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【磐井の乱】継体天皇の憂鬱【辛亥の変】

1 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 23:50:24
謎が謎を呼ぶ大王、継体天皇専用スレッドです。

応神五世孫って本当?息長氏なの?
なぜ何度も王宮を移したの?
そもそも出身は越前?近江?それとも河内?
なぜ任那四県を百済に割譲したの?
磐井が乱を起こしたわけは?
どの崩年が正しいのさ?
阿蘇ピンク石ってよく聞くけど?
安閑宣化と欽明の二朝並立説ってどうよ?

他にもいろいろ論点はあるけど、気軽に討論してね!
ただし学問板住人らしく分別あるレスを心がけましょう。
マルチやスレチやコピペはスルーで宜しう。
では、どうぞ。

前スレ
【珍説開陳】継体天皇に関する真実【定説打破】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220494008/

2 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 00:13:09
>>1
ハルヒネタかよ

3 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 00:23:47
継体天皇が受け継いだ政権の不安定さを
スレタイであらわしてみました。

もちろん、不安定なんかじゃねーぞ!
っていう方も持論をどうぞ。

4 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 02:49:07
〜万世一系之に有り〜
@神武朝(非実在)
A崇神朝(奈良土着)
B応神仁徳朝(東征)
C顕宗仁賢朝(播磨)
D継体(臨時:越王)
E欽明朝(蘇我傀儡)
F天智天武朝(天皇)



5 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 04:38:09
持論とか俺はこう思うとかいう妄想で歴史を変えるなやw
精神科行け

6 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 07:18:15
キラー・カーン 乙

7 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 10:32:35
出雲大社から出雲大社の歴史が書かれた古文書が出てきて、
出雲と倭が同盟を結ぶために、
出雲の王と倭の女王が結婚したという文章が出てきた。
その子供の1人が倭の王、1人が出雲の王になったので、
出雲の王は倭の血筋になる。婚姻も頻繁に行われていたと思われ。

現在解読中。解読が終われば内容公開される。(島根大学)
ちなみに倭の女王の名はとよ。

8 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:33:58
神話(素戔嗚尊・草薙の剣・八百万の神々)や国譲り話、そして出雲大社の存在が有りながら、ヤマト朝廷や天皇家との関係がもう一つ解らなかったから期待大!
一番人気の無い島根県になってしまったからね。

9 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:30:12
>>1

大陸説を抜いちゃ駄目だろ。朝鮮説 中国説 高句麗説
前スレの議論は新鮮だった。

10 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:44:21
NHKの特集が面白い!

11 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:00:15
>>7
スサノオとアマテラス(トヨ)が誓約して子を産み(紀記では3女6男)、
その一人が崇神となり別の一人がアメノホヒで出雲国造の祖となった。
スサノオは北九州〜出雲の王、いわば邪馬台国の本家すじ。
トヨが畿内に移動した分家に当たり、西の女王(宗主巫女)卑弥呼が死んでトヨが宗主となった。
だから、元本家が分家のトヨに入り婿して、その血脈をスサノオのそれと合して本家、分家双方の新たな血脈とした。

12 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:04:42
日本の古代史は映画にすべきだな!
『日本誕生』ぐらいしかないもんな。ありゃ神話の世界だけど。キングギドラもでて来るし。


13 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:53:00
継体天皇役は三船敏郎!

は無理か…

14 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 07:13:46
仲代達也でいいと思うが。

15 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 09:03:16
あの映画、三船敏郎、日本武尊と素戔嗚尊の二役だったな。


16 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 09:56:49

【珍説開陳】
【定説打破】



17 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 10:03:39
その出雲文書が公開されれば、もっと研究はすすむだろうが、
他にも書かれたものが、どこかにあるということで、
それを探せた人が、考古学で名を上げられる。

宇佐とかあやしいのでは。

18 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 10:46:25
そりゃ考古学じゃねえべ

19 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 14:18:16
宇佐は確かに!
道鏡の野望を挫いたのは宇佐八幡だからな。
古代史は面白いのに、いろんな珍説開陳・定説打破の精神で大河ドラマを期待するわ!


20 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 20:30:45
新しい古史古伝が作られてんのか?

21 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 20:42:51
>>14
仲代達矢もいいね。
57歳で即位した老王にはぴったりかも。
シェークスピアぽくなりそうだけど。

22 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 00:17:39
きっと水戸黄門みたいだったと思うな!
「明日はヤマトの王だ!」と満願の笑顔で息子2人を携えて出て来た。
「之が目に入らぬか?」と大伴金村から渡された王印を見せても奈良の関所で足止め。「ウッソー?」



23 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 08:17:05
古代史で大河ドラマするなら任那に残された韓子(倭人と韓人の混血児)たちが
本国にも半島諸国にも見放されて滅亡するあらすじで作ってくれないかな〜

24 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 08:31:49
NHK単発ドラマなら「雄略天皇の生涯」はやろうと思えばできる。





25 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 11:32:50
蘇我は磐井の反乱の時に貢献した混血一族かも知れないな。
だから大陸文化にも造形深く、当時としては進歩的でヤマト朝廷内で必要性大だった。蘇我一族の蔑称も納得できるし、こじつけの系譜もタケチノクスネだろ。
復古的な中臣鎌足が許さない訳だ。


26 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 12:53:07
九州説は石ころが出てきても、邪馬台国の石ころとか言いそうだな。

27 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 23:54:32
稲目は宣化のブレインだろ

28 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:00:42
宣化から欽明に乗り換えたとか

29 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:14:37
82歳で亡くなった継体の後を、65歳で継いだ安閑と68歳で継いだ宣化か!
68歳の爺さんが28歳の稲目を大臣に???
どこの馬の骨か鹿の骨か分からぬ蘇我を!(その時、欽明25歳)




30 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:25:30

欽明が継体56歳の時の子供と言うのも驚く!(安閑が16歳の時の子供は納得するが)



31 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:35:39

そして、百済に「日本の天皇及び太子・皇子が共に亡くなる」と緊急連絡が入る!『百済本記』
継体・安閑・宣化

やったね欽明!!



32 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:40:56

蘇我稲目を宣化に近づけた甲斐があった。
いや、欽明を建てたのは稲目かな?



33 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:54:01
或本に云はく、天皇、二十八年歳次甲寅に崩りましぬといふ。
而るを此に二十五年歳次辛亥に崩りましぬと云へるは、百済本紀
を取りて文を為れるなり。其の文に云へらく、太歳辛亥の三月に、
軍進みて安羅に至りて、乞托城を営る。是の月に、高麗、其の王
安を弑す。又聞く、日本の天皇及び太子・皇子、倶に崩薨りましぬ
といへり。此に由りて言へば、辛亥の歳は、二十五年に当る。
後に勘校へむ者、知らむ。

34 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:55:42

欽明朝開設にあたっての第一の功労者は誰だ?
なんか、下級武士でも参議・大臣になっていった明治維新みたい。


35 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:02:07

【 後に勘校へむ者、知らむ。】



36 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:10:17
>>33
>其の文に云へらく、太歳辛亥の三月に軍進みて安羅に至りて、乞托城を営る。是の月に、高麗、其の王安を弑す。
★又聞く、日本の天皇及び太子・皇子、倶に崩薨りましぬといへり。此に由りて言へば、辛亥の歳は、二十五年に当る。
後に勘校へむ者、知らむ。


37 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:26:45

そして、蘇我の傀儡政権としての欽明朝の血みどろの時代が始まる!
「朕は蘇我より出でたり」(推古)

太子頑張れよ!


38 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 03:18:03
年齢記事は神武以下の百歳台同様あまり信用できませんね。
僕自身は継体は480年代の生まれ、安閑・宣化は500年頃の生まれ、欽明は520年頃の生まれと見ています。
(継体即位を517年頃と見ているので)。稲目は506年生年説がありますが、まあそんなとこでしょう。
蘇我氏の勃興に関連して興味深いのは、安閑の宮が曽我川西岸の勾の地、つまり蘇我氏本貫地に隣接するように築かれたり、
宣化の代に稲目が大臣になって、天皇の命で尾張氏をして尾張国の屯倉から籾種を筑紫に運ばせていることですね。
この時、同じように宣化は阿蘇仍君(おそらく皇別で、個人的には稚野毛裔一族の一人だと思ってますが)を、
物部大連は同じ物部一族である新家連を、阿倍大夫も同じ大彦裔一族である伊賀臣をして、地方の屯倉の籾種を運ばせています。
ここで注目したい点は、蘇我氏が男系で同族関係にない尾張氏を使っているところです。ほかはみんな一族を使っているのに。
それで僕は、稲目の母親が尾張氏の出身だったのではないかと考えてみました。つまり母系のつながりによったというわけですね。
尾張氏は葛城の地とも関係の深い氏族ですし、安閑・宣化と稲目の接点がこんなところにあればと勝手に想像した次第です。
さらに電波を飛ばせば、安閑・宣化母と稲目母とが姉妹だったのではとの考えも出来得ますが、それは行き過ぎでしょう。
また、稲目が欽明朝に住んだ地はヲハリタ(小墾田)です。のちに稲目の孫娘である推古が宮を築く地でもあります。
その推古には小墾田皇女、尾張皇子なんて子供もいます。蘇我入鹿の名前が入鹿屯倉から来てるってのは……これも妄想のし過ぎですね。
ともかく尾張氏の存在は、この時期(6世紀前期)今城塚に継ぐ規模を持つ断夫山古墳の存在とも相まって、非常に気になるところです。

39 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 03:34:45
>それで僕は、稲目の母親が尾張氏の出身だったのではないかと考えてみました

というより、安閑、宣化の母が尾張氏であることが大きいのでは。

40 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 03:47:23
あ、ごめん。わかりにくいな。

つまり、別に稲目と尾張氏の血縁を想定する必要はないんじゃないか
と思うんだが。

41 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 04:03:55
もちろん、38は僕の勝手な想像です。
ただ、よく稲目は欽明との繋がりが云々されますが、大臣になっているのは宣化朝、
しかもその宣化朝からの登用記事を結構あっさりと無視される方が多い。
そこで、稲目が宣化朝から登用されたとすれば、それはどんな原因が考えられるかといった時に、
てっとり早く親戚関係が思い浮かんだんです。
で、書紀の中にそれを想起させる部分を拾ってみたところが、
安閑の宮の所在地、宣化朝の屯倉監督記事、稲目の小墾田家なんかが引っかかったんで、
ちょっと妄想を膨らませただけです。

42 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 04:20:13
たしかに、宣化朝における稲目の大臣就任はよく分からんもんね。
探せばもっと蘇我氏と尾張氏をつなぐ線が出てくるかな。

43 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 05:22:54
>>30
> 欽明が継体56歳の時の子供と言うのも驚く!


そういう人は俺の町内にもいる。

44 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 06:38:45
継体暗貫宣化の三人だけ特別年齢が明記されている理由が知りたいな
前後の天皇より新しく作られたから年齢も設定されたとみているがどうか

45 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:03:01
尾張は尾張でも高尾張では?
高尾張の地なら朝妻の地も近いから。


46 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 12:53:42
継体を田舎から呼んで来る前の〈残虐無頼の武烈〉なんか、9歳で即位して18歳で亡くなってる!
10代のガキがする悪ふざけに周りの大友や物部は何をしてたんだ?
当然、ガキをやっつけるわな。早死に!本当に実在したか否かわからないけど、年代合わせと継体もってくる理由づけか。



47 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 13:05:05
>>43
欽明は継体59歳の時の子供だな!
稲目が継体56歳の時の生まれだ。
宣化40歳の時に生まれた稲目を大臣にするなんて本気で日本の舵取りする気があるのか?周りに誰もいない人材難?
普通はそんな提案は否めよ。否め!




48 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 13:57:51
57歳で畿内に来た時の継体は、たぶんボケ爺さんだろ!それを41歳の安閑と40歳の宣化が杖と腰を支えてやってきた。
大伴金村が必要としたのは、顕宗・仁賢の時と同じく雄略無き後のヤマト朝廷の支配力維持の為の客寄せパンダだろ!

単身寮を用意したけど、家族連れて来たから奈良には入れてやんない。
社宅までは用意して無いもん。


49 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 16:06:55
たぶん継体朝は、ボケ爺さんを安閑・宣化が役割分担して運営してたんだろ!
@磐井の乱対応チーム(外務)とAヤマト豪族対策チーム(内務)かな。
安閑が仁賢の娘を嫁にしてるからAか?宣化が新羅の任那進行対策だから@だな!
三人ともに亡くなったが功績あるから一応系譜に入れといてと、このへんだろ!三朝併立の仕方なさは。





50 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 16:30:53
【磐井の乱】と【辛亥の変】て俄然面白いのに、大河ドラマに期待大!

源平・戦国@(武田上杉)・戦国A(織田豊臣)・赤穂浪士・幕末維新ばかりじゃ飽きるわ。


51 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 18:44:15
高校の教科書には大伴金村が東北から連れて来て即位させたって書いてある。
あと、磐井が近江毛野の軍を阻止したのは新羅から賄賂もらったからって書いてあった

52 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:07:40
東北じゃなくて越前か近江じゃないの?

どこの教科書会社よw

53 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:44:29
近江毛野の任那でのせりふはなんだか自分が天皇みたいですね

54 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:52:56
>>53

天皇の代理人みたいなもんだからあれでいいんだろ。



55 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 20:28:00

福井の足羽公園の継体天皇像は、杖をもってるよな。
福井の三国あたりだろ、出身は?




56 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 20:50:30
あの時代は、天皇(倭王・大王)の時代と言うより、〈大伴政権〉から〈蘇我政権〉への移行期だろ!物部は始め大伴に付いて、そして大伴を裏切って出馬声明を出したら、蘇我・天皇家連合軍にハメられて、「ハイ、ご苦労さん!」
この時、物部を慕っていた中臣はいつか蘇我をやるぞと神に誓う。

お見事!
我が世を造るなり。


57 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:55:20
>>54
なんか違うな
実際は継体本人が親征したのに失敗したので近江毛野として別人にしたんだ
ついでに目頬子の正体は妃の目子郎女と考えると流れが理解できる

58 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 04:16:50
>>31
コレが目的で、20年近くヤマトに入れなかったのに招き入れた。
3人一緒に祝の席で何が有ったかは、謎?


59 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 05:02:54

後に勘校へむ者、知らむ。だな



60 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 06:56:38
豪族内部に祭司と政治を司る家系と武力を司る家系とか分化しても不思議ではない。
雄略には大伴。
欽明には蘇我。
雄略以降は平群。
敏達には弓削物部。
母方の血縁と宅に鍵あり。

61 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 08:31:57
平群氏の得意分野は何だったの?


軍事?内政?

62 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 08:39:19
宴会に呼んでぶっ殺すのは神武以来のお家芸。

63 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 09:27:19
神武は創作だからオリジナルは中大兄のテロだな
渡来系氏族の軍事力を背景に倭国の秩序を無視して
大王暗殺、皇太子強制出家、金で官位を売る
と、やりたい放題だし

64 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 13:58:36
熊襲タケル退治も、出雲タケル退治も、ヤマトタケルのやり方は相手を騙して殺戮する方法だからな!
相手に安心させてブスッとあの世行き!
雄略や大伴の基本戦略だね。



65 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:08:55
大伴金村に上手い事言われて畿内に来た継体親子、約束が違うと金村落としを策略だな!
そこで金村に付いてた物部を懐柔して、金村無き後は「西はあんた、東は俺が貰う」と密約成立!
任那問題持ち出して、金村追放!

やったね!
しかし、稲目と欽明の小僧はそれを良く見ていた。
「あいつら邪魔だな」


66 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:24:57
継体も地方の支店長だったのが、本社専務あたりから「社長」になって下さいと、東京本社にきたら入れない。千葉、埼玉を巡回指導願いますだからな!
本社専務室では大伴と常務の物部他がいつも役員会。継体は社長と言うよりお飾り会長みたいなもんか?


67 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:37:13
平群真鳥=蘇我蝦夷
平群鮪=蘇我入鹿
武烈天皇=天智天皇
大伴金村=藤原鎌足

だよな

68 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:39:03
・継体の謎解きの1つは、継体と欽明が本当に親子が否か?
・宣化の大臣に突如登場する稲目が、欽明朝の実質的な権力者となって、一族が欽明朝を支配していく。何故?
・継体の時代の有力豪族を欽明と蘇我は次々と潰しにかかる。
・有力豪族達にとって譲る事の出来ない祖先崇拝に基づく神道にいちゃもんつけて!
・欽明朝なんて神道信じてないだろ。その典型例が聖徳太子だな!



69 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:46:11

それと蘇我と欽明朝の近親相関の繰り返し!おまけに一族からだした天皇(倭王)まで暗殺するからな!蘇我ちゃんは?
歴史を変える意志を感じる蘇我一族。


70 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 15:28:00
欽明朝の面々にとっては、@神武A崇神B応神仁徳C顕宗仁賢、そしてD継体も祖先だと言う意識が無かっただろ!
聖徳太子も彼らを祖先なんて思ってなかった。
だから、「仏教導入」ができた。

祖先じゃないもんな!馬鹿らしくて拝めんわな。わかる



71 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 15:32:21

無理に祖先にしたのが、舎人親王!
ある意味、天才だね。
舎人親王に勝てる奴が、その後の日本史に出て来ない。


72 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 16:24:28
物部や中臣の面々は先祖崇拝しろと必死に主張してたけどな
称徳天皇のときには宇佐八幡(応神天皇)に皇位継承問題の神託を求めてる

73 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:08:09
>>71
藤原不比等
も忘れちゃいけないな!
名前が凄い「不比等」だからな。
実質的に、「この世をば我が世ならむ」としたのは、不比等一族だからね!
天智の息子て、本当?


74 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:13:43
舎人親王は天武の息子だから、やっぱり天智天武朝が凄いんだ。
其れまでの日本史のゴタゴタを片づけた!
現在でさえ、舎人親王と藤原不比等のイデオロギーに勝て無い。


75 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 22:15:09
しかし、舎人親王と藤原不比等の一番の難問が、天智天武の正当化の為に個々の王朝をくっ付けても、あそこで王権が切れている。
接着剤が必要だ?
強力な接着剤が!
此処が腕の見せどころだな。

お見事とは言えないが、苦心の後は窺えるわ!ご苦労様



76 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 23:38:56
連投さんの文章読んでると、
天智天武の正当化というよりむしろ、
それ以前の、長続きしなかったポンコツ各王朝の方が、
舎人親王や不比等によって「正当化してもらった」ようにも思えてくるな。

77 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 01:43:20

あれだけデッカい墓を残されると仕方ないよ!



78 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 02:14:07

舎人親王と藤原不比等のイデオロギーは、明治憲法や現憲法よりも力を持って日本史と日本人の意識を貫いているからな!
たぶん、IMAGINE歌っても変えられない。日本人が日本語を必要としなくなったらわからないけど?と思ってみる。


79 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 02:56:51
>>76
御拝読有難うございます!
これからも優しく頼みます。


80 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 10:47:40
継体の息子と言われてる欽明は、何処で生まれたんだ?
継体一行はヤマトに入れなかったのに!
母親は唯一の皇統の血を継いでる事になるから、迂闊にヤマトから出さないだろ。
生まれた欽明は親父と一緒に淀川下りをしてたのかな?
それともヤマトに人質かな?


81 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 12:52:44
母・手白香皇女。外祖父・仁賢天皇。外祖母・春日大娘皇女。外祖母の父・雄略天皇。叔父・武列天皇。
仁賢や春日(和珥)氏ゆかりの石上地方か、雄略・武烈ゆかりの泊瀬地方か。
手白香の真陵であろう西山塚古墳の存在や、欽明の宮の所在地が磯城嶋であることなどからも、
石上―泊瀬を結ぶライン(ほぼ山の辺の道)の何処かであろうと思う。
ところで、継体一行が「ヤマトに入れなかった」ってのは一意見であって、確たる記録があるわけじゃない。

82 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:22:44
>>81
> ところで、継体一行が「ヤマトに入れなかった」ってのは一意見であって、
確たる記録があるわけじゃない。


公式には入れなかったということであって、
実際にはどうだったのかは永遠にわからんだろな。


83 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:28:18
単に即位二十年まで大和国に宮を置かなかっただけだろ
「大和に入ることができなかった」という記述があるのか?

84 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:39:11

普通はヤマトに置くわな!
政治システムはヤマトにあったんだから。また権限を握っていた豪族は殆どヤマトにいてるんだから。ネットのある今でさえ馬鹿もカシコも東京に集まる。



85 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:44:15

ヤマトの豪族達の総意となっていなかったか?
継体に任されたのは、淀川を通じての瀬戸内海行路だったのか?即ち磐井や朝鮮半島対応




86 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:50:10
>>84
> 普通はヤマトに置くわな!


河内や大津にも都はあったんだが。

87 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:51:39
交通の利に適った場所だし、敢えて「ヤマトに入らなかった」のかもしれんよな。
当時どころか、奈良時代に至るまで、難波や近江といった大和の外に宮を築く例は多々あるし。
淀川流域って稚野毛二派皇子にゆかりがありそうな土地だし(田宮・田井の地名)、
皇子の娘・忍坂大中姫の説話に出てくる闘鶏稲置の話も、
太田茶臼山・今城塚近辺に闘鶏野・氷室といった地名があるように、
この辺りが舞台だった可能性があるし。
傍系から王統を継ぐにあたって、まずは父祖の地を本拠にしたってとこだろう。

88 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:58:21
ヤマトは防御には適した地形だが、
水上交通を利用してあちこちに派兵するのは向いていないなあ。

俺が古代の大王なら都は大阪か堺に置く。

89 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 14:00:49
淀川流域の水上交通には和邇氏が強かったという説があるな。



90 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 15:19:42
>>88
五世紀ごろまでなら大阪と奈良の県境近くまで大阪湾(河内湾)が迫っていた
当時の大阪(上町台地)はその湾に突き出た岬で水上交通には向くが陸上交通には不向き

大和の地は大和川に沿ってすぐ西に瀬戸内海に繋がる河内湾を抱え
東には宇陀・伊賀の山地の隙間を越えれば伊勢湾を拠点に東海道ルートに繋がった
両者の水上交通を結ぶ拠点が大和であり、これは中山道が開発されるまで東国・畿内・西国を結ぶメインルートだっただろう

91 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 17:37:39
>>90
天王寺辺り迄海だったんだよね!
だからあそこに太子が四天王寺さんを造った。

92 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 17:40:21
>>86
> 河内や大津にも都はあったんだが。

いつの王朝だっけ?


93 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:02:51
武烈が豪族達おもに大伴金村によって殺されたとしたら、裏で継体が絡んでいた可能性もでてくる。


94 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:43:32
これまでの書込み、大陸との関係論なし。
また昭和脳の小日本歴史論かよアホらしい


95 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 14:28:23
また漢人王朝がどうのとか越王がどうのとかいう話だったら勘弁な。

96 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 15:48:46

同じく!



97 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 17:38:03
>>93
あれだけやんちゃな武烈が、早死にしたのは確かにおかしい!
また、あれだけ元気いっぱいな武烈が子供を残さなかったのもおかしい!
武烈のおんな遊びは、お腹まで裂いたんだろ。
信長並みに子供つくれた筈



98 :日本@名無史さん:2009/06/11(木) 21:47:47
漢人王朝を認めたくない日本人は可哀想。

99 :日本@名無史さん:2009/06/11(木) 23:27:05

そう言うあなたは、何人?



100 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 02:44:43
高句麗論争日本版の下調べにきてるの?
と勘繰りたくなるようなカキコが時々あるね。

前スレのあの人とかも。

もう少しあの国の現実と、そうなりに至った経緯をまじめに調べれば
にごりも少しは晴れるだろうに。


http://aruite5.blog.shinobi.jp/Entry/1350/


101 :倭王貴人:2009/06/13(土) 14:35:59
倭の120カ国を統一した倭王が、
大漢の大将軍という以上に重要なポイントはない。
史学として重要なのは
大漢の大将軍の子孫が継体帝なのか
        その子孫から政権を奪ったのが継体帝なのか
                                これにつきる。
 継体とおくりなした、天智帝の子孫の気持ちは
大漢を継体したつもりの継体帝なのか
大倭を継体したつもりの継体帝なのか
     

102 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:04:17
>>94
また、鼠が出てきた!


103 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:05:50
>>98
うろちょろしてるな!

104 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:09:10
>>101
また、落書きしてるわ!この子


105 :soopllofeiv:2009/06/14(日) 00:03:10
うざい 在日中国人を天皇と崇める
莫迦ナ宮内庁関係者の身内の餌の"おねだり"スレ
超法規に暇つぶしにヤラレルても自業自得のココロ
天皇(馬と共に渡来した在日中国人一族)
コノ国は天皇主体主義でも絶対王政でもありません
何故か?イマの天皇が低能平下だからlol

106 :soopllofeiv:2009/06/14(日) 00:10:04
何故ネズミといってるのかな?僕が死ねば海外の人達はお前達に・・・
フリーメイソンとユニバをシッテ俺をネズミに例えてるのかナlol
僕は残念だけど全て知ってるよお前らの性器の色から子供の人数まで
イマまで散々お前らみたいな奴等とイマの天皇と腐った肉美智子に莫迦にされ
弄ばれた恨みを暇つぶしで晴らすツモリだ
その理由は"お前"だ これからお楽しみにW

107 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 00:35:02
ウヨのくせに日本語が不自由なんだなあ・・・

108 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 01:01:09
ウヨは基本的に朝鮮人だもんw

109 :倭王貴人:2009/06/15(月) 23:50:30
シンプルな話だよ。

 漢の将軍が、倭の120国を統一したわけだよ。
  
 その将軍の人種が、倭人であろうと漢人であろうと
 どちらにしても漢の将軍であったわけだ。 この将軍の子孫は
 本国の帝国が崩壊すると、自ら帝を名乗って天皇となった。
 これが、今の常識。
 違うのかい?


110 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 11:02:24
>>109
>  これが、今の常識。


wwwwwwwwwwwww

111 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 14:55:15
なんだこれw
2ちゃんはこーゆう真正キチガイがいるからやめられないなw
ただ時々しか見たくないがw


112 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 16:20:59
↑こういう香具師に限って常時2chに貼り付いている件

113 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 18:04:39
                _,.、-‐―――- 、__
            ,ィ´:.,.ィ'´ ̄``:.:ー-、\`丶、
           /: ://: '"´ ̄: : :\ヽ:}>、:.\
.         ,r‐fーマ,イ : /:/ ̄ ̄ ̄``丶 :.:\:.:\
        く―‐-、__〉/:/-――――- 、 \:、\: ヽ
     ,.ィ''7ミ_,斗<,イ:.:./: : :./: :,.ィ'"´: : } :\ ヘヽ:ヽ:.ヘ
    /  /:.く. //:.:.:./: \': :/: : : : :./: :,'!: \ハ:ヘ:. :ハ
.   /|   /:.:.ハムイ: : :/:./!: X: : : :._,イ:.:/ / | : |: ヽ!:.:!-‐┴-、
  ムj _,厶://{ ,':.:. :i,ィfテッ、-ヘr''"/:./,イ 」_;ム:.:.リ:.:ト、ー-、 {   ただの豪族に興味はありません!
  「 ̄、-‐<:.:./∨:.:.:.:.|`|ハ::::},ハ -‐''"´/ィ'"´!:/!: :/:.:.:!:|、\ーリ
  レ'´ ,':.ハ:.:.:/:.:.:|:.:. : :|ヽ'=ソ        /刋ミハ/:./: : :,':.| |  K、   この中で、皇女、渡来人、五経博士、
    i/ |: :|:.:.:.:| : : : i         {krjノ '",イ : : /!:.| レ'ト \   製鉄工人、磐井以外の九州人がいたら
    |!  !: :ハ:.:.ハ : : :ハ   /ヽ、 _'_   `"´ / : :./|: :.|.〈:.:.i    ヽ   あたしのところに来なさい。以上!
       /∨::,ヘ: :|、: : : iヘ. {::::::::::ノ     ,イ_,.イ:/| : |ヘ∨     !ヘ
.      / i::./ ∧:| ヘ : ハ \`ニ´-‐ '"´-―‐-、:./|: ,'/\    | ∧
    ,イ   |::i ,'::.ヽ! ∧:.|、_  / ̄`Y´  \ ∧_/i/    ヽ  ム-‐'
  /   |::|.! : :: :: 厶ハ|.::`Y´   / ̄`ヽ ヽ  } /      i\
 〃  ヽ |::||:: :: ::.::レ、__``/  /       ヘ`ヽ.ノ:|       |/~
〈 \    |:‖: :: :: | :: ::`7   {__       ハ_/::.::|_
. {   `'ー-、ハ ハ :: :: ::! :: ::/   /``ヽ\   | }-┤:: \
 ∨ \.  V.∧:: :: ,>'"ヽ_/   |:: ハ   !,イ └‐ー-ヽ
  ∨  ヽ   ハ.∧::/__  /    ∠ `ュ::| 〃
  ∨  >―\ {__ ``く   /     〈/ | `>
.   ∨ { :: ::r==t\` ー''tイ _,.、r'フ }__//ム
    `''ーヘ::く〉ー―v\∠`ヽ、__,.、-‐'"  /:: ::ヽ
       └‐ヽ--‐''7∧ヽ ̄``'ー‐―‐' :: :: :: ::\

114 :倭王貴人:2009/06/16(火) 21:30:28
>>110
>>109では、宋順帝への倭王武表の記述と、
その倭王がそのまま天皇となったという教科書レベルの常識を記載しただけなのだが、

それすら理解できないとは・・・ アホ極まりだな。



115 :倭王貴人:2009/06/16(火) 21:47:48
ああ、常識にないポイントあったな。


宋の将軍を 漢の将軍 とあえて記載したところはつっこんでもよろしい。


116 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:01:58
107 名前:応神五世  日本@名無史さん[sage] 投稿日:350/06/14(日) 00:35:02

やまとにハイルゾー


117 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:55:31

小泊瀬稚鷦鷯天皇は億計天皇の太子なり。母を春日大娘皇后と曰す。
億計天皇の七年に、立ちて皇太子と為りたまふ。長りて刑理を好み
たまふ。法令分明し。日晏つまで坐朝しめして、幽枉必ず達しめす。
獄を断ることに情を得たまふ。又頗に諸悪を造たまふ。一も善を脩め
たまはず。凡そ諸の酷刑、親ら覧はさずといふこと無し。国内の居人、
咸に皆震ひ怖づ。

118 :100:2009/06/25(木) 01:48:49
あ〜あ
バカが無理するとこうなる。

自分だけのスレッド建てたら?

119 :ニューススレより転載:2009/06/26(金) 01:55:41
307 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/06/18(木) 18:27:34
入鹿邸」に高機能石垣 - 甘樫丘東麓遺跡
2009年6月18日 奈良新聞
http://www.nara-np.co.jp/20090618111405.html

飛鳥時代に絶大な権勢をふるった蘇我入鹿(?〜645年)が館を構えたと
考えられている明日香村川原の甘樫丘の東麓遺跡で、7世紀前半の石垣
が屈折部や排水口を持つなどの特徴を持っていたことが分かり、17日、
奈良文化財研究所が発表した。
平成6年以降の発掘調査で、7世紀の焼けた土壁や建物跡などが次々と
見つかり、日本書紀に「谷(はざま)の宮門(みかど)」と記された入鹿邸との
関連が注目されている。
今回の調査区域は、倉庫跡などが見つかった平成18年度調査区の南東
約1150平方メートル。この時に出ていた石垣が谷に沿って南方に19メートル
延び、全長が34メートルあったことが分かった。
幅8メートル、深さ1.2メートルの谷地が確認でき、石垣は、東側の岸の
傾斜に1石ずつ積み上げていた。南端部では50度の勾配があり、高さは
1メートル。屈折部や谷へ下がる階段状の石列、開口部20センチの水口
施設があった。
調査区域の東隅では幅1.5〜3メートル、長さ8〜9メートルの石敷が見つかった。
谷側に底石のない溝を造り、山側は端を直線的にそろえた縁取り状。
尾根に沿って遺構が広がることが予測される。
そのほか7世紀中ごろの土師器や須恵器がほぼ完全な形で出土した。
7世紀後半の層に長さ12メートルの石組み溝があるなど、7世紀代に
複雑な土地利用が行われていたという。
調査を担当した次山淳・都城発掘調査部考古第三研究室長は「特徴のある
石垣だったことで技術的系譜や構造的な意味を考える材料となる」と話している。
石垣の性格としては防御的機能を指摘。日本書紀では「城柵(きかき)」を
作ったり、兵士に守らせるなど蘇我氏の館が高い防御性を持っていたこと
が記されている。正殿は見つかっていない。
(以下略)

120 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 14:31:48
関連スレ

六チンの乱を語る
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1246072639/l50

121 :soopllofeiv:2009/06/27(土) 20:21:40
知りたくもナイ
人間宣言する前の天皇の話はネlol

122 :soopllofeiv:2009/06/27(土) 20:26:09
過去"俺は神だ!"という天皇がシタ事象
ゼロ戦に人を乗せ敵国の兵器にブツケル策(何故 自決行為が"神風"なのか?)
魚雷に人を乗せ敵国の戦艦にブツケル策(人間魚雷 回天)
大和は戦闘機が殆どナイ状態で戦地に赴いた・・・
(戦艦は不動の物で"飛行機が護衛"でツカナケレバ運用価値はナイ)
終局マジカの日本の戦闘機と戦艦が燃料に使用した物
当時国は 広島&長崎の原爆投下を隠してイタ
在日朝鮮人を従軍慰安婦として戦地に派遣・731部隊は瀬戸内海で人体実験(朝鮮人で)

集団自決と食人をシナガラ日本に逃げる旧日本軍南方戦線部隊(奥崎謙三氏談)
1972年マデ日本で無かった那覇


123 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 20:59:38
捕手

124 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:49:44
1

125 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 19:09:27
>>46
>武烈〉なんか、9歳で即位して18歳で亡くなってる・・・・
>周りの大友や物部は何をしてたんだ・・・
おいおい、高校で日本史を学ばなかった若輩者か。平安朝藤氏摂政制以前には、
成年前の即位は一例もないのだよ。拠って、武烈即位は架空なんだよ。

126 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 16:58:50
すご〜い過疎すれ。。。
ひと月近くカキコがない。。。


127 :サガミハラハラ:2009/08/15(土) 22:02:50
武烈ですか? 1歳で即位し8歳ぐらいで崩御しております。事跡の大部分は創作です。

128 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 10:28:17
サガミハラハラはあちこちの板で詐欺師よばわりされている御仁ね。
夏休みの厨房諸君、だまされたらだめよ。

129 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 10:35:50
サガミハラハラ氏の論こそ創作ばかりだな。

130 :サガミハラハラ:2009/08/16(日) 13:45:22
私は創作はしておりません。真理の探求のみです。ただシミレーションするに際し、
部分部分を補うという意味で推測でかくところもありますが。
武烈の年代は辻直樹氏の書を参考にしました。

131 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 14:26:20
相手に丸投げしなくてもいいよ。おのずから武烈が創作ででなぜ
舎人親王らが公文書偽造で処刑されなかったか? またもし創作だと
いうなら、その動機は何なのか? そういうことを書きこんでから
主張しないと、あんた自体で創作したんだということになる。

132 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 20:26:44
>>131
天照大神は実在の人物?
天照大神やスサノヲが実在の人物でないなら
舎人親王は公文書偽造で処刑なわけか。
んなあほな。

133 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 20:34:38
実在だよ。オマエになんか舐められないぞ。
アマテラスは絶世の美女だ。

それに神武より手前は伝説だから、そんなことは関係がない。関係
あるのは、神武以降の伝説ではない史実相当の〜年月日ある神武紀
以降のことだ。伝説は史実か否か不明なんだから、公文書偽造罪
なんかになりっこない。史実個所をねじ曲げたりするから公文書偽造
になってくるわけよ。オマエはオマエの脳の回転が融通きかないな?w

134 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 20:41:56
フトクニの妄想と与太話は聞き飽きた。

135 :サガミハラハラ:2009/08/16(日) 21:09:39
もうじき天石屋戸事件以降は史実であるとみとめられる時代がくると思います。

136 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 21:11:09
>>133
淡路島は天照大神の兄姉で
実在の神様なわけだ。
すごいな、お前の説は。

137 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 22:23:16
>>133
オマエも即断がキツイな。
国生み以前の神は国、島が出来てないんだから、これは完全に近く
神話伝説だ。そこ以前の神は実在ではないぜ。
よ〜く頭は常識を考えて物事を判断しろ。

138 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:18:02
フトクニもサガミも神話を史実と混同してる点では五十歩百歩。

神話はあくまで神話。

139 :サガミハラハラ:2009/08/17(月) 01:39:43
神話には史実を核として表わされたものがかなりあります。
神話の中から、その史実の核を選り出すことができるのです。

140 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:16:15
>>72
今夜のETV特集は、古代渤海国を取り上げるようだね。日本海交流話題で、
継体天皇誕生経緯にも触れるらしい。
しかし、何も総選挙開票即報の夜にぶつけなくてもなあ。融通のきかない
NHKらしいな。
ETV特集 シリーズ日本と朝鮮半島2000年 第5回 日本海の道
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/0830.html

141 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:49:17
龍泉府って名前がかっこいいな。

142 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 00:19:27
継体擁立の影に高句麗あり、ってどう思った?


143 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 00:32:13
NHKの番組のことなら、そうは言っていなかったような。

144 :龜甲兎:2009/09/09(水) 01:32:05
日本海交易を背景に力をつけた越前の勢力が継体を擁立した、
というような話でしたね。個人的には継体の擁立には越前だけでなく、
近江、山城、摂津(河内)などの勢力が関わっていると思っていますが。

145 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 03:30:58
>>143
天皇陛下、だろうが。
日本人はそんな所で今上天皇なんて使わねえぞ。
ひどいのになると今上、なんて略しやがる。
朝鮮帰って勉強し直して来い。

146 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:15:59
今上だけでも尊語だよ。
マナー違反なのは「平〇天皇」やあだ名、お名前、それに勝手に格下げして呼ぶことだな。

147 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 08:45:18
>>144
日本海−瀬戸内海のラインを押さえていたということでしょうか
応神5世の孫というのも、大陸の利権がらみの表現かもしれないですね

148 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 09:39:09
日本海はおさえていたが
瀬戸内海は疑問。

149 :龜甲兎:2009/09/12(土) 01:58:42
敏達朝に高句麗使が日本海を渡ってきてますが、
まさに這う這うの体だったようで。日本海交易が盛ん
だったといっても、どの程度のものだったのか、
ちょっと測りかねるところはあります。

即位前の継体は北摂(当時は河内の一部)の淀川流域にも
拠点を持っていたはずなので、瀬戸内海も利用していたのでは
ないでしょうかね。

150 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 04:42:11
>>149
> 敏達朝に高句麗使が日本海を渡ってきてますが、
> まさに這う這うの体だったようで。


今でも新日本海フェリー(舞鶴・小樽など)は冬場はかなり揺れる。
ただ、夏場はそうでもない。

151 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 14:48:24
まじ

152 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 19:08:56
船舶板の新日本海フェリーすれっど見れ。

153 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 21:14:10
石人石馬像見たいよ〜

154 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 01:56:57
>>153
石人なら東博に1体展示されてるぞ

155 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:53:52
磐井は新羅人
継体天皇は百済人

156 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 05:13:28
寂れたな。この板!

157 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 08:28:31

なぜだれもこない。

158 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 08:49:35
なそ

159 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:09:59
>>155
磐井が新羅人ってことはないだろ。倭国と新羅は戦争ばっかりやってるし。
仲のいいのは大和でしょ。あーでも継体のころは外交する余裕はないか。

160 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:35:00
>>159
新羅はもともとは辰の国で秦の圧政から逃れてきた人々が建てた国でしょう。
彼らがスサノオに連れられて、日本に大量に来たという言い伝えがありますよ。
もちろん、今の朝鮮人がエベンキ族と言われていた頃です。


161 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:44:49
>>160
それなら新羅人ではなくて辰人じゃないですか。

162 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:48:03
>>160
それなら新羅人ではなく辰人ではないですか。

163 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:49:21
>>161,162
送りそこねた。すんまそ。


164 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:09:02
>>137
なるほど。
私的には「・・女王之所、都水行十日陸行一月」ここに句読点をいれたい。

165 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:41:44
>>164
さげ です。 すんまそ。

166 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:03:25
>>162
だか〜ら、新羅人は朝鮮人の先祖だけど、辰人はかつては秦人なの
それが半島は中国の影響でごたごたが続き、住むにはいやな国なので
日本に来たの。海流の影響で大陸や朝鮮から船出すると北九州、出雲、能登半島
あたりに到着するの。

167 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:55:16

韓(カラ)は、当時の日本では外国という意味な。中国では普通の人名や地名。
半島の韓人ってのは、中国の記録では、「秦の時代に逃げてきた漢人」とされている。
今の韓国ってのはなんで韓を名乗ってるのか知らんが、漢人の国ですと言ってるのと同じだ。

当時の朝鮮には「漢人、倭人、フヨ族」の三種類の民族が居たことがわかってる。
在日韓国人は、渡来人とすぐに言うが
「漢人、倭人、フヨ族」のどれかしか無いわけで、どれかはっきりと指摘するべき。
百済からの帰化人は、王族はフヨ族、その他は漢人、倭人を名乗っている。

ようするに、出自を隠す人間など存在しなかったわけ

168 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 19:24:00
所詮朝鮮の知能・・・・歴史時代区分の一時的

もうそろそろ気付いたらどうかな?

169 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 20:49:39
継体は交易・外交・産業振興とかには強いが
軍事は得意でない印象もある。

ところでワニ氏について言いたいことある人いるかい?

170 :龜甲兎:2009/09/18(金) 21:35:11
>>169
前スレで継体の王宮は軍事的要衝に置かれてる、ゆえに戦略眼もちゃんと
備わっていたのだ〜とづらづら書きなぐった覚えがあったり…

和珥氏についてですが、6世紀初頭に築造されたという宇治二子塚古墳の
被葬者がそうなんじゃないかと和田萃さんが書いてましたね。
白石太一郎氏によると、宇治二子塚古墳は、もともと目立って大きな古墳
がなかったところに突如出現した、二重周濠をもつ墳丘長112メートルの
畿内有数の古墳であるそうです。継体の樟葉宮や弟国宮に近いことから、
当然被葬者は継体に近い人物だったと推測されます。和珥氏は継体に二人
もの妃を送り込んだ継体政権の有力者ですから、候補に挙げてもおかしくは
ありませんが、どうなんでしょうね。宇治に和珥氏っていたのかしら。

171 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:45:37
>>170
> 前スレで継体の王宮は軍事的要衝に置かれてる


軍事的要衝というよりは「水運至便」「交通至便」優先みたいな感じが
するのですがどうでしょ。

172 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:48:00
宇治の和珥氏ねえ。本家でなく分家だったのかも。

で和珥氏は川を利用しての交易や兵移動に長じていたような感じもします。
根拠はないんですが(苦笑)。

173 :龜甲兎:2009/09/18(金) 23:15:37
>>171
とりあえず即位した継体に対し武力的に抵抗する勢力が大和方面に
あったと想定した上で、「水運至便」「交通至便」なところを押さえる
絶好の位置に各王宮が置かれたんじゃないかと推測したんですよ。

樟葉宮比定地(枚方市楠葉)付近には木津川が流れ、石清水八幡宮
の鎮座する男山が関門のごとくそびえていますし、筒城宮比定地
(京田辺市普賢寺)は木津川を眼下に収め、傍らの飯岡丘陵と連結
することで交通の遮断が可能であり、弟国宮比定地(長岡京市)は
樟葉宮の対岸に位置しますが、淀川、天王山、男山に囲まれ、守るには
最適の地でありますし。今のところただの推測に過ぎませんが。

>>172
和田萃氏は多少根拠らしいことを言ってたはずなんですが、
うろおぼえなもので。今度確認して書きます。

174 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 06:57:34
継体とアンチ継体は熱戦ではなくニラミアイの冷戦状態が長く続いたのではないだろうか。

上杉と武田もそんな感じ。


鉄砲ない時代だと、片方が要害の地にこもってしまうとなかなか勝負つかない。

175 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 08:47:49
どんな王朝も100代で終わるという説があるそうな。
今の天皇は125代だけど、それが破られたということにはなっているが、
最近浮上している新説では、今こそ危ないという。
100代の天皇のときは、盛んにその話が出たが、過ぎたら忘れられた。
しかし、実在しない架空の天皇たちを除くと、実質的に100代に当たるのは今だという。
つまり26代天皇が実質的な初代天皇だという意味だ。

天皇の韓国訪問で、反日教育を受けた韓国憤青が、天皇暗殺を企てたら?
そして民主党政権が、次の天皇を選ばなかったら?
もしかすると、鳩山の税理士が死んだのも巨大な流れの一環ではないだろうか。

176 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/19(土) 09:03:29
天皇は125代だ。妄想とデタラメに注意しようぜ。
ただ別に少しは天皇号を贈られたお方がいるが、それは亦別だが・・・。

177 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:17:56
大友皇子は実際には即位していたと思う。

178 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/19(土) 09:24:22
大友皇子はおおっぴらにはやらんだろう?w
このお方は伊賀者だよ。

179 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:02:11


>在日韓国人の同胞たちよ、
>民主党が政権を握る今こそチャンスだ。
>
>日本の天皇制を廃止させる方向に持っていこうではないか。
>日本の皇室は世界唯一にして最古・最後の王朝で
>彼らの世界的権威には目を瞠るものがある。
>
>生き続ける伝統として世界遺産級の価値があるだけに留まらず、
>絶大な権威を持つ皇室外交を有するのは我々には好ましくない。
>
>天皇制度を廃止させられれば、日本をただのアジアの小国に成り下がらせる事ができる。
>
>幸いにも、倭奴たちには皇室の存在意義というのは浸透していない。
>皇室は単なる飾りのシンボルであると認識している民衆が大半で


180 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:03:00


>在日韓国人の同胞たちよ、
>民主党が政権を握る今こそチャンスだ。
>
>日本の天皇制を廃止させる方向に持っていこうではないか。
>日本の皇室は世界唯一にして最古・最後の王朝で
>彼らの世界的権威には目を瞠るものがある。
>
>生き続ける伝統として世界遺産級の価値があるだけに留まらず、
>絶大な権威を持つ皇室外交を有するのは我々には好ましくない。
>
>天皇制度を廃止させられれば、日本をただのアジアの小国に成り下がらせる事ができる。
>
>幸いにも、倭奴たちには皇室の存在意義というのは浸透していない。
>皇室は単なる飾りのシンボルであると認識している民衆が大半で


181 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:13:26
太田茶臼山古墳はやはり応神1世、
つまり応神の息子の墓と解釈した方がいいのでしょうか?

182 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:44:51
断言できるだけのデーターはない。

あくまでも可能性にとどまる。


ところで応神の子なら「応神2世」かと。

183 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:01:01
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=190930
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=190951
●継体天皇の謎について

百済との繋がりを示す例としては、馬飼部との関係があげられます。継体天皇の即位を促した、馬の養育を生業とする
馬飼部の長であった河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのあらこ)の祖先が、日本書紀「応神天皇」の
「百済の王が良馬2頭と馬飼いとして阿直岐(あちき)と言う人とを贈った。」という記述の人物に繋がるとすれば、百済から
渡来した馬飼いの一族と親密な関係を保っていた継体天皇自身も、百済系の可能性が高いと推定されそうです。

また、継体天皇の支配下にあった福井の嶺北の古墳からは朝鮮系の冠や耳飾りが出土しており、石川県、福井県、岐阜県などからの
わずかな出土例しか知られていない特殊な土器で、大陸系であるといわれる角杯形(かくはいがた)土器が福井から
出土することからも、考古学上からも、朝鮮や大陸とのつながりが強い地域であることが伺えます。

184 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:48:41
でも継体が騎兵の使い方に長じていた形跡がないんだよね。


185 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:19:15
>>184
近江琵琶湖から淀川を通じて瀬戸内海、そして筑紫まで!継体の得意は水軍だと思うよ。
樟葉と高槻・山城を拠点とすれば


186 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 10:10:50
継体は川を利用しての交易には長じていたようだな。



187 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:06:38
>>182

日本史の用語では応神2世といえば応神の孫でしょ。
皇子・親王が「1世」で、皇子女で源賜姓された者を「一世源氏」というし。

188 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:41:10
崇峻天皇を暗殺した渡来人である東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)の父は東漢直磐井(いわい)

ん、磐井? 九州の磐井? 東漢氏=渡来人? =磐井?やはり・・w


189 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 12:14:14
蘇我韓子 辰韓人or馬韓人or弁韓人

蘇我高麗 高句麗人

蘇我蝦夷 アイヌ

190 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 18:01:43
蘇我満智 満智←百済人の名前

191 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:08:44
朝鮮や中国風の名前が当時はかっこいいと思われていたのかもしれないが。


今でも「花子」より「麻里奈」のほうがかっこいい。

192 :龜甲兎:2009/09/25(金) 01:29:45
>>181
応神から考えるよりも、継体のほうから考えるべきではないでしょうか。
そもそもは継体陵とされていたものですから(というか現在も指定では
そうなっていますが)。

高槻市埋蔵文化センターの森田克行さんは、その規格が市野山古墳(允恭陵)
と類似していることから、姉妹を允恭の后妃とした意富富等王(継体の曽祖父)
ではないかと推定していますね。

断定するだけの決め手に欠くことはそのとおりなのですが、いづれにせよ、
継体の父祖にあたる人物が被葬者であることはまず疑いないとは思われます。
彼が王族であったのか否かは議論の分かれるところですが、彼がヤマトの
王権の幹部級の構成員となったことが、後の継体の即位に結びついたのは
間違いないでしょう。

193 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 05:14:08
>>189
みな、後から付けられた仇名だよ!



194 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 07:51:13
>>192

> 彼が王族であったのか否かは議論の分かれるところですが


王族ではないにしても婚姻を通じての親戚関係にはあったと思う。

195 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 10:39:19
チラ裏

継体の死後安閑と宣化で後継者争いが起こり
宣化派に就いていたのが欽明(と稲目)

その後仏教の力を借りて宣化を打倒した際に
「我母は手白香であるから我こそが正統である」と主張



このチラ裏を仮説まで昇華させるには何が足りないでしょうか?

196 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 11:32:04
>>195

> 継体の死後安閑と宣化で後継者争いが起こり


ここがまず疑問。

197 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 11:41:02
継体は頼朝みたいにヤマトの豪族たちに取り込まれるのを警戒して、
あえて「ヤマト」入りしまかったのかもしれない。
徐々に外堀を固めて最終的にヤマトに入る。
継体擁立派は傀儡にしたかったが、地方の財力を背景に皇位に登った
継体はやはりただものではなかった。
またそうでなければただに傀儡に終わっていただろう。

198 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:34:51
>>197
> 継体は頼朝みたいにヤマトの豪族たちに取り込まれるのを警戒して、
> あえて「ヤマト」入りしまかったのかもしれない。


というか交易や河川交通の要衝を抑えていたから
内陸部のヤマトには入らないほうが良かったのかも。

川があるとはいえ内陸部では水軍の威力が半減するし。

199 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 18:08:44
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=190930
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=190951
●継体天皇の謎について

百済との繋がりを示す例としては、馬飼部との関係があげられます。継体天皇の即位を促した、馬の養育を生業とする
馬飼部の長であった河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのあらこ)の祖先が、日本書紀「応神天皇」の
「百済の王が良馬2頭と馬飼いとして阿直岐(あちき)と言う人とを贈った。」という記述の人物に繋がるとすれば、百済から
渡来した馬飼いの一族と親密な関係を保っていた継体天皇自身も、百済系の可能性が高いと推定されそうです。

また、継体天皇の支配下にあった福井の嶺北の古墳からは朝鮮系の冠や耳飾りが出土しており、石川県、福井県、岐阜県などからの
わずかな出土例しか知られていない特殊な土器で、大陸系であるといわれる角杯形(かくはいがた)土器が福井から
出土することからも、考古学上からも、朝鮮や大陸とのつながりが強い地域であることが伺えます。


200 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 19:07:06
ええと……、百済系で……伽耶系の冠に……新羅系の角杯形土器と……大陸がどうしたって?

201 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 19:45:12
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

202 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:58:39
蘇我氏の本当の名前って分からないの?
蝦夷とか馬子とか、子供の頃から変だと思ってたんだよ。
ここまでヒドイってことは、本当は蘇我氏が即位してたんと違うんか?

203 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 18:55:36
二世皇帝 胡亥 匈奴人

蘇我韓子 辰韓人or馬韓人or弁韓人

蘇我高麗 高句麗人

蘇我蝦夷 アイヌ

新羅三郎=源 義光 新羅人

204 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:19:04
4,5世紀の遺跡にある名前は、獲加多支鹵大王 なんだから、

おまえらの議論は全部妄想。 雄略も武列も継体も天武の時代に先祖を作っただけってことだ。
記紀に獲加多支鹵大王 があったらいいが、ないんだから。
日本列島の初代王は、獲加多支鹵大王 なのに、なんで教科書で教えないだろう

205 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:50:29
水野祐の説ってどうなの?

206 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 19:01:12
なんか、古代史好きは頭が変なのが多い。

207 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 19:07:27
上宮記

208 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:34:44
>>204

漢字はもともと日本語じゃないんだから。
5世紀当時は漢字を1字1音でいわば仮名的に日本語の名前に当てていた。
日本書紀の特徴はほとんどすべての天皇・皇族の名前が訓読みの漢字に変換されて記されていることだね。

209 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 09:33:15
>>206
> なんか、古代史好きは頭が変なのが多い。


データーが少ないのに結論を出そうとすると電波になる。


210 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 03:00:52
最初の方が、面白かった。

211 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 06:48:01
〜万世一系之に有り〜
@神武朝(神話)
A崇神朝(奈良朝)
B応神仁徳朝(九州朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)天智・天武→現在
各王朝内は男系で繋がり、各王朝間は女系にて繋がる。125代!

212 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 07:15:55
ケータイ天皇

213 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 01:12:14
【岡田外相 「民主党が"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる」】


植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40

1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」

2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。  陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」

3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね? 
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」

4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」

5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)

214 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 03:13:43
>>213
岡田は天誅だな!
蘇我氏・平家・岡田屋


215 :日本@名無史さん:2009/11/07(土) 03:49:14
5世紀に日本列島を武力制圧した 獲加多支鹵大王 と
5世紀に日本列島を武力制圧した 倭王 武 と
                      大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)

の漢字の違いは、どのように生じたのか?定説を教えてください

216 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 02:22:09
>>215
獲加多支鹵大王の文字が国内の東西で見つかってる事を考えると、
漢字が「表音」文字として存在していた事が伺える。
ただ、同時代の倭からの国書(南宋への表)で 何故 武になったのかは謎だろう。
国内で獲加多支鹵 と文字を使ってたなら、
倭王 多支鹵 と表されてよかったと思う。 


217 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 10:22:52
同時期の百済王と比較してみよう

1)蓋鹵王、慶司(三国史記)
2)余慶(宋書)
3)加須利君(雄略紀)

「蓋鹵」は百済語で表音表記しているとみれば
「慶司」はその漢語訳名と言えそう
百済王の姓は本来「扶餘」であるが中国流に一字姓で略字の「余」
名の方も一字の「慶」として宋に「余慶」と名乗ったわけだ
わざわざ中国に合わせたのは百済の格が低いから
一方の雄略のブレインは南朝人の血を引く身狭村主青だったので
中国流に名前を漢訳したのも同じ動機だろう

218 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:05:57
石人石馬見に来たけど圧巻!
天皇に弓を引いた男磐井かっこい〜い

219 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:00:32
>>215
>5世紀に日本列島を武力制圧した 獲加多支鹵大王 と
>5世紀に日本列島を武力制圧した 倭王 武 と
                      大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)
>の漢字の違いは、どのように生じたのか?定説を教えてください

別人だからだろ

220 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:04:49
磐井の作戦は軍事的に無理があったと思う。

221 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:22:09
賊軍
後の尊氏であるwwww

222 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:27:07
>>219
畿内の獲加多支鹵大王と九州の倭王 武の違いだな。



223 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:44:42
>>222
いやいや
畿内の大泊瀬幼武大王と関東の獲加多支鹵大王と九州の倭王 武の違いだな

224 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:39:13
>>223
いやいや

九州の獲加多支鹵大王=関東の獲加多支鹵大王

畿内の大泊瀬幼武=倭王 武

225 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 09:10:41
>>1
歴代過去スレも貼って欲しいな。
継体天皇は
http://mentai.2ch.net/history/kako/980/980907202.html
継体天皇って先代達と血つながってんの?
http://mentai.2ch.net/history/kako/997/997471414.html
●継体天皇の生立ちについて考察すれ!(第二部)●
http://mentai.2ch.net/history/kako/1005/10059/1005968505.html
【即位1500年記念】 継体天皇の謎 【応神五世孫】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1182189737/
【珍説開陳】継体天皇に関する真実【定説打破】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220494008/

226 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 09:13:07
>>1
同時代スレ
「天皇家の真の皇祖は蘇我馬子」論
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1174084868/
【飛鳥から】大和朝廷の豪族たち【平安初期】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1149638384/

227 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:17:15
>>46
>〈残虐無頼の武烈〉なんか、9歳で即位して18歳で亡くなってる!10代のガキが・・・
おいおい、歴史に蒙昧な厨房くんかね。この時代平安初期までは親政なので、
未成年で即位した天皇はいないのだよ。よって、幼年で即位という時点で
非実在が確定。記紀の妊婦の腹を割いたとかの残虐話は、王統交代正当化の
布石。古代中国王朝の轍を踏襲したもの。よって、王統が交代したということ。

228 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:38:27
<7>磐井の夢「筑紫独立」 04.07.08

http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/daiou/002/da_002_04070801.htm

229 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:25:30
>>46
>本当に実在したか否かわからないけど、年代合わせと継体もってくる理由づけか。

書いてある。


230 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:07:57
磐井は古代の最重要人物ではないの。
磐井の敗戦により、彼の臣下は大分県の海人部から琉球まで南下して定住した。
しっかりと琉球は倭人のものであるという足跡を残したのです。
これはシナ侵略国家にたいして沖縄が我が領土であると
歴史的に明言出来るという事です。



231 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:43:34
>>230
南じゃなく半島に渡れ大和言葉も喋れん大和民族さんよ。

232 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:16:14
>>230
「磐井」は、もっと研究されるべきでしょね!
古代の最重要人物だと思いますよ。
「継体」を建てた最大の理由に絡んでると思わざる終えない。
・「継体」を応神の子孫としたのは、「磐井」が応神の子孫として、ヤマト朝廷が実質途絶えた状況下に出て来たからで無いかなと考えます。


233 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 02:04:02
どちらの陣営も、この獲加多支鹵大王問題を定説を持ち出して終了したがる傾向にあるんだが、
最も重要な鍵だよな
倭王武が東西120カ国を制圧したという5世紀に、
九州と関東から、獲加多支鹵大王 という日本初の漢字古跡が登場していて一致しているんだから。
で、>>217 何? 百済王の読み名にも 蓋鹵王 鹵 という字があったの? 出典を是非教えてください
これは当時、倭と百済が相当近い状況にあったということだな。

234 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:40:14
磐井の部下で沖縄まで逃げた人がいるのかい?

235 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:59:02
>>230
海人部から琉球まで南下して定住というのは、どの史書史跡に載っているのですか?
>シナ侵略国家にたいして沖縄が我が領土で・・・・
現代史観で領土云々とはね。当時は他国侵略は、別段悪行でも不道徳でもなかったろ。

236 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:54:59
>>235
nhkのラジオの教養番組で「おもろ草紙」の研究をしている人が
そのような発言をしてましたな。
うろ覚えですが、琉球と大和の言葉が別れたのも、その後からとか・・
再放送してくれるといいのですが。
「おもろ草紙」は、研究者が少なくてまだすべて解読されたわけではないようです。

237 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:22:06
>>233
獲加多支鹵 は5世紀の剣
蓋鹵王 は12世紀記述の三国史記
そう考えると、12世紀には剣は出土してないので蓋鹵王の「鹵」はリアル。
はじめて三国史記に、記録としての信憑性を感じたわー
この「鹵」という字は、同時代やその前の時代にどのエリアで使われていた
漢字なのだろう?倭や百済の一部ルーツにつながるのではないか?


238 :237:2009/11/22(日) 22:39:56
ゴメン間違った。
蓋鹵王 は日本書記の雄略が初記載じゃん。
なんだよ、一瞬、三国史記を一級史書と認定するとこだったわ。
つまり、「鹵」とは、倭の5世紀の表音字なのだね。だから
獲加多支鹵 にも使われ、
日本書紀の5世紀記録にも、百済王の表音にも 使われた。と・・・
で、12世紀の三国史記もこの蓋鹵王 の倭の表音を使ってると・・・
つまり、三国史記は日本書紀のやっぱパクリってことか。



239 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:36:34
>>236
言葉が別れたってw首里があの辺の言葉を支配してるわけじゃ無いぞ。
朝廷が力を失い武家に移るだろ。大和言葉も変質する。

240 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 05:06:37
継体の父ちゃん 近江息長氏
継体の母ちゃん 近江三尾氏

近江から始めましょうや、とはこういうことか

241 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 05:45:48
三国ってなにか凄い伝承とか伝統芸能とかあるの?

高千穂夜神楽みたいな。

242 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 18:48:55
継体天皇が大陸から来たなんていう世迷い言を言ってる奴は、
天皇が日本語以外の言語をしゃべっていたことを証明するんだな。
半島内に倭人がいたことは認めるが、人口比的に半島の勢力が
日本を征服するなんてあり得ないし…

243 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 18:48:58
高千穂夜神楽は近世のモノだろ

244 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 18:58:11
>>242
違うよ、日本の東西120カ国を征服したという漢の大将軍(倭の五王)の子孫を、
南宋崩壊と南朝弱体化の機会に、
日本民族出身の継体帝が滅ぼしてくれたんだよ。
だから、後に継体と贈り名されたんだろ

245 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 19:12:10
>>242
>人口比的に半島の勢力が日本を征服するなんてあり得ないし…


騎兵と鉄製武器を活用すれば不可能ではない。
でも俺も騎馬民族=天皇になった説は採らないが。


246 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 19:49:59
>>245
当時に多数の馬を運べる船があったのか?
そもそも日本は平地が少ないし、騎兵戦法が有効とは思えない。


247 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:03:43
【日本国家の成立】
【日本民族の統一】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマト:マキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智・天武】律令体制
【聖武】平城京
【桓武】平安京
*【幕府体制】
【明治】維新近代化
【現在】125代今上
(各王朝内は「男系」で繋がり各王朝間は「女系」にて維持。王朝内に女帝は置かれたが女系は認められなかった)

248 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 16:43:40
シンプルだろ

大和朝廷が、八色の姓で皇族と認めたのは、継体帝の子孫のみ。
それ以前の大王勢力は、南宋の大将軍の一族だったわけで、
南宋が没落した後は勢力を失った事を示している。
獲加多支鹵は、南宋勢力の将軍。 記紀にも倭の五王が登場しないんだから
それを大和朝廷が恥じていたのも明白。
継体帝は、南宋勢力将軍家をのっとった土着の皇族ということだ

249 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:35:11
>>245
平地の少ない我が国で、馬を繁殖させるのは大変だそうですよ。
馬は草であれば何でも食べるわけではなくて、馬の食い物の確保が困難。
よって日本では歩兵戦法が主。

250 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 02:41:54
>>248
八色の姓は御三卿見たいなもんだろ

家康三世孫の吉宗
応神五世孫の継体

家康三世孫や応神五世孫は腐るほどいるから継承者を整理しないと後々揉める事になる

251 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 02:29:10
吉宗の時代に家康の子孫だけが御三家って決めたと?
意味がようわからん

252 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 02:50:12
>>251
田安清水一橋のことだろ

253 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 10:16:13
磐井がいきなり継体天皇に攻められたのは
もしかしたら筑紫の君の方が大和朝廷の正当な後継者だから
だったかも、と想像してみた。

254 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 12:14:35
【日本国家成立史】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマトマキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智天武】律令体制
【文武聖武】平城京
【桓武】平安京
〜【幕府体制】〜
【明治大正昭和】近代化
■■■■■■■■■
【*】連合体としての畿内ヤマトマキムク王権
【*】筑紫朝による畿内王権の制圧
【*】筑紫朝断絶にり播磨朝で連合調整
【*】継体と磐井が「応神の子孫」を名乗って権力戦争勃発
【*】継体の勝利、しかし畿内豪族のクーデターにより「欽明朝」の成立!


255 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 13:26:05
将軍家   天皇家
徳川家継 武烈天皇
尾張家   丹波 倭彦王
紀伊家   越   男大迹王 継体
水戸家   筑紫 磐井

御三卿   八色の姓

256 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:54:01
丹波の倭彦王に関する伝説伝承は地元に残っていないの?

257 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:57:35
桑田郡=亀岡市か。

なぜそんなところに皇位継承資格者がいたのだろう。

258 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 01:05:48
千歳車塚古墳なんかどうだ?
6世紀前期の築造で、その当時としては準大王級の墳長85m。
二重の周濠をめぐらし、河内の現仁賢陵や現安閑陵のような、
いびつないわゆる片直角型の様相を呈している。

259 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 01:11:12
継体の時代を、百済から見てみよう。
百済本記に、日本の王と王子が皆死ぬ というような記録がある。
百済にとっては、日本の王=南朝の後ろ盾を持っていた倭王 のはずである。
自らも南朝の後ろ盾を持って権威としてきたのだから、 531年ころの日本の王を記述するならば
間違いなく 五の倭王の子孫を指すはずだ。つまり、
「倭王の子孫の王と王子が531年に皆死んだ」ということである。

さて、南宋亡き後斎も梁も北朝に押されている。国際的な力はない。
事実、斎や梁書には、倭が朝貢したという記録がない。
それだけ権威が弱体化しているのだから、 五の倭王が武力で抑えた北55カ国(半島)は離れ、
東西征服した120カ国もまた、当然 反倭王に回る勢力が増えているはずだ。
この時期と、 日本の王と王子が皆死んだ という記事と 合致しているのだ。
そして、後の天武帝はこの時代の少し前に継体帝という存在を登場させた。
そして、 磐井を反乱として征したとしている。 
「天武帝は倭の五王を祖先として認めていない。」
つまりこれは、磐井こそ五の倭王の子孫 とすれば、全てがつじつまが会うのである。
五の倭王の子孫である磐井の王と王子は、反対勢力(天武の祖先である継体)に滅ぼされた
という事だろう。


260 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 02:28:19
>>259
継体と2人の息子の事だろ!
「欽明朝」成立の謎が隠されている。


261 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 03:00:22
>>31
> そして、百済に「日本の天皇及び太子・皇子が共に亡くなる」と緊急連絡が入る!『百済本記』
> 継体・安閑・宣化
> やったね欽明!


262 :日本@名無史さん:2009/12/08(火) 13:18:31

欽明と同時に突如出てくるのが、蘇我氏!オマケに三蔵もにぎってくる。
当時の蘇我と言えば、稲目になる。




263 :日本@名無史さん:2009/12/08(火) 14:13:46
蘇我は財務の能力に強かったんだろうなあ。

264 :日本@名無史さん:2009/12/09(水) 04:19:35
「磐井の乱」についての考察研究が少な過ぎるよ!
あれは「壬申の乱」以上の内乱だった筈なのに。


265 :日本@名無史さん:2009/12/09(水) 13:59:00
そうかなあ。たった3月で鎮定された乱だぜ。
磐井の息子ですら罪に問われていない。
あれは、地方の小乱だよ。

266 :日本@名無史さん:2009/12/09(水) 14:17:02
考察研究しようにも史料が少なすぎるってのもあるでしょ。

267 :日本@名無史さん:2009/12/09(水) 18:35:10
>>265
古代の内乱で3ケ月は大内乱だろ!
壬申の乱は1ケ月だよ(天武の吉野脱出が6/24、大友の自害が7/23)
磐井の乱によって継体から欽明、その後の基盤ができたとも言える。



268 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 01:53:59
磐井の乱は、九州がその後、天皇の支配下になっているから「乱」と記録されただけ。
朝鮮半島南部の乱は、その後、天皇の支配下になってないから「乱」と記録されてないだけ。

478年には倭王は、半島と列島の広大な領域を軍事下においていたことを考えれば、
530年というたった50年先に、半島を完全に失い、九州で3ヶ月の乱が起きている状況を
小さな出来事と考えている事がアホすぎる。


269 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 03:41:51
実質的に雄略でヤマト朝廷は断絶したんだろうな。やむを得ず顕宗や仁賢、武烈を建てた事にしてるけどね。継体と磐井の戦いはその最後の決戦みたいに思える!



270 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 04:18:58
いや素直に考えれば、断絶したのは南宋の将軍倭王。南宋滅亡後、半島も日本列島も独立した。
記紀に一切、五の倭王の記述がない+ 五の倭王の100年の間に東西の120国を征服した
という事実から、つまり4世紀時点の120カ国が倭に存在しているわけでその有力者が、
亡き倭王の後をついだから記紀は先祖に五の倭王を記載していない。と考える方が素直な見方である


271 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 11:33:05
>>267
> 古代の内乱で3ケ月は大内乱だろ!


当時の道路状況だと軍勢の移動にかなり時間はかかったと思う。


272 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 11:47:35
つまり、移動が難しいので先に要所を押さえた方が優勢になるのが古代の戦


273 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 11:51:28
磐井はホームで戦ったから要害の地はあらかじめ占領していたはずで
物部とか大伴も苦労したと思う。

274 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 17:08:46
磐井の乱は西南戦争レベルやね

275 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 18:47:57
磐井の乱のあと
南宋の大将軍百済王から見て、倭王と皇子がこのころ皆死んだんだよね
当然、五の倭王の子孫が皆死んだって記述だね。
そんで、大和王朝の時代となったんだよね。
八色の姓ではこの継体王の子孫だけが偉いということになってるしね
磐井の乱ってつまりそれまで九州王朝だった南宋時代の五の倭王の子孫を土着勢力が鎮圧した戦いだよね。

 アタマ硬い人は、なんでこんな簡単な話を捻じ曲げるんだろうね。


276 :日本@名無史さん:2009/12/11(金) 07:32:09

磐井の息子は命ごいをして、生き延びてるけど!



277 :日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:38:40
>>275 はちょっと違うな
南宋が滅んで後ろ盾が無くなった倭王が弱体化するところまでは本当だろうが、
その後の継体帝は、土着の豪族から来たのではなく、
479年に滅んだ南宋の貴族の誰かが倭に来たんだよ。
この継体帝スレッドシリーズのファーストは、「継体帝は南宋の順帝(478年没)だった」だからな。
理由は継体帝は越から来た事になっているが、この時代の越とは南朝の事。
越は、高志が当て字だったとか言われているが何の根拠もない。 
この時代の倭にとって首都の地名が越 それを音の当て字で伝承したというのはナンセンス。
継体帝が日本のキングとなったこの時から、日本は急速に漢化した。
継体とは、 日本の古来の王を継いだという意味ではなく、漢の帝を継いだという意味だ
南宋が滅んだあと、斎にも梁にも陳にも何故倭王は挨拶に行かなかったのか?
なんでその後の北魏から統一魏になった史上初の南北統一の隋帝への挨拶が、東の天子より!なのか?
その謎がこの解釈で全て通る。


278 :日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:45:10
慈円乙ww

279 :日本@名無史さん:2009/12/12(土) 23:38:59
>>275
あなた、倭王貴人さん?
根拠のない強引さがそっくりなんですけどw

280 :日本@名無史さん:2009/12/13(日) 01:17:52
>>279
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC

普通に九州王朝説だろ 
磐井が倭王側で、継体が反乱側と言うあたり

281 :日本@名無史さん:2009/12/14(月) 01:58:00
九州王朝説は、白村江の戦いあたりまで続いてるとすると論破されてしまう。
磐井の乱で敗れた側が倭王というところで止めればいい。
倭王武が120カ国も侵略したと申告してるのに、南朝の後ろ盾が消えた後の100年で
政変も転覆もない。ってありえないだろ。



282 :日本@名無史さん:2009/12/22(火) 12:39:08
百済王も倭王も、 鹵 が使われてるんだから、同じ人たちだ。
やっぱり南朝(越)の貴人が継体帝として新倭王となったのだろうな

283 :日本@名無史さん:2009/12/22(火) 17:08:00
百済は日本の属国だろ!


284 :日本@名無史さん:2009/12/24(木) 02:06:44
あのー、
継体の出身地、三国三国と言いますが。
巨大古墳が多いのは内陸の山のほうの松岡、
沿岸古墳があるのは海岸をもう少し南下したあたり、
出雲式古墳があるのはその内陸の丹生、
で、
地元で継体伝承があるのはさらに内陸の今立(のちの国府の郊外)です。
三国は過去から現在まで大河の河口港でしかなく、沿岸貿易くらいにしか使えません。
なのでか、
ツヌガアラシトや勃海使節も、敦賀から上陸していますし。
あと三尾氏は近江より越前では?
地名もあるし、今でも結構いますよ三尾さん。

285 :日本@名無史さん:2009/12/24(木) 02:10:35

欽明は、本当に継体の子供なのかは謎だよな!



286 :日本@名無史さん:2009/12/24(木) 02:11:51
フラ

287 :日本@名無史さん:2009/12/24(木) 12:25:31
やっぱり勇略系は滅亡したな(ーー;)女系は型体系にのこったけど

288 :日本@名無史さん:2010/01/03(日) 22:54:33
もう基地外しか残ってないな…。

289 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 13:29:33
age

290 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 13:30:29
age

291 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 18:50:20
朝鮮からきた旧天皇家を、福井の日本人が征伐して、以後、日系天皇になったという事だろ。

天皇体制は継いだから「継体」天皇。

292 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 13:01:51
他スレから持ってきた。
磐井は九州を守ろうと努力したんじゃね?

九州はこの当時、集権集中の大和朝廷からの収奪が厳しく、
その不満を集めて、独立王国を作ろうとしていた筑紫磐井であり、
大和朝廷も磐井敗死後、筑紫一族の降伏服属を許しているからこそ、
墳墓が荒らされずに残っていた、と見ることが出来る。

継体天皇の時期であり、米作の歴史はこの古墳よりはるかに昔。



293 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 17:51:33
>>291
>旧天皇家を、福井の日本人が征伐・・・・
福井の日本人?
継体は幼児期に現代の福井県北部に一時棲んではいたが、本拠は継体陵墓と目される
今城塚古墳のある摂津北部と推定されているし、そもそも6世紀に日本人と呼べる
ような集団は存在していなかったぞ。
また6世紀には、大和王権はあったが、天皇体制なぞなかったのだが。

294 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 21:57:16
畿内に入ってきたのは、爺さんになってからだろ。

295 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:36:03
大和王朝と天皇ってのはべつもんなんだ

そういえば、卑弥呼ってのも天皇とは全然別ってことなの?


296 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 03:29:51
>>295
大和王朝が、狭義の大和国磯城の崇神王朝を指すなら、天皇とは全くの別物ですね。
実態は磯城の村落王権だったろうから、天皇はおろか大王でさえなかったでしょう。
卑弥呼については、卑弥呼スレで質問されたし。
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!45
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1264135264/

297 :日本@名無史さん:2010/02/11(木) 01:58:38
【建国記念日2月11日】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマトマキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智天武】律令体制
【文武聖武】平城京
【桓武】平安京
〜【幕府体制】〜
【明治大正昭和】近代化
■■■■■■■■■
【*】連合体としての畿内ヤマトマキムク王権
【*】筑紫朝による畿内王権の制圧
【*】筑紫朝断絶にり播磨朝で連合調整
【*】継体と磐井が「応神の子孫」を名乗って権力戦争勃発
【*】継体の勝利、しかし畿内豪族のクーデターにより「欽明朝」の成立!



298 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 17:44:15
磐井との真実が知りたい

299 :日本@名無史さん:2010/03/24(水) 23:35:45
岩井と誰の真実?

300 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 09:49:08
そういや継体の母は垂仁系だっけ

301 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 10:07:44
平成天皇もどこの馬の骨かわからんということか

302 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 07:24:44
>>240
来月、近江息長川周辺に播居した古代豪族息長氏の紹介講座が、あるようですね。
”琵琶湖に近い米原市の北西部は、幻の古代豪族息長氏のふるさとと言われています。
6世紀の前方後円墳があり、その一つ山津照神社古墳からは、優れた遺物が出土して
おり、昨今では継体天皇との関係が注目されています・・・・・”
幻の古代豪族息長氏のふるさとを訪ねる 滋賀民俗学会理事 兼康保明 
2010年7月10日(土)10:00〜12:00 朝日カルチャーセンター \3,150/現地\15,000
http://www.acc-n.com/data-PDF/2010_2sum/10sum-kodai-okinaga.pdf

303 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 23:03:09
>>302
金まで取るのかorz
金額が高杉。行けるわけねぇ。

304 :日本@名無史さん:2010/06/11(金) 23:14:58
継体て繋ぎ目て事だからね。
しかし、欽明て本当に継体の息子かどうか謎だよな!


305 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 01:05:57
まーたいつものおまえか

306 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 06:35:07
脇本遺跡、飛鳥期の大型建物跡 東国にらむ要衝の地 
ttp://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060301000515.html
 推古天皇によって宮が飛鳥京(同県明日香村)の周辺に移された時期の遺構だが、同研究所は「規模からみて
天皇家にとって重要な建物だったはず。東国などへ抜ける交通の要衝でもあり、雄略天皇以来、代々重要な地
であり続けたのだろう」としている。

 大型建物跡で見つかったのは柱穴6個で、深さ0・5〜1メートル。柱は直径48〜58センチと推定される。
飛鳥京跡で見つかった天武天皇の「正殿」とされる大型建物跡の柱は直径約60センチで、匹敵する大きさ。
年代は穴から出土した須恵器で特定した。

6〜7世紀の巨大柱穴発見 飛鳥京正殿に匹敵 脇本遺跡
ttp://www.asahi.com/national/update/0604/OSK201006040051.html
 周辺は、6世紀末に飛鳥京に都が置かれる以前に歴代天皇の宮殿が多く造られた地域で、5世紀に
雄略天皇の「泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)」があったとの説がある。
 また、東国と大和を結ぶ交通の要衝でもあり、和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(日本古代史)は
「一帯を監視する望楼だったかもしれない。巨大な柱は王権の権威を示すためでは」と話す。

307 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 06:36:44
奈良・脇本遺跡:6世紀後半の大型建物跡見つかる
ttp://mainichi.jp/select/today/news/20100604k0000m040063000c.html
 奈良県桜井市の脇本遺跡で、6世紀後半の大型建物跡の一部が見つかり、県立橿原考古学研究所が
3日発表した。柱が太いことなどから、橿考研は欽明天皇(6世紀)の宮に関連する高層建物の可能性も
あるとみている。同遺跡は、古墳時代に複数の天皇の宮があったとされ、過去の発掘調査でも5〜7世紀の
大型建物跡数棟が見つかっている。専門家は「伊勢街道を監視する物見やぐらかもしれない」と話している。

 脇本遺跡がある桜井市東部の「磯城(しき)・磐余(いわれ)」と呼ばれる地域には、欽明天皇を含む
天皇の宮があったとされる。建て替え時期は、推古天皇が宮を「磯城・磐余」から飛鳥(奈良県明日香村)に
移した時期で、橿考研は「この建物は、宮が飛鳥に移った後も、継続利用するために建て替えた」とみている。

欽明天皇の宮殿?大型建物跡、桜井の遺跡で
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100603-OYT1T00917.htm
 「磯城」は桜井市の三輪山西南麓付近の古代の地名。畿内から東海方面に通じる交通の要衝にあり、
欽明天皇の「磯城島金刺宮」や「泊瀬柴籬宮」など、天皇の宮殿の伝承が数多く残る。
過去の発掘調査では、雄略天皇(在位456〜479年)の「泊瀬朝倉宮」ともされる5世紀後半の
大型建物跡などが出土している。

308 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 06:42:50
「馬飼部」 は最初の諜報機関
ttp://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/sankei040221.html
ttp://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/img/sankei040221.gif
ttp://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/umakai.html

河内馬飼首荒籠
ttp://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/kwch/arako.htm

継体天皇はどこから来たか
ttp://inoues.net/mystery/wherefmkeitai.html
ttp://inoues.net/mystery/news003.jpg

309 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 07:16:35

天皇制=笑っていいとも!!

実際は(芸能人同士という広い意味での)「顔見知り」程度なのに、「友達」を装って自分のPRして、延々と(偽りの)友達の輪を繋げてく。

古墳時代の天皇(大王)制もそれと同じで、それぞれ各地の有力豪族で別系統だけど、(合議制の)大和朝廷内では顔見知り。
たとえば、応神大王は九州の大豪族紀氏だし、継体大王は近江の大豪族息長氏で、血は繋がっていない。そこで系図を弄くるわけ。

@古い大王家の男系が切れると、(合議で決まった)新しい大王(家)に、古い大王家の娘を嫁がせた上で、大王に即位させる。
 →古い大王家は后の実家として地位は安泰となり、新しい大王(家)は古い大王家と血筋が繋がることで正統化のメリット。

A歴史書には、新・旧大王家があたかも男系で繋がっていたかのように系図を買収して操作、女系でも補強して、万世一系を捏造。
 (例:応神=仲哀の忘れ形見、継体=応神の5世孫、天武=天智の実弟)(例:神功=開化の5世孫、振姫=垂仁の7世孫)

先王朝(ニギハヤヒ→神武〜開化)×古王朝(祟神〜仲哀)×中王朝(応神〜武烈)×新王朝(継体〜弘文)×現王朝(天武〜平成)
 「古い大王家も新しい大王家も、みな大王だ。全国に広げよう、大王の輪。あっ、輪!!!」 ∴天皇(大王)制=笑っていいとも!

B天武朝になって、大王を(それぞれの頭に一と白=百を足して)天皇と改称。
 持統が律令制の導入と共に、土地と民の国有化のシンボルとしての天皇制を確立。
 自分たちと藤原氏で血筋を独占→現在へ。

310 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 08:25:06
半月城通信 No. 9
ttp://www.han.org/a/half-moon/hm009.html
韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1008077694/
http://mimizun.com/log/2ch/history/1008077694

311 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 08:44:57
3.倭の五王
九州王朝とは…?
ttp://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/whatskyuusyuu3.htm
ttp://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/zu3.jpg
したがって、倭の五王の居城は九州にあったと見なすのが、最も自然である。

312 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 08:47:31
倭の五王と継体天皇
ttp://murashita.que.jp/koda3.htm
な〜んでこんな名前になっちゃうのかよくわかんないんだけど、諸説あるよね。武は雄略ってことでかなり
通ってるけど武=欽明天皇って説もあるしね。

「宋書」百済伝から想像して讃・珍と済・興・武との間に王統の交代があったんじゃないか?って言われてるんだ。
直接の血縁関係も無かったんじゃないか?と。

ここには継体天皇の強烈な意志を感じるんだよ。大王を選出する一方の集団である継体によって両統の系図上
の合体が行われたって考えられるんだよ。簡単に言えば自分(継体)の出た方じゃない系統の上に仁徳という人格
を創作して、さらに自分の系統では五世代前にあたるとした(おそらくは3世代前だろうけど)
応神天皇の子供を創作してその創作した人格を同一のものとした。って感じになるのかな。
これをもって両統の系図上の一本化が図られたってワケ。これは継体による王統一本化政策の現れと見えるんだ。

313 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 10:46:45
福徳天皇/悪い・強い・賢い・投資経済の天皇と関係者は呼ぶ福徳直明は、漢人【福徳王】の子孫である。

314 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 11:36:42
日本の天皇をラテン語に直すと
ttp://la.wikipedia.org/wiki/Imperatores_Iaponiae
ttp://muraji-zare.blog.so-net.ne.jp/2010-04-10


315 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 13:46:34
>>312
それ、帝紀論

316 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 07:48:06
和の五王は、大和の大王家ではなく、筑紫(九州)朝の大王家という解釈でオケ?

317 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 13:01:47
倭の五王はかなりこじつけないと
記紀の皇統に当てはまらない。

当てはめたら当てはめたで、卑弥呼と同じように
かなりの矛盾が出る。

皇統とは関係ない筑紫の王という位置づけのほうが正しい

318 :サガミハラハラ:2010/06/14(月) 13:09:05
古事記干支を2倍年暦として当てはめると、倭の五王は記紀の皇統、仁徳・反正・允恭・安康・雄略にぴたりとあてはまります。
ただし仁徳に22年の虚構年(水増し)がありますが。
この虚構年は神功を卑弥呼の年代にあわせようとしたためのようです。

319 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 13:41:15
マシはあんたの編年が合ってないから、そんな余りの年代が滲み出るわけ
さ。どこか間違いがあるからさ。

320 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 13:57:10
×倭国=日本列島、倭人=日本人
○倭国=九州、倭人=九州人

ということか?

321 :日本@名無史さん:2010/07/24(土) 15:20:36
息長氏は蘇我氏みたいに自分の勢力を強引に増強する印象がない。



322 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 12:17:18
書記によると継体よりも先に、同じく応仁5世の孫を迎えに行ったじゃない。
結局山に逃げて行ってしまい、次善の策として継体を擁立したけど。
ということは継体の王族としての血筋は、そんなに濃くなかったのでしょうね。
真っ先にオファーが来るわけでないから。

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