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江戸幕府最強の大老は誰だ?

1 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 19:01:37
徳川将軍より実権を握った大老とかいるの?

2 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 19:14:54
Z武

3 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 19:22:24
鎌倉の北条、室町の三好や細川の様に将軍に手を付けた大老はいない。
よっていない。

4 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 20:15:25
大老なんかより御側御用取次なんかが実験にぎってたんじゃない?

5 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 20:33:18
そうなの?

6 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 20:34:04
井伊とかかなり権力会ったよ

7 :日本@名無史さん:2009/04/17(金) 17:37:53
土井利勝 これ最強の大老

8 :日本@名無史さん:2009/04/17(金) 17:45:18
老中は大老に頭が上がらない

9 :日本@名無史さん:2009/04/17(金) 19:15:37
まず酒井忠清でしょうね。
家綱時代後半は彼が実質的な最高権力者
それから井伊直弼は非常時大権を発動した感じですね。

あと実力があった大老は堀田正俊ぐらい
他の井伊家の大老は単なる名誉職


10 :日本@名無史さん:2009/04/17(金) 19:16:46
個人的には側用人のほうが実権握っているイメージがある

11 :日本@名無史さん:2009/04/17(金) 20:52:53
>>9が全てを答えてるみたいなんで終了してもいいけど

基本的に家臣は将軍を超えられない。
将軍が政務を放棄して、完全に誰かに政務を委任したときだけ最高権力者になる。
4代、6代、10代〜14代あたりの時期だけど、6代はあまりにも短いので無視。
4代の頃に酒井忠清、10代の頃に田沼意次、11代以降は乱立の時代で絶対権力が確立せず
大奥やら、他の老中との関係で老中首座もころころ変わった。
最後に次期将軍擁立に成功して強権を行使した井伊直弼が出た。

この中で大老は酒井忠清と井伊直弼のみだね。

12 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 01:48:39
井伊直弼は凄いぞ!
ハリスも認めた!!
凄いよ!凄すぎる!

13 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 01:58:55
制度がゆるゆるで未確定の時代だけれど、
土井も捨て難い。
あと、制度外になるけど保科。

14 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 11:34:25
名前忘れたけど宮様将軍を画策した人いたよな

15 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 11:38:07
>>14
酒井忠清。
綱吉に憎まれて失脚した。

16 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 11:54:32
そもそも大老なんて飾り物

17 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 12:57:32
最高のういろうは?

18 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 13:01:31
>>15
何度か宮さんを婿養子にでも迎えてりゃ後に討幕派も
やりにくかったぜ

19 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 18:41:30
どうみても土井利勝こそ最強の大老です

20 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 19:11:06
江戸幕府は権力を握る家臣はいても鎌倉室町の北条、細川と違って将軍を食いそうな大名出なかったな。

21 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 19:11:27
土井利勝を連呼する人がいるみたいだけど、ほんとに将軍を超えるような実権を握って
独断的に幕政を掌握してたとは思えないんだけど。
秀忠、家光ともに政務に関わった将軍だし、土井がいた時代って実力を持った宿老が常にいて
土井の立場は幕閣の中心人物ではあっても、専断できる権力を持っていたとは思えない。

秀忠の頃は酒井忠世がいたし、秀忠が死んで家光の時代だと酒井忠勝がいて
立場としては下でも松平信綱や堀田正盛や阿部忠秋が家光側近として実力を持ってた。

22 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 19:17:32
松平忠次

23 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 20:08:08
大老の権限は将軍さえ一目おいた

24 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 21:29:59
何せ土井は幕府の制度をほとんど一人で作ったもんな

25 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 22:00:40
老中=家老
大老=宿老
に過ぎない、井伊の大老で権力を持ったのは直弼だけ。

26 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 22:08:39
>>21
土井利勝は家康落胤説がある。
実際家康に風貌が似ていたそうだ。

権威と組織の調整役がうまく相俟って家光の頃の幕府組織確立に寄与した。
ひとりでやった訳ではなく、松平信綱(伊豆守)などと協働で行ったもの。
落胤かどうかは謎だが、果たした役割は大きいと思う。

27 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 23:22:49
>>26
いや、果たした功績が大きいのは分かってるんだけど
>>1に将軍以上の実権を持ったって書いてあるから、土井利勝の場合能吏であって
権力者のイメージに合わないから書いたわけなんだが。

28 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 00:08:53
徳川時代というのは将軍の権力に対するスタンスが常に一定していないから、時代によって実質的な宰相に当たるポジションも一定しない。
秀忠の時代の老中はアドバイザーのような物
家光時代から家綱の治世の前半は将軍に代わって合議体制だった。
家綱時代後半から綱吉時代前半までは将軍の代行者である大老の専制時代

綱吉時代に将軍が専制君主になって、将軍の補佐官である側用人が事実上の宰相になる。
これは古代中国で本来の宰相職であった三公が名誉職化して皇帝の詔勅を作成する尚書や中書が事実上の宰相職に変わっていた事に似ている。
側用人の時代は完全な将軍親政の吉宗を除いて十代家治まで続く。

十一代の家斉から実力派の老中首座が国政を委ねられる。
松平定信や水野忠邦や阿部政弘だな。
幕末の混乱期に井伊が実力派の最後の大老として登場

以後、幕府は有力な宰相を持たないまま時勢に翻弄されて役割を終える。


29 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 11:12:23
教科書的には、大老は臨時に置かれる最高の職ってことになっている。
だから井伊直弼が大老職に着けたのは、黒船来航という大事件があったからだと思っていた。

基本的に老中は譜代大名から選ばれるが、
大老は、井伊、土井、堀田、酒井の四家しかなれなかった。
だから柳沢吉保の場合は、「大老格」と区別されている。


30 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 15:33:27
井伊は家格のみで大老になれるが、他の3家は老中経験した後、格別の出世という形でなっている。
そもそも幕末の混乱期を除いて綱吉以降、井伊以外から大老は出ていない。


31 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 17:31:48
>>30
アホやがなw

酒井は三河時代から徳川の大老や
むしろ井伊は遠江の出身で、かつ石川(数正)が抜けたので大老待遇になった。

家格の話を知ったかで書くなやw

32 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 17:43:55
今でいう官房長官みたいなものか?

33 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 17:51:49
>>31
歴代大老一覧を見ると少なくても中期以降は井伊が家格のみでなっていると思われるが?

34 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:02:34
直弼の大老就任の時も先例に習ってと言う形になっている

35 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:05:09
>>31
戦国期と家格の定まった江戸中期以降の区別が出来ないお前の方が愚か者だろうw
井伊家の家格は石高は譜代筆頭、官位も御三家卿、前田の次、伊達島津よりも上。

36 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:20:58
井伊家の場合は三河譜代ではなく遠江の名家だったから家康も客分扱いしてた感じがするな。


37 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:23:29
>>35
アホですか?

38 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:31:58
直弼の大老就任に旗本達は強硬に反対したが先例に習ったまでで飾り物にすぎぬとなだめられた
しかし旗本たちの判断は正しかった

39 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:41:46
阿部老中が御家門や外様に幕政に介入するきっかけを作ってしまった事により老中たちの威信が完全に低下したんだな。
御三家の権威や島津の軍事力を背景にしている一橋派に対して小大名に過ぎない南紀派の譜代たちは譜代筆頭で三十五万石の井伊家の大老で対抗しようとした。


40 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:53:12
本人がかなり大老就任運動したからな

41 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 19:09:12
大老が置かれる基準は何だろう。幼将軍の後見だったり病弱な将軍の補佐などが一番多いパターンかな…


42 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 19:34:33
老中は国務大臣で、老中首座が総理大臣みたいなもんだろ。

対して、井伊直弼以前の大老職は、将軍の相談役というか、茶飲み相手みたいなもんだったんじゃないの?


43 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 19:54:54
大老こそ総理大臣 老中は閣僚に過ぎん

44 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 19:56:01
大老=総理大臣

老中首座=官房長官

老中=国務大臣

45 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 20:09:55
無理に当てはめんでも(笑)


46 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 20:14:22
大老=マッカーサー

老中首座=総理

老中=国務大臣

47 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 20:46:26
大老は非常の役だろ

48 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 21:19:37
>>1
所詮、徳川家系の使い駒だよ。大老と言ったって・・

49 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 22:31:09
将軍はオーナーだな。
老中首座は代表取締役社長
大老は代表権を持たない会長

酒井忠清と井伊直弼だけが代表取締役会長


50 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 22:40:40
役職にばかり目が行くからみんなトンデモ解釈になる。

役職と権限、実際の位置づけは時期にも当時の勢力にもよるから十把一絡げには出来ない。
江戸時代でも最高権力者の役職や家格はみんな違う。

どちらかといえば実力者ありきで、役職は後付けでついてきた。
役職について、現代のように細かい権限や権利義務、任期や懲罰などについて細かく規定されていた訳ではないからな。

ましてや現代の役職に当てはめようなんて、無意味

51 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 22:52:58
井伊の大老就任は、少なくとも中期以降は譜代大名の代表として幕政に関して意見を述べるって意味じゃないの?
ある意味、御三家が徳川一門を代表して幕政に意見を述べる立場にあったのと相似した立場。

52 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 01:29:35
阿部以前から、有力譜代は幕府に普通に意見できましたよ?


53 :【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 :2009/04/20(月) 01:45:59
あまり現代の組織や役職に当てはめない方が良い
外国のそれと強引に比較するのも混乱や誤解のもと

54 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 08:13:55
>>52
その阿部が有力諸大名と結ぶきっかけを作ったのだろう。
水戸や薩摩と結び、幕政を大きく変えようとした。
井伊大老の登場は、それに対する譜代守旧派の巻き返しと見るべき。

逆に言えば、有力譜代が意見できていたのがそうならなくなりそうだった
状況に対する危機感だろう。

55 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 15:36:15
将軍=終身皇帝  天皇=最高神官

大老=首相

老中=国務大臣

56 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 15:37:41
でも江戸幕府の制度って完璧にできてるよな

これを作った土井利勝こそ最強の大老

57 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 15:39:04
>55

大名=半終身都道府県知事

58 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 15:48:02
将軍と大老って独仏伊露みたいに大統領と首相が両方ある国みたいなもんだな

59 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 16:20:56
譜代大名が普通に意見を言えたってのは少し疑問
役職についてない譜代は外様とあまり変わらないだろう。
溜間詰はは幕閣から諮問を受けた時だけ発言出来る。
後に溜間の大名は増えたけどこれは幕末の混乱期
当時は島津なども建白書を提出していた。


60 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 20:32:57
大老井伊直弼と、将軍家定の遺命?で
将軍後見役に就任した徳川(田安)慶頼との役割分担は、
どのような感じだったんかいな?

61 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 20:51:00
大老職に就任すれば、
官位も近衛少将に昇進するんだが、
初期の大老、酒井忠勝や土井利勝も
大老就任時に少将に昇進したんかな?

官位や石高で言えば、井伊直孝あたりの方が
大老職に相応しいと思うが…。

62 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 21:26:07
土井も酒井も少将になっている。
しかし土井と酒井の大老就任は家光が松平伊豆のような若手老中たちに実権を持たせる為に用意された名誉職
井伊直孝が本格的に幕政に関与するのは家綱時代から
本来、井伊家に期待された役割は幕閣に名を委ねる事より軍事な物だろう。
だから重要拠点の近江に大大名として配置された。
直孝の幕政関与は幕府最初の幼将軍という事態に対して保科正之が強力な挙党一致内閣を作ろうとしたからだろうね。


63 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 22:16:08
>>62 なるほどねえ…。
じゃあ、幕閣の後見人的存在だった
井伊直孝・保科正之と、

大老だった酒井忠勝・土井利勝との幕府内部の地位
の位置付けは、
どのような位置付けになるんですか?

やはり、井伊直孝や保科正之の方が、
酒井忠勝や土井利勝よりも上位になるんですかねぇ?

64 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 22:25:32
そういえば、江戸初期の大老の位置付けも、
結構微妙な感じだったな…。

四代将軍家綱の時の大老だった酒井忠勝よりも、

当時は、老中首座に過ぎなかった酒井忠清の方が席次では上位の扱いをされていたりしたようだが…。

65 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 23:01:37
62さん
そうでしょうな。
ただ保科も井伊直孝もどんな立場で幕閣に身を置いたのかはいまいち不明
単なる宿老たちの合議体制って感じですな。
幕府が今の我々が思い描く官僚制度に入ったのは、おそらく綱吉からでしょう。
家綱初期までは三河の少領主時代の延長線な政治体制だったのでしょうな。



66 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 23:10:17
間違い
63さんに

67 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 23:24:02
大老には、後見型大老と政務型大老の二系統があるらしい。

・後見型大老(執事職)
井伊直政・本多忠勝・榊原康政・井伊直孝・松平忠明・保科正之・井伊直澄・榊原忠次・井伊直興。

・政務型大老(元老)
酒井忠世・土井利勝・酒井忠勝・酒井忠清・堀田正俊・柳沢吉保(大老格)・井伊直幸・井伊直亮・井伊直弼・酒井忠績。

これを見ると、前者(後見型大老)の方は、
後の溜間詰に近い感じがし、
後者(政務型大老)の方は、
現在、我々が知っている大老って感じだな。

68 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 23:28:06
井伊直弼がすべてだな

69 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 23:43:26
まあ井伊が最強大老なのは間違いないね。
御三家や摂関家まで処罰したわけだからな。
例えが悪いかも知れないが戦時中の東条に全ての権力が集中した事態に似ている。
体制の末期症状によくある現象なのだろう。
不安定な権力ほど独裁者が現れやすいんだな。


70 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 00:35:52
>>69
政治状況が混迷しているだけに非常大権(?)を行使する必要があったんだろうな。
本来なら,将軍自身がその権力を行使し,強健を発動すれば済む話しなのだが。

しかし,何で幕府は幕末期には朝廷に屈するような態度を取ったのだろう。
幕初期の朝廷との対決からすれば隔世の感があるが・・・





71 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 02:51:14
ていうか直弼の個人的な欲望

72 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 02:54:41
幕閣が行う強行する改革が行き詰まりどうにもならない場合しばしば獄が行われさらにどうにもならないと大獄を行う

73 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 02:58:34
吉田松陰などはどうでもいいとして橋本左内を殺し幕府最高の頭脳であった岩瀬忠震をも排除したのは良い悪い派は別にしてさすがわ井伊大老というべきか

74 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 08:03:55
及祖の赤装、勇の存する無し

75 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 08:31:24
大老は、三つのタイプに大別出来るな。

・お飾り型大老…日常の業務から遠ざけ、体よく棚上げされたタイプ。

土井利勝・酒井忠勝。

・実権掌握型大老…文字通り、幕府最高職として絶大な権力を振るったタイプ。(ただ、このタイプの大老の殆どは、余り良い末路を迎えていない…。)

酒井忠清・堀田正俊・柳沢吉保(大老格)・井伊直弼。

・クッション型大老…世の中が不安定になっていくなかで、諸大名や旗本等の間に鬱積してきた幕府への不満や不安を和らげる役割を担っていたタイプ。

井伊直興・井伊直幸・井伊直亮・酒井忠績。

…この観点からすると、江戸幕府の最強大老は、下馬将軍酒井忠清か、
幕末の独裁者井伊直弼が該当するのでは?


76 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 08:51:29
幕府最高の頭脳を、岩瀬忠震から小栗忠順にすげ替えた
赤鬼井伊掃部頭直弼。

井伊直弼と小栗忠順とは、いつ頃から接点を持ってたんな?

77 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 09:54:14
井伊直弼に決まってる。昔も今もこれからも・・・
全国各地に銅像があるのは井伊直弼だけ。
開港150周年を迎えた横浜では開港の神扱い。
横浜港を見下ろす最高のポジションに銅像がある。

78 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 13:21:43
大老って、いいもんだな。
いくら名誉職的な大老でも、老中以下の諸役人に対しては、
呼び捨て出来るし、

諸大名に対しては、まあ、御三家や御三卿は別として、
どんなに大身の大名にでも、「その方」呼ばわり出来るから
さぞ、気分が良かったろうて(ニヤリ)。

79 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 15:31:41
そういえば、最強大老の最右翼である井伊直弼の背後に
影の大老、或いは京都大老とか言われて
反井伊派(反幕府派)に恐れられた長野主膳という懐刀がいたな。

80 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 15:56:58
何で「政治の天才」とまで評された土井利勝の評価が低いんだよ

81 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 17:52:37
>>80
子孫がソニー常務だから

人類史上最強大老の井伊直弼だが、ひ孫の井伊直愛氏も
とてつもないオーラを放っていた。

82 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 18:36:38
土井利勝は同時代に有名人が多いので損してる。
松平信綱の方が有名だし、土井利勝ってのは何か陰険なイメージがあるんだよ。
宇都宮吊天井事件の黒幕って印象が強い。

83 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:17:18
乃祖の赤装ねぇ・・・
大老が登城中に首を取られるってのもすごいよな

84 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 20:00:56
土井の場合は名老中だな。


85 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 20:50:25
井伊直弼は人を殺しすぎ

86 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 22:12:15
最近、井伊直弼絶対悪人論の風潮が変わってきてるよね

87 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 22:17:53
それって「花の生涯」的なやつですか?

直弼主膳コンビでの悪人なら長野主膳が担当

88 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 22:29:25
花の生涯って大老が主人公になった唯一の大河ドラマだな

89 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 22:39:13
原作の小説が流行したのは戦後の風潮も関係あるんだな。

攘夷派が戦前の日本で開国派が戦後の日本に見立てられたんだな。


90 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 00:09:08
直弼ブレーンの長野は国学者なのにね

91 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 00:22:45
まあ戦前は水戸斉昭が過大評価されて
戦後は井伊直弼が過大評価されてる感じがするね。
開国か攘夷かという問題より将軍継嗣問の権力闘争が本質だろう。
水戸が開国派だったら彦根は攘夷を論じたかも知れない。


92 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 00:32:07
井伊直弼は近代日本の父

93 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 00:36:18
天誅

94 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:05:57
井伊直弼なんて評価されてないよ?

95 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:08:21
土井利勝にしても、柳生や天海や崇伝にしても、
徳川の初期は有能な人物がたくさんいて、その結果あの稀に見る安定した政権が確立されてる。
要はこいつらを重用した家康の見識なんだよね。
で、(柳生はともかくとして)大抵は、業績が隠れてしまってあまり評判はよくない。

96 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:09:20
>>91
将軍継嗣問題の本質は水戸斉昭との権力闘争だよね



97 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:21:14
運動をした若狭の敦賀と琵琶湖を結ぶ新堀割開削問題では
結果としては譜代筆頭の彦根井伊家といえども幕閣の言いなりになるしかなくあっさり新堀割開削は許可されさらに禁裏造営手伝いと踏んだり蹴ったりだった
後年、直弼が大老になり川路左衞門尉を左遷したのもこの事があったからだろう

98 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:25:56
井伊直弼のおかげで日本は植民地化されなかった

99 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:25:59
反対運動ね

100 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:29:59
まあ「最強の大老」っていったら井伊直弼だろうな

執権、管領合せたら他にもいろいろいるだろうが

101 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:31:13
北条時宗>>>>細川頼之>>井伊直弼

102 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:41:02
井伊直弼のやることって個人的な恨みとか長野の怨恨とかがほとんどだよね
寺にも養子入りを断られた生涯冷飯食いの捨て扶持暮らしのはずだった井伊鉄三郎がにわかに大名になったから

103 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 19:09:08
大老は幕府bQだもんな

104 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 02:50:17
井伊直弼>>‖越えられない壁‖>>将軍・天皇

105 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 14:33:00
井伊直弼に先を越され、
揚げ句の果てには、赤鬼によって
隠居謹慎に追いやられる松平越前守慶永涙目。

106 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 18:00:12
最強の大老どころか井伊直弼こそ江戸時代の象徴的存在
家康と張れる唯一の人物

107 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 18:16:18
井伊直弼の場合は大老の枠を完全に超えたよね。
他の大老は最高顧問みたいな物で実権はそれほどでもなかっただろう。
酒井や土井が多少目立った程度でさ

108 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 19:39:02
>>106 いや、流石に徳川家康は別格の存在でしょう。

何しろ、徳川幕府の開祖で、東照神君(或いは、権現様)と崇められていた存在なんだから…。

109 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 20:12:21
長野と出会わなければ井伊直弼も違ってただろうな

110 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 23:57:55
最強のわりにはあっけなく殺されてるのな

111 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 00:25:09
護衛もいたのに,たった18名の襲撃者に暗殺されたんだよな。


112 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 01:14:51
雪の日だったから刀も袋に入れていたらしい
大名行列が襲撃される事など想定していなかったのだろう。
かつて徳川最強の軍団だった井伊の赤備えも天下泰平が長く続くとお飾りの侍になるわけだ。


113 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 02:26:35
簡単に殺されてるようでは直弼は、最強とは言えん。
堀田正俊も暗殺されてるし、酒井忠清も失脚して自殺?
終わりをまっとうした柳沢吉保が最強?

114 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 03:22:06
善悪は別にして最大限に大老という地位ゆ利用して歴史を回天させたのは井伊掃部頭直弼唯一人じゃないかな

115 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 04:05:17
         ,,、,、、,,,';i;'i,}、,、
          ヾ、'i,';||i !} 'i, ゙〃
           ゙、';|i,!  'i i"i,       、__人_从_人__/し、_人_入
            `、||i |i i l|,      、_) ヒャッホ〜!!
             ',||i }i | ;,〃,,     _) 明治に落ちたぜ!
             .}.|||| | ! l-'~、ミ    `)
            ,<.}||| il/,‐'liヾ;;ミ   '´⌒V^'^Y⌒V^V⌒W^Y⌒
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           Y,;-   ー、  .i|,];;彡
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            ゙i [`'''~ヾ. ''~ ||^!,彡ミ   _,,__
             ゙i }~~ } ';;:;li, ゙iミミミ=三=-;;;;;;;;;''
   ,,,,-‐‐''''''} ̄~フハ,“二゙´ ,;/;;'_,;,7''~~,-''::;;;;;;;;;;;;;'',,=''
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116 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 11:45:36
井伊直弼は、自分の暗殺を予見していた。
最後の言葉は「ウツケもの控えろ!」であった。

117 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 12:48:33
最強は徳川幕藩体制の礎を築いた土井利勝

118 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 13:03:48
柳沢の場合は大老というより「大老格」の側用人だな。
近衛少将で国持ち大名で松平性を賜った柳沢を老中格の側用人にするわけにはいかないからな。


119 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 20:44:43
村山加寿江は直弼とはとっくに別れてたのになんで安政の大獄に協力してたんだろ?

120 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 23:51:51
>>119 赤鬼井伊直弼の腹心である
長野主膳の妾だったからでねえのかい?

121 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 01:44:59
直弼の場合は、やりすぎ殺しすぎだな。
たずなの強弱もわからぬおろか者で、
自分の行為が招く結果(桜田門)を想像もできぬ脳足りん。

122 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 04:18:44
井伊直弼は頭いいよ 井伊だけにw
ひ孫が東大卒だし

123 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 05:44:57
>>121
長州がやらかした福島事件や自由民権選挙妨害は
死刑や逮捕がずっと多いだろ。

老中の総意でテロリストを処分したのがどこがやりすぎなんだよ。
むしろ甘すぎたから、浪人どもがつけあがったんだろ。

124 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 05:48:05
安政の大獄は、死刑数人の軽すぎる刑
本当に強権なら500人くらい殺しておけば、幕府が安定したのに。

125 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 05:56:57
>>121
安政の大獄で、治安が乱れたというは大嘘。
むしろ安政の大獄で全体的な治安は回復した。

徳川斉昭が勅状を、幕府に変換する言って再び火をつけたをから
水戸の反対派の一部が暴れただけだろ。
そいつらもしっかり死刑にすれば、治安は完璧だった。

126 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 07:33:56
直弼も脇が甘かったな。
どれほどの人間達から恨み憎しみを買ってたか分かってるはずなのに。
身辺警護を抜かった直弼は最強とは言えない。

127 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 09:24:35
大老の在職期間を見たら、
江戸初期の酒井忠勝と土井利勝、
下馬将軍酒井忠清を除けば、
短くて1,2年、長くても5年てとこか…。

…臨時職とはいえ、大老の在職期間って、結構短いな…。

128 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 10:58:38
田沼時代や大御所時代の末期にも大老が任命されているが、
こんな時期に大老を置く必要があったのか?

大老は何もやってないみたいだし。

129 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 11:43:20
幕府初期と直弼を除けば名誉職が大老

130 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 12:25:59
田沼に賄賂を贈ったりして大老になったんだっけ?

131 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 12:32:08
>>130 井伊直幸の事か?

…そういえば、彼は、田沼に
四尺四方の石台の上に、金銀等で細工した
箱庭風に誂えた贈物を贈ったりして
大老職にありついたエピソードがあったな。

132 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 12:33:35
大老歴任者で、一番賄賂をせしめたのは
やっぱり、下馬将軍酒井忠清かな?

133 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 13:11:17
俺は昨日彦根を歩いて思ったが、井伊直弼は良くも悪くも凄い人物だよ。
オマエラとは格が違う。

134 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 15:12:30
埋木の舎に行きたい!
ゴールデンウィークに行こうかな

135 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 15:23:06
>>129 しかし、飾り物の将軍の補佐役に
飾り物の大老を置くってのも如何なものかと…。

136 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 16:37:24
>>135
現代の政党政治でなんとか当てはめれば

将軍補佐役→副総裁
大老→副総理

無論名誉職である 昔も今もポストは大切なことなんだろう

137 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 17:37:30
埋れ木の舎って全然埋もれてないよねw
あれ今の家だったら大豪邸だよwww

138 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 11:00:27
土井利勝は家康、秀忠、家光に使え幕府の礎を構築した立役者

139 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 13:09:26
圧倒的に井伊直弼だな

140 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 14:34:50
桜田門外でテロられなかったら、
井伊の赤鬼は、長期政権の口やったかな?

141 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 16:56:08
政事総裁職とどっちが上?

142 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 17:02:58
>>141 政事総裁職は、事実上の大老職と考えれば良いのでは?

松平慶永は、親藩(とはいえ、隠居の身分ではあるが…)だから、

譜代大名がなる大老職にはなれない事から、
大老職に相当する新たな役職として
政事総裁職を設けた経緯だから、
大老職と同格と解釈したら良いと思う。


143 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 17:10:20
>>141
大老は譜代がなる家老=老中のトップ、あくまでも家来、会社で言えば専務取締役。
総裁職は親藩(越前、川越)がなる親族衆の取締役相談役みたいなもの。
幕府が徳川家の家政機関から一応国政機関へ転換する事を示した総裁職は程なく廃止されて酒井が最期の大老になっている。

144 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 17:14:22
>>142
なんでやねんw

親藩大名が政事総裁職になって慶喜の後見職
薩摩が出てきたところで、譜代大名による幕閣政治は終わりだよ
政事総裁職は大老より遥かに上

もし大老職に誰かがなっていたら、そいつは松平春嶽には土下座だろw

145 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 17:28:51
将軍=首相

大老=官房長官

老中=国務大臣

146 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 18:44:56
>>145
バカ?

147 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 18:55:51
政治総裁職は従来の大老の延長線にある役職と考えてよいのでは?

148 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 19:05:10
実質は大老だけど、「大老」という名前だと譜代の家臣と一緒だから、
家門の春嶽が嫌がって「総裁」になった。

149 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 19:09:10
単純な単語としてのイメージや響きとしてだけだけど
大老や老中や○○奉行なんかと同時期に
政事総裁という名前の役職が混じってると
なんだかタイムスリップしてきたみたいで不思議な感じがするよねw

150 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 19:09:53
>>148
だからもう、違うってw

政事総裁職はほとんど京にいて、将軍の補佐などしていない。
大老とは位置づけも実際も何もかも違う。

大老や老中は将軍あってこその役職。
名前ばっかりにとらわれていて何も分かっていないな

151 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 19:13:50
>>149
もう事実上「家政組織」は終わったと見て良い。
家政組織は戦国時代に大名家の組織として
徳川家だけでなく整備されていったが、
それは幕末にはもう有名無実になっていた。

室町幕府までは幕府の組織は朝廷組織の延長
だった(政所とか)が、戦国期に破綻し、幕末で
家政組織が限界に来たということだな。

152 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 19:50:45
大老職は幕府正規職制の最高位。
前スレにあった参考例としての専務取締役に基本同意だが、概ね代表を持つ代表取締役専務。

政治総裁は、政局に誕生した職制外暫定職。会社で言えば取締役執行役員に近い。代表権はない。

前者は幕府機構の名実共にトップ。
後者は老中に指揮命令権はなく幕府を直接動かす権限はない。

大老は、前例より土井、井伊、堀田、酒井の4家のみが就任資格がある。
柳沢は大老格。

153 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 04:58:34
…まあ、松平慶永や徳川(一橋)慶喜が、
政事総裁職や将軍後見職として、
幕府の中枢にいる事自体が、幕府の権威が低下している事の証なんだがな…。

何しろ、幕府自身が進んでこの両者を登用した訳では無く、
朝廷や雄藩(特に薩摩藩辺り)の圧力で
両者を登用せざるを得ない羽目になったから、

彼等が(外部からの圧力によって)幕府中枢にいる事自体が
幕府の権威が低下している事を証明しているな。

154 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 07:02:41
いつまで経っても幕府を現代の会社にしたり、現代の政治組織にしたりする輩がいるのがキモス

155 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 07:25:02
>>154
馬鹿には見当をつけさせる例示がないと馬鹿だから皮肉も言えなくだろう
現代社会の図式さえ分からない奴はいないだろうからな


156 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 08:13:06
日本語でおk

157 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:02:49
大老より大学頭のほうが頭はキレた
大老なんて今でいえば北の将軍様みたいなもん

158 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:01:21
ならば違うスレで語ればよいと思う

159 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:49:19
>大老は、前例より土井、井伊、堀田、酒井の4家のみが就任資格がある。

四天王では井伊の家系だけか。
草創期と幕末を除けば井伊しか大老になっていないし結局家格「のみ」で大老になれるのは井伊家だけだね。

160 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:54:05
大老になれた雅楽頭酒井家は四天王の家系じゃ無いしね。
かなり前に別れた傍流。

161 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:25:23
井伊が特別なんでは?
直孝が長い間幕政に関与し続けたのが、その後の幕府との関係を決定付けたように思う。

基本的に四天王は要地に大藩として配置されて、軍事的に幕府を守護するのが役目。
井伊も本来は同様の扱いだったはず。

162 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:27:48
酒井家は、徳川四天王の酒井忠次を輩出した左衛門尉系酒井家の方が本流だったんだ。

その割には、雅楽頭系酒井家の方が羽振りが良いように思うが…。

家格も石高もそんなに変わらんのに…。

163 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:49:51
なんで土井利位や堀田正睦は大老になれなかったの?

堀田が大老になれば、井伊に失脚させられずにすんだのに。

164 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:51:57
>>161
南斗五車星のシステムを江戸幕府が真似たんだね

165 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:14:40
綱吉より後に大老になったのは全部井伊、直弼を除いてお飾り大老。
位だけ高くて職権のない朝廷の太政大臣みたいなものじゃないか?

166 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:37:14
>>163 土井家は、利勝の死後、三代目の利久の時に世嗣断絶によって一旦改易され、
一族の利益が利勝の功績によって、
新たに7万石の譜代大名に取り立てられた経緯があり、
この時点で、土井家は事実上、大老就任の資格が無くなったと考えられる。

また、堀田正睦は自ら上洛しながら
条約勅許の獲得に失敗した事によって、
事実上、失脚したようなものだから、
とても大老就任どころの話では無かったのでは?

167 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:47:57
大老四家と言う呼び方にこだわらない方が良いと思う。
単に綱吉時代までに大老を排出した家で、大老を出せる資格という捉え方はすべきではないだろう。
綱吉時代までは大老は老中が昇進出来るる地位だったのが、それ以降では井伊家が独占する家職になったと思えばよいだろう。


168 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:50:02
>>167
つか大老に権限がなくなり、お飾りになったというのでよいのでは?
井伊直弼は最後のあがきだな

169 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 23:10:48
むしろ譜代筆頭で大老を出す筋目の家で京を押さえてるはずの井伊家が、
なんで阿部どもの幕閣の言いなりにならなければならないのか!
若狭小浜の酒井家の新掘割り計画を何故に認めなければならないのか!
という気持ちが直弼を大老に押し上げ大獄に走らせたのかな





170 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 23:26:28
まあ酒井忠清や堀田正俊が、なぜ力を持っていたかと言えば老中から昇格したからなんだよ。
ゆえに老中たちを完全に部下として使えたんだな。

後の井伊家の大老がお飾りだったのは、それまで何も幕府の実務もないのに、いきなりトップの大老になり、しかも側用人の権力が強かった時代に入ったからだろう。


171 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 23:36:16
>>169 井伊直弼が、安政の大獄で阿部派の高級官僚共を粛清した割には、

阿部家(福山藩)自体には何の処罰もしていないが…。

…そういえば、井伊家と阿部家は、
昔、縁戚関係だったな。

172 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 03:23:31
自分からすすんで大老になろうとしたのは直弼くらいじゃね?

173 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 06:13:21
そういえば井伊直弼は、大老就任の工作の一環として、
老中に復帰した松平伊賀守忠固に、
老中就任の祝いの名目で
黄金三十枚(三百両)を贈っていたそうな。

あと、他の方面にどのくらい金をばらまいたんかな?

174 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 09:11:55
老中の上位の役職に、
大老や政事総裁職、将軍後見職、将軍補佐等の役職があるらしいが、
これらの役職って、どのように違うの?

175 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 09:14:54
本来ならば、本多家も大老になれる家格だったのだろうが、吊り天井でやられたからな

176 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 20:54:44
それを言うなら本多にやられた大久保家だって大老になれる家格だっただろうにw

177 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 22:05:29
>>176
たらればの話だからどちらも仮定な話だよな。
現実として大久保長安が生き延びたとしても大老の家格には及ばない。
老中にはなる格式は得たかもしれないが。
榊原家より格下が大老になれるはずなかろう。
本多は立ち葵を家康に許された正信・正純二代に渡る家康に最も近い寵臣だ。正信は若い秀忠も補佐したから将軍家二代に及ぶ功臣だよ。
あまりに神君の威光をかさにきた正純排斥が吊り天井の物語の素地なのは定説だが、真実は未だに謎。
まさか大久保を引き合いに出すとは考えなかったよ。

178 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 22:38:36
>>177
長安であるわけがないだろw
本多正信に陥れられたとされる大久保忠隣だろう。
三河以来の名門中の名門で秀忠側近のトップだった。
家柄から言えば本多なんぞ足元にも及ばないよ。
ちなみに関東入国時は父親の忠世が6.5万石、忠隣が1万石、本多正信は本人のみ1万石。

179 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 23:04:32
>>171
当人が死んだからだろう。
同じく島津斉彬も

180 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 23:16:14
>>175-176
本多家(正信系統)は、むしろ後世の側用人に近いだろう。
あと大久保家や本多でも忠勝系統は、侍大将で大老とは違う。
幕府を開く前は、ほとんどが「軍議」なので、大老も侍大将も
同じように(でもないが)軍議で発言しているが、平時はかなり
様変わりする。
それと、軍議の際も徳川家は他の大名家と比べて割と主君
家康に侍大将レベルが直言できる雰囲気があったようだが、
これはもうひとりの大老格だった石川(数正)の出奔が大きい。
井伊が台頭出来たのもこの事情が大きな要因だと思う。

181 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 23:32:36
結論
善くも悪くも井伊直弼が最強

182 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 01:19:37
>>181
浪人にも負けてるのに最強とは、これいかに?

183 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 01:39:49
考えたら「最強」って定義が一番アホみたいだな(笑)

184 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 07:58:28
まあ高校生に戻った気分で適当に楽しめばそれはそれでいいかもよ

185 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 11:11:03
大老は、徳川家の職制でなく幕府の制度上の副産物と俺はとらえてる。
常任最高職が老中で、それが機能すればよいが、歴史には傑物や上様寵臣や力学調整人物など必ず登場するものだ。
それらを納める箱が大老なんだろうな。
直弼は、あの時代に生まれなければ風流茶人大老として教科書に載ったかもしれないな。
離合集散疑心暗鬼する大名をまとめるには、少なくとも譜代筆頭井伊家の看板がなきゃまとまらなかったのかもよ。
その意味では、直弼は強腕と言うよりも聡明な政治家。
従来然の譜代運営による幕藩体制堅持が最重要課題。
水戸や一橋や越前の親藩の口出しを許したら幕府統制システムの崩壊であり外様政治介入なんかとんでもない話しだったのだろう。
ある意味、直弼も信長同様に時代に命を差し出した一人。

186 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 12:13:52
>>185
信長とは正反対
信長は時代を進めたが、直弼は時代を後退させた。

187 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 12:27:20
>>186
それの学術的なソースは?

188 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 13:59:01
あほやがなw

189 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 14:36:16
断定するソースを教えろと言ってるのだが

190 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 17:40:05
時代を進めたとか後退させたというのは人の見解の問題だな。
客観的事実についてならソースが問題になるが、見解について
ソース云々はワロスw

何でも「ソース」といえばいいというもんじゃないぞ、トーシロw

191 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 20:24:25
最強の定義は?

全くこのスレ建てたヤツは無責任の大馬鹿者だな

192 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 20:46:23
最も強い

193 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 20:51:39
それなら大老という職についたかは微妙だけど、実戦経験の豊富さから井伊直孝が最強だろ。


194 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 21:17:01
そんなもん出すな!

195 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 21:53:17
ソースとか定義とかバカ丸出しだなw

196 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:17:19
スレがバカ丸出し
まあ、江戸三百諸侯がなんたらとか
チンタラやっているスレよりはマシだがなw

197 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:24:36
最強の大老プッ 意味わかんねーよw

198 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:45:09
>>197
井伊直弼のことだろ

199 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:52:21
      _,,,
     _/::o・ァ チュンチュン
   ∈ミ;;;ノ,ノ
     ヽヽ

200 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 01:21:46
>>198
直弼は最狂だろう


201 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 06:27:27
誰かがきっと書くと思いながら、書く奴はきっと馬鹿だろうと思ってたが、やっぱりな・・・・・・

202 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 07:18:08
スレ立てした奴は厨房だろ?

203 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 11:25:00
おまえらここは学問板だってことを忘れるなよ
2ちゃんねる初心者の練習板は別にあるからそこへ逝け


204 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 13:04:50
じゃ逆に最弱の大老って誰よ?

205 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:43:37
>>204
幕府以前だが、石川数正かな?
秀吉に籠絡されて出奔さえしなければ、子々孫々江戸幕府の大老だったのに
先見の明がまるでない

206 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:59:33
若年寄に刺し殺された堀田正俊。

207 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 00:40:03
>>205
それは、結果論。家康が天下を取ったのは宝くじに当たったようなものだし。
まあ、紀州勢、長宗我部、島津などの西方の平定を優先する秀吉に長男を人質に出して
やっと和議を結ぶなど、明日をも知れぬ徳川。
万が一、平和裏に秀吉の傘下におさまったとしても、秀長(隆景、利家..)なども健在であるし、
家康が秀吉より早く死ね可能性もあり、家康の天下など、数正の出奔時点では可能性は1%くらいだろう。

208 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 01:05:33
石川数正の子孫は江戸時代は肩身は肩身が狭かっただろうなぁ

209 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:45:36
江戸幕府?
最強の大老なんかいるもんかw

最強の大老は豊臣政権の徳川家康だよw

210 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:19:26
言い直すけ?

211 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:51:10
江戸幕府の大老就任者は12人(1人が改名により計13名となる)。
とどのつまり、この12人の中で最強を決めことになる。
では、最強とは、何をもって最強と呼べばよいのだろうか?

212 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:53:25
喧嘩、SEX、ギャンブルに最も強かった大老=最強の大老


213 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 00:36:12
腕相撲だろ

214 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 00:49:52
ばかやろう
いくさに決まってるだろうが

215 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 10:28:49
ならば最弱が確定w

それは浪士17名に討ち取られた井伊直弼

216 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 11:58:18
負けいくさの大老はたったひとり
最弱だな

217 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 14:47:04
何で桜田門外の変が戦やねん!?。
あれは、れっきとしたテロやろ−が!!。

そんな定義で行くなら、
たった一人(稲葉正休)に仕留められた
堀田正俊も最弱の大老候補になるだろうが!!。

218 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 16:33:47
>>217
なるよw

でも何の為の警護なのやら
警護があってそれでも討ち取られたんだから最弱

稲葉正休と堀田の方が突発事故だな

219 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 18:45:48
…そういう風な観点から評価するのならば、

最強の大老は、歴代大老中、戦陣の経験がある土井利勝が最強の大老って事になるのか?

220 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 20:51:20


221 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 21:23:59
政治面でも土井利勝が最強で決まり
井伊直弼は無茶をやっただけ

222 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 23:05:51
土井利勝なんてなんもしてないよ

223 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 23:17:22
利勝君は大御所亡き後の秀忠政権の支柱。
秀忠政権時代の法度や政局に利勝君は全て中心的役割を果たしている。
ちょっと調べればわかることだが。

224 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 23:28:26
土井利勝なんてどうでもいいw
ちょっと調べるってWikiかww



225 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 23:48:14
高校程度の日本史で教えて貰ったはずがが?
教えられなくとも日本史板に来る奴ならその程度は知ってあたりまえじゃないのか。
知識なく語るなかれ。

226 :市民:2009/05/03(日) 09:51:00
5月3日は、ナポレオンが島流しされた日

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/32/208.html

明治維新の徳川幕府、大東亜戦争の大本営、公明党、いずれも敗北の日を今日の5月3日に設定した。

もちろん、ナポレオンを記念した。

池田大作は、『波瀾万丈のナポレオン』という本まで出版している。

227 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 10:17:37
江戸時代の最強大老。
歴史的には「非公認」だが私の推挙だと2人いる。
本多正信と大久保彦左衛門。年齢で見れば十分「大老」になる。
本来の「大老」とは、文字通りの「長老格の宿老」、「老中の中の最年長」的な意味合いという。
初代の大老は家光時代に登場。

228 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 12:12:10
>>227
素人が発言するなと言わないが、嘘を書いてはいけない。
「老」というのは年齢が高いという意味「も」あるが、
老中、大老。さらに大奥で「老女」などという場合、年齢では
なく位が高いということだ。

従って内容もスレチ

#「本来の」とは何の本来なんだ?
#あんたの脳内か?

229 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 12:30:30
本多正信は能吏ではあっても権威があったわけではないし、ある意味側用人みたいな存在。
家康が死んですぐに当人は死んだから良かったけど、秀忠時代には生き残れなかっただろうな。
子の正純はあっさり排除されたし。
良くも悪くも家康個人の用人。

大久保彦左衛門はなあw
暴れん坊将軍にでてきた爺みたいなもんで、口うるさくて「上様!」って説教はできても
実際に要職にあったわけじゃないからなあ。

230 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 12:46:58
老中つまり老職=加判の列


231 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:15:55
自演乙

232 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:54:29
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。
どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw

233 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:47:31
関係ないカキコするな。
最近は武陽より、武陽叩きしてる連中の方が見苦しくてうざいよ。


234 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 22:12:42
>>232-233
で、どちらが不要印紙の書き込みなんだ?
コテハンネカマはこれだから卑怯だw

235 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 13:45:04
江戸幕府の将軍なら最強最弱あるが
大老ってどっちにしてもまあ普通なんじゃないか?

236 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 21:55:46
井伊直弼は最強と最弱と評価が両極端だな

237 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:54:02
>>236
最強だったら、幕府が少しは続いたかもね

238 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:54:06
>>236
一番有名な大老であるのは間違いないから賛否も分かれるんじゃないか?

239 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:59:14
大老として幕政の中枢を占めたのは
酒井忠清
堀田正俊
井伊直弼

の三人だけ。
すきなの選べ

240 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 23:27:25
好きなのいません・・・

241 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 00:50:48
>>239
では躊躇なく「土井利勝」w

242 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 14:25:46
>>241
大老としては何の功績もないけどな。

243 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:19:12
実質的に幕府の職制を定めて機能させたのは
松平信綱と土井利勝だろう。

江戸幕府の政治で最も功績があると思うがな。

244 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:20:32
>>243
大老としては何の功績もないけどな。

245 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:23:33
うわw オウム返しか、しかも瞬時に
何を粘着しているんだw

>>243への反論が「大老として」限定なら功績は認めてるんだ?
残念だが、これは「大老」としての功績だろう。

246 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:35:06
>>239 >>242 >>244
本人はいたって真剣なんだろうが頭わるいよ

247 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 19:48:24
>>245
土井利勝は大老就任直後に中風で倒れて政治的実権を持ってなかった。
もともと酒井忠勝とともに大老(大年寄)に任じられたのは棚上げされたのと同じ。
松平信綱や阿部忠秋等の若手老中が幕政の中枢を担うことになった。
別に老中時代の業績を否定してるわけじゃない。

248 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 21:09:40
おー、素晴らしい!なるほど!

249 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 08:27:46
大老って、実績云々よりも
どちらかといえば、幕閣に重みをつける為に
就任させた役職って感じがするが…。

250 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 09:54:55
>>248
自演乙

251 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 11:53:36

基本に忠実な初心者発見
しかし、まだ見極めができてないよいだなw
早く「大老」になれよ

252 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 12:30:59
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。
どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw

253 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 13:23:07
表のbQ=大老

裏のbQ=御側用人

254 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 15:11:58
>>251
大老になれとw
妄想が過ぎるようだな

255 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:27:22
家康三河以来の譜代でない井伊家は何故譜代筆頭なんだろう?
何故大老家格なんだろう?
三河以来の譜代名家の榊原や水野は何故大老家格を与えられなかったのだろうか?

256 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:54:56
>>255
井伊直政の台頭は武田滅亡の後。

武田の旧臣が徳川家に随身した際、井伊はその大半を引き受けた。
直政はまだ徳川家の中で際立った勢力や配下を持っていなかったからだった。
有名な井伊の「赤備え」は、武田の山県昌景の鎧を模したもの。
(風林火山の「火」にあたる。)

しかしこれが井伊家の徳川家における位置づけを飛躍的に高めたのだと思う。
なにしろ戦国最強の戦闘集団「武田軍団」を配下にしたんだ。それで戦闘の度に
武勲を挙げて行った。

それと、酒井忠次と並ぶ大老だった石川数正が出奔し、秀吉についた。
これで徳川家の軍機が豊臣に筒抜けになってしまったので、家康は軍制改革を
行わざるを得なかったが、その際、甲州流に変更している。
ここでも井伊直政の発言力が増したのだろう。そして石川にとって代わる形で
大老格になった。

もともと家格としても、井伊家は遠江の有力国人。三河の有力国人だった酒井と
比べても引けを取らない。
本多や榊原の家格はもっと低いし、水野は一時期織田についたり、小牧長久手
の際にも秀吉方についたりしており、実は井伊より家康についたのは後の話。
まあ家康の母の実家なので、江戸時代には台頭してくるのだが。

257 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 00:01:28
>風林火山の「火」にあたるwww

258 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 00:03:55
>>257
まあそう僻むなw

259 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 00:05:09
>風林火山の「火」にあたる

これってどういうこと?

260 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 00:13:39
それでは釣れないのでは?

261 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 09:48:01
井伊兵部少輔直政が長寿を保っていたら、
倅の井伊掃部頭直孝のような立場(大老若しくは元老)で幕閣に君臨していたかな?

262 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 16:15:58
>261
それは分からないが徳川でも関ヶ原以降は武功派を政権中枢から遠ざけて、吏僚派を重く用いだしたのは確かだね。


263 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 19:06:57
ちょっと皮肉な言い方をすれば、井伊は幕政中枢から距離を置いたので大藩として生き残ったのかも。
幕初はとにかく足の引っ張り合いや、将軍の好悪の情で案外簡単に失脚したから。
もしも直政が政権中枢で辣腕を奮った場合、家康派、秀忠派の対立や武功派と吏僚派の対立に巻き込まれて改易食らってた可能性もある。

直孝も幕閣に君臨したとは言いながら、実務は老中がこなして、重要案件やおおまかな方針についてのみ首を突っ込んだだけ。

264 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 20:38:08
風林火山の火って
バカすぎて見てるこっちが恥ずかしくなる

265 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 21:29:02
>>263
直政が死んだのが関ヶ原後で江戸幕府が開かれる前で、ちょうどその頃に代替わりがあったので、そういう権力争いとは無縁だったみたいね。
徳川の侍大将では数少ない関ヶ原にいた人だから、その功績で彦根を得られたのかな。

266 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 09:31:55
井伊直政は、戦闘力だけではなく、
政治手腕や外交手腕にも長けていた人物だから

西国の抑えだけに専念させるのは勿体ない気がするが…。

…もっとも、井伊直政は徳川幕府が開幕する前に死んでしまったから、

直政が長生きしていれば、どのような将来になっていたかは分からんがな…。

267 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 11:04:57
謀叛を起こした西国勢が京に攻め込んで禁裏が敵の手に落ちそうになった場合には井伊家は彦根に天子をお迎えする役目があったといのは本当ですか?

268 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 15:06:43
譜代大名トップの近江佐和山十八万石の城主であり、
尚且つ、官位も従四位下侍従と
他の徳川家家臣よりもワンランク上の官位に任官しており、

しかも、政治手腕や外交手腕にも長けていたから人物だったから、

井伊直政が長生きしていれば、
大老若しくは元老として幕閣に君臨して
天下の政治を牛耳る事も夢ではないだろうな。

269 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 15:42:33
>>267
佐久間象山乙

270 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 20:38:38
幕末では西国大名の決起に対し天子様を守らないばかりか、官軍と称した薩長へいち早く恭順した。
譜代筆頭、名門大老家と260年間も幕府に守られ潰れずに済んだのにな。
最も情けない卑怯な家だよ。
井伊家は、直弼が倒幕に油を注いだ最大の元凶であることさえ無視。
主家を見捨て日和見井伊家に翻弄された点では最強かもな。

仮に井伊家が佐幕でドンと居座れば尾張、紀州、前田ラインより東側諸国は離脱せず戦力が整ったかもしれないな。

271 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 20:52:37
>>270
将軍は暗殺された父親の敵対派閥。
本人は恭順したのに10万石削減食らった。
あげくのはて第二次長州征伐でボロ負け。
幕府への忠誠心なんて吹っ飛ぶわな。

272 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 20:56:42
幼冲の天子はすでに倒幕派が押さえていたしな



273 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 22:35:55
>>268
官職はただの掃除係なんだがなw

274 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 22:52:49
>>273
掃部頭が?

>>272
幼冲の天子ってwオマイは山内容堂か?



275 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 23:04:40
>>271
まあ、それは人情だからな。理解できる。
ただ、それは井伊家の側だけの理屈なんだよね。
その理屈で本気で倒幕派に組みしたならば、井伊家とは譜代筆頭の皮を被った最低大名だったことになってしまう。
中途半端な家門大名より家格は守られていたらのだから。
残念至極としか言えないよな。

276 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 23:14:43
>>274
容堂ではないが週末の酔っ払いw

277 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 23:30:55
御三家も御一門も官軍についてるのに井伊家のなにが悪いの?
そもそも歴代勤皇家なんだし。ナオスケもふくめて。

278 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 23:45:24
直弼も禁裏造営のお手伝い普請に苦しめられたけどね

279 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 00:06:17
>>277
勤王佐幕という前提の勤王だな、井伊は。
水戸も本来そうなんだが、水戸は長年幕府から疎外されていくうちに
変な反対勢力になってしまった。

困ったことに流れ的にそうでない勢力がいたことが内実を複雑にしている。
それは一橋家、尾張家。いずれも薩摩と近い関係が出来てしまっていた。
一橋家は家斉将軍擁立の際、当主治済が妹(保姫)を薩摩藩主重豪に嫁
がせた頃から薩摩に接近している。将軍擁立のシンパを募った結果そうなった。

薩摩が何で入ってきたかと言えば、その少し前の宝暦年間に木曾川の治水
工事で随分田沼政権(まだ当時老中格ではないが)の幕府に痛めつけられた
という経緯があったからだ。
これが薩摩が微力ながら中央勢力に取り入ろうとした嚆矢となった。
それが田沼ではなく、次を狙う一橋との接近を促した。
幕末の篤姫腰入れの件も一橋系の将軍家であったことも要因の一つ。
斉彬の正室も一橋出身だった。もう両者は水魚の交わりといった状況だった。

そして、木曾川治水工事は副作用として尾張藩と薩摩藩が接近するきっかけ
にもなった。尾張(美濃もだが)地方では「薩摩義士」と現代ですら顕彰されて
いる。御三家筆頭の尾張藩や大垣藩が味方しなかったら、官軍が江戸征討など
不可能だったろう。東海道と中山道の要衝の藩だからだ。

280 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 00:17:57
彦根は九条大好き

281 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 11:45:52
>>273の脳内では
清掃局局長は「ただの掃除係」なのか

282 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 11:50:36
> 清掃局局長

風林火山の「水」に当たる

283 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 11:57:19
当たったら下痢をして余計汚すだろw

284 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 12:00:24
>>281
下層民の視点ではそうした疑問は無理からぬところだが
上から見れば掃部頭は掃除係でしかない

285 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 12:17:15
じゃあ征夷大将軍は、ただの護衛係な

286 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 12:19:19
掃部頭=内閣掃除大臣

でおk?

287 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 13:07:26
護衛係は近衛だろw
征夷大将軍は外征軍の長官

288 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 13:14:22
>>287
江戸幕府の将軍は右近衛大将を兼任

289 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:14:00
井伊家と並ぶ、もう一方の(徳川家代々の家老職といわれる)酒井雅楽頭家は、
江戸幕府の開幕期は、
そんなに大身の譜代大名では無かった筈だが、

どういう過程で、最終的には姫路藩十五万石にまで上り詰めて、
譜代大名次席の家格になったんかいな?

290 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:28:51
ゲバゲバ将軍忠清

291 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:34:37
譜代次席って興味あるなー

292 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:35:46
>>288 ついでに、(左・右・内のどれかの)大臣・源氏長者・淳和奨学両院別当・右馬寮御監等の兼任も追加な。

293 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:41:00
それにしても、井伊直孝の所領の増加は 相当なものだったな。

なにしろ、大坂夏の陣前に家督を相続した時が、
彦根十五万石だったのが、
最終的には彦根三十万石(プラス、幕府の御用米五万石分)にまで増加したんだからな。

294 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 21:33:25
30万〜40万石くらいが当時の大名で最大級クラスじゃないのかな。
もちろん加賀百万石以上や御三家の尾張、紀伊等が別格であるけれど。

薩摩は77万石なんて言っているが外城制で草高と実高の区別も
出来ない状況だし、実際の実入りは40数万石くらい。
長州は37万石。

細かく言えばいろいろ他にも出てくるけど、譜代最大、全国でも最大級。
逆に言えば、この辺りがリミット。

295 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:46:37
>>289
「徳川家代々の家老職」?
というか、井伊氏は桶狭間後、家康の遠江侵入時に徳川の傘下になったわけで、
譜代ではない。(元は今川傘下)

296 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:01:39
>>293-294
逆に言えば井伊家はきわめて大人の判断したというところか。
それで幕政についていろいろ口出しをしたり、または口出しできない
のを不満に思ったりしたら第二の「豊臣家武断派VS文治派」。

徳川譜代最大の大名ということは、裏返せば徳川家中での
外様大名みたいな位置づけもされ得る。
そして家康が幕府を開くまで、家中の大老は常設状態だったのに
江戸幕府では常設ではないようにした。

井伊家というのは代々そうしたポジションをよく弁えていたんじゃないか?
直弼の頃の状況は、むしろ水戸や薩摩が従来の形態を破り、大大名や
徳川親藩が前面に出てきた。
その対抗上、大老となった井伊直弼は強権発動という形になった。

どちらかがというのではなく、いずれにしても従来形を破ったことで
江戸幕府は崩壊への道をたどり始めたな。

297 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:07:12
まあ、譜代大名と外様大名の違いは関ケ原の戦いが分岐であると義務教育で習ったが

298 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:17:01
>>297
敬して遠ざける
上に祀り上げる
って義務教育の国語で習わなかったか?

299 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:35:53
いや習ってないな

300 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:23:09
>>297
日本の義務教育か?
小学校でもそんな嘘教えないぞ?

301 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 01:11:15
>>297
安祥譜代、岡崎譜代、駿河譜代とか言う場合もあり、
譜代といっても定義が色々なので、それでもいいかもしれないが、
少なくとも「徳川家代々の家老職」(代々の家老)では無い。


302 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 05:23:47
なんか話しがごちゃごちゃになってるようだが>>289が言う「徳川家代々の家老職」というのは
酒井雅楽守家のことだと思うんだけど。

酒井氏は徳川と同族で筆頭の重臣と呼んでもいい家、「徳川家代々の家老職」という表現も
間違ってないと思うんだが。

303 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 05:24:55
守×
頭○

304 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 08:51:30
結局、大老職って、
大身の譜代大名(十万石以上)で、
尚且つ、溜間詰の大名(主に常溜の井伊掃部頭家、飛溜の酒井雅楽頭家)がなる役職っていう位置付けでいいんかな?

305 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 10:57:30
義務教育でそれは習ったよ

306 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 12:34:18
もともとは年老いて一線から引いた重臣の閑職
いまの会社の職制で言えば、相談役みたいなもんだった

307 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 12:54:11
確かに最強だなw

308 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:43:06
もし相談役なら、それ以上の最強はないな
だって今でも相談役は会社を牛耳っているんだよw

309 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 14:02:48
大老が現代の企業の相談役には相当しないと思いますよ

310 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 14:16:12
そう思います。
「もし」の話ですw

311 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 15:22:10
強腕役

312 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 15:29:00
斎藤道三もすごそうだ
http://homepage3.nifty.com/yui-kyoujuskale/

313 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 19:49:40
もし

314 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:14:46
さすが日本史板だ。
「現在企業の制度/分掌について相談役が最高職制(=事実上支配?)」との珍説には驚いた。

315 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:20:11
相談役って代表権もってないとこが多いのにね

316 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:28:44
そもそも商法に相談役なんて名称はありません。
会社により相談役の位置付けや価値観もバラバラだし。
ただ、下馬将軍や桜田直弼君のような権限を持つ相談役なんぞは現代日本企業は勿論だが欧米企業も絶対にあり得ない。
誰かがレスしてた通り、名誉職としての大意はその通りだと思う。


317 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:57:19
本来、幕政の舵取りをしていたのは老中
大老は幕政に多大な功績を残した老中の名誉職で、表立って介入はしなかった
(酒井忠清のような強権派や、井伊直弼のような緊急発動的なものは除く)だろ?

会長(将軍?)
相談役(大老)
社長(老中主席)
取締役(老中)
てことなんじゃないの?

318 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:43:44
孝明天皇を無視して勝手に米と日米修好通商条約を調印して
無勅許調印の責任を咎められたら責任を自派の堀田正睦、松平忠固に着せるw
その他有能な吏僚らを左遷して、自分に逆らう老中は容赦無く免職にする
只の独裁者気取りじじぃが「井伊直弼」w。
少なくともこいつが居なくても幕府は遅かれ早かれ開国してただろう。
こいつは阿部正弘の功績をぶっ潰して、混乱招いただけ。
んで雪の中髷を掴まれて引きずり出されて、無様に地面を這って逃げようとしたところを
首チョンパされて。ま、当然の末路。最強だよな。

319 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:04:43
独裁者ってよりも安政の大獄を強行して幕府の権威を取り戻そうとしただけなんだろ?
ま、最強と言えば最強だな
世間一般に大老で一番有名なのも井伊直弼だし

320 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:17:11
>世間一般に大老で一番有名なのも井伊直弼

世間からの声ということで素人の意見として承っておくよw

321 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:18:49
相談役は会社を牛耳っているんだよw

「現在企業の制度/分掌について相談役が最高職制(=事実上支配?)」との珍説






プッ

322 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 22:45:56
基地外はスルーで

323 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 06:49:34
警護がついていながら17名の浪士に殺されたんだから直弼は最弱

324 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 13:40:49
大老の執務空間は、
老中御用部屋の上座の入側(畳の敷いた廊下)に 屏風様太鼓張の障子で区切った部分だったそうだが、

大老の地位にあろう者が、
畳が敷いているとはいえ、廊下で執務せにゃあならんとは…。
老中御用部屋って、相当狭かったんかのぉ〜?

325 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 21:15:14
うーむ、>>324は初めて聞いたので、以下は想像でしかないが。

老中の御用部屋は書院造だよな?
そして上座は当然一段床が高い。

つまり、よく時代劇において「謁見」のシーンで使用される佇まいだ。

それで、通常の大名屋敷などの場合殿様はその上座の中央で謁見するわけだが
傍ら(上座の入側とは限らないが概ね入側)には文机があって、書状などを書く際は
上座の片隅で書くことになる。

すなわち、>>324の紹介した「大老の執務空間」とは、それの豪華バージョンではないかな?
屏風様太鼓張の障子で区切りをつけたのは、ある意味大老に対するリスペクトか?

326 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 21:20:56
連投スマソ

それで、確認したいのは>>324のいう「入側」とは廊下まで出てしまっているのだろうか?
廊下に面した書院の中ということではないのかな? と思った次第。
廊下側に文机が多いのは、当然昼間明るい方だから。

327 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:08:57
江戸城本丸御殿の図面を見てみたら、

廊下から老中御用部屋に入ると、
老中御用部屋の奥に、入側ってのがあるが、
この老中御用部屋の奥の入側ってやつが、

大老の執務場所っていう事になるのかな?

入側そのままでは、体裁が悪いから?
屏風様太鼓張の障子で区切って
大老の執務空間を設えたのではないかと…。

…ついでに、老中御用部屋には
大きな炉が設えてあり、

老中達が重要な事柄を相談する時等には、
炉に備え付けている火箸で
炉の中の灰に書いて密談していたそうだ。

また、襖等を取り外して
立ち聞きや聞き耳を立てる者が居ないようにして、
御用部屋の真ん中で評定を開く
開き評定なる会議もあったそうだ。


328 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:35:33
大老なんて所詮雑魚。やたら偉ぶれたのは江戸後期〜末期の頃だけ

329 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 06:35:44
大老が雑魚ならそれ以外は・・・・・・・・
そしておまいは(ry

330 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 06:49:05
最強 酒井忠次
最弱 井伊直弼

決定

331 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:10:18
そろそろ飽きたな

332 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:49:51
あ、キター

333 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:56:36
秋田方は退場してくんろ

334 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 23:14:49
飽きたもなにも、もともと13人しかいませんから

335 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 06:14:31
まだ13人すべての検証終わってません

336 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 02:41:35
まず列挙しようや。

337 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 04:34:58
ん〜な過去のことどうでもいいだろ
誰が最強だろうと今関係ねえよw

338 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 04:37:04
とうぜん乙部町

339 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 20:56:56
>>337
んなこと言い出したら歴史なんてm(ry

340 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 21:05:06
大老に就任した13人の面子は?

341 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 21:12:11
こうかな?

一 九   |||   @@@
    鳥 ||| ● @@@ 東 西 南 北 白 発 中
萬 萬   |||   @@@

あがればダブル役満なんだが

342 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 00:09:11
とり・・・・・・・・・

343 :日本@名無史さん:2009/05/16(土) 08:32:57
age

344 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 09:37:05
終了ということで

345 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 19:28:37
おそんまつ

346 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 23:28:24
土井さん

347 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 22:34:30
スレ主は切腹しろよ

348 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 02:09:39
幕府って制度は日本にしかないってどっかに
書いてあったけど、ウソでしょう?

ヨーロッパとかでもあったんでしょう?

みこしだけ残して、かつぎあげて、
実験は騎士がにぎるとか。女王とか。

349 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 08:28:36
将軍様が権力を握っているところなんざ、すぐ近くに今でもある。

350 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 23:56:12
今はなきネパールの王室は、一時期、宰相を世襲するラナ家に実権を奪われ
日本の皇室と同じような位置にあった。といってもたかだか、100年程度の期間のことだが。
しかしラナ家の政権を幕府と同じにみなしていいのかどうかは、よく知らん。

351 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 00:01:56
どのような状態になったら、
「実権をうばわれた」ってみなしてもいいかな?

352 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 01:03:55
1人の王や皇帝の力不足&特定の人物の政治力によって、
君主をしのぐ勢力を一時的に持つことは、よくある。
しかし日本みたいに何百年にもわたってそれが代々続いた例は、
>>350みたいに全くないわけではないが、かなり少ないんじゃないかな?
中国なんかだと、それが数世代続く前にその傀儡の皇帝は廃されて、新しい王朝になるわけで。

353 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 01:08:01
大老身分のまま、命を賭けた実戦をしたのは井伊直弼だけ。
浪人に討ち取られたから弱いという奴もいるが、そもそも他の大老は実戦経験すら無いから
最強大老決定戦にエントリーする資格すらない。
よって最強の大老は井伊直弼で決まり。

354 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 01:32:57
実戦したくてしたわけじゃないし、、、
実戦参加経験で言うのならば、
順当に土井最強ということに、、、

355 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 04:42:07
ネパールのラナ家はどちらかといえば幕府よりも摂関家に近いんじゃないか?
幕府の場合、文字通り完全に治外法権じゃん。
1%もない国家を治める朝廷と残りの非常事態状態という名の戦地を治める幕府。


356 :市民:2009/05/22(金) 04:58:31
松平定信とナポレオンの秘密

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/32/208.html

日本とフランスで協力して江戸幕府を支えた。


357 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 12:49:30
一方的に襲われて自ら反撃すらできずに討ち取られたのも実戦扱いなのか?

358 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 12:59:57
あたりまえやん

何の為の警護なんだ?
いざという時に戦えないのなら、警護の意味なし
警護するということは、戦いに備えているんだろ? 本来

しかも相手の人数の方が少ないのに
アホやがな

359 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 18:47:47
まあ、井伊大老側の警護の数が多いいうても(供揃えが60名前後)、

実際に戦闘に役に立つ
徒士が26名だけだったから、
事実上は、井伊側26名VS襲撃側18名の攻防戦やな…。

…しっかし、時節柄にしては、
井伊の供揃えは、少ねえなぁ〜。

供揃えの増員が駄目ならば、
せめて、登城までの道筋に、ある程度、井伊家の警護要員等を配置するとか
工夫すれば良かったのに…。

360 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 18:54:32
桜田門外の変で生き残った供も、井伊大老を守れなかった責任で切腹。
ひでー。

361 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 19:02:45
>>360 傷の程度によって、井伊家の供揃えの輩の処分が違ったからな。

・死亡者…跡目相続が許された。

・重傷者…減俸の上で、相続が認められた。

・軽傷者…切腹。

・無傷者…斬首。(逃げた徒士は言うまでもなく、中間や駕籠かき、小者等、逃げた輩は斬首。)

362 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 20:48:15
まあ、襲撃側の銃声一発が駕籠に命中して、
事実上、井伊直弼の死命を制している(大腿部から腰に抜ける貫通銃創)状態やよってに、

井伊直弼自身に、反撃しろ言うのは酷な話だな。

363 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:09:23
関ヶ原でも井伊直政が撤退する薩摩兵に撃たれた傷が悪化して
命に関わっているから
井伊家ってのは弾が当たり易いんじゃ???

364 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:16:57
死んだのは弱いからじゃないの? 生き残ったのは強いからじゃないの?
逃げたのは論外として。
弱い方が得するなんて井伊家は狂ってるな。

365 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:17:10
井伊の赤備えは、よく目立つからな。

366 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:54:27
急襲を受けて駕籠の中で殺されてるのに実戦の経験って・・・・

367 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 22:30:39
総理が不良ニートにオヤジ狩りされたようなもん

368 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 22:54:56
>>367
生き残ったSPは全員切腹だなw

369 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 02:15:05
>>368 警察庁長官や警視総監もクビだな。

370 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 03:24:53
直弼って公式には病死?

371 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 03:37:23
返してもらった首を胴に縫い付けて検死受けたんだっけ?

372 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 09:54:52
>>370 世間ではとうに衆知の事であったが、

幕府が、井伊直弼を病死扱いにせんと、
江戸等で、彦根VS水戸の武力衝突が待ってるからな。

373 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 12:30:58
幕末版忠臣蔵 やれば面白かったのにね

廃藩になった旧彦根藩士数百名が水戸藩邸及び一橋邸を襲撃
水戸家も一橋家も断絶

374 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 12:38:12
家臣筋の井伊家が主筋の徳川御三家を襲撃できんだろう
末代までの不忠

375 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 13:43:12
それにしても、井伊家は本来ならば、
桜田門外の変の失態で、御家断絶になっても仕方が無いところだったのを(大名本人の不覚による死亡、後継者を定めないまま死亡した場合は、御家断絶が幕法だった。)、
後追いの処分ながら、十万石の減封で済んだんだから、
まだマシな方だな。

…まあ、十万石の減封は、
桜田門外の変の失態もさることながら、
反井伊派の復権で、
井伊政権時代の失政を処罰の口実にした、
井伊派に対する報復だな。

376 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 13:57:01
大名が、しかも大老が首を取られたのだからな

377 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 14:23:09
…何か、このスレは段々と、
桜田門外の変スレに成りつつあるな…。

378 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 14:29:14
大老で一番有名なのは井伊直弼だろうし下馬将軍酒井は案外堅実で面白みに欠ける。

379 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 15:07:38
踏雪蹴花伏兵起
白昼斬取大臣頭


380 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 19:17:13
お前らなに低脳な書き込み続けてるの?

酒井忠勝でFAに決まってるだろうが。




381 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 21:00:07
白昼に斬り取る大臣の頭


382 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 21:02:09
朝じゃ!

383 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 02:40:17
土井は大坂の陣の実戦経験者。
たった一回のテロで、呆気なく首取られたような平和ボケとは格が違う。

384 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 09:57:21
最強の重臣ならば、井伊直孝で良いだろ。

直孝ならば、徳川将軍家から、大老や老中のさらに上位に扱われてたし(幕閣の会議でも、直孝が出席していたら、常に直孝が筆頭だった。)、

大坂の陣で、抜群の軍功を立てている実戦経験者だからな。

385 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 11:16:01
どうどうめぐり

酒井忠清でFA

386 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 12:25:57
>>383
たった1回の実戦経験なのでは?
冬と夏が別々だ! と強弁したいなら2回でもいいが、
大した違いはない。

387 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 13:05:58
>>386

つ信濃上田城攻め

388 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 13:32:28
>>387
ボロボロに負けた奴だよなw

389 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 13:35:48
実践経験とか関係ないよ

390 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 14:22:20
実戦経験云々除いても直弼は無能だけどな

391 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 15:46:52
逃げの大炊

392 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 16:03:49
夜叉掃部こと井伊直孝>>>逃げの大炊こと土井利勝。

393 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 16:11:55
>>386
冬と夏は普通に別だろう

394 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 19:41:26
直弼最弱

395 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 20:40:10
大老の器で無い者が、
大老職に就任して独裁的権力を行使すると、ろくな事が無い…。

396 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:13:06
つまり直弼のことだね

でも過去の終わった話だから今さらどうにもならない

397 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:14:49
それを言い出したら歴史なんてみんなi(ry

398 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 22:03:51
歴史なんてみんななんなんだ?

399 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 22:14:37
今さらどうにもならない



つかKY

400 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 01:25:59
>>386
でも土井の「実戦経験あり」は事実。
テロ一発で即死のナオスケ、これも事実。
え?
直孝?
うん井伊直孝はすごいね!で?

401 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 02:25:20
雪を踏み花を蹴って伏兵起こる
白昼に斬り取る大臣の頭



402 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:55:31
大化の改新?

403 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:03:07
村上仏山の詩だろ

404 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:14:35
徳川重倫

405 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 06:46:39
田沼意次に比べれば大老なんてみんな小さい小さい

406 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 08:07:31
その通りだ、詳しいな

407 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 08:09:18
伊井鉄三郎が最強だべ?

408 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 08:12:09
会津の言うことは信用できない

409 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 22:57:43
井伊と酒井、あと例外が少々・・・・・・・・

確かに話題は先細りだ罠

410 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 23:12:04
>>666
君は幸運だ

411 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 23:12:47
オーメンになれるぞw

412 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 01:56:07
土井と保科も入れてくれ

413 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:03:02
保科正之は大老に非ず

414 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:59:38
タイロン・ウッズってもう日本にいないよね?

415 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:52:40
柳沢吉保はネ申

416 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 23:47:58
大老ではありません。

417 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 00:38:47
やっぱ最強は徳川家康だろうw

418 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 08:36:26
それは豊臣政権でのこと

419 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:10:01
家綱んときの酒井忠清だな。完全に幕府食ってる

420 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:22:20

それは大いに納得できる
井伊直弼よりも実権はあったかもしれないな

421 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 07:39:40
井伊直正って性格が悪いってところを除けば完璧だよね。

422 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 11:13:56
>>419
綱吉には歯が立たなかったがね

423 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:28:40
所詮大老とはその程度
その中で最強なんてたかが知れてる

424 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:07:20
そもそも12〜13人しかいないのだから、1000スレまで持つはずもない
ここいらでスレタイ変えないか?


【江戸幕府最近の老中は誰だ!】はどうだろうか?

425 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:27:55
そもそも大老の初代って誰よ?

426 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 07:15:10
酒井忠世

427 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 08:46:16
この前、日本史Aの教科書をのぞき見する機会があったけど、
幕末の政事総裁職のことを「大老を改称したもの」って書いてあった。

この解釈でいいのか?

428 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 08:49:46
>江戸幕府最近の老中は誰だ!

現代から見て「最近」の老中は、一番あとに任命されたのだと陸奥下手渡藩主立花種恭、
一番最後まで在職してたのだと山城淀藩主稲葉正邦だな。

429 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 19:01:06
wikiの板倉勝静の顔が面白い。
ちょっと細長すぎるだろ・・・

430 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 18:22:15
保守

431 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 20:45:04
昔の人の顔は不均等すぎる

432 :日本@名無史さん:2009/06/24(水) 14:15:31
>>427
その通り、親藩から大老になった前例が無いから新設

433 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 01:54:02
下馬将軍やね

434 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 22:30:52
k 

435 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 23:19:27
花の生涯
花の生涯
花の生涯
花の生涯

436 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 19:48:55
大老最強w

437 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 20:24:21
水戸学 藤田東湖 回天詩史
http://www.youtube.com/watch?v=ut5Ou3xCTl4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7498295

水戸学 藤田東湖 文天祥の正気歌に和す
http://www.youtube.com/watch?v=pRpPxeYn4j4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7489721

生きては当に君冤を雪ぐべし、復見ん四維の張るを。
死しては忠義の鬼と為り、極天皇基を護らむ。

※水戸斉昭公はイマイチだったが。

438 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 20:30:23
崎門学 山崎闇斎 拘幽操
http://www.youtube.com/watch?v=n16zgmFu9zs
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7538203

山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり、朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」
を開き、後世の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えました。
寛文五年(一六六五年)、幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死の禁止など
幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎が著名であり、更にその弟子の若林
強斎や、土佐南学の谷秦山らがその継承者として知られています。更に幕末では、橋本景岳、
梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山の子孫)が知られて
います。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りました。現在は下御霊神社
内の猿田彦社に配祀されています。「拘幽操」は周の文王の幽閉を題材にした韓退之の詩で
すが、これを闇斎は考察し、忠義のあるべき姿としました。

※保科正之は初代会津藩藩主。2代将軍秀忠の四男。4代将軍家綱を補佐(≒大老)

439 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 20:31:01
湯武革命論 山崎闇斎 崎門学
http://www.youtube.com/watch?v=7GK19ytBXkU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7541823

山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり、朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」
を開きました。寛文五年(一六六五年)、幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死
の禁止など幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎が著名であり、更にその
弟子の若林強斎や、土佐南学の谷秦山らがその継承者として知られています。更に幕末
では、橋本景岳、梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山
の子孫)が知られています。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りまし
た。現在は下御霊神社内の猿田彦社に配祀されています。「湯武革命論」は湯武放伐を
程子、朱子の論を基に考察し、革命を否定した重要な書です。これが後世の尊皇攘夷思想
に大きな影響を与えたものの一つになりました。

※保科正之は初代会津藩藩主。2代将軍秀忠の四男。4代将軍家綱を補佐(≒大老)

440 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 04:25:20
 

441 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 01:10:27
最高会議幹部会議長=大老
書記長=老中首座

442 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:25:22
アホ(笑)
書記長ってなんや
赤機関紙の読みすぎや
クソ連じゃないんだからさ


443 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:43:10
俺は小学校の頃書記だった
共産主義ならトップだったはずなのに

444 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:44:04
まだこのスレあったんか

445 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 02:48:42
>>443
俺は風紀係が多かった。
クラスの班分けして決める班内の役割。
クラスを代表するような委員に就任した事は一度もないw

446 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:47:27
大老職に就任するには、幕府の要人達にどのくらいの金を贈らねばならなんだのだろうか?

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