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【敏達用明】6世紀後半の国内事情【穴穂部崇峻】

1 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 10:34:24
欽明天皇末期から推古天皇即位前後について語り合いましょう

2 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 13:47:53
崇峻天皇のあつかいは異常
・和風シ号かがまともにつけられてない
・モガリが営まれず埋葬と伝わる
・正妃がなく、没落連姓豪族の娘しかあてがわれていない
(河上娘は即位紀に記載されず)
・暗殺の首謀者に馬子を名指しするが、馬子は権力者にのしあがっている。
(本当に馬子が犯人?)

3 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:53:45
崇峻の和風諡号は当時一般的だった
生母・乳母などに由来する皇子名(諱)のままだと思う
殯(もがり)の有無が和風諡号の命名に関与するらしいから
殯をしていなければ前後の天皇と比較すると素朴な形なのは仕方ない

4 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 00:14:36
正妃が居ない理由は…
1)正妃=皇后なれるのは皇族だけなので当時適切な皇女がいなかった
2)竹田皇子が即位するまでの中継ぎ天皇だったので
 後顧の憂いを無くすために皇后を置かなかった
3)存在したが何らかの理由で記録から削除された、もしくは記録の不備

2と考えるのが妥当かと思います

5 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 08:59:10
崇峻は天皇ではなかった。蘇我逆臣史観を植え付けるために、
単なる皇族間の抗争を天皇弑逆と描いたのだ。

6 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 15:24:26
では誰が天皇だったの?

7 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 16:42:56
崇峻て蘇我一族そのものだろ?
推古は分かるが、蘇我も縁の薄い舒明をは天皇にする必要なかったのに


8 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:22:57
敏達・用明・崇峻・推古てみんな欽明の子供たちだろ?
結局、親子二代!
次の舒明は敏達の孫に跳ぶわけだ!
敏達の娘と息子の子供か(母親は違うけど)



9 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:25:36
>4
当時は異母兄妹婚が盛んで、天皇は異母妹を皇后としていることが多い。
たとえば、崇峻天皇の兄弟を見ると、
・敏達天皇=皇后は異母妹の炊屋媛
・用明天皇=皇后は異母妹の穴穂部間人皇女
・推古天皇=夫は異母兄の敏達天皇
しかし、崇峻天皇は兄弟順が後のほうなので異母姉妹が皆結婚してしまい
適当な皇后がいなかったことが考えられる。
中継ぎ天皇だったためというのであれば欽明天皇の直系である敏達以外の系統、
たとえば聖徳太子の父母である用明天皇が皇族の皇后を娶っているのはおかしい。
適切な皇女がいなかったためだと思われるが?

10 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:46:06
>>8
推古天皇が長生きだったせいだと思う。
推古天皇は70代まで生き、当時としては長命だった上に
死ぬまで天皇であり続けた。
そのため、推古天皇自身も子を先に亡くした上、
推古天皇の子供の代に当たる皇族が先に死んでしまったのだと思う。
聖徳太子も推古天皇の甥だが推古天皇より先に死んでるよね。


11 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 20:46:55
推古て本当に天皇なの?
検随使の国書は、確か男の王の名前!
よく当時の慣例とか誤魔化すけど、検随使て実質的な中国との付き合いの始まりだよね。
なんか怪しい?


12 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:05:02
>>11
中国の史書に歴代の倭国王の名前と血縁関係が列挙されたものがあって、
それによれば最初に遣隋使をしたのは用明天皇に該当するらしい。
だから、史料を間違うか聖徳太子の功績にしたいがための意図的かしらんが、
最初に遣隋使をしたのは用明天皇かもね。
推古天皇は実在せず、聖徳太子や蘇我馬子が天皇だった、というのは乱暴だと思う。
たしか、推古天皇は宮殿跡も発見されてるよね。

13 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:07:05
第一回遣隋使は600年
第二回遣隋使が618年だから、どうしても推古朝になってしまう。
用明だと時期がズレ過ぎる感じ。
用明の任期は585〜587年で次に噂の彼だから

14 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:14:56
第一回遣隋使の記載は「隋書」だから、時期を誤魔化しできないと思うよ。
第二回目が「日本書記」記載だから分かるけど、小野妹子と太子はつながるからやはり推古朝になる。



15 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:05:21
>>9
異母姉妹ではなくても推古の娘や他の皇子の娘で結構いるけど
この人たちを皇后に立てられないことはないだろう?

あるいは、崇峻天皇は推古天皇の3つ上の兄用明天皇の皇后の末弟なので
在位中の年齢は30代初〜中くらいと推定される
天皇や大臣になる条件のなかに31歳以上というのがあるので
生年の下限が557年頃と思われる、推古天皇は554年生まれなので
それより若いはずの堅塩媛の下の娘を皇后に迎えられなかったのかな?

16 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:22:53
>>15
> 天皇や大臣になる条件のなかに31歳以上というのがあるので

誰が決めたの?
文徳23才
清和9才
醍醐12才
朱雀8才
村上21才
冷泉17才
花山16才
一条6才
後一条9才
後朱雀27才
後冷泉20才
白河19才
堀河8才
鳥羽5才
近衛2才

疲れた!



17 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:55:18
>>13
遣隋使を派遣した日本の天皇は、タラシヒコ!


18 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 03:26:01
>>15
大友皇子が25で太政大臣になっていて、文武天皇も15で即位してるだろ
それより古い時代は分からんが…

19 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 03:33:02
あとは武烈天皇か

話は逸れたが31歳云々に拘らなくても崇峻天皇の年齢はそれくらいだろう

20 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 04:15:55

規定無視のオンパレードだよ!



21 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 11:01:52
玉体思想は昭和天皇が癌になるころまで残ってたからね。
天皇が直接殺害された記録はあとにもさきにも崇峻ただひとり。
祭政一致社会の当時だから大変なできごとだったはずだが

22 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 20:56:59
馬子の操り人形だったとすると崇峻天皇自身は仏教布教に否定的だったのではないか?
推古や聖徳太子に見放されるあたり神道の復興(土着の豪族の権威復活)を目論んでたとみたい
出羽三山の開祖が崇峻天皇の皇子なのは史実とすれば父帝の意志を継いだのか…

23 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:11:34
>>22
いくらなんでも蜂子伝説を史実認定は_
だいたい蜂子皇子は聖徳太子の弟子だってことになってるから、仏教派になるじゃん

24 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:14:58
>>14
実は、用明天皇の即位の時期がずれていたとしたら?
隋書にある600年に倭国王の使いがあったのは事実だろう。
この記載は日本書記にはない。
日本書記ではこのときの天皇は推古天皇だが、年がずれており、
実は600年のときの天皇は用明天皇だったと考えれば問題はない。
倭国王の名が「タラシヒコ」だの、天皇の後宮に女が大勢いるだの描かれたのは
この600年の遣隋使のとき。
隋書、日本書記ともに記載のある608年の遣隋使のときには、
天皇の名がどうだのといったことは一切書かれてない。
ちなみに、おたくの指している618年には、隋は滅んでいるよ。

25 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:21:53
>>15
推古天皇はこのときすでに7人の子を産み終えて夫の敏達天皇を亡くしたところだった。
その妹といっても結構な年。
記紀は男女一緒の年齢順に書くから、それによれば、推古天皇の同母兄弟は12人、
推古天皇は上から2番目で、推古天皇の同母妹たちはすべて同母弟用明天皇より年上。
用明天皇は聖徳太子ら7人の子を残して死んでいる。
その用明天皇より年上の妹たちが崇峻天皇の皇后になるのは無理だと思われる。

26 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:50:52
>>24
ごめんなさい!
第2回遣隋使は608年(607年)でした。
618年は隋が滅亡した時期でした。
ご指摘有難う御座います。しかし、用明の時期ズレはどうも納得し難いです。587年に亡くなったるし、崇峻が次にいてるから。時期ズレなら崇峻の可能性の方だけど、それも?


27 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:56:46

第47代淳仁天皇も殺されている。



28 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:12:50

第20代安康天皇も殺されている!



29 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:19:17
>>27
廃帝後だろ、それは玉体ではない

30 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:36:56

第14代仲哀天皇も殺されている(たぶん、神功皇后に)



31 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:43:12

第39代弘文天皇は自害だけど、天武によって殺されたようなものだよ!
皇室なんて昔から殺し合いだらけ、多くは皇太子時代に殺されてるけどね!


32 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:54:30
用明と推古の在位が反対ならどうか?

33 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:00:40

無理だろ!
推古は75才迄生きてる。その間に用明は死んでしまってる。



34 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:27:38
弘文天皇は天武時代に天皇と扱われていない
皇太弟の大海人皇子が先帝の皇子の謀反を征伐したという形式を取っている

35 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:52:49
そりゃ、天武が弘文を天皇と扱わないのは当たり前!
天智が亡くなって弘文が即位するのを邪魔する為に壬申の乱起こしたんだから。
でも、天智の死後に大津宮で即位してる。天武は当然認めないから潰しにかかったんだ。


36 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:02:51
天武は、壬申の乱で玉に背いて潰して、自分が玉だと飛鳥浄御原宮でかってに宣誓したようなもの!一応は血が繋がっているとなっているし、ある意味で初代天皇は天武だから。



37 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:10:35
でも、天武の系統は孝謙(称徳)のお馬鹿が、血統で無い坊主の道鏡を天皇にすると言い出して終わり。天智の系統に戻って光仁・桓武にバトンタッチでしょう。
桓武が今の皇室の祖先みたいなものかな。



38 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:17:21
>>35
だから大友皇子の体は大海人皇子やそれに味方した豪族にとっては玉体じゃなかったんだよ
たとえ即位の儀式をしていても天皇だとは思ってなかったんだからね

39 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:25:24
玉なんてサンデーサイレンスの子供みたいにいくらでもいてるんだよ!
今のJRAの馬の大半だし、サラブレットなんか元を辿れば3頭から枝分かれする。関係ないか



40 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:27:56
こういう王朝交代説を採ってる人は歴代天皇は「本当は自分先祖じゃない」場合によっては「自分の先祖が滅ぼした」と分ってる人を
自分の先祖として崇め祭ってるんだと考えているんだよな?
アマテラスとか本当は自分の先祖と血の繋がらない人物を最高神として扱ってたり
道鏡事件では自分の先祖じゃない八幡神(応神天皇)に皇統をどうするか神託を求めたり

41 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:33:01

祭り事(政治)とはそんなもんだよ!



42 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:40:22
今の皇室も、ある意味じゃ第119代光格天皇が始まりみたいなものだからね!
光格はそれだから余計に皇統にこだわり、幕末の尊皇運動を醸成するようになる。


43 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 03:38:55

欽明朝から、だいぶ離れちゃった!
元に戻らないとね。


44 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 04:27:26
>>33
そうじゃない
用明天皇が628年まで75年生きたと考えたい
推古天皇は敏達天皇の崩御直後に即位するのが自然ではないか?
まず推古は敏達の正統な後継者だったはずの穴穂部皇子に無実の罪で因縁をつけて謀殺する
後見人も皆殺しにすれば全く問題なかったはずだ
やられる方も馬鹿ではないので竹田皇子を暗殺して推古の希望を断つ
推古憤死→崇峻即位→崇峻暗殺→馬子のお気に入り仏教大好き用明天皇即位

これで元の形より流れに不自然感がなくなった
こうすると父帝が長生きしてしまって皇太子の聖徳太子が先に亡くなる展開に矛盾がない

45 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 08:22:20
>>25
      堅塩媛の子    小姉君の子
第一子 用明天皇     茨城皇子
第ニ子 磐隈皇女     葛城皇子
第三子 臘嘴鳥皇子   穴穂部間人皇女
第四子 推古天皇     穴穂部皇子
第五子 (以下略)     崇峻天皇

・磐隈皇女は茨城皇子に犯されている
・穴穂部間人皇女は用明天皇の皇后で
 かつ、その息子の子も産んでいる

以上の例から推古天皇には同母妹が4人存在するので
誰かが崇峻天皇の皇后になることは可能でしょう

46 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 10:16:16
穴穂部間人って親子どんぶりしちゃったのか

47 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 11:04:33
女系の天皇(倭王)を建てる時は、政情不安を落ち着かせる意味合いを持ってるからね。
古代によく女系がたったのもそこだろ!蘇我と他の豪族のバランスや、また女系は巫女的なものとだぶるから


48 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 20:38:44
>>44
女帝の推古天皇だったから、後継者を巡って田村皇子と山背王が争ったんじゃないの?
男子の用明天皇なら、晩年まで子供を作りまくっただろうし、
何も跡継ぎ候補は先に死んだ聖徳太子一人なわけじゃない。
普通に自分の息子を後継者に指名して争いは起こらなかったと思うが。

49 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 20:42:25
>>23
そうなのか
でも修験道って神道じゃないの?

50 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:06:50
>>23
神仏習合

51 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:07:19
神道的要素もあるけど、軸は山岳仏教(特に密教)だよ

52 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 22:55:54
>>44
> 推古天皇は敏達天皇の崩御直後に即位するのが自然ではないか?

どうして、女帝が建つのが自然なの?
女帝はあくまで便宜的なものでしょう!建て前として男系で繋がってるんだから。
欽明は女系で繋がってるけどね!


53 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:14:38
崇峻の時に仏教問題に決着がつき、朝廷が実質的に蘇我支配下になったんだろ!しかし、お飾りのはずの甥の崇峻が生意気になってきたんで馬子が怒った!
次に姪っ子の推古をお雛様にする。
たぶん、遣隋使のタラシヒコは蘇我馬子だろな。


54 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:26:44
崇峻天皇については、ずいぶん誤解も多い。
まず、宮と御陵だが、現在倉梯宮と崇峻陵とされているものは、明治の御陵制定時に慌てて否定したもの。
実際の倉梯宮は、現在宮とされている場所からやや山道を上がった、臥龍荘という老健施設の立っている
場所だといわれている。ここは山襞にできた棚で、200m四方のかなり広い。
御陵の方は、北東に約2Kmはなれた赤坂天王山古墳とされていて、この古墳は、
石舞台の二子墓と言えるほどの壮大なもので、石室は奈良県下でも最も大きいものの一つとされている。
また、続日本紀には倉梯離宮に文武?天皇が行幸したという記述があり、この頃まで倉梯宮が残っていたことが分かる。
ついでに言えば、四天王寺七宮のうち二つは、際神が崇峻で、崇峻の鎮魂が目的だった疑いが強い。
崇峻の話は、そんな簡単な話じゃないと思う。

55 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:38:04
連投して申し訳ないが・・・
倉梯は、三輪の南、飛鳥の東にある。石舞台とは、御破裂山を間にして、相対している。
首都が三輪から、飛鳥に移る過渡的な場所と言える。
倉梯時代は、飛鳥時代に先行する時代として、もっと評価するべきだと思う。
ちなみに、天皇山古墳の真向かいには、舒明陵とされる押坂内陵が、正面から向き合っている。
まるで、舒明の霊で崇峻の霊を押さえ込んでいるように見えるのだが・・・


56 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:50:49
崇神、崇峻、崇徳
崇の文字になにやらあやしげなイメージ
あら、よく見たら「祟」だったりして

57 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 07:55:58
崇めると祟るか?

58 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 09:38:36
タラシヒコは本名というより称号っぽいな

59 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 12:41:11
>>58
それは、昔からの〈逃げ口上〉!
誰がわざわざ危ない海渡って、称号を言うよ!
卑弥呼も称号だと言うならどっちもどっちだけどね。


60 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 12:46:49
崇峻をやって推古を建てたのが蘇我馬子なら、当時の実権は馬子が握っていたのは事実!
仏教導入や遣隋使は太子や馬子がイニシア取ってやってたから、タラシヒコはやっぱり馬子だよ。



61 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 12:48:17

蘇我の名前は、後からみな蔑称に変えられるから



62 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 12:54:33
アマタラシヒコ、天帯彦が個人の名前なら、
同様な名前を持つ人がいないのはどう説明するの?
いないから他に説明を求めているわけだよね。



63 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 12:54:39
蘇我といえば入鹿は鞍作とか太郎とか呼ばれてたな

64 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:07:36
>>62
反対に称号なら、他に何処で使われているかを答えないと駄目でしょ?
いろんな所で使われてこそ、称号なんだから!


65 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:09:23

天照大神の言い間違い、聞き間違えかな?


66 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:53:59

馬子の墓て積土を全部削られた訳でしょ!ある意味で、墓を暴かれた。
凄い怨念を感じる。



67 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 19:33:35
>>59
今だって、「日本の一番偉い人を何と言うのか?」
と外人に聞かれたら、「内閣総理大臣」もしくは「天皇陛下」って言っちゃうかもよ?
麻生太郎だの、明仁親王だの、いちいち言わないかもしれない。
だいたい、日本に「タラシヒコ」という本名の天皇はいないじゃん。
飛鳥時代の天皇の称号が何だったかは分からないけどさ。
(天皇号ができたのは天武朝)

68 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:06:28
>>66
江戸時代にはもっと土があったよ。
いつ頃からなくり始めたのかは不明。

69 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:23:04
>>67
ヒコは男だろ!
ところが、当時の天皇とされる推古は女だよ。
実際は知らんが、そちらのケがあったと言えば仕方ないけど。


70 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:24:21
尊皇派のイカレた連中の仕業か

71 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:26:16
>>67
> だいたい、日本に「タラシヒコ」という本名の天皇はいないじゃん。
だから、蘇我馬子の可能性があるじゃん。遣隋使を派遣した。



72 :日本@名無史さん:2009/06/11(木) 22:37:39
孝安天皇
景行天皇
成務天皇
仲哀天皇
舒明天皇

タラシヒコな天皇でした

73 :日本@名無史さん:2009/06/11(木) 23:16:46
>>72
と言う事は、遣隋使を派遣したのは男の天皇になる。
しかし、あの時期は女帝の推古!
「日本書記」の編集者によって意図的に書き直されたと言う事になる。
歴代の天皇の系譜が!さもありなむ。


74 :日本@名無史さん:2009/06/11(木) 23:18:23

天武なら、何でもするだろな!
息子を使って




75 :日本@名無史さん:2009/06/11(木) 23:24:49

女帝の持統を建てる為には、前例が欲しかった。
その為に推古を!
舎人親王なら考える。



76 :日本@名無史さん:2009/06/11(木) 23:35:26
その前例をやってのけたのが蘇我一族なんだが

77 :日本@名無史さん:2009/06/12(金) 02:34:37
小野妹子が孝安天皇の兄の天足彦命の末裔なのも興味深いと思わない?

小野氏をはじめ春日氏などが何百年も前の天皇の末裔とは到底思えないが、
地縁的先祖を氏神などに神格化した共通の思想を持っていたグループだったのかな?

78 :日本@名無史さん:2009/06/12(金) 02:57:47
母体となった和珥氏は雄略、仁賢、継体に妃を出してるから
王家と婚姻を結べる有力な氏族として皇別に位置づけられたのでは。

79 :日本@名無史さん:2009/06/12(金) 10:12:48
春日・和珥氏から出た妃はなんだか「取って付けた」雰囲気に違和感がある
仁賢と欽明で似たような妃を入れている春日だか和珥の比孤臣とか
明らかに記紀編纂時期に直接の子孫が存在しなくて
先祖の記録がいい加減にされてきた氏族に思える

80 :日本@名無史さん:2009/06/12(金) 11:51:45
蘇我氏大王説に傾倒してる人が多いスレですね

勘違いしてます
蘇我氏は大王なのではなく有能な人材を多く囲うことで成長した氏族ということを忘れてます
戦国四君みたいなものだとイメージするといいでしょう

81 :日本@名無史さん:2009/06/12(金) 21:17:49
>>79
雄略と和珥童女君の間に生まれた娘春日大娘皇女の系統が
継体新王朝の子欽明天皇に女系でつながっている。
現在の天皇家が前王朝とつながる重要な場所にある皇女で
特に創作だとは思わない。
童女君自身は創作じみたエピソードがあったり(一晩で孕んだとか)
仁賢・欽明朝に似た名前の皇女がいたところで
前王朝に妃を入れた氏族であったことは事実だったのだろうと思う。

82 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 00:35:29
>>81
欽明天皇は女系でつながっているとして手白香皇女の子供が継体の子供と言うのは、無理があると思うけどね!


83 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 08:48:13
新しく作ったものは異伝が無いか少ない
古くから伝わるものはそれぞれの時代や勢力のフィルターを通るので
異伝が多かったりする

84 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 17:13:42
>>82
継体はじいさんになってから欽明を作った
だが家康も同年齢ぐらいだ
つまり徳川御三家も家康の子じゃない
嫁に浮気されたってことか・・

85 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 18:44:18
石上大塚とかウワナリ古墳が春日和邇氏(もしくはその出身后妃や所生の子女)のものだったとしたら、
だいぶ評価は変わってくると思うよ。
和珥日爪の同名の娘が仁賢と欽明に嫁いで同名の子供を設けている記事は錯誤と見た方がいいね。
例えばの話だが、ある帝紀において、手白香や武烈など、「春日大娘皇女を娶り……」で始まる皇女所生の仁賢子女を記した後で、
注釈のような形で「このうち手白香は継体に嫁ぎ欽明を産む」といった記事があったとして、
それに続く形で「和珥日爪娘を娶り……」と和珥氏所生の仁賢子女のことが書かれた、というようなケースを想定した場合、
後世の人が、和珥日爪娘所生の仁賢子女を、誤って欽明に繋げてしまった(主語を欽明にしてしまった)という読み違いが、
無かったとは言えないのである。
そしてこのような錯誤があったとしたなら、むしろこうした「分かりやすい」間違いをそのまま載せたという編纂者の態度に注目すべきだろう。

86 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 23:53:11
>>84
おまけに、ヤマトに入れ無かったのにどうして手白香皇女の寝室に忍び込むんだ!


87 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 03:03:22
そこで播磨国風土記の仁賢天皇の母は手白髪命説ですよ

88 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 10:48:51
ということは、思いっきり電波な解釈をすると

履仲系・仁賢−(不明)−欽明
河内系・雄略−武烈(断絶)
息長系・継体−安閑、宣化(断絶)

真実の系譜をたくみにまとめ、天皇家がつながっているように
歴史の裏で暗躍していたのが、和邇・春日一族なわけですな

89 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 12:10:29
接着剤みたいな氏族ですね

90 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 13:14:38
播磨風土記も、顕宗の先代が白髪命(清寧)であったこと、
あるいは清寧没後政務を執ったのが女性であったこと(飯豊。顕宗の叔母とも姉とも)、
仁賢の娘に手白香(手白髪)命がいること、などの伝承が混線した(脚色された)のかもしれないな。

91 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 19:19:58
>>86
手白香皇女は樟葉にいる継体天皇のところへ大和から呼ばれて嫁入りしているよ。
日本書記読んだ?

92 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:27:19
>>90
履中系の姫たちは黒青赤白とカラフルなのが気になる

93 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:58:53
>59
それは、昔からの〈逃げ口上〉!
誰がわざわざ危ない海渡って、称号を言うよ!

逆だ、逆。一国の王が、他国の王にわざわざ本名言うか?
それも、対等と思っているやつが。
当時は、名前を名乗るのは、そいつの子分になるということだぞ。言うわけ無いじゃん。


94 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 02:31:39
本名バレたらどんな呪い掛けられるか分からんからな

95 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 15:43:43
保守

96 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 15:47:02
応神天皇の母神功皇后は朝鮮皇女。
倭奴を支配し、朝鮮の逆賊を撃った偉大なる朝鮮人。

97 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:03:45
どうも馬子の崇峻暗殺というがよくわからん。
蘇我氏が皇位簒奪を(最終的に)意図した豪族だとしても。
「書記」において蘇我氏を悪役たらしめたい、
というはわかるが、
暗殺後でも馬子はしれっとしている。
自分が立てたとしても、仮にも天皇(オオキミ)だ。
何らかのリアクションがあってもいいのに、
その地位から下りることもない。
犯人は馬子で動かせないとしても、崇峻帝側にも大きな問題があって、
それを「書記」は故意にかかなったのではないか。
さてその問題とは何だったのか?

98 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:21:55
海外派兵だろう。

99 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:55:49
>98続き
書紀が書かれた目的は、白村江の敗戦をいかに誤魔化し正当化するかということ。
在位4年で半島出兵しようとしていた崇峻の治世を、そのまま書けるはずがない。

100 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:34:57
誤魔化したかったのは正統な理由なく本来の王家を滅ぼした自分たちの立場でしょうね



101 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:41:01
道鏡、信長、義満、自分が天皇になろうとした権力者が何度も現れている
んだから、蘇我氏もそれを狙ったと考えるのは自然だと思うがなぁ。
しかも、それが成功してた可能性があると思うんだが。

日本書紀は蘇我氏の治世に行われたことを全部聖徳太子という架空の人物
の功績に仕立てて万世一系が継続してることにした創作物語だと思っている。

102 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:08:42
>道鏡、信長、義満、自分が天皇になろうとした権力者が

これらも積極的な根拠があるわけではないだろ。

103 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:43:39
蘇我氏に重なるのは高句麗の泉蓋蘇文ですね。
クーデターで王を殺しながらも自らが取って代わることをせず、
新たに傀儡の王を立てています。もともと王を出す部に属して
いなかったってこともあるんでしょうけど、彼の目的は王になる
ことではなく、あくまで権力を一手に掌握し、自由な立場で
それを振るうことであったとみるべきでしょう。

また、蓋蘇文は族長として最高執政官の地位にありましたが、
クーデター後にそれを辞め、一段下の地位に自ら引いています。
この行動は族制的な地位の縛りから逃れ、自由な立場で権力を
振るうためと説明されており、あえて即位しなかったことと
符合します。

蘇我氏のケースもこれとかなり似ているんじゃないでしょうか。
王家とは互いに利用しあい、身内の関係にもなって勢力を拡大させ、
ついには王家を凌ぐまでになったわけですが、さすがに簒奪まで
考えていたかどうか。王家の威信が高ければ高いほど蘇我氏に
とっては都合がいいという仕組みがあったわけですから、それを
壊してしまうのは割に合わないし、あえて行うほどのメリットもない。
内外に問題を抱えた状況で簒奪を行うのがどれだけ危険なこと
であるかは、蘇我氏自身がよく理解していたんじゃないでしょうか。

104 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:39:54
蘇我氏ってそれほどのものじゃないよ。
蘇我物部の戦いだって、所詮は皇位を巡る争い。
自らたって戦って皇位についた崇峻の権力闘争。
利益を得たヤツが本当の首謀者なのさ。

105 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 12:23:21
>>101
架空は言い過ぎだと思うけれど、
蘇我ベッタリの厩戸/聖徳太子に、
蘇我の事跡を行ったことにさせた可能性は大きいね。
なにしろ天皇記、国記と題される書が、
乙巳の変で焼き捨てられるくらいなので。

106 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:12:56
え? 焼かれてないだろ。

107 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:02:48
>>103
それはむしろ蘇我入鹿の失敗を見て、
藤原鎌足が学んだことなのでは?

108 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:01:10
己酉、蘇我臣蝦夷等臨誅。悉焼天皇記。国記。珍宝。
船史恵尺即疾取所焼国記而奉献中大兄

109 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 01:05:43
国記は残ったということで

110 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 02:47:02
焼かれたことには変りないわな。

111 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 11:27:49
>110
???
もしかして漢文読めない?

112 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:48:16
朝廷の最重要書類が蘇我の私邸にあったってことはよくわかった

113 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:27:20
「皇太子(厩戸皇子)と嶋大臣(蘇我馬子)が共に議りて録した」書物だからね、
蘇我邸にあってある意味当然。
643年までの斑鳩宮にもあった可能性は高い。

114 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:29:20
いや、やっぱり私邸にあるのは異常だよ。
コピーが一部蘇我邸にあった、というのなら普通だが、
そうじゃなくて唯一の原本がそこにあったんだから。

もし単なる個人に秘蔵されているんなら、一体何のために作ったの?って話だよ。
つまり蘇我氏は既に実質上、単なる私人ではなかった、ってこと。

115 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:47:29
>112-114
当時の朝廷にきっちりした、史料編纂室とか、正史執筆室なんかがあったと思っているのか。
江戸時代の寺社奉行ですら、任命された大名の屋敷が奉行所になったんだぞ。鬼平の火盗改めだってそうだ。
お前やれ。へいへい。で、蘇我が編纂を命じられて、私邸で編纂されていたということだわいな。
現代人の感覚で考えるなよ。私人官人の区別なんか当時はいい加減なもんだったのさ。

116 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:08:05
> 当時の朝廷にきっちりした、史料編纂室とか、正史執筆室なんかがあったと思っているのか。
別に思ってない。

> 江戸時代の寺社奉行ですら、任命された大名の屋敷が奉行所になったんだぞ。鬼平の火盗改めだってそうだ。
ふむ。

> お前やれ。へいへい。で、蘇我が編纂を命じられて、私邸で編纂されていたということだわいな。
そうだけど、でも、推古28年から皇極4年までずっと編纂途中にあったわけではあるまい。
既に少なくともかなりの程度は、完成していたものと見るのが妥当。

もう一度繰り返すと、その成果物がずっと私邸に保管されていたんのだったら、
一体何のために編纂したんだよ、って言ってるわけだが。
蘇我氏の子子孫孫に言い伝えるために、天皇記を作ったわけではあるまい。

> 現代人の感覚で考えるなよ。私人官人の区別なんか当時はいい加減なもんだったのさ。
それには別に反対してない。

117 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:11:29
たしかに六国史の時代と勘違いしてる人が多いんだよな。
まあ史料が少ないから確実なことは言えんのだけど、
律令政治が天智・天武の頃から始まることから推しても、
推古の宮に図書寮みたいなのがあったとは思えないし、
だいいち天皇記・国記は勅命によるものじゃないし。

118 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:14:26
保管される場所が宮殿か私邸か、っていう話をしているのに、
何で「史料編纂室」とか「図書寮」とかそういう話になるの?
関係ないじゃん

119 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:15:47
まあ蘇我氏に都合がいいように書いてあったんだろうな。
その後の記紀編纂の意気込みをみると。
納得いく内容なら国記の残った部分はそのままでいいはずだもんな。

120 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:26:11
ん? 国記の内容が記紀にどう影響してるかなんて分からないぜ?
記紀編纂の意気込みっつったって、
天武の頃は乙巳の変からもう40年も経ってるし、
記紀に至っては70年も経ってる。

121 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:30:40
>>116
> もう一度繰り返すと、その成果物がずっと私邸に保管されていたんのだったら、
> 一体何のために編纂したんだよ、って言ってるわけだが。
> 蘇我氏の子子孫孫に言い伝えるために、天皇記を作ったわけではあるまい。

俺の勝手な妄想だが
天皇をシャーマンと仰ぐ豪族連合国家、これが当時の大和朝廷の実態。
激動のアジア社会の波に、危機感を持った蘇我氏が、天皇をシャーマンの存在に
押し込めたまま、蘇我氏を中心とする官司制国家に変革しようとした。
当然重要文書などは蘇我氏の管理下におく必要がある。
その動きに反発したのが中大兄皇子であり軽皇子だと。

122 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:37:47
乱れているとか言ってるしなあ。> 国史作る理由

123 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:03:01
実務能力は蘇我氏が他の豪族を圧倒してたんじゃない?
東漢直とか船史とか文書作成氏族を配下にしていたのだから

124 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:08:03
>118
お前、ガキか。意味分かんないの?
あの頃に、公私の区別なんかなかったって意味だ。
蘇我邸が史料編纂所だったって意味だよ。

125 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:32:39
ガキは自分

126 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 14:24:44
公私の区別といえば私部

127 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:22:13
ん?

128 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:21:46
を?

129 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:22:32
>>79
>春日・和珥氏から出た妃はなんだか「取って付けた」雰囲気・・・
どの大王たちの妃賓のこと?「雰囲気」って、何のこと?

130 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 16:36:22
>>91
>大和から呼ばれて嫁入りして・・・・
当時古代の少なくとも支配者階級は、嫁入婚でなく婿入婚だったから
嫁入りなどありえないし、前王権側と対立していたからこそ、大和に
入れず樟葉宮に留まっていたわけで前王権の皇女との同居なども
ありえない。

131 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 01:59:58

欽明の親父が誰かは、日本古代史の謎!
秦の始皇帝の親父が誰かも、中国古代史の謎!



132 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 19:47:53
>秦の始皇帝の親父が誰かも、中国古代史の謎!

え、そうなの?

133 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 18:15:29
国記・天皇記2部あったっていうことはないかなぁ?
思いっきりの推測だけど。
山背が死んだ時点で斑鳩は燃えているし、
蝦夷が死んだ時点で焼け残った国記の一部だけ取り出しているし。

彼ら、国記探していたんじゃね?

というサスペンス。

134 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 18:30:50
>>97 おまけに犯人の駒は天皇殺しで死刑ではないし

女賓を盗んだ罪で殺されている。

崇峻は誰が殺しても罪にならなかった。

殺されてもいいようなことをしたとしか思えない。

135 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 13:46:04
推古天皇は卑弥呼をモデルにしてるよな。

136 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 10:29:28
>>135 へぇ?推古が後付で決められたって言いたいの?

137 :日本@名無史さん:2010/02/17(水) 23:25:03
>134
崇峻陵は天王山古墳一号墳といわれていて、これは専門家の意見が一致している珍しい例。
一号墳は石舞台に匹敵する大型方墳で、即日葬できるようなモノではない。崇峻紀は捏造が多すぎてよく分からん。

ただ崇峻紀は読み方によっては、崇峻自ら蘇我氏を率いて物部氏を討って即位し、崇峻四年には半島に出兵したとも読める。
まあ、証拠がないことなので証明は出来ないがね。

138 :日本@名無史さん:2010/02/17(水) 23:39:31
崇じゅん妃は大友

139 :日本@名無史さん:2010/02/18(木) 00:51:27
>>137
そんな立派な御陵なのに、陵地も陵戸もないのか。

140 :137:2010/02/21(日) 12:19:08
>139
延喜式ではすでに煙戸なしとなってる。中は当時すでに空だったんじゃね?
藤ノ木あたりに移されたりして。ま、寝言ですが...

あ、あと、大阪以外の人にはあまり知られてないと思うんだけど、
四天王寺には七宮ってのがあって、そこは崇峻やその家族、敏達などを祭ってる。意義はよくわからん。

141 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 14:27:01
>>140 崇峻の家族って? 大伴妃やその子供たちってこと?

子供たちはたしか東国へ逃げたんじゃなかった?

しかも敏達、異母兄弟といっても母親の出自も年齢も離れていて
あんまり接点なさそうなのに一緒に祀られているってことは、
なんかあの時代の人をぽいっとまとめた感じがするね。

142 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 14:32:50
太子は自分がポスト推古(臨時初女帝…実質馬子帝)で天皇様になるお約束でソージュン帝弑逆を馬子大臣に対して黙認してしまた?
結果は約束反古…政治的に力無い太子さまは、伯父さまスージュン帝の霊に悩まされ仏門供養に専念されました
→大化改新で天皇親政回復(非業の太子夫妻とご子孫の無念も晴れる)…功労者藤原家が天皇家をお守りする根拠大義のスタート。

143 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 14:52:03
     ↑↑↑

  随分また夢心地な文・・・・。 


144 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 15:01:36
スイコはたなぼた
いまでさえ女性が天皇なるのは大変なのに 天照らす様以来の例外を作った 急遽前天皇帰天の一時避難で本来ならウマヤドが最優力だた

145 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 15:06:01
崇峻で不思議なのは在位5年、結構長いはずなのに大后を迎えていない
こと。

どれだけ有力豪族からの人気がなかったんだ、と。

たとえば敏達・推古の娘の菟道貝蛸皇女を差し出すとか、
次の小墾田皇女を出すとかあっただろうに。

あくまでも中継ぎだったのかしらん。。

 
   

146 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 15:10:27
大伴家の(を)スパイ 物部家は蘇我家の家来になた
蘇我の娘も妃だからそち系の子孫は下級貴族に
大伴妃子孫は 山形の寺に(宮内庁管理の陵墓あり)

147 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 15:12:03
>>146 日本語ぷりーずm(__)m

148 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 15:28:03
>>146の文は全部私への返事か・・・?
 小さい「っ」をとる必要ないと思うけど・・・。
 まぁ、コメサンクス。

 出羽三山は確か崇峻の子の蜂子皇子が建立したと聞いた気がするけど。

 
 崇峻って実は殺害されたんじゃなかったりして。
 何かの理由で死んだのを馬子のせいにしたんじゃね?
 

 っていう妄想を言ってみます。

>>蘇我の娘も妃だからそち系の子孫は下級貴族
 ちなみに河上娘には子孫はいなかったはず。
 盗まれた嬪ってこの人でしょ?
 厩戸の妃・刀自古の噂もあるよね。

149 :日本@名無史さん:2010/03/13(土) 14:55:12
アメノタリシヒコ

150 :日本@名無史さん:2010/03/22(月) 21:58:01
ん?

151 :日本@名無史さん:2010/06/25(金) 23:04:48


152 :日本@名無史さん:2010/06/26(土) 16:24:32
>>145
崇峻天皇は兄弟順がかなり後で、本来有力な皇位継承者ではなかった。
物部合戦のときにも最初は同母兄の穴穂部皇子に同調して物部守屋の邸にいた。
しかし、蘇我馬子の懐柔作戦にのって途中で兄を裏切り、馬子の陣営に移った。
兄を裏切った懐柔工作こそ、「馬子が勝てば次期大王にする」というもの。
馬子は物部守屋を敗り、約束通り崇峻を大王にいたが、蘇我氏の本拠地である飛鳥に入れず、
飛鳥にいる馬子と大后炊屋媛のもとに諸臣が集まる状態であったらしい。
もともとは物部方の大王だったからみたいだね。
崇峻自体、物部守屋の妹を妃にしている。
(日本書記では馬子も形ばかりに娘の河上娘を差し出してはいる)
遅からず馬子+炊屋媛との争いになり制裁されていた大王だったのだろう。

153 :日本@名無史さん:2010/06/26(土) 16:37:55
崇峻天皇の古くからの妃に大伴小手子がいた。
しかし、崇峻天皇の寵愛が他へ移ったので深く恨んだ。
崇峻が猪の首を切り落とすのを見て馬子の首を切り落としたいと言ったのを
蘇我馬子に密告したのはほかでもない小手子の実父糠手子。
いろいろ女性関係もあったみたいだな。


154 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 15:54:18
崇峻天皇は欽明天皇の第12皇子とかいう話です。
しっぽの方ですね。


155 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 17:48:35
「書紀」は藤原氏側(多分、制作主体は不比等)の立場でかかれているのは
間違いない。
だから、蘇我氏が悪者に描かれている、とはよく言われていることだが、
しかし、崇峻暗殺というこれほどの大事について、
馬子がそれほどの悪人に描かれていないのはなぜか。
子の蝦夷、正確に言えば、孫の入鹿など大悪党とも言えるほどに描かれているのに。



156 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:53:56
それは馬子の政治家としての力量に目を見張るものがあったからでは?
対立する側の人間であっても、実力の有無は分かるでしょうから。
更には藤原氏側も天皇暗殺(に近い)ことをしているから、
表立って非難できないとか。例えば弘文天皇なんてどうだろう?

人の妻を寝取った男を見つけたとして、実は自分も人の妻を寝取っていたら、
その男を非難できないですよね。脛に傷ある何とかで。

157 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 20:34:12
日本書記が天皇は神だのなんだの書くからみんな毒されてるだけで。
力の強いものが上に立つ時代、臣下の蘇我氏が主君の崇峻を殺したからって
それほど批判されるべきことではない。
天皇家だってその昔、気に食わない奴をどんどん滅ぼして政権取ったんだろ?
やってることは変わらない。
天皇家だけは、神様の子孫だから、誰もが天孫あるあなた様が天下を治めるべきです、
私たちは黙って忠誠を尽くすだけです、といったなんて日本神話そのままのわけじゃなし。

158 :日本@名無史さん:2010/07/30(金) 14:52:15
>157
まあ、蘇我氏が出てくる前には皇族間で殺し合いをやりすぎて皇位継承者が居なくなっちゃったぐらいだからな。
そこで殺し合いを避ける方向へ舵を切ろうとしたけど、なかなかうまくいかなかったからって程度だろ。
書紀では蘇我氏が主犯のように書いてるけど、実は主犯じゃなくてただの実行犯かもしれんしな。
(それ以前の状況から見ると、主犯は別だった可能性も捨てきれん、って程度だが)

159 :日本@名無史さん:2010/08/01(日) 20:47:35
欽明天皇=天国押開広庭天皇だったかな。和風し号(字が出ない)

何となく国を開いた天皇みたいに読めます。欽明期に日本が近代化したのは
間違いないようです。

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