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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 36

1 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:12:56
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          {/:::::Yノ、ン::>' |::::::::::::',   ∨ヘ   ∠ / ./:::::::::::::::!  ` 、  /:{:::(::::ソ
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

前スレ  ♪邪馬台国 ドンと来い♪ 35
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1226338977/l50

2 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:14:48
豪族の海部(あまべ)氏が京都に大分から畿内に移ったとしてもなんら
おかしくない。
なぜなら同じく宇佐を治めていた大神比義を祖とする宇佐八幡大神宮司
大神(おおみわ)氏から畿内にいっている。もともと治めていた大神氏は
宇佐氏権力を奪われた。



3 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:15:55
↓ 前スレの続きね

998 名前:日本@名無史さん :2008/11/26(水) 21:03:39
大分県の海部氏が京都に
豊受大神崇拝を持ち込み地主神化させたのでは?

天照大神信仰の高千穂にも遠くないし、これで海部家系図と記紀との
繋がりも立証される。





4 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:22:19
伊勢に天照信仰を持ち込んだのは、祟神天皇の時代であり
たとえば龍神社などは元伊勢。伊勢自体にアマテラス信仰は
はないんだよ。地主神ではないのは誰もが百も承知のはず。

それに、御許山の麓で比売神信仰を持っていた大神(おおみわ)氏と
祟神天皇の繋がりからいっても、海部(あまべ)氏が畿内へいったとしても
なんら不思議はない。

5 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:28:00
畿内説はアマテラスが伊勢の地主神ってことが前提に
なるしな。
記紀は真っ赤な嘘で高千穂などに行かなかったっていいたいわけっしょ?

しかし記紀が嘘ならアマテラスも全部嘘。一体何が本当なの?w

6 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:38:32
しかし、いまどきTV放送を信じきってる人がいるようだけど、あわれだよね。
彼はきっとUFO=宇宙人とかも信じきってるんだろうな。

7 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:50:02
>>6
禿同
世界ふしぎ発見!の家系図は
江戸時代初期に作成された勘注系図(丹波国造本記)

これは平安初期に作成された海部氏の「祝部系図」(本系図)の写しと
いうが、本系図には日女命も壹與命も載ってない。

これを世界ふしぎ発見!は言わなかった。 国民を騙すんじゃないぞ

8 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:57:37
平安時代に作成され丹後国印の押されている海部氏の「祝部系図」
(本系図系図)には日女命も壹與命も載ってない。
海部氏には江戸時代まで日女命も壹與命も居なかった。
これが世界ふしぎ発見!

ツメが甘すぎ



9 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:00:53
先代旧事本紀と同類じゃないの? 

あれも、物部氏一族で詳細に独自の伝承や神名が書かれてあった偽書。
海部氏も物部系だし、なんか臭うよ。


10 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:18:07
>>1

イヨタン、イヨタン、イヨタン・・・・・・・・・・・・・・・・・


11 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:31:10
>>1 otu


12 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:35:01
学者の世界はタブーが多すぎなんだよ。不自然過ぎて逆に目立つぞ。

(現在最大のタブー)    
年代遡上を批判してはいけない。
マキムクと同時期の九州が古墳時代かどうかは後日決まるまで空白にする。

(伝統的タブー)  
神武東征を認めてはいけない。文化の東遷もできるだけ否定する。
→畿内の後進性への言及はできるだけ避ける。
欠史8代の実在性を認めてはならない。
成務天皇、仲哀天皇、神功皇后の実在性は認めてはいけない。
→先代旧事本紀の国造本紀の扱いに注意する(成務の代の設置が大半)。
古代の大阪〜奈良の盆地湖はできるだけ言及しない(自生説への配慮)。
王権の成立はできるだけ遅らせて、初期は連合政権とする。

(個別論点タブー)
稲荷山古墳の鉄剣の「オオヒコ」が誰か詮索してはいけない。
(四道将軍までの系譜の史実性が欠史8代〜神功皇后の史実性に関連する)。
中平年刀が国産である可能性に言及しない(環頭が国産でほぼ確定も言及しない)。
三角縁神獣鏡舶載説を追い詰めてはいけない。
古墳が寿陵(生前に作られた)であることの言及は避ける。
古墳の設計が時代ごとに変わっていることは、はっきり言ってはならない。
貨泉が中国では4世紀まで作られていたことは言及しない。


13 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:44:03
西都原古墳群が気になる

延喜式神名帳の壱岐・対馬の比重の大きさが気になる。
53社?なんで?!

壱岐の名神大、中津神社が気になる。中津宮とか..






14 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:53:22
>>12
アホすぎるwwwwwwwwww

15 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 02:07:03
スレ・ルール 

wwwwwwwwww の多用は 畿内説が焦っているときの顕著な行動。




16 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 06:42:24

>>13

女王国を宇佐(大分)から日向(宮崎)にかけての九州東南部と比定したい。
魏書にいう「水行十日・陸行一月」と隋書にいう「其國境東西五月行南北
三月行」の説明がなされない限り筑紫付近はダメダメです。
畿内説は論外として、北部九州に比定できない根拠として

■計其道里當在會稽東冶之東
郡よりの方向、距離から推測すると、女王国の位置は会稽・東冶(台湾・奄美
大島の西対岸)の真東にあたると認識されるほど相当に倭国の南と理解されて
いた。

■倭地温暖冬夏食生菜皆
倭の地は温暖で、一年中生野菜を食べていると記載されている。意外と北部
九州も雪が多く、冬も寒いが、その点では宮崎は温暖の地です。

■使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚
女王国より北の国々には監察吏員を特別において諸国の皆が畏怖していた。
よって、女王国が北部九州ではありえない。

■女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有朱儒國
女王国の東に海を渡ること千里(対馬から壱岐と同程度の距離)にまた国があっ
て、全て倭人が住んでいると記載されており、四国(伊予)が倭種として比定され
るが北部九州では比定地がない。


17 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 07:27:43
>>12
東遷説の人間の妄想だな…
年代遡上を批判してはいけないて、
今現在色んな人間が活発に批判してるじゃないかw
ちっともタブーなんかじゃないよ。
おまけに畿内の後進性がさも九州説の証拠になるような書き方してるけど
それは「古墳時代は4世紀から」と言う大前提の上での話だろ。
神武東征に肯定的な人間で畿内説ってのも昔からいたよ。

18 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 10:06:42
>>16
>女王国を宇佐(大分)から日向(宮崎)にかけての九州東南部と比定したい。
そこが女王国というのはいいと思いますが、万二千里との関係をどう考えますか?
女王国をもっと大きく考える必要があるのでは?


19 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:12:03
アマテラスが九州の女神(九州説では卑弥呼)と考えるのは、間違い。
すでに何年も前から文献史学では当然の事実。
詳しくは、「王権神話の二元構造」を読むべし。
高い本だから、貧乏人は図書館でも行って読め。
アマテラスが皇祖神でないことは、文献から明確に立証される。

簡単に説明すれば、記紀にある皇祖神として、アマテラスとタカミムスビが登場するが、
大元はタカミムスビであり、アマテラスは後の時代に創作された神なのである。
実際、神武天皇は大和に入ってからはタカミムスビを祭っている。アマテラスは祭っていない。
記紀の古代の記述を読むば、タカミムスビの比重が大きいことは誰の目にも明らかなのだ。

天皇家の皇祖神は、アマテラスではないので、
「卑弥呼=アマテラスとした東遷説」は、事実上成立する見込みはゼロ。
それを知ってて、素人相手に遊ぶのも結構だが、
そろそろ君らもレベルアップを図ってみたらどうかね?

20 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:24:38
崇神天皇の東遷という説も間違い。

なぜなら、崇神天皇は、アマテラスを意味する鏡を恐れて宮中から追い出したと日本書紀は明記している。
九州では鏡が畿内よりも早く祭られていたのだから、崇神天皇が九州出身ならば鏡を恐れる必要はない。

崇神天皇の時代に「鏡」というアイテムだけが持ち込まれ、
はじめてみる鏡に恐れおののいた、という説話だろう。
アマテラスという太陽神が創作されたとしたら、この時代以降であろう。



21 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:47:52
畿内でアマテラスが祭られたのは、崇神天皇の代だと日本書紀は明記している。

ところが、アマテラスは畿内でそのまま祭られ続けることは無く、
丹波の籠神社、伊勢の伊勢神宮と各地を巡幸した。
この事実だけを見ても、アマテラスが新しい信仰であり、どこかの地方神でないことがわかる。

アマテラスを祭った籠神社などは「元伊勢」とよばれるが、
元伊勢は近畿のみにしかない。

「九州に元伊勢は無い」という事実も注視しなければならない。
アマテラス信仰の起源が九州ではない、ということを意味する。
天皇が九州から来たとは書いてあっても、アマテラスが九州から来たとはどこにも書いてない。
そして、天皇の祖は、アマテラスではなくタカミムスビであることはすでに書いた。


22 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:55:51
籠神社には、海部氏系図があり、
そのなかには「日女命」とか、アマテラスを匂わす人物名がある。
アマテラスというよりは、太陽神をアマテラスと名付けて祭った巫女だったろう。

これは、妄想でもなんでもなく、
日本書紀と照らし合わせれば、なんの問題もなく導かれる話だ。

ただし、「日女命」をただちに「卑弥呼」と決め付けるべきではない。
アマテラス信仰が近畿発祥のものだという観点から考察すべきものだ。

九州にはアマテラス信仰は無かったが、卑弥呼はいたかもしれないということだ。
アマテラス、日女命が近畿の女神であっても、卑弥呼との関係は一切導かれない。

同時に、九州説もアマテラスに固執するべきではない。





23 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/27(木) 13:58:12
うあっはっは〜!wwwwwwww
今日もかなり妄想が多いなぁ〜。♪

24 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 14:09:02
アマテラスなどといってもな。結局は空想の産物。

25 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 14:10:11
>>23
お前よりははるかにまし

26 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 18:04:05
>>19
神武天皇がまつったまつらないを証拠に議論するなら神武天皇実在を実証しないと

27 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 19:09:13
>>12

質より量よろしくコピペ攻撃するようになったらもう終わりだなw
一発ネタ書き逃げピンポンダッシュのサイキバと本質的に同じwww

で、一つ注意しておいてやると…

>文化の東遷もできるだけ否定する。

文化の東遷?はあ?そりゃ東進だろ?アホwww

東遷説の立証の難しさはいくら文物の東進を挙げたところで
それが即、東遷に繋がらない事じゃないかな?

先ずヤマトに九州からそれこそダイレクトに持ちこまれた物=考古資料を探し出し
それが纏向に継承されている事を証明しなければ、単に神話の域を出ないと思う。
東進じゃなくて東遷と言うからには何らかの形でヤマト王権に繋がっていなければならんだろ?w

普通に考えても恐ろしく難易度が高い、超絶アクロバット、ウルトラCだわな東遷説なんてwww



28 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 20:53:45
>>26

では、大伴氏について話そう。
大伴氏は、天孫降臨でも神武東征でも神武と一緒に行動してきた。
神武が架空なら、神武のモデルは大伴氏以外には無い。
その大伴氏の祖神がタカミムスビなのである。

アマテラスを祖とする神武(天皇家)が架空であるなら、
他にアマテラスを祖とする氏族はいないのだから、アマテラスは後世の創作ということになる。

で、天皇家を除く、天孫降臨伝承を持つ格式ある家系は、タカミムスビを祖とする大伴氏ということになる。
大伴氏の伝承を架空とすることは、天孫降臨+神武東征を架空とすることになる。
もちろん、架空でも何の問題もない。
アマテラスは、後世に創作された神という結論は変わらない。


29 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:22:23
>>16
いや、自分は九州中南部説で(大分南部の佐伯と九重連山〜日向説)で
宇佐をいれるつもりは毛頭ないが。

あそこはわかってる。邪馬国だよ、倭人伝の。
「山国」という地名が記紀にあるし、国東抜けて中津に出ると
福岡まで徒歩でもなんでも一日あれば十分歩ける距離だ。合わないよ。

しかしね、九州の古代史を読み解くうえで、例え畿内説でも吉備説でもだよ、
>>13のいってることや、宇佐神宮の比売大神と応神・神宮とそいつらに
関わる豪族(ほとんど古代朝廷史に出てくる名前だ。大神とか秦な。)
他阿蘇氏を初めとする豪族の東遷、こういうのを読みとかない限り
邪馬台国のその後、ってのはわかんないと思うよ。

30 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:36:33
>>16
で、君はどんだけ地理に詳しいの?
九州在住なら一度福岡ICから日田を抜けて大分市まで行ってみろ。

で、大分市から....ここからが大変なんだが車がいいけど、とんでもないんで
電車でもいいから佐伯から日向目指してみ?高千穂はいま道路が大変でいけないが。
もし卑弥呼が居たのが日向の海側じゃなく(自分は天照=卑弥呼説じゃない)
高千穂あたりだったら?
トンネル無し、馬無し、徒歩じゃ最低3,4週間かかるか迷ってお終いw

倭人伝読み解くとして、九州で合うのはこの辺りか熊本側からのルートしかない。
そこしかないが、ピッタリ合う。記紀の神話伝承が集中してるのも偶然か?
やはり「そういう」感じのとこなんだよw


31 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:44:34
>>21
宇佐が太陽信仰が発祥なのは知ってんのか?

ところで、伊勢遷宮は明らかに畿内に天照大神信仰を広めるためだが?
こんなの誰でも知ってるぞ。
祟神天皇が自分ちで奉っていたのを遷宮にして広めようとし、最後は伊勢の地に
落ち着けたんだ。

宇佐や神武が居た日向と同じように、九州東岸と同じく、東の海から日の出が
拝める場所があそこしかないからだよ。

奈良・京都・兵庫・大阪に海から日の出が拝める場所があるか?



32 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:58:45
>>28
天照が後の創作で、ってのは君の妄想じゃん。

だってさ、どうみてもタカミムスビと葛城系こそが、朝廷お膝元の
有力豪族として尊大な自称「ここが実は高天原なのです」神社
を堂々とつくり権力をふるって、創作や系図つくりなんて思いのままじゃんw

記紀に神武のお供として自分の名前をいれたんじゃないだろか?
それぐらいのことはできるし、自分の土地を高天原とか書くのは
矛盾してるのにおかしいよ?w

33 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:16:48

>>30
福岡ICから日田まで行く気はないけど・・・

広く九州の東側海岸部が邪馬台国の勢力範囲と考えたい。
本当は宮崎日向で限定したいが、『女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有朱儒國』
があるので、あえて宇佐を範囲にいれている。

34 :ローガン:2008/11/27(木) 23:20:25
>>30
そんな僻地で七万戸は難しいような気が・・・

35 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:23:18
崇神を「祟り神」と書く輩が多過ぎるな。
淡海三船が崇神と贈り名したのは、あくまで神を「崇」めたからであって、
神に「祟」られたからではない。
まあ確かに紀で一部祟られたことを匂わせる記述があるが。

少なくとも祟り神とか書く輩は記紀とかまともに読んだことの無い奴なんだろう。

36 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:23:49
>>33
その日田から別府・大分、そして大分から日向までの
見渡す限りの山脈続きが見所なんだよ。「山大国」って感じがw
ただ何時間もトンネルばかり山を抜けてばかりで居眠り事故続出、あまり
安全じゃないので実はお勧めできない。

佐伯・日向の海岸の向こうは四国だから別の倭国があると思うが。
宇佐は東というより海岸線が北側だし...。


37 :ヨコだが:2008/11/28(金) 00:17:58
>>31
>宇佐が太陽信仰が発祥なのは知ってんのか?

知りませんでした。

詳しく…w



38 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:24:18
>>31
>>宇佐が太陽信仰が発祥なのは知ってんのか?

クチから出まかせもたいがいにしろよ(笑)



39 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:27:17
有明海沿岸から日向に行くときに取るルートはだいたい二つ。

一つは、阿蘇あるいは熊本から、高千穂町を抜けて延岡に行くルート。
もう一つは、人吉市から小林市を通って宮崎市に出るルート。

どちらのルートにも高千穂があり、高千穂の本家を争っているのが面白い。
もちろん高千穂というのは、天孫・瓊瓊杵尊が高天原から降り立ったところ。

40 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:31:07
>>32

大伴氏の伝承を捏造というなら、
物部氏やその他豪族の伝承もみんな信憑性ゼロってことだな。

もちろん、神武東征自体の信憑性も疑わしいと同意するわけだな?

じゃないと、おまえの指摘は矛盾するぜ。


41 :ヨコだが:2008/11/28(金) 00:32:23
>>31
つうかだな…

>ところで、伊勢遷宮は明らかに畿内に天照大神信仰を広めるためだが?
>こんなの誰でも知ってるぞ。

日本書紀を読めば「天照大神」と「倭大国魂」の二神を共に奉るのが困難になって
ぶっちゃけ 厄介払い ともとれるんだが?www

信仰を広める為?

イッタイ ナンノ ハナシデスカ?wwwwwwwww



42 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:46:49
>>31
>畿内に天照大神信仰を広めるためだが?

笑わせるな。

現在の諸国の一宮、二宮、三宮神社で、
アマテラスを祭ってる神社がどれだけあると思う?数えたことある?
ここにリストがあるから、天照大神信仰がどれくらい浸透してるのか、自分で数えてみれば?
ttp://www.genbu.net/engi/1miya.htm

43 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:56:06
みんなの好きな日向の一宮・都農神社なんて、
アマテラスどころか、大己貴命を祭ってるじゃないか。

薩摩の一宮・枚聞神社は、大日孁貴命を祭ってるが、
九州説の言うところのクナ国の領域だろ?wwwwww

鹿児島が邪馬台国って言うなら、アマテラス=卑弥呼でも筋が通るんだけどな。
じゃあクナ国はどこだ?沖縄か?て話。





44 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:06:12
邪馬台国からまた船で南に行ったら
倭人系の裸国という国が存在すると
魏志倭人伝の末尾に記録されてるね。




45 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 02:05:28
>>41
当時の神は荒魂と和魂があって、幸をもたらす存在でもあり、
災厄をもたらす存在でもある。
別に厄払いしても不思議ではない。
崇神の記事は、東=伊勢=聖、西=出雲=穢という東西の世界軸を引いた
ということに意味がある。西郷信綱が言ったように。
つまり崇神の頃の大和王権の勢力圏を示す。
つまはりまだ筑紫は勢力圏外であり、大和王権の世界観では
西の端は出雲で、東の端は伊勢だったということ。
筑紫は大和王権の創世神話の枠外だったと。

46 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 02:12:10
タカミムスヒは葛城の神と考えた方がすっきりするがな。


47 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 02:15:21
タカミムスヒは葛城の神=高天原は葛城の高天

48 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 02:15:37
>>45
>東=伊勢=聖、西=出雲=穢

違うなw
真実の意味合いを読み解くと

西=日気=聖  東=冷気=穢





49 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 02:23:05
>>48
違うと言われても、出雲は国津神の巣窟で征伐の対象。
神武伝承でも、東>西の記述がある。

50 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 04:29:53
なんかタカミムスビ厨が電波発信しまくり。
ついに狂ったか?
伊勢の遷宮により全国に天照を広めようとした結果が現在だよ。
天照が居たの九州以外な。

しかも過去レスで元伊勢をよく知らずに伊勢遷宮を語っていて
ボロがでてたがw、伊勢が天照の地主神ということが前提な割に
「天照は捏造、タカムスビは本物」とか。

まずタカムスビが大元だという「いろいろな文献」ってのを
ちゃんと羅列しろよw あ、記紀は駄目なんだよねw

>>43
みんなの好きな日向の一の宮って何の話?誰もしてないが、必死で
血眼になって宮崎県の探したのか?

51 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 04:38:25
ここにいる偽造タカムスビ厨のおかしなところ...w

自信が全く無いので、特に自信がないところに同じ書き込みを2度続ける。>>41,42 >>46, 47

自説には文献の引用が全くないくせに、史実として書かれてきたものは「捏造」あ
しかしその「アマテラス捏造」などの根拠になる「いろいろな文献」が何か書いてないw

痛い矛盾点を突かれると「何の話wwwwwww」「wwwwwwwww」
これしか書けない

ただ自説を語ればいいものを、被害妄想により、おかしな点を聞かれるたびに
答えず数ある九州説の中から適当な話をもってきて「wwwww」などと
書いてごまかして、結局自説が続かない。

可哀想なやつw

52 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 04:41:01
だからタカムスビ厨は同じことをいつも繰りかえすんだな。

「みんなの好きな日向の〜」 

↑みんなって誰だよ!!! 怖えええーーー どんな妄想してんだろ、こいつ...



53 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 04:55:21
>>33
熊本平野から宇佐あるいは杵築あたりを結び、それ以南を女王国と考え
ればいいんでは?

54 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 06:07:05
>>42
伊勢の遷宮の時期は知ってるのか?ww 
馬鹿丸出し。
で、今現在2008年のアマテラス奉る神社の数を数えろって?

テカミスビ厨は葛城の神様に罰が当たるよ。
畿内説がゆえに記紀に出てくる奈良土着の豪族に異様な執着。
土着豪族以外は「捏造」?

記紀を読めば、神武がいかに「東と日」の方向を重要視してるかわかるのだが。
だからこそ、東に日を拝める伊勢の地を選んで天照大神を奉ってるんだよ。

55 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 06:15:27
せっかく神武天皇を案内したのに葛城も捏造だってさあ。
すっげー疑惑だよねw

だから記紀と矛盾して自分ちが高天原とか立て看板したのかな。
それよか「ここが実は高天原」の看板と由緒はいつから書き始めたのだろう。
それは気になる。明治ぐらい?


56 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 07:28:04
奈良の高天原は 高天彦神社があるから本当っぽい

やたら葛城地方は欠史八代の伝説が多い

葛城系の大王かもね

57 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 08:44:58
そもそもタカミムスビ厨の定義は何?
オレの書いたのも混ざってたので

58 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 11:55:07
ttp://www.genbu.net/engi/1miya.htm
九州の一宮について調べてみると面白いよ。

筑前國
筥崎宮 応神天皇 神功皇后 玉依姫命
住吉神社 底筒男命,中筒男命,表筒男命 (配祀)天照皇大神・神功皇后
筑後國
高良大社 高良玉垂命 (配祀) 八幡大神,住吉大神
豊前國
宇佐神宮 應神天皇 比賣大神(多岐津姫命 市杵嶋姫命 多紀理姫命) 神功皇后
豊後國
西寒多神社 西寒多大神(天照皇大御神)
柞原八幡宮 仲哀天皇,応神天皇,神功皇后
肥前國
與止日女神社 與止日女命/豊玉姫命
千栗八幡宮 應神天皇,仲哀天皇,神功皇后
肥後國
阿蘇神社 建磐龍命ほか
日向國
都農神社 大己貴命
大隅國
鹿児島神宮 天津日高彦穗穗出見尊,豐玉比賣命
薩摩國
枚聞神社 大日孁貴命
新田神社 天津彦彦火瓊瓊杵尊


59 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 12:25:38
>>58
北九州では、応神、神功皇后の名前が目立つ。
日向では、大己貴命。
鹿児島県では、大日孁貴命や、天津彦彦火瓊瓊杵尊など天孫降臨系の神。

ちょっとオカシイと思わない?
神武が出発した日向で、大己貴命が祭られ、
クマソとかクナ国とか言われてる鹿児島で、オオヒルメやニニギが祭られてる。
北九州では、応神、神功皇后など、比較的歴史の新しい天皇が祭られてる。

>>31の言葉を借りて「信仰を広めるため」に征服者の神を地方に祭らせたのなら、
鹿児島(クマソ)でオオヒルメやニニギが祭られてるのはわかるが、
それ以前に鹿児島には、日向三代と呼ばれる、ニニギ ・ ホヲリ ・ ウガヤフキアヘズの墓があるんだよ。
どうして敵地に祖先の墓があるの?

高屋山上陵(ヒコホホデミ・ホヲリの墓)  霧島市溝辺町
可愛山陵(ニニギの墓)  薩摩川内市宮内町
吾平山上陵(ウガヤフキアヘズの墓)  鹿屋市吾平町


日向で大己貴命が祭られてるのはどうして?
由緒では神武天皇御東遷のときに鎮祭したとされるが、
神武は大己貴命をすごく畏れてたみたいだね。

問題は北九州で、応神、神功皇后が多く祭られてることだね。
北九州にも古代からの神がいたはずだけど、古代の神を押しのけて新しい天皇を祭ってるわけだね。
まるで、北九州が応神、神功皇后によって征服され、「畿内の信仰を広めた」みたいだね。
これは記紀の通りだけど。


60 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/28(金) 12:55:55
激しい妄想群が火花を散らしてるな。wwwwwwwwwwwwwwww

61 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 13:16:41
みなさん!裁判員になったら太国を死刑にしましょう!

62 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 13:17:44
>>60
お前よりははるかにましだけどな

63 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 13:28:39
>>60
あんたが一番の妄想家だと早く気づけw

64 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 17:09:49
九州の神社の創始は応神時代ばっかりなんだな。

征服されまくってるじゃん。w

こりゃ、九州王朝説でも空想しないと可哀想だね。

65 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 19:42:15
で、結局、宇佐が太陽信仰発想の地と言う根拠ソースは出てこなかったんだなw

宇佐と言えば宇佐八幡のハチマン神は応神と習合する前の原初は
半島から渡来した鍛冶の神だと言う話を聞いたことがあるが・・・

あと天照=卑弥呼説も元々天照は男神だと言う話が本当だったら玉砕だなwwww



66 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:11:06
>>65
太陽信仰「発想」とかどんな低学歴なんだろw
トンデモ論の本しか読んでないのだろうか。

しかも渡来の神の神託にどうして平安時代も朝廷は右往左往し
東大寺を建て、神功皇后を祭り、宇佐神宮が由緒の神輿を....
いや、もういいww >>65は皇祖神を侮辱してばかりで魂が在日。
こんな糞みたいな奴に教える価値はない。ヒントだけやるから自分で
調べろ。

宇佐の比売大神が天照(ではないが)と同一視されがちなのは
最古社とその遺跡によるもの。
「あ、あれのことで太陽神っていってんの?それは○○かもしれないし」
そういう反論ならまだわかるけどね。

とりあえず、無知がすぎて訳もわからないくせに「九州説」に割ってはいろうと
して低レベルなことを書いても反証したことにもならないし、哀れなだけ。

こんな奴に憑かれて持ち上げられてる葛城氏が気の毒でたまらんwww

67 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:32:38
神輿で論破された宇佐厨が必死(笑)




68 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:38:53
>>67

神輿で論破?


神輿の由来もしらずに 神輿はユダヤ教とかいってた罰当たりが君か?


「神輿はユダヤ教」で宇佐が論破? >>67 アンタのレベルってこんなもんか?


wwwwwwwwwwwww まじ笑える。これじゃ高木も葛城も迷惑だよなあ




69 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:38:54
邪馬台国は宇佐?

70 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:43:38
チャカムスビ厨はどんどんボロが出てきたなあ。

とりあえず、「高千穂を治めていた天照」「日向の神武東征」は捏造
でも、もし伊勢の土着としてなら本物、オッケーw
ナラ高天原のタカミムスビだけは本物。だって神武と一緒にいるじゃん!

↑要約すればこんな感じだもん。マジで。



71 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:46:31
奈良土着の豪族として治めていたってだけでそれ以上の
ものではないじゃん。
神武がくるまでは、奈良の小さな盆地の支配者階級だったんだろ?
で?w

それを必要以上に持ち上げてどうすんの?
まず邪馬台国論とは関係ないし。



72 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:46:52
神輿で論破された宇佐厨がファビョってますよ(笑)


73 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:50:14
邪馬台国が九州にあったとしても、宇佐は無いわ。wwwwww



74 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:51:34
神輿までオカルトにして天照と神武は捏造とかいうタカミムスビ厨
これって現在の神話と文化を全部否定して
タカミムスビ万歳にしようっての?何のために?.....奈良土着だから?

俺だって記紀を鵜呑みにしてねーよw しかし基地害かわいそw



75 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:54:42
>>72
だよなあ。神輿の由来も知らずに宇佐を語るなんて
罰当たりだよ。どうか天罰が下り癌にでもなりますように。

神輿のきっかけは皇祖神として宇佐の巫女を輿に乗せて
奈良の都へ入京したことです。論理も何もいりません。史実です。




76 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:02:29
さっきからタカミムスビに粘着してる人って何なの?

タカミムスビは朝鮮から渡来した神だよ。


77 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:03:58

>>75
>どうか天罰が下り癌にでもなりますように。

どあほ




78 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:06:46
>>76
三足烏使ってる部分は朝鮮の伝承だよな。
でもそれでタカミムスビが朝鮮渡来と断定はできない。

タカミムスビに粘着するのは奈良の土着だからだよ。
奈良土着神だけ、本物。奈良土着神が高天原。
そういう発想だよ、明らかに。頭わるいよな。



79 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:10:31
邪馬台国は日向だよ?



80 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:13:14
タカミムスビに粘着してるひとはさ、記紀で語られている
「日向の高千穂に舞い降り治めた天照」が伊勢神宮で奉られ
「日向から東征してきた神武」が奈良から大和朝廷を興す

↑この「日向」って場所の皇祖神やら大和朝廷発祥が
著しく精神を不安定にさせ脳をやられているらしい。だから土着豪族に執着。



81 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:16:41
>>66
嗚呼、悪いな

「太陽信仰発想」は「太陽信仰発祥」の打ち間違いだ。

その程度わざわざ言わずとも前後の文脈から分かると思っていたが
馬鹿には無理な注文だったかw

で挙句の果て在日認定か。

厨房丸出しだなwwwwwwwww

言っておくがタカミムスビもどうでも良い。

葛城氏がヤマト王権で勢力を伸ばしたのはもっぱら河内朝であり
神話の形成もその時期の可能性が高いと思っているんでwwwwww


で、お前の謎掛けに付合う気は無い。
出せないネタなら最初から出すなアホw
どうせ批判に耐えられない不安からだろうがwwwwwwww

82 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:18:19
延喜式で壱岐・対馬があんなに比重が大きいのは何で?
神功が寄ったぐらいでどうかと思うg。


83 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:22:16
タカミムスビは対馬の神だよ。


84 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:24:31
そもそも天照大神が男神とされる根拠に「アマテラス」の名を冠する神は他にもいて
それらが全て男神だと言う話があったが確か殆ど畿内だったと記憶している。

もし九州宇佐近辺が太陽神天照の発祥の地であれば同様に「アマテラス」の名を冠した神がいても良さそうだが…



85 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:31:40
アマテラスは、天火明命のことだよ。

天火明命の本名は、天照(アマテル)、天照國照彦天火明命。
つまり男神。

86 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:41:53
天照男神説はホツマから?
これは紀州土着の豪族の家から出たいう偽書
また偽書だよwww


87 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/28(金) 21:42:47
アマテラスは超ミス・ユニバース級の小柄な美女。

88 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:46:04
ホツマも国宝にされたかったけどパナソニックみたいな
後ろ盾がなかったからなあ 天下のパソだもんな。俺んちはソニーだけど

89 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:49:48
>>87
とりあえず関西の女どものように
針のような目をしてなかったと思われ。あれは奴隷の外見



90 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:50:29
岩戸の前でウズメがストリップしたときに、
鼻の下伸ばして出てきた太陽神が女なわけないだろ。



91 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:52:37
ちなみに誰もが知る天照の岩戸隠れであの手この手でおびき出す話も
中国南部の苗族やアッサムのカシ族ナガ族の間に見られ

日食の起源として末弟のDV(ドメスティック・バイオレンスw)が原因と言うのも
東南アジアに同類の物が見られると言う。

(参考:講談社学術文庫「日本神話の源流」)


少なくともアマテラスの原型は東南アジアから南洋にかけて普遍的に見られるパターンで
然程に特殊な物ではないのではないか?(女神であると言う点を除いて)

少なくとも宇佐起源と言う事は無いだろう(苦笑

もっともウリナラ起源説はこの板の九州説論者の持病だがwwwwwwwwwwwwwww



92 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/28(金) 21:53:12
ストリップ劇場には若い女も見に来るそうだ。踊り子さんになら
ないか、従業員に勧奨されるかも知れないがね・・・。www
男ばかりではないぜ。wwwww

93 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:56:23
アマテラスは百合だったのかい?

94 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/28(金) 21:57:35
吉永小百合??  ??

95 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/28(金) 22:01:46
ハハーン。あれのことか。ww

96 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:02:52
アマテラス=百合=吉永小百合

すごい!
謎は解けた!
邪馬台国は佐賀県だったんだ!


97 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:23:07
まあ、これも大雑把な話だが>>91で言ったようにアマテラスの神話が東南アジア南洋系で
日向神話もまた東南アジア南洋系の要素が濃い。

しかし一方で天孫降臨神話や神武東征で金鵄や霊鳥の出現と言ったネタはむしろ中央ユーラシアで

高天原から神武東征を同じ起源の一つの神話とするほうが無理だろうと思うw

あまり後先考えず神話に飛び付くのもよくよく考えた方が良いと思うがwwwwwwwwwww



98 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:44:25
ちなみにある学者によって提唱された日本文化の中の信仰形態の一つに

「カミは天上にあって、人間界へは山上、森、樹梢に降下してくると言う、カミの出現を垂直的に表現する信仰形態」

と言うものを挙げているが

思えばタカミムスビは別名「高木神」で天上から降下する神のヨリシロたる樹梢の事だろうか?
そして纏向で行われていた祭祀が三輪山を聖地として拝めていた物なら
上記の信仰形態の中に含まれると思うが・・・

どうもアマテラスの持つ要素は初期のヤマト王権に馴染まないような気がするwwwwwwww

99 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:44:40
邪馬台国は日向だろ。

100 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:53:21
葛城のタカミムスビ伝承はだてじゃないよ。

葛城には「高天」という地名があって、そこには高天原伝説がある。
高天彦神社がその証拠。
祭神はタカミムスビ。
こんな神社は他にないから、葛城のオリジナルなのは確か。



101 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:07:08
>>100
まあ高天原のオリジナルが畿内か九州かと言う本家争いは決着付かないんじゃないのか?w

でも神武東征神話の元ネタ提供が葛城氏の始祖神話と言うのは可能性ありだと思う。
そうすれば欠史八代の事も説明し易いしwwwwww

あと大和王家の祖神がタカムスビかアマテラスかと言う事であれば
俺は前者を推すなw (>>98その他の理由で)

102 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:13:29
いや、大和王家の祖神はタカムスビだし。

まさか、天照だと思ってる人がいるの?


103 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:16:24
>>102
東遷説論者はそこは譲れんだろう?wwwwwww

てかこの板で日向説ぶち上げている奴って基本的に東遷説なのかな?

104 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:39:50
対馬の神がタカミムスビなんだから、東遷説も成立するんじゃないの?


105 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:54:40
そういや、タカミムスビの東遷説って無いなあ。

卑弥呼がアマテラスだという先入観があるせいだな。


106 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 00:05:25
九州説は先入観の塊だからどうしようもないよ。

107 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 02:08:58
何を根拠に語っているのかわからない人が多い。

記紀によると、高天原の、天照大神の息子と高皇産霊尊の娘の間に生まれたのが、
瓊瓊杵尊。これがいわゆる天孫で、日向の高千穂に天降る。
瓊瓊杵尊のひ孫に当たるのが、神倭伊波礼毘古で東征して神武天皇になる。

108 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 02:16:15
>>100
だから後で付けたんじゃんwww 馬鹿じゃねーの?

109 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 02:20:38
九州ながら太国は痛いと思ってたが、まさか畿内説にも
太国が居たとはw 自作自演展開と他説成りすまし。

タカムスビは太国と同じ演義に嵌ってしまっている。これはおかしいww

110 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 02:24:41
しかし奈良の土着がゆえに基地害に憑かれて大迷惑のチャカムスビ。
これも高天原などと名付けたゆえに。自業自得だな。

しかし太国化してしまうとはあww
 偽書疑惑の海部氏系図が発端かな。
さて買い物に戻ろう

111 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 07:05:41
>>102
天皇家は芦原の高天原を治めてたスサノオの血統だってば
天孫もイワレビコもニギハヤヒも物部氏だよ

112 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 07:07:35
魏書東夷伝倭人条の二千字程度の条文の中でとりわけ重要と解されるのが
『女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有朱儒國』である。

条文の中でも狗邪韓国から対馬、対馬から壱岐、壱岐から末盧国が渡一海千餘里
とされている。

女王國から同じく渡海千餘里に国々があってそれらは皆倭種であり、また朱儒國
があると記されている。

日本地図で女王國から渡海千里に別の倭種がある地を探しているけど、大分県
辺りしか候補地はみあたらない。





女王国の東に海を渡ること千里(対馬から壱岐と同程度の距離)にまた国があっ
て、全て倭人が住んでいると記載されており、四国(伊予)が倭種として比定され
るが北部九州では比定地がない。


113 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 07:25:23
>>109
やっぱり九州説と言う括りでの一種連帯感はあったんだなw

まあ犬国は九州説と言っても北部九州じゃなく南部っぽいから仲良くしてろよwwwww


114 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 07:42:33
日向説でなおかつ東遷説をとる場合、年代観はどうなるんだろう?

ぶっちゃけ西都原あたりの纏向型前方後円墳はいつ頃造られたものとするのか?

東遷説で考えた場合、日向から大和に東征して(欠史八代を実在とするならそこから更に時間を置いて)
纏向を打建て日向にも同じ古墳を造ったと言う筋書きに成ると思うが…

その場合、邪馬台国の時代に日向に一大勢力があった事を示す考古資料は何にする?って話でwww


115 :114:2008/11/29(土) 07:53:19
チョット補足させておいて欲しいw

つまり日向説にとってかの地に一大勢力があった事を証明するのには
纏向型と言われている前方後円墳は古ければ古いほど良いはずw

しかし東遷説だとそんな物の登場は邪馬台国の時代からもっと後
東遷完了後で無いとマズイだろうとwwwwww

116 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 09:47:04
× イワレビコ=神武天皇
イワレビコが神武天皇と同一人物だなんて記紀には一言も書いてない


×神武天皇=初代天皇
誰が初代の天皇かなんて記述も記紀には書いてない


×辛酉年に遷都した天皇=神武天皇
記紀に書いてあるイワレビコやニギハヤヒの活躍の後に辛酉年に遷都し即位した天皇は天智天皇の事で、時代も西暦661年の事


ちなみにアマテラスが産まれたのが紀元前800年頃


117 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 09:55:22
記紀をちゃんと読めば解るけど【神武天皇の東遷】なんて出来事は存在しないよ

記紀に書いてあるのは【イワレビコの東遷】であって、神武天皇なんて名前の天皇の活躍は記紀には出てこないんだよ


イワレビコの話の後に「辛酉年、都を遷都し天皇は即位した」って記述があるだけ
ちなみにこの記述の天皇は辛年(661年)の天智天皇の事

118 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 10:28:12
あと記紀の「中つ国原(中国)」ってのは、戦国時代でいう「天下」ってのと同じ意味だよ
あと「高天の原」ってのは「御川」の上流で信濃や飛騨地方の事だよ
中つ国原を追われたスサノオが、アマテラスを追って行ったのも美濃から信濃に向かって行ったって事で、天の岩戸ってのは長野の戸隠村にある岩戸だよ


古代の日本は山岳信仰で、神社(かみのやしろ)ってのも、本来は山岳そのものを神社(かみのやしろ)として信仰して、神の社の山岳には一般人の入山も禁じられてたんだよ


119 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/29(土) 10:56:12
>>109
オマエ少し頭がおかしいんでないの? 畿内なんかに卑弥呼の国はないよ。

120 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 11:15:55
>>119頭オカシイのはお前。お前が一番バカ。みんなお前よりははるかにまし。

121 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 11:21:21
>>119
そもそも日本に「卑弥呼」なんて人物は居ないよ
大陸の人が日本の誰かの事を「卑弥呼」って呼んでるってだけだよ
例えば大陸の人が東王父仙人って呼んでた人物は、日本では「覚林坊」の事だよ

122 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 11:32:26
ちなみに日本では「百済、任那、新羅」って呼んでる国も
大陸では「馬韓、弁韓、辰韓」って違う名前で呼ばれてるよ


123 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 11:37:33
宇佐で無いことは確実だな。

いくら宇佐が有名だからといっても、
宇佐が古代から王都のような存在だったことを示す物証は何も無い。
仏教が伝わってきてからのものだろう。

三種の神器なら、古くは伊勢神宮や熱田神宮に伝わってるし、
籠神社には、漢鏡が伝世し、日本一古い系図が存在する。
他の神社にも、神代から伝わる宝物を祭るところは多い。

ところが宇佐にはそういう物証が何もない。
せいぜい、神輿(笑)の起源を喧伝する程度。

124 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 12:49:50
邪馬壹國が何処にあったかなんて事よりも
天高原や芦原中国が何処の事なのかって事の方が大事なんだよ


国之常立、イザナミ、イザナキ、アマテラス、スサノオ、、、
この時代から既に日本は日本だし、これらの話から日本人の歴史はずっと続いてるんだよ

125 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 13:00:21
九州発祥説の人はきま、天孫降臨やイワレビコからが日本の始まり見たいな考え方をしてる
けどそれ間違いだよ
アマテラスやスサノオの時代や
イザナミイザナキの時代や
国之常立の時代から日本は日本だし日本人の歴史は続いてるんだから

そもそも天孫ってのは読んで字のごとく「孫(その子孫)」の事であって、祖となる人がいるから子(天子)や孫(天孫)なんだよ


126 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/29(土) 13:45:03
>>120
じゃぁオマエは紀無い節なのか〜? しっかりしろよ〜。
オマエの豆脳の点検でもしてろ!

127 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 14:34:59
つか
「九州発祥説=中国や朝鮮人氏族が日本を統治して建国説」
でしょ?


仮に神武天皇が朝鮮半島の氏族なら、記紀は日本人の歴史じゃなく朝鮮半島の氏族の歴史でしか無いって事だよ


128 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 14:53:55
●大阪府立近つ飛鳥博物館 平成20年度 秋季特別展
『考古学からみた古代の女性』−巫女王卑弥呼の残影−

■11月30日(日) 秋季特別展会期中の催し
【講演会】 「考古学からみたヒメ・ヒコ制」 白石太一郎(館長)

午後2時〜3時30分  地階ホール
定 員: 200名
※講演会参加には、今季特別展入館券の半券または年間パスポートが必要です。
  12時より1階ロビーにて入場整理券を配布します。

大阪府立近つ飛鳥博物館  大阪府南河内郡河南町大字東山299番地
http://www.mediajoy.com/chikatsu/2008_autumn/index.html

■秋季特別展 『考古学からみた古代の女性』
 近年の女性史研究の進展によって、我が国の歴史における女性の実像も少しずつ明らかになっているが、本展では出土品からイメージされる古代の女性像を展示。
女性にまつわる造形物から古代の女性がの存在感を、古墳における埋葬位置やその副葬品から、女性の役割を考え、当時の王権の実態に迫り、女性の人物埴輪の表現している世界や意味についても探る。

・期間: 平成20年10月11日(土) 〜 平成20年12月7日(日) 休館日は毎週月曜日
・入館料: 一般 600 円/65 歳以上・高大生 400 円/中学生以下・障がい者は無料
・開館時間: 午前10時〜午後5時 (入館は午後4時30分まで)
・主な展示品:
長野県下比良遺跡 お産する土偶
山梨県御所前遺跡 顔面把手付深鉢   【山梨県指定文化財】
兵庫県桜ヶ丘出土 桜ヶ丘5号銅鐸    【国宝】
大分県吹上遺跡出土 4号・5号甕棺出土品
奈良県島の山古墳前方部粘土槨出土品 【重要文化財】
大阪府和泉黄金塚古墳中央槨出土品   【重要文化財】
岐阜県矢道長塚古墳西槨出土品
大分県免ヶ平古墳2号主体部出土品
栃木県鶏塚古墳出土 裸の女子埴輪

129 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 15:11:33
「天つ神」がいた「高天原(たかまはら)」ってのは飛騨信濃の山岳高原地帯一帯の事だよ

飛騨高山の位山や、長野松代の皆神山周辺が有名
他には白山、御岳山、乗鞍岳、高屋山、、、、、
他にも沢山の霊山がある地域だよ
巨石遺跡群がある山々だよ

天皇とか天子とか天孫ってのは、この天高原を治めてた氏族の血統氏族って意味だよ

だから「天孫降臨」ってのも飛騨信濃から他の土地に降り立ったって意味だよ
「日入る国の天子、日没する国の天子」
ってのも、天王氏族が同族の氏族に対して要求しただけの行為だよ


130 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:36:38
>>123
三種の神器は九州からだろww 伊勢は真似して置いてるだけだし。

しかも籠神社の鏡だって、どうせ誰かから取り上げたりして自分のものに
した可能性だって十分ある。いつ漢鏡があそこあるかは自称だけ。
平安時代からかもしれないし。

131 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:40:05
明治時代までの地名で大分県中部に海部(あまべ)氏豪族が治めていたという
海部(あまべ)郡という土地がある。
もちろん記紀に記されている地名。宇佐・中津にまたがる山国川と同様にね。

海部氏系図が作成されたのは最古で8世紀。その前まではどこから
きたかもわからないよ。2000年以上まえの鏡だって畿内にあったとは
限らん。

132 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 22:45:12
>>130
神器ってのは自分の氏族の血統を証明する為のもので
高天原の神が、国造りに向かった天つ神の氏族に持たせたものだよ
つか天つ神が治めてた高天原って何処にあったのかとかわかってますか?

133 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:47:36
余談だが高級食材の嵐でメタボ気味。腹がいま膨れて....これから更に正月まで
大型冷蔵庫2つをフル回転させるぐらい歳暮の嵐が予想されるので準備に片付け。

俺、海外に居たときに日本史スレに来るようになって一年ちょっと前
日本に戻って宇佐や太宰府にお参りにいったんだが(高千穂は道路が閉鎖してた)
帰国以来右肩あがり。本当にこんな時代罪悪感感じるぐらいうまくいってる。

で、チャカムスビとか美濃とかどんな暮らししてるわけ?良いもの食べてる?www
君らの神様は後押ししてくれてるといいねww 俺なんか自分だけでなく
父親までスッゲー偉いとこ選ばれちゃったりしてチヤホヤされてるんだからww
さーて消化助けるために高級コーヒーを飲みにいこ。







134 ::2008/11/29(土) 22:58:30
古秘(珈琲:王を加える=王制 ; 王は非ず=王制でない政体)

135 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/29(土) 23:00:39
コーヒー:古日→古神道

カカオ:花果王→道教

136 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:20:48
>>133
おいおいスレに関係無い誰も聞いていない 「自分語り」 するようじゃあ美濃以下だぞアホw

神様の御利益語りたいのなら宗教板にでも行け。
もしくは犬国連れてオカルト板にでも逝けっちゅう話だなw

…まったくこの板の九州説論者にはロクな奴がいない。







137 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/29(土) 23:27:38
オマエの論じてる内容の卑弥呼の鬼道はオカルトではないのか。
ならばオマエが行けばいいことだ。オマエがそういい出したん
だからな。

ZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・

138 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:35:00
>>137  犬

オカルトをオカルトとして語りたいのならオカルト板へ
オカルトを歴史の中の現象として語りたいのなら歴史板。

何処ぞの基地外は古神道の秘儀で卑弥呼の顔も見る事ができるとかほざいていたが
少なくとも俺は鬼道やら何やらでスプーン曲げたり空中浮遊できたりとか言ったことは無いぞカスw

139 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:35:26
>>136
貧乏人乙w 

140 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:43:27
ここでは皇祖神や古代の系譜を語るけど
罰当たりにはそれ相応の罰が下るんだよ。チャカムスビにはそれなりのw
どうせ奈良の馬鹿4流大の手伝いかなんかのオッサンなんだろうけどw
2chじゃ教授とか言ったりしててねw

ところで今、朝鮮語で魏志倭人伝解釈してる人のサイト見たけど
なかなか。ホーッって感じ。北九州説っぽかったが。



141 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:45:39
>>139
ハイハイ俺が貧乏人で良いから変な布教活動は止めてくれw

頼んます…いやマジでwww


142 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:59:25
>>141
は?布教ってのは貧乏人の十八番じゃん。つまりお前。
チャカムスビ教の布教に必死なのは誰?
しかも俺、宇佐説とは無関係だし、もちろん太宰府説でもない。


143 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:03:21
確かに最近、宇佐説のひと居るよな。
だから俺はいいたいの、あそこは倭人伝の「邪馬国」だろ。

まえ「九州ですが」って人が北部九州と倭人伝の国の比定やってて
他は?だけど山国と玖珠の比定は合ってると思った。
しかも両方とも記紀に載っている古い地名だし。

144 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:05:29
邪馬台国が宇佐とか、ありえないわ。

仏教が入ってきてからだろ。八幡信仰とか。

145 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:14:37
>>140
>ここでは皇祖神や古代の系譜を語るけど
>罰当たりにはそれ相応の罰が下るんだよ。チャカムスビにはそれなりのw

しかしこの変な奴にかかれば皇祖神をあれこれ詮索するのは神罰が下るらしいw

ホントこの板の九州説って変なバイアスかかってる奴が多いなw


146 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:14:57
山国と呼ばれている中津・宇佐は福岡平野からみたら
地平線を180度覆う山脈のその向こうにある国。そりゃ「やまくに」だろ。

で、その山越えて終わりと思ったら、せいぜい小さな平野がポツポツある
だけで大分平野(記紀では碩田・海部)抜けたら、それの何十倍もの山脈が
日向まで続くし、阿蘇まで抜けようと思ったら命いくつあっても足りない。

記紀でも天孫降臨の最初から高千穂、天照&神武関連でよく出る場所。
つまりそれだけ神話がある場所ってことよ。

147 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 00:23:49
>>146
記紀を良く読んだ方が良いですってば

天孫が降臨した場所は韓国の祖富理(ソウル)の高千穂ですよ
朝廷の命を受けて猿田彦の案内で韓国へ国造りに向かったのが高天原の氏族である日向三代だよ

日本の高天原から韓国に降り立ったのが日向三代だよ(んで任那、百済、新羅を建国)
百済や新羅の建国神話にもこれと同じ話が伝わってるってば

148 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:24:14
そもそも日向なる地がヤマト王権に重要な意味を持ったのは5世紀頃の話じゃないかと思うw

以下、前スレのカキコ再掲
>東征神話の出発の地、日向がヤマト王権にとって重要な位置を占めた時代がいつだったのかを考えた場合
>それは5世紀頃ではないかと思う。

>キーワードは 『 馬 』

>我国の乗馬の文化は半島での高句麗との交戦の結果、言わば国策として導入されたものだが
>その馬の繁殖の牧場が九州だと日向に数多く置かれていたらしい(本州だと上野・信濃)

>かなりの軍事力を有していた勢力が日向にあったのではないか?
>それが東征神話に反映されて5世紀頃、始まりの地を日向にする現在に伝わる形になったのではないか?

>下記は以前見かけたサイト、参考までに…
http://inoues.net/study/kofunuma.html

149 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:25:36
>>145
いや、俺チャカムスビの説読むまでそんなこと考えたこともなかったの! 
ほんとに昨日ぐらいから、だんだん「こいつ、罰が当たってる奴だ」って思うように
そいつのレスがさせたの。本当、生まれて初めてだよ。

だって、あんた貧乏(多分)で年老いて頭も悪くて奈良の土着崇拝のせいで
記紀もすべてが歪んでみえる。

生きてて可哀想くない?神罰なんて考えたことなかったけど、チャカムスビ
見て「こいつ、可哀想なやつだな。安酒飲みながら必死だろうに」って思いながら

俺と親父なんてスッゲーいい事続きでさあ、ニュース見るたび親と
「なんか申し訳ないよなあ、ウチなんてこんな凄いもの腐らせたりして...お金も
たくさん(ry ツリー(豪勢なやつ)も内玄関の廊下にしとこうか」
なんて話してるの。
で、インターネットみてチャカムスビみるとそう思ったんだよ。
ただそんだけ。気にしないでくれ。

150 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:33:15
>>131
あんたは海部郡が全国にいくつあると思っているんだ。大分県以外に愛知県・
徳島県・和歌山県にもあるんだぞ。「海部氏系図」「海部氏勘注系図」の
元祖原本の「丹波国造本記」は620年の天皇記・国記が作られた時に
書かれたんだ。記・紀より100年も古い。海部氏は京都府天橋立の籠神社の
前身の真名井神社に弥生時代から住んでいた。出雲国に奇襲攻撃を仕掛けた
海部氏7世孫の建諸隅(武諸隅)に豊前・豊後国も攻められたんだろう。
宇佐神宮は出雲大社と一緒で二礼四拍手二礼だよな?四拍手は死を意味して
復活しない様に呪いをかけたんだ。

151 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:42:56
>>150
海部とかいて「あまべ」と読むのは大分と丹後だけ。


152 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 00:44:26
九州説の人に聞きたいんけど
「天孫は渡来人で大和は渡来人が建国した」
って事を言いたいんすか?

記紀をちゃんと読んだ方がいいすよ
天孫は日本から猿田彦の案内で韓国の祖富理の高千穂に降り立った神ってちゃんと書いてあるから

153 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:47:55
全国に海部の名前があるのなんか百も承知。
前にも書いたが、大分の海部(あまべ)郡は明治時代に
消えたが記紀の時代からある地名、というだけでなく
「海部王」古墳も多数残ってる。それが、あんたのいう620年より
ちょっと前ぐらいだよ。

その前に。 原本なんかないくせによく言うわwwww 原本どこ?ねえ
 
2000年以上前の鏡と、平安時代の、そして最古の本系図はあるのに
「勘注系図」は江戸時代のものしかないんだよ!だから偽だっての。

154 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:48:30
>>151
そいつは初耳だなあ。

ソースよろしく。


155 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:50:49
「海部氏勘注系図」のほうは、江戸時代に書かれたもの。

そこに記されてある原本がないのが非常におかしいね。ないはずないだろ、他は

それくらい古いものを持ってるのに。江戸時代に原本は焼いたのか?それはおかしいなあ。




156 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:53:15
>>154
大分県と京都以外にないものをどうやって出す?

海部とかいて「あまべ」という氏族やそれに付随するような古墳の
あった場所はないんだよ。記紀の時代とそれ以前のね。それが証拠。







157 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:54:58
>>156

大分の海部氏なんて聞いたことないよ?


158 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:58:37
もう少し書いたろ。
海部とかいて「あまべ」と発音する氏族が居たとされる豪族の土地や
海部(あまべ)の古墳てのが大分県の佐賀ノ関にあるが他にはない。
明治時代には大分県の海部(あまべ)郡ていう地名が消えた。

最近テレビで家系図が有名な京都の海部(あまべ)氏もいるよな。
ほかはどこ? ないし。



159 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 00:58:43
海部氏勘注系図、始めて知ったから少し見てきたよ


天照血統だから「天照を名乗った」ってのは、なんか有るかも知れない気がするわ
とっくに昔に死んだ天照が国譲りを受けるのは、天照を名乗った人が居たからだって考えればそうかも知れないし


ただ高天原の場所が奈良って解釈は違うと思うよ
高天原ってのは飛騨信濃の山岳高原地帯すよ

160 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:00:06
>>157
なんだ、馬鹿が聞いたことないだけか。説明して損したわ。
さっさと飛行機のって郷土図書館で
確かめたら海に飛び込め。さよならw

161 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:05:31
インターネットでみるとすると
海部(あまべ)古墳群は市のホームページでも公園が書いてるけど。
いまは、その海部郡(あまべぐん)も消えたあとの佐賀ノ関も消えた(に近い)

大分の古代の海部(あまべ)氏と王の墓はあるが、7世紀ぐらいでなくなってる。

ところで京都の海部(あまべ)氏の7世紀以前の墓ってどこにあるんだろうな。
そんな凄い系譜なのに海部の名前では陵も何も残ってないみたいだが。



162 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:08:01
>>159

おまえ、海部氏系図はじめて知ったって、おわってるだろそれ?

どんだけ無知なままコテハンで恥さらしてるんだ?

163 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:08:17
>>161
>7世紀ぐらいでなくなってる。

↑ってのは、それぐらいで海部(あまべ)氏の痕跡はなくなって
地名だけしか残ってないってこと。
古墳群はもちろんまだある。それを海部(あまべ)古墳群っていうんだy。



164 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:09:32
海部(あまべ)古墳群があるから、大分の海部が本拠地ってわけか。

じゃ、高天原は葛城で決まりだな(笑)


165 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:13:07
>>164

江戸時代に書かれた原本のないインチキや、「ここが高天原」の看板だけじゃなく

伝承と記紀の地名の裏づけとその時代の古墳があるからね。

葛城の高天原の「看板」以外のソースよろしくw

166 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:16:02
>>164
>大分の海部が本拠地っ


え、ええ? そんなこと夢にも思ってなかったwww 

ただ記紀に地名があるし、同じ名前の古墳も残ってるし、他に(あまべ)と
いうとこないな、って書いただけなのにな。

じゃ、前漢の鏡も大分から京都に持って行ったとかいうの?まさか、そんなの信じないよwww


167 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:18:07
もん太の言ってることよくわかんない
まとめページでも作ってくれ

168 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:18:59
>>166

だいたい君ね、「あまべ」って何さ?

もしかしてバカなの?

169 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:21:09
だってさ、記紀には葛城が高天原とは書いてないし、神社の看板以外
そんなことどこにも書いてないし。
その神社の「ここは高天原」という由緒だっていつから書き出したものか
書いてないし。

しかしだね、神社の由緒や古文書を鵜呑みにしはじめたらすごいよ、もう。
別にインチキとかではなく、延喜式に載ってるような神社ならどこでも
1200年来門外不出のナンチャラっていっぱいあるし。

170 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:23:16
古墳時代に、古墳が作られた場所が「海部」と呼ばれてたからって、
それが何なの?

171 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 01:26:11
>>169
飛騨の位山や乗鞍岳周辺
信濃の皆神山や志賀高原周辺

この地帯は「高天ヶ原」とも呼ばれる高原地帯だよ
この辺りは神々が宿る霊山が多く、古代山岳信仰の磐座も沢山あるし、位山や皆神山ってのは実際に国之常命などの天つ神が降り立った地とされてる山だし

172 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:26:27
はっきり言って「高天原」の本家争いなんてどうでも良い。

邪馬台国の位置論には関係無いだろう?w

まあ九州説の場合、卑弥呼=天照の東遷説を前提としての事だろうから
譲るわけにはいかんのだろうがwww



173 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:27:16
>>171

たしかに、そのへんには天の岩戸があるしな。
知ってて言ってる?


174 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:28:06
>>168
だいたいとか言い出したw 論破されちゃったねえw
だって他に海部「あまべ」はないからな。
初耳だったって本当だったんだ、この馬鹿が。

由来でいうなら丹後の海部も一緒だけど?
それにだいたいとかいいからw 原本さがしてこいよ。

紀元前の鏡、平安時代の本系図はあるのに

それと同じ、あるいは後の平安時代の「勘注系図」の原本(2つめのね)だけない。
おかしいねえ。

ひとつ考えられるのは江戸時代の創作。その「原本」っていうのはもともと
ないんじゃね

175 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:30:53
>>174

じゃ、タネあかしするけど、「あまべ」=「あま+部」という名前自体が、
部民(臣下)をさすものであって、大王家の名前じゃないんだよ。

大王家は、「あま」ね。

176 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:32:47
>>170
記紀の時代からの地名なんだよ、大分県の海部郡(あまべぐん)は。
古墳時代の海部氏族とその王の墓として古墳郡が残ってる。
7世紀ぐらいまでのね。

海部氏とかいて(あまべ)と読むのは丹後国の海部氏と、大分の
古代豪族の海部氏しかいないね、って書いたんだよ。

それに丹後国の海部氏は平安時代以前の古墳なんかないし、どこだろ?
って思いついたんだよなあ。

177 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 01:33:53
>>173
岩戸ってのは磐座が置かれてる信仰の対象の山にはほぼ存在するんだよ

山の中腹に岩戸があり、岩戸の前に祭壇があり、鏡岩や神鳴り岩が置かれ、、、
ってのがだいたいの磐座の形だし
つかマジで沢山あるからどれが記紀に出てきた岩戸かなんて特定は難しいよ


「山の中腹に穴を掘りその中に入り岩戸で蓋をして山岳自体を神の社として信仰する」
これが神社の原型って話もあるけど、これが本当なら記紀の中の岩戸は実際に天照が奉られてる山の事だとは思うよ

178 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:33:56
>>175
はあ?そんなの種明かしでも何でもないしw
そりゃ、大分県の海部氏も一緒だって。




179 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:34:58
あ、まちがえた。
そりゃ、京都の海部氏だって一緒だって。

180 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:35:15
>>178

じゃ、何を必死に「あまべ」「あまべ」って騒いでたの?
ただの地方豪族なのに。wwwwwwwwwwww



181 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:36:44
天岩戸神社なら高千穂にあるし、もっといろいろあるけど
まあ、知らないだろうし、いいや。。。。


182 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:39:12
>>161
京都府丹後地方には古墳が5000基もあって籠神社の海部氏の古墳を
特定することは難しい。銚子山古墳・神明山古墳・蛭子山古墳などが
有力なんだけど多すぎて特定は不可能です。

183 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:42:41
天岩戸神社は、あきらかにニセモノだろ(笑)

184 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 01:42:57
>>181
山岳信仰の話をしてるんすよ

神社じゃなく山岳自体を信仰してたのが古代の神社だよ
一般人の入山も禁じられてたりしたんだよ

あと磐座って解る?
古代の巨石遺跡の事だよ

185 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:50:07
そもそもの話、三輪で太陽信仰なるものがあったかどうかが怪しいw

もし無かったのなら卑弥呼=天照の東遷説も消し飛ぶし
元伊勢と呼ばれる地域を経て伊勢に落ち着いたと言う伝承もフィクションwww

参考)Wiki「元伊勢」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E4%BC%8A%E5%8B%A2
>元伊勢(もといせ)は、もともと皇居内に祭られていた皇祖神の天照大御神を
>伊勢神宮内宮に至るまでの間に一時的に祀った伝承を持つ神社・場所をいう。
>後世に伊勢神宮の荘園となった地域と大部分が一致することから、これらの地域の
>権威付けのために設定された創作と解釈される。

纏向の祭祀土坑からの出土物で
何らかの農耕祭祀が行われていたのだろうと言う仮説は聞いた事があるが
太陽信仰となると「?」だな。

三輪の山中にイワクラがあってもそれは天から舞い降りて来る神のヨリシロみたいなもので
天空の太陽を崇めると言う信仰形態とはまた違うものではないかと思う(>>98

大体、水平線の太陽拝めない大和で太陽信仰と言うのもピンと来ないwwww






186 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:50:09
美濃もんだ太は、「手力雄神社」も知らないのか。ガッカリだ。



187 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 01:53:48
九州発祥説の人に聞きたいんは、なんで日本の神話のスタートが天孫降臨になるの?
記紀をちゃんと読んでます?

まず最初に別天つ神が出てきて
次に神代7代の降臨
んで島産み
んで天照が産まれて
スサノオが産まれて、、、、

どこのどの民族の話だと思ってんの?
ちなみに一番始めに日本の地に降臨したとされる国之常立が降り立った地は飛騨の位山だよ


188 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 01:58:03
>>186
お〜、、やっぱ信濃は色々あるんすねー
スサノオが信濃の高天原に向かったなら最終的に諏訪に落ち着いたってのも解る気がするよー

って事は古代出雲は諏訪なのかな?
信濃や古志の安曇野が出雲って話もあった気がするし


189 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:59:07
九州説にとって「海部氏勘注系図」はよほど不都合な真実なんだ。ワカリマス。
で、宇佐神宮は出雲大社と同じ二礼四拍手二礼なの?どうなの!

190 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 02:00:50
>>188
やっぱり「戸隠神社」も知らないようだな。


191 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 02:11:02
じゃ、美濃もん太くんに宿題でも出そうかな〜?

天の岩戸の前で踊ったアメノウズメが祭られてる神社がどこにあるか探してみ。

九州説の諸氏には残念だけど、九州には無いよ(笑)


192 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 02:24:26
>>191
あったっす。信濃の北安曇野だ
なんとか女神社


つか天の岩戸って高天原に来たスサノオから天照が逃げて隠れちゃったって話すよね?
やっぱ高天原は信濃と思うすよ


193 :正解発表:2008/11/30(日) 02:25:09
対馬國:対馬  南に75km
一大國:壱岐 海を渡る75km(船のほうが楽なので海で行けるところまで行く)
末盧國:松浦〜伊万里(海岸線は今より内陸)東南陸行37.5km
伊都國:佐賀市(海に面す)ここから放射状 東南7.5km
奴國:(柳川〜大牟田)女王国(邪馬壹国が支配する国家郡)の境界で南に敵国(狗奴國)、狗奴國は熊本。
佐賀市から有明海を南に水行20日(対馬から九州南端まで水行3ヶ月・・隋書より)
投馬國:天草諸島(船でしかいけない)佐賀市から有明海を南に水行10日(投馬國の半分)、陸路なら1月(陸路でもいける)
邪馬壹国:島原
その他あっちっこっちに国があるがよくわからない、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里(375km四方)
・・・五島列島・天草諸島含めた島嶼郡が女王国支配領域、
陸伝いの奴國〜狗奴國以外は海を隔てているので他国と隣接せず
邪馬壹国(島原)から東に有明海を渡って75km、倭種あり(熊本)。三国志記述時は詳細不明、後漢書記述時には上記狗奴國と判明。
邪馬壹国の南300kmに侏儒國(鹿児島)、
東南に船で1年で裸國・黒歯國(屋久島・種子島)
まとめるとたぶん会稽(上海付近)の大体東。→正解
当時邪馬壹国といっていた国が、後日(5王の時代)邪馬台国と自称しているので
たぶん同じで訛ったのであろう(ヤマトの当て字。邪馬壹国の時はヤマトと同じか不明)
隋の時代には倭の領域も拡大、南北3ヶ月、東西5ヶ月。
対馬〜侏儒國(or裸國・黒歯國)で3ヶ月だと、東へ進むと日本アルプス付近まで、「地形は東が高く西が低い」に一致、ここまで支配領域
以上その後の情報も含め総合的に判断すると、
邪馬壹国は島原(雲仙普賢岳)で決定。
ちなみに距離は短里(1里75m)、三国志には含まれないが同時代の魏略西戎伝の表記から考えるに、
陸行水行日数と距離の関係もこれくらい(だいぶ誇張)、戸数も同じく誇張(戦果は10倍表記が基本と同じ)。
距離も短里ではなく誇張かもしれないが、いずれにせよ総距離1万2000里、会稽の東、四方5000里
などが矛盾ないため、実態は著者読者ともに正確なものを把握していたことがわかる。

194 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 02:33:53
アマノウズメ、もう一つ発見
穂高岳の穂高神社にも「サルメ」として奉られてるっすよ
これも安曇野っす


195 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 02:35:18
ま、ちょっと違うな。狗奴国が熊本ならば、「東に有明海を渡って75km、倭種あり(熊本)」
というのはおかしい。狗奴国と渡海千里の倭種の国とは違う国だよ。

196 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 02:44:08
仮に九州に卑弥呼の邪馬壹國があったとしても、九州が発祥とはならないよ

そもそも別に邪馬壹國は日本の発祥じゃ無いんだし

197 :正解発表:2008/11/30(日) 02:51:46
三国志では、
『女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり』
で、海を渡った東の倭種の国は詳細不明(狗奴国とは違うと思われていた)、
後漢書では、
『女王国より東、海を渡ること千余里、狗奴国に至る。皆、倭種と言えども女王に属さず』
とし、三国志で言う渡海千里の倭種の国が、狗奴国と同一とわかった、
ということである。
ちなみに後漢書が書かれたのは三国志(西晋)の後の宋代。

もしくは、北熊本:狗奴国、熊本中央(現熊本市):渡海千里の倭種の国→後に狗奴国に征服される
ということも考えられる。

198 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 02:59:14
高天原(飛騨、位山)→国之常立降臨
中津国(美濃)→イザナミイザナキ降臨、天照出産
高天原(信濃)→天照が神坂峠を越えて高天原に渡り高天原を治める

高天原は中津国の場所は記紀の記述や地元の伝承などから簡単に推測出来るよ
高天原は天界とかの意味じゃないよ

199 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 03:01:33
美濃もん太くん、調べるの早いね。

そのとおり、
アメノウズメは、長野県・北安曇
天手力雄は、長野県・戸隠
オモイカネは、長野県・阿智村

どうだい? 天岩戸神話の主役がぜんぶ長野で祭られてるんだぜ?
九州や他の地方で、こんなにまとめて祭られてる場所は無い。

九州説・東遷説は完全に終わってるわけだ。
もともと、天岩戸神話の発祥は長野県だったんだからな。


200 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 03:04:17
さて、九州説諸氏が涙目で反論してくるだろうが、あとは美濃もん太くんに任せる(笑)


201 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 03:11:45
>>199
日が昇るとされた木(箒木)も阿智村だし、山幸彦も確か阿智村すよ

イザナミが天照を産んだ場所は美濃の中津国っす
ただ天照を奉ってる恵那山ってのは天照の「胞」を奉納したって山で、祭神は確かイザナミすよ
天照は恵那山の神坂峠を越えてイザナキが治めてた信濃に行って高天原を治めたんだと思うすよ

信濃の何処かの信仰の対象になってる山岳を探せば、天照が奉られてる山があるかもだよ
皆神山か戸隠山辺りにそんな話とか無いんかな?


202 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 03:33:14
やっぱ皆神山に天照が祀られた伝承がある見たいっす
天照が隠れた岩戸も皆神山の岩戸みたいだよ
ちなみに戸隠し山ってのは、手力の神が岩戸を開けた後に、二度と隠れられないように、岩戸の扉を隠した山だから戸隠し山って事みたいだよ

恵那山と同じように皆神山も大権現って呼ばれてたりするみたいだし


203 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 04:10:52
>>199
天鈿女命(天宇受売命)がどこに祀られているかというのと、邪馬台国がどこに
あったかと言うのはあまり関係がないと思うが…。

日本書紀によると、天鈿女命は、瓊瓊杵尊に従って日向に下りてきた。
そのとき道案内をしたのが猿田彦。その猿田彦が伊勢に行くときに、
最後まで送って行ったとあるから、伊勢にいるのかも。

204 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 04:17:50
>>203
猿田彦の故郷の伊勢って三重県の伊勢じゃなくて、奥三河の伊勢神の事だよ
伊勢神峠とかがある場所で、猿田彦が溺死んだ猿投山とかもあるよ
あと景行天皇やその息子の伝承や由来の神社とかさ
あとこの地域周辺は「お庚申さん」って言って現代でも猿田彦信仰が続いてるよ



ちなみに日の昇る木と言われてた箒木の「朝は阿智村、夕方は伊勢まで影が伸び、、」って伝承の伊勢ってのも、こっちの伊勢神の事だよ

205 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 08:41:18
>>197
確かに倭人伝と後漢書ではずれてます。范曄は、倭人伝に言う渡海千里の倭種の国が、狗奴国と同一
と判断したのでしょう(四国の河野一族を狗奴国と考えたのだろうという説もあります)。
しかし、その判断はおかしい。有明海の西と東はしょせん陸続き。いずれも同じ人種であることはあ
たりまえですから、また倭種などというはずはありません。

また、水行十日と陸行一月は併記とよむのはどうでしょうか?水行十日で行けるならば皆水行十日の
手段によるはずで、荷物を担いで一か月も歩くはずはありません。それに佐賀から島原まで歩いて
一か月もかかりませんね。天草まで20日というのも、そんなにはかからんですよ。

206 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/30(日) 10:48:05
>>138 ジョーカー
そうだろう。オマエはただの盲象のおっさんだからだ。
やることが並以下だからな。wwwwwwwwwwwwww

207 : ↑  :2008/11/30(日) 12:12:50

…とリアル痴呆老人が申しております。



208 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 12:31:29
>>206
「群、盲象を評する」じゃなくて
「群盲、象を評する」だってば…

209 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/30(日) 13:28:51
>>208
そっからじゃな〜いよ。

 妄想→盲象→酔象

を書きこんでるのさ。

210 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 13:37:43
群象、酔太国を撫づ、では?www

211 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/30(日) 13:43:06
>>210
そうじゃない。余計な想象をするな。
要するに天皇と卑弥呼をチチクリアイさせたい紀無い節の不合理を
歓喜天の形容で突いているわけ。歓喜天を知らないならググれ。

212 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 14:27:35
で、宇佐神宮は出雲大社と同じ二礼・四拍手・二礼なんでしょ?

213 : サガミハラハラ:2008/11/30(日) 21:56:58
>>204伊勢は糸島半島にもあります。

214 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:30:46
結局、高天原が何処だったとしても、それは記紀が何処を想定して書かれたかであって
それが実在したと言う話ではないw

大体、高天原の神々やそこで起こったエピソードの原型を訪ねていけば
大和葛城とか宮崎日向とかの話じゃなく、下手すりゃ南太平洋地域や東南アジア
あるいは中央ユーラシアに行き付いてしまうんだからアホなことはやめなはれとwwwww

ちなみにアマテラスで語られる日食起源やツクヨミの食物起源の話は南洋系で
天孫降臨は中央ユーラシア系と恐らく別系統の神話。

神話頼みの九州説論者は一回頭冷やした方が言いwww

もっとも神話と歴史をごっちゃにして妄想膨らますところが邪馬台国論争の魅力なんだろうがwwwwwwwwww

215 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:43:26
海彦山彦はポリネシアの神話だしな。
スサノオのオロチ退治はギリシャ神話の影響がある。

日本神話はいろんな昔話がごちゃまぜになってるから、神話から史実を探るなんてことは無理。
ましてや卑弥呼とアマテラスを結びつける理由はゼロ。

アマテラス神話の核である天岩戸神話の発祥が長野なんだから。
むしろ長野の神話を記紀が採用した理由を考えるほうが面白い。

216 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 23:15:22
何この基地害のスレ

217 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 07:26:16
>>214
シュリーマンと同じように生きては何故いけないのか?
(なお俺は現役の畿内説だ)

218 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 11:36:29
勝手にすればいいじゃん?

219 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 11:48:40
さあそろそろ原点に戻らないか?
末盧國上陸地点から考えてみよう

220 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 12:52:37
>>219
賛成と言いたいが上陸地点をピンポイントで見つけるのは難しいと思うので
伊都国もしくは九州最大の国といわれる奴国を探っていった方が良いと思う

伊都国は九州説、畿内説ともに共通なのだから

221 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 13:11:38
>>220
たしかに。でも上陸地点(付近)の推察はその後の
行程を推測するのには重要です。「仮」に唐津か伊万里
だとしてもその位置的な差の重要性は大きいですよね

222 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 13:32:55
山口県には着岸しないの?

223 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 13:37:27
そこに上陸することによる有利な点という見方で考えるのはどうだろう?
伊都國まで五百里歩くということは
・伊都國に港が無い
・五百里歩いたほうが効率がよい
あとどんなことが考えられるでしょうかね?
九州北部沿岸に実際住んでいる人の意見も聞いてみたいところだね
同時は海面が現在より高かった筈なのでその辺を踏まえて意見を聞きたいです

九州男児よろしく↓

224 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 13:38:26
同時×
当時は○
スマソ

225 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 13:58:43
また、どうどうめぐりの始まりか。


226 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 18:55:34
>>217
参考)Wiki『ハインリッヒ・シュリーマン』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

まあ知っていると思うが…

上記サイトでも言われているように、何もシュリーマンはロマン一辺倒の夢想家ではなく
それなりに確信があって発掘に乗り出したわけでw

神話を歴史に昇華したいのならそれなりにネタをもってこいよ…と言うのは当たり前の話。

神話と歴史を最初からゴッチャにするなら、それはもう神話学でも歴史学でもない
単なる「オレサマ解釈」に過ぎない。

その神話の成立時期や、果たして日本に特有な物か?等々を考慮せずいきなり神話に飛び付くのはナンセンス。

この板の九州説の連中の殆どは病気としてもw
畿内説の人であれば何とか思いとどまる事を願うのみwwwwwwwwww


227 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 19:25:11
頭の病気なのは明らかみたいだね
馬鹿馬鹿しくなってきたw

228 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 19:38:40
>>219
昔は松浦説もあったよね。どういう経緯で消えたのかな?


229 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 19:53:48
>>194
穂高神社ね...
穂高命についてはよく調べてごらんよ。

230 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 20:17:20
>>223
外国船を検閲&入国させる港が決まっているんだよ。
それが前提だよな、まず

231 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:32:28
>>229

穂高命が九州出身とか言いたいかもしれんが、
穂高命が信濃に入植した時代を考察しないと話しにならんぞ。

232 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:38:45
記紀とは?

古事記とは『帝紀』と『旧辞』。ちなみに編集者のひとり、というより
これ全部を誦した稗田阿礼は代々天皇家に語り部として仕える猿女君族。
もちろん、この編集を命じた天武天皇に仕えていた。

ちなみに、この古代朝廷と結びつきのつよい猿女君族はアマノウズメを
祖神とする。このアマノウズメ祖神の一族により代々語り継がれている
物語を書き記したのが古事記なんだよ。



233 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:52:16
日本書紀はいわずとしれた天武天皇による勅撰の正史

つまり記紀の出所ははっきりしているから「神話」「伝承」とは
レベルが違う。

234 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:59:17
>>223
伊都国やその近くには船を着けられない。伊都国までは歩くのが便利。
そんなところだろう。

伊都国は本当に怡土か? 怡土では南へ水行はできないな。


235 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:01:16
>>231
>穂高命が信濃に入植した時代を考察

「考察」ねえ.....神武天皇の東征よりは前だろうね、どう考えても。
しかし後裔の阿雲氏は北九州がベースだろ、そして甥が日向出の神武天皇だろ。
だから前後を考えると、穂高見命の一族は九州がベースだったと考るのは論に
かなっていると思うけどな。天照信仰もそのときに持ち込んだと思う。



236 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:14:29
>>223 >>234
>伊都国やその近くには船を着けられない

俺が>>230書いたんだけど、船が着けられるとか便利っていうレベルじゃなく
外国船の航行港が決まっているんだよ。難破や漂流でもないかぎりね。

例えば中世は中津港がいくつものヨーロッパ船の最初の渡航港だった。
最初に鹿児島に着いても上陸を許されず中津まで渡航するように言われている。

今だって国際港は決まってるし、古代でもそうだろ。そこを考えないと。
まして魏からの船なんだから....


237 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:20:21
魏から、朝鮮から、どちらにせよ同じ。


238 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:47:47
>>236
>外国船の航行港が決まっているんだよ。
決めておかなければならない理由はないだろ。魏からの船なんぞ
滅多にこないんだよ。

>今だって国際港は決まってるし、古代でもそうだろ。
単なる思い込みだな。伊都国に入港できるならば、伊都国の港でいいだろ。
伊都国には一大率だっているんだから。


239 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:53:17
>>238
え.....こんなにレベル低いとは思わなかった。
俺もう降りるよ 
 さいなら

240 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 23:17:40
>>239
君のレベルが問題だな。今、何のために国際港を決めているか、分かってないんだ。

241 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 23:26:25
誰か国立博物館でやってた「天神さま」いった?
カタログに「翰苑」の「倭国」の条の鮮明な写真があるんだけど(p54)
この倭国と百済の間に書かれている国はなんだろ? 
ここに書きたいけど、IMEパッドでもでてこない字なんだ。

一つ目は「マ」の字のしたに需という字が崩れたようなやつ。
次が何か(擦れて消えてる)に右側に「真」

242 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 23:45:42
この「翰苑」の巻第30、これ読むと「倭国」ってのは九州島にしか
読めないんだけど。なのに卑弥呼が神功皇后としか思えないんだwww
それで速攻で思いついた仮説その1

卑弥呼っていうのは神功皇后が九州に居を構えて仕切ってたときのこと
そして仲哀天皇は存在せず、実は日本は神功皇后の女王の国だったかもしれない。

しかしその仮定で話をすすめると、ここで大文字で書かれている豊輿の
(その後「卑弥呼の宗女」とある)
存在がおかしい。これには系譜の誰も当てはまらない。もし歴史から
抹殺された女王が居たとしたら、誰だろう、ってことになる。
そうすると思いついたのが神功皇后とゆかりのある宇佐神宮の
比売大神を挙げる。宗像三神とは仮の姿。
これなら「二礼、四拍手、一礼」の意味もわかる。
こんな感じ。
おやすみーw



243 :ローガン:2008/12/02(火) 00:22:17
粛慎です。

244 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 00:50:41
やはり宇佐神宮は出雲大社同じ二礼・四拍手・一礼だったんだ。
四拍手は死を意味する呪いがかかっている。大和朝廷に祭祀権を奪われる
検校をされたんだ。九州説は宇佐神宮が検校をされたことを認めた。

245 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 07:51:59
伊都国は内陸。

246 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/02(火) 09:57:57
>>223
私の説では何の問題もなく解釈できますがw

247 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 10:19:31
>>246それなら、説明お願いします。

248 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/02(火) 11:01:13
>>247
何度もurl書いてるから控えたのですが、リンク先を読んでくれると一番です。
http://yamat-2007.blogspot.com/

簡単にいうと、ルートが2つあったという説。
末盧国=唐津市から、里程は陸行東南500里で佐賀平野のほうにぬけます。
伊都国は前原市あたり、こちらのルートは奴国まで水行だった可能性あり。

伊都国=前原市は港もあっただろうし、奴国=福岡平野にも港はあったでしょう。

片や陸行は佐賀平野に抜けるルートと考えられます。その先にある国は”伊都国”では
ありませんが、水行ではなく陸行であることを無理なく説明できます。

ちなみにルートが2つという事については、魏使が2度あったことから説明できます。

249 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 11:17:08
>>248
ありがとうございます
しかし伊都国に港があったのに末盧国から上陸したのは何故なのでしょう?
もうひとつ、東南の方角は唐津からだと60°以上の誤差がありますが
対馬-壱岐は南(実際は南東ですが)と理解していたのに唐津からのこの
方向の記述の誤差はどのようにお考えですか

250 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 11:44:31
末盧国の「山が海に迫り沿岸にそって居している。草木が茂りさかえ・・・」
の描写だけど唐津ってより伊万里ぽくね?三年唐津に住んでたけど倭人伝読むたびにそう感じる。素潜りで魚介獲るなら岩礁多いの伊万里 唐津は河口だから砂なんだよね
貝の数なら多いだろうけど魚の数なら断然伊万里だった。

だからどうしたと言われたらそれまでの話だけどな

251 :サガミハラハラ:2008/12/02(火) 11:59:28
魏使いの上陸地は西唐津だと思います。東唐津なら、山も迫らず砂浜ですが、西唐津は丘が海に迫り
素潜り漁には有利です。草木茂盛は松浦川の流域の芦や川柳等の灌木の生い茂る一帯でしょう。

252 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 13:39:17
丘と山の区別ぐらいできる。
九州には山が海岸線ギリギリまできてる地形は多いよ。
倭人伝でも前半はこれだけ詳細に書いてあるのだからちゃんと
記述に沿って探すべき。つっても北九州の海岸線の地形しらないしなあ。
福岡辺りは全部埋め立てられてるし...

ところで長崎はどうなの?あそこが潮流の関係で壱岐から一番楽だろ。
大体、壱岐は長崎だし。

253 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 13:47:59
>>251
仮に西唐津だと伊都国=前原付近という説が疑問になるよね
西唐津からだと船を降りてから松浦川をまた船で渡らないといけません
歩いて渡るのには内陸の内相知町付近まで行かないと無理かも

254 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 14:01:00
>>252
長崎も描写に近い地形は数多くあります
が、距離的にどうでしょうか。対馬-壱岐の倍の距離になってしまいますよね

255 :サガミハラハラ:2008/12/02(火) 14:23:33
>>253そのまま東南方向に進んで多久盆地に入り、中小路が伊都国の都です。

256 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 14:49:46
>>255
そうですね、上陸地と書かれた方向が間違えなければ
中小路付近が妥当かと思います。でも私は西唐津が上陸地点であれば
あれだけの河口がある松浦川のことを記していてもよいと思うのですが・・・
ですから私は西の伊万里に上陸し川沿いを南東に移動して今の武雄市近辺が
伊都国はでないだろうかと考えています

あくまで大陸で大河を見ている魏の使者が松浦川を
小川だとしか感じていなかったら話は別ですがね

257 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/02(火) 17:41:46
>>251-256
魏使の上陸地点は東唐津、鏡山山麓だ。
3世紀では、虹の松原は松浦川河口と玉島川河口に横たわる砂州で、
鏡山との間に松浦湾が横たわる。
これは現代の兵庫久美浜湾や京都天橋立阿蘇海を連想させる。
鏡山山麓はこの波穏やかな松浦湾に面する良港である。

又、鏡山の周囲には神社や弥生遺跡が散在する。

末盧國鏡山麓を出発した魏使は玉島川を東へさかのぼり、
ジャングルを掻き分けながら、観音峠を越え、南へ神水川嘉瀬川を下る。
そして伊都國の城郭に着いた。
佐賀大和にある後の肥前国庁となる惣座遺跡だ。

258 :日本@名無史さん :2008/12/02(火) 18:18:05
山が海に迫り沿岸にそって居している。
これとそっくりの地形は唐津湾の東の背振山地の地形だ。
まさに山が海に迫っている地形。
あともう一つは博多湾の南、前原の東、背振山地の尻尾のような山地突起が突き出している。
大昔は海がそこまで迫っていたと考えられる。
地形からいうとその二つが合致する。
山が迫るという表現からするとぴったりだ。

末盧国というのは名前から松浦と考えてしまうのはその後の
方位、水行を考えたら、疑問のある場所だ。
松浦がたまたま一致した名前だったかもしれない。
松浦は後世の名前かもしれない、末盧国にちなんで付けた可能性も。
末盧国は範囲が大昔から移動したかもしれない。
末盧国は山の迫る海岸線の広い範囲だったかもしれない。
末盧国の読みはマツラではないかもしれない。
等々。 疑問はいろいろある。


259 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 02:00:23
>>249
横からだが、やっぱり前原がおかしいんだろな。いきなり方角を90も間違えるはず
はないし。前原ならばそのまま船だよな。

260 :サガミハラハラ:2008/12/03(水) 06:48:07
新羅の旧名はシロです。やがてロが羅に書き換えられてシン羅となりました。日本名ではさらにキが加えられてシラギと呼ばれました。
松浦の旧名は末ロです。やがてロが羅に書き換えられて末羅となりました。
マツラが松の浦を連想させたため松浦といわれ書かれるようになりました。

261 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 06:51:50
>>259
そうなんですよ。前原の遺跡群がすばらしいのは私も理解しているのですが
私は前原にある遺跡郡は伊都国ではないと思います。
仮に前原が伊都国なのであれば、どう考えても壱岐からは直接船なんです
唐津付近に上陸して徒歩で前原を目指す意味がありません。壱岐の南端から
今の唐津市、前原を直線距離だけで考えるとほとんど変わらない
船でほぼ同じ距離なのにわざわざ遠回りして五百里歩くとは考えられない
であれば、末盧国からは記述通り東南の方角に移動したと考えるほうが自然なのでは
そしてそれは同時に伊都国は船ではいけない場所、海に面していない場所、
仮に船でいけたとしても末盧国からだと五百里歩いたほうが近く効率のいい場所
ということになると思います。いまの松浦川沿い国道203号線のルート上がそれにあたる

262 :サガミハラハラ:2008/12/03(水) 07:30:31
倭人伝にはわざわざ「津に臨んで」とあるのは、伊都国が内陸であることをあらわしています。
伊都国が港に面しているなら津に臨んでなどと書く必要がない。
船が港についたという報告をうけると、内陸の伊都国から係のものがでかけていって、港で臨検をするということです。
500里はざっと30kmぐらいだと、1日でいけるきょりです。

263 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/03(水) 10:47:55
>>249
いままでの説が(放射は別として)すべて1本道であったため、なかなか私の説を理解できないのかもしれませんが、
私の説は、末盧国からルートが2つに分かれます。簡単に書くと以下のとおりです。

・梯儁ルート(四方位)
末盧国→東 伊都国→東 奴国→東 不彌→南 投馬→南 邪馬壹国 (全行程12000里)

・張政ルート(八方位)
末盧国→南東500里 B国→南東100里 C国→東100里 (邪馬壹国)
里程記事が不彌国までで終わってるのは、実際はここで邪馬壹国までたどり着いているから。

で、この2つのルートを同じ1つのルートだと間違えて記述しているために、
皆がいっているような疑問がいろいろと出てきている、と私は考えています。(距離・方向など)

梯儁ルートは個々の国の距離を書いていなかった、ちなみに奴国まで水行だったでしょう。
張政ルートは個々の国の名を書いていなかった、と推測してます。
南水行20日で琉球、これは倭人情報なので水行20日を測るのに、
邪馬壹国から群までの水行10日陸行1月という倭人情報を併記。
(1月という大雑把な記述なのは陸行の日数はあまり重要ではないためか)


264 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 15:50:23
>>262

サガミさん、伊都国が「多久」なら、伊の文字はどうなるんですか?
韓国語のイ=これって意味ですか? 

いいかげん逃げないでちゃんと答えてくださいよ、マジで。

265 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 16:39:57
>>264

>伊の文字はどうなる
これどういう意味なの?

266 :横山剣@ィ横浜県本牧:2008/12/03(水) 17:20:40
ィヨコハマヨコスカ

そーそーそーそー

イイネ!!イイネ!!イイネったらイイネ!!

267 :サガミハラハラ:2008/12/03(水) 18:05:11
古代の国名が必ずしも現代の地名として残っているわけではありません。
そもそも、邪馬台国論の混迷をまねいた一因は語呂合わせで国を比定していったからです。
伊都はイタと発音するのが正しいようです。タは国をあらわすということです。
つまりイの国となるようです。
このイタという国名は消滅してしまったようです。

268 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 18:11:48
高天原は、四国にあったのよね。瀬戸内海を中心に近畿九州を
見渡せて、高い山のあるところは四国の瀬戸内海側だけ。
九州には兵を派遣し、西日本から東海地域まで米作を伝える。
九州の主要部隊を東進させたのが、神武東夷というわけだ。
以後国内が安定した為、ヤマトに遷都したわけだな。
四国八十八箇所めぐりの意味が分かるかな?。
あれはね、遷都後の朝廷が過去を消し去った(シナ文化を踏襲)
が、地元民が過去を偲んで、忘れないようにしたのが始まりだ
ということさ。寺なのに菊の紋章掲げてるしな。

ちなみに、異民族の相手国には正規のルートは伝えないものさ。
迂回したり遠周りすることは、至って常識と思われる。
敵になる可能性がある当時の中国大陸は統一されていないしな。
文献を解析することは枝葉末節だ。邪馬台国は四国だ。



269 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 18:27:50
>>267 サガミさん

>伊都はイタと発音するのが正しいようです。
>タは国をあらわすということです。
>つまりイの国となるようです

ということは、後漢の光武帝が金印を与えた「漢委奴国王」は
「カンイドク王」と読むのが正しいのですか??

270 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 18:45:16
>>267
末廬国と松浦はどうですか。
これは古代の国名が現代の地名として残っている例だと思うのですが、
サガミハラハラさんはどうお考えでしょうか。

もし肯定的にお考えであるなら、伊都国や邪馬台国など他の国名が現代の地名として残っている可能性も
いちがいに捨て去ってはならないと私は思います。
語呂合わせ、とサガミハラハラさんは否定的なニュアンスでおっしゃいますが、
古代の真実を解き明かすためには地名考証を無下に斥けてよいとは思いません。

271 :サガミハラハラ:2008/12/03(水) 23:18:49
漢委奴国王はカンのイトコクオウです。
末ロ国と松浦ですが、現代の地名として(そのままではないが)残った例です>>260をご覧ください。
無下に斥けているわけではありません。必ず残っていると思い込んではいけないということです。

272 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:20:51
>>262
>伊都国が港に面しているなら津に臨んでなどと書く必要がない。
一大率がいた治所と港が少し離れていたのかも知れんね。一大率やその配下が
わざわざ末盧国の港に臨んだというのは、ちょっと考えにくいな。

273 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:37:29
>>263
方角を書きながら距離を書かなかった梯儁、方角距離を書きながら国名を
書かなかった張政、その全く異なる二人の報告を同一行程と誤認してまと
めてしまった人物、とんでもないアホがそろったという見方だな。
3人をトンデモとみるか、263氏をトンデモとみるか、さぁ、どっち?

274 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 09:02:27
>>271
サガミさん、下記の安本美典氏による地名推定についてご意見お願いします。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_02.html

275 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 10:12:35
>>273 勿論263氏がトンデモですよ。
うん、間違いない。

276 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:29:58
書き間違い、誤認

↑ 自説に都合悪いとこだけ、こういう解釈していくんだったら読む
価値がなくなる。まずちゃんと読もうよ。大体、倭人伝は当時のいくつもの
資料を「倭国」として編纂されたものだから。その辺りをちゃんと理解しないと。

277 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:58:27
そうだ、チョウセイの報告書と梯シュンの報告書が発見されて、両者が比較できたのかね。

278 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 14:47:40
糸島の前原に三雲遺跡という大きい遺跡がある。伊都国はイトと読めるから糸島
東南じゃなくて北東だけど・・・まあ書き間違いだろうから方向は無視
結果、イト=糸繋がりで前原が伊都国。
これじゃダメだろ?たしかに残る地名もあるけど
それも大きな判断材料にしたから今のこの論争が続いているんだよ
それに伊万里のイだって伊都国のイ。糸島以前に
伊万里で巨大な遺跡が見つかっていたとしよう。学者はなんと言うか?
「伊万里こそ伊都国、東南と南西の差はあるがこれは記述違い
距離的に言っても問題ない 伊都国の伊の字だけが残って
今の伊万里という地名になった」 という感じになってたはずだ
地名の考慮は確かに必要。でも大陸から南に渡って来たと
自覚している使者が、前原の北東を東南と間違えるだろうか?
ここはやはり東南を尊重すべき

で話は変わるが、発想変えて上陸地点を糸島半島(末廬国)と仮定した場合
の否定を誰か力説してくれ

279 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:10:14
糸島半島の東の今宿に上陸し、東南に陸行500里で福岡市の南部に到着、
伊都は当時イタと発音していたが、近くにイタ国によりそっているような板付という地名がある。
伊都国から東南100里の大刀洗が奴国、東の100里で安川、そこがフミ国、安川をくだって投馬国に二十日。
ただし、ここは古田武彦の邪馬台国はフミ国に接している説を取り、安川の南の朝倉甘木が邪馬台国の都である。
物証としては市街地の南部に卑弥呼の里という字がほりこまれたおおきな石が存在する。
卑弥呼の墓は市街地の北の甘木公園内の丘の一つが」それであるが未発掘のため、確認できない。
というわけで、今宿上陸説をとり古田説で進むと、仇敵安本説の甘木朝倉に到着します。
めでたそめでたし。

280 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/04(木) 16:30:27
>>278
>陸地点を糸島半島(末廬国)と仮定した場合

この仮定自体が成立しない。
魏使は壱岐から約1000里の湊に上陸したのであるから、
上陸地点である湊は、壱岐の南西⇔南⇔東方向の何れかにあることになる。
又、湊は、波荒れる玄海灘に面しているので、波静かな入江に存在することになる。
壱岐から約1000里に存在する波静かな湊に適した入江は4ヶ所しかない。
それらは、東から、津屋崎湾(湖)、博多湾内(今津湾・那珂川河口湖)、筑前深江湾、松浦川河口湖、伊万里湾最奥部海岸である。

281 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 17:24:32
>>270
正論。
地名と言うのは考古学的資料や文献と同じくらい重要な資料になる。

282 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:24:17
>>280
>この仮定自体が成立しない。
と言いつつ入り江候補に糸島半島がしっかり入っているのは気のせいですか?

283 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:49:51
まあ方角を重視するのは構わんが
それで「地名」「遺跡」が説得力の無いものになるのは頂けないなwww

奴国の人口は二万戸、それなりの遺跡は出してもらわないとw

まあ数については
「中国人は陽数(奇数3・5・7)を好むゆえの修辞」
と言う説があるがそれは投馬国、邪馬台国に当てはまる事であり
奴国二万戸には当て嵌まらない。

まあ、とりあえず通説をひっくり返すだけの材料を出してそれからだな話が始まるのはwwwwwww

284 :283:2008/12/04(木) 18:57:53
ついでにこの板の九州説論者が必至にしがみ付いている「方角」にしても
例えば太平御覧とかを見ればいい加減であることが分かるw

はしょって結論から言えば御覧の倭人伝は魏志・魏略に先行する史料から書かれた可能性は無く
宋代の知識でもって邪馬台国=畿内大和としてあくまで連続式として修正されかかれた物。

放射説に固執する連中にとっては
「邪馬台国と畿内大和を同一の物と誤解した故に放射コースをとらなかった」
と言えるんだがw

逆に言えば方角を修正していない以上畿内大和は九州から南にあって良い…と言う理屈になるwwww


まあこんな事も邪馬台国論争百年の無限ループの一つなんだろうがwwwwww





285 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/04(木) 19:19:35
壱岐から、手漕ぎの船を南に向けてこぎ出すと、潮に流されて糸島か奴国辺りに着く。
帰りは呼び子から北へ漕ぎ出す。

これが常識なんだろうが? 何故松浦経由でなくてはダメなのか?
壱岐から松浦に着くためには、糸島の鼻先を通って潮の流れに乗り”の”の字方向に進む。?


286 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/04(木) 19:25:57
>>273
想像力のないゆとり世代な香りのする書き込みですが、まぁいいや。

梯儁は距離を12000余里と書いていると言ってるのだけど、読めないのかな?
張政に関しては、国名に関して書かなかったというのはやや不自然か。だとしたら例えば、
張政一行が梯儁の報告書を見ていたことは想像に難くないので、
張政の報告書には梯儁の報告書にあった順の国名を記したのかも知れないね。
国名は既に分かっているのだからわざわざ訊かなかった、と。
それで末盧国の南東500里の国に着いたのを”伊都国”と、次の国を”奴国”と、間違えて記していたのかも。
これなら2つのルートを同一視して三国志に記したと考えても不思議ではないか。

まぁこのシナリオは私のまったくの妄想(10秒程度で考えた)だけど、
現実にありえないほどひどい話ではないと思うが、どうでしょう。

>>275
金魚のフンか自演自作か。自分の思想を語らないなら存在価値が無いよ。

287 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 19:43:48
>>284
>宋代の知識でもって邪馬台国=畿内大和としてあくまで連続式として修正されかかれた物。
まさか。邪馬台国=畿内大和としたのなら、なんで方角を東北に修正しなかったのかな?
宋時代になっても、まだ畿内大和は南と思い込んでいたとみるのかね?
連続式としたのは、単に梁書に習っただけだと思うがね。


288 :284:2008/12/04(木) 20:15:24
>>287
>>287
>連続式としたのは、単に梁書に習っただけだと思うがね。


そうだな訂正する。


 梁代に通行本「魏志倭人伝」を改訂 「華林遍路」編纂 → 北斎「修文殿御覧」 → 宋代「太平御覧」

…だったか。。

まあ「放射説」と「方角」は少なくとも上記の文献においては両立しえないと言う事でwwwwww

%

289 :284:2008/12/04(木) 20:23:29
>>287
逆に聞きたいんだがあくまで連続式で尚且つ方角も記述のままで
(一月を一日の間違いとか言うのは無しでw)
無理の無い九州の比定地ってあるのかい?



290 :サガミハラハラ:2008/12/04(木) 21:18:20
>>274安本氏の地名比定での最大の間違いは「奴」をナとよんだことである。
「奴」はトと発音するのが正しい。
好古都はハカタのことです。
邪馬台国への行程と邪馬台国の位置をどこにするかによってその余の旁国の位置が変わってきます。
似た地名はどこにでもといっていいくらい存在します。

291 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/04(木) 21:25:14
私は今でも卑弥呼の在所は、水中。


292 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:40:40
仮に放射式読み方説が正しいとしても
充分畿内まで行けるぞ。
むしろ、一日の水行の考え方によってはそっちの方がぴったり来る。
伊都国から水行十日陸行一月。相当な距離は行ける。
なお、「水行すれば十日、陸行すれば一月」と言う読み方が出来ないと言う事は
山尾幸久「新釈魏志倭人伝」(講談社現代新書)に詳しい。

293 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:44:21
鉄も絹も無いその上寒い上に田舎で銅鐸お祭りしてた畿内に行く理由が無い。
東の倭種なんだよw

294 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/04(木) 21:56:38
>>290 サガミさん
好古都はハカタ 良いね初めて同調します。
”都市牛利”これを私はタジマモリと読んでいるんですが、
”牛”=モ 出てこないですかね?
モーお願いします。


295 :サガミハラハラ:2008/12/04(木) 22:00:27
>>289加治木義博氏は唐津から陸路南下して有明海に出て、八代まで水行南下、球磨川をさかのぼり熊本と鹿児島県境の山岳地帯を横断して、
錦江湾北岸の姫木が邪馬台国であるとしています。
難点は八代から山越えでも1月もかかるかということです。

296 :サガミハラハラ:2008/12/04(木) 22:16:06
牛をモと発音したことはないと思います。
タジマモリは単独で行動しています。

297 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:54:49
>>289 >>295
連続式が正しいと信じているようだが、そうではない。放射式だよ。これは日数の処理に
困ったから放射式だと言っているのではない。文章を素直に読んで当然に出てくるんだ。
加治木氏の説は知らなかったが、考え方はほぼ同じ。球磨川をさかのぼり山越えは実際に
歩く距離は百七、八十から二百キロぐらいになるだろう(山道は曲がりくねっている)。
目的地は私は姫木ではなく、都城の山田(邪馬台に近いだろ)あたりを考える。
水行十日陸行一月はあくまでも魏の使者を案内するときのもの。御使者を案内するときに
連日歩かせるか?2、3日歩かせたら1日休みにして付近の観光。そのぐらいの気は使う
だろう。そう考えれば、南九州ならば全く無理なく理解できるよ。


298 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:12:08
それなら南のクナ国とキクチヒコはどうなるんだい?

299 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:15:38
>>292
山尾は放射説をとり、水行10日陸行1月は計40日と読んだ。しかし、畿内ならば
水行は少なくとも30日を考えなければならん。北九州から10日では山口あたりに
上陸、あとは陸行とせざるを得ないが、水行できるところを陸行するはずはない。
それに倭の地は周旋五千里、これがいくら遠くへ持って行こうとしても、せいぜい岡
山あたり。五千里の中に畿内を取り込むことはできない。
方向が違う、陸行1月が説明できない、倭地の大きさが合わない、どこからみても畿
内説は無理だ。

300 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:18:06
>>297

では何故に梁代に連続式に改訂されているんだ?

邪馬台国を畿内大和と誤認していたからと言うのなら
連続式の読みが間違っていたと言う理屈だろうが

だったら畿内大和は九州の南にあっても良く
九州説のすがる方角も怪しくなるw

「方角」と「放射説」は両立しないぞwwwwwww


>文章を素直に読んで当然に出てくるんだ。

まあ
「自説こそは一番自然な解釈!」
と言うのは九州説の連中の常套句だなwwwwwwwww

301 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 23:21:31
wwwwwwwwwwwwwwwwww

ZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・

302 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:28:03
>>298
大崎から串間あたりに比定する。戸数道里が書いてないんだから、旁国(小国)と
みればいいんだ。これまでは皆、邪馬台国と悶着を起こしたから大国だと思い込ん
でいるが、官も1人、小国と考えておかしくない。使者が行った様子がないのに王
の名や官名が分かっていることからすれば、邪馬台国連合の一国だったが、卑弥呼
共立をめぐって卑弥呼派と対立し女王国からはじき出された国かも知れない。
邪馬台国と肩を並べる大国なら、倭人伝以外に記録が残ってないのはおかしい。



303 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/04(木) 23:28:14
>>289
なぜ「自郡至女王國萬二千餘里」を無視する?

304 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:37:16
>>300
>何故に梁代に連続式に改訂されているんだ?
梁書を書いた姚思廉が連続式と誤解したのさ。それは、会稽東冶の東という言葉に
惑わされたんだろう。会稽東冶となれば、かなり南。放射説ではそこまで南下でき
ないと思っても不自然ではない。そして、彼は、倭人伝の書き方が放射式を思わせ
るものだったので、連続式の書き方に改めた、というわけだな。
逆に言えば、彼がわざわざはっきり連続式の書き方をしたというのは、倭人伝の書
き方が放射式の書法だったからなんだよ。

305 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:38:33
倭人伝の南に向かって水行10日と陸行一月を
唯一確信できるとしたら....

長崎から五島列島・長崎半島・有明海・天草・八代海を渡る
この水路www あえてこのルートを取るしかありえんよ。

陸行一月なら平野じゃないし。大分・熊本内陸部・宮崎 この三県を
またぐならば、それでやっと「一月じゃ無理」。

俺は九州説だけど、倭人伝の卑弥呼が九州ならば西臼杵郡〜日向市
海辺はこの辺りから内陸は高千穂〜阿蘇ぐらいまでのどこかwwを比定。

西都原古墳群に誰がいるんだか口が裂けてもいえない天皇家www



306 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/04(木) 23:41:39
>>289
それから、私の説は「連続式で尚且つ方角も記述のままで無理の無い九州の比定地」の説です。

>>300
>「自説こそは一番自然な解釈!」
いままで誰からも、私説のここの解釈が不自然だ、という指摘はなかった。
いくつかレスをもらったが、不自然という指摘のほうが不自然なものばかり。


少なくとも自説をもっている人ならば、私の説を批判してほしいと思うのだけど、それすら出来ないらしい・・

307 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:46:08
猿女君の語り部女どもは
少なくとも自分の祖先がきた場所ぐらいわかってるはず。
記紀は将軍様本でも何かはあったはず。

308 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:47:42
>>300
>「自説こそは一番自然な解釈!」と言うのは九州説の連中の常套句だな
大和説の山尾が倭人伝の書き方を検討して放射説だと言ってることを考えるんだな。
放射説を取ってしまうと、大和へたどり着くように説明するのは、非常に難しい。
にもかかわらず、彼が放射式と言ったのは、その読み方が正しいからなんだよ。

309 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:51:21
>>304

もう無茶な言いまわしだなw

結局、梁代の人間も ” 素直 ”に読んだら連続式だったと言う事に過ぎない。

放射式にとれなくもないが、それは間違いだから、きちんと連続式にしたと言う事だなw


310 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:00:51
きのうNHKでみたが、戦国時代、大友は北部九州を
全部、制圧していた。それだけ楽なんだよ。

なのに南が全く制圧できてなかった。大分から
日向に兵を回すのに陸路じゃなく海路をとっている。
つまり街道の通っている中世でも大分から日向は
陸路がしんどいって場所。

そして南から攻めてくる熊襲子孫の島津家。こいつらずっと
同じことばかりやってるんだよ。

311 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:03:44
ちなみに太平御覧では投馬国は於投馬となっていて誤写とは思えず
何らかの情報がそこに入った可能性が高く

畿内大和を念頭に書かれた可能性は高いと思うw








312 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:04:51
>>306
>私の説を批判してほしいと思うのだけど
張政は自分が訪ねた国の名を聞かなかったのでまちがえて伊都国、奴国と書いた、と言われてもなあ。
馬鹿馬鹿しすぎて、批判する気にもならんのだよ。

313 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:12:07
>>309
>結局、梁代の人間も ” 素直 ”に読んだら連続式だったと言う事に過ぎない。
ちがうな。素直に読んだら放射式。しかし、姚思廉は自分の地理的知識から連続式
でなければならんと思い込んだんだよ。



314 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:14:32
まあ放射説にすがって九州南部に邪馬台国を比定するのは構わんが(てかどうせ止めないだろうしw)

五万戸の投馬国、七万戸の邪馬台国

…のその前に二万戸の奴国は何処かと言うハードルがあるのを自覚してくれw

通説ならそれは須玖岡本か那珂八幡とかで十分説得力があろうが

それに匹敵する物が出てこないと中々通説をひっくり返すに至らないだろうwwwwww






315 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:24:07
>>313
だーかーらー
それはお前の主観に過ぎないちゅうにw


だったら放射説が唱えられたその嚆矢はいつの事なんだ?

(榎一雄より前、1922年に豊田伊三美によって提唱されたと言うのは知っているが)

素直に読んで「放射説」と言うのなら
それこそ邪馬台国論争の始まりから提唱されてたんだよな?wwwwwwwwwwww

316 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:29:30
>>314
弥生時代後期(西暦200年頃)の人口は、北九州(福岡・佐賀・長崎・大分)より、
南九州(熊本・宮崎・鹿児島)の方が多かったという統計がある。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/EV_P_NJ1.html

317 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 06:49:29
>>315
>放射説が唱えられたその嚆矢はいつの事なんだ?
そんなことは何の関係もないな。間違った読み方をするものが多いからと言って
それが素直な読み方だということではない。
従来、ほとんどの者が、末盧国から東南五百里、これを怡土だといってきたが、
それが素直な読み方か? そんな読み方より、唐津から東南に進み佐賀あたりだろ
というのが、ずっと素直な読み方というんだよ。

318 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 07:03:54
>>314
>二万戸の奴国は何処かと言うハードルがあるのを自覚してくれw
>通説ならそれは須玖岡本か那珂八幡とかで十分説得力があろうが
はっはっは。須玖岡本や那珂八幡は単なる墓場だろうが。2万戸といえば、10万人以上。
みんなで墓守していたっていうのかね。
墓場は人が住むところじゃないんだよ。王の墓があったら、その王が住んでいたところは
かなり離れているとみなけりゃな。2万戸の領域はかなり広いはずだ。


319 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 07:13:55
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320 :サガミハラハラ:2008/12/05(金) 13:19:33
私は戸二万の奴国は佐賀県肥前山口であるとみています。
山口の西は六角川で、かなり広い沖積平野です。そこからさらに彼杵半島の方にかけて
支配していたと思われます。戸二万は十分にあります。

321 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:58:24
>>315
その豊田伊三美が畿内説だったって事も知ってるよな?
元々放射式読み方説も畿内説のために考えられた。
それと「水行すれば十日、陸行すれば一月」の解釈を組み合わせて作られたのが
榎一雄の放射式読み方説。
別に榎一雄が放射式読み方説を独創したわけではない。
>>319
どう言う意図だそれはw

322 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 16:19:23
サガミハラハラさん、

岡田英弘氏の邪馬台国説についてはどのようにお考えでしょうか?

お返事お待ちしております。

323 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 16:40:05
>>321
放射説が畿内説・九州説どっちから出たかは関係無い。

問題なのはそれが いつ出てきたのか?

放射説前提の連中はそれがまるで自明の如く言うんだが
おかしい話で明治大正の学者はそんな事にも気付かなかった馬鹿ばかりなのかとwww

(まあ九州説の学者が膨大な日数に窮して「一月は一日の誤り」と言うのはあったがwwww)

おまけに中国じゃあ連続式に改訂している文献まであるw

で、その放射説前提の御高説に従っても地名の一致も無し、さしたる遺跡も無し

…と来れば、まあ定説をひっくり返すのは夢また夢wwwwww



324 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 17:27:25
>>323
いや、ようは
「畿内説から出た放射説をさも自分達のオリジナルのように言ってる九州論者ってどうなの」
という事が言いたかったんだが…

325 :323:2008/12/05(金) 17:45:16
>>324
おk

でも放射説って1922年に豊田伊三美が最初なのかな?

それまでの九州説の学者は漢籍をまともに読めない
アホばかりだったんだろうか?wwwwwww

326 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:13:38
>>320
平野だからナ国か、2ちゃんで何を書いても構わんけど考え方が浅いんだよ、低脳児。

327 :サガミハラハラ:2008/12/05(金) 20:04:18
奴はト又はドと発音するのがただしいです。よってト国またはド国です。
私がナ国否定論者だということをご承知ください。肥前山口に土元なる地名があります。
奴国の都はそのあたりかとみています。

328 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 20:11:03
>>322
「康煕字典」は読まないわ、
「諸橋大漢和辞典」は読まないわ、
藤堂明保編著の「学研大漢和辞典」は読まないわ、
「反切」は知らないわ、
小便まみれの「東日流外三郡志」を真書だと賛美している
古田武彦をマンセーするわ、

そんな老糟頭におかやんの邪馬台国論を読んで意見を期待しても無駄。

329 :サガミハラハラ:2008/12/05(金) 20:17:31
>>322岡田英弘市の名は知ってますが、まだ著作は読んだことがないので読んでからお答いたします。

>>328何をそんなに興奮しておられるのですか?

330 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 20:31:34
>>329

興奮?
過去のあなたの発言を元に書き込んだだけですが?

331 :322:2008/12/05(金) 22:00:07
サガミハラハラさん、大変失礼いたしました。

岡田英弘氏の「日本史の誕生」です。

論旨は清水義範氏の小説「偽史日本伝 おそるべき邪馬台国」にも掲載されています。

アクセス規制に引っかかりそうなので取り急ぎ連絡いたします。

332 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:20:56
>>327
>肥前山口に土元なる地名があります

地図見てドが付く地名を探して・・・
それが浅ましい思考って言ってるのが解らないのですか?低脳さん

333 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:34:58
やっぱり九州北部の地形に精通してる人間でないと邪馬台国は読み解けないな
何も知らん人間がまず結論有りきで道順を自説のために曲解している様は見ていて痛いよ。
例えば
船で行けない前原は伊都ではない⇒伊都は佐賀平野 とか痛すぎ。

334 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:46:59
>>325
>それまでの九州説の学者は漢籍をまともに読めないアホばかりだったんだろうか?
九州説の学者ばかりではない。畿内説の学者もだ。皆、放射式の読み方に気づかな
かったんだよ。その最大の理由は、伊都国を怡土だと思い込んだことだな。
伊都国=怡土だと考えてしまうと、放射式はおかしなことになる。奴国が港を持たな
い国に見えてしまうんだ。奴国が港を持たないはずはないからな。どうしても、連続
式で読みたくなるんだよ。



335 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:52:02
>>333
>結論有りきで道順を自説のために曲解している様は見ていて痛いよ。
そのとおりだな。末盧国(唐津)から東南五百里とあるのに、東北の前原が伊都国
だという結論ありきで、妙な理屈をこね回しているのは本当に痛々しい。

336 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:58:44
>>334
伊都国=怡土でも
放射畿内説の場合は全く問題ない
兎貢地域図から考えて当時の中国人は倭を南に伸びる国と考えてたわけだから
90度北にずらす。

自説
末盧国(唐津市桜馬場)
伊都国(前原市三雲)
奴国(福岡市博多区比恵)
不弥国(福岡県東区志賀島)
投馬国(吉備国)
邪馬台国(畿内)

方角を90度北にずらした上での伊都国起点放射説
「水行十日陸行一月」は普通に「水行十日と陸行一月」



337 :サガミハラハラ:2008/12/05(金) 23:04:46
>>330私古田武彦をマンセーしてませんよ。安本美典先生をならマンセーしてますが。
>>332地図をみてドのつく地名をみつけてそこだと言ってるわけではありません。
まず伊都国を唐津の東南30数キロの中小路とみて、そこから東南百里の6.8kmのところが肥前山口であり、そのあたりを探したら
土元集会所があり、そこではとみている次第です。
>>333船で行けない前原ではなく船でいける前原ではないでしょうか。

338 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:08:05
安本美典もひどいやつだな。

九州説という妄想をたれながし、そればかりか、
純真な老人を九州説に洗脳して他人の人生まで狂わすなんて。
安本美典個人が、後世で笑いものになるのは勝手だが、他人を巻き込んだ責任はどう取るつもりなんだ?

まあ、騙されるほうも自己責任だけどな。


339 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:11:13
>>336
>兎貢地域図から考えて当時の中国人は倭を南に伸びる国と考えてたから考えて当時の中国人は倭を南に伸びる国と考えてた
どこで聞きかじったか知らんが、兎貢地域図に何が書いてあったんだね。
その図を見せてくれ。

340 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:16:43
>>336
>伊都国起点放射説 「水行十日陸行一月」は普通に「水行十日と陸行一月」
水行十日でどこに上陸するんだ? なぜ、船で大阪湾まで行かんの?


341 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:17:22
>>335
なんで末盧国が唐津なんだ?
唐津湾が港湾として発達していた何かがあるのか?
呼子近辺が壱岐より九州に来る場合直南で最短なんだよ?
そこから前原の遺跡群は東より若干南、つまり東南として適切ではないか。
自説のために最初から曲解してるのは見苦しいぞ。

342 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:19:46
ちょっと待てよ
そもそも何で前原近辺が伊都国ではいけないのか?
邪馬台国を自説に寄せるために曲解してないか?

343 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:24:24
簡単に伊都国は〜だと考えるとか言ってるけど
定説ではいけない理由を書けよ。

344 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:27:03
>>341
>なんで末盧国が唐津なんだ?
呼子説とならぶ有力な説なのを忘れたか?
>唐津湾が港湾として発達していた何かがあるのか?
桜馬場遺跡を忘れたのか?末盧国の中でも有数の遺跡じゃないか。
>そこから前原の遺跡群は東より若干南、つまり東南として適切ではないか。
ボロを出したな。
そら確かに若干南ではあるが、余りに若干過ぎて話しにならない。
呼子から前原は「東」で充分通用するんだよ。
>自説のために最初から曲解してるのは見苦しいぞ。
その言葉をそのまま君に返そう。
一度九州の地図をじっくりと見直せ。

345 :サガミハラハラ:2008/12/05(金) 23:29:35
最短だからと言ってかならずしもそこに上陸するわけではない。
目的地に近くて安全な所に上陸します。
もし呼子から前原なのであれば、唐津で大きく方向転換をしますので、東南陸行しこうして東とかなるのでは。
それに前原不可の理由の一つは、マツロからの陸行よりも海路のほうが便利なのになぜ陸行するのかということです。

346 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:30:11
>>341
呼子で上陸したら唐津まで歩くだけでも大変なんだよ。船で行けるところは行く、
それが当然。となれば、唐津上陸のはずだ。
倭人伝には一支国から末盧国まで千里とある。呼子では近すぎる、唐津ならばまあ
理解できるしな。

>前原の遺跡群は東より若干南、つまり東南として適切ではないか。
呼子から前原は誰がみても東だろ。それを東南とは見苦しいぞ。

347 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:32:42
>呼子説とならぶ有力な説なのを忘れたか?
有力な説だからでは理由にならんぞ
>桜馬場遺跡を忘れたのか?末盧国の中でも有数の遺跡じゃないか。
おいおい船が着くところは遺跡じゃないといけないのかよw
>呼子から前原は「東」で充分通用するんだよ。
十分通用するって何だ?東南は東南と表記した方が適切だろ?そんなに東南を東にしたいのか?
緯度は真東より南なんだよ。



348 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/05(金) 23:33:36
>>312
馬鹿はお前だ。
10秒で考えた私の妄想を批判してもなぁ。
私の説の本筋を批判してくれよ。

なんかこんなレスしか付かないというのは、落胆せざるをえないな・・

349 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:34:51
>それに前原不可の理由の一つは、マツロからの陸行よりも海路のほうが便利なのになぜ陸行するのかということです。

前原の遠浅の干潟に船は着けないだろ?バカか?



350 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:36:52
>>343
サガミ氏の言うとおり、前原ならば船で行くはず。
前原では方角も距離も合わない。奴国、不弥国と5対1にもならない。
南への水行ができない。
墓場があるだけで、大した地域ではない(佐賀は後の肥前国府だ)。

351 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/05(金) 23:37:10
>>312
もうすこしいうと、「馬鹿馬鹿すぎる」という主観をなぜ感じたのかまったくわからない。
他人もわからないだろう。その程度の批判なんだよ。
私の妄想ですらまともに否定できていない。

馬鹿馬鹿しすぎるのではなくて、馬鹿だから否定できない、という書き込みと同じだよ。

間違えるはずがないという、他人を納得できる程度の理由をつけて、
そのような主張は馬鹿馬鹿しすぎる、とせめて書いてもらえないかな・・

まぁ馬鹿なんだろう、と思わざるを得ないんだよ、こういう書き込みは。

352 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:39:04
>呼子から前原は誰がみても東だろ。それを東南とは見苦しいぞ。

しつこいな、グーグルマップで呼子と前原の遺跡の緯度見てみろよ
現地で目視すれば東は加也山が真東、その南に伊都が栄えていたのならば東南と表記する
実際東南なんだし。

353 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:43:49
というかあんたら「干潟」って知ってるのか?
干潟で港湾として活用されて栄えてたところって日本にあるのか?
有明海は数キロ先まで海が遠のき泥の海なんだよ?

354 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/05(金) 23:44:07
と、ちょっときつく書きすぎたかな。
個人的に「おまえが馬鹿だ」と言いたいんじゃないんだ。

私はある程度、私説に対する批判を期待してるんだ、
ところがその期待にこたえられるレベルのレスが付かないことに、
多分苛立ってしまうんだと思う。

私の妄想を批判されても困るのだが、
私説の本筋について、本当に「これは考えられないだろ」という指摘が無いことが、嬉しくないんだよ。


ちょっと今日は飲み会があったので、考えがうまく纏まっていないかも知れない。



355 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:45:34
>>349
>前原の遠浅の干潟に船は着けないだろ?バカか?
引津湾は昔から良港として知られているぞ。

356 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:51:25
>>338
それを言うのなら一番罪作りなのは松本清張じゃないかな?
邪馬台国論争の大衆化に一番寄与した最大の功労者だろう?wwwwww

まあ東遷説自体はロマンに満ちた神話・伝説として
安本の死後であろうが語り継がれるだろうがwwwwwwwwww



357 :サガミハラハラ:2008/12/05(金) 23:51:29
津に臨んでとあることから、前原は港があったとの説がありますよ。

358 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:53:20
>引津湾は昔から良港として知られているぞ。

おいおい引津についても伊都国に行くためには泥の干潟渡らないかんだろ?
外交使節が泥んこになって行くか?
よって引津湾は天然の良港だろうが却下される
壱岐から最短の呼子、東南に歩いて前原の南に位置する伊都国で問題ない


359 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:54:46
>>354
>私説に対する批判を期待してるんだ
批判するに値するレベルになってくれ。10秒で考えたというのは、本筋の話
かと思ったよ。

360 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:55:40
>津に臨んでとあることから、前原は港があったとの説がありますよ。

漁船小船なら行けたかもしれないが玄界灘を渡るような大型船は無理だな
なんせ干潟なんだから。

361 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:02:38
>>358
>伊都国に行くためには泥の干潟渡らないかんだろ?
そんなもの、渡らんでも行けるんだよ。

362 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:08:06
>そんなもの、渡らんでも行けるんだよ。

おまえ海進って知ってる?
当時は遠浅の海だったんだよ。知らないだろ?w
確かに現在は車で楽に行けるけどなw

363 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:12:07
>>362
>当時は遠浅の海だったんだよ。
当時はという証拠がどこにあるんだよ?
3世紀には海だったって当時の人間が記録を残してるか?

364 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:14:48
>>363
何言ってんの?あの辺は干拓の歴史だよ江戸時代くらいまでなw

365 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:21:18
>>362
お前、寒冷化って知ってる?寒冷化では海が後退するんだよ。
卑弥呼が活躍した時代は寒冷だったと武田邦彦先生の本に書いてある。

366 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:22:06
>>350
>墓場があるだけで、大した地域ではない(佐賀は後の肥前国府だ)。

「大した地域でない」ねえ…

三雲遺跡群からはおよそ他の地域で見られないほどに楽浪土器が出土。
三韓系の外来系土器も多数出土。

(そうそうガラス製だが日向説の奴が代好きな「璧」も出とるでよw)

外交窓口として考えるに十分な考古資料があると思うが
放射説による伊都国には何があるのかな?w

大体「後の肥前国府」っていつの時代の話言ってんだ?wwwwww

なんか以前に指輪がどうたらこうたら聞いた気がするが
それだけじゃないよな?wwwwwww

つうか古代において墳墓が宮と隔絶した距離に置かれるのは
畿内で河内に巨大古墳が作られ宮が大和にあると言う時期まで待たねばならないと思うのだがwwwwww

自説に執着するあまり九州にある遺跡まで過小評価せざるを得ない心理状態は
見ていて哀れを感じるwwwwwwwwww



367 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:23:15
こんな風になコテンパンに崩されてそれでもなおアホな結論に縛られた曲解にしがみつくおまえらは見苦しいって言ってるんだよ。バカ共が。
簡単に地図見てドが付く所探してるバカのおまえだよw

368 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:25:31
>>365
おまえさ、地図見てみ、今津湾ってどう思う?

369 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:38:46
>>366
>外交窓口として考えるに十分な考古資料があると思うが
墓場にな。それを残した王の館の所在はもっと広く考えるべきなんだよ。

>墳墓が宮と隔絶した距離に置かれるのは畿内で河内に巨大古墳が作られ宮
>が大和にあると言う時期まで待たねばならないと思うのだが
いつの時代だって似たようなものだと考えるべきでは?
王にとっては、墓参りも被支配者に対する示威行動の一つとなるからな。

遺跡、遺跡と言うが、吉野ヶ里であれだけ出たということは、佐賀平野
だって似たような状況にあったと推測すべきなんだよ。




370 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:50:43
>>369
>遺跡、遺跡と言うが、吉野ヶ里であれだけ出たということは、佐賀平野
>だって似たような状況にあったと推測すべきなんだよ。

吉野ヶ里と似た状況?

じゃあ邪馬台国の時代には既に佐賀平野も衰退の状況だったと言う事だな、アホらしいw


で、放射説による幻の伊都国の王墓はどこですか?wwwwwwwwww



371 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:54:03
>>368
高祖山から連なる山と可也山から連なる山が海に迫っている感じだね。
後は長垂山からも能古島は標高が以外とある。で、何が言いたい?

372 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:02:56
>>370
北九州は全体的に衰退してたのかもな。特に水田の少ない前原は酷かったろう。
伊都国の王墓? 王が何人いたか考えたことある? ほとんど見つかってないんだよ。
前原の墓場も伊都国の墓場の一部かもな。



373 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:05:46
まあ>>350にかかれば通説の奴国=須玖岡本、那珂遺跡も墓だけの大した場所じゃないと言う事になるんだろうがw

実際は大量の鋳型が出土しており今風に言えば「一大工業地帯」の風である。
奴国で生産された銅矛を追いかければ荒神谷遺跡にまで東進を見る事ができるとの事。

まあ「二万戸」を実数としてどれくらいに捕らえるのか?は色々意見があろうが
九州北部において当時の最大クラスのクニとしては十分その資格があるだろう。

この板の放射説における奴国は何処だっけ?wwwwww



374 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:09:30
>>373
>「一大工業地帯」の風である。
墓場の隣の工業地帯か? そんなとこの近くに王の館があったと思うか?


375 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:18:21
>>374
お前何か根本的に勘違いしていないか?w
墓と宮を隔絶した距離に置かなければならないと言う思い込みがないか?www

先に出てきた吉野ヶ里見てみろよ。
外濠の内に北墳丘墓と首長がいたであろう内郭部があるやんけwwwwwww


376 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:20:41
なんとしてでも伊都を佐賀平野にしておきたい
何故なら宮崎が邪馬台国にならないから
そのためになら嘘を付いても解釈を捻じ曲げても重要な遺跡を矮小評価若しくは無視してでも

こういう思考過程だろ?結論が先でその結論っておまえら劣等脳の妄想だろw
腐れ共がよw


377 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:47:08
末盧国を唐津付近とすれば、文字通り東南に陸行すると佐賀平野に出る。
そうなると畿内説の成立する可能性はなくなる。さらに南に水行すれば、
北部九州説もなくなる。

解釈を捻じ曲げてでも、伊都国を糸志摩半島付近にしなくてはならないのは
そういう理由しかない。

素直に倭人伝を解釈するとそうなる。
それでも北部九州説、あるいは畿内説などにこだわるならば、他の理由を
つけなくてはならない。
強大な軍事力を持つ魏を恐れた卑弥呼は、郡使を都に連れて行く気は
毛頭なく、全く関係ないところ、つまり伊都国に常に駐まらせた、とか。

378 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:49:37
>墓場にな。それを残した王の館の所在はもっと広く考えるべきなんだよ。

1000戸の伊都国王の墓が糸島にあって住民は佐賀平野か?w


379 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:52:33
>>378
魏略は伊都国を万戸と書いていたな。

380 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:57:21
>>377
だから末盧国は東松浦半島じゃいけないの?
呼子は天然の良港だよ?
東南には伊都国があるよ?

おまえの妄想の伊都国はどこなの?

381 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:04:13
>>376
>なんとしてでも伊都を佐賀平野にしておきたい
佐賀にも南九州にも何の執着もないよ。単に東南陸行五百里、これで東北へ
行くのはおかしいなと思うわけさ。当然の話だろ。
それに南水行だな。南水行と書ける港は、長崎か、周防灘沿岸か、そして有
明海沿岸か、いずれかしか考えられん。玄界灘沿岸から南ならば、まず、東
とか西とか書くはずだろ。朝鮮半島のときでさえ、乍南乍東と書いてるんだ
から。結論が先ってのは前原説の方だな。


382 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:04:16
つまり伊都国が佐賀平野にあったのなら邪馬台国は宮崎でw
伊都国が糸島半島南部にあったのなら邪馬台国は北部九州のどこかということでいいんだな?

383 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:06:26
>>382
誰がそんなことを言ってるんだ?

384 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:10:41
>佐賀にも南九州にも何の執着もないよ。単に東南陸行五百里、これで東北へ
>行くのはおかしいなと思うわけさ。当然の話だろ

呼子に上陸して糸島半島南部に歩いていくには東南に歩くしかないだろ
おまえ呼子から北東に歩いてみろよw海の底を歩ければなw

>玄界灘沿岸から南ならば、まず、東とか西とか書くはずだろ

おまえらの話は「〜のはず」ばかりだな、そういうの思い込みって言うんだよ。



385 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:12:12
>>380
前の説明みなかったのか? >>346

386 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:14:26
>>384
そんなもの、東南陸行とは言わんのだよ。
思い込みと合理的推論の区別がつかんみたいだな。

387 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:17:40
>>385
使節が何で唐津に行く必要があるの?
唐津の王様に会いに行ったの?
松浦半島の漁民の様子しか描写されてないが?
唐津なんて素通りしたんじゃないの?w



388 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:19:24
>そんなもの、東南陸行とは言わんのだよ

それが思い込みって解らないだろうなw

389 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:24:25
>朝鮮半島のときでさえ、乍南乍東と書いてるんだから

佐賀平野に直接歩いていくならそれこそ乍南乍東と書かないといけないだろうね
まず真南に歩いてこんどは佐賀平野を真東にあるかないといけないからなw
それとも北山ダム辺りを斜めに歩いて踏破したのかぁ?w

390 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:30:45
で、おまえの妄想の伊都国はどこなの?

佐賀だった?どこ?w

391 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:52:50
>>390
文字通り解釈するなら、佐賀平野の北西部。
多久市とか小城町とかその付近が妥当かな。

392 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:58:18
ついでに言えば、奴国は佐賀市や大和町付近。不弥国は諸富町かな。
諸富町は、弥生時代、港町だったらしいし。筑後川を渡る拠点でも
あったのだろう。

なお、最近、市町村合併で町名などは変わっているのだろうが、以前の方が
わかりやすいので以前の町名で。

393 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 06:55:52
>>387
有明海沿岸へ行くための上陸地点が唐津だってこと。
別に王さんに会いたいわけではないだろが、そこが上陸地点として一番便利なんだよ。


394 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 07:00:09
391 392は連続説かな? 私は伊都国は佐賀の大和町付近、そこからは放射式
奴国は筑後川左岸の城島あたり、不弥国は吉野ヶ里あたりとみるがね。


395 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 09:57:04
正体を現したなw佐賀大和野郎w

>別に王さんに会いたいわけではないだろが、そこが上陸地点として一番便利なんだよ。

呼子が上陸地点として一番便利だろが。
唐津に上陸したら唐津の記述が倭人伝にされてるわw



396 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:05:15
>私は伊都国は佐賀の大和町付近、そこからは放射式
>奴国は筑後川左岸の城島あたり、不弥国は吉野ヶ里あたりとみるがね

根拠は崩壊してるのに何の根拠があって妄想してるの?そういうのを願望って言うんだよ。




397 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:08:31
ちゃんと>>389に答えろよ
そういうのを無視して妄想たれてるから願望って言われるんだよ。


398 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:17:46
>>397
佐賀平野に行くのにそんな細かいこと言う必要あるか?
誰が見たって佐賀平野は唐津の東南、それで問題なし。
あんたのは屁理屈。自分の非常識を暴露しているだけの話。


399 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:25:06
>呼子が上陸地点として一番便利だろが。
下船してから長く歩かなければならんというのは不便なんだよ。

>唐津に上陸したら唐津の記述が倭人伝にされてるわw
記載されていないか? よく読めよ。





400 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:35:20
>>398
妄想披露してるんだから説明くらいしろよw
説明できない?そういうのを「睡眠時の夢」って言うんだよw

>下船してから長く歩かなければならんというのは不便なんだよ。
草深いとか不便そうに書かれてるぞ。

>記載されていないか? よく読呼子とその周辺の様子しかかかれてないが?

どこに唐津の記述が書かれてるんだよ
よく読めじゃ無くて具体的にココが唐津の記述ですって明記してみろ

401 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:39:43
もはや伊都が佐賀大和じゃ説明がつかなくなってるだろw
外交使節が背振山脈越えて行き来してたのか?
それとも西南に一度下って佐賀平野を東に歩いたのか?
それに本物の伊都国である糸島は何だったの?無かったの?w

402 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:46:04
>>394
>奴国は筑後川左岸の城島あたり、

旧城島町は全域が沖積地で古代の遺跡に乏しい。
二万余戸もあったという奴国の比定地としては論外。
奴国は通説どおり福岡市・春日市を含む広域の地域。

403 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:03:31
>>347
>おいおい船が着く所は〜
話をそらすな。
お前が、唐津が栄えた証拠はあるのか?
とか馬鹿げた事を言うから、
邪馬台国論争に携わる人間なら誰でも知ってる例を挙げてやったんじゃないか。
>充分通用するってなんだ?
…お前本当に一度地図見てみろよ…
実際の真東から確かにほんの少しずれてはいるけど、
かと言って「東南!」と言えるようなズレではないんだよ。
ましてや昔の人間にグーグルマップ程精密な方向感覚があるわけでもない。
普通に地図みたら、呼子から三雲までの方角を八方位で表したら
「東」以外の何者でもないんだよw
>>352
だぁかぁらぁ、
我々人間がグーグルマップみたいな精密な方向感覚を持っていると思うか?
呼子からしたら可也山も三雲も「東一帯」なんだよw
全く、原田大六は太陽の運行を見て
末盧から不弥までの方向は45度北にずれて書かれていると考えたけど、
お前らその時の帯方郡使かw

全く、45度方位感覚のずれた奴はいるわ、
唐津が栄えていたことも知らない奴はいるわ、
どうなるんだ邪馬台国論争は。

404 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:11:04
唐津から佐賀大和までの方向を東南と言うんだよ。
呼子から三雲までにあんな傾きがあるか?
事実を捻じ曲げてまで方角が正しいことにするなよ。

405 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:14:17
>>400
呼子とも書かれていないわけで
ねえ、どこに書いてるの?呼子って?


>>401
ん?なんで?充分説明つくけど?
松浦川沿いを川なりに「東南」に歩けば佐賀平野ですよ?
山なんか越える必要ないじゃん あなた現地の地形知ってるの?
佐賀平野に行くのに車でも通りませんよ?遠回りだし
本当の伊都国糸島?に行くには呼子から歩いて 唐津に行って また船にのって
川を渡って 南東ではない北東に行かないといけません。
何一つ整合性がねぇwww

406 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:39:49
末盧国は呼子か唐津かで激しい論争だが
どちらかに絞らなければならないのか。

私見では平成合併後の現唐津市域が末盧国と見る。
旧呼子町を含むし、これに合併に加わらなかった玄海町を加えてもいい。
末盧国は四千余戸と結構大きいのでそう考える。
http://www.mapfan.com/japanmap/map/41.gif

旧呼子町にも大友遺跡があるがこれは末盧国の中の一集落。
中心は桜馬場遺跡等から見て、やはり松浦川河口の唐津市市街地が妥当。
http://inoues.net/club/wajindentrip142.jpg

407 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:59:31
結局さ 糸島伊都国信者の最後の砦はイトって読み方だけなんだよね

408 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:02:43
>>403
>実際の真東から確かにほんの少しずれてはいるけど

真東から少し南の方角は北東か?南西か?ずれてるのに真東か?
ようするに東南だろ、自滅スンナよw

409 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:06:24
マツラ国の描写をもう一度読み直してみろ
官の名は?


410 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:14:17
>本当の伊都国糸島?に行くには呼子から歩いて 唐津に行って また船にのって
>川を渡って 南東ではない北東に行かないといけません。
>何一つ整合性がねぇwww

佐賀大和に行くにはまず南西に歩いて北東に歩かないかんな
それもそんな遠回りしたら2000里はありそうだな
何一つ整合性はないww

411 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:15:44
まあ考古学的見地とすれば通説の伊都国=三雲遺跡、奴国=須玖・那珂遺跡と言うのはガチガチの鉄板だなwww
で放射説だと「イト」と読めるような地名の一致も無し。

現状、方角を絶対視しただけの物と言わざるを得ない。

全く方角と言うのは九州説の命綱で松本清張の短編小説「陸行水行」の最後の行も以下の如しwwww

>詩人の彼らは、昼は太陽の運行を眺め、夜は北極星をみつめて
>決して「南を東に取違える」ようなことはなかったであろう。

まあこの短編小説の上記で詩人と言われている九州説のアマチュア古代史愛好家は結局、ドザエモンになっちゃう訳だが
今日の九州説論者の成れの果てを暗示しているかのようだwwwwwwww


412 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 12:16:21
>>401
僕も伊都國佐賀大和説だけれど。
魏使は背振山地観音峠越えで行き来してたのだよ。
観音峠越えでは、険しい道はないよ。(国道323号を車で走ってみたら)
敢えて険しいと言うなら、観音峠の西斜面500mほどだけ。

博多、春日から前原の福岡平野を避けた理由は、
そこには倭國乱以前からの倭奴國の流れをくむ旧勢力がおり、
魏使に彼らを遭わせたくなかったからだよ。
新興壱岐筑後平野連合勢力(卑彌呼)にとって、福岡平野は鬼門なのだ。

>>405と見解の異なるところは、東南陸行が松浦川沿いではなく、
玉島川・嘉瀬川沿いであること。

413 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:20:37
南西に川登するのか山脈超えするのかどっちだよ
おまえら佐賀大和全員死亡www

414 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:23:30
>>408
だからな、ずれって言ったってほんの数キロの話でな、
唐津から佐賀大和ぐらいにずれてるわけじゃないんだよw
それとも何か、君の中では「東東東東東東東南」ぐらいでも
「東南」と呼ぶのか?
呼子から三雲を「東南」と呼ぶにはそれぐらいの神経の図太さが要るぞw
真東から数キロでも南にずれれば即「東南」ならな。

415 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:24:26
>>413
くすw

416 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:25:21
まず宮崎に邪馬台国を持ってくるという結論ありきw
悔しいのうww悔しいのうw

417 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:25:40
>>413
否定する前に自分の意見を論じろよw論破しろよwww

418 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:27:35
>>414
東南を真東とは書かないな
東南と書かざるを得ないw

419 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:31:30
糸島=マツラ国説のほうがまだマシ
糸島=伊都国はありえねぇwww

420 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:33:14
>>419
本物の馬鹿なんだな。


421 :正解発表:2008/12/06(土) 12:33:15
・郡より女王國に至ること萬二千余里。
・女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり
この2つで、帯方郡から900kmほどの距離で東に海があるところは、
大分〜宮崎、島原、薩摩半島に限られ、それぞれの説があるのだが、
(たまにトンデモでエジプト説やジャワ説や畿内説などもあるようだが)
薩摩は南に国がなく、侏儒國もないため無理。
で、大分方面に行くには、海岸沿いに東にいって、関門海峡わたって南にいくわけで、明らかに記述と違う。
ましてや「東南に進む」が福岡方面に北上とはw
ということで島原になる。
八代〜球磨川上り〜陸行宮崎説にしても、
・川くだりならともかく、あえて歩かず川のぼり(日本の川は中国と比べて急)?
・対馬や松浦(もしくは唐津としても)あたりでも土地は険しく深林多くなのに、山越え?
となる。

で、水行10日陸行1月であるが、
隋書で其國境東西五月行、南北三月行(この時には九州全域〜大和〜東国まで)
なのだから、対馬〜鹿児島南端で90日なのだから10日や20日でもたいした距離ではない。
佐賀平野から有明海を下った(もちろん真南に横切るのではなく長崎側を海岸沿いに)島原が邪馬壹国。

地名は過去の名残が訛って現在の地名、というのもあるが
過去の歴史や伝承にちなんで(関係のない土地なのに紐付けて)名乗る場合もあり。
その場合は中国の当時の発音とは似ても似つかなくても日本人の読み方的には近かったりするのだが・・



422 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:35:42
あの吉野ヶ里ですら発見されて20年だ
まだまだ出ますよ

423 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 12:37:48
>>409
>マツラ国の描写をもう一度読み直してみろ 官の名は?

官の名がないよね。
末盧國は伊都國配下にあったのだよね。

424 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:39:00
>観音峠越えでは、険しい道はないよ。(国道323号を車で走ってみたら)

使者の気持ちを理解したかったらせめて歩いて行けよ


425 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:40:08
>>424
アスファルト舗装の時点で無理

426 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/06(土) 12:41:21
>>359
またこんな的外れなレスか・・
少しは批判でも疑問でも書き込んでくれると嬉しいのだけど、何一つできないんだろうな。

大体レベルって何だよ?私の説の「レベル」が四国説でも鹿児島説でも他の説でもいいが、
それらの「レベル」と、具体的に何をどう比べて私の説の「レベル」が劣ってると判断したんだい?
自分で言った言葉なんだからちゃんと説明できるよね?
(ごめん、本当はできっこないと思ってるw)

>>402, 403, 404, 他ALL
方角も里程も遺跡も、全部をうまく説明できる私の説は魅力的だと思わないかい?
とか言っても「思わないw」としか返ってこないとは思うがw
でも私の説も頭の片隅に入れておいても損はないと思うんだ♪

http://yamat-2007.blogspot.com/

427 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:41:56
百人くらいの村レベルから全部国って呼ばれてる気がしてきた

428 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:49:00
>>426
自分の立場理解してる?あんたは通説を覆そうとしてる立場
伊都の位置とかガチガチなのよ、伊都国が伊都国でない理由を述べるのが先では?
その後に自説の佐賀大和を持ち出せよ

429 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 12:49:48
>>423の追補
末盧國に官の名がないのは、末盧國が伊都國の直轄地説だけでなく、
女王國(邪馬壹國)の直轄地であったとも考えられる。

430 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:53:14
魏は香港とか言ってるレベルw

431 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:06:33
>>409>>423
官の名が無いし、それに加え末盧国は、壱岐からの方角も書いてない。
末盧国だけ、他の国々とは記述の仕方に大きな違いがある。

これは、末盧国は伊都國配下だから(>>423の意見)官を置いていなかったのではなく、
官は居たものの中国側に官名が伝えられていなかったのではないか。

そう読むと、方角も無記載であることを併せて考えれば、
末盧国だけは、記述の元となった資料・記録の性質・性格が異なるのではないか。

官が本当にいないと判明していたのであれば、陳寿は「此ノ国ニ官ハ無シ」と書いただろう。

432 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:46:58
マツラ国の描写が描写だけに王都である必要性はなく
それこそ漁村が散在していて草木が深い感じだよな
呼子から唐津湾の砂浜を歩き糸島までいったと考えるのが妥当


433 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 14:07:06
>>431
>官が本当にいないと判明していたのであれば、陳寿は「此ノ国ニ官ハ無シ」と書いただろう。

上記は意味不明。

邪馬壹國には四官もある。
この中の一官が末盧國の官を兼任しているとも考えられる。

434 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:18:35
>>432
川は泳ぐのか?

435 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:27:47
>>433

>邪馬壹國には四官もある。
>この中の一官が末盧國の官を兼任しているとも考えられる。

想像するのは自由だけどさ

でも、それが事実ですって証明するもの、な〜んにもないじゃんwww


436 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:29:28
>>434
山は登るのか?

437 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:41:14
>この中の一官が末盧國の官を兼任しているとも考えられる。

こういう、その場の思いつきの積み重ねで佐賀大和なんだろw
説にさえなってないんだよw

438 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:46:19
>>436
谷なんですが?

439 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:49:20
>>437
佐賀大和でいけない理由はなんなの?

440 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 14:51:26
>>435

「邪馬壹國には四官もある。」はどこが想像だ。
魏使倭人伝をよく読め。
邪馬壹國の四官は「伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮」だ。

『南至邪馬壹國 女王之所都 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮』

441 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:51:37
伊都が佐賀大和そして宮崎に邪馬台国の結論に持っていくためにはマツラ国からいじくらないといけないんだよなw



442 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:53:03
糸島に伊都国がないと畿内説の成立は難しいくなるからなw

443 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:53:25
>>439
伊都国がイギリスでいけない理由はなんなの?
と聞かれたらどうする?それと同じだよw

444 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:54:58
>>442
結論から入る思考はもう止めた方がいいよ、見ていて痛い。

445 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:56:29
>>443
常人はそんなことは聞かない

446 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:58:14
>「邪馬壹國には四官もある。」はどこが想像だ。

おまえ文章読めないの?
想像するのは自由だけどさは
>この中の一官が末盧國の官を兼任しているとも考えられる
に掛かってるだろ、バカか?


447 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:59:18
>>439
常人はそんなことは聞かない w

448 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:59:56
>伊都国がイギリスでいけない理由はなんなの? と聞かれたらどうする?

「へりくつ言うな、友達いないだろ?」と俺なら言う

449 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:01:00
>>439
へりくつ言うな、友達いないだろ?

450 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:02:05
都合が悪くなるとコピペの嵐

451 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:06:12
まず宮崎ありきで解釈を改竄してるだけの佐賀大和はその場その場の思いつきなんだからそこまで必死にならなくてもw


452 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:06:42
>>440
>>433

>邪馬壹國には四官もある。

これは想像じゃないね、それは認めるよ、でもつぎの行の

>この中の一官が末盧國の官を兼任しているとも考えられる。

これは完全に想像だよな
だろ?


453 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 15:07:23
掛かっていない。
君は思い込みを駆使して文を読むようだね。

文は「。」で切れている。本文は此処で終わり。

「この中の一官が末盧國の官を兼任しているとも考えられる。」は推測による補足だ。


454 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:13:20
四官もある⇒たくさんあるんだぞ〜だから一つくらい兼任していたんだぞ。

幼稚園児か?

455 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 15:14:19
>>451
僕は、邪馬壹國久留米説になってしまった。

ちなみに、魏使も隋使も同じルートだったことを述べておく。
末盧國=竹斯國になるが。

456 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:14:40
>>453
>「この中の一官が末盧國の官を兼任しているとも考えられる。」は推測による補足だ。

推測だと?
推測であれば根拠を書け!

書けないのなら単なる思いつきだ。w

457 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:17:36
あのさ揚げ足取りしていても佐賀大和は伊都国にはならないよw
伊都国が糸島半島南部ではいけない理由から述べろよ
新説は従来説の否定から始めないと
糸島半島にあって佐賀平野にもある伊都国になっちまうぞw


458 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:22:59
糸島=伊都国も根拠がないだろう
伊都国が糸島南部でなければいけない理由もなかろうに
仮に糸島にあったのなら壱岐から直接舟で来ればよい。
歩く意味がないし歩かせる意味もない。

459 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:26:43
>仮に糸島にあったのなら壱岐から直接舟で来ればよい。

だから干潟になってて大型船は前原まで来れないって言ってるだろ
それに壱岐からの距離も長くなるから渡海には不利だな
呼子が最短の確定その東南に伊都国でなんの問題も無い。

460 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 15:27:34
>>454
ちがう。
推測できる根拠がある。
『王遣使詣京都 帶方郡 諸韓國 及郡使倭國 皆臨津搜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯』
とある。
邪馬壹國の官が末盧國で、臨津搜露、傳送文書賜遺之物詣女王、不得差錯したと考えることは可能。


「陳寿は「此ノ国ニ官ハ無シ」と書いただろう。」は、邪馬壹國の四官の存在で否定されますね。
これが判ればOK。

461 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:35:39
>>460
伊都国と末盧ごっちゃになってない?
頭が混乱してるんだろうが少し落ち着いたほうが良い
もうおまえの文章を読む能力から頭の具合がわかったからさw

462 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 15:38:03
>>457
魏志の邪馬壹國と隋書の邪靡堆が同じ場所であることを満足できる場所が末盧國になる。
それを詰めると魏使の上陸した末盧國は松浦川河口部になった。
あとは両文献に従って両都の位置を詰めていくだけ。

463 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:39:01
邪馬台厨レベル低っw 発掘による実証もなく各自の妄想で違う違わないとwww
国の一つでも確定できる遺物もないような状況での妄想合戦か?
思いつき同士の馴れ合いはいい加減やめろよ( ^∀^) ゲラゲラ
物証を出せ!誰一人として物証も出せないだろうがw
物証無しの根拠など全員妄想だ。同じ穴のムジナなんだよ
根拠根拠言っているヤツもいるがじゃあテメーの根拠はなんなのよ?
見せろや?あ?てめーも立派な妄想族じゃねーかよwww
他人を否定できる人間なんぞこのスレにはいねえんだよwww
妄想族同士仲良くやれやwww ( ´∀`)プッ

464 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:40:55
松浦川河口部が港湾として便利なら秀吉もそこから渡海してただろうな。

465 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:42:17
>>459
糸島北部に干潟はないが?

466 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:42:18
>>463
とうとう壊れたかw

467 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:44:46
>>466
妄想族と一緒にすんなや( ^∀^) ゲラゲラ
俺は邪馬台なんてどこでもいいんだよw

468 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:45:07
>>465
地図見てみ
今津湾から西に反対側の海までずっと田んぼが続いてるだろあれ痕跡。



469 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:47:14
>>467
佐賀大和の妄想してて負けたから壊れたんだろバレバレw
もうおまえに用は無いんだから退場しろよw

470 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:47:30
妄想族の集会はsage進行でお願いするわ( ^∀^) ゲラゲラ
低脳邪馬台スレの上げ進行は無意味迷惑限りない

471 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:49:07
>>469
また妄想ですかー?( ^∀^) ゲラゲラ
困ったちゃんでちゅねー?つーかどこまで妄想極まりねーんだよwww

472 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:51:32
>>471
やっぱり壊れてるなw

473 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:51:51
根拠も出せねー調子こきが( ^∀^) ゲラゲラ

474 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:52:27
>>460

>推測できる根拠がある。
>『王遣使詣京都 帶方郡 諸韓國 及郡使倭國 皆臨津搜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯』
>とある。

この文のすぐ前後には邪馬台国の官・次官を述べている部分はない。
邪馬台国の官・次官と末盧国の津は、この文では何ら結びつかない。
そもそも邪馬台国も末盧国も、もっとずっと前の方で一回だけ出ているに過ぎない。
こういうのは「推測できる根拠」とは言わない。
自分勝手な想像、もしくは思い付きと言って差し支えない。いや、思い付きそのものだ。

475 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:53:54
佐賀大和を伊都国にしたいなら根拠出せや( ^∀^) ゲラゲラ

476 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:54:04
>>475 俺が聞いてあげるから根拠いえ.。゚+.(・∀・)゚+.゚

477 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 15:57:00
>>461
伊都國と末盧國はごっちゃになっていませんよ。
『自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史。
王遣使詣京都 帶方郡 諸韓國 及郡使倭國 皆臨津搜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯。』
の二文と読みます。
前者:一大率を特置したのは伊都國です。
後者:津に臨みて搜露した場所は伊都國だとは書かれていません。湊のある場所でありさえすればよいのです。
僕の説では、臨津搜露の場所は末盧國となります。

478 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:57:20
>>476
佐賀大和妄想ならおまえが言えよw
俺は佐賀大和妄想なんてしたことないんでなw

479 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:59:13
>>478
なんだーやっぱり無いのか.。゚+.(・∀・)゚+.゚
字が読めないのか頭が侵されているのかwww
邪馬台なんぞどこでもいいっていってるだろwww見てる聞いてる?もーそーぞく乙www

480 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:02:06
>>479
( ^∀^) ゲラゲラ
俺が聞いてあげるからどこでもいい根拠を言えw

481 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 16:04:31

このスレはあまりにも低水準な発言ばかりなので、ここで降りる。
話が面白くない。

482 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:09:27
>>480
涙目で論じろ( ^∀^) ゲラゲラ つーか今更481は低水準発言かおせーよwww

483 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:10:21
>>481
降りてもらって結構だよ
ただし自分で宣言したんだから
二度とドンと来いスレには来るな!

484 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:14:18
>>482
なんでそんなに必死なのw?


485 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:16:02
>>481
自分の低水準は棚に上げて逃亡宣言かww
まあ伊都国佐賀大和なんて低レベルなレスがなくなるぶん、水準は上がるwwww

486 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:20:30
だからさげろとwww
他スレの邪魔だ、糞スレあげるな( ^∀^) ゲラゲラ
つーか根拠とやらはどうした?まだなの?ないの?

487 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:23:51
福岡県糸島方面の方に質問。今宿の近郊に韓泊と主船司(周船寺)、北方に
唐泊と言う地名があるが鎌倉時代以前からあるのか?

488 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:32:39
>>412  九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
>新興壱岐筑後平野連合勢力(卑彌呼)にとって、福岡平野は鬼門なのだ。

またまたまた…(以下ほぼエンドレスに繰り返し)
その眼で見てきたような事をw

で、その推定の根拠は?

むしろ筑紫平野より玄海灘周辺地域の方が新興地域。

以下、『古代を考える―邪馬台国』吉川弘文館 に収録された「環濠集落吉野ヶ里遺跡とクニの成立」高島忠平 より

>青銅器の鋳造は弥生前期に始まる。
>不思議な事に、青銅器の故地である朝鮮半島と直面する玄界灘沿岸地帯には
>古い時期の鋳型の出土はきわめて少ない。
>地理的にまわりこんだ場所にある有明海に面した佐賀平野にかえって
>古い鋳型が出土する。

新興地域の筑紫平野にあって一人吉野ヶ里だけが没落したと言うより
その繁栄の基盤であった工業生産の中心が玄界灘沿岸地帯に移った為
地域全体が衰退傾向にあったと見るが合理的。


まあ、もっとも九州王朝説前提なら邪馬台国が衰退しつつあった地域にあったなんて
とてもじゃないが認める訳にはいかんだろうがwwwwwwwwwwwwwww



489 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:34:29
それにしても論破されると荒らしに走るな。


490 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:42:36
俺が住人変貌荒らしってか?そんな程度の読みで邪馬台みつかるかよwww
つーか論破できてるレスって何番よ?そんなレベルの輩このスレにいんのか( ^∀^) ゲラゲラ

491 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:45:09
>>490
はいはいw
負け犬君( ^∀^) ゲラゲラ

492 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:49:40
>>491
根拠も出せずコピペに走ったおめーに言われるとは光栄ですな( ^∀^) ゲラゲラ
で根拠は?論破したレスは何番ですか?いやマジで?www
頑張れムジナくん♪

493 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:52:10
>>492
佐賀大和論破されてそんなに悔しいの?www

494 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:56:18
>>492
( ^∀^) ゲラゲラ

495 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:58:10
>>493
ちょwwwこんなとこにレスってる暇ねーんだけど?呼ばないでくれる?www
だーかーらーヤマタイどーでもいいっつーねんwww論破論破と連呼ばかりしているが
泣いてるの悔しいの?心なしか勢いも無いけど?論破はどこ?根拠は?( ^∀^) ゲラゲラ
ないんだろ?他の連中と同じだろーがwww

496 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:58:56
>>61
松平容保は副将軍兼総裁に任命されてるでしょ。

497 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:59:42
( ^∀^) 悔しいの?だってよゲラゲラ なにがよ?www

498 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 17:01:32
誰か論破出来る人

倭人伝登場人物
238 都市牛利=タジマモリ
238 伊支馬=イクメ=垂仁
倭王=タリヒコ =景行
240 伊聲耆掖邪狗=イワカ=六雁
240 難升米=倭女王の部下で大夫
240 狗奴國=狗古智卑狗
ついでに書紀より
248? 倭女王卑弥呼=巾3尺の石
249? 男王=筑紫の大木
250? イヨ=五百野姫


499 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 17:02:21
238 景初二年 卑弥呼は魏に遣使 この一団に垂仁の使者田島守が次使として参加。
タジマモリが帰国した翌年には、天皇イクメは、墓の中
失望したタジマモリは、殉職 持ち帰った土産(カグ四棹、カコ四棹)此の土産の入った
壺一つと共に半島式の造りの墓に祀られる(垂仁墓?の一郭)=ホケノ山古墳。
243 正始四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人
倭王タラシヒコは、世代交代の上奏に伊聲耆掖邪狗=イワカを送る。
245 正始六年 難升米は郡まで出張、黄幢假授を受ける。
247? 景行12年8月景行は九州遠征に出発、大和より周防サバまで20日で移動。
248 正始八年郡の使いが卑弥呼に合いに来たがすでに卑弥呼は、塚に埋葬されていた、合掌。
筑紫で男王が立つが、此方も間もなく死亡。景行18年の死亡。
景行20年 伊勢に居た五百野姫を卑弥呼の宗女として、筑紫に軍隊付きで送り出す。
景行25年 武内を関東、東北の巡察に出す。
景行27年には、関東平定を決定、その時九州でも熊襲が翻ったので、コウスの派遣を決定。
景行27年は景行治世16年目か?。天皇家の「しのぎ」を種貸しから屯倉経営に改める。
名前で「イクメ」は、通称。対する「イワカ、タリヒコ」は諱。中華の皇帝より叙勲を受けるのに
さすが通称ではまずいと思った天皇は、諱で上奏する。
景行=大帯日子淤斯呂和気=大足彦忍代別=ヤマト オシロワケ イムナタリヒコ




500 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:02:26
>>495

↑どんだけ必死なんだよw今泣いてる?w


501 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:04:15
>>500
短文になっちゃってまぁーwwwプッ ( ^∀^) ゲラゲラ
ごめんごめん、痛々しいよw泣くなよ誤るよwwww

502 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:06:51
>>501
負け犬なんだからもう伊都国は佐賀大和なんて言わないでねw

503 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:07:07
唐松きたから行くわ( ^∀^) ゲラゲラ ムジナくんがリアルに凶行に走ると困るのでwww
またなムジナくん♪愛してるよーwww

504 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:09:41
この荒らしはww
ここまでバカにされてるのに必死に食い下がると言う事は…ww





答え
伊都国佐賀大和論者

505 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:18:36
>>503
今日はこの辺にしておいてやるって言い忘れてるよ( ^∀^) ゲラゲラ

506 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:25:18
君も荒らしだよ

507 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:49:45
659 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 17:29:58
崇神五,六年の凶作
新羅本記 193年倭人餓えの為千人以上が押し寄せる。
考古学より
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=69171
青谷上寺地遺跡



508 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:54:44
>>507

これで、邪馬台国は大和で決まりというわけだ。



509 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 18:01:18
邪馬台国は大和で良いと思うが
卑弥呼は九州。

510 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 18:24:45
>>455
久留米は北九州かな? 可能性はあろうな。畿内の孝元の代は
卑弥呼が若年のころだろう。孝元天皇は国玖琉命というが、これの
「玖琉命」は久留米の音韻に似てて、畿内は少しだが北九州の
久留米あたりと交通があって、そのことから孝元天皇を国玖琉命と
名付けたかとも考えちゃうがねぇ・・・?

511 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:25:57
>>509
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

512 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:37:44
>>509

私も貴方に賛成です。
邪馬台国は奈良・大和のことで、
卑弥呼は九州にいたと思います。
それが一番、整合性があります。

513 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/06(土) 18:42:09
>>428
また馬鹿がw 私の説をまず理解してくれ。
私は伊都国=前原市あたり、つまり通説どおりだといってる。何度いえば理解できるんだ?w

514 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:45:19
天皇の先祖にインドネシア半島から従った民族=クメ山人(Mont-Khmer)=久留米=久留須(来栖)=カラス=八咫烏=神武の言うところの久米の子等


515 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 18:45:42
卑弥呼は鬼道を良くする
つまり神社の巫女?なんですよ。
何処の神社か?
ホツマでは、住吉。


516 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:47:47
佐賀大和ってなんだよ?
こりゃまた酷いトンデモが登場したもんだ。

大笑い。

517 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 18:50:58
>>515 を分かり易く説明すると
大和天皇に対する伊勢倭姫。
筑紫男王に対し住吉卑弥呼。


518 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:11:48
<DNAと文化詐称問題の回答1>
百済系遺跡での出土した骨のDNA鑑定結果は現代韓国人に見られないD系の遺伝子が、必ず
見つかっている。高麗(高句麗!?)の骨からもD系が検出されている。(中国)

高句麗〜百済までの流れを確認すると、当該国の中核的民族にD系統の遺伝子が確認される。
つまり、古朝鮮と呼ばれる国家・文化の担い手は、実は源日本人の一派であり、現韓国人
とは全く血縁関係の無い民族が中心であった。

→朝鮮人は日本人の一部祖先であった民族の周辺に住み、その民族が残した文化遺産を、
 さも自分の文化であると詐称している、単に最後に流れてきた、日本人の直系とは全く
 異なる民族。

⇒恥知らずにも、日本人の直系の祖先が残した功績を、自分たちの祖先が語った・作った
 と詐称する真に恥知らずである事も、DNA的に証明されている。現朝鮮人は、他人の空家
 に移り住んできた盗人であり、日本人とは赤の他人。

<DNAと文化詐称問題の回答2>
九州は最も朝鮮人系遺伝子が希薄。それは以下の地政学的な理由から。
・半島から九州に向かって行く場合、潮流と風の関係で進み難い方向にある。
・1万数千年前まで続いた海退期においても、半島と九州の間には、新潟などからの
 浅い海が富山沖で急速に深くなっており、常に海が半島と九州の文化的・血統的
 つながりを妨げて来たという事実。
→熊本城の一部をチョンが建てた!?腹を抱えて笑わずに居られないって
  ことですね。


519 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:45:01
>>515
卑弥呼(日女命)は何処の神社の巫女か?海部氏勘注系図では籠神社。

520 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:53:17
♪籠目、籠目〜 はモン族の村の入り口にある鳥居形の門につけられた結界威儀物、木の鳥も乗っているよ

521 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 19:58:47
唐松山さんはいいとこ取りだから失敗だよ。考えが二股かけて
アマ〜イねぇ。wwwwwww

522 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 20:19:07
いいとこ取りじゃなく
私の数字(西暦)の上に並ぶ記事を集めただけ。
太国さんも 数字の上に記事を並べれば?。


523 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 20:27:28
伊支馬が垂仁だとは妄想もいいところだ。www
だいたい埴輪の件で女王国卑弥呼の矛盾を拙者が指摘した後、
即興的にて唐松山さんがいいとこ取りのご都合を頭で想い巡らして
出来た論であり、そんなやり方で合うわけがなかろう。www

524 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:34:34
>>520
関デンパはそれは

籠の目→亀→住吉大神→武内宿禰→蘇我氏

なんてことにしてたなw

525 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 20:38:07
それならば
各天皇を西暦に直した”太国暦”で
他国の書物や考古学が支持する出来事を 何件計上できますか?
一つでは点 最低二つ 多いほど良い。

もし書紀は、デタラメと言えばその時点で”太国暦”沈没。


526 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 21:05:17
太国暦は 卑弥呼=崇神時代と100年以上前から言われている数字に近い。
この数字で倭人伝を読んでも 倭女王と倭王を別けることも出来ない代物。
倭女王≠倭王 此方が私の読み方。


527 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:20:58
大国暦って二倍に歳を数える事か?
2倍はいいとして
実際の天皇なんかに当てはめるのは不毛水掛け論

528 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 21:49:03
私は西暦と暦と外国の記事と考古学を一つの読み方で一致させています。

書紀の編年は、19年*n回の空白の注入。
例えば 成務61年の本当の治世は 61-(19*3)=4年
これだけあれば 成務61年間の記事を全て説明で%

529 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 21:52:52
私は西暦と暦と外国の記事と考古学を一つの読み方で一致させています。

書紀の編年は、19年*n回の空白の注入。
例えば 成務61年の本当の治世は 61-(19*3)=4年
これだけあれば 成務61年間の記事を全て説明できる。
何故この様に多くなるのか? 出雲暦とのかね合いの為。
出雲暦(伸長なし)に対し混乱を避けるため。

530 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:55:26
>>418
数キロ南にずれた所で
限りなく東に近い、ほぼ東の方角を「東南」とは呼べんぞ。
>>419
その2つなら伊都国を採用するのが大半の人間だが。
>>421
エジプトはともかく
ジャワも畿内もトンデモとは言えんぞ
中でもジャワ説は里も実際の魏の里に従い、方角も直球勝負。
正直さは随一だ。(別に俺はジャワ説ではないが)
>>442
他にも成り立たなくなる説はいっぱいあるんだけど…
>>459
だからアレは東南よりは東に近いんだってば。
何度言わせれば分かる。
事実関係捻じ曲げてまで方角が正しいことにするなよ。
>>509
その場合一体畿内VS九州は
どっちの勝ちになるんだろうね。
「邪馬台国」と言う国の所在地を巡る論争には畿内が勝っているけど、
卑弥呼を手に入れたのは九州。

531 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 21:56:12
唐松山さん
あんたの主張じゃぁ乙祁(=顯宗)は武烈世(499年)に生きて
いたことになり、おかしいったらありゃぁしない。wwwwww
その年もう顯宗は死んでるよ。梁書と合うまいがね。wwwww

それに語韻が似てるからといって伊支馬をイクメ(活目=垂仁)に
しちゃうなんて、妄想もいいとこだよ。名が似てるからその者だと
いうなら、平成天皇=平城天皇 になってしまうぜぇ。www
これがあんたのマズイやり方。

倍暦計上で、垂仁誕生=246年 で、卑弥呼没年の前年だ。しかも
239年にはまだ垂仁は生まれていないよ。Pu! wwwwwwww

532 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 22:11:06
これを14年(唐松山さんの言い分では15年だと言う)ズラせば、
ちゃんと499年に顯宗(=乙祁)は生きていて、しかも顯宗元年だ。
絵深の帰った年とピタリと合致する。倍暦の計算が合ってる証拠。

533 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 22:11:08
だから早く太国暦に 外国の記事や考古学を提示して下さい。

やはり「書紀の記事は、メチャクチャなので 西暦と合わない」ですか?
その書紀で編年した「太国暦」もメチャクチャ。
その「太国暦」に合わないと言われて私は、光栄に思っています。
太国さん感謝。

534 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 22:12:38
>>532 訂正
× 絵深    ○ 慧深

535 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 22:20:48
日本書紀の編者は大陸半島が通常暦であったのに、日本が倍暦を
行使していたため年代が合わず、その調整に苦労したわけで、やむ
をえず、小康状態として、神功39年を239年としたわけである。
だから120年ばかりズレて載せているのがそれだ。なにもおかしく
はないね。ホツマも悪くはないが独り免許的であり、これに対して
紀は多数の当時の古文献を検査してもっとも安全、信用大なる記述
を載せたものだから、信用度はホツマは紀には勝てない。そのホツマ
を希少なものとして珍重しすぎた唐松山さんの選択の失敗だよ。
おまけにホツマは日神を男など、大間違いの情報を記載している。
だから参考程度が妥当だな。

536 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 22:21:00
479年 顕宗天皇元年 これが書紀の編年
この数字をどの様に書き換えたか?
朔の数字で説明出来ない。
顕宗天皇は、即位するまで殆ど知られていない。 その年に帰国した人間が
顯宗(=乙祁)が天皇であると中華で証言した。
??ですね。



537 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 22:24:37
通常暦だけで考えてるなら479年じゃぁないよ。
485年が顯宗即位元年だよ。

538 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 22:27:42
倍暦で14年狂ってるんだから、朔を突き詰めても合う可能性が
希釈されてるよ。そんな方法じゃぁ、いまの段階では
死ぬまで正解は無理。

539 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 22:29:40
>>535
「神功39年を239年」これでどうやったら 神功52年七支刀が西暦480年?
に成るのですか?
書紀を信用する唐松山の疑問。359年神功元年でも良いですよ。



540 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 22:31:25
>>538
太国暦では「死ぬまで正解は無理」
了解。

541 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 22:34:58
単一的に考えちゃぁいかんな。とにかく七支刀は468年だよ。
稲荷山鉄剣の3年前がこの刀だ。

 七支刀     468年=安康元年=泰始4年
 稲荷山鉄剣 471年(辛亥年)=雄略元年

542 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 22:36:31
>>540
じゃぁあんたの紀がすむよう、朔でやって下さいな。
労して功無しがいいとこだぜ。ww

543 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 22:39:10
468年でしたか 失礼
それでも神功52年に掲載は、可笑しい。
それとも神功52年=雄略元年 の数年前の関係が解らない。

544 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 22:41:42
>>453のつづき
まあ 書紀がいい加減な処に掲載したのなら
書紀はいい加減。でも良いが。

545 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 22:44:00
>>541のように、倍暦計算では

七支刀が安康元年で、稲荷山鉄剣は次帝の雄略元年が正解なんだよ。
どちらも天皇元年なわけ。安康への贈与の七支刀のことを稲荷山
鉄剣の製作者は知ってたわけだ。
それで後者の系譜が七数に合わせてるわけで、また七支刀が石上神宮
にあったのも、安康の宮が石上宮だから当たり前だ。おかしくは
ないぜ。ピタリだよ。

546 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:49:19
>>524

関ってカゴメ歌の謎を解いたとかって本出してた人?

ほんと、バカだよねー。
カゴメ歌なんて、現代語に近すぎて江戸時代より古くは遡れないだろ。


547 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/06(土) 23:14:31
>>545
3年前の468年の七支刀に因んで、稲荷山鉄剣の「獲加多支鹵大王」
たるワカタケル大王(=雄略天皇)は、字を換えてワカタキル大王
(あるいはワカタシル大王)として、「支」の字を使って、七支刀
の「支」の字を強調しているわけだよ。

ZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・

548 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:36:52
>唐松山 ◆V0F34EbmQA 犬国 ◆yVAs7uaYlY

邪馬台国から外れる倍暦論争は他所でやれアホども!



549 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:56:37
倍暦こそ邪馬台国を解き明かすカギ。
倍暦なくして卑弥呼と大和朝廷の関係を理解することはできない。

550 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:10:28
>>549
だったら倍暦で邪馬台国を解き明かしてくれ。

少なくともそう言う方向のレス書き込めカス。

551 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 04:55:05
まだ「倍暦」なんて言ってるんかあ?


つか倍暦倍暦って言うなら、まずその倍暦とやらの暦を表した暦表(カレンダー)でも作れってば

記紀やほつまや風土記の時代から江戸時代までの日本の書物は全て「旧暦(和暦)」で書かれてるよ
ちなみにこの和暦の暦表(カレンダー)も未だにちゃんと有るよ(旧暦表示もしてるカレンダーなども多数)




552 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 05:00:43
明治時代以降の日本が使ってる暦を「新暦(キリスト暦)」とする
江戸時代までの日本が使ってた暦は「旧暦(和暦)」


新暦の一年は約365日、1ヶ月は約30日、一週間は7日、1日は24時間(12刻)

旧暦の一年は約365日、1ヶ月は約30日、24の節季、1日は12刻(24時間)



で、倍暦とやらは? どういう暦なん?
きちんと説明出来るんか?

553 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 07:37:31
>太国&唐松山
自分達で倍暦のスレ建てて
そっちで語り合ってくれ。
あまり邪馬台国スレでやられるのは…

554 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:09:04
>>502
>もう伊都国は佐賀大和なんて言わないでねw
昨日は留守にしていたが、なにやらごちゃごちゃで訳分からんな。
倭人伝のとおり東南に陸行五百里で佐賀大和。そのどこがいけないって?
誰か整理してくれ。


555 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:27:28
>>554
「ヤマト」と「イト」の繋がりは?
考古学的な証拠とかは?
どこから水行することになるの?

556 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:30:47
>>554
前原に匹敵する遺跡が見つかってもいないのに佐賀平野に伊都国があったというのは妄想だろ?
ってことらしい。
反論は吉野ヶ里など
>>369
>>373
これらからの派生を見たら話を追えるのかな?

他には末盧国は唐津ではなく呼子ではないのか?
というのも掛かるかな。
こちらは呼子から前原の方向とか港の話とかが話の主流だけど。

557 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:06:45
>>555 >>556
早速にどうもアリガト。
佐賀大和に伊都とを思わせる地名は残ってないが、地名は消えることもある。
あのあたりは、元は怡土に含まれていたのかも知れない。元は筑紫だったが磐井の
乱に乗じて肥国が切り取ったという説があったと思うよ。
邪馬台国の地名は都城の山田との関係を考える。もちろん、断定はできんがね。
水行する港は嘉瀬川あたりの港、有明海を南下するのが南への水行。玄界灘沿岸で
は南水行は不可能だが、佐賀大和ならばバッチリ。問題ないだろ。
伊都国について、遺跡の有無などといっても仕方がないな。後の肥前国府が置かれ
ところ、古い遺跡はどんどん破壊されて新しいものが造られていく。今みつからな
からなかったなどとは誰も言えない。
末盧国がどこだったのかは呼子説と唐津説に分かれるかと思うが、私は唐津説。そ
れに対するまともな反論は見当たらないな。呼子説は、東南陸行を説明するために
呼子にしがみついてるとしか思えんね。

558 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:13:07
佐賀平野の方が遺跡の宝庫といえるだろう。
唯一、玄界灘沿岸が勝っているのは、まとまって鏡が出ている点だけだろう。

また、邪馬台国論争で無視されがちな熊本だが、ここも重要だと思う。
多分、人口も多かったろうが、鉄器の出土では群を抜いている。
熊本も広いのだが、4つほどの重要な地域に分けて考えるべきかな。

559 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 09:14:56
>>548さんへ
>>498>>499 を論破してくれ。


560 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:34:58
>>557
呼子であったら定説はそのまま通ってしまうので佐賀大和にするために唐津にしがみついてる。
・唐津からの陸行を説明できない。
・倭人伝には唐津に記述がされてない。
・佐賀大和には糸島に比べて外交の痕跡はない。
まずこの3点に答えてくれ。

561 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 09:42:55
佐賀から熊本は、景行の戦った熊襲の地。
景行の「諸」は、「諸県」(大分)でなく東松浦半島玄海町の諸津。
日本武尊は、小城近くの熊襲を狩る。
神功の「田油津姫」は「田平津姫」の間違い平戸の瀬戸。



562 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:49:54
というか使節がマツラから前原まで実際に陸行したか疑ってる。
実際は現地の小船で行き来していて、前原まで地続きだから「歩けば」500里なんじゃないんか?


563 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 09:57:32
呼子から松浦間の移動は通常船で、もし歩けば獣道なんだろう。
強風が吹いて船を出せないからこの間を陸路で移動した、とか。


564 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:16:15
>>560
呼子だって大したちがいはないな。呼子から前原は東南ではない。
呼子から東南で南水行ができるところとなればやはり有明海沿岸しかない。

唐津からの陸行?今の地名でいえば、相知、多久を経て佐賀大和だな。
東南五百里=約40キロ、何の問題もない。倭人伝どおりだ。
唐津の記載は、有四千余戸、濱山海居、草木繁盛、行不見前人云々。
それが唐津の記載だよ。まさか唐津という地名がないなんて言うんじゃ
ないだろな。外交の痕跡などというものは、そんなもので伊都国を決め
ようというのが無茶な話。楽浪土器とか言ってたようだが、魏の使者が
それを持ち込んだ、それ以外には土器は入った事実はないというならと
もかく、そのどちらも言えない。何の証拠にもならん話だ。

565 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:23:30
>>562
>実際は現地の小船で行き来していて〜「歩けば」500里なんじゃないんか?
それなら、水行と書くだろ。水行したのなら、わざわざ陸行とする必要はない。


566 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:26:59
>>563
嵐だったら末盧国で待機するだろ。それに、東南を説明できんな。

567 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:32:05
>>564
呼子から前原の南側は東に近いが緯度的に東南です。
半島対馬壱岐の行程で実際には南西なのに南と若干ずれて表記してある事にも注目
それを加味したら東南東がちょうど東南になります。
それに外交の痕跡さえないのに何を持って佐賀大和を押すのですか?


568 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:38:42
>濱山海居草木繁盛行不見前人

この辺が唐津を表してるとは思えない。
官の表記も王墓の表記も無い唐津に立ち寄ってないと考えるのが現実的。



569 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 10:41:36
壱岐から北に船を漕ぐと対馬に着きます。
その意味では壱岐は対馬の南。
来るときに当てはまらないのは、対馬から南東へ船を進めたから。


570 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 10:46:26
帰り道を逆に書けば 行くときの道になると勘違いして
書かれた書物。


571 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:53:21
>呼子から東南で南水行ができるところとなればやはり

魏志は周旋5000里と認識しています。
円形でも四角形でも南に行けない地域なんてありません。
例えば福岡から船で鹿児島まで行こうとすれば九州島を周る、それだけの話。




572 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:58:34
>呼子から前原の南側は東に近いが緯度的に東南です。
前原の南側というのがどのあたりを言うのかはっきりしないが、背振山地の北には
ちがいないんだろ。それは呼子の東であって、けして東南とは言わんよ。

>半島対馬壱岐の行程で実際には南西なのに南と若干ずれて表記してある
東南のまちがいでは? 半島から対馬、壱岐は島伝いの話。南の方を向けば島はそ
れしかないのだから、誤解される心配はない。細かく東南だとか南南東だとか表示
する必要はないんだよ。だから、半島から対馬、壱岐などの方角を細かく考えて使
者らの方向感覚がずれていたなどというのは間違い。

>それに外交の痕跡さえないのに何を持って佐賀大和を押すのですか?
伊都国がどこにしろ、外交の痕跡などというのはしょせん無意味。
魏の使者がきたからといって、その痕跡など残ってるはずはないんだ。
何をもって佐賀大和というか、それは次のとおり。
@ まず末盧国からの方角と距離。佐賀大和はぴったりだ。
A 末盧国で上陸したのは船ではいけない所とみるべきだ。怡土では理解でき
 ないが、佐賀大和なら上陸するのは当然。
B 南水行とは何のことかを考えよう。乍東とか乍西を言わず、いきなり南への
 水行を言うのは有明海を南下することしか考えられん。白鳥が「有明海航行」
 と言ったことは間違いではないんだよ。となれば、伊都国はどこに比定するか
 細かいことは抜きにしても有明海沿岸であることは当然となる。




573 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:14:39
>細かく東南だとか南南東だとか表示する必要はないんだよ
細かく表記する必要は無いといいつつ
己は前原は東で東南ではないとかえらく細かい。
ダブルスタンダード。

>外交の痕跡などというのはしょせん無意味。
>魏の使者がきたからといって、その痕跡など残ってるはずはないんだ
伝と古跡を照合しないで君の妄想だけで場所を決めるわけにはいかんのでな

>まず末盧国からの方角と距離。佐賀大和はぴったりだ
ぴったりではない佐賀大和もずれてます。距離も然り。

>末盧国で上陸したのは船ではいけない所とみるべきだ
外洋船では遠浅の伊都までいけなかったと考えるのが妥当。
当時の航海技術からすれば陸地を見ながら沿岸を航海していたと考える。

>南水行とは何のことかを考えよう。
>>571の通り

>乍東とか乍西を言わず
その前にマツラから佐賀大和まで陸行なら多久通るなら乍南とか乍東と書くのではないか?
このことに関しては君は沈黙するんだろううなw

>細かいことは抜きにしても
俺の考えを信じてくれ!その際細かい事を抜きにしてくれと言う事か?





574 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:18:20
>>568
至末盧国とあるのに、立ち寄っていないと考えるのはどうかな。
官や王の表記がないのは、滞在して調査まではしていないというだけかも。
濱山海居草木繁盛行不見前人が、あなたの唐津のイメージと合わないのかも
しれないが、唐津は海縁の地。何もおかしいところはないと思うな。



575 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:23:50
>至末盧国とあるのに、立ち寄っていないと考えるのはどうかな。

呼子に到着した時点で至末盧国そして山海云々の説明。
王や小さな行政府があったであろう開けた唐津の平野には立ち寄ってないと考える。

576 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:33:43
>>574

>至末盧国とあるのに、立ち寄っていないと考えるのはどうかな。

郡使が、か?

郡使が末盧国に立ち寄ったなどと、倭人伝には一言も書いてないぞ。
郡使が訪問した国を明記しているのは唯一、伊都国だけだ。
末盧国に郡使が立ち寄った、と、どこに書いてあるのだ?

577 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:35:19
>己は前原は東で東南ではないとかえらく細かい。ダブルスタンダード。
間違えるはずのない所と間違えるおそれのある所、そのちがいを考えるべきだよ。
私の文章を良く読んでいないね。

>伝と古跡を照合しないで君の妄想だけで場所を決めるわけにはいかんのでな
使者の足跡でも見つけたら教えてくれ。

>ぴったりではない佐賀大和もずれてます。距離も然り。
どんな風に? そこを言ってもらわないと分からんね。

>外洋船では遠浅の伊都までいけなかったと考えるのが妥当。
勝手に遠浅にしないこと。「妥当」ではなく、怡土とする以上、そうでも言うしか
ないということだろ。

>マツラから佐賀大和まで陸行なら多久通るなら乍南とか乍東と書くのではないか?
そんなことは書かなくても十分に通じる。玄界灘沿岸から南への水行はどちらへ行く
べきかまったく分からない。そこの違いも分からないのかな?

578 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:44:06
>>576
>末盧国に郡使が立ち寄った、と、どこに書いてあるのだ?
至末盧国とあるから立ち寄ったことはまちがいないとみるね。末盧国の状況が
書いてあることもそれを補強する。



579 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/07(日) 11:45:06
>>560
呼子であったとしても定説はそのままで上手く説明できているわけではない。
一大国からの距離が500余里ならいいが、1000余里という記述に反する。
また伊都国と奴国との距離の比も3:1:1程度にしかならない、これも5:1:1の記述に反する。
方向は言わずもがな、45〜90度のずれがある。

定説といわれているが、簡単にこれだけの問題点が挙げられる。

でもって私の説は(以下略w

580 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:48:01
>>575
末盧国の港で一大率側の出迎えを受け、末盧国の治所には行かなかったということも
考えられるかな。

581 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:16:40
>>570
もう屁理屈言い訳しか言ってないなw
前原は遠浅の干潟みたいなもんだよ

582 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:17:41
↑は>>577の間違いな

583 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:26:31
>>578
>至末盧国とあるから立ち寄ったことはまちがいないとみるね。

それは主観だ。
「至末盧国」は、倭の地理を説明するために三国志の編者が使っているもの。
だいいち「郡使が・・・」などという主語は、その語句の前後に全く見当たらない。

>末盧国の状況が書いてあることもそれを補強する。

郡使以外に末盧国へ行ったことがある半島人がおれば、
その人物に聞くことによっても末盧国の状況や位置は知ることができる。
実際、壱岐と対馬の箇所の記載には共に「南北に市糴す」とあるから
民間人が商業活動で半島〜末盧国間を盛んに行き来していたことが知れる。

倭人伝に末盧国の状況が書いてあっても、それは商業人等からの聞き取りの可能性があり、
郡使が末盧国に立ち寄った証明にも補強にもならない。

584 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:27:40
>>579
>一大国からの距離が500余里ならいいが、1000余里という記述に反する
狗邪韓国から対馬国までが千余里表記、実際は115q位
対馬国から壱岐国までが千余里と表記 実際は55q位
壱岐国から末廬国までが千余里と表記 実際は26q位

実測はこれだけちがってる
〜だから合う〜だから合わないは伝を理解してない君の自説のための思い込み。


585 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:31:50
伊都国は郡使の往来して、常に駐まる所なり

586 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/07(日) 12:59:33
>>584
>狗邪韓国から対馬国までが千余里表記、実際は115q位
>対馬国から壱岐国までが千余里と表記 実際は55q位
どこから持ってきた数値か知らないが、実際に2倍の差はないのはgooglemapでも見れば明らか。
それに他のところには答えられず、自説の思い込み?何をいってるのやら。。。

ちなみに私説のこの辺りは通説通りなのだが、通説は自説の思い込みの説と君は言うかね?
君の説はいったいどんなんだい?w


587 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:07:08
>>586それに他のところには答えられず
これのことか?
>伊都国と奴国との距離の比も3:1:1程度にしかならない、これも5:1:1の記述に反する。
>方向は言わずもがな、45〜90度のずれがある

もう一度書く
〜だから合う〜だから合わないは伝を理解してない君の自説のための思い込み



588 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:10:00
>>586
伊都国は平原・三雲・井原遺跡で確定してたと思ってたんだが
佐賀大和には何があるんだい?

589 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:18:24
やっぱり呼子から前原近くの深江辺りまで水行していた思うよ。
少なくともそういう交通手段はあったと考えるのが妥当。
陸行は歩いていける地続きを表すために書かれたんじゃないかな?


590 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:26:13
又度海千余里 至末廬國 人善捕魚 能浮没水取之
 東南五百里 到伊都國 戸万余 置官曰爾支 副曰洩渓 柄渠 其國王皆属女王也

魏略では陸行は無い
この文章では渡海千余に引き続き東南五百里も船を使ったとも読み取れる。


591 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/07(日) 13:49:22
>>587
なにか間違えてるぞw
伊都国と奴国との距離の比が3:1:1なのも方向が45度以上ずれてるのも、地図から読み取ることが出来る。
伝に書かれていることと反する。

それを3回の渡海距離を、どこの資料かしらないが4:2:1であるものを引っ張り出してきて、伝の記述の1:1:1と
合わないから、だから伝の記述は不確実、間違えてても当然。伊都国と奴国との距離の比も方角も間違えている。
というあなたの説が正しい、というのはそれこそあなたの自説のための思い込みでしょ?

もし伝の記述と、比定からでてくるものが合わないなら、合わない合理的な理由がちゃんと説明できなければ、
ただの思い込みですよ。

あなたは3回の渡海の比を4:2:1という説のようですが、なぜ伝には1:1:1の記述がされていると説明されますか?
末盧国・伊都国・奴国の距離の比が3:1:1程度にしかならないのをどのように説明できますか?
末盧国から奴国までの方向のずれをどのように説明できますか?

何1つ説明できていないでしょ? すべて伝が間違えている?合っていないと思うのは「伝を理解」していないから?
思い込みなのは何一つ説明できていないあなたの方ですよ。


592 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:03:08
>>583
>「郡使が・・・」などという主語は、その語句の前後に全く見当たらない。
漢文はいちいち主語を書かない場合が多いんだ。対馬や一支も同じ。使者は対馬や一支にも
寄っている。同じく、末盧国にも立ち寄っている。

>倭人伝に末盧国の状況が書いてあっても、それは商業人等からの聞き取りの可能性があり、
>郡使が末盧国に立ち寄った証明にも補強にもならない。
私は聞き取りの記載ではないと考える。あなたは勝手に自分の考えに従えばいいでしょう。
私は同意はしないがね。





593 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:13:22
>>588
墓はさほどの根拠にはならんということだな。
佐賀大和の根拠は>>572を見てくれ。遺跡などで伊都国を決めようとするのは
まちがいだ。遺跡には国名なんぞは書いてない。

594 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:18:57
>>590
>魏略では陸行は無い。この文章では渡海千余に引き続き東南五百里も船を
>使ったとも読み取れる。
末盧国がどこか分からなければそうも読めるだろな。しかし末盧国が九州北岸の
国となれば、「東南」で陸行と解さざるを得ないだろな。

595 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:52:17
>なぜ伝には1:1:1の記述がされていると説明されますか?
測量したわけでもない当時の人間の感覚の目測で千里千里千里とされてるんだから距離は目安程度に考えないといけない
あなたの場合地図を定規で測って現実(遺跡)を無視してるからアホなんだよ。
それも自説に近づける為に距離の合う合わないを自分の個人的判断のみに委ねてるし。


596 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:59:19
>末盧国・伊都国・奴国の距離の比が3:1:1程度にしかならないのをどのように説明できますか?
>末盧国から奴国までの方向のずれをどのように説明できますか?

確定地とされる対馬壱岐でさえも実際の方角とはずれてるよな
方角と距離をまったく当てにしないのもダメ
方角と距離を定規で測って海の上やらもダメ
当時の人間の目測や感覚を考えないとあんたみたいにトンデモになるんだよ。



597 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:07:41
>>593

>>572>>573で論破されています
反発的に主観のみ〜だと思う〜に違いにない等の書き込みはあったが思い込みの羅列。

598 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:14:20
>末盧国がどこか分からなければそうも読めるだろな。しかし末盧国が九州北岸の
>国となれば、「東南」で陸行と解さざるを得ないだろな。

前を歩く人間が見えないほど草木が生い茂っててもか?
海沿いの海岸を歩けば前原まで歩けるだろうが水上交通がメインと考えるのが合理的。



599 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:14:47
佐賀県は昔から人間が住んでいない。今も佐賀県は人間が住んでいない。

600 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:14:59
>>597
>>572>>573で論破されています
はっはっは。それこそ、あなたの思い込みだ。


601 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:18:15
>>600←これも思い込みな。


602 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:27:21
呼子で一度停泊するのも合理的だが
軍使は伊都の近くの深江港に直で着ていた可能性も否定できない。
紀行文を書く段階で倭国の説明としてマツラを書き記してるだけなのかも。

603 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:29:38
>>598
きみのレス見てふと思ったんだが
前を歩く人間が見えないほど草木が生い茂って・・・・・というのは

「マツロ国へ上陸してもいいが、あの国だけは道路整備が全然なってないぞ、
マツロ国から別の国へ徒歩で行くのはむっちゃ難儀だぞ、
そんな馬鹿なことやめて、さっさと船使った方が早いぞ」

と、これから倭を訪れる中国人のため、警鐘の意味を込めてるんじゃあるまいか。

604 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:48:29
>>602
呼子で一度停泊し、また水行して唐津上陸はありうるかも知れんね。
しかし、東南陸行とあるからには、そこからは陸行だよ。

605 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:02:20
まあ伊都国の中心を三雲遺跡に求める定説を補足しておくとだ…

単に大きな遺跡があるからと言う後付けじゃなくて
楽浪土器の大量出土等により郡使の常駐すら想定できると言う
言わば”量”ではなく”質”もしくは”特性”を備えている事を言っておく。

どうせ
「楽浪土器なんて単なる流通による結果」
と言う奴が入るんだろうが

じゃあ玄海灘周辺地域を中心にグラデーションを描いて分布していて
さして珍しい物でもないと言うデータでも出してくれっちゅう話で

きちんとデータに基づいて楽浪土器の証拠能力を否定できたなら
俺は今後一切このネタを出さないことを約束してやるよwww
(まあ名無しだけどw)

この板の多くの九州説論者みたいに論破されたネタでも
「嘘も百回…」よろしく繰り返す趣味は無いしwwwwwwwwwwwwww


>>593
>墓はさほどの根拠にはならんということだな

↑これは放射説を前提にしないと自説が崩壊する「宮崎・日向説」の奴が言っているんだろうが
そもそも古代において墓は集落から隔絶した距離に築かれる物ではない。

吉野ヶ里見てみろ外環の内に墳丘墓があるだろうとwwwwwww
(故に一次産業の従事者の住居跡が殆ど見られない纏向が特異と言われているんだろうがとw)


606 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:05:46
>>604
いや呼子で一度停泊して前原まで陸行なら唐津海辺通るけど
呼子から水行なら遠回りして唐津に寄ることはないのでは?
まあ気休めで停泊したかもしれないが呼子から目的地の前原に行くにはちょっと遠回りだな。
深江とか周船寺とか波多江とかで伊都の港の遺構でも発見されるのを待つより仕方ないか。


607 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:14:51
畿内説九州説共通するのは博多辺りまでの行程と考えていたが
どうやら宮崎日向説は伊都国からして佐賀平野にないと説が成り立たないようだな
畿内九州の結論を出す前に早々に退場してもらおうかw


608 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/07(日) 16:17:29
>>595
>>596
だから馬鹿、トンデモはおまえらだってw

いいかい、私の説は末盧国=唐津で、3回の渡海はほぼ1:1:1。これは伝の記述に反していない。
厳密にやってるわけでも、2倍も差があるものを同じといってるわけでもない。
人間の感覚として当然同等であると考えられるところにあるわけだ。
それをどこぞの馬鹿みたいに3回の渡海を4:2:1だとか抜かしたりはしない。

方向についても、596のように「対馬壱岐でさえも実際の方角とはずれてる」から
末盧国より先の方向もずれている、などと言っていない。
そのような事をいってその後のずれの方向がまったく一貫性を欠く角度や向きなのを無視して
自説の都合の良いようにもってきているのが数多のトンデモ説なんだよ。
596も自説の都合の合わない方角は全てこのトンデモな考えで説明ついてると思い込んでるのかもしれないが
それは全くの間違い、全然説明できていないってことだよ。


609 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:22:07
>>607
「宮崎日向説」九州北岸を定説の通り東へ進みそこから水行となれば
関門海峡越えて宮崎へは太平洋側から上陸する事になり
 「陸行一月」
がどうにもこうにも消化できない。

だから熊本から九州を横断するような形にしなければならないw

610 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:26:29
>3回の渡海はほぼ1:1:1。これは伝の記述に反していない。


呼子から前原も「ほぼ」伝の記述に反していない。
前原南部も「ほぼ」伝の記述に反していない。
末盧国(東松浦半島)から奴国(博多)までの方向も「ほぼ」伝の記述に反していない。

何度も言うがこれがあなたの言い方
自説の為に「ほぼ」なんて言葉を使い
自説の為に少しのズレも認めない



611 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:30:22
>>607
倭人伝の里程・日程の記述から一番妥当性のあるのは日向。
これは間違いない。それは認めるべきだろうな。
それを認められないのは論理性、客観性のない証拠だろう。

神武東征の出発点が日向というのも畿内説には困ったものなのだろうな。

個人的には、日向を邪馬台国に比定するにはちょっと躊躇するものがあるが。

612 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:38:36
>>609
以前、フェリーで屋久島に行ったことがある。鹿児島湾は鏡のようで
実に快適な船旅だった。ところが、鹿児島湾を出ると、かなり大きなフェリーが
木の葉のように波に漂う。甲板までしぶきがかかる。一発で船酔いした。

古代船で外海を航海するのは相当危険だと思う。

ちなみに、有明海も渡ったことがあるが、ここは穏やか。
風の強い日だったが、波は穏やかでフェリーはほとんど揺れない。
かもめがずっとついてくる。

613 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:40:44
>>611
日向は投馬国5万余戸でいいのでは?
都萬(つま)神社もあるし妻という地名も残ってる、以外に日向の人口が多かったのも5万戸ということで説明できる。
伊都から水行二十日もちょうどいい。

614 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 16:54:06
>>611
別に俺は邪馬壹國畿内説では無いけど、ただ日向って名前は至るところにあるよ
日が昇ると言われてた場所は箒木のある信濃だよ
神武が「日に向かって攻めたのが行けなかった、日を背にして攻めよう」ってのも、今度は信濃側から攻めようって意味だよ

例えば地名じゃなくとも近畿から畿内に攻めても日向から攻めた事となるし、畿内から美濃に攻めても日向から攻めた事となる


615 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:54:12
付け加えると投馬国の官を弥弥(ミミ)は耳川なんかで残っているので
日向は投馬国に適合しすぎてるので南九州に邪馬台国を持ってきたいなら
まず投馬国が断じて日向ではないという説明から始めてみたらいい。


616 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 17:10:58
>>615
それ以前に神武東遷を邪馬壹國やら卑弥呼と結び付ける理由がまるで解らないすよ
つか神武東遷っても、大和人が他の大和人の勢力を倒したってだけってわかってます?


九州王朝ってのが渡来人の王朝で日本にあった勢力を滅ぼした見たいに考えてます?
もしそんな事があったのなら日本は日本人の国じゃ無くなってますよ


617 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 17:21:04
記紀の神武東遷にしろ、大国主の国譲りや国造りや、スサノオの芦原中国の制定の話にしろ、あれらは日本の氏族達による権力闘争の話ですよ
戦国時代と同じで、誰が天下を統治して、誰がどの土地を納めるのかっていう国内での覇権争いなだけ
だから日本の始まりに、九州発祥も畿内発祥も無いし、ましてや邪馬壹國が日本の発祥国でも無いよ
それ以前から日本は既に日本だってば

九州説の人はその辺りが良く分かってない気がするよ


618 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:24:05
>美濃もん太 ◆hF.jG29Cew

いきなり何言ってんだ?神武の話などしてないが?

619 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:42:33
>>605
>吉野ヶ里見てみろ外環の内に墳丘墓があるだろうと
近くで済ませる奴がいるからといって、皆がそうとは言えんよ。
特に王の場合にはな。


620 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:05:35
>>613 >>615
東回りのコースを考えるんだろが、日向灘の潮の流れに逆らうことになる。→>>612
しかも、水行二十日と水行十日陸行一月、水行を同じコースとすると邪馬台国の比定地に
窮することとなるな。
それに、女王国の東渡海千里。関門海峡を通過していたら、本州のことが出るはず。この
言葉は関門を通過していないということを推測させる。



621 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:18:25
>>620
>日向灘の潮の流れに逆らうことになる
軍使が行ったとは書かれてない、当時の住民が交易の為に日向灘行き来してただろう
それとも日向に船で行くのは東か西か一方通行しかできないの?
それに日向は都万国でいいじゃん、邪馬台国の時代にそれに匹敵する勢力ツマ国として誇らしいじゃん
南九州はそれで我慢しときなさいw

622 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:22:27
読み方は人それぞれだけど
宇美国までの里程とその後文の日程は分けて考えてる。
水行二十日は群から日向の全日程だよ。
水行十日陸行一月も群からだね。

623 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:35:55
自女三國以北其戸敷道里可得略載⇒不彌國ほか奴国等(里程戸数明記)

其餘旁國遠絶不可得詳⇒(21国、女王国の周りか以南)

其南有狗奴國⇒(21国よりさらに南)

素直に読むと女王国は北部九州以外にありえん


624 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:39:02
女王国は、遠く離れた場所、
つまり大和のことだよ。


625 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:56:05
>>1
女王國の位置ははっきり倭人之条で明記されている。

『女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有朱儒國』

女王国の東に海を渡ること約千里にまた国があって、ここにも倭人が住んでいる。
とね。

皆で日本地図を見てみよう。

狗邪韓國→對海國(対馬)、對海國(対馬)→一大國(壱岐)、一大國(壱岐)→末盧國
がそれぞれ千里とされています。

大分から四国宇和島 四国徳島から和歌山 が ほぼ東で同程度の距離に

女王国は大分又は四国徳島で確定しました。



626 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 19:29:24
>>625
女王は鬼道を事とする。=神社を特定せよ。

627 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:00:27
>>625
地図を見てみよう。と言うことで地図を見てみたら西日本と東海地方が
海で分断されていた。ちなみに明代の「三才図会」の東南海夷図を見た。
中国では明の時代でもこのありさまだ。結論、邪馬台国は畿内に決定しました。

628 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 20:04:56
紀無いなら記紀に卑弥呼の記事が満載だよ。朝廷のすぐ隣りに
卑弥呼の国があるんだから、倭人伝以上にそれが載る。それなのに
載ってないのは畿内に卑弥呼の国が無かったことを意味するのだ。

629 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:29:10
>>628
先代旧事本紀と海部氏勘注系図には卑弥呼(日女命)の記事が満載だぞ。

630 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 20:48:36
>>629
日女命が卑弥呼なの?
じゃあ卑弥呼は日女命って事で結論出してくれれば良いよ


で、日女命が卑弥呼なら、別に邪馬壹國は日本にあった国の1つなだけで、別に日本の発祥とかそんな大層なものじゃないって解るでしょ?
ちなみに日女命が卑弥呼なら、卑弥呼は尾張氏? 木氏? 物部氏?

631 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:03:28

>>626

3世紀後半の神社って・・・

鬼道=神社って???


632 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 21:07:28
大陸では一般宗教の事を鬼道という
卑弥呼が鬼道をすると書かれている以上神社を探す、
ホツマには住吉に祀られた。となっている。


633 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:06:18
>>630
卑弥呼は日女命で後に天照大神として伊勢神宮に祭られました。
日女命の実家は物部氏と尾張氏と海部氏の先祖になります。
日女命の実妹の葛木高千名媛は崇神天皇と結婚しました。したがって崇神天皇は
日女命の義弟になり魏志倭人伝の言う男弟になるわけです。ちなみに日女命の
出身神社は京都府天橋立にある真名井神社(現、籠神社)です。近郊には
日女命の甥の娘である後継者台与の出身神社である周枳神社(現、大宮売神社)
があります。

634 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:09:42
卑弥呼の祭っていた神を特定することは大切ですね。
私は、卑弥呼はその名前とは裏腹に雨乞いの神だったと思います。
九州にある雨乞山、これを調べればわかります。

635 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:13:02
トヨは巫女を兼ねた女王であり、配下の国々から遣わされた巫女が使えていた
真名井神社も周枳神社も、配下の国が祭った神社でしかない

636 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 22:19:11
日女命≠卑弥呼

637 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/07(日) 22:21:10
>>610
なんかオカシな思考をしているようだから、ちゃんと考え直せw
私の説は、伝の記述と非常に合致する行程をとる説で、
距離を2倍も違えたり方角を45度も曲げたりせずに解釈できる。
しかも伊都国=前原、奴国=福岡平野という定説にも反しない。

という、とっても(文字通りw)有難い説なんだよw

それと比べて、なぜ距離や方角や考古学的遺跡を無視しないといけない説を支持しつづけるのは何故?

>自説の為に「ほぼ」なんて言葉を使い
>自説の為に少しのズレも認めない
少しではないズレを認めないといけない説が多すぎなんだ。しかもその根拠は非常に薄弱または無し。
それとも私の説が、他のどの説より優秀であることを認めてくれたってこと?w


638 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:23:14
>>635
配下の国が祭った神社ではなくって卑弥呼(日女命)の実家が祭った神社です。

639 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/07(日) 22:24:09
>>611
>倭人伝の里程・日程の記述から一番妥当性のあるのは日向。
万二千余里を無視して、一番などというのは片腹痛いw

可能性0といってあげるよw

640 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 22:27:42
>>638
何でカッコ書きしてるんだろう? とにかく不等号が正解だっよ。

641 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:31:04
>>637
論で負けたら急にしおらしくなったな。

末盧国⇒呼子
不弥国⇒宇美
投馬国⇒日向
邪馬台国⇒筑紫
狗奴国⇒肥後

じゃあこれで文句無いんだな!



642 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:32:47
>>639
あなたが万二千余里の意味を知らないだけだな。万二千余里はあくまでも女王国
までの距離。邪馬台国までの距離ではない。
女王国というのは、邪馬台国だけでなく、投馬国や旁国21国を含んだもの。
万二千余里からはじまり、狗奴国の手前の奴国まで(女王の境界の尽きる所)で
終わる極めて広い概念だ。

643 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:44:34
>>641
異議ありや!
末廬国=唐津市、伊都国=前原市、奴国=福岡市、不弥国=北九州市、
投馬国=米子市、邪馬台国=桜井市。これが正しい日本の歴史だ。

644 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:45:55
>>641
>>611氏も言ってるだろ。邪馬台国は日向。それが自然な読み方なんだよ。
http://www.geocities.jp/niginiginomiko/page1.htm
http://www7.ocn.ne.jp/~sui-yama/
前者は放射説、後者は連続説だな。

645 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:51:05
>>643
>不弥国=北九州市
東行至不彌國百里官曰多模副曰卑奴母離有千餘家
奴国から百里と書いてあるのに北九州とは…

百里というのは直前の
東南至奴國百里官曰馬觚副曰卑奴母離有二萬餘戸
これで前原から博多までの距離…百里


ほかにもいろいろいいたいことはあるがこの点だけでも破綻してます、よって簡単に却下されました。あなたの全人格も否定します。

646 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:55:31
>>644
自然な読みをしたら九州北部の筑前筑後
投馬国の日向がどうして邪馬台国になるんですか?


647 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:05:22
自然かどうかではなくtr、事実を追及してるのに。


648 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:10:59
>>
>>646
引用されてるサイトを見てから言ってね。クリックすれば見れるから。
>>644に少し追加しとこう。
http://www.geocities.jp/niginiginomiko/page1.htm は放射説である点はいい
が、狗奴国を肥後とするのが問題。投馬国や邪馬台国へ行くのに敵前航行はない
だろうからね。狗奴国はやはり邪馬台国よりも南、志布志湾岸だろう。
その点を指摘するのは「邪馬台国の暗号」安田哲也著ね。


649 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:16:13
じゃあ仮に投馬国が邪馬台国だとしよう

女王国を構成する21国と偽投馬国と南の狗奴国はどこになる?


650 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/07(日) 23:20:42
>>641
しおらしくなった? 私は初めから私の説の主張をしているだけです。
論に負けたなどという事もなく、むしろ認めてくれたのかと思っているくらいですがw

>投馬国⇒日向
投馬国は久留米です。水行20日の行き着く先は琉球です。日向は関係ありません。
私の説を理解してくれたのかと思ったのですが、違うようで悲しい限りですw

>>642
女王国は代名詞。使われているところによって邪馬壹国1国を指す場合もあれば、
あなたの言うように同盟?を組んでる20数ヶ国全てを指す場合もある。
これはあなたのいうより広い女王国の概念なんだが、それは置いといて、

「自郡至女王國萬二千餘里」というのがもしあなたの言う20数ヶ国全てを指すものであるならば、
それは、倭人条の冒頭あたりにある
「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里」
と同じになる。何故なら狗邪韓國は女王国の構成国の1つだから。
つまり「自郡至女王國七千餘里」ならあなたの解釈は正しいが、そうでないので間違いといえるのです。


#とか書くと、女王国の概念をもっと曲解する人が出てきそうだな。伊都国はちがうが奴国は構成国なんだっけなw

651 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:23:07
魏志倭人伝をちゃんと読めば、邪馬台国は九州では無いことがわかる。

陸行1月の時点で、九州には収まらない。
山陽を通って、奈良に至るならちょうどよい。
江戸時代でも、それくらいの日数だ。

これだから、歴史に疎い無知は困るな。




652 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 23:27:33
陸行一月でも九州に収まる。女王国に滞在すればそんな時間はすぐ
だよ。もっといたけりゃぁ2ヶ月、3ヶ月いてもいい。

ZZZZZZZZZ・・・・・・・・・

653 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:27:54
>>649
投馬国は薩摩、川内あたりだろな。狗奴国については>>648を見てね。
旁国21国は熊本、大分以南に比定することになる。「邪馬台国の暗号」は斯馬国
を椎葉としていたが、島原ではないかな。好古都国は加久藤盆地、南の奴国は日向
の那珂郡だったな。

654 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:29:48
>638
実家が丹後と言う根拠は?

655 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:34:47
>>650
>何故なら狗邪韓國は女王国の構成国の1つだから。
韓国と明記されている国をかってに倭の国にしちゃいかんよ。
女王国は、対馬国から不弥国までの北九州諸国と南の狗奴国を除いた国々。
そこを間違えないようにね。

656 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:42:27
>>645
あんたは日本一の愚か者ですか?奴国から百里?それがどうした。
日本史年表に付いている朝貢輸送路の所要日数が理解できる知能を持ってる?
理解できなかったら「馬〜〜〜鹿!」

657 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:47:05
>>650
投馬国が日向か久留米かではっきりさせようじゃないか

俺が日向を投馬にした理由は都万神社や妻など地名一致
南九州の人口分布が5万戸で適切である事
北部九州と山脈を隔ててるので直接戦火を交える事があまり無かった事
日向には山脈を陸行するより水行で行くのが適切であったこと日数も適切
日数に関しては帯方郡から水行二十日と考えてます

>>653
話にならん。
自女三國以北其戸敷道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳

女王国以北は行程距離をきさいできるとかいてあるし宇美町まで実際記載されている
さらに宇美町以南は遠くて(常駐する伊都国から)記載できないと
そして女王国を構成する国として20国と最後に奴國此女王境界所盡とある
そのあとに其南有狗奴國

纏めると邪馬台国は奴國(博多付近)以南、狗奴國(熊本付近)以北以外にありえない。



658 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:59:05
>>656
朝貢輸送路?
夢の中の北九州の不弥国が朝貢してたのかw
それは妄想歴史辞典にでも載ってるのか?


659 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:04:18
>>657
日数表示の投馬国や邪馬台国も戸数道里を記載した国になります。
日数を急に帯方郡からだとするのは、読み方として成立しませんね。
それらは、伊都国から先の話です。
投馬国や邪馬台国を北九州に収めようとするのは無理なんです。

660 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:11:16
>>658
あんたはアホですか?馬鹿ですか?間抜けですか?それとも愚か者ですか?
日本史年表も見ずに語っているのか!ハングルしか読めないチョンらしい。

661 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:16:09
>>659
宇美町まで連続式で女王国までのローカル紀行文
その後は大きな九州三大勢力投馬・邪馬台・狗奴の九州の政治勢力図の説明。
日数は帯方郡からの日程と考えます。

662 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:17:22
やっぱり、邪馬台国は畿内でしかないことがわかりました。

663 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:19:58
>>660
日本史年表には西暦一億年に北九州の不弥国がアメリカに朝貢してると書いてあるのか?w

664 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:24:16
>>654
卑弥呼(日女命)の実家が丹後であることは海部氏勘注系図に書いてあります。

665 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:01:01
邪馬台国が奈良の大和であることは確定ですが、
卑弥呼は誰だと思いますか?

やはり、ヤマトトトヒモモソ姫が最有力候補だと思います。

記紀にも、女性としては異例の記事として神に仕えた巫女として具体的に書かれています。
事実上の「女王」として考えてよいと思います。
巫女という性格や独身という状況(モモソヒメは神と結婚してますが事実上独身です)をみても、
卑弥呼と一致します。
死亡した後、墓をつくったという具体的な記述もあります。
卑弥呼も死んだ後、墓をつくったと魏志倭人伝にあります。
この符号は、他の例の無いものです。
疑う余地は、ないでしょう。


666 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/08(月) 01:01:53
善徳女王
真徳女王

皇極天皇
斉明天皇


弥烏邪馬國
邪馬壹國、邪馬國
倭六国、、


この辺りだな。怪しいのは
三國史や魏志倭人伝は西暦600年頃の話な気がする

667 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/08(月) 01:05:54
ちなみに倭人の統治してた範囲は宋書によると
乾国南部、蒙古、黄河南方



668 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:07:17
ヤマトトトトトトトトトヒモモモモモモモソ姫の話はマキムクの隔離スレでどうぞ。

669 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:26:07
卑弥呼には、男弟がいたと伝えられてまうが、
ヤマトトトヒモモソヒメにも、実は弟がいたのです。

みなさん、誰だか知ってますか?
聞いたら驚きますよ。

な、な、なんと! あの、「桃太郎」なんです!

ヤマトトトヒモモソヒメ(卑弥呼)の弟が桃太郎だったなんて!
歴史の真実って面白いですよね。
桃太郎といっても、桃太郎伝説のモデルの吉備津彦のことなんですが。
この吉備津彦は、吉備のすごい大王だったようです。

670 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:26:14
畿内説となると、とたんに妄想の世界になるな。

671 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:35:22
モモソヒメと吉備津彦と桃太郎の関係は、このサイトが詳しいよ。

ttp://www.bell.jp/pancho/travel/kibiji/history.htm

672 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:55:50
そう言えば現在「放射説」で九州説を唱えている史学者っているのか?

なんか一時的なブームだったような印象なんだが…w




673 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 02:18:11
まあ放射説の妥当性を不問にしても
南九州、宮崎日向説となると

「じゃあ弥生末期九州南部に何らかの威信財の集中や
独自の祭祀形態の発生が見られるのか?」

と言う問題がある。

それらは無論、九州北部にも付きつけられた問題で
それに対し有利な材料をもって答える事ができない為
今日の九州説の沈滞を招いている。

九州南部となれば更に難しいと思うのだが?

何かこれと言った考古学的資料があるのか?

念の為断っておくが
ウリナラ起源説よろしく西都原あたりの纏向型前方後円墳をもって
「前方後円墳は日向発祥ニダ!」
と言うのは勘弁してくれwwwwwwwwwww


674 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 03:09:08
前方後円墳は、奈良が最初だよ。

箸墓がモモソヒメの墓で、卑弥呼の墓。

常識ですから。

675 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 03:24:45
>>319
管理人が美人だな

676 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/08(月) 19:24:39
>>655
ちゃんと伝を読んだことがあるのかな?

韓伝でも南は倭に接すると書いてある。
「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里」
があなたにとって難しいのなら、抜粋してあげよう
「從郡至倭・・歴韓國・・到其北岸狗邪韓國」
直訳でも、群から倭に至るには韓国をへてその北岸の狗邪韓國に到る、だ。
ここで北岸論争は置いておくが、其が指すのは4文字目の倭という解釈で異論はないだろう。

大切なのは半島に倭の領土があったかどうかではない、三国志にどのように記されているかだ。

しかも仮に狗邪韓國が倭ではなくても「自郡至女王國七千餘里」が「自郡至女王國八千餘里」になるだけ、
あなたのいう女王国の概念は、ここでは、つまり「自郡至女王國萬二千餘里」という箇所では間違いである
という結論には変わりない。


677 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 19:35:11
邪馬台国は大和ですよ。
考古学をきちんと勉強すればわかります。

678 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/08(月) 19:37:17
>>657
こまったな・・同様の理由で愛媛や高知でない理由がよくわからない。
投馬の読みもよくわからないのに地名が一致といわれても。久留米=投馬も一致してる、と言っていいのか?
経路の基点がいきなり群になる理由の説明は?

邪馬台国に到る途中に投馬国が入る理由は? 行程の途中にない国なら後で国名が挙げられている。
女王国の周辺国であれば、それも場所をかえて周辺国情報として記述してある。(女王國東渡海千餘里復有國〜)

「自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳」
の記述は投馬国が女王国=邪馬台国より北にあり、しかも遠くないことを示しているのではないか?


逆に私の説で、投馬国が久留米であることに対する疑問などはありますか?


679 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 19:59:49
投馬国は、出雲でしょう。

疑問の余地は全然ありません。

680 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:36:43
>「自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳」
>の記述は投馬国が女王国=邪馬台国より北にあり、しかも遠くないことを示しているのではないか?

投馬は里程で表されてない
よって自女王國以北其戸數道里可得略載に入らないのは読めば解るだろ

投馬の説明はこれだけ
南至投馬國水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那利可五萬餘戸


東行至不彌國百里官曰多模副曰卑奴母離有千餘家
南至投馬國水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那利可五萬餘戸





681 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:39:15
ミミという人は、出雲にたくさんいるよ。

682 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:43:07
>邪馬台国に到る途中に投馬国が入る理由は?
そんなのあんたの説だろ

東行至不彌國百里官曰多模副曰卑奴母離有千餘家
ここまでは市町村レベルの女王国までの行程の紀行文

南至投馬國水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那利可五萬餘戸
ここから倭の政治勢力図の説明


683 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:51:07
邪馬台国は、古代文字ペトログラフが発見されたことで有名になった山口県の彦島ではないでしょうか?
彦島とは日巫女の島の意。中国名では卑弥呼と呼ばれていたとしても不自然ではありません。

684 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:02:09
>こまったな・・同様の理由で愛媛や高知でない理由がよくわからない。

よくスレ読んでない証拠だなコレ、もう一度書く

女王国以北は行程距離をきさいできるとかいてあるし宇美町まで実際記載されている
さらに宇美町以南は遠くて(常駐する伊都国から)記載できないと
そして女王国を構成する国として20国と最後に奴國此女王境界所盡とある
そのあとに其南有狗奴國

※※纏めると邪馬台国は奴國(博多付近)以南、狗奴國(熊本付近)以北以外にありえない。※※


解りやすいように丁寧に※※をしておいた。



685 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:07:07
出雲だろ。


686 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:09:52
ついでに奴国が二度出てくるのは
道程説明としての奴国
女王国領域勢力説明として奴国
とで章が分かれるからです。


687 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:11:49
邪馬台国は、大和でしょう。

688 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:29:44
>投馬の読みもよくわからないのに地名が一致といわれても。久留米=投馬も一致してる、と言っていいのか?
読みをいじくりたいのなら中国に留学してせいぜい勉強してきてください
壱岐、対馬、松浦、糸、これらの地名の現代読みから投馬を妻や都万として残っていると考える
投馬をクルメと読むのも解釈、投馬を妻と読むのも解釈。



689 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/08(月) 21:56:18
>>680

>投馬は里程で表されてない
>よって自女王國以北其戸數道里可得略載に入らないのは読めば解るだろ
投馬国はある方角も官の名前も国の規模も書かれている。「其餘旁國遠絶不可得詳」な国々は
この文の後、国名だけ述べられている。投馬国は十分に詳しく書かれているんだよ。
里程で表されていない、ことは「可得略載に入らない」ことの理由には全くならない。

>>682
邪馬台国に到る途中に投馬国が入っているのは、投馬国が邪馬台国に到る途中にある国だからだよ。
少なくとも伝はそのように、邪馬台国までの行程記事として書かれている。私の説云々ではなくてね。
それが途中から政治勢力図の説明になったりはしない。
書く内容を変えるのならちゃんと分けて書かれている。少なくとも陳寿はそのように書こうと努めているように見える。

>>684
ずれてるところをまず書くと「投馬国=日向」の理由が分からないと書いているのに、
邪馬台国の位置を言われても、それは的外れとしかいえないです。

>さらに宇美町以南は遠くて(常駐する伊都国から)記載できないと
そのような記述は伝にはありませんよ。
女王国以北は、です。投馬国もちゃんと詳しく書かれている国に入っています。


690 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:12:15
>>673 威信財とかサイキバが好きなんだねえ。日向に何があるかですか?

弥生末期と限らず、少し広いスパンで考える必要があるな。
まず、邪馬台国時代よりも前だが、中国で王侯に与えられた玉璧が出ている。
それに中国の貨幣である貨泉。これで南九州が早くから中国と通交し、王侯と
して遇されるような豪族がいたことが分かる。

次に弥生末期。花弁状住居が多数発掘されている。部屋割りをもった大型住居
であり、倭人伝が有屋室、父母兄弟臥息異処と書くところを彷彿とさせる。
それに、櫛描紋土器が宮崎から大分にかけて盛行し、一大文化圏を形成してい
るな。これらにより、邪馬台国時代には多くの民が文化的生活を営んでいたこ
とが認められる。近畿にそんな状況があったかな?

古墳時代に入ると、数千基の古墳が築造されている。前方後円墳だけでも数百。
大きさは近畿ほどではないが、百数十メートルのものもあるし、初期古墳も多い。
威信財とされる蛇行状鉄剣が日向から多く出土しており、各地から少しずつ発見
される同種の剣との関連が注目されている。それに、準構造船や大型家屋の埴輪。
中国との交流や高い文化を示していることはご承知でしょうな。
九州の中では抜きんでているのが日向です。

691 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:12:19
どうやら両津かんきちを相手にしていたようだw
コチ亀の大原部長が両津に解るようにせつめいしてやろう

幼児向け和訳
ピョンヤンから日本に行くには対馬町通って壱岐町通って松浦町通って前原市通って福岡市通って宇美町こんな感じだよ
つぎに日本のせつめいするね
日本には宮崎県があるよ家は5万もあるんだよピョンヤンから南に船で20日かかるよ
次に福岡県の説明するね女王様が住んでる所だよ、家が7万もあるんだ、
ピョンヤンから船で10日それと1日歩かないといけないんだ
福岡県内の市町村は鳥栖市とか八女市とかあるよ全部で21もあるよ♪
でも距離は測るのめんどくさいな〜福岡市が福岡県の北の県境だよ
福岡県の南に熊本県があるよ県長は菊地さんなんだけど福岡県と熊本県は仲が悪いんだ
最後に福岡県の首都までだいたい12000里だよ


692 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:18:04
>>690
おおっ!
日向は5万戸の投馬国として実に相応しい出土物ですな。

693 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:20:03
鉄器の無い日向が投馬国なわけないだろ。ぷぷ!


694 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:34:43
鉄器が無いから投馬国なんだろw

695 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:39:10
>>690
先ず出土状況も何もわからない玉璧一つで想像を引っ張られても困るw
(別にその出土物の価値そのものは否定せんがwww)

古墳時代の隆盛も話がずれている。

で、弥生末期に日向にはきちんと文化があった云々の話はどうでも良い。

ぶっちゃけ
「日向は田舎じゃねえぞ!」
とムキになっていっているだけにも聞こえるwww

断っておくが別に日向が無人の野であった如く言っているんじゃない。

「威信財体系」やら「祭祀形態」を挙げているのはそれらの広がり分布により
九州(或いは西日本全体)での日向の立ち位置を聞いている訳だ。

具体的に言えば
弥生末期に漢鏡が日向中心に分布するとか
九州に広がった祭祀祭器の中心が日向である事が類推できるとか…

単に
「ふーん日向って思ったより栄えていたのね」
で終わる話を挙げられてもねえwwww

696 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:40:12
>「投馬国=日向」の理由が分からない

>>690をよく読めw

697 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:40:22
ちゃんと伝を読んだことがあるのか、とは恐れ入ったな。あなたは伝を読んだだけで
解説書には目を通したこともないのかな?

榎の「邪馬台国」は、狗邪韓国は狗邪という韓人の国の意で、その名そのものが倭
人の国でなかったことを物語っている、と書いている。分かってる?

同じく、「南は倭と接す」とあるのは、韓と倭とが接壤しているというのではなく、
海を隔てて接している意に解すべきである、と書いている。

それに、女王国を倭国と同一に解する説はほとんどないはずだよ。私が知る限り、
女王国=邪馬台国とするものが多数。女王国は邪馬台国を中心とする国々で以北
の国々は除くとするのが牧、安田など。私は後説だけどね。

少しは本を読んで勉強したら? 少しはトンデモから目が覚めるかも。

698 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:42:18
>>697>>678に対する答ね。

699 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:49:09
>>693
目立つほどではないんで書かなかったが、鉄器も出てるよ。鉄剣とか鉄鏃、工具
などね。それに、南九州のような火山灰土の中では鉄は腐食しやすいだろ。残ら
んだけだよ。発掘もさほどされてないしな。

700 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:53:54
>>699
やっぱり鉄は出るか!
投馬国としていよいよ相応しいですな。


701 :695:2008/12/08(月) 23:55:09
結局、外部との関連性と言うか
スタンドアローンでのスペックの高さを強調されても意味がないw

ちなみに串間の壁は東シナ海ルートで入って来たかもしれず
そうなると日向説が言っている魏使のルートとは別の話w

壁なんて希少価値の高いもので無くても良いから、ぶっちゃけもっと数継続的に文物が日向には入って来た事を示して
それが弥生末期に特に顕著であればその魏使ルートの想定も現実味を帯びると言うものwwwww



702 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:55:59
>>695
花弁状住居や蛇行状鉄剣の分布状況を知らんのかな。それを挙げておけばある程度は
理解できるかと思ったが。それらの分布の中心が日向なんだよ。勉強しな。

703 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:07:54
>>702
>花弁状住居跡

『国内最古? 花弁状住居跡を確認 みやき町』
http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1036&blockId=1105856&newsMode=article
>佐賀県三養基郡みやき町原古賀の西寒水(にししょうず)四本柳遺跡から、弥生時代中期前半(紀元前1一世紀ごろ)
>に建てられたとみられる竪穴式の花弁状住居跡が見つかった。
>これまでは南九州特有の形態と考えられており、北部九州での確認は初めて。

少なくとも九州北部ではレアっぽいなw

時代も弥生末期の邪馬台国とはずれている。





704 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:12:26
>>701
まず、璧と壁は区別しような。教養が知れるから。
私は誰かさんみたいに、魏使が楽浪土器を抱えてきてばらまいて行ったなどとは考えて
ないよ。数回使者が来たからといって、その痕跡が残るわけがない。そんなところで、
「魏使ルートの想定」なんぞするつもりはまったくないな。

705 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:16:42
>>702
>蛇行状鉄剣

先ず「蛇行状鉄剣」の出土中心地が日向ってホンマか?wwww

Wiki「児屋根塚古墳」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E5%B1%8B%E6%A0%B9%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3
>特に四獣鏡と蛇行状剣は日向地方では珍しい。

そもそも蛇行状鉄剣って古墳からの出土だろ?
弥生末期とはまた時代が違うだろうにw



706 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:18:18
まあ投馬国と邪馬台国は交流くらいはあっただろうな
流行の家の作り方が投馬国から邪馬台国に伝わったがさほど流行らなかったようだ。


707 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:23:30
>>704
>璧と壁
イインダヨ細けえ事はwww

で、コッチは誤字の問題ではなくて…
誰が「魏使が楽浪土器をばら撒いた」なんて言った?

「魏使」じゃなくて「郡使」だアホw

楽浪土器の大量出土により想定できるのは『 郡使の常駐 』

頼んまっせセンセwwwwwwwwwww


708 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:27:45
>>319
腹かかえて笑ったwwwwww

709 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:34:36
>>707
何だ。楽浪土器はあなただったのか。どうりで、ピントのずれた話をすると思った。

710 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:42:43
で、

>>703 花弁状住居跡
>>705 蛇行状鉄剣

に対して日向説として言う事は無いのか?
なんかピントズレズレも良いところなんだが?wwwwww

711 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:23:39
>>710
花弁状住居が北九州に多いって誰が言った?

蛇行状鉄剣が日向で珍しい?変な文章一つ見つけて喜ぶな。ちょっと探したら
次のように書かれているじゃないか。
「蛇行剣特集号」に、橿原考古学研究所の北山峰生による「蛇行剣の分布と変遷」
と題する論文があり、2003年の『現時点における蛇行剣の類例は49地点61
例を数える』と載せ、分布については『約半数を占める27例が南九州、特に宮崎
県に集中する点で、きわだった特徴を示している』(同書6頁)と述べてある。

あとは日高の「古代日向の国」でも読め。ちゃんと書いてあるから。

712 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:34:26
>花弁状住居跡

これが「父母兄弟の臥息処を異にす」の証拠だと?
おいおい、もっともっと熟考しろよ。

(1)父母兄弟で寝所を異にしていたのは南九州のそこだけ?

(2)壱岐対馬や北部九州はみんな雑魚寝だったとでも主張するのか? その証明は?

(3)古墳時代に入ると南九州の花弁状住居はいつの間にか消えてなくなるよな。
  ということは、寝所を分けるのをやめ、雑魚寝になってしまったわけだな。w
  で、二度と花弁状住居は復活しないから、雑魚寝は現在までずっと引き続いている、とでも?www

713 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:42:47
>>712
誰が証拠といった? くだらん屁理屈こねまわして、笑われるだけだぞ。

714 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:50:36
>>713
花弁状住居は何の証拠にもならんことを認めたわけだな。wwww
じゃあ邪馬台国問題に花弁状住居を持ち込むのは、もうよせ。

715 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 02:04:47
>邪馬台国問題に花弁状住居を持ち込むのは、もうよせ。
ふ〜ん、花弁状住居はあなたにとってそんなに痛手だったのか。
素直に、もう、よして下さいって言えよ。そしたら、少しは手加減してやるよ。

716 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 02:05:31
もう、よして下さい

717 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 02:11:22
>>715

>>712の(1)(2)(3)に答える気が無いのなら、花弁状住居と邪馬台国云々は、もうよしてくれ。

718 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 02:15:51
>>711

つうか「蛇行状鉄剣」って古墳時代に入ってからだろうがw
パッと調べても横穴式から出土とか5・6世紀とか言う時代しか出てこないんだが?www

まあ5・6世紀と言えば最古の馬具が宮崎で出てたかな?
何れにせよそんな時代だぞ?www



もっぱら南九州に留まる「花弁状住居」
古墳時代の横穴式古墳から多く出土する「蛇行状鉄剣」

お前がピントズレズレだよwwwww



719 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 03:15:12
花弁状住居跡は、南九州に多いのか。

ならば、神武東征はウソっぱちだってことだな。

わははははは。

720 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/09(火) 06:37:46
>>691
>日本には宮崎県があるよ家は5万もあるんだよピョンヤンから南に船で20日かかるよ
いきなり宮崎の話なんかするわけないだろw
書き方を変えても、宮崎がいきなり入ってくる理由にはならない。
しかも同様に宮崎・山口・愛媛の話がはいってこない理由がない。
これらの説明が全く出来ない宮崎の話になんの説得力もない。

>ピョンヤンから船で10日それと1日歩かないといけないんだ
勝手に1日にするなよw
大体、郡から何処までの距離を言っているのだ?

>最後に福岡県の首都までだいたい12000里だよ
首都って何? 伝には出てこないだろw


女王国=邪馬台国、を否定しようとして、無理やり屁理屈こねて
他がまったく整合性とれなくなってるようにしか見えないが。

あなたのいう女王国が21国云々という固定概念は「自郡至女王國萬二千餘里」
という箇所では間違いであるという結論には変わりない。


721 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/09(火) 06:41:35
>>696
別に宮崎が栄えていなかった等とはいっていないよ。
邪馬台国と関係ないところで、宮崎には立派な文化があった。畿内も同じ。
記紀をみても宮崎と畿内大和政権との関係は伺える。

しかし690をいくら読んでも、投馬国=日向という結論には至らない。

722 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 07:09:00
>>718
もう少し調べてみな。私の南九州説に極めて符合する展開になっているから。


723 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/09(火) 07:12:01
>>697
榎という者のトンデモ説を盲信しているのですか。哀れですね。

狗邪韓国が、韓人の国の意味でも、韓の地の国の意味でも、
それだけで、倭の国だったかどうかを決定づれられるものではないですよ。
中華帝国では支配層と非支配層の人種が違うことも多いので、倭人の国ではないから倭国ではない、
という考えをしないとも考えられます。例えば公孫氏は漢の人だが、支配していたのは韓人の国。

しかも韓の地で倭人が鉄を採っていたのだから、少なからず倭人が居たことが推測される。
彼らはどこに居たというのでしょうか。その都度、海を渡っていたわけではないでしょう。

>海を隔てて接している意に解すべきである、と書いている。
海を隔てているなら、普通は接していると書かれないです。三国志で、川でも湖でもいいので
○○を隔てて接している、と書かれているところはあるのですか?

>女王国は邪馬台国を中心とする国々で以北の国々は除くとする
中心とする国々っていったい何ですか?
伝にはそのような、邪馬台国を中心とする国々と以北の国々を分けた記述はされてませんよ。
根拠のない勝手な線引きをするのはいかがなものでしょう?

トンデモ本を沢山読んでそれらを盲信しても、何にもなりませんよ。


724 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 07:28:29
>>721
>別に宮崎が栄えていなかった等とはいっていないよ。
>邪馬台国と関係ないところで、宮崎には立派な文化があった。
結構。結構。南九州説というと、文化的に後進地域だとするアホが多かったんだよ。
あなたは、宮崎に立派な文化があったと気づいたわけだ。

ただ、あなたは誤解しているんでは? >>690を書いた私は日向に邪馬台国があった
と言っているんだ。>>696氏は日向=投馬国の立場から、私の記載を利用しただけ。

宮崎が邪馬台国か投馬国かは、文化だけで決める問題ではない。倭人伝の行程をきちん
と読んで決める問題なんだよ。そして、きちんと読めば、宮崎は邪馬台国なんだな。

725 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 07:31:10
九州説としては南九州説が一番筋通ってるとは思うんだけどさ
でも陸行一月はかからないと思う

726 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 07:39:12
榎の「邪馬台国」にも間違いはあるが、邪馬台国を考える上では必ず読むべき本だよ。
トンデモ本などと言っているのでは、あなたの程度が知れるな。あとは山尾の「魏志
倭人伝」、安田の「邪馬台国の暗号」。自分と意見がちがうからって読むのを拒否す
れば、いつまでも大切なことに気づけないな。

727 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 08:21:38
おいおい水行20日の投馬はどこになるんだよ

728 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/09(火) 11:26:36
>>724
宮崎説ですか、振り出しに戻る。
・水行20日、水行10日陸行1月、これらが行程に入っていること、
 日を持って距離を計っていることの説明
・上記の基点と不彌国の位置など経路に関する説明、放射説なら至到以外での説明もね
・伊都国=前原、奴国=福岡平野、の距離と方角のずれの説明(定説通りでないならその説明)

少なくとも上の3つくらいは、ちゃんとした回答をしてください。
説明もなく「宮崎」なら愛媛でも五島列島でも北海道でも同じくらい信憑性のある説です。

#日向=投馬国と日向=邪馬台国では、全く話が異なりますよ

729 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/09(火) 11:30:42
>>726
ここに書かれるものを見る限りでは、読む価値がなさそうになさそうにしか見えないが。
納得できる解釈、考え方があるなら、ここで紹介してくれればいい。

意見が違うから拒否するなんてことはなく、非常に簡単に否定できてしまうような事ばかりしか
書かれていなさそうだから、読む気がおきない。
説をwebで読めるなら読んでみるからurl教えてください。


730 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 12:06:47
>>728
伊都国=前原に対する疑問は、ここではずっと議論されてきたわけだが。
末盧国を唐津に比定して、東南に陸行五百里では絶対に前原には到着しない。
さらに、唐津から陸行の理由も見当たらない。そのまま船で行けばいい。

倭人伝の記述に素直に従えば、佐賀平野に出るので伊都国は佐賀平野。
奴国、不弥国を経て、南に水行。
これも有明海を南下する以外には考えられない。
おそらく、有明海を二十日で抜け、八代海に入る。これから十日水行。
さらに、陸行一月となれば、宮崎平野が一番妥当ということだろう。
地理的にもこれ以上妥当なところはないと思う。
九州地図をじっくり見てみると良い。

末盧国から東南に陸行五百里で、なぜ前原に到るのかは、そちらに説明の
必要がありそうだが。

731 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 13:17:17
だからまつらを唐津にかってにすんなって

732 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 13:24:14
>>722
>もう少し調べてみな。私の南九州説に極めて符合する展開になっているから。

逃げ口上乙w

結局きちんとした根拠を出せずに最後は曖昧にしてトンズラと言うのは
この板の九州説の習性みたいなもんだなw

別に倭人伝の行程記事一本で考古資料は伴わないと言うのなら
それはそれで一つの姿勢なんだろうが%0

733 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 14:05:49
日向は田舎。

銅矛文化圏からも外れてました。


734 :ありゃ途中で切れてる再カキコ:2008/12/09(火) 14:16:20
>>722
>もう少し調べてみな。私の南九州説に極めて符合する展開になっているから。

逃げ口上乙w

結局きちんとした根拠を出せずに最後は曖昧にしてトンズラと言うのは
この板の九州説の習性みたいなもんだなw

別に倭人伝の行程記事一本で考古資料は伴わないと言うのなら
それはそれで一つの姿勢なんだろうが

最初に
「自説こそは完璧文献的にも考古学的にも間違い無い」
と大風呂敷広げた手前引くに引けず

地域・年代を無視して無理矢理に関係性の希薄なネタを持ってくるから最後は自爆www


自分が考え出したアイデアに自己陶酔してしまって詰めが甘すぎるんだよwwwwwwwww



735 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 14:32:34

>自分が考え出したアイデアに自己陶酔してしまって詰めが甘すぎるんだよwwwwwwwww

九州説全般に言えますね。





736 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 15:11:08
南九州は死んだ
残ったのは北九州説のみ
反論受付ますよ

737 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 15:21:14
>>736
サイキバ君乙

738 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 15:35:39
議論もできない負犬には用はない邪馬台国は福岡県です。

739 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 16:07:26
>>734

>結局きちんとした根拠を出せずに最後は曖昧にしてトンズラ

自分は、邪馬台国がどこかも言わず、もちろん根拠も示さず、ただ他の人の
批判をするだけか。
こういう理由でここが邪馬台国だと言ってみたら?

740 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 16:27:10
だから福岡県です
理由はわじん伝に書いてるから

741 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 17:21:33
>>726
榎の本を読む前に山尾の「魏志倭人伝」を読んだ方が良いかも。
「水行すれば十日、陸行すれば一月」の間違いが解説してあるから。
放射説関連で言うと、相見英咲「魏志倭人伝二〇〇〇字に謎は無い」
田中卓「海に書かれた邪馬台国」なんかも読んどくと良い。

742 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 17:53:26
>>739
とうとう”泣き”が入ったかw

仮に俺が確たる自説を持たない批判者だとして
それがどうしたっちゅう話だよwww

これが学者が学説として発表したのなら当然
普段は邪馬台国論争にノータッチの史学者考古学者からも批判されるだろう。

その度に
「自説を持たざる者の意見は聞きません!」
と逆切れするのかとwwwwww

結局ワンサイドゲームで批判されてぶち切れて
「ボク悔しいからお前の説を叩かせろ!」
と駄々を捏ねているだけだなw

つうか「花弁状住居」 やら「蛇行状鉄剣」 が
三世紀の邪馬台国にどう絡んで来るのかサッパリ分からないんだが

…ひょっとして頭の悪い漏れだけ?wwwwwwww




743 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 18:34:05
>>720
残念だけどいきなり宮崎の話してるんだよ
宮崎の話というか九州の政治情勢だ
2000文字全部が邪馬台国までの道のりだけではないだろ?
行程、政治情勢、成り立ち、風俗などいくつかの章に分けられる

南至投馬國水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。
南至邪馬臺國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳[革是]、可七萬餘戸

南至るはどこから?との質問だが出発基点の群と解釈している
つまり從郡至倭の答えが上からのくだりなんだよ。

それと一月は一日の書き間違い、これは一月かける場所が九州にに無いからそう解釈せざるをえない。

>首都って何?
女王之所都のことだ

それから質問は一つにまとめろよ論点がぼやけるだろ
こちらは逃げずに答えてるだろ
何から何まで?連発するから幼児(何も知らない子供)と言われるんだ。

744 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 19:10:00
邪韓國まで七千餘里
対馬まで千里
壱岐まで千里
末盧まで千里

千里を一日で行くとして九州までだいたい10日はかかる。

745 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 20:23:32
とうとう邪馬台国を探し当てました。
邪馬台国の地名は、ぞのものズバリ、今でも残っていたのです。
福島県耶麻郡、これが邪馬台国の正体だったのです。
ここなら東山道を通って1月くらいの距離なので倭人伝の記述とも一致します。
会津とは、ウガヤフキアエズから来ていたのです。
ちなみの卑弥呼の墓はこれではないでしょうか?

http://mw2.google.com/mw-panoramio/photos/medium/6929092.jpg

746 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/09(火) 21:46:53
Pu! 超妄想 wwwwwww

747 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:55:10
>>745あんた、すごいものを見つけたね。
福島にそんな地名が残っていたとは誰も気付かなかった。
その線で調査を進めれば、すごいことが分かるかも。
薩長連合の会津藩に対する異常な対抗意識も、これで説明がつきます。

748 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:57:49

>>736

じゃあ質問

『女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有朱儒國』はどう解釈するの



749 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/09(火) 22:08:35
会津には大彦が行っている。そこに卑弥呼の国があれば朝廷に
報告するだろう。そんな大陸まで知れ渡った卑弥呼の女王国が
大彦からの情報で記紀に全く漏れるのは考えにくい。大彦の時代は
倍暦計上で卑弥呼の時代に相当するのだ。だから会津に女王国が
あったとは考えにくい。

750 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:08:42
>.746それも、会津が邪馬台国だった証拠のひとつです。

751 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:11:04
女王国から東へ千里ほど海を渡って行くと、また国がある。みな倭と同じ人種である。又有侏儒國


752 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:26:57
会津は高天原も近いし、邪馬台国にはちょうどいいな。

753 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:33:49
>>745
どれが墓?どう見ても人工的ではないし、径100歩では回りきれんぞw
手前の木かなんかかw?

754 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:41:10
>>717
もう少し勉強しなさい。まともな質問だったら答えてやる。

>>742
>つうか「花弁状住居」 やら「蛇行状鉄剣」 が三世紀の邪馬台国にどう絡ん
>で来るのかサッパリ分からないんだが
花弁状住居は弥生終期、まさに邪馬台国時代の話だ。日向の文化の程度を示す。
蛇行状鉄剣は古墳時代になってからだが、鏡よりも蛇行剣の方が本当の威信財で
はと考えてみろ。支配体制の中心に日向があったことをうかがわせる。

755 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:49:29
>>729
そんなことを言ってるようじゃ、いつまでもトンデモを卒業できないな。
こんなところへ書けるのは要約の要約、それに納得できないならまず本に
あたって良く読んでみなけりゃ。

756 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:50:11
>>754

>花弁状住居は弥生終期、まさに邪馬台国時代の話だ。日向の文化の程度を示す。


そんなに程度の高い文化だったら
古墳時代には全国に広まってもよさそうなものだが。


757 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:53:30
>>734 >>735
どこが甘いのか、具体的に指摘できるかな?

758 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:57:33
ハイ質問
・伊都国・奴国・投馬国・クナ国はどこ?


759 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:58:49
>>756
世界情勢を見てごらん。現在でも発展途上国はいくらでもあるんだよ。
古墳時代であっても同じことなのだ。

760 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:04:35
日向説に聞いてるのかな?
伊都国は佐賀市付近。奴国は筑後川左岸の城島付近。投馬国は薩摩川内。
狗奴国は志布志湾沿岸の大崎から串間付近。

761 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:12:40
>>725
それは大分県と宮崎県を知らんからだ。いったことがあるなら
答えはひとつ

「一月でも無理」

762 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:16:44
高千穂に徒歩でいくとして(もちろんトンネル無しね。)
福岡側・熊本海岸線側からだと70〜100近く山を越えなければならない。
ただの山じゃなく険しい九州一の山脈地帯。
佐伯湾からじゃ海側さえまともな道もない。
一日二山登下山しても最低35〜40日。道を知ってての話。
知らなきゃ途中で死ぬだろ。





763 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:27:31
>>760
俺は西臼杵郡周辺説だけど、忙しくて毎日見るの無理だよ。
ここの常連は無職か年金生活者か仕事のない貧乏人の集まりぽいな>>畿内説者と北部九州説

投馬国は熊本周辺が怪しいと思ってるんだが、ピンポイントで
比定するまではちょっと。 だってさ、君の比定だと熊本抜かすだろ?
しかし鉄器が一番多かったし、中国の影響濃い場所で
明らかにあれだけ栄えてた場所を無視するわけ?水行考えても熊本南部ぐらいかなと。

狗奴国は北・中部九州連合に対立できるぐらいの国力を持ってる、と考えて
結構九州南部の大きな地域、つまり神功記の熊襲ぐらいの範囲と考える。

ただ「ツマ」って場所は宮崎南部にあるけど....あれは神武にちなんだ
小さな地名だからどうかと思うな。

764 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:38:23
あ、神武じゃなかった、瓊瓊杵命にゆかりの場所だ。
都萬=妻(ツマ)ね。どうだろ、投馬国かな? 
その場合、肥国はどうすんの?



765 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:42:34
>>763
投馬国は伊都国から水行二十日、熊本だと少し近すぎるでしょう。それに投馬国と
薩摩国の音が近いのは何かあるのではないかとね。
熊本は女王国の一部とみます。女王国は万二千里、伊都国からせいぜい千か千五百里
ぐらいから始まるわけですから。お説のとおり重要地域ですから、邪馬台国直轄地か
もしれないし、烏奴国など、旁国の一つだったかもしれないですが。

766 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:59:45
>>754

>花弁状住居
北九州にすら広がっていないのに…って話だ。
要するに
「九州南部は当時こんな文化がありましたよ」
と言う紹介に過ぎない。

>蛇行剣
時代が全く違う。
既にヤマト王権の勢力が全国に及んでいる。
それともお前の日向説は九州王朝説の亜流なのか?wwww

結局
「花弁状住居」は地域が限定的過ぎて
「蛇行剣」は時代が合わない。

いい加減幼稚過ぎる御高説は勘弁してくれwwwwwwwwwwwwww


767 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 00:22:42
花弁状住居が畿内に存在しないということは、
神武東征は大ウソだったということ。

東征厨ざまぁwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww




768 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 00:30:28
>>763
おまえの言ってることは定説通りの北部九州説

769 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 00:35:38
>>766
それで結構じゃないか? 日向には高度の文化があった。倭人伝を彷彿とさせる文化がな。
他の地域にはそのような遺跡は見当たらない。とりあえず、日向が第一候補と言えるな。
ほかの地域に同じように広がっていたらどこが中心か分かったもんではないぞ。

時代がちがえば参考にならんのか? 邪馬台国時代に大和にはどれだけの遺跡遺品がある?
古墳時代に入ってからのものを重要視しているんだろうが。だいたい、既にヤマト王権の勢
力が全国に及んでいるなんて、何の証拠もないな。記紀を盲信してんのかな?


770 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 01:05:45
>>769
はあ?

5・6世紀にヤマト王権の勢力が全国に及んでいるとするのが記紀の盲信?w
ああ、お前が言って居るのは九州王朝の都が日向にあったと言う説だったのかwww

大和にしろ日向にしろ5・6世紀と目されている古墳なんか邪馬台国論争に関係ないだろうにw
問題は畿内で言えば箸墓以前、現在「纏向型」とカテゴライズされている物だろう?

単に畿内以外に大型古墳が多く築かれるのなら吉備や上毛野・武蔵、等々…別に日向に限ったことじゃない。

無論それらの古墳を築くだけの地力があったと言う間接的な証明にはなろうが
そこに邪馬台国があったから築かれたと言う話で無いw

もう言っている事が支離滅裂wwwwwwww



771 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 04:09:07
>>749それが大和朝廷によって隠された事実だったのですね?
    すごい発見です。

772 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 04:17:54
何か哀れなぐらい必死だよな、
「wwwwwwwww」連発のやつ 無茶苦茶頭悪そう

773 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 04:26:56
大体、東征厨の元祖はといえば大海人皇子。

崇神天皇も豊玉姫を奉る神社を大分と宮崎の県境
に建てるぐらいだから当然信じていたはず。というか、天照の
遷宮始めたのもやつだし。神武=崇神説も昔から根深いし。

774 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 04:32:58
祖母山のことね。神武の祖母の豊玉姫。
豊の国というのは、やはり豊玉姫だろうな。

しかし、台輿(トヨ)とも引っかかるし怪しいね〜w
豊(トヨ)の国の海部(アマベ)氏族。
記紀が書かれる以前の海部古墳群も残ってるし怪しすぎ。




775 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 04:34:00
もっと怪しいのは西都原古墳群に誰が眠ってるの?って
ことだけどw

776 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 04:35:11
>>774
台与か豊輿だな。ゴッチャ間違えたw

777 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 05:05:51

トヨタン・・・・・・・・・・


778 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/10(水) 06:57:23
>>730
私の説を理解してから話してください。
理解できないならそう書いてください。

http://yamat-2007.blogspot.com/

779 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/10(水) 07:04:49
>>741
トンデモの紹介はもういいです、お腹一杯w
それらの説で、私の説より優れたところがあるなら紹介してください。
私の説を批判してくれてもおk、そこはこういう理由でこう解釈するのが
あなた(私)の解釈より妥当だ、と言ってくれていいです。

伝の書かれている文字が間違いだとして、それを延々屁理屈ならべて
こじつけようとしているものは、いりません。


780 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 07:19:58
>>770
>問題は畿内で言えば箸墓以前、現在「纏向型」とカテゴライズされている物だろう?
ほう、それがどうゆうふうに邪馬台国に関係するって?
たまには、畿内説論者(だろうな?)の論理も聞いてみるか。
支離滅裂にならんようにね。

781 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 07:36:46
>>779
>伝の書かれている文字が間違いだとして、それを延々屁理屈ならべて
>こじつけようとしているものは、いりません。
一つの行程記事をバラバラにして、まちがえてくっつけたんだってこじつけたの
はあなただったのでは?


782 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/10(水) 08:01:30
>>743
「いきなり宮崎の話をしている」と言われても、その理由がないならトンデモ説ですよ、何度もいいますが。
ちゃんと「こういう理由で、経路途中の話のなかに宮崎の話がでてきたのだと考えられる」と教えてもらえませんか?
でないと理解も反論もできません。

水行20日と、水行10日陸行1月の基点が郡ですか。まぁ後者は私も、倭人情報として
邪馬台国から郡までの距離(日数)と考えているので否定しづらいのですが、
水行20日も郡からですか。唐突に感じますが、なぜ自を明記しなかったのでしょうね。

女王国、邪馬台国、女王之所都。前2つは前回書いて、その理由はないようですが、置きますが、
この3つの関係はどう解釈されているのですか? 貴説の解釈が独自すぎて分からないのですが。

それから質問が多いのは、貴説にそれだけ穴が多いからですよ。

783 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 09:00:53
>>774
豊玉姫が海部氏だとよくわかりましたね。「海部氏勘注系図」によると
7世孫の建諸隅こと丹波大県主由碁理の妹の大海姫で倭迹迹日百襲姫の母です。

784 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 16:13:34
豊玉姫は明らかに豊の国だから、やっぱ海部氏繋がりね。やっぱ東遷なんだ。
だいたい、丹後の海部氏は陵の比定もできない。
系図があるのに墓がわからないとはありえないんだよ。

宇佐氏・辛島氏族にのっとられる前の中津・宇佐地域にいた
大神氏のこともあるし、やはりあの辺りは非常に怪しいね。

785 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 16:24:15
豊後の海部氏も7世紀ごろで居なくなっている。
地名や古墳は残っているが、明治時代に地名はなくなっている。

豊玉姫の霊山である祖母山はもちろん記紀にも出てくる地名だが、
豊玉姫を祀ったのは崇神天皇だぞ。伊勢と一緒な。また
大神氏も同じく。

先祖の陵の比定もできない丹後の海部氏は、一体先祖がどこに居たか
わかってないんだろう。まあ7世紀が最古の原本(曰く)で江戸時代に編纂じゃ
どうしようもないわな。

786 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 16:27:34
しかし、海部氏は丹後国印のある7世紀の本系図や中国の
鏡は出せるのに、なぜ「勘注系図」は江戸時代のものしかないのか。

「勘注系図」が7世紀の原本の写しというが、証明できる
史料が全くないし原本もない。なんだろ、何かおかしいんだが。

787 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 16:33:19
>>780
今まで自分が批判してるのがどんなものなのか聞こうともせずに
批判してたのかい?

788 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 16:45:08
そーかー。

九州から丹後に東征ってことは、

神武東征は大ウソだってことですね。

神武東征厨ざまぁ
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


789 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 16:54:53
神話に何の検証も加えず全てが真実だと見做し、
南九州の国が畿内に東征したと信じるもの
神話に何の検証も加えず全てが虚偽だと見なし、
根拠も無く神武東征を虚偽だと信じるもの

同罪。

790 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 17:27:58
>>761-762

実際の九州に土地鑑ある人間に聞きたいんだが

ここまでの日向説の奴の言う内容だと九州山地を横断するそのコースは
魏使が通ったのみならず、通常の文物の流通にも使われたコースと言っていると思うのだが

果たして瀬戸内、太平洋日向灘の海路を通るより実用的なのかな?


791 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 17:38:45
ついでにもう一つこれも九州が地元の人間に聞きたいんだが…

ここの放射説だと伊都国は佐賀大和らしいのだが
「郡の使の往来して常に駐る所」と言う外交窓口にしては随分内陸のように思える。

かと言って、官も副も書かれていない「草木茂盛して行くに前人を見ず」の
末盧國に外交窓口としての機能があったとも思えず

佐賀大和を伊都国にするには位置的にどうなのよ?とwww

まあ後世の大宰府も当時の海岸線を考慮しても内陸と言えば内陸かもしれんが
佐賀大和だと有明の方が近いだろうとwww

792 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 19:25:12
丹後地方には5000基以上の古墳があるので海部氏の古墳を治定するのは
墓碑・墓誌が出土しないかぎり不可能です。古墳の年代から海部氏は丹後に
弥生時代後期から住んでいたことが推定されます。
豊前・豊後で豊玉姫を崇神天皇が祭った事と海部氏一族がいた事と宇佐神宮が
出雲大社と同じ2礼4拍手1礼である事から出雲を奇襲攻撃をした戦歴を持つ
海部氏の建諸隅(由碁理)が豊前・豊後を西征し制圧した事がわかります。
「海部氏勘注系図」に異議のある人は「辛嶋勝姓系図」でも出しなさい。

793 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 19:57:40
>>791
>かと言って、官も副も書かれていない「草木茂盛して行くに前人を見ず」の
>末盧國に外交窓口としての機能があったとも思えず

そうですね。
どうも末盧国の記述は、倭人伝の各国の中でもなんかヘンな感じがします。

草木茂盛のこととか潜水漁法のこととか、ある面たいへん詳しい描写してるのに
末盧国は他国と違って、

1.一支国からの方角が書いてない。
2.官も副も書かれていない

のは、なんとも不自然に思えます。
とくに1.の方角は、国名だけの傍国を除くと、女王と敵対関係らしい狗奴国にも書いてあるし、
侏儒国や裸国・黒歯国のような得体の知れない?国々まで明記してますよね。

それなのにどうして末盧国だけは方角が書いてないのでしょう?単なる書き漏らしですか?
どなたかなるほどと納得できる説明、やってくれませんか。

794 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 20:10:35
>>793

隠す必要も特に無いので書き漏らしか、後世の写本時に脱落したかでしょうね。


795 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/10(水) 20:33:48
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/g01.files/12/ad50jousei.gif

末盧国とは 海人の村の集合体であり、これらの人々を統べる王は居なかった。
筑紫大王のシノギは未だ”種貸し”漁民を統べる方法が無かった。
だから漁民は暦も知らない。


796 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/10(水) 20:38:06
>>781
ではお聞きしますが、2回の魏使があり、2回のその行程が同じだったと考えられる確たる何かはあるのでしょうか?
いままで誰一人、そのことを疑わず盲信していたほうが私には不思議でなりません。

797 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 20:44:22
>>782
「いきなり宮崎の話をしている」と言われても、その理由がないならトンデモ説ですよ、何度もいいますが。
ちゃんと「こういう理由で、経路途中の話のなかに宮崎の話がでてきたのだと考えられる」と教えてもらえませんか?
でないと理解も反論もできません。

理由は何度も書いてるじゃないか行程の話が終了して章が変わったんだよ
いつまで自分の固定観念「経路途中の話」で人を批判してるんだ?
おれは経路の途中なんて一言も行ってないぞ。

だいたい基本的なことも読み取れてない
倭人伝は「倭」を紹介してるんだよ邪馬台国は倭の中の一つとして紹介
從郡至倭は從郡至邪馬台国ではない、最終目的地は九州(倭)で邪馬台国ではない
奴国までいけば十分到着してるんだよ、次に鎮守は何を話すか、九州の情勢を話してる
九州の三大国の説明なんだよ


798 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 20:54:32
>>796
おまえ質問バカだな
おまえの意見は久留米が投馬、理由は途中に書いてあるから、だけ恥ずかしい…
質問も低レベルすぎる、女王の都とする所の意味も昨日理解した癖に。

799 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:09:28
>>793
濱山海居草木茂盛行不見前人
官名も無し、とても唐津を説明してるとは思えない。


800 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:22:22
>>790
壱岐から宮崎に行く場合、倭人伝に書かれているようなコースを取るのが
一番妥当だろうな。

まず、避けたいのが外洋。転覆したら死んでしまうし、荷物もおじゃん。
日向灘などは、江戸時代の薩摩藩でさえ避けた。古代船では危険すぎる。
そういう意味では、神武東征のとき、船で出発したというのはちょっと
疑問かな。

長崎回りで船で行くというのもやはり危険なので、唐津あたりから陸路で
有明海に出るというのは妥当だろう。

有明海や八代海を通って、恐らく、芦北で船を下りる。そこから人吉までの
約40kmは狭い道ではあるが、険しくはない。

唯一の難所が、人吉からえびのまでの約20kmの峠越え。
高校生になる頃、自転車旅行をして、この峠を越えたのだが、登りはずっと
自転車を押してあがった。きついことはきつい。

えびのから宮崎までの約70kmは、まあ普通の平坦な道が続く。

他にも宮崎に行くコースはあるが、このコースが一番妥当だろうと思う。
景行天皇が熊襲征伐をした後の帰路もこのコースと重なる。

801 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:31:06
>>800
>まず、避けたいのが外洋。転覆したら死んでしまうし、荷物もおじゃん。

危険危険ってw
西都原古墳群といえば大きな船形埴輪が有名じゃん
ガンガン航海していたよ。
http://www.pmiyazaki.com/saitobaru_169/img/h_hune-800.jpg

802 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:43:01
やっぱり伊都国は伊東で、邪馬台国は福島県耶麻郡、会津地方だった。
難升米は、耶麻国の出先機関の長。奴の升(将)久米だったのではないでしょうか?

803 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:24:38
邪馬台国論争が決着するためには
やはり中国で新たな文献が発見されるしかないんでしょうか?

804 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:30:33
会津から△が見つかれば、決まりかと。

805 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:43:32
会津から親魏倭王の金印が出ても九州から転売されたと思うね。
会津から卑弥呼の名前入り墓が出てもキリストの墓と同列のミステリー。

806 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:52:32
>>791
>伊都国は佐賀大和らしいのだが「郡の使の往来して常に駐る所」と言う外交窓口
>にしては随分内陸のように思える。
郡使往来常所駐を伊都国についての記事と読んできたのがまちがい。郡使は当然の
ことながら邪馬台国を訪ねている。その郡使が伊都国に少々長逗留をしたからとい
って、そんなことをわざわざ書く理由はない。
世有王、皆統属女王国、郡使往来常所駐。この一連の文章は、対馬国から伊都国ま
でに共通する文章だ。したがって、郡使往来常所駐は、4か国が邪馬台国への往来
に際して駒をとどめる所、つまり経由地だということを言ったものだ。逆に言えば
その後の奴国以下が経由地ではないということ。
要するにこの文章は伊都国を基点にして放射式に読むべきことの指示だ。
なお、伊都国(佐賀大和)の港は当然有明海に通じるのであって、玄界灘ではない。
津に臨みて云々はその伊都国の港のことであり、末盧国の港のことではないな。



807 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:54:59
邪馬台国はエジプトだったんだよ。

808 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:15:28
>>788
海部氏だけでそんなに興奮すんの? 頭悪そうだけどw 海部≠神武
阿蘇氏、大神氏も東遷してるし、穂高見命だってそうだ。
別に基地害みたいに騒ぐことじゃないし。

神武東征話は崇神に非常に近い筋、つまり自分自身か父親ぐらい近いだろうね。
そうすれば纏向宮の時期(景行天皇4世紀初頭)、神功皇后の九州・朝鮮遠征
(4世紀半ば〜後半)。朝鮮・中国側の資料と系譜の年代があってくる。

809 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:16:47
>>805九州で見つかった金印は、会津にある本物の金印のレプリカ
前方後円墳は磐梯山のミニチュアだ。

810 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:29:59
記紀では纏向宮を興したのは景行天皇。
しかし神功皇后の朝鮮遠征が本当だとして、それが中国・朝鮮の
史書に記録されているのは4世紀後半。

つまり神功皇后・武内宿禰が実在だとして4世紀後半。
唯一、実在性が高いのは葛城襲津彦だが、それは後の世代だし。

つまり、記紀の出来事と系譜、それを外国の史書の年代にあわせると
景行天皇はやはり4世紀前半ぐらいの実在になる。だとすると
すごく合ってくるね、いろいろ。


811 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:30:16
>>809
会津は縄文時代だったと思うぜ、ドングリ食べてた。

812 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:32:01
ただし、記紀では300年も生きた武内宿禰は嘘っぱちばかりで
やはり実在したのは葛城襲津彦だけ、で、それが4世紀後半。
そんなとこだろうと思う。

813 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:32:56
>>793
>どなたかなるほどと納得できる説明、やってくれませんか。

なるほどと思ってくれるかどうか知らんが、一つの考え方として。

・末盧国は、国内の情景描写がある。
・同様の描写がある国を、倭人伝冒頭の地理記載で探すと
  ・対馬国・・土地は山険しく深林多く道路は禽鹿の径の如し・・良田無く海物を食して自活
  ・一大国・・竹木叢林多く・・・田地有り、田を耕せども猶食するに足らず
この2国。つまり情景描写のある国は対馬国、一大(支)国、末盧国の3国のみ。

伊都国から先は、邪馬台国を経て狗奴国までは(傍国は除くが)、ずいぶん簡略な記載。
「郡使往来常所駐」「女王之所都」「不屬女王」などは事務的に書いているだけ。情景描写ではない。

・つまり倭人伝の記述のために使われた元資料に2系統あったと考えられる。
  ・A資料・・対馬国、一大(支)国、末盧国。
          ・・内容の主体に国の情景描写があった。が方位・官名は記さず。
  ・B資料・・対馬国、一大(支)国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国、狗奴国。
          ・・方位・官名は記していたが、情景描写は無かった。

・末盧国は、陳寿にはA資料しか参照するものがなく、方位・官名を記すことができなかった。
・対馬国と一大(支)国は、AB両資料が得られたので、方位・官名も情景描写も記せた。
・残りの国々はB資料をそのまま記載。よって情景描写は無し。

・A資料は韓半島〜壱岐〜対馬〜唐津を行き来していた商人や船乗りらからの聞き書きだろう。
・B資料は魏命による郡使が記録したものだろう。郡使は末盧国は訪問していなかった!
以上。

814 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:37:22
>>806

もう放射説やりたいほうだいだなwww



815 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:42:14
>>813訂正
韓半島〜壱岐〜対馬〜唐津  →  韓半島〜対馬〜壱岐〜唐津

816 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:47:00
そんなに沢山解釈が成り立つってのもなんだかおかしい。暗号じゃあるまいし。
本当の読み方は一つなんじゃ?

817 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:50:29
>>789
神話っていうけど、記紀は天皇勅撰の正史だって知ったうえで?
どっかに隠れてた江戸時代の私書と同じにするなら基地害と同類。

特に「古事記」は天皇家に代々仕える猿女君の一族の語り部の口伝書だからな。
神武東遷がなかったなら、もう天武天皇と猿女君と天照大神伝説自体、嘘
だと疑うことになるwww それもあると思うけどw 
国の正史を朝廷ででっちあげて、あとの書は聖徳太子の時代に焼き払ってる。
何の意味があるのか是非知りたい。

それは蘇我氏が天皇だったから? 「卑弥呼は蘇我氏の女王!! 」
はいはい。ぜひ検証お願いします。
なんせ偽書が国宝だしね。すごいよ。


818 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:53:55
>>806は、直接には「邪馬台国の暗号」安田哲也の説だ。しかし、次のサイトにも
同じ考え方が載ってるな。放射式の指示とまでは気づいてないみたいだが。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/wajin.html
伊都国の部分の解説に以下のようにある。
魏略逸文は伊都国までの四国(対馬、壱岐、末盧、伊都)全てに王がいたと書かれて
いるとする説がある。この説に従うと、『世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。』
はこの四国についての記述と考えたほうがいいかもしれない。つまり、『(これまでの
四国には)代々王があり、皆女王国に従っている。(これらの四国は、)郡使が往来する
時にいつも滞在する所である。』と解釈する。

819 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:54:33
>>813
>伊都国から都国先は、邪馬台国を経て狗奴国までは(傍国は除くが)、
>ずいぶん簡略な記載。

別の資料を2つ合わせたんだろ。つまり伊都国までの資料。それから
女王国までの資料と。原文読んでみろよ、漢字の使い方が変わっている
から同じ文内でなかったのはたしか。

だから女王国までの距離は朝鮮半島からかも、ってのは昔から言われているし。




820 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:54:50
正史ってのは時の権力が自分に都合よく作ったのは明白だ。

821 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:02:04
そのうち魏志倭人伝の文字を何文字か毎にピックアップしていけば
隠れたメッセージが浮かび上がってくるとか言う説も出てくるのかな?wwwwwwwww

822 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:22:20
又度海千余里 至末廬國 人善捕魚 能浮没水取之
 東南五百里 到伊都國 戸万余 置官曰爾支 副曰洩渓 柄渠 其國王皆属女王也


魏略の隠れたメッセージが解るかな?


823 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:23:11
風俗を見れば九州だろうな。
刺青して裸で暮らし海に潜る。南洋の土人だ。九州しかあり得ない。

824 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:26:51
>>822
解らないデス
解説どぞ!

825 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:30:07
>>822
『三国志』の『魏史』でしょ?
漢文の専門家や中国人の古典専門家なら一読して分かるんじゃなきゃおかしいんじゃないの?


826 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:35:29
ヒント1
戸万余は吉野ヶ里級

ヒント2
佐賀大和の港

827 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:38:41
ヒント3
郡使往來常所駐

ヒント4
伊都

ヒント5
佐賀平野

828 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:40:20
もったいぶって・・・・

829 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:44:51
ヒント6
日向灘は波が荒い

ヒント7
古墳群

ヒント8
思いのほか人口が多い

答え
日向は
















投馬国

830 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:08:33
邪馬台国は南洋の土人の風俗でしょ?
九州人ですよ。
戦前まで、南洋の土人と同じく女の人もオッパイ丸出しで農作業するのが当たり前だった。
邪馬台国は九州。間違いない。



831 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:15:29
>>820
時の権力=天武天皇とその家系だねえwww と、お付の猿女君氏族か。

日向の天照大神話や神武天皇の東征話という朝廷勅撰の正史が
7世紀以降の大和朝廷の正史。都合ではなく、これが彼らが代々語り継がれてきた
歴史なんだよ。検証して当然。

他に何も史料も比較対象もない江戸時代編纂の家系図とか、どうやって「検証」すんの?
「信じる」ぐらいかあww しかし、本当に他にないからすごいよなあ

>>829
その日向は北・南どっちのほう言ってんの まず西都原古墳群のある位置からして
あそこ辺を境にして地形が変わるけどな。大平野部、山が険しい地域、いろいろ。
ひとつの国で収まってるわけないだろうに。

832 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:20:40
>>831
時の権力者が作ったものを信じるしかないなら君は歴史家でも歴史学者でもない。
検証が必要なのでは?

833 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:27:35
>>832
信じるしかないなんて誰も言ってないけど????  頭大丈夫?
君さっきからケチつけてばっかりだね。

確かに神社の立て看板や神社の私文書を鵜呑みにするのは馬鹿の極みだよ。

しかし大和朝廷が正史として国家事業で編纂した歴史書であり、
天武天皇は今の天皇家に続く系譜に直結してるのだから
「時の権力者」一言ではすまない。

だから馬鹿と話するのはいやなんだよ....

834 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:31:34
天武天皇が、ただのどこの骨かもわからない地元の成り上がりで
しかも2,3代で日本の歴史から消え去った豪族ってなら
話は別だけどねえ。

「時の権力者」ってのは葛城氏とか蘇我氏とかそういう豪族。
だからこそ、海部氏の系図が一番嘘くさい。




835 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:41:00
しかし伊都国=佐賀大和から南九州の邪馬台国のルート上で
弥生後期に栄えた三雲井原やら須玖岡本に対抗しうる遺跡ってあるのかね?

結局弥生末期栄えたのは玄海灘周辺・九州北岸地域だとしたら
邪馬台国自体は冊封の恩恵も受けず経済発展からは取り残された?

いやむしろ九州北岸地域と対立していたと言うお話にすれば
九州山地横断コースの魏使ルートにも都合が良いかな?w

836 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:50:43
大体、この「天皇家」って氏族だか家に代々、猿女君の語り部により
伝わる歴史ってのが「記紀」なわけね。
奴らが皇祖神が九州から来たって伝えている理由は?

もちろん、土着の豪族は自分の家の歴史に「九州から来た」なんて系譜を
つくるわけがない。知りもしない土地に先祖の名前を置いて神社立てるかよww

明らかに天皇家の氏神の歴史だったんだろ、ニニギ・天照大神・神武東征
それを日本建国の歴史としてぶっ被せた。そんなの有力豪族の家なら
どこでもやってるよ。例えば蘇我氏とか葛城氏とか、海部氏家系図とかね。



837 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 02:07:31
狗奴国の卑弥弓呼 

無視できない奴。ここはどこだ?

838 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 02:47:22
蘇民将来。蘇民将来。

839 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/11(木) 12:34:10
>>797
章が変わった?根拠のない戯言ですよ。変わってなんかいないのは誰がみても明らかでしょ?
だいたい何故不彌国で終わるの?オカシナこと言ってるのに気がつかないのは何故ですか?

>從郡至倭は從郡至邪馬台国ではない
「倭」がどのような意味で使われているか理解できていないでしょ?
その文は倭である狗邪韓國までを指すものですよ。

根拠のない勝手な解釈ばかりですね。


840 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/11(木) 12:43:01
>>798
簡単な質問を2・3しただけで、答えに窮してうろたえ、説明も反論もできずに揺らいでしまう説の方ですね。

>おまえの意見は久留米が投馬、理由は途中に書いてあるから、だけ恥ずかしい…
私の説を全部読んでいただければ、だけ、なんて話にならないのですが。
大体、行程記事ですから、邪馬台国に至る途中にある国であることはなんら不利な事ではない。
いきなり宮崎だの出雲だのと言うほうがオカシな話で、その説明も十分にできないものを盲信できるのが
私には不思議に感じます。

質問が低レベルなのは、他の人の説が非常に低レベルなことすらまともに説明できていない為です。


841 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 15:47:01
>>823
それはあくまで郡使が九州までしか行ってない、
と言う証拠にしかならんぞ。
邪馬台国が畿内とか沖縄とか遠い所にあったので、
郡使は伊都国までしか行かず、その周辺の風俗しか分からなかったのかも知れない。
>>832
何の検証も加えず記紀に書いてあるそのままを信じるのと
何の検証も加えず記紀に書いてある事を否定するのは同罪だぞ。

宮崎にでかい国があったとしても、それは邪馬台国よりは投馬国の可能性が高いだろうね。
何せ「妻」って言う、そのまんまの地名があるわけだから。

842 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/11(木) 17:43:07
>>813
私も2つの資料という説なので、同様のことを考えてみたのだけど、少し考えた程度では上手くいかなかったw
考えてみたシナリオは、
梯儁は東松浦半島を海岸沿いに進み末盧国には寄らずに伊都国(前原)に行った。
半島沿いを進んでいたときに見た光景を伊都国でたずね、魚鰒をとっていたこと、
そこが末盧国という国であることを聞いた。
みたいなものだけど、これだと経路として末盧国が書かれない可能性が高くなる気がして今一。

商人や船乗りらからの聞き書きの資料という発想は面白く感じました。

ただ倭の情景描写は後でまとめて書いているため、行程記事の箇所では
その国特有のもの以外は、書かれなかったという可能性もありますね。

843 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 17:44:21
>誰がみても明らかでしょ?
>誰がみても明らかでしょ?

泣き言乙w最初から君が反論できるレベルではないのは解っていたがw

>その文は倭である狗邪韓國までを指すものですよ。
その先は倭じゃなかったら何なの?w

>他の人の説が非常に低レベル
おまえが低レベルだよwつか低脳児だよw

>私の説を全部読んでいただければ
低レベルなおまえの妄想を読むかよw


844 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 17:49:06
>だいたい何故不彌国で終わるの?

知りたいか?w
教えてほしいか?w

845 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 17:54:41
お〜い負け犬◆.L.MXSPOgc
どうしても知りたいのか?w
どうしてもというなら教えてやってもいいぞ〜w

846 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 18:05:11
常人よりバカに至るには
まず大国に至る次に◆.L.MXSPOgc に至る


847 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 18:10:14
◆.L.MXSPOgcをもって低脳連合の北限とする
バカの大国は◆.L.MXSPOgcを盟主とする低脳連合には入っていないことはわかるよなw
国語勉強せいよw

848 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 19:08:59
九州説は低脳連合。

低学歴のバカ。

849 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 19:14:27
悪態合戦は、やめれ

850 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:11:03
めんどくさいなー、もう。

結局、邪馬台国は大和なの?九州なの?

851 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:17:35
>>850
島原らしいよ

852 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:30:09
陳寿 「全部、オレの創作したフィクションなんだけどなぁw」

853 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 20:32:56
>>671
× 御腰に付けたキビ団子
○ 古志(越)の吉備氏

だしね


鬼ヶ島は各務原だし


854 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 20:39:54
>>850
倭人が統治してた「加羅」だってば
卑弥呼は沢山の戦争の殉職者と共に戦死した善徳女王(皇極天皇)だよ
卑弥呼(善徳女王)の墓は狼山の南にある「須弥山」だよ



ちなみに卑弥呼や邪馬壹國や三國志伝や漢や唐な和国大乱も西暦600年頃の話だよ

855 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:40:45
難儀なヤシが来たぞ

856 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:42:54
まず、魏志倭人伝がすべて正しいことを証明してからでないと
そこに書かれている邪馬台国に関する記述を信用することはできない。
古事記や日本書紀のように、言い伝えを筆記しただけの部分も多そうです。

857 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:22:52
◆.L.MXSPOgcはバカではない。
バカなのは>>847

『從郡至倭、循海岸水行歴韓國乍南乍東、到其北岸狗邪韓國七千餘里』
「郡より倭に至るは、七千餘里で狗邪韓國に到着する。」と書いてある。

「狗邪韓國」とは、韓地の狗邪國の意味である。
理由は以下の通り。
『韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里 有三種 一曰馬韓 二曰辰韓 三曰弁韓』
『國出鐵 韓 濊 倭 皆從取之』
韓地の北は帯方郡、東西は海、南は倭人がいる。
(弁辰の)国では、韓人と濊人と倭人がおり、鉄を取っている。
即ち、韓地に狗邪國と言う倭人の国があることを意味している。

858 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/11(木) 21:24:38
>>843
行程記事が奴国で終わってるなんて言ってる人誰かいますか?
終わってる奴国の次の不彌国は何ですか?

私が反論できないのではなくて、あなたが説明できていないのです。

はっきり言って貴方は現状認識できない低脳です。
あなたの説は、その低脳のつくった低レベルなトンデモ説です。

私の説の批判なり質問なりが出来ないからといって捨て台詞か・・こんな低脳さんはもういらないのだけどなぁ

859 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:32:44
嘘ばっかり書いて、よく平気で生きてきたものだよ>陳寿くん

860 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:33:54
今の社会保険庁を見れば、お役人がいかにいい加減だっかたがわかる。
嘘ばかり書き並べて、生きている価値がない。

861 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:42:22
>私の説

どうぞ、批判も質問も山盛りでしてやろう。

862 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:44:16
>行程記事が奴国で終わってるなんて言ってる人誰かいますか?
>終わってる奴国の次の不彌国は何ですか?

知りたい?
教えて欲しい?


863 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:51:41
>批判なり質問なりが出来ないからといって

低脳の説とはどんなのかね
久留米が投馬とか言ってたようだがw



864 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:14:19
>>857

到其北岸 狗邪韓國

865 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:19:28
難升米とは、奴の将の久留米という意味。
久留米は邪馬台国の外交のまふぉ口だったのだ。

866 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:25:13
まふぉ口とは何だ?窓口といえ。

867 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:32:13
>>843
狗邪韓国は倭じゃないな。

868 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:51:10
倭人在帯方東南大海之中。依山島為国邑。
狗邪韓国は大海の中ではない。山島でもない。

869 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:54:52
自女王国以北、其戸数道里可得略載。
狗邪韓国は戸数が書いてないな。

870 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:17:47
>>864

到 其北岸 狗邪韓國

「其」は、乍東のとき水行した海を指す。
北岸は航路の北側の海岸であり、その海岸が狗邪韓國である。

>>867
説明を読め。


871 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:24:27
>>870
榎という者のトンデモ説を盲信しているのですか。哀れですね。

狗邪韓国が、韓人の国の意味でも、韓の地の国の意味でも、
それだけで、倭の国だったかどうかを決定づれられるものではないですよ。


872 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:27:15
>「其」は、乍東のとき水行した海を指す。
其は倭だよ。岸はあくまでも陸地の一部。海ではない。


873 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:29:57
>>871
榎の説と>>870は無関係。それを混同するとは哀れ。

874 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:31:29
>>794さん
>>813さん

ありがとうございます。
813さんのは面白かったですが、疑問もあります。伊都国の最初の

>東南陸行五百里、伊都国に至る

これ一体どちらの資料に基づくのでしょう?
「陸行」ですから、まさか一支国からではないですよね。そこが大きな疑問点。

でも「情景描写」の有る無しという読み方は、「なるほどな」と思いましたよ。w
対馬国、一支国、末盧国の三ヶ国は、確かに他の国々よりも描写度が高いですね。
倭人伝は色んな読み方ができるものだなと思いました。自分ももう少し考えてみるつもりです。

あ、それともう一つ疑問が出てきて、末盧国には官はいたのでしょうか?

813さんは「いたけど官名の記録が中国側になく記載できなかった」の意見のようですが、
794さんはこの点どうでしょう?他の方々もなにかご意見あったら、よろしく。

875 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:40:05
>>873
中華帝国では支配層と非支配層の人種が違うことも多いので、倭人の国ではないから倭国ではない、
という考えをしないとも考えられます。例えば公孫氏は漢の人だが、支配していたのは韓人の国。

しかも韓の地で倭人が鉄を採っていたのだから、少なからず倭人が居たことが推測される。
彼らはどこに居たというのでしょうか。その都度、海を渡っていたわけではないでしょう。

トンデモ本を沢山読んでそれらを盲信しても、何にもなりませんよw

876 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:43:46
>>871
榎という者は知らない。

狗邪韓国は、韓の地の国の意味で、倭人のいる国。
「到」が倭人の地域に到着したことを示している。

>>869
戸数のない狗邪韓國は、女王國の支配下にない倭人の国であると推察される。
倭人の国である狗奴國もしかり。


877 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:52:30
>>875
>韓の地で倭人が鉄を採っていたのだから、少なからず倭人が居たことが推測される。
倭人がいたからといってそこが倭の国になるわけではない。弁辰の中で倭人が活動し
採掘した鉄を倭国へ送るということも考えられる。




878 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:58:11
>>876
「倭」がどのような意味で使われているか理解できていないでしょ?
その文は倭である狗邪韓國までを指すものですよ。

根拠のない勝手な解釈ばかりですね。


879 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:00:03
>>878
あんたもできてないな。

880 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:05:29
>>876
>戸数のない狗邪韓國は、女王國の支配下にない倭人の国であると推察される。
女王国の支配下になくても、倭人の国であれば戸数が書かれなければならないな。

881 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:10:23
>>879
海を隔てているなら、普通は接していると書かれないです。三国志で、川でも湖でもいいので
○○を隔てて接している、と書かれているところはあるのですか?
はっきり言って貴方は現状認識できない低脳です。
あなたの説は、その低脳のつくった低レベルなトンデモ説です。
投馬国は久留米です。水行20日の行き着く先は琉球です。


882 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:19:36
>>881
>投馬国は久留米です。水行20日の行き着く先は琉球です。
南至投馬国水行二十日。投馬国=久留米、20日の先=琉球、久留米=琉球??
あなたの説は、その低脳のつくった低レベルなトンデモ説です。


883 :876:2008/12/12(金) 00:27:30
>>880
>女王国の支配下になくても、倭人の国であれば戸数が書かれなければならないな。
倭の狗奴國には戸数がない。

>>878
>その文は倭である狗邪韓國までを指すものですよ。
其の通りだよ。
反論の相手を間違えているのではないの?


884 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:32:09
>>883
狗邪韓国が、韓人の国の意味でも、韓の地の国の意味でも、
それだけで、倭の国だったかどうかを決定づれられるものではないですよ。


885 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:38:00
>>883
>倭の狗奴國には戸数がない。
狗奴国は女王国より以北ではないよ。


886 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/12(金) 00:44:26
>>874
魏略には一支國の説明として「置官与對同」と、對馬國と同じ官だと書かれていますね。
三国志ではそれぞれに曰卑狗・卑奴母離と書かれていますが、
同じ人物だったのか、同じ名前もしくは職名が書かれているのか、はっきりしませんが、

同じ人物だったとしたら、狗邪韓國や末廬國も同様に同じ人が統治していた可能性もありますね。
本筋からそれましたが、参考まで。


報告書が2つある、からルートが2つある、となってくると私の説に近くなる、のかな♪

# 名無しで私の書き込みのコピペを貼ったり自演したりしている人がいるようですが、トリは破れなかったようですw
# 相手にしないようにお願いします。

887 :883:2008/12/12(金) 00:50:53
>>884-885
「従」→「至」→「到」とあるから倭に到着。

888 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:53:46
「至」と「到」の違いは?

889 :883:2008/12/12(金) 01:06:16
「従」→「至」→「行」→「到」とあるから倭に到着。
「従」は起点を示す。
「至」は目的地を示す。
「行」は具体的動作。
「到」は着地を示す。



890 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 01:19:11
至(目的地)と到(着地)の差がよくわからないが?

891 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 01:48:14
>>885
>狗奴国は女王国より以北ではないよ。
この人は議論する資格なし!まず論理的思考を身につけてからだ。


892 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 02:25:42
魏の使節は唐津市にあった末廬国に着岸し一大率のいる前原市にあった伊都国
へ向かう福岡市にあった奴国を経由して北九州市にあった不弥国で船団を編成し
米子市にあった投馬国の美保関付近に着岸する。さらに航行して卑弥呼の実家
である京丹後市にあった旦波国の函石浜付近に着岸し船を降りる。
その後、陸路を進み邪馬台国の都があった桜井市の纏向に到着する。

893 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 07:08:07
>>891
自女王国以北、其戸数道里可得略載。
狗邪韓国は、女王国よりも以北の国だ。だから倭の国ならば戸数が書かれてるはずだと言ってるんだ。
狗奴国は邪馬台国よりも南だから、戸数が書いてないからといって問題はない。


894 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 07:16:09
>>893
邪馬台国は北九州から南のはずだろ。東北へ航行するのか? 
それに南としか書いてないんだから、上陸してからも水行の方角とほぼ
同じ方へ行くはずだ。纏向では水行の方角と90度ちがう。

895 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 07:22:14
>>889
東京より奈良に至るには、新幹線に乗って京都に到る。そこで、近鉄に乗り換え
奈良に至る。
京都は奈良ではないが、文章としては成立してるよな。

896 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 07:27:40
>>894
昔から中国人は倭を南に伸びる国と解釈してたからな。
郡使の最終目的地は伊都国で、一大卒から
「我々がこれを届ける邪馬台国はここから水行十日と陸行一月の所にある」
「水行二十日すると投馬国に着く」と聞かされれば、
まず中国人は「南」と解したろうな。

897 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 07:30:38
・倭人の女王
・邪馬國、弥烏邪馬國
・倭山
・鬼道使いの女王
・生涯独身
・殉葬者数百人



これ加羅の邪馬國の善徳女王の事なんだけど、卑弥呼そっくりでしょ?

898 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 07:32:34
>>896
魏書や髄書などの書物を書いたのは中国人じゃなくて王仁氏族だろ?

899 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 07:39:16
>>896
地図を見れば解ると思うけど、そもそも日本は中国大陸の「東」にある島で、中国の南に日本は無いよ


そもそも韓半島と日本の関係にしても、韓半島の南じゃなく東が日本だから

900 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 08:06:46
>>896
日本列島が南に伸びるというのは間違い。間違いには何か根拠がある。
それが倭人伝だろう。倭人伝の記述を見て、日本列島は南に延びると考える
人もいた。そう考えるのが妥当かな。

多分、邪馬台=大和と考えたのだろうが、邪馬台は南で、大和は東。
違う場所にあった。
邪馬台と大和に連続性があるとすれば、東遷説になる。

901 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 08:57:44
>>900
日本語でおk

902 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 09:01:53
魏志倭人伝をもう一度ちゃんと読んだ方が良いよ
魏志倭人伝では
「倭人在、帯方東南、大海中依山島」

随書倭国伝では
「倭人在、百済、新羅東南、大海中依山島」
他に魏志倭人伝では
倭地の海中洲島以外に帯方郡、諸韓国、及使徒倭国に倭人が居て国を築いてた事が書いてあるよ



あと「倭国温暖」や「東南海中依山島」とかの記述からも解るように
魏書を書いた民族は(漢氏?秦氏?)は、帯方(韓半島)や中洲島(日本列島)より北に居た人達って事だよ


903 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 11:25:33
そもそも卑弥呼の時代の日本列島(朝鮮半島もしかり)というのは
現在の形をしていたのか?今の陸地であった所が昔は海だったとか。
噴火で地形が大きく変わる事も多々あっただろうしな。

904 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 11:29:10
「水行○○日」「陸行○月」
これって魏志倭人伝を書いた人物が居た場所からの、その場所までのルートと所要時間でしょ?

つか古代日本と交流のあった中国の漢とか随とか唐とか魏とかは、朝鮮半島〜遼東半島付近に居た氏族って考えて間違い無いよ

漢氏にしろ秦氏にしろイスラエルとかアーリアとか、あっちの方からの移民であって中国人じゃないんよ

905 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 11:34:32
>>903
卑弥呼が使徒を送ったのは己末年だよ

この己末年が一般的には西暦290年頃と解釈されてるけど、倭の加羅邪馬國や善徳女王の記述と卑弥呼の時代の相違点を考えると、魏志倭人伝にしろ三國志伝にしろ、西暦650年頃の話だと思うよ



906 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 11:35:01
>>893
だから論理的な思考を身につけなさいと言っているんですよ。
自分が書き込んだ文をよ〜く見つめて考えてごらんなさい。
恥ずかしくない様だったら大問題。

907 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 11:44:20
>>890
>至(目的地)と到(着地)の差がよくわからないが?

説明が適切でなくてごめん。
「至」は方面を示す。  かな?(方位方向ではない)
以下の解説を読んでより適切な表現を考えてください。そして教えてね。

倭は広い。
倭の国々は以下の通り。
@使譯所通三十國(狗邪韓國〜邪馬壹國)
A狗奴國
B女王國東渡海千餘里復有國皆倭種(複数国)

倭の国々の中で着地と書いてあるのは、「到狗邪韓國」と「到伊都國」である。
狗邪韓國は倭で最初に訪れる国だから。
伊都國は漢代に付き合いのある倭の旧代表国だから。(倭奴國からの流れを汲む国)
残りの着地である女王國は「到」で表さないで距離(道程)12000餘里で表現している。

908 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 12:20:27
>>905
西暦650年頃って現在の地形とほとんど同じ?
まぼ台見たけど、竹中がこのあたりは陸地じゃなく昔は海だった、
というくだりもあったしね。

909 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 12:37:24
>>908
全く同じかどうかは解らないよ
地震などで地形が変わったり湖が無くなったりしてる可能性はあるし、そういう伝承がある土地も確かにあるし
後は「道」だよね
今よりインフラが進んで無いだろうから、開拓してなかったり道が作られて無かったりして行けない土地などもあるだろうし
古代からある道もあれば近年作られた道もある
この時代にまだ作られてないルートは通れないしね


910 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 12:56:02
7世紀においてでも、筑後川河口部は現在の河口より北に有明海が入り込んでいたよ。
3世紀では吉野ヶ里遺跡のふもとまで有明海が入り込んでいた。

911 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 12:58:07
「倭人在、帯方、東南大海之中衣山島」

倭人は帯方郡と東南の海の中依山島に在る
(ちなみに帯方郡ってのは韓半島南部地域)

「魏」を「楽浪郡(韓半島北部)」とした場合
南部に帯方郡が在り、東南の海の中に日本列島が在る位置になる

邪馬壹國はともかく魏の位置は楽浪郡辺りだと思うよ
ちなみに楽浪郡から日本に来るには普通は九州じゃなく越(北陸)の港に来るよ
新潟の近江港や越などに漢や秦などの大陸系の渡来人の由来が数多く残ってるのもその為だと思うよ


ちなみに帯方郡から見たら日本は東南じゃなく東に来る訳だし

912 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 13:22:19
「倭人在、帯方、東南大海之中依山島、、」

これを「倭人は帯方郡東南の海の中の、、」って解釈するのは間違いだよ

帯方郡(朝鮮半島南部)から見たら倭は東の海の中の島になる
仮に九州を倭国とした場合でも帯方から見たら九州は東南じゃなく、南の海の中の島になる
倭人の在る土地は「帯方郡」と「東南の海の中の島」で、楽浪郡(朝鮮半島北部)からみた、朝鮮半島南部と日本の事だよ

楽浪郡(もしくは遼東郡)の魏から見て「南至邪馬壹國」って事は、邪馬壹國のある場所は帯方郡だよ
魏(楽浪郡)から船を使えば10日、陸地を歩いて行くと1ヶ月ぐらいかかるって意味すよ


913 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 16:34:55
>船を使えば10日、陸地を歩いて行くと1ヶ月

これはありえない
郡から陸地を歩いても東南海中の倭に行くには少なくとも対馬海峡で船1日は使う
それに陸行30日と水行10は別ルートになる、陸行のルートが記載されていない
素直に10と一月かかると考えた方が良い


914 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 16:55:04
>>900
日本列島が南北逆になってる地図は昔から存在するよ。

915 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 16:56:15
>>913
倭人伝に最初に書いてある様に、倭国の範囲は帯方郡と東南大海中之島

魏を楽浪郡として、邪馬壹國を加羅にあった邪馬國とした場合って事だよ
女王の都(加羅)まで船なら10日、陸行なら1ヵ月ぐらいじゃないの?
ちなみにもし遼東や楽浪郡から直接日本列島に来るなら越の港に来るだろうし

つか魏志倭人伝でも随書でも漢書でも漢半島南部は倭人が統治してたって書いてあるんだよ
蒙古や遼東付近まで居たって書いてある書もあるし


916 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 17:08:15
女王勢力の北限は奴国なので
似ている名前の国が加羅にあったとしても
そこは邪馬台国ではないことがわかる。

917 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 17:56:15
>>916
魏から

東南に陸行500里、伊都国
東南に行100里、奴国
東に行100里、不彌国

南に水行20日、投馬国
南に水行10日、陸行なら1ヵ月、邪馬壹國



つか俺、伊都国は解るよ
これ信濃の昔の名前で皆神山や妙高山があるよ


918 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 18:19:14
陸行1日説はどうなのよ?
1日説で行けば邪馬台国は奴国の南1日の場所で確定なんだが



919 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/12(金) 18:33:12
>>918
つか魏からの距離じゃ無いの?


920 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:23:11
>>906
意味不明。何か誤解してんのかな?

921 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:38:36
>>913
そうだな。単純に、水行十日で行けるところをわざわざ苦労して1月も
歩くはずはない、又はという読みはあり得ない、という意見があるな。
このような批判こそ無視できないな。

922 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:00:13
伊都国は伊東、つまり伊豆半島。
邪馬台国は、福島県耶麻郡会津付近。
これなら、水行10日、陸行1月
の記述とも完全に一致する。
径百歩程度の墓なら、耶麻群にはいくらでもあります。

弥生系の移民同士が争って、和議を結んで共立したのは、
古代から和刻を支配していた縄文系の女王、卑弥呼だったというのが真実です。

923 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:20:58
>南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月

問題の水行十日陸行一月だが、すこし説を整理してみる。

まず「水行+陸行」と読むか、「水行or陸行」と読むかの解釈の違いがある。
どっちを採るかで邪馬台国比定地がずいぶん異なってくるのは、まあ当たり前だが
しかしこれ、必ずしも九州説vs畿内説という対立図式と相関してはいないようだ

もう一つ、
邪馬台国に至る水行十日陸行一月の起点がどこからか、という問題がある。

@投馬国から A伊都国から B帯方郡から

他にもあるかもしれないが、大きくこの3つの解釈があって、対立している。
Aは榎に代表される放射状の読み方
Bは九州王朝説の古田が言い出した読み方

俺的には、どうあがいてもBだけは成り立たないと思っているのだが

924 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:55:20
>>923
>どうあがいてもBだけは成り立たないと思っているのだが
当然だろ。考えるまでもなく×。


925 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 23:18:41
>どうあがいてもBだけは成り立たないと思っているのだが

そうだね、では理由を聞こうか?



926 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 23:21:29
邪馬台国は会津で決定ですね。

927 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 00:03:30
>>926
蘇民将来!蘇民将来!

928 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 00:12:49
俺は近畿在住なんだが、何か圧倒的に九州説が有利な気がするのだが、
畿内(大和)説の大きな証拠はどれだけあるの?
歴史に無知な俺に優しく教えてくれ。

929 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/13(土) 00:23:56
>>923
普通に考えたら魏志倭人伝を書いた魏からでしょ?
東南とか南って方角も普通は魏から見た方角だよ


930 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 00:43:12
>>929
あなたの常識が狂ってるんですね。普通に考えてそうならば、これまでに多くの人が
そのような説を出しているはずです。そのような説を称えている人が本当にいるのか、
調べてあげて下さい。あげることができなかったら、あなたは1から勉強し直すこと
ですね。

931 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/13(土) 00:52:32
>>930
なんで?
例えばアメリカがある方角は日本人なら「東の大海の向こうの大陸」って書かない?

ただこれがヨーロッパ人なら「西の大海の向こうの大陸」って書くよ


932 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 00:59:31
>>928
畿内説には証拠はありません。大きな証拠も小さな証拠も・・・。畿内にあった
ら楽しいなと思う人が何人もいたんですね。それだけのことです。

933 :正解発表:2008/12/13(土) 01:04:56
>921
船で末盧國についてから(船を下りて)陸行している、
つまりそこから水行するには有明海で別の船を調達しなければいけない。
現地の人であればお偉いさんはともかく一般人がみんな船持ってるとは限らないし
複数の行き方が説明してあるのはおかしくないでしょう。
飛行機で3時間新幹線で10時間、とか車で5分徒歩20分とか今でも普通に使う。

なお文法的には「又は」が自然。

934 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 01:05:40
>>931
言ったでしょう。本を探してみましょう。話はそれからですね。

935 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 01:15:58
>>928
あくまで一般的に言われる内容なら以下の如しかな?


先ず「魏志倭人伝」の行程記事からその位置を探ろうとするなら
畿内は方向が合わない。

対して九州説は距離が難点だが「放射説」やら「短里」やらの裏技で
ナントカつじつま合わせの理屈ができる事はできるw

吉野ヶ里ブームの頃は九州説が押していた観があるが
近年考古学の進展により古墳時代が邪馬台国の時代3世紀に始まる可能性が出てきた。

まあ 「古墳時代の始まり」 と言っても何をもって始まりとなすかは微妙だが
もっと具体的に言えば奈良の纏向遺跡が3世紀の物であると言う可能性が出てきたと言う話。

そこには他の遺跡では見られないぐらい他の地域から土器が流入し
各地の埋葬文化のキメラともいえる前方後円墳が誕生した地と見られている。

それが倭国大乱後の卑弥呼共立の動きに重ねられると…

対して九州は弥生末期には衰退傾向にあり

魏から冊封を受けたクニと言うのならヤマトの方が蓋然性が高かろう
…と言うのが今の状況で実際史学考古学ともに畿内説が押している状況。

無論イッパツ逆転のネタが出てくる可能性はあるが
現状では畿内説優位は動かないだろうwwwwwwwwwwwwww

936 :正解発表:2008/12/13(土) 01:16:27
>931
うん、確かに書いてますね。
計其道里當在会稽東治之東
会稽(今の上海あたり)の東だそうです。
九州の中〜南あたり、畿内ももちろん方角はあってます。
「南に伸びていると誤解していた」とすると合わなくなりますが。

ちなみに東冶の誤植というのは、日本史畑の人には違和感なくても
中国のことを知っている人なら考えられない発想。
もし「会稽〜東冶のあたりの東」と言いたいなら「呉越の東」位の表現が自然。


937 :935:2008/12/13(土) 01:22:20
>>928
ちなみに老婆心ながら忠告しておくがこの板の九州説とリアルの九州説では
かなり傾向が違うのでその事は十分注意しておいた方が良いだろうwwwwwwww



938 :928:2008/12/13(土) 01:32:41
なるほど、難しいが畿内説が押しているのか。
でも「魏志倭人伝」に出てくる(はっきり出てるのかな?)何とか国、何とか国の
数々は九州北部に存在していた可能性が高いのじゃなかった?

939 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/13(土) 01:39:43
>>936
会誉東治之東は
飾諸国或大或小或貧或富分身
とかなんとかでしょ?

邪馬壹國の位置を示してる文じゃないよ

940 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 03:30:36
いままで何百人という学者達が何十年にもわたって研究してきた。
それでも邪馬台国がどこにあるかは判明していない。
つまり、素人で漢文もまともに読めない俺達があーだこーだ言っても意味がない。
時間の無駄だよ。

941 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/13(土) 05:09:40
個人的な意見だが、もし水行20日と水行10日陸行1月の記述がなければ、
唐津から南東に佐賀平野へ抜け筑後川下流域から南下した八女〜みやま市〜大牟田市あたり、
か、奴国=福岡平野から南下した筑後川流域、ってことで話が終わってただろうと思う。

これにもし水行10日陸行1月の記述があったとしても、これは全工程の日数だろう、となっていたはず。

それが、水行二十日の1文だけで、畿内やら四国やら日本中あちらこちらの比定地がでてくるのだから、
面白いというか、騙されすぎというか、そんな感をもっている。


942 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 06:19:17
これが卑弥呼の墓だったのではないでしょうか?

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/011/001/26/N000/000/000/118938599855316418376.jpg


943 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 09:28:28
>>941
>水行20日と水行10日陸行1月の記述がなければ、・・・筑後川流域、ってことで話が終わ
>ってただろうと思う。
遠い距離であることを示す文言がなければ、当然のことだろ。

>水行10日陸行1月の記述があったとしても、これは全工程の日数だろう、となっていたはず。
そんなことはないな。南至邪馬台国百里、水行十日陸行一月とでもあればそのような読み方が出
てくると思うが、南至邪馬台国水行十日陸行一月だけならば、当然北九州から水行十日陸行一月
ということだ。



944 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 09:59:41
>>943
不彌國から南に20日そこから南に10日と一月という読み方か。
そのような場所は日本にはありません。
自信満々に破綻している読みを力説しないでいただきたい。

945 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 10:02:45
>>935
>ヤマトの方が蓋然性が高かろう…と言うのが今の状況で実際史学考古学ともに
>畿内説が押している状況。
史学者で大和説を説いている人は誰ですか? 山尾先生は知ってますが、他に誰か
いれば読んでみたいと思います。


946 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 10:06:05
>>944
>不彌國から南に20日そこから南に10日と一月という読み方か。
そんな読み方をした覚えはないが?


947 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 10:12:31
不彌國放射説なら何故不彌國で放射式に行くのか説明しなさい。


948 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 10:46:18
だから、九州南部から沖縄にかけて大陸があったのだ。

949 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 11:06:22
>>940
>つまり、素人で漢文もまともに読めない俺達があーだこーだ言っても意味がない。

単に「漢籍の理解」と言う点では明治から大正あたりの時代までの方が有利だったんじゃないかと思う。
別に学者で無くとも一寸教養のある人なら漢文の知識はデフォと言うレベルだったんだからw

俺が放射説が胡散臭いと思っているのは、その時代には放射説なんてアイデアは出ていなかったという事がある。

加えてわざわざ連続式に改訂されている漢籍まであれば何をか言わんやwww

950 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 11:07:56
>>947
http://home.p07.itscom.net/strmdrf/kanjo.htm

ほれ、サガミハラが放棄した論文だ

951 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 12:23:42
サガミハラハラ氏の論文は、古田武彦氏「邪馬他台国はなかった」と同じだ。
より詳しく書いてはいるが。

不彌國放射説は支持する。

そうすると、水行十日陸行一月は帯方郡と邪馬壹國の距離になる。
それも倭人が帯方郡に行った時の距離だ。魏側の視点ではない。

952 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 12:25:30
>948 名前:日本@名無史さん :2008/12/13(土) 10:46:18
>だから、九州南部から沖縄にかけて大陸があったのだ。

ホラこういう人が出てくる

・一月陸行した先に邪馬台国がある可能性
・一月は一日の誤転載の可能性

前者を選んだら矛盾だらけになる

953 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 12:45:05

×一月陸行した先に邪馬台国がある

○一月陸行した先に帯方郡がある

954 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 13:15:07
>○一月陸行した先に帯方郡がある

意味がわからん、倭人が南に陸行したら帯方郡があるのか?

955 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 13:20:30
やはり、倭人伝の里程・日程の記述から考えれば、邪馬台国は宮崎だろう。
地図で、壱岐と宮崎を直線で結んでみると良い。これが両方の土地の最短距離
なのだが、なるほどと思うものがある。
現実的には、険しい九州山地を避けて通らなくてはならないわけだが。

問題は、宮崎が他の視点から邪馬台国の条件を満足するかどうか。
記紀的には問題がある。日向に女王らしきものがいたという記述はない。
あとは、それなりの遺跡が出てくるかどうかだろう。

956 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 13:32:10
しかし、宮崎にしろ鹿児島にしろ九州内では陸行一月ということはあるまい。
やはりここは、九州の南にあった幻の大陸を想定するしかあるまい。

957 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 13:32:29
>>955
宮崎は水行二十日の投馬、帯方郡から遠くて道里を記載できないとある。
比率的にも帯方郡から筑後平野と宮崎平野で十日と二十日で合う。


958 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 13:47:07
臨海部に有るなら陸行一月とは書かないでしょうね。
倭人伝の世界であれば水行だけで足ります。

959 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 14:21:30
>>954
倭人は「里」を知らないので、日数で道程を表すのは倭人の表現方法。
倭人の視点に立つと、倭人は、不彌國の南に隣接している投馬国と邪馬壹國から、
(これら三ヶ国は女王國内にあるので隣接している)
それぞれ「水行二十日」「水行十日陸行一月」で帯方郡に行く。
その倭人の表現を魏側は引用した。

帯方郡へのルート
邪馬壹國は久留米付近にあり、彼らは、九州内は陸路で行き、
海峡を渡り、狗耶韓國から陸路帯方郡に行く。
投馬國は有明海の東岸にあり、彼らは西へ舟で五島沖まで行き、
対馬海流で北上し、済州島経由で半島西海岸を北上する。


960 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 14:59:29
>>959

倭人は「里」を知らないから投馬までの里程を書けないんじゃなくて遠絶だから書けない。
中国からの帰化人もいただろうしバンバン交易(商売)してたから
バカじゃないんだから里も知らぬとは思えんが。

961 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 15:51:59
>>960
『夷人不知里數但計以日』隋書俀國伝

962 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 18:33:58
だけど倭人伝には遠くて書けないと書いてある。

963 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 19:13:29
投馬=あづま
漢人は語頭の母音「あ」を聞き逃したんだよ

964 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 19:49:40
東霧島神社(つまきりしま神社)

965 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 20:36:28
「さつま」で良い訳だ

966 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 21:35:50
うむ。投馬国は薩摩国

967 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:06:42
しかし、なぜ倭人を文化の遅れた野蛮人のように書くのだろう?
卑弥呼が魏に使者を送ったのはあくまで外交を樹立して交易を
しやすくするためであって、魏の優れた文化を取り入れるためで
はなかった。争いの絶えない三国時代の魏より、邪馬台国のほ
うが生活はむしろ豊かだったのではないだろうか?

968 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/13(土) 22:07:45
投馬=とも=早鞆の瀬戸
ここから南に行くと卑弥呼
卑弥呼の居所から東に行くと又倭人の住む大和が有る。
郡から南へ進み半島を離陸?南東へ進み、投馬国へ到着
此所まで郡から早鞆の瀬戸まで水行20日。


969 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:20:38
で、もう1000近いけど、結局結論はどうなの?
邪馬台国は奈良なのか九州なのかはっきりしてよ。

970 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 22:26:15
唐松山氏は両刀使いなんだよ。即興で考えた失敗の論だね。

971 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:26:56
魏志倭人伝の邪馬台国が九州にあるはずがありません。
魏から見た当時の倭は、西の大月氏と同格なのです。
九州島程度のちっぽけな国では司馬懿の面目が立ちません。

972 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:33:37
1000どころではなくて、この「ドンと来い」だけでもパート36の合計36000。
決着が付かないのは、畿内説の人の往生際が悪いから。

973 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:42:07
>>971
司馬懿ではなく、当時の魏の実権を握っていたのは曹爽。
司馬懿が曹爽を殺害し、実権を握るようになると交流はなくなった。

974 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 22:50:16
>>971
紀無いに卑弥呼の国があるなら、記紀に卑弥呼の記事が倭人伝以上
に満載となる。卑弥呼と天皇をHさせたいオマエの歓喜天の盲象。w

975 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:01:30
畿内説のレス最近見てない

976 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:07:33
案外、卑弥呼は記紀にも登場している人物かもよ。
でも、超ジミな存在なので誰も気づかないのかも。
だって、卑弥呼が倭女王だったかどうかも不明だ。
中国側がそういっているだけだろう。
実際には男王だったが、それではつまらないから
宗教的権威の女性を女王と「勘違い」して報告したのかもな。

977 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:08:32
仮に2ちゃんのこの板で

  邪馬台国は九州で決まり!

と結論付けても現実は畿内説が優勢である事は変わらないんだよねえw


つうか畿内説はほぼ大和説だが九州説は一括で「九州説」で良いのかとwww

まあ同じ九州説同士なら 推理ゴッコ、珍読発表会 のゲームのルールは同じで遊び仲間にはなるのかもしれんがwwwwwww

978 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 23:19:49
>>977
つまりオマエのような盲象がうんとはびこっているわけだ。www

979 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:24:50
畿内説は論争を避けるようになって来た。
もはや、論点さえなくなったという感じか。
念仏のように、畿内、畿内と唱えるだけ。

980 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:27:57
>>978  犬

まあこの板じゃあお前みたいなのも九州説を名乗れるからなあw

リアル痴呆老人のお前は

「畿内に邪馬台国があったなら大和王朝と別物
 ならば記紀に出てこないはずが無い」

とほざいている訳だが

そもそも現在においてそう言うモデルで畿内説を唱えている畿内説の学者って誰で
どれくらいの数いるんだよ?っちゅう話だw


(事実上の)結論を前提にしてしまっている犬国キチガイ理論は世間一般じゃあ通用せんぞアホwwwwww



981 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 23:30:46
ジョーカー
盲象群は調教師をも踏み倒すくらい勢力大だからな。wwwwwww

982 :980自己レス反省:2008/12/13(土) 23:38:56
>>980
>畿内説を唱えている畿内説の学者って

いくらやっつけで書いているとはいえ…orz

983 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:47:51
やまたいこくは九州!

984 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:50:52
太国おじいちゃんをいじめるのはやめて! ><



985 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:52:17
邪馬台国は九州に決まってる。
小学生の頃から、ずっとそう信じていた。
もっと言えば、日向。
だって、天孫降臨の舞台だからね。
卑弥呼も日向にいたのさ。
そして、神武東征。
これで決まり。


986 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:54:59
みんなが知ってる本当の日本の歴史。

2〜3世紀
魏志倭人伝の時代に、九州・日向に邪馬台国があった。
その女王が卑弥呼。
卑弥呼は、一族のオサ、神武に命令した。
畿内に攻め入り、日本を統治せよと!
命令のままに、畿内に攻め入った神武は、西日本を統一した。
神武天皇の誕生だ。
そして、卑弥呼はアマテラス大神として祭られたのだ。


987 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:58:13
邪馬台国九州説・九州王朝説・九州年号説の薄汚い豚説3(PIG3)は
チャプターイレブン(連邦破産法第11条)を申請しました。事実上の破綻!

988 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:01:42
神武天皇と崇神天皇は同一人物だ。

鉄器と鏡と勾玉の三種の神器を携えた神武は、未開の野蛮人である土蜘蛛をやっつけた。
こうして、西日本を手中に収めた神武(崇神)は、
服属の証として前方後円墳を各地に作らせた。
そして、九州に凱旋した神武は、九州王朝を打ち立てた。



989 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:03:45
別に実態の無い寝言の類だ。
資産も負債も無いんだから破綻するわきゃねーだろーw
ホームレスのおっちゃん達が「破産」なんかできねーつーの。

990 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:06:06
九州に都を置いた神武は、九州から畿内を統治していた。

しかし、ときおり畿内が九州に反旗をひるがえしたんで、
そのたびに九州王朝は畿内の征伐に向かった。
それが、応神東征であり、壬申の乱である。
畿内は九州に打ち負かされ、九州王朝への服属を誓わされるのだった。
弱小の畿内は、九州に太刀打ちできるはずがなかった。


991 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:09:06
ウリナラ起源説か…w

日帝三十六年!
大和王朝千ん百年!

と言うところかな?wwwwwwwwwwwww

992 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:10:01
と九州説が宣もうております。

993 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:10:29
九州は、縄文時代から近代にいたるまで、日本の中心だった。
教科書に名を連ねる偉人達は、みな九州出身だ。
坂本竜馬は言うにおよばず、近代日本を創出した政治家のほとんどが九州出身だ。
それ以外の人々も、祖先をたどればみな九州出身だ。
みな、弥生時代に東征していった九州・邪馬台国の末裔なのだ。


994 :証人A(プライバシー保護の為ステハンですw:2008/12/14(日) 00:12:35
ええ、私見ましたよ。
九州からやって来た神武王率いる九州軍。
一兵卒まで鉄剣で武装して恐ろしいの何の。

百人切っても大丈夫なその剣の切れ味たるや!



995 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:13:20
九州は、日本のみならず、朝鮮半島も支配していた。

百済は、九州王朝がつくった国だ。
その証拠に、九州王朝の証である前方後円墳が百済の地に作られている。

九州王朝と百済は同胞なのだ。
その百済を滅ぼした新羅は、九州王朝の永遠の敵なのだ。


996 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:14:26
フリーメーソン
イルミナティ
ローゼンクロイツ

そして…九州王朝!!wwwwwwwwww

997 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:16:29
東国原知事は実は日向邪馬台国再興の為の尖兵だと言うのは常識wwwwww

998 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:16:49
朝鮮併合は、新羅に苦しめられた九州王朝の長年の雪辱を晴らす夢だった。

九州王朝を後ろ盾にした日本政府は、朝鮮半島を開放したのだ。
かつて百済を滅ぼした憎むべき新羅の末裔のゴミどもは皆頃しにすべきなのだ。



999 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:17:23
九州王朝マンセー!!

九州王朝マンセー!!

九州王朝マンセー!!

九州王朝マンセー!!

九州王朝マンセー!!

1000 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:18:37
ハイル九州王朝!!!!!!

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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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