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織田信長の逸話について

1 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 06:38:26
織田信長が毎夜、城の最上階に行くので、
斉藤家から嫁いだ女が織田信長に尋ねた所、
「斉藤家の家老が稲葉山城の最上階に放火する手筈に成っているのだが、未だに放火せぬ」
其の事を女が斉藤家に知らせたので、
斉藤家の家老が打ち首になった。
織田信長の謀略であった。

と歴史の雑学本で読んだ記憶が有るのですが、
史実なのでしょうか?
出典を教えてください。

2 :ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2009/07/03(金) 09:28:22


3 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 14:32:31
さん

4 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 15:04:40
知らないよ

5 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 15:19:06
織田信長なら毎日ここで生放送している
http://live.nicovideo.jp/recent?tab=common

6 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 17:16:53
解決しました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1227890302

7 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 17:56:03
>>1
マルチ史ね
ちゃんと削除依頼出しとけよこのウスノロ奇痴害

8 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 22:09:51
罵倒イクナイ

9 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 22:27:04
織田って小泉みたいだな

10 :日本@名無史さん:2009/07/03(金) 22:55:32
三列鉄砲隊

11 :日本@名無史さん:2009/07/04(土) 08:46:51
ケチ。相撲大会みたいなことやって、優勝者に栗を数個与えただけ。

12 :日本@名無史さん:2009/07/04(土) 09:54:57
栗取りっす
ごっつぁんです

13 :日本@名無史さん:2009/07/04(土) 12:05:41
沢彦和尚に言われ
石を信長と思って拝め
と触れを出した

たわけた事をと思うが
実は家臣や領民の反応をためすのが狙いだった

14 :日本@名無史さん:2009/07/04(土) 12:55:40
ケチ。
天正十年正月に諸大名の家臣にまで安土城内を開放し、一人百文の見学料を取ったと言われる。





*ケチは戦国大名には褒め言葉なんで誤解しないでネ

15 :日本@名無史さん:2009/07/04(土) 12:57:58
>>13
> 実は家臣や領民の反応をためすのが狙いだった
そっちの方が余程たわけたことだと思うが。

16 :日本@名無史さん:2009/07/04(土) 17:08:41
>>14
秀吉なら逆に金配ってるよな

17 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 20:59:32
乳母の乳首を噛みちぎったてのはホントですか?

18 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 21:42:33
蘭丸の乳首をぺろぺろしたのは本当だ

19 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 22:30:34
是非に及ばず

20 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 06:51:45
鉄砲三段打ちは捏造

火縄銃は黒色火薬を使ってたため3000挺で打ち続けるとものの一分で煙幕状態になり、視界が遮られ
敵が見えなくなる

21 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:30:18
別に見えなくても良くね?

22 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 09:37:34
適が見えなきゃ狙撃できない。
またそんな状態では、銃身清掃や弾込めもできないな。

23 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 20:52:05
フロイスらは信長の事跡を法皇庁に報告したが、このフロイス・レポートはタレイランを通じてナポレオンの手に渡り、彼の戦術戦略に大きな影響を与えたらしい。

24 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:08:46
フロイス・レポートを取り入れ欧州を席巻したナポレオンは、自己のイニシャルNを好んで徽章等に
用いたが、これはナポレオンのNであると同時にノブナガのNであったからである。

25 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:15:35
マジで?!

26 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 22:06:16
むしろ逆のような・・・。天下発布とかローマ帝国からのインスピレーションだったんじゃないのか。
ほかにも織田軍にはやたら長い槍があったそうだが古代ローマのファランクス陣形で武田の騎
馬隊に対抗するつもりだったんじゃないのか。俺には信長はキリスト教の手先に思えてならない

27 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 01:22:21
>>26 安心しろ。
信長の真の目標は世界統一!
宣教師はただの道具さ。

28 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 03:58:05
信長の子孫は飲酒運転して泣きじゃくっていたな

29 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:28:20
>>風吹くでしょ!?

30 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:03:49
ほんとはやせ形の薄い顔立ちの人なんだろ? 

信長の野望の 
パッケージの信長 
でるたびに顔立ちが濃くなってゆく

31 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:10:11
>>30
加えてボーイソプラノ

32 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 08:16:26
なんかないの?

33 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 15:02:03
信長公記にあった話だったと思うが、領内の池に大蛇が現れると村人の間で噂になった時
口に小刀咥えて池に潜ったという話があったような
出くわしたら戦うつもりだったのかね

34 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 18:12:44
やる気満々だったんだろうな
そのエピソードからして粘着性な性格を感じる

35 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 21:00:06
ボンボンだったんじゃないの。
尾張一国だけで三河・遠江・駿河3国の生産力。
生まれた時点で尾張半国。
婚を通して美濃と同盟を結んで居り織田家は磐石。
常に今川義元を圧倒していた。

何がうつけで彗星の如く現れただ!
物語の脚色が過ぎる。
誰が見ても織田家が他を圧倒して膨張するのは明らかだろう。
それと秀吉が百姓だったわけがないだろう。
真っ赤な嘘だ。信長の目は百姓なんかにではなく、新たな流通業者に剥いていた。
その点は褒めても良い。
しかし、兵農分離の戦国の世に、わざわざ百姓を取り立てていたなら、旧態以前の平凡な奴。

36 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 21:00:19
ボンボンだったんじゃないの。
尾張一国だけで三河・遠江・駿河3国の生産力。
生まれた時点で尾張半国。
婚を通して美濃と同盟を結んで居り織田家は磐石。
常に今川義元を圧倒していた。

何がうつけで彗星の如く現れただ!
物語の脚色が過ぎる。
誰が見ても織田家が他を圧倒して膨張するのは明らかだろう。
それと秀吉が百姓だったわけがないだろう。
真っ赤な嘘だ。信長の目は百姓なんかにではなく、新たな流通業者に剥いていた。
その点は褒めても良い。
しかし、兵農分離の戦国の世に、わざわざ百姓を取り立てていたなら、旧態以前の平凡な奴。

37 :日本@名無史さん:2009/10/31(土) 13:42:17
>>36
ボンボンだったのは確かだが。
> 尾張一国だけで三河・遠江・駿河3国の生産力。
これはナイ。一体何を根拠にそう思ってるの?

38 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 12:20:00
朝廷への献金額は今川家よりも織田家の方が多かったようです。
財力では、優勝候補NO1は今川義元ではなく、織田信長でしょう。
何てことはない。歴史は理屈通り動いただけです。

39 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 12:32:20
当時の石高を比べると、尾張一国と三河・遠江・駿河3国の石高は同等みたいです。

40 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 12:38:16
でも織田信長はまだ尾張一国を完全に平定してないし四方を敵に囲まれた状態だから
桶狭間合戦あたりは
今川が七分がた優勢だろう。
義元殿が尾張に侵攻しなければ年々信長が有利になってくるのは確実
義元殿は早いうちに信長を一掃する必要があったのだな

41 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 12:45:04
>朝廷への献金額は今川家よりも織田家の方が多かったようです。

信秀の代でも朝廷への献金額はNO1だったようです。


42 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 13:19:02
信長の父の信秀は、確かに尾張半国以上の兵を動員出来たが、これは守護斯波氏の権威を借りてのことで、直属の家臣は多くはない。
やりかたが強引であったため、反発も強く、信秀が死ぬと有力家臣が離反して、信秀家(弾正忠家・だんじょうのじょうけ)はほぼ分裂状態。
信長が継いだ遺産はごく少ない。他の大名と比べて、信長が特に有利だったとは言えないどころか、いつ滅びてもおかしくなかった。


43 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 13:23:39
織田が、美濃の斉藤道三の娘を娶った時点で今川義元に焦りが生じたのでしょう。
将来、尾張半国と美濃が同盟したら、今川はほぼ敗色。

44 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 17:01:06
>>39
当時のは知らんけど、太閤検地のデータ

駿河 15万石
遠江 25.5万石
三河 29万石
合計 69.5万石

尾張 57万石

永録年間は当然これより低いだろう。
あくまで参考だけど。

永録年間のデータを知ってるなら是非教えて欲しい。

45 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 08:18:46
義元の本拠駿河がたったの15万石で、
家康の本拠三河が29万石もあったんですか!!!

三河を押さえていた家康の存在の大きさに驚きました。
本当に人質だったんでしょうか???
実は、今川内でも、わがまましほうだいの気まぐれ坊やだったんじゃないか。

46 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 12:24:13
国力は石高だけでは推し量れないからなあ。
義元は金山開発もしたし、製塩や海運でも富国に成功している。「海の百万石」という人もいるほど。
彼の貴族趣味も大衆文芸が言うような驕りや軟弱のあらわれではなく、先進性と財力のあらわれだよね。
プラス情報収集に力を入れていたことも。
信秀も連歌師をさかんに招いてるが、これも同じ。
息子の氏真も同様で決して馬鹿ではなかったんだけど、親父殿の横死が痛かった。
準一門松平も裏切ったしね。

47 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 12:37:27
で、その松平なんだけど
悲惨な人質とか、幼主を人質にとられいつも激戦に使われた三河武士(だから強くなった)
というのは江戸時代の創作であるという説がある。
義元は家康をそれなりに優遇している。姪をめあわせて一門に準じる扱いをしているからね。
今川領を簒奪したから、それを正当化するために「悲惨な人質」という「神話」を作ったと。

48 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 12:54:05
ただ我が儘坊やだったとは思わないなあ。
松平は三河の実力者ではあるけど国主ではない。身分的には織田正忠より一段落ちるが実力では一段上。成り上がったのが家康の四代前だからその差かな。
例えがわるいけど信秀が広域暴力団(斯波)二次団体(織田大和守)のイケイケ武倒派若頭で
松平清康は田舎の暴力団組長ってとこかな。

松平は清康の祖父長親の代に同族をおさえてのし上がった。
長親、清康、家康と一代おきに強いのが面白いね。
なお長親は孫の孫である家康の代まで生きていた。

49 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 13:19:12
上にあるけど
尾張一国を統一しようと台頭してきた信長を
一気に潰そうと焦ったんだろうな
時間がたつだけ勝ち目が薄くなるから
三河の家康の親父くらいまでは岡崎一帯あたりしか勢力なかったのでは?



50 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 14:09:06
家康って
今川家に大事に育てられてるよな
雪斎の寺に通ったんだろ

51 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 14:19:02
はっきりしている事、
義元は家康にそうとうに気を遣っているね。

現存している物語、
同情を誘う程に苦難の日々が続いた、という人質生活。
嘘だろうね。脚色でしょう。

29万石って大大名じゃないの。
むしろ同盟に近いものだったのでは。

52 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 14:24:48
石高が直接国力と関係しないといっても、
義元のお膝元駿河でたったの15万石は嘘だろう。
少なすぎないか?
測り間違いでは……。

これで武田・北条と組していたとすると、よほどの知略家かつ才覚ですぞ。


53 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 14:29:01
>>51
三河は松平氏が領国化してたわけじゃないよ
三河の岡崎一帯の有力土豪クラス
織田に攻められ
親父の代で弱体化し今川家に従属して生き残ろうとした。
人質交換の話は実話なのか?
駿府では北条氏規と人質仲間でその後も交友
雪斎に薫陶を受ける
嫁さんは義元殿の親戚
しかも名前までもらってる。
破格の待遇だわな
家康と謙信は名前コロコロかえてる

54 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 14:42:24
あれっ。

今川は百万石の大国。
対する織田は尾張の小国。
て話ではなかったの?

55 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 14:50:24
尾張自体は大国だよ
守護の力がなくなり
守護代織田氏が力をつけてさらに織田氏の中で分裂状態
信長の父信秀は織田一族の亜流から成り上がった
名古屋織田氏だったと思う

56 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 15:17:23
で、駿河が15万石って何なのよ?
あり得るのか?

57 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 15:55:16
石高って米の生産量だからそれくらいだろう
今川氏は金山経営もしてたから裕福だったんだろ

58 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 16:31:54
駿河の金?

伊豆や甲斐の10分の1にも満たないよ。

59 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 16:58:02
群雄割拠の世では。
余程の事が起こらない限り、伊豆、甲斐、尾張、美濃の勢力が他国に敗れる事はない。
決して争ってはならない地域ですな。

60 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 21:11:41
「今川氏の武将たち」という本に「嶽南史」を出典にして
1560年の今川氏の「分限帳」=家臣の領地の石高一覧が出てるけど、
松平元康は10万石だった。三河一国全部を持ってたわけじゃないんだね。
信長も尾張のせいぜい半分を持ってたくらいらしい。
それから、桶狭間の数年前に斎藤道三は息子の義龍に殺されてる。


61 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 01:37:22
>>52>>56
太閤検地のデータは東京大学出版『日本経済史大系3』の「豊臣期諸国検地高・豊臣氏蔵入地一覧」から写したから確かだよ。
イメージとのギャップはあるね。僕も最初見間違いかと思った。
駿河と同じくらいなのは
和泉と豊前の14万石
周防の16.7万石
かな。
近江が77万石だったり越前が50万石だったのはびっくりした。
*当然だが数字は四捨五入している
>>53
やっぱり暴力団の例えが悪かったかな。
田舎の組長てのは地方の土豪という意味だったんだが。
清康の代は信秀とタメか上をいってたと僕は感ずるよ。

62 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 01:42:03
ゴメン。>>53>>51へのレスだよね。>>48だと思い違いしてました。

63 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 01:43:15
>>59
美濃は尾張に破れてるよ。

64 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 07:27:56
そりゃ、強いもの同士で決着をつける気で喧嘩したら、どっちかが敗れるさ。


65 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 12:19:47
伊豆は駿河に破れたね

66 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 15:48:24
伊豆は北条の拠点だろう。ここを押さえていれば、
長い目では駿河の今川には負けないよ。
伊豆には大量の金があるからね。

今川に勝ち目はないよ。

67 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 16:02:20
群雄割拠の世。
金を押さえていた北条と武田の膨張も理屈通りの事。
地の利です。

68 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 17:44:06
その通り
信長は家督相続後が一番ピンチだった
あとは妥当
ただ今川氏は駿河と遠江を強力に支配してたのも事実
法度を領国内に適用できたのは強力な権力があったからだろうな

69 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 17:52:13
>>66
も少し考えてみ
伊豆は駿河に破れてるよ

70 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 15:47:27
10代の青年期は女性と見間違えるほどの美男子だった

とありますが、その証拠となる肖像画(幼少期や青年期)はありますか??

織田家は美男美女の一族だったと、あります。

71 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 18:30:13
初陣の図というのを見たことあるけど、詳細は知らない。多分後世の作品だろね。

72 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 21:47:35
五輪真由美

73 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 11:09:24
逸話真弓

74 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 02:04:46
鉄砲3段撃ちがなかったなら3000の鉄砲をどう運用したというんだろ。
まさか各隊がすき勝手に撃ったなんてことはあり得ないし。
資料がないからなんともいえないのは解るが・・・。

だが一つ確実にいえることは、武田軍は背後の長篠城を解放されて
退路を遮断された状態だったから前方の柵にむかってひたすら突撃
して活路を見出すしか選択肢はなかったということ。
合戦図を見る限りこの点には疑問の余地がないので、武田軍が柵に
向かった突撃をしなかったと言ってる人は合戦図そのものが間違い
と主張してるんでしょうか?

75 :日本@名無史さん:2010/06/22(火) 08:15:27
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            丶   ヽヽ6;┬;-;┬∩// ノ  ./ |        
            | .ヽヽ ヽ "''''''''''''" ノ  /  /  |        
            |  ヽヽ  "''''''''''''"    ノ   |        
            |    ヽ         /    |
                 丶 __   
    http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346

   
     この者、高家織田家の血統を騙った罪により晒し首に処する

76 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 14:04:21
1000人以上の部隊があったらふつうは小部隊にわけるだろ。
んで当時は足軽でも疲れたら交代しながら戦ってたんだから、
鉄砲も交代で撃たせようってことに自然になるだろ。
つかそれ以外に大量の鉄砲隊を使う方法があるのか?

77 :日本@名無史さん:2010/06/24(木) 22:56:37
>>74
近世ヨーロッパの戦術でいえば、厚みを持たせ交代で射撃をさせる方法と、横隊を薄く延ばし一斉射撃をかける方法とがある。

一千丁の鉄砲を斉射ってかなり効率悪いぞ。
的が射程圏内に入るのはばらばらなんだから、千人規模の斉射なぞ無意味。
ヨーロッパの歩兵みたいに横一列に並んで歩いてくるならいいけどさ。


78 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 18:29:42
一斉射撃じゃなくても三段撃ちは有効だろ。
柵の前に槍を並べて柵の内側から鉄砲を撃てばよくない?
退路を断たれてひたすら前に突撃してくる武田軍に至近距
離から鉄砲撃てば鎧も貫通するぞ。

79 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 03:48:37
>>78
なんか感覚が違うんだよな。
戦争って単に人を殺せるかどうかじゃないでしょ。敵の集団の戦意をいかに削ぐかでしょ。
実験したところ、50メートルさきから鉄砲打って、鎧に穴が開きましたってもあんま意味はない。

敵の前進を止めて、包囲して、戦意を喪失させる。これが戦闘。
鉄砲はこの敵の前進を止める部分で威力を発揮する。

そもそも、聞きたいんだが、その柵の前に並べてる槍ってなんだ?
地面に突き立ててる槍に武田の侍が勝手に突っ込んでくれると・・・?
もしくは槍をもった兵士が鉄砲隊の前に立っていると・・・?

ま、似たようなことはヨーロッパで野戦築城、テルシオ歩兵、マウリッツ式歩兵と実用化されてるのであながち間違いでもない。

80 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 13:49:00
>>74
長篠合戦図で最もポピュラーなのは徳川美術館所蔵のもので、教科書に載ってるのはたいていコレ。
製作年代は江戸時代で合戦後百年以上も経っております。
あまりあてにできません。

81 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 01:06:28
age

82 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 06:19:03
最近の研究では、鉄砲三段撃ちはほぼ否定されてるね。
そもそも、鉄砲三段撃ちの初出は小瀬 甫庵の『信長記』だから。
この書物は大田牛一の『信長公記』を元ネタにした創作小説のたぐい。

最近の研究では、長篠合戦のキーワードは鉄砲ではなく「陣城」だったとされている。

83 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 20:36:20
野戦築城にしても、交代射撃にしてもヨーロッパで実用化されてる。
小銃を大量運用したら行き着くところは同じと。

84 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 21:11:02
だから信長は

85 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 21:13:30
(SORRY途中で投じちゃった)
信長は小銃の大量運用はしてないてのが現在の主流

86 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 21:26:51
信長公記に3千、もしくは千と書いてある。
正確な数字ではないだろうが、要はたくさん用意したってことだろ。

87 :日本@名無史さん:2010/07/14(水) 17:22:01
そもそも信長ともあろう者が、天候に左右されるような要素に賭けたりはしない。
たとえ合戦当日に雨が降っていようとも、勝てるだけの算段を付けていた。

88 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 15:28:32
信長の父、織田信秀の受領名は備後守。手紙などでは「織備」と略されることもある。晩年(と言っても40代だが)は弾正忠(だんじょうのじょう)を名乗った。
備後守が他の多くの場合と同じように自称であったのに対し、こちらは朝廷への献金の見返りとして下賜された正規のものらしい。
問題は、何故信長は、備後守でも弾正忠でもなく、上総介なのか、ということだ。実は、信長の近くにこの上総介を名乗った者が二人いる。
それは、なんと敵方であるはずの今川義元とその子氏真である。もちろん、義元と氏真は同時に同じ名を名乗っていたのではなく、義元から氏真へ譲り渡したのだろう。
信長が上総介を名乗った1556年にこの名がどちらにあったかは分らない。
自称の受領名ならば何を名乗ろうとよかったはずだが、(伊勢守と大和守は尾張守護代のものだから除外されるとしても)よりによって「敵方」に伝えられている「上総介」を何故信長は名乗ったのだろうか。

89 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 21:05:17
そのテーマで二十年ぐらい前に論文を一本書いている先達がいるから
本当に知りたいなら学術論文を検索できるところで探してみてはどうだろうか

90 :日本@名無史さん:2010/07/22(木) 06:04:18
書面に於いて信長が「上総介」を用いたのは天文23年(1554)11月の安斎に宛てた判物が一番古く、
その数日前には祖父江五郎右衛門に宛てた判物があり、こちらは「上総守」と記されてます。

駿河今川氏の当主の官職は歴代「上総介」でした。
義元、氏真のみならず、 二代範氏、三代泰範、四代範政、五代範忠、六代義忠、七代氏親、八代氏輝、
ほぼすべての当主が上総介となりました。
もちろん治部大輔、修理太夫などをも歴任していますが。
父の代から熾烈な争いを行っていた今川氏に対して上位の上総守を名乗ることによって、
改めて敵対心を強烈にアピールしたかったのではないかと思います。
ところが上総守が親王しか補任されないことを知り、今川氏と同じ上総介にやむなく変えたのではないのでしょうか。

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