含む範囲だけどな。

397 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 10:12:56
葛城は庄内甕がほとんどない後進地域だが

398 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 10:46:55
葛城は他でもない高天が原でしょ。

399 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 19:31:29
葛城山が古来高天山、タカマヤマと呼ばれ、その中腹の台地を高天ヶ原と呼んだのだとか。
どこまで本当かは疑問。
葛城系の神話が混入した時期があって、それはおそらくは4世紀以降。
マキムクの頃には葛城の影響は少ないだろう。

400 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 19:54:45
>>399
>中腹の台地を>>>「原」か?w

やっぱ、ちょと平らポッイ領域持って来ねぇと落ち着かないよなw
ばるがあれば、はるもある。

401 :399:2009/10/20(火) 20:16:21
>>400
いやまあ私も葛城=高天というのは疑問なんで反論するのもアレだが。
普通に台地や高原を、〜ヶ原って呼ぶだろ、日本語では。

もうちょっと違う反論に期待

402 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 20:35:16
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

403 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 22:01:19
あまり神話分析はやりたくないが、
高天原は
1、畿内の外のどこか
2、架空の想像の産物
3、他所の神話のパクり
の3択だろうと思う。
というのは、高天原と、神武の奈良盆地定住との間に、
畿内にあるとするには、邪魔な物語が多すぎだからだ。
畿内にあるのなら、ストレートにそう書くはず。
少なくとも、「西の海から海賊として攻め込んだが失敗した」ので、
今度は「南の山から山賊として攻め込んだら成功した」
などという、変な征服譚は挟まらないはずだ。

404 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 22:10:12
>>401
今の日本語とやらの「原」に引っ張られすぎなんだよw

405 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 00:30:59
>>404
意味不明。もっと分かり易い日本語で。
何となくで書いているだけなら、相手にしないでおくが。

406 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 01:19:57
>>403
神武東征なんて信じてるバカいない

407 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 09:28:07
>>405
バルが朝鮮語の方言って昔抜かしてたからよw半島からの答え待ちだ。
あんたもそっち系か?

408 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 10:29:13
>>406
高天原の話なんだから、神武東征くらいいいんじゃないか?
そもそも高天原の話がスレ違いだが。

409 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 12:20:21
>>408
神武東征が真実だという根拠は無い。

神武東征伝説と、高天原伝説が同じ神話体系だったという根拠も無い。




410 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 21:09:43
ここに書き込みされている方々は、桜井茶臼山古墳を
どう見ておられるのですか?

411 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 21:55:45
きみらは、さきたま古墳群を見て何も感じないのか?


412 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 22:15:26
>>410>>411
まずあなたがたが、それらの古墳について考えていることをレスし、
そのあとで他の人たちの意見、感想を訊いてください。

それと、ここはマキムクスレである点、お忘れなく。>>1

413 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 22:20:50
さきたまは、わかるけれど、桜井茶臼山古墳は、マキムクには入らないのですか?

414 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 22:33:01
あなた方は、坂上田村麻呂が征夷大将軍として東北遠征をするずっと以前に、
仙台平野に雷電山古墳などの大型古墳が造られたか考えたことはあるのですか?
神武の一族は東征が大好きだったのです。


415 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 22:43:54
桜井茶臼山とかメスリ山は確かに興味深い。
最初にマキムクに王権が生まれ、その次に柳本と磐余に王統が分裂

416 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 22:48:16
桜井茶臼山とかは、築造が4世紀前半としても、マキムクの
古墳と年代で50年〜100年ぐらいしか離れてません。
地理的にも近いので、十分同時代を生きている人がいて
そうしてマキムクとのつながりを実地で知っている人たちが
作っている、と考えられますよね。

417 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 23:17:32
巨大埴輪はその後の古墳に受け継がれてないし、柳本とは別系統と思うがな。
メスリと茶臼の二つは大王家級なのに、天皇陵とされていないのがそもそもおかしい

418 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 23:29:23
両古墳(桜井茶臼山とメスリ山)の被葬者は、大王級の人物だったが
その後の天皇の系譜とは別の王家だった?

419 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 23:36:06
>>418
それでいいと思います。
吉備の造山にしても明らかに大王墓級ですし、
天皇陵とされていないのは、記紀を編纂した大和朝廷にとって
不都合な歴史があったからだと


420 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 00:04:17
私はあえて反対意見を書こう。
桜井茶臼山が箸墓・西殿塚併行、メスリ山が渋谷向山併行なら、王権ナンバー2の墓である可能性もある。
吉備の造山は現履中陵の「ソックリ古墳」だ。果たして「畿内に対する吉備王権の対抗意識」なる考え方が正しいのかどうか。

421 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 18:41:19
>>419
吉備の大王=キビツヒコだろ。



422 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 21:02:16
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

423 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 21:02:57
桃から生まれた桃太郎の昔話は、朝鮮半島に伝わる卵生神話に似ている部分が多い。
これは、中国大陸で呉が滅んでその移民が住んだ村だからではないだろうか?
モーゼの出生のエピソードも卵生神話に似ているところがあり、
その大元はどこなのか興味深いところです。

424 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 22:11:12

■全面朱塗りの石室出土 大王の墓?奈良・桜井茶臼山古墳

2009年10月22日朝日新聞

 大和政権初期の大王の墓の可能性がある奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀初め、国史跡、全長200メートル)で、全面に朱が塗られた大型の竪穴式石室と木棺が確認された。県立橿原考古学研究所(同県橿原市)が22日発表した。

古墳時代前期の竪穴式石室、木棺としては最大級。塗料には、貴重品だった顔料「水銀朱」が少なくとも200キロ使われたとみられ、過去最大量の出土例という。
 同時期のほとんどの大型前方後円墳は陵墓(皇族の墓)や陵墓参考地で立ち入りが禁じられており、墳丘中心部の調査は極めて珍しい。謎に包まれた大王級の墓の実体を解明する重要な手がかりになる。

 石室と木棺は、橿考研の1949年の調査で出土したが、当時は一部の研究者が確認しただけで公開されていなかった。
 橿考研によると、石室は長さ約6.75メートル、幅1.27メートル、高さ1.71メートル。
周囲に数千枚の板石(最大長1メートル、幅80センチ、厚さ12センチ)を垂直に積み上げて内部に空間をつくり、計12枚の天井石(最大長2.75メートル、幅76センチ、厚さ27センチ)でふたをしていた。
木棺は長さ4.89メートル、厚さ27センチ。丸太をくりぬいた形で遺物やふたはなかった。木棺は石室から搬出し、橿考研で保存処理している。石室内からは、被葬者の権力を推定するのに役立つ銅鏡片なども多数出土しており、整理を進めている。(渡義人)

 〈桜井茶臼山古墳〉
 柄鏡(えかがみ)形の大型前方後円墳で、被葬者は不明。天皇や皇族の墓とする資料などがないため、この規模の古墳では珍しく陵墓に指定されていない。
王権のシンボルとみられる碧玉(へきぎょく)製の玉杖(ぎょくじょう)や約20面の銅鏡など多数の副葬品が見つかっている。
周辺には、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳(桜井市)や、景行天皇陵とされる渋谷向山古墳(天理市)など、古墳時代前期の大型古墳が集中する。
http://www.asahi.com/national/update/1022/OSK200910220095.html

425 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 22:16:57

■桜井茶臼山古墳 木棺搬出、苦心実る

2009年10月23日朝日新聞

  ◆模型も活用、ほぼ原形

 桜井茶臼山古墳(桜井市)の60年ぶりの再調査は、石室内にある木棺の確認が目的の一つだった。調査から長い年月がたち、ほとんど残っていないと予想されていたが、ほぼ原形をとどめて出土した。
ただ、木棺は保存処理のため取り出しが必要で、巨大な天井石を外すなど、苦心の作業が展開された。(渡義人)

 「木棺は、もっと腐ってスカスカになっていると思っていた」。調査を担当した県立橿原考古学研究所の豊岡卓之・総括研究員は振り返る。
 同古墳は国史跡のため、形状変更を伴う調査は最小限にする必要がある。当初の予想では、石室内に入る際に取り外す天井石1枚のすき間を使って、木棺は取り出せると考えていたという。

 しかし、調査が進むにつれ、木棺が当時の報告書通りの形で残っていることが判明。
奥山誠義・主任研究員が、実測図をもとに20分の1スケールの発泡スチロール製模型を造り、木棺の取り出し方を検討。南側の天井石3枚を取り外せば、木棺が斜めに抜き出せることがわかった。

 天井石の重さはひとつ約600キロ。高松塚古墳(明日香村)の石室解体で活躍したような機械もなく、足場の悪い石室上で作業するのは困難を極めたが、チェーンで石をつり上げ、調査のため伐採したクヌギの丸太で担架を作って運んだ。
木棺の取り出しは10月4日。天井石とわずか数センチのすき間しかなかったが、1時間強で計画通り木棺を取り出すのに成功。約10人の作業員が400〜500キロと推定される木棺を担ぎ上げるなどして、無事古墳の下まで運んだ。
(つづく)

426 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 22:17:58
 菅谷文則所長は
 「残っていること自体が奇跡みたいな木棺を、計画通り、傷つけずに取り出すことができて何よりだった。さらに1千年は残していけるようにしなければ」
と話した。木棺は現在、橿考研で保存処理を進めており、作業終了までに2年ほどかかるという。

 今回の調査では、木棺の取り出し以外にも、後円部中央の方形壇の周りに「丸太垣」と呼ばれる柵(さく)が巡っていることも判明。石室から鏡の破片も出土し、整理を進めるなど、様々な成果をあげた。
 広瀬和雄・国立歴史民俗博物館教授(考古学)は
 「遺跡は史跡指定されると、その段階で調査が止まってしまうことが多いが、違う視点から調査をすれば、何度やっても新たな発見が生まれる。今回は、その好例だろう」
と話す。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000910230003

427 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 22:19:56

桜井茶臼山古墳の竪穴式石室から取り外された天井石。全面が朱で染まっている=桜井市外山
http://mytown.asahi.com/nara/k_img_render.php?k_id=30000000910230003&o_id=7250&type=kiji

天井石を取り外した後のすき間から、石室内の木棺を取り出す作業員ら=桜井市外山
http://mytown.asahi.com/nara/k_img_render.php?k_id=30000000910230003&o_id=7251&type=kiji

60年ぶりの再調査で、赤い竪穴式石室が出土した桜井茶臼山古墳=22日、奈良県桜井市外山、荒元忠彦撮影
http://www.asahi.com/national/update/1022/images/OSK200910220100.jpg

保存されている木棺=22日、奈良県橿原市の橿原考古学研究所、荒元忠彦撮影
http://www.asahi.com/national/update/1022/images/OSK200910220099.jpg

桜井茶臼山古墳の石室。壁は板岩が積み重ねられている=22日、奈良県桜井市外山、荒元忠彦撮影
http://www.asahi.com/national/update/1022/images/OSK200910220096.jpg

地図
http://www.asahi.com/national/update/1022/images/OSK200910220101.jpg

石室断面図
http://www.asahi.com/national/update/1022/images/OSK200910220107.jpg

428 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 22:55:03
再発掘で前と同じものが出たって言うのがそんなに大きいニュースなのか?

429 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 23:47:19
>>422
こんな所で吠えてないで韓国自身で炭化米のDNA調査して新聞発表すれば済む話
それ位の技術は有るだろ自称先進国なんだから、中国は自分ところでDNA調査してるだろ。


430 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 13:27:02
>>427
ろくな予算も付いてないのによく再発掘する気になるな。
現代の研究所は破壊王だな。

431 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 15:55:14
>>420
ナンバー2説は昔から言われてるが、果たしてそこまで序列が明確だったのか?というのが昨今の説。
大和中心史観はすでに崩壊している

432 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 16:34:16
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

433 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 17:17:52
桜井茶臼山古墳の被葬者
大王に匹敵する権力、財力を持つも、疎外された人物という感じかな
同時代の王墓の領域から離れた場所に古墳が造営されてたり
一般的な前方後円墳とはやや形体が異なる柄鏡式古墳だったり
水銀朱の利権を武器に王権に食い込んだ外来者だったのか?
時代が3世紀後半から4世紀初めというのも興味深い…
(魏志の記述を信用するなら存命時が丁度ポスト女王の時代)









434 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 00:20:37
【岡田外相 「民主党が"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる」】


植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40

1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」

2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。  陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」

3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね? 
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」

4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」

5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)

435 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 15:32:32
>>433
桜井茶臼山、メスリ山が二代続きその後途絶えたことを考えると、
単なるナンバー2とは考えにくい。
一時期、磐余地域に拠を張った勢力が大王に近い権力を持ち、その後衰退したということ。
記紀を読んでも、その頃、崇神代近くに、イワレ地域にゆかりのある大王はいない。あえて挙げれば神武のイワレヒコくらい。
茶臼とメスリの被葬者はだれなのか?

436 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 18:13:03
メスリの内容は大王墓だろうね。
茶臼山は特殊器台ないし埴輪が無いから微妙。傍系のナンバー2だろう。しかし、メスリ山は位置も墳形も茶臼山系だから、メスリ山は傍系から大王になった被葬者かもしれない。
奇妙なのは、どっちも学者によって編年的位置がまちまちな点。
副葬品重視の人は比較的新しく、埴輪や土器の研究者は比較的古くする人が多い。
茶臼山は、前に鏡がさらに大量になりそうだという報道があったが、具体的に何が出ているのだろうね。その内容によっては、時期や位置付けが変わるかもしれない。

437 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 20:08:20
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

438 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 21:44:57
桜井茶臼山、メスリ山の被葬者は、どういった説があるんだろう?
記紀にも記述が無い大王やその近親などか。
伊勢街道の玄関口に位置し、東方経営に携わった大彦とか阿倍臣の祖に比定する説があったが。
それなら後世、阿倍氏によって豪勢に祭られてもよい筈だが、完全に忘れ去られいる感じ

439 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 00:08:37
781 名前: 名無しさん@十周年 投稿日: 2009/10/27(火) 23:23:38 ID:6lZ+h4KL0
>>762

マキムク(笑)
さんざん期待されたが、130次にわたる発掘で発掘された住居跡を全部たしても10人分とかいうやつだろ。

あれを都市だとか吹聴している連中のモラルは異常だな。
広大な土地に数十人が粗末な住居に住んでいたレベルとすでに判明している。
それが7万戸とされる「邪馬台国の所在地かもしれない」とか。ガキは発掘やめて糞して寝ろww

それで住居を無視して、「土器がたくさん出ている。」とか。
もうアホかとww  あそこは「大市」だから、市場があったことが古代の地名でも残っている。
土器が出て当然だろ!

しまいには、なけなしの細い掘建て柱のバラック小屋を「5メートル四方の宮殿と推定される」とか、
もうね、頭にウジがわいているとしか思えないね。

それでもあと何十回も何百回も発掘を続けるために、「マキムク伝説」を吹聴し続けるその努力には
恐れ入るしかないなww  

   「血税の墓場 マキムク」


440 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 00:35:18
>>438
>完全に忘れ去られいる感じ

そりゃ今城塚(継体)や柏原(桓武)だって忘れ去られるんだから。。。大彦−武渟川別説は簡単に無視できない。

441 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 00:52:05
>>440
大彦の伝承の主なモノがタケハニヤス彦の討伐伝承だが、
それも物語的要素が強く、どこまで史実だったのか…
稲荷山鉄建剣のオホヒコにしろ、記紀の大彦と結びつくかは疑問。

まあそれはともかくとして、タケハニヤスヒコの伝承は興味深い。
特に名前のハニヤスってのが。

記紀神話でイザナミが死ぬ時の糞から生まれた神の名が
ハニヤスビコ、ハニヤスヒメ。
葛葉の地名由来説話のクソバカマを連想させる

442 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 01:19:17
稲荷山鉄剣のオホヒコが記紀の大彦と結びつかないかは疑問。
鉄剣の2代目はタカリスクネ、3代目はテヨカリワケ。
後世の阿倍氏の系図で、大彦の子に彦屋主田心命、孫に豊韓別命がいるのは有名な話。
(もっとも系図では豊韓別の父は武渟川別だがね)

443 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 01:39:24
>>442
稲荷山を読んでも、大彦系譜がかなり混乱してたのは分かる。
大彦ってのは北陸とか関東で有名だった氏族神で、後に大和朝廷に取り込まれたと
考えるのが自然

444 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 01:45:44
どこがどう自然なんだろう?
ところで、彦家主田心命も大彦命の「孫」だったね。
記憶違いしてた。

445 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 01:53:27
中央から見れば蛮族の氏神を、歴史書に英雄として記述する理由を説明してもらおうか

446 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 02:22:58
だったら稲荷山鉄剣に刻まれた名前は全部架空だったのかという話になる。
親、祖父、曽祖父の代は当然実在だろう。その先はどうか?

血統で一生が決まる古代においては10代前まで暗証できていたことは当然で、
その先が架空とすると、実在の祖先の名前を書かず、架空のキャラクターを
書いて、墓にまで持ち込んだことになるが、「そんな訳ないだろ。」というのが
常識的な考えだろうね。


447 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 11:01:46
大彦の議論はスレ違い。
しかしまあ言わせてもらえば、地方の蛮族とか言う大和中心史観から抜け出せてない輩がいることは
嘆かわしいこと。
マキムクは倭人世界の集合体であって、中央地方の関係なんてない。
蛮族ってのは当時の倭人世界に入っていない地方を指す言葉。クマソとエミシのこと

448 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 13:43:46
つうか「オオヒコ」の事を必死に喧伝しているのはこの板で
邪馬台国九州説を言っている連中で今日の考古学に対し
纏向遺跡やその他の件で何とか「いちゃもん」つけたいって
馬鹿=サイキバ君レベル なんだろうが…

そもそも仮にオオヒコが実在で伝承のように
それほど早く中央集権的な機構が出来上がっていたと言うのは
連中の自説にとって利する話なのかとw

まあ「東遷説」や「九州朝説」で
4世紀に入って突然巨大国家が(無人の荒野の奈良盆地に)出現したとか言う
与太話なんだろうがw

449 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 18:23:32
>>448
> 何とか「いちゃもん」つけたい

それは君の方が酷い。
存在しない敵と戦ってる。

450 :日本@名無史さん:2009/10/31(土) 21:53:26
大和マキムクは、本来あくまで初代大王、ハツクニシラスの都として選定されただけ。
しかしまあ、その立地からキャスティングボードを握った勢力は推定できる。

まずは当たり前だが、奈良盆地、主に山の辺の道の勢力。彼らは山背・木津川勢力や、旧伊勢街道で繋がる三重県北部、東海の勢力とも誼を通じていた。
瀬戸内海航路を通じもたらされる人・物の流入窓口として、大和の初期オウたちが彼らに対して権威をもっていた可能性は強い。
大和川水系の河内やら、東瀬戸内の地域。この辺りには初期古墳が無いことからも、早いうちから大和の大王の直轄に収まっていた可能性が高い。というよりこれらの勢力が中心となって大和王権が成立したのだという説も根強いが

451 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 01:06:21
>>449
>存在しない敵と戦ってる。

その台詞は「無人都市マキムク」とか言っている>>439のような馬鹿にこそ言ってやれw

じゃあ本当に人がいなかったらあの遺跡は誰が作った?って話で
流石にこんな馬鹿な事を言っているのはネット上でしかお目にかかれないだろうw

もし仮に人間がごく僅かで少なくとも遺跡の造営に直接携わった人間が殆どいなかったとしたら
その労力は遺跡の範囲の外から徴収したと言う事になる。

そうすると益々その権力基盤が大きくなる訳で
「マキムクは単なる市場だから人が集まった」とか訳の分からない事を言っている馬鹿には
都合の悪い話しになるだろうwww

まあ石野あたりは
「そんな後世の租庸調のようなシステムがあったとは考えにくい」として
”ワークマンズ・ビレッジ”のようなものを想定しているみたいだが…

まあこれもこのスレではもうなん十回も言ってきた話だが
馬鹿は理解できないか
それとも何とか「いちゃもん」付ける事自体が目的になっているんだろうwwwww


452 :451:2009/11/01(日) 01:19:23
…で「無人都市マキムク」とかデンパ飛ばしているアホどもの根拠は
要するに

「竪穴式住居跡が無い」
と言う事で
あのさほどには大きくない掘立建造物には人は住めないと言う事なのだろうが…

恐らく大抵の人間は以下のようなイメージを持っているだろう

竪穴式住居には中央に炉が設けられ土器で煮炊きがされ
その周りには串刺しの魚が突き立てられている

…とw

がこれにも疑問の声が上がっているらしい。
つまり
調理場は住居区以外の場所にあったのではないかと…

確かに言われてみれば思い当たる事もあって

自分のような西日本の人間は東日本の「囲炉裏の文化」に漠然と憧れるようなところがあったが
あれも排煙の問題があって赤ん坊なんかは煙で目をやられて失明するなんて事もあったらしい
(津軽ではそういった子供が三味線弾きになったとかならなかったとかwwww)

まあどの道、纏向には炭化した大量の籾殻や果物と言った人々が食事した形跡もある
(ただし祭祀土壙から出てきたので日常的な食事と言うより
”共食儀礼”のような宗教的な意味があったんだろうが)

別に調理を高床式建物の中で造らねばならない必要は全く無いわけでwww

453 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 09:05:47
あの時代に庶民が高床式建物に住んでた痕跡なんてない。

454 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 09:42:08
>>453
話がズレているな。

「纏向では一般庶民も高床式住居に住んでいました」

…なんて言っている奴がいるのか?w


455 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 11:20:25
竪穴式の数が極端に少ない。

高床式にも住んでない。

人がいない。


456 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 12:53:49
>>455
>高床式にも住んでない。

根拠なし。

先にも言った祭祀土壙から出土の食事の痕跡や
恐らくは排泄物に入っていたであろう寄生虫の痕跡等々
人がいた痕跡ならいくらでもあるし

そもそも人がいなけりゃあの遺跡自体は誰が作ったんだ?って話。

「無人都市マキムク」なんていっている連中は
もはや気がおかしいとしか言うしか無いレベルw

問題は祭祀に関わっていたような階層の人間は遺跡内にいたんだろうが
それを支える(下層の)人間が果たして遺跡内にいたかどうかと言う話。

アタマの病院にでも逝けドアホwww

457 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 13:44:35
祭祀土壙から見つかったのは極めて短い期間の食物跡で、
季節性が認められるもの。生活したとは考えられない。

458 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 14:51:57
あのさほど大型とはいえない建物郡は各地から祭祀に参加する為に
集めあってきた人間の為のものでショートステイ用で
初めから短期間「ビルト・アンド・スクラップ」を念頭において
作られたと言う考えが今のところ合理的だと思う。

東遷厨やサイキバ君が言うところの無人都市理論なら
あれは全て倉庫郡になるのか?

じゃあその倉庫の運営を行ったオーナーは何処にいる?w

まあ「無人都市」に拘るのは
そうすれば人口「七万戸」と言われた邪馬台国の候補から外す事ができると言う
一念からなんだろうがwww

遺跡内に一次産業や土木工事の労力を提供した人間がいなかったとしても
逆に外からそれを徴用できたとして権力構造が大きくなるだけの話w










459 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 16:31:31
マキムクは計画都市だから、掘ってればそのうち居住区が出てくるだろう、ていう解釈でいいと思うが。
マキムク環濠が無いし非常に広範囲だから、場所を絞り難いという問題点があるんだろう。

個人的には、タテ穴が無いと人が住んでいない、とかは極論だと思う。タテ穴が単に残り易いだけ。
確か火山灰で埋もれてたポンペイみたいな古代の集落が見つかってたが、タテ穴でも高床でもない住居が見つかってた筈。

460 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 16:46:54
無人都市論ってのは考古学の弱点を示唆してるんだよな。
結局出てきたものでしか話が出来ない。

近くに古墳やら運河の大土木工事の跡があって、全国各地と交易してた形跡があるのに、無人とか言うのは正気の沙汰ではない。

しかしまあ、本当に無人なんだとしたら、そういった政治体制、社会構造を解釈していく必要があるんだろう。
世界の歴史上でも例が無い日本独自の社会システムとして。
時間の無駄になるだろうけど

461 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 17:47:06
>>460
そう言った『無人都市』ともいえる物の例が無いわけじゃないw
アケメネス王朝の「ペルセポリス」とかねw

何十年も闘ってきたギリシャやアレクサンダー大王にすらその存在を知られなかった
一説によると新年の朝貢儀式にだけしか使われなかったとも言われるらしいがwwwwww

あと「ネクロポリス」と言われる巨大墓苑とかかな?

まあ何れにせよ強固な権力の下で造られたもので
無人の巨大市場が発展して…なんてのは奇妙奇天烈

つか東遷厨やサイキバ君のアホが
何を言っているのか・言いたいのかよく分からないwwwwwwww

462 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 18:58:12
草を生やしたがるのはだいたいがバカ。

463 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 00:06:01
室戸岬の近くにかつて大きな集落があったなんて、だれも信じませんよね?

464 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 04:11:47
虚年度末に現地説明会やった太田地区の発掘は続いているはずだけど、
発表はまた年度末までやらないのかね。

465 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 11:12:52
11月10日になんかものすごい発表をするっていってるじゃん。

466 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 20:28:27
また大本営発表か・・・

2、30年後にこの異常事態をきちんと反省できる世界が来ますように・・・


467 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 20:30:55
遠慮しなくても、九州でも大本営発表すればいいんじゃね?


468 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 21:46:06
たとえば、相沢少年の執念が日本の歴史を旧石器時代まで遡らせたように、
歴史というものは信じる者の手によって創り出されるものなのです。
その意味で、九州説信者はまだまだ信心が足りないと思う。
邪馬台国はここにあった!と信じる場所を掘ろうじゃないか。
そして邪馬台国を示す石碑が見つかれば、日本の歴史は書き換えられる!

469 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 21:55:53
たしかに最近は近畿説信者の信仰心ばかりが目立つなww

信心の足りない信者も目立ち始めたがw

470 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 22:31:53
畿内王権=邪馬台国が一番シンプルで分かりやすい。
普通に読めば、邪馬台はヤマトだし。
それが間違った実年代観のせいで、畿内王権と邪馬台国とは時代が合わない。
ヤマトじゃなくてヤマタイと読む、とか訳の分からない事態になってたのが真相。
思えば随分遠回りしたもんだ

471 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 23:33:53
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

472 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 19:58:05
このコピペは何なの?

日本の縄文前期から本格的農耕生活が始まってたら都合の悪い朝鮮人かな?




473 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 20:08:49
↑江南褐色広鼻土人の湾ゴリーw

474 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:39:29

■3世紀前半の大型建物跡、邪馬台国の中枢施設か 奈良

朝日新聞2009年11月10日17時0分
http://www.asahi.com/culture/update/1110/OSK200911100082.html

 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末〜4世紀初め)で、3世紀前半(弥生時代末〜古墳時代初め)の大型建物跡が見つかった。市教委が10日発表した。
同時期の建物としては、国内最大の面積である上に、周辺で発掘された3棟とともに中心軸が東西の同一線上に並ぶなど例のない計画的な配置だった。

 邪馬台国の女王・卑弥呼が君臨した時期にあたり、専門家は「邪馬台国の中枢施設の可能性がある」と指摘している。畿内説と九州説が対立する邪馬台国の所在論争に影響を与える発見となる。

 市教委によると、大型建物は南北19.2メートル、東西12.4メートル、床面積は約238平方メートルに及ぶ。現地説明会は14、15日の午前10時〜午後3時。JR巻向(まきむく)駅西側。雨天中止。

475 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:41:48

■卑弥呼の宮殿? 奈良で3世紀の大型建物跡出土

(2009年11月10日17時32分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20091110-OYT1T00860.htm

 邪馬台国畿内説で最有力地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、女王・卑弥呼が活躍した時代とされる3世紀前半〜中頃の大型建物跡が初めて出土し、市教委が10日、発表した。

 南北19・2メートルと当時、国内最大の規模で、市教委は
 「飛鳥時代以前の大王や天皇の宮などの原形とみられ、日本の国家形成過程を探るうえで貴重な発見」
としている。
時代や場所などから、「ここが邪馬台国の中心で、大型建物は卑弥呼の宮殿だった可能性がある」とする研究者もおり、市教委はさらに範囲を拡大して調査を進める。

 昨年度までに出土した建物群跡の東側を調査。南北19・2メートル、東西6・2メートル以上の掘立(ほったて)柱建物跡が見つかった。
調査区の西側は後世に溝が掘られて削られているが、建物のバランスや柱穴の形状などから東西は2倍の12・4メートルだったとみている。
柱の直径は約32センチで、南北の柱の間には、床を支えたとみられる細い柱穴も見つかり、高床式の建物だったらしい。一緒に出土した土器などから時期を判断した。

 これまでの調査から、今回の大型建物跡を含め、少なくとも4棟が、柵をはさんで中軸線をそろえて左右対称で建てられて東西一列に並び、綿密な計画性がうかがえる。
現場は小高い台地を大規模に造成しており、南北約100メートル、東西約150メートルの区画があったとみられる。市教委は「整然とした規格に基づいて構築された国内最古の建物群で、弥生時代の建物とは一線を画する」としている。

 現地説明会は14、15両日午前10時〜午後3時。雨天中止。駐車場はない。JR巻向駅下車すぐ。

476 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:46:37
写真

http://www.jiji.com/news/photos/photo_news/images/450/view8650422.jpg

邪馬台国の候補地といわれる纒向(まきむく)遺跡で確認された、3世紀前半の大型建物遺構(奈良県桜井市)。
女王卑弥呼が活躍していた時期と重なり、当時の建物としては国内最大規模という。市教委が10日発表した 【時事通信社】
http://www.jiji.com/jc/p?id=20091110173346-8650422&n=1

477 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:47:25
これで決まったな、


478 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 19:17:31
別報

■奈良・纒向遺跡:3世紀前半の大型建物跡 邪馬台国か 

毎日新聞 2009年11月10日 18時34分(最終更新 11月10日 18時39分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091111k0000m040025000c.html

 邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)と同時代の3世紀前半の大型建物跡が見つかり、桜井市教委が10日、発表した。
柱穴が南北19.2メートル、東西6.2メートルに整然と並び、同時代の建物では国内最大級。
過去の発掘調査で確認された3棟の建物や柵列と共に、東西方向の同一直線上で南北対称となるよう計画的に配置されており、卑弥呼の「宮室」(宮殿)の可能性がある。邪馬台国大和説を前進させる成果と言えそうだ。

 78年に柵と建物跡が確認された調査地点を、今年2月から区域を広げて再度調査。東西に計画的に並ぶ三つの建物群や柵を確認。大型建物跡は、その東側の区域で新たに見つかった。

 直径約30センチの柱跡が南北に4.8メートル、東西に3.1メートルの間隔で並んでおり、南北方向の柱の間には床を支える細い束柱の穴があった。

 市教委は、後世に柱穴が削られた西側も含め、東西幅は倍の12.4メートルだったと推定。復元図を作成した黒田龍二・神戸大准教授(建築史)は、地上約2メートルに床を設けた高床式・一層の入り母屋造りで、高さは約10メートルとみている。

 推定床面積は約238平方メートルあったとみられ、弥生時代最大規模の環濠(かんごう)集落とされる吉野ケ里遺跡(佐賀県)で最も大きい「主祭殿」(2〜3世紀)の約1.5倍になる。

 また、同一直線上で南北対称となる建物配置は、同時期までには例がない。飛鳥時代(7世紀)の宮殿と共通する特徴で、当時の王権中枢の一角であった可能性が高い。

 現地説明会は14、15日の午前10時〜午後3時。雨天中止。JR巻向駅の北100メートル。駐車場はない。【高島博之】

 【石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話】
 邪馬台国が纒向遺跡にあったという有力な根拠。建物は同時代には例のない大きさだ。住まいとしては大規模すぎ、祭祀(さいし)の場で、魏志倭人伝にある卑弥呼の「宮室」に相当するのではないか。

479 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 19:19:30
毎日新聞つづき

 【ことば】纒向遺跡

 奈良県桜井市の三輪山西側に広がる3〜4世紀の大規模集落遺跡。東西約2キロ、南北約1.5キロに、最古級の前方後円墳とされる纒向石塚古墳や、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳がある。
各地の土器が持ち込まれ、邪馬台国の最有力候補地とされる。71年から発掘調査が始まり、今回で166回目だが、小規模な発掘が多く、全体像は分かっていない。


写真説明:

纒向遺跡で見つかった大型建物跡(右端)と、3月までに確認された3棟の建物跡が一直線に並ぶ=奈良県桜井市で2009年11月5日午後2時4分、本社ヘリから山本晋撮影
http://mainichi.jp/select/wadai/news/images/20091111k0000m040026000p_size5.jpg

480 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 20:52:55
邪馬台国ブ−ムのおかげで、
山陰、北陸、東海と緊密な関係を持った元祖出雲のオオクニヌシの都が明らかにされるのは喜ばしいことだ。


481 :サガミハラハラ:2009/11/10(火) 21:50:53
オオクニヌシの都ですか?
島根県雲南市木次の三刀屋ですよ。

482 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 21:51:14
>>480
痛烈な皮肉ワロス。

そうなんだよなあ。巻向なんて、
記紀の神武とも無関係である可能性も高ければ、

「ひょっこりひょうたん島番外編 『南の島のスピリチュアル(笑)女酋長』の巻」

なんて、中国人の書いたネタ物語と、そもそも関係があるなどと大騒ぎするほうが、
頭がおかしいとしか思えないわけで。

483 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 21:59:58
マキムク信者のやり方は痛々しいね。
土器年代も確定していないのに、あの年代設定で発表して、やはり
卑弥呼と絡めてきた。

大本営の断末魔にしか見えない。


484 :サガミハラハラ:2009/11/10(火) 22:43:05
>>482>>483
ああ、そういうことですね。上の方のレスを読まずに>>480にもろに答えてしまいました。

485 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 23:01:21
いやまあ、マキムクが倭人伝でいうところの邪馬台国で、
記紀でいうところのハツクニシラスの都であるのは間違いないと思うが。
それで不都合なことがあるの?

486 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 23:01:26
九州説…哀れですねw

487 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 00:21:29
さっき初めて気づいたけど、9月下旬にこんな発表あったんだな。
箸墓古墳で二重周濠跡=外濠遺構と盛り土−「権勢示す証拠」・奈良
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200909/2009092100142&rel=j&g=soc

>>478
えらい縦長だね。
この前見つかった中飯降遺跡の大型建物よりやや大きめか。


488 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 00:58:29
共同通信のこの写真が前回の発掘との位置関係が分かりやすいね。
http://img.47news.jp/PN/200911/PN2009111001000754.-.-.CI0003.jpg
http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009111001000599.html
空撮の動画もあってそれも面白い。

489 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 01:07:19
結局土器は庄内式で確定なの?
纒向石塚古墳のように、布留がでているけど庄内にしちゃったのかなあ。
石野さんは古いほうが基準になるっていう考えだし。


490 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 10:42:09
>>487
建物としては東向きなのかねえ?
しかしやはり三輪山の方を向いてないんだな。

491 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 23:08:32
>>490
おそらくその遺構は政治の場と考える
以前から思ってるんだけど、
宗教上の遺構はもう少し標高が高い所に存在してるんじゃないかな
三輪大社や桧原神社も三輪山のすぐたもとあるし
後の時代でも石上神社、春日大社等ほとんどが高い場所に建てられてる
崇められる対象が見下ろす位置に存在するというのは考えにくいだろ?

492 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 00:09:00
むしろ倉庫じゃないかな。
あそこは「大市」で基本的には土器ばかり出土して、人の住める建物は皆無だった。
今回の出土もその状況を変えるものではない。

人がほとんど居ない市場の地域の建物だから、普通は倉庫と考える。
これまでは商品を陳列する粗末な掘建て建物であったが、ようやくまともな倉庫が
出土したのか、というレベル。

これ1個でいきなり神殿とか卑弥呼とかいう方向に昇天してしまうのはテンパリ杉だな。
まあマキムク信者はそこまで追い詰められているというところか。
市橋逮捕は人事じゃないくらいの追い詰められ感なんだろうね。


493 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 00:35:00
九州説涙目ww

494 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 00:49:26
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

495 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 02:02:54
このコピペは何なの?

日本の縄文前期から本格的農耕生活が始まってたら都合の悪い朝鮮人かな?




496 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 05:19:00
巻向遺跡付近の発掘作業に何故国は資金投入しないんだ?
200億300億安いものだろ

あれか?
今の天皇の系譜の信憑性が落ちる何かでもたくさん埋まっているんじゃないか?
一説の卑弥呼暗殺して国を盗み取った史実とかが判明するかもな

物部等が真の血統者じゃないのか?大嘗祭に物部が必要だったんだろ?何をしたんだ?天皇家の先祖は国家の真の統治者に何をしたんだ?先祖と言っても途中から朝鮮半島王族に入れ代わったりしているんだろ。大化の改新で

497 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 05:52:15
つまらん妄想は勘弁

498 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 07:04:24
つまらん妄想だろうか?
天皇家は公にされては象徴としての意味すら無くなる事実がたくさんあるのでは?
宮内庁の対応が不自然過ぎる

499 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 07:16:52
その不自然と思う点を具体的に幾つか述べてくれ
何となくじゃ分からん

500 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 07:55:15
取り敢えず恒武以降の「皇統」は否定できない。
間違いなく世界最長の世襲君主制なんだから「象徴」くらいの華言は大げさではない。
現人神とか言いいたいなら別だが。

501 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 08:21:42
166回も掘ってたいしたものが出てきていないんだから
、もうほとんど可能性はない

502 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 08:37:48
>>501
今回出て来たじゃないかw
心配しなくても本格的調査はこれからだからね。

503 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 09:50:16
幅5m深さ1mに及ぶ巨大水路、日本各地から運び込まれた土器の発見に続き、
今回の調査では、一直線上に整然と配置された巨大な宮殿の存在が明らかとなった。
全体のわずか5%を掘り起こしただけで、従来の古代史観を覆す大発見次々と出てきたわけです。
その間、九州説にはいったいどんな発見や進歩があったんですかね。

504 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 10:17:40
まだ、本格的調査するのかよ。
もはや、考古学者を食わせるために
だらだら続けているようにしか見えん。

考古学者の再就職先をつくるための雇用事業だな。

505 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 10:47:04
>>504
それだけ重要な土地だという事ですよ。

506 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 10:48:24
本居宣長と同じこと繰り返してりゃいんだから九州論者は楽でいいね。

507 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 10:56:36
>>504
物証がないのにあったはずだと言ってても仕方がない。
九州説の学者が、なぜいまだに遺跡を発掘しようとしないのか不思議です。
邪馬台国が太宰府にあったと本当に思っているのなら発掘してみればいいのに。
佐賀大学の先生みたいに、本当は九州ではないと思っているからなのではないですか。

508 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 11:00:52
太宰府を掘り返して何も出てこなかったら学者として終わりですからね。
それより、大学で何十年と同じことを言い続け、合間合間に歴史マニアを相手に
講演会で本を売ってた方が儲かるでしょうし。

509 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 11:26:26
宮内庁
箸墓に何がある!
本当の統治者を隠すな!

510 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 11:31:52
>>509
天皇陵は色々発掘したら、間違いなく半島の関係に触れる必要がある。
皇室は半島出身の血が流れてると。

但し倭人は半島南部にも住んでいて、
半島を治めていたという話もセットでな。

となると外交上のシビアな関係があるから
色々問題になるのはわかるだろ?

511 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 11:40:23
半島では互いの地の統治者が行ったり来たりというのは知られているだろ
天皇も、半島王族の乗っ取りについてまでは発言していないが、かんむ天皇の血統については語っている
問題は卑弥呼から繋がる血筋は途中で塗り替えられているんじゃないかということ
トヨ=神功で乗っ取りがあったんじゃないか?

512 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 13:53:16
書記を読めば高野新笠の相当以前の先祖が百済人だったとわかる
その出目のせいか分からんが生きている間、高野新笠は皇后と認められなかった
陛下がゆかり発言をしたのは書記に記述があるからであって、
学会に知られていない文書を発表したわけでもなんでもない
記録から判断すれば天皇家に混じる朝鮮の血はただそれだけ

ゆかり発言を元に「天皇は百済の先祖ニダ〜」と騒ぎたい気持ちは分かるが
いくら何でも恥ずかしい発言は止めておけ

513 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 13:53:55
先祖→子孫

514 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 20:42:08
>>492
無人くんはなぜマキムクを無人にしたがるんだろ?
単純に、まだ居住区が見つかってない、っていうのが当たり前の推論だと思うのだが。
無人でないと何か都合が悪い?

515 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 20:43:31
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

516 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 21:44:45
>>496
天皇とか皇室なんてのは宗教なわけだから、御本尊のお墓を荒らすような行為を認めるわけがない。
天皇陛下万歳とかいうバカがいなくならない限り、天皇陵は掘れないだろう。

しかしまあ仮に箸墓や行燈山、渋谷向山を掘れたとしたところで、桜井茶臼山、メスリ山と大差がないように思うが。

517 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 21:58:26
天皇稜発掘問題や、皇室などを宗教扱いしているようだが、
そもそも、

「邪馬台国や卑弥呼を『史実』扱いすること」

自体が、よほど質の悪いカルトであることに、気づいていないのかなあ?
傍から見れば全くの非合理なものを、
何の疑いも無く合理的なものと信じることは、まさに宗教そのもの、
いや、宗教でも何でも無い。ただ馬鹿げた迷信を信じているだけなんだが。

改めて読んでみろ。魏志倭人伝なんて、地理書の名に値するような代物じゃない。
ちょっと前のレスで、
「ひょっこりひょうたん島番外編 南の島のスピリチュアル女酋長物語」
と馬鹿にしたんだが、内容が滅茶苦茶すぎて、
あんなものを史実と信じられるおまえらの頭が、そもそも理解できん。
地理書のくせに、「対馬海峡を渡った直後から、どこの話なのか全くの意味不明。通説無し。」
になるんだぞ?
「場所の皆目分からん地理書」に書いてある「女酋長」なんて、
銀河鉄道999のメーテルよりも、実在の可能性は低い。

518 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 22:29:20
つまり、こういうことなんだよ。
天皇稜というのは、現役の一族の先祖の墳墓ということに一応なっている。
みだりに墓を荒らすことが、正当な宗教感情を傷つけることということは、
日本社会においてもコンセンサスとなっていて、
実際、墓荒らしは犯罪となる(刑法188条から191条)。
刑法が守ろうとしているのは、正当な宗教感情なので、
陵墓がほんとうにその者の先祖の墓かどうかは、ある意味二の次になる。

他方、邪馬台国や卑弥呼なんて、まったく指し示すところすら全く意味不明の
中国語で書かれたファンタジー小説である「魏志倭人伝」に書いてあるものを、
日本列島に探求して発掘するなんて行為は、
全く信憑性の無いものが、現実世界に存在すると言い募る、
ただの基地街カルトに過ぎん。
こんな妄想の実現のために、正当な宗教感情が害されてはたまらない。
邪馬台国の「発掘研究」のために、天皇稜を発掘するなんて、ただの犯罪(墳墓発掘罪)だ。
宇宙戦艦ヤマトの古代進の墓だと言って、三浦半島の墓地を発掘することは、
本人がいくら信じていたとしても、まちがいなく犯罪だ。
魏志倭人伝の卑弥呼の墓だと言って、天皇稜を発掘することも、
いくら本人が信じていても、ただの犯罪だ。

519 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 00:33:27
暇なやつだな。

520 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 01:13:55
マキムク信者の狂奔を見てたら、黒又山がピラミッドだと信じている連中を思い出したよ。

彼らは、黒又山が人工物であると証明すると言って山頂を掘り返した。すると人工的に
埋められた石がたくさん出てきた。それで彼らは、「山全部が人工物と証明された」として
涙を流して喜んでいたなあ。まあ普通に神社の跡地だったのだが、そんなことが
通用する連中じゃあない。

・・・ほんの少しでも都合よく解釈できるものがあれば、全部を拡大解釈する。
都合の悪い批判は完全にシャットアウトされる。

マキムク信者の精神構造も同じだな。


521 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 01:35:22
>>520
つまらん長文書く暇あるならどっか掘ってきたら?

522 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 02:05:19

今回の発表もマスコミ先行で学界での正式な報告書は後回しかな。
既成事実を作って、反論を封じるつもりならモラルだけの問題でもなさそうだな。


523 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 02:07:23
既成事実なら九州説がさんざん積み重ねてきただろ。
さらに何が不満なんだ?



524 :「♪ラララ〜無人君」乙ですw:2009/11/13(金) 03:12:41
>>492

よろししい。
では、仮に纏向の発掘された建物は全て「倉庫」と言う事にしよう。

で、その上で聞くが
じゃあその倉庫群のオーナーは一体何処にいたんだ?

遺跡の範囲外か?
奈良盆地の外か?

穀物やらその他の大事な「お宝」
集落、居住区から隔絶した距離にあったと想定されているものがあるのか?

無論、環濠集落なら倉庫は環濠内にあったし
そもそも防衛的意味合いのある環濠集落の外に倉庫を作るなんて発想は無かっただろうw

もしそれが可能なら
余程広域にわたって地域を治めていた権力がなければならないと言う話になる。

結局これも「無人都市」と同じ。
ヒステリックに後先考えず「市場説」に飛びついたは良いが
そうなると益々その権力構造が大きなものを想定せざるを得ないと言うオチwwwwwwwww

まさか纏向は朝一に外から人が集まって市をたて
夕方には解散して人の住んでいない「巨大フリマ」w
あの掘立建物群はその商人らのための「レンタル倉庫」ww

…なんて事を想像しているのかな?

正直どういったものを想定しているのか全く分からないwwwwwwwwww

525 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 08:41:50
>>523
で、何か結論でたの?
候補地は何処に?

526 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 08:46:16
倭人伝は同時代に生きた人が書いた、三世紀の倭国の状況を知り得る唯一の史料。
正式に編纂された正史だし、一級史料なのは間違いない。
外人が書いたんで間違いも多いが、利害関係がない外国だから、
政治的都合などで改変されたりとかはなさそう。少なくとも当時の中国人が見たまま、伝聞したままの記録と考えていい。

三世紀にマキムクで大王権が誕生し、それを同時代の中国人が伝聞記載した。
何も不思議なことではない。

527 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 10:23:15
>>525
> で、何か結論でたの?

「ここは邪馬台国」と書かれたプレートとかが出てきたりしない限り
結論なんて出ないと思うぞ。

528 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 10:29:08
>>527
結論出したくないだけでしょ?
商売にならないからねw

だから結局地方のしがらみで候補地すら絞れないのが九州説。

529 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 11:51:39
天皇の墓に通常の墓と同じ保護を与える必要は皆無だろ
歴史的資料を得るために普段から税金で支えてもらっているご恩を返すのは当たり前じゃないか?
俺が天皇ならいつも生活費ありがとうと言って何でも公開するがな
公開すると生活費もらえなくなるなら別だがな
宮内庁ごときが日本の歴史を隠すのはただ事じゃないよな
そもそもフンショなんていうとんでもないことをしたのが天皇家だろ
隠蔽体質を早く捨てろ

530 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 12:25:49
天皇家の莫大な資産をどれだけ没収したと思ってるんだ
それと公的な行事はともかく、天皇家が代々受け継いできている
歴史的な行事への予算は特別に国からは出ていない
いわば陛下が自分の生活費を削り、文化を絶やさぬようにしている
お前、そういう事情とか全く知らんのだろ

531 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 12:35:35
>>529
> 俺が天皇ならいつも生活費ありがとうと言って何でも公開するがな

まあ早く天皇になれるようにせいぜい精進&勉強&奮闘努力しなさいね

532 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 14:37:26
小学生にマジになっていると気付いた>>530であった


533 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 16:12:51
九州説で最後に残った候補地は、伊都平原、奴の那珂八幡、日向西都原かと思う。もしくは宇佐赤塚か。
卑弥呼の墓、大きな塚から考えても以上に絞れるかと思う。
卑弥呼の墓が神社の敷地とかになってて掘れないとかはあるかもしれないが。

しかしヒラバルを除いた全てがヤマトの盟邦であったことは確かで、
魏使がヤマトの大王をなぜ無視したのか?の点には疑問が残る。
石上神宮の正中銘太刀や、ヤマトの初期古墳が中国の尺で設計されていることからも、
三世紀初頭に誕生したであろうヤマト大王権力は、
中国王朝を意識したものであったことが間違いない。

534 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:04:46

■纒向遺跡説明会…桜井市に問い合わせ殺到 “邪馬台国論争”自説述べる人も

 邪馬台国の最有力地とされる奈良県桜井市の纒向遺跡で3世紀前半〜中頃の大型建物跡が出土したことを受け、市立埋蔵文化財センターには11日、現地説明会の日程などを問い合わせる電話が相次いだ。
邪馬台国畿内説の自説を熱心に述べる人もおり、考古学ファンらの注目が集まっている。

 この日朝から電話が鳴り始め、午後5時までに数十件に上った。中には
 「これで邪馬台国は纒向遺跡で決まりですよね」
 「邪馬台国が九州から移動して来たとは考えられない」
などと30分近くも熱弁を振るう人もおり、3月に柵に囲まれた建物跡群が出土した時より問い合わせが多かった。

 現地説明会は14、15両日の午前10時〜午後3時。市教委の竹田勝彦・文化財課長は「天気予報では雨の日が多く、準備に支障がでないか心配だ」と話していた。
(2009年11月12日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/nara/news/20091112-OYO8T00535.htm?from=sub


■西部警察でおなじみ俳優・苅谷さん「卑弥呼の宮殿」予言が的中
MSN産経ニュース2009.11.12
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091112/acd0911121116007-n1.htm


■ひと:橋本輝彦さん=建物跡が発見された纒向遺跡発掘担当
毎日新聞 2009年11月12日
http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20091112k0000m070138000c.html

535 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:16:01
30分熱弁を聞かされた人も気の毒だw

536 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:16:54
【卑弥呼いずこに(上)】

 「女王の都するところ」と魏志倭人伝に記された邪馬台国。幻の王国をめぐる所在地論争は、江戸時代以来続く究極の古代史ロマンだ。
畿内か、九州か−。纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で卑弥呼の居館だった可能性のある大型建物跡の出土を受け、3人の研究者がそれぞれの立場から熱く語る。


■「日本国家史の画期的成果」橿原考古学研究所総務企画部長、寺澤薫さん

 −−長年にわたって纒向の調査に携わり、大型建物跡が発見された今回の調査地が遺跡の中枢だと主張してこられた

 今回の場所は昭和53年に一部を調査し、遺物や地形から、纒向の最初の中心地と考えた。30年たってようやく証明されたという感慨がある。
ただ、見つかった建物の機能については今の状況では分からない。内郭にあたる東半分や外郭域の構造が分かれば、それぞれの建物の機能や宮室の実態も明らかになるだろう。今後の調査を大いに期待したい。

 −−調査成果の注目点は

 建物の規模もさることながら、4棟の建物が東西方向の中軸線に沿って配置されていたことが極めて重要。こうした構造は、おそらく飛鳥時代(7世紀)まで例がないだろう。
 内郭、外郭の二重構造があったらしく、今回の建物は地形などから内郭の西半分にあたると推測される。この時代における祭祀(さいし)や政治的な中枢部分であることは確実だ。

 −−卑弥呼の宮殿として問題ないか

 纒向遺跡はヤマト王権の最初の都宮、卑弥呼が現れた後の新しい倭国の大王都だと主張してきた。大型建物跡はヤマト王権、倭国の大王都の宮殿跡である可能性が高い。卑弥呼が調査した辺りにいた可能性は高い。
ただし、卑弥呼は「倭国の女王」であって「邪馬台国の女王」ではないということをきちんと認識する必要がある。

(つづく)

537 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:18:13
(つづき)

 −−というと

 邪馬台国とは、おそらく弥生時代の大和盆地東南部にあった「ヤマト」国で、倭国を構成する連合国の一つ。魏志倭人伝によると「女王の都するところ」であり“場所”でしかない。現代でいえば、卑弥呼は東京都知事ではなく首相だったということ。
 政治的な談合の中で、おそらく東国を意識した地理的な理由で、倭国の中心地がヤマトに選ばれたと考えている。卑弥呼は「共立」されたのであり、もともと邪馬台国関係者かどうかわからないというのが正しい理解だ。

 −−今回の発見の学術的な意義は

 日本国家の形成の問題は、これまで7世紀の飛鳥の宮々を一つの起点としてとらえられてきたが、今回の成果で、3世紀の纒向遺跡の段階まで広げて考える必要が出てきたことは確実だ。
その意味では、日本の国家形成史上での画期的な成果だと思う。(川西健士郎)
MSN産経ニュース2009.11.13
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091113/acd0911131944003-n1.htm


「纒向遺跡の調査地辺りに卑弥呼がいた可能性は高い」と語る寺澤薫さん=奈良県橿原市(川西健士郎撮影)
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/091113/acd0911131944003-p1.jpg

538 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:39:47
>>526
同時代に書いたからと言って、信憑性が期待できるとでも?
だいたい、対馬と壱岐しか特定できず、
そこから先は何処を記しているのか全く意味不明になる「地理書」なんだぞ?
唯一だろうが何だろうが、中身が糞ならトイレットペーパー未満。

>利害関係が少ない外国だから

適当にでたらめを書いてズルをしても許された。

ということなんだよ。執筆者とてめんどくさいからな。手抜きもしたくなる。
日本のことなんてデタラメを書いたとて、
中原の中華帝国にとっては、この時代、全く何の問題も無い。
北方の遊牧民と違って、政治的脅威でも何でもないから、
デタラメを書いても、痛くも痒くもない。
「女が支配」「スピリチュアルパワーじゃないと治まらない」なんて、
中華世界の常識としては、最高に胡散臭いネタだ。
昭和時代のテレビでいう、「アマゾンの首借り族を探検した」という雰囲気のネタだな。
トコトン胡散臭い女酋長を適当にでっち上げて、その使者と称する者が
中華マンセーをして感服してくれた、とでもしておけば、
多少は皇帝の権威も高まるだろう。

539 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:48:53
どうして、こんな俺でも騙されないような単純なネタに、
今の日本人のほとんどが、コロリと騙されて信じ込んでしまうのか、
俺は不思議でしょうがない。

結局、
>正式に編纂された正史
これに尽きるんじゃないかと思う。
正則漢文で書かれ、中華帝国のお墨付きのある
中華帝国の正史の記載なら、それが真実かよ。
なんという属国魂なんだ。
正直、李氏朝鮮を笑えない。
百歩譲っても、司馬遷の神話に騙されているんだ。
マスコミの中の人の、絶望的な信じ込みを見ていると、
俺以外の日本国民のほとんどが、見事に騙されているようだ。

皇国史観全盛の時代でも、密教と顕教と言われていて、
エリート層は、神話そのものを記す歴史には、きちんと懐疑的だった。
庶民でさえ、天孫降臨なんて話は、本当かねえと疑っていた。
だが、今のマスコミやら考古学の中の人で、
魏志倭人伝の内容それ自体が、壮大なネタに過ぎんと馬鹿にしているのは、
ほとんど誰一人いないんじゃないか?戦前よりよほど馬鹿になっている。

540 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:00:36
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

541 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:07:55
>>538-539
倭人伝原理主義者は確かに酷いが、こういう極端な奴も始末に悪いな。
少なくとも親魏倭王に任命された倭国の女王がいたことは確かだし、それがヤマト王権の初代であった可能性は高い。

542 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:26:15
>>538
伊都国まで特定出来てんだろうが、このドアホW

543 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:32:23
邪馬台国は女王の都する所で女王国ではない。
倭人伝は邪馬台国伝ではない事を
未だにわかってない奴が多すぎる、特に九州説には。

544 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 22:21:01
>524
江戸時代の蔵屋敷のごとく、オーナーは遠方にいた。
と仮定すると、遠方にいるオーナーがワザワザ倉庫を設置する必要性、価値があるような、特別な地域だったってことになるかもな

つまり、全国を代表する交易/物流拠点だったという意味になる。
では、その拠点を維持ないし保護する上位権力(?)は、どこにいたんだろうな。
江戸幕府みたく遠方から保護するほどの力があったとは思えないから
(江戸幕府以前は近隣地域のものしか保護できてないしな。)
「上位権力」は畿内にいたと考えざるを得ないだろうさ。
すると、「倉庫と仮定して、倉庫のオーナーが遠方にいたと想定しても、九州説を否定する材料にはなる」のでは。

>538
たしかに、ガリバー旅行記の方が詳しく具体的な情報を持っているほどだしな。
(フィクションの割に、無駄に信憑性がある情報を記している感じだ)

545 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 22:26:33
>540
少なくとも、中国に小麦が伝搬し、小麦栽培が広まった時期よりは何百年、もしくは千年以上新しいわけで、
中国から既に小麦が伝わっていたという想定は不可能ではない。

中国で米(イネ)栽培が始まったとされる時期は1万年近く前とされているし、
6000年前ごろになると黄河流域や山東半島までコメが栽培されてはいた。
ひょっとすると朝鮮半島南端付近でも栽培されていたかもしれない時期だ。

爆笑する方が馬鹿と言うべきニュースだよ。
ただ、現時点では取り扱いを慎重にするべきではあるが。(=信じるには早い、とは言えるだろう。という意味)

まあ、中身も考えずに各地にコピペしてるだけのゴミレスに対してマジレスするのも無意味だけどな。

546 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:32:23
>>537
ミラーマンと同じことを言っているじゃないか。

 * ミラーマン ← 植草 ← 草を植える ← wwwwww君


547 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:41:35
卑弥呼の居館とかいうカルトは置いといて、今回の建物は何だろうか。
3世紀前半とする根拠は不明だが、土器は何だろうか?

マスコミ先行で詳細不明の発表をする連中のやることなど、最初から検討に
値しないと言えばそのとおりかもしれんが。


548 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:46:24
土器の型式についてはどのソースにも出ていないようだが、須恵器だったりしてwww


549 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:46:46
土器はテレビで映ってた

550 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:51:37
九州説涙目で否定に必死だな

551 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:52:59
須恵器が出ていても庄内T式が同時で出ていれば、庄内T式が基準になります。

552 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:10:04
庄内V式だ

553 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:25:02
基準となるのは茂呂型ナイフですよ。
卑弥呼は弥生系の女王ではなく、縄文系の女王。
文化というものはその最先端で花開くものです。
だとすれば、邪馬台国は板橋区にあったと考えられる。

これですべての謎が解けた!

554 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 00:42:30
庄内Vなら、布留0〜T併行で360年前後だな。
景行の時代ってことになりそうだが。

それがどうして3世紀前半になるんだ。

555 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 01:15:42
御前が一世紀編年を遅らせてるだけ

556 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 07:35:49
トマト王権


557 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 11:32:39
マキムク廃都が古墳前期だから、流石に須恵器はないだろw
九州説の断末魔、面白すぎるw

558 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 12:20:11
来年度予算の事業仕分けで「マキムクの発掘は成果がないから予算カット」
とならないために卑弥呼の宮殿跡が出たことにしますた。

559 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 12:27:57
>>555  これは「400年頃に使用されていた土器は何か。」という問題も絡んでくるね。

昔なら布留Tと布留Uの変わり目が400年頃で布留Uの頃に須恵器が出てきて、
須恵器の始まりは420〜440頃という考えだった。

最近は庄内を100年古くして、つなぎ目の布留0を260頃にして、布留Tを290年頃まで古くした。
そうなると布留Uも330年頃まで古くしなければバランスが取れない。

それで白石のように須恵器を350年頃からとしようとする動きもある。
榛名山のFAを480年頃に数十年古くして、稲荷山の須恵器も古くしようとする動きもある。
まあ馬具や横穴石室まで半世紀古くしなきゃいけなくなるから、ここまで連動させるのは
ヤバイという感覚の学者も多いようだが。


560 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 13:03:01
>>538
> 適当にでたらめを書いてズルをしても許された。

本当に頭が悪いひとなのか?
あとででたらめだって言うことがバレたら書いた本人もその子孫も
とんでもないことになるでしょうよ。

561 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 15:01:39
>>558
国費入ってないだろ。
それに全国から募金集めてやってるんだぜ。

562 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 15:15:52
ただ、箸墓の濠から出てきた木製の鐙はどう説明するかだよな。
卑弥呼や台与の時代とすると、
中国に鐙が伝わったのが四世紀以降なんで、
三世紀の卑弥呼や台与の時代の埋葬品なわけがない。
土器の編年至上主義をあらためないとな。
鐙はあとから埋葬したんだろうって言うけど、
それは不自然すぎるよな。
中央アジアから鐙が中国に伝わってタイムラグがほとんどなく日本に来たとしても、
箸墓を造営してから100年近くたって、鐙を追加したとか。

563 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 15:26:28
>>562
まず正しい事実を調べることからはじめような。

564 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 15:41:13
>>563
正しい事実なんていうのがわかったらすべて解決ですよ
┐(´ー`)┌

565 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 15:54:27
>鐙はあとから埋葬したんだろうって言うけど、

少なくともこれは明らかに間違ってるだろ。
考える元になる発掘事実ぐらいちゃんと把握しような。


566 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 16:10:59
>>565
発掘事実(キリッ)なんていうのも関係者の自己申告。あやふやなもんですよ?

567 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 16:27:32
どうして、鐙は3世紀に日本人が発明したって発想にならないのかね?
日本人はそういう発明が得意だろ。
騎馬民族は鐙なんて絶対発明しないわけだし。
馬に乗りなれてない日本人が鐙を発明したと言ってもおかしくないはずだが。


568 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 16:51:48
>>567
> 騎馬民族は鐙なんて絶対発明しないわけだし。

こういう場で絶対っていう言葉を使っちゃいけないっていうのは基本中の基本。
出直してきたほうがいいかもよ?

569 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 17:21:14
>562
中国にアブミが入ったのが4世紀(以降)って説自体が死亡してるはずだが...

それと、濠から出てきたアブミは埋葬品じゃないだろ。
濠から出たのは廃棄物。祭祀に使ったものという可能性はないではないが。

>564
562発言が、余りにもデタラメすぎると563は言ってるんじゃないか?

>567
中国に隣接する雲南の小国(?)で、紀元前にアブミを使っていたらしいと言うが。

文字の起源的に、前漢代にも「アブミ」の故字があったと言うから、文字で表される対象物、すなわちアブミそれ自体も前漢代から中国にあったんじゃないかなあ。

570 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 17:28:06

■「卑弥呼の宮殿」? 興味津々…纒向遺跡説明会に考古学ファン

 邪馬台国の女王・卑弥呼の時代にあたる3世紀前半〜中頃の大型建物跡(南北19・2メートル)が出土した奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で14日、現地説明会が開かれた。
同市教委は15日との両日で1万人以上の人出を見込むが、朝まで雨が降ったため、午後1時現在で約2000人と、やや出足は低調。それでも熱心な考古学ファンらが「卑弥呼の宮殿」の可能性もある建物跡を食い入るように見つめた。
15日は午前10時〜午後3時に説明会を行う。

 現場では見学者が建物跡を取り囲んで、市教委の担当者から説明を聞いた。
前夜から車で寝泊まりしたという埼玉県寄居町、主婦沢中智子さん(72)は
 「建物が整然と並び、邪馬台国で間違いないと思った。卑弥呼が住んでいたかと思うとわくわくする」
と興奮した様子。京都府木津川市、会社員竹村順弘さん(54)は
 「実際に見ると臨場感が違う。まだ大きな遺構が残っているかもしれないので今後の調査に期待したい」
と話した。

 市教委は、今回の調査結果を発表した10日以降、連日100件を超す問い合わせがあったことを受け、説明会の警備や案内に職員50人を動員。JR西日本も最寄りの巻向駅発着の臨時列車を2日間で8本運行する。
(2009年11月14日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20091114-OYO1T00687.htm?from=main3

考古学ファンらが集まり纒向遺跡で行われた現地説明会(14日午前9時58分、奈良県桜井市で)=森田昌孝撮影
http://osaka.yomiuri.co.jp/photo/20091114-946404-1-N.jpg

571 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 17:48:35

■“卑弥呼の宮殿”現地説明会

NHKニュース11月14日(動画あり)
http://www.nhk.or.jp/news/t10013785481000.html

572 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 18:31:37
>>559
昔の編年が無根拠で適当に作ってたのが、最近ようやく修正されてきてるんだろ?

何書いてんだか

573 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 18:37:17
>>547
場所からして、マキムク誕生期のオウの居館が正しいだろう。
神殿みたいなのは余り造らない民族みたいだし。

まあ倭人伝でいうところの卑弥呼だろうな。
記紀で言えば、箸墓の被葬者トトヒモモソヒメ。

574 :うましか:2009/11/14(土) 19:51:10
>>571

公開準備のため、雨なのにブルーシートを張らなかったのですね。
発掘面が一部「水田」状に為ってましたけど大丈夫なんでしょうかね。

575 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 19:52:35
桜井線のすぐそばだな。近くに民家もある。
ここらへんに住んでて家の建替えとか、
土地を買って家を建てるとか勇気がいるよな。

576 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 19:58:05
>>560
だから、バレる可能性なんてあったのか?ということだよ。
事実、地理記述自体、全くのデタラメであるわけだが、
7世紀以降の大和朝廷の使者が、それを指摘した形跡すら無い。
奈良時代の遣唐使が読めば、地理記述が全くの意味不明で
日本列島を記述したとは思えないデタラメであることくらい
簡単に分かったはずだが。

未開部族の習俗の記述なんて、19世紀や20世紀に入ったあとの
精密な人類学的上の記述でさえ
あとであれは捏造に近いんじゃないか?と言われる例なんてザラなんだよ。
ミード女史のニューギニアの部族社会の研究にしても、
「あれは、俺らにとっても演技だったわけだが」
という地元民の証言が出てきたりする。

徹底的な批判と現場チェックにさらされる、20世紀の人類学論文でさえ、
100年もたってから、あれは妄想だったのか?という話がゴロゴロでてくる。
中華王朝が、現地を知る者たった2人の情報で書いた倭人伝なんて、
デタラメでないほうがおかしい。

577 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 20:25:57
>>576
だからさ、邪馬台国や卑弥呼など親魏倭王は存在したわけだろ?
それでいいじゃん。何ムキになってんの?

578 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 20:29:30
>>576
> 事実、地理記述自体、全くのデタラメであるわけだが、

それが証明されればいろんな論争もすべて解決しちゃうよな。

> ミード女史のニューギニアの部族社会の研究にしても、
> 「あれは、俺らにとっても演技だったわけだが」
> という地元民の証言が出てきたりする。

それは地理的記述とは無関係だろう。

> 中華王朝が、現地を知る者たった2人の情報で書いた倭人伝なんて、
> デタラメでないほうがおかしい。

なんだか妄想に凝り固まった年寄りみたいだな ┐(´ー`)┌

579 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 21:56:17
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

580 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 22:41:36
簡単に言えば、邪馬台国論争なんてものはヤマト王権が北部九州を制したのはいつか?
の議論なんだよね。

大和の前に筑紫が倭王だったのは間違いのない事実で、
それが新興の大和にとって替わられたのも間違いない。

581 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 23:00:59
>>580
> 簡単に言えば、邪馬台国論争なんてものはヤマト王権が北部九州を制したのはいつか?
> の議論なんだよね。

違うよ。単純にそれはどこにあったか? っていうことだよ。

> 大和の前に筑紫が倭王だったのは間違いのない事実で、
> それが新興の大和にとって替わられたのも間違いない。

「間違いのない事実」なんていう言葉を使うのはバカっぽいからやめたほうがいいよ。
はいあはい、とか言われて、他人から疎ましがられるだけだから。


582 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 23:08:11
邪馬台国論争なんてものは、本来大和王権が239年時点で筑紫を制していたのか?
だけの問題。
筑紫から大和への倭王権の委譲は、少しでも古代史を齧ったことがある人には歴然たる事実。
出なおして来なさい

583 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 23:09:28
>581
横レスだが、
九州の勢力が列島を統率した時代はないという問題を含んでるんだよね。

邪馬台国が辺境の小王か列島全体を統合する大王か、という認識の違いも含んでいるわけだ。
畿内説→卑弥呼は大王(祭祀王ではあるが)
九州説→卑弥呼は小王(地方王)

まあ、九州の半分程度しか領有していなくても倭王を名乗ることは可能で、
元に「日本国王良懐」って事例が、中世にはある。

九州の勢力に代わって畿内(ヤマト)の勢力が倭王となったのは「倭国乱」の結果だろうと思うけどね。

後代の、「筑紫君磐井」は、九州の王だったわけじゃなく、
もとはヤマトの下風に立っていたのが独立しようとした、ってだけだろう。

584 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 23:21:59
>>582
まったくもう。頑迷な爺だなあ。
大坂がなんと読まれていたのか、改名した大阪がなんと読まれていたのか、
いつから「おーさか」と読まれるようになったのか。そんなことすらわかってないんだぜ。
歴史なんてそんなもんだよ。
間違いのない事実→歴然たる事実 なんて言い換えてみたってたぶんおまえには何一つわかってないよ。

585 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 23:42:18
>>572
マキムク信者の側が年代論の根拠をちゃんと説明したことがあるのかな。

今では、年輪年代を公式に引用する学者はほとんどいない。
セミプロの切り込み隊長に年輪年代を言わせて、自分は出ない、

C14も歴博が集中砲火で炎上しているので、直接それを支持できる状況でもない。

なので、根拠無しに年代を決め付けるだけだろ。

クズのやり方だな。学問の否定。

586 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 23:55:40
年輪年代は本当に誰も支持しなくなったなあ。

測定値が一度たりとも公表されたことがないという異常事態が続いていて、
石野、寺沢その他多数が完全無視を決め込んだという現状では、当然といえるが。


587 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:09:30
C14も苦境だな。

四面楚歌どころか16面楚歌なのに、批判を無視してマスコミ発表を続ける図太さは凄いとは思うが。

あれでも学問をやっているつもりだろうか?
学問ならば、一つの批判を避けただけでも、学者失格なのにねえ。


588 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:20:38
いやまあ、実態として、考古学で分かるのは編年だけで、
実年代は分からないという大前提に立たないと。

まるで「昔の実年代観が正しかった」みたいに騙るやり口には辟易。

589 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:22:25
年輪年代もC14も関係ない。
土器編年だけでOK

590 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:24:46
土器編年では、数十年単位で実年代を絞り込むことができている。
西日本全体の土器の年代が、問題なく説明できている。


591 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:26:21
特殊器台の分布から、邪馬台国は吉備だったことがわかります。

592 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:27:26
投馬国ですよ吉備は

593 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:28:05
>>584
意味不明。
何を議論したいのか? きちんと反論してくれ

594 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:38:49
まともな学者はみんな畿内説だったんだよな。10年以上前から。

本が売れなくなる九州説の人たちが、あせって色々書いてるようだけど


595 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:43:54
畿内説の本の方が多いだろ。
商業ベースで実体が伴わないのが畿内説。


596 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 00:52:18
>>586
>測定値が一度たりとも公表されたことがないという異常事態

本当か?
普通にそれはあり得ないだろ。


597 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 01:52:34
         /r┘  ヽ//         )>─-、ト、
          , ゙ 〔  、//          {= ┘ r }ヽ\_,. -─‐- 、
       /   〕 ー〃    /     ト、   ヽ、{`7/二 ̄          ヽ
       /   └-┘   /   ,     | ヽ    r'゙--─¬rヘ.  {     ハ
       ,′   i     //   /   } リ  }   } )ニニ二二ハ `ー┘    ゙、
        |     i      |,ム -─- / 〃 /「⌒从|  }   |`ーrー-ヘ    ヽ
       |     i      | /// /    リ }ノ  | 〃    | │   '.     ヽ
      |     i      |´//         ,.L.,,_ j// /  ,  !    '     ヽ
       ,    .    | ,. ,:==ミ      `'゙⌒゙ ィ  /  /  /     '.       、
         '、   ∧    ト'゙         ,    }/  /  /       .      、  自演、乙なのだ!
.         ヽ {lハ     |       rv-一1    ノ  ! /         '       ,
         \ヽ',    l       {   ,゙    イ   j/  ____       i.      '.
.             ヽ '    l、      ヽ .ノ .ィ  !   ≠/: : : : : : \   i       i
.       rヘ、ー--ヘ  ∨≧z._  ..__ イ_,ノ ,゙ / } : : : : : : :o彡ヘ、 j       i
.     _|  \   \  \: : :ヾV/ : │   //   厶 : : : : : : :〃 ̄ ̄゛`ヽ    l
      几ノ /: : \    丶、ー-__}{ : : _|__     / 〔: : : : : : : {{             |
    /  /: : : : 匸ノ__   〃 ̄≫≪ ̄ヾ;   〈  / ̄{: : : : : !!_____     丿
.   {_ノ: : : : : :│      〃 〃 ||_||\__ノ}    i      } : : : : ヾ    }}    ̄ ̄´
   /: : : : : : : : Lrヘ._  {{__ノ'  || || `゙¨´     i  rー-┘: : : : : :\_ノノ
  く : : : : : : : : : : : : :丿    `¨´   || ||         i └-勹 : : : : 厂 ̄

598 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 01:53:15
まともな学者って、結局、学界の有力者に擦り寄る日和見学者ではないか。
そんな学者は何人いても全く関係ない。
あくまで自説の正当性を唱える気骨のある学者の意見をもっと尊重したほうがいい。

599 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 02:42:00
大型建造物が出土してこの板の邪馬台国九州説のアホどもが火病を起こしているみたいだがw

まあこんなものは流石に想定済みと言うか…
纏向を祭礼都市の性格の強い場所とした場合
その祭事を取り仕切る『斎王』のような人物の居する館があっただろうとは想像に難くないわけで…
(それが卑弥呼なのかは別にしてもだwww)


600 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 03:04:00
大型建造物だから何、記紀に書かれた天皇が居た場所に本当に
出てきたんだからますます本来の伝承の信憑性が高まるわけだが。

記紀の書かれているとおりに出てくるのに、記紀には出てもこない
卑弥呼の城にしたい頭が悪すぎる畿内説者・・天罰で癌にでもなるぞwww

601 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 03:11:28
愚かな奴

602 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 03:13:26
まあ九州説の連中は、今まで巻向には宮殿のようなモノが無いと
散々文句」つけてきたからな。
いざ発見されたらまた難癖かよw

まあ気持ちは判らんでもないが、
まだまだ調査は続くし、発表も控えてるんだから
大概にしないと後でもっと恥かくぞ。

603 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 03:20:00
まともな学者は畿内で一致。

九州説のひとは、甘木、宇佐、佐賀、日向と、意見がバラバラ。

「九州説VS畿内説」と書くと聞こえはいいが、九州説の実態は無いに等しい。
もし畿内説をひっこめたらどうなるか?
九州の中でどこかに決まるか?決まらないね。余計に泥沼だよ。


604 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 05:01:50
>>602
それも記紀に書かれた歴史が証明されただけで、邪馬台国とは関係ないんだが。

>>603
それぞれの説を、九州説などとまとめて判断するような低レベルなことをするからだろ。
畿内説と呼ばれるのはたった畿内の一つの候補地への呼び名。
自説への批判を「九州説」などと結びつけて話すからいつも支離滅裂。

これだから偏差値低いやつらが集まってる馬鹿大学畿内説は・・・


605 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 08:28:36
九州説でも記紀伝承重視の東遷説の人間は唐古・鍵が東遷前、
巻向が東遷後になればいいんで、
箸墓を三世紀後半〜四世紀前半に設定すれば問題ないわけで。
要は三世紀中盤を明け渡すか否か、20年づつぐらいいまの編年が下がれば問題ないんだ。


606 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 08:28:48
邪馬台国の時代に畿内にあった大きな建物が見つかったみたいですね。おめでとうございます。
もしかしたら、畿内の勢力のほうが邪馬台国より大きかったのかもしれません。
だから邪馬台国は魏に使いを送り、魏の封柵を受けることで畿内勢力を牽制しようとした。
これが真相だったと思われます。
とすると、犠牲になるのは東遷説かな?

607 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 08:29:39
>>604
お前が単なるバカなのは理解できたよw

608 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 08:41:25
結局東還説だけでも九州説ではまとまらんでしょ?
その間に畿内説は着実に文献や記紀との整合性を求めて成果を上げてきた訳です。
はっきりいってレベルが違いすぎて相手にもなりません。

609 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 09:29:11
九州説は明治から進歩してないからな。

610 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 09:37:52
結局、ワケ王朝とは、九周王朝の分派です。
ワケとは、読んで字のごとく「国や人を別けること」
祟神は九州王の兄弟王。
後に豊城入彦やその子孫の御諸別を関東に使わして治めたたことでもわかるように、
常に新しい土地に新しい都を作って、大王の系統が絶えることのないようにリスク分散を図ってきた。

従って、九州と畿内にも邪馬台国はあったということです。
魏志倭人伝はその辺の事情を知らずに書かれているため、両国の記述を混同している。

611 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 10:01:01
現地説明会はじまったな、いきたかったな。

612 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 10:34:35
この手の発掘の現地説明会というか、現場説明ってのは、
ビデオ撮影して見れるようにしてネットで見れるようにしてほしいな。
公費によってなされてるわけだし。
ビデオ撮影してネットでアップする費用なんて安いもんだろ。

613 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 10:40:22
>>612

賛成!

これは2ちゃんには珍しい建設的意見だった。

2ちゃんで文化財行政を動かそうと思うが、ムリか?

614 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 10:53:45
NPO立上げなんかは有志でできるんじゃないかな。
鯖と撮影した動画を保管するだけなら、
俺のポケットマネーで出してもいい。
撮影はボランティアでやってもらうしかないけど。

615 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 10:57:44
>>610
「結局」とか「まあ」とかで書きはじめるヤツは、
この書き込みへの反論も含めてすべて俺の想定内なんだということを強調したいわけで、
その時点で「荒らし」と同じレベル。読む価値なし。

616 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 10:57:52
上の方で書いてた寺沢の意見はどうなんだろ?

単純な東遷説は成立しないだろうし、畿内単独も苦しい?
「共立」の意味合いを解釈して、倭国の人々が協力してマキムクを造った
ってことだよな。

617 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:05:40
>>605
東遷説は記紀重視派じゃないよ。

東遷の根拠が「神武東征伝承」しか無い、ってだけで。
都合のいい所だけを記紀からつまみ食いしてるだけ。

618 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:14:10
要するに「記紀」にしか論拠が無いと言うこと。
と、言うか「記紀」の記載をわずかでも事実と見做そうと言う涙ぐましい努力。


619 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:26:24
あ。「要するに」っていう書き込みもゴミ同然だから読む価値なし。レス不要だね。

620 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:32:09
吉備の特殊器台が土器の流れの中ではエポックメーキングだが、
記紀の東征伝承では吉備に立ち寄ってるんだよな。
まぁ、九州から畿内に来るなら吉備は途中経路だから単なる偶然なのかもしれない。
けど、記紀伝承をまったく無視することもできないだろ。

621 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:34:24
>>619
まあ結局、要するにおまいさんはゴミ以下ってことやねwwwwww

オレにレスすんなよ、このゴミクズ以下の包茎カスだらけ野郎め

622 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:54:33
>>615>>619
話題に入ってこれないからって拗ねるなよ


623 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:58:46
ふー。すごいことを発見してしまったぞ。
・歴代天皇から初代〜(欠史八代)9代までを削除
・これも実在が怪しい12代〜14代を削除
・21代雄略天皇以前は暦年法が違うという説があるので2分の1にして計算。
・雄略天皇は倭の五王の武に該当するとされているので武が宋に奏上した478年を即位年にする。
 (雄略天皇の在位は24年。武は25年間奏上している。多少は誤差があるとしてここにあてはめた)
以上で計算すると、初代天皇とされるのは崇神天皇で以下書くと
・崇神天皇(に該当する人物。以下同)(即位304年〜337年)
・垂仁天皇(338年〜386年)
・応神天皇(387年〜406年)391年に朝鮮出兵
・仁徳天皇(406年〜448年)恐らく倭王讃
・履中天皇(449年〜451年)
・反正天皇(452年〜455年)
・允恭天皇(456年〜476年)
・安康天皇(477年〜478年)
・雄略天皇(478年〜501年)倭王武
倭王とうまく一致しない箇所もあるがおおよそこんな感じと予想。
で、何が重要かというと初代天皇の崇神が恐らく300年台初期に即位。
卑弥呼(アマテラス)が死んだのが248年。台与(トヨアキツヒメ)が13歳だから25歳で子供産んだとして
260年。恐らくこの人物がニニギに該当する。そしてニニギが19歳、279年に
崇神(神武)天皇に当たる人物が生まれる。重要人物がすべて入りうまい具合につながる。
恐らくこんな感じでこれをベースにいろいろ脚色したと予想する。


624 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 12:07:27
>>586
>測定値が一度たりとも公表されたことがないという異常事態

再度聞くが、これは本当に事実なのか?
事実ならば年輪年代を引用する学者は学者をやる資格がないと言わざるを得ない。

625 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 12:12:24
【奈良】 「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」 桜井市長、纒向遺跡で挨拶 物産ブースで「卑弥呼」「邪馬台国」Tシャツを販売
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258253581/l50

巨大建物跡が見つかった桜井市の纒向(まきむく)遺跡で14日、現地説明会が始まった。
午前10時、谷奥昭弘市長が「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」と開始のあいさつをすると、
集まった約300人の間に笑いが広がった。

 近くの物産販売ブースでは「卑弥呼」「邪馬台国」と記されたTシャツを地元住民ら約10人が販売。
桜井市観光まちづくり協議会も、卑弥呼の衣装を着て三輪そうめんや地酒を売り込んだ。
鍛治本達也運営委員長(46)は「桜井には他にもいいところがいっぱい。これを機に
色々みてもらえれば」と期待していた。

http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000911150002


626 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 12:13:55
>>621
>>622

真っ赤な連投ご苦労さま。
レスポンスして欲しくないならチラシの裏以外には書き込まなきゃいいのに
┐(´ー`)┌

627 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 12:24:01
見えざるネ申の手の仕業。

628 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 12:46:04
>>626
まともなレスができないんだね。かわいそうに

629 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 13:27:58
籐木寸クンにたのんで親魏倭王の印を発掘してもらおう

630 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 13:29:00
>>625
>巨大建物跡が見つかった桜井市の纒向(まきむく)遺跡で14日、現地説明会が始まった。
>午前10時、谷奥昭弘市長が「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」と開始のあいさつをすると、
>集まった約300人の間に笑いが広がった。

間の抜けた発言ですね。観衆も失笑。ぷっ


631 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 13:51:22
>>630
おどけてみせただけだろ。
マキムクが邪馬台国である蓋然性は高まったが、
決定打が出たわけじゃない。あくまで客寄せパンダなんだよ、ピミコは。
学者はそのあたり冷静。

632 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 14:06:52
地方自治体の市の人間が我が村こそは邪馬台国っていうのはいいんじゃないかな。
微笑ましく思って眺めてたらいい。
吉野ヶ里が邪馬台国と言おうが登呂が邪馬台国と言おうが三内丸山が邪馬台国と言おうがまぁいいじゃないか。

633 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 14:13:00
>>624  それがどうやら事実なんよ。

年輪年代法
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1168695342/l50


634 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 14:20:11
卑弥呼が魏から金印をもらったのは、
邪馬台国の女王として共立されてから何年もたった後のことです。

卑弥呼が共立されたとき、「漢倭奴国王」金印を贈った漢はすでに滅んでいました。
漢が滅んだことで倭国も情勢が乱れて、大乱があったわけです。
それを収めたのが卑弥呼です。

卑弥呼が共立されたとき、すぐに中国に遣いを出したわけではありません。
中国もまた三国志の時代であり、朝鮮半島は公孫氏が支配しており、韓・倭を支配下においていた。
公孫氏が滅んだときに、卑弥呼はすみやかに魏に使いを送り、金印をもらったというわけです。

公孫氏が支配していた時代は、漢と通じていた九州は衰退しました。
かわりに勢力を伸ばしたのが畿内です。これが倭国大乱のきっかけです。高地性集落も作られました。

公孫氏は、呉と通じていたので、倭国には呉鏡が入ってきました。
呉鏡を多く手に入れた勢力が、公孫氏と通じた勢力です。
この頃の遺物として畿内からは画文帯神獣鏡が出ています。
これは呉鏡であり、同じ形式の鏡が、公孫氏のいた朝鮮半島からも出土しています。
畿内は、公孫氏と通じて、勢力を拡大したのです。同時に九州は衰退したのです。

公孫氏が滅んだとき、魏との通行が可能になったとき、九州にはもう外交能力がなくなった。
そこで、卑弥呼が速やかに魏に遣いを送った。その卑弥呼は畿内王権の女王ということになるわけです。



635 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 14:23:38
高地性集落の放棄、環濠集落の環濠放棄、
これと倭国大乱を会わせれば、
巻向時代が卑弥呼の時代で、
それ以前の高地性集落と環濠集落が倭国大乱時代になる。
と俺は思うんだけどな。

636 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 14:36:35
天照大神は三輪の大物主と同様、高天原に滅ぼされた国の王だったんじゃないかと
思っています。神武天皇はオオタタネコの立場だったかと・・。
卑弥呼の九州王朝はトヨ率いる高天原の軍勢に滅ぼされたという仮説はどうでしょうか?

637 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 14:40:47
高天原って空の原っぱ、ヘブンプレーンって意味でしかない。
そんなのをどこかの勢力や土地に比定して議論したらトンデモですよ。
天照(アマテラス)なんか空を照らすって意味でしかない。

638 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 14:52:02
では纏向と言い換えてもいいですよ。

639 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:11:43
>>634
大体それで合ってると思います。
しかしまあ、北部九州の衰退は古墳前期以降なわけで。

あと三角縁についてはどう考えていますか?

640 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:12:54
>>637
「原」は、はらっぱじゃないぞw

ある程度のルーツ指向性は含んでいたとしても、確かに高天と言った段階で
地上の否定ではあるがな

641 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:20:42
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

642 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:29:00
>>639
三角縁は、最初の数枚が魏からもたらされたもので、
日本で大量にコピーされ広まった。

外国製の鏡のほうが、権威付けするのに都合が良いはず。
ならば、外国製の鏡は、大量にコピーされていっただろう。
最初から国産の鏡を権威付けに利用しようとするとは考えられない。

ごく当たり前の考え方だと思うが。


643 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:37:23
>>640
ルーツ指向性を否定してるんだよ。
高天って時点で地上の否定の段階でルーツとか完全否定だ。
交通事故で死んだお母さんはお星様になったんだよって話だ。
お星様は高天原でどこそこだよって言ってるようなもの。
あと原を原っぱというのは原にかけただけで、ようはプレーンって意味しかないだろ、


644 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:41:43
>>642
オリジナルが魏だとして、年号問題はどうすんだよ。

645 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:48:11
>>644


何が問題なの?


646 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:51:09
>>645
おまえ、いま、平成21年?それとも、昭和74年?
昭和74年っていうカレンダーを発掘したらどうするよ?

647 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 16:58:06
>>646

すまんね、具体的に何が問題なのよ?


648 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 17:03:11
>>647
ごめん、
平成生まれのゆとりさんですな、
昭和58年生まれのおじちゃんにはあんたみたいなのがいるのが信じられんわ。

649 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 17:07:39
昭和58年生まれのおじちゃんっていま昭和74年だから、
16歳だよね?
おじちゃんなの?16歳でおじちゃん?
あ、古代史だもんね、16歳でおじちゃんなんだよね。
古代史なら16歳はおじちゃんだよ。
平均年齢30歳もないころだもんね。

650 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 17:11:23
だれか。エスパーさんいたら通訳して。


651 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 18:17:09
かまって欲しがってる年寄りだから。無視しといたほうがいいと思うよ ┐(´ー`)┌

652 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:11:40
葛城山の山頂は広大な美しい草原で高天原のイメージ。

653 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 22:01:10
>>642
さすがに「最初の数枚」は言い過ぎだが。
卑弥呼の百枚以降も、何度か遣使し銅鏡を入手してただろうし。

しかしまあ、大体合っているとは思う。

654 :うましか:2009/11/15(日) 22:47:24
>>653

内区の部分は舶載鏡のコピーで、それに外区を付けて大型化したと言う説があったかと。
紀年鏡の存在と大陸から出土しない現況を合わせて説明できる名案だと思いますが。

655 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 23:31:49
縁じゃない外区の三角の櫛形模様は当時の日本でよく使われた文様だよね?


656 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 23:39:51
あんなの全部国産に決まっているだろ。
知能のある生物ならこの結論以外は選択しないよ。

657 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 00:16:58
671 :名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:56:44 ID:E6SLDf7d0
九州説なんてレベルじゃねぇw

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1158458412
法隆寺・東大寺・薬師寺・長谷寺・法輪寺・法起寺・興福寺・東福寺はいうにおよばず、三十三間堂・桂離宮等々、
これらあまたの建物が、九州倭国より移築されたものである
ttp://www.geocities.jp/waikoku/

658 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 01:53:09
>>625
【奈良】 「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」 桜井市長、纒向遺跡で挨拶 物産ブースで「卑弥呼」「邪馬台国」Tシャツを販売
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258253581/l50


ttp://www.asahi.com/culture/update/1110/OSK200911100082.html?ref=recc
3世紀前半の大型建物跡、邪馬台国の中枢施設か 
の「今回の調査地」の図と
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?p=%B4%AC%B8%FE%B1%D8&lat=34.541595&lon=135.84396&type=&ei=euc-jp&v=2&sc=3&lnm=%B4%AC%B8%FE%B1%D8&idx=33
の地図を参照

時代と方位を隠してこの遺跡だけ見せると,これ仏教寺院と勘違いするんじゃないですかね(笑)
四つ並んでる建物が,まるっきり門・塔・金堂・講堂の伽藍配置そっくりですね。
とくにいちばん奥のいちばん大きい建物が,8×4のグリッドで建ってるのって,後の時代の
仏教の講堂そっくりです。

それと,東西からわずかに傾いた軸線,これがなにを意味するかですね。どうやら箸墓・景行天皇陵
とこの神殿?は同じ角度の軸線を持ってるようなので,

659 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 01:54:35
どうやら箸墓,景行天皇陵とこの神殿の軸線は同じ角度のようなので,これはワンセットの施設の
ようです。朝日の記事には軸線を延ばすと巻向山に向かうと書いてるけど,そんなことはなさそう。
この角度は何を意味するのか?

近くにある崇神天皇陵は,明らかに巻向山と結びつけられています。軸線がまっすぐ巻向山山頂に
向いている。なおかつ,これはいわゆる「夏至線」です。冬至の日の日の出と夏至の日の日没を
結んだ角度に設定されている。冬至の日の朝に崇神天皇陵から太陽を遥拝すると,ちょうど軸線
上に巻向山山頂から太陽が昇ってくるのが見える。
興味深いのは,この神殿は,軸線を無視して三輪山の方を見ると,ちょうど三輪山山頂が「夏至線」
に乗ってるんですね。だからこれは崇神天皇陵と平行施設?であり,冬至の朝の太陽遥拝をやると,
神殿からは三輪山山頂から,崇神天皇陵からは巻向山山頂からの朝日が拝める。だからたぶん崇神陵
ともセットになってると思います。


660 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 01:55:33
問題は神殿の軸線の角度は何だろうか。いわゆる「冬至線」(夏至の日の日の出と冬至の日の日没
を結んだ線)よりは浅い角度のようですが。
冬至線に関しては,かの有名な三輪山ー大和三山ー畝傍山ラインというのがあるわけですが,それ
とは一致してないですね(上の地図で確認のこと)
あるいはこの施設を建てた連中にとって特別な記念日(四月中旬?)の日の出に設定されてるんで
しょうか。

それと「講堂」グリッドが2.4m×3.1mになってますけど,この数字はなかなか面白いですね。
これはいわゆる「メソポタミアの聖三角形」ですね。これは大和三山にも見られます(耳成山ー
天香久山が2400m,耳成山ー畝傍山が3100m!)。これはなにを意味するのか!

ttp://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-635.html
書評 『天照大神と前方後円墳の謎』 大和岩雄
ttp://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/aa8113daa385f68e7e5496f70b288a64
出雲大社・高市山・斎宮跡の直角三角形と大和三山・藤原京
ttp://www.bk1.jp/product/02600413
シリウスの都飛鳥
ttp://www.bk1.jp/product/02449115
扶桑国王蘇我一族の真実


661 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 10:25:33
古代や邪馬台国はアステカで復活する!

662 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 13:15:43
魏志倭人伝で、方向も距離も信用出来ないとする畿内説が
なぜ、巻向以外はあり得ないと明確に決定できるのかわからない。

巻向が何かの遺跡であることは認めるが、邪馬台国の場所であると言える情報は、
方角と距離の記述を否定した時点で何もないと思うが。

663 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 13:19:41
マキムクは3世紀の日本で、西日本全体と交易して繁栄した場所。

3世紀に魏が金印を送るに相応しい国はマキムクしなかない。

だから、魏が邪馬台国と呼んだ国はマキムクなのである。

664 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 14:03:26
じゃマキムク国って呼べばいいのに。

665 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 17:11:05
ここのスレを読むと、「無人都市だから 邪馬台国の中枢ではない」という意見が見られますが、 逆に「ほとんど無人だから邪馬台国の中枢であり、もっとも神聖な場所である」という考え方もあるのですよ。考古板の「大和・纏向遺跡」とマルチポストになりますが、


私も15日現地説明会へ行ってきました。
そこで二点ほど私 独自に気のついたことを書きます。

はじめは、今回発掘されたD棟を含む直線上に配置されたA,B,C,D棟の中心軸を西の方角へそのまま延長すると、100m程離れたところにある太田神社という小さな社に突き当たる。
これは何かありそうだ。 ということで探してみましたが・・・
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/test222.htm
くらいしか見つかりません。 誰かもっとご存じの方 教えてください・・・
太田という地区にある太田神社と言うことであれば→ 太田田根子??? (続く)

666 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 17:13:01
二つ目は、桜井市の職員の説明によれば、この遺跡の柱はすべて引き抜かれており、その柱はもっと上の地区へ持って行って再利用されたのではないか? とのことでした。
「もっと上」といえば穴師のあたりになるのでしょうか? 
穴師と言えば 笠縫邑の比定地の一つです(鳥越健三郎)。 そしてここも中心軸を東へ辿ったところにあります。

ふむぅー そうすると、この女王卑彌呼(←ココは突っ込み所)という人は、およそ"生きている人間とは思えない"ような生活感の希薄な場所で生活し、太田田根子の祭祀を受け、あげくのはては 豊鋤入姫が笠縫邑へ連れて行ってしまった。 つまりこの遺跡は・・・

女王卑彌呼の殯(もがり)の宮である

ということでよいのでしょうか、御間城入彦さん?
http://www.eonet.ne.jp/~organism/
http://www.eonet.ne.jp/~organism/yamato-1_5.html#1-5-50

667 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 17:21:01
聞けば聞くほど
卑弥呼=日巫女というイメージからはなれていくなあ。

大田田根子は、大物主の子孫だし。
モモソヒメは大物主の巫女だし。
三輪山は大物主の斎場だし。

三輪山の麓で発展したマキムクは大物主を祀る場所であって、
けして太陽神を祀る雰囲気じゃないよな。
卑弥呼=日巫女の先入観は捨てたほうがいいかもしれん。


668 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 17:25:02
もっとも、魏志倭人伝には、卑弥呼が太陽神を祭ってたとは書いてない。
鬼道だ。つまり祖霊信仰。

これは大物主という祖霊信仰をしてたマキムクと状況が一致する。


669 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 17:49:41
>>667
そうかな?
大物主の妻が太陽神を祖先とする巫女でその結婚によって
国が治まるってのもありうる話とおもうけど
大物主の信仰によって倭の統一がなされたのは事実と思うけど

670 :665 666:2009/11/16(月) 18:00:04
>>667 卑弥呼=日巫女というイメージからはなれていくなあ

>>668 魏志倭人伝には、卑弥呼が太陽神を祭ってたとは書いてない。

早とちりするな。 モマエら666スレの最後

http://www.eonet.ne.jp/~organism/
http://www.eonet.ne.jp/~organism/yamato-1_5.html#1-5-50

読んでくれてないだろう。卑弥呼=日巫女で間違いない。


671 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:02:33
>>667
俺は卑弥呼のイメージに合うとしか思えないけど。
何せ日女命、日神だよ。ただの姫に神なんて名は付かないから。

672 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:07:12
2009/11/16 19:30 NHK総合
クローズアップ現代「謎の古代都市は邪馬台国か?」

奈良県桜井市から巨大な建物跡が出土した。奈良県の纒向遺跡は、卑弥呼の宮殿ではないかと注目されている。
9か月に及ぶ密着取材から、謎に満ちた古代都市の姿に迫ります。

673 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:10:01

纒向資料

http://www.city.sakurai.nara.jp/4211114.pdf

674 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:42:50
>>672
情報乙。見るぞぉ。

>>673
情報乙。
おー、今回は桜井市、ネットを素早く利用したんだ。


2ちゃんからこういう情報が得られるから、
日本史板は決して無価値じゃないな。

675 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 19:30:02
ここで実況したいなぁ、したらダメなんだろうけど

676 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 19:31:08
あーあ、もう卑弥呼確定のノリでやるんだな

677 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 19:57:57
全体的には「まあ落ち着け」ってトーンだったような

678 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:00:46
おもしろかったぁ\(^o^)/

やっぱ、模型見せられるとなんか納得しちゃうなw
眉唾なんだけど。

679 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:01:20
>>674
考古学板の立場も考えてやってください

680 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:01:44
NHKクローズアップ現代、オワタ。

4つの建物が一直線上に並んでいる・・・これが大きな発見なんだね

681 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:03:40
方位がそろった建物がマキムクでみつかった、って、逆に畿内説ヤバくないか?
4世紀だろって言われるぞ。

せめて、九州からも小規模な方位のそろった建物でも出てればいいのだが。


682 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:23:01
追いつめられて涙目の吸収説はなんにでも難癖つけてくるなwww

683 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:30:11
素朴な疑問だが…

あの模型でも建物には「千木(屋根の両端にあるV字のやつね)」が見られたが
あれって千木そのものの現物が出てきたわけじゃないよな?www

民俗学・建築学からのアプローチによるもの?

684 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:31:53
>>681
逆に四世紀に比定する方が困難な気もするが。

出雲大社と関連性があるという点も、やはりこの辺りは
元々出雲の土地という可能性も出てきたな。
大和にヤマタノオロチ伝承が多く残る点や、
出雲の地名がある点を裏付ける事になるかもな。
やはり国譲りの神話とも関連性あるんじゃないの?

685 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:34:14
基礎の造り方から後世の建築様式と比べて想像したのだろ
建築様式ってのはポット出て消え去るものではない
過去から脈々と受け継がれて現在に至っているのだ

686 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:36:03
>>683
上ものは完全に想像だよ。眉につばつけとけ。

687 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:37:10
纏向に、出雲との関連性が出た時点でもう九州説にのぞみはない。

688 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:42:53
>>684
>逆に四世紀に比定する方が困難な気もするが。

俺は畿内説だが、九州説側の反論(特に安本某)にそなえて、教えて欲しいのだが、
どう困難なの?



689 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 20:53:29
>>688
四世紀に東還とか国譲りといった、そんな大きな国体変化があれば、
記紀や随書に記述がないと変じゃないか?

690 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:22:09
>>689
デカい釣り針だな

691 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:32:06
記紀を書いた勢力が後の時代にやってきた渡来人だとすれば全く不自然ではない。

692 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:34:55
記紀には国譲りの説話がありますよ。

693 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:42:17
自分たちは渡来人で大和の歴史を全く知らないため
出雲から連れてきた稗田阿礼の記憶に頼って記録を作るしかなかった。
これでは吉備や九州王朝の話が出てこないのも当然。


694 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:47:19
>出雲から連れてきた稗田阿礼

なんで出雲から連れてきたことにしてるの?



695 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:47:45
なんかキムチ臭くなってきたな。

696 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:48:41
九州王朝とか言ってる時点でダメダメだな。


697 :日本@名無史さん :2009/11/16(月) 21:52:25
オオクニヌシは ある事情により カムヤマトイワレヒコに国の主権を移譲した。


698 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:53:48
マキムクと出雲の関係がそんなに良かったとは思えないが。どうなんだろ?
マキムク王権、倭国連合の一つの吉備は、確かにある時点までは出雲と良好な関係だっただろうが、
マキムク以降はむしろ対立している観がある。

699 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 22:01:04
お前らマジで奈良が邪馬台国だと信じているのか?!馬鹿な奴らだな

700 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 22:12:11
記紀には九州の説話が異様に多いのだから切り離すことなど無理
マキムクからだって九州の遺物が発掘されている
連合体の中心とはいかなくても主要な構成要因だったことは否定できん


701 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 22:14:54
>>665
太田田根子は太・田田根子ですよ
太田じゃないですよ

702 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 22:31:44
邪馬台国は 九州と大和 どちらにあったぁ〜という論争があるけど
「邪馬台国」は2つあったのではないだろうか?
つまり九州と大和に 「邪馬台国」的なるものが存在はしていた・・
というのが 史実的なのではと最近は思う。


703 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 22:37:57
猫箱かよ!

704 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 22:39:48
太った猫ではないか?

705 :縦目仮面:2009/11/16(月) 22:47:21
猫箱はいいなあ。実際邪馬台国はシュレディンガーの猫で、蓋を開けてみるまでは九州か畿内かは
わからない。今回の纏向の発掘では、まだ蓋を開けたとまではいえないだろうね。しかも量子力学
的には粒子には様々な「重なり合った状態」がある。702の言ってるようなことだが、これは倭人伝に
もいえるかな?

706 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:03:24
>701 指摘tnx

多(おお)氏と多田(ただ)氏ということでしょうか?
クワシク 出典希望

京都の大田神社の祭神は天鈿女命と猿田彦命ということだそうです。
鳥越健三郎の説(伊勢神宮の原像: 昭和48年 講談社)によればこれらの神は神代ではなく、天照を伊勢に供奉するときにであった地元勢力との抗争を神格化したものとしています。
そうすると、巻向で祭祀を司っていた氏族もこの騒動に一枚かんでいたと考えても良いのでは? あくまでも想像ですが。

http://www.genbu.net/data/yamasiro/oota_title.htm

こんなのもありました。

http://kamnavi.jp/ym/osaka/oota.htm

707 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:23:36
>>700

九州の説話が多い?
印象論だな。


708 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:35:27
>>9
>事実C  建物は簡易の掘っ立てのみ。
>結論:少なくとも現時点では吉野ヶ里のような居住の実体がある遺跡とは言えない。
>    よって「マキムク王権」などという仮説を提唱することも不可能である。

>>55
>まあ住居跡が少なすぎるわな。
>あれで都市なんて口走った連中は、学者失格

>>72
>纏向遺跡は本来の意味での遺跡ではなかった

>>75
>マキムクは本来は、そこに王の宮殿があって、重臣たちの居住区があって、
>近習が護衛する場所があって、法円坂遺跡のような倉庫群があって・・・・・
>・・・と多くの期待が寄せられてきた。
>しかし、そんなものは全部出なかった。
>本当に見るべきものは何もなかった。
>「ザ・期待外れ」
>・・・それがマキムク。

>>78
>マキムクが中心ではないのなら、「マキムク王権」は詐欺だな。
>  「ヤマト王権のへき地」
>くらいのネームで売り出すべきだな。

       ********

以上、今回の発掘調査の報道以前に、ここに書かれたレスである。

今回の調査結果を知って、考えを改めた人は、レスしてほしい。

709 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:48:40
>>688
3世紀にする理由をそろそろ聞かせて欲しいものだ。


710 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:56:07
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

711 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 00:00:35
>>705 これは倭人伝にもいえるかな?

いえない (←きっぱりと)
つまり 猫箱をあけると21匹の猫がいて、現在はやっとそのうちの4匹だけを取り出したところだ。 猫の名前は斯馬、彌奴、好古都、奴

http://www.eonet.ne.jp/~organism/yamato-1_3.html#1-3-30

712 :縦目仮面:2009/11/17(火) 00:17:04
>>711
ははあ、竈猫がいないのは残念。じっさい竈で寝るのは気持ちのいいものですよ。労作HPですねえ。
コテハンでやったらどうですか?

713 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 00:18:41
>>673

建物Cって、まんま伊勢の神明造やん

714 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 00:50:33
>>モンゴルでチョウチョを追っかけ回しているあほんだらへ
>>コテハンでやったらどうですか?

私はあんな加齢臭が腐敗臭に変わり、死臭になっているのにも本人は気づかず、ゾンビみたいに暴れまくっている連中と同じように思われたくない。
それに もう一つの大仕事モモちゃんの年代合わせが残っている。
(構想はできているのだが、文章を書くのが・・・・・)

715 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 01:04:54
>>713
それを参考に復元したんだろ。復元というか想像というべきだが。
それでいいという証拠なんてありません。まったくもって皆無です。

716 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 01:31:57
九州説は哀れだなあ。
早く泥舟から降りないと、世間から乖離していくばかりやん。



717 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 01:42:14
>>715
想像という点では吉野ヶ里にも言えるだろw

718 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 01:45:49
そうだよ。登呂遺跡の高床式倉庫もそう。
基本的に上もの復元模型はあてにならない。

719 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 02:21:50
しかし巻向は東国への中継点、三輪山の西、
そした水銀鉱山への入り口。

これだけでも当時の都(というか重要拠点)の資格をもっている。
その場所で大規模な遺跡跡があったんだから、
邪馬台国は別にしても非常に画期的な事だろう。

720 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 02:31:05
纒向遺跡中枢域は“水の宮殿” 3方に河川と人工水路
11月16日20時27分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091116-00000591-san-soci

邪馬台国の最有力候補地である纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で見つかった大型建物跡(3世紀前半)の一帯は、
河川と人工水路で3方を囲まれていた可能性があることが16日、桜井市教委などの分析で分かった。
“水の宮殿”を想起させる構造で、
約半世紀後の初期大和政権の大王ともされる崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」とイメージが一致する。


721 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 12:02:30
このように記紀の記述と符号するといのは、興味深い
初期ヤマト王権、崇神、モモソ がどのように繋がっていたのか
薄皮をめくる様に徐々に解明されて行くんだろうな

722 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 12:41:49
>>720
垂仁じゃなくて崇神だろ。

邪馬台国の最有力候補地である纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で見つかった大型建物跡(3世紀前半)の一帯は、
河川と人工水路で3方を囲まれていた可能性があることが16日、桜井市教委などの分析で分かった。
“水の宮殿”を想起させる構造で、
約半世紀後の初期大和政権の大王ともされる崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」とイメージが一致する。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091116-00000591-san-soci

★崇神天皇とは?

崇神天皇は、一心不乱に天神地祇を祀ったとされ、豊鍬入姫命をつけて天照大神を笠縫邑に移した。
崇神天皇7年には天皇が占いを行うために、神浅渟原に、八十万の神々を招集した際、第7代孝霊天皇の皇女
倭迹迹日百襲媛命が神懸かりになった。倭迹迹日百襲媛命はたぐいまれな霊力の持ち主であり、武埴安彦命
の謀反や吾田姫の呪言のありようをつげ崇神天皇に注意を喚起した。


723 :722:2009/11/17(火) 12:42:25
すまん誤爆したw

724 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 13:45:32
卑弥呼さん〜

725 :ローガン:2009/11/17(火) 15:00:08
>>713
> 建物Cって、まんま伊勢の神明造やん

夕べのテレビ見て私もそう思いました。千木、内そぎやし…。
ただ「宮殿」とした建物、柱間が偶数ゆえ、出雲大社との共通性云々を言ってましたが、大社造って妻入りなんだけどねえ、
拘らなくていいのかな?

726 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 15:12:05
>>725
>柱間が偶数ゆえ、出雲大社との共通性

そうだっけ?
心の御柱があったから、出雲大社と共通だって言ってなかった?


727 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 15:15:24
心の御柱は、家屋の中央の柱のこと。
通常、中央に柱があると祭祀の邪魔になるので、無い場合が多い。
出雲大社には心の御柱がある。今回発掘の建物にもある。

一方、伊勢神宮は、心の御柱は無い。
その代わり?かどうか、床下の中央に柱が埋まってるとか。


728 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 15:28:35
間違いなく3世紀の物ではない

729 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 15:38:01
【卑弥呼】 邪馬台国が奈良でほぼ確定したっぽいけど、九州厨はこれからどーすんのよw
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258185763/

730 :ローガン:2009/11/17(火) 15:38:12
>>726
ああ、ごめんなさい。書き方が悪かった。 「建物の中心線に柱が並ぶ」ですね。
法隆寺の中門が確かそんな感じだったかな。
>>727 伊勢は遷宮後、更地になっても御柱は覆屋(でいいのかな)の中… 地表から50cmくらいのものでしょう。

731 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 15:43:51
>>925
>隋のことを大唐国と呼んだだけだよ。
紀には隋の国名もでているのに、どうして大唐と書き分けてるのか。統一制がないな。

732 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 15:54:26
>>729
間違っているものを当確してるんだから仕方ない。

吉野ヶ里遺跡が邪馬台国って信じてた時代と何も変わってないわけよ。

あのときも吉野ヶ里=邪馬台国ってな具合で決まってたよなあ・・遠い目

733 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 16:02:15
俺は以前、纒向遺跡は、卑弥呼が居た時代に同時に畿内にいた
崇神天皇の遺跡だって主張をよく書いてたんだが。
>>722 今回の発見はそれの裏づけっぽい。



734 :722:2009/11/17(火) 16:02:39
>>731
年代と隋使の名前があってるんだからもうあがくなよ

735 :サガミハラハラ:2009/11/17(火) 16:04:29
けど、それで正しかったのでしたが。邪馬台国とする決定的な物証がでてこなかった。
それが考古学の限界でした。
しかし、今回も邪馬台国であるという決定的なものがでておりませんね。しかし邪馬台国だとマスコミでは決定した報道をしています。
結局、吉野ケ里フィーバーと同じ道をたどるのでしょうね。
けど地域経済の振興にとっては良い材料ですのでさわがれているうちにガッポリ稼いでおきましょう。

736 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 16:23:13
記紀にでてくる崇神天皇の瑞籬宮の記述に似てるのには間違いないね。

本当にすごいことなんだが・・・・
まず記紀との検証が先。
ただし、相当天皇家の系譜の年代があがってくるな。まあ前から言われてたが
巻向がなけりゃ、7世紀じゃないの、なんて話もあったぐらいだしな。


737 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 16:26:42
>>728
>間違いなく3世紀の物ではない

なぜ? 理由をどうぞ。

738 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 16:32:08
>>736
おそらくはまだ文字が普及していない時代を
伝承だけで伝えられて来たんだから、ある程度の誤差があるのは仕方ない>記紀の記述
むしろ奈良時代に書かれた記紀が500年前の出来事をよく伝えていると思う

739 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 16:49:56
>>733
お前の仮説はよく当たるよな

740 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:04:50
書紀が書かれた当時の最高権力者は高市。母親は、尼子娘で宗像徳前の娘。
書紀編集部が、高市の母親の実家にリップサービスしたのが、九州重視の傾向。
引きずられちゃいけない。

741 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:10:18
>>739
>>793は預言者卑弥呼の子孫。

742 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:41:28
お前は何でも知っているな。

743 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:52:13
なに、この自演だらけのスレ

744 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:06:46
そうだぜ、俺は何でも知っているぜ

745 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:22:45
>>744
こらこら。ここは、

「何でもは知らないわ。知ってることだけ。」

で、返さないと駄目だろ。

746 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:22:50
>>740
書紀は百歩譲ってそうだと仮定しても、古事記は?
記にも胸形君も宗像三女神も出てくる。
それ以前に、沖津宮のある沖ノ島から4世紀後半からの国家レベルの祭祀遺跡が
でてくるんだが、7世紀の人物がどうあがいても過去に遡って神宝を奉献できないよ。
世界遺産になろうかという遺跡の初歩知識くらい勉強してね。

747 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:37:06
>>740
記紀は16世紀に成立説はどうだろうか?

祟神は織田信長の焼き写しで四道将軍は

北陸:    大彦=柴田勝家
山陰:丹波道主=丹羽長秀
山陽:吉備津彦=羽柴秀吉
東海:武淳川別=滝川一益

秀吉→サル→桃太郎のサル(前田→犬千代→イヌ、雉が坂→キジがさか→キジ)→吉備津彦
滝川→たきがわ→たけかわ(武川)→たけぬなかわ→武淳川別

徳川家康→建埴安彦
明智光秀→吾田媛
  
徳:TOKU
母音を一つずらす(A→I→U→E→O→A)
健:TAKE
建=徳川

『いへ』やす=《はに》やす
『い』ろ《はに》ほ『へ』  『いへ』→《はに》
埴安=家康

明智 あけち
吾田 あたひめ
  
本能寺の変=建埴安彦の乱

748 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:38:10
>>740
神武東征神話の成立期は幕末〜明治と見なす説もある

徳川氏が失脚して、薩摩長州の勢力を増したとか、
そのあたりの事情を勘案してるんだろう。

749 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:25:11
現存する古事記、日本書紀じは明治の写本だから、
そのときに改ざんされたってことだろうな。

750 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:39:32
>>748
江戸時代中期に出版された写本からまず目を通そうな。


751 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 07:42:42
古事記のもっとも古い写本は南北朝時代の写本。
南北朝といえば互いに天皇家の正当性を争っていた時代だから、
南朝の都合のいいように書き換えられた可能性が高い。
そんなものあてにならないのです。

752 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:54:28
>>745
アニヲタは巣にカエレ

753 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:28:47
お前の勘は、よく当たるよな

754 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:31:20
やめろってば、照れるじゃないか

755 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:43:41
縄文時代に既に栗の栽培品種改良がされていたそうですね
そして文字もあったというじゃないですか
さらに、日本書紀・古事記以前の記紀原書の解明が終わったそうじゃ
ないですか
そこには神武天皇以前の系譜まで出てくるそうじゃないですか
この国の知ることの出来る最初の国家名は「とこよ」だそうじゃないですか
(現代で言う縄文時代前期)



756 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:09:19
教えてくれ、卑弥呼はどこじゃ?

757 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:10:17
呼んだあ〜?

758 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:02:39
「呼」は「よ」なんだから、ヒミヨだろ。


759 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:04:16
訓読みと音読みの区別もわからないの?

760 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:00:19
>719 しかし巻向は東国への中継点、三輪山の西、
そした水銀鉱山への入り口。

三輪山が水銀鉱山という秘密を、どうしてお前が知ってるんだ。

761 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:00:38
しょうがないな、マキムクは俺にまかせろよ

762 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:48:21
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

763 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:27:10
>>673
この資料を見ると、庄内3には既に廃絶してるんだよなぁ。
箸墓を240年とか250年とかにしようっていうイケイケ年代だと、
3世紀初頭あたりまで上がっちまうんじゃね?

箸墓が280年ぐらいにするなら、卑弥呼没年ぐらいにはなるかもしれないけど、
年代あげあげだと古くなりすぎないか?


764 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:23:02
>>727
>一方、伊勢神宮は、心の御柱は無い。
>その代わり?かどうか、床下の中央に柱が埋まってるとか。

念のために突っ込んでおくと
伊勢神宮には『心御柱』はある。

てか式年遷宮の行事の中に「心御柱奉建」と言うのがあり
秘事でもなんでもなく平成5年9月にも行われている。

が、確かに>>727の言うように構造的何かを支えると言うものではなく
ぶっちゃけて言えば地面に打ち込んだ、ただの杭だがwwwwwwwww

まあそれに宗教的意味を探るなら
3世紀4世紀と言った古代とかは関係なくて
天の中心=北極星=太一 のシンボルじゃないかな?


765 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:10:25
伊勢神宮は崇神が建てたんだから大したもんじゃないよ。
もう、せいぜい古くて3世紀ってわかったからね。
前からわかっていたが、証明されたな。

記紀のいう神代時代のものではない。卑弥呼時代のやつ。


766 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 05:10:40
>>765
まあ伊勢の場合建て替えまくってるからどっちにしろ古くはないんだけどな。

767 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 07:41:24
>>765
伊勢神宮を建てたのは
卑弥呼が死んだちょっと後の時代。


768 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 09:14:11
>>767
伊勢神宮がその時代までさかのぼることについて、なにか資料を知って
いたら教えてくれ。

769 :722:2009/11/19(木) 10:56:56
わからんが内宮は垂仁天皇26年)、外宮は雄略22年とあるな。

770 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:03:50
>>768
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/000000.html

771 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:43:52
奈良・纒向遺跡
説明会2日間で1万1300人…市教委主催、最多を記録


多くの考古学ファンらが訪れた現地説明会(15日午後0時14分、
桜井市の纒向遺跡で、本社ヘリから) 

邪馬台国の女王・卑弥呼の時代にあたる3世紀前半〜中頃の大型建物跡が
出土した奈良県桜井市の纒向遺跡で15日、2日目の現地説明会が開かれ、
全国から約7700人が訪れた。市教委が主催した現地説明会では、
1989年の纒向石塚古墳、96年のホケノ山古墳の約3000人を大幅に
上回る過去最多となり、前日の見学者を含めると計約1万1300人に上った。

772 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:44:43
 早朝から約200人が集まり、午前10時の開始を約1時間早めて実施、
正午頃には約2000人が列を作った。2時間以上待って見学した
京都府京田辺市の主婦二宮慧(けい)子さん(64)は「大型建物跡を
目の前で見られて、待ったかいがあった。当時の人たちが
ここでどんな生活をしていたのか気になりますね」と想像を膨らませていた。

773 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:45:36
 奈良市の主婦葛原静子さん(42)は「さらに調査を進め、
邪馬台国の畿内説を確実にしてほしい」と言い、
これまで九州説を支持していたという福岡市の会社員大塚崇行さん(52)は
「畿内説が正しいのかも。悔しいけれど、負けた気がしました」と話した。

 市教委が2日間で行った説明は計30回。今後の発掘のために
現地で募った寄付金の受け付け件数は30件以上あったといい、
文化財課の橋本輝彦主査は「大勢の人に纒向遺跡を知ってもらえた」と喜んでいた。

(2009年11月16日 読売新聞)

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is91116a.htm

774 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:19:05
勝ち負けの問題じゃないだろw
正しかったか間違っていたかの問題。

775 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:00:09
「認めたら負け」(52歳)

776 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:39:02
いや〜
邪馬台国がここだと言われて嬉しかったんだよな


違うのか
悲しいな

777 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:41:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

778 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:41:21
>764 :伊勢神宮には『心御柱』はある。
まあそれに宗教的意味を探るなら
3世紀4世紀と言った古代とかは関係なくて
天の中心=北極星=太一 のシンボルじゃないかな?

ガイアにぶち込んだウラヌスのペニスだろう。



779 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:04:17
卑弥呼は水銀と大麻中毒で気が狂い
臍を突いて死んだと見られます。
丹波の知の出来事でしょう。

780 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:00:13
オレも畿内説支持だけど、伊勢神宮は天武天皇時代、7世紀末からだろ。
それ以前は、一介の地方神社だろ。

781 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:03:31
アマテラスも一介の地方神らしいね。

782 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:54:55
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

783 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:21:21
しかし、数ある大王家の中で天皇家だけが生き残ったというのはわけがあった。
それは、天皇家は、超古代から栄えた九州王朝の末裔だったからだ。
しかも、諸王にはない特別な能力があった。
それが空を跳ぶ舟を持っていたことではないだろうか?

784 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:34:29
>>783
九州王朝の末裔ではあるが、空とぶ船はない。
速度の速い船という意味だろう、しかも祖先が持っていたのがな。

785 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 00:29:56
空を飛ぶ島では?

786 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:24:55
奈良県立図書館創立100周年・ライブラリー オブ ザ イヤー 2009 優秀賞受賞記念
    ■特別企画 「魏志倭人伝を読む・纒向遺跡を掘る」 12月13日(日)

今年11月、桜井市の纒向遺跡で、卑弥呼の宮殿に関連すると思われる大型の建物遺跡が確認されました。図書情報館では、纒向遺跡発掘の最新の成果とその意義をふまえ、専門家によるシンポジウムを通じて、卑弥呼と邪馬台国の謎に迫ります。

主催 奈良県立図書情報館  協賛 フロンティア エイジ
日時 平成21年12月13日(日) 13:00 〜 17:30 (開場 12:00)
場所 1F 交流ホール  (奈良県立図書情報館 奈良市大安寺西1丁目1000番地)

プログラム
○基調講演 「邪馬台国と纒向遺跡」 上田正昭氏
○基調報告1「纒向遺跡発掘の成果」 橋本輝彦氏
○基調報告2「纒向遺跡調査の意義」 石野博信氏

○シンポジウム「邪馬台国と纒向遺跡をめぐって」
(パネラー) 上田正昭氏、石野博信氏、辰巳和弘氏、橋本輝彦氏、千田 稔館長  (コーディネーター) 高橋 徹氏

講師
上田正昭(京都大学名誉教授)
石野博信(兵庫県立考古博物館・香芝市立二上山博物館 館長)
辰巳和弘(同志社大学教授)
橋本輝彦(桜井市教育委員会文化財課主査)
高橋 徹(朝日新聞社元編集委員)
千田 稔(奈良県立図書情報館 館長)

定員  300名(申込み多数の場合は抽選。)・入場無料
申込み  往復はがき、FAX、メール(koen@library.pref.nara.jp)、または来館による申込みもできます。(2階貸出・返却カウンターにて受け付けます。)なお、当館ホームページ「申込みフォーム」からの申込みもできます。

※@郵便番号・住所Aお名前(ふりがな)B年齢C連絡先電話番号(FAXでのお申込みの場合は、必ずFAX番号もお書きください。)を記入し、奈良県立図書情報館特別企画」担当あて。折り返しご案内を送付します。
往復はがきで申込みの場合は、返信にも送付先の郵便番号、住所、氏名を必ず記入してください。
※1通に付き、2名までのお申込みとします。
http://eventinformation.blog116.fc2.com/blog-entry-302.html

787 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:43:22
「邪馬台国と狗奴国が戦争」って言ってた人は消えちゃったのかね?

倭人伝理解能力ゼロな人!

788 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:14:46
>>786の先生方、参加者も実は魏志倭人伝を読み違えていることに気づいてないみたいですね。ぷっ

789 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:25:39
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

790 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:24:22
当時の王族ってどこから来たかはともかく、当時日本に居た原住民みたいな民とは
段違いにレベルが違うでしょ。なぜなら、どの話聞いても下克上していない。

だから外国から来た、ユダヤとか叙福とか言われても仕方ない。

>>780
崇神天皇が、伊勢神宮建てたって書いてある。
それまでは神社も何もないよ。もともとも何も書かれてない。

791 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:32:18
崇神天皇の 瑞籬宮は、巻向になく他に比定地があるんですが。

こんな状態で、箸墓だけは絶対、絶対、モモソの墓、なんて信じられる馬鹿が
居るってすごいな。



792 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:32:22
統一的な中央政権の形成時期

磐井の乱後の継体以降

1978年 稲荷山鉄剣発見

5世紀後半 雄略天皇以降

2009年 纏向で大型建物跡発見

3世紀後半 崇神天皇以降 ←今ここ

793 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 03:14:16
>>791
比定も何も、あの地の名は昔からの地名やん(笑)

794 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:30:34
昨日のふしぎ発見で月とカエルの話をしてたな。
銅鐸に描かれてるカエルは月に関係してたのかね。

795 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:11:13
>>794
それを踏まえると神武の東征神話で神武とかとニギハヤヒとかが
お互いに天孫だと証明しあうのに
アメノハハ矢とか蛇(ハハ)に纏わる物を示し合うのも興味深いよな〜

796 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:23:56
176 名前:173[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 13:21:03
  ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org380108.png

797 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:32:32
>790 :だから外国から来た、ユダヤとか叙福とか言われても仕方ない。

権力は外からっていうのは、どの国の歴史でも一緒。
自分の正当性を主張するのにそう言うんだ。
別に珍しいことでもなんでもないから、まともな研究者なら気にもかけない。


798 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:04:10
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

799 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:56:18
100年頃 倭国王帥升(スサノオ)連立政権樹立
スサノオ系から男王 世俗王を出し
アマテラス系から女王 祭祀王を出す

協定終結後にスサノオ系は銅鐸祭祀を捨てアマテラス系が鏡祭祀開始

倭国大乱
倭王位をめぐって世俗王と祭祀王が争い、祭祀王が勝利する

248年頃 協定を破り崇神が世俗王位を簒奪

前方後円墳 祭祀王系の墓
前方後方墳 世俗王系の墓

邪馬台国 大和     祭祀王の首都
狗奴国   東海地方 世俗王の首都

800 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:01:44
>798

もうやめなはれ

801 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:37:32
爆笑くん、ほんとに寒いね

802 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:20:57
「♪邪馬台国 ドンと来い♪59」スレからコピペ。


657 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:57:51
>>438
>纏向が完全に廃絶した後で箸墓ができるというのは興味あるな。

これは間違った認識。

番組で橋本輝彦氏(=桜井市教育委員会文化財課主査)が述べたのは、
今回発掘された庄内期の大型建物が廃絶(=庄内3期)したv直後に箸墓が作られた、ということ。
纏向が完全に廃絶したわけではない。

続く布留期でも纏向遺跡は健在であり、要するに遺跡の範囲の中で中枢が移ったと見た方がいい。
それは何処か、との質問もあろうが、
桜井市教委や橿考研はすでにパンフレットやホームページにおいて、
纏向遺跡における有力な布留期中枢の候補地を示唆している。

纒向遺跡 (橿考研附属博物館サイト、豊岡卓之研究員執筆)
http://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/yamatonoiseki.html
「遺跡の推移」の項参照。

803 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:25:00
同じく。


839 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:40:50
主任「大型の建物が発見されました、あれが柱の跡です」
レポーター「柱は見つかったんですか?」
主任「いえ、すべて引っこ抜かれてました、リサイクルしたんですね」
レポーター「・・・・・・・そうですか」

804 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:34:59
桜井市議会議員あんまえ政光氏サイト中、纏向遺跡紹介ページからコピペ。
http://remains.anmae.net/?detail=1168018231


■尾崎花地区の区画溝 (桜井市大字巻野内)

 第80次調査では布留0式期から布留2式期式初め(3世紀後半〜4世紀前半)にかけての区画溝とこれに伴う柱列が検出されています。
区画溝は段丘の端面に掘削されたもので、幅・深さともに約2mの規模を持っています。

また、溝の外側には土塁があり、約1.6mの間隔で柱が立てられていたようで、
これらの施設は纒向遺跡内でも特殊な役割を持った施設(居館・倉庫群など)を一般地域から遮蔽するための施設ではないかと考えられているものであり、区画施設の内側に当たる東側地域での発掘調査が期待されています。

http://www.anmae.net/remains/images/1168018231-01.jpg

805 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:46:50
>>802のリンク先からコピペ。


遺跡の推移

 纒向遺跡の歴史は、中心部の推移から前・後半期の二時期に区分される。

前半期の中心部は、遺跡西半の太田周辺に推定される。
大規模水路網はこの時期のものであり、遺跡の西辺部を北東―南西方向に延び、初瀬川に続くと推定される基幹水路と、それから分岐して南東に延び、箸中山古墳の方向へ続く基幹水路を中心としている。
基幹水路は、遺存幅5〜6b・深さ約1.5bを測り、矢板によって丁寧に護岸さていた。

後半期には、遺跡東半の巻野内に中心部が推定される。
珠城山古墳群の北の平坦地には、断面V字形の溝に囲まれた建物敷地と思われる大規模な区画が造営されている。
そこから西に下った場所からは、樋・槽を連ねた祭祀場が検出されていることからみて、先の区画の内部には、居館あるいは神殿のような建物群があると推定される。

 纒向遺跡の南東には、全長280bを測る箸中山古墳がある。
その完成は纒向遺跡の中心部が移動した時期であるから、被葬者は纒向遺跡の前半期を治めた王者と推定される。
現在は宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の大市墓に指定されているが、卑弥呼・台与の墓とする説もある。
こうした説が提起されるように、邪馬台国大和説では纒向遺跡がその有力候補地の一つである。
その当否は別としても、纒向遺跡が邪馬台国時代の有力遺跡であることは、疑いのない事実であり、弥生時代の終えんと古墳時代の開始を研究する上で、欠くことのできない遺跡となっている。
当研究所総括研究員 豊岡卓之
http://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/yamatonoiseki.html

806 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:54:11
>>804
布留2式が4世紀前半???

いくらなんでもそれは無理だろう。
横穴式石室や馬具の副葬も4世紀前半にするつもりか?

年代遡上を一貫させるとそれをやらざるを得ないんだろうが、学者としての
矜持のようなものは最低限持っていて欲しいね。

807 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 01:08:33
横穴石室の始まりは九州の鋤崎や老字で4世紀末、馬具副葬は5世紀初めの行者塚から。鋤先なんかは布留3じゃないの?
布留2は、4世紀半ばなら別にOK
前半はちときついが、一部かかるだろ。歴博のAMS直接盲信年代観なら4世紀前半になるだろうけどな

808 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:20:35
>>807
横穴石室は全国一律に始まったわけじゃないから、九州で4世紀末にできても
畿内は変わらないよ。

ところで布留2と布留3をどうやって区別すんの?
土器の形で区別できないだろうし、共伴する土器の種類でもまあ無理だろうから、
馬具が出たら布留3にする位の理屈が必要なんじゃない。
それなら土器の形が異なる(とその人だけは区別できる)という方向でやるしかないね。
あくまで一般論だが。

その上で畿内の横穴石室の一部、例えば三角縁が出土したものとかを繰り上げる
というやり方もありうるけど、そんな恥ずかしいことをする勇気のある学者が
出てくるかな。



809 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:51:28
【日本国家の成立】
【日本民族の統一】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマト:マキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智・天武】律令体制
【聖武】平城京
【桓武】平安京
*【幕府体制】
【明治】維新近代化
【現在】125代今上
(各王朝内は「男系」で繋がり各王朝間は実質「女系」で維持。王朝内に女帝は置かれたが女系は認められなかった)

810 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:18:29
布留0が3世紀後半から4世紀前半ていう意味だと思うが。流石に。
まあ、布留0は3世紀半ばでも良いと思う。

811 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 19:12:35
最早、十年くらい前から争点は、
邪馬台国はどこか?
から
大和マキムクはいかにして誕生したのか?
に古代史好きの関心は移っている。

邪馬台国が大和以外だとすれば、マキムクに反抗的な一地方首長が3世紀初から半ばにいたということ。

812 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 20:53:11
布留2と3は土器の各器種の型式変化とセット関係で分けています。
土器様式は土器により説明されるもので、たとえば馬具があったから土器様式を決めるとか方法論的におかしいです。
なお、箸墓周溝の馬具が出た層位は、確かに布留1式が出ていますが、下層に築造前後の布留0がたくさんある状況と異なります。
、堆積環境から言っても短期間の層位かは疑問で、たまたま土器は布留1だけ少量ありますが、その上の層(確か飛鳥奈良時代)との関係で言っても、布留1式の時期のみの堆積層であるかは疑問の残るところがあります。
したがって、この1例のみをもって、布留1式に馬具が存在したと断定するにはまだ危うい状況であり、また、ましてや馬具が存在するから布留1式が4世紀後半(以降)だとか決められるような出方ではないと思われます。

813 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 21:40:32
>>812
wikiで読む限り、橿考研は馬具が布留1と一緒に出てくるから、
箸墓の築造を4世紀、卑弥呼の次の台与、更に次の男王の墓と考えるようになった
とありますが、どうなんでしょ?

後世に周溝が浚渫された可能性とかはないのでしょうか?
農業用水路とかは浅くなってくるので毎年浚渫されてますよね。

814 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 21:41:24
馬鹿だなあおまいら、馬具は張政の愛馬のものだ。

815 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 22:12:10
いや、そもそも中国で鐙が使用され出したのが4世紀なんだろ?
張政が乗ってりゃ大して問題じゃなくなる

816 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 22:32:25
ちっちっ、中国での発掘例は3世紀半ばからあるが、中国は遺跡の宝庫なのに、考古学的発掘は
すごく遅れてる・・・というか金にならないので無関心なんだな。おそらくきちんと調査が進めば、あら
ゆるものの起源がもっともっと古くなる。

817 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 22:35:00
出てからいってほしいものだ

818 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 01:01:55
>>812
>布留2と3は土器の各器種の型式変化とセット関係で分けています。

それをやりだすと、庄内を細分化しようとしたときのように人によって境目が見えたり
見えなかったりするオカルトみたくなりそうだな。

庄内は、庄内を長くすると庄内を経ない地域が5,60年ほど亜空間に消えるという
問題があったが、布留の場合はそれがより深刻になるよね。

傍から見てると滑稽ではあるけど、当人はどこまで本気なんだろうか?

819 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 02:01:23
>>805
>纒向遺跡が邪馬台国時代の有力遺跡であることは、疑いのない事実であり…

邪馬台国時代と言うのは、気になる言い方だな。
邪馬台国はいつ始まって、いつ終わったのやら。

倭人伝に書かれている時代、あるいは卑弥呼の時代と言いたいのなら、
宮室はともかく、樓觀とか城柵の跡が出て来なきゃいけないはずだが。

820 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 02:08:12
ついでに言えば、倭人伝に書かれている宮室・樓觀・城柵の跡らしきものが
出ている吉野ケ里が卑弥呼の時代ではなくて、出ていない纏向が卑弥呼の時代と
いうのもおかしな話だと思うが。


821 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 02:23:32
>>820

その理屈はおかしい。

822 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 02:31:59
マキムクの開発が始まったのは、本当は300年以降なんてことは誰でも知っている。

けど、そんなことを言ったら、畿内説は終わりだろ。



823 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 02:35:11
>>821
でも、郡使は確かに見たから倭人伝に書かれているわけだろう。
どこで見たのかということになるね。

824 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 02:41:53
東遷説が成立しない現在では、九州説もありえないわけだが。


825 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 03:14:52
>815-817
アブミを意味する文字が紀元前の文書にも出ているのでモノは紀元前からあったはず、
とは考えられてる様子。

あと、中国に隣接する雲南の国で、紀元前のアブミ使用例とおぼしい像が出土してる
その地域が前漢の中期には中国に接収されているとのことで、中国ではないが中国、の出土ではあるんじゃないか。

826 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 03:17:24
>820
吉野ヶ里が栄えたのは紀元前で、
邪馬台国と見られる時代には衰退していたってのが最大のネックだろ。
そのあとでも少しだけ遺跡が出てるけど、栄えていた紀元前のモノとは比較し得ないみすぼらしさ、だと聞くぞ。

827 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 06:47:13
吉野ヶ里の大環壕、内郭は後期、北内郭と大型建物は終末期
集落としての最盛期は実は後期から終末期

828 :サガミハラハラ:2009/11/25(水) 08:37:53
そうですね、吉野ケ里は最盛期に突然として消滅するのです。戦もなしで。
その理由は、もっと西の小城甘木に遷都したからです。

829 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 08:45:50
弥生以来の大規模集落が弥生末期から古墳時代初めに解体、小規模集落に拡散するのは
各地で見られる現象では?
つまりは拠点集落に有力者が集住する族長的政治体制から、
オウを頂点に担いで各々は分散する、に変わったんだよ。

830 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 08:50:49
お引越ししたの
以前の住所は書いてません


831 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 10:35:34
サガミハラハラさんが哀れだ。
纏向遺跡の発掘の進展のこの状況下で
あなたの自説が、どんどん打ち砕かれているのは、もう防ぎようがないですが
たとえ、あなたの自説が間違っていたとしても(つーか、確実に間違っているのだが)
ああたの邪馬台国にかける情熱は素晴らしいと思います。

832 :サガミハラハラ:2009/11/25(水) 10:54:49
マキムクですか?あそこは古代の飯場のあとだといってる人がいますよ。

倭人伝の本の記事には吉野ケ里までの距離がかいてありました。
遷都してから来た魏の役人は距離なぞはかっていなかったのです。
それで不弥国から南の邪馬台国までの距離は記述していないのです。

833 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 11:58:26
>>832
飯場に墓は造らないですよ。

まあ大規模古墳を建設するのだから
ある意味飯場かw

それに今回発掘された建造物跡でも
宗教的建造物なのは間違いないですよ。

834 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 12:36:31
なんの施設かはともかく
東西南北に測量してるだけですごいよ。

835 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 13:18:14
とにかく、纏向が邪馬台国であるとする根拠は何もない。
報道のたびに邪馬台国を強調し、素人に先入観を与えるだけの宣伝に
過ぎないと言うことだろうな。

考古学者ならば、せめて「宮室・樓觀・城柵」を確認してから邪馬台国云々を
いうのが良識というか常識だと思うが。

836 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 13:24:30
>>835
だから根拠は沢山あるだろ、決定的証拠が無いだけの事。
(というかそんなもん今後も何処にも無いだろう)

837 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 13:57:42
>>835

仮に今後「宮室・樓觀・城柵」が発見されても、
おまえは纏向が邪馬台国と認めないだろ?





838 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 16:12:55
>>837
年代が違うと難癖つけるよ、きっと。

839 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 19:42:48
>>832
飯場とやらは「ダイワハウス」ですか?当然、プレハブ住宅ですよね?

840 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:28:56
>>832 そこはタマホーム

841 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:18:42
>>834
それは今までの小型祭祀施設でも同じでしょ。

今回は
・大きい
・整然と並んでいるように見える
・柵のようなものがある
のが新しい。

842 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:30:33
>>820-835
根本的に勘違いしているが、環濠集落と豪族居館は違う。
倭人伝に記述されているのは豪族居館の描写。

そもそも集落に一緒に住んでいたものが、オウの誕生により、居館を構え、別々に住むようになった。
それが古墳時代。
古墳築造とリンクしているんだよ。

843 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:43:52
郡使は二回倭国にやってきている。
正始元年(西暦240年)の梯儁と、正始八年(西暦247年)頃の張政。
そのどちらかがあるいは両方が見て、その記録が倭人伝に書かれている。

居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞

居する所の宮室、樓觀、城柵を厳かに設け、常に人あり、武器を持ち守衛す。

城柵なんかも「厳かに設け」とあるから簡単なものではないだろう。
しかし、纏向からは出ていない。郡使はどこで見たのかと言うことなのだが。

844 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:47:32
>>843
柵跡出てるよ

845 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:55:35
>>843
「出てない」は理由にならないのは今回の発見でも十分にわかったと思ったのだが。
考古学には限界があり、周辺状況からの類推が必要なんだよ。

ただまあ私が言いたかったのは、吉野ケ里の楼観やら城柵は集落をぐるりと巡らしたものであって、
倭人伝のそれとは意味合いがかなり違うよということ。

846 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:07:02
>>845
吉野ケ里の城柵の方が「厳かに設け」という表現に合っていると思う。
「常に人がいて武器を持ち、守っている」というのもこのような状況だろう。

吉野ヶ里遺跡が邪馬台国ではないかと言われたのは、「宮室、樓觀、城柵」と
見られる跡がセット出てきたからで、倭人伝の記述と合っていたから。

出てきていない纏向についてそれを言うのはおかしい。
出てくる可能性があると言うのなら出てきてから言うべきだろう。
しかし、環濠のない纏向で大規模な城柵と見られるものが出てくることは
ないだろうな。

847 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:12:19
>>846
いやまあ、>>845で書いたことを冷静に読み直して欲しい。
そんなことだから倭人伝も読み間違えるんだよ

848 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:13:51
ひいいっ、自演コテが名無しで書いてる。

849 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:14:44
うむ、大自演だな。大和湖のやりそうなことだ。

850 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:17:49
このスレ自体が老教授と支援者の自演スレじゃん。

851 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:18:25
すごく馬鹿だね。わからないとでも思ってるのかな?

852 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:22:00
倭人伝の豪族居館の描写。
径百余歩という古墳の築造の描写からも、卑弥呼の時代は弥生時代というより古墳時代と見る方が妥当だろう。

短里説とかわけのわからんモノを持ち出して、
卑弥呼の墓を無理矢理弥生墳丘墓にしようとするのは愚の骨頂だよ

853 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:24:18
魏志倭人伝には載っていないが、邪馬台国と同時期に、畿内の勢力も別に魏に使いを送ったとしてもおかしくない。
記録に残っていることだけが事実というわけではないし、畿内の人も魏まで使いを送れたのです。よくがんばった。

854 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:29:11
しかしこのアホもひつこいな。豪族居棺なんて倭人伝のどこに書いてるんだ、やれやれ。最古の
豪族居棺は3世紀末〜4世紀初め頃。しかも環濠内居棺。大分の小迫辻原遺跡などだろう。倭人
伝に書かれてるのは、あくまで王の宮城なんだよ。いつまでこの妄想古代史が続くのやら・・・。

855 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:30:29
今、居館を渡り歩いて、魏使は1日3km進んだとか言い始めるからwwww

856 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:40:39
>>854
逆に倭人伝を読んで、卑弥呼が集落内で一緒に住んでると読めるのかと聞きたい。
実年代で書いてる時点でダメダメだが

857 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:03:21
>>856
>卑弥呼が集落内で一緒に住んでると読めるのかと聞きたい。
むろん住んでないだろう。宮城に住んでる。おそらく祭祀色の強いものだろう。豪族居館など倭人伝の
頃は、少なくともあちこちにはないといってるんだよ。

858 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:06:05
>>857
倭人伝の頃とかさあ、書き方がブレブレなんだよ。
土器編年ではいつくらいのことなの?
ちゃんと分かって書いてる?

859 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:16:54
>>858
横レスだが、倭人伝の頃と言うのは年代がはっきりわかっている。
でも、土器の編年で実年代を言うのは難しいな。

860 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:17:16
集落から離れ城柵やらに囲まれてる王の住居って、
普通、考古学では豪族居館って呼ばないか?

なんか不毛な議論のような。

861 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:20:57
というかこれは大和勢力が進出した遺跡だろう。布留式最古相期の大和の土器、出雲の土器も出て
いる。おそらく拠点の一つ。

862 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:24:20
北部九州の頑迷固陋さ
いいかげんにしろといいたいくらいだ
4様式の後半から5様式の終わりまで壺型土器がほとんど変化しない
例の口縁部内傾土器だ
こんなものを見た瞬間、北部九州とその周辺に通商同盟の中心が存在しえないことは
完全に理解した。融和的な関係において物資が動けば必然的に文化は変わるはずだ

また、弥生時代を通じて筑後川は文化的境界線(国境線)となっており
そしてその南は悲惨な状況であって
ひょっとして北部九州は他の倭国と言葉が違っていたんじゃないかとさえ思う

863 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:26:12
>>859
いちおう書いとくけど、「倭人伝のころには豪族居館はなかった」と言うから、
具体的にそれは土器編年でいつごろのことなの?
ていう意味。
完全にごっちゃにしてますね?という批判でもあるのだが。

しかしまあ、もう豪族居館の話はいいわ。確かに不毛。

864 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:27:03
>その南は悲惨な状況であって
ここは同意。

865 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:33:30
>>864
弥生後期の人口は、北部より南部の方が多かったと言われているのだが。

866 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 00:06:25
邪馬台国は別スレでやってくれ。専門のスレがあるだろ。
思いっきりつまらんレスばっかり。

867 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 00:37:39
>>866
倭人伝原理主義の連中は考古学に疎いし(ていうか知識が二十年くらい前でストップしてる)、
考古学専門馬鹿は倭人伝やら記紀などの文献を殆ど知らない。
極端なんだよな。そこが不満

868 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 00:54:21
>>862
後期には瀬戸内系土器が結構入っているけどな。高坏は瀬戸内系の模倣が在地化する。
逆に北部九州産の青銅器がかなり広く動いているけどな。
>>865
ソースは?

869 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 01:49:08
>>868
これによると、北九州 約4万人。南九州 約6万5千人となっている。
ちなみに、畿内は約3万人。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/EV_P_NJ1.html

870 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 03:50:53
遺跡の実態、遺跡数、遺跡規模、遺構密度からみて、ちょっと信じがたい

871 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 07:36:19
>>867
まず考古学的事実から始めて倭人伝・記紀に至るべきで、それが世界の潮流
記紀は政権の簒奪者たる天武がおのが事績と支配を正当化するために
作り出した物語でもある。
序文で自ら「まことを定めて」と宣言しているではないか
事実の集合として金科玉条にすることは容認できない

個人的には
むりやり神世を分離し、王権の神授を構築したと考える
アマテラスと倭姫、神功皇后、卑弥呼は同一事績の別表現と考えている
だから大和連合が結成された纏向には、タカマガハラが存在するはずだ

>>868
確かに五様式前半には山陽を経由して大型高坏を受容している
大型高坏自体は畿内を中心とした文化と考えられる
祭祀様式を受容するということの意味は、
畿内を中心とした倭国の全体構造に組み込まれることを容認しているということ。
畿内は丹後等を経由した鉄器供給ルートを確立し北部九州の中間搾取を打破するが
しかし北部九州は奴国冊封の正当論理を捨て去ることができず
そのまま縮小につぐ縮小、停滞につぐ停滞の潮流に沈み込んだのだろう

872 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 07:42:30
>>869
卑弥呼の時代になると弥生時代より奈良時代に人口は近いだろう
筑前の3国(伊都國、奴國、不彌國)だけで二万二千戸(110,000人?)の人口があったのだから。

873 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 07:53:36
>>869
畿内と中国地方は合体してますよ
だからその表では畿内周辺7万人+1万7千+4万8千+3万VS南九州6万4千+北九州4万でしょうに。

874 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:38:46
>871
丹後と後の畿内中枢の関係って5様式時には薄いが。丹後には鉄は入るが、畿内は少ないし。
丹後も、半島系土器が無く、結局は北部九州の交易拠点を経由した可能性がある。
その高坏が畿内中心の祭祀圏の象徴とか言える段階ではない。それなら、それこそその時期の畿内や瀬戸内に多い高坏形式は丹後には少ない。
北部九州の高坏の受容はあくまで瀬戸内との関係。吉備や讃岐との関係だろうな。しかも部分的受容。
高坏一つで畿内の祭祀圏とか言えるなら、銅鏡重視の風習の東進は伊都国の権威が及ぶ了以きりの拡大ということで間違いないな。

875 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:52:48
>>871
考古学に軸足を置くのは当然。アマテラス=卑弥呼とかいう安直は危うい。
神武の伝承が東遷説の根拠とかは論外。

たしかに記紀の記述がどこまで信用出来るのか?の話は慎重になる必要がある。
考古学的に信憑性があるのは崇神以降だろう。マキムクの発掘によるものが大きい。
また記紀研究でも崇神以前は欠史八代と言われ、実在性が乏しいと言われている
(欠史の天皇らは、もともと葛城地方の神々だったとも)
理化学年代の発展で倭人伝がマキムクと同時代とされるようになったが、
その頃にマキムクで後世の大和朝廷につながる権力が生まれたのは確かだろう。

876 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 10:05:23
>>875
> 考古学的に信憑性があるのは崇神以降だろう。

考古学的には崇神なんて存在しない。

877 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 10:31:08
>>876
意味がわからない。日本考古学協会で崇神天皇は何回も取り上げられてる

878 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 11:35:39
考古学を語る人でアマテラスなどという方はおられるのですか?
いたら考古学者失格ですね。

879 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 11:57:53
考古学者でも歴史的なことについて発言する人は昔からいましたね。

880 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 13:02:31
そもそも巻向と邪馬台国を関連付けることがナンセンス。

ちゃんと遺物を査定」して歴史を検証するだけで良いのだよ。

邪馬台国論争に持ち込む人間はあさはかだ。

881 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 13:23:37
>>878

アマテラス(日本神話)の成立は7世紀という説もある。
鏡を祭祀に使っていても、太陽神=アマテラスと結びつけるのは安易。



882 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 18:14:50
主流でもない説を持ち出して「安易」もなにもないつうの

883 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 18:53:51
アマテラス(日本神話)の成立年代は、7世紀前に遡れない。
稲荷山鉄剣みたいに、文字として証拠が出てこなければ。

稲荷山鉄剣には、オオヒコやワカタケル大王の名が見えるが、
それでもその存在を否定する説もあるくらいだ。

884 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:04:05
そんなことを言いだしたらアマテラスに限らず
日本の歴史自体が、ほぼ無くなるだろw

885 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:12:41
日本の農耕の成立も
考古学者の身勝手な推論が長らく定説にされてきたけどな。
そのせいで、日本の古代史は意味不明なものになってしまった。
農耕の始まりなんてのは、
植物学者とかのほうが、説得力があるのに...

そんなわけで、考古学者がプライドを捨てて
植物学者や理系の手法などを取り入れるようになってから
弥生時代開始時期を紀元前10世紀にしたり
今回の纏向遺跡の年代も100年さかのぼらせる結果になった。

886 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:14:30
>>884

理論的には、その通りだよ。
だけど、3世紀から古墳時代が始まったことは確かでしょ。
そして古墳を作ってた大王家が、天皇家に続いていくことも確認できるだろう。

九州に前方後円墳ができるのは畿内より後だから、
魏が3世紀に倭の女王を考えた勢力は、畿内であると、確認できるだろう。



887 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:42:48
>>886
古墳を作ってた大王家が、天皇家に続いていくことをどうやって確認できるんですか?
前方後円墳と倭の女王に何の関係が有るんですか?

888 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:49:55
農業を基盤としていたヤマトが太陽信仰でなんの不思議もない
倭人伝からも太陽信仰が示唆できるし、全国から太陽の象徴である鏡が出土している
>>886の理屈からすればアマテラス信仰が古墳時代以前からあったことを認めざるを得んな

889 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:52:13
太陽信仰と、アマテラス信仰は同じではない。

エジプトのラーは太陽神だが、アマテラスと同一とは言わないだろう。



890 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:55:01
具体的には、アマテラスはオオヒルメなどと別名を持つ。
農業が全国に広まった弥生時代から、
太陽神は全国的にどこでもアマテラス=オオヒルメと称えられていたのなら、
それこそ、九州説は崩壊。
望むところだ。



891 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:56:38
あっそう

>太陽信仰と、アマテラス信仰は同じではない。

じゃあまずこれを論理立てて説明してくれな

>エジプトのラーは太陽神だが、アマテラスと同一とは言わないだろう。

この文が意味不明でなんの説明にもなっていない

892 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:57:21
>【奈良】 「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」 桜井市長

こいつは自分が何を言っているか何もわかっていない
卑弥呼は女王、トヨに至っては13歳の女王だ
それが畿内に現存してたら、記紀のどこにそれが入るんだよ
伊勢神宮はどうなる?
皇祖神アマテラスはどうなる?
もちろん記紀は瞬殺、国内の中枢神経が犯されるのに三日とかからないだろうよ
覚悟はいいな?



893 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 20:40:49
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

894 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 20:46:43
>>886
九州なんぞ日本の歴史から消え失せるな

895 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:38:07
>>891

太陽神がアマテラスと同一なら、
弥生時代はじめか、青森にストーンサークルが作られた頃からアマテラス信仰は始まっていたということ。

これで、九州説は崩壊。


896 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:40:58
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB
日本のストーンサークル

配石遺構は、縄文中期後半から後期になると各地で築造され、
九州を除いた日本各地で発見例が増えてきている。

九州を除いた日本各地で発見例が増えてきている。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

897 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:56:06
>>895
それは後に置いておいて>>891から説明せえよ
論拠も言えないことをレスしたのか?

898 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 22:09:32
>>897

論理的に、太陽信仰=アマテラスなら、
アマテラス信仰は、九州を除く東北で広まっていた。(理由は>>896

>>897がそれを否定するなら、俺の論拠は>>897と同じなので説明する必要は無い。


899 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 22:49:18
駄目だ、こりゃ

900 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:10:34
>>885
植物学の知識を用いて、農耕の始まりを検討するのは考古学だろ。

901 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:33:57
>>900
植物学者の常識だと、
日本の水稲開始時期は、紀元前15世紀前後には
始まってないとおかしいと思われていた。
これは、日本列島の気候や地理的に要因から。

よって、考古学の長年の定説だった
紀元前3世紀というのは、
疑問符だった。

そうこうしているうちに、
21世紀になって、歴博の考古学者を中心に
日本の水稲農耕は開始時期は遅くとも紀元前10世紀に開始されていた
というふうになってきた。

考古学者が、理系にあゆみよりはじめてきた。

902 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:49:29
灌漑施設を作るだけの資本の蓄積を考えると最初期の稲作は山間部などの棚田ということになるんかな

903 :18:2009/11/27(金) 00:12:06
それにしても、あの宮の模型はどうかな。
堀の護岸は檜製だったんだろう。だったら屋根は檜皮葺だろう。

904 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 03:35:10
>>901
考古学の定説が三世紀だったのは紀元前三世紀ごろに最古の水田が発見されている
ことからなんだろうけどこれは平野部において稲作が始まった時期を示すものでクニの成立
を示すものと見ていいのだろうか

905 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 12:53:19
>>904
そこが眉唾物なんだよ。
考古学の力では、遺物の絶対年代を割り出すことは出来ない。
土器編年では、大まかな相対年代はわかっても、絶対年代はわからない。

こんなことは、西欧の考古学会では、とおの昔の常識なのに
日本では、一部の考古学者のサジ加減で
土器編年で絶対年代が割り出されてきた。

その結果が、日本の農耕は紀元前3世紀から始まったという説。
これも、明治の頃の考古学の先生のサジ加減。


906 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 13:15:17
>>896
そうか、やっぱり九州が邪馬台国だった証明でもあるな

907 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 13:25:48
>>896
つか、サークルなんて作って信仰する必要がないわな、なぜなら九州そのものが太陽の国(太陽神のいる場所)



908 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 13:37:41
>>905
逆だ逆。西欧ではとっくに認められているのに日本だけが躊躇していた
というのが事実。

909 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 13:39:36
>>907
太陽神の場所は九州ではありません。高天原も九州ではない

910 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 14:21:25
北部九州と日向宇佐は文化が違う。
日向、宇佐と畿内大和朝廷のつながりを
示唆する物はいくつかある。

日向宇佐から畿内までの瀬戸内海文化圏と
玄界灘、有明海文化圏に分かれていたと考える。

北部九州は大和朝廷と繋がっていない。
九州の勢力は分かれていたと思う

911 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 14:37:18
>>909
ねーねーくやしい、ストーンサークルがない事が、逆に邪馬台国の証拠になるよね

912 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 14:38:16
>>905
土器で絶対的な年代を求めるのは無理。でも、相対的な編年は信頼性があると
よく言われるけれど、相対編年も怪しいというのを聞いたことがある。

地層の位置で古いか新しいかを決めるのは、これは間違いないらしい。
しかし、模様や形で年代の前後を決めるのは怪しいらしい。

もっともらしい理論を作って、多くの人が賛同すればそれが定説になると
いうだけだ、という人もいるらしい。

913 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 15:12:51
聞いたことがある。
らしい。
らしい。
らしい。

だめだこりゃ ┐(´ー`)┌


914 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:11:12
>>911
いや?頭おかしいんですか?九州の風土病に罹ってるの?
神武にとってはやまとが「美しい国」だったそうですし、日が昇る金剛・葛城山系
に向かって進軍するのはさけたようですね

915 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:53:40
>>914
ねーねーくやしい?

916 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 19:24:49
>>915
いや、全然。というか妄想の世界の住民卒業して現実世界みなよ。

917 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 20:10:51
>908
>逆だ逆。西欧ではとっくに認められているのに日本だけが躊躇していた
というのが事実。

それ、相対編年のことじゃなくてAMS法、C14年代法のことだろ。


918 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 20:39:49
>>916
九州が太陽の国だと認めるんですね?

919 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 22:54:23
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

920 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 23:27:44
ああコピペ馬鹿がうぜえ

921 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 12:51:28
相対編年自体は考古学の基本なので、欧米でもあるが。
暦年代の決定法として、多用されているだけ。特に文献の無い(少ない)新大陸やオセアニア考古学でな。
ヨーロッパやオリエント、エジプト考古学でも使われているが、文献(王の年代記など)から推定される年代より古く出る傾向があってAMS年代をストレートに使っていいのかどうか異論が多く出て、論争中というのが実態。
だから歴博の発表や歴博年代観を真にうける考古学者や一部のアマチュアはは何も分かっていないと言える。

922 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 12:59:33
>>921
文献の無い(少ない)は日本でも一緒だろ。
真に受けるていうか、それ以外に方法がないことを認めろよ

923 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 13:15:59
>>922
アホな受け答えするなよ。恥ずかしい。

924 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 19:31:38
主観で決められる土器編年は占いレベルだが、
理化学年代を絶対視するのも危険

土器編年は話半分に
理化学年代は話9割ぐらいがちょうど良い

925 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:40:37
>>924
ていうか、土器編年は精緻になってきてるし占いレベルじゃないよ。
実年代は分からないけど、ということ。

理化学で覆されつつある旧実年代観にしがみつくしかない九州東遷説は哀れだ

926 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 21:52:37
>>925
言葉が足りなかった

土器編年は占いレベル

土器編年を用いて実年代を推定するのは、占いレベル

927 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 22:02:31
>>925
ホケノ山のC14は4世紀半ばなんだが。
まあいつものように都合の悪いものは無視するという畿内説のやり方か。

928 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:18:15
>>927
うそつくなよ

929 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:19:06
ここも邪馬台国野郎にいいようにされてるなあ
マジメに纏向について考えたいんだけどどうしたらいいものかね?

930 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:23:51
>>929
「マジメにマキムクについて考えたい」ってどういうこと?
文献無視で単に考古学だけでやりたいなら考古学板のマキムクスレに
行けば?

931 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 11:42:34
なんだか、今までは「マジメ」に考えてこなかったみたいな言い方に、ちょっとカチンと来るね。

932 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 12:01:32
九州論者はここにいったら。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1258876085/
巻向に居座っていても、世の中面白くないだろう。

933 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 13:40:25
実際、巻向から竹簡や木簡に記された文字資料が発掘されるだろうか?
少なくとも中国と交流があったのだから、見つかっても不思議ではないと思うんだが・・・

中国から巻向国家宛の何らかの外交文書が発掘されれば大発見なんだけどな


934 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 14:03:43
>>932
批判的な意見も聞かないと、纏向の実態はつかめないと思うが。

それに、報道となると、必ず「邪馬台国の最有力地」なんて書くわけだから、
邪馬台国を切り離せというのもおかしな話だろう。

935 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 14:24:37
邪馬台国問題は実年代が確定できるかどうかだけの問題なんだよ。
箸墓築造の布留0が何世紀ころに該当するのか?
昔みたいに4世紀以降とするなら、邪馬台国は弥生時代の北部九州のどこか。後にヤマト連合傘下に入る。
布留0が3世紀半ばから後半になるとマキムクが邪馬台国の可能性が高い。

邪馬台国の話が忌避されるのは、
考古学の現実として実年代は分からないから倭人伝は活用できないという諦めから。
理化学年代で最近漸く光明が見えてきた。

936 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 14:41:58
邪馬台国は倭人伝に書かれている国。倭人伝の中だけにあるといってもいい。
考古学的には存在しない。
だったら、ある遺跡が邪馬台国であるかどうかを推定するためには、倭人伝の
記述との整合性を確かめなくてはならない。

果たして、纏向は倭人伝に書かれている国と言えるのだろうか。

937 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 14:44:34
方向が違う。


938 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 15:14:24
>>936
馬鹿にはつける薬がない。
邪馬台国は実際に存在したんだし、卑弥呼は現実にいた。倭人伝の中だけじゃない。
考古学の近年の成果を読むこと。まずはそれだ。その上で考えないからいつまでも袋小路になる。
倭人伝解釈もある程度は必要ではあるが、あくまで軸足は考古学に置いとかないと

939 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 15:14:40
>邪馬台国は倭人伝に書かれている国。倭人伝の中だけにあるといってもいい。
考古学的には存在しない。

つまり現実には存在しなかったという事になる。
それでいい。
だって倭人伝の記述に従て進むと、現地図上では海の上じゃん。


940 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 15:20:16
ムクマキから出たくつわってどんなのですか?

941 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 15:22:27
>>938
1+1がわからないで連立方程式を解こうとしているような低脳の発言だな。

http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq_01.html#3

考古学の重鎮でさえ、邪馬台国の地図がでないと万人を納得させられないといっている。
「『魏志倭人伝』の記載が近年考古学的な事実で次々に正しいと確認されていること」ともいっている。
つまり、魏志倭人伝の記載を正しいと認めている。考古学的な事実は魏志倭人伝の記載に従属するもの。
よって魏志倭人伝の記載を読み解くことが邪馬台国への道でしかない。

942 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 15:56:55
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

943 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 16:04:28
>『魏志倭人伝』の記載が近年考古学的な事実で次々に正しいと確認されていること」ともいっている。
つまり、魏志倭人伝の記載を正しいと認めている。考古学的な事実は魏志倭人伝の記載に従属するもの。
よって魏志倭人伝の記載を読み解くことが邪馬台国への道でしかない。

何がいいたいのでしょう。
文章を正しく綴らなければ、意味は通じませんよ。
回りくどく表現せずに。簡潔に文章を纏めてみては。
とにかくも貴方の文章は破綻しています。

944 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 16:14:44
>>943
ぐうの音も出したくて感情的になるのはわかるが、まずは自分の誤りを認めることだな。


945 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 16:33:13
このスレのテンプレ1を読めば >伊都国主導というのも有力説ですし とあるんで、ここは別に倭人伝を
考察に用いることを否定するスレではないだろう。要はバランスだな。

「考古学だけで纏向遺跡を語りたいなら考古板に行け」というのは正論だが、向こうの板は人が少なくてつ
まらんし、「倭人伝を元に邪馬台国畿内説を語りたい」というなら、「ドンと来い」スレのほうがふさわしいんだが、
向こうは人が多く、レベルの問題もあってじっくり議論ができない、と感じる人もいるんだろう。だから、考古派も
文献派もお互い我慢するところは我慢して、バランスをとってやっていくしかないんだよ。排除されなければなら
ないのは、捏造や無根拠の仮説などだな。

946 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 16:33:28
>>938
倭人伝があるから邪馬台国の存在がわかるということ。
逆に言えば、倭人伝がなかったら、邪馬台国は存在しなかっただろう。
文献の記述がないと、考古学で固有名詞的なことはまずわからない。

ホケノ山古墳も黒塚古墳も発掘調査されたが、誰の墓かわからない。
吉野ヶ里遺跡もあれだけ調査されても、何という国かわからない。

天皇陵にしても、発掘調査されても、どの天皇の墓かわからないだろう。
それは、今城塚古墳を見ればわかるはず。

文献の記述が全くない縄文時代のことなどは、発掘調査しても全くの未知
ということになる。

倭人伝あっての邪馬台国なので、やはりその記述が重要になる。

947 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 16:42:22
てか、朝鮮半島でも四世紀からの遺跡からしか出てこない馬具が巻向
からでたのはどうして?たしか魏志倭人伝によると当時の倭には馬
はいなかったんじゃないかと、勝手に心配しています。
布留0ってほんとに卑弥呼の時代の土器なんですか?

948 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 17:33:24
>>938
馬鹿はお前じゃん。

949 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 17:59:20
>>947
布留0は350年以降だよ。
マキムク信者が布留0を3世紀半ばにしているのは、町おこしのためだよーん。
そんなの常識♪


950 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:05:25
散々村興しに利用した九州信者に言われてもねw

951 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:07:32
それって本当ですか!!、じゃ巻向は町おこしの為に全国的に法螺を
ふいてるんですか?

952 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:07:51
倭人伝を読み解くと邪馬台国は畿内になるけど。
少なくとも北部九州はあり得ないから。

953 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:10:25
朝鮮半島は、前108年に漢に征服されている。馬具は出て当然。
要するにまだ出土していないという考古学的問題にすぎない。

954 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:19:42
実際に行けば分かるが巻向の住民は邪馬台国比定地については
ここ数週間のテレビ新聞報道で住人の関心は上向いてるかもしれないが
本音のところは無関心w
別に邪馬台国以外に初期大和王権の遺跡が山之辺の道に沿ってそれこそ無数に存在
するなか、今さらって感じかな
むしろ高い関心を示してるのはここでレスしてる九州説の人な気がする

955 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:27:49
>>952
まーた、捏造ですか?!いい加減にしなさい、バカ!

956 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 21:43:51
>>946
倭人伝解釈を無視してる訳じゃないよ、俺は。
倭人伝解釈だけで「邪馬台国は〜」とか言っても誰も納得させられないし
時間の無駄と言ってるんだよ

957 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 21:49:30
>>956
歴史学の方法を誤って認識する人間が何を書いても説得力がないが、
佐原真でさえ、金印がでても邪馬台国とはいえないといっている。あとから動かせるからな。
考古学は邪馬台国解明に対して一次資料でない。一次資料は魏志倭人伝しかない。
考古学に時間を費やすほうが時間と金の無駄。
そんなことも理解できない歴史学の方法を誤った奴が2chとはいえ書くのが情けない。

958 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:00:11
>>957
歴史学って何? 倭人伝ひとつ読んで歴史学ていうか学問的と言えるのか?
本来、複数の史料を突き合せて行うのが学問だろ。
圧倒的に文献が少ない、てか1つしかないんだから、考古学が
軸足になるのは仕方がない、ていうこんな簡単なことも分かりませんか?
「倭人伝、僕はこう読みました!」とかは単なるオナニーだよ


959 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:08:15
>>958
御仁、頭悪いな。
邪馬台国問題に考古学は一次資料にならないということ。
あくまでも邪馬台国が書いてある魏志倭人伝が一次資料。考古学は2次資料。
2次資料は2次資料でしかない。
中学から勉強やり直せ。

960 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:16:36
>>954自分の住んでいる土地が観光地になって観光バスやマイカーがたくさんやってきて、
メリットがあるのは土産物屋やコンビニくらい。
それ以外は迷惑なだけですからね。

まあ、九州のような過疎地なら、にぎやかになるのは良いことなのかもしれませんが…

961 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:19:06
>>959
考古学を重視せざるを得ない。なんでこんな簡単なことが分からないんだろ?

文献が1つで、それも外国人が書いてて、間違いも多くて。
こんな代物を解釈するだけが学問って言えるのか?
邪馬台国は確かに存在したクニで、卑弥呼も実在した。
固有名詞が文献にしか出てこないからどうとか言うのは寝言だよ。
ようは、どちらが信頼できるのか、という問題。

962 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:21:49
>>969

それを言うなら、日本側の史料には邪馬台国は出てこないのだから、
「邪馬台国は無かった」としなければならない。


963 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:26:25
商にしろ殷墟が出てきて初めてその存在が実証された。

文献の少ない古代は、普通はこういう風に語られる。
考古学を勉強せず、倭人伝に逃げ込むならそれもいいが、
一般人には伝わらないということを理解した上でな。

964 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:28:29
>>961
間違いが多い?考古学の重鎮でさえ「魏志倭人伝の記載は正しい」といっているだろうが。

http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq_01.html#3

他人様がすでに提示しているリンクの数行もまともに読もうとしない。
まじで小学校から出直せよ。

965 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:31:27
>>963
959 などは考古学を勉強しない、などといっていないが。
考古学は二次資料といっている。つまり無価値ではない。


966 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:35:29
>>964
間違いがないとか言ってるのは、一部の原理主義者だけだよ。
間違いがなけりゃ、新井白石から今まで、結論が出ないなんてことに
はならない。ここまでは分かる?

間違いを恣意的に解釈して、自分の都合のいい比定地にもっていき、
多くの邪馬台国候補地が生まれた。町おこし、客寄せパンダの意味合いも
あったんだろう。

967 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:36:08
文献がいくら一次資料を主張したところで、
発掘して証拠が出てこないかぎり、邪馬台国が存在したことにはならない。

あるのは、3世紀に、日本のどこよりも発展した遺物が奈良で見つかったという事実だけだ。


968 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:36:53
>>965
おまえ、一次資料・二次資料の使い方間違ってるだろ


969 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:37:46
考古学の間違いを訂正せずにあるいは恣意的な解釈による犯罪的な行為すら断罪せずに、
二次資料のゆりかごにゆられる快感にひたりたいわけね。

970 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:48:07
倭人伝の性質が悪いのは、「どこが間違ってるか?」が分からない点。

倭人伝をそのまま読めば、邪馬台国は九州より遥か彼方の南方になってしまう。
そこで記述に間違いがあるのだろうということになるが、

「どの部分が間違っているか?」の判断は非常に恣意的になり易い。
各々が独自に解釈すれば、ほぼ無限の数の候補地が生まれるという寸法。
こんなの学問て言えるの?

971 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:49:19
>>967
>あるのは、3世紀に、日本のどこよりも発展した遺物が奈良で見つかったという事実だけだ。
これ自体がすでに邪馬台国になんら結びつかない。現在の日本列島を倭として魏がそのまま認識していたわけではない。
また3世紀にもっとも発展した遺物がある国が邪馬台国であるとも魏志倭人伝に書いていない。
そもそもまきむく遺跡は3世紀の遺物ではない。


972 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:51:12
>>971
>これ自体がすでに邪馬台国になんら結びつかない。現在の日本列島を倭として魏がそのまま認識していたわけではない。

それは、今後九州でどんな遺物が出ても、
邪馬台国の場所の根拠にはしないという宣言ですね?


973 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:54:12
>>972
いや、違うね。
本州を倭として認識していたとはいえないが、九州は認識していたことは間違いない。

974 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:54:24
>>971
マキムクが邪馬台国だ!と断言できないのはそう(蓋然性はかなり高いが)。
マキムクが3世紀というのもそう。理化学年代の進歩でいずれ分かってくるだろう。
こんなのは当たり前の話で、100パーセントなんてないんだから。

君が何に対してムキになってる分からないが、もう少し冷静になって考えてみれば。

975 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:57:19
>>974
あなたの説ではマキムクが邪馬台国とはいえないという宣言にしか聴こえない。
だったら九州説その他の意見を冷静にきいてみれば。

976 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:59:24
>>962
>それを言うなら、日本側の史料には邪馬台国は出てこないのだから、
>「邪馬台国は無かった」としなければならない。

邪馬台国=ヤマトです。お疲れ


977 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 00:59:54
>>971の言ってることはね、こういうことなんだよ。
九州以外で、どんなスゴイ遺物が出てきても、それは邪馬台国に直結しないんだと。
そもそも、九州が一番先進国だったんだと。
他の地域は九州より絶対遅れた未開地であったのだと。
だから、九州よりスゴイ遺物が出てきたら、それは4世紀以後なんだと。
じゃあ、大和王権がどうやってできたかと言うと、九州の邪馬台国が東遷したからだと。
そのあと、畿内に東遷した邪馬台国は九州と不仲になったのか、九州討伐に軍を送るようになったと。
そういうことなんだよ。


978 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:03:53
これはもう次スレはいらないね。
倭人伝の話を許すとそれだけになるから。

979 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:04:46
九州以外で、どんなスゴイ遺物が出てきても、それは邪馬台国に直結しないんだと。 →もちろんです。

そもそも、九州が一番先進国だったんだと。 →当たり前です。

他の地域は九州より絶対遅れた未開地であったのだと。 →畿内なんて土人の巣です。

だから、九州よりスゴイ遺物が出てきたら、それは4世紀以後なんだと。 →そういうことです。

じゃあ、大和王権がどうやってできたかと言うと、九州の邪馬台国が東遷したからだと。 →その通りです。

そのあと、畿内に東遷した邪馬台国は九州と不仲になったのか、九州討伐に軍を送るようになったと。 →おおむねそんなところでしょう。



980 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:06:54
>>975
九州説の可能性はないことはないよ。あと吉備とか東海、出雲、越。
このあたりにも弥生後期〜終末期に王権が誕生している形跡があるから
可能性がある。

邪馬台国問題は、マキムク王権が誕生した同時期に、マキムクとは
政治的に独立した政治勢力が、勝手に魏に遣使した、という可能性が
捨てきれないので、100パーセントという答えはなかなか出ないだろう。
邪馬台=ヤマトがシンプルで分かり易いとは思うが。

ただ筑紫東遷説は明確に否定できるとは思う。

981 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:07:56
>>970
日数で書かれた距離をはるかかなたの海にもって行くのが、畿内流という
やつだろう。江戸時代の新井白石も、本居宣長もその他の人もそんなことは
考えなかった。

それを言い出したのは内藤湖南だったかな。おまけに、だから「南」は「東」
の間違いであるとした。

日数で書かれた不明の距離を、勝手に決めてしまい、その勝手な根拠で
自説に都合の悪いもの、つまり方向を変えてしまう。
しかも、自分の都合の良い方向にしてしまう。

勝手に根拠を作り上げ、その根拠を元に都合の良い遺跡を邪馬台国にしてしまう。
畿内説の方法はいつも同じだな。

982 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:13:36
結局ここ20年、九州説がもてはやされていた頃から、
九州での発掘成果は何もなく、
マキムクでは発掘成果が上がってる。

以前、九州説派は、「畿内からは鉄が出ないじゃないか!」と畿内説を笑ったものだが、
いまではどうだ?「九州からは、鉄以外何も出ないじゃないか!」となってしまった。
いまや、九州説を唱える考古学者は女子短大の先生だけになってしまった。


983 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:16:37
>>982
九州でも遺跡は出ているよ。

例えば、方保田東原遺跡。
http://www.city.yamaga.kumamoto.jp/kankoh/03-rekishi/03-11katoudahigasibaru.html

きちんと調査されていないが、掘ればすごいかもしれないという遺跡はまだある。

984 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:17:14
>>981
いや、実際距離も方角も間違いだらけじゃん。

そもそも正確なら邪馬台国の場所はとうの昔に判明してるよ。
邪馬台国はどこですか?スレは今何スレ目なの?

無駄なことして自分で楽しむのは構わんが、他人に迷惑かけちゃ駄目。

985 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:20:08
>>983
古墳時代前期の遺跡がどうしたって?


986 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:20:54
九州説の中だけでも読み方が無数にある件

987 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:21:00
>>983
それはすごかったら言ってくれ
まだ出てない遺跡ですごいかもなんていってたらいつまで経っても話が進まんだろw

988 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:21:36
九州は鉄の多さだけが頼みの綱だったのが、
その鉄も、越や丹波や淡路の発掘で抜かれてしまったな。


989 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:26:17
>>987
例えば、うてな(台)遺跡というのがある。
道路工事で部分的な調査が行われただけだが、四重も五重もある環濠が
見つかった。地理的にも、場所的にも良いと思っており、
私はこの遺跡が邪馬台国ではないかとひそかに思っているのだが。

>>985
リンク先ちゃんと読んだかな。古墳時代とは書いてないだろう。

990 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:28:07
>>959
頭悪いのはお前。

991 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:32:28
>>970
文献史学はりっぱに学問として成立しているが、
邪馬台国比定となると、とたんに電波率が上がってくる。

992 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:36:48
まともな連中はとっくの昔に史料の限界を超えた議論だと悟ってるからな。

993 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 01:44:54
>>988
九州と近畿地方では、報道される度合いがぜんぜん違う。
丹波は近畿地方では多くても、九州との比較にはならない。

鉄器は、近畿地方では20点出れば大騒ぎ。九州では500点出ても、1000点出ても、
普通。

994 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 02:24:44
>>933

鉄器の多さは邪馬台国と関係しない。

だろ?


995 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 03:30:52
鉄の多さが邪馬台国の場所論争にするなら、
水銀だってそれ以上に重要なんだけどね。

996 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 10:05:53
江戸時代に建てられた俺んちの庭石、なんか酒舟石みたいな妙な彫りがあるんだよな
ちなみに家の隣は古墳で石室があり、昔は畑から土器がごろごろ出てきた

997 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 10:19:27
>>995
水銀?
何に使うの?

998 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:13:38
>>997

不老不死の薬だったって知らんのか?



999 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:45:30
【日本国家成立史】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマトマキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智天武】律令体制
【文武聖武】平城京
【桓武】平安京
〜【幕府体制】〜
【明治大正昭和】近代化
■■■■■■■■
【*】連合体としてのヤマトマキムク王権
【*】筑紫朝による畿内王権の制圧
【*】筑紫朝断絶により播磨朝で一時的連合調整
【*】磐井と継体が「応神の子孫」を名乗って権力戦争
【*】継体の勝利、しかし畿内豪族のクーデターにより「欽明朝」が成立!


1000 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:50:35

【*】出雲勢力をどう理解するかが未解決!



1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

337 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)