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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 35

1 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 02:42:57
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                 l 邪馬台国まだかな〜      l
                 l    早くトヨタンに会いたいな〜l       ._
                 ゝ.―v――――――――――‐ '.     _/_\_
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九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

前スレ  ♪邪馬台国 ドンと来い♪ 34
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1225381049/l50

2 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 03:19:17
久々に2ゲット

3 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 03:47:36
239年 「銅鏡2,3枚下さい」と卑弥呼が使いを送る

4 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 05:01:37
卑弥呼は、命ばかりはお助けを、と朝貢した。

ちょうどその頃、魏の明帝が死去。7才くらいの曹芳が帝位に付く。
実権を握っていたのは大将軍の曹爽。
曹爽は、倭国に厚い待遇をした。

卑弥呼が死んだ頃、西暦249年、司馬懿がクーデターを起こし、曹爽を軟禁、
ついには殺害した。
これが原因で、魏と倭国の関係は絶たれたものと思われる。
その後、司馬一族が実権を握り、西暦265年、司馬炎が魏の皇帝に禅譲を
迫り、皇帝の地位を奪う。こうして晋が建国される。

このとき、台与らしき倭国の女王が、晋に使いを送る。
しかし、良い関係にはなれなかったようである。

5 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 05:49:41
909 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 07:39:06
畿内説の場合は、卑弥呼の時代に、
「九州〜畿内の邪馬台国連合があり、王都はマキムク」としている。

九州説の場合は、卑弥呼の時代に、
「九州と畿内は別のクニで、卑弥呼は九州にいた」としている。

考えてみれば、この長年の対立軸はおかしい。
「弥生時代末、九州と畿内は同じ連合国で、卑弥呼は九州にいた」
「古墳時代頭、九州と畿内は同じ連合国のままで、九州の王都がマキムクに遷都した」
というモデルはなぜ論じられないのか?



6 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 05:52:08
907 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 07:22:38
もっとわかりやすく言えば、
>>896みたいに、鉄器で「畿内の後進性」を謳い、畿内説を否定するためには、

ある時期に「鉄器の多かった九州が畿内を支配していた」という前提が必要。
邪馬台国が九州なら、九州の邪馬台国が畿内を連合国に含めて主従関係にあった。
という論を展開する必要がある。

九州の邪馬台国が、鉄器の多さで、畿内まで連合国傘下に治めていたというなら、
九州説は、成立する可能性がある。
しかし、九州説論者は、畿内をまったく意識することなく九州だけで完結させようとしてる。
滑稽としか言いようが無い。

弥生時代末、九州の邪馬台国が、鉄器の多さで、畿内まで連合国傘下に治め、
4世紀に九州の邪馬台国が、連合国内の畿内に遷都した、というなら、辻褄は合う。
しかし、東遷説は、九州の邪馬台国と畿内は別のクニだったという前提で論じてるのは何故なのか?

とにかく、九州説の人は、「畿内と無関係で、九州独自の王権があった」としないと気がすまないわけだ。
たとえ、邪馬台国王都が九州にあったとしても、「九州と畿内を合わせて邪馬台国連合だった」という
モデルケースを考えたくないわけだ。
畿内説に通じることを恐れてるのかもしれないがな。

鉄器の優位性で九州説を唱えるなら、理論的に、
「九州と畿内を合わせて邪馬台国連合だった」という前提で、
「邪馬台国の王都は、畿内ではなく九州」という結論を導かないといけない。

九州と畿内が別のクニのままでは、
鉄器の優位性で九州と畿内の関係を考察することは出来ないのだから。




7 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 05:55:14
913 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 07:57:02
邪馬台国は「九州〜畿内を含めた西日本広域連合で、王都は九州」というモデルは、かなりしっくりくるはずだ。

弥生時代末には、瀬戸内海で高地性集落が生まれる。
魏志倭人伝には倭国大乱とある。
倭国大乱のあとに邪馬台国連合が生まれるわけだから、
邪馬台国連合とは、九州〜近畿を含めた連合であると自然に導きだされるはずだ。

年代遡上批判する人の意見を受け入れて、4世紀まで九州が繁栄していたとしても、
邪馬台国連合とは、九州〜近畿を含めた連合ではなく、
九州島内のことでしかない、という根拠はどこにもないはずだ。

もし、魏志倭人伝が九州のことしか伝えてないなら、
倭国大乱も、瀬戸内海の高地性集落の存在とはまったく無関係ということになる。



8 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 05:58:36
924 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:31:26
弥生時代末の、九州〜畿内の「ゆるやかな広域連合」をリアルに考えるか妄想と思うか、
九州説と畿内説の対立軸が鮮明になってきたわけだな。

九州説−九州から畿内の広域連合は無い。→畿内王権は九州の東遷で生まれた
畿内説−九州から畿内の広域連合があり、王都はマキムク
並立説−九州から畿内の広域連合は無い。邪馬台国と畿内王権が同時に存在した→九州の邪馬台国は滅んだ

という、3極かと思ってたが、

九州に邪馬台国があったという人=九州から畿内の広域連合は無い。
畿内に邪馬台国があったという人=九州から畿内の広域連合があった。

という、2極に分かれるわけだ。




9 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:07:09
928 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 14:20:39

「東遷」という言葉自体も、意味がわからないけどね。

いきなり、敵地の只中に王都を築いたのかね?
環濠も作らずに?
吉備や東海や近畿の周辺国とはどういう関係を持ったの?
何人くらいの兵や側近が王を警備したの?
王と側近と警備兵への兵糧はどこから入手したの?


929 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 14:35:24
俺が持つ常識で考えるなら、
東遷したとするなら、その前に、畿内の安全を確保しないといけない。

畿内の人は九州の王をなんの抵抗もなく受け入れたの?
それって、「九州と畿内はゆるやかな連合だった」とは言わないの?

九州の人が武力で畿内を制圧にいったなら、どうしてマキムクに環濠が無いの?
マキムクが4世紀だとしても、イヨ?が朝貢した266年から、50年しか経たないのに、
もう、東海やらの多くの人を従えて箸墓(誰の墓か知らんが)をつくらせることが出来たというの?
しかも、その直後には関東まで勢力を伸ばして、関東にいっぱい鉄器を持ち込んでるよね?

広域連合が無い状態で、九州勢力が関東まで制圧するのに、100年もかかってない。
が、そんなに強大な九州が、魏の後ろ盾のあった卑弥呼の頃には東には手を出さず、
魏の後ろ盾が無くなってから猪突猛進で東進したということだね?

いったい、どっちが妄想だと言うのだろう?


10 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:18:52
総合的に考えれば、
弥生時代末、倭国大乱から邪馬台国卑弥呼共立の時代に、
九州から近畿までのゆるやかな広域連合を積極的に否定する根拠は希薄。

弥生時代末、瀬戸内海沿岸に高地性集落が作られており、これを倭国大乱の痕跡と見るのは合理的。
ならば、大乱後の邪馬台国連合は、九州〜近畿の連合だったと考えるのが筋である。
畿内説はこの論理に立っているだろう。

では、九州説は?というと、倭国大乱は九州の中だけ、邪馬台国連合も九州の中だけと考えている。
瀬戸内海沿岸の高地性集落への観点が欠けている。
「鉄器の優位性」「九州の先進性」から卑弥呼の都が九州にあったと考えるのは良いだろう。
しかし、邪馬台国連合=九州〜近畿の西日本連合とは考えないようだ。
これは非常に不合理に見える。

九州説の人は、卑弥呼が九州にいたと考えたいと思うのは良いが、
なぜ、邪馬台国連合=九州〜近畿の西日本連合と考えるのを避けるのか?
「西日本を統括した卑弥呼が九州にいた」よりも「九州だけを治めた卑弥呼がいた」と、
わざわざスケールの小さい話にしたいのか?
「九州だけを治めた卑弥呼」に魏は金印を授けたのか?





11 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:25:45
>>9
私も北部九州にあったとされる邪馬台国が一族郎党引き付けて、一定期間内で
東遷を果たし大和朝廷の前身となったとは理解できない。

しかし、邪馬台国の2や3の者又は他の女王国のある一つの国の王が、はたまた、各国の
王の娘が畿内大王家に政略婚として輿入れするなど、東遷といっても多様なVer.が
考えられる。

何らかの人・物の移動(交易)は間違いないだろうが。

12 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:29:20
九州から近畿までのゆるやかな広域連合を想定することは、東遷説にとっても有利であるはずだ。

卑弥呼が九州にいたとしても、畿内は九州と連合していたのだから、
東遷がしたければ容易に出来ただろう。
畿内が連合してなければ、必ず軋轢が生じたはずだ。
しかし、マキムクには軋轢を感じさせるような環濠は無い。

にも関わらず、東遷説は、広域連合を否定し、
九州勢力は武力による東征で畿内を征服したと考えたいらしい。
卑弥呼をアマテラスと見立て、その子孫の神武東征の伝承に拘ってるからだろう。
東遷説とは、自分勝手な辻褄合わせにすぎない。



13 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:35:40
>>10
九州から近畿までのゆるやかな広域連合、と言うのは非現実的。

まず、何のために、そのような連合を作るのかがわからない。
誰が言い出したのか、なぜ、皆が従ったのかもわからない。
日本の歴史も世界の歴史も、戦いの連続と言うのが当たり前で、
そのような連合が出来た話など聞いたこともない。

机上の空論と言うやつだろうな。

高地性集落を倭国の大乱に関連付けるのは、どうも疑問がある。
一つの戦乱で、広範囲にそのような防御集落が出来るとは考えにくい。
むしろ、繰り返し襲われているうちに、いつしかそのような高地性集落が
出来たと考えるほうが合理的だと思う。

確か、九州には高地性集落は極端に少なかった。
これは襲う側だからだろう。襲われる側に高地性集落は出来ると思う。
三国史記などを見ると、倭兵が朝鮮半島を襲った記録がたくさん残っている。
瀬戸内海沿岸も襲われていると考えるのが自然だろう。

14 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:42:45
九州説・東遷説=(広域連合無し)
畿内説・自生説=(広域連合有り)

↑この両者が対極にある説だろう。
しかし、真実はその間にあるのではないか?
畿内説・自生説では、「鉄器の劣勢」を指摘されるはやはり不利。
九州〜畿内の広域連合のなかで、鉄器の優位にあった九州が畿内に従った合理的な理由が欲しい。

九州〜畿内の広域連合があれば、その政治的決定権は北九州・イト国にあったと考えるのが合理的だろう。
それが、4世紀までに、同じ九州〜畿内の広域連合の中で、政治的決定権が畿内に移動したわけだ。
もし、「宗教的決定権(卑弥呼)」として畿内が選ばれたとしたら、その聖地がマキムクと考えることもできる。

政治的中心が北九州で、宗教的中心がマキムクと考えるのは不合理とは思えない。







15 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:50:58
>>13

>九州から近畿までのゆるやかな広域連合、と言うのは非現実的。

そうですか。
では、4世紀に九州から北関東まで画一的な前方後円墳が急に登場するのをどうお考えで?
卑弥呼の死後、九州勢力が、武力で軍隊を西日本各地に送り、支配したわけですか?
それは、卑弥呼の生きてた時代には出来なかったことなんですか?

16 :のんびりひまじん:2008/11/11(火) 07:40:40
三品彰英先生が 邪馬台国研究総覧(1970) に、魏志倭人伝だけを読むのでなくて
魏志東夷伝 全体を読むべきだと指摘された。  この指摘が意味するのは、
それまでの学者たちが 魏志東夷伝 全体を読まないで論争していたことが分かる。

馬韓(≒のちの百済)が小国50余り
辰韓(≒のちの新羅)が小国12
弁辰(≒のちの加羅または任那)が小国12   つまり

韓の地に存在したのが、小国74余りということも知らずに論争していたと分かる。

邪馬台国連合の30国も、韓の地と対比して考えるべきであった。
邪馬台国連合の30国の比定地が、終始、

後世の 郡 の単位・・・・・・・九州説  であり、途中から

後世の 国 の単位に変更するのが近畿説であることは、以前から指摘されていたのであるが・・・

17 :のんびりひまじん:2008/11/11(火) 07:50:01
前スレの>>1000
>三品彰英先生は畿内説だよ。www

三品彰英先生 ご自身が、魏志東夷伝 の全体を、お読みになっていなかった。


18 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 08:05:56
「女王国」は代名詞なんだから、文脈によって邪馬台国一国を指す場合と、
邪馬台国に従う30余国を指す場合がある。

50代60代の人は、ゆとり世代を馬鹿にできないほど国語力の弱い人が多い

19 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 08:17:28
しかし、広域連合とはいっても、その主体は九州と対峙していた近畿であり、
九州は参画してなかったとみることは出来る。

その場合、邪馬台国は九州であり、
畿内の大和連合の台頭に抗しきれず滅んだと見られる。

魏が、北九州の狭い範囲だけを統治した女王に金印を贈ったのは不自然だがな。


20 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 10:06:27
学者の世界はタブーが多すぎなんだよ。不自然過ぎて逆に目立つぞ。

(現在最大のタブー)    
年代遡上を批判してはいけない。
マキムクと同時期の九州が古墳時代かどうかは後日決まるまで空白にする。

(伝統的タブー)  
神武東征を認めてはいけない。文化の東遷もできるだけ否定する。
→畿内の後進性への言及はできるだけ避ける。
欠史8代の実在性を認めてはならない。
成務天皇、仲哀天皇、神功皇后の実在性は認めてはいけない。
→先代旧事本紀の国造本紀の扱いに注意する(成務の代の設置が大半)。
古代の大阪〜奈良の盆地湖はできるだけ言及しない(自生説への配慮)。
王権の成立はできるだけ遅らせて、初期は連合政権とする。

(個別論点タブー)
稲荷山古墳の鉄剣の「オオヒコ」が誰か詮索してはいけない。
(四道将軍までの系譜の史実性が欠史8代〜神功皇后の史実性に関連する)。
中平年刀が国産である可能性に言及しない(環頭が国産でほぼ確定も言及しない)。
三角縁神獣鏡舶載説を追い詰めてはいけない。
古墳が寿陵(生前に作られた)であることの言及は避ける。
古墳の設計が時代ごとに変わっていることは、はっきり言ってはならない。
貨泉が中国では4世紀まで作られていたことは言及しない。


21 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 10:33:11
>>20

とうとうコピペの物量作戦か…

この板の邪馬台国スレを自説の東遷説で埋めれば気が済むのかな?

「自説が受け入れられないのは学会のタブーに阻まれているからだ!」

・・・と言う被害妄想狂。

一発ネタ書き逃げのピンポンダッシュ、サイキバ君と同じレベルだぞwwwww

22 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 10:49:35
>>18
>「女王国」は代名詞なんだから、文脈によって邪馬台国一国を指す場合と、
>邪馬台国に従う30余国を指す場合がある。
倭人伝のように短い文章の中で、女王国の意味が広狭に異なるというのは不自然。
邪馬台国一国を指すとみえるのは、女王国=倭国ではないということ。
また、30余国を指すとみえるのは、女王国=邪馬台国ではいなということ。
前スレで述べたように、女王国というのは以北の国々と狗奴国とを除いた国々の
ことであり、具体的には邪馬台国+投馬国+旁国21国のこと。

23 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 11:01:02
>>22
具体的には邪馬台国+投馬国+旁国21国のこと。
だからこれ何処に記述があるんですか?
そもそも構成国ってなに?従う国と盟主国の関係以外なにかあるんですか?
あと伊都国に関しては倭国の重要な外交拠点であり特別な所だって倭人伝
読めば分かると思いますが?女王国が連合体であるなら明らかに女王国を
指しますよね?

24 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 11:17:08
>>21
> 一発ネタ書き逃げのピンポンダッシュ、サイキバ君と同じレベルだぞwwwww

トンデモの九州王朝説と一緒にはならんだろう。サイキバのアホよりは少しましだわなw

25 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 11:23:58
前スレから引用

993 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:01:07
>女王国

倭人伝から「女王國」と記述している部分を拾ってみた。
5か所あるようだ。(Aは刊本によっては「女三國」となってる)

@ 東南陸行五百里到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸。世有王皆統屬女王國。郡使往來常所駐。

A 自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶不可得詳。

B 自郡至女王國萬二千餘里。

C 自女王國以北特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚之。常治伊都國。

D 女王國東渡海千餘里、復有國皆倭種。


Cの書き方だと、「諸國」や伊都國は、女王國とはやっぱり別の国だね。
そのほか「女王」だけが数箇所あった。

26 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 11:53:39
女王國とは、魏時女王が統治していた邪馬壹國(現代で言う九州地方みたいな感覚)の本国の事。
だから女王がいなくなれば女王國の名称も消える。

27 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 11:59:02
>>23
>だからこれ何処に記述があるんですか?
女王国の始まりか万二千余里。終わりは「女王の境界の尽きるところ」。その
間にあるのが女王国を構成する国々となります。

>従う国と盟主国の関係以外なにかあるんですか?
北の諸国は女王国に従っていたんですね。その女王国は複数の国々だったと
いうことです。

>伊都国に関しては倭国の重要な外交拠点であり特別な所だって倭人伝
>読めば分かると思いますが?女王国が連合体であるなら明らかに女王国を
>指しますよね?
そんなことないでしょう。伊都国は女王国に従属していた国であり、女王国
ではありません。

28 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 12:20:09
>>13
>日本の歴史も世界の歴史も、戦いの連続と言うのが当たり前で、
>そのような連合が出来た話など聞いたこともない。

合従連衡の故事も知らんのか?

まあ大小の国が集まって同盟すると言うのは別に珍しい事でもあるまい。
(そしてそれがやがて一国の支配体制にシフトするのも含めて)

パッと思いつくのを挙げるなら古代エーゲの「デロス同盟」かな?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%90%8C%E7%9B%9F

ただ問題は、そう言った同盟は、秦やペルシアと言った外からの軍事圧力に対抗して作られるものだが
邪馬台国の場合倭国大乱の後、各国の自主的な手打ち(w)によってそれが形成されたと言う事だな。

その点は確かにユニークかもしれんが史実として考えるしかないだろうw

29 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 12:41:01
>>16

「旧百余国」・・・九州で納まるのか?

「旧百余国」が本州西日本を含むのであれば倭国大乱の範囲も西日本一帯と解する方が自然。

30 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 12:44:47
>>27
>女王国の始まりか万二千余里。終わりは「女王の境界の尽きるところ」。その
間にあるのが女王国を構成する国々となります。

倭人伝には帯方郡から女王国に着くまで一万二千里と書いてあるのみでその先が
女王国を構成する国々とは書いていません。また境界の尽きるところと書いてありますが
女王国の境界の始まりがどこからとも書いてありません。素直に読めばクヤ韓国から最後の
奴国までが女王国の構成国でしょう。

>北の諸国は女王国に従っていたんですね。その女王国は複数の国々だったと
いうことです。

答えになってません。

>そんなことないでしょう。伊都国は女王国に従属していた国であり、女王国
ではありません。

従属している国ましてや大事な外交使節が行き帰りに寄る国こそ大事な構成国では
の一つではないのですか?





31 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 12:59:12
>>30
補足です。もし女王国が連合体の事を指すならです。

32 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 13:07:26
>>13
ゆるやかな広域連合、っていうか、当時クニがどの程度人や土地を支配していたかは疑問ってことだよ。
木簡など、それを伺わせるような痕跡は見つかっていない。
文字自体広く使用されていたかは不明。政治単位は、せいぜい弥生の拠点集落程度だったと。

交易の要衝にヒト・モノが集まり、そこで利害調整するリーダーが生まれる。
最初に筑紫、次に出雲、吉備でも同じことが起こって、庄内初めに畿内でも起きたということ。

33 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 13:11:39
遠隔地交易でしか入手出来ない鉄の需要の高まりから、
交通路の安全を保障し得るような、広域に権力を行使し得る権威が希求され、
連合は広域化する。
連合はやがてひとりのリーダーを共立。
弥生後期に始まる王権誕生の流れは、そういったメカニズムで考えられる。

34 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 13:21:13
>>30
>素直に読めばクヤ韓国から最後の奴国までが女王国の構成国でしょう。
狗邪韓国は韓国の一つ。倭の国ではありません。
女王国が倭の最初の国、対馬国から始まるならば、万二千余里ではなく、八千里
と書かれるはずです。

>答えになってません。
質問の意図がよく分からないものですから。

>従属している国ましてや大事な外交使節が行き帰りに寄る国こそ大事な構成国では
>の一つではないのですか?
従属している国だということと構成国だということは意味がちがいますね。
従属国は女王国とは別の主体です。構成国は女王国の一部です。
一大卒は女王国から派遣されて以北の国々を検察していました。当然のことながら
検察の対象に女王国自体は入っていません。





35 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 13:55:36
>>34
>女王国が倭の最初の国、対馬国から始まるならば、万二千余里ではなく、八千里
と書かれるはずです。

ですから 倭人伝には帯方郡から女王国に着くまで一万二千里と書いてあるのみでその先が
女王国を構成する国々とは書いていません。っていってるでしょ。

>従属している国だということと構成国だということは意味がちがいますね。

ですから具体的に構成国とはなんですか?説明して下さい。
河童さんですか?

36 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:26:28
>>35
>倭人伝には帯方郡から女王国に着くまで一万二千里と書いてあるのみでその先が
>女王国を構成する国々とは書いていません。
郡からみて万二千里よりも手前の国々は、まだ女王国に着いていないのですから女
王国ではありません。万二千里で女王国に着き、それより遙か遠い奴国が「女王の
境界の尽きる所」ですからその間の国々は女王国を構成する国々なのです。

>具体的に構成国とはなんですか?
女王国の一部をなす国です。ほかの幾つかの国と連合して女王国をつくっているの
です。以北と戦うときに共同歩調をとった国々でしょう。

37 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:44:24
>>32
>最初に筑紫、次に出雲、吉備でも同じことが起こって、庄内初めに畿内でも起きたということ。


東海の視点が欠如してるから相手にされないんだよ。
東海式土器がどれだけ日本全体に拡散してると思ってるんだ?


38 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:54:28
>>36
>郡からみて万二千里よりも手前の国々は、まだ女王国に着いていないのですから女
王国ではありません。

これはいくら議論しても平行線ですね。解釈が違うから。

>ほかの幾つかの国と連合して女王国をつくっているの
です。以北と戦うときに共同歩調をとった国々でしょう。

これは倭人伝にのっていないし妄想ですね。幾つかの国と連合して女王国
をつくっている、これこそが30数カ国をまとめている倭人伝の記述どおり
の女王国(連合体)という意味のほうがより自然でしょう。(倭国内乱〜国々協議〜)
であるならば帯方郡から女王国に着くまで一万二千里というのは邪馬台国を
指しているのでしょうと思いますが。


39 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 15:02:56
>>37
あくまで概要で書いてるから。
東海も畿内と同時期で同じような流れがあったでいいよ。

40 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 15:10:29
>>38
>これは倭人伝にのっていないし妄想ですね。
書いてあることから合理的に推測し得る範囲の事柄です。
直接書いてないからといって直ちに妄想になるわけではありません。

>30数カ国をまとめている倭人伝の記述どおりの女王国(連合体)という意味
そんなことは記述されていません。それこそ妄想かな。

>帯方郡から女王国に着くまで一万二千里というのは邪馬台国を指しているのでしょうと思いますが。
伊都国までで万五百里。残り千五百里と水行十日陸行一月を比べて不自然に思いませんか?
私は千五百里よりも水行十日陸行一月で進む距離の方が遙かに長いと思いますが。
それに邪馬台国と女王国が同じならば、なぜ言い換えたのでしょう。違う概念だからこそ、違う表現
になったと考えるべきですよ。

41 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 15:15:24
>>20
タブーとか言ってるのは反則だよ。まともな反論ならともかく。もう二度と書かないようにw


実年代の確定は確かに難しいけど、昔のいい加減な決め方に比べれば、根拠を提示できるようになってきている。

対してあなたの自説の根拠は、神獣鏡の流入は呉滅亡以降しかありえないとか、
わけの分からないものばかり。
呉の年号の紀年鏡もあるのに。まあそれも後に復古的に製作されたと言うんでしょうが

42 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 15:25:51
>>40
>邪馬台国と女王国が同じならば、なぜ言い換えたのでしょう。違う概念だからこそ、違う表現
になったと考えるべきですよ。
そこは単純に女王の居る国ととらえたほうがいいのでは?
幾つかの国と連合して女王国をつくっているのであるならば何故壱岐国や伊都国
やその他の国が構成国ではないのか?倭人伝の記述を読む限り”以北と戦う”など
読み取れない。そんな不安定な関係では安全に魏まで朝貢など出来ないでしょう。

43 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 15:52:11
前スレの>>91の安本センセの地図の件だけど。
>http://yamatai.cside.com/katudou/bonntiko.htm
>伊達宗泰編『古代「おおやまと」を探る』(学生社、2000年刊)より

気になったので、該当の本を見てみた。
盆地湖の安本の改竄については、前スレ>>99の通りで唖然としたよ。

さらに笑ったのが、出典元が「大和の六御県」について説明してるものなの、
「六御県」をわざわざ削除して、これみよがしに遺跡を書き加えたことだな。
あまりにも姑息な隠蔽、改竄、捏造と言っていいだろう。

出典元では、奈良盆地の「六御県」が大和の重要な共同体を示すとしている。
高市、葛木、十市、志貴、山辺、曾布の六御県である。
この六つの共同体は大和川のそれぞれの川の水系で発展したムラだったろう。

「高市、葛木、十市、志貴、山辺、曾布」この六つの共同体が、
初期ヤマト王権を構成する共同体(ムラ)の名前だったんだよ。
ここまではいいかい?さあ、次が問題だ。




44 :43:2008/11/11(火) 16:00:37
「高市、葛木、十市、志貴、山辺、曾布」この六つの共同体が、
初期ヤマト王権を構成する共同体(ムラ)の名前だったんだよ。

これは、重要な要素であったのに、安本はなぜかそっくり削除した。なぜか?
理由は明白。自分の東遷説を証明するのに非常に不都合だったからに他ならない。

安本の東遷説の根拠として、甘木地方と奈良の地名の一致を挙げていたのを知ってる人は多いだろう。

甘木周辺→ 朝倉町、 鷹取山、星野、浮羽町、杷木町、鳥屋山、上山田、山田市、田原、笠置山、御笠山、御笠、池田、三井、小田、 三輪町、 高田
大和周辺→ 朝倉 、高取山、吉野、音羽山、榛原町、鳥見山、上山田、山田、 田原、笠置山、笠置 、三笠山、池田、三井、織田、 三輪町、 大和高田

といった具合だ。

しかし、さて、この中に、大和の重要な構成要素の共同体(ムラ)の名は含まれているか?
「含まれていない」ではないか!
もしも、甘木から人々が大和に移り住み、地名を伝えたなら、
「高市、葛木、十市、志貴、山辺、曾布」の名前も甘木になくてはならないのだ。

安本はこの重大な事実をまったく黙殺してるわけだ。
無知とか勉強不足とかではなく、わざと読者に知らせずに、自説に都合の良い情報だけ与えているわけだな。





45 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 16:01:00
>>41
そんなに嫌がるなら、毎回改訂してコピペしてあげるwwwwwww

46 :43:2008/11/11(火) 16:07:16
「高市、葛木、十市、志貴、山辺、曾布」この六つの県は、
初期の大和王権を構成する重要な共同体(ムラ)であったことは疑いようが無い。
現在も、それぞれ御県神社として名前を残している。

これらの六御県が、大和のオリジナルであり、九州のどこかの地域に同じものが存在しないのであれば、
東遷があって地名が上書きされたなんてことは無かったということ。
だいたい、安本の挙げた地名は、ごくありふれた地名と言ってもいいくらいだ。
たしか、四国・徳島にもあったはず。

いまだに安本の東遷説を信じてるやつは、もっともっと勉強したほうがいい。
簡単に騙されすぎなんだよ。

47 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 16:08:22
>>42
>そこは単純に女王の居る国ととらえたほうがいいのでは?
残り千五百里と水行十日陸行一月を比べて不自然に思いませんか?

>倭人伝の記述を読む限り”以北と戦う”など読み取れない。
戦っていたのは倭国乱の当時の話ですからね。卑弥呼が共立された後は以北は
女王国に従属している。魏に朝貢するに支障はないわけです。
女王国と以北が戦ったのだろうというのは、以北に一大卒が置かれ、諸国を厳
しく検察していたというところから推測できるのです。倭国乱のときの相手国
だからこそそのような措置をとったと考えるべきでしょう。普通の同盟国に対
する態度ではないと思いませんか?

48 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 16:08:24
>>10
「ゆるやかな広域連合」ってまた電波度が増したね。
あいまいさでごまかす意図が見え透いている。

魏志は、各地の「官」と「副官」がいちいち書いてあるぞ。
あれを全部無視して各地に独立した首長なり王がいたとするのか?
そんなの文献の完全無視だろ。

連合説の唯一の根拠が「共立」という文字だが、それは王政のなかで後の時代の
蘇我、大伴、物部のような勢力がいて「共立」したってことだろ。


49 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 16:21:44
>>48


971 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/11/11(火) 00:45:26
>>970
もし任命権者が各地の王とするのなら

「官」や「副」は中央の管理機構とは別の話しという事だなwww

50 :43:2008/11/11(火) 16:32:33
奈良盆地の「六御県」について、少し解説しておくか。

たとえば孝徳天皇の7世紀の時代に、戸籍に関係して「六御県」が出てくる。
延喜式の祝詞にも出てくる。
神社としても現存し、朝廷に食料を献じていたとされる。

高市御県神社
十市御県坐神社
志貴御縣坐神社
山辺御県座神社
添御県坐神社
葛城御県神社

これらの神社の祭神を調べてみれば、「連合」の意味が見えてくると思うぜ?

高市御県神社―――天津彦根命、高皇産霊神
十市御県坐神社――豐受大神、市杵嶋姫命 (玄界灘の女神)
志貴御縣坐神社――大己貴神、天津饒速日命(神武東征以前のヤマトの神)
山辺御県座神社――建麻利尼命(天火明命の末裔)
添御県坐神社―――速須佐之男命
葛城御県神社―――天津日高日子番能瓊瓊杵命

ヤマトがいろんな神を祭っていた共同体によって構成されてることがよくわかる。

51 :43:2008/11/11(火) 16:40:20
注目すべきなのは、↓

>志貴御縣坐神社――大己貴神、天津饒速日命(神武東征以前のヤマトの神)

国譲り神話や、神武東征によってクニを明け渡したオオナムチ・ニギハヤヒが、
志貴御縣坐神社で祭られていること。
「六御県」の中の志貴県、いまでは「磯城郡」として名前が残っている。
中世においても、「敷島の大和」といって、ヤマトの枕詞にもなってる。

国譲りや東征で負けたはずの地名が、古代から現代まで残ってる。
東遷という単純な王権の上書きは起きなかったということだよ。
あくまで「連合」だったんだよ。


52 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 16:43:14
>>45
気持ち悪い

53 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 16:47:27
稲荷山鉄剣銘文のオオヒコは記紀の崇神の時代にあるオオヒコで
間違いないな。磯城宮も銘文にあるし、否定し踏み倒したって妄想
の迷宮に寝泊りをしてるようなもの。

54 :43:2008/11/11(火) 16:51:09
いわずもがなだけど、志貴御縣坐神社は三輪山の麓にある。
その近くに、マキムクがあり箸墓が作られた。

ということは、マキムクを造営したのは、
敷島の大和と謳われ、志貴御縣坐神社のある志貴県の共同体、ということになる。
オオナムチや、ニギハヤヒを祭っていた人々だったはず。

では、神武は?というと、神武は志貴県より少し南西の橿原を支配したにすぎない。
つまり、高市御県神社のある高市県だ。
祭神は天津彦根命、高皇産霊神となってるが、日本書紀を読めばわかるとおり、
神武は高皇産霊神を祭っている。

マキムクを作った主体は、近畿に古くからいたニギハヤヒ・オオナムチ系の人々で、
神武は、東征して橿原に拠点を置いたものの、奈良の征服には至らなかった、というのが実情なのさ。




55 :43:2008/11/11(火) 17:20:45
>>53
「磯城宮」も銘文は、その当時に「シキ」という地名があったことの証明だね。
しかも、「シキ」に大王がいたわけだ。
前方後円墳墓を最初に作ったのも、日本中に広めたのも「シキ」の大王、
「シキ」は神武東征で持ち込まれた名前ではなく、神武以前からのヤマトの地名だ。
つまり、オオナムチや、ニギハヤヒを祭っていた人々の共同体(ムラ)の名だったはず。

そうなると、日本神話の解釈を変える必要があるかもね。
オオナムチや、ニギハヤヒは、はるか古代に国を譲らされたとなっているが、
実際は、前方後円墳時代が続いていた間は、オオナムチや、ニギハヤヒの祭りが王家で続いていたかもしれないね。
前方後円墳時代には、アマテラスはほとんど出てこないからな。
アマテラスを祭るようになったのは、女性天皇が生まれてからという説もあるし。
ニギハヤヒがアマテルだったという説もあるし、
このへんは、本当に妄想の域になるが、東遷説みたいに事実は単純じゃないってことだよ。



56 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 17:24:44
>>54
神武天皇は、皇室の初代天皇となっているわけだが…。
また、饒速日命は、近畿に古くからいたわけではなく、高天原から天磐船に
乗って大和にやってきたと日本書紀には書かれている。
神武天皇(神倭伊波礼毘古)も饒速日命も天神の子で同族とも書かれている。

57 :43:2008/11/11(火) 17:35:07
>>56

なんにせよ、東遷説のいう地名の移動が事実なら、
東征した人は九州にいたときの地元の名前を奈良で上書きするだろう。
安本の説は、そういう趣旨だ。

ならば、甘木に「シキ」という地名があったのか?という話になる。
甘木に「シキ」という地名があるなら、そこに東征前の九州王がいたとでも主張すればいい。


58 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/11(火) 18:33:28
>>56
初代の「てんのう」は牛頭天王(ごずてんのう)だよ

天王→てんのおう、あまのおう、あまつくにのおう
天皇(天子)→てんのすさらぎのみこ、あまのすさらぎのみこ、あまつくにのすさらぎのみこ
牛頭天王は自らを芦原天高原を納めた「すさのおの命」と名乗ってた人物
ちなみにスサノオが納めた芦原天高原とは信濃の「諏訪」の事で、スサノオとは「諏訪の王(スワノオウ)」って事だよ



天孫降臨の日向三代やイワレビコやニギハヤヒ達は、このスサノオ(諏訪の王、牛頭天王)の血統子孫達の事で、古事期や日本書記は彼ら「スサノオの血統氏族(いわゆる物部氏)」達の活躍を書いた物語だよ


59 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/11(火) 18:51:18
ちなみにニギハヤヒとは諏訪大明神の事で信州にある物部氏の氏神を祀った神社(複数ある)に
「諏訪大明神はニギハヤヒの事で、諏訪の地から阿智にあった海(湖)を天つ浮き船にのり、ナガツネヒコを、、、」
と言う詳しい伝承が幾つも残ってるよ
ちなみにイワレビコやニギハヤヒのスサノオ氏族が倒したナガツネヒコってのは、稲葉(今の岐阜)の飛鳥宮で中国原を納めてた蘇我氏の事だよ


飛鳥時代とかって呼ばれてる蘇我氏の飛鳥宮ってのは、今の奈良の明日香村にあった都じゃなく
稲葉(岐阜)の聖徳にあった都で、入鹿が死んだ入鹿池や蘇我石川麿呂の墓もこの周辺にあるよ

「飛鳥宮まで船で物資を運んだ」と言われる飛鳥川や大和川ってのも、長良川や木曽川や揖斐川の旧川名で、今でも木曽三川の支流や河口付近の川名に、飛鳥川や大和川の旧呼び名は残ってるよ
ちなみに飛鳥村や大和村って地名は今でも岐阜に残ってる名前で、奈良の明日香周辺だけにある名前じゃないよ

古代の中国の書物では日本の事は
「扶桑」「東海」「蓬莱」「大和」らの名前で書かれてる
これらの地名は全て濃尾平野周辺の地名だよ


記期にも「近つ飛鳥」「遠つ飛鳥」と『2つの飛鳥宮』があった事がちゃんと書かれてるよ

60 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 18:58:38
神社は滅ぼした奴の鎮魂説はここでは異端なので?

61 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/11(火) 19:14:09
>>56
遷都(都を移した)畿内にある寺社や山岳や地名は、そのほとんどがそれ以前の都にあった名前を移動したもの

例えば畿内にある鞍馬天狗の由来のある鞍馬山
これは飛騨高山の乗鞍岳にある「位山」の名前や伝承までも移設したもの
例えば義経が修行したのは畿内の鞍馬山じゃなく、飛騨の位山の方で、弁慶と出会った鴨川ってのは、岐阜の加茂川の事

三輪山ってのも、美濃三河にある美和山の方が本来の美和山だよ


空海が開いた高野山ってのがあるのも畿内にある高野山じゃなく、飛騨の高野山の事だよ
空海は「三本の槍を投げて刺さった山に、、」ってのは、槍が岳の事だしさ


畿内の寺社や山岳はほとんどが平安時代以降に移設されたものだから、あんな場所には本当は何も御利益は無いよ


62 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/11(火) 19:25:11
ただ九州も伝承や地名の移設は酷いよ


例えば九州発祥説の人が良く言う「宇佐宮」

この宇佐宮があったのは九州じゃなくて今の美濃三河地方だよ
宇佐宮の事が詳しく書かれてるのは「扶桑略記」(ちなみに扶桑ってのは美濃三河の旧呼称)

扶桑略記にはちゃんと「沢山の磐座(イワクラ・いわゆる古代の巨石遺跡)のおかれた弥勒山の麓に弥勒寺を建設し」って宇佐宮の事が詳しく書かれてる

弥勒山は愛知県の春日井市にあるし、弥勒寺跡(弥勒寺は焼失したが、その寺がおかれた場所の地名が今でもこうよばれてる)も春日井にある
この辺りの旧地名は「宇佐」だし、扶桑って呼び名もこの辺りだし
九州の地名も後付け多いよ




63 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/11(火) 19:40:09
>>60
そもそも現代ある「神社」って呼ばれてるものは、そもそも明治時代以降に出来たものだよ
明治時代以前の神社ってはその氏族らの氏神を祀る「氏神社」であって、初詣ってのも本来は自分の血族の氏神を参拝するものだよ

ちなみに古代の神社(かみやしろ)ってのは、山そのものを「かみのやしろ」として山を信仰する山岳信仰だよ
巨石で出来た磐座(イワクラ)が置かれてる山が古代の神社の形だよ
有名所では飛騨の白山信仰や岐阜の御岳信仰
多菊姫や国常立命を祀る山でこれらは古代からある神の社
ちなみに弥勒山(三河)にも磐座が置かれてるから弥勒山ってのも古代の神社だよ
九州にも畿内にも磐座が置かれた古代の神社の山岳ってのはあまり無いんじゃ無いかな?
飛騨美濃信州尾張三河の濃尾平野周辺は巨石の磐座を持つ山岳の宝庫だよ
ちょっとした山からも古代の磐座遺跡が発見されたりしてる

64 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 19:46:06
>>53  同意

1、シキの宮の時代の「オオヒコ」は、伝承上は四道将軍の一人しかいない。
2、大彦は天皇の子弟という高貴な血筋であり、かつ四道将軍という地位もあるので、
  稲荷山鉄剣の系譜の筆頭に書かれるに値する人物である。
3、ワカタケルの時代からさかのぼると、ちょうど崇神の時代になる。
4、大彦は崇神の時代に東国に派遣されたとされ、稲荷山(埼玉)でその名が残っているのは、
  自然かつ合理的で整合性が高い。
5、他に適当な候補者が存在しない。

ということで、あの「オオヒコ」が四道将軍の大彦であることは、確定済み。

しかし、大彦と認めれば、欠史8代の実在の証拠(大彦の出自)になる。
直木らが、架空とする成務、仲哀、神功の実在性が格段に高くなる。
それゆえ、稲荷山鉄剣で「オオヒコ」に言及しない不自然な著書が大多数というのが現状である。

あの「オオヒコ」がタブーになった >>20 というのは、紛れもない事実。
オオヒコに一切触れない不自然な著書の多いこと、多いこと・・・・・こいつらに学者の資格はないね。



65 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 20:20:12
>>47
女王国より北は一大卒という司令官を置いて諸国を監視している。
この一大卒は伊都国に常にいるのです。わかりますか?伊都国は女王国より
北につまり以北にあるのです。一大卒の下に諸国を監視する駐在員みたいな
者がいる。以北と戦ったとは読み取れない。正しくは倭国内乱〜国々協議です。

66 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 20:58:11
>>64
臥海は妄想の大海だよな。

67 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 21:01:04
いまは臥海のボスは誰なんだろう??

68 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 21:10:17
ワカタケルを「獲加多支鹵」=ワカタキルと鉄剣の銘文にちょっと
読みを変えて書きこんだのは、刀剣製作者銘文作者が七「支」刀銘文
を読んでいるため。だからケをキと変えているわけ。
七支刀は倍暦で  468年=安康元年=太始4年 の計算となり、
雄略は安康の次帝であるから、稲荷山鉄剣関係者は石上神宮の七支刀
を認知している。しかも安康天皇の宮は石上宮だから益々明解だな。

69 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:16:07
>>68
まず、「支」がケと読めないのかが、問題となりそうですが、
たしかに、キやシの音に通じても、ケに通じそうにはなさそうですね。
壱岐のキの音に近そうです。

次に、当時の中国にほかに「ケ」に通じる音があるか、気になりますが、
毛、気、卦、家、化、懸、契と色々ありそうですね。

そうなると、たしかに「支」を用いたのはちょっと不思議ではあります。

70 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:36:09
前スレで、
「伊都国から水行十日陸行一月という事は明らかに南九州」
と言ってる奴がいたが、
九州島はそんな広大な世界とかではないぞ

71 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:41:22
>稲荷山鉄剣銘文のオオヒコ

さてさて意富比コ(土へんに危)が本当に四道将軍の大彦なのか?は良く分からないが
こう言う系図造りは雄略の時代からあったと・・・

継体の応神五世孫のお話も同じノリ?wwwwwwwww

で、何でもかんでも噛み付く恨み節wからスレ本来の邪馬台国のお話に戻すと

本来、北陸平定の活%

72 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:42:43
>稲荷山鉄剣銘文のオオヒコ

さてさて意富比コ(土へんに危)が本当に四道将軍の大彦なのか?は良く分からないが
こう言う系図造りは雄略の時代からあったと・・・

継体の応神五世孫のお話も同じノリ?wwwwwwwww

で、何でもかんでも噛み付く恨み節wからスレ本来の邪馬台国のお話に戻すと

本来、北陸平定の活躍が記されるはずの大彦は畿内の武埴安彦の反乱平定に御活躍するんだが

この武埴安彦の反乱を倭人伝中「狗奴國の男王卑弥弓呼」との争いに代える話があるが
アレはどうなんだろう?www






73 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 22:53:32
>>71
稲荷山鉄剣銘文の証拠の踏み倒しをしたってNo簾に腕押し。ww

74 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 23:13:41
>>69
倍暦の計上では

太始4年=468年=安康元年 : 七支刀

 辛亥年=471年= 雄略元年 : 稲荷山鉄剣

そして差をとると

 471−468=3年

だから稲荷山鉄剣の銘文作者は3年前の七支刀を知っていたと十分
考えてよい。だからワカタケルのケに支の漢字を用いたわけだ。
大彦から七代としてるのも七支刀の「七」に因むようだな。銘文は
略系書きで、実際はもう少し途中に児がいたろう?

75 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:24:31
>>72
>この武埴安彦の反乱を倭人伝中「狗奴國の男王卑弥弓呼」との争いに代える
話があるが

狗奴国との争いでは、卑弥呼は帯方郡に使者を出しており、その仲裁のために
わざわざ張政がやってきている。武埴安彦の反乱は、それほどの大事件では
ないと思う。

天照大神と須佐之男命との争いの方がぴったり来る。
須佐之男命は高天原で大暴れし、そのために天照大神は天の岩戸に隠れ、
高天原は真っ暗になる。これだったら、誰かに助けを求めたくもなるだろう。

76 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:30:24
>>75

隠れてしまった太陽をおびき出すってな神話は海外にもある。

武埴安彦の反乱かどうかは別にしてもその神話を持ってくるのは牽強付会。


77 :ローガン:2008/11/11(火) 23:32:46
>>64
> それゆえ、稲荷山鉄剣で「オオヒコ」に言及しない不自然な著書が大多数というのが現状である。

古い本ですが…「シンポジウム鉄剣の謎と古代日本」(井上光貞、大野晋、岸俊男、斎藤忠、直木考次郎、西嶋定生。1978 新潮社)
p.186大野「辛亥年を471年と見るにせよ、531年と見るにせよ、その時期に、東国では、とにかく自分の先祖が大彦命だと言うことが、価値を持つ伝承として、みんなに承認されていた事柄だと言うことが、これで読みとれると思うんです。」
この意見について直木氏、斎藤氏、西嶋氏も特に異論はなかった様です。
つまり、パネラー諸氏はオオヒコ=大彦命を認めています。
鉄剣のオオヒコが大彦命だと認めた上で…
大野「本当に大彦命が実在したとか、実在しないとか、そういうことを、これがすぐさま証明するものではない。」
直木「それ以上に拡大してこの系譜を事実だと考えると、安易な史料の扱い方になると思うんですが」
斎藤「これを記述と余り簡単に結びつけることは危険だと思いますが、しかし、今のような程度なら、私も許容できると思います。」
西嶋「新聞にあったような大彦命の実在が証明された、という史料には、全くならないと思います。」
ごく一部を引用しましたが どこがタブーでしょう?

78 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:37:11
>>77
そのメンツ…
”安本な人”言うところの学会にタブー作っている張本人と言う事ジャマイカ?
火に油注いでますよwwwwwwwwwwww

79 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:42:26
>>76
それはまた別な問題。

須佐之男命は、高天原に上ろうとする。すると、大地は揺れ、海はとどろく。
天照大神は、須佐之男命が高天原を奪おうとしているに違いないと戦いの
準備をする。

(天の安の川の河原の誓約などがあるが中略)

一応和解するが、調子に乗った須佐之男命は高天原で大暴れする。
天照大神が機織小屋にいるとき、須佐之男命は、皮を剥いだ馬をその小屋に
投げ入れる。ついに、天照大神は怒って岩戸に隠れてしまう。

というような筋になっている。

80 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 23:47:27
タブーっていうのは不文律でしょう。表見的になりにくいんで
ないの?

81 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 23:52:01
ローガン氏はX線検査がいつごろ誰がどうやってやったとかいう
話の段になると口をつぐんで書きこまないが・・・? 何故か??

82 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:04:21
>>79
神話ってのはイメージの総体、源泉みたいなところがあるからね
見様によっては何とでも見える。

例えばアマテラスとスサノオウの話も
太陽神を戴くヤマトと銅剣を神器とする出雲の対立
・・・と見る人もいるだろう。

神武東征神話もそうだけど神話から歴史にするには
何某かの確たる材料を持ってこないとキリが無い。

83 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/12(水) 00:05:09
そのシンポジウムの談話とかは、彼らの自説が崩れるから認めたく
なく、なるべく否定したい彼らの脳内がありありと見えるようだ。
否定に傾いて彼らは自説の擁護を遠回しにしているもの。

ZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・

84 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:17:15
>>77
そりゃ、崇神以降の天皇も実在性を否定する立場からはそうなるわな。
そうなるとオオヒコも含めて架空の先祖を何代も捏造して鉄剣に書いたってことに
なりそうだが、そんなものを後生大事に墓に持っていくわけないよ。

そんな苦しい理屈は誰も正しいとは思わない。
実在したからそのまま書いたとする素直な意見が少しくらいは出ても良さそうだが、
それが言えるような空気が、あの世界には昔も今もないってことだ。

さらには、「オオヒコは誰か」ってのを著書に書かないクズが大多数ってことに
なってしまった。これが異論を許さない世界での異常な状況なんだよ。
いったいどこの北朝鮮だよ。

稲荷山鉄剣でワカタケルだけを書いて、オオヒコを無視するのが大半ってのは、
ようするに、触れちゃいけないタブーがあるってことだ。

85 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:18:26
>>79
>大地は揺れ、海はとどろく。

これは地震と津波の描写じゃね。戦さの描写なんかじゃあるまいぞよ。

列島の古代人も、地震や津波の大災害で酷い目に遭ったのは間違いないが、
地殻の変動とかプレートがどうこうとか、科学の知識はなかった。

「ああ! またスサノヲの神さまがお暴れになってござる・・・・」

きっとそのように思うしか、出来なかったんじゃろ。

そのような宗教的な心でしか
地震や津波の自然現象を解釈するほかは、なかったんじゃろね。

86 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:24:42
俺が欠史八代の実在性が疑わしいと思うのは

纏向の所謂「纏向型前方後円墳」について記紀がスルーしてしまっている事。

祟神の前の第9代開化天皇の陵墓は奈良市油阪町の念仏寺山古墳で
前方後円墳(全長約100m)だが纏向内の100m弱のあれだけの古墳が全くスルーと言うのはなんともおかしい。

タブーを恐れず真実を言う”安本な人”によると
崇神陵も含め全て「纏向型前方後円墳」で崇神の治世の物という事だが

崇神の代に、先帝の墓とほぼ同じものを家臣の墓にすると言うのはいくらなんでもアレだと思うのだがwww

87 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:30:04
>>85
こういう風に分かり易く書かれたものもあるので、一応読んでみたら良い。
http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki/syoki005.html

88 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:30:27
>>84
予想通りの反応だなw
もう言いがかりのオンパレード…

軍事評論家が米軍基地にUFOが鹵獲されているのを書かないのもタブーに支配されているんだなwwwwww

89 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:36:32
オオヒコ=大彦から記紀のあの辺の伝承の信頼性が高くなるとすると、
まず、大彦の父親の8代孝元天皇の実在性が高くなる。

この考えでは天皇の子だったから四道将軍にもなったという整合性も出てくる。
これは「欠史8代」の一角を崩す一大事である。

さらに陵墓の伝承からは、8代孝元は前方後円墳に葬られず、崇神の代に
前方後円墳が作られ始めたことになるが、実際にも崇神稜は最古とされる
纒向型前方後円墳の規格で作られている。
まあ規格論も今はタブーのようだが。

箸墓が崇神の代に亡くなったモモソヒメの墓という伝承の信頼性も高まるとすると、
箸墓の年代遡上にも限界が生じる。

オオヒコを基点にこの方向に議論が進むと、年代遡上も根底から吹っ飛ぶ。


90 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:40:35
>>89
>8代孝元は前方後円墳に葬られず、崇神の代に
>前方後円墳が作られ始めたことになるが

第9代開化天皇の陵墓は奈良市油阪町の念仏寺山古墳で前方後円墳(全長約100m)

と言うのはデタラメ?

91 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:49:46
>>86
当初は前方後円墳が、どんどん大きくなっていくってのが事実だから、
大きいから不自然だって理屈はそれだけでは弱いよ。

しかも、伝承の上では大半が皇族(王族)の墓だから、後世に王権が
巨大化していく過程で、より大きな古墳が作られていくのはむしろ
自然な流れと言える。

オオヒコについては、8代孝元の名前が出ていないことを突っ込むという手もあるぞ。
これに対しては、現地(東国)に言ったのは大彦だから、子孫の系譜が大彦から
始まる方が自然と言う反論もある。

常陸国風土記ではヤマトタケル天皇と書かれていることからは、大彦も現地では
絶大な権力者と考えられていたことは想像に難くない。
ならば、系譜が大彦から始まる方がより自然であろう。


92 :ローガン:2008/11/12(水) 00:51:12
>>74
太国さん。「泰和」ですよ。
泰=太についてはいいですよね。週刊朝日百科日本の国宝008のp.8に七支刀の拡大写真が有ります。
二文字目左端に金の残る垂直のたて棒がはっきり見えます。長さは少し後に書かれた「十」「午」とほぼ同じ。
この位置の「たて棒」から推測出来る字は木、禾、示、衣、手、阜 等の偏。
囗、凵 もあるかな?他も含めてそれらの中で、百済が存在した時代に、泰もしくは太の後に続く文字は「和」か「初」だけです。
(まあ、こんな事かかなくても残存する刻線から禾偏は確定らしいけど)

また以前、百済独自の年号説を出した人もいたらしいけど…
翰苑蕃夷部百済に「隨六甲以標年」とあり、引用括地志に「用宋元嘉暦其紀年無別号但数六甲為次第」
ですからこれは無理筋ですね。 東晋太和で確定だと思います。

なお、5月か11月かについては私見を持ちません。

93 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:52:33
>>89-90

宮内庁が第9代開化天皇の陵墓は前方後円墳と認めちゃっている訳ですがw

http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/009/index.html


94 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:52:44
>>90
それは否定しない。詳しい形状がよく分からんのが難点だが。
8代孝元も見ようによっては前方後円風ではある。


95 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:55:27
伝承が存在することと
そこで語られる人物が実在するということは
かならずしもイコールになるわけじゃないんだけどね〜
安物な人はそこのところの思考が停止している

96 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:01:15
>>95
伝承を初手から捏造と言い切って、反対説が議論されないってのは異常だよ。

どこまでが事実を含むものかってことで、双方が意見を出して、双方の根拠を
一つ一つ議論するっていう方向に向かえば良いとは思うね。

他の学問分野ではA説対B説、C説と説の対立を明示して、それぞれの根拠を
丁寧に議論しあうのだが、古代史や考古学は言いたいこと(言えること)だけを
言いっ放しっていうのが、多すぎる。

97 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:04:20
考古学的には現開化陵は出土埴輪から中期古墳の可能性が高いとされてるよ
つまり指定間違い天皇陵のひとつだってこと

ついでに現孝元陵は大きな古墳のようにみえるのはただの丘
その上に小さな前方後円墳1基と円or方墳2基が存在しているとされているね


98 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:07:04
>>91
大きさだけじゃないぞw

纏向以外に庄内期もしくはそれ以前の前方後円墳ってあったか?
いまだ発見されてなければ開化の前方後円墳が唯一と言う事になるが

開化の代に一基だけ作られた前方後円墳が次代に数も大きさも一気に飛躍。

おいおい祟神の代にどんだけ飛躍したんだよw
確か誰かさんの説だと、鉄器も少なくて盆地の南西部は湖か葦原で、ろくに耕地も無い荒地だったんじゃねえのかよwwwwww

まあそもそも崇神陵も全て纏向型で括って同じ時代と言うのがトンデモなんだろうがw



99 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:07:36
>>65
>この一大卒は伊都国に常にいるのです。わかりますか?伊都国は女王国より北につまり以北
>にあるのです。一大卒の下に諸国を監視する駐在員みたいな者がいる。以北と戦ったとは読
>み取れない。
何を考えているのですか?一大率がいたのは使者が倭を訪ねたときであり、倭国乱の当時に一
大率が置かれていたわけではありません。
倭国乱の後、勝者である女王国が敗者を検察するために伊都国に一大率を置いたのですよ。

100 :ローガン:2008/11/12(水) 01:10:33
>>81

> ローガン氏はX線検査がいつごろ誰がどうやってやったとかいう
> 話の段になると口をつぐんで書きこまないが・・・? 何故か??

村山正雄「石上神宮七支刀銘文図録」これは人気の邪馬台国の会でも安本さんが取り上げています。
工芸文化研究所の鈴木勉氏も調査したようですが、それについては読んでいません。

吉田晶?氏の本によると、菅宮司が錆落としの際、小刀でつけた傷は二文字目については、旁の部分であり、偏には及んでいなかった。
と書いてあったと記憶してます。

101 :98:2008/11/12(水) 01:10:53
>>97
>考古学的には現開化陵は出土埴輪から中期古墳の可能性が高いとされてるよ

あ、やっぱりそうなんだサンクスw

記紀がデタラメだったか、記紀に基づく指定がデタラメだったかだなwwwww

102 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:11:36
>>86
開化の陵墓は、調査がなさ過ぎて何とも言えない。
本当は丘の上の小さな墳墓だったのが、後世の古墳に乗り移った可能性も
あるので、あれを開化稜と確定することもできない。

古墳の規格、土器等々の調査がされないとその先の議論はできないねえ。

なんか「安本大先生」は人気があるようだが、あの人が言うことが全部正しい
って訳じゃないよ。てゆうか安本説との違いに気付けよww
私は細部ではほぼ全部彼とは結論がずれているけど、ちゃんと理由がある。

103 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:14:40
>>98
だから開化を無視しているのだが・・・

104 :ローガン:2008/11/12(水) 01:18:23
>>78

>>77
> そのメンツ…
> ”安本な人”言うところの学会にタブー作っている張本人と言う事ジャマイカ?
> 火に油注いでますよwwwwwwwwwwww

うわ!不味かった?
でも同書で井上氏は津田史学を信奉していると。その上で、鉄剣銘のオオヒコが大彦命だと思う…と述べているんですけどねえ。


105 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:29:46
>>77は、ある意味火消し的な議論だわな。

5C初頭から倭王が中国に使者を送って上奏文も出していることからは、文書による
記録化が確実に存在していたと言える。
400年前後の新羅の人質が当時の和風表記で書かれているという裏付けもある。
370年頃の七支刀の銘文は読まれることを前提にしているってのもある。
三角縁国産説なら、鏡の銘文は読み手があって書かれたってことになる。

この状況で、稲荷山鉄剣の銘文が架空の伝承の文字化ってのは、ちょっと考えにくいよね。
現実の祖先の名前が伝わっているはずなのに、あえてそれを書かずに架空の伝承を書くってのは
ちょっと無理な想定です。

106 :95:2008/11/12(水) 01:33:10
>>96
ねつ造と言い切ってなどないよ。
時間的な関係を最も重視することこそが歴史学研究法の常道。
つまり,同時代資料こそが歴史的事実の証明に対して最も説得力があり,
時代が離れるにつれてその信頼性は落ちていくものと見なす立場なわけ。
もちろん資料の分析に当たっては時間的な関係だけを見ているのではなく,
その資料の性格なんかも加味しなくちゃいけない。

記紀に記された系譜も稲荷山鉄剣銘の系譜も同時代資料ではなく,
後世に,自分たちの先祖を顕彰する目的で書かれているものだから,
まっとうな研究者であればあるほど
「7世紀後半から8世紀前半にそのような伝承があったことを示すもの」
とか
「5世紀末もしくは6世紀前半にそのような伝承が存在していた証拠」
であるという評価しかしないものなんだ。
そこに書かれている内容が即歴史的事実だなんて絶対に言わない。

反対論が議論されていないっていうけれども,
こうした歴史学的には当たり前な学問的態度をひっくり返すほどの
新しい証拠が提出されているわけではなく,
反対論が歴史学的にまっとうな主張の体を為してないってだけのこと。

107 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:36:07
>>105
例え正確な先祖の伝承が文字記録にあっても
それを鉄剣の銘文とするかどうかは別の話w

つうかだな自分の御先祖さんを神話や伝承、或いは有名ブランドの名家の人物にするのはままある事だろうにw
武家なら源氏の誰それとか…

108 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:38:41
>>106
それが根本的に間違っている。
一見すると、謙抑的なように見えて、実際はそうじゃない。
それが事実なのか伝承なのかは、議論の後に決まること。
最初に「伝承」ありきじゃあダメ。

合理的推定ってものを認めないんじゃあ、話が先に進まない。
というか、勝手に「伝承」を前提にすえて、そこから推論をするのは自己矛盾だよね。

反論のない世界なんて、学問的とは程遠いよね。

109 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:38:50
>>105
ところが三角縁以降,画文帯踏み替えし鏡の登場まで
銘文は意味をなさないどころか字ですらもなくなるという事実

110 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:44:29
>>107
自分が死んで墓に入るって時に、ニセブランド物を大事に棺に入れるわけない。
古代では生まれの差がそのまま人生に反映される。
血筋が良ければ、良い人生が送れる。

その時代に生きた者なら、自分の血筋の良さが人生の最大の拠り所だから、
それを鉄剣に刻んで大事にしたと考えるのが普通だろう。
何世代も架空の脇役まで書いて大事にするわけないよ。

という合理的な推論は検討の対象にいれないとダメだろ。

111 :95:2008/11/12(水) 01:47:03
>>108
「伝承」の本来の意味は読んで字のごとく「伝え承けること」。
伝承=フィクションと勝手に決めつけてるのはあなたの方ですね。

で,議論議論というけれども
伝承がフィクションであるのかノンフィクションであるのかを
判断することができるような証拠が存在しているのかってところが問題なんだけどね。
「合理的推定」って結局は自説に都合のいいものしか認めないんじゃしょうがない。

もう一度書くけど,
反 論 に す ら な っ て い な い
という現状を理解して欲しいね。


112 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:47:46
>>109
それは呉から来た鏡作り職人が2代目、3代目になったら、漢字が
書けなくなったっていう議論にもなりそうだが・・・

113 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:49:27
>>111
反論しておいて、それはないんじゃないかな・・・

114 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:51:07
>>110
例え偽ブランドであっても本人が信じているあるいは本人がそうあって欲しいと念じていた場合は違う結果になるのでは?

115 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 02:09:19
自分の先祖をどこまでさかのぼれるか、考えてみたら?祖父の父あたりまでさかのぼれ
たら良い方では?てなことで、昔だって、立派な系図を考えてくれる奴がいたんだろう。

116 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 02:34:50
「タブー」を連呼している奴ってもう病気だな。

 自説にそう著書が発刊されないのはタブーのせい。
 
 自説にそう学説が主流にならないのはタブーのせい。

もう被害妄想狂としか言い様が無い。




117 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 02:38:19
>>111
伝承ってのは、普通は事実を伝えることだろう。
空想を大事に言い伝えるかな。

代々伝わっていく過程で、細かな部分が削られて神話のようになっていくのであって、
いきなり架空の人物や神を登場させることはないんじゃないかな。

>>106の書き方だと、数世代分の架空の話を具体的に一挙に作り出して伝承する場合も
想定しているようだけど、さすがにそれはないだろ。

118 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 03:21:59
>>115
江戸時代までの日本人はみな、先代旧事記に纏められてた氏神血統まで遡れれるよ
平安時代以前から日本人は氏神(氏族)が明らか戸籍を持ち、江戸時代までずっとその戸籍は続いてた訳だから


明治政府が氏族や血統やそれまでの日本人の戸籍を廃止して、家系や氏神を名乗る事すら法律で禁じたから、遡れなくなってしまっただけで
全ての日本人は基本的には皆が1000年以上遡れる血統の氏族なんだよ

忘れてしまってるだけだよ

119 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 03:27:12
あと「○○古墳から出土した、、」とか「○○天皇陵から出土した、、」って前に

現在「古墳」や「天皇陵」って言われてる遺跡からは埋葬された遺体は発見されてないよ

つまりそもそも古墳は墓じゃないよ
誰かが埋葬されてて初めて墓なんだよ


120 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 03:41:18
誰も賛同者がいない、美濃もん太の独り言・・・

121 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 04:16:35
>>119
古墳埋葬人骨の論文・報告書一覧 (土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムHP)
http://www.doigahama.jp/sub/html/main_09_2_2.html

「も、もん太ァ〜〜ッ、は、はやくこっちにおいで〜〜ッ」
http://www.mogurin.or.jp/image/h19/bozuyama/jinkotsu1.jpg


122 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 04:28:28
>>121
この写真の遺跡はちゃんと埋葬されてるから「墓」の遺跡だね
ここは「古墳(昔の人の墓)」って呼んでも間違いじゃないよ


エジプトもさ、ピラミッドから埋葬された遺体なんか一切発見されておらず、王族達はちゃんと「王家の谷」って呼ばれる場所に代々の墓があって埋葬されてた

にも関わらずアホの学者達は「ピラミッドは権力者の墓だ」と主張してたんだよ
ピラミッドは墓じゃないよ


それと同じ事を言いたいんよ


123 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 06:01:31

「もん太、遅いのう・・・」

「さよう。なにをグズグズいたしておるのじゃッ!」

「もん太どの、早くおいでなされ」

http://blog.q-ring.jp/img/1191/tPxgl7q4.jpg

124 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 06:13:41
>>123
これも「墓」じゃん
つか本当に墓ならこうやってちゃんと埋葬された遺体があるんすよね^^

「墓なら遺体がある」
って当たり前の事をもう一度きちんと認識すべきすよ


ピラミッドや仁徳天皇陵のように遺体も発見されてないのに「あれは○○の墓だ」って言ってる奴はバカと思いますよ

125 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 06:56:04
>>124
美濃もん太くんへ。

まあ、エジプトの大ピラミッドは世界の何人もの考古学者がそう認識しだして久しいんだが、
日本の古墳をつかまえて、「あれは墓じゃない」と主張している考古学者は、ほとんどいないだろうね。

だがね、もん太くん。
じつは一つ、日本にも、「墓じゃない古墳」・・・・があるみたいなんだよ。知ってたかい?
ちゃんとした考古学の専門家が、そう言い始めてる。「これはモニュメントらしい」・・・・だって。
年代は、驚くなかれ、2世紀だというんだ。邪馬台国時代より前なんだ。

美濃にあるんだよ。知らなかったら調べてみてごらん。
すぐそばにも、古い鏡を出した別の重要古墳がある。

調べるの苦手だったら、古墳の名前ぐらいは教えてあげよう。ww

126 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 07:52:00
>>125
>墓じゃない古墳
って言い方がなんかね
墓は墓。遺跡は遺跡
これで良いと思うけどな
つか美濃周辺にある遺跡って巨石のイワクラ遺跡じゃないの?
つか鏡が発見されたからって、そんなもので「○○が発祥だ」とはならないよ
それに遺跡から年代なんてのは正直解んないすよ
歴史ってのは過去の出来事を文献や伝承で伝わって来てるのが歴史だよ
ちなみに美濃はイザナミイザナキが降り立った地で、アマテラスが産まれた地がある所すよ
ただイザナキイザナミやアマテラスが日本の発祥じゃないすよ
例えば飛騨はそれ以前の国之常立命の時代からの歴史がある土地


日本の歴史はめちゃくちゃ古いすよ
世界一長い歴史を持つ国だから

127 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 08:07:45
ちなみにエジプトのピラミッドは墓じゃないすよ
マヤのピラミッドも他の文明に見られるピラミッドも墓じゃない

良く「古代では権力の象徴として巨大な墓を、、」なんて近代学者が勝手に推測してるけど、どの古代文献見ても古代人が権力の象徴として建てるのは巨大な建造物や宮殿や都市すよ
バベルの塔やエルサレム宮殿や古事記に書かれてる巨大な出雲大社とかさ
ちなみに墓は墓すよ
○○の墓、って形じゃなく○○王族の墓
って形で古代では同じ氏族は代々同じ場所に埋葬されてるのが一般的だよ


128 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 08:51:18
>>125

>調べるの苦手だったら、古墳の名前ぐらいは教えてあげよう。ww

もんたは知ったかぶりだから、「教えて」とは言わないだろ。
俺に教えてくれ。


129 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 10:15:56
>>125
えっと古墳調べてきました
「象鼻山古墳」ですか?

象鼻山の事もついでにしらべたっすよ
昔の名前は南宮山、不破山、美濃の仲山とか呼ばれ、コキン和歌集や枕草子にも出てくる山っす

つか岐阜のこの辺りは南宮神社が有名だけど伊吹山や三輪山や王任の乱やら大和川や色々あるし、ナガツネヒコや蘇我氏らの伝承が沢山ある地域すよ


けど象鼻山古墳自体は別に墓じゃない気がするよ

130 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 10:40:52
象鼻山1号墳は、狗奴国の王か王族の墓である可能性が高いのです。


131 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 12:38:04
墓が巨大化するのは、オウの死後、その権力継承、日継ぎをスムーズにするためなんだろう。
文字を知らない民衆に、オウの偉大さを分からせるには巨大な墓が必要。
同時期に半島でも巨大な墓が築造されている。

あと、各地からオウのミササギ造りという名目で、労働力を徴発できた、というのも大きいだろう。
地方の反乱防止とか、墓造りに武器を渡せば軍事に転用出来るし。

132 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 13:25:28
もん太は
その内、奈良の大仏は美濃から奈良に移したとか言いそう

133 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 13:46:32
>>132
遷都ってのは都の移設だよ
美濃の勢力は壬申の乱で負けた方の勢力だよ
あと別に氏神にしろ氏族などの移動と共に各地に分散する訳だから、移設や分散は別に問題無いさ

つか記期にもちゃんと「遷都した」って書いてあるように、橿原にしろ平安京にしろ移設した都だよ


134 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 15:09:40


もん太は、邪馬台国美濃説なの?



135 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/12(水) 15:24:42
>>92 >>100 ローガンさん
回答感謝!
「獲加多支鹵」=ワカタキルにおいて、ワカタケルとせず「支」
の字を使ったのは、太始元年(=465年で)の年号が景和元年と泰始
元年の同年二回の改元があり、過去に先述したように両年号

 景和

 泰始

の泰(=「太」)とノギヘンの「和」を、ナナメに採って七支刀
の銘文にヒネって作者が書きこんだものと想う。だから太和のようで
太始を隠しているもの。
七支刀の『支』の字を稲荷山鉄剣の作者は故意に採って雄略の御名に
入れたもの。『支』は旨王の「ヒ」と/(ナナメ線)をタテ軸に左右
に対称とした形状の字で、両年号のナナメ読みを示唆しているよう
であるのだ。

136 :ローガン:2008/11/12(水) 16:04:44
>>135
「支」がケと読めるか?ってことですね。
岸俊男氏によれば、支は甲類のキ、同じ音に「祁」が有るようです。
祁は日本書紀では「キ」と読んでいるが万葉集だと「ケ」になるそうです。ならば、同音の支もケと読んで差し支えないだろう、との事です。

137 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 16:11:26
というか、ワキ(脇)もワケ(別)も同じ意味だろ。

138 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 16:14:35
>>134
違うよ
単に烏弥邪馬國の事と思ってるよ
卑弥呼は神功皇后の事と思うし

神功皇后は筑紫に宮を置いて乾国に派兵して統治した人だよ

139 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 17:23:24
>>138

もん太は、邪馬台国がどこだと思ってるんだよ?九州ってことでいいのか?

140 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 18:25:30
>>139
唐書やら隋書によると倭人は朝鮮半島も統治してたんだよ
倭人が統治してた百済や加那の中には「烏弥邪馬國」ってのもある
単にこれの事だと思うよ

記期の神功皇后の記述にも神功皇后は統治した百済を気に入って海の向こうの屯家としたとかあるしさ
神功皇后は鬼道使いでもあるし
記期では神功皇后は祈祷を行い、その神言に従い朝鮮に出兵して統治したとあるよ

141 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 18:58:35
>>140

だから、もん太は、邪馬台国がどこだと思ってるんだって聞いてるんだよ!






142 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 19:06:51
もん太との「会話」は、やっぱり成り立たないだろう

143 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 19:08:05
報道:犯人=美濃もん太は訳のわからないことを口走っており・・・

144 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 19:11:46
>>141
だから百済(加那)にあった國と思うよ
神功皇后が天孫三代を国造りに向かわせて開拓して統治してた土地


145 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 19:13:11
>>144

邪馬台国百済説か。

はいはいわかりました。


146 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 19:20:32
>>145
百済(辰晋)には隋書では烏弥邪馬國って呼ばれる倭人の納めてた國もあった事が書いてあるよ

邪馬壹國の事じゃないの?

147 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 21:42:45
>>99さん
私が言葉足らずでしたね。
あなたの間違いは女王国より北の国々、又は女王国の北の国々にのみ一大卒の
様な監察官がいると読み違いをしている事です。正しくは
女王国より北は一大卒という司令官を置いて諸国を監視している。一大卒は
常に伊都国にいる。わかりますか?女王国の北の国、伊都国に一大卒が常に
いるのであって女王国の北の国々だけに監察官の様な者がいるとはどこにも書いて
いない。あなたは読み違いをして以北と争ったと勘違いしているのです。
ですから
>倭国乱の後、勝者である女王国が敗者(以北)を検察するために伊都国に一大率を置いたのですよ。
わけではないのですよ?わかりますか?もう一つ一大卒の下に駐在員の様な者が
いて諸国を監視しているのです。この諸国とは女王国の北だけにいるとは書いて
ありません。

148 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 21:54:46
147続き
もう一つ、では何故伊都国に一大卒がいるのか?とあなたは思うのではないですか?
倭人伝にあります
”帯方郡の使者は行き帰りに必ずここに滞在する””一大卒は国中に駐在員をおき報告させている”
つまり伊都国は諸国の動静をキャッチしやすく強大な魏とも情報を交換しやすいのです。
反乱の動きを見せたら魏に報告するぞという脅しが効くのです。これは邪馬台国の
卑弥呼にとっても重要な事です。なぜなら倭人伝にもある倭国内乱〜が遠い昔の
事ではないからです。そんな重要な役割を果たしている伊都国が女王国の
同盟国ではないんですか?あなたの以北と戦うという記述がないものと
どちらがより理論的ですか? 

149 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 22:35:47
>>147 >>148
「わかりますか、わかりますか」と言われても、あなたの文章ではあなたが何を言い
たいのか、理解できませんね、あなたの文章を読んで、あなたが何を言いたいのか、
理解できる人はほとんどいないでしょう(いたら通訳して欲しいな)。もう一回、書
き直し。 



150 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 22:49:34
まもなく美濃もん太から、邪馬台国アトランティス説を発表!
彼の説だけは絶対に正しいそうですから、楽しみです。

151 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 22:52:40
>>148追加です
倭人伝の伊都国について”世王あり皆女王国に統属す”
伊都国には代々王がいて皆女王国に統属している。つまりかなり古くから
女王国に従っていた。古い同盟国である。
>>149
あなたにわからなければしょうがないですね。


152 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:15:24
>>136
藤堂明保の「学研新漢和大辞典」によると、「支」の古音は<kieg>ですね。
中古音が「シ」に近い音になっています。

古音は「一支国」のように「キ」の方に通じる音のようなので、中国の音とは別に、
日本での音として「ケ」と読むならわしになったようです。

そうなると、稲荷山鉄剣の作者が中国人といえるかという問題も出てきます。
あの銘文は漢文の文法配置なので、中国人が書いたといわれますが、音からは
万葉仮名のようなもので日本人が書いたとする解釈も可能になります。

日本人が書いたとすると、中国人が居たであろうヤマトで製造されたとする根拠が
なくなります。
それを突き詰めると、現地の近くで自分の先祖の名前を入れて銘文を作った可能性も
出てくるので、ヤマトで創作された系譜伝承とする考えが成立しにくくなります。

ただ、ワカタケルに当てる文字が固定化されていたとすると、中国人が書いても同じ
漢字を当てるので、前提からして危ういところがあります。
また、現地で創作された伝承が存在したとも言えますが、持ち主が自分の先祖を丸ごと
別の架空の人物に置き換えて創作するとは考えにくいですね。

まあ、古音の「キィェ」を「ケ」で当てたとすると、以上の議論は全部無意味ですがww


153 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:32:15
何だこのスレw

白石太一郎あたりの畿内説の一派による
安本美典こきおろしスレですかwww

畿内説で決まり、なんて感じの一部のレスが痛いなw

154 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:39:19
白石太一郎本人かもしれんな

155 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:48:26
>>153
畿内説で決まりなんてことはないよ。決定打が無い。
少なくともその蓋然性が高いと言及されてるだけで。

倭人伝から距離を置き、大和王権成立のプロセスを語るのがこのスレの趣旨。

156 :155:2008/11/12(水) 23:49:52
誤爆した。スマン

157 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:50:01
>>153
いや、何人かの畿内説論者がここに書き込んでるが
レスを読むかぎり白石太一郎はほとんど見離されている感じだな
畿内説論者により多く信頼されてるのは寺沢薫や石野博信のようだ

158 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:53:14
邪馬台国の位置なんて天皇陵全部暴けば一発解明

159 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:57:37
安本美典はこきおろしてOKだろ。


160 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:00:38
白石先生は言い過ぎてしまうんだよな。
学者ならもっと慎重に語るべきところを。

寺沢は元々邪馬台国東遷説の人で、最近は大和王権の外来性を強く主張してきた人。
確かにマキムクは外来文化の寄せ集めに近いが、かと言って戦乱の痕跡が
無いことからも、外部勢力が奈良県南東部に押し寄せたという仮説は
少し眉唾な感じがする。
マキムクには環濠が無く、大和自生勢力も大きく関与した連合政権であった可能性が高い。

石野先生は穏健派で、非常に慎重な物言いをされている。
考古学者はかくあるべき。本人は大和自生説なんだけど、他説を頭から否定せず、
C14や年輪年代にも慎重な態度。

161 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:00:36
>>151
>伊都国には代々王がいて皆女王国に統属している。つまりかなり古くから
>女王国に従っていた。古い同盟国である。
ほう。そんな古い同盟国に何で一大率を派遣する必要があるのかな。
倭国内の反乱分子が心配だ、諸国の動静を把握する必要があるというなら、伊
都国王にその役目を任せればいいではないか?
一大率は伊都国を始めとする以北の国々を監督していたんだよ。伊都国は厳し
く監督される立場だったのだ。もし、監督対象が以北のみではなく、倭の諸国
全部だという説があるなら教えてくれ。




162 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:06:40
寺沢が東遷説なら、森浩一も東遷説だな。

安本は見えない敵と戦ってるのか(笑

163 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:13:51
>>161
あんたじゃ伊都国の情勢はどうやって邪馬台国に伝わるのよ?
同盟国だからって全部信用すんの?ちょっと考えれば分かると思うが?
>監督対象が以北のみ〜
だから以北のみに観察するとは書いてないでしょ。普通に考えれば国の窓口と
して全部の国に駐在員を置いて情勢を調べたいのが盟主国の考えでしょ。
現在でもそうでしょ。


164 :今の:2008/11/13(木) 00:17:55
■■■■■■■■■田母神氏を更迭する自民党を倒せ

165 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:24:20
>>163
>あんたじゃ伊都国の情勢はどうやって邪馬台国に伝わるのよ?
伊都国王から報告させればいいだろ。古くからの同盟国といいながら、信用は
しないってのはどうかな。

>以北のみに観察するとは書いてないでしょ。
読解力がないね。以北のみが対象と書いてあるんだよ。



166 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:28:24
>>165さん
スイマセン。自分も言葉使いが汚かったと思います。
この辺でやめましょう。いろいろ勉強になりましたよ。おやすみなさい。

167 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:32:58
考古学の先生の話と
九州から首都へ近畿へ移転したような形跡がないと言っていたよ。
だから、なぜ、神武東征みたいな伝承があるのか
これからの課題だとよ。
これを、ただの伝承だと、片付けずに、これからの研究対象のひとつ。

ちなみに、神武天皇が近畿へやってきたときに
彼を出迎えた近畿の神(というか、お上=役人)は、
ほとんど、神武天皇の親戚の人たちw

168 :ローガン:2008/11/13(木) 00:49:05
>>152
この鉄剣銘文の論点ですね。貴方はいかがお考えでしょう?
私は純粋?な漢文の銘文とは言い切れない以上、その素養を持った「日本にいる人」が原稿を作ったように思えます。
オオヒコは大彦命を指すものと考えていいと思います。特に否定出来る史料もないでしょう。
ただ、大彦命が考元に繋がるのかどうかについては?…


169 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/13(木) 01:12:55
>>168
大陸では漢字は意味を表す「表意文字」でしか無いよ
日本見たいに音読みを付けて言葉の発音を表記出来る「表音文字」の使い方はされてない
インド
日本→印度
大陸→南蛮


大陸では日本見たいに漢字を言葉の発音に合う字を当てると言う使い方はしない
あくまでも漢字は意味を表す文字でしか無いよ




170 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/13(木) 01:18:53
だから太国さんが言うように
もしワカタケルを「獲加多支鹵」って音に合う字を当てる使い方をしてるのなら、これを書いたのは大陸の民族じゃなく日本人だよ



171 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 01:25:41
>>167
畿内説の考古学者の言うことは当てにならないよ。
それは、今までのことを振り返ってみれば、わかるはず。
三角縁神獣鏡、箸墓など。

仮説を立てては破綻。破綻すれば、反省もせず別な仮説を立てる。
そして破綻、の連続だから。

だいたい、まともな考古学者なら、東征の痕跡がないなどとは言わない。
すべて掘り尽くしたわけではないから、言わないのが誠実と言うもの。

佐原真という有名な考古学者は、弥生時代に豚はいない、と言うのが自説
だった。ところが、弥生時代の遺跡から豚の骨が出てきた。

「いやあ、考古学で「なかった」というのがいかに難しいのかが良くわかり
ました。だから、畿内に鉄はなかったというのも言えないのではないか。」
なんて言ったのを聞いてなんか違うんじゃないかと思った。
ちなみに、佐原氏は畿内説だった。もう、亡くなったが。

172 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/13(木) 01:32:14
ちなみに

スターウォーズ→星球大戦
マイノリティリポート→少数報告
ET→異形
スーパーマン→超人

だよ


173 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 01:33:23
>>167
神武は応神の焼き直しなんだよ。
日向に縁の深い応神が、吉備や葛城と共謀して畿内に攻め込み、
倭国王位を簒奪したのが4世紀末。
半島での高句麗南下に伴い、今までのやり方では駄目という、
外政至上派が挙国一致を目指し、それまでの大和王を打ち倒した。

しかしあくまで倭国王位継承という立場を取ったため、
本来のハツクニシラスである崇神の上に、更に自ら
(吉備やら葛城、日向の三者)の祖である日向三代やら神武、欠史八代を
加上したというのが真相なんだよ。

174 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 01:33:51
>>171
ついでに言えば、東征の痕跡はあると思う。
それは、畿内の古墳などの墓の様子。
弥生時代からの九州の墓とそっくりだと思う。特に、副葬品。
少なくとも、畿内やほかの地域の墓とは連続性がない。

それに、銅鐸の製造・祭祀の終焉。
こういう終わり方は、支配階級が変わったと解釈するのが妥当だと思う。

175 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 01:43:11
>>171
>すべて掘り尽くしたわけではないから、言わないのが誠実と言うもの。

そんなことを言ってしまうと何でもアリになってしまうよ。
少なくとも現時点の考古学的成果で類推していくべきだろう。

東遷というアクロバティックな論を展開する以上、説明責任は東遷説側にある。

そもそも「ないことの証明」は悪魔の証明で、
「東遷が無かった」という証明は非常に困難。
あくまで「東遷があった」と言う側に証明責任があるんだよ、と。

176 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 01:52:54
>>174
銅鐸祭祀の終焉は、弥生終末期の各地に起きていることで、
別に畿内、銅鐸地域限定で起きていることではない。
村の祭りから首長霊祭祀への転換は、確かに筑紫で始まり、東へ波及していくが、
「九州からダイレクトに畿内に」ではなく、出雲や吉備などを経由して畿内に到達する。
むしろマウンドを築くというの畿内の古墳は吉備の楯築に源流を見るのが
現在有力な説。
鏡崇拝にしても、播磨を経由して畿内に入ったと見るべきだろう。

そもそもがマキムクに九州の影響は極少。
庄内甕にしろ、マキムク型前方後円墳にしろ、
畿内発で九州に伝播したというのは上でも書いた。

177 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/13(木) 01:57:56
>>175
東遷はあったでしょ?
記期にも書いてあるし

ただね、東遷の前にまずはスサノオが芦原天国原を治めて、その子孫の天孫が筑紫から乾国へ国造りへと渡った話があるんすよ

ちなみにスサノオが治めた芦原天国原ってのは信濃の事だよ
このスサノオ(牛頭天王)の血統氏族が乾国(漢国)へ渡って朝鮮半島を治めたのが百済であり新羅
その天王の子孫のイワレビコが再び筑紫に渡って東遷して、中津国原を治めてたナガツネヒコ(蘇我氏)を倒して都を橿原に移設したって話すよ

あとニギハヤヒってのは諏訪大明神の事で彼も天王の子孫
ナガツネヒコがいた宮は今の美濃すよ

東からナガツネヒコを攻めたけどダメだったから信濃のニギハヤヒの所へ行き、ニギハヤヒが信濃から美濃へ入りナガツネヒコを倒したって話だよ

178 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/13(木) 02:02:01
>>177
東からじゃなく西からだ
んで東の信濃にいた同族のニギハヤヒに協力を求めてニギハヤヒが東から美濃に入りナガツネヒコを倒したんす
んでニギハヤヒはイワレビコに統治を譲って諏訪に戻って、イワレビコが大和を統治したんすよ

西暦600年頃の話だよ

179 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 02:10:41
>>168
単純にヲワケが被葬者で、彼が彼の先祖と彼を顕彰する品をもらったと考えています。
他人の系譜が書かれても意味はないですから。
ヲワケは若い頃はヤマトに行って、杖刀人として宮仕えをしていたのでしょう。

当時は地方豪族の家督を継ぐためにはヤマトで若い頃に宮仕えをしないと、家督継承を
認めないという形で地方の統治をしていたのでしょう。
中央で教育を受けると同時に、地方の統治者の承継人を人質とする意味があります。

磐井の乱でも「同じ釜を食った仲だろう」という言葉が出てきますが、磐井も若い頃は
中央で宮仕えをしてから、家督を継いだのでしょう。
百済王も子弟を日本に人質として送って、本国で即位したりしています。

肝心の剣の製作ですが、銘文を普通に読んで、雄略が作らせたと考えています。
となると、ヤマトで作ったことになります。渡来人が銘文を作ったのでしょう。


180 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 02:46:44
>>176
明らかに九州発の文化が、どこかを経由しているから九州の影響が
ほとんどないと言い切るのはどんなものかな。

なかには、東征の痕跡は皆無などと言う意見もあったが、いったい何が出れば
東征の根拠となるのだろうか。

とにかく、考古学者にはもっとしっかりしてもらいたい。
三角縁神獣鏡以来の歴史を見ると、それを強く感じる。
強硬に「考古学的」を主張するが、破綻すると知らん顔、の繰り返しだから。

181 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 03:14:29
ビデオテープの整理していたら、NHKの邪馬台国を扱った「歴史の選択」を録画したのが出てきた。

改めて見てんだが中で気にかかったのが、倭国大乱の痕跡として
例の青谷上寺地の大量殺戮現場の人骨を紹介して
「九州勢に襲われた可能性がある」
とか言っていたが、何か根拠(出土遺物等)あるのだろうか?

九州と山陰の直接交戦の跡があるなら
倭国大乱を九州のみならず少なくとも西日本一帯に解釈しても
無理が無くなると思うのだが…

それにしても番組内で畿内説と九州説どっちを支持するか視聴者の投票で
九州地区の地元九州説を支持するのが9割以上だったのにはワラタwww


182 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:07:08
>>180
>明らかに九州発の文化が、どこかを経由しているから九州の影響が
>ほとんどないと言い切るのはどんなものかな。

そもそも銅鏡は大陸からの伝来であって九州発祥ではない。
(中国でも銅鏡は大半は墳墓の中から出土)

それに「九州(方面)の影響」と「九州からダイレクトに持ち込まれた物」では意味が違う。
そんな事を言い出したら銅鐸だって稲作だって「九州から」だ。

東遷説を主張するならそれがダイレクトに持ちこまれた痕跡を示せ。



183 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:33:47
>>180
>とにかく、考古学者にはもっとしっかりしてもらいたい。
>三角縁神獣鏡以来の歴史を見ると、それを強く感じる。
ほんとにそのとおり。だいたい、考古学で邪馬台国の所在がどこかなんて言える
はずがないということを理解していないんだな。日本国中に人は住んでいたんだ
し、有力な豪族は欲しいと思う物を手にいれることができた。墓の大きさなどを
みて我が国の中心がどこかなどを決めようというのが無理。
仮に自分の中で邪馬台国がここかと考えたら、倭人伝の行程記事をどう読むかを
考え、疑問なく読めるということにならなければ、ここであろうなどと言えるは
ずはないのに、倭人伝を読みもしないでここだ、ここだという学者が多い。分を
わきまえろと言いたいね。

184 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:40:02
>>175
>「ないことの証明」は悪魔の証明で、「東遷が無かった」という証明は非常に困難。
>あくまで「東遷があった」と言う側に証明責任があるんだよ、と。
聞きかじったことを言わないことだな。証明責任は真相が分からないままどちらかに
決着をつけなければならない裁判の場で言うこと。真実を追究する学問の場で証明責
任で決着をつけるなどということはないんだよ。

185 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:43:47
>>171
>>175
その佐原の反省はよく知らないが、あんがい考古学の核心を言ってると思う。

考古学は新たな発掘で新知見が得られると、
それまでの学説は捨てなければならないこともある。仕方がないと思う。
そういう点、自然科学的で、天文学や医学の歩みとよく似たところがある。

しかし、考古学者が
「将来発掘でガラッと変わる可能性もあるから今は何も言いません」
ばっかりでは、そりゃ職務怠慢というものだろう。違うか。w

今の時点で、発掘でわかっていることを基にして言えることは、
ちゃんと学説として言わなきゃならないと思う。

新発掘で学説が覆ったら、そのときはそのとき。
考え直してまた新たな説を出したらいい。ぜんぜん恥ではない。

186 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:47:20

「東遷の証拠はあった」というけど、
事実として九州民族としての東遷の証拠は皆無。
九州民族の酒好きDNAは、畿内には全然継承されてない。

王族だけが東遷したというのは、それこそ夢想。
「九州の王族を、畿内の民族が、諸手をあげて歓迎して向かえた」としなければ、
マキムクの環濠が無い理由を説明できない。

「九州の王族を、畿内の民族が、諸手をあげて歓迎して向かえた」のならば、
それは邪馬台国時代から、九州〜畿内がゆるやかな共同体連合であったことを認めなければならない。


187 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:50:25
だからだな…

「東征の痕跡がない」
 ↓
「”今のところ”東征の痕跡がない」

と言い代えればすむ話だなwww



188 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:50:49
>>182
ダイレクトの必要はない。東征、あるいは東遷の観点から記紀を見ると、
出雲は、国譲りということから、大和より早く影響を受けていたと考えられる。
古事記によると、神武東征の途中、吉備には8年滞在している。
吉備の方が早く影響を受けていても不思議ではない。

こういう可能性は十分にあるから、ダイレクトでないと東遷説は成り
立たないというのはおかしい。

考古学はあくまで解釈の学問であって、土器に年号が書かれているわけでも、
遺物が、何が起こったかを語るものでもない。語るのはあくまで人間。
しかも、限られた資料から判断する。
先入観の入る余地が大きい。

しかし、文献は解釈に先入観の余地が少ない。
皇室の歴史書として成立した記紀には、皇室の先祖が日向からやってきたと
はっきり書かれている。

189 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:54:10
>>188
>しかし、文献は解釈に先入観の余地が少ない。

はあ?アホか?

それが神話でなくて史実である保証はなにも無い。

神武の東征が史実ならヤタガラスや金鵄といった霊鳥も実在したのか?って話だなw



190 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:01:00
>>188
>しかし、文献は解釈に先入観の余地が少ない。

いや、大いにあると思う。
というか、人によって何通りもの解釈がある。
学界だってそうだし、2ちゃんだって現に「あーだこーだ」と実に喧しいではないか。www

191 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:01:18
神武東征神話は少なくとも現在

  あ く ま で も 神 話 

無論それに史実が含まれている可能性はある。
が、あくまでも可能性。

それを歴史として取り扱うのならそれなりの材料が必要なのは当然の話。



192 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:03:31
>>188
卑弥呼=アマテラス、邪馬台国=高天原 などと解釈するのは
先入観の最たるもの

193 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:07:11
しかしね。神武東征は、大和朝廷の影響下で書かれたのだよ。

194 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:10:37
>>192
では、ほかにどういう風に解釈する。
まさか、倭迹迹日百襲姫=卑弥呼が、先入観のない解釈とは言わない
だろうね。

195 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:19:36
>>194
その通りさ
倭姫説も神功皇后説も熊襲女酋長説ももみんな先入観からきている
だから文献は解釈にも先入観ガ大いに入ってくるわけ
考古学と比較してどうこうとか言える立場じゃないだろうに

196 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:32:23
>>195
しかしだよ。卑弥呼が実在していたのはまず間違いない。
その卑弥呼が記紀の中の誰なんだろうというのは、みんなが考えることだろう。
一応、神代のことから書かれているわけだから。

そういう観点から探していくと、やはり天照大神が一番似ている。
少なくとも、他の誰よりも似ていると思う。

197 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:45:22
東遷説は、東遷の根拠を提示しなけりゃならないのに、
「畿内説はおかしい」としか言わない。

確かに弥生後期に筑紫は隆盛していたし、邪馬台国があってもおかしくない。
あとは実年代やら考古資料の分析などの問題。

東遷説はすり替えをしてるんだよ。

198 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:56:27
>>196
>少なくとも、他の誰よりも似ていると思う。

おまえが、アマテラスしか知らないだけ。
他の誰を何人知ってるか列挙してみ?

記紀に出てくる女王は何人いる?
古墳に埋葬された女王は何人見つかった?


199 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 09:12:23
>>196
>そういう観点から探していくと、やはり天照大神が一番似ている。
>少なくとも、他の誰よりも似ていると思う。

先入観というのはよく悪い意味で言わるが、必ずしもそうではなく、
悪いのは先入観に囚われてしまうことだ。
思い込みが深くなって他の見方が全然出来なくなってしまうことなんだ。

卑弥呼と天照大神の類似点ばかりに目が行ってしまうと、
他のものが見えなくなってしまう。他の可能性を考えなくなってしまう。

勧めたいのは、自分で卑弥呼と天照大神の相違点を書き上げてみること。
すでにいろいろ言われているのだが、まず自分で記紀を読み、やってみること。
これは検証という作業で、もしこれを乗り越えることができたら
先入観が真実に近づいてくるかもしれないのだが。

200 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 09:43:56
卑弥呼がアマテラスなら、男弟はスサノオなのか?っちゅーはなし。

ならば、スサノオが実質的な邪馬台国の王ということになる。
邪馬台国の男王がスサノオだと断言できるなら、それはそれで整合した九州説となるがな。
いままでは聞いたことはないが。


201 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 09:53:02
スサノヲが男弟ならば、卑弥呼の在任中に追放されたことになります。
魏使がきたのは、卑弥呼の晩年あたりですので、そのような事件があったとすれば、魏使の報告書にのっていることになります。

202 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 09:59:52
卑弥呼の死後に男王が立ったけど続かなかった、という話を、
スサノオ追放と考えることも出来る。
玄界灘の宗像三女神はスサノオの娘という設定。

スサノオを邪馬台国の王と考えることは不自然じゃない。むしろ必然。
あとは、九州説の諸氏が受け入れられるかどうかだ。

203 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 10:00:30
>>201
漢人が関係しない他国内事情なんて載せない。
魏志は漢人の歴史書

204 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 10:06:11
>>171
あまりにも酷いので、ここだけ

>仮説を立てては破綻。破綻すれば、反省もせず別な仮説を立てる。
>そして破綻、の連続だから。

これは全ての科学に当てはまることだよ。
多くの批判にさらされ残ったものが生き残り定説となっていく。

正解なんてものは、誰かが用意した問題にしかないようなもの。

無知をさらすのはそろそろやめた方がいい。


205 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 10:15:26
>>204
まあ、あれだ・・・

 「科学とは反証可能な仮説体系云々…」

とかなんとか言う奴だなw

もっとも考古学・文献史学は自然科学ではないと言う事なのだろうがwww

つうか>>171の言う「三角縁神獣鏡」も「箸墓」もいまだにケリがついたわけじゃないんだがwwwwwwwww

206 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 10:26:45
科学科学というが、
最新の科学は、すべて「解釈」にすぎないと認定されてるんだよ。

「これが絶対的に正しい理論だ!」「絶対的真理だ!」
というやつがいたら、そいつはトンデモですから。





207 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 12:16:53
新説にとびつくのもアレだけど、旧説にしがみつくのもどうかと思う。
特に近年の考古学の成果を全部否定するのはやり過ぎ。

結局のところ「邪馬台国東遷した」という思い込みに囚われて、まともな思考が出来ていないのだろう。


208 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 12:27:01
>>207お前は特にな!

209 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 12:28:04
>>184
「なかったことの証明」が出来なければ、「あったことの証明」になるのかよ。
ほんと都合のいい脳みそだなw

210 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 12:53:59
>「なかったことの証明」が出来なければ、「あったことの証明」になるのかよ。
なるわけがない。そこが分からないのは困った脳みそ。


211 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 13:34:57
幽霊もUFOも超能力も神も、「ない」ことの証明は出来ないので、「ある」訳だよな。
何が学問的なんだよ。笑わせるな


212 :ローガン:2008/11/13(木) 15:34:35
>>179
> 単純にヲワケが被葬者で、彼が彼の先祖と彼を顕彰する品をもらったと考えています。

私は少し違います。

> 他人の系譜が書かれても意味はないですから。
> ヲワケは若い頃はヤマトに行って、杖刀人として宮仕えをしていたのでしょう。
> 当時は地方豪族の家督を継ぐためにはヤマトで若い頃に宮仕えをしないと、家督継承を
> 認めないという形で地方の統治をしていたのでしょう。
> 中央で教育を受けると同時に、地方の統治者の承継人を人質とする意味があります。
> 磐井の乱でも「同じ釜を食った仲だろう」という言葉が出てきますが、磐井も若い頃は
> 中央で宮仕えをしてから、家督を継いだのでしょう。
> 百済王も子弟を日本に人質として送って、本国で即位したりしています。

異論はありません。

> 肝心の剣の製作ですが、銘文を普通に読んで、雄略が作らせたと考えています。
> となると、ヤマトで作ったことになります。渡来人が銘文を作ったのでしょう。

「獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」
吾がつかえ奉る根源を記すなり。ですから、自ら記述したものではないでしょうか?
携わった仕事は「杖刀人首」ですから、後世で言う帯刀舎人のヲサ…つまり「門番の長」クラスではないかなあと思います。
それを指して「左治天下」ですから、自身への顕彰だと思います。
又「寺在斯鬼宮時」も過去形のように思え、帰郷後、東国にて作られたと考えています。

213 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 16:46:46
>>212
たしかに、銘文を普通に読むと雄略ではなく、ヲワケが自分のために剣を作らせたと
した方が良さそうですね。

製作した場所については、武蔵でこれが作れるだろうかという疑問があります。

214 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 16:58:53
>>199
卑弥呼と天照大神の類似点については以前も書いたのだが、もう一度。
ちなみに、卑弥呼+台与=天照大神。

共に、王あるいはそれに相当する地位であること。女性であること、独身で
あること。

卑弥呼は、狗奴国との争いに困り、帯方郡に使者を出す。仲裁に張政が
やってくる。その頃死亡。
天照大神は須佐之男命の乱暴に困り、ついには怒って岩戸に隠れる(死を
意味する)。

卑弥呼が死ぬと跡継ぎをめぐり争いが起こり、千人余を殺しあう。
天照大神が岩戸に隠れると、高天原は真っ暗になる。不穏な状態になる。

台与が女王になると、平和になる。その後、また男王が立ち、晋から
共に爵命を受ける。王が二人並立する状態になる。
天照大神が岩戸から出ると、高天原は明るくなる。そして、高皇産霊尊が
登場する。どちらの地位が高いか不明。

さあ、類似点を書いたので、そちらも似ている人物を示し、類似点を書くこと。

215 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:06:27
>共に、王あるいはそれに相当する地位であること。女性であること、独身で
>あること。
うちの娘も王女様。女性、独身。


216 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:20:52
アマテラスとスサノオは明らかにセックスしてるんだがそこんとこの解釈は?

217 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:34:19
>>214
>さあ、類似点を書いたので、そちらも似ている人物を示し、類似点を書くこと。

必要ない。

魏志倭人伝に登場する卑弥呼が、
絶対に記紀に書かれた誰かの人物でなければならない理由などない。


218 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:44:35

>>199
>勧めたいのは、自分で卑弥呼と天照大神の相違点を書き上げてみること。

>>214
>卑弥呼と天照大神の類似点については以前も書いたのだが、もう一度。

なんか>>214トンチンカンだぜ
>>199を誤読?


219 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:54:19

>>214
>卑弥呼は、狗奴国との争いに困り、帯方郡に使者を出す。仲裁に張政が
>やってくる。その頃死亡。
>天照大神は須佐之男命の乱暴に困り、ついには怒って岩戸に隠れる(死を
>意味する)。

なんつーかぜんぜん類似してないぜ


220 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 19:44:06
卑弥呼像に関しては色々議論があるので、専用スレが立っている。
そちらへ出向いて存分に議論してほしい、。

★謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!24

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1225463504/l50

221 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:09:18
>>214
ううむ、ツクヨミはすっかり無視されてんなw

同じ高天原の住人であったスサノオが狗奴国?
じゃあ狗奴国は出雲だったのか?

人の世と神の世の境界が良く分からない話だなwwwwww

222 :ローガン:2008/11/13(木) 21:12:37
>>213
> 製作した場所については、武蔵でこれが作れるだろうかという疑問があります。

ごもっともです。まあ私も確かな根拠がある訳では無いので…同古墳群の将軍山から銀象篏が出てますが、6C後半らしいので、辛亥を471年とした場合、根拠なるとは言いにくいし。
又、大野晋氏が言うには、「この銘文の万葉仮名の使い方には、どうも大和地方のちゃんとした発音に合わないところがある」そうなんですが、まだよく調べていません。
作刀地についてはさておき…
ヲワケは自身の祖をオオヒコから遡っていない つまり大王家にまでは繋げていない事についてはどう考えますか?


223 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:20:32
ぶっちゃけ東遷説って言っている事が良く分からんよねwwwwww

(1)それはいつの事だったのか?
 いつ頃始まりいつ頃終わった?
 どれくらいの時間をかけたのか?
 時間が長ければ文化の伝播を区別しにくくなるが…

(2)何処?
 九州の何処から畿内の何処へ?
 ちなみに九州の優位性を鉄の量に求めるが
 一口に九州と言っても日向(宮崎県)はかなり少ないよね?

(3)どれくらいの人口規模だったのか?
 クニごとの人口が移動したのか?

(4)何故?
 そもそもどうしてそんな事をしたのか?動機・原因
 九州の優位性畿内の後進性を力説する、なら何でまた大和を目指す?

(5)東遷した勢力とヤマト王権の繋がりは?どう証明する?
 具体的に言えば纏向との連続性をどう説明する?
 葛城辺りに纏向型前方後円墳があるじゃなし…


224 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:23:05
トヨタンは岩戸のスキ間から、ウズメ姐さんのストリップ見たんだよ。
で、「アタシも大きくなったらあんなことしてみた〜い」と決意。
そこを買われて新女王に抜擢されたんだよ。

ん? そういや倭人伝にはストリップ出てねえな。なぜだ?

225 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:29:41
>>224
つ品格

226 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:33:20
(*´д`*)ハァハァ

227 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:43:11

ト、トヨタン・・・・・・・・・・・・・・・


228 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 22:17:42
>223
(1)AD2c後半  1年くらい掛けて
(2)北九州・遠賀川河口一帯 → 三輪山付近  鉄資源を大陸から輸入できるコネを持っての移動
(3)千人規模 クニと言えばクニかも知れんが一族で移動
(4)北九州での抗争を避けて
(5)卑弥呼(崇神の姉)から数代は初期大和王権の首長

229 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/13(木) 23:00:41
>>189
少し前も片方しか鍬がないクワガタ虫が発見されてるし、金色の蛙だとか、
人面蜘蛛だとか、そういう生物が見つかってるから、ヤタガラスとか金鵄はあり
うる。

230 :自説1:2008/11/13(木) 23:37:06
畿内勢力(纏向)
スサノオ、ニギハヤヒ、オホクニヌシ
崇神天皇、景行天皇、日本武尊、仲哀天皇
四道将軍の行軍範囲=前方後円墳の伝播地域

まず、崇神天皇の「崇」の字に着目。
本来怨霊化する恐れのある天皇に「崇」が
つけられるはず。そして、始祖を意味する「神」の字も。

『王朝の始祖+怨霊化する可能性アリ』
これは何を意味するか。

231 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:48:17
>>228
この意見は初めて見る。
あなたは「安本な人」氏ではないんだな

>(5)卑弥呼(崇神の姉)から数代は初期大和王権の首長

これだと、卑弥呼は大和にいたと読めるから、あなたは畿内説だね。
つまり安本らの邪馬台国東遷説とは違うわけだ

中山―原田のいわゆる「北部九州勢力東遷説」に近い考えと思ったが、
東遷の元を遠賀川河口一帯とする点が少し異なる。
なぜ遠賀川河口一帯なのか。
よかったら根拠を述べてくれたまえ

232 :自説2:2008/11/13(木) 23:49:19
オホクニヌシの国譲り、神武東征神話、応神東遷 において、
「抵抗勢力の兄弟が・・・」という非常に似た形の話が多いのはなぜか。
東遷の主役のバックに女神的存在がいるというのも共通している。

議論は省くが、高天原は出雲の西に存在すると考えられるのであるから、
国譲りも、広義の東遷と考えてよい。仮に、これらの出来事が
1つの歴史的事実を核としているとすると、それはいつごろであるのか。

畿内、古墳文化華やかなりしころ、それは邪馬台国ではなく、
それはオホクニヌシの葦原の中つ国の最盛期ではなかったか。

私は九州説だが、邪馬台国より大きい国が
畿内にあったほうが、むしろ、より自然だと考える。

233 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:52:28
>>231
畿内説だったら急に態度を軟化させるのかw
安本を罵倒してるあたり、畿内説の亡霊か。。。

234 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:53:09
>>228
卑弥呼=崇神の姉と言う事は邪馬台国東遷説ではないのか…

まあ可能性としてゼロではないにしろ
かなり綱渡り的で考古学的な多分検証はムリポだなw

九州での争乱を避けるとしてもわざわざ大和まで行かずとも
山陽山陰の中国地方でも良いだろうに瀬戸内を東まで行って
更に内陸(大和川を遡上するにしてもだ)の大和と言うのが良く分からない話。

てか食料も現地調達しかないだろうし
行く先々で地元の勢力と衝突しなかったのか?
殆ど「死の行軍」だな、最終的に何人生き残ったやら・・・w

それほどまでの事をしなければならなかったのなら
九州から東へもっと大量の難民移動の痕跡が出ても良さそうではある。

それに「鉄資源を大陸から輸入できるコネ」と言っても
九州にあらばこそで、よしんば半島の鉄をゲットできるコネ?があっても
瀬戸内、もしくは日本海での輸送ルートを確保する必要がある。

てかAD2c後半に大和で鉄の量が一気に増大したなんて形跡無いだろう?w 

それにいきなり三輪に来たと言うのなら記紀の神武、欠史八代の宮・陵墓の記述と齟齬をきたす。


235 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:58:41
東征神話がなぜあんな迂回ルートなのかがわからない。

東征が虚構とするなら、あんなに神武が苦戦したり
迂回したり描く必要があったのかわからない。

236 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:09:15
>>233
「安本な人」の東遷説はまた別格だからなw

俺が認識している範囲で言うと

先ず266年西晋にトヨが朝貢したならその年までは九州に邪馬台国があった訳だ。

で、そこから神武による東遷開始。

神武も欠史八代も実在と言う立場らしいから1代10年としても
祟神の前、開化までで90年(9代×10年)既に4世期半ば(266+90=356)w

そして4世紀半ばの祟神の代に纏向を興し
九州から会津あたりまで日本征服(連合体と言う形態は認めない)
纏向型前方後円墳がその証らしい。

・・・当然、庄内は4世紀に入ってからだろうなwww

相当マニアックな世界と思わないか?wwwwwwwwwwwwwwwwwww


237 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/14(金) 00:16:35
PuPuPuPu!!wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

238 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:25:49
>231
いやすまん、「トヨが崇神の姉」の間違い、卑弥呼とは直系に当たるか解らん
卑弥呼の代は九州にいて、トヨを連れて畿内に移動
その地で、卑弥呼の後継者、邪馬台国のトヨと名乗って使者を送った

>234
>殆ど「死の行軍」だな
いや、支援勢力はあったと思う、先んじて東海まで下っていた尾張氏とか


239 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:32:00
東遷説論者に朗報?
こっちにも貼っておこうwwwww

http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/0d4526b0139cfe8d47b520326d6862b9

>香川県善通寺市・旧練兵場遺跡 九州地方からの移住者住居跡
>県が発掘調査を進める旧練兵場遺跡(仙遊町、善通寺病院敷地内)で、8日午後1時半から現地説明会が開かれる。
>新たに見つかった弥生時代後期の竪穴住居跡の構造から、九州地方からの移住者の存在を県内で初めて確認した。
>同遺跡は、弥生時代中期から古墳時代にかけての竪穴住居跡が多数発見されている県内最大規模の集落遺跡。
>同センターによると、同遺跡ではこれまで、7本程度の柱で支える円形の竪穴住居跡が見つかっていた。
>本年度の調査で、長方形で2本柱という九州地方で一般的な構造とよく似た竪穴住居跡を新たに発掘した。
>九州地方の特徴を持つ壺も出土しており、九州地方から移り住んだ人が同遺跡に住居を建て、生活していたことを示しているという。

240 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:34:08
>>236
畿内説は、昔からレッテル張りをする。しかも、標的はいつも東遷説。
昔は、「神武東征神話の亡霊」と言っていたらしい。
ある程度以上の年齢の人にはかなりこたえたらしいが、もうそんな言葉に
惑わされる人も少ないだろう。

安本的と言われても何ともないな。安本説とはかなり違うが。

倭人伝を見ると、王の地位は世襲制ではない。当初はこれが普通だったの
かも知れない。倭の五王の時代になると世襲制になっていると考えられる。
3世紀、4世紀の王のつながりは不明だろうと思う。
記紀には世襲制のように書かれているが、これは後で付け加えた可能性がある。

卑弥呼は、巫女的な要素が強い。ほとんど見たものはいないと書かれている。
これは守りの体制だろう。歴史が動くためには、男の王が必要になる。
したがって、台与の時代の男王の出現で歴史が変わった可能性がある。

記紀でも、高皇産霊尊の出現で歴史が動く。出雲の国譲り、瓊瓊杵尊の
日向降臨。したがって、東遷説寄りの考えでは、3世紀後半から動き始める
というのが普通だろう。

神武東征よりも饒速日命が先に大和に来ていたことを考えれば、庄内期は
3世紀の終わり頃でもよい。
神武東征に相当する出来事は、4世紀になってからだろうと思う。

記紀では、初期の天皇はすべて父子継承となっているが、これは記録の確かな
時代の継承を考えると不自然。さらに、世襲制でない可能性もあるので、
これで良いと思う。

また、東遷の理由については、中国の情勢の影響が大きいと思う。

241 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:36:42
やっとまともなスレになってきたな

242 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 01:13:38
>>240
>神武東征よりも饒速日命が先に大和に来ていたことを考えれば、庄内期は
>3世紀の終わり頃でもよい。

意味不明。
庄内期というのは庄内式土器がつくられ、使われた時期、時代のことだ。
なぜ庄内式土器が神武東征や饒速日命と関係する?


243 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 01:32:48
>242
九州と奈良盆地の2点で出るからでは?

244 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 01:53:53
それは安本が庄内式土器を九州から畿内へ饒速日が持ち込んだとしてるからだろどうせw

245 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 03:36:20
実は日向から大和盆地の方角は、正確には真東ではなくて
明らかにずれてるんだよね。東遷、東遷って言うけど


246 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 07:02:13
>>240

>記紀でも、高皇産霊尊の出現で歴史が動く。出雲の国譲り、瓊瓊杵尊の
>日向降臨。したがって、東遷説寄りの考えでは、3世紀後半から動き始める
>というのが普通だろう。

どうして東遷説の人は、瀬戸内海の高地性集落の動きは無視するの?
香川で九州の人の集落が発見されたでしょ?
弥生時代後期=高地性集落の時代で。
神武東征を普通に考えれば、1世紀でしょう。



247 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 08:48:33
記紀に天照は女性と書いてあったっけ?

248 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 09:07:14
>>247
記紀には、天照大神だけでなく、他の人(神様)の性別もあんまり書かれて
いない。しかし、
天照大神の場合は、須佐之男命が「姉」と呼んでいること。
戦いの準備をするとき、髪形などを変えて男の格好をしたと書かれていること。
機織をしていること。機織は、古来、女の仕事。

などから、天照大神は女と考えるのが普通。

249 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 09:33:52
皇太子殿下が伊勢神宮へ行って天照大神=卑弥呼と豊受大神=豊受加能売命を
参拝してた。御先祖様一族だからね。

250 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/14(金) 09:34:24
まとも〜?? 妄想が殆どだな。

251 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/14(金) 12:35:22
>>246
>神武東征を普通に考えれば、1世紀でしょう。

別の観点から、2世紀と思われる。

それは倭面土國(倭米多国)王帥升勢力の九州北岸支配の頃。
桓靈間倭國大亂(AD146〜AD189)の頃が西日本高地性集落のピークと末期。
神武は東侵でき奈良盆地進入に成功したわけだから、倭國大乱ピーク時前である。
又、帥升に追われた倭奴國勢力の小集団一派が神武達である。

倭國大乱(高地性集落)の時期は弥生温暖期であり、
西日本では夏季の旱魃豪雨となり食料生産力が著しく低下する。
この食料飢餓が倭國大乱(高地性集落による地域間抗争)の原因である。

252 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/14(金) 18:03:31
>>222
ローガンさん 大彦からオワケまで7代で繋げないことを認めたら、
もし7代で繋ぐ為には、日本武尊の子”若武”を認めなさい。
白鳥陵は、シキに造られる。その地を若武が治める。

>>251
新羅本記に依ると 西暦192、3年は冷夏 もしこの年が崇神5,6年なら?。


253 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 18:39:16
オオヒコが実在の大王で、崇神とか孝元とかが架空なんだよ。

254 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:36:07
神武東征
一代で出来る所業じゃない事ぐらい、普通に考えれば分かると思うが

255 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:59:55
>>222
レスがあったのを、見落としていました。>>91を参照してください。

たしかに、オオヒコから系譜を始めるより、8代の孝元天皇をその一つ前に
置いた方が天皇から始まる系譜になって、より箔がつくとも言えそうです。

しかし、当時の人の実感としては、ヒコクニクル王よりも、現地に来たオオヒコの
方が権力者としての実感があったと考えられます。

256 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 21:31:59
>>248
>天照大神の場合は、須佐之男命が「姉」と呼んでいること。
どんな会話の中に出てくるのかな?


257 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/14(金) 21:57:15
倭武は、常陸まで遠征したが、
大彦の遠征は東海あたりまで、10月出発1月頃帰京ですから。

倭武は、現地人に種を与えたから尊敬の対象となったが、
倭武は、人さらい 現地人を強制的に大和へ連れ帰り、農奴とする。
その反発が、倭武の焼津。

258 :ローガン:2008/11/14(金) 23:50:51
>>252
> ローガンさん 大彦からオワケまで7代で繋げないことを認めたら、
> もし7代で繋ぐ為には、日本武尊の子”若武”を認めなさい。

いえ、オオヒコ→ヲワケについては別に… 大王家→オオヒコの系譜に記紀の作為があるのでは?って妄想を楽しんでます。
ザでもだいぶ前に書いた事です。

259 :ローガン:2008/11/15(土) 00:38:56
>>255
> たしかに、オオヒコから系譜を始めるより、8代の孝元天皇をその一つ前に
> 置いた方が天皇から始まる系譜になって、より箔がつくとも言えそうです。

いえますね。

> しかし、当時の人の実感としては、ヒコクニクル王よりも、現地に来たオオヒコの
> 方が権力者としての実感があったと考えられます。

オオヒコは既に銘文に登場してます。ビッグネームだと言うのは異論ありません。
ここまでの話の流れでヲワケの時代、大王家が「中央」だと考えていたことは、貴方との共通の認識かと思います。
そこでオオヒコの父が考元だと知っていれば、自身が「つかえ奉った」中央の、ワカタケルの祖である考元が、自身の祖であるぞ!と銘文に入ったと思うのですが…
役所の門番を勤めた自分を「左治天下」と褒める人ですからw

つまり、鉄剣鋳造時はオオヒコを遡る系譜は知らなかった、というより「なかった」…

記紀編纂過程で有力氏族達の祖が天皇家の系譜に繋がるものとして縦系図に纏められたものが神武から考霊ではないかなあ?って妄想しています。


260 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 02:00:08
>>259
私は、>>91で書いたようにヤマトタケル天皇という伝承が地方であるように、オオヒコ「天皇」の
ような絶大な権力者の伝承があったのではないかという考えです。
故に、オオヒコからヒコクニクルに遡ることは、むしろ始祖の格下げになるという意識が
あったと考えています。

いわゆる欠史8代については、紀の編纂時でさえも資料がわずかであったと推測されるのは
いかにも実在性に乏しいですが、7代以降は後世につながる親族関係が多いとも言えます。

オオヒコが史実とすると、崇神の役割はゼロからの統治ではなく、支配地域の拡大なので、
崇神より前の王が居なかったとは考えにくいですね。
ただ、神武からの直系の連続というのは、無理でしょう。



261 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:27:21
>>256
姉と言う言葉は何回も出てくるが、はじめに、伊邪那岐命に、「高天原の
姉のところに行って、暇乞いをします」と言うところ。

 故欲暫向高天原、与姉相見 而後永退矣 勅許之

もう一つは、天の安の河原の誓約で、「姉上と誓いを立てて、互いに
子を産みましょう」と言うところ。

 対曰 請与姉共誓 夫誓約之中 必当生子

女の子が生まれたら、私の心が正しかったと思ってください、と言うわけ。

そこで、天照大神が、素戔鳴尊(古事記では須佐之男命)の剣を噛み砕いて
空中に噴出すと、三柱の女神が生まれた。これがいわゆる宗像の三女神。
宇佐神宮に祀られている比賣大神は、この三女神と言われる。

一方、素戔鳴尊が、天照大神の首にかかっていた玉を噛み砕いて、空中に
噴出したときには、五柱の男の神様が生まれた。
そのうちの一人が忍穂耳命。天孫降臨の瓊瓊杵尊の父親となる。
天照大神の孫だから天孫となるわけだが。

262 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:38:27
>>261

宗像三女神は、スサノヲの娘と認知されたが、
宗像三女神は、玄界灘の女神=スサノヲは玄界灘を支配してた邪馬台国の王、となるわけだが、
そこのところは認めるかね?


263 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:55:31
>>262
ちょっと意味がわからないが、須佐之男命が邪馬台国の王ということには
ならないと思うが。倭人伝にそのような記述はないし。

また、<玄界灘の女神=スサノヲ> というのもどうかと思う。
須佐之男命は男だと思うし。

264 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:59:24
女が女装する訳ないしな

265 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 10:45:57
ヤマタの大蛇神話は
邪馬台国と狗奴国の戦いを暗示しているかなと。
つまりスサノオがククチヒコでヤマタの大蛇が邪馬台国かな。
国津神といえば蛇ですから。
つまり天津神系のスサノオが蛇を退治して、王の神器である剣を
大蛇から取るという意味かなと。
それでスサノオは国津神にとって代わるんだろうと。
実際は姻戚関係になって吸収された可能性はある。
スサノオとクシナダ姫のように。
でも皇統はアマテラスのほうなんだよね。

266 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 10:58:31
>>263

じゃ、わかりやすく言おう。
玄界灘を制さないと、朝鮮半島との交易はできない。
つまり邪馬台国は玄界灘を支配していないといけない。
玄界灘の女神は、宗像三女神。宇佐は関係ない。
宗像三女神は、スサノオの娘。

ここまで書いてまだわからないかい?

アマテラスが卑弥呼なら、
スサノオが邪馬台国の男王として君臨していなければ、辻褄が合わないのだよ。
だから、九州説でアマテラスが卑弥呼だと言うなら、
同時にスサノオを邪馬台国の男王として論を組み立てるべきだ。
九州説が我田引水の妄想でなければな。


267 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:01:37
東南海地震と津波で初期稲作地帯の消滅も考慮すべきだ。

268 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:02:52
スサノオは、記紀神話の中でも、
朝鮮半島と行き来してるし、青海原を治めろとイザナギに命令されている。
しかも、玄界灘を守る宗像三女神の父神だ。


ここまで、はっきりとスサノオの性格が書かれてるのに、
スサノオが邪馬台国と敵対してたとか、自分勝手な妄想すぎる。
もっと勉強しろよ。>>265

269 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 11:07:23
>>268
王朝は交代するのが普通。
そういうことを考えないほうが思い込みがはげしいと思うけどな。

270 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 11:11:56
つまり邪馬台国と狗奴国の九州勢力は天津神にとって変わったんだと思う。
そこから皇統ははじまるんだと思う。
でも人間は皆先祖がいるのと同じで、系譜をどこまで遡らせるかは
その時の王朝の好き好きだから・・・。

271 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:36:47
>>269-270

ぜんぜんだめ。
クナ国は邪馬台国の南にあったはずだろ?

どうして玄界灘を支配してたスサノオがクナ国王と考えられるわけ?
支離滅裂。
無茶くちゃ。

272 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 11:43:13
>>271
スサノオは邪馬台国というより女王国連合北部九州を
合併したんだと思う。
すなわち、貴方の言うように、玄界灘は支配したでしょうね。
でもスサノオは邪馬台国の王じゃない。


273 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 11:49:36
そして、その後に新勢力が来てまたその王朝に支配権を
交代した。
そう思う。


274 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:53:22
確かに沖ノ島については、縄文時代に遡る渡航の痕跡があり、
海上交通路上の避難所、補給所として機能していたと思うが、
宗像が玄海灘交通の拠点であった確証はない。
と言うより、宗像信仰自体が何時まで遡れるのかも不明。

邪馬台国の時代には、前原-原ノ辻が拠点であり、
当時の祭祀形態で判っていることは、銅矛と掘ったて柱跡だけ。
これは、スサノヲ信仰にも宗像信仰にも結びつかない。

275 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 12:05:34
宗像信仰とは、古代シュメール人が交通の要所に作った神奈備山や立石、
そういうものを後からやってきた弥生人が祭ったのが宗像信仰や道祖神です。
弥生人にとっての先住民、つまり縄文人の残した遺跡です。

276 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 12:09:29
『卑弥呼=天照大神』・・・まあこの仮定でスサノオが誰だ何処のクニだと言っているんだろうし
邪馬台国東遷説はそこからスタートしている場合が多いんだろうが…

そもそも天照大神が女神ではなく男神だと言う話は、おめーら一度は聞いたことはあるだろう?w
(伊勢の天照大神以外にも「アマテラス」「アマテル」を名に冠する神は他にもいてそれらが男神とか・・・)

良くそんな怪しげな泥舟に乗り込むなと感心するわwwwwww

兎に角、記紀中の時系列と、現実の歴史の中で、それが成立した時系列は同じじゃない可能性がある事を失念しまくってねーか?wwwwwww
(例えば神代の事だからと言って祟神の時代より前の事とは限らない)

277 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 12:26:34
>>272

うん、スサノオは邪馬台国の王じゃないよ。

同時に、アマテラスも邪馬台国の卑弥呼じゃない。

わかるよな?


278 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 12:47:56
>>277
記紀の神様は複数の人物像を読み取ることができるから、
たった一人に当てはめることはできない。
わかるよね?
アマテラスは卑弥呼の一面は持っているよ。

279 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 12:53:59
>>278

そういう、自分に都合よく当てはめる行為を我田引水といいます。

わかりましたか?

280 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 12:59:48
>>279
ようするに、記紀を正確に理解するんじゃなくて、
記紀から推測できる現実の日本史を考えたいわけ。
わかる?別に私は日本史がこうであって欲しいなどとは、
微塵も考えてないから、我田引水という言葉は私には当てはまらないですよ。


281 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 13:09:22
>>280

だったら、卑弥呼をアマテラスに当てはめるのはやめなさい。
なんの根拠も無い。

そもそも、魏志倭人伝と記紀神話は別物だ。

282 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 13:13:38
卑弥呼とアマテル(アマテラスは誤り)とは、別な時代の別な土地の首長。
アマテルは対馬の国王。時代下って卑弥呼は北西部九州の宗教的女王。

283 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 13:17:18
対馬の国王はタカミムスビじゃなかったの?w

284 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 13:23:27
>>281
別ものは別物だけど、
記紀編纂者は倭人伝を参考にしていると思いますけどね。
日本書紀では百済本紀などを参考にしています。
なんでも唐に行って、史書を買いあさって国に持ち帰ったとか。
どこかで読みましたけど。思い違いでなければ。

285 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 13:31:24
だから隋書倭人伝にある、
ここは魏書にいう邪馬台国なりか?
そうなり。
と応えたのでは。
史書はその後に買い求めたか、その前かは定かではないですが、
少なくとも、その時点で倭人伝を意識したはずだと思う。

286 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 13:34:48
で、唐書倭人伝では倭国とは別種なりと書いてあるので、
これも考慮に入れたほうがいい。
これはこれで、本当のことなんだろうなとは思います。

287 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 13:43:00
そもそも根本的矛盾は「天皇」なる称号は道教の「天皇大帝」から来ており
それは北極星の事だ。

にも関らず皇祖神に太陽神(しかもそれが女神と言うのは世界的に珍しい)を戴いている事。

両者の習合がいつだったか?
と言うより、そもそも、どっちが先かも分かったものじゃないwwwww

「天皇」号については木簡の出土で天武朝時には使われていたのが確認されていたと思うが
それ以前に畿内王家が天照大神を崇めていたと言う考古学的資料はあるのか?


ちなみに現在でも伊勢神宮の神事には「太一御用」の旗が掲げられる。
その太一は本来、北極星の事らしいが…


288 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 13:56:27
>>287
隋書には、
倭王は天を以って兄となし、日を持って弟となす、
天が未だあけない時出でて聴政し、日が昇ればすなわち政務を停め、我が
弟に委ねるという。(引用)
この時の「天」とは夜のことを指してしるので、その北極星のことだと思う。
その時点では、確かに天とは太陽のことじゃないですね。




289 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 14:28:33
>>286

旧唐書には、同じだと言う説も併記されてるでしょ。
古田信者のつまみ食い的引用には参るなあw

290 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 14:38:01
>>289
つまり合併したってことですか?
九州の倭国はそもそも邪馬台国と代わっている思う。
別物だよ。だから別種って言ったんだと思う。

291 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 14:41:15
>>290

「倭国」は中国から見た日本列島にある国の呼び名。
「邪馬台国」は、倭人から見た自分の国の呼び名。

基礎知識がまるで備わってないぞ君。

292 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 14:43:33
で、隋の時代のアマタリシヒコの一族が近畿に移ったと思う。
隋書では邪馬台国なりとは言ったものの、
唐の使者には別種だと正直に言って、
元々大きかった倭国を小国の日本が合併して統一したんじゃんないの?

293 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 14:48:43
アマタリシヒコは阿部臣、阿閉氏などを指すと思う。
書紀では臣下として扱っているけれど、
皇族の一員だ。
なんらかの繋がりを持ったまま、九州から近畿に移動していると見るがいかが?

294 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 14:58:44
アマタリシヒコの号は阿輩、つまりアヘ。
詳しくいうと、姓がアマ、名がタリシヒコ、号がアヘ。

295 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 15:14:59
>>292

旧唐書では次の三論を併記している。

1 日本は倭国の別種
2 日本は元の倭国が改名したもの
3 日本は元倭国内の小国

倭人の言うことが支離滅裂なので三論併記しておくと言うスタンスですね。
何せ、持参した日本書紀に書いてあることと、今までの中国側の知見が全く一致しない上に
それについての倭人の釈明もはっきりしない(日本書紀にあるハッタリ史実を否定するわけにはいかないので)のだから、
当時の中国役人たちも困惑したことでしょう。

296 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 15:34:18
>>292
日本書紀がハッタリであると思うのは同意。
でも少しは史実を反映しているところがあると思うので
簡単には切り捨てられないところがある。


297 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 15:35:34
>>296
アンカー訂正
>>295

298 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 15:41:34
>>266
天の安川の誓約のときに生まれた三女神は、まあ宗像の三女神と言われる。
須佐之男命の娘と言うわけだが、これをもって玄界灘を支配していたと考える
のがどうか。

この三女神は、航海の神様であって、宇佐神宮の主祭神であり、宗像大社、
あるいは厳島神社の祭神でもあったはず。
全部、神武東征のとき、神武天皇が立ち寄った場所と言うのも面白いが。

つまり、玄界灘を支配していたと言う前提そのものが成り立たないので、
須佐之男命が邪馬台国の王というのも成り立たないと思う。

299 :ローガン:2008/11/15(土) 15:42:34
>>260
>オオヒコ「天皇」のような絶大な権力者の伝承があったのではないかという考えです。
そこまでは概ね同意です。

> いわゆる欠史8代については、紀の編纂時でさえも資料がわずかであったと推測されるのは
> いかにも実在性に乏しいですが、7代以降は後世につながる親族関係が多いとも言えます。

天武13年賜姓朝臣52氏族の内半分の26氏族の祖が、孝昭、孝霊、孝元に繋がります。
春日、大宅、柿本、粟田、小野、壹比韋、都怒山の祖が「天押帯日子命」系。
笠、吉備下道の祖が「吉備津彦命」系。穂積、阿部、膳の祖が「大彦命」系。残り17氏族の祖が「建内宿禰」系です。
記紀はこれら各地方の権力者達の祖に孝昭、孝霊、孝元を当てています。
孝昭以前の天皇を祖としているのは、意富臣だけです。記を上表した大安萬呂の祖ですね(神八井耳命)。
自身の祖のみ初代に繋げ、他家の祖は時代の下る天皇に繋げた。記を書いた際の作為かな?って考えています。
よって孝元→オオヒコの系譜もその時作られたもののように思います。


300 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 17:15:45
倭の五王というのは、呉国に朝貢していたので、
日本書紀で、雄略紀にあるので、だいたいその辺を
5世紀に当てているんだろうなと思った。
高麗と戦っていたりするから、広開土王のすぐ後に
倭の五王が登場するので、彼らは倭王ではあるけど、
5世紀に倭国を制した別種の支配者だと思う。
南史倭国伝には帽子が胡族の胡公頭に似ているとある。
多分今までの支配者とは別種だ。
それと雄略紀では呉国から手先の優れた才伎、漢織、呉織、衣縫の兄媛才媛らを率いてきて、
文化を伝播させたらしい。
あと「磐井が呉から逃げてきた琴弾きを引き取って坂手屋形麻呂らはその子孫だ」とある。
磐井氏は呉国と関わっていたとみる。
つまり磐井氏は五王の末裔かな?と考えたりしていますが。


301 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/15(土) 19:00:28
>>300
>つまり磐井氏は五王の末裔かな?と考えたりしていますが。

磐井(倭ワイ)は倭武の次王。
倭武から磐井(倭ワイ)へ512年頃政治的混乱があり政権交代。

302 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 19:20:12
>>301
そういうことも考えられるんですね。なるほど。
あと一つ気になるのは、
用明、崇峻紀で東漢直駒は東漢直磐井の子とあるんですよ。
素直に読めば、磐井は漢人、または韓人かんじんと読む(高麗の胡族)なのかな
と思ったりもしますが。

303 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 19:24:07
多分駒とはコマ、高麗をコマと呼ぶので高句麗人かな。
またあるいは騎士を意味し、敵対する豪族を指して言っているんだろうか。
どちらにしても、渡来人のようだ。

304 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 19:33:58
>>292

>元々大きかった倭国を小国の日本が合併して統一したんじゃんないの?

それなら、
倭国=北九州
日本=畿内大和
としたほうが、辻褄は合うだろ。

魏の時代は、九州を倭国といってたのだから。


305 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 19:54:21
>>304
そういうことだと思う。
ただ日本と名乗り始めたのは多分まだ九州に都を置いていた頃じゃないのかな。
間違ってたら何方か訂正を。
すでに倭の五王が東は○カ国、西は衆夷○カ国、海北を平らげること○カ国とあるように、
その基盤の多くは九州倭国が作り上げたものじゃないかなと。
考えてみれば、倭人は大人しい性格だし、先住民は戦う相手にはならなし・・・。
倭人は結構兵に駆り出されていたから、弓とが乗馬とか上手になったみたいですけどね。
蝦夷は元から弓が上手かった。
卑弥呼の時代は牛馬がいないとあったので、半島に出かけた倭人は
おもに海辺を荒らしたりしていたんだと思う。
半島南にも倭人はいたので、その倭人たちの長い戦いの成果が任那であったんだと思う。


306 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 20:57:45
だから、奈良王朝の奈良ナラとは平らぐるという意味で、
ならすということだから、ナラ王朝って読んだんだろうね。
いろんな説があるみたいだけど。

307 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:12:13
>>305

君は、「倭国を小国の日本が合併した」という記述を、
あくまでも東遷説とからめたいのか?

九州が倭国で、かつ日本も九州で、九州の日本が奈良に遷都したと、
そういうことを言ってるわけだね?

支離滅裂ですな。

308 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/15(土) 21:22:19
>>302
磐井は宋代に呉地方から日本に渡って来た漢人の血を引く子孫だと思います。
「東漢」は呉地方の漢人に対して、東の漢人ですね。
磐井は宋で使われていた律令年号制度を倭に導入して九州王朝を成立させたものと思われます。
このシナ系色の磐井政権に対して反乱を起こし勝ったのが九州北岸部の物部氏です。
乱後徐々に台頭してきたのが多利思北孤を生んだ九州北岸の氏族(宗像氏?)です。

なお九州物部氏と宗像氏の関係については、まだよくわかりません。
宗像氏は九州物部氏の傘下から出てきた氏族か?

磐井の乱は九州内の内紛で、それに継体が関わった。

309 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 21:22:29
>>307
日本国の前進は推測だけど、隋書にあるアマタリシヒコの国だと思うんですよ。
でその国は九州にあったと見るべき。阿蘇山など記載もあるし、
泰王国の東何ヶ国でまた海岸になるとあるので、
九州の東沿岸だと思いますね。
いきなり、近畿に遷都しても上手くいかないと思うから、
その前から、その地方を血縁者がすでに支配していたんだと思いますね。
で、九州を本拠地としていた旧王朝を倒して地方の豪族らを帰順させ、
ナラに遷都したんだと思いますね。
少したってから、本格的な都の建設で藤原京が出来たんじゃないかな。

310 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:35:21
>>309

なんだ、九州王朝説か。

で、東海や関東のことなんて何も知らないんだろ?


311 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:48:28
東=大和で、西=河内だろ。
東漢で呉とかアホか

312 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 21:52:08
>>308
風土記にはイト県主は高麗のウルサンのヒボコだとあるんです。
多利思北孤タリシヒコがそうだと思うんですよね。姓はアマ、つまり天。
号がアヘ、つまり阿部臣かなと。
で、ナラのキトラ古墳は近所の人々は阿部山とよんでいたらしいんですよ。
だから、阿部臣はナラに来てかなり高い位、多分皇族なんだろうなと思った次第です。



313 :日本@名無史さん :2008/11/15(土) 22:49:14
ウルサンは新羅にあるんです。
新羅は先祖は元の辰韓の苗裔であり、辰韓は秦韓ともいう。
隋書倭国伝の秦王国はそこから来ているんだろうか?
新羅は伝承では秦代の苦役をさけた流民で、馬韓から土地を分割してもらい住んだらしい。
言葉が違うとある。
こう考えると人類はアフリカから発祥して全世界に広がったように、
みな繋がりがあるんで、自生説がどうのこうのの話は
全くみみっちい話だよね。



314 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:56:04
>>299
私は7代以前と以後では王族でも血筋が少し遠いと考えています。
1〜9代の系譜のもとは、稲荷山鉄剣のような「名前の列挙」であったと想像できます。

その系譜が神武から始まってたとしても、全員が王として即位したわけではなく、
途中で即位していない王族が含まれている可能性があります。

例えば、1→2→3→4 のあとに1の傍系の子孫「D」が即位したとして、その系譜に
 A(神武)→B→C→D→E→F→G(崇神)  となっていた場合に
即位していない者も「B王」、「C王」と書かれていたので、後世の者が解釈として
 1(A)→2→3→4→B→C→D→E→F→G
として構成した可能性が考えられます。


315 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 23:03:01
妄想ばっかりだ。

316 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 23:19:37
一番妄想が強いのは、太国さん自身じゃないですか?
というのがこのスレの住人の共通認識だと思う。

317 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 23:29:38
いや、安易な東遷説に傾倒しないだけ、太国はマトモだよ。

318 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 23:44:26
安易なのは畿内説。根拠が出てこない。
つまり、理由もないのに畿内と決めているようなのばっかり。

319 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 23:49:36
畿内説の理由は山ほどあるが。
九州説の根拠は魏志倭人伝の数行の文字だけという有様。


320 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 23:59:21
>>319
だから、その根拠を一つでもいいから出してみれば。
倭人伝は間違っている。記紀はおかしい。
そうじゃなくて、畿内説が間違っている。

321 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 00:05:24
>>320

じゃ、根拠を一つ。

前方後円墳と同時に東海で前方後方墳が作られること。

九州の東遷で前方後円墳が出来たなら、
その勢力に拮抗する勢力が東海に突如出現したことになるね?




322 :ローガン:2008/11/16(日) 00:06:17
>>314
> 1〜9代の系譜のもとは、稲荷山鉄剣のような「名前の列挙」であったと想像できます。
はい、確かに想像できます。

>  1(A)→2→3→4→B→C→D→E→F→G
> として構成した可能性が考えられます。

ええ。前レスに書いた孝昭、孝霊、孝元がB D Eに当たります。極端な事をいえば 仮に「記」上表者の作為を考えても良いなら、A B D Eは同時存在していてもいいんじゃないかなあ?って思ったりします。


323 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 00:16:27
幾内説は巨大古墳作りながら朝鮮と戦争したというのか?
それこそ馬鹿なの?死ぬの?だろ

324 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 00:20:41
>>323

東海の前方後方墳について、何か語ってみてよ。



325 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 00:33:05
>>322
あの時代を社会を想像すると、正面からの大幅な作為は想像しにくいですよ。

血筋でタテにもヨコにもにつながっていた社会なので、生まれてから亡くなるまで、
「親はAでその親はBで・・・・」と何世代もの伝承を、それこそ何千回、何万回と繰り返し
聞かされてきたはずなので、それを自分の親や祖父の世代から作為的に捏造する
とか、数世代分もの創作をまとめてするというのは、想像の範囲外です。

記紀や紀の異伝や先代旧事本紀や古語拾遺の食い違いの度合いを考えると、
10世代以上前の系譜の一部が不正確になることはしばしばあるようですが、
大幅な創作や改編は考えにくいですね。

326 :ローガン:2008/11/16(日) 01:06:08
>>325
どうもご教示ありがとう。ん〜なるほど、そうでしょうね。
以前から、古事記序文がどうもひっかかって…何か、「正統性」を強調しているように感じたものですから。
又、再考してみます。

327 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 04:27:29
「日本書紀を読んで古事記を笑う」とかいうサイトがあって、
これを読むと古事記の記述が結構いい加減なものだと思えるのだけど、
どうなのでしょう?(信憑性とか)
記紀といいながら古事記ばかりを念頭に置いて話してるような方も・・

328 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 06:28:17

>>323

古墳造りを動員した地域民と派兵民をもしや同じ地域からとお考えではないでしょうね。

329 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/16(日) 06:43:09
>>328
>>323は経済力のことを言っているのだよ。

330 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 06:43:41
>318
九州説の性質(タチ)が悪いところは、比定地がバラバラ(北部九州〜南部九州)又は言わないでおいて畿内説における記紀資料や考古学的遺物を否定しよって九州説が正しい。との結論を出そうとする、やっかいな説である。

331 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 06:56:29
>329
478年に宋に上表しているが、父祖以来の功績を

「・・・東は毛人を征すること五十五国、西は衆478年に宋の順帝に上表して、父祖以来の功績を延べている。
それが「・・・東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国・・・」夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐる
こと九十五国・・・」

としているが、九州に倭王がいたら、西の衆夷六十六国は何処に比定するの?
東側よりも西側の国を多く制したところが味噌かな・・

332 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:09:54
>>331
>九州に倭王がいたら、西の衆夷六十六国は何処に比定するの?
九州に倭王がいたということは、九州に旧は百余国があったということ。
もともと九州の東側の方に倭王がいたとすれば、それより西は全部平定されたはず。
それが西は衆夷を服すること六十六国。
九州を平定したのち、本州に勢力を伸ばした。それが毛人五十五国。九州平定時より
も時代はさがるから征服された国々は大きかった。五十五国と数は少なくても本州を
征服したという趣旨に考えて不自然はない。





333 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:28:28
「渡りて海北を平ぐること九十五国・・・」としているところが味噌かな・・
九十五国が朝鮮半島の国々であることは誰も疑わないだろ。上の文章から朝鮮半島の南に
倭王がいたということが分かるよな。ということは九州だ。
大和に倭王がいたというならば、上の文章はハバロフスクあたりを征服した話とでも言わ
んとおかしい。


334 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:31:20
>>332
>五十五国と数は少なくても本州を征服したという趣旨に考えて不自然はない。

全然ダメ。

前方後円墳と同時に東海で前方後方墳が作られるのなぜ?

九州の東遷で前方後円墳が出来たなら、
その勢力に拮抗する勢力が東海に突如出現したことになるよ。
ちゃんと説明してね。
説明できるものならね。




335 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:36:18
東海の前方後方墳の出現は、
鉄器の優位性というものを、完全に否定する。

畿内に鉄器が増えて、前方後円墳が出来たことを、
九州勢力が鉄器を持って畿内に東征してきた、という説明は不可能。

なぜなら、畿内に鉄器が増えはじめた時期、東海は鉄器が減少してるからだ。
にもかかわらず、前方後円墳に逆らうように東海で前方後方墳が作られる。
ということは、鉄器が無くても古墳くらいつくれる土木技術があったってことだよ。

東遷説は完全に破綻している。



336 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:39:23
前方後円墳だって後方墳だって同じだな。他の連中とちょっと違ったのを造って
みたいと考える奴は良くいるよ。

337 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:43:35
九州説の人は、九州しか目にはいらないから、近畿にどんなクニがあったか知らないし、
知ろうともしない。そこが残念。

邪馬台国の時代ですら、出雲や越では四隅突出型墳墓が作られている。
九州には、そんな個性的な墳丘墓は無い。
出雲や越にすら九州は負けている。



338 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:47:58
国の勢力は、墓の大きさなどで決まるものではない。
そんなものにとらわれているのが間違いのもと。

339 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:48:07
>>336

だから、鉄器も無い東海がどうやって古墳を作れたの?って話。
鉄器が入ってこなかった東海は、△鏡が出るのも遅いから、
大和と完全に連合してたわけじゃないよ。

鉄器が無くても、古墳くらいつくれるなら、
鉄器の多い九州にどんな優位性があったのか?ってこと。

340 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:49:38
>>338

そうだよ。

国の勢力は、鉄器の多さなどで決まるものではない。
そんなものにとらわれているのが間違いのもと。


341 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:53:49
考古学的に邪馬台国云々言っても仕方がないということだな。
やはり倭人伝に戻らなければいけない。これが本当の道。

342 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:54:41
>>333
「西は衆夷服せしむこと六十六国」は間違いなくケツにシッポの生えた
野蛮人が住む九州を制圧したことが書かれている。

343 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:58:16
自分がその野蛮人の子孫だってことに気づいてないんだな。

344 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:02:32
けつに尻尾があったのは近畿の毛人

345 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 09:07:31
>>341
うん
つか近代の歴史学者や考古学者達の勝手な説や解釈に流されずに
もう一度きちんと倭人伝を読んでその内容を正しく理解した方がいいすよ

例えば倭人伝に書いてある内容は
×卑弥呼は邪馬壹國の女王
○卑弥呼は倭國の女王

でしょ?

倭人伝に出てくる邪馬壹國とか狗奴國とか伊都國とかって言う多数の國は倭人が治めてる領土って意味だと思いますよ


346 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:16:06
倭王の金印みつけてから大口叩け近畿の毛人
九州にもう出てるからな〜

347 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:20:22
まあ、江戸時代を考えたらわかりやすいかも。

日本は百カ国余に分かれている。それぞれに王がいる。
ヨーロッパからの宣教師は、藩主をキングと呼んでいたらしい。
皆、徳川に従属している。日本の王である。
東に江戸がある。徳川の都するところである。
なんてね。

348 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 09:27:14
>>346
倭王(日本人の王)なんて同じ時代に沢山いるんすよ
「倭の五王」なんての見ても解るでしょ

例えば古代の日本(倭)では、筑紫國を○○氏、畿内を○○氏、吉備國を○○氏、伊都國を○○氏が治めてたとするなら
その國を治めてた彼らは全て倭王だよ


筑紫(九州)は大和に討伐された熊曾王がいた場所
けど熊曾が倭人なら別に熊曾王も倭王な訳だし、熊曾を討伐した後に筑紫を熊曾とは別の倭人の氏族が治めたとしても、それは倭王だよ

349 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:28:51
ケツに尻尾の生えた野蛮人が住む九州には世界文化遺産がひとつもない。
本当に九州は日本文化の恥ですね。

350 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 09:35:46
>>347
それっす。
大隈國、吉備國、尾張國、薩摩國、、
それらの「國」を統治してる氏族は「王(君)」すよ


351 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:36:05
>>348

>倭王(日本人の王)なんて同じ時代に沢山いるんすよ
「倭の五王」なんての見ても解るでしょ

解らないね
倭の五王と言われる王達は世襲された王たちであることが史料から確認できる
から、縦の繋がりだ
それを同時代に沢山いるという時間的に横の世界と比較してしまうのは何?

言ってる事が支離滅裂

352 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 09:41:58
近代のアホな学者達の解釈に惑わされずに、もう一度ちゃんと倭人伝を読んで見て欲しい

「卑弥呼は邪馬壹國の女王」なんて書いて有りますか?

「卑弥呼は倭の女王」と書いてあるでしょ?


そもそも「倭人伝」でしょ?
「倭國の倭人の事」を書いてあるんですよ

倭には邪馬壹國や狗奴國や伊都國があったってだけの話すよ


353 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 09:51:54
>>351
記期の記述から抜粋しようか?

大日下王、若日下王、墨江中王、吉備津王、香坂王、、

○○王って呼ばれる倭人の王は取り上げたら切りがないすよ


彼らは全て倭人の王なわけだから倭王だよ

354 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:57:31
>>353

>彼らは全て倭人の王なわけだから倭王だよ

違います。
「倭」という表現は、そもそも他国からの視点であり
自国内からの表現ではありませんから
国内文章において「大日下王、若日下王、墨江中王、吉備津王、香坂王」は
倭王という表現はできません。
地球上に「倭」という一国しか存在しなければ「倭」という表現は発生しませんし
区別する必要もありません。
「倭王」という表現は、他国を意識する上での対外表現です。

355 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:58:48
卑弥呼は実権を持っていたわけではなく司祭王。祭られた女王。
縄文系のシャーマンであったと見るべきだ。
とすれは、邪馬台国に住んでいる必要はなく、奥の宮、もしくは、
元伊勢のように、領内を転々と移動し、宮を作っては祭りごとを
行っていたと考えられる。

356 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 10:03:25
>>354
魏志倭人伝は外国から見た視点じゃないの?
外人から見たらそれらは「倭王」だよ

ちなみに外人から見たら卑弥呼も倭の王だよ

357 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:06:15
>>356

倭伝の何処に「大日下王、若日下王、墨江中王、吉備津王、香坂王」
が登場するのです?

358 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:10:28
>>348
>筑紫國を○○氏、畿内を○○氏、吉備國を○○氏、伊都國を○○氏が治めてたとするなら
>その國を治めてた彼らは全て倭王だよ
そうではない。それらは、単に筑紫国王、吉備国王にすぎない。
倭国全体の王が倭王。卑弥呼が倭女王と呼ばれたのは、倭国の王だからだ。
問題は、狗奴国があるのになぜ卑弥呼が倭王と呼ばれたのか?狗奴国は小
さい国だから無視されたということだね。



359 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/16(日) 10:17:52
もん太氏は妄想が多すぎ。王の意味がモノによって違うだろ。

360 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 10:21:11
ちなみに「倭の五王」が書かれてるのは宋書と遼書
これには「百済、新羅、任那、泰韓、慕韓を治める倭の王」って書いてあるんすよ


百済や任那や新羅は倭人の國だよ
宋書や遼書以外にも唐書や随書にも日本人が朝鮮半島をも治めてた事を伝える記述は沢山あるよ

361 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 10:26:08
>>358
倭王が倭全体の大王(おおきみ)かどうかはとりあえず置いといて、、



魏志倭人伝には「卑弥呼は邪馬壹國の女王」なんて書いてない事は理解してもらえましたか?
あなたが言うように「倭の女王」って書いてあるんですよ


362 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/16(日) 10:28:07
邪馬壹国の女王でいい。妄想キツい。

363 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:29:58
それは分かってます。しかし、では邪馬台国の王は別にいたのか、ということになりますね。

364 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 10:30:28
>>362
魏志倭人伝をもう一度、自分の目で読んで見て下さい

卑弥呼は邪馬壹國の女王じゃなく「倭の女王」ですよ


365 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/16(日) 10:32:11
読んだところで〜〜邪馬壹国の女王でいいんだよ。そうじゃないと
云うのが妄想なわけよ。

366 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:35:14
>>360
>百済や任那や新羅は倭人の國だよ

そう断言できる根拠でもあるのかな?
もし倭人の国なら、戦前の朝鮮支配は正統なものだったということだね

倭人の国ではなく、倭人が関与していた国というなら異論はないけど

367 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 10:49:48
>>366
別に戦前の朝鮮支配が正統とは思わないよ

百済や新羅や任那は日本の氏族が統治した國で、百済王や新羅王は日本の氏族だよってだけだよ
百済や新羅以前は漢人の漢城があって漢人が治めたよ

今は朝鮮人が治めてる朝鮮人の國じゃん


戦前の朝鮮人の統合が正しいなんて全く思わないよ
彼らは俺らと違う民族なんだから

368 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 10:55:40
>>365
卑弥呼って人は倭に沢山あった國の中の一つを治めた王でしか無いんだ?w

369 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 10:55:59
>>353
倭人は倭種の人々。刺青して漁労、耕作民です。
中国史書では民族として明確に分けています。
だからはっきり人種わけしたほうがいいと思いますね。
支配者は倭人ではありません。

倭人の王ではなく日本島にいる倭王というべき。
または倭人を治めた支配者である王。
王が倭人だとは思いませんね。
倭人が王にはなれない。
アメリカのインディアン、
南アメリカ大陸のポルトガル、スペインによる支配、
オーストラリアのアボリジニなど、考えてみてください。

倭人は日本人の約半分の遺伝子を占めている、
縄文人は人数がすくなかった分、遺伝子に占める割合は少ない。
あとは進んだ文化伝播者の大陸人の遺伝子が半分近く。
つまり日本人は混血。

倭人の反撃は中世の戦国時代あたりからだと勝っ手に思っている。
豊臣秀吉など、倭人顔だと思いますね。

皇族や公家などは俗と貴族を明確に分けて、
婚姻は一切平民とは無かった。
だから物凄く血が偏っていますよね。
最近までそういう時代だったわけで。






370 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 10:59:35
>>369
倭人って日本人の事じゃ無いの?

つか日本人に縄文人も弥生人も無いよ


371 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 11:08:30
>>369
あなたが「縄文人」って呼んでるのは記期に出てくる「ツチグモ族」の事だよ
魏志倭人伝では「朱族」とかって書かれてる人種


ツチグモ族達の住居後の百穴遺跡から出てきた土器や頭蓋骨を「我々近代人が来る前に住んでた縄文人の遺跡だ」って勝手に解釈して勘違いしてるだけすよ

縄文式の遺跡が発見されてる場所調べてみ?全部百穴遺跡からだから

あれは記期に書いてあるように、壁穴に住むツチグモ族達の住居だよ

372 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 11:08:40
>>370
大昔は取ったり取られたりの時代。
縄文人の言葉、倭人の言葉、漢人の言葉、
北方人の言葉、みな違う。
それが現代では混合して日本語として完成された形に
なったわけは分かるよね。
つい最近まで、アイヌはアイヌ語を使ってたわけだし。
現代の視点で考えれば、あなたの言うとおりだけど、
昔は違う。

373 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 11:23:04
>>371
縄文人はツチグモ族だけじゃない。
東の毛人もいる。
狩猟、漁労の民族。
農耕民族かそうでないかは、明確に分けるべきだ。

隼人は倭人に風貌は似ているが、倭人より少し早く日本に渡ってきた、
南方の島経由の渡来人。



374 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 11:23:26
>>372
取ったり取られたりは否定しないよ
もしアイヌ人が強ければ日本民族は滅ぼされアイヌ民族の国になってたかもしれないし
他国の他民族の勢力が押し寄せて来てればアメリカのインディアン見たいな事になってたかもしれないし
それは別に否定しないすよ



つか「縄文人なんて居ないよ」って言ってるだけすよ
あなたが縄文人って言ってるのは土蜘蛛族の事すよ

土蜘蛛族は人間ってよりサルだよ


375 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 11:28:36
>>373
土蜘蛛族ってのは日本、東南アジア、ハワイやタヒチなど太平洋諸国に住む、人間とは違う異種族の事だよ

記期にも書いてあるでしょ?
背が低く頭がデカイ全身毛だらけで尻尾が生えてる
岩盤に洞穴を掘って住み、主に魚貝介類などの漁をしてる種族


アイヌ語で「コロボックル」
欧州では「ドワーフ」
って呼ばれてた種族だよ


人間じゃないよ

376 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 11:36:39
>>373
>隼人は倭人より日本に早く渡って来た


まるで俺ら日本人が、近年になって大陸から渡来して来た民族って言いたげすね


つか古代の歴史書に書いてあるのは民族歴史すよ?
少なくともイザナミやイザナキの時代には日本は日本にいた民族だよ
移民して来た話なんて無いでしょ?


移民だ渡来だ言い出したら「人類の発祥は○○で、そこから世界中に、、」なんて話になって来るよ


377 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 11:47:12
>>376
あなたは国単位で考えているでしょ。

私は民族で考えていますから。
国という概念は大昔は薄いですから。
視点を大昔に持っていかないと、大雑把な歴史しか
掴めない。


378 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 11:54:30
>>375
>人間じゃないよ
酷い人種差別者。


379 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 11:55:17
>>377
いや。「国家」なんて近代になって造られた観念すよ

だから「日本の歴史=日本民族の歴史」って解ってますよ
そもそも記紀は日本民族の血統の由来の歴史ですよ



380 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 12:00:03
>>378
日本でもハワイでもマレーシアでもインドネシアでも、蜘蛛族は絶滅したすよ
東南アジアでは400年前まではいたらしいけどもう絶えたらしいよ
近年ではフローレンス島から土蜘蛛種族(いわゆる小人族)の骨が発見されたよ

381 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:00:59
>土蜘蛛族ってのは日本、東南アジア、ハワイやタヒチなど太平洋諸国に住む、人間とは違う異種族の事だよ
書いてあるからって実在の人々と思うのは間違い。そんな人々が九州にいたはずはないと考えるべき。

382 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 12:09:14
>>381
実際に記紀の記述やアイヌの伝承の通りに岩盤に沢山の穴がある遺跡が発見されて、その遺跡からは縄文式って呼ばれる沢山の土器や貝塚が発見されてるでしょ?

ちなみに縄文人って呼ばれる人種の骨(ちなみに十数個の頭蓋骨しか発見されてない)も、全てこの百穴遺跡から発見されてるんだよ
明治時代にも一度百穴遺跡をめぐり「コロボックル論争」ってのがあったから興味あれば調べてみ?

ちなみに頭蓋骨以外の小人族の全身の骨はフローレンス島から発見されてるよ

383 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:11:08
>土蜘蛛族

蜘蛛は何かの例えだろう

384 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:11:11
>>382
お昼の番組の時間、おもいっきり大丈夫ですか ?

385 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:17:07
>>382
で、その人々は何時の時代に生きていたというわけ?

386 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 12:20:25
>>383
岩盤の穴に住んでたから「土蜘蛛」って呼んだんだと思うよ
アイヌではコロボックル(岩盤の洞穴の蓮の葉の下に住む人の意)

インドネシアでは呼び方忘れたけど、森に住む良く食べるオバサン

ハワイではメネフネ
魏志倭人伝では朱なんとか族
欧州ではドワーフ


って呼ばれてた小人族だよ
日本でも百穴遺跡からこの種族の頭蓋骨が発見されてるし(縄文人なんて事にされちゃってるけど)
フローレンス島では全身の骨が住居と言われてた洞窟から発見されてるよ

387 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:24:52
ツチグモの意味をみんな履き違えてるね。
ツチグモってどういう意味かもわかってないでしょ?

アメツチ(天地)という、対の言葉を知ってる?
ツチグモに対する言葉はアメクモ。

アメクモってのは、雨雲のことで、つまりアメカミ(天神)のこと。
天神は、太陽のことだと思ってる人がいたら、それは違う。
昔の人は、雨乞いを神に祈ってた。日本書紀にも出てくる。

ならば、ツチグモは、ツチカミ(地神)。
天神・地神というのは、アメカミ・ツチカミのこと。
ツチグモは、天津神に対する国津神を信奉する人々のことを言うのだよ。


388 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:27:42
ちなみに、カミ(神)・クモ(雲/蜘蛛)・クメ(久米)・カモ(賀茂)・キミ(王)・カメ(亀)は、
全部「神(精霊)」の派生語だからね。


389 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:29:24
>>387
だろうな。人種の問題ではない。


390 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:39:09
>>387

>アメクモってのは、雨雲のことで、つまりアメカミ(天神)のこと。

話が飛んでいますね

アメクモがアメカミである事の説明は?


391 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:46:27
>>390



アメ=天=雨なのは常識だろ。

クモ=雲だし、出雲は神(カミ)が集まる場所だぞ。

392 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:49:27
天孫降臨の「天降る」は「雨降り」と同じだしな。

393 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:52:26
>>391
>アメ=天=雨なのは常識だろ。 

何時から?

>クモ=雲だし、出雲は神(カミ)が集まる場所だぞ。

神が集まるのと クモ=雲 の何処が関係するの?

394 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:01:25
>>393

農作をしてた弥生人には、雨を降らす雨雲が神なんだよ。
だから、雨乞いの神事が各地の神社で残ってる。
雨乞い(あまごい)ってのは、「天来い(あまこい)」「天降り(あめふり)」「雨降り(あめふり)」
「神様、お降りください」って意味だよ。

雲が集まると雨が降るわけだから、雲(クモ)と神(カミ)は同じ意味なんだよ。

これくらいは、民俗学の常識だろ。

395 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:03:05
ドイツ語のドワーフと日本語の童話は語源を同じです。
日本の童話にも小人が出てきます。漢字は当て字。

396 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:04:31
「アメタラシヒコ」ってのも、字義を見れば、
「雨乞い神事の神官」って意味だよ。
「雨垂らす日子」な。


397 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:07:02
というか、キミ達知らなかったの?

どうして「雨(アメ)」と、神聖な「天(アメ)」が同じ言葉なのか考えたこと無かった?

398 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:09:19
>>394

>雨乞い(あまごい)ってのは、「天来い(あまこい)」「天降り(あめふり)」「雨降り(あめふり)」
「神様、お降りください」って意味だよ。

あれ?
アメの話じゃなかったの?いつの間にか「アマ」にすり替わっている

399 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:10:28
「高天原」も、もとの意味は「高い雨雲の広がったところ」であって、
雨雲の上に神様が住んでたって信じてたわけだよ。

天孫降臨の図では、神様は雲に乗って、降りてきてるでしょ?

雨が降ってくることが、古代人には有難い自然現象だったんだよ。



400 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:12:07
>>398

雨(あめ)は、
雨乞い「あめ+こい」と結合すると、「あまごい」と母音転化するんだよ。
これも日本語の常識な。


401 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:13:52
>>387
>ツチグモは、天津神に対する国津神を信奉する人々のことを言うのだよ。
>>394
>雨乞い(あまごい)ってのは、「天来い(あまこい)」「天降り(あめふり)」「雨降り(あめふり)」
>雲が集まると雨が降るわけだから、雲(クモ)と神(カミ)は同じ意味なんだよ。

ツチグモが天津神系か国津神系か、いよいよ分からんのだが、w
ともかく立派な信仰してるようだから、ツチグモ退治しちゃいかんだろ。ww


402 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:15:06
>>394
>農作をしてた弥生人には、雨を降らす雨雲が神なんだよ。
>だから、雨乞いの神事が各地の神社で残ってる。

弥生人の事を語るなら弥生時代の考古資料を持って来いっちゅう話だな。

確かに銅鐸にも「水」に関るもの(水棲生物等)が多く描かれているが
雨雲と言うのは個人的に知らないが…

兎に角この板の邪馬台国スレは神話と歴史、ファンタジーレベルのフィクションとノンフィクションが
ごっちゃになりやすいんだからwwwwwwwwww

403 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:16:10
>>397

>どうして「雨(アメ)」と、神聖な「天(アメ)」が同じ言葉なのか考えたこと無かった?


他にも「飴(アメ)」

404 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:18:03
>>401

だからね、
天津神が、アメのカミで雨雲のこと。=天津神を信仰する人々。
国津神が、ツチのカミで土蜘蛛と書く。=国津神を信仰する人々。
同じクモでも、「雲」は好字で、「蜘蛛」は卑字なんだよ。

405 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 13:22:13
天=アマ
雨=アメ

アマとアメは違う言葉だよ

あと「高天原」とか「高原」ってのは単に「高原(こうげん)」の事で、天にある国とかな訳じゃ無いんだよ

406 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 13:23:25
ツチグモは農耕民族とは違う種類の人間で
洞窟に棲んでいた。
でも、先住民だから、一応、神人として名前だけ与え、
実は労働酷使、虐殺、病気で滅んだ。
名前とは矛盾した行為だ。



407 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 13:26:52
ちなみに土蜘蛛の別の呼び方は「国巣(くず)」だよ
アイヌ語ではコロボックルだよ
魏志倭人伝では「朱儒」って呼んでる種族だよ
日本だけにいた種族じゃ無いんだってば

いわゆる小人族って呼ばれる種族だよ

408 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 13:30:45
>>406
「神」とか「命(みこと)」ってのは「先祖、死んだ人、霊界の人」って意味だよ
日本における「神」ってのは、キリスト教のゴットのような意味じゃないよ

ちなみに国巣(土蜘蛛)は、妖怪や祟り神として祀られてる神だよ


409 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:32:30
出雲が「雲(クモ)」の字を当ててることや、
賀茂神社の「カモ」、主食の米「コメ」、アイヌ語の「カムイ」
これらの語が偶然似てると思ったら大間違いだよ。

>>405

>天=アマ

違うね。「天地」と書いてアメツチと発音するのが正しい。
熟語を作る場合、母音転化で「アマ」とも発音するようになるだけ。
雨(あめ)→雨雲(あまぐも)

知らなかった?


410 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 13:33:12
実際本音として、土蜘蛛などと、
とんでもなく差別した文字で書かれている。
これが本音。

411 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:34:38
>>405
>天=アマ
雨=アメ

アマとアメは違う言葉だよ

音も違えば記載文字も違う
なのに君は
アメとアマを都合のいいように使っているよね

412 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:38:56
「天(あめ)」は、「雨(あめ)」のことだって、
フジテレビの「全国一斉!日本人テスト」でやってました!

さては、キミ達は日本人じゃないんですね?

413 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:43:53
土蜘蛛の多くは捕えられて多くは、エタとか小物として人の嫌がる雑役をして暮らしていました。
いまも、雑役で生計を立てている小さくて小太りの男女を見かけます。

414 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:46:22
>>403
>他にも「飴(アメ)」

たしかに飴も古い言葉だよな
神武の水無飴づくりが日本書紀に出てるな

しかし飴は「甘い」と関連してそう
すると年号にも使われた「甘露」が気になってくる
甘露は天から雨のように降り注ぐものらしいしな・・・

415 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:49:49
>>Pu!だねw

「天」も「雨」も「アマ」又は「アメ」と読む。
昔から音素はどちらも同じだよ。

古事記「天之御中主神【訓、高下天云、阿麻。下效此。】 (アマノミナカヌシ)」
随書「阿毎(アメ)」
アマ→アメの変化は日本語の経年変化による。
雨も同じ
古形の「アマ」は「雨模様(アマモヨウ)」「雨水(アマミズ)」のように複合語の中にだけ残っている。



416 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 13:51:17
まあでも天乞い(雨乞い)や天雲(雨雲)のように
「天(アマ)」「雨(アマ)」は同じような意味かもね

けど「雨(アメ)」って言葉はアマとは別の意味ではあるとは思うよ


417 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 13:58:01
>>415
本来は「天模様(アマモヨウ)」「天水(アマミズ)」の意味じゃないのかな?


アマに「雨(アメ)」の字を当ててるだけで、日本語の「アマ」の意味はアマな気はするよ

基本的に「アメ」ってのは雲から降ってくる雫の事ですよ


418 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:58:44
アマとは女性を指す言葉。
アマテラスのあまも同じ。

419 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:59:41
>アマ

ほかに「海」もある

海女、海人、海士。いずれも「アマ」、
また海部(あまべ)もある

420 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 14:00:23
>>407
>日本だけにいた種族じゃ無いんだってば

それはみな理解しているから心配しなくて大丈夫。
倭人だって日本だけにいた種族じゃない。
南海島の朱崖や○耳にに非常に似ていると倭人伝にはある。
それと夏時代、少康王の子は〜害を避けたという例もだして説明している。


421 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 14:00:35
>>415
「アメ」と「アマ」はやっぱ違う言葉でしょ?
ただ「アマ」って言葉の中に、雨や空や宇宙って言う広域な意味が含まれてるんだと思うよ

422 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:01:47
尼は?

423 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:05:04
>>415
>古形の「アマ」は「雨模様(アマモヨウ)」「雨水(アマミズ)」のように複合語の中にだけ残っている。

だから何故複合語の中にだけアマが存在するのかという問題だよ

424 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:15:42
>>421
>広域な意味が含まれてるんだと思うよ

それは逆じゃないかな

広域な意味が含まれてるのは「アメ」
「アマ」はそれだけでは「雨や天」という意味にはならず、必ず他の言葉と結びつかないと
「雨や天」という意味にはならない
アマはアメという元ネタがあるからこそ発生した言葉ということ

425 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 14:22:04
>>424
アメ→rain
アマ→sky、cosmos、star、rain、、


雨(アメ)に「天」とか「空」とか「宇宙」の意味は無いと思うよ


天水(アマノミズ)の事が「雨(アメ)」なだけじゃないの?

426 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:33:35
>>425
雨の文字にサンズイが使われていない事に注目すれば、アマノミズは遠く離れるのでは

427 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 14:44:41
どう考えても国津神は倭人の精霊のことだよ。
天津神が渡来人支配者の精霊。進んだ文化を持った人々。
だから卑弥呼は渡来人の可能性は大有り。
土蜘蛛は神として扱っても国津神よりもっと古い
タイプの国津神だ、よく言えば。
本当は忌み嫌ってた。だから戦ったり、労働に酷使したり。
祟り神かどうかは疑問。後の時代に神社に祀って祟り神の心を鎮めているんじゃ?
生きた祟り神だったら、触らないよう避けて通るはずだから。>>408





428 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:45:33
はぁ?アメという言葉は、漢字が日本に伝わるよりもずっと昔から
使われていた言葉ではなかったのですか?


429 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:49:38
>>428
文字は言葉の後

430 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 14:56:18
だって、支配者にしてみれば、倭人のような農耕民族がいればこそ
自分たちは農耕に従事しなくても食べていけるんだし、
服だって労働しなくても貰えるし。
労働者あればこそだよ。だから支配者にしてみれば、
なくてはならない存在。
命令に従わない反抗分子だけを排除。
だから国津神としてそれはそれなりに大事にしたわけ。

431 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 14:56:28
>>427
「天津神」ってのは天から降り立った神や天高原を治めたスサノオ(牛頭天王)の血統子孫の事だよ

日本が国
外国が天
って意味じゃないよ


そもそも神坂峠を挟んで中津国原と天高原なんだってば

「高原」って「こうげん」って意味だよ

432 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 15:02:21
>>431
意味わかりません。外国が天?
私が発言してもいないことを書いているし、
しかもその内容が全然わからない。
もっと分かりやすく説明して。

433 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 15:14:14
>>432
俺ら日本民族は少なくとも、記紀時代以降にどこか他の土地から渡来して来た移民じゃ無いって事だよ
また記紀時代の人達からの血統を引く古来日本人と同一語源の同一民族だよ
なんで今の日本人の起源を大陸とするのかが解らん

君も日本人なら記紀に出てくる氏族を氏神にもつ血統の民族で、その時代まで自分の血統を遡れれる立派な血統の人なんだよ

434 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:19:34
>>433美濃もん太 ◆hF.jG29Cew
>記紀時代

おまえ記紀の編纂・成立した時代がいつなのか
分かって言っているのか?wwwwww



435 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:23:25
アメは、天・雨の意味だろ。

アマは、海を指すはず。→海部・海人(あま)

でなければ、古代人は天と海を区別できない。
ただ、日本人の発音として、複合語になると、母音がe→a変化するということ。
方言でも変わる。

436 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 15:23:49
「倭人=日本人」って前提で話すけど
「○○人、○○民族」ってのは「同一民族、同一血統」の意味だよ
今の社会のように国籍で「○○人」って呼んでた訳じゃ無いよ
例えば漢人が渡来して来て日本に住んでたとしても、漢人は漢人で日本民族じゃないよ

「日本って言う土地に住む漢人」って事になるだけだよ


437 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:25:12
みなさんのレスを読んでいて少し疑問を感じたので、横からです。

「天」は確かに「アマ」と読むのが今は一般的ですが、
「アメ」の読みもありますでしょう? 違いますか?

ウィキの “日本の神”です。神名ア始まりの神々にご注意ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E

天照大神や天津甕星のように「アマ」と読む場合もありますが、
アメノウズメや天之御中主神のように「アメ」と読ませている神の方が多数派のようです。

古語では、天=「アメ」が原形なのではありませんか?

438 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:32:55
>>437

いい着眼だよ。
天照大神が”アマ”照らすなのも、本当に「天」を照らす神なのか?って疑問を持たないと。

日本書紀の神代上の最後で、オオナムチの前に不思議な光が現れるが、
この光は「海を照らして」現れるんだよ。
つまり「海照らす」=アマテラスだよ。
海を照らすのは太陽だから、太陽神という意味合いは同じだけどな。

439 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:32:56
>>422

尼をアマと読むのは、サンスクリット語の発音、アンバに由来する。

440 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 15:33:21
>>437
確かに同じかもだね


441 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:34:57
もうこの手の話になると「オレサマ解釈」の垂れ流しし放題だなw

土蜘蛛が別の人種?

一説に卑弥呼とも言われる九州筑紫の田油津媛も土蜘蛛だがw

まあ九州西北部、長崎辺りなら縄文系弥生人と言う可能性もかなり出てくるがwww

文字面の「オレサマ解釈」はいくらでもできるんで、その蓋然性を示す史料を持って来い。





442 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:37:09
アマとアメが同じ意味な訳ないじゃん

443 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 15:37:28
>>438
海は「うみ」だってば
ちなみにアマテラスの意味は、アマテラスが産まれた時の様子を伝える伝承が、アマテラスが産まれたとされる土地にはちゃんと残ってるから、それよめば意味が解るよ


アマテラスってのは太陽の意味じゃないよ

444 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:42:51
>>443

「うみ」も「あま」の転だよ。



445 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 15:43:30
>>441
「土蜘蛛」って言うから解んないんかあ?

君らが「縄文人縄文人」って言ってるのはアイヌ語で言うコロボックル族の事だって言ってるんですよ
つか何を根拠に「今の日本人(弥生人?)以前に先住民の縄文人が居た」って言ってるの?
縄文式土器や縄文人の頭蓋骨からでしょ?


あれらは全てコロボックルの住居跡から発掘されてる土器であり頭蓋骨だよ
小人族のものだっての

446 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 15:48:55
日本人に縄文系も弥生系も無いよ

縄文人ってのは岩盤の洞穴にすむ毛むくじゃらで寸胴のコロボックル族であって、警戒心が強い夜行性の人種だよ
ヨーロッパではドワーフ族って呼ばれてる人種
ハワイの先住民としても有名な小人族だよ


つか現代人と同じ人間じゃないよ

447 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:59:41
>>446 美濃もん太 ◆hF.jG29Cew

縄文系=古モンゴロイド系
弥生系=新モンゴロイド系
現日本人=両者の混血

もう常識の範疇のお話。

ドワーフと同じ?
そりゃお前がドアーホっちゅう話だろ?w
ファンタジー系RPGのやりすぎ。

山内丸山遺跡でも見て来いwwwwwwwwwww

448 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 16:05:33
>>436
日本に突然人間が自生したとでも思っているの?
DNA鑑定が証明しています。
日本人は混血。モンゴロイドの。多少ヨーロッパ系も。
倭人も渡来人。知らないんですか?
漢人を別扱いするなら、他の渡来人も別扱いしなきゃ。
そしたら日本には人がいなくなる。
人間の起源はアフリカだって話だから。
日本が起源だったら別だけど。
何々原人とかいうの日本で発見されたらね。


449 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 16:10:12
>>447
今の俺ら人間を「現代人」とするだろ?
例えばチンパンジーの頭蓋骨は現代人のものとは違う
日本サルの頭蓋骨は現代人のものとは違う
縄文人とやらの頭蓋骨も現代人のものとは違うんだよ

例えばアイヌ人の頭蓋骨を見付けて、それが何民族の頭蓋骨なんかなんてわかりゃしないよ
「現代人」ってくくりな訳だから



そもそも旧モンゴロイドってなんだ? 近代の学者が勝手に付けた名前でしょ?


450 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 16:18:56
>>448
だからそこまで遡るなら、人類が発祥した土地以外の人類はみんな渡来人でしょ?
「日本にいた先住民」なんてのも渡来人な訳でしょ?
それともその先住民とやらは日本で突然自生したんですか?


あと仮にアフリカで人類が発祥して世界中に散らばったとしたなら、みなその発祥した人類の血統の人類ってだけで、混血もクソも無いよ


451 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 16:32:35
>>450
貴方はいったい時代はどこでわけているの?

漢人は別、日本民族じゃない?
現代の視点で見れば、民族も何もないって発言してたのは貴方ですよ。
私もそう思いますが。
それなのに漢人は別、日本では無い発言、矛盾した発言ですよ。
どういう思想の持ち主ですか?


452 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 16:34:18
>>449 美濃もん太 ◆hF.jG29Cew

古モンゴロイドの特徴より新モンゴロイドの特徴を言った方が分かり易いだろうな。

一般に言われているのは古モンゴロイドより寒冷地に適応したタイプっちゅう事だな。

表面積を少なくする為顔の凹凸も少なくなり
体自体は大型化(ベルクマンの法則参照)した。

岩穴に住んでいた毛むくじゃらの小人?

そのうちエルフがいたとか言いそうだなwwwwwww

参考)Wiki「モンゴロイド」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89

453 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 16:41:15
>>451
倭人伝の時代の話だよ
で、民族の歴史の話をしてるんですよ

倭人ってのは日本民族の事でしょ?
例えば倭人が日本を離れてオーストラリアに移民したとする
したら「日本列島からオーストラリア大陸に移民して来た倭人」って事になるよ
古代漢語を話す漢民族も、別にどこへ行こうが漢民族だよ
アイヌ人はアイヌ人だし

454 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 16:47:12
>>452
つかなんでここまで話が飛躍したのかが良く解んないけど、俺が言いたいのはモンゴロイドが何処から来たのかとか、黄色人の発祥は何処かとかじゃなく

俺ら日本語を話し、大和神話に由来する大和民族は何処か別の土地から移民して来た訳じゃないって話ですよ
そもそも日本語を話し日本の民族神話に由来する大和民族って日本以外に居ないでしょ


455 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:04:01
このスレッドにはまるでスサノオ神みたいな方がおられますね。(苦笑)

456 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 17:06:17
>>453
>倭人ってのは日本民族の事でしょ?
違いますよ。
倭人という呼び名は中国から見た呼び名。
倭人伝に特徴が書いてあるじゃないですか。
半島の人種の特徴も貴重に書き留めていますよ。
倭国だって中国からの呼び名、倭人が住む国という意味。
その後大陸から新種モンゴロイドが流入。

民族が雑多になれば混血化が進むのは常識。
現実的に。現代の科学が証明しているじゃないですか。
日本人は混血、これを否定する人がいたとは。



457 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 17:13:57
>>456
だから古代の漢人が日本民族を倭人って呼んでたんでしょ?
つかモンゴロイドや黄色人の起源なんかどうでもいいんですよ

大和民族は何処かにいた民族が渡来して来た民族じゃ無いって話しをしてるだけすよ


458 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:19:08
中国は、古代の日本を一貫して「倭」と呼んでいる。
でも、倭と言うのは、あんまり良い字ではないんじゃないかな。

そこで、日本人は、倭を和に変えた。大倭→大和と言う風に。
倭だけでも「ヤマト」と読むが、大和も「ヤマト」と読む。
まあ、普通は、大和を「ヤマト」とは読まないから、当て字だろうな。

となると、「ヤマト」はどこから来たか。
邪馬台国から来た可能性が高い。その前は、倭面土かもしれない。

邪馬台国九州説をとると、名前が同じと言うのが、東遷説の根拠ともなる。

459 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 17:22:26
>>458
大和や大和民族の歴史や由来は記紀に書いてあるでしょ?

そもそも卑弥呼は倭人じゃないの?


460 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 17:27:17
>>457
倭人も渡来民族だよ。
じゃ漢人や半島人の血を引くものを日本から出せば、
ほとんど人はいなくなるよ。現代人は。
倭人だけの純粋民族にしたければ。
父系遺伝子では半分を倭人系が占めるものの、
それだけで純粋な倭人という証明にはならない。
母親の特徴だって男子に伝わるから。顔かたちが似ていたりするのが
その証拠。
だってそういう話じゃないですか。
アイヌはアイヌ、漢人は漢人って純粋に別けようとするんだから。




461 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:37:28
>>459

卑弥呼は呉からの移民集団の末裔だよ。


462 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 17:39:15
>>460
渡来民族、移民の意味解ってますか?

あなたは何民族の語源を話し何民族の血統を引く何民族なんですか?
日本民族が移民だと言うなら、どこから渡来して来たの?って話しだよ


アマテラスやスサノオは日本民族でしょ?

463 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 17:40:51
>>461
魏志倭人伝には卑弥呼は呉人って書いてある?
それとも倭人って書いてある?


464 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:46:04
>>463

倭人は、呉の末裔ですが。

465 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 17:49:39
>>464
呉って「呉民族」って意味なの?
魏って確か漢民族でしょ?


あと魏と倭って字が似てるよね

466 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:54:09

梁書では、倭人は、呉の太伯の末裔だと自ら言っている。



467 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:57:27
魏志倭人伝を重視し、邪馬台国を九州だと信じて疑わない諸氏は、
当然、倭人の出自を呉とすることに同意するものと信じる。
文献(梁書)に明記してあるのだから。

468 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 18:07:24
>>466
それ呉が倭人の国なだけじゃないの?
百済王や新羅王も倭人だって事は遼書に書いてあるでしょ?

三國志の時代の朝鮮の三国時代は時代が同じなんだよね

魏、燭、呉は、百済、新羅、任那の事かもよ

469 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 18:12:02
>>462
昔は最初はだれでも移民だ。
民族的特長を持った移民集団が新天地で人口を増やしていく。
昔は民族的特長が顕著だったよ。
なんで移動したかって言えば、国の支配者が現れたということと、
人口が増えたからということと、気候の変動のためなど。





470 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 18:14:41
>>467
単なる誤読だろ
何処にもそんな記事はない。

471 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 18:18:59
>>469
にしてもイザナキイザナミの話しは既に日本での話しだよ
その後「国造り」として領土を広げて行った事も書いてあるよ


そもそも何万年も昔の話しをしてるつもりは無いよ

472 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 18:23:34
>百済王や新羅王も倭人だって事は遼書に書いてあるでしょ?
だから倭人じゃないですよ。
百済はもとは馬韓、支配者はプヨ人。
俗は雑多。刺青文身の倭人も少しいた。
新羅は秦人が移り住んだ地。倭人はほとんどいないですよ。
日本が支配していたのは半島南部の小さな任那地区。
島だと思うけど。
屯倉も置いていた。新羅百済は同盟関係。



473 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 18:24:44
>>470

だったら、魏志倭人伝も誤読しないで、邪馬台国は畿内大和だと認めれば?



474 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 18:30:29
>>472
馬韓、弁辰、、とか言う名前は、大陸の人の呼び方なだけで、百済、新羅とかの事だよ

ちなみに神功皇后が屯宮を置いてたのは百済だよ

ちなみに漢王朝の漢城があった場所知ってる?
あと秦人はローマからシルクロードを渡って来た移民の氏族だよ

遼書だか随書には倭人は遼東付近まで治めてた記述があったよ

475 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 18:32:35
美濃もん太君
何度言ったら理解してもらえるのかな。
倭人は人種であって日本民族じゃないよ。
日本民族は倭人だけじゃないでしょ?

476 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/16(日) 18:34:34
「誤」をゴンベンに『呉』と書くのはそのへんからかね?w

477 :日本@名無史さん :2008/11/16(日) 18:37:26
>>474
日本書紀はそのまま信じたらダメ。編纂者勢力の都合のいい歴史の捏造。

478 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 18:42:35
なんかややこしくなって来たっす、、

確か「魏志倭人伝に書いてある事をきちんと見直そう」見たいな話しだったのが、、、




479 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 18:49:23
倭人伝では
「卑弥呼は邪馬壹國の女王」
って書いてないと思うけどなあ

「卑弥呼という倭人の女王がいた」
って書いてあるんでしょ?


480 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/11/16(日) 18:54:32
>>473
>畿内
倭人伝とは関係ない世界。

『倭者自云太伯之後俗皆文身』
太伯の後とは、太伯の子虞仲の事で
太伯と虞仲が短髪刺清の容姿となった

倭者は、太伯と後の虞仲の様に
容姿は短髪刺清

倭者は自ら云、海洋族
海洋族を『太伯之後』と表現

481 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 19:03:28
>>480
「倭」って漢字は「委せた人」って意味でしょ?
例えば日本ってのは「国造り」ってのがあって朝廷の命を受けた氏族が各地へ国造りに向かいその地を治めてたたりした国
この国造りを委せられて大和から来た氏族とかの意味じゃ無いかなとも思うよ



もしくは日本は遣随師や遣百済師や遣唐師などで各地に人を派遣してる
こういう人達の事の意味が「倭」なのかもしれないし


ちなみに魏は「鬼に委せる」で、倭と同じような意味すよ

482 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 19:07:06
どのみち、今の日本人が、呉の江南から来たのは確実。

稲のDNA的にも、高床式住居なのも、鳥居があるのも、みんな元は中国江南。

だから倭人が呉の末裔と主張してるのは、かなり正しい伝承ということだね。


483 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 19:08:56
アメリカFBI捜査官のプロファイリングでも、卑弥呼は呉の末裔と確定しているからな。


484 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 19:09:28
畢竟級の頭脳を持った極少人数の漢人が、
7世紀後半に目的を持って日本に流れてきて
漢人最高レベル層だけに伝わる、超極秘書を携えて
都合の悪い事は捨拾編纂しながら、日本書記や古事記を編み出してるな。

はっきり言って、所詮百済人とか言ったって
到底、朝鮮系の知的レベルでは無理な作業の話だよ。




485 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 19:17:56
>>482
呉って中国の江南にあったの?
だとしたら呉は漢民族とは関係ない民族だよ


486 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 19:29:31
倭人と漢民族は関係ないだろ。

ばか?


487 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 19:30:34
>>482
文献では何も語ってないけど

488 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 21:15:36
実際の海を知らない多くの内陸漢人達に、海洋倭人の容姿を伝えるにもっ
とも適した表現が「太伯之後」という表現

・倭人は大海の中
・食海物自活
・好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之



489 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 21:21:31
>>480
つか良く考えたら


>倭者自伝、、
「倭の者が伝えるには、太伯の後は、我々の分身(同じ族)だ」

じゃん

太伯の後は我人が治めてたって意味じゃないの?

490 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 21:23:55
>>489

おまえは、倭人と魏人?が同一人種と思ってるのか?

はははは。こりゃけっさくだ。


あはははははははは。




491 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 21:29:57
>>490
思ってないよ
なんで魏志倭人伝を書いた人が、魏と倭を同じような字を当てたのには何か意味があるのかなって思っただけだよ
どちらも「委」だからさ

492 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 22:06:57
>>491

「魏志倭人伝を書いた人が、魏と倭を同じような字を当てた」

だってさ。


悪いこと言わない。おまえは精神科逝け。

493 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 22:20:40
倭人とは東シナ海にあった幻の大陸スンダーランドの沈没によって
土地を失った民族の末裔。日本語とは、スンダーランドで使われて
いた言葉であり、だから言語学的にも発祥の地が残っていないのだ。
土地を失った倭人は、あるものは直接九州へ、そしてあるものは
中国南部へ、そしてあるものは朝鮮半島へ渡った。
それぞれの集団は、互いの居場所を探し出し、連絡を取り合うように
なった。徐福の集団もその一つ。同じ倭人の住む日本へと移住した
のです。

494 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 22:41:23
>>489

>「倭の者が伝えるには、太伯の後は、我々の分身(同じ族)だ」

おいおい
「分身」じゃなくて「文身」(顔以外の刺青)


495 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 22:56:05
>>494
じゃあ「倭の者が伝えるには太伯の後の俗はみな文身だ」すね


496 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 23:18:40
>>495
ほんとに読めないの?
倭の者は自ら太伯の子孫と言う。風俗として、皆身体に入れ墨をしている。

497 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 23:28:23
>>495

>じゃあ「倭の者が伝えるには太伯の後の俗はみな文身だ」すね

違う

倭人は自らを海洋族(つまり漁で営む民の容姿)と言い
それを編纂者が過去の事例に習い「太伯之後」と表現したの
海の漁師の容姿を知らない内陸漢人には「太伯之後」という表現が一番分かりやすい表現なわけ

498 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 23:47:20
>>496
仮に「倭人は太伯の子孫」と読んだ場合に

ようは周や殷は日本の王朝で、太伯は日本人だって事で良いのかな?

499 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/17(月) 00:02:57
渡来人が日本を統治した事があるとするなら、その渡来人はスサノオの事と思うけどな
牛頭天王が渡来人だとした場合、太伯じゃなくシャカ族の事な気はするけどさ


500 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/17(月) 00:18:16
今でも九州西北部及び筑紫平野では、シナ系顔体型の人の比率が高いのがよくわかる。
地元の人にはわからないだろうな。
旅行者が地元の人の日常生活レベルの行動して初めてわかる。

501 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 01:51:17
孫呉のワ族はどうか?
天孫とは孫堅、孫策、孫権で有名な孫呉の事では?
孫呉の部族、ワ族は魏に攻められ、逃れるために姿を消したという。
船で八代あたりにでも上陸していたら…?
ワ族が居た地域から全く同じ金印が見つかり、
今もワ族に近い部族は
高床式の出雲大社のような屋根の造りの家に住んでいる。
ネズミ返しもついている

502 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 10:25:55
倭人と太伯に繋がりはない。

503 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/17(月) 10:34:08
>>498
>ようは周や殷は日本の王朝で、太伯は日本人だって事で良いのかな?

それは無茶苦茶だ。
半島人の大百濟帝國と同じレベル。

504 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 10:35:31
>>497
「太伯の後」が何で「海洋族(つまり漁で営む民の容姿)」になるんだ?

505 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 11:41:51
>>504
「太伯之後」と倭人の容姿紹介記事は、何時の時代に書かれた倭伝でも切り離されることはない。
太伯、虞仲親子の海物語、倭人伝に書かれた夏后少康の陸物語
を総合的に判断した結果です。

506 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 11:58:23
祖神武の墓の場所すらわからないのに、3世紀当時
それから遡る事約千五百年前の太伯を始祖とする
なんて ナイナイ。
漢人達に「アホか?」と笑われるだけ

507 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:20:44
>>505
容姿紹介記事って何のこと?

508 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:25:42
倭人のすがたかたち

509 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:41:23
「夏冬生菜を食す」とは、調理する事を知らない野蛮人だと書いてあるのでは?
服装も一枚の布を縫わずに穴を開けて頭を通して着てるなんて書いてあるし。


510 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:48:50
>>509
最近、寒くなって鍋物が恋しくなってきましたね〜。
倭地温暖と皆裸足だという記述の間にある冬夏食生菜だから、
冬でも生モノを常食して平気なくらい温暖な気候だという意味でしょうね。

511 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:04:35
「倭地温暖」と書いてあるのだから、それと対比する中国内陸部の寒冷時の食生活を
調べれば分かるのでは。

512 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:18:48
>>509
>「夏冬生菜を食す」とは、調理する事を知らない野蛮人だと書いてあるのでは?
野蛮人だなどという意味はない。単に温暖で季節にかかわらず生菜を食するという
だけですね。

>>505
>「太伯之後」と倭人の容姿紹介記事は、何時の時代に書かれた倭伝でも切り離されることはない。
「太伯之後」は太伯の子孫という意味。風俗記事と切り離せないというものではない。


513 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:19:42
奈良だって「倭地温暖」の範疇なんだぜ。

朝鮮からの渡来人が、最初はオンドル付きの家を建ててたが、
「倭地温暖」のために、廃れてしまった。

514 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:22:59
■串間から穀璧が出土した

 中国の周の国は、紀元前1027年ごろ、
すなわち、縄文時代に興った国だが、これより下って日本の弥生時代には漢の国が興った。
このころ天子や諸侯の権威を示す「シンボル」とされたのが、圭であり、璧である。

両方とも硬い「ガラス製品」で、鉄より硬いといわれる。
周の天子より与えられた穀璧が串間にあったことが記録されている。
http://www.city.kushima.miyazaki.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::2823
「穀壁」レプリカ
http://blog.q-ring.jp/img/1191/hmlUIlJo_s.jpg

515 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:23:34
■平子鐸嶺(ひらこたくれい)氏の所見

 湖山長愿の箱書きに対し、平子鐸嶺は所見を述べているが、
最後に「即ちこれ周代子爵諸侯の天子享用の器たりしもならむ、
真に貴世の珍宝と称すべし。」とあり。
これにより雑誌の紹介文も「伝えとはいへ発掘地も分かっているのであるからその正否を確実にしたいものである」と記し、
「このように、これが日向の地からでたものとすれば、学界の一大事実と言わねばならぬ」と結んでいる。

 平子鐸嶺は、明治十年、伊勢(三重県)の商家に生まれた。
明治三十二年日本画・西洋画を修め、日本古美術の研究をなす。
また、中国考古学の研究もなす。

周礼による爵位の印

 周礼、すなわち周の官制を書いた書物によると、
天子が諸侯を封ずるとき、賜るものとして圭と璧がある硬玉の「ガラス」製品である。

 圭は上が尖り下が四角な玉である。
 璧は薄く、環状で中央に穴のある玉である。

 王の位には、 「鎮圭(ちんけい)」
 公爵の位には、「桓圭(かんけい)」
 侯爵の位には、「信圭(しんけい)」
 伯爵の位には、「躬圭(きゅうけい)」
 子爵の位には、「穀璧(こくへき)」
 男爵の位には、「蒲璧(ほへき)」

516 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:24:26
■宮崎県教育委員会の発掘調査

 明治二十八年(一九五三)一月二三日より二九日まで、
瀬ノ口伝九郎・石川恒太郎・鏡山武・日高正晴・吉野忠行の諸氏をして
佐吉の発掘場所といわれる今の「王子谷」を調査したが、確証は獲られなかった。

穀璧は誰が持っていたか

○ 奴(な)の国王節
○ 狗奴国の国王説
○ 朝鮮半島各郡太守亡命説 薬浪郡・帯方郡
○ 卑弥呼からの戦利品説
○ 中国春秋時代「呉の国王夫差」と「越の国王勾践」とが戦ったが、
「呉王夫差」が破れた。呉王夫差はこの時子爵の位であったから当然穀璧を持っていた。
また、呉の国は戦には敗れたが水軍は健在であった。
「この呉の国王夫差か、その子孫が穀璧を持って海流を利用し島伝いに串間に亡命したという説」もある。

いずれにせよ、この穀璧を持つ子爵の位の人が串間にいたことには間違いはない。
かって、銭亀塚(今の中央公民館付近)を発掘したとき「トンボ玉」と呼ばれる「ガラス製」で
表面に青白赤三色の筋が斜めにめぐらされている高さ三ミリメートル、
直径四ミリメートルの丸形の玉が見つかったが、これは台湾の高砂族が部族の祭りに使う神聖な宝物で、
これがやはり海を渡って串間に来たのであった。

すなわち海流や島を利用し中国から「呉王夫差」か、その子孫が串間に亡命してもおかしくはないのである。

517 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 17:13:31
串間の穀璧は興味深い。

他に、日田から出土した金銀錯嵌珠龍文鉄鏡も非常に素晴らしい鏡である。
鉄鏡は、中国でも皇帝クラスの持ち物と言われるらしい。

また、熊本県南部、旧免田町の才園古墳から出た黄金鏡(金メッキ)も珍しい。

古代鏡研究の大家である中国浙江省文物考古研究所長の王士倫氏が調べた
ところ、この鏡は、後漢後半(2世紀頃)から三国時代(3世紀半ば)に
かけて、中国の会稽、現在の浙江省紹興付近で鋳造されたものと位置づけられた。

九州からはもう一枚、金メッキ鏡が出ている。
福岡県の一貴山銚子塚古墳。これについて詳細は不明だが、それにしても
貴重であることには違いない。この古墳が貴重であることも確か。
しかし、発掘調査した小林行雄氏はほとんど無視しているらしい。
白石太一郎もサイズが小さいと言うことで無視していると言われる。
識者の中には、どうして無視するのかわからないと言う人もいる。
ちなみに、金メッキ鏡は、畿内からは出ていない。

これらの鏡の一枚でも畿内から出ていたら、大騒ぎするに違いない。

518 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 18:28:50
>>517
才園古墳はたしか、紀元600年前後だったか。
直径11.6cmの獣帯鏡に金メッキをしたのだが、それなら日本でも
できないこともなさそうではある。
日本の同型鏡との傷の共有があるかどうか比較したのかな。


519 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 22:27:52
>>517
串間の穀璧は、森浩一が『おさらい帖』で触れているね。
壁は前漢初期の中国のものと似ているので、前2世紀ころのもので、
それが伝世したと考えているようである。
森浩一は、狗奴国(のちのクマソ)との関係を想定している。


520 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 22:29:42
>>518
才園古墳そのものは新しいが、金メッキの鏡は、書いてある通り、
卑弥呼が存在していた頃と重なる時代のもの。
何世代も受け継がれたのだろう。

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、考古学界からは無視されているらしいが、
魏の皇帝・曹操も似たような鏡を持っていたと言われる。

考古学界は、九州発の重要な遺物は無視する傾向がある。

521 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 23:49:20
>>77
その本をざっと読んでみたけど、結構良かった。
井上、西嶋の天上から見下すような言い方は、今のシンポじゃあり得ない。
斎藤、直木、岸が、中庸な物腰で好印象。
大野の空気を読まない天然さが一番面白かった。

大野は歴史学の人間じゃないから、オオヒコ〜ヲワケまでの実在性を肯定する方向に
あって、それなりの論拠も出していたことと、東北訛りの銘文とするところが良かった。


522 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 23:49:48
>>513
難民だか渡来人だか知らないが、さっさと元々居た場所に帰りなさい



523 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 00:53:56
>>519
>串間の穀璧は、森浩一が『おさらい帖』で触れているね。

その著書中で森浩一は紀年鏡のところでは
「出土状況の明らかでない物は考古学資料として使えない」としていて
それからすると串間の璧については随分”甘い”気がするwwwww

524 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 01:44:20
>>523  
出土の伝承をそれなりに信頼したってところだろう。
それによると、鉄器が出ているが古墳からの出土ではないことから、
弥生後期〜終末頃の墳墓に入れられたと想定しているようである。

その時期に狗奴国が、邪馬台国に対抗して呉と結んで入手したというよりも、
璧が前2C頃ということから、伝世の方が可能性が高いということか。
このあたりははっきりしない。

後世の兵の配置からも狗奴国(クマソ)の勢力が後世にもそれなりにあったと。
狗奴国の人々がのちのクマソになり、ヤマト朝廷もその反乱を恐れていたという
流れで考えているんだろう。

発見が早すぎて、出土状況が不明なのが惜しまれる。


525 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 02:03:31
>>521 のつづき。銘文の系譜について

1、オオヒコ→大彦(四道将軍)
2、タカリスクネ→大彦の孫の代に彦屋主田心命(ヒコヤヌシタコリミコト)がいる。同一人物か。
           制氏録の田心命(タコリのミコト)も大彦の子孫とされる。
3、テヨカリワケ→大彦の孫の代に豊韓別(トヨカリワケ)がいる。同一人物か。
4、タカハシワケ→大彦の子孫の高橋連が膳(カシハデ)から生じている。
5、タサキワケ→大彦の子孫に「ササキ」がいる。
6、ハテヒ→膳の系統にハテヒがいる。
7、カサハヤ(カサヒヨ)→安閑紀にある「笠原」と同系か。
8、ヲワケ


526 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 02:14:00
>>525
オオヒコ〜ヲワケは一連の系譜のはず。バラバラに似たような名前を探しても
意味はないだろう。

527 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 02:20:52
>>523
その資料から何を読み取るかとの関連で考えるべきこと。
森は石頭ではなかったってことだな。

528 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 02:27:06
>>527
紀年鏡で呉の年号の物まで出たら

 「後世、倭人が倭にとって由緒のある年号を使って作った鏡」

…って線は一度疑ってみる ”柔軟性” が 欲しかったなwwww

529 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 02:44:28
>>528
森はそれを疑ってみた人物のはずだが。

530 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 10:47:35
>>526
少なくとも応神〜継体の系譜と同列に扱える理由にはなる。

531 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 11:46:43
>>530

同時代の人物名の考察には使えるね。

ウタマロとかゴンザエモンの時代とは違うということはわかる。

532 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 13:08:29
>>129
美濃もん太くんへ。
よく調べたね。正直ちょっと君を見くびっていたが、見直した。ww

まず、古い鏡を出した別の重要古墳というのから説明しておこう。
これは象鼻山1号墳で、象鼻山古墳群の中の前方後方墳だ。
象鼻山は低山だがそれでも麓からは100m以上標高差があり、裾部は傾斜もきつい。

・象鼻山(ぞうびざん)1号墳
http://www.town.yoro.gifu.jp/rekisi/04.htm
http://www2.plala.or.jp/cygnus/s2.html

・所在地 岐阜県養老郡養老町橋爪
・墳形 前方後方墳 全長 42.80メートル
・主体部 構築墓抗に箱形木棺
・副葬品 破砕した双鳳鏡1(後漢鏡?、接合するとほぼ完形)
     琴柱形石製品3 鉄刀2 鉄剣6 鉄鏃53 朱入り二重口緑壷1(棺内) 
・その他二重口緑壺、S字状口緑台付壺土器、高杯、小形器台など(墳丘)

年代は養老町教育委員会では「3世紀末前後」としているが、
もう少し早く見る意見もあるようだ。

533 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 13:13:28
美濃もん太くんへ。
次に問題の、ピラミッド的モニュメント?、「墓じゃない古墳」についてリンクを引いておくよ。

これは同じ象鼻山古墳群の中の象鼻山3号墳のこと。
方形の基壇に円丘を載せたような特異な形状であるらしいことから関心を呼び、
4年前からすこしずつ周辺の調査がなされてきた。

2004年の時点では養老町教育委員会は「4世紀末頃」としていたんだが、
2006〜07年の調査で、一気に2世紀にまで遡る可能性が出てきた。

・象鼻山3号墳

●(1次調査)2004年9月5日 現地説明会/養老町教育委員会
墳丘より広い特殊な葺石空間
http://obito1.web.fc2.com/zoubi3.html

●(2次調査)2005年8月27日 現地説明会/養老町教育委員会
広範囲の基壇状遺構を検出
http://obito1.web.fc2.com/zoubi05.html

●(3次調査)2006年8月26日 現地説明会/養老町教育委員会
造墓の開始時期は邪馬台国より古かった
http://obito1.web.fc2.com/zoubisan8.html

●(4次調査)2007年8月25日 現地説明会/養老町教育委員会
4号墳の範囲と築造時期が判明
http://obito1.web.fc2.com/zoubisan07.html

ことしは発掘予算が付かなかったのか調査はやってないようだが、
これで打ち切りなんてことはない筈。来年以降が楽しみだね。

美濃の大事な遺跡だと思って、美濃もん太くんも象鼻山古墳群に関心持ってくれ。ww

534 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 13:42:21
>>533
>2006〜07年の調査で、一気に2世紀にまで遡る可能性が出てきた。
出た土器が2世紀だって? ほんとかな?

535 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 15:30:04
>>534

土器編年上ってことだろ。
マキムクに先行するという意味だろうな。

536 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 15:46:53
>>531
同時代に似た名前があったというレベルじゃあない。
タカリスクネとテヨカリワケは、後世に類似する名前が対応する世代で大彦の子孫として
伝わっていて、同一人物である可能性が高い。

タカハシワケは、膳から高橋が分家する前の時期の遺跡から「タカハシ」の名前が出ている。
膳も高橋も大彦の子孫として伝承されている。
同様に、安閑紀の武蔵の笠原(534年頃)より前の時期に「カサハヤ」の名が確認できる。
どちらも、雄略の時期に後世を予想して書くことができない内容である。
とすると、後世に残る名前の祖であると考えられる。

こう考えていくと、これらを雄略の頃の机上の空想と考えることが難しくなる。
空想の祖先を剣に書いて他人に見せびらかすような悪趣味も考えにくい上に、墓にまで
入れたとなると、被葬者がそれを実在の祖先と固く信じていたことは間違いなかろう。


537 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 17:55:30
オオヒコの末裔に本当にウタマロがいてワラタ


538 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 19:52:39
「串間の璧」と言うと「邪馬台国日向説」の人間が良く出すネタかな?wwwwwww

話のついでに日向について…

東征神話の出発の地、日向がヤマト王権にとって重要な位置を占めた時代がいつだったのかを考えた場合
それは5世紀頃ではないかと思う。

キーワードは 『 馬 』

我国の乗馬の文化は半島での高句麗との交戦の結果、言わば国策として導入されたものだが
その馬の繁殖の牧場が九州だと日向に数多く置かれていたらしい(本州だと上野・信濃)

かなりの軍事力を有していた勢力が日向にあったのではないか?
それが東征神話に反映されて5世紀頃、始まりの地を日向にする現在に伝わる形になったのではないか?

(三代に渡る所謂「日向神話」自体は海外に類似した物があり
少なくとも日向の地に伝わるオリジナルとは思えない)

下記は以前見かけたサイト、参考までに…
http://inoues.net/study/kofunuma.html

539 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:11:29
>>525
古墳群から南東に7km位に鴻巣市の「笠原」という地名があり、安閑紀の
笠原直使主の拠点ではないかとされる。

3〜5代目に「ワケ」が付いているのも時代的に合っている。
紀では景行の70人以上の子供が各地に派遣されて諸国の別(ワケ)となったと
されており、この頃に「ワケ」が東国に来たという伝承に合う。
先代旧事本紀の国造本紀でも景行の時代に始まる国造が多数存在する。


540 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:24:42
>>532
東海地方を狗奴国としているのはどんなものだろうか。
土器の実年代もだんだん繰り上がってきている。
それにしても、副葬品は全国的に同じようなものになっているなあ。


541 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:29:40
邪馬台国九州説の名著「まぼろしの邪馬台国」の映画が
公開されたという事で

九州を大いに盛り上げる堤幸彦の古代もの映画三部作
・まぼろしの邪馬台国(題材・邪馬台国 主人公・宮崎康平)
・実在した神話(題材・伊都国 主人公・原田大六)
・埋もれた金印(題材・漢委奴国王印 主人公・藤間生大)

これぐらいやったら?

542 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:40:43
>>524

新唐書日本伝に

 「其東海嶼中又有邪古、波邪、多尼三小王」

と有るね。

「邪古」が屋久、「多尼」が種子なら「波邪」は地域的に隼人かな(東海嶼中と書かれているのでトカラかも)。
9世紀になってもその辺りには、自立勢力があったことは間違いない。

543 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:57:02
>>540

土器の実年代は関係ない。マキムクと平行してることを重視すべし。
たとえ4世紀だとしても、
急に、奈良と尾張に2大勢力が出現したことになる。
少なくとも、東遷説は破綻する。

544 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:20:05
>>525  >>536  >>539
結局、稲荷山の「オオヒコ」に言及すると、四道将軍の大彦やこれに関連する伝承を
無視できないってことだね。

普通に史実の伝承と考えれば、大彦の実在性はその親の8代孝元の実在性につながる。
さらには、成務、仲哀、神功の実在性を肯定する方向にも向かう。
崇神の代からヤマトで宮仕えがあったとすると、王権の確立が早期になる。

10代崇神〜21代雄略までの短命の王が数名いる皇統の系譜と、大彦〜ヲワケの8代を
同時並行とすると、崇神は4C半ば頃となり、崇神稜を290年前後とする年代遡上説には
決定的な障害にもなる。


545 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:16:01
一寸法師が少彦で、桃太郎が大彦。
奈良時代あたりに作られたおとぎ話なのに・・

546 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 07:23:12
良く登場する古墳であるが、熊本県宇土市の向野田古墳。

100m位の前方後円墳。竪穴式石室に長大な舟形石棺。
完好な状態の女性人骨1体。
内行花文鏡、方格規矩鳥文鏡、鳥獣鏡の三面の鏡。
碧玉製車輪石1個、硬玉製勾玉4個、碧玉製管玉83個、ガラス製小玉94個、貝輪20個。
長剣1本、短剣3本、直刀4本、刀子78本、鉄斧3本、鉄鎌1本など。

こっちの方が面白くないかな。ちなみに、女性人骨の年齢は30歳代と
推定されている。副葬品から初期の古墳と思われるが。

547 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 07:51:47
初期というよりか、前期後葉もしくは中期前葉ですね。
実年代いうと四世紀中頃。

548 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 15:30:20
>>544

東遷説も破綻してるけどね。

プゲラ

549 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 20:15:55
トヨタンの墓かもね♪

550 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 20:33:41
東海の古墳は、大和の勢力(東遷説なら九州勢力w)とは無関係だよ。
鏡が出てこないもん。

551 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 21:28:17
熊本は東海なの?w

552 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 21:36:12
>>550
>鏡が出てこないもん。

東海地方の古墳からも鏡は結構出てると思いますが

553 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 22:14:21
大和が配ってた△は後からじゃないと出ないよ。

554 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 23:40:18
ついでに、熊本県阿蘇の中通古墳群の長目塚古墳。

墳長115m程度の熊本県最大の前方後円墳。多分、柄鏡式。
35才前後の女性の人骨が出土。棺の中には、おびただしいほどの朱。
内行六花文鏡、管玉、丸玉、太刀、刀子、矢筒にはいった鉄鏃、鉄斧等
が出土。

555 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 23:54:58
ちなみに、銀象嵌の太刀が出たことで有名な熊本県山鹿市?の江田船山古墳は
五世紀後半の築造とされているらしい。年代については最近どうもよくわから
ないが。

江田船山古墳からは、馬具や金銅製冠帽、純金製耳飾り、金銅製靴など
200点あまりの副葬品が出土していて、一括して国宝になっている。
副葬品からわかるように、明らかに時代は下る。
出てきた鏡は、画文帯同行式神獣鏡。

画文帯が出てくる古墳は新しいのではなかろうか。

556 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 01:02:35
それは踏み替えし

557 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 06:23:17

>>1

当時は南に呉の孫権がいて、魏は南部からの圧力を相当に受けていただろう。

そして、魏の北側には騎馬戦を得意とした鮮卑族が控えており、魏は正に

両者の板ばさみ状態にあった。高句麗や倭国を含めて、魏から東側の諸国から

の朝貢(同盟)の申し出は弱小諸国であっても相当に心強かっただろう。

このとき魏は、実態のつかめない倭国を呉の直ぐ東側(計其道里當在會稽東冶之東)

にある強大な国であると誇張・偽りの伝記としてまとめ、呉の孫権にプレッシャ

をかけ、呉は魏と倭国で挟まれていると黙示的に示したと推測される。

ということで結局、倭国は北九州の貧弱な小国郡を誇大にとりあげたもので

畿内ヤマトは別種であった。

558 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 07:13:41

そして、北九州の貧弱な小国郡は、魏が滅んだ後、

畿内ヤマト連合に征服されたのである。


559 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:07:35
畿内ヤマト連合って脳内妄想なんだけどね



560 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:15:09
うん、正しくは、近畿関東連合。

561 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:21:58
畿内は単に、九州王朝傘下だっただけ。

562 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:29:43
九州は世界文化遺産がひとつもない文化後進地域。昔から野蛮人の住むスラム。

563 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:35:00
近畿関東連合て何ですか???

564 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:48:33
九州王朝下で服従していた後進地域連合?

565 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:51:02
近畿関東連合によって、九州は征服されたということです。


566 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:54:47
>>563
それは王将と吉野家の連合ではないかなぁ。
牛丼チャーハン餃子付き。新発売。

567 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 20:37:45
牛頭天王とはツヌガアラヒトのこと

568 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 21:52:28
馬鹿コテどもはどうした?

569 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 22:06:17
二度と立ち直れないくらいに論破されました。
もう来ないかも・・・

570 : ◆.L.MXSPOgc :2008/11/20(木) 22:43:53
私の説は論破もされていないどころか、
有効な反論らしきものすらも出ていませんが。

http://yamat-2007.blogspot.com/

571 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 23:10:32
自分がそうだと思ってるなら、それでいいじゃない。


572 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 23:54:47
>>570
何を考えてんだか分かんないんだよ。

573 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 00:32:48
自分がそうだと思ってるなら、それでいいじゃない。



574 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 02:37:53
既出だとは思いますが教えてください
帯方郡〜邪馬台国:12,000余里
帯方郡〜末盧国:10,000余里
つまり末盧国〜邪馬台国:2,000余里
末盧国が九州なら畿内説は成り立たないと思うのですが。

575 : ◆.L.MXSPOgc :2008/11/21(金) 06:53:18
>571,573
ほら、やっぱりまともな反論など出せやしないのでしょ?w

ここにいる自分の説が正しいと思っている人は、
私の説が間違いということになるはずなのに、
何ひとつおかしいところを指摘できない。

私以外の説の事実上の敗北でしょw

>572
2つのルートだった。それを1つのルートと思い込み記述した。
それだけの話なのに、何がわからないの?


576 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 07:00:05
>>574
>帯方郡〜邪馬台国:12,000余里

倭人伝はそんなこと書いてない、
質問する前に倭人伝ちゃんと読み直せ


577 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 07:18:16
女王国=邪馬台国で良いんじゃないかな。
そういえば、倭人伝には、邪馬台国(邪馬壹國)という文字は一回しか出て
来ていない。
邪馬台国の代わりに女王国を使ったのかも。
「女王國」は、5回出て来ている。

578 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 09:57:47
>>574
帯方郡→邪馬台国(女王国)までは「万二千余里」と書かれています。
万の前に数字が書かれていません。一万なのか二万なのか不明なわけです。
たとえ一万だったとしても水行30日分と陸行1月分が含まれていません。

579 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 10:08:20
>>578
漢籍で「万二千余里」とあれば「一万二千餘里」のことです。これは動きません。

580 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 10:09:56
>>578
>帯方郡→邪馬台国(女王国)までは「万二千余里」と書かれています。

どこに?
倭人伝を勝手に改竄するな!

581 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/21(金) 10:14:02
>>577>>574
邪馬壹國は女王國の一部

郡より女王國までの距離は万二千餘里。
魏使の女王國までの行路距離を積算すると、
奴國及び不彌國までの積算距離は万二千餘里となる。
ゆえに奴國及び不彌國は女王國に含まれる。
邪馬壹國も女王の都であるから女王國に含まれる。
投馬國も不彌國と邪馬壹國の間に記述されているから女王國に含まれる。
少なくとも奴國、不彌國、投馬國と邪馬壹國の4ヶ国は女王國を構成する国々である。

魏使の郡より倭までの行路で到着点になる国は2ヶ国ある。
ひとつは狗耶韓國、倭の最初の国に到着したのである。
狗耶韓國は、韓地にある倭人の狗耶國を示している。
(韓伝でも狗耶韓國が倭韓濊の混住地域に弁辰狗耶國として書かれている)
ふたつめは伊都國、女王國の入り口に到着したのである。
伊都國は女王國に隣接しているのである。
伊都國が女王國の構成国である奴國と不彌國に隣接していることは魏使の行路説明文から判断できますね。
又、行路距離(里程)説明文が不彌國で終っている事は、魏使が女王國に入ったことを意味しているのです。

582 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 10:56:20
>>581

女王國は邪馬壹國の一部

583 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 12:01:18
そもそも末盧国の唐津設定ってどうなの?
唐津から可也山が見えるのに方角を東南と間違えるの?
あんな目印があるのに間違えるの?対馬からの南はわかってても
北東の方角はわからないの?道が東南にのびているから東南と記したの?
対岸に目印があるのにあくまで進む道の方向なの?唐津の海沿いに
東南以外の道が当時何本あったの?東南と記さないといけないくらい
何本もあったの?海のそばまで山があるのに道ってそんなにあるの?
使者が「伊都国はどっち?」と聞いた時に倭の人は
「あの山の裾野」と答えるか指差すのが普通なんじゃない?
前原方面を目指すのに船を降りて、草木を掻き分け
重い荷物を背負って進むメリットはあるの?伊都国は
本当に前原なの?三雲遺跡があるから決定なの?地名と国名が
近いから決定なの?どうして遠回りするの?唐津で降りる意味があるの?
国々の視察を兼ねているから?視察を兼ねているならどうして行かない国があるの?
末盧国は報告する価値があって、それより規模の大きい投馬国や
邪馬台国は人から聞いた話だけの報告でいいの?そっちのほうがメインじゃないの?
書かれている方角を無視して強引に大きい遺跡の方角に向かって行っていいの?
九州の遺跡って全部見つかったの?まだ出てくる可能性は大いにあるでしょ?
根本的に倭国のスタートが違うんじゃないの?

と嫁が申しておりました。だれか論じてくださいorz

584 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 12:27:11
女ってそうですよねwww
しかし型にハマってないから発想はいいかも知れませんね?

585 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 13:33:33
>>577 >>574
邪馬壹國は女王國の一部

郡より女王國までの距離は万二千餘里。
魏使の女王國までの行路距離を積算すると、伊都國までの積算距離は万五百里となる。
伊都國から千五百里で女王国の入り口。邪馬台国も女王の都であるから女王國に含まれる。
投馬國も伊都国から千五百里よりは遠い国であるから女王國に含まれる。
少なくとも投馬國と邪馬台国、傍国21国は女王國を構成する国々である。

魏使の郡より倭までの行路で到ると記載されている国は2ヶ国ある。
ひとつは狗耶韓國、倭へ渡る拠点の国である。狗耶韓國は、韓國であるから
倭の国ではない(韓伝でも狗耶韓國が弁辰狗耶國として書かれている)。
ふたつめは伊都國、ここは放射式に進むべき拠点の國である。
伊都國から放射式に進むべきことは魏使の行路説明文から判断できますね。
又、行路距離(里程)説明文が不彌國で終っているのは、そこからは遠くて
距離が良く分からないことを意味しているのです。



586 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 13:41:02
>>583
嫁さんの疑問は百パーセント正しい。
唐津から東南というのに前原はありません(東北ですね)。東南五百里、伊都国
は佐賀市付近です。そこから有明海を南下する、それが南への水行となります。
伊都国から放射式、奴国や不彌国は考えなくてよろしい。水行二十日は薩摩。
伊都から水行十日は八代、そこから陸行1月、日向に邪馬台国はあったのですね。

587 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 14:07:00
話題のレベルが下がると人が沸いてくるな。wwwww


588 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 14:10:43
>>587
レベルの低い輩の疑問に答えてやってください

589 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 14:16:56
どうも「女王国」の捉え方が各人各様で
それがネックで議論が堂々巡りしている感じだな

590 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/21(金) 14:22:48
>>585
修正しました。

邪馬壹國は女王國の一部

郡より女王國までの距離は万二千餘里。
魏使の女王國までの行路距離を積算すると、對馬國と一大國の大きさの千四百餘里を加えて、
伊都國までの積算距離は万千九百餘里となる。
伊都國から百里で女王国。。邪馬台国も女王の都であるから女王國に含まれる。
投馬國も伊都国から百里よりは遠い国であるから女王國に含まれる。
少なくとも投馬國と邪馬台国は女王國を構成する国々である。
餘旁國21ヶ国については判らないとしているので女王國に含まれるかどうかは不明。

魏使の郡より倭までの行路で到ると記載されている国は2ヶ国ある。
ひとつは狗耶韓國、倭人の最初の国である。狗耶韓國は、韓地の狗耶國であるとの意味である。
(韓伝の弁辰狗耶國はやはり弁辰にある狗耶國として書かれている。
又韓伝には瀆廬國が倭と界で接するとあり、その国は韓地にある倭界の狗耶國であると理解できる。)
ふたつめは伊都國、ここは放射式に進むべき拠点の國である。
伊都國から放射式に進むべきことは魏使の行路説明文から判断できますね。
又、行路距離(里程)説明文が不彌國で終っているのは、そこは女王國内であることを意味しているのです。

591 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/21(金) 14:31:25
補足
「韓」を「弁辰」と読み替えると、より理解しやすいと思います。

592 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 14:34:08
ホジホジ( ゜σ∀゜)ノ 先生!東西南北もろくに分からん魏のおっさんの
距離感を真に受けてよろしいのでしょうかー?

593 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 14:43:10
邪馬台国九州説には投馬国へ水行20日と邪馬台国へ水行10日陸行1月が
よほど不都合らしい。「萬二千餘里」には入りきれないからな。

594 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 15:00:13
伊都=三雲が仮に正しいとした場合、魏志倭人伝の方向という概念は
まったくあてにならないという証明になってしまう。末盧国〜伊都国〜奴国
は方向の間違い、若しくは道の向かっている向きとすると不弥国の東ですら疑わしい。
投馬国への水行の向きも船が進み始めた方向という解釈ができてしまう
そこから先は東に行こうが北に行こうがあくまで投馬国は南だということに

595 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 15:33:43
距離よりは方角の方が正しい可能性はあるわな
太陽の動きを見てれば方角なんて素人にでもだいたい分かる

596 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 15:42:37
だが実際問題 対馬の南に壱岐が無いことは小学校の日本地図を見てもわかる
壱岐は対馬の南東だよ。正確に南に行って対馬にかかるのは平戸島とその周辺
かといって平戸島を一支国なんかとは思ってはないけどな

597 : ◆.L.MXSPOgc :2008/11/21(金) 16:02:36
>>583
私の説では次のように説明できます。
末盧国−伊都国−奴国−不彌国−投馬国−邪馬壹国、というのは梯儁のルートです。
末盧国=唐津から九州北岸ぞいに伊都国=前原、奴国=福岡平野に行き、
そこから内陸を南下して不彌国、投馬国(〜久留米)、
そして筑後川下流域の邪馬壹国にたどり着きます。
国名はこの梯儁のルートで書かれているので、末盧国=唐津の次に北東に位置する伊都国が書かれています。

しかし里程記事は張政ルートです。
末盧国=唐津から南東500里で佐賀平野に抜け、さらに南東100里、東100里で筑後川下流域の邪馬壹国にたどり着きます。
南東500里の佐賀平野にある国は当然「伊都国」ではありません(違う名前の国ですが何国なのか分かりません)。

このように私の説では、三国志に書かれていることを嘘だの間違いだのとせずに読むことが出来ます。

ちなみに倭国のスタートは狗邪韓国です。少なくとも陳寿はそのように書いています。


598 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 16:06:50
魏志倭人伝で結論を出そうとするのは無理なんだろ?
じゃあ今後どういうものが発見されれば特定できると思う?

599 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 16:07:58
持衰と言うのが出てくる。
航海の安全を祈って、禁欲生活を送る。航海がうまくいけばたくさんの褒美を
もらえるが、うまくいかなければ殺される。

沿岸の航海ではあまり危険はないから、これは朝鮮半島に行く航海、
つまり、大海をわたる航海のときだったのだろう。
壱岐・対馬・朝鮮半島に行くのは命がけの航海だったと思われる。

当時、熟練の航海士がいたと思われる。潮、海流の影響は古代船にとって
非常に大きかったらしいから。
郡使は、船に乗っていただけだから、南に行っているなあ、くらいしか
思わなかったのだろう。

実際、真南を目指していたのかもしれない。対馬海流に流されると
それでちょうど目的地に行き着いたのかもしれない。

600 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:00:31
私も魏志倭人伝からでは結論は出せないと思います
・大陸からの倭国への行き方
・九州北部に交易の要衝があった
・倭人の文化
正確に読み取れるはこれくらいでしょう?
日数や距離方向は曖昧で、それに個々の憶測や知識、解釈が絡んでくるから
同じ九州の中ですら話がまとまらない。それが九州と幾内であれば尚更です
だから邪馬台国や投馬国の話はあまり出ず九州北部の話のリピートになって
しまっているような気がします。じゃあ結局卑弥呼はどこにいたの???
いた場所はどこなの???女王国は分かったから邪馬台国ってどこなの???
何里の計算はわかったから で、どこなの???幾内では奈良近辺で
話はまとまりますが九州はなんなの??バラバラって感じですよね

決定的な物的証拠、それが何に当たるのかはわかりませんが見つかるまで
九州、幾内、その他も十分可能性はあるはずだと思います

ちなみに私は九州にあったらいいな派です♪

601 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:07:43
連休は消防VS厨房の、レベルの低い妄想合戦に
なりそうだなwww

602 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:10:23
ションベン臭い消防と
マスカキ覚えた青臭い厨房の臭いが
プンプンする。

603 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:32:58
>>600

じゃ、>>600に質問。

どうして、邪馬台国を「九州」か「畿内」か「その他」と限定するの?
なぜ、九州から近畿東海までの広範囲の連合国を「邪馬台国」と考えられないの?
その原因は何?

九州から近畿東海までの広範囲の連合国を「邪馬台国」と考えても、
卑弥呼のいた女王国は九州にあったかも知れないし、
そのほうが、九州の権力が西日本広範囲に渡っていたことになり、
九州説にとっては、とても素晴らしい世界だと思うのですが?

なぜ、邪馬台国は「九州の中だけにしかなくてはいけない」のですかな?


604 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:37:24
>>600

邪馬台国問題は、視野が狭い人たちが多い。
>>5-10あたりにも、目を通してみて。


>九州説の人は、卑弥呼が九州にいたと考えたいと思うのは良いが、
>なぜ、邪馬台国連合=九州〜近畿の西日本連合と考えるのを避けるのか?
>「西日本を統括した卑弥呼が九州にいた」よりも「九州だけを治めた卑弥呼がいた」と、
>わざわざスケールの小さい話にしたいのか?
>「九州だけを治めた卑弥呼」に魏は金印を授けたのか?

↑この問いにきちんと答えられる人は、まだ誰もいないんですよ。


605 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:38:14
>>598
邪馬台国がどこにあったか親魏倭王の金印が出土したら結論が出ると思う。
黄幢と言う黄色の旗とか率善中郎将・率善校尉の銀印も有力な証拠になる。
また親晋倭王の金印が存在する可能性がある。
古墳から卑弥呼・台与の墓碑または墓誌が出土すると動かぬ証拠になる。

606 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:44:59
>>597
>嘘だの間違いだのとせずに読むことが出来ます。
東南五百里に伊都国はないというなら、倭人伝は間違っているのでは?

張政は、どんな地名をもってその行程を記述したというのでしょう。
そして、倭人伝は、なぜ、張政の行程をそのまま記載せず、他の記事を合わせたのでしょう?


607 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 18:01:40
郡より女王國までの距離は万二千餘里
これは否定できないから、水行30日と陸行1月はその工程と解釈すればイイ

608 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 18:10:09
>>604
女王の境界までのクニの数が少ないから
近畿までの西日本を統括とは思えないのですが。

609 : ◆.L.MXSPOgc :2008/11/21(金) 18:12:34
>>606
>東南五百里に伊都国はないというなら、倭人伝は間違っているのでは?
私はこれを「陳寿の勘違いをした」と表現しています。
末盧国の次に伊都国がある、末盧国の南東500里に次の国がある、
どちらも倭人伝から読み取れることで、どちらも正しい。

>張政は、どんな地名をもってその行程を記述したというのでしょう。
これは憶測でしかありませんが、張政の行程記事に国名が記されていなかったのでしょう。
倭人伝から、梯儁と張政とでは倭で行うべき目的の行動が
梯儁の場合は広く知らしめろ的、張政の場合はもっと直接的な軍事援助、と
若干違うことが読み取れると思います。


610 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 18:16:01
一大卒が伊都国にいなければならない理由を誰か教えて

611 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 18:17:47
ないんだよ、最初っから邪馬台国は。
これは、民族的に劣等な漢民族が易の入れ替えの方便で作っただけだよ。
つまりチャンコロは大借金を背負ったのさ。
三国志の英雄の姿はスサノオの子孫の大韓民族の姿で、邪馬台国はその
楽浪の戦争で負けた魏・晋の情けない現実なのである。

しかし時は過ぎ、そのインチキ易もタオイズムも通用しないのさ。
これが最近連戦連敗のチャンコロ及び反日の実態である。
クズの妄想に力を注入してどうにかなる時代は終わったのさ。

612 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 18:47:30
勘違い?
要するに間違いってことだww

613 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 19:14:43
>>607
実に恥ずかしい捏造ですね。投馬国へ水行20日、邪馬台国へ水行10日
陸行1月が九州説にとって不都合な真実なんですね。

614 : ◆.L.MXSPOgc :2008/11/21(金) 19:39:39
>>612
日本語の不自由な半島か大陸の方ですか?

615 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:22:25
>>607
魏略には伊都国までの行程しか記載されていないから、行程記事と「投馬国へ水行20日、邪馬台国へ水行10日陸行1月」は別資料が基になっていると考えられる。
資料A、帯方郡庁から伊都国(女王国)までが12000里。
資料B、12000里の旅に掛かる時間が「水行20日、水行10日陸行1月」だな。

616 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:46:32
>>614
勘違い=間違って思い込むこと(広辞苑)


617 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:50:41
勘違い=間違って思い込むこと=チャンコロ

618 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:57:18
>>613
唐津から東南五百里、伊都国で佐賀市付近。これは倭人伝どおり、方角も距離も
ごまかしはありません。前原ならば船で直行するはず、しかも、前原は南水行は
できない、末盧国で上陸した使者は有明海沿岸の佐賀付近へ行ったとみた方が自
然です。
伊都国からは放射式。有明海を南下する、それが南への水行となります。水行二
十日は薩摩。そして、邪馬台国へは、伊都から水行十日で八代、そこから陸行1
月、日向ですね。九州説にとって、倭人伝の日程は何ら不都合はないのです。


619 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:59:23
ついに卑弥呼の墓を発見しました。
アイルランド、古代アトランティス大陸だったのではないかといわれている島です。
伊都国からは遠すぎると思われるかもしれませんが、神舟を使えばすぐです。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f9/Newgrangenarrow.JPG/800px-Newgrangenarrow.JPG

620 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:05:35
>>615
万二千余里は女王国まで。水行十日陸行一月は邪馬台国まで。
女王国と邪馬台国はちがうということに気づかなければいけません。

621 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:20:50
>>610
>一大卒が伊都国にいなければならない理由
邪馬台国が率いる国々(女王国)と奴国が率いる北九州諸国とが戦ったのです。
それが倭国の乱。そして、北九州諸国は実質的に敗れたんですね。そこで、女
王国側は、北九州の国々を監視するために、伊都国に一大率を置いたのです。
伊都国は、北九州諸国の動きを把握するために便利であるばかりか、半島と南
九州との中間地点という位置にありました。ですから、一大率が置かれるのに
は一番適していたのですね。

622 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:28:13
>>619まさに円墳。古墳は古代アトランティス大陸が起源だったのですね!

623 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:42:00
>>604
>なぜ、邪馬台国連合=九州〜近畿の西日本連合と考えるのを避けるのか?
中国史書の伝える倭が本州を含むような概念ではないからですね。
倭人は帯方の東南大海の中、山島に依りて国邑をなす。すなわち、島だと
いうわけですよ。旧唐書をみれば明らかなように、中国人が我が国の本州を
島だと認識したのは唐時代よりも後のこと。3世紀ごろに本州が島だという
認識はなかったのです。だから、九州としか考えられない、当然でしょう?
また、周旋五千里。これも、重要ですね。これは倭の地の大きさを表したもの。
北九州から五千里は本州の方に延ばせば、せいぜい岡山まで。本州ならば数万里
となければおかしいのです。九州ならばちょうどです。





624 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:50:32
◆.L.MXSPOgc =ぼくがかんがえたさいきょうやまたいこく

625 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:52:36
諸葛孔明って日本人より馬鹿だよね。

626 : ◆.L.MXSPOgc :2008/11/21(金) 22:53:53
>>616,617

>末盧国の次に伊都国がある、末盧国の南東500里に次の国がある、
>どちらも倭人伝から読み取れることで、どちらも正しい。

日本語読めないやつがアホずら並べて揚げ足取りしようと必死になんなwww

627 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:56:51
>>626
伊都国は鹿児島だよ
ちがう?

628 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:16:55
>>619
それとよく似た感じの日本の古墳。
こちらはまぎれもない九州の古墳だ。
http://homepage3.nifty.com/qwe00211/image_22/nagasaki_22/29_gogennduka.jpg

所在地は福岡県みやま市瀬高町坂田。
合併前は旧山門郡瀬高町だった。
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E130.30.11.2N33.9.29.0&ZM=11

629 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:18:19
>>622
その通りです。地球が寒冷化してアイルランドには住めなくなったので、
世界中に移り住んだのです。

http://4travel.jp/traveler/gokurakucho/album/10035224/


630 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:29:39
>>604
5世紀末の倭王・武の上表文を見ると、東を征すること55カ国、
西を服すること66カ国とある。
つまり、大和の西には、66カ国があった。3世紀よりも5世紀の方が、国は
統合されて大きくなったと考えるのが普通。

にもかかわらず、邪馬台国に統属する国は29カ国。
どう考えても、倭の範囲は狭い。壱岐や対馬が勢力圏にあり、朝鮮半島までも
行き来していたとすれば、倭の中心はやはり九州と考えるのが妥当。

邪馬台国を畿内と考えれば、朝鮮半島まで、あるいは対馬まででも良いが、
足場を固めており、武にも相当する勢力圏を持ちながら、支配する国は
29カ国というイビツなものになる。
頭の中では、非現実的な飛び石のような支配を考え出すことも可能だが、
現実にはそのようなことはありえない。

631 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:46:27
>>630

>5世紀末の倭王・武の上表文を見ると、東を征すること55カ国、
>西を服すること66カ国とある。

倭は百余りにわかれていたと認識されてますが?



632 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:51:19
魏志倭人伝の頃から、倭は百余りにわかれていたと認識されてるということは、
中国からみた倭の領域は、東西合わせた領土と見ていたことになるね。

そのうち、邪馬台国に統属する国は29カ国で、そのほかはまだ不服従、としても、
それはリアルな数値に思える。

>頭の中では、非現実的な飛び石のような支配を考え出すことも可能だが、
>現実にはそのようなことはありえない。

なぜ? そのほうが現実的に思えるが?
隣国同士のほうが仲が悪く(領土問題があるため)、遠い国同士が同盟するというのはよくある話。

633 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:52:42
>>630のおかげで、近畿を含めた邪馬台国連合の姿が、よりくっきり見えてきたよ。

どうもありがとう。

634 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:57:09
>>632
>魏志倭人伝の頃から、倭は百余りにわかれていたと認識されてるということは、
旧百余国。けして倭人伝の時代に百余国ではない。


635 :ローガン:2008/11/22(土) 00:08:46
最近どくだみさん見かけませんが、いかがお過ごし

636 :ローガン:2008/11/22(土) 00:09:57
最近どくだみさん見かけませんが、いかがお過ごしでしょう?
色々お尋ねしたい事あるのですが。

637 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:13:21
>>632
>なぜ? そのほうが現実的に思えるが?
>隣国同士のほうが仲が悪く(領土問題があるため)、遠い国同士が同盟するというのはよくある話。

同意だが、付け加えると、
広域な支配を目論む場合、最初の段階として経済的メリットのあるところ、
あるいは軍事的に拠点となり得るところを先に押さえる、と
そういうことも考えられるだろう。


638 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:13:43
>>634
分かれて百余国は、漢の時代のことで、魏の時には30カ国とされる。
国が統合されて数が少なくなったと普通は解釈されるが。


639 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:24:13
>>638
>分かれて百余国は、漢の時代のことで、魏の時には30カ国とされる。
>国が統合されて数が少なくなったと普通は解釈されるが。

高校の日本史でもそういう教え方をしていたと思うが、再考の余地があるのでは?

倭人伝冒頭を、字句の通り、正確に読んでみるべきだと思う。
誰か現代語訳してみてくれないか。

>倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑
>舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國

640 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:28:25

>舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國

漢の時代には百余りの国があったとされ、魏の時代の今は、使者が通行できる国は30国と読めるな。
国が統合されたとは書いてない。



641 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:28:37
>>639
その程度の漢文も読めないのに、自分の説に都合の良い解釈をしようとするのは
どうかと思う。


642 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/22(土) 00:34:08
細かい国の”国造”は百人位居るだろう?。


643 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:53:17
>>639
既存サイトから引っ張ってきたが・・・。

≪読み下し≫
倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。
旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十國。
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html

≪日本語訳≫
倭人は、(朝鮮の)帯方(郡)(魏の朝鮮支配の拠点、黄海北道沙里院付近か、京城付近)の東南の大海のなかにある。山(の多い)島によって国邑(国や村)をなしている。
もとは百余国であった。漢のとき(中国に)朝見するものがあった。いま、使者と通訳の通うところは、三十か国である。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/wazinnden.htm

644 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:13:16
>今、使訳通ずる所三十國

なんかこう、意味がよく掴めないなあ、
帯方郡とこの30ヵ国は、いま現在、使者が行き来している、ということ?

でも後の方のズラズラ国名だけ並べている部分じゃ「遠絶」なんて言ってるんだよ,、ww

645 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 02:02:34
邪ヤ馬マ台ト国

646 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 05:56:24
>>644
倭の国々は代表を送ったが、各国が皆、朝貢国として名を連ねていたんだろう。
全部ではなかったかも知れないが、ほとんどの国が名を連ねていたということ
だろう。例えば、狗奴国もね。

647 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 07:30:25
百カ国余というのは、漢書・地理誌に出てくる。

楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国と為す。歳時を持って来たりて
献見すと云う。

漢の時代の痕跡は、畿内にはほとんどないので、畿内の国はこの百余国に
含まれていない、つまり倭人の中には入っていないのだろう。
含まれていたが、漢とは交流していなかったということもあるのかな。

648 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 07:51:17
>>647
>楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国と為す。
これも島国だね。畿内の国は入ってないはずだ。>>623

>含まれていたが、漢とは交流していなかったということもあるのかな。
歳時を持って来たりて献見すと云う。その百余国は連名にしろ、朝貢して
来ていたということ。交流していない国は中国の認識外ということになる。

649 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:07:37
>>618
…人間の足と古代の船を甘く見てるんじゃないの?

650 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:09:42
漢の時代に百余国、それが今(魏の時代)統一が進み30国になった。
30国のうち、大国は奴国、投馬国、邪馬台国。あとはそう大きくはない。
30国のうち、対馬国、一支国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国が北九州に
あったことはまちがいない。残りは投馬国、邪馬台国とさほどではない旁国ばかり。
これで本州を埋めようなんて到底無理な話。周旋五千里もそれを裏づける。

651 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:10:44
>舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國

漢書に見える「百余国」と魏代の情報である三十国との間の因果関係が不明なので、
単に知れている事実のみを書いただけの文章。
つまり、漢書で言うところの倭人がどの領域を指しているのか、今はわかりませんということだろう。

652 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:22:06
>>649
>…人間の足と古代の船を甘く見てるんじゃないの?
隋書は使者が筑紫に到着してから大和へ案内するまで数ヶ月かけてたよな。
魏の使者だって、ゆっくりゆっくり案内するんだよ。

古代の船というが、使者は末盧国で上陸した。船は末盧国の港に置き去り。
投馬国や邪馬台国への南水行は倭の小舟だろう。
有明海ならば、潮の加減で日に数時間しか動けないそうだ。
宮崎康平がそう書いていたぞ。




653 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:27:38
>漢書で言うところの倭人がどの領域を指しているのか、今はわかりませんということだろう。
倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。最初に島国だってくくっている
じゃないか。倭の領域は分かっているんだよ。>>623



654 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:30:25
いま、三井鉱山セメントに依頼して卑弥呼の墓の発掘作業を進めています。
この山を全部削った地下に石室があって卑弥呼が眠っている予感。

http://mw2.google.com/mw-panoramio/photos/medium/330841.jpg


655 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:32:22
>>652の訂正 隋書は使者→日本書紀は大唐の使者

656 : :2008/11/22(土) 08:53:05
>>654すごい発見ですね。これは間違いなく卑弥呼の墓です。
発掘の結果に期待しましょう。
場所は北部九州のあそこですね。

657 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 09:48:07
>>654 >>656 自作自演?

658 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 09:50:15
>>652
薩摩から大宰府まで朝貢所要日数は陸路で12日だ。
大宰府から京都まで朝貢所要日数は海路瀬戸内海ルートで30日だ。
これは日本史年表の付録にのっているレベルの話だ。

659 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 10:10:55
ピラミッド型の山が3つも連なっているのは、人公的に作られた山だからです。

エジプトのピラミッド
http://mw2.google.com/mw-panoramio/photos/medium/11264526.jpg

香春町のピラミッド
http://mw2.google.com/mw-panoramio/photos/medium/11827315.jpg

660 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 10:17:04
>>653

> 倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。最初に島国だってくくっているじゃないか。

それは「位置」と「形状」のことだね。

> 倭の領域は分かっているんだよ。

例えば、「サイタマ」は東京の北方に在り、陸続きである、と書かれていても、
それが埼玉県のことなのかさいたま市のことなのかハッキリしないのと同じことだよ。

つまり、漢書と三国志、双方が同じ「領域」のことだとは書いてはいない。
と言うか、敢えて書かなかったのだろう。




661 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 10:18:45
>>659
わー、比べて見ると、ほんとうにそっくりですね。びっくりしました。
エジプトのピラミッドよりずっと大きいですね。

662 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 10:38:49
>>660
>埼玉県のことなのかさいたま市のことなのかハッキリしないのと同じ
例が悪いな。九州の場合は島だからね。当然、倭の地の範囲は明確だ。

>漢書と三国志、双方が同じ「領域」のことだとは書いてはいない。
書いているんだよ。読めないというのは読解力がないだけのこと。


663 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 10:59:09
卑弥呼は渡来系の女王ではなく縄文系の女王です。
渡来系の豪族が共立できたのは、山の神だからです。
そして卑弥呼の墓も前方後円墳ではなくピラミッドもしくは
山そのものだったと見るべきです。

664 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 11:07:58
>>662

貴方は「漢文」が読めないだけでは無く、「日本語」も苦手みたいですね。

665 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 11:10:19
>>664
つい、正直なもので。

666 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 11:15:04
>>663
中国人は、山と冢は区別していると思うがね。

667 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 11:43:30
北九州か畿内かと言われればどっちかって言うと畿内だろうけど、
南九州でも陸行や水行をゆっくり目に行けばクリアできるかな、
いやでもそれもちょっと無理があるか、
日本列島に求めるとやっぱ関西の方になるんだろうけど、
何も畿内だけでなく播磨や阿波も可能性はあるかも知れないな、
そうすると投馬国は愛媛玉川になるのかな、
いやでも日本列島に求めるとなると方角か距離や日数かどっちが犠牲にしなければな、
もういっそ正直に奄美大島や沖永良部島、琉球島あたりに軍配をあげるかな、
でも結局それは一里100mの短里を採用した場合の話だからなあ、
もう一里435mの長里(と言ってもこれが魏の正式な里)で辿っていって
ジャワの耶婆堤国=邪馬台国でも良いかなあ、
スマトラのシュリーヴィジャヤ王国とは別に栄えたまぼろしの耶婆堤国なのかなあ、
でもそこまで行くと最早東夷ではなくて南蛮だしなあ、
それになんか考えることを放棄してる気がしないでもないなあ、
…当分の間は畿内説で行こう、二大仮説だとこっちに分が上がってるしなあ、
でも阿波や播磨も可能性に入れておこう。

そんな秋の日

668 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 12:56:00
どこだっていいさ。

669 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 14:19:12
へめこ?

(´・ω・`)しらんがな

670 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 15:35:35
本当に常連コテさん達が居なくなったね

671 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 16:05:01
畿内派は万二千里をどうみてるんだろ

少なくとも伊都国までは九州だよね
その後は東南100里、東100里だけどその後は南にしか行ってない
なのに畿内に着けるってのが分からないんだけど

672 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 16:23:43
畿内説の場合は、九州〜近畿を含めて邪馬台国だから、
九州に到達した時点で邪馬台国なんだよ。
ただし、首都は奈良ってこと。

って、バカに説明しても理解できないだろうが。

673 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 16:25:35
木器握ってウハウハ言ってた民度の低い畿内が首都のわけないだろw

674 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 17:25:03
>>672
まともな説明ができないってことは良く分かりました。

675 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 17:50:14
世界ふしぎ発見!『邪馬台国の謎は解けた!日本誕生 空白の150年』

世界で唯一!の歴史をテーマにしたクイズバラエティー。
ミステリーハンターが世界中の遺跡・秘境を巡り、古代文明をはじめ、世界の謎に迫ります!
日本という国は一体いつどこで誕生したのか。
中国の文献には、3世紀半ばまで日本には邪馬台国という国があったと記され、
その次は5世紀のことが書かれています。
実はここにおよそ150年間の空白が!?その間に大和朝廷が誕生し、邪馬台国とどんな関係があったのか、
大いなる謎とされてきました。
しかし、近年発掘が進んだ纏向(まきむく)遺跡によって、それが明らかになりつつあるというのです。
日本誕生の謎に迫ります!

今晩9時からですので、お見逃しないように(^_^)/

676 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 17:58:13
邪馬台国の都は以下のように決定しました。
末盧国(唐津市)→伊都国(前原市)→奴国(福岡市)→不弥国(北九州市)
→水行20日→投馬国(米子市)→水行10日→丹後国(京丹後市)→
陸行1月→邪馬台国(桜井市)の都である纒向に到着する。

677 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 18:33:23
本日『世界・ふしぎ発見!』で邪馬台国の時代やるらしい…

まあ九州王朝説は最初からボッシュートだろうがwwwwwwww


678 :677:2008/11/22(土) 18:34:36
>675とかぶった…orz

679 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 18:45:53
>>676

丹後国というか、丹後半島の竹野国だろうね。


680 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/22(土) 20:19:58
238年
倭女王国太夫難升米
大和代表いくめ=垂仁、次使都市牛利=たじまもり
243年
倭国王=たらしひこ=景行 大夫伊聲耆掖邪狗(伊勢のベテランいわか=六雁)
245年 倭女王国太夫難升米
266年 倭女王国女王いよ=景行の娘五百野姫

魏書に書かれた倭国、国名はどの時点で収集されたか?。


681 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 20:57:39
>>675
>日本誕生の謎に迫ります!
けして明らかにならないときの常套句だな。


682 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 20:59:09
>>672
意味不明だがどうにか解釈してみた

万二千里離れた女王国までは行ったが首都には行ってないってことですね。

683 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:27:15
もう九州説は天動説みたいなもんか

684 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:28:03
常連さんは、連休中はフィールドワークですよ。
文献解読だけでは結局何もわからない。
自分の足で径百歩を図って、
地図も磁石もなしに見知らぬ土地で南と東の区別がつくのか
その古墳は女王の墓にふさわしいスケールと風格を持っているのか、
自分の目、耳、鼻、舌、肌で・・感じてこないといけない。

それなしには、いくら緻密な論証をしていても、人の心に響きません。

685 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:44:49
金印も吉野ヶ里も最大の鏡も鉄も絹も九州で出てるのに
畿内説の人達は土器の破片とか木片とかで喜んでるのが不思議です。

686 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:53:50
ヒント:放置されたド田舎と戦乱に明け暮れた都市

687 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:54:22
今日の世界不思議発見!

九州説は、完全スルー(笑)

グッジョブ!!



688 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:57:12
三内丸山遺跡は、吉野ケ里遺跡より2000年も古い。
しかし、吉野ケ里遺跡も縄文系ではないのでしょうか?

689 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:02:37
以前NHKで取り上げた時は畿内説と九州説で討論形式だったが
今日のTBS「世界不思議発見」九州のきの字も出なかったなw

まあ突っ込みどころはいくらでもあるが纏向の立ち上げに出雲が大きな役割を果たし
その根拠を記紀神話に占める割合とか巨大神殿とか出したのはどうも…

巨大神殿って平安時代の話だし(所謂「雲太」、古代の物は確認できていない)
記紀神話のウェイトにしてもいつの時代の繁栄だか…

690 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:08:22
TBSにいくら渡したのですか?

691 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:11:19
考古学界の麻原彰晃=寺澤薫のイラストで、
纏向=邪馬台国の首都説が、バ〜ンと結論付けられていたなw

纏向教乙!

692 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:12:05
遠まわしに丹波(籠神社)や東海(伊勢神宮)の影響を匂わせたのは正解かもね。

とにかく、九州説の人は視野が狭いから、
すこしは九州以外にも人が住んでたって情報も与えてあげないと。w

693 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:18:27
畿内纏向に全国から権力だけが集まって、鉄器も絹も無かったのかよw
権力者が集まったんじゃなくて、全国から纏向に奴隷を集めて土木工事させただけだろ。

694 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:20:27
古代の威信財は、鉄器と絹だけじゃないんだよ。

「丹」とか、いろいろあるよ。

695 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:22:24
古代人には威信材なんて概念はないから心配するな。


696 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:24:10
九州説(笑)


697 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:28:32
>>691
吉備と出雲による明治維新のようなもの
・・・なんて話が出なかっただけありがたく思えカスwwwwwwww

>>692
ただ神社伝承や神話を組み合わせてのお話だと
そりゃもう無数に筋書きができるわけで…

まあ、あの手の番組にそこまで求めるのは無理だろうけどw

698 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:34:29
待て九州説論者たち、放送後の妄想が酷過ぎだ。
俺の腹筋がヤバい。

699 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:53:38
でも、ちょっとくらい(定番の)吉野ヶ里の話題も出るかな?と思ってたけど、
本当に、完全に九州説はスルーだったな。

九州の話が出たのは「鉄器は九州だけでなく出雲からも出土してます」だけだし。www



700 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:02:55
邪馬台国九州説の人が脳内パニック!

701 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/22(土) 23:06:02
世界妄想発見だったな。wwwwwwwwwwwwwwwww

帰って来て見てだが、盲象にやられている。どうしようもな〜い。w

702 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:11:44

九州説(笑)(笑)(笑)(笑)



703 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:27:07
何にもない畿内は、畿内論者からも見捨てられてしまい、ついに出雲の助けを
借りたという筋書きになってしまったんだなあ。

連合なんて言葉を持ち出すのも、切羽詰っている証拠。
古代に限らず、世の中は食うか食われるかの世界。
出雲に征服されたとするほうがよっぽど現実的なのだが。

704 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:36:57

あれ? 九州はどうしたの?

ねえ、九州は?

705 : サガミハラハラ:2008/11/23(日) 00:08:31
TBSもテレビ東京なみの番組をつくるようになってしまった。
一目おいていた番組なのに残念なことであった。

706 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:41:05
寺澤薫に買収された纏向マンセー番組なので、大笑い。
こんなトンデモ番組、よく放映できるなw

707 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 05:37:38
天橋立の籠神社に伝わる内行花文昭明鏡と長宜子孫内行花文鏡はたいへん良好な
保存状態で伝世されています。伊勢神宮の八咫鏡もこんな感じでしょう。
籠神社から5kmの岩滝丸山古墳から珍しい神人車馬画像鏡が出土しています。

708 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 07:00:26
>>704
>>1
当時は南に呉の孫権がいて、魏は南部からの圧力を相当に受けていただろう。

そして、魏の北側には騎馬戦を得意とした鮮卑族が控えており、魏は正に

両者の板ばさみ状態にあった。高句麗や倭国を含めて、魏から東側の諸国から

の朝貢(同盟)の申し出は弱小諸国であっても相当に心強かっただろう。

このとき魏は、実態のつかめない倭国を呉の直ぐ東側(計其道里當在會稽東冶之東)

にある強大な国であると誇張・偽りの伝記としてまとめ、呉の孫権にプレッシャ

をかけ、呉は魏と倭国で挟まれていると黙示的に示したと推測される。

ということで結局、倭国は北九州の貧相な小国群を誇大にとりあげたもので

畿内ヤマトは別種です。


709 : :2008/11/23(日) 07:32:33
レッドクリフをみてきた。2回目である。
巨費をかけたというが、出来栄えはたいしたものである
同じ金をかけても日本人にはつくれないだろう。

あれを見ると、当時の魏は当たるところ敵なしという心理であったろう。


710 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 07:50:21
>>708
>倭国は北九州の貧相な小国群を誇大にとりあげたもの
無理な解釈ですね。大国の魏が東夷の小国を誇大に取り上げても仕方ありません。
倭人伝は、初めて倭を訪れた使者が見たままを素直に報告したものと解すべきです。
北九州へ上陸し、南へ何十日も行った所に女王の都があった、それだけのことです。
計其道里當在會稽東冶之東もそれを裏づけています(少々距離感はまちがっている
ようですが、だいぶ南へ進んだという感覚はまちがいないのですよ)。
邪馬台国は九州をほぼ統一した状態だったのですね。韓が極めて多くの国々に分か
れている時に、九州をほぼ統一した倭は東夷における大国であることは間違いがな
かった、だから親魏倭王の称号を与え、使者を派遣して様子を調べたのです。




711 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 08:56:44
>>710

でも、畿内の大和朝廷に滅ぼされたわけですね。

つまり、ハリコの虎だったと。wwww



712 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 09:37:20
大和朝廷が、南九州の熊襲と戦ったという記録はたくさんある。
景行天皇、ヤマトタケルノミコト、仲哀天皇など。

ところが、北部、中部の九州と戦ったという記録がない。
もし、戦ったとしたら、これは熊襲以上の難敵だろう。
伝説として残らないはずはない。

しかし、それをうかがわせるような伝説はない。
逆に、神武東征の伝説が残っている。

713 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 09:50:55
北九州出身のイワレ彦の子孫がどうして北九州と闘わねばならないのですか?

714 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:11:37
>>712
>ところが、北部、中部の九州と戦ったという記録がない。
>もし、戦ったとしたら、これは熊襲以上の難敵だろう。
>伝説として残らないはずはない。
>しかし、それをうかがわせるような伝説はない。

ある。

あるのに、
「それをうかがわせるような伝説はない」
とは、いったい君はどういう神経をしているのだ?

それが歴史を考究しようとする者の取る態度か。
もっときちんと日本書紀、肥前国風土記を読め。
http://tadayou.fc2web.com/history/kumo.htm

715 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:12:37
>>711
甘いですね。百八十度、発想を転換するのですよ。
倭人伝→宋書→隋書、皆同じ倭国を伝えています。大和を伝えるものは全くなし。
九州にあった倭国王朝は本州も勢力下に置いた。そうして、ある時、九州から
畿内に遷都した。それだけのことなのですね。

716 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:12:53
>>712はでたらめ。

景行天皇は北九州を平定しまくってますが。

717 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:17:43
>>712
>大和朝廷が、南九州の熊襲と戦ったという記録はたくさんある。
本当に戦った記録なのでしょうか? 女に化けたとか、女を騙したとか、
嘘っぽいと思いませんか?


718 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 10:17:43
神香椎姫や黒麻呂は、九州北部の人間。


719 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:18:58
景行とかヤマトタケルのクマソ征伐の話は、
大和朝廷の九州征伐を伝えるものだから、
九州の邪馬台国を畿内の大和朝廷が滅ぼしたというシナリオが一番しっくりくるんだよな。


720 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:22:47
>>716
景行親征を信じているのですか? 本州の大半を占めるような大国の大王が
都を空っぽにして何年も南九州にべったり、そんなことあるわけないだろ。

721 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:37:50
あのTV番組は、時代背景が目茶苦茶だったですね。素人を騙すには手っ取り早いかもしれませんがw
まず銅剣、銅鐸は紀元前、弥生後期集落は3世紀、帯刀は6世紀、出雲大社は7世紀
あまりにも時代が違いすぎまして、核心のピントが完全にずれていましたね。
鉄鉱石と砂鉄も同列に扱っていましたしw
まあ、安来に工場がある日立(たたら)がスポンサーならやむを得ないでしょうけどw

奈良の巨大な集落跡の広さと祭りのお面のアピールも最悪のシナリオでしたねw 
そもそも古墳と邪馬台国の時代をごっちゃにして捏造してもしょうがないんですけどね。
島根にはもっと核心をつく別のネタがあるんですけどね…

722 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:39:09
アレキサンダー大王も、何年もバビロンを留守にしてましたな。


723 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:41:24
安本に騙されてる人は、早く目を覚ましたほうがいいよ。

724 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:45:38
秦の始皇帝のころは国を支配するというのは、
自分の支配している地域を神輿に乗って
行幸して回ることだったわけだし、一か所に
留まることはなかった。

自宅警備乙ってことです。

725 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:47:16
>>714
日本書紀によると、景行天皇は、日向に宮を築いて、確か6年かけて熊襲を
征伐している。それも壊滅したわけではなく、後の日本武尊なども
再度遠征している。これほど苦労しているのに、北部九州あるいは中部九州は
何の苦労もしていない。

712にも書いたように、北部、中部の九州の方が熊襲よりも強力だったと
考えるのが普通。そのことを言っている訳だが。
だから、もし戦ったとしたら、大きな伝説として残っているだろうと。

726 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 10:53:54
>>714 北部、中部の九州と戦ったという記録がない。
北部九州の戦いの記録を見ると。
>>720 簡単に書くと 書紀を信じているのですか?。とくる
では、どの様なシミュレーションを描いているのですか?。


727 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 11:07:55
>>725
>北部、中部の九州の方が熊襲よりも強力だったと
>考えるのが普通。

逆だろう。

728 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 11:22:52
>>726
>では、どの様なシミュレーションを描いているのですか?。
日本書紀によると、景行天皇は、日向に宮を築いて、確か6年かけて熊襲を
征伐している。それも壊滅したわけではなく、後の日本武尊なども再度遠征
している。その延長で、神功皇后も遠征し長く熊襲と戦っていたとしたら?

その時、魏の使者が我が国を訪れたのならば、神功皇后=卑弥呼は南九州で
使者の応対をしたでしょうね。
大和に本当の都があったとしても、使者を南九州に迎えたといって矛盾しな
いですね。日本書紀はそれを言いたいのですよ。


729 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 11:48:43
戦いといっても、今の大量殺りく兵器はないし、
大将を捕まえて首を取ればおしまい。
あとは戦利品を奪って生首(奴隷)を連れて帰れば勝利!
親戚縁者、女子供まで一族を根絶やしにして、
後世の憂いをなくすなどという残忍なことはしなかったんだよ。

だから、しばらくすると、また新しい勢力が育った。

730 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:42:38
>710
そもそも、「魏志倭人伝」は魏が書いた物じゃないから
魏の次の王朝である西晋が魏史としてまとめたものである
西晋は魏から禅譲されて王位に付いたので、三国のうちで魏を正統としており、尊崇する立場をとっている
その意味で、魏の政治を“誇張”して書いた可能性はある
魏の徳を慕って多くの蛮民族が朝貢してきたと、その結果版図は広大だったと
現代の中国でさえ、ロシアや半島に対して国境線を主張するとき、歴代の帝政中国の版図を持ち出す
過去においてその地域は中国の領土であったと、既得権益であると
帝政を倒した共産主義政権であっても、利用すべき歴史は利用するのだ
まだ西の方に興ったに過ぎない西晋にとって、東方に前王朝時代からの既得権益があるのだと、そういう歴史書を作り上げても不思議ではない
邪馬台国を誇張して書く動機はあったと言わざるを得ない



731 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 18:31:06
>>730
西晋は魏から禅譲されて王位に付いたから、魏の政治を“誇張”して書いた可能性がある
とは無茶苦茶なこじつけだな。そんな理屈をいうならば、大和朝廷が編集した記紀は一切
信用しないことだ。


732 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 18:53:05
>>731 書紀も倭人伝も信用すべき記録、書き換えるべきは、書紀の編年。

伊聲耆掖邪狗=イワカ=六雁
難升米=倭女王の部下で大夫
狗奴國=狗古智卑狗
ついでに書紀より
卑弥呼=巾3尺の石
男王=筑紫の大木
イヨ=五百野姫

景初二年 卑弥呼は魏に遣使 タジマモリが帰国した翌年には、天皇イクメは、墓の中
失望したタジマモリは、殉職 持ち帰った土産(カグ四棹、カコ四棹)此の土産の入った
壺一つと共に半島式の造りの墓に祀られる(垂仁墓の一郭)=ホケノ山古墳。
正始四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人
倭王タラシヒコは、代替わりの上奏に伊聲耆掖邪狗=イワカを送る。
 正始六年 難升米は郡まで出張、黄幢假授を受ける。
景行12年8月景行は九州に出発
正始八年郡の使いが卑弥呼に合いに来たがすでに卑弥呼は、塚に埋葬されていた。合掌。
筑紫で男王が立つが、此方も間もなく死亡。景行18年の死亡。
景行20年 伊勢に居た五百野姫を卑弥呼の宗女として、筑紫に軍隊付きで送り出す。
景行25年 武内を関東、東北の巡察に出す。
景行27年には、関東平定を決定、その時九州でも熊襲が翻ったので、コウスの派遣を決定。
景行治世16年目か。




733 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 19:14:37
>>732 登場人物追加
登場人物
都市牛利=タジマモリ
伊支馬=イクメ=垂仁
倭王=タリヒコ 、タラシヒコ=景行


734 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:01:38
当時の倭人の技術で
糸島半島から大阪湾までどれぐらいでいけるんだろうね。

735 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:26:28
>>732
なぜ、編年は信用しないの?

736 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:37:17
>>734
資料的な裏づけはないが、はやくて1か月、普通で40日、魏使を案内するなら
2か月といったところだろうと考えるね。

737 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:40:32
関西から関東まで船で一ヶ月かかるよ。
九州から関西までも同じ。

738 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:54:08
江戸時代の菱垣廻船は大坂→江戸が10〜30日だったらしい

739 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:07:03
念のため九州説論者に聞いておきたい

九州説では倭国大乱は九州島内限定の戦争とするのだよな
本州は当時(2世紀末)まだ倭国の範囲ではない、とするのだったよな、確か
違うか

740 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:09:46
>>739

その通りであります隊長!


741 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:41:06
>>739
倭国大乱は九州地方のことだ
逆に聞きたい
圧倒的九州地方の鉄器に対して畿内はどういう武器で戦ったんだ?

742 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:42:33
>>741
竹槍です

743 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:57:21
>>741
宗教の力です

744 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:57:47
>741
九州の軟鉄の武器1000本と、畿内で技術の極みに達していた青銅の武器5000本がやり合ったんですよ
遠征部隊となら、互角に戦えます、生駒山麓で神武を撃退してるじゃないですか

745 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:03:31
銅鐸って武器か?

746 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:04:50
>>741
>倭国大乱は九州地方のことだ

それなら武器が何であろうと畿内は無関係になる。
いや畿内どころか本州・四国すべて乱には無関係。
武器なんか無くったっていいわけだ。www

747 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:13:02
>>745
お前の頭に銅鐸を被せてハンマーで「ゴ〜〜ン!」としてやる。

748 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:13:16
畿内は九州を恐れて高地性集落と木器と石器で守ろうとしたが
少数の九州勢により全て奴隷になりさがり巨大な古墳で民力を削がれたのさ

749 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:15:47
>>748
いつの話だ?

750 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:24:33
>>748
倭国大乱でもし少数であれ九州勢が畿内に侵攻したのであれば
>>741
>倭国大乱は九州地方のことだ

は矛盾した見解だ。

もし大乱で畿内に侵攻したのなら、倭人伝の国々のどこかの国の版図は
必ず本州をも含んでいることになる。

751 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:07:46
倭国大乱は、当然大和朝廷ができる直前だから西日本全部巻き込んでるだろうな。
何かがあって、九州・中国地方の豪族達が畿内に集まり後の大和朝廷となる王権を築いた。
その最初がマキムクだろ。
当然、大乱ぐらい起こるはず。


実のところ神武東征話なんかも紀元前などではなくその頃に九州から
移ってきて奈良だかマキムク居ついた豪族が天皇になったからできた話だろうよ。




752 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:12:26
倭国の大乱について、後漢書では、「更相攻伐、歴年無主」と書かれている。
北史には、「歴年無王」と書かれている。

そして、すべての書物に共通するのは、「乃共立一女子卑彌呼爲王」。
すなわち、卑弥呼を王にしたということ。

長年、互いに攻撃しあっていて、主あるいは王がいない。そこで、卑弥呼と
いう女子を王にした。
つまり、王がいたが、亡くなり、跡継ぎがいなくなって、その座をめぐり
争いが勃発。卑弥呼という女子を王にしたら、問題は解決したということ。

倭人伝には、卑弥呼が死んだあと、男王が立ったと書かれている。しかし、
「國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人」という事態になった。
つまり、国中が納得せず、互いに殺しあった。当時、千人余が殺された。
台与・十三歳を王にしたら、皆が納得した。

良く似た状態だと思う。

となると、倭国の大乱は、九州の内部の出来事であり、高地性集落は、
倭国の大乱とは関係ないということになると思う。

753 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/24(月) 02:17:00
>>532
>>533
色々情報ありがとうっす^^
岐阜のその辺りは飛鳥朝や記紀の由来の歴史が沢山ある場所なんで、結構色々調べたりしてるよ^^



754 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:29:32
記紀なんて聖書や仏典、中国や朝鮮の伝承をパクリだらけの
もの。それも都合のいい日本中の伝承を集めて造ったもの。

裏読みする意味が全くない。出てくるところは出てくるところ。
出てこないところは妄想のもの。高天原がどことか考えてトンデモ話
ができあがるだけ。


それよか延喜式での壱岐・対馬。なんじゃ、ここは?


755 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 03:55:30

大阪・初代大坂城(CG再現)(1)
http://photo.rash.jp/cgi-bin/img-box/7911999850.jpg
※豊臣秀吉が建てた日本史上最大の城。

大阪・初代大坂城(CG再現)(5)
http://photo.rash.jp/cgi-bin/img-box/9018461075.jpg

大阪・二代大坂城(CG再現)(1)
http://photo.rash.jp/cgi-bin/img-box/8141762735.jpg
※2代将軍徳川秀忠が建てた城。

大阪・二代大坂城(CG再現)(2)
http://photo.rash.jp/cgi-bin/img-box/8028144460.jpg

滋賀・安土城(CG再現)(3)
http://photo.rash.jp/cgi-bin/img-box/1477903025.jpg
※織田信長が天下布武の象徴として建てた城。

滋賀・安土城(CG再現)(6)
http://photo.rash.jp/cgi-bin/img-box/6737730877.jpg

関西風景画像
http://photo.rash.jp/

756 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 05:11:31
>>755
大阪城は各地の王が三輪山に集まり建てたと言われている、後の江戸幕府である。

757 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 06:51:53
あべいんべって本当に関係あるの?

758 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 08:18:11
>>756
○徳川家の幕府。正式名称は徳川幕府
×由緒のわからない市井の江戸の人間の幕府ではない

>各地の王が三輪山に集まり
 
 所詮、各地の村長レベルの集会
  



759 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 09:07:21
>>752
>後漢書では、「更相攻伐、歴年無主」と書かれている。
范曄は倭人伝を解釈して上記のように書いたが、倭人伝にはそこまでは書かれていない。
范曄の誤読の可能性があることに留意すべきであろう。


760 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 09:16:04
○鹿か?

「幕府」なんて言い方に「正式」も何もあるか。
ただの通称名だろ。
で、大概の人は「徳川幕府」なんていわない。


761 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 09:25:00
何でそんなに剥きになるんだ!?

762 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 09:54:11
>>759
後漢書よりも、三国志の方が先に書かれたわけだが、後漢書の方が
詳しく書かれているところもある。たとえば、帥升のことなど。
だから、後漢書は、魏志倭人伝を参考にしたのではなく、同じ資料あるいは
違う資料を元に書かれていると思う。

763 : サガミハラハラ:2008/11/24(月) 10:05:00
 そうです。中国の史書は、多くの文献をもとに編纂されておます。
倭人伝にしろ、一般的には、魏使の報告書や魏略を見て書いたなどといわれていますが、それらのほかに手にいれられるあらゆる本
を参考にしてかかれたのです。
このことをまだ理解できたいないかたが依然多くみられるようです。

764 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:14:21
>>762 >>763
後漢書に倭人伝以外の資料に基づいた記事があることはそのとおりですが、倭人伝
と異なる記載が別資料に基づいたものか、范曄が倭人伝を解釈して書いたにすぎな
いものかはそれぞれの記載ごとに慎重に判断する必要があります。
倭人伝にない記載だからと言って、別資料があったのだろうと速断しないことです。

765 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:21:21
ふむふむ
慎重な態度がよし。

766 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:26:29
>>763
>このことをまだ理解できたいないかたが依然多くみられるようです。

本当にそうだね。

倭国大乱が九州だけのことなら、畿内は関係なく、畿内に武器がなくとも関係ない。
九州に邪馬台国があったその頃、マキムクの三輪山麓には、平和的に西日本(九州以外)の首長が集まり、
西日本貿易を統括する広域首長連合が生まれた。
西日本(九州以外)の首長たちはもう争いを捨てたので、マキムクには環濠は無い。

九州の邪馬台国は、南のクナ国との戦いに疲弊し、魏に助けを求めたが、魏が滅ぶとともに、衰退する。
卑弥呼という九州のシャーマンも死に、九州の人々は路頭に迷うことになる。

混乱した九州に現れたのが、畿内で生まれた大和王権の景行天皇だった。
九州の人々は、畿内の王を歓迎し、畿内と同じ前方後円墳を作り、九州に平和が戻った。
かつて九州が混乱の中にあった記憶は忘れられ、卑弥呼の記憶も失われたのだった。






767 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:34:02
>>766
何とまあ、おめでたい。兵を持たない平和主義の畿内政権が九州を救済した後、
急に半島に武力進出を始めたとお考えですかな。

768 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:39:29
>>767

では、兵を持たない平和主義の畿内政権が九州を救済した後、
半島に武力進出したのが間違った伝承ということですな。

実際は、半島への武力進出ではなく、
魏が滅び、高句麗が台頭することで、半島も困窮していたので、
経済的に援助にいったということでしょう。

もし武力侵攻なら、半島は倭国の領土になってたはずですからね。

769 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:46:34
>>768
経済援助者が「祖祢みずから甲冑をつらぬき、〜海北を平ぐること九十五国」
などと言うかな?

770 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:55:35
>>769

では、記紀の記述を信じてるわけだね?
だったら、神武東征は紀元前660年で、その頃から畿内に大和王権が存在したということでいいね?


771 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:05:04
>>770
もう少し基礎的な勉強をされたら? >>769は記紀とは全く関係ありません。

772 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:14:49
>>771

だったら、兵を持たない平和主義の畿内政権が九州を救済した後、
急に半島に武力進出を始めたということで、いいんじゃないの?

兵は九州で集めればいいわけだし。

773 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:19:56
どのみち、魏の援助を絶たれて困窮にあえぐ九州を救ったのは畿内連合なんだから、
九州が衰退したという共通認識で一致するなら、それでいいこと。



774 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:28:15
畿内説論者のレベルはそんなもんなのかな。
九州は衰退などしていないのですよ。
もちろん、畿内が九州を救ったなどということもなし。畿内は九州に
征服されたのです。

775 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:31:07
>>774
>畿内は九州に征服されたのです。

いつ?

776 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:36:32
>>774
>畿内は九州に征服されたのです。

倭国大乱のときに畿内が九州に征服されたのなら、
倭人伝に記された3世紀女王国の領域は畿内にまで及んでいたことにる。
それでよろしいのか。

777 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:38:04
卑弥呼没後百年以内のことでしょうね。

778 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:44:09
>>774
九州説論者のレベルが良くわかりますねwwww

779 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:46:31
>>774
>もちろん、畿内が九州を救ったなどということもなし。畿内は九州に
>征服されたのです。

ええ、そうですよ。
九州が畿内に侵攻して征服したのは1〜2世紀頃のことですね。
だから、卑弥呼は畿内にいたのですよ。



780 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:49:10
何故、九州が畿内に侵攻しないといけないのか?
犯行動機が不明だな。

781 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:57:29
>>779
九州→畿内の動きは賛同いただけたわけですね。しかし、卑弥呼を畿内というのは、
倭人伝の行程記事を読み切ってからにしていただきたいですね。

>>780
まず、事実を確定することが先なのですね。動機は自ずから分かるものです。


782 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 12:06:49
>>774
>畿内は九州に征服されたのです。
>>777
>卑弥呼没後百年以内のことでしょうね。

妄想だよ

史書からも考古学からも
そうした事実は出て来ていないだろうが

783 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 12:18:12
>>782
考古学的には、近畿などの銅鐸は急に姿を消している。銅鐸国が銅鐸国を滅ぼして
も銅鐸は消えるはずはない。非銅鐸国、すなわち九州勢力が近畿を征服したと考える
べきだな。その九州勢力とは? 地理的にみて北九州勢力を考えるべきだ。
一方、倭人伝は女王国の東渡海千里また国ありとする。東に千里ということは、関
門海峡の存在を知らないことを意味する。女王国の東征は、卑弥呼時代よりも後だ。
となると、女王国は北九州を支配下に入れ、それから北九州が進出していた近畿地方
に勢力を伸ばした、と考えられる。記紀が神武よりも先に迩芸速日命が近畿に降って
いたというのもそれを意味するのでは?


784 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 12:20:56
つまり、卑弥呼の時代に、九州は畿内を征服していたわけですね?

つまり、邪馬台国連合とは、九州から畿内をまたにかけたものだと、
そういうことでいいわけですね?


785 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 12:34:18
>>784
私の書いたことが理解できないのかな? 
畿内は北九州勢力に征服されたが、それは倭国乱より以前の話。
倭国乱は北九州勢力と南九州勢力の戦いで、北九州勢力が敗れた。北九州
は敗れたが、その勢力が進出していた吉備や畿内はそのままだった。
卑弥呼が亡くなってから、女王国は吉備や畿内も勢力下に収めた、吉備や
畿内は本国北九州が敗れているから、さしたる抵抗はできなかった、とい
うことを述べたつもりだが。
したがって、卑弥呼の時代の邪馬台国連合はあくまでも九州の中だけね。


786 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 12:55:38
>>783
>一方、倭人伝は女王国の東渡海千里また国ありとする。東に千里ということは、関
>門海峡の存在を知らないことを意味する。

意味不明
中国の三国志の著者に関門海峡でも周防灘でも、なんでもかんでも書いとけ、ってことか?
そんな無茶な期待はするなよww

北九州市にも下関市にも弥生遺跡はあるだろ
毎日関門海峡を眺めたり、舟をこいで漁をしたり渡ったりしていた倭人はいくらでもいただろ

787 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:04:50
>>786
倭の地は海中洲島の上に絶在す。そして、一支国から千里と女王国の東渡海千里
を書いているわけだ。もっと近い状態で本州が続いていることを知っていたらそ
れを書くのが普通だろうが? 毎日関門海峡を眺めていた奴がいたところで、使
者に説明する者にその知識がなければどうしようもないのだよ。
北九州説ならば説明者が関門海峡を知らんはずはないとなるだろうが、南九州説
ならば説明者が北九州のことを知らんということは十分にあり得る。


788 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:07:55
畿内説って本当に優勢なの?って思ってしまう。

「倭国」は北九州地方であって、大和地方は「日本国」。

789 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:13:38
>>785
>倭国乱は北九州勢力と南九州勢力の戦いで、北九州勢力が敗れた。

これも妄想の部類だなww

なにか証拠でもあるのか?

790 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:16:52
>>788
倭人伝の行程を一切考えない考古学者らが畿内だって言ってるだけだな。
行程を考え出したら、門脇禎二みたいに九州説にならざるを得んのだよ。

791 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:21:56
>>789
女王国以北には特に一大率を置く。諸国検察、諸国これを畏憚す。
普通ならば従う国に対してこんな態度はないだろう。乱の勝利国が敗戦国を
監視しているからこそこんな表現になるんだよ。

792 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:23:07
基礎国→倭人国 これは九州限定
倭国の統率→邪馬台国 これは南九州の都城盆地
     ↓
邪馬台国の移動→大和国 大和盆地限定
大和国を拡大→日本列島を網羅する日本国成立  

五行的な漢人的知恵が入って、これが真実なのだ。   


793 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:37:25
どうでもいいけれど、同族内での近親婚が進んだ邪馬台国の子孫は
生殖能力が衰え次々と滅んでいった。
異民族との混血こそが歴史を変える原動力になることは、古代では
コーカソイドとの混血児である猿田彦やスサノオ、現代ではアメリカの
オバマ次期大統領のりを出すまでもない。
若者よ、結婚するなら外国人。これだ!

794 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:39:04
>>792
倭国の統率→邪馬台国 これは南九州の都城盆地

795 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:42:07
↑スマソ

都城盆地に。なにか3世紀に邪馬台国があったことを窺わせる遺跡や遺物があるか?

796 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/24(月) 13:42:23
記紀に卑弥呼の国の記事が根子の額の借り物以外全く無い。これは
畿内に女王国があった形跡が無いことを物語っている。
畿内論者期待の△も大陸から1枚も出てない。これは△が卑弥呼に
贈られた鏡ではないことを物語っている。ますます卑弥呼の国が
畿内にありそうもないことが次第に分かって来る。

南邪馬壹国に至るだから東に至るとなっていない。これも九州を南下
せよと陳寿が言ってるとしか思えない。わずか若狭湾から南下
するんなら可能性はわずかにあろうが、どうもギコチないような
行程に見え不審を拭えない。さらに吉備とか山陰の広島、岡山、兵庫
あたりの地名が全く倭人伝になく、大幅に畿内到達というのもまた
不自然であり、畿内へ行ってない記述と考えるのが妥当に思える。

若狭湾上陸南下なら、対馬あたりから南下して北九州上陸をせず、
その直前で船を左へ進路をとり、山口県日本海側に着岸してから
同湾へすすんだほうが要領がいいのに、そういう航程をとっては
いない。ということは 邪馬臺国→ヤマト国→大和国(畿内) という
考察方法がそうではないようだとの疑念に至る。それで倭人伝を再読
すれば邪馬臺国とはなっておらず、邪馬壹国だと書かれてあり、国名
がヤマトとはなってない。つまり畿内をは別国名の邪馬壹国が正解
なのだとの考察に傾かざるを得ない。なると畿内と別地域だ。

記紀には女王国が推古の世からとなっており、該当の卑弥呼の時代に
相当する崇神の代あたりには女王国は無いですよとしているのが記紀
の回答なわけである。つまり天皇国は明示で畿内にあったとし畿内を
占領してるのだから、そこが占領されてるならば卑弥呼の国は九州
だと考えるのが妥当、合理的な考えだということになる。

797 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:48:50
でも何で北が上なのか理解に到底苦しむ。

発案した漢人の権力者に何か都合のいい呪術が潜んでいるのだ。

知ってるけど言わない。

798 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:54:14
>>783 >>786 に追加しておこう。
倭人伝が関門海峡を知らないということは極めて重大なことなんだ。
日本海航行説などのトンデモ以外は、大和説も九州説の多くも、南水行で関門海峡
を通過することを前提としている。これらが全部、間違いだってことだ。



799 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:57:27
上とは頭の上。紙の上じゃなくてなのだ。
考えると様々な思考が・・

800 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:07:43
11/22の世界不思議発見!で、完全にスルーされてる九州説(笑)

視聴者一番人気の長寿番組の世界不思議発見ですら、かすりもしない九州説(笑)

801 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:10:02
所詮、お茶の間番組。
力を入れるとは・・・さすがの知的レベル

802 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/24(月) 14:11:01
あの時間は世界妄想発見だ。ww

803 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:13:01
新説日本史!では、四国説も取り上げているし・・・

804 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:14:45
世界不思議発見ぐらいしか言えなくなったのか。気の毒に・・

805 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:15:59
四国人は奥が深いのだ。
四国人がいなかったら、関西はどうなっていたやら・・

806 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:16:57
>>795
倭人伝の記述にぴったりの花弁状住居址などが出ているから勉強してね。


807 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:20:54
いまどき、九州説なんて、テレビでやったとしても失笑されるだけなんだよ。

九州説(笑)

808 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:27:21
スルー

809 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:39:54
いまどき九州説信じてるなんてやつは、
情報弱者なんだからしょうがないよ。

810 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:45:52
まあ「世界不思議発見」についてはそのうち
「九州王朝の謎に迫る!」とか「神武東征神話の謎を追う!」
みたいな回もあるんじゃないのか?

てか過去に無かったのかな?w



811 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:51:47
そんなに悔しいなら映画でも見てろや。吉永小百合が卑弥呼やってるぞ。ケケ。

812 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:55:23
邪馬台国は、伊都国の南。東ではありません。
そこが一番重要なのに・・・

813 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:57:38
沖縄海底遺跡も特集したんだから、九州王朝も特集してくれるんじゃないの?

気長にまてや。



814 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:04:26
>>813
そのあたりが邪馬台国の比定地としては、方向も距離があっているのだが・・・陸続きでない。
もしかし、海に沈んだ幻の大陸にあった国の女王のことを言っているのではないでしょうか?

815 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:25:05
断末魔の畿内説提灯番組が放映されて、いい冥途の土産になったな。
寺澤薫もこれで思い残すことはないだろう。

816 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:36:53
まあこの板の畿内説支持者であの番組の内容に満足している奴はいないだろうw

無論クイズ形式のバラエティみたいなもんなんだから
学術的な内容を求めるのは無理だが…

いっそ邪馬台国は無しにして纏向の紹介だけに絞ってくれたら良かったのに…
それでも十分番組の内容として成り立つと思うんだが…




817 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:38:29
宋って馬鹿だよね。

818 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:56:26
そうだね。

819 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 17:34:46
シンジタクナーイ シンジタクナーイ

哀れ、九州説www

820 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 17:36:56
>>774
774 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:28:15
畿内説論者のレベルはそんなもんなのかな。
九州は衰退などしていないのですよ。
もちろん、畿内が九州を救ったなどということもなし。畿内は九州に
征服されたのです。

もしや、貴方はかの有名な韮澤潤一郎様では・・・

821 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:19:46
>>790
…むしろ、行程を考えると九州説には同意出来ないんだが…

822 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:54:16
>>806
倭人伝の記述とは
>屋室有り。父母兄弟の臥息処を異にす。
の部分と思う。

倭人伝は冒頭から地理的なことがまず記載され、
そのあと風俗・習慣・社会の特徴等を述べる部分に入る。

この部分は、決して邪馬台国内だけの風俗・習慣・社会ではない。
そのような断り書きはどこにもなく、これらは倭人一般に関心を寄せた編纂者が
いろいろ情報を集め、列挙したものと考えられる。
一大率の記述を除くなら、倭ではあるが、特定の何国の風習などと限定できないのである。
黥面文身とか温暖とか有棺無槨とか、皆そうである。

上記屋室についても同様であり、父母兄弟の臥息処を異にするのが邪馬台国で、
他国は父母兄弟みなザコ寝であったなどと受け取るのは誤った解釈である。

そうした誤りを根拠に>>806>>792)は邪馬台国を都城盆地に比定するわけだから
これはいかほどの論証にもなっておらず、説得力も皆無である。

風俗・習慣・社会の記述に、次がある。
>今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。
これも同様に邪馬台国の話などと限定できるものではない。
限定してしまう>>806は、ならば都城盆地で魚蛤の素潜り漁があったと強弁するのか。

なお付言するが、花弁状住居でも
http://inoues.net/study/nishi_nihon16.jpg
このような典型的花弁状となるものは、個人単位で寝所を異にしているのであり、
むしろ倭人伝の記述に反すると考えられる。

一般の竪穴住居や高床住居でも、布、萱材等で間仕切りなど工夫すれば
いくらでも「父母兄弟の臥息処を異にす」は、可能である。

823 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:06:08
何年か前くらいに、世界不思議発見で邪馬台国九州説やってたよ。

最初は中国にいた卑弥呼の祖先が海を渡り、九州で邪馬台国を建国。
最後は、九州で滅んだか、東遷したかは、謎の150年の闇の中に・・・で終わった。


畿内説は、大和地方に大きな王権があったと思われる遺跡を
頼りに邪馬台国を強引につなげようとしてるだけで、
もともと中国色の薄い畿内が、邪馬台国であるというのは無理。

神話の中からも、魏志倭人伝のなかにも、
高天原や邪馬台国「よりも」大きな国の存在が
見え隠れしているのを気づいていないかな?

神話で言うと、ニギハヤヒやオオクニヌシの国。
邪馬台国で言えば、狗奴国や投馬国、さらなる海を渡って存在する倭人の国。
記紀の神話以降の記述で言えば、崇神天皇や四道将軍、
ヤマトタケル、景行天皇などの時代の原大和朝廷。
(崇神〜景行〜仲哀までは九州とは無関係の別王朝)

畿内の王権が大きければ大きいほど、畿内説論者は小躍りするだろうが、
あまりに話を広げすぎると、魏志倭人伝に古墳の記事が
大々的に書かれない点がおかしくなってしまう。

824 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:12:59
>>823
畿内説は一部の考古学者が声高に主張してるだけ。
この2ch以外で畿内説が優勢なサイト探してみればわかる。
このスレに書きこんでるのがだいたい予想つくから。
ヤマトタケルノミコトやらオホクニヌシノミコトなんて言っても
記紀をほとんど読んでいない、神の名前すら知らない、
みたいな学者が多いので、そもそも意味が通じないかと。

825 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:15:46
西暦527年、大和朝廷と筑紫の君・磐井が1年半に渡る激闘を繰り広げる。
この戦いは、大和朝廷・継体天皇にとって、命運を賭けた戦いと言われる。
朝廷は、物部麁鹿火を総大将とし、後には大伴金村まで投入した。
朝廷の二大巨頭が参戦しているわけである。

戦いは、どっちが勝ってもおかしくなかったほど激しかったとされる。
九州の勢力は、大和朝廷が誕生してもかなり強かったわけである。

しかし、大和朝廷は、その前に頻繁に朝鮮半島に兵を進めている。
倭の五王を見てもわかるように、中国にも行き来している。
九州の勢力が敵対していたなら、このようなことは出来ないだろう。

では、いつ九州が大和朝廷の支配下?に入ったのか。
その時には、さぞかし激戦が繰り広げられたに違いない。しかし、
そのような記録は残っていない。

大和→九州ではなく、九州→大和の方が妥当だと思う。
それが神武東征として残っているのだろう。

826 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:17:29
君たち、涙を拭いなよ。
もう、頑張らなくてもいいんだよ。

827 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:18:45
>>826
議論にすら参加できなくなりましたか?

828 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:22:33
ヤマトの九州制圧は、景行天皇あたりだろう。

最後には仲哀が謎の死を遂げて、おそらく99%
仲哀とは血のつながっていない応神が九州から
ヤマトへ攻め上ってはいるけどね。

畿内説論者は神武東征は否定するだろうけど
応神東遷はどうなの?これも否定するの?

829 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:24:06
>>825なんて、矛盾だらけで話にならん。

畿内が弱くて、九州が畿内に侵攻したなら、
そのあとどうして何度も畿内が九州と戦ってるのかと。

九州が畿内に侵攻したことはあったろうが、
それは高地性集落の弥生時代末で完了。
畿内で大和朝廷を興した一派が、その後九州に侵攻し平定した。
そして生まれたのが邪馬台国だよ。首都はマキムク。



830 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:26:14
>>828

応神東征ってなに?
応神の母親は近江の息長氏だし、父親は大和出身、側近の竹内は葛城出身だ。
どこに九州が関係してくるのかね?


831 :823 828:2008/11/24(月) 23:29:11
俺は九州説だけど邪馬台国は九州で没落したと思ってる。

邪馬台国が畿内にあったとすると、卑弥呼ほどの者が
天皇家の歴史に出てこないことが第一におかしい。
1人の姫を卑弥呼に比定してもどうしようもないと思うんだが。

832 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:29:42
だいたい、応神東征って、どこからそんな妄想が生まれんだろうね?
応神が九州の王なら、どこに政治的基盤があったのさ?

応神の父親は誰?母親は誰?っつー話。
九州に応神の両親はいませんがな。

833 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:33:57
宇佐

834 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:39:40
宇佐が何か?

どんな面白いこと考えてるのか、聞かせてよ。

835 :823 828:2008/11/24(月) 23:40:53
なるほど、応神を九州と無関係と見るという
アクロバティックな手もあるのかw
応神東遷すらもこのスレでは妄想になるのか、
すごいスレだな。というより2〜3名だろうけど。

俺は「応神東征」とは言ってないよ、「応神東遷」だ。

九州で生まれた応神が神功皇后とともに
九州からヤマトに攻め上る話知らない?
ヤマトにいた二人の仲哀の息子が抵抗するんだけど。

836 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:42:19
ガイシュツかもしれんが、魏志倭人伝の原文は、邪馬「臺=台」国じゃなくて、
邪馬「壹=壱」国、すなわち「やまたいこく」じゃなくて「やまいちこく
(やまいこく?)」が正しいのでは?みたいなことが書いてある本を
立ち読みしたけど、ほんまでっか?


837 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:46:26
>応神東征ってなに?
>応神の母親は近江の息長氏だし、父親は大和出身、側近の竹内は葛城出身だ。
>どこに九州が関係してくるのかね?

古代史ホントに知ってるのか、おい

>応神の父親は誰?母親は誰?っつー話。
>九州に応神の両親はいませんがな。

母親は神功。そして、父親の正体を推理することこそ、
古代史の面白さじゃないですか。記紀を読めば、

神功皇后が、九州で、仲哀以外の子供を生んで、
その子供が成人して、その子供とともに
反抗する仲哀の遺児たちに勝利し ヤマトに乗りこんだ。

くらいのことは読み取れると思うんだが。

838 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:50:59
おいおい

畿内説 やってる奴らに

日本武尊やら大国主命やら

神功皇后とか言ったってさ・・・

井の中の考古学者にそういう総合的な議論が

できるわけないの知っててわざと

言ってるだろ 陰険な奴らだな 九州説は

839 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:51:27
>>837

>母親は神功。そして、父親の正体を推理することこそ、
>古代史の面白さじゃないですか。記紀を読めば、

おまえはバカなの?

神功は、近江の息長氏だってことも知らないのか。
よく古代史うんぬんとか言えるな。
父親を推理する?仲哀天皇じゃなければ、候補はタケウチスクネだが、
タケウチスクネは、葛城系の豪族出身だ。
なんで、九州が関係してくるんだっつーの。

バカは困るね。




840 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:59:02
>>>839
どうして九州と無関係にしたがるかな。そりゃ出身地は近江だけど、
近江にずっと静かに住んでたわけじゃないだろうに。

神功皇后といえば九州に多くの伝承があるじゃないですか。
筑紫の宇美で応神天皇を出産し、
志免でおシメを代え、湯ノ本温泉で産湯。
大分の宇佐神宮、福津市の宮地嶽神社、大川市の風浪宮、
福岡市の香椎宮、筥崎宮、宇美町の宇美八幡宮、壱岐市の聖母宮などで
祭られてる。神功皇后と九州の関係は大有りですよ?

これで無縁だという奴がいたら、
何かの理由で無縁てことに「したい」連中なんだろ。

あ、さすがに朝鮮は行ってないと思う。

841 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:04:02
武内宿禰も九州と関係し・・・あ、これはやめておこう。
応神や神功すら、九州と無関係にしたがる人たちに言っても無駄。

842 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:05:21
武内宿禰って応神が産まれたころは70歳近い爺さんだぞ。
女を孕ますような精力は残っていないと思うが・・・
ちなみに神功の方は30歳の女盛りだ。

843 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:05:43
九州は単なる遠征先。遠征先で生まれたのが応神。

ただそれだけ。
土地の痩せた火山地帯の九州に何のメリットも無い

844 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:10:15
>>840
>何かの理由で無縁てことに「したい」連中なんだろ。

ふ〜ん。

で、おまえはどうして応神と九州をことさら結びつけたがるわけ?
根拠をじっくりと聞かせてもらおうかね?

>>841
>武内宿禰も九州と関係し・・・あ、これはやめておこう。

思わせぶりしてるつもりらしいが、
武内宿禰と九州は全然関係ないんだな。
武内宿禰の父と母がどこの出身かしってるの? あ、バカだから知らないか。


845 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:12:22
>>836
魏志倭人伝だけが、「邪馬壹國」となっている。他の書物は、後漢書を含め
全部、「邪馬臺國」となっている。だから、邪馬臺國つまり邪馬台国が
正しいと思われているらしい。

846 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:15:13
親の出身地なんぞ、子の事跡に関係ないだろうに・・・




847 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:18:14
神功皇后が北九州と無関係だなんて、
畿内説得意の論法。
相手するだけ時間の無駄。

848 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:21:49
>>846

ほんとにバカだねえ。
政治基盤が無ければ王として君臨できないでしょ。
応神が、九州にどういう政治基盤があるのかってことよ。

応神の政治基盤は、九州よりむしろ近江に近いんだよ。
皇太子の頃、越にも行ってるしな。そっちのほうに注目しないで九州は無いわな。


849 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:21:58
844の判定負け。

850 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:23:06
神功皇后が北九州と繋がりが有るだなんて、
九州説得意の辻褄合わせ。
相手するだけ時間の無駄。

851 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:23:43
>>849

あっそ。

で、応神と九州を結びつける根拠は何?

852 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:25:30
>>843
所詮、畿内説ってこんな考えwww 痩せた土地ってwww
海の幸 山の幸 塩 稲作 茶葉 果物  自給自足1000%
日本国内で一番肥えた場所だっつーのに。

高千穂の由来も神功の足跡も、初めから知りもしない罰当たり集団畿内説ww
こいつら相手にまともに九州の古代史なんて語るに無駄。
ちゃんと話わかってる奴だけで話進めようぜwww

853 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:28:29
神功皇后は北九州と無縁の人物だったのか、知らなかったな。
根本的なところから食い違ってるんだな、畿内説って。

854 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:30:12
>>850
発言のオウム返しは、判定負けの対象です。

>>851
>応神と九州を結びつける根拠は何?

おいおいここは日本史のスレじゃないのかよwww

855 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:30:30
宇美町って実は重要なんだがね。

だってさ、倭人伝では宇美=フミだって言いたい奴いるだろ?

しかしだね、宇美の語源は神功が応神を産んだ「産み」からきてるのは
知ってるよな。

つまり.....倭人伝の時点でもう「ウミ」と発音する宇美町があった?
とすると神功はもう応神を産んだ後だ、ってことになるよ。わかる?

856 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:31:55
>>852-853

いいから、神功皇后と北九州が、どういう縁があるのか語ってくれよ。

すごい逸話をいっぱい知ってるんだろ?
聞かせてくれよ。
ほらほら、遠慮しないでさあ。


857 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:33:35
神功皇后が応神を生んだから「宇美」っていうのは、違うと思うなぁ。

858 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:35:53
相手にすんじゃねーぞ >>856みたいな奴は

宇佐と神功・応神との繋がりなんかも全く知らないんだろうから。

こいつに授業してやるのは馬鹿を甘やかすだけ。



859 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:36:04
>>856
釣りのつもりで言ってるのか、すごいな・・・

神功皇后は何をやった人物ですか?
誰を、どこで生んだ人物ですか?
主にどの場所でまつられていますか?

ホンッットに古代史知ってるの?

860 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:37:14
>>857
思うとかじゃなく、記紀にそう書かれてるの!wwwwwwwwwww





いい加減にしろよ! この罰当たりが!!





861 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:39:12
>>858-859

え?もしかして、応神を九州で産んだから、九州と関係あるとかそれだけ?

もしかして、宇佐神宮で神功皇后が祭られてるから、九州と関係あるとかそれだけ?

だからなに? だからなんなの? ねえ。

九州は、景行の時代から平定されまくってるんですが?

862 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:40:52
>>861
何なんだよ その必死さは 一体w

863 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:42:45
>>861
十分関係大ありじゃねーかよ バカじゃないのか。
仲哀の死は何を意味していますか?

864 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:43:23
>>861
それだけでも、すごく関係あると思いますが・・・・

865 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:44:30
>>863
辞めろってwww 

記紀なんか全く読んだことがないんだよ。宇佐で祭られてる由来も
何にもしらないんだから。何もしらないんだよ。

中学生だろ、どうせ。ほっといてもっと有意義な話いこうよ。


866 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:44:43
>>862-864

だからねえ、九州は、景行・ヤマトタケルの時代から平定されまくってるんですよ。

その記述は無視するわけですか?

勝手なもんですなあ。


867 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:47:35
>>865

宇佐は、景行天皇が平定した土地ですなあ。

それがどうかしましたか?

868 :823 828:2008/11/25(火) 00:48:52
景行の九州遠征は、マキムク勢力の西征を表していると思う。
さっきも書いたけど、景行やら仲哀は、九州とは無関係の王族ね。

九州には女酋長なんぞが出てくるんで、それが
零落した邪馬台国を表しているのかなと。

景行は九州を平定しまくっていますが、
それなら、なぜ仲哀&神功はすでに平定された
九州に、わざわざ軍勢を連れて行ったのか?
ということになりますな。

朝鮮討伐が実際にあったと見ることもできるが、
もし朝鮮討伐がなかったとすると・・・。

869 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:52:39
>>866
延喜式って知ってる? 
神功・応神と九州の関係っつーだけで、どれだけ格が上にされてるかっつーのwww



870 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:57:03
宇美の由来を知らない 
宇佐の祭神の由来もわからない

記紀も読んだことないのは明らかだし、神功の話は何もしらない。

しらないけど無いことにして話し進めたい。

これってさあ.....詭弁そのもの。本題がずれるよなあ。

「応神と宇佐が何?」← これ相手すると説明で話が九州説からずれる。


871 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:04:35
>>896

延喜式神名帳がどうしたの?
宇佐神宮は式内社、旧官幣大社らしいけど、官幣大社って全国に198社もあるよね。


872 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:05:42
>>870

だから、宇佐と神功の関係の何を知ってるのかって聞いてるでしょ?

持論を書けばいいだけでしょ?

持論があるならな。

873 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:10:54
>>871 >>872
持論?wwwwwwwwwwww 

由来っていってんのw ちゃんと公式に郷土資料として残されている
伝承だよ。 君みたいな詭弁と 「どうしたの?」で中学生に授業するたび中断

記紀で宇美の記述知らなかったねw
そして延喜式ちゃんと読んでないね。
宇佐神宮のこといってんじゃねーんだよww 初めから 全 部 見直して由来調べろ!

874 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:13:35
>>873

由来っていっても、
神功皇后が九州平定の足場にしただけってことだろ。

それ以上でも、それ以下でも無い。

他にあるなら、言うてみ。


875 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:17:36
>>873
宇美宇美うるさい人だねえ。w

だったら、これは知ってるの?

仲哀天皇が筑紫(九州)に赴いたとき、伊都県主の祖、五十迹手がお迎えしたのを誉めて、「伊蘇志(イソシ)」と言った。
時の人は、五十迹手の本国の名を、「伊蘇国(イソクニ)」と言った。
今、伊都(イト)というのは、なまったものである。

つまり、魏志倭人伝に出てくるイト国は、大和の仲哀天皇がすでに平定したってことだよ。
記紀を信じるなら否定しないよな?


876 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:18:37
>>822
>風俗・習慣・社会の特徴等を述べる部分に入る。この部分は、決して邪馬台国内だけの
>風俗・習慣・社会ではない。〜倭人一般に関心を寄せた編纂者がいろいろ情報を集め、
>列挙したものと考えられる。
これら風俗記事は、倭人一般の話ではない。邪馬台国、投馬国を中心とした国々の話だよ。
けして倭人一般などということではない。

>父母兄弟の臥息処を異にするのが邪馬台国で、他国は父母兄弟みなザコ寝
>であったなどと受け取るのは誤った解釈である。
誰もそんなことは言っていないが、何を力んでいるの?

>今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。
>これも同様に邪馬台国の話などと限定できるものではない。
誰も邪馬台国に限定できるとは言ってないがね。
それに、邪馬台国が都城盆地といっても邪馬台国の範囲は広いんだよ。
盆地だけだというわけではない。

>典型的花弁状となるものは、個人単位で寝所を異にしているのであり、
>むしろ倭人伝の記述に反すると考えられる。
嘘をつけ! 一部屋に1人しか寝ないなどと言えるものか。


877 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:26:50
>>875
>記紀を信じる

記紀を信じてる馬鹿がいるかっつーのwwwwwww

明らかに大和朝廷&天皇家に都合よく編纂されてるものばかりで
それが前提で書かれた内容を検証してるだけだろうがw

あーでも信じてるんだろうなー>>875はー 丸きり信じてるんだな。


878 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:26:51
>>876
>これら風俗記事は、倭人一般の話ではない。邪馬台国、投馬国を中心とした国々の話だよ。
>けして倭人一般などということではない。

へえ、どうして邪馬台国、投馬国を中心とした国々なの?
理由は書かないの?

自分がそう思うってのは理由になんないよねwww

879 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:29:12
金印や阿蘇山がない畿内は無理だな

880 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:29:59
>>877

あ、君は記紀を信じてないわけね。
それなら、それでいいんだよ。

宇美宇美うるさいバカがいたから、相手してやっただけさ。


881 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:32:11
>>878
自分は>>876じゃないが話割り込む。お前さあ、「どうして〜なの?」で
反論してするのはスレ汚しで詭弁だろ。畿内詭弁信仰

違うと思うなら 違う理由をあげて反論しろ。

しかし>>878は反論する理由が全く思い浮かばない。
だから こういう口調で否定しようとするが否定する理由がかかれてない。

そういう「小学生質問方式」でスレ汚すな。


882 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:32:29
神功皇后とか応神とかいう名前が出てきたら、聞きかじりで議論に参加しようって
のが増えたな。神功も応神もその実在製に問題があるってことを忘れるなよ。


883 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:34:11
>>880

記紀に書かれている 宇美の由来を知らない馬鹿が 「神功が応神を宇美で産んだとは思わない」

っていう馬鹿がいて皆が呆れてるから 説明してやっただけだろwww 

884 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:36:18
>>882

景行天皇の実在性が非常に問題があるが 君は信じたいんだな。

はいはいwwwwww 


885 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:36:58
[宇美]が「産み」なんてのは、ありがちな地名説話で、なんの論評も出来たものじゃないな。



886 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:38:45
>>882

あ、だから神功皇后と応神は居なかった、なかったことにしたかったのか。

神功皇后とか応神に実在性があったら君はここに居る意味がないからなあ。



887 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:39:25
九州説(笑)

宇佐神宮(笑)

宇美(笑)


888 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:40:11
>>878
何でもかんでも頼るな。どうして「倭人一般ということではない」って言うのか
と考えてみるんだな。少しは利口になるかも知れん。
考えて分からず教えて欲しいんなら素直に頼め。


889 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:40:16
>>885

地名説でも論評でもなく、記紀に書かれてるんだって!!wwwwwwwwww

だからそれを前提で話進めてるんだよ。



890 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:46:07
>>881
邪馬台国、投馬国は1回しか出て来ないからだよ、倭人伝にはさ
風習記事のとこじゃなくもっと前にね

風習記事のとこには、これ邪馬台国、投馬国の話ですって書いてないでしょ
だから>>876の言い分はおかしいわけwwww

891 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:59:09
>>890
>邪馬台国、投馬国の話ですって書いてないでしょ
何も書いてないのは文章的におかしいと思わないかな?
「自郡至女王国、万二千余里」。これが風俗記事の頭なんだよ。風俗記事は
原則的には女王国について書いたもの。だから女王国とは何かを考えてみる
べきなんだ。その結果、邪馬台国と投馬国、それに旁国だという結論がでる。
しかし、使者は旁国をいちいち訪ねたわけではない。したがって、記事は投
馬国と邪馬台国における見聞が中心だと判断できるわけね。


892 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 02:00:20
>>887
記紀読んでないから宇美の由来が書かれていることを知らない。

だから倭人伝のフミ国の記述と記紀の神功皇后の時期を考えてみたい
という意味が分からない。

宇佐神宮の神託だけで古代朝廷は右往左往国家一大行事。なんで応神が枕元?
これは意味があるだろ。いきなり神仏習合。
神仏習合最初に提案したのは誰だ?ここ、重要よ。

あんたさ、その分じゃ、神輿の由来もしらないね。
神輿見るたび思い出せよ、どこから来てるか。誰を担いだから神輿が始まったのか。





893 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 02:32:08
神輿の由来ならしってるよ。

ユダヤ教だろ?



894 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 03:09:33
>>893
それは知ってるとはいわないwww  
神輿の由来はしっかりとした史実に基づくもので
いつ、どこで、何で、誰が、ってちゃんと書かれている。

あのな、これが「持論」とか「説」ならここで教えてやるよ。

しかし、これは史実なわけで、さっきの記紀の話と一緒。
記紀に書かれた「宇美」の由来も知らなかったのに、話がずれて
おかしくなっているのに気付かずあとはごまかすのに必死w
ちゃんと「記紀に書かれてる」って皆がいってるのに気付きもしない馬鹿w



895 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 04:08:06
五島列島、島原半島、天草....そんで阿蘇から鹿児島にかけて。
倭人伝でこの辺りの比定ができないのはおかしいと思うんだが。
無視されるような場所でもない、むしろ特に交流が活発だった場所だろ。

当時の魏⇔半島の位置からいって一番詳細に書かれるはずなんだが。
ここがいつも一番ひっかかる。なんかおかしいんだよな。
水行一月かかるとしたらこの辺りじゃないかと思う。


896 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 04:34:01
俺は畿内説ではないが
水行一月の起点を九州北部に置いたら九州内では収まらない


897 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 04:43:42
帯方郡が起点だから九州だね

898 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 04:56:04
普通に考えるとヤマトコク→ヤマタイコクなんだろうけど大分の耶馬溪とか名前そのまんまだから悩むww

伊都 松浦 と魏志倭人伝に出てくる地名は北部九州だがあくまでも経由地だからね

まあ昔の使用なんだし東方見聞録の時代になっても黄金の国的な扱いされてんだから深く考えるだけ損

どうしても知りたければタイムマシン作るしかない
 

899 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 05:22:20
地図だけ見ると、伊都国=前原、奴国=福岡、投馬国=遠賀川流域、邪馬台国=筑後川流域、狗奴国=熊本というのが自然だな。
帯方から水行十日で末盧国と考えればいいと思う。

仮に瀬戸内海を通って畿内に行ったなら、瀬戸内の国々の記録がもっと書いてあるはず。

900 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:03:41

>>879
九州説の場合→邪馬台国は九州内で限定
畿内説の場合→邪馬台国は九州(北部中部)を含んだ地域

よって、畿内説の場合は、阿蘇山の記載が隋書に書かれていても何の
支障にもならない。意味理解できますか?


901 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:22:42
>>895 >>896
一般に伊都国を前原っていうがこれが間違い。倭人伝どおりに東南に陸行して佐賀付近。
伊都国からは放射式、佐賀から20日で薩摩。これが投馬国。
佐賀から10日で八代、上陸して陸行1月、都城盆地。これが邪馬台国。
放射式であることは榎、山尾、安田らの説明するところで疑問の余地なし。

902 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:30:14
>>900
阿蘇山が倭国の中にあるんだからいいじゃないかといいたいのは分かる。
しかし、隋書は倭国の代表的な山として唯一、阿蘇山を挙げているんだよ。
大和朝廷が日本の代表的な山をあげるときに阿蘇山はどうかな?
近畿の人間に山を一つあげてみな、って言ったら何をあげる?
てことで、あなたのは一つの屁理屈にすぎんということね。

903 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:33:03
邪馬台国はもともと九州にあって、畿内に移って大和朝廷に発展した
と言う考え方には俺も賛成だ。
問題は、それがあったのが卑弥呼以前か以後かという事だ。
古い年代感が主流だった頃は後者でも良かったが、
最近はそうも行かない。

904 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:35:45
>>901
古代人は水行も陸行もやたらゆっくりとしてたんだね。
あと、色々反対意見があっても賛成論者がいれば無条件で正しい、
て理屈は初めて聞いた。
>>902
外国から来て、特に畿内にも愛着の無い人間が、
阿蘇山と大和三山を見てどっちがすごいと思うかな?

905 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 09:52:51
>>904
>賛成論者がいれば無条件で正しい、て理屈は初めて聞いた。
そんなことを言ったつもりはないが。ずいぶん、ひねくれた読み方をするんだな。
やめた方がいいよ。

>外国から来て、特に畿内にも愛着の無い人間が、阿蘇山と大和三山を見てどっちが
>すごいと思うかな?
北九州から大和へくる場合に阿蘇山は見えるのかな?
それに、阿蘇山の話は使者の見聞を書いたものではないよ。倭国の使者が説明したこ
とを中国の役人が書き取ったにすぎない。そこを間違えないように。


906 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 11:11:49
大和朝廷のあった大和の国は、今の奈良県。
国の広さはその程度。畿内説が成立するためなら何でも有りというのはちょっと
困るなあ。
まあ、何でもありにしなければ畿内説は成立しないとも言えるが。

907 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 11:48:44
伊都国に一大卒を置かなければいけない理由とは
つまり九州の諸国が監視をしなければならないほど
油断ならない状況下にあったということ
伊都国より南に邪馬台国があったとすれば邪馬台国は不安定な
情勢下の真っ只中にあったことになる。軍事的面から考えても
南からいまいち信用できない国→伊都国→邪馬台国と最低でも
このならびでなければ一大卒の意味がなくなる

908 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 12:00:47
九州説でも>>901のような馬鹿がいるからな
こいつは注意、人の疑問にも答えないで一人で連呼w
伊都国を佐賀大和と粘着してる。

909 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 13:15:53
>>901
クマソや隼人は何処に行けば…?

910 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 13:42:22
>>908
ほう、あなたの疑問ってなんだね。コテハンじゃないから何のことか分からんが。

>>909
何を考えているのかな。どこへも行く必要はないんだが。

911 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 15:43:37
142 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 13:06:52
>>137
それが相対的な証拠だろうな
倭(邪馬台国)に対する強い妬みから、書物に手を加えたと・・
日本国家に決定的な役割をもたらした、陰陽五行的にな
南に隼人と熊襲、疎らに土蜘蛛、北に底辺の蝦夷と配置してね




912 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 16:41:59
邪馬台国は奈良ですよ。

世界不思議発見、見てなかったの?

これだから、情報弱者のひきこもりは可哀想だねー。
古本屋で九州説の本ばっかり読んでるから時代に取り残されるのさ。


913 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 17:21:51
>>904
ひねくれたも何も、
「榎、山尾、安田の説明」には沢山の反論があるのに、
それを一切無視して「疑問無し」と決め付けてるんだから、
そうとしか読めないよ。

914 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 17:29:31
>>894

神輿の話で盛り上がってるけど、君はなにか勘違いしてるねー。
神輿の起源と神功皇后と邪馬台国は全然関係ないよ。

人を乗せてかつぐ「輿」が歴史に登場するのは、宇佐が初めてではなく、神武天皇から記録にある。
知らないだろうから、引用してあげるよ。

>三十有一年夏四月,乙酉朔,皇輿巡幸.
神武天皇は、即位後の神武31年に、「輿」で巡幸したとある。

神武が架空という人もいるだろうから、もっとあたらしい記述では、垂仁天皇15年。
>唯竹野媛者因形姿醜返於本土.則羞其見返,到葛野自墮輿而死之
丹波から嫁いできた竹野媛が、姿が醜いので追い返され、それを恥じて「輿」から落ちて死んだ。

景行天皇も「輿」に乗って美濃を巡幸した記録がある。
>四年春二月,甲寅朔甲子,天皇幸美濃〜天皇欲得為妃,幸弟媛之家.弟媛聞乘輿車駕,則隱竹林
>冬十一月,庚辰朔,乘輿自美濃還.則更都於纏向,是謂日代宮

そもそも、王たるものが、「輿」にも「馬」にも乗らずに、徒歩で巡幸するわけないじゃん。
ましてや、神輿の起源が宇佐と謳われるようなものじゃない。

もっとよく勉強するように。

915 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 19:53:29
>>901
>薩摩。これが投馬国。
>都城盆地。これが邪馬台国。

あなたの説は大変ユニークですが、一つお聞きしたい。
狗奴国はどこに比定してます?

916 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 20:00:55
>>913
反対論者がいれば疑問があることになるなんて理屈は初めて聞いたな。
反対論に理由があるかどうかが問題なんだよ。


917 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 20:10:14
>>915
狗奴国は大崎から串間あたりですかね。

918 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 20:16:56
>>915
別にユニークな説とも思いませんが。
http://www.geocities.jp/niginiginomiko/page1.htm
http://www7.ocn.ne.jp/~sui-yama/


919 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:00:56
女王卑弥呼は鬼道を操る・・


920 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:05:04
操るって表現がみそだね。
太陽を隠してみたり、死んだ人間を生き返らせたり、大麻で幻覚を見せたり
いろいろトリックを使ったのかもしれません。

921 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:09:08
日向説もねえ、、、放射説をとらず説明できれば、少なくとも行程記事においては
他説より優位に立てるんだがwwwwwww

922 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:11:03
>>902
郡使が魏の国では珍しく特に正史に記載した例

◇活火山で噴煙が立ち上らせていた阿蘇山
◇男王でなく女王が支配した国 邪馬台国

923 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:14:38
>>919-920
共立一女子爲王名曰彌呼事鬼道能惑衆

924 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:23:53
>>923
>共立一女子爲王名曰彌呼事鬼道能惑衆

 能惑っていうのが重要なポイント
 何やらかに通じる漢人らしい意味深い表現だね。

925 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:53:11
>>915
そういう場合は琉球が狗奴国になることが多いよ

926 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:58:26
>>922
阿蘇山は三国志には記載されていない。
楽浪帯方両郡は4世紀初頭に消滅、高句麗の支配域となる。
阿蘇山が初めて中国正史に現れるのは隋書から。
隋書は7世紀に編纂された。

3世紀に倭に使わされた郡使達が阿蘇山を見たり聞いたりしたかは不明。
ともかく三国志魏志倭人伝には阿蘇山に関する記載は何も無いことに留意すべき。
隋書の記事を引いて3世紀の使者達が阿蘇山を見たとするのは誤った推論。

927 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:02:44
>>926

>隋書の記事を引いて3世紀の使者達が阿蘇山を見たとするのは誤った推論。

まったくだ。
阿蘇山を引き合いに出す人がいて「?」状態だったのだが。
魏志倭人伝に阿蘇なんて出てこないんだから、邪馬台国とは何の関係もない。
おそらく、九州王朝説(笑)の人だろう。
まぎらわしい。

928 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:06:22
僕の頭の中では宮崎県が決定事項なんです。
宮崎県であるためには伊都国が佐賀にないと困るんです。



929 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:14:55
>>928
まあねえ、、、

通説通り九州北部沿岸を東へと行くと、そこからの水行は関門海峡越えて
日向へは太平洋側から行くことになる。

そうすると、どう考えても陸行一月は無理な訳でwwwwwwww

930 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:17:19
>>928
結論を急ぎ過ぎじゃね。ww
一旦白紙に戻し、今後5年間いろんな勉強をして
それからあらためて邪馬台国の所在地を考えてみた方がいいと思うぞ。
先に結論ありきでは勉強が偏って、広い知識が得られんじゃろ。

931 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:21:10
>>928
間違いじゃないよ。
少なくとも倭人伝解釈に、一切思い込みが入らないなんてことはない、というか無理。
どんな解釈にしろ、無理矢理「解釈」して自説の場所に邪馬台国を近づけるしかない。
倭人伝を読んだだけで分かるなら、新井白石以来、邪馬台国論争が継続する筈がない訳で。


結局、何が言いたいかと言うと、倭人伝を解釈する時には、
直感を優先するか、記紀を優先するか、考古学を優先するかの違いが出てくる。
直感はまあダメとして、四五百年後に書かれた記紀もかなり眉唾で読まないとというのが学問的態度だろうと。

932 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:22:04
古代では、火山のことを「アソ」とか「アサマ」と呼んでいた。
その名残は富士山の浅間神社の名にも残ってる。
富士山はいまでは休火山だが、江戸時代以前はよく噴火していた。
富士山を「ふぢ」と呼んだのは、平安時代の頃からと推察できる。
平安時代に書かれた竹取物語の登場人物である天皇が「ふぢ」と名づけてるので、
古代からの呼び名ではなかったということになる。
もともと富士山は「あさまやま」であり「あそ」であったかもしれない。



933 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 23:49:59
では納得してくれたかね。


934 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/25(火) 23:58:04
>>926
>3世紀に倭に使わされた郡使達が阿蘇山を見たり聞いたりしたかは不明。

阿蘇山は女王國と敵対する狗奴國(装飾墓の地域)にあったから、
魏使達は阿蘇山を全く見たり聞いたりしていない。

935 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/26(水) 00:07:09
>>926
>3世紀に倭に使わされた郡使達が阿蘇山を見たり聞いたりしたかは不明。

阿蘇山は女王國(縦穴墓甕棺墓の地域)と敵対する狗奴國(横穴装飾墓の地域)にあったから、
魏使達は阿蘇山を全く見たり聞いたりしていない。

936 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:24:47
>>898
自分も宮崎説だ。
西都原古墳〜西臼杵郡〜大分県南部 この辺りかと睨んでる。
文字通り九州一の「山大国」。神懸った伝承も一番多い。

九州の北部から目指せば一ヶ月かかって当然...つうか、耶馬溪やらの
あの凄い山々を通りこして、やっと平野に出たかと思ったらさらに凄い
山脈続き。トンネル無しで何百山越すの?何処見ても、あそこしかないんだが。

信じられない奴=単に行った事ないだけ。
あそこ、、大分中部から日向まで。無数のトンネルがなけりゃ一日一、二山昇り降りして
3,4週間かかるだろ。しかも山がそのまま海に突き刺さってて海岸線を
歩く...っていうこともできない(だから線路も凄いとこ通してる)

つーか、九州で「山大国」っていったらやはり、くじゅう連山と高千穂。

ところで耶馬溪だけど中津の山国川が記紀にでてるだろ。当時からある地名。
山国町とかも傍にある。やはり倭人伝にでてくる「邪馬国」じゃねーかな。
あそこも昔から相当苦労の多い伝承の残る「山国」。倭人が名付けたのも当然だとおもわれ。。

937 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:40:19
証拠はなにもないけどな。

938 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:50:53
絹と鉄器は北部九州。

939 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:53:56
>>937
4世紀の巻向を詭弁と嘘で邪馬台国の時代に遡らせるような
ことはする必要がない。

940 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:10:33
>>939
「古代の実年代が確定している」とか世迷言は程ほどにしてくれ。


941 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:24:29
>>940
4世紀じゃない「かもしれない」可能性にすべての詭弁
をつぎ込んで「確定」させてるのが畿内説じゃないのw
恥をしれw


942 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:45:05
>>932
>富士山を「ふぢ」と呼んだのは、平安時代の頃からと推察できる。
>平安時代に書かれた竹取物語の登場人物である天皇が「ふぢ」と名づけてるので、
>古代からの呼び名ではなかったということになる。

富士は日本書紀にも万葉集にも記載があるので、貴君の推察は全くの誤り。
奈良時代にすでに人口に膾炙した地名であり、相当に古い。
赤人の歌、高校で習ったと思うが、知らんのか。ww

・日本書紀 皇極天皇3年秋7月
>秋七月、東國不盡河邊人大生部多、勸祭虫於村里之人曰、
>此者常世神也.、祭此神者致富與壽(後略)

(644年秋7月、東国の不尽(ふじ)河畔の人・大生部多(おおうべのおお)が、
虫を祭ることを村里の人に勧め、
「これは常世(とこよ)の神であり、祭るものは富みと寿を致す」
と称した)
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki24_2.htm#sk24_09

・万葉集
>田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白こそ
>不尽の高嶺に 雪は降りける (山部宿禰赤人)

ほか。次のリンクを参照。
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/area/kanto/fujisan.html

943 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:47:29
>>936
因みに邪馬台国の台はトと読むのだぞ。幻のヤマタイコクなぞ読み方では永久に見つからんな

944 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:53:43
>>941
意味不明。

実年代がまるで確定してるかのような言い方に、
それは学問的じゃないよと老婆心ながら言っただけ。

まともな考古学者は実年代を不用意に使わないし、使うにしろかなり幅を持たせている。
実際のところ、大体の人が土器編年で語っているしね。

何故なら、実年代は変わる可能性が多分にあり、変わる可能性が高いものを、
あたかも確定のように語ることに抵抗を感じているから。

むしろ考古学者間では、邪馬台国問題は無視したいような雰囲気すら感じるのであって、
最早、畿内説とか九州説は古い。畿内王権の成立プロセスは昔みたいに
倭人伝に頼らなくても解明できるのでは?実年代が分からなくても、土器編年だけでというのが
正直な感想のようである。
まあそれが俺も含めた素人には不満で、邪馬台国を絡めて欲しいというのが希望なわけだが。

ある意味、実年代が確定しているみたいに思える能天気は羨ましい気もするw

945 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:57:55
>>929
まず、太平洋沿岸は通らない。波が荒くて危険すぎる。
江戸時代の薩摩藩も、太平洋側の航路は取っていない。

946 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 06:40:32
>>944
纏向遺跡は4世紀になってから出来たとされてきた。
つまり、卑弥呼の時代のかなり後ということになる。

そうなると、纏向遺跡が卑弥呼の住んでいる国の中心としてふさわしいか
どうかは別問題として、奈良盆地に卑弥呼の住む場所はないと言うことになる。
そればかりか、邪馬台国東遷も時系列的に成り立ちうる。

文献的・歴史学には、邪馬台国九州説が有利とされる。
弥生後期、終末期に九州が栄えていたのは事実。鉄器の出土量は比較に
ならない。
吉野ヶ里遺跡の発表で、倭人伝の記述そのままの国が出現した。
銅鐸の消滅、鏡の出現と畿内の弥生時代と古墳時代とでは劇的変化が見られる。
土器の実年代に頼らなくても、九州説には考古学的にも十分に根拠がある。

一方で、三角縁神獣鏡魏鏡説を寄りどころとする畿内考古学は破綻。
箸墓を卑弥呼の墓にしようとするが、これも無理があった。
もう、畿内説には根拠となるものがなくなっているわけである。

したがって、土器編年に実年代を持ち込み、纏向を卑弥呼の時代に重ねようと
するのは、今や畿内説の最大の根拠となっている。
土器編年に実年代を持ち込まないと困るのは畿内説なのである。

947 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:15:13
そもそも九州説と言うのは
「古墳時代は4世紀から」
と言う年代観によってかなりの部分成り立っていた。

それが怪しくなった現在、もはや過去の遺物に成りつつあるw

いくら弥生末期の九州の繁栄を強調したところで
右肩下がりの衰退傾向にあるのは覆し様が無く
また弥生末期、九州に独自の祭祀形態・威信財体系が無いのも九州で発掘に当たっている学者自体が認めるところ。

大乱を経て魏に冊封されたのなら、そこから繁栄を一時期でも取り戻しても良いだろう
…と考えるのは普通www


この板では約一人の人間が祟神陵も含め全ての纏向型古墳を一括りにして
10〜20年ぐらいの間のものとして頑張っているが
まあ2ちゃんみたいなネットでしかお目にかかれない珍説w

邪馬台国東遷説自体ももはや九州説の人間からも見捨てられているのが現実。

いくら人や物の 「 東進 」を述べてみても「 東遷 」と言う以上
大和入りした勢力が何らかの形で後の畿内ヤマト勢力に繋がっている事を証明しなければならない。

それが記紀神話だけなら単なる神話だけのお話www
仮説だけなら
「畿内ヤマト王家は九州に縁も所縁も無かったからこそ九州の地を出発点にした東征神話をチョイスした」
…なんてことも言える訳でwwwwwww




948 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:24:03
それに
「文献学的には九州説が有理」
と言うのも馬鹿げた話で単に文献と言うのなら、それこそ隋書の

「邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」

で終わっている話wwwwww

他にも「太平御覧」では明確に連続式に書いてあり
行程記事の日数の消化が困難になるwww
(まあ、もっとも実働にどれだけ費やしたか分からないので
 それが九州説の致命傷とまでは言わないがw)



949 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:37:08
>>939>>941
そういうとかっこいいように聞こえるけど
ようはこいつら古い年代間にしがみついてるだけ
>>947
考古学的に見てみると確かに畿内の文化には九州の影響があるんだけど、
(鏡、剣、勾玉の三点セットとか、竪穴式石室とかね)
それを邪馬台国以後に持っていく理由が、古い年代間の崩壊と共に失われてるからね。
そら確かにね、弥生時代の大部分は九州が先進地域でしたよ。
でもそれもね、倭面土国あたりが最後の輝きだったろうよ。
2世紀後半には畿内に移ってるから。

950 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:56:39
>>546
>こっちの方が面白くないかな。ちなみに、女性人骨の年齢は30歳代と
>推定されている。副葬品から初期の古墳と思われるが。

チト亀だが…

そもそも日本の古代においては父系社会だったのか母系社会だったのか?
と言う疑問がある、万世一系がどうのこうの言う前にだwwwwww

「女酋」と言えば九州筑紫の 田油津媛 や景行に帰順してきた 神夏磯媛 とかが有名だが
ヤマト入りした神武も 新城戸畔 と言う女賊を討っている。

そもそも記紀神話にも母系社会を形成する南洋系の物も多く
多分ある時期までは母系社会、少なくとも厳とした父系社会で無かったであろう事は十分考えられると思うのだが…

まあ民俗学とかの分野だろうか?wwwwww

951 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 08:41:14
>>947
弥生時代の九州と古墳時代の畿内とは鏡一つとってもつながっているように
思えるが。
それよりも、弥生時代の畿内と古墳時代の畿内には全く連続性がないと
思うのだが、何か連続するものがあるかな?


952 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 09:07:38
>>951
ドキドキ・・

953 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 09:41:46
>>951

この人はバカなの?

954 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 10:08:25
倭国大乱の内戦に疲れた各地の有力な豪族が大和に集まって会議をした。
その時に大和国(邪馬台国)の女王に決まったのが日女命(卑弥呼)である。
女王日女命(卑弥呼)を補佐する男弟に女王の実妹(大海媛)の婿の崇神天皇が
就任して中国の魏に使節を送り親魏倭王の金印と鏡と剣等を贈られた。
日女命(卑弥呼)が亡くなった時に後継者争いが勃発し武埴安彦命が反乱を
起こした。男弟(崇神天皇)と有力な豪族は日女命(卑弥呼)の甥の娘である
天豊媛命(臺與)を女王に擁立して四道将軍を派遣し京都府南山城の祝園で
武埴安彦を撃滅した。その後中国の晋に使節を送り親晋倭王の金印を贈られた。
その後二人の女王は伊勢神宮に天照大神(日女命)豊受大神(天豊媛命)として
手厚く祭られている。以上、正しい日本の古代史でした。

955 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 10:11:22

イヨタン・・・・・・・・・・


956 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 10:39:11
>>954

素晴らしい。
海部氏系図の発見で九州説はとっくに葬られてる。

あの、東日流外三郡誌を徹底的に偽書として攻撃した安本でさえ、
海部氏系図には何のコメントもできない。
クチを出したら九州東遷説が崩壊するからな。wwwwwwwwwwwwwww



957 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 12:28:05
日本@名無史さん:2008/11/14(金) 03:36:20
実は日向から大和盆地の方角は、正確には真東ではなくて
明らかにずれてるんだよね。東遷、東遷って言うけど

>>956
おいおいココで津軽って北西極地じゃあねーか(藁




958 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 12:51:31
安本が東日流外三郡誌を攻撃したのは、
とにかく、九州よりすぐれた文化が東にあるのが気に入らない、それだけなんだよなあ。


959 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:07:54
>>947 >>948
なんか wwwで必死さが伝わるが

巻向は卑弥呼の時代にはまだ無かった、というだけで
すべてが崩れ去るのは小学生にだってわかる。

しかもそれは無理やり3世紀まで100年以上も遡らせてるだけの話。
ここまで危ういだけでなく、学問としても研究としても
歪ませてる間違いに気づいてないわな。




960 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:09:42
掘れば掘るほど、崩壊していく畿内説。
我々は、畿内説が自動的に沈没していくのを眺めるだけだ。

961 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:16:39
邪馬台国九州説は「海部氏勘注系図」によって完全に崩壊した。

962 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:33:42
>>930 >>931
まじめに応対しているけど、>928は畿内説論者の書き込みでは?
宮崎説は、宮崎出身者でもないかぎり、行程記事を素直に読んで宮崎に
なるんであって、宮崎にしたいなどという予断はもってないよ。


963 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:38:01
崩壊どころか海部氏勘注系図は
平安時代に書かれたあとの、明治時代に写しってどっかなかった?
しかも日女命は天照大神というのもあったぞ。

だとすると、卑弥呼=祟神天皇の姉=天照大神説だな、
海部氏勘注系図説と名付けさせてもらおう。これは大変興味ある。

祟神の姉を天照と設定すると、記紀に書かれた神武天皇=祟神とみるほうが
はやい。俺は以前から神武=祟神説だった。神武東征はせいぜい4世紀とみるか?

大和朝廷成立が5世紀中〜後半ごろ。記紀の書かれた年代(8世紀)を
みるとそれでも早すぎるぐらいだが。



964 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:15:15
>>951
だが、それは最早九州説の根拠とはならないんだなあ…
>>960
なんか「反日マンガの世界」の「マンガ嫌日流」の項の最後の文章みたいだなあ…
掘れば掘るほど、九州の終焉は早まっていくのにね。

965 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:17:06
奈良の巻向に地方から集まってきた「各地の王たち」のなかに
後に祟神天皇となる人物がいた。そいつが神武なんだよ。
地元の豪族の娘と結婚し、出世街道ひた走り大和朝廷を成立させる。

これぐらいの年代じゃなきゃ記紀の成立年や初の遣隋使派遣の年代と
朝廷の日本統一権力図の整合性が合わないんだよ。前からわかってることだろ。


966 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:22:14
>>964
畿内説は「巻向の年代を遡らせた説」としか言えないから
掘り下げようもないんだな。

967 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 14:32:15
妄想の暴走ばかりだな。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

968 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 15:09:01
>>967
コロボックル太国の大妄想よりマシだ!

969 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 15:28:28
邪馬台国九州説は「海部氏勘注系図」によって完全に崩壊した。

九州説も東遷説も、海部氏には勝てない。

海部氏最強。


970 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 15:30:32
>>962

宮崎も俺は濃厚だと思うけどな。
特に、関門〜佐賀の関の2箇所は船での航行は無理だから
陸行に成る・・そこらを考えると西都は結構有力だな。
オサホ・メサホもあるしな・・当然、卑弥呼とトヨ!

>>963

記紀は監修・編集に立ち会ってる(だろう)
チョン皇子系の不比等が各部族の歴史書を焚書し
適当に作ったと思われるからな・・

971 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 15:39:25
>>921
行程記事は連続説だって思ってんですね。しかし、それは間違いですよ。
大和説の山尾すら、放射説が正しいと言ってることに注目すべきです。
大和説の場合、放射説と言ったら行程の説明がとてもむずかしくなるんです。
現に山尾は使者は邪馬台国へ行かなかったとかいって説明を放棄してます。
それでも放射式といわざるを得なかった、これは史書の読み方をある程度知ったら
放射式であることを否定しがたいからなのですよ。

972 : ◆.L.MXSPOgc :2008/11/26(水) 15:39:48
>>946,947
なかなか興味深い書き込みですね。
ところであなたは、私の説をどう思われますか?

http://yamat-2007.blogspot.com/

973 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:05:40
邪馬台国は奈良でしょ。

マキムクからは日本最大最古の出土物が出てる。
日本のどこよりも先進的な地域だったんだよ。
各地の首長は、みな奈良にあつまって、卑弥呼の神託を聞いていた。


974 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:20:37
すげー素人の質問なんだけど
東征説にしても畿内説にしても
古代の一時期から一貫して都が畿内限定になってるんだけど
なんでなの?
当初大陸の先進文化を受容するだけなら九州の方が有利
この地域になんか特別なもんでもあるのか

975 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 16:31:26
だから何でも畿内にしなきゃぁ紀がスマナイ奴の集合が紀無い節
なんだよ。ローガンという人も法興をマ〜タ畿内の年号だと〜また
畿内にしてしまう。wwwwwwwwwwwwwwwwwww

976 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:45:54
>>974
記紀を信じているだけです。

977 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 17:02:55
吉野ヶ里から出土した銅鐸ってなんなの?畿内から盗んできたの??

978 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 17:07:47
>>970
宮崎は正解だけど、宮崎にしたいと予断をもって考えた結果ではないということよ。
九州の東を回るのは間違い、倭人伝を素直に読むことだ。

979 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 17:12:26
>>974
古代では、大和の内部とはいえ、都がころころ変わった。
大津に移ったこともあった。そのあとは京都だったし、鎌倉になったことも
あった。江戸(東京)に移ってからもう400年くらいになる。

そう考えれば、邪馬台国九州説にしても、九州内部で結構変わったのかも
知れないな。

980 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 17:27:31
>>974
>特別なもん
だからそれが九州王朝だよ。

大陸では王朝が多々あった。半島もそうだろう。そして畿内も皇朝があった。
しかし九州は王朝があると都合が悪いのが紀無い論者の脳内。だから彼らは九州
の無の閑古鳥化を目論んでいうrわけ。wwwwwwwwwwww 〜九州に
卑弥呼の国があったころ、畿内の朝廷の勢力は九州に届いてはいない。つまり
当時は畿内と九州は関連性が薄く、双方が別の国だったということだ。となれば
九州のみ王朝は0で、畿内、大陸、半島は王朝があるんだと〜九州を0としたい
のが妄想陰謀の紀無い論者なわけ。wwwww

981 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 17:39:33
>>980
必死だね♪

982 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:15:01
>>980
日本列島の統一が最初から畿内中心に始まったなんて超不自然。
大和朝廷が日本を統一した8世紀の日本書紀の作文だな。
初めは日本列島の各地で地域毎の統一が進み8世紀に全体が統一されたんだろう。
九州にも畿内とは別の王朝があったことは間違いない。

983 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:30:39
九州説派はまず、邪馬台国の九州内の比定地を統一すべき
畿内に比べて九州は漠然としすぎなんだよ。おまえらは先にそこから論ずるべきであって
畿内云々はそれ以後の話だろ?比定地も定まらないのに「九州内に間違いなし!」と
言われても、じゃあドコよ?と聞かれると、てんでバラバラの話を始めるよな?
畿内vs九州ではなく奈良vs○○という構図にはいつなるんですかね?

984 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:31:40
海部氏の家系図によると
祟神天皇の姉が卑弥呼で日女命で天照。

これって滅茶苦茶やばくね?w 

天照大神→ 祟神天皇 あれ、間は?www 

記紀じゃ天照大神は高千穂で治めていたから西都原周辺の九州説に有利だし

じゃ、天照(卑弥呼)の弟の男王は失脚したあと何処へ行った?畿内じゃね?

宮崎→近畿ルートといえば、神武天皇東征ルートじゃん。
海部氏も居たしな。こんなに簡単に説明がつくとは。

985 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:33:42
都が畿内にあるのは
当時はヤマト王権の勢力圏が九州から関東にまたがっていたため
その中間をとったというとこと
九州から船で瀬戸内海づたいに東に進んだ場合、
最後にいきつくのが大阪湾で防衛上そこから少しいった場所が適当だった
って思ってり。

986 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:41:37
>>983
なぜ、君は「九州説」という対象をつくりたがるわけ?

そういう発想がそもそも間違い。
いろんな説があるんだよ、甘木説、阿蘇説、宇佐説、高千穂説。
他にも吉備説、四国説、美濃説www、

東征説、東遷説、邪馬台国→大和説 邪馬台国滅びた説。

それぞれに言い分があるから、それぞれと話せば良い。
君はただ単に、「九州説」を異常に意識しすぎて
穴だらけの巻向説に突っ込むやつは全員「敵=九州説!!」みたいな発想だよ。
非常に醜いんだが。




987 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:00:12
>>986
ん?あんたそれって自分が巻向説全員敵って遠まわし言ってるようなもんじゃんwww
つーか発想が貧相なのはどっちかね?ん?俺は九州の宇佐説派ですが?www
なにかとんでもない間違いしてるようだけど?p

988 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:00:57
>>983
ここで海部氏を最強とか言ってる奴がいるが、「海部」は
「かいふ」とは読まずに「あまべ」と読む。

海部(あまべ)氏は現在の大分県大分市に居た豪族として伝承されている。
大分の海部郡(あまべ)郡と共通する読みは京都の海部(あまべ)氏。

最強とか言うぐらいだからこれぐらい知ってるんだろうな?
宇佐に古くからいた豪族大神氏も東遷しているし、阿蘇氏も
塩の技術とともに東遷してる。

989 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:09:02
九州曖昧wwwwww

990 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:10:38
>>986
はあ?
一体どういう発想したら巻向説が敵なんだよw

そんな国語力じゃ○○説なんて無理だよ、君は。大体
いまどき宇佐説なんて君もおめでたい発想だね。>>986の中頃を
100回口に出して読み返せ。

>邪馬台国の九州内の比定地を統一すべき

馬鹿が必死だなww


991 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:14:01
吉野ヶ里で発掘された銅鐸ってなんなの?
畿内から盗んできたの?

992 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:14:12
>>987 >>989
wwwwwが多くて必死すぎ。 醜いな

993 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:15:21
>>991
盗んだのを埋めて掘りなおしてるところが巻向って
呼ばれてるよww

994 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:25:34
海部家系図を「、後世の偽系図」として国宝の取り消しを求めている人が
いるね。いまグーグルで見た。
俺もどうみてもおかしいと思うんだが。

万葉集では「天照大神」が「日女命」だとあると書き込みを読んだが
家系図でみるとおかしくなるんだよなあ。

995 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:49:22
九州説おわったな。wwwwwwwww


世界不思議発見でもスルーされる時代遅れの九州説wwwwww



996 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:56:54
NHKがアップ始めました

997 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 20:59:06
>>995
なんか「世界ふしぎ発見!!」みて興奮したみたいだが
日女命=天照は宮崎の高千穂を治めていた女王だから
九州説に有利だぞ、わかってんのか?w 


998 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:03:39
大分県の海部氏が京都に
豊受大神崇拝を持ち込み地主神化させたのでは?

天照大神信仰の高千穂にも遠くないし、これで海部家系図と記紀との
繋がりも立証される。



999 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:07:26
それは無い。

アマテラスは伊勢の信仰。

1000 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:10:03
神武が祭ってたのは、タカミムスビです。

残念だったね。

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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