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なぜ日本は北国の文明の発達が遅かったのか

1 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:57:09
現在日本の主要都市はほとんど北緯35℃前後の温暖な地域に偏っている。
歴史的に見ても西日本が文化の中心で東北などは歴史上ずっと小規模勢力で、
北海道や樺太などは明治以降にならなければ狩猟文化が終わらない。
昔なんかの資料で薄暗い照葉樹林より東日本のブナ林のほうが住みやすいとかいてあった記憶が。
やっぱり日本は積雪が多いのが弊害になっているのか?それとも稲作に依存していためか?

2 :長谷部タイ子:2008/11/24(月) 00:47:20
導尿カテーテル2げと

3 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:56:43
それは北国が寒いから。

4 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:35:02
ロシアは毛皮を追ってシベリアを東征してきたように、
極寒地で暮らすには狩猟が欠かせないと思うが、
日本は仏教の関係で狩猟は被差別階級の人しかできなかったからじゃねーの。




5 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:41:05
現在の北国農産物の多くは農作物の品種改良によるもの

農耕=定着=都市化(余剰作物供給)=規模と寒暖の差による備蓄の発想
=余剰分は交易或いは不労階級に供給=生産階級以外の頭脳労働(消費)階級の誕生
=文化の発達=文化に合わせた奢侈品等の供給=文明化

ある段階までの国力は人の多さが重要
狩猟だと移動が基本になり、また食糧も限られるため大所帯にはならない
必然的に封建制など不労階級誕生の段階にまで至らない

6 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 04:25:15
北緯35℃

7 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 07:01:25
湿度も高いし、熱中症が多発する文明だろうな(笑

8 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 09:49:58
小麦、大麦、ライ麦など麦類や雑穀など黄河地帯の作物の方が東北や北海道に適してそうな。
あるいは先にツングース系やモンゴル帝国に先に樺太、北海道や東北北部辺りを占領して遊牧民系文明にして貰うか。
米は元は熱帯の作物だしな。
ジャガイモ、トウモロコシなら東北、北海道に適してそうな。


9 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 09:55:13
モンゴル軍が蝦夷地あたりまで南下して、トゥルイの庶子あたりが君主
をつとめる政権(モンゴル人皇族が支配するアイヌ人国家)がつくられ
てたらおもしろかったのに。

サハリンから破竹の勢いで南進して蝦夷地を征服、津軽海峡をわたって
ほどない位地で和人勢力とぶつかり、進軍停止。アイヌ攻撃のための小
規模部隊ではとてもこれ以上前進できないので、アイヌ居住地帯の統合
だけで妥協。東北北部において、「アイヌ=和人」交易のアイヌ側利権
を引き継ぐかたちで南部氏を交渉相手に共存体制が成立。

で、フビライの日本遠征について、蝦夷ハン国より南部氏に接触。
弱体な蝦夷ハン国としては、対日攻撃の最前線に立たされるのはまっぴらなので、

とこしえの天の力のもとに。
 大ハーンのミイツのもとに。
  ヒタカミ国王より
  ヒノモト国王へのことば。(中略)兄
 大ハーンは、国使を殺害した野蛮なジップン国の征伐を計画しております。
   つきましては、
  ヒノモト国より我が国にご加勢をいくばくかおつかわしいただきましたなら、
  わが国と
  ヒノモト国の和平をよりいっそう固めるうえで多いに益がありましょう。


 


10 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 11:12:06
>>8
逆に満洲を占領して米作地帯にしてしまったんだからひどい話だよなw
その後文革期の密植農法や北方農民の技術不足で水田が荒廃したが、
戦後ずっとしてから日本から再び技術指導に行って
今や「東北米」は中国でブランドになってるからいいようなものの。
(もちろんかの地ではトウモロコシや高粱もたくさん作られている)

11 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:22:25
つまり東北地方や北海道にはコウリャン、小麦大麦ライ麦など麦類、雑穀など中国北部や北朝鮮の作物が気候的に適していそうな。
問題は高句麗、渤海などツングース系民族や遊牧民特にモンゴル帝国に先に占領してそれらの作物や馬などの家畜の放牧地と家畜使用ノウハウが欲しかったな。

12 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 12:17:35
おれのイメージでは北国=騎馬民族 南国=農耕民族の構図なんだが


13 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 17:44:52
日本人は寒い気候が苦手というか嫌いだから

14 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 18:33:00
>>1
南北問題を知らんのか
南国は行進国だと世界の相場が決まっておる

15 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 18:59:23
そう言えば未だに東北地方以北には大都市が少ないね。
あえて言えば仙台と札幌ぐらい。
西日本にはそんな程度の都市はゴロゴロしてる。

16 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:06:05
江戸時代が始まるまでは日本海貿易が盛んで、
むしろ北側の都市部が賑わっていた。
江戸に徳川が入り、治水事業を行って水運を推進して、
次第に物流は南方に偏って行った。
戦国時代には小田原や鎌倉など関東の町は村落に毛が生えた程度だったのに、
安東や上杉の領する都市は都文化を取り入れ、
寺社や最新技術の建築が立ち並んでいた。

17 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:10:18
どう考えても無理がある。
捏造だけは出来るだろうが・・

18 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 06:41:00
>>15
西日本で札幌より大きいのは大阪しかない。

19 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:15:16
>>18
同程度の、っていったら、京都・神戸・広島・福岡とゴロゴロあるじゃないか。
名古屋は西か東か知らないけど、札幌よりは明らかに大きいし。

20 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:17:10
>>14
その相場と逆だから、このテーマでスレが立ってるんだろうが。

21 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:01:21
縄文時代には三内丸山遺跡のような縄文文明が北国にあったんだがな。


22 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 04:51:37
>>21
うむ
定住していたという事実から狩猟メインの生活ではなく
栽培、採取の生活を営んでいたんではないだろうか

23 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:34:49
沖縄や台湾も国家の成立は遅いから、気候の問題は重要とは言えないので
はないかな。初期の農耕文明は、狩猟・漁撈・採集の生活にくらべ、ある
意味ものすごくリスクが大きかったわけ。狩猟や漁労がそこそこ安定して
いる地域では農耕に生活・生業のすべてを託す方が危険だったわけです。
いったん農耕文化が定着してしまえば、はるかに農耕の方が大人口を養え
るし租税制度なども発達して国家の形成を促すわけなんだけれど。

24 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:40:21
何が国家の形成かしらんが国家を形成してなくてもそこが
金玉出したまるっきりの土人域とは限らんぞ。

25 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:18:20
国家の形成は大きいでしょ。そこではじめて自然宗教が、首長を中心とした
擬制家族的な宗教に再編されるし、租税徴収その他命令文書の必要が出てき
て記録ということが始まる。隣接する文明圏との接触が生まれて、文字が導
入される。やがて、対外的にも対内的にも存在証明が必要になって歴史が編
まれる。それは首長が中心になって編纂される。金玉出したまるっきりの土
人は、そもそも熱帯でしか生活できません。それを言い出すなら、旧石器時
代の人間だって、狩猟によって食糧のみならず衣類やさまざまな道具を生み
出していますよ。

26 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:20:04
>>18
昭和になって強引に町整備した札幌は、所詮国策都市でしかない



27 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:26:16
歪みが北海道あっちこっちで出てきてるよね。

28 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:31:44
それ以前の12世紀末〜14世紀中盤は平安京が廃れ鎌倉が15〜20万と世界第5位前後の都市へ
但し12世紀中盤は平安京人口15万余で世界最大級の都市ながらも奥州平泉も5万余と世界50位前後の人口を誇った
日本の場合は古くから北国に遷都しても相応な文明を築ける基盤があった証拠

また安土桃山期の金沢は駿府山口名古屋堺と並び江戸大坂京堺の3大都市に次ぐ都市人口を抱えていた
北の伊達氏仙台も2万前後の人口で日本海交易で潤った秋田酒田新潟なども相応な都市規模であったと推測される

29 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:03:54
>>26
>昭和になって強引に町整備した札幌は、所詮国策都市でしかない

京都(平安京)だってそうじゃねえかw

30 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:41:09
>>26>>29
政治都市はすべてそうでしょ。平泉の奥州藤原氏が3代100年で滅ばず、鎌倉と
併存するかたちでもう100年続いたらおもしろかったと思います。もしかしたら
北海道開拓は何世紀か前倒しになったかも。

31 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:51:47
院政期は平泉だけではなく、紀伊や豊後や安芸、伊予などにも文化遺産が多く、
関東は逆にパッとしない。院政時代こそ「地方の時代」だった。鎌倉時代になっ
て、近畿・関東の二元体制ができ、それが、その後の各地方の発展を大きく規定
してきたんじゃあるまいか。

32 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:38:07
東北の平野部は古代において「寒冷な湿地帯」で、

寒冷だからコメに適さず、
湿地だからムギにも牧畜にも適さなかった。

よって狩猟採集文化は発達しても大規模農業は発達せず、人口が増えなかった。
ある程度まで人口が増えないと商業活動は活発化せず、文字文明を発達させる側にもなれない。
人口の増加は江戸時代の灌漑農業の発達、イネの品種改良を待たねばならなかった。
そうやって人口が増えた頃には南はもっと増えてるから、
発達しても相対的には大したことないように見えてしまうって訳。

33 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:17:41
>>32
大規模農業って言ってる時点でアウト

34 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 12:52:28
東北地方や北海道の寒さなんか大陸の満州などに比べるとかわいいもんなんだけどな。


35 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 13:01:52
スレタイの「文明の発達」てのがそもそもおかしい。「経済の発展」くらいが
適切なのでは。

36 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 13:13:22
やっぱり日本人は海洋民族で瀬戸内文化圏を中心として文明を発展させてきたからじゃないかな。
騎馬民族征服王朝説は賛同できない。

37 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 13:38:43
いや海洋民族とは思えないなやはり朝鮮半島から移動して定着した感じだと思う。


38 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 15:27:56
相対的な思考が出来る海洋民族が、やはり日本人の骨格だろうね。
色んな意味藍を含めて、朝鮮思考は永久にどう転ぼうと朝鮮的だよ。

39 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 15:36:22
騎馬民族でないことは確か。海洋民族ってのは定義が曖昧だからね。
つか、人類は旧石器時代はみんな狩猟・採集の生活を送っていた。その時点
では「民族」って概念もあまり存在しなかったんだろう。日本では採集と漁
労をベースにした時代のなかで定住化が進んだ。それが縄文文化だ。ある意
味、海の幸・山の幸を最大限に活用した文化で、その中心は東北・関東・中
部・北陸など、どちらかというと北日本・東日本に巨大な集落とか貝塚だと
かが多い。ナラ林地帯の木の実・山菜、サケ・マスの遡上、また、これらを
食糧とする小動物、貝類・海藻、このようなものは、むしろ東日本の方が条
件がよかった。沖縄・北海道も食糧資源の豊富なところだ。こうしたところ
は縄文的な伝統が強かった。農耕がはいってからも縄文的な伝統が色濃くの
こる。山菜や海藻をこれほど食べる民族は世界的にみても例が少ない。

40 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 16:49:52
うちの駅前では北口の文明の発達が遅れています><

41 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 17:47:22
それは日当たりの問題かな

42 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:22:44
海洋民族はないなあ。海と言っても沿岸にへばりついてるもんなあ。


43 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:42:15
マグロのぶつぎりにヤマイモとほんの少しワサビをのせる、これは縄文的な
料理だ。醤油、これは室町時代ころにあらわれた農耕文化の産物。日本の場
合、完全な人種交替とか征服ってのはないので、文化も生活も重層的なんで
すね。
いちがいに狩猟民族とか農耕民族とか言えない。
多分に漁撈民族であることは確かだが海洋民族というのは微妙。ただ、沿岸
にへばりついているっていうのも江戸時代の話で、中世は違います。朝鮮の
三浦や東南アジア各地には日本人街があったし、ザビエルを水先案内したヤ
ジローもマラッカでザビエルに会っている。室町・戦国期は充分、海洋民族
といえた。

44 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 02:06:24
>>1 なぜ日本は北国の文明の発達が遅かったのか

・・・南国の沖縄や南九州や土佐、紀伊など、南海道で文化が発達していたか?一度も首都になった
こともない地域だが。

45 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 06:35:34
>>44
>一度も首都になったこともない地域だが

白痴だね〜。まず首都になろうにも、首都機なるだけの
各地方から集まる人口集積地(つまりそれだけの平野)がないとだめだろ。

>南国の沖縄や南九州や土佐、紀伊など、南海道で文化が発達していたか
じゃあ聞くが、徳川家康が関東に移封される以前、徳川幕府を開く以前の
関東、武蔵の国で文化が発達していたか?
とてもじゃないが、関東土着では文化が発達してる訳がないだろ。



46 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 08:36:44
>>44
沖縄には琉球王国の首都(=首里)があったでしょ。

47 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 17:55:37
>>45 関東には鎌倉という江戸以前の関東文化中心地があっただろう。

>>46 琉球は日本史には含まれないので除外。


48 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 18:08:16
仙台市役所内のコンビニエンスストア「ローソン仙台市役所店」がお昼どき、
主力商品の弁当の販売を取りやめていることに市民から疑問の声が上がっている。

市が入居契約時に、弁当販売の休止時間を盛り込んだのが理由だが、
道を1本挟んだ宮城県庁内のローソンは昼どきも弁当を販売している。
対応の違いに、「なぜ?」の疑問符は大きくなるばかりだ。

午前11時。市役所地下1階にある市役所店の店員が、それまで陳列棚に並べていた弁当に
ビニールシートをかけ始めた。
おにぎりやサンドイッチ、パスタなどは通常通り販売しているものの、弁当は午後3時まで販売を休止している。

同店の男性店長は「約束事なので割り切っている。お客さまの立場でみれば、昼のメーン商品が
昼の時間帯にないのはふに落ちないことだと思う」と語る。

市厚生課によると、市役所店は2007年8月に開店した。
入居時の契約で、市役所内の民間食堂が営業する時間帯に限り、弁当の販売を取りやめることになっている。
同課の遠藤栄課長は「食堂の経営が厳しいと聞いている。業者を保護するため、競合を避けるようにした」と説明する。

こうした事情を知らない市民は、コンビニで昼に弁当を販売しないことに首をかしげるばかり。
市役所を訪れた宮城野区の主婦(29)は「勾当台公園でお弁当を食べようと思ったのに…。
客の利便性のことは考えてくれないのですね」と不満も漏らした。

一方、県庁2階に同年7月オープンした「ローソン宮城県庁店」は、アルコール飲料と風俗雑誌の販売を制限するだけ。
県庁店と委託契約を結ぶ地方職員共済組合県支部の中村勝事業部長は
「県庁の食堂運営会社とも委託契約を結んでいるが、特に問題はない。利用者にとって選択肢があった方がいい」
と話した。

http://www.kahoku.co.jp/news/2008/11/20081127t11045.htm
午前11時になると、お昼の弁当販売を一時休止するためカバーを掛ける店員=ローソン仙台市役所店
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2008/20081127010jd.jpg

49 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:13:18
藤原氏とか仙台市とか普通に発達してるやん

50 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:24:42
東アジア地域って、内陸のモンゴルや現在のウイグル自治区などは大昔から文明が
あるのに、なんでそこより寒さがやさしい沿海州や南シベリア、北海道からカムチャッカ
にかけての北方の離島地域は文明が発達してなっかったんだ?
西ロシアやスカンジナビア半島のほうが東北アジアより実は暖かいのにああいった地域は
ちゃんと王朝ができて着々と文明が発達している。

51 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:40:28
>>50
モンゴルやウィグルは交易の民だからでしょう。寒さなんてものはあまり関係ない。
日本の場合は、関東平野が日本最大の平野で、近畿地方は地形的に交通・交易の中心
で、その両者がたまたま緯度的に同緯度(だいたい北緯35度)だったというだけの話
でしょう。それがまた、東京湾・大阪湾というかたちで外洋にさらされない港湾とし
て優れていた点が日本列島のめぐまれていたところなんじゃないでしょうか。

52 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:01:39
地政学的要因が一因。
古来、肥沃な土地では農業が発達し文明が興る。
関東以東で文明が発達しなかったのは、火山灰が降り積もった土壌で農業生産力が著しく低かったから。
東北も太平洋側は、火山灰土壌。

53 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:14:46
入植した奴らがバカだったと言えばそれまでかも

54 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:04:09
>>49
つーか仙台は単なる東北を束ねる、支店経済町の側面が強いと思うが

55 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:51:14
火山灰っていったら日本列島全部がそうだし、イタリアなんかもそうなわけでしょ。
何だかトンデモ理論ばっかだねぇ。

56 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:03:28
「寒冷な湿地帯」とか、もうアフォじゃないかと。

ハッキリ言えば、中国では国家の形成が華北から始まったから江南や華南は野蛮
で未開ってことにされてしまったし、日本では西日本から始まったから関東や東
北は永らく未開扱いされたというだけの話で、実際に未開であるとか野蛮である
とかは別の話でしょ。中国人からすれば、「なぜアジアでは日本の文明の発達が
遅かったのか」なんていまだに思ってるだけで。「なぜ日本は北国の文明の発達
が遅かったのか」という問題意識と同類。偏見を前提にして偏見を補強してるだ
けのトートロジー。

57 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:13:55
>>56
なんていまだに思ってるだけで→なんていまだに思ってるわけで

んで補足すると、おもしろいのが朝鮮人。本当は朝鮮人の場合は三韓が発祥であり、
南部が北のツングース系を取り込んでいったのが朝鮮史の過程のはずなんだが、狛
族(高句麗)なんかの歴史を自分のものにしていかなくちゃいけないという政治的
理由で、北部起源になっていること。どちらかというと、北部が貴く、南部の全羅
道や済州が卑しいと考えるフシがあって、さらに南の日本はすごく卑しいと思って
いるようなところがある。文明意識っていうのは、妄想なんだけど、根拠の薄い分
だけ逆に根強いものがあるのかもしれんな。

58 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:16:35
>>55
地質には地域差がある。関東平野のリン酸不足は既出。

59 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 17:46:47
>>58
リン酸と文明の関係を論じてくれ。

60 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 23:12:26
東北地方では土地が痩せているってのはどうも理由にはならないみたいだな。
大陸には東北よりずっと農業に適さない地域なんかいくらでもある。
それどころか東北から北海道にかけての冷温帯から亜寒帯にかけての地域は中世文化が
一番発達しやすい風土のような気が。

61 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 06:07:08
日本最古の遺跡の三内丸山遺跡がある東北が日本の歴史の源流だろうな

62 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 07:36:44
>>60
東北地方が辺鄙なド田舎だったというのは間違っているかもしれない。
江戸時代の飢饉で、東北地方で多くの餓死者が出た。
飢饉で餓死者が出たということは、裏を返せばそこが食糧生産よりも商工業に重点を置いた地域であったことの証拠とも考えられなくは無い。
終戦直後の食糧難を思い起こせば、都会では餓死者が出たが、田舎では食うに困った者はいなかった、という事実がある。
政府によって厳しく食料が管理されていた時代であったにもかかわらずだ。
北前舟の活動などを考慮するとき、今までとは違った東北が見えて来はしないか?

63 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 07:45:45
つーか「東北」っていうネーミングがなんかもうダッサいよなw。
「陸奥(みちのく)」とか「奥州」「羽州」、「奥羽」のがカッコいい。
誰だよ、「東北」なんて名付けたのは!

64 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 08:22:14
>>62
貿易の問題は大きいと思いますね。戦後、日本海側は裏日本ということに
なってしまったが、それは対岸のロシア・北朝鮮が共産圏になってしまっ
たことと深い関連があります。戦前は、小樽、秋田、新潟、富山、金沢、
敦賀、舞鶴、松江などは非常に繁栄していた。アメリカ、中東、東南アジ
アが主要な貿易相手ということになるとこれらの地域は不利になる。新幹
線や高速道路の建設も太平洋・瀬戸内側優先でおこなわれたから、この傾
向に拍車をかけた。

65 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 08:30:05
>>62

それは違う。
単に東北が例外や日射量不足などの

飢饉に会いやすい土地柄だからだ。

66 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 08:42:48
どんぐりがいっぱいあったから。

67 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 11:54:25
あれだろ?、弥生時代以降に大陸から渡ってきた渡来人たちが、当時携えてた器具で開拓できたのは濃尾平野までなんだろ?
浜名湖(フォッサマグナ)以東はブナやナラなどの密生地。
つまり、当時は東日本全体が今の白神山地状態で、当時の用具や技術ではとてもじゃないがそれらの木々を伐採して開墾なんてできる状態じゃなかった。
よってしばらくの間は弥生人は幾つかの例外を除いて、基本的には西日本の枠内だけで開墾・開発を進めるしか無かったと。
ついでにもうその時点から今日の東日本、西日本を分ける“土壌”が出来上がっていたと、そういうことだろ?


68 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 14:32:08
>>67
頭の悪いNHKの番組の戯言を信じ込むなよ

69 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:01:49
関東や中国の江南は元々巨大な湿地帯。
土木技術が発達し、治水を行えるだけの権力無いと開発できない。
京都に近い大阪だって本格的に開発されたのは結構後だ。

70 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:27:45
大阪の歴史は古い。
難波津を知らんのか?

71 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 04:27:15
>>69
「巨大な湿地帯」なんて言ってる時点でアウト。
>治水を行える権力
それが黄河文明の権力なんだが。


72 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 08:30:48
4大文明やそれ以前の遺跡場所を見ていて思うことが一つ
河川沿いと言え沿岸部よりも内陸部が発展していること

漁猟と農耕や下流の肥沃な三角州そして他都市との交易面から考えると
普通は沿岸部から発展しそうに思えるのだが・・
狩猟と農耕を両立させる方が容易だったってことか?

73 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 09:00:06
上流部の方が治水が容易だし、溜め池などの造成・管理が楽っていうのは
あるだろうな。それが下流部まで支配がおよんだとき小規模な国家が生ま
れるのではないかな。
まあ、関東全域が湿地帯だとか江南全部が湿地だなんてのは論外だろうな。
カボト文明とか四川の三星堆とかあるわけだからね。
文字を最初に持った地域がみずからを文明視して、文字を持たない文明や
自らの文字体系とは異なった文字体系をもつ文明を野蛮扱いして、それが
根深い伝統になってるってのはアリかもしれない。

74 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 12:10:37
>>67
>木々を伐採して開墾

焼畑くらい古代からある。
関東平野が肥沃な土地なら、農業が盛んになっていたはず。

稲作は無理だが、雑草程度なら生えたので牧畜が盛んになった。
実際、馬牧跡の遺跡は関東に圧倒的に多い。

馬の扱いが得意な大陸朝鮮系の高句麗民族等が関東に移住してきたのもそのような背景があったのだろう。

75 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 12:33:40
>>1
北海道の場合は、品種改良で稲作が可能になったのは近代になってから

76 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 12:44:46
河口付近は洪水の被害をもろに受けるから、大規模治水工事が行えるようになった
室町期以降でないと街づくりは避けられていた。草戸千軒遺跡ってのがあるけどな。

77 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 13:48:03
>>63
「東山道の北部」を略して
「東北」

78 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:16:51
>>74
それは事実と違うだろ。関東にも弥生時代の遺跡、水田跡たくさんある
じゃないか。

79 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 21:24:52
エジプトで文明が発展した理由はわかっている。
もともとエジプトからサハラへかけての広大な土地は緑豊かな大草原だった。
その広大な土地に人々は散在して狩猟生活を送っていた。
また小規模ながらも農耕も始まっていたことがわかっている。
ところが4500年ほど前から乾燥化が始まり次第に砂漠へと変わっていった。
それにより、散在していた人々は緑が残る地域へと移動し続け、最終的にはナイル川沿いの狭い地域にひしめき合うことになった。
それが強力な王権を産み、文明を発展させるドライヴィングフォースとなったのである。

同様なメカニズムはメソポタミアでも観察される。

80 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 10:34:58
>>79
まあ、あまりにも狩猟に恵まれた地域は農耕に向かうモチベーションが低い
だろうなってところは同意かな。人類400万年の歴史のうち、399万年は狩猟
生活だったわけだからね。メカニズムってほど大げさなものかどうかは疑問
だが。
科学技術や道具が発展していない時代では、砂漠気候とか乾燥地帯の方が、
むしろ大量の樹木を伐採する必要がなく、猛獣もおらず、風土病その他など
からも身を守りやすかった。狩猟生活は向かないが、逆に水さえ得られれば
農耕がはじめやすかったとは言えるかもしれない。エジプト、メソポタミア、
インダス、いずれもきわめて乾燥度の高い地域だ。

81 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 23:34:03
日本がまあ大体九州から北海道までの緯度が32度から45度くらいまでだから、
南北の中心点は仙台くらいになるわけだな。しかも東北や北海道は地図で見るより
かなり面積がひろいからこれだけ南に主要都市があるのもすごいな。

82 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:27:40
>東北や北海道は地図で見るよりかなり面積がひろいから

うっかり読み流すとこだった
どういうことだ

83 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 09:27:56
グリーンランドの逆バージョンかよw

84 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 10:11:45
北海道が日本領になったのは19世紀初頭で、それまでの日本は松前を除いて、本州中心だった。

 中世までは奈良、京都が本州の中心部に位置し、以後東部開発が進んで一時鎌倉に政権が移り、
戦国時代には尾張、三河の中部勢力が京都、大坂を制し、徳川が江戸を開発した。

 だから日本南部が発達、というより本州の中央部が発展していた、という地理的に当然のことが
起こっていただけだろう。


85 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 16:07:43
>>80
> 砂漠気候とか乾燥地帯の方が、むしろ大量の樹木を伐採する必要がなく、
> 猛獣もおらず、風土病その他などからも身を守りやすかった。

猛獣がいなかったと断言するその根拠は?


86 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 15:34:32
>>85
草食動物の数自体が少ないからね。それを食糧とする肉食獣はいっそう
少ないでしょ。トラやクマが森林地帯に居住する例はあるし、ライオン
などが熱帯のサバンナにいることはよく知られているが、砂漠に棲息し
ているという話は聞かないね。何か例があるのか?


87 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 19:43:30
砂漠地域で文明が起こしやすかったのは気候変動のせいじゃなかったか?
文明が最初に起こったエジプト、メソポタミア、インダス、黄河などの北緯30度〜40度にかけたの
半砂漠地帯は5000年ほど昔までは豊かな森林があった。
でもその頃に起こった寒冷化のためにこれらの地域は乾燥していき狩猟ができなくなり農耕や牧畜をやらざるを得なかった。
確かこんな感じじゃなかったっけ?

88 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:11:47
>>86
それを言うなら、砂漠には人間だって数が少ない。
草原地帯には猛獣はいくらでもいる。

89 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 08:51:21
>>88
>草原地帯には猛獣はいくらでもいる
ステップの馬や羊は、梅棹忠夫らの「遊牧革命」によって人類が家畜化した
ものですよ。猛獣がいくらでもいる? たとえば?
>砂漠には人間だって数が少ない
砂漠のなかでもナイル川やインダス川流域、内陸アジアのオアシス都市は、
古くから人口稠密でしたがね。

90 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 09:23:45
アフリカ中央部を中心に点在する野生動物保護区のことを指してるのであろう

あと稠密(ちゅうみつ)なんて一般的じゃない言葉はちょっとね・
平易な言葉でお願いする

それと城郭内の大きさと人口数から現代都市のような密集度でもない
ま、気温や生活習慣で多少は左右はされるが
砂漠の中でも都市規模と気候に応じた量の水と森林がなければ都市を維持できない

91 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 18:21:46
>>89
> 砂漠のなかでもナイル川やインダス川流域、内陸アジアのオアシス都市は、
古くから人口稠密でしたがね。

アホでつね。>>79 を読んでから書き込みな。

92 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 22:20:25
農耕の開始は6000年前もしくは7000年前にさかのぼるんでは?


93 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 03:18:57
三内丸山遺跡の頃ですな

94 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 15:58:17
単純に古代日本の場合
中国に近い方が発展していたという事な気がする

95 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 17:19:06
日本の主要都市と緯度が近い世界の主要都市は
釜山、光州、鄭州、西安、蘭州
カブール、テヘラン、キプロス、クレタ、マルタ、チュニス、アルジェ

ひょっとして寒いほうがいろいろ不便で頻繁に戦争が起き、
交流も多くなった結果
文明が発達しやすいのだろうか?



96 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/03/02(月) 23:30:58
>>94
ご名答

97 :日本@名無史さん:2009/03/03(火) 04:39:17
じゃあ沖縄がもっと早くから発展していてもいいのに
なんでそうならなかったのかね?

98 :日本@名無史さん:2009/03/03(火) 05:18:48
沖縄はそれなりに発展したよ、今の会津はどうよw

99 :日本@名無史さん:2009/03/03(火) 08:20:33
人間、南方なんかにいたらアタマふやけるだけだろー。
URBANていうのは北と決まってるんだよ北と。

100 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/03/03(火) 23:34:22
>>97
沖縄は文明の通り道じゃなかったし、そもそも中華文明の場所が
(日本)近世と(日本)古代では範囲も違う。
近世の感覚で中華文明を考えるようだなオマエはw
あとシルクロードを想起しろ(まああれは交易路といったほうがよいが)。
文明の伝播する道筋に位置しなきゃ
文明の恩恵に浴することは難しい。
時代が下った琉球の交易中継地としての役割を
日本の古代の時代にまで見てはだめだ。

101 :日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:32:24
>>100
じゃ、距離が重要なのか、経路が重要なのか、どっちよ?
おまえ>>96で自分が言ってることと矛盾してるぞ
えらそーな糞コテさん。

102 :日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:43:05
>>100

中国に近い方が発展したなら、九州が王権の中心のはずだよな。
中国に近いから、と言うより広域政権に参加する集団が所属した地域・範囲が
中国からの技術・知識の導入に有利だったからと言った方が正しい。

103 :日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:53:21
そもそも、中国文明を受容する主体はヤマト王権だったわけで…
ヤマト王権が成立するには鉄が必要。
それを手に入れるための交易ネットワークは最初からあるものじゃなくて作るモノ。

だから中国に距離が近くて交易路にあっても文明が発達するとは限らない。

104 :日本@名無史さん:2009/03/04(水) 03:28:00
つまり>>94>>96は見当違いってことだな。

105 :日本@名無史さん:2009/03/05(木) 21:16:20
ブヨー論破されたなw

106 :日本@名無史さん:2009/03/05(木) 23:30:02
俺、青森に住んでた時があったんだけど、青森県の歴史って謎だらけらしいよ。
実際、すんでた場所の近くには、「日本の中央」とか書いてる遺跡あったし
これは、坂上田村麻呂時代より古いとか言ってた
あと、日本海側の十三湖には古代の港跡地の遺跡もあったとか・・・・
ただ、残念なことに、その時代の文献がほとんど無いから、どうにも説明付けれないらしい
最近の学者のなかには、日本は大和朝廷と東北の王朝との2国時代があった
と、学説を唱える人もいるらしいね」

107 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 00:08:28
21 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/12/06(土) 19:01:21
縄文時代には三内丸山遺跡のような縄文文明が北国にあったんだがな。

108 :日本@名無史さん:2009/04/21(火) 06:48:48
北国こそが純日本のルーツなきがする

109 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:15:27
理由がそれだけだと思うから、総合的に見ないから、
九州の方が発達するはずじゃないのか?などというというおかしな話になる。

>>102のいう「地域・範囲」>>103のいう「交易ネットワーク」
これは対内的な交通便益の問題です。
鉄に限らず、あらゆる資源・物資・人・情報は交通便益の高いところに
集中して行きます。その総合力の高いところに権力もまた生まれます。

支那に近い方が発達に有利だったというのは対外的な交通便益の問題です。
こちらも理由の1つとして否定しようがありません。

無論、対外的対内的、どちらの交通便益を検討しても、
結論は東北になりませんが。

110 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 03:02:15
>>108
「日本」という概念からして支那との関係から生まれたものだろう

111 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 03:52:25
三内丸山遺跡より古い日本の大規模意世紀はないのだから
日本の原型は東北に有り
その後の稲作文明は中国南部より来たり

112 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 05:17:12
確か青森にピラミッド状の建物があったんじゃないかな?
今は土砂や植物などで多くが隠れてしまっていると言う・・
名前は忘れたが、山として名前が付いている位の

オカルト主義者じゃないので、念のため
今の気候よりも温暖な時期もあった訳だし、
弥生以前に東北文明が栄えた可能性も十分にある

113 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 19:34:54
東北が栄えていた可能性はあるだろう
しかし東北が栄えていてその他の地域は栄えていなかった、という可能性は
ないだろう

114 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 11:34:28
都からみて鬼門の方角にあったから

115 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 05:25:47
超古代に東北が栄えてた遺跡は有るが
その他の地域では発見されてないからなー

116 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 05:58:58
北は寒いからな

117 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 09:23:12
まず「日本」になったのが遅いじゃん。
東北が日本になったのは平安時代の坂上田村麻呂による征服後なんだし。


118 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:58:27
>>117
それも南半分だけな。
それですら9c後半に蝦夷の側への揺り戻し(日本化した地域の再蝦夷地化みたいな現象)が起こってる。
本州北端までほぼ完全に日本化するのは鎌倉期後期くらいと見ていいだろう。

119 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 00:45:09
喜界カルデラの噴火で西日本が住みにくくなって東北に移動したんじゃないのかな

120 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 03:30:48
西日本(1万4千年前)→北日本(10000年前)→西日本(8000年前)→北日本(5000前)→西日本(3000年前)→現代

121 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:38:22
>>106
「つぼのいしぶみ」だろ?田村麻呂は青森まで行っていないから、多分それより年代が下った文屋綿麻呂だろうというはなしだ。

日本ってのは、十三湖の日本将軍安東氏の話もあり、昔は東北北部のまつろわぬ人々につけた名前ともいうな。

122 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 13:56:12
>1
>北海道や樺太などは明治以降にならなければ狩猟文化が終わらない。

これはひどい。江戸後期の北海道経済のメインは漁業プランテーション。
樺太の狩猟はクロテン猟で、清の御料のようなもの。メインはやはり漁業。

123 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 06:49:34
だから北海道人の頭の発達も遅い


124 :日本@名無史さん:2009/06/22(月) 09:25:02
そもそも「最上川」ってのも、「最も上(北)の川」って意だし
大和朝廷の勢力圏が山形に到達した時点で「最北の大河 だったんだろーし。

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