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■豊臣秀頼は大野治長と淀殿の子供■

1 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 22:37:24
豊臣秀吉は、300人数十人の女性と性的関係を持ったと
されている。
それなのに子供ができなかった。
これは医学上、秀吉は若いときの性感染症で生殖能力を失ったと思われる。
淀殿だけに2人も子供が生まれるなど常識的にありえない。

それに淀殿にとって、秀吉に大きな恨みがある。
秀吉に兄の万福丸を処刑され、母親の市の方を攻め殺した敵でもある。
淀殿は、浅井の血を天下人にする気はあっても仇の秀吉の子などを生み
天下を取らせる気はなかったのではないか?

徳川家康が淀方を攻め立てても、北の政所や秀吉子飼いに
支持を失わなかったのも、当時から秀頼の出自が疑われてたから
ではないか?


2 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 22:39:31
石田光成が父親説もあるね。
大野の場合は、石田のあとの不倫相手とも言われる。

3 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 22:43:22
当時から、秀頼は疑われてたのは史実だな。

4 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 23:02:56
正当な血筋の関白秀次を死に追いやったのは
石田三成。

そのうえ、正室のねねを追い出したんだから
これは完全なクーデターだろ。

豊臣が滅亡したのは自業自得。

5 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 23:03:13
>>2
あれ? 石田三成父親説はありえないんじゃなかったけ?
たしか 淀の方が懐妊したとき 朝鮮に渡海してたはず

6 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 23:06:19
まだ完全に根絶やしにはなっていないのが救いかな。

7 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 23:09:18
つうか、秀吉も若いときなら「これは自分の子じゃない」って
絶対気がついてただろ。

気がつかないのは、やはりボケが進行してたのだろうか・・・

8 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 23:21:06
>>7
秀吉が死んだときはまだ子供だったから

成長した秀頼は大兵肥満
短躯痩身の秀吉とは似ても似つかない
面会した家康はこれなら殺してもOKと納得したはず

9 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 00:19:44
時折出てくる、内府と淀の子供説はどうよ?

10 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 00:24:25
京極高次の子供説に一票

11 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 01:00:36
>>9
それはないだろ。
それだったら、敵対関係になるはずがないし。
徳川の親戚として、豊臣は安泰だった。

家康は、淀とは仲悪かったけど、ねねとは仲が良かった点が重要。

12 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 07:10:00
秀吉の子でないのは確実だろうが
淀殿はいろんな男から射精されているから
父親を断定するのは難しい

13 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 08:49:36
数年前に、秀吉の長浜時代における
秀吉の子供の墓が発見されているぞ。
南殿との子という話だったが。
だから、秀吉は種なしという訳ではない。
むしろ、信長の子を養子にもらい受けるためには子がいない方が都合がよかった訳だし。


14 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 10:27:09
>>13
南殿以外との子供がいないことをみても、長浜時代の子供は別人の子じゃ?

15 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 12:53:04
南を寝取られ淀を寝取られ?
秀吉悲惨だな

16 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 13:39:05
案外ばれてないだけで、戦国部将の一族なんてそんなもんかもよ。

17 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 13:43:26
>>1
秀頼は秀吉から後継者とみなされ
また豊臣秀頼として死んだのだから、
たとえ種が他人であろうと、秀吉の子。

18 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 16:34:39
家康とねねも秀吉生前の頃から懇ろだったのかな

19 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 17:56:50
へうげものだと家康が一方的にねねに恋してるな

20 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 20:01:07
家康はロリコンだから比較的年齢の近い(5歳違い?)
ねねには恋してない
家康は政略結婚だった築山殿と朝日姫こそ同年代だったが
自分で選ぶことのできる側室は年の差婚ばかりのロリコンだ

21 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 20:07:57
家康と言えば後家だろ

22 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 20:31:59
>>11
>家康は、淀とは仲悪かったけど、ねねとは仲が良かった点が重要。
最近の研究では石田三成の娘が高台院の養女になってたことや
大谷吉継や小西行長の母が高台院の側近だったらしいことからも
西軍の決起の裏には高台院の画策があったんじゃないかともいわれてるから
家康との仲はよくなかったんじゃないのかね?

23 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 20:45:44
>>11
家康は利用できるものはなんでも利用する、
そうすることが豊臣分断になると思えばこそ、
ねねに広大な高台寺をたててやって隠居の地を提供し、
ねねの里である浅野家と徳川家の縁組も繰り返し行った。
だけどもともと秀吉が家康を警戒していたごとく、
秀吉と辛苦をともにしてきたねねが家康を
安易に受け入れたとは思わない。
秀吉の死後、秀頼を滅ぼしたい家康と、
淀殿を快く思わないねねの利害関係が一致したための協力はあっただろうが、
家康が秀吉生前からねねと仲が良かったという史料もないし、
ねねが秀頼と淀殿をなんとしても守るというのならば
家康はねねを攻め滅ぼすこともなんとも思わなかったはず。

24 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 20:57:16
北政所は大御所家康に大坂攻めを中止するよう言わなかったのかね?

25 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:07:57
石田三成は北政所に味方になるように再三働きかけたが
決して北政所は動かなかった。
北政所が動けば、東軍の有力武将が北政所に追随した可能性は高い。


26 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:19:14
>>23
家康は大坂羽柴家にかわる新たな豊臣氏の長者の家として、おねが養子を取ることも
公認したし、仲は良かったのでは?




27 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:28:56
>>26
それがねねの心を得る道だったからね。
ここでは豊臣家の分断を図るために
家康が一方的にねねのために骨を折っている。
逆に「仲が良かった」のならば家康がここまで
ねねに恩を売る必要はまったくない。

仲が良い、悪い、で歴史を語ろうとする人たちって、
たとえば家康と淀殿の仲が良ければ
淀殿も秀頼も助命されていた、と思ってるの?
家康がほしいのは天下であって、
あれこれ要求ばかり突き付ける仲の良い女友達などではないのだが。

28 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:45:56
秀吉と秀頼のDNAで親子関係を調べることできないかな?
(血判状の血などからDNAを採取できないかな?)

29 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:47:02
淀殿は織田家の人間なのだから、織田家に忠誠を尽くした徳川家康に
関が原以前に悪感情を持っていたとは思えないんだけれどもね。
同じ城に住んで政務を執っていたわけだし。

関が原以降、下位同盟者、家臣筋とは思えない行動を取り始めて
不愉快には思っただろうけど。

30 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 22:09:22
上杉景勝も一人息子だったけど、あれも別の胤ですか?

31 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 22:19:58
>>30
スレ違い。よそにいけ

32 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 22:26:24
>淀殿は織田家の人間なのだから
>織田家に忠誠を尽した徳川家康

何だか違和感w

33 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 22:52:07
秀吉と秀頼のDNAを抽出できないのかね?
できたらほぼ確実に特定できるがな

34 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 22:55:28
>>28
あ、ガイシュツだったかw
血判状じゃ試料としては足りないし、血液型すら凝集法が使えないので困難
(酸化してしまっているから)

骨(骨髄)が一番じゃ

35 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 08:08:25
>>27
なんで豊臣が滅びた後にもご機嫌取りする必要があるのかな?
なぜわざわざ豊臣氏をある意味再興させる必要があるのかな?
権力者である家康と隠居の高台院、どちらが骨折りするかと言えば
家康の方だよね?
仮に高台院と家康が仲が良かったとして、仲がいい人に対して骨折りをすることが
恩を売ることになるだろうか?
つーか骨折りと言えるほどのこともしてないんだけどね。

もちろん仲の良し悪しで全てが決まるわけではないが、
法治ならぬ人治の時代では、権力者の好悪で歴史が動くことなんかいくらでもあるわけだが。

36 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 19:32:29
>>35
家康が高台院の実家と婚姻関係を幾度にもわたって行ったり、
高台院のために隠居の地高台寺への出費を行ったり、
高台院の里が木下姓を名乗ることを認めたのも、豊臣が滅びる前だが?
いうまでもなく、家康がここまでの骨折りをしたのも全部、
高台院が秀吉の後家であったから。
「仲が良かったから、それだけが理由」だというのならば、
家康はなぜ他の武将の後家たちにも同様の処置をしてやらなかったのだろう?
高台院の親友だった芳春院、この人は家康の人質にまでなり、
子無しの長男のあとは実子の二男がいたにもかかわらず
関が原の遺恨によって家康から家督相続を認められず、
前田家の三代目は長男の養子として側室腹の子がついだ。
家康が「仲の良い後家だから、ただそれだけの理由で高台院に私費を投じた」
というのならば、家康の恩情を受けた高台院以外の後家を挙げてくれるかな?
高台院一人だけが家康の唯一無二な親友、ほかの女はみんな敵なわけ?
高台院と家康がそこまで親密な仲なら、とても関ヶ原で豊臣恩顧の武将を
だましきれなかったと思うが。

37 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 19:51:05
浅井三姉妹スレと同じ面子で、砂かけ論が始まりましたw

38 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 19:51:42
よく石田三成とは言われるが…

39 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 19:56:01



40 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 20:39:34
>>36
この人の文章読んでてすごく不思議に感じたんだけど、
誰も言ってないことをさも言ったように「」使って引用したように見せかけてるよね。
少なくともスレ内検索する限りでは「仲が良かったから、それだけが理由」
「仲の良い後家だから、ただそれだけの理由で高台院に私費を投じた」なんてのは
>>36以外引っかからない。
つーか、スレざっと読む限りでは誰も「仲が良かったから、それだけが理由」
に類することすら言っていない。
結局>>36は勝手に敵を作り上げて暴れている困った人なわけだ。

41 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 22:07:37
秀頼も南殿の子も限りなく怪しいけど、
逆に考えるとお世継ぎを生んで出世したい奴なんて腐るほどいたのに
茶々と南殿しか裏技を使って世継ぎを生んでないってのもおかしな話だよな。
茶々が本当に間男を使って妊娠できる環境なら、
他の側室だって絶対にやってると思うんだけどな。
やっぱり秀頼は秀吉の子供なのかもしれん。

42 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 22:49:33
秀吉が我が子と思って育ててれば、秀吉の子なんだよ。
みな醜聞がらみもあって、複雑に推測しすぎ。

43 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 23:31:59
日本国民全員のDNA親子鑑定をしたら
はたしてどれくらい、実は父親が違うというのが発見されるのだろうか。
けっこうそれなりな割合のような気がする。


44 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 00:59:54
「淀の父親は俺じゃない」ってことぐらい、秀吉が
判らないわけないじゃん! 「ボケてた」だの「勘違い」だの
・・・。全国に情報網があるんだから、淀の侍女を懐柔すればすむことだよ。

秀吉はわかっててそれを利用したんだよ。でも本人は泣いて喜んだろうね。

45 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 01:04:48
子連れ女と再婚して血の繋がらない子を実子扱いで跡取りにしたと思えば、
そう不思議なことではないと思う。

46 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 01:41:00
>「淀の父親は俺じゃない」
そりゃ、浅井長政以外誰がいるのだwww

47 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 07:40:10
信長とか?なんかエロいよね。

48 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 22:45:29
>>45
連れ子と不倫の子じゃ大違い

49 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 22:56:28
秀吉は、織田家の天下を1年余りで横領したんだから
家康を責められないよな。
それに比べると、何度も礼をつくしてるのに茶々は反抗した。

家康からしてみれば、そもそも秀吉など同盟者織田家をのっとった
百姓くらいにしか思ってない。
茶々は、そのへんの事情を読めずに家康を、秀吉の家来の五大老の一人くらいに
甘く見たんだろうな。

50 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 23:01:11
関ヶ原以降は、大野治長と茶々が不倫関係だったのは
間違いないようだ。
問題は、秀吉が生きてるときから関係してたか・・・
そこはまだはっきりしないところだけどな。

51 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 23:11:49
>>36
家康が、高台院を支持したのは
関白秀次こそが豊臣の正当な後継者だったという認識だからだろ。
だから礼をつくした。

52 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 23:52:04
>>50
大野治長は大坂城が孤立してから台頭してきたから、それ以前はという考えもある。
大蔵卿局のラインからだ。
しかし閨のことは表向きの勢力とは無関係にできる。
この辺りは本当にDNA等の技術以外では「藪の中」だ。想像の域を出ないな。

53 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 00:00:02
じゃあ大野治長じゃなければ誰の子?
他に不倫相手いたのかな・・

54 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 00:32:55
まとめ・ちちはだれか

第一候補・・・大野治長(70%)
第二候補・・・石田三成(30%)



55 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 04:57:17
本当は、豊臣家の家臣はみんな気がついてたはずだよ。
公然と口にすると、秀吉の不徳になってしまうから
言わなかっただけで。




56 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 08:44:04
まあそんなとこだろうな…
あの時代の秀吉に誰がそんなこと言えるんだって話だし
秀吉がワシの子じゃと言えばそうですねと言うしかない

57 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 12:38:12
しかし、もしそうなら
いろんなうわさ話が
記録として残っていても良さそうなものだが。


58 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 14:27:23
うわさ話なんて、いちいち記録に残さないだろ。

59 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 17:01:05
その当時実際に流れた風説が、日記や覚書に書き留められてることも
あったりするもんだよね。



60 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 21:14:23
秀吉裸の王様説?

61 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 09:39:43
ねねが子供産めたら良かったのになぁ。無理だったから仕方ないか。

62 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 09:41:35
ねこならきのうこどもをうんだんだが

63 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 09:58:08
秀吉とねねの間に子供がいたら
秀吉は信長に警戒されて、追放されていたかもしれない。
信長の天下を略奪する過程においては、子がないのがプラスだった。



64 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 10:40:30
子供がいたからって何で追放されなきゃいかんのだw

65 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 11:04:09
>>64
歴史を知らな杉


66 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 18:24:47

おかしな歴史を知り杉

67 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 20:30:59
>>63
なぜ?
信長家臣の前田利家や明智光秀は子だくさんだったが別段追放されていない。
家臣に子供を作らせると不安なら家臣に独身を強いればよかったと思うが
信長は秀吉の正室ねねに優しい手紙を書いて内助の功に励めと言っているあたり
家族を持つことを否定していなかったと思われる。

結果的に、正室どころか側室にも子のなかった秀吉は
信長の四男を養子にとって後継者にすることができ
信長との主従関係上はよかったのだろうが。

68 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 21:12:28
>>67
をいをい・・・
明智がなんで本能寺したのかって言われているいるのか知らんのか?
前田は信長存命中は、国持ちでは格下だったじゃん。
出世頭でどうにか生き残れそうなのは
秀吉くらいだった。
その秀吉でさえ、相当な警戒をしていた。
だから、信長の実子を養子にもらい、家督は全部その子に継がせることにしていた。
柴田は一度信長を裏切っているから、いずれ切られると言われていたしな。


69 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 21:51:14
そもそも秀吉に恨みがある淀殿を、側室にした時点で失敗じゃないか?

武田家と豊臣家は、同じ失敗をしたね。




70 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 22:01:09
>>68
なら、秀吉以外の武将はなぜ子づくりを放棄して
信長の子を養子にほしいと嘆願しなかったのか。
信長の死後秀吉と争った柴田勝家にも啓嗣がなく、
信長の子を養子にするチャンスはいくらでもあったのに
勝家はそれをせず甥を養子にして家督を継がせる用意をしていた。
信長存命中の家臣団の地位は明らかに勝家>秀吉。
勝家の家は信長が生まれる前から織田の譜代だったし
勝家自身の功績も大きかった。
丹羽長秀なども当初は守護斯波氏のもと織田と並ぶほどの家柄で
織田配下に入った後も功績が大きかったが、子だくさん。
秀吉が信長の筆頭家老であったわけでもなし。
秀吉が信長の子を養子にしなければ殺されていたというソースはまったくない。

71 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 22:13:35
>>70
おまいは、信長譜代の家臣が次々に
因縁に近い理由で追放されていったのを知らないのかヨ。
そして次のターゲットが明智だったんだよ。


72 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 01:02:29
>>68
ネタで言ってるのかと思ったがひょっとしてこいつマジでいってんのか?w
子作りしたら因縁付けられるってwww
いくら信長でもありえねーwww

73 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 03:28:47
>>72
いま、民放の歴史番組では結構面白いことをのたまっているからなあ
そういうのを信じちゃってるんだろうね・・・

74 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 11:45:08
本題に戻って・・・
豊臣秀頼の誕生は文禄2年(1593年)8月3日、伏見城において。
ところで、淀殿はこの前年文禄元年10月に朝鮮出兵中の秀吉が滞在する
肥前名護屋城に呼ばれて滞在。
懐妊が分かって伏見城へ帰るまで滞在していたとされ、
秀頼の受胎時期を逆算しても名護屋城滞在時の子でほぼ間違いない。
ここで書き込みをしている人たちはこの事実をどう見るの?
留守居で名護屋城に同行していない淀殿の乳母子大野治長も、
逆に朝鮮出兵に参加し朝鮮にわたっている石田三成も、
この時期淀殿と接触することは不可能だったと思われる。
この2人が秀頼の実父だとは考え難いということ。

75 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 12:38:26
秀頼の実父が大野治長だとか、徳川家光の実母が春日局だとか
バカも休み休み言えよw

76 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 19:08:19
休み休みで書いていますが何か?

77 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 00:49:58
茶々ってセックルマシーンだったのか?

78 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 15:28:30
2月10日 テレビ東京 夜7時56分〜8時54分

新説!?日本ミステリー

幕末の英雄・坂本龍馬の仲介によって結ばれた薩長同盟。
しかし、その裏にはフリーメイソンが存在していた!?
龍馬を操っていた恐るべき黒幕の正体に迫る!
さらに薩摩藩を倒幕の主役にまで押し上げた西郷隆盛が
キリシタンだったというミステリー。
そして豊臣秀頼が秀吉の子どもではなかったという疑惑を徹底調査!
そこから浮かび上がる驚愕の野望とは・・・!?

79 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 15:41:26
その番組何回かみたけど、ひでぇ内容だよなw

80 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 16:19:17
秀吉は種無しだから実子ができる訳ない

81 :日本@名無史さん:2009/02/26(木) 21:49:14
>>75
春日のつぼねの話は、ネタだろうけど
豊臣秀頼は完全に父親が違うだろ。

82 :日本@名無史さん:2009/02/26(木) 21:52:45
>>75
秀吉が父親の確率のほうが
宝くじ3億円当たるよりずっと低いよ。

数百人の側室から、淀殿だけに2人連続生まれるのでさえ
確率的にありえないのに
淀殿が妊娠したときの秀吉は、すでに失禁してる老人なのに。

83 :日本@名無史さん:2009/02/26(木) 23:53:38
豊臣が滅んだのは自業自得

84 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 04:57:25
なんで秀吉は若い時に子供作らなかったんだ?

85 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 17:45:13
>>84
1に書いてある通り
作りたくても作れなかったんじゃないの?

86 :日本@名無史さん:2009/03/05(木) 23:21:21
秀頼が、大野の息子だとしても
小物にすぎないの大野の単独犯行とは思えない。

石田三成が大野を淀に差し向けたんじゃないの?

87 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 05:11:10
下っ端の大野が、大阪城の主になったのは
秀頼の父だからだろ。

88 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 05:24:12
豊臣秀頼は無礼千万。
義理の父の徳川秀忠の将軍宣下にも参加せず
千姫にも子供を生ませず、徳川の官位を邪魔するため朝廷工作まで
した。

豊臣が滅亡したのは自業自得。


89 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 08:58:38
家康は60を超えた高齢者でも子供ができたそうだが
健康に気を遣って薬の知識を活用していたからこそできたわけだ
秀吉も若いうちから健康状態に気を遣っていれば子供ができたんだろうか?

90 :日本@名無史さん:2009/03/09(月) 00:40:27
>>89
秀吉に子供は無理。

性交回数から見て確実に種無し。

91 :日本@名無史さん:2009/03/09(月) 03:02:30
>>88
織田家みたいに領地を剥奪されて、小大名として生き残る道もあったにはあったろうがね。

92 :日本@名無史さん:2009/03/09(月) 03:05:38
秀吉の若い頃には幼くして死んだ子供がいたんじゃなかった?

93 :日本@名無史さん:2009/03/09(月) 03:18:05
>>92
たしかに近江長浜時代にもいました。

94 :日本@名無史さん:2009/03/09(月) 03:32:41
>>92
初耳だな。ソースは?

95 :日本@名無史さん:2009/03/11(水) 12:46:55
>>94
上にも書いてある秀勝の事
ただこの秀勝は資料も少なく存在自体が疑われていたり
本当に秀吉の子供なのかも疑われている

96 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 20:05:00
やはりいなかったっってことじゃん。
本当に秀吉の子なら、大々的に記録に残ってる。

史実上、「(淀以外に)子供がいない」というのが通説であり
一般的認識だろう。

97 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 20:11:24
淀以外子供がいないってことが成りたてば
当然に、淀の子供も父親が違うっていうのが常識的である。

婦人は一夫につかえるというのは、戦国時代の常識でもないし
秀吉の仕打ちを見れば、淀の不貞がそれほど悪行とも思えないけどな。

98 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 20:24:18
しかし淀殿以外の女性はちゃんと貞操を守ったんだな
女武者として名高い甲斐姫も含めて

大河ドラマの前田利家で、おねが(酒に酔いつつ)利家に子種をくれと描かれた場面は笑えた

99 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 02:32:07
55が正解ぽい

100 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 12:07:22
ここで語られている淀殿のイメージは故夏目雅子でok?

101 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 13:59:57
秀頼は秀吉の実子だろうよ。
そう考えても何の不都合も無いわな。

淀殿不倫説の唯一のj根拠とされるものは「秀吉が小男だったのに、秀頼は大男だった」ということだけ。
そんなのは淀殿の父母が大男大女だった事実の前には吹き飛んでしまうわな。

長年子供ができなかった夫婦に、あきらめた頃に子ができるなど珍しくもない。
いくらでも例があるわいな。

102 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 03:09:58
>>100
むしろ「独眼竜政宗」の樋口可南子のほうじゃまいか?

103 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 20:57:35
夏目雅子?樋口可南子?
おまいら古いよ
淀君といったら池上季実子でしょ!

104 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 21:34:17
このスレは年寄りばかりだな
淀といったら瀬戸朝香でしょ
そんな俺も実は樋口可南子派の年寄り

105 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 21:36:18
>>101
嫁が不倫の子を産んでも気付かないタイプだなw

106 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 21:38:20
\\   | |\\                ねね「誰の子か正直におっしゃい」
       | |  \\                     ___
       | |ヽ                       /⌒     `\
\     | / ⌒ヽ                  ( ( (\       ヽ
\  / ⌒ヽ,' ──`- 、                    l ヘヽヽ       ヽ
ヽ /   / /´ ̄ ̄`\                | |) |  l- 、    |
  l  /   / / へ   ヘヽ             ┌      ( l    ノ ヽ| |ヽ
\ |  l  l  | (|   |(| l                ー┐     く   `ヽ\| |\
\ ヽ_|  |   ー   o ´ |               < _    Y \ヘノ  | |\
/⌒. l  l    __)  l    __________ ∠二二 l   /⌒ヽ ⌒ヽ
  / ヽ  ヽ   ヽ_ノ   ノ _─/                /     |─/   /  /─
/ /  `,━━━O━イ´( _)             ⊂ ̄ヽ┴┘  |  | /   /  /|
 /    l    \ ___ ヽl/ (二)        (二)  ヽ_l.__ ノ  /   /  /
        |   ヽ(__)_ノ/ (|  |      |  |)   / /ヽ___ /   /
       ヽ  ` ー/  ( `ー´ )    ( `ー´ ) / /       /   /
.    /   ` ー/      ̄ ̄       ̄ ̄ / /_l____./

茶々「自分が原因だって認めたくないのね」

107 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 01:33:10
夏目雅子=徳川家康
樋口可南子=独眼竜政宗
池上季実子=おんな太閤記
これでオケ?


108 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 02:22:11
>>107
OK。

この中で可南子は最期まで相当の悪役だったわな
小谷や北ノ庄のことに一切触れられなかったから
なおさら同情度が低くなった感が強いかな
妹2人も影も形も出てこないしね

109 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 06:30:09
でも、ちょっぴりエロかったからおk

110 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 16:02:38
>>105
自分が下痢しても気づかないタイプだな。

111 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 23:41:42
独眼竜政宗では「大野の子」説を採用してたね
もちろん直接的な言及は一切無かったけど
3人の最期のシーンを見れば一目瞭然だな

112 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 00:41:34
ちょっぴり?かなりエロかった気がする
親父がこんな美女に迫られればそりゃ・・・とか言っていた記憶があるし。

113 :日本@名無史さん:2009/03/21(土) 13:00:49
どっかの歴史作家?か学者同士が会談して
秀頼の父親は淀殿にあてがわれた小姓が妥当だって、なにかの本で書いてあった思い出した

秀吉の死後、側室の一部は再婚して子供を生んでいる人(お種、前田摩阿)もいるから、秀吉に子種がなかったというのは頷ける。
宣教師たちも秀吉には子種がないって思っていたみたいだし

114 :日本@名無史さん:2009/03/22(日) 01:07:51
長浜で南殿との子供の墓が発見されたとニュースに出ていたのは何だったのだろうか。


115 :日本@名無史さん:2009/03/22(日) 18:11:34
>>114
秀勝は肖像画も残ってるよ

116 :日本@名無史さん:2009/03/22(日) 21:52:06
秀勝という名の人物は何人もいるわけだが。

117 :日本@名無史さん:2009/03/23(月) 00:56:57
羽柴秀勝 (石松丸)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E6%9F%B4%E7%A7%80%E5%8B%9D_(%E7%9F%B3%E6%9D%BE%E4%B8%B8)
これだな


118 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 02:56:30
>>長年子供ができなかった夫婦に、あきらめた頃に子ができるなど珍しくもない。
>>いくらでも例があるわいな。

>>101
一夫一婦の場合ならそうだな。
でも秀吉の場合は、300人以上側室がいて子つくりは1万回はやったはずだぞ。

なんでぼけて小便垂れ流すようになってから、淀だけ妊娠したんだ。
ありえない。
秀吉は子種なし。




119 :【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 :2009/04/25(土) 03:09:05
秀頼は秀吉の実子じゃねぇだろうな

120 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 02:29:53
三成かとも思ったけど、最近の有力な史料からそれはあり得ないこともわかってきたらしいし

やっぱ治長に一票ってことで

121 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 17:24:57
だから、長浜時代に南殿との間に子供が生まれそれが
羽柴秀勝 (石松丸)
だろ。
墓も見つかっている訳だし。


122 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 21:17:11
>>121
石松丸が秀吉の子供だとしている一次史料はどこにもないよ。
秀吉が宝厳寺で行われた石松丸という子供の供養の際に名前を載せた、というだけで
秀吉と石松丸との関係は分からない。
南殿という名も秀吉らとともに署名があることから秀吉の側室だったんじゃないか、
想像力をたくましくすれば石松丸の母に違いない、と言い出したものの
当の南殿の出自も秀吉との関係もましてや石松丸の母であると証明する史料はない。
豊臣秀勝だと伝わる肖像画はあるが、これも寺伝によるもののみ。
ちなみに、石松丸と豊臣秀勝なる人物との関係も一次史料では確認できない。。
秀勝なる人物と秀吉との血縁関係を示す史料は存在していない。
秀勝という名の人物は秀吉の周辺に実在するだけでも2人いたけど、
いずれも養子なんだよね。

石松丸が秀吉の実子だというのはある女性郷土史研究家が唱えた説なんだけど、
秀吉の養子の一人だとか、愛人が連れてきた連れ子だとか、
はたまた長浜時代の秀吉にあやかろうとちょっといいところの子供の肖像画を
誰を描いたのかわからないので秀吉の子ということにしちゃおうかとか
定説ではないのに、まあ、面白いからこの説が独り歩きしてるんだろうね。

123 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:50:45
秀頼が大野治長の息子だとすると
豊臣恩顧の多くがなぜ徳川を支持したか理由が納得できる。

従来言われてきた、三成憎し説や徳川にだまされた説は、あまりにも
単純というか理由が馬鹿すぎて不可解。
正当な豊臣ではない大野・淀一派に多くの人が、怨怒をいだいていたという説こそ
もっとも納得できる

124 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 23:42:50
本来なら、嫡子を偽装した淀が憎まれるべきだが
信長の姪と立場と、豊臣のへの複雑な感情の生い立ちから免罪された。

その代わり三成が嫡子偽造の悪人としてスケープゴートにされたんだよ。

125 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 09:31:17
くだらない

126 :日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:02:09
本当に秀頼が秀吉の実子なら、北政所が積極的に味方した
はず。
北政所が秀頼側に付いたら、100%加藤、福島、黒田も秀頼側に
参戦した。(毛利、上杉は当然として、前田、伊達も参戦した
可能性大だから徳川が天下を取るのは不可能に近い)
北政所の傍観姿勢が秀頼の出生を物語っている。
例え、仲が悪い淀の子としても本当に秀吉の一粒種なら北政所も
豊臣家存続のために動いていただろうに。


127 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 18:51:30
秀頼にも子供いなかったんだろ?
なら種無しの血が遺伝したんだよ

128 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 22:23:30
確か秀頼には男・女それぞれ1人づつ子供がいたと思ったが
千姫との間の子じゃないがな。

ところで秀頼は一説によると180センチもある大男だったとか。
秀吉は小柄なイメージがあるんだが、そんなでかい子が授かるんだろうか?
それとも淀が大柄だったんだろうか?


129 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 00:36:19
あんなに側室がいたのに淀殿との間にしか子供に恵まれなかったって
どう考えたって不自然。

130 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 00:45:11
>>128
淀殿って170センチぐらいあったらしい
顔も母親似だったのかな


131 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 03:19:36
>>126
本当に秀吉の子なら関白秀次を殺す必要など
なかったはず。
秀吉以外誰も信じてないから、殺す必要があったわけで。

132 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 09:48:42
まぁ秀吉の子じゃないのは間違いないな

133 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 15:31:23
難産に苦しむ淀殿を見かねた秀吉は、亡き信長に祈った。
「お館様、産みの苦しみを母親だけに受けさせるのは不憫です、どうか父親にも苦しみを分けてくださりませ。」
すると雲間より信長の声が響いた。
「サルよ、産みの苦しみは女にしか耐えられぬ、もし男がこれを受ければ死んでしまうがそれでも良いか?」
「かまいません!」
すると淀殿の苦しみは和らぎ無事に男児を出産した。
また秀吉にも痛みは襲って来なかった。
信長は秀吉の淀殿への愛を試したのだろうか?

なぜかその日、大野治長が突然苦しみだして死んだということである。


134 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:25:26
>>133 なんだそりゃw
妙に小説口調なのがさらにウケたw

135 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:49:08
>>131
でも秀次は素行も悪かったらしいからなぁ

136 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:08:35
百姓の子だからね

137 :一般論として:2009/05/21(木) 09:41:54
あの時代に 
あの年で
子供が出来るのは
どう考えても
おかしいですね。

現在のようにDNA鑑定が有れば別ですが
誰が誰の子なんて母親以外分からない
母親でも危ない訳ですよね。

少し前なら血液型ですら分からなかった訳ですから、、、。


138 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 14:11:25
>>122宝厳寺で石松丸の供養をしたんじゃなくて、
その寺に金品を奉加した時の奉加帳の記録に、
石松丸に代わって御乳の人(乳母)が奉納し、
秀吉や南殿や侍女、家臣の記名があったって話。
記載された順序から側室の連れ子なんていうレベルじゃなくて
明らかに若君扱いだから、実子説がでたの。
南「殿」、という敬称から侍女などではなく恐らく側室、それも
石松丸という幼児がいることもわかったからその子の生母ではないか、
ということになった。
養子かもしれないが、ねねが名を連ねていないので
どっちにしろ跡継ぎで扱いではない庶子扱いだろう。

ちなみに長浜の伝承では「次郎」という名の実子がいたという説もあって
これが石松丸なのか、別の庶子なのか、養子なのか不明。

139 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:10:50
>>150
本当に秀次が出来の悪い人物かどうかは確証がないよ。

秀吉や三成の自己保身のための
でっち上げの可能性が高い。

140 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:15:56
アンカーミス >>135へです

141 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 04:14:39
>>127
言ってる事が矛盾してるぞ。

142 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 04:17:51
>>126
なんで愛人の子の味方なんかしなくてはいけないんだ?

143 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 07:21:51
秀頼が秀吉の子供じゃないって言ってる学者はいるの?

144 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 08:45:17
秀吉の子供なわけない
DNA鑑定ができなあのが残念

145 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 20:09:21
>>138
まず、宝厳寺に金品を納めたのは秀吉。
そこに南殿や石松丸の名もあったというわけだが、
正室ねねが無視されて秀吉の側室がしゃしゃり出て奉納をしたというのは変。
南殿と石松丸の関係もまったく不明。

これが載るのは「竹生島奉加帳」が唯一。
力を入れて宣伝するほど有力な一次史料ではないというのがつらい。

146 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 23:19:05
でも、淀殿と治長がsexしたりしたら、周囲にバレるんじゃね?
天下人の太閤殿下と其の側近の耳に入らない訳が無いよーな…
特に、部屋の壁も襖も薄い中で、やってる喘ぎ声は漏れてしまうし
太閤殿下側室の淀殿が長時間も男と二人で密室に籠もってる時点で
秀吉やその側近の耳に入ってしまうのでは無いか?

147 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 01:59:33
>長時間も男と二人で密室に籠もってる時点で
早漏ならSEXなんて10分もあれば終わるぞ。


148 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 20:08:30
>>146
ばれるもなにも堂々と治長親子を
淀は最高待遇として優遇してたわけでw確信犯だよ。

信長の姪の淀に逆らえるものは
誰もいないから。

これが身分の低い側室が起こした事件だったら
大ごとだったろうけど。

149 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 20:24:12
>>142
現代の感覚だとそうだが、当時は違う

150 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 22:39:20
しかし秀頼を抹殺した家康は、自分の所業を正当化するためにも、
秀頼は種が違うんだと文献に書かせたりしてもよさそうなものだが、やってないよね。
当時はれっきとした秀吉の種であると認識されていたんではないかな。
中傷レベルで治長父親説などあったとしても、理性的にはそれはないだろうと思われていたんでは。

151 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 03:28:42
>>150
中傷ではなく科学的に見てそうだろ。
何百人の側室と、何千回も子つくりをした結果
老人になってから淀だけ2回も妊娠というのはありえないから。

152 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 03:35:34
>>150
家康が、それをしなかったのは
それをやったら秀吉の全否定につながり
北政所や福島正則とかも敵にまわってしまうからだろ。

内輪ではともかく文献にしてしまったら、下々まで伝わってしまうわけだからな。
逆に、そういうキワドイことをしない人だったからこそ
家康は人望があったのだろう。

豊臣を滅ぼした後でも、息子の秀忠の名前の「秀」の字を
変えさせなかったわけで。

153 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 03:37:21
淀が本当に秀吉を尊敬してたらならば
秀吉が死んだ時点で落飾して尼になってたはず。

154 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 22:57:27
秀吉の逝去で落飾したのは正室のねね一人だった気が。

155 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:23:40
まあ、秀吉が名家の姫を側室にしたのは、
「戦国のあしながおじさん」という側面が大きいからな。

子ができないのは当然といえば当然。

156 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:34:22
>>155
ま   た   お   前   か   !   !   !

157 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:45:55
当時の大名はみんなおかしいと思っただろ
信じてたのは老いぼれの秀吉だけ
家康なんかはラッキーと思ったはず

こう考えると秀吉が哀れに思えてくる

158 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 17:33:07
おかしいとは思いつつもなんとなく是認してたんじゃねえか?
秀頼の前にも二人(一人は別の側室)できてるし、
当時は医学なんてもんもないから、
特定の男女の組み合わせなら妊娠可能とか。
秀吉だってそういうつもりもあって異常な数の女と試してみたんだろうし。

159 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:22:57
おねさんも、若いうちに不貞を働けば良かったのにねw

160 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:41:19
>>158
それはない
秀吉以外にも子供ができない武将なんて腐る程いたんだから、種なしの概念は当時にもあった

161 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 08:17:48
石田三成や小西行長もねねの子飼の将だったと言うのは最近知りました。
加藤清正や福島正則、大谷義継(漢字違っていたらすみません)が子飼だと言うのは知っていましたが。
となるとこれ等が敵味方に別れたと言う事は関ヶ原にねねは関係ない(発言がない)って事になるかな?

秀吉が織田家、浅井家にして来た事を思えば豊臣に恨みのあるはずの淀のやった不貞なんて大した事はないよな。
でも、秀頼がねねの元で育っていたらどうなっていたんだろうとは思う嫡男になる子供は濃姫が信忠を養子にした見たいに正室の養子になるのがならわしみたいだったから。

162 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 08:59:51
淀のやった不貞って、確定した事実みたいに言わないで下さい。。。
秀頼・淀殿・秀吉・そして秀吉の親兄弟の遺体のDNA鑑定でもやれば、あるいは
積年の謎が解けるかもね。

確か、前に大阪城の地下から秀頼とおぼしき死体が出土したんじゃなかったっけ。

163 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:32:59
秀吉の遺体がない

164 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:54:41
秀吉の遺体は散逸したらしいからねぇ・・・
ニコライ二世の一家と思われる遺体のDNA鑑定に親戚筋の英王室の
人を使ったらしいから、瑞龍院や秀長、旭姫、大政所、天秀尼あたりは
十分いけるんじゃない。

165 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:14:38
なんで秀吉の遺体はないの?政宗や家康はあるの?

166 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:31:37
>>165
秀吉の墓所を調べたら何も入ってなかった
理由は不明

167 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 20:46:53
>>161
石田三成や小西行長はねねの子飼いじゃないでしょ
結局ねねには豊臣家家臣同士の戦を止めることができず
豊臣家弱体化を傍観していただけで
子のない先関白夫人が夫の死後いかに無力だったかということの
証明にしかならないが。

168 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:13:38
○○の証明にしかならないが

というフレーズをしょっちゅう使う某人は、他スレでも常に喧嘩腰でスレを荒らすうえ、極度の勉強不足読解力不足の
救い難い奇痴害ですので相手にしないように。

169 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 09:22:02
晩年の秀吉は残虐な暴君だぞ。三成ならともかく、治長にそんな度胸あったのか?

170 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 09:59:02
淀の側近(女)の差配で、他所で手頃な男を射精させ、
その精子をすくい取り、淀の居室に持って来させ、
淀に人工授精まがいのことをやったということは考えられないの?

171 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 21:28:37
淀は豊臣家跡継ぎの母なのに
落飾せず尼にならなかった時点で怪しい。

秀吉のことを
馬鹿にしてたに違いない。





172 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 21:31:07
>>169
性欲処理だけの情夫ってのは、普通にいたのだよ。戦国時代は。
大野治長はまさにそれ。
淀も子供ができたほうが自分の地位が上がるので好都合。

173 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:25:34
>>171
当時、夫に死に別れた女性が尼になる慣習があったのは事実だが、
秀吉の妻妾のほとんどは再嫁するか実家に帰されているので、淀殿が落飾しなくても特に不自然ではない。
世継の母でも、伊達政宗の母(輝宗の正室)のように夫の死後もながく落飾しなかった女性もいるので
その論点は甚だ怪しいよ。

174 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:06:52
>>173
再嫁したか、実家に戻ったか(つまり家に残らなかったから)こそ
尼にならなかったわけでしょ?
淀のように家の主となって、尼にならないというのは極めて珍しいと思うよ。

子がない若い側室とかは若くして尼にさせるのが不憫だからこそ
(家から出して)再嫁させる風習があったわけで。




175 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:30:49
かつては主君として仕えていた秀頼を殺めてしまったため、作られた噂で、もちろん一次資料には無い。
太閤の血が入っていないとなれば、「国家安康」など無茶苦茶なやり方も、多少は肯定される。

176 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:31:39
キモいスレだな・・・。

177 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:57:14
確かに淀殿だけが二回も妊娠したのは不自然。
お気に入りなら寝屋に来る数も多いと思うけど、それなら京極殿も相当秀吉のお気に入りだったみたいだけどこっちは子供は無し。
同じお気に入りの側室で片方だけに子供が出来てもう片方に出来ないのが?だな。

178 :176:2009/08/15(土) 02:12:41
今気づいたんだが、>>176は書き込むスレを間違えました。
ゴメンナサイ
キモいスレなんて思ってないよん

179 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 03:35:05
>>171 >>174
尼になったら、公式な場所とかに出てきにくいじゃん。
>家の主 
と、いうけれど[主]になったというもの綿密に考えると正確ではないな。
まあ「家の主」として考えると、僧形じゃないほうが動きやすいのだが。

戦国女性の去就はほんとに様々あるので、
おおまかにこうだけどって事例以外にも、例外は散見される。
だから「主が死去=落飾」という例が全てではないので、
「落飾しないので怪しい」ってという方向性は少し違うと思う。

180 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 21:11:36
>>177
京極殿と比べられても困る。
妊娠しやすい体質かどうかは人によって違うし、困難な人は不妊治療を受けることになる。
現代では産婦人科で、妊娠しやすい体質かどうか見てくれるが、淀殿は優秀な結果を示したかもしれない。
おそらく、秀吉は精子の数が標準より少なく、活発でない?ので、
淀殿か、それと同等の妊娠しやすい体質の女性とのあいだでしか、可能性はなかったろう。
現代みたいに、人工授精が可能なら、卵子にたどり着く前に精子が全滅する恐れはないから100人くらい子供を作ったかも?


181 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 21:45:00
あと妊娠しやすいorしにくい男女の相性もあるしねぇ
子供が出来なかった夫婦が離婚して、それぞれ別の相手と再婚したら
どっちにもばんばん子供が出来たってこともあるし
どちらかが不妊だったわけじゃなくて、純粋に相性が悪かったとか

182 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 01:00:27
>>180 秀吉の種が薄くて淀が妊娠しやすい体質だったとしても他の側室が全員妊娠してないのが不自然。
あれだけの側室がいればもう一人ぐらい相性の良い側室がいても可笑しくないのに淀一人だけが二回も出産したのが怪しい。
家康が秀吉の墓を荒らした所為でDNAが調べられなくなった。家康も余計な事してくれた。
でも、秀吉のミイラらしきものが発見されたらしいから秀頼の遺体らしきものを使って調べられないかな。

183 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 02:01:32
でも、秀吉と秀頼と思われる遺体が別人だったら調べても意味ないんだよな。

184 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:19:00
もしそれらが別人でも。
天秀尼(秀頼娘)の遺体と、秀吉と血のつながった親兄弟の誰かの遺体を調べればおk。

185 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:42:30
秀吉の墓に秀吉の遺体が入ってなかったってどういうこと!?
畳の上で死んだって聞いてたけど

186 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:13:57
>>180
京極殿が妊娠しずらい体質で淀が妊娠しやすい体質というのは違うでしょ。
京極竜子は先夫との間に男子2人を産んでいるからね。
経産婦だし、おそらく処女で秀吉のものとなった淀よりも
はるかに性交もスムーズにいったはず。
摩阿姫のように秀吉との間に子がなく再婚後に子供を生んでいる側室もいる。
秀吉の精子が虚弱体質ならばなおさら、
勃起不全も始まる50代になってから女を妊娠させるなんて相当なもんだろ。

187 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:23:12
>>家康も余計な事してくれた。
いや家康なりの配慮だったのかもよ。後世にばれることがないように。
そもそも二条城で会見して秀頼討伐を決めたと言われるが、それも
若さに嫉妬したというより「こいつ絶対秀吉の種じゃねえ。こいつを
豊臣として残すわけにはいかない」という同じ戦国を戦ったもの
同士、お互い認めていたからこそくる感情だったのかもしれない。

188 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 20:45:49
秀頼の父親候補

大野冶長:70%
石田三成:19%
徳川家康:5%
前田利家:5%
豊臣秀吉:1%

189 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 03:03:48
側室が300人いたとして
淀に連続ヒットする確立は、人数から見ると
9万分の1w

違うとこの子だよ。やっぱりw

190 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 19:29:51
その側室たちと寝た数は均等ではないから、その計算はおかしい。
松の丸殿と淀殿は別格だし。

191 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 20:32:26
>>149
秀吉とおねの関係は特別だ。
大名とか上級武士ならともかく、
農民出身の彼らは違うな。

192 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 20:34:22
>>183
大阪の陣のあとに秀吉の墓を家康が掘り返させて、
遺骨を山に捨てたそうな。

193 :192:2009/08/18(火) 20:35:48
>>185の間違い。

194 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 20:40:54
>>190
淀殿は秀吉の側室の中でもかなり遅い時期の側室だ。
柴田勝家を破ったとき秀吉はすでに47歳で、
淀が側室になったのはどう考えてもこれより先にはさかのぼれない。
男の生殖能力のピークが10代後半であるのに対して
これは厳しいだろう。
均等割りではおかしい。
鶴松が生まれたとき秀吉は53歳、秀頼のときは57歳だが、
53歳や57歳の秀吉の一発と、
ねねと結婚した当時の25歳の秀吉の一発とを
精子の数・動きを比較して同じ一発と考えるのは間違いだということ。

195 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:42:47
>>192
それは間違い。たしかに徳川家康は秀吉の豊国大明神号を
廃止し、廟の豊国神社を破却して、秀吉の墓をを掘り返そう
としたが、高台院の懇願に墓はそのままにした。
だから現在も、京都に秀吉の墓がある。
秀吉の遺体は明治時代、調査のために掘り出したら潰れた。

196 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 00:50:03
>>195
高台院の懇願によって墓はそのままになったというのは違うな。
徳川家は秀吉を祀る豊国社を破壊し、秀吉の廟を壊した。
この際土の中に埋められていた秀吉の遺体はそのまま棄て去ったため、
長年秀吉の墓が正確にはどの位置にあって
遺骨はどこへ行ったかが分からなくなっていた。


豊国廟は江戸幕府が滅びた後、
もともと秀吉が葬られていたという阿弥陀ヶ峰に明治政府が再建している。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314922828
↑こちらでは明治時代に偶然秀吉の遺骨が発見されて
その破片は今でも現在の豊国廟五輪塔に埋められているとある。

これとは別に、京都の豊国神社宝物館(明治時代に豊国神社も再建)
には秀吉の歯が展示されていると聞いたことがある。

197 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 07:03:02
>>196 つまり家康が秀吉の墓を荒らさなかったら墓地が特定できて秀吉と秀頼の娘で鑑定出来た訳だな。
そう考えると家康は未来の人々の手で暴かれるかも知れない秀頼の出生を隠す為にわざと秀吉の墓を荒らしたとかは考えられないか?


198 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 12:30:43
>>197
家康が>秀頼の出生を隠すために秀吉の墓を荒らした 
という意見には疑問が。
家康が現代の遺伝子調査を予見していたとでも?
普通に、自分以前に権力をもった体制の象徴を破壊した説が妥当かと。

199 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 14:29:39
>>198 冗談でレスしたらマジレス来てワロタ。天下を取った順が家康→秀吉でもそうしたかも知れんから本当の理由はそれで良いと思う。

200 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 22:20:09
江戸幕府を滅ぼした明治政府は秀吉を復権させてるね。
秀吉のために神社や廟を再建したのもそうだし、日光東照宮にも秀吉の神輿を置いて
家康が明治政府に悪さをしないように見張らせてるそうだ。

201 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 23:44:49
自分の馬鹿スレを批判されて悔しいもんだから、
「冗談でレスしたのに、マジレスきてワロタ」とか
人を茶化して面白がる馬鹿が流行ってるんだな。

202 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 23:57:41
>>201
( ´д)ヒソ バカガデタ(´д`)ヒソ バカガデタ(д` )


203 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 18:10:58
>>201 マジレスして恥ずかしいからって顔真っ赤にして必死ですねw

204 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 19:30:25
>>203
( ´д)ヒソ バカガデルト ツラレテ バカガデル(´д`)ヒソ バカガデルト ツラレテ バカガデル(д` )

205 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 01:02:09
側室が300人いたとして
淀に連続ヒットする確立は、人数から見ると
9万分の1w

違うとこの子だよ。やっぱりw


206 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 01:03:59
多人数セックスで子供ができないのは
まちがいなく「感染症性病」です。

淀に子供ができるはずがありません。

207 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 01:05:13
多人数セックスで子供ができないのは
まちがいなく秀吉は「感染症性病」です。
現代医学で、完治しない限り100%子供はできません

淀に子供ができるはずがありません。


208 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 02:11:43
少なくとも俺の子では無いな

209 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 10:56:46
>>208 石田三成さんわざわざ主張乙です。

210 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 14:04:07
>>196
> 秀吉の遺体はそのまま棄て去った

なんか中国人みたいだなw
日本人らしくない
やはり儒教マンセー徳川だけある

211 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 18:18:35
秀吉が側室にした姫の大半は、あくまで生活扶助の名目であり、
秀吉は「戦国のあしながおじさん」だった。
天下人の側室という地位と名誉と生活保障を与えるのが主目的だから、
セックスはせいぜい数回形式的やった程度だろう。

だから、一番気に入っていた淀にしか子ができなくてもおかしくない。

212 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 21:00:37
>>211 でも、京極殿も相当のお気に入りだったのに此方には子供は一度も出来てないのに淀だけに二回もってのは可笑しくないか?
それに生活保障を与えるのが目的だったって言うなら前田家のお姫様で生活の安泰している加賀殿を側室にする必要はないと思う。

213 :日本@名無史さん:2009/08/25(火) 23:12:43
精子の量が常人より多い為、晩年にしか子供が出来なかったのでは?という説がある

214 :日本@名無史さん:2009/08/26(水) 15:09:10
晩年にしか子供が出来なかったなら年取ってからは子沢山になると思うのに二人だけしかいないのが不思議。
他の側室にも子供がばんばん出来てもいいのに。

215 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 05:19:16
豊臣秀頼は体大きかったらしいけど大野治長も大きかったの?

216 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 10:14:18
もともと茶々が父親似で大柄なんだよ。

217 :日本@名無史さん:2009/08/27(木) 16:35:06
出自の卑しい秀吉がええとこの姫を買いあさったのは有名な話じゃん。
おまいらだって、もし日本一の大金持ちになって1兆円くらいの資産を得たら
雲の上の存在だったような女を金でどうにかする欲望に駆られるだろう。


218 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 01:23:47
>>216
あれっと思ったら浅野だね。

>>217
だから今でも人気があると。

219 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 08:11:49
>>216
茶々からして
父長政が巨漢
母お市が大女
だから、息子の秀頼がでかくて不思議じゃない
ただ茶々の妹のお江は小柄で華奢だったらしいが・・・両親はでかいのに

220 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 19:08:39
>>219
あれ? 市さんてそんなに大きかったっけ?

221 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 20:42:26
>>211
他スレでもやってたけど秀吉の側室の多くは
大名から服従の証に献上された姫君。
生活のために養ってやってたわけじゃない。
京極殿も加賀殿も立派な里があり、
生活に不自由していない。

222 :日本@名無史さん:2009/08/31(月) 15:09:08
>>200 確か、お市の方に関しては具体的な身長の記録はなかったけど大柄だったんじゃないかって書類はあるらしいよ。

223 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 01:32:23
>>222
レスアンカー違ってますが、そうなの。衣類の丈とかかな?

信長は特に大柄とかいうことはないよね。
あれ? 同腹じゃなかったっけ? ←知識がかなりいい加減

224 :日本@名無史さん:2009/09/01(火) 12:13:51
>>223 ごめんなさい、アンカーミスです。

信長ですが身長は約170cm程度(比較資料:1 E0 m#脚注・出典)らしいです。
お市の母親については信長と同腹という説や側室という説があるみたいです。
異説で信長とお市は従兄妹というのも見た事があります。

225 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 02:06:04
>>219
長女は概して男親に似ることが多いからね。
そして同じ親をもつ姉妹でも、体型がみな相似しているとも限らない。

>>224
異説というより、
「お市は信長の従姉妹だということを記したものがある」
・・・ので、従姉妹なのだと論じてる記録があるんだよ。
で、その従姉妹だということを記した文書は発見されていない。


226 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 02:11:08
>>224
ありゃ、そうでしたっけ?

といっても、今も昔も平均から飛び抜けて大柄な人はいただろうし、武将なら大柄なほうがむしろ普通だろうから、
あちこちの資料でことあるごとに喧伝されるほど大柄ではない、という感じですかね。
あれ? オヤジの信秀だっけ? どうだったのかな? ←まるっきり調べてもいない

続柄については、娘がことごとく最高権力者に目を着けられたんだから、妹に間違いなしで良さそうな。
ただし、オヤジが同じなら全く問題なし、という感じかな?

227 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 16:38:57
>>225 お市は信長の従兄妹だって記したものがあったんですね。
でも、はっきりと従兄妹だと記した文書が見つからないからはっきり言えないと言う事かな。
お市が信長の妹っていう文書は発見されているのでしょうか?

>>226 ウィキで調べた限りはそうなっていました。信長の身長は喧伝されるほど大柄ではないとは思いますが、当時では高い方だったみたいです。
信秀ですが自分もそこまで調べてないのでよく分かりません、ごめんなさい;
織田家と関係ないですが伊達政宗は確か150代と記されている書物があるみたいです。

当時だと側室の子でも父親が同じなら、関係ないみたいですしね。
母親の家柄も少しは関係していると思うからそこそこ良い家柄だとは思うけど。

228 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 00:26:16
>>227
文書って、「妹」というのが定説なんじゃないでしたっけ?

母親の家柄といっても、オヤジの代はまだ弱小ではなかったかと。


229 :225:2009/09/03(木) 10:49:28
いとこ説についての記述は『以貴少伝』に載っている。
『群書類従』の系図のなかには、
「いとこの子」と発想させられるような記述もあり。
まあ、実の妹と考えるのが一番おさまりが良いのだろうけど
本当のところ闇の中・・・って自分は考えてはいる。

またお市が信長の妹だとしても、生母は明確にはなっていないはず。
信秀室の土田氏についても出自論がくり広げられている程に
織田家の女性についての確実な史料はとても少なく
織田家の女性好きの人でも解釈や考証は様々に別れるので
確実に「こうだ」って言えることって本当に少ないのだと思う。


230 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:31:20
>>229
なるほど。「当時において妹として扱われていた」のは間違いなしでいいのかな?
あと、秀吉なんかは乏しい親戚を掻き集めてたけど、信長はそこまでする必要がなかった、とか。
淀さんや妹たちが非常に「珍重」された。

状況証拠で行くと、確証はなくても妹であったとしても矛盾はない、くらいかな。


231 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:47:57
淀を影であおってたのは三成だろ。

自分の権力を保持するためには、淀に子供を生ませる必要があった。
大野は三成の天下を取るための単なる種馬だよ。
関白秀次の天下になったら、三成はねね派に完全に追い出されるからね。

232 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 19:40:39
豊臣が滅亡したのは、すべて茶坊主が悪い。


233 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 19:54:06
それじゃ、何で淀殿の一派は関ヶ原の時に三成の味方をしなかったの?
全くと言って、三成達には協力的じゃないし、治長は東軍の一員として戦っていたし、まあ複雑だな。

234 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 15:45:41
淀殿でなく三の丸殿に子供が出来たら今以上に悲惨に状態になっていただろうな。
秀吉はれっきとした自分と更に濃い織田家の血が入った息子を溺愛して、その生母である三の丸殿の発言力は淀殿以上になっていたかも知れない。
もしそうなっていたら豊臣家の滅亡はもう少し早まっていたかも。

235 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 20:29:43
三の丸殿は正式に織田家が秀吉に献上した側室というのではなく、
姉の夫である蒲生氏郷が養父となって差し出した側室だった。
DNA上の父親は信長なんだろうけどさ。
三の丸殿は信長の娘たちの中でも特に卑母だったし、どうなんだろうな。
自己主張が強そうな側室でもなかったし、
秀吉からの寵愛もそれほどでもなかった。


236 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:47:37
北政所や茶々、竜子とおまあなどは詳細も知られてはいるけど、
他はあまり物語のネタにもならない感じで影も薄い印象だな。
姫路殿とかはどういう生涯を送ったんだ?

「秀吉の一妻十六妾」なんて括りは、
ゴロのいい数字合わせみたいなもんだろうな。


237 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 01:08:58
秀吉が実子を生める体で
若いときに生んでたら、歴史もかなり
変わってたかも知れんな。

238 :ありがちな突っ込みの例:2009/09/14(月) 21:40:23
>>237
そりゃ、秀吉が女だったら歴史が変わってるな。

239 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 22:52:50
>>238 周りの女の子からブスブス言われ続けながら出世して美男を一杯集めるんですね。
そりゃ自分の子供に違いないわな。

240 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 23:49:45
>>239
人たらしの名人だそうだから、もしかすると、信長も家康もたらし込んで・・・

いかん、壊滅的に歴史が変わる。。。

241 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 08:24:44
女信長なんて小説があるぐらいだから女家康、女秀吉も誰かやってくれないかな。
>>238 美男300人がブスに喰われている訳かw現代でブス女に人気が出そうだな。

242 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 06:46:19
>>221 京極家は名家だけど、この頃は落ちぶれてたでしょ。高次や竜子は子供の頃は浅井家に世話になってたくらいだし。

243 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 07:55:41
秀頼の子が天草四郎説やいかに?

244 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:07:26
>>242
落ちぶれてないでしょ。
高次・竜子の父は足利義昭に仕えていたし。
室町幕府が潰れたときに一時的に母親の実家である浅井家に身を寄せたことがあるだけ。
竜子は名門の若狭武田氏に嫁いだし、嫡男の高次は信長→秀吉→家康と
主君を変えながら生き残った。
実家が潰れたわけじゃなし。

245 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:36:33
天草四郎は益田さんちの子。

246 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 16:16:31
DNA鑑定しないかなぁ

247 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 09:44:12
もし、秀頼が赤の他人とかだったら、福島正則とかの評価も変わってくるんだろうね

248 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 07:55:38
鑑定することは可能なの?

249 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 09:28:21
秀頼の娘の天秀尼のお墓が残ってるはずだから、
遺骸からDNA採取。瑞龍院や大政所など秀吉血縁者の遺骸のDNAとの類縁関係を推定できる。
墓暴きが許されれば。

250 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 12:08:25
ゆとり世代なんだろうな。
「墓を掘り出してDNA鑑定すればいいじゃん」って
すぐにそっちの方向に安直にもっていこうとする単細胞は。

251 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 12:49:38
まあ、何かと言えば安直にDNA鑑定を持ち出す発想もアレだが、
気に入らないコメントにはすぐ「ゆとり」って言葉をあてはめたがるのもアレだな。

安易なレッテル貼りも単細胞のやることだ。

252 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 18:05:26

女好きの秀吉なら20人以上の子供がいても不思議ではないのに・・・・子供の少なさ
は不自然。
正室おねとの間にも子供が出来なかったのは、おねに原因があるのではなく秀吉が
種無しだったと考えられる。
秀吉が種無しであれば、この不自然さに整合性がでてくる。
秀頼が淀と他の男の間に出来た子であることは確実だろう。女好きで子無しの秀吉。
さらに初老になってから淀のみ連続の子供誕生!不自然すぎるだけ・・・・
誰もが不自然さに気がつく公然の秘密だったのだろう。もし、秀頼が疑いなく秀吉の
子であるなら関が原の決戦は違ったものになったと思う。
正室おねの裏切り行動。福嶋、加藤、小早川ら豊臣恩顧の大名が反大阪になるとは考
えられない。
本来の世継ぎ秀次一族を狂気のごとく虐殺し尽した秀吉の威光も、無駄な朝鮮出兵と
並んで地に落ちた結果が関が原の石田敗北。
周りの全ては公然の秘密を知っていたんだよ。

253 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 18:20:25
>>13

1人だけと言うのも極めて怪しい!この薄命の子も秀吉の子ではないと考えたほうが
整合性がある。

254 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 18:40:07
>>41

秀吉が種無しと言うのは公然の秘密だっから、秀吉に特別な感情のない他の側室は
間男などと言う危険な行動はしなかっただけだよ。しかし、淀は違った。秀吉への
特別な感情・・母まで失ってる女の復讐。年老いた秀吉はそれに乗った!
しかし、高台院や豊臣周辺家来は秀吉の種無しは疑わず、淀の陰謀に不信感を持った
のでは?・・・・ストイックな三成は理由に関係なく、豊臣政権の永続を願っただけ
だろう。

255 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:00:53
何を必死に書き込んでるんだか・・・

256 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 01:36:04
>>49
ほぼ同意

257 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:06:07
>>255

今、このへんの時代劇を見ているから?明智の本能寺謀反から連鎖している日本史
の変動期だし、女で歴史が変わったとしたら面白い。

258 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 02:25:48
大野治長が父親なら、大阪の陣(主殺し)の罪は軽減されるわけで、
大阪の陣以降に流された風説にすぎず、具体的な史料は全くない。

259 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 02:59:24
>>258
半島出兵で大顰蹙を買った時点で、豊臣に主従関係があると本気で思い続ける者など、
ごく少数の秀吉子飼いの部下以外、全くいなくなってるに決まってるから関係ないでしょ。
豊臣に臣従とか言い続けたのは、豊臣の権威を利用して利益を得ようとした連中だけともいえる。
罪ということなら、意味もない半島出兵を強行させて豊臣自体に大ミソをつけた秀吉の罪が大きい。

といっても、なかったら豊臣が安泰だったとも考えにくいし、あれがあったからこそ豊臣が愛想を尽かされて、
徳川の主権奪取がうまくいったという面もある。


260 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 16:28:37
>>259

この時代の支配階級の空気を知りたいね。現在でいう世論のようなもの・・・
豊臣恩顧の大名が豊臣政権を裏切り家康へ傾いた空気のようなものを・・・・
やはり朝鮮出兵と秀次一族惨殺の影響かな?諸侯の恨みを一身に受けた三成主
導の豊臣政権維持は無茶だったわけだ。
やはり、家康は狡猾な狸だ・・・・・・家康の勝利は75歳まで生きた寿命だね。

261 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:54:58
秀吉と秀頼の関係を明らかにすれば、当時の武将の考えが明確になるんじゃないか
歴史を考える上で、かなり影響があるよ

262 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 22:16:04
秀頼は、淀と宇宙人の子供
秀頼の前に生まれた鶴松は、淀と妖怪との子供

OK

263 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 17:43:02
>>260
「空気」といったら、半島出兵で、当時の日本を代表するようなバリバリの武闘派をウンザリさせた、というのが致命的ではないかと。
恩顧とかいうのは、要するに、命令に従って戦えば勝って褒美をもらえるのを積み重ねるという信頼関係のことで、
実際にも、細かい駆け引きとか、細かい勝ち負けとかはおいといて、原則として連戦連勝だったわけですからね。
結果として、それをグズグズに崩しちゃったわけで。

関ヶ原なんかも、真田に引っかかってなければ素のままで圧勝していたはずで、その時点で既にそれだけの支持があったといえるし。

物理的にもほとんど無理難題だとは思うけど、半島を制圧して領地にすることが出来たりしていたら、評価は全く変わっていたはず。
一体何をどう間違えるとそういうことがあり得るか、ちょっと分からないですが。
信長が健在のままで、秀吉が出張ったら、案外、かなりいいところまで行ってたかな? それは豊臣政権の話ではないし、
占領政策が下手くそ以下の日本のやることだから、どれだけ続くかは怪しいけど。

それはともかく、人間50年の時代なのだから、家康が関ヶ原の時点でも既にかなりの高齢で、いつ死んでも不思議はない
年齢だったわけで、どれだけ長生きしてどこまで体制を固めるか予測することは困難だったはず。
その辺の思惑が入り乱れていたでしょうね。

なんか時制が乱れてますが。

264 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 19:55:22
秀吉が6本指って説を信じれば
遺伝子に異常があるってことじゃないの

265 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 01:12:27
淀殿つきの小姓ってのが一番かな
石田と大野は時期的に無理
秀吉はもう無理

てか、大野って小説のイメージのせいでアレだけど、実際ついこの間まで下っ端でしかも仲間寄せ集めなのに実質上の総大将はっちゃうような奴なんだよね。実際はちょっとネジ飛んでる豪快な人だったんじゃないかな

だからやらなくもないかも


266 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 15:46:57
>>260
関ヶ原の戦いは、豊臣家の家臣どうしの主導権争いに過ぎず、
いづれは成人した秀頼が天下さまになるという認識は、家康以外は変わらない。
江戸に幕府が出来た後でも、諸大名は江戸にも参勤したが、大坂にも参勤している。
秀忠が将軍となり、内大臣になった時も、同時に秀頼も昇進し、内大臣より上位の右大臣になっている。
1605年の政宗の徳川家への書状でも、秀頼君がうつけものなら、徳川家が天下人になってもいいのでは...
と書いており、この当時は家康は、まだ忠臣の仮面をかむっていたことがわかる。

267 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 02:25:20
>>266
本当に、政権奪取を最終目標にしていて、それを仮面の下に隠したタヌキだったのか、疑問もないではない。
結果として豊臣を滅ぼして幕藩体制を固めたのは事実だから、それネタにして、最初から下心ありありだったように
仕立てられている可能性もあるんじゃないかな?
武家を中心に据えて全国を安定させることができるなら誰でもいいから秀吉には従ったけど、結局自分で
やるしかなくなっただけ、とか。

268 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 12:09:47
>>266
関ヶ原が本当に豊臣家家臣同士の戦いだと世間の人が思っていたかは疑問だね。
何と言っても、関ヶ原の直後、徳川家康は征夷大将軍に就任して幕府を開いていてるのに、
誰もこれに反対していない。
逆に豊臣方のほうが呑気に構えすぎていた気がする。
幕府を開き、初代江戸幕府将軍となった徳川家康が、秀頼が元服したら
幕府官僚をすべて追放して幕府を畳むはずもない。
家康が秀忠を2代将軍として豊臣方に政権を譲るつもりも幕府をたたむつもりもないことを表明しても、
まだ呑気にしていた。

269 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 00:16:13
>>268
家康の征夷大将軍に反対してないのは、一代かぎりと思っていたからだろう。
秀忠が2代将軍になった時も、秀頼も同時昇進して右大臣(秀忠の内大臣より上)になってるし、
いずれは、秀頼が関白となって将軍の上に立つと思っていたのでは?
将軍家は他の大名からは将軍の命に服すという誓書を取っているが、
豊臣家からは取っておらず、朝廷も大坂の陣の直前まで秀吉在世当時のように、
新年の祝賀として大坂に親王を派遣していた。

270 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 13:22:15
>>269
つまり、豊臣家は徳川幕府を承認した上で、
豊臣家は関白家としてその上に立てると信じていたと?

幕府は軍司権をすべて掌握し、朝廷から独立した司法・立法権を持つ存在で、
幕府の前では朝廷すら国の統治は困難だ。
鎌倉幕府・室町幕府と経験してきてそれでも
徳川幕府が関白の言うことを聞くと信じていたのだとしたらおめでたいがね。

271 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 21:25:36
>>270
まあ、ある程度の「おめでたさ」は、ある人にはあったからこそ、ああだったんじゃない。

272 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 01:54:46
>>270
そこまでは思っていないだろうが、格上の制外の家として残ると思っていたのでは?
朝廷に関しては、大坂の陣の四ヶ月後に、公家諸法度が成立し、
朝廷の活動が幕府に制約されるようになったが、それ以前は比較的自由。


273 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 19:37:22
>>1
お市が、秀吉を恨むのは筋違い。信長の命令で殺したのだから。実際のところ
お市は秀吉を恨んでいないと思う。ドラマや小説の話だと思う。

274 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 01:12:57
>>272
あ、なるほど。
「当然そうあるべきである」とか考えていた、とか。

275 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 01:37:42
>>272
禁中並びに公家諸法度にはその名の通り天皇だけではなく公家たちの行動も規制している。
特に、能力のないものは摂関家の生まれでも摂関や三公(三大臣)に任じるな、
ましてや摂関家の生まれでないものが摂関につくなど論外である、と言っていて
成り上がり摂関の豊臣家を暗に揶揄して秀頼が摂関の座につくことに水を差している。
「公家」である秀頼の行動も制限しているので制約がないことはないよ。
徳川家は秀頼のために制外の地位を特別に設けておらず、特別扱いをしていない。


276 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 23:00:57
>>275
> 成り上がり摂関の豊臣家を暗に揶揄して秀頼が摂関の座につくことに水を差している
って、なんで、それ以前に死んでるのを引き合いに出す必要があるわけ?

277 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 00:02:38
>>270
そりゃ家康の手腕に目くらましされている。原因と結果が逆だ。
1603年から元和初年までの10年ちょっとの間に、
徳川家が、軍司権、諸侯の事実上の任免権、独立した司法権を確立して、
「徳川幕府」なるものを、1から築いていったんだよ。
1598年の段階では、これらの機能は、関白の権力の下、伏見城に一極集中していたから、
10数年かけて、徳川三代が、「征夷大将軍」と「前征夷大将軍」のもと、
中央権力を、徐々にしかし確実に接収(秀頼からみれば簒奪)していったことになる。
その結果が、「徳川幕府」であって、
「1603年に徳川家康が徳川幕府を開府して江戸時代が始まります」
というのは、あくまで結果論でしかない。

あまりよい例では無いが、伊達政宗の「天下取り計画(笑)」の中では、
藤原姓の伊達氏は、征夷大将軍ではなく関白として天下をとる予定だったという説もある。
17世紀初頭においては、関白と将軍という地位の問題ではなく、
実質的な徳川氏の権力簒奪の過程だけが重要。

278 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 17:45:51
>>275
だから、禁中並びに公家諸法度は大坂の陣の後に成立したわけで
巨大な経済力と潜在的に巨大な兵力を持つ公家(右大臣家)が滅んだからこそだよ。

279 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 00:48:49
>>278
先行する法規も、どう考えても、「潰せる」と見て嵩にかかって徴発してるだけみたいだし。

280 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:27:03
百姓家系名なうえに、こんな疑惑だらけの豊臣家に
それなりに礼をつくした徳川家康って
やはり戦国大名の中では、かなりの律儀者だよな・・・




281 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:31:18
徳川家康が、強引になったのは「強き御政務」と言われた
死ぬ前の数年間だけ。
(強引になった点では、秀吉のほうが上)

もし淀が賢くて、北政所をたて
千姫に子供を生ませて、徳川と血縁関係さえ作ってれば
生き残れたのにな。

もっとも、大野の子供生むような馬鹿女では
そんなの無理か。

282 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:37:43
茶々の悪口は言っちゃダメ

283 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:10:12
>>280
うむ。タヌキオヤジとかいうのは、新政府肝いりの言いがかりじゃないかな。

284 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:24:01
>>281
何年も放置して、秀頼陣営に天下を収める能力などない=せっかく収まったのが、
また小党派に分派して性懲りもなく殺しあいを続けるしかないと完全に見切ってからだし。

それも、後世の者はいくつまで生きたか知ってるから、何の不審も持たないけど、
人間50年の時代に、いつ死んでも全く不思議はない歳をすぎてから延々と様子を
見てたわけだから、様子を見たのが秀吉に義理立てたせいだとしても、そうではない
としても、並みの忍耐力ではありえないわけで。

少なくとも、オレがオレがというタイプとは全く正反対なのは間違いなし。


285 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:28:38
青年に成った秀頼公の資質と若さに衝撃と危機感と嫉妬心を抱いた家康。
このまま秀頼君を生かして置けば、いずれ秀忠を打ち倒すだろう。
それ位の資質を持った若君だった訳だ。

286 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 03:37:27
現実として未知数のままで終わったのだから、本当に資質があったかどうかさえ不明とはいえ、
磨かれなければ石のままだからね。

子供の頃から城に籠もりきりでろくに外に出なかったせいで、普通ではないほど世間知らず
だったとかいうから、少なくとも、海千山千の武将のような実行力や政治力はありえない。

というより、乱世を収めるなら、磨きまくられて、しかし磨り減らないほどタフでないとどうもならん。
一歩間違えただけでアウトになるような合戦を何度も切り抜けて生きのびるだけの運も不可欠。
何のことはない、家康みたいに、秀吉がおかしくなって以来、実質的に日本を切り回してきた
実力と実績がある者でなければ収まるわけがなかったと。

習った知識は豊富でも、いつの時代でもそんなので通るほどのどかではありえないのだから、
戦国の気風が残っていた当時なら、誰かに表看板として利用されて、べらぼうなまでに
蓄積されていた秀吉の遺産を食いつぶして、結局は自滅するしかなかった・・・。

その「表看板」としての利用価値というのが、つまるところ、大坂の役の大坂側の名目上の
主将でしかなかったと。

本気で、秀忠を圧倒する可能性があったと危惧したとは考えにくい。
秀忠では簡単に倒せなくて、戦乱が長引いて後が面倒になるだけと考えた、と解釈するのが
穏当ではないか。

まあ、豊臣びいきの人には承伏しがたいだろうけど、「無理」っしょ。
何といっても、秀吉が半島出兵で、日本を代表するバリバリの武闘派の総スカンを食らったのが
致命的。あれがなかったら、豊臣家体制が安定した可能性もある。
徳川が北条みたいになっただけかもしれんけど。
それは、ありえないIF。




287 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 19:15:50
>>285
秀頼に資質があったとは思えないw

戦国時代は、実力者が天下を取る時代。
まして豊臣は、実力もないうえに血筋も百姓なんだから・・・
分をわきまられないアホだった滅んだんだろ。

288 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 19:22:45
アホ大河ドラマのように「豊臣の恩を忘れるな」なんて
身勝手な論理は、徳川には通用しない。

徳川は、秀吉に出し抜かれて天下を奪われたんだから。
その血筋も知れない敵の豊臣に、必要以上に礼をつくしたのだから・・
徳川にしてみれば
「盟友織田家の恩に報いるために、謀反を起し織田家を貶めた
豊臣を排除した」という正義が成り立つわけだし・・



289 :日本@名無史さん:2009/12/06(日) 01:35:55
>>287
学校の成績が悲惨な薄ら馬鹿がよくいう類いのセリフ。

290 :日本@名無史さん:2009/12/06(日) 01:38:55
>>288
形の上でも織田の誰かを立てることに繋がるから無理筋。

291 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 12:03:54
徳川・・・松平だって、もとをただせば三河に流れ着いた乞食が始祖だろ。


292 :日本@名無史さん:2009/12/12(土) 22:10:56
>>291
アホなの?
それを言ったら天皇だって・・・w

293 :日本@名無史さん:2009/12/12(土) 22:17:01
>>289
戦国時代は、力のあるものが力のない者に従うのがルールだろ。
それさえ悟れないで時点で
秀頼は愚物だと思う。

まあ、足利将軍家とかなら下克上を否定すると理解できるけど
たった1代で主家織田家をのっとった不忠百姓の息子が
権威にすがる時点で愚物なんだよ。

294 :日本@名無史さん:2009/12/12(土) 22:18:13
>>289
戦国時代は、力のないものが力のある者に従うのがルールだろ。
それさえ悟れないで時点で
秀頼は愚物だと思う。

まあ、足利将軍家とかなら下克上を否定すると理解できるけど
たった1代で主家織田家をのっとった不忠百姓の息子が
実力もないのに権威にすがる時点で愚物なんだよ。


295 :日本@名無史さん:2009/12/13(日) 01:16:03
徳川よりも豊臣の織田潰しのほうがやり方はむごいぞ
なんで豊臣だけが悲劇なんだかわからないな
因果は巡るだよ

296 :日本@名無史さん:2009/12/24(木) 20:11:24
>>291
人類は皆アフリカからの流れ者に決まってるだろ。君は馬鹿かね?

297 :日本@名無史さん:2009/12/24(木) 20:12:27
>>293
「血筋」とか寝言をほざいてるのがよくいうよな。

298 :日本@名無史さん:2009/12/24(木) 20:13:38
>>295
んなもん、「大坂の豊臣びいき」に決まってるじゃない。

299 :日本@名無史さん:2009/12/27(日) 17:32:33
三成より家康のほうが淀さんとヤってる確率高いと思います。

300 :日本@名無史さん:2009/12/28(月) 13:23:37
>>1
>300人数十人の女性と性的関係を持ったと・・・・
300レス目というわけで、出典は何という文書ですか?

301 :日本@名無史さん:2009/12/29(火) 02:12:58
>>299
家康の好みじゃないっしょ。

302 :家康:2009/12/29(火) 21:15:36
大野を追放して俺が!

303 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 02:19:41
大阪冬の陣のとき出した
徳川の要求は無理難題とは思えない


@淀を客分として江戸に移す
A秀頼を江戸に参勤させる
B大阪から他に転封させる

この3つからいずれか選べ

これって、単に普通の大名として扱うって
だけでしょ。
たった一つも従えないっておかしいよ。



304 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 02:24:42
徳川家康は、秀吉に江戸へ転封させられてるし
信長に妻子を殺されても臣従したんだよ!

また織田信雄は、秀吉の転封を拒否したために
100万石の大名を取り潰された。

これが戦国の常識。
淀と秀頼は甘えすぎだよ!!!





305 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 22:09:37
>>304

信康を殺したのは家康自身の意志だよ。
築山殿も。

織田信長が信康殺害を命じたのならば
まず信康の正室であった自分の娘五徳を
離縁させて取り戻してからだろう。

しかし、信康が切腹を命じられてもまだ五徳は徳川にいた。
信康が死んだあと織田に戻されたが、
その後も徳川家から徳川の人間として化粧料を受けていた。

織田の命令で無理失理長男を殺したなら
敵方の娘を織田家没落後もなお徳川の人間として
支援し続けるわけがない。

306 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 22:25:40
>>303
それに応じても殺されてるでしょ。秀頼は。
秀吉恩顧の大名だけれども関ヶ原では家康に味方して
家康が征夷大将軍になるのを助け家康に従った
加藤清正や福島正則ですら末路はあんなんだから。
秀吉恩顧で許せなければ
ましてや秀吉の跡取りなんて生かしておくはずないし。

307 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 00:31:12
>>306
関ヶ原は、君側の奸?の三成を除くのが目的であって、秀頼の家臣どうしの争いだよ。
結果的には加藤や福島は、家康を助けることになったが、主目的は光秀の排除。
それはともかく、応じていたら大名家としては残っただろうね、
二条城での会見の時に、家康自身が対等の礼を提案(徳川実記)しており、
家康は、かつて秀頼に臣従を誓った家臣なので、気に食わんかもしれがちょっと我慢すればいい。
三つの内一つに応じればいいわけなので、大坂退去の必要は無く、いずれは年寄りの家康は死ぬわけで、
秀忠では、諸大名を率いて大坂の秀頼を討つなんてバクチは無理だろう。
家康が率いてさえ、まとまりの無い大坂方を相手に半分敗北「薩藩旧記」というありさまで、
家康本陣さえ壊走したくらいだし、巨大な財力(10万超の兵力でも養える)と、
豊臣の求心力(家康が死ねば強まる?)がある以上は手は出せない。
豊臣が健在だったなら、加藤や福島は簡単には潰せなかっただろう。

308 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 07:26:48
一番楽だったのは、淀を差し出すことだろうな。
妹のところに行くんだし、将軍秀忠の義姉を粗略には扱えないはず。
秀吉なら朝日も大政所も行かせたのに、秀頼は母に甘過ぎた。

309 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 00:37:32
大野治長はヤリチン

310 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 01:04:03
>>308
結局は淀がガンなわけで.....
関が原でも、秀頼を擁した毛利本体を出発させていれば....だし。
自分から進んで人質に行くなどとは、これっぽちも思ってもいなかっただろう。

311 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:20:27
>>307
加藤や福島は石田憎しで家康に就いた。
というのはよくある俗説だが、しかし、そのあとを見てみろ。
関ヶ原で家康が勝や否や、加藤や福島は家康に臣下の礼をとり、
秀頼が家康に殺されるのを見殺しにした。
応じていたら秀頼を生かしておいたなんて考えが甘いんじゃないかな。
家康は老いていたからこそ秀頼を殺してから死ぬつもりだった。
現に、秀頼を殺したら目的を成し遂げたとばかりに往生している。

312 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:09:40
淀殿に限らず
女性って一度上げた生活ランクを落とせない性質だからね・・

313 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:35:03
加賀のまつなんかは夫の没後江戸城で人質生活を送ってるよ
まあ夫は天下人じゃないから淀殿とは全く違うけど
そら一国一城の主君の妻として加賀にあったときにくらべりゃ
さぞかし江戸での人質生活はつらかっただろうさ

淀殿が生活レベル落としたくないから大阪城でふんばってたわけじゃないだろ
なんとしても息子を天下人にしたかった
天下人でなくなるくらいなら息子もろとも自害する
女がすべてそうなんじゃなくて
淀殿が息子を思ってとった行動がたまたまそうだったというだけ
父も母も自害しているし惨めな境遇で生き抜くくらいなら自害をと思ったんだろ

それにしても女はみんなこうだとか書く奴は何?
馬鹿なの?

314 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:22:15
淀君と秀頼の乳母だった大蔵卿の局が治長の母親。
淀とは「乳兄弟」だから親密だったろうしデキちゃってもおかしくない。
でも、いまとなってはみんな藪の中だな。
秀吉が絶対権力者になっても、なお2人が密会できたものかどうか。
密通の噂でもあればなおさらだ。
考えられるのは、秀吉も知っていた(実子でなくてもいいから豊臣政権の
後継者が欲しい)ってこと。無理筋かなw

315 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:33:31
淀を増長させて言いなりだった秀吉がなぁ・・
まあ、掘れ込んだおねとは子が出来ない年月で
二番目に惚れた淀に子が出来たからって
出産の為に淀城とかw
淀が高飛車になるのも当然だわな。

316 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 00:08:46
× おね
○ ねね

317 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 00:17:08
淀の血統の高貴さがよく言われるけど、
さほどとは思えない(自信なし、間違ってるかな?)。
豊臣家はともかく、毛利、上杉、怪しいけど徳川のほうが
むしろ上なんじゃないか。
とすると、淀があくまで徳川の風下につかなかったのは、
秀吉の権威(!?)が理由ってことになる。
どうもこのあたり、通説とは違った歴史解釈が成り立ちそうな気がする。

318 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 21:33:16
淀殿は農夫まがいのことをしていた秀吉の幼少時代を知らない。
淀殿の実父や実祖父が所有していた小谷城や浅井氏の旧領は、浅井氏滅亡後
すぐに秀吉に与えられ、秀吉は小谷城を廃城にして長浜城を築いている。
このとき淀殿はわずかに7歳で、7歳のころから城持ち大名、
それも自分の実父浅井長政の旧領を統治していた秀吉のことを
卑しい奴だと思う理由がない。
秀吉は浅井氏の旧領統治にとどまらず、関白にまでなって日本を統治した。
その跡取りを産んだというのは淀殿にとって大きな誉れ。
別段、淀殿は実家の浅井を再興したいとか母方の織田を再興したいという希望はなかった。
夫秀吉の残したものを守りたかったのであって、
秀吉より自分のほうが上だから、とか思ってなかったと思うよ。


319 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 22:04:58
織田や浅井の血筋とか恨みとか関係無かっただろう。
秀吉ってバブルが去ったのに
それを認めなかっただけ。

何つーか、典型的なバカップルなんだよ>秀吉&淀
年の差カップルに有りがちな年上が下にメロメロで
跡取りまで産んだもんだから加速して・・
秀次排斥どころか秀長さえも暗殺説が有る位だからな・・(溜息
福島や加藤やねねは呆れて
「羽柴秀吉」は胸の中の思い出に留めて
現実の豊臣家とは距離を置いたんじゃなかろうか?

320 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 22:38:57
秀吉が死んだとき淀を出家させれば良かったね。
秀頼がアホだったら結果は同じだったろうけど、
三成、清正のどちらが補佐についても、Vs家康、
面白かったんじゃないかな。

321 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 22:58:22
虎舞竜の人もたいがいだがな

322 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 00:23:05
淀どのって遺品の着物と肖像画から推定して
身長170センチ越えの巨女だったとか
現代でも結構大柄だけど、当時としては化け物サイズだったんじゃないかな。

323 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 03:48:23
<淀に至る浅井氏の血統>
浅井亮政(母は?)
浅井久政(母は尼子氏(大方殿)侍所所司京極高秀の子である近江守護代尼子高久の子孫。)
浅井長政(母は浅井家家臣井口経元の女(阿古御料・小野殿)) 
淀殿(茶々)(母は尾張守護代織田家の奉行織田信秀の女(市))

比べると久政の母が一番高貴かも。
(もっとも当主の娘かどうかわからない…。高久以降の系譜をご存知の方いますか?)

324 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 21:20:21
>>310>>320
秀頼は25歳まで生きてて母の尻に敷かれていたというなら、本当の阿呆だろう。
だいたい、淀殿がどこまで発言してたかなど確実な史料がない。
関ヶ原の作戦を立てて決行したのが淀だなんて、マジで信じてるの?
信長は母がいても14歳から自分で統治してたというのに。

どうも豊臣家が秀吉の死後あれほど呆気なく崩壊したのを
女のせいにしたがる傾向が淀の悪評価につながったような気がするな。
これで豊臣が持ちこたえていたら、逆に秀頼が賢かったからだということになって
淀は全く評価されない気がする。

325 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 21:48:00
秀頼が淀の尻に。と言うよりも
秀吉が淀を増長させた後の事だから
秀頼は淀の裁断を当然。と受け入れて疑いもしなかったろうな。
私がそう考えるのは
私が勤めている会社の状況が正にこのスレ状態だから。

326 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 21:56:15
>>322
自分は長女の第一子は父親似が非常に多いので、
茶々は父親似なのではないか、大柄でおおまかな美人・・・
こういう推測に、推測としてすごく賛成してる者だけど、

>遺品の着物と肖像画から推定して
これもほんとに推測の域だよね。
肖像画だって「伝淀殿」って、伝がつくんだし。

327 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:22:48
>>325
淀の増長?
秀吉の存命中、淀は政治的に力を持ってたっけ?
秀吉存命中、豊臣家が繁栄したのは淀のおかげ?

淀城に住めたぐらいで淀が豊臣家の政治権を一切握ってたわけじゃなし、
それはおまえの妄想。
淀に支配権があるなら秀吉は五大老のさらに上に淀を置き
「なにごともお袋様(淀のこと)の指図あるままに」
とでも遺言して死ぬだろ。
実際に夫の死後、その妻が当主が成長するまで政務を全部見てた
戦国大名もいるんだから。

328 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:26:34
>>326
だけど肖像画の淀は浅井長政の肖像画にもあまり似てない。
あれが淀の像なら祖父母に似たかなんかだろうけど・・・
多くの側室たちの中でも特に京極竜子とともに戦場へ呼ばれるほど
秀吉の大のお気に入りだった淀なのだから、
相応の美人であってしかるべきなんだがな。
どうも肖像画の淀はねねの肖像画よりも
美貌が劣るような気がして・・


329 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:30:35
>>326
会社の私怨で歴史を語られても・・・

330 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:41:09
>>327
明文化しなくても雰囲気つか・・有るでしょ。

全ての御台所が。とか言う気は無いんだよ。
秀吉だってねねと木下&羽柴時代は良かったと思うよ。

331 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:43:56
>>330
日本史板なんだから、雰囲気で話するのはやめてくれ。
具体的に史料を出してくれれば皆納得する。
「関ヶ原の合戦を淀が指揮していた史料」
これを出してくれ。
雰囲気はどうでもよい。

332 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:52:39
え?私が
>関ヶ原の合戦を淀が指揮していた
なんて言いましたけ?

関が原後の淀の態度について書き込んではいますけど・・

333 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:10:49
>>329
326のどこが>会社の私怨 なのか、わけがわからん。

>>331
大河板に1日一人は居るよね。
「史実の淀は関が原の合戦で陣頭指揮した・・・」とか、
「史実でも淀殿は母親に似た美人」
とか、書き込んでるお人が。

ソース厨ではないけれど、「その「史実」の根拠は?」と問いたくなる。

334 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:27:31
淀は関が原を家臣同士の内ゲバで
あくまでトップは豊臣秀頼!位にしか思ってないだろ。
だから関が原の指揮なんてしない。
でも、そこが致命的に勘違いで
諸侯は「天下分け目」の豊臣VS徳川って位置付けてるのにね

335 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 20:36:08
>>333
329は325へのレスだった。
アンカミスすまん。

336 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 20:39:06
>>332
関ヶ原後のこととかすっとぼけて。

>秀吉が淀を増長させた後の事だから
>秀頼は淀の裁断を当然。と受け入れて疑いもしなかったろうな。

これに対する反論に食いついてきたんだから、
これが正しいという史料を出してもらおうか。
関ヶ原後の淀の態度というのも史料がないんだが。
ついでにこれも頼む。


337 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 23:41:50
>>317
一般的な意味で「高貴」ということはなくて、「あの信長の縁者」ということで「珍重」されただけじゃない。
秀吉にとっては仇を討ったのが出世の手がかりなわけで、大仰に言いふらすのが当然だし。

338 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 01:05:34
>>334
「天下分け目」と言っても、三成方か家康方のどちらが実権を握るかという程度、
淀自身もそうだが、大半の大名も豊臣家の家臣どうしの内ゲバと思っていた。
家康の(豊家の忠臣)演技が抜群なのか、家康が将軍に任官した後も、
秀頼がいずれは関白になり権力を握ると考えていた大名(毛利氏、伊達氏などの書状)が多かった。
さすがに、秀忠に将軍職譲った後は、当時の大名は江戸と大坂両方に参勤していたが、ほとんど江戸だけになった。

339 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 14:07:35
誰の種だったかにせよ、秀吉に後継者として可愛いがられ、
大阪城の主となり、豊臣秀頼として死んでいったんだから、
秀吉の子ってことで一件落着なんだよな。

340 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 15:02:16
高速回転したと思ったらまた過疎ってるね。

341 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 15:47:13
母親はわかるけど父親はわからない。今でもそうだ。
どの子にも父親はいるが、それが誰だかはわからない。

男から見れば実子なんていないよ。常に法律上の子供だ。
それを自分の実子だと思いこんでいる男がいるだけだ。

342 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 02:39:44
>>338
半島出兵の失敗で武闘派の総スカンを食らってることに気がついていなかったということで、
要するに秀吉とその遺産あってこその豊臣にすぎないという認識がまるでなかったということっしょ。


343 :日本@名無史さん:2010/02/11(木) 22:18:48
前田利長説を聞いたことがあります

344 :日本@名無史さん:2010/02/11(木) 23:02:09
大野説、石田説、前田説、家康説

これで全部?




345 :日本@名無史さん:2010/02/18(木) 11:39:02
体格が近い人に信憑性が有るね

346 :日本@名無史さん:2010/02/18(木) 18:49:14
淀はエッチ好き

347 :日本@名無史さん:2010/02/18(木) 20:30:39
イヤン

348 :日本@名無史さん:2010/02/19(金) 21:25:40
大坂夏の陣はやれば滅亡確実だから秀頼も淀君も避けたかったが、
徳川に降伏すると城内に入った浪人衆に殺されかねない状況だった
為に出来なかった説は本当でしょうか?

太平洋戦争時の日本に酷似していますね

349 :日本@名無史さん:2010/02/19(金) 23:03:37
父、母と継父の立派な死を見ているのに
最後はもっと潔くできなかったんだろうかと思う。
逆に母みたいな死に方は嫌だと思ったのかな?

350 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 00:35:32
>>349
 淀殿のことなら、最期は分からない。
祖父や父や母、義父、伯父と同様に、と思って潔く覚悟を決めて死んだという説もある。

秀頼は、人の死に直面した事はあまり無いはずだから、
母が死のうが死にたくはなかったかもな。

351 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 00:42:37
>>348
そういう説もあるよ。
あと、秀頼周辺の好戦派が淀殿を幽閉してた、とか
淀殿は人質に行くのを承諾してた、とか。

 約300年も続いた徳川史観によって、淀殿はかなり悪いイメージを植えつけられているが、
実際、彼女が何かをした、という史料はあまり無く、
権力もそんなに持っていなかったとも言われている。
性格も、淀殿が片桐に宛てた手紙を読んでみたら、
「下から目線の落ち着いた人」という感じもする。

方広寺の鐘の問題だって、淀殿は生まれながらのお姫様だったから、
何の悪意も無く、本当に何も分かっていなかったかもしれない。


だから、本当に淀殿周辺には、いろんな説がある。
徳川史観によって何百年も隠され続けてきた事の真実を掴むのは難しいと思う。

352 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 00:49:15
治長に抱きしめられながら死んだのかな?

353 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 03:27:28
>>348>>351
大阪冬の陣までは、豊臣に味方する大名がたくさんいると
思い込んでた時点で、淀は大馬鹿だよw

下から目線?
大阪冬の陣で敗北決定の時、「豊臣の領地を加増せよ」と主張した
馬鹿ぶりは傲慢ぶりw

大阪冬の陣以降に淀が大人しくなったのは、大名が誰も味方しないことを
悟ったのと家康を死ぬのをまってただけだろw

354 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 12:19:36
>>353
 ドラマや小説に影響されすぎだろ。それか、徳川大好きなんだろ。

 淀殿に関する史料なんて、知名度の割にはほとんど無い。
「豊臣の領地を加増せよ」は、ほんとに淀殿が言った事か?違うだろ。
大阪城で、大名達に嫌われるくらいの勢力を持っていたんだったら、
もっと史料が残っているのが普通なんだよ。

大体、戦死した家臣の娘をねぎらう文書が見つかったりするような人の娘で、
両親のために寺を建てる信心深い人だ。
 北政所や侍女達とも仲が良かったというし、そんなに傲慢なら、
こんなことはありえない。

 淀殿を援護するつもりはないが、
そんなことをした史料も残ってない人に、濡れ衣を着させるのは駄目だろ。



 

355 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 23:05:00
>>354
とりあえず淀殿か治長のせいにしとけ、的なあつかいなことが多いからな

356 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 23:14:32
>>354
戦国武将なら、負けてるのに「領地加増しろ」なんて言うか。
まさに女の浅知恵。

淀の傲慢な姿勢は15年間一貫して変わらなかっただろ。

357 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 23:19:51
>>354
上にも書いてあるが分をわきまえてる人間なら
なぜ淀は江戸に人質は行かなかったんだ?

江戸に人質を置くのは、どの大名も行なったこと。
弱いものが人質を出すのは戦国の常識だろ。

それをいち早くやった前田家は生き残ったんだから
豊臣が滅亡したのは、女主が愚かだったと言うこと。

北政所が実験にぎってたら、豊臣は残っていた。

358 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 00:32:50
それは要するに、寧々さんに子供が生まれていたら、という話ね。
そりゃ、歴史が変わる。

359 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 00:51:08
>>357
 淀殿は、人質に行くといっていたって言う説が最近は有利だ。
それを、秀頼や大野がとめたらしい。

もちろん、淀殿が人質に行くと言ったか言わなかったか、
それから、その条件自体を知っていたかの真偽の程は分からない。

 だから、言われるとおり、
ずっと家康より上の立場に居た人なんだし、淀殿のプライドが許さなかったという事も十分ありえる。
 生まれ育った環境においては、ねねやまつは、淀殿より身分の低い生活をしていたんだから、
確かに、北政所の子供だったら変わっていただろう。

 しかし、(史料が全てとは言わないが)史料にも残っていないようなことを
予想するのはともかく、決め付けたらいけない。
淀殿などの女性を過大評価(過小評価ともいえるが)しすぎている。

 まつも自らの意思ではなく、当時の風潮に流されて江戸へ人質にいった可能性が非常に高い。
要するに、まわりにいる武将が要なんだよ。
 同様に、淀殿がたとえ嫌がっていたとしても、大野や秀頼や真田など全員が行けと言ったら江戸へ行くと思う。
妹が秀忠の正室で、義娘が家康の孫、こういう関係から考えても、淀殿が殺されるとは 限らない。
そんなことは、淀殿も周辺の武将も分かっているだろうから 江戸へ行けと言われたら逆らわないだろう。

>>365
 まず、淀殿が「領地加増しろ」って言ったというソースはなんだ?
そんな史料は見たこと無いから、教えてくれ。







360 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 01:18:19
>>359
珍しくもなく普通にありがちな次政権による逆宣伝とか、見てきたような嘘を
平気で並べる小説とかを鵜呑みにしてたら駄目、ということね。

361 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 01:32:32
>>359
徳川の条件は、淀が人質(というか客人として江戸に来る)
秀頼の参勤・大阪から国替えのたった一つなんだよ。
こんなの難癖でもなんでもない。臣従を示せってだけだろw

家康も百姓の秀吉に、わが子を人質を出し・大阪に参勤し
江戸に移され3つともプライド捨てて条件飲んだんだよw

それなのに冬の陣の、休戦協定のさい
浪人を養うために領地を増やせというのが淀の出した
結論。
それって勝ったほうが出す条件だろ。
小説とか関係ないよ。
現実にやってることが女特有の感情的な行動だろ

362 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 01:53:53
>>361
 ちょっと待て。
冬の陣の休戦協定でだした意見が淀のものとは限らないだろ。
真田などはありえないにしても、大野や秀頼に押し切られた可能性は十分にある。
相手が妹の初だから、淀自体は間違いなくその場にいたとは思うが。

 淀が人質っていうのは、3つの中でも特に容易にできることで
それを他の人(例えば秀頼)がどうしても行くな、と止めるのならともかく、
淀だけが嫌がり、結果的に江戸へ行かないことはありえない。
 
 つまり、何がいいたいというと
・淀だけの責任ではない(→むしろ、周辺の武将に押し切られた可能性のほうが高い)
・史料に淀が「家康に対して意見を言った」や「傲慢だった」様子が見受けられるものはない。
・お姫様感覚の淀が、江戸行きを嫌がったというのはあるかもしれないが、
 どちらにしろ彼女だけで決められる事ではない(→大坂側の人々も同調していなくてはおかしい)
・彼女自体に秀頼の母という以上の権力はない。(本来なら実家が協力するものだが、彼女には実家が無いため)
 要するに、彼女の権威では、周辺の武将を圧倒することは不可能。

 弱冠かぶっている事もあるが、言いたい事は今のところ上記の4つだけだ。

あとちょっと気になったから、スレチだが。
>女特有の感情的な行動
 女は基本的に理知的で飽きっぽいといわれている。
男の方が感情的で粘着質らしい。

自分は、男だからこの辺悲しいけどな・・・。
言いえて妙だなぁと思うよ。

363 :日本@名無史さん:2010/02/22(月) 00:28:24
理知的かどうかはともかく飽きっぽくて現金=感情的な女じゃないかな
男が思うつーか想像しているほど女は粘着質じゃないんだよな
良くも悪くも現金でドライなのが多い

最近の研究じゃ淀本人は人質に行くのはOK出したけど、それを秀頼が止めたと言われているな

364 :日本@名無史さん:2010/02/22(月) 00:52:04
>>361
> 大阪から国替え
大阪城を没収するということなんだから、んなもん、「たった」とかいえるような
手軽な問題のはずがないじゃない、常識的に考えて。


365 :日本@名無史さん:2010/02/22(月) 23:30:40
恋愛では
男は「名前を付けて保存」「別名で保存」
女は「上書き保存」
なんて言ったりする。
女性の方が現実的なんだろうね。
一晩、泣き明かせばスッキリ割り切って現実をしっかり見てる。
秀頼と配下の男性陣の方が
何時までも秀吉を引き摺ってた可能性は大きいと思ったり。

366 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 21:20:32
なんか「女っていうのはこうなんだ」
という変な持論展開する馬鹿男が一人いつも常駐しているね。
淀一人のことならともかく、女はみんなこうなんだ、
って毒づくにもほどがある。

だから、前の人も言っていたように、
「豊臣家は女主である淀の思うがままに動いていた」
「淀が人質に行くことを淀自身がこばんだ」
「現実にやってることが女特有の感情的な行動だ」
という史料を出せばいいんだよ。
脳内妄想だけで連投している人は見苦しい。

367 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 21:52:57
>>366
おばさん乙
お前の書き込みがすでに論理的じゃない。

男は計画的・頭脳的(だから論争とか、政治経済とか理系が多いんだろ)
女は感情的(だから小説とか、文学とか心理学が好きなんだろ)

そんなの常識だ。



368 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 22:01:57
>>367
お前の感情的な論理を理論だてて説明できるかな?
無理だろうね。
男は計画的・頭脳的って、史料も嫁ないただの馬鹿じゃん。
感情的って、お前のような馬鹿のことを言うんだね。

369 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 22:06:59
史料に基づかない話してるやつは出てけよw
史料を出せと言われると逆切れして逆恨みする奴も同様。
ここは日本史板だ。
史料の読めない人はドラマ板へでも池。

370 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 22:07:20
>>366
だったら、聞くが豊臣は誰の意思が反映されてるんだ?
幼少だった秀頼か?
後見人の淀以外ありえんだろうが。

だから、大阪城から出さなかったんだろ。
豊臣家の立場よりもわが子の安全ばかり考えてたのがこの女だ。
豊臣家の実力を客観視するのではなく、プライドばかりに
こだわってのも戦国時代をを甘く見た世間知らずの女特有の行動だろうが。

371 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 22:09:39
>>369
シカとか言ってるのもババアくせえな。
女に理系や、経済理論や、政治学やる人間が多いかと聞いている。
答えろよw

文学とか和歌とかって、心情を読み解く学問だろう

372 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 22:11:55
>>369
シカとか言ってるのもババアくせえな。
女に理系や、経済理論や、政治学やる人間が多いかと聞いている。
答えろよw

女に多い文学とか和歌とって、心情を読み解く学問だろう

受験の統計上も、女は国語・語学に強くて
社会や理数が苦手なのは客観的データーとして出てるぞ。




373 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 22:19:09
まあ、母親なんだから豊臣よりわが子を重要視するのは分かるよ。
どうせ大野の子なんだし。

だったら女だてらに政治に口出すな。戦争に口を出すな。女の分際で。
家康もそれを熟知してたからこそ、冬の陣のとき
大砲で淀を驚かせて、講和させたわけだからね。

374 :日本@名無史さん:2010/02/24(水) 22:29:22
このスレ、程度低w

375 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 00:07:35
>>374
自分とそっくりでうれしいかね?

376 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 00:19:42
カワイソ、自分の事だと気付かないなんてw

377 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 01:18:19
>>376
哀れむこともないんじゃない、珍しくもなくありふれたタイプなんだから。

378 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 01:36:29
可能性ゼロとは言わないが、淀×治長=秀頼はちょっと・・・。
淀が豊臣滅亡の元凶とされる史観の流れだろうと想像するが、
この史観自体を疑うべきなんじゃないかと思うよ。
正室と側室の違いは大きい。子どもを産んだ産まないで逆転はなかった
と考える。殿様留守中の家中は正妻がいっさいを取り仕切ったというし(殿様≒正室)、
淀がよほどの女だったとしても、しょせん側室。巷間いわれてきたような
行き過ぎたでしゃばりはできなかったんじゃないかな。
ねね(おね)と淀の確執説を操ったのは家康(のブレーン)でしょ。

379 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 01:45:33
>>378
関ヶ原前に帰国した朝鮮人儒学者の手記にも書いてあるのに
徳川の捏造とは・・・

380 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 01:49:16
>>378
だけど現に「生母」として淀さんが大坂城に居残ったじゃないすか。
当代の生母として何目も置かれることはあっても、先代の側室
だからといって軽んぜられたということはありえないじゃない。
どこまで重んぜられたかは別問題として。

381 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 02:35:29
379、380
いずれにせよ、正室ねねが鍵を握っている気がする。
このひとならすべてを知っているんだろうが・・・。
それ以前に、当時の人たち(武士階級)の淀三姉妹への
扱いが、ずっと疑問だった。いくら信長の姪たちだからってねえ。
まだ考えがまとまらないままのレスですまん。
けっこう長いこと考えてるのだが、自分の中でまだ明確な結論が出てない。

382 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 03:26:41
>>379
その朝鮮人儒学者の手記というのは、書かれた内容に信憑性があることを
裏づけできるような検証はされているのですか?

その儒学者の日本での立場や、日本にいる背景等を考察しなくていいの?

383 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 03:27:57
>>381
そういえば、三姉妹が妙に珍重されたのは、確かに何か変。
血筋が高く評価されるにしても、信長の血筋ということなら、娘も少なくないのに。
何なんですかね?
揃いも揃って市さんの大ファンだったからせめて娘を、なんてのも不自然ではあるし。

384 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 03:35:35
>>382
事実に反する噂を流して、それを、本当に真に受けたかどうかは本人しか分からないにしても、
書き留めた者がいるだけ、とか。

385 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 03:38:24
あれ? 半島出兵の後という時代関係で、「実行犯の実子ではない」という噂は、
誰にとってトクになるかな?

386 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 19:36:07
>>383
 自分もそれは思ってた。
 確かに、織田家も浅井家(長政はともかく)も 美女の多い血筋だから
見た目は綺麗だったと思われるが・・・。
 それと、血筋も。浅井長政の娘っていうだけでも、
それなりの(今で言うと、有名企業の社長令嬢くらい)身分ではあるが、
+織田信長の姪(こっちの方を重視)だからって扱いが良すぎるよな。

 淀の経歴たどれば、
浅井家→織田家→柴田家→前田家→豊臣家
 
 有名どころが並びすぎじゃないか?

387 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:02:43
>>378
行き過ぎた確執がなかったら
何でねねが高台寺にしりぞいて
淀が出家もせずに居座ったんだよ。

何でもかんでも徳川の陰謀にすりかえるな。

388 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:03:31
淀を美化してるババアがうざいね

389 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:06:59
>>387
それ違う。淀殿は家康の室にされて(秀吉の遺言)
北政所は追い出された

390 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:07:39
>>378
秀忠の2台将軍宣下のとき
ねねが参勤するようにわざわざ使者に来てるのに
黙殺したんだよ。淀は。
はっきり言って、ねねの顔に泥を塗った

正室を立ててるとかどう見てもありえん妄想するなよ。

391 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:10:51
>>387
 だから、二人は協力してたんだろ。
分担作業。ぶ・ん・た・ん・さ・ぎょ・う。分かるか?

 だいたい、ねねも淀もそんなに心の狭い女なわけがない。
ねねの悪評は後世にほとんど残ってないし(むしろ賢婦人をうかがわせるものが多い)
淀だってそんなにプライドが高かったら、秀吉の側室になんてなってないだろ。
 だから、関ヶ原・大阪の陣において、二人の影響力は、後世で言われているほどないんだよ。
二人が何もしなくたって、秀頼が生まれていたら同じ状況になっていただろう。


392 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:16:44
そもそもボケた秀吉をそそのかして関白、秀次の謀反をでっちあげた時から
ねねと淀・三成の確執は決定的になったんだろ。

三成憎いだけで、豊臣譜代が家康に味方したというのは単純すぎる。
三成に背後にいる女(淀)に酷い不信感があったのは事実だろ。
関が原はねねと淀の代理戦争という意味も強い

豊臣譜代は、ねねの支持が錦の御旗にあったから
徳川に味方できた。




393 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:19:28
>>392
そういえば、テレビ局のでっちあげだが、
大阪の陣は、淀と江の勝負だった・・・!!って昔番組でやってたよな。

394 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:20:16
>>だいたい、ねねも淀もそんなに心の狭い女なわけがない

ババアの妄想、きもいわ。
歴女は来るなよ。

395 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:27:40
>>394
 ババアじゃなくて、あえていうならジジイだ。
基本的に、女には甘いゆえの意見かもな。>>391
 このスレみてたら、みんな戦国期の女を過大評価しすぎだと思うんだよなぁ。
普通に考えたら、淀やねねにそんなに力があるわけないだろ。

396 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:28:22
だいたい豊臣が一つにまとまってるなら二派に分かれたのか
関が原なんか起こりえないだろ。
なぜ、豊臣譜代ほど反三成・反淀に回ったのか?

正当な世継ぎの秀次を謀殺し、誰の子か分からない
世継ぎを生んで仲良くなんかできるかよ。


397 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:30:36
>>395
世継が幼児なんだから、後見人である生母や正室に
絶大な権力があるのは当然だろ。

398 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:48:56
ねね・淀が絶大な権力をもったのは
秀吉が晩年、禁治産になっって判断能力がなかったのと
残された遺児が意思能力のない幼児だったことに限る。

さらに、ねねは秀吉が足軽のときから一緒に歩んだ創業者の妻であり
淀も、織田信長の姪でただの側室ではないから。

399 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:52:39
>>397
 むしろ、関ヶ原だと石田、大阪の陣だと大野の方が淀より権力を持っていたんじゃないかと思う。
まぁ、このスレみたいに必要以上に淀を 持ち上げたり貶めたりする必要はないと思うよ。

昔から、有力な史実を知らずに、安易なテレビや小説ばかり見て、淀が大嫌いになっている人も多いし、
逆に、浅井から入ったりすると、淀びいきになって 彼女に責任は全然無いとか言い出す人もいる。

 その中で、自分は、淀やねねはそれなりに発言力はあったんじゃないかと思う。
でも、まわりの武将達の発言力には及ばないだろう。
彼女達が発言しても、武将に総スルーされていると何の影響もないし、
彼女達自身が行動したわけではないから、様々な可能性があるよね。

淀は、プライドの高い女だったかもしれないし、大人しくてほとんど監禁されている状態だったのかもしれない。
大阪の陣前後の淀の発言なんて、史料で見たことはないから、両方の可能性が十分ありえる。

ねねも、家康と手をくんで淀を倒そうとしたのかもしれないし、
なぜか成り行きでそうなっちゃって淀をできれば助けたい、と思っていたかもしれない。
彼女も、立場から考えれば様々な考え方がある。

だから、必要以上に淀を貶めたり、持ち上げたりはせずに、
日本史スレなんだから、確実な史料を元にして話をしたほうが有効だと思うよ。





400 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:53:25

ちなみに自分(>>399)は、>>395ではない。

401 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 21:56:32
>>396
大野治長は東軍に与したのですよ。

402 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 22:38:06
>>401
淀殿との密通の罪で家康に追放された。

403 :日本@名無史さん:2010/02/25(木) 23:23:40
嘘ばっかり。

404 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 00:47:23
う・う・う・うなぎーーーーーーー!!!

405 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 00:52:53
ぎしわじんでん

あ! んがついちゃった。 

406 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 02:09:55
>>399
長いレスですが、要するに「どっちでも,何でもイイ」って事ですね!

407 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 02:21:32
402は嘘とは言えない。
表向きは、もちろん違うが
家康の本音としては大野と淀への姦通罪への罰としての
懲らしめは当然あっただろう。

408 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 02:23:44
家康は、いつの時代でも普通にある
宮中女官への姦通も決して許さなかった。
淀と大野への見せしめもあったのだろう。

409 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 02:32:03
秀頼の父親が誰かは少し微妙だが(三成父親説もある)
大野が淀に一番気に入られてた情夫だったのは100%ガチだからな。

410 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 08:36:08
>>409
ソースは大河ですか?

411 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 10:19:26
WIKIだったりしてw

412 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 11:46:18
>>392
淀殿と北政所の確執とか
関が原は彼女らの代理戦争だったとか、
北政所が東軍を支持していたとか、
淀殿と三成は親密だったとかの説は
今はあまり支持されてません。(2ちゃんですら)
数十年前なら主流でしたけどね。

秀次と淀殿といえば、この二人には若干の交流があり
秀次の娘・清洲姫君と秀頼は一時期婚約していて、
淀殿はたびたび姫君の息災を尋ねる手紙を送ったり、
秀次の領地経営の援助もしていたそうです。

413 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 19:48:46
>>412
来年の大河は「篤姫」脚本家が調子にのって書きなぐってるようだから、
もうどうでもいいような、なんちゃって戦国女性が大活躍し、
それらを本気にするような奴らが大河板で好き勝手な与太説を書くと思うよ。
>史実では ってねwww

414 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 21:11:28
>>413
 それは嫌だな。
しかし、江が主人公の時点でなんちゃって戦国女性は ほとんどいないと思うが。
史実での江の周囲の人々だけでも、十分11ヶ月持つだろ。


 前にも出ていたが、本当に、浅井三姉妹はなんでそんなに優遇されたんだろうか?
織田の親族の娘は 他にもいるし、近江の武将の血をひいているの人も他にもいるのにな。
 やっぱり、両方の血をひいていたっていうのが、政治利用しやすかったんだろうか。

415 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 21:34:53
>>413
芝居は芝居と割り切ろうにも、NHKの大河なんかになると、拗くれた落ちこぼれ物書きが、
歴史に残るような巨大人物を、矮小極まりない自分に合わせて矮小化しやがるから、
気色悪くて見てられない。
「そいつがそんな安物だったら、誰が取り合うか」っての。


416 :日本@名無史さん:2010/02/26(金) 21:39:12
>>414
うん。「謎」だよね。
血筋ということなら、「信長の義理の息子」になりたがるならまだ分かるけど。

417 :日本@名無史さん:2010/02/27(土) 00:22:41
>>373
 大砲程度で淀は驚かないだろ。
4〜6歳のころまでは、毎日大砲や銃声の鳴り響く中で生活していたし、
14歳か16歳の北の庄でも、ある程度の銃撃音・大砲音は聞いているだろ。

 まぁ、その後の長年の生活で、その感覚を忘れていたのかもしれないな。

418 :日本@名無史さん:2010/02/27(土) 01:07:09
>>417
音はともかく、長距離砲の直撃を食らったことはなかったはずではあるね。

「驚いたから慌てて講和に走った」ものかどうかは全く別問題だけど。

419 :日本@名無史さん:2010/02/27(土) 01:19:43
信長との血縁説
娘のほうがはるかに濃いとしか考えようがない
父親は別に大したこともない
仮に秀吉が惚れ込んでいた母親に似ていたとしても、妹を家康が嫡男の嫁に引っぱる原動力になる筋合いはないのでは?

あとなんかある?

420 :日本@名無史さん:2010/02/27(土) 01:24:53
>>419
 市が信長の娘だったっていう説もあるよな。
だから、市の結婚は遅れて、信長が何かあった時に、
急遽、自分の後継者になれるような人を選んだとか。

この説が正しいとしたら、
浅井三姉妹は、信長の長女の娘(=孫)にあたるから、
優遇された理由にもなるよな。

ただし、この説には明確な根拠がない。

421 :日本@名無史さん:2010/02/27(土) 04:38:09
>>420
それは知らなかったけど、同盟関係を期待する相手に娘を嫁にやった、
ということを隠す必然性というのは、あるのかな?
また、他の「公式の娘」の立場がないような?


422 :日本@名無史さん:2010/02/27(土) 12:16:45
>>421
 市が信長の娘だとすると、
信長が13歳くらいで娘を作った事になるから、
後世に対する世間体の問題かもな。

 あと、市が末森じゃなくて名護屋に暮らしていた
可能性が高い事もそう言われる原因の一つらしい。

423 :日本@名無史さん:2010/02/28(日) 00:49:10
>>420
>市が信長の娘だったっていう説もあるよな
自分もそれは初耳だが、どの研究者が言ってること?

(その説の内容を知らずに言うのも何だけど)
その説が語られる理由は、やはり三姉妹の重い用いられ方への
疑問から生まれてきた推測なのだろうか?

信憑性や裏づけ検証の色々はとりあえず置いておくと、
いとこ説は出典が明確だし、その出典のネタ元も知られているのだが。
(ただし、そのネタ元の消息文は現存せずだけど)


424 :日本@名無史さん:2010/02/28(日) 01:20:33
>>423
 史実ではなく、研究者の推測。
だが、誰だったか思い出せない・・・。ただ、論文ではなく本に書いてあった。
 「淀が信長と市の娘っていうマスコミみたいな事を・・・」と思ったんだが、
結構明確な理由がいくつか記されていた。誰だったかな・・・。
 
>その説が語られる理由は、やはり三姉妹の重い用いられ方への
>疑問から生まれてきた推測なのだろうか?
 
 ああ。
 それと、確か長政が信長に異様に好まれている→後継者に近い扱いを受けていることと
(領地や地位的なことではなく、都から信長に送られてきたものを長政に先にやれといったり、良い噂をわざわざ流したりしている。
それから、金ヶ崎で 長政を信長が信じていることから後継者的な扱いだったのでは?と。)
市の婚期が遅い事(娘だからこそきちっとした男に嫁がせてやりたい→政治的な面も含めた一番の相手を探すのに時間がかかった)も
書かれていたと思う。

 ちなみに、「都から信長に送られてきたものを長政に先にやれといったり、良い噂をわざわざ流したりしている。」というのは
本に書かれていた事だから、自分は出典が分からない。


ただ、研究者は織田専門ではなく、浅井を専門の一つにしている人(織田と浅井かもしれないが)だと思う。
自分は、浅井から戦国に入っているから、どうしても浅井寄りの本を読むことが多い。
段々内容を思い出せてきたから、誰か分かったら、カキコしに戻る。

425 :日本@名無史さん:2010/02/28(日) 01:22:14
>>424の>史実ではなく、研究者の推測。
というのは、市が信長の娘と書いている史書はない。ってことです。

 分かりにくくてすまない。

426 :日本@名無史さん:2010/02/28(日) 05:06:40
良スレ!

427 :日本@名無史さん:2010/02/28(日) 21:26:06
>>414
江の脚本家は天璋院を日本を救う姫にした人
スーパーセレブの話だとよ

428 :日本@名無史さん:2010/03/01(月) 00:37:53
信長の生前なら親戚関係になる価値はないではないだろうけど、
それならそれで娘の強引な争奪戦になりそうな気がする。

429 :423:2010/03/01(月) 03:08:20
>>424 >>425
わざわざ回答ありがとう。

「お市は信長の娘説」について、
一次史料の書状や日記、文章や伝承の覚書、
そのような「史料」として残されたものではないようだけれど
研究者が史料検証をもとに推測したものだという事は良くわかりました。

その研究者は織田氏の研究を主とする人では無い?ようなことだけど、
お市が嫁いだのは何より浅井氏なのだし、
織田家の史料からは掘り出せないことを発見できる可能性もあるのだと思う。
その本の著者名が思い出せたら、是非教えて下さい。


430 :日本@名無史さん:2010/03/03(水) 08:27:25
アポロ・アントン・大野治長

431 :日本@名無史さん:2010/03/04(木) 08:38:06
>>413
大河板のことはよく知らないけど
大河は馬鹿にするくせに、司馬の小説は史実だと思い込んでる人は日本史板や戦国板でよく見かけるw


原作の小説を流し読みしてみたけど
お江は、まあ、ともかくw
淀殿(と大野)に関してはそんなとんでもない描写はなかったような気がする。
ややスイーツ仕様ではあるけど、歴代大河ではかなりましな方・・・かな?
とりあえず葵みたいな気色悪い密通シーンはなさげなのでそれだけ安心してるw


432 :日本@名無史さん:2010/03/04(木) 09:13:06
司馬の作品は文芸作品としては面白い、興味深いけど、
歴史書ではないって意見を普通に持ってる人だって多いけどね。

と、いうかどの板でも司馬論での議論って馬鹿らしいだけなんだよ。


433 :日本@名無史さん:2010/03/04(木) 14:59:10
10年前はオゴウは岩下志麻だったのに
今は上野樹里だなんて!

434 :日本@名無史さん:2010/03/06(土) 06:14:31
おいおい
秀頼が大野の子と言うのは、小説とか関係ない
事実だから。

大阪人が必死すぎるな。



435 :日本@名無史さん:2010/03/06(土) 06:17:13
一番いいのは、墓暴いてDNA鑑定かけることなんだがな。
秀頼の娘の墓を暴けないかな。



436 :日本@名無史さん:2010/03/06(土) 06:25:52
>>434
事実・・・w
何を根拠にそう思うの?

437 :日本@名無史さん:2010/03/06(土) 15:25:08
子なし老人の秀吉が
淀に2連続ヒットするのは天文学的確率

438 :日本@名無史さん:2010/03/08(月) 12:46:57
今も忘れない。治長のぬくもり

439 :日本@名無史さん:2010/03/08(月) 13:14:48
>>438
ワロタ。和ませてくれてありがと。

440 :日本@名無史さん:2010/03/08(月) 15:28:04
>>435
ここと似たようなスレにも書き込まれてたけど
400年前の人間のDNA採取なんて今の技術じゃ無理だとさ。

441 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 00:11:02
そもそも秀頼の娘のDNAが仮に分かったとして、それをどうやって
秀頼が秀吉の実子であったか否かを判定する材料に用いるの?

442 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 00:15:07
>>441
関係者全員を集める だよな〜〜〜

443 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 23:51:08
なんでもかんでも、「DNA鑑定すればいいんだよ」
・・・ってお子ちゃまが居るんだよね。

444 :日本@名無史さん:2010/03/10(水) 00:54:30
>>443
じゃなくて、真相を確認するにはそうするしかなかっちゃろーという、
よくある面白くもない話じゃろうて。

445 :ここまでのあらすじ:2010/03/10(水) 00:56:53
ま、何だな、この姉妹いが権力者に妙に珍重されたのは、単に信長の縁者
だからどうこうだけではありえない以上、何か特別な理由があったはずで、
その辺が謎を解くカギになりそうであると。

446 :日本@名無史さん:2010/03/10(水) 01:04:12
>>445
前にネット上で、
浅井一族は代々神に仕える人一族なんじゃないか?っていう説があったな。

 どのサイトかも忘れてしまったが
常人の思いつかないような自論だなぁ、と思った。
だが、あまり書いている意味が分からなかった。

447 :日本@名無史さん:2010/03/10(水) 01:13:19
「浅井」の血のほうが珍重された、ということ?


448 :日本@名無史さん:2010/03/10(水) 01:22:09
>>447
いや、織田という要素にプラス。


織田家にしろ浅井家にしろ、秀吉にとってはどちらもお姫様って感じだったろうけど、
一番大切なのは やっぱり織田信長の姪ということ。
でも、他の織田家の姫たちと弱冠扱いが違うのは、
実は浅井家の方にも それなりの価値があるんだ。
その価値は、「近江の姫」だったことってよく言われるけど、それ以外にこういう発想もあるよ。

・・・そういう感じだったと思う。
なんか、浅井という苗字と長政の母に当たる小野殿の名前に秘密が隠されている!!みたいな。
しかし、それが何だったかを思いだせん。ネットで調べたら出てくるかも。


449 :日本@名無史さん:2010/03/10(水) 20:35:05
>>446
ようするに、浅井一族も、諏訪氏のような神氏だったのでは?ってこと?
だとしたらどういう神譜に起源をもつか、
どの神社に信仰の根拠を得て、どういう身分で関わっていたか
・・・・などなど、要検討の事項が山のようにあるのだが。

もしそういう意見があるのなら、戦国史研究者でなくても
古代史や古代記紀研究者あたりから、とっくに提案されてるはずだなー。

450 :日本@名無史さん:2010/03/10(水) 21:16:13
そういう、どっかの変な作家か学者崩れのただの思いつきっぽい話はどうでもいいよ。

451 :日本@名無史さん:2010/03/10(水) 21:29:39
所詮ネット上の話みたいだし。
そういう思いつきは面白いと思うし、時間つぶしにもいいとは思うけど、
余り明確な根拠もないみたいだし、もうちょっと「そうか!」と思うような議論の方をしたい。

>>419-429の流れは、結構面白いね。

452 :日本@名無史さん:2010/03/11(木) 21:07:29
無位無官のジゴロ

453 :日本@名無史さん:2010/03/11(木) 23:48:03
>>448
うーん、信長の血筋というだけでは決定的ではないとしたら、
何か別の要素を考えるしかないという感じかな。

全く単純に、秀吉は市さんの娘だから、というだけだったりして。

考えてみると、家康は、信長の娘には信康で酷い目に遭ってるんだから、
秀忠に江というのも、信長の娘というだけではないという目も。

454 :日本@名無史さん:2010/03/21(日) 22:56:30
利長と淀殿が一番萌える

455 :日本@名無史さん:2010/03/24(水) 06:39:28
利長って前田利家の長男だよね
淀殿となんかあったっけ?

456 :日本@名無史さん:2010/03/25(木) 06:01:18
>>455
あり得るから怪しいという話。

457 :日本@名無史さん:2010/03/25(木) 13:53:55
再婚の噂があったらしい

458 :日本@名無史さん:2010/03/26(金) 20:44:25
まとめ・ちちはだれか

第一候補・・・大野治長(70%)
第二候補・・・石田三成(30%)


459 :日本@名無史さん:2010/03/26(金) 21:54:56
三成と淀殿って噂になったのか?江戸時代の資料にも出てこないような。

460 :日本@名無史さん:2010/03/26(金) 22:29:47
いつまで経ってもくだらん与太話から進歩のないスレだね。

461 :日本@名無史さん:2010/03/26(金) 23:18:05
>>460
出て行け。

462 :日本@名無史さん:2010/03/26(金) 23:54:17
>>459
淀殿と石田が同郷(しかも石田は浅井の領地で生まれている)であることから、
後世の人が想像しただけでは?
もっとも、同郷であろうが石田が淀殿を慕っていた記録はないし(予想できる程度ならあるが)
淀殿も石田をあまり好いていなかったらしいから(根拠無し、誰かの本に書いてあった)
可能性は低いと思うが。

自分の信頼できる部下だからといって、
秀吉が石田に(一度子供を失った)淀殿に子供を産ませてあげられるように頼んだとも考えにくいからな。

463 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 06:37:26
>>457
ああ、そうだったね。
確か同時期に家康との再婚の噂もあったらしいが
家康と淀殿で萌える人いるかな?w

>>462
>淀殿も石田をあまり好いていなかったらしいから(根拠無し、誰かの本に書いてあった)
興味深いね。書名か作者さん思い出されたらぜひ教えてください。

464 :日本@名無史さん:2010/03/31(水) 13:09:59
狸の上で腰を振る淀殿か

465 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 13:51:04
秀頼と淀は何処で死んだのでしょうか
蔵に隠れて命乞いをしたが叶わず自害したという説も有りますが

466 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 17:39:52
>>465
淀は、父母・叔父・祖父・義父・・・と自害している人が周りに多いから
自害を嫌がったりするとは考えにくいと思うけどな。
でも、いろいろと不幸が続いて30年以上経っているから
淀の考え方や心も変わっているものなんだろうか。

467 :日本@名無史さん:2010/04/05(月) 01:05:49
その家康との再婚の「噂」が出たってのは、
何に書き残されてることなんだよ・・・・。

もしも、誰かの日記や書状に書き残されてたとしても
しょせんは「噂」どまりの話なんだろ。

468 :日本@名無史さん:2010/04/05(月) 14:39:56
>>467
それを言い出したら淀殿の密通ネタも『しょせんは「噂」どまりの話』なんだけどね。
家康の噂のソースは「多聞院日記」「看羊録」
詳しく知りたきゃ自分でぐぐって。

469 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 17:51:35
>>1
淀って
腹黒女なんだな

470 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 19:22:24
>>469
だが、そこがたまらなく良い

471 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:39:59
>>496
環境のせいで
性格がゆがんだんだと思う。
親の敵の百姓あがりに妾にされたんだからな。

472 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 13:06:06
淀は戦で浅井長政と柴田勝家と父親を2度も失った
そんな秀吉を許せず大野との間に子供が生まれることで
豊臣家に復讐したかったのだろう

473 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 16:01:16
>>472
淀にとっては、
浅井長政と柴田勝家、というより
浅井長政とお市の方って心情じゃないかな。

474 ::2010/04/09(金) 15:06:17
フリフリ

475 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 17:23:38
>>472
復讐ってw メロドラマかよw
つか天下人の側室が簡単に男引っ張り込めるわけないだろう

476 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 19:35:56
淀君と家康が死に、豊臣家が50万石くらいで残っていたら幕末はどうなっていたのだろうか

477 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 22:18:35
>>476
そうなった場合、千姫と秀頼に子供が生まれるのが
一番日本がまとまる方法だと思われ。

478 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 23:08:58
家康と大野は穴兄弟

479 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 02:14:33
>>478
それはないだろw

480 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 02:18:31
>>469
淀が腹黒っていうより
淀に入れ知恵してた三成が腹黒なんじゃないか。

家康が豊臣に厳しい姿勢を取るようになったきっかけは
三成が秀吉の死を知らせず、家康をおびき出して
殺そうとしたことに激怒したとも言われてるし。

481 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 05:34:47
>>476
幕末まで50万石で残るってのがありえん。
家康が死んでも、秀忠・家光の代で取り潰されるでしょ。

>>480
淀殿と三成のラインなんて今はほとんど否定されてるのでは?

482 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 06:52:03
というより三成は徳川によって評価された人物。あらゆる面で過大評価。

483 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 07:49:19
遅レス過ぎてもうここは見てないだろうけど
>>300
おそらくルイス・フロイスの「日本史」かと。
フロイスの著作は当時の一級史料とは思うんだけど
ただフロイス自身は上司のヴァリニァーノにも注意されるくらいちょっと誇張癖があり
故意でなくても侍女・下女ふくめての人数を誤解した可能性も高い。
個人的には300人云々はちょっと眉唾かなあと思います。

484 :美人は氷高皇女:2010/04/11(日) 14:01:59
利家の娘,おまあ
京極の娘,龍子
足利時代,古河公方の末裔の姫
他,上淫側室は全滅してるのに,淀は2人だろしかも50オッチャン種
しかし,お江も徳川時代の正室で,ただ1人の次期将軍を産んで「葵を咲かせた女」だよ
まあ,お初は利用する物なら何でも利用で3姉妹1長生きしたけど
まあ,子はお市の血筋じゃないか?

485 :美人は氷高皇女:2010/04/11(日) 14:24:53
ちなみに,お江は生むわ生むわで3男5女で
皇室の孫までいるんだから人生勝ち組でしょ
お初は子に恵まれないのですが,ベンチャビジネス失敗続き(親方選び)旦那高極を助ける為,ファ-ストレディ淀にせびったり,徳川が力付けると,お江にゴマ擦り経由で家康に「関ヶ原」味方代頂戴し,立花宗茂を防ぐはずが,そこが京極「戦下手」適当な所で投げ高野山に出家
しかし家康に「あの立花を止めてくれと」と殊勲賞
お初の作戦はまだまだ続き
お江から「今度,子生まれたら頂戴ね!ヨロシピク」と本当に拐っていきます
3姉妹で漏れは1番好きだ

486 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 14:25:03
石田みっちゃんは、万福丸だろ

487 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 14:32:57
イミフ

488 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 21:30:13
流れぶったぎりスマソ。
朝鮮出兵で日本に連れてこられた儒者の手記「看羊録」を購入したら、びっくりすることが書かれてたんですけど。

『関ヶ原の前年、家康が秀吉の遺命をたてに淀殿を室にしようとした。しかし淀殿は大野修理と通じ妊娠していたのでこれを拒絶して従わなかった。』
家康はものすごく怒って大野修理を関東に流した。他の記録でも確かに大野は関ヶ原前年に関東に流罪になっている。
(以下略)

(((((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

489 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 22:27:38
>>488
コピペ?
昔、読んだことあるな

490 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 22:41:43
>>480-481
たしかに、三成は旧浅井領の出身だから
?がりはあるんだけどね。
ただ、前にも述べられているように
淀は三成が嫌いだった・・・というような話まで出ているくらいだし、
小説の脚色ならともかく史実として
親しかったと思うのは、いけないと思うよ。

491 :日本@名無史さん:2010/04/12(月) 15:24:45
石田三成オタと天皇朝鮮起原説論者って似てると思う。

492 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 18:45:12
新説書いていい?
淀殿が側室の子を取り上げたと考えれば
もっとも合点が行くと思いますが?
側室なんて無名も無名なんだろうし、消されてるかもだし。

493 :日本@名無史さん:2010/04/13(火) 21:26:16
>>492
秀頼のほうってこと?
それなら、北政所が〜の方がいいと思うけどな。
茶々に付加価値は多少あるけど、北政所を押しのけるまでして茶々を母にした理由が弱い。

494 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 14:17:38
>>492
反秀次派の人間が、秀吉淀を抱え込み
どこかの子(木下家とか、ある程度秀吉ゆかりの血縁)を秘密裏に秀吉の子として誕生
もしくは子種の無い秀吉に変わり、側室に他の男を宛てがい、秀吉の子として誕生させる
反秀次派は一部の人間だけの計画では無く、家康などの大大名から、秀吉側近、側室
など広範囲の人間達で、秀次が後継になって困る人達
まるでケネディ暗殺でCIAや副大統領やらマフィアやFBIなど広い範囲での計画された
秀次追い落としクーデーターの第一歩
その計画は順調に進み、秀次失脚から自害までの、あまりにも簡単に遂行された
家康という後の覇者も含まれていたので、その事は歴史に封印された

とあなたの新設から拡張して、こんな事考えてみました

495 :淀殿:2010/04/15(木) 16:34:52
違う!本能に負けたのよ!

496 :日本@名無史さん:2010/04/15(木) 19:12:49
>>492,494
新説というより陰謀論っすね


497 :淀殿:2010/04/15(木) 22:07:39
>>1
糞チョンしつこい
死ねウンコ土人


498 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 10:09:25
淀殿は本当のお姫様だからそんな口汚い罵倒はしない。

499 :日本@名無史さん:2010/04/16(金) 17:37:05
>>498
自演乙

500 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 01:14:49
>>492
無理じゃないかな? 男の子ができたら即最高権力者で、
母とその関係者に大きな権力が転がり込むに決まってるわけだから、
当然、周囲にいる「ライバル」のチェックは非常に厳しいはずで、
そういう手が効くくらいならとっくに「実子」が溢れてるんじゃないかな。

少なくとも間違いなく淀さんが産んだのでないと、いくら隠そうとしても
他からクレームが出るんじゃない。


501 :日本@名無史さん:2010/04/17(土) 21:43:34
アソコが臭かった><

502 :日本@名無史さん:2010/04/18(日) 23:52:05


               、....,,_
           、-‐'"  __ ヽー- 、}ヽ
           ,/´/ /  , _,.  _/ ノ レi
        _,// /  /{  i    ー' ノ
          / // / /  .i  l  l! ー<
        / /  //!/    ヽ ヾ l  〉ヾ,
         !/!  イ  ‐::::::;;;;;;;八;;;;;;;::‐ヾ、  }
          |」l !  。ー-- ;; :; --−。 l  /
        f r| !| ゚ o  ´ ノ ::、 `   o | l/    
          .l ヾハ o /( ,=、_,=、)ヽ,  l/l!   うわぁぁあああん!
          \ _j   /_,, -―-ー-、_ l  l /      
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          `ト、 l Vェェェェェェェソ //┐
            l \`ー‐---‐‐' / 」、 _ ,,.
          「ヾ、_ヽ、___ノ_/  r―-- `ゝ
             l        イ   /  ̄ ̄  ヽ
              !_ _,..   i |  /          ヽ
          /           !.| ,/




織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/



503 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 19:00:21
>>497
こらこら、本当のことを言われてからって
開き直ってはいかん。

秀吉に子供ができないのは
誰が見たってわかる事だから。

504 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 19:04:14
子種なしになる病気は、性病だけでなくいろいろある。
現代の医学から見たら、秀吉は確実に種無し。

家康も死因も、天ぷらの食いすぎとか
ふざけた理由でなくどうみてもあの症状は胃癌。

505 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 20:26:52
梅毒説もある。淀殿からもらったのかも?

506 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 08:30:09
>>503-504
長浜時代に子供つくってるでしょ。
あと娘もいたという伝承も有り。
よって秀吉の子種なし説は今は否定されてます。

507 :日本@名無史さん:2010/04/21(水) 09:52:45
断言するのはよくないぜよ




508 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 08:00:17
このスレで何をいまさら

509 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 23:17:37
ほーかしゃん。

510 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 23:45:22
跡継ぎのねつ造って、天皇家や公家でも普通に行われてるよ。

まして豊臣は主が、実子なし・子種なしの上に
痴呆症だからやりたい放題。

三成は文官以前に、そういう公家的な
おじゃる行動が、加藤や福島から徹底的に嫌われてたんだろうね。

511 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 23:46:46
>>506
子供は100%いない。

いるなら、おいなんかに家督相続するわけないやん。
あんなに淀の子を溺愛した理由も、種なしと諦めてた子供を
淀が生んだと妄想したからだろ。

ボケてる本人以外は、それがどういうことなのかみんな知っていたはず

512 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 23:51:19
北政所が淀の血筋と自分を比べて
潔く身を引いたっていうのも、
京極竜子がいなかったら
言えるんだけどね…。

513 :日本@名無史さん:2010/05/01(土) 10:11:21
>>511
それが「子供は100%いない。」と言い切る根拠?
当主が老年or病弱でもう子供は無理だろうと諦めて
後継者を一族や養子に定めた矢先にひょっこり実子ができちゃったっていうのは
御家騒動のよくあるパターンじゃん。それこそ応仁の乱から。

>ボケてる本人以外は、それがどういうことなのかみんな知っていたはず

みんなって誰よw
北政所も京極竜子も最後まで秀頼を秀吉の子として遇してたよ。

514 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 22:13:45
京極竜子は処刑された秀頼の息子を手厚く葬って自分の墓は遺言でその隣に作らせている
あと大阪城を出た北政所も京極竜子も秀頼とは頻繁に文の遣り取りをしていたようだし
石田三成と対立していた尾張派の加藤清正や福島正成も秀頼に心を寄せていた
みんな秀頼を秀吉の息子と認めていたと思う

515 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 08:59:56
DNA的には秀吉と親子関係がなくとも、秀頼は立派な豊臣の嫡男です。

516 :茶々:2010/05/04(火) 09:49:17
ウフフ

517 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 11:32:52
論点がずれてる。
「長浜時代に子供がいた」なんて与太話してるから
「100%いないって」って反論されてるんだろ。

実子いるならおいに相続させるわけないから。

だいたい医学の常識を知らない奴が、必死に秀吉に子供いた
なんて言ってるのはどうかと・・
どうしてそこまで必死になるの?

518 :日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:06:14
太閤殿下が秀頼を自分の子と認知・宣言しただけで必要十分。

当時はDNA鑑定もないし、最近でも足利事件でも冤罪が起きたくらい。
噂のレベルでは当時でもあることないこと言われていたのは確かだろうが、
埋もれていた自分を取り立ててくれた天下人から、死の間際に
涙ながらに「秀頼を頼む」と言われれば、その意を汲むのが当然。

519 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 12:34:15
>>517
>実子いるならおいに相続させるわけないから。

その長浜の子(石松丸)は鶴松と同じように夭折したの。
当時は乳幼児の死亡率が高かったから別に珍しいことでもないんだよ。おわかり?
この程度のことくらい調べればすぐにわかるだろうに・・・
石松丸のことは別に私一人が唱えてる「与太話」じゃなくて
普通に歴史の本にも載ってるよ。
絵像やら戒名やら最近は墓まで確認されてるのに
「存在しなかった」っていうのはもう無理があるだろう。
あと>>506の伝承の娘とは別に孝蔵主の姪の川副徳との間にも一女いたとか。


520 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 14:02:59
歴史学者がどれ程いい加減な奴らの集まりか・・・

521 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 21:00:12
歴史学者が野言っていることが正しいとは限らないけど、
2chの素人が言っていることだって正しいとは限らないよなw

522 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 08:24:24
http://chibatetsuya.com/mt/my3cnxe
久々に大口の相手だったので、頑張りすぎて腰が……

まぁ、結構いい額の謝礼もらったんで暫く寝て過ごします(笑)

523 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 23:39:22
良スレ!

524 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 00:28:59
>>518
当時は状況証拠で、秀吉の子じゃないと否定されてたわけだが
現在は医学的に否定されてるわけだよ

525 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 21:11:07
>>524
嘘はいかん。証明不能の問題に関して、科学的な明確な結論など
存在する余地は全くない。

526 :真実:2010/05/23(日) 10:15:28
歴史ミステリー?

527 :真実:2010/05/23(日) 10:18:02
真実なんてわかりませんね!

528 :日本@名無史さん:2010/05/24(月) 06:37:40
あ、マミちゃんて、昔いた家の近所の幼なじみがいたのを思いだした。
表記は憶えてない、というか知らないけど。

529 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:32:54
>>525
それはない。
医学的に見たら秀吉は種無し。
たくさんやったことによる性病。

530 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:37:28
>>529
そんなに言うんだったらソース出すべき

あと、100%なんてありえないんだよ
考え方が堅すぎ

531 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 03:38:25
>>529
科学的な意味での証明というものが全く理解できてない。
自分が如何に馬鹿げたことを言っているか分かるまで、少しくらい勉強しなさい。

532 :531:2010/05/25(火) 03:43:01
>>529
おっとっと。

> 少しくらい勉強しなさい。
   ↑
 これじゃ 529のばあいには無理だな。

自分が如何に馬鹿げたことを言っているか分かるまで、何十年かかろうがかまわないからみっちり勉強しなさい。
何十年かけても無理かも知れないけどね。


533 :日本@名無史さん:2010/05/25(火) 06:47:44
昔の女ってエロイ事ばかり考えてそうだな

534 :淀殿:2010/05/29(土) 23:40:17
ムラムラ

535 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 04:57:59

性病種無しがじじいになってから
子供できるなんて天文学的確率

536 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 05:46:01
>>535
何十年くらい経ったら科学的な意味での証明というものが理解できるようになるかな?

537 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 05:46:29
豊臣秀吉って歴史人物の中で一番嫌いだな。
恩をあだで返すうす汚い百姓。

のぶなが殺したのもこいつだろ。

538 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 05:49:55
>>537
恩をあだで返すって、何の話?

539 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 18:50:13
織田家差し置いて国政を取り仕切ったとか?
でも肝心なのは三法師の気持ちだよね。

540 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:08:09
あ、そういう意味なら、恩があったのは信長だけだから、子供などハッキリいって関係ない。
家がどうとかいうのは、太平の時代に自分の家の定収入を確保するという下心に基づいた
腐れ武士道もどきの寝言。

541 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 06:06:15
気持ち悪いくらい秀吉擁護してるのが、1人だけいるなw

秀吉大好きなのは十分わかったから、もう書かなくていいよ。
気持ち悪くなるから。
他のスレで気持ちを打ち明けてね。

542 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 08:13:36
>>541
ここは秀吉信者のスレではないけどアンチのスレでもないですよ。
「秀頼は大野の息子」という俗説を検証(笑)するネタスレです。
つーか、どのレス見て秀吉信者だと思うわけ?

543 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 16:49:23
秀頼は家康の子だろ。常識だよ

544 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 03:33:01
秀吉が完全種なしかどうかは別として
側室の数からして、非常に種のうすい男なのは分かるよな。
(個人的見解としては常識的に現代の医学で見たら、100%生殖能力なしの症例だと思うが)

だったら、なぜさらに生殖能力がほとんどないはずの、ぼけ老人になってから
淀だけ2連続で生まれたの?
じじいになってから、子どもできる時点で相当生殖能力強い人間じゃないと
無理だろw
それなら100人くらい子供いてもおかしくない。

明らかに矛盾。現実を見ろよ。

545 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 21:38:45
>>519
石松丸という夭折した幼児が実在したのは事実だろう。
だけど、それが「秀吉の子である」と書いてある文献は何もないんだよ。
随分頑張っているが所詮は与太郎話の本を読んだだけで、文献にあたってはいないだろう?
文献でそう書いてあるものはないんだよ。
石松丸の供養のために秀吉が寄付をしたという文献が長浜の寺に残っているのが根拠。
だけど、石松丸は重臣の子や、地元有力者の子説、秀吉の側室の連れ子説もあり、
何も自分の実子でなければ供養のために寺に金を寄付することがないわけではないので
結局誰の子かわからない。
文献上、秀吉が「自分の血を分けた子である」と認めたのは鶴松・秀頼だけ。
まあ、実際に血を分けた子だったかがここの焦点だけど。。。


546 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:02:38
大野の汁だお

547 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 07:28:06
>>543
いやいや、幸村の子だよ。
ソースは真田ナントカってドラマ。

548 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:57:21
>>544
何十回も同じこと書き込んでよく飽きないね。

549 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 18:03:29
多分密通があった時点で二人とも処刑されてるよね

秀吉に疑われるような行動があったら、少なくとも大野は淀殿に近づくことなど
出来なくなるのが当然だと思う
噂はあったとしても、あくまで根も葉もないもので、大野ほか秀吉以外の男性が
密通することなどできなかったんじゃないかなぁ

550 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 18:22:29
>>549
大相撲に八百長はない!と熱弁してる元力士を思い出した

551 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 18:33:49
どーゆー意味

552 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:17:50
>>549
密通がばれれば男は処刑、側室は離縁でしょうよ。
でも、密通すれば必ず夫にばれるわけではないでしょう?

よく秀吉の子だと主張する人の中に、
「淀殿は北政所ねねが主催する豊臣家の奥で常に監視されていた、
どこへいくにもねねの侍女たちが見張っていて逐一ねねに忠告、
よって男と一切接触できなかった」というんだけど、
奥と表が完全に遮断されて女性は男性のいる表へ行けなくなったのは
特殊な構造を作り上げた江戸城大奥ぐらいのもので、
この時代の女性は表へ自由に行くことができたんだよね。
諸大名や家臣がねねや淀に自由に会うことが可能だったわけだ。
秀吉自身、諸大名と同席する行事にねねや淀を連れ出してるしね。
まさか深夜に淀の布団にもぐりこんだ間男はいなくとも
行為に時間などかからない、昼間どこでだって出来るわな。
で、淀は秀吉の求めに応じてあちこちの戦場へも出かけている。
当然、城を出ていくわけだ。
どこまで監視しているんだよ?
秀頼を妊娠した時も淀は秀吉の朝鮮出兵最中に呼ばれて
はるばると長く遠い旅をし、名護屋城にいたはず。


553 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:39:44
なるほど、では他の側室は貞淑にも密通は働かず、淀殿だけが
不貞行為を働いたわけだ。それはそれで不自然な気もするな。

フロイスとかは確かに当時の女性の自由な様子を描いているけど
それが太閤の女房衆にまで通用するのかなー

554 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:51:01
淀殿の不幸な生い立ちを思うと、秀吉でなくて大野とか他の男と
やるほうが、そりゃいいだろうと思うし、
間男にちゃっかりしてやられた秀吉pgrって気もするけど
そんなに規律が緩いとは思えないんだけどなぁ

555 :519:2010/06/07(月) 11:47:01
>>545
あのさあ・・・
なんでこの手の人は無知だの与太話だの
いちいち反論する相手を見下さないと気がすまないの。
・・・まあいいや。

実子の根拠はこのスレでも散々既出では。

・『竹生島奉加帳』に記述されてる序列の高さ
・近年>>545で言っている寺から埋葬施設が発掘され
その形式から大名クラスの子弟の墓と断定されたこと
・石松の諱「秀勝」を後に養子になる於次丸、小吉にも名乗らせていること。

>石松丸は重臣の子や、地元有力者の子説、秀吉の側室の連れ子説

奉加帳や墓の件からそれらの説はありえない。それこそ素人でもわかるって。
過去レスに「石松実子説は一郷土史研究家が唱えてる珍説のたぐい」と言ってる人がいたが
(もしかして同じ人?)
墓が発掘されて長浜市教育委員会が「実在した秀吉の実子の墓」と
認定しちゃった事もあってか
最近出版されている研究書でも秀吉の子を言及する場合石松が書かれている事が多いし、
むしろ通説になりつつあると思うんだが。

556 :519:2010/06/07(月) 11:59:56
>>552
当時のある大名の家訓には
「奥方に会うにはたとえ親兄弟でも当主の許可が必要」
「奥方が男と二人だけで会っていたら密通とみなす」
とあって非常に厳しい。
天下人の側室の淀殿がこれより緩い環境で暮らしていたとはちょっと思えないんだけどね。
それと「この時代の女性たちは自由に行動していた」というのも誤解。
桑田忠親の『桃山時代の女性』には
秀吉や側近の名でたびたび城中の法度を発布していて
大坂城御奥の女性たちの外出や男性の出入りも厳しく制限されていたのがわかる。
江戸時代に大奥のシステムが確立されてからいきなり厳格になったわけでなく
すでにこの時代から下地があったというわけ。

それから家内の維持管理として側室の監督も正室の重要な仕事。
小田原から秀吉が淀殿を呼ぶため北政所の許可を取ってるでしょ。
本当に侍女を送り込んで逐一監視してたかどうかは知らないが、
もし側室が浮気をしたり不義の子を産んだりしようもんなら
これは監督不行届として北政所の責任問題にもなる。
現代人からしたらなんか理不尽に見えてしまうけどね。

よく秀吉は種無し、秀頼は不義の子と主張する人は(>>552と文章が似てしまったが)
「武家女性は厳しく貞操を要求され行動も制限されていた」
「北政所は家内の最高責任者(よって側室の素行に知らん顔はできない)」
という認識が欠けているよ。

557 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 13:17:21
天下人の子は権力に直接絡んでくるのだから、
秀吉の妻妾の取り扱いは厳重であろうと考えるのが自然だね

558 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 17:52:52
米兵はレイプ魔だし、轢き逃げ強盗と犯罪の宝庫。 橋本龍太郎は娘をレイプされたし、小渕敬三は米軍ヘリで吊るされた

559 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:49:32
>>556
それはどうかなあ。
この時代の女性は政治の中心である表に行けたのに、
どんだけ牢屋生活だったと思ってるんだろう?
2人きりであうのはだめでも
側室の侍女たちもグルだったらわからない。
現実に江戸城の大奥で月光院は幼い将軍を連れて(2人きりにならないために)
側用人と密会を重ねたために、幼い将軍は風邪をこじらせ死んだという話もあったぐらいだし
蟻の子も入れない状態だったはずはない。

秀吉は北政所に淀と竜子をよこせとはいったけど、
道中男と話をしないか北政所の侍女に供をさせろとはいっていない。
そこまで心配なら北政所本人も陣中に呼んだらいいがそこまではしていないし
北政所の侍女が見張りのために同行するなんてありえない話だ。

武家の家に限らず、公家の家でも庶民の家でも、
女子には幼いころから厳しい貞操観念を教え、行動を厳しく制限していたよ。
そりゃあ、男にしてみたら自分の女房が産む子が自分の子でないなんて
全くとんでもない話だから、それはそれは村中で厳しく監視する。
それでも密通なんてどっかであるわけだから。


560 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:53:14
秀吉はなんか貞操にこだわりなさそうだし、
豊臣の跡継ぎができるなら、
養子でもいいくらいに考えていたんじゃないかな

淀なら織田家の系統だし、実は秀吉公認で、
淀と他者との子作りを認めていたかも知れない


561 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 16:12:02
お姫様も発情したのか

562 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 17:43:42
秀吉って確か金銭問題と男性問題(勝手に結婚して子供生まれた)あった女中とその夫、
子供と乳母を処刑してたよ

それもかなり残酷な方法で。
そんな秀吉が妻や妾に寛大とは思えないな

563 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 18:53:09
>>560
むしろそれが一番ありえるかと

だが、その場合
近江生まれで身分が秀吉より高い家の生まれ、という茶々のステータスは
京極竜子も持っているから、わざわざ茶々に子供を身ごもらせた理由が分からない

564 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 19:34:48
>>560
>>563
じゃあなんで秀次に関白譲ったの?
ってなるんだが。

565 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 22:33:43
>>564
秀吉はかすかに疑いながらも、淀の「あなたの子です」という言葉を信じたかった、
わずかな希望にでもすがりたかったんじゃないかなあ。
老いて見えたかすかな光、それにすがった秀吉はもう周囲の言葉など受け入れなくなっていた。
>>563
高貴というだけなら織田信長の娘三の丸殿なんかのほうが淀より良かっただろうね。
でもまあ、淀には執念はあったと思う。
竜子も三の丸殿も、里は残っている。
両者とも兄が家をついでいて、帰る家もある。
だけど、淀の浅井家は消滅してしまっていて、帰る実家すらもない。
自分が浅井家の長女として豊臣家の跡取りを産みたい。
そして自分の息子か孫の代には分家として浅井家を再興させたい。
その執念が太閤殿下に子種がないなら他の男と・・・となったかも。

566 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 22:40:06
>>565
両親で考えると
明らかに淀>三の丸だと思う

父親だけだと三の丸>淀だが

567 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 22:44:41
淀さんって子が授かるように神仏に願掛けしてたみたいだから
自分が嫡子を産めば豊臣家での権威が上がり、
浅井の縁者を助ける事にもなると考えてはいたろうね

でもなぁ秀吉が秀頼を溺愛してたのは、
自分の子であると確信してたからだと思うんだよね
もし他の種でも良いって思うなら淀の方と他の男の子供より
秀次の方がよっぽど血縁的には濃くなるわけで、あんな虐殺をしなくても良かったんじゃないか


568 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 23:54:16
三の丸殿は秀頼誕生後に側室になったような

569 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 00:59:51
>>567
実子なら、当然のように強大な権力と莫大な資産を相続できるわけで、
認知が安易に通るようなルーズな体制とは考えにくいということもあるし。

570 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 06:43:10
>>565
ちょっと待って。
>>564のレスは「後継者を得るためにあえて淀に他人の子を生ませた」
という説を受けての問いだよ。
一旦秀次に関白を譲ってから淀に身ごもらせて、
赤の他人の子のために実の甥を妻妾もろとも虐殺したのか?ってこと。

淀懐妊の知らせを聞いた秀吉がねねにあてた手紙を見ると
「かすかな希望にすがりたい」というようなものは感じられないなあ。

571 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 07:43:54
>>569
奥の管理が厳重な事は、
秀頼が実子だという確信を支える根拠になっただろうね



572 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 19:46:56
>>559
私は「本当に侍女送り込んでたかは知らないが」と断りを入れてるんだが・・・
そこまで史料で確認できないし。
秀吉が小田原に淀殿と松の丸殿を呼ぶ際、複数の武将を派遣して順繰りに警備させてるし、
名護屋へは淀殿を連れての出陣で「途中で安芸の宮島・厳島を参詣する
観光旅行でもあった」(小和田哲男著『豊臣秀次』)そうだから別にわざわざ
北政所が侍女を送り込む必要はなかったんでないの、これらの場合は。

密通は侍女をグルにしたら分からないと言うけど
じゃあ、淀殿の場合、鶴松も不義の子と言うことになるよね。
少なくとも2回(じゃすまないはずだが)侍女と共謀して男と密会をし秀吉や北政所や周囲を生涯だまし通したの?
>>562のような事件を起こす秀吉のもとで?

573 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 21:12:26
淀殿を抱いた武将って結構いそうだな。秀吉死後に。

574 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 23:47:22
鶴松逝去〜秀頼出産までの淀の方の豊臣家での立場って
どんなもんだったんだろね

嫡子御袋様から一転、その他大勢って感じだったのか
それとも一定の権威を保っていたのか
浅井縁者を大切にした淀の方だから、もし権威を失ったとしたら辛かったろう

その辺大坂に限らずこの当時の奥ってどんな感じかな

575 :日本@名無史さん:2010/06/09(水) 23:49:37
あ、でも秀頼生まれた時は秀次がいたから
そんなに脚光を浴びる存在でも無いか


576 :日本@名無史さん:2010/06/10(木) 16:59:38


577 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 13:20:44
大野修理はかなりのイケメンで茶道をたしなみ、
庭の造園に熱心に取り組んだり色事を好む人物だったようなので良く言えば粋な趣味人、悪く言えば遊び人だったんだろう

淀殿は女だてらに城を持ち、女性を多数召し抱えたり(寡婦の保護らしい)養源院を建てたり、
浅井や織田の縁者を助けたりと
やりたい事は割とやった人なので
そんな2人が乳兄妹とはいえ親密にしてたら
さぞ目立って噂を立てられたのは
分かるような気がするな

578 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 18:05:20
けっこう激しそうだな

579 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 21:26:55
>>572
部下には規律を守らせるために厳しい処分をした秀吉だって
愛妾には優しいだろ。

淀殿の配下には近江時代から慕う部下や武将達が多くいた。
そんなもんいちいち北政所の侍女の監視のもとでしか会えなかったりするかよ。
何しろ尾張派近江派で秀吉存命中から対立があり
北政所に聞かれてはいけないような話もしてただろうし。
それにこの時代の女性は表へもいけたからね。
厳重に鍵で管理された牢獄生活で
秀吉以外の男との対面は一切許されなかったわけでもなし。

580 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 22:47:28

高台院と淀殿って一緒に藤の花見をしたり、淀殿の一周忌法要に参列したりと
関係は悪くなさそうだ
高台院も淀殿が豊臣によく尽くしてくれたと評価してたからじゃないかなぁ

実際の淀殿に近い人より、離れた立場の人が
面白おかしく噂を立ててただけでは


581 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 22:59:25
テレビや小説ではいまだに北政所・淀殿の確執とか
関が原は女の代理戦争とかやってるから真に受ける人が多いんだよ。
『大奥』人気からわかるように世間は「女の対立」ってのが大好きだからね。

582 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 02:06:13
日本人は馬鹿だからね

583 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 03:50:18
>>581
じゃあなんで豊臣は2派に分かれ戦ったんだよ。
何でねねは三成を支持しなかったんだよ?
何でねねは淀が大嫌いな、家康に近ずいたんだよ?

>>582
馬鹿は妄想で満ちてるお前の脳みそ

584 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 03:56:12
>>581
ねねは秀忠の将軍就任のとき秀頼に出席をうながす仲介者として
大阪城に出向いたのに淀に拒絶されたんだぞ。

正室のねねの面子を潰すようなことをして
仲が良かったとか言うのはありえないから。


585 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 04:33:16
>>583
淀が家康を嫌ってた根拠は?


586 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 08:25:02
>>577
実際に秀吉の死後、大野治長との密通の「噂」はあったのは確かなんだよね。
(『看羊録』『萩藩閥閲録』)
ただスルーされがちなんだけど、ほぼ同時期に家康、前田利長との再婚の「噂」があったこと、
さらにその数ヶ月前に家康暗殺未遂事件があって治長が実行者の一人として流罪にされたこと、
(ちなみに治長の母・大蔵卿局が連座して蟄居になったがのちに北政所のとりなしで淀のもとに復帰している)
これらを考えると>>580さんが言うように世間が面白おかしく無責任に尾ひれをつけたんじゃないかとも思う。
若い未亡人というのはとかく好奇の眼で見られやすいし・・・。
当の治長も最期まで他の武将から排斥されてないし、家臣からも裏切られていない。
すくなくとも治長との密通はなかったと見ていいんじゃないかなあ。

>>579
その淀殿を慕う近江方の武将とやらは具体的に誰?

587 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 08:32:07
看羊録によると大野の子を妊娠していたから家康を拒絶したそうな。
家康は怒って大野を殺そうとした→追放
前田利長との再婚の噂と合わさると((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル

588 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 08:32:58
あ。書き忘れたので補足。
北政所のとりなしは淀の嘆願によるもの。
治長に対してはとくに行動はおこしてないみたい。

589 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 08:42:53
>>587
看羊録の記述は家康怒って追放→殺害じゃなかったけな。
ま、どっちにしろ噂だが。史実と食い違ってるし。

590 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 12:10:58
浅井三姉妹間はもちろんだけど
それぞれ女同士が連携してるのは素敵だね
大坂の陣あと、悪しように言われた淀殿(と大野)って
別にそんな悪いひとでもないのだろうね

591 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:27:50
>>583
三成の三女はねねの養女
ねねの甥の木下利房は三成の西軍についているし
養女の豪姫の夫も宇喜多秀家も西軍
側近の東殿は西軍の大谷吉継の母
三成を嫌っているどころか西軍寄りっぽいんだが・・・

592 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:48:02
子供の仲良しごっこじゃあるまいし普通にどっちとも仲良くしてたでしょ。
三成ら文官?は大坂に所領が近いからよく会ってただけかもよ。
前田のまつや宇喜多秀家は個人的にも仲良かったみたいだけど。

593 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:07:29
一言多いって言われない?

594 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:58:01
>>591
対立を表向き鎮めるために意図的にやったことでしょう。
養子養女なら北政所の意図どおりに動いたなんてはずもない。
この時代の政略結婚なんて、いまにも戦争しそうなところが和睦のしるしにするんだよ。
政略結婚した家同士は仲良し同士なんてことないでしょう?
父兄が夫を攻めただの夫が実家を攻めただの普通に会ったんだから。
養子、養女でも同じ。
秀吉は徳川家康の次男を養子にしてたけど、
豊臣家と徳川家が仲良すぎて養子にしてたんじゃなくて全く逆だから。

595 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:59:14
>>591
対立を表向き鎮めるために意図的にやったことでしょう。
養子養女なら北政所の意図どおりに動いたなんてはずもない。
この時代の政略結婚なんて、いまにも戦争しそうなところが和睦のしるしにするんだよ。
政略結婚した家同士は仲良し同士なんてことないでしょう?
父兄が夫を攻めただの夫が実家を攻めただの普通に会ったんだから。
養子、養女でも同じ。
秀吉は徳川家康の次男を養子にしてたけど、
豊臣家と徳川家が仲良すぎて養子にしてたんじゃなくて全く逆だから。

596 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 01:36:34
治長ではなく、道犬だと思う

597 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 00:39:23
尾張派近江派の対立なんてフィクションでしょ。

淀殿は浅井の姫さま。
石田三成の出自は京極系。
大谷吉継の出自は六角系。

598 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 00:49:35
>>597
正直、分からないんだよな

石田は京極だから浅井を恨むのか?
はたまた、京極を滅ぼすわけではなく保護した浅井にもありがたみ(?)を感じているのか?

龍子と淀は仲が良かったという説がかなり言われているから
京極を介して関ヶ原の頃まで恨んでいることは、ないんじゃないかと思うけどね


実際、何も感じていなかった可能性だってあるし
単に自分の出身地の姫(当時、京極領は浅井領だったから)ってことで京極浅井関係なく
敬っていたかもしれないし
石田が淀をどう思っていたかに関しては本当に分からない

599 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 10:52:26
石田や大谷が淀殿をうらんでいたとは思わないけれど
豊臣の武将が近江派尾張派で対立していて
近江派が淀殿をかついでいたなんて話はマユツバでしょ。
秀吉の世継ぎを生んでくれた御母堂さまということ以上の思い入れを
石田や大谷が淀殿に持っていたかとなると何の根拠もない。

そもそもねねや淀殿が積極的に関ヶ原合戦に加担したというのも怪しいけれどね。
上の方でも指摘されているように
西軍の中心メンバーはみんなねねに近かった連中だし。

600 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:58:52
>>599
淀やねねが積極的に合戦に参加はしなかっただろう。
特に淀は、最後まで秀頼出陣を拒んだらしいから、
戦には特に消極的だったと思う。
最初から最後まで徳川家康に踊らされたのだろう。
この後、家康は征夷大将軍になる。

しかし、武官派と文官派の争いがあったのは事実だ。
東軍派の者も三成憎しで家康に組した。
しかし、ねねが西軍派と親しかったとも思わない。
東軍に組した加藤清正や福島正則は秀吉の血縁者で、
ねねとも古くから親戚づきあいがあったとみられる武将だからだ。
家康も、これらの武将たちの反感を買わないようにねねに多額の投資をした。
ねねが最晩年に住んだ高台寺の規模の大きさとその豪華絢爛さをみれば
家康が東軍武将の心を失わないためにいかに秀吉未亡人にみついだかが分かる。
ねねもこれらの家康の好意を快く受け入れている。
里の浅野家と徳川家の婚姻を積極的に受け入れ、
もはや自分が徳川家に庇護されていることを世間に一切隠しもしていない。
西軍方の武将たちが悲惨な最期を遂げているのに、
ねねが西軍よりだったりしたらこれほどの厚遇はありえないだろうから。

601 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 18:16:24
ねねは家康の愛人で秀吉には昔から恨みがあったから家康の豊臣根絶やしに積極的に協力したんだろう
家康も秀吉大嫌いだから利害の一致もある
秀吉ほどどの大名にも嫌われていた人物は他にはいないど思う

602 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 03:26:03
>>597
たたき上げの武闘派と官僚派、という分け方なら何も不審はないじゃない。

603 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 21:07:06
武闘派と官僚派なら
疑問の余地はないけれどね。

むりやり高台院と淀殿の対立へにこじつけようとするから
出身地が同じだから
石田も大谷も淀殿シンパでアンチねね
みたいな超解釈になるんだ。

604 :日本@名無史さん:2010/06/23(水) 22:19:54
淀と高台院の対立は普通にあったでしょ


家康に手厚く保護される高台院と
家康に殺される淀+秀頼

側室の京極竜子あたりが国松の遺骸を引き取っているのに比べ
豊臣家の正室がなんとも冷たいこと

高台寺に自分と秀吉の木像を並べて自分が死んだら葬るように言い
今もねねは秀吉の木像とともに高台寺霊屋眠っている
豊臣家は自分と秀吉のものであって
側室や側室の産んだ子のものではないという執念だ

605 :日本@名無史さん:2010/06/27(日) 02:48:05
秀頼と淀殿が自刃、「山里丸」の遺構見つかる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100626-00000581-yom-soci

606 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 21:13:55
こんなのみつけた


406 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/01 02:29
名前なんだったか忘れたが、愛知県の郷土史家が地元の言い伝えを集めた本の中に
利家と秀吉は夜中に入れ替わってスワッピングしたってのがあったなあ(藁
まつもおねも気がついたんだけど、騒ぎたてるのも恥だってんで、そのまま
続けたとか。
あの頃は江戸時代ほど貞節とか道徳にうるさくなくて、夜這いや不倫も
あたり前だったし、田舎じゃ旅人に自分の妻や娘を抱かすって風習がある
地方もあったぐらいだから、そういうことがあってもおかしくはないが
羨ましい・・・ノリピーと松嶋ナナ子犯れるなんて!

607 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 08:07:53
>>606
8年も前のコピペ元にマジレスするのもなんだが
武士階級の嫁入り婚と一般庶民の婿入り婚を混同しているような
つか、あちこちの淀・お江関連のスレで変なコピペしまくってる人?

>>604 遅レスだが
そういうのを歴史の結果からの憶測って言うんだよ。
茶々が仇の秀吉の側室になったのは行く行くは豊臣家を滅ぼすためとかいう論法と同じ。
だいたい後継者が側室の子だから認めなかったなんて北政所を馬鹿にしすぎだよ。

608 :日本@名無史さん:2010/07/20(火) 07:08:25
>>596
大野道犬(道犬斎)治胤は若い頃は京の商人の家に養子に行ったりで
淀殿とはあまり接点がないし、そもそも密通相手として聞いたことがないが・・・。
もしかして司馬の『城塞』に出てくる治長の従兄弟とかいう道犬老人のこと?
だとしたらそれ多分司馬の創作じゃないかな。

609 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 20:34:24
関西(あくまでも、名古屋〜三重〜奈良〜京都〜大阪〜兵庫までを示す。岡山はセーフ。和歌山はアウト、残念!)

自己顕示欲が強すぎて嫌い!
あのイントネーションが大嫌い!
関ヶ原の戦いで負けたんだから、
東京弁で話してほしい
(・ω・)
関西は犯罪と貧乏な地域だから、日本から
きり離してほしい。
唯一、日本の汚点。言わばゴミ。
関西人は書き込まないでほしい!
関西人からパソコンを取り上げてほしい!!
もはや生きる価値無し!
とりかく関西は犯罪者の巣窟。
(゜Д゜;;)
オソロシイ



610 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 05:02:27
淀殿の貝がぁぁ

611 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 05:50:53
まあ、秀吉は「戦国のあしながおじさん」だからな。
側室いっぱいかかえたのも、姫たちを扶養するためだし。

秀吉、何気にいいヤツだよな。

612 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 23:26:18
>>611
ホストに貢ぐオバチャンもなにげにいい人なのか?

613 :日本@名無史さん:2010/07/24(土) 00:05:34
淀殿は騎乗位が好きだったらしい

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