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【大名】江戸三百諸侯について語ろう6【藩主】

1 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 20:19:14 ?PLT(16000)

前スレ
【大名】江戸三百諸侯について語ろう5【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1235393450/

過去スレ
【大名】江戸三百諸侯について語ろう4【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1231975300/
【大名】江戸三百諸侯について語ろう3【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1228405230/
【大名】江戸三百諸侯について語ろう2【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220359847/
【大名】江戸三百諸侯について語ろう【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1210810352/

関連スレ
江戸時代の武家の極位極官
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1203212697/
江戸時代の旗本、御家人について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1219934233/

2 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 20:51:04
>>1乙!


3 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:53:37
  





























プッ

4 :ハゲねずみ:2009/04/29(水) 23:07:10
>>1
徳川三河守、大儀!

5 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 01:14:01
前のレスで狩衣の方が有職故実的に上と書いてあったが、それは違う。
将軍は紫の直垂だし大納言(将軍世嗣及び紀尾両家で極官)は緋の直垂だ。



6 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 01:29:59
将軍の直垂の袴は切り放し

7 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 10:20:01
前スレの最後の話題になった黒田藩について。
黒田藩の支藩は秋月と東蓮寺(直方)藩。
52万石から43万石になったとあるので多分含まれないかなと。

8 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 19:46:21
城主格の世子は、城持の世子同様に家督前に従五位下に叙されてた?

9 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 21:52:25
城主の世子は従五位下に叙されてたの?
それじゃ親と同格じゃん

10 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 23:07:10
>>9
大名の世子も,叙任されていたのではなかったか?
それに,家の極位が従五位下なら親と同格はしかないだろう。



11 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 00:16:56
部屋住みでも叙任補任はあるだろ

12 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 00:22:53
陣屋大名は部屋住のうちは無位無官じゃねーの?

13 :12:2009/05/01(金) 00:24:01
大広間席とかの陣屋はもちろん別だが
柳間や菊間の話な。

14 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 01:41:45
従五位って勲六等だろ。そこらの中小企業のオヤジと同じレベルだな。

15 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 02:00:26
「支藩」
と一口に言っても、
1 本藩とは独立自営の藩。
2 本藩の付属みたいな存在だけど幕府からも大名認定。
3 あくまで本藩の付属で、幕府から大名認定はされていない。
などの違いがある。
盛岡藩における八戸藩は1な感じで、遠野支藩は3のケース。
各地の新田藩は2に分類されるかな。
付家老や加賀の本多、池田の伊木、伊達の藩内支藩などの領地は3か。

16 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 17:57:34
>>14
それを言えば、今の役人OBはもっと高位の勲章もらってるけどね


17 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 19:54:47
大名には何で武蔵守っていないの?

18 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 19:59:08
江戸は武蔵にあるから
同じような理由で三河守も名乗れない。(家康が三河守だったから)


19 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 21:00:12
山城守も名乗れない。

20 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 21:10:37
直江山城守
松井山城守


21 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 21:38:08
>>19
田沼山城守意知は?

22 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:06:19
犬山は付家老なのに城持ちだな

23 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:27:25
安藤も水野もですが?

24 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:28:53
成瀬は竹腰ごときとは出自が違うのだよw

25 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:04:45
例えば
酒井 明とか松平 正とか
名前が漢字一文字の大名っていなかったんでしょうか?

26 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:08:16
>>25
いるよ平戸藩松浦家。有名な静山とか。

27 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:09:51
>>25 平戸藩松浦家にたくさんいる。
甲子夜話で有名な松浦静山が、先祖は一文字名だったからそれにあやかったのが始まりらしい。

28 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:13:42
>>26
>>27

ありがとうございます
早速wikiで平戸藩の事調べました。


29 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:14:08
松平猷

30 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 00:05:19
源融
渡辺綱


31 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 00:30:22
「賊軍」の汚名を着せられた全国の戦士達が大挙して西南戦争に参戦し
「官軍」として、「賊軍」たる薩摩を征伐し、バタバタと薩賊をぶった斬った。

明治新政府の政治的影響が及ばず、西郷を中心とする鹿児島王国状態だった
薩摩の賊軍どもが征伐されたのは歴史的必然だったのでしょう。

32 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 00:54:07
歴史的必然ってwwwwwww

33 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 07:27:42
薩摩同士の争いにバカな元賊軍連中が利用されただけなのにな。


34 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 08:54:36
山賊が分け前でもめていさかいを起こすごとく、殺し合いを始めたDQN集団。

35 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 09:05:06
譜代の大きめ大名の御一門って外様みたいに
一万石数千石の大身家臣としていたのでしょうか?それとも
大概は養子か旗本なのでしょうか?

36 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 09:31:23
大身家臣の養子とかね。

37 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 12:53:17
>>35
譜代の大身でも,彦根の井伊を除けば10万石代だから,家臣に1万石も知行を与えられるだろうか?

それに聞くなら,
【みんな大好き】家老・一門スレッド【うきうき】スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1083691712/
で聞いた方が早いかも。


38 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 14:59:40
>>35
新田藩

39 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 15:36:18
尾張守も名乗れない

「わい謀叛人で裏切り者だんね
幕府に弓引く男やがな」と言ってるようなものだから

40 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 16:32:39
松田尾張守入道

41 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 17:19:59
大身家臣の養子になった兄福原越後は切腹させられ
本藩の養子になった弟毛利元徳は公爵・国葬の栄誉

42 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 18:27:05
>>39 すみません、具体的に誰のせいで、尾張守を名乗れなくなったのですか?

43 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 19:22:02
陶隆房(主君に反逆して殺した)
と松田憲秀(主君を裏切って主家に売った)

44 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 19:23:14
×主家に売った
○敵(秀吉)に売った

45 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 19:24:35
三河守は津山の松平氏のもの

46 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 19:57:10
鷹司松平家って大廊下上で御三家に囲まれて肩身が狭かっただろうなあ

47 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 20:05:42
4位の旗本吉良の伺候席は何処?

48 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 20:05:57
駿河大納言忠長の末裔だから平気

49 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 20:42:47
GWの高速は乗るもんじゃないなw事故多すぎ。

吉井は優遇されてはいるが侍従止まりだったっけ


50 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 23:04:24
武蔵守、越後守、三河守は禁止だな

越前守も禁止かと思ったが
上杉や大岡が名乗ってる

51 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 23:18:15
>>47
雁の間
俗に言う三高や奥高家

織田信成くんの家とかは入れない

52 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 23:41:37
陸奥守とか薩摩守のほうがハードル高そうな気がする

53 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 00:02:42
どうして官途名より受領名の方が人気あったのかな?

自分の領国名を名乗れる国持や松浦肥前守とかは分かるけど、大多数の他の
大名・旗本の諸大夫はどっちでも良さそうなものだけど・・・
形ばかり・名前ばかりでも一国の守の方が良かったのかなー

国主クラスは逆に、先祖の由緒やらで官途名や自国以外の受領名を名乗る家も多いみたいね


54 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 00:32:49
>>52
薩摩守と言えば平忠度しか考えられないが、江戸時代は松平忠吉、また
代々の島津が薩摩守世襲だね。

55 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 06:05:08
親王任国(上総・上野・常陸)も介しか無い。

56 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 06:18:55
薩摩守…無銭乗車
肥後守…ナイフ

57 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 09:00:53
>>56
上は分かる(平忠度)けど、肥後守はなんでナイフなの?

58 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 09:35:51
>>50

越後守、三河守とも松平秀康嫡系である津山松平が名乗っていますよ。


59 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 09:55:47
>>57

なぜ、ナイフが肥後守ですが、
想像になりますが、昔の刀には作者名を彫り付けていました。肥後守には肥後守と彫っていたようですのでもともとは作者名だったのではないでしょうか。
作者名がナイフそれ自体の名前になったという考えです。


60 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 09:58:14
>>46

鷹司松平は紀州家との縁組や養子などによって紀州家の連枝化しているから大丈夫。


61 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 10:49:05
>>57
昭和の時代,まだ鉛筆が全盛だったころ,和式小刀のブランド(?)で肥後の守というのがあったんですよ。
ジャックナイフのような形で,オール金属製のナイフでした。

「肥後の守」,「ナイフ」でググルと色々引っかかりますよ。



62 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 10:52:08
単に斬れそうなイメージと言うことで肥後の守にしたらしいね
作ってたの三木市だし

63 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 10:52:49
肥後守といえば会津中将じゃないの?

64 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 12:51:27
肥後というと細川のイメージがあるが、熊本藩細川家の歴代藩主で
肥後守に任じられたのは二代光尚のみ。

65 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 12:54:58
細川は越中ってイメージが定着してるしな

66 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 13:04:28
越中守はふんどしや
水戸黄門の手下の薬売り
みたいでカッコ悪い

67 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 14:10:18
肥後守といったら、せいしょこさん。

68 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 17:09:14
ジャックナイフのような小刀のブランドがあったんですね。


69 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 19:34:24
「細川越中」って響きがカッコいい気がするけどね

70 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:07:38
信濃守は播磨安志藩の小笠原家が代々名乗った。

71 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:09:07
鍋島侯も好んで使ってるね

72 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:30:01
守の名乗りは,先祖由来等の由緒がある場合がそれに従うのだろうけど。

それ以外はやっぱり上国や大国が人気だったのでしょうか?
それとも,源義家とか,新田義貞とか武家ヒーロー(?)が任じられた官職が人気だったのでしょうか?



73 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:52:34
酒造とか主水、隼人なんてのはあまりかっこよくないな

74 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:57:06
隼人・采女・弾正・図書・右京左京あたりはかっこいいと思うけどな


75 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:59:19
南部家も信濃守つかってる

76 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:01:03
土左衛門の格好良さは異常

77 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:05:26
有名な大名の受領名

松平薩摩守(島津)
松平加賀守(前田)
松平越前守(福井)
松平肥後守(会津)
松平陸奥守(伊達)
松平安芸守(浅野)
松平土佐守(山内)
松平阿波守(蜂須賀)
細川越中守


78 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:11:20
松平長門守
上杉弾正大弼
佐竹右京大夫
藤堂和泉守
榊原式部大夫
井伊鴨頭
酒井左衛門尉

池田、黒田、鍋島は
特に決まりはないようだ

79 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:13:35
岡山藩池田家は、代々備前守を名乗ってそうなイメージがあるけど、意外に名乗ってた
のは歴代藩主の中でたった一人。

80 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:15:43
○掃部頭
×鴨頭

81 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:17:16
備前守は宇喜多や小早川を連想させ
嫌だったのかも

82 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:21:18
伊勢伊勢守や隠岐隠岐守がおったんだから
島志摩守や
加茂掃部頭とか旗本にいたら楽しい

83 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:53:44

酒井左衛門尉は四品なのに敢えて尉を名乗ってるところがかっこいいな
上杉が用いてる弾正も武将が好んで使ってるね

毛利や島津の大膳大夫や修理大夫はちょっと微妙かもw


84 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 22:00:05
>>83
酒井の左衛門尉は,四品でも左衛門大夫にならないのなら,少尉なのですか?




85 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 22:25:11
>>84
推測だけど公家とは違うので、従四位下左衛門大夫も、従四位下左衛門(大)尉も、
どちらでも名乗れたのではないでしょうか。

86 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 22:27:35
左衛門大夫って正式な官名じゃないから名乗らなくても問題ない。

87 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 23:00:54
>>86
そう言うのって,有職故実違反となって,恥ずかしいことにならないのかなあ。
上野守を武家が名乗るのと同じで・・・

それとも,武家官位は公家官位のルールから離れられるのでしょうか。

88 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 23:30:46
そういえば、かつて上総守を僭称した超有名武将がいたな。

89 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 23:35:14
なんで周辺国じゃなくて上総守だったんだろうね。適当につけたのかなw


90 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 23:45:59
>>87
それとは全然意味が違うと思うけど。
五位の大尉を大夫と呼ぶのは単なる通称であって官名は左衛門大尉で変化はない。
一方で上野守は親王任国であって、正式には臣籍にあるものは守になれない。

実際には親王任国の介を守と呼ぶことや、太宰大弐を帥と呼ぶこともあって安定しないけど。
これは武家に限ったことじゃなくて、公家官位の時代からごちゃにされてた。

91 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 00:01:51
江戸期の織田家は
信長ゆかりの上総介も弾正忠も使ってないね

92 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 01:01:21
信長の祭祀を継承してたのは何藩の織田家?

93 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 05:46:06
信雄系は丹波柏原藩とその分家の高家旗本大和福地織田家、出羽天童藩の3家だな。
墓ならともかく位牌ならいくつあってもいいから、すべて中興の祖信長の祭祀くらいはしてた
だろう。

94 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 07:17:52
本家は天童織田だろうが
地元でまったく尊敬されてないのが痛い

95 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 07:46:25
信良流、高長流ともに官位は従四位下侍従、国主格と同格。
高長は織田信雄の所領を相続しているなど高長流を本家と考えることもできますよ。
高長流は3万石、信良流は2万石ですしね。
信良の早死にがこのようになってしまった理由ですけど・・・・。


96 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 07:52:13
江戸期の織田家の家老は,どんなメンバーだろう?
柴田,丹羽,明智,羽柴,滝川なんていないだろうし。
織豊期には,全く名前の知られていなかった家が,家老家になっているのだろうか?


97 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 09:21:57
>>94
柏原藩が移封される前の大和宇陀松山藩の陣屋跡に行ったら、信長サミットなるものを
定期的に開いているらしく、安土町や柏原町などとともに天童市の名もあったようだけど。

98 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 09:29:58
宇陀松山藩から柏原藩に転封となる原因となった御家騒動当事者の老臣は
生駒氏、中山氏、田中氏だな。

99 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 09:58:57
なんなんだ、この酷い自演スレ???

100 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 13:13:52
↑電波か何かで自演と確信してるのか? 一番酷いのはお前の精神病理だろう。

101 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 13:37:29
やっぱり図星だったか
そう必死になるなw 落ち着けよw

102 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 13:46:39
烏山藩の大久保常春。
老中就任から数ヶ月で没しなければ、官位も従四位くらいになれたものを…

103 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 14:04:02
酷い自演スレ(笑)

104 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 14:06:24
>>101
大外れだよ電波君。つーか、そんなに必死になるなよ。

晒し上げるけど、ヒス起こすなよ?

105 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 14:16:35
>>104
複数スレに自演云々と書いて反応待ってる厨を相手にすんなよ。
相手してやると居つくよ。

106 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 14:25:49
>>97
今の天童なんか
温泉とか旅館に「愛」の看板ばっか
将棋駒に「愛」と書いてるのもある

天童織田藩に将棋駒つくり教えたのは
直江山城じゃなくて
上杉治広じゃん

て誰かツッコめや

107 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 15:10:40
北海道民芸品の木彫りの熊を創始したのは尾張家の侯爵様

これまめちしきな

108 :ナイツ塙:2009/05/04(月) 15:19:22
>>97
ヤホーで調べたら
今は柳本藩(天理市)、柏原藩(丹波市)、
芝村藩(桜井市)、高畠藩(高畠町)は
何故か入っていないようだ

サミットを脱退したのか
今年は小牧市でやるみたいだね

109 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 15:27:17
織豊時代には名前に[家]が付く大名は結構いたみたいですが
徳川時代に見当たらない?のはやはり徳川家に遠慮したのでしょうか?


110 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 15:34:11
島津家久
最上家親
蜂須賀家政
新発田勝家

111 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 15:39:49
>>109
遠慮なんか要りまへん
石田重家(三成の息子)

112 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 15:43:28
山城で有名な大和高取藩・植村家は代々「家」を用いてる


113 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 15:50:05
福知山藩朽木家の通字は綱だが、代々遠慮せずに使っているな。
綱條とかいるし

114 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 16:14:58
>>108
ヤホーってなに?

115 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 16:31:46
浅草の舞台でやる
ナイツはなわのボケ(Yahooの言い間違い)

「三百諸侯は大変です
三交代勤務とかあって」
「参勤交代だろ」

のように塙の話しは
すべて間違うというネタ

116 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 17:31:42
>>108
柳本と芝村は信長の子孫じゃなくて弟の有楽斎の系統だからね。

柏原はもしかすると、丹波市成立で旧柏原町がイニシアチブを握ることを嫌った
周辺自治体が、合併の条件にしたのかもしれない。市役所は本来利便性がよくて
市域の中心に当たる柏原町域に置かれるのが自然なのに、あえて町域の中心
ながら鉄道路線から大きく外れる氷上町の旧町人町の成松辺りに置かれている
からね。
丹波市は丹波国氷上郡と一致するけど、この郡は江戸時代には柏原藩のほかに、
鶴牧藩・湯長谷藩・丹波亀山藩・山上藩の飛び地があったり、京都町奉行などの
役知が定着することによって成立した旗本領などがごちゃごちゃに配置されていて、
柏原藩だの織田家だのに全く関わりのない村が大勢を占めるから。

ちなみに柏原藩織田家は江戸初期に信長のもう1人の弟の信包の系統の家があった。
分家の旗本の谷川織田家はこの丹波市域に所領を持ったまま引き継がれて明治に
至っている。

117 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 18:10:30
>>116
ありがとう
前の織田、後の織田
と柏原で俗にいうやつだね

118 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 18:18:42
高畠は上杉領にまた戻ったし
織田統治時代は嫌な思いしかないから
織田サミット不参加なのかもしれない

(「上杉と違いまったくみるべき治績が無かった」
と町史に書いてあり
Webにも似たようなコメントがあった)

119 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 18:23:33

尾張の殿様が8代将軍になってたら
石田光成の子孫が征夷大将軍!

120 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 18:44:08

伊達家は綱吉から一字もらうと吉宗
吉宗から一時もらうと宗宗
になってしまうので困った

121 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 19:28:52
伊達家の「村」の字はどういう由来?

122 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 20:02:06
2代(実質的な初代) 伊達宗村から

123 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 20:17:53
伊達家では宗から村に通字をしたかと思ったら、また宗に戻したり、江戸後期には宗も村も使わなくなったりしてるけど何で?

124 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 21:09:40
>>119
そうなの?

125 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:22:31
石田三成→(岡室)→岡吉右衛門
→(徳川室)→(尾張徳川室)
→徳川綱誠→徳川宗春

126 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:31:46
上杉は大名行列に参加すると金をくれるので
近隣では大人気だった
(見栄を張って人数が多く見せるため
尾張侯の人数に負けないのが目標)

127 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:37:44
北海道には尾張藩士が多く帰農した
そこで尾張侯が木彫りの熊を作った
はじめは今よりずっと小さかったらしい

128 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:40:49
伊達藩に仕える下級武士も沢山北海道に渡っている
そのため伊達家ゆかりの地名も残っている

129 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:50:13
>>123
吉村姓は大坂の朝鮮人が多く名乗っていたから
吉…キル、村…ソム
吉も村も通字にしなくなった

130 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:52:13
中学生にしては調べてるよな○
でも少しクドすぎ×

131 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 23:00:59
伊達市、当別市、登別市、白石町の地名は伊達屯田兵が開拓したから

132 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 23:29:13
亘理は諸侯じゃないんで

133 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 23:55:55
>>125
岡の系統は家斉の代で女系共々断絶しているんじゃないか?

134 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 00:02:16
なら将軍の座はもう無理か

135 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 01:28:10
三成→岡重政室→家光側室→千代姫→綱誠→宗春→勝子→近衛経煕→基前→忠煕→忠房→安子(徳川家達室)→徳川家正(宗家17代)


136 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 07:30:41
そんなの探しても意味がない。何も三成譜系に限った話ではない。
子供の連続はもうやめて欲しいものだが…。

137 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 09:02:01
>>135 尾張吉通が将軍になっていたらショートカットできたのに、大分遠回りしたなぁ

138 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 09:10:27
>>127
わたしゃアイヌの民芸品とばっかし思ってました

139 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 11:53:53
アイヌってどんな犬?

140 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 11:55:45
岡重政のところがロンダリングのキモだな

141 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 12:48:07
>>135 岡重政って蒲生家の重臣だよね?
その娘が春日局の養女になったのは何か理由があるのだろうか?

142 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 13:52:44
>>138
尾張藩士は領民から嫌われていたので
(一揆件数が浅野、南部と並び五指に入る)
新天地に賭けた

143 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 14:01:52
尾張藩がらみの話を長々としとると
>>130
がまた怒り出すでよ

144 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 15:03:06
三成と言えば津軽だろw

145 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 15:07:38
津軽と言えば夜鷹大名津軽信順。
あんな酒池肉林な生活してみたい

146 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:52:42
酒池肉林と言えば池田綱政

147 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 09:51:33
300家もあったら明治以降に大会社を興したとか高名な学者とかひとりくらいでそうなものだが‥
出発点も違うんだし
(細川は近衛のほうなので除く)

148 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 10:01:44
>>147

生物分野なら多いぞ


149 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 14:18:42
彦根市長とか秋田市長とか旧藩主家が首長をつとめたところってある?

150 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 14:21:59
愛媛県知事だか松山市長だかを久松松平がやってたような
あと細川

151 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 14:32:39
分家だけど、福島県の松平勇雄。

152 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 14:46:03
佐賀県知事を務めた鍋島直紹。

153 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 15:33:09
靖國宮司を務めた南部家

154 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 16:11:27
理研グループ創始者大河内

155 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 16:12:49
>>153
今の南部男系は後陽成の子孫の摂家だしょ

156 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 16:21:52
養子が入っていようが南部は南部なわけだが。

157 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 17:03:59
対馬に宗家当主、福江に五島家当主は今住んでるの?

158 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 17:04:35
必死だな、このスレ

159 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 17:42:30
宗の投手はソウルに住んでるんじゃなかった?

160 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:24:01
南部陽一郎さんは南部家と関係あるんだっけ?

161 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 22:03:26
>>158
必死なぐらいでちょうど良いんだよw
過疎るよりはマシだ

162 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 22:09:38
やっぱ必死だったんだな(笑)
しかも過疎を恐れてか?
どうりでくだらねーレスが延々と続くと思ったよw
自演じゃないのか、ほとんど・・・と思えるくらいにね

163 :161:2009/05/06(水) 22:32:21
>>161
知らねーよそんなことw
俺が書いたレスでは112が直近だな

別に自演が多くても全然構わないんだがw
自分の知らない知識もあったりするし

164 :161:2009/05/06(水) 22:33:10
安価間違えたw
>>162に訂正な。

165 :161:2009/05/06(水) 22:39:18
それよか、15時の書き込みに22時台にレスつけて、そのわずか6分後にすぐさま反応が
あった方がはるかに驚きなんだが・・・


166 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 22:41:48
15時じゃなくて17時だな、訂正。
多少酔ってるとはいえ、間違いすぎな自分ワラタw



167 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:19:29
おい、人を茶化すスレチ君よ
人のこといいから真面目に書いてみ
評論をタップリしてやるからよ!


168 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 01:30:23
よそで存分にやってくれ。

169 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 01:39:52
>>165
つまり自演なんだよね

170 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 22:43:37
江戸では藩主は外泊できなかったんだよね?
吉原にも泊まれなかったの?

171 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 23:32:15
じゃなかった?
だっけ?
なかったの?

・・・おねだりスレだなw

172 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 00:28:50
>>165
おまえだって>164の6分後にレスしてねーか、おまえ真性のぱか?
てか、自演探して何の意味があんの?
おまえは初心者で必死なんだろうが、つまんねし
荒らすな

173 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 00:32:07
自信がないのに知識はひけらかしたい輩の悲しい表現方法なんだろう。
しかしキモいな。

174 :165:2009/05/08(金) 00:54:59
>>172
無礼なこと書く前によく読めよ。
>>164の意味は、17時台の>>158の書き込みに対し、俺が22時台に>>161をレスしたら、
わずかその6分後に>>158と同一とおぼしき人物から>>162のレスがついたことが、
ずっとスレに張り付いているようでその反応の速さに驚きだ、って意味だと流れから
普通に判断できるだろうが常考。これのどこか自演探しや荒らしなんだよw
荒らしの相手をした点だけは間違いだったと思うが、冤罪もはなはだしい。


175 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 02:00:01
キノコちゃん、常駐スレに帰ってください。

176 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 23:22:25
徳川宗春の子供は女系でつながっていることは分かったけど継友の娘は子孫残してる?

177 :林家たい平(落語「紀州」):2009/05/09(土) 00:07:36
八代将軍継いでくれるかな?

継ぐ友達!

178 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 00:30:09
尾張宗男の放蕩は
今のハコモノ税金バラまき
景気対策と一緒や

179 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 09:30:43
継友の養女(吉通の娘)ならば、九条幸教に嫁ぎ、九条稙基、二条宗基の母に。
九条稙基は子供がいなかったが、二条宗基を通じていろいろなところに母系の血を伝えています。


180 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 13:47:23
「過疎るよりはマシだ」なんて言った奴が大騒ぎしたおかげで
見事に過疎ったなw

181 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 18:45:02
そろそろマイナーなくせに大量発生な譜代、
戸田について語り合う時がきたかもな。

182 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 18:52:09
地方巡業ドタまわり

183 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:32:02
じゃーこれで終了


END

184 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 21:59:48
>>181
大垣の10万石はじめ松本や宇都宮も石高からすると確かに影薄いね。
のちの伯爵夫人が鹿鳴館で有名か・・・

185 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:32:08
>>181 永井、青山、牧野、内藤あたりも

186 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:16:20
牧野は小泉さんの米百俵の逸話で有名になったw
河井継之助とかいるし幕末はメジャーな方だけど
延岡の内藤とかはほとんど何も思い浮かばないかも・・・



187 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:34:31
牧野家は老中を輩出する家柄

188 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:00:39
上総、下総、安房、常陸あたりは譜代の小藩のオンパレードだろ

189 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:30:08
戸田ってなんで大名なれたの?十万石も。

190 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:34:52
>>184
戊辰戦争では結構存在感あるだろ

191 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 01:22:31
>>188
その辺りはホント外様ないね。常陸の細川と新庄ぐらいかな。
細川は肥後の分家ではなく新規取立てだから、外様色薄いか・・・
安房の里見とかも、不幸な結末になってるし・・・

192 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 01:23:35
というか江戸時代の大名の戸田氏は幼少時の家康を織田氏に渡した戸田氏なの?
そういうことしてると家康に恨まれてそうだけど大丈夫だったんだろうか?

193 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 01:34:57
>>192
大久保彦左エ門が三河物語で怨み節を吐きまくってるぞ
あの裏切り者の家が栄えているのに三河譜代の名門大久保家を
なぜに大樹は軽んじなさる…ってw

194 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 02:03:29
だから家康が糞漏らしたとか、真田に殺されそうになったとか書いているのかw


195 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 05:23:27
三河武士は主君にも公然と意見するからなー
厄介すぎる・・・だがそれがいい?

196 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 06:42:31
確かに徳川幕府は三河以来の忠臣を冷遇した感がある
毎回一番槍の又一なんか3千石だもんな

197 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 06:57:36
所詮槍働きだけの葉武者ぞろいだからな。
そんな奴らを大身に取り立てても戦の役に立たんし、
平時においては組織のガンになりかねん。

198 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 07:53:36
>>185

内藤は平、延岡の2箇所で100年以上統治。これは唯一の例じゃなかったかな
また、内藤風虎、露沾、露江親子は俳諧をはじめとする風流大名として有名。
またまた、平から延岡への転封は単独では最大だったと・・・・。


199 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 08:00:44
>>198 延岡藩内藤家って歴代藩主が全て養子相続だったような

200 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 08:51:34
>>199

そのようですね。
親から子へ相続されたのは、正徳2年(1712年)に内藤義孝(露江)が病死したのち、子の内藤義稠が相続したのが最後ですね。
延岡に移ったのは延享4年(1747年)ですから・・・・。

内藤政義は井伊直弼の弟で、このときに直弼も候補になっていたというのも・・・。


201 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 10:50:48
大名家にとって転封は一大事だよなぁ
磐城平から延岡は遠すぎる

生涯で5度も転封の憂き目にあった松平直矩主従は大変だったろうなw
4、5回目ぐらいになるともはや諦めの境地か・・・

202 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 11:06:22
>>201
内藤と入れ違いで日向延岡から常陸笠間の転封した牧野も大変だったみたいだよ

203 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 11:34:45
自演再開
必死さも再開
あほやがなw

204 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 12:30:48
譜代大名は政権を持たせて領地(武力)を与えない


外様大名は領地は与えても政権に関わらせない


家康の考えた勢力均衡の
方針は平和な時代は機能
したけど幕末の動乱では
仇になったな。


譜代大名は長州に返り討ち徳川旗本はヘタレばっかし


205 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 12:36:25
長州征伐では浜田藩領、小倉藩領の一部を奪われたが、その時点でよく無政府状態にならなかったな。
長州藩ていつから参勤交代ボイコットしてたの?

206 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 12:50:16
>>205
実質、無政府状態だよ。
徳川が張り子の虎と天下に知らしめたようなものだよ
長州成敗の敗北は

207 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:37:57
無政府状態にはなってないよ

208 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 14:10:32

無政府状態になったので
豪商や富農は焼き討ちに会い
長州藩の借用証文を紛失してしまった

209 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 15:15:15
無政府云々よりも長州成敗の敗北で、大名達に今まで持たせていた幕府への畏敬、尊厳性が消滅した

というべきだな。

210 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:45:46
>>208
戦時にどさくさで暴動が発生というのと、無政府状態は違うかと。
その後、占領地は長州藩による支配になったわけでそ。

211 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 19:33:03
たしか江戸時代で暴動が一番多かったのが
幕末だったと思うけどな

212 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 19:35:02
最近このスレでも暴動が多いよなw

213 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 19:46:18
>>208
なるほど・・・だから維新の際に長州は莫大な蓄財があったのかー


214 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:22:04
長州の借金踏み倒しよりも薩摩の方が上。
借金踏み倒し&偽金作りだもんな。
幕府を倒した原資は薩摩の偽金。
今の北朝鮮とあまり変わらないことを薩摩はやってた訳だよ。

215 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:27:58
長崎へ向かうオランダ船を拉致って
坊津に物資を下ろさせたりしてたし

216 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:18:13
>>213
借金が8万貫のこってたはず

217 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:25:48
>>212
尾張藩や子孫・系図
譜代大名や国替えの話題が続く

暴動がおきる

218 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:31:59
>>216
その8万貫って結局どうなったの?廃藩で踏み倒し?

219 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:34:32
>>213
維新のころ蓄財があったってよりも、大豊作だった

ような希ガス

220 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:45:31
>>218
わからない
最後に残ってる数字が
85252貫(160万両程度)
ただ敬親から元徳に替わって
米価が60匁から1400匁とメキシコ人もびっくり
インフルエンザになってる

221 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:48:42
本当にひどい自演スレ

222 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:51:44
>>219
豊作でインフレなら
実高が三倍あり
年貢も高い長州藩に有利
不況でデフレ(スタグフレ)の麻生藩を
助けてくれや

223 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:53:24
>米価が60匁から1400匁とメキシコ人もびっくり
20倍以上って・・・何が起こったんだろう

しかしよくもまあ160万両も借金作れたもんだねw
今の赤字国債・地方債も似たようなもんか・・・

224 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:58:54
そのころ長州は豊作で、第二次長州討伐の際、余剰米で薩摩から火器を大量に仕入れたんじゃなかった?

225 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:58:58
富山で米騒動が起きたり
お礼参りがはやった

226 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:01:14
>>224
借金を大量にしまくり
資産を穀物で持つ

これがインフレの対抗策

227 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:04:27
麻生はその逆をやればいい

借金を返しつつ
北朝鮮には金でなく米をやる
アメリカ国債は買わない

228 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 23:46:23
長州の借金は全額新政府に受け継がれて返済されてるはず。
藩の借金は基本的に新政府が受け継いだんだけど、外債は確実に返済。
官軍方の主力になった藩の借金も基本返済。
それ以外のものは返済条件を悪くした上で返済。
朝敵とされた藩の借金は切り捨てだったと思う。

229 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 00:45:39
山口県のサイト内の記事に、
『・・・毛利敬親は直ちに上京し、3月3日拝領した直垂を着用して参内し、親しく明治天皇に
拝して天盃を賜わりました。そして、毛利家中興の祖である毛利元就が正親町天皇の即位式料を
献上した故事に倣い、備荒貯蓄金百万両の内から大金70万両を新政府に献上・扶助したのです。』
とあるけど、百万両は備荒貯蓄金だから借金8万貫とは別会計ってことなのかな・・・

引用元: ttp://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a19300/ishinshi/topics7.html


230 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 02:10:19
>>228
朝敵であります南部藩は、戦争賠償金を、
「(廃藩置県に先立って)自主的に領地返上、藩解散」
という、つまり破産&会社解散&逃亡という荒技で踏み倒しましたwww
実際あちこち借金まみれでにっちもさっちもいかなくなって、
苦し紛れの自暴自棄行動なのですが。
これが南部クォリティだ!なめんなよ。

231 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 02:42:07
新政府、DQN藩に踏み倒されて涙目wwwww

232 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 06:44:50
南部精神は岩手で脈々と受け継がれている

233 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 08:51:50
>229
全国の藩の借金は新政府が引き継ぐ

土地や不動産も新政府のもの(山口藩庁など)

藩主自身の資産は新政府のものではない

倒産した社長が手形切りまくって
取り込み詐欺をして
破産するようなもん

まして政府は長州藩主導なのだから何でもあり

234 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 08:55:01
借金の単位が貫で
献金の単位が両なのがミソ

明治にはいり銀の価値(金との交換比率)は
暴落している

235 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 08:57:23

今日でも塩爺の暴言や中川(酒)の泥酔により
意図的に相場は動かせる

236 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 10:17:28
>>229
>>毛利家中興の祖である毛利元就

ということは毛利家の家祖はあくまで大江広元ということかな

237 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 10:46:29
毛利経光が高祖

238 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 18:02:15
アナウンサーとの結婚を発表したサンドウィッチマンの伊達みきおって、
wikiによると仙台藩の重臣・大條家(一家・伊達家庶流・4千石)の嫡流らしいね。
世が世なら坂元要害4千石の領主様・伊達家の御家老だったのか・・・知らなんだ。

239 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 18:13:39
毛利を名乗り始めた初代だろ。

240 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 18:31:58
>>238
確か相方も奥州のどっかの家老の末裔だよ

241 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:03:25
小学校もろくに出ていない伊藤博文がイギリスのケンブリッジ?大学院を卒業したっつー
話には笑えた

242 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:09:21
当たり前じゃん
江戸時代に小学校なんてないんだもん

243 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:37:48
まともな学校制度が整備されていなかった時代に育った政治家のほうが、
それ以降の世代の政治家よりはるかに優秀というのが悲しいところ…

244 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:51:50
そりゃそうだろうさ。
その時代の政治家が特別優秀ではなく、その時代の国民(臣民)の知的レベルが低かったから比較で優秀にみえただけ。

245 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:57:20
いや大久保とかガチで優秀だろ。単なる比較の問題じゃない。

246 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:59:06
ガチで自演だなw

247 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:59:17
>>238
世が世ならあんなやつこの世に生まれてないよ

248 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:59:34
>>246
なにが?

249 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 00:12:41
明治新政府も汚職まみれの人はいたわな

250 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 00:41:03
宍道聞多さんとか?

251 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 01:10:55
>>248
246は毎日のように湧いてきて自演自演叫んでいるだけのキチガイ。放置推奨。

252 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 02:16:22
そうだったんか
特定の同じ話題が続くと怒る人かと思ってた

253 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 06:34:07
どうしてこんなオカマ言葉の人間が湧いてくるのだろう
キモイ

254 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 10:14:42
自分なに言うてんねん

255 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 10:37:48
>>253
お前がカマだろw
二丁目逝けやぁ。

256 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 13:22:14
だらみたいなこと
言うもんでない

257 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 21:13:08
この時期は2ちゃん覚えたてのお子様が出てくるんだよな
荒らす自分が嬉しくてたまらないのだろう
それでいきなりアク禁くらうんだよな(笑)


258 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 22:05:46
小藩のわりに大洲城ってかなり立派だけど、城下町は栄えていたの?

259 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 22:19:26
明治3年頃の大洲藩の人口 9万7758人
(華族4人、士族1130人、卒族3888人)

明治6年の大洲の町の人口 4022人

大きくないですな。


260 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 06:32:18
>>257
自演スレなものだから
本人がやる気になったらレスが一気に増える
やる気がなくなったら途端にレスが途絶える
極端だからバレバレなんだよw

261 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 07:03:13
>>260
仮に自演レスとしてもスレタイに合致しており他に迷惑をかけなければ不問だよ。
おまえの荒らし行為の方が問題だ。つまり、おまえはこのスレが消えろ。
おまえがアク禁になるまえに忠告しておく。

262 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 07:17:41
このスレが消えろ???

263 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 08:56:36
地味で貧乏だけど一揆も国替えもなかった
伊勢菰野藩土方家はこのスレ的におもしろいと思う

264 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 20:01:57
本家より出世したor評判高くなった分家大名って
どういうのがありますか?

265 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 20:22:14
福井松平家とかw

266 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 20:25:35
水戸徳川家とか

267 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 01:39:35
朽木とか。


268 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 04:41:22
分家とは言わんかもしれんが、伊予宇和島伊達

269 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 06:03:35
本家が何度か改易されかけているからね

270 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 06:49:25
岡山藩は本家筋が家老の天城池田家。小牧長久手の戦いで討ち取られた
輝政の兄の家系。

271 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 09:23:23
越前松平もかな?
高田藩(津山藩)と福井藩の関係は微妙だけど・・・

272 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 09:51:51
徳川家康は松平本家ではないらしい

273 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 10:37:25
長州の毛利も分家と言や分家

本家の連中(天地人のずうとるび達)と大差がついてしまったが

274 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 20:50:42
>>270 池田輝政は何で兄の子に家督を譲らなかったの?

275 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 21:15:54
そんなことをやるヤツは屁理屈屋の水戸光圀くらいしかおらんのでは。

276 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 21:19:01
与板藩井伊家も,直政長男の家系ですね。



277 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 21:57:46
>>276
まあ井伊家家督は直孝に譲るという前提の下で、捨扶持くらいの扱いで3万石もらったのが残ったってことだけど。

278 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 23:08:00
>>277
18万石のうちの3万石か。
捨扶持にしろ,堪忍料にしろ,3万石は破格だな。
元和元年ころだと,3万石なら,外様は別にして徳川譜代では堂々たる大名だろう。



279 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 00:11:52
平穏な江戸時代なら旗本でも十分じゃね?

280 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 00:56:50
>>279
旗本の場合、明治維新の時の没落が酷いけどな

281 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 01:57:56
与板井伊ってあの長州にボロ負けした与板藩か!

282 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 09:36:27
捨扶持とか堪忍料ってなんですか?
井伊の与板藩領は普通の大名領と扱いが違うんですか?

283 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 09:51:37
>捨扶持とか堪忍料
本来の意味は一代限りの所領ってことだろうけど。捨扶持は次男以下の部屋住みの
男子などに与える一代限りの食い扶持。
堪忍料は咎あって所領召し上げになるところを特別の計らいで与えられた捨扶持。

284 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 10:43:41
捨扶持堪忍料って正式名称?
もらう方もみじめだね。

285 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 10:51:48
生活保護もらう感じ?
それなら人それぞれだけど

286 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 10:59:15
戦国期は家老の城だったのに
捨て扶持カニ漁の
与板かわうそ

287 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 15:25:41
>>283
なるほど
でも与板藩は一代限りではなく相続されてますよね?
捨扶持は相続させるのはだめで堪忍料は次代へ相続可能ってことなんでしょうか?

288 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 15:40:38
福島正則の川中島って堪忍料とか言われるけど、
正則が死んだときに検死前に埋葬しちゃったから没収されたんだよね?
ということは、本来は一代限りじゃなかった?

289 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 16:16:32
>>241
>>242フイタ

290 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 16:54:21
>>288
没収された理由として、堪忍料だった、あるいは法度を破って没収されたという
2通りの説があるってことじゃねーの。

291 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 18:11:27
捨て扶持や堪忍料状態から復活した大名はいますか?
立花や伊東はそれに近いのかな

292 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 19:28:58
伊東祐兵は零落して秀吉のところに落ち延び、秀吉の臣下として大名に復帰。
同じような立場だと小笠原秀政かな? どっちも捨扶持状態ではないでそ。

立花と丹羽は改易から大名に復活だしなぁ。

293 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 20:33:01
飫肥の伊東は運がいいな。
秀吉いなかったら島津に踏み潰されてたところだったのに

294 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 20:56:14
気の毒なのは里見さんち

295 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 21:06:30
里見はその通りだな

296 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 21:15:21
自演乙

297 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 21:25:13
>>263
あそこ、藩祖は家康暗殺未遂事件に関わったり
関ヶ原の時に前田家への使者やったりと目立ったけど
そのごはホント平穏で地味なんだよな。

途中で田沼の養子貰って大大名並みの生活送ったのもいるけど

298 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 21:40:28
まさしく

299 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 21:46:39
まさしくんは変態です

300 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 22:14:20
北条氏直が大名に復帰できる可能性はあったらしいな

301 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 22:31:20
もっと詳しく

302 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 22:38:02
それこそ八丈島秀家も前田の一族として大名復帰の可能性無かったっけ?

303 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 23:02:04
>>301 家康は伯耆一国くれてやろうとしたけど、その前に死んじゃったのさ

304 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 23:10:17
里見も伯耆で捨て扶持のはず
正木大膳が両本多と組んで
分離独立を図ったため
全てを失った

イナバウアーの小早川からの分離独立は成功したのに

305 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 00:00:38
>>303
サンクス

306 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 01:37:52
>>291
津山松平は捨てから復帰、とも言える。
だけど立藩はあくまで養子に新規知行。
謹慎光長の堪忍分は別にあって、死後没収。

307 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 01:39:05
>>303
北条にくれてやろうとしたのは秀吉。
里見が家康。

308 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 02:15:41
伯耆一国15万石で太閤が再興
氏直喜ぶが突然急死

氏規の家系が狸から河内を貰う
と思ったら河内一国ではなく河内で1万石
もうがっかりだよ

309 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 02:28:43
今でも倉吉や湯梨浜には
正木家のでっかい屋敷があるね

310 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 04:08:16
相変わらず必死な自演スレだな

311 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 06:59:37
>>306 光長の養子である松平綱国の家系は家老になったらしいが、何石?

312 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 09:19:28
永見越後1500石

313 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 10:49:13
>272
分家の分家だね。本家は先祖代々の土地をそのまま守って交代寄合。
天下を取ってから、「あれは庶兄に本家の土地をやったんだ」という後付
設定にしたようだけど。

314 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 12:32:49
>>312 ありがとうございます。
家康の男系子孫ですし1500石ではもったいないくらいですね。

315 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 15:12:33
>>313
力をもった家が「本家」になるのはいつの時代も同じ
藤原氏の摂関家だってそう

316 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 16:11:12
讃岐一国からお家騒動起こして東北に移されて
最後の最後で大名に復帰した生駒氏とか
賤ヶ岳の七本槍だけど一度も大名になってなくて
最後の最後で大名になれた平野氏とかは運がいいと思う。


317 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 16:35:21
むりやり高直ししてのインチキ万石だけどね
一新後の諸侯昇格ってことで男爵にしかなれなかったし

318 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 17:49:57
旗本のままだと大抵バッドエンドだけどな。

同じ大和国の高禄旗本の池尻神保氏は食いつめた挙句、江戸時代にはパトロンやってた当麻寺で自殺。
西辻水野氏はもと所領に帰農したが馴染めず、もと領民達からわずかな金を借りて失踪。大和のあたりは
商業的先進地域だったから、馴染みのない「おらが殿様」なんて養おうという奇特な人間はいなかったようだ。

ちなみに、当麻寺はせんとくんの愛人としても有名になった中将姫の伝説で有名な寺な。

319 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 18:15:51
>>318
その神保って大坂夏の陣で伊達に蹴散らされた神保の末裔かな?

320 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 19:31:21
明治維新後に高家や大身旗本、大藩家老は
なんとか水増しして1万石超えないかに腐心して詐欺まで起こした例もあるからね

321 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 20:05:39
>>319
あたり。
大和国高市郡で六千石。一時期交代寄合だったところも平野氏と似てるんだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E7%9B%B8%E8%8C%82

322 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 00:08:40
大名と旗本の差は華族と士族の差。
片や特権階級で余程の事が無い限り落ちぶれないが高禄士族は困窮して開拓民や貧民に成り下がった。
一部の努力家が子供を大学や軍学校へやって官僚になったが。

323 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 18:39:10
極端かもしれんが、数千石の大身旗本や大藩の御家老さまが、
幕府滅亡や廃藩で没落後は・・・

とりあえず、売り食いでしのぐが、しだいに困窮
 ↓
売るものも屋敷もなくなって、息子は人力車夫、娘は女郎
 ↓
孫の代には小学校も満足に通えないまま、丁稚小僧や職人の徒弟や職工見習い
 ↓
労働者、都市細民として戦前から戦後しばらくを過ごす。
 ↓
高度成長期あたりで、ようやく普通のサラリーマンへ。

324 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 19:05:00
いくらなんでもそこまで酷いのはいないね。

325 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 19:24:02
大名より官位や歴史的格付け、経済的余裕が上な旗本も結構いたのだけどね


326 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 19:27:04
>>323
治水理論バカが乱入

327 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 19:29:13
幕臣についてはほんと色々。
一番成功した渋沢栄一みたいな例もあれば、>>323みたいな例もある。

ただ、言えるのは早い時期に帰順した大身旗本は生活の足しになる程度の秩禄公債をもらってたし
平均すれば庶民レベルよりは多少高い生活レベルだったんじゃないかな?
地方の上級藩士の生活レベルがその程度だったし、削禄率は幕臣も地方藩士もあまり違わない。

ただし静岡まで付いていった旗本は非常に悲惨。
旧禄なんて計算する状況じゃなかったから3000石クラスの旗本が10石とかの削減になってる。

328 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 20:01:14
旧幕臣の場合、どの部署にいたかによっても明暗が分かれた。
町方、勘定方などの実務部門や外国方などの新設部門にいた役人は、
そのまま新政府に帰順して官吏になった者が多い。

もっとも、町方同心から、そのまま東京府、警視庁の官吏になれても、
明治十年代に旧幕以来の古手が一斉にリストラされたため、
結局、没落した樋口一葉の実家みたいなケースもあるが。

329 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 20:54:50
所司代勤務の御家人は京都府職員になったのが多いようだね
 
一葉は女戸主になっちゃって母と妹を養わなければならなくなり
歌塾の先輩が文章で原稿料を得たことを知って売文を思いついた

330 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 20:59:32
やっと同心株買って同心になった6ヶ月後に幕府滅亡

331 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 00:50:01
尾張の家老だったかが、維新後借金で娘を売った話あったな。

332 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 01:38:11
さて、そろそろ戸田の話を

333 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 05:10:21
>>326
誰も彼も仇敵に見えて仕方がないらしいデンパ乙。
馬鹿な上にデンパとは、周囲もさぞや大変だろう。

334 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 06:54:07
明石のタコども
わてがやっさんだす

335 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 18:06:09
>>332
戸田って氏教とかはかなり力を持った老中出たじゃん

336 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 18:44:21
大垣藩は幕末上手く立ち回ったよね。
鳥羽伏見で幕府側で戦いながら賞典禄もらったのって大垣藩くらいじゃないの?

337 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 20:55:36
佐土原藩島津家って支藩のくせに一度も本家から養子を押しつけられなかったね。
独立した力を持っていたのかな?

338 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 21:39:55
戸田忠次は、帰参しただろ。

339 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 22:09:00
品川氏恒、高家なのに生年不詳 - 没年不詳とか泣けてくる。
維新後、のたれ死んだのかな・・・

340 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 00:12:01
wiki情報だと1946年に家慶に御目見してるから
1930年前後の生まれだろうね
30歳代後半で幕府の瓦解に遭遇したんだな

341 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 00:30:19
wiki wwwwwwwwwwwww
家慶は20世紀の人間かよw

342 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 00:48:03
東京空襲後の瓦礫の中で、家慶公にお目見えしたわけか・・・
感慨深いエピソードだ

343 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:48:26
東京空襲で今川家は没落したんだよ
これ、ヒミツな

344 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 02:04:27
今川焼き

345 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 03:34:02
今川焼って回転焼き?

346 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 04:04:53
今川焼きは、神田の今川橋のそばの店が始めた、というだけ。
「家紋と似ているから」という説もあるが、
結局、今川家とは無関係。
今川家の墓は、杉並区にある。

347 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 05:55:43
必死、必死w

348 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 09:59:45
伊達巻き、黒田ぶし
織田毬、徳川夢精

349 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 11:41:20
>>346
杉並区今川の観泉寺だな。
現代でも旧所領に名を残すとは、よくやった。


350 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 15:11:11
確か品川(今川)家って大名に養子送り込みに成功していた記憶が

351 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 19:52:07
最後の足利将軍義昭が江戸開幕後も生きていたら、さてどんな待遇を受けたでしょう

徳川将軍の御伽集じゃ済まないよな?

352 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 19:58:10
5000石与えて臣下の列に加えずに放置。

353 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 20:27:17
>>350
その大名家から又養子を貰って当主になっているね。
松平家自体は早い時期に改易されているがw

354 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 00:02:13
>>351
新田徳川伝説の生贄。
なぜ徳川は足利将軍に歯向うかを肯定する、あざといイベント有ったろうな。

355 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 07:49:28
>>351
現職の将軍と同格・・・か?

356 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 08:36:36
征夷大将軍って1人しかおけないという決まりはあるの?

357 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 09:11:49
将夷大将軍自体が令外官だから決まりはない

358 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 09:39:37
右近衛大将とかでも幕府は開けるんだっけ

359 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 09:46:24
いちおうひらけるけど役職上京都を離れることが出来ないんじゃなかったっけ?
っていうか、大臣以上なら幕府はいちおう開けるのでは。
あと開府儀同三司とか。

360 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 11:32:24
>>351
細川家の客将あつかいでは?
高家かもしれないが

361 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 12:22:41
武家でないと幕府って呼び方はふさわしくないだろうし、別に京に幕府があっても
既に前例があるからかまわないんだろうけどね。

362 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 14:08:15
征夷大将軍じゃなくても幕府ひらけるんなら、
秀吉も征夷大将軍以外の資格で幕府を開けたってことか?
先例にない「豊臣氏の関白」を実現させたわけだから、先例にない幕府も可能?

363 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 15:00:16
政所に相当する機関は秀吉も設立していたわけで、それを幕府と呼ぶのを
他の大名が納得するかの問題に過ぎないのではないか。

364 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 17:09:40
一回の養子ももらわず直系だけで
江戸初期から末期まで続いた大名っていますか?

365 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 17:47:07
関白になれば朝廷そのものの頂点に立つので幕府は必要ないのでは?
太政大臣も同じ



366 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 19:02:55
徳川家康は清和源氏で清和天皇の男系子孫だから、天皇になろうと思えば
なれるんですよね。

367 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 19:44:05
>>366
徳川なんぞ、どこの馬の骨かわからん。徳川が清和源氏だなんて本気で信じてるヤツがいてるのか?
更に臣籍に下った源氏に皇位継承権なんて無いと思うんだが。
継承権無くても明治天皇大室説なんてのもあるが…
あ、完全にスレ違いだった。


368 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 19:49:22
武家が朝廷の秩序を以って武家を抑えるのは難しいかもね。
一代限りならともかく、数代続けば確実に後継者不在の状態が
発生するから、そこを公家や有力武家に付け込まれて混乱を招く。

朝廷の秩序では、既に最高位の五摂家が存在しており、将軍の
ように超然たる存在を成立させにくいから。

369 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 19:53:41
あれ?幕府って陣幕の中の政庁て意味で別に法的に意味はない通称だよな?
鎮守府将軍とか征夷大将軍は軍事だけでなく地方への統治権も内包する官だから武士政権に都合がよく
その中でも征夷大将軍は臨時職でその地方に縛られないことや、伝統的な職だから武士の棟梁となったんでしょ。


370 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 19:58:47
最後の千葉介は徳川から禄を貰えなかったの?
武家の名家中の名家だというに。

371 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 20:09:50
>>370
千葉氏は村岡良文の子孫を僣称した山賊

372 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 20:14:55
>>369
政庁の呼称に意味はなくとも、朝廷との距離という実態は世襲政権の
安定には重要なファクター。

373 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 21:00:24
バカそのものの必死w

374 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 21:18:53
>>367
臣籍に下ったあと天皇になったのはいるよ。
父親が天皇だから血統的には問題ないけど。

375 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 00:51:33
>>367
徳川が源氏であることは間違いないわけで。
それが血統的に繋がっているかどうかは、別だけど。
朝廷が認めている以上は立法な清和源氏。

376 :日本@名無しさん:2009/05/21(木) 02:43:21
>>364
「一回の養子ももらわず直系だけ」を「完璧な父子相続」と定義するなら、一家もないでしょう。
ただ兄弟や伯父甥、隔世相続のような、男系で続いた家なら結構ありますよ。
特に外様大藩は人材に困りませんから。



377 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 08:44:26
マイナーだが三池藩(下手渡藩)の話を

外様の上に城も持ってない一万石の大名だけど、若年寄や老中格を輩出し最後の藩主は学習院初代院長
外様なのに普通ここまでなれるものかな?

378 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 09:06:05
学習院初代院長
は江戸時代になったわけではなかろうに

379 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 10:26:25
すみません
間違いました

380 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 10:55:48
宗対馬藩
今宗氏はどー成ったんだろーか。

381 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 11:53:49
韓国に帰ったと聞いたが?

382 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 15:51:10
>>376 三百藩もあったんだから一藩くらいありそうなものだけどね

383 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 15:53:08
柳沢家は初代から幕末まで直系相続。
ただ明治になって養子を入れたみたいだけど。
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/kinki/koriyama.html

384 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 19:02:41
>>376
>>383
ありがとうございます。
綱吉の時代からの大名とはいえ
直系で明治まで続いた事は驚きですね

385 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 19:39:54
問題は吉保と吉里が直系相続だったかどうかw

386 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 19:43:45
養子なんかでまともな祭祀が出来るのかよ。この点は、明らかに朝鮮に比べて
遅れている。

387 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 21:55:47
江戸時代立藩の大名で一番の出世はやっぱり柳沢?

388 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 22:12:07
吉保と吉里以後も大和柳沢は松平名乗れたっけ?

389 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 22:14:55
久留米の有馬もなかなかの出世ぶり
子孫が何故先祖が20万石までなれたか不思議がるくらい

390 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 00:14:00
必死な割に中身は何にもないスレだな

391 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 01:15:37
>>390
必死な割に中身は何にもないレスだな

392 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 05:29:04
>>389
司馬がそんなことを書いてたようだけど、多分子孫は知っているが、あまり人様に
いえないような理由だったんじゃないだろうか。豊臣に対する一番の裏切りの功績とか
そんな話で。所領は大坂のすぐ近くだったし。

393 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 11:03:14
将軍とウホになったために出世した大名いますか?

394 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 12:39:20
柳沢くん

395 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 12:46:29
シンゴ〜シンゴ〜

396 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 13:38:00
有馬の大名行列を見て
「立派なもんや、ワイもかくありたい」
とウルウル目をしてた若き吉宗

397 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 16:39:01
>>393
徳川四天王にもいる

398 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 17:14:17
万千代は三遠二ヶ国の大守の時でしょ

399 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 19:09:12
>>393
柳生宗矩
松平信綱

400 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:25:56
>>396 日向延岡藩七万石を継いだ内藤政義(弟の井伊直恭)の大名行列を見て、
「弟は、幸せ者よ。」とのたまった若き頃の井伊直弼…。

401 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:30:21
直弼のどこが気に入らなかったの?

402 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:35:39
>>401 一説では、井伊直弼が内藤家の口頭試問に落第した理由は、
剣難の相があるって事を聞いた事があるが…(直弼は、実際にそうなったが)。

403 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:45:11
>>402
なるほど人柄を見抜かれたのかな

404 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:48:27
信綱の優勝だな

405 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 22:35:21
和歌・国学に傾倒
家中での覚えが悪い
変わり者

まあわざわざ養子に貰いたくないな


406 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 23:03:23
兄貴の井伊直亮のイジメの対象にされる訳か…。

407 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 00:30:28
>>393
喜多見くん。
大名にまでなりながら、どうやら痴情のもつれで失脚。



408 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 08:24:38
>>400 米沢15万石を継いだ上杉治憲の大名行列を観て
「弟は幸せものだの」
とのたもった秋月種茂

409 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 08:54:08
藩運営の苦労は勘定方限定だったりする時期の話?

410 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 10:45:31
>>408
騙されるな
上杉の行列は金で雇ったアルバイトで
人数水増ししてるぞ

411 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 13:10:54
>>408 秋田藩20万石を継いだ弟宗胤に嫉妬する相馬充胤

412 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 14:44:22
実家よりも格上の家へ養子にゆくと苦労するぞ。
しかも,上杉なんて気位は高いが,台所は火の車だったからな。

小身でも,実家の方が気が楽だろう。

413 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 15:09:07
>>410
外様の参勤交代の行列なんてほとんどが江戸の手前あたりでバイト集めてる

414 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 15:26:35
>>413
mjd?
どういう階層の連中がそういうバイトやるの?

415 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 15:27:15
>>414
武家奉公人

416 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:07:20
ヤッコと呼ばれるDQNだな

417 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:09:13
幼稚園児の集団にクーちゃんとか呼ばれたりするあれか。

418 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:09:39
>>414
国元から大行列で行ったら経費や宿舎がハンパじゃないから

419 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:13:40
参勤交代って軍役の一種だろ。そんなんで幕府にばれたら大丈夫なのか。
幕府も黙認していたと言え、実際に戦闘になったと起動するつもりだったんだ。

420 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:26:39
参勤交代って鉄砲携行は禁止だっけ?

421 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:35:43
入鉄砲と出女というくらいだから、関所で厳密に数をチェックされたけど、
携帯しなきゃ軍役に準じた揃えにならんな。

422 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:42:21
>419
規定の人数はどちらかというと少なめで、「人数抑えろ」と
言っていたくらいじゃなかったかな。

423 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 17:02:57
また始まった必死の自演

424 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 17:07:42
200石で当主の他5人という基準より少なめ?

425 :自演突っ込み:2009/05/23(土) 17:51:13
>>417
それラッコや!

426 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 20:05:40
参勤交代で東海道を京都を通過するルートで、天守と櫓がある城に住む大名になりたい。
外様で幕府の役職につかないような小藩でね。

427 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 20:10:00
参勤交代では伏見は通れても京都は無理。
外様大藩は役職にはつかないし、外様小藩はむしろ大坂加番のような役職に
つく頻度が高くなる。

428 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 21:39:52
大坂加番て何
大坂城代みたいなもん?

429 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 21:54:48
加番すら知らないやつが紛れ込むようになったか

430 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 22:17:38
>>428
大坂町奉行所勤務のことだよ
奉行を筆頭に、与力、岡引等。
奉行は要職だから譜代の重鎮がつき、
下役の与力岡引は外様の小藩がついた。

431 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 22:58:54
ツマンネ

432 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 23:39:30
ゴヨーダ!ゴヨーダ!

433 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 23:57:17
なんで町方?

434 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 00:29:07
殿様が岡っ引きカワウソ

わい三河の半七でんがな
国元では池田三河守だすとかなるんか

435 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 00:47:26
加番は町方なんてやらないよ

436 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 01:26:31
そこそこ立派な天守閣持っていた大名で最小の藩ってどこ?
松前藩は1万石で天守閣付き城郭幕末に建てたがこういう特殊例は別として1万石で
城主、しかも天守閣持ちなんていたのかな?
二万五千石あたりからちらほら天守閣付き大名いそうだが・・・


437 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 01:40:00
三河田原の三宅

438 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 01:53:11
田原には櫓はあるけど天守閣はないよ

439 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 02:34:49
じゃあ苗木か津山は?
どっちもめんどくせぇ山城の上に、割と大規模城郭。
かつ、5万石程度じゃね?
城自体は小さいけれど、日本最古の天守閣が現存している越前丸岡の諸藩とか。
歴代が大体五万以下。
さもなくば使いにくい高取城、かつ辺境に地味に住んでた植村くん。
高取に天守閣あったっけ?
あとは豊後小大名村の諸藩。

440 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 03:22:06
表高5万ほど、実高10万石くらいの大名が
なんだかんだで良さそうな気がするが該当するの無いかな?

441 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 03:50:15
>>440
津軽
もしくは副収入が見込めた松前とか、赤穂浅野とか。

442 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 05:43:46
田原って1万石の城にしては立派な石垣だよね

443 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 07:07:22
有馬時代の糸魚川1万石

越前連枝になってからは勝山城を破棄したのか?
江戸定府の陣屋大名に

444 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 07:45:36
米以外の収入が大きかった藩は経済的に安定しやすかった


445 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 07:48:36
専売制はどこの藩も可能なら試みようとしているけど、旨味のある手段はすぐに
周辺領主が真似をして、在地商人に骨抜きにされることも少なくない。

446 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 07:55:29
国主大名で称松平じゃないのは細川と藤堂があるけどなぜだろう?

447 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 08:32:34
細川は「It's nice joke, ha, ha, ha!!」だろ。

448 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 09:27:04
徳川ならともかく松平なんてションベン臭い姓はいらねえwwwww

449 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 10:50:45
>>448
大阪の陣まで羽柴姓のくせに

450 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 11:14:13
なぜこんなにすぐバレる自演が出来るのだろう?

451 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 11:22:58
なぜこんなくだらない粘着ができるのだろう

452 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 11:32:05
くだらないのはこのスレの中身だろう?
おまけにやたら集中する時刻ばかり
虚しい掛け合い
そんなにレス数をあげたいのか?

453 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 12:06:45
>>452
それなら見なければいいのに何で見るの?

454 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 12:23:42
たしかに酷いオナニースレだな

455 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 13:09:03
確かにひどいけど、オナニーってすごく気持ちいいんだよな。
なかなかやめられないorz

456 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 13:33:45
>>455
捨て身の反撃乙
そんなクソスレあんまりageるな

457 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 13:38:18
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 三三  三三  三三   三三

458 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 14:48:27
>>446
鎌倉・室町幕府の重臣だった
細川と上杉は賜姓前に幕閣内で相談した
(断られると恥になるから)

それで細川江戸屋敷に内々に打診したところ
辞退したい旨の返答あり
それで上杉への打診もやめた

藤堂は良く判らない
(特にこの件についての記録が残っていない)

459 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 14:59:07
高家連中とか喜連川とかの名門も松平に染め上げちゃえば良かったのに。

460 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 15:47:22
昔の仕返しに羽柴(木下)2家に
罰として松平名乗らせる

461 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 16:00:27
島津と伊達にとっては完全な罰ゲーム
毛利は微妙

462 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 16:04:51
でも松平だって新田源氏嫡流の名門だろ?
島津や伊達なんて氏素性も分からない下層階級出身の成り上がりじゃん。
×ゲームなどではないと思われ。

463 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 16:30:55
佐竹も松平名乗ってない。

464 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:04:23
藤堂は半ば譜代だし幕府によって大大名になれたところだから
賜姓は無かったのじゃないの?

465 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:06:44
平安末期や鎌倉から名門だったのは細川だけ?
島津はまだ土豪の段階だよね

466 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:15:30
上杉は鎌倉6代将軍の側近
京都丹波地方の小領主だが
天皇の兄と痔かに会話できるからそれなりにエロい

467 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:17:54
>>463
佐竹は意地でも拒むと思われ

468 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:22:28
>>465
細川は足利家の被官だからそれほど名門なわけじゃない。

469 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:26:21
毛利は松平一門だと思って威張りはじめ
年貢を上げたり表石高を倍にしようとして
藩内に混乱をきたした

470 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:28:27
上杉は孫が天下人になってからだな大身になるのは

471 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:30:08
細川は足利の支流だろ

472 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:40:36
ちょっと煽ると基地外のようにレスが上がるのが笑えるw

473 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:57:39
ちょっとスレチだが豊臣政権で上級武家が叙任するときは全員羽柴姓じゃなかった?
羽柴姓はかなり安売りされていたが松平姓は超名門大名しか貰っていないよね

474 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:58:52
細川は三河の土豪だから大したことないよ。
上杉は五流の公家。いや公家くずれと言うべきか。
こちらも大したことない。

475 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:59:20
>>465
細川の場合、足利の分家とはいえ早い時期に家臣化しているよ。
親族衆扱いだった斯波や吉良 今川と比べて明らかに家格が劣る。

476 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 20:29:26
京極って名前が出ないけど、細川と同じくらい室町幕府で力持ってなかった?

477 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 20:33:15
気のせいだろ

478 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 20:34:26
飯食いに行ってる間に>>458の鎌倉に突込みが入るとは流石だなw

479 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 20:57:39
島津と前田は九州のかっぺ
伊達と佐竹はフグスマちばらきのカッペ
京極・畠山は関西のかっぺ
で桶?

480 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:00:10
じゃあ、江戸時代には名門の武家は存在しないわけだな

481 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:10:22
頼朝公に騙されて橋の上で首をかき斬られた佐竹さんが間違いなく名門だね

482 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:27:33
鷹司松平家が最も高貴な血筋ということでヨロシか?

483 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:28:25
武家としては新参

484 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:32:56
相馬家…平将門の子孫
大田原家…那須七騎
大関家…同じく

485 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:36:03
田村家が一番の名門
徳川より足利より
遥か昔に征夷大将軍になっとるがな

486 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 22:02:17
諸蕃出身の田村が皇別の源氏より名門だってさw

487 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 22:02:34
だから田村は表門が十万石以上の様式なの?

488 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 22:20:28
>>482
養子が入りまくってるから全然ダメ

489 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 00:03:12
なんだかんだ言って幕府は名家好きだな

490 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 00:27:29
坂上田村麻呂の子孫といいたいんだろ。

491 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 00:42:48
田村家の江戸上屋敷表門の様式が十万石以上の格式なのは要職に就いたからだろ

492 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 01:01:37
格だけ上げて貰っても負担なだけでは?

それこそ

・幕府や諸侯に舐められない程度であり、警戒されない程度の経済力
・そこそこの由緒のある名家
・そこそこの官位
・幕閣と遠すぎず近すぎず

という条件を満たしている大名ってどこだろう?

493 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 01:10:05
島津

494 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 01:16:50
>>492
久留米の有馬さま。

495 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 01:18:23
福岡の黒田様

496 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 01:41:27
熊本の森高様

497 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 01:44:59
>>492
鷹山以後の上杉は? それ以前だと経済状態は悲惨だけど。

>>495
黒田のどこに由緒があるんじゃい

498 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:15:49
島津や黒田はほどほどの石高ではないだろうに

499 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:16:54
肥後の相良様と日向の秋月様

500 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:18:10
黒田の由緒=豊臣恩顧

501 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:20:56
壱岐の松浦様
筑後柳川の立花様
豊前小倉の小笠原様
対馬の宗様



502 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:22:39
朝鮮人相手するのがめんどいから最後のはパス

503 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:24:16
>・幕府や諸侯に舐められない程度であり、警戒されない程度の経済力

の石高を一応定義した方が良いのでは?
10万以上30万未満程度だろうか?

504 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:27:19
数万石でも警戒はされるだろうよ

505 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:34:26
まぁ小大名とも言われず大大名とも一概に言われないのは
10万石台だろうね

506 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 03:43:32
一番警戒されるのは溢れる浪人衆と身内(御三家)

507 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 06:05:22
アホや、こいつらw

508 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 06:23:27
こいつらって・・・・・・・
ひとりだろw

自演しすぎて体壊すなよw

509 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 06:50:18
黒田侯は将来の悠仁天皇の叔父上様

510 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 07:15:18
俺もこの前に1度書き込んだだけで自演扱いされムカッとしたものだが、今なら>>508の言うこともわかる希ガス

511 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 08:36:42
>>510
荒らしに心情が近づいている今の自分をどう思うかね。

512 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:14:39
昔から同じ領地を治めてるし、血統も続いていて城持ちということで、僕は相馬中村藩が好きです。

513 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:16:38
逆になんか好きになれない

514 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:49:29
今の相馬家当主は阿呆太郎の義理の弟。

515 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:51:07
織田家ってうまくいけば将軍家、駿河家の親族であり
10万石格の大名でいられるはずだったんだよな・・・

実際は東北の数万石になってしまったが

516 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:54:54
いくら書いても自演は自演

517 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:03:31
>>515
とばっちり食らっただけだけど、なんかよく分からんとばっちりだよね。
裏があるんじゃないかと邪推してしまう。

518 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:09:31
諫言した家来に激怒して殺したり
酒飲みながら江戸城攻略作戦を立てたり
勅使饗応役の同僚をイビって江戸城で討たれたり

これでは駄目だろ
織田・津田の大名はパッパラパー揃い

519 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:11:40
あと辻斬りで千人切りに挑戦したり

泥酔して良家の婦女子に暴行したり

520 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:31:00
>>516
知ってた?あんた以外のすべての行動は自演なんだぜ

521 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 23:09:34
結局のところ鎌倉時代、室町時代あたりからずっと領主やっていて
江戸時代も最後まで残った大名ってどのぐらいいるんですか?


522 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 23:21:16
>>521
鎌倉から国主級のまま近世大名になったのは
南部 島津 伊達 相馬 佐竹位じゃない?

黒人でも良いなら毛利とかもいるけど、後細川は傍流だから織豊大名の部類に入ると思う。 

523 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 23:24:13
大江は奴隷だったもんな

524 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 23:49:22
>>522
足利も武田もいなんだから佐竹だろね、河内源氏を繋いだ最名門は。

525 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 23:52:39
喜連川さんは?

526 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 23:55:36
相馬が国主級のまま近世大名?

527 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:00:39
相馬は六万石だっけ。



528 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:01:08
対馬の宗氏がいたな。

529 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:04:17
なんで皇族や公家が滅ぼされることはなかったんだ?
武家が皇族を遥かに凌ぐ力を持った時代は何度もあったのに

530 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:05:19
歴代天皇個人の戦闘力は500万石に匹敵したから

531 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:07:18
室町時代あたりからなら松前さんも

532 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:10:54
俺が将軍で天皇がゴネたら攻めちゃうね

533 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:22:58
たしか相良氏も鎌倉時代からだった気がします。
九州地方は四国地方などと違って地元の大名がそのまま残ってるのが結構多いから
家系古い大名家は多そうですね。

534 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 00:24:14
>>517
裏というと?

織田がそこまで出しゃばる脅威ってあった?
たとえ将軍と駿河家の親族とはいえ落ちぶれるに落ちぶれていて
多少威張れる位しか思いつかないのだが

535 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 02:13:40
>>529
土俵が違うから


536 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 02:29:03
織田信長の重臣たちの家の最終的な石高トップは
二本松藩の丹羽氏になるんでしょうか?

537 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 02:42:45
>>529
天皇は中世以降政治の実権から離れちゃうからな
天皇をローマ法王に例えたりするけど一番近いのはアッバース家のカリフ
アッバース朝が滅びた後エジプトのマムルーク朝に迎えられた
奴隷出身のスルタンに権威付けするための存在としてね
常にカイロ城の最上階に居て1年に1度下に降りることができた
 
大名はスルタンの家来の武将たち
公家はカリフの廷臣と考えればいい

538 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 02:44:34
前田

539 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 03:30:46
>>536
ボケすぎだろw

540 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 04:04:45
重臣ていうとひっかかるな>前田

541 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 05:58:44
京極家も江戸初期以降ぱっとしないね。

一時期は20万石、将軍の叔母であり義兄弟だったのに

542 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 06:55:08
おもしれえからこの自演ずっと続けさせてみようかw

(・∀・)ニヤニヤ

543 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 07:29:56
かまって君の粘着が見れるスレはここでつか

544 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 19:45:28
新見藩関家は立藩当初は実高9000石で幕末3000石まで減少したらしいが、参勤交代とかの費用は賄えたの?

545 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 00:15:59
>>544

交代寄合でも参勤交代してたから、なんとかなったんじゃないのかな

546 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 01:26:16
でも格式は大名だろ

547 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 01:31:18
>>537
> 天皇をローマ法王に例えたりするけど一番近いのはアッバース家のカリフ

別のスレで出ていたが19〜20世紀前半のネパール王家というのもあるらしい

548 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 01:34:37
ネパール王家新しすぎな上にそんなに強くないのが

549 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 01:57:56
エチオピア皇帝ちゃいまっか

550 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 06:48:19
(・∀・)ニヤニヤ

551 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 06:55:38
↑何にやけとん自分
こんどんつくやろ

552 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 08:13:48
>>548
強くない王室の話をしてるんだろうがww

553 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 18:41:10
まあ>>544のようなケースが財政的に厳しくなるのは当然だけど
表高より実高が上回ってる場合でも藩財政が楽になるとは限らないのは熊本藩が証明してる。
新品の鍋には細川と書いておくと金気が出ないなんて皮肉られてたくらいだからw

貧乏藩というと三宅田原藩が思い浮かぶ。

554 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 18:47:39
>>552
すまん、弱いってのは王権じゃなくてネパール国家・民族に関してな。

555 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 18:59:15
元禄以降は財政が楽な藩なんてどこにもなかったと思うけどね。
松前は例外かもしれないけど。

556 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 20:15:45
江戸時代は飢饉がよく起きたと言うが、消費地である江戸時代では飢饉が起きたことがないって
どんだけ地方から収奪していたんだよ。

557 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 20:40:08
天保の飢饉でも、打ちこわしを恐れた幕閣が大坂から強引に米を回漕させて
大塩の乱を引き起こしたしね。

大坂は米の換金の最大の市場だから、現物自体はあったけど値が数倍に
上がっていたのと、幕府が江戸に回漕する現物の確保のために、京都などの
周辺諸都市から数升程度の米購入者なども処罰するような真似までしていた
からね。

天保の飢饉では冷害が原因だったから、東北から北陸にかけての地域は
地獄だったようだ。西国では収量は減って不作ではあったが、凶作という
ほどではなかった。他地域への米の流出による価格高騰で、賃金労働者が
困窮したのが飢饉の実態だな。

558 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 21:26:38
そんな時に津軽の殿様は遊興三昧だったんですね。

559 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 21:43:16
津軽のような北東北あたりになると、人肉食が横行するくらいの
地獄だったと思うけど。

560 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 22:07:59
東北名物人肉料理

561 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 01:52:02
>>558
津軽も大飢饉に襲われたりしたけど、
元々表高より実高のほうが遥かに高い上に、
江戸早期に藩内再編を行っていたので無駄がない。
その後も時々に応じて殖産や新田開発、家臣帰農推奨などを行い、
他国の文化や技術を導入することに抵抗がなかったので、
なんとなーく乗り切れているんだよ。
アホアホ藩政で人肉食地獄、の盛岡藩と一緒にしちゃダメだ。

562 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 01:54:59
冷麺と人肉しか食べる物がない

563 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 02:59:13
つ鉄瓶

564 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 03:03:26
食べるのかよ!

565 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 03:42:12
盛岡の冷麺は戦後に在日朝鮮人が持ち込んだものです。
恥ずかしいです。
江戸時代は人肉と土しか食べ物なかったです。
かつ、偽銭製造以外、有効な政策はなし。

566 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 03:43:25
津軽は領民も狡猾で
南部を田舎者と舐めきっていた
藩主が近衛一族であり
甲斐の山猿の南部とは違うのだという意識があり
百姓までが勝手に南部領に侵入し
材木や作物を津軽に持ち去ったりやりたい放題

567 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 03:49:25
野辺地決戦

568 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 05:58:12
>>561
藩として無駄がなくても、百姓が耕作する土地については余裕がないと思うけど。
飢饉は武士じゃなくて百姓の間で起こるんだから。よそから食料を買うにしろ、
高騰した相場では近畿の日雇い労働者ほどの購買力もなかっただろうし。

569 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 06:34:46
(・∀・)ニヤニヤ

570 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 07:08:52
>>569
(・∀・)ニヤニヤ

571 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 08:06:39
>>561-567
さすがにこの時間帯の必死な独演には引くわ・・・・・

572 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 08:25:31
>>571
(・∀・)ニヤニヤ

573 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 18:03:38
>>566
泣くなよ南ブサwwwwww

574 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 18:50:04
弘前藩領に住んでる者だが
未だに八戸南部地方が同じ青森県人だと思えない
返って言語的に秋田県の方に親近感がわく。

575 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 19:02:23
津軽から出羽にかけては西廻り舟で上方につながっていた

576 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 20:41:44
盛岡藩の藩政が安定しなかったのは、藩主の早世や養子相続が多かったため、リーダーシップを取る者がいなかったためだ。
一方津軽藩は明君と呼ばれる藩主が登場し藩政改革などにも成功している。

577 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 20:50:22
出羽から津軽に逃げた
石田三成や吉良義央が
実は弘前藩の内政を見ていた

だから藩政がうまくいっていた

578 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 22:18:02
三河の岡崎の殿様の維新後ってどうなったの?
つか、岡崎生まれは家康は学ぶけど
江戸時代の岡崎の処遇やらその後は学ばないんだよね

岡崎様には船が着くって六万石か八万石だったっけ?


579 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 22:39:26
ちなみに日本史は専門外どころか、趣味ですらないけど

現状の岡崎って本当に中途半端な地域なんだよね、寂れまくりだし
維新の時代の殿様の判断やらが原因なのかと探りたいけど


まんどくせ

580 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 22:56:13
平日深夜早朝の自演ショー
まもなく始まります

581 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 23:00:09
岡崎って田舎だよね。
昔も今も。

582 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 23:08:07
駅前は金沢、広島レベル

583 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 01:49:34
>>576
一族や重臣が藩を代々支配したままで、制度改革一切なし。
身分低くても有能な人間とか、
新機軸とかの採用ができない、遅れたシステムだった。
そして全てを「津軽が悪い」に帰結させていた。

584 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 01:55:12
>>579
「三河」ナンバーは「なにわ」ナンバーと並んで、
日本あるいみ最強ナンバーですよ。
で、簡単に言えば、
名古屋に全部持っていかれたんだよ。
三河地方が独立の県で、県庁所在地にでもなっていれば、
多少は変わっていたかもね。
豊橋に勝てれば、だけど。

585 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 02:23:12
鎌倉からの名門相良

586 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 02:31:47
>>584
つ筑豊

587 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 02:55:13
トヨタも本社を名古屋へ持ってったね
登記上の本店はまだ豊田市なのかな

588 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 03:22:10
>>586
それは「和泉」レベルでまだ弱い。

589 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 04:33:27
岡崎藩主って本多忠勝の家じゃなかったけ?
他の徳川四天王の家と比べると石高低いけど
やっぱり家康の所縁の場所ってことで譜代名門の本多氏になったのかな?

590 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 05:52:34
最後の岡崎藩主はね。
以前に一度取り潰しになったから、他の四天王に比べると石高は少ないね。
ま、そうじゃなければ、岡崎には来なかったと思うけど・・・・。


591 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 06:43:12
三河独立に大功のあった鳥居家が三万石てのは悲しいな。

592 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 08:34:59
>>591
耄碌老害甚だしかったらしいしね
彦左なんかに言わせると


593 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 09:04:16
忠勝系本多家はいくつかあるが、忠勝の血を引いてるのは陸奥泉藩だけで、ほかは
皆他家からの養子。

594 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 20:33:00
>>591 鳥居家は最初は山形に30万石くらいなかった?
その後無嗣断絶改易のち許されて復活壬生藩三万石だから不遇とは言えないんじゃ

595 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 20:41:00
鳥居はDQN

596 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:12:08
忠吉翁と彦右元忠が偉すぎた

597 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:45:19
最上氏のあとに22万石だったけ?>鳥居氏
山形藩は最上氏57万石から藩主が変わるたびに石高が減っていって
(最後の水野氏はたしか5万石)
おかげで山形城が広すぎて維持が大変だったらしいと聞くけど
鳥居氏時代はまだ石高も結構高いしなんとかなってたのかな?
それとももうこの時点で「ちょっと大きすぎるよね」って気分だったんだろうか?

598 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 00:12:15
伊達時代72万石だった米沢城が
直江6万石でも維持できたんだから
山形57万石なんか大したことないやん

599 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 01:34:45
>ないやん

それ何語?

600 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 01:55:15
>>598
山形城の大きさを考えない発言乙

601 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:04:19
>>598
山形城の中に山形市がある

602 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 03:16:01
>>597
最上の段階で既に、身に余るスペックだったとも。

603 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 04:44:11
上山城は?

604 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 09:23:29
自演にも精彩がなくなって来たなw

605 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 10:05:26
>>604
( ´,_ゝ`)プッ

606 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:31:11
山形城はそんなにでかくないよ。
実際城と認識されているのは二の丸くらいだし、外郭まで入れて誇大表現するからでかく感じる。
江戸城だって外堀までは一応城内だけど実際は内郭で、大きさを測っているしね。

607 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:32:39
>>606
大してでかくない小田原城がでかいというのと同じ理屈?

608 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 17:23:33
石山本願寺の大阪城がいっちゃん大規模とちゃうか

609 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 17:27:27
今ある小田原城は北条時代のんやない

610 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 17:42:05
小田原城は江戸時代には縮小してたろ

611 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 18:57:26
東海道の最重要拠点小田原を治め、かっこいい天守閣も持つ小田原藩は憧れだな。
井伊や酒井と並んで大久保家はなんだかんだあったが譜代の名門として徳川家の信頼が厚かったんだな。

612 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:00:06
そんな大きな城で重要な拠点なのに、官軍素通しですか。

613 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:06:29
官軍妨害してどうすんのよw
朝敵になれとでも言うのかよw

614 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:10:38
御三家でも素通しなのに、小田原に何を求めるというのか。

615 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:25:03
遊撃隊と運命を共にする

616 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:34:48
大久保家は一番古い譜代家の一つだから何だかんだ言っても優遇されるよね。

617 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:01:02
木下家が戊辰戦争で新政府恭順を決めた際
馬印にひょうたんを使ったって与太話できいたがほんとうなのだろうか?

618 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:02:30
足守か日出か立石か

619 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:04:04
確か日出

620 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:11:40
藩侯直々に出征したわけでもないのに馬印?

621 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:15:13
当主の叔父のような名代が出たとか?
勤皇であれば、アンチ徳川でかつ賜姓の豊臣を連想させるから、
積極的に使うべき理由はあったかもね。

622 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:15:40
だからこそ怪しいなと思って
そもそも数万石の藩は出兵らしい出兵していないでしょ

623 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:18:16
ただ、外様のところは戊辰戦争の時結構いろんなところで
今こそ関ヶ原の恨みを・・・云々って話はできているみたい

624 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:20:30
大阪の陣当時の木下家と浅野家の日記は気になる
どんな気持ちで炎上を見届けたのか

625 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:27:01
木下はしらんが浅野はうれしかったんじゃないの
豊臣に好意持ってたのなら和歌山なんて大坂に近い要所を任せられるわけがない

626 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:28:44
ただ浅野家は九条家の嫁貰って
羽柴秀勝の血が流れているんだよな。

幕府に憚ったりしなかったのが不思議


627 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:07:48
ひ、必死過ぎる・・・・・・・・・・・・

628 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:28:21
>>622
相良鼓笛隊なめんな

629 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 01:35:31
>>626
ま、その点でいえば、羽柴一門の血は完全に絶えているわけではないなぁ。
広島藩主の系統にいまだに続いているんだし。
江戸時代の初め頃なら、徳川幕府が大きく揺らぐ事があったら担ぎ出す連中も
でてきそうだな。



630 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 01:54:07
担ぎ出すとしたら尾張徳川家とかだろうに
生き残っていたなら駿河家か

631 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 02:09:25
乱心し妻にケガさせて屋敷を飛び出し、両国橋の下に潜んでいた大名の正嗣。

志摩国鳥羽藩稲垣家
稲垣長興

ちなみに妻は、肥前国平戸藩主松浦静山の娘であった。

632 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 03:59:00
離島の藩主っていいね

633 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 06:08:58
離島の藩は参勤交代が大変だと思うよ?
離島の藩っていうと対馬藩、福江藩ぐらいかな?

634 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 06:13:31
松前藩w

635 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 06:53:02
平戸藩はどうなんだろう?
離島なのかな?


636 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 06:59:00
琉球藩

637 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 07:44:09
淡路洲本藩

638 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 08:17:04
っていうか江戸幕府自体が離島政権なわけだが。

639 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 11:00:59

朝鮮人の自慢
「我々は歩いてヨーロッパに行ける
チョッパリは行けない」

640 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 11:29:54
ウリは歩いてヨーロパにいけるニダ
でも途中で中国やロシアに捕まって奴隷にされてしまうニダ

いつのまにか船でチョッパリがヨーロッパに行っていたニダ

641 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:26:10
日本は離島でないやんw

642 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:58:03
ないやんって何語?

643 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:01:26
>>642
おまえは知らなくていい
もう少し大きくなってからだな

644 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:04:28
おそらく>>641は常人では計り知れないほどの田舎者なのだろう。

>ないやんw
>ないやんw
>ないやんw

田舎っぺ丸出し過ぎで笑いがとまらんw

645 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:36:34
自分なに言うとんねん
地理板に帰れや

646 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:42:34
>ないやん
2ちゃんでは何故かよく見るけど2ちゃん語?

647 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:43:34
朝鮮奴隷の末裔が倭國天皇
その家臣が大樹と大御所
三百諸侯はそのまた家臣

つまり三百諸侯は奴隷の陪臣イムニダ

648 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:49:25
>>646
2ちゃん語です

649 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 17:09:46
譜代の秋元家はたいした働きしてなさそうだけど、甲斐とか館林とか重要な場所に領地を持っているよね?
何で?

650 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 17:17:56
所領持ってるだけ

651 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 17:24:42
藩主本人としては50万石クラスや数万石クラスより
10万石前後が気楽だろうかな?
そこまででかい一門もいなければ、幕府に警戒もされないし
かといってそこまで財政的にも辛くもない

652 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:21:35
>>642
米沢藩主かねやん語
ドラマではいつも泣いているばかりいる子猫ちゃん

653 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:33:48
自演厨涙目wwwwwwwwwwwwwww

654 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:41:05
>>651
宇都宮藩へようこそ

655 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:52:11
>>649
秋元さんは老中とか出してます。


656 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:53:54
>>651
十万石でも、旧体制を引きずってたり、
元は大きかったのが減封で十万、だったりすると、
それはそれで”十万石なりの出費”があるもので。

657 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:56:40
そう考えると柳沢15万石とかはおいしいね。
成り上がりだから古い家臣とかいないし、必要な分だけ雇い入れればOK。
究極は御三卿だろうけどw
家臣は借り物で封土管理も必要なくて参勤交代もなく10万石ってどんだけ楽な人生だろ。

658 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:11:48
お前らニートならばそれで幸せかも試練が

659 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:26:03
出たな、御三卿

660 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:35:42
御三卿は将軍家の都合で、御三家とかに養子に出されるからな。
一生、北の丸の屋敷で将軍御家族として安穏と暮らせるとは限らない。

661 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:41:12
領地あってこその大名

662 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:14:30
>>657
会津保科は新興の大大名だったから、
よその実情をよく観察勉強した上で、
家臣の最高給料を低く抑えて、
「全体における人件費」を低く抑えている。
家老クラスでも2000石くらいで、ちょっと恥ずかしかったらしい。
「陪臣をなるべく減らす」
「一人の2万石家臣(と、その陪臣)より、100人の200石直轄家臣。
 のほうか、藩が直接使える有能人材が増える」
「直轄領を多くして藩財政を豊かに」
という主旨だったらしいけど。
柳沢はどうだったんだろうね。
家臣構成とかも謎。
会津保科は、
旧保科系、会津現地採用系(元の主は蒲生、加藤、果ては芦名)、
上の方に出てた旧鳥居系(会津の前が鳥居改易の跡の山形だった)、その他諸国浪人(豊臣系家臣二世とか)、
というような構成らしいけど、
柳沢はどこから採用したんだろ。
縁故で旗本の次男三男とか?旧武田系とか?

663 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:31:56
豊臣系家臣?
詳しく

664 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 04:04:25
会津の梶原家とか?

665 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 04:22:26
質問

薩摩が借金を250年かけて返すっていったとき、
文句をいった商人に対して、

「文句があるなら、私を殺すなり、なんなりせよ」

と言った、とマンガに書いてありますが、
本当にこんなこと言ったの?

666 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 05:22:12
>>662
大和郡山市の地元郷土史家の本によれば、柳沢の家臣団は元禄初期には100人あまりであったものが
郡山入部ごろには3200人以上になっていたんだとさ。その後随分減らしたらしく、明治維新の時の士族は
1900人あまりで、しかもその内700人以上が足軽(多くは郷中の壮丁を徴したもの)だったそうだ。
大和郡山藩は京大坂の守備に重要な役を負っていたから、家臣団も軍役の定数に近づけねば
ならなかったのかもしれない。もともと大和郡山藩は本多忠勝系嫡流が姫路から移って
入っていたところだからな。

上級武士として1千石程度の武士が挙げられているから、家老4人、城代1人、大寄合1人、年寄7人、
用人4人あたりはこのクラスだったのかもしれない。実際には表高1千石でも実収200石程度で、
浮いた分は下級武士に篤くしていたらしいが。

667 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 10:25:16
石田三成が100万石の大名になったら島左近は何十万石もらえたのだろう?
左近は価値がある男だがその子孫が無能なくせに大封もらっていたらばからしいよな

668 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 11:12:47
3〜4万石じゃね?
石田が4万石から19万石になっても島の石高は大して増えてないだろう。

669 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 11:57:53
もし100石とかとりとめもない空想で意味のない話だけど
石田が島を召し抱る時の逸話知らないと通じないよ

670 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 13:07:41
>>669
むっちゃゆうめいないつわやん

671 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:21:18
今話題の直江兼継は陪臣で30万石だけど
あれは秀吉が直江用に30万石を上杉に与えたのかな
直江は上杉家老で同時に豊臣政権の大名という特別待遇なのかな?

672 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:32:16
小早川や石川とまではいかないが半独立大名扱い

直江自身は米沢6万石だが
置賜・伊達・信夫・刈田4郡32万石の支配を託された

673 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:38:43
刈田郡は甘粕(パパイヤ鈴木)が白石城
信夫郡は本庄が福島城
置賜郡の小国城に実弟の与七(小泉)

といった具合に寄騎の重臣(万石クラス)を配し統治した

674 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:44:29
関ヶ原役で白石城は伊達に渡したため
刈田郡2万石を除く残りの3郡30万石が
上杉景勝に与えられ
彼が米沢を居城に選んだ
本拠地なら福島城のほうがよいのではと
今日の我々は思うが当時は違ったのだろう

675 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:51:25
甘粕の子孫は奥羽越列藩同盟で
伊達慶邦のはしごをはずし
「米沢の白狐め」と仙台藩から憎まれた

676 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:04:17
だからといってドンゴリはちょっとどうか。

677 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:44:10
パパイヤ鈴木の城を
西郷輝彦が貰った

片倉も半独立みたいな感じか
吉川と同じ立ち位置?

678 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 18:32:09
直江家は断絶したけど小早川みたいに再興はしなかったの?
兼続の場合は
200年近く奸臣扱いで藩内では法要すら憚られていたから無理か?

679 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 18:53:36
直江景綱の弟・重則の子孫が
加賀前田家で幕末まで続く
石高1000石

680 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 18:55:07
直江勝吉(本多政重)が
一緒に加賀藩に連れて行ったらしい

681 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 19:03:00
国許と江戸表では
幕府の旗本になった畠山義真と
能登畠山宗家を継いだ景広
の兄弟による反直江キャンペーンが凄まじく
逃げ出したと思われ

682 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 00:00:41
伊達は粋というより
やせ我慢が本来の意味

伊達の薄着とか伊達眼鏡

683 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:16:43
やせ我慢という意味合いが、
あとから派生したんだと思うよ。

684 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:06:30
伊達家は関東管領の
家紋を受け継いだ名家

商標登録もしている
笹に雀の紋所

685 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 20:39:25
参勤交代の途中で殺された藩主って江戸時代260年間で家斉の息子ただ一人?

686 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 01:05:16
「謎の死亡」なら他にもあったと思う。

687 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 01:30:17
尾張周辺って地味だよな〜
神君・家康の岡崎やら自称・松平発祥な奥三河も有るってのに
結局は関東移封のせいなのかね

688 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 09:08:58
藩主の嫁さんって旦那が隠居した場合でも
国許に帰るって事はなかったんですか?

689 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 09:12:08
国許とか行っても仕方ないだろ

690 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 09:36:41
>>688
旦那が生きてるのに実家に帰れるわけなかろう

そういや、離婚した大名っているのかな?

691 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 09:50:33
嫁が格下で子供ができなければありうるんじゃね。
交代寄合なら本で実例を見かけた。

692 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 10:00:37
>>690
自分の実家じゃなくて旦那の実家だよ
藩主の嫁は強制的に江戸屋敷に住まなきゃなんないけど
隠居した場合でも旦那と江戸屋敷に住まなきゃなんないの?

693 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 11:41:55
池沼

694 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 18:03:10
>藩主の嫁は強制的に江戸屋敷に住まなきゃなんないけど
>隠居した場合でも旦那と江戸屋敷に住まなきゃなんないの?

しわくちゃのババアの顔を見ずに田舎で若い愛妾を侍らせて楽隠居か。
男としては天国かもしれんが、人としてはどうかなw

695 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:50:21
>>694
「時代が違う」としか言いようがないだろうな。倫理観は普遍的なものじゃないさ。
江戸常勤の留守居役なんぞは、国許にも江戸にも妻子を持った時代だからなー

696 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:54:49
というか御台所は30歳で御褥下がりだから
大名の奥方も30歳になれば同衾できないはず

697 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 19:56:19
家康の年増の側妾達なんかどうなっちゃうのよ

698 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:02:33
家康は晩年はロリコンになってたような気がする…

699 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:40:51
家康の後家好きは子供を作れる女性を求めた結果じゃないかな

700 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 21:19:27
江戸時代で隠居したジジイが愛妾囲って子供つくりまくったら、藩も藩主も迷惑千万だけどなw

701 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 01:32:02
>>700
松浦静山なんか、別に迷惑かけてないじゃん。肥前平戸藩を
有名にしたし。家斉ほどじゃ困るけどな。

702 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 21:30:44
薩摩藩は重豪、斉宣が隠居後バカバカ子をつくっているね。
斉彬は曾祖父や祖父の子と世代が同じだったりする

703 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 00:07:02
黒田長溥とかかな
斉彬の曾祖父(重豪)の子だけど、斉彬より年下w

704 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 07:58:05
重豪の末子は十二女の戸沢正令室?
75歳の時の子か

705 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 09:25:29
>>702
あつひめのお父さんも叔父だかにあたるのかな


706 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 10:42:57
俺も二歳年下の叔母さんがいる
同居じゃないけど近所だから叔母さんは小学生の頃はよくからかわれてたw

707 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 10:46:11
パパは生涯現役か?

708 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:30:59
蓮如は80過ぎで子供できたよな

709 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:36:28
蓮如の実子じゃないだろうね

710 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 18:47:48
>>708 11男以降は79、80、82、84歳と死の前年まで子供作ってるよ。
まさに絶倫坊主。

711 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:26:15
>>708
浄土真宗は開祖親鸞のときからずっと妻帯。
大勢の子が布教活動に役立ったこともあり妻子歓迎の絶倫坊主が多かった。
蓮如は最初の妻如了に次々7人の子を次々に産ませるが奥方が疲れすぎて
7人目の子を産む際に死亡。
そこで最初の妻の妹蓮祐を2番目の妻にして8人の子を産ませるが、
絶倫坊主の相手に疲れたのかこの妻も蓮如より先に死亡。
2番目の妻をなくしたとき蓮如はすでに55歳になっていたが、
蓮如たるもの女なしではいられないのか更に再々婚。
3番目の妻如勝に1子、4番目の妻宗如に2人の子を産ませたが
絶倫坊主の相手はしてられなかったのか、
いずれの妻もすぐに亡くなってしまった。
すでに70歳を超えていた蓮如は、この期に及んで、
実に50歳も年下の5番目の妻蓮能に手を出す。
蓮如は70歳から若い蓮能相手に7人の子を作り、最後の子は84歳で生まれた
蓮如の子かどうかは知らんが。。
宗教者って、信者の女から身分の良いのをよりどりみどり妻にできた感じ。
他宗教では純粋な布教活動に専念するために妻帯禁止なのにね。


712 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:43:28
法然がお墨付き与えちゃったからやりたい放題だよな。

713 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:53:27
え?そうなの?

714 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:55:03
親鸞が尼のナントカと結婚するのに師匠の法然が咎めるどころか祝福した。

715 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 21:35:44
>>696
亀だが大名家ではそんな風習のないところも多かった。
15代将軍徳川慶喜は母親が35歳の時に生まれているし、
6代将軍徳川家宣室の近衛ひろ子も30代後半で子を産んでる(夭折)。
大奥でもどの程度実践されてたかはよく分かっていない。


716 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:34:24
松浦静山は何で長男を廃嫡したの?

717 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 00:03:43
>716
単に病弱というより、障害者に近かったという話が「殿様と鼠小僧」に
出ていた。
ただ、静山の祖母が非常に可愛がっていたので、おばあさんが亡く
なってから廃嫡したらしい。
もっとも、健康だった次男の方が、先に亡くなってしまったらしいが。

718 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:26:45
さすがに自演も屈服したみたいだなw

719 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:36:04
>>717 詳しくありがとうございます。
それで平戸にいた三男煕を年齢を偽って、江戸に迎え入れたわけですね。

720 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:50:19
有名な話だよ

721 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 14:06:10
松浦氏と言えば詮はすごいな
分不相応の伯爵にしてもらったあげく
長男は松浦伯爵家、次男は松浦子爵家、五男は大隈侯爵家、
七男は本多子爵家、八男は井上子爵家を継いでる
 
松浦と縁組すれば明治天皇と親戚になれるからかな

722 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:13:24
松浦党からを考えると大したものだ

他に、石高や官位は小さいけど嫁や輸出して
影響力高めた所ってあるかな?

(有名な重豪除く)

723 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:37:12
養子の高須?

724 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 20:00:56
>>717 殿様と鼠小僧って有名な本なの?

725 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:01:48
どう考えてもマンコもその気だったのに
後でレイプしたことにしたんでしょ

ホントマンコって最低

726 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:38:23
奏者番て将軍の前で大名の官名とか間違うと処罰されたの?
相当プレッシャーありそうな役目だが

727 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:47:36
出来のいい将軍なら聞こえなかったふりをします。
なんか綱吉あたりはこだわりそうだがw

728 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 17:01:22
WIKIPEDIA。譜代大名。藩翰譜による親疎分類って、何だよ?

藩翰譜に、そんなこと書いてないぞ???




729 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:29:06
学生のころの茶道の師匠柳澤某先生が、柳沢吉保の子孫と知って、
驚愕した。自分だけ知らなかったのかもしれないが。
暮には学生たちを東京の下町の味めぐりに連れて
いってくださったりした。今思い出してもお殿様の風格ある
武家風な茶人だった。

730 :日本@名無しさん:2009/06/10(水) 00:55:38
>>729
茶道と言えば、吉保曾孫の柳沢保光が著名ですね。

731 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:15:44
松平不昧と参勤交代の途中に待ち合わせて雅びな趣味に耽った大名って誰だっけ?

732 :日本@名無しさん:2009/06/10(水) 23:22:19
>>731
酒井忠以(宗雅,播磨姫路藩二代藩主)

733 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 23:51:42
>>732 さっそくありがとうございましたm(__)m

734 :日本@名無史さん:2009/06/11(木) 01:36:51
弟が本格派の風雅人なんたよね。

735 :日本@名無史さん:2009/06/12(金) 21:07:07
柳沢保申は正室の子のはずなのに、なぜ郡山で生まれているのだ

736 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 11:17:41
今度靖国神社の宮司になる京極高晴って京極家の子孫?

737 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 14:11:59

京極家の子孫には違いなかろうがどの京極家だ

俺の小学生の同級生にもいた

738 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 15:08:51
豊岡京極氏だそうな

739 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 17:10:16
京極本家って豊岡と丸亀どっち?

740 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 17:20:11
京極高晴っていかにも子孫っぽい名前だな。

741 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 17:23:27
京極高吉の嫡男京極高次の子孫が丸亀
豊岡は高次の弟高知の系統じゃなかったか

742 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 18:59:34
>>741 鬼平犯科帳に若年寄の京極ってのがよく出てくるが、豊岡の方だっけ?

743 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 19:07:22
京極と細川、なにがこの両者を分けたのか

744 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 19:21:08
>>743
大名として取り立てるべき兄弟の数と、豊臣家との距離だろ。

745 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 19:22:33
江戸時代、京極家の最盛期は
初がいた頃ってか本人でしょ

746 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 21:20:47
三代将軍の叔母がいた家だっていうのにねぇ

747 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 22:06:29
一度無嗣断絶しかかってるんだから仕方がない
そこを「三代将軍の叔母の嫁ぎ先だから」というので特別に先代当主の甥を後嗣として存続させてるんだから
その代わり大幅減封されてしまったけど

748 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 22:21:26
細川藤孝・忠興と京極高次・高知では能力がまるで違う
京極竜子(松の丸)のほうがよほどやり手だっただろう

749 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 00:10:22
高知と秀忠の娘の間に子供が出来てたら
また違っただろうね。
それこそ池田や浅野みたいに多少何か不祥事起きても厳封すらなかったかも

実際は子供出来無いどころかむげに扱ってしまったと言うことだが

750 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 00:58:12
それでも丸亀藩は小藩のくせに支藩を許されたんだから優遇されてたんでない?

751 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 01:34:22
柳沢郡山蕃っていつ松平姓を捨てたのでしょうか?

よく日本史板では、結構早くから禁止されているって言うのをちらほら見かける一方で
Wikiでは戊辰戦争の時に捨てたって書いてあるし

752 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 01:42:14
支藩作るのって幕府の許可が必要で、かなり難しいものなの?
てっきり1万石以上分知すればほぼ自動的に支藩になるものかと

753 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 02:40:42
藤堂の名張とか
鍋島の鹿島とか
結構難しいんじゃね

尾張の犬山なんか
三百年間幕閣にヨイショするため
ずっと江戸にいたという話だし

754 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 07:39:11
数百石の旗本でさえ一部を分知して複数の旗本家になっていたりする。
支藩作りは分家作りだから、幕府は簡単に許可を出すよ。
1万石程度の外様大名でさえ、一部を分知して分家の旗本家を作ったり、
本家が万石を切って本家までが旗本になったりしている。


755 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 10:19:58
1万石と9999石じゃ格式も全然違うんでしょ?
最高旗本で九千石ってのがいたけど華族にはなれなかったし

756 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 10:37:06
格式よりも家名存続の可能性を高める方が重要と判断する家もいたということだろう。
摂津の長谷川家とか、備中の蒔田家とか。家の都合だからか、交代寄合にもなってない。
参勤交代が始まってすぐくらいの時期だから、そこまで万石を切ることが大事とは
思っていなかったのかもしれないけど。

757 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 10:58:09
分家と本家が再統一して石高あげることは可能なの?
本家が断絶、分家から養子、ついでに合併するとか


758 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 11:18:58
実例ではほとんど認められていないようだ。あくまで血筋のプールが分家創設の目的らしい。

759 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 11:22:06
>>757
舘林藩と甲府は本家に養子に行って事実上併呑されたよ。
石高は上がったのかどうか知らんが天領になったなら上がったんじゃね?

760 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 13:24:07
>>759
見事な詭弁ですこと。

761 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 13:37:10
浅野の分家の三好は?
跡継ぎいなくて改易、広島本家に還付されたと思った。

762 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 13:42:05
分家断絶の場合大抵は天領になってない?

763 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 14:05:53
分家でも本家でも改易の条件を満たしていれば領知収公。

764 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 14:17:50
福井は藩主を分家から迎えたとき分家の封土を併せたね。
これも親藩筆頭の家格のおかげか?

765 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 14:42:25
自演はやっぱりごまかせないなw

766 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 14:53:16
三好浅野は忠臣蔵の罰だろう

767 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 15:08:03
相変わらずデンパがいるな。

768 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 15:11:51
新田藩であれば領知の分離が明確でない場合も多いから、新田藩取立ての際の手続きの中途半端さが
逆に幸いして、本藩に還付される(というか収公しようにもどの村が対象なのかだれにも分からないからできない)
という場合もあるのかもね。

769 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 19:02:17
>>749
というと、よほどのブスだったとか?

770 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 19:26:42
>>769
市の孫だから
少なくとも当時の基準では美女なはず

姉の千姫も美女だったし

771 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 19:50:05
高知はブス専だったということか。

772 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 19:51:39
男が好きだったかも

773 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 19:56:14
子供がいる。

774 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 23:03:41
確かにバカみたいに必死なスレだなこりゃ

775 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 01:13:12
キノコさんはwikiスレに帰ってください。

776 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 03:22:31
浅野や池田はどれだけ家康に媚びたんだろう
黒田や藤堂よりも優遇されてるのはただ事じゃない
関ヶ原後の加増でも池田は播磨、浅野は和歌山と大坂包囲に外様なのに組み込まれている

777 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 05:31:42
池田輝政は姻戚関係だろ。小牧長久手で父と兄を家康に討ち取られたから、戦後に秀吉のとりなしで和解した。
浅野幸長はその輝政の妹婿だ。豊臣家の影響力が大きい段階で豊臣のの有力者が徳川家の姻族になったら、
優遇するのは当たり前だ。上手く動けば豊臣勢力の手綱を握れるからな。

778 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 11:46:31
福島正則が俺の50万石は槍先で取ったが池田の50万石はチンポの先で取った
と嫌みを言ったらしい

779 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 11:49:40
ケツの穴で取った大名もいるからオーケー

780 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 12:35:56
ひこにゃんに謝れ

781 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 15:57:00
三英傑全てに抱かれた前田さんにも謝れ

782 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 16:24:57
>>781
若い頃はしらんが老いた肛門なんていらんてw

783 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 17:43:23
水戸黄門は「政は両方気持ちよい女色のようであるべし、男色は片方は痛がっている」
という意味のことを言っているが男色経験はあるのかな?

784 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 17:45:23
本当の意味で男もちゃんと経験していたら
慣れたら相当気持ちいいことを知っているはずだ

785 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 18:36:46
江戸時代の大大名で男色経験のないほうが少ないんでは?
光圀は相当やんちゃだったらしいから、まあ確実にあるだろ。

786 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 19:34:25
よく考えたら徳川将軍家も大名の一つと言う訳だな。

787 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 19:41:21
開府初期はその認識で合ってる部分もあるけど、中期〜後期にかけては
日本の統治機構になってる。

788 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 20:27:45
幕府と徳川家との混同?
将軍機関説?

789 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 01:13:34
ほりえもん最強

790 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 14:38:04
>中期〜後期にかけては 日本の統治機構になってる。
統治機構はやはり幕府じゃあないのか?
譜代大名や旗本が集まって政治を行う。将軍はその結果を裁可する。

791 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 18:51:21
何を以って将軍家を大名と位置づけるのか>>786の論旨が分からん。
初期の儀礼には同輩中の筆頭大名として将軍が擬せられるようなものも残ってたけど
中期〜後期には大名は将軍の臣下として位置づけられる。

792 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:36:45
ふと思ったのだが
吉良と上杉の縁組みって幕府からしたらあまりおもしろくないのでは?

片方は足利一門で主君筋、片方は関東管領
そりゃ力では話にならないが、権威とかそういうのが大切になる文治主義では
面倒な存在かも

793 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:49:28
老中が名門外様に苦労するのは良くある話
武断時代は別に良かったけどね

んでどんどん結婚外交して幕末には何が外様で何が譜代か・・・

794 :日本@名無しさん:2009/06/17(水) 00:09:20
>>793
二三百年も臣下に就いてたら、どちらでもよくなるよな。


795 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 01:38:59
譜代で老中も出している小笠原氏が徳川に臣従したのは1590年。
外様の島津や毛利が臣従したのは1600年の関ヶ原の直後。
10年しか違わないのに、それが何百年後までの違いを生んでるのな。

796 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 01:50:42
まぁ島津なんて後期は外戚だし

797 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 02:35:43
国主クラスの大名って、江戸初期は子藩や一門家とのつながり強いけど
いつのまにか本家は他の有力大名や将軍家とばかり婚を通じ、子藩とかは
周りの小藩と通じるようになっていつの間にか別々の家状態になっている所って結構あるね

798 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 06:32:38
>>795
時間は10年でも、その10年はどこまでのし上がれるかの分岐点だったわけだからな。
配下がヘタレなら幕府なんて開けるわけがなかったからな。当然の扱いだ。

799 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 11:42:25
社長になる前からの部下・・譜代
社長になってからの部下・・外様

部長・課長時代に育てた部下・・三河以来
副社長になってからの部下・・・小笠原など
社長になるために味方した役員・・細川・黒田
味方したので役員に昇格させた・・藤堂・山ノ内
反対派の役員・・・・・・・・・・毛利・上杉

800 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 15:50:48
>>799
細川・黒田は次長から取締役、
藤堂・山内は課長から役員待遇の部長、
毛利・上杉は代表取締役副社長から平の取締役、
島津・伊達は部長から常務取締役、
前田は代表取締役副社長から専務取締役、
かなり無理があるが、こんなところかなw

藤堂・山内は国持の中では格が低い方だし
細川・毛利・上杉よりは格下だろうな。

801 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 16:41:02
藤堂ってあんなに徳川に尽くしたわりにはいまいちな待遇だよな

802 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 17:58:06
藤堂は勝つ者に尽くしてきた、徳川に忠誠心があるわけではない

803 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 19:59:37
大名家同士の結婚て譜代は譜代、外様は外様とっていう決まりあったの?
地域性はあったと思うが

804 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 20:25:43
決まりはない
幕府の許可があればオッケー

805 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 20:32:27
>>801
東海道に面した交通の要所で、京・大坂に近い伊勢・伊賀をもらったのは、
外様としては十二分に厚遇されてるだろう。

石高といい、領地の位置といい、譜代筆頭の彦根井伊家に匹敵する待遇だ。

806 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 20:47:40
厚遇されてるとは思うけど、譜代と外様を比べるのは意味がない。
浅野、池田あたりと比較しても、経歴や元の規模からいえば藤堂は厚遇されてると思うよ。

807 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 22:49:40
確かに家康の婿や外孫だった浅野や池田が広島や鳥取といった遠隔地に追っ払われたの比べて、
畿内に近い伊勢で国主となった藤堂は厚遇されてるよな。

808 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 22:55:54
なるほど
スレの勢い恐怖症ってわけだ
必死だな

809 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 23:03:55
おまえは何と戦っているのだ

810 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 23:38:59
死ね!詩ね!紙ね!市ね!!!

811 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 23:51:02
藤堂は長宗我部にボコられたのに、それが戦功扱いっておかしくない?

812 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 00:00:57
うるせえ、氏ねよ

813 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 00:08:19
重臣が討ち死にしている=戦功


814 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 00:30:58
藤堂高刑は加増を狙う高虎に殺されたんですね
わかります

815 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 02:38:06
関ヶ原以降、
拡大した藤堂家が新規に雇用した家臣に、
結構な人数の「解散した長曽我部の人材」が含まれていた。
どんな人脈があったのかはわからないけれど。
結果、大坂の陣においてかなしいことに、
ふるさと四国を遠く離れた地において、
見知った顔の旧長曽我部家臣同士が戦うこととなった。

816 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 04:59:05
>>805
藤堂は伊勢田丸5万石を紀州藩に渡した代わりに山城大和で5万石貰ってる。一部は分家の久居藩に
分知してるけど。
山城に領知がある大名なんて、淀藩のほかには、陣屋付き地として持ってた柳生藩と、豊臣の頃から
村2つ持ってた大和小泉藩片桐氏、1村の一部を知行していた旗本から取り立てられた岩槻藩大岡氏
くらいのものだ。

817 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 14:14:12
>>815
桑名弥次兵衛たちのことだよね
侍大将の桑名は討ち死にしたけど

818 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 14:49:05
戦雲の夢のクライマックスシーンだな
八尾の戦い
桑名弥次兵衛の突撃
二君の馬前にて討死

819 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 15:24:06
司馬遼で
なんか旧主の若の作戦だかを誉めてた場面?

820 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 20:25:22
元親に「四国の蓋の器量ではない」
と放言する高僧が愉快だったな

四国制覇後は
「あれは宮内少輔殿を発奮させる為
わざと心にも無いことを言った」
とかとぼけてたんだろうな

821 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 20:55:30
>>819
葦の原から突然現れた長宗我部勢
恐れおののく藤堂勢から桑名が進み出てお互いニヤリと笑って激突した場面

822 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 21:00:43
それにしても桑名弥次兵衛は新旧両主の馬前で討死とは凄まじいけどかわいそうだな(T-T)
巡り合わせが悪すぎる。
きっと八尾で長宗我部の旗印を見たときから弥次兵衛は死ぬつもりだったのだろう

823 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 21:03:50
>>820
夏草の賦じゃね?

824 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 21:30:22
桑名的にはもう死ぬしかなかったんだろうな

825 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 23:12:16
長宗我部元親の末子は庄内藩酒井家に仕えて五千石だっけ?

826 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 23:25:15
右大臣家に召されて所司代の目を掻い潜って京を抜け大坂に向かう盛親と
京の辻々から現れては供に加わる甲冑姿の旧臣たち

かっこいい!

827 :日本@名無史さん:2009/06/18(木) 23:36:31
都市ゲリラという

828 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 00:13:12
丸橋忠也は長宗我部盛親の子なの?

829 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 01:22:29
二条城の門前に縛り付けられて町人たちの見世物にされる盛親

かっこわるい!

830 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 03:11:29
後悔ばかりだった土佐一国の大名時代をフッキって最後に悔いの無い戦いをしたから満足だったんじゃないの?

831 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 03:23:18
大名でもない桑名弥次兵衛の人気に嫉妬

832 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 13:09:51
藤堂なんて所詮外様

833 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 13:29:45
外様言う奴が外様だってじっちゃんが言ってた。

834 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 16:52:53
池田と浅野は優遇されすぎ

835 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 18:57:16
>>834
鳥取池田は確かに優遇されすぎだよなー

浅野と岡山池田はそれほどでもないと思う
細川・毛利あたりと同格か毛が生えた程度

836 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:08:10
池田は優遇されているようにみえて、輝政時代は一族まとめると92万石だったのが、
結局は鳥取32.5万石と岡山31.5万石で合計64万石にまで減っているからなぁ。

837 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:54:24
むしろ計92万石が異常すぎたかと。

松山6万5千石は無嗣断絶、赤穂3万5千石は乱心絶家、
山崎6万8千石も御家騒動で改易。
鳥取系は官位など相当優遇されてるのに、自滅が多いな。

30万石超の大藩を2つ維持できたんだから御の字だと思うけどね。
鳥取は葵紋も下賜されてるし、少将も早いし。

838 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 21:13:33
しかし鳥取のような山陰の辺境では報われないな。

839 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 22:20:35
藤堂家は侍従になるのに他の国持より年数がかかる?

840 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 22:23:09
もうどんなにあがいてもスレ勢いはゴボウ抜き状態!
可哀そうにねえw

841 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 01:00:33
>>939
そうだね
侍従になってから30年で少将

842 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 01:03:37
>>839
少将になるのが遅いのであって
侍従は遅くないんじゃなかったっけ

侍従が遅いのは南部とか柳沢の準国主なのか
国持ちなのかよくわからん連中

843 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 02:22:55
藤堂の場合、国持ちで三〇万超しているのに格は他の二〇万石クラスの大名よりも下だよね

844 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 02:41:40
他外様との決定的な違いは
徳川幕府によって大きくなった外様大名だって事じゃないか

他はそれこそ、守護大名やら戦国の覇者だったりしたわけで

845 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 03:55:50
鳥取藩は藩主の権力が極端に小さくてカワイソス。
重臣が強過ぎ。

846 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 05:17:08
 「未来へつなげ!藩校教育と米百俵の精神」と銘打ち、江戸時代に二つの藩校があった新潟県長岡市で20日、「第8回 全国藩校サミットin長岡」(同サミット実行委員会など主催)が開かれる。
サミットでは徳川家や全国の藩主の子孫、歴史関係者が集まり、藩校の精神をどうつないでいくかを語り合う。
(サミット実行委員長:旧長岡藩17代当主 牧野忠昌さん)

※旧長岡藩出身者:河井継之助、小林虎三郎(米百俵の発案者)など

847 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 08:24:13
一番優遇されてるのは加賀前田だな
外様なのに百万石、准御三家、三位宰相・・・上手いことやったもんだ
五大老の中でも前田家を特に重用していた秀吉涙目w


848 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 10:42:40
そうだよな。
加賀前田百万石は、歴史の中であたりまえに存在していたから、それが当然と思い込んでいたよ。
何故にあの家康が前田だけ破格な百万石を安堵したのだろうか?
前田家の減封や国替えなんか他家同様に容易なことじゃないの?


849 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 12:21:13
島津と同じで、前田も一生懸命徳川に取り入っていたよな。


850 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 12:26:52
関ヶ原の直後は豊臣家が存続しているのだから前田にまで手は出せない

851 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 12:52:03
前田を池田みたいにもっと分割しちゃえばよかった

織田を厠で刺したバカ殿に50万石くらい分与していたら

852 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 12:53:40
わくわく

853 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 13:15:53
>836
まあ、利隆がいなければ、そもそもが忠継取立ての28万石だったかはなかっただろうし。
92万石がもらいすぎだったんじゃないのかな。

854 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 14:04:49
前田慶次郎を取り立てればいい

855 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 17:51:21
>>849
島津の場合は幕府に本格的に工作始めたのはやはり重豪の頃からじゃない?
それ以前は親藩や譜代とは縁組みしたりしてるけど、幕府直系には直接つながらないしな
むしろ対公家の方で近衛家がらみでいろいろ取り入ってる感じ。

856 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 06:53:39
しかし前田と伊達島津の差は、思いのほかに広がったな



857 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 08:12:57
前田家は強運としか言えない。
豊家の精神的なシンボルであるならばなおのこと、あの家康が潰さなかった(弱体化させなかった)理由はきっとある。

858 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 08:45:57
>>856
関ヶ原で西についた島津と東についた前田に差があるのは当然だろう
むしろ、前田に次ぐ石高を保てた島津の方が特別

859 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 08:50:28
しかし前田と伊達の差は、思いのほかに広がったな

860 : ◆TnYeLUtQX. :2009/06/21(日) 08:52:18



861 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 08:52:47
>>859
それは政宗が野心ギラギラの狸じじいだったから

862 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 09:00:53
家格が定着する前には、松平頼房、前田利常、島津家久、伊達政宗は同時に
従三位権中納言になってたりもするのにな。


863 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 09:59:42
詳しくないんだけどたしか前田利政は最終的に西軍扱いみたいなものだったよね?
だったら「前田利長の功に免じて前田利政の助命はしてやる」って条件で前田利政領は没収しといて
加増なしでやれば80万石ぐらいで済んだんじゃないかって気がする。
そうできなかった事情ってあるんでしょうか?
あとは前田利常のエピソードや行動を逆手にとって
「あれでは広大な領地を統治する能力に欠けると思う」とか因縁つけて
分割するなり減らすなり・・・
ってやっぱり無理かな?無理なんだろうなぁ。

864 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 10:54:51
>>862
頼房と伊達政宗では年齢も実績も大違いだろう

30代と50代が同時に部長になっても同じ扱いということにはならない

865 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 11:03:52
>>863
前田利家が秀吉の友人であり石高は家康よりずっと低いものの
豊臣政権の中では家康と同格に近かった。
んで、秀頼の後見人に指定されて大坂城で上座で謁見したくらいだから
三法師の例からして利家が次の天下人と思う勢力も余裕でいた。

だから襲撃事件も起きるわけで

866 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 21:25:49
>>863

利長は実際戦って大聖寺城落としてるし
丹羽長重とも戦ってるし一応東軍として
貢献はしてるからね
あともし家康が能登を召し上げたら他の
豊臣恩顧の大名が黙ってなかったかも
しれない

867 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 22:29:23
保春院を証人ってのが政権初期としては大きかったのでは?

868 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 02:21:48
>>863
明確に別家ではなく、
領内分家程度でしかなかったから。
本家に収容されておしまい。

869 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 10:40:20
当時の人間の価値観を無視して、「○○という制度があるから大名は逆らえない」とか言うのは
いい加減やめにしてもらえないものかなあ。
今の日本でさえ、田舎にいけばとうてい法治国家とは言いがたい状況がいくらでもあるというのに。

870 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 11:42:59
>>869
田舎者乙

871 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 13:25:39
>>870
一応、戦前の祖父の代から六大都市住民だから、おのぼりさんと一緒にされては困る。

分かったかこの田舎者め。

872 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 13:28:06
ハハー

873 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 13:55:22
祖父の代で田舎で暮らせないわけがあって都会に出てきた都市細民の末裔なんだね
可哀相に

874 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 13:58:00
大学を出て田舎に戻りたくなかったようだ。親父が小さい頃に死んだ人だから、
直接確認したわけではないけど。

875 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 14:04:53
部落の人だったんじゃね?
そりゃ故郷に帰りたくないだろうな。

876 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 14:19:32
たぶんお前のように品性のない奴よりは家格が上だと思うなあ。

877 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 14:23:44
それに家業があったしね、下駄の修繕だけど。

878 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 14:33:41
>>877>>876すなわち俺とは別人な。なんか連投しているかのように見えるから
一応書いておくけど。

下駄の修繕ってなんか含意があるんだろうか。

879 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 15:13:21
自分語りとそれを相手にするのはチラシの裏で。

880 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 15:18:48
自分語りってお前、わけの分からん粘着に付きまとわれた俺の身にもなってみろ。
つかお前が粘着本人だろ。

881 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 15:25:33
経歴詐称の流れ者が嘲笑されてるだけだろ。
よくあることだ。わざわざageるな。

882 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 15:30:05
>経歴詐称の流れ者
なんだ、妄想を語る電波だったか。道理でキモい粘着をしてくるわけだ。

883 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 20:50:47
安房北条藩、上総鶴牧藩を領した水野家は代々幕府の要職についているのになぜ地味なのだ?

884 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 23:15:22
六大都市ってどこのこと?

「東京・京都・横浜・大阪・名古屋・岡山」とかだったらオモロイけどw

885 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 23:22:18
>>871は首都圏と京阪の人間でないことは確実
福岡か札幌あたりかな。

886 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 23:25:11
七帝大があるところは札幌、仙台、東京、名古屋、京都、大阪、福岡だけど、
そこから一つ抜くのかな? となると、仙台が抜けるのかな?

887 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 23:26:57
残念、京城だ。

888 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 23:28:05
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B8%82%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%A0%86%E4%BD%8D

東京・横浜・大阪・名古屋・札幌・神戸だそうだ。京都は入らないんだね。
ソースがwikiだが、まあ嘘はついてないだろう

889 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 23:32:18
東京・大阪・京都・名古屋・金沢・和歌山

890 :上岡龍太郎:2009/06/23(火) 00:34:02
和歌山はカッペ
大阪に来てひったくり専門や

891 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 16:23:21
戸沢正庸の子で五代目の戸沢正のぶののぶはどんな字?略字はある?

892 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 16:31:31
>>891

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E6%B2%A2%E6%AD%A3%E8%AB%B6

893 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 16:41:12
>>892
表示されない

894 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 16:46:23
野武

895 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 16:58:09
>>893
言遍に甚。

896 :日本@名無しさん:2009/06/23(火) 17:16:02


897 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 17:18:04
言遍甚

898 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 18:29:47
>>895>>897
ありがとう

899 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 20:09:42
大老が少将、老中・所司代が侍従、大坂城代が四品なら
若年寄も四品相当でも良さそうなもんだけどな。
あるいは特別に正五位下とかw

900 :日本@名無史さん:2009/06/23(火) 22:13:56
あいつらは現在の中央省庁の課長補佐か課長みたいなもんじゃないのか。
実権はありそうだが

901 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 00:43:09
そのまんま東が将軍の座
要求したで
三笠宮王の義兄あほう
も舐められたもんや

902 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 08:10:42
しかし吉宗側近の有馬・加納は上手いことやったな
附家老の安藤・水野は内心面白くなかっただろうw


903 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 17:20:10
>>884
なんとなく江戸時代の六大都市を考察してみた。

人口順なら、関ヶ原前後の六大都市は、京都、大坂と、駿府、堺、山口、江戸。

17世紀中頃以降は、江戸、大坂、京都の三都と名古屋、金沢で五大都市が占められ
(順位に多少変動はあるけど)、六番目の都市が入れ替わる。

最初は堺、続いて和歌山、江戸時代中期以降は広島、
幕末には場合によっては鹿児島。


904 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 18:33:26
1700年頃の人口(武家人口を含まない)
373,972 京 (1700年; 寺社方を含む)
364,154 大坂 (1699年; 三郷のみ)
353,588 江戸 (1693年; 町方のみ)
68,636 金沢 (1697年)
64,523 長崎 (1696年)
63,734 名古屋 (1692年)
63,706 堺 (1695年)

905 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 19:01:48
>>904
和歌山藩で唯一残っている町方の記録が、1699年の42,314人と1700年の57,005人。
明治6年には61,124人(三都、名古屋、金沢、広島、横浜に続く8位)
和歌山藩は8歳以上の人口しか幕府に報告しなかったので、
前者が8歳以上の町方人口、後者が当年以上の町方人口と思われる。

ただ、金沢、名古屋、和歌山などは、計外人口の武家人口が5万人程度はいるのに対し、
長崎は多く見積もっても数千人レベル(佐賀藩の長崎警固は1,000人)、
堺はもっと少ないから、江戸時代前期に堺が6番目に食い込んでいたとは思うけど、
1700年頃には和歌山が堺にとって代わっていたと思う。

堺は最初の人別改の記録69,368人 (1663年)以降ずっと減り続け、
18世紀中頃には4万人台、幕末には3万人台に落ち込んでいる。

長崎は1696年の市中人口64,523人が頂点で、1703年には50,148人に減り、
19世紀以降は町方人口は2万人台に落ち込んでいる。


906 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 19:30:22
ちなみに広島の町方人口は1715年に48,351人、1822年に50,092人と順調に増えており、明治6年には74,305人。

鹿児島は武家を含む人口が記録として残っており、1684年に49,096人、1800年に61,507人、
1852年に76,998人と順調に増えている。
ただしこれらの人口は周辺の農村部を含む「鹿児島郷」全域の人口で、農村部を除くと、城下町周辺だけで6万人強。
鹿児島藩は極端に武家人口が多く、鹿児島郷の武家人口だけで、58,093人。町方人口はたったの4,040人。

仙台も極端に武家人口が多く、1742年に町方、寺社方合わせて26,623人だが、
実際は7万人近くいたといわれる。ただ、天明の飢饉で人口が激減しており、
幕末でも人口が回復していない。

博多と福岡は両者を併せて町方人口は4万人程度で、江戸時代後半ほど人口が減っていく。

徳島はほとんど人口の記録が残っていないが、明治6年には48,861人と、10指に入る大都市に成長している。

岡山は1707年頃の町方人口30,635人が頂点で、農村人口流入阻止の藩政の影響で江戸時代後半は人口が減っていく。

徳川吉宗以降、農村からの人口流入を禁じる措置を取った藩は、町方人口が減る傾向がある。
天領も、江戸以外の都市は大概人口が減っている。
逆に農村人口の流入を重くは規制しなかった地域は都市人口が増えている・・・
とかいう傾向は多少はあるだろうけど、四国や九州・中国地方はもとも人口増加地域だから何ともいえない。

江戸時代後半に富山、新潟の人口が増えたのは、間違いなく北方貿易のお陰。


907 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 19:30:46
なぜ福岡がないんだろ?

908 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 19:44:41
>>907
1690年に博多町方19,468人プラス福岡町方15,009人の町方合計34,477人。
年度が違うけど、1812年に博多町方14,619人プラス福岡町方7,470人の町方合計約22,000人。
明治6年には博多20,985人、福岡20,650人の合計41,635人(全身分)。

だから参勤交代が始まった頃以降の江戸時代だと、
十指には入っていた時期はあるだろうけど、六大都市には入りそうにない。
ただ、安土桃山以前は間違いなく六大都市。

>>903のリストを少し訂正すると、
関ヶ原直前:京都、大坂、堺、博多、江戸、山口
関ヶ原直後:京都、大坂、堺、博多、江戸、駿府

で、駿府と博多が落ちたところに金沢と名古屋が入る。


909 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 20:09:11
山口って長州藩の政庁が萩に移ったから衰退したのかな?

910 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 20:31:09
>>905
長崎警固は佐賀藩と福岡藩の両方だったろ。

911 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 20:41:56
>>910
その通りだけど、交代制で、佐賀藩の史料によると実際に派遣している
警護は約1000人だから、そっちを引用しただけ。


912 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 20:53:02
いくら大藩とはいえ、千人って大変な負担だっただろうな
有馬や立花、細川、島津はババ引かずに済んだんだなw

>>900
いくらなんでも旗本支配の若年寄が課長級はあり得ないだろう。
よく言って副大臣、悪く言っても大臣官房長ぐらいの地位だと思うが。

913 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:06:41
本当は千人派遣しなければならないのに、勝手に150人まで減らしたら、
フェートン号事件の時に何もできなかった。

千人いたからって、何かできたとは思わないけどね。


914 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:06:45
山口駿府ってそんな人口多かったの?
江戸も関ヶ原前後そんな大きかったの?

伊勢山田ってかなり人口多かったんじゃなかったっけ?

915 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:22:24
>旗本支配の若年寄

これ、意味わかんないんすけど?

916 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:23:22
ルイス・フロイスの「日本史」に入っているザビエルの報告書によると、
京都が9万戸以上、山口が1万戸以上、博多が1万戸という記載があるらしい。

自分は「完訳フロイス日本史」を買ったはいいけど、全然読み終わっておらず、
どこに書いてあるかまでは確認してはいないけど。

また1609年に千葉県沖で漂流した、ロドリゴ・デ・ビベロが、『日本見聞録』という報告書を作成している。
こっちも日本語訳が出ている。
マニラ総督として本多忠朝や徳川秀忠、徳川家康と面会するほどの重要人物で、
また豊臣滅亡前の大坂の人口を20万人、江戸の人口(ここで秀忠と会った)を15万人、
駿府の人口を12万人(ここで家康と会った)、堺の人口を8万人と報告している。
所詮本人の見た感じの推定だろうけど、大坂>江戸>駿府>堺と感じたことになる。

そして京都のことを、「30万人から40万人いるといわれているが、私の見る限り80万人だ!」などと記している
(正確な訳は忘れたけど、大体こんな感じの文章だったと思う)。

また家康と会った駿府から京都に行く途中で3万人、4万人の都市を通過したと記述しているけど、
これは浜松、名古屋だといわれている。ただ名古屋城建築は1610年以降なので、4万人の町は清州かも知れない。

残念ながらビベロは博多や山口を訪問していないし、大分や長崎との比較を記述してくれていない。


917 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:28:35
>>914
駿府は家康が力を入れてたし外国船が清水港に入れるように整備されてたようで家康存命時は国内トップクラスだった模様。
宣教師の日記にも駿府と清水の賑わいが書かれてるが出典は忘れた。

918 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:31:21
宇治山田は1629年に外宮と内宮を併せて34,701人だから、それなりに大きい都市ではあったけど、
武家人口を含めて10万人以上で推移した名古屋、金沢レベルに比べると小さい。

駿府は家康・忠長の時代だけの繁栄。
そして明治時代に入って静岡藩として復活。


919 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:32:41
>>915
ウィキからの引用だけど、こういう意味ね。
「全国支配の担当である老中に対し、旗本や御家人の
支配を軸とする将軍家の家政を担当した。」

旗本の御役の多くも、若年寄の支配に属してるよね。
そういうニュアンスで旗本支配と書いただけだよ。

920 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:38:07
山口は大内の滅亡〜大内輝弘の乱入、炎上後衰退と聞いた。

921 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:42:25
大内滅亡後も、毛利一族200万石の拠点が置かれたわけだし。


922 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:45:30
>>914
伊勢在住だが内宮と外宮は間がきつい坂になってて距離も三キロくらいは離れてるから最早別の町で、
数字程の賑わいは当時も無かっただろう。
ただ伊勢詣りのブーム時はそこそこ賑わってたかもしれない。
木材の輸出をしてたみたいだが紀伊半島全域でやってる事だから特に賑わう要因にはなりそうにない。
地理的に端にあたるから相互の往来も少ないし町としては微妙だな。

923 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:46:18
>>919
旗本支配なんて聞くと普通は旗本に支配受けてるように聞こえるよな
若年寄が?はぁ?って感じだよな

924 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:52:09
>>920
江戸時代の萩、山口の人口は余り記録が残っていないけど、
明治6年の萩の人口は45,318人で、当時全国11位。一方山口は9,279人。

安土桃山時代は藩の国力が長州藩時代の何倍もあったわけで、
山口の人口が5〜10万人いたとしても驚きではない。


925 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:52:22
>>923
そうか?
じゃあ間に「を」を入れといてくれ。


926 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 22:08:32


ーーーーーーただいま自演中ーーーーーーー

927 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 22:21:44
>>924
萩の人口は、明治6年と現在で変化がないことが驚きだなw


>>926
もし仮に自演してる奴がいるとしても、そうじゃない奴も俺を含めて複数いるんだよ。
913・914や924・925の投稿間隔の小ささは自演じゃ無理。普通に考えれば分かるだろ。
自演なんぞよりおまえの荒らし行為の方が遥かに迷惑だからどうかほっといてくれ。

928 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 22:30:39
>>927
傍観者だけど、ほっとけよずっと言ってるんだから。

929 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 22:37:42
>>928
了解。スルースキル低くてスマソ。

でもこの板はID非表示だからNG登録できないし、
毎度毎度のワンパターンな荒らしにいい加減辟易。

これからはほっときます。
他の人、荒らしに反応してごめんなさい。

930 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 01:16:54



まちBBSに帰れ。


931 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 02:20:53
廃藩置県直前の明治3年頃の40万人以上の府藩県の人口

金沢藩:1,086,164人
名古屋藩:918,143人
広島藩:914,174人
鹿児島藩:896,817人
静岡藩:876,840人
熊本藩:730,531人
徳島藩:714,022人 (明治2年)
仙台藩:239,906人 (登米県222,523人、胆沢県138,167人、
 角田県83,020人を加えると合計683,616人)
山口藩:565,368人
和歌山藩:540,969人
高知藩:516,545人
佐賀藩:425,762人 (明治2年)
秋田藩:412,652人

東京府:674,440人
大阪府:427,499人
神奈川県:421,701人
柏崎県:418,724人
日光県:415,796人 (明治2年)


932 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 04:59:18
>>927
自演の指摘者も複数いるのが分かっていないようだな

933 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 07:20:35
そういえば昔、城壁厨ってのがいたな。

934 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 11:29:59
下げで無いのは自演を疑われても仕方ないかね


935 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 12:52:38
926=932なのは確定的に明らかだけどな。

936 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 15:39:42
>>931
柏崎県なんか高田藩、
桑名藩柏崎陣屋
糸魚川藩のぞいた幕府領だけなのに
どこに人がそんだけいるの?
新潟府は入ってないんだよね

937 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 16:08:43
>>931
廃藩置県前って藩と府県が混在してたのか。

938 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 16:22:22
幕府領や旗本領、公家領、寺社領の類は一足先に新政府の管理下に入ったからな。

939 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 16:44:47
府藩県三治制の時代は、幕府の天領や戊辰戦争の処分で召し上げた土地には、府県が置かれた。

大隈重信関係資料から明治2年1月1日調の府藩県石高人口表
ttp://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/26989/1/i14_a4361.pdf

ただこの時代の統計は、資料によって全然値が異なる。
上の資料だと、広島藩の人口が514,157人しかいない。
『統計集誌』(明治3年頃の府藩の身分別人口を掲載)や
『藩制一覧』(明治2年頃の藩の身分別人口を掲載)は異なる数字を載せている。

江戸時代は大概武家人口等が除外された統計しか残っていないので、
これらは貴重な統計には違いないけど、元資料と思われる明治初期の内務省の藩制関連の統計書等は、
関東大震災で焼失してしまったので、今となってはどれが正しい数字なのか確認しようがない。


940 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 19:41:04
>>931
廃藩置県時に最も人口多かったのは江戸と越後だろ。

意味不明なレスだな。

941 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 19:50:56
>>936
明治元年7月27日  柏崎県を設置
明治元年11月5日  新潟府に合併
明治2年2月22日  新潟県となる
明治2年7月27日  水原県となる
明治2年8月25日  水原県から柏崎県を分離
明治3年10月22日 長岡藩を合併
 
おそらく人口の大半は旧長岡藩の領民かと

942 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 20:05:31
>>940
旧国と府藩県はほぼ別物。
藩と府県が実務上の行政単位で、旧国は集計の単位として使われる程度の存在。

1846年の旧国別人口(武家人口を除く)
1,777,371人 武蔵
1,603,881人 陸奥
1,172,973人 越後
912,452人 出羽
794,698人 信濃
763,728人 摂津
755,781人 肥後
713,593人 肥前
653,678人 尾張
599,948人 伊予

1872年の旧国別人口
2,294,915人 (旧陸奥)
1,943,211人 武蔵
1,368,428人 越後
1,191,020人 (旧出羽)
1,074,460人 肥前
953,037人 肥後
919,115人 信濃
775,974人 伊予
729,444人 摂津
727,437人 尾張


943 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 20:19:32
>>936
>>941
確かに「長岡藩」という項目がないから、長岡藩の人口が加わっているみたいだ。

>>939のリンク先も、明治2年1月1日調と書いてあるけど、
実際はもっと後の明治3年か4年頃の境界でまとめたもののようだし。


944 :日本@名無史さん:2009/06/25(木) 23:40:02
>>941-941
なるほど
それなら分かる
長岡藩が入るなら
旧若松県の東蒲原郡
(会津藩の越後における分)も
柏崎県に入っているのかな

945 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 00:27:00
>>944
越後国内の会津藩領は若松県を経て福島県となり
明治19年に新潟県に移管されています

946 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 01:13:34
じゃあ会津藩の没収分は
柏崎県にはまだ入ってないんだね

947 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 01:49:37
>>946
まだというより全く関係ないですね
柏崎県は明治4年11月20日に権谷県・高田県・清崎県・与板県を
合併しましたが、明治6年6月10日に新潟県に併合されました
 
>>941 にある水原県の初代県知事は西園寺公望(21歳)
これ豆知識ということで

948 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 02:40:33
地域優劣厨は、まちBBSに帰れ

949 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 08:28:10
萩は人口が増えていないのか
マターリしてていいな

950 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 08:47:25
元は寒村〜は言い過ぎとしてもメインストリートからは離れた人工の政治都市だから
役割が過ぎればそんなものでしょ
他の人口増加傾向からすれば激減だね
いいか悪いかはわからんけど

951 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 11:26:31
山口もホールインワンだし
犬野郎に人口集中か
交通の要所だからな

952 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 22:11:19
久松と水野だと、どっちが優遇されてるかな・・・良い勝負?

953 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 22:18:09
萩は行ったことがないけど
長州藩の話題が出ると結構な割合で幕府の意向で城下を萩にされて〜とか
なんかそういう扱いなことが多い気がして
だんだん可哀そうになってきて逆にちょっと機会があれば旅行か何かで訪れてみたくなったw
どんなところなのかな?
なんだかんだで江戸時代ずっと西国の雄藩である長州藩の城下町だったわけでしょ?
決してそこまでいわれるような街ではないと思うんですよねぇ・・・
なんか江戸時代のはじめのほうに萩を城下の候補に挙げたのも長州藩だって話も聞いたことがあるような気がするし
もしそうなら長州藩的にもベストではなかったかもしれないがそれなりに上位にくるベターな場所だったと思うんだけどなぁ

954 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 22:31:22
萩は行ったことがないけど
萩は行ったことがないけど
萩は行ったことがないけど

955 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 00:59:22
実際行ったことがないんだけど・・・
なんか変なこと言っちゃったかな?

956 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 01:57:29
萩城の天守閣って、おかしなとこに建ってたよね。

957 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 02:16:30
おかしなとこ、って・・・



 │    _、_
 │  ヽ( ,_ノ`)ノ 
 │ へノ   /  
 └→ ω ノ    ここかな?
       >

958 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 02:36:46
まぁそのくらいおかしな所だよ。
ただの飾りで建てた?としか思えない立地。

959 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 04:22:31
萩に限らずそもそも飾りですから

960 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 13:35:56
江戸城、金沢城、鹿児島城などは、天守閣がもともとない、または再建すらしなかったから、
江戸時代中ごろには既に意味はないと感じていたのかもね。

西南戦争を耐えた熊本城とかごく一部を除けば、幕末には城自体ほとんど役に立っていなかったし。


961 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 14:44:38
天守閣は他大名対策としての軍事的意味合いよりも、領内近辺の土豪や庶民への
威勢の誇示が目的だったんじゃないかなあ。

実際、歴史知識の浅いDQNは天守閣に執着するじゃん。DQN市長がドカチン屋と組んで
コンクリ天守建てたり、天守閣を見なければ城じゃないとバカっぽい面したDQNがほざいたりさ。

962 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 15:15:54
天守は登るのが面倒だからいらないな。
そんな金が有ったら橋を朱塗りや一見木造に見えるレトロチックなのにしたり、
公共の建物には全て石垣を作って和風或いは帝冠様式にして街並み全体を綺麗にしてほしい。

963 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 15:53:16
まぁ子供のころ読むような昔話とかのイメージも
お殿様は天守閣に住んでる
(極端になると出てくる殿さまの城には天守閣以外の物はない)かんじだしw

964 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 15:59:57
おっとだぎゃーの悪口はそこまでだ

965 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 16:10:16
だぎゃーは今度本丸御殿も復元するでよ。

966 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 16:30:58
>>960
つ会津若松

967 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 18:13:11
パノプティコンか

968 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 19:54:37
次スレを立てようかと思うのだが
>>1の関連スレはどちらも落ちているので
【大都会】金沢・江戸・京都・大阪【倶楽部】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220732045/
を入れた方がいいのか、関連スレを無くした方がいいのだろうか?

969 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 19:56:43
>>968
どうみてもそれはネタ過ぎるので入れない方がいい。


970 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 20:55:49
>>969

了解しました
関連スレは無しで次スレを立てます

971 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 20:57:55
次スレ
【大名】江戸三百諸侯について語ろう7【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1246103822/

972 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 22:02:23
>>966 会津戦争で松平容保・喜徳父子は天守に籠城したわけではないよね?

973 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 22:06:32
蛸壺の中で糞尿漏らしてたよ

974 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 22:43:21
家康が上杉景勝に会津120万安堵してたら
会津戦争勝てたかの?
鶴ケ城の弱点を補う支城つくってたらしいし

975 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 22:56:46
あのおおきなけやきのあるところか
千歳桜は自分のベスト3に入るな

976 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 00:32:36
うさちゃんは某大河のせいで
無能の代名詞になってるが
鶴ケ城の弱点を一目で見抜いたというから
まんざら馬鹿でもなかったのだろう

977 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 01:24:24
天守に籠城したのって、
松永久秀と織田秀信くらいじゃないの?

978 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 04:51:46
>>977
おいつめられれば誰でも最後は天守に籠もるのでは?

979 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 05:36:39
秀頼ってこもったのは天守だっけ。
吉良も屋敷に天守があれば天守にこもったことだろう。

980 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 08:29:20
>>976
?
うさちゃん

981 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 09:54:31
ウサ美ちゃんか?

982 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 09:56:42
donousami?


983 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 11:26:32
長耳付けたウサギ隊の隊長ウサちゃんだ

984 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 11:42:06
卯(兎)松

985 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 13:39:53
最後の会津藩主である松平喜徳は何で養子縁組を解消されたの?

986 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 13:44:43
降伏後、容保の実子の容大が生まれて、会津松平家の家督を継いだから、
隠居の容保と当主の容大にはさまれて、中ぶらりんの若隠居になったから。

987 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 15:43:06
>>979
本丸脇の倉庫

>>978
目立つから、なかなかそこまでは・・・
それまでに脱出するはず。

あとは北庄城の柴田勝家がいたな。

988 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 21:58:06
しかし江戸時代には脱出説が広く流布してたんだよな
 
花のやうなる秀頼様を 鬼のやうなる真田が連れて
退(の)きも退ゐたり 鹿児島へ

989 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 22:01:46
宇喜多秀家が浪人していたら大坂城にはせ参じたかな?

990 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 22:05:45
> 退(の)きも退ゐたり 

仮名がおかしくないか? 正確に引用してくれ

991 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 22:11:05
むしろ水戸藩が朝敵会津藩の養子になっていた喜徳を引き取って守山藩主に据えたのでは?
容大なんて0歳なのに家督継ぐなんて無理があるし、会津藩としては喜徳にいてほしかったと思うが

992 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 02:20:33
秀家、数万石くらいあげてやればよかったのにな。
家康、大人気ない。

993 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 02:22:11
>>989
浪人してただろ、八丈島でw

994 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 06:58:03
松平喜徳は会津戦争の責任を取って、隠居させられてしまった。そこで、会津藩は先代の藩主であった容保の子容大を立てて藩主とした。
その後、守山藩主頼之が亡くなり、水戸藩の意向で当時許されていた喜徳を守山藩の当主に据えた。
水戸藩としては割りを食いそんな役割を引き受けてしまった喜徳に報いたかったのでしょうね。会津藩としても容大に家名存続を許された後であり、隠居を二人も抱えるよりは水戸藩に喜徳を返したほうがよいと判断したのでしょうね。


995 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 11:00:49
>>993
浪人というより流人だろう
でも宇喜多秀家が来ると大野や真田はやりにくいかも

996 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 20:32:51
>>995
故太閤との縁といい官位の高さといい格別であるからして、
諸将の大将に宇喜多秀家が据えられて、指揮系統が一本化出来て良いのでないか?

997 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 20:39:10
無能な宇喜多が大将では・・・
まだうらくやじょうしんのほうが。

998 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 20:44:48
埋め立て秀家

999 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 20:45:51
東風吹かば にほひ起こせよ 埋めの花

1000 :日本@名無史さん:2009/06/29(月) 20:48:29
1000

1001 :1001:Over 1000 Thread
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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